やさしい死神(中編)

製作者:表さん




序章・晩餐(ばんさん)前のひととき

「……これで39枚、か……」
 新しく構築中のデッキを机に置くと、遊戯はほっと一息吐いた。
 時計を見ると、だいぶ時間が経過している。
 もう少しで、夕食の時間であった。
「……ウーン、残り一枚はどうしようかなぁ……」
 腕を組み、悩む。デッキは最低40枚で構築するものであり、必要なのはあと1枚。41枚以上でも可なのだが、基本的には枚数が少ない方が強いと言われている。デッキ枚数が少ない方が、強いカードを引く確率は高いし、コンボも決まりやすいからだ。
 神のカードはデッキに入れない。“彼”のカードだとかいう以前に、それらはゲームバランスを崩す、反則級に強力なカード。余程のことがない限り、遊戯は今後、それらを使う気がなかった。
(……ちょっとモンスター少ないし、モンスターカードかなぁ…。でも、魔法カードも捨てがたいし……)
「…あ、そうだ」
 不意に思い出し、制服のポケットに手を入れる。
 そして、先ほど祖父の店で買ったカードのパックを取り出す。
 もしかしたらこの中に、新しいデッキに入れたくなるような強力カードが封入されているかもしれない。
 期待とともに、カードパックを開封する。そして、ゆっくりとした手つきで、一番上のカードを取り出した。
「! こっ…これはっ…!!」
 それを見た瞬間、遊戯は驚愕し、固まった。

スカゴブリン /闇

【悪魔族】
完璧な「スカ」の文字を極めるため、
日々精進するゴブリン。その全てを一筆に注ぐ。
攻400  守400

「………………」
 ……『友情の決闘!!』で使い古したネタなので、以下略……。



 結局、遊戯はそのパック内の魔法カード1枚をデッキに投入した。
 これで40枚。とりあえずはデッキの完成である。だが、短時間で構築してしまったので、テストプレイなどを通して、完成度を高める必要性はあるだろう。
「……あ。そういえば、城之内くん…;」
 完成した途端、ふと思い出す。
 デッキ構築に夢中で、デッキのアドバイスをする約束を、すっかり失念していた。
「……まだいるかなぁ……;」
 デッキと決闘盤を掴むと、部屋を出る。
 多分じーちゃんが相手してくれたと思うケド…、と呟きつつ階段を下りた。
「あ、遊戯。もうお夕飯だから、おじいちゃん呼んできて頂戴」
 ちょうど降りきったところで、機嫌良さげな母に言われる。
 だが、店のほうに向かうと、店はガランとしており、誰もいなかった。
(……外でデュエル中かな…?)
 首を傾げながら、店のドアから外に出る。すると、そこには――
「――!? 城之内くん!?」
 アスファルトに片膝をつき、大きくうなだれる城之内がいた。
「…城之内くん!! 一体何が!?」
 急いで駆け寄る遊戯。
 すると、城之内の盤にはいくつかのカードがセットされており、そして、ライフ表示は0をカウントしていた。
「…くっ…! 強すぎる…!」
 城之内が、苦々しげな声を出す。
 そこで遊戯は、背後に気配を感じ、振り返った。

