THE JUDGMENT RULER
第二部 異世界戦争

製作者:造反戦士さん




 も く じ 

 序章 燃ゆる憎悪
 1章 闇狩り
 2章 交渉
 3章 アシュートの攻防
 4章 墓守の里
 5章 ネクロバレー解放戦
 6章 千年魔術書防衛作戦
 7章 闇の魔物
 8章 結晶術士
 9章 とある悲劇の復讐者
 10章 悲劇の果てに
 間章 シンクロ覚醒!
 11章 兄妹対決
 12章 焔の女王
 13章 分かたれる道
 間章2 カナン・シェイル


序章 燃ゆる憎悪

 2年前




 その夜、永瀬巧は自宅の居間の戸にぴったりと耳を押し付けていた。
 たった1枚の薄い戸によって居間と隔てられた廊下で息と気配を殺し、中で行われている会話に耳をそばだてる。
 巧の母、永瀬沙理亜と聞いたことのない男の声。
 だが少なくとも愛人ではあるまい。確かに巧の父は亡くなっているが、それとは関係なく、そもそも会話の内容がどこか狂っている。
 おそらく巧がいると知っていながら、巧を殺す計画について話し合っていたのだから。

「……では、決行は明日の深夜。実行者は?」
「“ナイトアサシン”です」

 2人――いや、1人は人間かがそもそも怪しいが、交わされる会話には奇妙な点が多い。
 その最たるものはM&Wのモンスターを、まるで実体を持っているかのように扱っていることだ。
 今聞こえてきたのもその一つ。
 ナイトアサシン――つまりは『深淵の暗殺者』。
 暗殺対象になった動機などより、幾度となく沙理亜にM&W関係のオカルト話を聞かされていた以上、気にするべきはそちらだ。

「……よろしいのですか? 実の息子の暗殺に加担するなど……」
「ええ、捕らえられていた頃からお前はずっと、私と接触し過ぎた。私自身がガリウス国内をうろつけない以上、お前への不審は何としてでも取り払わなくてはならないのよ」
「しかし――!」
「心配はいらない。巧は『闇のアイテム』を持っていない、それは絶対よ。万が一にも失敗はないわ」

 
 (闇のアイテム――!)
 他ならぬ沙理亜から得た知識を、頭の中から引っ張り出す。
 『闇の力』によって作られた大小様々な物体。
 『闇の力』の全容は把握されていないものの、その一つは硬化作用だそうだ。本来は無色で大気中に溶け込んでいるが、ある一定の条件によって力が働くと、作用している部分が金色に発光する。条件とはどうやら人の思念が関わっているらしく、また、大気だろうと幻想だろうとおかまいなしに硬化させる。そして錬金術と呼ばれるもののほとんどが、これによるものだとか。
 しかし『闇の力』の専門家は、大気中に存在しているだけでなく“この次元”にはほとんどないと主張しているため、そもそも“別の次元”の存在を信じていない他の学者には受け入れられてはいない。
 ――確か、そんなところだった。
 もし『闇のアイテム』が実在し、沙理亜がそれを所持しているなら、実体化を前提とした会話を交わしているのも納得できるが……。

「お前は奴の信用を得なくてはならない。夫を殺し、私自身をも異世界へと連れ去り、この世界への侵略を狙っている邪悪な国家を潰すためには、子も親もない――――!」

 その意味を考えるよりも先に室内でガタ、と椅子が動く音がして、巧は思考を現実に引き戻した。
 一旦隠れるべきか、気配が近づいて来るまでは聞くべきか。
 決行は一応明日の夜になっているようだが、ここで見つかればまず命はない。悔しいが沙理亜が言った通り、巧は『闇のアイテム』を所持していないし、今はデュエルディスクすら装着していない。
 どちらが正しいかは明らかだ。
 音を立てないよう、細心の注意を払って扉から離れ、2階の自分の部屋へ引き返す。急いでデュエルディスクを取り、ひとまず1階の廊下の監視を再開してから落ち着いて左腕に装着する。

 それにしても、さっきの話は何だ?まるで別世界のモンスターが父を殺した犯人だと言っているように聞こえた。
 自分は異世界に連れて行かれた?
 その国家が侵略しようとしている?
 いくら沙理亜に与えられた知識やこれまでの行動と辻褄が合うとしても、信じられる話ではない。

 数分待っても出て来ないようなので、巧はもう一度扉の前に戻ることにした。突然開かないことを祈りながら、音を立てないよう慎重に歩を進める。
 この時ほど、この短い廊下を長く感じたことはない。
 半分を、過ぎた。
 これ以上前に出たら咄嗟に引き返しても見つかるであろう、半分の地点。だがここは知識欲が勝り、比較的あっさりと跨いだ。
 そうして着いた、先ほどはしゃがんで話を聞いていた居間の前。今度は立ったまま、耳を当てる。
 ――何も、聞こえない。
 いや、むしろこれは……。
 しかしそこで思い浮かんだ為すべきことを、即座に実行する勇気は巧にはなかった。
 人の気配がないからといって、無思慮にこの戸を開けるなど。あるいは沙理亜もこちらに気付き、踏み込んだ所を狙ってくる可能性があるというのに。
 そのまま往生して、3分。気配を丸出しにして動きがないかを探るが、それでも廊下を調べに来ない。
 やはり、開けるしかない。
 まだ中にいたとしても、せめて別の方向を見ていることを祈りながらそろそろと扉を開く。

 ――誰もいない。

「くっ……もぬけの空か」
 廊下に続く戸はおそらく開いていない。
 となれば、庭。
 まだ近くにいるかもしれないと、微かな期待を寄せて庭に降り、辺りを見渡す。
 しかしとっくに離れた後なのだろう、姿は見えなかった。

(…………?)
 ふと、生じた違和感。
 あまりにも自然に、永瀬巧は今何をした?
 庭へ降りるため、ガラス戸の鍵を……開けて?
 そんなこと、あってはならない。居間を出るには廊下か庭か、どちらかしかない。そしてその内の一つは巧が押さえていた。目を離したのはデュエルディスクを取りに行って、戻るまでの20秒にも満たない時間。廊下に出ることは可能だが、その後玄関から出られるまでの余裕は与えていない。庭から出たとしても、外からの施錠は不可能。
 つまり、この部屋は

「密室……だと……」



 翌日


「……くみ。永瀬巧! 聞いているの?」
 幼馴染で同級生、果ては同じクラスの少女、御影佳乃(みかげよしの)が耳元で怒鳴る。鼓膜の危険を察知した巧は、仕方なく応じた。

「……何だ?」
「何だ、って……もうとっくに授業終わってるよ」
 慌てて教室の時計を見る。15時52分。

「もう、そんな時間か……」
 今の巧にとって時の経過とは、目前に迫った明確な死へのカウントダウンだ。その運命をいかにして回避するか、巧は様々な策を練っていた。
 あの家を離れる選択をすれば、今夜の死は避けられるだろう。しかし普通に考えれば一中学生の経済力では5日と保たない。暫く友人の家に潜伏するとしても、いずれは戻らねばならない以上、狭い場所で待ち伏せという最悪のシチュエーションに遭遇する羽目になる。
 あくまでも1日や2日生き永らえるだけではなく、根本的な部分で解決しなければ意味がない。それならば今日、この夜に全身全霊を懸けて挑むべきだ。

「何かあったの? よければ相談に乗るよ」
 それこそ話にならない。佳乃は良く言えば友達思い、悪く言えばお節介な学内でも屈指のリアルファイターだが、それ故に巧が命の危機にあることを知れば当然のように匿うだろう。
 さらに言えば佳乃の両親も似たようなものだ。いくら隣家で家族ぐるみの付き合いがあったとしても、父が亡くなり母が役割を放棄した家庭の子を、実の子と変わらない待遇で面倒を見てくれるのは彼らだけだ。しかし、だからこそ最優先で巻き込んではならない家として御影家は真っ先に挙げられる。

「いや、別に……」
「嘘は言わない!またお母さんに何か吹き込まれたんだよね。M&Wの起源がどうとか」
「! 待て、そんなこと話した覚えは……」
 ない。それは確実だ。特に口止めはされていなかったが、あのようなオカルトじみた話は誰かに話そうと思ったことすらない。

「瑠衣は相談に来てた。そりゃ、内容はアレだけどね、隠すほどのことじゃないでしょ」
「……それは信じていないと捉えていいのか?」
「んー、分からないっていうのが正直な所かな。判断できる材料がないしね」
 一瞬、本当に一瞬だが、巧は全てを話しそうになった。話の真偽を判断する材料は、巧の制服、その上着のポケットに入っていた。それを見せ、協力を仰ぎたくなった。言っても信じて貰えない――話さない理由の一つがそれだったからだ。
 しかしそこは理性が押し止める。“ソレ”の実在を知ったが最後、後戻りは出来なくなる。
 あるいは巧と同じく暗殺対象になるかもしれない。
 言える筈がない。『闇のアイテム』が入っているなど。

 昨夜、密室を確認した直後、巧は居間の床に何かが落ちているのを見つけた。
 全体が金色で、目玉の形をした気味の悪い物体。他でもない沙理亜から得た知識と照らし合わせると、典型的『闇のアイテム』の特徴がこれでもかと言うほど表れていた。
 デュエルディスクを起動させ、カードを引く。

(……これは駄目だな)
 全身が炎に包まれた『炎の精霊イフリート』では、予想が当たっていた場合少々困ったことになる。もう一枚ドローすると『炎の剣士S』。
 ……『イフリート』よりはマシだろう。
 これをデュエルディスクに置くと、巧の前に『炎の剣士S』のイラストを立体的に具現化したソリッドヴィジョンが出現した。そして左手で握っている金色の物体に念じながら、巧は右手をモンスターへと伸ばした――――。







 結果として、巧はそれを本物の『闇のアイテム』と断定した。そして『闇のアイテム』が実在している以上、他の話も真実である可能性は少なくない。
 すると次の疑問は、沙理亜がそれを残した理由だ。間違っても偶然落としたものではあるまい。
 一晩考え抜いて得られた結論は、“モンスター”を騙してこの家を攻めさせ、巧に返り討ちにさせようとしているという、自分でも未だ半信半疑なものだった。
 しかし沙理亜はこの家を攻めるだろうモンスターの正体や、異世界の国家への憎しみを堂々と部屋の外にまで聞こえるように言っているし、「闇のアイテムを持っていないから失敗はない」は「闇のアイテムを使えば対処される」とも受け取れる。
 それに巧が居間でのやり取りを聞いたのは午後9時頃。一般的な中学生が就寝している時間ではない。あの会話はもしかすると、巧に聞かせるべくして聞かせられた会話だったのではないか。
 異世界や闇の力に関してあらかじめ巧に伝えていたことといい、本当に暗殺する気があるのかが疑わしい。
 楽観的かもしれないが、これらが当たっているなら生き残れる可能性は各段に高くなる。
 『闇のアイテム』についてはまだ未知数で、命の危険があるのは確かだが、自宅で待ち構えるのは勝算があっての決断なのだ。

「そうか……。だが心配はいらん。この件に関して解決の目処は立っている」
「ふーん、問題を抱えていることは否定しないんだね」
「…………」
 失敗した。佳乃のペースに乗せられかかっている。このまま話を続ければ本当に全てを打ち明けてしまいそうだ。
 佳乃はリアルファイトだけでなく、瑠衣によって鍛えられたデュエルも、巧には及ばないが強い部類に入る。彼女が操る六武衆を戦力として数えられるなら、さぞ心強いだろう。
 しかし平和な家庭の普通の少女を生死を分かつ戦いに引き込む度胸も覚悟も、巧にはない。おそらく自分の命を守るので精一杯で、佳乃の生存に責任は持てないだろう。もしものことがあれば、一番後悔するのは巧自身。佳乃の死は巧の死と同義だ。
 御影家全体としても結論は変わらない。巧にとってあそこは、形として自宅と呼んでいる家よりも遥かに大切な場所である。あの思いやりに溢れた環境に慣れてしまわない様に、行く機会は少なくしてきたが、守るべき優先度は高い。
 そして、佳乃には出来ればそちら側の世界にいて欲しい。

「とにかくだ、お前の手は借りるまでもない!」
「あ、待ってよ」
 鞄を手に立ち上がり教室を出ようとした矢先、早速呼び止められて、足を止めてしまった。
 まだ戦力として未練があるのだろうが、それだけでは足りない。佳乃でなければ間違いなく無視していた。

「……何だ?」
「あのさ、ポケットに何が入ってるの?」
 それを聞いた瞬間、巧は大きく飛び退き佳乃との距離を広く取った。

「ちょっ……そこまで驚かなくても」
「すまん。だが、どうしてそんなことを聞く?」
「んー、さっき話してる時からポケットが膨らんでいて、視線がそっちばかり向いてたから、かな。何か大事なものでも入ってるのかと思って」
 冗談ではない。察しが良いのは昔から知っているが、こんな時にまで発揮されては困る。
 佳乃を巻き込まないためにも見せるわけにはいかない。
 襲撃に備えて肌身離さず持ち歩いている『闇のアイテム』を。

「駄目だ……今は言えない。明日、全部話すから、黙って今日は見逃してくれ」
「死亡フラグの塊みたいな台詞を残さないで! 本当に心配になってくるよ」
「すまない……」
「……謝らないで。その代わり、明日元気な姿を見せること! 分かった?」
「それなら――臨むところだ」
 生き残ることができれば、とは佳乃の性格を鑑みれば言うべきでないのは明白だ。
 全てが終わった後で適当な話を作っておけばいい。
 それが佳乃のためでもある。そう信じてこの日は別れた。

 帰宅前に巧は近くの玩具屋に寄り、デュエルディスクを一台購入した。
 別に昨日まで使っていたものが壊れたわけではない。
 だが自宅にあるデュエルディスクは巧のものと、行方不明の瑠衣のものの2つだけだ。
 昨夜、『闇のアイテム』が本物と分かった後に行ったのは、それが生み出す『闇の力』の有効範囲の確認。モンスターを具現化させたデュエルディスクを腕から外して離れた所に置き、『闇のアイテム』に念じながらモンスターに物を投げ、実体化しているかを調べる。
 それを繰り返した結果、居間どころか自宅を軽くカバーできる広さであることが分かった。
 ならば家で最も広く、またこの次元と別の次元を結ぶ“穴”がある可能性が高い居間で待ち構えるべきだ。
 居間に入る道は“穴”を除けば2箇所。庭と廊下、それと自分が身に付ける分を含めれば3つ必要になる。居間だけを警戒するなら1つでも充分だが、既にこの次元に入り込み近辺に潜伏している危険もあるし、壊されることも考えれば予備は最低で2つ欲しかった。
 デュエルディスクの使い方が間違っているような気はするが、自分の命を守るためと言い聞かせ、その指摘は聞き流す。
 かくして自宅に戻った巧は、戦闘範囲が外に及ぶ可能性を考慮して靴を履いたまま家に上がった。
 そして買ったばかりのデュエルディスクに『つまづき』や『グラヴィティバインド』といった永続系の行動制限カードを差し込みながら家の中を捜索し、残る2つのディスクを回収して居間に入った。ディスクの点検も行い故障がないことを確かめると、同じく永続系のカードを中心に防衛線を築き上げ、居間の出入り口となる2箇所に設置した。
 その後、簡単に食事を済ませた巧はデッキを確認しつつ、罠にかかったモンスターがいないかを確かめたり、何度か罠の種類も取り換え、午後11時を回ると本格的にそれらの実体化状態を保ち始めた。



 しかし――――来ない。

 日が変わり、2時間近くが経ったというのに、何も現れる気配がない。
 だが、気の緩みは死に直結する。そう頭の中に反芻させて、『闇のアイテム』を握る手に一層力を入れる。
 そんな時だった。夜の空にサイレンが響き渡ったのは。
 鐘の音も混ざっているということは、

「火事……か?」
 しかし今警戒すべきは、炎ではなくモンスターだ。
 サイレンを無視してそちらの警戒に戻ろうとする。
 だが、闇と静寂を裂く音は徐々に大きくなり、紅の音源を庭側のガラス戸越しに確認し、そして通り過ぎるかと思った車体の一部が見え続けたままであることに気づいた(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

「な……んだと!?」
 音が小さくなる様子もない。 
 この日この時に近辺で起きる異常事態を、単なる偶然で片付けることは出来ない。
 それ以上に、火災が発生していると思われる家こそが、巧の不安を掻き立てる。

 ――意図して狙われた?

 ――誰に?

 ――何のために?

 今夜標的になるのは自分だった筈だ。
 ガラス戸を開けて庭に出ると、そこは既に焦げた臭いと熱気が充満し、火の粉も降って来ていた。
 夜とは思えない凶暴な明るさに包まれた隣家を、見ないわけにはいかなかった。 

「佳乃……」
 燃え盛る家の住人の中で最も案じている者の名を呟く。
 全身を撫でる熱気と底冷えするような絶望とこれを仕組んだ何者かへの怒りが混ざり合い、それを処理する術が分からず、巧はただ立ち尽くした。
 
 その時、ガサ、と明らかに風の仕業ではない草の音がして、得体の知れない黒い何かが御影家と永瀬家を隔てる塀を乗り越え、怪我をした猫を思わせる動きで体を丸めてこちらの敷地内に崩れるように落ちた。
 “ソレ”は人と同じぐらいの大きさだったが、しかしフードを被ったまま頭を上げ、どう見ても人とは違う、大きくギラギラと輝く眼を巧に向けると、やはり猫の動きで上半身も起こした。
 その右手には血塗れの短剣が握られており、短剣の形状を見てようやく巧はその正体に思い当った。
 今夜、自分の喉元に突きつけられるはずだった刃の持主。

「『深淵の暗殺者』ッ――!」
 何故今頃になって――いや、どうして御影家の敷地から入ってきた(・・・・・・・・・・・・・・・・・)
 その答えはおそらく暗殺者が持つ短剣が語っているのだろうが、向こう見ずに殺意を振り散らす暗殺者に近づくなど正気の沙汰ではない。
 だが、どうして向こうから接近してこない?
 違う――接近しないのではない。出来ないのだ。
 暗殺者には下半身が無かった。本来足があるべき部分は纏っている黒装束ごと砂に変化しつつあった。変化は現在進行形で続いており、腰上の部分までが既に崩れ果てている。
 その異様な光景と、それでも尚、巧の方に腕だけで這って進もうとする執念に気圧され、恐怖に立ち竦んだ。
 足が動かない。
 モンスターを召喚することも頭から抜け落ちていた。
 ついに指先の風化も始まり、暗殺者は短剣を巧に投げつけようとする。
 だがその間にも砂は暗殺者の全てを蹂躙し、腕が投げる動作を終えた時には肘上が失われており、手にしていた短剣も地面に落ちていた。
 首下までが完全に消え、頭が地に這いつくばる。それでもまだ殺気の籠った眼だけは巧を威圧し続ける。
 とうとう眼の輝きすらも消えた暗殺者は、巧には程遠い所で全身が砂に変わった。しかし巧の気が抜けしゃがみ込む様は、一秒、一ミリで死を免れた人間のそれだった。

 ――――話すべきだったというのか。限りなく近く、限りなく遠い別世界との垣根を壊し、もっと遠くに避難させるか、戦いに引きずり込むか、そのどちらかの選択しかなかったと?
 結果だけ見るなら、話すのが正解だったのだろう。しかし、巧の感情はそれを受け入れるわけにはいかない。彼らを巻き込むのは、巧にとって敗北条件を満たすに等しい行為だったのだから。
 何度か拳を地面に打ちつけ、血が流れるのも構わず、幽鬼のように立ち上がる。
 
「くっ……まだだ……!まだ、この夜は終わっていない……!」
 モンスターの脅威は完全に排除されてはいない。2体目が巧を殺しに来る可能性は十分にある。せめて自分が生き残らなければ、佳乃の行方を捜すことも、あるいは仇を討つことも出来ない。
 居間に駆け込み、その中央で臨戦態勢を取る。

 だが――本当にモンスターは来るのか?

 答えは出ていた。暗殺者は死に絶え、今夜の脅威は排除された。それを理解していながらも、巧は来訪者を待った。待ち続けた。
 この夜の間だけでも、あの火事から逃避するために。

「来い……!俺を殺しに来るがいい!」
 空っぽの居間に、巧の罵声が響き渡る。しかし、モンスターの影はおろか、空間の裂け目が現れる様子すらない。
 いつの間にか消火が終わったのだろう、消防車のサイレンは遠ざかっていた。
 それでもまだ、迎撃体制は崩さない。
 そしてとうとう、日が昇りはじめた。ガラス戸から差し込む日の光が、無慈悲に時間切れを示す。
 しかし時の流れを責めることなど出来ない。
 これは全て巧のミス。
 おそらくは永瀬沙理亜の陰謀を、完全に把握しきれなかった。あの時の会話の内容からして計画の主導権を握っていたのは沙理亜だ。
 巧を暗殺対象と定めたのは沙理亜、そして標的を変えたのも同じ人間の意思によるもの。



 朝、隣家は無残にも焼け果てており、全てが現実であることを改めて認識させられた。
 その一方で、ニュースでは火災現場で見つかった遺体は、大人2人だけだという発表が為された。
 巧は学校を休み、警察にその審議を問い質しに行った。
 応対をしたのはそれなりに親切な人で、同じ説明が繰り返されたが、少なくとも嘘はないように思えた。
 だが、複雑そうな顔で自分を見る彼の視線の意味にも、巧は気付いていた。
 おそらく佳乃の両親の死因は焼死ではない。いや、あるいは焼死かもしれないが、それ以前に短剣による傷を負っている筈だ。
 その上での、火事。暗殺者を見ていない多くの人間は、きっとこう考える。死亡した二人の一人娘、御影佳乃が刃物で両親を刺し、自宅に火を放ったと(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
 それは仕方のないことだ。彼らの常識を打ち砕こうとしたところで、仮に確たる証拠を示したとしても徒労に終わるのは目に見えている。無実を証明できるわけでもなし、ならば、余計なことを言うべきではない。

 佳乃が生きている可能性は高いようだが、新たな問題が浮上し、そして巧の怒りもなくなるわけではない。佳乃を関わらせたことこそが、今の巧にとって全ての原点だからだ。 
 ただ生存しているとなれば、標的を変えた“目的”についてある仮説が立てられる。
 M&Wでは巧の方が強いが、リアルファイトも含めた総合的な戦闘力では佳乃が圧倒的だ。
 つまり、沙理亜は最初から佳乃の両親だけを殺害し、佳乃は手駒として確保しようとしていたのではないか、という仮説。
 おそらく佳乃は唯一の目撃者。沙理亜がそんなものを無条件に放出するはずがないのだ。
 とすれば、最初から傘下に加えるつもりで行動を起こした可能性が高い。
 そして、仇討ちか、救出か、いずれにせよ巧が為すべきことも定まった。

 手掛かりは沙理亜が残した知識、文献、『闇のアイテム』。
 とりわけ『闇のアイテム』は重要だ。
 この次元でモンスターと遭遇した際、それとカードが唯一の武器だ。そして自身の失敗と沙理亜への憎しみの証でもある。
 佳乃、沙理亜、そして数ヵ月後に接触した組織『闇狩り』から教えてもらった名前、“デュエルモンスター”。
 『闇狩り』に協力しつつそれら三方から行方を追い、火事から1年近くが経った頃、とうとう巧は佳乃の行方について有力な手掛かりを得た。
 しかしそれを知る人間、『カードプリベンター』の長、北森玲子はただ単純に多忙だったようで、さらに半年を要した。
 それでも巧は待ち続け、ついに巧は火事を生き延びてからの佳乃の足跡を入手した。

 佳乃は火事の数日後には既にアメリカに渡り、紹介状を持って『カードプリベンター』に入隊していた。彼女は黒衣と長刀、そして何故か電池メンデッキを駆って各地のM&W関連の犯罪者集団を壊滅させ、『黒楼』の称号を得たらしい。尤も本人はその名を嫌い、勝手に『黒狼』を名乗っていたようだ。
 だがその裏で玲子は、佳乃が“デュエルモンスター”を血眼になって捜し求めていることを知っていた。そこで、悪用しないことを誓わせた上で、エジプトの王家の谷にそれらしき存在が出没することを教えたらしい。

「そしたら、すぐに行ってしまったと……そういうことですか?」
「はい。王家の谷周辺で遭遇し、デュエルをしたという連絡が届いた時は驚きました。あの子はデュエルに勝った後、行方を眩ましました。おそらくは別の世界に行ったのかと……。それがあなたからの連絡が入る、数日前のことです。教えてしまい申し訳ありません……」
「いえ、佳乃が生きていると分かっただけで十分です。敵と思われる“デュエルモンスター”を倒すまでは、死んでも死なないでしょう」
 それが佳乃の意思なら、思う存分復讐させてやるべきだろう。
 自分も同じ道を歩んでいるからこそ、その気持ちは分かる。
 しかしその意思が佳乃自身のものでなく、別の誰かに操作された思いとすればまた話は違ってくる。

「それと、訊きたい事がもう一つあります。紹介状を書いた主についてですが……」
「永瀬沙理亜。I2社日本支部に勤めていて、自身も高位のデュエリスト。そして貴方のお母様ですね。私も何度かお会いして、事件解決に協力してもらったこともありました」
 おそらく沙理亜は自分の復讐のため、佳乃を利用しようとしている。
 わざわざ御影家を襲撃させたのはそのためだろう。佳乃を支配下に置く策は、見事な手並みだった。
 しかし代わりに、沙理亜は敵を作った。
 彼女を巻き込んだことを、いずれ必ず後悔させる。

「在職中に母が“デュエルモンスター”に興味を示しているような様子はありましたか?」
「……すみません。それは何とも言えません……」
 これについては最初からあまり期待していなかった。沙理亜が勤めていたのは日本支部である。本社、つまりアメリカを拠点に活動している『カードプリベンター』の長に、沙理亜の日常の変化を質問したところで答えに窮するのは当然だ。

「ところで、私もいくつか聞いておきたいことがあるのですが……」
「あ、はい。いいですよ」
 賞金稼ぎ集団『カードプロフェッサー』を前身とする組織のトップで、その頃から第一線で活躍していたとは思えない腰の低い丁寧な頼み方に、巧の方が拍子抜けしてしまう。だが逆にこういう人物だからこそ、I2社の信用を得られたのだろう。

「“デュエルモンスター”について貴方はどこまで――そして何故知っているのですか?」
 しかし意外とストレートに聞いてくる。この関連の話は、はぐらかすと真意が全く伝わらないため仕方ないのだが。
 まあ隠すメリットはないし、ギブ&テイクで成り立っている世の中だ、こちらだけ情報を得て終わりというわけにもいくまい。

「佳乃は“デュエルモンスター”に両親を殺害され、母と共に行方を追っています。モンスターはこの世界への侵攻を目論んでいるようですが、その背後にある目的は掴めていません。そして佳乃と家族を破滅に追いやった原因は……俺にあります。異世界に行く方法を知っているのなら、ぜひとも教えて頂きたいところですが……」
「ごめんなさい。ですが、方法を入手したら真っ先に連絡します」
 そこまで話したところで、玲子の携帯電話が鳴った。
 通話を始めた当初は普通に話していたが、徐々に顔つきが険しくなっていった。

「あの、この後で行く現場の方でトラブルがあったようで、これからすぐに向かわなければならなくなってしまいました……。すみません」
「いえ、お忙しい所、お時間を取らせてしまったのはこちらです。気にしないでください。貴重な話を聞けましたし、ありがとうございます」
「どういたしまして。あの子は『カードプリベンター』の大切な一員です。仕事を放り出して行った事を叱らなければなりませんし、連れ戻して来てくれますか?」
「はい……必ず!」



 それから間もなく、巧宛に一通の手紙が届いた。
 妹である永瀬瑠衣の居場所と扱い、そしてその手紙にも沙理亜の関与が仄めかされていた。
 ただし、この手紙については不可解な点が多い。
 瑠衣を解放させようとする文面から、手紙は沙理亜に敵対する者によって書かれたと考えられるが、I2社に依頼を勧めてメリットがあるのは沙理亜なのだ。I2社内の別の集団とも考えられるが、それなら誤解を消すような文言がある筈だ。
 得体のしれないその手紙を無条件に信じる気はなかったが、しかし誘拐が事実であった場合は瑠衣の身が危険である。
 玲子に相談することも考えたが、『カードプリベンター』はI2社関係の組織であるため、沙理亜の手の者が入り込んでいる危険が高い。
 『闇狩り』も過去に沙理亜が所属していた痕跡があり、信頼には値しなかった。
 そのため『闇狩り』のルートだけを用いて、海馬コーポレーション社長海馬瀬人に直接依頼し、密偵を借り受けた。






 そして、現在






 手紙の内容は事実だった。
 瑠衣は本当に幽閉されており、誘拐自体も沙理亜の手引きによるものだった。
 さらに巧は瑠衣を研究所から救い出しただけでなく、沙理亜と敵対させることにまで成功した。
 多少は巧も沙理亜に悪印象を持つよう刷り込みしたとはいえ、あの大人しい瑠衣がここまで怒りを露にするとは想定していなかったが。
 ただ、それだけ辛い生活を送らされたことの証明にもなる。
 母ということで感情が揺れ、裏切る懸念は排除されたとみていいだろう。
 ――そこまでは期待通りだった。
 だが反感が強すぎる故か、異世界に共について行くと言い出したのだ。

「兄さんには……わたしを煽動した責任があると思う。もし兄さんが異世界で母さんを倒してしまったら、わたしが母さんを許せない気持ちは、どうやって昇華させればいいの……?」
「……だからこそ言っている。憎しみで戦うなとは言わないが、煽ったからこそ、連れて行かないのも一つの責任の取り方だ」
 以前に巧は「自衛しろ」と瑠衣に言ったことがあるが、それは本心である。
 「積極的に戦え」を和らげたわけではない。

 瑠衣を戦力としての視点から見るならば、まずデュエルの実力は優秀なことこの上ない。その上『闇の力の無力化』というオプションまであり、むしろ沙理亜はこの力を手に入れたがっている。
 まだ迷っているならまだしも従わない確約が得られた今、瑠衣は巧の元よりも安全な場所、すなわち海馬コーポレーションの保護下にいるべきだ。それにそうすることで、自分と海馬コーポレーションとの繋がりが継続される。
 結局は打算で扱うことに変わりないが、しかし巧がそんな目で瑠衣を見てしまう機会はずっと減る。
 手許に置いて“救出者”の皮を被り、従わせるのでは沙理亜と同じだ。そういう状態は瑠衣のためにもならない。

「でも……」
「いい加減にしてくれ! 俺は戦争に加担するんだ。共に来るというなら確実に戦力として酷使せざるを得ない。お前は積極的に命を奪うなんて出来ないだろう?」
 以前の瑠衣なら、間違いなくここで諦めていた。だが、ここにいるのは3年もの時を暗い一室に幽閉されていた過去を持つ瑠衣だ。
 しばし逡巡し、予想外の答えをはじき出す。

「……できるよ」
「な……!?」
「わたしは、もう多くの人を殺して――その結果として生きているの! 戦力としてでもいい。いいえ、今のわたしには戦力としての価値しかない。わたしは自分の“力”を、母さんを倒すために使う!」
 その真摯な思いに心打たれ、しかし同時に健気な瞳にどこか狂気じみたものを感じて、巧は身震いした。
 瑠衣は、あの研究所で沙理亜に作り変えられたのだ。
 モンスターと戦う兵器とするために。
 瑠衣は、自分が“変わった”ことには気付いている。だが、非人間性のベクトルを向いていることまでは自覚していない。デュエルを楽しみすぎる姿勢と混同し、最初からそういう精神性があったのだと誤解している。
 いや、元々少しはあったのかもしれない。しかしそれを覚醒、増幅させたのは居間の端で薄ら笑いを浮かべてこちらの様子を観察しているあの女に他ならない。

「……それは……」
 連れて行くべきではないと思う。
 沙理亜は瑠衣に一度、異世界に来ないかと誘っている。つまり、異世界に連れて行かないことで、沙理亜の目論見の一部を歪ませることが出来るかもしれない。
 しかし、折角の申し出を無下に断ることも出来ない。
 何より、この世界へ置いていくことへの抵抗感、それでもまだ足りない――連れて行かなければならない強迫観念のようなものがあった。
 かつて、巻き込まないためにと遠ざけたばかりに、沙理亜の手駒とされてしまった少女の存在が、巧に楔を打ち込んでいる。
 あの過ちを繰り返すのか?そう、問うている。
 巧は佳乃を救うため確実に異世界に行かなければならないが、逆にその間、沙理亜は巧の妨害を受けることなく行動できる。瑠衣はデュエルと意思は強いが、運動能力に関してはどうにもならない。今はまだ穏便に話し合っているが、沙理亜が瑠衣の意向を無視して強引に連れ去る可能性がないわけではないのだ。
 それを防ぐためには、共に異世界に行くというのも悪くない選択肢である。

「……分かった。ただし」
「無茶はするな?」
「いや、戦力として存分に期待させてもらう。死なない程度に無茶でも何でもして、目的を果たしてくれると助かる」
 巧が考えていたのは、瑠衣が最も安全に運命から逃れられる道だ。だが瑠衣は、最速で全てを解決する方法を選んだ。それならそれでいい。
 瑠衣はそれを聞くと、一度きょとんと目を丸くさせ、それから笑顔で頷いた。

「うん……ありがとう!」


 かくして3人は異世界に渡ることになったのだが――

「そういえば、まだ聞いてなかったことがあるな。足下に広がる“ソレ”は、お前とどういう関係がある?」
 透明で、それでいて濁りを感じさせる不気味な緑。オレイカルコスの光が居間の床で沙理亜を取り囲んでいた。
 デュエルディスクも装着せず、一枚のカードをかざしただけで、沙理亜はその状態を発生させた。

「そうね……滅ぼすべき組織ではあるのだけれど、この次元と第十二次元をつなぐ経路のほとんどを抑えているし、協調体制をほぼ強要されていると言ったところかしら。少なくとも、あの人ならぬ狂信者共の救いようのない教義には染まっていない」
 それは間違ってなさそうだった。オレイカルコスの文様は沙理亜の額に浮かびあがっておらず、瞳にも狂い果てた緑は存在しない。
 尤も、巧にとっては残念なことだったが。

「なるほど……。簡単に“世界の敵”に認定させてはくれないようだな」
「何を言っているの?そもそも、私はやましいことなど何一つしていない」
 開き直り、滑らかに言う。
 しかし佳乃や瑠衣の件をやましいことではないと言うなら、もう完全にこの女の倫理観は麻痺している。
 見ると瑠衣も顔を険しくしていた。
 案外“世界の敵”に公式認定できる日も近いかもしれない。

「まあ、それはそうだな。貴様は今日の襲撃事件では、ドーマと関係なく俺たち個人を潰しに来ていた。いや、潰すのが目的なのは俺だけか――。ともかく、お前にとっては世界規模で発生している結界の同時発動、そのほぼ全てがカモフラージュだった」
「そう解釈したいなら好きにどうぞ」
 瑠衣に関しては、おそらく能力の調査だ。“闇の力の無力化”がオレイカルコスへも影響を及ぼすかどうか。その結果からすると、瑠衣が兵器として扱われる機会は減っただろう。
 しかし、襲撃そのものを許せと言われても、それは流石に無理な話だ。

「では、そろそろ本題に入るわ。これを」
 沙理亜は巧と瑠衣にM&Wのカードを1枚ずつ渡した。
 巧のカードには『オレイカルコスの結界』を背景に、鍵のようなイラストが描かれていた。

「瑠衣のは?」
「あ、これ……」
 瑠衣のものと見比べてみるが、カードイラストも読めない文字も一字一句違いはなかった。

「これを起動させてしばらくすれば、勝手に転送される。起動方法は……まあ、念じれば何とかなる」
「いい加減だな。穴とか全く関係ないじゃないか」
「そうでもないわよ。3メートルも離れれば、作用しなくなる。……じゃあ、後の話は異世界で」
 結界から、瞬きを強要する強い光が発せられ、それを境に居間にいる人の数が減っていた。 ただ、結界の光の残滓が少しだけ“穴”の周辺に見えた。

「……こういうことか」
「うん……わたしたちも行く?」
「その前に、海馬コーポレーション側に簡単に事情を説明しておく。彼らを敵に回したくはないからな」
「あ、そうだね。健さんにお礼を言っておかないと」
 それらの作業を終え、2人は結界らしきものを沙理亜と同じようにかざした。
 すると、程なく結界は現れたが、何か異質な存在が自分を支配するような感覚は――シハラムを見た限りでの予想だが――特になかった。
 そして、転送されるのは結界内部のものだけだろうが、その垣根は内外を不干渉にしないことも分かった。
 例えば自分が展開した結界の外に手を伸ばすことが出来る。

「えと……手、つないでもいい?」
「は……?」
「やっぱり少し不安で……。もしかしたら母さんの罠で、別々の場所に跳ばされるかもしれないし……」
「ああ、そういうことか。確かにそこは心配だ。本当にそうなったら探すの面倒だしな」
 自分の詰めの甘さは理解しているつもりだったが、今回の瑠衣の件を除けば、これまでの沙理亜との駆け引きには負け続けている。より慎重に動くに越したことはないだろう。
 手を繋いだぐらいで対策として効果があるかは疑問だが、それでも何もしないよりはマシだろう。

「良かった。離れ離れになったら、ちゃんと探してくれるんだね」
 デュエル時とは正反対に、正直に感情を表に出している瑠衣は、巧に安堵の笑みを向けた。

「異世界で行方不明になるのは最悪のパターンだからな。予防策を取っておくに越したことはない」
 事務的、機械的に答える。だが瑠衣は、それでも満足とでも言うようにもう一度大きく頷いて見せた。
 
「もうそろそろ、か」
 巧が呟くと、繋いだ瑠衣の手から緊張が伝わってきた。
 だが巧も懸念事項がないわけではない。沙理亜の庇護を受け入れなかったこと自体は後悔の欠片もないが、最終的には敵対する相手に異世界や次元についての情報で大きく水をあけられているのは痛い。
 その性格柄、下手に出ている瑠衣とも、知識的な面からいえば立場は互角に近い。
 だがむしろ対等でなければ、今後の瑠衣のためにならない。そう考える程度には、巧は妹を案じていた。
 おそらく自分は、瑠衣の理想から外れ行く(・・・・・・・・・・・)
 自分と沙理亜、そのいずれかに与することなく動けるだけの精神を身につけて欲しかった。
 そうすれば、堂々と瑠衣を見放すことが出来る。
 元々瑠衣と沙理亜を引き離した時点で十分すぎるほどの戦果なのだ。最善は、巧とは別の視点から沙理亜に抗ってもらうことだが、現段階でそこまで望むのは酷だろう。
 ある程度の協力はしてもらうが、破滅と隣り合わせの道に踏み込ませる真似など、させるまでもない。させるつもりもない。
 ジョーカーの札は使わずに勝つ。それこそが真の勝利であり、巧なりの瑠衣への気遣いであった。

「あ……!」
 瑠衣が声を上げた。
 そしてそれを受けて、巧が何をするかを考える間もなく周囲が閃光に包まれた。
 1秒足らずで視界は回復した。瑠衣とも手を繋いだまま。
 異なる世界に行く際には、落ちていくような感覚があると予想していたが、所詮は架空の話に過ぎなかったようだ。
 しかし2人がいる場所は明らかに自宅の居間ではない。石造りの簡素な部屋の中。

「第……十二次元……?」
 手を離した瑠衣が、自信がなさそうに呟く。
 それは巧の予想とは異なっていた。

「いや、おそらくここは――」
「次元間の中継点、現ドーマの本拠地よ」
 寸分違わない答えは、部屋に一つだけの出入り口から聞こえた。
 そしてそこには、憎んでやまない女の姿があった。
 今は佳乃を救うため、頼らざるを得ない。
 しかし、いずれは倒すべき敵。
 改めて決意を新たにし、巧は瑠衣を伴い異世界戦争への一歩を踏み出した――。




 1章 闇狩り

 第一次元 エジプト



 海馬コーポレーションの密偵、桐沢健。同じく海馬コーポレーションに雇われた組織『闇狩り』のリーダー獏良了。共に海馬コーポレーションの“裏”を代表する人間でありながら、仕事の性質上、彼らの戦いは決して交わることはない筈だった。
 しかし今、二人は往路の飛行機の過程を終え、エジプトの地に降り立っていた。
 一冊の書物が、共通の敵へと彼らに道標を立てたのだ。

「健君の任務は、『十二次元解説書』をエジプト政府に送り届けることだけかい?」
「海馬社長からはそうですよ。でもその後、イシズ・イシュタールの指揮下に入るように指示されています」
「海馬コーポレーションからエジプトに派遣されたのは僕たちだけ。とすると、同じ仕事に就くことになりそうだね」
「どんな仕事か、心当たりがあるんですか?」
 そこまで知らされていなかった健は驚いて、獏良に質問する。
 とはいえ、獏良了は『闇の力』が関わる事件のエキスパートといっても過言ではない。
 そんな男と常識の範囲内で裏の仕事をこなしてきた健では、事前に与えられる情報にも差異は生まれるようだ。

「うーん、任務の拒否権がなくなって、守秘義務が課せられるけど、いいかい?」
「そんなにヤバイ仕事ですか……。でも、拒否権があってよかったです」
 渇いた笑いを漏らす健。しかし次の獏良の言葉で、彼の表情は瞬く間に引きつることになる。

「命の危険はないと思う。でも――人類の未来には関わることかもしれない」
「…………」
 この眩暈はエジプトの暑さのせい……ではない。確実に。

「どうしたんだい?」
「……大丈夫です。けど、何というか、スケールが大きいですね」
「『闇の力』が関われば、これくらいは日常茶飯事だよ」
 誇張して言っているのだろうか。
 ――違う気がする。
 獏良了は事実を述べているだけに過ぎない。ただ、解決すべき事件がそこにあるだけ。そして、それを解決するだけ。
 彼の実力と、天然を以ってして初めて成せる業だ。
 到底健には真似できない。
 第一回に限らずバトルシティ大会で決勝トーナメントに勝ち進む人間は異様に曲者揃いと聞くが、この男も例外ではなかったようだ。

「……ところで」
 獏良の雰囲気が、変わった。

「君は『闇の力』についてどう思う?」
「……どう、と言われても……」
 いかなる答えを求めているのか、よく分からない。
 困惑していると、獏良はもう一度訊いてきた。

「抽象的過ぎたかな……。質問を変えよう。『闇の力』は悪だと思うかい?」
「えっ……。悪だから、『闇狩り』してるんじゃないんですか」
 これまで縁がなかったため特に考えはしなかったが、無意識のうちにそう思っていたような気はする。

「……違う。巻き込まれた人を出来る限り救うのは勿論のこと、“狩った”闇も封印するだけだ。本当の意味で“使いこなせる”人間が現れるまで。まあ、破壊方法がないというのもあるんだけどね」
「なるほど、仰々しい名前に騙されていた感は確かにあります。力そのものに善悪はない、それを決めるのは力に触れる人間だっていう考え方も、別に嫌いじゃないですし」
「はは……気を使ってくれてありがとう。それにね、M&W関連の大きな事件を解決してきた、武藤遊戯や遊城十代。彼らは『闇の力』持ち主で――でも、その力を仲間や世界を守るために使っていた。僕もそういう風にありたいと思って『闇狩り』を作ったんだ。けれど――」
 獏良は一度目を伏せ、再び開いてから悔しそうに続けた。

「数日前、『闇狩り』はデュエルアカデミア本校から盗まれた“ある秘蹟が記された書物”の奪還任務にあたり――失敗した」
「ということは、奪った奴らがエジプトで動いているんですか?」
「文面だけならその通りだけど、君の推測は、きっと半分も当たっていない。彼らは書物を悪事に使うのではなく、破壊するのだと言っていた」
「それはさっき、出来ないと言ってましたよね」
「方法が見つかっていないだけで、不可能と断定されたわけじゃないよ」
「でも、それは問題があるんですか?破壊してしまえば、守るために使うことは出来なくても、悪用もされない」
「そう、それが奪った者たちの主張だ。しかし、第一次元の現状を考えてほしい。“デュエルモンスター”に対抗するには、こちらが使うモンスターを実体化させる『闇の力』は不可欠だ。外宇宙には『破滅の光』という存在もあり、それもまた『闇の力』を以ってしなければ倒すことは出来なかった。少なくとも『闇の力』はまだ人間にとって必要な力だと思う」
 獏良は諭すように、そして自分に言い聞かせるように、言った。
 その真意を健が知ることは、永遠にない――。





 力そのものに善悪はない。健が言った自明的なそれは、傭兵集団に近い『闇狩り』における唯一の思想的な面として、いつの間にか扱われていた。
 『闇の力』に関して獏良が提唱したその考え方に、多くの人間が集まった。『闇のデュエル』によって家族を失った者までも。
 しかし当人の獏良にとっては、思想でも何でもなく、現実の罪から逃れるのに必要なものだった。
 千年輪の中に封印されていた人格に肉体を操られ、この身は多くの人間を傷付けた。時には命までも奪った。
 『闇のゲーム』を行ったのは自分ではない。それでも、自分の肉体だ。
 せめて最初から罰を受けていた方がよかったのかもしれない。しかし戦いが終わって獏良が得たのは、暗黙の赦しだった。赦されてしまったがために、名乗り出ることは出来なかった。それは仲間たちの良心を無にする行為であり、また獏良自身も放免されるという希望を味わってしまった以上、罰によって絶望したくなかった。
 だが積極的に罰を受ける気はなくとも、かつて世界を破壊しようとした危険人物が何の咎めもなく街を歩いているのは自分で違和感があった。
 
 危険な『闇のアイテム』を野放しにできないというのは建前だ。ただ自分が善、闇の人格を悪とする論理に浸っていたかった、それだけだ。『闇狩り』への賛同者とはつまり、獏良のために免罪符を発行する人間の数を表しているのだ。
 全ては自らが心の安定を得るため。獏良しか真意を知らない、獏良のためだけの組織。それが『闇狩り』の真の姿だ。
 
 ――そして、その形はとうとう崩れた。
 今まで多くの人間が『闇狩り』に集っていたのは、そこ以外に『闇の力』に現実的対処ができる組織がなかったからだった。
 そのことに気付かされる日が、訪れた。
 “書”の奪還任務の場で、敵首領の女は言った。

「我々は、悪しき『闇の力』を討ち滅ぼす!あの忌まわしき力を破壊する術を、私たちは手にした!回収、封印、それも結構なことだ。だがそれでは、いつまでも『闇の力』の影に怯えて生きねばならない。お前たち『闇狩り』とは、そんな状態を望む組織なのか!!」
 愕然とした。獏良が自分を守ろうと動いている間に、論点は次の段階へと進んでいたのだ。『闇の力』は抑止力として存在するべきか、それとも滅ぼさねばならないのか。
 どちらが多数派か、答えが出るまでに、そう長い時間はかからなかった。
 ――半数近くが、寝返った。
 獏良自身は武藤遊戯や遊城十代のあり方を知り、共感していたため、女は間違っているように思えた。
 だが『闇狩り』が獏良だけのものであったように、その考え方に心から殉じる人間もまた、獏良のみだった。残りは、単純に裏切ることへの抵抗感、あるいは『闇の力』を破壊するとの言葉が信じられなかったか、そのどちらかだろう。
 獏良は戦った。謎の組織の構成員を、そして『闇狩り』を裏切った者を何人も倒した。
 首領の女はとっくに離脱していた。
 それでも、ボロボロになりながらも幹部の一人に辿り着き、デュエルに勝利した。ところが衝撃装置のリミッターを外して攻撃したにもかかわらず、幹部は平然と起き上がり撤退した。

 『闇狩り』は実質崩壊したも同然だった。敵も味方も撤退した戦場に一人で残り、各拠点と連絡を取った。
 その結果、残存メンバーはおよそ六割。獏良たちが任務に当たっていたのとほぼ同時刻に同様のメッセージが流され、次々と去っていったらしい。全く連絡が取れない支部すらあった。これだけの数が、その場でいきなり反逆を決意するとは思えない。最初からある程度、手が回されていたのだろう。
 指揮系統の再編、海馬コーポレーションへの報告等をこなさねばならず、グールズ残党の拠点制圧にも参加できなかった。そんな状態で海馬コーポレーションに契約を切られなかったのは、ある意味奇跡と言っていい。
 ならば、その繋がりを最大限に利用しなければならない。
 折しもエジプト考古局では、“デュエルモンスター”への警戒が強められている。“ある秘蹟が記された書物”が標的になったということは、おそらく敵が狙う物品はもう一つある。
 そして獏良は仕事上のパートナーとして、基本的に金で動きながらも自称『人情的な密偵』を名乗る桐沢健を選択した。
 『闇の力』についての知識は雀の涙ほどで、すぐには何らかの思想に発展しないと思われ、それでも全くの無知ではない彼の状態はまさに理想的だった。

「俺は……どちらが正しいか、まだよく分かりません。でも“もう一冊”を狙っている奴らがいて、それを守れと言われたら、思想に関係なく守ります」
 正直なところ彼の「仕事だから」という姿勢は、今回の件に限定すれば最も信頼できる。

「破壊しろと言われたら?」
「直せないものなら、保留します」
「――いい答えだ。ところで、君はどうして敵組織の狙っているものが“もう一冊の書物”だと分かったのかな?」
「え……」
 健の視線が泳いだ。心当たりがあり、それが意味するところも察したのだろう。

「そ、それはですね……えーと……なんとなく?」
 必死に弁解を試みようとする健だったが、とうとう諦めてがっくりと首をうなだれた。
 代わりに獏良が引き継ぐ。

「『十二次元解説書』だね。第一次元の項目に『アムナエルの書』と『千年魔術書』との記述があった」
「あれに目を通した時点で、拒否権なんて最初からなかったわけですか……」
「そうなるね。申し訳ない」
 獏良が立ち止まって謝る。

「いえ、最初から拒否権なんて期待していませんでしたから」
 苦笑いする健もまた、歩くのをやめている。
 目的地であるエジプト考古局はもう目と鼻の先だ。入り口の自動ドアも視認出来る。だが、そこへの進路はデュエルディスクを構えた、五、六人の仮面とローブの人間によって阻まれていた。

「それに――どうやら俺も既に仲間だと思われているみたいですしね……」
 二人は勿論、一般人にとっても通行の邪魔でしかない仮面の連中を退かせるべく、獏良と健はデュエルディスクを展開し、彼らと真っ向から対峙した――――。















 巧と瑠衣は沙理亜の後をついて、城の最上階へと向かっていた。
 石の床に、靴音だけが響く。
 この城はとにかく暗い。照明がほとんどないのだ。転ばずに歩ける程度の視界は保証されているが、その原理は分からない。
 そして何より窓がない。ただしこれは、外が次元の狭間ということを踏まえれば当然のことである。城の壁は文字通りの防壁なのだ。空間の歪みから身を守り、安定した生活を送るには――本当に“生活”と呼んでいいのかは分からないが――欠かせないものだろう。

「見張りとかも……いないね」
 沈黙に耐えかねたのか、おずおずと瑠衣が言った。

「わざわざ、こんな所にまで攻め込もうとする軍隊なんていやしないわ。維持するのに無駄に力を使うだけ。人形に権力と威厳を見せつけても何の意味もない。そんな合理的思考の末に導かれた結論がこれよ。妄信している連中は知っているのかしらね、自分の目指している世界がこんな所だと」
 沙理亜の説明、そして主張は正しい。それは巧も認めざるを得ない。ドーマが滅ぼすべき世界の敵であるということにも異論を唱える余地はない。しかし、だからこそそれはあくまでもドーマについての評価であり、沙理亜とは全く無関係に存在する。

「……瑠衣」
「うん、分かってる」
 故に、沙理亜という人間が正しいことにはならない。ドーマを敵と主張する者の全てが、他の面でも同じ主張をしているとは限らないからだ。

 黙々と廊下を歩き、階段を登り、また廊下を歩く。
 それを何度か繰り返していると、道中にはなかった、これまでより一回り大きな扉が見えてきた。

「あそこに現ドーマの代弁者がいる。名はイオレ、最後のアトランティス王妃よ」
 とは言うものの、沙理亜が残した文献にはアトランティスはおろか、オレイカルコスやドーマについての情報自体がほとんどなかったため、どう反応すればいいか分からない。
 沙理亜も特に返答は期待していなかったようで、押し黙ったままの二人を無視して歩を進める。

 玉座の間らしい部屋の扉には、取っ手がなかった。しかし本来取っ手や鍵が付いているべき場所には、カードをかざすような枠があった。
 沙理亜が次元転移に使った鍵のカードを枠に合うようにかざすと、扉はひとりでに開いた。
 

 “居城”、つまり城と称されるからには、玉座の間かそれに近い部屋に出ると思っていた巧は、すぐに思考を軌道修正することになった。どちらかというなら、そこは神殿に近い。正面の石壁には彼らが崇めているのだろう邪神が彫られ、穴になっている目の部分に炎がちらつく様は妙に生物的で気味が悪い。
 そして悪趣味な邪神の像の前で祈りを捧げている神官服の女性が一人。

「とうとう本気になったみたいね」
 と、沙理亜が小さく囁く。
 その声は神官服の女性には聞こえなかったようだが、訪問者――この場合は侵入者というべきか――の存在にはとうに気付いていたようだ。
 ある程度まで進んだところで

「忘れ物ですか?」
 と、こちらに背を向けたまま声をかけてきた。

「いいえ、子供たちを迎えに行っていただけ」
 神官服の女性はこの城で最も地位が高そうだが、沙理亜の話し方にはそれを気にする様子は見受けられない。

「子供……。それは自分の子なの?」
「ええ、私が言うのもなんだけど、二人とも優秀よ。お前程度の敵では不足かもしれない」
「私は第十二次元への直接的な介入をやめることにしました。その子らとぶつかり合うことはありません」
「とすると、同盟軍は勝ったようね」
「『降雷皇ハモン』は戦死。旧イネト共和国領は、ほぼ完全に同盟下に戻りました」
 苦々しげに言うイオレ。
 対する沙理亜には余裕が見える。

「同盟はそのまま東に軍を進め――」
「あ、その前にちょっといい?この子たちに今回の戦争の経過を説明しておきたい。どうせもう介入しないなら、教えようが構わないはずよね」
「……分かりました」
 イオレが指を鳴らすと邪神の彫り物を隠すように、城という環境には不釣合いな、近代的なスクリーンが下りてきた。
 スクリーンに映っているのは地図だろうか。





     第十二次元 大陸地図
     
                                              / ――――――――\
      /―――――――――\               /           \
     /      |     \            /            \
    /       |      \     /             | 
    |         |       \―――/              |
    |         |フォルオード |   \    ガリウス      \
     \ エルガイア |         |     \              |
     |         \        /サイバー |             |
     |          \____/\     /             / 
     |            /       \    /                 /   
     |               /  ゼルオン   >―/―――\____      /   
       \______/ \        /  \        \――― /    
      / ̄           \____/   |            |    
     /                       |            |  
    |                     |   ローレイド    |  
    |       イネト           |            |  
    \                    |            /   
     \                   /―――\          /     
      \_______/\       /     \______|
                \_____/             







「さて、まずはそれぞれの国家について話しておくわ。第十二次元の民は基本的に種族単位で所属する国家が決められる。そうなった経緯は分からないけれど、彼らは特に疑問を持たずにその体制の下で生活を営んでいる。
 エルガイア王国は魔法使い族。
 フォルオード王国は戦士族。
 ゼルオンはドラゴン族
 イネト共和国は鳥獣、獣、獣戦士族。
 ローレイド王国は天使族。
 ガリウス帝国は悪魔族
 サイバー自治領は機械族。
 他にも植物族や岩石族も生息しているけれど、国家としての形が整えられているのは主にこの7つね。
 そして新暦408年――今年が409年だから、つまり昨年にガリウスはサイバー自治領の北、通称魔の海域を越えてフォルオードへ侵攻を開始した。この奇襲によってフォルオードはわずか2ヶ月で王都が陥落したわ」
「他の国は援軍の一つも遣さなかったのか?」
 巧は顔をしかめた。つい先ほど家で聞いた話では、ガリウスを除く全ての国が一つの同盟下にあったはずだ。いくらなんでも薄情過ぎはしないか。そしてそんな軍の将に据えられた佳乃を気の毒に思う。

「いいえ、ガリウスのフォルオード侵略と平行して、さらに2つの策謀が動いていて、他国はそちらの対応で手一杯だったのよ。
 一つはガリウス皇帝『幻魔皇ラビエル』の指示による、『神炎皇ウリア』のゼルオンの乗っ取り。『ウリア』の竜に似た姿を利用して、当時の指導者『冥王竜ヴァンダルギオン』を一騎打ちで殺害。種族で最も力のある者による統治が行われてきたゼルオンは、ほとんど無傷のままガリウス側に寝返った。まあ、これは実際薄情だと思うわ。
 そしてもう一つは、南の海域から謎の船団がイネトに上陸したこと。でも半年近くも耐えたのは、予想以上の働きだった。むしろお前の策に問題があったと言うべきかしら、イオレ」
「くっ……」
「そしてゼルオンの裏切りに対抗していたエルガイアは別として、サイバー自治領とローレイド王国は中立の立場にいた。フォルオード、ゼルオン、イネト、三方からの攻撃を受けて、同盟の盟主であったエルガイアも滅亡への道を辿りつつあった」
「そこに救世主の少女が華々しく出てくるわけか」
 あらん限りの殺気を込めて、巧が言った。

「ええ、異世界から現れた謎の少女はサイバー自治領に出向き、軍を動かすことを承知させた。そして絶対戦術勝利の力を用いてエルガイアの窮地を救ったのよ。その功績を評価された彼女は同盟軍の将に任命され、フォルオードを解放、ゼルオンの『ウリア』打倒をも成し遂げた。そしてついさっき『ハモン』も討ち、いよいよガリウス本国への進軍が始まる」
「ならば生じた問題というのは、西側の同盟で起きたトラブルか?」
「その程度ならどれだけ良かったか。南東の天使族の国家ローレイドは表向き中立を保ちながら、戦争が始まる何年も前から水面下でガリウスと手を組んでいたなんてね」
「ということを佳乃に伝えていなかった、か」
 沙理亜は既に性格破綻しているが、それでも同盟が勝利するように動いている。それは確かだ。ならば目的は違えど、共闘せざるを得ない。

「とりあえず勢力図は、ガリウスとローレイド、それと今回の紛争からはもう手を引いたサイバー自治領を除く他の国家の集合体が同盟軍、この3つと考えればいいわ。個々の国の思想とかは、あまり気にする必要はない。で、問題のローレイドだけれど――――」
 


 ローレイドは第十一次元から派遣された天使の国家である。
 第十一次元もまた天使族の治める次元であり、各次元に派遣を指示しているのは天使の王家で、間違っても神ではない。一つの国家に統一され平和が実現されている天使は、いわば外交として各次元と接触し、争いをなくそうと奮闘している。
 ローレイドも例外ではなく、王女『ガーディアン・エアトス』を指導者として平和活動に取り組み、ドーマ侵攻の際には大陸中の国家を一つの同盟としてまとめることにまで成功した。
 だがここ数年、第十一次元と第十二次元の連絡は途絶えていた。第十二次元側の、ローレイドの天使が“穴”を封鎖したのだ。
 『ガーディアン・エアトス』の経験の浅さにつけ込んだローレイド軍部の仕業だった。彼らは『エアトス』に無断でガリウス帝国と手を組み、共同で第六次元を制圧。第十二次元を支配し、いずれは第十一次元に反旗を翻すべく、第六次元に天使のダーク化に関する研究所を設立したのだ。
 しかし、巧妙に隠されていた筈のそれらの行いは、ふとしたことから『エアトス』の耳に入ることとなる。そのことに気付いたローレイド軍部の主要な7体の天使は、すぐさま彼女を『事故死』させることを決意した。
 ところが焦ったその内の1人が、独断で刺客を差し向けてしまったのだ。それでも、殺害に成功したのならばまだ良かった。あろうことか『エアトス』は襲撃を受けた自室の窓から落下し、行方不明になってしまったのだ。羽根を傷つけたことから、生きているとは考えにくいが、しかし死体は発見されていない。
 想定外の事態は尚も続いた。ガリウス帝国が同盟に宣戦布告し、西方諸国へ攻め入ったのである。こちらも緒戦こそ勝利を収め、ドーマとの共闘までしていたにもかかわらず、いつしか形勢は逆転していた。そして、表向き中立のローレイドに対し正式に援軍を要請してきた。当然の如くローレイド軍部はガリウスを見捨てようとするが、ある聞き捨てならない情報が要請書に記されており、全面協力へと方針を転換することになった。 

 ――同盟軍に『ガーディアン・エアトス』が所属している。

 幸い記憶を失っているようだが、万一戻ればこの次元に居場所はなくなる。故に、早急な始末が求められる。こうしてローレイド軍部は、同盟の一員として協力する振りをして、国境の城を前線基地として貸し与え、ガリウスと挟撃する策を立てたのだった――。



「――なるほど。飾り物の現地総督に隠れて悪魔と同盟を結び、本国への反逆を企てている連中がいた。総督は反逆の証拠を見つけたが暗殺者に襲撃されて行方不明。今回の戦争では傍観するつもりだったが、その元総督が記憶を失って同盟軍に所属していることを知る。記憶が戻るのを恐れた反逆者は同盟軍ごと罠に掛けようとしている。要約するとこんな所か」
「大体合ってるわ。あの子を救うことを望むなら、私に協力しなさい」
「断る」
「……なんですって」
 この即決は沙理亜にとって本当に予想外だったらしく、顔をしかめた。
 異世界に関するこちらの情報は乏しい。それを踏まえてのことだったのだろうが、巧としては沙理亜に頼るのは最終手段に等しい。確かに的確な策を示してくるだろうが、自分が手駒にされる危険があるのだ。

「それだけ知れば十分だ。貴様の策につきあう気はない。あとは俺のやり方で佳乃を助ける」
「……わたしも、母さんは信用できない」
「フフフ、実の子には随分と嫌われたものね」
 巧に続き瑠衣が沙理亜の庇護と支配を拒否すると、イオレが嘲りの笑みを浮かべる。先程までの様子からして、沙理亜は常にイオレの数歩先を読んで行動していたようなので、やり込められる姿に飢えていたのだろう。

「いいわ。『ラビエル』の第一次元侵攻にはとても間に合わない以上、同盟が負けさえしなければ第十二次元など最早どうでもいい。そして、詰めの甘いところがあるとはいえ、お前の策はおそらく成功する。ならば、私が口出しすることはないに等しい」
 その沙理亜の口調は負け惜しみというよりは、事実を確認している様子だ。

「ああ、そういえば沙理亜。貴女の部下から、“お届け物”が届いています」
 僅かとはいえ沙理亜の敗北に気を良くしたのだろうか、イオレがまた指を鳴らすと、これまた場違いな段ボールがどこからともなく部屋の中央に出現した。それほど大きくはない。

「それは瑠衣にあげるつもりだった物よ。――受け取ってくれる?」
「…………いらない」
 瑠衣は静かに否定の意を示すが、沙理亜は無視して段ボールの近くに寄りガムテープをはがし始める。

「いらないって、言った。無理に渡そうとするなら、わたし、母さんをぶっとばすしかなくなる――!」
 ダンボールを開き中身を確認する沙里亜に、瑠衣はもう一度声をかけた。いや、正確には脅したというべきか。

「そう――なら、仕方ないわね」
 沙理亜は荒れかけている娘の言葉遣いにも動じず、諦めたとも、力づくで渡そうとするとも受け取れる台詞を発した。
 あの女の性格を考えれば後者だろう。
 沙理亜は“何か”を隠すように立ち上がり、背を向けて部屋の出口へと歩き出した。
 巧はまだ警戒を解かない。しかし瑠衣はその様子を諦めと受け取ったようで、ほっと息をつき、

「きゃっ」
 その隙を逃すことなく、沙理亜は振り向き“何か”を瑠衣めがけて投げつけた。
 瑠衣は飛んで来る“書物”に対して、腕で上半身を覆って弾いた。
 床に転がる、書物。その正体に巧は心当たりがあった。

「『アムナエルの書』!? 何故、貴様が持っている?あれは……」
「デュエルアカデミアに封印されていたもの。そうよ、私たちはそれを奪い取った。……破壊するためにね」
 『アムナエルの書』は遥か古代の遺産である。しかし『書』には、多くの歴史的な書物が避けて通れない“風化”の影響を受けた様子がない。
 つまりそれは、『闇の力』によって保たれていたということ。
 瑠衣の『力』によってその守護を失い、『書』は滅びを迎えようとしていた。

「貴様、自分が何をしたか、分かっているのか」
「当然よ。『闇の力』があるから、第一次元は多くの脅威にさらされる。内部からも、外部からも。『闇狩り』などという大層な名を持つ集団もいるけれど、奴らは現状を傍観することしかしない。これは第一次元を守るための行動なのよ」
 沙理亜の演説に対し、巧はゆっくりと首を振る。

「違う。貴様がしていることは、ただ第一次元の防衛戦力を削ぎ落としているだけだ。『闇の力』に代わる何かは……いや、確かに今ここにあるな。だが、瑠衣は新たな秩序の統治者に興味はないだろう」
 事情も話していないし特に打ち合わせをしていたわけでもないが、嫌いそうな言葉を並べた甲斐があったのか、瑠衣は滅んだ『書』の残滓である砂を握り締めて頷いてくれた。

「でも、もう遅いわ。これで残りは一つになった。『千年魔術書』奪取を阻止しに、エジプトに来る?」
「行くわけがないだろう」
 巧が再び即答した。
 ――当たり前だ。これまでの行動は全て、佳乃を救うためのもの。異世界などという得体のしれない所へ行くのも、それ以外に理由はない。そのために妹をも利用し、先刻は沙理亜とまで、ほんの一時期ではあるが共闘関係を結んだ。

「兄さん……!?」
 瑠衣が驚いて声を上げた。
 しかしそうなることは、防げるかは別問題として、予想の範疇だった。
 世界の危機や沙理亜打倒よりも佳乃の援護。その価値観は、おそらく瑠衣とは共有できない。瑠衣は自分を誘拐した沙理亜への反抗心から、巧に協力しているからだ。
 強引に管理した感情と絆の綻びが、早くも露呈した。
 
「当然よ。それが永瀬巧という人間だから。世界が崩壊の危機にあって、それを止められるのが巧だけだったとしても、絶対に異世界行きを覆さないでしょうね。だから第十二次元については永瀬巧に任せることにした。それじゃあ待っているわよ、瑠衣。――エジプトでね」
 沙里亜は反論の余地を与えずに一気に語り、神殿らしき部屋から立ち去った。
 そうなれば瑠衣は当然、巧に事の真偽を質すしかない。 

「すまない……。だが俺は最初から、佳乃を助けるために異世界に行くつもりだった。あいつがまだ第十二次元で戦っているのなら、あらゆるものに優先して援護する」
「たとえそれが世界の命運や――妹でも?」
「そうだ。そしてこうなったからには、お前が望んだとしても、第一次元に戻らせるにはいかなくなった。俺が異世界に行き、瑠衣がエジプトに行く。理論上はそれで何とかなるが、今の沙里亜が相手では、リアルファイトで取り押さえられる可能性のほうが高い」
「わたしが、拒否したら?」
「そんな仮定はそもそも存在しない。自ら異世界行きを望み、それを承諾した時から、お前は常に作戦プランに組み込まれている。その指示を受けてくれると、信じている」
 依然として、瑠衣の表情は硬い。
 おそらく瑠衣の迷いは、“巧と沙理亜のどちらを信じるか”ではなく、“巧を信じるか否か”にある。
 そのことにようやく気付いた。
 沙理亜が信じられないことは分かっているのだ。しかし巧も信用できない。だから巧が信じるに足ることを証明したいがために、共に来ることを願った。結果は真逆になったが。 

「……教えて。ねえさんは、どうして異世界で戦っているの?」
 ドーマの首領が聞き耳を立てている可能性があるのは問題だが、これについては、いずれ瑠衣には話さねばならないことだった。
 むしろこれを話さずして――巧が瑠衣を信じずに、向こうから信じてもらおうという考えの方が甘かった。今になってそう思う。
 巧は事情を話した。これまでの行動、その全てが瑠衣ではない別の人間のためのものだったことを。

「――これが、全てだ。あの夜、俺が沙理亜の策に掛かりさえしなければ、佳乃はこんなことにはならなかった。結果として、お前まで巻き込んでしまったこと、本当に悪かった」
 そう言って、頭を下げる。
 兄の謝罪を目にして、瑠衣はゆっくりと首を振った。

「もう……いいよ。兄さんはやれるだけのことはやったと思う」
「結果が出なければ意味がない」
「だったら、これから出そう。わたしも協力するから」
「……いいのか、それで?」
 深刻に頷く瑠衣。

「うん、むしろ感謝したいぐらい。兄さんがそこで失敗したから、わたしを必要としてくれたわけで……そのお陰で母さんに利用されずに済んだ。ねえさんには悪いけれど――そう、思ってしまう……」
 そして、何とか重い空気を変えようとしたのか、満面の笑顔で付け加える。 

「でね、母さんには生き地獄を味わってもらおうと思う。まだ具体的なプランはないけど、恐ろしいのを考えておくから」
「ははは、期待しておくよ。……だけどな」
「何……?」
「笑いながらそれは危ない人間だと思われるぞ」
「…………笑ってた?」
 真面目な表情にようやく戻るが、遅い。あれはどう見ても演技の笑顔ではない。

「戻ってきてから一番本気で笑っていたと思う」
「き、気のせいじゃない?」
「なら、そういうことにしておこう。それぐらい残酷だと非道な指示も出しやすい」
「全然理解してない! それに残酷とか非道とか言わないでよ。私の人間性が疑われちゃう」
「次元の狭間に放り出そう、とか考えてたんだろ?自覚がない方が余計に性質が悪い」
「そ、それは……少しは考えたけど、でも! そんなことしたら、次元のうねりに潰されたりして簡単に死んじゃうかもしれない。脱出の望みがない状況に絶望して垂たれ死ぬならまだしも、そうなる確証もないのに出来ないよ」
「気持ちはとてもよく分かるが、墓穴を掘っていることにも気付いてくれ」
 永瀬瑠衣は、本質からしてデュエリストだ。それ故に持ち得る思考は、巧や、あるいは沙理亜をも超える異常性を有していた。人類皆が勝者になれない現実を、誰よりも強く深く理解している。本心から敵と認めた相手は、容赦なく全力で叩き潰すことが出来る。
 命のやり取りという要素が加わったとき、同じぐらい強い優しさに負けないかという懸念はあったが、考えてみれば、既に限りなく近いシチュエーションでドーマの尖兵を意識不明に陥らせている。それに現在の瑠衣は、言うなれば極端だ。感情の爆発が多い。これまで必死に押し込めていたものが、反動で一気に出ているような状態である。そこで戦闘狂になってしまえば、自分でも抑制が効かず、平気で命を奪うぐらいはしてしまうだろう。
 ――それが瑠衣にとって良いか悪いかは別として。
 二人はなおも罵倒に近い普段の掛け合いを続けようとするが、明らかに会話を中断させることが目的の咳払いが聞こえ、咳払いの主であるイオレの方へ向き直る。

「素晴らしい兄妹愛です。それを存分に温めるのも結構ですが――沙里亜は今この時も第一次元を作り変えようと切磋琢磨しています。あなた方は動かなくて良いのですか?」
 癇に障る笑顔でイオレは潰し合いを勧める。
 だが、そのようなことは言われずとも分かっている。それに、

「ドーマの代弁者に時間について説教されても、嫌味にしか聞こえない――!」
 小声で憤慨する瑠衣。握り締められた拳そのものにさしたる脅威は感じないが、込められた感情の鋭さにはただならぬものがある。
 ただ、意見については同意するが、巧の目的はドーマを壊滅させることではない。

「ならば教えてもらおうか。第六次元へと続く“穴”は第十二次元のどこにある?」
 イオレは予想通りとでも言うように口端を吊り上げ、地図の一点を示した。
 悪魔族の国家ガリウス帝国の北東に発光している部分がある。
 確かに第六次元を制圧したのはガリウスだと聞いた。その点では矛盾していないが――疑問が残る。

「他にはないのか? 全て出して欲しい」
 おそらくイオレはこの要求を断れない。第十二次元の覇権を賭けた戦略ゲームの対立構造はついさっきまで「イオレ対沙理亜」だった。そして細かい範囲は分からないが、ルールの一つに基本的な情勢についての情報公開があると巧は判断した。そうでなければ、ここに着いた直後にわざわざ戦いの結果を伝えた理由がない。その上で、沙理亜の去り際の言葉。

『第十二次元については永瀬巧に任せることにした』
 この時点で、沙理亜はゲームのプレイヤー権限を全て巧に譲渡したと考えられはしないか。
 ――正確には“押し付けた”だが。
 案の定、イオレは巧を忌々しそうに睨み付けながらも点の数を増やした。
 ガリウス北東のものも含めて三つ、その内の一点はローレイド国内、ガリウスとローレイドの国境付近にあった。これならばローレイドは第六次元に天使のダーク化に関する研究機関を設立している、という説明とも一致する。

「ではこの――ガーデア城に転移することは?」
「可能です」
 ガーデア城は国境付近の“穴”の表示に最も近い、というよりほとんど重なっている城だ。
 そして、ローレイドが敵対者に筒抜けな策を弄しようとしている城。

「ここを出たら左側の階段を四階分下り、真っ直ぐ進んで五つ目の右手の部屋で“鍵”のカードを使うことで目的地に到達できるでしょう」
 “城”にある無数の部屋、その本来の用途はおそらくこれだ。つまり、どの部屋で“鍵”のカードを使うかによって、出られる“穴”が変わるのだろう。

「それと他には――――」



 こうして、侵入者たちはこの城の便利な機能を使うだけ使って、神殿の間から去った。
 しかし。
 イオレの本当の狙いには、まだ兄妹は気付いていない。
 第十二次元の攻略を、まだ彼女は諦めていなかった。
 そうでなければ、ローレイドと手を結んだ意味がない。
 沙理亜は気付いていたのかもしれない。だがあの女は、それを子どもには教えなかった。ドーマに二人を倒してほしいと考えているのか、それとも自分が舐められているのか。
 ――どちらでもいい。イオレが成すべきことは変わらない。
 この高みから、第十二次元の歴史の流れを操る。
 同じくその立場からイオレを妨害するはずの青年は、自ら権限を放棄し、NPC(ノンプレイヤーキャラクター)の一人として戦争に関わることを選んだ。
 その時点で、イオレの勝利は決定した。
 そう、思い込んでいた。
 この戦いはゲームだが、ゲームではない。
 イオレは失念していた。
 第十二次元に生きる命の何一つとして、プログラムされた行動しか出来ないデータではないということに。












 ガリウス帝国 辺境


 草木の一つもない、荒れ果てた平野。
 密集する、黒い鎧。
 その前方には、いかにも空間の歪みと表現できそうな“穴”が口を開けている。
 邪悪な風が荒野に吹き荒ぶ。
 地面が見えなくなるほどに敷き詰められた黒い鎧の大群が風を受けて、緊張ゆえか武者震いした。
 兵たちの鎧が重なり、不快な音が周囲に響く。
 だが平均した大きさは人間とそう変わらない“悪魔”の兵は耳障りな音を気にせず、十数メートルもある巨大な悪魔を、尊敬と畏怖と恐怖を混ぜ合わせた表情で見上げている。
 何かを待っているかのように、見つめる。毒々しいわけでもなく、かといって間違っても澄んでいるとは言い難い、蒼い悪魔を。 
 敢えて表現するならば、それはネガティブの青。恐怖の色。黒を無から生じる絶望とするなら、その悪魔はじわじわと、しかし積極的に諦観を植えつけていく、そんな青。
 間もなく訪れる“その時”の中心に、蒼い悪魔は存在していた。 
 やがて――――。
 
『勇敢なるガリウスの戦士たちよ――』
 低くくぐもった、しかし聞き取ることを強要させるような声が荒野に響き渡った。
 
『時は来た――! これより我らは、第一次元へと攻め込む――!!』
 オオオオオオオォォォォ!!! と歓声が上がる。

『これは侵略戦争ではない。第一次元の人間どもは『闇の力』を知らず、我らをゲームの駒として扱い続けている。――知らしめるのだ、最大の罪は無知であると!人間は『闇の力』の管理者たりえぬと!!大義は、我らにある!!!』
 再び、歓声。だが、蒼い悪魔の真意を正しく理解している兵はほとんどいないだろう。
 彼らはただ、暴れられる理由が出来たことに喜んでいるだけだ。そして蒼い悪魔の方も、それでよかった。大義にそぐわぬ略奪や虐殺を働こうが構わない。第一次元の人間とは、その程度の存在なのだから。

『攻撃目標は、エジプト!! 我らが魂の冒涜が始まりし地――』
 一旦言葉を切り、間を置き――。 

『征け!!!』
 蒼い悪魔の号令に合わせて、黒い鎧の集団が次々と次元間を繋ぐ“穴”に突入していく。
 その様子を目にしながら、悪い記憶しか残っていない第一次元での日々をよぎらせる。


 
 ――水溶液入りの巨大なカプセル。

 ――時折行われる、実験という名の拷問。

 ――同じ造られし命。同胞との殺し合い。

 ――我は、勝ち続けた。



 しかし。



 ――孤島に封印されることが決まった。

 ――金の物体による、苦痛。そして、闇に侵食される視界。

 ――突然の、目覚め。

 ――人の野心による目覚め。

 ――戦い、初めての敗北。死。

 ――そして、また、目覚め。



 訪れない、死。
 絶望。


 我は――!

 ワレハ――!!

 死の安らぎすら許されない存在、だと……いう、のか……。


 怒り。
 そして、破壊衝動。

 我は、知ッタ。
 奴らが与えた死ねない肉体と、圧倒的な力と、狂わんばかりの怒りで、愚カナ人間ドモヲ滅ボス。
 それこそが、我ノ使命。

 かくして。
第一次元の人間に造られたモンスター『幻魔皇ラビエル』は、自らの創造主へと牙を剥いた――。




 2章 交渉

 ローレイド国境 ガーデア城


 ガーデア城主『天空勇士ネオパーシアス』は、暗い顔つきで執務室の机に向かっていた。
 清潔な白い壁と自然の匂いがする木製の床で覆われた部屋。
 机の上から直接見えない引き出しの中まで、彼の性格が反映されて、几帳面に整えられている。
 しかし仕事は、はかどらない。
 つい考えてしまうのだ、先日言い渡されたあの命令を、実行すべきか否かを。

 ――実行しても、ローレイドの益になるはずがない。
 ――いや、命令に従うのは当然だ。

 主にこの二つの思考がせめぎ合い、揺れている。
 だから、気付かなかった。
 背後の窓が、何者かによって開けられたことに。
 ――首筋に、剣が当てられたことに。 

「動かないで下さい」
 その一言で、ようやくネオパーシアスは自らが置かれている状況を理解した。

「――何者かね?」
 ゆったりと落ち着いた声。
 決して緊張感がないわけではない。
 確かに自分は、政争とは程遠い国境に跳ばされた身ではあるが、“あの命令”を受けてしまった以上、何らかの“裏”の関与を受ける可能性は十分にあった。
 例えば、監視役がその存在を知らしめるために、挨拶に伺うなどが考えられる。
 逆に言えば、命を取られることはまずない。
 実際、既に背後の何者かは最大の暗殺のチャンスを自ら潰している。
 だが侵入者の答えは、予想とは全く異なるものだった。

「そうですね――第一次元の人間と言えば分かってくれるでしょうか?」
 おそらく、若い男。しかしそれよりも“第一次元の人間”を語る理由が分からない。
 新手の冗談でもないだろうし、男の口調が至って真面目なことも踏まえると、あるいは本当に第一次元の住人なのだろうか。

「“第一次元の人間”が、突然私に何の用かな?」
 用件は分かっている、そのぐらいの余裕を持たせて訊く。
 だが――――。

「単刀直入に言うなら、暗殺命令を遂行しないで貰いたい、といったところですね」
「――――!?」
 臆面もなく、想定とは真逆の要求を突きつける。
 そこで動揺してしまったのは、不覚だった。
 確かにネオパーシアスは暗殺命令を受けていた。つい先程までも、そのことについて考えていた。
 しかし――この命令を阻止しようとする存在が、そもそも命令を知っていること、第一次元の人間と名乗る理由、そして何故暗殺を止めようとするのか、とても予想が付かない。
 ふと、気付いた。後ろの男は、やはり監視役ではないだろうか。脅しを理由として簡単に暗殺を中止しないかを確かめようとしているのでは?
 となれば、答えは一つだ。

「残念だが、諦めたまえ。私はこの国に仕える一人の将。命令には従わねばならない」
 侵入者はその受け答えを鼻で笑った。

「いかにも軍人らしい答えですね。しかしこの国の現体制がどのようにして生まれたか、忘れたわけではないでしょう」
「な――――!?」
 いくら忠誠心を確かめるためといえど、その汚点に触れるなどあり得ない。
 彼ら自身の罪を、揉み消そうとするならまだしも、自ら言う筈がない。
 まさか、本当に反対勢力なのだろうか。

「ではまず、この剣をどうにかしてくれないか。君の言う通りならば、これは私の首を刎ねるのではなく、侵入者に対して兵を集めさせないようにするためのものだろう」
「ああ、そうでしたね」
 侵入者が冷静に言って、次に起きた事象をネオパーシアスは理解出来なかった。
 首筋から、剣が消えた。剣を引いたのではなく、跡形もなく、掻き消えた。
 そして、机を回って姿を見せた“侵入者”は到底剣を扱うような体つきではない人間で、しかし何よりもまず左腕に装着された機械に目を奪われた。

「……それは、第一次元の……」
「デュエルディスク。そうです。自分は本当に第一次元の人間です。申し遅れました、永瀬巧といいます。どうかよろしく」
「よろしく……ではない!! 何故、第一次元の人間が……?」
 第一次元の人間は他次元に暮らしているモンスターをカードとして顕し、娯楽の道具にしていると聞く。それ自体は文化であり仕方ないと、第一次元に派遣された経験のある天使は話していた覚えがある。だが同時に、第一次元の人間のほとんどは異世界について無知であるとも言っていた。それがまさか、他次元に渡り、政に干渉してくるとは思わなかった。

「第一次元は今、第十二次元が一国、ガリウス帝国の侵略を受けようとしています。根源を絶つため、帝国及びその同盟国の目論見を阻止しようとするのは当然でしょう」
 ぬう、とネオパーシアスは唸った。
 それは確かに一理ある。暗殺対象にはエアトスだけでなく“同盟軍の総大将”も含まれていた。ガリウスとローレイドが同盟を結んでいることは当然知っている。このガーデア城はまさにその同盟の象徴なのだから。同盟軍の総大将が第一次元の人間で、しかも永瀬巧の知り合いということまでは知る由もないが、総大将が討たれれば、大軍であればあるほど機能不全に陥りやすいことは軍人として当然に理解している。
 ろくに“次元”の技術が発達していない第一次元の人間が、どうやって次元間を渡ったのかは分からないが、しかし彼はこの場所にいて自分は命の危機に晒されている。第一次元の“デュエリスト”として当然に、彼は『ネオパーシアス』の戦闘力を知っているのだろう。しかし自分を殺すつもりはないらしい。となれば、まずは目の前の現実を――暗殺命令をどうするべきかを、考えるべきだ。

「それならば、私を殺せば済むのではないかね? この城で、その命令を知っているのは私だけだ」
「いや、そんなことをしたら、もっと中央政府に忠実な将が送られてくるだけですよ。俺は、あなたが城主だからこそ、こうして話し合いをする気になったのですよ」
「…………」
 この男は、全て知っている。ネオパーシアスが、かつてエアトスの腹心だったことを。そして現在もそちらの忠誠をこそ、忘れていないことを。

「ではまず、暗殺を遂行した場合にどうなるかを言っておきましょう。ガーディアン・エアトスの死体は見つかっておらず、軍部の主要な七人も死を対外的に発表してはいません。そして、あなたが彼らと敵対する立場にある以上、答えは一つ。あなたが、彼女に反旗を翻した逆賊として扱われます」
「……やはり、そうなるか」
 薄々分かっていたことではある。彼の言うこと全てを鵜呑みにするわけにはいかないが、これは間違いない。

「あなたは良い領主です、ネオパーシアス殿。そのような理不尽な扱いを受けると承知していながら反抗しない理由、それはこのガーデア城を戦火に巻き込まないようにするためではありませんか?」
「……そうだ。分かっているなら話は早かろう。暗殺をしなければ、聖都の連中は私が同盟軍と手を組んだと判断し、ガリウスと共にこの城を挟撃するだろう。この城下には現政権に疎まれ、亡命に近い形で流れ着いてきた者も多く暮らしている。奴らにとってエアトス様は、この城に軍を差し向けてでも亡き者にしたい対象だ。攻め込ませる口実を与えるわけにはいかないのだよ」
 暗殺に成功すれば、全ての真相が闇に葬られる代わりにこの城を攻める理由もなくなり、城下に住む民は救われる。
 だから命令に背くことは出来ない、そういう意図を込め侵入者をにらみ返す。
 永瀬巧と名乗る人間の出自と目的に偽りがないとするなら、この場でネオパーシアスに望んでいる役割は現在ローレイドを支配している者達への反抗だ。仮に暗殺を中止したとしても、ガリウスとローレイド軍本隊に挟み撃ちにされればまず同盟軍に勝ち目はない。誰かが、ローレイドの進軍を抑えない限りは。

(この男は私と、おそらくエアトス様もその役目に使おうとしている――!)

