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製作者:王立魔法図書館さん






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第九話 世界を変える一枚


 事件から二日後の月曜日。
 少年は焦っていた。
「……であるからして、一次方程式の表記方法は主に二通りの書式が用いられんのや」
 ワックスでテカテカになった、まるでイガグリのようなトゲトゲ頭の先生が数学の授業を進める。
 添田先生といって、普段の授業を受け持つ先生の代理らしい。
 もっとも、少年は普段の先生を覚えていないのだが。
(わ、わかんねぇ……)
 とにかく、少年は焦っていた。
 授業の内容は勿論のこと、その理解を助けるために存在するはずのノートが奇天烈な落書きで埋め尽くされているのだ。
 教科書も然り。ミミズの通った後のような奇怪な紋様が、歪な円を描いている。
 その紋様に見覚えがあるような気はするのだが、今はそれどころではない。
(なあ、昔の俺。いったい何考えてたんだよ?)
 少年は記憶喪失だ。以前のことを微塵も思い出せない。
 とは言っても、言葉がわからないわけではないし、足し算や引き算ができなくなってしまったわけでもない。
 土井先生によれば、「宣言的記憶のうちエピソード記憶の想起ができない状態に近い」らしいのだが、少年にとってはさっぱりわけがわからなかった。
 とにかく、生活するに困らないだけの知識はあるし、無くなったものを悔やんでいても仕方が無い、というのが少年の結論だった。
 だったのだが、このノートはおかしい。全く解読できない。
 ノートの面積の大半を占めるのが、古代エジプトの儀式にでも用いられそうなわけのわからない模様である。
 同じ飛び級クラスの女の子二人にされた落書きではなさそうだし、記憶を失う前の自分が書いたのだろう。
 申し訳程度に小さく書いてある数式から、なんとか授業の内容を推測するしかなかった。
「日生君、四十八ページの問題三、答えわかったかぁ〜?」
 妙な関西訛りの混じった添田先生の問いに、彰は答えられない。
 初歩中の初歩の問題らしいのだが、覚えていないものは仕方が無い。
 加減乗除の方法は覚えているのに、不便な記憶喪失だと思う。
 あるいは、記憶を失う前の自分がまともに勉強していなかったのかもしれない。
 ノートと教科書の落書きを見る限り、どうやらそういうことらしかった。
「わかりません……」
「はぁ、こりゃ補習やね」
「そりゃないぜ……」
 少年は、記憶を失う前の自分の不真面目さを呪うのだった。










 秋の夕日が窓から差し込む。
 十海は結った髪を解いて、ベッドの上で膝を抱えていた。緩やかな風が、優しく頬を撫でる。
 寒いわけではない。それなのに、震えが止まらなかった。
(あきら……)
 怖かった。日生 彰の死を完全に受け入れてしまうことが。
 大好きだったあきらを食いつぶして、新しいアキラがのさばっていることが。
 そんなアキラを憎んでしまいそうな自分が。
(このままじゃ、わたし)
 強く、自分の腕を握る。自分を抱きしめるように。
 いなくなってしまった、あきらの温もりを求めるように……。










「まったくもう!」
 三年の学級委員会の仕事場は、小さな教室を更に半分にしたような部屋である。
 長い机を四角形に並べ、その周りにパイプ椅子を置いて座ると、定員は四人か五人だ。
 だが、今その部屋には二人しかいない。
 一人は黙々とプリントの整理をする剣山。もう一人は憤慨中のレイだった。だが、レイは学級委員ではない。
 そもそも、飛び級クラスに学級委員はいないのだ。一般教養の授業以外は高等部として扱われるからである。
「あの扉はどうやっても開かなかったんだから、仕方ないドン」
 ようやくまとめ終わったプリントの端をそろえる。それによれば、十一月には学内で大会があるらしい。
 新型デュエルディスクの試験運用の目的もあるらしく、大会前にホームルームで配布があるようだった。
 だが、頭に血を上らせたレイはそんなことを気にする余裕も無く
「でもさ!」
 ドン、と机を叩いて立ち上がる。剣山がせっかくまとめたプリントはその衝撃でバラバラになってしまった。
「あ、ご、ごめんなさい」
「いや、たいしたことじゃないザウルス」
 仕事のやり直しにはもう慣れてしまっているらしい。
 嫌な顔一つ見せない剣山に、レイはかえって申し訳なく思った。
「でも、確かに不思議だドン。俺達が行ったときは開いてたのに、後になったら閉まってたなんて」
 一昨日の土曜日、剣山とレイは信哉の残したメッセージを頼りに、彰を探してSAL研究所の地下まで行った。
 開かずの間とされていたその場所で倒れている彰を見つけ、剣山が保健室まで運んだのだ。
 学園側は混乱を避けるために一般の生徒達には知らせなかったが、後でスタッフが部屋の調査に乗り出した。
 その時、開かずの間は以前の通りに封印されていたのである。
 鉄の扉はどうしても動かなかったし、更に奇妙なことに開いた形跡すら見られなかった。
 レイが拘束されていた地下も、何一つ証拠となるものが残っていないため、調査はその場で打ち切り。
 東雲も突然退職してしまい、行方がわからなくなってしまった。
 今回の件は不慮の事故、という形で処理されることになったのである。
 当然、レイは納得できなかった。何度も抗議したが、学校側としては、「警戒はするものの、これ以上積極的に動くことは出来ない」という答えしか返ってこなかった。
「あんな状態の十海ちゃん、見てられないよ……」
 あの日以来、十海はずっと部屋で泣いている。
 今日はなんとか授業に出てきたものの、放課後になるとすぐに寮に戻ってしまった。
 おそらく、彰を見ているのが辛いのだろう。
「どうにもならないのかな……」
 自分の無力さを痛感して、吐き捨てるように呟く。
 レイには、脳医学のことはさっぱりわからない。
 彰の記憶を取り戻す方法があるなら手っ取り早いのだが、現状では打つ手なしだった。
「ええと、彰君はどうして記憶喪失になったドン?」
「え?」
 剣山の言った言葉はレイにとって盲点だった。
 そういえば、どうしてだろう。唯一、真実を知るであろう十海は何も話さないままだ。
「原因がわかれば、ひょっとしたら治せるかもしれないザウルス」
「そっか……!」
 レイの顔が明るくなる。やはりこの子はこうでなくちゃ、と剣山も満足そうに笑った。





 その夜。欠け始めた月が空高く昇る頃、七山 十海はSAL研究所の前に立っていた。
 全ての始まりはここである。
 あの日地下で見た、冷たく悲しい存在。あの時、逢魔の声を聞くことが出来ていたら、こうはならなかったかもしれない。
 彰の記憶を奪ったカード。それを作った逢魔なら、何か知っているかもしれない。
 逢魔に会えるとは限らなかったが、それでも十海は、何もしないでじっとしているのが嫌だった。
 じっとしていれば暗闇が恐ろしい孤独感を持ってやってくる。彰の死を、痛感させられる。
 十海は、研究所に入っていく。エレベーターの前に、見慣れた姿があった。
「一人で行くつもりだったの?」
「早乙女、先輩……! それに剣山先輩も!」
「夜中に女の子二人だけじゃあ心配ザウルス」
 十海はさっきまでの自分が恥ずかしくなった。
 彰がいないからと言って、自分は孤独なんかではないのだ。彰は、死んでなどいないのだ。
 胸にこみ上げてくる感覚をなんとか抑え、十海は最大級の笑顔で笑う。
「二人とも、ありがとう」
「さ、行こ!」
 このエレベーターに乗って下におりるのは、もう三回目だった。
 だが、今までのような不安はない。心強い仲間が二人もいるのだから。
 薄暗い世界への扉が開く。今度は不安ではなく、希望への扉だ。
 わずかでも可能性があるなら、今はその可能性を信じたい。
「閉まってるね」
「閉まってるドン」
 目の前にあるのは、硬く閉ざされた鋼の扉。
 十海にはわかった。その扉が、自分に向かって手招きしていることが。
 普通の扉ではなかった。思えば、あの時もそうだった。
 逢魔が必死に思いを伝えようと、自分に向かってきた時、彼女はこの冷たい扉から出てきたのだ。
 物理的世界を超越した、いわば異次元への扉だったのである。
 その扉が、どこへ繋がっているかはわからなかった。
 それでも、十海は恐れない。手を伸ばして、その鋼に触れる。
 瞬間、扉は青白い光を放ち始める。
「な、なにこれ!?」
「なんだドン!?」
 その光は強くなり、十海を、レイを飲み込んでいく。






 その閃光が収まった時、二人はもうそこにはいなかった。
「これはひょっとしてひょっとしなくても……」
 剣山は呆然と立ち尽くす。
「……置いてけぼりザウルス」
 切ない呟きが鉄の扉に吸い込まれていく。
 デュエルアカデミアに来て二年が過ぎた。
 レーザー衛星で地球を滅ぼそうとした連中と戦ったりとか、異世界で先輩がゾンビになったりとか、卒業アルバム委員になったりとかした彼にとって、この程度の不思議な出来事は驚くに値しなかった。
 勿論、消えてしまった二人の心配はするものの、慌てることは全くない。
「君は日生君とのつながりがほとんどありませんでしたからね」
「お前は……!」
 冷静にどうすべきか考えていた剣山に、一つの声が降ってくる。
 振り向くと、そこには長身で黒い教師の制服を着た青年が立っていた。
 剣山はその姿に見覚えがある。あの事件の日、現場にいた一人だ。風貌からして、女子生徒の間で噂になっていた、退職した先生だろう。
 レイからも話を聞いている。衝撃増幅装置でレイを拘束したり、ボウガンで信哉を打ったりと、とにかく、ロクでもない人間らしかった。
「君に、手伝ってほしいことがあるんです」
 レイを苦しめた張本人が、今更現れて何を虫の良いことを、と剣山は憤る。
「今度は何をするつもりザウルス?」
 剣山はすごんで見せた。これでも地元にいた頃は喧嘩に明け暮れた元不良少年、その迫力には自信があった。
 しかし、目の前の東雲は怯まない。まっすぐに剣山の瞳を見つめる。
「日生君の記憶を取り戻す方法が、一つだけあるんです」
 剣山は迷った。
 確かに、目の前にいる相手はレイを苦しめ、信哉を病院送りにした悪いヤツだ。
 だが、事件の全てを知る数少ない人物でもある。
 剣山には、東雲の真剣な眼差しに嘘が隠れているようには思えなかった。
「わかったドン」
「え……?」
 あまりにもあっさり承諾した剣山に、東雲は驚いた様子だった。
「ただし」
 剣山は左腕を前に突き出す。装着されていた機械が展開される。
「お前が信用できる相手だとわかってから、ザウルス」
 デュエルディスクだ。これを突き出したということは、それが意味するのはただ一つ。決闘の申し込みである。
 ソリッド・ヴィジョンシステムが作動し、薄暗い部屋に淡い光が満ちた。
 東雲はしばらく呆気に取られていたが
「ありがとう。全力で戦いますよ」
 剣山の挑戦を受けた。受けなければならないと思った。

「先攻はもらうドン! ドロー!」
 手札を見た剣山が、表情に自信を浮かべる。
俊足のギラザウルスを特殊召喚!
 更に、魔法(マジックカード大進化薬を発ドン!」
 細身の恐竜が剣山の前から飛び出し、そしてすぐに消えた。
「特殊召喚扱いにできるモンスター、ですか」
 通常召喚は、1ターンに1度しか行えない。逆に、特殊召喚は特別な制限がない限り、1ターンのうちに何度も行える。
 剣山はまだ通常召喚を行っていない。
「大進化薬は、モンスター1体を生け贄に捧げることで、3ターンの間恐竜族モンスターを生け贄なしで通常召喚できる!
 出るドン! ダークティラノ!」
 黒い巨体が地下の床を踏み鳴らす。薄暗い地下で尚、力強く輝く黄色い瞳が、ギロリと東雲を睨んだ。
 縦に裂けた瞳孔がスッと細くなる。狩りの始まりだ。
「リバースカードを一枚セットし、ターンエンドン」

 東雲は、目の前にいる少年が不思議な相手だと思った。相手が信用できるかどうか試すのに、デュエルすると言い出すのだ。
 剣山の目は、そこで自分を睨んでいる恐竜と同じ、闘う者の目だった。相手を敬い、尊重し、しかし全身全霊をかけて闘う者の。
 デュエルをすれば、全てがわかる。ぶつかり合えば、相手が何を考え、何を望んでいるのかが、わかる。
 闘う者の目は、音も無く雄弁にそれを物語っていた。なんと強く、気高く、爽やかな瞳だろうと、東雲は思う。
 相手がそのつもりならば、こちらも全力を以って答えねばなるまい。
「私のターン。ドロー!」
 手札と場のモンスターを見て思考する。相手の場には、最上級モンスターが1体。
 しかも、こちらのモンスターが全て守備表示ならば直接攻撃を叩き込んでくる危険で厄介な代物だ。
ワイトを攻撃表示で召喚。リバースカードを二枚セットしてターンエンドです」

ティラノ剣山 LP8000
モンスターゾーンダークティラノ
魔法・罠ゾーン大進化薬、伏せカード×1
手札3枚
大進化薬カウント
東雲 LP8000
モンスターゾーンワイト
魔法・罠ゾーン伏せカード×2
手札3枚

「わ、ワイトぉ?」
 突然現れたひょろひょろの骸骨に拍子抜けしたのか、剣山は素っ頓狂な声を上げた。
 壁モンスターにしては弱小すぎる。ダイレクトアタックが通ろうが通るまいが、大差ない。
 伏せてある二枚のカードは罠かもしれない。だが、そうでなければこれは大きなチャンスだった。
 剣山は、チャンスに賭ける。大進化薬はもう1ターン続くし、伏せカードもある。手札には切り札もいる。
暗黒(ダークドリケラトプスを攻撃表示で召喚! ワイトに攻撃!」
 三本の角と鋭いくちばしを持つ四速歩行の獣が姿を現す。背中には大きな翼があり、一つ羽ばたくだけでその巨体を持ち上げることが出来た。
 獰猛な瞳を赤く光らせ、ゆらゆらと彷徨うガイコツに向かって飛んでいく。
 これが通れば、ダークティラノの攻撃とあわせて4500ものライフポイントを削り取ることができる。
 一瞬、青白い閃光が地下の闇を切り裂いたと思うと、ワイトに突撃した暗黒ドリケラトプスの辺りを中心にソリッド・ヴィジョンの爆発が起こる。
「なん……!?」
 剣山は目を見開いた。攻撃の余波が収まる前に、ダークティラノの姿が砕けて消えてしまったのだ。
 煙が晴れ、そこに立っていたのはボロ切れを纏ったガイコツただ一人。
ジャスティブレイク。自分のフィールドにいる通常モンスターが攻撃対象となった時、フィールド上の効果モンスターを全て破壊するトラップです」
「くっ……。ターンエンドン」
 重量級モンスターで押す剣山にとって、攻撃が通らないことは歯がゆい。
 攻撃を防がれた上、自陣の強力なモンスターを全滅させられてしまえば、焦りが出る。
 東雲の狙いはそれだった。
「リバースカード同姓同名同盟を発動。デッキから2体のワイトを特殊召喚します」
 だが、剣山はデュエルアカデミア最上級生。ラー・イエローに所属していると言っても、その実力はオベリスク・ブルーの生徒にも劣らない。
「ならばこちらも! 狩猟本能発ドン!」
 骨が三人寄ればなんとやら。ゆらゆらと揺れるガイコツが三人、東雲のフィールドに現れる。
 獲物だ。太古の昔、その力であらゆる生物の頂点に君臨した恐竜にとって、それは例え食せなくとも、そこにいるだけで闘うべき対象である。
 剣山の瞳の色が変わった。金色の中に、縦に裂けた真っ黒な瞳孔。
 闘争心の高ぶりが、その目を通して東雲にも伝わってきた。
 東雲にはわかった。人から外れた身だからこそ、わかった。

