20章 憧れの日




 3月21日、海辺の村・ミッド。

 東の海が橙色に染まっている。

 水平線から太陽がわずかずつ顔を覗かせていた。



 早朝6時、小さな港にブレイブはいた。

「ええと、これで全部だね…」

 体格のいい男が、新鮮な魚の詰まった箱にフタをし、荷車に載せてロープで固定する。

「それじゃあブレイブ、頼んだぜ。」

「うん。」

「もう大丈夫だと思うが、あの橋は慎重に渡れよ!」

「大丈夫だってば。」

「そうか、なら行って来ーい!」

「うん、行ってきまーす。」

 ブレイブは荷車を引き、西に向かって歩いていく。



 ミッド村は人口99人の小さな村。

 東の海と西の山に挟まれた土地に立地している。

 村は小さいだけでなく、人里からも離れている。隣村――ガルド村との距離は10キロもある。

 このため、食べ物の多くが自給自足だ。

 それでも完全に外界と隔離されているわけではない。

 1週間に2回程度、隣村と物資をやり取りする。

 隣のガルド村は、ミッド村の西、三方を山に囲まれたところにあるが、街も近く、物資に溢れている。

 だが、村が山に囲まれている分、ミッド村の新鮮な海産物は重宝されている。

 そのため昔からミッド村は、海産物をガルド村で売り、そのお金で日用品を得ているのだ。

 今ブレイブは、その橋渡しとなる仕事を請け負っている。海産物を荷車に載せ、西のガルド村に向かって、荷車を引いて歩いているのだった。



「まだ7キロもあるのかぁ…」

 森に差し掛かったところで、ブレイブは肩を落とす。

 ブレイブは15歳ではあるが、何度かこの仕事を請け負ったことがあり、道筋や距離などもしっかり頭に入っている。

 森の入口はあと7キロ――これは、以前、歩幅を数えて距離を測った時に得た貴重な情報である。

 いつまでも森の前で立ち止まっているわけにもいかず、森の中へ進む。

 森は薄暗かったが、わずかに漏れる日の光や、鳥のさえずり、木々のざわめきがブレイブは好きだった。

(あ、そういえば、家の盆栽に水あげるの忘れてたかも…)

 ふと思い出して、苦笑いを浮かべる。



 左右を緩やかな崖に囲まれた渓谷を進んでいく。

 川沿いの多少荒れた道を、荷車を引いて歩く。

 川のせせらぎが心を落ち着かせる。

 ……日も高くなってきた頃、視界に橋が映ってくる。

(橋が見えてきた…)

 この橋を渡れば、そこはガルド村である。

 しかし、この橋は老朽化しているため、重い荷物を引いているブレイブは、慎重に進まなければならない。

 橋の高さは2、3メートル程度なので、落ちても命に関わるほど危険と言うわけではないのだが、誰だって怪我はしたくない。注意するに越したことはない。

――ギィィィ…

 不安にさせる音を立てて、橋が軋む。

(大丈夫かな…)