 本心を言えば、エアトスの記憶を取り戻しローレイドを牛耳る連中の正体を暴きたい。しかし聖都に到達するまでの妨害を乗り切るだけの戦力はない。志半ばで倒れれば、ガーデア城全体が反乱軍の拠点として扱われるか、そこまではいかずとも新たな城主は民の自由を厳しく制限するだろう。
 高度な科学力と魔道技術、統一された平和な国家という十二次元世界で最も恵まれた環境にある第十一次元の天使は、他の次元の住人たちの手本とならなければならないと、常々ネオパーシアスは考えている。それが、思想的な面から弾圧? 冗談ではない。私は第十一次元の天使だ。腐ったローレイドとは違う。ならばせめて、この街だけでも第十一次元の正しい在り方を保たなければならない。
 しかし――――その腐ったローレイドの命令に逆らえないのは、本当に正しい在り方と言えるのだろうか。
 それもまた、否だ。だがそこまで承知していながらも、戦力の不備という現実の問題が圧し掛かり、反旗を翻す決心がつかずにいた。

「…………君は、我々を勝たせる策を持っているのだろう? 早く提示してくれないか」
 そしてつい、期待を持ってしまった。この男はその問題を解決する案を手にしているのではないかと。
 いや、これは話を聞くだけだ。策が現実的でなければ断ればいい。そのぐらいの判断力はまだ残っているはずだ。目を伏せ、自らにそう言い聞かせる。
 だから、気付かなかった。巧の表情が、獲物が罠にかかったような、そんな邪悪な笑みを浮かべていることに。

「分かりました。では、第六次元に続く“穴”を開いてくれませんか?」
「――――!!」
 この男がしようとしている事が、即座に理解できた。だがこれは未知数だ。彼が成功した場合に引き連れてくる軍の規模と質。後者はある程度把握しているが、規模は不明だ。
 第六次元、通称墓守の里。ガーデア城郊外の“穴”からガリウス軍は墓守の里へと侵攻し、二ヶ月で陥落させた。ローレイドも協力者の立場を利用し、第六次元内にある施設を建造していた。――――天使の“ダーク化”の研究施設を。
 ローレイド軍部の最終目的はやはり、第十一次元への反逆にあるようだ。しかし圧倒的な数的不利は避けようもない。来るべき戦いのために何らかの手段を用意する必要があり、“ダーク化”は最も有力な方法として期待されていた。『闇の力』を肌や装備品の色が変わるほどに取り込ませ、戦闘力を向上させる。つまりは最も簡単な方法だ。一人で二人、三人あるいはそれ以上を殺せるようにすれば、数的不利は補われると考えたのだ。

「第十一次元の天使はある程度、次元の“穴”をコントロールする術を見つけているようですね。しかし何かの弾みでたまたま封印が解け、そんな時に限って謎の一団が“穴”に入ってしまった。今の段階であなたに望むのはそこまでです」
 つまり反乱計画がローレイド政府側に露見するのは、最低でも戦力がこの城に集結した後ということになる。決して悪い策ではない。
 だが同時にネオパーシアスには、この計画における自分にとっての最大のデメリットが見えていた。それは、今この時点で反乱を決意しなければならないこと(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。永瀬巧という男にしてみれば逆にこれは一番のメリットであろう。一人で考える暇を与えず、半ば脅されているこの状態で意思決定をさせる。選択の余地があるように見せかけて、その実ネオパーシアスに自由はない。

 『闇の力』を注入し記憶操作まで行っている研究所の現状を放置していることに、負い目がないわけではない。形式上、第六次元の研究所の責任者はネオパーシアスなのだ。研究を中止する命令を出せばおそらく所長は従う。しかしその場合にはもう一つの噂が大陸中に広まることになる。すなわちネオパーシアスが単独でガリウスと組み、悪辣非道な研究を行っていると。大陸中の非難を浴び、この城へと向かっている同盟軍は“討伐軍”になってしまうだろう。
 気付いた時には、既にネオパ−シアスは軍部の者たちによって共犯者の一人に組み込まれてしまっていたのだ。

 ガーデア城と城下町、第六次元の研究所。この二つが枷となり、ネオパーシアスは反抗を封じられていた。
 だが、この策が成功すれば“ダーク化”された天使を戦力として数えられ、加えて“未知の襲撃者”によって潰された研究の責任をネオパーシアスに転嫁することが出来ない。未知の襲撃者は研究所の事情を知っていて動いた可能性が高いからだ。ネオパーシアス本人による弁解は意味を成さなくても、第三者の証言ならば多少なりと聞く耳を持つ者は多いだろう。
 そして、ネオパーシアスが直接研究所の活動に介入した証拠も存在しない。研究の中止であれ指示を出すことで、ネオパーシアスが“ダーク化の活動において権限を持っている”ことを知らしめるのが軍部の狙いなのだ。

 とはいえ、ダーク化はまだ発展途上の技術である。研究が完成すれば軍部の目論見通り通常の兵の数倍の戦闘力を発揮できるのだろうが、現段階でそこまでは望めまい。それに正確な数も把握できていない。
 反乱計画を実行に移すには、まだ足りない。
 ネオパーシアスは再び低く唸った。

「まだ――――足りませんか。では、もう一枚カードを切るとしましょう」
 考え込むネオパーシアスを見て、少年が言った。ネオパーシアスは鋭く視線を向けるが、目を逸らす様子はない。

「同盟軍の総大将は、第一次元の人間です」
 これにはネオパーシアスも耳を疑わざるを得なかった。確かに兵の能力を数値化できるという点で、これ以上の適任者はいない。だがそれだけで一軍の将になれるわけがない。数値化できるからこそ、兵をただの駒として扱い信頼を損ねることも危惧される。これが事実だったとして、果たして同盟軍の諸将はどれだけ総大将の素性を知っているのだろうか。
 ガリウスを擁護する気はないが、第一次元の底知れなさに身震いせざるを得ない。

「なに……? それは、本当のことなのか……?」
「間違いありません。彼女は俺と“同じ目的”で“同じ人物”によって、第一次元を守るために送られてきました。本当なら俺は派遣されずに終わるのが理想だったのですが、彼女はこの次元内での立場上、自由に動けなくなっていますからね」
「そして、エアトス様が同盟に所属しているという事実。これらを考慮すると――――」
「はい。ガリウス攻略に支障の出ない範囲で、同盟の兵を借りることは不可能ではないでしょう。ガリウスと結んでいるローレイドの一派を同盟軍の敵として扱うことも。むしろ、最初から俺の役目はこの城の勢力と同盟軍を結びつけることにあったといえます」
 この計画はネオパーシアスにとって、あくまで“内乱”だった。他国の支援を得て勝利したとしても、それを口実に内政に介入されては意味がない。現在はガリウスやドーマの侵攻による被害から建て直しを図るので精一杯だとしても、十年後、あるいは二十年後、いずれ必ず弊害は生じる。だからローレイドの内輪で解決しなければならない、そう思っていた。
 しかし彼の話が真実だとするなら、全てが変わってくる。ローレイドの首都が親ガリウス派に乗っ取られていると主張しても、第十二次元内部の住人はこれまでのローレイドのイメージとギャップが生じ、違和感を覚えるだろう。兵力の蓄えを削りたくないというのが真意でも、対外的には以前から変わらず中立を謳い続けてきているのだ。だが第一次元からの来訪者は、最初からローレイドを“ガリウスの同盟国”とみなして行動している。そんな人間が将であるなら、この内乱への同盟軍の介入は、ガリウスの同盟勢力の排除と受け取らせることもそう難しくないはずだ。

「さらに、ガリウス皇帝『幻魔皇ラビエル』は、既にガリウスの戦力の大半を連れて第一次元に渡っていると思われます。ガリウス攻略に引き連れてきた同盟軍の全戦力を傾ける必要は、まずないでしょう」
 そうして出来た余剰戦力はローレイド聖都の攻略に回せる。
 この策が失敗するとすれば、同盟軍がこの城に着くより先にローレイド軍の奇襲を受ける場合だが、軍部は来るべき反乱のときに備えて戦力の損失を抑えたがっているし、ネオパーシアスには暗殺命令が出ている。この危険は限りなく低い。

「……“穴”の場所へ案内しよう」
 結局はこうするより他になかった。現状を打開するには、こうするしか。

「ありがとうございます。ただ、こっちはもう“穴”の場所を知っていますので、封印の解除さえしてくれれば案内は不要です」
「いや、“穴”の封印解除は現地でしかできないのだ」
「ああ、それは確かに一緒に来てもらわねばなりませんね。ですが、城主がここを離れて大丈夫なのですか?」
「治安は安定しているし、私の本職は軍人であると城の天使は皆知っている。問題があれば副城主の方へ駆け込むだろう。そして、私はこの城の抜け穴に精通している。実際に何度か抜け出したことがあるからな。……こんなところで役に立つとは思わなかったが」
「では――行きましょうか」









 およそ一日前



 永瀬瑠衣は、巧と共にガーデア城の城下町に入ろうとしていた。
 高い城壁で囲まれ一見堅固に見えるが、巧に言わせれば、

「あまり防衛能力は高くないだろうな」
 らしい。
 国境を守る重要な拠点とはいえ、ガリウスとローレイドは友好的な関係にあり、むしろ第六次元への“穴”があるこの城はその証といっても過言ではない。
 加えてガーデア城の城主はローレイドの中央に疎まれている。仮に反乱を起こされた場合、固い城に篭られればいくら数で圧倒的に勝っていても被害が出るのは避けられない。だから、最初から守りの弱い城に置く。考えてみれば常識的な範囲でその結論には到達できる。


「……――この登録証を見せれば宿や、その他一通りの施設が利用できます。ですから失くさないで下さいね。住宅街に入っても構いませんが、不審者とみなすのも天使であり間違いがないとも言い切れませんので、ご了承下さい。えーと、あとは……」
 背中に翼、頭に光輪の典型的な天使の女性が説明する。内容は主に城下町のお勧めスポットについて。他に順番待ちをしている旅の者もいないせいか、なかなか止まる様子がない。とても気さくで、誰とでもすぐに仲良くなれそうだが、その様子を見て負い目を感じるのは瑠衣だけだろう。

 彼女の“名”を瑠衣は知らない。目の前の天使の女性は“デュエルモンスター”ではなかった。城壁あたりから街中を見渡した限りでも、“知らない”天使の方が圧倒的に多い。
 では、彼女はこの度の戦乱と無関係だろうか。――それは違う。この次元には、この城下には彼女の住居がある。家族や友人がいる。全てを失い断崖に身を投げる気持ちで、何か行動を起こさなければと思いつつも、結局流されてきた瑠衣より遥かに深く関係している。
 世の中には知らない方が良いこともあると言うがその通りだ。あらゆる情報を統制されては困るが、瑠衣の理想は普通の生活である。将来の夢たる職業がプロデュエリストだったとしても。……うん、普通だ。社会的認識が遅れているだけ……だと思う。
 いずれにせよ、自分がそういった日常生活上の秩序を壊す側になるとは考えたこともなかった。そして普通の生活を奪われる苦しみを実際に体験しているだけに、いざ自分がそれをするとなると胸が痛む。
 この国の体制は崩壊させなければならない。これはどう見ても揺るがない。しかしこの街については逆に、一目見ただけで絶対に戦場にしてはならない場所として映った。

「ところで――お二人は恋人か何かですか?」
「「兄妹です」」
 社交的な笑顔で綺麗にハモる。

「あー、そっちでしたか、すみません。ご出身はどちらです?」
「え! えーと……」
 ごく普通の質問だが間違いなく言えないことに気付き、また自分が非日常の住人であることを実感する。

「フォルオードの辺境です。ここだけの話、サイバー自治領と親交がある地域なんですよ」
 焦る瑠衣を見かねて、巧がすらすらと答えた。……これからは、きちんと回答を作っておかなくては。

「そんな所があるんですか。でも、そういえば服とか他の人たちとは違いますね」
「はい。ただ、もうあの村はこの世界に存在しませんが……」
「それはどういう――あ! すみません、あまり思い出したくないことでしたよね」
 今回の戦乱でガリウスによって滅ぼされたと思ったのだろう。しきりに謝る。

「でも帝国の寿命も、もうすぐ尽くと思います。ガリウスを倒すための軍が、数日中にこの城に着くと聞きました」
「そう……ですか……」
 重くなった空気を変えようとする天使を瑠衣は複雑そうに見つめる。彼女は自国が同盟よりもガリウスに近い側であることを知る由もないだろう。それが良いことか悪いことかは分からない。しかし彼女やガーデア城主がどのような考えを持っていたとしても、それとは一切関係なく、この城に潜む“闇”を暴き討ち滅ぼさねばならない。

「大丈夫ですよ。同盟軍はきっと勝ってくれます。いえ、勝ちます!」
 贔屓のスポーツチームを応援するのと変わらない様子で断言する。
 しかし根拠もなく言い切れる姿は、むしろ眩しい。
 常に最悪の事態を想定し、数字だけで物事を動かす。第一次元の人間だからこそ、それが嫌でも出来てしまうというのは、傲慢でしかなかった。“デュエルモンスター”としては不確定な彼女の存在がそう教えてくれた。

「はい、俺たちもそう信じています。色々と教えてくれて、ありがとうございました」
「いえいえ、長々とお引き留めしてすみませんでした。それでは、良い旅を!」




 この大陸の時刻は日本とは真逆のようだ。
 門での登録を済ませた頃太陽は高い位置にあり、第一次元と同じ構造をした街角の時計は腕時計と同じ12の数字を指していた。しかし沙理亜と邂逅した午後5時から19時間も経った覚えはない。おそらく第一次元の日本では深夜0時なのだろう。
 そして二度の次元間移動と数え切れないほどの新事実は、瑠衣の心身を疲弊させており、体内時計に抗うことはできそうになかった。そのためこの日は、巧は情報収集に徹し、瑠衣は一足先に宿で休息。本格的な行動は翌日からということで一致した。
 夜はデュエルディスクを使わずにデュエルを行い、互いの戦術を確認。そしてどこから流れてきたのか、大陸の統一通貨が日本円で肖像画も樋口さんや福沢さんな理由について激しい議論を交わした。

 そして翌日

 まずは第六次元に続く“穴”の場所に行ってみることにした。住宅街の奥にある林を抜けた先で、観光客は寄り付かず城下の住人でもまず行くことはない場所らしい。本物の心霊スポットという理由が多かったそうだが、実際のところは以前に“穴”が暴走して周辺の家屋を呑み込み、多数の行方不明者を出したからのようだ。
 同じことを繰り返さないため、浅いクレーター状に抉られた大地の周りを頑丈な柵で取り囲み、数名の見張りを立てているのだが、最大の問題は第十一次元の天使がある程度“穴”の制御に成功しているらしいことである。そして“穴”の機能の封印解除は、城主であるネオパーシアスしか出来ないとの情報を巧は得ていた。

「じゃあ、瑠衣はこの周辺を見張っておいてくれ。城主と“交渉”に行って来る」
「うん。気をつけてね」
 見張りのいる小屋と柵を一望できる木陰に身を潜め、巧は来た道を戻って行った。
 そちらの方面は巧の得意分野だ。特に嘘に真実を織り交ぜることにかけては沙理亜でも敵うまい。ここは素直に任せておけば問題なく事が運ぶだろう。

(でも……周辺を見張っておいてって、どう考えても……)
 大人しく待っていろと言っている様にしか聞こえなかった。
 瑠衣の身体能力を考慮すれば、それはむしろ性に合うぐらいなのだが、苛立ちが募る。

(兄さんにとってわたしは、母さんに対する切り札なはず。危ない橋を渡らせたくないってことかもしれないけど……)
 瑠衣の行動原理は基本的に兄の役に立つとかいうのではなく、単に何か行動したい、迫っている事件に対して受身でいたくない、そういったものである。沙理亜の件とは関係なく、異世界に来た独自の目的もあるにはあるのだが、それを達成する手段は皆目見当がつかない。
 となればここは、昨日頭に浮かんだ“この街を守る”ための方法を考えるべきだ。そしてその結論はすぐに出た。

「“穴”を制圧しておこうかな。……うん、それしかないよね」
 少々サディスティックな笑みを浮かべて呟く。
 

『一体どうすれば、そんな結論が出てくるのか教えてくれないか?』


 そこへ突然かけられた声に、瑠衣はびくりと身を竦めた。
 瑠衣は今、デュエルディスクを着けている。見られてはいけないものナンバー1の目撃者の正体を確かめようと辺りを見回し――――。

「あれ……?」
 誰もいなかった。しかし声は聞き違いではない。
 ただ、後からして思えば、今の声には覚えがあったような気がする。そう、どことなく懐かしく、深みがあり安心できるような声。

「もしかして――――!」
『もしかしなくても私だよ、瑠衣』
 今度はもう驚かなかった。それは瑠衣独自の目的。異世界に行けば何とかなりそうな気はしたが、本当に成功するとは思わなかった。

「『竜の騎士』! また会えてよかった――!」 





 以前、『竜の騎士』からこんな話を聞いたことがあった。

『私はこの世界でカードに宿る魂として目覚める前も、別の世界で戦っていたようだ』
「どうしたの、急に。まるで記憶のような鮮明な夢を見たとか?」
 冗談のつもりで、漫画などで記憶喪失の者のありきたりな設定を言ってみた。
 『竜の騎士』は瑠衣に出会うより前のことを、何一つ覚えていなかったからだ。
 しかしその答えは――。

『その通りだ。どうして分かった?』
「あれ、そうだったの。記憶がない人の常套を言ってみただけなんだけど。それで、どんな夢だったの?」
『ああ……ブレス至上主義が蔓延る竜族の国家で、剣だけを頼りに戦う特殊部隊の隊長として謂れのない侮蔑を受けていた』
 淡々と語る『竜の騎士』。これに憤慨したのは、話を聞いていた瑠衣の方だった。

「何それ、酷いよ! そんなこと言ったらわたしのデッキは――」
 『竜の騎士』は勿論、『竜の兵士』、四種の『ドラゴニュート』等、ブレス攻撃を使わないドラゴンで溢れている。全て瑠衣が数多のドラゴンの中から厳選し、その力を認めて投入したカードだ。まるで自分のデッキを否定されたようで、気分が悪い。

『ただの夢かもしれないし、あまり気にしないでくれ。しかし、もし本当にこれが現実に別世界であった出来事なのだとすれば、この世界の技術もすごいな』
「どういうこと?」
『カードを作るという行為が魂を吹き込むものならば、その魂は一体どこから来たのだろう。別の世界だとしたら、この世界の人間はカードを依り代にして“異世界の魂を喚ぶ”力を持っていることになる。そう考えると、瑠衣がいつも行っているモンスターの“召喚”は、ゲームのルール上の用語だけに止まらない、文字通りの意味となるよね』
「な、なるほど……」
 と頷いてはみるものの、その意味は半分程しか理解できていない。むしろ自分がその“異世界から喚び出された魂”かもしれないというのに、冷静に状況分析していることに感嘆し、相槌と混ざってこのような返答になったというのが正しい。

『そして私が記憶を持っていないことから察するに、喚び出された魂は“完全ではない”のかもしれない。つまり魂の一部だけが切り離されてこの世界にやって来て、異世界の私は普段と変わらない生活を送っているという可能性だ。この仮説が合っているなら、元の私がいる世界に行った時、私は一体どうなるのだろう。そして、魂が分かれて生まれた私は、造られた命ということにならないだろうか――?』
 『竜の騎士』は優れた騎士であったが、時折このような学者モードに入ることもあった。普段ならば聞き流しているところだが、自分も考え事をしている最中だと気が散る。

「うん……。分かったから、デッキ調整させて。明日の大会は兄さんも出るし、油断はできないよ――!」
『あ、ああ。済まない……』
 わたしは笑顔で頼んでいるのに、どうして引きつるというか、怯えたような感じで話を止めるんだろう。思い出してみれば前もそんな様子だった気がするけれど……うん、ここまで至った思考は削除。今は調整が先だ!




「良かった、本当に――!」
 『竜の騎士』の解説を全て覚えていたわけではないし、覚えていたとしても直接繋がる話ではない。しかし、たとえ精霊と異世界の符合だけでも、試せる機会があるのなら逃すわけにはいかなかった。

『そうだね、まさかまた瑠衣と話せるとは』
 デュエルディスクにカードを置き“召喚”した『竜の騎士』の口が動く。

『私としては“会えた”のは大分前なのだが、本当に必要な時にフォローしてやれず、済まなかった』
「そのことは気にしないで。どうしてかは分からないけど、ちゃんと話せたんだから」
『だが私は、その理由に心当たりがある。聞きたいか?』
「そうなの。じゃあ、お願い」
 もしかするとこの状況を打開するヒントが隠れているかもしれない。そう思って、『竜の騎士』に続けさせる。

『うむ、瑠衣の能力が“闇の力を破壊する”ものだとすれば、元々闇の力が大気中に充満している異世界では、際限なく力が発揮され続ける。それでは体力、あるいは精神力がすぐに尽きてしまう。だから――』
「無意識のうちに抑制していた?」
『ああ……そうだ』
 似たような解説をつい最近聞いたためか、最後の結論は自然と出てきた。そういえば、ドーマの尖兵を意識不明にした時、結界の破壊まではできなかったが、デュエル中と直後は体調が悪かった。
 そして、今の話で最も大切なことも理解した。それは、瑠衣が能力を制御する術を身つけない限り、こうして会話できるのは異世界にいる間だけということ。おそらく『竜の騎士』も、もう気付いているのだろう。

「そういえば、あなたの記憶の方はどう?」
 話を変えたくなって、つい先ほどまで考えていた話題を言ってみる。

『特に変化はない。だが、この世界の空気には覚えがあるような気もする。それでも記憶が戻らないとなると、この世界の私とは完全に別の命として確定してしまったのかもしれないな』
「そっか……。でも気にしなくていいよ。元の『竜の騎士』に出会っても、それはあなたじゃない。心を一つにして戦いを潜り抜けてきた『竜の騎士』は、一人しかいないから」
『そう言ってくれると助かる。で、どうして制圧なんだい?』
 随分そこに拘るなあ、と思いながらも、別に戦闘狂に憑かれたわけでもないのでそうするべき根拠を整理する。

「えっと、わたしたちの目的は最終的にこのガーデア城とダーク化した天使、それと同盟軍を一つの勢力としてまとめることにあるの。そうすれば、北のガリウス、南のローレイドに挟まれても十分互角以上の戦いが展開できるはずだから。でもそうなると、同盟軍や第六次元に囚われている天使がここに集まる前にガーデア城が疑われるわけにはいかない。力ずくで制圧され、脅されて封印を解除した、そういうことにしなければ、封印を解いた理由を中央政府に問われた時に答えられないでしょ。こういうのは既成事実があった方がいいと思うの」
 間違ってはいないはずだ。襲撃現場を偽造するより、実際に襲撃があった方が当然疑われにくくなるだろう。

『なるほど、確かにその通りだな。――すぐに行動に移すか?』
「ええ、まずは近くに立っている小屋から。あ、それと関係を悪くしてはいけないから、殺さないようにね」
『承知した』
 瑠衣の見立てが正しければ、小屋は見張りの詰所だろう。ただ、入り口は『竜の騎士』が入れるほどの大きさはないので、ここは待機してもらうことにした。

「アックスドラゴニュート、召喚」




アックス・ドラゴニュート 効果モンスター
星4/闇属性/ドラゴン族/攻2000/守1200
このカードは攻撃した場合、ダメージステップ終了時に守備表示になる。




 “穴”の周りを警戒している天使は、皆『天空騎士パーシアス』の格好をしている。となれば、小屋の中に別の天使がいても『天空騎士パーシアス』である可能性は高い。
 そして、攻撃力は上回っているはずだ。





天空騎士パーシアス 効果モンスター
星5/光属性/天使族/攻1900/守1400
守備表示モンスター攻撃時、その守備力を攻撃力が越えていれば、その数値だけ相手に戦闘ダメージを与える。
また、このカードが相手プレイヤーに戦闘ダメージを与えた時、自分はカードを1枚ドローする。




「殺さないようにして」
 戦斧を持つ黒と紫の竜人にもそう指示し、万一に備えて別のドラゴンを召喚しておく。

「ブリザードドラゴン!」
 周囲の冷気を自在に操る氷竜。この竜の効果は、動きを止めるという目的に相応しい。



ブリザードドラゴン 効果モンスター
星4/水属性/ドラゴン族/攻1800/守1000
相手フィールド上に存在するモンスター1体を選択する。
選択したモンスターは次の相手ターンのエンドフェイズ時まで、
表示形式の変更と攻撃宣言ができなくなる。
この効果は1ターンに1度しか使用できない。




「……――――行って」
 “穴”の周りのパーシアスの動きを追い、全員の視界から小屋が外れたタイミングを見計らって、攻撃命令を出す。
 二体の竜は即座に小屋へ突撃し、まずは前衛の竜人が小屋の戸を開ける。鍵は掛かっていなかったようで、簡単に内部への侵入に成功した。
 小屋の中での戦闘は、瑠衣は細かく把握していないが、数十秒後に『ブリザードドラゴン』が入口から顔を出したのを見て、制圧に成功したのだと判断した。
 周辺の林を使ったのだろう木製の小屋の中では、予想通り『天空騎士パーシアス』が氷漬けになっていた。四足という点を考慮してか、小屋は一階建てで広めに作られており、同じく木製のテーブルと食器棚らしきものがある。奥の部屋は寝所だった。そしてそれらの状況から、“穴”の守備に就いている天使の数は四体と判断した。小屋の中で凍っているのが一体、そしてクレーターの周りを警戒しているのが三体、増援がない限りはこれで全部だろう。
 そして小屋の制圧に当たって、もう一つ理解した。小屋の中に転がっている戦斧を申し訳なさそうに手に取った。瑠衣には持ち上げるのでやっとな、遣い手を失った斧を。
 そう、『アックス・ドラゴニュート』はパーシアスに討たれたのだ。
 攻撃力ではドラゴニュートの方が100ポイント上だった。なのに敗北した理由を、瑠衣は薄々感じ取っていた。

 ――――『殺さないようにして』

 おそらくあの指示が原因だ。
 M&Wにおけるモンスターの戦闘に“手加減”の文字はない。破壊すべき敵が『ワイト』でも『ブラックマジシャン』でも、『青眼の白龍』は常に『滅びの爆裂疾風弾』を放つ。間違ってもブレスの出し惜しみをして、『クリボー』を足で踏み潰そうとはしない。
 カードに記載されている数値は、まず間違いなく全力を出して戦った場合の数値だ。「殺さないで」という指示の下で捕縛を試みようとしたドラゴニュートと、殺すのもやむなしとの覚悟を持って迎撃したであろうパーシアス。そのモチベーションの差が、瑠衣の知る強弱関係を逆転させたのだ。
 
「ごめんね、ドラゴニュート――!」
 おそらくもう一度デュエルディスクに置けば、何事もなかったように召喚し直せるだろう。しかし瑠衣にも最低限の倫理はある。少なくともこの制圧作戦が終わるまでは、するわけにはいかない。

「竜の騎士、頼める?」
『――任せてくれ』
 一時的であろうと、これ以上の犠牲は出したくない。切り札で、一気に陥とす。

「速攻魔法、『突進』!」
 外で待機していた『竜の騎士』が、魔法効力を受けて光を発し――



突進 速攻魔法
フィールド上に表側表示で存在するモンスター1体の攻撃力は
エンドフェイズ時まで700ポイントアップする。



 次の瞬間、『竜の騎士』は“穴”の防衛をしている天使の背後で剣を抜いていた。瑠衣の指示に従い、刃は使わずに天使の頭を殴打する。パーシアスは振り向く間もなく倒れたが、死んではいないだろう。
 残る二体のパーシアスは襲撃者の存在に気付き、しかし実力差を感じ取ったのか、無闇に近づこうとはしない。慎重に間合いを取りつつ挟撃の構えを見せる。じりじりと回り込み死角を衝こうとするが、『竜の騎士』も簡単に隙は見せない。
 単純な攻撃力で上回っているとはいえ、ドラゴニュートの敗北を見ているだけに安心はできない。手加減した時の数値変化など、瑠衣は把握していないし、この世界における『魔法』の扱いもよく分からない。例えば『ユニオンアタック』が魔法ではなく単なる戦術の具現でしかないとするなら、『竜の騎士』といえど勝つことは難しいだろう。攻撃力の上昇というよりは動きを速くする目的で発動した『突進』も、もうすぐ三分で効果が切れる。
 そして、ついにパーシアスが動きを見せた。だがそれは挟撃ではない。
 パーシアスの一体が林の方へ脱兎のごとく駆け出した。実力の隔たりを悟り、上への報告と増援の要請を優先したのだ。

「っ、しまった――!」
 M&Wに長けているからこそのミスをまた犯してしまった。敗北する戦闘でも必ず迎撃するというモンスターの姿勢は、瑠衣の頭から“撤退”という言葉を消していた。
 残る一体は『竜の騎士』を足止めしようと、無謀な突撃を試みる。『竜の騎士』は左手の盾を脇に投げ、拳を天使の鳩尾に入れた。そして急いで逃走するパーシアスの方を仰いだが、既に追いつけない程に離れてしまっていた。
 しかし、パーシアスの側にも一つの誤算があった。

「『竜の騎士』!」
 それは小屋がすでに制圧されていたこと。そして、小屋の中に永瀬瑠衣がいたこと。パーシアスは小屋に入ろうとはしなかったが、小屋のすぐ近くを通ろうとしていた。前だけを見て一心不乱に駆けるパーシアス。だからこそ、横から現れた新たな敵に対応できず二体目の『竜の騎士』の体当たりを受けることとなった。

「これで全部かな。……でも」
 目的は達した。敵の命を奪うことなく制圧に成功した。これは甘さではない。殺してはいけない理由があったから殺さなかった、それだけだ。
 しかし省みるべき点は多い。この世界に住むモンスターはプログラムではなく生物である。自分はまだその真の意味に気づいていなかった。手を抜けば負ける。勝てない相手からは逃げる。そんな当たり前のことを忘れていた自分が恐くなった。

「……瑠衣、大人しく待っていろと言わなかったか?」
 突然後ろから声を掛けられて瑠衣は跳び上がった。
 振り向くと、無機質な表情の巧の姿があった。その背後には城主らしき天使もいた。

「!! あ、兄さん、戻ってきたんだね」
「戻ってきたんだね、じゃなくて、この状況を説明しろ」
「うん、この街が疑われないように、次元の穴を制圧しておいたの」
 巧は深々とため息をついた。

「まあ、それなら仕方ないな。ネオパーシアスにも『第一次元の人間たる実力を見せてくれ』と言われていたし」
「それにもう結果として制圧しちゃったもの。いまさら戻せるわけないよ。それで、あちらの方は?」
「ガーデア城の城主、ネオパーシアスだ。挨拶しておけ」
「うん、そうだね。わた――」
「ああ、それと謝れよ。ったく、一人でも逃がしてたら、計画が全部潰れていたんだ」
 やっぱり勝手に制圧したことについて怒っている――というより、これはむしろ呆れているみたいだ。

「えーと、すみません!永瀬瑠衣といいます。こちらに駐留する騎士を勝手に無力化してしまい、申し訳ありません」
 怒りを買うかと思っていたのだが、ネオパーシアスは単純に驚いているようだった。

「いや……それよりも、これは本当に君が一人でやったのかい?」
「はい。モンスターを召喚して、その力を借りてという意味であれば、そうです」
 そこには誇張も謙遜もない。“召喚”の技術を活用すれば、複数の敵を相手にするのも難しくはない。
 一度に召喚可能なモンスターは五体。これだけでは分隊程度の戦力だが、能力の数値化、魔法や罠による補助、加えてモンスターが破壊されてもすぐに次のモンスターを補充できることを考慮すれば小隊クラスかそれ以上の潜在能力を有している。
 しかも戦闘行動に移るまでは一人の人間だ。隠密行動に有利で、たった一人が突然百人規模の戦力に変化する。

「なるほど、この作戦に携わる人間が二人だけだと聞いたときは驚いたが――しかし、この状態を見せられては、認めるしかないようだな」
「あ、ありがとうございます」
「気にする必要はない。さて、ここに長居は無用だ。早速“門”のところへ行こう」
 柵の鍵を開け、クレーターの中に入る。ただクレーターとはいっても相当浅く、苦もなく歩ける程度のものである。

「そういえば、さっき“門”と言っていましたよね?あれはただの別称ですか?」
 ふと、巧がネオパーシアスに質問する。

「第十一次元の天使は次元の穴の制御方法を少しだけ見つけている。改良を施して安全性を高めた“穴”を暫定的に“門”と呼んでいるだけで、深い意味はない。それを利用し、別次元へ飛ばされてしまった人を元の次元へ送り返すのも我々の任務の一つだ」
「生憎ですが、俺たちは自分の意思でこの次元に来ました。強制送還されては困りますね」
「ほう、そちらのお嬢さんも?」
「――はい。わたしにも、目的があります」
 可能な限り、揺るがない意志を持っているように言う。
 そのイメージは容易に思い浮かべることができた。『闇の力の無力化』、この能力を抑え、制御する術を見つける。本当の意味で、自分のものとする。誰にも話していない、これは間違いなく瑠衣自身の目的だ。
 それからもしばらく話しているうちに、クレーターの中心に到着した。

「ここの“穴”は、大規模な転移事故によって初めてその存在が確認されたものだ。ローレイド領内で発生した次元の穴に関する事故。“次元”の技術に長けていることを自負する第十一次元の天使たちからしてみれば、これは“あってはならない”事態だった」
 だから、ローレイドの天使はこの事故を“なかった”ことにしたのだ。ネオパーシアスの口ぶりからするに、彼も隠蔽工作に噛んでいたのだろう。おそらく事故について知らなかったのはエアトスのみ。それがローレイド軍部には、エアトスの無知と映った。

「そして、巧妙に隠蔽されていたはずの事故はガリウスによって暴かれていた。その公表を恐れた軍部は、ほとんど脅されている状態で軍事同盟を締結。“穴”の使用権限までも貸与してしまった」
 そうしてガリウスは“穴”の先である第六次元を侵略した。ローレイドも後には引けず、ダーク化の研究に手を染めた。

「私はもう、事故を公表することに躊躇いはない。全て、君たちに任せよう」
 ネオパーシアスはそう言うと、鍵のようなものをおもむろに地面に突き立てた。
 するとその場所を中心に地面が黒く変色し始めた。いや、どちらかといえばそれは、地面がブラックホールに呑み込まれているようだった。自宅のときのような暗雲はない。それでも、これは次元の穴――いや、“門”だと確信があった。

「俺が先に入ろう」
 言うが早いか、巧は穴の中へ飛び込んだ。
 入った後の“門”に目を凝らしてみるが、残念ながら内部の様子は分からない。

「じゃあ、わたしも行きます。ありがとうございました、ネオパーシアスさん」
 内部の観察は諦めてお礼を言い、瑠衣はこの二日で三度目となる次元間移動を行った――。 






 2章 交渉 終




 突然ですが次回予告

『こっちの攻撃が――届かない!?』
『今すぐ降下領域からの撤退を!遅れれば、この部隊は全滅する!!』
『漆黒の……神だと……!?』

 もう一つの異世界戦争、SYW(スーパーユウギオウ大戦)エジプト編、始動!!


 次章 アシュートの攻防


 ※この次回予告は本物です。




 3章 アシュートの攻防

 11月1日 深夜

 エジプト・アラブ共和国、通称エジプトは、未曽有の危機に立たされていた。
 謎の武装集団が突如王家の谷付近に出現しこれを制圧、さらに谷に隣接する街であるルクソールを襲撃したのである。
 エジプト考古局局長イシズ・イシュタールは軍の関係者ではないが、独自のルートからこの事態を予期し警戒を強めていた。にもかかわらず、彼女が襲撃の知らせを受けたのは現地の正規軍が敗北し、ルクソールまでもが奪われる直前の午前4時前だった。
 この時イシズは情報伝達の遅れがその襲撃者によるものと疑っていなかったが、戦闘を行ったのが正規軍だと聞くや、その可能性を排してある人物のもとへと向かった。

 早朝とはいえ、町一つが奪われたのだ、その建物には報道陣をはじめとする人がごった返しており、隠された裏口からイシズは入った。
 目的の人物の部屋の前に立ちノックをすると、「入れ」と返ってきたので「失礼します」と繋げて戸を開けた。室内で椅子に座っているのは体格の良い壮年の男――エジプトの大統領ムルタゴ・ゾライドである。
 今回の襲撃者がイシズの予想通りの相手なら、正規軍に太刀打ちすることはまず不可能だ。エジプト軍の総司令官にもそう伝えてある。つまりムルタゴに。エジプト軍の総司令官は大統領とイコールで結ばれる。
 部屋に足を踏み入れた瞬間に、

「早かったな。もっとかかると思っていたよ」 
 と声をかけられた。
 つまりこの男は、エジプト軍が勝てないと知っていながら、あの地に留まるように命令を発したのだ。
 イシズは決然とした様子でこれを無視し、今にも胸倉を掴みかからんばかりの勢いでムルタゴを見下ろした。

「なぜ、情報を止めたのです?」
 この一言で全て通じる。イシズの怒りも。
 だがムルタゴは極めて冷静に、ぶつけられた感情に対応した。

「“国”を守るためだよ」
「ですが、現実には守れていません。エジプト軍は敗れ、ルクソールと王家の谷は敵の手に奪われました」
 権力や立場はムルタゴのほうが上だが、イシズもここで退くわけにはいかない。初動で少しでもデュエリストを派遣出来ていれば、こうまで簡単にルクソールを奪われるようなことはなかったと確信している。

「確かに軍にもプライドはあるでしょう。しかし、そのようなことを言っていられる相手でないことは大統領もご存知のはず。そのような対面に拘っているときでは……」
「拘らねばならないのだよ」
「――――どういうことです?」
「では、君は軍が守ることを放棄した国を信じられるのか?」
 政治の世界では、実用的かどうかだけで物事を決めようとすることこそ理想の領域だ。
 本質的には国、ひいては国民のためであっても、支持が得られるかどうかは別問題である。
 ましてや今回はその本質は世間一般には公表できない事件だ。
 “何が”王家の谷を制圧し、“誰が”事件を解決するのか、その真実は決して知られてはならない。
 それらの憶測を封じるためには、たとえこの段階では敗北したとしても、この事件に対応するのはエジプトの正規軍であると見せつけておいた方が良いのだ。

「それは……信じられないでしょう。しかし、守備隊は全滅したと聞きました。これではまるで、彼らは支持を得るための生贄のようではないですか!」
「……返す言葉もないな。だが、少なくとも戦闘をさせるために残したわけではない。深夜の急襲にもかかわらず、ルクソールの住民は誰一人として“デュエルモンスター”の手にかかることなく避難に成功している――!!」
「では、彼らは……」
「適当なところで後退せよと命じた。結果はこの有様だが……しかし同じことが、君が結成しようとしているデュエリスト部隊にできたか?」
「…………!!」
 それこそ返す言葉がない。デュエリスト部隊は、ただその腕が優れているというだけで集める集団だ。統率も何もなく、あるいはゲーム感覚で攻め、守り、敵モンスターを倒すのみかもしれない。
 ムルタゴは立ち上がり、イシズの横を通り過ぎて部屋から出て行こうとする。

「どちらへ?」
「軍を抑えに。私が直接出向かねば納得してもらえまい」
「……ありがとうございます」
「礼を言う暇があるのならデュエリストの召集計画を速やかに実行に移せ。奴らの次なる目的地はおそらく、エジプト中部最大の都市アシュート! 行軍速度からすれば、明日の晩がタイムリミットだ!」
 そうだ、今必要なのは対応のまずさを糾弾することではない。これからの被害を少しでも減らし、モンスターを一刻も早く異世界に撤退させる。
 そのために――動く。 




 ―――――――――――




 考古局のビルに戻ったイシズは、受付で見知った顔と遭遇した。

「獏良了……! いつこちらに?」
 獏良は海馬コーポレーションと契約しているオカルト対策チーム、『闇狩り』のリーダーである。第一回バトルシティ本選や戦いの儀ではろくに会話する機会もなかったが、獏良が『闇狩り』の仕事を始めてからは結構な頻度で顔を合わせていた。

「今朝方です。解説書も持ってきました」
 獏良の隣の青年が手にした包みを示す。

「彼は桐沢健、解説書の第一発見者です」
「よろしくお願いします」
 健が頭を下げたので、こちらもそれに倣う。

「ええ、こちらこそ。ところで、彼は民間人ですか?」
 後半は獏良にのみ聞こえるようにして問う。

「海馬コーポレーション所属の密偵です。“こっち”の方面にも順応力がありますし、デュエルの実力も十分です。同席させて問題ないでしょう」
「そうですか……分かりました」
「先程から急いでいるようですが……出直しましょうか?」
 焦りは出していないつもりだったが、事が事だけにそうもいかないようだ。

「いえ、歩きながら話しましょう。あなた方にも関わりのあることです」
「!! では、とうとう“出た”のですか?」
 頷くイシズ。何が出たのかは他の職員もいるため言えないが、これで意味は通じていた。
 局長室へ向かうため、三人はエレベーターに乗った。

「王家の谷が制圧され、ルクソールが陥落。急いでデュエリストを派遣してくれるよう、各組織、企業に通達しました」
 本当なら局長室に戻るまでは危険だが、事態が切迫しているだけに、他に人がいないエレベーター内というチャンスを逃すわけにはいかない。むしろこれだけのことを言うのにかかった時間が妙に長く感じられ、ようやく話せて少しほっとした。

「あの……いいですか?」
 三人の中では最も立場の低い健がおずおずと切り出した。

「ええ、構いませんよ」
「海馬コーポレーションやインダストリアルイリュージョン社にも、デュエリストの派遣要請はしましたか?」
「当然です。その両社所属のデュエリストが部隊の中核を担う予定ですから」
「それ――難しいと思いますよ」
「え……!?」
 エレベーターが指定の階に到着し、これはイシズの錯覚だろうか、ガタンと大きく揺れて扉が開いた。
 ここまで来れば局長室はすぐそこだ。だが隠しきれない焦りのためか、無性に早足になってしまう。
 局長室に戻ったイシズは、まず考古局中のスピーカーのスイッチを入れた。

「エジプト考古局内の全職員に告げます。緊急コード0573が発令されました。これにより考古局の活動は無期限停止となります。一般職員は速やかに局内から退去。関係者は三階の第2ホールへ集合し、責任者の到着をお待ち下さい。繰り返します、緊急コード0573が発令されました――――」
 このコードによって考古局は名を変え、エジプト特別国防局となった。
 アナウンスを終えるとイシズはパソコンに向かい、来ているメールをチェックする。
 国防局関連のメールは三通。その中には海馬コーポレーションとインダストリアルイリュージョン社も含まれていた。

「これは…………!!」
 かくしてメールの内容は、健の予告通りデュエリストの派遣は出来ないという旨のものだった。
 しかし問題となるのはその理由である。

「ドーマの活動の本格化――! ですがエジプトでは、一件も報告されていません。デュエルモンスターの動きと関連性はあるのでしょうか?」
「分かりません。ただ、エジプトでの報告がないというのは気がかりですね。ドーマはデュエルモンスターと関わりはない、そう主張したいようにも見えます」
 獏良が推察を述べる。

「では、その実彼らは手を組んでいると?」
「いや、本当に無関係かもしれません。一つ言えるとするなら、ドーマはデュエルモンスターの動きを掴んで、その上で行動している。この可能性は高いと思います」
 しかしこれ以上は考えても結論は出ない。
 ドーマの動向に関しては一旦保留することにした。

「海馬コーポレーションからの派遣はあなたたち二人のみ。これは仕方ありませんね。ドーマにソリッドヴィジョンシステムを押さえられれば、全てが無に帰します」
 『闇の力』で現実にできるものは限られている。その中で戦力として最も有効に扱えそうなものがソリッドヴィジョンシステムで立体的に具現化されたモンスターである。それらを生み出すための中枢は、ある意味この特別国防局よりも重要な拠点である。

「インダストリアルイリュージョン社からは二十名ほどの精鋭。実際に戦うのはモンスターですから、正直質より量が欲しいのは山々ですが……このような無謀な構想に付き合ってくれるだけでもありがたいと思わねばなりませんね」
 こうして話している間にも様々な企業からの返事が来ている。千里眼グループ、シュレーダー社、万丈目グループ、ガラム財閥からはほぼ予定通りの人数を確保し、ほかにも打診した企業、組織の大半から良い返事がもらえた。

(しかし、海馬コーポレーションとインダストリアルイリュージョン社の不参加は大きい。計画していた数の六割程度しか集められていない――)
 ほとんど任意の徴兵である以上、これを多いとするか少ないとするかは人それぞれだろうが、軍隊の指揮経験など持っていないイシズからすればかなりの不安材料である。
 プロリーグへの支援要請は現在のところ視野に入れていない。プロデュエリストが子どもに夢を与えるゲームであるM&Wを戦争の道具に使っているなど、知られるわけにはいかないからだ。連盟に一通りの事情は説明しているものの、むしろ平常通りにリーグを続けてほしいと伝えている。だが、緒戦の結果によってはそのスタンスを崩す必要が出てくるかもしれない。
 兵としての統率、結束力を求めるならデュエルアカデミアの生徒が挙げられるが、これだけは論外だ。少なくとも自分が生きているうちは、学徒動員はない。

「エジプト国内のデュエリストのまとめはマリクに任せていますし、そろそろあなたたちの任務の方に移りましょうか」
 様々な組織への支援要請が一段落ついたところで、イシズが言った。

「そうですね。デュエルモンスターが動き出したとなれば、そちらに注意を取られ、千年魔術書の警備も手薄になる。敵はそこを狙ってくるでしょう」
「獏良さんは、その敵組織と一戦交えたことがあるそうですね?」
「そうです。多くの構成員に寝返られましたが。そして彼は――」
 健が前に進み出た。

「敵首領の名を掴んでいます」
「!!」
 この桐沢健という男、見た目はどこにでもいそうな青年だが、中身はそうでもないようだ。

「少し前に永瀬瑠衣という少女について、“そちら”の方面からの調査を依頼しましたよね」
「三幻神獣の裁きに耐えられる少女。いえ、どちらかというなら“無力化”でしたか」
「はい。そして千年魔術書を狙う組織の首領は、どうやら彼女の母である永瀬沙里亜という女のようです」
「それは――間違いないのですか?」
「確証はありませんが、健が入手した永瀬家の写真に写っていた女性とあの戦場で遭遇した首領の容姿は、きわめて酷似していました」
 そこでイシズはとある符合に思い当った。

「待ってください。敵首領は戦場で『闇の力を破壊する術を手にした』と言っていたそうですね。となれば、裁きへの耐性とはもしや……!」
 『闇の力』に干渉する能力である可能性は高い。

「はい、イシズさんが戻ってくるまで情報交換をしていたのですが――そういう結論に行き当たりました」
「少女はまだ、海馬コーポレーションで保護しているのですか?」
「いえ……俺のミスで異世界に逃がしてしまいました。尤も彼女は沙理亜と敵対すると書き残していたので、洗脳されない限りは大丈夫だと思いますが」
 明らかに超常現象の絡む話である、健はこの機会を利用し、永瀬瑠衣を取り巻く事件について相談した。話が瑠衣の兄である永瀬巧の残した置手紙の内容に至ると、獏良は沙理亜の組織と『闇狩り』が逃がした組織が同一ではないかと考え、健が一家の写真を見せるやその疑いを確信へと変えた。

「なるほど。ですが事ここに至っては、少女が敵の手に落ちていないことを祈るしかないでしょうね。そして今の話が本当なら、『アムナエルの書』もまだ破壊されていないかもしれません」
 敵を知ることは大切だが、そこから最良の対応を導けなくては意味がない。その上で、この件はやはり当事者である二人に任せるべきだろう。

「敵組織の目的は『闇の力』の根源たる書物『千年魔術書』の破壊。“デュエルモンスター”への対応に追われ、警備が手薄になる今が、敵にとって最大の好機でしょう。あなた方二名には、これからその隠し場所へと向かい、書の守護の任に当たってもらいます。健闘を――いえ、武運を祈ります」
「はっ!」



 ――――――――――――――――――――――

 

 11月2日 午後6時





 現在も続いているアシュートからの住民の退去は、住民の保護を目的としていない。ルクソールでは奇襲だったこともあり保護の側面が強く出てしまったが、本来は一般市民の“デュエルモンスターの目撃”を防ぐための措置である。それ故に、エジプト中部最大の都市であり人口40万人以上を誇るアシュートにおいても手を抜かずに実行する必要があった。無論この役目は正規のエジプト軍によって行われており、批判も一手に引き受けてくれている。
 これに対してイシズができることは、一刻も早くモンスターを撃退し、異世界へ撤退させることしかない。

「退避状況は72%。間に合いませんでしたか……」
 特別国防局局長室で一人ため息を漏らすイシズ。とはいえ、最初に戦場になるであろう南部からは、配置されている兵以外の人間は誰ひとりいない。
 正直なところ、町中に敵を引き込んで戦うという策を取らねばならないこと自体が誤算である。しかし、集まった人数は結局予定の半分の800人ほど。“デュエリスト”はそもそもの絶対数が少なく、大軍を展開してくる“デュエルモンスター”に対して一人5体のモンスターを使役できるとはいっても、数が物を言う野戦では圧倒的に不利なことは明らかだった。
 夕日が沈みかけているアシュートの町。徐々に周囲が暗くなっていく様は、これから始まる戦いの結果を暗示しているかのようだ。生活感が残ったまま、人だけが忽然と消えたアシュートの映像を見せられた時は、地下での生活である種の地獄を見てきたイシズといえど血の気が引いた。

「北森隊長、兵の配置状況は?」
「ほぼ終わっています。現在は交代で夕食を摂らせているところです」
 インダストリアルイリュージョン社から派遣されたデュエリストは、確かに精鋭揃いだった。中でも『カードプリベンター』の隊長である北森玲子はデュエルの実力もさることながら、瞠目すべきはその卓越した指揮能力である。ゴーストタウン状態のアシュートの町にも顔色一つ変えることなく、アシュート防衛に当たるおよそ300人弱のデュエリストを、さながらチェス盤に駒を置くかのごとく要所に配していった。
 一方でイシズは50人のデュエリストを選抜して弟のマリクに率いさせ、王家の谷を攻めることを決定した。ルクソールでの戦闘から、敵はエジプト側が“デュエルモンスター”に対応できていないと考えているに違いない。そしてその間に可能な限り勢力を拡大させようと、おそらく守りを捨てて主力部隊をアシュートに差し向けている。アシュートの状況を見ても長期戦が望ましいものではないことは明白だ。このタイミングこそが敵将を討つ最初で最大のチャンスである。

 ――――『この世界のことは任せます』

 1年前に王家の谷で遭遇し、デュエルをした少女の言葉が思い出される。
 デュエルを通して互いの実力を認め合い、この世界の守護を託された。こう言っては失礼だが、苦し紛れの大統領の委任よりも遥かに大切な約定だった。

「私はエジプトを――そして、この世界を守り抜いて見せます!」
 イシズは決意を言葉にし、静かに届ける。
 異世界で戦っているであろう少女、御影佳乃へと――――。






 ――――――――――――――――――――――

 



 11月2日 午後8時10分 アシュート



 オースチン・オブライエンは、インダストリアルイリュージョン社からエジプトに派遣された、唯一の『カードプリベンター』所属でないデュエリストである。本来彼は決まった主を持たない傭兵で、本来なら派兵の話自体が彼のもとには届かなかった筈なのだが、この時は同社との契約下にあり、ペガサス=J=クロフォードの命を受け『カードプリベンター』の精鋭に混じってエジプトにやって来た。そして彼もまた、他の企業、組織から派遣されたデュエリストとは隔絶した実力の持ち主であり、そのデュエルスタイルから砲撃班の一角の指揮を任されていた。
 ただ、オブライエンはこの戦いに関して、『カードプリベンター』の精鋭にすらないものを持っていた。
 それは“経験”である。
 オブライエンはかつて異世界に行ったことがあり、“デュエルモンスター”とM&Wで戦い、また銃型のデュエルディスクを使い直接戦闘に及んだことまである。
 モンスターの能力を数値化して戦える以上、デュエリストは質より量が求められるが、当然質が悪くて困ることはない。

「――ついに、来たか……」
 地平を揺るがすように、黒い何かが群れを成して動いている。“ソレ”はアシュートに向かって進んで来ていて、あと数分もすれば、“デュエルモンスター”の軍隊だと分かるだろう。
 “デュエリスト”の兵たちに緊張と、また一方は動揺が走る。

「皆、遠距離攻撃用のカードを発動しろ」
 オブライエンが冷静に指示を飛ばす。“デュエリスト”達は互いに顔を見合わせたりしながらも、感情が安定してきたようで、各々カードをデュエルディスクに置きだす。ブレス攻撃を使うドラゴンや、オブライエンと同じ『ブレイズキャノン』、あるいは『マスドライバー』のような魔法を使う者もいたが、やはりここは『キャノンソルジャー』をはじめとした機械族モンスターが主である。
 そろそろ本格的に“デュエルモンスター”が視界に入ると、確かにそれには驚かされた。何故なら“デュエルモンスター”は全て同じ鎧、同じ兜を着用し、正体を隠しているのだ。
 明らかに第一次元の人間が“能力の数値化”が出来ると知っていての対策。 
 再度生まれる動揺。

「慌てるな。姿形を変えても能力は変わらない。そして、砲撃班の役割もな」
 だがこれも難なく鎮め、オブライエンはさらに続ける。
 
「敵兵をよく観察するんだ。例えばいくつかいる騎兵だが、馬の姿からしてアレは『地獄将軍・メフィスト』だ」
 具体的にモンスターの名を挙げることで、兵達はその能力の方に目がいく。そして――正直『メフィスト』の使用者には悪いが、攻撃力で上回っていればたいした脅威にはならず、その攻撃力も高いかといえばそうでもない。
 



地獄将軍・メフィスト 効果モンスター
星5/闇属性/悪魔族/攻1800/守1700
このカードが守備表示モンスターを攻撃した時、
その守備力を攻撃力が越えていれば、その数値だけ相手に戦闘ダメージを与える。
相手に戦闘ダメージを与えた時、相手の手札からカードを1枚ランダムに捨てる。




 数値化によって生まれる余裕と驕り。ここでオブライエンは手綱を引き締める。

「だが、周囲をよく見るんだ。気付かないか、辺りが“闇”に包まれていることに」
 流石に兵もデュエリストだ、それが意味するところを瞬時に察し気を入れ直した。
 “デュエルモンスター”が夜に攻めてくるのはおそらく偶然ではない。むしろ夜にアシュートに到達するよう進軍速度を調節したのだ。『地獄将軍・メフィスト』の存在そのものが物語っている。その時間帯にこそ、モンスターが最大限に力を発揮できるのだと。
 



闇 フィールド魔法
フィールド上に表側表示で存在する
悪魔族・魔法使い族モンスターの攻撃力・守備力は200ポイントアップする。
フィールド上に表側表示で存在する
天使族モンスターの攻撃力・守備力は200ポイントダウンする。




「状況をよく観察し、適切な対応を取ればモンスターといえど決して恐れる必要はない。我々“デュエリスト”には、それを成すだけの力はあるんだ。だが、決して侮ってはならない!」
 オブライエンが異世界で遭遇したのは、M&Wを扱う“デュエルモンスター”だった。しかし現在エジプトを攻撃しているモンスターも、M&W自体は使わずとも、兜と鎧で正体を隠しているところから察するに、M&Wや第一次元に関してまるっきり無知ではないらしい。
 そう、敵は決して欲のままに動く獣ではない。知性を持った、それでいて身体能力はおそらく人間より優れた生物だ。ある程度の警戒心を携えて戦いに臨めばそう怖い相手ではないだろうが、まるで自分達が支配者、上位生命体であるかのような驕りがあるとすれば万が一のことがあるかもしれない。
 そう話している間にも、モンスターは急速にこのアシュートの地へと接近してくる。

「砲撃班、発射用意――」
 といっても、特にすることはない。“デュエリスト”は命令を発するのみなので、せいぜい心構えをしておけという意味になろう。だが、そうやって本当は必要ないことをしなければならないほどに、数値化によって生まれる兵の慢心はオブライエンの危機感を煽らせていた。正体を隠したモンスターを見た際の動揺が、時が経つにつれて影を差し込んでいく。
 そして――――。

「放てっ!!」
 各々自分のモンスターに攻撃指示を出し、魔法の起動スイッチを押す。
 突撃してくるデュエルモンスターに雨あられと降り注ぐ砲撃、昨日の今日で軍備を整えていることに驚愕し、陣形が乱れ士気も落ちる。
 ――――そうなれば、どれだけ良かったか。
 兵の不備ではない。一斉掃射とまではいかないが、急造の軍にすれば統制は取れていたように思う。だが想定外の事態は予定調和のように自然に発生し、デュエリスト達を困惑させた。

「こっちの攻撃が――届かない!?」
 誰かが、叫んだ。
 なかなか適切な表現だ。さらにその原因にまで言及すれば。

「砲撃が……消えた?」
 そう、モンスターや魔法の砲台が放った砲撃は、高度を上げアシュートを離れていく過程で幻であったかのように消えた。いや、実際幻ではあった。『闇の力』によって実体化しただけのソリッドヴィジョン。オブライエンにもこの状況は説明できなかったが、兵の動揺を鎮めながらも、今の考えがちくりと頭に刺さった。
 ――『闇の力』によって実体化しただけのソリッドヴィジョン。
 
「もう一度、放てっ!!」
 だが、やはり砲撃は先程と同じ辺りでまたしても消える。
 モンスター側の工作ではあるまい。砲撃が消えるのは、アシュートの町から砲撃が出ていく段階。もしモンスターが何らかの仕掛けをしたのなら、とっくにモンスターはアシュートに到達しているだろう。そして消える原因はおそらく全て同じ。砲撃そのものの射程と関係なく、ほぼ同時に消えているからだ。

(俺達デュエリスト側のミス……。それは何だ?射程……そして、ソリッドヴィジョンシステム。これらが紡ぎ出す答えとは――)
 
「!! まさか――――」
 ソリッドヴィジョンシステムの射程距離。いや、あり得る。モンスターを実体化させるための『闇の力』、ひいては『闇のアイテム』の研究はそれなりの段階にまで進み、その成果はエジプトの大地に埋め込まれている。しかしそこには大きな勘違いがあったのではないか。『闇の力』が本当にただそこにあるだけの、空気のようなものだとすれば。ただ機械的に幻を現実にするだけのものだとすれば。
 それで全ての説明がつく。実体化していたとしても、その本質がソリッドヴィジョンである事実は変わらない。『闇のデュエル』においても、破壊されたモンスターは本物の死体のように横たわったままにはならず、0と1の集合体と化して消滅する。しかしそのデータの欠片には触れられる。そう、それだけ。まさしく、ただ触れることが出来るだけ。ソリッドヴィジョンシステムの射程外に出れば、実体化させるべき対象物が消えるのは『闇の力』にさらされていようがいまいが同じなのだ。

(まずい……このままでは……)
 システム側の不備は痛い。だが、それによって動揺するのはさらに危険だ。モンスターはすぐ近くまで迫っている。陣形も足並みも乱されず士気も最高潮の敵軍が。

「後退し、本隊と合流するぞ!」
 デュエリストはモンスターの展開次第によって戦術を変えることが出来る。砲撃班が砲撃しかこなせないわけではない。
 射程に入ってからでは撤退は間に合わない以上、ここはこの選択が最良だ。
 こうして極めて静かに、アシュートでの最初の攻防が始まり、そして終わった――――。









 11月2日 午後9時30分 王家の谷




 マリク・イシュタール率いる別働隊は、間もなく王家の谷を視認できるまでのところに差し掛かっていた。彼らは一度空路でスーダンに渡り、南から王家の谷を目指していた。
 “デュエルモンスター”はエジプトの地理を学んで攻めて来たに違いない、真っ直ぐ脇目を振らずに首都への最短ルートを進み、王家の谷周辺及び以南の制圧には全くと言ってよい程に手をつけていない。偵察ぐらいは出しているだろうが、まともにぶつかり合う危険は低い。
 作戦の開始時刻はアシュートでの戦いが始まってから一時間後。8時40分ぐらいに交戦開始したとのことなのでそろそろこちらも動かねばならない。
 隊内の空気は重苦しい。この別働隊はいざという時に単独でも報告に戻れるようにするため、エジプト出身で地理に明るい人間が過半数を占めている。そしてその中には当然、ルクソールやアシュートを故郷とする者も少なからずいる。いや、そうでなくとも、自国が、あるいはこの世界が常識を超えた存在に荒らし回られて平気なわけがない。

「よし、作戦の最終確認をしよう」
 確認そのものも重要ではあるが、空気を変える目的でマリクが言った。

「我々の目的はルクソールの戦闘で確認された“デュエルモンスター”、『幻魔皇ラビエル』を討つことだ」
 そう言ってマリクは『ラビエル』のステータスや特殊能力のデータ、そしてイラストを皆に行き渡らせる。




幻魔皇ラビエル 効果モンスター
星10/闇属性/悪魔族/攻4000/守4000
このカードは通常召喚できない。
自分フィールド上に存在する悪魔族モンスター3体を
生け贄に捧げた場合のみ特殊召喚する事ができる。
相手がモンスターを召喚する度に自分フィールド上に「幻魔トークン」
(悪魔族・闇・星1・攻/守1000)を1体特殊召喚する。
このトークンは攻撃宣言を行う事ができない。
1ターンに1度だけ、自分フィールド上のモンスター1体を生け贄に捧げる事で、
このターンのエンドフェイズ時までこのカードの攻撃力は
生け贄に捧げたモンスターの元々の攻撃力分アップする。




「『ラビエル』の攻撃力、守備力は三幻神獣の一つ『オベリスクの巨神兵』と同等の数値だ。それと先日のルクソールでの戦闘の様子を見る限りにおいても、“デュエルモンスター”軍の要職にあるのは間違いない。しかしこいつは三幻神とは違い、魔法、罠、モンスター効果への耐性はない。高い攻守のお陰で、ソリッドヴィジョンの効果範囲に入れば『地砕き』や『ハンマーシュート』1枚で片がつく!」
 この表現には、目の輝きを取り戻す者も少なくはない。

「逆に注意すべきはトークンの生成効果だ。僕達全員の召喚行為全てに対してトークンが出てくるだろうから、その数は到達したときには膨大になっている可能性が高い。トークン自体に効果はなく、攻撃力も1000程度。ただ、『ラビエル』は味方を犠牲に攻撃力を挙げる効果も持っているから、攻撃力4000以上のモンスターを出せても、直接戦闘は避けるべきだ」
 逆にこれを聞いて悲観する“デュエリスト”はさして多くない。 
 勝利だけでなく“魅せる”ことも要求されるプロデュエリストに対して、エジプトに集まっている面子は、テストプレイヤーを除けば基本的に勝つことによってのみ果たされる仕事の担い手である。彼らの多くは、単体除去の有効性を理解し、躊躇なく使う。しかしそれこそがM&Wの現実だ。
 ハンド、ボード、ライフアドバンテージを意識した、地味ながらも堅実なプレイング。しかしだからこそ、彼らは華々しくスポットライトを浴びるプロよりもM&Wを“理解”しているといえる。

「そしてもう一つ、これが最大の懸念事項なのだが――――」
 マリクが異変に気付いたのはそのタイミングだった。言葉を切り、周囲が妙に明るい理由を探ろうと辺りを見回す。

「おい、何だ“アレ”は?!」
 誰かが頭上を指さした。
 夜の帳を裂き、この世の全ての負の想念を集合させたような狂気の緑。自然にして人工的、明るく、且つ暗い発光。

「『オレイカルコスの結界』!? しかし、なんて巨大な……」
 通常の結界はM&Wで対戦している2人、多くても4人程度を閉じ込める程度の大きさしかないはずである。しかし王家の谷上空に展開されている結界は、谷全体はおろか、マリクたちが待機している場所にまで及んでいる。降下速度は、通常よりかなり遅いものの、選択にかけられる時間は長く残されていない。

「今すぐ降下領域からの撤退を! 遅れれば、この部隊は全滅する!!」
 選択の一つを即座に提案したのは、この別働隊の副官を務める赤毛の男、アメルダだった。
 どの組織から派遣されてきたのかは覚えていないが、彼のややうろたえた様子を見るに、結界の何たるかを知っているに違いない。

「あの結界は内外を完全に隔絶してしまうもの。このままこの場所にいては閉じ込められ、補給もないままじわじわと追い詰められていくだけです!」
 その進言は撤退に傾いていたマリクに心を決めさせた。結界のついて多少なりと知識がある者は勿論、そうでない者もアメルダの剣幕にただならぬものを感じたのか、我先に逃げ出そうとする。
 何とか兵を静まらせようとする中、一人の男が大股でアメルダの方に近付いていき、そして思い切り顔面を殴りつけた。

「ぐっ……何をする、ヴァロン?」
 ほとんど寄せ集めの部隊の中でこの2人は面識があったらしく、ここに来るまでの過程でもたまに話をしていた。尤も友好的に、ではないが。

「アメルダ、何を抜かしてやがる!! いま結界の効果範囲から出たら、これから先、侵入する方法がなくなるだろ!!」
 そう、これが作戦の続行を捨てきれない理由。
 結界が以後常に王家の谷に張られ続けてしまっては、こちらからは手が出せなくなる。戦いは必然的に長期化し、“デュエルモンスター”に関する情報はそれだけ漏れやすくなるし、避難民の怒りも限界に達してしまう。
 とはいえ、ここで無理をして全滅しては、それこそ意味がない。

「ヴァロンといったな。ここは一度後退し、体勢を立て直す!」
「な―――! 俺の言うことを聞いていなかったのか!?」
 途端にヴァロンの罵声が飛ぶ。

「聞いていたさ――。だが、兵達の様子を見ても認知度は半分程度。このまま戦っても勝ち目はないだろう」
 ヴァロンが強く歯軋りする。おそらく彼も撤退が正解だとは承知しているのだ。しかし気持ちの落としどころがつかないのだろう。それはマリクとて変わらない。

「残りたければ一人でも残るといい。だが僕は――いや、エジプトは君の実力と結界に関する知識を欲している。結界を許せないのなら、アレについて少しでも情報を提供してくれ。必ず攻略法を見つけてみせる!!」
「――――分かった」
 撤退に非を唱える者は他にいなかった。
 だが、この時にはもう遅かったのだと、マリクはすぐに知ることとなる。

「前方に敵軍! “デュエルモンスター”と思われます」
 南へ引き返し始めて間もなく、そう報告が飛んできた。
 兜と鎧によって正体は隠されているが、剣や杖、槍といった得物で武装しているため、間違いあるまい。そして、それだけではなかった。

「王家の谷方面からも……追撃が迫っています」
「な……!?」
 対応が迅速すぎる。まるで南から攻めることを予期していたかのようだ。
 純粋な読みだろうか、それともエジプトを売り渡そうとする内通者がいるのか。
 重大な問題だが、しかし今は撤退が最優先だ。結界が地上に到達するまで、もういくばくもない。

「聞け! これより我らは南方の敵軍を突破し、合流地点のヘリを目指す!! ここから先は個人の力量だけが頼りだ。一人でも多く、生き残るんだ!!」










 11月3日 午前2時 アシュート



 デュエルモンスターのエジプト襲来からおよそ2日、それだけの短期間で召集、編成されたエジプト特別国防軍は、良い意味で創始者であるイシズの期待を裏切っていた。
 戦闘開始直後こそ、ファンタジーバトルへの戸惑いがあった兵達も次第に要領を得てきたようで、敵主力が『デーモンソルジャー』だと判明してからは格段にモンスター軍を撃破するペースが上がっている。数値化によって戦術面だけでなく、デュエリストの精神に余裕が出てきたのが大きいのだろう。

「アシュート市街に入り込んだ敵はほぼ掃討しました」
「承知した。引き続き警戒に当たり、侵入した敵モンスターを各個撃破しろ」
「はっ」
 報告のため本陣――アシュート市庁――を訪れたデュエリストに対して、それに応えた男は当然デュエルディスクを装着していたが同時に軍服らしき服を着用していた。名をカーク=ディクソンといい、『カードプリベンター』所属のデュエリストの一人である。カークがメンバーに選ばれた理由は、その衣装が示す通り、“軍”というものを知っているからだが、しかし現場の指揮官はカークではなく、やはり同じく『カードプリベンター』の構成員であるデシューツ=ルーだった。
 こうなった理由は、今回の作戦の目的に起因する。アシュート自体は勿論防衛すべきであるが、同時に敵攻撃部隊の足止めという役割も兼ねているのだ。奪われてはいけないが、早々に大打撃を与えて王家の谷に戻られても問題だ。いくら半壊した部隊といえど、谷を攻めている別働隊からすれば敵援軍と大差ない。故にこの防衛戦では、敵軍に被害を与える以前に、攻め手を遅らせるような戦術が求められる。
 ただ、ここで問題となるのがM&Wのシステムだ。M&Wは基本的に“相手のライフをより早く0にする”ゲームである。それもビートダウンという、モンスターの戦闘によってその目的を達成することが好まれる。相手の行動を封じるロックや戦闘を介さずに直接ダメージを与えるバーンも戦術の一つとして存在はする。だが、大抵の公式大会で採用される制限システムは暗にそれらの台頭を拒絶している。そんな中で守備重視のデッキを扱って結果を残せる者は稀であり、デシューツはほぼ消去法で派遣メンバーに選ばれ、消去法で現場の指揮官に任命された。
 実際の所はカークに任せっきりで、あまりの統制のなさに苛立ち軍の規律を厳格にも採用しようとする彼の暴走を何度か止めるぐらいしか、まともな事はしていないが。訓練の一つも受けずに戦場に放り込まれたというのに、敵前逃亡したら銃殺刑など度を超えているが、カークに権力を持たせたら本気でやりかねない。

(つーか、あれだな。どちらかといえば、カークの暴走を抑えるために、俺が現場のトップになったわけか)
 戦術提供だけなら敢えてトップになる必要性まではない。
 頼られるのは悪い気分ではないが、デシューツとしては戦術と実力を評価されての任命であった方が嬉しいのも確かだ。
 しかしとりあえず、この調子でモンスターを駆逐していけるなら、相手の撤退ももうすぐだろう。谷の戦況はまだ伝わってきていないが、敵側としても時間帯による能力的アドバンテージを失いたくはないはずだ。
 そんな予想というより期待は、このアシュート本陣にまで及ぶ地響きによって打ち砕かれた。そこへ相次ぐ通信。本陣に待機する兵の顔に動揺の色が見える。

「――何があった?」
 なるべく冷静に、そしてその落ち着きが通信機の向こうの相手にも伝播するように用件を問う。だがそこでまた地面が揺れ、兵の焦燥はむしろ一層強まった。

「たた、大変です……。敵軍に神が……オベリスクが――!!」
 そこで通信は途切れてしまった。
 他の通信も似たり寄ったり、焦りがぬぐえない様子の者ばかりで詳しいことはあまり分からない。

「カーク、映像は出せるか?」
「やっていますよ、今……」
 必死にパソコンを操り大仰にエンターキーを押すと、本陣として使っている会議室内のスクリーンにアシュート南部の様子が映し出された。

「……これは……!?」
 誰しもが呻き、そして二の句が継げない。

「漆黒の……神だと……!?」
「いえ、二体いることの方が驚きですよ」
 デシューツとカークが各々感想を述べる。
 まるで巨大怪獣だった。
 歩くだけで進路上の建造物が倒壊し、コンクリートに足跡が残る。デュエリストが召喚したモンスターを片手で払い除け、ビルを鷲掴みにして引き抜き無造作に投げる。
 もはや数値化などという枠を超えている黒い“ソレ”は、アシュートに破壊の旋律を刻んでいた。

「何だよ、これはッ……!?」
 言いながらデシューツは、鳥肌が立っていることに気付いた。周りの者も皆呆気にとられ、破壊だけが支配する惨状を食い入るように見つめることしか出来なかった。
 そんな中で、戦意を失っていない者がただ一人。

「“アレ”は両方とも黒い――。しかし“オリジナル”がいない所を見るに、『アバター』ではない。つまり、攻撃力で上回ることが可能ということ!!」
 カークが会議室を飛び出していった。彼の切り札である『マシンナーズ・フォース』の攻撃力は4600。元々の攻撃力が4000のオベリスクになら勝算があると踏んだのだろう。
 それでも釈然としない。攻撃力4000は確かに高い数値だが、それが夢の値というレベルだった時代はとうに過ぎ去っている。アシュートに集う300人近いデュエリストの中で誰一人として超えられないというのは逆に不自然だ。

(効果耐性……いや、それだけじゃない。『オベリスク』は2体のモンスターを生贄に攻撃力を無限に増大させることが可能だ。だが、どう見ても偽物の神にそんなことが……? 違う、あるのかどうか、じゃない。奴は神としての特殊能力を“持っている”。最悪の状況を仮定して、その上で対処法を考えるんだ――!!)
 
 逃げ惑うデュエリストに対して、カークはその流れに逆行してバイクで黒いオベリスクの方に向かっていく。

「おい、カーク! “アレ”はオベリスクの特殊能力を有している! お前のモンスターじゃ勝てない!!」
 カークの通信機に向って怒鳴るが、彼の周囲は喧しくて届いていないようだ。

「クソッ、奴の正体は――基本能力と特殊能力、そして姿形をコピーする……のは……」
 正体が、閃いた。そのようなモンスターは一体しかいない。

「敵は『ファントムオブカオス』だ!! 『スキルドレイン』の所有者は、何とか射程内に近付いて発動させろ!!」
 今度は全ての兵に伝わるように設定した通信機に叫ぶ。
 『スキルドレイン』の使用許可を。
 そう、『スキルドレイン』の無制限な使用は慎むように命令が出されていた。だがこれは決して悪い意味ではない。むしろ各組織への支援要請においても、このカードの使用者は優先して派遣して欲しいとされていた。
 モンスターの能力を数値化、文章化可能な第一次元のデュエリストだが、現在の状況のように能力が分かっていても太刀打ちできない場合が出てくると上層部は想定していた。そんな時のための、切り札。
 しかし、この命令は遅かった。
 スクリーンに視線を戻すと、そこには一体の黒いオベリスクの虚像と対峙する巨大ロボットの姿があった。それでもまだオベリスクの方が大きいが、カークは『巨大化』を発動したらしく、図体だけならばほぼ対等となった。

『ゆけ、『マシンナーズ・フォース』!!』
 カークが巨大ロボットに指示を出すと、ロボットは右腕を持ち上げ、遠心力を乗せようと僅かに引いた。



 ――――マシンナックル!!



 文字通りの鋼鉄の拳が神を捉えた――かに見えた。
 しかしアングルを変えると、巨大ロボの拳は、黒い神の黒い拳に受け止められているのが分かった。

「けど、彼のモンスターの方が押していますよ」
 会議室内の誰かが言った。だが、デシューツはそこまで楽観的にはなれない。

(オベリスクには特殊能力がある。2体の生贄を捧げることで発動する能力が。そして、この状況では生贄にはまず困らない!)
 細かいターンやフェイズの取り決めや、モンスターゾーンの限界がないことによって能力の汎用性は大きく変化する。デュエリストにまだ残っている戸惑いは、おそらくこれによる。通常のデュエルでは“2体もの生贄がなければ発動できない”効果も、“たった2体の犠牲で使える”ものとなるのだ。ここまで圧倒的な破壊力を誇っているなら尚更。この戦場においては、黒いオベリスクの攻撃力は常に無限大と考えなければならなかった。

 虚像のオベリスクの拳が、発光した。遥か下方からモンスターの生命の光が拳へと流れ、オベリスクはそれを拒絶することなく纏う。同時に神と巨大ロボの力関係が逆転し、ロボの鋼鉄の腕にひびが入る。

「くそっ……! 『スキルドレイン』はまだか!?」
 そんな願いもむなしく、『マシンナーズ・フォース』は右腕を砕かれて後方に倒れ、そこにあった建造物も潰れる。とはいえ、足止めしていなかった場合の被害規模を想定すれば、無駄な行いだったわけではない。
 直後、ようやく『スキルドレイン』の射程圏に入ったのだろう、黒い神は収縮する過程を省いて、最初からそこにいなかったかのように消えた。そして10分後にはもう一体のオベリスクもモニターから姿を消した。

『被害は大きかったですが……最後はあっけないものでしたね』
「ああ、そうだな……」
 カークが通信機越しにそう言う。『マシンナーズ・フォース』が転倒した際に負傷したらしく、司令室という名の会議室には戻らず、病院に行くことになった。
 ようやくほっと息をつこうとした時、またしてもデュエリスト達の怒号と悲鳴が、まだ暗いアシュートの上空で交錯した。
 今度の報告は、アシュートに展開していたエジプト軍のモンスターが一部を除いて全滅したというものだった。
 
「モンスターが壊滅しただと!? なら、新しいモンスターを喚べば……」
『それが、新しく召喚したモンスターも、召喚と同時に苦しんで消えてしまうのです!!』
「な――――!?」
 いくら神と同等の力を誇っていたとはいえ、数値化の技術を持つ第一次元相手には長く通用しないことは理解しているに違いない。そうなると、敵軍の本当の攻勢はここからではないだろうか。
 そこまで考えが至った矢先に、もう何度目だろうか、全軍に伝わる回線を使用した通信で新たなモンスターが迫っているとの報告が流れた。

「主力はデーモンソルジャーか?」
『はい……魔法や罠は発動できるようですが……』 
「分かった、できる限り耐えてくれ。その間に、何とか方法を見つける。ただ……引き際だけは見誤るなよ。最悪アシュートの防衛なんざ忘れて、逃げちまえ。地球の危機だろうが何だろうが、自分の命には代えられねえよ」
『……了解しました』
 まともな軍事訓練を受けていない一介のカードゲームプレイヤーに引き際を見極められるだろうか。いや、まず無理だ。デュエリストはM&Wの性質上、最後まで諦めずに戦うことで逆転の道が開けると信じなければやっていけない。
 万に一つの偶然で逃げるタイミングが合えばいいが、デシューツとしてはアシュートを奪われたとしても、多くの命が助かる方がいい。
 そして自分も、こんなところで命を落とすつもりはない。逃げたら処刑されるわけでもなし、救援の望みもない状況でアシュート市庁に立て篭もり、最後の一兵になるまで戦うなど馬鹿げている。
 
「少しここを離れる。しばらくの間、指揮を頼む」
 もう一人の副官である、揉み上げの長い金髪の男に言う。彼は無口でデシューツとカークの話し合いに積極的に参加してくることはなかったが、いくつもの修羅場を潜り抜けてきたようなオーラが滲み出ていた。実力はまずデシューツや他のカードプリベンターのメンバーよりも上。リーダーである北森玲子と同等か、あるいはそれ以上かもしれない。
 獲物に対する肉食獣の如き鋭い睨みは、逃げようとしていることを本能的に察知されたのかという思いを抱かせたが、男は一つ頷いたきりでデシューツから目を離した。
 その隙に素早く廊下に出て、市庁の出入口へと足を運ぶ。

「さてと、アシュートを離れながら、奴らが何をしたのか推理でも……」
「まだ諦めるには早いですよ、デシューツ=ルーさん」
「!?」
 あと少しで誰とも会わずに市庁から脱出できる、そう期待した矢先に背後からよく知った声が飛んだ。
 しかし、彼女はこのアシュートにはいない筈。どちらかと言うならカイロの特別国防局庁で作戦立案に携わる、そういった上層部の立場ではなかったか。
 恐る恐る振り向くと、そこにはデシューツの上司であり、特別国防軍の軍師的役割を果たしている女性、北森玲子が不敵な笑みを浮かべていた。 




 ―――――――――――――――







 アシュートは、かろうじて守られた。
 黒いオベリスクを葬った直後に発生したモンスターの消滅現象。北森玲子はその原因をすぐさま『死のデッキ破壊ウイルス』によるものと見抜いた。あの時点でアシュートにいたデュエリストが召喚していたモンスターは、敵モンスターとの戦闘で生き残った高攻撃力のモンスターばかりだった。そして、オベリスクが『スキルドレイン』で『ファントムオブカオス』に戻った時、死者の映し身は自らを糧に『ウイルス』を発動させた。
 特別国防軍はこれに対して、ほとんどのデュエリストを一旦ウイルスの影響地域から退避させた。そしてその境界を絶対防衛線と定め、『ウイルス』の活動時間と思われる18分間を耐え抜いたデュエリストたちは、一気に攻勢に躍り出た。
 やがて敵モンスターは、時間帯による『闇』のアドバンテージを失うことを恐れたのか、アシュートから引き揚げて行った。この戦いにおけるエジプト側の死者は0。重軽傷者を合わせても30人程度で、完全に戦線から離脱しなければならないほどの重傷者は1名のみだ。
 だが、間違ってもこれは勝利ではない。敵はこちらの『スキルドレイン』までも読み切り、それに対する回答を用意していた。アシュート南部は都市としての機能を破壊された。デュエリスト兵は敵モンスターのデータがなければ、恐怖の方が勝ることが露呈した。
 そして、王家の谷攻略作戦の失敗。『オレイカルコスの結界』によって谷は不可侵領域となり、作戦に参加した50人のうち12人が死亡、あるいは結果内に取り残された。“デュエルモンスター”とドーマが手を組んでいた、それは特別国防局に衝撃を走らせるに十分な事態だが、最大の問題は結界そのものにある。
 いまや王家の谷は、現代科学の全てを結集しても突破できない強固な拠点となった。しかもその状態になるまでの所要時間は20分にも満たない。かの豊臣秀吉は小田原城攻めにおいて、一夜にして城を完成させ北条軍を震え上がらせたというが、そのような嘘臭い伝説すら比にならない。
 要塞を建造しようとすれば、そこに時間と人と金がつぎ込まれ、少なくとも要塞の存在ぐらいは知られて当然だ。だが結界は一切の前触れなく、エジプトと王家の谷を完全に隔てた。これではいくら優秀な将を集め、歴戦の部隊を揃えたとしても勝てるわけがない。
 とはいえ、勝てないという結果をただ座して受け入れるわけにはいかない。勝てなくても勝たねばならない、それが現実だ。
 たまたまエジプト軍に参戦していた元ドーマ幹部によって、特別国防軍のドーマに関する知識は大きく補強された。しかしそれによってエジプト側は、同時に自らの無力を思い知らされることになった。
 オレイカルコスの結界を突破する方法は、分かっている限り2つ。その内一つは異世界の騎士の力を借りることだが、こちらからの接触が出来ないため、実現はまず不可能だ。
 そしてもう一つがオレイカルコスの力を結界にぶつけることである。いわゆるダイヤに傷をつけるにはダイヤの法則だ。数日前に海馬コーポレーションは結界の使い手を一名確保したらしく、当然その男はオレイカルコスの欠片を身につけていた。エジプト側は石の貸与を要請し海馬コーポレーションはこれを了承。間もなく結界は破壊されると思われた。
 だが数日後、石の運搬人を乗せた飛行機はインド洋上空で消息が途絶えた。原因は不明。偶然の事故か、ドーマの妨害工作か、それともまったく別の理由か、全ては闇に消え、そして特別国防軍の結界突破作戦は振り出しに戻った。
 こうして、新たな欠片を確保することが出来ないままいたずらに時は過ぎ、次第に戦いは長期戦の様相を見せ始めていた――――。





 3章 アシュートの攻防 終




 4章 墓守の里

 天使曰く“門”を通って第六次元、通称墓守の里へとやって来た瑠衣がまず見たのは、既に兄の巧が現地人との交流を開始している姿だった。
 そこは石造りの小部屋―――これだけではドーマの城とさして変わらない表現だが、その実は大きく異なる。ドーマの城は生ある人間がいないような、静謐で、しかし空虚な、まるで自分達が世界の異分子と感じてしまうような歪んだ美しさを持つ部屋。対してこの小部屋はまず造りが粗く、その上使い古されているが、手入れはされており、人の思いが込められ、建物がそこに住む者を守っているような温かみと安心感が刻まれている。
 ただそれだけではなく、単純にガーデア城近辺よりも気温が高いように思えるのも、気のせいではあるまい。

「……来たか」
 巧が相変わらず無表情に振り向く。

「紹介しよう。妹の永瀬瑠衣、戦力として期待できるだろう。実戦も踏んでいる」
 それは家族の紹介ではなく、共に動く戦力としての紹介。
 “実戦を踏んでいる”ことはあまり怒られなかったが、なるほど、こういう活かし方をするつもりだったのだ。

「あ、よろしくお願いします」
「よろしく、瑠衣さん。私はサラ、あなた達第一次元の人間が扱うM&Wの分類名で言うなら『墓守の暗殺者』です」
「えっ……!?」
 思いもかけない自己紹介だった。
 第六次元ではM&Wを扱う住人も存在すると聞いてはいたが、それでも今のはおかしい。
 瑠衣達は第十二次元と第六次元を繋ぐ“穴”を通って来たのだ。では何故、そこから第一次元という単語が出てくる?

「―――すみません、色々と混乱していることはあるかもしれませんが、ここは敵方の拠点です。続きは我々の隠れ家でよろしいですか?」
「あ……そうでしたね」
 後方の“穴”から敵が出てくることはないだろうが、部屋の入り口の方はそうもいくまい。
 第十二次元に繋がる場所、当然警備は厳しいだろう。
 全ては彼女が味方であるとの前提の上でだが、そんな危険地帯におそらくたった一人で潜入し、瑠衣達を待っていたのだ。

(あれ……?)
 今の仮定はどこかおかしい。
 何かが違う。そう―――どうして、長年封鎖されていた穴から瑠衣達が出て来ると予測できたのだ?
 いや、封鎖されていたことは知らないにしても、このタイミングでこの部屋にいるというのがそもそも出来すぎてはいないか?

「分かりました、案内してください」
 しかしよりによってこの場面で、巧はいとも簡単に承諾した。
 何か味方との確信があるのだろうか。

「瑠衣もいいよな?」
「えっ……あ、うん……」
 自分が疑り深くなっているだけなのかもしれない。そう考えてみるものの疑いは晴れず、険しい顔のまま消え入りそうな声で答える。

「ありがとうございます。では、ついてきて下さい」
 サラは疑われても仕方ないと思っているようで、不信を隠せない瑠衣の態度にも不快感は示さず、部屋を出て行った。
 瑠衣も遅れずについて行きながら、そっと巧の袖を引っ張り、前を行くサラに聞こえないように訊く。

「―――いいの?」
「ああ、所詮は墓守。敵に回ろうと問題はない。この狭い通路では一度に戦える人数も限られている」
「…………!」
 巧は彼女を信じているのではない。敵でも味方でも作戦遂行に支障はないと考えているだけなのだ。
 ついサラの立場で考えてしまったが、瑠衣達の目的は闇に染められた天使を救い出し、ガーデア城の戦力とすること。
 そしてガーデア城の“穴”の先がガリウスに占拠されている建物であると分かった以上、計画遂行に際してこの地に駐留するガリウス軍との衝突は避けられない。
 ただそこで現地人がどうなるかは、一切問わないことにしている。ガリウスに支配され与しているのなら倒す、圧制に抵抗しているならそれはそれで良し、それだけなのだ。
 ふとガラスのない窓から外を見ると、太陽は3つあった。

「ね、ねえ……太陽があんなにあって大丈夫かな?」
「そんなに気温は高くないし、問題ないと思う。密集しているから夜もあるだろうな。それにしても、第十二次元解説書がここまで事実を書いているのは予想外だった」
「そうなの? ちゃんと自分で読んだことないから、分からないんだけど」 
「第十一次元、第十二次元に関する記述にも、今のところ事実との差異はほぼない。太陽が3つというのもしっかり書かれていた」
「あれ、著者もはっきりしてなかったよね。D.Mの正体は掴めた?」
 巧は首を横に振る。世界の神秘と言うべきか、本当に謎は深まるばかりだ。

 結局のところ、サラは本物のレジスタンスだったようだ。3人は砦と神殿を掛け合わせたような建物の内部で悪魔や他の墓守と遭遇することはなかった。
 『墓守の暗殺者』ことサラは、やがて他と何ら変わらないある廊下の中ほどで立ち止まり、入念に周囲を見回すと、おもむろに近くの柱に手をかけた。瞬時に閃き、いや、そこまでテンプレートではないだろうと反論しかけた発想は、見事に当たりだった。
 サラが押した岩は柱の中に沈み、それと平行して壁の一部が変化する。動きが止まるとそこには、大人一人が通れるぐらいの入口がぽっかりと口を開けていた。

「この中なら安全です」
 サラの言葉を鵜呑みにするわけにはいかないが、第六次元に関してまだ右も左も分からない状況では、踏み込まないわけにいくまい。
 通路は照明がなかったが、先ほどまで歩いていた場所と同じ舗装はしてあった。ただ壁に触れると少しひんやりしている。水が通っているのかもしれない。

「あまり大きい拠点とは思えないが、レジスタンスの総数はどのぐらいだ?」
 先導するサラに巧が訊ねる。

「およそ200名――墓守全体の3割ぐらいでしょうか。この隠れ家に常駐しているのは20人前後で、あとはガリウスに帰順した墓守に紛れて暮らしています」
「そうか、ありがとう」
 礼を言った後、巧がこっそり舌打ちしたのを瑠衣は聞き逃さない。
 原因は何だろうか。

「少ない?」
 ひとまず数と推測してみる。

「いや、レジスタンスのメンバーが“紛れて”いるというのが問題だ。ガリウス側の動向を探るには好都合だが、逆にガリウスのスパイが入り込んでいる可能性が否定できない――というか、間違いなくいる」
「……………」
「それに、彼女や他の墓守には誰がレジスタンスで誰が敵か識別できるが、俺達には無理だ。事前の説明なく、天使軍を率いて谷に攻め入れば、墓守も立ち塞がるだろう」
「そっか、その中にレジスタンスの墓守がいても、天使が味方だと分からないんだ」
 天使が単なる“外敵”と扱われれば、墓守勢もそれと気付かずに、ガリウスだけを倒そうとしている天使を敵とみなしてしまう。

「防ぐには、レジスタンスの蜂起と連携を取る必要がある。少なくとも、天使は味方だとレジスタンス中に信じさせなければならない。佳乃がガーデア城に着くまでの一週間で片をつけなければならないのに、だ」
 外界の人間がいきなり一斉蜂起しろと言っても、そう都合よくはいくまい。彼らには彼らの戦力増強予定と、蜂起予定があるはずだ。
 そのまましばらく歩いていると、いくらか明るい部屋に出た。松明の炎による第一次元の人間にとっては旧時代的な灯。
 そこには先ほど説明されたぐらいの数の墓守がいた。よくデュエルで見かける者ばかりではない。『呪術師』や『大筒兵』等、普段はあまり使われない職業の墓守までもが、満遍なく揃っている。
 正直『偵察者』、『番兵』、『長槍兵』、『暗殺者』、『司令官』の集団しか想像していなかった瑠衣は、その他の墓守に心の中で謝った。
 そしてここにも、“デュエルモンスター”でない墓守が数人。殆どが女性で、一人は身篭っているのが窺える。
 彼らは謎の来客を不審そうに睨み、近くの者とその正体を推測し合っていた。

「奥にもう一つ部屋があります。そこで詳しい話をしましょう」
 そこにレジスタンスの『長』がいるのだろう。

「分かりました」
 と、巧は提案を飲んだ。
 部屋を横切る途中で一人の墓守の後ろに井戸を見つけた。やはり水は通っているらしい。
 そして、奥の部屋。
 『長』はいなかった。代わりに別の“人”がいた。いや、“デュエリスト”がいた。左腕に第一次元製のデュエルディスクを装着した、おそらく第一次元の――日本人。
 身長は人並みでやや痩せ型、眼鏡をかけた神経質そうな男が、部屋にいくつかある椅子の一つに腰掛けている。

「―――誰っ!?」
 まず驚き、次の瞬間には詰め寄りかけていた瑠衣を巧が制した。

「待て、この男はどこかで見たことがある。そう、M&W関連の職に就いていた行方不明者のリストで―――」
 その意味に気付き、瑠衣ははっと息を呑んだ。

「貴様は、高原真吾。元プロデュエリストだな?」
 疑問形ではあるが、巧には確信があるのだろう。
 名を当てられた男はゆっくりと腰を上げ、軽く手を叩いた。

「正解です。しかし本当に来るとは、あの方の読みも凄いですね」
「やっぱり、母さ――いえ、沙理亜の―――」
「まあ、奴の差し金だろうな。何のために来た?」
「君なら分かっているでしょう。墓守の里解放の手伝いですよ」 
 と言われても、瑠衣には沙理亜が協力者を送り込んでくる理由は見当がつかない。
 ただ、巧の様子を見ても、沙理亜の計画を潰す上での障害になることは想像できる。

「去れ、お前の仕事はここにはない。帰って沙理亜の靴でも舐めているんだな」
「その認識は……正していただきたいですね」
 一触即発な空気が漂い始める中、最も真剣に里の解放を望んでいる女性が高原と巧の眼前に短剣を突きつけた。

「すみません。そちらの事情は存じませんが、私はこの世界を救うために最大の布陣を揃え、最良の戦略を見つけなければならない。そのためにはどちらの力も必要と考えます」
「分かりました」
 巧が言うと、高原も渋々頷いた。

「ありがとうございます。では―――」
「あ、待ってください」
 話を進めようとしたサラを巧が遮る。

「レジスタンスの指導者―――サラさん達が擁立しようとしている新しい『長』は?」
 言われて思い出した。
 この部屋にいるのは瑠衣、巧、高原、サラの4人だけ。
 一見サラがその地位にあるようにみえるが、彼女の職業は『暗殺者』である。
 もしかすると確固としたリーダーの不在が、レジスタンスの勢力拡大を妨げているのかもしれない。
 そうであれば由々しき事態である。
 墓守の里の権力は『長』に一点集中しているらしい。
 民主主義とはいえないその体制では、民だけでなく王に当たる人物もいなければ組織として成り立たない。
 新たな『長』がいない状態で解放が成っても、次の『長』を巡って新たな混乱が巻き起こるだけだ。
 瑠衣達は確かにこの次元での活動にあたって、解放後は墓守の復興活動に不当な干渉しないと決めていた。
 しかし瑠衣の考えるそれは、解放者の立場を利用して無理難題を押しつけないということである。決して立ち行かない政権を見捨てるという意味ではない。巧はどうか知らないが、少なくとも瑠衣の考えは前者であり、後者のケースはそもそも考えていなかった。
 果たして、その杞憂は的中した。

「指揮を執っているのは私です。ですが……」
「女性は『長』になれない?」
 うんざりした様子で瑠衣が引き継いだ。

「はい。『長』の娘は『暗殺者』となるのが習わしです」
 そこに隠された意味を理解し、さらにため息をついた。
 巧も呆れている。

「世襲制で男尊女卑。これまで続いていたのが不思議な、最悪の継承システムだな」
「すみません」
「別に責めているわけじゃない。とりあえず聞いておきたいことは一つ。制度を無視して答えてくれ、サラさんは人の上に立つ覚悟はあるか?」
「―――あります」
 わずかに逡巡したものの、彼女ははっきりと言い切った。
 これには瑠衣もほっとせざるを得ない。巧の性格からすれば、今の問いにはレジスタンスを共闘する組織として認めるか、見捨てるかの意味が含まれていたに違いない。

「なら、これから7日の間に一斉蜂起する予定は?」
 なぜ7日かは簡単だ。ガーデア城に同盟軍が到着する予定日だからである。

「いいえ」
「戦力差を考えれば当然だな。質問を変えよう、その期間に蜂起するならいつを選ぶ?」
「………5日後に墓守は、かつてこの地に君臨していた王の御霊を鎮めるため、儀式を執り行います。儀式場に入れるのは当代の『長』と数名の『呪術師』のみ。そこでガリウスに与する『長』を討てば、多くの墓守が我らの元に戻って来るかと」
「レジスタンスに新たな『長』候補がいないと知っていてもか?」
「戻って……来させます」
「その場所を教えてくれ。あと出来れば、この建物全体の地図を頼む」
 サラが答えると矢継ぎ早に次の質問や提案。
 本当に、高原に干渉させる気がないのだ。
 話し合いは瑠衣がつけている腕時計で深夜1時頃まで続き、その間瑠衣は最初の部屋に戻り、高原が現れた経緯を墓守達から聞き出しておいた。
 高原が現れたのは瑠衣達が次元間移動してくる前日、彼は自らこの隠れ家を探り当ててきたとのことだった。一人の“デュエリスト”が百人規模の戦力であることを知らしめた彼は、数日中に新たに2人の“デュエリスト”がこの地にやって来ると予言したそうだ。
 サラがあのタイミングであの場所にいたのは、これが理由だったのだ。
 ただ、サラは高原を信じているようだが、他の墓守は彼を、そして巧と瑠衣も心から信じることはできないと言っていた。
 確かにこれは仕方ない。しかも高原と瑠衣達は対立しているのだ。
 とすれば、取るべき手段は一つだ。

 墓守が全員寝静まったのを確認すると2人は高原の所に行き、話しかける。
 彼も横になっているが、眠ったように見せかけているだけだろう。
 案の定、すぐに起き上がった。

「高原真吾、まずは貴様と決着をつけよう」
「M&Wで私が勝てば協力を認める、負ければ去る、そのルールでよろしいですか?」
 高原は一応大人の男だが、異世界にいる限りまず強硬手段はとれない。
 理由は簡単、モンスターを実体化させられるからだ。
 高原がその手に及べば、瑠衣は『竜の騎士』を召喚して応戦する。そうなれば高原も自らのモンスターに戦わせるしかない。
 となれば、最初からデュエルに訴えた方が公正で、勝敗の境目がはっきりしている分、約定を取り付けやすい。

「ああ、この次元はM&Wの勝負が命がけでない、特異な次元の一つらしいしな。ある程度の身体的ダメージは受けるそうだが」
「私もそう聞いています。ここでは狭いですから外に出ましょうか」
 そう言うと高原は最初の大部屋にある井戸を、ロープを伝って降り始めた。巧が二番目に降り、最後に瑠衣がロープに手をかけた。
 井戸の途中には横穴があり、湿った洞穴を少し歩くと開けた川べりに出た。
 そこから建物は見えない。逆に建物の中にいる悪魔に勘付かれることもあるまい。

「じゃあ始めようか。任せたよ、瑠衣」
 ………聞き間違いかもしれない。うん、きっとそうだ。

「えっと、デュエルするのは兄さんだよね?」
「瑠衣だろ」
 即答する巧。
 いやいやいや、無責任にも程がある。

「あの人、わたしを連れ去ろうとしている組織の一員だよ。守ってくれると思っていたんだけど……」
「元プロデュエリストの肩書が示す通り、油断できる相手ではない。ここは強い方が戦うのが順当だろう」
 駄目だ、この兄に妹キャラは通用しない。下手にお兄ちゃんとか呼ばなくて正解だった。
 今さらじとっとした、あるいは潤んだ目で見つめても、単に黒いと思われるだけで、いいことは一つもない。
 ここは巧の主張に合わせて反論しよう。

「沙理亜は兄さんのそういう性格を読んで、デュエリストを送り込んできている筈。となれば、わたしのデッキはあの男のデッキと相性が悪いと思う」
「それはどうかな。俺のデッキも瑠衣のデッキも、相性の悪いメタカードはほぼ同じだ。例えば『王宮の弾圧』、『スキルドレイン』。どっちが戦っても同じだろ。だったら地力で上回る瑠衣の方が適任に決まっている」
 素早く正確な口撃。まるで何年も前から準備していたかのようだ。

「『御前試合』は、わたしにのみ影響があるメタカードよ」
「それを言うなら、瑠衣、『群雄割拠』は俺のデッキの展開力を鈍らせる」
 本当に果てがない交渉だ。
 こうなったら、伝家の宝刀を使うしかない。
 精度には不安があるけど、今度こそは上手くやれるはずだ。
 そう、これまでのわたしにはポジティブシンキングが欠けていた。
 ここは自分から提案を持ちかけ、苦手意識を払拭する!