「――遅かったのう…、遊戯や……」
 するとそこには――決闘盤を装着し、邪悪な笑みを浮かべた双六が、腕を組んで立っていた。
「……じーちゃん…?! これは一体――」
 刹那、遊戯はあるものを見て驚愕する。
 双六の目の前には、2匹の羊たちと戯れる双子(?)の少女たち――『白魔導士ピケル』がいた。
 だが、遊戯はそんな光景に驚いたのではない。
 双六の盤のライフポイント表示に、ありえるはずのない数値が表示されていたのだ。
「……これが、そんなに珍しいかの……?」
 厳かな様子で、決闘盤を、遊戯に見やすい角度に動かす。
 信じがたいことに――そのライフポイントは、『99999』という数字を表していたのだ。
(……一体……何があったんだ…!?)
 思わず、ツバを飲み込む遊戯。
 99999――その中途半端な数値は恐らく、10万以上になろうとして、決闘盤のカウンターの桁が足りなかったが故の結果なのだろう。
 どこのRPGのラスボスのHPだよ、と衝動的にツッコミを入れたくなる遊戯。
 どうやったらそんなライフになるのか――遊戯には、想像もつかなかった。
「……仮に、ピケル3体が存在し、モンスターゾーンが5つ埋まった状態が20ターン続いたとすれば……、1ターンに最大6000ポイント回復できるから、確かに10万は超えるケド……」
 だがそれでも、そう簡単にピケル3体は揃わないだろうし、何より、これは対戦ゲーム。城之内が双六のライフ回復を黙って見過ごしていたはずはない。
 ふと、城之内のデッキを見ると、かなり減ってはいるものの、まだカードが残っている。デッキ切れで負けたわけではない。
 ライフの大量回復を持続しつつ、城之内の攻撃を防ぎ、さらには城之内のライフを削りきったということになる。
「……わかっとらんのう、遊戯や……」
「……!?」
 双六はニマリと、口元を歪ませる。
「……三つ子よりも双子が萌える……そうは思わんのか?」
「…………」
 …真剣に、意味不明なことを言ってみせる双六に、呆気にとられる遊戯。
 ……つか、それは人によるのでは……;
(――まさか!?)
 次の瞬間、ある可能性に気付き、遊戯は双六の目を見た。
 双六の瞳は、尋常な輝きをしていない。まるで、何者かに操られているかのようだった。
「……まさか……、羊たちと戯れる『白魔導士ピケル』の可愛さに魅了されすぎて、正気を失ってしまったのか……?!」
「……ククク……」
 ……イヤ、何その展開;(作者ツッコミ)

「……待ってて……じーちゃん!」
 持って来た決闘盤を装着し、新生デッキをセットする。
「……いま決闘に勝って――正気に戻してあげるよ!!」
「……ホウ…。身の程知らずにも挑むか。我が最強にして華麗なる、神をも超えたデッキ――“萌え萌えピケルたんデッキ”に!!」
 ……微妙に名前が変わっとる……;;
「……き、気をつけろ、遊戯……」
 背後から、城之内が注意する。
「――じーさんのデッキ…、とんでもねえ強さを秘めてやがる。少しでも気を抜けば、取り返しのつかねえライフ差がついちまうぞ…!」
「……わかってる……!」
 しっかりと頷いてみせる遊戯。
 通常、ライフ回復カードというのは、比較的重要視されてはいない。
 というのも、いくらライフを回復しても、相手のライフを0にしない限り勝てないからだ。
 あるていど回復しても、ゲームの主導権を握られれば、多少のライフアドバンテージは意味を成さない。――だが、それは“多少の”ライフ差であればの話だ。
 仮に、万単位のライフ差でもつこうものなら、それにはもはや常識など通用しない。
 対峙する決闘者は焦り、勝機を見失うかもしれない。
 特殊な勝利条件を除けば、相手のライフを0にしない限り、勝利はないのだから。
「……いくよ…、じーちゃん……」
「……クク…、来るが良い、愚かなる孫よ……」
 決闘盤を構え、身構える遊戯。
 遊戯はデッキを見つめた。
 新しいそのデッキには、“彼”のデッキに投入されていたカードが半分近く採用されている。

 二人は同時に構え、叫んだ。

『デュエ――』

 だがその刹那、第三勢力が割って入る。

「――お夕飯だって言ってるでしょっ!!? いつまで遊んでるの、二人ともっ!!!」

 ……母にどやされました……;

「――もうっ!! 来ないのなら、二人は晩御飯抜きね!!」
「…ゲッ! そんなぁ!?」
「まっ…、待っとくれい、札子さんっ!!」
「誰ですか、それはっ!!」
 結局、頭にツノを生やした母をなだめつつ、急いで家に入っていく遊戯と双六。


「………………」
 ……そして、再び忘れ去られる城之内なのであった……。



序章U・ガラス箱の蟻(あり)

「……ウーン……」
 奇妙な唸(うな)り声が、童実野病院の一室に響く。
 神里絵空は、病室のベッドに横になって、ひとり唸っていた。
 天井をぼんやり見つめながら、ひとこと呟く。
「……退屈だよぉ……」
 不服そうに口を尖らせる。
 入院患者にとって、退屈というのは時に、病気以上の難敵となることもあるのだ。
「……お勉強はもう来週の分までやっちゃったし…、この部屋の本は読み飽きちゃったし…、パソコンはもうずい分したし…、デッキは今日、手元にないし……」
 ぶつぶつと、不満げにボヤく。
(……“彼女”がいれば、そんなことないのになぁ……)