 この少年は、普通ではない。

 チリチリと、大気が震える。世界が(おそれ、(おののく。かつて地上を支配した暴君の降臨に、この世の森羅万象が畏怖する。
「出るドン! 究極恐獣(アルティメット・ティラノ!」
 黒く輝く鋼の鱗、己の力を誇示する金色の角、長き時を経て今尚、世界を揺るがす究極の存在。地上の覇者(きょうりゅう達の王たる存在が、二本の足を地に付け、咆哮する。
 地響きだった。ソリッド・ヴィジョンに備わっていないはずの大地の揺れが、東雲には感じられた。
 この威圧感でどれだけの決闘者を沈めてきたのだろうか。剣山は、究極の恐竜の降臨にも臆すことなく、悠然と立っていた。まるで、自身が恐竜を統べる存在であるかのように。
 東雲も話には聞いていた。ラー・イエローで一、二を争う決闘者のことを。
 別格だった。今目の前にいる存在は、戦術(タクティクスこそ荒削りなれど、あらゆる闘いに置いて必須とも言える技能(スキルを持っている。
 それは、闘気。対峙する者を押しつぶすほどの、闘争本能。
 牙を剥いた野獣のような――否、彼自身が恐竜の化身であるかのような――凄まじい迫力が、今まで数多の決闘者を(ほふってきたに違いないのだ。
「は……」
 東雲の口から、小さく空気が漏れる。
 恐ろしいとか怖気づいたとか、そんな感情ではなかった。
「はは、はははは……」
 東雲は笑った。自然と、笑わずにはいられなかった。
 たった一手で、ここまで自分が気圧されるとは思っていなかった。
 全力で戦うと誓いながら、心のどこかで、目の前にいる相手を見くびっていたのかもしれない。
 全身が震えた。強大な敵への恐怖からではない。
 今、闘っている、決闘しているという、この状況への喜びに。強大な敵と自分を対峙させてくれるこの美しい世界への讃美に、打ち震えた。
 今まで、全力で闘える状況が、闘いながらもそれを楽しめる状況が果たしてどれだけあっただろう。
 きっと、今ほど美しく、楽しい時間はないのだ。今までも、これからも。
「手札から魔法カードトライアングルパワーを発動します!
 自分のフィールド上に存在するレベル1の通常モンスターの攻撃力が2000ポイント上昇します!」
 ガイコツが三角形の頂点に並び、神秘の力を得る。
「だが、まだ究極恐獣には届かないザウルス!」
「届かせる必要がないとしたら、どうしますか?」
「何……?」
 東雲は高ぶる感覚を抑え切れそうになかった。手札の新たなカードに手をかけ、叫ぶ。
「魔法カードデルタ・アタッカー
 このカードにより、私の場のワイトはあなたに直接攻撃できる!」
 ガイコツ達が、陣形を乱さぬまま剣山に向かっていく。
「おあああッ!」
 鋭い攻撃が三つ、究極の恐竜をすり抜けて剣山に直撃する。

剣山 LP8000→1100

「モンスターを守備表示でセットし、このエンドフェイズにトライアングルパワーの効果によってワイト達は破壊されます」
 東雲はターンの終了を宣言する。この手は逃げではない。
 更なる攻めのための準備だ。

ティラノ剣山 LP1100
モンスターゾーン究極恐獣
魔法・罠ゾーン大進化薬
手札1枚
大進化薬カウント
東雲 LP8000
モンスターゾーン伏せモンスター×1
魔法・罠ゾーン何もなし
手札1枚

「俺のターンザウルス!」
 剣山は惜しげもなく、自身にとって最強である二体の恐竜を並べる。
「大進化薬の効果はまだ続くドン!
 さあ出番だ! 超伝導恐獣(スーパーコンダクターティラノ!」
 全身を金属で覆われた白銀(しろがねの恐竜が、対をなす黒金(くろがねの隣に現れる。
 二頭の咆哮が、大気を震わす。大地を揺るがす。世界を(つんざく。
「行け! 究極に進化した恐竜さんの強さ、思い知るが良いザウルス!」
 黒金が、伏せていたモンスターを叩き潰す。煌びやかに着飾った骨――ワイト夫人――が、一瞬にして砕け散る。
 白銀が、東雲に向かって突進してくる。幻影(ヴィジョンでありながら、その迫力はまるで本当に生きてそこにいるかのようである。
「ぐ、うっ……」

東雲 LP8000→4700

 東雲は爆風に身構える。彰との戦いでは決して見せなかった行為だ。
 所詮は幻影であると、冷めた気持ちで戦っていたからかもしれない。
 否、そうであれば、自分は戦ってすらいなかったのだ。東雲は全身で思考する。闘いを感じる。
 やってきた自分のターン、引いたカード一枚が輝いて見えた。
ワイトキングを攻撃表示で召喚! 僕の墓地にいるワイトは3体。
 更に、ワイト夫人も効果によってワイトとして扱うため、ワイトキングの攻撃力は4000になる!」
 素の自分をさらけ出すのも気にしないで、東雲は闘いを楽しむことにした。
 ガイコツ達の上に立つ、ガイコツの王が、叫ぶ。美しく楽しい闘いに、歓喜の声を上げる。
「超伝導恐獣に攻撃!」
 白骨の王が白銀の恐竜を打ち砕く。

剣山 LP1100→400

ティラノ剣山 LP400
モンスターゾーン究極恐獣
魔法・罠ゾーン何もなし
手札1枚
大進化薬カウント3(終了)
東雲 LP4700
モンスターゾーンワイトキング
魔法・罠ゾーン何もなし
手札1枚

「次のターン、究極恐獣を倒せば僕の勝ちかな」
 ライフポイントや場の状況を見れば、勝利は目前。だが、東雲はここで終わる気がしなかった。
 大進化薬の効果は切れ、対する剣山の手札は2枚。
 そして、究極恐獣の攻撃力は3000。恐竜族で最高クラスの攻撃力を誇るものの、ワイトキングには敵わない。
 このターンでワイトキングを打ち破れなければ、もう東雲の勝ちは決まったようなものだろう。
 しかし、終わらない。東雲はそう思った。終わってほしくないのではなく、直感的にまだ終わらないと思った。
 そう思わせるだけの気迫が、剣山にはあるのだ。
「一枚ドローする度に、世界が変わっていく」
 歌うように。剣山は、かつて自らの尊敬する決闘者から学んだ言葉を紡ぐ。
 たったの一枚で、闘いはどちらにも転ぶ。勝利と敗北は常に背中合わせで、カードという可能性がある限り確定し得ない。
 だから、楽しい。
 そして、この状況でそう言えるということは、剣山の引いたカードは戦況を覆しうるものだということでもある。
「装備魔法巨大化! これで究極恐獣の攻撃力は6000! 吼えろ!
 アルティメット・ギガンティック・バイト!」
 タダでさえ巨大な黒金の恐竜が、その姿を更に大きくする。身の丈は地下の天井をぶち破るほどの高さに達し、強靭な肉体はまさに地上の覇者、王者たるに相応しい姿となった。
 白骨の王を、その強大な力を持って一瞬のうちに屠り去る。

東雲 LP4700→2700

「リバースカードを一枚セット。ターンエンドン」
「僕のターン。ドロー! 守備モンスターをセットしてターン終了です」
 これは逃げではない。賭けだ。
 次のターン、攻撃される前にこのモンスターを除去されれば敗北する。それでも、東雲はこの一枚の可能性に賭けたかった。

ティラノ剣山 LP400
モンスターゾーン究極恐獣
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札0枚
東雲 LP2700
モンスターゾーン伏せモンスター×1
魔法・罠ゾーン何もなし
手札1枚

「究極恐獣で攻撃!」
「この瞬間、魔導雑貨商人の効果発動!
 デッキをめくり、一番最初に出た魔法・罠カードを手札に加え、それ以外を墓地へ送る!」
 賭けは成功だった。今墓地にいるワイト、ワイト夫人、ワイトキングは合計で5体。更に、この効果によって2体が墓地へ送られたのだ。
「リバースカードを一枚セットし、ターンエンドン」
「僕のターン。ドロー!」
 東雲は、友の言葉を思い出す。
『百パーセント勝てるヤツなんかいねェよ。決闘は綱渡りの連続だ』
 その通りだ。だから決闘は楽しいし、美しい。
 相手の場には伏せカードが二枚。普段ならば警戒して思考時間が長くなるが、今は違う。
 勝利と敗北を分かつ瞬間に向かうための、自分の持てる最高の手が、はっきりと見えた。
「永続魔法生還の宝札を発動!
 墓地からの特殊召喚に成功するたび、僕はデッキからカードを一枚ドローできる!
 そして、更に手札から生者(せいじゃの書−禁断の呪術−を発動する!
 蘇れ、ワイトキング!」
 分厚い禁断の魔導書を食い破って、再び白骨の王が姿を現す。
「攻撃力6000……! まさか相打ちする気だドン!?」
「いいや、そのデカブツと心中する気はないね!
 光学迷彩アーマーをワイトキングに装備!
 これでワイトキングは、君に直接攻撃できる!」
 白骨の王者が纏う鎧は、その姿を不可視にする。
 この直接攻撃が決まれば、東雲の勝ちが決まる。
「リバース罠発ドン! 立ちはだかる強敵
 これでワイトキングは、究極恐獣に攻撃しなければならないザウルス」
 東雲は再び、強烈な地響きを感じた。究極の覇者が、立ちはだかる。
「まさか……!?」
「いや、俺も相打ちする気なんて毛頭ないドン。速攻魔法突進!」
 見えざる敵に向かって、しかしその気配を確実に捉えた究極の恐竜が、向かっていく。
 天井を貫くほどの巨体を以って、向かってくる白骨の王を押しつぶす。

東雲 LP2700→2000

「モンスターを守備表示でセットし、ターンエンドです」

ティラノ剣山 LP400
モンスターゾーン究極恐獣
魔法・罠ゾーン何もなし
手札0枚
東雲 LP2000
モンスターゾーン伏せモンスター×1
魔法・罠ゾーン何もなし
手札0枚

「一枚のドローで世界が変わる」
 歌うように。今度は東雲がその言葉を放った。
「僕が生還の宝札の効果でドローしたこのモンスター。いったい何だと思う?」
 互いに手札は残っていない。
 フィールドにいるのは、東雲が伏せたモンスターと、究極の恐竜だけである。
 東雲のモンスターは、世界を変える一枚だ。彼の口調にはそれがはっきりと現れていた。
「あぁ。このターン俺が引くカードで、勝敗が決まる。ワクワクするドン!」
 剣山は笑っていた。勝利と敗北の狭間で、その中で揺れ動く世界に翻弄されながらも。
 全く予測のできない結末を、闘いの先にある世界を想像して、笑っていた。
「俺がドローしたのは……『守備』封じ!」
「な……ッ!?」
 その、世界を決定する一枚は、惜しげもなく発動される。
 東雲の場にいたピラミッド・タートルが守りの体勢を解除し、出現する。
「リバース効果モンスターかリクルーター、どっちかだと思ってたザウルス」
 東雲は驚きのあまり、言葉を失った。最後の最後で、剣山は賭けに出たのだ。
 そして、見事に勝利をつかみとって見せた。
「さあ、これで終わりだドン! アルティメット・ギガンティック・バイト!」
 地下に、闘いの終わりを告げる炸裂音が響き渡った。




第十話 逢魔の追憶


 一人の記憶が奪われ、一人の誓いが折れたすぐ後。
 フラフラと、地に足がついている感覚すらなく、時折足をもつれさせて壁にぶつかりながら、歩いていた。
 ここが研究所なのは知っていたが、どちらが出口なのか、自分が今どこに向かっているのかすらもわからずに、ただ歩いていた。歩かずにはいられなかった。
 立ち止まっていると、何か得体の知れないものが自分の一番大事なところを喰らいつくしてしまいそうだった。
(僕が、間違って……)
 今まで壊れた心を支えてくれた唯一の存在が、自分を否定した。支えを失った心は堕ちていくばかり。
 ゆらゆらと蹴躓きながら、階段があれば登り、明かりのある部屋を探した。真昼間だというのに、この建物の中は暗い。
 確か、かつての友がこの建物に出入りしていたはずだと思い、しかしそこでうずくまった。
「う、げ、が……」
 吐き気。ここに来て、まだ誰かに甘えるのかと思うと、そんな自分に吐き気がした。
 仲間はもう二人も犠牲にした。ここに出入りしている友も、さっき足止めしてきたばかりではないか。
 ゆらゆらと、視界が地震のように揺れ、頭の中に鉛の球でも入っているように、ガランガランと自分を食い破る嫌な音が聞こえた。灰色の壁についた手には、冷たくて不快な汗がまとわりついていた。
「が、あ、げ、ぇええ……」
 内臓も肉も血も、自分の中にある全てを吐き出したかった。口から出てくるのは醜い魔物のような声と嫌な湿気を帯びた吐息だけ。咳き込もうにも喉に粘ついた何かが張り付いて許さない。
 胸をかきむしって切り開き、そこから全ての臓物を一つ一つ手でつかんで取り出して、握りつぶしたかった。
 一年。それだけの時間をかけて、全てを犠牲にしてきた。仲間を陥れ、友を欺き、最後に一人の少年の全てを奪い、あらゆるものを喰らってきた。
 それは、たったの一秒で。悲しそうに首を横に振る姉によって、全て壊された。否定された。
 一番会いたかった存在に、唯一自分を支えてくれた存在に、全てが徒労に終わったのだと。目的を達することなど、最初からできなかったのだと告げられた。
 逢魔を、姉を取り戻したかっただけなのに。二人で生きていきたかっただけなのに。
 なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで。
 自責か憤怒か憎悪か後悔か、あるいはその全てが混ざり合い、混沌とした感情を作り上げたのか。
 気を抜けばそれに身を任せてしまいそうになる自分が恐ろしかった。そうしてしまえば、もう戻れなくなってしまう気がした。
「大丈夫ですか?」
 穏やかな声に、耳を傾けるのが精一杯だった。立ち上がればおそらく自分と同じくらいの背丈の青年が、うずくまる自分に視線を合わせるようにしゃがみこんで、覗き込んでくる。
「僕に、関わらないでくれ……ッ」
 砕けそうな意識の中で発したその言葉は、声になっていたかどうか自分でもわからなかった。わからなかったが、そう言わずにはいられなかった。
 これ以上誰かに関わると、自分が粉々になってしまいそうだった。壊れた挙句、その誰かすらも破壊してしまいそうだった。
「だけど、凄く辛そうだ」
 声の主は構わずに続ける。
「来るなッ!」
 彼が肩に置いた手を弾こうとして、逆に手首がつかまれてしまう。見かけによらず、力は強かった。
 よく見ると、目立たないが筋肉はそれなりについている。
「息を吸って」
 宥めるように。声の主は静かに、囁いた。拡散する意識を集中させる心強い力が篭っていた。
 無意識のうちに意識が動かされる。おそらく深呼吸させようというのだろうが、自分が上手く息が吸えているかすら、東雲にはわからなかった。
 わからないが、吸うことに意識を集中させられた。取り込まれた酸素が体中に行き渡り、堂々巡り(ループを繰り返して加熱した思考を覚ましていく。
「そのまま吐いてください」
 片方の手は脈を測るように手首を優しくつかみ、もう片方の手は安心させるように肩に置き、彼は囁くような声で続けた。
 東雲は彼に不思議な力を感じた。自分や姉の持っていた呪わしい力ではなく、もっと眩しい、穏やかな力。
 安らぎを与えるその声のおかげか、東雲の呼吸はだいぶ落ち着いてきた。暗黒の思考から完全に抜け切ったわけではないが、先ほどよりは冷静になれていた。
「どうして、見ず知らずの僕を……?」
 呪われた力に振り回され、世界の冷酷さを知った東雲からすれば考えられないことだった。
 仲間を、友を裏切った愚か者に対して、優しさを持てる人間の存在が。
「かつての僕と同じ目をしていたから……」
 青年は藤原優介と名乗った。その瞳は真剣そのもので、その声は穏やかでありながら独特の重みを帯びていた。
 すっと、手首と肩が解放され、目の前に手が差し出される。東雲は、何の真似かと思った。
「僕にあなたの優しさを受ける資格はない」
「そうですか」
 一瞬、寂しそうに表情を翳らせるが、藤原はすぐに手を引いた。
 東雲を目を閉じた。閉じることができた。先ほどまでならば、逢魔の悲しい表情を思い出してしまうことを恐れ、渇く目も構わず瞬きすら出来なかっただろう。
 目を閉じて自分を制するだけの冷静さを取り戻した。それすらも目の前の青年が与えてくれたものだが、これ以上甘えるわけにはいかない。
 藤原は立ち上がり、東雲に背を向ける。真っ直ぐに伸びた背中は大きく、力強い。
「一つだけ、言わせてください」
 かつての己を悔いるように。越えてきた者の重みを乗せた言葉が、その口から放たれる。
「あなたに望みがあるように、他の全ての人にも願いがある。勿論、あなたが大切に思う人にも」
 東雲は心臓の音がはっきりと聞こえる気がした。自分の中にそんな暖かな鼓動があったことに、気付かされた。
 藤原の言葉が、かつて姉と共に、友と肩を並べて、仲間と笑いあっていた自分の記憶を呼び覚ます。
「だから、悩んだら誰かを頼って良い。転んだら手を差し伸べてほしいと叫べば良い。足を挫けば肩を貸してもらっても、良いんです」
 その言葉は、深く鋭く、東雲の奥底に眠る感情を突き刺して、引き出す。
 全身の力が抜けていく感覚。今までにない解放感が、東雲を包み込んだ。
 あの日、逃げるために走らなければならなかったあの時から、世界には自分と逢魔の二人しかいなくて。
 望みも願いも誓いも、全ては二人だけのものだった。それ以外は、全て妨げに過ぎなかった。
 仲間が、友が自分達二人を救えたかと問われて、首を縦に振ることは絶対に出来なかった。
 だけど、違ったのだ。仲間も友も、笑って手を差し伸べてくれたはずだ。
 頼って、良かったのだ。自分から絶望して裏切ったのは、全部間違いだったのだ。
 素直にそう思うことが出来た。自分が歪んでいることくらいはわかっていたが、ようやくそれを認めることができた。
 自分に自分の行動の正しさを無理やり言い聞かせる日々から、解放された。なんだか清々しい気分だった。
「藤原さん、でしたか」
 壁に手をつきながら、震える足に力を込めて、立ち上がる。
「ありがとう」
 呼吸はすっかり落ち着いた。思考も冴え渡る。目を開いて、まっすぐ前を見ることが出来る。
「どういたしまして」
 かつて闇に飲まれた青年は日常の世界へ、闇に飲まれそうだった青年は非日常の世界へ。それぞれ正反対の方向へ歩みを進めていく。
 もう二人は振り返らない。





