THE JUDGMENT RULER
第三部

製作者:造反戦士さん




 も く じ 

 序章 死神覚醒
 1章 “ヒト”の戦場
 2章 その手に光の魂を
 3章 ローレイド決戦
 4章 裁きを招く者たち
 5章 昏き闇の底で
 6章 新たなる秩序





 
序章 死神覚醒







「はあっ……はあっ……」
 荒く消耗の激しい息遣いで、瑠衣はガーデア郊外の林を進んでいた。
 傍らには『竜の騎士』。血塗れの左脚を引きずっている瑠衣の身体を支え、少しでも前へと動く。
 この先は、闇天使たちの潜伏先に続いている。
 舗装されていないいわゆる獣道で普段は使わないが、何かあったときにはこちらが最短ルートだ。
 “死神”は、確かにこの方角へと飛び去った。
 “彼女”が何をするつもりなのかは、あの時ガーデアにあった全ての命がどうなったかを考えれば、それだけで吐き気がこみ上げてくるほどに明らかだった。
「痛……」
 あちこちに群生している草や落ちた木の枝が引っかかり、支えを抜けてずるりと崩れ落ちる。冷えた地面に皮の剥けた脚が擦れ、元々あった焼け付くような感覚がさらに強くなる。
『瑠衣……』
 心配そうに『竜の騎士』が声をかけてくる。嬉しいことだが、残念ながらそれで痛みが和らぐのはフィクションだけのようだ。
 今にも決壊しそうに溜まった涙を拭おうともせずに立ち上がる。
 これ以上、絶対に被害を広げるわけにはいかない。
「これは……わたしの役目だから。兄さんも、死神を消すぐらいは期待してるだろうしね」
 忘れるな。
 ガーデアに残るというのは自分から進言したことだ。
 死神の覚醒によるガーデアの滅びを止められずに絶望するのを防ぐため、巧はガリウス攻略に同行させようとした。
 そしてそれは、実際正しかった。
 瑠衣には何も出来なかった。
 “彼女”の壮絶な最後を目の当たりにして、一歩たりとも動けなかった。瑠衣などよりはるかに強靭な精神を持っているであろうガーデアの戦士たちでさえ、あの一瞬だけは呼吸を止める程に呆然としていた。
 だが、あの場あの時において、瑠衣だけは動けなければならなかった。
 “そう”なる可能性を、事前に巧から聞かされていたのだから。
 それが現実のものとなると予測し、脳内でシミュレートを繰り返してきたのから。
 動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け。
 ひたすら自分の体に命じ、しかしそれでも、動けなかった。
 そしてこの事態を招いたにもかかわらず、まだのうのうと生きている自分は確かにエゴの塊なのだろう。
 とはいえ、死神を滅することが出来るのは自分のみ。
 これは瑠衣の責任。瑠衣が果たさなければならない使命。
 この事態は元々巧が防ごうとしなかったことだ。そこを何とか説得し、残れるように頼み込んだ。ガーデアを滅亡の未来から救ってみせる、そう豪語して。
 もう全ては失われた。城は崩壊し、街にも火の手が上がっている。
 城を出て森に入るまでの僅かな時間、そこで見たのは破壊された建築物の数々。
 一刻も早く、追いつかねば。その意思だけを糧に、歩を進める。
「…………?」
 熱膨張してまとまらない思考が何らかの違和感を感じ取る。そろそろ林の奥が光り、出口が見えてくるかという所。
 最初に形になった疑問はそこだった。この林は瑠衣が普通に歩けば、抜けるまでに20分ぐらいの時間がかかる。時間の感覚ももはや曖昧だが、脚を負傷しているにしては明らかに早過ぎる。
『どうした、瑠衣?』
 『竜の騎士』は林より先に瑠衣の異変を察したようだ。
「何か……おかしいよ、この林」
『あぁ、そう言われてみれば、さっきから焼け焦げたような匂いが……』
「それ!!」
 思わず大声で叫び、そして次の瞬間、それが何を意味するのかに思考が及んだ。
「っ……ごほっ……」
 驚きのあまり息を呑み、上手く処理できずに咽てしまう。
 それとほぼ同時に、込み上げてくる吐き気。騎士の支えを振り切り四つんばいになる……が、口の中にすっぱい味がほんの少し染み渡り、痰交じりのつばが僅かに伝い落ちたのみ。
 そもそも出るものがないのだ。
 あの時からずっと、食事が喉を通らない状態は続いている。
 幸いドラッグストアで栄養剤の品目を確かめた所、その手の専門知識がない瑠衣たちでも覚えのある名前が並んでいた。
 また飲み物ならば平気であるため、野菜ジュースなどで補いどうにか失調は避けている。
「林……早く抜けたんじゃない……。さっきまでは、きっとあそこにも木は並んでいたのよ……」
『……! それは、まさか――』
 そうと確信してみると、計り知れない“闇”が林を抜けた先の光から流れて来ているのに気付いた。
 意を決して身体を起こし、はちきれんばかりの絶望に震える足を前へと動かす。
 恐怖からか来る錯覚だろうか、向かい風が強くなっている気がした。 
「行かなきゃ……」
 今にも折れそうな心を言の葉で補強する。
 脚の痛みなど構っていられない。ただ前へ、前へ――――。

 ざあっ、と草木が上昇気流に巻き上げられる。
 天を仰ぐとそこには開けた空。
 密集した木の檻から解放され、しかしその空間に広がっていたのは望まぬ木々への制裁の数々。
 焼け焦げ、倒れ、折り重なる木々は、人ならば死屍累々と形容されているだろう。大地が抉れ、何百年もの歳月を重ねてきたであろう樹木は根ごと傾いている。
 それでも原形を留めているならましな方だ。第六次元へと続く穴周辺のようにクレーター状になった空間。その中央へ向かえば向かうほど被害は大きい。
 そしてクレーターの中心付近に目を向けると――――そこには、何もなかった。
 ミステリーサークルのようにその場所だけ一切の物を寄せ付けず、剥き出しの地面が佇んでいる。
 だが決して、最初からそこに何もなかったわけではないだろう。
 中心から少し離れた所には、幹の下半分が消滅した樹木が転がっているのだから。
 それは台風の目のような、偽りの平穏と静寂に包まれた空間。

 あそこに何があった?
 いや――――あそこには誰がいた?
 闇天使はおそらくガーデアに居住する天使が近づかないよう、定期的に森を巡回していたはずだ。
 もしくは既に壊滅し、逃走している最中に襲撃を受けたのか。
 分からない。知る術はない。
 仮に誰かがそこにいたとしても、死体すら残っていないのでは。
 骨の一片さえも蒸発してしまっているかもしれないのだ。
「はあっ……! はあっ……!」
 深呼吸と過呼吸の狭間で脳が揺れる。視界がぶれる。
 こんな光景を生み出せる相手であろうと、おそらく瑠衣ならば殺せる。
 体組織を構成している闇を分解すれば、たとえ“別の闇”を纏わせていたとしても。
 へし折れた木々を避けながらのおぼつかない足取り。
 『竜の騎士』の制止を右から左へと流し、鬼気迫るほどの信念を糧に惨劇の地を進んでいく。
 
 突然、瑠衣は立ち止まった。
 自分でも理由は分からなかったが、立ち止まらなければならないような気がした。
 いわゆる第六感とでも呼ぶべきものが全身に警告を発していた。
 惨劇の中心部、そこにふと影が走る。 
 雲一つない空に間違いなく何かが蠢いていた。
 ――見られている。
 直感的にそう感じ、飛び退こうとして脚がもつれ、さらに枝に引っかかって盛大に転んだ。
 しかしそこまで大きな隙を見せたにも関わらず、“何か”が姿を見せる様子はない。だからこそ――瑠衣は“何か”の正体が“死神”であると確信を持った。
 城が崩壊したその場で瑠衣は一度死神と対峙していたが、いやに瑠衣を警戒するかのように距離をとるばかりで襲ってくることはなかった。本能的なものか例の代弁者の命令かは分からないが、『闇の力の無力化』能力を察知しているのだろう。グリモとの戦いでオレイカルコス直接働きかけることは出来ないと思い知らされたが、何もあの死神の肉体を構成する物質に、闇の力が一切用いられていないと考えるのは早計に過ぎた。そもそもドーマは、本来なら力を蓄えている最中らしい。であれば、“彼女”を基盤とするあの死神には、代用品として既存の闇の力が使われているのが自然だ。
 右手だろうと左手だろうと――毛髪一本では流石に怪しいが――接触しさえすれば、おそらく死神を消滅させられる。
 ただしその過程は容易ではない。死神の武器はいかにも“らしい”大鎌。だが、その一振りから放たれる衝撃波までをも殺すことは、瑠衣の能力の範囲外だ。あくまで闇の力を壊すだけ。衝撃波という物理現象までには対応できない。
 仮に地上まで降りてきたとしても、同じ理由により、鎌そのものを壊すことは困難だろう。鎌を鎌たらしめている素材、物質に闇の力が用いられているならどうにかなるが、ただ闇の力をコーティングしただけの武器であれば、普通の鎌としての運用に支障はない。衝撃波が生まれるほどのパワーとスピードで振られる鎌を視認し、ましてやかわすことなど瑠衣の運動能力では到底不可能だ。
 左脚を負傷している上、転んだ時に腕が倒れた木の間に挟まってしまい、いまだ起き上がることすら叶わない。不幸だとの呟きは、そんな情けない主の盾になってくれている『竜の騎士』に申し訳ないため途中で飲み込む。

 分からない。死神が警戒しているのは、『竜の騎士』ではなく瑠衣。だとすれば、瑠衣の隙を狙ってくるはずではないのか?
 確かに瑠衣は『竜の騎士』に絶対防御能力を数分間与える『騎士竜の誓い』を立ち上がるよりも先に準備しており、それを敵が読んでいる可能性はある。しかしそれならば衝撃波で遠距離攻撃を仕掛けてくれば良いだけのこと。
 他に攻撃を躊躇う――――いや、攻撃できない理由があるとすれば。 
 思い当たると同時にその“理由”が、空から降ってきた。否。吹き飛ばされて地面に叩きつけられた。
 闇の鎧を纏った天使の女性、『ダーク・ヴァルキリア』。
 瑠衣が林をのろのろと進んでいる間に、手の届かない空中で戦いは始まっていたのだ。
 今度こそと腕を木の間から力いっぱい引っこ抜き、最大速で闇天使が墜ちたクレーターの反対側へと急ぐ。
 闇天使はぴくりとも動かない。意識を失っているだけなのか、あるいはもう遅いのか確かめ、前者ならば救う。M&Wなら、よほど深刻な状態に陥っていない限りそれが出来る。
  
 そして―――――――後方からの強烈な突風に煽られ、またしても転倒した。 
 血が滲んでいない方の膝も擦り剥き、また少しだけ涙目になる。
 刹那で風は通り過ぎ、急いで顔を上げて視界を前方に広げ――――
「い……や……――――」
 土埃が舞い。しかし視界までは遮られず。
 クレーターの中に生じた新たな窪み、衝撃波がぶつかった跡。
 それはヴァルキリアが叩きつけられた箇所を、正確になぞっていた。
 だとしても、まだそれだけならばどうにか二の句を継ぐことができただろう。
 視界に“それ”が入らなければ。
 断面から肉や骨を覗かせている千切れた天使の腕が、瑠衣の目の前に転がってきさえしなければ。
「っ――――――――――!!」
 瑠衣はそれを放心したように見つめ――――不意にこのままの体勢で、この方向を向いていることが如何に危険か思い当たり、ばっと身を翻した。
 どうしてここまで強大な威圧感に気付かなかった?
 この地に足を踏み入れる際に通った森との境界を塞ぐように、惨劇の主がゆっくりと降り立つ。
 死神。それ以外の表現が当てはまらない風貌だ。
 身の丈を超える大鎌。顔の部位に穴を空けただけの、白い仮面。装束や肌は黒く塗り潰されている。
 髪は“生前”と同じく長く無造作に伸ばしているだけだが、戦いによるものか、やけに拡散しお化けじみていた。
 彼女は“悪魔”ではなく“死神”。そこには種族として存在しない――M&W上の分類から外れているとの意味も含まれているが、同時に生前が天使であったからでもある。ローレイドの住人がそういう役割を担っているようには見えないが、つまるところ宗教的な意味において、天使と死神は魂を死後の世界へ連れて行くという点で同一の存在だ。
 今となっては巧がどういう意図で死神の種と呼んだのかは分からないものの、ガリウスを便宜的に悪魔と呼ぶ以上、瑠衣はそんな理由から彼女を“死神”と呼んでいた。生前の尊厳を守り、そしてM&Wの理とは無関係な敵だと割り切るために。
 
「『エアトス』……いえ、『デスサイス』……! わたしが、あなたを滅ぼす――――――!!」







 ――――――――――――――――――――――――――――――――――






 ガーデアはおよそ100年前に建造された、ローレイドとガリウスの国境に位置する城塞都市である。
 両国に同盟関係が結ばれている現在でこそ平和を甘受し、長らく戦いから遠ざかっているものの、元々は当時ようやく国家として成立し、しかし領土面積に比して貧困な大地しか持たないガリウス帝国に対する重要な防衛拠点だった。
 この目的上、ガーデアは基本的に北からの攻撃に強い造りになっている反面、自国内である南側の防衛能力に関してはさほどでもない。
 そして今、ガーデアは史上初めての、南からの攻撃に晒されようとしていた。
「しかし、切り抜ける術はあります。南からの攻撃に弱いというのは、あくまでガーデア単体での話。東西に建造されている砦との連携によって、充分な耐久力を発揮できるでしょう」
 ガーデア所属の天使、この地に残ったドラゴン、鳥獣族を主体とする同盟軍の一部、第六次元から救い出された闇天使の代表が一同に会しての初めての軍議。
 偶然か、この日はガーデアで年に一度あるかないかの豪雨だった。
 そしてこの連合体を生み出した立役者の片割れが、激しい雨音が窓にぶつかる中でそう発言する。尤もこういった戦略的な事項の多くは、巧の受け売りを反復しているだけなのだが。
 当然ながらネオパーシアスは砦との連携という策に辿り着いていたが、最初から少ないガーデアの戦力をさらに割ってまで砦に兵を置くことに意味はないと判断していたようだ。
 とはいえ、現在ガーデアにはこれだけの戦力が集結している。砦をローレイド側に押さえられることを考えれば、むしろ絶対に活用しなくてはならないぐらいだ。それを理解していてなお砦の放棄という選択を取らねばならなかったというのは、決してネオパーシアスが無能なのではなく、ガーデア勢力の戦力不足がそこまで深刻だったのだ。
 口々に意見が飛び交う中、鳥の被り物をした――と言えばあまり聡明そうな印象ではないが――やけにカリスマで満ち溢れている天使の女性が賛成を表明する。
「私も――その案を支持します」
 何のことはない一言。しかしそれだけでガーデアの代表ネオパーシアスのみならず、同盟軍の名だたる将や本来彼女を憎んでいる筈の闇天使までもが注視する。
 『ガーディアン・エアトス』。第十一次元王家の出で、元ローレイドの指導者。
 部下に裏切られ暗殺されそうになったというその経歴は誇れるものではないが、決して暗愚なわけでもない。むしろ頭は切れる。ただその人柄は、瑠衣の建前が彼女にとってはそのまま本音というものであり、一国の指導者としては致命的に向いていなかった。
 つまり国家の暗部を背負うには、『エアトス』という太陽は眩しすぎたのだ。
 そう、太陽。彼女にはそれを受け入れられる器量があると、瑠衣は実際に話してみて分かった。
 だが本来太陽とは、話し合いの余地なくひたすらに照らし続ける存在である。必要悪さえ無差別に焼き尽くしてしまうのでは、政は出来ない。そのように判断されたのは誰の責任でもないが、失策であることも確かだった。
 それでも、太陽であるのならまだ良かった。平等に不平等な太陽ならば。世界の半分だけを照らし、もう半分を影で覆わざるを得ない太陽ならば。
 彼女は戦士だった。『降雷皇ハモン』を討てるほどの戦士だった。その手で守りたいと願う小さな幸せを、己の力だけで達することが出来てしまう戦士だった。
 あまりにも影のない、不平等に世界を照らす太陽失格な太陽。力あるが故に、ありすぎるが故に、常人には到底成し遂げられない理想を追い求めてしまう。それがエアトスだった。

 佳乃は巧の指示通り、『エアトス』をガーデア防衛軍の司令官にはしなかった。
 第一次元から現れた少女、永瀬瑠衣をその座に据えた。
 無論ガーデア側からの反発は大きかったが、元々ヨシノの旗下にあり、第一次元の人間の“デュエリスト”たる力を知る同盟軍首脳部、その手で救い信頼を勝ち得ている闇天使、そして自らの資質が“そういう”ものだと気付いている『エアトス』、それら三方からの支持を受けてしまえば、もはや妥協せざるを得ない。 
「ガーデアに迫っている軍部の天使は4人、アスモデウス、スペルビア、ディザイア、ゼラート。おそらくこの内2人が東西の砦に向かい、2人がガーデアを直接攻めてくると思われます」
 考えられる敵の策は主に2つ。一つは今エアトスが述べたパターン、そしてもう一つが、
「しかし……砦を2人ずつの軍勢で落とし、挟撃してくるという可能性もあるのでは?」
 ガーデアに残った同盟の将、その1人『アレクトール』が反論する。
 この策を取られると、砦の防衛部隊が足りなくなる。かといって、ガーデア城に篭る戦力を減らせば、エアトスの推測どおりに軍を進めてきた場合に守りきれない。
「いえ、ローレイド軍部は一枚岩ではないそうです。彼らはある程度協調していますが、いざ戦いとなれば自らの私兵に手柄を立てさせようと部隊を分散して来る可能性が高い。そうですよね、エアトス王女?」
 ほぼあらかじめの台本通りに尋ね、頷く瑠衣とエアトス。
 だが実際そうしてくるだろう。
 瑠衣にとっては忌々しいことに――ローレイドに潜んでいる永瀬沙理亜の間諜がそのような報告を寄越してきたのだ。
 この情報は、沙理亜の組織の目的を鑑みれば、残念なことに信じるに足る。加えて同盟軍の将たちは、さらに信憑性を補強した。
「ヨシノにも、時折それらしき者が接触していました」
 以上、推察終わり。
「心配は無用です。信用できる筋からの情報は得ていますので。ヨシノ総司令の言葉を借りれば――あなたたちは装備を整え鍛錬を怠らず、数字通りの戦いを行いさえすれば勝てます。わたしが勝たせます」
 悪の大帝王の宣言のごとく、窓の外で稲妻が鋭角的に光る。
 佳乃はそのような事を口にしていながらも、同盟の兵たちからの信頼を勝ち得ていた。
 尤もそれは、彼女が前線に出て自らも共に戦うタイプだったからという理由も含まれている。
 外見上かなり幼さが残る瑠衣に言われた所で、笑いものになるだけだろう。実際同盟の将たちは単なる真似と見たのか、失笑を抑えられない様子だ。――半分は発言をした直後、雷に驚き身を竦ませたからでもあるが。
 だが一方で、闇天使の代表が座る一角からは拍手が起こった。瑠衣は瑠衣で彼らを指揮して戦ったことがあり、それをどう受け止めてくれたのかは今の拍手が何よりの証明である。
 同盟側も第一次元の人間がどのような能力を有しているかはヨシノの例で知っている。その上で闇天使のこうした反応を見せ付けられたことにより、この場での侮るような態度は次第に消えていった。
 軍全体の信頼を勝ち得たとは言い難いが、今はこれで充分だろう。
「次に各城への兵の配備ですが、西の砦は山間部に位置しており――――」
 瑠衣はこの時、まだ信じていた。
 ローレイドとの戦いに勝ちさえすれば、巧の示唆した最悪の予見を回避できると。
 そうではないと聞かされてはいたし、理解したつもりでいた。
 けれど思い返してみれば、こんな軍議をしている時点で、本当の脅威が内にあることを分かっていないも同然だったのだ――――。







 かくして戦いは始まった。
 偶然か、第一次元換算で11月21日。エジプトでも丁度人間とガリウスの最終決戦が行われている日だ。
 残念ながら、瑠衣にその事を知る由などない。
 自分の担当する戦いに勝つため力を尽くすのに手一杯で、この戦いが何をもたらすかなど考えている余裕などなかった。
「ここガーデアに攻撃をかけているのはディザイア及びゼラート! アスモデウス、スペルビアは左右の砦にそれぞれ進軍しております」
 報告を受けた瑠衣は厳か――に見えるように頷いた。
 同盟側にとってはおよそ予測通りの展開である。
 七賢者同士の連携が不十分なことに加え、ガーデア両翼の要となる砦は片や山中、片や大樹海に位置しており、大軍を率いての進軍には向いていない。
 それでも絶え間なく押していけば防衛戦力も底を突いていたろうが、同等の戦力ならば篭城する側が当然に有利だ。
 個々の兵単位でも、ローレイドにおいて左遷の典型であるガーデア周辺の地理に肌で習熟している将兵は、七賢者の私兵にほとんどおらず、すなわち同盟軍が地の利で著しく劣ることはない。むしろ数日ガーデアを拠点としていたと言う点では、同盟側が勝っているぐらいだ。

 幸運はそれだけではなかった。
 そもそもガーデアを攻めてきているのは七賢者の四人とその配下たち。だがそこには“ローレイド正規軍”の存在がない。
 これも聖都に潜入している沙理亜の部下からの報告だが、正規軍はこの内戦に干渉せず聖都の防衛に当たると発表していた。
 ガーデアを逆賊として攻めるのはともかく、同盟軍を敵に回す理由、その“逆賊と手を組んでローレイドの支配を目論んでいる”ことまでは理解を得られなかったらしい。
 これは中立国家としての体裁を取っている国の軍が下す判断として見るなら、ほとんど同盟軍への支持と変わらない。
 国家が中立を主張するにはそれ相応の軍事力が要る。他の国の侵攻を容易に許さないからこそ中立という立場が許されるのだ。敵対している国家同士に挟まれているのなら尚更。不当な侵犯に対して敏感でなければならない。
 その上で出撃要請を無視しているとなれば、これはもう消極的にではあるが同盟軍の側についたと考えるのが妥当だ。
 無論同盟軍がローレイド国内で略奪などの明らかな侵略行為に走らない限りは、だが。



 功を焦ったのか七賢者内の格付けによるものか、ガーデア防衛軍と交戦する兵は、序盤はディザイアの配下ばかりだった。
 ガーデアの左翼に展開している無傷のゼラート軍への牽制を保ちつつこれを迎え撃っていると、ついにディザイア本人が前線に出てきたとの連絡が入ってきた。
 瑠衣はこの報にも全く慌てず、普段のデュエルでフェイズや攻撃の宣言を行うように、モンスターへ指示を下す。
「ディザイアと無理に戦おうとしないように。後退するように見せかけて孤立させ集中砲火を浴びせてください。未だゼラート軍にはほとんど動きがありません――――これが最後の戦いではないのです」
「はっ」
 命令を遣った伝令たちは、ある者は走り、またある者は飛んで最前線へと駆けていった。
 こういう時、瑠衣は自分が異世界にいるのだということを実感する。第十ニ次元では、遠隔地間の迅速な連絡手段というものが極めて乏しい。巧が以前愚痴をこぼしていたことがあるが、その気持ちがよく分かる。
 作戦通りに進んでいるか、防衛線を突破されていないか、無茶な深追いは慎んでいるか、大量の不安に押し潰されて夜も眠れそうにない。――というより、実際昨夜は眠れなかった。
 幸い数値化を組み合わせた兵法は、巧の指導によってきちんと瑠衣の頭に叩き込まれている。
 代わる代わる伝令が訪れ、基本的は勝利の報をもたらしてくる。これは数値化によってほとんど万全と言ってもいい。そして、巧が伝えた戦い方は、そういった局地戦で確実に敵戦力を削ぐための包囲の敷き方が中心となっていた。同盟軍の三分の一を割き、数的優位があるからこその大胆な采配。ここまでその方針は見事に当たっていたが、指示を行う瑠衣は依然かなり強張っている。とはいっても、調子に乗って無茶な命令を出すよりはずっとましだろう。
 
 それから1時間ほど経った頃、戦線を揺り動かす新たな報がもたらされた。 
「申し上げます! ゼラート軍が進軍を開始しました! そして――ゼラート本人はディザイアの近くに姿を現しました。連携して中央の突破を図っています!」
 どうやら向こうも決して無策というわけでもなかったらしい。
 内部対立を装って軍をバラバラに展開し、全体的な戦局が不利と見るや一点突破に切り替えてくる。
 あらかじめ用意していたのか即興の連携かは分からないが、あちらもかなりの被害を出して追い詰められているだけに、容易に隙を見せてくると期待するのは虫が良すぎる。
 最上級天使2体の、退路を自ら潰しての突貫。第十二次元の基準で考えるならば、これをどう処理するかが勝敗の境目といった所だろう。事実、陣内でもこの知らせを聞いて震え始めた兵は少なくない。
 だが、数値化の技術があれば話は別。確実に勝利することはできる。ならば思案すべきは、被害を可能な限り押さえて勝つ方法であろう。巧なら確実性をとにかく重視するだろうが、瑠衣の考えは異なっている。
「誘い込もうとする手が読まれていた、ということですね。ならば……」
 次なる策を指示しようとした所で、何やらエアトスが「よろしいでしょうか」と声をかけてきた。
「エアトス王女、何か?」
「私が、彼らと戦います。この戦いは私の手で決着をつけねばなりません」
 なるほど、聖剣を手にしたエアトスは、かの降雷皇さえも一撃の下に切り伏せたという。
 “効果”に値する技や戦術を使われなければディザイアやゼラート如き、敵ではないだろう。
 しかしながら、その“使われなければ”などという仮定に縋るのはあまりにも危険だ。 
 ここばかりは何を犠牲にしてでも、確実性を優先しなくてはならなかった。
「無用です。あなたが出なくても、勝利は確定的です」
 苦々しい感情を残しながらも、そう告げる。
 いくらエアトスが前線で剣を振るい戦うタイプの将だとしても、譲る気はない。
 だが、おそらくは瑠衣の意を汲み取ってなお、エアトスは反発してきた。
「それでは――ガーデアの街に被害が出ます」
「っ…………!」
 考えないようにしてきた。
 いざと言う時にエアトスを殺せる状態を保つ、そのためなら外壁の突破、街への侵入を許すぐらいは仕方ないと、すっぱり割り切ろうとしていた。
 なのに何故、エアトス自身がそれを指摘してくる? 非難してくる?
 いや、理由は分かっている。彼女の本音は瑠衣の建前だ、分からないはずがない。
「出撃は認められません! これは命令です! あなたが命を落とすようなことがあれば、わたしたちはこの戦争の大義名分を失ってしまいます!」
 実に嫌悪すべき正論だ。まるでガーデアに残ると言った時の、巧の反応のよう。
 けれど、そんな物に頼ってまで押さえつけるべき理由は確かにある。
 エアトスは核爆弾をその身に内包した鳥。瑠衣が力づくで籠の中に閉じ込めている、鳥。
 以前の巧と瑠衣の関係に似たようなものだ。瑠衣は鳥として、籠から出ようと鳴き続けていた。
 ただしそれはあくまでも似ているというだけで、全く同じではない。
 巧は籠から出て自由を得ようともがく瑠衣を、止めようとはしなかった。鳥籠から出る行為は封じられていたが、その中で暴れるだけならば何も言われなかった。自身の計画に邪魔にならない範囲なら放任。この方針が危ういながらも兄妹としての絆を保っていられる要因だった。
 しかし現在――瑠衣はエアトスを鳥籠に閉じ込め、さらに鎖で縛っている。籠の中で鳴くことさえ禁じている。
 籠の中であろうと鳴けば外に響き、災厄の種を発芽させようとしている敵に感づかれるのではないか。瑠衣の懸念はそこにある。
 巧ならばエアトスを好きなように戦わせるだろう。彼女の生死は、巧の計画に一切関わりがなかった。むしろ爆発してくれた方が、後々抱え込まなくて済むと考えているに違いない。信念に直結しない土俵の上では、押すべき所と引くべき所を弁えたスマートな対応が出来る。
 その種の割り切りを瑠衣は苦手としていた。対応の方法はずば抜けているが極めて少なく、そして信念の沸点の低さから不器用と思われざるを得なかった。
「駄目……! やっぱりわたしは、最後まで足掻きたい……!」
 巧が用意した、最小の犠牲で事を収める絶望のシナリオ。それに抗うことで希望が生まれるかは、正直怪しい。
 しかし戦局はまだこちらに有利だ。エアトスにしか倒せない敵がいるならまだしも、単なる因縁による出陣ではないか。
 人が二人いれば、そこには必ず強弱関係が生ずる。よほど奇異な経緯がない限り、完全な対等、平等などありはしない。打倒永瀬沙理亜の計画に当たって、瑠衣は常に巧に主導権を握られ続けていた。
 瑠衣は理論上、今この場にいるモンスター全てを敵に回しても勝てるだけの力を有しており、それを誰もが認めている。
 加えてエアトスは自国の権能をその手に取り戻すため、同盟軍の協力を受けている側なのだ。その証明として、指揮官の座までも瑠衣に譲っている。建前では平等な同盟関係なれど、瑠衣に無理を通せる立場ではない。
 そんな不文律を振りかざして縛っていることへの罪悪感は深い。だとしても、戦いに勝利し、尚且つ巧に勝つには彼女の望みを奪うより他になかった。


「ゼラート軍の編成は?」

「バードマン部隊を出撃させてください」

「『ゼラート』がダーク化ですか。ではまず、能力について観察しつつ……」

「底が知れましたね。『ダーク・ゼラート』の攻撃パターンは」

 エアトスが悲痛に叫ぶのを無視し、氷のように冷たく命令を出し続ける――――。






  



 結果として、ガーデア城の玉座には本来の主が戻ることはできた。
 ガーデア城主ネオパーシアス――――が仕えているローレイド王女、『ガーディアン・エアトス』が。
 砦に進撃していた『アスモデウス』、『スペルビア』、そしてガーデア城に向かっていた『ディザイア』。これに第六次元でダーク化研究に当たっていた『エデ・アーラエ』も含めれば、七賢者のうち四人を討ち果たした。街の被害はやや大きいが、まだどうにか復興可能なレベル。敵との数差を考慮すれば、充分に誇れる戦果だ。
 しかしエアトスの瑠衣への視線は、静かな非難に満ちている。
 エアトスと深い因縁があると思われる、七賢者筆頭の『ゼラート』は取り逃がしてしまった。
 出陣を認めていれば討つことができたかは、今となっては無駄な仮定に過ぎない。返り討ちに遭い、玉座にいないどころか玉座ごと崩壊している可能性さえもあった。
 だが瑠衣は、エアトスに戦う機会も与えなかった。その仕打ちがいかほどに辛いか、瑠衣自身が身に沁みていたはずなのに。
 非難が単に戦えなかっただけのものか、それとも“ゼラートが生きている”ことも含まれているのかについて、エアトスは一切口にせず、またそれを類推できるだけの感情の発露もしなかった。
 それゆえに――――余計に胸が痛む。
 戦えるだけの力と意思を持っているのに、活用できない、させてくれない。
 瑠衣とエアトスは、そういう意味ではとてもよく似ていた。
「…………」
 瑠衣は彼女の非難を受け止め、強く睨み返す。
 自分の判断は決して間違ったものではない。その自信はあった。
 確かにこの戦いは西方同盟軍による対ガリウス・ローレイドの作戦行動だ。しかしそれによって、一連の戦いから内戦の要素が消え去るわけではないのだ。見る者が見れば、これはエアトス王女を擁立するガーデア軍と七賢者を中心とした現体制との戦いに他ならない。
 同時にこの解釈は、エアトスの立場を大きく変化させることになる。すなわち同盟軍に属する一人の将ではなく、この地を治める正統なる統治者の看板を背負うのだ。いわばガーデア勢力の大義名分そのものである。西方同盟も別の原理で動いているとはいえ、ガーデア軍を確実にこちら側の戦力として数えるには、彼女の生存がやはり欠かせない。
「……行きましょう」
「…………ええ」
 そして結局。
 ゼラートこそ討てなかったものの、この戦い自体は勝利と判断して余りある。
 作戦指揮の背景に巧がいようと、現場で細かな指示を下したのは瑠衣だ。むしろ褒賞が与えられても良いぐらい。
 そんな中、実動した兵たちの面前で瑠衣を貶めれば、エアトスへの信頼は損われることになる。
 戦勝を祝ってささやかな宴が催され、これからその場へ向かうというのに、いつまでも瑠衣を責め続けるわけにはいかない。
 そうしたエアトスの気持ちが手に取るように理解できるからこそ、瑠衣の提案も極めて控えめなものになる。
「………」
「………」
 並んで廊下を歩きながら、しかし重苦しい沈黙が抜けない。
「そういえば、瑠衣。あなたはヨシノの友人だそうですね」
 そんな状態を打開しようとしたのか、エアトスがふと口にした。
 瑠衣はそれに乗り、冗談を交えて答えた。
「いわゆる幼馴染です。兄さんの方が……“らしい”関係を築いていますけど」 
 同い年、そして異性。そこから生じる幼馴染らしさを多少の皮肉も入れて言ってみる。
「ふふ、そうですか。やはり幼馴染はいた方が色々と楽しそうですね」
 ということは、エアトスにはいないのだろう。
 第十一次元では王女だったそうだし、帝王学を学んだり、あるいは剣技を磨いていたのだろうか。
 そこにいるのは、友ではなく臣下。
 残念ながら瑠衣の王族に関するイメージはその程度のものだった。
 逆にエアトスも、幼馴染の功罪の功しか見ていないようだ。
「本気で言ってます? プライバシーも何もあったものじゃないですよ」
 特にあの2人の前では隠し事など全くの無意味。
 まあ、どちらかといえば瑠衣は暴露に加担する側だったが。
「そういった隔てなく付き合える人は大切です。私が友のためにと剣を振るっても、その“友”は民全てと解釈されてしまうのですから」
 民の視点に立って物事を解決してくれる心優しい王女。
 そう考えた時点で、民はエアトスを同列の存在とは見ていないのだ。
 歩み寄るがために助けたのに、王女としては近づけてもエアトスとしては離れていく一方。
 しかし、それを苦しむことは許されない。
 解決できる力を持つという一点において、充分にエアトスは恵まれている。
 ただ、王族向きの性格ではないというだけで。
「……今からでも大丈夫です」
「え?」
 呟きを聞き取れなかったのか、聞き取れたが意味が分からなかったのか、いずれにしてもエアトスは復唱を求めた。
「今からでも、大丈夫です。その気があるのなら、きっと分かってくれる人はいます」
「だといいのですが」 
「わたしが保証します。何なら、まずはわたしが……」
 友人になりましょうか、と言いかけて、しかしそれは最後まで出切らなかった。
「っ……ぅ」
 エアトスは眩暈を起こしたかのように額に手をあて、壁に体当たりするように身体を預けてずるずるとへたり込んだ。 
「あ――大丈夫ですか!?」
 覚悟していた“その時”が訪れるのかと頭を過ぎり、瑠衣の方が蒼白になりながら叫ぶ。
「え、ええ……。大丈夫です、もう収まりました」
「何かご病気とか?」
「いえ、こうしたことは初めてです」
 自身が宿す災いを認知できないエアトスは、実にあっさりと片付けた。
「…………」
 しかし瑠衣としては、そう簡単に流すことは出来ない事態だ。
 少しばかり立ち止まってエアトスの背中を追いつつ、同時にこの険しい表情を悟られないようにする。
 エアトスに、ではない。おそらくはエアトスの意識や行動を寸分逃さず監視していると思われるドーマにだ。
 今のエアトスの不調は十中八九、瑠衣への牽制に違いない。
 ドーマの首魁であるイオレは次元の狭間の居城で、沙理亜が闇の力に対するカウンターとして瑠衣を用いる光景を見ていた。
 瑠衣が触れたことによってアムナエルの書が壊れた、その瞬間を。
 実際はグリモとの戦いで効果がないことは分かっているが、そこまではイオレも知るまい。
 であれば、イオレは結局それがオレイカルコスの力に及ぶという可能性を視野に入れて動かざるを得なくなる。
 瑠衣がエアトスに「未来」や「友との絆」を謳った時、イオレはエアトスが死神の種を宿していることについて気付かれていることを疑う、ないしは確信するのだ。そして尚且つ瑠衣の言動は、イオレの存在を意識していていれば、それは明らかな宣戦布告であった。
 エアトスの死と共に死神は覚醒する。それを理解した上でエアトスの未来を示唆するなら、彼女を死なせない、救ってみせると言い放ったに等しくなる。仮にそのような意識がなかろうと、障害になり得る思想には違いない。いずれにしても何かしらの対抗アクションを起こす必要性はあった。
「…………」
 果たして瑠衣としては、これら全ての事情を計算ずくの上で言おうとしていた。
 無論、話の流れ全てを操作したわけではない――というよりできない――が、エアトスの意識にドーマ側がどれだけ干渉できるかは確かめておかねばならなかった。
 結果としては、逆に宣戦布告されたようなもの。
 いつでも殺せる。そうした反応をまざまざと見せ付けられた。
 だとしても、瑠衣にしてみればそれは想定の内。分かっていて反応がないなどより遥かに有益な結果だ。
 




 ――――ただ一つ誤算があるとすれば。
 これまでのイオレの対応は慎重に過ぎた。同盟軍をいつでも壊滅させられるカードを持ちながら、イネト解放戦でその力を使わなかった。
 そんな臆病さと小心さを直接判断するには、巧と瑠衣の異世界入りはあまりにも遅かった。その重大性について、考察する機会すら持てなかったのだ。
 将としては取るに足りない器。だからこそ、才ある将には考えられない暴走を考慮する必要があった。
 イオレが瑠衣の宣戦布告から数分後に下した判断は、まさしく暴走の二文字以外は当てはまらない。“それ”が宣戦布告であることまでは理解していたが、そこからの対応が常軌を逸していた。臆病なイオレは筋道立った理論などまるで無く、たかだか15歳の少女が発した言葉の裏に自分への敵対意思が含まれていることに気付き、ただひたすら怯えた。
 第十二次元から手を引くとの宣言が、嘘だと見抜かれた。
 いつからだ? いつから包囲されていた?
 もはやイオレは全てが遅すぎることを自覚しないわけにはいかなかった。質の悪い緊張と焦燥は秒単位で高まっていく。
 そこでふとエアトスの宿す“死神の種”を通じて見たものは、その身がスピーチのために永瀬瑠衣から離れて宴会場の前方舞台に立っている姿だった。
「まだ……! 私は……終わってなどいない!」
 一勢力の首魁としてはあるまじき器の狭さ。
 しかし、その行動は理詰めでないがゆえに読みにくい。
 偶然に偶然が重なり、イオレは今、最悪にして最高の形で不意打ちを成功させようとしていた。
 イオレは完全に無能だったわけではない。努力によって身に付くものではないが、間違いなく必要とされる才覚。すなわち天運にだけは、恵まれていた。





 壇上のエアトスが剣を鞘から抜き放った。
 戦士族の国家フォルオードの至宝とされていたその剣は、実は第十一次元から遠い昔に下賜されたものだった。
 同盟とエアトスの関係を繋ぎ、そして『ハモン』を討ち果たしたのは、まさにあの剣だった。
 だが、この場で彼女が起こした行動は、それを何かに見立ててスピーチに生かすと言うようなものではなく。
「……え?」
 ざわめきが、会場に広がる。
 たまたまその時エアトスから目を離してアレクトールに挨拶をしていた瑠衣は、その妙な空気を察して彼女視線を戻す。
「……………………え?」
 エアトスは剣を高く掲げ、そして見る者の心を奪うような滑らか且つ自然な動きで降ろしていく。華美な装飾が施され、同時にそれらの装飾は剣に魔力を付加させる意味合いもあった。機能と外観を両立させた、十二の世界全てを探索しても同等のものはそう見つからないと思われる、『女神の聖剣』。
 それを手にするは、十二の世界の中でも屈指の文明力を誇る第十一次元の王女。ドレスを着飾り気品を振りまくようなタイプではないが、一度戦場に出れば純白の翼で空を駆け流麗な剣技で相対する敵を圧倒する。民と世界を守護する心優しき戦女神、『ガーディアン・エアトス』
 剣の降下は切っ先がエアトスの肩に触れたところで止まった。そのままパンを切るような要領で刃を斜めにずらしていき、やがて首と柄が触れるような形となる。
 
 動ける者はいなかった。誰もがエアトスの行動に魅入られていた。
 何が起きるのか本能で察知し、しかし誰も――瑠衣も含めて――思考と行動が追いついていない。
 剣を掲げていた時の喧騒はぴたりと止んでいた。
 数瞬後には爆発的な状態に陥るだろうと、他人事のような思考が浮かんだ。 
 主観で“それ”を目にすることを、自分の全てを懸けて拒否しようとしていた。
 20メートル以上も離れた状態でここまで事態が進行してしまった今、もはや止める手段はない。間に合わない。
 『騎士竜の誓い』による瞬間移動は“主を守る”ことに特化しており、そうでない目的なら普段より少し速く動けるだけ。
 ならば『ボウ・ドラゴニュート』で剣を遠距離から弾けはしないか? 
 ――いや、どちらも遅い。第一この衆目の前でモンスターを召喚し、ほとんど攻撃と変わらない命令を下せるわけがなかった。死神の種については同盟軍にも天使にも話していないし、そして瑠衣自身の精神的な問題も含めて。
「わた……しは……」
 どこで間違えたのだろう?
 宣戦布告したのはまずかった?
 この状況で傍から離れるべきではなかった?
 それとも、救えるということ自体が――――?

