つなぐその手は

製作者:王立魔法図書館司書さん






はじめに

この物語はフィクションであり、実在の決闘者、場所、建造物及び団体とは一切関係ありません。
また、登場人物がデュエル中に口汚くののしり合ったり時には汚い手を使ったり、
道路交通法をはじめとするいくつかの実在する法律に抵触する行為を行ったりすることがありますが、
絶対にマネをしないで、ルールを守って楽しくデュエルしてください。

この作品の執筆ではいかなる動物、モンスター、カードも傷つけていません。

この作品をお読みになる際には前々作「今はまだ届かない」及び前作「彼の炎が焼くものは」の既読を全力で推奨します。

The story,all names,characters and incidents portrayed in this production are fictitious.No identification with actual duelists,places,buildings and products is intended or should be inferred.
No animal,monster and card were harmed during the writing of this novel.





目次

■序章          
■第一章                   10  11  12
第二章・終章





序章 招待状

1:ホワイトボードと名探偵

 女子高生の朝は忙しい。
 まず目を覚ますために顔を洗い、ついでに鏡を見ながら無造作に跳ねた髪を整える。
 こういうとき、寝癖というものが本当に厄介な代物だと思い知らされる。
 確か、あの人は身なりを全くと言って良いほど気にしなかった。その無神経さが少し羨ましくもあった。
 肩より下まで長く伸ばした髪を梳かし終え、おかしいところがないか顔の角度を変えながら鏡で確かめる。
 確か、あの人は長い髪が好きだった。自分の髪には無関心な癖に、と憤ったこともあった。
 今日は水曜日だから、体育の授業がある。そういう日は、私服通学が認められていても、着替えに手間取らない制服を着ていく。先月から履いている長いスカートと違って丈が少し短いが、寒さをしのぐには十分だ。
 朝の占いを見ながらトーストをかじる。自分のものと、あの人の順位も気になった。
 二つの星座に注目すると実は面白いことがわかる。相互関係がたいてい似たり寄ったりなのだ。
 つまり、おうし座が上位にいる日はうお座は下位にいるし、うお座の運勢が良い日はおうし座は散々だったりするのだ。
 これはとても残酷なシステムだ。と彼女は毎朝思いながら、マーガリンを塗っていないトーストをかじる。
 どちらかが幸せであればどちらかは不幸になる。誰もが幸せに笑っていられる世界が、この占いという世界には存在しない。
 確か、あの人も占いが嫌いだった。早起きも得意ではなかったから、いつも朝は不機嫌だった。
 かばんの中身を確認する。弁当よし、ペンケースよし、下敷きよし、教科書よし。
 危うく、大事なものを一つ忘れるところだった。かばんの口を半分ほど閉めてから、彼女は机の上に置いたそれに気づいた。
 招待状。宛名は自分。今週末に角下(かどした)総合体育館で行われる小規模なデュエル大会らしい。
 大会のほうから招待状を寄こすのはかなり珍しい。
 ひょっとしたら何か裏でもあるのだろうか、なんて冗談半分に考えながら、丁寧にかばんの中にしまう。
 きゅ、とマフラーを巻いて、机の上に飾った写真に目をやる。無邪気に笑う二人が写っていた。
 その写真を見ると、やる気が出た。今日も一日頑張れると思った。
 いつもと同じように、心の中で「いってきます」を言って外へ出る。
 確か、あの人は寒がりだった。三年前に編んだあのマフラーはもうダメになっているだろうか。
 もう新しいものを用意しているだろうか。興味を引かれないものに対しては無頓着だから、そのまま使い続けていてくれるかもしれない。
 そうであれば彼女にとっては嬉しいのだが、どちらにしてもあの人が寒さに凍えていなければ良いと思った。
 十二月。冬の空はこれでもかというほど真っ青に澄んでいて、それが余計に寒さを際立たせた。
 通学路にある急な坂道を下る途中で、彼女の隣をものすごい――挨拶をする間もないほどの――スピードで友人が通り過ぎた。
 通り過ぎた名探偵の少女が宙を舞うまで、それほど時間はかからなかった。







 少女は、それはそれはさわやかな表情で風を切っていた。
 顔面に冷たい風が突き刺さり、せっかく整えた髪は荒々しく後方に舞っている。
 肩よりも少し上くらいになるように切りそろえたのだが、どういうわけか毎朝寝癖がついた。
 髪と一緒に、彼女の着ているインバネスコートも暴れていた。
 急な坂を猛スピードで下っているのだから、それは当然のことだと言える。
 いつも被っている鹿追帽子(ディアストーカー)はさすがにはずしている。このスピードでは飛ばされるなと命じるほうが無理な注文だからだ。
 さて、彼女はとてつもない速さで坂を下っている。それも、勾配がそれなりに急な坂をだ。
 彼女も、こんな真冬に自転車で猛烈直滑降を楽しもうという気はなかった。では、なぜ彼女はさわやかすぎる笑顔で加速し続けているのか。
 自転車で坂道を下る際、気をつけなければならないことがある。ブレーキだ。
 前ブレーキのみをかけたために後輪が浮き上がり、そのまま地面と愉快な速さでお友達になってしまうという事故は有名である。
 そんなこんなで、坂を下る場合は普通、後ろのブレーキを優先して使うようになる。
 左ハンドルに付いた後ろブレーキ。彼女は、確かにそれをゆっくりと握りながら慎重に坂を下るはずだったのだ。
 だが、どうだろうか。ゆっくり歩く友人の真横を、挨拶をする間もなく通り過ぎる程度の速さにはなってしまっている。
 ことの発端は三秒くらい過去にさかのぼる。彼女は坂道を下りながら左ブレーキを軽く握った。後輪に摩擦力がかかり、自転車は減速するはずだった。
 不穏な金属音がして車体がわずかに軽くなったのを意識したと思ったら、彼女はすでに直滑降でかなり加速していたのである。つまり、後ろブレーキが自転車本体から切り離された。
 坂を下った先には、狙い澄ましたかのようなT字路。このまま進めば直撃は免れない。
 かといって、右ブレーキを握れば彼女は自転車とともに孤を描いて顔面から鋼鉄の地面と熱い口づけ(ベーゼ)を交わすことになる。
 そんなわけで、彼女は実にさわやかな表情のままあの世への片道切符に手を伸ばしかけているところなのである。
「はっ」
 だがしかし、彼女にもやり残したことがエベレスト三百ダース分以上ある。こんなところでくたばってしまうわけにはいかない。
「ひっさあああああつ! たのかちゃんスペシャルハンドリング!」
 ハンドルを握りながら体重をぎりぎりまで後ろに持っていく。T字路の突き当たりに乗り上げるべく一瞬だけ右ブレーキを握る。
「なんやかんやは!」
 慣性の法則にしたがって後輪だけが上空に引っ張られ、しかし前輪のブレーキはすぐさま解除されてT字路に直撃。
 後輪が浮いていたことにより衝撃は最小限に抑えられ、後ろに傾いていた体重によって後輪が地面へ。勢いのまま前輪からシャープな角度で突き当たりの壁に乗り上げる。
 そこからたのかの体がT字路の壁と垂直になるまで乗り上げ、体重をニュートラルな位置に戻してさらに右ブレーキ。前輪だけが停止し、後から付いてくる後輪が上へ持ちあげられる。
「なんやかんやで――!?」
 水平を超えた途端、勢いあまって車体ごと上空へ投げ出され、そのまままっすぐ着地した。
 奇跡のテクニックで危機を乗り越えた名探偵の少女は、駆け寄ってきた友人に振り向き、涙目になりながらこう言った。

「お尻打った……」






 市立角下高校は、この田舎にある数少ない普通科の高等学校だ。
 この町に住みながら公立高校へ行きたいと願うなら、ここ以外の選択肢はない。
 しかしそれほど名門というわけでもなく、有名大学への進学はほとんどない。もっとも、二年前の世代は例外が二人ほどいたのだが。
 三年になるまでは比較的に穏やかな雰囲気の高校である。昼休みになれば授業という鎖から解き放たれた学生がやんややんやと騒ぎ始める。終業式を間近に控えたこの時期ならばなおさらだ。
 学食に向かって猛ダッシュする者もいれば、購買のレアパンを我先にと買い求めたり、あるいは弁当を持って教室でのんびり昼食をとる者もいる。
 彼女は弁当派で、自分で作ってきた弁当をかばんから取り出しているところだ。昼休みが始ってから三分。もうすぐ、あの名探偵の少女が訪ねてくる時間だった。
 秒針が六を通過したのと同時に、相田(そうだ) たのかは二年生の教室に入ってきた。
「カズサ! ご飯食べよー!」
 シャーロック・ホームズのような恰好をしたこの陽気な少女、相田 たのかは、実は二年生ではない。
 一年生なのだが、いろいろと縁あって毎日この教室へやってくる。この習慣はもうかれこれ半年続いているので、教室にいるほかの生徒たちも好奇の目を向けてくることはない。
 ああ、またあの探偵少女か、で済ませてしまう。
 机をくっつけて、正面に向かい合って弁当を開く。あの人は卵焼きを半熟で作るのがうまかった。
 外は堅めに、中はふんわりとしたオムレツのような食感がたまらなくおいしかった。
 和沙(かずさ)も何度か練習しているのだが、あまりうまくいかない。それでも、三日に一度成功するかしないかというところまでは上達した。
 一方で、たのかはいつものように弁当の右半分と左半分が別世界だった。
 右半分はおいしそうなおかずがぎっしり詰まっているのに対し、左半分は何やら紫色の得体のしれない粉末状の物体で満たされている。
 何をどう調理したらその混沌とした世界が完成するのか、何度も尋ねているのだが答えは要領を得なかった。
 もっとも、それも半年続いているので和沙は気にしないことにしている。
 いつも携帯している小型のホワイトボードにスラスラと文字を書き込む。
『朝は大変だったけど、大丈夫?』
 今朝、たのかは自転車に乗ったままコンマ一秒単位で空中遊泳を楽しんだ。
 それはつまり、次の瞬間には地面にたたきつけられたということを意味している。
 一歩間違えば大惨事だったのだが、今ここで箸を握っている彼女は、大した外傷もなく元気そうである。
「あぁー、あれね。実はまだお尻がちょっと痛い……。痔になったらどうしよう……」
 恐るべきことに、昼休みまで痛みは続いているらしかった。
『災難だったね』
 和沙の持つ小型のホワイトボードにその文字がスラスラと書かれ、サッと消される。
「ま、和沙にぶつからなくてよかったよ」
 傍から見ればかなり奇妙な光景だっただろう。音だけを聞けば、たのかが壁に向かって話しかけているようにしか聞こえない。
 ある事情――それはたのかも知らないのだが――で、和沙は声を失ったのだ。食べ始める前はまだ良いのだが、箸を持って食事を始めると会話用のホワイトボードを触る暇がない。
 必然的に、話すのはたのかになった。だが、たのかは驚くほど話がうまかった。
 聞いていて全く退屈しないし、本人もすこぶるうれしそうに話す。和沙も、その話を聞くのが大好きだった。
「いやぁー、あの時はびっくりしたなぁ。犯人がプロデュエリストだったんだから」
「うーん、どうもうまくいかないんだよね。コウスケくんにできて私にできないのはちょっとシャクなんだけど」
「あ、でもでも! ちゃんと上達したんだよ! 黒じゃなくて紫になった! あと、においもカメムシからニンニクに昇格したんだ!」
 昼食を終えると、今度は和沙もホワイトボードで話し始める。
 今日の占いから天気や気温の話、数学の先生の口癖が毎分一回のペースで出たとかいう話まで一通り終えて、和沙は大事なものを思い出した。
 かばんからそれを取り出し、机の上に置く。封筒には宛名として和沙の名前が書いてあり、差出人は当たり障りのないものになっていた。
 封筒の中身は角下の総合体育館で行われるデュエル大会に関するものである。大会に関する簡単な案内の書かれた手紙が入っていた。
「へぇー、こんな大会があるんだ」


『角下の総合体育館にてデュエルモンスターズの大会を開催致します。
 一チーム四人の団体戦で、この招待状を持たなくても参加することができます』








2:思いを馳せる

 冬季休業期間に入って二日もすれば、デュエルアカデミアのある島はひどく静かになる。初日か、二日目の船で大半の生徒が里帰りしてしまうからだ。
 ただ、そんな中にも例外はいる。日生(ひなせ) (あきら)もその一人だった。
「あ゛ー、やっと終わった……」
 レッド寮の万丈目ルームと称された部屋のど真ん中、コタツに突っ伏して、彰はたまった疲れをすべて吐き出すようにつぶやいた。
「補習お疲れ様」
「くっそぉ、タテヤンめ。これだけやって、まだ宿題が積み上げるほど残ってんのかよ」
 積み上げるのは幸福だけで良いとボヤく彰の正面から冷静なツッコミが飛んでくる。
「自業自得でしょ。テスト中に寝るなんて、どんな神経してるんだか」
「あ、あれは前の日の夜にわからないところをずっと勉強してたからで」
「普段から勉強してないから」
「う……」
 デュエルともなればだれにも負けない底力を発揮する彰も、それ以外の勉強となるとさっぱりである。普段のポニーテールを解いた少女、七山(ななやま) 十海(とうみ)に言い負かされて、彰は何も言えなくなってしまった。
 つまり、彰がこの島に残っていたのは、彼だけ補習という名目で前期の授業が続行されていたという理由があってのことである。元々、帰る先が同じ十海も一緒に残っているのだ。
 そして、この万丈目ルームにはもう一人飛び級クラスの人間が残っている。向かい合って話す二人を優しい眼差しで見つめる、早乙女 レイだ。
 何のことはない、普段と何も変わらない会話だが、十海はすごく幸せそうに見えた。彰も、なんだかんだで楽しんでいるというのが表情からわかる。
(ちょっと、うらやましいかな)
 レイは基本的におせっかい焼きである。昨年度の三年生が卒業してからは余計にその傾向が強くなった。後輩ができて、自分のことをあまり考えなくなったからだ。
 普段はもっぱら十海や他人の相談に乗るばかりで、自分の恋愛に関しては無意識的に避けようとしていたのかもしれない。そんなレイも、ふいに自分のことに思いを馳せたりすることがある。
 十海と彰の二人を見ていると、好きな人の傍にいられる時間の幸せさがよく分かった。そして、それに気付けるのは無くしてからだということも。
 今、あの人は元気にしているだろうか。暖かいところにいるだろうか、ちゃんと栄養のあるものを食べているだろうか、やっぱり、デュエルに明け暮れているんだろうか。
 デュエル……?
「あっ、思い出した!」
 制服のポケットから取り出したのは、小さな四角い封筒だ。宛名は早乙女 レイになっている。
「こんなものが届いたんだけど」
「へー、先輩のところにも来てたんだ」
 同じような封筒がひとつずつ、それぞれ彰と十海の前に置かれた。つまり、三人全員に同じものが来ていたらしい。
「デュエル大会の招待状、だよな。四人一組だから、誰を誘おうか考えておこうと思ったんだけど」
 今週末に行われるデュエル大会。
 デュエルには珍しい、四人一組で参加する団体戦である。場所は島の外、角下市だ。彰や十海がアカデミアに来る前に住んでいた場所でもある。
「じゃあ、実は近くに住んでたのかな」
「どこかですれ違ったりしたかもな」
 細かなルールを書いた別紙が同封されていたが、まずは参加者をそろえなければ出場することすらできない。
 この場にいる三人はまだ誰も誘っていないから、あと一人見つければいいということになった。
 だが、あと一人と言っても、アカデミアからは人がほとんどいなくなってしまっている。この状況で気の合うデュエリストを探すのは少しばかり困難ではある。
 次元(つぎもと)西田(にしだ)くんはすでに島から出てしまっていて、連絡が取れない。
三田(さんだ)先輩とか、どうだろ」
「う、できればあの人はやめてほしいなぁ」
 デュエリストとしては理想的な実力の持ち主だが、三田を誘うのはレイがひどく嫌がった。
 レイは三田に日頃から猛アタックされ続けていて、正直なところ困っているのだ。
「うーん、他に誰かいたかなぁ」
「剣山先輩とか、館柳(たてやなぎ)先生とか……」
 何も案が出ないままだと三田を誘うことになってしまいそうなので、レイは思いつく限りのデュエリストの名前を挙げた。
「……あれ? タテヤンってデュエルするのか?」
「デュエルディスクの開発者だから、できてもおかしくはないけれど……」
 彰と十海の二人は、館柳 信哉(しんや)のデュエルを見たことがない。レイは一度、衝撃増幅装置をつけた特殊な状況下で見たのだが、流石にそれを思い出すのは嫌なのでボカしておくことにした。
「うん。いろんなカード知ってるし、実力は申し分ないんじゃないかな?」
 でも忙しいかもしれない、と続けようとしたが、その言葉が言い終わることはなかった。
 彰が
「よし決まり! とっととタテヤンのところ行こうぜ」
 と言って勢いよく立ちあがったからである。

















 冬の夜。あまり出来のよろしくない生徒の補習を終えて、自分の研究室にいつものようにひきこもって機器の前に座り込んで、館柳 信哉はゴーストシステムの最後の確認を行っていた。
 水色のマフラーを巻いて、首から下は毛布に包まっている。彼は寒さが苦手なのだ。
(ったく、暖房イカレた部屋なんか寄越しやがって……)
 暖房が壊れているのは元々だったわけではないのだが、それを修理する用務員が最近辞めてしまったらしいのだ。ボウガンの件と言い暖房器具の不具合と言い、ここのところロクな目に遭っていない。
 寒さに凍えながらも、頭はしっかりとゴーストシステム最適化のことを考えている。デュエルディスクを使用した者の癖や思考パターンを学習し、それと同じようにデュエルを行えるように設計するだけでも一年近くの時間がかかった。
 デュエルアカデミアに来てからはデバッグが中心で、最適化に割ける時間は少なかったのだ。だが、それも終わりが見えてきた。
 キーをいくつか叩いてデバッガーを走らせ、それが画面上に吐き出すエラー文を拾いながらバグを取り除くという作業がようやく終わったのだ。
 あとは最後の確認。あらかじめ採集して置いた生徒のデータ二つを、仮想空間内でデュエルさせる。それも、できるだけ多くのタイプのデッキを使って、だ。特定のカードの処理に際してのみ生じるエラーというものが一番見つけづらいからだ。
 気が遠くなるほどの組み合わせを並列演算によって短時間の間にテストし、大方問題がないことを確認して、信哉は深いため息を吐いた。
 長いこと完成に向けて努力し続けてきた結果が見えたというのに、彼の表情に喜びの色はない。
亡霊(ゴースト)、か)
 もう一度つまらなそうにため息を吐いた時、ドアをノックする音が響いた。
「どうぞ」
 入ってきたのは三人の生徒。先陣を切るのは先ほどまで信哉に補習を受けていた生徒、日生 彰だ。
「お邪魔しまーって、すげぇ……」
 彰も、彰の後に続く二人も、部屋の入口付近から離れることができなかった。
「おぉ、悪い悪い」
 信哉を中心に部屋の床には機械の部品だとかドライバーだとか専門書だとかそういったものがゴロゴロと置かれていて、足の踏み場もなかったからである。
 それを手早く片づけて――片付けると言ってもその辺に積み上げるだけなのだが――生徒の用件を聞く。
「どうしたんだよ。宿題なら減らせねーぞ」
「う、まあそれは期待してなかったけど」
 残念そうに肩を落としながらも、彰は今週末の大会のことについて信哉に話した。
 一チーム四人での参加で、あと一人足りないこと。それで信哉を誘いに来たことを話して、彰はまっすぐに信哉の目を見た。
「悪い」
 返事は、彰達が期待したようなものではなかった。
「その日は先約が入ってんだ」
 困ったように笑いながら、信哉はそう言った。そっか、と残念がる彰との間に、微妙に居心地の悪い空気が生まれた。
 その空気を打開すべく二人が次の話題を探し終える前に、世界で一番面白いものを見つけたような声が割って入った。
「へぇ、写真の人とデート?」
「んな……」
 振り向けば、レイがいつの間にか信哉の机の上(床と比較して不自然に整理されている机の上)にある写真立ての中を見ていた。青空の下で、信哉と、その隣に一人の少女が写っている。長い髪はまっすぐ伸びて光沢があり、無邪気に笑うその笑顔の中には淑やかさが秘められていた。
 机の上に飾っておく異性の写真は、恋人のものであると相場が決まっている。その上、写真を見られた信哉が焦ったような顔をしたのだからそれが決定打になってしまった。
 こういった色恋沙汰にはとことん疎い彰でさえ
「あ、ああ、そっか。それなら邪魔できないよな」
 とか言い始めてしまう始末である。
「あのな……」
 信哉はなんとか弁明しようと口を開きかけるのだが、目ざといレイはそれを許さなかった。
「そのマフラー、手編みだね?」
 相変わらず、心の底から楽しそうな声と顔である。女の子という生き物にとって、他人の恋路を傍で眺めるのは一つの至福でもあるのだ。
 だから、信哉のしている水色のマフラーの編み目が、市販のものと比較して粗いことまでも見逃さない。
 結局、信哉を散々からかったあと、何ひとつ誤解が解けないまま三人の生徒は去って行った。
(好き勝手言いやがって)
 信哉は、深いため息をついた。




3:八年を経て

 夕方、少女はまどろみから目を覚ます。
 窓から差し込む西日が、あの日の炎を思い出させた。
 目覚め、というものの感覚にまだ慣れていない。何せ、ついこの間目覚めるまで、八年間も眠り続けていたのだ。
『起きたか』
 頭の中から、低く落ち着いた声が聞こえてきた。
「おはよう」
 その声とあいさつを交わして、軽く伸びをした。リビングのソファで気がつかないうちに眠ってしまっていたらしい。
 山奥の屋敷には、人の気配がしなかった。この時間は皆、働きに出てしまっている。
『もうひと眠りするなら、部屋へ行ったほうが良い。ここではイチネが風邪をひいてしまう』
「ん、そうする」
 自分の中の自分と異なる存在の声に応え、少女、瀧口(たきぐち) 一音(いちね)が立ち上がる。と同時に、玄関のカギが開く音がして、誰かがバタバタと駆けてきた。
「ただいまっ!」
 今帰宅した少女は、「あ゛〜」とオヤジ臭い声を出しながら、先ほどまで一音が座っていた場所の隣に音をたてて座り込んだ。インバネスコートは着たままである。
「おかえり」
 一音は、言葉の意味をかみしめるようにそれを口にした。
 八年間も眠っていた少女にとって、最もほしい言葉の一つである。母や伯母にはもうもらった。だが、あの二人―― 一音が目覚めてからまだ会っていないあの二人――にはまだもらっていない。
 何より、一音にとって楽しみなのはその二人に会うことである。ついこの間までは伯母とその二人で山の麓に住んでいたらしいのだが、今はどういうわけか太平洋の真ん中にいるらしい。もうじき冬休みになって、帰ってくるだろうということだった。
 まだ覚えていてくれるだろうか。それとも、もう忘れられてしまっているだろうか。不安を抱き始めたのを知ってか知らずか、先ほど帰宅した少女、相田 たのかに後ろから引っ張られ、ソファに座らされた。
「うーん、やっぱりイチネちゃんは可愛いね」
「くすぐったい」
 全身なでまわされたりするのは、身体的にも精神的にもくすぐったかった。
「あ、そだ」
 何かを思い出したようにつぶやいて、たのかが鞄の中から一枚の紙を取り出す。
「イチネちゃん、デュエルモンスターズって、わかる?」
 その言葉を聞いた途端、一音は心が大きく跳ねたような気がした。
 あの頃、三人をつないでいたものの名前だったからだ。




4:大会ルール


 専用のデュエルディスク(以下ディスク)を配布し、それを使用して大会を行う。
 デュエルを行い、その戦術や勝敗を評価してチームの持ち点として加算する。
 ディスクには索敵(サーチ)機能が備わっており、索敵範囲(レンジ)を十メートル単位で設定できる。
 索敵範囲はデュエルディスクを中心に同心円状に広がり、その円が重なった参加デュエリストが互いのディスクに備付のレーダーに表示される。
 デュエリストは索敵範囲に入った相手に対し、挑戦(コール)することができる。
 挑戦された場合はそれを受けねばならず、挑戦から十分経ってもデュエルが始らない場合、挑戦された側のチームが失格になる。
 挑戦は重複しない。すなわち、挑戦している、またはされている状態で他のデュエリストに挑戦したり、他の挑戦を受けたりすることはできない。
 デュエル後は十分間のクールタイムとなり、挑戦されない。
 同一のデュエリストと二回以上続けてデュエルする場合は減点対象となる。
 最終的に目的地点に到達し、得点の高かった二組が決勝を争う。
 デュエル中でなければ、デッキは自由に組み替えても構わない。

 ※注意
  機器の稼働時間に限界があるので、決勝が行われない場合もあります。
  その場合は、最も得点の高いチームを優勝とします。




5:レグナ計画


 鯉岸(こいぎし)は扉を開けた。ムッとする熱気に顔をしかめた。
 この締め切った部屋でよく窒息しないものだと思った。
博士(ドクター)、何か御用で?」
 機器と配線で混雑する部屋の奥に、白衣を着た男がディスプレイをじっと見ていた。
 老眼鏡をかけて、背中を丸めて、顔を前に突き出すようにして、ディスプレイに表示されたリストを見つめていた。
 鯉岸の所属する組織、サースターの頂点に立つのはこの白髪の老いた男である。名前は鯉岸も知らないし、別に知りたいとも思っていない。
 頂点と言っても、組織の動き方そのものにこの白衣の男が具体的指示を出すことはめったにない。実際に組織を運営・指揮しているのは鯉岸や藍川(あいかわ)をはじめとする四人の幹部だ。
 だが、この組織は結果的にこの男のために動いている。それが幹部の望んだ姿であろうとなかろうと、結果はそうなるのだ。そのための指示は最小限。
 かと言って幹部全員の行動や思考を全て見通されているかというと、鯉岸にはそうは思えなかった。

 自分で呼んでおいて無視するというこの不遜な態度は今に始まったことではないから、鯉岸も気にはしなかった。大方、大事なところを端折った話が始まるに違いないと思っていた。
「ふむ、ふむ?」
 それきた、と鯉岸が溜息を吐いたと同時に、博士は話し始めた。白く長い眉毛に似合う、穏やかな老人の声だ。声は穏やかだが、その中に秘められた感情は違う。
 眼前にあるデータだけではなく、その先の事象を見据え、そしてそれに強く心惹かれる探究心が込められていた。
「実に興味深いものだ。今まで気付かなかったのが不思議なくらいに」
「何がですか」
 画面から視線は一ミリたりとも動かさなかったが、その横顔はよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに愉悦の色を浮かび上がらせていた。
 科学者という生き物は実にわかりやすい。自分の興味の対象に関して説明する時ほど、彼らが生き生きと話す瞬間はないのだ。
「ふむ、ふむ。陽性反応の出た被検体の中に、症状が確認できない個体がひとつだけ存在する」
 鯉岸に対してというよりも、自分に対して説明して情報を整理するように、博士は話した。
「八年は、潜伏期間にしちゃ長すぎますね。陽性って結果が間違いだったンじゃねェですか?」
「ふむ、ふむ」
 鯉岸は言ってから、自分の言ったことが間違いだと気付いた。目の前の博士がこれまでにないくらい嬉しそうな顔をしていたからだ。
「レグナの活性化にはいくつかの条件がある。たとえ陽性の反応が出ても、必ずしも症状が出るわけではない、か。計画の新たな可能性を、彼女は証明してくれるだろう。そして」
 そして、「今までの個体で二番目に美しい結果が得られるだろう」とも言った。

 ディスプレイに表示されていた名前は、早乙女 レイ。



6:Tと名乗る声



 鯉岸が博士の部屋に入ったのと同時に、土井は携帯電話を取った。ワンコールで藍川を呼び出す。計画の本拠地であるここならば盗聴の恐れはないが、電波による会話の場合は傍受の恐れがある。
 五分と経たずに藍川がやってきた。鋭利な雰囲気に違わず、彼女の行動はかなり素早い。
「Tの正体はまだつかめないの?」
「ああ、奴は確かに自分が『被験者』だと言ったのか?」
 白衣姿の土井と黒いライダースーツ姿の藍川は、他の誰にも聞こえないように――実際にはこの場には二人しかいないのだが――言った。
「ええ。被験者名簿の声紋と一致しなかったのなら、それは嘘になるわね」
「一致するものは一つもなかった。被験者に近しい人物であるという可能性が高いな」
 Tと名乗る声からのコンタクトがあってから、一月近く経とうとしていた。Tが語った目的は、レグナ計画の崩壊。Tは何らかの経緯で計画を憎むようになった者だと、藍川は結論付けた。
 だが、それだけでは情報が足りない。IP無線による連絡で逐次アドレスを変えて逆探知させず、声も機械で変えるという抜け目のなさが、Tにはあった。
 最先端の技術をもってすれば声を変えても声紋の照合は可能だが、計画の被験者データベースの中に保管されていた情報と一致するものは一つとしてなかった。
 この計画は秘密裏に進められてきたもので、この計画を知りえたTは少なくとも被験者の誰かと関わりのある人物であろうことは推定できた。
 できたが、それでは多すぎた。少しも絞り込むことができない。

 藍川達がTの正体を特定できないまま、Tの思惑通りに角下で決闘大会が開かれる。



第一章 大会編

1:人工現実感機構


 小規模な大会とあって、参加者はそれほど多くはなかった。
 四人一組という制限もネックになったのだろう。角下の総合体育館にはその広さに見合わない程度の人数しか集まっていない。
 それでも、田舎にしては多いほうだと、十海は思った。
 七山 十海は人が抱く敵意や悪意に敏感である。人が三十人も集まれば、その中の誰かは何かしらの負の感情を持っている。程度の差はあれ、それは十海にとって重圧になる。
 人が多ければ多いほど、いくつもの感情が絵の具のように混ざり合って不快な色になる。だから、本来ならば十海はこういった場にはあまり来ない。
 来ないのが常なのだが、今回は彰が心の底から楽しみにしている大会だ。自分のせいで大会に出られなくて落胆する彰は見たくなかったし、大会で生き生きとデュエルする彰を見たかった。
 そして、内心ではそれを楽しみにもしていた。だからお気に入りだった紺色のスカートを引っ張り出してきたりもした。
 肝心の彰はと言えば、四人目のチームメイトと意気投合して、「ワクワクするデュエル展開」とやらについて熱く語り合っている。
「そこでドカーンと最上級だよ」
「いやいや、もう1ターン待って最後の最後にデカいのをぶつけるドン」
 黄色いバンダナの最上級生の先輩だが、彰は全く物怖じせずに話しかけている。
 相手も気さくな性格で、彼の実家から遠い場所の大会への参加も快く承諾してくれた。デュエルに対しては彰と似た考えの持ち主らしい。大会が始まるまではああやって楽しく語らっていることだろう。
 そういえばもう一人のチームメイトが見当たらないと思い始めた時、視界が暗闇に染まった。
「ひゃあ!?」
「だーれだ! なんてね」
「せ、先輩……びっくりした」
 素っ頓狂な声を上げて驚いた十海は、相手を見て胸をなでおろした。
 久しぶりに学園の外という環境に出たことで興奮しているのか、私服姿の早乙女 レイは満面の笑みを浮かべていた。明るい色のTシャツワンピースに十分丈レギンス、黒い薄手で短い丈のジャケットという動きやすそうな格好は、イメージの通りだった。
 その手には、先ほど係員から受け取った小さな鍵と参加カードが握られている。それは、手続きを先に済ませた彰や剣山も同じだった。
 参加カードはデュエルモンスターズのカードとほとんど同じ大きさで、見た目は透き通ったプラスチックのようである。内部に磁器関係の部品でも組み込まれているのか、大きさに対して少し重たく感じられた。
 鍵のほうは、今のところ用途不明である。別の係員がチームごとに個別に説明しているらしかった。お世辞にも多いとは言えないスタッフによるものだから、参加チームが少なくても手間取っているのだろう。
「アァ!? 何でテメーにンなこと言われなくちゃならネェンだよ!」
 体育館の入口のひとつから、怒声が響いた。
 腕に黄色い腕章をつけた係員が、その声の主に対してヘコヘコと頭を下げていた。
「申し訳ございません。当会場は全面禁煙となっております」
「チッ、同じこと二回も言われなくてもわかってるッての。猿と一緒にしやがッて」
 背が高く、体つきも体操の選手を思わせるような筋肉質な大男が、くわえていたタバコを足もとに落として踏みつぶした。体育館の床はコーティングされているとは言え、木造である。
 周囲にいた係員や他の参加者の顔が青ざめるのも気にしないで、その大男は鍵を半ばひったくるように受け取って、ゆっくりと待機場になっている体育館の中央に向かって歩き出した。後ろからは取り巻きと思しきガラの悪い男が三人ついてきていた。
「何あれ、感じ悪い」
 その場にいた誰もが思っていたであろうことを、レイがつぶやいた。大男はそんな言葉など耳に入っていないらしく、手頃な場所にいる(他の業務に向かおうとしていたはずの)係員をとっ捕まえて説明を要求していた。
 十海も彰も剣山も、表情には不快感をあらわにしていた。
「失礼いたします。チームアカデミアBの皆さんですね?」
 こういった事態に慣れているのか、機転を利かせた係員の一人が彰達のところへやってきて説明を始めた。
 それから彰達四人は、会場の四隅の、黒いカーテンで仕切られた空間に案内された。大会は海馬コーポレーション社製の人工現実感機構(バーチャルリアリティシステム)を使用して行われるらしい。
 個室に入って据え置きのデュエルディスクをセットし、特殊なカードゾーンに参加カードを差し込むことでサンクチュアリゼロという仮想空間に移動して、デュエルしながら目的地を目指す、というのだ。
「じゃあ、向こうで会おうぜ!」
 説明が終わって腕章をつけた係員がその場を離れると、彰はさっそく自分に割り当てられた個室に入っていく。小さな鍵は、個室をロックするためのものだったらしい。内側からロックするのに鍵が必要な、珍しい個室だ。
 レイ、剣山とも別れ、十海も個室に入って鍵をかける。公共の場にあるトイレの個室と同じくらいの大きさで、中はさほど広くないと思われていたが、そうでもなかった。
 背もたれを倒したイスとデュエルディスク以外には、本当に最新の技術を駆使した機械が設置されているのか疑いたくなるほど何もない。天井にもフタがされていて、なんだか妙に重苦しい空気だった。
 イスに、ほとんど仰向けに寝るようにして座り、デュエルディスクを手にとる。
 瞬間、十海は自分の肩が何かに弾かれるように大きく跳ねたことに気づいた。
 何の変哲もないデュエルディスクが、なぜだか悪意の塊に思えたのだ。時が止まったように思われた。どのくらい、ディスクを腕に付ける前の段階で固まっていたか、わからなかった。
『ディスクを装着し、特殊カードゾーンに参加カードを差し込んでください。
 五分以内に差し込まれなかった場合、失格になることがあります』
 ディスクから機械的な声でその警告が発せられるまで、十海は全く動くことができなかった。