「遅くなっちゃったね」
 開かずの間の鉄の扉の前で、東雲は静かに呟く。
 冷たい鋼鉄の扉を、撫でる。青白い光と共に、世界が扉の奥に吸い込まれるようにして景色が変わった。
 何もない簡素な部屋。台座に安置された三枚のカード。
 その三枚の中には、それぞれ一人の記憶が詰まっている。何物にも代えられない、かけがえの無いものが。
「聞こえてるんだろ、姉さん」
 姿を見せてくれなくても良い。ただ、ようやく気付いたのだと、伝えたかった。
 今までずっと傍にいた存在に。自分を見てくれていた存在に。
 自分の覚悟を、伝えたかった。自分が奪った記憶を解放するための、大きな賭けに出る覚悟を。
 その想いは、届いたのか届かなかったのか。今はまだ、わからない。

 たった今、逢魔がエクスベルの内側に二人の少女を招いたという事実以外は、わからない。





 力ある者の保護を目的とした組織『セイバー』の本拠地は、山奥にひっそりと建っていました。
 その古びた洋館の中に住んでいたのは私達姉弟を含めて四人。
 総帥が毎日ここへ来るのと、たまに山を登ってまで遊びに来る人が一人いるので、六人の家族のようなものでした。
 精霊を見る力、精霊を見せる力……。一人の例外はいましたが、それぞれが様々な形で、科学で計ることの出来ない不思議な力を有していました。
 私はその中でも特に大きな力を持っていました。
「姉さん、あんまり根を詰めるのは良くないよ」
「ありがとう。でも、もうすぐできるから」
 東雲(おとうとは仕事が終わるとすぐに私に会いに来てくれました。
 私が部屋に篭ってあのカードを作っていることを知っていたからです。
 力という呪いから逃れるための、あのカードを……。

 力は呪いです。こんなものを持ってしまったから、私も弟も不幸になったのです。
 『セイバー』に保護される前は、思い出したくもありません。地獄のような日々でした。陽の光の当たらない、薄暗い路地でうずくまり、冷たい視線と冬の寒さと、奴らから逃れるだけの毎日。
 大いなる力は、醜い欲望を惹きつけます。責任を知らぬ欲望に支配されてしまえば、力は単なる災厄に過ぎません。
 だから、私はあのカードを作ったのです。三枚の、力を喰らうカードを。

 それはついに完成しました。
 魔法陣の中で、正しく配置されたその三枚は私の力を受けて世界で最も貪欲な呪いへと姿を変えたのです。
 力という呪いが生み出すモノは、更なる呪いでしかありませんでした。
 力もろとも、記憶までも喰らってしまうカードになってしまったのです。
 私はこの三枚を制御すべく、ある一枚のカードを作りました。
 記憶の番人(エクスベル。それがそのカードの、精霊の名前です。
 三枚のカードによって封じられた力や記憶、あるいは冥界へ帰る魂をこの世につなぎとめておく、最も強大な力を持つ精霊です。
 とりあえず、三枚の危険なカードを抑える術は完成しました。しかし、肝心の呪いから逃れる手段が見つかりません。
「焦らなくて良いよ」
 弟はそう言ってくれますが、私の焦りが消えることはありませんでした。いつかこの幸せな時間が終わってしまうのではないかという焦りは、私の奥底にしっかりと根を張っていたのです。

 根は養分を瞬く間に蓄え、芽が出て果実が出来るまで――終わりがやってくるまで――そう時間はかかりませんでした。奴らが来たのです。
「ここはなんとかするから早く逃げろ!」
 『セイバー』にいて唯一、力を持たない青年が叫びます。
「じゃあ君はどうするんだ!」
「心配すンな。俺にゃ非ィ科学的な力なんかねェからな」
 私達を安心させるように人懐こく笑うと、***さんは奴らのいる方へ走り出します。
 恐怖に怯えてしまった私の手を引いてくれたのは弟でした。
 走りながら、私は耳を塞ぎたくて仕方がありませんでした。
 激しい雨の音を突き抜けて、雷が落ちるみたいに、聞こえてくる気がしたのです。
 地獄の日々に裏路地で聞いた残酷な音が。人を、希望を踏みにじる悪魔の靴音が。
 山の中を走っているのに、にごった水を踏んで跳ねさせる水音しか聞こえないはずなのに、冷たいアスファルトを鳴らす不快な音が頭の中で響きました。
 世界の終わりを告げるために、死神が歩いてくる足音が鳴ります。走っても走っても、それは同じペースで近づいてきました。
 砂時計が全て落ちてしまう瞬間のように、終わりは唐突にやってきました。
「姉さん危ない!」
 視界が回転して、弟が私に覆いかぶさっているのがわかりました。その上から、土砂が全てを押しつぶそうとするのも。
 時間の流れが酷くゆっくりと感じられました。
 その流れの中で、私は確かに願ってしまったのです。

 エクスベルを使ってでも、東雲をこの世に留めておきたい、と。

 濁りきった土砂に飲まれて、二人とも死にました。けれど、エクスベルがその魂を現世につなぎとめたのです。
 魂が残されていても、それが肉体に宿れるかどうかはわかりませんでした。
 エクスベルに願った代償として私は肉体を失い、東雲の魂だけが元の体に戻りました。
 互いが互いを支えて生きてきた私達にとって、その離別がどれだけ苦しいことだったかわかりますか?
 エクスベルの内側に封じ込められた私の魂は、ただカードの中から壊れていく東雲を見ることしか許されません。
 声を届けることも、想いを伝えることも叶わない。自分のためにあらゆる手段を用いて手を汚していく東雲を、止めることが出来ない。
 悪夢でした。『セイバー』にいた二人の仲間の記憶を、私の作った呪いが奪い去り、優しい東雲の心さえも、私の呪いが侵食していったのです。
 東雲が私だけを見てくれるのは、私にとってはずっと望んできたことでもあります。でも、東雲が壊れていくその過程を見せられるのは、私にとって苦痛以外の何者でもありませんでした。
 一年という時間をかけてゆっくりと、東雲の心はエクスベルという闇に食いつぶされていったのです。目を閉じるたびに仲間を裏切る悪夢にうなされ、東雲の中に巣食った暗黒(エクスベルが囁くのです。お前の望みは何だ、と。それを叶えるためには、あらゆる物を犠牲にする必要がある、と。
 全ての元凶たる私に、それを止める力はありませんでした。自分の力をこれほど呪わしいと思ったことはありません。弟をここまで壊してしまえる力なのに、弟一人救うことが出来ない。
 そして私は、彰君の強い力を借りて、やっと外側へ意思を伝えることが出来たのです。


 だから、お願いします。東雲をあまり責めないでください。
 全ては私の歪んだ願いから始まったことですから……。





 欠けた月が傾き始めた頃、二人の青年が森からレッド寮へ向かって歩いていた。
 一人は黒い制服の元教師、東雲。もう一人は制服の袖をはずしたラー・イエローの生徒、剣山。
 剣山は成人男性の平均ほどの身長がある。にもかかわらず、東雲は更に長身だった。
 長い袖から出た手は細く、夜空の星々を見上げる横顔は、剣山にはなんだかとても儚く見えた。
 月明かりのせいだろうか。先ほど全力で闘ったときは、こんなことを感じさせないくらいに力強い声と目をしていたのに。
「どうしてだい?」
 星を数えるように上を見つめたまま、東雲が問う。
「どうして、僕を信じてくれるんだい?」
 当人としても意外だったのだろう。周囲の人間をことごとく傷つけてきたのだ。
 事件後から行方をくらませ、今更ノコノコ現れて改心したから許してくださいでは虫が良すぎる。
 信じてもらえたのにどこか納得できない様子の東雲に、剣山はさして深く考えるまでもなく答えた。
「なんとなく、ザウルス」
 彼にとってこれは考えるまでもない問題だった。何故なら、先のデュエルで東雲の人となり、そして覚悟を把握したからだ。
 信じてもらえないかもしれない。東雲だって最初はそのくらいわかっていたはずだ。
 それでも、ああする以外の方法がなかった。どうにかして、自分のしてしまったことの後始末が付けたかったが、それには誰かを頼る以外になかったのだろう。
 その願いを剣山が「自業自得だ」と言って切り捨ててしまっても、東雲は何らかの行動を起こしたはずだ。
 そして、その行動の結果は剣山が手を貸した場合よりも良くないに違いない。
 この状況で誰かを頼る行為は、勇気があると思った。
「悪者が悪者であり続けなくちゃいけないなんて決まりは、どこにもないザウルス」
 迷い無くそう言うことが出来た。おそらくはレッド寮にいたあの男の影響だろう。
 どんな相手でも、心を通じ合わせるために闘いを挑み続けた、剣山が世界で一番尊敬する決闘者の。
「……ありがとう」
 東雲の表情が和らぐ。森を抜けて二つの寮を通り過ぎると、他の二つに比べて質素なつくりのレッド寮が見えてきた。
「で、何を手伝えばいいドン?」
 東雲は目を細める。遠くを、月や明るく輝く星々に隠れ、見えなくなってしまった小さな星を見るように。
「僕と日生君のデュエルを、見届けてほしい」
 これが最後になるとでも言わんばかりに。悲愴と覚悟の入り混じった声は、夜の静寂の中に確かに響いた。
 剣山がその意味を問いただす前に、東雲は説明を始める。
「エクスベル、という名前の精霊がいるんだ」





 十海は、レイの声で目覚めた。
 あの光からどのくらいの時間が経ったかはわからなかった。
 あの悲しげな声は随分長い夢だったようにも感じるし、そうでなかったのかもしれない。
 十海は目を開けようとして、しかしできなかった。まだあの光が続いているのか、眩しい。
 ゆっくり、飛び込んでくる光の量を調整しながら目を開けていく。十海が周囲の違和感に気付くのに、そう時間はかからなかった。
 視界の様子が、地下と全く違う。光に慣れさせ、目を開く。
 狭く暗い陰鬱とした空間ではなく、開けた明るい世界が広がっていた。
 あの青白い光が続いているわけではなかったらしい。ごく自然な明かりで、しかし違和感の残る場所だった。
 決闘場。最新設備を整えたデュエルアカデミアの誇る巨大ドームに、十海とレイはいた。二つのフィールドの前には、誰も立っていない。違和感の正体は、普段は人で溢れかえるはずのこの場所に彼女達以外誰もいないことだろう。普段の熱気が無く、喧騒も無い。
 十海は胸に小さな痛みを感じた。決闘場の真ん中に、自分の記憶の中に焼きついたあの眩しい笑顔が、いない。
 その寂しさを、そっと胸に押し込める。今は自分達をここに呼んだ存在と話さなければならない。
 見回すまでもなく、その存在は見つかった。あの日会ったときとは少し違う姿だったけれど。
「お待ちしていました」
 レイは案外すんなりとその存在を受け入れた。
 その容姿に、思わず「綺麗……」と呟いてしまうくらいだったから、驚くというよりもむしろ彼女に見とれていたのだろう。
 美麗で細い頬のライン、大きい目と、流れるようなブロンドの髪が、同性さえも魅了した。
 当の本人は少し照れているようだったが、すぐに自己紹介した。
 十海はある違和感に気がついた。自分達をここに呼んだ存在――逢魔――の姿が半透明ではない。しかも、レイにも見えているらしい。
 逢魔の話によれば、ここはそういう世界なのだそうだ。彰の記憶を元にエクスベルの内側に作られた世界で、剣山がここに入れなかったのは彰の記憶の中に彼がいなかったからだという。言われてみれば、剣山の姿が見当たらない。
 そして、眠っている間に見せられた悲しい追憶、聞こえてきた声は、彼女のものらしい。
「じゃあ、あの夢は逢魔さんの記憶だったんだ」
「随分、飲み込みが速いんですね」
 少しもうろたえることなく事態を理解するレイに、逢魔は驚いた様子だった。
 それは十海も同じで、どうして力を持たないレイが常識から外れたこの世界を見ても動じないのか不思議だった。
 十海とレイの二人が同じ夢を見ていた奇妙な事実すらもあっさりと受け入れている。
「まあ、色々あったからね」
 学園ごと異世界に言ったり友人が帝国を作るなどと言い始めたり更にその友人が光り輝く左腕でリアル地砕きを披露したり剣山と共に卒業アルバム委員になったりと、レイもそれなりに珍妙な体験をしたことがある。
 今更、夢の一つや二つで慌てふためくようなことはない。
「まあ、理解してくださるならそれに越したことはありません」
 逢魔は記憶のカード、エクスベル、そして彰の記憶に関する説明を始めた。
「まず、人にはそれぞれ固有の力の紋様があり……」

 十秒後。
 レイは頭を抱えた。さっぱりわからない。
 実際に目の当たりにした現象ならそれを受け入れることはできる。だけど、言葉だけの説明は無理だ。
 板書がない分、化学の授業よりもわけがわからない。
「自動書記能力の備わった羽根ペンを持つことで誰もがその紋様を描けるように……」
「ちょ、ちょっとたんま!」
「はい?」
 長々と説明を続ける逢魔の話を、とりあえず遮っておく。わからないまま聞き続けたところで、その中に求める情報があったとしても意味がない。
「えっと、逢魔さん、ボク達をここに呼んだのはどうして?」
 理解可能な形で、しかも、必要な情報だけを引き出さなければならない。
 十海は元々、逢魔に会うことを期待していたようだが、レイはそうではない。十海の元気の源――日生 彰――の記憶を取り戻す方法を探しに来たのだ。
 勿論、最終的な目的は十海も同じだ。なら、あまり長い話を聞いても得にはならない。

「お二人に、お願いがあるんです。これは彰君の記憶を取り戻すことにもつながります」
 十海の目が見開かれる。あまりにもあっさりとしていたが、彰の記憶を取り戻す糸口が見つかった。
 はやる気持ちを押さえ、逢魔の言葉を待つ。
「エクスベルの中に記憶を封じられたのは、彰君を含めて三人です」
 十海はあの日見たカードを思い出した。確かに、彰が書き込んだものを含めて三枚のカードが置かれていた。
 そのうち二枚が既に誰か別の二人の記憶を奪っていたのだろう。
「彰君以外の二人の記憶を解放してほしいのです」
 逢魔がそう言うと、人の形をした黒い影が二つ、デュエルフィールドの前に現れた。
 あれとデュエルをしろということらしい。
「彰君の記憶は、彰君自身がエクスベルを打ち破らなければ戻りません。
 ですが、内側から二人の記憶を解放すれば、エクスベルの力は弱まります」
 神にも追いすがるほどの力を秘めたエクスベル。それを打ち破るための必要な力は、とても一人の人間が持てるようなものではない。
 だが、三人。つまり、彰に加えて十海、レイの二人の力を合わせれば、話は変わってくる。
 決闘により力を支配する、すなわち勝利すること。これがエクスベルを打ち破るための必要条件だと、逢魔は言った。
 あの二つの影を倒せば、エクスベルの力を弱めることができる。彰の記憶を取り戻す大きな手助けになる。
 逆に、敗北すればエクスベルに力を与えてしまう。それだけ、彰にかかる負担が大きくなる。
 負けることの許されない、厳しい闘いだ。だけど、
「わかりました」
 十海は迷わない。それから、少し不安げにレイのほうを見るが、レイは優しく笑いかけてくれた。
「要するに、デュエルして勝てば良いんだね。わっかりやすい!」
「先輩……」
 本当に頼もしい笑顔だった。この人に背中を任せれば、どこまででも戦える気がした。

 力強い笑顔で決闘場に立つ二人を、逢魔は優しく見つめていた。どこか懐かしい景色を見るように。
「ありがとう……」
 逢魔が小さく呟いた言葉は、二人には届かなかった。