 気が付くと、血飛沫が舞っていた。
 音を一切立たせず、静寂の中でエアトスは自らの首に取り返しの付かない傷を入れていた。
「――――――――!」
 悲鳴を上げようとするが、乾いた喉からはショックの余り何も出てこなかった。
 エアトスの命の灯火が消えようとしているというのに、瑠衣ができるのは人混みの中でこの残酷な結末を見ていることだけ。
 ようやく周囲が悲鳴と怒号に包まれる。
 ローレイドやガリウスの暗殺者を警戒する者。会場から逃げていく者。エアトスが取り落とした剣を拾おうとする者から、その剣が呪われた品だと解釈して離れるよう叫ぶ者まで様々だ。
 やはり彼らのほとんどは、この事態について致命的な勘違いをしていた。
 ローレイドでもガリウスでもない、イネトの決戦で既に第十二次元から追い払ったと解釈されている勢力、ドーマこそがエアトスを殺した者の正体であることに気付いているのは、おそらく瑠衣だけ。
 とはいえ、この喧騒を鎮めることなど瑠衣一人の力では到底不可能だった。 

 エアトスの身体は、まだ直立していた。
 純白の翼を大きく広げて、そこはもう白だけではない別の色が、べっとりと付着していた。
 動脈が切れたことを示す異様に鮮やかな赤が、羽根を伝い落ちる。
 その最初の一条が一滴となって壇上の床に落ちると同時に、エアトスの身体が仰向けに倒れていく。
 “終わり”が訪れるまでの、あまりにも短い無情なカウントダウン。その過程がフイルムのように1コマずつ再生されるかのごとく断片的に、そして強く、脳髄の奥深くへと焼き付く。
「…………っ!」 
 こうなった以上、やるべきことは一つ。
 エアトスを、殺さなければならなかった。
 既に心臓が止まっているならもう一度。まだ息をしているなら――――二度。
 だが、それが意味するところを理解できるぐらいには、瑠衣の思慮は足りている。
 そしてその思慮こそ、巧の思惑を超えるに当てって必ず忌避しなければならない、自身の利己性そのものだった。
 全てが手遅れになる前にエアトスを殺せば、逆に瑠衣はどうなる? ただの反逆者ではないか。しかも戦いの際には、エアトスは瑠衣と意見を対立させていた。つまり動機は十全。
 殺しきれば“何も起こらない”のだから、エアトスの中に潜むドーマの陰謀をさらけ出すことはできない。事前に話せるものならとっくに話している。
 しかし巧はネオパーシアスに対して“正当な統治者の手に権限を取り戻す”ことを約束していた。同盟軍ならば、逆に見捨てられることが容易に予想できる。
 本当の意味で、瑠衣の仲間はどこにもいなかった。
「あ…………あぁ………」
 羽根を濡らしている赤が、変色を始めた。
 静脈の血液のように赤黒く、そしてそれは過程にすぎない。
 付着した瞬間に異様な早さで乾き、ものの数瞬で吸い込まれるような黒に染まる。
 さらに残された白の部分をも黒は侵蝕し――そして、背中と羽根がついに床に触れた瞬間。

 パリン

 薄いプラスチックを割ってしまったかのような、少し間の抜けた破砕音した。
 それはすなわち――黒い翼が崩壊した音。
 そこから先は、先刻のスローモーションの反動が来たのか、あっという間に感じた。
 エアトスの額に邪悪な緑の紋章が浮かんだ。
 紋章が広がって壇上を覆い、駆け寄ろうとした部下たちを跳ね除ける。
 壇上の床が陥没してエアトスの遺体が地の底へと落ちていった。
 誰もが動けぬまま立ち尽くし、やがてどす黒い瘴気と共に這い上がってきたのは―――――――――――――――――



 





 “死神”――――









 陥没した壇上の穴の縁に指をかけて、その頭部が見え隠れする。
 シンプルでそれがゆえに気味の悪い仮面と、エアトスの名残を残す髪が、揺れる。
 攻撃をかけようとする者も現れ始めていたが、何をも寄せ付けない結界に阻まれ届かない。
 顕になる全身。明らかに堕ちた存在でありながら、なお残されているエアトスの影が天使と、そして瑠衣を怯ませる。
 結界内にともなく現れ浮遊する大鎌を手に取った。
 比喩に過ぎないはずだった。巧が用いた呼称はあくまで災厄の根源という意味で、しかしこれは――――
「死神……」
 誰かが絶望しきったように、そう呟いた。
 そのままの表現だとは思うが、それ以上に相応しい呼称があるとは思えない。
 意識が朦朧としていて、分かったのは一つだけ。
 結界が取り払われ、そして――――――――――――


 巨大な鎌が、振り下ろされた。





 ―――――――――――――――――――――――――――――――――





 張り詰めていた気がようやく弛緩し、その場にくずおれる。
「……追うよ、『竜の騎士』」
 林に生まれたクレーターの中で、感情を含ませずに瑠衣が言った。
 それは『竜の騎士』に声をかけたようで、実際のところは自分に言い聞かせていた。

 死神は――――またしても逃げた。
 瑠衣とは戦おうとすらもしなかった。
 もしかするとあの代弁者が、直接デスサイスを操っているのだろうか。
 そして――どうやら瑠衣は本当に、街一つを滅ぼせるほどの敵に対するカウンターになれるらしい。
「…………」
 だからこそ、瑠衣は“こう”なる前に決着をつけねばならなかった。
 エアトスが死神として覚醒するその瞬間、瑠衣はその場にいたのだから。
 “死神”が飛び去った方角は南。ローレイド聖都のある、南。
 たとえローレイドが敵だとしても、アレを野放しにしておくわけにはいかない。
 瑠衣が護ろうとしたものは、失われた。手遅れのメーターはとっくに振り切っている。
 だとしても――もはや希望が存在しなくとも、投げ出すことは許されない。
 真面目な瑠衣にとっての“使命”ですら、今の精神状態を表すには足りなかった。
 もうこれはただの“意地”だ。
 ゆえに――果たさない限り前へ進めない。
 そうして瑠衣は、再び立ち上がる。




  

 
1章 “ヒト”の戦場


 


「な……!? もう一度言ってみなさい!」
 ガリウス軍を指揮する人間の少女カナン・シェイルは、信じられないといった面持ちで報告に来た悪魔に問い直した。
「はっ。同盟軍は突如城への攻撃を中断し、東カイレスの森に向かったとのことです」
 M&Wのカードで見たことがないレベルの低級悪魔が復唱すると、カナンは悪魔ですら慄くほどの形相で、一言だけ告げる。
「追え」
「はっ……。……は?」
 想定していない指示だったのだろう、隠しきれない疑念が表情に出てしまっていた。
「追えと言った。あの森では我が方の部隊が作戦行動中だ。速やかに救援を向かわせろ」
 今度はただ静かに傅き、伝令は玉座の間を後にする。
 そう、カナン・シェイルはこのカイレス城にいるどの悪魔よりも強い権限を有していた。それも戦闘力をも認められた上で。
 悪魔族の城とはいっても、毒々しい装飾があるだとか、常に瘴気を漂わせているといったことはない。他国に比べれば多少衛生面で気を使う度合いが低く、照明などが暗いといった問題はあるものの、そこは我慢できる範囲内だ。得られた力と比するまでもなく、9年前のドーマ侵攻時に築かれ大陸の統一規格からほとんど外れていないカイレス城を如何様に扱うかに、カナンの思考は移っていた。
 目的が目的だけに、この城は地理的な要所を押さえているし、そこそこの防衛機能も備わっている。
 ただ、それは9年前の話。地形や物流が大きく変わるようなことはないものの、兵器や魔術の質は上がっており、そして何よりカナン自身をはじめとして軍を率いている将が規格外の存在ばかりなのだ。そうした視点で見ると、カイレス城は欠点の集合体に思えてくる。なまじ要所に位置するだけに、失われた場合の損害も単に城を一つ落とされたでは済まされない。ここを制圧されればガリウスの本城まではもう小さな砦が2、3あるのみだ。
 だからこそ――カナンはカイレス城の防衛に力を入れないと決めた。
 第一次元へ侵攻した分を合わせても尚及ばないほどの数を誇る同盟軍は補給の面で継戦能力に難があり、それゆえ一度ガーデア領内に侵攻してきたからには積極的な略奪行為に走るか、あるいは素早い進軍で一直線に本拠を落としに掛からねばならない。そしてどちらにせよ、要衝であるカイレス城の攻略には一層の力を入れる必要がある。
 一方ガリウス側としても、カイレス城は比喩ですらない最後の砦。国の存続には間違いなく欠かせまい。
 だが、カナンは結局自分の手足になる戦力が欲しいだけで、ガリウスそのものに忠誠を誓っているわけではない。力を与えてくれた礼として、同盟軍と相討たせることができれば御の字。しかしそこまでは行かずとも、ガリウスとて最終的には滅ぼすつもりだったのだから、負けても問題はなかった。
 自分が率いる特殊部隊は、兵の数的に騎士たちとまともにぶつかり合うより諜報暗殺などに向いている。ならばそれを生かして、東カイレスの森に潜伏している同盟軍と協調姿勢を取りそうな敵対勢力を確実に潰しておくべきだ。
 ガーデアではどうにか未然に阻止できたが、トップが討たれたことに気付いた“彼ら”は新たなリーダーを立て、またしても同盟軍への接触を図ろうとするだろう。その兆候は察知していた。

 しかし――しかしだ。

 こればかりは想定外と言わざるを得なかった。同盟軍は彼らの持つ真の“役割”に気付いたのだ。
 攻略寸前にまで追い詰めた城を放り出してまで救援に向かったということは、つまり“そういう”ことなのだろう。
 この次元にはしばしば、ある種の――矛盾、食い違いとでもいうべきものが存在する。
 それは行動によって整合性を得られるものであり、矛盾が正され欠けたピースがきちんと当てはまった時――いや、作為的に当てはめられた時にこそ、真なる力を解放できるのだ。そしてこの手の変化は往々にして、世界の価値観を根底から揺り動かす規模のものとなる。
 ゆえにこの戦いの鍵は、彼らと同盟軍の接触を防げるか、それに懸かっていた。
 彼らは決して少数勢力ではないが、既に数で上回っている同盟軍がわざわざ確保するために動くほどでは、普通はない。
 カナンのように何年も前からこの次元に居座り、常にそうした変化を観察しているならまだしも、重大な事実として受け止めるばかりか、それに従い行動するなど正気の沙汰ではなかった。
 だが同時にその行動は、最もカナンが恐れるべきものだった。
「……それと、この城は放棄する。手はずを整え全軍を首都まで後退させろ」
 同盟軍の主力が東カイレスの森に向かったことにより、攻撃の手は緩みかけている。そしてその隙を見逃さない程度には、カナンは優秀だった。あちらに“鍵”が渡る可能性は限りなく高いものの、ならばこちらも気休め程度だが将兵を温存できる。
 役に立たない拠点で死を迎えるなど以っての他。またこの状況なら、念入りにカイレス城を焦土にする余裕もあった。
 陥落寸前にまでなった城にいつまでも執着する者は、少なくともこの場にはいなかった。
 すぐさま撤退の用意が始まり城内が喧騒に包まれる中で、カナンはそっと直属の副官に尋ねる。
「間に合うか?」
「はい。進軍速度を最優先しているのなら、各部隊が森に到着するのにも時間差が生まれます。また、こちらは捜索を目的としているため、分散して動いているはずです」
 加えてカナンの部隊は絶対戦術勝利能力を生かすため、個々の戦闘力でいえばガリウス最強と言っても間違いではない。すぐさま全滅してしまうようなことは、ないはずだった。
 だがそれは、向こうの目的も捜索ならばの話である。東カイレスの森に展開している部隊は、カイレス城の攻防には全く関係がなく、地理的に同盟軍への不意打ちを狙うことも困難だった。ゆえに、もしガリウス軍が森に分け入ったとしても、それを何の理由もなく潰しにかかることは考えにくい。
 ――考えにくい。そう、考えにくいが、全くのゼロではない。
「森でこちらが動いていると知り、殲滅に向かった可能性は……?」
「低い、としか言えません」
「だったら、なおのこと急がなくてはね」
 そんなやり取りは、それ自体が単なる逃避だ。
 取るべき行動はとっくに理解できている。
 森に潜伏する“敵”を討てなければ、ガリウスは敗北するだろう。
 しかし、カナンにとってガリウスの盛衰など、知ったことではない。
 世界を相手に喧嘩を売り、滅びへ導くという最終目的に対して、まだカナンにその具体的なプランは何も見えていなかったが、自由に扱える戦力が多くなるほど行動の幅が広がるメリットは、統制が取りにくくなる危険を明らかに凌駕していた。
 確かに国家の庇護を失えば、いま現在のように部下がついてくる根拠が、自明の状態ではなくなるだろう。
 だが、だからどうしたというのだ?
 本気でガリウスを守ろうとしている兵も少なくないだろうが、ことカナンの部隊に関しては、高い戦闘力を持つ代わりに上官と揉め事を起こしたり脱走経験があるなど、いわゆるはみ出し者が集まっており国への忠誠心は薄い。
 もしかするとガリウス側による嫌がらせだったのかも知れないが、カナンにとっては好都合だった。
 彼らの帰属意識の低さがどこから来るものか、何を信じているのか。その答えは自らの腕に他ならない。荒っぽい悪魔が支配するガリウスという国でそうした立場に追いやられているとなれば、ますます身一つで力を示さねばならなくなる。が、それを為したら為したで御しにくい戦力となってしまう。
 そんな兵ばかりを押し付けられたカナンは、絶対戦術勝利の力によって彼らを屈服させた。デュエルディスクとカード、2つの兵装とカード知識がある限り、カナンの戦術が一モンスター程度に後れを取ることはない。そしてこのような背景を持つ兵たちが、ガリウスの一部隊ではなくカナンの部隊という意識を持つまでにさほど時間はかからなかった。
 力による支配といえば聞こえは悪いが、それこそがガリウスという国家を支え、浸透している価値観である以上、疑う者はそう多くない。
 実際のところ――それで人間の小娘を将として認めるほど、その価値観に命を懸けている者はガリウスの中でもごく少数だ。
 しかしてその大半が、既にカナンの部隊に配属されていた。
 ゆえに駒ではあるが、代用は効かない。いざという時ガリウスではなくカナンに従う駒は、もうこの国では手に入らないだろう。
 彼らを利用して作戦を遂行する感覚を身に付けてしまった今、カナンは彼らを統制していると同時に、彼らに支配されてもいた。
 迷いはもう、捨てた。
 利用しようがされていようが、部隊を指揮するのがカナンである事実は変わらない。実質的な関係がどうだとかに心を奪われているよりも、戦いに勝つ手段を模索する方が生産的だ。
 脱出準備で広間を右往左往する悪魔達を横目に、カナンは真っ直ぐ城から出る通路へと向かう。
 認めよう、これは惨めで無様な敗走だ。その責は間違いなくカナンにある。
 だが、決してこの敗戦は、後に繋がらぬ壊走ではない。
 小物の悪党が使うような冗談などではなく、文字通りの戦略的撤退だ。
 それを自分の部隊にも実現させるべく、カナンは東カイレスの森へと、走る――――。







 カイレス城跡 同盟軍本陣


 カイレス城の攻防は、ガリウス軍が城を放棄したことによって決着した。かつて要衝とされていた地も、陥ちる時はあっけないものだ。思い入れなどなくとも、生物の気配がなくなった城を眺めれば、巧にもそんな感傷は浮かんでくる。
 ただ、そうして物思いに耽っているばかりではいけない。ガリウスに残っているだろう主な将は、まだほとんどが健在だ。
 ここまで素早い撤退判断を下してきたのは正直予想外だった。カイレス城はガリウスの重要拠点と聞かされていたため、もう少し東カイレスの森への行軍に関してその重みを逸らすことができると踏んでいたが、向こうの“デュエリスト”も存外に優秀なのかもしれない。どうにか目標は確保できたものの、副産物の城は火を放たれるなどしてその機能をほとんど奪われていた。
 尤も、敵のデュエリストはガリウスで――いや、この次元でずっと過ごしてきた人間なのだ。あの齟齬ぐらいは見抜いて当然である。ただ、あちらの反応からすると、こちらが“それ”に気付いていることまでは考えていなかったのだろう。
 そこへ丁度、佳乃が目標の人物を傍らに戻って来た。
「巧、連れてきたよ。ガリウスに抵抗するレジスタンス、《ゴブリン族》のリーダーだ」
「あぁ、わざわざ済まない」
 《ゴブリン族》。そんなものは、正確にはM&Wに存在しない。薄緑色の肌に極小の角を生やした容姿は《ゴブリン》と名の付くモンスターほぼ全てに共通している要素で、そこそこのカードプールや独特のカードシナジーもあるのだが、カード名でのサポートを得られる正式なカテゴリ化をされているわけではなかった。
 この次元における扱いも酷いものである。ガリウス帝国の成り立ちは、先住民ゴブリンとの戦いの歴史とも言い換えられる。
 結果、侵略者との戦争に敗れたゴブリンは、現在のガリウスを支配する悪魔たちの奴隷に貶められた。
 だが一部にはガリウスから逃れ、同胞を救うために活動している一団もいるとのことだった。
 この背景を佳乃から伝えられたとき、巧の対ガリウス戦略は決まった。
 一直線に帝都を目指しつつ、レジスタンスとの接触を図る。そこには現地の地理に詳しい者を味方につけるという、どこの戦場でも通用する目的以外に、全く別の打算があった。
「では、我々ゴブリンを同盟軍の一員として扱うと?」
 一通りの事情を話すと、ゴブリン反乱軍のリーダーがそう問うてきた。
「その通りです。無論、扱いは他の国家から派遣された兵と同じとなります。指揮系統をここで大きく動かすのは難しいので、通常の部隊に編入というわけにはいきませんが、人権の面は心配されなくても大丈夫ですよ」
 末端の兵一人に至るまでそうした考えが根付いているかは、巧たちの関知するところではない。そこは西方の各国家の器量が試されることとなる。
 ただ、受け入れるであろう確信はあった。特に戦士族の国家である、フォルオードが。
 巧たちの世界ではまだカード化されていない数種の闇天使と異なり、ゴブリンの風貌はよくよく見知ったものなのだから。
「あなた方はきっと“戦士”だと認めてくれる。いえ――既に認められています」
 それは第一次元の人間にとって、過去であり現在。未来の仮定などという不確実なものではない。
 そして、巧らの知る現状とこの次元における現状には、決定的に見逃せない差異があった。
 カードテキストとは、デュエリストにとって絶対のルール。それと異なる状況があるとすれば、特異点として扱われるのは必然と言っていい。
 こうした世界の歪みは、だからこそ戦略上重要視される。
 まだ巧はこの次元に来て一月もないが、一年近くも戦い続け、その中で自然に“歪み”への対応を憶えた佳乃の言を無視することなどできようか。
 佳乃が戦ってきた一年という期間は、カナンに比べれば短い。とはいえ佳乃も、デュエリストの端くれだ。本能的に優れた勝負勘は間違いなく齟齬を読み取り、それを分岐点とまで判断できるようになっていた。
 具体的に表せば、今回の特異点は『ゴブリン』にある。
 奴隷階級の立場にある彼らは城の建築等の重労働に従事させられており、それゆえ内部の構造にも詳しいというように、この次元の理だけでも充分に貴重な存在だ。
 ただ、彼らの持つ意味はそれだけに留まらない。第一次元の人間からすれば、『ゴブリン』の所属国にこそ気を払うべきだ。
 ガリウス帝国は“悪魔族”の国家。単なる神話や伝承、御伽噺でならば、ゴブリンは悪魔と同列に扱われることは多い。
 ならばM&Wに当てはめるとどうなるか。
 『エリート部隊』など一部のゴブリンは悪魔族に分類されているが、多くのゴブリンモンスターは戦士族だ。
 そして目の前にいるレジスタンスのリーダー。その風貌はまさしく『ゴブリン突撃部隊』。にもかかわらず、悪魔族が暮らす国で活動していたという事実こそ、このレジスタンスが特異点である証明だ。
 M&Wの設定と異なる理。これが意味するところを、この次元の生命体は理解できていない。そもそもステータスを数値化、文章化するという概念がないに等しいのだから当然だ。しかし史実を紐解けば確実に見つけることができる。このような齟齬が歴史の巡りの中で失われ、M&Wの設定に同化していくということを。
 その流れに沿い、ゴブリンが“戦士”に近付いていくことによって、持てる力を最大限に発揮できるようになる。逆にそうした流れへの意図的な妨害もまた、計り知れない影響力を持ちうる。
 同盟軍はレジスタンスと接触したことによって、純粋な戦力以上に、歴史そのものに認められたと言ってもいい。
 戦いの勝利ではないため油断は禁物だが、それに比する、あるいは上回るモノを手に入れたのだった。







 ガリウス帝都を攻めるに当たっての軍議。ゴブリンが初参加となった今回は、彼らが信用できるに足る存在かという点が主に議論された。
 戦力としての運用は勿論のこと、城の内部構造などにも精通しているため、有用であることは間違いない。加えて一部の兵をガーデアに残しているため、兵数の拡充は願ってもない機会である。
 ただ、彼らがいわゆるガリウス陣営の回し者でないかという点については、充分な話し合いが必要とされる。
 佳乃は軍議の前に巧と共に話を聞き、筋が通っていることは確認した。だが、それだけでは同盟軍全体の信用は得られない。ゴブリンたちを保護した東カイレスの森、そこで彼らはガリウス軍に追われていた。個々の戦闘力が高い部隊で、カイレス城に配されていれば攻略が相当困難になっていただろう。
 つまりそれだけの戦略眼を持ってゴブリンを襲撃した将がガリウスにもいるということであり、小さなレジスタンスの大半が逃れおおせた幸運には疑問が残る。例えばガリウス側のゴブリンが、レジスタンスに成りすましている危険もあるのだ。
 とはいえ、ゴブリンのレジスタンスは、同盟軍にとって必ずしも運用しなければならないほどの戦力ではなかった。そして、例えば城の構造に関する情報を提供するだけでも、勝利への貢献には違いない。
 前線で命を張るというのは、確かに裏切り者でない何よりの証明であり、戦後に功として認められやすい。だからこそ佳乃は裏方での協力をよしとするかを、同席したゴブリンの代表者に尋ねた。
 答えはイエス。あらかじめ巧と打ち合わせての出来レースではあるが、これで多くの反対意見は封じられた。
 ガーデアの援助のため部隊を2つに分けたことによって、補給面での心配はほとんどなくなっている。
 城の奪還を狙ってくるようなことはないだろうが、野盗や工作員などへの警戒を強めるようにとの話になり、それが終わると今夜は散会となった。
「野盗……か……」
 補給物資を狙う盗賊は当然警戒すべき対象だが、それとは別にゴブリンが“戦士”と認められる前に、奪還もしくは暗殺を企てる輩が現れるかもしれない。
 もはや数にして100にも満たない小規模な反抗勢力。しかも既に同盟軍が保護しており、警備も厳重だ。いくら情報面の優位を奪われるとしても、手を出してくるなど自殺行為だろう。
 けれど敵方には第一次元の人間がいる。ゴブリンに関する歪みを保つために、乗り込んでくる危険があった。単独で小隊以上の戦力を有するデュエリストである以上、油断は出来ない。
 それに巧が戦略面の多くを受け持ってくれているとはいえ、敵の少女が佳乃より将として優れている事実は覆らない。
「はあ……」
 ため息をついて自分のテントに足を踏み入れる。
 すると、前触れもなく佳乃の耳に――いや、心に直接響くような“声”が聞こえた。
「良いご身分ですわね、ヨシノ」
 やや高慢な印象を醸し出している女の声。
 第一次元ではまず考えられない事象だが、佳乃はこの“声”に驚きもせず、当然のように黙殺した。
 声を発する女の姿はどこにも見当たらないが、佳乃が聞こえていないのではなく無視しているのだと認知しているようで、その“声”はイライラにしたようになおも続く。
「苦手な戦略は男任せで自分は剣を振るっているだけ。ゴブリンの件に関しても、貴女が一人で決断したこと、何かありました?」
「……だから何だ。アンタには関係ない」
 本格的に絡んでくるつもりだと悟ると、佳乃は仕方なく“声”に応じた。
「えぇ、関係ありませんわ。ですが、共に苦しみと責任を背負うと誓った貴女の脆いプライドをへし折って差し上げると、私は己の魂に刻み、貴女にも宣言したはずです」
 そう、確かに“彼女”はそのように言った。そして、佳乃は受けて立つと返した。
 目を閉じようと、耳を塞ごうと、氷の刃のように冷たく突き刺さる“彼女”の言葉は止まらない。止めようともしない。
 “彼女”は、佳乃が苦しみに苛まれることを至上の喜びとする存在だった。それでいて佳乃は、“彼女”を捨て置くような真似はできなかった。
 そこまで歪めてしまった責任が自分にあると、佳乃は自覚していた。
「なのに何です、今の貴女は? 牙が抜け男に尻尾を振るだけの狼など、犬も同然です」
「……今のあたしには、必要ないだけだ」
「でしょうね。でも、私たちは、貴女に苦しんで欲しいのです。それを忘れて幸福に溺れるなど、断じて許せませんわ」
「……分かっている」
 本当ならより強く反発したい所だが、巧が佳乃に負い目を感じているように、佳乃は彼“ら”に負い目がある。
 佳乃が抱える禁忌。それに巻き込んでしまったことへの負い目が。
 女がさらに佳乃へ言葉攻めを続けようとすると、それを遮るようにして別の女の声が響いた。
 今度の声は最初の女に比べると柔らかい印象であり、同時に場を収めようとするものでもあった。
「ストップ。やめて下さい。ヨシノを責めてどうにかなるわけでもないでしょう」
「男に甘えているのは、ヨシノの心の持ちようでどうにかなる問題だと思いますわ」
「だとしても、さっきのは言いすぎです。謝ってください」
「……申し訳……ございませんでした」
 そう素直に謝るあたりに、彼らの見解が佳乃を認める方針であることが窺える。
 ただ、佳乃はそれを手放しで喜ぶことは出来ない。最初の女の指摘も、棘こそ多かったが的は射ている。
 あくまでも佳乃は、未来の保障はない進行形で、かろうじて赦しを得ているだけだ。
「けれど、お忘れなきように。あの男に頼り続けているのは、貴女の戦闘兵器にされた私たちへの背信です」
「……あぁ」
 佳乃がここで平静を保っていられるのは、彼らが巧を貶しているわけではないと理解しているからだ。
 むしろ、その有能さを評価している。
 実際巧の策は、佳乃が抱えている禁忌を使わずとも勝てるほどに洗練されていた。
 だからこそ彼らには面白くない。あの者たちは、禁忌を禁忌と知っていて使わざるを得ない佳乃が、そのことで心を痛めるのを多かれ少なかれ望んでいる。それが、彼ら自身を苦しみに誘うことだったとしても。
 佳乃と彼らの関係は、第一次元における超常のほとんどを当たり前のように受け入れている異世界の理と照らしてもなお、イレギュラーと呼ぶべきものであった。
「すまなかった、――――。―――の言っていることは、そっちから見れば正しいのに」
「いえ……我々はヨシノに命を救われました。逆の立場であっても、少なくともわたしはヨシノと同じようにしていたと思います」
 その副作用を、佳乃は契約の時に話している。そういう意味では、佳乃に非はない。
 だが、容易に割り切れるようなら“彼女”はあのような態度を取らないだろう。
 ありのままを伝えたことは確かだが、それで現実感が湧くとは到底思えなかった。
 佳乃は怒りを向けられていた。どうしようもなく理不尽で、けれど当然の怒り。
 ヨシノはいまだ巧にさえ話せていないほどの禁忌に、手を染めていた。
 ヨシノによって戦うための人形に変えられ、しかし感情を有している彼らは、自棄になったのでも堕ちたわけでもなく、極めてまともな理論武装の下、さらなる戦いをヨシノに求めていた。
 それこそが彼らのヨシノへの復讐であると同時に、両者にギブアンドテイクを成り立たせる形でもあった。
「わたしたちは、共に愚かでした。ヨシノだけを責めるのは筋違いです」 
「でも、あたしは繰り返すよ。愚かだと知っていながら、間違いだと考えていながら、また同じ状況になったらきっと“アレ”をすることになる」
「それもまた、ヨシノを苦しめることになります」
 そこから先――佳乃が苦しむことについて自分がどう思うかは、明言しなかった。
 感情面で許せなくても、状況が変わらない以上、理性で押し留めているだけとも思える。
 それに対して、ヨシノが取るべき行動は決まっていた。
 一人きりのテントで、しかし確実に“そこ”にいる者たちへ、宣言する。
「今度の戦い……あたしは、お前たちを戦場に出す」
 反応は特にない。それはつまり反対がないという意味になる。
 腰に差した、闇の力でコーティングされた剣。
 長い戦いの中で最も使い慣れた武器だが、これは佳乃が持つ最強の武器ではなかった。
 寝台の裏に隠した、禁忌を形にする最悪の兵器。
 この世界で使ったのは、どうしようもない戦力不足に陥った一度きりだったが、ついに再び使うときが来た。
 佳乃は口を固く引き結び、“それ”を手許に引き寄せる――。






 ―――――――――――――――――――――――――――――――




 ガリウス城前 同盟軍本陣




 ガリウス王城。ガリウス帝国の首都グドの中心に位置し、帝国の政治拠点であると同時に、大陸で最も堅牢と考えられている城である。
 地理的に特別優れた点はない。ごく普通に、近くに運河が流れてはいるが、それは城一般に言えることであり他に突出した所はないように思える。
 この点では巧や佳乃だけでなく、実際に城を見た同盟軍の将たちも同様の感想を述べていた。
 しかし、これから同盟軍が攻めるその城には、ある種伝説とでも呼ぶべき逸話が残っている。
 最も新しいのは9年前のドーマ戦役だろうか――ガリウスも第十二次元の他の国家と同じようにドーマの攻撃を受けていた。悪魔といえど結界の力の前になす術もなく、ついには王城への侵入までも許したという。
 だが、それまで防戦一方だったガリウス軍はここで奮起し、ドーマの軍勢を退けたのだ。伝説の竜改め三騎士のような、強烈なカウンターがあるエルガイアはともかく、イネトやフォルオードは第一次元での勝利の時まで占拠を許していたにもかかわらず、である。兵が一層奮闘した、そう言って片付けるのは簡単だが、それが出来るなら城に入り込まれる前にどうにかなっていただろう。
 だとすれば考えられるのは、城に何らかの仕掛けがあること。それは兵器かもしれないし、城の中でのみ運用できる戦力かもしれない。
 真実を知るのはガリウスの悪魔のみ。大陸全土が攻撃を受けている中、各国は自国の防衛に集中しなければならず、西方国家が特に親交の薄いガリウスまで使者を派遣している余裕などなかった。最終局面で西方同盟とガリウスは一時的に団結したが、それはガリウス側から持ちかれられた話だったのだ。
 ドーマの兵士に話を聞くことも不可能。あれは石を変化させた人形の軍隊であり群体である。対話など望むべくもない。
 そうして史実は、わずか10年弱で伝説となった。
 事実と誇張が相乗し、いつしかガリウス王城は難攻不落の烙印を押されていたのである。

 ただしそこには、当時の指導者達が滅びているという残念な理由も含まれていた。英雄は死して英雄になる。伝説もまた、何らかの要因で色褪せなければ伝説にはならない。
 ゆえに、そんな安っぽい伝説ごときに気後れするのは愚の極みである。
 ガリウスの者しかその謎を知らない? ならば同盟軍に協力的な悪魔を引き込み、戦士にしてしまえばいい。
 ゴブリンからの情報で、その“兵器”に関する情報を得て、おおよその正体は掴めていた。
 そう、ガリウスの秘策とは、まさしく兵器に属するもの。
 それもオレイカルコスを素材とする人形や、デュエルディスクを介して召喚したモンスターによく似た性質を持っている。
 予想以上の戦力を残されていたことは誤算だが、しかし正体さえ分かってしまえばどうということはない。
 ガリウスが誇る最強の兵器もM&Wの前では無力と化すだろう。
 
 ガリウス王城はいま、門を閉ざして篭城の構えを見せていた。
 帝都を取り囲んでいる6万8千の同盟軍に対して、防衛に展開されている悪魔は4万弱。城攻めということを考慮すれば、両軍の数的な差はほとんどないか、むしろガリウス有利ともいえる。
 そして兵の質という面でも、これまでと段違いの力を有している。
 特に《E−HERO》。《E・HERO》を上回る戦闘力を持つ、堕ちた英雄。
 しかもガリウス軍は、融合体である《インフェルノ・ウイング》、《ライトニング・ゴーレム》、《ワイルド・サイクロン》に、最上級モンスターの《マリシャス・エッジ》を主力としていた。
 そしてこれほどの戦力を、ガリウスの侵攻に際して、同盟軍の将兵は一度も見たことがなかったという。
 おそらくは《幻魔》が配下として連れてきた別次元の戦力なのだろう、と誰かが推測を口にした。
 通常の指揮系統に当てはまらない、幻魔直属の部隊。それなら西方の攻略に《E−HERO》を用いなかった理由も説明がつく。
 一方、同盟軍はエルガイアの魔法使い、カオス・マジシャン》を前面に出す。
 敵の主力となる《E−HERO》の融合体に対して、カオス・マジシャンは有利をつけている。
 これは同盟軍に所属する第一次元の少年、永瀬巧の指示によるものだ。
 彼が持つM&Wの知識は、この大陸の戦争に直接影響を及ぼし得る力となる。
 同盟軍の将であり、もう一人の第一次元の人間でもある御影佳乃は前線で指揮を執っている。
 通過点に過ぎなかったこれまでの戦いと違い、将として君臨しているだけで勝てるとも限らない。それぞれの得意分野を最大限に生かしてガリウスを討つ。
 そしてガリウスに味方しているだろう第一次元の人間も、捕えるか殺すかしなければならない。ステータスの齟齬が歴史にもたらす影響にまで気付いている彼女は、放置するにはあまりにも危険な存在だった。逆に向こうもそう思っているだろうし、この世界の兵に戦わせるとなれば相当な犠牲を覚悟しなければならない。ゆえに彼女をどうにかするには、顔を見ている佳乃が前線を駆け巡るのが手っ取り早い。居場所についても、既にガリウスから逃げ出しているのでもなければ当てはある。
「《カオス・マジシャン》隊を展開しました。このまま攻め込みますか?」 
 同盟軍はいま戦場を一望できる丘に陣を構えており、巧もその様子を確認できる。
 とはいえ、仔細な情報をダイレクトに掴むには、伝令の存在が欠かせない。
 報告と質問を受けて、巧は首を振る。
「いや、まだだ。確かめたいことがある」
 特異点への干渉、デュエルモンスターを寄せ付けぬ個人戦闘力、これらは全て絶対戦術勝利ことカード知識によるものだ。それを踏まえた兵の操り方は、目の前の敵や判明している援軍に勝てるモンスターをぶつけるという単純なものになりがちだ。しかし単純だからこそ打ち破りにくい。
 加えて、全軍を上げての総力戦となるだろうこの戦いでは、手の込んだ搦め手が通用しにくく、なおさら従えるデュエルモンスターの質がものをいう。
 素のステータスで負けていたところで補正を加えるのは容易。ならば勝敗の鍵を握るのは、ある敵に対してどれだけ早く勝てる兵を当てるか、そのタイムラグだ。
 数分が経って、ガリウス軍の陣形が変化を始めた。
 融合体の《E−HERO》が左右に割れ、奥から現れたマリシャス・エッジがカオス・マジシャンの前に出る。
「カオス・マジシャン隊を左翼へ。穴はイシュザーク隊で埋めろ」
 イシュザークではマリシャス・エッジの攻撃力には敵わない。が、《コマンドナイト》の支援を受けているとなれば話は別だ。
 さらに同盟軍は、全体に《勇気の旗印》を展開している。明らかな攻城戦となるこの戦においては、常に効力が発揮されると見ていいだろう。
 指示を出したところで巧は時計を確認し、そして勝利を確信した。
 カオス・マジシャンがガリウス軍に認知されてから、それに伴い陣形が変わるまでの時間は、巧の指示伝達よりも遅い。
 誰が使っても数値化そのものの結果は動かない以上、それをより効果的に生かせる方が有利になる。それを判断基準とするなら巧は敵の第一次元の人間よりも勝っていた。さらに前線には佳乃もおり、知識をダイレクトに行動へと反映し易い状況が整っている。
「頃合だな……」
 その呟きを耳にした周囲の兵たちが、一様に表情を引き締めた。
 澄み切った空、活動に適した気温、やや荒んではいるがまっさらで地理的に活かしようのない城前の平野。同盟軍の動きを鈍らせる要因は、もう何一つない。

「第一陣、攻撃を開始しろ!!」

 かくして、ガリウスとの最終決戦が幕を開けた。







 ガリウス城 ???



「そう……。始まったか」
 “そこ”で、カナン・シェイルは決戦の始まりを知った。
 ガリウス城の秘密そのものとも言えるこの場所を、カナンは拠点に選んだ。
 通常の石造りの城内と異なる、いかにも“悪魔”が湧いてきそうなフィールド。
 人よりも強固な、悪魔の皮膚のようなもので包まれた、儀式場といっても通用しそうな暗闇の世界。
 実際その場所は儀式を行う体裁を取っていた。
 円形の空間の中心には、ぽっかりと空いた底が見えない穴。そこから五方へ通路のようなものが浮き出ている。
 そして儀式場内の周囲いたるところに存在する、悪魔のモニュメント。しかもそれら全てが、黒とも緑ともいえない、毒々しい何かで構成されている。
 煉獄。地獄。そんな例えがよく似合う。
 この場所は城の“地下”だというのに、稲光が轟いてきそうだ。
「イシュザーク……だけではマリシャス・エッジには勝てない。ということはコマンドナイトか、もしくは装備……」
 追い詰められているこの状況では、高性能な武器を広く行き渡らせるだけの物量を確保できていない。
 大半はラビエルが第一次元へ持ち去ってしまっている。
 兵の質では決して西方に劣らないガリウス軍がここまで押され続けてきたのは、こうした要因もあった。
「旗印は――奪うのは厳しい。だったら、ライトニング・ゴーレムに、赤い鎧の女戦士を潰すように伝えろ」
 闇の雷を操る巨人の特殊能力は、他の戦士によって守られた状態で援護を続けるコマンドナイトでさえもピンポイントに討つことができる。
 個々の兵に対処するよりも補正をどうにかする方が、戦局を傾かせるには都合がいい。
「デスカリバーナイトを左翼B307ポイントに投入。天魔神隊、敵本陣を強襲する準備を」
 命令を矢継ぎ早に飛ばしていると、いつの間にかこの空間に新たな“サイクル”が訪れていた。
 儀式場にいくつもある悪魔の彫像が突然に爆ぜたのだ。
 その中から現れたのは、M&Wにおいて《デーモン》、あるいはチェスデーモンと呼ばれるカテゴリの悪魔。
 通常の悪魔に比べて、レベル不相応なステータスと効果耐性を有する代わりに毎ターン維持コストを必要とする。
 その特徴は、この次元における彼らの状態とリンクしている。
 城の地下に造られた儀式場――すなわち《万魔殿》。それはすなわち、人造悪魔の工場なのだ。
 万魔殿内の彫像は24時間かけて兵の器として精製されたものであり、それだけ経つと兵を排出し、また新たな彫像が作られ始める。
 無論感情は持たない人形だが、その戦闘力はドーマ軍の兵を退けたことからも折り紙つきだ。
 とはいえ、この悪魔精製で生まれた兵が完全無欠かとなれば、そこはノーとなる。
 外界の多様な情報を受け止めきれないのだろうか、デーモンは万魔殿から離れるとひどく短命になり、動きも鈍る。
 ガリウスからすればそれは欠陥以外の何物でもないが、カナンの知るチェスデーモンのテキストが再現されている以上、受け入れることに抵抗はなかった。
 人形であるため生命維持に必要な食事など補給の類も必要なく、《スカルデーモン》、《プリズンクインデーモン》を加えた8種の悪魔が、文字通り日増しされていく。
 9年前の戦いでほとんどが失われたものの、それからも生産ラインは途切れることなく、今ではこの城へ攻めて来ている同盟軍の半数以上となる2万7千にまで回復していた。
 これらの戦力を用いて城から打って出ることは困難だが、城下町以内の守りにおいては効果耐性も相俟って有効な戦力となる。
「申し上げます! 敵軍の先陣が城下へ侵入してきました!」
 青い身体の《悪魔の偵察者》が、早くもそんな報告を寄越してきた。
 戦いが始まってから、まだ3時間も経っていない。
 敗北感と劣等感で潰されそうになる心を、自分の本当の戦場はここでないという考えで鎮める。
 それは逃げでしかなかったが、持ち直すには有効な手だった。
 予想を上回るペースでの敗退。何か原因があるはずだ。
 聞けば、同盟軍の大将である第一次元の人間が前線へと出張ってきているらしい。
 その意味を染み渡らせるように、苦渋に満ちた顔でカナンは唇を噛み締める。
 もう2人同郷の仲間がいるからこそ、自らが討たれる危険を冒してでも素早く指示伝達を行えるメリットに懸けることができる。
 一方ガリウスは、本国防衛の総司令官である四邪将の一人《虚無魔人》は事ここに至っても態度を明確にせず、実質的にカナン一人で戦線を維持しているに等しい。そのカナンにしても、命を賭してまでガリウスに尽くすほどの忠誠は持っていない。
「《E−HERO》隊の被害状況は?」
「は。およそ2割が戦死、1割が戦線を離脱、残りもどうにか持ち堪えてはいますが、このままでは長く保たないでしょう」
 ある意味侵略者の仲間であり、この国で厚遇されているとは言い難い《E−HERO》をカナンが気にかけていることは、ガリウスの将兵から見ても不思議ではない。
 彼らはガリウスで有数の戦闘力を誇っていると同時に、カナンが指揮している部隊の主要構成員でもあった。
 こうして前線に出すことでガリウス軍として最低限の任を全うしたと同時に、これからの脱出作戦について来れる者を選別し、さらには東カイレスの森で《E−HERO》と遭遇ないしは目撃しているだろう敵方の第一次元の人間へのカモフラージュまでも達成できる。
 だがそれももう終わりだ。被害がこれ以上増えると今後の計画にも支障が出る。
「《E−HERO》隊に伝令。プランFを実行に移せ」
 この命令に不信感を持つ者は、まだカナンの周囲にはいない。
 プランFは来るべきデーモンの戦線投入に必要な過程と、誰もが思っている。
 ゆえに手駒である《E−HERO》たちは、“作戦”によってカナンの許へ“一時”帰投する。
 続けてカナンは声を張り上げる。
「各部隊は少しずつ後退し、デーモンを運用可能な域まで敵を誘い込め! ただし押し切られるな。これ以上敵方を勢いづかせてはならん!」
 つまりカナンは、ラビエルと同じことをしようとしていた。
 今のカナンにとって、ガリウスは脱出するまでの足止めに過ぎなかったのだ。 
 






 ガリウス軍の第一陣が半壊し、撤退していく中、数体の《デーモン・ソルジャー》が御影佳乃を目掛けて突っ込んできた。
 内2人は総大将を護る騎士たちが討ち取ったが、残る一人が全身に傷を負いながらも兵の波をかいくぐり、佳乃と直接剣を重ねた。
「く……」
 下級モンスターといえど、腕力では敵の方が上。
 捨て身ともなれば、さらに一撃は重くなる。
 だが、佳乃も伊達にここまで生き残ってきたわけではない。
 体勢を斜めにずらし、遠心を効かせて攻撃をいなすと、そこへ次々と同盟軍兵士の長槍が殺到し、命懸けの特攻は未遂のまま終わった。
 憎しみと敵意で染められた眼から光が消える。
 このような行動に出る敵は、侵攻戦になってから格段に増えた。
 祖国を守るという大義名分の下、強固な鎧で精神を包んでいる彼らは、目に見えるステータス以上の力を発揮することがある。
 また、同盟軍が捕えた捕虜にしても、舌を噛み切る割合が明らかに多くなっている。
 恐怖でガリウスの民を支配してきたラビエルの治世で、本人が国を離れていたとしても、玉砕覚悟で向かってくる者がいるのはそう奇特でもない。
 暗黒の侵略者、ラビエル、両者の間には手段の差異こそあるものの、どちらも第一次元を危険とみなして行動している。
 その上で、第一次元の人間を将とする軍が攻めて来たとすれば。
 手段を重視する者なら、変化を止められなかったことを悔いて死に急ぐ可能性もあろう。
 あるいはこれまでの戦いで家族を失い、個人的な憎しみを佳乃に向けている者だって。
 全ては推測の枠を出ない。
 だが、そうして悩んでいるだけでこの戦いが止まらないのもまた事実だった。
 大陸の命運を前にしては、片方の軍を率いる立場の佳乃であろうと戦争を構築する一つのピースに過ぎない。
「このまま敵軍を追撃しろ! 休む暇を与えるな!」
 外門を突破すれば、その先に広がるのはガーデアと比べ物にならない規模の城下町。
 先陣を切って突入し、佳乃はぐるりと首を巡らせた。
 さすがは大陸有数の国家の首都、と言いたい所だが、街は暗く静まり返っている。
 同盟軍に攻め込まれている今、ふらふらと外を出歩く者などまずいない。とはいえそれを差し引いても、圧政による生活水準の低下は明らかだった。
 打撃痕の残る民家の壁、崩れた石製の通り、そうした類の惨状が嫌でも目に留まる。
 あとは無論、大量のガリウス軍。 
 行く手の大通りは多数のバリケードが騎馬の突撃を阻み、民家に潜む兵が不意打ちを狙う。
 たとえ国が滅びようとしていても、守りの側が城下を戦火に巻き込むようなことは少ない。
 それは民の求心力の低下を招くことになる。
 だが、第一次元の――それも誘拐されてきた客将が、そんなことを気にして戦うとは到底思えなかった。
 むしろゴブリン族を抱えている同盟軍の方が、市街地への被害を抑えるように戦わなければならないのだ。
 加えて穴熊作戦そのものが、敵の能力が判明しているからといって簡単に破れるものでもない。
 追撃とは、あくまで外門の制圧まで。
 そこから先は一貫した戦略のもとに動かなければ、壊滅は必至である。
「市街地の制圧は考えるな。道なりのバリケードを破壊し、城まで一点突破する!」
 この策の勝算は決して低くない。
 バリケードが築かれるような大通りは、すなわち地の利が生じにくく、逆に同盟軍は市街地に潜んでいるガリウス兵を誘い出すことが出来る。
 ガリウスの切り札が現れても戦力は互角以上を保っているし、何よりそのことは前もって全軍に通達してある。
 増援の脅威は単に数が揃っているだけでは意味がない。思いもかけない所に現れてこそ、最大限の効果を発揮する。
 だがその点、敵の増援は運用範囲が極端に限られている。外門にすら届かない距離では、本当に“城を守る”ためにしか使えない。拡大解釈して“城を守る”ために自ら打って出るようなことが一切不可能となれば、いくらでも手は見えてくる。
 そして――――
「ただし“デーモン”の支配領域には近付くな!」
 同盟軍が得たガリウスの秘策に関する情報は、紛れもない真実だった。
 “デーモン”と名の付く悪魔がいくら立ち塞がっても、同盟軍はそれを打ち破れる兵で構成されている。
 直接戦い始めるには、まだ後続が追いついてきていないが、進路を崩しているうちにそれも整ってくるだろう。
 すでにこの戦いの決着は、見え始めていた――――。