 結局、当日に体育館を訪れた参加者は誰一人として、気付かなかった。
 デュエルディスクの裏に、小さくLの文字が印字されていることには。



2:サンクチュアリゼロ


 まず目に入ったのは、どこまでも青く透き通った、それでいて自然のものとは違う空だった。
 崖の下には海も見えたが、それも今まで見たことのある海とは異なった感覚を与えた。
「ここが、サンクチュアリゼロか」
 デュエルアカデミアのある島と似た雰囲気だった。陸側には森が広がり、背の高い木々の上に尚見える目的地点、白い塔。
 人工の仮想世界とは思えないほどにリアルで、鮮明な感覚だった。空気はこの世界に入る前のせまい部屋とは比べ物にならないほど澄んでいるし、木々の匂いも本物に忠実に再現されている。
 どうやら、他のチームメイト三人は近くにはいないらしい。ランダムな座標に飛ばされるという説明があったし、どうせ決勝に進むには全員が同じ場所に集まるのだから、彰はそれをさほど気にしなかった。
 チームメイトの代わりに、見知った影を見つけた。
「あれ? 三田先輩?」
 彰と背丈が同じくらいの、黒いコートの少年、三田 篤義(あつよし)。彰からすれば、彼は四つも年上の先輩である。
 彼もこの大会に参加していたのだろうか。そう考える彰に向かって、バランのように逆立った髪の毛の黒コートは、首から上だけ振り返って鋭い声でこう言った。
「サンダーと呼べ!」
 わけがわからない。






 すべての参加者がこのサンクチュアリゼロなる仮想世界に移動し終え、大会を開始するというアナウンスがデュエルディスクを通して伝えられた。
 ついでに、軽くルールの説明も行われた。

 デュエルを行うごとにその結果や経過によって得点が加算されること、
 違反行為があった場合は減点ないし失格措置を取られること、
 そして、決勝に残るのは塔にたどり着き、すべての参加チームの中で最も点を稼いだ二組であること。

 それらすべての説明を聞き終えて、彰は迷わずにこう言った。
「要するに、デュエルしまくって勝ちまくれば良いんだな!」
 明快な目標が決まれば、あとはそれに向かって突き進むだけ。実に簡単なことである。
「フン、単純バカが」
「な、なんだとぉ!」
「だが、悪くない考えだ」
 自らの内に秘めた嵐のような闘志を抑えきれないような声だった。
 三田は彰に背を向けて歩きだした。
「逃げるのか?」
 彰の挑発に、三田はただ一度だけ足を止めて、世界を斬り裂く雷のような鋭い声で言い放った。
「自惚れるな。俺と戦いたければ決勝まで勝ち上がれ!」





 その後の彰の行動は実に単純明快だ。とりあえず、デュエルディスクの索敵範囲を最大に広げ、見つけたデュエリストと片っ端からデュエルして、持ち前の火力で連勝を重ねたのである。
 とりあえず三連勝したところで、次の相手はいないかとデュエルディスクのレーダーに目をやる。今は誰も映っていない。
 どうもこのサンクチュアリゼロという世界はかなり広いらしく、三田とこれまで戦った三人のデュエリストを除けば、彰は誰とも出会っていない。
 無人島でサバイバルゲームをするとしたらこんな感じなのだろうと、サバイバルゲームのイメージしか知らないのに漠然と考えながら、歩き続けた。
 目的の塔は、夜空の月のように追いかけても近づいているように見えない。日差しは冬のそれではなく、遮る雲もないために汗ばむ陽気である。彰は、赤い上着のジャケットを脱いだ。
 Tシャツ姿になって木陰に座って一息つくと、頭の中が急に冷えていくような気分だった。三田の一言によって、少し加熱しすぎていたのかもしれない。
 結局、彰は三田に勝ったことがない。追試で戦った時も、彼のデッキの圧倒的な制圧力に押され、敗北した。
 だからと言って、彰は自分のデッキを根本から組み替えようとは思わなかった。三田のカードは確かに強力だが、三田がそのカードを選んだ理由は単純に強いからというだけではない気がした。
 三田には三田のデュエル観があって、デッキに込めた想いがあって、それがカードとうまく調和しているのだ。三田がカードを選んだように、カードも三田を選んだ。その結果として、三田のあの雷の如き鋭い戦術が成立しているのだ。
 彰のカードだって、三田のものと比べて貧弱とは言えない。彰も悩みに悩み抜いてデッキを組み上げたのだから、それが三田のものに劣っているとは思っていなかった。
 なぜ、勝てないのか。そう考えるようになったのは、追試で三田に負けてからだった。
 今までずっと考えてきて、思い当たる可能性は一つだった。
 三田はカードを選んで、カードが三田を選んだ。自分はカードを選んで、はたして、カードは自分を選んでくれているのか?
 それを考えながらデッキを見ていると、胸の奥が熱くなった。それは快くも不快でもなく、ただ単純に熱いだけだった。不快ではなかったが、その正体がわからないのがもどかしかった。
 考えにふけっている彰を現実に引き戻したのは、デュエルディスクから発せられる流暢な音声。
『索敵範囲内のデュエリストから挑戦されました。十分以内にデュエルを開始してください』
 相手は、髪を長く伸ばした少女だった。ベージュ色の、足首まで隠れるほど長いロングスカートをはき、灰色のカーディガンを羽織ったその少女は、これから戦う相手に見せる表情とは思えないほど柔らかくほほ笑んだ。彰は彼女をどこかで見たような気がするが、さっぱり思い出せなかった。
 しばらく、彰はその少女から目が離せなかった。大人びた、包容力ある視線と触れれば砕け散ってしまいそうな儚さは、彰の周りにいなかったタイプの魅力を帯びていた。
 少女が彰の顔の前で手を振るまで、そんな状態が続いた。





 何はともあれ、デュエルである。
 ひとたび戦いが始まってしまえば、彰はそれ以外のものが何も見えなくなる。したがって、闘う前にどれだけ動揺しても、それは彰にとって少しも不利な条件とはならない。
 先攻の彰のターンを終え、場にはUFOタートルと伏せカードが1枚。
『ドロー。ドローフェイズを終了、スタンバイフェイズに移行します。
 スタンバイフェイズ終了。メインフェイズ1に移行します』
 電子的な機械音声が、事務的に経過を告げた。デュエリストたる少女は一言も声を発していない。
『手札から、ヴェーザー楽団 ブリガントの効果を発動します』
 流れる川のような優雅さを以て、少女は手札からカードを1枚墓地に捨て、デッキからカードを1枚手札に加えた。
 その効果や処理の説明も、デュエルディスクのシステムボイスによるものである。
 しかし、そんなことは気にならなかった。彼女の目が、全てを語る強い光を帯びていたから。
 彼女が手札に加えた1枚を発動し、舞台を整える。客席に向かって一礼するように、一度やわらかく微笑んで、瞳は闘う者のそれになった。
ヴェーザー楽団 カニスを攻撃表示で召喚します』
 指揮者に迎えられ、一人目の奏者が姿を現した。タキシードに身を包み、背筋を伸ばして立つその奏者は、やはり指揮者たる少女同様、独特の優雅さを持っている。
 二足で立つこととその直立した姿勢は人間の老紳士のそれだが、肌は違った。ふさふさと白い体毛に覆われており、口と鼻の部分が前に突き出るようになっている。三角に尖った耳と総合して見れば、犬だった。
『カニスの効果を発動します。魔法・罠ゾーンの左から三番目にセットされたカードを指定、確認します。
 ヴェーザー楽団のコンサートホールの効果を発動します。第二の効果を選択します。宣言するカードは強制脱出装置
 条件を満たしました。カードをドローします。
 手札から、装備魔法守護の音色 フローテをカニスに装備します』
 少女の操作に連動して、電子音声が淡々と処理を進めていく。
 犬の老紳士はその手に金属製の細長い横笛を持ち、静かに暖かい音色を奏で始めた。
 最後に1枚カードを伏せて、少女のターンは終了。再び彰のターンが巡ってきた。

日生 彰LP8000
モンスターゾーンUFOタートル
魔法・罠ゾーン伏せカード(強制脱出装置)
手札4枚
喋らない少女LP8000
モンスターゾーンヴェーザー楽団 カニス
魔法・罠ゾーン守護の音色 フローテ、伏せカード×1
手札4枚
フィールドヴェーザー楽団のコンサートホール

「俺のターン、ドロー!」
 状況は良くない。相手はこちらの伏せたカードを毎ターンに1枚ずつ確認することができる上に、こちらに1枚でも伏せカードがあれば毎ターンに1枚ずつのペースでドロー加速されてしまう。透き通る横笛の音色が、モンスターの破壊も許さない。
 一見すれば強固な守りだが、彰にとってそれは障害にはならなかった。彰の闘いの本質にあるのは、いかに相手のライフポイントを削り落すか、である。
 勝利を得るために、相手のモンスターを破壊する必要はない。ライフポイントさえ奪いきってしまえば、決着はつくのだ。
炎を支配する者(フレイム・ルーラー)を攻撃表示で召喚! 攻撃だ!」
 守護の音色 フローテの効果は、「ヴェーザー楽団」と名のつくモンスターを破壊させず、攻撃対象にさせないことである。
 実は、「攻撃対象にならない」と「攻撃対象に選択できない」では、テキストの微妙な解釈の違いが問題となる。
 フローテの場合は前者で、この場合、「攻撃対象にならないモンスター」以外のモンスターが存在しなければ、プレイヤーへの直接攻撃が可能となる。彰はそれを逆手に取ったのだ。
 このまま彰の攻撃が通るなら、相手のライフポイントは瞬く間に削られ、彰が勝利を手にするまで時間はさほどかからないだろう。
 この場で、相手が発動しそうなカードも、彰には見当がついていた。
スピリットバリアを発動します』
「チェーンして強制脱出装置を発動! 邪魔な犬には手札に戻ってもらうぜ! さあ、戦闘続行だ!」
 犬の老紳士が消えてやわらかい音色が止み、音をも飲み込む激しい炎によって、ライフポイントに大きな差が生まれる。

 空虚なバリアを素通りした衝撃を受けて、しかし喋らない少女はわずかな焦りも見せなかった。指揮者が楽譜をめくるように、カードをドローして彼女のターンが始まる。
『ヴェーザー楽団のコンサートホールの効果を発動します。第一の効果を選択します。デッキからヴェーザー楽団 ガルスを特殊召喚します』
 カニスと同じく、正装した老紳士が現れる。頭は赤いトサカを持つニワトリのものだ。指揮者の瞳は更なる出演者を迎え入れるべく、鋭く輝く。
『ヴェーザー楽団 ガルスの特殊効果を発動します。手札からヴェーザー楽団 フェリスを特殊召喚します。
 手札からヴェーザー楽団 エクウス・アシナスを召喚します』
 ニワトリに続いて現れたのは、薄い水色のブラウスを着た、猫の頭をした淑女。そして他のメンバーと比べて、ずば抜けて大きな体をしたロバの紳士だった。
鎮魂の音色 フィーデルをフェリスに装備します』
 鋭く尖った弦の音がコンサートホールを支配した。タクトを振るように、少女は黙ったまま闘いを進行させる。
『フィーデルの効果を発動します。ガルスの攻撃宣言1回分を破壊効果に変更します。UFOタートルを破壊します』
 何の前触れもなく、機械仕掛けの亀は砕け散る。タクトの向きが変わる。見えざる音色の刃が次なる標的に向かう。
『フィーデルの効果を発動します。フェリスの攻撃宣言1回分を破壊効果に変更します。炎を支配する者を破壊します』
 最後に、刃は衝撃となって彰に襲いかかった。
『フェリスで直接攻撃します』
 楽曲はまだ第一楽章を奏で終わってすらいない。それを宣言するように、エクウスの特殊効果が発動し、指揮者のタクトは葬られたはずの音色を蘇らせる。
 柔らかい横笛の音色が鋭い旋律に重なる。奏者はエクウスに変ったが、正しい指揮の下では楽曲の意味は決して歪まない。

日生 彰LP6800
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーン何もなし
手札4枚
喋らない少女LP8000
モンスターゾーンヴェーザー楽団 カニス
ヴェーザー楽団 フェリス
ヴェーザー楽団 エクウス・アシナス
魔法・罠ゾーン守護の音色 フローテ
鎮魂の音色 フィーデル
スピリットバリア
手札2枚
フィールドヴェーザー楽団のコンサートホール

 流れるような戦術に、彰は圧倒されていた。
 同時に、今までに見たことのないデッキを相手にするのは、心が躍った。胸の奥の炎が、強い相手に巡り合えたことを喜ぶように震えた。
 引いたカードを見て、その震えは最高潮に達する。
「墓地のUFOタートル、炎を支配する者をゲームから除外して、炎の精霊 イフリートインフェルノを特殊召喚! 更に、この2体を生贄に、来い!」
 二つの音色をかき消すように、大気が一つ大きく震える。
 今まで一切の動揺を見せなかった少女も、大いなる紅蓮の降臨を前にしては驚かざるを得ない。
 最も原始的で、最も情熱的な、己以外の何者にも律されない音が、世界を飲み込んでいく。彰を中心に風が巻き起こり、地獄の炎を統べる者の降臨を告げる。
 高ぶる闘気が臨界点を超え、弾ける。つんざく轟音とともにその場所に爆誕するのは、いかなる物をも焦がし、焼き尽くす灼熱の化身。
 燃え盛る獅子の頭、人の上半身、竜の翼、猛獣の下半身を紅く紅く輝かせ、彰のデッキに眠る最強のモンスターが姿を現した。
ヘルフレイムエンペラーの効果発動! 墓地のイフリート、インフェルノを除外して、スピリットバリアとフィーデルを破壊するッ!」
 灼熱の化け物がその手に握る火炎球がその勢いを増し、バリアと弦楽器を焼き払う。
「行くぜ! ヘルフレイムエンペラーでダイレクトアタック!」
 激しい爆風に、少女の髪が暴れた。目の前に立ちはだかる紅の化身の圧倒的存在感に、指揮者の表情がわずかに歪んだ。
「リバースカードを2枚セットしてターン終了だ!」
 少女がカードをドローした瞬間、そのうちの1枚が発動される。
威嚇する咆哮! これで攻撃宣言はできないぜ」
 流れは彰に傾いた。少女の表情に焦りが明確にあらわれた。
 ヴェーザー楽団の効果モンスターは、『攻撃宣言を行う代わりに』効果を発動することができる。『攻撃を行う代わりに』というテキストとの解釈の違いがしばしば混乱させるのだが、今日の彰は冴えていた。
 攻撃宣言を封じてしまえば、『攻撃宣言を行う代わりに』発動する効果も、発動できなくなってしまうのだ。オオアリクイクイアリのように『攻撃を行う代わりに』ではないからである。
 モンスターを展開し、効果を発動すれば強力なヴェーザー楽団も、攻撃と効果の双方を封じられてしまえば無力。ただその場しのぎをしながらターンを過ごすしかない。
 手札に戻っていた犬の老紳士が再び場に登場し、鶏が楽器をとって新たな音色が加わる。
『リバースカードを1枚セットします。ターンを終了します』

日生 彰LP6800
モンスターゾーンヘルフレイムエンペラー
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札2枚
喋らない少女LP5100
モンスターゾーンヴェーザー楽団 カニス
ヴェーザー楽団 フェリス
ヴェーザー楽団 エクウス・アシナス
ヴェーザー楽団 ガルス
魔法・罠ゾーン守護の音色 フローテ
復活の音色 トロンペーテ
伏せカード×1
手札2枚
フィールドヴェーザー楽団のコンサートホール

「俺のターン! ドロー! プロミネンス・ドラゴンを攻撃表示で召喚!」
 フローテの効果で、彰は直接攻撃が可能となっている。この機会を彰が逃すはずはない。
 燃え盛る龍の炎によって相手のライフポイントは大きく削られ、さらに彰のデッキの中で最高の攻撃力を誇る怪物が動きだす。
「行けええええ!」
 地獄の業火が辺りの大気を巻きこんで肥大化し、相手の少女に致命傷を与えようと突き進む。炎が爆ぜ、楽団の演奏する曲さえかき消す轟音が響き渡った。
 煙が晴れて、デュエルディスクがライフポイントを表示する。
「減って、ない?」
 少女の前で表になっていた罠は、ガード・ブロック。攻撃をしのぐ罠としてはあまり強力なものではないが、致命傷となりうる攻撃が通らなかったのは間違いない。
「リバースカードを1枚セットしてターン終了。エンドフェイズにプロミネンス・ドラゴンの効果でダメージは受けてもらうぜ」
 もう1ターン、場がこのまま維持されたとしたら、彰の勝ちは確定的である。
 逆にいえば、このターンで場をひっくり返されてしまう可能性は十分にあるということでもある。
 エクウスの効果でフィーデルを手札に戻されれば、また怒涛の破壊効果が彰のモンスターをつぶしにかかるだろう。
 いかに平均攻撃力の低いヴェーザー楽団であろうと、相手の場が空であれば総攻撃によるダメージは侮れない。
 ドローフェイズを終えた少女は、やはりエクウスの効果でフィーデルを手札に戻した。
『ヴェーザー楽団 カニスの効果を発動します。左から三番目のカードを選択、確認します』
 そのカードを確認した瞬間、少女は再び焦りを表に出した。
『ヴェーザー楽団のコンサートホールの効果を発動します。左から三番目のカードを選択。宣言するカードは火霊術−「紅」。
 条件を満たしました。カードをドローします』
 静かに、深く呼吸して、少女は行動した。否、行動しなかった。
『フェリスにフィーデルを装備します。カニスに勇壮の音色 パウケンを装備します。リバースカードを1枚セットします』
 猫の淑女は再び弦楽器を手に取り、犬の老紳士は先端が球に近い形の棒を二本持って、目の前のティンパニに向かった。
 その次に電子音声が告げたのは、ターンの終了だった。
 火霊術があったとは言え、フィーデルの効果を発動していれば彰の場のモンスターを一掃できたにも関わらず、だ。

日生 彰LP6800
モンスターゾーンヘルフレイムエンペラー
プロミネンス・ドラゴン
魔法・罠ゾーン伏せカード×2(火霊術−「紅」、????)
手札1枚
喋らない少女LP3100
モンスターゾーンヴェーザー楽団 カニス
ヴェーザー楽団 フェリス
ヴェーザー楽団 エクウス・アシナス
ヴェーザー楽団 ガルス
魔法・罠ゾーン守護の音色 フローテ
復活の音色 トロンペーテ
鎮魂の音色 フィーデル
勇壮の音色 パウケン
伏せカード×1
手札1枚
フィールドヴェーザー楽団のコンサートホール

 どうして、少女はフィーデルの効果を発動しなかったのか。
 彼女の強い瞳はその答えを教えてはくれない。ただ、攻撃が通れば負けてしまうという現実を前にしても、その瞳には静かな自信の光が満ちていた。
 そして、彰の意識は少女の場に伏せられた1枚のカードに向かう。もしそのカードが、攻撃を防いだり、モンスターを破壊する罠だったとしたら。
 相手の場には、勇壮の音色 パウケンなるカードがある。ヴェーザー楽団の攻撃力がダメージステップに限り、1000ポイントも上昇する厄介なカードである。このターンをしのぎきられた場合、楽団の猛攻が彰のライフポイントを奪いつくすだろう。
 攻撃が通れば勝利、通らなければ敗北。二つに一つ。そして、それは相手の場に伏せられたカードにかかっている。
 ここでもう一つ重要な情報は、相手が彰の場に火霊術が伏せられていることをすでに知っているということだ。彰が能動的に火霊術を発動して、エンドフェイズにプロミネンス・ドラゴンの効果が発動すれば勝ちである。
 彰の頭をよぎるのは、ビートバーンに対する最大のメタカードの存在だった。戦闘・効果の両方のダメージを防ぎきるカードが、二種類ある。
 そのどちらが伏せられていても、彰にとっては勝利の可能性が小さくなる。考えうる最悪の二枚でなかったとしても、戦闘か効果のダメージに反応する罠だった場合、このままダメージを与えに動くのは危険だ。
 幸い、彰の手札には大嵐がある。自分のカードも吹き飛ばしてしまうが、より安全に攻めるならここで発動すべきだろう。
「魔法カード大嵐を発動! フィールド上の魔法・罠カードをすべて破壊するッ!」
 ソリッド・ヴィジョンが砕ける独特の音が、幾重にも重なって響いた。
 刹那、彰は自分の胸の奥が感じたことのない熱を帯びていくのを感じた。快くも不快でもなく、その感覚に対して何かしらの感情を抱く隙すらも与えずに、焼き切れた。
 頭の中が真っ白になった。何かを考えるための機能が完全に遮断された。
 暗転していく視界に映ったのは、一枚の罠カード。
『カウンター罠 伝説の四重奏(レジェンダリー・カルテット)を発動します』
 電子音声を聞きながら、彰の意識は一度、完全に消えた。



3:それを失う恨みは


 タータンチェックのシャツの上に深Vネックのカーディガンを羽織り、ジーンズをはくという青年風のいでたちの少女が深く溜息をついた。
 スラリと伸びた長い足に、さっぱりと短く切りそろえられた髪、抜群とはいかなくとも平均から見れば間違いなく良いと言われるレベルのプロポーション。十人が見たら八人は美人だと言うであろう少女は、しかし色気というものの全くない、気力の抜けきった目をしていた。
 原因は主に二つある。ひとつは、予想外の気温だ。
 十二月の下旬であるから、外はかなり寒い。体育館の中はある程度熱気で暑くなるだろうと予想して軽めの服装で来たのだが、これはどういうことか。
 暑い。もちろん、夏場というほどではないのだが、冬用の服装では少し汗ばむ程度の気温である。仮想現実を作る機械の排熱が原因だろうか。
 そして、もうひとつは隣にいる少年、西田くんだ。体系が人間としての骨格を忘れさせるほど丸く、まさにダルマと言った形である。背は低く、おおざっぱに見て球形と言っても差支えない。着ているTシャツの形も彼の体系に合わせた特注品で、水色一色というセンスのセの字の一画目すらないようなデザインである。
 憎たらしいことに、頬の盛りあがった肉に押されて糸目になっていて、アカデミアの一部の女子からは妙に可愛いと評判になったりもしている。
 この肉団子のどこが良いのだろうと彼女は常々疑問に思ってきた。その疑問は知り合ってから十年以上経った今でも解決していない。
 それは良い。今に始まったことではない。それは良いのだが、
「どうしてこんなとこまで来て肉まん食ってんのよ」
 西田くんが持っているのは白く柔らかい皮で豚肉などの具を包んで蒸しあげたまんじゅう。すなわち、肉まんだ。
「んー、次元さんも食べたいの?」
「いらねぇよ」
 腰にはデッキと一緒にコーラの二リットルペットボトルがくくりつけられていた。彼はいったい何をしにここまで来たのか。
 人数合わせということで連れてきたのだから、仕方がないと言えば仕方がない。付き合いは長いが、彼はよくわからない生き物だと、次元は思った。
 人数合わせで連れてこられたにも関わらず、嫌な顔一つしない。食べていられればどこにいても幸せなのだろう。その感覚がどうしても理解できなかった。
 というか、飲食物は持ち込み禁止ではなかったのだろうか。そもそも、仮想現実世界に飲食物を持ち込むことができるんだろうか。
 できたとして、それを食べたりできるのだろうか。結局のところ機械から脳に直接送り込まれる情報を映像化したものだろうから、西田くんが食べたいと思っていれば食べることができるし、西田くんがそういう生き物だと知っていればそう見えるだけなのかもしれない。
「はぁ」
 わけのわからない、しかもくだらないことを考えてしまったことに気づいて、もう一つ、溜息をつく。
「んー、やっぱり肉まんほしいの?」
「だからいらないっつってんでしょ」
 心の底から、こんなヤツと真っ先に合流してしまう運命を呪った。せめて空野先輩かカッコイイお兄さんか可愛い女の子でも近くにいれば気分も晴れるのだが、あいにくそういった類の人物は見当たらない。
 目的地の白い塔が見える方向に森があるのは小さな幸いだった。木陰に入れば少しは涼しくなってくれるかもしれない。
 それにしても、と、この憂鬱な現実から目を背けるように、次元は思考の内容を変更する。
 この大会に自分を誘ったのは、何故だかわからないが三田なのだ。次元はこの辺りの出身だし、メンバーの中にすでに空野がいたのもあって二つ返事で承諾してしまったのだが、今にして思えばあの時の三田は少し妙なところがあった。
 格下を相手にした時の彼の態度は尊大の一言に尽きるのに、あの時は何かが違った。どうしてもこの大会で勝ち進みたい理由があるのかもしれないが、いくら考えても次元にはわからなかった。
 そんなわけで、次元は今、デュエルアカデミアを離れて角下の総合体育館で開かれているデュエル大会に参加している。
 体育館という割に景色がサバイバルなのは、ここがカソーゲンジツ――サンクチュアリ・ゼロ――とかいう世界だからだ。
 とにかく、この世界のことはさっぱりわからない。携帯電話は電波を飛ばして通信しているのだろうと知識で知っているが、仮想現実世界を人間に体感させるこのシステムのことはさっぱりわからない。わからないものに身を任せるのは少しばかり恐ろしいが、わからないものはわからないのだ。
 わからないので思考をやめてふと前を見ると、ガラの悪そうな大男と目が合った。体操の選手かと思うほど筋肉質で、薄着である。目つきの悪さと見た目の暑苦しさが、次元をさらに憂鬱にさせた。
『索敵範囲内のデュエリストから挑戦されました。十分以内にデュエルを開始してください』
 目が合ってしまったからには、その頭の悪そうな男が見逃してくれるはずもない。仕方なく、次元はディスクを構えた。


 先攻は次元。ドローした手札を見て、表情を悟られないようにターンを開始する。
(マズいわね。引きが良くない)
 モンスターを攻撃表示で召喚してターンを終了。次元の裂け目マクロコスモスも引けない状況では、このモンスターを置いておくより他にない。
 次元は強力な帝モンスターの制圧効果に頼った戦術を展開する。したがって、どうしてもデッキを上級モンスターが圧迫する。
 それがまとめて手札に来てしまえば、圧倒的に不利な手札事故につながるのだ。
 生け贄が確保できなければ、上級モンスターを展開することはできない。その生け贄の確保を除外ギミックに頼る次元にとって、二種類のキーカードが最初の手札にないというのは致命的な事故だった。
 召喚したモンスターにも除外効果が備わっているが、攻撃力は低級のアタッカーにも負ける程度の微々たるもの。あまり長く場にとどまれるモンスターではない。
 アカデミアの五強と呼ばれる実力トップ集団の中で彼女が最下位にいる理由の一つはこの手札の不安定性だ。
「ククッ、それじゃあ俺のターンだ」
 何がおかしいのか、大男は低く笑った。次の瞬間に、次元は叫んでいた。
「は、反則よ!」
「そうかぁ? この大会において制限・禁止リストは公式のものを使うなんてルール、どこにも書いてなかったぜ?」
「く……ッ」
 男が発動したカードによって、男の手札は純粋に1枚増えた。
 用済みになった不気味な顔の壺が破裂し、さらに同じカードがもう2枚発動される。
 本来ならば公式戦で使うことができないカードだが、この大会は小さな町で行われている非公式のものだ。
 デュエルディスクからの警告音もない。あるいは、目の前の男が不正な改造を施した可能性もあるのだが、今はどちらでも良い。
 とにかく、圧倒的な強さから公式戦で使えない、いわゆる禁止カードというものは、本来デッキに入っているべきではない。
 公式リストを念頭に置いた教育のなされるアカデミアでは勿論のこと、一般的に遊ぶ場合でも、特別な事情がない限りこんなカードはデッキに入れたりしないのが礼儀であり、常識だ。
「最低……」
「ルールを正しく理解できない自分のよわっちい頭を呪うんだな! 重装武者−ベン・ケイを攻撃表示で召喚だ!」
 忌々しくつぶやいた次元の言葉をあざ笑うように、あらゆる武装を操る屈強な戦士が現れ、更に男の発動したカードによってその両手にはおぞましい顔をあしらった斧が握られ、さらにもう一本の斧が戦士の口にくわえられた。
 攻撃力が圧倒的に上昇し、最上級モンスター並のそれになり、戦士は追放者を難なく斬り伏せた。伏せカードもない次元に、その攻撃を防ぐ手段などない。
「ベン・ケイワンキル……!」
「そうともよ。ベン・ケイは装備したカードの数だけ追加攻撃できる! 俺の勝ちだな!」
 その通りになった。デュエルアカデミアで実力上位五人の中に数えられていた次元だが、禁止カードをドローブーストに使用したワンターンキルデッキを相手にしては分が悪すぎた。
 攻撃力3500の直接攻撃を何度も受ければソリッド・ヴィジョンであってもそれなりの衝撃になる。足に力が入らず、そばにあった木に手をついて、次元は目の前の男をにらんだ。
「アンティだ。テメェの持ってるレアカードをよこしな」
「何よ、それ」
 もっと強く抗議するはずだったのだが、先ほどの衝撃が予想以上に大きかったらしい。次元が次に何か言う前に、男はその手からデッキをひったくった。
「返せ……!」
 力の入らない腕になんとか力を入れて、男につかみかかるが、長身な次元よりもさらに背が高く、筋肉質な男に腕力で敵うはずもなく、
「うるせえ!」
「あっ」
 次元はいとも簡単に突き飛ばされてしまった。背中が西田くんにぶつかってなんとか止まる。西田くんの丸い体がクッションになって、次元に怪我はなかった。
 なかったのだが








































「おい、お前」
 今までに聞いたことのないような、ドスの利いた声だった。次元のデッキを漁っていた男もその手を止めてしまうほどに、強い威圧感を持っていた。
 次元も驚いていた。付き合いの長い彼女でさえ、西田くんがこんなに強く怒っているところを、今まで見たことがなかったからだ。
「僕とデュエルしろ」
 いつもは必要以上に盛り上がった頬の肉に押されている糸目が、鋭く開かれていた。
 頭のてっぺんから足の裏まで、普段の西田くんとは全く違う空気に包まれていた。呼吸にさえ、底知れない気迫がある。
 男は一瞬だけそれに眉を動かしたものの、次の瞬間には先ほどまでと同じ、いやらしい笑みを浮かべていた。
「面白ェ。かかってこいよダルマ。お前のレアカードも俺がいただくことになるだろうがな!」