「キリがないね………こうなったら、ジャンケンで決めよう!」
「いいだろう。どうせ結果は見えているがな。こういう場面で負けたことがないことぐらい、分かっているだろうに」
 こうまで簡単に勝負に乗ってくるとは予想外だった。
 逆にこっちが不安になってきてしまう。
 ……いや、それがあの外道兄の策略なのだ。
 気持ちで負けてしまっては、勝負にも勝てない。

「や、やってみなくちゃ分からないよ……! 最初はグー、ジャンケン――」
 と、そこまで考えて違和感。
 あれ、ちょっと待った。むしろこの場合は……。




 瑠衣 パー 
 巧  グー




「…………」
 開いた手が、震えている。
 必死に止めようとするが収まらない。
 そこへ、巧が止めの一言。

「決まりだな。頼むぞ、瑠衣」
「うう………また勝っちゃった。仕方ない、か」
 この様子を見て高原がいぶかしむ。

「おや、負けた方じゃないのかい?」
「愚かな―――。大分前からそうだが、今の環境は先攻ゲー! 徹底的に勝ちを求めるなら、ジャンケン運の強い方がデュエルに臨むのは当然というもの!」
 全世界のシスコンを敵に回した巧が、胸を張って豪語する。
 文句の一つも言ってやりたいが、残念なことに反論できない。
 現環境は確かに先攻ゲーである。
 それにジャンケンで決めようと言ったのは瑠衣だ。
 「ジャンケンは言いだしっぺが負ける」という嘘の理論を提唱した誰かは、ぶっ飛ばしてやりたいが。

「そういうことです。デュエルするからには、負けませんよ」
「いいでしょう、では―――」

「「デュエル!!」」


 瑠衣 LP4000
 高原 LP4000


 公明正大なるジャンケンの結果、瑠衣はチョキ、高原はパーで瑠衣の勝利。
 当然、瑠衣は先攻を選んだ。

「やはり俺の読み通りだったな」
「初手………あんまり良くないけどね。ドロー!」
 初手フルモンでドローカードもモンスター。
 これでは何のために先攻を取ったのか分からない。

「モンスターを守備表示で召喚。これでターンエンドです」
 瑠衣のデッキは高原にある程度把握されているだろうが、こっちは情報が無に等しい。
 早いところ、相手のデッキは掴んでおきたい。
 高原はターンを始めると、間髪入れずに手札のカードを一枚抜き取り、デュエルディスクに叩きつけた。

「『コアキメイル・ガーディアン』を召喚!」
 高原の場に現れたのは、六角の鋼。それを中心に周囲の土が集まり、やがて人型になった。
 その手には同じ素材の槍と盾が握られている。
 土の巨人に傷はないものの、動く様子はない。



コアキメイル・ガーディアン 効果モンスター
星4/地属性/岩石族/攻1900/守1200
このカードのコントローラーは自分のエンドフェイズ毎に
手札から「コアキメイルの鋼核」1枚を墓地へ送るか、
手札の岩石族モンスター1体を相手に見せる。
または、どちらも行わずにこのカードを破壊する。
効果モンスターの効果が発動した時、
このカードをリリースする事でその発動を無効にし破壊する。



「バトルフェイズ、『コアキメイル・ガーディアン』で、守備モンスターを攻撃する」
 攻撃命令を合図に、巨人の胸に核に刻まれていたのと同じ模様が浮かび上がった。
 同時に、まるで人形のようだった土の巨人が、ゆっくりと槍を持ち上げる。
 しかしそれも一瞬のことで、巨人はいつの間にか軽々と槍を振り回していて、いつの間にか瑠衣の場に移動し、仮面を被った竜を貫いていた。

「『仮面竜』の効果は、当然使います」
「ならば……『コアキメイル・ガーディアン』を生贄に、その効果を無効にする」
 土の騎士はその身を分解して消えかかっている竜を覆い、同時に消滅する。
 場に残された六角の鋼も地に落ちて砕けた。



仮面竜 効果モンスター
星3/炎属性/ドラゴン族/攻1400/守1100
このカードが戦闘によって破壊され墓地に送られた時、
デッキから攻撃力1500以下のドラゴン族モンスター1体を
自分フィールド上に特殊召喚する事ができる。
その後デッキをシャッフルする。



「カードを2枚伏せ、ターンエンド」
 『コアキメイル・ガーディアン』。そのカードを使うデッキは大まかに2種類ある。
 しかし、どちらかはまだ情報不足だ。




瑠衣 LP4000
 手札5枚
 場 なし

高原 LP4000
 手札4枚
   場 伏せカード2枚




「わたしのターン、『ブレード・ドラゴニュート』を召喚して――攻撃です」
 茶色の鱗と赤い関節の、シミターを手にした竜人を顕現させ、高原に向かって突撃させる。
 地を蹴り、高原めがけて疾駆する竜の剣士、その眼前に現れた核は前のターンに砕けた筈のもの。

「リバースカード『コアの再練成』! 蘇れ、『コアキメイル・ガーディアン』!」
 核にまたしても土が集まり、竜もろとも消え去った巨人の姿を成す。



ブレード・ドラゴニュート
☆4 闇属性 ドラゴン族 ATK1600 DEF1000
このカードが戦闘で相手モンスターを破壊した時、もう一度だけ続けて攻撃できる。
このカードの攻撃時に戦闘の巻き戻しが発生した場合、対象を変更せずに攻撃しなければならない。
攻撃対象のカードがフィールドから離れている場合攻撃は無効となり、直接攻撃時に相手フィールドにモンスターが召喚、特殊召喚された時のみ対象を選び直して攻撃する。

コアの再練成 永続罠
自分の墓地に存在する「コアキメイル」と名のついた
モンスター1体を選択し、攻撃表示で特殊召喚する。
自分のエンドフェイズ時にそのモンスターが破壊された時、
このカードのコントローラーはそのモンスターの攻撃力分のダメージを受ける。
このカードがフィールド上に存在しなくなった時、そのモンスターを破壊する。
そのモンスターが破壊された時このカードを破壊する。



「………! 純正、かな」
「呑気に分析していていいのかい? 君の従えるドラゴニュートは、攻撃の巻き戻しが出来ないのだよ」
 そう指摘してくれると、こちらも返し甲斐がある。

「そのぐらい分かっています。『コアキメイル・ガーディアン』の特殊召喚に伴い、自身を切ってこのカードの効果を使います」
 瑠衣は手札から水色の鱗を持つ竜のカードを高原に見せた。 

「………『ドラゴン・アイス』か」
 この効果を通した場合、ドラゴニュートは破壊されライフも削られるが、下級コアキメイルでは越えられない2200の壁が現れることになる。
 一方、無効にされる場合はそれなりのダメージを与えられるが、数値の高くない攻撃表示モンスターを晒してしまうことになる。
 そしてこの選択は相手の手札に依存する。つまりこれによって、高原の手札の状況を知ることができるのだ。



ドラゴン・アイス 効果モンスター
星5/水属性/ドラゴン族/攻1800/守2200
相手がモンスターの特殊召喚に成功した時、
自分の手札を1枚捨てる事で、このカードを手札または墓地から特殊召喚する。
「ドラゴン・アイス」はフィールド上に1枚しか表側表示で存在できない。



「その効果は――通そう」
「では、守備表示で特殊召喚します」
「そしてドラゴニュートの攻撃は強制的に続行。返り討ちにしろ、ガーディアン」
 勢いのままに突撃する竜人が慌てて引き返そうとした時には、既に土の槍の射程内に入ってしまっていた。
 心臓を一突きにされてほぼ即死の竜人が消滅し、瑠衣のライフカウンタが動いた。


 瑠衣 LP4000→3700


 このターンもモンスターを引いてしまった瑠衣は、ブラフのカードすらも出せずにターンを終える。
 しかし有力な情報も得た。おそらく高原の手札には攻撃力1600を超える下級コアキメイルは存在しない。

「私のターン、手札から『コアキメイルの鋼核』を見せ、『コアキメイル・スピード』を墓地に送り、『コア濃度圧縮』を発動する」
 そのように考えている傍から手札交換。折角の分析が台無しだ。



コアキメイルの鋼核 通常魔法
このカードが墓地に存在する場合、
自分のドローフェイズ時に通常のドローを行う代わりに、
このカードを手札に加える事ができる。
また、自分のドローフェイズ時に
手札から「コアキメイル」と名のついたモンスター1体を墓地へ送る事で、
自分の墓地に存在するこのカードを手札に加える。

コアキメイル・スピード 効果モンスター
星3/風属性/機械族/攻1200/守2200
このカードのコントローラーは自分のエンドフェイズ毎に
手札から「コアキメイルの鋼核」1枚を墓地へ送るか、
手札の機械族モンスター1体を相手に見せる。
または、どちらも行わずこのカードを破壊する。
このカードがフィールド上に表側表示で存在する限り、
自分のドローフェイズ時にドローしたカードが「コアキメイルの鋼核」だった場合、
そのカードを相手に見せる事で自分はカードをもう1枚ドローする事ができる。

コア濃度圧縮 通常魔法
手札の「コアキメイルの鋼核」1枚を相手に見せ、
手札から「コアキメイル」と名のついたモンスター1体を捨てて発動する。
自分のデッキからカードを2枚ドローする。



 高原は新たに呼び込んだ手札に視線を移すが、表情は優れない。

「くそ、巡りが悪いな……。だが相手の場に伏せカードがない今は、確実に攻め時だ。『コアキメイル・ガーディアン』を生贄に、『コアキメイル・ルークロード』を召喚する!」
 三度現れた核を依り代に、ゼンマイ仕掛けの機械が稼動する。
 これの分類が戦士であることについては、首を傾げざるをえない。



コアキメイル・ルークロード 効果モンスター
星7/地属性/戦士族/攻2800/守2200
このカードのコントローラーは自分のエンドフェイズ時に
手札から「コアキメイルの鋼核」1枚を墓地へ送るか、
手札の戦士族モンスター1体を相手に見せる。
または、どちらも行わずにこのカードを破壊する。
このカードは「コアキメイル」と名のついた
モンスター1体をリリースしてアドバンス召喚する事ができる。
このカードが召喚に成功した時、自分の墓地に存在する
「コアキメイル」と名のついたカード1枚をゲームから除外する事で、
相手フィールド上に存在するカードを2枚まで破壊する。



「ルークロードの効果、墓地のコアキメイル一体を除外することで、相手フィールド上のカードを2枚まで破壊する。『スピード』を除外し、消えろ、『ドラゴン・アイス』!!」
 高原の目論見通り、『ドラゴン・アイス』は消滅した。
 だが、この状況こそが瑠衣の望んでいた展開。
 伏せカードなど瑠衣からすれば、まだまだ“見えている”脅威だ。
 本当の意表は、手札からつくもの。
 『ドラゴン・アイス』、そして『竜の騎士』もまた然り。



竜の騎士 効果モンスター
星7/炎属性/ドラゴン族/攻2800/守2300
自分フィールド上のカードを破壊する効果を相手モンスターが発動させた時、
対象となったカードを墓地へ送る事で手札からこのカードを特殊召喚する事ができる。



「わたしのデッキを研究してきたのかと思いましたけど……そうでもなかったみたいですね」
 余裕たっぷりに微笑む瑠衣。
 モンスターばかりの手札とはいっても、それが必ずしも事故とは限らない。
 要は噛み合わせ。自分がモンスターしか出さない状態では、相手が魔法や罠に対処するカードを握っている場合それは死に札となる。
 事前調査を行い対策カードをデッキに入れても、手札に舞い込むかはやはり運が絡んでしまうと言ったところか。ルークロードにしても、他に手がなかっただけのように見えた。
 それでも、プレイングによって研究の有無ははっきりと出る。

「バトルだ、『コアキメイル・ルークロード』で『竜の騎士』を攻撃」
 『竜の騎士』の登場は予測できなかったようだが、高原はすぐに立ち直り攻撃宣言を行う。
 互いに攻撃力は2800。よって双方が破壊される。

「ターンエンド」 




瑠衣 LP3700
 手札3枚
 場 なし

高原 LP4000
 手札4枚
   場 コアの再練成、伏せカード1枚



「わたしのターン」
 このドローでようやく、茶色のみだった瑠衣の手札に緑が加わった。
 尤も発動条件は満たしていないのだが。

「『ブリザード・ドラゴン』、召喚!」
 冷気を自在に操るドラゴン。
 水中での活動も可能なのか、口の両横には鰓がある。



ブリザード・ドラゴン 効果モンスター
星4/水属性/ドラゴン族/攻1800/守1000
相手フィールド上に存在するモンスター1体を選択する。
選択したモンスターは次の相手ターンのエンドフェイズ時まで、
表示形式の変更と攻撃宣言ができなくなる。
この効果は1ターンに1度しか使用できない。



(相手の場には、最初のターンから伏せられているカードが1枚だけ。2枚とも再練成ってことはない……よね)

「『ブリザード・ドラゴン』でダイレクトアタック!」
 エターナルフォースブリザードには遠く及ばないものの、氷のブレスは高原のライフを半分近く削り取る。


 高原 LP4000→2200


「フ……フフフ……中々の攻撃です。しかし……ここで私は君に礼を言わねばならない。君の力のおかげで、私の体が実際に凍りつくことはない」
 “そのこと”に話が向かうや否や、瑠衣は戦術を考案している時の無邪気な微笑みを一転して険しくさせた。

「そうですか。それは残念です」
「残念? 君の性格からすれば、そこは誰も傷付かずに真剣勝負が行えることを喜ぶと思っていたのですが」
「それはあなたの勘違いです。わたしは自分一人が生き延びるために、多くの人が再起不能になるのを見過ごした、そんな残酷な人間ですよ。真剣な戦いになれば、戦いの高揚感に溺れ、“敵”をいかに攻略するかにしか目がいかない」
 瑠衣が元から持っていて、しかしこれまでは隠れていた素養。
 しかし今はこの、人格交代しているかのような変貌を自覚しつつある。
 またふつふつと怒りが湧いてきたが、デュエル中に冷静さを失っては終わりだ。
 入念に手札シャッフルをしていると、大分落ち着いてきた。
 ……うん、大丈夫。

「わたし、この能力を制御したい。消えて欲しいとまでは思いませんが、消えても別に構わない。それでも今この場では、せめて抑えたい。高原さん、あなたが凍傷になろうと大量出血しようと、その目的が達せられれば、それでいい。勿論それとは別に、デュエルには勝ちますけど」
「…………」
「カードを伏せ、ターン終了です」
 その伏せカードは、高原には決して見通せない瑠衣の心そのもの。
 本心を語っているのは確かなのだが、これまで沙理亜が高原に教えた瑠衣の性格とはかけ離れていた。そのギャップが、高原を混乱させる。

「カード、ドロー」
 手札を増やした高原は、再度瑠衣に誘いをかける。
 ここで高原は目の前の瑠衣よりも、『闇の力』を破壊する能力を持つに相応しい――他人のために積極的に能力を使う、瑠衣の虚像を選択した。

「永瀬さん、もう一度よく考えてみて下さい。我々の活動は、主に『闇の力』によって起きた事件の被害者、及び残された者のフォロー。ですが結局、現在我々がしていることは事後対応に過ぎないのです。君の能力は、活動をより発展させるもの。すなわち、未然に悲劇を防ぐことができるようになる」
「本当に……それだけですか? 『闇の力』を滅ぼすためにこの力を利用しようとしていると、わたしは沙理亜から直接聞きましたよ。それとも、あなたがとりなしてくれるんですか?」
「……! それは……」
「でしょうね。まあ、とりなすと言っても信じませんけど。使命とかの前に、わたし、永瀬沙理亜が嫌いなんです。率いる組織も、思想も、配下も。わたしがいなければ、あなた達の活動が進まないなら、喜んで誘いを拒否します。さあ、この話はここまでです。折角デュエルをしているんですから、もっと楽しみましょう」
 沙理亜の組織が『闇狩り』よりも支持を受けた理由は、『闇の力』の破壊を実行できるからだそうだ。それ故に、『闇の力』を滅ぼしたいと思いながらも、不可能と諦めて『闇狩り』に入っていた者を寝返らせた。
 逆にいえば――能力の持ち主が瑠衣一人という前提の上でだが――瑠衣が沙理亜のために力を振るわない限り、『闇狩り』を超えた活動は出来ない。瑠衣が『闇狩り』に味方すると宣言すれば、沙理亜の論理は説得力を失う。
 ただ、この高原という男は瑠衣の考えを捻じ曲げてでも使命に殉じさせる、そんなタイプの人間だ。これはもう、デュエルによって屈服させるしかない。

「ならばいくぞ! 手札より『コアキメイル・クルセイダー』を召喚!」
 おそらくその結論は高原も同じ。永瀬瑠衣はどうやら永瀬巧に誑かされてしまった、ゆえに荒療治が必要だと断じたのだろう。



コアキメイル・クルセイダー 効果モンスター
星4/地属性/獣戦士族/攻1900/守1300
このカードのコントローラーは自分のエンドフェイズ毎に
手札から「コアキメイルの鋼核」1枚を墓地へ送るか、
手札の獣戦士族モンスター1体を相手に見せる。
または、どちらも行わずこのカードを破壊する。
このカードが戦闘によって相手モンスターを破壊した場合、
自分の墓地に存在する「コアキメイル」と名のついたカード1枚を手札に加える事ができる。



(クルセイダー……十字軍か。狂信者としてはお似合い、かな)

「クルセイダーで攻撃――」
「く……」
 兜と鎧、長剣で武装した獣の騎士が、冷気を裂き竜の首を落とす。


 瑠衣 LP3700→3600


(痛みは感じない……。やっぱり自分がダメージを受けるときは、無意識に避けてしまうみたいだなあ……)
 しかしこのままではいけない。自らの意思と関係ないところで能力が起動する条件が一つでもあれば、沙理亜はそれを目ざとく見つけ出し、利用してくる。

「クルセイダーの効果により、墓地のガーディアンを手札に戻す。そしてエンドフェイズ。手札から『コアキメイルの鋼核』を捨て、クルセイダーを維持する」
「………!」




瑠衣 LP3600
 手札2枚
 場 伏せカード1枚

高原 LP2200
 手札4枚(内1枚コアキメイル・ガーディアン)
   場 コアキメイル・クルセイダー、コアの再練成、伏せカード1枚



「わたしのターン」
 採るべき手は、半分は決まっている。しかしもう半分の迷いが胸中に渦巻き、瑠衣の行動を止めていた。

(最初のターンから伏せられている、あのリバースカード……。手札の『鋼核』を見せたことから、“あのカード”だと思っていた。けど、むしろその行動の方がフェイクだとすれば――!)

「墓地の『ブリザード・ドラゴン』、『ドラゴン・アイス』、『仮面竜』をゲームから除外し、『氷炎の双竜』を特殊召喚します!」
 その竜には二つの首。一つは炎で包まれ、もう一つは冷気を纏っている。
 


氷炎の双竜 効果モンスター
星6/水属性/ドラゴン族/攻2300/守2000
このカードは通常召喚できない。
自分の墓地の水属性モンスター2体と炎属性モンスター1体を
ゲームから除外する事でのみ特殊召喚する事ができる。
手札を1枚捨てる事でフィールド上のモンスター1体を破壊する。
この効果は1ターンに1度しか使用できない。



(『氷炎の双竜』には特殊能力がある。それと攻撃が両方通ればわたしの勝ち……だけど、ここは!)
「バトルです、『氷炎の双竜』で『コアキメイル・クルセイダー』に攻撃!」
 戦闘はつつがなく行われ、獣の騎士は消滅した。


 高原 LP2200→1800


「これでエンドです」
「では私のターン、『コアキメイル・ガーディアン』を召喚し、カードを2枚セット」
 『氷炎の双竜』は裏守備モンスターの破壊も可能なため、それより攻撃力の低いガーディアンを攻撃表示で出したことに対して、特に不思議はない。むしろガーディアンの効果を考えれば、当然の選択といえる。

(でもきっと、他にも目的はある。読みが正しければ、あれはきっと……)

「私は手札の『コアキメイル・ロック』を見せる。ターンエンドだ」
 残り一枚の手札を開示し、高原はエンド宣言をした。



コアキメイル・ロック 効果モンスター
星4/地属性/岩石族/攻1200/守1000
このカードが戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、
自分のデッキから「コアキメイルの鋼核」1枚
またはレベル4以下の「コアキメイル」と名のついた
モンスター1体を手札に加える事ができる。




瑠衣 LP3600
 手札2枚
 場 氷炎の双竜、伏せカード1枚

高原 LP1800
 手札3枚(内1枚はコアキメイル・ロック)
   場 コアキメイル・ガーディアン、コアの再練成、伏せカード3枚




「わたしのターン、ドロー」
 それはある意味、瑠衣が最も待ち望んでいたカード。
 その気配を感じ取れるというのは、制御という目的に向かっての方向性が、間違っていないことの証明だ。
 
(といっても、ただ強く念じただけなんだけど……これでデュエルに、より集中できる!)

 神経を研ぎ澄まし、残酷な笑みを浮かべ、このターンの戦術を練る。
 最初のターンに伏せられたカード。そして、つい先程追加されたばかりの2枚。それらの意味する答えが、頭の中に電流が走るようなイメージを以て組み上がった。

「手札を1枚捨てて、『氷炎の双竜』の効果発動! 『コアキメイル・ガーディアン』を破壊します!」
「させん! リバースカード、『能力吸収コア』!」
 開かれたのは、最初のターンに伏せられたカード。
 炎と氷が混ざりながらも干渉しない特殊なブレスは、ガーディアンの核から発せられた光のシールドによって跳ね返された。
 ここまでは、瑠衣の読み通り。



能力吸収コア カウンター罠
自分フィールド上に「コアキメイル」と名のついたモンスターが表側表示で存在し、
自分の墓地に「コアキメイルの鋼核」が存在する場合に発動する事ができる。
効果モンスターの効果の発動を無効にし破壊する。



「続けて、2体目の『ブリザード・ドラゴン』を召喚! 優先権を行使して、効果を発動します」
「攻撃と表示形式変更を封じる効果か。それはスルーしよう」
「ですよね……。そう簡単に引っかかってはくれませんか」
 高原は元プロとはいっても、成績が落ち目で引退に追い込まれたのではない。
 現役バリバリのところを、異世界のモンスターに連れ去られただけで、プロの名に恥じないだけの実力と読みは今も健在だ。
 しかし誰が相手だろうと、瑠衣にとって負けてもいいデュエルなど存在しない。

「わたしはリバースカード、『騎士竜の証』を発動します!」
「な……!?」
 それは瑠衣の決意の証。
 決してこの戦いから逃げない。
 どれだけ絶望的な状況でも折れない。
 目的を達するまで何者にも屈しない。
 あらゆる効果を受け付けず、戦闘でも破壊されない、勇敢な騎士竜のように。


『行くぞ――瑠衣』


 そう、聞こえた気がした。

「来て、『竜の騎士』!」
 剣、騎士盾、鎧で武装した、緑の鱗を持つ翼竜。
 人を超える腕力と強靭な皮膚は、ブレスの必要性を感じさせない。



騎士竜の誓い
速攻魔法
自分フィールド上に存在するドラゴン族モンスター1体を生贄に、手札から「竜の騎士」1体を特殊召喚できる。
このカードを発動したターン、「竜の騎士」は戦闘で破壊されず、このカード以外の効果を受けない。
また自分の場の「竜の騎士」1体につき1回、プレイヤーへのダメージを0にできる。



「『コアキメイル・ガーディアン』に攻撃!」
 急所を狙うよりも、体重を乗せ威力を高めることを重視した剣撃は、受け止めようと出された槍を断ち、巨人の本体をも軽々と砕き斬った。


 高原 LP1800→900


 そこで、予想外のことが起きた。

「……!? ぐぁあああっ!」
 ライフが減った瞬間、高原は信じられないとでも言うかのような、恐れに満ちた目を瑠衣に向け、叫びながら膝を突いた。
 ライフポイントの減少と身体的な苦痛。この2つは、瑠衣の能力の前では、原因と結果の関係にならなかった。
 だがここに、それらは結び付けられた。

「やった……の?」
 瑠衣は思わず呟き、それを聞いた高原の目が大きく見開かれた。

「な……!? あなたは、他人に苦痛を与えて、まだそのようなことを……」
「…………」
 確かに、いきなり倒れかけたことについては、慌てふためきかけた。そういう意味では高原が言う通りの優しさも、ないわけではない。しかし目的の達成という重大事実は、その程度の些事など、簡単に記憶の彼方に飛ばした。
 瑠衣は芯の底までデュエリストだ。
 そのため、倒すべき敵には明確に線引きを行い、“敵”相手にはどこまでも非情になれる。倒した後で後悔することも多いが、今回に限ってその心配はない。

『この次元はM&Wの勝負が命がけでない、特異な次元の一つらしいしな。ある程度の身体的ダメージは受けるそうだが』

 巧はそう言い、それに首肯した上で高原はデュエルを受けた。
 つまり、高原は多少の痛みや怪我を覚悟して戦いに臨んでいることになる。
 いや、そうでなくては困る。瑠衣は決して人殺しになりたいわけではない。

「……本当に、これまでの発言を撤回する気はないのですか?」
「ええ、次にダメージを与える時は、また能力を展開出来るように頑張ってみます」
 高原はプライドが高いことを見越しての発言。
 案の定、高原は頬をひくつかせている。

「いいでしょう――どうやらあなたは、自力での更正は不可能のようですね」
「まだわたしが、自分の意思でついて行くと期待していたんですか? 諦めが悪いにも程があります。正直に言うならわたし、あなたのことは能力制御のための実験体程度にしか思ってないんですよ。あ、そういえば、エンドしてませんでしたね」
「く……ドロー!」
 高原は立ち上がってカードを引くと、モンスターゾーンに未知のカードを置き、ターンを終了した。




瑠衣 LP3600
 手札1枚
 場 竜の騎士

高原 LP900
 手札2枚
   場 伏せモンスター、コアの再練成、伏せカード2枚




「ドロー、そして……」
 おそらく高原の場にある2枚の伏せカード、最低一枚は攻撃反応型の罠に違いない。
 前のターンは『騎士竜の証』の効果で『竜の騎士』に耐性が付いていたが、今回はそうはいかないだろう。
 しかしこちらは、攻撃を通さないことには、勝ちは見込めない。

「『竜の騎士』で裏守備モンスターを攻撃します」
「では、伏せカードの『ミラーフォース』を発動しよう」
 騎士竜の大剣はバリアに阻まれ、どのような作用が働いたのか、竜は消滅した。
 意思疎通できるが故の特別扱いはいけないと分かっていても、読めていただけに胸が痛む。



聖なるバリア−ミラーフォース− 通常罠
相手モンスターの攻撃宣言時に発動する事ができる。
相手フィールド上の攻撃表示モンスターを全て破壊する。



「やっぱりミラフォか……。ターンエンドです」
 瑠衣の手札には1枚だけ下級モンスターが存在する。
 だが、それはまだ出さない。
 ここで不用意に召喚して、破壊されでもすれば、次のターンがドロー頼みになる。
 ライフはまだ3600あるし、何とか耐えられるだろう。

「私のターン、『コアキメイル・ロック』を反転召喚! プレイヤーに直接攻撃!」
 生命が宿った人型の岩が出現し、瑠衣に体当たりした。

「っ……きゃあっ!」
 その一撃をまともに受け、後方に弾き飛ばされる。


 瑠衣 LP3600→2400


「……正気ですか? 自ら闇のデュエルの痛みを味わおうとするとは。それは強さではなく、ただの無謀というものです」
「どっちでもいいです。抑える必要があったから抑えだけのこと。あなたに心配される謂れはありません」
 ただ、いきなり直接攻撃で訓練するのは、確かに少しやり過ぎだったかもしれない。骨折はしていないだろうが、ところどころ腫れているかもしれない。それでも、恐怖に打ち勝ち、能力を起動させないことに成功したのは、見返りとして十分な成果だ。

「ターンエンドだ」
 こうまで簡単に制御に成功するとは思わなかったものの、失敗して何かを得られたかは正直怪しい。ここは素直に喜ぶべきだろう。
 あとは、逆に能力を展開する訓練が残っているものの、成功させる自信はついた。




瑠衣 LP2400
 手札2枚
 場 なし

高原 LP900
 手札2枚
   場 コアキメイル・ロック、コアの再練成、伏せカード1枚




「いくよ、『アックス・ドラゴニュート』、召喚!」
 黒い鱗の戦斧を担いでいる竜。一度、第十二次元で破壊されているため、召喚できるかどうか少し不安だったが、問題なく喚び出せた。



アックス・ドラゴニュート 効果モンスター
星4/闇属性/ドラゴン族/攻2000/守1200
このカードは攻撃した場合、ダメージステップ終了時に守備表示になる。



「『アックス・ドラゴニュート』、『コアキメイル・ロック』を攻撃!」
「ぬう……」
 竜人は手にした斧で、紅い眼が埋め込まれた岩を両断した。
 そのタイミングに合わせて高原が身構えたが、彼の身には何も起きない。


 高原 LP900→100


「今度は能力を展開してみました。上手くいったようで、何よりです」
 正直なところ、瑠衣は最終的に高原がどうなろうと構わないが、少なくとも彼のライフポイントを削りきるまでは倒れて欲しくない。
 計画遂行に当たって負けられない戦いではあるが、デュエルはデュエルとして楽しい局面にある。高原には幾度も激昂させるような態度を取っているが、その実彼のプレイングは緻密で殆どモンスターを絶やすことはない。
 そして今も。

「『コアキメイル・ロック』の効果。『コアキメイル・パワーハンド』を手札に加える」



コアキメイル・パワーハンド 効果モンスター
星4/地属性/機械族/攻2100/守1600
このカードのコントローラーは自分のエンドフェイズ毎に
手札から「コアキメイルの鋼核」を1枚墓地へ送るか、
手札の通常罠カード1枚を相手に見せる。
または、どちらも行わずにこのカードを破壊する。
このカードが光属性または闇属性モンスターと戦闘を行う場合、
バトルフェイズの間だけそのモンスターの効果は無効化される。



 下級モンスターの平均攻撃力が高いコアキメイル相手では、瑠衣は上級モンスターで挑むしかないが、そろそろ召喚ギミックが切れつつある。手札に残る2枚は、このターンに引いた『ランサー・ドラゴニュート』と『竜の魔術師』。



ランサー・ドラゴニュート 効果モンスター
星4/闇属性/ドラゴン族/攻1500/守1800
このカードが守備表示モンスターを攻撃した時、
その守備力を攻撃力が超えていれば、
その数値だけ相手ライフに戦闘ダメージを与える。


竜の魔術師 効果モンスター
星6/炎属性/ドラゴン族/攻2400/守2000
このカードの生け贄召喚に成功した時、
このカードを生贄にすることで、デッキから魔法カード1枚を選択し手札に加える。



 最悪でも次のターンはまだ出せるモンスターがあるが、それだけでは勝てない。
 その上高原のライフは、俗に言う鉄壁の100。そのようなものは迷信と思っているが、全く気にならないわけではない。

「『アックス・ドラゴニュート』は守備表示になります。ターンエンド」
 エンド宣言を聞くや、高原は即座にカードを引き、鋼核を動力源にする機械を召喚した。

「『パワーハンド』、攻撃だ」
 ドリル状の腕が守備体制をとっている竜人を貫く。
 『ドラゴニュート』にはすまないが、ここまでは予測の範疇だ。
 問題は、ここから。

「カードを1枚伏せ、エンドフェイズ。手札の『レクリスパワー』を見せ、パワーハンドを維持する」
「くっ……」
 最悪だ。『アックス・ドラゴニュート』の守備力は1200しかないため、『ロック』によるサーチはエンドフェイズで維持できるかが基準になる。故に維持されたことまでは仕方ない。
 だがせめて手札の罠が制限級なら、それを伏せられないことによるアドバンテージを得られたのに。



レクリスパワー 通常罠
手札にある「コアキメイルの鋼核」1枚を相手に見せて発動する。
相手フィールド上にセットされた魔法・罠カードを全て破壊する。




瑠衣 LP2400
 手札2枚(ランサー・ドラゴニュート、竜の魔術師)
 場 なし

高原 LP100
 手札1枚(レクリスパワー)
   場 コアキメイル・パワーハンド、コアの再練成、伏せカード2枚




「わたしのターン……。!! これは――」
 まだ完全には喜べないが、しかしこの局面で引けたからには、もしやを期待したくなる。

「天使の、施し!」
 新たにドローした3枚に目を通すと、瞳の輝きは精霊の『竜の騎士』を召喚した時より、さらに強くなった。希望から絶望への落差が大きいなら、その逆も然りだ。

「捨てるカードはこの2枚」
 『ランサー・ドラゴニュート』と『竜の魔術師』をディスクの墓地スペースに入れる。



天使の施し 通常魔法
デッキからカードを3枚ドローし、
その後手札からカードを2枚捨てる。



「わたしは手札から、『ボウ・ドラゴニュート』を召喚します」
 天使と入れ替わりに群青色の鱗を持つ竜人が現れ、弓を構えた。



ボウ・ドラゴニュート 効果モンスター
星4/闇属性/ドラゴン族/攻900/守1900
このカードは相手プレイヤーに直接攻撃できる。
この時相手に与えるダメージは、このカードの元々の攻撃力となる。
「ボウ・ドラゴニュート」以外がこの効果を使用する時、相手に与えるダメージはこのカードの元々の攻撃力の半分となる。



「『ボウ・ドラゴニュート』は相手モンスターの有無に関係なく、ダイレクトアタックすることが可能です。その効果、使わせてもらいます」
 実質的な攻撃宣言に対して、高原は即座に伏せていたカードを開いた。

「『禁じられた聖杯』を発動」
 竜人の頭上に突如出現した杯はたちまちひっくり返り、全身に無色透明な液体を振掛ける。
 それは竜人に一時的な肉体強化をもたらすが、同時に理性を根こそぎ奪い、自らに秘められた能力の存在すら忘れさせる。



ボウ・ドラゴニュート ATK900→1300

禁じられた聖杯 速攻魔法
フィールド上に表側表示で存在するモンスター1体を選択して発動する。
エンドフェイズ時まで、選択したモンスターの攻撃力は
400ポイントアップし、効果は無効化される。



「ならこっちも―――攻撃力を変動させます! 『収縮』!」
 『収縮』は、基本的にはダメージステップに発動すべきカード。
 だが、このデュエルで瑠衣が魔法を使ったのはたったの一度。残った2枚の伏せカードに、カウンターできるカードが含まれていないとも限らない。いや、含まれている可能性は高い。
 高原はモンスターの攻撃、効果に対処するカードを何度か使っているが、魔法にカウンターはされていない。そもそも殆ど魔法を使っていないからだ。逆に言えば、魔法への対応策は手付かずで残っていることになる。
 そして現状において『収縮』に対して行われる対処はといえば、その大半がダメージステップ時にも使えるカウンター罠。つまりダメージステップに使ったからといって、それが有利に働く可能性は低い。
 残りライフを考えれば、戦闘を確定させるべきではないだろう。

「リバースカード、『マジックドレイン』!」
 必死の形相で食らい付く高原。魔法への対処としてそれなりに使われるカードだが、状況次第で長所にも短所にもなる可能性を秘めている。
 だがその弱点を衝くだけの余力は、ない。
 瑠衣の左手に残されているのは、紫色の枠のカード1枚のみ。
 『収縮』は、粉々に砕け散った。



収縮 速攻魔法
フィールド上に表側表示で存在するモンスター1体を選択して発動する。
選択したモンスターの元々の攻撃力はエンドフェイズ時まで半分になる。

マジックドレイン カウンター罠
相手が魔法カードを発動した時に発動する事ができる。
相手は手札から魔法カード1枚を捨ててこのカードの効果を無効化する事ができる。
捨てなかった場合、相手の魔法カードの発動を無効化し破壊する。



「やりますね。カードを伏せ、ターン終了です」
 最後の頼みの綱は、このリバースカード。
 高原の場にはもう1枚伏せカードがあるが、『マジックドレイン』のギャンブルに頼るということは、瑠衣の手札が魔法なら勝利だった可能性は高い。しかし、運悪く外したこの戦局でも、まだ敗北が直接決定したわけではない。

「手札より魔法カード『マジックプランター』を発動する」
 カードを引いた高原は即座にドローしたばかりのカードを、デュエルディスクに差し込んだ。
 ついに本作にまで浸食してきた鉢植えは、高原の場に残っている『コアの再練成』を喰らって光を発する。



マジックプランター 通常魔法
自分フィールド上に表側表示で存在する
永続罠カード1枚を墓地へ送って発動する。
自分のデッキからカードを2枚ドローする。


 
「カードを2枚ドロー、そしてパワーハンドを生贄に、『コアキメイル・ヴァラファール』を召喚する!」
 核をその身に埋め込んだ炎の悪魔。本来なら2体の生贄を要するが、フィールドで研鑽された核を引き継ぐなら、元のコアキメイルに成り替わる召喚も可能になる。



コアキメイル・ヴァラファール 効果モンスター
星8/炎属性/悪魔族/攻3000/守2100
このカードのコントローラーは自分のエンドフェイズ毎に
手札から「コアキメイルの鋼核」1枚を墓地へ送る。
または、墓地へ送らずにこのカードを破壊する。
このカードは「コアキメイル」と名のついたモンスター1体を
リリースしてアドバンス召喚する事ができる。
このカードが守備表示モンスターを攻撃した時、
その守備力を攻撃力が超えていれば、
その数値だけ相手ライフに戦闘ダメージを与える。
このカードは罠カードの効果では破壊されない。



「ヴァラファールは罠の効果を受けず、貫通効果も所持している。ドラゴニュートを攻撃せよ」
 弓の竜人を焼き尽くした炎は、それだけで止まらずに瑠衣を襲う。



 瑠衣 LP2400→300



「う………」
 身体的苦痛こそないが、半分以上ものライフが一気に持っていかれれば、ソリッドヴィジョンでもそれなりの衝撃になる。

「私はメイン2でカードをセット。そしてエンドフェイズ。新たに引いた『鋼核』を墓地に送り、ヴァラファールにエネルギーを供給する」
「…………」
 となると、新たに伏せられたのは『レリクスパワー』。
 発動条件は手札の『鋼核』を見せることだが、それは墓地の『鋼核』の効果によって確実に加えられる。つまりフリーチェーンでもない限り、このターンに伏せカードを出すのはほぼ無意味と言っていい。しかし逆に言うなら、発動されるのは次の高原のターンだ。
 そして、それとは別に何ターンも前から伏せられているカードが1枚。逆転のカードを引いたとして、戦いを左右するのはどちらかといえばこちらか。




瑠衣 LP300
 手札0枚
 場 伏せ1枚

高原 LP100
 手札0枚
   場 コアキメイル・ヴァラファール、伏せカード2枚(内一枚はレクリスパワー)



「わたしのターン、リバースカード『リビングデッドの呼び声』!」
 ヴァラファールは確かに強力なモンスターだ。高い攻撃力に貫通能力、罠への耐性までも備えている。
 しかし、素直に相手をしてやる道理はない。

「蘇生対象は当然『ボウ・ドラゴニュート』です」
「リバースカード、『トラップスタン』!」
 光りかけたカードに、電流が走る。
 瑠衣を勝利へと導く輝きが、消えた。



リビングデッドの呼び声 永続罠
自分の墓地からモンスター1体を選択し、攻撃表示で特殊召喚する。
このカードがフィールド上に存在しなくなった時、そのモンスターを破壊する。
そのモンスターが破壊された時このカードを破壊する。

トラップスタン 通常罠
このターンこのカード以外のフィールド上の罠カードの効果を無効にする。



「終わりですね、永瀬瑠衣。墓守の里奪還作戦は、以後、こちらの主導で進めさせて……いただ………き………」
 高原の目が、大きく見開かれた。
 竜の頭が鏡から出てくるイラストのカードが、瑠衣の場に具現化されていた。



龍の鏡 通常魔法
自分のフィールド上または墓地から、
融合モンスターカードによって決められたモンスターをゲームから除外し、
ドラゴン族の融合モンスター1体を融合デッキから特殊召喚する。
(この特殊召喚は融合召喚扱いとする)



「ここでトップ解決だと……!? 『竜の将軍』か?」
「いいえ」
「!?」
 高原の予想に対して、瑠衣は首を横に振った。

「では、何を……。!! まさか……」
「わたしは、破壊と暴力に溺れ、酔いしれ、愉悦を覚える愚かな人間です。あなた達の崇高な使命には、とても付き合いきれません」
 高原は全身に鳥肌と恐怖を携え、徐々に後ずさりする。
 それもそうだ。
 瑠衣は満面の笑顔で、今の発言をしたのだから。

「ブレード、アックス、ボウ、3体のドラゴニュート。そして『氷炎の双竜』に『竜の魔術師』。これら5体を融合し――――」
 融合素材からも、『竜の騎士』は外す。
 こちらを選ばなければ勝てない状況であったなら、高原の慄きもそこまでひどくなかったかもしれない。
 だが、精霊たる『竜の騎士』の発展形である『竜の将軍』を出しても勝利できる場面で、敢えてこちらを選択すれば、破壊に愉しみを見出していると思われても不思議はない。

「来なさい――『F・G・D』!!」
 五つ首の、竜。倫理も矜持も捨て、力だけを求めた自然界最強の生物の、なれの果て。
 しかしそれでも、目的は達成されている。



F・G・D 融合・効果モンスター
星12/闇属性/ドラゴン族/攻5000/守5000
このモンスターは融合召喚でしか特殊召喚できない。
ドラゴン族モンスター5体を融合素材として融合召喚する。
このカードは地・水・炎・風・闇属性のモンスターとの戦闘によっては破壊されない。
(ダメージ計算は適用する)



「さっきの言葉……沙理亜にも伝えておいてくださいね。あなた達と敵対できるなら、わたしは喜んで闇に堕ちます。是非とも粛清対象に名を刻んでくれると、信じていますよ」
 す、と右腕を上げ、炎の悪魔を指さす。
 元プロデュエリストだけあって、楽しい戦いになった。
 確実な勝利の一撃。
 手を抜いては、失礼だ。
 どうせ相手は敵組織の人間。死ぬこともない。ならば、能力を解除して攻撃すべきだろう。

「待……」
「『F・G・D』――――」
 高原の答えを待たずに、地、水、炎、風、闇、それぞれを司る竜の口が、一斉に開かれた。
 答えなど要らない。あれは頼みではなく命令なのだから。

「攻撃」
 冷徹な瞳と、それ以外は非の打ちどころのない笑顔で、一言。
 5つの力が混ざり合ったブレスは、悪魔の胴をゴミのように薙ぎ払い、高原を蹂躙した。

「ぐぁああああああああっ」


 高原LP100→0 




 高原は気を失っていた。
 とはいえ、再起不能にまではなっていまい。そのうち目を覚ますだろう。
 風邪ぐらいは引くかもしれないが、別にどうでもいい。
 中学に入ってすぐの頃、あれは単なるショックによる気絶だろうが、学校でも有数の不良を約一名、3戦連続後攻1キルして似たような目に遭わせたことがある。

「行こっか、兄さん」
「ああ、全て上手くいったようだな。ここまで残虐非道な人間を引き入れるなど、この男は認められまい」
「故に――逃げ帰らせることに意味がある。わたしを仲間にするという沙理亜の計画の抑止力になってもらう。そしてそれを起点に内部分裂が起こらないかな、ってとこ?」
「ククク、その通りだ。生きて帰らせるからには相応の働きをしてもらう。それにしても瑠衣、ようやく自分が残酷だと認めたか」
「半分は演技だったけどね」
「つまり、半分は本気ということか」
「そういう言い方はやめて。でも……うん、大分吹っ切れたと思う」
 今の戦いで一つ分かった。
 存在を認めなければ、制御などできない。
 何故ならその状態では、機械に例えると操作レバーの存在さえも失念してしまうからだ。
 妙な能力でも本能でも同じ。
 残酷な性癖を持っていようと、理性という手動スイッチに手をかけておけばいい。
 内心と行動が違うというのはしばしば悪い意味で使われるが、人の印象は外観で9割が決まるという考え方で見れば、むしろこれは誇るべきことではないだろうか。混沌とした感情を胸の内に留めておけるというのは立派なスキルだ。

「能力の制御も思いの外、容易だったみたいだな」
「そうだね……気持ちが落ち着いてるなら、惑わされずにコントロールできると思う」
 原理は分からないが、それは現状どうでもいい。むしろ自らの意思で出し入れ可能になったのが大きい。
 組織に誘拐されても能力を使いさえしなければ、敵の計画は進まないからだ。

「サラさんとの打ち合わせの方はどう?」
「施設の闇天使が味方だとレジスタンス中に漏れなく伝えるには、少し時間がかかりそうだ。だが、例の蜂起予定日までには、必ずやってもらう。間に合わずとも、俺たちが待ってやる義理はない」
「そっか。なら、そっちはわたしが進めておくね」
「そうしてくれ」
 レジスタンスとの連携は、しておけば楽になるという程度で、絶対ではない。それに、楽になるというのも確実かといえば、否になる。サラには悪いが、現段階では足手まといになりそうな気がする。
 それでも巧は瑠衣の意向を汲み取り、協調を進める方向で動いてくれた。
 ならば。自分もそれに応えねばならない。
 このデュエルはまだ前座。本当の戦いはこれからだ。
 

 こうして、第六次元を巡るガリウスと墓守の闘争は、第一次元の人間の介入により新たなステージへ進もうとしていた―――。







 4章 終




5章 ネクロバレー解放戦

 高原真吾とのデュエルから4日が経った。
 この4日は墓守の里を解放するという“手段”を円滑に進める以外に、異世界の理を識るに当たって極めて有意義な時間だった。
 とりわけ戦う術の乏しい瑠衣にとって、モンスターの攻撃や魔法効果が相手モンスターのみならず、自然環境や建築物等にどれほどの影響を及ぼすのか知っておくことは重要な生命線である。
 第十二次元でミスをしているだけに、その場のノリで突発的に対応する自信はさすがに持てない。
 少なくとも基本のきの字ぐらい学んでおかなくては、戦力としても不合格になってしまう。
 『闇の力の無力化』が消えでもしない限り完全に見放されることはないだろうが、それでも自分から我侭を言ってついて来たのだ。成り行き上引き返すことは許されなくなったとはいえ、多少は役に立たないとついていくことを許してくれた兄に申し訳ない。
 
 この日の夜、2人はレジスタンスの隠れ家から出立し、ローレイドがこの次元に造った天使の「ダーク化」の研究施設を目指した。
 場所は墓守が暮らしている谷から歩いて30分ほどの砂漠のど真ん中。高原とのデュエルの翌日にあらかじめ捜索済みだ。
 捜索自体に大した手間はいらなかった。施設は内装の充実を優先しているようで、ステルス機能もなく砂で汚れた程度の白い壁を隠す気もないようだった。
 墓守の民を除けばこの次元に文明を持つほどの知的生命体はいない。その墓守もガリウスの支配下にあり、つまりローレイド側からすれば見つかって問題になる相手が存在しないためだろう。
 上空からの偵察では、気温にはそこまでの影響を及ぼさないものの、なかなか強烈に照りつける3つの太陽が放つ光をきっちりソーラーパネルで吸収し、発電に活かしているのを発見した。自然環境に配慮しているといえば聞こえはいいが、この場合は単に大規模な発電設備を作る手間と費用を惜しんだと考えるのが妥当か。
 
 研究施設の入り口は第一次元の設備と大して変わらない自動ドア。
 かろうじて鍵はかかっていたが、力ずくで簡単に突破できる程度である。窓だろうがドアだろうが、ガラスを割って大きな音を立てるのは変わらない。ならば真正面から堂々と進入して特に不都合はあるまい。
 廊下にもろくな装飾はなく照明も点いており、罠が仕掛けられている様子すらない。
 研究所、あるいは収容所という目的に特化した施設。

「ねえ、似たような施設が複数ある可能性は?」
 ふと思いついた疑問を兄にぶつける。
 が、返ってきたのは簡素な否定。

「いや、完全な実用化が達成されているわけではないようだからな。2号館はまだあるまい」
「……まだ、か。そうだよね……」
 ここでの瑠衣の行動次第で、囚われている天使の命運が決まる。
 そう考えると声も震えてしまう。

「瑠衣」
 先導する巧がこちらを見ずに名を呼ぶ。

「同情はしていい。だが、移入はするなよ」
「あ……」
 そうだ、忘れるところだった。施設の制圧は目的ではなく手段だ。
 瑠衣にとっては唯一の、しかし巧からすれば無数にある内の一つに過ぎない。

「俺たちはこんな所で果てるわけにはいかない。いざとなれば、制圧を放棄してでも脱出を図る」
「でもそれじゃあ、ネオパーシアスさんとの約束は?」
「そんなもの知るかよ。佳乃を救うのが最優先だ。思いつく限り、最も周りに気を遣った方法がこれなだけであって、あいつを救うだけなら他にも策はある」
 反発はしなかった。
 それは無意味な行為だ。永瀬巧が妹の説得に耳を貸すわけがない。
 ならば、どうするか。
 答えは簡単。巧が非道な策を取る必要をなくせばいい。
 幸い巧は、最初はスマートに事を収める方法を試す。
 それで目的が達せられれば無駄な犠牲は出ない。

「兄さん、例のカードの準備は?」
「整っている。そっちも――大丈夫だな」
 デュエルディスクにあらかじめ差したカードを一瞥する。
 ミッションスタートだ。

「『竜の騎士』っ!!」
 白兵戦に特化した二足歩行の翼竜。
 背丈は瑠衣の1、5倍、体重は武器防具なども含めると5倍以上、それだけの質量がほとんど前触れもなく瑠衣の背後に出現した。
 しかもそれは実体を伴っている。
 騎士が振り下ろした剣によって、聞くに堪えない派手なガラスの音が施設内に響いた。
 普通なら剣でガラスを斬ることなどできないが、剛柔で言えば剛にあたる『竜の騎士』の斬撃は、むしろ鈍器の一撃に近い。
 衝撃が加わった部分を中心に割られたガラスを跨ぎ、巧の後について瑠衣も施設内に侵入した。 
 流石にここまでの状況になれば非常用のサイレンも鳴っていた。
 広めの長方形のロビーから向かい合わせに2本の廊下が伸びていた。奥は暗闇のせいで無限回廊であるかのようで、廊下にずらりと居並ぶ扉がそのような雰囲気を増長させている。
 2人は背中合わせに立ち、デュエルディスクを構える。
 この施設は天使をダーク化し、そして“洗脳”する施設。
 真正面からガラスを割って侵入して来たのはこの次元に生息する知性の低い野生のモンスターだと、施設の管理者は思い込んでいるに違いない。
 いや、たとえ監視カメラ等が設置されていて、“デュエリスト”の人間が侵入したのだと分かっていたとしても、責任者自らがいきなり現れるわけがない。出てきても対処する術はあるが、可能性は低い。
 そう考えつつ、瑠衣は召喚されている『竜の騎士』よりもセットしている伏せカードの方に集中を向ける。
 『竜の騎士』の戦闘力は頼もしい限りだが、如何せん集団戦には向いていないし、さらに作戦の目的は天使を無闇に殺戮することではない。

「兄さんの予想通りだったね」
 計画に寸分の狂いもないことはあっという間に証明された。
 回廊に並ぶ扉が一斉に開き、その身を漆黒に染めた天使が怒涛のようにホールへとなだれ込んできた。
 中心戦力は『天空騎士パーシアス』と『デュナミスヴァルキリア』。
 M&Wにおいては、近年のパワーインフレによって実戦力としての価値は相対的に下がっているものの、それと関係なくモンスターがバランスよく生息している異世界ではそこそこの地位があるはずだ。
 実際、第六次元と第十二次元を繋ぐ“門”の番人は『パーシアス』だった。
 瑠衣が召喚している『竜の騎士』、巧が実体化させている『炎の剣聖』。その戦闘能力を見抜く判断力ぐらいは残っているようで、闇天使は数に任せて斬りかかろうとせず、2人の周囲を取り囲む。
 数はおよそ50。これで全部ではないだろうが、『力』を知らしめるには丁度いいだろう。
 『闇の力の無力化』ではない。
 そんなものに頼らずとも、彼らを洗脳の呪縛から解き放つことはできる。
 言うなれば、それは努力の結晶。
 この場で用いるべきは、第一次元のデュエリストとしての『力』だ。
 先天的な才能だけに頼らず、常に研鑽を重ねてきた。
 身体能力は決して高くない瑠衣が、弱肉強食の現代社会を生き抜くための術。
 長年積み上げてきたデュエルスキルを活用すれば、多少勝手が違おうと、どのカードで今の戦局を打破できるかは自然と分かる。
 後ろ目でタイミングを問うと巧は即座に頷いた。

「「――『洗脳解除』っ!!」」
 そして、2人はほぼ同時に伏せカードを発動した。
 効力は一瞬にしてロビーに充満し、精神を操る類の力を掻き消す。
 天使の身に注ぎ込まれた『闇の力』を取り除くのは困難だろう。
 『闇の力の無力化』を用いたとしても、もし彼らの生命が『闇の力』と一体化しているならば、元に戻った瞬間に生命機能を停止させてしまうかも知れない。
 闇天使を味方に引き入れなければならない現状において、その危険は冒せない。
 だが、彼らを正気に戻すだけならば容易い。
 『洗脳解除』はモンスターのコントロールを元々の持ち主に戻すカード。
 確かに闇天使たちの元々の主は瑠衣ではないため、テキストを論理で解釈すれば解放は不可能だ。が、このカードには文字通りの効果――精神の自由を奪う意味での広義の洗脳を、所有者に関わらず打ち消す力もある。
 それは荒野に住まう野生のモンスターによって、実験済みだった。
 『闇の力』によって気性や性格に影響があるのかは未知数だが、話をするぐらいはできるはずだ。
 その片鱗は、もう見え始めている。

「ここは……どこだ?」
「私は、何をしていた?」
「その格好は何――!?」
「いいや、君こそ……」
「それより、あの少年と少女は?」

 闇天使たちは困惑と混乱の渦中にあり主に自らの容貌に焦燥を見せる者も多かったが、それ以上に彼らは周囲の天使と口々に意見を出し合いっていた。
 この場で謎の存在である巧と瑠衣に詰め寄ろうとする天使も少なくはないが、そこは『炎の剣聖』と『竜の騎士』が牽制する。
 たった一つの次元内とはいえ、平和が実現している世界の住人は違う。いきなり暴力に走る者はいなかった。
 尤もこの様子は何か、自分の身に起きた出来事さえも他人事と捉えているような気もするが。
 いや、今はそれよりも彼らの説得だ。
 闇天使の注目は囲いの内輪にいる2人に完全に移っている。
 この場はごく一般的に得手不得手の問題で、口の上手い巧に任せることにした。

「俺の名は永瀬巧。こっちは妹の瑠衣。見て分かる方もいるかもしれないが、第一次元の人間だ」
 たちまちロビー中が騒然となる。
 第一次元に対するネオパーシアスさんの反応は、どうやら第十一次元の標準だったようだ。

「君たちはまだ、自分の境遇を把握していないだろう。だが、俺は君たちの共通点を知っている。ローレイド――居住地がローレイド以外の天使がいるなら手を挙げてみるがいい」
 当然、手は挙がらない。

「フン、やはりな。では、ローレイドとガリウスが手を組んでいると知っている天使は挙手を――」
「――ざけんな!!」
 最後まで言い終わる前にパーシアスの一人が巧に襲い掛かった。
 
「兄さん!」
 慌てて背中合わせの体勢を崩し、無事を確かめる。
 パーシアスは巧の心臓付近に剣を押し当てていたが、怪我は負わせていない。
 そして巧の方も、一歩も退いた様子がなかった。

「避ける素振りぐらいしてよ、もう」
「こいつらに俺たちは殺せないよ。大事な情報源だからな」
「そういう問題じゃない! 天使の方たちだって混乱してるんだから、もっと丁寧に説明してあげてもいいじゃない」
「まあ、確かにな」
 いまだ生死をパーシアスの判断に委ねたままの巧だったが、彼を説得しようとはしていた。
 それに、他の天使たちの様子。後ろめたそうな表情をしている天使が相当数いる。
 
「この剣は一体どういう意味を含んでいる? 謂れのない侮辱に対する怒りか、それとも事実を指摘されての口封じか」
「き……さま……」
「お前たちをそのような姿にしたのはローレイドの中枢だ。その技術提供がどこから行われたのか分からないとは言うまいな?」
 苦々しげに黒いパーシアスは巧から剣を放す。
 やはりここに集められた天使は、ローレイドが西方の同盟軍を裏切っていると知っている。
 違う、逆だ。知っていたからこそ集められた、そう考える方が自然だ。
 それこそ口封じのために。

「お前たちに残された選択は2つある。一つ、俺たちに協力しガリウスやローレイドと戦う。二つ、俺たちを殺し、この次元に駐留するガリウスに亡命する。この研究所の主については、お前たちに代わって始末をつけて来よう」
 それを見逃すほど、この場所にいる天使は愚かではない。
 ローレイドとガリウスの同盟という極秘情報を知っているほどなのだから、それだけの知恵と実力を身に付けているはずだ。
 ヴァルキリアの一人が速やかに交渉の枠を組み立て、提案を持ちかける。

「分かりました。確かに私たちはもう、ローレイドに帰れない。いいえ、この施設の主を討ち取ったところで、第十一次元への帰還すら許されないことでしょう。ですが、これだけの数がいれば、施設の無力化自体は決して不可能ではないはず。ならば――貴方たちがこの施設の主に勝てるかどうか、それを判断基準にさせていただきます。皆もそれで構いませんね?」
 まったくもってデュエリストのデュエリストたる『力』を舐めた提案だと思う。
 とはいえ、決断を委ねたい気持ちは分からないでもない。巧はこの状況の説明を半分もしていない。それは、より重要な情報を握っているかもしれないと思わせることで、彼らにとって自分たちを生存させる意義を持たせるためである。
 しかし、たとえそこまで気付いていたとしても、苛立ちに任せて情報源を絶つわけにもいくまい。
 不満を呟く天使も皆無ではないが、大多数の意見の前に捻り潰される。

「じゃあ、そういうことで交渉成立ですね」
 瑠衣が心からのにこやかな笑顔で応じた。
 そしてこの取引に関して、巧には相談しないし逆に聞いてもこない。
 このやり取りもまた計画の内にある。
 永瀬巧がこの場でのリーダーになることはもはや確定的に明らかだが、天使としても譲れない部分はあるだろう。
 情報面、戦闘力のどちらにおいても天使を上回っている巧を討つメリットはほとんどないが、それでもお互いに強硬姿勢をとり続ければ万一がないとは言い切れない。だから必要なのは緩衝材。巧の意思と目的を理解した上で、彼に意見できる者の存在。天使の代表がその地位に収まる前に席を埋めておき、さらに反抗的に接することで彼らはこう思う。
 この娘を使えば永瀬巧にも意見が通る、と。
 その実例を演じて見せただけだ。
 所詮瑠衣も第一次元の人間であり、いつも天使のことばかり考えて行動するわけではない。それは天使側も承知しているだろう。
 だがここにいる天使を信じさせ、一時集団としてまとめるには十分な効力があった。
 天使は2人が廊下を通れるように道を開ける。

「兄さん、施設の責任者はあの部屋かな」
 指差した先にあるドアは両隣の部屋は開いているにもかかわらず閉まっており、しかも他のドアと比べて装飾が派手だった。
 まあ、そうだろうなと巧は頷いた。

「数はどれぐらいだと思う? ここにいる闇天使より多いってことはないよね……?」 
「管理だけなら少数だろう。大規模な反乱を予測していたとしても、その危険と比較して大軍を置くのは割が合わない。今の質問は、刑務所に収監されている人間と、そこで働く職員のどっちが多いのかと聞いているようなものだよ」
「あ、なるほど。それで、締め上げて聞くことはある?」
「特にないな。一撃で終わらせて構わん」
 そう言われて笑んでいることに瑠衣は気付かない。
 挟撃されないよう扉が開いている周辺の部屋を調べて回るが、特に妙な点は見つからなかった。
 いよいよ2人は、他よりやや華美で閉まっている戸の前に立つ。

「こう閉まってると不気味だね。他の進入経路も調べてみる?」
「いや、そこまでしなければ勝てない相手とは思えない。いざとなれば『地砕き』もある。多少装備で能力を誤魔化したところで、こっちはそれ以上の強化をするだけだ」
「うん……そうなんだけどね……」
 結局の所、直接戦うのは自分ではなくモンスターだ。できるだけ自分が従えるモンスターに被害が出ないように戦いたいという最低限の倫理観はある。
 それでも、第十二次元でパーシアスを気絶させた時、第一次元でグリモを昏倒に追い込んだときのような罪悪感はほとんどなかった。
 色々と状況や、瑠衣自身の心境にも違いはある。
 端的に言えば、あの時よりも多くの事実を知り、あの時よりも非情になった。
 だとしても、ここで敵をぶちのめせることに一切の躊躇を感じないというのは、いささか自分が怖い。そしてそれでいい。怖さを感じなくなれば、そちらの方が危険だ。
 高原に対しては意図的に罪悪感を封じた。それは“人間だから”という理由も多分に含まれている。今回の敵は逆に、普段は駒としてしか扱っていない“モンスター”。本来ならデータの塊に人格を認めることがそもそもおかしい。だからこそこの場所では、より強く意識的に彼らの“命”を実感しなければならなかった。第一次元にいた頃から精霊と話せる瑠衣ですらこれほどの葛藤に苛まれているのだ。巧は別世界のモンスターに生物としての尊厳を見出しているのだろうか。
 尋ねる勇気は、ない。

「『竜の騎士』、お願い」
 廊下と部屋を隔てる戸はさして大きくない。
 かろうじて『竜の騎士』が通れる程度。すなわち『竜の騎士』の陰に隠れていれば安全ということになる。
 まったくもって卑怯な戦法だ。ろくに戦闘能力を持たないことが恨めしい。
 だが、デュエリストたる自分はそれを肯定する。卑怯、姑息、残酷、騙り、結構なことだ。瑠衣はこれまでそうやって勝利を得てきた。どれだけのモンスターを『激流葬』で流してきたと思っているのだ。自分のモンスターを囮にして召喚行動を煽ったことも一度や二度ではない。でも、それこそが戦術なのだから。M&Wの醍醐味なのだから。

「『マテリアルドラゴン』! そして、『火竜の火炎弾』!!」
 瑠衣の脇に現れた黄金の竜が、かざしたカードに描かれている竜のように口をガバ、と開き炎の塊を撃ち出した。
 火炎球は扉を吹き飛ばし、照明の点いている室内を顕にする。
 そこにあるのは、巨大な漆黒の翼。全身に闇を纏わせた天の使い。魔性を宿して膨らんだ両腕、そして頭から生える2本の角が、歪んだ進化であることを示している。

「あの、黒い天使は……?」
「『堕天使エデ・アーラエ』だ。レベル5、攻撃力2300、保有する能力は墓地召喚の際の貫通効果。正直、さしたる脅威ではない」
 瑠衣のカード知識は3年のブランクによって絶対的に不足している。環境の主流を行くデッキに使われるカードならばほとんど覚えたが、汎用性が低くコンボのパーツにもなりにくいカードまで1枚1枚頭に叩き込むだけの時間はさすがになかった。
 しかしその点の補強は問題ない。巧は異世界では多種多様なモンスターが生息していると予測し、あまり使われないカードの特徴までもきっちり記憶していたのだ。
 不意に室内の照明が落ち、天使の居場所も見失った。廊下はいまだ施設が稼動していることを示すように煌々と光を放ち、室内の一部をも照らしている。が、当然のごとく、そこから確認できる範囲に闇天使はいない。
 ただ、部屋が闇に包まれる直前、エデ・アーラエは同じ天使であるヴァルキリアと比較しても5倍の太さを持つ腕にエネルギーを溜め始めていたのを見たような気がする。
 尤もこの程度は予測済み。モンスターの正体を確認した段階で『竜の騎士』は部屋と廊下を分断するように割り込み、敵の初撃を受け止めるように指示をしている。
 指示通り2人を庇うように竜が動き、盾でエデ・アーラエの攻撃を封ずる。黒いエネルギーの塊を受け止め、その攻撃を弾き返せなかったこと、威力を殺すまでに少し時間がかかったことを鑑みるに攻撃力が2300というのは間違いあるまい。

「よし――! 一撃で決めて、『竜の騎士』!」
 精霊ということを抜きにしても、やはりデュエルディスクを介して召喚したモンスターにも人格はある。そうでなければ、『マテリアルドラゴン』は上手くドアを破壊できるように炎を撃ち出したりはしないだろう。
 『竜の騎士』は瑠衣の曖昧な指示通りに室内に突撃し、騎士剣の一振りで部屋の隅で電源を操作している別の闇天使を絶命させた。血飛沫と悲鳴が舞う音でそれを確認し、数秒後には再び室内の明かりが復活した。この時すでに巧と瑠衣は、室内から炎を放っても届かない死角に隠れている。
 もう一度竜でない生物の断末魔が聞こえた。
 2人は室内に突入し、戦況を確認する。そこには――――部屋の奥からエデ・アーラエを廊下側の壁に吹き飛ばしている光景が、あった。
 エデ・アーラエ以外の天使は、2体いたのだ。

「しまっ……!」
「く……くく」
 エデ・アーラエの悪魔じみた表情が、余裕のないものから一転、歪んだ笑みへと変わった。人間を仕留められる程度の弱く、しかし収束時間の短い闇の魔力を瑠衣に向かって放つ。
 部屋の奥にいる『竜の騎士』は間に合わない――――はずだった。
 全ては一瞬の出来事。『竜の騎士』が一歩を踏み出したその時、体長2メートルを超える巨体が瑠衣の前に現れ、エデ・アーラエの攻撃を再度受け止めたのである。

「な……!?」
 全力でない攻撃は容易に受け切り、動揺が走る堕天使を片腕の斬撃で真っ二つにした。
 叫び声を出す間も与えない。
 
「お疲れ様、『竜の騎士』」
 さほど恐怖していない瑠衣が労いの言葉をかける。
 そう、この展開もまた想定の範疇にあった。細かな状況の一つ一つまで考えていたわけではないが、大筋としては計画通り。
 モンスターよりも使役者であるデュエリストの方を優先的に倒す――それは相手モンスターを全て排除しなければ直接攻撃ができないM&Wに慣れている者が見落としがちな現実。
 『騎士竜の誓い』のカードをデュエルディスクから抜き取る。
 このカードの真の効力は『洗脳解除』と同じく実験済み。主が危機に陥れば、『竜の騎士』と瑠衣、双方の救いたい、救ってほしいという意思、強い信頼関係を以って、物理法則をも超越した動きを可能とするのだ。『竜の騎士』が守護するという効果の性質上、大半は瞬間移動という形で現れる。
 一つの命として扱っていないようで心苦しいが、『竜の騎士』はそれでもいいと言ってくれた。3分間無敵になって瑠衣を守れると考えれば苦ではないと。
 とんだ時代錯誤。でも、嬉しかったのも確かだ。

「この施設の主、あなたたちを苦しめた堕天使、エデ・アーラエは討ち取りました!!」
 50名余りの闇天使が待つロビーに戻り、『竜の騎士』に血染めの大剣を掲げさせて瑠衣が高らかに宣言した。
 驚愕と歓喜が混じり合い、フロア中が沸き立つ。
 その様子を、第一次元の2人は冷たい目で眺める。くだらないとまでは言えないが、瑠衣の関心事は次の段階に移っていた。これを利用して、闇天使の集団をより強固に、自分たちに従うようにしなければならない。
 少しの間気の済むように騒がせておき、静まってくると言葉を続ける。

「しかし、まだ施設内には多くの天使が囚われていることでしょう。順次洗脳を解除していきますので、状況の説明に手を貸してもらえないでしょうか」
 天使たちが瑠衣を使って主張を通そうとするならその逆、つまり瑠衣が話すことによってこちらの要求も聞き入れて貰い易くなる。
 彼らに組織としてのまとまりは期待できないが、ここで指示に従う程度の思慮分別はあるだろう。どのような行動を起こすにしろ、瑠衣たちの力は確実に必要となるのだから。
 
「分かりました。我々としても同胞をこのまま捨て置くことはできません」
 闇天使の中から一人のパーシアスが進み出る。
 どうやら天使たちも、この時間を無駄に使っていたわけではないらしい。
 仮のリーダーを決め、意見調整に努めていた様子が窺える。
 それならば、こちらにとっても救った甲斐があったというものだ。

「ならば、こちらも情報を追加しよう」
 今度は巧が集団の前に立つ。
 協力的な姿勢を見せる度にこの状況を把握するための材料を増やしていく、それが巧の考えた集団を掌握していくための術だった。

「ここは第六次元、通称墓守の里と呼ばれる世界だ。数年前、ガリウスとローレイドはこの次元に侵攻し、制圧に成功した。ここまでは2国の同盟関係を知っている君たちならば知らされている者もいるだろう。当時のローレイド上層部が何を国民に吹き込んだのかは関係ないし興味もない。重要なことは唯一つ――ローレイドがガリウスに協力した本当の目的は、この施設の建造だったということだ」
 またしても天使たちが騒がしくなるが、巧は構わずに続ける。

「ではこの施設は、君たちのその姿は、一体何のためにあるのか。答えよう。ローレイドは、本国である第十一次元への反乱を目論んでいる!!」
 どうせこの段階で1度、完全に静まるのだから。
 喧騒に包まれていた空間があっという間にしん、となる。
 奇妙な沈黙だった。今の話の真偽を各々計算しているのだろうか。
 でも無駄だ。彼らの情報は遅れている。事はもう起こっている。
 裏切りの証拠は断片的で、状況証拠、物的証拠で言えば状況証拠にしかならないものばかりだ。けれど、

「認めろ! お前たちはローレイドから見捨てられたのだ! その姿にされた意味? 戦闘力を向上させるために決まっているだろう! ならば洗脳は? 忠実な兵士を作る以外に何がある! 醜い姿だから帰れないのではない――――最初から使い捨てるつもりだったからこそ、そのような所業に及んだのだ!!」
 文明のシステム下で生き残りたいと思うのなら、瑠衣たちについて来る他に道はない。
 彼らの今の容貌では、いくら害はないと言われたところで、現状それを理解できるのは2人を除けばネオパーシアスさんだけだ。
 
「明日の午前10時、わたしたちはこの次元に駐留するガリウス軍を排除し、第十二次元に戻ります。あなたたちがどうするかは、自分で決めてください」
 そして、こう続ける。
 すると予想通り、天使側から慌てた反応があった。

「ま、待ってください。我らを仲間にするつもりでここまで来たのではないのですか?」
「いいえ、そこまで強制するなど、おこがましいことです。わたしたちの目的はあくまで、こちらから“敵軍”が出てこないようにすること。その目的は達成できました。もちろんこの後も協力してくれるのならそれに越したことはないですけど、その姿を他の第十二次元の方々に見られるのは辛いのではないかと思って……」
「ちょっと待て、瑠衣。何を勝手なことを吹き込んでいる?」
 訥々と話している最中に、巧が口を挟んできた。

「いい加減にしろ! 優しさと無責任は紙一重だ。ここで放り出しても彼らに行く当てはないんだぞ」
「でも……!」
「ガーデア城主ネオパーシアスは、ローレイド軍を迎え撃つ戦力を必要としていた。彼は闇天使についても僅かながら知識はあるし、悪いようにはしないだろう」
「そんなこと言って、彼らを駒にして使い捨てるつもり? わたしの時みたいに敵愾心を煽って!」
「ごく普通に生活しているだけでも、組織の駒として動かねばならないときはあるさ。軍人だから、生き死にが懸かっているからというのは逆に差別だよ。別にカミカゼを肯定するわけじゃない、でもお前だってあの街を守りたいと言っていたはずだ」
「っ……!」
 反論はしなかった。
 同盟軍とガーデアの天使を結び、北部戦線、南武戦線の双方で勝利するには、彼らを取り込むしかない。
 しかし、元々巧にとって勝利するのは北部戦線だけでいい。ガーデア対ローレイドの南部戦線については、せいぜい足止めになればという程度の見方しかしていない。
 両戦線の勝利を目指している瑠衣はいわばハードルを上げている立場であり、デュエリストとしての戦闘力、沙理亜への牽制を除けば総合的な戦略を立てている巧の足枷になっているのが現状だった。

 施設のロビーから飛び出して、瑠衣は夜の砂漠に出た。
 どこかで聞いたことはあったが、確かに昼とは段違いに体感温度が低い。
 巧は追って来なかった。
 おそらく、天使たちへの弁明に励んでいるのだろう。
 しかし今の主張は、どちらかといえば巧の方が勝っていた。
 だからこそ、瑠衣は施設から逃げるように出て行った。
 天使たちの目にもそう映ったはずだ。
 
 外には出たものの、施設から漏れ出す光と星明りしかない状況、施設から離れるのは怖くてできないので、角を曲がった所に身を潜めることにした。
 壁にもたれかかって息をつき、『竜の騎士』のカードをデュエルディスクにそっと置く。
 
「どうだった、わたしの演技? 何か不自然なところはなかった?」
 具現化した『竜の騎士』に笑顔で問いかける。
 すなわち、このやり取りもまた、計画の内にあったのだ。
 ネオパーシアスに協力するか否かを迷わせるのではなく、協力を前提とした誘いをかけるために。

『いや、完璧に猫を被っていたよ』
「あ、なんか貶されてるような気がしてきた」
 笑顔のまま声を低くしてみる。

『早いな。まだ外道とも腹黒とも言ってないだろう』
「へえええ、やっぱりわたしのこと、そう思ってたんだね」
『い、いやその、これは違う。私の中の第二人格が……』
「うーん、人格交代はよくあることだけど、ネタとして定着させるには前振りがないと観客は戸惑うばかりだと思うよ」
『マリク=イシュタールの人格交代に前振りはなかったはずだが』
「そういえば、確かに。でも今のって第二人格の話がネタだって認めてるような言い方だと思わない?」
『あ゛…………』
「ふふふ。わたしが腹黒上等! な人間で助かったね。純真さをウリにしてる女の子相手だったら、明日には社会的に抹殺されてるよ」
『一体それのどこが純真なのだ……?』
 今のところは巧の方を手助けする必要はないだろう。
 施設の広さからして、囚われている天使全員を『洗脳解除』の効果範囲に入れるだけなら20分とかかるまい。
 説明には多少の時間を要するだろうが、こちらは解放した天使が協力を約束してくれた。
 むしろ逃げるようにして出て行ったのだから、演技の整合性を取るためには当分戻らない方がいい。

 風と砂を遮断し寒さを和らげるミニシェルター、『フィールドバリア』を展開して『竜の騎士』としばらく話していると、巧が様子を見に来た。

「どうだ、瑠衣?」
 肝心な部分が欠けている質問だが、瑠衣には何が言いたいのか理解できている。

「うん、今の所3人だよ」
「多めに見積もったとはいえ、少ないのは僥倖だな。これも瑠衣の演技のおかげか」
「『竜の騎士』にも言ったけど……そこは褒められてもあんまり嬉しくない」
 しかし、これで準備は整った。
 少ない方がいいのは確かだが、ゼロだとそれはそれで工作が面倒だ。
 
「夜の砂漠に放り出して悪かった。そろそろ戻ろうか。……どうした、瑠衣?」
 踵を返して施設に戻ろうとする巧だったが、瑠衣が歩き出さないのに気付き足を止めた。

「兄さん、わたしの――さっきの演技だけど、1つだけ、演技じゃない所があるよ」
「それがどうした?」
「恨んでるわけじゃないの。むしろ感謝してることだけど、でも忘れないで。焚きつけた責任は取るって兄さんは言った。ねえさんの件でうやむやになっちゃったけど、その約束は果たしてもらおうと思ってるから」
 現状、沙理亜の組織は瑠衣たちの短期的目標、ガリウスの崩壊について肯定的な見方をしている。
 むしろあの組織の構成員はガリウスに拉致された人間の集まりだ。本来ならガリウスを潰すことに関しては悲願のはずである。そのための知識も戦力も豊富に揃っている。
 先日、巧は高原真吾を躊躇なく追い返したが、本当に厳しい戦局になった時に申し出があれば渋々ながら受け入れるだろう。 
 瑠衣の考えはそれとは違う。
 沙理亜に助力を乞うぐらいなら、死んだほうがまし、そう言っても差し支えない。
 狂っている自覚はある。
 どんな人間だろうと結局は自己防衛の本能が何よりも強くなるのが当たり前だ。
 しかし今の瑠衣にはそれがない。刺し違えてでも沙理亜を倒す、本気でそう思っていて、もしここに沙理亜がいたなら一切の迷いなく非情な決断を下していた。
 アレは断じて母親などではない。
 自分を苦しめ、挙句に利用しようとした救いようのない女。
 許せるはずがない。
 否。
 許してはいけない。
 強くそう言い聞かせる。
 復讐心でも使命感でもなく、ただの確定事項とするために。

「勿論そのつもりだ。沙理亜の計画を崩壊させることについては、佳乃が反対しても強行する」
「もしそんな考えを持っていたら、ねえさんは沙理亜に洗脳されていることになるから?」 
「ああ、その通りだ」
 以前は苦手だった巧の策謀家としての姿が、何故だか頼もしく見えてきたのも、自分が変わったからだろうか。

「その調子でお前も、どんどん策略と陰謀に明るくなっていけよ」
「……そっか、兄さんが全ての元凶だったんだ」
 今の疑問が少しだけ解決した。
 この外道兄と渡り合うためには、陰謀を真っ向から打ち破る力と、簡単に篭絡されないだけの精神を身に付けねばならない。
 前者はM&Wの腕を高めることで上手くいったが、精神の方はどうやら間違った対応法を覚えてしまったようだ。

「何か言ったか?」
「ううん、ちょっと殺意が湧いてきただけ。気にしなくていいよ」
「その対象は俺じゃないよな? どうせ死ぬから気にしても無駄って風に聞こえたんだが」
「き、気のせいだよ、きっと」
 わざとらしい動揺に対して、巧はどう考えても悪者にしか見えない笑いを漏らす。

「あー、何がおかしいのよ」
「いや、別に。それより明日は早い。今のうちに少し休んでおけ。この戦いを経たら本当に戻れなくなる」
 だから戦いから退け、戻るなら今のうちだ、とは言われなかった。
 客観的に見れば恐ろしく冷たいのだろうと思うが、瑠衣にとっては嬉しい。
 
「ありがとう、兄さん」
 昏い決意と感謝を秘め、それら全てを隠した仮面の笑顔でそう答えた。












  午前7時

  
 ガリウス帝国、第六次元駐留軍本拠ネクロバレーは、いつにない焦りと緊張に包まれていた。
 ネクロバレーから少し離れた砂漠にある、同盟国の施設で発生した出来事がその原因だ。
 ローレイドによる天使ダーク化計画の施設。そこが昨夜、第一次元の人間によって陥とされたのである。
 まだ年若い兄妹は“召喚”の技術を完璧に使いこなし、いとも簡単にローレイド七賢者の一人、『エデ・アーラエ』を討ち滅ぼしたそうだ。

「して、奴らは何と言っている?」
 駐留軍の指揮官を務める悪魔は、たったいま司令室に戻ってきたばかりの部下に問う。
 司令室とはいっても、墓守の施設をそのまま流用しているだけで増改築はしていないため、指揮官の私物を除けば砂で変色した石灰石の簡素な部屋である。
 これは単に上層部が予算を惜しんだだけのことだ。なにしろこの次元にはおおよそ組織と呼べる集団が、同盟国であるローレイドを除けば墓守以外存在しないのだ。散発的に餌を求めてくるだけの野生のモンスターでは訓練程度にしかなりはしない。
 久々の知的生命体相手の戦いに緊張しているのか、呼ばれた部下は背筋を引き伸ばして答えた。

「はっ。この軍に留まり、共に反乱軍を迎え撃ちたいとのことです」
「ほう、そうかそうか。それは殊勝な心がけだな。よかろう――――」
 しかしその先に続く言は、そこまでと全く正反対だった。

「奴らを気絶でもさせ、本国に送れ」
「は……?」
 猫撫で声から冷たい一言への変貌に、部下が唖然とする。
 その反応は、丁度話してきた“奴ら”が本心からこちらへの協力意思を持っていると判断したから、という面も含まれている。

「ですが、彼らは……」
「間諜ではないだろう、か? 否、既にその問題は終わっている。かの国にとって、あの者どもが味方か敵かは、もはやどうでもいいことなのだ」
 それまで行動に一貫性のない墓守の残党狩りばかりこなしていたガリウス軍に、ローレイドのダーク化施設壊滅の報がもたらされたのは夜明け前のこと。
 情報提供者は施設にいた数体の闇天使。
 彼らはダーク化実験の被検体となりながらも、洗脳はされずに『エデ・アーラエ』に仕えていた。
 ダーク化によって、彼らは他の天使にはない新たな力を身に付けた。そのため、それを悪行とする第一次元の人間の呼びかけを是とせず、隙を見て脱出してきたのだ。
 加えて闇天使たちは一つの重要な情報を携えていた。
 反乱軍がこのネクロバレーへ攻め込んでくる時間である。
 午前10時――第一次元の少女がそう漏らしたそうだ。彼女は見るからにお優しい博愛主義の理想論者で、冷徹に判断を下す仲間を幾度となく困らせていたらしい。
 実力は高いものの、仲間内での意思統一すら出来ていない、取るに足りない集団。
 尤もその見解は闇天使のもので、ガリウス側はそれよりもう少し第一次元の人間を警戒していた。
 事前に駆けつけ、反抗作戦の肝まで伝えてきてくれた闇天使、しかも敵でないことは分かっている。だがそれでも、彼らをローレイド本国へ送還するという結論は不変だ。
 
「よいか、ダーク化施設が壊滅し洗脳が解けた。ローレイドにしてみればその一点において、奴らを“将来の戦力”から“切り捨てるべき証拠”に変えるには十分すぎる。特に責任者の『エデ・アーラエ』が戦死した今となっては、その流れは止められぬ。奴ら自身もそれを承知しておるのだ」
 だからローレイドには戻れない。戻れば抹殺されてしまうから。
 第十一次元に帰還したとしても、彼らへ向けられる視線がまずいものになるのは避けようもない。
 しかし幸いなことに闇天使が実験材料とされていたのは第六次元。第十一次元、ローレイド、双方ともこの地で起こった出来事をダイレクトに知ることはできない。
 文明が進んでおらずとも、荒野と砂漠で覆われた辺境だろうと構わない。
 まずは生き残り、居場所を確保すること。それが彼らにとっての第一なのだ。
 
「闇天使の力を見ておくというのも悪くはない。だがそれは、今日の戦いで否が応にも知ることになる。そして、間もなく滅ぶ種族の力など、覚えたところで無意味なことよ」
 ローレイドは一見ガリウスの脅しでこちらの陣営に組したようなイメージがあるが、実際のところは直接的に戦争行為に及ぶガリウスが青くなりそうなほど真っ黒な集団である。ガリウス本国の戦力が第一次元への侵攻でがた落ちしている今、同盟軍の後背を突く南部からの援軍は不可欠と言ってもいいが、逆にローレイドはある程度の協力姿勢を見せながら、間違いなく水面下でガリウスを切る準備を進めている。
 であれば、闇天使をローレイドに引渡すことで恩を売り、かの国をガリウス陣営に繋ぎ止めるという効果が期待できる。ガリウスとローレイドはもはや一蓮托生。逃げ出しても行き場はないと思い知らせてやらねばならない。

「戦はこの地だけで起こっているわけではないのだ。第十二次元の帝都を陥とされれば、今度こそ我らはお終いだ。近辺に二箇所、それも一つは建物の中に次元の穴がある拠点を、どうやって現有戦力で守りきる?」
 元は墓守の拠点であったネクロバレー本城に駐留するガリウス軍はおよそ400。墓守残党との戦いはこのネクロバレー内で完結しているため、他は離れ程度の距離のところに、300ほどが控える砦が一つあるのみだ。それに親ガリウス派の墓守が200前後。合計たった900、しかも文字通り“穴”だらけの要塞に篭ったところで、万単位の戦力を有する同盟軍に勝てるわけがない。

「承知致しました。すぐに移送作業を始めます」
 配下の悪魔は説明に納得したようで、特に不快そうな様子は見せずに頷く。
 尤も、納得できなかろうと、すぐそこに敵が迫っている状況で逆らっても意味がない。この指揮官は部下の進言にも真面目に耳を貸すガリウスにしては珍しい将ではあるが、結局どこの世界、国だろうと軍人は上官の命令に絶対服従が基本であるのは変わらない。

「うむ、それと――――准将をここに呼べ」
「!? ということは……」
「墓守の残党共の動きがここ最近、やけに静かだ。あるいは施設を潰した連中と協力体制にあるのやも知れぬ。もし第一次元の人間、絶対戦術勝利の使い手が与しているとなれば、“瞬間移動”のカラクリが伝わっている可能性が高い」
 戦闘能力を持つ生物ならば、基本的にその外見だけで能力を数値化、文章化することができる絶対戦術勝利の力。
 国家政策として第一次元の人間を拉致していたガリウスは、その力の一端を垣間見ている。能力とはいっても単に記憶力の問題で、努力すれば誰にでも身に付けられるそうだが、いかなる背景を有していようとカード化されている側からすれば脅威であることには違いない。
 
 そして“瞬間移動”。
 これはまさに偶然の産物と言ってもよかった。
 ガリウスとローレイドの第六次元侵攻、本来それは失敗しているはずだったのだ。両軍はまんまと墓守が張った罠にかかり、壊滅しかけた。
 ――――だが。
 ガリウス軍の兵はそれまで自分たちですら知らなかった能力を無意識下で発動し、気付いた時にはいつの間にか墓守軍の懐に入り込んでいた。
 当然それは墓守側にも予想外の事態であり、戦局は一転してガリウスが降伏か徹底抗戦かを迫る立場になっていた。
 そのような形で得た勝利であるが故に、逆に前線に立っていた墓守は取り逃し、地下に潜られてしまった。この建物は城砦としての防衛能力は低いが、その分抜け穴や隠し部屋が無数にあり、殲滅は困難を極めている。
 これまでは向こうの指揮がお粗末だったため、さほど苦戦せずに抵抗を鎮めてきたが、実際には墓守だけならば抵抗勢力の方が、数が多いかもしれないという有様だ。もし彼らが闇天使の勢力300に加え、第一次元の人間2人と結託しているとすれば、指揮力はおろか数的有利もなくなる。レジスタンスの戦闘要員はおよそ200と推定されているが、戦局次第では親ガリウス派の墓守が決起する危険すらもある。
 第一次元からもたらされた知識によって“瞬間移動”の正体は把握したが、その優位ももはや当てには出来ない。ましてやガリウス本国からの援軍に至っては論外だろう。同盟軍が迫っていて、しかも幻魔最後の一体であるラビエルが第一次元に行ってしまったとあっては、指揮系統の再編が急務である。このような辺境の次元に構っている余裕などあろう筈もない。
 ガリウスに直接繋がる次元の穴は既に塞ぐよう指示を出しており、これで最低限の職務は果たした。あとは闇天使、墓守のレジスタンス、デュエリストの連合軍とぶつかり合い、勝つだけだ。戦力は拮抗しており、地理的には篭城するこちらが優位か。逆に指揮能力は第一次元の人間を擁する敵が上。総合的な力の差は、つまりほとんどない。