 ――“彼女”と一緒にいる時間が、わたしは一番楽しいのに

 デッキも、“彼女”に渡したから手元にないのだ。

 ふと、昨夜のことを思い出し、絵空は小さく笑ってしまった。
 昨夜、“彼女”は絵空に申し訳なさそうに、『デッキを貸して欲しい』と頼んできた。
(……相変わらず、遠慮深いんだから……)
 あのデッキは、半分は“彼女”のデッキなのだ。
 先日おこなったインターネット上のデュエル大会で用い、見事優勝を収めた、現段階での最強デッキ。あれに勝るデッキはそうそうないであろうと、絵空も自負している。あれは“彼女”と、二人でつくったデッキなのだ。
 棚の上に目を移す。
 その上に置かれた二つのデッキ――絵空と“彼女”のデッキは、いつもに比べると、半分くらいの厚さになっていた。
 それもそのはず、渡したデッキには、二人のデッキに投入されていたカードを、だいたい半分ずつ採用しているのだ。そのデッキは、二人の“きずな”の証ともいえるものだった。
(……それに……)

 ――遠慮など、する必要はない
 なぜなら…、“彼女”はわたしなのだから
 わたしが“彼女”であると同時に、“彼女”はわたしでもあるのだから――

「……そういえば…、“友達”って誰だろう……?」
 “彼女”は今朝、『友達の家に泊まるから今日は帰れない』と言って、この病室を出て行ったのだ。
 だがしかし、今朝の“彼女”の様子は、自分に何かを隠している風だった。
(……男の子だったりして)
 ふと、そんなことを思いつく。
 明日、帰ってきたら訊いてみようかな、とニヤけた表情で考える絵空。
「……“友達”…か……」
 ちょっとだけ羨ましいかな、と、絵空は思わず呟いた。
 小さいときからこの病室をほとんど出られなかった自分にとって、“友達”と呼べる存在は“彼女”しかいない。親しい看護師は多いけれど、やはり“友達”とも違うだろう。
 ――けれど、少し前までは、“彼女”も自分と同じだったのだ。
 “彼女”にとっての“友達”も、自分しかいなかった。
 だから喜んであげようと、絵空は心から思っている。
 実際、“彼女”がしてくれる学校の話はとても楽しく、そして、“彼女”自身も幸せそうであることがとても嬉しかった。

 ――だって…、“彼女”の幸せは、わたしの幸せでもあるのだから――

 天井を見つめながら、絵空はやわらかい笑みを浮かべる。
 今ごろ“彼女”は、その友達の家でゲームでもしているのだろうか。

 ――コン、コン

「あ…、はーい」
 ドアをノックする音に、絵空は嬉しげに返事をする。
 ノックの感じからするに、それは母の来訪を告げるものだった。
「ゴメンナサイ、絵空。ちょっと遅くなっちゃったわね」
(――ホラね)
 案の定、母がドアを開けて入室してくる。
 ふと時計を見ると、もう八時過ぎ。いつもより確かに遅かった。
「…アラ。今夜はパソコンもカードもいじってないのね」
 私が来るときはいつもしてるのに、とからかい調に言う母に、軽くむくれる絵空。
「……遊んでばっかりいるワケじゃないもん」
 ちゃんと勉強だってしてるもん、と棚の上の通信教育のテキストを指差す。
 実際、“彼女”がいなくてヒマだから、だいぶ先取りしてしまった。
「…アラアラ。それじゃ、これで機嫌直してくれるかしら?」
 そう言うと、母はハンドバッグから少し分厚めの新書を二冊取り出す。
 それは、絵空が少し前から頼んでいたものだった。
「…ワーイ! お母さん大好きっ!」
 現金なんだから、と母の顔もほころんだ。


「……わ。字がすごくちっちゃいや」
 消灯時間となり、母が帰った後、受け取った本の中身を確かめる絵空。
 これなら、読破するのにだいぶ時間を要するだろう。しばらくは“彼女”がいなくても、退屈を感じずに済みそうだ。
「……“退屈”……か……」
 バカみたい、と絵空は呟く。