 男は先攻を譲った。譲ったというより、押しつけたというほうが正しいかもしれない。
 後攻で1ターンキルを狙う腹づもりなのだろう。西田くんがどう反撃するのか、次元にはわからなかった。そもそも、西田くんがデュエルしているところを見たことがないのだ。
 飛び級以外の入学生の中で唯一オシリスレッドに入れられてしまうほどなのだから、よほど実力的に問題のあるデュエルをするのかもしれない。その西田くんが、禁止カード満載のワンターンキルに対抗できるものだろうか。
「モンスターを守備表示でセット。手札から高等儀式術を発動。
 デッキから岩石の巨兵迷宮壁−ラビリンス・ウォール−を墓地に送り、手札のクラブ・タートルを守備表示で儀式召喚する。
 更に、黙する死者を発動。墓地のラビリンス・ウォールを特殊召喚する」
 壁モンスターが並んだ。伏せられたモンスターは謎だが、他のモンスターのチョイスを見る限り、それなりに高い守備力を持っているのだろう。
 確かに、壁モンスターを並べればベン・ケイによるワンターンキルは狙いづらくなる。だが壁モンスターは破壊されてしまえばそれまでである。高い攻撃力と反則級の攻撃回数を持ったベン・ケイを相手に、そう長くもつ戦術ではない。
 西田くんはフィールド魔法を発動し、カードを1枚伏せてターンを終了した。フィールド魔法の効果を演出するソリッド・ヴィジョンのせいで、辺りが薄暗くなった。
「おいおい、手札を全部使ってそれかァ? なるほど、ダルマらしい。望みどおり、思う存分サンドバッグになれよ!」
 男は再び、禁止カードである不気味な壺のカードを3枚つづけて発動した。手札が膨れ上がり、それを見ていやらしい愉悦に顔をゆがめた。
「おいおい、こりゃあその壁も無意味かもしれネェなァ?」
 増援で呼び出されたベン・ケイと、先ほども使われたおぞましい顔の装飾がついた斧が3本。そして、最後にもう一枚、魔導師の力が発動される。
「こいつは自分の魔法・罠カードの数だけ攻撃力が500ポイントずつ上昇する。つまり、3枚のデーモンの斧とこいつを合わせれば、ベン・ケイの攻撃力は5500だ! そして、ベン・ケイは五回の攻撃が可能となったァ!」
 あらゆる最上級モンスターをなぎ倒すほどの強烈な攻撃力を得たベン・ケイが、三本の斧を構える。巨大な生物の頭蓋が口を開けて埋まっている闇の闘技場で、闘いは決着へと走り出した。
ダーク・アリーナの効果により、攻撃可能なモンスターがいる場合は必ず攻撃を行わなければならない」
「ハッ、それがどうした! 殴ってほしいッてんなら遠慮なくブン殴らせてもらうぜ! 行け! ベン・ケイ!」
 すさまじい攻撃力の前にも、西田くんは全く怯まなかった。淡々とカードの効果にしたがって処理を進める。
「ダーク・アリーナのもう一つの効果。攻撃対象は攻撃側から見た相手が決定する。僕が選択するのは裏側守備表示のこのモンスターだ」
 一見すれば無意味な行為である。ベン・ケイに装備されたカードは4枚。よって、ベン・ケイは5500の攻撃力で五回の攻撃が可能となっている。
 西田くんの場にいるモンスターは3体。伏せられたモンスターはリリースなしに通常召喚されたものなので、せいぜい守備力は2700であり、今のベン・ケイの攻撃力には遠く及ばない。
 攻撃対象となったモンスターが表側表示になり、古の石像が姿を現す。三本の斧による強烈な打撃が炸裂した。あまりの衝撃に、ソリッド・ヴィジョンそのものの映像が乱れる。







































「ぐ、あ゛あッ!?」
 その衝撃をまともに受けて尻もちをついていたのは、西田くんではなかった。倒れた当人も何が起きたのかわからないといった表情であったが、自分のライフポイントを見てその色を驚愕に染め上げた。
「な、何故……俺のライフが、半分に……!」
 西田くんの前で表になっていたのは速攻魔法だった。ダメージステップに発動し、それが闘いの結果を決定づけたのだ。
「おいお前」
「ひっ」
 威圧され、男が情けなく小さな悲鳴を上げた。体操の選手ほどの筋肉質な大男が、二回り以上も小さな相手にすごまれただけでこの有様である。西田くんはそんな様子に構わず続けた。
「肉まんがどうやって作られるか知っているか」
 声すら出せないまま、男はただ首を横に振った。食すことはあっても、製造過程まで気にする人間はそう多くはないだろう。
「しいたけとネギと豚のひき肉、それから様々な具をみじん切りにして、小麦粉、水、塩、酵母などをこねて発酵させた柔らかい皮で包み、それを蒸す。
 どの素材が欠けてもいけない。具を用意するために、しいたけを栽培する人、ネギを栽培する人、豚を飼育する人、皮を作って具を包んで蒸す人……大勢の人の力が一つの肉まんに込められている!」
 それから、西田くんは「お前に一つとても大切なことを教えてやる」と言った。
「この柔らかい食感とジューシーな香り、極限にまで引き出された素材の味を実現するための力。それが、結束の力だ!」
 次元にはこのたとえ話がよくわからなかったが、西田くんがなんだかすごく良いことを言っているらしいということだけはわかった。
「さあ、ベン・ケイはまだ攻撃可能だ! そして、その攻撃対象は僕が選択する!」
「や、やめろ……ッ!」
 情けなく嘆願する大男の言葉を無視して、西田くんは本来は相手のモンスターであるはずのベン・ケイの攻撃対象を決定した。
 ダーク・アリーナでは攻撃可能なモンスターは攻撃しなければならず、モンスターの攻撃対象はコントローラーから見た相手プレイヤーが決定する。
 もちろん、西田くんが選択した対象は守備力の跳ね上がったアステカの石像
 西田くんの場にいるのは迷宮壁−ラビリンス・ウォール−、クラブ・タートル、アステカの石像の3体。
 それぞれ元々の守備力は3000、2500、2000。結束 UNITYにより、アステカの石像の守備力はその合計、7500となっている。
 ベン・ケイの攻撃力との差分は2000だが、アステカの石像の効果により反射ダメージは倍となって4000ものダメージが与えられるのだ。
 この一撃で、勝敗は決する。
「これは次元さんの分だ!」
「グアアアアアア!」
 大男は後ろに大きく吹っ飛ばされて、背中を木に激突させた。ベン・ケイの攻撃の反射ダメージが直接男に向かっているのだ。
(西田……)
 次元は、今までに見たことのない――いつもより数倍は大きく見える――西田くんの背中を見てこう思った。
 ひょっとしたらこいつ、本当はすごくカッコいいのかもしれない。






「まだだ!」
「も、もうやめてくれぇ!」
 ライフポイントがゼロになっても、デュエルは続いた。否、それはもはやデュエルではなかったかもしれない。
 ベン・ケイに与えられた攻撃回数はあと三回。しかし、大男のライフポイントはすでにゼロだ。
「に、西田! もうあんた勝ってる! デュエルは終わってるのよ!」
「いいやまだだ! まだ僕の怒りは収まらない!」
「西田……」
 次元の静止も振り切って、西田くんは闘いを続行した。ベン・ケイが攻撃を繰り出し、結束の力を得た石像がそれを強烈な衝撃として跳ね返す。
「これは……」
 西田くんが叫ぶ。








































「僕の肉まんの分だ!」
「ギャアアアアアア!」
「……は?」
 次元には、西田くんの意図がさっぱり理解できなかった。ベン・ケイに与えられた攻撃回数はあと二回。西田くんは構わずに続ける。
「これも僕の肉まんの分!」
「ウギャアアアアアア!」
「これも肉まんの分だ! 食べられる前に散っていった肉まんの無念を思い知れッ!」
「ギョオオオオオオオオ!」
 可能な限りの回数だけ、ソリッド・ヴィジョンの炸裂音と、丸い少年の怒号、大男の悲鳴が響いた。

 ここまで来て、初めて次元は西田くんの意図を理解した。デュエル前に西田くんが立っていた場所に、グシャグシャになった肉まんの残骸が落ちていたからだ。突き飛ばされた次元がぶつかった時に落としたものだろう。
 12000も余分にオーバーキルし、息を荒くした西田くんに睨まれて、大男は逃げ去った。手足に力が入らないのか、途中で転んで地面を這うようにして、半べそをかきながら。
(まあ、そうよね)
 次元は乱暴に投げ捨てられていた自分のカードを拾い終わって、顔を真赤にしてまだ怒っている西田くんの頭を撫でた。
「うん。一瞬でもあんたにカッコよさを期待した私が馬鹿だった。
 肉まんなら後で三個まで奢ってあげるから、今は機嫌直しなさい」

 食べ物を失う恨みは恐ろしいのである。



4:死神の気配


 目的地たる白く高い塔を遠くに見上げる仮想現実世界の森の一角。
 奇怪な二人組だ。早乙女レイはまずそう感じた。隣にいる剣山も似たようなことを考えているのだろう。それが表情に出ていた。
 原因は、目の前でアメリカンコメディ風味の掛け合いをする、外国人らしき二人の青年だ。
「ヴァーニャ。俺、まさかジョークの壺盗みが役に立つとば思ばなかたよ!」
「奇遇だなアントーシャ、俺もだ。あんなものジョークにもなラないと思てただけどな!」
 片言だが意味を理解するのに苦労しない程度には流暢な日本語だった。
 風貌はというと、一人はのっぽでもう一人は小さい。いわゆる凸凹コンビというヤツだ。二人ともかなり軽装で、冬なのにその格好では寒くないだろうかと思うほどである。
 話を聞く限り、大きいほうがヴァーニャ、小さいほうがアントーシャという名前らしい。聞きなれない響きだから、やはり外国人なのだろう。
「おや? 日本(イポーン)の女の子ば美シい(クラスィーヴァ)と聞いてただけど、本当だ」
「何を言てルだヴァーニャ。お前、その隣のいい男が見えルシてないのか?」
 いちいち芝居がかった大げさなリアクションで、テレビ越しに見る漫才よりずっと鬱陶しい、とレイは思った。勢いのある会話に見えて、実は非常に話の進み方が遅い。
 何が鬱陶しいかって、実はレイ達はもう彼らに挑戦しているのである。挑戦を受けるまでの制限時間は十分間だが、その時間いっぱいまでこの似非コメディを続けられてしまうのだろうかと不安に思い始めた頃、ようやくデュエルが開始された。
 タッグデュエル。フィールド、墓地、除外カード、ライフポイント共有ルールだ。

 タッグデュエルのルールは少し複雑になる。二人ずつのチームに分かれ、両チームのプレイヤーが交互にターンを行う。
 ライフポイント、フィールド、墓地、除外カードはチームで共有されるが、手札とデッキは当然別々に扱われる。
 ここから先は大会ごとにルールが異なる場合が多く、手札やデッキに効力を及ぼすカードについての処理がもっともややこしい。
 今大会では相手の手札、デッキに及ぼす効果は、相手チームのプレイヤー両方に対して効果を持つものとして処理される。つまり、通常なら何でもないカードが恐るべき強さを発揮することがありうるのだ。
 そして、今大会ではもう一つ珍しいルールが存在する。
 デュエル中でなければ、デッキは自由に組み替えても構わない。というものだ。
 ヴァーニャとアントーシャもデッキの組み替えを行ったし、レイと剣山もタッグということで申し合わせてデッキを組み替えた。

 今回ターンを行う順番は、ヴァーニャ、レイ、アントーシャ、剣山である。
 せめてターンの進行くらいは手短に済ませてほしいというレイの願いもむなしく、コメディ調でヴァーニャのターンが開始された。
「オイオイ、アントーシャ。大変だ」
「また鼻水でも凍たのか?」
「手札が良くないだ」
「あのカードがあルジャないか」
「ダ! その通リだ。俺とシたことが忘却すルシていた!」
 ここまでの一連のやり取りを終えて、ようやく一枚のカードが発動された。全員の手札を墓地へ送り、デッキから同じ枚数だけドローさせるカード、手札抹殺だ。
 今大会のルールでは、この効果は全プレイヤーに適用される。両チームの墓地には10枚のカードが落されたことになる。
素晴ラシい(ハラショー)! ミイラの呼び声を発動すル! 効果によリ、ゾンビ・マスターを特殊召喚すルだ」
 ボロ切れをまとった長髪の死体がフィールド上で両手を上げて奇声を発した。
「「ヒャッハー!」」
 ヴァーニャとアントーシャも同じポーズをして甲高い声を出した。レイはこのノリにさっぱりついていけない絶対的自信があった。
「アンデット使いはヘンな奴だと昔から相場が決まっているドン……」
 剣山もどうやら同じらしい。このヴァーニャとアントーシャという凸凹コンビは、頭のネジが十ダース単位で抜けおちているんじゃないだろうか。
生還の宝札を発動! 手札を1枚捨てルシて、ゾンビ・マスターの効果によて、さラにもう1体のゾンビ・マスターを墓地かラ特殊召喚すル!
 墓地かラの蘇生に成功シたので生還の宝札の効果でドルォー!」
 同じモンスターが並び、もう一度両手を上げて奇声を発した。もちろん、ヴァーニャとアントーシャの二人も同じことをした。もはやツッコむ気力も起きない。
 このターン、ヴァーニャは通常召喚権を行使していない。次に場に出てきたモンスターによって、レイと剣山はこの二人がただのヘンな奴ではないことを理解させられた。
プリーステス・オームを召喚! オームば闇属性モンスターを射出すルで相手に800ポイントのダメージを与えル! ゾンビ・マスターを射出!」
 黒い司祭帽に紺色のローブを着た女司祭が、両手に持った鞭をしならせた。先に召喚されたほうのゾンビ・マスターがその鞭で打たれ、両手を挙げたポーズのままレイと剣山のほうへと突っ込んできた。
 ちょうど二人の真ん中まで飛んできて、体が丸ごと爆発。800という小さなダメージだが、十回受ければそこでデュエル終了である。そして、このデッキの恐ろしさはここから始まる。
「ゾンビ・マスターの効果によて、射出シたゾンビ・マスターを特殊召喚すル!」
「アンデットオーム……!」
 アンデットオームとは、プリーステス・オームの射出効果とアンデットモンスターの展開力を利用し、相手のライフポイントを削り切るバーンデッキの一種である。
 墓地から何度でも蘇るアンデットモンスターに生還の宝札を絡めることで、ドローを加速させる効果もあり、場にコンボパーツが揃ってしまえば凶悪な安定性で勝利をもぎ取ることができる。
「このコンボば、モンスター以外のカードが出ルまで何枚もカードをドローすルシて、墓地に捨てルコンボ。そシて、その数だけゾンビ・マスターを射出できル!」
 そして、ゾンビ・マスターである。1ターンに1度、手札のモンスターカードを捨てることによって、墓地からレベル4以下のアンデットモンスターを特殊召喚できる。
 一度射出され、蘇生によって再びフィールドに戻ったゾンビ・マスターは効果を使用していない扱いとなり、ゾンビ・マスターを2体並べてこれを交互に繰り返すことで、射出によるダメージを積み重ねることができる。
 ゾンビ・マスターが墓地から蘇生することを利用して生還の宝札の効果を発動すれば、コストとして捨てるモンスターを引くことができる限り、このコンボは続く。
 これを十回繰り返すだけで、ワンターンキルが可能になるのだ。
「さあ行くぜ! まず1枚目! ドルォー!」
 引いたカードを見て、ヴァーニャはしばらく沈黙した。先ほどゾンビ・マスターと一緒に両手を上げて甲高い声を出していた時とは比べ物にならないほど静かで真面目な顔だった。
「どうシただ、ヴァーニャ」
 眉をハの字にして、ヴァーニャは答えた。
「モンスタージャない」
 ようやくヴァーニャのターンは終了。次はレイのターンだ。

ヴァーニャ
アントーシャ
LP8000
モンスターゾーンゾンビマスター×2
プリーステス・オーム
魔法・罠ゾーンミイラの呼び声
生還の宝札
デッキ35→27 / 35→30
墓地0→11
手札6→2 / 5
早乙女 レイ
ティラノ剣山
LP8000→7200
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーン何もなし
デッキ35→30 / 35→30
墓地0→10
手札5 / 5

 とにかく、幸いにもオームのバーン効果は一度しか使用されなかった。だが、手札の多いアントーシャにこのままターンを回してしまうと厄介なことになる。
 もどかしいが、レイの今の手札ではこの状況を打破できそうになかった。
「モンスターをセット。リバースカードを2枚伏せてターン終了!」

ヴァーニャ
アントーシャ
LP8000
モンスターゾーンゾンビマスター×2
プリーステス・オーム
魔法・罠ゾーンミイラの呼び声
生還の宝札
デッキ27 / 30
墓地11
手札2 / 5
早乙女 レイ
ティラノ剣山
LP7200
モンスターゾーン伏せモンスター×1
魔法・罠ゾーン伏せカード×2
デッキ30→29 / 30
墓地10
手札6→3 / 5

 凸凹コンビの小さいほう、アントーシャのターンである。ヴァーニャとは体格差こそあれ、性格の上ではどちらがどちらだかわからないくらいに似通っている。
 ドローフェイズを終えて、アントーシャの手札は6枚。すべてがモンスターであった場合、アンデットオームのコンボに組み込まれればレイと剣山はこのターンで負けてしまう可能性がある。
精気を吸う骨の塔(ボーンタワー)を召喚すルだ」
 女司祭の両サイドで両手を上げて奇声を発するゾンビ・マスター、その更に横に、高い塔が現れた。その周りだけ禍々しい空気が漂うが、小さな海外人アントーシャのノリはいたって軽快である。
「ゾンビ・マスターの効果で、もう1体の精気を吸う骨の塔を特殊召喚すルだ!
 アンデットの特殊召喚に成功シたので、骨の塔の効果発動!」
 精気を吸う骨の塔は相手のデッキに対して効果を及ぼす。アンデットモンスターの特殊召喚に成功するたびに、相手のデッキの上から2枚のカードを墓地へ送るのだ。
 そして、この大会ではこういった相手のデッキに対する効果は相手チームの両方のプレイヤーに適用される。したがって、レイのデッキから2枚、剣山のデッキから2枚のカードが墓地へ送られる。
 アントーシャは生還の宝札の効果も忘れずに使用し、悪夢の拷問部屋を発動してアンデットオームのコンボを開始した。
 再びゾンビ・マスターが両手を上げてレイと剣山のほうへと飛んでくる。空中で爆ぜるそれは、ゾンビの形をした手榴弾か何かのようだった。悪夢の拷問部屋の効果で、さらにライフポイントが削られる。
 ところが、手札が悪いのか、今回もこのバーン効果は一度しか使用されなかった。射出されたゾンビ・マスターが場に戻ったところで、バトルフェイズに入る。
「ゾンビ・マスターでモンスターを攻撃すルだ!」
 レイはこれを待っていた。アンデットオームデッキは、低級アタッカーとしても優秀な攻撃力を持つゾンビ・マスターによるビートダウンの性質も兼ね備える。
 ビートバーンデッキの戦術は極めて単純明快。相手のライフをいかに早く削り落すか、に焦点を置くのだ。であれば、攻撃してこないはずがない。
 相手がアンデットであるというのも幸いした。アンデットは墓地からの特殊召喚手段に長けるため、攻撃反応型の罠カードをあまり恐れずに攻撃してくる。
「カウンター罠ミスティック・サモンバリア
 このカードはバトルフェイズを終了させ、デッキからミスティックと名のつくモンスターが出るまでカードをめくる! そして、出たモンスターがレベル4以下だった場合はその場で特殊召喚できる!」
 一枚ずつ、デッキからカードがめくられていく。恋する乙女ディフェンス・メイデンスピリットバリア聖なるバリア−ミラーフォース−と来て、ついにミスティックモンスターが出た。
「出たモンスターはレベル8のミスティック・ドラゴン。サモンバリアの効果で、レベル5以上だった場合は墓地に送るよ。他のめくったカードはデッキに戻してシャッフル」
 ミスティック・サモンバリアは、積極的な発動が難しいものの、強力なサーチカードとして機能する。ミスティック・ドラゴンには召喚制限があるが、蘇生制限がないのだ。
 したがって、デッキから直接墓地に落ちることはむしろレイにとって有利に働く。
「ルィヴァースカードをセットするシて、ターンィエンド!」

ヴァーニャ
アントーシャ
LP8000
モンスターゾーンゾンビマスター×2
プリーステス・オーム
精気を吸う骨の塔×2
魔法・罠ゾーンミイラの呼び声
生還の宝札
悪夢の拷問部屋
伏せカード×1
デッキ27 / 30→27
墓地11→12
手札2 / 5→3
早乙女 レイ
ティラノ剣山
LP7200→6100
モンスターゾーン伏せモンスター×1
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
デッキ29→22 / 30→24
墓地10→24
手札3 / 5

 とは言え、墓地に落ちた上級モンスターを展開するために必要なカードは限られている。剣山の手札にそれがあれば良かったのだが、あいにく今はない。
 しかしそれでも、剣山にはこのターンで勝負を決める自信があった。
俊足のギラザウルスを特殊召喚! ギラザウルスを生贄に捧げ、大進化薬を発ドン!」
 俊足のギラザウルスは自身の効果で特殊召喚した場合、相手にも墓地からの蘇生を許してしまうデメリットを抱えているが、今は相手の場に特殊召喚可能なスペースがない。
 剣山得意の最上級展開コンボが炸裂し、まだ一巡目であるにも関わらず、剣山のデッキのエースが降臨する。
 太古の昔、地上の覇者であった存在が咆哮する。黒く輝く鋼の鱗と力の象徴たる黄金の角を光らせ、王者の気高さを以て大気を、世界を揺るがした。
究極恐獣(アルティメット・ティラノ)は相手フィールド上のすべてのモンスターに攻撃することができるドン! そして、装備魔法ビッグバン・シュートを装備! 攻撃力を400ポイント上げるザウルス!」
「ニェーット! 大変だヴァーニャ、このままジゃ負けルシてシまう!」
「落ち着くだアントーシャ! 骨の塔のロックがあル!」
 究極恐獣は効果によって相手フィールド上のすべてのモンスターに攻撃することができる。しかし、精気を吸う骨の塔は他のアンデットモンスターと並んでいる限り、攻撃されない。
 ビッグバン・シュートによって貫通能力を身につけた究極恐獣であっても、そのロックを抜けることができなければ、相手のライフを削り切れない。
 削り切れなければ、アンデットモンスターの展開力で、再びオームのバーンコンボが始まるのも時間の問題である。
 決して良いとは言えないこの状況で、剣山は決闘者の顔で笑った。次に彼が発動したカードを見て、ヴァーニャとアントーシャは青ざめて絶叫した。血の赤に染まったフィヨルドを背景に描いた北欧の絵画のようなポーズだった。
テールスイング! 邪魔な塔には退場してもらうドン!」
 レイが伏せておいたコーリング・ノヴァを反転召喚し、剣山は攻撃を開始する。究極恐獣の全体攻撃によるダメージと合わせれば、このターンで十分に勝利をつかめる攻撃力である。
 両手を上げて奇声を発するゾンビ・マスターを鋼の腕で薙ぎ払い、司祭をプレス機械の如き力で踏みつぶす。
 最後に強靭な顎で骨の塔をかみ砕けば、相手のライフポイントは残り100となる。2体並んでいた骨の塔のうち片方は通常召喚されたもの、すなわち、攻撃表示になっていたものだ。精気を吸う骨の塔の攻撃力はわずか400。ビッグバン・シュートによって攻撃力が上昇している究極恐獣で攻撃するため、戦闘ダメージは3000ポイントにもなる。
「ルルルルルルルルィヴァースカード、オォオオオウプゥウン!」
 無駄に舌を巻いた発音で、ヴァーニャが叫んだ。
体力! 増強剤! スーパーゼエエエエエエエエエエエエエエッ!
「なっ!?」
 骨の塔は砕け、しかしヴァーニャ達のライフポイントは減らなかった。ライフポイントが引かれる前に4000ポイント回復する効果を持つ罠カードの効果によるものだ。
 剣山はコーリング・ノヴァで直接攻撃を行い、カードを1枚伏せてターンを終了した。
 次はヴァーニャのターンである。ヴァーニャの手札は少ないが、それでも油断はできない状況だ。1枚のドローが勝敗を分けてしまうことを知るからこそ、剣山はこのターンにとどめを刺そうとしたのだから。

ヴァーニャ
アントーシャ
LP8000→2700
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーンミイラの呼び声
生還の宝札
悪夢の拷問部屋
デッキ27 / 27
墓地12→18
手札2 / 3→4
早乙女 レイ
ティラノ剣山
LP6100
モンスターゾーンコーリング・ノヴァ
究極恐獣
魔法・罠ゾーンビッグバン・シュート
大進化薬
伏せカード×2
デッキ22 / 24→23
墓地24→26
手札3 / 6→0
大進化薬カウント0

 剣山が危惧していた通りだった。1枚のカードによってビッグバン・シュートが破壊され、究極恐獣が除外された。
 それから、ミイラの呼び声の効果で最も出てきてほしくないアンデットモンスターが現れたというわけである。
 墓地にいた馬頭鬼の効果でゾンビ・マスターが蘇生し、さらにそのゾンビ・マスターの効果によって2体目のゾンビ・マスターが場に舞い戻る。
 手札コストは、生還の宝札によって賄われている。プリーステス・オームが場にとどまっていたならば、再び射出ループコンボが再開されていただろう。
 アンデット族の展開力は並はずれたものである。剣山はオームがアンデット族でなかったことに安堵した。
「ゾンビ・マスターの効果によて、疫病狼を特殊召喚! 効果を発動シて攻撃力を倍にすル!」
 毛が爛れ、皮膚も腐って変色した狼が、左右違う色の瞳を光らせて吼えた。
 闇より出でし絶望の攻撃がコーリング・ノヴァを貫く。そして、これから高攻撃力のアタッカーによる猛攻が始まろうとしていた。
 全ての攻撃が通れば、勝敗は決してしまう。だが、ここで戦いは終わらない。
「コーリング・ノヴァの効果発動! デッキから光属性天使族のモンスターを特殊召喚する! ボクが選択するのはミスティック・エッグ!」
 星模様の青白い卵が現れる。それもゾンビ・マスターの攻撃によって破壊されてしまうが、それはレイの狙いどおりである。
 攻撃権が残されているのは攻撃力が倍になった疫病狼とゾンビ・マスター。この攻撃が両方通れば、やはり勝負は終わってしまう。
 両手を上げてゾンビ・マスターがとびかかってくる。しかし、その動きはレイ達に届く前に止まった。
(アシュトー)!? どうなてルだ!」
 ゾンビ・マスターの前には三本の角と鋭いくちばし、それから背中に大きな翼を持つ怪獣が立ちはだかっていた。
化石発掘で墓地にいた暗黒(ダーク)ドリケラトプスを蘇生したよ。さあ、戦闘は巻き戻されるけどどうする?」
 今大会のタッグデュエルのルールでは、フィールドと墓地はチーム内で共有される。
 つまり、レイが剣山の伏せた化石発掘を発動し、墓地にいた暗黒ドリケラトプスを蘇生させることができたのだ。
「攻撃を中断すルだ。カードを伏せルシてターンィエンド!」
「エンドフェイズにミスティック・エッグの効果でミスティック・ベビー・ナイトを召喚するよ!」
 疫病狼が自壊し、青い鎧を着た子供のナイトが身の丈に合うような小さな剣を構えて現れた。

ヴァーニャ
アントーシャ
LP2700
モンスターゾーン闇より出でし絶望
ゾンビマスター×2
魔法・罠ゾーンミイラの呼び声
生還の宝札
悪夢の拷問部屋
伏せカード×1
デッキ27→23 / 27
墓地18
手札3→1 / 4
早乙女 レイ
ティラノ剣山
LP6100→4700
モンスターゾーン暗黒ドリケラトプス
ミスティック・ベビー・ナイト
魔法・罠ゾーン大進化薬
化石発掘
伏せカード×1
デッキ22→21 / 23
墓地26→30
手札3→2 / 0
大進化薬カウント0→1

 アンデットオームのコンボは止めることができたが、まだ油断できる状況ではない。相手の場には攻撃力が2800の最上級モンスターが構えているし、展開力に定評のあるアンデットデッキなのだ。
 あまり長引かせてはいけないのは確かである。そして、ドローを終えてレイの手札は3枚。
 うち2枚はこの状況では役に立たない。しかし、残された1枚はそうではない。その1枚が勝敗を決することだってあるのだ。
「魔法カード発動! 死者蘇生! 蘇生対象は勿論、ミスティック・ドラゴン!」
 先ほど、ミスティック・サモンバリアの効果で墓地に落ちたミスティック・ドラゴン。3600という破格の攻撃力を持ち、罠カードの効果を受けるか受けないかプレイヤーの任意で決定できる、反則級のモンスターである。
 これが召喚できれば、場を制圧するのはたやすい。相手の罠カードを警戒せずに攻撃を叩きこめるからだ。
 このカードは自身がフィールド上に存在する限り、罠の効果を受けるかどうかをコントローラーが決定できるため、罠カードは怖くない。だが、
デビルッ・コメディアアアアアアアアアン!」
「うえぇ!?」
 発動を大声で宣言したのはヴァーニャである。ソリッド・ヴィジョンのコインが天高く舞い上がり、回転しながら――希望と絶望の両面を見せながら――地に落ちる。
 想像していなかったカードなのか、レイは驚いて素っ頓狂な声を上げてしまった。
 ミスティック・ドラゴンの弱点の一つは、墓地から除外されること。フィールド上でないため、罠カードの影響を受けてしまうのだ。
 ヴァーニャが宣言したのは表。表が出れば、レイ達の墓地のカードが全て除外される。すなわち、死者蘇生が効果対象を失い、不発に終わってしまう。
 裏であった場合、ヴァーニャのデッキが全て墓地に送られることになる。レイ達の墓地の枚数のほうがヴァーニャのデッキの枚数よりも多いが、この場合、公式な裁定は調整中であり、適用されるルールはデュエルディスクの型に依存する。
 今回の場合は、デビル・コメディアンは発動側のデッキの枚数が少なくても発動でき、コイントスでしかるべき結果が出た場合は発動者のデッキをすべて墓地に送るという効果になる。
 レイの次はアントーシャのターンで、裏が出た場合は実質的にアントーシャがヴァーニャのデッキを自由に扱えることになってしまう。デッキ切れで敗北する危険性はあるものの、墓地からの展開が得意なアンデットならば1ターンで勝敗を決めてもおかしくない。
 つまり、コイントスを行うギャンブルカードでありながら、どちらが出ても発動者が得をしてしまう状況なのだ。
 出たのは表。レイと剣山の墓地にあった30枚のカードが全てゲームから除外されてしまう。死者蘇生の効果は不発に終わり、ミスティック・ドラゴンは蘇生されない。
「う、そぉ……最悪」
 レイは肩を落とした。だが、そう落ち込んでばかりもいられない。
 暗黒ドリケラトプスがゾンビ・マスターを攻撃し、そのターンは終了された。

ヴァーニャ
アントーシャ
LP2700→2100
モンスターゾーン闇より出でし絶望
ゾンビマスター
魔法・罠ゾーンミイラの呼び声
生還の宝札
悪夢の拷問部屋
デッキ23 / 27
墓地18→20
手札1 / 4
早乙女 レイ
ティラノ剣山
LP4700
モンスターゾーン暗黒ドリケラトプス
ミスティック・ベビー・ナイト
魔法・罠ゾーン大進化薬
化石発掘
伏せカード×1
デッキ21→20 / 23
墓地30→1
手札3→2 / 0
大進化薬カウント1

「俺のターン。ドルルルルォオオオー!」
 無駄に激しい巻き舌でアントーシャのターン開始が宣言される。
 ゾンビ・マスターによるゾンビ・マスターの蘇生と生還の宝札でドローするアンデットの錬金術とも言うべき戦術。
 それから、さらに蘇生させたゾンビ・マスターの効果で場にもう1体のアンデットモンスターが蘇生される。
「蘇生させたゴブルィンゾンビを生贄に捧げ、地獄の門番イル・ブルルァッドを召喚!
 更に二重召喚(デュアル・サモン)で再度召喚すル! イル・ブルルァッドの特殊効果!
 手札かラカース・オブ・ヴァンパイアを特殊召喚! 戦闘すルだ!」
 闇より出でし絶望が、暗黒ドリケラトプスに襲いかかる。
 ヴァーニャとアントーシャの場には5体のアンデットモンスターが並んでいる。どれも攻撃力はアタッカーとして申し分ない。ミスティック・ベビー・ナイトの攻撃力上昇、戦闘破壊耐性効果を以てしても、この猛攻は防ぎきれない。
 ドリケラトプスへの攻撃が通れば400、ベビー・ナイトの戦闘破壊耐性のみを用いる(攻撃力上昇はライフコストが重い)と、ゾンビ・マスターで2回攻撃して1000、そこから直接攻撃できるのがカース・オブ・ヴァンパイアとイル・ブラッドなので合計して4100。
 レイと剣山の残りライフ4100を削るには十分すぎる。もちろん、これはドリケラトプスへの攻撃が通るという前提での話。レイはすでに逆転のための手を打っている。
「速攻魔法ミスティック・フュージョン! 自分のモンスターが攻撃対象になった時に発動できる、ミスティックモンスター専用の融合カードだよ!
 暗黒ドリケラトプス、ミスティック・ベビー・ナイトを墓地に送って、ミスティック・ザウルスを融合召喚!」
 強靭な肉体と、どこか神々しさを感じさせるたたずまいで、その恐竜は吼えた。
 見る角度によって七色に色を変える瞳の奥から、闘志があふれ出る。巨大な顎につかまれば確実にひき肉状になってしまうことだろう。
 恐竜族とのシナジーを意識し、事前にデッキを組み替えておいたのが功を奏した。
「ミスティック・フュージョンの効果は終わってないよ!
 このターン攻撃可能なモンスターは、このカードによって特殊召喚されたモンスターを攻撃しなければならない!」
「ニェエエエエエエット! アントーシャ! 負けルシてシまう!」
「うぉおおおおお落ち着けヴァーニャ! まだ俺の手札ば3枚も残ルシて……全部壺盗みィイイイイイ!?」

 かくして、うるさい二人組とのデュエルは幕を下ろした。



「びっくりしたドン。レイちゃん、すごく強くなってるザウルス」
「そんなことないよ。剣山先輩が相手のライフを思いっきり削ったり、良いカードを伏せてくれたから勝てたんだ。
 でも、あのタイミングでデビル・コメディアンは驚いたなぁ」
「ハハ! 日本のデュエルィストば強い! 先生に聞いてた通リだ」
 ちょっとうるさいことを除けば、この二人も悪人ではないらしい。闘いが終わればもはや敵ではない。ともに戦った戦友だ。闘いの後の談話も、大会の楽しみの一つである。
「そうだ。サーシャを見つけなかたか?」
「サーシャ?」
 人の名前だろうか。ヴァーニャとアントーシャは何かを探しているらしかった。
「メガネをかけてルだ。ペーチャが言てた『やたラ強いウィジャ盤使い』について教えルシておきたい」
 話もそこそこに、レイ達がサーシャなる人物を知らないとわかると、二人は急いでどこかへ走り去ってしまった。ゾンビマスター的なノリで両手を高く上げてうるさく「サーシャ」の名を連呼したりするのかと思うと、少しおかしかった。
「ウィジャ盤使い、ねぇ」
 レイも剣山も、ウィジャ盤を使う人物を一人知っている。しかしその情報を共有はしていない。
 レイはその人物が、「先約がある」と言っていたことを知っているので、たいして気にはしなかった。
 さて、次の対戦相手を探しに行こうということになったところで、レイは視線を感じた。何か肌寒くなるような、あまり良い印象を受ける感覚ではなかった。
 ふと振り向くと、木の影に後ろ姿が見えた。考える前にレイはその影のいた方向に走り出していた。
「んあ、ちょっと、レイちゃん!?」
「ごめん! すぐ戻るから!」