「……以上だ。第一次元の人間の力を侮るな。奴らはいざとなれば姑息な手段も平気で使う」
 駐留軍の将である悪魔は、墓守の残党討伐において自分に次ぐ権力を持つ配下にそう告げる。
 実際はいざという時でなくとも陰謀的な策を好む兄妹であるが、彼もそこまでは知りようもない。

「姑息な手段……となると、ほとんど予備動作なしに地面を割ったり砕いたり、雲もないのに雷を落したり、寒波を呼び寄せたりとかですか?」
「そんなものは序の口だ。拷問の手口も異様に多い。頭を締め付けたり、車輪に捕らえたり、悪魔の名を冠する鎖で縛ったり。さらにはクローン技術も発達しているそうだ」
「なんと……そこまで恐ろしい連中とは……!」
 悪魔をもって恐ろしいと思われている第一次元の人間。
 しかし、それは案外誇張ではない。ガリウス帝都に囚われていた第一次元の人間が脱走する際、彼らはそれこそなりふり構わずに禁呪レベルの魔術を連発して帝都を混乱に陥れた。詠唱も反動もなく、カードを引き機械に入れる、たったそれだけの動作で複数の悪魔を即死に追い込む魔術を乱射し、召喚されるモンスターはといえば、どの国でも将軍クラスは張れるだろう最上級モンスターばかり。
 彼らにしてみればそれは当然で、元々最初に拉致という行為に及んだのはガリウスであるため、正当な防衛、報復行為であったのだろうが、逆に反第一次元のプロパガンダに利用される形となった。
 とはいえ、それは蟻が虎に挑むようなもの。第一次元の人間を危険視しながらも、手痛いしっぺ返しを受けると予測し派兵を中止するよう働きかけていた悪魔もそれなりにいる。主な結果は帝国が誇る四邪将からの追放、辺境の次元攻略の任とその統治であるが。

 しかし、たとえ閑職に飛ばされたとしても、ガリウス軍人であることに変わりはない。いや、それ以前にここはもう閑職ですらなかった。ガリウスとローレイドは一蓮托生、先程考えていたその言葉は悪い意味で的中していた。この一戦が、ひいては第十二次元における同盟軍とガリウスの決戦を左右するといっても過言ではない。
 そして残念ながら、上層部はこの地の重要性を理解できないだろう。
 戦いの時は、もうすぐそこまで迫っている――――。
  











 午前8時


 『墓守の暗殺者』ことサラは15名程の兵を連れ、王家の谷に隣接する元は墓守が暮らす建物、ネクロバレーの屋上に来ていた。
 より正確には、屋上へと続く階段。 
 そこからは3つの陽の光で照らされた儀式場が見渡せる。およそ5メートルの王を模した石製の彫り物が、階段とは逆側の一辺に建てられており、その手前の祭壇を用いて当代の長が(まじな)いを唱えている。傍らには2名の呪術師。悪魔の“瞬間移動”を度外視すれば、敵戦力はそれだけだ。
 彼らのところまで辿り着く上での障害は、ほぼないに等しい。祭壇はサラがいる階段側より数段高く造られているが、狭いながらそこを繋ぐ階段はある。
 儀式場にいる裏切り者たちが突然振り返っても姿が見えない絶妙な場所から様子を確認するが、特に変化はなく長は詠唱を続けている。その声は聞こえないし、ろくに動きもしないが、儀式の開始時刻が極めて正確であることは、墓守の民ならば誰でも嫌になるほど知っている。それはつまり、アナログな時間計測で多少の誤差もあるとはいえ、終了もほぼ定刻ということだ。サラの後ろにいる兵の中には、あの儀式に参加したことのある呪術師も含まれており、タイミングを計るため今も一心に呪いを唱え続けている。
 かつてこの地に君臨した王の御霊を鎮めるための儀式なので、流石に儀式中に手出しするのは問題である。が、儀式さえ終わればその枷は解かれる。祭壇を血で染めるのも本来なら許されないこととは思うが、正直なりふり構っていられる状況ではない。第一次元の人間、そして異世界の天使までもが里の解放に協力してくれるというのに、戦いの後にこの地を治めていく墓守の民が何もしないなど、それこそ話になるまい。
 
 既に詠唱は終盤に差し掛かっている。墓守たちはデジタルな時間管理を理解していないが、それで表現するなら残り5分となかった。
 祭壇では石灰岩を彫って造られた“王”が、裏切り者を見下ろしている。動きもしない相手の怒りを恐れて儀式に走っているというのは忠誠ではなく信仰に近いが、どちらの陣営に属す墓守もそのことには気付いていなかった。気にする必要もなかった。
 これから行われる戦いは宗教戦争ではないのだから。
 どちらかというなら、墓守という種が現在も存続しているのは結果的に先代の長を殺害し、同胞を売った男のお陰であるということに煩悶せねばならない。ガリウスの侵攻を受けた際に徹底抗戦の姿勢を貫いていれば、悪魔は墓守の民を根絶やしにしていただろう。
 一見墓守としての誇りと責務を忘れた行為のようだが、その真意はまた別にあると言われれば、話を聞かざるを得ない。確かに先代に仕えていた頃は、愚鈍で意味もなく部下に怒鳴り散らすだけの男だった。おそらくそれは演技でも何でもなく、ただ本当に無能なだけとサラは判断していた。
 しかし、里が攻め落とされたその日からもう1年以上が経過している。保身に長けたあの男のことだ、事後的にであろうと、建前を作っていないわけがない。
 いくら無能とは言っても、近い役職の者と比べたらの話。帝王学の一つも学んでいないサラにとって、正面からの対話で嘘を見破るのは困難である。
 ならばどうするか。答えは一つ、話をする前に討ってしまえばいい。
 もし当代の長の行動が全て墓守のためとするなら、憎しみをその身に集中させて果てることこそ本望なはずである。逆に裏切りが真実であれば、それは戦争上正当な、敵を倒す行為に他ならない。
 つまり彼の狙いがどちらであっても、死によってのみ、墓守のための働きが出来るのだ。
 言葉での解決を図ると不利になるから避けている、それは認めよう。その最期を“裏切り者の末路”の一言で片付けることも。
 しかし彼はそれだけのことをしてきた。
 決して先代の長――サラの父を殺した憎しみではない。そう言い切れるだけの根拠を以って討ち滅ぼすのだ。
 サラとしては父の仇という印象は強くないが、周りから見れば私怨と受け取られても仕方がない。話し合わずに暗殺するとなれば尚更だ。だからこそ、あの男を殺す必然性があるのだと周りに示さねばならない。その点については既に理解を得ていた。

 長の“儀式”が終わった際には、こちら側の詠唱はまだ終わっていなかった。そのため踏み出すのが数瞬遅れたが、誤差は許容範囲に収まっている。

「長とは私が決着をつけます。長槍兵、大筒兵は儀式場の制圧、他の者は階段を死守してください」
「はっ」
 もはや気配を隠す必要はない。一瞬でも早く長に辿り着くべく、駆ける。
 ようやく振り向いた長に向かって、走りざまに3本のナイフを投げつける。首を狙った一撃は咄嗟に構えた錫杖に弾かれたが、残りの2本はそれぞれ腹と片脚に吸い込まれていった。呻き声を上げて長は態勢を崩す。
 長の両脇に控える呪術師は一人が逃げようとして階段近くの番兵に阻まれ、もう一人は狙いを定めず闇雲に呪詛を放っているところへ大筒兵が巨大な鉛玉を直撃させた。
 まだ突入を開始してから30秒も経っていないが、形勢は明らかだった。
 しかし、護衛を失った長は瞬時に手にした杖に魔力を収束し、儀式場の床に押し当てる。人工の建造物とはいえ、その素材は切り取り形を整えただけの岩であり、余計な加工やコーティングはされていない。
 それ故に―――操れる。
 儀式場の床が隆起してサラの進行上に立ち塞がり、しかしそれでも止まることなく足元の岩までも大きく形状変化する。が、サラは杖にそういう力があると分かっていたため即座に後退して射程から逃れ、角度を変えて再び長に向かっていく。長は暗殺者を正面に捕らえて迎撃しようとするが、片脚が満足に動かず腹には鋭い痛みが走り、杖を起動させる程度の集中すらままならない。刃は内臓に到達していたのか、あるいは毒が塗ってあったのか、さして出血していないにもかかわらず視点は大きくずれ、口端からは赤い液体が流れている。
 横の動きを巧みに取り入れて接近し、ついにサラは長に肉薄し逆手の短剣を突き込む。この一撃はかろうじて杖で防がれ、金属が激しくかち合う音がした。しかし長の腕に力は入っていない。離れ際に杖に手をかけ、強引に奪い去る。下手に抵抗したのが運の尽き、長は前方によろめき手と膝をついた。
 代々長の武具として扱われてきた杖を脇に投げ捨てる。これは裏切り者には勿論、サラによるこれからの統治にも不要なものかもしれない。彼女の得物は、少なくとも今はまだ、銀に光る一振りの短剣だ。
 再度柄をぎゅっと握り締め、低い姿勢で長たる証を失った男の懐に飛び込む。抵抗する気がないのか、それとも暗殺者たるサラの瞬発力についていけていないのか、長の反応は緩慢だった。完全にサラの間合い。懐に入ったことすら認識できていないのか、焦点の定まらない眼はまったく別の場所を移ろっていた。
 それでも哀れみの一つも感じないのは、仇だからというだけの理由ではないだろう。歪みきった魂を滅する、ただそれだけを胸に、静かな気合を込めて短剣を跳ね上げた。

「かはっ……」
 左肩口より斜めに右腹部まで横断している裂傷から鮮血を撒き散らし、口からはそれより赤黒く粘っこい塊を吐き出した。
 明らかに致命傷だ。
 裏切りの長は確実にここで生涯を終えるだろう。
 とはいえ、油断して背中を見せるような劇場的な感性をサラは持っていない。息絶えるまでは、どれだけ瀕死の重傷を負っていようと敵は敵だ。

「よくぞ……我を、討ち……倒した……。奴らに勝てる見込みは……あるのだな?」
「…………!!」
 返り血を全身に浴びたサラは、顔を引きつらせる。
 ふざけているにも程がある。先刻までの杞憂は一体何だったのだ。
 こんなにも――――見え透いた嘘で、救国の英雄になれると本気で思っているのか。
 信じられない。このような屑が1年以上も一族のトップにあったなら、彼の側についた民はどれだけ虐げられているのだろう。
 潜入しているレジスタンスのメンバーは真実を伝えてきてくれていたのか、疑わざるを得ない。
 それだけこの男は小物だった。サラでも容易に欺瞞を見抜ける程に。

「貴様が……女だろうと構わぬ……。一族を……」
 サラはもう一度短剣を振った。
 装束の返り血がまた増える。
 今度こそ、真正の裏切り者は完全に沈黙した。
 僅かでも安らかな眠りがあってもいいかもしれないと思った自分を恥じ、怒りと混ざり合って無駄に息遣いが荒れる。
 私怨による仇討ちなどではない。それでも父の無念を嘆かずにはいられなかった。

「新たなる長よ、逆賊からの錫杖の奪還おめでとうございます。これで名実共にサラ様が次代の長だと、この男に騙されていた者も認めるでしょう」
 表情の優れないサラに転がっていた杖を手渡し、暗殺へ同行した墓守たちが傅いた。
 サラは静かに“王”の偶像を見上げる。
 “王”は人を罰するのみで、恵みをもたらす存在ではないという教えをサラは信じ切れていないところがあった。そして、これだけ父の死を冒涜されても尚、その考えは変わらない。まだ救いはあると信じていた。
 配下の方へ向き直ると、そこに居並ぶ墓守はまだ誰一人欠けていない。
 ガリウス軍はどうやら暗殺を妨害しに来なかったようだ。あるいは間に合わなかったか。
 どちらにせよ、これも一つの救いだ。
 これから墓守の総力を挙げて戦うことに変わりはないが、勝利への道筋は捉えている。
 研究所の解放は成ったとの報告は届いているし、後は向こうの動き次第だ。

「では、我々は階下で待機している兵と合流し――」
 そこでサラは言葉を切った。
 まさかと思う。だが、彼女の暗殺者としての鋭敏な知覚は、間違いなく見えない殺気を感じ取っていた。

「どうされました?」
 突然指示を中断したのに困惑し、部下の墓守が急いで訊く。
 どう対応すべきかは、永瀬兄妹との作戦会議で決めてあった。
 脳内での反復はできる。しかし、よりによってこの局面で上手く思考に反映されない。 
 緊張と焦り、その両方に押し潰されそうになりながらも、どうにか取るべき行動を形にする。

「我々は――この地に“瞬間移動”して来るガリウス兵を、迎え撃ちます!! 伝令、下層の兵にすぐこちらへ駆けつけるよう伝えるのです!!」
 伝令が去った段階で、重苦しい殺気は、もはや普通の兵にも分かるほどに濃くなっていた。
 尤も彼らが感じ取ったのは、空間の歪みと屋上を埋め尽くすほどの質量。
 それまで何もなかった場所に、漆黒の体躯に金や銀、ベージュ等の武装をした悪魔が、湧き出てきた――。
 




 3日前



「暗黒界?」
 第一次元出身の兄妹の口から出てきた単語の意味が分からず、サラは首を傾げた。
 M&Wの技術について、サラの父――先代の長は体得し、サラ自身も『暗殺者』の札に力の一部を注いでいた。
 そのためM&Wに関して多少の知識はあるつもりでいたが、ここ数年で爆発的に増加しているカードプールにはついていけていない。
 ガリウスの支配下に置かれていたことは抜きにするにしても、別次元における最新のカードデータを入手する術は乏しいの一言に尽きる。
 先代は第一次元のとある錬金術師から、ネクロバレーへの侵入者を撃退する術としてM&Wを学び、その秘伝は女性も含めて長の血を引く者全てに伝えられた。とりわけ血統を重んじる墓守にとっては、錫杖などよりこちらの方が一族の秘儀に相応しいと思ったらしく、それはもう完全に刷り込まれていた。
 それでもサラの知識には決定的な穴がある。M&Wは日々進化を続けているのだ。新たなカード、新たなカテゴリ、新たなルール。たった1枚のカードが主流デッキ環境を変化させることすらある、そんな世界の現状に対して明らかに遅れを取っていた。

「ええと、サラさんはM&Wがどのようなものかはご存知なんですよね。なら『暗黒界』のモンスターについて、こう説明します。“手札から捨てられた”時に効果が発動する悪魔です。例えば『暗黒界の武神ゴルド』のテキストを一部抜粋すると、『このカードが他のカードの効果によって手札から墓地に捨てられた場合、このカードを自分フィールド上に特殊召喚する。』となっています」
 実物のカードはないんですけど、と瑠衣は謝るが、そこまでいけばサラにも“瞬間移動”のカラクリが掴めた。

「『王家の生贄』……あれが原因でしょうか?」
「それしか考えられません。「生贄の断崖」についての話は聞きました」
 墓守の居城、ネクロバレーは大きく分けて3つの建築物で構成されている。
 その中で最も規模が大きく、墓守の民やガリウス駐留軍が政の中枢として機能させている本城。ここには第十二次元、ガーデア城と繋がる次元の穴があり、レジスタンスのアジトや、墓守の居住区も此処に属している。そして屋上は“王”の偶像が奉られた儀式場になっている。
 次に本城の傍に建てられた砦。名の通り軍用の施設で、ガリウスも同じ用途で使用している。本城との違いは居住区が兵の詰所となっているのもそうだが、最たる違いは屋上にある。砦のそれはデュエルフィールドであり、第一次元の人間がM&Wの実体化を利用して暴虐を働いたとき、錬金術師よりもたらされた同じ力で対抗するためのものである。
 そして「生贄の断崖」。本城と砦を谷や近くの砂漠に生息する魔物から守るように張り巡らされた、いわば城砦都市の外壁であり、見張り台としての役割が強い。
 しかしもう一つ、「生贄の断崖」にはその名に相応しく、忌まわしい役回りがあった。
 本城の屋上にある“王”の偶像に特定の詠唱を捧げることで「生贄の断崖」は業火に包まれるのである。かつては年に一度、その“儀式”を行う際に人身御供の子どもが差し出され、断崖の上に立たされていたそうだ。いくら旧態依存の墓守といえど、これは非人道性から廃れている風習であるが、詠唱自体は受け継がれてきた。
 墓守の民を守り、外敵を生贄にするために。

 それから時は流れ、ガリウス、ローレイドの連合軍が突如次元の穴を越えてネクロバレーに侵略戦争を仕掛けてきた。
 次元の穴の配置が悪くいきなり本城内部に入り込まれた上、数でも大きく劣っていた墓守軍は窮地に立たされるが、起死回生の策は残されていた。
 墓守軍は「生贄の断崖」に敵を誘い出し、『王家の生贄』の儀式を敢行したのである。
 「断崖」の通路は忌まわしい伝承通りに炎に包まれ、悪魔も天使もその中に消えたかに思われた。
 ところが。
 炎に呑まれたはずの悪魔は傷一つ負っていない状態で、いつの間にか本城の屋上に“瞬間移動”していた。
 こうしてガリウス軍は本人たちですら予測だにしない形で勝利を手にした。その後第一次元の人間から得た知識を元に“瞬間移動”の謎を解き明かし、あろうことか戦術として取り入れ始めていた。
 レジスタンスのアジトはまだ発見されていないが、時間の問題だとサラは悔しそうにこぼす。
 しかし、永瀬巧は――――







「だからガリウスの悪魔共よ、貴様の負けだ」
 悪魔すら震撼しそうな邪悪な笑みを浮かべ、そう告げた。
 燃え盛る「生贄の断崖」、この一時、見張り台の役目を備えていた「断崖」は、その機能を失う。

「パーシアス各隊は進軍を開始しろ!! 敵主力は本城の屋上に固まっている。この隙に我々はガリウス駐留軍の将、レインの首を取る!!」
 ネクロバレーの周辺に控え、身を隠していた黒い天使騎士が堂々と姿を現し「断崖」を視界に捉える。
 しかし彼らの発見を知らせるべきガリウス兵は、そこにはいない。
 現在時刻は8時15分。
 闇天使の内通者がレインに伝えた攻撃開始時刻までまだ1時間半以上ある。
 だが、巧はこの好機がこの時間に必ず訪れると確信し、7時前後から「断崖」周辺に兵を集めていた。
 これは墓守軍と闇天使の軍が巧と瑠衣を仲介に示し合わせていたことを意味するが、それは同時に10時に攻撃を開始するつもりなど毛頭なかったということでもある。

 そもそもガリウス側についた闇天使が攻撃を10時と思い込んだ理由は、瑠衣が巧との議論中に“ついうっかり”漏らしてしまったからだ。お互い頭に血が上っている状況ならばそれもあると楽観視したのか、もしくは、とにかく寝返るにあたっての材料が欲しいあまり真偽にまで頭が回らなかったのか。
 いずれにしても「断崖」にいた兵の慌てぶりは、“瞬間移動”が予定時刻より早いことを示していた。そして、炎が引いた後で「断崖」に登る兵の展開も、明らかに遅れている。
 城壁を破るに当たっての最大の問題は高所からの攻撃。
 サラによる長の暗殺は「断崖」からガリウス兵を取り除くための囮だったのだ。

「ククク、ガリウスは“瞬間移動”の利便性ばかりに気をとられていたようだな。カードとして顕されるレベルの魔術の具現化。付け焼刃の知識しか持たない悪魔共には、過ぎた代物だ」
 今の戦局をM&Wで表現するなら、無理に手札を消費してモンスターを大量展開してきたものの、こちらはそれに対する用意ができている、そんな状態だ。『ミラーフォース』も『激流葬』もまるで警戒せずに突撃してくる姿は、勇猛果敢といえば聞こえは良いが、実際はただの無謀な猪突猛進に他ならない。
 そして、主力部隊が転送されたのはまず間違いなく屋上。だが、この瞬間移動はまさしく死と隣り合わせの作戦であり、敵将の『暗黒界の魔神 レイン』がそこに参加しているとは考えにくい。
 つまり逆に言うなら、現在『レイン』の周辺は手薄になっている。
 
 四足で騎兵としての瞬発力を備えているパーシアスは、瞬く間に「断崖」を取り囲む。
 間もなく城門を発見したが、強固な石製で個々の武装では傷を付けるのがやっとのようだった。
 とはいえ巧にしてみれば、この程度では障害にすらならない。

「『城壁壊しの大槍』!」
 どこからともなく現出した破城槌並みの大きさを有する鉄槍がドスン、とパーシアスたちの間に落ちる。およそ十数名のパーシアスがそれを持ち上げ城門に打ちつけた。さすがに一度で壊れるようなことはないが、亀裂は生じている。
 この行動を妨害するはずの悪魔は、偽の情報に基づいて「断崖」を離れている。

「永瀬巧。まさか、ガリウス軍が高所を捨ててどこかへ移動したのは……」
 闇にその身を染めた天使騎士の一人が、しかし真面目で誠実な印象を漂わせて尋ねてくる。
 彼は昨夜もパーシアス、ヴァルキリアたちの意思統一に力を貸してくれた、なかなか使える駒だ。
 今のところは、彼の信頼を得る程度に応えても良いだろう。そう、今のところは。

「その通り、あらかじめ仕込んでいた。確かにM&Wの『魔法』は戦略レベルのもので、その効果は絶大だ。だが、それ故に読み易い。奴らの『魔法』はカードを介さない、すなわち自然現象や地理的要因を捻じ曲げてまで行使できるものではないからな。仕掛けてくる手も自然と浮かび上がる」
 極論を言うならM&Wの『サンダーボルト』や『ブラックホール』を発動することによって、デュエルディスクはそれを認識し実体化させるだろう。しかしそれは札に宿る力を行使しただけに過ぎず、人の能力や環境とは一切関係がない。
 対して、札を有していないモンスターが同等の魔術を扱うのならば、多くの術士を集め、周辺環境を整え、呼び水や、それこそ生贄を差し出した上でのこととなる。強力無比な効果は確かに得られるだろう。だが、強力であればあるほどそういった要因は限りなく絞られる。快晴の空に雷を落すなど、土台無理な話だ。
 墓守の里、ネクロバレーで行使される魔術、そしてガリウス軍の正体。これらから導き出される敵の戦術は『王家の生贄』を使用した“瞬間移動”に他ならない。

「尤も、そういった魔法の使用は可能な限り控えるつもりだ。力による支配とか、それ以前の問題だからな。真面目に天変地異や世界の崩壊が起きかねない」
「賢明な判断だと思います。そういった野心を持っていれば、君を排除しなければならないところでした」
「なるほど、それが第十一次元の第一次元への対応か。予想はしていたが、肝に銘じておこう」
「それは何よりです。攻城兵器や伝説クラスの武具を片手で何十と持てる時点で、限りなく脅威ですからね」
「そこまで制限されると困るな。絶版のカードも多かったから、調査と収集には苦労したんだ。このぐらいは許容範囲だろう」
「我々の能力とて知られている以上、脅しにしか聞こえないのは気のせいで片づけてよいものか不安が残りますが……。ところで、そろそろ城門が突破できそうですね」
 パーシアスがそう言うのと前後して、分厚い石の城門がガラガラと崩れ去った。
 
「よし、全軍城内に突入せよ! A、B、C隊は「断崖」を制圧後、敷地内のガリウス軍を遊撃。D、E隊は城内前方に見える砦を封鎖するんだ。内部の制圧は後でいい、外に出さないことだけを考えろ。F隊、俺と共に敵本拠に乗り込み、一気にレインを討て!」
 巧も召喚した『ファイヤーウイングペガサス』に跨る。
 実は、このモンスターは翼の熱量を調節することができた。人が乗れるほどに低くしている場合は翼自体も縮小するため、飛行能力は制限されるが軍馬として運用するには十分だ。しかも攻撃方法はドラゴンさながらの炎のブレスで、背中に乗っても阻害されない。

 それにしても、と巧は思考する。研究所に囚われていた天使の種類はまさしく欲しいものが揃っていた。
 まず幸運だったのが、捕らえられていた天使たちは主の過ちを見過ごそうとしない人格者ばかりであったことだ。
 ガリウスと組んでの第十二次元の支配、そして本国である第十一次元への反逆。それに疑問を抱き、苦言を呈するような者が施設に入れられていた。しかし、そういう者たちは基本的に正攻法で地位を上げているため、ローレイドへの反逆者扱いして処刑するのは戦力的な損失が大きい。故に意思を奪い、戦うためだけの人形にしようとした。
 しかし洗脳が解けてしまえば、そのような性格を持つ彼らは、ローレイドのあり方を正すため同盟軍に与することも厭わない。彼らの故郷はローレイドではなく第十一次元なのだ。
 闇天使が素性の知れない第一次元の人間に従っているのはそういった事情による。
 加えて、ローレイドは戦闘力を求めているのだから、ある程度基礎能力の高い天使を研究に用いているだろうとは思っていたが、これも期待以上の出来だ。
 パーシアスは地上での機動力と、騎士としての個人戦闘力。
 そしてヴァルキリアは飛行能力。
 『マテリアルドラゴン』に騎乗した瑠衣に連れられ、彼女らが向かった先は―――







「放てっ!!」
 
 上空から数日前に知り合った少女の声が聞こえるや、階段側に陣取りレジスタンスの退路を断つガリウス軍に魔力球が降り注ぐ。
 慌てて見上げると、黄金の竜に騎乗し闇天使の軍を引き連れた少女の姿があった。
 煙が引くのも待たずに波状攻撃。乱戦になっていないため、魔力球は嵐のように飛び交いながらも悪魔だけに浴びせられる。

 『暗黒界』の悪魔が行う“瞬間移動”には欠点がある。
 外部からの魔術によるものであり、自分の意思で移動の瞬間を操ることはできないのだ。
 ゆえに転移直後の隙が大きい。
 転移によって背後を取られた側の衝撃からすれば、本来その程度の硬直はないも同然である。しかし、あらかじめ転移が行われることを予測していたならば。悪魔軍は転移後の個々の隙を解消するため、陣形を組み密集して現れると知っていたなら、そこに集中砲火を加えることも不可能ではない。

 敵の第二陣が祭壇側に転移してきた。階段側の悪魔が健在ならば挟み撃ちにされていただろうが、そちらは闇天使の部隊が上空から一方的な攻撃を加えている。
 陣形から外れて転移してきた手近の悪魔の背後に忍び寄り、サラは短剣を閃かせた。
 鮮血を舞わせて悪魔が崩れ落ちるのと同時、別のヴァルキリア部隊が祭壇側の悪魔にも魔力の雨を降らせる。
 墓守がするべき仕事はほとんどない。ヴァルキリアの猛攻の中を命からがら逃れた兵を順次倒していくだけ。下手に接近すれば巻き添えになってしまうし、それ以前に逃れてくる兵自体がほんの僅かしかいないのだ。

 飛行能力を持たない悪魔への蹂躙は続く。
 増援が出尽くすまでにさほど時間はかからなった。少なくとも異様に短く感じた。
 何しろ現れた傍から7割方が倒されるため、こちらの戦闘も余裕が持てる。
 残された悪魔はもう50を切っている。
 大半は金や銀の鎧を着けた指揮官クラスの悪魔だ。
 混戦の様を呈してきたため、空中からの援護――を遥かに超えた攻撃は止んでいるが、代わりに降下してきた竜に騎乗する少女、永瀬瑠衣が新たに3体の騎士竜を召喚した。
 各個撃破に移っているこの状況で個人戦闘力に優れた騎士の出現。まったくもって容赦というものがない。

「サラさん、無事ですか?」
 対してサラへの言葉は、心の綺麗な少女のものである。
 
「ええ、助かりました。ですが、これで私たちの勝ちですね」
 これは元々、そういう作戦だった。
 囚われている天使の中に飛行兵がいた場合、屋上で長を討ってガリウス軍を誘い、“瞬間移動”してきたところを一網打尽にするという計画。
 一寸の狂いもなく、それは成功した。
 そう安堵したように言うと、逆に瑠衣は冷たく目を細める。微笑を絶やさないままというのが怖い。

「まだ戦いは終わっていません。ガリウス軍はもう逃げ場がないと分かっているのに、いまだ抗戦を続けています。だったらこちらも敵が全滅するまで気を抜くなどもっての外です。一番怖いのは限界まで追い詰めた時。向こうも極限状態ですから何をしてくるか分かりませんよ」
 例えば――自爆とか、などと続けるが、とても訓練を受けていない15歳の少女の考え方とは思えない。
 
「魔法カード『融合』。2体の『竜の騎士』を融合し、『竜の将軍』を召喚! そして『竜の魔術師』、『ブリザード・ドラゴン』、あなたたちも行って」
 魔法使いのローブを纏い書物を手にした竜、冷気を支配する氷竜、そして『竜の騎士』の上位種である『竜の将軍』。
 この3体が瑠衣に続けて降下してくる闇天使を従えてガリウス兵と戦う。
 一方、少女の護衛には『騎士竜の証』の加護を受けた『竜の騎士』に『マテリアルドラゴン』。
 彼我の戦力差は圧倒的。
 “瞬間移動”してきたガリウスの主力は計200以上だが、ヴァルキリアの一方的な殺戮によってあっという間に十分の一にまで減っていた。
 墓守の民は駆けつけた援軍も合わせて100、それにヴァルキリアが100超。これまでの戦局を加味すれば、数名の犠牲はあるかもしれないが数で押し切れる。
 なれど―――瑠衣及び瑠衣が指揮する5体の竜だけでもまた、勝利は揺るぎないだろう。
 そう確信させるだけの何かをサラは感じた。

 それから10分。
 ガリウス軍主力部隊の最後の一人である『ゴルド』は瑠衣が唱えたような恐ろしい反撃をするでもなく、しかし指揮官を狙う考えはあったようで瑠衣を鋭く睨むが、動き出す前に『ブリザード・ドラゴン』に脚を止められ『竜の将軍』によって切り伏せられた。
 






「奴らは偽情報を掴まされていた、か。見事だな、第一次元の少年よ。レジスタンスの墓守どもを犠牲にしてまで我らを嵌めようとするとは」
 配下のほとんどを失い、そして今、本城の司令室で巧によって追い詰められているガリウス駐留軍の将『暗黒界の魔神 レイン』が、気が触れたかのように哄笑した。
 親ガリウス派の墓守はほとんど無傷のようだが、長がやられた段階で傍観に回り、それは実質反逆と大差ない。

「勝つためならいかなることでもするか。第一次元の人間らしい考え方だ。まったくもって素晴らしい。反吐が出るくらいにな! 悪魔という人間が用いた括りの中にいる我らでは到底及ばんよ」
 悪魔という言葉を創ったのは人間だ。
 悪魔は恐ろしい、悪魔は人を襲う、悪魔は邪である。
 それらのイメージは、人が、自らよりも醜い存在がいると信じたいがために創られたものだ。
 自分より劣っている点を見つけ、優れた所を無視して汚い名を付ける。
 そのような格付けを特に好む第一次元の人間は、精神発達が未熟で、しかし召喚機構を使いこなす全世界の脅威である。
 異世界戦争への介入、その口実を与えてしまったのはおそらく。

「ラビエルよ、貴様の言っていることは間違っていない。だが……下手に刺激すればこうなると、私は何度も忠告した――!」
 苦虫を噛み潰したようにレインが怒りと嘆きを混在させて言う。
 第一次元への侵略行為こそ、介入の原因だと考えたのだろう。
 しかしそれは間違っている。

「そうだな、事の発端は貴様らガリウスにある。第一次元の人間を拉致したことこそ、本当の過ちだ」
「な……まさか……!?」
「あれのどこが、と思ったか? そうであれば、結局はお前も現実を知らず、ただ責任転嫁するだけの屑だな。言っておくが、俺はそいつらの暴走を食い止めようとしているんだ。非難される謂れはない」
 暗黒界の悪魔の驚きは止まない。
 それ以前に、何を言っているのかすら把握できていないようだ。

「……どういうことだ。第一次元にも穏健派と過激派が存在しているのか……?」
「それを知ってどうする。お前の命運は此処で尽きるというのに」
「貴様……! 自ら手を下さずモンスターを使役しておいて、そのようなことを言うのはどの口か……!」
「さあな。大体その括り方自体が狭いことこの上ない。第一次元についての無知を晒しているだけだ。M&Wレベルの魔法の使い方も直線的で、まるで味がなかった。あの程度で対等に立ったつもりか?」
「く……何を言おうと、貴様が墓守共を野望のための駒にした事実は変わらぬ! 確かに脅威ではあるが、貴様の言うM&Wの力など大言壮語に過ぎんのだ!」
 言うなれば、M&Wについて巧は戦略兵器、片やレインは戦術兵器としての価値を見出している。
 その対立は無理からぬことだと巧は思う。M&Wには装備魔法という魔法のカテゴリが存在し、それを以って己の能力を強化できるのだから。ガリウスは政治を通さずいきなり戦士がM&Wに触れたため、特にそういった傾向が強い。
 他方人間はただのモンスターの使役者であるが故に、モンスターの強化をデュエルの勝利という最終目的に向けての手段の一つとして捉えているに過ぎない。強化魔法で自分自身を強化することは不可能だからこその思考といえる。自然、使用する魔法は除去のように場を荒らすものや、強化であっても全体強化を図る類がよく使われる。

「ああ――そういえば、お前はローレイド側の闇天使を信じずに本国へ送ったそうだな」
「それがどうした……?」
 間をおいて発せられた、唐突で不可解な問いに、ふんと鼻を鳴らして答えるレイン。
 挑戦的な、肯定の証だ。

「直接話してないなら聞いてないよな、闇天使の編成について。この次元にはほとんど生息していないらしいから失念していたのだろうが――――こっちには空軍がいる」
「!?」
 どうやらそれだけで気付く程度の戦術眼はあるらしい。だが、遅すぎる。
 報告すらない所を見るに、瑠衣とヴァルキリアは本当にただの一兵も逃がさず完全に討ち果たしたようだ。

「墓守の民は囮にしたが、犠牲にはしていない。城門が突破されようとしているとの報告を受けた時、お前は無意識下でこう思っていた筈だ――――城門を突破することこそ外部から進入する唯一の方法である、と。しかしそれこそがこちらの狙い。城門突破に力を入れている時点で、それより遥か以前にこちらの部隊が敵陣奥深くまで侵入しているとは思わなかっただろう」
 図星だったようで、悪魔は悔しげに唸る。

「“瞬間移動”した主力部隊は、中空にひしめくヴァルキリアの部隊に一網打尽にされているだろう。一矢報いることさえ許す気はないんだ、残念ながら」
 感情を込めずに告げ、そして。

「『炎の剣聖』、召喚」
 真紅の刀を持つ長髪の男が、巧に背を向けて現れる。
 この場における敵――レインを見据え、自然体に刀を構える。

「ガリウス駐留軍の将『暗黒界の魔神レイン』、お前には捕虜としての価値もない。手足を削ぎ臓物をひっくり返し脳髄を焼き切るような、人間らしい醜く残忍で残酷で悪意に満ち満ちた殺し方を教示してやりたいのは山々だが、あいにく俺もそこまで暇じゃないんだ。だから死ね、一太刀でな」
「舐めるな!!」
 威勢よく悪魔が立ち上がり、その勢いだけを以って机と椅子を吹き飛ばした。
 いつの間にかその手には三又の槍が握られており、こちらは大きく動作を付けて威嚇する。
 とはいえ、その得物はM&Wにおける『レイン』のカードイラストに描かれている武装と同じもの。剣士と睨み合う悪魔を巧はさらに観察するが、不可解な装備品を着けている様子はない。
 部屋の照明が落ちているとはいえ窓はあり、そこから陽光も射し込んでいるため『闇』の恩恵も受けられない。

「いけ、『炎の剣聖』」
 声を張り上げる必要はない。
 ただ無表情に無感動に一言命じるだけでモンスターは起動する。
 剣士のロングコートがばさりとはためき、召喚主である巧にも追いきれない速さで悪魔に肉薄する。
 対して悪魔は三又の槍を突き出して牽制。咄嗟の危機意識による本能的なものだが効果はあり、払って再び斬撃に移ろうとしていた剣士に、悪魔は暗黒の魔力球を宿した左掌を捻じ込む。
 剣士に回避も防御も行える隙はない。

「『亜空間物質転送装置』」
 巧の脇に出現した白の機械から光が照射され剣士を包むのは、悪魔の左手よりも早い。空振りに終わった闇の気孔を解除し、即座に全方位への警戒へと切り替える。ここで召喚主である巧を注視しながらも、狙う素振りを見せないのはプライドか、はたまた巧を警戒しているのか。
 
(だが、それ故に背後への警戒が僅かに薄い!)
 それを声に出してやるほど巧はお人よしではない。
 亜空間より帰還した剣士は刀を鞘に納めていた。剣速を限界まで高める抜刀の構え。
 陽炎のようにその姿が揺れ、しかし次の瞬間、神速の居合いはレインの槍によって防がれていた。
 刀は三又によって絡め取られ、押し引きならぬ状態にある。
 ――それが、右手。
 伸ばした悪魔の左手には暗黒の球体が肥大化を始めている。
 巧の方を向けているところを見るに、どうやら離れた場所にも撃てるらしい。

「逃がさんっ!」
「こっちの台詞だな」
 暗黒の球体が、破裂した。
 それと同時に、悪魔が断末魔と紛う程の叫び声を上げる。

「な――がぁあああああっ!」
 球体だけではない、その一瞬で悪魔の左腕全体がひどい有様へと変貌していた。ところ構わずだらだらと血を流し飛沫させ骨がひしゃげ折れ曲がって肉を突き破り焼け爛れた掌の中央が大きく抉られている。
 激しい熱はつんざくような鋭い痛みへと昇華して、悪魔の腕が力なくだらりと下がる。内側からの火傷と歪み折れて割れた骨で肩肘が膨れ上がり、重力に任せてもなお、あらぬ方向を向いていた。
 
「何を……したっ……!?」
 息も絶え絶えに、槍で身体を支えつつ巧を問い詰める。
 答える義務はないが、さすがにここまでくれば勝敗は決している。

「愚かだな。一対一、いや、俺も含めて一対二の戦いだとでも思ったか?」
「……!?」
 レインが大きく目を見開いた。
 その視線は巧ではなくさらに後ろ――司令室の扉にある。
 何かが貫通し、その周辺に焦げた跡。

「『だから死ね、一太刀で』。その真意は、『炎の剣聖』、そして“俺”に注意を惹きつけることにあった。剣聖だけへの惹きつけだと思ったのだろうお前は、予想通りろくに戦闘力を持たない俺なんかを馬鹿みたいに警戒してくれた。それが狙いだとも知らずにな」
 扉の外に配しているのは『炎帝テスタロス』。その攻撃方法は加速と熱で鋼鉄の塊をも突き破る火炎の弾丸、メテオライフル。
 全ての流れを計算していたわけではないが、敵に想定外の一撃を与える手段としてあらかじめ召喚はしていた。

「今度こそ終わりだ。やれ、『炎の剣聖』」
 首を獲るのを目的とした斬撃。
 しかしその瞬間、悪魔は途絶えそうな意識を覚醒させ、巧目掛けて大きく跳ねた。
 斬撃は悪魔の背を掠めたが、致命傷には至らない。
 残った右腕に手にした槍の狙いを定め、かわそうともしない巧に渾身の一撃を落とす。
 自然落下による速さと体重を乗せた決死の一突きは――――届かない。

「ククク、今忠告してやったばかりだろう。『ろくに戦闘力を持たない』なんて信じるなよ。確かに俺の運動能力、個人戦闘力はたいしたことないが、“戦力”はあるんだ。身を守るための豊富な魔術や罠も、俺の戦闘力とは無関係に存在する」
「ぐうっ……」
「『聖なるバリア−ミラーフォース−』。たった一人を殺すために広範囲型戦術兵器を使ってやったこと、光栄に思うんだな」
 透明なシールドが、巧の周囲を覆っている。
 シールドの特性は指向性の逆転。鏡のように、物理攻撃もそれ以外のものも跳ね返す。弧を描くシールドは物理的な意味で“反射”するため、ブレスのような攻撃であれば拡散し、それが広範囲型たる所以である。M&Wでは抑止力として扱われることもあるため、そこを考慮すれば戦略兵器でもあながち間違いではないが、異世界においては個人、あるいは2、3人を覆い隠すのがせいぜいなので戦術兵器との判断を下していた。
 三又の槍による一撃は、当たれば巧はもちろん、上級モンスターをも仕留められるほどの威力を誇っていただろう。だが、シールドを破るには足りない。
 レインの外傷は増えていない。槍が弾かれたところで穂先が刺さるわけではないが、しかし跳ね返された突きの指向性は体内の柔な臓器を崩壊させており、それは吐血という形で表れる。
 呼吸すらままならないところを見るに肺の一つも潰れたか。赤く染まった吐瀉物は止まる気配がなく、放っておいても長くあるまい。
 だからこそ――――『炎の剣聖』は静かに首を落とす。 
 巧はこういう光景に言い知れぬ愉しみを見出す人間ではなかった。さっさと息絶えればあそこまで苦しむこともなかったのに、結局一太刀入れることすらできずに果てた。
 別段熱い勝負に興味はない。ただ、わざわざ第一次元の人間と理解した上で挑んでくるとなれば、何か策があるのではと期待した。
 第一次元の人間を脅威と思っているなら、それを打ち破る何かを備えていると思っていたのに。
 空振りだ。どう対処してくるか学んでおきたかったから少し泳がせ煽ったが、あそこから行動を起こすことはまず不可能だ。興味が失せた。

「ガリウスの将が皆この程度なら、手助けなどいらないかもしれんが――」
 否。巧の目的は佳乃を連れ戻すこと。ガリウス打倒は口実に過ぎない。
 もうすぐ佳乃に会える。あの時の罪を償える機会が到来する。
 それまでの生活を捨て、沙理亜の計画などに組み込まれながらも、ようやくここまできたのだ。
 闇狩りに所属し、カードプリベンターの協力を得て、連れ戻す公的な理由も手にした。
 墓守の里をこうして解放し、ガーデアの戦力と闇天使を実質的な支配下に置いた。
 それらの“手段”は、ほぼ完遂し、あとは第十二次元に戻って報告と“交渉”をするだけ。
 しかしまだだ、まだ喜ぶには早い。

「しくじるわけには、いかない―――!」
 断固とした意志を糧に、目前に迫った“その時”に向け、巧は無人の司令室を後にした。







 午前9時57分。
 墓守の里ネクロバレーを巡る戦いは、ガリウス軍が推定開戦時刻と定めた時を待たずに闇天使、墓守レジスタンスの勝利に終わった。
 接点がないはずの彼らを結びつけた第一次元の兄妹に関する記録は、墓守の歴史書には残されていない――――。




 6章 千年魔術書防衛作戦





第一次元 エジプト






 獏良と健は特別国防局を後にして、イシズが用意したと思われる小型車に、案内されるままに乗った。
 今朝特別国防局の前でたむろし、獏良らを襲撃してきた永瀬沙理亜率いる組織の構成員は、現在はいないようだった。彼らは健でも一蹴できる程度のデュエリストだったが、あれはどちらかというなら獏良を倒すためではなく、『闇狩り』の動きを掴んでいるというメッセージ的意味合いがあったのだろう。
 車は信号待ちなども含めて、30分ほどで目的地に着いた。
 『千年魔術書』は意外にも、都心部に隠されているらしい。
 とはいえ、妥当な選択か。
 文化財に指定されそうな遺跡に隠して、呪術で防衛するのも決して悪くはない。そういう呪術的なものは周囲の環境によって効果に差が出るからだ。原理を完璧に把握しているわけではないが、やはり機械に囲まれた空間とでは、効果は比ぶべくもない。
 しかし今回の敵は呪術的防衛を無力化する人、あるいは物を所有している可能性がある。
 ゆえに中途半端でも、機械と呪術の双方から防衛線を敷く方が効果的なのだ。
 無駄に機械化された銀色の外観を持つ眼前の施設は、周辺の民家と変わらない程度の大きさだったが、それ以上に隙のない直方体がその異様性を完全に肯定していた。丁度、昔のテレビゲームに出てくる民家のようだ。

「逆に周辺の家が本命だと思わせるため……って言っても、ここまで怪しいと、踏み込まないわけにはいかないよなあ」
 健が施設を見て、あまりのあからさまさに引いていた。
 確かにそのように騙すならば、ドアノブに手をかけたときに首を捻らせるような、ちょっとした違和感が望ましい。
 だが獏良は、健のその思考に辿り着かせることが狙いと知っていた。

「こっちだ」
 施設は他の民家と同じように塀で覆われ、庭もある。
 獏良は入り口で唸っている健を、庭の一区画へ呼んだ。
 
「え? ここに何が……あ! そうか――」 
 健は自らの考えが間違った方向へ進んでいることに気が付き、即座に修正する。

「施設は、地上にはないんですね?」
「正解だよ」
 砂に埋もれたスイッチを掘り起こした獏良はそれを踏む。
 すると地面の一部がスライドし、鉄製の階段が姿を現した。
 まだ建造されて1ヶ月もない施設と聞いていた通り、砂はほとんど階段に入り込んでいなかった。
 健は勿論、獏良もこの地下に直接足を踏み入れたことはないが、彼らは書を守る側であって奪う側ではない。それでも、自然と歩みは慎重になる。
 一分ほどで階段は終わり、短い廊下の先には扉。
 イシズに渡されたカードを脇にあるリーダーに通すと電子音と共に扉が開いた。
 中はデュエルコートになっていた。

「……まあ、そうだよな」
 健が曖昧な顔を浮かべていた。

「どうかしたのかい?」
「いや、ちょっと。……例の娘は地下に閉じ込められてたんです。助けを求めようとせず、彼女にそんな気はなかったでしょうが、研究員の秘密を守っていた」
「書を守ることについて、疑問があるなら聞くよ」
「そういうのじゃないです。まあ、敢えて聞くならば、まだ任務中の福利厚生について説明を受けていなかったような気がしますね」
「それなら、こっちだろう」
 デュエルコートには、入ってきたものと、向かいに一つ、それと左側の壁にノブ付きの――いかにも職員用の――計3つ扉があった。
 獏良が案内したのは3つ目の扉。『関係者以外立入り禁止!』の張り紙こそないが、用途は火を見るより明らかだ。

「……! で、中はこれですか」
「ははは……。そうみたいだね、リシド」
 日本人が居住することを前提に造られたような2DK。地下ということで窓はないものの、3点ユニット等も完備され施設自体の新しさも相まって、生活環境としては決して悪くない。
 リビングと思われる室内では、浅黒い肌の屈強そうな男がテーブルにカードを並べていた。
 どうやらデッキの調整中だったようだ。
 カードの割合は、やはり紫が多い。

「む。獏良了か」
 来客に気付いた男は顔をそちらへと向ける。その左半分には刺青がある。

「へえ、また第一回バトルシティの本線出場者ですか」
 そう言う健に、リシド=イシュタールが不審そうな眼差しを向ける。

「久しぶりですね。っと……、彼は桐沢健。“最後の一人”です」
「そうか、ならばいい。詳しい説明は――」
「僕がしておきます」
「助かるよ、ありがとう」
 勝手に話を進められていくのに耐えかねたのだろう、獏良とリシドの話が終わると、健がすぐに食いついてきた。

「えーと、色々訊きたい事があるんですが……」
「だろうね。まずは書を守護するシステムについて話しておこう。
 現在、『千年魔術書』は機械、魔術の双方から防衛されている。まあ、でも機械の方に特段話しておくべきことはない。
 そして魔術による防衛、僕達はこの“儀式”システムの要になるんだ」
「つまり、デュエルで勝てと?」
「そうだ。3人のチームによる勝ち抜き戦。最後に立っていた方が勝利という、至ってシンプルなものだよ」
「そのシステムに絡め取られたデュエルは、『闇のデュエル』にならないんですか?」
 いくらまともな余暇制度が整えられていても、余りに死亡率が高い任務では意味がない。書を奪い合うだけといえど、世界の危機を招くこともあるような代物では、実際に殺し合いにある可能性の方がむしろ高い。

「この戦闘システムは、三千年前のエジプトで神官達が己の力を高めるための修練に活用していたものなんだ。王の立ち合いの下で行われ、時に王は優れた力を示した神官に褒美を与えることもあったという」
「なるほど、その褒美が『千年魔術書』にあたるのか」
 その思いつきはどうやら的を射ていたようで、獏良は少し目を丸くした。

「うん、契約で拘束することもできながら、あくまで修練であるため命の奪い合いにはならない。『闇狩り』はこういう――闇の力を安全に活用する方法も模索しているんだ。そしてこれはつい一昨日に完成したばかりで、今までの研究成果で最も有効な、名付けて非殺傷設定の模擬戦(話し合い)システムだ」
「システムのルビ……おかしくないですか?」
「いや、これで合っている。模擬戦とは、指導でもあるからね」
 『闇の力』は幻想を現実にする。それは単に虚構に実体をもたらすだけでなく、意思を力に変えるような使い方もできる。故に、口約束に実効性を与えることもまた不可能ではない。
 つまるところ不慮の事故でもない限り、命を落とすケースというのは、敵組織が質量兵器による武力行使に出てくる場合だけということになる。
 あまりに出来過ぎていて、獏良に乗せられているだけではないかという危惧はある。しかしこの件に関しては、ずぶの素人である健に真偽を確かめる術などないのだ。

(結局、一番確実なのはデュエルに勝つことか……。)
 すでにこの時点で、健には最も簡単で、そして困難な結論に行き着くしか道は残されていなかった。



 非殺傷設定の模擬戦(話し合い)システムは、『闇の力』を極めて限定的に活用した、3on3で行われる勝ち抜き戦の賭けデュエル機能である。
 それをこの場所に当てはめると次のようになる。
 地下にはデュエルフィールドが3つあり、各部屋につき1人、『千年魔術書』防衛にあたる人間が立ち塞がる。対して奪取を狙う者たちも3人のグループを組み、1人ずつ突撃させる。
 ここで重要なのは、3人一斉に入るのはデッキや戦術が明かされることによる不利を補うために禁止されている点だ。
 攻勢側は、この場所さえ見つけてしまえば圧倒的な数的優位、動かない対象物と、いくらでも器用に立ち回れる。
 肉体を失い機械的に任務を遂行する魂だけの守護者ならまだしも、獏良らは生きている人間だ。何十回も連続でデュエルを続ければ疲労し、思考能力は鈍り、手札事故も起こるし、食事、睡眠なども取らねばならない。
 そのため―――獏良は卑怯を覚悟で、ただ3人に勝利しただけでは奪えないようなプログラムをシステムに組み込んでいる。これにより、例えば時間をおかない波状攻撃もまた無意味と化している。
 お互いに万全かつ対等な条件で、正々堂々と打ち破らなければ『千年魔術書』まで辿り着くことはできない。
 これらの条件は当然、敵側には明かしていない。それが卑怯たる所以だが、戦いとは元来そういうもの、つまり騙し合いだ。
 大軍を底なし沼に誘い込む準備はできている。
 1人目の守護者の部屋で、獏良はそう考えていた。
 3人の守護者―――獏良、健、リシド。その配置順は、獏良、リシド、健となっている。
 健もそこまで腕が悪いわけではないが、やはり獏良やリシドよりは落ちる、数合わせ感は否めなかった。彼をどこに配置するかが最大の問題だったわけだが、まさかの『暗黒騎士ガイア』を主力に据えるというインパクト、コンボが決まった際の展開力、破壊力は、最後の一人というだけで相手に与えるプレッシャーを加味すれば、最高の初見殺しとなろう。
 獏良とリシドのデッキもある意味初見殺し、シングル戦に向いた構築だが、似たような戦術を使う者は少なくないし、そこそこ名のあるデュエリストであるため、研究されているかもしれない。
 ああ見えて仕事はきっちり果たす律義さはあるようだし、3人目に配して仮にそこまで到達されたとしても、裏切りはすまい。



 
 『闇の力』を用いながら、命懸けではないシステム。その存在を『闇狩り』構成員は知らなかったが故に裏切った。
 憎しみはない。憐れみはある。罪悪感は――最も強い。
 獏良は彼らを贖罪の道具として利用しただけで、手を差し伸べようとはしなかった。
 正しい使い方もあると主張しながら、獏良は彼らを心の奥底では信用していなかったのだ。だからこのシステムの研究が進んでいることを明かさなかった。
 本当の意味で目的を共有することは不可能だと考えていたから。
 彼らは『闇の力』の被害者で、自分は被害者でありながらも加害者だった。
 そのことを、見抜かれていたのだろうか。
 だから裏切られた?
 獏良は無意識でありながらも『闇の力』を行使し、多くのものを傷つけてきたから?
 それは――違う。
 話さなかったからだ、それを。自らが加害者だと打ち明け、理解を得ようともしなかった、本当の原因はそこにある。

 以前『闇狩り』に、当時まだ中学生の少年が入隊を申し出てきたことがあった。
 特に年齢制限は設けておらず、腕も確かだったので、獏良は入隊を認めた。
 『闇の力』が関係した事件の関係者で、欠落を抱えない者などほとんどいないという背景もあった。
 そんな人間に社会常識やややこしい法律を叩き込もうとしても無駄だ。彼らは皆、自分の内に眠るどす黒い感情に従って何かを為そうとする。
 少年も例外ではなかった。
 彼が調べていたのは“異世界”。自律した思考を持つ“デュエルモンスター”。
 イシズ・イシュタールとのコネクションを持つ獏良は、それらについての話も聞かされていた。
 しかしその事情を少年に明かすことはなかった。
 少年は誰よりも精力的に『闇狩り』中を駆け巡り、異世界に関する情報を求めた。
 獏良に直接尋ねて来たことも一度や二度ではない。
 だが、何も言わなかった。何も言えなかった。
 くだらない理由だとは思う。それでも“デュエルモンスター”は、エジプトの国家機密だった。
 『闇狩り』に見切りをつけたのだろう、彼はいつの間にかいなくなっていた。
 なぜ教えてあげなかったのだろう?
 機密が何だ。
 『闇狩り』とはそういう――ある意味では超法規的な性質さえも備えていたのに。だからこそ、少年は『闇狩り』を頼ってきたというのに。目的を果たせるのなら、どんなに厳しい条件をつけても二つ返事で承諾しただろうに。
 その頃からだった――『闇狩り』の活動に疑問を感じてきたのは。


 1年半後。
 少年は妹を救うため、グールズ残党の情報を提供しに再び海馬コーポレーションにやって来た。
 彼は明らかに獏良を避けて行動していたが、とうとう救出作戦成功後にその後ろ姿を確認した。
 海馬コーポレーションのエントランス。見事なまでに『青眼の白竜』だらけだ。考えてみれば海馬瀬人の『青眼の白竜』への盲目的な執着やオカルト嫌いも、ある種の欠落なのかもしれない。
 そのことについては封印するにしても、何を言うべきなのか分からなかった。それでも何とか呼び止める。

「……永瀬君」
 立ち止まったが、返事はなかった。

「妹さんが見つかったようだね、本当に良かった」
 社交辞令的な挨拶。しかしこれにすら、彼は敏感に反応する。

「……そう、思うか?」
「え―――?」
 予想外の反応だった。
 海馬コーポレーション傘下の組織から離れた少年が再びその力を借りに来た。
 それはつまり、別のどこかで情報を得て、これから目的を為そうとしているということ。
 前は何もできなかった分、今回はと思い、獏良は依頼を受けるように進言した。
 その甲斐もあってか、海馬コーポレーションは彼を支援し、妹の救出に成功した。
 それが目的なのだと思い込んでいた。
 しかしそうではなかった?
 まだその行動は、手段でしかなかったというのか。

「お前は、俺が何を調べていたのか知っている筈だ。異世界だ、異世界。潰れかかっていた犯罪組織じゃない」
「なら、君は……」
 一体何のために?
 そう聞こうとした。
 だが少年は遮り、獏良に罵声を浴びせる。

「黙れよ。貴様は知っていたな、エジプトに異世界への門があると!」
「そうか、自分で突き止めたんだね」
 あまり驚きはしなかった。彼ならば、自分が話さずとも到達するだろうという予感はあった。
 それは結果として彼との間に深い溝を作ってしまったが――しかしその責任は彼ではなく自分にある。

「お前には何度も質問したよな。異世界について知っていることがあれば教えてくれと。だが、何も言わなかった」
「………」
「分かってるさ、機密だろ。けど、それで納得するようなら、そもそも『闇狩り』に入ろうなんて誰も思わない。確かに研究環境は素晴らしかったさ。あの女が残した眉唾物ばかりの資料より何倍も役に立った。だがそれだけだ。
 お前はあの空間でたった一人、異質な人間だったよ。日常の高みから俺たちを見下ろして悦に入っているだけの、自己保身に長けた臆病者だ。『闇狩り』の中でお前だけが、とっくに皆が望んでいるものを――くだらない日常を取り戻しているのに、それでいて最も苦しんでいる振りをしていた」
 今更指摘されずとも、気付いていたことだ。
 けれどそこからの脱却を果たしておらず、何も言い返せなかった。

「別にそれが悪いとは言わない。お前も何か思いつめているからこそ、あんな組織を作ったんだろう。だがな、俺やあの連中はお前の精神安定剤じゃないんだ。それは分かってもらいたい」
「うん、反省しているよ」
 更なる責めが続くか逆上があると予想していたが、それはここで終わり、いよいよ本題に移ってくる。
 
「まあでも、どんな理由であろうとメンバーが抱えている問題に向き合っていたのは確かだ。だから―――俺もお前を信用して、目的を明かすことにする。ただし今回は、機密なんて逃げは許さない」
「……分かった。最善を尽くそう」
「最善を尽くす? それじゃあ駄目だ。お前には、お前が抱える最悪の力(・・・・)で、最悪の選択(・・・・・)をしようとも、全力を尽くしてもらいたい」
 直接その名を口にしないものの、意味は理解できていた。
 最悪の選択――こればかりはする気はないものの、せずとも彼の望みを達成する自信はあった。
 故に獏良は、首を縦に振る。
 
「いいだろう、ならば答えてもらう。御影佳乃という少女のことは知っているか?」
「……いや、すまない」
「異世界に渡った人間の噂もか?」
 獏良は瞠目して、逆に訊き返す。

「……それじゃあ、君が異世界に拘っていたのは……」
「そのためだ。尤も、前に聞いた段階では、まだあいつはこの世界にいたらしいが…とにかく佳乃について知っていることがあれば、どんな情報でもいい、教えてくれ」
 とはいえ、この件に関しては獏良の情報も断片的なものである。
 彼を満足させられるような情報は、ついぞ提供することはできなかった。
 とはいえ、これは彼もあまり期待していなかったようで、今後の調査と言う形で収まりがついた。
 
「それともう一つ――俺は今、永瀬沙理亜の行方を追っている」
「……どういうことだい? 君の母は何年か前に亡くなったと聞いているけど」
「その辺りはさすがに言えないな。ただ、少なくともその名を騙る奴が存在し、組織立って動いているのは確かだ」
「じゃあこれも捜索、ということでいいかな?」
 それは妥当な落としどころのつもりだったが、少し逡巡した後、彼は拒否する。

「……その必要はない」
 そして、要望を続ける。

「一度でいい、『闇狩り』の活動計画をM&Wの裏世界に出来るだけ広く――喧伝してくれ」
「な………!?」
 ただの捜索の方がまだマシだ。
 それでは、獏良個人の問題ではなくなる。
 『闇狩り』全体の行く末を巡る、絶望的な戦いになる。

「その危険が分かっているのか!? M&Wの裏社会には、『闇の力』を利用しようとするカルト教団なんかも多数存在している! いくらなんでも、それら全てを同時に相手取るなんて不可能だ!」
 思わず怒鳴ってしまったが、彼の要望はそれだけの重大さを備えていた。
 簡潔に意訳すれば、『闇狩り』に潰れろと命じているようなものだった。
 しかし当の巧はどこ吹く風である。

「さて、そんな屑みたいな組織が果たしていくつ残っているかな……? まあ、それにしても裏世界全体は行き過ぎだったな。童実野町一帯――俺の見立てが正しければ、それで奴らは釣れる」
 M&Wの聖地とまで言われる童実野町には、基本どの組織も最低一人は間諜を放っているように思う。彼の言はそれを見越してのものなのだろう。
 ようやく気付いた。結局の所、永瀬巧は『闇狩り』も獏良のことも、本心では嫌っているのだ。
 彼にとって『闇狩り』はまさしくただのエサ。利用するだけして、ボロ雑巾のように捨てる駒。
 直接的な原因が何かは分からない。だがきっと根源的なところで、『闇狩り』の在り方は彼の嫌悪に触れるものなのだろう。

「獏良了、お前が自分から『闇狩り』を捨て切れないと言うなら、俺が代わりに壊してやる。俺の見立てでは、奴らは『闇狩り』に非常によく似た思想を持っている。リーダーのお前がそんな状態では、吸収合併されるのが落ちだ。故に――潰し合ってもらう。これ以上規模が大きくなれば、手が付けられなくなるんでな」
 自分勝手な暴論なれど、理には適っている。
 獏良は―――確かに迷っていた。
 まともに研究が進んでいるとは言い難い問題についてより大きな影響力を持ち得るには、過激とも取れる強烈なリーダーシップも時には必要である。
 相手組織の考え方を掴めていない以上、その時点で既に『闇狩り』は圧倒的に不利だった。
 それでも獏良は、敢えて問う。

「『闇狩り』は、その組織に勝てるかな?」
 間髪入れずに、巧は酷薄な笑みを浮かべて言い放った。

「滅びてしまえ」



 2週間後、『闇狩り』は仕事で出向いた先で永瀬沙理亜が率いる組織と遭遇、交戦した。奇妙なことにそれ以外の集団は一切現れなかった。
 沙理亜『闇の力』について、これまで獏良が考えてもいなかった視点に踏み込み、『闇狩り』構成員に寝返りの誘惑をかけた。
 結果、事前の工作によるものも含めて半数近くが裏切り、残りのメンバーもほとんどが無力化され、『闇狩り』は壊滅した。
 『闇狩り』が崩壊したのは、それはそれで良かったのかもしれない。あの欺瞞に満ちた組織運営を続けていても、遅かれ早かれ反乱やストライキが発生していただろう。ならば扇動者の存在は、獏良の罪悪感を和らげることに他ならない。離れていったのは扇動者のせいだと考えることができる―――できてしまう。
 しかし、だからと言って獏良が持論を曲げるつもりはない。『闇の力』は、決して悪用ばかりされるものではない。正しい使い方をすれば、より人の生活を豊かにすることもできる。
 まだ拙いものではあるが、『闇狩り』は沙理亜の組織との立ち位置を明確にし、新たな道へと踏み出しつつあった。




 そしてそれを伝えるべき相手が今、地下への階段を下りてきているのを、獏良はデュエルフィールドの脇に備え付けられたモニター越しに確認した。
 防衛を始めて3日目の、夜明け前だった。丁度アシュートにおいて、デュエリストとデュエルモンスターが最初の大規模戦闘を行っている時間。
 おそらく永瀬沙理亜の手の者だろう。
 童実野高校の制服を着用した少女一人だけ。手には大きめの学生鞄。不意の襲撃を恐れているのか、表情はかなり不安げだ。
 だが、このことから危惧を抱かなければならないは、むしろ獏良の方だ。
 この戦いにおける隠しルールの一つ――大群を引き連れての波状攻撃は禁止――が筒抜けになっていることを予測しないわけにはいかなかった。
 まさかここで多勢に無勢ではなく少数精鋭を選択してくるとは。悪い夢を見ているようだ。
 そして一つの隠しルールがバレているなら、他の条件も知られている可能性は高い。
 間もなく、少女は律儀なことに扉をノックしてきた。
 これに対して獏良は何らアクションを起こさない。
 うん、開けてやる義理はない。
 こういう場面でわざわざ開けて正々堂々とデュエルをし、敗北した守護者のなんと多いことか。
 侵入者を倒す以前にそもそも侵入者を寄せ付けない仕掛けを用意すべきなのだ。――この地下施設はいとも簡単に見破られてしまったが。
 デュエルフィールドの壁には扉の開閉スイッチが一つ。そして上着のポケットに仕込んである、いわゆる万能スイッチ。どちらも使うつもりは毛頭ない。
 デュエル以前の段階で悪戦苦闘する少女。学生鞄の中からハンマーや絶妙な曲がり具合の針金を取り出すものの、流石にその程度で開くようなセキュリティではない。
 少女は諦めたようにふぅ、とため息をつき、そして鞄の中から最新モデルのノートパソコンを取り出した。
 扉の脇にはカードリーダーがある。
 その蓋は10秒足らずで外してケーブルを差し込み、パソコンと繋ぐ。
 
「え、何であれ、最初から使わなかったんだろう?」
 獏良は目を瞬かせるが、少女の表情の変化から察するに―――ただの趣味だろう。
 針金で挑戦する姿は妙に生き生きしていたが、今はつまらなさそうだ。
 少女は稀代のハッカーというわけではないらしく、パソコンと一緒に取り出した紙の手順通りにキーを操作していく。打ち込むのも決して早くはないが、パソコンをいじり始めておよそ20分後、とうとう第一の妨害はあえなく陥落した。
 こうなってしまえば、もうデュエル以外での決着は望めない。

 堂々とした態度で、少女がデュエルフィールドへと進み出る。
 それだけを見るならば敵組織の幹部クラスとして遜色ない印象だが、獏良は彼女がここに到達するまでの過程で喜怒哀楽の感情を率直に示す様子も監視カメラ越しに確認している。
 心を動かすのは容易ではないだろうが、少なくとも話がまったく通じない人形というわけでもあるまい。
 意思を持ち、表すことのできる人間である。
 そこだけ分かれば十分だ。
 自らの意思で組織に付き従っているという可能性は高く、説得は容易ではないだろう。
 しかしあくまで獏良の第一目的は少女の心変わりではなく、書の防衛。デュエルに勝利するために精神的優位を確立することは、決して無駄ではない。
 
「……獏良了」
「高原みのりです」
 高原という名字には覚えがある。
 『アムナエルの書』争奪戦において殿を務め、獏良と一戦を繰り広げた男も高原と名乗っていた。
 まず間違いなく関係者だろう。年齢からすると親子だろうか。
 だがそれは――この場では不要な情報。
 男の方と戦った際には獏良が勝利したが、過去語りをするような因縁になったわけでもない。彼女が名前以上の個人情報を漏らすとは到底思えなかった。

「何か言っておくことはあるかい?」
「まだ遺言なんて言うつもりはないです」
 『闇狩り』は『闇の力』を制御して、彼女の組織は『闇の力』を滅ぼして、それぞれ平和を実現しようとしている。
 しかし向こうからして見れば、『闇の力』を用いている時点でこちらは悪なのだろう。
 いや、単純に悪事を働くならばまだいい。
 『闇狩り』は『闇の力』の正しい使い方を模索している。これが実用化されれば、『闇の力』が悪という思想に疑問を抱く者も現れよう。
 この組織が『闇狩り』を必要以上に敵視しているのはそういう理由だ。
 ならば永瀬沙理亜には誤算がある。『闇狩り』は非殺傷設定の模擬戦(話し合い)システムを完成させている。彼女は遺言と口にしたが、それはつまりこれから行うデュエルを、命懸けの『闇のデュエル』と解釈しているということ。
 だがこれは、彼女個人に直接言うべきことではない。環境とタイミングを見計らい、できれば敵上層部の前で明かすべきだ。
 永瀬沙理亜がそうしたように。
 
「そうか。なら、始めよう」
「異存、ありません」
 獏良と少女がデュエルディスクを展開し―――。

「「デュエル!!」」



  獏良了 LP4000
高原みのり LP4000



 ジャンケンは獏良が勝利し、先攻を選択する。理由についてはもう要るまい。

「僕のターン。手札から『封印の黄金櫃』を発動する」
「その戦術――聞いていた通りですね」
 まだ除外するカードを選択していない段階で高原みのりは言う。
 やはり高原真吾と何らかの関わりがあるのだろう。

「『ネクロフェイス』を除外。効果によりデッキトップから互いに5枚、ゲームから除外する」


 獏良 デッキ 35→30
みのり デッキ 35→30




封印の黄金櫃 通常魔法
自分のデッキからカードを1枚選択し、ゲームから除外する。
発動後2回目の自分のスタンバイフェイズ時にそのカードを手札に加える。


ネクロフェイス 効果モンスター
星4/闇属性/アンデット族/攻1200/守1800
このカードが召喚に成功した時、
ゲームから除外されているカード全てをデッキに戻してシャッフルする。
このカードの攻撃力は、この効果でデッキに戻したカードの枚数×100ポイントアップする。
このカードがゲームから除外された時、
お互いはデッキの上からカードを5枚ゲームから除外する。



「カードを3枚セットし、ターンエンドだ」
「私のターンです」

みのり デッキ 30→29

 みのりはドローしたきり黙り込み、手札と伏せカードを何度も見比べる。
 まずこれで、全体伏せ除去はないと考えられる。
 彼女の除外されたカードの中には『ハリケーン』があった。つまり『大嵐』はまだ眠っているということになる。
 そして、他に除外されたカードから―――。

「『六武衆の結束』を発動します! そして『六武衆―ヤイチ』を召喚。『六武衆の結束』に武士道カウンターを乗せます」
 彼女のデッキは六武衆だと分かった。
 弓を手にして、日本風の鎧兜を纏った戦士が出現する。



六武衆の結束 永続魔法
「六武衆」と名のついたモンスターが召喚・特殊召喚される度に、
このカードに武士道カウンターを1個乗せる(最大2個まで)。
このカードを墓地に送る事で、このカードに乗っている武士道カウンターの数だけ
自分のデッキからカードをドローする。


六武衆―ヤイチ 効果モンスター
星3/水属性/戦士族/攻1300/守 800
自分フィールド上に「六武衆−ヤイチ」以外の
「六武衆」と名のついたモンスターが存在する限り、
1ターンに1度だけセットされた魔法または罠カード1枚を破壊する事ができる。
この効果を使用したターンこのモンスターは攻撃宣言をする事ができない。
このカードが破壊される場合、代わりにこのカード以外の
「六武衆」という名のついたモンスターを破壊する事ができる。



「さらに私は『六武衆の師範』を特殊召喚!」
 続いて出てきたのは刀を持った隻眼白髪の老戦士。



六武衆の師範 効果モンスター
星5/地属性/戦士族/攻2100/守 800
自分フィールド上に「六武衆」と名のついたモンスターが
表側表示で存在する場合、このカードは手札から特殊召喚する事ができる。
このカードが相手のカードの効果によって破壊された時、
自分の墓地に存在する「六武衆」と名のついたモンスター1体を手札に加える。
「六武衆の師範」は自分フィールド上に1枚しか表側表示で存在できない。



「これにより武士道カウンターを追加。そして『六武衆の結束』の効果により、このカードを墓地に送って2枚ドロー!」
 六武衆デッキにおいては無制限の『強欲な壺』とでも言うべきカード。カウンターは比較的簡単に貯まるが、発動までのタイムラグを突かれて『サイクロン』や『砂塵の大竜巻』を受けることも少ないくない。
 だが今の獏良の手で、このドローは防げない。



みのり デッキ 29→27



「まだです。『六武衆−ヤイチ』の効果! 私から見て左のカードを破壊します!」
「その効果にチェーンし、対象となったカード、『異次元からの埋葬』を発動する! 『ネクロフェイス』、『首なし騎士』、『死霊伯爵』の3体を墓地に戻す!」



異次元からの埋葬 速攻魔法
ゲームから除外されているモンスターカードを3枚まで選択し、
そのカードを墓地に戻す。



「バトルフェイズ! 『六武衆の師範』でプレイヤーに攻撃――!」
「永続罠、『死霊の盾』! 墓地のアンデッド族または悪魔族モンスターを除外することで攻撃を無効にする」



死霊の盾 永続罠
相手モンスターの攻撃宣言時に発動する事ができる。
自分の墓地のアンデッド族または悪魔族モンスター1体をゲームから除外することで、
相手モンスター1体の攻撃を無効にする。
このカードが破壊された時、ゲームから除外されている
自分のアンデッド族または悪魔族モンスター1体を墓地に戻す。

 

「アンデッドか悪魔……。そういうことですか」
「墓地に送られた『ネクロフェイス』を再度除外。互いにに5枚のカードを除外する。そして、除外された中にもう1枚『ネクロフェイス』があるため、もう5枚の除外だ」



 獏良 デッキ 30→25→20
みのり デッキ 27→22→17


「っ――。カードをセットしてターンエンド」
 まだ最初の攻防が終わったばかり。しかし両者のデッキは初期の半分を割っている。




獏良  LP4000
  手札2枚
  場 死霊の盾、伏せ1枚
    デッキ 20枚

みのり LP4000
  手札4枚
    場 六武衆−ヤイチ、六武衆の師範、伏せカード1枚
    デッキ 17枚    




「僕のターン」

 獏良 デッキ19枚

 手札を一瞥した獏良は一つの決断を下す。

「伏せカードオープン。『闇次元の開放』」
 “それ”こそが獏良に罪悪感を抱かせていた最大の元凶。
 獏良は“それ”をいつの間にか持っていた。
 闇の人格の悪しき遺産。
 使うつもりはなかった。
 なのに気がつくと自分は“それ”をデッキに加えていた。加わっていた。だから獏良のデッキは41枚だ。
 どうしてかは分からない。しかし紛れもない現実だった。
 獏良は決意する――“それ”を使わないことで身の証を立てよう、と。
 その案はこれまでの所、成功していた。
 “使わない”というのは召喚しないとの意味ではなく、エンドカードにはしないということである。
 だがそんな緩い条件でも、度々そうなりかけることがあった。
 それなりの能力はあるとはいえ、時代が進むにつれて相対的な強さも落ちてきているのに。
 1枚しか入っていないのに。
 何故か“それ”は獏良の戦術において、常に中核を担い続けてきた。担わされ続けてきた。

「除外されているカードの中から……『ディアバウンド・カーネル』を特殊召喚する――!!」




闇次元の開放 永続罠
ゲームから除外されている自分の闇属性モンスター1体を選択し、
自分フィールド上に特殊召喚する。
このカードがフィールド上から離れた時、
そのモンスターを破壊してゲームから除外する。
そのモンスターが破壊された時このカードを破壊する。


ディアバウンド・カーネル 効果モンスター
☆5 闇属性 悪魔族 ATK1800 DEF1900
このカードが戦闘で相手モンスターを破壊し墓地へ送った時、
破壊したモンスターを装備カード扱いとしてこのカードに装備できる。(最大1体まで)
このカードの攻撃力は、装備したモンスターカードの攻撃力の半分の数値分だけアップする。
1ターンに1度、このカードの効果で装備しているモンスターを墓地に送ることができる。





 かろうじて人型の上半身と大蛇のような下半身。
 全身は濁った白で大理石のよう。
 その比喩は単に色だけでなく皮膚の強固さをも示している。
 頭部の形状は人と異なるものの、顔だけならばまだ人の姿を保っている。
 それは醜悪ではなく――しかし凶悪で、命を奪うことに抵抗はないだろう。
 歪んではいない。ただひたすらに、真っ直ぐに、ディアバウンドは邪悪だった。
 求めるべき神も思想もなく、破壊だけを実行し続ける。
 それは破壊であると言われて、ようやく自分の行為を表す言葉を知り、また破壊と意識せずに破壊を繰り返す。
 白とは無垢。無垢とは残酷。
 白は何色にもなれる。
 故に全てを取り込み、全てを己が物とすることができる。神と意識せずに神の力さえも得る。
 破壊という根源だけを残し、世界の一切のものが破壊のためだけにある。
 それがディアバウンドだった。

「……そのような魔物を使役しておいて、『闇の力』を正しく使う? よくもそのようなことが、ぬけぬけと言えるものですね」
 少女の顔にさっと怯えが入り、次の瞬間には恐怖を隠した嘲笑を浮かべる。

「ディアバウンド、話には聞いていますよ。それ自らが『闇の力』を内包していて、その攻撃は闇のデュエルでなくとも実体化する。危険なことこの上ないです。こんな力を用いて――結局あなたも力に溺れているだけなんですね」
「そんなことはないよ。ここで宣言しておこう、ディアバウンドはエンドカードにならない。いや、させないと」
「……無意味な約束です。この戦いは契約に実効性を持たせるために、『闇のデュエル』にしている筈。私が負ければどのみち命を落とすことになるんでしょう」
 このフレーズに獏良は目を細める。
 必要な言質は取れた。やはり敵組織はこれが命を懸けた『闇のデュエル』だと思い込んでいる。
 となると、首領自らの出陣は期待しないほうがいいだろうか。それとも、一人のデュエリストに挑戦権は一度しかないと見抜き、組織最高の実力者として早い段階で打って出てくるだろうか。
 ――どちらにしても問題はない。彼らとの戦いはこのデュエルだけで終わる。
 デュエルの勝負がついた時、両者ともに生き残っていれば、少女はどのように考えるのか。
 おそらく、このデュエルは『闇の力』が関わっていない――契約に強制力のないただのカードバトルと解釈するだろう。
 この施設は囮、千年魔術書は別の場所に隠されている、と。
 そうなればここの安全は保障されたも同然だ。
 獏良の真の狙いはそこにある。

「ディアバウンドでヤイチに攻撃する――!」
 白の魔物は両手の間に空間を作り、闇の力を蓄える。
 その収束は周囲の風の流れをも取り込み、旋風の球を形成する。
 

 ――デス・スパイラル!!


 荒れ狂う闇の旋風は魔物の意思一つで竜巻と化し、弓を持つ戦士へと突き進む。
 戦士は矢を番えて応戦するも、矢は竜巻にぶつかるとたちまち木屑に分解されてしまう。
 しかし竜巻を受けたのは白髪の老戦士の方だった。

「『六武衆−ヤイチ』の特殊効果! 『六武衆の師範』を墓地に送り、破壊を無効にします!」
「……攻撃力の低いヤイチを残したか。でも、超過ダメージは受けてもらうよ」



 みのり LP4000→3500



「う……く……」
 そして少女はわずかに呻き声を上げる。
 このデュエルでは、ライフが0になることと死は同義ではない。
 とはいえ、『闇の力』はこの空間に充満しているため、ダメージの実体化は行われる。

「カードを1枚伏せ、ターンエンドだ」
「っ……ドロー!」

 みのり デッキ16枚

 少女の手札はこのドローで5枚。デッキの半分が除外されているとはいえ、あの物量だ。まだまだ気は抜けない。
 ただ、少女は少し冷静さを失っている。
 デッキ破壊との対戦経験の少なさか、あるいはヤイチを前にして堂々と伏せカードを出したからだろうか。

「『六武衆−カモン』を召喚します! 効果を発動し、『闇次元の解放』を破壊! これにより――」
「ディアバウンドは除外される」
 白の魔物は断末魔を上げ、全身が一瞬にして砂になる。



六武衆−カモン 効果モンスター
星3/炎属性/戦士族/攻1500/守1000
自分フィールド上に「六武衆−カモン」以外の
「六武衆」と名のついたモンスターが存在する限り、
1ターンに1度だけ表側表示で存在する魔法または罠カード1枚を破壊する事ができる。
この効果を使用したターンこのモンスターは攻撃宣言をする事ができない。
このカードが破壊される場合、代わりにこのカード以外の
「六武衆」と名のついたモンスターを破壊する事ができる。



「さらにヤイチの効果発動! その伏せカードを破壊します!」
「リバースカード、『異次元からの埋葬』!」
「!!」
 雷に打たれたように、表情を硬直させる少女。
 無理もない。少女は完全に獏良の戦略にはまっている。

「戻すカードは『ネクロフェイス』2枚と『ディアバウンド・カーネル』だ」
「あ……そんな……」
 肩を震わせ、今にも泣きそうな少女に獏良はさらに追い討ちをかける。

「残念だけど、この状況は君のプレイングミスによるものだよ」
「え……!?」
「カモンの召喚時、君は優先権を行使してカモンの効果を発動した」
「それの、どこが――?」
 部屋に入ってきた時の余裕や落ち着きは、完全に鳴りを潜めている。
 敵である獏良の指摘に、素直に耳を傾けるほどに。

「召喚に成功した段階で、起動効果を使えるという、優先権の解釈は間違っていない。だけどそれは召喚したモンスターだけに及ぶルールじゃない。カモンの召喚に成功した段階で優先権を行使すれば、ヤイチの効果を発動することもできた」
「――――!」
「この間違いは、初心者でなくてもする人は多い。だけど六武衆を使っているのなら、逆に真っ先に学んでおくべきことだ」
 このタイプのデッキと戦い慣れている者なら、『死霊の盾』は危険だとすぐに分かる。
 だが仮に初心者でも『異次元からの埋葬』を見てからなら、除外ギミックと攻撃力1800程度のモンスター、どちらがより脅威かの判別はつく。それはすなわち、破壊する順番を間違えたということを意味する。
 泣きこそしないが、完全に少女は押し黙ってしまった。
 ということは、やはり“そう”なのだろう。

「そのデッキの本当の持ち主は誰だい?」
 びくりと肩を戦慄かせる。
 十分な答えだ。
 永瀬巧、戦いの前に彼のことを思い浮かべたのは運が良かったとしか言いようがない。
 彼が探していた少女、御影佳乃が使っていたのは、六武衆。
 『闇の力』が関わる事件というのは、何故だかM&W関連の事件とほとんど同義であるため、人探しが目的の場合、使用デッキやカードというのは、とても有力な参考資料になるのだ。
 では、獏良と戦っている少女が佳乃なのかと問えば、それは違う。
 御影佳乃は1年前に電池メンデッキでイシズ・イシュタールを打ち破り、異世界へと向かった。
 資料を見る限り、少なくとも容姿の面では、どちらが御影佳乃かは明らかだ。
 そしてその際に彼女は、本当のデッキは自分の手にないと言ったそうだ。
 火事で燃えたと考えるのが普通だ。
 しかしそうではなかったら?
 内々に回収され、別の誰かが使っている可能性は?