 何度も通った橋だが、心拍数が上がらずにはいられなかった。

 その時――

――ズズズズ……

 後ろの荷車から嫌な音が聞こえた。

 振り返る。

「あ、荷物が…!」

 ロープで固定したはずの荷物の一つがずり落ちそうになっている。

 荷物に駆け寄り、落ちる荷物を支えようとする。

「痛っ!」

 しかし、勢いがありすぎたか、橋の欄干に足をぶつけ、しかも、運の悪いことに欄干の一つがまっぷたつに折れてしまった。

 隣の欄干に足を引っ掛け、宙を返り、ブレイブはまっさかさまに落ちていく。

――バッシャアァァン…

 背中から川にたたきつけられ、豪快な水音を立て、ブレイブはそのまま気を失ってしまった。



 隣村・ガルド。

 村はずれを一人の男――セダ・プロメスが、犬を連れて散歩していた。

「明日か…。シロ、お前ともこれでしばしのお別れだな。」

 低い声で犬に話しかけ、頭をなでる。

 顔と声だけで判断するには想像もつかない言動だ。

「ワン! ワン!」

 なでられたはずの犬が突然吠えて、駆け出す。…もちろんセダを拒絶して吠えたのではない。

「ん、何だ?」

 犬を追いかけてセダは走る。

 村の入口にある橋の下、川のほとりに気を失って倒れている少年――ブレイブがいた。

 橋の上には放置された荷物と荷車。

「……! お手柄だぞ、シロ!」

 犬に向かって叫びながら、ブレイブの元に駆け寄る。

 ブレイブの全身を見回し、ほっと一息つく。

「…大丈夫みたいだな。」

 唯一、右足から出血はしているものの、大した怪我ではない。

 ハンカチで軽く止血し、彼をおぶり、家に向かって歩き出した。



 ゆらゆらと揺れる不思議な感覚。

 ブレイブは見知らぬ男におぶられたまま目を覚ました。

「あれ?」

 意識を回復させたブレイブはきょろきょろと周りを見回す。

「ゆ、誘拐…?」

 橋から落ちた経緯を思い出せずに、勘違いしたままを呟く。

「誰が誘拐犯だと!」

 強い調子で返すセダ。

 しかし、その声色はどう見ても誘拐犯だ。

(本当に誘拐犯?)

 ブレイブは震えた。

 そこに一人の男が通りかかる。気さくのいい男――ノディウス・プロメスことノディ、セダの弟だ。

「よ、闇医者!」

 左手を軽くあげて、ノディはあいさつをする。

(や、やややや、闇医者!?)

「その名を呼ぶな!」

 セダは反論する。

(闇医者と言うことは、ぼくはこれから実験台に…!?)

 ブレイブはまだ混乱していた。

「でさ兄貴、その少年、何なわけ? 誘拐?」

「違う! そこで怪我しているのを――」

「『汚して』いるのを――? あ、兄貴にそんなシュミがあったとは…」

「違うっ! 川辺に倒れているのを見つけてきただけだ!」

 セダとノディが馬鹿みたいなやり取りをしている間にも、ブレイブの勘違い的妄想は激しくなっていた。

「…できれば、お手柔らかにお願いします。」

 ちょうど顔を覗き込んだノディに向かってぽそりと呟く。

「あ、兄貴、マジで……」

「……」

 誤解を解くのに10分を要した。



 正気に戻ったブレイブは、セダの肩を借りて彼の家まで歩いていった。

 ちなみにノディには、橋に置き去りになった荷物を市場まで運んでもらうことになった。

「ここだ。」

 セダが空いている右手で家を指差す。

 右足の怪我に気をとらわれていたブレイブは顔をあげて、その家を見る。

 大きく掲げられた看板に目が行く。そこには、「プロメス医院」とあった。

「病院?」

「ああ、オレの両親が医者をやっている。オレ自身も医学の心得はある。」

「闇医者じゃあ……」

「違う! あれは、オレの容姿からノディが勝手にそう呼んでいるだけだ。」

 セダのこめかみがピクピクと動く。

(これ以上、闇医者の話題には触れないようにしよう…)



 プロメス病院、待合室。

 開院の時間前、二人の男女がソファに座っていた。

「ねえ、スエズ…」

 一人の女性が、男――スエズに話しかける。

 スエズはソファに座ったまま、両手を組んで顔をうつむけていた。

「あたしね、あなたの夢を追いかける姿が、好き。」

「アレス?」

 彼女――アレスの一言にスエズは顔を上げる。

「気付いたの。あたしが好きなスエズのこと。」

「夢を追いかけて輝いているあなたの姿に、あたしは惚れていたの。」

「……ごめんね、今まで引き止めるようなことして。」

「アレス…」

 スエズの心にアレスの言葉が染み渡っていく。

 二人の視線が重なる。

「スエズ…」

「アレス…」

 二人は見つめあい、その距離は縮まる。

――ガチャ

 だがタイミング悪く、扉が開く。

 二人の心拍は高く跳ね上がった。

「セ、セダ兄さんか……」

 ほっと一息つくスエズ。

(ノディ兄さんだったら、絶対からかわれるからな…)



「右足の怪我以外は問題なし。もっとも、その右足の怪我も多少の出血と打撲程度だから、1日休めば大丈夫だろう。」

 病院の3階、セダの部屋。

 ブレイブは簡単な治療を受けていた。

 橋の欄干に右足をぶつけて、引っ掛けた時の怪我以外に、問題はないようだった。ブレイブはほっと一息つく。

「お前は、ミッド村から来たんだよな。」

「う、うん。」

 多少物珍しい顔をしてセダが言う。

「何かと来てもらって一方だしな、オレ、ミッド村には行ったことないんだ。」

「あ、そうなんだ…」

 セダ――いや、セダに限らず、ガルド村の多くの人はミッド村のことをあまり知らない。

 ミッド村、ガルド村、交流はあったのだが、そのほとんどがミッド村の方から出向いてくる形であったし、なにより、ガルド村にとっては、隣の「街」の方に目がいくものなのだ。