 ガリウス本城は地理的に言えば、北側が運河によって守られている。
 西はカイレスの西から連なる山脈となっており、大軍の運用には向かない。
 そして、攻められる想定の中で最も可能性が高いだろう、基本的には平野となっている南、東。
 城のすぐ南に位置する城下町は、市井の者たちへの被害を度外視すればゲリラ戦に最適だが、敵軍を阻む用意は他にも為されており、特に守りの弱い南と東には北の運河から引かれた水を活用して巨大な堀が造られている。
 この堀は決して城の防衛能力を落とすようなことはない。
 城周りを水で囲んでいるだけで、このような攻城を行う形式の戦争では大きな意味がある。
 これはデーモンの部隊も、近い要素を持っている。
 直接に敵兵を討てる仕掛けであり、今まで城内での運用を、それも1回しか行われていなかったため戦力として“数”に加えたくなるが、間違いだ。
 堀の水位が自動的に上昇、氾濫し敵を呑み込む。デーモンとは、せいぜいその程度の半自立的なギミックでしかない。
 せめて仕掛けが“デーモン”だとばれていなければガリウス側にも勝ち目はあった。
 屋外に晒されている堀と異なり、9年来に放たれる“デーモン”は隠匿されていたのだから。
 が、追い詰めていたゴブリンのレジスタンスは同盟軍に奪われ、十中八九――いや、確実に漏れていることがたった今分かった。
 デーモンを副作用なしに運用できる範囲、その手前で突如同盟軍が進軍を停止したのだ。
 おそらくデーモンを警戒してのことだろうが、カナンはこれが決して同盟軍にとって最高の作戦ではないように思えた。
 万魔殿の加護を受けられなくなるとはいえ、範囲外に出た途端、即座に戦闘力を失うわけではない。
 そして、大通りを突っ切ってきたということは、後方の市街地に配したゲリラ兵たちがほぼ手付かずで残っているのだ。
 この2つの部隊を動かせば、敵軍の主力を挟み撃ちにできる。
「でも、それは間違いなく罠……。市街地の戦力をさらけ出せば、今度は向こうの後方部隊に強襲される」
 元々は、寡兵で可能な限り敵軍を足止めする仕組みに過ぎない。
 それをこちらから大通りに集結させてどうする。
「潮時……か……?」
 正直に言えば、もう少し同盟軍の戦力を削りたい。
 ただやはり、第一次元の人間が3人もいるのでは、取れる作戦の幅が違う。
 幸いカナンの手駒である《E−HERO》は既に帰投し、別室で待機させている。
 あとはどのタイミングで離脱するかだった。
 当然ガリウスへの背信行為なのだから、万魔殿に集うガリウスの幹部達は皆殺しにする必要がある。
 そちらはいつでも実行可能な状態になっている。そのための《E−HERO》の帰還だ。
 あまり粘れば向こうの人間に捕捉される危険もあるし、そろそろ充分ではなかろうか。
 そう、思考した時だった。
「ッ……!?」
 魔力と熱量を帯びた光球が、カナンの視界の端に現れた。
 その威力たるや、上級悪魔でも即死級。
 ましてやただの人間であるカナンならば、掠っただけでも致命傷になり得るレベルだ。それ以前にカナンの反応速度と運動神経では、到底回避など間に合わない。
 尤も、その程度の攻撃が奇襲として成立するようなら、カナンは大陸規模の戦争に身を投じることもなく、惨めにこの世を去っていただろうが。
 カナンの斜め後ろで護衛として控えている《マリシャス・エッジ》は、デュエルディスクに置いて具現化されたモンスター。特に精霊など宿っていないごく普通のカードで、動くにはカナンの指示が絶対条件となる。命令を出す間もなく迫ってくる光球の前では、まさしく木偶も同然だった。 
 ただ――――木偶としてそこに突っ立っているのには、重大な意味がある。
 光球はカナンを護る《スピリットバリア》に弾かれてあらぬ方向へ跳ね、万魔殿の《ヘルポーン・デーモン》を生産する彫像にぶつかった。爆音と共に光が急速に拡大し、そして収束する。デーモンの骨子たる彫像は跡形もなく崩壊していた。
 バリアに守られこうして無事でも、その威力は脅威に値する。ガリウス幹部――ではなく直属の部下である『E-HERO』たちの手前、無様に泣き叫ぶことはできないので生唾を大きく嚥下し、光球の発生源である左方の天井付近に首を動かさず視線だけを遣る。
「やれ」 
 平坦に呟くと、護衛の《マリシャス・エッジ》が視線の方向へ長く鋭い爪のナイフを投擲した。
 天井から伸びる突起にしがみついていた2体の悪魔が、ナイフをかわすために突起から手を離し、背中の羽で落下速度を調節しながら降下してくる。
「《ノーレラス》……《インヴァシル》……」
 反乱を起こした悪魔の分類名について、カナンは理解していた。
 M&Wにおいて《天魔神》の名を冠しており、この世界における成り立ちはカードテキストの情報とほぼ同じだった。
 すなわちガリウスの悪魔とローレイドの天使を掛け合わせる研究の末に誕生した存在。
 そしてこの研究であるが――本国への反抗、その勝利のために必要不可欠で、量産の目処やコストパフォーマンスをはじめとする様々な面に気を払わねばならないローレイドに対して、意外にもガリウスはそうした分野に疎く、現在もあくまで初心的な試行錯誤の段階を彷徨っている状況だ。
 研究そのものの内容も、少なくともカナンの主観では、ローレイドに比べて倫理的な逸脱具合は微小な範囲に留まっていた。 
 M&Wの《天魔神》の召喚条件からも読み取れるその研究とは、死体のかけ合わせ。
 死者への冒涜がないといえば嘘になる。だが、生きている悪魔や天使の苦痛と絶望の果てに生まれるモノに比べれば幾分かマシだとカナンは考えていた。
 これまでのカナンの人生に敗北はない。
 何故なら敗北とは、まさしく死ぬことだからだ。
 生きている限り撤退することができる。生きている限り逆転のチャンスがある。
 決して幸福とはいえない育ちをしてきたカナンにとって、生は最後の逃げ場であり、それは同時に人間としての究極の本能をもかき立てる。
 (私は――――勝ち続けてきた。そしてこれからも、負けるつもりはない!)
 ノーレラスもインヴァシルも油断ならない能力を有している。
 その生誕方法には多少の同情もしよう。
 だが、はっきり言ってこの程度の敵に負ける要素は見当たらなかった。
 カナンの持つM&Wの知識にこれらが含まれているというのもある。
 ただそれ以上に、《天魔神》たちはその生い立ちゆえ、生まれながらにして負け組なのだ。
 反乱を招いたのは将であるカナンの落ち度ということと、半分は純粋な人間への不信によるものだろう、万魔殿に集うガリウス幹部陣はカナンに味方せず必死に動向を追っている。とはいえ《天魔神》にも与しない辺りに彼らの臆病な魂胆が透けて見える。
 彼らは、己の所業を理解せず助けを求めてきたあの少女と同じだ。ガリウスが大陸規模の戦乱を仕掛けられたのは、彼らが嫌悪する人間のおかげなのだ。そのくせ負けるとなれば他人事のように接する。否応なく敗北と隣り合わせの場所に立たされてきたカナンの苦しみなど知る由もない。
 ギリ、と奥歯を噛み締め、感情を抑え込む。
 様子見に走る幹部どもは鬱陶しいことこの上ないが、決断力に乏しく、敢えて言うなら後でどうとでもなる。
 最終決戦の真っ最中だというのに、指揮系統を放り出してまでこんな結果の見えている小規模な内乱を注視するなど愚の極みだ。
「さて、《天魔神》ども。私は同盟軍の将を討てと命令したはずよね?」
 それがどうして反逆行為になったのかしら、とカナンが問う。
 ノーレラス、インヴァシル、そしてエンライズを含めた計20ほどの研究成果には、同盟軍の本陣を強襲する役目を与えていた。
 結果、この場に戻ってきたのはノーレラスとインヴァシルが1体ずつのみ。残りはおそらく同盟軍に討たれたのだろう。
 そしてわざわざカナンを亡き者とするために戻ってきた。
「それとも、助命と引き換えに寝返りでも強要された?」
「………………」
 沈黙を貫く《天魔神》。
 カナンとしても真実を答えてもらうことを期待しているのではなく、頭の整理も兼ねて口に出しているだけだ。
 デュエルディスクを構えた臨戦態勢のまま、さらに思考を進める。
 はっきり言って、対峙している《天魔神》の姿は、理知的に交渉、降伏してきたもののそれとは明らかに異なっていた。
 M&Wのカードイラストにない無数の傷は、満身創痍で命からがら逃げ帰った光景を否応なく想起させる。 
 しかしこの見立てが正しいとすれば、どうしてこの者たちは自分に牙を剥いているのか、カナンは理解できなかった。
 彼らは生き延びられたのだ。ガリウスの陣内に逃げ果せたのだ。
「確かに私が指示した作戦は成功する見込みが極端に低かったかもしれない。でも、既に追い詰められているガリウスが“戦争に勝つ”には、あれ以外に方法がなかったのも事実よ」
 首都を懸けた決戦でもなければそこまでする必然性はなかったかもしれないが、しかし戦争は倫理的な垣根を容易く壊してしまう。それは誰の責任でもない。強いて言うならこの状況を招いたのはガリウスという国家そのものだ。事ここに至っての場当たり的な反逆は、ただの逆恨みである。
「それに――お前たちは勝利者よ! そのボロボロの姿を見れば分かる、必死に追撃を振り切ってようやく安全圏に戻れたんでしょ。どうしてそのまま逃げなかったの? ガリウスのことなんて忘れて、生き残った勝利を味わっていればよかったのよ」
 将の発言として問題があるのは分かっていた。
 だが、カナンもとうとう心を決めた。このいざこざが終わり次第、ガリウスから離脱する。
 求心力など元々なかったカナンにガリウス幹部たちが付き従っていたのは、単純に戦闘力でカナンが勝っていたからだ。
 恐怖による支配は、こうして表立って反抗を示した者が現れたことによって今すぐにでも瓦解するだろう。
 敗戦に次ぐ敗戦のストレスで頭には血が上り、判断力も削られている。生き延びるには将に全ての責任を転嫁するより他にないという短絡的な結論に達するまで、そう時間はないはずだった。
「カナン・シェイル――貴様は我々に偽りを伝えた! 第一次元の人間は前線に出て来ている。本陣を落とすチャンスだと。だが、同盟軍の本陣にはその左腕の機械を付けた男が間違いなくいた! これをどう説明してくれる!!」
 ノーレラスが、ついにカナンを裏切った理由を叫ぶ。
「簡単な話よ。同盟軍には第一次元の人間が最低3人いる」
「な……に……。そのようなこと、貴様は一度も……」
「なら、それを伝えたところであんたたちに勝ちの目が生まれるの? 私だってガリウスを勝たせるために戦っているんだ! 成功の見込みが低くとも、やらざるを得ない時はある」
「今でもそう思っているのなら、なおさら貴様を討たねばな。抗戦を唱える貴様の首を取り、同盟軍に謙譲してくれよう」
「……舐めるなよ、負け犬めが。第一次元の人間に敗北したお前たちが、私に勝てる道理はない。忘れているみたいだけど、私もかつては第一次元の人間で、その力は今も使いこなせる」
「ぐ……!」
「そんなことすら思い浮かばなかったのか、負け犬。ああ、そうだ。死肉を依り合わせ、ねじ混ぜた塊に過ぎない泥人形めが! お前たちは、生まれながらにして敗北者なんだよ!」
 この発言が止めだった。
 侮蔑と挑発だけを繰り返した無益な罵りの応酬は、交渉のこの字の片鱗すら現れないまま最悪の結果に終わった。
 ただし最悪なのは《天魔神》にとって、であるが。
「《E−HERO》よ――この場にいる全ての悪魔を殲滅しろ!!」
 万魔殿のすぐ外に待機していた《E−HERO》が、カナンの命令に呼応し瞬く間に万魔殿中を埋め尽くす。
 そんな状況になって、しかしそれからさらに一拍遅れて幹部たちがようやく逃亡を図り出した。
 何の策もなく、ただ恐慌状態に陥ってバラバラに散り、そしてすぐさま《E−HERO》に包囲された。
「貴様、やはりガリウスを裏切る魂胆であったか!」
「自分を“造る”ような国に忠誠を持てるなんて思考停止も甚だしい。できれば味方に付けたかったけれど、そんな態度を取るなら殺すしかないじゃない、ね?」
 果てしなく傲慢で、しかし実力に裏打ちされた酷薄な笑みがノーレラスへと向けられる。
 それに従い《マリシャス・エッジ》が跳ねるように接近。構えるノーレラスの腕は、篭手のような物質と融合している。
 爪の刃と篭手状の腕が交差し、互いに弾き合った。
 そのままニ撃、三撃。
 四度目の刃が的確に防がれると、《マリシャス・エッジ》に隙とは呼べないほどの小さな硬直が生まれた。
 すかさずノーレラスが反撃に移る。篭手の硬度を得た強烈なブローは、しかし無理せず距離をとった《マリシャス・エッジ》にかすりもしない。
 基礎能力では《マリシャス・エッジ》が勝っているのだ。
 このままじわじわ攻めて疲労させていけば、万魔殿一帯に響き渡る阿鼻叫喚が鎮まる頃には倒せているだろう。
 結局ガリウスの幹部たちは、最初の一人が肺と心臓をまとめて貫かれるまでただ混乱するだけだった。
 《暗黒の侵略者》に《ラビエル》、方向性はともかく強大な力とカリスマを持った国家元首たちに対して、彼らは盲目的に従うのみで己の決断力を磨いてこなかった。
 初動で逃走を決め込んでいれば、精鋭とはいえ少数勢力の《E−HERO》では討ち漏らしていたかもしれない。
 それはどうやら、無用の心配だったようだ。
 魔の力を得た英雄たちは、順調に万魔殿の床を悪魔の血で塗り替えている。
 むしろこの場ではノーレラスから注意を逸らしてしまったことの方がミスだった。
 カナンを殺すために戻ってきた時点で気付くべきだったのだ――自らの命への執着は薄いのだと。
 ノーレラスが、手許に闇の渦を拡げていた。闇の渦はブラックホールのように周囲の物体を吸い込み――
「それだけじゃない……! 空間をも吸って歪めているの?」
 完全に渦が起動すればノーレラス本人も無事では済まない。
 だが、“そういう”効力を持っているのだと、カナンは知っている。つまりそれは、脅しか本気かを判別できるということだ。
「スキル……ッ……」
 反射的にあらゆるモンスターを骨抜きにする最強の結界を発動させようとして、ノーレラスに寄り添う天使の存在を認め、慌てて詠唱宣言を切る。 
 インヴァシル。生贄のモンスターに応じて魔法、罠を無効化する特殊能力を得るモンスターだ。
 どちらの能力を得ているのかは分からない。確認しているだけの時間もない。 
 ノーレラスが発生させる闇の渦の影響範囲内から魔法、罠の無効化領域を展開するインヴァシルは、しかしどうにか直接戦闘で排除できる可能性をまだ残している。
 ただ――それには、《E−HERO》1体の犠牲を覚悟しなくてはならなかった。
 《天魔神》や他のガリウスの悪魔たちに対して行ってきたように、一つ覚えに玉砕覚悟の命令を発するわけにはいかない。
 カナンが支配する無二の戦力である彼らだが、従っているのはカナンについて行けば生き残れる可能性が高いから、という魂胆もまず間違いなくあるだろう。
 とすると、ここでたった一人であろうと使い捨てにしてしまえば、カナンに対する不信は後ろから刺されるのを危惧しなければならないほどに高まってしまう。ミステリアス程度の認識ならともかく、裏切りを天秤にかけさせるような行為は慎まねばなるまい。
 ライトニングゴーレムの雷、インフェルノウイングの炎が遠距離から《天魔神》の殺害を試みるが、ノーレラスが作り出す闇の渦はそれらを全て吸い込み打ち消してしまう。
 打つ手は、残り一つ。
「《マリシャス・エッジ》!!」
 カナンがそう叫び、それに反応して動き出す配下は、誰一人としていない。
 が、その名を呼ばれて《天魔神》に向かって走り出す人形は、“有る”。
 デュエルディスクを介して、カードから召喚したモンスターが。
 自分に似た容姿をした悪魔がこのような残酷な扱われ方をしているというのは、決して良い気分ではあるまい。
 とはいえ、カナンがこうした方法で犠牲を減らしたことは一度や二度ではなく、ガリウスの《E-HERO》にも周知である。 
 目的はどうあれ気を遣っていることは確かなのだから、わざわざ非難してくる者もいなかった。
 かくしてそんな経緯で、《マリシャス・エッジ》は疾走する。
 ますます肥大化を続ける闇の渦に《マリシャス・エッジ》が触れると、その部分が伸びるように大きく歪み、音も感覚もなく最初からそこに何もなかったかのようにごっそりと肉片が消失した。
 それでも《マリシャス・エッジ》のカミカゼは止まらない。実に4割近くが消失した両腕で、首を絞めるような動きでインヴァシルを抱き込むように捕らえ、万魔殿の床を大きく蹴った。
 と、同時に闇の渦が踏み込んだ足を呑み込み、バランスを崩した《マリシャス・エッジ》はインヴァシルごと万魔殿を転がる。
「ウオアァァァアアッ!」
 この攻防を制した《マリシャス・エッジ》はインヴァシルの上で馬乗りになり、雄叫びを上げながら両腕の爪を交互にインヴァシルの頭へと突き入れる。
 闇の渦で傷を負っているのは《マリシャス・エッジ》だけではない。人形の突撃前からノーレラスを護っていたインヴァシルは、それこそ《マリシャス・エッジ》の比ではなく、立っているだけで命に関わるほどに肉体と臓器を消失させられていた。
 抵抗らしい抵抗もできぬまま、インヴァシルの頭部は爪の連撃を受け入れる。闇の渦による消失とは異なる、戦いによる傷は痛覚を極限まで刺激し、インヴァシルの意識を削ぎ落としていく。
 時折感じる苦悶に満ちた声未満の唸りすらとうとう潰えても、顔と分からないほど貫かれ、砕かれた骨格に《マリシャス・エッジ》は執拗な追討ちを加える。
 最後の味方が失われた《ノーレラス》は、しかしそちらを一顧だにせず闇の渦をなおも拡げていく。《ノーレラス》自らも渦の影響を受けて片腕を失い、身体の所々に穴が空いているが、その程度で闇の拡散が止まることはない。複雑な詠唱や儀式など必要とせず、その代価に自らの血肉を糧とする。元よりあれはそういう術式だ。
 インヴァシルを倒したこの段階で、既に闇の渦は《ノーレラス》を護る障壁の役割も有していた。直接的、物質的な攻撃であれば、渦は勝手に仕事を遂行してしまうだろう。だが――《インヴァシル》の結界を失った今、外部からの干渉条件はむしろ緩くなっている。
「――《スキルドレイン》」
 どうやら闇の渦は拡げるだけでなく維持するのにも何らかの能力が働いていなければならなかったようだ。ソレを奪われた《ノーレラス》に残るのは、致命的な自傷だけ。この場から離脱する余力すらも残されていない。《ノーレラス》は目的を達することもなく、無意味かつ惨めに果てる。
「グ……クソオオォォォォォッ!!」
 最終術式の展開と引き換えに身体機能を犠牲にした《ノーレラス》では、《マリシャス・エッジ》に抗する術などなかった。
 悪魔の爪が、狙いを過たず正確に心の臓を貫いた。
 その一撃で以って《ノーレラス》は絶命していたが、支えを失った肉塊はまだ、胸に刺さったままの爪にぶら下がっていた。 
 それを振り払うように引き抜くと、《ノーレラス》だったモノはありとあらゆる傷口から大量の血液を噴き出し、為すがままに倒れ伏した。
 あまりにもあっけない幕切れ。《E−HERO》による、ガリウス幹部の掃討も済んでいなかった。
 とはいえ、たかだかモンスター2体による氾濫としては、よく耐えたというべきだろう。
 それにここへ来て、改めてフィールドリセット、全体破壊効果の脅威を認識できた。
 他の次元と比べて重篤な管理社会である第一次元に戻れない以上、カードの能力再現がどのように行われるのか知っておくことはデュエリストとして極めて有益となる。
 一つの戦いを終えてカードをデッキに戻していると、万魔殿を飛び交っていたガリウス幹部たちの悲鳴が、いつの間にか途絶えていた。
「“掃除”が終わりました」
「ええ、了解よ」
 報告を聞くよりも、万魔殿中に広がる赤と鉄の臭いが全てを物語っていた。
 死体を踏みつけている者もちらほらと見かける。
 “これ”を実行に移すタイミングをこそ、カナンはひたすら見計らっていたのだ。
 デーモンを囮として起動させ前線に投入する手筈を整えると、カナンは叫ぶ。
「これより我々はガリウスから脱出する! こんな地の底の掃き溜めで一生を終えたくないのなら、私について来い!!」
 拒めばどうなるかは、足元に視線を降ろせば火を見るより明らかだった。
 今さらたじろぐような甘さを持つ者はおらず、そして《E−HERO》たちは膝をつき頭を垂れる。
 そんな彼らを道具として見下ろす少女が、一人。
(私は、死ねない……!! この力を使って、こいつらを犠牲にしてでも、絶対に生き残るんだ――!!)


 
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 永瀬巧は、迷っていた。
 先陣が市街地に入った後、しばらくはデーモンの勢力圏外で戦闘を行ってゲリラを炙り出し、時機を見て突撃という戦略。これに問題はない。
 その実行に際しても、順調に計画通りの行程を進んでいた。
 デーモンが万魔殿の影響範囲外に出て攻めて来たのは想定外だったが、それは下策ゆえに排除したものであり、結果デーモンも難なく捌けている状況だ。
 だからこそ――巧の脳裏には懸念が付き纏う。
 つまるところ、あまりにも勝ち過ぎているのだ。
 例えば、指示伝達の差はこちらに有利に働いている。しかしそんなもの、デュエリストが移動してしまえば――前線に佳乃がいるため逆転は難しいが――ゼロに近付けるのにさほど労力は要らない。
 あるいはデーモンの運用。ドーマ戦役の経過を振り返れば、いくら城下で押されていても最大限の力を発揮できない内は一切その姿を現さなかった。民を見捨てて敵を討つような兵力を、ましてや第一次元の人間が友軍の救援にデーモンを差し向けるとは到底思えないのだ。
(数だけは揃っているから――足止めか? であれば奴らの切り札は別にある? それとも――)
 高速で思考を展開させていると、そこへ伝令が訪れる。
「申し上げます。ただいま南方に“天使”の姿を捉えました」
 それは巧にとって聞き捨てならない報告だった。
「……数は?」
「単騎です。ガーデア城主に仕えていた女性だったと記憶していますが……どうやら負傷しているようなのです」
 話をさらに促すと、それも飛行に支障を来すほどの重傷らしい。
「分かった、救助させろ。話ができるまでに回復したら、ここへ通してくれ。危険な状態ならこちらから出向こう」
「承知しました」
 ガリウスの内通者か、はたまた同盟軍を追って来たのか、いずれにしても身柄を確保しておくに越したことはない。
 だがおそらく、前者はないだろうと推測していた。
 ガーデアで瑠衣と別離してから2週間あまり。その間、巧と佳乃はただの一度たりともガーデア――ひいては瑠衣と連絡を取っていない。
 とはいえ、瑠衣が何をやろうとしているかは理解している。
 成功するとまでは思っていない。しかしたとえ失敗しても、瑠衣さえ無事ならば今後に支障はなく、大いなる脅威に立ち向かう経験はいずれ役に立つだろう。
 何より干渉しないということは、それそのものが消極的ながら信頼の形である。向こうは喧嘩別れ的な状態であるため連絡は取りづらいのかもしれないが、少なくとも巧はガーデアに関する一切を瑠衣に任せていたのだ。
 そしてここへ来て、ガーデア城主の側近がおそらく大陸の南北四半分以上をかなりのペースで走破し満身創痍で現れた。
 それが意味する最悪の想像を、巧はほとんど完璧な形で思い描けていた――――。




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 結論から言えば、万魔殿には外へ出るための隠し通路がある。
 南の城下に通じ思わぬところから伏兵を送り出す目的のものは、万魔殿の地理的構造上、決して少なくはない。
 だが、現在カナンが使っているそれは北方、しかも外門や天然の要害として利用されている運河よりも、さらに遠くまで続いている。
 王族が包囲を脱出するために使う類の、脱出通路。
 目的こそ脱出ではあるが、この通路は今、第一次元のデュエリストにしてガリウスを実質的に滅ぼしたカナンのためにあった。
「もう少しよ……。地上の光が見えてきた……!」
 後続の悪魔たちと、そして自分を奮い立たせるべく、カナンは大声を張り上げる。
 万魔殿に押し込められ延々と指示を出していた彼女にとって、数日ぶりの陽の光は筆舌に尽くしがたい感涙を与えてくれる。それは悪魔族の国家に所属していようと変わらない。
 ガリウスに世界の脅威と判断され、第一次元の人間というだけで攫われ協力を強いられていた頃など、数週間、数ヶ月単位で空を仰ぐことが叶わない時期もあった。
 そして、久しく眺めていなかった外が目の前にまで訪れている現状、本能的に心躍らずにはいられない。それは誇張なく悪魔に魂を売ったカナンであろうと変わらなかった。
 通路を抜けた先には平野――とはいっても草原ではなく、作物の一つも育たないような荒野が広がっている。
 これは先天的な土地柄によるもので、別段ガリウスが環境に深刻な被害を与えてきたわけではない。ガリウスは領土全般に渡ってそうした場所が多く、西方への戦争を仕掛けたのは扶養な土地を求めてといった背景もあった。
 尤も、そんな理念など今は昔。暴走する現在のガリウスを擁護するつもりなどカナンにはなかったし、そもそもついさっき踏みにじってきた。思えばそれは孤児として貧しい過去を送ってきた自分と比べての、同族嫌悪だったのかもしれない。
 そう――もはやカナンとて暴走している。何が動機なのかも忘れ、ただ世界を破滅させるためだけに全てを棄てるカナンが壊れていないはずがない。
 自覚はある。けれど止められるとも、止めようとも思わなかった。
 つまるところ、カナンは“否定”することによって生きていた。
 他者を貶めて自分を正当化するそれは、麻薬にも似た中毒性がある。
 否定することを覚えてしまえば逃れるのは困難であり、自信はやがて過信に、そして傲慢へと姿を変えていく。その果てにあるのは議論の放棄だ。対話による拒絶や別離と近い存在でありながら、カナンの“否定”は対話そのものを放棄していた。
 “それ”は確実に、勝利とは程遠い。だが、勝利に擬態する側面があるのは隠しようがない。
 無論、カナンにもそうせざるを得なかった理由はある。極めて陰湿かつ劣悪な苛めを堪え抜くには、自身の正当化が必要だった。仮初の自信で武装しなければ、力が全てのガリウス社会で権力を持てなかっただろう。
 優れた頭脳も運動能力も特別な才も、一切持たざる者であるカナンが生きているのは、何もかもを否定する弱さすらも、殊更に強く否定で糊塗してきたからに他ならない。
 ただひたすら、盲目的に、前へ。

 ――――カナンは、気付かなかった。
 
 通路の出口の光に、一瞬だけ影が横切った。
 そして影はその時に、通路の中へ光を放った。
 カナンはそれを、単に光が近付いているとしか考えなかった。
 疲れきった身体と狂気に支配された頭では、それが限界だった。
 鷹揚に、無思慮に、カナンは光を受け止め――――

 デュエルディスクが、爆発した。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
 理性の箍が外れたかのような、カナンの絶叫。
 しかしそれだけの傷を確かに負っている。
 焼け爛れ、骨が潰れ、原形を留めない左腕。
 同じく左のわき腹は大きく抉れ、ちょうど闇の渦に呑まれたかのようにごっそりと失くなっていた。
 加えて爆発による熱と砕け散ったデュエルディスクが、傷口をより深刻な状態に陥らせている。
 熱を帯びたディスクの破片があちこちに刺さり、随所の身体機能を奪っていた。
 そして――――カナンはその様子を確認することができない。
 カナンの右目にはまさにその破片が、反射的に閉じた瞼の上からぶらさがっていた。
 爆発の際に生じた光と苦痛のあまり滲む涙と頭部からも流れる血が混じり合って、左目もその役割を果たしていない。
 しかしカナンとて、いくら指示を出すだけだったとはいえ前線に出ていたことは紛れもない事実である。このような所で座り込んだままではそれこそ本当に殺されてしまう、その恐怖がカナンを奮い立たせた。
 目を潰されたのなら、次に頼るべきは耳。神経が焼き切れそうな痛みで頭がぼんやりしているが、鋼鉄の如き意思で押さえ込んで聴覚を研ぎ澄ます。
 普段は視覚に頼っていたカナンにとって、はっきり言ってその感覚は脆弱に過ぎた。だがそれでも、例えば後ろから迫る《E−HERO》たちがカナンの横を次々と通り過ぎていく足音と、前方で繰り広げられる爪や剣などの武装がぶつかり合う音はカナンの耳にも届いている。
 そして、それが意味するところとは――この通路の出口で敵が待ち伏せしていて。
 今現在その敵と交戦状態にあって。
 真っ先にカナンのデュエルディスクを無力化しに来た、ということ。
「ッ――――!?」
 指示を出すだけならばまだいい。
 だが、それを実行できるに足る兵は?
 同盟軍の戦力は潤沢だが、カナンに対抗しようと思うならばノーレラスのような数値の割れたモンスターではなく、同じ第一次元のデュエリストを差し向けてくるはずだった。
 それこそ正気の沙汰ではない。主戦場の南門どころか後背の北門からも遠く離れた脱出通路の出口に、最強クラスの戦力を惜しげもなく投入してくるなんて。カナンと主だったガリウス幹部が消えたとはいえ、後に引けない前線の兵たちの士気は決して低くはあるまい。
 ふっ――と息を吐く。
 右目は現状では諦めるしかないとして、左目の視力もまだ戻ってはいない。下手に拭おうとすれば破片が目に入る恐れがあり、よってここは自然に回復を待つより他にない。
「状……況を、報告……しろ……! 敵は……どこ……の、部隊だ?」
 代わりにカナンは声を張り上げた。そこさえ知ることができれば、まだ勝ち目はある。
 戦う術を失った将のこの命令を、咄嗟に聞き入れる程度にカナンは《E−HERO》を支配できていた。
「……分からないのです。あのような軍は、カナン様から得た知識の中にはありません!」
 だが、部下の報告はカナンの期待を大きく裏切るものだった。
 《E−HERO》たちは――あくまでカナンに対抗する術を持たないレベルではあるが――カナンによって、M&Wに関して他のガリウス兵とは一線を画する知識を得ている。異世界では魔法や罠を行使するのもモンスターであり、それらが独り歩きすることはないため、モンスターの判別についてはとりわけ時間を割いて学習させた。
 それでも見分けがつかないとなれば、やはり敵はカナンをピンポイントに狙ってきているに違いない。
 第一次元の裏社会で開発されるようなカードの全てを網羅するというのは、カナンであろうと不可能だ。そうしたモノを持ち込まれてしまえば、能力を把握するまでにかなりの時間を要することとなる。それまでは、的確な指示ができるとは思えない。
「敵指揮官は……“人間”?」
「そうだと思われます。左腕に同じ機械を装着した人間を目撃しました」
 考えてみれば、同盟軍に所属する第一次元の人間は3人。うち1人は本陣に控え、1人が最前線で指揮を取っている。そして残りの1人がどのように動いているのか、カナンはまるで知らなかった。
 ガリウスを裏切るタイミングに腐心していたとはいえ、そちらへの警戒を怠っていたつもりはなかったが、十分というには足りていなかったらしい。
 己の迂闊さに悪態を思わずつくが、そうしてばかりもいられない。性別を確認すると、女との返答が返ってきた。
 となると、使っているカードはドラゴンが中心だろうか。直感的にそう結びつけて問うと、今度は否定。
「違う人間……いえ、そうとも限らない。デュエル用のデッキと、この世界の戦争で運用する“戦力”が違う……?」
 ガーデアで目撃した、線が細く、しかしカナンにも負けないほどの情動を顕にしていた少女。彼女が用いていた竜は、覚えている全てが市販されている、カナンにも既知のカードだ。だが、決して“それ以外”のカードをこの世界に持ち込んでいないという保証はない。
「あ……ぐ……!」
 思考に水を差す全身の鋭い痛みに、カナンはまた膝をつく。
 戦局は部下に尋ねるまでもなく、明らかに最悪だった。カナンの思考を読み取ったかのような奇襲だけで十二分に兵は浮き足立っているのに、加えて“知らない”敵ばかり。指揮官がどちらも第一次元の人間である以上、その差は何倍にも増幅される。
 さっきから耳に入ってくる断末の絶叫も、《E−HERO》のものばかりだ。
「デュエリストの女が指揮官だ!! 他の敵は……無視していい。そいつを何としてでも討て!!」
 状況がはっきりと見えていない自分が下手に指示をしては、兵の感覚との差異が生まれ、混乱させてしまう危険性がある。
 とはいえ、このまま手をこまねいているだけでは、壊滅は必至。そこで発した命令が、方針を明確にするものだった。
 正体が分からないモンスターとなれば、それはまず間違いなく第一次元から持ち込んだカードだろう。であれば、個々のモンスターに対処するよりも、カナンがそうされたように指揮官のデュエリストないしはデュエルディスクを標的にするのが正着だ。
 遠近感を失い血と涙でぼやけてはいるが、ようやく戻り始めてきた視界の先では、配下の悪魔と白の装備を纏った戦士たちが残酷な命のやり取りをしていた。
 人間の騎士や魔術師、神官に獣の頭をした者など、敵軍の編成はバラバラ。
 それでいて、統一意志の下で動いているかのような、完璧な連携戦闘で《E−HERO》を翻弄している。
 ただ、そちらに惑わされず一点突破を図りさえすれば、まだ勝ちの目は残されている。
 その一方で、カナンはこの戦いからの離脱を考える段階にきていた。
 あらゆる面で最強の武装であるデュエルディスクを失い、命に別状はないものの傷も深い。配下の《E−HERO》は惜しいが、やはり自分の命に代えられるものではないだろう。
 ただ、そうなってくると問題になるのが退路だ。時間稼ぎに動かしたデーモンを突破されていれば、引き返したところで城になだれ込む同盟軍の餌食となるのが見えている。
 せめてデュエルディスクとカードが使えればと今さらながらに悔やむが、遅すぎることもまた理解できていた。
「だけど、まだ……! こんな所で、諦めてたまるか……!!」
 インフェルノ・ウイング、ヘルゲイナー、ワイルド・サイクロンら、配下の《E−HERO》までもがカナンを裏切っていれば、あるいは絶望していたかもしれない。
 しかし、彼らはいまだカナンを主として指示を仰ぎ、従っている。
 忠誠心によるものではないだろうが、それでもその事実はカナンの生きる闘志を再燃させて余りあった。
 カナンは、屈しない。
 それがたとえ、何度でも立ち上がる勇敢さなどではなく、見苦しく地べたを這いずるのに近くとも。
 屈しない。
 そうしてカナンが顔を上げると――――

 乱戦の只中で、“人間”が凄まじい怒りを押し殺して、カナンを見下ろしていた。
「……どうして」 
 あり得なかった。
 どうしてあの人間がここにいる?
 竜使いの少女ではない、“彼女”がここにいる?
 だってカナンが知る限り――彼女はカナンと同じようにこの世界での立場を築き上げ、同時に縛られている存在なのに。
 それを指摘するため、わざわざ国境まで出向いて邂逅したのだ。前線に出て来られる敵方のメリットは、単に士気を上げるだけではなく、数値化からの速攻対応など、むしろ人間だからこそ発揮できるものも多い。
 とはいえカナンの身体能力で戦場に出られるはずもなく、だからこそ第一次元の人間である同盟軍の将に釘を刺しに行ったのだ。
 その成果は、ガーデアで別の人間と合流したのを目撃した時の落胆が嘘のように、きちんと形になっていた。国境を越えてからカイレス城の攻防に至るまで、大規模な戦では彼らの姿は目撃されず、それはつまりカナンと同じ土俵にわざわざ立ってくれていることを意味する。
 そしてこの戦いにおいても、前線で剣を振るう分にはいくらでも構わなかった。既にカナンの心はガリウスの脱出とその後のことに移っていたのだから。
 だが、ただ一つだけ、あってはならなかった。戦略的価値を完全に度外視して一敗残兵のカナンを討伐しようと兵を差し向けてくるのだけは、絶対に避けなければならなかった。
「く…………奴の首を獲れ!」
 特に――敵方の人間が自らカナンを討伐しに現れることこそ最悪だ。
 そんな、負けると分かっている戦いに身を投じる気などない。
 カナンを絶対確実に討とうとしている敵の人間と、片や逃亡を優先しているカナンとでは、戦闘に懸ける気迫が違うのだ。その差は多少の地理的条件程度で覆るようなものでもなく、ゆえにカナンは脱出において最も彼らとかち合いにくいルートを――かち合ってしまった場合の地の利などを一切無視して――選択した。
「殺せ……!! 殺せって言ってるでしょっ!!」
 分かっていた。
 この女は今までの戦いで用いていた剣を抜くことすらなく、しかし無傷で、戦場の中心に絶大な存在感を放っている。
 正確には――彼女の背後にある巨大な“何か”が発する輝き。それが周囲の戦士たちに力をもたらし、彼女に仕掛けようとするガリウスの《E−HERO》を薙ぎ払う。
 《E−HERO》も彼女を討とうとはしているのだ。しかしそれでも、倒せない。
 遮蔽物のない通路でまともに光の熱線を浴びた悪魔は、たちまちその身を灰に転じさせていく。
 ――勝てるわけがない。
 もはや一刻の猶予もなかった。
 常人より早く、優秀な戦士や参謀よりもなお早く、そしてこの状況に限れば極めて遅くカナンは身を翻した。
 分岐などがない以上、戻る先は必然的に万魔殿となる。
 2万7千のデーモンとガリウスの本隊が突破されている可能性は、ないとは言い切れなかった。
 まともに戦闘をしているならともかく、カナンがガリウス幹部の悉くを殺害したことにより、指揮系統が寸断され戦意を喪失しているかもしれないのだ。戦闘機械のデーモンにそちらの心配は不要なものの、一部が万魔殿の影響範囲外に出ているデメリットがどこまで作用しているかにも依る。
 仮に突破されていたとすれば――自分がとるべき選択肢は?
 カナン・シェイルは一応ガリウスの高官として認められるだけの立場に就いている。だが、他でもない同盟軍の将が、口一つ聞くことなくカナンを殺そうとしてきているのだ。これで白旗の道は潰えた。
 ならば適当に兵を殺し、鎧などを身に着けて成りすますべきか。
 その案にもカナンは頭を振って否定する。今の自分には戦う術――デュエルディスクがない。怪我を負っていて体力の消耗も著しい現状、生身の戦闘を行うのは得策ではないだろう。
「く……そっ」
 傷病兵に紛れる、城内に隠れ機を見て再度脱出を試みる、いくつかの案は浮かんだが痛みと熱で思考がまとまらない。
 疲労で走り続けることすらままならなくなっていた。
 カナンはひたすらに脚を動かす。
 全てを奪われながら、進む。
 地位も、駒も、自らが戦う術も、カナンが築き上げてきたあらゆるものが、その手から滑り落ちていく。
 そして――――――体温も。

 次にカナンの意識がはっきりした時、カナンの背中から剣が生えていた。胸を貫通した剣の切っ先がぼやけた視界に留まり、凄まじい形相でそれを掴む。その先にはっきりと、剣を握る同盟軍の将の存在を認識した。
 ――震えている。息遣いも荒い。おそらく彼女は、本当の意味で人間を殺すのは初めてだったのかもしれない。
 これが彼女の罪として魂に刻まれるのか――それとも刻まれて欲しいのか――カナンには分からなかった。考える気力も失せていた。
 刃が指に食い込み血を垂らしているが、その前から傷だらけだったカナンには些事と化している。
 二足の力が失われ、通路の床にごろりと崩れ落ちる。
 そうしてようやくカナンは、引き抜いた剣を手にする同じ年の頃の少女を見上げた。背に“あの”光は引き連れていなかったが、そうでなくとも彼女は輝いて見えた。少なくともガーデアでまみえた時とは別人だった。
 けれどやはり、カナンは自分の生き方を間違えたとも思えなかった。そこまで恭順する気はない。
 何も残せなくとも、何も為し切れずとも、最後まで敵として――果てる。
 覆せない敗北を、間もなく訪れる死を前にして、カナンができる抵抗はそれだけだった。
 ただ、できるなら――――カナンが欲しかったもの全てを持っているだろうこの女を、道連れにしたい。
 血を吐き、五感が失われていく中で、ナイフを、剣を、銃を、カードを、まさぐる。
 万に一つの偶然を信じてカナンは足掻く。足掻いて足掻いて、足掻き続けて――――――――――

 カナンは、死んだ(マケタ)






 
2章 その手に光の魂を



 ガリウス本城を巡る戦いは、間もなく終わりが近付きつつあった。
 それは同時に、ガリウスによって引き起こされた1年前のフォルオード侵攻から始まる、大陸規模の戦乱の終局をも意味していた。
 ガリウス軍を実質的に支配していた第一次元の少女、カナン・シェイルは斃れ、第一次元への侵攻に加わらなかったガリウス幹部たちも彼女の裏切りによって命を落とした。
 同盟軍の将、御影佳乃がカナンをその手で殺して万魔殿に到達した時、既にガリウスの高官は虐殺された後で、まだ同盟軍が前線を突破していない以上、誰がそれをしたのかは明白だ。
 元を辿ればカナンもガリウスによって人生を狂わされた被害者なのだろう。その点において2人は近しい存在で、佳乃としては多少の同情もある。
 ただ、ドーマやローレイドと協力関係にあったとはいえ、ガリウスは一時期西方の7割近くを手中に収めていた。そしてこの動乱の元凶として、カナンの名は確実に挙げられる。カナンがいなくともいずれ西方に攻め入られていた可能性は高いが、いずれにせよ彼女の持つ第一次元のM&W知識は、ガリウス軍に侵攻を決意させる要素としてかなりの割合を占めていただろう。
 最終的にカナン・シェイルはガリウスを裏切ったのだが――その時までに払われた犠牲を考えれば、今回の動乱で歴史書に残るような規模の戦いほぼ全てに立ち会ってきた佳乃にとって、そこまで割り切るのは簡単ではなかった。
「でも、あの女はもう死んだ……」
『いいえ、貴女が殺したのですわ』
「……そうだな。あたしが、殺した。それを誤魔化してはいけないな」
『でしたら構わないのです。このことで、貴女が必要以上に自分を責めていることぐらい分かります』
 戦いの前夜、執拗に佳乃を罵倒していた女の声が、この日は一転して佳乃を慰めていた。
 すなわち『私と、同じ境遇の者以外がヨシノを苦しめることは許さない』という、いかにも彼女らしい理由によるものだったが、彼女の場合のそれは単なる照れ隠しなどではなく、本気で佳乃を苦しめたいからでもある。そして継続的に苦しませ続けるには佳乃が生きていることが必須条件であり、ゆえに彼女らは佳乃を助けている。
 しかもどうしたことか、佳乃と彼女らの間にはいつしか信頼すら築かれつつあった。
 生来の真面目な気質がようやく伝わり始めたといった所か。
 奇妙な間柄だとは思うが、おそらくこの関係は生涯続いていくのだろう。

 一個人が背負うには重すぎる責任を引き連れ、佳乃は今、真っ直ぐに城の階段を駆け上っている。
 その先には、ここガリウス本城の護りを任されている形式的な総司令官にして、四邪将の一人でもある《虚無魔人》がいるはずだった。
 この者の行動原理だけは、様々な角度から検証してもよく分かっていない。
 今回の戦いに関しても、早々にカナンへ全権限を委譲したきり、彼自身は玉座に引き込もり影さえも掴めない。
 そもそも勝つ気があるのかと疑われるような態度である。
 あるいはガリウスの敗北を察しての不干渉だろうか。
 戦うか話し合うか、いずれにせよ玉座が佳乃の目的地となることに変わりはない。 
 階段を上りきった佳乃は、目の前の扉に手をかける。
 ラビエル――は元々玉座の間に収まる体長ではないが、その前の皇帝である暗黒の侵略者や、立ち入りを許される上級悪魔が使用する扉だけあって、単純に重かった。
 汗を浮かべてようやく人が通れる程度の隙間を作ると、転がるように素早く室内に突入する。
 入って気を抜いた所への不意打ちを警戒してのものだったが、この国の皇帝が座するべき場所に腰掛けている一将軍は、落ち着いてはいるがやけに鼻につく微笑を崩さない。
 明らかな敵に対して襲撃してこない不気味さが胸の内で渦巻き、佳乃の判断に迷いを生じさせる。
「どういうつもりだ……貴様。同盟軍に降伏するのか?」
 ここまで来て言葉を飾り立てることに意味はない。
 率直なな二択をぶつけると、虚無魔人は首を横に振った。
「フフフ……残念ながら、私は貴女の友になれませんよ」
 はぐらかすような、というより、それそのものの返答。
「そんなことは分かっている! ガリウスと共に果てるか、同盟軍に従うかを訊いているんだ」
 はっきりと問いつつも、暗に降伏を促す響き。
 虚無魔人は、しかしそれに応じずに玉座から腰を浮かし、部屋の奥隅にゆっくりと歩き出した。
 背を向けたとも思える角度。
 この悪魔の行動を見守るばかりでよいのか、佳乃の困惑は深まる一方だ。
「……そうですね、もう話しても構わない頃でしょう」
「…………何をだ?」
「確かに――私はかつてガリウスに仕えていました。取り立ててくれた《暗黒の侵略者》には、感謝するべきなのでしょう。いえ、実際その時はガリウスのためにこの身を捧げてもいいとさえ妄信していました」
「そんな風には、見えないな」
「私には、双子の兄弟がいました」
「…………?」
 その唐突な飛躍は、佳乃でなくとも理解できなかったろう。
「双子は、私の知らない所で生まれ、私の知らないところで育ちました。そして私とは別の者の(しもべ)となり、4年前に私と出会いました。すなわち――自らの半身(・・・・・)と。もしかするとそれは双子ではなく、知らぬ間に分離した己の一部だったのかもしれませんね」
 しかして唐突に行われたデュエルモンスター自身による分析は、佳乃の瞳を驚きの色に染めた。
「それって……。まさか……お前は……!」
「フフ、やはり理解してくれると思いましたよ。魂のオリジナルを札に封印して使役する、貴女ならばね」
「ッ…………!?」
 どうして、敵国の将軍がそれを知っているのか。
 しかもカナン・シェイルの様子からして、彼女がそのことに気付いていたとは考えにくい。
 つまり虚無魔人は、単独で――いや、ガリウス外の独自のルートを持っている。そしてそれはおそらく――
「…………」
 情報源は何としても特定しなくてはならない。
 しかし、佳乃の側から口にするのはできれば避けたかった。
 ある程度漏れているのは確かだが、ハッタリとて含まれているはず。
 推測を練り上げた結果だと言うなら大した観察眼ではあるが、敢えて採点してやる道理もない。
 さらに思案していて、もう一つの重大なフレーズを思い出す。
 4年前。
 これはガリウスのデュエリスト拉致計画が、佳乃のごく身近――つまり永瀬の家に訪れた5年前よりも後である。
 沙理亜がどの段階で組織の仲間集めを始めたのか、ガリウスから逃亡を始めたのか、3年前に初めて組織と関わった佳乃には分からない。
 ただ、虚無魔人の言動から察するに、彼はおそらく己の半身を従える“デュエリスト”と偶然にも出会い、価値観を変えた。
「その時から、私はガリウスの悪魔ではなくなりました。組織のスパイであり、“人間”の味方。当然貴女とも――」
「いいや、敵だな」
 強い断言による拒絶に、一瞬虚無魔人が面食らったような顔をした。
 だがそれは演技だと、佳乃は見抜いている。
 彼は始めに「友にはなれない」と語っており、真偽は検討するまでもない。
「貴様が本当にあたしの知る組織の一員だとしたら、間違いなく敵だ。なぜならその組織は、ガリウスの暗殺者があたしの両親を殺すよう仕向けた連中だからな」
「…………」
 純粋な怒りと、そこから来る震えを鋼の精神力で抑え、努めて静かに佳乃は告げていく。
「そしてそれを実行したのが、つまり貴様だ。あたしはどうやら、かなりの幸運に恵まれていたようだな。ガリウスの主力が出払っている中で、唯一残った四邪将が仇だったなんて」
「これまで西方と同盟軍のために尽くしてきた貴女が、最後の最後で私怨に走るとは……本当にそれでよろしいのですか?」
「ほざけ。利と理は一致している。躊躇う理由はない」
 そうしてカードにかける指は、しかし定まらない。
 恐怖とは異なる別の――昏い高揚感が佳乃を満たしていく。
「……なるほど。その手で“人間”を殺して、歯止めが効かなくなっているようですね。ですが、私もこんな所で消されるわけにはいかないのですよ!」
 虚無魔人が闇の塊を打ち出し、佳乃は回避するため飛び退く。
 石床にぶつかった闇は爆発こそしないものの煙を上げ、玉座後方の隠し通路に身を隠すまでの煙幕として機能した。
「待てっ!」
 鋭く叫ぶが、それで実際に待つ者など都市伝説にすら存在するまい。
 煙が晴れた時には、虚無魔人は既にこの場から影も形も消え去っている。
 虚無魔人自体はさほどの脅威ではないが、彼のバックにいる組織は巧や佳乃が敵視しているものである。少なくとも巧には、すぐにでも伝えなくてはならない。
 場合によっては、この戦いそのものが組織に仕組まれていたのかもしれないのだ。
 追うべきか一瞬だけ逡巡し、冷静に帰還を決意したところで、佳乃は背後に気配を感じた。
 振り向くと、そこには同盟軍の兵が一人、息を切らせている。
「どうした、何か問題でも起きたのか?」
「火急の知らせです。“ガーデア”より使者が訪れているのですが……」
「なっ、ここでガーデアか!?」
 ガーデアは、“死神”の暴発予定地だ。
 瑠衣が止められる可能性を否定したくはなかったが、それでも最悪は起こり得るものである。
 ローレイド七賢者の侵攻に対抗するためガーデアに残したのも含めると、遠征軍の総数は10万を越える。それだけの大軍を率いる総司令官として、巧とは別の視点から現実を見なければならない。
 ガリウス打倒のために託された兵力を、未知の存在ともいえる“死神”への対応だけで使い潰すわけにはいかなかった。
 それでも、七賢者と戦うためとして4万を残した。



 そうして計画、実行されたプランは、ひとまず予定通り進んだようだ。
 ただし、最悪の形で。
 ガリウスは国家としての機能を完全に失い、ガーデアは七賢者の侵攻をこそ阻んだものの“死神”によって滅ぼされた。
 ガーデアに残った瑠衣は生死不明。
 巧が救助した後、意識を失うまでのわずかな間に天使はかろうじてそこまで伝えてきた。
 必要最低限の要点は押さえているが、将として、本人からより詳しい情報を得なくてはならない
 その天使は命にかかわる重傷を負っているらしく、こうして佳乃はまだ残存兵力の残るガーデア城内を抜け、彼らのいる本陣へと急いでいる。
(巧……あたしは、どうしたらいい?)
 両親が殺されて以来、佳乃は巧以上に分かり易い形で全てを棄てた。
 あまりにも都合良く自分を助けに現れた沙理亜に疑惑を向けつつも、彼女の導きにひとまずは従う道を選んだ。
 ひたすらに自分を追い詰め、戦い、果てに異世界へと足を踏み入れた。
 そこでも血で血を洗うように剣を振るい、フォルオードで参謀への転身を勧められても一蹴。
 悪魔をその手で討ち続けてきた。
 そんな佳乃の転機と呼べるのは、おそらくサイバー自治領での対話だろう。
 あそこで佳乃は、エジプトに置いて久しいデュエルディスクを再び手にした。
 佳乃が同盟軍を勝たせるために為すべきことを、真に理解した瞬間である。
 だが――――それとて佳乃の癒しにはならない。
 勝つ度に勝つ度に――いや、戦いの度に佳乃の心は磨り減っていく。
 戦士として類稀な資質を持つとはいえ、元は第一次元で平和な暮らしをしていた少女に過ぎない。
 エルガイアを、ゼルオンを、フォルオードを、イネトを、デュエルをするように解放して。
 そうしてついに、ガーデアで限界が訪れた。
 些細な敗北を味わった佳乃は自棄になり、同盟軍の本陣を抜け出して、敵かもしれないガーデアに単身乗り込もうとした。
 結果的にガーデアは、大別すれば味方ともいえる存在だったが、それは問題ではないのだ。
 ガリウスとの最初の戦いで禁忌に触れ、その後も拡大させていったのだって、原因の一つに過ぎない。
 複数の要素が幾重にも積み重なった結果が、今の佳乃だ。
 黒楼と呼ばれ、黒狼と自称していた頃の面影は、もはや見出せない。
 それは成長したとも、牙が抜けたともいえよう。
 真っ直ぐに生きられる者ばかりではないと、そして自分もその一人だと、はっきり自覚したのだ。
 そして、よりにもよってそんな、思考が地の底を這っている時に、巧と再会してしまった。
 嬉しい邂逅のはずだった。最初はこれでもかというほど喜んだ。
 だが――――全てを打ち明けるのは、ただただ単純に怖かった。
 呆れられるのではないか、見放されるのではないか。
 自分の弱さは認めている。だとしても、それを他人が受け入れてくれるかは別問題だ。
 受け入れないようならこちらが見限るということも、できそうにはない。
 同盟軍の将として巧の戦略眼は役に立つし、何より佳乃はこうして再会してしまった今、その想いはもはや巧のいない世界に意味があるのかと思案してしまう段階に達している。
 高原みのりのように、己の力不足による歯がゆさを他人に押し付けてくるようなことはなくとも、自分が巧に釣り合っていることへの絶対的な自信は持てなくなっていた。