 レイは突然どこかに走って行ってしまった。なんだろうと思いつつも、すぐに戻るらしいので剣山はその場でしばらく待つことにした。
 木の影に腰をおろして太い幹に背中を預ける。一陣の風が吹き抜け、次の瞬間、剣山は心臓が止まったような気分になった。
 自分の中で何かが、早くここから立ち去れと言っていた。同時に、決して動いてはいけない、とも。
 その矛盾する本能同士の衝突の結果、剣山は動くことができなかった。息を吸って吐くのが精いっぱいだった。
 呼吸の過程で漏れそうになる声に、慌てて口をふさぐ。冬だというのに額には汗がにじんだ。
 草を揺らしながら、ゆっくりと足音が近づいてきた。
 それが通り過ぎるまで、剣山は木の影で小さくなって震えることしかできなかった。
























 いつか、あの死神の瞳に睨まれたときと同じ感覚だった。



5:数学の弟子と名探偵


 サンクチュアリ・ゼロの森の中。目的地となる白い塔はまだ遠く先に見える。風で木々が揺れ、葉が自然のざわめきを奏でて、時折小鳥の鳴き声がそれに花を添える。
 仮想現実世界とはいえ、本当に森林浴の効果があるのではないかと思うほどにリアルな森だった。
 そんな森の中で、それは執行されていた。

 「可愛い」は「罪」である。
 そして、それに対する刑罰は「ほっぺたスリスリの刑」だ。
「イチネちゃんが可愛すぎるのがいけないんだぞーこのこの!」
「た、たのか……ッ」
「ヒゲがないから痛くないもんねー! スリスリスリスリ」
 瀧口 一音はその刑罰とやらを心底うれしそうに執行中の探偵少女に抗議しようとするのだが、ものすごい勢いで頭が揺さぶられている状態なのでうまく声が出せない。
 思う存分スリスリの刑を堪能した少女は、あまり背が高くない。一音も同じ年齢の少女と比べるとかなり低いほうで――八年も眠っていれば仕方のないことだが――探偵少女に抱きかかえられてしまうほどである。
 たっぷり五分ほどスリスリされた状態からようやく解放された時、一音は息切れしていた。
「た、たのか」
「うん?」
 肩よりも少し上まで髪を伸ばしたインバネスコート姿の少女は、これ以上ないくらいに清々しい笑顔だった。ご満悦だったようだ。
 とりあえず、一音は先ほどから伝えたかった対象を指差して言う。
「すごい目で見られてる」
 スキンヘッドの大男が、二人を見て硬直していた。





「ペーチャ、あまリ女性を凝視すルものジャあリません」
 木の影から声がした。声変わりしていない少年か、あるいは女性のどちらかだろう、と探偵少女、相田 たのかが一音に囁いた。
 彼女が言ったとおり、影から姿を現したのはメガネをかけた少年だった。声変わりする年齢がどれほどのものなのか一音にはわからないが、少年はまだ少年と言って差し支えない、たのかと同じくらいの年齢に見えた。
「サーシャ。妖精がいル」
 スキンヘッドの大男は、片言の日本語で少年に語りかけた。少年はやや小柄だが、大男と対等に話している。
 少年がサーシャ、大男がペーチャと言うらしい。どちらもかなりの薄着だった。
「ペーチャ、森にいル妖精ば醜い老婆(バーバヤーガ)と相場が決まっています。失礼ですよ」
 少年は大男と比べて流暢な日本語を話した。少しだけなまりのある日本人、と言われてもわからないくらいに。
 ふと、少年がたのかのほうを見て少し固まった。が、すぐにこう言った。
「もシかシて、あなたが名探偵タノカですか?」
「そうだよ。マティマティカ(マチェマーチェカ)のお弟子さん」
 一音は驚いた。たのかに外国人の知り合いがいたとは思わなかった。
「あレ? どうシて僕がマティマティカ先生の弟子だとわかったですか?」
 今度は、サーシャという少年も驚いたようだった。一音は混乱した。
 たのかが一方的に知っているだけなのだろうか。いや、しかしサーシャはたのかを知っているような口振りだった。
「ロシア人の知り合いはマティマティカしかいないからね」
 相田 たのかという少女は、説明をいちいち勿体ぶる癖がある。一音は頭の中でそう不満をこぼす声に納得して、たのかのコートの袖を引っ張った。
「どうしてロシア人?」
 彫りの深い顔と片言の日本語だけ見たところで、日本人でないことはわかるとしても、ロシア人と断定できるのはなぜだろう。
「バーバヤーガはロシアの森にいるって言われてる妖精さんだからね」
 それと、と付け加えて、たのかは得意げに説明を続けた。
「ラ行の発音とシ、ジの音が特徴的でしょ。ロシア語に慣れてると日本語のラ行を発音する時に巻き舌になりがちなんだ。シ、ジの音は歯の後ろに息がぶつかる感じの、少しこもった音になる。
 そして決定的なのが、ワの音だね。ロシア語には英語のWに対応する音が存在しないから、Vで代用するんだ」
素晴ラシい(ハラショー)! 完璧ですよ。やぱリあなたば名探偵です!」
「ふふん、まあね」
 たのかは少しも謙遜しなかった。頭の中の声がその態度を気に食わないと言っているのがおかしくて、一音は少し笑った。
「さ、前置きはこの辺にして、デュエルしようか」
「良いのですか?」
「良いも何も、もう挑戦しちゃったから受けてくれないと失格になるよ」
 サーシャの表情がぱっと明るくなった。
「よロシくお願いシます!」
「こちらこそ!」
 あ、とサーシャが後ろを振り返る。スキンヘッドの大男、ペーチャが立っていた。彼も今大会の参加者らしく、手にはデュエルディスクをつけている。
「かまばない。サーシャのデュエル、見ていル」
「頑張リます!」





 サーシャという少年は、数学を愛するプロデュエリスト、マティマティカの弟子らしい。
 マティマティカ、という名には一音にも聞き覚えがあった。一時期はスランプに陥っていたのが最近調子を取り戻したとかで、あちこちのテレビ番組で引っ張りだこになっているのだ。
 先攻はサーシャで、彼はモンスターと1枚のカードを伏せてターンを終了した。
 たのかはディアストーカーをかぶりなおした。自信に満ちた表情が、彼女が行動を起こすことを示している。最初から思い切り攻めるつもりらしい。
「ドロー!」
「デッキ、分厚いですね」
 たのかのデッキは、明らかに枚数が多い。デュエルディスクに装着可能な枚数の上限は、ルール上装着可能な枚数よりもやや多めに設定されているが、それでもあまり余裕がないように見えた。
「これはね、60枚の夢が詰まったデッキなのだよ、ワトソン君」
 そう言ったたのかは自信満々だった。本来、デッキの枚数は規定の最小である40枚に抑えるのが基本である。
 そうすることでキーカードをドローする可能性を少しでも高めることができるからだ。
 デッキ枚数の上限の規定は60枚。つまり、たのかはそのギリギリまでデッキを増やしているのだ。
 デッキ破壊戦術を扱うにしてもキーカードのドローを妨げる枚数である。特殊なコンボを内蔵する戦術か、夢見がちな素人でもない限り、こんなデッキは組まないだろう。
 サーシャもそれを理解しているのか、怪訝そうな顔をしていた。
「その枚数でばキーカードを引く確率がとても低いになリますね」
「いいや、百パーセントだよ」
 だって、とたのかは続けた。
「私のデッキは、60枚全部がキーカードなんだもん」
 無茶苦茶だ。サーシャも驚いていた。だが、その表情に油断はない。
 一音は、たのかが常に口癖のように言っている言葉を思い出しながら、サーシャという少年にもそれなりの実力があるだろうと思った。
『名探偵には優れた観察力が必要になる。最も注意深く観察しないといけないのは、容疑者の表情だよ』
 きっとたのかも、対戦相手をよく観察しているのだろう。それでいて、一音が気付かないような細かな変化から、相手の考えていることを正しく見抜いてしまうのだ。
 一音はたのかのデュエルを何度か見ているが、いつでもたのかは面白い闘い方をしていた。
 見ていて、飽きることがなかった。根っこにある戦術は同じなのに、見方を少し変えるだけでそれは幾通りにも広がった。それは常に、闘う相手の心理を利用した鮮やかな戦術だった。
 羽根の生えたカエルがたのかの場に出た時、一音は不意に立ち上がった。立たなければならないような気がした。
 カエルさんは好きだが、今立ち上がったのはそれが理由ではない。もっと別の、今までずっと待ち焦がれていた存在が近くにいる気がしたのだ。
 太陽のように眩しく笑って、時には炎のような熱い闘志を見せて、まっすぐに前だけを見続ける、あの人の気配だと思った。
 だから、たのかには悪いと思ったけれども黙ってその方向へ歩いて行ってしまった。
 たのかとサーシャは目の前の戦いに夢中だし、ペーチャも同じだった。誰にも見られないまま、一音は懐かしい背中を追いかけた。
























 黄泉ガエルは制限カードである。デッキに1枚までしか入れることができない。
 サーシャも勿論それを知っていた。だから、60枚の中から6枚引いただけでその中にそれが入っている確率はかなり低いこともわかった。
 師匠も、かつて日本で対戦相手のドロー運の良さに敗北した。この名探偵の姿をした少女にもその運があったとしたら、どうなるだろう。
 不安は呼吸一つで振り払える。運は運。確率の問題を考えても、キーカードばかりを引かれることはほとんどないと言って良いだろう。
「魔法カードモンスターゲート!」
 黄泉ガエルの姿が消えた。たのかがデッキの上からカードをめくり、墓地へ送っていく。
 サイクロン強制転移エネミーコントローラー大嵐。確かに強力な魔法カードが揃っている。
 そのすべてがキーカードである、というのはあながち間違いでもないかもしれない。
 そして、とうとう出たモンスターがその場で特殊召喚される。
古代の機械巨竜(アンティーク・ギアガジェルドラゴン)!」
 鋼の翼を広げ、機械仕掛けの巨竜が咆哮した。攻撃力はあの青眼の白龍と同等の3000。しかも、攻撃時に魔法・罠を封じ込める強力な効果を持つモンスターだ。
 モンスターの名前を高らかに叫んだ直後、たのかは素っ頓狂な声を上げた。
「何で何でー!? 何でライフが減ってるのん?」
 たのかのライフポイントの表示は7500。初期値から500ポイント減っている。
「永続罠死の演算盤(デス・カリキュレーター)の効果です。フィールド上のモンスターが墓地に送ラレル度に、その持ち主ば1枚に付き500ポイントのダメージを受けます」
「ぬぬ、ならばお返しだ! 古代の機械巨竜で守備モンスターを攻撃!」
 ガタガタと、古の歯車が回転して、機械の竜が飛び立つ。攻撃力は3000。
 この巨大な体で体当たりでもされようものなら、生贄なしで召喚できる守備モンスターなどひとたまりもない。
 炸裂音が響き、サーシャの場から守備モンスターが消えた。
「あれあれあれ? 何でライフが減ってないのん?」
 死の演算盤の効果は、互いのプレイヤーに適用される。したがって、フィールド上から墓地にモンスターが送られるたびに、その持ち主はダメージを受ける。
 古代の機械巨竜によって破壊されたモンスターが墓地に送られた場合、サーシャはダメージを受けているはずだが、サーシャのライフポイントは変わっていない。8000のままだ。
スフィア・ボム 球体時限爆弾のモンスター効果です。ダメージ計算をシないで、攻撃モンスターの装備カードになリます」
 機械巨竜の首根っこに、球体の赤い爆弾がセットされる。
 装備魔法扱いとして魔法・罠ゾーンに置かれたスフィアボムを何とかしない限り、次のターンに古代の機械巨竜は破壊され、しかもたのかはその攻撃力分、すなわち3000という大きなダメージを受けてしまう。
 サイクロンや大嵐はもうさっきのモンスターゲートで墓地に送られているため、その場でどうこうすることはできないと考えてもいいだろう。
 たのかは伏せカードを1枚セットしてターンを終了した。

サーシャLP8000
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーン死の演算盤
スフィア・ボム 球体時限爆弾
手札4枚
相田 たのかLP7500
モンスターゾーン古代の機械巨竜
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札3枚

 サーシャは、スフィアボムの発動を待つつもりはなかった。
 このターンで勝負を決めるだけの手札がもう揃っていた。
切リ込み隊長を攻撃表示で召喚シます。その効果によリ、ザ・カリキュレーターを特殊召喚シます。
 更に、地獄の暴走召喚を発動。デッキかラ更にザ・カリキュレーターを2体特殊召喚シます」
 目に傷を負った剣士が現れ、それに続くように赤い電卓ロボットが現れた。
 たのかのデッキには、古代の機械巨竜はあの1枚だけしか入っていないらしい。
 たのかの場に新たなモンスターが特殊召喚されることはなかった。
「ザ・カリキュレーターのモンスター効果。このカードの攻撃力ば自分フィールドに存在するモンスターのレベルの合計×300ポイントになリます。つまリ、ザ・カリキュレーターの攻撃力ば2700です」
 電卓ロボットの頭部に、2700の数字が表示される。鉄の指先からは静電気のような音をたてて火花が散っていた。
 切り込み隊長はレベル3、ザ・カリキュレーターはレベル2。サーシャの場にいるモンスターのレベルの合計は9。つまり、攻撃力は2700。
 古代の機械巨竜にはまだ及ばないものの、最上級モンスターとも互角に渡り合える数字だ。そして、このコンボはここで終わりではない。
簡易融合(インスタントフュージョン)を発動シます。1000のライフポイントを支払い、融合デッキから水陸両用バグロスを融合召喚シます」
 赤と青の光沢を持つ、鋭いフォルムの乗り物が現れる。簡易融合によって特殊召喚したモンスターは攻撃に参加することはできないが、このモンスターはレベル5だ。
 手札1枚で手軽に特殊召喚できるモンスターとしては、レベル5という数値はかなり大きい。そして、フィールド上に存在するモンスターのレベルの合計が、このカードによって引き上げられる。
「水陸両用バグロスのレベルば5。よって、ザ・カリキュレーターの攻撃力ば1500ポイントアップシます」
 ザ・カリキュレーターはそれまで存在していたモンスターのレベルの合計によって2700の攻撃力を持っていたが、バグロスが加わったことにより、さらに1500ポイント上昇し、4200となる。
 これは最上級モンスターでも抗いがたい数値であり、古代の機械巨竜の攻撃力3000を優に超える。
 その破格の攻撃力を持ったモンスターが、3体も並んでいる。スフィア・ボムの発動を待たずとも、一斉攻撃が通れば勝敗は決してしまうのだ。
「ザ・カリキュレーターで古代の機械巨竜を攻撃シます!」
 電卓ロボットの指先から出る電撃が、機械巨竜に向かっていく。炸裂音。
 モンスターを破壊する音が、五回響いた。爆風にコートをはためかせ、笑ったのはたのか。
聖なるバリア−ミラーフォース−。ちょっと警戒が足りなかったかな?
 さあ、死の演算盤の効果は君にも有効だよね」
 墓地に送られたモンスターは5体。サーシャは2500ポイントのダメージを受けることになった。
「速攻魔法緊急回復(エマージェンシー・リカバー)! 自分のモンスターが破壊さレ、死の演算盤でダメージを受けた時に発動できます。
 破壊さレたモンスターの数×300ポイントのライフを回復シ、カードを2枚ドロー。
 リバースカードをセットシてターンを終了シます」
 しかし、緊急回復によってサーシャはライフポイントを回復。ライフアドバンテージはまだサーシャが持っている。
 たのかがドローを終えた後のスタンバイフェイズで、スフィアボムの効果が発動する。
 ソリッド・ヴィジョンの煙が晴れた時、フィールドにはモンスターが存在しなかった。機械の巨竜は跡形もなく消え去った後だ。
 その攻撃力分、すなわち3000のダメージがたのかのライフポイントを削る。
「そシて、死の演算盤の効果で更に500の追加ダメージです」
 古代の機械巨竜が墓地に送られたことで、たのかは死の演算盤のダメージを受ける。
 スフィアボムは装備魔法扱いであったため、この場合サーシャには死の演算盤の効果は適用されない。
「むう、味なマネを! 魔法・罠カードが自分のフィールドに存在しないから、墓地から黄泉ガエルを特殊召喚!」
 羽根の生えたカエルが墓地から舞い戻る。最上級モンスターを除去され、ライフポイントを半分も持っていかれても、たのかの自信は揺るがなかった。
トレード・インを発動! 手札の究極恐獣を墓地に捨て、2枚ドロー!」
 引いたカードを見て、彼女の勝利への自信が確信へと変わったかのように、笑みが鋭くなる。
「運命はたのかちゃんに味方するのだ! 黄泉ガエルを生贄に捧げ、D−HERO(デステニーヒーロー) ダッシュガイを召喚!
 魔法カード名推理を発動! さあ、レベルを宣言してもらおうじゃないか!」
 足が車輪になった運命の戦士が降り立つ。黄泉ガエルを生贄に捧げたことで死の演算盤の効果が発動するが、たのかの表情は、そんなものは微々たるダメージだと言わんばかりの自信に満ちている。
 そして発動されたのは名推理。彼女のデッキは推理ゲートのギミックを組み込んでいる。
 推理ゲートは、上級モンスターを次々と展開して、圧倒的な質と量で攻め抜くパワーデッキの一種だ。
 深く考えるまでもなかった。サーシャは迷わずにレベル8を宣言した。そして、その直後にそれが間違いであったことに気づいた。
 洗脳−ブレインコントロールなどが墓地に送られ、通常召喚可能なモンスターが現れる。
「出たモンスターはTM−1ランチャースパイダー。レベル7だからこの場で特殊召喚! バトルフェイズに入って、総攻撃!」
 八本の脚で体と背中に背負ったミサイルランチャーを支える機械の大蜘蛛が発射態勢に移行する。
 ダッシュガイが高速でサーシャに殴りかかり、その背後からランチャースパイダーのミサイルがいくつも飛んでくる。
 サーシャにそれを防ぐ手立てはなく、ライフポイントは大きく削られ、たのかはカードを1枚伏せてターンを終了する。

サーシャLP1700
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーン死の演算盤
伏せカード×1
手札1枚
相田 たのかLP3500
モンスターゾーンD−HERO ダッシュガイ
TM−1ランチャースパイダー
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札1枚

 サーシャは、完全に失敗したと思った。古代の機械巨竜、トレード・イン、究極恐獣の存在から、たのかのデッキはレベル8のモンスターで固められているものだと思い込んでしまっていた。
 否、思い込まされていた。数学的な計算を行えば、レベル8のモンスターが出てくるだろうと予測を立てるのは至極当然のこと。それを逆手に取られたのだ。
 全てがキーカード。ターンが経過していく毎に、その意味が重く感じられるようになっていた。
 場をしのぐためにサーシャは1枚のカードをセットしてターンを終了する。
「そろそろ燃料切れかな? 私のキーカードはまだまだ尽きないんだけどね!
 ダッシュガイを攻撃表示に変更! ダイレクトアタック!」
「罠カードメタル・リフレクト・スライム! 守備力3000のモンスターとシて特殊召喚シます!」
 ダッシュガイの突進は硬い壁に阻まれてしまう。わざわざそのままダメージを受けに行くはずもなく、たのかは戦闘をキャンセル。
 新たなモンスターを守備表示でセットしてそのターンは終了する。
 とりあえず、その場をしのぐことはできたようだった。

サーシャLP1700
モンスターゾーンメタル・リフレクト・スライム
魔法・罠ゾーン死の演算盤
伏せカード×1
手札1枚
相田 たのかLP3500
モンスターゾーンD−HERO ダッシュガイ
TM−1ランチャースパイダー
伏せモンスター×1
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札1枚

「僕のターン。ドロー!」
 コンボのキーカードが手札に揃う確率は、ターンを重ねるごとに高くなっていく。それは、デッキの枚数が減るからだ。
 地獄の暴走召喚によるザ・カリキュレーターの大量展開も、デッキの圧縮を兼ねての行為である。
 数学的に美しい闘いが始まった。
「参リまショう。美シき数学の世界へ」
 同じ魔法カードが2枚発動され、たのかの場にいたダッシュガイと守備表示のモンスターがサーシャの場に移る。
 一時的なコントロールの変更だ。そのモンスターは攻撃も生贄とすることもできず、それは一見無駄にも見える。
ダンディライオンですか……」
 コントロールを得た裏守備モンスターがリバース効果なら、それを利用することはできた。だが、今回は完全に思惑通りとはいかなかった。
精神操作でコントロールを得たモンスターば攻撃すルことも、生贄に捧げルこともできません。ですが」
 サーシャの場に伏せてあったカードが開かれる。裏守備表示のダンディライオン、ダッシュガイ、そしてたのかの場にいたランチャースパイダーが破壊され、墓地へ送られる。
 古くから存在する罠カードの1枚だ。自分の場のモンスター2体と、相手の場のモンスター1体を破壊する。
 精神操作でコントロールを奪ったモンスターは攻撃することも、生贄に捧げることもできないが、破壊することならできるのだ。
はさみ撃ちの原理。同ジ数字の近傍に収束すル二つの数の間にあル数ば、同ジ数字の近傍に収束シます。
 死の演算盤の効果で、タノカに1500ポイントのダメージです」
「速攻魔法発動!」
 破壊の衝撃で発生した煙が晴れる時、たのかの場の伏せカードも表になっていた。
可変駆動(デュアル・ブート)! フィールド上に表側表示で存在するレベル5以上の機械族モンスターがフィールドから離れたターンに発動できる!
 手札またはデッキから「可変機獣」と名のつくモンスターを1体特殊召喚する!
 私が選ぶのは、可変機獣 ランチャースパイダーTM−(セカンド)!」
 フィールドからレベル7の機械族、TM−1ランチャースパイダーが離れたのをトリガーに、たのかの可変駆動が効力を持つ。
 彼女のデッキからあらわれたのは、TM−1よりも巨大化した蜘蛛の機械兵器だった。
 背中に八弾まとめて発射できるミサイルランチャーを二つ装着しているのは変わらないが、TM−2はもう一つ大きな筒状のものを装着している。
「TM−2は対魔法装甲! フィールド上に表側表示で存在する限り、魔法の効果は受け付けないよ!」
 ドロー加速、連続攻撃、魔法耐性。攻撃力こそ最上級モンスターにしては貧弱なものの、その効果は強力である。
 たのかの場に、ダンディライオンの効果で綿毛トークンが特殊召喚される。高攻撃力の最上級モンスターを展開するには十分すぎる生贄要員だ。
 サーシャのライフポイントはもう残り少ない。メタル・リフレクト・スライムで何とか場をつないでいるものの、これが破壊されればすぐにでも敗北してしまうだろう。
 しかし、サーシャの自信が揺らぐことはなかった。
「墓地のスフィアボムを除外シて、デッキからスフィア・ボム(エイト) 球体広域時限爆弾の効果を発動シます!
 このカードを墓地に送リ、エンドフェイズに自分フィールド上のモンスターを1体選択。
 選択シたモンスターが破壊さレた時、相手フィールド上のモンスターをすべて破壊シ、その攻撃力の合計分のダメージを与えます!」
 メタル・リフレクト・スライムに小さな爆弾がセットされた。効果テキストを読む限り、その大きさに似合わぬ破壊力を持っているのは間違いない。
 これで、たのかは不用意にメタル・リフレクト・スライムを破壊することができなくなった。
 今のまま破壊してしまえば、TM−2の攻撃力分、2200のダメージがたのかに与えられ、せっかく特殊召喚した生贄要員も消え去る。
 かといって、メタル・リフレクト・スライムの攻撃力を上回るモンスターを召喚して破壊したところで、たのかのライフポイントは0になってしまう。
 サイクロンや大嵐はもうモンスターゲートによって墓地に送られている。強力な破壊カードで、推理ゲートとの相性が良い神獣王バルバロスも、この状態で召喚してしまえばたのかの敗北が決定する。
 強制転移とエネミーコントローラーもそうだ。古代の機械巨竜は1枚しか積まれていなかったし、彼女はこう言った。
『これはね、60枚の夢が詰まったデッキなのだよ、ワトソン君』
 つまり、60枚の相異なるカードが積まれたハイランダーの構成である可能性が高い。同じ魔法カードの心配はしなくても良いだろう。
 コントロール奪取に関しても、手軽に行える可能性はほぼ消え去ったと言って良い。
 かといって、この壁モンスターの前でのんびりしていたら、サーシャの手札が充実していく。次のコンボがたのかを待ち受けることになる。
 忘れてはいけないのが、サーシャが能動的にメタル・リフレクト・スライムを破壊してスフィアボム8の効果を発動させることもできるということだ。
 最悪、サイクロン1枚あればそのコンボを行うことは可能である。先ほどのはさみ撃ちという、自分のモンスターを破壊するカードの存在も十分な威圧効果を持つに違いない。
 時間をかけすぎればたのかにとって良いことはない。しかし、メタル・リフレクト・スライムは今や鉄壁となってサーシャを守っている。
 その状況でも、名探偵の表情は決して劣勢を感じさせなかった。むしろ、ターンの始まりから既に勝ったと言わんばかりに得意げである。
「じゃあ、終わらせようか」
 綿毛トークンを生贄に捧げて、たのかはそのモンスターを召喚する。
 全身を特殊合金で覆われた、人に似て人でないそれは、破壊することなくメタル・リフレクト・スライムを無力化する。
 直接攻撃が通り、戦いは決着した。



6:予兆 地獄へ下る結界通路


 サンクチュアリ・ゼロの森の外。広がる草原の上で、ひとつのデュエルが佳境に差し掛かっていた。

空野 LP3400
モンスターゾーンホルスの黒炎竜 LV8
魔法・罠ゾーン王宮のお触れ
黒炎の守護陣
伏せカード×1
デッキ10枚
手札0枚
幸介 LP3800
モンスターゾーンカイザー・シーホース
魔法・罠ゾーン伏せカード×2
デッキ19枚
手札4枚

 お触れホルスの陣形を整えるのに手間取ってしまった。
 空野は目の前の、白い調理服に身を包んだ青年、幸介(こうすけ)の戦術に恐怖さえ覚えた。
 ドローという可能性を逆手に取ったデッキ破壊。勝利への可能性が敗北への秒読みに変わる、恐ろしい闘い方だ。
 レベルモンスターであるホルスの黒炎竜は、デッキ圧縮の役割も果たしてしまう。つまり、デッキ破壊を相手にすると相性はそれほど良くない。
 なんとか蘇生制限を満たしたホルスも何体か墓地にいるが、もうデッキの枚数が心許ない。
「俺のターン。ドロー」
 幸介は落ち着いていた。空野よりは年上だろうが、まだ若い。
 その若さに似合わないほど静かで、それでいて芯の強い視線。
 鋭利で深い色を秘めた瞳の奥から闘気とも言うべき迫力があふれる。
 確実に、避けようのない何かが来る。空野はそう直感した。
「カイザー・シーホースを生け贄に捧げ、伝説の料理人を召喚。
 効果発動。ライフポイントを1000支払うことで、フィールド上のカードを1枚破壊する。
 そしてその後、相手プレイヤーはカードを3枚ドローする」
 青い調理服に身を包み、同色のトックをかぶった料理人が現れる。耳はとがり、犬歯は鋭く伸びていて、人間とは少し違う生き物にも見えた。
 幸介が効果の使用を宣言した瞬間に、その黄金の目がつり上がった。小指を立てて銀光沢のあるお玉を振り上げ、逆の手に持った鍋の中の赤い液体をばら撒く。
 その液体はソリッド・ヴィジョンの王宮のお触れに向かってかけられた。ジュウ、という焦げ付く音を発しながら王宮のお触れが溶けていく。
 お触れホルスのロックの要の一つが壊された。空野は3枚のカードをドローする。
 伝説の料理人。相手にドローさせ、自分のライフポイントを大きく失うデメリットを抱えているものの、このコントロール効果は非常に強力だ。
 そして、この幸介という調理師の戦術において、相手にドローさせる効果はデメリットではなくなる。
 デッキ破壊を加速させた上で、相手の場を料理し尽くす。料理デッキの要と言っても良いだろう。
 しかし、ライフコストを考えれば、この効果が発動できるのはあと二回だけ。
 黒炎の守護陣がある限り、ホルスの黒炎竜は効果によって破壊されない。
 この効果でホルスの黒炎竜を除去するには、まず黒炎の守護陣を破壊しなければならないのだ。
 伝説の料理人の効果を二回も発動してしまえば、ライフポイントは1000を下回り、いくらデッキ枚数の上でアドバンテージがあっても危険な状態になる。
 幸介は迷わずに発動した。対象は、ホルスでも守護陣でもなく、伏せカード。
 空野は歯噛みした。この状況で発動するならばホルスの除去を狙ってくると思っていたが、甘かった。伏せていたカードの正体が見抜かれていた。我が身を盾にが墓地に送られる。
「永続罠スキルドレイン! 魚を捌くには内臓と鱗を処理せねばならないだろう。それは竜にしても同じことだ」
 ホルスの黒炎竜 LV8は相手の魔法をすべて無力化するという脅威的な能力を持っている。だが、スキルドレインの前ではその効果も無意味だ。
 幸介はこのためにダブルコストモンスターであるカイザー・シーホースを場に残していたのだ。すべては伝説の料理人で王宮のお触れを排除し、スキルドレインにつなげるための……。
 いや、正確には違う。この戦術にはまだ先がある。空野はその先を想像して、今の状況があまり芳しいものではないことを理解した。
「食材の準備だ! 産地直送を発動! 自分フィールド上からレベルの合計が6以上になるように生け贄を捧げる!
 このターンのエンドフェイズまで、ハンバーガーのレシピの効果でデッキからレベルの合計が12以上になるように生け贄を捧げ、デッキからハングリーバーガーを儀式召喚できる!
 ハンバーガーのレシピを発動! 素材は竜の卵と牛肉だ! ドラゴン・エッガー牛魔人をデッキから墓地に送り、デッキからハングリーバーガーを儀式召喚!
 装備魔法巨大化! 期間限定ベーコンエッグダブルバーガーだ! ハングリーバーガーの攻撃力は4000となる!」
 巨大な鍋がフィールドにあらわれ、ドラゴン・エッガーと牛魔人が放り込まれる。五秒とかからずにハンバーガーがその中から姿を現した。
 具をはさむパンに鋭い歯が数えきれないほどついていて、てっぺんには日の丸の旗が立ち、そしてそのハンバーガーは人を丸呑みするほどの大きさから更に巨大化した。
 大型モンスターであるホルスの黒炎竜さえも丸呑みにできるほどの大きさだ。ソリッド・ヴィジョンはデュエリストが隠れないように工夫されているが、それでもこの大きさだとデュエリスト本人が目立たない。
 完成した巨大ハンバーガーは大きな口を開けて黒炎竜に襲いかかる。
 攻撃力はホルスの黒炎竜を上回り、ものの二秒でその巨体を平らげてしまう。
 守る対象を失った守護陣が音を立てて崩れる。黒炎の守護陣はホルスの黒炎竜がフィールドから離れた際に、自壊してしまうのだ。魔法を封じるLV8、罠を封じる王宮のお触れと組み合わせれば効果による破壊には圧倒的な耐性を持つものの、戦闘による破壊には対応できない。
 儀式モンスターによる奇襲。デュエルアカデミアには今、この手の戦術を用いるデュエリストは、空野が知る限りほとんどいない。
 ひとつ前の代ではブルー女子に儀式モンスターの使い手がいたが、儀式は扱いが難しい。そのデュエリストも相当な実力を持っていた。
 それを難なく操って見せる目の前の調理師の実力は、相当なものだ。デッキ破壊に心血を注ぎながら、ビートダウンによる反撃を許さない。
 先ほどの伝説の料理人とスキルドレインのコストで支払ったライフによって、まだライフポイントは空野のほうが上だ。つまり、巨大化の攻撃力上昇効果は持続する。
「カードを1枚セットしてターン終了だ」

空野 LP3400→2400
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーン何もなし
デッキ4枚
手札6枚
幸介 LP3800→800
モンスターゾーンハングリーバーガー
魔法・罠ゾーン巨大化
スキルドレイン
伏せカード×2
デッキ15枚
手札0枚