「わたしが……このデッキを使いこなせていないとでも言うつもりですか?」
「そこまでは言ってないよ。でも、自覚はあるみたいだね」
「う……」
 デッキとしての完成度は高い。除外したカード群を見ると、まともな殴り合いにもっていかなくて良かったと思う。
 しかしいくらデッキが優れていようと、プレイングがついていかなくてはどうしようもない。
 獏良のデッキ破壊ギミックは『ネクロフェイス』に集約されている。そのことは獏良の除外しているカードを見れば一目瞭然だ。ならば優先的に処理すべきは、永続罠で命を保たれている不安定な魔物ではなく、除外能力を搭載している『死霊の盾』である。
 少なくとも獏良ならそうした。

「命の保障はする。もう、諦めるんだ」
「………」
 少女は俯いて表情を隠し、両手をだらんと下げた。
 それからもう一度上げ、右手をデュエルディスクに装着されているデッキの上に――――かざさない。
 デッキに手が当たる寸前でぴたりと動きを止めた。
 少女はその手を、肩を、震わせながら何かを呟く。
 ――サレンダーを封じるための暗示だろうか?
 まずそう疑ったが、勢いよく顔を上げた少女の眼は、理性を吹き飛ばしかねないほどの怒りに燃えていた。

「そうだ……そんな筈ない……。私が、あんな女に劣っているなんて、絶対に――――ないっ!!」











 高原みのりはやや内向的ではあったが、ごく普通の女子高生だった。
 普通に友達付き合いをして、試験前だけ勉強して――――普通に恋もしていた。
 同じクラスの男子生徒。
 中学のときから同じ学校で、しかしまともに話したことはない。
 きっかけは覚えていないが、相当長く続いている。
 ただ、告白する気はなかった。いや、出来るわけがない。
 自身の勇気がどうこうの前に、その男子生徒には、ほぼ相思相愛と言ってもいい程の幼馴染がいたからだ。
 運動神経が良くて、勉強も中の上はある。明るくて容姿もかなりのもの。常に人の輪の中心にいる、手の届かない超人。
 ほとんどが並かそれ以下の自分が到底敵うとは思えなかった。
 そのスタンスは、突然その少女が行方不明になったとしても変わらない。
 チャンスが巡ってきた、という考えに罪悪感を覚えない程度に、みのりはその男子生徒が好きだった。
 それでも、敵わない。
 男子生徒が幼馴染に向ける想いからすれば、みのりの恋など、ちょっとした憧れに過ぎなかった。
 そう、思い知らされた。
 まだ中学の半ばと言えど、それまでに築き上げてきた生活スタイル、家族や友人との関係、それらをことごとく踏みにじってまで捜索に励むなど、みのりには真似できないだろう。それほどに彼の変貌は凄まじかった。
 彼は集団の中で浮くようになったが、しかしそれでみのりの感情は変わることはない。

 高原みのりは、一途な少女だった。 
 同じ頃、みのりの家庭環境も大きな変化があったのだ。
 それは、父親の蒸発。
 ある日突然、ぷっつりと行方を眩ました。
 その時は父を多少恨みもした。
 だが、そこで母が取った行動はみのりを幻滅させるに十分な威力があった。
 母はみのりを養うため、という言葉を盾にして男漁りを始めたのだ。
 プロデュエリストなど汚らわしい職業だ、収入も安定しない、無理やり付き合わされた。毎晩のように誰とも知れない男の下へ通い、みのりに対しても父への不満をぶつけた。
 同意を求めるように。
 自分の行動を正当化するために。
 暴力こそ振るわれないが、親子関係は当然のように荒む。
 再婚相手の子供の扱いなど、相場は決まっている。だからと言うわけではないが、態度で反対の意を示してきた。
 だがその程度でやめるようなら、最初から通ってなどいないだろう。むしろ頑なに拒絶する度に母の行動はエスカレートしていった。
 母はあんなに金遣いが荒かっただろうか。狂ったようなブランド好きだっただろうか。下卑た笑いをするようになったのはいつからだ。化粧が濃くなったのは。言葉遣いが荒れたのは。
 父がいなくなってからだ。一体どこに行ってしまったのか、怒りたい気持ちもある。それでも母のあの変わりようは度を越えていた。不可抗力な事情だったなら父が不憫でならない。
 みのりは一つの決心をする。
 私は母のようになりたくない。あんな心の汚い女には、絶対にならない。
 何年だろうと、同じ人を好きでい続けてみせる、と。

 結局母はみのりの高校入学に合わせて再婚した。
 鬱屈とした家庭環境を背負って通わせてもらっていると思うと、気分も重くなる。唯一の救いは、みのりが好きな相手も同じ高校だったことぐらいか。相変わらず彼は浮いていて、学生をしていることにすら煩わしさを感じているような雰囲気を放っていた。みのりのことはおろか、クラスメイトの誰にも興味はないのだろう。
 しかしみのりの目にはむしろ好印象として映る。どのような背景があるかは知らないが、彼もまた一心に、あの幼馴染のために行動しているのだ。それはつまり、みのりの信念と同じということ。同じ価値観を持っていたからこそ惹かれたのだ。
 もし彼が簡単に別の女に乗り換えるような軽薄な男だったなら、きっとここまで思いを募らせることはなかっただろう。

 入学式の日の帰り、バス通学であるみのりは最寄りのバス停で中学の頃からの友人と別れて降りた。
 その日はみのりの心中を察したかのような重い雨で、傘を開こうとしたとき、誰かに見られているような気がして辺りを見回した。
 近くにいたのは傘を差した男が一人。傘の角度のせいで顔は見えない。
 ただ、みのりは少しその男に違和感を覚えた。そう――どうしてバス停の屋根の下にいるのに傘を差しているのだろう。まるで顔を見られたくないかのようだ。

「……みのり」
 一瞬、時間が停止したように感じられた。
 そこまで極端な感覚はほんの僅かだったが、しばらく時の流れが緩やかになったような気がした。
 男は唐突にみのりの名を呼んだのだ。
 自分の名前を呼ばれたことには驚いた。
 だがそれ以上に、みのりはその声に聞き覚えがあった。
 私はこの声を知っている。久しく聞いていなかった、でも、間違いなく何度も耳にしたことのある声。ほんの些細な発音の癖に至るまで、完璧に理解している。
 
「お父さん――」
 それ以上は言葉が続かなかった。
 高原真吾。みのりの実の父親。絶対にそうだ。背丈も目の前の男とほぼ同じ。
 ゆっくりと、男が傘を上げた。

「え……!?」
 それは確かに父だった。だが、思わず目を背けてしまう。
 痛々しくて見ていられない。
 父――高原真吾の身体には全身に暴行を受けた跡があった。髪はぼさぼさで、頬は腫れ、眼鏡も割れている。雨のせいでよく見ないと気付かなかったが、服も汚れていた。

「どうしたの、それ!?」
 思わず駆け寄り、口をついて出てきたみのりの問いに父は答えず、逆に一つの質問を受ける。

「母さんは、再婚したんだね?」
「っ………!!」
 まさか、それじゃあ、その傷は……。
 だめだ、訊けるわけがない。父は何とかして平静を装っているのに。
 代わりに、

「そうだよ」
 とだけ、抑揚なく答えた。
 それからしばらく沈黙が続いた。雨の音と湿気だけがこの世界を支配していた。
 時折風が吹き、真新しい制服に雨がかかる。
 何か言わないといけない。何か。
 再会したら聞きたいことは山ほどあった。でもいざ会ってみると、浮かんでは消える、その繰り返し。
 やがて父が先に重い口を開いた。

「私と共に来ないか?」
 唐突に提案されて頭の中が真っ白になった。
 それの意図するところが分からない。
 確かにこうなってしまった以上、父はあの家に帰ることはできない。
 みのりもこんな状態の父と再会して、大嫌いな家に帰りたくない気持ちが一層強くなった。
 これはみのり自身の未来の姿。表立って反抗すれば、みのりもこうなっていたのだ。
 確かに、現在の親に愛されていないぐらいは、父に見抜かれたかもしれない。
 でも、どうしてそこでみのりを誘える?
 あんなにも強い意志を宿した眼で。
 普通なら路頭に迷ってもおかしくない状況。しかしそれに付き合えというわけでもあるまい。
 これではまるで、別の生き方をとっくに見つけているようではないか。

「……何があったの、あの日?」
 父、高原真吾が姿を消した日。
 M&Wのプロリーグは1部から3部までがあり、その試合に勝てば1部リーグへの昇格が決まる筈だった。
 2部以下の試合は基本的にテレビ中継などされないため、母と共に海馬ドームまで見に行った。
 その頃みのりは好きな男子生徒がM&Wに長けていると知った直後で、父のプレイングを学ぼうとわくわくしていた。
 だが、一向に現れない。
 その日、父はデュエルリングに立つことはなかったのだ。
 当然相手の不戦勝。
 家族ということで関係者通路に入れてもらい、控え室へ。
 そこにも姿はない。逆にスポンサーに尋問され、怒りをぶつけられる始末だった。
 確かに母の変貌は見るに耐えないものだ。
 だが、事の次第によってはネガティブの極地で母側を選択することになるかもしれない。
 そして、言った。高原真吾は真実を包み隠さず、みのりに話した。

「あの日は……父さんの中の価値観が、全て粉々に否定された日だ。みのり、もしM&Wのモンスターが生物として生きている異世界があると言ったら……信じるか?」

 その日を境に、みのりの生活もまた、劇的な変化を迎えることとなる―――。




7章 闇の魔物(ディアバウンド)
 




 みのりは“デュエルモンスター”についての話を最初は真っ向から否定した。
 大真面目に頭のネジが飛んだようなことを言っている父を哀れにすら思った。
 しかしそこで提示された数々の証拠と、そして。
 みのりの同級生の少女――“彼”の幼馴染もこの件に関わっているという言。
 嘘だと思っていても、確認しないわけにはいかなかった。
 同じ土俵に立つためには、そうするしかない。
 
 組織の支部は世界各地に点在していたが、みのりの活動拠点となったのはI2社日本支部である。
 童実野町の隣町にあり、運良く放課後に通える程度の距離だった。
 主な活動は『闇のアイテム』の破壊。
 超常が絡んでいるとはいえ、何度か現場に同行する内に、現実に即した対応であることは知れた。
 のめり込むようなことはなかったが、それでも間違った行動ではないとの確信はあった。

 そうして、危険の少ない後方支援の任務にも慣れてきたある日、みのりが所属する部隊は壊滅した。
 標的は、火山性ガスで全滅した廃村に逃げ込んだ、『闇のアイテム』の持ち主。
 闇のアイテムはいつも通り、回収次第可能ならば破壊。持ち主は殺害せよとの命令だった。
 みのりや他のメンバーによる不備ではない。ただ単純に、デュエルの実力の差。
 最後に残ったのも、運。
 たまたま腰が抜けて、その上を『闇』が通過してくれただけ。
 最後の生存者であるみのりに対して、敵が直接『闇』に喰わそうとせず、デュエルディスクを展開したのは気まぐれか、はたまた必然か。

 そのデュエルについて、みのりの記憶は曖昧だ。
 デュエルを始めたところまでは覚えている。ヒトと呼んでいいのか分からない――しかしかつては人だったのだろう――異形と対峙し、圧倒的な恐怖に潰されそうになり……それから後はどうなった?
 理性が吹き飛んだ状態で肉体と精神の限界を超えて戦い、満身創痍で倒れたのだろう、デュエルの勝敗すら記憶になかった。 
 黒い靄がかかっており、次にはっきり意識を覚醒させたのは病院のベッドの上。
 ただ――報告は受けた。
 高原みのりは本作戦における、唯一の(・・・)帰還者である、と。

 みんな……みんな消えてしまった。
 ガリウスに拉致された最初期のメンバーであるナハトさん。
 部隊の指揮官でもあり、実力も確かだった。それでも敗北という結果は覆らない。
 一年前から組織にいた先輩で、組織について丁寧に教えてくれていた香央里さん。
 彼女の役割はみのりと同じ後方支援。最後まで逃げていたのは彼女とみのりで、本当にどちらが生き残ってもおかしくはなかった。
 入隊した時期はほぼ同じにも関わらず、早くから幹部候補として活躍し始めていた浜岡さん。 
 彼のプレイング理論はいつも参考にさせてもらっていた。
 死と隣り合わせの環境だとは聞いていた。理解していたつもりだった。
 でもやはり、失わないと見えない世界もあるのだ。
 思い知らされた。彼ら自身の、消失を以って。

 それからしばらく打ちひしがれ、学校も休んでいたが、ある時ふと思い当たった。
 “彼”が変貌を遂げたのは、この思いを味わったからではないだろうか。
 しかも彼が失ったのは幼馴染。入って間もない組織の戦友とは、悔しいがレベルが違う。
 何年も想い続けていたのだとすれば、その喪失感はみのりの尺度では測りきれないだろう。
 とはいえ、喪失感の程度の大小は問題にはならない。
 自分の身の振り方にかまけていて、ほんの少しだけ忘れていた。
 同じ境遇の者として、みのりは彼の力になれる。
 目的が幼馴染の少女だとしても構わない。同じ境遇にある者として、共に戦えるのならそれで。
 いずれ、どちらがより自分のことを想っているのか、分かってくれるだろう。

 打診すれば受けてくれると確信を抱いていたみのりだったが、しかしてその行動自体が止められた。
 理由は明白。
 組織の長の名をそれまでみのりは知らなかった。
 ――“永瀬”沙理亜だったのだ。
 その上で彼が組織に加わっていない、それはすなわち意図的な隠蔽であることを意味する。
 これに関しては、父でさえ味方してはくれなかった。
 逆に追放をちらつかせられる始末である。
 一連の流れは父や組織への疑念を抱かせたが、みのりは幸いにして組織の情報収集力を冷静に分析できたので、真実を伝えて共に逃亡するという行為が彼を危険に晒すだけで、しかも自分は足手纏いになると理解していたためその選択肢は取らなかった。

 代わりにみのりは組織内での立場を高めることに心血を注ぐ。
 彼のため、いつか裏切ることになった時、その背中を守れる力は付けておきたかった。そしてそれだけの才もみのりは有していた。
 部隊が壊滅したった一人だけ生き延びたあの時以来、みのりはプロデュエリストの娘の肩書きに相応する――いやそれ以上のデュエルセンスを開花させ、組織で着実に頭角を現していった。
 部隊長、そして幹部への道のりはこれまでのみのりの人生と比べると、驚くほどあっけないシンデレラストーリーだった。
 この仕事の死亡率は並ではない。基本的に『闇のゲーム』の罰を受けて昏睡したり消滅した敗者は、ゲームの仕掛け人が滅びることによって蘇るが、それとは無関係に発生する“ヒト”の脅威は、又別に存在する。『闇』そのものに喰われただけなら正確にはまだ無事だが、『闇』によって異形と化した者の爪、牙、その他の武装によって臓腑が引き裂かれ頭蓋が砕けたとしても、それらは単なる外傷に過ぎず、仕掛け人の滅びで癒えるわけではないのだ。
 みのりはある意味で上司に恵まれなかった。赴く先々で彼らは敵によって次々に命を落とし、その度に帰還したみのりは位が上がっていった。亡き上司が倒せなかった敵を討ち果たして帰ってくるのだから、理に沿った昇進ではある。
 全ては“彼”のため、その根源だけは忘れることはなかったが、立場や実力の向上とは裏腹に、他人の死や犠牲に対して無感動になっていった。尤も、そうならなくては果てなく続く戦いの中で心が壊れていただろう。そしてみのりはそれを一切自覚することなく、ただ彼と並んで戦えるだけの力が身に付いていく己が身に充足すら感じていた。 




 全てが順調に回り始めたと思い始めた頃、ついにみのりは組織の中で最も話をしたかった人物と邂逅した。
 学生という身分に到底合わないオフィスビルの廊下で2人の少女は真っ向から対峙した。

「組織の人?」
 胡散臭そうに“彼”の幼馴染である少女が問うてくる。
 端正な顔立ち。硬質な美貌。若干14歳で後者の表現が似合う者は稀だが、みのりと相対している少女はその数少ない例外である。短めの髪とさばさばした挙動は少年のようだが、ゆったりした服の上からでも女性と知れる体つき。正直悔しいが、そこは不可抗力なので深く考えないことにした。
 
「ええ、高原みのりといいます。あなたは私のことなんて知らないと思いますけど、私はあなたをよく知っています」
 とりあえずは是が非でもこの女にみのりの存在を刻み付けねばならない。
 本質的には敵なのだから、多少印象が悪くても構うものか。

「だったら、名乗らなくてもいい?」
「是非名前を聞かせて下さい。私は高原みのりです」
 人に名を訊くときはまず自分からということぐらい、当然に理解している。これは敵味方以前の常識だ。
 とはいえ、これだけ敵意を剥き出しにしているのにまるで動じる様子がない。
 アウトオブ眼中を地で行っているようだ。
 やはり彼にこの女は相応しくない、とみのりは思う。
 “彼”の好みを否定することはなく、常に相手の少女側に問題があると即断する。

「御影佳乃」
 その名に、その容姿に、そのスペックに、以前ほどの脅威と劣等感は生じない。
 曲がりなりに、みのりにも他の人と張り合えるものができたからだろうか。

「何か用? なければ仕事に行きたい」
「そうですね。唐突にじろじろ見たりしてすみません」
 素直に道を譲る。
 しかし最初はこれでいい。 
 この時の目的は顔見せに過ぎなかった。


 数日後、2人は再び同じ場所ですれ違う。
 この時は、お互いに一言も口を聞かず、ただ通り過ぎていった。
 嵐の前の静けさ。台風の目に入ってすぐの、ほんの一時的な天候の回復。


 そして、3度目。また同じ廊下で。それまでの2度も含めて、全て偶然による出会いだ。
 少なくとも、みのりは御影佳乃と話すための時間をわざわざ割こうとはしなかった。
 他のメンバーに彼女のことを訊いて回ったりもしない。滞在期間は彼女の容姿ならば、嫌でも未成年群の話題に上っていた。
 裏工作などしていては、負けを認めているようなものだ。
 逆に、あの女の時間を奪う。そういった覚悟で以って、みのりはこの対話に臨んでいた。

「これから仕事がある。どいてくれない?」
 道を塞ぐように立つみのりに、特大級の不快感を漂わせる御影佳乃。

「その仕事とやら……学校に行かないでまで、するべきことなの?」
 それはみのりの立場からすれば妥当な質問だった。
 みのりは現にこうして学校と組織の活動を両立させ、末席ながらも幹部に名を連ねている。
 能力の差は言い訳にはならない。佳乃の方が圧倒的に上である。

「……意味が分からない。あたしが学校に行かなくて、あんたが困る理由でもあるの?」
「私じゃないよ。ただ、あなたに会いたがってる人がいるんじゃないかって話」
「ああ…そういうこと」
 たったそれだけで、みのりが言いたいことを察したようだ。
 緊張を解き、息が詰まりそうな殺意を崩す。
 しかしその行動は、みのりの怒りを殊更に強くした。
 御影佳乃にとって彼はその程度の存在なのか。命を懸けてでも守りたい世界に、彼の姿はないのか。
 
「で、それがどうしたの? 別れを告げろとでも言いたいわけ?」
「自覚はあるんだ、それだけのことをしているって。だったら、早くしてきなよ。彼、寂しがってた」
 みのりの言に対して、佳乃は鼻で笑う。

「冗談。巧はそんな奴じゃない。あいつはあたしの足跡をきっちりたどって来てくれる。案外先回りして待ってるかもな」
「そんな希望的観測で振り回して、何とも思わないの!」
「希望じゃない、確信だ。あたしは永瀬巧を信じている。今は別々に歩いていても、いずれ道は交わる。これまでそうならなかったことなど一度もない」
 それは――おそらく事実だ。みのりが知る限り、2人が組んで成し遂げられなかった事など一つとして思い浮かばない。
 絆という言葉ですら軽く感じる強い信頼。自分と彼との間に生じることはないであろう、御影佳乃の切り札。
 彼女はそのことを誇示するどころか、諦めを促すような響きをも消し去っていた。そのような態度を取れば、みのりに無用な怒りを抱かせると佳乃は理解していた。
 眉一つ動かさず、揺るぎない真実としてそびえ立つ絶対的な壁。
 そもそもの立ち位置からして違うのだ。東ドイツ生まれの人間が民主主義に憧れるようなものである。
 しかしみのりとて、はいそうですかと退くわけには行かない。諦める理由にはならない。みのりからすれば、壁はもう壊れている。
 この場で重要なのは、今の彼なのだから。
 その点において、間違いなく勝っているのはみのりだ。
 見ているこちらが絶望をしてしまうような状態を分かって放置するなど、考えられないことだった。

「違う……! 彼はあなたのために自分を壊そうとしているのに。あなたの行為はただの丸投げよ、信じているなんて体の良い言い訳じゃ、私は誤魔化されない!」
「そうかもな」
 自らの非を認めるような発言に、みのりは拍子抜けした。
 しかしその口調は変わらず淡々としており、そのまま反論に移る。

「でも、あたしが決別なんて告げたら、それこそあいつは生きる意味を失うかもしれない。いいのか、それで?」
「え………!?」
 完全な盲点だった。
 そうなのだ。みのりの考えは、ありのままの彼を受け入れること。
 そこには彼の気持ちが佳乃に向いていても構わないという面もある。
 だが、佳乃が生きている限り彼は決して諦めず、みのりの手を借りずに事を進めていくだろう。
 そして彼の能力と執念では、そう遠くない内に到達するのは見えている。
 みのりは、しかしその再会は阻止したい。御影佳乃という女が彼の傍にいるのは、自身が持つ最大限の客観的視点をもってしても容認できそうになかった。
 だから――みのりは目標を佳乃と彼を会わせないことと定めた。
 “彼”の邪魔をするのは気が引けるが、佳乃ならば呵責はない。
 佳乃が彼のことを忘れ去っているなら良いが、もし今でも彼を想っているのなら妨害していく必要がある。
 結果はそれ以上に最悪だった。彼の気持ちを理解していながら、探させておけばいい、信じているなどとのたまった。
 彼に相応しくない、どころではない。この女は、彼と同じ空気を吸う資格(・・・・・・・・・)さえも欠如している。
 この考えを彼に知られれば怒りを向けられるだろう。あるいは殺されるかもしれない。
 それでも別に構わない。好きな人の手に掛かって死ねるなら本望だ。
 理解される必要はないが、決して自己満足とは思っていなかった。
 だが、激昂するのではなく、生きる気力をなくしてしまったら――?
 どちらの可能性がより高いかを考えると、明らかに後者だった。
 その危険にはっとして、みのりは息を詰まらせた。

 攻め方を理論武装に変えた佳乃の策は当たっていた。そうでなければ堂々巡りが続くだけとの判断は、正しかった。
 みのりの考えの矛盾を一瞬で論破し、想い人の思考を読むという意味でも上を行った。
 純粋な格の違いを見せつけ、勝利した。
 何も反論できないみのりに、変わらぬ口調で告げる。

「……もう、いいよ。それが絡んでくる根拠だとしたら、筋違いも甚だしい。話は終わりだ。ありがとう(・・・・・)
「何のつもり……? お礼なんか、言われる筋合いはありません」
 必死で強気を装うが、佳乃にはまるで通用しない。

「あいつが今どうしているか、教えてくれた。お前の曲解は含まれているがな」
 その言を耳に入れた瞬間、みのりの心にさらなる衝撃が走った。
 みのりはこの日の邂逅を通じて、御影佳乃に宣戦布告をしたつもりだった。
 少なくとも一連の対話がどういう意図によるものかは、向こうも理解しているはずだった。
 彼を巡るライバル。そこまではいかずとも、のうのうとしていれば奪われると危機感を示してくれるものと思っていた。
 それをこの女は―――みのりを敵とすら認識しなかった(・・・・・・・・・・・のだ。
 淡々と喋っているようでいて、佳乃の言葉の端々には彼への深い愛情が読み取れた。
 なのに奪おうとする者に対して無頓着?
 馬鹿にしている。何様のつもりだ。
 そうして、みのりの感情はおびただしい怒りと憎悪で満たされ、決壊した。 

「早く……どいて。実力行使に出るよ」
 佳乃は現代日本の法律を遵守している――のかは分からないが、みのりが見る限り武装はしていなかった。
 とはいえ、そこはみのりも同じ。であれば、単純に身体能力の差が勝敗を分ける。
 要は、この場でみのりに勝ち目はない。

「……どうして。どうしてそこまで気にかけておきながら、会いに……行こうとしないの?」
 かろうじて引き止めるので精一杯だった。
 頭の中をぐるぐると回っている“それ”を押さえつけるのに必死で、言葉が続かない。
 佳乃はみのりの横を通り過ぎ、みのりの背後で答える。
 振り向く余裕すら失われていた。
 
「何度も言ったが――仕事だ。組織の指示だけじゃない。私自身の――そう、使命――それを達しない限り、会いに行こうとは思わない。でも、そのレールの上には巧もいる。あたしが立ち止まることに意味はない」
 言い終わると同時に、足音が遠ざかっていく。 
 前回ならば、それは逃げと考えていたかもしれない。
 だが今は――感謝せずにはいられなかった。
 震える腕。拳を握り締め壁に打ち付けることで何とか鎮める。
 そしてそれとは裏腹に、とうとう頭の中で渦巻いていた言葉が口をつく。 


「御影……佳乃ォォォッ!! 殺してやる!! 殺してやる殺してやる殺してやる! 腸を抉り出してやる肺に穴を開けてやる低温の炎で焼いてやる爪という爪を剥がしてやる正座した脚に巨石を乗せてやるじわじわ血を抜いてやる!!! どんな方法でもいいィ…苦しませて苦しませて苦しませて、それから、とにかくコロス……!! コロシてやる……!!」


 ……………………






 そうしてみのりは表向き、組織の幹部としてごく普通の生活へと戻った。

 ただ、みのりは対話の時点で、一つだけ決定的な誤解をしていた。
 御影佳乃は組織の協力者であったが、組織自体に所属してはいなかった。
 佳乃の言う組織とは、仕事とは、後にも先にもカードプリベンターのことであり、そこはI2社の下部組織とはいえ営利目的の面がないわけではない。つまるところ佳乃の行動は、ほとんど中卒の就職と変わりなく、高校に通うこととの両立はまず不可能だった。

 しかしいくら仕事で忙しいからといって、せいぜい30分程度の所まで来ておきながら、顔を見せるどころか連絡の一つも取ろうとしないなど、やはり普通ではない。確信犯であることはまず間違いない。
 そう。佳乃は、望めば彼に会いに行くこともできたのだ。なのにそうしなかった。
 別にみのりは彼を自分のものにしたいわけではない。それは二の次だ。
 彼の想いの深さを知るにつけて、そこは半分諦めがついていた。
 けれど――あの女が彼を蔑ろにしているのは許せない。
 みのりは彼を見てきた。
 あの教室にいる中で、誰よりも。
 彼の想いを無下にした愚かな幼馴染よりも。
 その上で、思う。彼女もまた、彼に相応しくない存在だと。
 すでに論破はされていた。そして、そのことを敗北と理解できない程度に、みのりは破綻し始めていた。
 どのような手段を用いても御影佳乃を潰す。それが彼のためになると妄信しており、この点に関して、一度爆発させ切ったみのりは自分でも驚くほどに冷静だった。

 正面から挑戦して勝てる相手ではないことは改めて認識し、実際に話してみて新しく分かったこともいくつかある。
 彼女はあまりにも普通に――それこそ呼吸をするかのように、彼を信じている。信じ過ぎている。
 このまま行けばいずれ道は交わる――その見解がほぼ当たっていることさえも認めないわけにはいかなかったが、みのりに聞かせたことだけは失敗だった。
 彼女の言わんとすることは、つまり再会するまで特別なことは何もしないということである。
 それはみのりにとって、引き離す絶対的なチャンスに他ならない。

 それ以降、みのりが御影佳乃と出会うことはなかった。
 風の噂ではガリウス帝国の第一次元侵攻を阻止するため、異世界に行ったらしい。
 そして同じ頃、みのりは一つのデッキを組織の長である永瀬沙理亜から与えられた。
 ―――『六武衆』デッキ。
 火事の現場から沙理亜が密かに持ち出した、佳乃のデッキ。
 天啓とも言っていい。もはや何をすべきかは明らかだった。
 このデッキを使いこなすこと。
 そうだ、デッキとはいわば魂の分身。彼女のデッキを支配すれば、みのりは彼女の一部を制したということになる。
 あの女はデュエルも強かったが、彼やその妹ほど圧倒的ではない。
 まずは、このデッキを完膚なきまでに支配する。
 何度も動かし方は見ているし、簡単に回せる。みのりはそう疑っていなかった。








 だが、結果はこの様だ。
 1年以上の経験を積んでおいて、プレイングミスをあまつさえ敵に教えられるという惨状に加え、デッキの真の持ち主がみのりでないことまで見抜かれた。
 些細で大きなプレイングミス。たったそれだけの材料をどう煮詰めれば、ここまで正確に敵の胸の内を知ることができるのだろう。
 確かに彼はとうとう佳乃の行方を掴んだらしく、数日前にこの世界からいなくなった。結局のところ、組織の意向もあって、みのりは彼とほとんど話せていない。だけどそれによる動揺は、一旦心の隅に置いてきたはずなのに。
 一連の指摘は獏良との器の違いを示しているようで、どちらかといえば内気なみのりを萎縮させるに余りあった。
 
「命の保障はする」
 そう言われたからでもないが、戦う気力は尽きかけていた。
 組織の活動は間違っていないと思うが、みのりは決して忠誠心で従っているわけではない。
 このままサレンダーをさせてくれるのなら、悪しき魔物にみのりを食わせないという約束にも反しないし、さらに生き残れば、首領が言うところの『闇狩りの許されざる本性』にも疑問を投げかけざるを得ない。
 力が抜けて下がっていたデュエルディスクを持ち上げ、右手を静かにディスクへと沈ませる。
 触れるか触れないかの瀬戸際でみのりの頭に浮かんだのは、彼ではなくその幼馴染の方だった。

 そしてそれと同時に、みのりの眼に再び灯火が宿る。
 そうだ、このまま負けを認めていいのか? 今ここでサレンダーすれば、みのりは獏良了だけでなく御影佳乃にまで敗北したことになる。
 万一生き残るようなことがあれば、みのりはその屈辱をも味わい続けることになるのだ。あの女がもし異世界で死んでいたら、この敗北を刻み付けたまま挽回できないのだ。

 ――あり得ない。認められない。

 どれだけ苦しい死よりも耐え難い絶望だ。
 あのような女に、彼を託すわけにはいかない。
 みのり自身が相応しいと言い切ることはできないが、それだけは確かだ。

「ターン、終了」
 余計なことは一切口にしない。ただ怒りだけを双眸に燃やし、簡潔に続行の意を伝える。
 どれほどの手練が相手だろうと、このデッキを使っている時点でみのりにはいかなる形であれ、敗北は許されないのだ。




獏良  LP4000
  手札2枚
  場 死霊の盾
    デッキ 19枚

みのり LP3500
  手札4枚
    場 六武衆−ヤイチ、六武衆−カモン、伏せカード1枚
    デッキ 16枚    



「僕のターンだ」

 獏良 デッキ18枚

 特に表情を変えずにカードを引いたが、サレンダー寸前で立ち直られたことで動揺していないわけがない。
 彼がプレイングミスをしてくれるならこのタイミングしかあるまい。

「カードを伏せ、ターン終了だ」
 しかし、大きく場を崩すことはしない。
 堅実に、確実に、守りを固めてくる。
 とはいえ、ヤイチ、カモンの2体を擁している六武衆デッキは対ロックに優れており、しかもその両方を場に留めている今、プレイングの差はあっという間に縮まる。

「私のターン」
 みのりの表情は幾分明るさを取り戻していた。
 戦い慣れていないデッキ破壊を相手にしている以上、もはや一縷の隙も見せられないが、それでも戦局はみのり有利に傾きつつある。

 みのり デッキ15枚

「まずはカモンの効果によって『死霊の盾』を消させてもらいます!」
 赤い鎧を身に着けた戦士が、獏良の場を覆う盾に向かって火薬玉を投げつけ――ようとする。
 その動作は獏良の一言によって止められる。

「『亜空間物質転移装置』」 
 白い台座に赤のクリスタルがはまった機械装置。
 クリスタルから発射される光の照準は、弓使いの戦士を向いている。
 六武衆は複数種が並べられたときこそ本来の力を発揮できるが、無事効果が起動するには効果解決時にその状態を保たなくてはならない。
 加えて効果の発動宣言は済ませているため、不発に終わったとしても「この効果を使用したターンこのモンスターは攻撃宣言をする事ができない。」という制約を回避することはできない。正直、上手い戦術だと思う。
 だがこのぐらいはみのりでも知っているし、対策も施してある。

「なら、こっちもリバースカード、『六武衆推参』を発動です! 蘇って、『六武衆の師範』!」
「くっ……」
 1枚しかなかった伏せカードが開かれた以上、獏良の場には破壊を待つのみの盾しか残されていない。
 手札からカウンターするカードがあればまた別だろうが、どうやらそこまでは用意されていなかったようだ。
 霊気と怨念で編まれた白い結界は、老戦士の援護を得て投擲された火薬玉の爆発によってついに吹き飛ばされた。



亜空間物質転移装置 通常罠
このカードは相手ターンにしか発動できない。
相手フィールド上の表側表示モンスター1体を選択し、
発動ターンのエンドフェイズまでゲームから除外する。

六武衆推参 通常罠
自分の墓地に存在する「六武衆」と名のついたモンスター1体を
自分フィールド上に特殊召喚する。
この効果で特殊召喚されたモンスターはこのターンのエンドフェイズ時に破壊される。



「だが、『死霊の盾』にはもう一つの効果がある。このカードが破壊された時、除外されている悪魔族かアンデッド族のモンスターを墓地に戻す。これにより、『ゴブリンゾンビ』を墓地に!」



死霊の盾 永続罠
相手モンスターの攻撃宣言時に発動する事ができる。
自分の墓地のアンデッド族または悪魔族モンスター1体をゲームから除外することで、
相手モンスター1体の攻撃を無効にする。
このカードが破壊された時、ゲームから除外されている
自分のアンデッド族または悪魔族モンスター1体を墓地に戻す。



「あなたの場にカードはない――! 『六武衆の師範』でプレイヤーにダイレクトアタック!」
 たっぷりと白髭を湛えた隻眼の老戦士が、現役時代からまるで衰えぬ剣腕で獏良に斬りつける。

「く……やはり、痛みだけは本物か」
 その正しい意味をみのりは考えようとしなかった。
 今の彼女はデュエルに勝利するという目的のため、その他の雑念を自ら捨て去っていた。



獏良 LP4000→1900



「カードを1枚伏せターンエンド。これにより、『六武衆の師範』は推参の効果で墓地に戻りますが、『亜空間物質転移装置』の効力も切れ、『六武衆−ヤイチ』は私のフィールドに復帰します」




獏良  LP1900
  手札2枚
  場 なし
    デッキ 18枚

みのり LP3500
  手札4枚
    場 六武衆−ヤイチ、六武衆−カモン、伏せ1枚
    デッキ 15枚    




「僕のターン」

 獏良 デッキ17枚

 獏良了のハンドはこれで3。しかし1枚でそのターンの攻撃を全て凌ぐような、『和睦の使者』、『威嚇する咆哮』といったカードは間違いなく投入されているだろう。
 いや、“だろう”ではない。彼の除外されているカード群に目を向けると、『和睦の使者』は1枚、『威嚇する咆哮』は3枚あった。
 この除外のされ方は獏良にとって都合が悪い。
 同じ合計4枚でも、例えば2枚ずつだとしたら3枚積みされているかどうかでみのりを惑わせることが出来る。
 あるいは『和睦』と『咆哮』のテキストの違いが重要になるデッキならば話は違った。
 しかし単に相手の攻め手を遅らせるだけが目的で投入されているのなら、片方が3枚積みであればもう一方も3枚積みである可能性は非常に高い。
 
(単体で攻撃を封じる罠は、おそらく『和睦の使者』があと2枚。それに『覇者の一括』があれば最大5枚、か)

 デッキ破壊というのはワンチャンスで一気にデッキのカードを奪い去るタイプがほとんどである。
 墓地や除外ゾーンが死に札として扱われるのは昔の話。
 低速で中途半端にデッキを削れば、落としたカードを活用されてしまうだけだ。
 そういう意味では、みのりは優位な状況にあるともいえる。

「――『ポルターガイスト』を発動する」
「え……?」
 普段のデュエルではほとんど見られないカードの発動にみのりは虚を突かれた。



ポルターガイスト 通常魔法
相手フィールド上の罠・魔法カード1枚を持ち主の手札に戻す。
このカードの発動と効果は無効化されない。



「その伏せカードを手札に戻す。チェーンはできないよ」
 獏良のカードから現れた霊魂はみのりの伏せカードに取り憑き、意思など持たないはずの札を動かす。
 戻されたのは相手の攻撃を潰すようなカードではないものの、このバウンスは厄介だった。

「さらに『酒呑童子』を召喚!」



酒呑童子 効果モンスター
星4/地属性/アンデット族/攻1500/守 800
1ターンに1度、次の効果から1つを選択して発動する事ができる。
●自分の墓地に存在するアンデット族モンスター2体を
ゲームから除外する事で、自分のデッキからカードを1枚ドローする。
●ゲームから除外されている
自分のアンデット族モンスター1体をデッキの一番上に戻す。



「『酒呑童子』の効果発動。墓地のアンデッド族モンスター2体をゲームから除外し、カードを1枚ドローする。除外するカードは勿論、『ネクロフェイス』2枚だ」
「くっ……」

 獏良 デッキ17→16→11→6
 みのり デッキ15→10→5

 肉体へのダメージがあるわけではないが、歯軋りしたくもなる。
 デッキは早くも残り5枚。ギリギリまで圧縮されたといえば聞こえはいいが、向こうとてそれは理解しているはず。
 追撃のデッキ破壊手段、あるいは5ターンを耐え切る自信があるからこそ使ってきたのだろう。
 加えて『酒呑童子』を召喚した分のハンドはドロー効果で確保しており、さらにまだ1500の攻撃力が残っている。

「バトルフェイズ。『酒呑童子』で『六武衆−ヤイチ』を攻撃する!」


 みのり LP3500→3300


「ううっ……けど、この程度で私を止められると思ったら大間違いです!」
「カードをセットし、ターンエンド」
 フリーチェーンの罠は防ぎようがないため、『酒呑童子』と同じ攻撃力を有し、尚且つ永続系のカードに対抗できるカモンを残したが、肝心の六武衆が手札に来ていなかった。
 他人のデッキとはいえ使用する以上、その力を最大限に引き出すために構築は把握している。
 残り5枚のデッキの中に六武衆のカードは2枚。それをドローできれば、まだ逆転の芽はある。

「私のターン!」

 みのり デッキ4枚

「……!!」
 ドローカードは六武衆ではなかった。しかし悪い引きというわけでもない。

「君のスタンバイフェイズに『覇者の一括』を発動する」
 そう思った矢先から、ペースを乱してくる。



覇者の一括 通常罠
相手スタンバイフェイズで発動する事ができる。
発動ターン相手はバトルフェイズを行う事ができない。



「『神剣−フェニックスブレード』を発動! カモンの攻撃力はその効果により、300ポイント上昇します」



神剣−フェニックスブレード 装備魔法
戦士族モンスターにのみ装備可能。
装備モンスターの攻撃力は300ポイントアップする。
自分のメインフェイズ時、自分の墓地に存在する
戦士族モンスター2体をゲームから除外する事で、
このカードを自分の墓地から手札に加える。



「フェニックスブレード!? まさか――」
 どうやら、獏良も気付いたようだ。このデッキの本当の姿に。
 それは、

「ハイブリッド、か。次元と墓地利用の」
 誤りなく、きっちり正解を出してくる。
 ふう、とみのりはため息をついた。

「……次元だけとは、思わなかったんですか?」
「もちろん最初はそう考えた。でも、よく考えると君は『六武衆推参』も使っていたからね」
 獏良は「まさか――」と言って言葉を切ったが、それは絶句ではなく、次元という答えを出そうとした時に『推参』が頭をよぎったからなのだろう。
 でも、もう遅い。獏良はさっきの『ネクロフェイス』で『和睦の使者』、『覇者の一括』を2枚ずつ除外していた。
 『ミラーフォース』や『激流葬』といったパワーカードはそれ以前の除外で。
 獏良には、もうまともに攻撃を防ぐようなカードは残っていないだろう。

「ギリギリまで見せたくはなかったのですが、この状況では使わざるを得ませんからね。私はカードを4枚セット、ターン終了です」




獏良  LP1900
  手札2枚
  場 酒呑童子
    デッキ 6枚

みのり LP3300
  手札0枚
    場 六武衆−カモン、伏せ4枚
    デッキ 4枚   



「ドロー」

 獏良 デッキ5枚

「魔法カード、『奇跡の発掘』。対象は『ネクロフェイス』、『馬頭鬼』、『酒呑童子』だ」
 ネクロフェイスが2体ではない。そして『馬頭鬼』。
 それが意味するところは、こちらのジョーカーを切るのもまだ早いということ。



奇跡の発掘 通常魔法
自分のモンスターが5体以上ゲームから除外されている場合、
その内の3体を墓地に戻す。



「さらに『貪欲な壺』」
「え……?」
 そうして発動されたカードは、形勢を一気に逆転させる1枚。
 『ディアバウンド・カーネル』、『酒呑童子』、『首なし騎士』、『死霊伯爵』、『ゴブリンゾンビ』が選択され、デッキに――。

「させないっ!」
 表にしたのは『貪欲な壺』を防ぐカードではない。
 みのりとしても、こんな早いタイミングで発動しなければならないなど、考えてもみなかった。
 とはいえ、そのカードはまず獏良の想定プランにもなかっただろう。

「『死者への供物』の効果で、『酒呑童子』を破壊!」
 モンスター1体を無条件に破壊する速攻魔法。
 ただしそれには事後的な制約がついてくる。
 次のターンのドロースキップ。通常ならこれは厄介だが、デッキ破壊相手ならば長所に変わる。
 

貪欲な壺 通常魔法
自分の墓地に存在するモンスター5体を選択し、
デッキに加えてシャッフルする。
その後、自分のデッキからカードを2枚ドローする。

死者への供物 速攻魔法
フィールド上に表側表示で存在するモンスター1体を破壊する。
次の自分のドローフェイズをスキップする。



 獏良 デッキ5枚→10枚→8枚
    手札 0枚→2枚

 この発動タイミングに誤りはない。
 『死者への供物』で飛ばせるドローは1回限り。ならば、墓地に『ネクロフェイス』が1体であるこの状況で『酒呑童子』の効果を使われれば、獏良のデッキは2枚、みのりのデッキは0となる。
 すなわち、次のターンでの確実な勝利が求められることになる。
 さらにその場合、獏良のハンドは3枚。1ターンぐらいなら次のみのりの攻撃を防ぐことも十二分に考えられる。
 だが、ここで使ったことにより、『酒呑童子』を蘇生させるには『馬頭鬼』のカードが必要になる。
 そうなれば獏良の墓地にアンデッド族モンスターは『ネクロフェイス』1体だけとなり、『酒呑童子』の除外効果を使えなくなる――はずだった。

「ならば僕は『馬頭鬼』の効果を発動する。対象は『酒呑童子』だ」
「無効は――しません」
 『ありません』ではなく、『しません』。
 こういった言の葉の一つに至るまでミスは許されない。 
 だが、ここで『馬頭鬼』の効果を使ってくるというのは、みのりがまるで予測していないプレイングだった。



馬頭鬼 効果モンスター
星4/地属性/アンデット族/攻1700/守 800
墓地に存在するこのカードをゲームから除外する事で、
自分の墓地からアンデット族モンスター1体を特殊召喚する。



「優先権を行使し、『酒呑童子』の効果、除外したばかりの『馬頭鬼』をデッキトップに復帰!」

 獏良 デッキ8枚→9枚

「そして――『天使の施し』」
「く……ここにきて手札交換カード!?」
 獏良のデッキもまた、墓地利用、除外利用のハイブリッド。
 しかもデッキトップは『馬頭鬼』で確定している。アドバンテージの損失なく墓地に落とせるのだ。



天使の施し 通常魔法
デッキからカードを3枚ドローし、その後手札からカードを2枚捨てる。



「墓地に送るのは『馬頭鬼』と『ゴブリンゾンビ』だ」

 獏良 デッキ9枚→6枚

「そして、『馬頭鬼』の効果によりこれを除外し、『ゴブリンゾンビ』を特殊召喚!」



ゴブリンゾンビ 効果モンスター
星4/闇属性/アンデット族/攻1100/守1050
このカードが相手ライフに戦闘ダメージを与えた時、
相手はデッキの上からカードを1枚墓地へ送る。
このカードがフィールド上から墓地へ送られた時、
自分のデッキから守備力1200以下の
アンデット族モンスター1体を手札に加える。



「……構いません」
「さらに『ゴブリンゾンビ』を生贄に『ディアバウンド・カーネル』を召喚!」
 邪悪極まりない白の悪魔が再び生まれ出ずる。
 
「『ゴブリンゾンビ』の効果で『酒呑童子』をデッキから手札に加え――」

 獏良 デッキ6枚→5枚

 デッキから抜き取られたカードは獏良の左手に加わり、まだ残っていた1枚と入れ替える。

「これで全ての準備は整った。魔法カード、『ダーク・フュージョン』を発動する――!」
「融合!? そんな、ここで――!?」
 しかも普通の融合ではない。『ダーク・フュージョン』。
 あれは融合召喚されたモンスターに耐性を付与する。
 効果の対象にできない――それはすなわち、みのりの場に伏せられた『次元幽閉』が潰されることを意味していた。



ダーク・フュージョン 通常魔法
手札またはフィールド上から、融合モンスターカードによって決められた
モンスターを墓地へ送り、悪魔族の融合モンスター1体を融合デッキから特殊召喚する。
この効果で特殊召喚したモンスターは、このターン相手の魔法・罠・効果モンスターの
効果の対象にならない。(この特殊召喚は融合召喚扱いとする)


次元幽閉 通常罠
相手モンスターの攻撃宣言時に発動する事ができる。
その攻撃モンスター1体をゲームから除外する。



「フィールドの『ディアバウンド・カーネル』、『酒呑童子』を融合し――」
 ディアバウンドとは盗賊王の中にあった憎しみや怨念から生じる破壊衝動を具現化したものだ。
 しかしそれは、あくまでも破壊衝動だけ。
 単体で憎しみや怨念という行動原理、感情までも有するわけではない。
 そちらは変わらず盗賊王の意思の下にあった。
 だからこそ、盗賊王は神官でさえも封じることができない戦闘力を持つ精霊獣を使役できた。
 力だけの存在で、自立した思考など持たない人形だったから。
 少なくとも、最初の内はそうだった。
 
 盗賊王とディアバウンドの関係は、歪んでいた。
 意思と力の独立、それは普通の人間と精霊獣、あるいは魔物ではあり得ないことだった。
 通常ならば人間の能力と精霊獣や魔物の強さは連動している。
 ある記述では生への執着心が鍵になるとされているほど。
 たとえそれが負の感情であろうと、連動している、その理から抜け出すことはない。
 意思の強さに応じて魔物や精霊獣も進化する、それが本来のあり方だった。
 
 ディアバウンドは特殊な力を持っていた。
 倒した敵の力を吸収する能力。
 魔物を、精霊獣を、倒せば倒すほどにディアバウンドは新たな力を得ていった。
 神と呼ばれる精霊獣までも取り込んだ。
 ディアバウンドの“成長”に盗賊王は気付かない。
 敵が持つその全てを――意思さえも――吸収していることに、気付かない。

 ディアバウンドは成長していた。
 王や神官はおろか、使役者である盗賊王でさえ予測しない速さで。
 強い意志を持つ彼らとの戦いで多くの精霊獣を殺戮する内に、ディアバウンドもまたそれに比する成長を遂げていたのだ。
 ディアバウンドは取り込んだ意思と意志の全てを、破壊へと変換していた。
 怨念、憎しみを破壊衝動と切り離し、制御するツールであったディアバウンドは、いつしか術者である盗賊王にディアバウンド自身の破壊意思を流し込んでいたのだ。



「『ディアバウンド・ファントム』、融合召喚」
 故に――ディアバウンドは自立した意思を手にしたために――その体躯は黒く染まっていた。
 『カーネル』時代の石のように平らな悪意と比べると、ソレは遥かに生物らしい醜悪さを滲み出していた。
 当然だ。
 歪んではいるけれども。一つの命として独立した意思を持っているのだから。

 ATK2200

「な……これ……」 
「『ディアバウンド・ファントム』は、『ディアバウンド・カーネル』と悪魔族またはアンデッド族モンスター1体を素材とするモンスターだ」
 違う……聞きたいのはそんなことじゃない。
 これまで何度か『闇の力』と関わったことのあるみのりには分かる。
 空気の圧迫感が先程までと、まるで違う。

「こんなのを、支配できるわけない……!!」
「そうだね。僕もそう思う」
「……馬鹿ですか、あなたは。それが分かってて、どうして――?」
「あくまでも“コレ”は、ソリッドヴィジョンシステムによって具現化したモンスターに過ぎない。一度具現化すれば『闇の力』を撒き散らし、実体化してしまうけれど、ディスクから外せば――」
 ディアバウンドの姿は消え、重苦しい空気も取り払われた。

「確かにこのモンスターは、自ら意思を持っているかのように手札に舞い込んでくる。けれど、僕の意思がこのモンスターと繋がっているわけでもない。使うかどうか、それは完全に僕自身の意思によるものだ」
「それが……信用ならないと言っているんです!」
 その意思は誰のモノですか、獏良了?
 誰かに操られていないという保障はありますか?
 その魔物は人を操る能力を持っているかも知れませんよ?  
 獏良了の言葉であると、証明できるのですか?

「この場で信じてもらおうとは思っていないよ。言ったろう、基準を。僕はディアバウンドをエンドカードにはしないと」
 獏良は再びディアバウンドのカードをデュエルディスクに置いた。
 またしても現れる闇の魔物。
 デュエル場を支配する“闇”が、みのりに吐き気を催させる。
 この男の言が事実なのか自信なのか、それとも全くの嘘であるのか、みのりには判断がつかない。
 ただ、このモンスターを倒さない限りみのりに勝利はない。
 その一点だけは、はっきりと認識できた。

「『ディアバウンド・ファントム』は融合召喚に成功した時、相手の墓地に存在するモンスター1体を選択し、装備することができる。そしてディアバウンドは装備したモンスターの攻撃力の半分の数値分、攻撃力がアップする」
 選ばれたのはみのりの墓地に存在する『六武衆』の中で最も攻撃力が高い、『六武衆の師範』。


 ディアバウンド・ファントム ATK2200→3250


「バトル、『ディアバウンド・ファントム』で『六武衆−カモン』を攻撃!」
 主力として用いられる技は『カーネル』と同じ。
 しかしその威力は、禍々しさは、先程の比ではない。


 ――デス・スパイラル!!


 みのり LP 3300→1850 


「う……く……」
 肉体へのダメージも、さっきより増大している。
 ライフの減りが大きいから?
 攻撃力からしてそもそも異なるから?
 ――違う、『闇の力』の濃度が高いから。
 みのりはそう見切りをつけていた。

「さらにこの瞬間、ディアバウンドの効果発動。戦闘で相手モンスターを破壊した時、そのカードを装備カードとしてディアバウンドに装備できる。攻撃力の上昇数値はさっきと同じだ」
 吸収、というイメージではない。データを取り込んだ、どちらかと言うならそちらの表現の方が近いか。


 ディアバウンド・ファントム ATK3250→4000


「ターンエンドだよ」
 みのりの身を案ずるように優しくエンド宣言をする。
 だけどそれに何の意味がある?
 獏良が従えているのは凶悪なことこの上ない闇の魔物、ディアバウンドだというのに。
 まだ、倒れるわけにはいかない。
 『死者への供物』の効果でドローはできないけれど。

「リバースカード、オープン」
 逆転の鍵は、揃っている。

「ライフを半分支払い、『異次元からの帰還』を発動します!!」
 す、と指を高く上げた先にあるのは、天井に空いた次元の狭間。


 みのり LP1850→925


「特殊召喚――――『六武衆−ザンジ』!! 『六武衆−カモン』!! 『六武衆−イロウ』!! 『六武衆−ニサシ』!! 『大将軍 紫炎』!!」
 和系の装いをした戦士たちが邪悪な魔物を屠るべく、ここに降り立った。
 そして、“闇”に憑かれたあの男を倒すために。



異次元からの帰還 通常罠
ライフポイントを半分払う。
ゲームから除外されている自分のモンスターを
可能な限り自分フィールド上に特殊召喚する。
エンドフェイズ時、この効果によって特殊召喚されたモンスターを
全てゲームから除外する。

六武衆−ザンジ 効果モンスター
星4/光属性/戦士族/攻1800/守1300
自分フィールド上に「六武衆−ザンジ」以外の
「六武衆」と名のついたモンスターが存在する限り、
このカードが攻撃を行ったモンスターをダメージステップ終了時に破壊する。
このカードが破壊される場合、代わりにこのカード以外の
「六武衆」と名のついたモンスターを破壊する事ができる。

六武衆−カモン 効果モンスター
星3/炎属性/戦士族/攻1500/守1000
自分フィールド上に「六武衆−カモン」以外の
「六武衆」と名のついたモンスターが存在する限り、
1ターンに1度だけ表側表示で存在する魔法または罠カード1枚を破壊する事ができる。
この効果を使用したターンこのモンスターは攻撃宣言をする事ができない。
このカードが破壊される場合、代わりにこのカード以外の
「六武衆」と名のついたモンスターを破壊する事ができる。

六武衆−イロウ 効果モンスター
星4/闇属性/戦士族/攻1700/守1200
自分フィールド上に「六武衆−イロウ」以外の
「六武衆」と名のついたモンスターが存在する限り、
裏側守備表示のモンスターを攻撃した場合、
ダメージ計算を行わず裏側守備表示のままそのモンスターを破壊する。
このカードが破壊される場合、代わりにこのカード以外の
「六武衆」と名のついたモンスターを破壊する事ができる。 

六武衆−ニサシ 効果モンスター
星4/風属性/戦士族/攻1400/守 700
自分フィールド上に「六武衆−ニサシ」以外の
「六武衆」と名のついたモンスターが存在する限り、
このカードは1度のバトルフェイズ中に2回攻撃する事ができる。
このカードが破壊される場合、代わりにこのカード以外の
「六武衆」と名のついたモンスターを破壊する事ができる。

大将軍 紫炎 効果モンスター
星7/炎属性/戦士族/攻2500/守2400
自分フィールド上に「六武衆」と名のついたモンスターが
2体以上存在する場合、このカードは手札から特殊召喚する事ができる。
このカードがフィールド上に表側表示で存在する限り、
相手プレイヤーは1ターンに1度しか魔法・罠カードの発動ができない。
このカードが破壊される場合、代わりにこのカード以外の
「六武衆」という名のついたモンスターを破壊する事ができる。




「『六武衆−カモン』の効果により、ディアバウンドに装備されている『六武衆の師範』を破壊します!」
 赤い鎧の戦士が手にした火薬玉を投げつける。
 ディアバウンドは腕で爆発をいなすが、傷は負っている。


 ディアバウンド・ファントム ATK4000→2950


「そして、墓地の『神剣−フェニックスブレード』の効果! 同じく墓地に存在する『六武衆の師範』、『六武衆−ヤイチ』をゲームから除外し、このカードを手札に戻します。そして、フェニックスブレードを『六武衆−ザンジ』に装備!!」
 蘇った炎の神剣を、薙刀を持つ黄色の鎧兜の戦士が腰に差す。
 

 六武衆−ザンジ ATK1800→2100


「これで準備は整いました」
 前のターン、獏良了もこう言った。
 しかし、みのりの“準備”とは勝つためのもの。
 凶悪な魔物を召喚する準備などでは、断じてない。

「バトルフェイズ――『六武衆−ザンジ』で『ディアバウンド・ファントム』に攻撃!!」
 片手に薙刀を、そしてもう片方の手に抜き放った神剣を構え、戦士が闇の魔物に突撃を敢行する。
 蛇の尾の一撃をジャンプでかわし、次いで掌から放たれた闇の旋風を、両腕の得物を交差させて真正面から受け止める。
 だが力の差は明らかだった。
 凶暴極まりない荒風に圧され、徐々に脚がずり下がっていく。
 いまや神剣は、刃は鋭い嘴、鍔は広がった翼、柄は流れる尾のように炎熱で燦然と輝き、“闇”を討ち払わんとしていた。 
 しかしそれでも、この形勢を覆すには至らない。
 鎧はところどころ裂け、薙刀は折れかけている。
 その時、不意にザンジを襲う闇の旋風が収まった。
 赤い鎧の戦士――カモンが身を挺して死を呼ぶ風を受け止めていたのだ。
 この機を逃せば、もはやディアバウンドにかすり傷を負わせることすら困難になる。
 ザンジは大きく助走をつけ、神剣を振りかぶって跳躍した。
 そして不死鳥の力が宿る剣に必殺の魂と力を込め、ディアバウンドの頭めがけて振り下ろす。
 その様子に満足したかのように、地に伏し息絶えかけていたカモンが微かに最後の笑みを見せた――。

















 





 みのり LP925→75


 みのりのライフカウンタが三桁を切る。
 でもこれでいい。ライフの減少が意味するのは、すなわち戦闘が成立したということ。
 不死鳥の力を叩き込んだ余波で煙がデュエルフィールドを覆っているが、すぐに正しい答えが出る。
 あのような魔物は存在自体が間違っていたのだ。
 ほら、魔物が断末魔を上げている。
 丁度煙も晴れてきた。
 “闇”の象徴が悶え苦しみ消え去る様を、組織の一員として見届けてあげよう。 





「…………え?」





 いや、そんな筈はない。
 どうして“アレ”が復活しているのだ?
 どうしてまだ――――ディアバウンドが生き残っているのだ?

「何を……やったのっ!?」
 蒼白になりながらも、自然体でいる獏良に尋ねる。
 それは、不正をしているのではないか、という問い。

 不死鳥の力が宿った剣とそれを手にする戦士の身体は、憎悪の念で塗り固められた白い盾によって受け止められていた。
 軟体で、ともすれば液体にも見える怨念の白は、さらに戦士の身を絡め取ろうとする。
 忘れようもない。
 このデュエルの序盤で何度も苦しめられ、心まで折られかけた。

「『死霊の盾』っ!! 何でそのカードが、あなたの場に――!?」
 かろうじて白き邪念から逃れたザンジはみのりのフィールドに帰還した。
 この六武衆が持つ特殊能力は、ダメージ計算後に戦闘した相手モンスターを破壊するというもの。
 何故みのりはディアバウンドを破壊できたと思い込んだのか、それは偏にライフが減り、戦闘が成立したと分かったからだ。
 デュエルディスクのライフカウンタをもう一度確認する。
 75。
 やはり変わりない。
 ディアバウンドを覆う白い膜が『死霊の盾』だとすると、ここで疑問が生まれる。
 あのカードの効果は攻撃そのものを無効にし、戦闘を成立させないものだった。
 しかし、今この瞬間にディアバウンドを守っている盾は、破壊だけを無効にしているように思える。

「無駄だよ、高原みのり――」
 獏良了が、ゆっくりと告げる。みのりに、死の宣告を――。










 少女が持つ獏良へのイメージは、全て邪推だった。
 獏良はディアバウンドに意思を操られてなどいなかったし、デュエルで不正もしていない。
 ましてや、みのりを殺すつもりなど毛頭ない。
 そこには『闇狩り』総帥としての理由も多分に含まれていたが、最終的には単純に殺しを忌避するという、人としてまともな考えの延長線上に帰結する。

「無駄だよ、高原みのり。このディアバウンドは古代エジプトの時代に完成した、最強の魔物の一つだ。破壊したモンスターの攻撃力だけでなく、特殊能力までも吸収し――――『死霊の盾』を個人単位で装備している」
「個人……単位?」
 少女が狼狽するが、実際は反復するまでもない簡単な話。
 つまり、『ディアバウンド・ファントム』は墓地に悪魔族、アンデッド族モンスターが残っている限り、戦闘も効果も、あらゆる破壊を免れるのだ。




ディアバウンド・ファントム 融合モンスター・効果
☆8 闇属性 悪魔族 ATK2200 DEF2300
『ディアバウンド・カーネル』+悪魔族またはアンデッド族モンスター1体
このカードが融合召喚に成功した時、相手の墓地に存在するモンスター1体を選択し、このカードに装備できる。
このカードが戦闘で相手モンスターを破壊し墓地へ送った時、
破壊したモンスターを装備カード扱いとしてこのカードに装備できる。
このカードの攻撃力は、このカードの効果で装備しているモンスターの攻撃力の半分の数値分だけアップする。
このカードは装備したモンスターと同じモンスター効果を得る。
1ターンに1度、このカードの効果で装備しているモンスター1体を墓地に送ることができる。
フィールド上に表側表示で存在するこのカードが破壊される場合、
代わりに自分の墓地に存在する悪魔族、アンデッド族モンスター1体をゲームから除外する。




「君のターンはまだ続いている。尤も――」
 彼女の場に、ディアバウンドを倒せるモンスターはいない。
 戦意を喪失し、ぺたんとデュエルフィールドの床に座り込んでしまった。
 何のアクションも起こさずにやがて3分が過ぎ、『六武衆』の一団は次元の渦に吸い込まれていった。



獏良  LP1900
  手札1枚(酒呑童子)
  場 ディアバウンド・ファントム(ATK2950、六武衆−カモン装備)
    デッキ 5枚

みのり LP75
  手札0枚
    場 伏せ1枚(次元幽閉)
    デッキ 4枚   


「僕のターンだ」

 獏良 デッキ4枚

 これまでは獏良の行動をつぶさに観察していた少女が、今は魂が抜けたようにへたり込んでいる。
 脅しが効きすぎてしまったようだが、できればこれを機に組織から抜けてくれるよう願わずにはいられない。

「速攻魔法『サイクロン』。君の場にある伏せカードを破壊する」
 少女の場に竜巻が発生し、唯一残された裏向きのカードを吹き飛ばす。
 ――『次元幽閉』だった。



サイクロン 速攻魔法
フィールド上の魔法または罠カード1枚を破壊する。



「『酒呑童子』を召喚――。優先権を行使し効果発動。『ネクロフェイス』、『ゴブリンゾンビ』をゲームから除外し、1枚ドロー。そして、『ネクロフェイス』の効果により、互いのデッキから5枚のカードを除外する」
「あ……! あああ……」
 

 獏良  デッキ4枚→3枚→0枚
 みのり デッキ4枚→0枚


 哀れだった。
 少女は文字通り、全てのカードを奪われた。
 フィールド、手札はおろか、デッキにさえカードは1枚も残っていない。
 あらゆる勝利手段を絶たれ、獏良の場には邪悪そのものの魔物がいる。

 ――ディアバウンド。

 古代エジプトを震撼させた、盗賊王の精霊獣。
 最初の宿主である彼が死した後も、その有り余る破壊衝動は数々の札や石版に宿り、期せずしてそれを手にしてしまった者を邪な道へと誘ってきた。
 その怨念(チカラ)はいま、獏良の手にある。
 目の前にいるのは、ごく普通の少女に見えながらも、その実『闇狩り』を崩壊に陥れた恐るべき敵の一味。
 
 家族がいる?
 改心の余地がある?
 だから見逃すと?
 くだらない。それは甘さ以外の何者でもない。
 近いうちにこの少女はまた敵となって獏良たちを妨害しに来る。
 このデュエルでの教訓を生かし、より力をつけて。
 後腐れなく殺し、少しでも敵戦力を削いだ方が効果的なことは明らかだ。
 
 それはディアバウンドの囁きか、それとも獏良自身の内なる本性か。
 どちらでもいい。
 結論は、変わらない。
 人は闇を支配することはできないが、制御することはできる。
 身をもって証明せねばならない。
 だから獏良は、


「このまま、ターンエンドだ」


 この魔物(チカラ)を操り、この憎悪(チカラ)を否定する。

 少女にドローできるカードはない。
 デュエルは、獏良の勝利に終わった。

 しかしまだここからが、本当の駆け引きだ。『闇狩り』と永瀬沙理亜率いる組織の、交渉。
 彼女にはその糸口になってもらう。
 放心状態の少女に近づこうとすると、はっと我に返り、

「こ、来ないでっ!」
 という震えた叫びが飛んできた。
 それには構わず、しゃがんだまま後ずさる少女に難なく追いつき、視線の高さを揃える。
 諦めたのか、それとも害する意思がないと理解したのか、うなだれ目は合わせないものの逃げようとはしなくなった。

「これで分かったろう。君はデュエルに負けた、なのに生き残っている、その意味は何だい?」
 少女が顔を上げ、愕然として獏良を見つめる。

「まさか、このデュエルは……茶番だった……?」
 永瀬沙理亜はガリウスから脱出した後、第一次元で勢力を拡大させたが、ガリウスへの敵対意思で連帯感を共有できない新規メンバーに対しては、『闇の力』、『闇のデュエル』といった事象について必要以上に過剰な危機意識を持たせている。そして、『闇狩り』についても。
 故に、そのイメージを壊しさえすれば交渉の余地が生まれるのだ。
 幸い『闇狩り』は人の集団たる組織であり、『闇の力』のような抽象的な存在とは異なる。言葉を交わせる以上、誤解は圧倒的に解きやすい。
 
「そうだよ、僕たちに勝っても『千年魔術書』は手に入らない。本当の隠し場所を教えることはできないけれど、この場所を攻撃してくる理由なんて、元々君たちにはなかったんだ」
「そんな……! それじゃあ、私はいったい何のためにっ……!?」
 世界の行く末を懸けた聖戦と信じ、挫けそうな心を奮い立たせ、命を賭して戦ったというのに。
 そのような思いがありありと伝わってくる悲痛な叫び。
 
「結果として、僕たちはどちらも無事にここを出られる。それ以上のことはないんじゃないかな?」
 獏良の説得には打算がいくらか含まれているが、同時に本心からの言葉でもある。
 組織との対立が、獏良自身のあり方を見つめ直すいい機会になったのは確かだ。
 だが、『闇狩り』のトップという立場からすれば、この戦いは無根の事実を材料にして吹っかけられた喧嘩に過ぎない。
 目指す将来像に多少の異なりはあるが、お互いを除いた敵はほとんど共通で、いきなり敵対行動を取られなければむしろ仲間として歩み寄れるのではないかと思える集団だった。
 最低限の自衛こそするが可能ならば和解したい。永瀬巧がいればそれこそ甘いと言われそうだが、獏良なりに熟考した結果である。

「わ……たしは……。でも、そんな、まだ、裏切るようなこと……」
 目に涙を溜め、またしても俯いてしまうが、そこは即座にフォローする。
 ただ、フォローすることに意識が向いていて、途切れ途切れの小声に“まだ”という言葉が入ったことは気付かなかった。

「待った、話が飛躍しすぎだよ。僕は君に寝返ってくれなどとは言っていない。この争いは完全に無益なものだと、外にいる君の仲間に伝えて欲しいだけだ」
「その話が、本当だという保障はありますか? 地下施設に身を潜めておいて、今更そんなことを言われても……」
 意気消沈していながらも、簡単に食いついてはこない。
 徹底した意思統一の成果か、はたまた彼女自身の強さか。

「全ては陽動だった。この地下施設そのものが。いいかい、施設を建造するには人手がいる。じゃあ、建造を委託された企業に、組織のスパイが入り込んでいると推測しなかったとでも思うのかい?」
「あ……」
「残念だけど、建造段階で罠が仕掛けられているであろう場所に隠すほど、こっちも間抜けじゃない。そして――」
 現時点で言えるべきことは全て話した。
 少女がこのことを伝えるか、攻撃を中止し引き揚げてくれるのかは分からない。
 正直なところ、引き揚げは期待できないと考えるべきで、次の相手と戦う心構えもとうにしている。
 たかだか1戦交えた程度で説得されてしまう小娘の言など聞き入れるわけがない。
 しかしまずは、彼女の良心とデュエリストとしてのプライドに賭けてみるのも悪くないだろう。

「このデュエルの勝者は僕だ。事前の契約など関係なく、公正な決闘における勝者の論理を振りかざして命令しよう。このデュエルで君たちの組織と『闇狩り』の戦いが終わるよう、尽力しろ」
 鷹揚に立ち上がり、敢えて冷徹に、厳然たる事実を突きつける。
 少女は一度面食らったような表情になり、それから静かに目を伏せた。

「――分かりました、必ず」
 そう残して、少女はデュエルフィールドを後にした。
 表情にも足取りにも軽くなった様子は見受けられない。
 だが、それでもいい。
 生きてここを出さえすれば、挽回のチャンスはある。
 
「そう――これは命令だ。だから、生きて帰らせてもいい」
 少女がいなくなったフィールドで獏良は静かに呟く。
 メッセンジャーとして利用する。それはお互いに不都合なく生きて帰らせるための格好の理由だ。そしてこれにより、ほぼ確実に組織の上層部へと獏良の考えが伝わる。
 彼女はかなり真面目そうだった。あるいは失敗の制裁を恐れたのか、とにかく情けをかけたわけではないと断ずるに足る事情を与えなければ、去ってくれそうになかった。

 あの時――ディアバウンドを倒せないと分かった時、少女は残りのモンスターを特攻させ、自滅の道を選ぶこともできた。
 そうなれば彼女は全てのライフを失い、ディアバウンドによって性質を変えられた“闇”に取り込まれていただろう。
 堂々としたエンド宣言どころか、時間制限に抵触してのターン交代。
 もしかすると、自滅という考えそのものが頭から抜け落ちていたのかもしれない。
 だとしても、それは紛れもない一つの選択。
 “闇”に呑まれたくない、死にたくない、そんな意思の表れ。
 故に獏良は、デュエルが終わった後にまで、敵である彼女に手を差し伸べた。
 握り返してはくれなかったけれど、今はそれでも構わない。



 次なる刺客が現れたのは、それから1時間後のこと――――。







 7章 終
 次章 結晶魔術士




8章 結晶術士






「まったく、これは……どうなってんだろうな……」
 健は3番目の部屋に設置されたモニターを驚き半分、呆れ半分といった苦笑いで見つめた。



 リシド LP0



 最初の戦闘、高原みのり対獏良了。
 これはしっかり獏良が少女を下した。
 殺すつもりなんて毛頭ないのに、いかにも堕ちた素振りを見せて少女を惑わせ、混乱の内に追い払っていた。

 ――ここまでは、良かった。

 1時間ほど経って、今度は少女よりも年若い、中学生、いや下手をすればバスや電車に半額で乗れるであろう少年が入ってきた。
 ハッキングを受けて扉の開閉システムの制御権は奪われているため、侵入自体の阻止は不可能である。
 獏良に油断はなかった。プレイングミスもしていない。全力で戦い、ディアバウンドをも喚び出した。
 だが、自らの『ネクロフェイス』で『異次元からの埋葬』が除外されるという不運も重なり、次元スキドレの前に圧敗した。

 そして2人目、リシド・イシュタール。
 健がこの獏良とリシドの戦いを見ているように、リシドもまた獏良の戦いは見ていた。
 対次元スキドレ用にデッキを組み替えてもいた。
 『王宮のお触れ』を使う様子はなかったし、カウンター罠で各個撃破する方針に問題はないはずだった。
 
 ――機械族デッキだった。

 先攻1ターン目から『サイコショッカー』を立てられ、ものの2回の攻防でリシドは敗北した。
 分かっていたのだ、相手も。デッキの覗きをしていることぐらい。
 だって向こうとてしていたはずだ。少女は獏良のデッキ内容を外にいる残りのメンバーに報告していたはずだ。
 お互いに条件は同じ? 違った。こちらは自分だけが覗いていると思い込み、獏良は同じデッキで戦った。リシドは少年が次元スキドレを継続して使うと考えていただろう。
 防衛チームはこうして一転、不利な状況へと追い込まれていた。

 とりあえず逃げるつもりはない。
 これも仕事の一環であるし、命を落としたり五体不満足になる危険もなさそうだ。
 獏良とリシドが立て続けに敗北したということでの不安はないと言えば嘘になるが、こればかりはどうしようもない。

(問題は俺のデッキが知られているかってことだが……)
 不幸なことに、デッキの中身自体はエジプト入りした時に見られてしまっている。
 考古局――今は特別国防局のビルに入るにあたって、かなり邪魔な連中がいた。あいつらの目的は時間稼ぎや宣戦布告と思ったが、もしかすると本当の狙いはデッキ内容の把握にあったのかもしれない。
 そしてもう一つ、知られている可能性を高める要素がある。
 ――α。
 あのトンデモ人間が持つ、『闇の力』を用いた防護スーツ。その出所はおそらく永瀬沙里亜が率いる組織だろう。
 健がこの部屋に居座っていると向こうは断定しているとは思えないが、仮にそうだとする場合の対策を練られている可能性は極めて高い。

 電子音とともに開く扉。
 特に威圧感があるわけではないが、少年の口端が不敵に釣り上ったのは遠くからでも視認できた。
 そして何より。
 αにそっくりなのだ、雰囲気が。
 少年は特に運動能力に秀でているようには見えないが、はったりで人を殺せるだけの何かを確かに有している。

「さあ、始めようか」
 デュエルフィールドの反対側で、少年はゆったりと言う。
 あれだけの実力者をいとも簡単に倒してきたのだから、態度にも余裕が出る。

「ああ。俺は桐沢健、ぶっちゃけ偽名だ。本名は自分でも知らん」
「ふうん、まあいいや。僕は天城一也だよ。分かっているとは思うけど、僕が使うのは次元スキドレでもサイコ流でもない」
「サイコ流……あの滅びたはずの流派に継承者がいたとはな。まあ、使わないっていうなら、今はどうでもいいことか」
 たしかサイバー流との直接対決で敗北し、衰退した流派だったか。
 どれだけ強力な機械を並べた所で、『サイバードラゴン』が現れた瞬間にとあるキメラの『要塞』に吸収されてしまうのだから、そもそも勝算のない戦いだ。

 それにしてもこの天城という少年、本当に薄気味悪い笑い方をする。
 αの愛弟子かと疑ってしまうほどに似ている。
 最も敵に回したくないタイプだが、最初から敵として出会ってしまった。



 桐沢健  LP4000
 天城一也 LP4000



「先攻は貰っていいか?」
 そう尋ねたのは、健。
 それに対して、天城一也はわざとらしく首を捻る。

「うーん、どうしようかな……。先攻ゲーな環境で図々しくも先攻をくれなんて言う人、初めて見たよ。しかも、僕みたいな子ども相手に」
「デュエルに年齢は関係ないだろ。それに俺は貴様を子どもとは認識してない。つーか、できねえよ。あまりにも知っている奴に似ているもんでな」
「分かったよ、その図々しさに免じて先攻を譲ってあげる」 
「ははっ、ありがとうよ」
 軽い笑顔で答えるが、その内心はかなりのひやひやしていた。
 先攻を取るために並べた文句、それらは全て紛う事なき真実なのだから。
 
「俺のターン、ドロー!」


 ドローカード 暗黒騎士団


 さて、いきなりキーカードを引いたものの、他の手札を見ず闇雲に発動するのは考え物だ。
 まずは手札に加え、パチパチと音を立てて手札シャッフルを行う。
 一分ほどの黙考の末、結局健は『暗黒騎士団』に手をかけた。
 永続カードのため使い切りほどではないが、特別な対策がない限り魔法の発動をカウンターされない、という先攻の利点の一つを生かすためだ。

「『暗黒騎士団』を発動! さらに『迅雷の暗黒騎士ガイア』を『暗黒騎士団』の効果で特殊召喚する!」
 『暗黒騎士ガイア』シリーズの一体である『迅雷』。
 容貌は全て原型の『ガイア』と同じだが、妥協召喚の条件はそれぞれ異なり、『迅雷』は自分フィールドのカードが1枚以下の時のみ生贄なしでの召喚ができる。そして『暗黒騎士団』はこの妥協召喚を特殊召喚に変換する能力を持っている。
 あくまで妥協召喚が可能な状態でなければ特殊召喚はできないものの、条件が揃えば1ターンに3体、4体もの『ガイア』を展開できる可能性を秘めているのだ。



暗黒騎士団 永続魔法
自分がドローしたカードが「暗黒騎士」と名のつくモンスターだった場合、
そのカードを相手に見せる事で自分はカードをもう1枚ドローする事ができる。
また、手札に生贄なしで召喚できる条件を満たしている
「暗黒騎士」と名のつくカードが存在する時、そのカードを特殊召喚できる。


迅雷の暗黒騎士ガイア 効果モンスター
星7/闇属性/戦士族/攻2300/守2100
自分の場に存在するカードが1枚以下の場合、
このカードは生贄なしで召喚する事ができる。



「これでターンエンドだ」
 伏せカードは出さない。というより出せない。
 その手には切り札を出すためのコンボパーツが多くを占めている。
 初手から『ガイア』を立てたのは、この半分事故な状態を錯覚させるためのものだ。
 後続の攻めが眠っている、そう思わせたい。

「僕のターン」
 少年――天城一也のカード捌きに無駄は見られない。
 手札シャッフルも怠らず、プロとは明らかに異なる、勝利を追求するためだけの細かな動作を地で身に付けていた。

「『結晶魔術士(クリスタルマジシャン)』を召喚する」
 服の上に結晶――というよりは水晶に近い素材の鎧を着けた男が、少年の場に現れる。手には同じ素材と思われる杖。


 ATK 2400


「……ハァ!?」
 思わず頓狂な声を上げる健。
 無理もない。アドバンテージの損失なく攻撃力2300を上回ってきたのだから。
 レベル4である以上、強烈なデメリットが付されていることは想像に難くないが、上回られたことの方がよっぽど問題だ。
 まるで狙ったかのように。きっちり100だけ越えてきた。

「『結晶魔術士』の攻撃だ」
 命令と同時に鎧が弾け、無数の結晶の破片へと転じる。それらは自由落下することなく、魔術士の杖の動きに合わせて浮遊し、自然に生じた破片の切っ先を暗黒騎士に向けた。
 間もなく発射された結晶のナイフは、元々が透明なだけに目視で補足しにくい。さらに杖から発せられた光によって、ほとんどが騎兵の視界から消え失せた。


 健 LP4000→3900


「く……」
 弾丸のようにガイアを貫く結晶もあれば、刃物のように装甲を引き裂くものもある。ましてや騎馬が耐えられるはずもなく、体勢を崩した槍騎士は結晶の集中砲火を浴びて消滅した。

「カードを1枚伏せてターンエンドするよ」
 このタイミングまでにデメリット効果は発生しない。
 むしろ本当にあるのか疑いたくなってくる。
 この敵組織はまず間違いなく永瀬沙理亜――I2社の元社員が率いている。
 まさかとは思うが、自分達専用の壊れカードを開発しているかもしれないのだ。

(いや……それはないか)
 もしその策を使うなら、『相手はデュエルに敗北する』というような効果のカードを作った方が手っ取り早い。
 手段は選ばずとにかく勝って、書が手に入るか試していることだろう。
 そう考えると、組織にも最低限の良心はあるようだ。


 健 LP 3900
   手札 4枚
   場  暗黒騎士団

一也 LP 4000
   手札 4枚
   場  結晶魔術士、伏せカード1枚



「俺のターン!」
 ドローカードは『ガイア』シリーズの一体、『豪雪』。
 カードを追加で引き、場に目を向けると『結晶魔術士』に変化が起きていた。
 砕けた結晶が鎧の形を取り戻していたのだ。


 結晶魔術士 ATK 2400→0
       DEF 0→2400


「なるほど、相手ターンになると攻撃力と守備力が入れ替わるってことか」
 『ゴブリン突撃部隊』によく似たデメリット。
 表示形式の変更がなければ、相手ターンの攻撃によって破壊されるだけでなくダメージを受けるという点が異なり、攻撃力の差100ポイントはそこに根拠があるのだろう。
 油断しているつもりはなかったが、このピーキーなカードを見てしまっては、それ自体が油断だったと思えてしまう。
 認識を変えねばならない、デュエルセンスだけならば、αより上……かも知れない。そして健の基準におけるそれは、武藤遊戯や海馬瀬人とはじめとする伝説のデュエリストとさしたる差はない。
 実際には天性の勝負強さという面で少年は僅かに(・・・)劣っていたが、彼らの戦いを間近で観戦したことがない健は、その点で一般人と同等の感性しか有していなかった。
 ただ、プレイングを完全に見ずとも、『千年魔術書』を賭けたこの大一番でのハイリスクハイリターンなカード選択から、脅威の程を把握するぐらいの力はある。


結晶魔術士 効果モンスター
星4/光属性/魔法使い族/攻2400/守0
このカードは相手ターン時、攻撃力と守備力が入れ替わる。


「俺は『暗黒戦士デュオス』を召喚する! ……どうだ、通るか?」
「そうだね、ここはカウンターしないでおこう」
「ああそうかよ。だったら『漆黒の駿馬』を装備! これも――やっぱり通るか。なら次だ、『暗黒騎士団』の効果により、『豪雪の暗黒騎士ガイア』を特殊召喚する!」
 2種類目のガイア。その妥協召喚条件は前の自分のターンに通常召喚を行っていないこと。
 つまり、

「『迅雷の暗黒騎士ガイア』の妥協召喚は、『暗黒騎士団』の効力で特殊召喚扱いになっている。故に『豪雪』の条件は満たされているって寸法だ」



暗黒戦士デュオス 効果モンスター
星4/闇属性/戦士族/攻1800/守1400
1ターンに1度、自分のフィールド上に存在するこのカードを除くモンスター1体を
生け贄に捧げ、このカードの攻撃力はターン終了時まで1000ポイントアップする。
「漆黒の駿馬」を装備したこのカードを墓地に送ることで、
デッキまたは手札から「暗黒騎士ガイア」を特殊召喚する。

漆黒の駿馬 装備魔法
戦士族モンスターにのみ装備可能。
装備モンスターの攻撃力と守備力は300ポイントアップする。
「暗黒戦士デュオス」に装備されているときのみ、以下の効果を適用する。
●装備モンスターが破壊される場合、代わりにこのカードを破壊する。


暗黒戦士デュオス ATK1800→2100


豪雪の暗黒騎士ガイア 効果モンスター
星7/闇属性/戦士族/攻2300/守2100
前の自分のターンに通常召喚をしていない場合、
このカードは生贄なしで召喚する事ができる。



「なるほどね。で、攻撃はするのかな?」
「てことは召喚に関しちゃスルーか……」
 そう口にしながら、次の行動に関して考えを巡らせる。

(最も有力な伏せカードは『スキルドレイン』だろうな。けど、これは俺の当てにならない直感が違うと言っている。てことは、次が『和睦』や『威嚇』の類。他にも色々あるが、特に被害なく奴がこの場を処理できるのはどちらかだ。『ミラフォ』に『幽閉』も十分にあり得るが、それなら『デュオス』か『豪雪』のどちらかは生き残り、『結晶魔術士』を破壊、ダメージを与えられる)
 そしてどのケースにおいても、こちらの場が全滅することはない。
 やはりここは、相手の出方を窺うためにも攻撃するべきだ。

「『豪雪の暗黒騎士ガイア』で『結晶魔術士』に攻撃……!」
 その突撃は、全ての結晶を鎧に転化させながら守備体勢を取らない無抵抗な魔術士を蹂躙した。


LP4000→1700


「……通った!?」
 歓喜ではなく驚きの言葉。
 だが、それならそれでいい。

「『暗黒戦士デュオス』で……」
 そこまで命令しかけて、健は今度こそ本当に止まらざるを得なくなった。
 相手の少年の場には、たった今倒したばかりの『結晶魔術士』が防御態勢をとっていた。
 しかも――2体。

「フフフ、『結晶魔術士』が破壊された時、僕はこのカードを発動していたんだ」
「な……そいつは……っ!?」



ブロークン・ブロッカー 通常罠
自分フィールド上に存在する攻撃力より守備力の高い守備表示モンスターが、
戦闘によって破壊された場合に発動する事ができる。
そのモンスターと同名モンスターを2体まで
自分のデッキから表側守備表示で特殊召喚する。



「分かるね? 相手ターンに攻守が逆になるというのは、攻撃力より守備力が高くなるってことさ。そしてもう一つ。『ブロークン・ブロッカー』のステータス参照はフィールド上なんだよ」
「ぐ………」
 守備力2400のモンスターをここから排除することは、健の手札では不可能だ。
 そして少年のターンになれば、その守備力は上級モンスタークラスの攻撃力に転化される。

(その場を最適に凌ぐだけのプレイングじゃやられる……。逆転に繋がる状況を作り出すために、ここは――!)

「『暗黒戦士デュオス』の効果発動……! 『漆黒の駿馬』を装備したこのカードを墓地に送り、デッキから『暗黒騎士ガイア』を特殊召喚する!」
「へえ……」
 少年が感嘆の声を漏らす。油断するどころか、逆に健の方がされていたらしい。


暗黒騎士ガイア 通常モンスター
星7/地属性/戦士族/攻2300/守2100
風よりも速く走る馬に乗った騎士。突進攻撃に注意。


「カードを1枚伏せてターン終了だ」
 攻撃をためらうことを期待して、健は裏向きのカードを置く。

「じゃあ、僕のターンだね」
 ともすれば、このデュエルを楽しんでいると思えるような微笑を湛えて少年がカードを引く。
 挙動からうっすらとプレイングが読めるぐらいの観察力を健は有していたが、少年にそれを匂わせるような仕草は見えない。
 この少年、一体どんな訓練を積んでここまでのデュエルスキルを身に付けたのだろう?

「僕は『地砕き』を発動。『豪雪の暗黒騎士ガイア』を破壊する」
 デュエルフィールドに走った衝撃によって床が弾け、破片の一つが『ガイア』の頭を襲った。



地砕き 通常魔法
相手フィールド上に表側表示で存在する守備力が一番高いモンスター1体を破壊する。



「そして2体の『結晶魔術士』を攻撃表示に変更し、バトルフェイズ――」
「―――!」
 顔には出さないものの、間髪入れぬ攻撃意思に健は動揺した。『暗黒戦士デュオス』から『暗黒騎士ガイア』になっての変化――それは攻撃力が200上昇し、耐性がなくなった以上に“通常モンスターになった”ことが挙げられる。相当のカード知識を持っているだろう少年のことだ――『ジャスティブレイク』を警戒して然るべきなはず。
 そうでなければ、ブラフと完全に読んでいたというのか。


ジャスティブレイク 通常罠
自分フィールド上に表側表示で存在する通常モンスターが
攻撃宣言を受けた時に発動する事ができる。
表側攻撃表示で存在する通常モンスター以外の
フィールド上に存在するモンスターを全て破壊する。


「『結晶魔術士』で『暗黒騎士ガイア』に攻撃だ」



 健 LP3900→3800



「さらに、もう一体の『結晶魔術士』でダイレクトアタック!」



 健 LP3800→1400 



「くそ……」
 悪態はつくものの本心は正反対。迷わなかったことは賞賛に値するが、迷ったとしても最終的に攻撃してくるのは確実だったろう。
 ショックはすぐに収まる。

「3枚のカードを伏せ、ターンエンド」
 前のターンの伏せカードは、展開を補助するためのもの。
 伏せる枚数を限界まで減らし、ライフを半分以上削られるのも構わず健の攻撃を誘ってきた。
 だが今回は違う。完全に攻防を支配するための3枚だろう。




 健 LP 1400
   手札 3枚
   場  暗黒騎士団

一也 LP 1700
   手札 1枚
   場  結晶魔術士×2、伏せカード3枚




 
「俺は、『戦士の生還』を発動! 『暗黒騎士ガイア』を手札に戻す!」
「わざわざ『デュオス』をガイアにしたのはそのためか……」
 少年の推測は正しく、そして完全ではない。
 戻してどうするかの行動予測が抜けている。
 人を食ったような態度でそんなことを言われれば、全てを見透かされているような気になってしまうが、それもまた詐術の一環であることを健は理解している。


戦士の生還 通常魔法
自分の墓地に存在する戦士族モンスター1体を選択して手札に加える。


「手札から『沼地の魔神王』を捨て、『融合』を手札に加える。そして加えたばかりの『融合』を発動! 俺が融合するのは『暗黒騎士ガイア』と『カース・オブ・ドラゴン』! 特殊召喚―――『竜騎士ガイア』!」



沼地の魔神王 効果モンスター
星3/水属性/水族/攻 500/守1100
このカードを融合素材モンスター1体の代わりにする事ができる。
その際、他の融合素材モンスターは正規のものでなければならない。
また、このカードを手札から墓地へ捨てる事で、
デッキから「融合」魔法カード1枚を手札に加える。

融合 通常魔法
手札・自分フィールド上から、融合モンスターカードによって決められた
融合素材モンスターを墓地へ送り、その融合モンスター1体を
エクストラデッキから特殊召喚する。

竜騎士ガイア 融合モンスター
星7/風属性/ドラゴン族/攻2600/守2100
「暗黒騎士ガイア」+「カース・オブ・ドラゴン」


「……また、珍しいカードチョイスだね」
「うっせーよ。さらに『竜の鏡』を使わせてもらう!」



竜の鏡 通常魔法
自分のフィールド上または墓地から、
融合モンスターカードによって決められたモンスターをゲームから除外し、
ドラゴン族の融合モンスター1体を融合デッキから特殊召喚する。
(この特殊召喚は融合召喚扱いとする)



「2体目の『竜騎士ガイア』……? いや、この雰囲気はもっと別のものだ……」
「その通りだ、少年。『暗黒戦士デュオス』、『カース・オブ・ドラゴン』、『沼地の魔神王』を素材とし――」
 ようやく少年の顔がわずかに強張る。
 “その3体”を素材とする融合モンスターは、そう広く知られているとは言い難い。
 仮に知っていたとしても、素材の内一体、そして融合先のモンスターにしても、異様なまでの入手難度を誇るカードだ。
 はっきりいって、一介の密偵風情が持っていて良い代物ではない。
 後者はこの流れで入っていないわけがないが、素材の方は所持していないため、代用の『沼地の魔神王』を使うことは必然。
 理解しているが故の驚きか、初見であるがための焦燥かは判断がつかなかったが、この状況でそれを考えても仕方がない。

「出でよ、『竜魔騎士 デュオスドラゴン』――!」
 竜の血肉を取り込み、人の身には過ぎた強靭な肉体を持つ精霊戦士。
 やや前かがみの姿勢は、竜の影響によるものだろう。いかにもブレスを吐き出しそうな体勢でありながら、右腕には戦士の得物であるオーラソードを構えている。
 そして何より異彩を放つのは、竜戦士の背に直立する魔術師。
 黒の長衣に身を包み、帽子、杖、どれを取っても闇魔術の使い手と分かる格好。
 その眼には、一切の曇りがない。
 デュオスやカース・オブ・ドラゴンとて、使役する力の属性こそ闇だが、かつては神官が使役した精霊獣だ。その魂は決して邪悪に染まってはいない。
 それでも、千年アイテムが生み出された経緯による『闇』の呪縛からは逃れ得ないのに。
 歪ささえ覚えるほどに、黒魔術師は澄みきっていた。



 竜魔騎士 デュオスドラゴン ATK3600



「俺の手札はゼロ。次のターンでお前に反撃されたら防ぐ方法はないし、ここで決めるしかないよな」
「フフフ、決まるといいね」
「願望にしかならないのが辛い所だ。それじゃあまずは、『竜騎士ガイア』で『結晶魔術士』に攻撃!」
 宣言した傍から少年は伏せカードを開く。
 本当に性格が悪い。永瀬巧とも良い勝負になりそうだ。

「ライフを1000払い、『スキルドレイン』!」
 

スキルドレイン 永続罠
1000ライフポイントを払って発動する。
このカードがフィールド上に存在する限り、
フィールド上に表側表示で存在する効果モンスターの効果は無効化される。



一也 LP1700→700



「この効果により、『結晶魔術士』の攻撃力は2400に戻る!」
「だが攻撃力は『竜騎士ガイア』の方が上だ!」
 鎧と化していた結晶が大剣へと変化し、一度はガイアの突撃を受け止めたかに見えた。
 しかし、超高速で回転するランスによって結晶が削られていき、ついに大剣は真っ二つに折れた。


――螺旋槍殺!!


一也 LP700→500




「通ったか……。まあしかし、この状況で追撃を渋る理由はない。『竜魔騎士 デュオスドラゴン』―――!」
 元が戦士でその知性を引き継いでいるだけに、無駄に咆哮を挙げるようなことはせず、剣の構えを変える。
 黒魔術師も魔力を宿した杖を、結晶を操る光の魔法使いへと向け―――竜戦士の背から離れた。
 己の魔術による単独飛行が可能であることを生かし、空中を縦横に駆け巡りながら魔力球を放つ。 
 一方の竜戦士はオーラソードにエネルギーを収束しながら接近し、さらにブレスを放つことで『結晶魔術士』を防御に専念させ、その場に釘付けにしている。
 遠中近、三位一体の攻撃に死角はない。
 『結晶魔術士』の術だけでは、それらを封ずることは叶わないだろう。
 そして次の瞬間、『結晶魔術士』は――どこにそんな余裕が残されていたのだろう――己の周囲に光の結晶を撒き、さらに同じく光の魔術を放つことで結晶を乱反射させ、姿を消した。
 次いで魔力の波動、ブレス、斬撃、それらが一斉に殺到するが、魔術士はそこから離れている。
 本来なら防ぐのがやっとで、身を隠す魔術など詠唱している暇はない。仮にそこまで上手くいっても、回避は困難なはずだった。
 だがそこはM&W。少年は残った1枚の伏せカードを表にし、魔術士を強化させていたのだ。

「リバースカードオープン『偏光迷彩』! 『結晶魔術士』への攻撃を無効にし、さらにデッキから『結晶』と名の付くカードを1枚手札に加える。僕が加えるのは『結晶の精製』だ」


偏光迷彩 通常罠
自分の「結晶」と名の付くモンスターが、攻撃対象になった時に発動可能。
その攻撃を無効にし、さらに自分のデッキから「結晶」と名の付くカード1枚を手札に加える。


「ここで万能サーチかよ。ターンエンドだ……」
 健のモンスターは健在なものの、結局1ターンの猶予を与える結果になってしまった。
 このターンの反撃には要注意……したい。ああ、本当に注意したい。
 だが健の場に伏せカードはない。手札シャッフルすらできない。
 ライフでは追い込んだように見えるが、少年のハンドは次のドローで3枚。儀式召喚には少し不足とも思えるが、すぐに手札補充のカードが発動された。

「僕のターン。『マジックプランター』を使うよ。『スキルドレイン』を排除し、2枚ドロー!」
 そしてこれで4枚に。あれらを駆使してどう攻めてくるのだろう。


マジックプランター 通常魔法
自分フィールド上に表側表示で存在する
永続罠カード1枚を墓地へ送って発動する。
自分のデッキからカードを2枚ドローする。


「さらに『死者転生』、手札1枚をコストに『結晶魔術士』を手札に戻す。そして――」
「………!!」
 顕になったのはサーチされた儀式魔法、『結晶の精製』のカード。
 手札も伏せカードも残っていない健には、この儀式を黙って見るしかない。
 尤も何か残したところでカウンターする術はなかったわけだが。


死者転生 通常魔法
手札を1枚捨てて発動する。
自分の墓地に存在するモンスター1体を手札に加える。

結晶の精製 儀式魔法
「結晶」と名のついた儀式モンスターの降臨に必要。
手札・自分フィールド上から、儀式召喚するモンスターの
レベル以上になるようにモンスターを墓地に送らなければならない。


「手札と場の『結晶魔術師』を供物とし、『結晶魔導帝−クリスティルス』を儀式召喚!」
 薄いブルーの髪を長く伸ばした女性。
 纏うのは魔導士としての長衣。皇族たるに相応しい装飾こそ施されていたが、ドレスとは明らかに異なる、戦う者の装いだ。
 身の丈ほどもある杖は『結晶魔術師』のように結晶製ではなく、鎧も着けていない。
 それでも彼女が放つ威圧は、


 ATK 3000
 DEF 3000


 このステータスに遜色ない。
 “まだ”攻撃力はデュオスドラゴンが上回っている。
 しかしすぐさま逆転されることは容易に予測できた。

「『結晶魔導帝−クリスティルス』は、他の『結晶』モンスターと同じく、相手ターンに攻守が入れ替わる効果を持っている」
「……? そのモンスター、攻守は同じ数値じゃないか」
「言うと思ったよ。そこでこの効果だ。1ターンに1度、攻撃力か守備力を100ポイント単位で1000まで下げることで、もう片方を下げた数値分上昇させる。クリスティルスの守備力を1000下げて、攻撃力を1000上昇!」
 クリスティルスが杖を軽く一度振ると、それは瞬く間に髪の色に近い、青く透明な結晶に覆われた。
 これが彼女の力。家臣たちはあくまで既に存在する結晶を操る術しか得ていないが、彼女は自ら結晶を生み出し、その質量を増大させることが出来る。
 結晶魔術を司る王家の聖杖は、そして超硬度の剣となる。


 ATK 3000→4000
 DEF 3000→2000



結晶魔導帝−クリスティルス
星8/光属性/魔法使い族/攻 3000/守3000
「結晶の精製」により降臨。
このカードは儀式召喚時、このカードのレベルを越えていても、
レベルが12以上になるまでモンスターを墓地に送ることができる。
このカードは相手ターン時、攻撃力と守備力が入れ替わる。
1ターンに1度、攻撃力か守備力を100ポイント単位で下げることで、
もう片方の数値を下げた数値分上昇させる。(最大1000まで)
またレベルが12以上になるようにモンスターを墓地へ送って
このカードを儀式召喚した場合のみ以下の効果が発動する。
●???


「く……デュオスドラゴンの攻撃力を上回った!?」
「そんな呑気なことを言っていていいのかい?」
「そいつはどういう……っ! しまった……!」
 そう、健が従えているモンスターはデュオスドラゴンだけではないのだ。


 竜騎士ガイア ATK2600

 桐沢健    LP 1400


「そんな能力の分からない奴に手出してるほど暇じゃないし、素直に決めさせてもらうよ。『結晶魔導帝−クリスティルス』で『竜騎士ガイア』に攻撃だ!」
「なんて、簡単に通すと思ったか! ここで俺は『竜魔騎士 デュオスドラゴン』の効果を――」
「さらに攻撃宣言時にリバースカード! 『デモンズ・チェーン』! 対象はもちろん『竜魔騎士 デュオスドラゴン』だよ」


デモンズ・チェーン 永続罠
フィールド上に表側表示で存在する
効果モンスター1体を選択して発動する。
選択したモンスターは攻撃する事ができず、効果は無効化される。
選択したモンスターが破壊された時、このカードを破壊する。


「な……!?」
「やっぱり噂に聞いていた通りか。自分の攻撃力を半分にすることで、その攻撃力を自軍のほかのモンスターに分け与える能力。ダメステに移行するのを確認してから使った方が良かったんじゃない?」
「移行確認なんてしたら、それはそれで警戒して、『デモンズ・チェーン』を発動してたんじゃないのか?」
「あ、分かった?」
 つまり少年がわざわざ『デモンズ・チェーン』の発動を遅らせたのは、噂で聞いていた効果の真偽を確かめるためだったのだ。


竜魔騎士 デュオスドラゴン
星10/闇属性/ドラゴン族/攻3600/守2900
「暗黒戦士デュオス」+「カース・オブ・ドラゴン」+「ブラックマジシャン」
このカードは融合召喚でしか特殊召喚できない。
1ターンに1度、このカードの攻撃力をエンドフェイズまで半分にすることで、
自分フィールド場の他のモンスター1体の攻撃力はエンドフェイズまでその数値分アップする。
この効果はバトルフェイズ中及び、相手ターンでも使用できる。
???