 城下に出ると、こちらの戦いはかなり終息していた。
 心を持たない自律戦闘兵器であるデーモンの掃討はまだ済んでいないものの、万魔殿で特攻を命じる立場のガリウス幹部がいなくなったためか、末端の兵士たちには降伏の波が広がりつつあった。
 そして――――城門の脇にはM&Wのソリッドヴィジョンでしか見たことがない機械、《亜空間物質転送装置》が見事な場違い感を醸し出している。
「これって……つまり」
「お急ぎください」
 ガーデアから訪れた天使の傷はそれほどまでに危険な域で、また佳乃に直接聞かせたい何らかの情報があるのだろう。
 この次元におけるサイバー自治領を除く各国家では、近未来どころか遠い将来となりそうな技術力で製造されているだろう装置の前に立つ。
「この辺りで……大丈夫か?」
 とはいっても、佳乃自身もそうした技術水準への配慮をしていたため、実際に使うのはこれが初めてとなる。
「はい、すぐに起動させます」
 即席で使い方を教えられたのだろう部下が操作すると、装置の核となる赤いクリスタルにデジタル的な光が宿り、佳乃めがけて照射された。
 一瞬体が浮遊するような感覚がして、次に光が視界から抜け切ると、そこは同盟軍の本陣横に併設された衛生兵の戦場。 
 負傷者はテントに入りきらない数となっているが、城の裏手に回る際にちらりと見えたガリウス軍側の医療拠点に比べれば、勝利が近いこともあってか一定の活気は保っていた。
 少し首を動かすと、待ち構えていたように巧が駆け寄ってくる。
「戦闘中だったろ? 突然呼び出してしまって済まん」
「いや、例の――第一次元の人間が裏切って、ほとんどのガリウス幹部が死んだ。そいつも、あたしがこの手で斬った」
 その感覚は、はっきりと記憶している。頭ではなく身体が。腕が。
 刃が少女の背に食い込み、肉を突き破って一度骨に当たって、ごり、と鳴った後、細かな血管をみちみちと臓器から切り離していると、いつしか切っ先が少女の身体の前から覗いていた。
 血を吐き散らし、何もかもを呪った眼差し。
 朦朧とした意識でそこら中に手を伸ばし、おそらく佳乃を殺すための道具を求めていた。
 アレをみっともないあがきだと、一笑に付すことはできない。
 何か少しでも間違えば、佳乃がそうなっていたかもしれないのだ。
「く……」
 額を小突き、その光景を神経から引き離す。
 容易に忘れられる感覚ではないし、忘れてはいけないとも思うが、死者に引っ張られるような思い出し方は危険な気がした。
「……天使はどこに?」
 佳乃が簡潔に問う。
「こっちだ」
 巧がそう告げて、多数の怪我人を収容する目的ではない、ぽつんと離れた小さなテントに歩きだした。
 慌てて後を追い、佳乃は質問を継続する。
「その、ガーデアは……本当に……?」
「嘘ではないだろうな。残した同盟軍も、おそらくは全滅だろう」
「…………そう、か……」
 ガリウスを倒すためにと、西方の国々から借り受けた屈強な戦士たち。
 それが全く別の戦場で失われたとなれば、彼らを預かる佳乃の責任問題ともなろう。
 ただ佳乃としては、自分に下されるかもしれない罰などより、共に戦ってきた仲間を失ったこと自体がショックだった。
 ガリウスとの戦いでも犠牲は出ているが、だとしても全く目の届かない所で命を落としてしまったのはやりきれない。

 とはいえ、嘆いてばかりもいられなかった。
 虚無魔人に関する報告と比べても、この場はガーデアの状況を知るのが最優先である。
 組織に関しては最終的な目的であるものの、一分一秒を争うほどかとなれば否だ。
 テントに入ると、一般兵に用意されたものよりは一回り質の良い簡易ベッドに天使が寝かされ、2人の衛生兵が天使の傷に処置を施していた。
 ただしその処置は、戦いが終わった後にまで続く未来を意識してのものではなく――――佳乃が戻るまでのごく僅かな時間を生き長らえさせるための延命処置に過ぎない。
 助からない傷を負っている――佳乃は一目見てそう直感した。
 それは今までの戦場で、散々目にしてきている。決して慣れることはないけれど。
 まだ生きていることを確かめ、噛み締めるような深い呼吸。脇腹から流れ出る血は天使の白い着衣を赤く染め、鉄の匂いを振り撒いている。
 彼女を助けることは、もうできない。
 もう一度、佳乃はそう反芻した。
 だがそれは――この先の未来が暗いというだけで、命を救う方法ならばあった。
 選択が許されるだけ彼女は幸運なのだろうか――そのように思って、しかし佳乃は頭を振る。
 そうであるはずがない。そう考えてはいけない。アレは幸運にしか見えない選択を選ばせてしまう、危険なものだ。
「……巧。彼女を私の部屋に運ぶ。手伝ってくれ」
「…………あぁ――分かった」
 だとしても、それを提案しないという選択こそ、佳乃にはなかった。
 間違いなく不可解と考えていながら、黙って了承してくれる巧の応対には感謝せずにいられない。
 いくら選択を許す術があるとはいっても、さすがに鼓動が止まってからでは遅い。
 死者を蘇らせることはできないのだ――たとえこの世界で『死者蘇生』のカードを使ったとしても。
 肉体は確かに蘇り、動くようになる。だが、ソレに生前の人格はない。遣い手に従順なだけの人形だ。
 だからこそ――M&Wのゲーム中に破壊されても“死なない”存在である精霊がいかに特異かよく分かる。
 佳乃がこれからやろうとしている行為は、まさにその「カードの精霊」を人工的に創り出すことだった。
(そう、あれを使えば、彼女の命は繋ぎ止められる……) 
 それを使うことへの葛藤は、十数回の経験をしたからといって、簡単に晴れるものではない。
 本当に自分の意志で、身勝手に使ったのは最初の一回だけ。
 しかしその一回が、後に似た状況で提案を持ちかけなければならないという心の枷を生み出した。
「佳乃、彼女をどうするつもりだ?」
 部屋に辿り着くと、早速巧に問われた。外で尋ねなかったのは、他の兵に聞かれるとまずい話だと察したからだったようだ。
 ここで佳乃は逡巡する。表面上潔癖な瑠衣ならば、すぐにでも追い出していた所だ。
 だが、目の前にいるのは巧である。
 受け入れてくれる自信は、事が事だけにあるとは言えないが、巧に隠し事をするのはやはり罪悪感が疼く。
「あ、あたしは……」 
 気がつくと、手が震えていた。
 これからすべきことへの緊張、そして巧に認めてもらえるかという不安がない混ぜになって、考えがまとまらない。
 どう言えば理解してくれるのだろう。
 眼前で両親が殺された時を最後に封印したはずの涙が、こんな所で戻ってきそうだった。

 そこで、心臓が大きく跳ねた。
 巧に手を掴まれたのだ。
「あ…………」
 別に手を繋ぐことへの抵抗感は今さらない。
 子どもの頃は何度もしていた。
 ただ、こういう状況で慰めてくれるような機微を、以前の巧は持ち合わせていなかった。
「悪い……やはり出て行った方が良さそうだな」
 この突き放し具合は、佳乃にとって心地良い。
 尤も、それがために結論は逆となった。
「いや、ここにいてくれないか。あたしがこの世界でどんな禁忌に手を染めてきたのか、巧には見届けて欲しいんだ」
 そう言って、デュエルディスクと共に、金庫に保管していたM&Wのカードを取り出した。
 だが、それらのカードには、本来与えられているべき個性が、存在しない。
 裏側の共通面だけがあり、カード名、イラスト、ステータス等が一切描かれていない白紙のカードだった。
 佳乃は寝台で仰向けになっている天使の手にその内の1枚を持たせ、腕を動かして胸元に置いた。
 この行為自体になんら特別な意味はない。
 強いて言うなら、儀式的な体裁を取ることによる、罪悪感の軽減。
「……これは?」
「あなたの名前を教えてください」
 天使の問い掛けを無視し、有無を言わさぬ冷たさで命じる。
 そう、それは質問ではなく命令だった。
 抗するだけの精神的余力を残していない天使は、いぶかしみながらも
「ケルビム……です」
 と明かした。
「では――ケルビムさん。あたしは、あなたに半永久的な生を授ける方法を持っています」
「……………………え?」
 その反応を、佳乃は理解が追いつかなかったゆえのものと判断した。
 いきなりそのようなことを言われて呆気に取られない者など、そうそういないだろう。
「信じられないのも無理はありません。ですがあたしは確かにその術を持ち、あなたが完全に命を落とす前なら、あなたの意思に関わらず生かすことができます」
「………………………………」
 ケルビムの表情はこれまでこの話を聞かされた者のほとんどがしてきたような、華やいだ笑顔ではない。
 おそらくこれが意味するところを、“半分だけ”理解しているのだろう。
 だから、頑なに佳乃は続ける。
「ただしこれによってあなたは、言うなれば死の自由を失うということになります。腕を切られても、肺が潰れても、頭蓋が砕けても、首を刎ねられたとしても、全身が溶解しても。あなたはその苦痛から逃れ得ぬ義務を負い続けます」
 意識を失うことぐらいは出来るでしょうが、と一応加えておく。
 承知しているという表情のケルビム。
 だがここまでは、理解しているであろう半分だ。真なる絶望はこの先にある。
「そして――――そんな存在となるあなたを、あたしは容赦なく下僕として戦場に送り込みます。それに逆らうことは一切許されません。あたしの考えがどうこうではなく、そういう契約だと考えてください。第一次元に戻っても、やめるつもりはありません。むしろ戻ってから本格化するでしょう。敵はゲーム感覚であなたを殺そうとします。あたしは勝つためなら、時に特攻を命じるかもしれません。あなたは――――それに耐えられますか?」
 一切の誇張も偽りもない、そのままの説明だった。
 多少偽悪的な物言いにはしたが、それだけの理由は存在する。
 生半可な考えによる精霊化がお互いにとって不幸になることを、佳乃は身をもって体験していた。
 今はどうにか和解したものの、最初の一人とはこれらの事情を巡って、長い間険悪な状態にあったのだから。
「あたしが保障できるのはあなたの魂のみ。肉体は、残念ながら捨てることになります。それでも構わない、成し遂げたいことがあるというのなら力を貸せます。ただしその後に待つ代償はいま言った通り。これは、あなたが決めることです」
 結局これは自分の責任を軽くしようといるだけだと、佳乃は理解していた。
 だが、相手側の意思が何より重要であることも確かなのだ。
「…………佳乃。お前がやろうとしていることは、つまり」
「そ。“デュエルモンスター”の精霊化。カードにその魂を封じ込め、そこで生涯を送ることになる。生涯、なんて生易しいものじゃないけどね。どう? 命を弄ぶ行為だって軽蔑する?」
「お前が正しいと信じてやってきたことだろ。少なくともこの1回は、何も口出しせずに見守ってやるさ」
 それは違う、と叫びたかった。
 純粋に正しいと思ったことなどなく、ずっと迷いを抱いている。
 それでも、まったく抗せずに死なせてやるべきとも断定できない以上、そこにある選択を提案しないわけにはいかない。
 我ながら卑怯なやり方だった。
 なぜなら佳乃は、これまで瀕死の者以外に精霊化の提案を持ちかけたことはない。
 死に相当する――あるいはそれ以上に酷い仕打ちと理解し、それと分かるように振舞ってはいる。
 だからといって、これが縋りつきたくなるような希望に見えることは否定できない。
 やり残したことがあれば?
 誰にだってあるに決まっている。
 しかし、それは生と死の輪廻から外れる悲劇の住人になってまで成し遂げたい事なのだろうか。
 仮にそこまでを満たしていたとして、それなら佳乃の行為は正当化されるのだろうか。
 望みを叶えたとしても、成仏すらできないのに。
「分か……りました……。私を、精霊にしてください……」
 そんな思いをよそに、天使の返事はいつものように承諾。
 そう言われてしまっては、改めて断り直すことなど許されない。
 佳乃は無言で、カードを握る天使の手に自分の手を重ねた。
「これからあなたはその身体を捨て、カードにその魂を委ねることになります。成功させるには――どうとはうまく説明できませんが、その様子をイメージすることで可能性が高まるはずです」
 疲れたように天使が頷いた。
 数は少ないが、精霊になることを承諾したにもかかわらず、魂の移動が行われずにそのまま息を引き取ったケースがあった。
 成否を分けた要素は何なのか、佳乃には想像することしかできないが、やはりモンスター側が迷いを抱いていたのだろう。
 少なくともそうであって欲しいと願っていた。
 望まない精霊化を強要することだけは、絶対にしたくなかった。
 天使が静かに目を閉じる。
 それと時を同じくして佳乃も。
 失敗の原因がわからないということは、成功のトリガーもまた未知の領域。その上カードが光るだとか暖かくなるといった事象もなく、肉体の機能が完全に停止した時カードに魂が刻まれているか、ただそれだけが判断基準だ。
 とはいえその瞬間を目撃するのは、着替えを覗くなどという次元ではなく、もっと宗教儀礼染みた神聖さに近いものがある。言うなれば、清めの様子を目にするようで忍びない。
 だから――――だからなのだろう、こういったポーズで本心を隠し、無情にも精霊化を続けてきた。
「…………………………………」
 心を空にする。そうしなければ続けられない。
 大軍を率いる将の部屋などという、儀式や宗教とは無縁のリアル志向が求められる領域でこんなことをしているというだけでも気が引けるのに、その上今回は巧が見ているのだ。
 緊張で顔から火が吹き出そうだ。
 


 その日、佳乃はペガサス・J・クロフォードの召喚命令を受け、I2社の最上階を訪れていた。
「アナタは、異世界について調べているようデスね?」
 唐突にそう言われ、相手がM&Wの創始者ということも忘れて、ほとんど啖呵を切るのと変わらない口調で訊き返した。
「……いけないですか?」
「いいえ、止める権利は誰にもないでショウ。ワタシが今日ここへアナタを呼んだのはその意思を確かめるため。そして、それが本物ならば――」
 ペガサスはデスクの引き出しからカードの束と思しき物を取り出し、佳乃にそれを差し出した。
「これは……?」
 少なくともその内容を確認してほしいだろうことは間違いあるまい。
 カードを受け取り、しかし一番上の1枚で理解し、2枚目でおそらく束の全てが“そう”なのだと推測できた。
「白紙の、カード……」
 裏面から見るに、今後これらはきっとM&Wのカードになるのだろう。
「それは、アナタに差し上げマス」
 質問するよりも早くペガサスが言った。
「どのように使うかはアナタ次第。そのHow to useをワタシがアナタに教えることはありマセン。ですが、きっと誤ったことには使わないと、アナタを信じていマス」
「は……承知致しました」




 用途は、想像が付いていた。
 ペガサスの様子からして、彼にも倫理的な呵責はあったに違いない。

 ――M&Wの発展と、異世界に住む一つの生命の将来。

 そもそも天秤にかけられる比較ではあるまい。
 近い将来、攻めて来る“かもしれない”デュエルモンスターに対して、軍備を整えるという名目は一応存在する。
 そのためには、これまでのM&Wにない新たな力、隠し玉が必要になってくる“かもしれない”。
 停滞は衰退と同義だ。なぜなら周りは成長しているのだから。
 この世界への侵攻を目論んでいる“かもしれない”悪魔は、きっとM&Wについて研究しているのだろう。
 だとしても、それに対抗する術がこんな方法でなければならない必然性はどこにもないのに。
 ひとまずは使わないと心に決め、しかし佳乃の根源、ガリウスを倒すという執念にも近い決意から比べると、それはあまりにも淡く儚い意志だった――――。




「……これが、カードの精霊になった気分なのですね」
 やや剣呑な雰囲気を纏わせたケルビムの声が、M&Wのカードとして完成した《ライトロードエンジェル・ケルビム》を通して佳乃の魂に響いた。
「不快だったらすまない。でも……」
「分かっています。私は望んでこうなった。騙されたわけでも意思を曲げられたのでもなく、自分で決めたことです」
 ケルビムの言が虚勢か本当にそう思っているのか、佳乃には判断できなかった。
 ただ、過去には肉体を失い霊魂のような存在となったことに強い拒絶を示す者もいただけに、その理性的な対応にはほっとせざるを得ない。
「そう言ってくれると、あたしも助けた甲斐があったと思えるよ」
「えぇ、それに――同じ境遇の仲間もいるようですし、ね?」
「…………あぁ」
 佳乃はデュエルディスクからデッキを取り外し、投入しているモンスターカードの数枚をテーブルに並べていく。
 
 ――《ライトロード》。佳乃が第十二次元で“一から作り上げた”デッキ。
 そのミドルネームとでも呼べるカテゴリ名を持つカードは、全てこの世界で何も果たせず、遺せなかった命そのものが吹き込まれているのだ。

 昨晩から佳乃に絡んできていたのは《ライラ》で、止めに入ったのが《ジェニス》。しかしそれはほんの一部に過ぎず、《ウォルフ》、《ガロス》、《ルミナス》等、総数は二桁に達している有様だ。 
 “精霊”と化した彼らの姿を視認する素養を佳乃は持っておらず、それにはデュエルディスクを介さなければならなかったが、魂のオリジナルだからか、“声”を聞き、また逆に佳乃の意思を伝えることはできた。
「ここへ来て“仲間”を増やしてくるなんて……予想の斜め下を行きますわね、ヨシノ」
 とは、エルガイア王立先端魔術局の一員で、王城がハデスの侵攻により甚大な被害を受けた際、それに巻き込まれて命を落とした――いや、落としかけたライラの感想。
「ライラ、そこは斜め上と言わなければ失礼でしょう」
 このずれたフォローはジェニスだろう。ライラとは精霊化した時期がほとんど同じで、ついでにライトロードたちの中で、最も仲の良い組み合わせでもある。
 自覚と悪意なくヨシノを責められるジェニスをライラが一方的に気に入っているだけともとれるが、当のジェニスはプリーストの称号に恥じない慈愛の精神で、ライラを含めたライトロードのほぼ全員と良好な関係を築いていた。
 佳乃にとって、その社交術は是非身に付けたいものだが、この場はそっと話を逸らしておく。
「ケルビム、自己紹介を頼む」
 ライトロードになる前と後で、佳乃は意図的にケルビムへ敬語を使うことをやめている。
 これはライトロードの側から提案された、けじめの一つだった。
 あまつさえ同盟軍の将であり、自分たちを不死の戦闘人形として扱うような相手に、しかも本心からの謝意で腰を低くされてはライトロードたちの感情のやり場が失われてしまう。
 彼らは決して、佳乃を心の底から憎み切っているわけではない。ただ、ヨシノがそのことについて過剰に罪悪感を抱く様子は、あらぬ誤解を与えてしまう。
 これを解決するには、指揮官と部下という形に収束させていくのが、互いにとって最も有益な妥協点だった。
「分かりました。私はケルビム、ガーデアに所属していた天使です。この度ヨシノの誘いを受けて、ライトロードの一員となりました。これから、よろしくお願いします」
 その丁寧な挨拶に皮肉めいた印象はなく、タイプとしてはジェニスに近いだろうか。
 しかし、それこそ自覚がないだけの可能性もあるだろうし、油断していると痛い目を見ることになる。
「……親睦を深める気があるようで何よりだ。ただ、こちらも彼女には聞きたいことが多くあるから、後にしてくれ」
「え……っ!?」
 ライラが突然驚いたように声を上げた。
「どうかしましたか、ライラさん?」
 ケルビムが怪訝そうに問う。
「ライラと呼び捨てで構いませんわ。それより――ヨシノ。貴女いま、ケルビムに話を聞く予定がある、と仰いましたわね?」
「それが、どうかしたのか?」
「…………。では、もっと分かり易く聞きます。ヨシノは、ケルビムを助けたかったのですか? それとも、ケルビムから情報を入手したかったのですか?」
「!!」
 質問の意図を、佳乃はようやく察する。
 そして同時に――指摘されるまで気付かなかったことに愕然とした。
 なぜなら佳乃は今までにもこうした精霊化を何度も行ってきたが、しかし根底にあるのは、強い意志を宿した息絶える寸前の命を再燃させたいという想いだったのだ。純粋に感情を吐露した結果、そうした行いに走った。
 対して今回、佳乃がケルビムの命を繋ぎ止めたのには、ローレイドとガーデアの情報を得るという目的――悪く言えば打算が多分に含まれている。
「さらに言うなら――貴女は永瀬巧に、自分が如何に悲劇のヒロインをしているか、見てもらいたかっただけです。結局は貴女も、私たちを駒として使い捨てるだけの存在なのですわね」
「…………」
 ライラたち《ライトロード》の声は、この場に立ち会っている巧にも聞こえている。
 だが巧は、自分が認めた佳乃の行為を貶められたにも関わらず、反論を加えようとはしなかった。
 逆に佳乃が巧の方へ視線を向けると、一つだけ頷いた。
 ともすればかなり冷徹な反応であるが、佳乃にはその真意が汲み取れる。
 これは、佳乃が解決すべき問題だった。
「ライラの言うことは、間違っていないよ。あたしはケルビムでなく、ケルビムが持つ情報をこそ欲しいと思った。それを否定はしない」
「ヨシノ……!」
「でも! だからといって、ライラたちとケルビムを差別なんてするもんか! 望む情報を持っていなくても、ライラはこれからもずっと、あたしの仲間だ!!」
「わ、私はそんなことを訊いているのでは……ありま……せん…」
 佳乃の真っ直ぐな宣言に対抗しようとするも、ライラは声を徐々に消え入らせていった。
 そしてそれは、彼らライトロードが最も恐れるべきことにも通ずる。
 つまり――佳乃から関心を向けられなくなること。
 肉体を失いカードという器を依り代としたライトロードは、その性質ゆえ、デュエル中を除けば声以外でコミュニケーションを取ることができない。
 戦争の間はまだいいとして、今後第一次元に戻って戦いの記憶が風化していけば、いつかはデッキから外され数多のカードの山に埋もれてしまうかもしれない。そうなった時、ライトロードたちは佳乃に声を届かせることすらできなくなる。
 無関心は好きの反対どころではなく、生きながらの死に等しい。
 それを防ぐためには、たとえ迷惑がられようと佳乃に話しかけ続ける必要があった。
 ライトロードの立場は、佳乃が考えている以上に残酷で一方的なものだったのだ。
 そして――保有する情報を望まれてライトロードとなったケルビムは、つまり人格を見てもらえていないということであり、何かあった時に捨て置かれる危険が他のライトロードよりも高くなる。
 ライラたちが心配しているのもそこだ。佳乃に誑かされた者同士、ケルビムを心配しているというのもあろうし、それ以上にケルビムが飼い殺されれば、次は我が身である。
 佳乃もライトロードも、決して険悪な関係を望んでいるわけではない。だが、身体を持つ生物はおろか、精霊とも一線を画する在り方でこの世界と関わっているライトロードは、佳乃と行動を共にする中で彼ら自身にしか理解できない価値観を築き上げていた。
 そうして生まれたすれ違いは、既に一朝一夕の対話で修復できる程度のものではなくなっている。
 気付いた時には遅かった。けれど、どうにか彼らを“こちら側”へと引き戻せるよう、佳乃は研鑽を重ねている。
「佳乃……今は急を要する時だ。彼らとのことは、戦いの後で考えればいい」
「……ん、分かった。……助かる」
 今はまだ、このまま話を続けたところで、佳乃を責める流れに戻るのは明らかだ。
 とはいえ佳乃側から切り上げられる状況でもなく、強引にこの話題を潰し、憎まれ役を引き受けてくれた巧にはいくら感謝しても足りない。
「それじゃ、ケルビム。とりあえずガーデアの状況について、私たちが知るべきと思うことを教えてくれ」
「はい。結論から言えば――ガーデアという都市は、既に地図から消えるべき存在と化しています。エアトス様……いえ、デスサイスの手によって」
 佳乃がそこで巧に目配せしたのを、実体なきケルビムは目ざとく指摘する。
「知っていたのですね、かの脅威が如何な形で訪れるのか」
「エアトスを操っていた黒幕に勘付かれるわけにはいかなかったからな。あの段階では、兵を少し置いていくのが精一杯だった」
 瑠衣を残したのはドーマへの牽制という面が強く現れるが、同盟軍の兵を残した目的の半分は、ローレイド七賢者のガーデア侵攻を防ぐためでもあった。
 ただ、兵を割ってしまったことにより、イオレに同盟軍の戦力を削げると思わせてしまった可能性も低くはない。
「それは……承知しているつもりです」
「だとしても、それで充分な備えだと思わせてしまった責任はあたしにある……」
「ドーマの狙いが分かっていた所で、あのようなやり方をされれば防ぐ手立てはありませんでした。ヨシノばかりのせいではないですよ」
 もし同盟軍の助けがなければ、ガーデアはデスサイスがどうこう以前に、ゼラートを筆頭とする七賢者によって灰にされていただろう。
 寿命をいくらか延ばしただけだったとしても、延ばしたことに変わりはないのだ。
 そのたった数時間で、同盟軍とガーデアは七賢者の権勢を大きく揺るがすことに成功した。ローレイドの将来を考えれば、意味ある勝利といえよう。
 デスサイスの件とて同様だ。ガーデアが七賢者との抗争に敗北していたなら、ケルビムや他の天使がこうして状況を伝えに来てくれた可能性は低くなる。
「そのデスサイスだが、足取りは掴めていないのか?」
 巧にも一度聞かれているはずだが、ライトロードとなった今、ケルビムがまともに虚偽を語ることは難しい。
 が、その返答は陣に戻るまでに受けた伝令からの報告と大差ないものだった。
「はい。デスサイスは南へと飛び去り、永瀬瑠衣はそれを追って行きました。ここから先は私の推測になるのですが……」
「構わない、話してくれ」
「デスサイスの最初の標的は、おそらく我々が討ち逃したゼラートでしょう。さらにローレイド聖都には、まだ戦っていない七賢者――ボルテニスが残っています」
「つまり……エアトスとしての意識が残っていると?」
「元に戻せたとしても、エアトス様はデスサイスの行いに向き合わなければなりません。あの方はそれに耐えられるほど強くない。ならばいっそ、デスサイスのまま跡形も残さず消し去った方が、名誉のためには良いかもしれません」
 それがケルビムの本心でないことは、この場にいる誰もが容易に察している。
 だが既に瑠衣が追っている以上、生き残っている可能性は低いし、仮に生きていたとしても、元に戻すとなればそれこそ度を越した願望となってしまう。
 ケルビム自らもその失言に気付き口をつぐんだ。
「……同盟軍とガリウス軍が居合わせ、疲弊させ合っているこの戦場にドーマが出てこないということは、おそらくイオレは別の戦場へかかりきりになっている。目的はおそらく、デスサイスの援護とローレイド聖都への侵略だな」
 イオレと面識のある巧の推測は無視できるものではなく、ローレイドの状況を多少なりと把握しているケルビムもこの見解を否定はしない。
「佳乃、今すぐ動ける限りの軍を南へ反転させるぞ」
 だとしてもその判断は、性急に過ぎはしないか。
「待って……今はガリウスとの戦闘中だ。いくら趨勢が決まっていると言っても、ここで背中を見せるわけにはいかないだろう」
「そうでもないんだな。ガリウスとイオレの連携は幻魔の独断によるものらしいし、俺たちに敵意を向けるデュエリストも斃れた。9年前のドーマ戦役でガリウスが取った行動を踏まえれば、良識にしろ打算にしろ、あいつらにとっても同盟軍に協力した方が益になる。これから、その計画を話そう――」



「……本当にやれるの?」
 巧が話し終えて、出てきた疑問はそれが全てだった。
 ただし、それを案ずるに当たっての敵は、ガリウスではない。そちらは佳乃たちが話をしているこの瞬間にも次々と勝利の報告が届けられており、同盟軍を滅ぼしうる脅威としての立場を失いつつあった。
 心配すべきは――ドーマ。
 佳乃は佳乃で第十二次元での戦争の経過から、ドーマの脅威はしつこいぐらいに理解している。
 ドーマをこの十二次元世界から完全に滅することができれば――何度そう思ったかしれない。
 だが、説明された計画を実行するとなれば、巧は佳乃が予想していたより遥かに危険な戦いへ望むことになる。
 しかも別行動である以上、佳乃が巧を守ることも、その逆もできない。
 無論巧の実力を疑っているわけではないが、人知を超えた敵に対しては、少々無謀と言わざるを得なかった。
「最悪ガリウスを完全に潰すことはできる。それよりも、異世界にまで寄生するあの石(オレイカルコス)を叩く方が優先だ」
 幸いガリウス皇帝の不在と、協力者のデュエリストが早期に討死したことによって、同盟軍の戦力にはいくらかの余裕がある。
 その予備兵力を率い、ドーマとの決戦に先行するのが佳乃の役目。
 道中で瑠衣とエアトスについての情報収集もできれば尚良い。
 そして本当なら――巧も傍で戦ってくれているのが理想だった。 
 しかしドーマの行く末は、代弁者の動向を掴まないことには把握し得ないのだ。
「だから俺は、ドーマの城に向かい奴を煽る。必ず佳乃の戦場に引き摺り出してやるよ」
 瑠衣はイオレに出し抜かれ、死神の覚醒を止められなかった。
 だが、失敗は繰り返さない。
 今度は巧と佳乃の2人で――イオレを討つ。
「行くぞ……ライトロード」 
 そう告げると、「はい」、「おう」、「了解」など、てんでばらばらな返事が早速重なった。
 その一つ一つを、佳乃は聞き分ける。
 何も返さない者は――1人だけ。
 幾数の魂を背負い、ドーマとの決戦に向けて、御影佳乃が出陣する。






 
3章 ローレイド決戦




 3日。
 ガリウスとの完全な決着を待たず、佳乃が王城を出立してからローレイド聖都に辿り着くまでにかかった時間だ。
 大陸の南北を丸々横断――しかも万を越える軍を率いてとなれば、それはもはや奇跡に限りなく近い。
 当然ながら歩兵に進軍速度を合わせるようなことはせず、騎兵と飛兵だけが先行しての結果ではあるが、ともあれローレイド聖都はまだ、道中で立ち寄ったガーデアのようにクレーターの集合体と化してはいなかった。
 尤も、破壊の痕跡はそこかしこに見て取れる。
 ローレイド聖都は、この次元に来る前にした最後のデュエルで使われたフィールド魔法、『天空の聖域』さながらに意思と魔術の文化で発達した都市だが、政治経済の中枢を司るビルなどには、第一次元の地球基準で現代的な鉄筋コンクリートが用いられている。
 だが建造物の主原料とは関係なく、主要な施設は真っ先にドーマの標的とされたこと、加えてローレイドを牛耳っていた七賢者が悉く命を落としたことにより、聖都防衛をも含む国家機能は完全に麻痺している。
 聖都の様子を探るため偵察に出した兵は、かろうじて健在と呼べるだろうローレイド正規軍と無事合流を果たし、佳乃と彼らが対談する約束を取り付けてくれていた。
 場所はローレイド中央銀行。国営とはいえ、現存する建築物の中で最も頑丈なのが銀行という時点で、聖都が外面以上のダメージを受けているのは明らかだ。
 駿馬や天馬を駆り、あるいは自らの翼で佳乃と共に先行してきた兵はおよそ3千。ドーマと残存するローレイド軍にもよるが、それだけの援軍があれば、数日は持ち堪えられるだろう。
 そしてその間に、イオレを討つ。
「よくぞ来てくれました、ミカゲヨシノ。我らを信じてくれたこと、礼を言います」
 そうして頭を下げるのは、ローレイド正規軍を率いる長、《大天使クリスティア》。
「いえ、それはケルビムのおかげです。壊滅したガーデアから逃げ延び、ローレイド軍が味方だと知らせてくれたのは彼女ですから」
「そうでしたか……。彼女はどこに?」
「……亡くなりました。帝都に現れた時には、生きているのが不思議なぐらいで……」
 実際その通りではあった。
 ケルビムの命は、あのまま放置していれば半日と保たなかっただろう。
 ただ――亡くなったというのは偽りだ。
 精霊に近い形でカードに魂を封印されているのだが、明かした所で無用の騒動を招くだけである。
 ケルビムとしても、自分の存在が原因で仲間内の争いが起きることなど望むまい。
「ところで、こちらがこうして会うことに、七賢者は何も口出ししてこなかったのですか?」
 第十二次元で戦力を蓄え、第十一次元への反逆を目論む天使の派閥。
 ゼラートを筆頭とし、エデ・アーラエ、スペルビア、ディザイア、アスモディウスが、巧や瑠衣たちの前に敗れ、離反したネオパーシアスも含めて、死神の覚醒に巻き込まれおそらく命を散らした。
 これで6人。残りの1名はローレイドの司法を取り仕切るボルテニス。
 ネオパーシアス以外の5人と同じように、ボルテニスもまたダーク化しているようだ。
 そして――七賢者は依然、同盟軍と敵対関係にある。
 佳乃としては、恭順に応じる程度の構えならばかろうじて残している。
 ドーマの根絶。その目的のためなら、同盟軍の将として個人的な嫌悪は封印せねばならなかった。
 しかし、事ここに至って同盟軍への敵対を選ぶなら容赦はいらない。
「ボルテニス……彼も死にました。“死神”の手にかかって」
 対応について思考していると、クリスティアがこれ以上なく分かり易い事情を口にした。
「……そうですか」
 それ以上の言葉を搾り出すことはできなかった
 全てを破壊しつくす死神に成り代わる前の人格“エアトス”は、七賢者によってローレイドの指導者を追われていた。
 七賢者に対して、エアトスがどのような感情を抱いていたのかは、もう知り得ない。
 だからこそデスサイスによる七賢者の殺害は、エアトスの尊厳を貶めるものとなる。
 それは、昏い感情を隠し通した、エアトスの強さを否定する行為だ。
 佳乃はイネトの洞窟で彼女を救助し、僅かな時間ではあったが共に語らい、共に戦いもした。
 そんな中で、彼女は七賢者の専横を止めなくてはならないと思いつつも、そのために国を分かつことを恐れていると知った。
 優柔不断とも取れる要素。だがその根底では、ローレイドだけでなく大陸全体の将来を憂うという、第十一次元から託された初志を貫き続けているだけだった。 
「西方にいた頃は……エアトス様と親しくされていたそうですね」
「はい、短い期間でしたが、本質的に彼女と目指すところは同じだと思いました。それが今、この世界に仇なす敵となっている。一刻も早く討ち取ってやらねば、浮かばれないでしょう」
 そう佳乃が言うと、クリスティアは怪訝そうに部下と顔を見合わせた。
 何かおかしなところでもあったのだろうかと不安に思い始めると、クリスティアが尋ねてきた。
「……まだ、聞き及びではなかったのでしょうか。デスサイスも、昨夜の戦いで死を迎えました」 
「え……どういうことです?」
 反射的に聞き返す。
 既に倒されているというのは、完全に予想外だった。
「デスサイスの動向……。どうやら一から説明した方が良さそうですね」
「お願いします。彼女がどのような最期だったのか――あたしは知らなければならない」
 そうして、クリスティアは事の顛末を話しだした。



 3日前、ローレイド正規軍の偵察兵が、クリスティアにある知らせをもたらしてきた。
 すなわち、ガーデア及びガーデアを攻撃していた七賢者が、大鎌を手にした仮面の堕天使――デスサイスによって滅ぼされたという報告。
 さらに聞くところによれば、デスサイスはこのローレイド聖都に向かっているとのことだった。
 元から七賢者かガーデア、どちらの陣営にも馳せ参じることができるよう軍備を進めていただけあって、そこからの動きは早かった。
 聖都の北に精鋭を展開し、四半日も経たないうちに迎撃の態勢は整えられていたのである。
 だが――――偵察の報告には抜けがあった。
 そしてまた、正規軍は七賢者筆頭であるゼラートの行動を把握しきってはいなかった。
 七賢者の傘下に収まりきらない独立した権限を保有しているとはいっても、所詮彼らは軍隊だった。
 デスサイスの額に輝く邪悪な緑の紋様。
 それを事前に察知していれば、話は違っていただろう。
 デスサイスと交戦状態に入るのとほぼ同時に、聖都の南西からドーマの兵士が攻勢をかけて来る可能性を察知できていた――かもしれない。
 軍事より政治拠点としての役割が大きい聖都の、西と南の門が破られるまで、そう長くはなかった。
 民間人の避難も遅々として進まない。七賢者の内六人が不在――というよりは死していることに加え、さらに残ったボルテニスが要人警護の名目で、私兵だけでなく正規軍の一部をも奪ってしまっていた。
 落ち度がなかったと言えば嘘になる。
 だが、死神の前にローレイド軍の精鋭は為す術もなく打ち払われ、瞬く間にその数を減らしていった。



「そこへ現れたのが、人間の少女でした。――左腕にデュエルディスクを付けた」
「!! その人、ドラゴン族モンスターを使っていませんでしたか?」
「貴女の知り合い――なのですね」
 佳乃の問いを肯定すると、クリスティアは話を続ける。



「離れてください。死神は、わたしが抑えます」
 街道に沿って竜を駆り現れた少女――永瀬瑠衣は崩れ行くローレイド軍の精鋭たちに、空中からそう言い放った。
 そして、すぐにそれが事実であると証明して見せた。
「光の護封剣!!」
 空から太陽の輝きに溶け込んだ3本の光が降り注ぎ、死神を取り囲むように浮遊する。
 剣の意図する所を本能的に察したのか、死神は鎌を振って破壊しようとするが、鎌は光の剣をすり抜ける。
 ならばと大地に叩きつけ衝撃波を発生させても、吹き飛ばされることはない。
 剣で覆われた三角のフィールドに、死神は閉じ込められていた。
「お、おい、あの人間、本当にヤツを封じてるぞ」
「あぁ……不本意だが、ここは任せるしかないな」
 生き残っているローレイド軍の騎士たちは少女に申し訳程度の励ましを送ると、数人の伝令を残して南西方面への救援に向かった。
 その判断は概ね正しい。
 デスサイスと対して必要なのは、潤沢な兵力ではなく最強の戦士一人だ。もしくは――それに比するだけの、能力的相性を有する者。
(オレイカルコスを破壊するためには、伝説の騎士の力か、オレイカルコスによる相殺が不可欠……でも!)
 瑠衣の持つ能力、闇の力の無効化。それはオレイカルコスに対しては効かない。
 だが、効かないにしてもいくつかの形がある。吸収か、弾くのか、それとも透過するのか。
 その答えを、瑠衣は透過であると、そこそこの当たりを付けて推測していた。
 グリモとの戦い、そして死神を通して見えるドーマの瑠衣への反応。
 これらを総合して導き出される能力とオレイカルコスの相性は、“不干渉”だった。
 そしてオレイカルコス以外――通常の闇の力ならば、瑠衣の能力で無力化できる。
「今度こそ――獲る!!」
 しっかりと目を閉じ、その状態のままカードをディスクにセットしていく。
「っ……」
 食道をどろりとしたものが逆流しそうな感覚は、まだ消えない。
 が、カードを置くことすらまともにできなかった頃と比べれば、格段の進歩だ。
 目を閉じて召喚する。たったそれだけだが、結局のところ目に不自由のない瑠衣は、大半の情報を視覚に頼って得ている。
 逆にそこを遮断したとなれば、こみ上げる不快感とて多少は鎮められる。
「《ボマー・ドラゴン》! 《コアキメイル・ドラゴ》! 《ボウ・ドラゴニュート》!」
 腹に爆弾を抱えた、コアの力を糧としている、弓を手にした、3体の竜を地上に召喚しデスサイスと対峙する。
 自分の身体能力は弁えているつもりだ。以前の戦いで、竜の背にしがみついたまま空中から命令を出すことが、どれだけ精神力の要ることなのかは理解している。一方的な殺戮に近い状態となった墓守の里での戦いとは違い、今度は細やかに戦局へ目を配り、適切な指示を出さねばならないのだ。
 瑠衣は跨っている《マテリアルドラゴン》にも高度を下げさせ、竜の脚が地に着いてからそっと降りた。
 そんな、戦場から目を離した十数秒の間に、早くも《ボウ・ドラゴニュート》は空を裂いた衝撃波によって消滅させられている。 
「けど……本命は残りの2体! 《コアキメイル・ドラゴ》、《ボマー・ドラゴン》が取り付くのを支援して!」
 瑠衣はデスサイスの効果を把握しきっているわけではない。
 だが、その能力を知るために思考し、試行することはできる。
 例えば――効果破壊に耐性があるのか。あったとして、破壊そのものを無効にするのか、破壊はされてその後に蘇生されるのか、あるいは破壊以外の効果にも耐性を持つのか。
 そして、それらを文章化して対処法を練ることができるのは、何よりのアドバンテージとなる。
(破壊、蘇生という過程を踏むのであれば、それは《コアキメイル・ドラゴ》に対して致命的な隙になる!)
 デスサイスは風貌からしてまず闇属性だろう。
 対する《コアキメイル・ドラゴ》には他のコアキメイルと同様、闇属性に対して有利を築く特殊能力がある。
 
コアキメイル・ドラゴ /風
★★★★
【ドラゴン族】
このカードのコントローラーは自分のエンドフェイズ毎に
手札から「コアキメイルの鋼核」1枚を墓地へ送るか、
手札のドラゴン族モンスター1体を相手に見せる。
または、どちらも行わずにこのカードを破壊する。
このカードがフィールド上に表側表示で存在する限り、
光属性及び闇属性モンスターを特殊召喚する事はできない。
攻1900  守1600

ボマー・ドラゴン /地
★★★
【ドラゴン族】
このカードが戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、
このカードを破壊したモンスターを破壊する。
このカードの攻撃によって発生するお互いの戦闘ダメージは0になる。
攻1000  守0

 鎌を使わず、徒手空拳というほどでもなく。
 ただゴミを払うようにデスサイスが手を振るうと、それだけで死体の山が築かれる。
 喜ばしいといっては罰が当たる。が、今倒されたモンスターは瑠衣が従える《ボマー・ドラゴン》。このドラゴンは戦闘破壊された時に、戦闘した相手モンスターを破壊する能力を所持している。
 高熱を帯びていることが一目で分かる、熱で赤く罅の走った卵が竜の支配を離れ、デスサイスを捉える位置で大爆発を起こした。
 煙がたちまちデスサイスを覆い隠す。
 その結果を判ずるよりも早く、瑠衣は《コアキメイル・ドラゴ》に指示を出した。
 たち込める煙に可能な限り接近し、《闇属性》に効力を発揮するコアの力を最大限に展開。――――するかしないかという刹那、《コアキメイル・ドラゴ》のスカイブルーの鱗が、真っ二つに裂けた。
 斬撃で無理矢理に煙を払い、衝撃波で竜の息の根を止めて、死神は再び瑠衣を捕捉する。
 瑠衣の側も次なる魔術と罠、そしてモンスターを手に身構える。しかしそこで死神が選択した行動は、戦闘の見届け人として残った天使の予想を完全に裏切るものだったろう。
 仮面越しの視線を瑠衣から徐々に離し、一瞬を境にその身を翻したのだ。
 戦闘で破壊された街道の舗装に追い討ちをかけるように踏み砕き、飛翔――――というよりは跳ね、あっという間に死神は姿を消した。
「くっ……」
 すぐに追わねばならない。戦いを見ていた天使は把握していないであろう、死神が撤退した理由を、瑠衣は理解していた。
 デスサイスがこの戦闘で取った行動は全て迎撃。ガーデアの森で遭遇した時と同じく能動的に仕掛けては来ない。デスサイスを操っているドーマが瑠衣の能力を警戒しているとしか考えられなかった。
 再度『マテリアルドラゴン』を召喚する瑠衣だが、乗馬の経験一つもない身としては、竜の背に跨るまでにまだ幾ばくかの時間がかかる。
 とはいえ、天使が我に返り瑠衣を静止させようとするのには間に合った。
 天使の呼びかけを無視して、瑠衣は死神が去った方角へと竜の頭を向けた。



 一方、南西での攻防もまた、苦戦が続いていた。
 正確には、瑠衣の加勢により戦力をつぎ込めるようになったことで、一旦はローレイド有利になったのだが、それも長くは続かなかった。
 ――女だった。
 絢爛で、どこか血を想起させる紅のドレス。地まで届きそうな長髪。
 素であれば美人と呼べなくもない彼女の額には、この世界の住人にはどうあっても受け入れられない狂気の紋様が刻まれており、感情を殺した能面がさらに不気味さを増幅させる。
 デュエル時のようなドーム状ではなく、一糸乱れぬ真球の結界を宙に浮かせ、その内部から人形の兵士に指示を飛ばしている。
 それによってドーマの策に大きな変化は見受けられなかったが、しかしその影響は、地味ながら確実に天使の防衛戦を削いでいた。
 兵士個々の、戦闘力の強化。
 一人の天使が敵を倒す数が減り、倒すまでの時間が延びている。
 その緩やかな変化に前線の天使は気付いたものの、全軍がそれを認知し作戦に反映されるまでには至らない。
 思考する余裕さえ持てなかった。
 イオレを包んだ球体の結界が、彼女の手の動きに合わせて突進してきたのだ。
 伝説の三騎士は西方の防衛、ローレイド軍はオレイカルコスの欠片を所持しておらず、オレイカルコスを存在しないものとして扱える永瀬瑠衣は、北で死神と戦っている。
 乱れる陣形。押し潰される騎士。
 それそのものが滅びの意思を持つことさえ除けば、オレイカルコスは奇跡の物質である。
 代弁者ともなれば、質量や重量を都合のいいように操作することもわけはない。
 さらにオレイカルコスに元々備わっている不可侵のエネルギーが、地面との間に挟まれこそしなかったものの、触れてしまった騎士を吹き飛ばした。
 兵が密集した戦場だ。一人が倒れれば連鎖的にまた一人が倒れる。
 球体自体の殺傷力はほとんどないに等しいが、目前にドーマの兵士が迫っているこの状況では致命的な隙だった。
 イオレはそのまま大地の蹂躙に取り掛かる。
 先ほどと同じく触れた者が弾かれる性質により、轢死する兵こそほとんどいないものの、態勢を崩された所へドーマ軍が殺到して来る。
 それはもはや、意思を持った自然災害。
 すぐさま対処する方法はなく、上手く付き合っていくしかない。
 だが、時に恵みをもたらすこともある自然災害と比べれば、明確な害意を持ってローレイド軍を荒し回るイオレは、数段厄介な脅威だった。
 点に過ぎなかった防衛線の綻びは、いつしか線となりローレイド軍を囲みつつある。