 空野の勝ち筋は、ホルスの黒炎竜を軸にしたモンスターによるビートダウンである。
 相手の動きを一時的にでも封じ、素早く勝負を決めなければどんどん不利になっていく。
 今がまさにその状況だった。相手のフィールドには攻撃力4000のモンスターが構えており、空野のデッキはドローを終えれば3枚しか残らない。
 収縮のカードはすでにすべて墓地に落ちてしまっている。空野のデッキの中で最大の攻撃力を持つ黒炎竜 LV8でさえも、先のターンで倒されてしまった。
 壁モンスターをおいてしのぐことはできるが、それではデッキがなくなってしまう。相手がまだメタモルポットを使用していないのも気がかりだった。今の状態ではスキルドレインで効果が発動しないが、あのデュエリストならば自分の手で壊すということも考えられる。
 幸い、空野は先のターンに伝説の料理人の効果で大量にドローしている。この手でなんとかするしかない。
 追い抜かれるのは時間の問題だと自覚しているとは言え、空野にはアカデミア現役生徒最強のプライドがある。簡単に負けるつもりはなかった。
死者蘇生を発動! 墓地からホルスの黒炎竜 LV6を特殊召喚する!」
 墓地から鋼の竜が舞い戻る。
「魔法カードレベル調整! 相手プレイヤーはデッキから2枚ドローする。
 その後、墓地からレベルモンスターを召喚条件を無視して特殊召喚することができる!
 ホルスの黒炎竜 LV8を選択!」
 先ほどよりも巨大な鋼の竜が墓地から再び戻ってくる。空野のデッキの中で最強を誇る、攻撃力3000のモンスターだ。
 本来、LV8はLV6以外の効果で特殊召喚することはできない。だが、召喚条件を無視するレベル調整の効果により、ここでは特殊召喚が可能だ。
 だが、これを展開しただけではこのターンに攻め切ることができない。空野はその先へ踏み出すために、手札のカードを惜しみなく使う。
「速攻魔法レベルダウン!? LV8をデッキに戻し、墓地からLV6を特殊召喚! これで終わりだ!」
 攻撃指令。レベル調整によって召喚したモンスターは攻撃できないが、レベルダウン!?ならば可能だ。
 そして、先ほど死者蘇生で蘇ったホルスの黒炎竜が巨大バーガーに向かっていく。
 攻撃力の差から空野は大きなダメージを受けてしまう。墓地から戻った黒炎竜も再び破壊され、再び墓地へ送られる。
 だが、それで良い。
「これで俺のライフポイントは700! 巨大化の効果で、ハングリーバーガーの攻撃力は半分になる!」
 ハングリーバーガーの攻撃力は1000。場に1体だけ残ったホルスの黒炎竜 LV6の攻撃力は2300。幸介のライフポイントは残り800だ。
 鋼の竜が吐き出す黒い炎のブレスが、ハングリーバーガーに向かって突き進み、爆ぜる。
 長い戦いだったと息をついて、次の瞬間、空野は目を見開いた。
「な、に……ッ!?」
 空野の場のモンスターが消えたのは、デュエルが終わったからだと思った。しかし、違った。
 幸介のライフポイントはまだ残っているし、ホルスの黒炎竜は墓地に送られていた。ハングリーバーガーの姿も見えない。
「食中毒には注意すべきだ。死のデッキ破壊ウイルスを発動した」
 巨大化の効果で、ハングリーバーガーの攻撃力は元々の攻撃力2000の半分、1000になっていた。
 つまり、死のデッキ破壊ウイルスのコストとして用いることのできる「攻撃力1000以下」「闇属性」を満たしてしまったのだ。
 手札からも2枚のカードが破壊されて墓地に送られる。最後に、仮面竜(マスクド・ドラゴン)を召喚してターンを終了。
 これをあらかじめ召喚していれば勝っていたのだが、あの伏せカードのどちらかが全体除去であることを警戒してしまった。
 そのカードの片方は死のデッキ破壊ウイルス。そして、もう片方は……。
強欲な贈り物を発動する。2枚ドローしろ」
「くっ……」
 両方ともが攻撃力1500以上のモンスターなので、ウイルスの効果によって破壊されてしまう。
 幸介はモンスターと1枚のカードを伏せただけでターンを終了した。それがトドメになると言わんばかりに。

空野 LP2400→700
モンスターゾーン仮面竜
魔法・罠ゾーン何もなし
デッキ2枚
手札1枚
幸介 LP800
モンスターゾーン伏せモンスター×1
魔法・罠ゾーンスキルドレイン
伏せカード×1
デッキ13枚
手札1枚

 二つに一つのドローは失敗した。先ほどデッキに戻したホルスの黒炎竜 LV8を引いてしまったのだ。
 死のデッキ破壊ウイルスの効果で、ドローした瞬間に破壊されて墓地に送られる。
 空野に残された手札は1枚。デッキに残されたカードがあの1枚ならば、それをこのカードで何とかして引き当てなければならない。
貪欲な壺発動! 墓地から5体のモンスターをデッキに戻してシャッフル。そして2枚ドロー!」
 来た。そのカードを幸介に見せて、勝負を決めにかかる。
 幸介が伏せたモンスターが守備力2100以上か、あるいはメタモルポット等の相手にドローさせる効果を持つカードで、伏せカードがスキルドレインを除去するものだった場合、空野はそのまま攻撃した時点で敗北する。
 だが、最後に引いたこのカードがあればそれは問題にならない。
軍隊竜(アーミー・ドラゴン)を攻撃表示で召喚! 魔法カード強制転移を発動する!」
 武装した竜の騎兵が幸介の場の伏せモンスターと位置を入れ替える。
 伏せモンスターは空野が想像した通り、メタモルポットだった。あの伏せカードはスキルドレインを除去ないし無効化するカードだろう。
 仮面竜の炎が軍隊竜を焼いて、さらに貪欲な壺によってデッキに戻されていたもう1枚の軍隊竜が空野の場に現れる。
 レベルドラゴンの使い手が長い接戦を制して、勝敗は決した。






 空野は、ディスクからデッキを取り外した。ほとんどが墓地に送られていたこの状況を見て、やはり勝てたのが不思議なくらいだと思った。
「なぜ、発動しなかったんだ?」
 最後の伏せカード。それを発動されていれば、空野は負けていたかもしれない。
 調理師の青年は伏せていたカードと、デッキの一番上にあったカードを見せた。両者とも単体では機能しない魔法カードで、後者は大盛りパスタだ。
「どの道、1ターンの時間稼ぎにしかならなかった」
「次にドローするカードがわかっていたのか?」
「さあな。発動を忘れていたんじゃないか」
 この青年のデッキの比率は、確かに少し奇妙なところがある。
 生贄なしでは通常召喚できない通常モンスターや、単体では機能しないカードを多く採用しているのだ。
 デッキの枚数も少なくなっていたし、次にドローするカードがある程度分かっても不思議ではないのだが、やはり只者ではなさそうだ。
 そう思ったところで、空野は強い物理的な力で吹っ飛ばされた。それはかなり強い衝撃で、軽く二メートルくらい横に飛ばされて、手に持っていたデッキがばらまかれる。
 森の方向から走ってきた体操の選手ほどの筋肉を持つ大男に、体当たりされたのだ。だが、その男も同じように尻もちをついている。そうしようと思ってしたわけではなさそうだった。
「いてて、なんだよ急に……」
 そう言って空野が立ちあがった途端、男は絶叫した。空野のカードを1枚放り投げて、逃げ去ろうとするが、手足に力が入っていないのか、うまく走れずにその場に倒れてしまう。ひどく怯えているようだった。
 男が放り投げたカードを空野が拾い上げる。
「失礼な男だ。人の切り札を見てそこまでビビらなくてもいいじゃないか」
 散らばってしまったカードを集めながら、走ってきた男のほうを見る。体つきは非常に強そうなのだが、まるで子供のように震えていた。
 ガタガタ震えるというのはこういうことなのだと思った。ただ単に空野のカードを見て怯えたわけではないらしい。
 元々、前も見えないくらいに精神が不安定になっていたのだ。その男の前方不注意だった目は病的に血走って、酷い寒気を感じているかのように歯がカチカチと音を立てていた。
 何が彼をここまで怯えさせたのだろう。
 その様子を冷静に見ていた料理人が、静かに口を開いた。
「普段強がっている者ほど、その本来の姿は臆病なものだ」
 だが、と付け加える。
「それを自覚した者だけが、真に勇敢たり得る」
 空を見上げる幸介は、その向こうに誰かを見ているようだった。


































 あの後姿を、見間違うはずもない。ずっと追いかけていたんだから。その背中を、やっと見つけた。
 それでも、何だか嫌な予感がした。森だった景色はいつの間にか冷たい鋼のトンネルに変わり、靴が硬い地面を叩く音が不安を増長する。
 暖かな日の光は消えて、切れかけた白い人工光が明滅しながら果てしなく続く長い通路を不気味に照らした。
 本当に、これ以上追いかけてもいいのか。小さな迷いが、歩みを躊躇わせる。
 早乙女 レイは先ほど、アンデット使いの二人組を相手にした剣山とのタッグデュエルを終えた後、ある一人の背中を見つけた。
 襟を立てた赤い制服、ジーンズ、跳ねかえった茶髪。どこをどう見ても遊城 十代だった。今は見失ってしまっているが、それは間違いない。
 暗く狭い通路の先に何があるのか、十代は何を目指して歩いているのか。そもそも、本当にあの背中は遊城 十代だったのか。
 だんだん通路が狭くなってくるような錯覚さえした。何か良くないものがこの先にあるような気がした。
 戻るべきだろうか? 痺れたように何も考えられない頭の中で、わずかに残された理性が囁く。
 十代は卒業してからというもの、めっきり音沙汰がなくなった。他の卒業生達は、連絡しようと思えばできるだけの情報を残して行ったが、十代だけは違った。
 こうなることは、レイも薄々だが気付いていた。卒業する少し前くらいから、十代の目はどこか遠くの景色ばかりを見ていたからだ。
 引き止めるのは無理だと思ったし、そうして十代がアカデミアに残ってくれたとしても、それは望んだ姿と何かが違う気がした。
 きっと、振り向かないでいてほしかったのだと思う。ただまっすぐに前を見て、自分の信じたことを自分の信じたように為し続ける姿が、好きだったんだから。
 十海が彰に対する気持ちを――伝えたいのに胸に秘めておきたい、複雑な想いを――打ち明けてくれた時のことを思い出した。似た者同士なのかもしれない。
 違うことと言えば、想う相手がそばにいるか、いないかということだけ。頭をもたげ始める小さくて理不尽な嫉妬を、深く息を吐いて意識から追い出す。そんなことを考えるのは、らしくない。
 そばにいないから、何だと言うのだ。
 その時にはもう、頭の中は完全に痺れてしまって、ひとつのことしか考えられなくなっていた。
 追いかけよう。アカデミアに入学した時だって、二回ともそうだったじゃないか。たった一つの目標のために、たった一つの想いを告げるために、太平洋の真ん中まで自分の力で行ったんだ。
 だから今回も、十代をとっ捕まえて、言いたかったことを全部言おう。それから、それから……。
 闇の重圧に負けないように自分を鼓舞するのに夢中で、先のことは何一つ考えることができなかった。
 暗闇の中で見えるのは、燃えるような赤い制服の背中。押しつぶされそうな圧迫感の中で、とうとうその背中を見つけた。
「じゅうだ、い……!」
 自分でも驚くくらいに震えたか細い声だったが、それでも前を歩く赤い制服は立ち止った。それが振り返るまでの秒にも満たない時間が、何時間にも感じられた。
「久しぶりだな、レイ」
 圧迫感がウソのように晴れた。暗闇を突き抜けて、心の中に暖かな光が満ちていくのがわかった。
 数か月の時を経ても、変わらない笑顔がそこにあった。話したいことは数えきれないほどあったけれど、言葉は何も出てこなかった。
 言葉に詰まって固まってしまっているのを察したのか、振り向いた赤い制服の男はレイの記憶の中の一番輝いた笑顔でこう言った。
「デュエル、しようぜ」









 夢でも見ているのかと思った。ずっと会いたかった人が目の前にいて、まるで毎日そうしてきたように笑いかけてくれて、デュエルを楽しもうとしている。
 心なしか、カードも踊っているように見えた。
「俺の先攻だ。ドロー!」
 瞬間、ジリジリと頭の中に何かが鳴り響くような感覚がして、視界が白く染まった。
「あ……?」
 一瞬だった。次の瞬間には、視界が元に戻っていた。思考にかかっていた霧も晴れて、頭の中はとても澄んでいた。
「大丈夫か? レイのターンだぜ」
「う、うん。私のターン!」
 フィールドを確認した途端に、鋭い頭痛がした。一瞬で収まるのだが、どうにも気味が悪い。
 そんなことを気にしている場合ではないと首を振って、改めてフィールドを確認する。伏せモンスターが1体に、伏せカードが2枚。
 頭の中に残る小さな違和感を振り切って、デュエルを進める。
シャインエンジェルを攻撃表示で召喚! 伏せモンスターに攻撃!」
 大きな翼の天使が降り立ち、光の力をまとって敵に向かう。伏せモンスターは難なく破壊されたが、そのリバース効果が発動した。
メタモルポットの効果発動! へへ、ちょっと手札が良くなくてさ」
 互いに手札をすべて捨て、デッキから5枚ドローする。レイは信じられないものを見た。
 シャインエンジェルが破壊され、十代は1枚のカードを追加でドローし、十代の場にモンスターが特殊召喚されていた。
「ヒーローじゃ、ない? ネオスは!?」
 遊城 十代と言えば、デュエルアカデミアの外でもE・HERO(エレメンタルヒーロー)、特にネオスの使い手として名を馳せていた人物のはずである。
 ところが、今目の前にいる十代のモンスターは、彼の使っていたヒーローモンスターとは似ても似つかない。
「役目を終えた英雄(ヒーロー)は、舞台から降りなくちゃならないんだ」
 十代なりのこだわりがあるのかもしれないが、レイは自分の頭の中にあった違和感が少しずつ形を整えていくのを感じた。
「カードを1枚セットして、ターン終了」

遊城 十代LP8000
モンスターゾーン暗黒界の尖兵 ベージ
魔法・罠ゾーン伏せカード×2
手札6枚
早乙女 レイLP8000
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札4枚

「俺のターン。ドロー!」
 暗黒の雷を伴って、十代の場に新たなモンスターが現れる。また、ヒーローではない。
 十代らしからぬモンスター選びだ。もちろん、コンボを重視するなら同じタイプのモンスターで固めるのはごく自然なことなのだが。
「ベージでダイレクトアタックだ!」
 闇の尖兵が槍を構えてレイに向かってくる。
「カウンター罠ミスティック・サモンバリア! バトルフェイズを終了して、デッキからミスティックと名のつくモンスターが出るまでカードをめくる!
 出たのはミスティック・エッグ! レベル4以下だからこの場で特殊召喚!」
 このターンの攻撃はしのいだ。そして、ミスティック・エッグは破壊さえされれば墓地に送られずとも新たなミスティックモンスターを特殊召喚することができる。
 そうなれば、ミスティック・レボリューションから最上級の強力なモンスターで押し切れる。
 だが、十代のターンはまだ終わっていない。油断はできない。
暗黒界の取引を発動! 互いにカードを1枚ドローし、手札を1枚捨てる!」
 レイが引いたカードは聖なるバリア−ミラーフォース−。手札にはミスティック・レボリューションがあり、それを捨てるわけにはいかない。
 他にもレイのコンボのキーカードが手札にはそろっていて、レイは捨てるカードをどれか1枚に絞らねばならなくなった。結局、選ばれたのはキューピッド・キス
「手札から捨てた暗黒界の導師 セルリの効果が発動する。レイの場に守備表示で特殊召喚して、俺は手札を1枚捨てる」
 杖を持った小柄で狡猾な悪魔がレイの場に現れ、その力を発動する。レイの意志にかかわらず、十代に手札を捨てさせる効果だ。
「俺が捨てるのは、暗黒界の魔神 レイン!」
 ヤギの頭を持つ魔神が二又の槍の柄を地面について、眼を光らせた。それを合図に、禍々しい光を放つ雷がレイの場に降り注ぐ。
「レインは相手のカードの効果で手札から墓地に捨てられないと効果を発揮できない。
 セルリの効果は相手の場に召喚されてから発動するから、相手のカードの効果として扱われる。つまり、レインのみならず、暗黒界の本来の力が発揮できるってわけさ。
 レインの特殊召喚に成功したことにより、相手の場のモンスターをすべて破壊する!」
 耳をつんざくような鋭い炸裂音と目を開けていられないほどの爆風に、レイは両腕で自らの顔をかばう。
 先ほど現れた星模様の卵と小さな悪魔が暗黒の雷に貫かれて破壊され、墓地に送られる。レイの場はガラ空きになった。
 幸い、このターンのバトルフェイズは終了しているし、ミスティック・エッグが破壊されたことによってエンドフェイズにミスティックモンスターが特殊召喚できる。
『手札を捨ててください』
 レイの肩が跳ねた。デュエルディスクの警告音声だ。
強制接収だよ。暗黒界の取引で手札を捨てた時に発動しておいたんだ」
 レイは再び捨てるカードを選ばなくてはならなくなった。ミスティック・レボリューションとミラーフォースは絶対に捨てられない。となれば、残る2枚から選ぶしかない。
 迷った末に捨てられたのは恋する乙女。いざとなればシャインエンジェルなどでサーチできるため、捨てるべきカードはこれに間違いない。間違いないのだが、苦しかった。
 十代は、こんなに相手を苦しめるデュエルをするような決闘者だっただろうか。最後にデュエルした時は――タッグデュエルで、最後まで隣に立っていられなかったのは残念だったけど――やっぱり楽しかった。
 素直に、その強さを尊敬することができた。でも、今は?
「リバースカードを1枚セットしてターンエンドだ」
「エンドフェイズに、ミスティック・ベビー・ドラゴンを特殊召喚!」
 何かが違う。レイは次のターンの手を左側の頭で考えながら、右側では十代のデュエルについて考えていた。
 彼のデュエルの楽しみ方はどうだっただろうか。アカデミアに入学した日を思い出す。
 あの日彼と戦った相手は、カウンター以外の除去カードを一切使わないと明言した。それは、相手の可能性を、全力を見てみたいからだと言った。
 彼も、同じだったはずだ。互いに全力で戦って、最後にその健闘を称え合うのがデュエルだ。こんな、一方的に相手をいたぶるだけのデュエルを、彼は楽しんではいなかった。
「ボクの、ターン!」
 きっと、かつての純粋だった十代は、あの仮面の下に埋もれてしまっているんだ。
 偽りの「私」では、今の十代の仮面をはがすことはできない。だから、今は「ボク」に戻る。
 全力で、勝つために、デュエルをする。勝って、あの日の輝く笑顔を取り戻すために。
「魔法カードミスティック・レボリューション! ミスティック・ベビー・ドラゴンを生け贄に捧げ、デッキからミスティック・ドラゴンを特殊召喚! レインに攻撃!」
 ミスティック・ドラゴンは罠の効果を無視できる。ヒーローにも似た効果を持つモンスターがいたはずだ
 この攻撃は難なく通って、十代の場に最上級モンスターはいなくなった。
「リバースカードを1枚セットしてターン終了!」

遊城 十代LP6900
モンスターゾーン暗黒界の狂王 ブロン
暗黒界の尖兵 ベージ
魔法・罠ゾーン強制接収
伏せカード×2
手札3枚
早乙女 レイLP8000
モンスターゾーンミスティック・ドラゴン
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札2枚

 凍りついた。世界の色が反転して、ひどく耳鳴りがした。
 どんなピンチに陥っても、力強く笑って逆転の一手を繰り出してくれる、そんなヒーローだったのに。
 血走った目で、
「やりやがッたな……ッ!」
 低い声で、この世のすべてを恨み憎み呪うように。
 闇の中、冴える金の眼光がどこかにあると思っていた希望を粉々に打ち砕いて。
「目障りな竜は失せろ。闇の護封剣! 抹殺の使徒
 更に暗黒界の取引を発動。ドローして手札を捨てる。強制接収の効果でお前はもう1枚捨てな」
「ッ……」
 冷たく刺さる声が、頭の中にあったわずかな希望をそぎ落としていく。
 頭の中がじりじり痺れる。呼吸は苦しい。カードを捨てて、涙があふれないように眼を強く閉じる。
暗黒界の策士 グリンの効果! 伏せカードを破壊だ!」
 聖なるバリアがその役割を果たすことなく砕けて墓地に飲み込まれていく。
 ベージとブロンの直接攻撃が決まっても、痛くはなかった。顔を上げなければ、あの恐ろしい表情を見なくて済む。大好きだった人の狂気を見ないで、済むのだ。
 あとは耳をふさげば良い。閉じれば良い。すべて閉じて、この悪い夢が覚めるまで眠っていれば……。
「ブロンの効果で手札を1枚捨てる。強制接収の効果が発動」
 最後の1枚が、墓地に飲まれる。何もなくなった。空っぽになった。後は敗北を待つばかり。
暗黒界の狩人 ブラウの効果で1枚ドロー。あーあ、レイは手札がなくなっちゃったな?」
 聞こえない。何も聞きたくない。お願いだから、夢が覚めるまで静かにしてて。
「レイ」
 子供をなだめるような優しい声。耳をふさいでいた手がゆっくりと力を失って、強くつぶっていた目が開かれる。
 うつむいていた顔が穏やかに笑う十代と向き合って、熱い雫が落ちた。ああ、やっぱり夢だったんだ。
「あるんだろ? 手札補充のカード」
「え?」
 徐々にその笑顔がゆがんで、左右に長く裂けた悪魔のような笑みになる。
「リバースカードオープン、闇の指名者! メタモルポットを宣言ッ!」
「あ……ぁ……ッ」
 悪夢は終わってなどいなかった。デッキから手札に、妖しく笑う壺のカードがサーチされる。
 レイは、マジック・ジャマーなどの手札コストのあるカウンター罠を採用している関係で、手札の補充手段としてメタモルポットをデッキに仕込んでいるのだ。
 このカードを使えば、確かに手札は補充できるかもしれない。だが、それでは十代の持っている手札まで捨ててしまう。
 今の十代の手札は1枚。メタモルポットはリバース効果モンスターなので発動までにディレイがある。それまでに2枚にはなるだろう。十代がメタモルポットによって2枚のカードを捨てれば、強制接収でレイも同じ枚数だけ捨てなければならない。
 そして、暗黒界の強力な効果が発動するのだ。レインならば場の制圧、ブラウならばドローターボ、ベージならば特殊召喚。相手の場にこれ以上モンスターが増えると、対処しきれなくなる可能性がある。ライフポイントはすでに半分近い。
「どうしたんだ、レイ? レイのターンだぜ」
 また優しい声。そうやってまた期待させて、絶望の淵にたたき落とす腹づもりなのだろう。わかってはいても、この夢が覚めることを期待して顔を上げてしまう。
 そしてまた、自分を見つめる金の瞳に絶望する。暗黒の色に塗りつぶされ、悪意に満ちた視線が、あの日の彼が失われてしまったことを告げた。

「あなたは、誰……」
 夢であっても、耐えられない。
「こんなの、十代じゃないよ……!」
 そうだ。あり得ない。こんなに趣味の悪い闘い方を、十代がするはずがないじゃないか。
 だから、今目の前にいるこいつは、十代じゃないんだ。
「何を言ってるんだ? 俺は遊城十だ……」
「違うッ!」
 ヒステリックな叫び声でこいつの声を遮る。
「十代はもっと純粋にデュエルを楽しんでた! あなたなんかとは違う!
 だから、その声で話しかけないで! その顔で、笑いかけないでよ!」
 お気に入りのスニーカーに当たって、丸い雫がはじけて飛んだ。ひとつふたつ。戻れぬ領域へ歩みを進めるように。
「そうだな」
 十代の声がブレる。あぁ、やっぱり違うんだ。十代じゃない。
 そう、考えてみれば最初からおかしかった。十代なら、最初のターンにモンスターを守備表示でセットするなんて消極的なプレイはしないはずだ。
 だから、十代は大丈夫。あの日のまま、純粋な気持ちで、今もどこかでデュエルをしているんだ。そうに違いない。
「じゃあ、レイにだけ特別に良いことを教えてやろう」
 だんだん、十代ではない十代(・・・・・・・・)の声がしゃがれて、機械がしゃべっているみたいに無機質な電子音になる。エコーがかかって頭の中に響いた。















「遊城 十代は、死んだよ」















 うつむいたまま、息ができなくなった。なんだって? 遊城 十代が、死んだ?
「うそ……うそ、でしょ?」
 その問いに、目の前にいる、遊城 十代の姿をした遊城 十代以外の誰かが答えることはなかった。
「言ったろ? 役目を終えた英雄は舞台から降りなくちゃならないって」
 こつ、こつ。小さな音が暗い通路の冷たい床を叩いて近づく。うつむいている顎をつかまれて、無理やり上を向けさせられる。
 全ての絶望を突きつけるように。全ての闇を見せつけるために。
「あ……?」
 何もなかった。輪郭や髪の毛や服装は遊城 十代そのものなのに、顔だけが黒く塗りつぶされていた。
 本来そこにあるべき顔が、存在しない。まるで手札にやってきたメタモルポットのように、顔だった部分(・・・・・・)には底知れぬ闇の世界が広がっていた。
 その深い闇の奥から、絶望を告げる声が発せられる。
「だから、遊城 十代は、死んだんだ」

 そのあとは、簡単にデュエルが進んだ。
 死者蘇生でレインを蘇らせようとしても結界通路に阻まれ、最後に残された手のメタモルポットの闇の中から出てきた絶望に飲まれて、終わった。
 顔のない真っ黒な**の嗤い声が頭の中で何度も跳ねかえった。

「見てなくて良かッたよなァ? 十代(アイツ)の最期。
 顔を*されてイッちまう時の断末魔、最高だッたゼ?
 ハハハッ、安心しろよ。**と一緒に土ン中に埋めといてやッたからよ。
 あァ、今思い出すだけでも愉快な死体だッた。あンなに思う存分*****のはあれが最後だッけなァ」



7:こわれた乙女


ミラーフォースにチェーンして、皆既日蝕の書を発動します」
 彼女の発動したカードによって、フィールド上のモンスターが全て裏側守備表示に変更される。
「罠カード砂漠の光を発動します。これにより、メタモルポット悪魔の偵察者の効果が発動。あなたは8枚のカードをドローしなければなりません」
 それを止めるためのカードはなく、勝負は決する。闘った相手と握手をして分かれ、塔に向かって歩き出す。

 七山 十海は、サンクチュアリ・ゼロの岩肌がむき出しになった大地を歩いていた。
 今頃は彰も塔に向かって、デュエルしながら進んでいることだろう。できるだけ早く合流したいから、少しくらい疲れても歩き続けるべきだと思った。
 岩が露出したような大地を歩き続けてしばらくすると見えるのは森だった。デッキの中の1枚のカードが少しざわめいたような気がした。紅蓮魔獣 ダ・イーザ。昔、彰がくれたカードだ。
 小さな予感だった。近くに彰がいることはわかったが、頭の中に何かが焼けるような嫌な感覚があった。
 七山 十海には不思議な力がある。カードの精霊と呼ばれる存在と対話することができたり、自分や自分に近しい人に迫る危機に対して、異常なまでに敏感なのだ。
 それは「なんとなく」という不確かな感覚だが、今まで一度たりともその予感が外れたことはなかった。
 今回もその悪い予感は的中した。森の入口で大きな炸裂音が響いた。十海は駆けだした。音は鋭く長い距離を飛んできていたらしく、走ってもなかなかその場所にはたどり着けなかった。
 ようやく遠目に見える程度の距離までたどり着いた時には、一人の少年が倒れていた。間違いなく日生 彰だった。
 デュエルディスクの衝撃レベルが多少強力であっても、デュエリストが倒れるほどのものにはならない。倒れてしまうとしたらそれはデュエリストの体調が悪いか、何らかの悪意が介在しているかのどちらかだ。
 理由がどちらであれ、彰が危険なことに変わりはない。駆け寄ろうとして、しかし十海は立ち止ってしまった。
 彼女よりも先に彰に駆け寄る人がいたから。その人の手を借りて、彰が立ちあがったから。照れくさそうに笑ったから。
 自分には決して見せてくれなかった表情を、見ず知らずの少女には見せたから。
 ぐるぐると、黒い炎が自分の中で渦巻いているのがわかった。心がきしむ音が聞こえた。
 その音を聞きたくなくて、彰がいる場所とは全く逆の方向に走り出した。塔から遠ざかる方向だが、関係ない。今すぐにこの場所から消えてしまうには最善の方法だ。
 ここは仮想世界で、自分は自分の思い通りに動けるはずだった。速く走ろうと思えば速く走れるし、どこまででも走り続けていられるはずだった。
 それなのに、息が上がった。岩がむき出しになった大地を抜けると、草原が広がった。何か寄りかかるものがほしかったけど、何もなかったから、その場に仰向けに倒れた。
 透き通った空が見えた。吸い込まれてしまいそうで、加速した鼓動は少しも落ち着かなかった。
(最低)
 これは勝手に嫉妬して逃げ出した自分に対する言葉。本来なら倒れた彰を心配して駆け寄るべきだったのに、この足が走り出した方向は真逆で。
 くだらない嫉妬と後悔と嫌悪とに押しつぶされそうになりながら、空を見つめる。澄んだ青はいつしか十海の心の中を映すように黒く塗りつぶされていき、その黒い空は徐々に落ちてきた。
 背中をくすぐっていた草の感覚も消えて、冷たい鋼の床が十海の体を冷やした。
「何……?」
 不快な冷たさに起き上がって、辺りを見回す。広々とした草原はもうそこにはなく、暗く長いトンネルが前後に果てしなく伸びていた。
 立ち上がるのも億劫だった。ずっと見てみたいと思っていた人のことも、今は見たくなかった。ずっと見ていてほしいと思っていたけれど、今の自分は見られたくなかった。
 冷たい灰色の壁に手をついて力なく立ち上がる。
 刹那、世界が暗転して、十海は膝をついた。体のまんなかを何か鋭いものに貫かれたような感覚だった。
『索敵範囲内のデュエリストから挑戦されました。十分以内にデュエルを開始してください』
 計り知れない悪意であったと同時に、その発信源が誰であるか、直感的にわかってしまった。そんなはずはないと信じたいのに、頭の中の直感は、カードの中の精霊はそれを否定してくれない。
「見つけた」
 聞きなれた声。彰とは違う立ち位置で自分を支えてくれた人。少し癖のある長い髪に、いつもの赤い制服とは違う私服姿。明るい色のTシャツワンピースに長いレギンス、黒い薄出のジャケットを着た少女。
「早乙女、先輩……ッ」
 デュエルディスクを構えて、悪意と敵意に満ちた、それでいて大事なものが抜けおちた眼差しを向けてくる。
 その目を見た瞬間、心臓が締め上げられたような恐ろしい悪寒に襲われた。
「どう、して……」
 鋭く鈍い威圧感に喉をつかまれて息苦しく、やっと出た言葉はそれだけだった。この世の果ての深淵のごとく、周囲の闇はどこまでも黒い。その中にある一対の光は、十海の心を鋭く貫き、鈍い灰色の輝きを放っていた。
 どうしてなのかわからない。わからないから、余計に恐ろしい。
 レイの持つデッキのカードから、灰色の瘴気がにじみ出ているのがわかった。常人には見えない、物理世界を超えた精神的なものではあるけれども、十海にはそれがわかる。とてもよくないものが、レイの中にいる。
「簡単だよ? 大会のルールには、同チームの決闘者に挑戦しちゃいけないなんてルールはないからね」
 十海が聞きたかったのはそんな理屈ではない。レイから放たれる、鋭くて重たい闇に満ちた心の塊の理由だ。レイもそれを理解した上でわざと外した解答をよこした。
 このままでは、良くない。レイが何者かに精神を蝕まれているのは明らかだった。だってあの目は正常じゃない。友達に向けて、あんなおぞましい視線を向けて平気でいられるとしたら、それは友達じゃない。
『だーれだ! なんてね』
 あんなに眩しく笑っていたのに、どうして。何が彼女を、ここまで歪めてしまったのだろう。今の彼女は、目を背けたくなるような悲しい笑みを浮かべている。
 なんとかしなければいけない。どうすればいい?
「早く挑戦を受けてよ。ワタシは十海ちゃんとデュエルがしたいんだよ?」
 その言葉の先が、奥底にあるおぞましい感情の波が、十海には伝わってきた。
『今すぐに戦って、いたぶって、ねじ伏せて、めちゃくちゃにしてやりたいんだよ』
 鈍器で殴られたような痛みだった。めまいがして、今すぐに意識を手放してしまいたくなった。
 だけど、それは許されない。それを許しては、いけない。
 シャッフルしたデッキを、決闘盤にセットする。それが挑戦を受けるという合図。戦闘開始の狼煙。
 5枚のカードを引いて、できるだけ強い瞳で前を見据える。
(先輩は、私が孤独に負けそうになった時、支えてくれた)
 思い出されるのは彰の記憶を取り戻す闘い。あの時はレイの力がなければ、闘う強さを持てなかっただろう。だから、
(だから、今度は)
 先攻のカードをドローして、十海は力強く宣言する。
「今度は、私が早乙女先輩を助ける!」

七山 十海LP8000
モンスターゾーン閃光の追放者
魔法・罠ゾーン魂吸収
伏せカード×1
手札3枚
早乙女 レイLP8000
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーン何もなし
手札5枚