 女性が結晶でコーティングされた長剣を、中空のガイアへと向ける。
 対してガイアも両腕の突撃槍を構え、跨いでいる飛竜の横腹を3度蹴る。
 ――それは突進の合図。 
 だが、ガイアが動き出すことはなかった。
 身の丈ほどの突撃槍程度では、長さが足りない。
 地上から伸ばされ、ガイアを貫いている結晶剣に比べれば、圧倒的に。
 剣の形をしていたことこそがそもそもの騙しだったのだ。槍だったなら、あるいは“伸びる”可能性に至れたかもしれない。

 だがそれは無意味な、終わった仮定。
 尚も結晶は、拡大する。
 片方の突撃槍を手離し、腹に刺さった結晶剣を掴むガイアだが、体内で何かが引っかかって移動できない。
 その直後。
 脇腹から結晶が生えた。騎士が苦悶の表情を浮かべ、次いで掴んだ掌を貫通した結晶の針が手の甲に姿を覗かせる。
 針は放射状に枝分かれして手の甲にへばりつき、右腕が固定された。
 彼女にとって結晶は手足のような――いや、手足よりも便利に違いない。
 そうしてガイアは結晶の棘に、肉体を中から壊された。手足、腹から胸にかけて、背中、そして首から上も。眼球や頭頂までもが、あまりにも平等にして残酷な不規則性を以って穿たれた。
 正直、この状態から結晶を取り除いて欲しくない。おそらくは無数の穴で見るに堪えない光景が広がるだろう。
 結晶と破られた皮膚の間からぼたぼたと赤い液体が流れ落ちる。
 その一滴がガイアの巻き添えで結晶に喰われた飛竜を伝って落ちると同時に、竜騎士は粉々に砕けた。


 健 LP1400→0


「クリスティルス……大陸を統べる予定の皇帝よ。これからは僕達がその世界を平和に導いてあげよう」

 少年が発したその言葉が何を意味するか、健にはまるで理解できなかった。けれど、理解したくもない。
 クリスティルスは何事もないかのように佇んでいた。
 一人と一頭を惨殺しておきながら、顔色一つ変えずに。
 だが、ソリッドヴィジョンのモンスターでありながら、彼女は無表情の奥で弱みを必死に押し殺している――健にはそう感じた。
 己の所業に心を痛めたか、皇帝という職業上の問題か。
 少なくとも、簡単に涙を見せていい地位ではないだろう。
 決してそれだけではないような気もするのだが――結局その意味までは思い至らず、クリスティルスの映像が消えるとようやく現実に返った。


「……で、いるのか、本当に?」 
「当たり前だよ」
 少年の口調はすんなりと元に戻る。

「君だって見ていたよね。高原みのり先輩は苦しい過去を思い出して、それでも健気に戦ったんだよ。折角勝利したのに貰って帰らなきゃ、先輩にかわいそうだよ」
 まるで彼女を心からの仲間と思っているかのように語りだす天城一也。
 ――いや、間違えた。“騙りだす”だった。
 序列など気にしそうにない彼が、わざわざ先輩などと付けている時点で怪しいことこの上ない。

「だとしたら悪いな。俺はどこに隠されているか、教えられていない……んだよな……。はぁぁ……」
 書の在り処を教えられていないのは事実だった。
 つまりそうやって、敵が勝っても渡せないように仕組んでいた。
 そう思ったからこそ、健は簡単にデュエルを受けたのだ。
 ……とんだ見当違いだ。獏良の真面目さを呪わずにはいられない。

 デュエルフィールドの中央には直径2メートルぐらいの円が描かれていたが、突如それが開き、書を乗せた台がせり上がってくる。
 台は、素材は分からないが透明のドームで覆われ、床から地上1メートルぐらいのところで停止すると、続けてドームも開いて台の下部に収納された。

「そりゃあ、負けた俺が悪いのは分かるけど、もう少しリアルでも狡猾になってくれよ……」
「でもそれこそが『闇狩り』を完全に吸収できなかった理由だ。僕達の方がより望みに近いと分かっていても、あの天然と純朴さに心撃たれて残った者だっていないわけじゃない。本当は『アムナエルの書』奪取の段階で、『闇狩り』の9割を掌握するつもりだったんだよ」
 実際に寝返ったのは半分弱だったか――彼我の戦力差は大きく開いたか逆転したのだろうが、そう聞くと組織の首領らしい例の兄妹の母親に対する言い知れぬ脅威感も薄れてくる。己の人望を過信する相手ほど楽なものはない。

 健のその考えは半分当たりで、半分間違っていた。
 少年が言った9割とは人員だけではなく、組織のシステム全域を指している。
 『闇狩り』を芯から潰すなら、現場で戦う人員よりもシステム管理に携わる事務員を落とさなければならない。
 対して、『闇の力』に盲目的な憎悪と執着を持っている人間は戦闘要員に固まっている。それどころか事務員の中には、それこそ海馬コーポレーションとの契約関係が最大限に生かされており、同社の社員も少なくない。下手に接触すれば逆に組織の存在を嗅ぎつけられかねず、結果その者たちとの交渉は進まない状態で『アムナエルの書』強奪作戦を実行する羽目となった。
 『闇狩り』は現場要員の8割以上が寝返ったことにより、大規模な作戦行動は取れなくなった。とはいえ、制圧された拠点は重要度の低い所ばかりで、戦力は数より質が求められる業界。壊滅させたと言い切れないことは、組織側が誰よりも理解していた。今回、天城一也は『闇狩り』のリーダーに勝利したものの、簡単に勝ちを拾えたのはそれこそ高原みのりの手引きによるメタデッキのお陰という面もある。
 さらに、こうして一時的に大きな戦力差は付いたが、両組織にとって喜ばしくないことに『闇の力』、『闇のデュエル』による被害は後を立たない。つまり戦闘員については、これからでも盛り返せるのだ。受け皿がほぼ二択である以上、どちらに加わるかは接触の速さ次第。その点、海馬コーポレーションでやっていけるだけの有能な事務員ならば、獏良が本拠を離れていても、独裁状態の組織より能率的に構成員の拡充ができる。
 

「まあ、それは置いといて。君には書を上まで運んでもらいたいんだけど」
 少年が唐突に健へ頼む――のではなく命令してきた。

「……運ぶって、俺がか? 本物かも確かめずに?」
 台の上にある『千年魔術書』は、果たして本当に闇のアイテムの祖たるものなのか。
 あまりにも簡単に出てきたことで、そちらの疑惑が濃くなる。逆にその疑いこそが獏良の狙いだとすれば、こちらが本物。
 しかし少年は迷わずに書を手に取った。

「別に贋物でも問題はないよ。ただ、君が抵抗する間もなく死ぬだけのこと」
「意味がさっぱりだ。どう関係があるんだよ……」
 まともな答えは期待していなかったが、少年の反応はそれを上回る。

「やっぱりこの本、結構重たいね」
 いわゆる全面無視。飄々としていた柄になく真面目な態度でなければ、同じ感覚で突っ込んでいた所だった。

「僕が持っていたら両腕がふさがるじゃないか。後ろから刺されて奪われた、なんてことになったら目も当てられない。死にたくなかったら、指示通りに動いてもらうよ」
 そう言って少年が取り出したのはデリンジャー。口径は41だろうか。
 殺傷力は高くないが、サイズは小さく隠し易い。ハイスタンダード・デリンジャーならば多少火力も補えるはずだが、アレには安全装置がないため引き金が重く、少年の握力では扱えないのだろう。
 ――いやまて、そんな呑気に分析している場合ではない。俊敏に動くことを重視した密偵が、しかもデュエルをしに行くのに防弾用の着衣なんて使わない。
 世界には傭兵を副業にしているデュエリストもいるそうだが、それこそ現在エジプトで起こっているような戦争でもない限り、着用するだろうか。(俺は常時装備しているぞ。 byオブライエン)
 しかも構えからして、普段から撃ち慣れていることが見て取れる。確かに拳銃間で比較すれば殺傷力は相当低い部類だが、それでも拳銃は拳銃だ。即死はせずともこれからの行動――あるいは人生そのものに支障をきたす危険はある。
 
「分かったよ……。運んでやるから、そいつを下ろしてくれ。怖くて動けない」
 我ながら情けない理由を選んだとは思うが、下手に恫喝するより効果が高いのも確かだ。
 密偵の仕事は戦うことではない。いや、正面から戦うのなら、そもそも密偵ではない。
 敵であることすら気付かせずに工作し、情報を持ち帰ることこそ本来のあり方だ。
 もうその段階は望めないが、意地を張って無駄死にするなど人間として愚の骨頂である。

 少年は一応構えこそ解いたものの、下ろした右手には依然として拳銃が握られている。
 そして健が台座に近寄るのに合わせて、背中は見せずに距離をとる。

「…………」
 『闇のアイテム』――しかも本物ならその始祖。そういえば『十二次元解説書』には「心の弱いものを滅ぼす」、とか書かれていたような気がして、触れる前にごくりと息を飲んだ。
 躊躇してしまわないよう、何も考えず一気に書を掴む。

「何も……起きないな」
 それが全てだった。折角心構えをしておいたのに、記憶が流れ込んでくるようなこともなかった。
 確かに少年が持つには多少不安定な大きさだが、不自然に重くはない。ごく普通に持ち上げられる。
 逆に自然すぎることへ疑いはあるが、形にならずに霧散した。
 
「ね、特に何もないだろう? それじゃあ階段へ行ってもらうよ」
「……仕方ないな」
 現状、健は少年に言われるがままだが、それでも多少の打算は含まれている。
 ここで健に書を持たせるからには、後に奪い返す方法も用意しているはずなのだ。
 どのような敵か、そして敵の数は分からないが、少なくとも獏良と戦っていた少女だけではないだろうし、あるいは永瀬沙理亜が自ら出張って来ているかも知れない。それらの情報を持ち帰ることができれば。
 リアルでも油断ならない相手が揃っているだろうが、少年によれば、どうやら健はここで銃殺されなくても結局死ぬことになっているらしい。
 生きられるものなら生きたいが、抵抗の有無に関わらず殺されるのなら、最後の足掻きぐらいしておきたい。

 金属製の階段に足音が響く。
 何度か少年を振り切ろうと考えたが、残念ながらこの階段は一直線だった。
 拳銃の選択は威力よりも使い易さを追求しているため、余程当たり所が悪くない限り死に直結するような傷を負う可能性は低いが、少なくとも地上で敵戦力の全貌を知るまでは危険を冒すわけには行かない。
 死は覚悟するにしても、せめてそれぐらいは獏良に伝えておかなければ密偵として失格だ。
 ふと『千年魔術書』に目を落とす。
 金に輝くウィジャト眼は見慣れても、心から慣れることはないだろう。
 書から発せられる第六感上の“何か”を感じ取る素質は健にはなかったが、永瀬沙理亜率いる組織は元考古局前に30名近い兵を配し、拳銃まで持ち出してきている。
 こういった人々の昏い感情に関してなら、人並み以上に敏感だ。
 “コレ”はそういう品だ。『闇の力』がどうこうの前に、人間同士の争いを誘発させる。『闇』が込められていない贋物かもしれないのに、それでも構わないとまで言わしめるのだ。そう考えると、永瀬沙理亜の『闇のアイテム』完殺思想も間違ってはいない。
 惜しむらくは第三者的立場からの意見ではなく、自らが争っている張本人という点か。出来レースのように見えて、理は得られても理解はされない。
 ただ残念なことに、そこまで考えが及ぶのは一部の者だけだった。それに仮に到達していても、『闇狩り』ののんびりしたやり方より、革新的手法に託してみたくなるのも分からないでもない。
 ――その手段が、余りにも非人道的でなければ。
 永瀬瑠衣に対する所業の一部を、健はその目で見た。
 
「なあ、少年。君は本当に『闇の力』を滅ぼすなんてことが出来ると思っているのか?」
 歩くペースを落として、健が尋ねる。

「さあ、それは首領の考えだ。僕たちはただ、その過程で自分の目的も果たせるから付き従っているだけだよ。最終的にあの女や『闇の力』がどうなろうが、関係ないことだね」
「……そうか。つまり、あんたらは永瀬沙理亜の行動について本質的に無関心なわけだな」
「そうなるね、海馬コーポレーション所属の密偵、桐原健。護衛対象はたしか、永瀬……」
 天城一也はそこで考え込む。どうやら本当に覚えていないか、あるいは知らないらしい。

「おいおい、『闇』を討つための鍵じゃないのか」
「だからこそ言わないんだ。誰だって、自分の手で倒したい敵を横取りされたら気分が悪くなるだろう? 手段はあると明かしても、その正体には踏み込まない。ガリウス脱出時から共にいる創立メンバーぐらいしか知らないんじゃないかな」
 てっきり組織のほぼ全軍を動員して永瀬瑠衣を捕えようとしていると推測していた健にとって、その話は驚愕に値した。
 同時に少しほっとする。自分が助けたからというのもあるが、純粋に何とか逃げ延びて欲しいと思う。
 彼女の得物であるM&Wは、剣や銃と比べて多対一の限界が非常に早く訪れる。せいぜい三対一、実力差やデッキ次第でも四、五人が良い所。それ以上ともなると、どれだけ絶大な実力を誇っていてもルール決定の段階で余程有利な条件を引き出さない限り、プレイングでは覆せぬアドバンテージ差の前に屈するしかない。相手のモラル次第では、デュエル中に取り押さえられる危険すらもある。
 しかしその任に当たる者が少数なら、まだ可能性は尽きていない。
 タイマンでは、彼女の実力は後ろを歩く天城少年にも劣っていないだろう。
 ――そして。
 この話が本当なら、永瀬沙理亜の計画に後任はいないかもしれない。

 地上に続く扉が近づいてきた。その証拠に、隙間から入り込んだと思われる砂が徐々に増えてきている。
 出る先は、一度通った場所なれど、おそらく完全な敵地に変化しているだろう。緊張により歩みは遅くなっていく。
 とうとう上に伸ばした腕が天井に当たるようになり、階段横の壁に設置されたスイッチを押すとスライドした扉から、強烈な陽射しが降り注いだ。
 同時にこみ上げてくるのは、溢れ出さんばかりの開放感。地下に潜ったのはまだ三日前、内装とてそう陰気なものではなかった。
 それでもこうして外に出ると、何日も陽の光を浴びずにいたことによる欝屈とした閉塞感に支配されていたのが手に取るように分かる。そんなネガティブ思考が、夏の屋外にさらした氷が溶けるような速さで消えていくのも。
 地下への入り口の周りには、五人の男が健の登場を待ち構えていた。ナイフで武装しているのが二人、木刀が一人、残りの二人は武具等こそ持っていないものの格闘に長けていることが窺い知れる。彼らの奥には、銀の建物によって生じた日陰に身を寄せている女が二名。獏良が退けた“一人目”の少女と、

「永瀬沙理亜……だろうな」
 容姿は写真で確認した通り。実年齢よりは若く見えるが、傍らの少女と比較して「お姉さん」になるほどではない。
 だがそれとは関係なく、永瀬沙理亜はある種――健の見立てでは、忠実な兵士を生み出す狂信的な質の――危険なカリスマを発揮している。
 沙理亜は何やら少女と話し込んでいたが、こちらに一瞬だけ目を向け、不敵に笑んだ。
 普段の健ならばここで戦うことを面倒に思い諦めていた所だが、相手が永瀬沙理亜であること、地上に出た開放感、これらが重なり合って気が変わった。
 書の引渡しを要求してくる沙理亜の部下。その中に飛び道具を持つ者はいない。
 少年がようやく追いついてきて、再び銃を向けようとする。撃つ覚悟も撃たれる覚悟もあるのだろうが、如何せん彼の運動能力はプロ顔負けのデュエルの実力に反して年相応だった。
 
「――ほらよ」
 健はこの場にいる全員に聞こえるようにそう叫び、書を上へと放り投げた。
 腕が軽くなった健は、振り向きざまに書に注意を向けている少年の銃を手刀で叩き落とし、しゃがんでそれを拾うと、やはり書の奪取以外に気が回らない連中の間をすり抜け、永瀬沙理亜の正面に立つ。
 この数瞬、健は密偵として鍛えた腕を、人を殺すために使っていた。
 理由は健自身にもよく分からない。その一つに永瀬瑠衣を自由にしてやりたいというものはあるが、それでは彼女を殺しの言い訳に使っているようで申し訳ない。

「いやあっ!」
 沙理亜と話していた少女が悲鳴を上げてその場から逃げるように離れる。銃口が沙理亜を向いていることに少女は安堵の息をついたが、首領が危険であることをすぐに思い返したのか、はらはらしたようにこちらを見つめる。
 正直これは助かった。標的は永瀬沙理亜一本であり、余計な殺しをするつもりはない。狂的カリスマの持ち主である以上、割って入る者がいないか不安だったが、少年が言った組織の内部事情の方が正しかったらしい。
 敵の飛び道具は少年の持つ拳銃一丁だけだったようで、銃口を沙理亜の頭に合わせようとするのに対して、少年だけでなく五人の男も動きが取れないでいる。
 そう、狙うべきは心臓ではなく頭。沙理亜はエジプトの直射日光を防ぐため長袖の服だが、その下にαの命名曰く『DDショックジャマー』を着ている可能性は高い。それは「デュエルディスクの衝撃から身を守る防護スーツ」らしいが、もしαの言う通り「異世界の技術を用いた」品だとすれば、銃は効かない。つまりそれは『闇の力』で編まれたということになるからだ。
 『闇の力』に現代兵器など無意味。“関係者”ならば、健のような新参の下っ端でも真っ先に知り得る事実だ。
 遺言の機会など与えない。考えもしない。そんなのは演出に拘る漫画の世界だけでいい。
 白昼堂々、黙々と健は暗殺に着手する。
 完全に密着して撃つのが標準的なデリンジャーの扱いとはいえ、永瀬沙理亜のことだから奪われることを想定し、近づくと起動する仕掛けを用意しているだろう。
 装填可能な2発が両方とも残っていることは確認してから、まだ少しの距離がある中で、連続して引き金を引く。

 銃声。

 その直後に聞こえたのは。
 誰の叫びでも悲鳴でもなく。
 カン、とアルミを弾いたような、間の抜けた音。
 それは永瀬沙理亜を仕留めた音であるわけがなく。

「取り押さえなさい」
 命を狙われたことによる恐怖など微塵も感じさせず、沙理亜は簡潔に指示を発する。

「な……!?」
 ようやく脳内で形になったその現象を口に出す前に、健は男らに組み伏せられ、拳銃も引き剥がされた。
 拳銃はナイフを持った男から沙理亜の手に渡り、今度は健の後頭部に銃口が突きつけられる。
 殺すなら殺せ、とは冗談でも言わない。
 未遂とはいえ命を奪おうとしておこがましいが、まだ死んでもいいとは思わなかった。

「さて、依頼人が誰か答えてもらおうかしらねぇ」
 沙理亜がねっとりした口調で尋ねてくる。
 これは健にとって、存外に良い方向へと進んだ。
 この暗殺は依頼人など存在しない、まるっきり独断での行いだが、どうも沙理亜はそうは思っていないらしい。

「言わなかったらどうする? 拷問でもするか?」
「死んだ方がマシだと思わせてあげるつもりよ。さあ、どうするの?」
 いもしない依頼人について話せるわけがないのだが、いないと分かれば組織だった敵対を警戒しないで済むため、生かしておく理由は極めて希薄になるだろう。
 ここは何としても“言えない”という態度を貫き通さなければならない。

「言うかよ、そんなこと。まあ、安全を保障してくれるなら考えないでもないが」
「論外ね。君には計画のための尊い犠牲になってもらう予定だから」
 実に容易く一蹴された。

「そうだ、デュエルしないか。勝ったら見逃してもらえるっていう条件で」
「…………」
 何故だか黙り込んでしまう永瀬沙理亜。
 おそらく、呆れて物も言えない状態だろう。
 デュエルに勝ったら見逃す。我ながらどれだけ図々しいデュエル脳だと突っ込みたくなるが、受けてもらえるとも思っていない。
 策を考えるための僅かな時間稼ぎのつもりだった。

「いいわ、それで」
 だから最初、健は永瀬沙理亜が何を言ったのか、まるで理解できなかった。

「くだらない茶番ね、あなたに依頼人などいないことなんて端から知っている。大方、瑠衣の護衛をしている間に情でも移ったのでしょう。天城一也にすら勝てなかったくせに」
「……いや、それで合ってるわけなんだが、だったらその条件を飲むなんて尚更あり得ないだろ!」
「黙りなさい」
 冷ややかに、沙理亜。
 
「あなたの考えは求められていない。デュエルで命を狙った分の仕事をしてもらうと、もう決めた。そこで死んできなさい。本命は……そうね、高原みのり、どうかしら?」
 不意に話を振られた少女は見ていて可哀想なぐらいに取り乱してしまう。

「え!? 私は、でも、えっとその……」
「この男が怖い?」
 先刻モニターで観戦していた際の強気はどこへやら、こくこくと頷く高原みのり。
 確かにあれらの銃弾が全て沙理亜に届く手前で見えない壁か何かによって弾かれなければ、今頃健は殺人犯だし、そうでなくとも未遂犯だ。
 彼女が怖がるのも無理はない。
 しかしその健も、本命だとか仕事だとかの意味を図りかねている。

「心配しないでいいわ。この男が狙っているのは私の命だけ。あなたに手出しはしないでしょう」
「せめて断定してくれ」
 地面に押さえつけられたまま頼む健。
 何も知らない人が今の言葉だけ聞いてこの光景を目にしたら、健はただの変質者だ。

「無理ね。人間、追い詰められると何をしでかすか分からないものよ、今のあなたみたいに」
 うん、正論だ。何も言い返せない。
 お陰で高原みのりを人質にとるという策を考え付いてしまった。

「それでだ、永瀬沙理亜。お前、俺に何をさせようとしているんだ? ただのデュエルじゃないみたいだが……」
「あぁ、まだ話してなかったわね」 
 そこで沙理亜は一呼吸置き、続ける。

「私たちがエジプトへ来た目的は二つ。一つ、考古局改め特別国防局の防御が手薄な隙を突いて、『千年魔術書』を奪取する。二つ、『千年魔術書』を用いてこの地に眠る闇の魔物、コードネーム「とある悲劇の復讐者」を抹殺する」
 またわけの分からない単語が出てきた。

「闇の……魔物?」
「古代エジプト時代の遺物、に近いかしら。当時の神官は魔物をこの地にいくつも封印していった。でも憎らしいことに、それは抹殺ではなく封印。問題の先延ばしでしかないわ。遺跡の発掘等によって封印に綻びが出れば、いとも簡単に破られてしまう。で、「とある悲劇の復讐者」はその中でもとびきりの大物。千年アイテムでも封印がやっとなら、もうその上にあるのは『千年魔術書』を置いて他にはないわ」
「だから『千年魔術書』を奪いに来た、か。話し合いで借り受けようとは思わなかったのか?」
「瑠衣の協力が得られないとあっては、『千年魔術書』クラスの魔物を全て倒すまで『書』は手放せないし、それが終わっても、返さずに壊すつもりよ。そう説明したら貸してくれると思う?」
 ……騙し取ろうとしなかったことを褒めるべきだろうか、これは。

「じゃあ、何で俺がそいつとデュエルすることになるんだよ?」
「ふふ、それはね」
 何故か楽しそうに語る永瀬沙理亜。

「その魔物は恐ろしいことに人に取り憑き、精神を支配する術を持っているわ。これは『千年魔術書』の力を以ってすれば防げるけれど、相手は強大な闇の魔物、こちらから致命傷を与えることはまず不可能。けれどデュエルならば。デュエルはかつて、魂のやり取りをする儀式とまで言われていたそうよ。これで勝利すれば闇の魔物といえど無事では済まないはず」
「はあ……」
「まあ、向こうだって易々と滅ぼされる気はないでしょうから、自身を具現させた未知のカード、デッキを使ってくるでしょう。その調査をする役目に、私についてきてくれる組織の人間を使いたくはないじゃない?」
「………っ! じゃあ、まさか――」
 ようやく永瀬沙理亜が健に何をさせたいか、理解できた。
 つまり、犠牲覚悟の偵察になれと。相手のデッキ、戦術、それらを引き出すだけ出させて滅ぼされろと言っているのだ。
 本命というのは、おそらく健が負けたあとにその情報を引き継いで戦う者のことを指しているのだろう。高原みのりも健への怯えとは異なる、小刻みな震えを繰り返していた。
 冗談じゃない、願い下げだ、と両断したくなったが、そこで自分の今の立場を思い出してしまい諦念が走る。

「そこまで強大な相手に初見で勝とうなんて思うほど、実力を過信する馬鹿はこの組織にいないわ。でも、私でさえ避けたい初戦での勝利――それを成し遂げたならば、この場は見逃してあげましょう。ちなみに拒否権はないわ。そっちが言い出したことだしね」
「く……分かったよ、行ってやる。別に勝っても問題ないんだろ?」
 デュエリストという観点では、永瀬沙理亜の策は気概に欠けるのだろうが、リアリストとしてなら正しいことこの上ない判断だ。
 そこでようやく健は拘束を解かれた。しかし服に仕込んだ暗器の類は全て奪われており、改めて沙理亜を狙うことは困難である。

「そのセリフ、知る人ぞ知る死亡フラグよ?」
「でさ、これから死地へと赴く可哀想な密偵に教えて欲しいことがあるんだが……」
 変に捩じ上げられて痛みが残る手足をほぐしながら健が訊く。
 沙理亜の指摘など、当然のごとく無視だ。

「どうやって、あの銃弾を逸らしたんだ?」
 それがこの状況での、最大の疑問だった。
 銃弾は沙理亜に届くことなく、手前に生じていたと思われる見えない壁に阻まれた。αが使っていた防護スーツというわけでもなさそうだし、そのカラクリは把握しておかなければ、いつか組織と全面戦争に突入した時、一方的な状態に陥ることになる。
 教えてくれるわけがないだろうと諦め半分だったが、沙理亜はどこからともなくカードを取り出した。

「ふふ、こんなこともあろうかと、私はこのカードを『闇のアイテム』と一緒に常時携帯しているのよ」
 その名前とイラストと、そして効果テキストを注視し、健は叫ばざるを得ない。

「こ、こんなカード、ありかよ……『絶対無敵−パーフェクトバリア』ぁ!?」



絶対無敵−パーフェクトバリア 永続罠

 このカードは他のカードの効果を受けず、コストにすることもできない。
 このカードがフィールド上に存在する限り、以下の効果が全て発動する。
 ●自分が受ける全てのダメージは0になる。
 ●自分がドローする時、デッキにドローするカードが残っていなくても、自分はデュエルに敗北しない。(足りない分のドローは行わず、そのままデュエルを続行する)
 ●「封印されしエクゾディア」「毒蛇神ヴェノミナーガ」「究極封印神エクゾディオス」「終焉のカウントダウン」「ウィジャ盤」「ラストバトル!」「自爆スイッチ」の効果は無効になる。



 ただでさえ『闇の力』の前に現代兵器は無力なのだ。その上効果がこれでは、弾道ミサイルやクラスター爆弾はおろか、放射能すら通さないのではないだろうか。

「I2社がデュエルディスクのカード効果作動テスト用に開発したカード。もちろん実戦のデュエルでは使えないけれど、別にこれなら問題ないでしょう?」
 いやいや、そういうレベルではない気がする。

「なんて効果なんだ……! ややシリアスで出ていることなんて序の口。本当の恐ろしさは、こいつを倒す手段がデュエル以外になくなること! 『おい、デュエルしろよ』が超展開じゃなくな……おい、こそばすな!」
 横腹をこそばす、それはどんなに痛くて苦しい拷問に耐えられる者をも陥落せしめる脅威の業。
 犯人は天城一也少年だった。

「今のを最後まで言ってたら、君、色んな意味で抹殺されていたんじゃないかな。それじゃあ、応援しているから行ってきてよ」
 思い返せば、少年は『千年魔術書』の真贋に関わらず健は死ぬことになるとかほざいていた覚えがある。
 つまりこの処遇は、健が歯向かわずとも決定事項だったのだ。三人目が誰であろうと、魔物の戦術を調べるための生贄にされていたに違いない。
 結果的に沙理亜が『絶対無敵−パーフェクトバリア』で守られていることが判明した分、暗殺を強行した甲斐はあったわけだ。
 高原みのりは『千年魔術書』を手渡されると、水を得た魚のように決然とした表情へと転じた。
 健が近くへ寄っても、まるで怯えを見せない。

「それじゃあ、行こうか。えーと……高原さん」
「命令するのは私です。あなたは目的地がどこかも知らないはずですよ、桐沢健。では改めて、行きましょう」
 ……小動物系に近かった印象からすると、変わり過ぎではないだろうか。
 いや、最初の見立ての方が誤っていたのか。あるいは本当に変貌した?
 いずれにしても追々話していけば分かるだろうと、健は楽観的に考えていた。

 そして。
 このようなことで真剣に悩んでいる健は。
 まだどこかでこの事態を飲み込めず、逃避していたのかも知れない。
 健に真実を悟らせるのは。
 人に取り憑く力を持つ、闇の魔物。
 そのコードネームは――――




 次回『とある悲劇の復讐者』





9章 とある悲劇の復讐者





「ここ……みたいだな」
 健は『書』入れた鞄を肩から提げ、距離をとって後ろからついてくる少女に声をかけた。

「はい、本隊からも連絡が届きました。この先に目的の魔物が封じられているそうです」
 そこはカイロの郊外。地理的には『千年魔術書』の隠し場所である街中からそう遠くはないが、鉄と電気で囲まれた封印とは、精神的にかけ離れている。
 クフ王、カフラー王、メンカウラー王がそれぞれ眠るとされている、ギザの三大ピラミッド。その近くには、もう一つ歴史的遺物がある。
 大スフィンクス。
 永瀬沙理亜の見立てでは、その内部、あるいは地下に魔物がいるらしい。

「その魔物について、もう一度教えてくれるか? 勝てるものなら勝ちたいし」
「……そうですね。私も、二度とあの様な光景を目にしたくはありません。あなたは『闇狩り』の方ですが、敵が魔物とあれば、その気持ちは同じです」
「俺の所属は『闇狩り』じゃないんだけど」
 少女はその指摘には反応しない。

「魔物の名前は不明。性別、不明。体長、重量も不明……」
「って、おい、不明ばかりだな」
 送られてきたデータを読み上げるみのりに健が突っ込む。
 少女はその間、読むのをやめたが、またすぐに再開した。

「性格、ゲーム好き。特殊能力……生物の意識の乗っ取り。罰ゲーム、主に昏睡」
 ぎょっとして健はそれを読んでも動じない少女に訊ねる。

「あのさ、そんな奴と戦いになる――少なくとも、なると思っているのか?」
「ええ、何のために『千年魔術書』があると思っているのです」
 自分はあっさりと獏良に負けたことを棚に上げ、鼻を鳴らして答えた。

「これの力を用いれば人間でも、いえ、人間だからこそ対当以上の立場を得られます。無論これだけで倒しきることは困難でしょうが、魔物の持つ特殊能力をかわし、デュエルに持ち込めれば勝機は生まれます」
「で、俺とその魔物が戦っているのを観察してデッキ調整するわけか。確かに万全の体制だわな、そりゃ」
 うんうんと頷き、そして目を細める。

「だが、理解はできても納得できない。お前らの目的ってアレだろ、『闇のアイテム』の破壊。なのに『千年魔術書』を“使って”いいのか?」
 余りにも堂々と使っているため失念していたが、本来この組織は絶対に『闇のアイテム』を使ってはならないはずだった。

「仕方のないことです。その力が組織の手元にない以上、悪を以って悪を制すことは厭いません」
「だったら、その考えは『闇狩り』と同じじゃあ……」
「いいえ、『闇狩り』の考え方は『闇の力』に正の方向性を求めています。ですがどう取り繕おうと、『闇』は闇でしかないのです。負を撒き散らす要因と認め、本質的に忌避できているか否か――その点で私たちは『闇狩り』と立場を全く異にする存在です」
 なるほど、確かにそれは一理ある。
 無関係の人間からしてみれば――むしろ敵意を向けられている獏良もそう思っているだろうが――どうでもいい、些細な違いではある。しかし、些細だからこそ、一度思い込んでしまうと容易には抜け出せない質の考え方のように思う。

「とまあ、これが新たなメンバー候補に対しての勧誘文句です」
 折角の講釈を自分で台無しにする高原みのり。
 
「とりあえず諍いは後にしましょう。私は何度か魔物と戦ったことがあるので、忠告しておきます。軽い気持ちで挑めば、即、命を落としますよ」
「ああ、覚悟はできている」
 魔物側にとってすれば平等なルールで行われるデュエルよりも、自身が持つ圧倒的な『闇』を用いた方が簡単に人間を葬れる。
 だが、『千年魔術書』には、いわゆる自己防衛機能のようなものが備わっており、人の意思を介することで、生じる防壁はさらに強固になるらしい。健たちが頼みとするのはその能力だ。

「時に桐沢さん。『千年魔術書』と『アムナエルの書』で、精製できる『闇のアイテム』に違いがあることは知っていますか?」
「いや、数日前まで一般人だったし。戦いが終わった後も一般人として生きていけたらいいんだけどな」
 ごく普通に返しただけだったつもりだが、何故かみのりは過剰に反応する。

「今この状況で戦後のことを話すなんて……! どれだけ死亡フラグを乱立したいのよ……!」
「ん、何か言ったか?」
 一応耳に入っているが、何とはなしに聞き返してみる。
 こいつら、リアリストの割に、死亡フラグには敏感なようだ。
 むしろリアリストだからか?

「大したことじゃないです。それで、知らないのですね?」
「あぁ、そう言ってるだろ」
「では……『千年魔術書』に書かれている『闇のアイテム』の作り方は、どれも非人道的なものばかりです。そして性能も偏っています。七つの『千年アイテム』というのが、一番馴染み深いと思いますが……」
「武藤遊戯が持っていたあれか」
「そう。武藤遊戯が所持していたのは『千年錘』。あれの能力だけはよく分かっていないのですけど、例えば『千年秤』はM&Wでいうモンスターの“融合”を司っていたそうです。他にも『千年錫杖』は精神に支配し、『千年首飾り』は未来視を行い、『千年環』は邪念や他の『闇のアイテム』を探知するといった能力を持っているとか。今は全部行方不明ですけど」
 そこまで詳しい話を、健は聞いたことがなかった。
 さらに少女は続ける。

「尖がった性能とはいえ――むしろ尖がっているからこそ、担い手は限られるし、試練プログラムも組み込まれている。記述されている内容はどれもえげつないものだけど、現代じゃ準備は大掛かりになって当局に察知され易い。だから本当のことを言えば、『とある悲劇の復讐者』の件さえなければ、『千年魔術書』の優先順位はそれほど高くなかったんです」
 万一とある悲劇の復讐者がガリウス軍に与するようなことがあれば、その人に取り憑き操る能力によってエジプト軍の形勢は一気に不利になる。寄せ集めに過ぎないエジプト軍の中に“血迷った”兵士が出てしまえば、計り知れない混乱が生まれ、あっという間に瓦解してしまうだろう。
 直接参戦こそしないが、誰よりもガリウス打倒を願っているのは彼ら組織の人間なのだ。

「そいつは責任重大だな。でも、どうして教えてくれるんだ?」
「永瀬沙理亜は『闇の力』について、世に伝え広めるべきとの考えを持っています」
「広めるって……どういう意味で?」
「もちろん、使ってもらうためですよ。近しい人を闇送りにしたら、その人は正気でいられるでしょうか。そして、そんな危険な代物の存在を周囲の人々は容認できるでしょうか」
「そんなの無理に――いや、正直考えたくないが、闇送りの連鎖が起こる可能性もあるんじゃないか」
「ええ、そのどちらかでしょう。そしていずれにしても、彼女には好都合であることも分かりますね?」
 前者であれば被害者を組織に引き込めるし、連鎖になってしまえばもっと酷い。 
 おそらく関わった全てが殲滅対象となるだろう。永瀬沙理亜ならばそれくらいはやる。

「それに、あなたに言ってどうにかなる話じゃないですけど、私もあの女を全面的に信用しているわけではありませんから」
 獏良の説得によるものか、元々そう思っていたのかは分からないが、嘘ではなさそうだった。

「もう一つの『アムナエルの書』による精製法で作られた『闇のアイテム』ですが――能力では、やはり『千年魔術書』製のものに劣ります。千年アイテムに見られるような、強力な付加効果はありません。ただその分、使い手に求められる能力は低く、量産が可能です。それでいて、『闇のアイテム』の基本である『闇のゲーム』の展開及び幻想の現実化、そして敗者へ罰を与える機能は健在と来ています。これも製作者であるアムナエルが“広める”意思を持っていたからと、私たちは解釈しています」
「そっちは、本当に広めるのが目的で?」
「はい、何年か前にデュエルアカデミアの大徳寺教諭が論文を発表しています。錬金術――と、すみません、『闇のアイテム』の精製は、ある種の錬金術と考えられているのですが――それは、人類の進化を促すものだと語っています」
 これはまた胡散臭い。
 アムナエルとかいう錬金術師の思想など及びもつかないが、そこに人類の進化を絡めてくる大徳寺という教師も果たして何を考えているのやら。

「さらに彼は、錬金術がM&Wと深い関わりを持っているとし、特に『融合』に興味を示しています。複数の素材を組み合わせ、新たな何かを生み出す行為は錬金術そのものであり、それは人類史の中でも幾度となく繰り返されている真理である、だったかな」
「恐るべし、M&W……って、待てよ。その大徳寺っていう教師も『闇のアイテム』を広めることを是としていないか?」
 そうだ。人類の進化を促すと言いながら、そこで『闇のアイテム』が持つ危険性について警鐘を鳴らさないのであれば、『闇のアイテム』の流通が為されて良いと考えているに違いない。組織側はもちろん、健も一般人の視点からそれが望ましいこととは思えなかった。

「なるほど。確かに彼は行方不明です。しかし、拠り所である『アムナエルの書』がもはや破壊されていることを鑑みれば、そこまで必死になることもないでしょう」
「ふーん、そうなのか」
 流すような反応をするが、実際はこれこそが本当に重要なポイントと睨み、悟られないためわざと反応を薄くしたのだ。
 行方不明と知っていながら捜そうとしないのは、これまでの永瀬沙理亜の行動からしてあり得ない。
 協力者になっているか、あるいは既に亡き者なのか。
 詳細を判断する材料は欠けているが、少なくとも組織は大徳寺という男について警戒していない。
 ――そして。
 確かに今、高原みのりは口にした。『アムナエルの書』は破壊されていると。
 永瀬瑠衣が予想通りの力を持っているのなら、彼女と兄が沙理亜と接触して異世界へ向かったあの日、おそらくは騙し討ちに近い形で書に触れさせたのだろう。
 『闇狩り』はまだ『アムナエルの書』の奪還を諦めていないはずだ。組織との全面抗争も考えられる今、無駄な労力を使わせるわけにはいけない。

 封印の入り口はスフィンクスの後ろ側にあるらしい。
 その頭を見上げながら、熱射の中を徒歩で通り過ぎていく。

「スフィンクス、人の頭と獅子の身体を持つ神話上の生物。古代エジプトのそれは王の守護を担ったとされ、また他の地域では、財宝を守るための門番でもありました。足の本数に関しての謎かけは知っていますよね、あれは古代ギリシアのものですが、やはりその先の道を“守っていた”ためです」
「その中には、敵の封印も含まれていると?」
「沙理亜の調べでは、そうなるらしいです。いずれにしても、これをかざせば分かること」
 背後に回ると、みのりは肩に提げていた鞄から金色に輝く『闇のアイテム』を取り出し、それをスフィンクスに対して掲げる。
 普通に見れば怪しいに尽きる行為だが、表向きには“テロ組織”が暗躍しているエジプトへの観光客の入国は自粛を求められているため、周辺に人はいない。

「さっきした話、覚えてますか。『千年魔術書』製の『闇のアイテム』は『アムナエルの書』のに比べて、特殊な能力を持つものが多くあります。その一つには、スフィンクス下へと続く道の封印を解く力があると沙理亜は判断したようです。能力的には『アムナエルの書』製のものと変わらなくて、どれかは分からないそうなので、他に疑いのある50ほどの『闇のアイテム』を持ってきています」
 言われてみると、みのりは鞄をやけに重そうに抱えている。
 あの中は、ほとんど闇のアイテムだったのか。

「……これは駄目みたいですね。次にいきましょう」
 砂の上に置いた鞄に『闇のアイテム』を戻し、秒で二つ目を取り出すみのり。
 同じようにかざすが効果はなく、三つ目。 
 これを単独で延々と続けるのはあまりにも効率が悪い。

「手伝おうか」
「はい、ありがとうございます」
 簡単にみのりは了承した。
 幸運なことに、彼女の敵意は巧に近い女性にのみ向けられており、自身が男性に話しかけられることについての嫌悪等は特になかった。
 普段学校でそう見られていないのは、単に引っ込み思案なだけで、それは男女関係ない。
 みのりが持つ鞄は間に仕切りが入っており、片方に山ほどの『闇のアイテム』、反対側はたった今試したものと『千年魔術書』が入っていた。
 他にも救急セットや水が入ったペットボトルなどがあり、災害対策バッグとして売り出しても良さそうなぐらいだ。
 みのりは無防備に背を向けている。『千年魔術書』を持って逃げることも考えたが、鞄に入っている『闇のアイテム』のウィジャト眼が何やら本当に健を監視しているように見えたので、気味が悪くなってやめた。

 炎天下で本当にあるのか疑わしくなりながらも作業を続け、おそらく40個目を越えた辺りだろうか、ようやく反応があった。
 みのりの持つ『闇のアイテム』、そのウィジャト眼が輝き出したのだ。
 見る間にスフィンクスの後ろ足を構成する石が内部へ引っ込み、横にずれて道が開かれた。
 下り坂になっているところを見るに、戦場はスフィンクスの内部というより地下だろうか。

「にしても、どうしてここが入り口だって分かったんだ?」
 というより、ここに封じられていること、封印の開け方、それにコードネームや判明している能力の一端。
 どれもこれも、永瀬沙理亜はどうやって突き止めたのかまるで見当が付かない。

「あぁ、それは永瀬沙理亜がその悪魔の眷属を捕え、拷問して聞き出したからですよ」
「!?」
 汗を拭きながら、さらりと恐ろしいことを口にする高原みのり。
 
「只者じゃないとは思っていたが……まさかそこまでとはな。大体、悪魔に拷問なんてどうやるんだよ」
「え、魔物より格上の『闇のアイテム』を見せれば大抵は大人しくなりますよ?」
 さも常識であるかのようにきょとんとして言う。
 聞いてみれば何となく理解できるが、それを思いつき実行に移すか。
 高原みのりも含めて、やはり油断出来る相手ではない。

 今度の下り坂は勾配が緩やかで、距離も『千年魔術書』の隠し場所よりは短く、浅い。
 ただ、今回は照明のない真っ暗闇……ではなかった。
 みのりは鞄の外ポケットから懐中電灯を二つ取り出したが、ほとんど時を同じくして、まるで侵入者の姿を照らし出すように石を加工した天然の燭台に火が灯ったのだ。
 健とみのりがいるのは、正方形でいかにも最後の安全地帯と云わんばかりの部屋。通って来た坂道とは逆の向きに一本きりの通路が走っている。幅は大人が3、4人並んで通れるぐらい。巨大な魔物が封じられているのか、天井は高い。

「奥へ進んでみるか?」
「そうしないと始まらないでしょう」
 だが、みのりの声も若干震えている。
 そうして二人は歩き出すが、規則正しく並んだ煉瓦の殺風景極まりない通路が続くばかりで、魔物が現れる気配は一向にない。

「……いませんね」
 それぐらいは見れば分かるのだが、悪魔が待ち受けている状況を予測しただけに余計不気味さが増し、自分の感覚がまだ正常か確かめたくなったのだろう。
 ここまで分析できる理由はただ一つ。健自身がまさに今その状態にあるからだ。

「そうだな。ところで、このまま出会わなかったらどうする?」
「捜すしかないでしょう。『とある悲劇の復讐者』は眷属の時点で人を操る技を持っているんですよ」
 諦めようと言って欲しかったところだが、少女はどうやら真面目な性分らしい。
 仕方なく健は推論を口にした。

「はぁ、分かったよ。さっきから思っていたんだが、この通路な」
 軽く壁を叩いてみせる。厚い煉瓦に対してその程度で推測を証明することは出来ないが、意図はみのりに伝わったらしく、納得したようにぽんと手を叩いた。
 この地下に捕えられているいる魔物が『とある悲劇の復讐者』一匹とも思えない以上、封印が見つからないための仕掛けが施されているだろう。その手始めとして、この場所がそもそも地下牢ではないと錯覚させた。

「つまり壁に見えるこれは、無数の開かずの扉ということですね」
「魔物の封印なんて解除する必要がないからな。閉じ込めるだけでいいんだ。なのに眷族が外に出ているってことは……」
「壊れた“扉”がある、と?」
「それしかないだろ。なあ、敵さんは向こうから出てくる気はないみたいだし、今のうちに休憩しておこうと思わないか」
 車を降りてから歩き詰めだったし、唯一足を動かさずに行ったスフィンクスに反応する『闇のアイテム』探しも、熱射を浴びながらの作業だった。
 みのりは緩みかけた頬を必死に戻そうとするがあまり効果はなく、渋々といった様子を作りながら休息に同意した。鞄からミネラルウォーターが入ったペットボトルを二本出し、一つを健に渡す。

「水しかありませんが、よろしいですか?」
「あぁ、むしろそれはこっちが言いたかった」
「このぐらい私は慣れてますから」
 平然と言いのける。

「そういえば君、童実野高校の学生なのか?」
 暗鬱とした地下での沈黙は精神衛生上よろしくないと判断し、ふと目に留まったみのりの制服について訊いてみる。 
 健の記憶に思い違いがなければ、今日は11月4日日曜日。学校は休みなのでエジプトにいてもおかしくない。まあ、こんな世間一般の常識から遠く外れた組織にいるぐらいなのだから、別に平日にいたところでおかしいとは思えないわけだが。

「そうですよ。制服だけで分かるものなんですか?」
「まあな。俺はセーラー服派だけど……て、冗談だ、冗談。闇のアイテムを出そうとしないでくれ」
 がさごそと鞄に腕を突っ込むみのり。

「こっちこそ冗談です」
 何も持っていない手を示し、言いながら顔を背けてしまう。
 実際のところ海馬コーポレーション本社は童実野町にあることに加え、健は永瀬巧の依頼を受ける前段階で身辺調査に駆り出されており、その過程で同校にも潜入していたため制服ぐらいは知っている。

「でも、休日だろ。どうして制服を着ているんだ?」
「えっと、それはですね、どこかの誰かさんによる服を一々考えるの面倒だろ、とかいう理由です。アカデミアを舞台にすれば、その辺りが省略できて楽だったなあ、とも言ってました」
「身も蓋もないな。君はそれでいいのか?」
「むしろ戦いでお気に入りの服が破れたりしたらどうするんですか。特定の戦闘服もありませんし、これまでの経験則上スペアは用意していますから。スカートなのが少し気になりますけど、慣れてしまえば動き易いです」
 それならば、健に言うべきことはない。
 獏良と違って組織の人員の心を動かそうなどとは思っていないし、結局この少女も健を逃げ出せない偵察の役目から解放してくれそうになかった。
 そして、みのりがさらに手持ちのお菓子を取り出し、いよいよ休憩色が濃くなっていた時だった。

 ――この地下が、揺れた。

 ――しかも人為的な振動。

 何かが大きくぶつかったような音がしたのだ。
 “人”ではないかもしれないが、自然発生したものではあるまい。

「くっ……」
「きゃっ……」
 二人の叫びが重なる。
 流石に天井まで崩れては来ないものの、岩の破片と砂が降り注ぎ一帯に充満する。
 しかも健たちのいる場所だけではない。進む先も帰り道も辺り一面が砂塵で覆われてしまった。
 隣にいる少女――高原みのりは、まだ何とかパニックになってはいない。

「『千年魔術書』を構えろ! それと俺にも『闇のアイテム』を貸せ!」
「あ……! はい、分かりました」
 その所作は意外に機敏だった。冷静さを失っていない事といい、確かに魔物狩りの経験は豊富なようだ。

「このまま此処にいても、視界が確保できない。一気に突っ切るぞ」
「私がそれを言いたかったんですけどね」
 先刻の健と同じ冗談を思いつくぐらい余裕があるなら、特に心配は要るまい。
 足の速さでは流石に健の方が上だが、それに構わず走る。
 この地下の封印はそれなりに強固だと素人目に思う。事実、休憩場所までに解けたと思しき封印は見当たらなかった。
 曲がり角の一つもない真っ直ぐな道を十分ほど駆けていた頃だろうか、健はついに地下施設の最奥に到達した。
 そこは入ってすぐの広間と同じ造りで、そして見つけた。
 ひび割れ、穴が開いた壁。直径30センチメートルくらいか。
 まだみのりは追いついてきていないので、そのまま穴を睨んでおく。
 沙理亜との契約を無視して単独で戦っても意味はない。魔物との『闇のデュエル』に負ければ、健の命運はみのりに託されるのだから。負ければ死ぬ。しかしそれさえも『闇の力』によって現実化された夢想であり、術者の滅びによって被害者は還ってくる。
 そういう意味では、永瀬沙理亜が下した処罰はまさしく“いっぺん”死んでみる? 程度のものである。勝ったら見逃すとも言っていたし、本質的に健を殺す気はないのだろう。
 とはいっても、文字通り一度死に至る苦痛を受けるのだから、黄泉返ったところで正気を保っていられる保障はない。

「お、やっと来たか。見ろ、多分あそこだ」
 ようやく到着した息を切らしている少女に、泰然とした風を装い声をかける。

「……はあ、はあ。ここは……私のペースに合わせる所でしょう」
 だったらその挑発的な物言いをどうにかしてくれと突っ込みたくなるが、ここで争っている場合ではないので飲み込んだ。
 決して褒められた行為ではないことぐらいは理解している。
 それに『千年魔術書』はみのりが持っていたのだから、健が持つ『アムナエルの書』製の『闇のアイテム』の力では、魔物の襲撃を防ぎきれなかっただろう。
 
「どう考えてもあの穴の奥に魔物の本体がいるだろうけど……策はあるのか? 炙り出しとか、壁を一気に壊すとか」
 みのりは気落ちしたように首を振る。

「何も考えてなかったのかよ! いい加減な……」
 最後まで言えなかった。
 壁に空いた穴から黒い触手のようなものが、人には反応できない速度で二人を襲った。
 かろうじて健には知覚できたが、かわすには至らない。
 しかし触手――いや、硬さからして槍に近いか――は、どちらにも届かない。
 『千年魔術書』の表紙のウィジャト眼が、輝いていた。
 それによる作用だろう、みのりと健は書を中心としたドーム状のシールドに覆われ、迫る黒の槍を弾き返していた。

「自己防衛機能……! 本当にあったんだ!」
 まさか、知らずに持ってきていたとは思わなかった。

「反撃の手段は?」
「………」
 健の予想通り、沈黙を決め込んでしまうみのり。本当にデュエル以外での決着を考えていなかったのか。
 黒の槍だか触手かは、一度穴の中に引っ込んだ後、再度シールドに思い切りぶつかりるが貫かれはしない。
 しかしシールドを当てにし過ぎるわけにはいかない。
 これはデュエルへ持ち込むための生命線。リアルファイトでは健とみのりを殺せないと判じてもらう必要がある。
 もしシールドがエネルギー制だったりすれば、もしくは別の使用制限があれば。
 とにかくシールドが生きているうちに反撃へと転じ、決着方法をデュエルとする契約を交わさなければならない。

「だったらせめてあの壁を破壊してくれ! このままじゃ一方的に攻撃を受け続けることになる」
「そんな……でも、どうしたら……あ!」
 同時に健も気がついた。

「あんた『六武衆』の遣い手だったよな。だったら……」
「出でよ、『六武衆カモン』!」
 闇の魔物に闇のアイテム、果ては千年魔術書まで。幻想を現実化する『闇の力』が充満するこの空間では、M&Wに実体を与える程度わけはない。
 頬がこけた赤い鎧の武士。その手に握られているのは火薬玉。
 ひび割れ脆くなっている穴の周辺を狙い投擲すると同時に二人は身をかがめ、爆発から頭部を守る。
 シールドがあろうと、それに最大限己の命運を託せない以上当然のことだ。
 顔を上げると爆風による粉塵の奥で蠢く、黒い影。
 日本語が通じることを祈りつつ健は大声を張り上げる。

「おい、『とある悲劇の復讐者』! 俺とデュエルしろ!!」
 叫んでからも不安は尽きない。
 デュエルを日本語にすると決闘。勝負を受けたとして、これを魔物はどう受け止めるのか。
 カードゲームの戦いだと理解してくれるのだろうか。 

「あんたの攻撃は、俺たちには通用しない。だけど、通用させるチャンスをやる。その条件は、あんたも同じリスクを負うことだ。M&Wを知っているなら、それで勝負しろ!」
 息の詰まりそうな、粉塵を挟んでの睨み合い。
 その末に魔物は戦いを承諾した。

『――良かろう』
「って、本当に受けるのかよ……」
 煙が収まってきて、魔物の体躯が見えてきただけに、逆に驚きが隠せない。
 生物的な棘を肩や背中から生やし、憎悪に一色で覆われた、いかにも悪魔ですと言わんばかりの憎悪に塗れた表情。
 腕はかろうじて人型だが、六本の脚はどちらかというなら蜘蛛に近いか。
 体長は健の三倍以上で天井に届きそうなほどもあり、地下牢の天井はこの魔物を基準に決められたのではないだろうか。
 なればこそ、何故この魔物はデュエルを受けたのだ?
 シールドさえ崩せば、健やみのりなどほとんど蟻も同然だろう。 
 そんな存在に対して運がらみで対等な勝負を申し込まれて、どうして承諾した?

『フン、愚かな――。我に力の劣る眷属が、如何にして貴様らニンゲンに危機感を抱かせたのか――それは、我が貴様らに劣らぬデュエルの力を得ていたからだ――!』
「な、何だって!?」
『そこの娘は、そのことを知っている筈だがな。我と互角に戦った最初のニンゲンよ――』
 魔物の指名を受けた少女、高原みのりの方を向く。
 シールドは消えていなかったし、これまでの態度からして、健は彼女を全く心配していなかった。
 だが、そこにいるみのりは片手で『千年魔術書』を抱えながらうずくまり、かたかたと震えていた――。




  ――――――――――――――――――――――――――




 高原みのりはあの魔物を、知っていた。
 どこで遭遇したのかは覚えていない。
 しかし確かに記憶の底に、あの姿が存在する。

「何やってる! 早く立てよ、おい!」
「あ、あれ…………。あの魔物………イヤ………!」
 出会って、戦って……この恐怖感は、敗北によるものだろうか?
 ――違う。仕事中でもプレイングミスをしたことぐらいはある。
 けれど、それが致命傷になって負けた記憶までは存在しない。
 これはただ単純で、圧倒的なまでの力の差による恐怖。

『娘――貴様とは今すぐ決着をつけたいところだが――』
 しかし魔物が次の言葉によって、“その”可能性に思い当たる。
 たった一人だけ生き残り、他の者は消えたまま戻らなかったあの日の戦い。
 あのデュエルがどのような結果に終わったのか、みのりは覚えていない。

 健がみのりの抱えている『千年魔術書』を抜き取り、魔物との間に立ち塞がった。

『クハハハハ! そいつと戦いたければ、まずはお前を捻り潰せと、そういうことか』
「何を一人合点しているのかは知らないが、そうなるな。だけどこいつ、戦意喪失してるみたいだ。互角に戦ったのにどうしてこうなってるのか、心当たりあるか?」
『……さて、な』
 健の問いをはぐらかす魔物。
 また少し魔物の足元を見て、すぐに恐怖で逸らしてしまう。
 だがみのりは、魔物を視界に入れるたびに記憶を蘇らせつつあった。

「もしかして私、コイツと“引き分けた”の―――?」
 そう考えれば辻褄が合う。
 死にはせず、後遺症もなく帰還して。
 なのに魔物に敗れた者たちは戻って来なかった。
 その理由を、みのりは彼らが物理的な傷によって命を落とし、しかる後に肉体を消滅させられたのだと考えていた。
 とんだ勘違いだ。
 みのりは、そして、あの魔物に勝利したのだとも思い込んでいた。
 だがあれは本体の半分の力もない眷属に過ぎず、それでも追い詰められていた所に永瀬沙理亜が援軍として駆けつけ、彼女の助言を得てようやく引き分けに持ち込んだのだ。
 デュエルが終わって気を失う直前、みのりは対戦相手の男の身体を放棄する魔物の影を、確かに見た。
 それはしかし、みのりに悪影響しか及ぼさない。
 アレの本体が目の前にいる。眷属と比較しても計り知れない力。
 目の前で何人もの仲間が闇に喰われた。
 はっきりと思い出してしまった今、とてもではないが勝てるとは思えなかった。

「お、おい、何で疑問系なんだよ?」
 健の問いにも答えられない程の絶望が渦巻いている。
 どうして彼はこの魔物の威圧を前にして、平気でいられるのだろう。
 
「お前、俺のデュエルを見て対策を練るんだろ! 俺が負けたら、その命はお前に預けるしかないんだ!」
 そんなことは分かっている。
 分かっていて、それでも覆せない絶対的な差がある。
 負ければ自分も死ぬのだ。何とか対処したい。
 そんな意思に反して抜けてしまった腰が、回らない頭が、もどかしい。悔しい。恨めしい。


「あーあ、やっぱりこうなったか」


 そして、聞き慣れている少年の声がすると同時に、みのりは意識を失った。





  ――――――――――――――――――――――――――






「天城一也……お前、どうしてここに?」
 みのりが恐怖の余り頭を抱えたまま失神したところに現れたのは、天城一也。
 先刻のデュエルで健を倒した少年だ。

「うーん、長くなりそうだけど、聞く?」
 そして相変わらず何を考えているのか全く読めない。
 しかもシールドの範囲内に、いつの間にかするりと入り込んでいた。

「長くならないように要点だけ頼む。こいつの過去とかはどうでもいい」
「それは先輩のプライバシーだし、最初から言うつもりなんてないよ。とりあえず分かっていたのは、先輩が以前にこの魔物と戦ったことがあるということ。けど、その記憶に欠落があったこと。それだけだ。魔物と戦う第一の本命を先輩にした理由は、多分トラウマの克服が目的だと思うけど、僕は先輩の代わりに来たわけじゃない。最初から“第二の本命”として到着しただけのことだよ」
 確かに“予備”が一人では心許ない。
 そこは疑問に思っていたが、しっかり考えられていたようだ。

「それじゃ、魔物の戦術とかは僕が記録しておくから心置きなく戦ってきてよ」
「……ということらしい。待たせて悪かったな、『とある悲劇の復讐者』!」
 『闇のアイテム』でモンスターを実体化するため、展開していたデュエルディスクの設定をデュエルモードに変更する。
 効果があるとも思えないため、ディスクに搭載されている衝撃装置の目盛りは変えない。
 この戦いは、まず間違いなく本当の闇のデュエルになる。
 ライフポイントは、デッキの残数は、そのまま己の命と同義。
 『とある悲劇の復讐者』は5枚の石版の幻影を目の前に浮かび上がらせたが、ここで健は臆せず――というよりは臆しないために注文をつける。

「あんた、デッキの枚数は?」
 魔物はデュエルディスクを装着しておらず、デッキの総量が分からない。
 こんな駆け引きを仕掛けて大丈夫か不安だったが、意外にも普通に答えが返ってきた。

『40枚だ』
 律儀な魔物だと思いながらも、気を失っている少女の魔物解説を思い出す。
 ゲーム好きということは、多少曲解すればゲームのルールに則って戦うのが好きということになる。
 『闇のデュエル』として受けるであろう苦痛はともかくとして、不正を働く可能性は天城一也の方がよっぽど高いだろう。

「『デュエル!!』」



 桐沢健 LP4000
 魔物  LP4000



「まずは俺の先こ…」
『ジャンケンをせぬのか?』
「………」
 思わぬ指摘に絶句する健。
 そして、予想通りというべきか、安全なシールドの中で天城一也が腹を抱えて大笑いしていた。

「あはははっ。これは一本取られたね」
「お前は黙ってろ! それじゃあいくぞ、ジャンケン――」


 健  パー
 魔物 チョキ


「あーあ、ジャンケン弱いねー。もしかして君、先攻を取るためにいつも相手に泣きついているの?」
「ぐっ……静かにしてろよ。プレイングが乱れる」
「弱い人ほどそんなことを気にするものだよ」 
 これ以上天城少年と話して益になることは一つとしてない。
 そう判断して会話を打ち切る。

『我のターン……手札より『デーモン・ソルジャー』を召喚する』
 石版の幻影が一つ増えたかと思うと、別の一つが前に出てきてひっくり返る。
 そこから現れたのはマントを着けた人型の悪魔。
 攻撃力1900のバニラモンスターが強かったのも今は昔。
 それでもこのモンスターは使い道が多い方だ。


デーモン・ソルジャー 通常モンスター
星4/闇属性/悪魔族/攻1900/守1500
デーモンの中でも精鋭だけを集めた部隊に所属する戦闘のエキスパート。
与えられた任務を確実にこなす事で有名。


『そして1枚のリバースを出し、ターンを終了とする』
 また悪魔の前にある石版の一つが、地面と水平になるように移動する。

「俺のターン、ドロー!」
 無難な初手、バニラモンスター、いやそれ以上に“知っている”カードが出てきたことで、健は僅かに安堵した。
 オリカと見紛うばかりの凶悪カード群と戦うのは、やはり恐ろしい。

「『暗黒騎士団』を発動! さらにその効果によって、『迅雷の暗黒騎士ガイア』を特殊召喚! さらに『暗黒戦士デュオス』を召喚だ!」
 身の丈ほどの突撃槍を双手に持つ騎兵、大剣を構えている戦士が健の場に降り立つ。



暗黒騎士団 永続魔法
自分がドローしたカードが「暗黒騎士」と名のつくモンスターだった場合、
そのカードを相手に見せる事で自分はカードをもう1枚ドローする事ができる。
また、手札に生贄なしで召喚できる条件を満たしている
「暗黒騎士」と名のつくカードが存在する時、そのカードを特殊召喚できる。


迅雷の暗黒騎士ガイア 効果モンスター
星7/闇属性/戦士族/攻2300/守2100
自分の場に存在するカードが1枚以下の場合、
このカードは生贄なしで召喚する事ができる。


暗黒戦士デュオス 効果モンスター
星4/闇属性/戦士族/攻1800/守1400
1ターンに1度、自分のフィールド上に存在するこのカードを除くモンスター1体を
生け贄に捧げ、このカードの攻撃力はターン終了時まで1000ポイントアップする。
「漆黒の駿馬」を装備したこのカードを墓地に送ることで、
デッキまたは手札から「暗黒騎士ガイア」を特殊召喚する。

 
「『迅雷の暗黒騎士ガイア』で『デーモン・ソルジャー』を攻撃だ!」
 この宣言に魔物は反応せず、高速に回転する突撃槍は悪魔の尖兵を貫いた。
 

 魔物 LP4000→3600


『だが、この瞬間、手札に存在する我の能力を発動させてもらう!』
 手札の一枚が、さらに開かれる。

『覚えておくがよい! 我が名は――!』


 ――トラゴエディア。


 そう、名乗った。
 魔物の場に分身が出現する。

『我は戦闘ダメージを受けた時、手札から特殊召喚する。そして我のステータスは、我の手札1枚につき600ポイント上昇する!』
 魔物――トラゴエディアの手札は3枚。
 その守備力1800は健の場に残る攻撃可能なモンスター『デュオス』の攻撃力と同じ数値。
 攻撃しても倒すことは出来ない。
 
「メインフェイズ2に移こ……」
「待ってよ、桐沢健」
 それを止めたのは天城少年だ。

「……何か用でもあるのか?」
「あのモンスターの能力は、未だ全貌が知れない。なのに攻撃せずフェイズを移行するとは、どういう了見だい? 君は極力余計なリスクを犯さず、勝てるなら勝ちたいという考えだろうけど、生憎それじゃあ契約違反だよ。明らかに不利になる自爆特攻なんかは要求しないけど、ステータスが同じなら、特殊能力があるかを確かめるために当然攻撃すべきだと思わない?」
「…………!」
 完全に想定外の指摘だったが、理に適っているのは認めざるを得ない。

「く……仕方ない。『暗黒戦士デュオス』で『トラゴエディア』に攻撃だ!」
 紺と青のパワードスーツを着たような戦士が悪魔に大剣を振り下ろすが、特に何事も起きずに受け止められる。
 とはいえ、守備力が上がったり、デュオスが破壊されなかっただけマシか。

「じゃあ、改めてメイン2に入り、カードをセット。ターンエンドだ」



 桐沢健

  LP4000
  手札2枚
  場 暗黒騎士団、伏せ1枚、暗黒戦士デュオス、迅雷の暗黒騎士ガイア

 トラゴエディア

  LP3600
  手札3枚
  場 伏せ1枚、トラゴエディア(DEF1800)




『我のターン。発動するのは魔法カード、『召喚師のスキル』!』


召喚師のスキル 通常魔法
自分のデッキからレベル5以上の通常モンスターカード1枚を選択して手札に加える。


『その効果によって、我は『デビルゾア』を手札に加える!』
 よく分からないカード選択だった。
 デビルゾアは基本的にただ重いだけの通常モンスター。
 10年以上前の発売当時は強力なカードだったが、生贄システムが採用されてからは滅多に見られない。
 それこそ『古のルール』でも使って、特殊召喚するのだろうか。
 そんな荒い手札消耗をする相手ならば、そう怖い相手とは思えないが……。

『ククク、ここで我は、我自身の特殊能力を使わせてもらおう。手札のモンスターを墓地に捨てることで、捨てたモンスターと同レベルの相手モンスター1体のコントロールを得る!』
「な……それじゃあ、『召喚師のスキル』は!」
 状況に合わせて、任意のレベルのモンスターをサーチする、脅威のカードになり得る。
 おそらくトラゴエディアのデッキには各レベルの上級バニラモンスターが多く仕込まれているのだろう。
 バランスはおろそかになる構築だが、厄介なことに、現状上手く回転しているようだ。


トラゴエディア 効果モンスター
星10/闇属性/悪魔族/攻 ?/守 ?
自分が戦闘ダメージを受けた時、
このカードを手札から特殊召喚する事ができる。
このカードの攻撃力・守備力は自分の手札の枚数×600ポイントアップする。
1ターンに1度、手札のモンスター1体を墓地へ送る事で、
そのモンスターと同じレベルの相手フィールド上に表側表示で存在する
モンスター1体のコントロールを得る。
また、1ターンに1度、自分の墓地に存在するモンスター1体を選択し、
そのターンのエンドフェイズ時までこのカードは選択したモンスターと
同じレベルにする事ができる。


 トラゴエディア DEF1800→2400→1800


『『迅雷の暗黒騎士ガイア』、我が軍門に下れ!』
 その一声によって健が従えている騎兵は、魔物の場へと移動する。
 確かにこれがデュエリスト軍の人間の中で起きたら笑えない事態になる。

『まだだ! リバースカードオープン、『正統なる血統』。このカードで、我が墓地に眠る通常モンスター1体を特殊召喚する! 対象は『デーモン・ソルジャー』!』
「!? デビルゾアじゃない……のか。だとしたら……」
『今更気付いても遅い! 装備魔法『堕落』の発動により『暗黒戦士デュオス』を頂いていくぞ!』
 デーモンと名の付くカードが場になければ破壊されてしまうが、それを除けば禁止カードの『強奪』と同等の効果を持つカード。
 健が従えるモンスターは、こうして悉く奪われてしまった。


正統なる血統 永続罠
自分の墓地に存在する通常モンスター1体を選択し、攻撃表示で特殊召喚する。
このカードがフィールド上に存在しなくなった時、そのモンスターを破壊する。
そのモンスターがフィールド上に存在しなくなった時、このカードを破壊する。

堕落 装備魔法
自分フィールド上に「デーモン」という名のついたカードが存在しなければ
このカードを破壊する。
このカードを装備した相手モンスターのコントロールを得る。
相手のスタンバイフェイズ毎に、自分は800ポイントダメージを受ける。

 トラゴエディア DEF1800→1200


「コントロール奪取に特化したデッキか……!」
「だとしても、当然『洗脳解除』はデッキに投入されているよね?」
 何かまた後ろで天城少年が妙なことを言い出した。

「馬鹿言うな! んな特殊なメタカード、普通メインに放り込むわけないだろ!」
「馬鹿は君だよ! 先輩を通じてちゃんと伝えただろう、特殊能力、生物の意識の乗っ取り、と」
 ………………。
 記憶を辿る。ああ、確かに言っていた。

「なに………あれがヒントォ!?」
 いやしかし、経験者ならそれで注意を向けられるのかもしれないが、健は初めてこうした魔物と戦うのだから、その辺りの助言なしに対策しろというのは無理がある。
 
「だったら、最初からそう言えよ!」
「自分の応用力のなさを棚に上げてそれはないだろう。まったく、こんなのが海馬コーポレーション最強の密偵だなんて呆れるよ」
「密偵はタイマンの決闘なんて、そもそも避けるべきものなんだ! 頼むから黙っててくれ!」
 場に出ているトラゴエディア自身は1200程度のステータスで、守備体勢を取っている。
 だが残る3体は、どれも攻撃力1800は下らない。特に『迅雷』の攻撃を通してしまえば、ライフが一瞬にして半分以上削り取られる。
 攻撃してくる順番、そしてどの攻撃に伏せカードを使うか、考えることは山ほどある。

『バトルフェイズ――』
 魔物らしいというべきか、重く荒々しいフェイズ移行宣言。
 敵の場は実にその半分が健から奪ったモンスターだ。除去されたところでアドバンテージの損失はほとんどない。

『我は『迅雷の暗黒騎士ガイア』で、ダイレクトアタックを行う!』
「!! くそ、どうする……」
 『デュオス』から攻撃してくれていれば、迷うことなく伏せカードの発動を選べた。
 しかし『迅雷』が先ならば、ここは敢えて攻撃を受けるという選択もある。
 決めた。これはそちらを選べという導きに違いない。
 ここは甘んじて直接攻撃を受け……

「っ……! リバースッッ!! 『砂塵の大竜巻』で『正統なる血統』を破壊する!」
 反射的に手が伸びた。
 ――伸びてしまった。
 『正統なる血統』はカウンターされずに飛ばされ、次いで『デーモン・ソルジャー』、『堕落』と連鎖的に破壊されていく。


砂塵の大竜巻 通常罠
相手フィールド上の魔法または罠カード1枚を破壊する。
その後、自分の手札から魔法または罠カード1枚をセットする事ができる。


「これにより『暗黒戦士デュオス』のコントロールは、俺に戻る……」
 だが、その攻撃力は『迅雷の暗黒騎士ガイア』を下回っている。

『攻撃は続行――裏切りの暗黒騎士よ、我が元を去った剣士を処刑せよ!』
 暗黒騎士の突撃槍は外見上、特にイラストと変わった所はないものの、健は知っている。
 あれは前のターンに悪魔の兵士を貫いた、血染めの槍なのだ。
 そして、このデュエルはただのデュエルではない。
 思い出してしまった。これはダメージが現実になる、『闇のデュエル』だと。
 実際に命の半分を奪い取られる恐怖。
 それはこうして、明確で濃密な、息すら許されない程の殺意を向けられてみなければ分からない。


 桐沢健 LP4000→3500


「――――ッ!!」
 痛いとか痛くないとかいう次元の問題ではない。
 健とてリミッターを解除したソリッドヴィジョンの衝撃機能を受けたことはある。
 しかし、結局あれとて作られた衝撃に過ぎなかった。
 身体の奥底に直接響き、骨が、肉が、神経が軋み弾けるような感覚に耐え切れず、思わず膝をつく。
 そんな資格などありはしないのに。
 『闇のデュエル』でモンスターの直接攻撃を受けるのが怖くて。壁が欲しくて。ダメージを抑えたくて。
 『デュオス』はあの槍を健の代わりに食らった。そして同時に、あの殺意をも受け止めたのだ。
 軽減されたダメージ如きで呑気に倒れている場合ではない。

『フン、この程度なら起き上がるか……』
「せめて立ち上がるって言ってくれ。まだ俺は死んでない」
 四肢にに活を入れ、デュエルディスクを構え直す。

「さてと、エンドするのか?」
 ペースはこちらが持ちたい。そう考えての問いかけに対して、魔物はプレイで以って示す。

『我はこのターン、まだ通常召喚を行っていない! よって、ユニオンモンスター『闇の王衣』を召喚』
 モンスターというよりはただの黒いマントだが、それはトラゴエディアに吸収される。

『このカードはレベル8以上の闇属性モンスターにのみ装備出来る。我がレベルは10であるため、装備条件は満たしている。カードを伏せ、ターンエンド!』
 この伏せカードによって、トラゴエディアは全ての手札を使い切った。
 『闇の王衣』の効果は分からないが、ユニオンという点を鑑みるに、2回攻撃すれば倒せる……だろうか。


闇の王衣 ユニオンモンスター
星1/闇属性/悪魔族/攻  0/守 0
1ターンに1度、自分のメインフェイズ時に装備カード扱いとして
自分フィールド上のレベル8以上の悪魔族モンスターに装備、
または装備を解除して表側攻撃表示で特殊召喚する事ができる。
(1体のモンスターが装備できるユニオンは1枚まで。
装備モンスターが破壊される場合、代わりにこのカードを破壊する。)
???

 トラゴエディア DEF1200→600→0


「よし、俺の……」
 そこまで言ったところで気付いた。『迅雷の暗黒騎士ガイア』が魔物の支配下に置かれたままだ。

「……まさか」
 そうでないと、思いたい。信じたい。
 だが、あの殺意は紛れもない本物だった。
 『闇のデュエル』でリアルに表現されているだけとは思えないほどに。
 たった3分限りの効力しかない洗脳で、あそこまで元の主への殺意を増幅させられるものだろうか。
 加えて、組織がトラゴエディアの洗脳能力をやけに警戒していたということ。
 そこから導き出せる結論は一つしかない。
 そして魔物は、すぐに健の意を察して語る。

『そう――我が能力による洗脳に時間制限はない!』
 当たっていた不吉な予感を耳に入れ、それを振り払うかのように健は大きくカードを引いた。



 桐沢健

  LP3500
  手札2枚
  場 暗黒騎士団

 トラゴエディア

  LP3600
  手札0枚
  場 伏せ1枚、トラゴエディア(DEF0)、闇の王衣(トラゴエディアに装備) 迅雷の暗黒騎士ガイア




10章 悲劇の果てに





「俺のターン! ドローしたカードは『疾風の暗黒騎士ガイア』! よって『暗黒騎士団』の効果が発動し、さらに追加でドローさせてもらう!」
 決して引きは悪くない。だが魔物の場には伏せカードもあるし、現在の手札4枚で戦局を覆せるかは怪しい。
 特に、永続の洗脳能力を持つ『トラゴエディア』を倒せない限り、戦局は悪くなる一方だろう。


疾風の暗黒騎士ガイア 効果モンスター
星7/闇属性/戦士族/攻2300/守2100
自分の手札がこのカード1枚のみの場合、
このカードはリリースなしで召喚する事ができる。


「『戦士の生還』を発動し、『暗黒戦士デュオス』をサルベージ。そのまま召喚だ!」
 大剣オーラソードをかついだ戦士が再度出現する。


戦士の生還 通常魔法
自分の墓地に存在する戦士族モンスター1体を選択して手札に加える。
 

「さらにカードを2枚伏せ、『暗黒騎士団』の効果により『疾風の暗黒騎士ガイア』を特殊召喚!」
 伏せた2枚は即座に使えるカードではないものの、下手にモンスターが来ていれば『疾風の暗黒騎士ガイア』を召喚できなくなっていた。

「まだ俺の運も尽きていないみたいだな。『暗黒戦士デュオス』で『トラゴエディア』を攻撃!」
 またしても剣士の攻撃は受け止められてしまう。
 しかし今回は、『闇の王衣』の恩恵あってのこと。『トラゴエディア』が体勢を崩した。

『だが、『闇の王衣』はこの瞬間に効果が発動される! このカードが破壊され墓地に送られた時、デッキからカードを1枚ドローする!』


闇の王衣 ユニオンモンスター
星1/闇属性/悪魔族/攻  0/守 0
このカードが破壊され墓地に送られた時、デッキからカードを1枚ドローする。
1ターンに1度、自分のメインフェイズ時に装備カード扱いとして
自分フィールド上のレベル8以上の悪魔族モンスターに装備、
または装備を解除して表側攻撃表示で特殊召喚する事ができる。
(1体のモンスターが装備できるユニオンは1枚まで。
装備モンスターが破壊される場合、代わりにこのカードを破壊する。)

 トラゴエディア 手札0→1枚

 『トラゴエディア』 DEF 0→600


 手札が増えたことで力を僅かに取り戻す魔物。

「とはいえ、600程度の守備力じゃ、ガイアの攻撃を受け止めることは出来ないはずだ。行け!」
『フン、甘いわ! 罠カード『ゲットライド!』。この効果により我が墓地に眠る『闇の王衣』を再び我自身に装備する!』
「な――――!?」
 モンスターの数は変わらないため、攻撃は自動的に続行される。
 『闇の王衣』を打ち払い、それでも『トラゴエディア』は倒れない。


ゲットライド! 通常罠
自分の墓地に存在するユニオンモンスター1体を選択し、
自分フィールド上に表側表示で存在する装備可能なモンスターに装備する。


『再び『闇の王衣』が発動し、我が手札は増強される』


 トラゴエディア 手札1→2枚

 『トラゴエディア』 DEF 600→1200


「……ターンエンドだ」
 洗脳能力を持つモンスターを葬りきれなかったばかりか、敵は恐ろしいことに、アドバンテージの損失なくそれを成してきた。
 加えて健のモンスターはレベルが分散している。『漆黒の駿馬』があれば『デュオス』は『ガイア』となってレベルが揃い、奪いにくくなっていたはずだ。
 通常のビートダウンならばレベル7のモンスターは本来入りにくい。だがレベル4は、入らないデッキの方が少ないぐらいだろう。



 桐沢健

  LP3500
  手札0枚
  場 暗黒騎士団、伏せ2枚、疾風の暗黒騎士ガイア、暗黒戦士デュオス

 トラゴエディア

  LP3600
  手札2枚
  場 トラゴエディア(DEF1200)、迅雷の暗黒騎士ガイア



 石版を3枚に増やし、魔物はデュオスと同じ値のステータスを取り戻すが、即座にその内の1枚を消滅させる。


 『トラゴエディア』 DEF 1200→1800→1200


『手札より『ランサー・デーモン』を墓地に送り、再び『暗黒戦士デュオス』のコントロールを得る!』
 健は顔を歪めるが、それで効果が無効になるわけもなく、暗黒戦士は魔物の場に移動した。


ランサー・デーモン 効果モンスター
星4/闇属性/悪魔族/攻1600/守1400
相手フィールド上に守備表示で存在するモンスターを
攻撃対象とした自分のモンスターの攻撃宣言時に発動する事ができる。
そのモンスターが守備表示モンスターを攻撃した場合、
その守備力を攻撃力が超えていれば、
その数値だけ相手ライフに戦闘ダメージを与える。
この効果は1ターンに1度しか使用できない。


『さらに『ダークバースト』を発動! 『闇の王衣』を手札に戻し召喚、そして我自身に装備する!』
 どうやら魔物は分身に攻撃させる気はないらしい。
 奪ったモンスター、自ら召喚した別の僕。
 だが、実際それだけで事足りる。
 今の時世では破壊耐性を有していようと、他に排除する方法はいくらでもあるし、不安定な攻撃力をわざわざ晒してやる必要性などどこにもないのだ。


ダークバースト 通常魔法
自分の墓地に存在する攻撃力1500以下の闇属性モンスター1体を手札に加える。

 『トラゴエディア』 DEF 1200→600


『『迅雷の暗黒騎士ガイア』で『疾風の暗黒騎士ガイア』に攻撃する――!』
 


――螺旋槍殺!!

――螺旋槍殺!!


 二体の槍騎士は互いにその肉体を貫き、消滅した。
 これで健の場に、モンスターはいない。

『『暗黒戦士デュオス』のダイレクトアタック――』
 今度こそ、その攻撃をかわす術はない。
 あのオーラソードをまともに食らったらただでは済みそうにないが、後ろで控えている少年と気を失っている少女の存在を思い出す。
 天城一也はともかく、高原みのりまでがこれまで経験した『闇のデュエル』で一度も直接攻撃を受けていないとは考えにくい。だとすれば、身体能力が優れているわけでもない彼女でもデュエルを続行できる程度で済む方法がある……はずだ。
 そういえば、獏良か誰かが『闇のデュエル』は気の持ちようと言っていた覚えもある。だとすれば。

(あの剣はなまくら……! あの剣はなまくらっ……!!)
 必死にそう思い込もうと脳内で必死に反芻させる。
 目を閉じ刃を見ないようにして、そう念じる。
 肩口から斜めに走る、鋭く冷ややかな熱。



 桐沢健 LP3500→1700



「ぐぁああっ!」
 後ろに吹き飛ばされながら確認する。
 神経が引きつるような感覚。服が少し破れているものの、刀傷はない。
 呼吸が止まるような痛みが遅れてやってくる。
 それは強かに床に背中を打ち付けてしまったためのものだ。
 視界を闇に閉ざしていては、流石に受身は取れない。

「だけど、デュエルする分には支障はない!」
『……なるほど。少しは『闇のデュエル』について勉強していた、というわけか。クハハハハ! こうでなくては面白くない! ターンエンドだ』
 トラゴエディアは心底楽しそうだった。
 優位にあるとはいえ、生死を巡る戦いとは思えないほどに。
 何千年も封印されていた魔物。意識があったのだとすれば、あの壁の奥でいかなる感情を手にしたのだろうか。
 憎悪、怒り、それとも悲しみか。
 それは本人しか知らないこと。
 ただ、死ぬことも出来ない闇の中で、狂ってしまったことは何となく分かる。
 元々が古代エジプトの魔物である以上、価値観の違いなどはあってもおかしくはない。
 しかし信念や目的を忘れ“狂った”のは、おそらく幽閉が原因だろう。そういう例を魔物でなくとも人間で何度か目にしている。
 神官も、ある意味厄介なことをしてくれたものだ。

「俺のターン! …………! リバースカードオープン――」
『む、暗黒戦士のコントロールが……』
 健に戻った。
 だがそれは、残念ながら『精神操作』による一時的なもの。
 完全に寝返った元々自分の僕を、強引に洗脳で奪い返す。
 なんとも笑えない光景だ。


精神操作 通常魔法
このターンのエンドフェイズ時まで、
相手フィールド上に存在するモンスター1体のコントロールを得る。
このモンスターは攻撃宣言をする事ができず、リリースする事もできない。


「さらに俺は手札から装備魔法『漆黒の駿馬』をデュオスに装備する」
 暗黒戦士は洗脳に頭を痛める素振りを見せながらも、黒馬に跨った。

『しかし『精神操作』で奪った魔物は、攻撃にも生贄にも使えんぞ』
「分かってる。だから『暗黒戦士デュオス』を墓地に送り――」
『生贄ではない……か。確かにそうだったな』
 トラゴエディアは一度デュオスのコントロールを得て、そのテキストを読んでいたはずだ。
 たとえ自分が有利であっても侮らない。漫画などで見る魔物風の敵とは違い、相当に知的な相手だ。

「デッキから特殊召喚――『暗黒騎士ガイア』!!」
 双手に握られた紅の突撃槍。
 金の鬣と尾を持つ俊足の黒馬。
 その姿は前のターンにも出していた召喚条件の緩い派生系と変わりない。
 しかし健にとっては、紛れもなくこれこそがエースモンスターだ。


漆黒の駿馬 装備魔法
戦士族モンスターにのみ装備可能。
装備モンスターの攻撃力と守備力は300ポイントアップする。
「暗黒戦士デュオス」に装備されているときのみ、以下の効果を適用する。
●装備モンスターが破壊される場合、代わりにこのカードを破壊する。

暗黒戦士デュオス 効果モンスター
星4/闇属性/戦士族/攻1800/守1400
1ターンに1度、自分のフィールド上に存在するこのカードを除くモンスター1体を
生け贄に捧げ、このカードの攻撃力はターン終了時まで1000ポイントアップする。
「漆黒の駿馬」を装備したこのカードを墓地に送ることで、
デッキまたは手札から「暗黒騎士ガイア」を特殊召喚する。

暗黒騎士ガイア 通常モンスター
星7/地属性/戦士族/攻2300/守2100
風よりも速く走る馬に乗った騎士。突進攻撃に注意。


「……ここは、ターンエンドだ」
 下手な攻撃は自分の命を縮める。
 『トラゴエディア』の耐性を奪うというのはなかなか魅力的だが、その代償としてドローの機会を与えてしまう。
 直接レベル7のモンスターを引く可能性はそう高くないだろうが、『召喚師のスキル』のような任意サーチのカードもある。
 天城一也もここは口出ししてこなかった。
 それでも引かれる時は引かれてしまうのがデュエルだが、そうなったら彼に後を託すしかない。




 桐沢健

  LP1700
  手札0枚
  場 暗黒騎士団、伏せ1枚、暗黒騎士ガイア

 トラゴエディア

  LP3600
  手札1枚
  場 トラゴエディア(DEF600)、闇の王衣




『我のターン……ククク』
 笑い出した。
 まさか引かれた?
 一瞬そう思ったが、次の行動は手札コストの消滅ではない。
 既に墓地に送られたカードの、除外。

『『デーモン・ソルジャー』、『デビルゾア』、『ランサーデーモン』の3体をゲームから除外し、『ダーク・ネクロフィア』を特殊召喚する!』
「く、また……!」
 デーモンと堕落が示すように、魔物がデッキに組み込んでいるコントロール奪取のギミックは一つではない。
 人間ではありえない関節の曲がり方をしている赤ん坊の人形を抱いた、マネキンのような姿の女。
 いかにも闇の魔物ですと主張するかのように悪性のオーラを纏っている。


ダーク・ネクロフィア 効果モンスター
星8/闇属性/悪魔族/攻2200/守2800
このカードは通常召喚できない。
自分の墓地に存在する悪魔族モンスター3体を
ゲームから除外した場合に特殊召喚する事ができる。
このカードが相手によって破壊され墓地へ送られた場合、
そのターンのエンドフェイズ時に装備カード扱いとして
相手モンスター1体に装備する。
この効果で装備カード扱いになっている場合のみ、
装備モンスターのコントロールを得る。

 『トラゴエディア』 DEF 600→1200→600

 
『『ダーク・ネクロフィア』で攻撃だ』
 女が目から放ったビームはガイアの突撃槍に払われ、逆に腹を貫かれてガクンと首を垂らした。


 トラゴエディア LP3600→3500


『たった100のダメージで永続的に奪えるのなら、安い買い物だな』
「…………」
 たかが100、されど100、と反論はしたい。だがそれによって魔物が得た利益を考えると、とてもではないが言い返せない。

『エンドフェイズ。墓地の『ダーク・ネクロフィア』を『暗黒騎士ガイア』に装備し、そのコントロールを得る!』
 うつ伏せに倒れた女の遺骸。
 そこからケタケタと気味の悪い笑い声が響く。
 腹に空いた穴をものともせずに、両手で赤ん坊を抱いたまま起き上がる女。 
 膝をついたわけでもなく、まるで頭頂から糸で引っ張られているかのようだ。
 だが次の瞬間、女は膝を折った。
 同時に女の周囲から闇のオーラが消え、代わりに『ガイア』にオーラが湧き出る。
 そうなった原因は一つ。
 女が抱いていた赤ん坊の人形、それが目にも留まらぬ速さで跳ね、暗黒騎士の背に飛び移ったからだ。

(ネクロフィアの本体があのガキだってことは分かってるんだけどなぁ……)
 ため息をつく健。
 幾度かネクロフィアとの対戦経験はあり、この演出も見たことはある。
 とはいえ、モンスターは与えられた処理をこなすだけ。
 突撃槍が赤ん坊を壊すどころか掠めたことも、一度としてない。
 餓鬼の人形は不快な笑いを続けたまま暗黒騎士をトラゴエディアのフィールドへと連れて行く。
 このモンスターのデザインはともかく、ソリッドヴィジョンの演出を担当した人間のセンスは疑わねばなるまい。

「俺のターン! 引いたカードは『豪雪の暗黒騎士ガイア』! よって、もう1枚ドローだ」
 『豪雪』の妥協召喚条件は前のターンに通常召喚を行っていないこと。現在その条件を満たしていることに加え――


豪雪の暗黒騎士ガイア 効果モンスター
星7/闇属性/戦士族/攻2300/守2100
前の自分のターンに通常召喚をしていない場合、
このカードは生贄なしで召喚する事ができる。


「――いける! 手札から魔法カード『ハリケーン』を発動!」
 全ての魔法、罠を手札に戻す効果を持つ制限カード。
 再利用を許してしまう代わりに、下手に破壊でない分、止められにくいという利点もある。
 そして当然、魔法カード扱いとして場に存在するカードも手札へと帰還する。
 前のターンで墓地に存在するなけなしの3体を除外してしまい、『ダーク・ネクロフィア』は即座に再召喚できない。『闇の王衣』は破壊をトリガーとして効果が発動されるが、バウンスでは関係ない。


ハリケーン 通常魔法
フィールド上に存在する魔法・罠カードを全て持ち主の手札に戻す。


「『ダーク・ネクロフィア』が消えたことにより、『暗黒騎士ガイア』は俺のフィールドへ戻ってくる。『トラゴエディア』の攻守は手札の数に従い強化されるが――」
 

 『トラゴエディア』 DEF 600→1800


「ガイアの攻撃力には及ばない! 『豪雪の暗黒騎士ガイア』で『トラゴエディア』に攻撃だ!」
 騎士の突撃槍が魔物の分身に穴を空けるが、それで実際のダメージを受けてはいないようだ。
 健も自らのモンスターが破壊された時の衝撃はいつもと同じだった。
 しかし直接攻撃ならば話は別なはず。

「『暗黒騎士ガイア』! ダイレクトアタック!!」


――螺旋槍殺!!