 ――突破される。
 
 騎士たちが、敗北を悟った時だった。
 この場で誰よりも強く、誰よりも安全に立ち回っていた結界内部の女が、びくりと肩を振るわせた。
 天使を家畜以下のように見下していた瞳の色は一瞬を境に恐怖へと転じ、さらに異形の兵士ともども撤退を始めていった。



「これは後から推測したのですが」
 と、クリスティア。
「死神と代弁者の撤退はかなり時を近くしていました。おそらく、デュエリストの少女が持つドーマへのカウンターは、代弁者にも有効なのでしょう」
「少なくとも、それを警戒しているのは確かか。デスサイスと連携したヒットアンドアウェイ……厄介だな」
 そこには戦術上の危険性という意味も含まれていたが、それ以上に、死神が既に死んでいるのならドーマが戦いから手を引くのではないかとの懸念があった。
 瑠衣を引きつけていたデスサイスが斃れた今、ドーマがローレイドを攻撃するのには大きなリスクが伴う。
 保身とも危機回避とも取れるイオレの慎重さは、おそらく撤退という結論を導き出すだろう。
 だからこそ巧は同盟軍を離れ、次元の狭間に位置するドーマの居城へと赴いた。
 どうにかして第十二次元からの撤退を阻止するために。
「現在ドーマ軍は聖都南西のカタフィラス港を占領しています。こちらから討伐に向かうのは、死神の動向から困難でしたので――我々は餌を撒きました」
「……ダークボルテニス」
「その通りです。実際は向こうから、いつ陥ちるともしれない聖都から脱出したいと提案を受けたのですが、それを利用させてもらいました」
 加えて聖都近辺に潜伏していた瑠衣へ脱出情報のリークを行い、結果ローレイド北東の街道で三つ巴の戦いが勃発した。
 否。それは戦いと呼べるようなものではなく、死神による、逃げ惑うボルテニスとその私兵の殺戮。
 そして、逃げることを忘れて怒りのままにボルテニスを追う死神の隙を付き、瑠衣はいとも簡単に死神を仕留めたのである。
 結界で基礎戦闘力は向上していたとしても、効果耐性まで付加されるわけではない。結界による守りが通じずM&Wのカード効果がそのまま通るとなれば、あとは死神本体の能力だけだ。数度の戦闘でそれにも目処が付いたとなれば、デュエリストの勝利はほとんど絶対のものとなる。
「少女はその直後に意識を失いました。まだ眠ったままですが、医師によれば過労で、すぐにでも目を覚ましておかしくないそうです」
 それは同時に、精神的な傷による昏睡ならば、長引く可能性もあるということだ。
 デスサイスの遺体もまだ扱いが決まっておらず、関係者どころか最悪王族殺しである瑠衣も、やむなく保護かつ拘束しているらしい。
 国家機能の中枢が麻痺している上、未だドーマの危機下にある状況では如何ともし難いのだろう。
「……会わせてくれるか、2人に」



 デスサイス――もといエアトスの遺体が安置されているのは、立て篭もっている銀行の地下だった。
 人が暮らせそうなぐらいに広い金庫を一つ丸々空っぽにして閉じ込め、管理及び監視しているのだ。
 金庫としての守り程度で生けるデスサイスを止めることは叶わぬだろうが、外敵に対してはそれなりに効果的だ。
「…………死神、か」
 エアトスとして国葬する可能性をクリスティアたちは否定しなかった。
 とはいえ、死した彼女の姿はボロボロの黒衣のままである。それが物理的な“モノ”である以上、瑠衣が無力化できる範囲からは逸脱している。
 白い仮面に空いた楕円形の穴の奥で輝く瞳はすでに亡く、死者の魂を吸い上げる大鎌もその力を失い、無造作に打ち捨てられていた。
 見ておかねばならなかった。佳乃の罪を。
 イネトの洞窟で彼女を見つけたのは偶然ではない。あれはドーマの手による作為的な必然だった。
 同盟軍は意図して爆弾を掴まされたのだ。
 それを疑いもせず引き受けてしまったのは、完全な佳乃の落ち度。
「分かっている。あたしはその責を瑠衣に押し付けたんだ。巧の好意に甘えてな」
 エアトス、そしてライトロードへと語りかける。
「だから、いいんだ。そんなこと、あたしは望んでなんかいない! あたしは――!」
 デスサイスの遺体がある金庫に入ってすぐ、胸ポケットのケースに入れた“白紙のカード”から光が発せられていた。
 生者以外を封印したことのない白紙のカード。それがこの場で輝いている理由は明らかだ。
 物言わぬ姿となったデスサイスから魂は失われているだろう。しかし、白紙のカードに満たされるのが本当に“魂”であるのかを、佳乃は知らない。ライトロードたちにはそれらしい解釈でもって説明しているが、あるいはカードを手渡したペガサスですら根本的な構造を理解しているか怪しい。
「はは……まったく、何をやっているんだか」
 巧に全てを預け、自分を捨てた人間に対してエアトスの贈り物は過ぎている。
 ケースから取り出すと、その手で輝くカードは2枚あった。
 どのような組み合わせでカード化されるかは分からない。エアトスとデスサイスというのが最もあり得そうか。
 いずれにせよ、明らかなことは一つ。
 エアトスは、ドーマに利用されるだけでは終わらなかった。ドーマの侵攻からローレイドを死守するべく、佳乃の“力”となるのだ。
 カードが、覚醒する。
 光の収まったカードを、佳乃は迷うことなくデッキに投入した。
 そして、決意を新たにエアトスに背を向けたその時、轟音とともに金庫が揺れた。





 半日前
 ローレイド南端 カタフィラス港 

 ドーマに占拠されたとされるこの港に、生物は存在しない。
 生物に似た外観の者も、今はこの場にいない。
 港近くに居住している天使のうち捨てられた死体こそ転がっているが、兵士の一人すら姿を消している現状、拠点としての耐久性はほとんどないも同然だった。
 ただし――外敵を殺しうる力はある。
 港のそこら中にばら撒かれたオレイカルコスの欠片。
 それらは代弁者の一声、あるいは敵の接近に応じて、自動的に兵士へと変貌する。
 さらに性質の悪いことに、欠片は無造作な配置をしているようで、一部は倉庫や市場の物陰に作為的な置かれ方をしていた。
 偵察に現れたローレイドの兵は結界で外界と隔絶される。
 占拠してからの3日ほど、半日に1度は偵察が深く潜り込んでくるが、未だ帰還は一切許していない。
 複数の結界を融合させ不可侵の領域を形成することも可能で、聖都への侵攻はともかく防衛は盤石だった。
 無論ティマイオスら伝説の三騎士は天敵だが、あれは不幸な例外だ。
 彼らは遠く西で復興活動中であり、その接近には細心の注意を払っている。
「つまり残る敵は、同盟軍に所属する人間ども」
 他と変わらない倉庫の一つに身を潜め、イオレはそう呟いた。
 結界は緑色透明であることと、それが持つ隔離の性質から、ドーマ軍は空戦を得意としていない。
 天使側が飛行能力を活用してきた場合、屋外にいては即座に位置が知られてしまう。
 そんな戦力が残っているならとっくに現れているとは思うが、ともあれ問題は見つかった後だ。
 結界を展開する理性すら失われているとはいえ、デスサイスをこうも早期に抹殺されたのは予想外だった。
 イネトでの敗戦に続き、切り札の死神までも失い――ローレイドの陥落が近いとはいえ、本来なら第十二次元に関わること自体を諦めているはずの状況だ。
 すなわち、イオレは撤退しなかったのではない。できなかったのだ。

 先刻、天使の王族から生まれた死神が、闇の力へのカウンターたる娘に屠られた直後、その娘が昏睡したことにも気付かないほどに慌てて、イオレは部隊を下げた。
 金輪際――かは時が経たないと分からないが、少なくとも当面は次元の狭間の居城で大人しくしているつもりだった。戦力が整っていな状況で無理をするべきではない――イオレはそういう意味では、代弁者でいる限り延々と続く仮初の生を理解し、受け入れていたといえる。
 オレイカルコスの意思には共感などしていなかったが、幾重にもかけられた暗示と催眠により疑問はなかったし、疑似的な不老不死に諦観や達観を見出すには、若くして魔物の器にされ、それより先の千年をオレイカルコスの神に囚われ眠り続けてきたイオレの“時”はあまりにも短すぎた。
 “アレ”が完全に凋落すれば自分も死ぬ。そのことへの恐れは、百年足らずでこの世を去る人間と何ら変わりなかった。
 だから――“アレ”の住まう社でもある居城が既に陥落している事実は、イオレにとって受け入れがたいものだった。
 神殿の役割も兼ねた、代弁者への謁見の間。その玉座には3週間前に会った少年が腰かけていた。
 闇の力へのカウンターとなる娘の、兄。
「永瀬……巧か。よくも我が城を乗っ取ってくれたな……!」 
「第十二次元との接続を切り、力が戻るまで休眠か。間違ってはいないが、遅すぎたな」
 少年が嗤い、イオレが激昂する。
「この、人間風情が!」
 デュエルディスクを発現、展開させるイオレ。
 少年にその素振りはない。が、モンスターや魔法が実体化する以上、無理にデュエルヘ持ち込む必然性は薄い。
 剣を突き立てれば、炎で包んでしまえば。デュエルすることもなく少年は死ぬ。
 少年の魂は奪えれば良い贄であろうが、そればかりに固執している場合ではない。
「《オレイカルコス・ソルジャー》!」
 剣と楯を装備した異形の兵士。
 しかしそれは、悪魔と呼ぶには挙動の端々が人に似すぎている。
 歩き方、剣の構え。人以上の身体能力を有していることは明らかながら、違う存在とも言い切れない。
 まるで人の本来の姿とでも語っているようで、使役するイオレですら嫌悪感が拭えない。
「だとしても……今はっ!」
 異形の兵士が座する少年に剣を振り下ろし――防がれる。
「!!」
 少年のモンスター、《炎の剣聖》が返しの一刀で兵士の首を刎ねた。
「なるほど、これは便利だな」
 そう言って少年が懐から取り出したのはデュエルディスク――ではない。手帳ほどの大きさをした小型機械。
 しかし材質から察するに、ディスクと同様ソリッドヴィジョンシステムが搭載されていることは確実だ。
 おそらくは第一次元で、ガリウスとの戦いに当たって開発されたものだろう。
 セットできるカードは1枚のみのようだが、それでも脅威には違いない。
 だがむしろ問題は――
「“人間風情”とは相手が悪かったですね、代弁者。ようやく追い詰めましたよ」
 少年がその機械をどうやって入手したか。
 その答えとなる男が、玉座の裏から姿を現した。
 高原真吾。永瀬沙里亜の配下だ。彼も何度かこの城を中継点に、異なる次元間を行き来している。
「貴様……」
「私だけではありませんよ」
 高原の背後で、さらに10人ばかりの人間がイオレにデュエルディスクを向ける。 
 同じく沙里亜の組織の構成員だろう。
 彼らは右手にカードを持ち、左手にはイオレが認知する限り3種類しかない、“ドーマを害する術”の一つを握りこんでいた。
「それを――どうやって手に入れたのです?」
 狼狽するイオレの問いを正しく解釈して、高原が口を開く。
「ガリウスの第一次元侵攻。それを補助するため、ドーマの残党の一部を蜂起させましたね。あなたはただの捨て駒として扱っていたようですが、ゆえに気付けなかった。その一部を我々が狩っていたことに」 
「…………!」
 そうだ、思い出した。あの日、沙里亜は闇の力へのカウンターたる娘を連れて現れたが、その後第十二次元での抗争を彼らに引き継ぎ早々に姿を消した。
 イオレは引き継いだ沙里亜の子らを警戒していたが、それは“ドーマへのカウンター”を揃えるためのカモフラージュだったのではないだろうか。
「それだけではありませんよ。この場へ参じた彼ら――」
 高原が背後に居並ぶデュエリストたちを示す。
「この者たちは私の部下ではありません。その蜂起で信者に大切な家族や友人の魂を奪われた者――本来なら私が指示をするのもおこがましいほどの、猛き意志の持ち主です。さあ! 一万年前の哀れな遺物に止めを刺したい者は!」
 永瀬巧と高原真吾を除く全員が進み出る。
 その光景に永瀬巧が舌打ちをした。彼は沙里亜の組織とは本来敵対しているのだから、戦力が充実するのは問題なのだろう。
 個々の実力は決して高くないだろうが、何らかの仕込みをしている可能性は高い。
 例えば――イオレのライフを狙わず、個別の対処が求められるエクゾディア、ウィジャ盤、カウントダウンなどの特殊勝利を目指してくるとか。
 複数戦が困難であることに加え、1人ずつ戦ったとしても引きや思考能力を維持できるわけではない。
 敵が先攻1ターン目で勝利する手札を揃えてきたら、はたしてイオレが授かったデッキはどこまで対抗できるのか。
 しかも、これだけの監視の中でデュエルを行えば、2戦目以降はこちらだけが情報を奪われた状態となってしまう。メタとなるカードをガン積みするぐらいのことは、ここにいる面子なら確実にする。
 さらに10名以上の復讐者を無事に退けたとしても、その後には永瀬巧と高原真吾が控えている。
 玉座の奪還は急務だ。しかし、この状況で勝ち目があるとも思えない。
 ゆえに逃走という選択が残ったのは、やむを得ないながらも賢明な判断だった。
(けれど、どうやって脱出する……?)
 イオレは謁見の間の入り口近くにおり、決して包囲されているわけではない。
 加えて肉体はとうに滅び、剥き出しの魂をオレイカルコスで補強している状態。
 人の身での捕捉が困難という点では、それは強みになる。
 ただ、数が多い。
 浮遊して壁や床をすり抜け最短経路を目指せば、それに沿って城ごと破壊して突き進むような兵器かモンスターを用意するだろうし、かといって丁寧にドレス姿で走るわけにもいかない。
 適当にフェイントを入れるのは確定として、それだけではダメだ。
 不意を突き、初動で差をつけなければ。
 考えろ、その策はここまでの会話で出揃って――――いる。
「ある! あるではないですか!! 儀式魔法《オレイカルコスミラー》! 現れよ、《ミラーナイト・コーリング》! そして4体の《ミラーナイト・トークン》!」
「!! 奴は逃げる気だ!」
 永瀬巧が叫び、デッキからカードを抜き取る。彼は利き手にカードを数枚保持していたが、突然の大量展開に対応するには、奇襲に有利な手のひらサイズのディスクと相性が悪かった。
「遅いのです」
 イオレが指を鳴らすと、ミラーナイト・トークンの貌を隠す仮面が割れた。
 構わずモンスターを召喚し、イオレの使役するトークンに攻撃しようとした復讐者たちの中で、数名の動きが止まる。
「や……めろ……。攻撃をやめろ! しないでくれ……!」
 復讐者の一人が必死にそう訴え始める。
 視線がそちらに集中した隙に、素早くイオレは身を翻した。

 早い話――ミラーナイトは“中の人”となる魂を、貯蔵した中から自在に選ぶことができる。
 そして、高原真吾が漏らした一言。
 「大切な家族や友人の魂を奪われた者」
 つまり魂の貯蔵庫には、彼らの大切な家族や友人とやらが含まれている。
 加えてその直後に永瀬巧が舌打ちした。最初は戦力が集まっていることへの焦燥かと思ったが、もし単純に高原の失言への非難だとしたら。
 捕えた魂を盾として活用することに思い至ったのはその時だった。
 実際には、ミラーナイトが破壊された所で中に入れた魂には影響などない。
 とはいえ、それを知らない人間を躊躇させるには十分で、仮に構わず攻撃してきたとしても、ミラーナイトの能力は耐久力に優れている。

 そうしてイオレは命からがら第十二次元まで逃げ延びた。カタフィラス港へと続く次元の穴は機能を狂わせておき、これですぐに追い縋られることはない。
 だが、依然として状況は切迫している。
 現在のドーマは第一次元に潜伏している信者を除けば、イオレのみで切り盛りしている状態だ。
 ゆえに拠点もあの城がほぼ唯一と言っていい。
 本来なら早急に新たな拠点を確保するべきなのだろうが、落ち延びた先が既に世界の敵と認識されている第十二次元では、今さらローレイドを獲った所で無意味に等しい。
 次元の穴を利用した強襲戦略で伝説の三騎士の首を狙えるからこそ、この次元で活動していたのであって、別段一つの城、一つの砦に重きを置いているわけではないのだ。
 いま必要なのは、追手に捕捉された際にそれを退けることのできる戦力。
 その当てが、ローレイド聖都には残されている。
「デスサイスは確かに1度――いや、2度死んだ。が、その骸は未だ中央銀行の地下に隠されている」
 ローレイドにしてみれば、デスサイスは元君主の亡骸である。
 ドーマに攻め込まれていることを口実に処理の判断を先延ばしすることは容易い。
 それこそが、イオレにとって最後の希望となる。
 永瀬瑠衣は勘違いをしていた。デスサイスとして覚醒する前にエアトスの肉体を滅ぼすという考えは脅威だったが、その認識には根本的なずれがある。
 おそらく彼女はデスサイスを堕落したエアトスと考えていたのだろう。そうでなければ、七賢者を最大の敵と定めて襲撃するデスサイスの思考に合理的な説明ができないからだ。
 しかし事実は違う。デスサイスの“中身”は、オレイカルコスに害されたエアトスの魂などではない。あれはイネト領で取り憑き、エアトスの思考を学習しつつ心の奥底に秘める闇を紐解いた、オレイカルコスそのものなのだ。
 オレイカルコスは意思を持つ物質であり、有機無機に関わらずあらゆる動力源となる可能性を秘めている。
 生きた人間の意識を乗っ取り、異形にすることが出来るくらいだ。魂なき死者の肉体を操る程度わけはない。
 元型が意思を有しているか、すなわち行動に志向性があるかは発揮できる能力に影響を及ぼし、正直な所、これから新しくオレイカルコスを与えるデスサイスは、永瀬瑠衣に倒されたそれと比べても遥かに劣るだろう。
 とはいえ画一化された力しか持たない兵士に比べれば、敵方の精鋭と少なくとも勝負に持ち込めるデスサイスは、これから先欠かせない存在になる。
 その兵士とて今は有限だ。デスサイスの奪還に当たり陽動に使える残存戦力は、多く見積もっても4割――いや、3割。
 様々な次元、様々な土地を転々としての逃走に、多すぎる戦力は普通なら不要だ。
 大軍を維持するためには、糧食をはじめとした備えが不可欠である。
 ただ、オレイカルコスより生成された兵士はそうした補給を必要とせず、加えて疲労の概念もない。潜伏目的だとしても、浪費するには惜しい。
 そしてもう一つ。城に眠る神との繋がりをほぼ断たれた今のイオレは、兵士と異なり補給を要する。
 この世界の命を数人捕えたとしても、烏合の衆では維持にすら足りず、現実的に最も効率的な手段はオレイカルコス製の兵士を取り込むことだった。
 いつ帰還できるとも知れない状況では、可能な限り“食糧”を無駄にしたくはない。かといって、戦力を温存しすぎるあまり、陽動に失敗しては本末転倒である。
 それらを両立できる限界の戦力が、3割という数字だった。
 自身の力が、先代の代弁者どころか、それなりの強さを持つ人間にすら及ばないことは自覚している。
 だとしても、このまま大人しく消滅する気などない。
 決意を固めると、イオレはすぐさま3割分の兵士を起こした。
 御影佳乃に随伴していた永瀬巧があの場にいたということは、同盟軍は既にガリウスと何らかの形で戦いを終えているのだろう。そしておそらく、いくつかの部隊は南下を開始している。
 同盟軍がローレイド軍と合流すれば、今のドーマの戦力では太刀打ちできない。
 この侵攻でデスサイスを奪還できなければイオレの負けは確実なものとなる。
 陽動の兵がローレイド近辺に到達するまでの間――イオレは加護を与えてくれない神に対して、祈る。





 戦闘が行われている。
 ローレイド中央銀行の地下にまで轟いた音から、御影佳乃はそう予感した。
 相手はまず間違いなくドーマだろう。西方での戦いでも、二桁にも満たない程度の数ではあるが、ごく少数の兵を直接拠点内に転移させてきたことがあった。
 急いで金庫から出ようとするが、鍵は閉じられたままだ。
 非常用に脱出するためのパネル――もない。仮に金庫の資産目当てに侵入されたとして、犯人を逃がさないためには、この程度の不便はやむを得ないだろう。
「こうなったら、《ライトロー」
 デュエルディスクを展開しカードを置こうとした時、ようやく金庫の扉が開かれた。
 背中に羽を生やしたローレイド軍の兵である。
「攻めてきているのはドーマか?」
 報告に先んじて尋ねると、伝令は即座に頷いた。
「はっ。敵は少数ですが、一部は聖都内に直接転移し攻撃を仕掛けてきています」
「同盟軍も戦列に加わるよう伝えろ。あたしもすぐに向かう」
 伝令が佳乃に背を向ける。その数瞬の間で、金庫前の広間に変化が起きていた。
 佳乃は瞬きを挟んだものの、咄嗟に横へ跳び金庫の入口から逃れる。
 しかし伝令の反応は遅れ、敵が放った緑色透明の槍に身体を貫かれた。
 敵の姿を視界に入れたのは一瞬だったが、敵の正体には心当たりを越えた確信がある。豪奢な赤いドレスの女――現ドーマの最高権力者であるイオレだ。
「――ここにいて、正解だったか」
 入口横の壁にもたれかかり佳乃が呟く。
 伝令にはすぐに上へ戻ると言ったが、あれは嘘だった。
 この状況におけるドーマの動き――それについては巧と示し合わせてある。
 もし次元の狭間の城でイオレを取り逃がしてしまった場合、彼女が次に取る策は拠点の確保などではなく、逃避行に有用な、個人戦闘力に優れる護衛を手に入れることだ。そしてあわよくばイオレに追いすがる可能性を持つ人間、あるいはモンスターの排除といったところだろう。
 巧やローレイド軍、佳乃も含めて余程見誤っていない限り、総力戦を挑んできたとは考えにくい。
 向こうの狙いが予測と違わない以上、デスサイスの遺体が在る部屋に留まり戦場にするのは危険であるため、自然にこちらから攻めるという結論へ到達した。
「《ライラ》、《バリア》!」
 防護壁を纏わせた女魔術師を先行させ、佳乃も金庫から出てライラに追随する。
 むろん、左腕には《ライトロードマジシャン・ライラ》と《ライトロード・バリア》が置かれたデュエルディスクを装着している。
 すかさずイオレが二撃目の槍を投擲してくるが、バリアがそれを打ち消した。
 反撃の光魔術は、結界を張り巡らせたイオレに届かないものの、これは想定の範囲内だ。
 こうした手合いの人外に対して、ただの人間である佳乃が取れる手段は一つ。
「――デュエルしろ」
 ディエルディスクを用いたデュエルに適した間合いまで近付き、そう言い放つ。
 それだけが、イオレを確実に葬れる手段だ。
 しかし、イオレもそのことを前提の提案だと見抜いているらしく、数体の兵を召喚し佳乃を取り囲む。
「……戯けたことを。直接私を害する術のないお前とデュエルをするメリットが、どこにあるのです?」 
 先代の代弁者はこうした状況で安易にデュエルを受け、結果敗れた。
 二の轍を踏まない用心深さは持ち合わせているらしい。
 だが、“攻撃が届かない”という前提が崩れ去れば、また話は違ってくるはずだ。
「今度は“使う”ぞ、《ライラ》」
『承知していますわ』
 再度杖に光を収束し、イオレに向けて撃ち放つ。 
 イオレは条件反射のように結界の防壁を張った。
 光が結界にぶつかる。避けようともしない。
 自分の力でもないのに随分な自信だ。
 だから――光がそのまま透過して取り乱す羽目になる。
「……え?」
 右腕と脇腹の一部を消し飛ばされ、イオレが平衡感覚を失い床に倒れこむ。
 肉体を失い魂だけの存在となった彼女にとって、その現象は“感覚”や“痛み”といった曖昧なもの。元の形へと修復するのは容易だ。
 とはいえ、通じないはずの攻撃で傷を負った――それは精神に恐怖と焦燥をもたらす。
「何を……したのです……?」
 脅しに用いた兵を石の欠片に変換し、無事な左腕から吸収すると、たちまち欠損部位が補われ五体満足の姿に戻った。
 が、発せられる問いからは、どうしても震えが拭えない。
 一方的な、戦いにすらならないと考えていた相手に思わぬ手傷を負ったのだから、仕方のないことだ。それは単純なイオレの油断に他ならない。
 佳乃は闇の力の無効化能力など持ち合わせていないが、代わりに瑠衣から譲り受けたオレイカルコスの欠片を手にしている。使い過ぎればその身を滅ぼしかねない危険な物質だが、佳乃としてもこれ以上使う気などなかった。
 どの程度の苦痛を味わったのかは想像の域を出ないものの、この攻防の目的は達成したと見ていい。
「これで分かったか――こっちもお前に攻撃を通す術を持っている。そして、仮に勝ったとしても、ただで済むとは限らない」
「……そのようですわね」
 イオレはデスサイスの奪取を狙っているのだろうが、同時に可能な限り消耗を抑えなければ意味がない。
 そうなると、余計な力を消費せず佳乃を倒すのに、最も有効な手段は何か――明らかだ。
「いいでしょう、御影佳乃。M&Wの決闘、受けて差し上げます」
「…………」
「しかし、いくら第一次元の人間とはいえ、それだけで勝てるほど甘くありませんよ。まして、2年も実戦から離れている身で、本当に相手になるのかしら?」
 なるほど、あながち見当外れな指摘というわけでもない。
 佳乃のデュエルタクティクスは《ライトロード》を手に入れた今でも、巧や瑠衣に比べれば劣る。
 逆に言えばデュエルが生命線の巧たちが相手では、イオレがデュエルを受けるわけがない。
 威嚇にこそなれど、相対すれば後退する。愚かなようでいて、実に厄介で賢明な臆病さをイオレは備えていた。
 正直なところ、佳乃にとって分の悪い決戦になるだろう。《オレイカルコスの結界》はカードとしても、直接的なアドバンテージこそないが強力な効果を秘めている。
 だが、だからこそデュエルの相手として認められた。無防備に生命力を晒したのだ。絶対にこのチャンスを逃すわけにはいかない。
「「デュエル!!」」

御影佳乃 LP4000
イオレ  LP4000

「さあ、ジャンケンの時間だ」
 佳乃が高らかに言う。
 この次元に来る前にイシズと戦った際は気持ちが焦り、粘られた末に負けてしまったが、本来ジャンケンは佳乃の得意分野である。
 ジャンケンの奥義は、早い話が後出しだ。
 剣術で身に付けた動体視力を生かし、佳乃は掛け声の呼吸を乱さない――つまり常人には不正と悟られないレベルでの後出しを可能としている。
 その実力は、この場で遺憾なく発揮された。
「最初はグー、ジャンケンポン! ――フッ」

 佳乃  チョキ
 イオレ パー

「あたしの先攻だ」
 運が悪かったと考えているだろうイオレに、佳乃が容赦なく宣言した。
「カード、ドロー」
 ドローカードを加えた6枚に視線を遣る。
 モンスターと魔法、罠のバランスが取れている手札だ。
 そしてこの初手。《ライトロード》の初陣として相応しい1枚がそこにはあった。
「《ライトロードパラディン・ジェイン》、召喚!」
 両刃の剣に丸盾、光り輝く白の鎧を身に付けた騎士が佳乃の前に現れる。

ライトロードパラディン・ジェイン /光
★★★★
【戦士族】
このカードは相手モンスターに攻撃する場合、
ダメージステップの間、攻撃力が300ポイントアップする。
また、このカードが自分フィールド上に表側表示で存在する限り、
自分のエンドフェイズ毎に、自分のデッキの上からカードを2枚墓地へ送る。
攻1800  守1200

「頼むぞ、ジェイン」
『…………』
 ジェインは、答えない。今や10を越える《ライトロード》の中で、佳乃と口を聞くことすらしないのはジェインのみだった。
 そしてまた、ジェインは他ならぬ最初の《ライトロード》である。
 ガリウスとフォルオードの大規模会戦で、佳乃は図らずも、ジェインをカードという永劫の檻に閉じ込めてしまった。
 佳乃とコミュニケーションを取り、忘れ去られまいとする他の《ライトロード》たちの行動を非難はしないし、する資格もないが、特別な1人を選ぶとなれば間違いなくジェインを選択するだろう。
「カードを1枚セット。そしてエンドフェイズ、《ライトロードパラディン・ジェイン》の効果発動! 自分のデッキから2枚を墓地に送る」
「……デッキを、墓地へ?」
 デッキもまたデュエリストの命を示す一つ。 
 それを自ら削ることで、ライトロードは力を発揮する。
 本来何も成せずに死すしかなかった命を強引に繋ぎ止め、さらには精霊化前より高い戦闘力を得た代償といった所か。
 ただ、その代償により失われていくのは佳乃の命。
 考えようによっては悪夢でしかない共生――いや、心中関係だが、佳乃はこれに殉じる覚悟でこのデュエルに臨んでいた。
 《ライトロードドラゴン・グラゴニス》と《サイクロン》がセメタリーに消え、最初のターンが終わる。

 佳乃 デッキ 34枚→32枚

「私のターン、ドロー!」
 徹底して感情を排したプレイをする佳乃に対して、観衆などいないにもかかわらず、イオレの挙動は一々が大袈裟だ。
 しかしそれも、冴えない宗教団体の主らしいパフォーマンスと見れば納得もいく。
「《オレイカルコス・ソルジャー》を召喚です」
 佳乃にとっては西方の戦いで散々見飽きたドーマの尖兵が、イオレの場に具現化した。
「このカードが召喚に成功した時、デッキからオレイカルコスと名のつくカードを手札に加えます――」
 後攻の1ターン目、デッキコンセプトも判別できないとはいえ、この状況で加えられるカードの正体は明白である。
 デッキから抜き出したカードを、早速イオレはフィールド魔法ゾーンに挿入した。
「発動――《オレイカルコスの結界》!!」
 昏い輝きを放つ六角の紋様が広間の床を走る。
 オレイカルコスの力と1万年の時をかけて継がれてきた禁呪が組み合わさり、絶対不可侵の儀式場を構成する。

オレイカルコス・ソルジャー /闇
★★★★
【悪魔族】
このカードが召喚、特殊召喚に成功した時、自分のデッキから「オレイカルコス」と名の付く1枚を手札に加えることができる。
攻1400  守1100

オレイカルコスの結界
【フィールド魔法】
このカードの発動は無効にされず、フィールドを離れない。
また、フィールド魔法カードをセット、発動する事はできない。
自分フィールドのモンスターの攻撃力は500ポイントアップする。
自分は魔法、罠ゾーンにモンスターを召喚、特殊召喚できる。
自分のモンスターゾーンにモンスターが存在する限り、魔法罠ゾーンのモンスターを攻撃できない。
このデュエルの敗者の魂は、このカードに封印される。

「《オレイカルコスの結界》は、自分フィールド上のモンスター全ての攻撃力を500アップさせます」
 
 オレイカルコス・ソルジャー ATK1400→1900

 結界の効果を受け、モンスターの力関係が逆転する。
 佳乃に動揺はない。デュエルをしていれば、こんなことは日常茶飯事である。
 数体のみのモンスターを維持し続けるようなプレイングもあるが、通常は破壊して、されての繰り返しとなる。
 そういうシステムなのだから、そこに疑問を抱いてはデュエルにならない、そんな次元の問題だ。
 しかし、擬似的な精霊である《ライトロード》にとって、これは看過できない事態だった。
 “仲間”のジェインが今にも“殺され”ようとしているのを、黙って見過ごすことなどできようか。
 ライラが罵る。ガロスが諭す。ジェニスが懇願する。ウォルフが頭を下げる。

 ――どれにも耳は貸さない。

 彼らは契約内容を忘れていた。
 だから佳乃は、イオレに聞こえないように、精霊たちに聞こえるように、小さく言う。
「これが、勝利のための、犠牲だ」
 《ライトロード》たちが息を呑むのが分かった。
 彼らを用いた、初めてのデュエル。おそらくここで、彼らとの関係性は転換点を迎えるだろう。
 だとしても――。
「《オレイカルコス・ソルジャー》の攻撃!」
 ジェインが敵兵に斬殺され、超過ダメージが佳乃から40分の1の生命を奪っていく。

 佳乃 LP4000→3900

「くっ……」
 カードプリベンター時代に経験した闇のデュエルとは、空気の密度が違う。
 受ける痛みが単純に重い。たったそれだけの差が、精神の抵抗力を削ぎ落とす。
 ダメージを分かち合ってくれる者は、まだ現れない。
 そのことを責めようとは思わなかった。
 こればかりは実際にデュエルの中で、妥協するなり慣れるなりしてもらうよりほかにないだろう。
 “カード”を使役するデュエリストとして、精霊を知覚できないただの人間として、佳乃は苦痛を堪えてデュエルディスクを構え直した。


御影佳乃
LP3900
モンスターゾーンなし
魔法・罠ゾーン
伏せカード1枚
手札
4枚
イオレ
LP4000
モンスターゾーン《オレイカルコス・ソルジャー》ATK1900
魔法・罠ゾーン
《オレイカルコスの結界》
手札
5枚





 
4章 裁きを招く者たち



「あたしのターン、ドロー」

佳乃 手札  4→5枚
   デッキ 32→31枚
 
 デッキの枚数が減り、手札が増える。
 ドローカードを確認すると、佳乃は次にフィールドへと視線を移した。
 自陣にはリバースカードが1枚のみ。
 対してイオレの場にはモンスター1体とフィールド魔法の計2枚カードが存在し、さらに彼女は5枚の手札を保有している。
 ジェインが破壊されても同数のカードを維持できているのは、ひとえに先攻を獲得したゆえだ。
 後攻ならばジェインで《ソルジャー》を破壊できていたが、扱えるカード数を覆しきるには至らない。
 この差が100のライフポイントで賄えるならば、やはり先攻を取ったことに間違いはないだろう。
「モンスターとリバースカードをセット――。ターンエンドだ」
 とはいえ、懸念はいくらでもある。
 現状の手札では、後に控えているだろう上級モンスターはおろか、結界で強化された《オレイカルコス・ソルジャー》すら倒せない。
 これが最良の一手だとは思うが、敵の戦術が不透明な以上、楽観視はできなかった。
 イオレがカードをドローする。
 6枚になった手札から、イオレは迷いなく1枚を手に取った。
「《オレイカルコス・マテリアル》、召喚」
 
 オレイカルコス・マテリアル ATK 0

「な……?」
 攻撃力0のモンスターを攻撃表示で出すのは別段珍しいことでもない。
 佳乃を驚かせたのは、モンスターの姿だ。
 カウンターとして佳乃たちが所持しているのは親指大、ソリッドヴィジョンとして具現化された物は握り拳弱という違いこそあれ、緑色透明のそれは紛れもなくオレイカルコスの欠片だった。
「オレイカルコスは奇跡の物質――有機無機を問わず、あらゆるモノへと変転する力があります」
 ゆえにこの物質は意思を持ち、ヒトに新たな道までをも指し示した。
 それは現代になって、三千年前のエジプト王によって否定されたものの、彼が冥界へ旅立ったことにより封印は弱まっている。
「それを体現する《オレイカルコス・マテリアル》の効果。このカードの攻撃力が変動した時、このカードを墓地へ送ることによって、手札またはデッキから《オレイカルコス》と名の付くモンスターを特殊召喚できます」
「攻撃力の変動――って、それは!」
 《オレイカルコスの結界》が有する効果、その一つ目は何だったか。

 オレイカルコス・マテリアル ATK 0→500

「《オレイカルコスの結界》により《マテリアル》に“闇”が充填されました! この《マテリアル》を用い――現れよ《オレイカルコス・ナーガ》!!」
 純度100パーセントのオレイカルコスで身体が構成された、漆黒の大蛇。
 一目では測りかねるほどの体長に、軽く人間を丸呑みにできるだろう大顎を有している。 
 オレイカルコスの紋章が額に浮かぶと、それまで虚ろに見えた大蛇の眼が、獲物を求める獰猛な狂気で覆い尽くされた。

 《オレイカルコス・ナーガ》 ATK 2200→2700

「《オレイカルコス・ナーガ》に与えられた能力は破壊! 1ターンに1度、相手フィールド上のカード1枚を選択し破壊します」
 東洋龍に近い風貌の大蛇が闇のブレスを吐き出し、佳乃の裏守備モンスター《ライトロードハンター・ライコウ》を瞬時に溶かす。


オレイカルコス・マテリアル /闇

【悪魔族】
このカードの攻撃力が変化した時、このカードを墓地に送って発動する。
自分のデッキ、または手札から「オレイカルコス」と名の付くモンスター1体を特殊召喚する。
攻0  守0



オレイカルコス・ナーガ /闇
★★★★★★★
【ドラゴン族】
1ターンに1度、フィールド上のカードを1枚選択しそのカードを破壊することができる。
攻2200  守2700



ライトロードハンター・ライコウ /光
★★
【獣族】
リバース:フィールド上のカード1枚を選択して破壊できる。
自分のデッキの上からカードを3枚墓地へ送る。
攻200  守100


 シンプルだが、それゆえに強力な効果だった。
 テキストが短いカードは強いという不文律を見事に体現している。
 上級モンスターとしては《結界》の力を得てようやく標準程度の攻撃力だが、《マテリアル》からアドを失わず出現し蘇生制限もないとなれば、あの悪名高い《ダーク・アームド・ドラゴン》にも劣らない。
「ライコウはリバース効果持ちですか。踏みに行っていれば危うかったですね、また墓地を肥やされていました」
 イオレのこの言動に対して、佳乃は必死に平静を保つ。
 まだ、あちらがどこまで理解しているのか不透明だ。もしかすると、デッキの圧縮を警戒しているだけかもしれない。
 ただ――《ライトロード》のデッキを削る効果がメリットと判別されるのは、遅いに越したことはなかった。
「《オレイカルコス・ソルジャー》! ダイレクトアタックです!」
 相手モンスターの総攻撃力は4600。
 敢えて初撃を受けるメリットは存在しない。
「《聖なるバリア‐ミラーフォース‐》!」


聖なるバリア‐ミラーフォース‐
【通常罠】
相手モンスターの攻撃宣言時に発動する事ができる。
相手フィールド上の攻撃表示モンスターを全て破壊する。


 どちらのモンスターも、対象に取らない罠への耐性は備えていなかったらしく、イオレの場が空になる。
 いきなりパワーカードを消費することになってしまったが、《オレイカルコス・ナーガ》のような万能除去カードが今後も出てくるとすれば、発動タイミングが限定される《ミラーフォース》は決して安心をもたらすカードとは言えない。
「カードを1枚セットして、ターンエンドです」
「エンドフェイズに、永続罠《閃光のイリュージョン》! 墓地から《ライトロードドラゴン・グラゴニス》を特殊召喚する」


閃光のイリュージョン
【永続罠】
自分の墓地の「ライトロード」と名のついたモンスター1体を選択し、
表側攻撃表示で特殊召喚する。
このカードがフィールド上から離れた時、そのモンスターを破壊する。
そのモンスターがフィールド上から離れた時、このカードを破壊する。
また、自分のエンドフェイズ毎に、自分のデッキの上からカードを2枚墓地へ送る。



ライトロードドラゴン・グラゴニス /光
★★★★★★
【ドラゴン族】
このカードの攻撃力・守備力は、自分の墓地の「ライトロード」
と名のついたモンスターの種類×300ポイントアップする。
このカードが守備表示モンスターを攻撃した時、
その守備力を攻撃力が超えていれば、
その数値だけ相手ライフに戦闘ダメージを与える。
また、このカードが自分フィールド上に表側表示で存在する限り、
自分のエンドフェイズ毎に、自分のデッキの上からカードを3枚墓地へ送る。
攻2000  守1600


 フィールドに目を眩ます閃光が迸り、視界が復活すると《オレイカルコス・ナーガ》とは対照的な光の西洋竜が顕現していた。
「このカードの攻撃力は、墓地に存在する《ライトロード》1種につき300アップする。今こちらの墓地には《ジェイン》と《ライコウ》がいる。よって――」

 《ライトロードドラゴン・グラゴニス》ATK 2000→2600 


御影佳乃
LP3900
モンスターゾーン《ライトロードドラゴン・グラゴニス》
魔法・罠ゾーン
閃光のイリュージョン
手札
3枚
イオレ
LP4000
モンスターゾーンなし
魔法・罠ゾーン
《オレイカルコスの結界》、伏せカード1枚
手札
4枚

 ターンの移行が行われ、佳乃が新たなカードを手札に加える。
 
 佳乃 デッキ 31→30枚
    手札  3枚→4枚

 攻めるべき状況であることは確実だが、佳乃の手札にアタッカーになり得るカードはなかった。
 仮にあったとして、一応は伏せカードがあるのに、完全な無警戒で突っ込むのは愚策である。
「《グラゴニス》!」
 《ナーガ》へのお返しとばかり、光のブレスを放つ《グラゴニス》。
 高い知性を持ち、佳乃とも齟齬なく会話できるのだが、今は何も語る気がないようだ。
 とはいえ、《ナーガ》やイオレに対して憤っている様子は、声を聞かずともひしひしと伝わってくる。
「リバースカード、《ガード・ブロック》です。ダメージを無効にして1枚ドロー!」


ガード・ブロック
【通常罠】
相手ターンの戦闘ダメージ計算時に発動する事ができる。
その戦闘によって発生する自分への戦闘ダメージは0になり、
自分のデッキからカードを1枚ドローする。


 イオレ 手札 4枚→5枚

「ありがとう、《グラゴニス》。リバースを2枚セットし、エンドフェイズだ」
 《閃光のイリュージョン》と《グラゴニス》の効果で一気に5枚のカード――《死者蘇生》、《創世の預言者》、《盗賊の七つ道具》、《カオス・ソーサラー》、《ライトロードサモナー・ガロス》が墓地に吸い込まれた。

  佳乃 手札  4枚→2枚
     デッキ 30枚→27枚→25枚

 《ライトロードドラゴン・グラゴニス》 ATK2600→2900

「墓地に《ガロス》が送られたことにより、《グラゴニス》の攻撃力はさらに300アップする」
 このターンに墓地へ行った5枚中、《ライトロード》は僅か1枚。
 再利用が難しい制限級の魔法や罠も次々と消えている。
 しかし佳乃は、これをさほど悲観していなかった。
 いくつかのリカバリ手段は失われたが、切り札そのものはデッキに眠っている。
 そして、デュエルに勝つためには、唯一絶対の切り札を必要とするわけではない。
 切り札とキーカードは別物で、特にキーカードは流動的なものであると、佳乃は考えていた。  
 そんな人間が精霊のような存在を抱えている理由は、彼らが“使える”からに他ならない。それは否定しない。
 ただし――“使い方”を選ぶことは、できる。
「ターンエンド」
「私のターン」
 待ち構えていたようにイオレがドローする。

 イオレ 手札 5枚→6枚

「500のライフを払い、《オレイカルコス・キュトラ》を後衛に特殊召喚します」
 6本の足を生やしたような目玉の悪魔がイオレの場に出現した。


オレイカルコス・キュトラ /闇
★★★
【悪魔族】
このカードは通常召喚できない。
自分のライフを500ポイント払う事で、手札からこのカードを特殊召喚する事ができる。
???
攻500  守500


 イオレ LP4000→3500
 手札6枚→5枚

 ATK 800→1300

「さらに《オレイカルコス・マテリアル》、召喚。効果で墓地へ送り、《オレイカルコス・ナーガ》を特殊召喚!」


オレイカルコス・マテリアル /闇

【悪魔族】
このカードの攻撃力が変化した時、このカードを墓地に送って発動する。
自分のデッキ、または手札から「オレイカルコス」と名の付くモンスター1体を特殊召喚する。
攻0  守0



オレイカルコス・ナーガ /闇
★★★★★★★
【ドラゴン族】
1ターンに1度、フィールド上のカードを1枚選択しそのカードを破壊することができる。
攻2200  守2700


 《オレイカルコス・ナーガ》 ATK 2200→2700

 イオレ 手札5枚→4枚

 前のターンに処理したばかりの黒き大蛇が、またしても精製される。
 効果対象に選択されたのは順当に攻撃力で上回っている《グラゴニス》だ。
「く……リバースカード、《禁じられた聖杯》!」


禁じられた聖杯
【速効魔法】
フィールド上に表側表示で存在するモンスター1体を選択して発動する。
エンドフェイズ時まで、選択したモンスターの攻撃力は
400ポイントアップし、効果は無効化される。


 オレイカルコス・ナーガ ATK2700→3100

「カードでライフを買いましたか――いいでしょう、《ナーガ》で《グラゴニス》を攻撃します!」
 聖杯によって大蛇の能力は無効になり光の竜は健在だが、その反作用で大蛇は凶暴性を増し竜の攻撃力を上回った。
 効果を通していれば聖杯を温存する代わり、2700もの大ダメージを受けていただろう。
 初期ライフ4000制のデュエルで、佳乃のデッキに眠る最強のカードの能力を考えれば、あながち間違いでもない選択ではある。
 だが佳乃は、そんな消極的な選択のために聖杯を使ったのではない。
「いいや、戦闘でも負けるつもりはない! もう1枚のリバース《光の召集》を発動!」
「……まさか」
「手札の《ライトロードプリースト・ジェニス》、《ライトロードシーフ・ライニャン》を墓地に送り、《創世の預言者》と《ライトロードウォリアー・ガロス》を手札に加える」
 手札から2体の《ライトロード》が墓地へ行き、しかし回収した《ライトロード》は1体。
「これによりグラゴニスの攻撃力は300ポイントアップする! 迎撃しろ!」