 墓守の使い魔を発動していれば、最初のターンから攻撃に対するロックが完成していた。
 が、十海はあえてそれをしなかった。レイは魔法効果の矢をはじめ、魔法・罠を除去する手段を複数持っている。
 が、モンスターに対しては除去のカードをほとんど使わない。ミラーフォースくらいだろう。
 魂吸収は囮だ。レイの勝ち筋はビートダウンだから、ライフをほとんど無尽蔵に増やすこのカードは破壊しておきたいと思うはずだ。
 そして、ビートダウンに対するカードも伏せてある。除外ギミックの軸となる閃光の追放者は守り切れるだろう。そして、そのカードを使えばデッキを大きく破壊することもできる。
 自分にできる最高の手を用意したはずだった。
「手札からミスティック・ドラゴンミスティック・エッグミスティック・ベビー・ナイトを捨てるよ」
 耳を疑った。罠の効果を無視する効果とデュエルモンスターズの中でも屈指の攻撃力を持つミスティック・ドラゴンを、捨てると言い出した。更に、ミスティックモンスターの展開の起点となるミスティック・エッグまでも。
 閃光の追放者が存在するこの状態で「捨てる」とは、「ゲームから除外する」ことを意味する。除外してしまえば、帰還の手段は少ない。
「融合デッキからミスティック・ドラゴンズ・ゲートを融合召喚」
 レイがこの大会に向けて、ミスティックのデッキを大きく強化したことを嬉しそうに話してくれたのを思い出した。
 除外からの帰還で勝負を決めるつもりだろうか。一斉に帰還できるカードは十海のデッキにも入っているが、速攻性がない。発動までのタイムラグの間に対処できないことではないはずだ。カードが除外されたことでライフも回復する。
 あらわれたモンスターはゲートという名の通り、どこかへ通じる門のようだった。卵型の巨大な空洞への入口だ。真っ暗で奥が見えない。この薄暗い通路よりもずっと暗い。
 心の奥底の闇の世界を見せられているようで、十海は不快だった。
「1000のライフを支払って、ミスティック・ドラゴンズ・ゲートの効果発動。
 デッキの1番上のカードをゲームから除外する。
 除外したカードがミスティックモンスターだった場合は自分の、そうでなかった場合は相手フィールド上に特殊召喚する。
 ボクが除外したのは恋する乙女。十海ちゃんのフィールド上に特殊召喚するよ」
 初めてレイと闘った時に、一番最初に出てきたモンスターだった。このカードが決め手になってあのデュエルには負けてしまったけど、とても楽しい闘いだったのをよく覚えている。
「……え?」
 何が起きたのかわからなかった。
 気がついたら、恋する乙女が十海のフィールド上に3体揃っていた。
「ミスティック・ドラゴンズ・ゲートの効果。このゲートを通ったモンスターの同名モンスターをすべて相手フィールド上に特殊召喚する」
 重要な切り札の1枚としてレイのデッキに入っていたカードが、今はすべて十海のコントロール下にある。
 こんな状況を作り出して、レイが何をしようとしているのかわからない。コントロール奪取と素直なビートダウンという戦術で戦っていたレイからは考えられない手だった。
「もう1度、ミスティック・ドラゴンズ・ゲートの効果を発動。1000のライフを払って、デッキからカードを1枚除外」
 次に出てきたのはミスティック・マジシャン。ミスティック・ドラゴンズ・ゲートの効果でレイの場に特殊召喚されるが、さらにもう1体が十海の場に特殊召喚される。
「ミスティック・マジシャンで攻撃」
 攻撃対象が閃光の追放者になったならば伏せたカードを使おうと思っていたのだが、予想に反して攻撃対象はミスティック・マジシャンだった。
 攻撃力は同じため、相打ちになって2体が破壊される。
「ミスティック・マジシャンの効果。破壊されたとき、そのカードに乗っていたミスティック・カウンターの数だけデッキからカードをドローできる。十海ちゃんの場にいたから、十海ちゃんも2枚ドローできるよ」
 無意味なんだけどね、と付け加える声の冷淡さが恐ろしい。
「じゃ、終わらせよッか」
 闘いを終わらせるアンデット族のドラゴンが現れた。レイは、十海の場に並んだ恋する乙女に、切り札としてともに闘ってきたはずのカードに1枚ずつ攻撃宣言をしていく。
 カードが怯えて、泣いているような気がした。だから、十海は伏せていたカードの発動を宣言する。
「ッ、なんで!?」
 発動しない。こんな時にデュエルディスクが不調になったのかと疑うが、すぐにそうではないとわかった。
「ミスティック・ドラゴンズ・ゲートが場にいる時、このカードの効果以外ではカードを除外できない」
 攻撃モンスターを除外して自分の手札にあるあのカードを捨てれば、流れは確実に自分のものになるはずだったのに。ミスティック・ドラゴンズ・ゲートの召喚を許してしまった瞬間から、負けは決まっていた。
 死と狂気の竜が灰色の瘴気のブレスを吐きだし、レイの切り札であったはずのカードを苦しめていく。表側攻撃表示で存在する限り破壊されない効果により、恋する乙女はどんな激しい攻撃を受けても立ち続けていなければならない。
「せん、ぱい……!」
「あ、あはは!」
 やめてほしかった。どうして、そんなに自分をいじめるのかわからなかった。どうして、そんなに悲しい顔で笑うのかわからなかった。
 どうしたらレイを正気に戻すことができたんだろう。そう考え始めた思考が、次の一言で粉々に砕かれた。その言葉は、音として伝わってきたものではなかった。
 口の動きと、残忍に笑う瞳の光。それが、十海の戦意を根底からダメにしてしまった。

『こわれちゃえ』

 うつろな目の乙女が三人になり、追放者が瘴気に耐えきれずに砕け散った時、十海は全身の力が抜けていくのがわかった。
 まず足が限界を超え、膝が冷たい鋼の床についた。それが冷たいという感覚さえも薄れていった。体を支えていることができなくなって、両手を前についた。
 その手も長くはもたなかった。意識が、強引に闇の奥に引き込まれていくようだった。

「ごめんね」
 薄れゆく意識の中で、誰かの泣く声が聞こえた。
「ボク、おかしくなっちゃったんだ。
 こんなことしちゃいけないってわかってるのに、ね。
 それでも、止まらないんだよ。
 好きな人と一緒にいられる、あなたへの嫉妬が」
























「だから、さよなら」















 七山 十海は意識を完全に手放し、早乙女 レイはその場から姿を消した。
 闇だけが、その悲劇を見つめていた。
















































 絶望に負けた後、硬く冷たい床から立ち上がって、早乙女 レイはフラフラと歩き出す。何もかもが夢だったのではないかと思うほどに、あらゆる感覚が冷めきっていた。
 夢だったらどんなに良かっただろう。夢だと思いたかった。それでも、頭の中が受け止めることを拒否するあの言葉が、デュエルディスクの墓地の一番上にあったカードの中から聞こえてくる気がした。
 壺の中の深淵で笑うその顔が、記憶の中のあの人の顔をすべて飲み込んでしまったような気がして、どうしようもなく嫌だった。嫌だから、考えるのをやめた。
 明るい。森に差し込む日はやわらかく、今まで歩いてきた冷たい闇の通路とは正反対で暖かい。
 何も考えないまま、ただそれに向かって歩いた。歩いて、歩いて、歩いた。今は光がほしい。もう闇の底は嫌だ。
「……?」
 足が痛くなるまで歩いて、ようやくおかしいことに気づいた。前方には明るい森が広がっている。けれども、足元は冷たい暗闇の通路のままだ。
 急に恐ろしくなった。足の血管に水が入り込んで全身をめぐって脳みそまで上がってくるような、ひどい寒気がした。
 考えるのが嫌だったのに、やめたはずなのに、恐怖は思考を冴え渡らせる。考えたくないのに、思考が閃光のように頭の中を駆け巡る。
 なぜ、歩いても足元が全く変わらない? 今まで、どんな道を歩いてきた?
 後ろを振り返りたくなかった。もう五メートルも進めば、明るい日の下に出られるはずだ。一歩一歩、数えながら進んだ。
 五歩数え終わる前に、この歪な状態に気づいた。足元が灰色のままで、自分に日の光が差し込むことはない。
「……ねえ」
 歩いた。歩いてもたどり着けない。たどり着けないのに、歩いた。
「待ってよ……!」
 明るい世界にはもう戻れない。心の奥底ではすでにそれを知っていたのかもしれない。追いかけても追いかけても、光ある森は遠ざかるばかり。
 だんだん速く、歩く速さから走るそれへ。全力で駆けて、それでもたどり着けなかった。
 レイが走り出すのと同時に、後ろから付いてきていた暗闇のトンネルもスピードを上げた。
 やがてトンネルは加速して、レイの速度を追い越していく。
「待って、置いてかないでよ……ッ!」
 絞り出すように叫んだ願いも虚しく、小さな木漏れ日も見えなくなって、見えるのは自分の足元の灰色と、前方の黒だけになる。
 残されたのは自分が確かに走っていたという証の息切れと、絶望につぶされて何も考えられなくなった心。憂鬱な孤独と、それを確かなものだと認識させる暗闇の世界。
 その小さな疲れ切った心に、後ろから聞こえる声が鞭打った。
『言ったろ? 役目を終えた英雄は舞台から降りなくちゃならないって』
 暗い通路の中を反射して、後ろから飛んでくるその声で、レイの肩が大きく跳ねた。何も考えられないけど、このままここにとどまっていてはいけないことだけはわかった。
 痛む足など気にしてはいられなかった。ただ、その暗黒の声から逃げたくて、無我夢中で走った。
 自分がどこまでどれだけ進んだかもわからないし、わからなくていい。ただ、絶望から逃れることができればそれでいい。
 走って、走って、走った。
 どこまで走っても、景色は変わらなかったし、その声は追いかけてきた。
『じゃあ、レイにだけ特別に良いことを教えてやろう』
「追いかけて来ないでよ! 放っといてよ!」
 走りながら、叫んだ。全てを拒絶するように。外から来るあらゆる情報から、自らを閉ざしてしまうように。
 自分の中にある声を全て吐き出してしまうくらい、強く叫んだ。全て吐き出して、外から入り込んでくるその声をかき消すために。
 それでも、声は止まなかった。
『遊城十代は、死んだよ』
「来るなああああああああああああああああ!!」

 捻じれた世界で少女が叫んだ声は、誰にも届かない。

 恋われた乙女の願いは消えて、
 壊れた乙女の呪いが残った。



8:裏切りの始まり


「ったく、どこ行っちゃったんだよ……」
 深い森の中で、日生 彰は一人の少女を探していた。七山 十海。その後ろ姿が見えたからだ。
 木に寄りかかって、乱れた呼吸を整える。まだあまり走っていないのに、すぐに息が上がってしまった。
 先ほど、デュエルをして倒れてしまったのが原因だろうか。
(なんか、ヘンなんだよな……)
 デッキを取り出して、上からカードを何枚かめくる。シャッフルはしていないから、最後のデュエルで使っていたカードが一番上に来ているはずだ。
 最後にデストラクション・ジャマーを発動して致命的なディスアドバンテージは避けた。そこから先は意識がない。
 どうもデュエルディスクのシステムボイスによれば、無意識のうちに勝利していたらしかった。
 あの状況ならどちらにも転び得た。勝利したのであれば、その結果はあまり問題にすべきことでもないだろう。
 だが、思い出せない。いったいどんな道筋で勝利に至ったのかどうか、さっぱり思い出すことができなかった。
 相手の顔は思い出せる。確か自分より少し年上の少女で、ロングスカートをはいていて、決して声を出さなかった。
 デュエル中(おそらくは終盤)に頭の中が真っ白になって、胸の奥が焼けるように熱くなったのだけは覚えていた。
 思い出せないなら、それで良い。自分の後ろにあった戦いよりも、前にある戦いを見つめるほうがずっと良い。
 どのくらい倒れていたのかわからないが、起きた後に十海の背中を見つけたので、闘った相手とすぐに別れてここまで走ってきた。十海は足が速いほうではなかったはずだが、結局ここに来るまでに追いつくことはできなかった。
 それどころか、見失ってしまっている。何だか嫌な予感がする。塔から遠ざかることになっても、十海を追いかけなくてはいけない気がした。
 十海が走って行った方向は、目的地の塔とは真逆の方向だ。そんな方向に走らなければならないのは、何か理由があるからだ。
 その理由が十海にとって良くないものである可能性は低くない。そうでなければ、あんな速さで走り去った理由に説明がつかない。
 先ほど何人かの参加者に話を聞いた、黒ずくめのデュエリスト狩りの話も気になる。
 使うデッキは光属性の高速ビートダウンだったり、天空の聖域を軸にした天使族だったり、他にも何か使っていたらしい話があって、参加者の話は各人で一致していない。
 その複数の証言の中で一致しているのは、そのデュエリスト狩りに敗北した直後に、一時的だが、気を失ったり強い痛みで動けなくなったりしたということだ。
 だから、もう一度立ち上がる。十海の傍にいれば、力になれるかもしれない。いつ降りかかるかもわからない危険から十海を守ることだって、きっと。
 立ち上がって、人の気配と視線に気づいた。
 振り向くと、その影はさっと木の影に隠れてしまう。隠れても、影から顔を覗かせているのでそこにいることはわかってしまう。
 目が合った。ゆっくりと、隠れていた少女が出てくる。背は低い。十海も同年代では背が低いほうだが、それよりももっと小さい。その目――黒いのにガラスのように透き通っていて、それに映る自分まで見えてしまうような目――に見つめられて、彰は小さな違和感を覚えた。
 どこかで見た雰囲気はあるのだが、すぐには思い出せない。普段なら思い出せないことにあまり深く拘らないのに、今回はひどく気になった。その違和感が消える前に、少女が口を開いた。
「あきら」
「……え?」
 確かに、自分の名を呼んだ。その事実に困惑する。同時に、やはり面識のある相手なのだろうともう一度思い当たる人物を頭の中で探す。見つからない。
 見つからないのに、やっぱりどこかで会ったような気がした。頭の中では覚えていないのに、自分の中にいる炎がざわめいて止まない。
 そして、何より自分を呼んだ少女の期待を秘めた眼差しが苦しかった。
「人違い、じゃないか?」
 口をついて、ついそんな言葉が出てしまった。そんな簡単な言葉で片づけてしまって良いのかと問いかける声と、思い出せないものは仕方ないじゃないかと割り切ろうとする声が、自分の中でぶつかりあっていた。
 こんなことを言えば、目の前の少女は悲しそうな顔をするだろうとわかっていたのに。何か言わなくてはいけないような気がして、それでも言うべき言葉が見つからない。
「人、探してるんでしょ」
 そう言った少女の目はすでに悲しみの色を失って、川のように澄み切っていた。
「え、あ、ああ。って、ちょっと!」
 返事をし終わる前に、彰の手を引いて、少女は駆けだした。
「たぶんこっち。早く早く」
 そう言ってやわらかく笑う少女を見て、彰は強い既視感を感じた。
 前にも一度、こうやって手を引かれたことがあったような気がした。
 つなぐその手は、どこか懐かしかった。




























 三田 篤義は何としてでもこの大会に出たかった。だから、普段なら眼中にない相手さえもこの大会に誘った。参加人数の四人を集めるためには、たとえ学園の最下位が相手でも頭を下げて誘う覚悟があった。
 正確には「この大会」に出たかったというより、「この町の大会」に出たかった。彼にとっては思い出すのも忌々しい話だが、これは彼がデュエルアカデミアに入学する前にまで遡る。
 自慢のデッキでアカデミア編入学試験に難なく合格し、アカデミアのある島に移動するまでの期間、三田は、自分の住んでいる場所とは少し離れているこの町、角下の大会に出場した。
 自分の近辺にいる人間はもう相手にならなかったからである。この町の大会でも、三田は負け知らずだった。決勝であの少女と戦うまでは。
(俺の攻撃をすべていなし、奴は圧倒的な強さで俺に敗北の二文字を突きつけた)
 その少女は身にまとっていた空気も、他の決闘者とは異なっていた。凡庸な決闘者達の中で、彼女だけが抜きんでていた。
 その空気の正体はわからないが、デュエルアカデミアに来て遊城 十代や万丈目 準を見た時に三田は確信した。同じ空気が、彼らの周りにはあった。

 三田がこの大会に出たのは、その少女を探すためである。あれ以来、この近辺で開かれる大会にはできる限り出場した。そのどれにも、少女の姿はなかった。
 もしかしたらもうどこかへ引っ越してしまったのかもしれないが、それでも諦めることができなかった。何としてでも、あの少女を倒したい理由があった。
 ただ負けたからではない。三田がその少女に対し憎悪にも近い敵対心を抱いているのは、あの決勝が終わった直後、その少女が倒れたのが原因である。
 自分に勝っておきながら、体調の不良で表彰式に出られず、三田が優勝者扱いされたのだ。敗者でありながら、勝者として扱われる。三田にとってこれほど屈辱的なことはなかった。
 超えねばならない存在がいる。三田はそれを野望の一つとし、今日まで徹底的に己を鍛え上げた。そしてついに、その敵を見つけたのだ。
「探したぞ」
 あれから二年近い年月が過ぎている。もう相手は自分を忘れているかもしれない。だがそうであれば尚のこと、圧倒的な強さでその記憶に雷を刻みつけてやるまでだ。
 息巻く三田を見ても、ロングスカートをはいたその少女は何も言わなかった。ただ少し驚いたような表情を見せただけだった。それが三田の神経を逆撫でる。
 三田がデュエルディスクの挑戦ボタンを押すまで、秒を要さなかった。

 先攻は三田。モンスターとカードを2枚伏せて最初のターンは終了。
 相手のターンになった。それでも、その少女は声を出そうとしなかった。
『ドローフェイズを終了。スタンバイフェイズに移行します。
 スタンバイフェイズを終了。メインフェイズ1に移行します』
 髪を長く伸ばし、ベージュ色のロングスカートをはいて、灰色のカーディガンを羽織った少女は、黙々と自分のターンを進めた。必要な宣言はデュエルディスクのシステムボイスが行う。
『手札から、ヴェーザー楽団 ブリガントの効果を発動します。
 このカードを捨て、デッキからヴェーザー楽団のコンサートホールを手札に加えます』
 少女の手札に加えられたフィールド魔法がその場で発動される。
(何だ……?)
 三田にとって、奇妙に感じられる点がいくつかあった。
 まず、少女が決して声を出そうとしないこと。バカにされているのかとも思うが、少女は徹底して声を発さない。デュエルの前もそうだった。
 それは何か事情があるのかもしれないが、使うカードもあの時とは違う。二年も経てばデッキがいくらか変わっていても不思議ではない。
 根幹となるキーカードが無くなっていなければ、あの時の少女に勝つことに変わりはないから、三田はその違和感を押し込めた。何人かの参加者に聞いたところによると、もうこの大会でもあのカードを使う決闘者が噂になっていた。あの時から少女のキーカードが変わっていないのは間違いないだろう。
ヴェーザー楽団 カニスを召喚します。カニスの効果を発動します。
 魔法・罠ゾーンの左から三番目にセットされたカードを指定、確認します。
 ヴェーザー楽団のコンサートホールの効果を発動します。第二の効果を選択します。
 魔法・罠ゾーンの左から三番目にセットされたカードを指定、宣言するカードは地獄の暴走召喚
 条件を満たしました。カードをドローします。
 カードを1枚セットします。ターンを終了します』
 ドロー補助を行い、あまり多くのカードを場に出さない。使うモンスターは変わっているが、基本戦術は変わっていない。

三田 篤義LP8000
モンスターゾーン伏せモンスター×1
魔法・罠ゾーン伏せカード×2(地獄の暴走召喚、????)
手札3枚
喋らない少女LP8000
モンスターゾーンヴェーザー楽団 カニス
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札4枚
フィールドヴェーザー楽団のコンサートホール

 伏せられたあのカードの正体はおそらくは勝敗を決するものだろう。そうであるならば、迅速に勝負を決めなくてはならない。
「俺のターン、ドロー! 電池メン−ボタン型を反転召喚! 効果によりデッキから電池メン−単三型を特殊召喚する!
 地獄の暴走召喚! デッキからさらに2体の単三型を特殊召喚する! 貴様もその犬を呼び出すがいい!」
 場にいた犬の老紳士が三人になり、単三電池の胴体を持つ人型ロボットも三田の場に三体揃った。
ブルーサンダーT45を召喚! バトルフェイズだ! ボタン型でその犬を攻撃する!」
 小型のボタン電池ロボットが老紳士に突撃し、いともたやすく踏みつぶされる。三田もその衝撃の余波でダメージを受けるが、それらは全て三田の戦略に基づく計画されたものだ。
「リバースしたボタン型が戦闘で破壊されたことにより、デッキからカードを1枚ドローする! ブルーサンダーで攻撃!」
 近未来宇宙戦闘機をイメージして造られたであろう機体が青い光弾を放つ。それは犬の老紳士を跡形もなく吹き飛ばした。微量だが、少女にもダメージが通る。
「ブルーサンダーの効果により、サンダーオプショントークンを特殊召喚する!
 サンダーオプショントークンで攻撃!」
 効果によってあらわれた分身の攻撃が通り、老紳士は残り一人になった。ここからが本番である。電池メン−単三型は自身の効果により、その攻撃力を3000にまで高めている。
 あの青眼(ブルーアイズ)と同じ攻撃力のモンスターが、3体。強烈な電撃によって犬の老紳士は消えてなくなり、少女に直接攻撃が向かう。
ガード・ブロックを発動します。プレイヤーへのダメージを0にし、デッキからカードを1枚ドローします』
 これが通れば勝ちがほぼ決まったようなものだっただけに、三田は歯噛みした。
 伏せカードの読みも外れた。三田は勝負を決定づけるカードである可能性を強く信じていたが、そうではなかった。
 戦術の狂いを修正するために、一度頭の中を整理する。落ち着かなくてはいけない。あの時だって、こうやってペースを狂わされて負けたのだ。
 ひとつ息を吐いて、しかし攻めの姿勢は崩さない。
「バトルフェイズは終了だ。だがまだ俺の攻撃は終わらん! 魔法カードサンダー・クラッシュ
 俺の場のモンスターをすべて破壊し、破壊したモンスターの数×300ポイントのダメージを与える!」
 降り注ぐ雷が三田の場のモンスターを巻き込んで爆ぜ、轟く五つの炸裂音。その衝撃が少女へ向かう。
 単三型の攻撃によってライフポイントを大きく失った少女にとって、この打撃は小さくない。
 三田の場にはモンスターがいなくなったが、当然ながらそのフォローもしっかりと考えられている。
「手札からサンダー・ドラゴンの効果を発動! このカードを墓地に捨て、デッキから2枚のサンダー・ドラゴンを手札に加える!
 貪欲な壺! 墓地の5体のモンスターをデッキに戻してシャッフル、2枚ドロー!
 更に、サンダー・ドラゴンの効果でデッキに戻した同名カードを手札に加える。
 融合だ! 出でよ、双頭の雷龍(サンダー・ドラゴン)!」
 帯電した赤と青の巨体をしならせ、大気を電気的に分解して紫色に発色するの巨大な角を高く掲げて、龍が吼えた。
 再びの炸裂音。コンサートホールが鋭い雷によって轟音とともに打ち砕かれ、消えていく。
雷の裁きだ。カードを1枚伏せてターンを終了する」
 喋らない少女の場はガラ空きである。だが、手札は次のドローで6枚にまで増える。
 何かしら手を打ってくるに違いない。そしてそれは、一筋縄では打ち崩せないだろうと三田は思っていた。
 思っていたのだが
「……何の真似だ」
 どこまでも深い怒りが、三田の言葉からにじみ出ていた。口元の筋肉が震え、歯は今にも己をかみ砕いてしまいそうなほどに強くかみしめられた。
『サレンダーカードです。デュエルを終了します』
 ただ目を閉じて、何も言わないまま少女は俯いた。
「ふざ、けるな!」
 三田の怒りが臨界点を超え、爆発した。黙ったまま後ずさりする少女に詰め寄る。相手が男ならば、襟を乱暴につかんでいたに違いない。
「あのカードはどうした! お前のコンボは始まってすらいない! その手札は何だ! 6枚もの可能性を持っておきながら、ここですべて捨て去るというのか!
 俺に対する憐れみなら今すぐにサレンダーを取り消せ! この二年、俺はお前を倒すことだけを考えてきた!
 王座で挑戦者を待ち構えていたはずのお前が、どうしてこんなに弱い……ッ!
 あの日の強さはどこへやった! 俺の攻撃のことごとくをかわしたあのカード達は何をしている! 答えろ!」
 悲痛な叫びが響く。木々と、目的地であるはずの遠く離れた塔が二人を見下ろす。
 少女はそれでも何も言わなかった。ただ唇を一文字に結び、何かに耐えているように震えていた。
 三田にはそれが余計に腹立たしかった。こんな軟弱者に負けて、勝った扱いをされたのかと思うと、腸が煮えたぎった。
 三田が次の罵声を発する前に、過熱していた彼の頭が突然冷たくなった。いつの間にか、自分の付近に差し込んでいた日が影になっている。そして、背後には先ほどまで全く感じなかった気配。
 背中を切り開かれて、そこから手を入れられ、心臓を鷲掴みにされたような悪寒がした。少女も、イレギュラーな存在に目を見開いている。尋常な驚き方ではない。
「おい少年(クソガキ)
 全ての思考をそぎ落とすように、低い、獣が唸るような獰猛な声だった。振り返れば、背の高い何者かが立っていた。黒いジャンパーと同色のジーンズという闇色で、大きなフードを目深にかぶっていて顔は見えないが、首には水色のマフラーを巻いているのだろう、そこからマフラーが見えた。
挑戦(コール)しろ。お前が探してる決闘者は、俺だ」
 暗いフードの中の、見えないはずの双眸が、死神の鎌のようにギラリと輝いた。




























 彰は、つないだ手を振り切って走り出していた。草原の真ん中で倒れている十海を見つけたからだ。ただ単に眠っているだけではなさそうだった。
「十海! どうしたんだ!」
 青白い顔と浅くか細い呼吸。意識が深く落ちていて、尋常な状態でないことは素人にも一目でわかった。
「どうしたんだよ……。大会が始まる前は元気だったし、さっきはあんなに速く走ってたじゃないか……! 何があったんだよ、目開けてくれよ、十海!」
 肩をつかんで揺さぶる。冷たい。それだけの事実が彰から冷静な思考を奪っていく。
「うろたえないで」
 先ほどまで彰の手を引いていた少女の声は、落ち着いた声だった。淡々としていて、それが彰の思考をさらに加熱させた。
「こんな状態の十海を見て、落ち着けるはずないだろ!」
 そこまで叫んでから、彰ははっとした。少女の表情が、今にも壊れてしまいそうな悲しいものになっていたから。
 急速に頭が冷えていくのがわかった。手前勝手な理屈で怒鳴りつけてしまったことに気づいて、申し訳なくなった。
「……ごめん」
 少女は弱くほほ笑んだ。気にしないでほしいということだろう。完全に無視することはできそうにないが、今考えるべきは十海のことだ。
「でも、どうすればいいんだ……」
 何もわからない。何らかの原因で倒れ、意識を失っている十海を前に、何をしたら良いのかわからない。あまりに無力な自分に焦りと苛立ちが募るばかりだった。
 少女がしゃがんで、十海の額に手を当てる。
「……え?」
 その少女の髪が、一瞬だけ白く見えた。全く気付いていないのか、少女は先ほどまでと同じように落ち着いた口調で話し始める。彰も、何かの見間違いだろうと思ってそのことを頭の隅に追いやってしまった。
「体温が下がってる。頭に血が回ってない。足を高くして、可能な限り体温を逃がさないようにしないと」
 少女は十海の膝を曲げて可能な限り理想的な状態に近づけようとする。
 この少女は誰だろう。ほとんどいつも一緒にいたから、彰を知っているということは、十海のことも知っているかもしれない。
 少女が十海を見る目は安らぎを与えるように、黒く澄んでいて、優しい。十海に姉がいるとしたらこんな感じだろうか。
 心の底から、十海のことを思っているのだろう。少女は誰よりも十海が回復することを信じているようだった。十海の顔色も心なしか良くなってきているような気がした。
 記憶にない少女が自分よりも十海のことを知っているような気がして少しだけ悔しかったが、今はそんな小さい気持ちに囚われている場合ではない。
 彰も持っていた赤い上着を十海の体にかぶせた。
「体温を逃がさないように、だよな」
 少女は小さく――けれども満足げに――うなずいて、
「後は、大人を呼んで来るだけ。ある程度の知識がある複数人が望ましいけど、できるだけ急いで呼んで来て」
「ああ。十海のこと、頼んだ!」
 彰は走り出した。それが、今の彰にできる最善の選択だ。
 守りたいものを守れるように。まだ自分一人で何もかもこなせるような力はないけど、今は十海を守るために自分ができる一番よい方法を取りたい。


 その背中に向かって少女がつぶやいた言葉が、彰に届くことはなかった。
「変わらないね。あきらは」

























 どれだけ走っても、どこまでも走り続けられるような気がした。
 十海を助けるためなら、足が折れたって走り続けるつもりでいた。
 人の影が見える。髪の毛を逆立てた、黒いコートの背中。三田だ。
 デュエルがちょうど終わったのだろう。ソリッド・ヴィジョンシステムが消える時の独特の収束音が聞こえた。
 三田のことだから、圧倒的な実力差で勝利したに違いない。
 ライバルであり、倒すべき相手である三田を頼るのは少し嫌だったが、今はそうも言っていられない。
「三田せんぱ……」
 声をかけようとして、彰は最後まで言えなかった。信じられない光景だった。
 あまりにあっけなく、まるで人形になってしまったように、三田は崩れ落ち、倒れた。
 三田がいた場所の向こう側に、デュエルディスクを構えた闇色の人影が見えた。
 そいつのデュエルディスクは、彰が見たことのない光を灯していた。倒れる三田を見下ろして、しかし全く心配した様子がない。
 黒ずくめのデュエリスト狩り。デュエルの後に気を失ったり、強い痛みを感じる。先ほど倒れていた十海の姿と、眼の前の三田の様子の一致。
 彰の頭の中に、電撃のような思考が飛来した。すぐに、その闇色の人影がしたことを直感で理解した。
「あいつか……ッ!」

 彰の胸の奥で、黒い炎がうずいた。



9:夜が落ちてくる


「待てよ」
 自分でも驚くほど底冷えする声だった。彰の声に、背を向けて去ろうとしていた黒ずくめが立ち止る。
 振り向くが、フードの奥が見えない。背の高い不気味な存在だった。その奥の闇に隠された、混沌とした感情が無言で彰を威圧した。
 彰の足元には三田が倒れて意識を失っていて、先ほどの十海ほどではないが顔色も良くない。
 近くの木陰で、この世界で彰と最初に戦った喋らない少女が座りこんでいた。信じられないものを見るような表情で、黒ずくめを見つめている。
「十海をあんなにしたのもお前だな……ッ!」
 今すぐにでも殴りかかりたかった。それを押さえて、デッキをディスクに装着して構える。だが、挑戦はできない。前のデュエルから十分以内ならば、挑戦されないルールだからだ。
 腹の底が煮えたぎってしまっている彰に向かって、黒ずくめは、一言だけ低い声でこう言った。
「そういうことか」
 フードの中から舌打ちする音が聞こえる。威圧的な空気だ。
 彰もひるむことなく、相手を睨みつけた。
 黒ずくめが挑戦した旨が電子音声で伝えられた。彰も躊躇なくそれを受けた。挑戦して来なければ、十分くらい追いかけまわしてやるつもりだった。
 闘いが始まる。それと同時に、黒い何かが日を遮った。ただのデュエルではないらしい。
 夜が落ちてくる。そう錯覚させるような光景だった。日の光はどこかに消えて、空は星の一つも瞬かぬ暗闇へと姿を変えた。
 希望の光は失われ、暗黒の森が対峙する決闘者を取り巻いた。憎悪と憎しみの渦巻く決闘が始まる。

 先攻は黒ずくめ。暗闇の中で尚自らの存在を主張するように、その輪郭ははっきりと視認できる。
死霊騎士デスカリバー・ナイトを召喚します。カードを2枚セットしてターン終了です』
 手札を見ているのかも怪しいくらい、素早い手だった。黒ずくめは声を発さず、宣言をデュエルディスクの音声に任せている。
 喋らない少女も同じことをしていたが、こいつのはどこか違う。もっと禍々しい何かを持っている。彰にはなんとなくだが、それがわかった。
「俺のターン、ドロー!」
 わかったが、今はそんなことはどうでも良い。十海を傷つけた許せない相手が目の前にいるのだから、全力で叩き潰すだけだ。
 胸の奥で渦巻く黒い炎に突き動かされて、手札の中から1枚のカードを選びだす。
UFOタートルを攻撃表示で召喚。デスカリバー・ナイトに攻撃する!」
 黒馬にまたがった暗黒の騎士に向かって、機械仕掛けの亀が突撃していく。攻撃力の面ではUFOタートルに勝ち目はない。
 だが、
「UFOタートルが戦闘で破壊され墓地に送られた時、その効果が発動する。
 だけど、デスカリバー・ナイトの効果で無効になる。そして、デスカリバー・ナイトは生贄に捧げなければならない!」
 デスカリバー・ナイトはモンスターの効果を無効化する代わりに、自身を生贄に捧げなければならない。
 下級モンスターとしては高めの攻撃力を持っているが、効果モンスターで簡単に除去されてしまうのだ。
「カードを2枚セットしてターンエンド!」

黒ずくめLP8000
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーン伏せカード×2
手札3枚
日生 彰LP7500
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーン伏せカード×2
手札3枚