第十一話 奪われたミスティック・ドラゴン デッキ破壊が壊れる時


 レイは少し緊張していた。と言っても、この特異な世界に慣れないからではない。
 後輩の前で胸を張った手前、それに恥じない戦いをせねばならない。
 しかも、この戦いに誰かの記憶がかかっているらしいのだ。逢魔によれば、彰の記憶が戻るかどうかにも大きく関わってくる。
 全力で戦う、という経験があっても、負けることが許されない戦いは初めてだ。
 勿論、今更怖気づくわけにもいかない。デッキをシャッフルしながら、フィールドをはさんだ向こう側にいる真っ黒い影を見た。
 形は人のそれである。つばの短い帽子を被っているようだった。小さいリボンのような突起がてっぺんについている。
 足首が見えるか見えないかのあたりまでの丈の長いコートを着ているらしかった。らしい、としか言えないのは、その姿が丸ごと真っ黒いシルエットだからだ。
 不思議な既視感だった。どこかで記号的にその姿を見た気がしたのだが、思い出せない。
 ディスクにデッキをセットし、起動させる。ブゥン、というソリッド・ヴィジョン独特の起動音が響いた。
 隣のフィールドでは、十海が同じく別の影と対峙している。その決意に満ちた横顔をチラリとだけ見て、レイも前を向いた。
(人外とデュエルするのは初めてだけど、なんとかなるよね!)
 影も静かに構える。黒い影の腕は細かった。

 先攻は黒い影。
「私のターン。ドロー!」
「……え?」
 レイは思わず声に出してしまった。真っ黒い影のその姿に似合わず、声は明るく弾んだものだったからだ。
 その快活さの中に、曇りは一点もない。自分とそう変わらないくらいの女の子の声である。
「ターンエンド!」
「……え?」
 黒い影は何もしないまま、元気にターンの終了を宣言した。そのアンバランスさと奇妙な戦術に、レイの調子が狂わされる。
 カードをドローするだけで何もしない。この戦術には見覚えがある。異世界でヨハンと戦った沈黙の仮面だ。
(確かあれは、墓地や手札で誘発する魔法カードに頼ったフィールドコントロールとバーン)
 モンスターを召喚し、最初は優位に立つことが出来ても、準備さえ整ってしまえば非常に強力な制圧力を発揮する。
 勿論レイは、相手がそれ以外の戦術を使用してくる可能性についても考えていた。
(そうでなければゴーズかな。厄介なモンスターだし、採用率は低くない)
 本来、ドローゴーはデュエルモンスターズにおいてめったに取られる戦術ではない。
 デッキのバランスが悪いか、手札・墓地から誘発するカードを使う戦術を用いるしかないのだ。そして、それらの誘発カードは数千とも数万とも言われる種類のカードの中でほんの一握りである。
 その中で採用率が高いと言われるのが、冥府の使者ゴーズと、信哉の使っていた紫光の宣告者である。
 ゴーズは特に攻撃力とトークン生成能力が厄介だが、レイのデッキはそもそも、相手が攻めてくることを前提として構成されている。
 この状況で高攻撃力のモンスターを出されることは問題ではない。力で押してくるならば、その力を絡め取ってしまえば良いのだ。
シャインエンジェルを攻撃表示で召喚! ダイレクトアタック!」
 大きな羽を生やし、人の姿をした天使がレイのフィールドに舞い降りる。

黒い影 LP8000→6600

 結果は、予想通りだった。
「手札から冥府の使者ゴーズを特殊召喚! カイエントークンも攻撃表示!」
 赤い髪の暗黒騎士が、黒い影の前に悠然と立つ。両腕の篭手には鋭いブレードが装着されていて、腰には血の紅を連想させるマントが広がり、鈍い銀の輝きを放つ大剣が携えられている。
 白い炎を上げて、黒い軽量な鎧に身を包んだ悪魔の剣士が立ちはだかる。傍らには同じ色の剣を握った女騎士が控える。
 轟、と強い鬼気が吹き付けてくるのがわかった。だが、レイは怖れない。
 相手の破壊力があればあるほど、レイにとっては逆転の可能性も大きいのだ。
「リバースカードを2枚セット! ターンエンド!」

黒い影 LP6600
モンスターゾーン冥府の使者ゴーズ、冥府の使者カイエントークン
魔法・罠ゾーン何もなし
手札5枚
早乙女 レイ LP8000
モンスターゾーンシャインエンジェル
魔法・罠ゾーン伏せカード×2
手札3枚

「私のターン。ドロー!」
 パキリ、と、薄いガラスが割れるような奇妙な音がした。
 よく見ると、黒い影の口元(と思われる場所)に小さな亀裂が入っている。
 しかし、黒い影がそれを気にする様子はない。
「カイエントークンを生け贄に、モンスターゲートを発動!」
 突如、空間に円形の穴が出現する。その穴がフィールドにいた女騎士を飲み込み、何かを吐き出そうとする。
「罠カード八式対魔法多重結界
 手札のメテオ・ストライクを捨ててモンスターゲートを無効にするよ!」
 蒼い結界に覆われ、ゲートが消滅する。レイはひとまず安堵の溜息をついた。
 流石に上級モンスターを何匹も並べられては分が悪いし、墓地肥やしをされても不利になる可能性がある。
「ゴーズでシャインエンジェルに攻撃!」
 ゴーズは大剣を引き抜く。跳躍。シャインエンジェルの前まで来るのに、秒を数える暇もない。
 振るわれた剣は、いとも容易く天使を上下に両断する。
 天使が砕かれ、その余波でレイはダメージを……受けない。
スピリットバリアを発動したよ! 更に、シャインエンジェルの効果により、デッキから2体目のシャインエンジェルを特殊召喚!」
 切り伏せられたのと同じ姿をした天使が、レイと悪魔の剣士の間に立つ。
「モンスターを守備表示でセットしてターンエンド!」
 影は、魔法や罠を伏せてこない。手札にないのか、それともそもそもデッキにないのか。
 レイは迷ったが、とりあえずあの伏せモンスターを攻撃することにした。
 モンスターゲートを使うほど上級モンスターを採用しているのなら、相手にモンスターの大量展開を許すのは危険だ。
「シャインエンジェルで伏せモンスターを攻撃!」
 だが、それが仇となった。
ダンディライオンの効果発動! 綿毛トークンを2体特殊召喚する!」
 モンスターを減らすつもりが、返って生け贄要員を増やしてしまう結果になったのだ。
「リバースカードを1枚セットしてターンエンド」
 だが、慌てることは無い。最上級モンスターの召喚を許しても、その攻撃を捌いて勝利するだけのカードが、こちらにはある。

黒い影 LP6600
モンスターゾーン冥府の使者ゴーズ、綿毛トークン×2
魔法・罠ゾーン何もなし
手札4枚
早乙女 レイ LP8000
モンスターゾーンシャインエンジェル
魔法・罠ゾーンスピリットバリア、伏せカード×1
手札2枚

「ドロー!」
 再び、ガラスの割れる音がする。頭部だけでなく、黒い影のヒビは全身に広がっていた。
 それが何を意味するのかはわからないが、今は目の前のデュエルに集中しなくてはならない。
「綿毛トークン1体を生け贄に、人造人間−サイコ・ショッカーを召喚!」
 全身を特殊合金で覆われた人造人間が、冥府の使者の隣に出現する。
 スッと。レイは背筋が凍るような心地がした。冷静に考えていれば、これの出現くらいは予測できていたはずなのに。
 相手は魔法・罠カードを伏せなかった。それは何故か。罠カードをほとんど――あるいは全く――採用していないのだ。
 自分が使わなければ、それを封じられたところで痛くも痒くもない。実質的に相手の罠使用を封じる効果となるサイコ・ショッカーは、フル投入されていたとしてもおかしくはないのだ。
 対して、レイの防御手段はほとんどが罠カードである。それを軒並み封じられてしまえば、ライフポイントを削りつくされるのは時間の問題だ。
「サイコ・ショッカーでシャインエンジェルを攻撃!」
 電撃が天使を打ち砕き、
「さ、3体目のシャインエンジェルを特殊召喚!」
「ゴーズでシャインエンジェルに攻撃!」
 大剣が天使を切り裂く。

レイ LP8000→7000→5700

「私が特殊召喚するのは……」
 落ち着かなければならない。一度、レイは深く息を吐く。
 この状況でサイコ・ショッカーを打ち破る可能性を秘めたカード。残る手札と見比べ、一枚のカードがデッキから引き抜かれる。
ミスティック・エッグ!」
 星のような模様がいくつもついた青白い卵。無限の可能性を内包する、レイの切り札となるモンスターだ。
 リクルーターによるデッキの圧縮も行った。あとは次のターンに引くカードを信じるだけだ。
「ボクのターン。ドロー!」
 不敵な笑みが浮かぶ。サイコ・ショッカーを打ち破るカードは揃った。
「ミスティック・エッグを守備表示に変更! リバースカードを1枚セットしてターンエンド!」

黒い影 LP6600
モンスターゾーン冥府の使者ゴーズ、人造人間−サイコ・ショッカー、綿毛トークン
魔法・罠ゾーン何もなし
手札4枚
早乙女 レイ LP5700
モンスターゾーンミスティック・エッグ
魔法・罠ゾーンスピリットバリア、伏せカード×2
手札2枚

「私のターン、ドロー!」
 バキン、と。今度はより大きな音がした。
「あ……」
 もう、レイと対峙している相手は黒い影ではなかった。黒い影で覆われていたが、その影が割れた、と表現する他なかった。
 中から出てきたのは、インバネス・コートを羽織って、ディアストーカーを被り、髪を肩まで伸ばした少女。やはり、レイとはそう変わらない年頃に見えた。
(そっか)
 レイが記号的に見たことがあると思ったのは、間違いなかった。シャーロック・ホームズのイメージそのものの服装だからだ。パイプタバコさえあれば完璧だったが、流石に未成年なので用意できなかったのだろう。
「あ゛ー肩凝ったー……」
 先ほどまでと変わらない声で、肩と首を回している。時折、骨を鳴らす音が生々しく聞こえてきた。
 何者だろう。ホームズの格好をした少女は、一通り凝りがほぐれたのか、今度は自分の手札とデュエルディスク、そして目の前のフィールドを交互に見た。
「……ありゃ? どうして私はデュエル中なのん?」
 今までの戦いを無意識のうちに進めていたとでも言うのだろうか。そう思うと少し恐ろしかったが、目の前の少女はキョロキョロを辺りを見回す。
 ぽりぽりと人差し指で頭をかいて、「ま、いっか」と言って再び手札に目を落とす。細かいことは気にしない性格らしい。
「よっし、一気に畳み掛けちゃおうじゃないか!」
 彼女の表情が一瞬にして変わる。目の前の敵を狩る獰猛な野獣のように、犬歯をむき出しにしていた。
 その覇気に、レイは言いようの無い不安を覚えた。同時にその自信に満ちた表情はどこかで見た類のものだと思った。
「魔法カードデビルズ・サンクチュアリを発動! メタルデビル・トークンを特殊召喚!
 そして、フィールドの2体のトークンを生け贄に、カモーン!」
 大気が震え、大地が揺れる。巨大なそれの降臨に、世界全体が畏れ、慄いている。
 黒く輝く鋼の鱗、力の象徴たる金色の角を持つ、この世で最も獰猛な怪物が現れる。
究極恐獣(アルティメット・ティラノ!」
 レイは言葉を発することが出来なかった。呼吸をしているので精一杯だった。
 高らかに吼えるそれを前にして、ようやくあの少女の表情の正体に気付いた。
 決闘者だ。かつて憧れたカイザーも、十代も、同じ目をしていた。目の前の戦いに、心を躍らせていた。
「クゥー! 凄いぞ、カッコいいぞー!」
 はしゃぐその姿は、まるで十代そのものだった。少しだけ寂しくなるが、感傷に浸っている暇はなさそうだった。
「究極恐獣の攻撃! そこの不思議卵さんを踏み潰せー!」
 なす術なく、ミスティック・エッグは大破する。守備表示のためにレイにダメージはないが、それでも残った2体の攻撃が通れば大きなダメージとなる。
「さあ続いてショッカーさんがダイレクトアタック!」
 だが、ここで劣勢に回るレイではない。サイコ・ショッカーへの対策は既に打ってあるのだ。
「速攻魔法月の書! サイコ・ショッカーを裏側守備表示にする!」
 攻撃が通る前に、サイコ・ショッカーがフィールドから姿を消し、伏せた状態になる。
「ぬう。だが! ゴーズの攻撃はまだ残ってるのよん」
 ゴーズがレイに音速で向かってくる。ソリッド・ヴィジョンの爆発が起きた。
 高攻撃力モンスターの攻撃は、演出もハンパではない。
「わはは! 参ったか!」
 ホームズの少女は腰に手を当てて高笑いする。だが

レイ LP5700→8400

「おろ? 何で回復しちゃうのん?」
ドレインシールド。ゴーズの攻撃は無効になって、ボクのライフは回復したってわけ」
 爆発力を回復に変換するシールドがゆっくりと消える。サイコ・ショッカーが裏側表示になっていたため、罠が発動できたのだ。
 ホームズの少女は悔しそうにうめく。
「ぐぬぬ、ターンエンド!」
「このエンドフェイズに、ミスティック・エッグの効果発動!
 ミスティック・ベビー・ドラゴンを特殊召喚するよ!」
 緑色の鱗に覆われた小さな翼竜が現れる。
「わはは! 貧弱貧弱ゥ!」
 ホームズの少女はまた高笑いする。傲慢な態度だが、実力は確かだ。ここまで上位モンスターを展開しておきながら、手札はまだ2枚も残している。
 しかし、レイはその態度を鼻で笑うことが出来た。
「でもね、いつまでも貧弱なままじゃないんだよ」
「う?」
 目を点にする少女を他所に、レイは魔法カードの発動を高らかに宣言する。
ミスティック・レボリューション!」
 巨大な翼竜が、樹齢数千年の大木ほどの太さを持つ足を踏み鳴らす。翼を広げ、咆哮する。
 その竜が一つ羽ばたくだけで、激しい風が巻き起こった。レイのデッキの中で、最も頼もしい巨竜が、敵を見下ろす。
 人造人間も、冥府の使者も、究極の恐竜さえも小さく見えた。
「さあ行くよ! サイコ・ショッカーに攻撃!」
 放たれる吐息(ブレスは灼熱。人造人間は一瞬のうちに焼き払われ、フィールド上を支配していた罠封じの電波は消滅した。

「リバースカードを1枚セット! ターンエンド!」

ホームズの少女 LP6600
モンスターゾーン冥府の使者ゴーズ、究極恐獣
魔法・罠ゾーン何もなし
手札3枚
早乙女 レイ LP8400
モンスターゾーンミスティック・ドラゴン
魔法・罠ゾーンスピリットバリア、伏せカード×1
手札1枚

 ミスティック・ドラゴンの攻撃力は3600。究極恐獣は3000。
 守備表示にしたところで、ミスティック・ドラゴンの火力を以ってすれば敵ではない。
 サイコ・ショッカーを採用する以上、相手のデッキに罠カードは少ない。そもそも、ミスティック・ドラゴンは罠の効果を受けるか受けないかをコントローラーが決定できるという反則級の快進撃モンスターだ。
「形勢逆転、だね」
「ところがどっこい、そうは行かないんだなぁ」
 ホームズの少女はニヤリと笑う。強靭なモンスターを前にしても、怖れたりする様子は全く無い。
洗脳−ブレインコントロールを発動! ライフポイントを800支払って、エンドフェイズまでミスティック・ドラゴンのコントロールを得る!」