 ――自分にはもう、そんなに時間は残されていないのに――

 壁にかけられたカレンダーを見る。
 すでに十月。
 医者によれば――自分が生きていられるのはもう、長くて三ヶ月足らず。
 けれどそれは、生きていられる長さの話。
 自分の身体のことは、自分が一番よく知っているつもりだ。
(……あと一ヶ月くらい…かな……)
 両手の平を開閉させながら思う。
 最近、身体の感覚が鈍くなってきている気がする。
 あと一ヶ月もすれば――自分は恐らく、一人で本のページをめくることも、デッキをシャッフルすることも困難になるだろう。
「……大丈夫……」
 誰にともなく呟く。
 それは恐らく、自分自身に対することば。

 ――覚悟は…できている
 “さだめ”を受け入れ、死ぬ覚悟は――

 呟く彼女の声は、小さく震えていた。

 ――誰でも、いつかは死なねばならない
 それは絶対の真理
 あるのは、早いか遅いかの違いだけ――

 絵空は、幸福に死にたかった。
 絶対の“さだめ”に抗う気などない。
 ただ死に際に、「自分は幸福だった」と思え、死の恐怖を感じずに死ねれば良かった。

 ――けれどそれは、無理なこと。

 恐怖を知らずに死ぬには、絵空の生は長すぎた。
(……もっと早ければ、良かったのにね……)
 自嘲気味に、そんなことすら思えてしまう。

 ――わたしの生は、なんだったのだろう…?
 ――わたしが生きていることに、何か意味はあったのだろうか…?

 その答えを知り、幸福に死ぬには、絵空の生は短すぎた。

 無意識に、ベッドの隣の棚の、ある引き出しに視線がいく。
 そこは、今は“彼女”が持ち出しているが、いつも決闘盤が入っている場所。
 ――決闘盤を使って、誰かとデュエルをすること。
 そんな、普通の人にとっては些細な夢も、結局、叶いそうになかった。

(……それから……もうひとつ……)
 もうひとつの心残り――それは、“彼女”のこと。
 自分のことなどより、ずっと大きな心残り――
「……わたしが死んでしまったら、“彼女”は……」
 ――“彼女”もきっと、死んでしまうのだろう――
 それは、自分が死んでしまうことよりも、何より辛いことだった。

 ――なぜなら“彼女”は、わたしだから
 “彼女”は、“もうひとりのわたし”なのだから――



第一章・愛に時間を

「……ん〜! 終わった〜!!」
 外に出ると、大いなる開放感とともに、杏子は背中を大きく伸ばした。
 振り返るとそこには、先ほどまで授業を受けていた英会話教室の建物がある。
 高校卒業後――アメリカに行き、“夢”を叶えるためである。
「――今日はちょっと長かったよね〜」
 後ろから、同じ英会話教室の友達が言う。
 腕時計を見てみると、すでに八時過ぎだった。まあ、授業料はバイト代から出しているので、短いよりは長いほうが得というものである。……学校の授業では、そんな気に全くならないが。
「…そういえば、最近、暗くなるのが早くなってきたよね」
 もう秋なのよね、としみじみ言う杏子。
 この辺りは街灯が多くたっているからいいが、そうでなければ真っ暗で、とても若い女子が出歩けるものではない。
 街路樹を見上げてみると、その葉は見事に紅葉している。
「年寄り臭いよ、杏子〜」
 隣を歩く友人が、可笑しげに返す。
「……もう…十月なのね……」
 ――“彼”が消えて、もう二ヶ月――
(……早いなぁ……)
 淋しげに、杏子はため息を吐いた。