 黒ずくめのターンは、モンスターを守備表示でセットするだけで終了した。
 彰は攻めるタイミングを見逃さない。憎い相手を叩き潰すために、最も効率よくダメージを与えるために、全力を尽くす。
火炎木人18を召喚! 守備モンスターに攻撃!
 このバトルステップに、最終突撃命令を発動! 行けぇ!」
 炎で包まれた人型の巨木の化身が暗闇を紅く照らす。
 胸部に18の数字が書かれた火炎木人が守備モンスターに襲いかかる。最終突撃命令の効果によって、ダメージステップにそのモンスターは攻撃表示にさせられてしまう。
 彰の場にモンスターがいなかったにも関わらず攻撃を仕掛けてこなかったのだから、攻撃力はさほど高くないだろうと思っていた。その通りだった。
不幸を告げる黒猫の効果を発動します。デッキから罠カードを1枚選択し、デッキの一番上に置きます』
 リバース効果モンスターだったが、彰の場を荒らすようなものでもない。彰の目論見通り、大きなダメージが通った。
 彰はそのままターンを終了する。サーチしたのはキーカードだろうが、それを吹き飛ばす術はすでに用意してある。

黒ずくめLP6650
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーン伏せカード×2
手札3枚
日生 彰LP7500
モンスターゾーン火炎木人18
魔法・罠ゾーン最終突撃命令
伏せカード×1
手札3枚

『モンスターをセットします。カードを1枚セットします。
 永続魔法平和の使者を発動します。ターンを終了します』
 ドローから五秒と待たずにターンが終了される。黒ずくめの場には守備モンスターが1体、攻撃を抑制するロックカードが1枚と、伏せられたカードが3枚。
 先ほど伏せたカードはキーカードだろう。一気に攻め崩すためにも、彰は迷わずに1枚のカードを発動した。
大嵐だ!」
 自分のカードも巻き込んでしまうが、相手のロックとキーカードの両方を吹き飛ばせるなら安いものである。モンスターを主軸に据えた彰のデッキであれば、攻め切ることはできるだろう。
 だが、そう簡単にはいかない。
 それを待っていたかのように、黒ずくめの伏せカードが次々と発動される。
『チェーンしてゴブリンをやりくり上手を発動します。
 チェーンしてゴブリンのやりくり上手を発動します。
 チェーンして非常食を発動します。平和の使者、ゴブリンのやりくり上手、ゴブリンのやりくり上手の3枚を選択し、墓地に送ります』
 完全に失敗だった。このままでは相手が3000のライフを回復し、大量にドローを行ってしまい、ほとんど損失がない。
 対して、彰は最終突撃命令と伏せカードを失ってしまう。それはとてもよくない状況だ。
 焦りが彰の手を動かして、伏せたカードが失われる前に発動される。
「更にチェーンして火霊術−「紅」を発動する! 火炎木人18を生贄に捧げ、その元々の攻撃力分のダメージを与える!」
 赤い髪の魔法使いが現れ、火炎木人18を生贄に捧げて火炎球を飛ばす。爆風の後、大嵐の竜巻が全ての魔法・罠カードを吹き飛ばす。
「な……」
「チッ」
 彰は目を疑った。呼吸が止まるかと思った。
 黒ずくめの大きなフードが激しい風に煽られてめくれ、その顔がさらけ出されたからだ。






















「なんで、タテヤンが……」
 まぎれもない。彰達の担任、館柳 信哉がそこにいた。
 先約があると言っていたのはこのことだったのか。デュエリスト狩りのような真似をして、無差別に人を傷つけるためだったのか。
 信じられない想いが頭の中を回る。信哉の表情はそれを否定してはくれなかった。見たこともないような冷たい目でこちらを睨みつけていた。
 星無き闇の中で彰を嘲笑うように、信哉は俯いて小さく息を吐いた。
「オマエのターンはもう終わりかよ?」
 顔を上げた信哉の瞳を見た時、呼吸だけではなく、心臓の鼓動さえも止まるかと思った。
 思考を含めたあらゆる感覚を握りつぶされるような、今までに感じたことのない圧迫感だ。
 低く暗く黒く深く鋭く。闇に包まれたこの場でさえも更に禍々しい輝きを放つ感情が、その表情からにじみ出ていた。
 普段の闊達な笑顔は既に無く、その瞳の奥には希望という言葉を忘れた闇が蠢いている。
 無差別にまき散らされる、殺意に塗れた見たくない嗤いがそこにあった。その目に睨まれるだけで、地獄に引き込まれてしまいそうだった。
 押しつぶすような威圧の中で、彰は声を絞り出す。
「なんで、こんなことしたんだよ……!」
 信哉は答えなかった。増強した手札を持って、ただ地獄の笑みを浮かべながら彰のターンが終わるのを待っていた。
「答えろよッ!」
 叫ばずにはいられなかった。
 宿題は多かったけど、優しいし頼もしい存在だった。そんな信哉が、どうして三田を、十海を傷つけて平気でいられるのかわからない。どうしてあんなに恐ろしい表情を向けてくるのか、わからない。
 何か理由があるなら、ここで吐き出してほしかった。
 それでも信哉は答えない。
「5ターンだ」
「何……?」
「オマエに残された時間はあと5ターンだ。その間に答えさせてみろよ」
 目の前にある闘いが全てだと言わんばかりに、狂気の笑みを鋭くするだけだ。
 守りたいものを守れるようになる。それを教えてくれたのは信哉だったはずなのに。
 闘いを避けることはできない。彰にある選択肢は、勝つか負けるかの二つだけだった。
「やって、やる……!」
 歯をくいしばって、手札のカードを掴む。
 プロミネンス・ドラゴンを召喚し、守備モンスターに攻撃する。その攻撃は通らなかった。
魂を削る死霊は戦闘では破壊されない」
 最終突撃命令は彰自身が大嵐で吹き飛ばしてしまった。よって、戦闘ダメージも与えることができない。
「ターンエンドだ。エンドフェイズにプロミネンス・ドラゴンのダメージは受けてもらう!」

館柳 信哉LP7300
モンスターゾーン魂を削る死霊
魔法・罠ゾーン何もなし
手札5枚
日生 彰LP7500
モンスターゾーンプロミネンス・ドラゴン
魔法・罠ゾーン何もなし
手札2枚

「俺のターン、ドロー」
 デュエルディスクの音声をオフにして、信哉のターンが始まる。
 信哉がデュエルをすると聞いてから、信哉とデュエルしたいと思っていたのに、彰は今このデュエルが嫌だった。
ホルスの黒炎竜 LV4を召喚。魂を削る死霊の表示形式を変更。
 ホルスでプロミネンス・ドラゴンを攻撃。続いて魂を削る死霊で直接攻撃する。
 このカードが直接攻撃に成功した時、相手の手札をランダムに1枚捨てる」
 デュエルディスクの音声よりも淡々としていて、事務的だった。冷たく乾いた、それでいて黒い感情に塗れた視線で彰を射抜く。
 2枚あった手札の片方、ヴォルカニック・クイーンが捨てられ、場はガラ空き。良い状況でないのは確かだった。
「カードを2枚セット。エンドフェイズにホルスの黒炎竜をレベルアップする」
 ターン終了間際に言った信哉の一言が、ひどく冷たく感じられた。
「残り4ターン」

 死神の笑みと吼える鋼の竜が彰を威圧する。ドローを終えて、残された手札は2枚。攻めのための布石としては充分だが、張り付く不快感が手を鈍らせる。消えない疑念が直感を蝕んでいく。
 モンスターと伏せカードを1枚ずつセットして、彰はターンを終える。
 そのエンドフェイズに、残り4ターンの宣言の正体が明らかになった。
 星のない闇夜がざわめく。死を告げるため、銀の死神が交霊盤から飛び出してくる。

館柳 信哉LP7300
モンスターゾーン魂を削る死霊
ホルスの黒炎竜 LV6
魔法・罠ゾーンウィジャ盤
死のメッセージ「E」
伏せカード×1
手札3枚
日生 彰LP7100
モンスターゾーン伏せモンスター×1
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札0枚

 信哉のターン。ホルスの黒炎竜による攻撃が飛んでくるが、彰のモンスターはUFOタートル。
 彰は一か八かで一つの可能性に賭けることにした。このまま守備表示でしのぎ続けても、ウィジャ盤で勝負を決められてしまうからだ。
炎を支配する者を特殊召喚!」
 エンドフェイズにホルスの黒炎竜が、抗いがたいほど強力な形態へと進化する。時間さえ稼げれば、対抗する手段はある。
 だから、ウィジャ盤を何としてでも除去しなければならない。炎を支配する者はその布石だ。
 そして、彰のターンが来る。あのカードが引ければ、逆転は充分に可能だ。
「ドロー!」
 来た、と思った。このヘルフレイムエンペラーを召喚すれば、ウィジャ盤と一緒に伏せカードも除去できる。
「……え?」
 召喚しようと思った時、ヘルフレイムエンペラーは彰の手札にはいなかった。破壊されて墓地に送られていた。
死のデッキ破壊ウイルスだ」
 彰は手札をすべて失い、場には伏せカードが1枚残されたのみとなった。
 何も行動を起こせない。このままでは、ウィジャ盤の完成を待たずともホルスの黒炎竜で殴り倒されてしまう。
「ターン、エンド……」

館柳 信哉LP7300
モンスターゾーンホルスの黒炎竜 LV8
魔法・罠ゾーンウィジャ盤
死のメッセージ「E」「A」
手札3枚
日生 彰LP7100
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札0枚
ウイルスカウンタ0→1

 だが、信哉は攻撃してこなかった。カードを1枚伏せただけでターンを終了してしまった。
 伏せカードを警戒しているのかとも思ったが、裏守備表示のUFOタートルを攻撃する時は全くためらっていなかった。
 要するに、あくまでウィジャ盤による勝利を狙うということなのだろう。
 獲物をいたぶることに生き甲斐を感じ、愉悦に浸る残虐で恐ろしい笑みが彰の戦意を砕こうとする。
「俺の、ターン。ドローしたのは大木炭18。守備表示でセットして、ターン終了だ……」

館柳 信哉LP7300
モンスターゾーンホルスの黒炎竜 LV8
魔法・罠ゾーンウィジャ盤
死のメッセージ「E」「A」「T」
伏せカード×1
手札4枚
日生 彰LP7100
モンスターゾーン伏せモンスター×1(大木炭18)
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札0枚
ウイルスカウンタ1→2

「ドロー。ターンエンド」
 信哉は攻撃を仕掛けてこないまま、彰のターンが回ってきた。
 このターンに何もできなければ、ウィジャ盤が完成して彰の敗北が確定する。あの伏せカードは十中八九、ウィジャ盤の完成を邪魔しないフリーチェーンの罠だろう。
 このターンの引きが、勝負を決定づける。死のデッキ破壊ウイルスによって、攻撃力1500以上のモンスターをドローした場合は即座に破壊されてしまう。魔法カードはホルスの黒炎竜に妨害されてしまう。
 それでも、引かなければならない。そうしなければ、答えが得られない。覚悟を決めて、可能性の1枚を手にする。
「俺のターン、ドロー!」
 頼れるカードだった。モンスターではないから、破壊もされないし、魔法でもないから、発動も阻害されない。
「俺がドローしたのは強制脱出装置だ。このカードを伏せて」
 何もせずに終わる彰ではない。
「罠カード発動! 砂塵の大竜巻! 対象はウィジャ盤だ!」
 ソリッド・ヴィジョンが風を起こし、竜巻となって信哉の前にある交霊盤のカードへと向かう。
 ウィジャ盤と死のメッセージカードは、どれか一つでもフィールドから離れた場合、全てが墓地に送られてしまう。
 死のメッセージカードはデッキに投入しすぎると手札事故の元になる。それらをまとめて墓地に放り込んでやれば、ウィジャ盤による勝利は狙えなくなると言っても過言ではない。
 そして、彰が伏せたのは強制脱出装置。これでホルスの黒炎竜を手札に戻せば、そのカードは召喚制限上、腐ることになる。
 逆転の一手だ。星のない闇夜にギラつく銀の死神に向かって、竜巻が突き進む。
 破壊の炸裂音が響いて、複数のカードが墓地に置かれた。






















 ターンを終了した時、彰は膝をついた。一瞬だけ、呼吸が止まった。
「う、あッ……!」
 冷たい笑みで彰を見下ろすのは、敗北を宣告する天使。その後発動された強欲な瓶と、死を宣告する5体の死神。
 デュエルディスクを操作していた信哉が、闇の中で闇より深く嗤いながら、短く告げた。
 残酷に冷酷に、宣告した。
試合終了(ゲームセット)だ」
 十海や三田を襲ったのはこの苦痛だったのだろう。彰はデュエルが終わった途端、足の力が抜けてしまった。
 心臓の鼓動が不快に加速した。額から汗がにじみ出る。息が苦しい。
 不快な熱が全身を蝕む。胸を食い破って熱の塊が出てくるようだった。
 あの時、十海を助けるために地下で戦った時と同じような感覚。自分の内側から、無理やり何かを引きずり出されるような……。
「タテ、ヤン……!」
 それでも耐えた。胸を乱暴に抑え、激痛を押し込めて、優しかったはずの背中に問いかける。
「何、で……ッ!」
 耐え切れずに世界が暗転する。今度こそ、完全に夜が落ちてくる。明けない夜の絶望に包まれていく。
 暗闇の世界の中にあったわずかな光すらも、闇に蝕まれていく。
 消えていく意識の中で、信哉の声を聞いた。

「どれだけ薄汚れてもかまわない。取り戻したいものがある。テメェにゃわからねェよ」
























 ――嘘だ、あり得ない。どうして、こんなことになったのか。
 倒れる少年を背に、会いたかった人が歩き出そうとする。一歩目を踏み出す前に、その腕を掴んだ。
 ――本当はそんなことしなければ良かったのに。いなかったものとして扱ってくれていたのに。
 弱い力。声を失った少女がすがるような目で信哉を見上げる。
 信哉も何も言わなかった。何も言わずに、ただ冷徹な視線で声無くその少女の心を粉々に砕いた。
 腕をつかんでいた手が完全に力を失って、少女は膝をついた。砕けた心の破片が瞳から流れ出した。
 声は出ない。その代わりに溢れるのは、不快な熱を帯びた雫。
 ただ一つの視線で全てが終わってしまった絶望。また二人で笑える日が来ると信じていたのに、その願いが消え去ってしまったという悲愴。
 闇の中に消えていく背中を見つめながら、それを追いかけることはできなかった。
 声を上げて泣く事は許されない。震える吐息と大粒の涙だけが、世界をにじませた。

 あの日、写真の中で無邪気に笑っていた二人は、高く硬く冷たく分厚い壁によって分かたれた。



10:閉ざされた光の道


 直射日光を避け、しかし体温を逃がさないようにして安静にさせる。そんな知識が咄嗟に出てきたのは、頭の中にいるそれのおかげだった。八年も眠っていたのだから、一音が持っている知識はたかが知れている。
 一音の頭の中には、一音以外の存在がいる。一音はその存在を疑問に思ったことはなかったし、その存在は一音にとても優しかった。
 今もこうして、一音が求める知識を与えてくれている。十海のことは好きではないらしいのだが、一音の意思は尊重してくれた。
 眠る十海の顔色は、徐々に良くなってきていた。一音は安堵した。
 同時に、今目の前で眠る少女が羨ましくもあった。彼女の上にかけられた赤い上着の持ち主に、強く思われている。
 二人はずっと、隣にいたのだ。誰かが眠っている間にも、一緒に歩いて、一緒に笑って、時には一緒に泣いたのだろう。
 それに引き換え、自分は名前すら思い出してもらえなかった。あの日と同じように手を引いて走ってみたけれども、彼の視線は自分には向かなかった。
 でもそれは仕方のないこと。あの時願ってしまった(・・・・・・・)自分の罪なのだから。
 自分の中の羨望と小さな嫉妬がおかしくて、一音は笑った。笑えるだけの余裕があることに気づいた。眠っている間に十分すぎるほど夢を見たからかもしれない。
 十海の頭を柔らかく撫でて、聞いてほしかった言葉を囁く。
「ただいま」
 それを言えることが幸せだった。たとえ答えが貰えなくとも、自分の想いを言葉にして発することができる。それだけでとても満たされた気持ちになった。
 すっと、立ち上がる。頭の中の声が危険を告げる。
 やってきたのはこの歪んだ世界の主。背の高い、白衣の男性。顔には深い彫りがあり、老眼鏡をかけていることから、すでに中年を超えて高齢であろうことがわかった。髪も白い。
「ふむ、ふむ。これはひどいね」
 大げさに腰を折り曲げて、顔を突き出すようにして十海を覗き込む。医師のようにも見えるが、その口ぶりは対岸の火事を見るようなものだった。
 あごに手を当てて何かを考え始めた。
「ふむ? ふむ。面白い。彼女はやはり面白い。鯉岸君は有能にも、うまくやってくれたようだ。流石は私の助手だ。やはり実験と観測はこうあるべきだな」
 この老博士が何を言っているのかわからないが、十海を助ける気が全くないことだけはわかった。一音は十海とその博士の間に割り込んだ。
「ふむ、ふむ。さて、さて。君がここにいるということは、やはり私の部下は有能だったということだ」
 博士は今度は一音の顔を覗き込んだ。一点の曇りもない嬉しそうな顔で、一音にはそれが逆に怖かった。
「ああ、ああ。済まないね。この年になると可視領域が狭くなってしまっていけないな。
 ふむ、ふむ。ところで君は、いつまでそれ(・・)を隠しているつもりかな?」
 白く長い眉毛の下の目は爛々と輝き、その瞳にすべてを見透かされているような錯覚さえ与えた。
 一音の中の白い存在が告げた。この男には『見えている』、と。
 一音の頭の中にいる存在は、デュエルモンスターズの精霊と呼ばれるらしい。詳しいことは説明されてもわからなかったが、普通の人間には見えない存在であるということは確かなようだった。
 目の前にいる、白衣を着た老人にはそれが見えている。つまり、普通の人間ではない。
 この歪んだ世界の主。頭の中の声はそう言った。この世界は大会が始まる前に説明を受けたような仮想世界ではなく、もっと歪んだ世界なのだと。
 そして、その主である白衣の男は子供のような純真すぎる瞳で一音を――正確には、一音の瞳を通して、一音の中にいる一音でない存在を――見つめていた。
この子(フェンリル)に何か用?」
 警戒心を露わに、一音は博士をまっすぐ睨みつけた。
 「ふむ、ふむ」と話し始める前の独特の口癖を発してから、博士はまた口を開いた。
「君は彼と対話することが可能なのだね? さて、さて。どうしたものか。
 親レグナ率がこれほどまでに高い個体は珍しい。そこで寝ている七山 十海と、ここにはいないが、日生 彰もそうだったかな。
 ふむ、ふむ。しかし君はその中でも特殊なのだよ。二酸化炭素と同じように絶えずレグナ素子を体外へ排出している。決闘盤(かそくき)をつければ理想的なレグナ製造機になれるだろう。
 もっとも、それだけで終わるには惜しいのも確かだ。精霊を宿しながら、崩壊を迎えない個体は本当に希少なのだよ」
 博士はデュエルディスクを装着し、あるボタンを押す。
 挑戦だった。一音には博士が何を言っているのかわからなかったが、口ぶりからするとこれから始まるのはただのデュエルではなさそうだった。
 それを裏付けるように空が暗くなる。そこにある他の存在から切り離され、日の光も木々もそれを揺らす風の音さえもかき消していく。
 地面さえも固形としてそこに存在するかどうか怪しい紫色の流動する模様を持ち、しかし二人はしっかりと立って対峙していた。
 一音もデッキをセットして、闘いの体勢に入る。頭の中の声には止められるが、ここで逃げだせば後ろで倒れている十海がどうなるかわからない。
「うむ、うむ。賢明な判断だ。君が聡明で助かるよ」
「その前に、約束して」
「ふむ、ふむ?」
 頭の中の声は早く逃げろと叫び続けているが、一音にはそれができなかった。
「とうみにはこれ以上手を出さないで」
 十海が苦しむのは嫌だ。十海は一音にとって大事な友達だから。十海が苦しむと、彰も苦しむから。
 老博士はまた「ふむ、ふむ」とうなった。一音の言葉を頭の中で咀嚼し、熟考しているようだった。
 一音は「これ以上」と言った。それを否定しないところを見ると、どうやら十海をこんな目に合わせたのは目の前の博士らしい。
「そうだね。君は大事な存在だ。この聖域と、私の崇高な計画にとってね。
 君を得られるなら、その他の要求は飲むことにしよう。
 彼女も貴重な親レグナ個体なのだが、君の望みとあらば仕方がない。
 約束しよう。君が望む限り、私は七山 十海には手を出さない」
 穏やかに、しかし相手を納得させるだけの強さを込めた声で、博士は言った。自身の勝利は確定していると言わんばかりだった。
































 拳に痛みが走った。殴りつけた木の幹がわずかに削れ、その反動を受けて骨が嫌な音を立てた。
 自分の手を汚すことに迷いはない。それで取り戻すことができるなら、安いものだ。
 けれど、汚れを知らないあの少年を裏切ってしまった。少年に、絶望にも近い負の感情を植え付けてしまったのではないか。
 改良前の(・・・・)『精霊抜き』と同じ。あの時、和沙が声を奪われたように、日生 彰も大切な何かを失ってしまうのではないか。
 そう考えると恐ろしかった。木を殴りつけでもしないと、拳の震えを止められそうになかった。
 和沙を守れなかった。声を失って絶望して、それを取り戻そうと必死でもがいたけれど、何の成果も挙げられなかった。
 東雲を守れなかった。土砂降りのあの日、追手の足止めを買って出た事か、それとも、アカデミアの地下で再会した時に彼を止めなかった事か。そのどちらがいけなかったのかは、今となってはわからない。
 彰は、どうだろう。守るどころか、傷つけてしまった。守りたいものの大切さにまだ気付いていなかった頃の自分と重なるあの少年に、失うことの絶望を教えてしまったかもしれない。教えるべきはそんなことではなかったはずなのに。
「テメェにゃ、わからねェよ。……わからねェほうが、ずっと良い」
 頭痛が止まらない。右の脳が痛い。手で乱暴にその痛みを抑えつける。そうでもしないと、情けないことに涙が出てきてしまいそうだった。
 呼吸の震えも止まらない。ゴーストシステムが完成するまで会わないと自分の中で制約を課していた少女を、誰よりも自分の近くにいた少女を、あんな目で睨みつけてしまった。
 辛い。苦しい。それでも、息を深く吐いて心を落ち着ける。まだ、やらねばならないことがある。なくしたものを、和沙の声を取り戻すためには。
 レグナ。今までの科学の常識を超えたそれを用いれば、戻るかもしれない。確信はない。わずかな可能性があるだけだ。
 それでも良い。少しでも可能性があるなら、自分の全てを投げ出してもそれに飛びつく覚悟がある。あるはずだった。
 和沙のためだと思っていた。完全にそうではなかった。また、彼女の声が聞きたかったのだ。もう一度あの声で、自分を呼んでほしかった。ここまで堕ちておきながら、まだ夢などと言う甘いものにすがっていた。失ってから気付く、吹けば飛ぶような、儚い夢。
 それはもう叶わない。生まれてきてここまで、あれほど冷たい目で誰かを睨んだことがあっただろうか。そんな視線をぶつけられて、それでも笑いかけてくれる人間などいない。たとえそうしてくれたとして、それに応える資格を、自分はあの目線で捨て去ってしまったのだ。
 歯が砕けるほど強くかみしめて、露と消えた願望を封じ込める。一度決めたことだ。ここまで来て、誓いを捨てることなどできるはずがない。
 ポケットに入れていた腕時計を確認して、小さく、息を吐いて嗤った。
「遅ェよ。二分遅刻だ」
 木陰から現れた人物から約束のモノを受け取って、必要な情報を渡してから信哉は再び歩き出した。
































『私はT。レグナ計画の犠牲者の一人にして、計画の真実を知る者だ』
 お前は何者だ、と聞くと、Tは必ずこう答えた。その正体を見破るための機会がやってきた。
 大会を終える時刻になって、Tが連絡を入れてきたのだ。Tは計画の崩壊のため、今このサンクチュアリ・ゼロの中にいるに違いない。
「この世界にいる被験者はすべて『精霊抜き』の処理を終えた。これで満足か?」
 通話に応じたのは藍川。隣には土井がいる。藍川は片手で土井に合図した。
 ここは、このサンクチュアリ・ゼロという世界を内部からコントロールする制御室の一つだ。中央制御室ほどではないが、大会参加者の出入りなど多くのことを管理できる。
 参加者一人一人に対し、デュエルディスクに音声によるアナウンスを行うのだ。時間差でアナウンスを行い、無線の声に紛れ込めば、その時にアナウンス命令を送信した対象がTの正体である。
 無線による連絡だから、人目につくような場所にはいないはずだ。他の参加者に送った音声がTの無線機に紛れ込むことはないだろう。
 できるだけ会話を引き伸ばさなければならない。
『まだだ。聖域の封鎖、レグナに関する全情報の破棄抹消、そして何より、天使を吊るし上げんとする愚か者に罰を与えなければならない』
 声が少し震えていると思った途端、通話が切れて、Tの声はそれきり聞こえなくなった。参加者のすべてにアナウンスを行うには時間が足りなさすぎた。参加者は合計で五十人近く。その中からレグナの被験者を除いても三十人。
 Tも油断はしないということらしい。自分の正体を徹底的に隠そうとしている。
「くっ、またか……。何人くらい絞れた?」
「せいぜい候補が二、三人減った程度ね。現実的な進歩とは言えないわ」
 アナウンスを送ることはやめない。この世界が限界を迎える前にすべての参加者を退避させなければならないからだ。
 このサンクチュアリ・ゼロは、厳密にいえば仮想現実世界とは異なる。博士曰く仮想的な空間であることは間違いないらしいのだが、この世界は機械で意識だけに見せる、見せかけの世界ではないのだ。
 特殊な工程で生成され、特殊な法則に従う以外は、元の世界と何ら変わらない。だから肉まんを持ちこんで食べることもできるし、走れば息も切れる。電波を用いた無線によるやりとりも、元の世界と同じように可能である。
 五十人もの決闘者のための機器を狭い体育館に並べることなど不可能だ。だから、参加者には順番に(・・・)この世界に来てもらった。
 わざわざ個室にしたのは、他の参加者の状況を見ることができないようにするためだ。元々の世界から姿を消すところを見られてしまうわけにはいかない。
 大会の終了時は、参加者を再び順番に元の世界に戻せばいい。そのための制御室だ。
 土井は黙々とその作業を進めた。こんな複雑な方法で大会を開かねばならなかった理由は二つある。

 一つは、Tと名乗る声の脅迫。Tの目的はレグナ計画の崩壊であり、そのためには可能な限り多くの被験者から計画の痕跡を取り除かねばならない。
 そのための装置が『精霊抜き』だ。かつて、一人の少女の脳に異常をきたし、その声を奪った装置でもある。現在では改良されてそのような事態は引き起こさなくなったが、人体に多大な負荷を強いる可能性を持つその装置を、元いた世界で何人にも使用するのは体面的に危険極まりない。
 そこで、『精霊抜き』によって体調を崩した場合はその責任を仮想現実世界を見せる――実際には異なる機構の――装置にかぶせてしまうのである。
 Tはこの大会でレグナ計画の被験者を救い、計画を崩壊させるつもりでいた。正体もつかめず、一方的に連絡を入れてくるだけの存在に抗う術はなかった。
 もし、Tの要求を断れば、レグナの存在が明るみに出てしまう。それはこれ以上ない危険だ。
 レグナフォース、別名デュエルエナジーは、使い方によっては凶悪犯罪に転用できる。さらに、生成のためには人体が必要不可欠で、採取するには人体に負荷をかけねばならない。
 血液とよく似ている。時間辺りの採取量が増えるに従って、意識障害が発生したり、最悪の場合は死に至ることもあった。(尤も、かつてプロフェッサー・コブラに渡したものからは改良されて、今のものでは死に至る前に自動で『ドレイン』がストップするのだが)
 採取のためにはデュエルモンスターズを中心とする特定の状況を作り出すことが必要で、人体への負荷を考えると一人の決闘者から安全に採取できる量は、実用するには微小すぎる。最悪、レグナ採取のためだけに人身が売買されてしまいかねないのだ。
 その存在が広まらないように各方面への緘口令を敷いて、必要とあらば口を封じてきた『サースター』にとって、Tの存在は脅威そのものである。

 もう一つの理由は、博士の存在だった。『サースター』の頂点に立つ科学者で、レグナ研究の第一人者(尤も、今となっては彼以外にレグナ研究者はいないのだが)である。
 このサンクチュアリ・ゼロという世界を拡張し、維持するには多量のレグナフォースを消耗する。
 これまでに蓄積してきたレグナフォースは博士の貴重な研究材料であり、実験材料でもある。それを浪費することにつながる今回の大会は、博士の意にそぐわないことになる。
 だから、四人一組でなければ参加できないという消極的な条件を設定したのだ。主催は土井の名の下に行われた。博士には、レグナフォースによる認識の歪曲の実験ということで了承を得ている。

 レグナ計画の被験者名簿に載っていて、現実的に大会への参加が不可能ではない人物には全員に招待状を送った。
 Tの要求はそれでもまだ満たされていない。『精霊抜き』によるこの世界にいる被験者全員からの痕跡の削除は満たされたはずだ。制御室のディスプレイに表示された参加者管理リストがそれを示している。
 Tはそれでいて尚、徹底的に計画を抹殺する気でいた。レグナに関する情報の抹消は博士がいる限り不可能だろう。まずは、その博士をどうにかしなければならないということらしい。
 この計画に以前から疑問を抱いていた土井と藍川にとっては絶好の機会であるはずだが、鯉岸にとっては違う。藍川や土井より以前に博士の助手として雇われた男らしい。博士の懐刀なのだ。
 今回の作戦が鯉岸に知られるわけにはいかなかった。
「参加者の転送作業には手間取ったが、そろそろ終わりそうか?」
「ええ、向こうでは添田君が忙しくしているでしょうね」
 鯉岸という男を敵に回さなければならないのは二人にとって憂鬱だった。『サースター』の四人の幹部の中で最も知略に優れ、常に博士の右腕として様々な仕事をこなしてきた男だ。
 その残忍さと狡猾さは危険の一言に尽きる。こんな組織でもなければ雇われることなどなかっただろう。レグナフォースに関する装置の情報が漏洩するのを防ぐために、プロフェッサー・コブラを始末したのも鯉岸だ。
「忙しくしてンじゃねェですか。作業は捗ってますかイ?」
 いつものひょうきんなガラガラ声ではなかったが、口調でそれが誰だかわかった。今の鯉岸は姿や声が、周囲から認識されうるあらゆる角度から遊城 十代のものになっている。
「その悪趣味な変装を解いたらどうだ」
「おっといけねェ、あんまりレグナフォースを浪費してると博士にドヤされちまいますね」
 デュエルディスクの最下部にある、Lの文字の隣のスロットから一枚のカードを抜き取る。鯉岸は元の、痩せた小柄な男の姿に戻った。
 認識の歪曲。それがレグナフォースの持つ、これまでの科学の常識を超えた力だ。
 鯉岸が遊城 十代の姿になれたのも、声までそっくりにマネできたのも、実験によって体内に取り込んだレグナフォースの補助があってこそのものである。
 瀧口 大音(おおね)の追跡を振り切った時もそうだ。藍川が運転していた車の代わりに、元々の車のない風景の姿を投影し、認識させた。
 簡単に言えば、透明になった。発信機の電波さえも、透明にした。大音が追っていた車に対する認識を捻じ曲げて、そこに何もないかのように認識させたのだ。
 レグナフォースは、周囲からの認識を、認識される側が操れる恐ろしい力なのである。
 とは言っても、限界はある。認識される側が知っているモノ以外、相手には認識させることができない。
 鯉岸はデュエルアカデミアで用務員として遊城 十代を監視していたから、その姿や声をコピーすることができた。
 それからもう一つ制限がある。認識が強く固定されたものは、捻じ曲げることができない。
 先ほど藍川が遊城 十代の姿をした鯉岸の正体を見破ったのはそのためだ。
 藍川は『この制御室の場所を知っている人間が『サースター』外部にはいない』ということを知っているし、先ほどの口調が鯉岸のものであったこともよく知っている。
 強く固定された認識は捻じ曲がった認識に違和感を抱かせ、その正体を見破ることができるのだ。
「まあ、一番の浪費はこの大会なンですがねェ」
 鯉岸の鋭い視線が藍川と土井を交互に貫いた。
「これはレグナフォースによる聖域実験だ。認識の歪曲の範囲を拡大することで作り出した仮想的空間における多人数の収容……だったか? とにかく、博士の了承は得ている」
 認識の歪曲を拡張すると、外から認識されない仮想的な空間を作り出すことができる。
 藍川も詳しいことはわかっていないのだが、この世界は外の世界から見ようとした時、座標は持つものの外延を持たないため、結果として認識されないのだという。
 この空間の維持そのものは『サースター』のアジトとして長らく行ってきたことなので問題はないのだが、レグナフォースの余分な消耗となり得るのは必要以上の人間の収容という点だ。
 外部から特殊な手段でこの世界に入り込むことはできるのだが、この世界の内部にいる人間が多ければ多いほど、レグナフォースの消耗量は増えてしまう。
 これが、この大会がレグナフォースの浪費になる理由だ。
「だと良いンですがねェ」
 含みのある言い方だった。鯉岸の目が細まる。
「何が言いたい?」
「その損失分をここで返してもらうッてこッてす」
 デュエルディスクの挑戦ボタンが押された。藍川は身構えた。まさか、鯉岸にはもう土井と藍川の裏切りに気付かれてしまったのか。そうである可能性が生まれてしまった以上、戦いは避けられない。
「私が時間を稼ぐ。土井はその間にこの男を()へ放り出せ」
 このサンクチュアリ・ゼロから外に追い出されれば、しばらくは戻ってこれない。制御室から幹部の権限を行使すれば、鯉岸を追い出すことができる。予期せぬ電撃作戦になるが、いたしかたない。
「ところがそうはいかねェンだなァ?」
「……! どうして!」
 制御装置が反応しない。すべての操作に対して、何のレスポンスも返してこない。
 黒いジャンパーとジーンズに、水色のマフラーをした青年が鯉岸と同じようにデュエルディスクを構えていた。その視線の先にいるのは土井だ。
「中央制御室で権限(パーミッション)をいじっただけだ。別に壊れちゃいねェから心配すンなッて」
 デュエルが始まる。負けたほうが『ドレイン』によってレグナフォースを抜かれ、動きを封じられたその隙にサンクチュアリ・ゼロの外に追い出される。