 トラゴエディア LP 3500→1200


『グゥウウウッ!』
 槍騎士の突撃は、分身への攻撃とは違い魔物の身体を貫通することはなかった。
 一度は腰の辺りにめり込みかけたもののその場に踏みとどまり、そして弾き返した。
 とはいえ、魔物に対してこちらの攻撃が通用すると分かっただけでも大きな収穫だ。

「そして俺は…………く! これは……」
 悲劇の魔物の分身が、またしてもフィールドに現れていた。
 蘇生なのか、あるいは……。

『ダメージを受けたことにより2体目の『トラゴエディア』を、手札から特殊召喚!!』
「やはり……! だが、奴の手札は……」
 3枚だった。そして現在は2枚に減少している。
 しかしそれらは、両方ともハリケーンで戻したカード。
 残りの1枚が2枚目の『トラゴエディア』だったというのか。


 『トラゴエディア』 DEF 1200


「まあいい。俺は手札に戻った『暗黒騎士団』を再び発動する。これでターンエンドだ!」
 『トラゴエディア』は居座っているものの、コントロール奪取に必要なレベル7のモンスターは、手札の2枚にはないと確定しているし、次のターンで攻撃力がガイアを上回ることもない。『洗脳解除』を入れなかったのは健の失態だが、そもそも奪われにくいのなら問題は半減する。




 桐沢健

  LP1700
  手札1枚
  場 暗黒騎士団、暗黒騎士ガイア、豪雪の暗黒騎士ガイア

 トラゴエディア

  LP1200
  手札2枚(ダーク・ネクロフィア、闇の王衣)
  場 トラゴエディア(DEF1200)



『我のターン…………』
 ここで魔物はついに長考の構えを見せる。
 決してノータイムのプレイングを続けていたわけではないが、健が魔物の行動を待つという意識を抱いたのはこれが初めてだった。

『『闇の王衣』を召喚。そして我自身に装備…………これで、ターン終了だ』
 一つ一つの動作を確認しながら慎重に石版を動かしていく。
 その様子は何故かやけに人間臭い。
 尤も自分の命が懸かっている以上、昔は人だったと言われても驚きこそすれ戦意が喪失するようなことはないが。
 ただ、疑問には思う。魔物のプレイングは、とてもじゃないが一朝一夕に確立するようなものでない。
 一体どこで、これほどのデュエルスキルを身に付けたのだろうか。

『デュエルアカデミアだ』
 健の問いに対して、魔物はそう答えた。
 瞬間その光景――魔物が学生に混じって授業を受けている姿――を想像して、健は思わず吹きかける。
 しかし現実には、とてつもなく恐ろしい話となる。隣で喋っている友人が、実は異形に乗っ取られていたと考えれば。
 一見くだらない想像をしたのは、モチベーションを維持するためだ。

『クカカ……我がこの遺跡で目覚めたのはもう10年前……発掘者の人間から考古局へ。そこで現代の札による決闘を知った』
 自らを封印した神官はもはやこの世には存在しない。
 それを理解した魔物はまずこの世界で生き延びることを決意する。
 寿命という概念は当面心配する必要はなく、神官のように自分を討とうとする存在から逃れ得る力を取り戻すことを最優先とした。生き延びるというのは神官の意に背くということでもあり、間接的に神官への復讐ともなる。
 探すべきは、己の一部を内包するモンスター『ハネクリボー』。
 魔物は乗っ取りの連鎖の末、アメリカアカデミアの校長を意のままに支配することに成功する。
 社会的立場があるため情報が得やすく、またプロデュエリストを目指す学生たちのプレイングを一日に何十、何百戦と見ることが可能だ。カード知識は貯まるし、プレイングも身に付く。
 結局思いの外、『ハネクリボー』は簡単に見つかった。
 M&Wの中でも新興のジャンルである『E・HERO』で、全米各地の大会を恐るべき実力で制している日本人―――響紅葉。
 彼がデッキに投入していた。
 別の時を歩む自分なら見逃していたであろう、些細な違い――それに気付いたのだ。すなわちテレビ越しに見る響紅葉と『ハネクリボー』が、会話しているように見えたのである。
 奪取作戦は響紅葉が世界チャンプとなったその夜に行われた。アカデミア校長の娘を操り刺客として差し向け、勝利した。彼の戦術はそれこそ完璧に調べ尽くしていた。
 
 ―――だが。

 力の復活は、上手くいかない。
 『ハネクリボー』は確かに目的のものだった。
 己が心臓を取り戻し、以前よりは格段に動きが軽くなった。
 しかし完全ではない。
 まだ何か、足りない―――。

『それから2日後のことだった――――我の前に武藤遊戯という男が現れたのは!』
「な……あの武藤遊戯が……!?」

 武藤遊戯の前に、魔物は手も足も出なかった。
 『ハネクリボー』は奪われ、そして後に結城十代の手に渡るのだが、これはまた別の話。
 ただ、『ハネクリボー』は精霊としての力こそ健在だったが、魔物にとっては心臓を取り戻した段階で用済みになったことを、武藤遊戯は知らなかったらしい。
 加えて、もう一つ。武藤遊戯とのデュエルは魔物の力によって『闇のデュエル』ではあったが―――完全な復活を遂げていなかったこと、本体ではなく眷属であるアカデミア校長の前に現れことが幸いし、『闇のデュエル』の罰で死することはなかった。
 とはいえ、魔物が受けたダメージは深刻だった。生き延びるため、ただそれだけのために人間を喰らうようになった。
 武藤遊戯への復讐など二の次。
 魔物を討つ狩人から逃れるため、有用な身体をいくつも捨て去った。
 何がいけなかったのか。何処でミスを犯したのか。
 考える余裕もなかった。
 助言があったとはいえ、デュエルを初めて間もない少女と引き分けるレベルにまで、魔物の力は落ちていた。
 一刻の猶予もない。
 人間を殺戮し捕食する。一心不乱に行った。
 それは現在も、続いている。

「………………」
 ある意味において、これは悲劇だった。
 魔物は人に比する以上の知性を持ちながらも、その目的はただ単に生き延びること。
 種としての生存本能だけに忠実。
 つまりは獣と同じ、一次的欲求で止まっていた。
 生き延びてどうするかという、具体的なプランがないのだ。
 決して不自然なことではないし、そういった目的の差がデュエルの勝敗を分けるとは思わない。
 それでも、魔物が見せる言動にどこか虚勢染みたものを感じたのは、間違いではなかった。

「俺のターンだ」
 攻撃力1200以上のモンスターを引ければ2体のガイアでトラゴエディアを倒しきり、直接攻撃で勝つチャンスを得られたが、どうやら前のターンで運を使い果たしてしまったようだ。

「バトルフェイズに入り……」
 そうなると、相変わらず予断を許さない戦局に付き合わねばならない。
 いま魔物の墓地には1体の『トラゴエディア』が存在する。もし場の『トラゴエディア』を排除すれば『闇の王衣』も墓地へ送られてしまい、墓地の悪魔族モンスターは3体となる。
 つまり『ダーク・ネクロフィア』の召喚条件を満たしてしまうのだ。

(俺の手札に、即座に対処できるカードは来ていない。膠着状態を続けられるなら待つ選択肢もあり得るが……)
 しかしそれは困難だ。
 仮に魔物が前のターンで、手札に『ダーク・ネクロフィア』以外の上級モンスターをドローしていた場合。
 上級モンスターならばそのまま、最上級ならばユニオンを解除することで、生贄と墓地の3体が同時に揃ってしまう。
 加えてトラゴエディア自身の攻守は手札の数により増減するため、下手をすれば『暗黒騎士ガイア』では突破が困難になる。

「ここは2体の暗黒騎士ガイアで『トラゴエディア』を攻撃する!」
 1体目の突撃で『闇の王衣』を剥ぎ、2体目が魔物の分身を再び葬った。
 この間に『トラゴエディア』の守備力は、『闇の王衣』のドロー効果により1800に上昇していた。
 攻撃を躊躇い次のターンに回していれば、たとえ魔物が何もせずともこの数値は2400となり、倒せなくなっていた所だった。

「ターンエンド!」
 決断が間違っていない自信はある。
 それに『ダーク・ネクロフィア』で奪われるとしてもエンドフェイズ。
 次のドローで挽回できる可能性はある。



 桐沢健

  LP1700
  手札2枚
  場 暗黒騎士団、暗黒騎士ガイア、豪雪の暗黒騎士ガイア

 トラゴエディア

  LP1200
  手札3枚(うち1枚はダーク・ネクロフィア)
  場 なし




 ドローフェイズで石版を増やす魔物。
 その数4枚は、『トラゴエディア』が存命していれば『ガイア』の攻撃力を上回っていたことを示す。
 魔物はこの状況を戦い抜ける手札ではなかったらしく、交換カードを使用してきた。
 
『手札より『闇の誘惑』を発動。カードを2枚ドローし……『ミストデーモン』を除外する』
 『ネクロフィア』を除外してくれれば助かったところだが、そうそう都合よくもいかないらしい。


闇の誘惑 通常魔法
自分のデッキからカードを2枚ドローし、
その後手札の闇属性モンスター1体をゲームから除外する。
手札に闇属性モンスターがない場合、手札を全て墓地へ送る。

ミストデーモン 効果モンスター
星5/闇属性/悪魔族/攻2400/守 0
このカードは生け贄なしで召喚する事ができる。
この方法で召喚した場合、このカードはエンドフェイズ時に破壊され、
自分は1000ポイントダメージを受ける。


『我は墓地の『トラゴエディア』2体と『闇の王衣』を除外し、『ダーク・ネクロフィア』を守備表示で特殊召喚!』
 能面のような女の腕に抱かれた、意思を持つ人形がまたしても出現する。
 しかも厄介なことに守備表示。
 その守備力2800は、健のデッキでは越えるのが難しい壁だ。
 伏せカードは出さずにターンを終えたが、残念ながらこちらも、その隙に突けこめるハンドではない。 

「俺のターン。………!」
 小さく笑みを見せる。健
 このタイミングで、再び有効牌を引き入れたのだ。

「やはり、コントロール奪取はお前だけのものじゃないな」
『何……?』
「いくぞ! 俺は『暗黒騎士ガイア』を守備表示にする!」
 一見理解不能な行動に、さらに首を傾げる魔物。
 だが、これこそが正しいプレイングなのだ。

「さらに手札から『強制転移』を発動する!」
 

強制転移 通常魔法
お互いに自分フィールド上に存在するモンスター1体を選択し、
そのモンスターのコントロールを入れ替える。
そのモンスターはこのターン表示形式を変更する事はできない。


 入れ替えるのはもちろん守備表示にした方の『ガイア』。
 『強制転移』でコントロールを得たモンスターの表示形式はこのターン変更できないが、この手の制約を持つカードにしては珍しく、ターン中に表示形式を変更したモンスターも転移の対象に出来る。

「『ダーク・ネクロフィア』はいただいていく!」
 代わりに渡したのは『暗黒騎士ガイア』。
 戦闘破壊されることが役目ならば、魂のエースではなく『豪雪』に担わせるべきという考え方もある。
 ただ、この状況では精神論など完全に排除した、ロジックでの判断が求められる。
 魔物が『自立行動ユニット』のコストを払えないライフである以上、墓地は時としてフィールドより安全な場所となる。

「バトルフェイズ! 『豪雪の暗黒騎士ガイア』で『暗黒騎士ガイア』を攻撃だ!」
 『ダーク・ネクロフィア』での追撃は出来ないものの、破壊しておかない道理はない。
 守備体勢をとっている『ガイア』を、同じ姿かたちの騎士が打ち倒した。

「これでターンを終了する」



 桐沢健

  LP1700
  手札2枚
  場 暗黒騎士団、ダーク・ネクロフィア、豪雪の暗黒騎士ガイア

 トラゴエディア

  LP1200
  手札3枚
  場 なし



『我のターン――!』
 一進一退の攻防は続く。
 モンスターの制御権を奪い、取り返し。
 ただ、元々コントロール奪取をテーマにしているデッキである魔物の方が、投入されている数も幅も圧倒的に広い。 

『手札より『傀儡虫』を墓地に送り、悪魔族である『ダーク・ネクロフィア』を我が元に!』


傀儡虫 効果モンスター
星3/闇属性/昆虫族/攻1000/守1000
このカードを手札から墓地に捨てて発動する。
このターンのエンドフェイズ時まで、相手フィールド上に表側表示で存在する
悪魔族またはアンデット族モンスター1体のコントロールを得る。


「な……なんでそんな専用カードを……?」
「『ラヴァーゴーレム』」
 後ろで少年がそう呟き、言われれば意味は健にも理解できる。
 そして同時に魔物の手札にそれがないことを知り、ほっとする。
 あとはレベル分散の一環だろうか。

『『ダーク・ネクロフィア』を攻撃表示に変更! そして『豪雪の暗黒騎士ガイア』に攻撃だ!』
 その光景は余りにも記憶に新しい。
 以前に何度か、どころではなく、今日だけで2度目だ。
 人形に操られた女は――最初から生きているのか怪しいが――息絶え、うつ伏せに倒れた。


 トラゴエディア LP1200→1100


『カードを1枚伏せ、ターンエンド。そしてエンドフェイズ。『豪雪の暗黒騎士ガイア』にネクロフィアを装備しそのコントロールを得る!』
「くっ……」
 魔物が手札シャッフルならぬ石板シャッフルを行っていなければ、『傀儡虫』は前のターンから手札にあったカード。そして伏せカードはこのターンにドローしたもののはずだ。
 臆病な健にとってこれは重要な事実となる。
 何故ならその伏せカードは、もしかすると反撃の気勢を削ぐためのブラフかもしれないからだ。
 そう理由付けすることで、下手に攻撃を躊躇してしまうことはなくなる。
 そして健のドローフェイズ。
 新たに手札へと加わったカードも、反撃しろと強く語っている。

「やはり『暗黒騎士ガイア』を墓地へ送っておいたのは正解だった! 手札から『思い出のブランコ』を発動する!」
『む……?』
 

思い出のブランコ 通常魔法
自分の墓地に存在する通常モンスター1体を選択して発動する。
選択したモンスターを自分フィールド上に特殊召喚する。
この効果で特殊召喚したモンスターはこのターンのエンドフェイズ時に破壊される。


 1ターン限りで通常モンスターを蘇生させる魔法カード。
 甦らせた『暗黒騎士ガイア』は、裏切った派生形の『豪雪』と同じステータスを誇っている。
 だが、健の狙いは相討ちではない。

「『融合』――! 手札の『カース・オブ・ドラゴン』と場の『暗黒騎士ガイア』を融合し、『竜騎士ガイア』を特殊召喚だ!!」
 特殊能力が一切ない、ただ攻撃力を高めただけの融合モンスター。
 何と言われようと、健はこれまでこのデッキで戦い抜き、それなりの勝率を収めている。
 攻撃力2600は低い? しかし魔物に洗脳された『ガイア』より上というだけで、今は充分だ。


融合 通常魔法
手札・自分フィールド上から、融合モンスターカードによって決められた
融合素材モンスターを墓地へ送り、その融合モンスター1体を
エクストラデッキから特殊召喚する。

カース・オブ・ドラゴン 通常モンスター
星5/闇属性/ドラゴン族/攻2000/守1500
邪悪なドラゴン。闇の力を使った攻撃は強力だ。

竜騎士ガイア 融合モンスター
星7/風属性/ドラゴン族/攻2600/守2100
「暗黒騎士ガイア」+「カース・オブ・ドラゴン」


「『竜騎士ガイア』で『豪雪の暗黒騎士ガイア』に攻撃!」
 騎士の武器と能力はほぼ同じ。ならば勝敗を分けるのは騎乗する生物の差。
 天空を自由に駆け巡り自らもブレスを放てる飛竜に対して、いくら脚が速くとも地上から離れられない馬では勝負は見えている。


 トラゴエディア LP1100→800


『ヌウッ……だが我も、ここで我が分身『トラゴエディア』を特殊召喚させてもらう』
 三度出現する闇の魔物。
 出てこないわけがないとは思っていたが、既に手札に入っていたのは予想外だった。
 『ダーク・ネクロフィア』の自爆特攻。あの時魔物は、自身を召喚可能な最低のダメージを受けた。
 その時手札にあったのなら、合理的かつ慎重なプレイングをする魔物のことだ、不意の反撃を警戒し、壁として出していると思ったのに。
 

 『トラゴエディア』 DEF 1200


 魔物の手札は2枚。
 その正体は『ハリケーン』で戻した時から一新されており、予測がつかない。

「……ターンエンドだ」
 『トラゴエディア』が出てきたとあっては、いつ奪われてもおかしくない。
 それが次のターンでないことを祈る綱渡りは終わらない。
 せめてもの救いはレベルに関係なくカードを奪う『ダーク・ネクロフィア』を排除できたことか。



 桐沢健

  LP1700
  手札0枚
  場 暗黒騎士団、竜騎士ガイア

 トラゴエディア

  LP800
  手札2枚
  場 伏せ1枚、トラゴエディア(DEF1200)



『我のターン――』


 『トラゴエディア』 DEF 1200→1800


 『トラゴエディア』のステータスが上昇し、次に魔物が取った行動は、伏せカードの発動。
 それは前のターンの努力を無にし、またしても強大な力を魔物に与えてしまうもの。

『『リビングデッドの呼び声』――『ダーク・ネクロフィア』を蘇生し、『竜騎士ガイア』に攻撃する』
 健の手札は融合で使い切ってゼロ。
 伏せカードもない。
 ネクロフィアが目から放つビームを、ガイアの反撃を、黙って見ていることしか出来ない。


 トラゴエディア LP 800→400


『エンドフェイズ、『竜騎士ガイア』のコントロールを得る』
 一応ライフの面では健がほぼ追い込んだ。
 だが、盤面では圧倒されている。1700程度のライフなど、あってないようなものだ。

「俺のターン! ……く」
 『猛火の暗黒騎士ガイア』。健のライフはまだ1700あるため、召喚条件を満たしていない。


猛火の暗黒騎士ガイア 効果モンスター
星7/闇属性/戦士族/攻2300/守2100
自分のライフポイントが1000以下の場合、
このカードは生贄なしで召喚する事ができる。


「だがまだだ! こいつを公開し、さらに1枚ドロー! そして、こっちも『闇の誘惑』を使わせてもらう!」
 除外するカードは、迷うまでもなくガイアだった。
 逆に言うならそれは、残すに値するカードがハンドに入ったということでもある。


闇の誘惑 通常魔法
自分のデッキからカードを2枚ドローし、
その後手札の闇属性モンスター1体をゲームから除外する。
手札に闇属性モンスターがない場合、手札を全て墓地へ送る。


「『終末の騎士』を召喚! その効果により『ネクロ・ガードナー』を墓地に送る! ――そして!」
 中空に浮かぶ三本の光の剣が、魔物の配下のモンスターを囲う。


終末の騎士 効果モンスター
星4/闇属性/戦士族/攻1400/守1200
このカードが召喚・反転召喚・特殊召喚に成功した時、
自分のデッキから闇属性モンスター1体を選択して墓地に送る事ができる。

ネクロ・ガードナー 効果モンスター
星3/闇属性/戦士族/攻 600/守1300
自分の墓地に存在するこのカードをゲームから除外して発動する。
相手モンスターの攻撃を1度だけ無効にする。


「『光の護封剣』、発動だ」
 守備固め。次ターン以降への布石。
 それらを一瞬で為せる優秀なカードだ。『ダーク・アサシン』のようなコンボカードが投入されているならαのように対となる『闇の護封剣』を使うことも考えられるが、そうでないテキスト通りの用途であらば持続ターン数の多いこちらが有効である。


光の護封剣 通常魔法
相手フィールド上に存在するモンスターを全て表側表示にする。
このカードは発動後、相手のターンで数えて3ターンの間フィールド上に残り続ける。
このカードがフィールド上に存在する限り、
相手フィールド上に存在するモンスターは攻撃宣言をする事ができない。


「手札がまたゼロになっちまったな。ターンエンドだ」
 笑っていられる状況ではないものの、向こうの手で強引に除去されない限り、まだまだ勝負は見えない。

 



 桐沢健

  LP1700
  手札0枚
  場 暗黒騎士団、光の護封剣、終末の騎士

 トラゴエディア

  LP400
  手札3枚
  場 トラゴエディア(DEF1800)、竜騎士ガイア(ダーク・ネクロフィア装備)





『我のターン……』
 魔物はこのターンに引いた石版をしばらく見つめ考え、そして消滅させた。

『手札より『マンジュ・ゴッド』を捨て、『トラゴエディア』の効果発動! 『終末の騎士』のコントロールを得る!』
 一瞬そのカード選択に疑問を持ち、そして理解する。
 『マンジュ・ゴッド』は自由に儀式魔法か儀式モンスターを手札に加えられる。
 それはすなわち、任意のレベルのモンスターをサーチ出来るということだ。
 その上儀式魔法『高等儀式術』は、魔物のデッキに投入されている通常モンスターに儀式との親和性をもたらす。
 


マンジュ・ゴッド 効果モンスター
星4/光属性/天使族/攻1400/守1000
このカードが召喚・反転召喚された時、自分のデッキから
儀式モンスターカードまたは儀式魔法カード1枚を選択して手札に加える事ができる。


『ターン終了…………の前に奪った『終末の騎士』を守備表示にしておくか。さて、これで本当にエンドだ』
 魔物の容姿からはとても考えられない、慎重で細やかな駆け引き。
 実際にそれで期待し、落胆してしまう。
 そんな状態で引いたカードは、逆転への一枚たり得ることはない。

「俺はモンスターをセットし、ターン終了だ」





 桐沢健

  LP1700
  手札0枚
  場 暗黒騎士団、光の護封剣、裏モンスター

 トラゴエディア

  LP400
  手札3枚
  場 トラゴエディア(DEF1800)、竜騎士ガイア(ダーク・ネクロフィア装備)、終末の騎士






『我のターン』
 石版がまた一つ増やされる。
 それに従い、『トラゴエディア』がさらに強化された。


 トラゴエディア DEF 1800→2400


『……ターンエンド』
 結局アクションを起こさずにターンを終える。
 『光の護封剣』で攻撃を封じられるのはあと1ターン。

「俺のターン! 『天使の施し』を発動する!」


天使の施し 通常魔法
デッキからカードを3枚ドローし、その後手札からカードを2枚捨てる。


 引きは最悪で、そして最良だった。
 押し切られるか、最後のキーカードをこちらが引くか。
 どちらが早く訪れるか。それは運次第。
 ただ、現状魔物の能力が膨れ上がりつつあることを考えれば、攻め手を削るより他にない。

「捨てるカードは――『沼地の魔神王』。そして……くそ、『螺旋槍殺』だ。カードを伏せ、ターンエンド……」
 自棄になったように吐き捨てる。
 『沼地の魔神王』はともかく、『螺旋槍殺』は手札に残しておけば『ガイア』を引いた際に奇襲を仕掛けることが出来る。
 その的である『終末の騎士』もいる以上、これは残したとしても不思議はない。
 ではそれを蹴ってまで残したカードの正体を魔物は推測できるだろうか。
 そして分身の攻守が、このドローで3000の大台に乗る。


 『トラゴエディア』 DEF 2400→3000


『我は……カードを1枚伏せターンエンド』
 魔物の選択は伏せカード。
 護封剣は、とうとうその力を使い果たし消滅。
 そして健のターンが回ってくる。


 『トラゴエディア』 DEF 3000→2400


「俺のターン! モンスターを反転召喚する!」
 だとすれば―――こちらも動く。
 魔物が驚きに目を見開いた。
 何故ならそれは、装備状態の『ダーク・ネクロフィア』を擁する魔物にとって、最大の脅威になるのだから。


パワー・ブレイカー 効果モンスター
星4/地属性/戦士族/攻1900/守 0
このカードが相手モンスターの攻撃、
または相手の効果によって破壊され墓地へ送られた時、
相手フィールド上に表側表示で存在する魔法・罠カード1枚を選択して破壊する。
このカードは攻撃した場合、ダメージステップ終了時に守備表示になる。


『ま……待て、リバースカードだ 『奈落の落とし穴』!』
 この伏せカードの消費は、予想通りとまではいかないが嬉しい誤算だ。

「そして俺はカードを1枚伏せてターンエンド!」
『バカな――! 『ガイア』を出してこないのか!?」
 当たり前だ。そこまで健の引きは良くない。
 だが、魔物は最悪の事態を想定し、そこから行動を決定する。それだけの思慮を有している。
 『トラゴエディア』で奪われる危険を冒してまで反転召喚した意味は、伏せカードを消費させ、このターンで決着させるからだと推測してくれた。
 そして、もう1枚の伏せカード。
 前のターンで自棄な印象を与える動作を取った意味。
 それを魔物はこう解釈したはずだ。
 ――残ったリバースは、2枚目の『螺旋槍殺』。逆転のカラクリを見られたことに苛立ったのだと。
 だから魔物は『奈落の落とし穴』でマストカウンターになり得るカードを破壊できたのに、あれほどの狼狽を見せた。そしておそらく、それをマストカウンターと考えたということは、魔物の手札に『トラゴエディア』のコストとなるレベル4のモンスターは存在しないのだろう。




 桐沢健

  LP1700
  手札0枚
  場 暗黒騎士団、伏せ2枚、

 トラゴエディア

  LP400
  手札4枚
  場 トラゴエディア(DEF2400)、竜騎士ガイア(ダーク・ネクロフィア装備)、終末の騎士




『グ……我のターン』



 『トラゴエディア』 DEF2400→3000



 故に――伏せカードは攻撃反応系の可能性が絶望的なまでに高い。
 魔物が行動を渋るのも当然だった。
 加えて『ガイア』の貫通ダメージを狙うという考えがほぼ排除された今、もう1枚の伏せカードも、もはや安泰とは言えない。
 
『ならばその伏せカード――使ってもらおうか。『竜騎士ガイア』で攻撃!』
「いーや、まだだ。墓地から『ネクロ・ガードナー』を除外し、攻撃を無効にする」


ネクロ・ガードナー 効果モンスター
星3/闇属性/戦士族/攻 600/守1300
自分の墓地に存在するこのカードをゲームから除外して発動する。
相手モンスターの攻撃を1度だけ無効にする。


『リバースカードをセット。ターンエンドだ』


 『トラゴエディア』 DEF3000→2400


「俺のターン! モンスターを伏せてターンエンドだ!」
 伏せモンスターは『カードガンナー』。ここは健も守備を固めるしかない。
 1ターン限りでレベル4モンスタークラスの攻撃力は得られるが、その後の魔物のターンが危険だ。


カードガンナー 効果モンスター
星3/地属性/機械族/攻 400/守 400
1ターンに1度、自分のデッキの上からカードを3枚まで墓地へ送って発動する。
このカードの攻撃力はエンドフェイズ時まで、
墓地へ送ったカードの枚数×500ポイントアップする。
また、自分フィールド上に存在するこのカードが破壊され墓地へ送られた時、
自分のデッキからカードを1枚ドローする。


『我のターン』
 出来るだけ長く――健が切り札を引くまで続いて欲しかった膠着。
 それは僅か1ターンで終焉を迎える。


 『トラゴエディア』 DEF2400→3000


『手札から『死者への手向け』を発動! 貴様の裏守備モンスターは……フン、引っ掛けか』
 確かに手札2枚を消費してモンスターを破壊してドローされたというのは褒められた光景ではない。
 だが、健が引いたのは『古のルール』。この状況では明らかな事故要因だ。


死者への手向け 通常魔法
手札を1枚捨て、フィールド上に存在する
モンスター1体を選択して発動する。
選択したモンスターを破壊する

 『トラゴエディア』 DEF 3000→2400→1800


『さらに我は『奇跡の発掘』を発動―――戻す3枚は『ミストデーモン』、『闇の王衣』、『デビルゾア』の3枚』
「な……!」
 このカード選択。
 それは魔物が健の伏せカードを正しく読んでいることを示す。
 健も魔物の伏せカードが読めたが、それは全てが運の領域で決着することを意味していた。


奇跡の発掘 通常魔法
自分のモンスターが5体以上ゲームから除外されている場合、
その内の3体を墓地に戻す。

 『トラゴエディア』 DEF 1800→1200


『『トラゴエディア』を攻撃表示に変更し――バトルフェイズ』
 魔物の分身が攻撃参加してくるのは、このデュエルで初めてのことだった。
 それだけ切羽詰っている証でもあるが、この後の展開は伏せカードを知っている健だからこそ、まったく予想できない。

『『竜騎士ガイア』で直接攻撃だ!』
「―――『ミラーフォース』、発動」
 魔物のモンスターは『終末の騎士』を除く2体が攻撃表示だ。
 健の場に壁モンスターはなく、『ネクロ・ガードナー』も使ってしまった今、伏せカードによって凌ぐしかない。
 しかしこれは、魔物にとって想定内の範疇だろう。
 竜騎士ガイアは破壊されるが―――

『その程度、分からぬと思ったか! 2枚目の『ゲットライド!』により『闇の王衣』を『トラゴエディア』に装備! そして――』
 『闇の王衣』は『トラゴエディア』の身代わりとして破壊され、ハンドに潤いをもたらす。
 それは『トラゴエディア』の強化と同義。


 トラゴエディア 手札 2枚→3枚
 
 『トラゴエディア』 ATK 1200→1800

 桐沢健 LP 1700

聖なるバリア−ミラーフォース− 通常罠
相手モンスターの攻撃宣言時に発動する事ができる。
相手フィールド上に存在する攻撃表示モンスターを全て破壊する。


『止めだ。我が分身、『トラゴエディア』の攻撃―――!』
「まだ決着はついていない! リバースカードオープン、『マインドクラッシュ』!」
『―――何?』
 手札が強化に繋がるなら、その逆も然り。
 手札破壊によって、能力を落とすことも出来る。
 ただしその道は容易ではない。
 現時点で魔物の手札はブラックボックスと化している。
 前後に使ったカードだけで、その内容を推測しなければならないのだ。


マインドクラッシュ 通常罠
カード名を1つ宣言する。
相手は手札に宣言したカードを持っていた場合、
そのカードを全て墓地へ捨てる。
持っていなかった場合、自分はランダムに手札を1枚捨てる。


 健の脳裏には既にある1枚の存在がある。
 確信はあった。確証はない。
 それでも、あそこであの行動を取った意味はそれしかあるまい。
 本当に合っているのか不安はある。
 だが、これ以上にあり得るカードが他に思いつかないのも確かだ。

 失うものは何もないとは言えない。
 まだまだやりたいことは沢山ある。
 永瀬兄妹の行く末も見届けたい。
 そのためには、彼らと敵対している組織の温情に縋っての復活など論外だ。
 魔物の戦術をここまで引き出せば、天城一也が負けることはほぼあるまい。
 それでもこの戦いは、健が勝つことにこそ意味があるのだ。



「俺は…………『――――』を宣言する!」

 



























































 魔物の分身が放った闇の波動。
 健はそれを耐え切った。
 服はいくらか裂け、切り傷も負っているが、まだ立っていた。
 
 そして―――ライフも残っていた。



 トラゴエディア 手札 3枚→2枚

 『トラゴエディア』 ATK1200 

 桐沢健 LP 1700→500



 魔物は分身の能力がさらに落ちるのも構わず、ビーピングして正体が割れている『カオス・バースト』を伏せターンを終了した。
 残る1枚は、それ単体では使いようのない8レベルの儀式モンスターだった。


 『トラゴエディア』 ATK1200→600


「俺のターン」
 不思議と負ける気はしなかった。
 『カオス・バースト』が伏せられ、追い詰められているのはむしろ健のはずなのだが、それでも決着が訪れると妙な確信があった。

「『竜の鏡』、発動だ。『暗黒戦士デュオス』、『カース・オブ・ドラゴン』、『沼地の魔神王』をゲームから除外し、『竜魔騎士 デュオスドラゴン』を特殊召喚する」


竜の鏡 通常魔法
自分のフィールド上または墓地から、
融合モンスターカードによって決められたモンスターをゲームから除外し、
ドラゴン族の融合モンスター1体を融合デッキから特殊召喚する。
(この特殊召喚は融合召喚扱いとする)

 竜魔騎士 デュオスドラゴン ATK 3600


 ギリギリの攻防を経て、やけに落ち着いていた。
 このモンスターを召喚できなければ、まだ勝負は分からなかったはずなのに。
 攻撃宣言をすると同時に、天城一矢が『カオス・バースト』の存在を忘れたのか、などと騒ぎ立て。
 魔物はかろうじて我に返り、『終末の騎士』をコストに伏せカードを発動した。 
 合理的戦略を採る魔物も、どうやら自らの分身を犠牲にする選択だけはできなかったようだ。
 どのみち『カオス・バースト』の発動に成功すれば、魔物の勝ちなのだから。
 そう、発動さえ成功すれば。

「デュオスドラゴンの効果発動――! このカードの攻撃力を1000下げることで、俺のモンスターへの破壊効果を持つカードの発動と効果を無効にし、破壊する」
『グオオオオォッ!』
 思考やデュエルは果てしなく人間らしかったが、ダメージを受けての叫び方だけは、やはり魔物だった。
 分身を消滅させ、罠を無効にした反動でやや輝きを失っている竜戦士の刃は、しかし魔物の本体を貫くだけの余力を残していた。


 竜魔騎士 デュオスドラゴン ATK 3600→2600



竜魔騎士 デュオスドラゴン
星10/闇属性/ドラゴン族/攻3600/守2900
「暗黒戦士デュオス」+「カース・オブ・ドラゴン」+「ブラックマジシャン」
このカードは融合召喚でしか特殊召喚できない。
1ターンに1度、このカードの攻撃力をエンドフェイズまで半分にすることで、
自分フィールド場の他のモンスター1体の攻撃力はエンドフェイズまでその数値分アップする。
この効果はバトルフェイズ中及び、相手ターンでも使用できる。
「フィールド上のモンスターを破壊する効果」を持つカードが発動した時、
このカードの攻撃力を1000下げる事で、その発動を無効にし破壊する。



 トラゴエディア LP 400→0




『グ………そうか、思い……出したぞ……。真理(マアト)の羽……我が復活には………体内に眠るアレを…………消さねば……………………』


 『闇のデュエル』の敗者にもたらされる罰。
 それは、たとえ対象が魔物であろうと等しく与えられる。
 だがコードネーム『とある悲劇の復讐者』の消滅が何を意味しているのか、健は理解していなかった。
 
 ――エジプト特別国防軍の危機は回避された。これは正しい。

 ――健はほぼ組織の助けなく解放された。これも正解だ。

 ――魔物に敗れた組織の人間が還ってくる。これこそが沙理亜の本当の目的であることを、健は知らない。



「バレちまったな、デュオスドラゴンの効果」
 天城一矢を前にして深々と嘆息する健。
 魔物を倒した途端に地下が崩壊するようなお約束はなく、特に通路が塞がれているようなこともなかったため脱出は容易だった。
 少女はまだ意識を取り戻さないものの、このまま昏睡ということはなさそうだ。

「ははは、何を言ってるんだい、桐沢健? 分かっていなくても僕の方が強いじゃないか」
「だから見せたくなかったんだよ。これ以上力の差が広がったらどうするんだ」
「どうせ逆転することなんてないと思うけど」
「だったら逃げるが勝ちの一手だな」
「で、本当に逃げようとしているのは何故だい? しかも『千年魔術書』を持ったまま」
 やはり見抜かれた。
 本当に魔物に勝ったため、契約上、組織は健をこれ以上拘束することはできない。
 それは助かるのだが、どうもこのデュエルは魔物の戦術というよりも、健の戦いを把握するためにセッティングされたような気がしてならなかった。
 特に『竜魔騎士 デュオスドラゴン』。
 存在自体がほとんど未確認に近かったこのカードについて、組織にあらかた情報を与えてしまう結果となった。

「まあ、いいよ。『千年魔術書』の利用価値は先輩も言っていた通り、破壊者がいない現状、あまり高くない。時が来たらまた奪いに行くから楽しみに待っててね」
「多分その頃には、俺は防衛メンバーから外されてる」
「だろうね。君の実力じゃあ頼りない」
「口の減らないガキだな。もう会わないことを祈ってるよ」

 そうして健は組織の少年と別れ、書の隠し場所である地下に帰還した。
 獏良とリシドは、まだその場に留まり健を待っていた。
 書を取り戻してきたこともそうだが、彼らは何より健の無事を喜んでくれた。
 これから当面、書はイシズ・イシュタールが自ら管理し、健たちは彼女の護衛として特別国防軍に加わることになるらしい。
 健はまだ、どちらが正しいか答えを出すことはできなった。
 組織の人間とも話してみて、迷いはさらに強くなった。
 融和か敵対か、『闇狩り』か『組織』か。
 全ては始まったばかり――――――。






間章 シンクロ覚醒!




 西暦2009年11月7日、アシュートはエジプト特別国防軍の奮戦もむなしくガリウス軍の手に落ちた。
 さらに同日、KCはその主たる原因である『オレイカルコスの結界』を突破する新たな力を求め、モーメント稼動実験を強行した。しかし実験は失敗。主な研究員は光の中へと飲まれ、モーメントを中心とした工業区一帯が海で隔絶された。
 さらに全世界で同様の天変地異が勃発、この災厄は後に『ゼロリバース』と呼ばれることとなる。
 翌11月8日、同じく後のシティ、サテライト間の海上に突如次元の穴が出現。その2日後の10日、KC、I2社の精鋭14名がチームを組み、次元の穴へと突入するのだった。
 その間ガリウス軍はアシュート戦で失われた兵力を本国より補充しつつ、王家の谷以南の制圧に乗り出していた。これに対してエジプト軍はなんら有効な策を見出すことができず、突入班が帰還した13日にはエジプト南部のほぼ全域がガリウスの支配下に置かれていた。

 そして突入班の報告は、この戦いを、ひいてはM&Wの未来をも大きく揺り動かすこととなる。
 11月14日、天馬月行、夜行兄弟に実権を譲り長らく一線を退いていたI2社名誉会長ペガサス・J・クロフォードが全世界へ向けての緊急記者会見を開いた。


「M&Wは1週間後、シンクロにより新たな未来へと導かれるのデース!」


 要約すると、彼の発表はこのようなものだった。
 そして、これは同時にエジプト軍の反攻作戦の始まりをも示していた。
 


 11月16日 エジプト特別国防局 局長室



 イシズ・イシュタールはこの日、エジプト特別国防軍の実質的な前線指揮官である北森玲子を局長室に呼びつけていた。
 無論糾弾するためではない。確かにエジプト軍は敗北を重ねているが、それは王家の谷が結界に覆われたことに続いて、ドーマの兵士がガリウス軍に直接加わるという事態を予測できなかった自分の責任だ。

「玲子さん、シンクロモンスターの配備は順調ですか?」
「はい、谷の攻略に当たる方に優先的に回しており、現在およそ6割がシンクロの力を手にしています。フレムベル、氷結界、霞の谷、A・O・J、ワーム、X−セイバー、ジェネクス、ナチュル。どれも癖の強いカード群ですが、ここに集まっているほどのデュエリスト、さすがに飲み込みは早いですね」
 眼鏡をかけた大人しい印象の女性が、ずらずらと新カテゴリを並べ挙げていった。
 戦争は文明を発展させる原動力という話がある。
 今回のケースはまさにそれに値するだろう。元々新たな次元――第十三次元と名付けられるらしい――が発見されたのは、おそらくモーメント稼動実験によるものだ。では、稼動実験が何故行われたかというと、それはこの戦いを一刻も早く終わらせるためである。その果てに手にするシンクロという力、これは進化のための戦いではなく、戦いのためにもたらされる進化といえよう。
 扱いを間違えれば、エジプトを護ることはできてもM&Wというゲーム自体が崩壊しかねない。ある意味で諸刃の剣だった。

「今日、あなたに来てもらったのは、相談に乗って欲しいからです。―――このカードの扱いについて」
 事務机の引き出しから今朝届いた封筒を取り出す。
 差出人の名前はなく、宛名は『この世界を侵略者から守る勇敢なる戦士たちへ』。
 何かの冗談かと思いながら中身を確認し、そして全く笑っていられなくなった。


スターダスト・ドラゴン /風
★★★★★★★★
【ドラゴン族】
チューナー+チューナー以外のモンスター1体以上
「フィールド上のカードを破壊する効果」を持つ
魔法・罠・効果モンスターの効果が発動した時、
このカードをリリースする事でその発動を無効にし破壊する。
この効果を適用したターンのエンドフェイズ時、
この効果を発動するためにリリースされ墓地に存在するこのカードを、
自分フィールド上に特殊召喚する事ができる。
攻2500 守2000


ブラック・ローズ・ドラゴン /炎
★★★★★★★
【ドラゴン族】
チューナー+チューナー以外のモンスター1体以上
このカードがシンクロ召喚に成功した時、
フィールド上に存在するカードを全て破壊する事ができる。
1ターンに1度、自分の墓地に存在する植物族モンスター1体をゲームから除外する事で、
相手フィールド上に存在する守備表示モンスター1体を攻撃表示にし、
このターンのエンドフェイズ時までその攻撃力を0にする。
攻2400 守1800




「…………!! これは、他のシンクロモンスターと比較しても一線を画する力を秘めていますね」
「ええ、私もそう思います。率直に伺います、玲子さん、我々はこの2枚をデュエルモンスターとの戦いに使うべきでしょうか?」
 途端に玲子の表情に困惑の色が浮かぶ。
 当然の反応だ。異世界から侵略者が攻めてくるほど超常現象と頻繁に遭遇するカードゲーム。
 そこに突然出所不明のカードをぽっと置かれて、使う気になれるだろうか。
 北森玲子はカードプリベンターの長として、考古局局長としての活動で忙しいイシズ以上に『闇』関連の事件に遭遇しているはず。
 もしこれがそういった類のカードだとすればどのように対処するべきか、是非とも意見を聞いておきたいところだった。

「そうですね……安全に使うための方策として一つ挙げてみるなら、別々の人に持たせることです」
 それは考えてみた理論だった。
 ただし、一応中身まで尋ねておく。

「どういうことですか?」
「えーと、つまり2枚のテキストを読んでください。破壊と無効、そして再生。ここから読み取れるのは、これらが2枚で1組である可能性です。別々の人が離れた場所でこれらを使えば、仮に悪性の力を持っていたとしても、個別に対応できると思います」
 ほぼ、イシズの考えと同じ。
 しかしそれは罠ではないだろうか。
 そう言うと今度は玲子がその理由を聞き返してきた。

「途中までは同じです。破壊、再生。それらが鍵になっていることは確かですが、いわばこれは対極の効果です。対存在。お互いが能力を打ち消し合うことで均衡を保っている。そうなると、引き離すのは逆に危険です」
「なるほど、そういう考え方もできますね………」
 どちらとも取れる以上、最も無難なのはこの2枚を戦線に投入しないことだ。
 元々I2社から配備されるシンクロ戦力だけで戦う予定だったため、無理が生じることもない。
 ただ、何らかの形で使わなければならない予感はする。そこは玲子も共通の見解のようだった。
 
「やはり、このままこの部屋に眠らせておくのは得策ではないと思います。デュエルモンスター側も何を仕掛けてくるか分かりませんし、いざという時のため、誰に持たせておくかぐらいは決めるべきです」
「そうなると玲子さんに任せることになりますが……」
 玲子は前線の実態を生の姿で把握しており、兵たちの信頼も厚い。
 少なくとも、総司令とは名ばかりで書類仕事が中心になってしまっているイシズとは比べ物にならない。
 それに玲子には、以前から王家の谷に乗り込むデュエリストを選抜するよう指示を出していた。
 この状況にも臆しない優秀なデュエリストを、既に何人か目に留めているはずだった。

「はい、数人当てはあります。これから改めて選別したいので、少しお時間を頂けますか?」
 願ってもない話である。
 そうしてイシズは、正式に2体の竜の遣い手を誰にするか見極めるよう命令を下すのだった―――。











 特別国防局 廊下




 北森玲子は思案していた。その中身は、イシュタール総司令から直接言い渡された命令―――『スターダスト・ドラゴン』、『ブラック・ローズ・ドラゴン』の使用者を決定することについてである。
 総司令にはもう目星がついているような風に言ってしまったが、本当は何も決まっていない。
 何しろシンクロの導入により、公式ルールも大きく変化するのだ。
 そのルール――マスタールールでは、融合デッキはエクストラデッキに名称が変更され、枚数制限が生じる。
 これだけでE・HEROを用いた融合戦術の使い手は大きな被害を被ることになる。
 シンクロシステムにきちんと適応しているかも、数日で判断できることではない。確かに現時点で他の者より使いこなせていると判断できる兵はいる。しかしそれはあくまでも現時点であってすぐに逆転する可能性は十二分にあるし、そもそもデュエルの強さが戦場での活躍と比例するわけではない。
 反攻作戦『オペレーションシンクロ』の決行まであと5日。
 長いように見えて、実際の所ほとんど時間は残されていない。
 

 自室に戻った玲子は、まず自分のエクストラデッキ構成を調整することにした。
 玲子自身も含めてシンクロに触れてからまだ日が浅い。
 それでも、実力者ぞろいのカードプリベンターの長、エジプト特別国防軍前線指揮官として、その立場に恥じないデュエルスキルは要求される。
 まず来週発売される予定のシンクロモンスターのリストを見直し、例の2体の竜がないことを確認する。
 ―――うん、存在しない。
 先ほど局長室では主にカテゴリ系のシンクロばかりを挙げたが、素材が固定されない汎用シンクロモンスターも多数存在する。また玲子はその立場とこれまでの実績から、使用している『パペット』デッキに合う専用のシンクロ及びチューナーモンスターを与えられていた。
 玲子のデッキ『パペット』は地属性に統一されているが、種族はばらばらだ。それを踏まえた上で来週発売されるカードプールからエクストラデッキを構築するとすれば―――
 

 現在のエクストラデッキ


『パペット・カエサル』
『キメラテック・フォートレス・ドラゴン』
『ミストウォーム』
『ギガンテック・ファイター』
『メンタルスフィア・デーモン』
『X−セイバー ウルベルム』
『アーカナイト・マジシャン』
『ゴヨウ・ガーディアン』
『ゴヨウ・ガーディアン』
『氷結界の龍 ブリューナク』
『氷結界の龍 ブリューナク』
『フレムベル・ウルキサス』
『ナチュル・ビースト』
『A・O・J カタストル』



 これで14枚だ。残り1枚を何にするか、送られてきた資料とにらめっこを続ける。
 ―――そして、あるカードに目が行った。
 トランスフォーマーのように人型に変形している重爆撃機。

 ――属性は闇。とは言っても、地属性に統一させていることに特に意味はないため、問題はない。

 ――種族は機械。これもさしたる障害にはならない。

 ――高い攻守。加えて、相手のライフを一瞬で消し飛ばすその能力。

 北森玲子は9年前、海馬コーポレーションでの城之内克也とのデュエル以降、そのプレイングスタイルが大きく変化していた。
 大人しい見た目とは全く裏腹に―――攻撃中心の戦いを身に付けていた。

「これは―――レベル7のシンクロを出せる人なら絶対に入れておきたい1枚ね。皆にもそう指示しておこう」 
 そしてこのカードを見てしまった今、『アーカナイト・マジシャン』はともかくとして、『X−セイバー ウルベルム』の力不足は明らかだった。
 迷いのないカード捌きで、ウルベルムをエクストラデッキから外し、とある暗黒の重爆撃機を2枚投入する。
 もう一度見直して問題がないことを確認し、こうしてエジプト特別国防軍前線指揮官、北森玲子のエクストラデッキは完成した。
「さて、ドラゴンの担い手を探しに行かなくちゃ」
 部屋に戻った時の不安は、嘘のように消えていた。
 人類はデュエルモンスターに勝てる。玲子はいつもの控えめな笑みと共に、そう確信した。






ダーク・ダイブ・ボンバー /闇
★★★★★★★
【機械族】
チューナー+チューナー以外のモンスター1体以上
自分フィールド上に存在するモンスター1体をリリースして発動する。
リリースしたモンスターのレベル×200ポイントダメージを相手ライフに与える。
攻2600  守1800




11章 兄妹対決



「……いつ来るか、心待ちにしていたよ」
 その日の夕刻、初回と同じく窓から現れた異世界の来訪者を前に、天使はそう言った。

「そういう冗談も言うんだな、あんた。もっと忠誠一筋な騎士かと思っていた」
 第一次元の技術であるデュエルディスクを着けた少年が、不快感を露にした厳しい表情で応じた。

「で、言い訳は考えたおいただろうな、ネオパーシアス?」
 初対面のときは、少年が召喚した剣士がその武力で以って脅した。
 だが、今回はそのようなことはしない。するだけ無駄だった。
 この天使が本当に少年を裏切っているのなら、従わせようとする脅しに意味はない。
 配下を含めた総合的な戦闘力でいうなら、一見戦士ではない少年の方が圧倒的なまでに上だった。

「分かっている範囲ならば、精一杯言い訳しよう」
「あぁ、ならまずは事実関係の確認といくか。同盟軍は当初の予定より2日も早い今朝、このガーデアに着いた。それで間違いないな?」
「いいや、同盟軍は彼らの到着は昨日の夕方だよ」
 無論これは少年――永瀬巧がわざと間違った時間を言ったのだ。
 巧が戻ってきた時、第十二次元は丁度昼過ぎだった。そこで同盟軍が既にガーデア城下に到着していたこと。そしてその晩にガリウス軍の暗殺者が同盟軍の要職にある者たちを襲撃したことを知ったのだ。

「中立国家のローレイドに賊が侵入したことについて、中央政府の公式発表は?」
「そもそも昨日の今日で伝わっているわけがない。報告を受けても確認が取れないの一言で済ますだろう」
 そこは巧もほぼ同様の見解である。
 おそらく暗殺者の襲撃はローレイド中央政府の主導によるもの。
 ガーデアとは別の筋から、中央政府の差し金とは予測できないような策を用意していたのだ。
 
「この場合、疑われるのはガーデアの人間――いや、天使か。中々良くできている。しかし解せんな。同盟軍はどうして予定より早くガーデアに来た?」
「彼らは元々ローレイド聖都に立ち寄ってからここに来る予定だった。だが、君が異世界に行って間もなく、同盟軍の方からその予定をキャンセルし直接ガーデアへ向かいたいとの連絡が入った。おそらく彼らも、ローレイドの動きに不審な動きを感じているのだろう」
 なるほど、理解できない話ではない。が、そうなるとネオパーシアスの行動には問題がある。

「……待て。お前、あれだけローレイド政府に不審を抱いておきながら、その腹中に同盟軍がみすみす飛び込んでいこうとするのを何故俺に言わなかった? あそこには俺の知り合いもいると言ったはずだ」
 本当は知り合いというレベルではないが、そこを話すと私情による行動とも取られかねないので黙っておく。
 しかし、同盟軍の側から打診があったと言っているが、そうでなければネオパーシアスはローレイドの裏切りを伝えただろうか。
 ローレイドは中立国家の名目上、同盟軍から予定変更の旨があった場合、それに干渉することはできない。このためネオパーシアスが同盟軍をガーデア受け入れたとしても、巧を裏切っていない証明にはならなかった。事実この地で暗殺者は一度同盟軍を襲撃していた。
 直接の加担はせずとも、知っていて黙認したのなら同罪だ。

「すまなかった。だが、こちらとしてもエアトス様がいる軍を聖都に行かせるわけがない。君が異世界での戦いに向かった以上、この次元に戻って来るまでのことは私の管轄。余計なことで煩わせる必要はないと考えたまでのことだ」
「その判断はお前がすることじゃない……と言いたい所だが、まぁ今回は仕方ない。当分この次元で活動するつもりだから、これからは独断で行動しないで欲しい」
「ガーデア城主、そしてエアトス様に仕える身として不都合にならない程度には、可能な限り従おう」
 その返答だけで巧にとっては十分だった。
 ネオパーシアスは思い上がっている。第一次元の人間というのは関係ない。ただ単純に、実力差を把握しておきながら対等な交渉の舞台へ立っていると考えることこそが既に誤りだ。
 そして巧はネオパーシアスの真正面に立ち、最重要情報を訊く。

「で、そのエアトス様や同盟軍の将と、お前はもう会ったのか?」
 ネオパーシアスは首を横に振る。

「その支度をしている時に襲撃を受けたらしい。だが無事であることは確かだ。ガリウスの部隊は私の元にそう報告に来た」
「……まずいな」
 もし同盟軍が暗殺者を追い、ガーデア城へ入っていった所までを見られていたとすれば。
 いや、間違いなく見られている。そうなるよう、確実に逃走速度や経路を調節している。

「今日、同盟軍が城に来なかったのはそれが原因だ。ガリウスと手を組んでいるのではないかと疑われている」
 下手にガーデア側から接触しても、同盟軍の疑心を増幅させるだけだ。
 そう判断し、ネオパーシアスは身動きが取れないでいたのだろう。

「分かった。これから同盟軍に潜り込み、何とか佳乃を説得してみる」
「出来るのか?」
「やるしかないさ。この閉塞はこちら側の陣営にとって致命的だ。既に東方同盟の掌中に飲み込まれていると考え、同盟軍が見境のない行動を取れば全てが終わる。それだけは絶対に避けねばならない」
 その当てはある。同盟軍の将は佳乃だ。
 彼女の性格からして名ばかりのお姫様になってはいまい。
 だからこそ、無闇に動いてしまう可能性もあった。
 とはいえ、まだ負けてはいない。取り戻すことはできる。

「それと闇天使たちの処遇のことだが――」
 逸る気持ちを抑えつつ、言葉を切る。これへの反応は要注意だ。
 
「一旦同盟軍に所属させ、そこからガーデアへの出向とする」
 これは明らかにネオパーシアスを信用していないと取れる発言で、さすがに渋い表情をした。

「……理由を聞かせてくれるかね」
「指揮系統は統一したほうがいいと、あんたは思わないのか?」
「ならば私も同盟軍に加わるべきでは?」
「いや、あんたが疑われるリスクは徹底的に避けたい。形式上でも、ここは譲れないな」
 彼の言うことはもっともだが、本当の理由は別にある。
 指揮系統の問題と言ったのは嘘ではない。ただし、口にしたより後ろ暗い意味でだ。
 第十一次元の王族である『ガーディアン・エアトス』は、これから先ガーデアの戦力をまとめ、ローレイドとの決戦に乗り出すことになる。
 この時、彼女の従える戦力は同時に“ネオパーシアスの戦力”でもある。
 ネオパーシアスが仮に同盟やエアトスを裏切っていた場合、その傘下の戦力がエアトスではなく彼に流れる可能性があるのだ。
 直に闇天使をネオパーシアスの下に付けるのは、それゆえ躊躇われる。
 形だけの王族として見られているエアトスと、城主として経験を積み幾ばくか人心掌握の術を心得ているネオパーシアス。
 相反する命令で板挟みになれば、それを根拠にローレイド側に寝返る闇天使がいるかもしれない。あるいは再洗脳という可能性も。
 しかし一度同盟軍が吸収し、エアトスの直属としてしまえば問題は激減する。
 挿げ替えられた役立たずの頭という以前に、上官が裏切っていないのだから迷う余地がない。
 闇天使の数は約300。その数は、ガーデアとネオパーシアスが率いる軍勢と拮抗していた。
 個々の戦闘力はダーク化実験のお陰で闇天使が上。これに加えて同盟軍もいくらかの兵をガーデアに残すだろう。
 ここまでの戦力差があれば損得目的での寝返りも防げる。

 さらに付け足せば、闇天使は巧が同盟軍に加わるに当たっての手土産でもあった。
 同盟軍に委譲するまでは、彼らはネオパーシアスではなく巧と瑠衣の私兵だ。
 この件については闇天使側の了承も採ってある。
 もはや騙し討ちに近いやり方だが、ガーデアはネオパーシアスの支配圏、加えてそもそも敵国のローレイド領である以上、警戒し過ぎるということはない。

「一両日中に佳乃を説得してまた来る。楽しみにしていろ」
 『ファイヤーウイングペガサス』を窓の外に召喚し、答えを待たずに背中に飛び乗る。
 こうして一つの密談は、とりあえずの終わりを迎えた。







「……で、あいつはどこに行ったんだ」
 ガーデア城外郭付近の雑木林に身を潜めているはずの妹は、またしても勝手に移動していた。 
 無論心配はしている。デュエルディスクや召喚の力を衆目に晒していないか、という心配だが。
 携帯のGPSなど異世界では当然作動しないので、面倒だが自分の足で探さねばならない。
 特にあてもなく、どこから回ろうかと思案していると、本人が駆け戻ってきた。

「あ、兄さん。帰って来てたんだ。話し合いの方はどう?」
「今日のところは、まぁ、あんなものだろう。それより、勝手にどこまでうろついていた?」
 やや頬を上気させて走っていたところを見るに、何らかの事情はあるのだろう。
 その内容次第で苦言を呈してもいいかもしれない。

「それが……女の子、だと思うんだけど、同盟軍の人に追われていたの。『竜の騎士』を出そうとも考えたけど、あまり街中だと目立つから……」
 少し巧を非難するよう、途切れ途切れに語る瑠衣。
 一度置いてその場を離れるのにも相当の抵抗感があったに違いない。
 ただ、瑠衣の状態からすれば、おそらくそうせざるを得なかったのだろう。

「分かった。案内しろ」
「うん、こっちだよ」
 さして足が速いわけではなく、体力も到底平均に及ばない瑠衣が往復しても息が上がらない程近くの路地裏に彼らはいた。
 人気があまりない開発から取り残されている印象の地帯で、不幸なことに、フードで顔を隠した挙動からしておそらく女性が、『聖導騎士 イシュザーク』、『神禽王アレクトール』、『闇紅の魔導師』に囲まれている。
 種族の多様さでいくと同盟軍であることはまず間違いない。彼らが軍内でどのくらいに位置するのかは判断がつかないが、巧個人の所感では最低でも部隊長以上、下手をすれば将軍クラスかもしれない。あまりのモラルの低さに嘆きたくなった。
 このような集団を率いる佳乃が実に可哀想だ。
 さっさと痛めつけてこいつらを佳乃の前に突き出し――――

 そこで、風が路地裏を吹き抜けた。

 フード付きの外套が一瞬だけ大きくはだけ、慌てて女性が手で押さえる。
 同時に巧のテンションが著しく低下した。何故このようなことになっているのだろう。

「ひとまず……瑠衣。あの様子はまさしく女性を襲う暴漢なシチュエーションに見える、というか、俺も最初はそうとしか思えなかったが……残念ながら間違いだ」 
「え、どういうこと?」
 瑠衣は気付かなかったらしい。
 まあいい。巧は気配を殺そうともしない、しっかりとした足取りで路地裏に踏み入り、集団に近寄っていく。
 同盟軍の戦士たちは即座に路地裏への侵入者の存在を察知し振り向いた。

「君は……?」
 アレクトールが暴漢らしからぬ穏やかなさで声をかけてくる。
 巧が素性を余すことなく口にしようとしたその時、イシュザークが左腕のデュエルディスクに目を留めた。

「その機械―――まさか、ガリウスの暗殺者か!?」
 しかし、いくらなんでもこの反応は予期していないし、理不尽極まりない。

「はぁ? どうしてそうなるんだ……く! 『炎の剣聖』」
 問答無用に剣を抜き先手必勝とばかりに斬りかかってくるイシュザークに対して、それより攻守の高い剣士を喚び出し受け止めさせる。

「反撃はするなよ……。後々面倒だからな」
 白銀の鎧を身に着けた戦士に聞こえるように叫ぶが、残念ながら彼の耳には届いていないようだ。
 3体のデュエルモンスターは第一次元の人間の出現に驚き、女性が『炎の剣聖』を驚きつつも懐かしそうに見つめていることをまるで気にかけていない。――――やはりそうなのか。
 何がどうなって同盟の兵から逃れたいような行動を取っているのかは追々本人の口から聞くとして、ともかく誤解を正すのが先決だ。
 しかしよりによってこのタイミングで、瑠衣が駆け寄ってくる。
 新たに出てきたデュエルディスクをつけた少女に、やはりというべきかイシュザークが反応する。

「―――増援か!?」
 だから叫ばないで欲しい。
 不審がりつつも、まだ話を聞いてくれそうな態度のアレクトールと闇紅の魔導師まで敵に回さねばならなくなる。

「違いますって! 瑠衣、一旦デュエルディスクを外せ! イシュザークさん、俺たちは同盟軍に協力しようとここまで……」
「昨日の今日で同じ手が通用すると思うな!」
「――昨日って……どういうことだ?」
 その意味に矛盾しない状況。すぐに思い当たったが、中々に危険だ。

「まさか、ガリウス軍にも人間がいるのか……?」
 それが原因でこの態度とすれば、誤解を解くには同盟軍の将である御影佳乃に直接身分を保証してもらうのが手っ取り早い……というより他にないような気がする。
 ただ一つ幸運なことに、無条件降伏して連行され必死に目通りを頼むという面倒くさい過程を踏む必要はなかった。
 

「佳乃! 何こそこそしてるんだ! 早くこいつらを同盟軍総司令官権限で止めてくれ!」


 そう、フードを深く被った外套の女性――いや、少女に叫ぶ。
 少女がびくりと肩を震わせた。

「なっ……!」
「え――ねえさん!?」
 イシュザークと瑠衣がほぼ同時に大声を上げ、アレクトールと闇紅の魔導師もフードの少女を問い詰めるように向き直る。

「本当ですか、ヨシノ。あの二人があなたの知り合いというのは?」
 部下代表としてアレクトールが尋ねた。  意識してはいないかもしれないが、これで部下までもが少女の正体を佳乃だと認めたことになる。
 残るは―――本人。
 少女は大きくため息をつき、そして――――。

「あぁ……その通りだ。巧と瑠衣に限ってガリウスに与することは考えられない。退け、イシュザーク」
 その声は、間違いなく巧の知る御影佳乃のものだった。
 だが、逆にそれで巧は疑いを持つ。
 佳乃はこんな覇気のない喋り方をする少女ではなかった。

「その命令は聞けません。あなたは我々に、自らに将たる資格がないと言ったばかりです」
 巧の考えを反映するように、イシュザークが指示を両断する。
 ただし構えは解いており、実際に戦闘行為を継続する気はないようだが。

「何があった、佳乃? お前らしくもない」
 佳乃の変化はイシュザークの話からするとごく最近――どころかつい先ほどのようだ。
 未だにフードすら外そうとせずに俯いたきりで、仕方なく最も話が通じそうなアレクトールに話しかける。

「こうなった事情について、何かご存知ですか?」
「すまない。私たちも数時間前にそう言われたばかりで、原因までは……」
「昨晩、ガリウス軍の襲撃があったそうですが、そこで変わったことはありませんでしたか?」
 瞬間、佳乃がフードと外套の上からでも分かる、明らかな動揺を見せた。
 今度は誰もが気付き、説明を強要する包囲網を作り上げる。
 普通の人間ならそこまでするのはやり過ぎだが、佳乃は第十二次元西方同盟軍の総司令官なのだ。
 その責任から勝手に逃げることは許されない。

「……いや。見張りが数人殺されたが、軍が機能不全に陥るような被害は受けていない。これからもこのような工作が続く可能性は高いが、それ以上のことはなかったように思う。であれば――、そうか」
 アレクトールが何か閃いたようだ。

「ヨシノ、君は襲撃の際、敵指揮官と見えたと言っていた。その時に、呼び出されたのでは?」
 ある程度的を射ていると思える考えだった。
 だが、それが正解ではない気がする。
 例えば将の首の代わりに部下の命を助けるという提案の場合。
 この話を持ちかけるのは通常大軍を率いる強者側であって、本国の領土に侵略を受けそうな少数勢力ではあるまい。
 警戒しなければならないのはあくまでローレイドとガリウスの挟み撃ちや、それに乗じたガーデアの裏切りであって、それぞれ個別に対処できるならそこまで怖い相手ではなかった。
 そうでなければ、余程悪魔に負い目が生じるような出来事を経験したのだろうか。


 息詰まる沈黙。
 その原因である佳乃は、この空気に耐え切れなくなったのか、たっぷりと間を置いてからついにフードを外した。
 大人びた顔立ちは相変わらず。ただ、外套に隠れるぐらいに髪を伸ばしていた。
 現在の憂いを秘めた表情は、良くも悪くも隙を感じ、保護欲をかき立てられる。悩みが解決したら元に戻りそうな気はするが、それはそれで佳乃らしい。


「……………………、人間、だった……」
 少しずつ、声を絞り出す。
   
「人間だったんだ、暗殺部隊の指揮官が」
 そうは言うものの、アレクトールは別としてイシュザークや闇紅の魔導師は人間だ。
 であればこの場合の意味は―――。

「第一次元のデュエリスト、ということか」
 さらに表情を重く沈ませて頷く佳乃。

「だが、自分の世界の人間だから殺せないなんて、この世界に住まう全ての命への冒涜だろう」
 そんな思想に浸かってしまっているとは正直思いたくない。
 ここは巧の期待通り、必死に否定の意を示した。

「違う……! 気がついてしまったんだ、あたしに指揮能力なんかないって!」
「……どういうことだ?」
「イシュザークさんたちはこの意味、分かるでしょ。カード知識に頼った、セオリーなんて無視した力押しの戦い方。参謀部とも何度も衝突している。敵指揮官がモンスターである内はそれでもどうにかなったけど、人間になったらまるで駄目だった……」
 確かに理解できる面はある。
 御影佳乃は本来、自ら前線に出て戦うことを好むタイプの人間だ。そしてそれに相応しい才能を持っている。
 残念ながら、その才は指揮能力と全くの別物である。むしろ相反すると言ってもいい。
 しかしだからといって、簡単に責任を放棄していいわけがない。
 佳乃とてそれぐらいは分かっているはず。

「ですが、今回は奇襲だったからでもあり――」
 イシュザークの抗議を手で制する。
 このような醜態を晒しても、咄嗟に従ってしまうだけの求心力はあるのだ。

「それも含めてだよ。ローレイドとガリウスが蜜月の関係にあることが疑われる以上、もっと警戒すべきだった。言ってなかったと思うけど、昨日そいつと少し話をしたんだ。向こうにはそれだけの余裕があった」
 これは初耳だったらしく、部下たちが一様に呻いた。

「退けることはできた。できたと思っていた。でも、あいつの言葉を思い返して、気付いた。あたしたちは連中を撃退したのではなく、奴らの方が自分から撤退しただけなのだと! 頼るはずだったガーデアも敵の可能性が高く、こうして全く身動きが取れないでいる――――!」
 ガリウスの部隊がガーデア城に襲撃報告に行った最大の理由。
 佳乃と同盟軍はそれにまんまと引っかかっていた。
 そして、言いながらガーデア城を見上げる佳乃を見て、ようやく無断で陣を離れた目的も読めた。
 アレクトールもどうやら感づいたようだが、彼はそこから何もできないのに対して、巧は打開策を授けることができる。

「ならば話は早いな。ガーデア城主に会いに行くぞ。奴は少なくともまだ同盟を裏切っていない」
「た、巧……」
 佳乃の手を引いて連れて行こうとするのを、困りきった顔で反対しようとするが、残念。これで他の者も理解しただろう。
 つまるところ、佳乃は死を覚悟して単身ガーデア城に乗り込もうとしていたのだ。

「今のところ、ネオパーシアスは同盟に与する意思を見せている。ローレイドの暗部である闇天使を引き連れてな。受け入れるかは佳乃の判断一つだ」
 部下のデュエルモンスターたちは信じていないようだが、そちらは後でどうにでもなる。この場にいる同盟軍の人間で、最も発言力があるのは佳乃だ。

「どうして、そんなことを……? いや、それより巧はどうやって異世界に……」
「その辺りは後で説明してやる。気になる点はいくつかあるが、ネオパーシアスとそっちの話でさしたる矛盾はない。今のところは裏切る理由がないだろう」
 上層における寝返りは、逆に上層だからこそ思想よりも利害が重視される。
 裏切っても勝てずにすぐ滅ぼされる勢力の旗下につくことなど、何の意味もない。それならばいっそのこと新体制下で従順な振りをして力を蓄える方が何倍も良いだろう。
 ネオパーシアスとは数度含みを聞かせた対話を行っているが、それだけで人となりを完全に把握できるわけがない。判断する時間が不足している今、裏切っても益はないと思わせるのが最も手っ取り早く、かつ確実に彼をこちら側へと繋ぎ止めておける。



「来い、佳乃! お前に指揮能力がないのなら俺が補ってやる。ガリウスを倒すため、俺の手を借りてくれ!」

 
 ああ、そうだ。これまでの計画は全てこの時のためにあったのだ。
 強い――強すぎるが故に脆い少女を救うために。
 差し伸べた手を、佳乃は涙を浮かべながらも包むように取り―――














「で、実際の所どういう事情で異世界になんか来たの?」
 昨晩の襲撃を受けて警備が強化された同盟軍総司令官の天幕(テント)
 そこにいて当然の少女が、本当なら異世界に来るはずのなかった幼馴染の少年に尋ねる。
 ネオパーシアスとの会談を終え、イシュザークやアレクトールに詳しい事情を説明してからようやく天幕に戻ると、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。

「それは勿論佳乃を救うためだ」
 臆面もなく言い放つと、少女も顔色を変えずに返す。

「そうか、ありがとう。信じていたと言ったら……信じる?」
「あの態度の後でそんなことを言われてもな」
 そこまでくるとさすがに狼狽を見せる。

「うう……あれはもう一人のあたしということにして。というかしろ」
 しかしすぐさま立ち直り命令口調。
 すっかりいつもの調子に戻っているようだ。

「分かった、カードプリベンター黒楼の仕業ということにしておこう」
 その時の動揺たるや、腰に下げている剣を抜き全てを無に消し去りたいと言わんばかりだ。

「…………会ったの?」
 神妙な顔つきでそう聞いてくる。
 巧も同じように居住まいを正して

「会った」
 と短く答えた。
 
「ああぁ、世界の終わりだ。巧にあれを知られてしまうなんて……一生ネタにされる」
「もっと面白いのがあればそちらに切り替えるから安心しろ。それに―――別の心配をしたほうがいいと思うぞ」
「別の……ってまさか!」
 そう、それは瑠衣にも引けをとらない笑顔のサディスト。

「怒ってたな……玲子さん」
「………巧、一緒に謝ってくれないか」
「いいだろう、減刑を求めてやる。でも怒られるのは一人で耐えてくれ。正直あれの巻き添えにはなりたくない」
「やめて本当にやめて。あたしまだ死にたくない。黒狼って呼んでもいいからさ」
「分かったよ、黒楼さん」
 佳乃は何故かそこで赤くなる。

「あ、やっぱダメ。そこは桜じゃなくて狼だよ」
「どうして分かるんだ、そんなこと。可愛いじゃないか、黒楼」
「むぐ……巧だけなら……まあいいか」
「よし、早速瑠衣にも教えてあげよう」
「この薄情者!」
 立ち上がる素振りを見せると、慌てて引き止めにかかる。
 ただ――現在の瑠衣はそんな冗談に付き合っていられる状態ではなかった。
 そのことを思い出したのか、佳乃の表情が僅かばかり翳る。

「さてと、世間話はこれくらいにしようか」
「そうだな……ローレイドへの疑いが確実な脅威へと変わった以上、あたしたちも相応の対策を練らなければならない」
 まずは情報交換。巧はガーデア、佳乃は同盟軍側の状況について。
 ネオパーシアスとの面会である程度のことは話したが、彼自身を疑っているということについては、あまり本人の前で言うべきではないことだった。

「ローレイドがガリウスに直接的協力をしている最大の要因は、あたしたちがエアトスを匿っていることにある。実際の所、エアトスは記憶を失っていなかった。イネトの洞窟で発見した時は少し混乱しているようだったけれど、暗殺されかけたこともきちんと覚えている。だから同盟軍はローレイド聖都に行くのを中止したんだ」
 予想できたことではあったが、やはりエアトスの記憶喪失はフェイクだったようだ。
 
「だが、ローレイド内部にも現在の体制を快く思っていないものはいる。それがガーデア城主ネオパーシアス。かつてはエアトスの側近だったようだが、実質的に奴は一度裏切り体制派に呑まれた。何とかここまで漕ぎ着けたが、あまり信用すべきではない」
「……あたしには忠誠の篤い騎士と思えたけど」
「ま、佳乃から見たらそうだろうな。だが奴は――襲撃の報告に来た部隊の構成について何も言わなかった」
 あの後佳乃を連れて再訪問した折、巧は明確にどこがとは指定しなかったが、しきりに変わったことはなかったか問い詰めた。
 第一次元の人間がガリウス軍にもいる――――これほどの重大事実、こちらの陣営に心があるなら伝えるのが自然だろう。

「敵味方に関わらず報告は部下だけで行った可能性の方が圧倒的に高い。だが知っていて嘘をついていないという保障もないわけなんだよな」
 疑わしきは罰せず。ひとまずはその方針で行くつもりだが、それはあくまでも破滅させないというだけのこと。寝返られた時のリスクを最小限に抑えるため、外堀は埋めておく。

「そういうわけで、闇天使は同盟軍の指揮下に入れておく。まあ基本的にローレイドと戦うことを望むだろうから、そうしてやってくれ。だが、対ローレイド戦線の指揮官にエアトスだけはやめておけよ」
「え――? むしろそこはエアトスにするべき所じゃないのか?」
「ないとは思うが、ネオパーシアスの傀儡と化す可能性はある。それと、こっちが本命だが――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」
 そして話が進むにつれ、佳乃の表情には困惑と衝撃が増していくこととなる――――――。








 城下に張られた同盟軍の陣。
 瑠衣は一人、ミネラルウォーターの入ったペットボトルだけを手にしてそこから離れていた。

 ――こんなはずではなかった。

 その思考だけが幾度も頭の中を駆け巡る。
 先刻瑠衣はイシュザークたちに追われている少女を見かけ、助けようとした。
 そうして『竜の騎士』を召喚しようとして――できなかったのだ。しなかったのではなく。
 巧の指示など関係なかった。
 それどころか、完全に無視する構えだった。
 自分がまだ戦いうる精神を有していると証明するために。
 カードをディスクに置こうとした瞬間。
 『竜の騎士』が斬った魔物の。
                               歪んだ最期と。

            おぞましい断末魔が。
 瑠衣の脳裏に甦った。
 はっきりと五感に焼き付いていたそれらが、足を竦ませる。
 ディスクへと向かうカードを挟んだ指がわなわなと震え、上手くセットできずに取り落とした。
 慌てて拾おうとするが、それすらも手間取ってしまう。
 自分の身に何が起きているかは、痛いほど理解できていた。  




 第十二次元に戻った二人はまず闇天使を次元の穴付近に待機させた後、昼食を摂ることにした。
 これも黄色い服のイニシャルD.Mが広めたらしい、第一次元で似たような名前を聞いたファーストフード店。
 第六次元に発つ前も一度立ち寄っており、特に異世界人が口にしても問題はなかった。
 ごく普通に注文を済ませ、席を見つけて座る。  そして、バーガーの肉を小さくかじろうとした、その時だった。

 ――ヴァルキリアの放った魔力球が。

 ――マテリアルドラゴンのブレスが。

 暗黒界の悪魔を焼き焦がし肉片に変える。
 そんな光景が頭の中で明滅した。

「…………………………………………………っ!」

 バーガーを置くと同時に、嫌な汗が噴き出す。
 左手で突っ伏すようにテーブルにしがみつき、もう片方の手で口を覆った。
 この段階で、もう明らかだった。
 絶対に認めたくはないけれど。
 どんなことをしてでも沙理亜を倒すと誓ったあの決意が、たった一回の戦闘で芽生えた良心ごときに敗北するなど。
 しかし、自分の身体には逆らえない。
 本能的な何かがこのタベモノを拒絶し、さらに胃の中身が逆流する。
 何かの箍が外れたように涙までもが溢れ、そして―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。



 風に当たりながら、少しずつ水に口をつける。
 空っぽの胃は、結局夕飯すらも受け付けなかった。
 肉だけではなく、穀物や野菜すらも。
 絶望的なまでにもどかしい。ここまで来て、意志に体がついていかないなど考えもしなかった。
 巧には確実にバレている。その場では何とか我慢したものの、全て戻したのに気付いていないわけがない。
 これから先の戦い、間違いなく瑠衣は計画から降ろされる。それは覚悟していた。
 ガリウスに関して父の敵という意識は薄い。
 ただ単純に、自分の力を生かせないことがひたすらに悔しかった。

 あの二人はきっとこれからも瑠衣を守ってくれるだろう。
 デュエルモンスターを殺せなくとも『闇の力の無力化』能力は健在であり、沙理亜に対しての牽制、あるいは切り札であることに変わりはない。
 佳乃も一見クールな印象だが実際は相当のお人好しで、特に巧の前では態度こそ崩さないものの明らかに甘い。
 だとしても、それは瑠衣の望みとは違う。
 共に戦いたいのだ。
 対等な立場で、お互いに背中を預け合える関係でありたい。
 そのためには何もできぬまま迷惑になるなどもってのほかだ。

「………………戻ろう」
 身体的な気分の悪さは大分落ち着いてきた。
 戦闘には参加できずとも、作戦立案等で役に立てることはあるはず。
 単純なデュエルの腕で言えば、瑠衣の方が格上なくらいなのだ。
 いや、絶対に役に立たねばならない。
 当初の巧の計画において、瑠衣は海馬コーポレーションに預けられる予定だったろうことを忘れるわけがなかった。
 努めて明るく。
 そう言い聞かせて頬を叩き、天幕に入―――――ろうとして、その単語が耳に届いた。

 ――――『虐殺』、と。



「あぁ、そうだ。こうなってしまった今、ガーデアの勢力は中央政府と道ずれに全滅するしかない。死神の種、アレの覚醒を止める術は失われたものとして行動すべきだ」
「――これ以上の負担はかけられない、か。でも、ここに残す兵にも黙っていろと?」 
「敵は極端なまでの慎重派だ。同盟軍だけならチャンスはこれまで何度もあっただろうに、ガリウス、ローレイド、同盟軍の全てをまとめて潰す機会が訪れるまで見逃してきた。とはいえ、そろそろ焦っているはずだ。引火させなければ、戦乱の世が終わり、折角撒いた火種が無駄になる。ならば――誘いとしての油断を作ってやればいい。必ず乗ってくる」
「避け得ぬ犠牲……これだけの規模の殺戮をそう呼ばねばならないのは不服だけど、放置するのは第一次元への脅威を排除するというあたしの目的にも反する。このこと、瑠衣には話すの?」
「冗談じゃない。もしあいつがこのことを知ったら――」




「もしかしなくても、全力で止めようとするよ」
 これ以上、非道極まりない計画を黙って聞いていられなかった。
 天幕の中に飛び込み、糾弾の眼差しを向ける。
 巧が座ったまま、簡易の机に広げられた地図から目を離した。

「―――聞いていたか、瑠衣」
 事も無げに声をかけてくる。
 内容もそうだが、その態度にこそ、瑠衣は反感を覚えた。

「あれだけのことを話しておいて、感想がそれ……!?」
 信じられなかった。
 第六次元での作戦。瑠衣にとっての後味は最悪だったけれど、それでもあれは犠牲を最小に留めようと一緒に話し合い、お互いに納得した上での結果だ。
 しかしこれは何だ?
 避け得ぬ犠牲?
 それを何とかするのが第一次元のデュエリストが持つカード知識ではなかったのか。

「違うな。物理法則を無視した召喚や魔法の展開はできるが、そこまでだ。カードテキストにない行動を取ることはできないし、どんなことをしても覆せない“詰み”の状況は存在する」
「だから諦めろって言うの? 試しもせずに!」
「そうだな、取り返しが効くならば挑戦することに意義があるのだろう。だが、今の俺たちは一切の失敗が許されない状況にある。低すぎる可能性に乗るのは危険だ」
「……やっぱり、低くてもあるんじゃない」 
 それはもはや話し合いになっていないと瑠衣は理解していた。
 しかしこのままで済ませるつもりはない。
 策の中身は確かに許せないものだ。だがそれ以上にショックだったのは、そもそも話し合い自体を拒否されたこと。
 臭いものには蓋をとでも言いたげな、反対意見を提唱する機会さえ与えてくれないやり方が何より気に入らなかった。

「ねえさんはそれでいいの? 一緒に戦ってきた仲間なんでしょ!?」
「なら、代替案はある? あたしだって何とかしたいんだ!」
「っ……、代替も何も、状況すら教えてくれてないじゃない!」
 こうなることは予想していなかったわけではない。
 巧と佳乃はお互いに負い目があり、お互いに相手のことを何よりも大切に想っている。
 いくら兄妹として、友人として、仲が良くても、二人の絆には到底敵うはずがなかった。
 それでも、このまま引き下がっては瑠衣としても収まりがつかない。

「デュエル、してよ」
 気付いた時、瑠衣はそう口にしていた。

「……何?」
「デュエルして、兄さん! わたしが勝ったら、黙っていること、全部喋ってもらうから!」
 それはある意味で、脅しでもあった。
 M&Wの腕でいえば、瑠衣は巧や佳乃よりも上だ。
 それは客観的な見解で認められており、陶酔にはならない程度の自信もある。
 そして巧はたった今の行動が示すように、分の悪い賭けにはまず乗らない。
 デュエルを受けてもらう必要はなかった。
 ただ、問答すら許されずに敗北する苦みは味わって欲しかった。
 だから――――――――

「いいだろう、受けてやるよ、そのデュエル」
「!?」
 その答えには、面食らうしかなかった。
 何故ならそれは、瑠衣が持つ数少ない巧への優位性の一つが失われることを意味するからだ。
 勝てないデュエルには基本的に挑まない巧がこうもあっさりデュエルを受けた、つまり勝算があっての受諾ということになる。
 加えて巧は精神論を信用しない。瑠衣が能力を展開すればどちらも傷付かないただの真剣なデュエルで、“モンスター”と対峙した際のように気分が悪くなり、いつもの力を発揮できない可能性を視野に入れていないだろう。純粋に実力のみで、瑠衣に勝つ自信があるのだ。

「さあ、移動しようか。同盟軍の陣中で私闘をするのはまずい」
 了承しようとすると、先に佳乃が反応した。

「待って、それならあたしも……」
「佳乃はここにいてくれ。また勝手に抜け出したと知れたら、今度こそ将の座に留まっていられなくなる」
「く……分かった」
 大人しく退いたたかに見えたが、すぐに瑠衣の方へ向き直る。
 曇りのない澄んだ瞳。あの話の内容でどうしてこんな眼ができるのか不思議でならない。

「でも覚えといて。巧を倒しても、その後にはあたしが控えている」
「望む所だよ……ねえさん」
 今の精神状態でカードをまともに手にできる確証はなく、しかしここまで話を進めておいてデュエルを取り下げるのだけは、プライドが許さなかった。
 
(力を貸して――『竜の騎士』!)
 能力を展開し、答えが耳に入らない状態にしてから、瑠衣はそう“命令”した。








 ガーデア 郊外



 広い空き地は偶然にもすぐに見つかった。
 お互い黙って相手を睨みつけ、間隔を取って向かい合う。
 カードという剣を交わすことでしか、この溝は埋まらない。 


「「デュエル!!」」



 永瀬瑠衣 LP 4000
 永瀬巧  LP 4000



 そして―――――――――――








「俺の勝ちのようだな」
「くっ……」
 瑠衣の右手は石のように硬く握られ、一方の巧は大きく手を開いている。
 誰がどう見てもそれはジャンケンの結果で、実際その通りだった。
 たったこれだけの事実が、瑠衣に平静を失わせる。
 巧とのデュエルの戦績はおよそ6割といった所だが、ジャンケンだけならば8割を超えている。
 逆に言うなら、先攻を取れなかった時の勝率は人並みということだ。

「俺の先攻、ドロー。『蒼炎の剣士』を召喚する」
 『炎の剣士』の色違いが巧の場に出現した。
 ステータスも同じだが、厄介なリクルート能力を持っている。



蒼炎の剣士 /炎
★★★★
【戦士族】
このカードが破壊され墓地に送られた時、デッキまたはエクストラデッキから「炎の剣士」1体を特殊召喚できる
攻1800  守1600



「さらに2枚の永続魔法を発動! 『燃えさかる大地』! 『フレイムペイン』!」
「…………!?」
 空き地全体が今にも2人のデュエリストを焼き尽くそうとする炎で埋め尽くされた。
 おそらく、『燃えさかる大地』の発動による現象だろう。
 こちらは瑠衣も知っていた。ターンプレイヤーに毎回500のダメージを与える永続魔法。
 だが、ダメージ自体はそう大きくはなく、あまり投入されているのを見かけたことはない。
 であるならもう1枚。

 ――『フレイムペイン』。

 これが何かしら『燃えさかる大地』とのシナジーを生むのだろう。
 ブランクで空いた分のカード知識を2週間で補い、しかも実戦レベルにまで引き上げるには、やはりメジャーカードを中心に見ていく必要があった。
 結果、神を除いた六属性中最も冷遇されている炎属性への対応は遅れる形となる。
 何故もっと永瀬巧が扱うデッキの属性について研究しなかったのか――今さら悔やんでも遅かった。



燃えさかる大地
【永続魔法】
全てのフィールドカードを破壊する。
このカードはそれぞれのスタンバイフェイズ毎に、
ターンプレイヤーに500ポイントダメージを与える。



「これでターンエンドだ」
 伏せカードは出さずにターンを終える。
 モンスターはリクルーターであり、さらに伏せカードを出せば全体除去を食らった際のリスクが大きいため、妥当な判断だ。
 尤も、瑠衣の初期手札にそのようなカードはない。

「わたしのターン!」
 ついでに言えば前座に過ぎない『蒼炎の剣士』を倒すカードも、手札に入ってきていなかった。
 とはいえ、策はある。
 『フレイムペイン』の名でライフ回復系カードというのは考えにくい。おそらく速い展開のビートバーンに持ち込み一気にライフを削り取る算段だろう。
 そちらに乗れるだけの手札は、運良く揃っていた。

「このスタンバイフェイズ、『燃えさかる大地』の効果によって、500のダメージを受けてもらう」
「…………」


 瑠衣 LP4000→3500


「『ボウ・ドラゴニュート』を召喚! そして、装備魔法『レゾナンスニュート』! デッキから『アックス・ドラゴニュート』を墓地に送り、その能力を与える!」
 弓を手にした竜人に、同種の斧使いの能力を共鳴させる。



ボウ・ドラゴニュート /闇
★★★★
【ドラゴン族】
このカードは相手プレイヤーに直接攻撃できる。
この時相手に与えるダメージは、このカードの元々の攻撃力となる。
「ボウ・ドラゴニュート」以外がこの効果を使用する時、
相手に与えるダメージはこのカードの元々の攻撃力の半分となる。
攻900  守1900




レゾナンスニュート
【装備魔法】
このカードは「ニュート」と名のつくモンスターにのみ装備できる。
自分のデッキから「ニュート」と名のつくモンスター1枚を墓地に送って発動する。
装備モンスターは、墓地に送ったモンスターの効果を得る。



アックス・ドラゴニュート /闇
★★★★
【ドラゴン族】
このカードは攻撃した場合、ダメージステップ終了時に守備表示になる。
攻2000  守1200



「バトルフェイズ。『ボウ・ドラゴニュート』は相手モンスターを無視して、プレイヤーに直接攻撃できる!」
 竜人が放った矢は剣士の横を通り過ぎて巧を掠めた。
 もちろんソリッドヴィジョンの演出で、実際に怪我をすることはない。


 巧 LP4000→3100


「……大丈夫。能力は働いているし、それに――――」
 モンスターを召喚し、攻撃するといった行動に不快感は生じない。
 とりあえず第一関門はクリアした。あとは全力で永瀬巧を叩き潰すのみだ。
 気を入れ直そうとしたところへ――巧から声がかかる。

「何が大丈夫だって? 場をよく見てみろよ」
「え……?」
 ライフは互いに正しい数値を指している。
 『ボウ・ドラゴニュート』は共鳴によって得た力によって守備体勢をとり、巧の場も特に変化は……。

「ど、どういうこと!?」


 蒼炎の剣士 ATK1800→2000


 あり得ない――少なくともそう思いたい数値変化だった。
 上昇した数値は、僅か200。しかしその差は、『ボウ・ドラゴニュート』を倒せるか否かを競うラインなのだから。
 ―――違う。確かにそれは重要だが、最も大切な問題はどうして攻撃力が上がったかだ。
 能力を知らない『フレイムペイン』によるものというのは確実だろう。
 では、能力上昇のトリガーは?
 攻撃力が上がったのはいつだったか?
 そして、『フレイムペイン』の意味。
 これらを総合して得られた仮説を元に、1枚のカードを伏せる。
 推測が正しければ、攻撃力の上昇は一度では済まない。

「ターンエンドだよ」












LP3100
モンスターゾーン『蒼炎の剣士』ATK2000
魔法・罠ゾーン
『燃えさかる大地』、『フレイムペイン』
手札
3枚
瑠衣
LP3500
モンスターゾーン『ボウ・ドラゴニュート』DEF1900
魔法・罠ゾーン
『レゾナンスニュート』、伏せカード×1
手札
3枚




「俺のターン。『燃えさかる大地』の効果により500のダメージを受ける。そして―――」


 巧 LP3100→2600

 蒼炎の剣士 ATK2000→2200


「『フレイムペイン』の効果。ダメージを受けた時、このカードにカウンターを1つ乗せる。そしてカウンター1つにつき200、自分の炎属性モンスターの攻撃力が上昇する」
「……なるほど、ね」
 ほぼ予想した通りだ。
 そしてあのカードが投入された経緯も、大方想像がつく。
 元々巧のデッキに使われていた攻撃力を底上げさせるカードは『バーニングブラッド』。
 あれはフィールド魔法であり、お互いの場の炎属性モンスターを等しく強化する。つまり状況によっては相手のアシストをしてしまう場合もあるのだ。
 だがそこはマイナーな炎属性。ほとんどのデュエルで『バーニングブラッド』は巧のモンスターだけを強化してきた。

「でも、何事にも例外は存在する。それがわたしの―――」
 『竜の騎士』、『竜の兵士』、『竜の魔導師』。瑠衣が従えるこれらのドラゴンは他ならぬ炎属性だった。
 とはいえ瑠衣の、しかも一部のカードのためだけの対策カードを投入することは、長いスパンで勝率を伸ばしていく必要のある現在のデュエリストレベルシステムにおいて、不合理極まりない。
 それが巧と瑠衣の戦績に差がついた最大の理由と言ってもよかった。

「ククク、そのことを理解していながら、俺は『バーニングブラッド』型のデッキを使い続けてきた。こういう本当に負けられないデュエルで、お前の意表をつくために」
「まさかとは思うけど、ねえさんを待たせたのもそれが理由?」
「どうだかな。それより瑠衣、今は自分の心配をするべきだと思うぞ?」
「余計なお世話だよ。わたしにそんな小細工は通用しないってこと、思い知らせてあげる!」
 炎に囲われているフィールドで、酸素と行動の自由が奪われていくような感覚を抑えて瑠衣はそう叫んだ。



フレイムペイン
【永続魔法】
自分がダメージを受けた時、このカードにフレイムカウンターを1つ乗せる。
自分フィールド上の炎属性モンスターは、
フレイムカウンター1つにつき攻撃力が200アップする


 フレイムカウンター 1→2



12章 焔の女王






「俺は手札から『怨念の魂 業火』を特殊召喚する」

怨念の魂 業火 /炎
★★★★
【戦士族】
自分フィールド上に炎属性モンスターが存在する場合、
このカードは手札から特殊召喚する事ができる。
この方法で特殊召喚に成功した場合、
自分フィールド上の炎属性モンスター1体を破壊する。
自分のスタンバイフェイズ時に、自分フィールド上に
「火の玉トークン」(炎族・炎・星1・攻/守100)を1体守備表示で特殊召喚する。
自分フィールド上のこのカード以外の炎属性モンスター1体を生け贄に捧げる事で、
このターンのエンドフェイズ時までこのカードの攻撃力は500ポイントアップする。


「『業火』を自身の効果で特殊召喚した時、自分フィールド上の炎属性モンスター1体を破壊する。よって『蒼炎の剣士』を破壊!」


蒼炎の剣士 /炎
★★★★
【戦士族】
このカードが破壊され墓地に送られた時、
デッキまたはエクストラデッキから「炎の剣士」1体を特殊召喚できる
攻1800  守1600



「『蒼炎の剣士』が破壊された時、デッキかエクストラデッキから『炎の剣士』を特殊召喚できる。よって俺は『炎の剣士S』をデッキから喚び出す」
「……これは」
 巧が得意とする展開戦術。
 上級モンスターを実質ノーコストで出したのと同じ扱いとなるのだ。


炎の剣士S /炎
★★★★
【戦士族】
このカードのカード名は、ルール上「炎の剣士」として扱う。
このカードは生贄1体で通常召喚できる。
その場合、このカードの攻撃力は700アップする。
攻1800  守1600
 


「『フレイムペイン』のカウンターは2つ。よってモンスターの攻撃力は400ポイントアップする」

 怨念の魂 業火 ATK 2200→2600

 炎の剣士S ATK 1800→2200

「『炎の剣士S』で、『ボウ・ドラゴニュート』に攻撃する」
 戦士が大剣で竜人に斬りかかろうとするが、それは瑠衣が伏せカードを開いたことによって止まる。

「させない! リバースカード、『和睦の使者』!」


和睦の使者
【通常罠】
このカードを発動したターン、相手モンスターから受ける
全ての戦闘ダメージを0にする。
このターン自分モンスターは戦闘によっては破壊されない。



「……ターンエンドだ」
 モンスターを守るために開いてしまった伏せカード。
 破壊したわけではないため、アド差は不利な方向に広がった。

「わたしのターン!」
 空き地に広がる炎が勢いを増し、瑠衣のライフを減らす。

「『燃えさかる大地』、効果発動だ」


 瑠衣 LP 3500→3000


(くっ――ダメージレースなら勝てると思ったけど、あの展開スピードと攻撃力に対して、この引きは……)


 ドローカード マテリアルドラゴン

マテリアルドラゴン /光
★★★★★★
【ドラゴン族】
このカードが自分フィールド上に表側表示で存在する限り、
ライフポイントにダメージを与える効果は、ライフポイントを回復する効果になる。
また、「フィールド上のモンスターを破壊する効果」を持つ
魔法・罠・効果モンスターの効果が発動した時、
手札を1枚墓地へ送る事でその発動を無効にし破壊する。
攻2400  守2000
 


(速攻という考えは多分間違っていない……! でも、どちらかと言えばバーン主体と思っていたのは――――外れだった)

 『燃えさかる大地』、あれが瑠衣の想定以上に良い働きをしている。
 お互いを炎で囲み、しかし巧はその炎をモンスターの力へと還元していた。
 
直接攻撃系のカード(ボウ・ドラゴニュート)を出すことは兄さんにとって想定の範囲内だった! そうなれば、攻撃力で捻じ伏せられるから!)