「――こんばんは、杏子さん」
 不意に、背後から名前を呼ばれる。
 振り返ると――そこには、先日クラスメートになったばかりの少女、神里絵空がいた。


「――じゃあね、杏子、神里さん」
 地下鉄の入り口のところで友人と別れる。
 その後は、杏子と絵空が二人で歩くことになった。

「……塾か何かですか?」
「ウン、英会話教室の帰りなの。神里さんは?」
「……ええ。私も…塾の帰りです」
 歩幅の小さい絵空に合わせつつ、杏子は並んで歩いた。
「……私ね、高校卒業したら、ニューヨークでダンスの勉強をするつもりなの」
 だから、そのために今から英語の勉強してるんだ、と杏子。
「…ダンス…。すごいですね」
 絵空は、素直に感心してみせる。
「…ウウン、私なんてまだまだだから…。だからニューヨークに行って勉強するのよ」
 楽しげに、しかし決意のこもった、しっかりとした口調で言う。
「……素敵な夢ですね……」
 尊敬の眼差しを向けてくる絵空に、杏子は思わず照れてしまう。
 二人は会話を弾ませながら道を歩いた。


「……そういえば、杏子さん」
「ん、なぁに?」
「――杏子さんの好きな人は遊戯さんですよね?」

 ――ゴンッ!!

 思わず、近くに立つ電柱に頭をぶつけてしまう杏子。
 …中々いい音がした。
「……な…、何を言い出すのよ、神里さん!」
「……あれ…、違いましたか?」
 痛そうに額を押さえる杏子に、首を傾げてみせる絵空。
「……でも、遊戯さんは好きみたいでしたよ? 杏子さんのこと」
「……ア…アハハ……;」
 澄ました様子で言う絵空に、杏子はたまらず苦笑した。


「――遊戯は……幼馴染なのよ。昔からの友達」
「……“ただの”……ですか?」
 絵空の執拗な問いかけに、杏子は苦笑せずにいられなかった。
「……そうねえ…、“ただの”って言ったらウソになるかな。昔はね…遊戯、同じクラスの子とかによくいじめられてたのよ。大人しい性格だったし…運動神経よくなかったしね」
「……遊戯さんが……ですか?」
 絵空が、さぞ不思議げな顔をしてみせる。
「…今の遊戯は強くなったからね…。やさしくて大人しい性格とか、根本は変わってないけど……それでもやっぱり、芯の部分はすごく強くなった」
 杏子が、懐かしげな表情を浮かべる。
「…私、イジメとかそういうの見てられなくって…。遊戯と対照的に気が強かったし、よく遊戯のこと助けてあげてたんだ。男の子数人相手にケンカして、勝ったことだってあるんだから」
 右腕をかざし、少し自慢げに笑ってみせる。
「……だから…そう、遊戯は、“手のかかるカワイイ弟”って感じかな…。私、一人っ子だったし。そういう意味では、“特別な”幼馴染ね。…ま、今はあんまり手がかからなくなったけど」
 少しだけ、淋しげに笑う。

 ――正確には、それだけではない
 遊戯は、“彼”に最も近しかった存在
 遊戯を見れば、どうしても“彼”を想起する――

 ――だから多分、私が遊戯を好きになることはない
 遊戯が、どんなに私を好いてくれても
 それは多分、遊戯も分かってしまっていること――

「……遊戯の気持ちは知ってるけど……でも、私の好きな人は別の人なのよ」
 照れ臭そうに、杏子は教える。
「……そうですか」
 絵空が、意外そうな顔をしてみせた。
「……では一体…。城之内さんではないですよね?」
「それはあり得ないわね」
 迷うことなく、キッパリと即答する杏子。……哀れ城之内……。
「……私の知っている方ですか? それとも、先ほどの英会話教室のクラスメートとか?」
 興味ありげに訊いてくる絵空に、杏子は困り顔をしてみせた。

「……私の好きな人は――もういないから」
「…え」
 杏子の一言に、辺りの空気が凍りつく。
 風が、街路樹の紅葉を揺らし、ガサガサと音をたてた。
「……すみません…。私、余計なことを……」
 心から、申し訳なさそうに謝罪する。
「…ううん、気にしないで」
 大丈夫だから、と杏子は返してみせる。
 少し長めの沈黙が、二人の間に流れた。
「……亡くなった…の、ですか?」
 遠慮がちに、絵空が沈黙を破る。
「……そう…ね……」
 杏子は、首を縦に振る。

 ――正確には、そうではない
 “彼”は、最初から生きていなかった
 現世にいるはずのない人だった
 ……初めから、愛してはいけない人だった――

「――残酷ですね」
 絵空が思わず口にする。
「…ウン…。でも私、後悔はしてないの」
 杏子の瞳に哀しみと、そして、愛おしさがこもる。
「――だって…、すてきな恋だったもの」