「館柳君……裏切った(・・・・)のね」
 土井が怒りを露わに信哉を睨みつける。信哉も土井達とともに『精霊抜き』を被験者達に使う役目を買って出てくれていたはずなのに、ここに来て裏切ったのか。
「おいおい、テメェを棚に上げンなよ。四人の幹部のうち三人が計画を裏切っちまうなンざ、あのドクターも人望がねェよなァ?」
 対して、信哉はクツクツと可笑しそうに笑う。
「計画に加担すれば、和沙さんと同じ犠牲者をこれ以上増やすことになるのよ」
 和沙は二年前に『精霊抜き』の負荷を受けて声を失った。『精霊抜き』はレグナ計画の痕跡を人体から削除するために開発された装置だ。
 現在、『精霊抜き』がそれほどの副作用を及ぼさないようなものに改良されていることは、土井が既に伝えているし、彼も実際にそれを使った。
 信哉にとって、今憎むべきものは、レグナ計画そのものであるはずだ。そもそも、計画がなければ和沙のような犠牲者は生まれなかった。
 これ以上未完成な『精霊抜き』による被害者は増えないだろうが、『ドレイン』が無知な人間達の間にまで広まってしまえば、同じことを繰り返す可能性は十分に考えられる。
 だからこそ、信哉も計画をつぶす藍川達の作戦に乗ってきたというのに、協力したように見せかけていたのは、別の目的があったというのか。
「それで?」
「それで、って……」
 信哉の問いに、土井は言葉を詰まらせる。信哉の行動原理は二年前の事件への憎しみだと思い込んでいたからだ。
 信哉の言葉に迷いはなかった。歪んだ自分を受け入れた上で、それを貫くと力強く宣言した。
「それでアイツの声が戻るなら、俺は迷わずその方法を選ぶ。俺は渇望(・・)してきたからな」












「モンスターをセット。リバースカードを2枚セットしてターン終了ですぜ」
 歪んだ笑顔の鯉岸を、藍川は忌々しげに睨みつけた。
「レグナの力で館柳 信哉を丸めこんだか……。このクズめ」
 レグナフォースはこれまでの科学の常識を超えた力である。見方によっては、あらゆるものを自在に操ることができると言っても過言ではない。
 歪んだ認識が全ての存在に受け入れられれば、それは現実になってしまう。つまり、失った和沙の声が取り戻されたと、周りのすべてに認識させれば、和沙の声は戻ったことになってしまう。
 この考えには決定的な穴があるのだが、それを鯉岸が説明しなかった可能性が高い。
 失ったものを取り戻そうとする者の執念はすさまじい。それは、これまで『サースター』が利用してきた東雲もそうだったし、瀧口 直音もそうだった。
 その執念に付け込んで、鯉岸は信哉をペテンにかけたのだろう。藍川はそう結論づけた。
「あァ? 勘違いしてもらッちャ困りますねェ。そいつぁ自ら計画に乗ってきたンです。アンタ方がそいつを引き込んですぐに、ね」
 クククという乾いた笑い声が藍川の神経を逆なでした。
 この男の言葉はどこからどこまでが真実なのかわからない。信用ならない男だ。
「良いだろう。もとより私が信じているのは光の道だけだ。私は貴様を倒し、計画を止めてみせる。私のターンだ」
 ドローを終えて、藍川の場にモンスターが召喚される。
 青いキャタピラー台に乗った赤い胴体の機械が、その眼光で鯉岸を睨みつけた。
カードガンナーの効果を発動する。デッキから3枚のカードを墓地に送り、攻撃力を1500ポイントアップさせる。
 墓地に送られたライトロード・ビースト ウォルフの効果を発動! 場に特殊召喚する!」
 決闘盤の墓地から白い光があふれ、藍川の前に収束していく。
 やがて光がはじけ、その中から斧を担いだ狼の頭を持つ戦士が
「……何!?」
 現れなかった。光は弾ける前に鯉岸の場に存在する一枚のカードに吸い込まれていく。
閃光を吸い込むマジック・ミラー。クハハッ、これでライトロードはタダの紙切れ同然ですぜ!」
 閃光を吸い込むマジック・ミラーは、フィールドと墓地で発動する光属性モンスターの効果を無効にする。
 藍川のデッキはライトロード。ライトロードモンスターはすべて光属性のモンスターで構成されている。
 ライトロードの効果のほぼ全てが、フィールドと墓地で発動する効果である。
 閃光を吸い込むマジック・ミラーは、藍川のデッキに確実に刺さる一枚だ。マストカウンターと言っても過言ではないそのカードを見て、藍川は何もできなかった。
 ライトロードはデッキの性質上、モンスターカードの割合が多くなる。魔法・罠カードを除去することもモンスターの効果に頼っている。
 その効果が封じられれば、相手の場のカードを除去できるカードはデッキにわずかしかない。藍川の手札にはそれがなかった。
「く、カードガンナーで守備モンスターに攻撃する!」
暗黒界の斥候 スカーの効果! デッキからレベル4以下の暗黒界モンスターを手札に加える!」
 暗黒界の狂王 ブロンが鯉岸の手札に加わる。強力な暗黒界のコンボの始動とも言えるカードで、低級ながらアタッカーとしても優秀な攻撃力を持つ。
「カードを1枚セットしてターン終了だ」

鯉岸LP8000
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーン閃光を吸い込むマジック・ミラー
伏せカード×1
手札4枚
藍川LP8000
モンスターゾーンカードガンナー
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札4枚
墓地3枚
墓地のライトロードウォルフ、ルミナス

 鯉岸はやはりそのブロンを召喚してきた。
「魔法カードおとり人形! 裏側表示のカードを選択! そのカードが罠だった場合、強制発動させる!」
「伏せていたのは閃光のイリュージョンだ。ライトロード・ビースト ウォルフを特殊召喚する!」
 光属性のモンスターの効果は無効にされても、罠カードの効果までは無効にされない。
 まだ藍川にもモンスターを展開し、攻めることはできるのだ。
「ブロンでカードガンナーを攻撃!」
 暗黒の狂王がカードガンナーを破壊し、藍川にダメージを与える。
「カードガンナーの効果発動! このカードが破壊され墓地に送られた時、カードを1枚ドローする!」
 カードガンナーは地属性である。したがって、マジックミラーによって効果を無効化されない。
 次の瞬間、藍川は目を見開いた。藍川の場に、小柄で狡猾な悪魔が現れ、すでに効果を発動していたからだ。その悪魔のせいで、藍川の意思と関係なく、鯉岸の手札から1枚捨てる効果が発動する。
暗黒界の狩人 ブラウの効果! 相手のカードの効果で捨てられた時、デッキからカードを2枚ドローする!」
 鯉岸のターンはまだ終わらない。
洗脳−ブレインコントロール! セルリを返してもらいやすぜ」
 そして次の瞬間、その小柄な悪魔ははじけ、飛び散った悪玉の細胞が藍川の場と手札を侵食した。
 場にいたウォルフ、手札にいたグラゴニスケルビムジェイン、そして切り札たる裁きの龍(ジャッジメント・ドラグーン)までもがことごとく破壊され、墓地に送られる。
死のデッキ破壊ウイルス……ッ」
 場と手札を荒らしまわり、そしてピーピング効果さえ持つ凶悪なカードだ。
 藍川の手札に残った最後の1枚の情報が、鯉岸にも筒抜けになる。ライトロード・ハンター ライコウだ。
 リバースすれば場のカードを1枚破壊し、デッキからカードを3枚墓地に送るという、ライトロードデッキでは強力なカードの1枚だが、マジックミラーがある今、その効果は無効にされてしまう。
「私のターン、ドロー」
 藍川がドローしたのはライトロード・マジシャン ライラ。攻撃表示のこのカードを守備表示にすることで相手の場の魔法・罠カードを1枚破壊する強力な効果を持つが、攻撃力は1500以上であり、死のデッキ破壊ウイルスによって破壊されてしまう。
 結果として、藍川は手札に残ったライコウを守備表示でセットすることしかできない。

鯉岸LP7200
モンスターゾーン暗黒界の狂王 ブロン
魔法・罠ゾーン閃光を吸い込むマジック・ミラー
手札2枚
藍川LP8000
モンスターゾーン伏せモンスター×1(ライトロード・ハンター ライコウ)
魔法・罠ゾーン何もなし
手札0枚
墓地9枚
墓地のライトロードウォルフ、ルミナス、グラゴニス、ジェイン、ケルビム、ライラ
ウイルスカウンタ1

 ブロンがライコウを破壊し、その効果がマジックミラーに吸い込まれて無効になる。
 鯉岸の場に伏せモンスターと伏せカードが1枚ずつ置かれ、藍川のターンになる。
 ここでキーカードを引けなければ、勝利の可能性は限りなく小さくなる。
 だが
「私の引いたカードは、死者蘇生! 蘇れ、ライトロード・ドラゴン グラゴニス!」
 ライトロード・ドラゴン グラゴニス。ライトロードモンスターの中で数少ない上級モンスターであり、その効果により攻撃力は切り札の裁きの龍をも上回ることもある。
 現在、藍川の墓地に存在するライトロードはグラゴニスを除いて5種。グラゴニスの攻撃力は1500ポイントアップし、3500となる。
 閃光を吸い込むマジックミラーの効果では、永続効果を無効にすることはできない。グラゴニスさえ場に特殊召喚できれば、藍川にも逆転の可能性はあるのだ。
 しかし、そうはならなかった。
「ヒャハハハ! アイちゃん。残念ながら、その光の道は聖域には通じないンですよ」
 鯉岸は、目頭を押さえて上を向いて甲高い声で嗤った。
闇の取引ィ! ライフを1000ポイント支払い、死者蘇生の効果を俺の手札からランダムに1枚捨てる効果に変える!
 ランダムだが俺の手札は1枚。闇より出でし絶望ォオオッ!」
 手札をすべて失い、場にもカードを残せなかった藍川の手が、震えた。

鯉岸LP6200
モンスターゾーン暗黒界の狂王 ブロン
闇より出でし絶望
伏せモンスター×1
魔法・罠ゾーン閃光を吸い込むマジック・ミラー
手札0枚
藍川LP8000
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーン何もなし
手札0枚
墓地11枚
墓地のライトロードウォルフ、ルミナス、グラゴニス、ジェイン、ケルビム、ライラ、ライコウ
ウイルスカウンタ2

「俺のターン、ドロー! ククッ、ハハハハハッ」
 ドローした魔法カードを見せて、しかし鯉岸は発動せずに伏せた。
 次の瞬間、その理由が明らかになった。鯉岸が伏せていたモンスターをリバースしたのだ。
メタモルポット! 互いに5枚ドロー! 死のデッキ破壊ウイルスの効果はまだ続いてますぜ!」
 反転召喚された壺の化け物の暗黒から、お互いにドローした5枚のカードが吐き出される。
 藍川には死のデッキ破壊ウイルスの効果が持続しており、ドローしたカードのうち攻撃力が1500以上のモンスターが全て破壊される。
 ライトロードモンスターは攻撃力の高いモンスターが多く、そのほとんどが死のデッキ破壊ウイルスの効果で破壊されてしまう。
 藍川がドローしたのは創世の預言者ライトロード・ウォリアー ガロス死者転生ソーラー・エクスチェンジライトロード・プリースト ジェニスだ。
 かろうじて残ったモンスターはジェニスのみ。他には死者転生とソーラーエクスチェンジが残されている。
 死者転生で裁きの龍を墓地から手札に呼び戻せば、圧倒的なリセット効果で場を制圧することができる。藍川にも勝利の可能性が生まれる。
 しかし、藍川はその可能性をすでに諦めていた。それは、鯉岸が先ほど伏せたカードによる。
テフダマッサツゥウウウ!」
 これ以上ないくらい愉しそうに、そのカードの発動を叫んだ。藍川はすべての手札を捨て、再び3枚のカードをドローする。
 大寒波、おろかな埋葬、裁きの龍。切り札の裁きの龍は、ウイルスの効果で破壊され、2枚のカードが残る。
 藍川の勝利の可能性は、消えた。
シルバ! ゴルド! やッちまえ!」
 手札抹殺の効果で捨てられ、特殊召喚された金と銀の悪魔。狂王と絶望の象徴の攻撃で、闘いは暗黒の内に幕を下ろす。
 光の道を進むことを決めた女性は、暗黒に包まれて意識を失い、倒れた。
 彼女と行動を共にしていた女医も、死神の前に破れ、同じように『ドレイン』を受けて倒れる。














 聖域から多くの決闘者が姿を消した。残されたのはその世界の主とその右腕、すべてを取り戻したいと願い、魂を売った死神、壊れた乙女の呪いと、八年間眠り続けていた少女だけになった。




11:役者の足音


「どっこ行っちゃったかなぁ……」
 相田 たのかはサーシャとのデュエルを終えて、すぐに一音がいないことに気がついた。
 一音はちょっと考えていることがわからないところがあって、それを表現する術もあまり知らないのだろう。
 だから、こうして黙って消えてしまうことがある。勿論、後でひょっこり現れるのが常なのだが、今回ばかりはすぐに現れてほしい。
 しばらく森を歩いて、目的地の塔がだんだん近づいているような気がするのだが、一音は見つからない。
 決勝で戦うためには全員が揃って目的地にたどり着かなければならない。一音の方向感覚を疑うわけではないが、一緒に行動したほうが良いのは確かだ。
 塔を見上げて、ため息をついた。なんて高い塔だろう。頂上が見えない。頂上が見えないので、仰角から自分と塔との距離感がつかめない。
 しかし立ち止っているわけにはいかない。一音を探すために辺りを見回して、その瞬間にデュエルディスクが音声を発した。
『機器の稼働時間の都合上、デュエルモンスターズの大会を終了します。その場でしばらくお待ちください』
「えっ、うえっ!? 終わり!? 何この消化不良不完全燃焼感! お尻から有毒ガス出ちゃうんだけど!」
 どれだけ文句を言っても、決定が覆されることはない。たのかは肩を落として、指示に従うことにした。
 デュエルディスクの特殊カードゾーンなる部分から参加カードを抜き取ってしばらく待機していると、目の前の風景がだんだん歪んできた。
 そこからある一点に現れた暗い淵に吸い込まれるように、景色が引き延ばされていく。目を開けて見ていると頭が痛くなりそうな光景だった。
 耐えきれなくなって目を閉じて、一瞬の浮遊感。インフルエンザにかかった時のように思考にノイズが入る時間が終わって、急に頭の中が軽くなった。
「お、おー……技術の進歩ってのはおっかないね」
 長い夢から覚めたような感覚だった。たのかは椅子に座っていた。大会に始まる前に入った個室のようだ。
 起き上がっても立ちくらみのような感覚はなかった。長い間同じ姿勢で座っていたのなら、もうちょっと立ち上がった時の清々しさがあっても良いと思うのだが。
 少しだけ不自然だったが、気にしないことにした。だいたいこういう事柄は科学の進歩という便利な五文字の言葉で片付けられてしまう。
 悔しいが古典的名推理の入り込む余地はないのだ。小さな鍵をドアについた錠に差し込んであける。
 考えてみれば、内側から施錠するのに鍵を必要とする部屋というのはとても珍しい。わざわざそうした理由も、科学の進歩なんて言葉で説明できてしまうのだろうか。
 そんなことを考えながら外に出ると、すでにスタッフが幸介を案内して暗幕の外に追い出しているのが見えた。
 そのスタッフはたのかにもすぐ気付いたようで、急いで駆け寄ってきた。丁寧すぎるほど丁寧に暗幕の外まで案内された。
 暗幕の外は、大会が始まった時と同じ体育館が広がっていた。もう日が落ちていて外は暗く、白い照明が少しまぶしく感じた。
 すでに参加者は帰り始めているらしい。スタッフから受けた説明によれば、各チームの得点は現在集計中とのことで、結果は後日ウェブサイトで告知するとのことだった。
 その場で結果がわからないのはどうにも釈然としないのだが、そういう仕組みになっているなら仕方がない。料理長に戦績でも聞こうと振り向きかけたところで、たのかは一瞬言葉を失った。
 視界に入ってきたのは暗幕から出てくるロングスカートの少女。この大会に誘ってくれた少女で、それだけならたのかはここまで動揺しなかっただろう。
「カズサ! どうしたの!?」
 泣きはらした和沙の目は赤い。駆け寄ったたのかは、声を上げることなく泣き続ける少女を見て、何かが起こったことを知った。


















 ワックスでテカテカになった、まるでイガグリのようなトゲトゲ頭の青年が忙しくあちこちに指示を飛ばしながら歩きまわる。
 ここは角下の総合体育館。デュエルモンスターズの大会が行われていた場所で、その大会は機器の稼働時間が限界に達したという名目で決勝が行われることなく終了した。
 向こう側(・・・・)の世界から戻ってくる参加者を誘導し、体育館から帰っていただくために、彼とスタッフ一同は慌ただしくしているのだ。
 この大会の参加者は五十人程度。しかし、五十人分もの機器をこの体育館に設置できるほどの資金は、主催側にはない。外部からはそれがわからないように暗幕で機器を隠している。暗幕の内側にも更に暗幕があり、一チーム分ごとに区切られているために参加者に気付かれる心配もない。
 個室ごとについている小さな鍵はダミーロックだ。参加者に、「全ての参加者に対して個室が割り当てられている」と思いこませるためのものである。
 人工現実感機構というのが表向きだったが、実際には意識だけでなく肉体も(正確には空間ごと一定範囲内にあるもの全て)を異なる世界へと送る、まったく異なったシステムだ。
 人数分の機器は存在しない。したがって、参加者は順番に(・・・)元の世界に戻ってくる。
 誘導が終われば機器が使用可能であるというサインを向こうの世界の制御室に特殊な信号として送り、次の参加者が戻ってくる、というわけである。
 小さい子供を迎えに来る親御さんはそう多くないが、もしいらした場合は機器の見えないような場所でお待ちいただく。
 その親御さん達の中に、彼は見たくない人を見つけた。見つけてしまった。
 薄手で半そでの白いTシャツ一枚とジーンズという真冬の季節にそぐわない姿で、一本に纏めた髪は無造作とはいえ、汚らしさを感じさせない。細い腕や指先、整った顔立ちは可憐だと言っても差し支えないくらいの美貌を持っている。
 周囲と比べて明らかに浮いているのは、彼女が口に緑色の細長い何か――おそらくは植物の茎――をくわえていることだろう。
(たっ、瀧口 大音!? 何でこんなタイミングに来るんや……!)
 彼、添田(そいだ)は『セイバー』と対立する組織、『サースター』に所属している。この大会を主催したのも『サースター』で、理由は諸々だが『セイバー』に知られて良いものではない。
 『セイバー』の現在の総帥である瀧口 大音は、『サースター』にとって最も危険とされる人物だ。館柳 信哉への接触然り、瀧口 一音の確保然り、今までも数々の計画を妨害されてきた。
 特に後者、瀧口 一音の確保作戦の際は、あの藍川に――人道的見地からレグナフォースの使用を可能な限り抑えてきたあの藍川に――レグナフォースの使用を決断させるまでに追い詰めたのだ。
 自分より数段上手の藍川を追い詰めた存在を相手にするというのは、まだ若い添田にとっては相当なプレッシャーだった。
(お、落ち着け、落ち着くんや添田。お前は冷静、お前は沈着、お前は賢い選択のできる子や……!)
 幸い、もうすぐ参加者全員の退避が終わる。最後に鯉岸が送られてくるはずだから、それを(勿論、部外者には見えないような場所で)縄でぐるぐる巻きにしてしまえば良い。それまで大音に何も気付かれなければそれで良い。
 それができれば、少なくとも、藍川達の作戦――レグナ計画の崩壊――が遂行されるまでの時間は稼げるだろう。
 その後の対外工作は藍川がしっかりとうまくやってくれるはずだ。今は、無用な混乱を避けて隠密に事を進めよう。
『デュエルモンスターズの大会は、ただいまを以て終了しました。
 体育館内にとどまらず、外へ出ていただくようお願い申し上げます』
 機器の後片付け、という名目である。機器のみならず、その他もろもろの後始末もしなければならない。
 鯉岸を縛り付けたり、『精霊抜き』の影響で意識を失った参加者を休ませたりしなければならない。
 あれこれ考えている隙に、添田は自分が恐ろしい状況に置かれていることに気がついた。
(な、なあちょっと待って? 何で瀧口 大音がいつの間にか目の前におるん?)
「なあそこのスタッフさん。うちの子がまだ戻って来ないんだが」
 大音の口調は普段と何も変わらない、ただ純粋に質問しているだけのものである。それでも添田にとっては、詰問されているように聞こえてしまって恐ろしい。
 添田は腕に黄色い腕章をしている。表向きは大会スタッフの、チーフということになっている。質問を受けること自体は何もおかしくない。
 不自然に深呼吸して心を落ち着けようと試みてから、
「あ、あれぇー? おかしいですねー! もう帰ってしまったんとちゃいますー?」
 傍から見ればお前がおかしいですねと言われかねないほどの元気な棒読みで、添田は大音に答えた。
 大音は納得できない様子で
「そんなはずないんだけどなぁ」
 と首をかしげている。
「じゃ、じゃあお仕事中なんで、失礼しますー」
 貼り付けたような営業スマイルで、添田は大音に背を向けた。うまくやり過ごしたと思った次の瞬間、その顔が凍りついた。
 ポン、と肩に手を置かれたのだ。後ろにいる、瀧口 大音に。
(あああアカン! アカンって! 嫌な汗出てきてもうたやないかッ!)
 添田は基本的に『サースター』の裏方としての仕事を任されることが多く、『セイバー』の面々にも顔を見られてはいない。
 それでも、『サースター』である以上、『セイバー』の総帥である瀧口 大音との接触は可能な限り避けたかった。藍川の話によれば、大音が相当な切れ者であるらしいからでもある。
「な、なんでしょ……?」
「迷子のお知らせ、頼む!」
 添田のビリビリにひきつったそれとは正反対の、屈託ない笑顔で言われた。
「か、確認しますんで少々お待ちを……」
「今すぐにだ」
 迷子のお知らせが必要なのは一人ではなかった。日生 彰、七山 十海、瀧口 一音の三人らしい。
(あぁ、レグナ被験者ばっかやないけ……)
 レグナ被験者には、向こうの世界で『精霊抜き』がかけられているはずだ。つまり、その影響で意識を失ってしまっている可能性がある。
 回復までは短くとも三十分はかかるから、気絶したまま転送されてきている可能性がある。休ませるスペースも暗幕で仕切ってあり、可能ならば外部の人間には見せたくない場所だ。
 憂鬱だが、断れる雰囲気ではない。いざとなれば機器の不具合がどうのと言って誤魔化し切るしかない。そう思いながら、係員を一人捕まえて迷子のお知らせをするように言う。
 別の係員が添田の下に走ってきて、耳打ちした。
「な、なんやて! あいつら、しくじりおったんか……!」
 作戦の失敗。それを知った添田は、隠密さを全て忘れてそう叫んでしまった。

 最後に転送されてくるのは鯉岸だったはずだが、実際に向こうの世界から戻ってきたのは『ドレイン』を受けて意識を失った藍川と土井だったのだ。












 中学生にもなって迷子のお知らせは恥ずかしいだろうが、あの三人の場合は仕方がない。瀧口 大音は嫌な予感を消し切れなかった。
 ついこの間も、直音の一件で彰と十海が危険な目に遭った。一音を連れ去るために、『サースター』が動いていたのも事実だ。
 放送を聞いてやってきたのは、呼び出されたのとは全く違う二人だった。一人は白い調理師服を着た青年、幸介。
 そして、もう一人は黄色いバンダナを巻いた青年、ティラノ剣山だった。
「お? こっちの黄色いのは見覚えがないな」
「彰君か十海ちゃんのお母さんザウルス?」
 どうやら切羽詰まっている様子だった。剣山の言葉を聞いて、大音は嫌な予感が的中したことを悟った。
「二人とも、意識がないんだドン……!」












「こいつは、何の冗談だ……?」
 大音は言葉を失った。暗幕の奥にはベッドがいくつも並んでいて、意識を失った参加者が何人か寝ていた。
 その中に、彰と十海の姿もある。一音はいないようだった。
 二人が寝ているだけならば、大音も少しは安心しただろう。だが、大音に言葉を失わせるだけの人物が運び込まれてきたのだ。
 黒いライダースーツ姿の女性と、白衣を着た女性だ。その二人も意識を失っているらしく、目覚めない。
 その白黒の二人は、本来ならばセイバーの敵である組織『サースター』に属する二人だ。さっぱりわけのわからない状況だった。
 たのかは声無く泣き続ける少女を慰め、剣山と名乗った青年は眠る彰と十海、そしてバランのように逆立った髪の少年を見ている。
 小さなうめき声が聞こえた。藍川が目を覚ましたらしい。起き上がろうとしているが、どこか痛むのか苦しそうな表情だ。
 なんとか上体だけ起こした藍川の襟首をつかんで、大音は無理やり彼女と目を合わせた。
「何があった」
 普段よりも低い声。押しつぶすような威圧感。大音の目は強い力を秘めていた。目をそらすことを許さなかった。
 藍川も睨みかえした。火花が散るような視線のぶつかり合い、とはよく言うが、この場合は違う。互いの喉元に刃を突き付けているような冷たくも激しい殺気を伴っている。
 誰も言葉を発することができなかった。それだけ、この二人の本気は圧倒的な力を持っていた。
 沈黙と視線の刃が刻む時間は全てが凍りついたように冷たい。心臓の鼓動までしっかりと聞こえてくるような静寂。
 息を吐いてその殺気を解いたのは、藍川が先だった。
「離してくれ。そろそろ息が苦しい」
 大音は手を離したが、まだ藍川を睨み続けている。
「何があった」
「私から言うことはできない」
 同じ質問に対して、藍川は今度はすぐに答えをよこした。まっすぐに大音の目を見つめ返した上で、拒絶した。
 それでも大音は引きさがらなかった。
「言え。何があんたの光の道を塞いだ」
 藍川の瞳の中の光が小さく揺らいだ。藍川は小さくため息をついた。観念した、ということだろうか。
「……添田」
「ほい合点」
 短く呼ばれた添田はそれだけで藍川の言わんとしていることを理解した。一人の係員を呼んで、こう言った。
「人払い。徹底的に頼むで」






 十分もしないうちに、体育館から人の気配が消えた。添田とその部下の手際の良さと、すでに日が落ちていることもあいまって人払いにはそう時間がかからなかった。
 今この部屋にいるのは、添田、藍川、土井、彰、十海、三田、剣山、和沙、たのか、幸介、大音の十一人だけである。
 空野は事情を知らない次元と西田に心配をかけまいと、気を使って二人を送って帰ることになっていて、ここにはもういない。
「さて」
 藍川は静かに考え始めた。あらゆる事態に対して迅速な判断を下してきた藍川をここまで悩ませるものはいったい何なのか、大音にもわからなかった。
「瀧口 大音に言われた以上、これ以上の隠し事は無理だろう。それはわかっている。だが、私もどこまで話して良いのか迷っている」
「全部だ」
 大音が間髪いれずに言うと、藍川は小さくため息をついた。安堵しているようにも見えた。
「最初から、『セイバー』には打ち明けておいたほうが良かったかもしれないな」
「ええ、もう十分隠し通した。もしかしたら、必要以上に」
 話の途中で土井も目覚めたらしかった。藍川と違って起き上がることはできないようだが。
 話を続けようとした藍川を制して、土井が話し始めた。
「全て私が説明するわ。ここにいる人には、それを知る権利がある」
 ここにいる全員は、間接的なものも含めて、全員がレグナ計画とそれに付随する事象の被害を受けている。
 『セイバー』のメンバーにとって、この計画は信哉を狂わせた要因の一つだ。
 それ以外の者もレグナ計画の被験者であるか、あるいは近しい人物が被験者であったり、『ドレイン』を受けて気を失った者もいる。
「全てが始まったのは十年前に遡るわ」
 土井の口から、レグナ計画、『精霊抜き』、『ドレイン』に関する簡単な説明がなされた。



12:レグナ計画の真実


 今から十年前、ある科学者がレグナ素子を発見した。レグナ素子は後にツバインシュタイン博士がデュエルエナジーと名付けている。
 デュエルモンスターズにおいて特定の状況を発生させることにより、人体から取り出すことのできる未知の物質だ。
 学会への発表は失敗に終わった。学会はカードゲームによって人体の内部で何が生じるのだと、笑い飛ばすばかりで聞く耳を持たなかった。
 しかしその一年後、その科学者は人体からそれを最も効率的に取り出す装置を発明した。現在の『ドレイン』である。
 『ドレイン』は出力によっては対象の体力を著しく奪い、最悪の場合は死に至らしめる。その性質から、『ドレイン』は地下デュエルで頻繁に用いられ、その運営によって得た資金が『サースター』の活動に充てられていた。
 そしてその一年後、レグナ計画は始まった。人体から取り出したそのレグナを、人体に再び投与する実験が行われたのだ。
 結果が顕著に現れる子供が対象となり、角下市近辺の四歳から十歳の子供たちの一部に予防接種と称して素子が投与された。摂取の数日後に行われる問診で、陽性か陰性かが分かった。
 見えるはずのないものが見えたり、聞こえるはずのない声が聞こえたり、陽性反応の出た個体はそうやって普通の人間から離れていく傾向がある。それによって精神に異常をきたす場合も少なからずあり、最悪のケースでは死者が一人出ている。
 それでは危険すぎる。いつ悪影響が出るかわからないということで、人体に投与されたレグナの形跡を抹消する装置が土井によって作成された。それが『精霊抜き』だ。
 『ドレイン』と基本的な構造は同じで、『ドレイン』と違って出力にかかわらず対象に多大な負荷を強いる。その『精霊抜き』が用いられたのが二年前。
 数人の被験者に対して用いられたが、一人に対しては副作用が出てしまった。和沙が脳に異常をきたし、声を失ってしまったのだ。
 そしてそれから二年。『精霊抜き』の致命的な不具合は改善され、土井、藍川、添田の三人は人道的観点から問題の多いこの計画を中止させるべく動くことを決めた。
 遅すぎる決定だと思われるかもしれないが、それは仕方のないことだ。レグナの形跡を残した被験者達をそのまま放っておくわけにはいかない。
 『精霊抜き』の改良には、レグナに関する知識が必要になる。必然的に、計画の第一人者である博士の下で働くことになってしまうというわけだ。

 今回、Tと名乗る声の後押しもあって、ついに作戦に踏み切ることになった。
 当時の被験者だった人物を可能な限り集めて、デュエルモンスターズにおいて特定の状況――被験者が敗北する状況――を作りあげ、『精霊抜き』をかける。二年前の副作用の原因の一つは、『精霊抜き』を勝者に対して使用したことだった。
 直音が彰に対して使った時は、直音の知識が足りなかったためにその状況に至る前に『精霊抜き』を発動してしまっていたが、それは不完全な使い方であって、正しい方法ではない。
 その特定の状況を作るのが難しいこともある。そこで、それを容易にするために『ゴーストシステム』に頼ったのだ。
 信哉の開発した『ゴーストシステム』はデュエルの内容を記録し、それによってデュエルCPUを自動生成する機能のことである。
 つまり、相手のデッキの内容も記録する。対象のデッキの内容を知ることが可能なのだ。
 相手のデッキがわかっていれば、対策をとるのはたやすい。今大会のルールに『デュエル中でなければ、デッキは自由に組み替えても構わない』という一節があったのはそのためだ。
 土井は信哉を入院させ、藍川にコンタクトを取らせるつもりでいた。しかし、瀧口 大音の妨害にあってその目論見は失敗した。
 そこで、信哉にとっての仇である『精霊抜き』をちらつかせた。『精霊抜き』の核をデュエルアカデミアに置いてきたのも全てはそのため。信哉に対するメッセージを仕込んでおいたのだ。
 土井はそこでレグナ計画の全てを、信哉に伝えた。伝えた上で、協力を求めた。
 計画を恨んでいた(というよりは、和沙の声を奪った『精霊抜き』を恨んでいたのだが、結果としてそれは計画を憎むことにつながった)信哉は躊躇うことなくこの作戦に乗ってきた。すぐに『ゴーストシステム』を改造し、相手のデッキばかりか、弱点となるカードさえもわかってしまうような装置に仕上げた。
 ただし、信哉は同時に『ゴーストシステム』に対するプロテクトも完成させている。これにより、万が一にも逆に『ゴーストシステム』を利用される心配はなくなった。(そのために藍川は鯉岸に対して使うことができなかったのだが)
 藍川、土井、信哉の三人で参加者の中から被験者名簿に載っている人物を探し出し、『精霊抜き』を行ったのだ。
 あとは計画に必要な環境を博士から奪い取るだけだった。最も簡単な方法が、レグナに関する情報をまとめた書類と機材の撤去だ。
 しかし、それを鯉岸に阻まれた。信哉の裏切りもあって、藍川と土井は『ドレイン』を受け、向こうの世界から追い出されてしまったのである。



 第二章へつづく





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