ホームズの少女 LP6600→5800

「八式対魔法多重結界を発動! モンスター1体を対象とする魔法なら、手札コストなしで無効化できるよ!」
 レイは冷や汗をかいた。だが、罠を仕掛けておいて正解だったようだ。
 自信の中に、一つの不安が舞い込む。ホームズの少女が、笑っているのだ。
 高笑いとかそういった類のものではなく、もっと奥深い、獲物を捕らえた猛獣のような。
「あーあ、フィールドががら空きになっちゃったね?」
 グラリと。レイは持っていた自信が大きく揺さぶられて崩れていくのがわかった。
 ミスティック・ドラゴン以外にはスピリットバリアしか存在しない。対して、相手の手札は3枚。
 もし、ミスティック・ドラゴンを除去されたり、先ほどのようにコントロールを奪われたりしたら、形勢はそれこそ一気に傾く。
 口元が横に長く裂けた笑みで、少女は残酷にカードの発動を告げる。
強制転移
「……ッ!」
 レイは、喉が干上がるかと思った。ミスティック・ドラゴンがレイのフィールドから消え、代わりに冥府の使者がやってくる。
 確かに、冥府の使者は強い。だが、ミスティック・ドラゴンの前では無力だ。壁にしかならない。
 何より、自身の持てる最強のモンスターが奪われてしまったことが、レイにとってはショックだった。
(スピリットバリアがあって、一度はダメージを受けずに済んで、だから受けるダメージは……)
 気を紛らわせるための計算は、もっと残酷な声で遮られる。
「まだ私のメインフェイズは終了してないぜ! 魔法カード名推理!」
 明るく軽快に、だけど重い病気を告げられたような圧迫感がのしかかる。
 推理ゲート。上級モンスターを次々に展開し、圧倒的な質と量で場を制圧するパワーデッキ。
 罠カードなどの絡め手に弱いが、罠を無視できるミスティック・ドラゴンが今相手の陣地にいる。
 サイコ・ショッカーも先ほどの一枚だけとは限らない。
「さ、レベルを宣言して?」
 上手すぎる使い方だった。デッキだけではない。対戦相手の心理状況まで丸ごと利用している。
 これ以上モンスターを展開されれば、更に勝ち目が薄くなっていく。負けてしまえば、エクスベルの力は強まる。そうなれば、彰の記憶を取り戻す可能性が大きく減る。
 震える吐息を、無理やり整えようとして、レイは深く呼吸した。
(通常召喚及び特殊召喚が可能で、攻撃力が高く強力な効果を持つモンスター……)
 全てのカードを思い出せと言われて、この状況で思い出せる人間はほとんどいないだろう。
 よく採用されるのはレベル8である。ミスティック・ドラゴンもそのレベルだし、究極恐獣もそうだ。
 サイコ・ショッカーなど、強力な効果を持つモンスターはレベル6にも多い。
(リリースを2体必要とするモンスターは召喚させちゃダメ。その中で採用される絶対数が多いのは、レベル7か8か……)
 とりあえず二つに絞る。それが正しいのかどうかすらわからない。
 不安が増大して、押しつぶされそうになる。だが、宣言しなければならない。諦めてはいけない。
「レベル、8!」
 デッキの上から、ホームズの少女がカードをめくっていく。
 一枚目、サイクロン。二枚目、大嵐。三枚目、
可変機獣 ガンナードラゴン! レベルは7だから、特殊召喚できる!」
 翼の代わりにキャタピラーを装着した機械仕掛けのドラゴンが、レイに砲身を向ける。
 レイの内側にいる不安が爆発した。呼吸が止まったような錯覚に陥る。
 外の空気を取り込もうとしているのに、何故か酸欠のように思考に靄がかかる。
 そんなレイの様子などお構いなしに、ホームズの少女は攻撃宣言する。
「究極恐獣でゴーズさんをぶっ潰す! それから総攻撃!」
 巨大な黒い怪獣が冥府の使者をゴミのように蹴散らし、ガンナードラゴンの四つの砲台が、レイを捉える。それが噴く幻影の弾丸を受けて、レイは腕を前に出して自分をかばう。
 砲撃が終わったと思って顔を上げると、最高の絶望がそこに立っていた。
「あ……」
 それは最も信頼していたカードの一つ。レイのデッキにいた、最強のモンスター。
 レイの中で、何かが壊れる音がした。最も頼れる仲間が、自分に対して牙を剥くのだ。
 緑の竜から、灼熱のブレスが放たれる。

レイ LP8400→5600→2000

「わああああ!」
 衝撃が大きかった。衝撃増幅装置なんか比べ物にならないくらい、心への衝撃が大きかった。
 立ちはだかる巨大な竜を前に、レイは戦意を完全に砕かれてしまう。
 レイのデッキの中のもう一つのコンボ、恋する乙女はライフポイントが潤沢にあることが前提となる。
 十海との戦いではリクルーターによるデッキ圧縮など出来なかったが、ライフポイントが削られなかったために最後はこのコンボで勝利することが出来た。
 それも、今の残りライフポイントでは不可能。回復しようにも、残された手札は1枚。
 何より、ミスティック・ドラゴンには罠による攻撃抑制が効かない。月の書はサイコ・ショッカーに使ってしまった。
(勝てない……)
 ホームズの少女の、ターンエンドの宣言が遠く聞こえる。
 右手が震えた。いや、全身が震えているのかもしれなかった。
 デッキの一番上のカードが、急に恐ろしくなった。自分のデッキが自分を裏切る瞬間を見てしまうようで、怖くなった。
 このまま、手をデッキの上に乗せてしまおうか。そんなことを考えてしまうくらいに、レイは追い詰められていた。
 この戦いは負けられないものだということくらいはわかっている。
 だけど。わかっているのに、その直後にはだけど、と考えてしまう。
 本当に、この相手に勝てる? どうやって?
 自分を一番強く支えてくれた存在に心を打ち砕かれた少女は、そこから先を考えることができない。





 一方、十海は先攻を取っていた。
 彰を助けることに、迷いは無い。
「モンスターを守備表示でセット! 更にリバースカードを1枚セットしてターン終了!」
 こちらの黒い影は、なんというかわかりやすかった。
 頭に被っているのは上に長い帽子。コックが被っているものだろう。服装も、シルエットだけだが料理人らしかった。
「俺のターン。ドロー」
 静かで落ち着いた、しかし凄みのある男の声で影がカードをドローする。
 薄いガラスの割れるような音と一緒に、黒い影の頭部に亀裂が入った。
悪魔の調理師(デビル・コックを攻撃表示で召喚。伏せモンスターに攻撃する」
 どこぞのファンタジーの世界に出てくる船長のように、片手がフックになった悪魔が現れる。コックの帽子が青く尖った耳に引っかかっている。
 フックとは逆の手に握った、包丁と言うには長すぎる片刃の刃物を振りかざし、十海のモンスターを料理しにかかる。
マクロコスモス発動! そして、攻撃されたニードルワームの効果によって、あなたのデッキを5枚除外する!」
 悪魔の調理師の刃に真っ二つにされながらも、全身が針だらけの虫は黒い影のデッキに突き刺さり、5枚のカードを道連れにする。
 コックの影が動じた様子はない。表情の変化がわかればまた違うのだろうが、シルエットだけでは判断できない。
「リバースカードを2枚セットしてターンを終了する」

七山 十海 LP8000
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーンマクロコスモス
手札4枚
デッキ34枚
除外1枚
黒コック LP8000
モンスターゾーン悪魔の調理師
魔法・罠ゾーン伏せカード×2
手札3枚
デッキ29枚
除外5枚

「私のターン。ドロー!」
 十海は手札を見て思考する。墓守の使い魔が来ない以上、なんとかして相手の攻撃を受けきらなくてはいけない。
「モンスターを守備表示でセット! 永続魔法魂吸収を発動してターンエンド」
 攻撃ロックは出来ていないが、これでライフ・アドバンテージの確保はなんとかなっただろう。
「俺のターン。ドロー」
 ガラスの割れる音と共に、黒いコックの影の全身に亀裂が入る。
 だが、影が気にする様子はない。淡々と自分の戦略を展開するだけだった。
抹殺の使徒を発動。伏せモンスターを除外する」
 ここから、十海の戦術は少しずつ狂い始める。除外されたのは異次元の女戦士。低級でありながらアタッカーとしての能力を備えた悪魔の調理師を除外しようとしたのだが、油断してしまったらしい。
「悪魔の調理師で直接攻撃。効果によって2枚ドローしろ」
 十海の脳裏に嫌な予感が走る。ひょっとすると、相手もデッキ破壊戦術を使ってくるのかもしれない。
「魔法カード簡易融合(インスタントフュージョンを発動。ライフを1000支払い、融合デッキからカルボナーラ戦士を特殊召喚する」
 紫色の甲冑に身を包んだ戦士が現れる。
 意外なモンスターの登場に十海は一瞬キョトンとした顔になるが、簡易融合で召喚したモンスターはエンドフェイズに破壊されることを思い出し、すぐにこれが良くない状況であると気付いた。
 マクロコスモス発動下では、この方法で墓地を肥やすことはできない。にもかかわらず、目の前の黒いコックの影は簡易融合などという使い勝手の悪い魔法を使ったのだ。
 考えられる戦術二つのうち一つとしては、除外カードを増やすこと。ダ・イーザのように除外されたカードによって攻撃力の上がるカードにとっては有効な戦術だ。
 もう一つは生け贄要員。デビルズ・サンクチュアリには劣るが、簡易融合で現れた融合モンスターは生け贄としても機能する。
「カルボナーラ戦士を生け贄に、魔法カード大盛りパスタを発動する」
「お、大盛りパスタ……?」
 発動された魔法カードに見覚えはない。相当なレアカードか、それとも使い勝手が微妙すぎて話題にすら上らないカードか。
「このカードは、自分フィールド上のレベル4以下の融合モンスター1体を生け贄に捧げることで発動できる。
 相手プレイヤーはそのモンスターのレベル分だけデッキからカードをドローし、そのモンスターの攻撃力分だけライフを回復する」
 どうやら後者のようだった。発動者にとってディスアドバンテージになる効果ばかりだ。
 十海はデッキからカードを、カルボナーラ戦士のレベル分、すなわち4枚ドローする。ライフポイントは1500回復。更に魂吸収の分が上乗せされて、もうまともに削りきれる数字ではなくなっている。
 だが、4枚を手札に加えたとき、十海は目を見開いた。確信してしまった。
 これは、自分とは違う「相手にドローさせるタイプ」のデッキ破壊。
 4枚のカードをドローしたことで、十海の手札は9枚にまでなった。ここから考えうる戦術は、十海にとっては一つしかない。そして、それは正しかった。
手札抹殺を発動」
 十海の手札9枚が、ディスクのリムーブゾーンに吸い込まれていく。そして、手札抹殺の効果によって捨てた枚数分だけドローしなければならない。
 対して、黒いコックの影はこのターンで手札を大きく減らしている。手札抹殺以外のカードは持っていなかった。
 ニードルワームの効果で得たわずかばかりのアドバンテージなど話にもならない。デッキの枚数は一気に逆転してしまった。
「く……除外されたネクロフェイスの効果発動」
 更に、十海の手札にあったカードによって、互いのデッキが5枚ずつ削られる。魂吸収による回復量によって十海のライフポイントは20000を超えていたが、この時ばかりはライフが増えれば増えるほど不利になっていく気がした。

十海LP8000→9000→7200→20200
除外1→2→11→16
(抹殺の使徒、手札抹殺、ネクロフェイス)
デッキ33→31→27→18→13
(悪魔の調理師、大盛りパスタ、手札抹殺、ネクロフェイス)
黒コックLP8000→7000
除外5→6→7→9→10→15
(抹殺の使徒、簡易融合、大盛りパスタ、手札抹殺、ネクロフェイス)
デッキ28→23

七山 十海 LP20200
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーンマクロコスモス、魂吸収
手札9枚
デッキ13枚
除外16枚
黒コック LP7000
モンスターゾーン悪魔の調理師
魔法・罠ゾーン伏せカード×2
手札0枚
デッキ23枚
除外15枚

「私のターン。ドロー!」
 デッキの枚数には10枚もの差がついている。
 これ以上削られる前に、相手のデッキを削らなければ。
「モンスターをセットし、墓守の使い魔を発動!
 エンドフェイズに手札が8枚あるので2枚捨ててターンエンド!」
 魂吸収がある以上、ライフアドバンテージという観点では攻撃ロックはさほど重要ではない。
 だが、あの悪魔の調理師の攻撃を通してしまうことは敗北に繋がる。壁を置いても先ほどのように除去されたり、新たにモンスターを展開されると追いつかない。
「俺のターン。ドロー」
 大きい音と共に、黒い影が完全に割れる。破片が全て落ちた後、中から出てきたのはやはり、白い服に身を包み、長いトックを被った調理師らしき青年。
 声の割に見た目は若かった。まだ二十代だろう。無表情に見えるが、その目は鋭い。伸びた背筋、悠然と立つその雰囲気は東雲にも似ていたが、こちらは闘争心を露にしているという点で異なっていた。
 内側から恐怖を与えるタイプの東雲に対し、こちらのコックは外からの圧倒的な威圧感で相手を恐怖させるタイプだろう。
「素材の味を生かせ! キラー・トマトを攻撃表示で召喚してターン終了だ」
 叫ぶまでも無く、その鋭い声は良く通る。

七山 十海 LP21200
モンスターゾーン伏せモンスター×1
魔法・罠ゾーンマクロコスモス、魂吸収、墓守の使い魔
手札6枚
デッキ12枚
除外18枚
コック LP7000
モンスターゾーン悪魔の調理師、キラー・トマト
魔法・罠ゾーン伏せカード×2
手札0枚
デッキ22枚
除外15枚

 十海は深く息を吐く。落ち着いてこの状況をひっくり返さねばならない。
 幸い、相手の手札はない。デッキ破壊の速度は一気に緩んだはずだ。ここで巻き返しを図ることは難しくなさそうである。
悪魔の偵察者を反転召喚! 相手プレイヤーはデッキから3枚ドローして、魔法カードがあればそれを捨てなければならない!」
 コックはさして表情を変えずに、デッキから3枚のカードをドローし、十海に確認させる。
 牛魔人、大盛りパスタ、ハングリーバーガー。そのうち魔法カードである大盛りパスタがリムーブゾーンに吸い込まれる。
(ハングリーバーガーに、牛魔人……?)
 どうもカード選びのセンスが十海や他の一般的なプレイヤーとズレてしまっているらしい。料理人らしいファンデッキだろうか。
「モンスターをセットしてターンエンド」
 相手がどうであれ、とにかくデッキを削り続けるしかない。デッキ破壊の軸がネクロフェイスである十海にとって、この状況ほど歯がゆいものはなかった。
 ネクロフェイスは自分のデッキにも効果を及ぼす。つまり、予めニードルワームや悪魔の偵察者でデッキの枚数に差をつけておく必要があるのだ。
「俺のターン」
 引いたカードを見て、コックは静かに笑った。すぐに鋭い目つきに戻り、発動を宣言する。
「ご注文はハンバーガーでよろしいか! ハンバーガーのレシピを発動する!
 素材はトマトと牛肉! フィールドのキラー・トマトと手札の牛魔人を生け贄に捧げる!」
 巨大な鍋がフィールドに現れる。キラー・トマトと牛魔人がその中に放り込まれ、五秒もしないうちにトマトとレタスと牛肉をはさんだハンバーガーが出てきた。流石はファーストフードである。
 普通のハンバーガーと違うのは、具をはさむパンに鋭い歯が何本もついていること、てっぺんにお子様ランチよろしく日の丸の旗が立っていること、そして何より、人を丸呑みにするほどの大きさだろう。
 食べられるためというよりは、それ自身が何かを食べるために生まれてきたような見た目だった。
「ターンエンドだ」
 マクロコスモスと墓守の使い魔がいるせいで、攻撃宣言はできない。

七山 十海 LP23200
モンスターゾーン悪魔の偵察者、伏せモンスター×1
魔法・罠ゾーンマクロコスモス、魂吸収、墓守の使い魔
手札6枚
デッキ11枚
除外18枚
コック LP7000
モンスターゾーン悪魔の調理師、ハングリーバーガー
魔法・罠ゾーン伏せカード×2
手札0枚
デッキ18枚
除外19枚

「私のターン。ドロー!」
 この状況で手札を全て使ってハングリーバーガーを召喚する意味はいったい何だろう。やはりファンデッキだろうか。
 魔のデッキ破壊ウイルスの媒介にもなるが、それが伏せてあるならば召喚してすぐに発動しているだろう。
「ニードルワームを反転召喚! リバース効果によりあなたのデッキを5枚削る!」
 飛び出した針虫がコックのデッキを突き刺し、5枚のカードを除外する。
 手札にはもう一枚のニードルワームがいる。このターンにセットし、次のターンにリバースすればデッキの枚数は逆転する。しかし
「食中毒に注意しろ! ハングリーバーガーを生け贄に魔のデッキ破壊ウイルスを発動する」
「このタイミングで……ッ!?」
 ハングリーバーガーを召喚してすぐに発動しなかったのは何故か、十海にはわからなかった。わからなかったが、今自分の状況が非常に悪いことだけはわかった。
 手札を全て公開する。ニードルワーム、悪魔の偵察者、ネクロフェイス、魂の解放封印の黄金櫃、手札抹殺、次元の裂け目
 十海のデッキにいるモンスターは、大半がローレベル――攻撃力1500以下――である。今手札にいる3枚も例外ではない。
 それら全てが魔のデッキ破壊ウイルスによって破壊される。
 十海は焦った。魔のデッキ破壊ウイルスの発動タイミングをズラした理由はこれだ。焦りを誘うためのものだ。気付いても、十海にはどうにもできない。
「ネクロフェイスの効果を発動してもらおうか」
 肺の中に空気の塊があるような感覚がした。それが自分の飲み込んだ空気だと気付く時には既に、デッキの枚数が5枚になる。ライフポイントは30000を超えた。
 残されたカードに、この状況を打開できるものはない。
「ターン、エンド……」
 その宣言をするとき、十海の意識はフィールドにはなかった。

「ふむ」
 引いたカードを見て、コックは静かに唸る。そして、自分と対峙する少女を見た。
 絶望と恐怖の中で、立っているのがやっとなのだろう。目は焦点がズレてどこか虚空を見つめている。
 コックはもう一度、引いたカードを見た。フィールドにあるカードとあわせれば、ほぼ確実にとどめをさすことが出来るだろう。
 そのモンスターを伏せ、今までよりも少し大きな声で――絶望に飲まれている少女を現実に引き戻すように――ターンの終了を宣言する。