 ――私は“彼”を、心から愛している
 今も昔も、そして、この先も――

「……でも多分…、いつかは“思い出”になっちゃうのよね」
 頭をあげ、漆黒に彩られた夜天(やてん)を見上げる。
 そこに輝くいくつもの星。
 それは美しいけれど――眺め続けていれば、いつかは褪(あ)せて見えてしまうのかもしれない。
 なぜならそれは、手を伸ばしても届かぬ場所にあるから。
 決して叶わぬ想いだから――

 永遠など、偶像に過ぎない。
 ちいさな子どもの、幼い理想でしかない。
 それは、杏子にも分かっていた。

「……だけどせめて、そのときまでは……」

 ――“彼”を愛していたい
 この愛が、永遠であると信じ込みたい――


「……ゴメンネ。変な話しちゃって」
 顔を下ろすと、絵空に軽く笑んでみせる。
 ――綺麗な笑み。
 本当は泣きたいのかも知れない――けれど、彼女の笑顔にはやわらかく、包み込むようなやさしさがあった。
「……強い…ですね……」
 その笑顔がまぶしくて、見ていられなくて、絵空は俯いてしまう。
「…そんなことないよ。ただ、いつまでもウジウジしててもしょうがないもの。……それに…、私が悲しい顔をしてたら、もっと悲しい想いをさせちゃうから……」

 ――“彼”と…そして遊戯に
 遊戯は誰よりやさしいから
 あの日のことを、後悔しているのかもしれない
 私が悲しい顔をすれば、遊戯はきっと、つらい思いをするだろう――


「……それでも――強いです」
「……? 神里さん?」
 背後で、少女の足音が止まる。
 振り返ると、絵空は足を止め、俯いてしまっていた。

 ――大切な人を失って、それでも心を持ち続ける
 私にはできない
 私には……“彼女”の死など、受け入れられない――

「……ごめんなさい」
 涙声が呟く。

 ――本当にごめんなさい
 ――私は、あなたのように強くはなれない
 ――大切な人の死など、受け入れられない

「……神里…さん…?」
 絵空は静かに、左手に持った一枚のカードを提示する。
 その中に描かれた禍々しき“それ”は、不気味な紅い輝きを見せた。
「……え……!?」

 ――それは血の色。
 ――浅ましき人間の欲望を叶えるため、幾人もの人間の命を啜(すす)った、禍々しき悪魔の色。

 杏子の瞳から、光が消える。
 カードの発する闇は杏子を覆い、その瞳は光を失っていた。

 ――私は、“彼女”に生きていて欲しい
 いかなる罪を犯そうとも
 この手を、深紅の血に染めても
 全ての存在から――“彼女”にすら拒絶されても
 …他の誰かに、その哀しみを押し付けてでも――

「……だから……ごめんなさい」
 そのことばはすでに、杏子には届かない。

 ――私は…あなたたちから遊戯さんを奪います
 私が“彼女”を失わぬために
 “彼女”の笑顔が、永遠に輝くように
 ……たとえそれが、偽りと欺瞞(ぎまん)に塗り固められたものでも――



第二章・そして悪夢の幕が上がる

「……大丈夫? じーちゃん……」
「……ウーン…ウーン……」
 遊戯が正座をする前には、布団に入り、うなされる双六の姿があった。
 時計は既に、夜の十時を回っている。
 なぜこんなことになったのか――それを説明するためには、時間を一時間ほどさかのぼらねばならない。
 夜空の下で、彼らは決闘をしたのである。……双六のデッキは、当然“ピケルデッキ”である……。

●     ●     ●     ●     ●     ●     ●

 遊戯のLP:4000
     場:磁石の戦士γ,ビッグ・シールド・ガードナー,伏せカード1枚
    手札:4枚
 双六のLP:6400
     場:白魔導師ピケル,羊トークン(×4),レベル制限B地区,
       伏せカード1枚
    手札:3枚