光の招集
【通常罠】
自分の手札を全て墓地へ捨てる。
その後、捨てた枚数分だけ自分の墓地に存在する
光属性モンスターを手札に加える。


 《ライトロードドラゴン・グラゴニス》 ATK2900→3200

 《ライトロード》の竜が光のブレスを放ち、闇を纏う大蛇を消し飛ばした。
 そして僅かだが余剰ダメージが発生し、イオレのライフを削――らない。
 イオレに傷をつけるはずだった光は、目玉の悪魔《オレイカルコス・キュトラ》が吸収していた。
「な……そいつは……!?」
「ええ、お察しの通り《オレイカルコス・キュトラ》は、《オレイカルコス》と名の付くモンスターの戦闘によって発生する私へのダメージを、遮断するのです」
 イオレは決してグラゴニスの反撃を読んだわけではないだろう。
 が、結果としてイオレは100ポイントのダメージを免れた。
 普通に考えれば100ダメージの差が勝敗に響く可能性もあり、コンバットトリックを受ける前に特殊召喚しておいたイオレの判断は正しいものだった。
 しかし、イオレはそれと引き換えに、《キュトラ》が持つ効果を佳乃に知らしめてしまった。
 互いに敵が使うカード効果が分からない状況で、そうした情報アドバンテージは大きい。
 もっとも、佳乃も《ナーガ》を返り討ちにするため、《光の召集》で手札と墓地のカードを全て筒抜けにしてしまっているのだが。


オレイカルコス・キュトラ /闇
★★★
【悪魔族】
このカードは通常召喚できない。
自分のライフを500ポイントを払う事で手札からこのカードを特殊召喚する事ができる。
このカードがフィールド上に表側表示で存在する限り、
モンスターの戦闘で発生した自分へのダメージは0になる。
???
攻500  守500


「カードを1枚セット、そして手札よりオレイカルコス第二の結界、《オレイカルコス・デウテロス》を発動させます」
「デウテロス……?」
 佳乃にはこの次元に来る以前――カードプリベンター時代に、《オレイカルコスの結界》の基礎知識は得ている。
 だが、イオレが用いる《オレイカルコス》カテゴリのモンスターは別として、結界に呪印を描き足し二重にするカードは初耳だった。
 これまでに見た《オレイカルコス》モンスターは《ライトロード》にも劣らない能力を有しているが、それでもせいぜい“壊れカード”止まりで、前衛と後衛の要素を生み出す《結界》本体のように、ルールの根幹が揺らぐレベルのものではない。
 そしてこの局面で発動された“第二の結界”。分類こそ永続魔法だが、オリジナルの《結界》寄りの力を秘めている可能性は多分に存在する。


オレイカルコス・デウテロス
【永続魔法】
自分フィールド上に「オレイカルコスの結界」が表側表示で存在する場合に発動する事ができる。
このカードの発動と効果は無効化されない。
このカードは他のカードの効果を受けず、自分の場を離れない。
自分のスタンバイフェイズ時に1度だけ、
自分フィールド上に存在するモンスター1体につき500ポイント、自分のライフを回復する。
また、相手プレイヤーが直接攻撃を宣言した時、自分フィールド上のモンスター1体を生け贄に捧げる事で、その攻撃モンスターを破壊する。


 イオレ 手札4枚→2枚

「これでターンエンドです」 
 5枚の手札を用いて築いたイオレの布陣は一見貧弱で、佳乃の場は2枚の伏せカードこそ削られたが、攻撃力3200のモンスターが居座っている。
 しかし油断はできない。戦闘ダメージをシャットアウトする《オレイカルコス・キュトラ》。
 あれを維持され長期戦に持ち込まれれば、短期戦のビートダウンを軸とする《ライトロード》にはデッキ切れのリスクも生じる。
「ドロー」

 佳乃 デッキ25枚→24枚

 そしてもう一つ。《キュトラ》には気になる点がある。
 《グラゴニス》による戦闘ダメージを無効にした際、イオレは「遮断」という言葉を使った。
 しかしその時、一瞬言いあぐねていたような気がしたのだ。
 それを踏まえてソリッドヴィジョンで《キュトラ》のダメージを“遮断”する演出を観察すると、“遮断”や“無効”ではなく“吸収”に近い――いや、吸収そのものだった。
 ここから導き出される推測は、“吸収”した数値が別の――ダメージや攻撃力に反映されるのではないかというもの。だから意図的に“吸収”という単語の使用を嫌った。
 もちろん取り越し苦労の可能性も高い。
 だが、カードプリベンターの一員として多少なりと闇のデュエルに関わってきた自身の第六感が、何か警鐘を鳴らしていた。
 実際それによって危機を脱したこともある。
 ならば取るべき策は――
「《ライトロードウォリアー・ガロス》を召喚!」


ライトロードウォリアー・ガロス /光
★★★★
【戦士族】
「ライトロード・ウォリアー ガロス」以外の自分フィールド上の
「ライトロード」と名のついたモンスターの効果によって
自分のデッキからカードが墓地へ送られる度に、
自分のデッキの上からカードを2枚墓地へ送る。
この効果で墓地へ送られた「ライトロード」と名のついたモンスター1体につき、
デッキからカードを1枚ドローする。
攻1850  守1300


 《グラゴニス》は高い攻撃力に加えて貫通能力を備えている。
 しかし《キュトラ》を破壊するに当たり、それらは“吸収”効果に対して仇となる可能性があった。
 さらに今の手札はイオレに割れており、ここは戦闘破壊という役割のみを遂行するガロスが適任なのである。
 仮にただの“無効”だとしても、《結界》が持つ前列後列の概念と相性が良すぎる。
 ここは、対策を用意されているなら、それごと押し潰す豪胆なプレイングが求められる局面だ。
「トラップカード、《リミットリバース》!」


リミットリバース
【永続罠】
自分の墓地から攻撃力1000以下のモンスター1体を選択し、攻撃表示で特殊召喚する。
そのモンスターが守備表示になった時、そのモンスターとこのカードを破壊する。
このカードがフィールド上から離れた時、そのモンスターを破壊する。
そのモンスターが破壊された時このカードを破壊する。


 イオレが蘇生させられるのは《マテリアル》しかいない。
 そして《マテリアル》の効果分類は、『攻撃力が変動した時』――つまり起動効果ではなく誘発効果だ。
「《マテリアル》の効果。《オレイカルコス・ギガース》を特殊召喚!」

 《オレイカルコス・ギガース》ATK400→900

 手首を鎖で繋がれた筋肉質の囚人。
 《結界》の効果を得ても攻撃力は900で、逆にそれは《キュトラ》の“吸収”値を増やしてしまう。
「だとしても、攻撃は続行だ!」 
 ガロスが得物の長槍で闇の囚人を突き殺すが、950のダメージはイオレに届かない。
「さらに《ギガース》が破壊された時、攻撃力を500アップさせてフィールドに蘇ります」


オレイカルコス・ギガース /闇
★★★★
【悪魔族】
このカードがフィールド上に表側表示で存在する限り、このカードのコントローラーはドローフェイズをスキップする。 このカードがフィールド上で破壊され墓地に送られた場合、破壊された時の攻撃力に500ポイントをアップさせた数値でこのカードを特殊召喚する。
攻400  守400


 《オレイカルコス・ギガース》ATK900→1400
 吸収値 100→1050
「く……」
 絶望的にはほど遠いものの、やや手薄だと考えていた敵陣は相当に厄介なものへと様変わりした。
 戦闘ダメージを0にする《キュトラ》に加え、状況次第では無限に再生し続ける《ギガース》。
 運良くそれを崩すための1枚はこのターンのドローで手札に舞い込んでいたが、しかしそれだけでは足りない。  
 もう一つ、別のアプローチが必要だった。
「エンドフェイズ。《閃光のイリュージョン》の効果によって2枚を墓地に」
 捨てられたカードは《ライトロード・バリア》に《ライトロード・レイピア》。


ライトロード・レイピア
【装備魔法】
「ライトロード」と名のついたモンスターにのみ装備可能。
装備モンスターの攻撃力は700ポイントアップする。
このカードがデッキから墓地に送られた時、
このカードを自分フィールド上に存在する「ライトロード」
と名のついたモンスター1体に装備する事ができる。


「デッキから墓地に送られた《レイピア》は《ガロス》に装備。さらに《グラゴニス》、続けて《ガロス》の効果」
 《オネスト》、《神聖なる魂》、《闇の誘惑》に加え、《ライトロードサモナー・ルミナス》、《ライトロードエンジェル・ケルビム》が消える。
 それは同時に、ギガースを倒す術の一つが奪われたことを意味している。
「まだだ――《ガロス》の効果で2枚ドロー。……ターンエンドだ」

 《ライトロードドラゴン・グラゴニス》 ATK3200→3800

  佳乃 デッキ24枚→22枚→19枚→17枚→15枚
     手札2枚→4枚

 佳乃には伏せカードも、手札誘発もなく、次のターンは見ていることしかできない。
 思考を休めるためフィールドから視線を外すと、地上へ上る階段の辺りにこちらの状況を窺うローレイド兵の姿を認めた。
 なかなか地上に戻ってこない同盟軍の総司令官を迎えに来たのだろう。
 が、こちらはイオレに足止めされていると同時に、イオレを足止めしている。
 戦いに介入してこないことから察するに、地上の戦局はさほど悪くないようだ。
 統率者であるイオレがいなければ、高い能力を持っているオレイカルコスの兵も、絶望的な脅威とまではなりえない。
 イオレはそのことを――理解、しているはずだ。
 間の抜けた余裕やプライドは身を潜め、デュエルに挑む姿は鬼気迫ると言っていい。
 地上の兵は全て囮。本命はやはり、瑠衣とデスサイスだ。
「私のターン。《ギガース》の効果でドローはできませんが、スタンバイフェイズに《デウテロス》の効果を発動。自分のモンスター1体につき500のライフを回復します」
 さらにメインフェイズに入ると、《マテリアル》を蘇生した際に残った《リミットリバース》を鉢植えの養分にして手札を補強した。


マジックプランター
【通常魔法】
自分フィールド上に表側表示で存在する
永続罠カード1枚を墓地へ送って発動する。
自分のデッキからカードを2枚ドローする。


 イオレ LP3500→4500
 手札1枚→2枚

「さらに手札から《オレイカルコス・ファントム》を発動です。自分の場の《オレイカルコス》と名の付くモンスター1体――《ギガース》を破壊し、《オレイカルコス・ファントムトークン》を2体精製します。さらに《ギガース》は自身の効果により復活です」
 魔法効果の対象となった《ギガース》はオレイカルコスの欠片に分解され、続けて黒い霧状の獣に再編された。
 その《ギガース》も、再び大地の底から這い上がってくる。


オレイカルコス・ファントム
【通常魔法】
フィールド上の「オレイカルコス」と名の付くモンスター1体を破壊して発動する。
「オレイカルコス・ファントムトークン」(レベル1・闇属性・悪魔族・効果 攻撃力0/守備力0 ダメージ計算後、このカードと戦闘を行ったモンスターを破壊する。)を2体攻撃表示で特殊召喚する。
このカードを発動したターン、「オレイカルコス・ファントムトークン」以外のモンスターは攻撃できない。


 オレイカルコス・ファントムトークン×2 ATK0→500

 オレイカルコス・ギガース ATK1400→1900

「バトルフェイズ。《ファントムトークン》で《グラゴニス》を攻撃です」
 迎撃に出た竜が顎の前に集束した光のエネルギーを解き放つと、《ギガース》の残骸から形成された幻影はあえなく消滅した。
 が、それと同時に《グラゴニス》も苦しみ出す。
「《ファントムトークン》が戦闘を行った時、フィールド上に別の《オレイカルコス》と名の付くモンスターがいるなら、戦闘した相手のモンスターを破壊します」
「そんな効果まであるのか……!」
 ダメージの吸収は予想していたが、それに加えてフィールドの掃除までされると厳しいものがある。
 とりわけ、手札に逆転のカードがそろった状況となっては。

 オレイカルコス・キュトラ 吸収値 1050→3350
 
 《ファントムトークン》は《ガロス》にも特攻を仕掛け、その身を構成しているオレイカルコスが粉々になると、すぐさま《ガロス》に取り憑き呪殺させた。
 
 オレイカルコス・キュトラ 吸収値 3350→5500

 イオレは残った手札1枚を維持したままターンを終えた。
 これは正直ありがたいと言わざるを得ない。
 バックの警戒で無駄に気を揉まずに済む。
 ギガースを討つために必要なキーカードは、このターンのイオレの行動によって1枚増えてしまっていた。


御影佳乃
LP3900
モンスターゾーンなし
魔法・罠ゾーン
なし
手札
4枚
イオレ
LP4500
モンスターゾーン《ギガース》
魔法・罠ゾーン
《オレイカルコスの結界》、《オレイカルコス・キュトラ》伏せカード1枚
手札
1枚

「あたしのターン、ドロー!」

 佳乃 デッキ15枚→14枚
    手札4枚→5枚

 瞬間的に見えたのは緑色。そのまま手札に加え、落ち着いてドローカードをもう一度よく見る。

 《おろかな埋葬》

 それはまさしく、このターンに待ち望んだカードであった。
「マジック発動、《おろかな埋葬》。デッキから《ライトロードビースト・ウォルフ》を墓地に送る。そして《ウォルフ》はデッキから墓地へ送られた時、特殊召喚される」


おろかな埋葬
【通常魔法】
自分のデッキからモンスター1体を選択して墓地へ送る。



ライトロードビースト・ウォルフ /光
★★★★
【獣戦士族】
このカードは通常召喚できない。
このカードがデッキから墓地へ送られた時、このカードを特殊召喚する。
攻2100  守300


 つまり佳乃が必要としていたのは、このターンの生贄の確保。
「《死者転生》! 手札から《ライトロードモンク・エイリン》を墓地に送り《ライトロードエンジェル・ケルビム》を手札に加える!」
「な……その天使は!?」
「そう、ガーデアの生き残りだ。デスサイスの黒幕であるお前を倒したいと言って……」
『捏造しないでもらえませんか?』
 まだ召喚されていないにも関わらず、佳乃の言動にダメ出しするケルビム。
 しかし内容はともかく、どうやら彼女は口をきいてくれるらしい。
 その理由を尋ねると、
『私はその……第十一次元出身ですから。直に見るのは初めてですが、こうした決闘の手段があるという知識はあります』
 彼女の示す“こうした”がどこまでの範囲かは分からないが、少なくとも命懸けの戦いということは理解してくれているようだ。
『確かに受け入れ難い事ではあります。とはいえ、佳乃さんが私と同じ契約内容をきちんと彼らに伝えていたのなら、咎められるものではないでしょう。あの子たちが拗ねているだけです』
 どうやらケルビムは、ライトロードの中で早くも母親のポジションを獲得しつつあるようだ。
「……擁護してくれるのはありがたい。彼らを諫めてくれるのも。だけど、そんな簡単に割り切れるものでもないだろう」
 ただ、ケルビムは佳乃の行動に理解を示しすぎるきらいがあった。
 それこそ佳乃の方が反発心を覚えるほどに。
『ほら、それですよ。この世界の民は指揮官として駒のように扱えるのに、私たちライトロードには余計な情けをかけようとしています。だからあの子たちがつけあがるのです』
 ケルビムの主張は、どちらかと言うなら佳乃の立場に配慮したものだ。配慮しながら、佳乃を責めている。
 加えて内容が内容である。わざわざ辛く当たれなどと命令してくる者はこれまでにおらず、それは佳乃によるライトロードへの配慮さえも全否定していた。
「お前たちは、それで納得できるのか? 対話を拒絶しろと? そんな在り方が正しいとは思えない」
 それでは、彼らを札にした責任を取れているとは言えないから。
 ライトロードに憎まれていることは確かだ。それでも佳乃は、彼らと向き合おうとしている。
 その行動まで否定されたなら、一体自分はどうしろというのだろう。
 そんな感情を悟ったのか、ついにケルビムが叫んだ。
『いい加減になさい! 私たちは、もう死んでいるのです。仮初の――肉体でもない無機質な札に封じられて、命が何だというのですか! 札の役割ぐらい、あの子たちは覚えています。
 確かにライトロードと佳乃は、言葉を通じ合わせることができます。だとしても、生者の価値観を押し付けることなしに生者として扱うなど、冗談ではありません。それを容易に受け入れられるほど……私たちは強くないのです』
「…………」
 分かってはいた。
 ライトロードは、精霊としても生物としても中途半端な、前例のない存在。
 そんな状態になって、不安でないわけがない。
 だとしても、ライトロードがその弱みを佳乃に振りかざしてきたのは初めてだった。
『けれど、そのようなことをあの子たちが言えるでしょうか? 軍を指揮する立場となり重荷を引き受けていく貴女を、変化のない死者の不安ごときで煩わせるなど、あの子たちにはできませんでした』
 だから彼らは佳乃を追い立てることを選んだ。
 どれだけ佳乃が不安を抱いても、決断できるように。前へ進めるように。
 そして最終的には、佳乃を苦しめる重荷ではなく、共に歩める本当の仲間になれるように。
「あたしは、それらを一手に引き受けることで、指揮官であろうとした」
『あの子たちはそこまで理解していました。だから、佳乃を憎み、縛ることが自分たちの責任であると、あの子たちは判断したのです』
「それに応えるため、一線を保ってきていた。だが、ケルビムはそれさえも否定しようというのか。縛りが意味を失ったら、あたしは……それにライトロードたちだって」
 絶望の一歩手前にある共依存関係ということは自覚していた。
 だとしても、そこから容易に抜け出せるようなら、とっくに手を打っている。
 決して完全に無策なわけでもなかったが、決断はしきれていない。
 どの選択を取るにしろ、何らかの痛みは伴うことになる。
 それと向き合っていなかったのは、佳乃の落ちに他ならなかった。
 ずるずると結論を先延ばしにしていた、だけだ。
『こればかりは――佳乃に何とかしてもらう他ありません。あの子たちを、貴女の意志で導いてください。  私は、自らがライトロードとなった以上、全てをライトロードのために捧げます。その上で言わせてもらえれば――私は憎悪の鎖に甘えている貴女が、嫌いです。主として相応しくありません』
「……厳しいな、ケルビムは。でも……当たってはいるか」
 皆は佳乃を後押ししてくれていたのに、責められていると被害者ぶっていたのは確かだ。
 ライトロードたちの鎖は、もう限界だった。
 普段は仲良く、デュエルでは冷酷に。
 もう、そんな都合のいい使い分けが許される段階ではない。
 一本筋の通った生き方を、佳乃が彼らを縛ることを、ケルビムは求めている。
「あたしは……そうだな。やはりお前たちを、ないがしろにはできない。お前たち自身が何と言おうと、あたしの心を抉ってきたその言葉は本物だ。“生きている”よ、お前たちは。心の中にとかじゃない、今ここに、存在している。だから――だからこそ」
 佳乃としても、器用に立ちまわれる気はしなかったし、するつもりもなかった。
 そんなスタイルを貫きつつ、このデュエル――ひいては第一次元に戻った後も続く戦いを制すための選択――。
 それしかないと分かってはいた。だけど、未練も残っていたのだろう。
「瑠衣みたいに、お前たちを笑って死地へ送り出すことは、できない。お前たちの全てを護るために、あたしは修羅になる」
『――いいでしょう。それが貴女の選択ならば。人に戻るその時を、私たちは待っています』
 第一次元で、佳乃は精霊を認識する素養を持っていなかった。
 ライトロードは瑠衣の持つ《竜の騎士》とは異なり、出自が明らかなれど、それゆえカードの精霊とは異なる存在。
 しかし精霊であるかに関わりなく、彼らを認識できるかはまた別次元の問題だ。状況としては精霊に酷似している以上、互いに声が届かない可能性は高い。
 そんな未来が待っているかもしれないというのに、仲良くなどと安請け合いはできなかった。
 彼らとの間には、また壁が生まれるだろう。だがそれは、傷つくことを恐れるがゆえの壁ではない。乗り越えるために――壊すために存在する。
 壁を突き崩すための、修羅だ。
「《ウォルフ》を生贄に、《ライトロードエンジェル・ケルビム》を召喚! 効果によりデッキから4枚墓地に送り、《ギガース》と《キュトラ》を破壊する!」


ライトロードエンジェル・ケルビム /光
★★★★★
【天使族】
「ライトロード」と名のついたモンスターをリリースして
このカードのアドバンス召喚に成功した時、
自分のデッキの上からカードを4枚墓地へ送って発動できる。
相手フィールド上のカードを2枚まで選択して破壊する。
攻2300  守200


 佳乃 デッキ14枚→10枚

 天使の持つ杖が輝きを発し、次の瞬間、2体の闇の眷族は爆散していた。
 見ていられないとでも言いたげに、イオレが首を振る。
「無駄ですよ。《ギガース》は何度でもふっか……え?」
「《ギガース》の効果にチェーンして、《D.D.クロウ》を発動させてもらった。これで《ギガース》は蘇らない!」

D.D.クロウ /闇

【鳥獣族】
このカードを手札から墓地へ捨てて発動できる。
相手の墓地のカード1枚を選択し、ゲームから除外する。
この効果は相手ターンでも発動できる。
攻100  守100


 佳乃 手札4枚→3枚

 戦闘破壊の場合、効果が発動するのはダメージステップであり、《D.Dクロウ》は発動できない。だから一度、効果で処理する必要があったのだ。
 イオレが《オレイカルコス・ファントム》を発動した時に使うか迷ったが、《グラゴニス》か《ガロス》のどちらかは生き残ってターンが回ってくるだろうという油断と、自分のターンで発動した方が追撃に繋げ易いという算段で見逃し、危険な橋を渡る羽目になってしまった。
「なるほど、やってくれましたね……。しかし、まだ《キュトラ》の効果が残っています」
「やはり、あるのか」
 触れないようにしていたが、さすがに忘れていなかったようだ。
「《キュトラ》が破壊された時、デッキ、手札、墓地から《オレイカルコス・シュノロス》を特殊召喚します」
 限界を迎えたウニ状の魔物が貯め込んだエネルギーを解放する。
 それはどこからともなく現れた、巨大な青銅色の土偶に吸収され、動力となる。
 続けて土偶の腕が外れ、浮遊したまま水平に前衛へと移動する。
「《オレイカルコス・シュノロス》。その効果により現れよ、《オレイカルコス・デクシア》、《オレイカルコス・アリステロス》!」
「モンスターが一気に3体も……! しかも、シュノロスの攻撃力。あれは――」

《オレイカルコス・シュノロス》 ATK5500→6000

《オレイカルコス・デクシア》 ATK0→500

《オレイカルコス・アリステロス》(守備表示)ATK0→500


オレイカルコス・キュトラ /闇
★★★
【悪魔族】
このカードは通常召喚できない。
自分のライフを500ポイント払う事で、手札からこのカードを特殊召喚する事ができる。
このカードがフィールド上に表側表示で存在する限り、
モンスターの戦闘で発生した自分へのダメージは0になる。
このカードがフィールド上で破壊され墓地に送られた場合、
自分の手札・デッキ・墓地から「オレイカルコス・シュノロス」を1体特殊召喚する。
攻500  守500



オレイカルコス・シュノロス /闇
★★★★★★★★
【機械族】
このカードは通常召喚できない。
このカードは「オレイカルコス・キュトラ」の効果でのみ特殊召喚する事ができる。
このカードの攻撃力と守備力は「オレイカルコス・キュトラ」の効果で
0にした戦闘ダメージと同じ数値となる。
このカードが特殊召喚に成功した場合、自分のデッキ・手札・墓地から
「オレイカルコス・デクシア」と「オレイカルコス・アリステロス」を1体ずつ
自分のフィールド上に表側表示で特殊召喚する。
このカードがフィールド上に表側表示で存在する限り、「オレイカルコス・デクシア」と
「オレイカルコス・アリステロス」はこのカードの効果以外で破壊されない。
このカード、「オレイカルコス・デクシア」、「オレイカルコス・アリステロス」が戦闘を行った場合、
ダメージ計算後にそのモンスターの攻撃力分このカードの攻撃力をダウンする。
また、このカードの攻撃力が0になった場合、10000以上のライフポイントを全て払い、
全ての手札を生け贄に捧げる事で、自分のデッキ・手札・墓地から
「蛇神・ゲー」を1体自分フィールド上に特殊召喚する事ができる。
攻?  守?



オレイカルコス・デクシア /闇
★★★★★★★★
【機械族】
このカードは通常召喚できない。
このカードは「オレイカルコス・シュノロス」の効果でのみ特殊召喚する事ができる。
このカードが戦闘する時、このカードの攻撃力は、相手モンスターが攻撃表示なら攻撃力、守備表示なら守備力の数値に300を加えた数値になる。
自分フィールド上に「オレイカルコス・シュノロス」が存在しない時、このカードを破壊する。
攻0  守0



オレイカルコス・アリステロス /闇
★★★★★★★★
【機械族】
このカードは通常召喚できない。
このカードは「オレイカルコス・シュノロス」の効果でのみ特殊召喚する事ができる。
このカードが戦闘する時、このカードの守備力は、相手モンスターの攻撃力に300を加えた数値になる。
自分フィールド上に「オレイカルコス・シュノロス」が存在しない時、このカードを破壊する。
攻0  守0


 吸収されたダメージ累計5500に、《結界》の500を加えた数値である。
「それだけではありませんよ。《オレイカルコス・デクシア》は相手モンスターと戦闘を行う時、その攻撃力を300ポイント上回り、《オレイカルコス・アリステロス》は全ての攻撃をこのカードに集めつつ、攻撃モンスターの攻撃力を300上回る守備力を得ます。これらのモンスターが戦闘を行った時、シュノロスの攻撃力は相手モンスターの攻撃力分ダウンしますが――」
「はっ……一撃食らったら終わりか。もう何でもありだな」
 直接的なダメージ効果でないとはいえ、シュノロスの攻撃力は紛れもなく即死級。
 前衛のデプシアとアリステロスも実質的に戦闘耐性を持っているようなもの。そしておそらく、この2体の攻撃力変動は、フェイズの制約こそあるものの永続効果だろう。
 そうでなければ、《オネスト》や《収縮》のようなコンバンットトリックタイプのカードで、簡単にとまではいかないが処理できる。あくまで可能性の話ではあるが、効かないかもしれない相手に無駄撃ちの危険を冒すのはできれば避けたかった。
(ケルビムの効果で墓地に行ったのは、《ソーラーエクスチェンジ》、《サンダー・ブレイク》、それに《ネクロ・ガードナー》が2枚か……。こちらの場がケルビムだけの今、2回戦闘を無効にできるのは大きい。しかし――)
 長期間の布石を与えてしまったとはいえ、キュトラ1匹があれだけの大型モンスターに化けたのだ。
 “たった2回限り”の防壁で、次のターンの攻撃を凌げるのか。
「ここは、《ケルビム》で《オレイカルコス・アリステロス》を攻撃する!」
 どのみち《デプシア》、《アリステロス》を排除しなければ《シュノロス》への攻撃は届かず、効果で破壊することにはなろうが、万が一のため、攻撃力を下げておくに越したことはないだろう。
 
 佳乃 LP3900→3600

 オレイカルコス・シュノロス ATK6000→3700

「これでターンエンドだ」
 あるいはブラフを仕掛けるという手もあったが、佳乃は手札の温存を選択した。
 


「私のターン、《オレイカルコス・デウテロス》によりライフを1500回復」

 イオレ LP4500→6000

「《オレイカルコス・マテリアル》、召喚。効果で墓地へ送り、《オレイカルコス・ナーガ》を特殊召喚します」


オレイカルコス・マテリアル /闇

【悪魔族】
このカードの攻撃力が変化した時、このカードを墓地に送って発動する。
自分のデッキ、または手札から「オレイカルコス」と名の付くモンスター1体を特殊召喚する。
攻0  守0



オレイカルコス・ナーガ /闇
★★★★★★★
【ドラゴン族】
1ターンに1度、フィールド上のカードを1枚選択しそのカードを破壊することができる。
攻2200  守2700


 オレイカルコス・ナーガ ATK2200→2700

「……また、そいつか」 
 厄介だったという覚えはある。
 だが、念を入れて後衛に置かれたイオレの主力モンスターながら、脅威になるとは全く思えなかった。
 前2回は運良く召喚されたターンの内に処理できたものの、効果そのものは危険なはずなのに。
 早く対処しなくてはと躍起になっていたのが嘘のように、佳乃の思考はクリアだった。
「《オレイカルコス・ナーガ》 の効果により、消えなさい、《ライトロードエンジェル・ケルビム》!」
「……」
 これで佳乃のフィールドから、カードが無くなった。
 にも関わらず、眉一つ動かすことはない。
「《オレイカルコス・シュノロス》の攻撃――!」
「《ネクロ・ガードナー》でその攻撃は無効にする」
 土偶の頭上に光の輪が形成され、チャクラム状に回転して撃ち出されるが、戦士の亡霊が盾になり、その攻撃を逸らした。


ネクロ・ガードナー /闇
★★★
【戦士族】
相手ターン中に、墓地のこのカードをゲームから除外して発動できる。
このターン、相手モンスターの攻撃を1度だけ無効にする。
攻600  守1300


「ならば、《オレイカルコス・ナーガ》でダイレクトアタック」
「……《ネクロ・ガードナー》」
「まだです、《オレイカルコス・デクシア》!」
 3度目の攻撃を止める手段は残されていない。
 佳乃のライフポイントが、久方ぶりに敵の攻撃によって変動する。

 御影佳乃 LP3600→3100

「くぅっ……」 
 いくら感情を抑えたからといって、痛覚までも遮断できる超人になったわけではない。
 シュノロスの分離した右腕から放たれたレーザーが、数値にしてみれば僅か500のダメージながら、佳乃を後方へ吹き飛ばす。
「カードを1枚伏せ、ターンエンドです」
 イオレにしてみれば、それは当然喜ばしい事象である。
 起き上がるのを待たずにエンド宣言を行い、手をかざしてターンの移行を促した。


御影佳乃
LP3100
モンスターゾーンなし
魔法・罠ゾーン
なし
手札
3枚
イオレ
LP6000
モンスターゾーン《オレイカルコス・デクシア》、《オレイカルコス・アリステロス》
魔法・罠ゾーン
《オレイカルコスの結界》、《オレイカルコス・デウテロス》、《オレイカルコス・シュノロス》、伏せカード1枚
手札
1枚

 それを振り払うように、佳乃が身体を持ち上げる。
「まだだ……ドロー」
 苦痛が完全に消え去っているわけではなく、脚はまだふらついている。
 が、それとは裏腹に、カードを引く動作は力強い。 
「……イオレ」
「な、何です?」
 唐突に呼ばれ、イオレの声がひっくり返る。
「ドーマの指導者とこうして戦っているあたしは、第一次元の人間の代表にも見えなくもない。だから言わせてもらう。オレイカルコスは、第一次元、第十二次元、いや、十二次元世界全てに不要の存在だ。そのことを理解せず、あまつさえ他次元でまで混乱を撒き散らすドーマは、ここで滅ぼす」
「な……!?」
「あたしが――貴様らに“裁き”を与える!」
 ドローしたばかりのカードをデュエルディスクに叩きつける。
 ライトロードを統べる、光の龍を。
「出でよ、《裁きの龍(ジャッジメントドラグーン)》!」
 
 裁きの龍 ATK3000

 白銀の鱗を持つ龍が、オレイカルコスの闇に満ちた空間を眩く照らした。
 あらゆる闇を払い、光を抱くその姿は、ライトロードの神、太陽にも等しい存在感を誇っている。
 その咆哮により地下の天井が崩れ、差し込んだ陽光を浴びて、白銀の龍が黄金の輝きを纏う。
 《E−HERO》使いの少女との戦いにも用い、彼女の配下を次々と滅した“あの光”。
 それが今、イオレにも裁きを下そうとしていた。
「《裁きの龍》は、墓地のライトロードが4種類以上の時、手札から特殊召喚できる」
 佳乃はこの力を、いつの間にか手にしていた。
 ライトロードが増えるに従い、ふと白紙のカードを眺めていると、自然に生まれていることがあった。
 今もってその原理はまるで分かっておらず、会話もできないが、召喚条件からして《ライトロード》デッキと組み合わせることは必然だった。
 そのカードが、3枚ある(・・・・)
 むろん現在戦っているデッキにも3枚投入されており、それはつまり、このターンに《裁きの龍》を引ける確率はたかが1割程度ではなく、3割だったことを意味していた。
「《裁きの龍》の効果――ライフを1000支払い、フィールド上のこのカード以外のカードを全て破壊する!」
「な……1000? そんな強力な効果の代償が、1000ですって!?」 
「テキストにそう書かれているんだ。あたしが意図して強くしたわけじゃない。第一、《オレイカルコス》カテゴリのモンスターなんて使っている貴様が言えたことか」
 悔しげに引き下がるイオレ。
 その憎しみの籠った視線の先では、黄金に輝く龍が天井近くまで飛翔していた。
 地下にまで陽光をもたらす天井の穴はさらに拡がり、それを受けて“裁き”を遂行する力を蓄えている。
 龍を包む黄金に赤みが差す。
 それを皮切りに、“裁き”が始まった。
 解き放たれた熱線が、瞬く間にデュエルフィールドを覆い尽くした。
 デプシアもアリステロスもシュノロスも、そしてナーガでさえも抗うことはできず、灰に還っていく。
「そんな……! けれどまだよ、破壊されたリバースは《クロス・カウンター・マジック》。セットされたこのカードが相手によって破壊された時、デッキからカードを1枚ドローできます」


裁きの龍 /光
★★★★★★★★
【ドラゴン族】
このカードは通常召喚できない。
自分の墓地の「ライトロード」と名のついた
モンスターが4種類以上の場合のみ特殊召喚できる。
1000ライフポイントを払う事で、
このカード以外のフィールド上のカードを全て破壊する。
また、このカードが自分フィールド上に表側表示で存在する限り、
自分のエンドフェイズ毎に、自分のデッキの上からカードを4枚墓地へ送る。
攻3000  守2600



クロスカウンターマジック
【通常魔法】
相手がコントロールするカードの効果によってセットされたこのカードが破壊され墓地に送られた時、
デッキからカードを1枚ドローし、このターン、自分は手札から魔法カード1枚を発動する事ができる。


 イオレ 手札1枚→2枚

「《裁きの龍》で、プレイヤーにダイレクトアタック!」
「あああぁっ!」

 イオレLP6000→3000

 ライトロードを統べる龍のブレスが、イオレのライフを半分にまで削り落とす。
 イオレはこの一撃をまともに受けた。
 4体ものモンスターを破壊されたショックで、咄嗟の判断が鈍ったのだろう。
「う……あぁ……」 
 1万年の時を生きてきたとはいっても、生前は温室育ちの令嬢で、オレイカルコスの神に囚われてからもほとんどの期間は心の闇を搾取される状態で眠り続けていただけ。
 強がってはいるが、こうした直接的な苦痛への耐性は先日戦った《E−HERO》使いの少女にすら劣るだろう。
 そして、苦痛から逃れるために、イオレは魂だけで形作られたその身を確実に再構成してくる。力に限界が見えても我が身の為なら消耗を気にせず使う。自分以外のほぼ全てが人形である城に閉じ籠っていては、そんな価値観に目覚めるのは当然で、致し方なく、佳乃にとっては突くべき隙でしかなかった。


「クク、アハハ、アハハハハハッ!」
 突然の壊れた笑いに、慄然とした緊張が走る。
「《クロスカウンターマジック》には、もう1つ効果があるのよ! このカードが破壊されたターン、手札からマジックを使用できる。発動ッ、《ヘル・テンペスト》ォ!」


ヘル・テンペスト
【速効魔法】
3000ポイント以上の戦闘ダメージを受けた時に発動する事ができる。
お互いのデッキと墓地のモンスターを全てゲームから除外する。


「く、しまっ……!」
 お互いのデッキと墓地から、全てのモンスターを取り除くカード。
 ビートダウンのデッキにそんなカードを投入していたことが、まず驚嘆に値する。
 だからこそ、決まった時の衝撃も大きい。
 軸に据えているかはともかくとして、投入しているからには除外されたカードの帰還手段などを保持しているはずだ。実際除外されたイオレのカードの中にはオレイカルコスとは関係ない《D・D・M》が存在した。
 しかし、イオレのカード選択など、今は問題ではない。
 佳乃は全ての墓地アドバンテージを失い、そして極限まで圧縮されたデッキは、
「残り……5枚」
 否。正しくは。
「カードを伏せ、ターンエンド。エンドフェイズに《裁きの龍》の効果。デッキからカードを4枚墓地へ送る」
 5枚のデッキから4枚が捨てられればどうなるか、子どもでも分かる計算だ。
「1枚残ったの。そう、1枚。アハハハ、御影佳乃の命はあと1ターンてことね」
「…………」
「ドロー、そして3枚目の結界、《オレイカルコス・トリトス》を発動! 《オレイカルコス》と名のつくカードは、カード効果の対象にならなくなる! これが《オレイカルコスの結界》の完成形よ! もうあなたに勝ち目なんてないわ!」
 モンスターの1体も従えていない身でよくそこまで言えるものだと、ほんの少しだけ感心するが、余計な返答は身を滅ぼす。正気を捨てたイオレの狂い方は、佳乃が経験した中でも最悪に近い。なまじデッキが強力なだけに、生存本能から来る直感力の増幅――つまり頭脳に働く火事場の馬鹿力は、侮っていいものではなかった。


オレイカルコス・トリトス
【永続魔法】
 自分フィールド上に「オレイカルコス・デウテロス」が表側表示で存在する場合に発動する事ができる。
 このカードの発動と効果は無効化されない。
 このカードは他のカードの効果を受けず、自分の場を離れない。
 自分フィールド上に表側表示で存在する「オレイカルコス」と名のついたモンスターが
 魔法・罠カードの効果の対象になった時、その効果を無効にして破壊することができる。


「手札から、《オレイカルコス新生》を発動! このカードは《オレイカルコス・ナーガ》が3枚ゲームから除外されている時のみ発動でき、融合モンスター《オレイカルコス・リヴァイアサン》を特殊召喚する!」
「う……これは……!」
 オレイカルコスで構成された3体の蛇が混ざり合い、“闇”が加速度的に増大していく。
 生まれ出ずる巨体は、天井を破り太陽の光をもたらした《裁きの龍》と真逆に、床を崩しデュエルフィールドの周囲に奈落の口を開く。
「瑠衣……! エアトス……!」
 大地が揺れる中、佳乃が背後の銀行の小部屋に向かって叫んだ。
 成り行き上、広い中央ホールでのデュエルとなったのは幸運という他ないが、オレイカルコスの闇に浸食されたこの状況では、小部屋がいつまで保つかも分からなかった。
 奈落に尾を伸ばした蛇の体長が如何ほどか、検討もつかない。ただ、デュエルフィールドに覗かせた頭だけで、《裁きの龍》の倍はある。


オレイカルコス新生
【永続魔法】
ゲームから除外されている自分の「オレイカルコス・ナーガ」が3体存在する場合に発動する事ができる。
融合デッキから融合召喚扱いとして「オレイカルコス・リヴァイアサン」1体を特殊召喚できる。



オレイカルコス・リヴァイアサン /風
★★★★★★★★★★
【海竜族・融合】
このカードは融合召喚でしか特殊召喚できない。
1ターンに1度、相手が魔法・罠・モンスター効果を発動した時に発動できる。
その発動を無効にし破壊する。
このカードがモンスターと戦闘を行った時、そのモンスターとこのカードをゲームから除外する。
攻4500  守5000


 オレイカルコス・リヴァイアサン ATK4500→ 5000

「リヴァイアサンは、1ターンに1度、相手の魔法、罠、モンスター効果を無効にし、破壊できる! そして、このカードが相手モンスターと戦闘を行った時、結果にかかわらずそのモンスターを除外する!」
「こっちの場に伏せカードは1枚のみ――となれば」
 この攻撃は受けるのは確実。
 超過ダメージ2000を受け、佳乃のライフは100になる。普通に考えれば鉄壁の100と前向きになれるところだが、闇のデュエルの100は死に限りなく近い値だ。現実となったダメージをまともに食らえば、ライフが残っていても肉体や精神が保つかは怪しい。向こうのモンスターが“神”に近い存在ともなれば、その危険は格段に増す。
(あたしが出来るのは、耐えることだけ……か)
「バトルフェイズ、《オレイカルコス・リヴァイアサン》の攻撃――!」
 覚悟を決め、崩落したフィールドの外周から鎌首をもたげている海竜神と向き合う。
 融合素材の《オレイカルコス・ナーガ》と同じく、闇のエネルギーを集束し、撃ち出してくる。
 ただしその規模は、《ナーガ》如きとは比にならない。
 《裁きの龍》が光の力で応戦するも虚しく“闇”に捕らわれ、引き裂かれ、食い千切られた。
 それでも“闇”の勢いは衰えず、結界から脱出する術のない佳乃にまとわりついてくる。 
「―――――――――――――――!!」
 屍肉に触られたような冷たい悪寒に、思わず佳乃は悲鳴を上げるが、全身を覆う闇からは声さえも逃れられない。
 何も見えず、聞こえず、とてつもなく身体が重い暗闇の空間。
 唐突に、そこへイオレの影が形を成す。
「――――! ――――!」  
 イオレの陰から伸びる腕が、佳乃の首にかかる。
 荒事など経験したことがなさそうな細腕だが、その額にぼんやりと浮かぶオレイカルコスの紋章は彼女自身の腕力をも強化している。
 意識が混濁しそうになりながらも粘水を掻くように腕を動かし、イオレの腕にしがみつき振りほどこうとする。
 精神はまだ折れていない。
 だとしても、この状況を覆す隙を与えるほどイオレも馬鹿ではあるまい。
 ふと、ぶれる視線がデュエルディスクに落ちた。ライフポイントを表示する液晶には『100』。
 少しだけ意識がはっきりし、憎悪の言葉を並べ立てる。
(まだライフは残っている……! 戦わせろ! デュエルを続けさせろ! イオレを、殺させろ……!)
 そんな爆発寸前の激情も、外には届かない。
 迫り来る『死』の意識を、佳乃は怒りの一念で跳ね返す。
 しかし、それでイオレの腕は緩むことはなかった。
 悟る。
 反撃の術は――――ない。











 “闇”が砕けた。
 イオレの支配は唐突に終わった。
 佳乃は抵抗するだけで精一杯で、結局有効な策を見つけることは叶わなかった。
 地獄の旋風によって戦いから排除された《ライトロード》が力を貸してくれるようなこともない。
 ならばどうして佳乃は脱出できたのか。
 それは――外部からの働きかけに他ならない。
「…………ねえさん」
 背後から――結界の外側から、発せられるその声は。
 幽鬼のように青い表情で、永瀬瑠衣がデュエルディスクを構えていた。
「目が覚めたのか、瑠衣」
「…………うん」
 その一言だけで力尽きそうなほどに、瑠衣の状態は不安定だった。
 脚が、腕が、唇が震え、正気を失っているかのようにさえ思える。
「あれだけ派手にドンパチやってたら……いくらなんでも目が覚めるよ」
 天井の一部に穴を空けたり、床を崩落させたり。しかもその都度、ドラゴンや大蛇がけたたましく咆哮を上げているのだから、危機を感知するなという方が困難である。
「よくも……邪魔を!」
 イオレが《オレイカルコス・ソルジャー》を結界外に召喚し、瑠衣を囲わせる。
 だが、平静を欠いているイオレは気付いていない。
 瑠衣の目だけは――殺し屋のごとく据わっていることに。
 ディスクに置かれ具現化した《竜の騎士》は、左右と後方の3方向から襲ってくるドーマの兵士をまるで寄せ付けず、あっという間に切り伏せた。
「ありがとう、瑠衣。助けられたよ」
「気にしないで。デュエルはまだ……続いてる」
 佳乃は攻撃を受け多量のライフを失ったが、完全に尽きてはいない。
 
 佳乃 LP2100→100


御影佳乃
LP100
モンスターゾーンなし
魔法・罠ゾーン
伏せカード1枚
手札
2枚
イオレ
LP3000
モンスターゾーン《オレイカルコス・リヴァイアサン》
魔法・罠ゾーン
《オレイカルコスの結界》、《オレイカルコス・デウテロス》、《オレイカルコス・トリトス》
手札
0枚

「あたしのターン、手札から《地砕き》を発動」
「はっ……?」
 瑠衣の覚醒で取り乱していたイオレの表情がさらに歪む。
「む、無効です! 《リヴァイアサン》で無効にします!」
 唯一残った切り札がたった1枚のカードに破壊されようとしていることに気付き、慌てて無効を宣言する。
 《オレイカルコス・トリトス》は場の《オレイカルコス》モンスターに永続的な任意耐性を与える強力なカードだが、その護りをすり抜ける魔法カードを佳乃は手にしていた。
 海竜神の放った波動が、地殻変動を止める。
 しかしこれにより、佳乃の行動を障害するものはなくなった。
「リバースカード、《異次元からの埋葬》。墓地に戻すのは――貴様の墓地のカード《邪神ゲー》に、《オレイカルコス・ナーガ》2体!」
「……? こちらの墓地など肥やしてどうするつもりです?」
 怪訝そうにカードを移動させるイオレ。
 焦らなくとも、その答えはすぐに出る。
「《ガーディアン・エアトス》は墓地にモンスターが存在しない時、手札から特殊召喚できる!」
「なっ……!? それは……!!」
 ローレイドの元君主にして、大陸でも有数の戦闘力を持つ守護天使。
 佳乃がイネトで出会った時と同じく民族衣装のような格好で、正体を隠す目的か、鳥の被り物もしていた。
 しかし、それら全てが自然にエアトスに溶け込んでいる。
 佳乃が最初に出会った際の姿がそれだったせいもあろうが、彼女のあるべき姿はやはりこれなのだという確信があった。
「ねえさん、これは、どういうこと……?」
 まだ瑠衣には《ライトロード》の成り立ちを話していないのだったか。
 しかも《エアトス》は《ライトロード》とのシナジーが皆無――などという次元を超えて、もはや正反対の性質を有している。
 この土壇場で佳乃の手により召喚されれば、疑問に思うのも当然だ。
「このデュエルで、戦争は終わる。もうこれ以上、新しい戦士を迎える必要はない」
 残った白紙のカードを、瑠衣に示すように背後へばら撒いた。
 精霊のカードを持つ瑠衣ならば、これを見て何かを察せられるはず。
 《ライトロード》たちとの対話に一つの区切りがつき、巧にも認めてもらっている以上、瑠衣の反応に関心はあるものの影響はない。
「さらに装備魔法《女神の聖剣》をエアトスに装備! エアトスの攻撃力は300アップする」
 絶句する瑠衣をよそに、佳乃はプレイを続ける。
 佳乃自身が振るったこともある華美な長剣を、今またエアトスに手渡す。
「エアトスは、装備魔法1枚を墓地に送ることで相手の墓地のモンスターを3枚まで除外し、1体につき500アップする!」
 聖剣が発光し、墓地に眠る魔物の魂が呼び覚まされる。しかしその力は、現オレイカルコスの主であるイオレではなく、エアトスに降った。魔物の魂が光になり、剣に吸収されていく。
 その刃もまた輝きを増し、光そのものへと昇華する。
「それで? だからどうしたというのです!? たかが4000程度の攻撃力で――。!?」
 意味もなく威圧的なイオレの言葉が、途切れる。
 狼狽するのも無理はない。
 エアトスの攻撃力が、千、万の次元など超えて、凄まじい勢いで上昇しているのだから。
「《女神の聖剣》、もう1つの効果。エアトスの効果発動のために墓地へ送られた場合、エアトスの効果で除外したモンスターの攻撃力を、そのままエアトスの攻撃力に加える」
「除外したモンスターの……攻撃力……。では……」
 《邪神ゲー》の攻撃力は無限大。それを吸収したエアトスの攻撃力もまた、無限大となる。