七山 十海 LP34200
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーンマクロコスモス、魂吸収、墓守の使い魔
手札4枚
デッキ5枚
除外28枚
魔のデッキ破壊カウント
コック LP7000
モンスターゾーン悪魔の調理師、伏せモンスター×1
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札0枚
デッキ7枚
除外31枚

 十海のデッキ破壊戦術は、そのほとんどを効果モンスターに頼っている。
 残されたデッキは4枚。魔のデッキ破壊ウイルスのカウントが終わるのを待っていたら、デッキは無くなる。
 そもそも、それまでにあの相手が待ってくれるかもわからない。
 馬鹿みたいに増えたライフポイントが、逆に重石となってのしかかってくる。

 デッキ破壊は、破壊された。



第十二話 記憶の番人 エクスベル


 オシリスレッド寮の部屋で、少年は何を考えるわけでもなく、自分のデッキを見ていた。
 もう風呂は済ませたので、赤い制服ではなく私服である。十月も終わりとなれば夜の気温はかなり下がるため、厚めの赤いトレーナーを着ている。
 カードのイラストをぼんやりと眺める。どうも自分は赤に愛着のある人間らしい。着ている服と同じで、赤を基調としたカードが多い。
 中のモンスターは全て炎属性だった。魔法カードもそのサポートが大半を占めている。
(なんか引っかかるけど、やっぱ何も思い出せねぇや)
 少年は記憶喪失だ。以前の自分が何を考えて何をしていたのかとか、自分の周りにどんな人がいたのかとか、そういったことが何一つ思い出せない。
 何のためにデュエルアカデミアという学園に来ているのかも覚えていない。
 十海という少女は、自分が「デュエルモンスターズが好きだった」らしいということを知っていた。おそらくはその関係でここに来ていたのだろう。
 この学園にはデュエルモンスターズが溢れている。国語とか数学とかいう基礎教養科目のほかに、このカードゲームに関する授業まであった。
 放課後になれば生徒達は勇んで決闘場に向かい、日が暮れるまで戦い続ける。自分もその中にいたのだろうか。
 とにかく、デュエルモンスターズが好きだったのならそのカードを見ていれば何かを思い出すかもしれない、と思ったのである。
 結果、収穫は無かった。不思議と心惹かれるような感覚はあるのだが、それ以上は何も無い。
 だが、少年に焦りはない。箸の握り方とか蛇口の捻り方まで忘れてしまったわけではないからだ。
 最低限、生活するのに必要な知識は揃っている。この学園にいる以上、衣食住だって保障されている。
 死に物狂いで思い出さなければならないような事態でもないのだ。
 ふと、窓を開ける。鈴虫の鳴き声と共に少し冷たい風が入り込んできた。髪は既に乾いているから、湯冷めの心配はない。
 欠け始めたとはいえ、月はまだ丸々と太っている。
 無理に思い出そうとは思わない。だけど、できれば思い出したいと思うようにもなった。
 だから、ひょっとしたら思い出すかもしれない、などという頼りない可能性にすがってみたりしたのだ。
 決闘場にも足を運んだし、購買でカードも見てきた。自分のデッキも何度も確認している。さっきので何回目だろうか。
 実際にこのカードを使ったら思い出すんだろうかと考えたところで、木製のドアをノックする音が響いた。
 こんな時間に誰だろう。こんな時間、と考えて少年は今何時だっけと時計を探す。
 壁にかけられた丸い時計の針は、草木も眠る時間を指していた。随分長いことカードを眺めていたらしい。
 こんな時間に明かりがついているのを不審に思われたのだろうか。
 少年はこんな時間に人が尋ねてくることを不思議に思ったが、今は誰が来ても構わない。
 日常の出来事の一つ一つが、思い出すキッカケとなりうるのだから。





 ノックしてから少年――日生 彰――が出てくるまで、そう時間はかからなかった。
「やあ、眠れぬ秋の夜長に朗報ですよ」
 精霊、などというオカルトの説明を受けて難しい顔をしている黄色いバンダナの青年を差し置いて、東雲は軽く挨拶した。
 出てきた少年は首をかしげている。
「そうか、君は覚えてないんでしたね」
「すみません」
「いえ、僕のせいですから、気にしないでください」
 少年は更に首をかしげる。自分のしたことで被害を受けた少年がそれを覚えていないというのは、東雲にとって妙な気分だった。
 とにかく、東雲は名を名乗り、自分がその少年の記憶喪失に関与していることを告げ、本題に入る。
「記憶を取り戻したいとは、思いませんか」
「別に……」
 思ったよりも食いつきが悪かった。まだ彼は十代前半。
 純粋で、何かに固執することを知らないのだろう。
「無理に思い出そうとは思わないけど、でも」
 頭をかきながら、少年は続ける。
「思い出せないって言うと、十海って子が、すごく悲しそうな顔するんだ」
 無表情に。本当に透き通った顔で、けれど少年は必死に何かを理解しようとしていた。
「あの子が笑ってくれるなら、思い出したいなって。
 よくわからないけど、確かにそう思ったんだ」
 東雲は胸が締め付けられるような気がした。これが彼の奥底にある望みであり、願いだ。
 かつての自分のように歪んだそれではなく、しっかりと二人の願いは重なっていた。
 他の望みや願いを食いつぶしてまでそれを叶えようという、邪悪で独りよがりな考えは微塵もない。
 顔を上げた少年の目は、どこまでも透明で、だけど、どこまでも強かった。
 だから東雲は、その強い想いに応えたかった。思い切りぶつかってみたかった。そうすると誓った。
「僕と、デュエルしませんか」





 彰の提案で、デュエルする場所は岸壁になった。レッド寮で寝ている西田くんへの配慮だ。
 寮から程よく離れていて人目につきにくい場所なのは東雲にとっても好都合らしかった。

「精霊、か」
 道中で受けたエクスベルとやらの説明の中で、引っかかる単語を呟く。
 どこかで聞いたような気がするのだが、やはり思い出せない。
 どうも自分の記憶はそのエクスベルとやらの中にあるらしいのだが、いまいちピンと来なかった。
 彰は腰にくくりつけたケースからデッキを取り出す。今回はセルフシャッフルらしい。
 ゆっくりと、カードの束を混ぜる。不思議な感覚だった。
 一度切る度に、デッキが鼓動しているような気がした。おそらく、実際にはそんなことはないのに、カードから何かを伝えようとしているような。
 精霊、という言葉が頭の中をよぎる。カードに精霊が宿るなら、こんな感じなのかもしれない。
 すっと、手が止まる。ここで止めろと、デッキが語りかけてくる。
 それをデュエルディスクにセットした時、自分の中で何かが弾ける感覚がした。
(なんだ、これ……?)
 向かい側には東雲という男が既に準備を終えて立っている。
 元々、何かを思い出すかもしれないという淡い期待からこのデュエルを受けたのだが、彰は既に思い出したことがあった。
(デュエルの前って、こんなにワクワクするのか)
 自分の中から、何か熱いものが駆け上がってくる。一つの闘いという新たな世界への期待か、それとも未知なる敵への不安か。
 自分の仲間(モンスター達が実体化して戦う場面を想像すると、胸が躍った。自然に、楽しい気分になれた。
「デュエル!」
 宣戦布告と共に、デュエルディスクのウィングが展開する。

「俺の先攻。ドロー!」
 初期の手札5枚にデッキからドローした1枚を加え、ざっと眺める。
UFOタートルを攻撃表示で召喚! リバースカードを1枚セットしてターンエンドだ」
 自分でも不思議なくらいに、手と口が勝手に動いた。体が全てを覚えているのかもしれない。
 手札を眺めて最善の手を、時間をかけずに導き出せた。導けなかったとしても、この思考に時間をかけたりはしなかっただろう。
 何故なら、時間をかければかけただけ自分のテンポが狂い、決闘は思い通りの道筋からどんどん外れていくことを知っているからだ。
(なんだ、覚えてるじゃんか)
 記憶を失うまで何があったかと聞かれて答えることはできないが、闘うこの感覚は覚えている。
 全身に染み付いたこの熱い躍動感は、そう簡単に消えたりしない。
「僕のターン。ドロー!」
 対する東雲が手札を眺める。どんな手で攻めてくるんだろうかと、楽しみで仕方が無かった。
 東雲がカードを場に出すまでの時間が、とてつもなく長く感じられた。だが、嫌な長さではない。
 それは闘う者に武者震いを許す、最も楽しい瞬間の一つ。外界から切り離され、対峙する二人の魂が燃える至高のひと時。
ゾンビ・マスターを攻撃表示で召喚。UFOタートルを攻撃する!」
「そう来なくっちゃな! UFOタートルの効果発動!
 デッキからプロミネンス・ドラゴンを攻撃表示で特殊召喚する!」

彰 LP8000→7600

 ボロボロのマントに身を包んだ死霊使いが機械仕掛けの亀を破壊しても、彰の興奮は冷めるどころかどんどん高まっていく。

日生 彰 LP7600
モンスターゾーンプロミネンス・ドラゴン
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札4枚
東雲 LP8000
モンスターゾーンゾンビ・マスター
魔法・罠ゾーン何もなし
手札5枚

 剣山は慌てて二人のほうに視線を向ける。月の浮かぶ海をバックに対峙する二人は、笑っていた。
 別に精霊の説明を受けて悩んでいたわけではない。確かに言葉だけの説明だと混乱はするが、つい数ヶ月前まで身近に精霊の話をよくする人間がいたのだ。
 いる、と言われれば彼らには見えているんだろうなと思う。実際にソレがいるかどうかはわからない。というのが彼の持論だ。
 その点で悩むことはないのだが、剣山がどうしても解せないのは手に持った封筒の正体だった。
 後で信哉に渡せば良いらしいのだが、どうして東雲は自分で渡そうとしないのだろうか。
 やはりボウガンという物理的な手段で傷つけてしまったことが原因で顔があわせづらいのだろうか。
 それともう一つ、彼は「絶対にこの中身を見るな」と言った。ならば尚のこと自分で渡せば良いのにと思うのだが、結局、東雲に押し切られてしまった。
(うーん、自分で渡せない理由があるザウルス……?)
 考えても答えは出ない。とにかく、剣山は目の前の戦いに注目することにした。
 東雲は彰の記憶はエクスベルの中にあると言った。ならばエクスベルを見せれば彰の記憶が戻るかもしれない、とも。
 かもしれないでは幾分か頼りなかったが、それでも可能性があるならばそれに賭けたいのだろう。
 逆に言えば、エクスベルを使うことで何が起こるかわからない面もあるという。剣山の役目はその兆候をいち早く見つけるための立会い人、なのだそうだ。
(でも、なんか引っかかるドン……)
 剣山は義理堅い。研究所地下で光の中に消えてしまった二人も心配なのだが、手伝うと言ってしまった以上、男に二言はない。
 それに、何が起こるかわからないなら尚更この決闘から目を離すわけにはいかない。
 彰がプロミネンス・ドラゴンを2体並べるロックを完成させ、優勢に立った。が、東雲もモンスターを1枚、とリバースカードを3枚セットして迎え撃つ準備を進めている。
 二人の戦いは加熱していく。東雲も、今は決闘を楽しんでいるようだった。

日生 彰 LP7600
モンスターゾーンプロミネンス・ドラゴン×2
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札4枚
東雲 LP7000
モンスターゾーンゾンビ・マスター、伏せモンスター×1
魔法・罠ゾーン伏せカード×3
手札2枚

炎を支配する者(フレイム・ルーラーを召喚!
 そして、手札からフィールド魔法バーニングブラッドを発動する!」
「永続罠発動! エレメンタル・アブソーバー
 手札の怨念の魂 業火をゲームから除外し、炎属性モンスターの攻撃宣言を封じる!」
「くっ……。だが、プロミネンス・ドラゴンのバーン効果は受けてもらうぜ!」
 一歩も譲らない。フィールド魔法で強化された彰のモンスターの猛攻撃は罠によって封じられ、しかし炎のドラゴンが確実に東雲のライフを喰らっていく。
 自分のあらゆるモンスターの攻撃を封じられたにも関わらず、彰の表情には焦りも絶望もない。
 この攻撃ロックを打ち破る方法が、自分のデッキにあると知っているからだ。
 しかも自分のフィールドにはプロミネンス・ドラゴンがいる。単純な攻撃だけで破られはしないロックが、こちらにもかかっているのだ。だが
「果たしてそう長くもつかな?」
 ロックをはずす術を持つのが彰だけとは限らない。たった一枚で、攻撃できないこの状況を打破することだって、できる。
DNA改造手術を発動! 指定するのはアンデット族!  その目障りなドラゴンには生きた屍になってもらう! 更に罠カード砂塵の大竜巻により、バーニングブラッドを破壊する!」
「甘いぜ! 罠カード威嚇する咆哮!」
 岸壁にその姿を現した地獄の森の中で、二人の決闘者が吼える。
 DNA改造手術の効果により、プロミネンス・ドラゴンはアンデット族になり、ロックは解かれた。
 バーニングブラッドが破壊されたことにより、攻撃力も下がる。ゾンビ・マスターによって破壊できるまでに。
 だが、このターン、彰の発動した罠カードが攻撃を封じている。
「1ターンしのいだか。君は案外覚えてるんじゃないかな?」
「そうだな。こいつらと闘ったのは初めてじゃない気がする」
 たかが1ターン、されど1ターン。それだけあればプロミネンス・ドラゴンのバーン効果で1000ものライフを削ることが出来る。
 そして、それだけではないことは、東雲にもわかっていた。
 1ターンある。それはどういうことか。カードを1枚ドローする機会、すなわち、世界をひっくり返す可能性を手にする機会を得るのだ。
「モンスター、リバースカードを1枚ずつセットしてターンを終了する」

日生 彰 LP7600
モンスターゾーンプロミネンス・ドラゴン×2、炎を支配する者
魔法・罠ゾーン何もなし
手札4枚
東雲 LP6000
モンスターゾーンゾンビ・マスター、伏せモンスター×2
魔法・罠ゾーンエレメンタル・アブソーバー、DNA改造手術、伏せカード×1
手札0枚

「俺のターン。ドロー!」
 来た。
 彰はカードの絵柄を見る前に確信する。カードから熱い鼓動が伝わってくる。
 自分の奥底に眠る見えない力に同調して、呼びかけてくる。俺を呼べと、カードの中から、心の中から聞こえてくる。
 1ターンの時間を稼いだのも、プロミネンス・ドラゴンのバーン効果を少しでも長く継続させるためだけではない。本当の目的は他にある。
「ダブルコストモンスターを守るため、か」
「ああ。行くぜ! 炎を支配する者を生け贄に、来い!」
 闇が震える。その身を引き裂かれ、圧倒的な力に飲み込まれることを予期しているかのように。
 それの降臨と同時に、真夜中の薄暗い世界は瞬く間に赤く照らされた。赤く眩しく鋭く煌く、それは炎による蹂躙。
 あらゆる闇を、大気を、世界を、生きとし生ける者を飲み込んで灰に変え、大地に還す破壊と再生の力。
 ドン、と。彰は自分の中で何かが大きく鳴るのがわかった。心臓だ。同時に、全身が熱くなる。
 燃え盛る獅子の頭、人の上半身、竜の翼、猛獣の下半身、そしてその手に握る、どんなものよりも熱い紅蓮の火炎球。
 地獄の炎を統べる者(ヘルフレイムエンペラー。その後姿を見上げ、彰は言いようの無い感覚に囚われる。
(あれ……?)
 この光景はどこかで見たことがある。炎の先に、誰かとても親しい人がいたような気がする。
 自分を失いかけて、そんな時に手を差し伸べて必死で引き止めてくれた人が。
 揺らめく炎に遮られ、その人の影がぶれる。誰かが、親しい誰かがいることはわかっているのに、そこだけ四角く切り取られたように黒く塗りつぶされる。
 世界で一番熱い闘いだったのに。きっと、一番幸せな時間だったのに。
 見えそうで見えない。もどかしい感覚に少し顔をしかめるが、ここで立ち止まっているわけにはいかない。
「ヘルフレイムエンペラーの効果発動! 墓地のUFOタートル、炎を支配する者を除外して、DNA改造手術とエレメンタル・アブソーバーを破壊する!」
 煉獄の火炎が突き進む。自らを阻む壁すらも、その中に飲み込んでいく。闘いはまだ終わらない。

日生 彰 LP7600
モンスターゾーンプロミネンス・ドラゴン×2、ヘルフレイムエンペラー
魔法・罠ゾーン何もなし
手札3枚
東雲 LP6000
モンスターゾーンゾンビ・マスター、伏せモンスター×2
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札0枚