 瑠衣の手札には攻撃を防げるカードが1枚だけある。
 『ボウ・ドラゴニュート』と『燃えさかる大地』で与えられるダメージは1ターンに1400。それを3回繰り返せば4200となり瑠衣の勝ちだ。それも既に1度行っているためあと2回――いや、このターンで攻撃すれば次の巧の攻撃を受け流せばいいだけ。

(だけど、わたしの手は読まれている……! 最初から本命のカードを伏せることはないなんて、兄さんにはお見通しのはずなのに、どうしてこんなプレイングを……)

 和睦を壊しに来なかったからといって、魔法や罠を破壊するカードが手札に入っていないとは限らない。
 序盤はフリーチェーンのカードを中心に戦略を組み立てると覚えられている以上、使わなくて当然だ。
 そしてこの不自然な間。いかにもこれらを思考していたと言わんばかりではないか。

「わたしは―――『ボウ・ドラゴニュート』を生贄にして『マテリアルドラゴン』を召喚!」
 結果として、このまま考えなしにライフを削っても手痛い反撃を食らうだけと判断した。
 
 ――最初のターンの自分は、どうかしていた。

 効果を知らないカードが場に出ているというのに勝手に戦術を決めつけ、その上『闇の力の無力化』能力や体調を気にし、心ここにあらずな状態で戦う。永瀬巧を相手にそんな隙を見せることがどれほど愚かしいかは、よく理解していたはずなのに。
 そんな精神状態で消費されていくターンの中で無意識に行うプレイング、それは今までに積み重ねてきたデュエル経験に依存したものとなる。
 仮に初見の対戦相手ならば、その程度のミスは跳ね返せただろう。あるいはミスですらないかもしれない。短くないデュエル暦で培われ、身体に染み付いたプレイングは、有効に働いたからこそ無意識下に残っているものばかりだ。

(けど、兄さんが相手となれば、全てが変わってくる……!)

 スパーリングで、大会の舞台で、デュエリストレベル昇格試験で、瑠衣はそれこそ何百、何千の単位で巧とデュエルをしてきた。
 そのような相手に対して、いつもと同じプレイングをしてどうする?
 最も身近な越えるべき対象として、思考パターンや瑠衣自身ですら気付いていない挙動の癖を、余すことなく研究されているだろうに。

「『マテリアルドラゴン』で、『炎の剣士S』を攻撃!」 
「…………」


 巧 LP 2600→2400


「……俺がダメージを受けたことにより、『フレイムペイン』にカウンターが一つ追加される。」


 フレイムカウンター 2→3

 怨念の魂 業火 ATK 2600→2800


 それは承知の上だ。
 だがここは、少しでもモンスターを減らしておきたかった。 

「メイン2でカードを1枚伏せてターンエンド」
 そうした方が、この伏せカードへの錯覚となる。
 一見、攻撃力が上がった『怨念の魂 業火』に敵わない上級モンスターの生贄召喚は悪手だが、『マテリアルドラゴン』はカードの破壊効果をカウンターする特殊能力を持っている。これをかわして伏せカードを排除するとなると『ハリケーン』だが、こちらは自分の『フレイムペイン』も戻してしまうため意味がない。

LP2400
モンスターゾーン『怨念の魂 業火』ATK2800
魔法・罠ゾーン
『燃えさかる大地』、『フレイムペイン』
手札
3枚
瑠衣
LP3000
モンスターゾーン『マテリアルドラゴン』ATK2400
魔法・罠ゾーン
伏せカード×1
手札
2枚



「俺のターン……スタンバイフェイズに『怨念の魂 業火』の効果により、火の玉トークンを守備表示で特殊召喚する」
「……そこは通さざるを得ないね」
 できれば防ぎたい効果ではあったが、前のターンの時点で『業火』の攻撃力は2600まで高まり、『マテリアルドラゴン』を上回っていた。
 
「そして『燃えさかる大地』の効果。俺のライフは500減少する――が『マテリアルドラゴン』はこのダメージを回復へと変換する」
 『ボウ・ドラゴニュート』での攻撃続行を選ばなかった理由の一つがここにある。  『マテリアルドラゴンの』回復効果は相手にも作用するため、カウンターの増加を防ぐことができるのだ

 巧 LP 2400→2900


「バトルフェイズ。『怨念の魂 業火』で『マテリアルドラゴン』を攻撃!」
「リバースカード発動! 『聖なるバリア−ミラーフォース−』!」


聖なるバリア−ミラーフォース−
【通常罠】
相手モンスターの攻撃宣言時に発動する事ができる。
相手フィールド上に存在する攻撃表示モンスターを全て破壊する。



 動じてはくれない。やはり最初のターンのプレイングミスは痛かった。

「――違うな」
 しかし巧はそれを否定する。

「1ターン目のプレイングは巧手だったよ。フレイムカウンターもまだ少なく、こうして攻撃を防ぐ罠が多く手札にある状況で速攻のダメージレースを続けられれば、負けていただろうな」
「――――それじゃあ……っ!」
「俺の手札にお前の伏せカードを消す術はなかった。ミラーフォースか。こんなに早く使ってくれたことに感謝しないとな」
 完全に踊らされていた。
 何か策を用意しているのではという思い込みこそが、巧の狙いだったのだ。
 布陣を構築している風に見せかけ、別の手を練っている。そう思ったからこそ瑠衣はダメージレースの軸になる『ボウ・ドラゴニュート』を切り、『マテリアルドラゴン』を出した。
 では、一体何がそう錯覚させたかというと、巧の今までの戦い方がそうだったからだ。
 言の葉で敵を惑わし、プレイングを操作する。こればかりは慣れでどうにかなるものではない。

「確かにお前はメタ構築さえ容易に跳ね返せる戦術を、特に序盤は何パターンも手札に揃えられる引きを持っている。だが、そんな相手に対しても抗し得る術はあった」
「間違った戦術を選ばせること……!」
「その通りだ。そのままライフを削りに来ていれば良かったものを、わざわざ盤面の支配に切り替えてきた。お前のくれた猶予。存分に活用させてもらうとしよう」
 手札から抜き取り瑠衣に示したのは、甲羅が機械化された亀。

「こいつを攻撃表示で召喚だ。さらにカードを伏せてターンエンド」
 攻撃力はそう高くないリクルーター。
 しかし『フレイムペイン』の効果によって、実にあっさりと上級モンスターの『マテリアルドラゴン』に肉薄してくる。

 
UFOタートル /炎
★★★★
【機械族】
このカードが戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、
自分のデッキから攻撃力1500以下の炎属性モンスター1体を
自分のフィールド上に表側攻撃表示で特殊召喚する事ができる。
攻1400  守1200
 

 UFOタートル ATK 1400→2000


「攻撃表示……か」
 『マテリアルドラゴン』の攻撃力は2000。まだ『UFOタートル』をギリギリ上回っている。
 
「わたしのターン」
 にもかかわらず瑠衣の表情は険しい。
 ドローカードも『UFOタートル』に対処できるカードではなかった。

「スタンバイフェイズ、本当ならここで『燃えさかる大地』のダメージを受けるところだけど――」
 黄金の竜は瑠衣に迫る炎に波動をぶつけて相殺し、同時にその波動は、瑠衣の身体に癒しをもたらす。


 瑠衣 LP 3000→3500


「く…………」
 もはや、このような少量の回復如きで喜んでいられない戦況になっている。  その原因は『UFOタートル』。これに連なり『フレイムペイン』のカウンターが貯まる条件が厄介だ。
 瑠衣のダメージ源は、戦闘ダメージに集中している。
 カウンターを貯めさせずダメージを与えるには、攻撃力差を可能な限り開き、一撃を重くせねばならない。
 だが、その攻撃力を『フレイムペイン』は上昇させてくる。結果ライフ差は縮まり、少量のダメージを積み重ねていくしかなくなってしまう。
 ならば攻撃せずにターンを回す? 回復を続け、状況を打開できるカードを引くまで待つ?

(でも、それはこの状況で最悪のプレイング……) 

 『マテリアルドラゴン』と『UFOタートル』の攻撃力差は200。
 攻撃せずにターンを終えた場合、巧は『UFOタートル』を自爆特攻させて、『フレイムペイン』のカウンターをでさらに増やし、すぐに『マテリアルドラゴン』に追いつく。戦闘破壊によって、攻撃可能なモンスターを新たに展開できるリクルーターとの相討ちを許すなど、愚の骨頂だ。

(このカード……温存しておきたかったけど、やっぱり使うしかないかな)

 手札の1枚を見やり、そして決断する。

「ここは――『マテリアルドラゴン』で火の玉トークンを攻撃!」
 トークンは守備表示であるため、巧へのダメージはない。

「カードを1枚伏せ、ターン終了」
 仕方なく、エンド宣言を行う。



LP2900
モンスターゾーン『UFOタートル』ATK2000
魔法・罠ゾーン
『燃えさかる大地』、『フレイムペイン』、伏せカード×1
手札
3枚
瑠衣
LP3500
モンスターゾーン『マテリアルドラゴン』ATK2400
魔法・罠ゾーン
伏せカード×1
手札
2枚



「俺のターン。『燃えさかる大地』のダメージは回復に変換される」 


 巧 LP 2900→3400


「俺はさらに『UFOタートル』を攻撃表示で召喚」
「……2体目が手札に。これは――」
 難しい攻防になる予感が思い切り漂ってくる。

「『UFOタートル』で『マテリアルドラゴン』を攻撃」
 ここまでは予想通りの展開。
 黄金の竜は光のブレスを放ち、機械の甲羅を背負った亀を焼き尽くす。  問題はここからだ。


 巧 LP 3400→3000

「俺は……『焔の巫女(ブレイズシャーマン)』を特殊召喚だ」
 それは瑠衣が調べ切れなかった新しい炎属性モンスター。
 攻撃力はたったの100。だが、それで貶すようなつまらない感性は持ち合わせていない。
 具現化された年若い少女の姿にむしろ脅威すら覚えてしまう。霊術師系カードの娘が纏う魔導師のような服装だが、上着からスカート、靴までもが単一の黒で塗り潰され、邪教の信奉者ではないかと疑わせる。
 巫女という職業観からは程遠い、敵意に満ちた怜悧な瞳に射抜かれて、思わず瑠衣は身震いした。
 手札に固まっているでもない限り、この少女は3枚目の『UFOタートル』よりも優先して召喚されるモンスターということになるのだから。

「さらにダメージを受けたことによりフレイムカウンターを増加」


 フレイムカウンター 3→4

 UFOタートル ATK 2000→2200

 焔の巫女 ATK 100→900


「『焔の巫女』、『マテリアルドラゴン』に攻撃」
「く――――」
 攻撃してくるとは思っていた。  だが問題は、伏せカードを発動するか。  効果を知らないということの重さが、ここで圧し掛かる。

「っ……ここは――通す!」  結果的にその選択は正しかった。
 少女は竜が反撃に放ったブレスをひらりと避けた。
 ただ、少女の体力は一般人並みかそれより下のようで、肩で息をしているが。

「『焔の巫女』の効果。戦闘によって俺が受けるダメージを300とする。さらにこのカードは、1ターンに1度戦闘では破壊されない」


 巧 LP 3000→2700

 フレイムカウンター 4→5

 UFOタートル ATK 2200→2400

 焔の巫女 ATK 900→1100


 カウンターがまた一つ増加する。『焔の巫女』の効果はあくまで戦闘ダメージの軽減。効果によるものだが、効果ダメージではない。
 そして『UFOタートル』の攻撃力が、『マテリアルドラゴン』と並んだ。

「『UFOタートル』で『マテリアルドラゴン』を攻撃だ……」
 おそらくここだ。間違いなく、これ以上の発動機会はない。

「ダメージステップまでに何かある?」
「いいや。特には」
「なら、わたしは『収縮』を発動!」
 無論対象は攻撃宣言をしてきた『UFOタートル』。
 三度ドラゴンが迎撃のブレスを浴びせ、亀を消滅させる。


収縮
【速攻魔法】
フィールド上に表側表示で存在するモンスター1体を選択して発動する。
選択したモンスターの元々の攻撃力はエンドフェイズ時まで半分になる。


 UFOタートル ATK 2400→1700

 巧 LP 2700→2000

「この瞬間、『UFOタートル』の効果発動――」 
 3体目の『UFOタートル』が現れることを、瑠衣は予想し、また期待していた。
 厄介な事に変わりはないが、その辺りが妥協点だろうと。
 しかしその目論見は、外れる。

「来い、『バルログ』!!」
 炎をその身に宿した悪鬼。
 手にした鞭に絡め取られたモンスターは、魂を焼かれ、悪鬼に従順な人形と化す。
 その強引なやり口は、巧のエースモンスターとしてこれ以上なく相応しい。
 

バルログ /炎
★★★★
【悪魔族】
このカードの攻撃力はフィールド上の炎属性モンスターに一体につき500アップする。
このカードが戦闘で相手モンスターを破壊した時、
そのモンスターをバトルフェイズ終了時に自分フィールド上に特殊召喚できる。
この効果で特殊召喚したモンスターは炎属性として扱われ、
このカードが攻撃しない限り攻撃できない。
このカードが場から離れた時、このカードの効果で特殊召喚したモンスターをすべて破壊する。
攻1000  守500
 


「『バルログ』の攻撃力は自分の場の炎属性モンスター1体につき500アップする。さらに『フレイムペイン』の効果と合わせた上昇値は――――」


 フレイムカウンター 5→6

 バルログ ATK 1000→3200

 焔の巫女 ATK 1100→1300


「バトルを続行。『バルログ』で『マテリアルドラゴン』を攻撃」


 瑠衣 LP 3500→2700 


「さらに『バルログ』の効果。破壊した『マテリアルドラゴン』のコントロールを得る。この効果で特殊召喚したモンスターは炎属性になり、バルログの攻撃力がさらにアップする」


 マテリアルドラゴン 属性 光→炎
           ATK 2400→3600
           DEF 2000 

 バルログ ATK 3200→3700


「ターンエンドだ」
 淡々と、しかし確実に瑠衣を追い詰めていく。
 戦局はこれでもかというほど悪い。

「わたしのターン! 『マテリアルドラゴン』の効果でライフを回復!」


 瑠衣 LP 2700→3200


 『マテリアルドラゴン』を奪われ、今度はこちらが効果破壊を封じられた。
 全体強化の数値は1200。今の所これ以上は増えないが、それは結局毎ターン500のダメージが回復に置き換わっただけのこと。早く処理しなければ手が付けられなくなっていくのは、どの道同じだ。

「……カードを2枚セットして、ターン終了」


LP2000
モンスターゾーン『バルログ』ATK3700、『火の玉トークン』ATK1300、『マテリアルドラゴン』ATK3600、『焔の巫女』ATK1300
魔法・罠ゾーン
『燃えさかる大地』、『フレイムペイン』、伏せカード×1
手札
3枚
瑠衣
LP3200
モンスターゾーンなし
魔法・罠ゾーン
伏せカード×2
手札
0枚



「俺のターン……『燃えさかる大地』の効果による500ダメージは、回復となる」


 巧 LP 2000→2500


「『炎の剣豪』を召喚する」
 何のことはない通常モンスターだが、フレイムペインの強化幅1200は、容易に最上級モンスタークラスの攻撃力を実現させる。
 そして炎属性モンスターが増えたことによって、『バルログ』も強化された。


炎の剣豪 /炎
★★★★
【炎族】
火山に落ちて、炎を身にまとう能力を身につけた武士。
攻1700  守1100
 

 炎の剣豪 ATK 1700→2900

 バルログ ATK 3700→4200


「4000オーバーの攻撃力……」
 しかしまだ、手立てはある。
 頼みの伏せカードを視界に入れないように振舞う。

「『マテリアルドラゴン』を攻撃表示にし――バトルフェイズ。『バルログ』でダイレクトアタックだ」 
 破壊効果を打ち消すことのできる『マテリアルドラゴン』、そしてそのコストとなる手札が3枚もある今、巧が攻撃を渋る理由など何一つない。
 効果ダメージも回復に変換されるため、『魔法の筒』やその他のバーンカードがあっても無意味。

「でも、攻撃を防ぐだけなら――」
 伏せカードの1枚、『コマンドサイレンサー』を開く。

「カードを1枚ドローして、バトルを終了させるよ……」


コマンドサイレンサー
【速攻魔法】
相手の攻撃宣言時に発動。
相手のバトルフェイズを終了させて、自分はデッキからカードを1枚ドローする。



「……ターンエンドだ」
「だったらわたしのターン!」
 何とか攻撃を凌ぎ、逆転へのキーカードもドローした。
 だが、その起動に必要な条件は満たされていない。


 瑠衣 LP 3200→3700


「……! モンスターを守備表示で召喚してターンエンド!」
 素晴らしい引きだった。巧の行動と、そして次の引き次第では、一気に流れを変えられるかも知れない。



LP2500
モンスターゾーン『バルログ』ATK3700、『火の玉トークン』ATK1300、『マテリアルドラゴン』ATK3600、『焔の巫女』ATK1300
魔法・罠ゾーン
『燃えさかる大地』、『フレイムペイン』、伏せカード×1
手札
3枚
瑠衣
LP3700
モンスターゾーンなし
魔法・罠ゾーン
伏せカード×2
手札
0枚



「俺のターン……『マテリアルドラゴン』、『燃えさかる大地』によって、ライフを回復」


 巧 LP 2500→3000


『バルログ』で守備モンスターを攻撃する!」
「まだだよ――! リバースカード、『ドレインシールド』!」
 残りライフ3700の瑠衣をも一撃で狩れるほどの攻撃力。
 それを全て頂いていく。


 瑠衣 LP 3700→7900

ドレインシールド
【通常罠】
相手モンスター1体の攻撃を無効にし、
そのモンスターの攻撃力分の数値だけ自分のライフポイントを回復する。



「…………『マテリアルドラゴン』で守備モンスターを攻撃だ」
 だがこれにも、巧が動じる様子はない。
 ライフで大差をつけたものの、ボードでほとんど支配されている状況は変わらない。
 瑠衣にできることといえば、リクルーターで攻撃を凌ぐことぐらい。
 しかしそれは同時に勝利への布石でもあった。

「『仮面竜』の効果により、『仮面竜』を守備表示で特殊召喚!」


仮面竜 /炎
★★★
【ドラゴン族】
このカードが戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、
自分のデッキから攻撃力1500以下のドラゴン族モンスター1体を
自分フィールド上に特殊召喚する事ができる。
攻1400  守1100
 


「ならば『炎の剣豪』で『仮面竜』を攻撃……」
 この状況は、劣勢に見せかけるのに最高の舞台。
 壁が次々に破壊され、逃げ道が塞がれている様を演技しなければならない。

「もう一度来て、『仮面竜』!」
「……やれ、『焔の巫女』」
「っ…………!」
 リクルーターが全て破壊され、しかしかろうじてモンスターを残すことはできる。

(今の手札で、出すべきカードは……!)

「『ランサー・ドラゴニュート』。守備表示で特殊召喚するよ」


ランサー・ドラゴニュート /闇
★★★★
【ドラゴン族】
このカードが守備表示モンスターを攻撃した時、
その守備力を攻撃力が超えていれば、
その数値だけ相手ライフに戦闘ダメージを与える。
攻1500  守1800
 


「ターンエンドだ」
 迷うことないエンド宣言。
 巧の場には伏せカードが1枚ある。それは瑠衣の手から奪った竜によって守られ、さらに盤面もほとんど制圧されている。
 
(でも、逆転の手はまだ残っている……!)
 
「わたしのターン。スタンバイフェイズに500のライフを回復し、そして―――」


 瑠衣 LP 7900→8400


「『天使の施し』を発動! 新たに3枚をドローして2枚を捨てる――」
 墓地に送ったのは、『ブリザードドラゴン』と『竜の騎士』。
 この引きはかなりの幸運だった。もしここで決められなかった場合でも、もう1枚の切り札への布石を残すことができる。

天使の施し
【通常魔法】
デッキからカードを3枚ドローし、その後手札からカードを2枚捨てる。



「ドラゴニュートを生贄に、『竜の魔術師』を召喚!」
 杖を手にした二足歩行の竜が出現した。
 強靭な鱗を持ち肉弾戦に向いていそうな竜が、呪文を唱え杖をかざして戦うシュールな姿を瑠衣は気に入っていたが、残念ながらそのようなことは言っていられない。


竜の魔術師 /炎
★★★★★★
【ドラゴン族】
このカードの生け贄召喚に成功した時、
このカードを生贄にすることで、
デッキから魔法カード1枚を選択し手札に加える。
攻2400  守2000
 


「……なるほど、その流れは」
「生贄召喚した『竜の魔術師』を墓地に送り、デッキから『龍の鏡』を手札に加える! そして――!」
 『龍の鏡』を一旦左手の中に降ろし、入れ替わりに別のカードを抜き取る。

「墓地の闇属性モンスターは、『ランサー・ドラゴニュート』の生贄により3体。よって『ダーク・アームド・ドラゴン』を特殊召喚!」
「…………」
 奪われた『マテリアルドラゴン』がいるため、破壊効果は使えない。
 だが、これはあくまでダメージが届かなかった場合の保険だ。本命はこの先にある。


ダーク・アームド・ドラゴン /闇
★★★★★★★
【ドラゴン族】
このカードは通常召喚できない。
自分の墓地に存在する闇属性モンスターが3体の場合のみ、
このカードを特殊召喚する事ができる。
自分のメインフェイズ時に自分の墓地に存在する闇属性モンスター1体を
ゲームから除外する事で、
フィールド上に存在するカード1枚を選択して破壊する。
攻2800  守1000
 


「『龍の鏡』。『ブリザードドラゴン』、『竜の騎士』、『仮面竜』3体をゲームから除外し――――」
 高原真吾とのデュエルでエンドカードとなった、五つ首の邪竜。
 かの三幻神獣をも凌ぐ攻撃力は一撃で終わらせたい今の状況で最適だが、それ以上に炎属性モンスターを従える永瀬巧に対して、強烈なメタカードになり得る。

「『F・G・D』の攻撃力は5000。ちまぢま全体強化をしたところで間に合わない。そして特殊能力は」
「光属性以外のモンスターでは戦闘破壊できない、か。『フレイムペイン』のカウンター25個分。どうやって貯めるかな……?」
「それも守備表示にすれば逃れられるんだけどね。まあでも、その心配はいらないよ。この攻撃で終わらせてあげるから――――」


龍の鏡
【通常魔法】
自分のフィールド上または墓地から、
融合モンスターカードによって決められたモンスターをゲームから除外し、
ドラゴン族の融合モンスター1体を融合デッキから特殊召喚する。
(この特殊召喚は融合召喚扱いとする)


F・G・D /闇
★★★★★★★★★★★★
【ドラゴン族】

このモンスターは融合召喚でしか特殊召喚できない。
ドラゴン族モンスター5体を融合素材として融合召喚する。
このカードは地・水・炎・風・闇属性モンスターとの戦闘によっては破壊されない。
(ダメージ計算は適用する)
攻5000  守5000
 


 瑠衣が手を掲げると、全ての口が一斉に開き各々が司る属性の力を集束し始める。
 何故かそのように統制が取れている五つの首は、しかし胴体と繋がっている部分が限りなく不自然なカタチをしていた。どこか根本的なところで歪みを抱えていた。それはもう、瑠衣のように。
 モンスターを大量に殺したことがあんな結果を招いて、普通ならカードを見るのも嫌になるのではないだろうか。
 現に一度は少し摘んだだけで手が震えてきた。それは瑠衣の立場上忌避したいはずの事実だったが、本当のところそう思える自分がいてほっとしてもいた。
 少しでも、人間らしくあれそうで。化け物などという自虐に浸るつもりはなくとも、あの時の冷静さは異常だと理解していた。
 だのに瑠衣は今、こうして巧とデュエルを行っている。
 それこそ心を凍らせて。鬼にはならず、あくまでも一時凍結。
 また反動が来るかもしれない。
 歪な決意であることなど端から承知している。
 
(でもだからこそ、こんな所で立ち止まっていてはいけない。どれだけ歪んだ方法でも、わたしは前に進む――!)
 
「ならば、その原動力は誰が与えたものだ?」
 瑠衣の心を見透かしたように、巧が言った。

「兄さんだよね……。地下から助けてくれたのも、沙理亜の洗脳に対抗する策を授けてくれたのも」
 自嘲の笑みを浮かべる。
 結局瑠衣は、外の世界に戻ってきてから自分の力だけで成し遂げたことなど何一つないのだ。

「そのことは感謝してる。けど、がっかりだなぁ、兄さんがそんなことを盾に降伏を求めてくるなんて」
 そして今度は、狂気を孕んだ眼で。からからと笑い。

「ごめん、それ無理。わたしはそんな脅しには屈しない。恩を仇で返すことになろうと、絶対にデュエルで妥協するわけにはいかないから!」
 攻撃宣言。その対象は『マテリアルドラゴン』だ。
 元々瑠衣が従えていたこの竜は、破壊効果なら自軍のモンスターの効果であろうとも無効にできる。
 それ故『バルログ』を破壊してドミノ倒し状に、とはならない。
 攻撃が通ってもまだゲームセットではないが、瑠衣は強力な破壊効果を持つ『ダーク・アームド・ドラゴン』を従えている。
 ひとまず『マテリアルドラゴン』さえ消せば、場の荒らしに移行することも可能なため、この選択にまず間違いはない――はずだった。

「瑠衣……悪いが俺も、恩を仇で返すことになる。沙理亜を誘い出し、対戦相手に仕立て上げるにはお前の協力が不可欠だった。だが、その後もずるずると、お前のデェリストとしての強さと『闇の力の無力化』に、無意識に頼っていた。それがあのような結果をもたらしてしまうとは……」
「わたしが望んだから起きたことだし、後悔はしていない。戦いから降ろそうとしているのなら余計なお世話だよ。わたしは、これからも戦える」
「その強気は別の舞台で発揮すべきだ。こんな戦いで潰れられては俺が困る。そして――――そろそろ認めたらどうだ?」
「………………何を?」
「お前はこれだけの相性差を以ってしても、6:4の勝率しか残せていなかった。だとすれば、その概念が崩れ去った今、どちらが有利をつけているか分かるだろう」
 よりによって、その相性の象徴が支配しているフィールドで、巧はそう告げた。
 伏せカードを開くまでもなく、攻撃が通らないといっているに等しい。
 それでも虚勢の限りを尽くして、瑠衣は答える。

「簡単な問題だね。わたしが従えている『F・G・D』は、兄さんの場を蹂躙して、ライフを食い尽くすよ。止められるものなら――――」
「ならば望み通り止めてやろう。リバースカード!」
「っ…………そんな…………!?」
 瑠衣も使用していた――いや、巧の真似をして瑠衣も使い出したカードが、表になった。
 五属性のエネルギーを集約したブレスは、無情にもその攻撃値を生命力に転換する盾に、阻まれた。

「たかが4200程度の回復で調子に乗るなよ。それなら俺は5000回復するまでだ」

 
 巧 LP 3000→8000


 いつから読まれていたのかなんて、考えたくもない。
 それより今後の策を練った方がよっぽど生産的だ。
 確かにライフは大幅に回復された。とはいえ『F・G・D』が消されたわけではなく、こちらが回復したライフもまだ充分に残されている。
 冷静さを失っては、勝てる戦いも勝てなくなってしまう。

「ターン……終了……」

 そして、手札も伏せカードもなく、巧の行動を黙って見ていることしかできないのが何よりも悔しい。
 まるで現在の自分と巧の関係を表しているようで。



LP8000
モンスターゾーン『バルログ』ATK3900、『マテリアルドラゴン』ATK3800、『UFOタートル』ATK2800、『焔の巫女』ATK1300
魔法・罠ゾーン
『燃えさかる大地』、『フレイムペイン』
手札
4枚
瑠衣
LP8400
モンスターゾーン『F・G・D』ATK5000、『ダーク・アームド・ドラゴン』ATK2800
魔法・罠ゾーン
なし
手札
0枚



「俺のターン。『マテリアルドラゴン』、『燃えさかる大地』によってライフを500回復する。」
 

 巧 LP 8000→8500


「バトルフェイズ、まずは『焔の巫女』で『ダーク・アームド・ドラゴン』を攻撃だ」
「…………」 


「『焔の巫女』は戦闘ダメージを300とし、さらにこのカードは、1ターンに1度戦闘では破壊されない」
 武器らしい武器を持たない少女は、指を向けた先――『ダーク・アームド・ドラゴン』の頭部――に炎を灯す。
 その攻撃がまるで通用しないことを悟ると、素早く身を翻し闇のブレス攻撃に対して回避運動を取った。
 しかし邪竜の攻撃範囲は少女の予測よりも広い。
 待ち構えていたように演出で舞うソリッドヴィジョンの砂埃が晴れると、左の服の袖が吹き飛ばされ、腕の一部が尋常ならざる焦げ方をしていた。


「く――――また、カウンターが……」
「そう、これによりフレイムカウンターはさらに増加する」


 巧 LP 8500→8200

 フレイムカウンター 6→7

 バルログ ATK 4200→4400

 マテリアルドラゴン ATK 3600→3800

 焔の巫女 ATK 1500→1700 

 炎の剣豪 ATK 2900→3100


「『バルログ』で『ダーク・アームド・ドラゴン』を攻撃……」
 『焔の巫女』にも負ける守備力を晒すのは避けようと思った結果がこれだ。
 ライフは8000を越えているとはいえ、1600のダメージは決して小さくない。


 瑠衣 LP 8400→6800


「さらに『マテリアルドラゴン』で『F・G・D』を攻撃……」
「な――――!」
 しかしその行動の意味は説明が付かなかった。
 そこまでして、カウンターを増やしたいというのか。
 特に戦闘時にカードを発動することもなく、黄金のドラゴンは消え去った。


 巧 LP 8200→7000

 フレイムカウンター 7→8

 バルログ ATK 4400→3900→4100

 焔の巫女 ATK 1700→1900

 炎の剣豪 ATK 3100→3300


「そしてメイン2。『焔の巫女』を生贄に、『焔の女王(ブレイズクイーン)』を特殊召喚する」
 『巫女』よりもさらに露出の少ない、ゴシックドレスを纏った女性。
 ドレスの素材がフィールドを囲う炎に照らされて、艶かしく輝く。
 うっすらと笑みをたたえ、指示を――いや、“許可”を待つ。

「『焔の女王』は『焔の巫女』を生贄にすることで特殊召喚できる。加えて『焔の女王』の効果。1ターンに1度、300ダメージを受けることができる」
 

 巧 LP 7000→6700

 フレイムカウンター 8→9

 バルログ ATK 4100→4300

 焔の女王 ATK 0→1800→3600

 炎の剣豪 ATK 3300→3500


「『焔の巫女』の攻撃力はフレイムカウンターの数×200。『フレイムペイン』そのものの上昇値も加わるため、攻撃力は3600だ」
「でも、いくらカウンター高速でカウンターを貯めようと、『F・G・D』の攻撃力を上回るのはまだまだ先だよ」
 上手くないとは分かっていても、初心者のような言い訳で本心を隠す。
 やはり『焔の巫女』や『焔の女王』は、『フレイムペイン』とのコンボを前提にしたカード。
 であれば、単なる攻撃力上昇を超越した効果が眠っている可能性が極めて高い。
 そう、例えば――――

「これで『フレイムペイン』のカウンターは9。その内5つを取り除き、『焔の女王』の効果。フィールド上の全てのカードを、破壊する」

 ――――フィールドリセット級の全体破壊効果とか。

 こんな時にまで巧の口調が変わることはない。
 『バルログ』も『燃えさかる大地』も9つのものカウンターを貯めた『フレイムペイン』も、たった1枚のカードを排除するための犠牲になるというのに。

「あ…………」
 それは正しいプレイングだと理解していた。
 瑠衣の手札はゼロ。そして唯一のドローカードに頼ったほど脆いプレイングはない。
 
 刹那、瑠衣は炎熱を統べる女王を前にして、おぞましい“寒気”に襲われた。
 女王の笑みが、変わる。ソリッドヴィジョンとは思えない、生々しく、残酷で、狂ったものへと。
 
 ――地獄絵図。

 そんな言葉を思い浮かべ、すぐにそれが誤りであることを悟った。

 自らをも巻き込みそうな炎の中で、女王は輝いていた。
 彼女が放ち操る炎は、これまで瑠衣が見てきたものとはまるで違う、異質な炎。
 普通の火が無情にただ焼くためのものとするなら、この炎は彼女を映えさせる意思を持つ。
 不規則なはずの揺らめきが、女王の動きに合わせてリズミカルに踊っているようにさえ見える。
 戦局を悪くする炎ながら、瑠衣はそれに魅せられた。
 指先を邪竜に向けるという、『焔の巫女』と同じ動作。
 しかし今度の炎は、邪竜の胴から首の全てを一瞬にして包み込む。
 あっという間に鱗が炭化し、身体全体が縮小していく。
 女王は炎の全てを理解し、炎を管理し、そして炎と一体と化していた。
 その表現が比喩でも何でもなかったことを、瑠衣は直後に思い知らされる。
 
「っ…………!」

 炎に足を踏み入れたのだ。事故でもなく他者が動きを操ったわけでもなく。ただ自らの意思で。恍惚とした表情を浮かべて。
 彼女にとって炎は救いなのだろうか。それとも――。
 
「あ、炎が……」
 操主を失った炎は見る間に勢いを失い、『フレイムペイン』とは別の魔力供給源を持っていたはずの『燃えさかる大地』の炎までもが、もはやほんの僅かの火種を残すのみ。
 そんなフィールドの中央に、最後の一足掻きとばかりにそびえ立つ火柱。
 だがそれも数秒で細くなり――――。その中から、難解な漢字が刻まれた青い炎の大剣を持つ男が現れた。
 慌てて巧の方に視線を戻すと、墓地から吐き出された『蒼炎の剣士』のカードを丁度ディスクに置く所だった。

「『焔の女王』がこの効果で『フレイムペイン』を破壊した時、カウンターの数と同じレベルのモンスターを破壊後に特殊召喚する」
「…………」
 らしくない見落としだった。
 『焔の女王』の効果起動条件はフレイムカウンター5つ。その数字はとうに越えていたのに、どうして巧は『焔の巫女』や『焔の女王』の自傷効果を使用した?
 その答えがこれだ。フィールド制圧でのアドバンテージを取るため。
 擬似的な破壊耐性を有するモンスターに4枚もの手札。フィールドはがら空きな上、左手が寂しい状態にある瑠衣とは大違いだ。


焔の女王 /炎
★★★★★★★★
【炎族】
このカードは自分のフィールド上に存在する「焔の巫女」
1体を生贄にすることで、手札から特殊召喚する事ができる。
このカードの攻撃力、守備力はフィールド上の
フレイムカウンターの数×200となる
自分フィールドのフレイムカウンターを5つ取り除くことで
フィールド上の全てのカードを破壊する。
この効果によって「フレイムペイン」を破壊した時、
その後フレイムカウンターの数以下のレベルの
炎属性モンスター1体を墓地から選択し特殊召喚する。
攻0  守0



「これでターン終了」
 相変わらず巧のプレイングに手加減や容赦の色は見えない。
 しかし瑠衣としても、そのような形で得る勝利など願い下げだ。
 たとえ巧の主張に理があったとしても、瑠衣の考えでは世界が破滅するとしても、このデュエルにだけは、負けるわけにはいかなかった。
 背中を守れる力では、足りない。巧より強くなければ、ここにいる存在意義を失ってしまう。
 瑠衣はこれまでの立場を失うことに恐怖していた。跳ね返そうとする思いもあるが、潜在的な恐れはそう簡単に抜けない。
 ただしデュエルは残酷にも、思想の優劣や意志の強さ如きで引きが落ちることはないものだ。
 デュエルにおける引きの悪さとは、純粋な運やかみ合わせの差もあるが、実際はトップ解決の幅を悪手で狭めているだけのケースが多数を占めている。精神的な面が運に影響するというのは、別の何かに気を取られたことによるプレイングミスを誤魔化すための欺瞞に過ぎない。
 しかし、瑠衣はそういった不調がプレイングに影響しないようにする訓練を積んでいる。
 この状況は瑠衣のプレイングミスによって引き起こされたものだが、それは巧の意識的な戦術による所が大きく、瑠衣だけに帰責する明らかなイージーミスはない。
 大抵の状況で単独でのトップ解決を為し得る『龍の鏡』は、まだデッキに2枚眠っている。リクルーターやドロー加速による圧縮も行っており、確率を高めるという意味においてのプレイングは成功と判断してよいレベルだ。
 まだ、全ては終わっていない。

「わたしの、ターン!!」
 


LP6700
モンスターゾーン『蒼炎の剣士』ATK1800
魔法・罠ゾーン
なし
手札
4枚
瑠衣
LP6800
モンスターゾーンなし
魔法・罠ゾーン
なし
手札
0枚







13章 分かたれる道



 ドローカード 竜の兵士

 しかして手札に加わったのは槍を携えた炎の竜人のカード。
 その攻撃力は1600と、巧の場に存在する『蒼炎の剣士』を下回っている。
 一呼吸だけ置いて、瑠衣はカードをディスクに置いた。

「『竜の兵士』を召喚! このカードは召喚した時、手札に『竜の騎士』を加えることができる。これでターン終了だよ」
 ライフが高水準で手札がこの状況、それ以外の選択肢はありえない。
 サーチした『竜の騎士』は、普通にドローしていれば事故要因になってしまっただろうカード。
 致命的な展開の遅れを防いだと考えれば決して無駄なターンではない。



竜の兵士 /炎
★★★★
【ドラゴン族】
このカードが召喚、特殊召喚に成功した時、自分のデッキから「竜の騎士」1枚を手札に加えることができる。
攻1600  守1200



「俺のターン……『UFOタートル』を召喚」
 このデュエルの序盤で手を焼かされた亀が巧の場に増える。
 しかしそれゆえ同名カードが残っていないのは好都合だ。
 
「『蒼炎の剣士』で攻撃……」
「防ぐ術は……ないね。攻撃を通すよ」


 瑠衣 LP 6800→6600

 
「では続けて、『UFOタートル』のダイレクトアタックだ」
「くう……」


 瑠衣 LP 6600→5200


 減った数値云々よりも、巧にいいようにあしらわれていることが悔しい。
 頭に血を上らせれば敗北へ一歩近づくのだろうが、そもそも手札がない状態で戦術を考えるも何もない。
 
「ターンエンドだ」




LP6700
モンスターゾーン『蒼炎の剣士』ATK1800、『UFOタートル』ATK1400
魔法・罠ゾーン
なし
手札
4枚
瑠衣
LP5200
モンスターゾーンなし
魔法・罠ゾーン
なし
手札
1枚






「わたしのターン! 『ブレード・ドラゴニュート』を召喚!」
 悪くない――むしろ歓迎すべき引きだ。
 ライフはまだ、どうにか持ちこたえられるはず。
 


ブレード・ドラゴニュート /闇
★★★★
【ドラゴン族】
このカードが戦闘で相手モンスターを破壊した時、もう一度だけ続けて攻撃できる。
このカードの攻撃時に戦闘の巻き戻しが発生した場合、対象を変更せずに攻撃しなければならない。
攻撃対象のカードがフィールドから離れている場合攻撃は無効となり、
直接攻撃時に相手フィールドにモンスターが召喚、特殊召喚された時のみ対象を選び直して攻撃する。
攻1600  守1000



「『ブレード・ドラゴニュート』で『UFOタートル』を攻撃!」
 竜剣士が卓抜した剣技で、機械の甲羅に引っ込もうとした亀の首を落とした。
 

 巧 LP 6700→6500 


「ならばこの瞬間、『UFOタートル』の効果を発動し、『プロミネンス・ドラゴン』を攻撃表示で特殊召喚する!」
 全身を灼熱で覆った胴の長い竜が巧の場に出現した。
 

 プロミネンス・ドラゴン ATK 1500



UFOタートル /炎
★★★★
【機械族】
このカードが戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、
自分のデッキから攻撃力1500以下の炎属性モンスター1体を
自分のフィールド上に表側攻撃表示で特殊召喚する事ができる。
攻1400  守1200
 


プロミネンス・ドラゴン /炎
★★★★
【炎族】
自分フィールド上にこのカード以外の炎族モンスターが存在する場合、
このカードを攻撃する事はできない。
自分のターンのエンドフェイズ時、
このカードは相手ライフに500ポイントダメージを与える。
攻1500  守1000
 


「……深追いはしないよ。戻って、『ブレード・ドラゴニュート』」
 連続攻撃能力を持つ竜人に帰還命令を出す。
 竜人の攻撃力は炎の竜を上回っているがあれには厄介な特殊能力がある。
 炎属性モンスターが他に場に出ている時、攻撃対象にならなくなる。
 2枚同時に出れば攻撃ロックにもなり、手札が不足している瑠衣には致命的な痛手となる。

「わたしは、これでターン終了……」
 キーカードを引くまで耐えられるか、これはもはや時間との勝負。
 
「俺のターン……そのままバトルフェイズへ入る」
「!!」
 流れは決して悪くない。巧の手札には追撃を重くするための下級モンスターがいないのだろう。

「『蒼炎の剣士』で『ブレード・ドラゴニュート』を攻撃だ……」
 召喚したドラゴンが、悉く撃破されていく。


 瑠衣 LP 5200→5000


「『プロミネンス・ドラゴン』……ダイレクトアタック」 
「っ……!」


 瑠衣 LP 5000→3500


「カードを1枚伏せ、エンドフェイズ。『プロミネンス・ドラゴン』の効果によって500のダメージを与える」
「う……あ……」


 瑠衣 LP 3500→3000


 これでライフは安全圏を下回った。
 能力を展開しているため肉体への衝撃はないのだが、ろくに抵抗できず嬲られる精神的ショックは相当なものだ。
 そろそろ手を打たなければ、本当に負ける。


LP6500
モンスターゾーン『蒼炎の剣士』ATK1800、『プロミネンス・ドラゴン』ATK1500
魔法・罠ゾーン
伏せカード1枚
手札
4枚
瑠衣
LP3000
モンスターゾーンなし
魔法・罠ゾーン
なし
手札
1枚




「わたしの、ターン!」
 だとしても、それを態度には示さない。
 引けないかもしれない恐れなど飲み込んで、逆転を信じてカードを引く。
 これまで瑠衣は、そうして勝利を掴み取ってきたのだから。
 結果として、キーカードを引けてきたのだから。
 

 ドローカード 竜の鏡


「手札から発動。除外するのはブレード、ランサー、アックス、ボウ。4体のドラゴニュートと、そして―――」
 『F・G・D』の起動に必要な5体の竜、残る適当な1体を選ぼうとして、ぴた、と止まる。
 それは小さな違和感だった。
 本当に出すべきは『F・G・D』なのだろうか。
 巧が『プロミネンス・ドラゴン』を従えているこの状況、パワーだけのモンスターに命運を託すのは危険に過ぎる。
 しかし、もう一つの選択肢を考えた時、その攻撃力が『F・G・D』と比べて不安要素となるのは否めない。
 『フレイムペイン』による攻撃力の増強がこのような形でくびきになったのは、果たして巧が意図してのことか。

 ――少なくともそう思えるということは、答えはもう決まっている。

 直感に対する検証を一瞬で済ませ、瑠衣はプレイを再開する。

「わたしは、この4体を融合し――『マスター・ドラゴニュート』を特殊召喚!」
「クク……やはり騙されはしないか」
 その言葉さえも信用ならない。
 勝負を諦めたわけではないが、こうなれば、守りを捨て玉砕覚悟で攻撃し続けるより他に道はないのだ。
 それもまた、立派な戦術の一つ。



龍の鏡
【通常魔法】
自分のフィールド上または墓地から、
融合モンスターカードによって決められたモンスターをゲームから除外し、
ドラゴン族の融合モンスター1体を融合デッキから特殊召喚する。
(この特殊召喚は融合召喚扱いとする)
 


マスター・ドラゴニュート /闇
★★★★★★★★★
【ドラゴン族】
「ブレード・ドラゴニュート」+「ランサー・ドラゴニュート」+「アックス・ドラゴニュート」+「ボウ・ドラゴニュート」
1ターンに1度、自分のメインフェイズに次の効果から1つを選択して発動する事ができる。
●このカードが戦闘によって相手モンスターを破壊した場合、
もう1度だけ続けて攻撃を行う事ができる。
●このカードが守備表示モンスターを攻撃した時、
その守備力を攻撃力が超えていれば、
その数値だけ相手ライフに戦闘ダメージを与える。
●このカードは攻撃した場合、バトルフェイズ終了時に守備表示になる。
●このカードは相手プレイヤーに直接攻撃する事ができる。
その場合、このカードの攻撃力はダメージ計算時のみ半分になる。
攻3400  守3800
 


 剣、槍、斧、弓、4種の武器全てを携えた漆黒の竜人。
 てんでばらばらな装備は『F・G・D』の五つの首にも似たところがあるが、その立ち振る舞いに劣悪な粗暴さは感じられない。純粋に、それら全ての武具を扱いきるだけの力を有している。

「知ってると思うけど『マスター・ドラゴニュート』は、1ターンに1度4つの能力の中から1つを選択して使用することができる! わたしは、『ブレード』の効果、再攻撃を選択!」
 ただし『ブレード』とは異なり、モンスターの増減が発生しても攻撃を中断できないというデメリットはない。
 他にも『アックス』から受け継がれた守備表示への変更効果は、攻撃力より守備力が高いという点でメリットと化しており、さらにタイミングがダメージステップからバトルフェイズ終了時に変わったことにより、『レゾナンスニュート』で再攻撃効果との両立が可能になった。
 単にそれぞれの技を集合させただけでなく、極め、洗練させているのだ。
 
「『マスター・ドラゴニュート』!! 『蒼炎の剣士』に攻撃!!」
 蒼い炎の大剣を手にした剣士を一撃のもとに切り伏せ、さらにその斬撃によって生じた衝撃波が巧を襲う。


 巧 LP 6500→4900


「『蒼炎の剣士』が破壊された時、デッキから『炎の剣士』を特殊召喚できる。来い――」
 再び現れたのは『蒼炎の剣士』の登場と共に強化リメイクを果たして実戦レベルになった『炎の剣士S』。
 このリクルート効果の厄介なところは、瑠衣が扱う『仮面竜』と同じく守備表示での特殊召喚が可能な点だ。

 


蒼炎の剣士 /炎
★★★★
【戦士族】
このカードが破壊され墓地に送られた時、
デッキまたはエクストラデッキから「炎の剣士」1体を特殊召喚できる
攻1800  守1600



炎の剣士S /炎
★★★★
【戦士族】
このカードのカード名は、ルール上「炎の剣士」として扱う。
このカードは生贄1体で通常召喚できる。
その場合、このカードの攻撃力は700アップする。
攻1800  守1600
 


「でも、まだ攻撃表示のモンスターは残っている――! 『プロミネンス・ドラゴン』を攻撃!」
「む……」


 巧 LP 4900→3000


「ターンエンド!」
 問題はこのターンで『マスター・ドラゴニュート』が排除されてしまわないか。
 そうなればたとえ次のターンを迎えることが出来たとしても、勝算は限りなく薄くなる。
 モンスターが少ないということは、逆に魔法や罠が多く手札に入っているということであり、その可能性は決して低くない。

「待て。そのエンドフェイズ、『リビングデッドの呼び声』を発動する。その効果により『プロミネンス・ドラゴン』を特殊召喚」
「この場このタイミングでの蘇生……だとすれば」


リビングデッドの呼び声
【永続罠】
自分の墓地からモンスター1体を選択し、攻撃表示で特殊召喚する。
このカードがフィールド上に存在しなくなった時、そのモンスターを破壊する。
そのモンスターが破壊された時このカードを破壊する。



「俺のターン、ドロー」
 巧の表情で対処法があるかを読み取ることはできなかった。
 だが、ここまで来て焦らしの思考時間はいらないと判断したのか、すぐに結論を出してくる。

「『プロミネンス・ドラゴン』を守備表示に。さらにカードを2枚伏せ、ターン終了だ」
「……」 
 むしろ異様に速かった。
 おそらく瑠衣がターンを終えた時には、このターンのプレイングを完全に決めていたのだろう。  エンドフェイズに蘇生させたのは、守備表示にするため。貫通効果の所持など構わない冷徹な判断力だ。
 またしてもエンド宣言と同時に炎の龍がブレスを吐き出し、瑠衣のライフを減らす。

 巧 LP3000→2500


LP3000
モンスターゾーン『プロミネンス・ドラゴン』DEF1000、炎の剣士SDEF1600
魔法・罠ゾーン
『リビングデッドの呼び声』、伏せカード2枚
手札
3枚
瑠衣
LP2500
モンスターゾーン『マスター・ドラゴニュート』ATK3400
魔法・罠ゾーン
なし
手札
1枚




「わたしのターン!」


 ドローカード:サイクロン


「……!」
 引きは、やはり悪くない。
 だが、そこから先にはもう一つ運絡みのポイントが存在する。
 すなわち3枚の魔法、罠のどれを破壊するのか。
 前のターン、巧は『リビングデッドの呼び声』を挟むようにして、瑠衣の動体視力ではどちらが早いか分からない程度に左右1枚ずつ伏せた。
 破壊するならこのどちらかだ。一応『リビングデッドの呼び声』を破壊し、連続攻撃が通れば瑠衣の勝ちではある。だが、そのような仮定に意味はない。間違いなく、ここは一旦退いて邪魔な伏せカードを排除せねばならない。  
(迷うぐらいなら使わずに攻撃する選択肢も一応はある……! でも、ここでこのカードが来たからには、やはり何らかの意味があるはず……)
 
 考えれば考えるほど、思考は深みにはまっていく。
 例えば、人は無意識に身体の左側、すなわち心臓を守ろうとするという理論。
 これを発展させれば、大切なものを身体の左に預けブラフを右に遣るということになり、つまり瑠衣から見て右のカードが本命となる。
 だが、単純な相手ならばそれに賭けても良かったが、相手は狡猾な永瀬巧。
 裏をかいて左にしているかもしれないし、そのまた裏を読んで右という可能性も。
 探りを入れても、まずヒントすら現れまい。
 もし何かそれに近いことを喋っても、今度はその真偽について思考せねばならないのだ。
 結局は堂々巡り。余計なことを吹き込まれて惑わされるぐらいなら、いっそ50%に託した方が幾分か望みがある。
  
「わたしは『サイクロン』を発動! 選ぶのは――左のカード!」
 巧からだと右のカードが回転する突風に吹き飛ばされた。
 カウンターはなく、そして夜空に舞い上がったカードのイラストを見て思わず跳び上がりそうになった。



サイクロン
【速攻魔法】
フィールド上の魔法または罠カード1枚を破壊する。
 


聖なるバリア−ミラーフォース−
【通常罠】
相手モンスターの攻撃宣言時に発動する事ができる。
相手フィールド上に存在する攻撃表示モンスターを全て破壊する。


 もう1枚も破壊、除外系のカードだったらさすがにどうしようもないが、『プロミネンス・ドラゴン』を放置するのも危険極まりない。
 攻撃はする。だがしかし、難題はもう一つあった。
 すなわち、このターン『マスター・ドラゴニュート』はどちらの効果を使うのか。
 候補は二つ、再攻撃と貫通。
 前者の場合モンスターを全滅させることが出来るが、ダメージは与えられない。貫通ならばライフを大きく減らし『ボウ』の直接攻撃能力圏内に入れることができる。

(……兄さんのデッキに生贄1体で『マスター・ドラゴニュート』を倒せるモンスターはいないはず。だったら)

「わたしが選択するのは貫通能力!」
 腰と背に抱えた4種の武器。その中で、竜人は背中に担いだ槍を抜き放ち、構える。
 
「バトルフェイズ―――『マスター・ドラゴニュート』で『プロミネンス・ドラゴン』に攻撃!」


「――攻撃を通す」
 しかし、巧はその一瞬をあっさりと終わらせた。
 やはり駆け引きをするまでもないと判断しているのだろう。
 毎ターンがトップ解決状態に陥っているため反論できないのが辛い所だが、まだ希望は残されている。

 巧 LP 3000→600


 これほどのダメージにも、動じる素振りは見当たらない。
 残りの1枚はやはりブラフなのだろうか。

「ターン……エンドだよ」
 不穏な気配はこれでもかというぐらいに漂っている。
 必ずどこかで発動させてくる確信はあるが、そのタイミングまでは分からない。
 祈り、願うだけ。神など信じていなくても、そうせざるを得ない。

「俺は『手札抹殺』を発動する」
 前のターンから続くノータイムのプレイングは、このターンに入っても変わらない。
 しかしこれは瑠衣にとってもチャンスだ。事故要因と化している『竜の騎士』を捨て、巧は3枚、瑠衣は1枚、新たな手札を補充する。



手札抹殺
【通常魔法】
お互いの手札を全て捨て、それぞれ自分のデッキから捨てた枚数分のカードをドローする。


「っ…………!?」
 そこで、想定外の光景を目にした。


 ドローカード 竜の騎士


 それもただの『竜の騎士』ではない。
 『闇の力の無力化』能力を展開していても分かる。
 精霊憑きの、瑠衣のデッキにおける相棒だ。
 力を貸せと命令し、しかしいざサーチできる段階になると、このような私闘につき合わせているのが申し訳なく思えてしまった。

(でも、やっぱり来てくれるんだね――――)

 事故という点では変わらない。
 だが、予期せぬ手札交換が行われてまでも手札に『竜の騎士』が残るのなら、それに何らかの意味を求めたくなってしまう。
 『F・G・D』や『マスター・ドラゴニュート』を単騎で従えている時とは違う、不思議な安心感があった。

 ――そして、そこまでの自信をも、巧は容易に打ち砕く。

「俺は『炎の剣士S』を生け贄に、『炎の剣士S』を召喚する」
「え…………?」
 その行動の意味は、正直理解できなかった。
 やや和系の装いをした大剣を持つ剣士。これを見るのはこのデュエルで3度目―――だが、ソリッドヴィジョンは前の2体とは異なった演出をしていた。大剣が炎に包まれていたのである。
 この演出に関しては瑠衣も良く知っている。
 生贄召喚した『炎の剣士S』は大剣サラマンドラの力を限界まで引き出し、攻撃力が上昇する。


 炎の剣士S ATK1800→2500


「でもそれじゃあ、『マスター・ドラゴニュート』は倒せないよ」
「見れば分かる。俺はさらにカードをセットしターンエンドだ」
 そしてこのプレイングによって瑠衣は全てを把握し、また戦慄した。
 伏せカードの正体は明らかだった。
 それが発動した瞬間、瑠衣のライフは一瞬にして0になる。

 防ぐ方法は、あるにはあった。たった一つだけ。
 当然というべきか、デッキの中に。
 圧倒的なアドバンテージ差に対してここまでやれたのだ、間違いなく引けるはず。
 恐怖はないといえば嘘になるが、引かずに諦めるという選択こそ論外だ。
 自分のデッキを信じられずして、デュエリストを名乗る資格などない。

「わたしのターン――ドローッ!!」
 カードを手札に加えメインフェイズを宣言すると同時に、巧からフェイズの巻き戻しが要求される。
 ルール上それを断ることはできない。
 スタンバイフェイズへと戻り、そして巧は伏せカードを発動する。

「『火霊術−「紅」』……! だけど、わたしにはこれがある!」
 自分のスタンバイフェイズに手札から干渉できるカードは限られている。
 その中で最もオーソドックスなものは速攻魔法。ただ、この状況を切り抜けられ、尚且つ瑠衣のデッキに投入されているのは1枚だけだった。

「『騎士竜の誓い』、発動! 『マスター・ドラゴニュート』を墓地に送り――――」
 確実な一撃を狙いその条件が満たされるまで敢えて攻撃を通してきたのは、巧にとって騙しの要素が多分に含まれている些細なプレイングミス。しかしそれは、敗北に直結する愚かなミスでもある。
 確かに呆気には取られたが、それで有利を捨ててしまっては元も子もない。 

「手札から『竜の騎士』を特殊召喚!!」
 剣と鎧で武装した翼竜が、瑠衣のフィールドにともなく出現する。
 ヒトの細胞が取り込まれているドラゴニュート、すなわち竜人とは異なり、『竜の騎士』はまさに二足で歩く翼竜だ。 
 手にするは長剣ではなく、敵を叩き斬るための大剣。鱗のない柔な腹の部分は鎧を着込むことによって無理矢理に隠している。
 『マスター・ドラゴニュート』のような完成体には遠く及ばず、しかしそんな不器用さを瑠衣は好いていた。



火霊術−「紅」
【通常罠】
自分フィールド上に存在する炎属性モンスター1体を生け贄に捧げる。
生け贄に捧げたモンスターの元々の攻撃力分のダメージを相手ライフに与える。



騎士竜の誓い
【速攻魔法】
自分フィールド上に存在するドラゴン族モンスター1体を生贄に、手札から「竜の騎士」1体を特殊召喚できる。
このカードを発動したターン、「竜の騎士」は戦闘で破壊されず、このカード以外の効果を受けない。
また自分の場の「竜の騎士」1体につき1回、プレイヤーへのダメージを0にできる。



竜の騎士 /炎
★★★★★★★
【ドラゴン族】
自分フィールド上のカードを破壊する効果を相手モンスターが発動させた時、
対象となったカードを墓地へ送る事で手札からこのカードを特殊召喚する事ができる。
攻2800  守2300



「『騎士竜の誓い』の効果――このターンにわたしが受けるダメージを、自分の場の『竜の騎士』の回数分無効にする!」
 地面に浮かび上がった赤い魔方陣。
 その中央で剣を構える戦士が、苦悶の声を上げて炎に包まれた。
 炎は瞬く間に戦士の体表から骨に至るまでを一片残らず焼き尽くし、そして魔方陣に吸収されるかのように勢いを落とす。
 ダメージを受けないとは分かっていても、その様子を見逃してはいけない。
 巧が弄した策を、最後の最後で打ち砕いた証として。
 輝きを増した魔方陣が、前触れなく滑るように地面を疾走る。
 瑠衣めがけて一直線に移動放火台が迫ってくる。
 だがその間には――――瑠衣を護る『騎士』がいる。
 竜という種族の強靭な肉体から放たれる剣撃が、高速で移動する魔方陣にぶつかった。
 途端に魔方陣にかけられた自律プログラムが混乱を来たし、その場で火柱が燃え上がる。 
 その火柱をも『竜の騎士』は切り裂き――――

「バトルフェイズ! 『竜の騎士』のダイレクトアタック――――!!」
 重装備の巨躯を背中の翼で強引に浮かせ、主の兄へと突貫する。
 速度を落とさずに身体を捻り、しかし竜の視線は真っ直ぐに標的を捉えている。
 身体的なダメージがないとはいえ、やはり巧に焦りは見えない。
 まさかこの状況を逆転する術があるというのだろうか。
 『竜の騎士』は、瑠衣が発動した魔法によってあらゆる効果を打ち消す加護を得ているのに。 
 騎士が打ち込む全体重を乗せた一撃。
 それは運動能力が平均弱しかない巧には到底かわせない速度であった。
 むしろ、別にかわしても構わない。瑠衣が見たいのは演出ではなく、0になった巧のライフポイントなのだから。
 だが――――いくら速くとも、そんな単調な攻撃では届くわけがなかったのだ。
 
「――――『ガード・ブロック』」
 レンガ状に積み上がり巧を覆う透明な壁が、一度きりしかダメージを防げないテキストに従い、剣がぶつかった所を起点にがらがらと崩れる。
 


ガード・ブロック
【通常罠】
相手ターンの戦闘ダメージ計算時に発動する事ができる。
その戦闘によって発生する自分への戦闘ダメージは0になり、
自分のデッキからカードを1枚ドローする。



「効果によりデッキから1枚ドロー」
 巧の手札が1枚から2枚へ。この差が果てしなく大きいことを、瑠衣は知っていた。
 
「どうして……」
 思わずそう口にしていた。
 ブランクを埋めるために新カードに触れている時、巧は『ガード・ブロック』を、モンスターの破壊を防げないカードと貶すような言い方をしていたのに。

「お前の読みを超えるには、これしかなかったからだ」
 そう、巧が答える。

「あぁ、お前の観察眼は優れている。意識的なものではないだろうが、あの聖バリまでもピンポイントに当ててくる程に。おそらくは過去の言動、行動も検証までされているかもしれない。特に異世界に来てからは。しかし、それこそが付け入る隙となる。お前が考えている通り、あの段階でこんなデュエルをすることになるなんて予測できるわけがない。俺は自分のカード価値判断基準に従い、『ガード・ブロック』に辛めの評価を下した。生かせる素材になったのは、まさしく偶然の産物。だからこそ――お前を出し抜ける」
「…………!」
 そうだった、すっかり忘れていた。
 巧はそういう勝利のための犠牲を厭わない人間だ。
 瑠衣自身も、デュエルに関してのみほとんど同じ価値観を有している。
 だからといって、そのために安定性を限界まで削っては意味がないはずなのに。

 ――いや、見たことがないからこそ不意を打てるということか。

 『騎士竜の証』によって耐性が付与された『竜の騎士』の攻撃。
 それが必ず訪れると、巧は想定していたのだ。
 これ以降同じ手が通用しないとしても構わないのだろう。
 それほどまでに、巧はこの一戦を重要視しているのだ。

「あ、でもさ、聖バリって略称は早く悔い改めたほうがいいよ! 公式はミラフォなんだから!」
「ほう、それはいつの時代の公式だ? 20年昔、あるいは未来か、いずれにしても今年の統計データは聖バリ派53%、ミラフォ派41%、その他6%という結果が出ている。改めるのはお前だったな」
「な、何よそのデータ! 組織票でも入ってるんじゃないの! 3年前はミラフォ47%、聖バリ40%、その他13%だったのに――」
「ククク、そんな古いデータ、今この時代には何の役にもたたん。過去の栄光など溝にでも捨ててしまえ」
「そ、そんな――――」
「さて、続けるか……。俺のターン。『死者蘇生』を発動し『炎の剣豪』を特殊召喚。『戦士の生還』によって『炎の剣士S』を手札に戻す」
 予想通りの流れだ。
 だとすれば、まだ見えていない最後の1枚はおそらく。



死者蘇生
【通常魔法】
自分または相手の墓地からモンスター1体を選択する。選択したモンスターを自分のフィールド上に特殊召喚する



戦士の生還
【通常魔法】
自分の墓地の戦士族モンスター1体を選択して手札に加える。



「『融合』、かな……」
 負けはしたが戦術は読めていたという主張をしたかったのかもしれない。
 そんなことに、もう意味などありはしないのに。

「いいや、外れだ」
 その答えに安堵してしまう自分の愚かしさが、後から思い返してみると腹立たしい。

「俺はそんなに引きは良くない。だから、蘇生させたりサルベージしたり――――」
 巧が正体不明の最後の1枚を、ディスクの墓地スペースに吸い込ませた。
 それはつまり、ただ少しだけ瑠衣に希望を与え、落とすためだけの話術だったということを意味する。



沼地の魔神王 /水
★★★
【水族】
このカードを融合素材モンスター1体の代わりにする事ができる。
その際、他の融合素材モンスター1体は正規のものでなければならない。
また、このカードを手札から墓地に捨てる事で、デッキから「融合」魔法カードを手札に加える。
その後デッキをシャッフルする。
攻500  守1100



「サーチしなければならないんだよな」
「――――――っ!!」
 テキスト通りに『融合』のカードが手札に加え、巧はノータイムでそれをディスクに差し込んだ。

「『炎の剣豪』、『炎の剣士S』この2体を融合し、『炎の剣聖』を融合召喚」


融合
【通常魔法】
手札またはフィールド上から、融合モンスターカードによって決められた
モンスターを墓地へ送り、その融合モンスター1体を融合デッキから特殊召喚する。



炎の剣聖 /炎
★★★★★★★★
【戦士族】
「炎の剣士」+「炎の剣豪」
このカードは融合召喚でしか特殊召喚できない。
1ターンに1度このカードの元々の攻撃力を半分にして発動する。
自分の墓地の炎属性モンスターを任意の数だけゲームから除外し(最大5枚まで)、このカードの元々の攻撃力はターン終了時まで、除外したカードの数だけ倍化する。
自分のエンドフェイズ時に、ゲームから除外されている炎属性モンスターを1ターンに1体墓地に戻すことができる。
攻2600  守2300
 


 紅い刀を隙なく構えたロングコートの男が、巧の場に顕現した。
 力で全てを粉砕するタイプの『竜の騎士』とは異なり、手数と速さで翻弄し急所への一撃を狙う――武術の心得など一切ない瑠衣でもそのぐらいは理解できた。
 現時点では『竜の騎士』の方が攻撃力が上だということも。
 それが全身に鎧を着込んだ重騎士と、その間隙を縫って弱い部分を探さなければならない剣士との相性の差なのかは分からなかったが、同時にすぐに逆転することも明らかだった。
 そのための一言を、巧は躊躇うことなく告げるだろう。

「『炎の剣聖』、効果発動。攻撃力を半分にし、墓地から『蒼炎の剣士』、『炎の剣士S』、『炎の剣豪』、『焔の巫女』、『焔の女王』を除外する。これによって『炎の剣聖』の攻撃力は5倍となる」
「あ………………」
 瞬間的な攻撃力ならば、『F・G・D』をも超える巧の切り札。
 『バーニングブラッド』が瑠衣に有利に働いてしまうのならば、こちらはそれまでの駆け引きを無視してゲームエンド級の一撃を叩き込む、アンチ瑠衣のカード。


 炎の剣聖 ATK 2600→1300→6500


「終わりだ。『炎の剣聖』で『竜の騎士』を攻撃――」
 宣言を完了した時、剣聖は既に『竜の騎士』の背後で刀を鞘に収めていた。
 一歩遅れて竜がその身を痙攣させ、そして銀の鎧が粉々に砕け散る。
 破片が刺さり鱗が裂け全身から血を噴き出し今まさに倒れるかといった所で、竜のソリッドヴィジョンは粉々に砕けた。


 瑠衣 LP 2500→0


「くう…………」
 負けた。
 そのワンフレーズだけが、脳内で燃え滾る。
 先に思考が進まないまま膝をつき、近寄ってきた巧に見下ろされる形となる。

「……聞きたいか?」
「え……」
 思わず口ごもったのは意味が分からなかったからではなく、理由に見当がつかなかったためだった。
 
「事情を知りたいのなら話してやる、と言っている」
「どういう……風の吹き回しなの?」
「デュエルはデュエルで意味はあった。いまこの時の力の差を思い知らせてやれた」
 ギリ、と強く歯軋りする。
 事情がどうこうの前に、現在の瑠衣はとにかくこの敗北が悔しかった。
 永瀬巧はそれを察するような――あるいは察したとしても気にするような優しい兄ではない。

「ただな、勝ったら教えるだのなんだのは、お前が勝手に言い出したことだ。相応の覚悟さえ示せばいつでも話してやった」
「…………」
「お前は俺から離れることがイコール戦いから降ろされると思っているようだが――元々はここに残ってもらうつもりだった」
「! なら……」
「だからこそ、遠征軍本隊について来てもらう。今のお前には何も任せられない」
 湖に張られた薄氷程度の望み。
 だとしてもそれが踏み荒らされて黙ってはいられなかった。
 死神の種とは何なのか、それが破滅を呼び込む理由、どうして捨て置かなければならないのか、一切知らされずに見捨てるわけにはいかない。

「どうしてよ!? わたしは……!」
「俺がこのことを話すのは、お前のその状態が如何に致命的かを自覚し、諦めてもらうためだ。――――身構えることはない、すぐに意味が分かる」
 そして、巧が語り出し――――――。







「――――――――嘘」
 全ての話を聞き終えて、最初に出てきた言葉はそれだった。
 単なる現実逃避から生まれた無責任な言動。
 巧が話すのを渋るのも当然だ。真実かどうか以前に、こんな対応を取ってしまうのでは。
 だが、だとしても、巧のいう真実が全てそのまま本当だとすれば、そこに希望がないのも事実だった。
 
 多くの兵を見殺しにしなければならないから? 違う。

 味方と信じている者の首をその手で刎ねなければならないから? それも違う。

 それを巧と佳乃が瑠衣に相談せずに決めたから? やはり違う。

 全ての根幹たる最悪は、巧にその選択をさせた理由こそ、瑠衣が戦えなくなってしまったから(・・・・・・・・・・・・・・・・)だと理解したためだ。

「わ、わたし……そのぐらい……!」
「そのぐらい、などと言っている時点で論外だ。ただ俺に張り合おうとしているだけ。この街に住む何千、何万の命を背負う者の台詞じゃない」
「あ…………」
「無責任だな。見事なまでに自己満足しか考えていない。そんなことでは、何も救えないだろう」
 返す言葉もなかった。全て巧に指摘された通りだ。
 ガーデアの街が云々より前に瑠衣が考えていたことは、これから巧と佳乃の思惑にどうついていくか。
 今さら自分でそれを否定するつもりもないが、巧にそこを突かれるとは思ってもみなかった。
 そういった姿勢を評価こそすれ、こき下ろしてくるとは。

「お前、何のためにガーデアに残りたい?」
 守りたい、ではなく残りたい。質問の段階で前者の考えは排除されている。
 そして実際、正しい見解だった。

「……それは。…………」
 答えることはできた。
 だが真っ正直に話してしまっては、これまで瑠衣が築き上げてきた建前が全て崩壊する。
 加えて、それは巧の求める解答には程遠いはず。わざわざ丁寧に質問に答えるのは、ここに残るのを認めてもらうためだということを忘れてはならない。
 何を言えばいい?
 何を――――

「――分かった、もういい」
 なかなか答えが出せない瑠衣に痺れを切らしたのか、巧が手をかざして遮った。

「よく理解できた。答えるのを躊躇うほどに利己的な理由だとな」
「ちが……」
「否定する必要はない。それならお前をここに残してやれる」
「…………え!?」
 許しを得たのだと理解するまでに幾ばくかの間を要した。
 しかし、なぜ認めてもらえたのかは分からない。
 そう尋ねると、巧はさも常識であるかのよう続ける。

「お前はこの後に控える沙理亜の戦いに不可欠な存在だ。だとすれば――――死神の覚醒を止められずこの街が滅びたとしても、その後を追おうとしない超然的な利己性が要る(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。違うか?」
「…………!!」
「もし死神が目醒めてしまった場合、お前は死神の攻撃から自分の身を守るため、『闇の力の無力化』能力を展開せねばならない。だがおそらく大丈夫だ。お前は自己防衛のためなら、後で反動が来るのも構わず敵を殲滅するまで能力を使えるだろう」
 無茶苦茶な言われようであることを除けば、まるで反論のしようがなかった。
 
「正直こちらは失敗すると考えているが――最初の予定通り“種”の保有者を覚醒前に刈ってしまえばそれで良し。ガーデアや闇天使が滅びても、お前さえ無事ならば計画に支障はない」
 その目処が立った以上、無理にガーデア攻略に付き添わせても益はないと判断したのだろう。
 譲歩ですらない、当然あるべき選択肢だった。
 ようやくそれに気付いた。
 瑠衣は決して、蔑ろにされていたわけではなかったのだ。
 いや、以前から巧はずっとそう言っていた。ただ瑠衣が信じていなかっただけのこと。
 
「いざという時には理想など捨て去り、自分が生き延びることだけを考えろ。その条件さえ守れば、出来る限りのサポートはしよう」
 期待せずに動向は把握しておく。
 そう告げると巧は空き地を出て、同盟軍の陣への帰路へとつく。

「そっか……そうだったんだ。…………ごめん」
 聞こえないようにこっそり謝ると、急いで追いつき横に並ぶ。
 雲に覆われた夜空。ここから晴れるか雨になるかは、天気予報自体は発展していても大衆に伝える文化がないらしいこの国では未知数だ。
 寄しくもそれは、ローレイドという国家そのものと同じ構図だった。
 なぜなら上層部が得るものは、あくまで予報だからだ。ほんの少しバランスが崩れるだけで、全体が大きく変わる。ローレイド首脳部が晴れを予期しているのなら、瑠衣は不確定要素のスコールになるのだ。

「まだ……帰り道は同じだね」
 黙々と歩いている中で、とうとう瑠衣がそう呟いた。
 それはつまり、これから別々に分かれていくことを意味していた。
 返答は、期待していなかったといえば嘘になる。口にしてから少しだけ立ち止まったが、巧は聞こえていないかのようにペースを落とさず歩き続けていた。
 同盟の陣から発せられる光が見えてきた頃、何かを思い出したように巧は歩く速度を緩めた。

「いずれ戻す」
 その一言で少しばかり心が軽くなるのだから、自分がいかに単純かよく分かるというものだ。
 巧は、瑠衣が壊れて戻れない状態になるのを防ごうとしていた。
 余計なお世話という考えは変わらないが、素直に受け止めるくらいはするべきだった。
 多くを望まれていないのも事実だろう。ただ、チャンスはくれた。その意味を噛み締め、巧の期待程度、鼻で笑えるぐらいに超越しなければならない。

「うん――必ず」 
 そうして瑠衣は目の前を歩く巧の背にグーでパンチし、今度は追い抜いて走り出した。



間章2 カナン・シェイル




 昨夜同盟軍に奇襲を仕掛け、御影佳乃に不穏な言葉を告げた第一次元出身の少女カナン・シェイルはこの日も同盟の陣を偵察に来ていた。
 警備が厳しくなっているためあまり近くまで寄るのは危険だが、それよりも同盟軍に何か動きがありそうなら見逃すわけには行かない。
 結局その期待は失望に終わった。カナンが予想した混乱は起きていなかったのである。
 直情的な同盟軍の将のことだ。きっと陣を単独で離れたりして騒ぎを起こしてくれるものと思っていたのに。
 あるいは一人で抱え込んだか。
 それならそれで別に構わないが。

 いずれにしてもカナンの役職については誤解しているはずだ。
 おそらく特殊部隊だとか想像しているに違いない。
 だが、ガリウス軍にたった一人残った絶対戦術勝利能力――別名M&Wのカード知識――を持つ人間を、僅か数十人程度を指揮する程度の立場に就かせるだろうか?
 考えてみれば同盟軍の将ですら、あの性格で将なのだ。
 デュエルだけは強いカナンが、飾りだけの司令官を除けばガリウス本国防衛武官の中で最も高い地位を持っていないわけがなかった。
 

 


 カナン・シェイルは第一次元にいた頃、学校という閉鎖社会の中でいじめを受けていた。
 人は大多数の集団と少しでも変わった者を弾きたがるというテンプレートな議論の結末は、カナンにとって現実で味わい尽くした悲しい真理以外の何物でもない。
 デュエルでクラスに並ぶ者がいないという本来羨望の眼差しを受けても良いはずの事実は妬み一色に支配され、どこで調べたのか、親に捨てられた孤児であるというカナンの力ではどうにもならないことまでもが、「気に入らない」理由にされていた。
 カナンに為す術はない。包囲はカナンが気付いた時、既に施設の方にまで回っていた。
 それまで普通に接していた同級生は、すっかり脅しに屈して情報屋兼メッセンジャーと化してしまった。主に翌日持って行くべき金額について、カナンはその少女から泣きながら伝えられた。
 同情は、できるわけがない。
 カナンのことを考えているのなら、どうしてそのままグループの役割に甘んじた?
 しかも涙まで見せておいて。卑怯なことこの上なかった。
 
 終わりの見えない拘束と搾取の日々。
 それがついに破られた時、カナンは赤黒い何かを被っていた。
 隣で数字を告げるはずだった少女は膝をつき、切り裂かれた腹から呼吸の度に外へと押し出されていく腸と大量の血を必死に腕で押し留めようとしている。
 全てが手遅れであることは明らかだった。見る間に服の袖が真っ赤に染まっていく。
 うずくまった血塗れの少女を冷めた視線で見下ろす二つの影。
 一つは人ならぬ異形の者。
 もう一つがゆったりとした動作で少女に近寄り、しゃがみ込んだ。

「う………………タス……ケテ、カナン……」

 少女が定まらぬ焦点で、縋りつくように救いの手を求める。
 愕然とした。
 自分が誰に頼ろうとしているのか、この女は理解しているのだろうか?
 お前が助けを乞うている相手は、お前が見捨てた人間だ。いくら極限状態だとしても、まるで普通の友人であるかのような話しかけ方をされるとは思わなかった。後ろめたさの欠片も感じられない。
 心がす――と冷えた。
 藁にも縋る思いだというなら、藁らしくその期待を裏切ってやる。
 考える振りもせず、カナンは手を弾く。
 驚愕と後悔で見開かれる少女の眼。
 臨界を越えているのは彼女の傷だけではない。カナンの忍耐はとっくに切れていた。ただこれまでは、優位に立て、尚且つ報復を恐れずに済む場面がなかっただけだ。 
 更なる絶望のどん底に突き落とすため、そっと耳元に語りかける。

「――――――サヨナラ」
 
 そうしてカナンは保身に半生を捧げた少女を、力いっぱい蹴り飛ばした。
 予想以上に軽い身体が床を転がり、力の入らない腕が外れる。
 同時に押さえられていたモノが一気に飛沫し、元から汚れているカナンの制服に取り返しのつかない染みができる。
 髪や顔にまでかかった赤くべっとりとしたモノを拭おうともせず、カナンは異形の悪魔に視線を遣った。
 モンスターとしての種族はともかく、ソレは別の意味で悪魔であり、同時に天使だった。
 何故なら―――ソレはいじめの原因を作ったカナンのデッキに投入されている忌むべきカードであり、同時にこの救いのない世界からカナンを救い出してくれる存在でもあったからだ。  
 転がっている肉塊は、まだ動いていた。

「ごめんなさい…………ごめんなさい…………」

 泣きじゃくりながら伸ばした腕で宙をまさぐり、口からも溢れ出る血で窒息寸前に陥ってなお、声にならない弁解を発しようとする。
 聞こえなくても、唇の動きで何を言っているのかは分かった。
 今さら謝るぐらいなら――と罵りたくなったが、ふと自分の頬も濡れていることに気付く。
 まだ自分に人間らしい感情が残っていることに驚き、言葉を飲み込む。
 そのまま放置していたら、カナンは彼女の手を取り謝り返していたかもしれなかった。そしてそんな偽善に浸ろうとしている自分が腹立たしい。
 弾けたように何かを決意したカナンに、もう後戻りは許されないのに。
 今度は何もしなかった。
 ただ静かに、動かなくなるのを待つ。
 カナンはやがて少女の腕が力を失いぺたんと床に落ちるのを確認すると、感情の一切を封じて目を離し、悪魔の方へ向き直り――――――。







 ――ニンゲンは、滅ぼすべき存在だ!

 そう、私も常々同じ事を考えていた。

 ――第一次元こそデュエルモンスター差別の根源である!

 モンスターはどうでもいいけど、差別は人間の中でも行われているよ。
 
 カナン・シェイルは魔物の洗脳教育に素の状態で同調していた。
 とはいえ、気分は良くない。連れて来られた他の人間はどうやら元の生活に戻りたいと願ってばかりだったし、そもそもガリウス自体も気に入らない。
 カナンが持つ世界への純粋な憎しみを、つまらない侵略欲で汚されたように感じていた。
 反抗はしなかった。とはいえ諦めたわけでも、他の者と同じように従順な振りをして脱出の機会を窺っていたわけでもない。
 無意味な洗脳カリキュラムが終わった時、カナンたちが正しく第一次元への敵意を持っていると判断されれば、部隊一つの指揮を任されると、そう聞いたからだ。
 陰湿な暴力に怯えるしかなかった自分が、対抗し、さらには逆襲する力を手にできる。これほどの魅力があるだろうか。
 あの救いのない世界も、これで洗脳した気になっているガリウスも、壊してやりたい。ただ、それが出来なくとも、カナンの意志でカナンのために働く兵隊が得られるというだけで励みになる。
 カード知識を欲しているガリウスは、カナンたちを必要以上に痛めつけることはできない。
 もっと辛い仕打ちをカナンは経験している。いかなる生産性もないただのリンチに比べれば、歯止めと明確な目的がある分まだましだった。
 
 ある時カナンは同じように誘拐されてきた人間に、ガリウスからの脱出計画に誘われた。
 首謀者が誰かはとうとう掴めぬまま終わったが、カナンはその計画に乗る振りをして、得られた情報を逐一ガリウス側に流していた。
 現在カナンが本国の防衛に当たる軍の中でニ番目の地位に立てているのは、ここでの功績が大きい。
 故郷の世界の人間を容赦なく見限ることができる――それを公式に認められたのだ。
 いくら高い素質を持っており、主力が別世界の侵略に向かっているとはいえ、私設軍とは違い国家が所属する軍の中では、昇進にも融通の効きにくいプロセスが存在する。
 つまりは初めの配属の段階で、かなりの立場をもらえたわけだ。
 そのことからも分かるようにカナンが得た計画は全て本物で、そのルートを使って脱出するはずだった人間の6割はガリウス軍が捕えた。残りは1割強がその場で自害ないしは処刑という結末となり、残りの3割弱は脱出を許してしまった。尤もこれはカナンの責任ではなく、現場で戦う兵の不手際だ。
 尋問は、実にくだらないものだった。
 カナンはその様子をほんの少しだけ扉の覗き穴越しに見たが、後から聞いた話では首謀者について喋ったのは一人だけ。
 だが、ここで問題が発生する。カナンの知る限りにおいて永瀬沙里亜などという女は、捕えられていた人間の中にはいなかった。当然ガリウス軍も同じ。

 ――――すなわち。

 永瀬沙里亜は初めてこの地に連れてこられた段階で、既に偽名を名乗るほどの精神的余裕を持ち合わせていたのだ。
 こうなると、カナンの密告すらも怪しいものとなる。
 役立たずとして切り捨てられたデコイの情報を掴まされたのかもしれないからだ。
 とはいえ、絶対戦術勝利能力という名のカード知識を求めるガリウス軍は幸運にもこれを瑣末な事と考えたらしく、カナンは無事に第一次元の軍隊の身分指標で大佐相当にあたる地位をいきなり与えられた。
 西方同盟への攻略には直接加われなかったものの、その間ガリウス国内で奴隷的身分に貶められているゴブリン反乱軍との戦いを繰り広げているうちにその首領を討ち果たし、現在の階級であるガリウス四邪将に次ぐ准将へと昇進した。
 この反乱軍はもう取るに足らない少数勢力であり、大規模な作戦行動を起こすこともできない、警戒するだけ無駄な存在だった。

 ――そう、これまでは。

 ある事情により、同盟軍が迫っている今だからこそカナンはこの反乱軍が脅威になると考え、兵を引き連れて出陣した。
 本来なら国境を越えるつもりなどなかったが、現在の首領がガーデアに潜んでいるとの情報を聞き出し、忍び込まざるを得なくなった。
 同盟軍のトップと話した限りでは、まだ大丈夫。
 しかし予断を許さない状況ではあり、もう一度陣中に潜入するのもリスクが高すぎる。

 そうして思案している最中、カナンは町の端で、ある光を目にした。
 それはカナンがよく知る、ソリッドヴィジョンシステムが展開される時の光だった。

 ――どうしてこんな所に?

 そう思うよりも早く、光の現場に向かって走り出していた。
 カナンはM&Wが嫌いだった。いや、いじめの原因になっていると気付いた時、嫌いになった。わざと負ければ調子に乗っていると言われ、どうしようもないと悟るとカナンは自分に勝てない弱者を蔑むようになった。
 しかしカードを捨てることは出来ない。いじめが収まるならそうしてもよかったが、どこをどう見てもその望みはなく、何よりそれは自分の強みを放棄することでもある。
 プロリーグのトップクラスに位置するデュエリストの戦術は見ていて興奮するし、それを見てコンボやデッキ構築のインスピレーションが湧くこともしょっちゅうだ。やはりカナンはデュエルを心の底では好いていた。
 そして、見つけた。同年代ぐらいの男女が空き地でデュエルを繰り広げている。
 見つかりたくはないため障害物のない空き地にはあまり近付けない。話の中身までは到底聞き取れないが、かなり激しく争っていることは雰囲気から分かる。
 扱っているデッキは、少年が炎属性主体、少女はドラゴン族。
 何がどうなってデュエルに至ったのか。そもそも第一次元の人間がどうしてカナンと同盟軍の将以外に2人もいるのか。
 またも疑問がむくむくと頭をもたげてきたが、彼らの攻防を眺めている内に、些細な問題に思えてきた。
 それほどまでに、彼らのデュエルは緊張感に満ち溢れている。かつてカナンが求め、ああいう戦いをしたいと重ねた理想のデュエルの姿が、そこにはあった。
 ガリウス軍本隊を率いるカナン・シェイルではなく、捨ててきたはずの過去――デュエリストとしてのカナン・シェイルが心を躍らせていた。
 もし――もしもだが、カナンのクラスメイトにこれほど優れたデュエルスキルの持ち主がいたならば、変なやっかみを受けることもなく、良いライバルになれたのかも知れない。
 今さら遅いことは理解している。だとしてもそれは、このデュエルを見逃してよい理由にはなるまい。
 そうしてカナンは彼らの戦いに見入る。
 この瞬間だけは、全ての憎しみを消し去って―――――。













 デュエルが終わった。
 互いの全てをぶつけ合った壮絶な戦いは、少年の勝利で幕を閉じた。
 2人はその場で何事かなおも話を続けていたが、カナンにとってはどうでも良いことだった。
 デュエルの余韻に浸る。
 それだけで至福とも呼べる気分になれた。
 だから気付かなかった。
 カナンは現在デュエルディスクを持っている。まあ当然だ、武器なのだから。
 そしてそれは本来、あの2人にとっても同じはずだった。
 だが――――彼らはどうやらソリッドヴィジョンによって身体的なダメージを負っていない。
 それが当たり前のように振舞っている。
 その理由を、普段のカナンならば察していたかもしれないが、あのデュエルを見た直後である今は例外だった。
 そしてあろうことか、カナンは彼らと話をしてみたいと――――思った。思ってしまった。

 2人はまだ空き地にいた。
 丁度その場を離れる所だった。
 急がなければ追いつけない。
 そうして、カナンは駆け出し―――――――――――――――――

「っ――――――――――――――!?」
 自分がどこへ向かっているのかを、この時ようやく思い出した。
 この道は、この方向は、街の外れへと続いている。
 そこには確か、城塞都市ガーデアの外門を手続きなしで抜けられる隠し通路があり、その先には間違いなく同盟軍の野営地があった。
 であれば、彼らはもしや――――――

「同盟軍の、協力者……?」
 2人の後をつける。
 彼らが敵かどうか、確かめねばならなかった。
 幸い尾行に気付かれてはいないようだ。
 
 どちらも素晴らしい腕の持ち主だった。
 おそらくはカナンよりも強いだろう。
 一時あのデュエルに見惚れた。
 全てを忘れていられた。
 だが、現実は最も残酷な形でカナンと彼らを敵対させる。

 隠し通路を抜け、同盟軍の陣から光が漏れてくるほどの場所まで接近し、そしてカナンは見た。
 他ならぬ同盟軍の将が、彼らを出迎えている光景を。



「………………………」
 隠し通路まで逃げるように戻った。
 いや、実際逃げたのだ。
 強く握り締めたまま血が滲んでいた拳に気付き、ようやくそこで解き放つ。

 裏切られた。
 そう思わずにはいられなかった。
 彼らは元々あちらの陣営に属していたのだろう。
 それでも、裏切られた。
 カナンの期待を。
 カナンの希望を。
 カナンに残された最後の光を。
 M&Wを、彼らに奪い去られた。
 本来ならば、ガリウス軍に入った時点で捨て去っておくべきだったもの。
 それはデュエル。決闘。
 M&Wは戦争を有利に運ぶのに限りなく有効な“兵器”だというのに。
 正々堂々としたタイマンの戦いなど、カナンにはもう不要だというのに。
 捨てられなかったがために、今こうして苦しむこととなった。
 第一次元へ侵攻していくのに、それではいけない。

「彼らを……討つ! それを私の、デュエルを捨てた証にしてやる……!」




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第二部 異世界戦争 完

第三部 裁きの刻 へ続く…






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