ガーディアン・エアトス /風
★★★★★★★★
【天使族】
自分の墓地にモンスターカードが存在しない場合、
このカードは手札から特殊召喚する事ができる。
このカードに装備された装備魔法カード1枚を墓地へ送る事で、
相手の墓地に存在するモンスターを3枚まで選択し、ゲームから除外する。
この効果でゲームから除外したモンスター1体につき、
エンドフェイズ時までこのカードの攻撃力は500ポイントアップする。
攻2500  守2000



女神の聖剣−エアトス
【装備魔法】
装備モンスターの攻撃力は300ポイントアップする。
このカードが「ガーディアン・エアトス」の効果で墓地に送られた時、
その効果で除外したモンスターを1枚選択し、
エンドフェイズ時まで効果を発動した「ガーディアン・エアトス」の攻撃力は
選択したモンスターの攻撃力分アップする。



邪神・ゲー /闇
★★★★★★★★★★★★
【爬虫類族】
このカードは、「オレイカルコス・シュノロス」の効果でのみ特殊召喚が可能。
その時「自分のライフポイントが0になったら相手はこのデュエルに勝利する。」というルールが無効になり、
このカードがフィールドから離れたとき、相手はこのデュエルに勝利する。
自分のデッキの上からカードを10枚墓地に捨てない限り、このカードは攻撃宣言ができない。
攻∞  守0


 ガーディアン・エアトス ATK2500→4000→∞

「終わりだ、イオレ。瑠衣が貴様を第十二次元攻略に引き留め、巧が次元の挟間への立て篭もりを阻止した。そしてあたしが――3人の力で、貴様を葬る。結界に封印される前に、その魂を完全に蒸発させてやる」
 エアトスがモンスターの魂を取り込み、光そのものとなった剣を高く掲げた。
 ここからただ振り抜くだけで一撃必殺のこの技を、佳乃はイネトの決戦で見たことがある。
 佳乃が元の所有者に返したこの剣が、この技が、三幻魔が一体《降雷皇ハモン》を討ち滅ぼした。
 しかし、その技の名を叫ぶ天使は、既に魂を失っている。
 そうせしめた元凶を前にして、恨みごとの一つも言えない抜け殻になり果ててしまった。
 だからその分は、佳乃の役目だ。
「……フォビドゥン・ゴスペル」
 福音の名を冠する衝撃波が、まず海竜神を消滅させ、無限大の威力を衰えさせぬままイオレを呑み込む。
 悲鳴さえも押し潰し、オレイカルコスの仮初の肉体を塵に変え、剥き出しとなった魂に絶対の死を与える。 
 《ライトロード》を振り返れば、あるいはそれが“福音”である理由も、何となく理解できる。
 衝撃波はイオレなど存在しなかったかのように尚も突き進み、ドーム状の結界にぶつかる。
 デュエルが終局を迎えただけでなく、封じるべき魂でもあるオレイカルコスの実質的な支配者を失ったことで、結界はガラス細工のように割れ砕け、消滅した。

 イオレ LP0

 次元の挟間に隠れ潜むオレイカルコスの神とやらが生き残っているのかは、佳乃には分からない。
 とはいえ、10年という短期間で2度も代弁者が滅びたことにより、大打撃を受けたのは間違いないだろう。
 そして――――



 戦争が、終わった。
 崩壊しかけていた地下から脱出すると、聖都を襲撃していた《オレイカルコス・ソルジャー》も消滅していた。
 ローレイドの兵たちが、古式ゆかしく勝鬨を上げていた。
 これでガリウス、ローレイド七賢者、ドーマと、戦乱の元凶はひとまず全て絶たれた。
 大陸はこれから復興への道を歩んでいくことになるだろう。


 御影佳乃は、第一次元出身の人間だ。
 しかし佳乃には、同盟軍の総司令官として戦後処理をせねばならない義務が残っていた。
 魔法使い族の国家、西方同盟の盟主であるエルガイアに今しばらく留まることになる。
「わたしも……それを手伝わせてくれない……かな」
 永瀬瑠衣もまた、ガーデアで多くの命を散らせてしまった責任から、佳乃と共にエルガイアへ行くことを望んだ。
 かの地で2人を待ち受けるのは、勝利の歓声ばかりではないだろう。
 失った命を嘆き、佳乃たちを責める者もいるはずだ。
 しかも佳乃たちは、この次元に永住するわけではない。いずれは第一次元に帰還することになる。あちらで、まだやるべきことがある。
 それを逃げと受け取る者もいるだろう。
 だとしても、それまでの間、どんな声も態度も受け入れる。 
 少なくとも佳乃は、それを覚悟して総司令官の地位に立っていた。
「当然だ。戦いに関わった責任から逃げようとするなんて許さない」
 そうは言うものの、責任を分かち合う同胞がいるというのは想像以上に心強い。
 本当ならそこにもう一人いて欲しかったが、その同胞――永瀬巧は、勝算が限りなく低い戦いに臨んでいるはずだ。
 イオレをこの地に留める計画には、それ自体とは別の目的があった。

「おそらくドーマの城には、沙理亜も訪れる。瑠衣には悪いが、奴と戦うのは俺たち“2人”だ」
  
 イオレとは比べ物にならない強大な敵、永瀬沙理亜。
 巧は仇敵と対峙できたのか、できたとすれば戦いがどうなったか、“2人”などと言われていても、佳乃にそれを知る術はない。
 次元の狭間に位置するドーマの城は、イオレの死により支えを失い崩壊しただろうから。
 巧が生きていることを、また再会できることを信じ、佳乃は未来への一歩を踏み出した。










 かくして、第十二次元には一時の平和が訪れた。
 その裏に潜む“闇”、第一次元の関与は、再び各国家の指導者たちによって秘匿された。
 第一次元と第十二次元は表裏一体の存在。
 とりわけ当世ではM&Wを媒介に、多くの要素が“繋がっている”。

 “デュエル”は、まだ終わらない。






 
5章 昏き闇の底で



 次元の挟間 ドーマの城

 永瀬巧と高原真吾は、イオレを追わなかった。
 高原真吾が連れてきた者たちが、ドーマの犠牲者の遺族というのは本当だろう。
 彼らは高原が制止する間もなくイオレを追撃しに行った。
「あいつらは、出るべくして出る犠牲か?」
「いいえ、今のイオレに致死率の高い反撃をする余裕などありませんよ。私の役目はここまでです。足止めを受けている彼らを回収して、第一次元に帰還します」
 これがこの組織の厄介な所だった。
 復讐者を陣営に取り込み、奨励しながらも、無為に使い捨てようとはしない。
 惜しむらくは末端にまでこの考え方が行き届いていないことと、その手厚さゆえ、思想の過激さについていけない者も現れることだった。
 とはいえ、これらが上手く噛み合ってしまえば、それこそ国家転覆でもやりかねない。
 ――いや、既にガリウスという転覆された国があるのだったか。
 内部事情に精通していたというのもあろうが、それ以上に他ならぬ巧自身が計画に組み込まれてしまったのは不快である。
「……奴は本当にここへ来るのか?」
「はい、来ます――いえ、来ましたね」
 玉座の間に第三の人間が姿を現す。
 話題の渦中にあった、永瀬沙理亜そのひとである。
「これは、予定よりも早くお着きになられたようですね」
 恭しく頭を垂れる高原に、沙理亜が労いの言葉をかける。
「負けた相手との共闘なんて頼んで悪かったわね。それじゃあ、彼らの救助と誘導は手筈通りにお願い」
「承知いたしました」
 巧や瑠衣相手にも丁寧な言葉遣いをしており、首領の子ども云々というより元々そうした性格だと思われる高原だが、沙理亜に対する敬意と忠節は別格のようだ。
 高原が玉座の脇を抜け、沙理亜と入れ違いに広間から出ていく。
 残されたのは巧と――沙理亜。
 巧も玉座から腰を上げて、王族と臣下を隔てる階段を下りる。
 対等の位置に立ったところで、玉座が大きく燃え上がった。
 M&Wの魔法カードを用いて巧が燃やしたのだ。
 ドーマの存在を知る世界2つ。その両方から拒絶され、最後の根城も暴かれた。
「ドーマはここで滅びる。貴様の計画通りだ、沙理亜」
 駒になるのを覚悟で、巧は敢えて沙理亜の計画に乗った。
 それは全て御影佳乃のためである。
 佳乃が危機に陥れば巧を援軍として差し向けられるよう沙理亜が画策したのだが、この点はどちらにとっても織り込み済みだ。
 さらに言えば、佳乃が沙理亜との敵対を決めていることぐらい、見抜いているだろう。
 佳乃はリアルファイトとデュエル、両方をこなす優秀な人間だが、いくら個人でスペックが高くても10人20人を同時に相手にはできるわけではない。
 障害にしかならないと判断すればどれだけ惜しかろうと佳乃を潰そうとする。沙理亜はそういう人間だ。
 逆に言えば、今の巧たちはまだ敵対勢力とすら思われていない。
 実際その通りではあるのだが――しかし、だからこそ出来ることもある。
 巧がデュエルディスクを起動させると、沙理亜もすぐさまそれに乗る。
「暇潰しぐらいにはなるかしらね?」
「さあ、どうだろうな」

 巧   LP4000
 沙理亜 LP4000

「先攻は私がもらう。ドロー、ターンエンド」
「……何?」
 いきなり何も行わずにターンを渡す沙理亜。
 初期手札を確認し、ドロー、そしてエンド宣言までの流れに一切の澱みがなく、驚くよりも先に聞き返してしまう。
「ターンエンド。お前のターンよ」
 そして巧も大仰な反応はしない。
 実力差からして、手を抜いている可能性は無きにしも非ず。
 もしそうだったとして、対等に調整されている保証はない。
 せいぜい五手先のデュエルが三手先になっているぐらいだろう。

「俺のターン」
 6枚の初期手札から、巧は2枚のカードを掴む。
「《蒼炎の剣士》! 《怨念の魂 業火》! 効果により《蒼炎の剣士》を破壊し、《炎の剣士(サラマンドラ)》を特殊召喚!」
 《怨念の魂 業火》の破壊を、リクルート効果を持つ《蒼炎の剣士》に適用し、実質ノーコストでモンスターの総攻撃力4000を叩き出すコンボだ。
 すんなり通るとは思っていないが、本当に手札事故が起きている可能性も一応はある。

 《蒼炎の剣士》 ATK1800

 《怨念の魂 業火》 ATK2200

 《炎の剣士S》 ATK1800


怨念の魂 業火 /炎
★★★★★★
【アンデッド族】
自分フィールド上に炎属性モンスターが存在する場合、
このカードは手札から特殊召喚する事ができる。
この方法で特殊召喚に成功した場合、
自分フィールド上の炎属性モンスター1体を破壊する。
自分のスタンバイフェイズ時に、自分フィールド上に
「火の玉トークン」(炎族・炎・星1・攻/守100)を1体守備表示で特殊召喚する。
自分フィールド上のこのカード以外の炎属性モンスター1体を生け贄に捧げる事で、
このターンのエンドフェイズ時までこのカードの攻撃力は500ポイントアップする。
攻2200  守1900



蒼炎の剣士 /炎
★★★★
【戦士族】
このカードが破壊され墓地に送られた時、
デッキまたはエクストラデッキから「炎の剣士」1体を特殊召喚できる
攻1800  守1600



炎の剣士(サラマンドラ) /炎
★★★★
【戦士族】
このカードのカード名は、ルール上「炎の剣士」として扱う。
このカードは生贄1体で通常召喚できる。
その場合、このカードの攻撃力は700アップする。
攻1800  守1600


「《炎の剣士S》でプレイヤーにダイレクトアタックだ」
 呪印が刻まれた大剣を手にする剣士が、沙理亜に向かって突進する。
 沙理亜はそれを読んでいたとでもいうように、2枚の手札を墓地に捨てる。
「《虚無の僧侶(ヴァニティ・プリースト)》の効果発動。手札からこのカードと《虚無(ヴァニティ)》と名のつくカード1枚を墓地に送り、特殊召喚された相手モンスター1体を破壊する」
 炎の剣士が黒い修道服の男に呪詛を耳打ちされ、悶え苦しみ、そして果てる。
「さらに私が捨てたのは《虚無の騎士(ヴァニティ・ナイト)》。このカードが《虚無》と名のつくカードの効果を発動するために墓地に送られたか、効果で破壊された時、このカードを特殊召喚する」

 《虚無の騎士》 DEF100


虚無の僧侶(ヴァニティ・プリースト) /光
★★
【魔法使い族】
このカードと「虚無」と名のついたモンスター1体を手札から墓地へ送り、
相手モンスター1体を選択して発動する。
選択したモンスターを破壊する。
この効果は相手ターンでも発動する事ができる。
攻300  守500
 


虚無の騎士(ヴァニティ・ナイト) /闇
★★★
【戦士族】
このカードが「虚無」と名のついたモンスターの効果を発動するために墓地へ送られた時、
または「虚無」と名のついたモンスターの効果によって破壊された時、
このカードを墓地から特殊召喚する。
攻1100  守100


 全てを諦めたような目をしている騎士が、申し訳程度に装着している丸盾を構える。
「く……」 
 まだ巧には《怨念の魂 業火》の攻撃が残っている。そして《虚無の騎士》は《業火》で戦闘破壊できる。にもかかわらず《炎の剣士S》に《虚無の僧侶》を使ってきた理由は明らかだ。
「《怨念の魂 業火》で《虚無の騎士》を攻撃する」
「《虚無の僧侶》を発動。捨てるのは《虚無の騎士》」
 この淡々としたやり取りには、ソリッドヴィジョンすら追いついていない。
 予定調和と言っても違和感がないほど、両者はスムーズに墓地へカードを吸いこませ、沙理亜はすぐさま戻ってきた《虚無の騎士》をディスクに置いた。

 《虚無の騎士》 DEF100

「カードを1枚セット、ターンエンドだ」
 総攻撃力4000となる2体のモンスターを失った巧だが、一方でそのために消費したカードはその2枚だけである。
 カードを伏せても残る手札は3枚。
 その中には虚無の騎士より攻撃力の高いモンスターも含まれている。
 問題は沙理亜のターンでどの程度動いてくるのかだ。
「ドロー、《虚無の騎士》2体を攻撃表示に。そしてバトルフェイズ」
 巧の場に伏せカードがある以上、こうした局面では召喚権を無為に消費させないのが正着である。
 実にオーソドックスで、だからこそ厄介だ。ライフ4000制のデュエルは8000制に比べて、出し惜しみを許される猶予が単純な数値差である2分の1以上に短く感じる。
「《虚無の騎士》でダイレクトアタック」
「……受ける」

 永瀬巧 LP4000→2900
 
「もう1体の《虚無の騎士》でアタック」
「ノーガードだ」

 永瀬巧 LP2900→1800

「…………」
 モンスターの攻撃力はさほど高くないが、それでも2体が並べばライフは半分以上削られる。
 分かっていた流れではあるが、戦局はやはり不利な方向へ傾きつつあった。
「メイン2へ移行。2体の《虚無の騎士》をリリースし、《虚無の統括者》をアドバンス召喚!」 

 《虚無の統括者》 ATK2500


虚無の統括者(ヴァニティ・ルーラー) /光
★★★★★★★★
【天使族】
このカードは特殊召喚できない。
このカードがフィールド上に表側表示で存在する限り、
相手はモンスターを特殊召喚できない。
攻2500  守1600


「……何だ、それは?」
 敵の特殊召喚を未然に防ぐ、虚無を司る大天使。
 むろん、それなりに特殊召喚を駆使して戦う巧との相性は悪い。
 ただ、この場はそれよりも突っ込むべき所がある。
「リリース? アドバンス召喚? そんな用語はM&Wには存在しない」
「いいえ、あるのよ。まあ、異世界に行っていたお前たちには知りようのないことだろうけど」
「俺たちが第一次元を離れている間に、随分と好き勝手にやったようだな」
「時代の流れというものよ。一応説明しておきましょう。リリースはカードをプレイするためのコスト全般を統括する言葉であり、アドバンス召喚は見ての通り生贄召喚と同義よ」
 察するに、“生贄”という表現が社会的にあまり好ましくないがための変化だろう。
 ただ、これらは旧カードのテキストも書き換えられるような変更に過ぎない。
 問題はこのルール改訂に伴い、新しく追加された要素である。
「なるほどな。で、それだけか?」
 単なる言い方の違いであれば、無理に新たなルールを採用する必要性はない。
 それでいて、デュエルの途中までそれを告げないというのはどう考えてもおかしい。
 基本的なルールは変わっていないのだろうが、それを妨害しない範囲で今までの理を超えた新たなシステムが生まれているというのが妥当なところか。
「さすがにそこは気付いたか。まあいいでしょう。融合デッキ、あれがエクストラデッキという名前に変わり、15枚までという制限がついたわ」
「……つまり、そのエクストラデッキとやらに入るカードの種類が増えたということか。《ゲート・ガーディアン》や《レッドアイズ・ブラックメタルドラゴン》でも入れられるようになったのか?」
「それはそれで面白いけれど、ああしたデッキは事故を楽しむものよ。エクストラデッキに搭載するのは“シンクロモンスター”。場のチューナーという分類に属するモンスターとそれ以外のモンスターを墓地に送り、素材となったモンスターのレベルの合計と同じレベルのシンクロモンスターをエクストラデッキ特殊召喚する」
「遊城十代が使うコンタクト融合に近いシステムで、ネームではなくレベルを参照するということか」
「そんなところね。事前に言っておかなかったのはこちらのミスだから、融合デッキが16枚以上になっていても咎めはしないわ」
「《虚無の統括者》を立てておいて、よく言う……」
 融合モンスターを使おうにも、あの天使がいる限り普通の特殊召喚すらできない。
 その状態で攻撃力2500を上回るのは骨が折れる。
 構築次第では手も足も出なくなっているところだ。
「ちなみに《虚無の騎士》の特殊召喚条件は“発動”のためのリリース。残念ながら、アドバンス召喚に使っても蘇らない。カードを1枚セットし、ターンエンド」
 
永瀬巧
LP1800
モンスターゾーンなし
魔法・罠ゾーン
伏せカード1枚
手札
3枚
永瀬沙理亜
LP4000
モンスターゾーン《虚無の統括者》
魔法・罠ゾーン
伏せカード1枚
手札
1枚


「俺のターン」
 
 巧 手札3枚→4枚

 巧がドローしたのは《死者蘇生》。墓地のモンスターを無条件に復活させる強力な魔法だ。
 ――――《虚無の統括者》さえいなければ、だが。
 そもそも永瀬沙理亜のデッキに関しては、身内の巧ですら完全に把握してはいなかった。
 沙理亜が異世界へ向かう前は、わざとだろうがハイビートとも紙束とも呼べるようなデッキを使い、しかし巧も瑠衣も勝てたためしがない。
 だからこうして特殊召喚メタの《虚無》デッキに苦戦しているのは、ある意味で想定の範囲内だった。
 デッキを全く予想していなかったわけではない。佳乃に聞いたところによれば、ガリウスの本国防衛を指揮していた《虚無魔人》は、沙理亜側の誰かが所有する“精霊”だとほのめかせていたらしい。
 ただ、このデュエルはシンクロのテストといった側面もあるようで、沙理亜の本当のデッキが《虚無》なのかは判断しきれなかった。
 カードプールと知識に相当の差がある以上、初見で勝とうなどとは考えていない。
 “シンクロ”などという新たなシステムが取り入れられているのなら尚のこと、沙理亜をここで仕留められない可能性を考え、デッキの情報を引き出すのが優先だ。
「モンスターをセット。ターンエンドだ」
 
 巧 手札4枚→3枚

 巧の場には2枚のカードが伏せられたことになる。
 沙理亜のリソースを考慮すれば、これでも容易には突破できないはずの布陣だ。
「私のターン」

 沙理亜 手札1枚→2枚

「墓地の《虚無の僧侶》、《虚無の騎士》をゲームから除外。現れよ、《カオス・ソーサラー》!」
「く……」

 《カオス・ソーサラー》 DEF2000


カオス・ソーサラー /闇
★★★★★★
【魔法使い族】
このカードは通常召喚できない。
自分の墓地の光属性と闇属性のモンスターを
1体ずつゲームから除外した場合に特殊召喚できる。
1ターンに1度、フィールド上に表側表示で存在する
モンスター1体を選択してゲームから除外できる。
この効果を発動するターン、このカードは攻撃できない。
攻2300  守2000


 あの《開闢》には及ばないが、下級モンスターならば問題なく殴り倒せる打点と、優秀な除外能力を持ち合わせたモンスターだ。
 ただし――この場では守備の態勢を取っている。
 巧の伏せモンスターが戦闘破壊態勢を持ったカードで、さらにリバースカードの中に《ミラーフォース》があると読んでのプレイングだろうか。
 バトルフェイズの移行確認を終えると、沙理亜は《虚無の統括者》で攻撃してきた。
 すかさず巧が伏せた罠を開き、虚空より現出した鎖に天使を捕縛させる。
「《デモンズ・チェーン》! 対象は《虚無の統括者》だ」


デモンズ・チェーン
【永続罠】
フィールド上の効果モンスター1体を選択して発動できる。
選択したモンスターは攻撃できず、効果は無効化される。
選択したモンスターが破壊された時、このカードを破壊する。


 攻撃そのものを封じたことにより、伏せモンスターの正体は明かされぬまま。
 《カオス・ソーサラー》の除外効果も裏守備表示のモンスターに対しては発動できない。
「……そう簡単にはいかない、か。ターンエンド」
 《カオス・ソーサラー》は守備表示のため攻撃はできない。
「ならば俺のターン。《増援》を発動する」 
 沙理亜の場にも伏せカードはあるが、この魔法は通った。
 手札に加えたのはレベル4の戦士族モンスター《炎の剣士S》。


増援
【通常魔法】
デッキからレベル4以下の戦士族モンスター1体を手札に加える。


「さて。それじゃあ、こっちも“アドバンス召喚”とやらをさせてもらうか」
 3枚ある巧の手札にレベル5以上のモンスターはない。
 しかし、たった今手札に加えた《炎の剣士S》は下級モンスターにも関わらず生贄――もといアドバンス召喚できる特殊能力を備えている。
「伏せモンスター、《UFOタートル》をリリースし《炎の剣士S》をアドバンス召喚!」
 炎剣サラマンドラの力を引き出した戦士の攻撃力は、カードに記されている数値から700上昇する。

 《炎の剣士S》 ATK1800→2500


UFOタートル /炎
★★★★
【機械族】
このカードが戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、
自分のデッキから攻撃力1500以下の炎属性モンスター1体を
自分フィールド上に表側攻撃表示で特殊召喚する事ができる。
攻1400  守1200



炎の剣士S /炎
★★★★
【戦士族】
このカードのカード名は、ルール上「炎の剣士」として扱う。
このカードは生贄1体で通常召喚できる。
その場合、このカードの攻撃力は700アップする。
攻1800  守1600


「炎の剣士で《カオス・ソーサラー》を攻撃する」
 この攻撃はさっくりと通り、攻撃可能な残りのモンスターもいないためメインフェイズ2へと突入した。
「魔法カード、《死者蘇生》。対象は貴様の墓地の《カオス・ソーサラー》だ」


死者蘇生
【通常魔法】
自分または相手の墓地のモンスター1体を選択して発動できる。
選択したモンスターを自分フィールド上に特殊召喚する。


 《デモンズ・チェーン》は対象にしたモンスターの特殊能力を無効にする効果もある。
 これにより制圧力の高い《虚無の統括者》の特殊召喚封じは消えていた。
 《カオス・ソーサラー》の方が攻撃力は下だが、効果で除外することはできる。
 だが、ここで沙理亜は思いもかけないカードを開く。
「リバースカード、《サイクロン》。《デモンズ・チェーン》を破壊するわ」
「くっ……」
 《デモンズ・チェーン》の発動時にもカウンターできたはずのカードを、わざわざ巧のアドを潰す形で使ってくる。
 鎖が消えたことによって特殊召喚を封じる結界が元に戻り、死者蘇生は無駄撃ちとなった。


サイクロン
【速攻魔法】
フィールド上の魔法・罠カード1枚を選択して破壊する。


「……ここは、カードを1枚伏せ、ターンエンドだ」
 結果的にはプレイングミスとなったが、《炎の剣士S》と《虚無の統括者》の攻撃力は同値。
 自由に動ける《カオス・ソーサラー》が残ってしまう以上、鎖の効力を受けている《統括者》に相討ち狙いの攻撃を仕掛けるべきだったかとなれば否だった。

「ドロー」
 沙理亜が手札を2枚に増加させる。

 沙理亜 手札1枚→2枚

 シンクロ召喚をしてくる気配は未だ見えない。
 とはいえ、巧に深読みさせるための嘘と断ずるだけの根拠も不足している。
 いくら現実感を持たせるためにしろ、騙りにしてはマスタールールだのエクストラデッキだの、手が込み過ぎている。デュエルの実力は沙理亜の方が上であり、極端に言えばわざわざ“巧ごとき”にそこまで工作をする必要性は薄かった。
「《闇の誘惑》を発動。2枚を新たにドローし《虚無魔人(ヴァニティー・デビル)》を除外する」
「やはり……投入されていたか」
 ガリウスの守りを任されていた《虚無魔人》。しかしその魂は既にガリウスを離れていた。
 カードの精霊として、ガリウスに敵対する何者かの支配下にあった。
 《虚無魔人》自体はありふれた銀字レアのカード。特別入手難度が高いカードでもない。
 だとしても、ここで沙理亜が使っていることには何らかの意味があるはず。


闇の誘惑
【通常魔法】
自分のデッキからカードを2枚ドローし、
その後手札の闇属性モンスター1体を選択してゲームから除外する。
手札に闇属性モンスターがない場合、手札を全て墓地へ送る。



虚無魔人(ヴァニティー・デビル) /闇
★★★★★★
【悪魔族】
このカードは特殊召喚できない。
このカードがフィールド上に表側表示で存在する限り、
お互いにモンスターを特殊召喚できない。
攻2400  守1200
 

「《虚無の統括者》で《炎の剣士S》を攻撃」
 巧の質問などなかったかのようにデュエルを進める沙理亜。
 どうやって相討ちをけしかけようかと思考していた巧にとって、これは僥倖である。
 特殊召喚封じなどという制圧力の高いモンスターに居座られていては、動けるものも動けない。
「……通す」
 沙理亜はコンバットトリック系のカードも使わず、両者のモンスターは破壊された。
 主導権は向こうにあってのことだが、成果だけを比較するならリリース1体で出したモンスターを破壊された巧に対し、リリース2体のモンスターを消した沙理亜の方が被害は大きい。
「モンスターを守備表示で召喚。カードを1枚セットしてターン終了」
 手札を使い切り、新たに場を固めてくる。
 どちらも《闇の誘惑》で偶然に加わった手札ではあるが、敢えて《虚無の統括者》を切った意図も含め、油断はならない。


永瀬巧
LP1800
モンスターゾーンなし
魔法・罠ゾーン
伏せカード1枚
手札
1枚
永瀬沙理亜
LP4000
モンスターゾーン伏せモンスター1枚
魔法・罠ゾーン
伏せカード1枚
手札
0枚


「俺のターン」
 しかし、《虚無の統括者》が消えたことによって、《死者蘇生》と同じく死に札としてドローしてしまった伏せカードが使用できる。
「スタンバイフェイズにリバースカードを発動、《リビングデッドの呼び声》! 《怨念の魂 業火》を特殊召喚する」


リビングデッドの呼び声
【永続罠】
自分の墓地のモンスター1体を選択し、表側攻撃表示で特殊召喚する。
このカードがフィールド上から離れた時、そのモンスターを破壊する。
そのモンスターが破壊された時、このカードを破壊する。



怨念の魂 業火 /炎
★★★★★★
【アンデッド族】
自分フィールド上に炎属性モンスターが存在する場合、
このカードは手札から特殊召喚する事ができる。
この方法で特殊召喚に成功した場合、
自分フィールド上の炎属性モンスター1体を破壊する。
自分のスタンバイフェイズ時に、自分フィールド上に
「火の玉トークン」(炎族・炎・星1・攻/守100)を1体守備表示で特殊召喚する。
自分フィールド上のこのカード以外の炎属性モンスター1体を生け贄に捧げる事で、
このターンのエンドフェイズ時までこのカードの攻撃力は500ポイントアップする。
攻2200  守1900


「……それで?」
「さらにこのスタンバイフェイズ、《怨念の魂 業火》の効果によって火の玉トークンを特殊召喚する」
 寺社に置かれていそうな大鐘から炎が吹き出し、分裂した火の塊の一つが独立した意思を宿す。
「メインフェイズに入り――火の玉トークンをリリース。《炎帝テスタロス》を召喚だ」
 生贄召喚ならぬアドバンス召喚の成功時に効果を発動する《帝》シリーズの一体。
 もっとも、《テスタロス》の効果は相手の手札に干渉する効果。沙理亜の手札は0であり、その効果は発揮できない。

 《炎帝テスタロス》 ATK2400


炎帝テスタロス /炎
★★★★★★
【炎族】
このカードがアドバンス召喚に成功した時、
相手の手札をランダムに1枚捨てる。
捨てたカードがモンスターカードだった場合、
そのモンスターのレベル×100ポイントダメージを相手ライフに与える。
攻2400  守1000


「……バトルフェイズに移行する」
 当然ながらそのことを承知で、巧は《テスタロス》を召喚した。
 早い話が、上級モンスターとしての打点目当てである。
「《テスタロス》で、守備モンスターを攻撃――」
 炎の帝王が放つ高熱の弾丸に貫かれたのは、赤い背に黄色の星が乗っている天道虫だった。
 続けて鐘に宿った恨みの炎にダイレクトアタックを命ずる。
「こちらも《リビングデッドの呼び声》を使わせてもらうわ。蘇らせるのは《カオス・ソーサラー》」
 正規の方法で特殊召喚した後に破壊された《カオス・ソーサラー》は、《リビングデッドの呼び声》のようなカードで蘇生することができる。
 この局面で発動した意図は、攻撃力を見れば明らかだ。

 《怨念の魂 業火》 ATK2200

 《カオス・ソーサラー》 ATK2300

「……ターンエンド」
 また、巡り合わせが悪い。公開情報の読み違えではないが、結果的にミスとなってしまうプレイングだった。
 しかし沙理亜の手札は0枚で、相手の判断に委ねることにはなってしまうが、テスタロスと業火のどちらかが生き残る可能性はそれなりにある。
「私のターン、ドロー」
 巧が前のターンに戦闘破壊した《レベル・スティーラー》の蘇生効果の発動条件は満たされている。
 ただ、《レベル・スティーラー》にはアドバンス召喚ができないという効果もあり、そこまで危険視はしていなかった。
「《朱光の宣告者》を召喚」
 沙理亜がドローし、場に出したカードは、手札に持っておくことで効果を発揮する《宣告者》の一種だった。
 ただし、巧が聞いたことのない種類の。
 効果の類推はできる。カードの枠色から判断するに、《朱光》はモンスター効果に反応するのだろう。
 が、《朱光の宣告者》は他の《宣告者》とは異なる点もあった。
 種族が書かれた横に“チューナー”と記されているのである。
 傍らには非チューナーである《カオス・ソーサラー》。


朱光の宣告者(バーミリオン・デクレアラー) /光
★★
【天使族・チューナー】
このカードと天使族モンスター1体を手札から墓地へ送って発動する。
相手の効果モンスターの効果の発動を無効にし破壊する。
この効果は相手ターンでも発動する事ができる。
攻300  守500
 

「なるほどな、それでレベル8のシンクロモンスターが出せるわけか」
「その前に《カオス・ソーサラー》の効果で《テスタロス》を除外しておきましょうか」
 攻撃できない制約を抱えた効果も、その後にシンクロ素材とするのであれば無条件に等しい。
 シンクロ召喚が行われることを予期し身構える。
「残念ながら、この三週間で生まれたレベル8のシンクロモンスターに、このターンで勝負をつけるカードはないわ」
 そんな巧をあざ笑うかのように、沙理亜が告げる。
 頭の片隅にちらついたこのターンの生存という期待を、完膚なきまでに打ち砕く一言を。

「けれど――レベル7のシンクロモンスターにはいるのよね」

 そう言うと沙理亜は《カオス・ソーサラー》のレベルを下げ、墓地の《レベル・スティーラー》の効果を発動した。
 これでフィールドにはレベル2のチューナー《朱光の宣告者》と、レベル5の非チューナー《カオス・ソーサラー》が並ぶ。

 《カオス・ソーサラー》 ★6→★5


レベル・スティーラー /闇

【昆虫族】
このカードが墓地に存在する場合、
自分フィールド上のレベル5以上のモンスター1体を選択して発動できる。
選択したモンスターのレベルを1つ下げ、
このカードを墓地から特殊召喚する。
このカードはアドバンス召喚以外のためにはリリースできない。
攻600  守0
 

「《カオス・ソーサラー》に《朱光の宣告者》をチューニング。災厄の重爆撃機!《ダーク・ダイブ・ボンバー》をシンクロ召喚!」

 ダーク・ダイブ・ボンバー ATK2600

 暗色で人型の重爆撃機が《怨念の魂 業火》の上空に移動し爆弾を投下。復讐心をかき集めて生まれた意思を持つ炎は、より強大な規模の炎に呑み込まれた。
 怨念の意志は散じ、爆風を受けて巧のライフが減少する。

 永瀬巧 LP1800→1400

「これで……決着か? 破壊されたモンスターの攻撃力分のダメージでも食らうのか?」
「その程度の効果ならどれだけ良かったか。既にお前は《ダーク・ダイブ・ボンバー》を相手にするに当たり、決して踏み入れてはならない致死圏内に到達しているのよ」
「なに…………?」
「《ダーク・ダイブ・ボンバー》の効果。自分フィールド上のモンスターをリリースし、そのモンスターのレベル×200のダメージを与える。付け加えておくと、自身もリリース可能で、しかもこの効果に1ターンに1度などという制限はない」


ダーク・ダイブ・ボンバー /闇
★★★★★★★
【機械族】
チューナー+チューナー以外のモンスター1体以上
自分フィールド上に存在するモンスター1体をリリースして発動する。
リリースしたモンスターのレベル×200ポイントダメージを相手ライフに与える。
攻2600  守1800


「あぁ……そいつはもう、どうしようもないな」
 瑠衣ならば《騎士竜の誓い》などでかわしそうな気はするが、少なくとも初見でこれに対処するのは不可能に近い。
 自らを砲弾とする重爆撃機の突撃によって、巧のライフカウンタは0を差した。
 
 永瀬巧 LP0

 しかし――まだ沙理亜は気付いていない。爆発によって生じた煙に紛れて巧の口角が上がっていることに。
「さすがに勝てないか。だが、目的は果たした」
「……やはり、ただデュエルを挑んできただけではないようね」
「少しだけ間違っているな。このデュエルは完全な茶番だ。意味なんて最初からなかった」
 正確には、時間稼ぎとしての手段としてデュエルを選んだ。
 沙理亜はすぐに気付き、この状況を端的に表す一言を口にした。
「まさか、このご時世に自爆オチとはね」
「説明し甲斐がないな。まあ、仕掛けたのは俺じゃなくイオレの方だが」
 イオレは“神”以外の全てを放棄して第十二元に戻った。そう、全てだ。
 城のようなこの空間は、オレイカルコスに取り込まれる前は当時最も繁栄していた国家の王妃だったイオレの虚栄心を満たすためだけのもので、限界が近付けば捨てざるを得ない。
 無論オレイカルコスの神は別口で保存しているのだろうが、次元の狭間から2つの世界を見下ろす女王の体裁を取る余裕は失われている。
 あわよくば巧や高原たちを巻き込めればという魂胆で城を崩壊させる可能性は高い。
 今の段階でそこまでは動かずとも、イオレは数日中に御影佳乃と対峙することになる。
 その戦いでイオレが死すれば、この城とて無事では済むまい。
「なるほどね。この場所から安全に第一次元に戻る手段は限られている。時間稼ぎにお前まで居座っておく必要はないということか」
「その算段だったが、どうやらもう崩落が始まっているみたいだな」
 まだ細かくだが、城の各所が振動を始めていた。
 床や壁が崩れ、じきに立っていることすら困難になるだろう。
 イオレがこの場所を追われてからさほどの時間は経っていない。彼女は城を自ら捨てることにしたようだ。
「《悪夢の鉄檻》! 《テスタロス》!」
 ここぞとばかりに、デュエルが終了した直後から準備しておいたカードを即座に起動する。
 本当に不意を突かれたのか演技なのかは分からないが、沙理亜は奇妙なほど素直に、鉄檻に閉じ込められた。
 テスタロスが上空に向けて放った炎の弾丸は天井に突き刺さり、そこを起点に崩れた瓦礫が鉄檻に降り注ぐ。
 正直なところ、この程度で沙理亜を殺せるとは思っていない。自らその死を確認することもなく空間の歪みに任せるなど、永瀬沙理亜を斃す策としては下の下だ。
 だが、城という防壁を失い次元の狭間に投げ出されれば、そこから帰還することは困難――だと巧は思う。少なくとも時間はかかる――はずだと信じたい。
 究極的な話、例えば沙理亜が不老不死になっていようと、死ぬまで会わないのであればそれは実質的に巧の中で沙理亜が死んだのと同義だ。瑠衣はその手で止めを刺すことを望むかもしれないが、巧が求めるのはその程度である。
 それさえも覆す一手を用意している可能性もあるが、その時はその時。
 ただ一度のチャンスに固執する気はない。まずは己が身の安全が第一だ。
 瓦礫に埋もれ行く鉄檻を視界の端に捉えつつ、巧は燃え尽きた玉座の側に後退する。玉座の裏にはイオレの居住空間と、これまで彼女専用だった、おそらく万能に近い“門”がある。
 沙理亜がアクションを起こす様子はない。かといって焦っているわけでもなく、ひたすらに平静としか形容できない態度で檻の中に佇んでいた。もっと帰還を妨害するか、巧に先んじての脱出を目論んでくると予測していたため、拍子抜けである。

 素早く奥の部屋への扉をくぐり、部屋の中央に位置する、華美な装飾が施された“門”を見据える。
 “門”は装飾も相まって一見鏡のようだが、様々な次元の光景が交錯し、渦と化して映し出されていた。
 断片的に“知っている”モンスターがちらつくが、その名を思い浮かべる間もなく渦に飲み込まれる。
 この状態であるということは、まだ“門”は機能している。
 城の崩壊が予想より早く始まったため“門”に障害が発生していることは多少危惧していたが、少なくとも巧に判断できる外面上の不安要素はない。
 もう一度だけ、背後を確認する。
 すでに部屋の出入り口は瓦礫で塞がれており、沙理亜の様子に関して、この部屋にいないこと以上の情報は得られなかった。
 緊張を保ったまま巧は視線を“門”に戻し、まずはオレイカルコスの欠片を手にした右腕をねじ入れる。
 感覚は希薄だが、一度出してみても、壊死しているだのといったトラブルはないようだ。
 ならばもう迷うことはない。
 目的地の自宅を思い浮かべながら、巧は全身を“門”の渦に吸い込ませた――――。
 




 こうして、永瀬巧は第一次元に無事帰還した。
 しかし、それからすぐに巧は知ることとなる。第一次元を離れていたほんの数週間の間に、永瀬沙理亜がどれだけこの世界を“変えた”のかを――――。



6章 新たなる秩序



 11月23日 11:00 エジプト

 占拠されたアシュートは、見るからに破壊と略奪が進んでいた。
 既に欧米や日本、中国、インドなどには、これが“デュエルモンスター”による被害だと知られていたが、大衆への公開は水際でかろうじて食い止められていた。
 ここからどう転ぶかは、アシュート奪還作戦の成否に懸かっている。
 作戦の前線指揮を執るのは、元ドーマの幹部であったアメルダだった。
 これはアメルダ自身の志願によるものであり、イシズもその剣幕に気圧され、認めざるを得なかった。
「もし自分以外の誰かがこの作戦を遂行したなら、僕はその人間を――殺すしかなくなる」
 ならば、自分がその手を汚すしかない。
 彼の決意を止める術を、イシズは持っていなかった。
 むしろイシズ自身が、弟を救うために国家権力を動員し、未来予知にまで頼ろうとしていた人間である。
 そうしたアウトローな意志でも、つい共感し認めてしまうところがあった。
「戦争で家族を失い、その悲劇を繰り返さないためにドーマで世界を変革しようとした……ですか」
 そんな過去を持つ彼にとって、確かにこの作戦は許し難いものだろう。
 相手が人間ならば、人道に反すると言われても仕方がない。
 だとしても、手段を選んでいられる状況はとうに通り越している。

「聞こえますか、アメルダ」
 通信機で前線指揮官への回線を開くと、液晶に赤毛の男の顔が映った。
「あぁ。……始めるのか?」
「その判断は前線の様子次第で貴方が決定を下してください。時間がかかり過ぎてはいけませんが――戦力差からすれば数時間で勝負はつきます」
 最初の攻防では、デュエルディスクに搭載されているソリッドヴィジョンシステムの影響範囲と闇のアイテムの散布状態から、一方的な防戦かつ、旧時代の合戦のような戦い方になってしまったが、今回は違う。

 そもそも作戦の概要からして間違っている。
 この戦いの目的は、アシュートの奪還などではなく、アシュートに居座る悪魔を一匹残らず殲滅することだった。
 ゆえに“兵器”も、それに相応しいものが選ばれる。
「それよりも心配なのはあなた自身です。この戦いであなたは、自分のトラウマと向き合うことになるのでしょう?」
 ドーマの幹部だった頃、仇敵と考えていた人間と対峙して、アメルダは感情を抑えられずデュエルにも敗北した。
 この戦いで同じように感情を爆発されれば、指揮系統は大きく乱れてしまう。
 それでも、トラウマを乗り越えようとする彼を止められなかった時点で、イシズにできるのは、こまめに通信を送り安否を気遣うことだけだった。
 むろん暴走した時のための代理を用意してはいるが、できるだけ彼の意志を尊重したいとも考えていた。
「問題はありません。間もなく作戦を開始しますので、これで」
 アメルダとの通信が切れる。
 理性的な応対に、イシズはひとまず安堵した。
 アメルダの試練は、戦う前から始まっている。
 モニター越しに見える彼の背後の景色は、彼がKC製のヘリの機内にいることを意味していた。



「《魔空要塞 ジグラート》、砲門を開け」
 アメルダが自分のディスクに置かれているモンスターの名称を読み上げ、指示を出す。
 M&Wのルールとはかけ離れた指示だが、空中に待機するジグラートは、鉄が擦れたりぶつかる音を立てながら砲身を地上へと向ける。
「よし。総員、DDB部隊を出撃させろ」
 それを確認すると、続けてアメルダは部下に指示を飛ばす。
 DDB部隊。今回の作戦の要にして、アメルダの過去を刺激する原因でもある。
 アメルダの乗っているヘリを旗艦とすれば、周囲のヘリ30機は護衛艦といったところか。
 ヘリ自体に武装は搭載されていないものの、搭乗する百人ばかりのデュエリストは、全てレベル7のシンクロモンスターを出し易いデッキを構築している者ばかりだ。

 ――DDB。《ダーク・ダイブ・ボンバー》。

 人型に変形した黒い重爆撃機のイラストが記載されているこのカードは、先日開発が公表され、優先的にエジプトへ回されている“シンクロモンスター”の1枚である。
 正しくは順番が逆で、シンクロモンスターがエジプトでの運用を前提に開発されたカードなのだが、それゆえに同レベルの既存のカードと比べると、効果のスペックがかなり高い。
 今までのモンスターより優れた戦闘力と特殊能力を持つ、重爆撃機。この2つの要素が揃い、最終目的が悪魔の掃討となれば、採るべき策は1つしかない。
「……DDB部隊、攻撃開始!」
 数十機のヘリと、中にいる兵の召喚した《ダーク・ダイブ・ボンバー》、そしてアメルダの《ジグラート》が、一気にアシュート上空へ差し掛かる。
 アシュートの防衛に当たっていた悪魔が次々と好戦的な構えを見せるが、ヘリの高度にまで到達できる悪魔は、調査した限りいない。
 重爆撃機の1体が急速に高度を落とし、狙いを定めて最初の爆弾を投下する。
 それは悪魔の集団の中に落ち――炸裂した。
 爆心周辺の悪魔は瞬く間に炎熱に呑み込まれ、さらに近くの小さなビルをも吹き飛ばす。倒壊した高熱のビルが悪魔を下敷きにし、また別のビルとも接触して相乗的に被害を拡大させていく。
 煙が地上を覆い、敵にどの程度の被害が出ているのかは確認できない。ただ、一発だけ反撃の火球が放たれ、《ダーク・ダイブ・ボンバー》の装甲はそれをものともしなかった。
 続けて2体目、3体目のDDBが肩口に装備した16連装のガンポッドからミサイルガンを射出。
 乱軌道に舞いながら高度を下げ、悪魔を包囲する。
 さらにいくつかのビルと街路が炎上し、逃げ道を奪った。
「……《ジグラート》ッ!」
 顔付きの空中要塞が砲身をさらにずらし、悪魔を囲う炎の壁の内部に照準を向ける。
 地上の様子を視認することは、当然ながらできない。
 だがアメルダは悪魔が置かれている状況を、想像のみにも関わらず恐ろしく的確に把握していた。
 そのことで、自身が取り乱しそうになるほどに。
「攻撃を……続……けろ!」
 だからこそ、攻撃の手を緩めるわけにはいかなかった。
 ほとんど飛行戦力を持たない悪魔軍の大半は、あっという間に壊滅しつつあった。
 縦横無尽に走るジグラートの光学攻撃が広範囲の悪魔を焼き尽くす。
 他にも思い思いのモンスターを扱う者もいるが、《ダーク・ダイブ・ボンバー》と《ジグラート》の破壊力は別格だった。
 いくら超長射程のソリッドヴィジョンシステムが開発されたとはいっても、一兵すら残さない悪魔の完全な殲滅を実現可能たらしめているのは、この2体がいてこそである。
 街の外まで逃げのびる敵もいるが、そちらは地上からアシュートを包囲する兵が仕留めている。
 残る問題は、アシュート陥落の原因となった、数少ない――しかし強力な飛行戦力だけ。
 やはりソリッドヴィジョンの射程問題で、デュエリスト軍に届かない高度から攻めてくる悪魔に対処しきれず、以前は敗戦を余儀なくされたが、今度はデュエリスト側が高所を陣取っている。

 と、それに思考が及んだところで、視界の隅に《ダーク・ダイブ・ボンバー》とは違う飛行物体――いや、飛行生物の存在を認めた。
 白く頑強な皮膚の悪魔を先頭に、長い爪が特徴の悪魔が4体。
 人型で、しかし蝙蝠似の羽根と矢印状に尖った尾は、紛れもなく彼らが悪魔族のデュエルモンスターであることを示していた。
 その正体についても、特別国防軍の面々は完全に把握している。
 《E−HERO ダークガイア》と《E−HERO マリシャスデビル》。
 これらのカード知識を持つカナン・シェイルにすら制御できなかったほどの力を持つ、堕ちた英雄。
 以前の戦闘では《マリシャスデビル》がもう2体余計にいたが、この状況で出てこないとなれば空襲で命を落としたのだろう。
 彼らはアシュートに駐留する悪魔軍の中で間違いなく最強だ。
 これらの融合《E−HERO》は基本的に《ダーク・フュージョン》でのみこの世に生まれ落ちることができる。
 そして以前の戦闘で、彼らは第九次元――通称「暗黒界」の覇王が使用した《ダーク・フュージョン》と、その後に第一次元で量産された《ダーク・フュージョン》でそれぞれ付加される効果耐性を併せ持っている(・・・・・・・)ことが判明した。