「ボクの、ターン」
 震える手で、最後になるかもしれない一枚を引く。ゆっくりドロドロと流れていた時間が、一気に解放された。
 引いたカードを見ることができない。目の前に、自分を睨む巨大な緑の竜がいる。
 それはレイにとって最強であり、最高のカード。今まで数多くの窮地を救ってくれた、いわば救世主。
 それが今、自分に牙を剥いている。その圧倒的な破壊力で、自分を飲み込もうとしている。
 その状況が恐ろしくてたまらなかった。
「怖い?」
「……ッ!」
 鋭い観察眼で全てを見透かすように、ホームズの格好をした少女は問いかけてくる。
 たったそれだけの短い言葉だったけれど、その中には大きな意味が込められていた。
『何を怖れるの?』
 闘いにおいて恐怖は決定的な隙を生む。一手一手を着実に積み重ねているとわかっていても、心の中に焦りが生じる。そこにつけ込まれれば、負ける。
 だけど、目の前の相手はそれをしなかった。そんなことをして勝っても面白くないと、爛々と輝く瞳が語っていた。
(そっか)
 怖いことはいくらでもあった。自分が負けることとか、そのせいで大切な友達を助けられなくなってしまうこととか。
 とても恐ろしいことだと思った。飛び級クラス三人で笑って、楽しくデュエルしながら過ごしていく日々が、欠片も残らないのだ。
 あるプロデュエリストは、「敗北することでデュエリストは全てを失う」と言った。自分の守りたいものを、守るだけの力を持たなくてはいけない。
 だけど。
 この三文字が、決意を鈍らせる。自分を恐怖の中に引きずり戻す。
 複雑に絡み合って交差する恐怖の網の中で、もがいてもまた別の恐怖が絡みつく。
 ホームズの少女が放った言葉は、その中に一筋の光を与えた。
『何を怖れるの?』
 その言葉は、恐怖の一番奥底に眠る最大の恐怖を見つめろという意味。見つめた上で、乗り越えろという試練。
 ふと、重かったディスクが軽く感じられた。否、ディスクが重かったわけではない。カードが重かったのだ。
 自分が負けてしまうのも友達を助けられないのも、自分の切るカードで決まる。
(ボクが一番怖れていたもの……それは、自分のカード!)
 引いた1枚を見る。その瞳に恐怖の色はない。
 ふっ、と。レイの表情が自信に満ちる。それを見て、ホームズの少女も笑った。それでこそ倒し甲斐があると、その目が語っていた。
「さあ、最強の敵(わたし最大の敵(あなたに挑む準備はできた?」
「申し訳ないけど、もう少し時間が必要かな」
 そう答えたレイの瞳には、諦観も絶望もない。あるのは自分とデッキを信じる力強い光だけだ。
「魔法カード光の護封剣を発動!」
 あらゆる闇をかき消し、攻撃を封じる光の剣が相手のフィールドに突き刺さる。

ホームズの少女 LP5800
モンスターゾーン究極恐獣可変機獣 ガンナードラゴンミスティック・ドラゴン
魔法・罠ゾーン何もなし
手札1枚
早乙女 レイ LP2000
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーンスピリットバリア、光の護封剣
手札1枚

ホームズの少女 LP5800
モンスターゾーン究極恐獣、可変機獣 ガンナードラゴン、ミスティック・ドラゴン
魔法・罠ゾーン何もなし
手札2枚
早乙女 レイ LP2000
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーンスピリットバリア、光の護封剣
手札2枚
護封剣カウント

「ドロー! ターンエンド」
 ホームズの少女は動かない。否、動けないと言ったほうが正しいのかもしれない。
 先ほどの名推理の発動で、魔法・罠を除去するための二大カード、サイクロン大嵐が墓地に捨てられているからだ。
 見る限り、彼女のデッキは名推理モンスターゲート、トークンに頼った上級モンスター展開を中心とする戦術を取る。
 ならば魔法・罠の除去をこれ以上積んでいるとは考えにくい。サイコ・ショッカーの存在から、砂塵の大竜巻も採用しにくいはずだ。
 勿論、それは推測の域を出なかったが、レイは大きな賭けに出た。
 護封剣で稼いだターンの中で一度、ドローゴーを行ったのだ。ドローしたのは相手のモンスターを壊滅させる可能性を秘めたカードだったのだが、まだ使ってはいけないと判断したのである。
 あと2ターン。レイにはドローのチャンスが与えられている。
(大丈夫。ボクは自分のデッキを信じてる)
 静かに、心を落ち着かせて、デッキの一番上のカードを引く。
「来た……!」
 そしてここからも、一つ大きな綱渡りをしなければならない。
時の魔術師を召喚! 特殊効果(タイム・マジックを発動するよ!」
 失敗すれば、自分がダメージを受ける。勝利の可能性は遠のいていく。だが、レイは欠片も迷わなかった。
 時の魔術師が持つ杖の先端の時計が、グルグルと回る。
「表だッ!」
 デュエルディスク内臓のコインが、高く飛び上がる。ソリッド・ヴィジョンに拡大されて映し出されたそれが、運命を決める。
 落ちるまでの時間が長く感じられた。床にぶつかって甲高い音を立てるのと同時に、再び元の時間の流れが戻ってくる。
 成功したのか失敗したのか。時の魔術師から放たれるのは白い閃光。
 それが収まった時、フィールドに立っていたのは
「ボクの勝ちだ! 魔法カード死者蘇生!」
 時の魔術師。全てのモンスターが消え、小さな魔術師だけがそこに立つ。
「まさか、ミスティック・ドラゴンを……?」
「違うよ。ボクが蘇生するのは、究極恐獣!」
 再び、黒金の恐竜が雄たけびを上げて墓地から舞い戻る。しかし、今度立つのはレイのフィールドだ。
「装備魔法ハッピー・マリッジ! 相手のモンスターをコントロールしている場合、攻撃力を倍にする!」
 祝福の鐘が鳴る。蘇った究極恐獣の攻撃力は6000。モンスターも魔法も罠もフィールドにないホームズの少女に、その攻撃を防げるはずもなく。
 闘いは、己に打ち勝った強者の雄たけびで終わった。





七山 十海 LP34200
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーンマクロコスモス魂吸収墓守の使い魔
手札4枚
デッキ5枚
除外28枚
魔のデッキ破壊カウント
コック LP7000
モンスターゾーン悪魔の調理師、伏せモンスター×1
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札0枚
デッキ7枚
除外31枚

 勝てない。その先にある事実が全てを打ち砕いた。
 彰を助けるためには、目の前の相手を倒さなくてはいけない。
 倒せない。つまり、助けられない。
 ドローしたことによって、デッキは既に残り4枚となった。
 相手のデッキも残り少ないが、それでもこちらには逆転の術がない。
 除外カードをリセットするネクロフェイスは全て除外されてしまい、魔のデッキ破壊ウイルスによってデッキ破壊効果を持つモンスターはその効果を発揮しないまま破壊される。
 カードを持つ手が震えた。
「何を怖れる必要がある」
 ビクン、と十海の肩が跳ねた。無意識のうちに自分の中に押し込めている何かを、覗かれた気がした。
 一つだけ、十海が勝利する方法があることを、相手は見抜いていた。そして、それを十海自身が怖れてしまっていることも。
(私は……)
 手札にある5枚のうち1枚のカードを見る。それは勝利へと、彰へと続く1枚。
 だけどそれをしてしまったら、今までの全てが壊れてしまうような気がしていた。
(ライフポイントを削るのは、嫌だ)
 頭の中で、呪文のように繰り返されるフレーズ。
(命を削るみたいで、嫌だ。だけど)
 その後に続く言葉の前に、目を閉じる。瞼の裏には、彰の姿が焼きついて離れない。
 自分と全く正反対の闘い方をする彰。ライフポイントをいかに早く大量に削り取るかを重視した、ビートバーンの戦術。
 とても恐ろしいと思った。相手の命を焼き尽くしてしまうような気がして、少なくとも自分はその闘い方を選ぶことができなかった。
 ……自分は? それじゃあ、彰は?
 自分がそれを選べないと言っても、他の誰かがそれを選ぶことを恐れたりしたのか。小さな疑問が投じられ、心の中に大きな波紋を作る。
 ライフポイントを、削る。命に、価値をつける。命を、削る。

(私が本当に恐れていたのは、そんなこと?)

 ギチギチと、自分の中にあった鎖が千切れていくような気がした。
 透き通るような気持ちだった。長い間押さえ込んでいた本当の自分が、ようやく解き放たれた。
(私は、彰がくれたこの勇気を怖がってたんだ)

『お守り。目には目を、お化けにはお化けを、だ』

 あの時の彰の真意が、ようやくわかった。
 あの時自分が恐れていたのは、目に見える異形の存在達などではなかった。『そんなものが見えてしまう』自分を恐れたのだ。
 つまり、力を恐れていた。そんな自分に、彰は更なる力を与えたのだ。恐れなくても良いように、二人の繋がりという形で。
 力を恐れないこと。力に飲まれないこと。力と向き合うこと。
 それを教えるために、彰は勇気(ちからをくれた。
(結局、彰に助けられちゃったかな)
 だけどもう、迷わない。彰を助けるためならば、この絶大な力とも向き合おう。
 勇気へと、彰へと通じる切り札を、切る。
「手札抹殺を発動! 私の手札4枚を捨てて、デッキにある4枚を全てドローする!」
 一枚目、幻影の壁。二枚目、メタモルポット。三枚目、悪魔の偵察者
 引くカードがことごとくウイルスによって破壊されていく。
 しかし、最後の1枚だけは違った。

紅蓮魔獣 ダ・イーザ、召喚! フィールドにある3枚とこのカード以外の私のカードは全て除外されている。よって、ダ・イーザの攻撃力は……ッ!」
 赤い鱗に覆われた紅蓮の魔獣が、その翼を広げ、尾をしならせて舞い降りる。
 鋭い鍵爪と四本の角が力を象徴し、黄金の瞳がその力を振るうべき対象を射抜く。
「14400ッ!」
 十海はもう迷わない。迷わずに、攻撃を宣言する。

 向かってくる赤い魔獣に対し、コックは伏せカードに手をかけようとする。
(……フン)
 だが、やめてしまった。悪魔の調理師が砕け、ライフポイントは0を指す。
 最後のターンで、もう一歩でトドメをさせるというところで、コックは敗北した。敗北したのに、その表情はどこか満足げだった。
 そのまま踵を返して、どこかへ歩いていこうとする。
「待ってください」
 後ろから飛んできた声に、彼は足を止める。近づいてくる少女の気配に振り返る。
「まだ、決闘は終わってませんよ」
 小さく繊細な手が差し出される。ポニーテールの少女は、少しだけ寂しそうに笑っていた。
 コックは静かに鼻から息を吐いて笑う。それは小さな自嘲。
「また闘えるなら、今度は全力でお願いします」
「良いだろう。娘、それまでに腕を磨いておくことだ」
 その大きな手で少女の健闘と成長を称え、コックは再び歩き出す。その後ろから、ホームズの格好をした少女が追いかける。
 歩幅が違うので、少女は時折小走りにならなければならない。

「待ってよー!」
「遅い。置いていくぞ小娘」
 決闘場の外へ通じる扉に向かって、二人は歩いていく。
「せっかくだから私はこの赤の扉を選ぶぜ!」
 などという声が聞こえてくるが、十海とレイにとっては意味がわからない。扉はどう見ても赤とは程遠い暗水色だし、選ぶも何もその方向に扉は一つしかない。
「なんだったんだろう。あの二人」
 結局、正体を明かさないまま二人は扉の外へ出て行ってしまった。十海とレイは顔を見合わせる。
 わからないものは仕方が無い。十海にとって、とにかく今はそれよりも彰が大事だ。
 逢魔を探し、決闘場を見回す。観戦席にその姿を見つけた途端、世界が暗転する。
「何こ……」
 言い終わる前に、レイの声が、姿が消える。十海は一瞬だけ焦ったが、すぐに心配いらないとわかった。
 真っ暗な世界に一人、逢魔は静かに微笑んでいたからだ。
「あの二人を助けてくれてありがとう。あとは彰君だけです」
 遠のいていく意識の中で、十海は一人の声を聞いた。
 最後に逢魔から聞いた問いかけに対して一言だけ、こう答えた。

 私は彰を信じてるから。










「ヘルフレイムエンペラーでゾンビ・マスターに攻撃!
 更に、プロミネンス・ドラゴンで伏せモンスターを攻撃する!」
 炎が踊る。その舌で相手フィールドを撫でていく。
メタモルポットの効果発動! 効果により5枚ドローする!」
「まだ二体目のプロミネンス・ドラゴンの攻撃が残ってるぜ!」
 瞬きする間もなく、フィールドに現れたゴブリンゾンビは炎の中に消えていく。
 ロックは全て解除され、壁モンスターはいなくなった。しかし、東雲の目にあるのは鋭い笑み。
「僕のターン。ドロー!」
 一瞬、全身に走る鋭い痛みに東雲の表情が歪む。引いたカードは神にも追いすがるほどの力を持った、姉の最高傑作だ。
(ありがとう。姉さん)
 心で呟き、決着に向けて走り出す。
「ゴブリンゾンビの効果で手札に加えたワイトを攻撃表示で召喚!
 罠カード同姓同名同盟を発動! デッキから更に2体のワイトを特殊召喚する!」
 ゆらゆらと、真っ直ぐ立つことさえできない貧弱な骸骨が三人、東雲の前に集う。
 これを見たときの相手の反応は常に同じ。こんな低級モンスターを場に揃えて何をするのか、という疑問が顔に表れる。
 相手がその結論に至る前に、東雲は仕掛ける。
「魔法カードトライアングルパワーデルタ・アタッカーを発動!
 これでワイトの攻撃力は2300! 3体のワイトで直接攻撃する!」
 魔法の力を得た骨は相手のフィールドに存在する炎の魔物達を素通りし、彰に直接ダメージを与える。
 その総量は馬鹿にならない。下手をすればあと一撃で決まってしまうほどまでに、彰のライフポイントが削られる。
「トライアングルパワーの効果を得たワイトはエンドフェイズに破壊される。
 だが、その前にこの3体のワイトを生け贄に捧げ、僕はエクスベルを召喚する!」
「3体の生け贄……!?」
 世界には、神のカードと呼ばれる強大な力を持つカードが存在する。
 多くのカードデザイナーがそのカードの力に魅了され、模倣したがった。
 強大な力。そのために必要な生け贄は3体。3体の生け贄を必要とするモンスターは、神に及ばないまでも非常に強い力を持つ。
 そして、今ここに降臨しようとしているエクスベルも例外ではなかった。

 大気が渦巻き、ワイト達がその中に光の粒となって消えていく。地響きのような、しかしくぐもった音が聞こえてくる。
 外から耳に入ってくる音というよりは、自分の内側で何かが震えているような感覚だった。それが骨を伝って耳にたどり着いている。
 エクスベルが降り立つ。力に絶望し、それから逃れようとした二人に住み着いた闇が、その姿を現す。
 角――その角は失われた力を象徴するように折れ、
 牙――その牙は傷つけたくない想いのために磨り減って、
 爪――その爪はいかなる傷口も開かぬように引き抜かれて、
 二人の中にあったあらゆる願望を詰め込んだ姿で、その獣は静かに立っていた。
 願いの代償として、折れた角の先は心臓を突き刺し、何も噛み砕くことの出来ない牙によって体は痩せこけ、引き抜かれた爪の先からは赤い何かが流れ出していた。
 夜の岸壁に四本の足で立つそれは、いつしか歪んでしまった願いの成れの果てだった。
(僕は、僕達は、この闇を乗り越える! 抜け出してみせる!)
 全てを背負ったあの日の瞳で、東雲は目の前の敵を睨みつける。
 本当の闘いはここから始まる。



最終話 今はまだ届かない これからもきっと


 剣山はその姿に圧倒されていた。強靭で力強いイメージはどこにもないのに、強烈な想いをその身に秘めた怪物(モンスターに。
 深く深く深く深く深く、誰よりも深い闇の底に潜った願いは歪んでしまった。
 剣山は闇に染まった友人の姿を思い出す。中身は本物ではなかったけれど、それは酷く目の前の怪物に似ていた。
 歪んだ願いの(むくろが、目先の全てを闇の底に引きずり込もうとする。
エクスベルの効果発動! 相手フィールド上のモンスターを3体まで装備カードとして飲み込む!」
 だが、東雲の声にはそれだけではない何かが秘められていた。エクスベルという名の試練を彰の前に置くことで、彰に何かを得させようと、自分が何かを得ようとしているような。
 力に溢れた声の中には様々な感情が渦巻いて、そこには確かに自信が込められていた。