「……」

 会話が途切れる。

 ブレイブは聞いておきたかったことを口に出すことにした。

「それにしても、この部屋……すごいなぁ。」

 セダの部屋。

 四方、本棚に囲まれている。部屋の壁がほとんど見えない。

 ベッドがなければ、書庫と勘違いさせる部屋であった。

「これは趣味。」

 本棚から1冊の本を取り出しながら言う。

 理解不能な題目が目に入る。どうやら医学書のようだ。

「オレ、医学書を集めるのが趣味なんだ。ここにあるのはほとんど全て医学書。」

「へ、へぇ…」

 圧倒されるブレイブ。

 ブレイブには想像もつかない世界だった。

「そして――明日でこの部屋ともお別れだ。」

 セダは本棚の方を向いたまま呟く。

「え?」

「……まあ、これも何かの縁だ、話してやるか。」

 本を本棚に戻し、ブレイブの方を振り向いて、話を始めた。



「オレには夢がある。」

「いや、オレ達3人兄弟、全員に。」

「オレの夢は医者。」

「だが、医者と言っても普通に病院を開業しているような医者ではなく、貧しい国や、災害に見舞われた国――そういうところを転々としていくような医者にな。」

「この顔と声で言うのも何だが、オレ……誰かに喜んでもらえることが、好きなんだ。」

「医者として初めて患者を診察して、喜んでもらえた時の感動が忘れられなくてな。」

「だから、医者の助けがあって、よりたくさん喜んでもらえるようなところにオレは行きたい。」

「まあ、かっこいいことを言っている割に、所詮、自己満足なんだけどな……それでもいいと思っている。」

「自分の手で、笑顔を作り出したいんだ。」

 セダの口調は、徐々に早く大きくなっていく。

 夢を語る一言一言が熱い。

 その目は輝いていた。

(わぁ……)

 ブレイブは圧倒され、言葉が出なかった。

 一生を自分の村で生きるのが当たり前のようなミッド村には、夢と言うものがなかったのかもしれない。

 ブレイブは感動していた。

「だから、オレは明日この村を発つ。」

「……弟のノディとスエズも一緒にな。」

「ノディは水泳の選手として、実業団に入り――」

「スエズはシステムエンジニアとして一大企業に入社する。」

「2人ともオレに負けず劣らずの夢を持っているわけさ。」

 夢中になって語るセダ。

 語る方だけでなく、聞き入る方も夢中だった。



 1時間近く経った頃――

「兄貴ぃ、一仕事終えてきたぞぉー。」

 遠慮なしに部屋の扉が開かれ、ノディが入ってくる。

 ブレイブがやるはずだったお使いをノディが代わりに済ませてきたのだ。

「あれ? どうしたんだぁ?」

 深く感動を受けたブレイブは目を潤ませていた。

 セダは熱く語りすぎて、興奮が顔に残っていた。

「あ、兄貴…、本当にやっちゃった?」

「は?」

 二人の姿を誤解して、引き目を感じるノディ。

「……!」

 セダはようやくノディの勘違いに気付く。

「違うっ!」

 気付いて、否定するが、時すでに遅し。

 結局、誤解を解くのに30分を要した。



「それじゃあ、行ってらっしゃい!」

「ああ。」

「うん。」

「おう。」

 翌朝。

 村人100人以上もの出迎えを受けて、セダ、スエズ、ノディは旅立った。

 ブレイブも出迎えの村人達に混じって、彼らを見送っていた。

(夢かぁ……)

 彼らの姿が消え、村人達が散った後も、ブレイブはまだ高揚していた。

 夢を追う彼らを尊敬し、自分もあんな風に夢を追いたいと思った。

「…ともかく、帰らなきゃ。」

 高鳴る心を抑えきれないまま、ブレイブは帰路に着いた。





 セダ、スエズ、ノディへの憧れ――

 これが、ねじ曲げられた運命を大きく変えることになったのだった。




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