第九次元オリジナル

ダーク・フュージョン
【通常魔法】
手札・自分フィールド上から、融合モンスターカードによって決められた
融合素材モンスターを墓地へ送り、
悪魔族のその融合モンスター1体を融合召喚扱いとしてエクストラデッキから特殊召喚する。
この効果で特殊召喚したモンスターは、このターン相手のカードの効果によって破壊されない。


第一次元量産版

ダーク・フュージョン
【通常魔法】
手札・自分フィールド上から、融合モンスターカードによって決められた
融合素材モンスターを墓地へ送り、
悪魔族のその融合モンスター1体を融合召喚扱いとしてエクストラデッキから特殊召喚する。
この効果で特殊召喚したモンスターは、このターン相手のカードの効果の対象にならない。


 このカード効果差がどのようにして生じたものかは誰にも分からない。
 ただ1つ言えるのは、世界の交わりによって“効果で破壊されない”能力と“効果の対象にならない”能力もまた、融合してしまったことだけ。
 傭兵デュエリスト、オースチン・オブライエンからもたらされた異世界版《ダーク・フュージョン》の情報がなければ、手詰まりとはいかないまでも《地砕き》や《ブラックホール》に頼り、苦戦を強いられていたことだろう。
 純粋な高ステータスを持つ《マリシャスデビル》が、攻撃誘引能力で人型重爆撃機の矛先を空中に逸らし、さらに乱軌道のミサイルを全て回避して肉薄。
 メタリックな暗色の装甲に長爪を滑らせると、必要以上の熱を帯びた赤い裂傷が生まれた。
 悪魔はそれを蹴り台として瞬発的に重爆撃機から離れ、無残に墜落していくのも確認もせず、次の重爆撃機を今度は爆散させた。
 アメルダがやむなく《ジグラート》をディスクから外し、巨大な天空要塞をエジプトの空から消した。
 《ジグラート》は攻撃対象にならないモンスターだが、戦闘破壊されないわけではなく、こちらから攻撃を仕掛け、反撃という形でなら墜とされてしまう。
 そして《マリシャスデビル》は、そんな奇特な状況を能動的に生み出す特殊能力を保持していた。
 もし《ジグラート》が破壊されれば、その巨大な質量の崩落や爆発はデュエリストたちが乗ったヘリをも巻き込む危険性が高かった。

 重爆撃機の集中砲火を浴び、4体だった《マリシャスデビル》が3体に減る。
 いくら個体としての戦闘力に優れており、耐性が付加されていようが、敵は圧倒的に寡兵である。
 集中攻撃を受ければ、一撃のダメージは軽くとも被弾することはある。
 そして、モンスターとて肉体が敵の攻撃に耐えられたとしても、生命力までもが無尽蔵なわけではない。
 《ダーク・ダイブ・ボンバー》の脅威はまさしくそこにある。
 生命力――ライフポイントを直接えぐり取る爆撃の前では、能力差で《ダーク・ダイブ・ボンバー》に勝る敵であろうと無力だった。
 ただ、あくまでも近接戦の高機動で爆撃をかわそうとする《マリシャスデビル》に対して、《ダークガイア》に同じ策は通用しない。
 カードテキストからは読み取りきれないただの物理現象として、《ダークガイア》が投じる炎の岩球はミサイルや爆弾を寄せ付けない。
 さらに恐ろしいことに《ダークガイア》の攻撃力は変動制であり、これまでの戦いにおいて《F・G・D》ですら倒せなかったことから察すると、数値換算すれば5000を超えるのは間違いない。
 効果で破壊できず、対象にもならず、それでいて攻撃力は5000オーバー。デュエリストのライフが減っても支障がないこの戦いではさほど意味を成さないが、守備モンスターを強制的に攻撃表示にする能力まである。
 しかし、そんな一見隙のなさそうなモンスターをも、M&Wは超越する。
「やはりあれを相手にまともに立ち回るのは困難か。よし、“虹”を出せ!」
 アメルダの指示に従い、各ヘリの中で最低一人は配置されていた“虹”の遣い手が、攻撃力は低くとも戦闘耐性や効果耐性を持つモンスターを召喚する。
 そこからは簡単だ。
 《ダークガイア》に向けて、それらのモンスターを投下するだけ。
 その数とこれまでの戦い方からして、《ダークガイア》はまとめて迎え撃つという選択を取る。《ダークガイア》の力を持ってすれば、露を払う程度のことだろう。
 降ってくる弱小モンスターたちに炎を纏った岩球を放ち、それにモンスターが呑み込まれていくのも確認せず悪魔は新たな重爆撃機と対峙した。
 が、ここでふと違和感を覚えたらしく、《ダークガイア》が腕を前に出す。
 そこにあったのは――――――牙とまでは言い難いが割とホラーテイストな歯で必死に齧りついている、白くふわふわな軟体のモンスター《マシュマロン》だった。
 《ダークガイア》はすぐに振りほどこうと腕を一回転させ――――離れない。
 続けて何度か回転させても、一向に振り切れない。
 仕方なくそのまま重爆撃機を狙って炎の岩球を生み出す。
 ――――出ない。
 ようやく《ダークガイア》は、己の戦闘能力が完全に失われていることを理解し始めた。
 しかし混乱するばかりで、その原理までには考えが至らない。
 マシュマロのお化けのようなモンスターが七色のオーラを纏っていることに、気付かない。
「《レインボー・ヴェール》。装備モンスターと戦闘を行う相手モンスターの効果を無効にするカード」
 アメルダが“虹”の正体であるカードを眺めながら言った。
 むろん、ヘリの外で絶望に打ちひしがれている悪魔にその声は届かない。
 《レインボー・ヴェール》は、効果を封じる戦闘相手のモンスターに関しては対象を取らない――つまり2つの《ダーク・フュージョン》によって付加された耐性をすり抜ける。
 そして《ダークガイア》の攻撃力は融合素材モンスター2体の攻撃力の合計。
 それは特殊召喚成功時に一度だけ発動する効果だが、効果が無効になれば《ダークガイア》の攻撃力は0に戻る。
 “地球”の力の一端を操っていた悪魔は、爆撃の嵐に抵抗する術を失い、かといって逃げることもできず塵に還った。
 国防軍の思惑通りに《ダークガイア》を仕留め、《マリシャスデビル》も残り1体。それも満身創痍で、間もなく討ち取れるだろう。
 アシュートを巡る攻防は、こうして終わりに近づきつつあった。
 










 11月23日 14:00 王家の谷北西

 結局の所、特別国防軍は王家の谷に張られた《オレイカルコスの結界》を突破する術を、この日までに用意することはできなかった。
 しかしアシュート奪還作戦は予定通りに決行され、同時に王家の谷周辺にも兵は待機させていた。
 実を言えば、王家の谷攻略部隊も決して無策なわけではない。
 《オレイカルコスの結界》、それを展開している間の最大の弱点は、ガリウスの悪魔はおろかドーマの兵士ですら出入を制限されることである。
 一部のみ解除といった器用な立ち回りで運用できない以上、彼らが王家の谷から兵を出す際には短時間であろうと丸裸になる。
 前回の王家の谷攻めでは結界内での撤退不可能な戦闘を危険と判断して退き、それでも犠牲が出るほど惨憺たる有様だったが、今回は違う。 
 謎のシンクロモンスター、《スターダスト・ドラゴン》、《ブラックローズ・ドラゴン》の保持者に加え、カードプリベンターの長である北森玲子が直々に出陣していた。
 ドーマ兵の能力解析も進み、闇のアイテムと超長射程のソリッドヴィジョンシステムにより遠距離攻撃が届かない問題も解消されている。そして何より、特別国防軍のデュエリストたちがこの形式の戦闘に慣れてきたのが大きい。ガリウスが警戒したデュエリストの絶対戦術勝利の力――それは皮肉にも、ガリウス自らの手によって目覚めさせられつつあった。

 そして今朝、王家の谷には異変が起きていた。
 《オレイカルコスの結界》が消滅し、それから復活しなかったのである。
 すぐに偵察を向かわしたが、兵が王家の谷から現れる様子もない。
 谷の内部で、悪魔たちは不気味な沈黙を保っていた。
「すぐに攻撃を開始するべきだ」
 そう主張するのはマリク・イシュタールをはじめとするエジプトが故郷の者や、ヴァロンなど、好戦的であったり、前回の戦いで苦杯をなめさせられた者が多い。
 悪魔軍の拠り所である、人類側のデータにない魔術結界が突然失われたなら、敵軍は浮足立っているはず。混乱しているうちに叩くという考えである。
 一方で、北森玲子らカードプリベンターと直属の面々は、結界の解除を敵の罠と疑っていた。
 結界は現代のあらゆる物質を超えた最強の防壁だが、中にいる悪魔はどうだろうか。その正体は大半がデュエリスト側に割れている。“時間がない”のは敵方とて同じだ。エジプト南部こそ支配下に置いてはいるが、彼らとしても中枢のカイロを押さえなければ勝利はない。
 アシュートからの北上は阻めており、そこに駐留する悪魔も今回の作戦で殲滅される。人類側に課せられた時間の問題とは、単に国家の威信がどうこうという程度のものであり、本当に手をこまねいているのは悪魔の方だった。
 つまり――誘っている。
 アシュートを切り捨て、こちらを潰そうとしているのだと。
 王家の谷攻略部隊は、対ラビエルに備えたカードや多対一で力を発揮するカードを保持し、身体能力や特に秀でた面を持つデュエリストで構成された精鋭だが、それさえも敵に読まれていたなら。
 安易に突貫を命じるにはまだ早い。



 そんな時だった。
「南東、王家の谷方面より複数の“人間”を確認! 全員がデュエルディスクを装備しており、こちらへ向かって来ています!」
 少し離れた所で双眼鏡を手に王家の谷の様子を観察していた部下が、そう叫んだ。
「……! 何者か、分かりますか?」
「いえ、この距離では個人の判別までは」
 そこでイシズはマリクに向き直る。
「できるだけ早く確認をお願いします。前回の作戦で結界内に取り残された人たちかもしれません」
「あっ……!」
 マリクも気付いたようだった。
 結界の範囲外に脱出できなかったデュエリスト、計24名。
 彼らが敵に捕らわれたのか、それとも殺されたのか、行方は全く分かっていない。
 仮に悪魔軍の捕虜となっており、脱出してきたのなら。そうでなくとも状況を把握するのに、話の付き易い相手であるに越したことはない。
 だが、マリクの報告はそれを裏切るものだった。
「あれは、特別国防軍とは違う……!」
「そう……ですか」
 集団の人数は20名ほど。
 おおよその数は一致しているが、見知った顔はなかったようだ。
 やはり接触してみるしかないと玲子は判断を下す。
「あの者たちが味方である保証はありません。人間に擬態した悪魔か、もしくは洗脳されている可能性もあります」
 M&Wにはそういった状況にも対応できるカードが存在し、ソリッドヴィジョンと闇のアイテムはその効果を現実のものたらしめることが出来る。
 マリクによれば、結界内に取り残された者ではないらしいし、まずは正体を見極めてからだ。
 想定を数段超えた事態に仄かな不安を抱きつつ、玲子は兵を連れ進路をデュエリスト一行の方に向けた。


 
「デュエルディスクを外し、両手を上げてください」
 数で上回っている王家の谷攻略部隊は、順当に謎の人間集団を取り囲み、武装解除を迫ることにした。
 相手の構成は老若男女ばらばらで、戦場にいたとは思えないぐらい丁寧に制服を着た女子高生までいる。
 集団のリーダーと思しき眼鏡をかけた神経質そうな男は、素直にデュエルディスクを砂の上に落とし、それを他のメンバーにも促した。中には不服そうな者もいたが、結局は一人残らず指示に従い丸腰になった。
「あなたたちの所属と名前を言って下さい。あと、ここにいる目的も」
「私は元プロデュエリストの高原真吾です。目的は――そうですね、そちらと同じでしょうか。もう終わりましたが」
「…………」
 肩書きと名前は、それだけではないだろうが後で調べればいい。
 しかし目的は別だ。同じ、と語ったからには、どこまで理解しているのか確かめねばなるまい。
「どういうことでしょう。もう少し具体的に頼みます」
「ですから、王家の谷に巣くう悪魔の一掃です。今から向かっても、獲物は残っていませんよ」
 2度も聞くなと言いたげに首を振る高原。
「結界を、どうやって突破できたのです?」
 その疑問にも、高原はあっさりと答えた。
「簡単なことですよ。この世界から別の次元に行き、そこからまた次元間を移動することで、王家の谷内部に入り込んだのです」
「あ…………」
 悪魔に対する力を得るため、第十三次元へ行って戻るなどという話まで聞いたのに、どうして失念していたのか。
 しかしそれを思いつくばかりか、実行に移せるような人間は――いや、いる。玲子はそんな人物に心当たりがある。
 では、この者たちは――――。
「エジプト特別国防軍の働きには感謝していますよ。あなた方がいなければ、エジプトは容易に征服されてしまっていたことでしょう。しかし、ここまでです。人類の対異世界戦略をイシズ・イシュタールに任せておくことはできません」
 捕まることも想定済みであったかのようにすらすらと答える。が、それは当の国防軍側としては、そして玲子個人としても看過できる内容ではない。
 高原の言には、ある一点において図星ともいえる内容が含まれていた。それを見透かされていたとは思えないが、いま口にしている場合でもなかった。
 イシズの弟であるマリク・イシュタールも、さらに警戒を強めている。
 玲子が目を細め、尋問を続ける。
「それでは、他にあなた方の仲間はエジプト国内にいますか?」
「我々の本隊は今、カイロに潜入しています。それと、特別国防軍内にもスパイがいます」
 むろん、正直に言ってくれる期待などはしていなかった。
 だが、それが事実にしろ虚偽にしろ、敢えてこちらの混乱を招くような手を打ってくるとは考えてもみなかった。
「もしかすると北森玲子、あなたが私たちの仲間ですか?」
「!? 何を言って……?」
「私が上より受けた命令は、北森玲子の指示に従い、質問には嘘偽りなく正直に答えること。つまり、そういうことなのですね」
「っ、ちが……」
 嵌められたことに、ようやく気付く。
 これでは、尋問と称した状況確認をしているだけだと、王家の谷攻略部隊のメンバーに思われてしまう可能性がある。
「彼らのデュエルディスクを回収してください!」
 高原たちのデュエルディスクはまだ彼らのすぐそばに落ちている。その回収指示は、繋がっていない証明になり、包囲の警戒が高原たちから外れるのを防ぐのと両立できる命令だった。
 しかし――遅い。
 玲子たちにも配備されている、手帳サイズのソリッドヴィジョンシステム。それを高原たちが所持していることにまで気が回らなかった。
 懐から手投げ弾を取り出すかのごとく、それを国防軍に向けて放り投げると、《シャインスパーク》のエフェクトが発生。
 閃光弾の役割を果たした小型ディスクを全て壊した時には、高原たちの姿はどこにもなかった。



 特別国防軍、王家の谷攻略部隊は岐路に立たされていた。
「……どうするんだ、あいつら」
 誰かがそう言った。
 何が真実で何が嘘なのかも分からないまま、まんまと包囲を抜けられてしまった。
 その上、指揮官である北森玲子には、内通者ではないかという疑惑が向けられている。
 王家の谷の悪魔は既に壊滅している可能性が高く、カイロで動くらしきことを高原は示唆していた。かといって敵の言うことをそうそう鵜呑みにはできず、判断を下すべき玲子も毅然としてはいるが信用できない。
 進むことも退くこともままならず、しかし決定を委ねることも危険が高い。知り合い同士数人ずつで固まっているものの、閉塞を打開するような案は出てこなかった。
 
 そして、マリクとヴァロンが今後の対応を検討しているところに、玲子が戻ってくる。
 何か――後ろ暗い決意を固めたような眼をして。
「マリクさん、ヴァロンさん、少しよろしいでしょうか。今後のことについて、そして彼らのことについて」
「あぁ、構わないが」
 マリクの了承を得ると、玲子は話し始める。
「まず彼らについてですが――I2社の元社員であった永瀬沙理亜という方が組織していると思われます。組織の活動は、そうですね、『闇狩り』のようなものです。ただし相当に過激な」
「で、オレたちを引き込みに来たわけか?」
 ヴァロンが突っかかる。
 それは玲子を試しているようにも見えるが、気に入らない答えをするようなら彼は容赦しないだろう。
 高原たちがいた場では、あらゆる返答を曲解されてしまいそうだったが、ここは自分の思うところを正直に告げるべきだと思えた。
 しかしその結果、ヴァロンやマリクが逆らうのならば――――。
 そう、だとすれば、まだ早い。

 玲子がこれからの行動を固めた所で、マリクの方からフォローが入った。
「その組織についてなら、姉さんから聞いたことがある。『闇狩り』崩壊の経緯から察するに、こちらの混乱を招くための言動である可能性が高いな」
 『闇狩り』のリーダーである獏良了は、最初のアシュート戦から帰還した頃に特別国防軍に合流し、部下一名と共にイシズの護衛をしている。
 数ヶ月前の戦いで『闇狩り』はかなりの損害を受けており『カードプリベンター』も他人事ではないが、その加害者が永瀬沙理亜の組織であったことは、この場での説得には有利に働いた。
「チッ、分かったよ。だがそうだとして、この後はどう動くつもりなんだ?」
「私たちは――あの者たちについての情報が、圧倒的に不足しています。もし彼らが特別国防軍の転覆を企んでいるのなら、止めに行く必要があります。デュエリストのデパートである特別国防軍を、絶対に彼らに渡すわけにはいきません」
 本来特別国防軍は、この戦いが終われば解散される組織だ。
 M&Wを実体化するソリッドヴィジョンと闇のアイテム。それらの力を実際の戦場で振るった彼らを“軍隊”として留めるわけにはいかない。
 “組織”の考えはこれと真逆だろう。実戦を生き延びた者たちの力を手中に収めれば、彼らの戦力は飛躍的に強化される。
 向こうも暴走の危険性は認識しているはず。だがそれ以上に、多くの悪魔を殺害し、あるいは箍が外れかけているかもしれないデュエリストは、“組織”にしてみれば使うにも狩るにも美味しい存在なのだ。
「あちらは最初から、これが目的だったと思います。“デュエリスト”の力は、みなさんが考えているよりずっと――重い」
 エジプトという国全体が、デュエルモンスターとデュエリストに振り回されている。
 人的被害がないとはいえ、現代の世界で街一つを焼き払う権限を与えられ、それが英雄的行為として扱われるこの異常を正しく把握している者がどれだけいるだろうか。
 かくいう玲子も、先ほど“組織”と邂逅するまで、完全に戦争の空気に呑まれていた。あの場に永瀬沙理亜がいたなら、それこそ取り込まれていたかもしれない。
 デュエルスタイルはまだしも、玲子の性格は特別国防軍に集うデュエリストの中でも群を抜いて穏やかだ。
 それでいて、《ダーク・ダイブ・ボンバー》を手にした時には、モンスターを殺し尽くせるとほくそ笑んでいた。

 相手が外敵の侵略者である内はまだいい。
 しかしこれから先、人対人の戦いでM&Wの力が振るわれるようになれば――永瀬沙理亜の介入を招くことになる。それも、関係者の全員抹殺という形で。
 考えてみればおかしかったのだ。
 “組織”が異世界に拉致され、脱出した者の集まりだとすれば、真っ先に特別国防軍に参じて来るはず。
 公にそうせず、内通者を送り込んだだけに留めた理由があるなら、それは拉致の話がまったくの嘘であったか、軍隊の束縛を余程嫌ったか、もしくはより上位の立場から特別国防軍の掌握を狙っているかだ。
 そして、見事に3つ目の仮説が正解だったらしい。
「どうしてもついて来れないというなら、王家の谷の様子を見てきてください。どのみち、あちらの確認もしておく必要があります」
「それはできねぇよ、万が一ってこともあるからな」
「僕もだ。あいつらの狙いが姉さんなら、容赦はしない」
「……分かりました」
 内通者の件は、完全に疑いが晴れきったわけではないらしい。
 もし本当にいるのなら、カイロの防衛部隊やアシュート攻略部隊以上に、この王家の谷攻略部隊に潜んでいる可能性が高い。
 おそらくはその全てにいるのだろうが――可能ならスパイをそれと気づかせぬよう、谷の状況を確認する一行に加えられれば最善である。

「玲子お姉様、あたしが行きましょうか?」
 そう提案してきたのは首にカメラをぶら下げた快活そうな少女、東屋詩奈(あずまやしな)である。 
 特別国防軍の任務中に危機に陥った彼女を助けたことで異様に感謝され、お姉様と呼び慕ってくれている――というよりは付きまとわれているような節もある。
 実はこの東屋詩奈。フリージャーナリスト兼デュエリストと身分を偽っているが、デュエルアカデミア本校の学生だ。
 イシズ・イシュタールの方針により、プロデュエリストとアカデミアの学生は特別国防軍への参加を拒まれているにもかかわらず、である。
 学生ということについては確定ソースが得られているものの、「秘密が多い方が神秘的」だとかいう理由で目的は玲子にすら明かさず、まずカメラを常に所持しているという時点で、永瀬沙理亜の組織云々の遥か手前の段階で当局の監視対象に名を連ねている。
 そのため――そしてもう一つ別の理由から、彼女は手許に置いておきたい。ただ“組織”のスパイである危険を考慮すれば、ここはそれらの要因を排した上で、王家の谷に向かわせたい状況だ。
「詩奈ちゃん、デッキを見せてもらえないかな?」
「はい、いいですよー」
 唐突な頼みにも関わらず、何の疑いもなくデッキを内通者候補に手渡す詩奈。だが、逆にこれは危ういサインである。
 もし東屋詩奈が内通者なら、彼女は玲子が内通者でない(・・・・・・・・・)ことを知っている。
「エクストラデッキもお願いできる?」
 考える時間が欲しい。メインデッキを一通り見終わると、次はエクストラデッキを要求する。
 やはり詩奈はあっさりと了承した。
 “憧れの玲子お姉様”にデッキを見てもらえることに、感激している様子だ。
 詩奈のデッキはあまりシンクロを積極的に行うタイプではないが、国防軍としての方針に従って、向き不向きに関わらずきちんと15枚のエクストラデッキを用意していた。 
「ありがとう、詩奈ちゃん。こんなカードも入れてみたらどうかな?」
 予備のカードを入れたバッグから1枚の魔法カードを取り出し、詩奈に渡す。
 敵だったなら塩を送る形になってしまうが、デッキを見たというのにアドバイスの一つもしない方が不自然だ。
「お、お姉様が私にカードを! これは、ついにあたしの愛が届いたってことでいいんですね!?」
「え? そ、そうね、ちょっと歳は離れているけど、良いお友達としてよろしくね」
「はい、お友…………オトモダ……チ…………」
 なぜか風化しかける詩奈。
「詩奈ちゃん、お友達じゃ、ダメかな?」
「はっ! いえ! お友達ですね、お友達。不束者ですがよろしくお願いします!」
「何か噛み合ってないような気がするけど、それじゃあ詩奈ちゃんには、一緒にカイロへ来てもらいます」
「了解です! あたしはいつもお姉様のお傍に……あれ?」
 最初の提案をすっかり忘れてカイロ行きを了承する詩奈。
 やはり彼女はスパイだろうとそうでなかろうと、カイロに来てもらった方が色々と都合が良い。
 それだけの可能性を秘めていることは、疑いようがなかった。



 結論から言えば、エジプト特別国防局舎は、まだ陥とされていなかった。
 通信でも本部に異常が起きた様子はなかったが、局舎内に突入した途端に偵察任務中の兵と鉢合わせ、やはり攻撃一つ受けていないことを知らされた。
 杞憂であることを期待しつつ、玲子たちは局長室を目指す。
 エレベーターを降り、付近の部屋からの奇襲を警戒しながらじりじりと近づいていく。
 唐突に、局長室の扉がわずかに開き、
「どうしたんですか、皆さん」
 イシズの護衛をしている青年――桐沢健だった。
 室内には、指示を飛ばしているイシズと獏良了がおり、特に何かがトラブルが発生している様子はない。
「アシュートの戦闘もほぼ片がつきました。我々の勝利です」
 そう言うイシズに笑顔はない。
 エジプトが受けた被害、市民の混乱、対外的な釈明。
 戦いは終わったが、その後に続く道は険しい。
 そして――――最後の最後で一石を投じてきた“組織”の行動も不透明なままだ。
「特別国防軍の解散を宣言してください。それで全てが終わります」
 国防“軍”は解散しても、“局”が消えるわけではない。
 “組織”の目的が“軍”を手に入れることなら、この宣言がチェックメイトとなる。
「皆さんお疲れ様でした。王家の谷も解放され、特別国防軍の役目は終わりました。これをもって――」
 玲子、マリク、ヴァロン、詩奈、獏良、健、そしてイシズが、ごくりと喉を鳴らす。
 ここまでに、妨害はない。
「特別国防軍の解散を、宣言します」
 
 ――――――――――――――――――――――――――

 何も、起きなかった。
 イシズは宣言を無事に言い切った。
 局長室が静寂に包まれ、居並ぶ面々が一斉にほっと息をつく。
 “組織”の計略は――本当にあったのなら――失敗に終わった。

「その声が、兵たちに届いていれば、ね」
 
 永瀬沙理亜の声が、不気味に響いた。
 エレベーターから降りてきた彼女の後ろには、少年――後で獏良に聞いたところによれば天城一也というらしい――と、高原真吾を連れていた。
「今さら、何かご用でしょうか?」
 沙理亜の言を無視して、イシズが尋ねた。その沙理亜は、相も変わらず余裕の笑みを浮かべている。
「このビルのシステムは既に乗っ取っているわ。政庁から隔離された局だけあって、セキュリティも薄いみたいね」
「通信が届かなければ解散宣言に意味はないとでも? 5人も聞いているのですよ」
「えぇ、それは間もなく意味を為さなくなる。デュエリスト軍は新たな指導者が引き継ぐことになる」
「……内通者、ですか」
「まさか、そんなわけないじゃない。偵察目的の内通者に軍を治める力なんてないわ。新たな指導者は――これから現れる裏切者(・・・)よ」
「!?」
 内通者と裏切者、よく似てはいるが、おそらく沙理亜はこれを明確に区別して使っている。
 そして、今の言によれば“裏切者”はまだこの場にいない、ということなのだろうか。
「そうね、まだいない。けれど、役者は揃っている」
「……」
 玲子の予想は最悪の道を辿っていた。
 問題は、誰が“そう”なのかということだが、沙理亜の事だ、誰でも可能性はある。
 特に永瀬瑠衣が狙われていたのに近い事情から、東屋詩奈の動向には気を払わねばなるまい。
「裏切者は、この中にいるわ」
 犯人を言い当てるシーンの探偵のように、沙理亜が人差し指を立てる。
 その指を玲子たちに向けてぐるりと弧を描き、そして――
「裏切者は、あなたよ」
 沙理亜が1人の人物を指し示す。
 それにつられて、全員がその人物の方を見る。そんなことをすれば、不意を突かれるかもしれないというのに、沙理亜の演出に呑まれて気付かない。
 注目を浴び、その人物の頬に赤みが差した。
 指された人物は、北森玲子だった――――。



「何を……言っているんですか。私は国防軍を裏切ったりはしません」
 この名指しを玲子は断固とした態度で否定した。
 それは自分が一番よくわかっていることだ。
 沙理亜の言は間違いなく嘘である。しかし、それをここの面子に理解してもらうのは、容易ではない。
 そして、沙理亜がどういった意図でこの裏切者宣言を行ったかも、おぼろげながら見えてきていた。
「いいえ、あなたは裏切者よ。正確には、これから裏切者になる」
「…………」
 やはり、だった。沙理亜はこの場で玲子を裏切者に仕立て上げようとしているのだ。
 ただ、その方法が読めないのはともかく、目的さえも分からないのは不気味だ。
「さて、まずは聞いておきましょうか。北森玲子、あなたはイシズ・イシュタールに不満を抱いてない?」
「そんなことはありません。イシズさんは……優秀な指揮官です」
「……嘘ね」
 その受け答えを、沙理亜はばっさりと斬り捨てた。
 それもイシズが目の前にいる状況で。
「イシズ・イシュタールの考古局局長としての手腕は誰もが認めるところよ。実際そちらは、私もお世話になったことがある。けれど、軍隊の指揮官としては純粋に能力が足りない。今回の戦いで皆それを思い知ったはず」
 こきおろされているイシズだが、どうにか平静を保っている。
 とはいえ、この流れはまずい。
「北森玲子、あなたもそう思っているはずよね。指揮官には自分の方が相応しいと。私も同じように思うわ」
 分からない。沙理亜はイシズを司令官の座から追い落とそうとしている。ここまではいい。
 だが、その後任として玲子を推薦するメリットがまったくもって読めないのだ。
 正直なところ、玲子はイシズの指揮官としての才には疑問を持っている。戦いが長引くのであれば、いずれは別の指揮官を立てることも視野に入れていた。その点では、沙理亜の指摘は正しかった。
 だとしても、自分の方が優秀などという傲慢な考えにまでは至っていない。

 さらに玲子はカードプリベンターに在籍していた頃の御影佳乃を知っており、永瀬巧とも接触している。おそらくそこも沙理亜は認知しているだろう。
 だがそれならば、肩入れするならどちらかということも読んで然るべきである。
 北森玲子は、御影佳乃と永瀬巧の側を支持している。
 沙理亜の“組織”とこうして接触したことにより、玲子はその判断が間違っていないと確信するに至った。
「私は――あなた方に協力はできません。裏切りの話も、今ならなかったことにしますので、お引き取り願えますか」
 明確な拒絶の意思を示す。
 これで引き下がるだろうという玲子の考えは――外れる。
 沙理亜はここまで計画を否定されてなお、笑っていた。
「フフフ、そうね、そうでなくては。でも、議論のすり替えは良くないわ。あなたが巧たちに加勢するのは自由よ。だけど、デュエリスト軍を放置して去るのは、上手いとは言えないわね」
「な…………!?」
 最悪のシナリオだった。
 沙理亜は玲子のスタンスとは関係なく、ただ国防軍を乗っ取れと言っている。
 ならば――攻め方を変える。
「何が目的ですか? あなたと敵対したまま軍を手に入れれば、それこそ戦争になるかもしれませんよ」
「私の知る北森玲子は、そんなことはしないでしょうね」
「そうとは限りません。この戦いの中で、私も一時期、《ダーク・ダイブ・ボンバー》の力に取り憑かれかけたことがあります」
 あのカードはシンクロモンスターという点を除けば、決して特殊な成り立ちを持つカードではない。《大地の騎士 ガイアナイト》や《A・O・J カタストル》と同じように量産された、普通のシンクロモンスター。戦闘力が異常に高いというだけで、闇の力だのアイテムだのが関わっているわけではない。
 おそらく永瀬沙理亜は、カードプリベンターのリーダーとしての経歴だけでなく、その穏やかそうな人柄を評価して軍の後釜に据えようとしている。少なくとも、自分から狩りに出かけることはまずないと思われている。
 だからこの場は、自分が乱心しかけ、さらにそうなった場合には、こちらから挙兵して“組織”の討伐を狙うと植え付けるのだ。
「別に構わないわ」 
 しかし沙理亜は引き下がらない。
「いいえ、それでこそ思い描いていた構想通り。私の“組織”とカードプリベンターで、M&Wに関連するこの世界を二分するためには、ね」
「…………そういうことですか。けれど、話が合いませんね。敵対の姿勢をとることはともかく、暴力と破壊に憑かれかけた人間に秩序を担わせようとするなんて買い被りもいいところです」
「貴女はそうはなりきらない理性的な人間よ。もし間違っていたのなら、人に危害を加える前に始末してあげましょう」
「……それはどうも」
 結局いつでも殺せると宣告されたようなものだ。
 資質を褒めたり任命責任を持つなどと言ってはいるが、要はただの脅しである。
「デュエルモンスターの侵攻。ゼロリバース。まさかこれで事態が終息したと思っているのかしら? M&Wの発展に従い、これからさらに様々な次元との繋がりが生まれていくというのに? その度に急造の軍隊を結成して、こんな危うい攻防を繰り広げようというの?」
 発想の、まさしく次元が違う。少なくともそれは認めざるを得なかった。
 その身で異世界のなんたるかを味わい、理解しているからこその行動。
 ただ侵略者の撃退だけを考えていた自分たちとは大違いだ。

 しかし、なればこその疑問もある。
「では、なぜ自分で国防軍を吸収しないのですか? あなたとは友好関係を築いているわけでもないのに、その理由では納得できません」
 “組織”の目的は依然として不明なままだが、戦力の拡充を積極的に行っていることは、これまでの人目についた活動の中でも明らかだ。
 デュエリスト軍は実戦経験こそ少ないものの、本格的に沙理亜と敵対するならば確実に掌握しておきたい。
 だとしても、それを敵の沙理亜に促されるとなると話が変わる。
 自分の部下をその座に据えようとするならまだしも、玲子が率いることで沙理亜が何を得るのかが全く分からなかった。
「戦力を拮抗させるためよ。こちらの戦闘デュエリストは、国防軍に数では劣るけれど、個々の能力では上回っている」
 確かに先ほど遭遇した際、玲子たちは5倍近くの数で包囲したにも関わらず、容易に脱出を許してしまっていた。
「北森玲子、私は自らが覇を握るなどという分不相応な野望は抱いていない。M&Wは超常の存在や現象を引き寄せることがままあるけれど、それに対抗する人類の備えは脆弱に過ぎる。これからは個別の企業や組織の利権に囚われない、独立した部隊運用が必要になる時よ」
「その通りだとは思いますが、所詮は理想に過ぎません。それだけの部隊を維持するためには、やはり相応の後ろ盾が必要となります。でも、そんな面々が一堂に会する機会なんて――――、まさか」
 そこでふと思い至る。
 この戦いが、そのデモンストレーションに使われていた可能性に。
「あなたは“煽った”のですか? それとも“利用した”のですか?」
「地球の技術力は謎の敵勢力を圧倒しており、この世界は守られた。それ以上でもそれ以下でもないけれど、新たな課題は浮き彫りになったわね」
「…………」
 アシュートでは空爆から始まる殲滅作戦、そして王家の谷では別の勢力による――口封じ。
 悪魔の侵略を許すわけではないが、彼らの背後関係を、結局実働部隊であるデュエリストたちは知り得ぬように動かされていた。
 特にアシュートでは、街を完全に巻き込む形で戦闘が展開されている。そんな洒落にならない命令が通ったのには、相応の理由があったということだ。
 おそらくは、イシズもある程度関わっていたのだろう。
 KC傘下の組織『闇狩り』を統べる獏良了がイシズを護衛していたのには、そんな意図もあったと推測できる。
 外からも内からも、玲子は包囲されていた。イシズは、自分が追い落とされるための当て馬だったと気付いているのだろうか。
「私は、あなたの言いなりになるつもりなんてありませんよ」
 ため息をつきながらのそれは、事実上の敗北宣言だった。
 マリクやイシズ、獏良はそれを悟ったらしく、悔しげにしながらも諦観を示す。
 ただ1人ヴァロンだけが、まだそれを抵抗の意思だと受け取ったらしくカードを手に沙理亜へ突進する。
 ヴァロンが扱う《アーマーモンスター》のソリッドヴィジョンは特殊で、ヴァロンの身体に装備され、攻撃宣言を行う際には実際にヴァロン自らが殴りに行く必要がある。
「《アーマードグラヴィ」 
「《システム」
「ダメだ!」
 桐沢健が叫んだ。
 両者の身体とカードが交錯する寸前で、ヴァロンは1ターン限定だが、全身を《アーマーモンスター》で武装する《アーマードグラヴィテーション》の発動を止めた。
 健の制止がなければ発動していたかもしれない。そして――返り討ちに遭っていたことだろう。
 沙理亜が見せたカード《システムダウン》によって。
 機械族で統一された《アーマーモンスター》に、《システムダウン》は天敵である。
「今は……抑えてください」
「クソッ……!」
 悪態をつきながら間合いを取るヴァロン。
 迎撃の構えは崩さないが、実力差は読みとれたのか、素直に玲子の指示に従った。
「お姉様……」
 残る1人、東屋詩奈は号泣して玲子に抱きついてきていた。
「ごめんなさい、詩奈ちゃん。ここは、あちらの要求を呑むしかありません」
 玲子はそっとその頭を撫で、詩奈を宥める。
 沙理亜の考えは、玲子たちの数段先を行っていた。
 新たな秩序の構想、それを実行に移すだけの行動力。共感できるかは別として、今の自分たちでは沙理亜に勝てないと思い知らされた。
 戦力を整える機会をくれるというのだ。最大限に生かし、対抗できるだけの力を付けなくてはならない。
「そうでなくては意味がないわ。いざという時は相打てるようにすることで、この構想は完成する」
「…………」
「さあ、手早く済ませてね」
「……申し訳ありません、イシズさん」
 どこまで把握していたのかは分からないが、イシズはこの流れを受け入れているようだった。
 毅然として、玲子と向き合う。
「気にしないでください。私の力不足が招いたことですから」
「そんなことは……」
 言いかけて、止まる。それはこの場に必要のないフォローだった。
「……いえ。イシズさんは、デュエリスト軍のキングにはなれません。そしてクイーンにも及びません」
 自らの得意なチェスにたとえて、玲子がそっと告げる。
「ならば、誰が適任だと?」
 もしかするとそれは、覚悟を試す問いだったのかもしれない。
 だとしても、玲子が向いているかとなればそんなはずもなく。
 ゆえに玲子は、こう言うしかなかった。
「それを探すことすら、あなたにはできません」
 否定するだけで、先を示さない愚かな返答であることは理解していた。
 正面から立ち向かう勇気がなく、戦闘を拒絶することによって敗北を回避していた昔が思い出される。
 あるデュエルによってその限界を思い知らされ、以来玲子は、積極的に攻撃を仕掛けるようになった。
 それは良い変化だと自覚していたが――――ただ、怯えている自分が消え去ったわけではない。
 必死に覆い隠していた、だけだ。
 その仮面が、よりにもよってこんな大事な局面で剥がれてしまった。
 ひたすらに情けなくて、謝りたくなるのと涙を落とすのを堪えるだけで精一杯だった。
 しかしそんな思いをよそに、事態は進行していく。

「……分かりました。エジプト特別国防軍の指揮権は、以後カードプリベンター、北森玲子に譲渡します。そして及ばずながら、考古局も全面的にカードプリベンターを支持します」

 聞いている人間は“組織”側の人間が3人ほど増えただけ。
 だが、この宣言は撤回できない確信が、玲子にはあった。
「これで満足ですか……永瀬沙理亜」
 イシズが沙理亜に尋ねる。
 彼女はこの闘争に関わる重要な立場を失った。
 だとしても、まだ言葉は尽きておらず、“組織”の謎もまだ判明しきっていない。
 この戦争の間に湧き上がった疑問を、玲子がカバーしきれなかった穴を、少しでも埋めようとしていた。
「『闇狩り』を壊滅させたのは、このためだったのですね」
「そうね。私たちに並び立つデュエリスト集団は2つもいらない」
「なるほど。では次に――2枚のシンクロモンスターを送り付けてきたのは“組織”ですね?」
「あぁ、忘れていたわ。あれ、返して貰えるかしら?」
「…………」
 イシズが玲子と顔を見合わせる。
 遅いといえば果てしなく遅いものの、ようやく付け入るべき隙を見つけた。
 ほとんど誘導と許可、少しの命令によって立ち回っていた沙理亜が、“要求”を口にしたのだ。
 意図的でさえなければ、これは沙理亜の失策である。
 既に玲子は、沙理亜と同じ立場を獲得しているのだから。
 沙理亜の交渉相手が、再び玲子に戻った。
「それで、パワーバランスは保たれるのですか? これまでの状況から“組織”とカードプリベンターの戦力差は圧倒的にこちらが下であると判断しましたが」
 そして、沙理亜の構想にはこうした罠もある。戦力が劣っている側が対等以上の姿勢で戦力の拡大を主張できる。
 沙理亜が考えた二大組織のシステムに乗っかるというのは、彼女のやり方を認めるのと同義であり、今後への影響は免れないだろう。
 とはいえこの場は、それを最大限に生かすより他にないのも事実だ。
「確かにね。でも、だからこそ任せられないものもある。あれらの力はあなたが考えている以上に、世界の未来を左右しうる“力”がある」
「そんなことを言っていては、いつまでもパワーバランスは釣り合いません」
「釣り合うから言っているのよ。同じ出所のカードは確認できている限りあと1枚あるのだけど、現状ではそれも“そちら側”が保有している」
「な……!?」
 むろん、初耳の情報だった。
「やはり今のあなたたちでは、それらのカードを守るには不足のようね。今後どうなるかは分からないけれど、現状は私たちが預かった方がいいわ」
「……集まることで力を発揮するタイプなら、渡すのは1枚で構わない。違いますか?」
「出所の捜索などは、そちら側の組織が主導で行っているわ。今後は増えたらそちらが手にすればいい」
「そもそも、まだ3枚目の存在を信じたわけではありません。虚偽の可能性がある以上、2枚は渡せませんね」
 3枚目を匂わせた段階で、2枚両方を確保するのは困難になった。
 沙理亜の考えるパワーバランスがどういったものかはまだ見えづらいが、この場での妥協点は1枚ずつの痛み分けが妥当に思える。
 どうやら沙理亜もその点は弁えているらしく、ここで2枚の要求は退けた。
「…………仕方ない、それで手を打ちましょう。ただしカードはこちらが、《スターダスト・ドラゴン》を指定させてもらう」
 沙理亜が1枚で妥協したなら、この要求が来るのは想定していた。
 《スターダスト・ドラゴン》と《ブラックローズ・ドラゴン》。どちらも汎用性の高い特殊能力を持っているが、両者が相対した時、勝つのは《スターダスト・ドラゴン》となる局面が大半だろう。
 だから沙理亜が《スターダスト・ドラゴン》を選択したと考えるのは早計に過ぎるのだが、それ以外の理由を導き出すには、この手の話に関する玲子の知識はまだ到底足りない。
 むしろもう1つの特異な存在に目を付けられず、目当てのカードの確保に走ってくれたのは僥倖だった。
「分かりました。詩奈ちゃん、カードを出してもらえる?」
「は、はい、お姉様。どうぞ、《スターダスト・ドラゴン》のカードです」
 詩奈が両手で《スターダスト・ドラゴン》を玲子に差し出す。
 玲子が2体の特異なシンクロドラゴンの所有者として選んだのは、他ならぬ詩奈だった。
 経歴などに不祥な点はあるが、いざとしての切り札として持たせながらも使用率を抑えるのに、シンクロをほとんど用いない詩奈は適任だった。
 他のデュエリストはシンクロに合わせてデッキそのものを組み替えるケースも多かったが、詩奈のデッキはその特異性から、手をつけることをよしとしなかった。

 “インヴェルズ”。

 詩奈の話によれば空から――そしておそらくは未来から降ってきたカード群。
 どうして詩奈がそれを手にしたかは分からない。
 だが、それを持ったデュエリストが、本来いるべき場所を抜け出して国防軍に参じた。
 そこには超常的なものだろうが、何らかの意味があるのだと玲子は考えていた。

 そして――この状況だ。
 永瀬瑠衣を驚異的な面の皮の厚さで自陣営に引き込もうとしていた永瀬沙里亜が、東屋詩奈を狙っていないわけがない。
 詩奈をスパイと疑いかけたのもそれが理由だった。
 その未知なるデッキゆえ、既に敵の手に落ちている可能性を考慮したのだ。
 デッキの見せてもらったのは、必要なら2枚のドラゴンを回収するため。それと同時に、見張っていたかもしれない内通者に、2体のシンクロドラゴンを回収したと思わせるためでもあった。
 内通者の正体はまだ分からない。当分目立つ動きはさせて来ないだろう。
 その上で、詩菜がまだ手遅れでないのならば、不用意な接触はさせるべきではない。
「……どうぞ」
 玲子自ら沙理亜の方へ歩いていき、『スターダスト・ドラゴン』を手渡す。
 と、沙理亜が顔を近付け、耳元で囁く。
「――東屋詩奈は、預けておくわ」
「――――!?」
 驚いて玲子は咄嗟に沙理亜から飛び退いた。
「さて、撤収するわよ」
 ここでの目的は全て達成したらしく、2人の部下にそう告げる沙理亜。
 対するカードプリベンター側は、まだ話は終わっていないとばかりに追おうとする。
 玲子も、最低限今の言葉の意味だけは糾そうとしたが、下りてきた防火扉に隔てられた。
 ビルの設備があちらに乗っ取られていたことを、今更ながら思い出す。
 こうして、組織は再び闇に姿を消した――――――。



 結論からいえば、沙理亜の手回しは想像以上に深い所まで及んでいた。
 M&Wは今や世界中に浸透しており、それを用いたビジネスも発展してはいるが、だからと言ってそれはあくまでゲームとしての話である。
 しかもそうした中心となるのは営利を争う民間企業であり、闇のデュエルだのモンスターの侵攻だのに対して、足並みが完全に揃うことはない。
 ――――ない、はずだった。
 
 押し寄せるデュエルモンスターとの決戦。焼け野原となったアシュート。オレイカルコスの結界はいつまで経っても突破できず、敵の首領である《ラビエル》を討ったのは国防軍とは別の組織だった。
 M&Wのカードプール増加に従い、次々と増える異次元への扉。このままでは、第二、第三の侵攻が起きないとも限らない。
 そこでM&W関連の企業群が出した結論は、これまで各企業が個別に管理していたデュエリスト傭兵をカードプリベンターに集約させ、それに人員の派遣と資金の提供を行うというものであった。
 早い話がデュエリストの連合軍構想だ。
 このような話は通常、人類共通の敵でも現れなければ容易にはまとまらない――まとまるわけがないのだが、エジプトに出現したデュエルモンスターの悪魔軍は、その時代を先取りし過ぎた条件を満たしてしまっていた。
 その先駆けとして結成されたエジプト特別国防軍は様々な問題を露呈させながら、今後現れる可能性のある脅威に対抗するため、カードプリベンターがそれを引き取り育てていく形で常設のデュエリスト軍となった。
 国防局は戦闘終了後間もなく原型の考古局へと戻ったが、その傍らでデュエリスト軍のエジプト支部として扱われることが決定された。
 
 だが、モンスターによる混乱の終息後、エジプト国内ではアシュート以南を“テロ組織”に奪われ、壊滅的な被害を被ったことにより、軍部、そしてその上に座する独裁政権への非難が集中した。これは後に、アラブの春と呼ばれる中東・アフリカの民主化運動の先駆けになっていくことになる。



 それからさらに半年。
 独裁政権が打倒され、テロ事件に裏で関わっていたとされる考古局も崩壊し、《ダーク・ダイブ・ボンバー》が異例の最速禁止カードとなった頃、王家の谷の次元の穴が開き、2人の少女が第一次元に帰還した――――――。



続く...





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