 彰は息をするのも忘れ、目の前の怪物に目を奪われていた。
 唾を飲み込む音がはっきりと聞こえる。彰の記憶をその内側に持っているらしい怪物は、血走った目を彰へと向けた。
 デッキの中にいる最強のモンスター、ヘルフレイムエンペラーは既にあの中に取り込まれてしまった。頼れるダメージソース、プロミネンス・ドラゴンも同様だ。
 吸い込まれるように怪物の中に消えていった炎のモンスター達。その力を奪い我が物としているかのように、怪物の全身から炎が噴き出す。
「エクスベルの攻撃力はこの効果によって装備したモンスターの攻撃力の合計となる! よって、エクスベルの攻撃力は5700!」
 目から耳から鼻から口から、あらゆる穴から炎を噴き出しながら、グルグルと、怪物は低い声で唸り続ける。
 存在しているだけで、それの気配が全身に重くのしかかってくる。間違いない。今目の前にいるあの怪物は、別格だ。
 記憶だけじゃない。力を――あれに立ち向かうと思える勇気や、勝つための手段すら――食われてしまう。
 全身から嫌な汗が吹き出ている。頭のてっぺんから足の先まで、調理用油でコーティングされてしまったかのように気持ち悪かった。
 津波か雪崩か火砕流か崩れてくる土砂か、そんな抗いようの無い存在に見えた。
「このターン、僕はバトルフェイズを終了したので攻撃はできない。ターンエンドだ」

日生 彰 LP1100
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーン何もなし
手札5枚
東雲 LP4100
モンスターゾーンエクスベル
魔法・罠ゾーンプロミネンス・ドラゴン×2、ヘルフレイムエンペラー
手札3枚

 強大すぎる力に押しつぶされそうになりながら、彰は目の前の存在を見る。
 炎を噴き出しながら唸り続ける四足歩行の化け物と、その後ろに鋭い眼光を燃やす東雲がいた。
 東雲は、あれを見れば彰が何かを思い出すかもしれないと言った。だが、彰は今悟った。見るだけではダメだ。
 この馬鹿げた力の塊を打ち破らない限り、記憶は戻ってこない。東雲の目はそう語っていた。
 そして、手加減をするつもりは全く無い、とも。
「俺のターン。ドロー!」
 思考には時間をかけてはいけない。
「魔法カード死者への手向けを発動! 手札を一枚捨て、エクスベルを破壊する!」
 エクスベルの周囲を淡い緑色の光が包み、回転する。
「無駄だよ」
 怪物が一つ吼えると、その光は拡散し、大気に溶けて消えた。
 死して尚現世にとどまる者は、手向けなど必要ないと言わんばかりに不敵に笑う。
「エクスベルは魔法や罠で破壊されない」
「くっ……」
 あまりの威圧感に、焦りが出たのか。カードを2枚も浪費してしまった。
 残された手札は4枚。そのうち、あれを打ち破る可能性を秘めたものはないかと探して、1枚に目が留まる。
 寮でぼんやりと眺めていた時に、気になっていたカードだ。
 耳鳴りがした。目の前のエクスベルの威圧感によるものでもあったし、それ以外の要因もあった。思わず耳を塞ぎ、エクスベルではないほうの原因に目を向ける。
『お前達には不思議な力がある。その力のせいで、この先いろんな試練に立ち向かうことになるだろう』
(な、ん……?)
 頭の中からはっきりと、誰かの声が聞こえた。
 フェードアウトして消えていくその声には、聞き覚えがあるような気がする。
 彰はもう一度、エクスベルに視線を戻す。重圧が少し軽くなったように感じた。
「リバースカードを1枚セットして、ターン終了だ」



(二人の記憶が解放された、か)
 東雲はカードをドローし、そう確信した。全身に走る痛みが少し和らいだからだ。
 エクスベルは、強大な力を持っている。目にしただけで圧倒され、何もできなくなってしまうことさえある。
 それを操るとなれば、どれだけの精神力が必要になるのか。それを気力だけで補っていた東雲だが、どうやらもうそれほど気張る必要もなさそうだった。
 エクスベルそのものの力は、喰らった力と記憶に比例して大きくなる。研究所の地下では逢魔が二人をエクスベルの内側に招いていた。
 逢魔と東雲の願いが重なったのだ。対峙する者としてではなく、内包する者として、エクスベルを打ち破ろうという願いが。
 勿論、最後は彰や十海達の力を借りなければそれを達成することはできない。
 だが、逆に言えば、頼ることが出来るのだ。彰の記憶を解放するという意味で、十海達とも願いは重なる。
 全身にかかる重圧が軽くなる。二人の記憶を解放し、エクスベルの力を弱めることが出来たのだろう。
 あとは、彰にこの怪物を倒させるだけで良い。
(でもね、僕は最後に一度だけ、足掻いてみたいんだ)
 確かに、攻撃宣言をしなければいつか自分は敗北する。だがそれでは、彰がこれを打ち破ったことにならない。
 何より、姉の作り上げた最高傑作をそんな形で使うのが嫌だった。最後くらい、本気で闘ってほしいと思った。
「エクスベルのコントローラーは毎ターンスタンバイフェイズに500ポイントのダメージを受ける」
 東雲の表情が苦痛に歪む。弱くなったとはいえ、やはり神に追いすがるほどの力を持ったカード。扱うための代償は小さくない。
 それでも、東雲は止まらなかった。止まりたくなかった。
「エクスベルで攻撃!」
 この攻撃が通れば、彰は敗北する。そうなればエクスベルは打ち破られないまま、彰の記憶は戻らない。
 だけどその先に、何か別の未来が待っているとしたら。彰や他の誰かに頼らずにエクスベルを打ち破り、自分がこの暗闇から抜け出せる方法があるとしたら。
 その可能性を、東雲は捨て切れなかった。
 ここまでしておいて、傲慢なのはわかっていた。だが、ここまでしたのはその可能性を確かめるためでもあるのだ。
 炎を噴きながら、怪物は彰に向かっていく。火炎を撒き散らす腕を振り上げ、そのまま彰に向けて最後の一撃を加える。
 その腕が彰に届くことはなかった。
闇の呪縛発動! エクスベルは魔法・罠で破壊できないが、攻撃を封じることならできる!」
「クッ……!」
 あごを噛む力が強くなる。
(僕は闇に囚われたままだと言うのか……ッ!)

日生 彰 LP1100
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーン闇の呪縛
手札5枚
東雲 LP3600
モンスターゾーンエクスベル
魔法・罠ゾーンプロミネンス・ドラゴン×2、ヘルフレイムエンペラー
手札4枚

「俺のターン。ドロー!」
 時間稼ぎには成功した。だが、それを支えるのは頼りない罠1枚。
 打ち破られるのは時間の問題だ。手札を眺める。
(あれ……?)
 どこかで見たような4枚だった。いや、寮でカードを眺めていたので一枚一枚に見覚えがあるのは当然なのだが、この組み合わせは違った既視感がある。
「リバースカードを1枚セットしてターン終了だ」
 手は勝手に動いた。次に引くカードに、自分が何かを期待しているのがわかった。
「僕が……」
 東雲の声が思考を遮る。力強く闇を貫く光を宿した瞳で、引いたカードと共に顔を上げる。
「僕達が、いつまでもこんなくだらない呪縛に囚われていると思うなッ!」
 サイクロンが発動し、竜巻が闇の呪縛を打ち砕く。自由を得た怪物は再び空に向かって吼える。
「魔法を発動したターン、エクスベルは攻撃をすることができない」
 忌々しそうに、だが、呪縛から抜け出した清々しさも感じさせながら、東雲はターンの終了を宣言する。

日生 彰 LP1100
モンスターゾーン何もなし
魔法・罠ゾーン伏せカード×1
手札3枚
東雲 LP3600
モンスターゾーンエクスベル
魔法・罠ゾーンプロミネンス・ドラゴン×2、ヘルフレイムエンペラー
手札4枚

 ドッ、と。東雲の言葉が彰の中に深く響く。
 手札にある1枚のカード、灼熱の試練が大きく鼓動するのがわかった。
 再び大きな耳鳴りと共に、無数の映像が頭の中を駆け巡る。最後に、誰かの笑顔があった。
「は……」
 東雲の迫力に怖気づいたわけではない。東雲に気付かされたのだ。
「ははは……ッ!」
 笑いがこぼれる。精一杯の笑顔と、精一杯の闘志で、彰は再び顔を上げる。
 空気が変わった。東雲もそれに気付いたのか、その目を一層鋭くする。
「俺のターン。ドロー!」
 このターンに何もできなかった場合、彰は敗北する。だが、引いたカードを見た彰は今までで一番嬉しそうに笑っていた。
「俺の力じゃ、エクスベルは倒せない」
「え……?」
 怪訝そうな表情を浮かべる東雲に向かって、彰は続ける。
「だけど、俺だけの力じゃないんだよ」
 高らかに、彰は勝利を宣言する。



「だけど、俺だけの力じゃないんだよ」
 地下から戻り、彰を探してやってきた十海が最初に聞いたその言葉は、この世のどんな音楽よりも心に響いた。
「彰……」
 小さく呟くその声に反応するように、世界一眩しい笑顔が力強く応える。
 すぐに目の前の闘いに視線を戻してしまったけど、それは確かに自分に向けられたものだとわかった。
「あ……」
 思い出していた。
 それだけの事実が、十海の中で弾ける。こみ上げてくる熱い雫を止める術はなかった。
 濡れて霞む目をこすって、炎の剣を持って火山に降り立つ魔導師の姿を見る。
 二人の繋がりの前に敵は無いのだと、彰はその闘い方で語る。
 灼熱の魔法が怪物(エクスベルをものともせずに打ち破り、炎の剣の渾身の一撃が勝負の決め手となった。



「だけど、俺だけの力じゃないんだよ」
 今まで見た中で一番力強い笑顔の少年は、自分に向かってそう言った。
「ク、ははは、ははははは!」
 降り立つ魔導師の手に、炎の魔法が宿る。三段階に成長する火の玉が、神にも匹敵するほどの力を持つエクスベルをいとも容易く焼き払う。歪んだ願いの骸が、浄化の炎の中に消えていく。
 その様子を見て、しかし東雲は声を上げて笑った。ここまで気持ちよく笑うことができたのは久しぶりだった。
 目の前の少年と、自分との間にあった決定的な差に気付いたのだ。
(勝てなくて当然だ。だって僕は)
 爆炎使いが炎の剣を振り下ろす。両手を広げ、その衝撃を全身で受け止めることにした。
(最後は自分だけの力で闘えると、思ってたんだから)
 ゆっくりと、視界が回転していく。あまりにも軽く、小さな音を立てて背中は地面にぶつかった。
 そのまま大の字に寝て、沈み始める月を眺める。随分長いこと闘っていたらしい。
 静かに流れていく風が心地よい。やがて朝日が昇り、世界は新しい朝を迎えるだろう。
 長い間闇に閉ざされていた自分の中にも、ようやく夜明けが訪れる。
 自分の体が、淡く青く光るのがわかった。少しずつ、光の粒子となって空へ還っていく。エクスベルに願った(・・・者の代償だ。
「まだ、デュエルは終わってないぜ」
 光の中で、眩しい笑顔で手を差し出す少年がいた。
 ゆっくりと、手を伸ばす。力強く握り返してくる少年の手は、暖かい。
「ごめんよ。起き上がれそうに、ないんだ」
 力の抜けていく顔でなんとか笑う。心から笑いたいと思えたのは久しぶりなのに、どうも筋肉が言うことを聞かない。
 少年が何か叫んでいる気がしたが、だんだんと音が聞こえなくなっていく。世界から、自分が切り離されていくのがわかった。
 少年のほかにもう一人、黄色いバンダナの青年が駆け寄ってきた。彼も必死に呼びかけてくるのが口の動きでわかる。
「ありがとう」
 心からそう言えた。本気で闘う熱い心を教えてくれた青年と、エクスベルという呪縛から自分を解き放ってくれた少年に。
 やがて、その二人の姿も見えなくなる。
 エクスベルに、仲間二人と少年の記憶を戻すように願った。願った者はその代償として、自らの肉体を世界から除外しなければならない。
 後悔は無い。これは、全ての願いが重なった結果だから。
 視界が青白い光に満たされていく。体が光になって、空へと昇っていく。
 最後に一言、一番愛しい人への言葉を呟いた。
「姉さん、やっと会えるね」






 迂闊だった。剣山はそれに気付いた途端、走り出していた。
『僕と日生君のデュエルを、見届けて欲しい』
 最後のデュエルになってしまうことが、東雲にはわかっていたのだ。だから封筒をわざわざ自分に託したりした。
 最後の一撃を受けてそのまま倒れた東雲の体が、青白い光に包まれている。
 少しずつ、塩酸の中に入れた金属が溶けて泡になるように、東雲の体から光の粒子が飛び出していく。
 剣山にはそれが命の欠片に見えて仕方が無かった。
 あるべき場所へ還る、いつかの人形のあの子と似ていた。
 それでも、呼びかけずにはいられなかった。一度でも本気でぶつかり合えば、その相手はかけがえの無い友なのだから。
「東雲……ッ!」
 呼びかけながらその顔を覗き込んで、剣山は言葉を失った。
 なんて満ち足りた顔なんだと、思った。不思議と、全身の力が抜けていくような気がした。
 釣られて微笑んでしまうくらいに幸せな顔で、東雲は空へと還っていく。
「あんた、強かったドン」
 それ以上かけるべき言葉は、見つからなかった。






(なんか、ずるいな)
 レイは一歩引いた場所で、東雲が消えていく光を眺めていた。
 あの青年のせいで痛い思いをしただけに、レイとしてはこの状況は複雑だった。
(これじゃあ、悪い人だったのか良い人だったのか、わからないじゃないか)
 自分を衝撃増幅装置などという悪趣味なもので拘束した上に、信哉を病院送りにした。
 だけど、結局その張本人が彰の記憶を取り戻すために闘っていた。
 地下で自分を睨んだあの鋭く冷たい瞳はどこへやら。決闘者として相応しい人たちと同じ、熱い目をしていた。
 どちらが本物の東雲なのか、レイにはわからない。
 さっきの異世界(?)で出会った逢魔の話によれば、本当は優しい人なのだろうとは思うのだけど。
 星屑のような青白い光が昇っていく空を見上げ、一つ溜息を吐く。
 悪い人をやっつけてめでたしめでたしなどという、わかりやすい話ではない。
 そのくらいはわかっている。わかっているからこそ。
(すっきりしないなぁ)
 レイは東雲に対して憎悪にも近い怒りを抱いていた。自分の中では完全に悪者に分類されていた。
 それなのに、この有様はなんだ。
(良い人になったならなったって、ちゃんと言えば良いのに)
 自分の考えていることの理不尽さに気付いて、レイは小さく笑った。
(ま、いっか)
 先ほど闘ったあのホームズの格好をした少女のスタンスを真似てみる。
 細かいことは気にしない。東雲は笑っているようだった。剣山の様子から、それがわかった。
 彰は記憶を取り戻しているようだし、十海にも笑顔が戻るだろう。
 また、三人で笑い合う日々が戻ってくる。今はそのありがたさをかみ締めていれば、良い。
 誰もが笑うことのできるハッピーエンドが、来るのだから。






 東雲が消えていく光の中で、彰は必死に呼びかけていた。
 東雲が自分の記憶を奪ったとか、そういうことはどうでも良い。東雲は自分にとって悪者である以前に、思い切り闘った尊敬すべき決闘者だ。
 だから、彰は自分との決闘のせいで東雲が消えていくことが許せなかった。また闘おうと、叫び続けた。
 その言葉は届かない。今はまだ届かない。これからもきっと。
 だけど、最後に東雲は、笑っていた。心の底から笑って、誰かに向かって一番優しい言葉を呟いていた。
 彰はその場に座り込んでしまった。やりきれない気持ちのまま、空を見上げる。
 ひらひらと、カードが舞う。ワイトキングワイト夫人が寄り添うように、夜の風に乗って飛んでいく。朝日の昇る海の向こうへと。
「あきら」
 後ろから、優しい声が聞こえてくる。彰は小さくしかし深く、息を吐いた。
 気持ちの整理をするための深呼吸。東雲との闘いの最後、自分の中で確かに笑いかけてくれた少女に、最高の笑顔で向き合うための。



「あきら」
 座り込んだ彰に、声をかける。涙はもう振り払った。
 きっと、苦しい戦いだったに違いない。
 その果てに東雲は消えた。逢魔が時折寂しげな笑みを浮かべていたのは、こうなることを知っていたからだろうか。
 闘った相手を誰よりも思いやることのできる彰にとって、この結果はやりきれないことだろう。
 それでも、彰は戻ってきた。全力で闘って、二人の絆も思い出してくれた。それで、十海は自分の心が救われたと思った。
 だから、今度は自分が彰に手を差し伸べる番。笑い合う日々のために、自分も笑って。
「ほら、行くわよ」
 振り向いた彰は、十海がずっと見つめていたいと願っていた眩しい笑顔で
「ああ!」
 二つの手は今度こそしっかりと繋がった。
 彰は自分を確かに見てくれている。それは欲しかった視線とは少し違う。
 その中に信頼はあっても、十海の抱く感情と同じものはない。
 だが、十海が悲観することはなかった。


 今はまだ届かないけど、これからもきっと、この想いは変わらないから。



 おわり





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