「……ボクは場の二体のモンスターを生け贄に――『ブラック・マジシャン』を召喚!」
 遊戯の場からモンスター二体が消え、上級黒魔術師が姿を現す。
 だがしかし、見えない何かの力により、ブラック・マジシャンは立っておられずしゃがみ込み、守備体勢を強いられてしまう。
「……残念じゃのう、遊戯や…。ブラック・マジシャンのレベルは7、攻撃表示にはできんぞい。ワシの場に『レベル制限地区……ではなく、『レベル制限B地区』が存在する限り、フィールド上のレベル4以上のモンスターは攻撃できんのじゃわい!」
「……わざと言い間違えようとしたでしょ、じーちゃん……」
 愉快げな双六とは対照的に、不服げな遊戯。

レベル制限B地区
(永続魔法カード)
フィールド上に表側表示で存在する
レベル4以上のモンスターは全て守備表示になる。

「ヒョッヒョッ! その程度の戦略では、ワシのピケルたんは倒せんぞい! B地区がある限り攻撃できんからの! B地区が!」
「……だぁ〜っ! むやみに略さないでよ、じーちゃんっ! リバースを一枚セットして、ターンエンドッ!」
「ワシのターン、ドロー! この瞬間、ピケルたんの備えた特殊能力が発動! ワシの場にモンスターは5体…ライフが2000回復するぞい!」

白魔導師ピケル /光
★★
【魔法使い族】
自分のスタンバイフェイズ時、
自分フィールド上に存在する
モンスターの数×400ライフポイント
回復する。
攻1200  守 0

 ピケルが呪文を詠唱すると、双六の場がやわらかな光に包まれる。
 そして、双六のライフが大幅に回復した。

 双六のLP:6400→8400

「…さらに手札から、永続魔法カードを発動! 『マスドライバー』!」

マスドライバー
(永続魔法カード)
自分フィールド上のモンスター1体を
生け贄に、相手ライフに400ポイント
ダメージを与える。

「羊トークン1体を生け贄に――遊戯のライフに400ポイントダメージを与えるぞい!」
「…く…!」

 遊戯のLP:4000→3600

「さらに、『ビッグバンガール』を攻撃表示で召喚! …もっともレベル4じゃから、B地区の効果によって、すぐに守備表示となるがの」
 双六の場に現れた魔術師の女性は、しゃがみ込み守備体勢になる。

ビッグバンガール /炎
★★★★
【魔法使い族】
自分がライフポイントを回復する度に、
相手プレイヤーに500ポイントの
ダメージを与える。
攻1300  守1500

(…『マスドライバー』で羊トークンを飛ばし、モンスターゾーンに空きを作りつつダメージを与える…。さらに、ピケルの回復能力とビッグバンガールのダメージ能力で、じわじわとボクのライフを削っていく戦術か…!)
 ピケルとビッグバンガール、いずれかを倒さなければ、遊戯のライフはターンごとに削られてしまう。
「ワシのターンはこれで終了じゃぞ」
「…ボクのターン! ドロー!!」

 ドローカード:魔導戦士 ブレイカー

(! よし!!)
「ボクは『魔導戦士 ブレイカー』を攻撃表示で召喚! …このカードの召喚に成功したとき、“魔力カウンター”が1つ、ブレイカー自身に乗るよ!」
 遊戯の場に、魔力のこもった剣を携えた魔法剣士が現れる。しかし、『レベル制限B地区』の効果が発揮されているため、すぐに守備表示となる。
 しかし、ブレイカーには強力な特殊能力があるのだ。
「…そして…、ブレイカーの起動効果発動! その魔力カウンターを取り除くことで、じーちゃんの場の『レベル制限B地区』を破壊するよ!!」

魔導戦士 ブレイカー /闇
★★★★
【魔法使い族】
このカードが召喚に成功した時、このカードに
魔力カウンターを1個乗せる(最大1個まで)。
このカードに乗っている魔力カウンター1個につき、
このカードの攻撃力は300ポイントアップする。
また、魔力カウンターを1個取り除くことで、
フィールド上の魔法・罠カード1枚を破壊する。
攻1600  守1000

「――マジック・ブレイク!!」
 守備体勢を強いられながらも、ブレイカーは強引に剣を構え、振り下ろす。

 ――ズバァッ!!

 その剣から解放された刃状の魔力は、双六の場の永続魔法を両断し、破壊した。
「! ワシの『B地区』が!?」
「…いくよ、じーちゃん! ブラック・マジシャンを攻撃表示に変更し――ボクのバトルフェイズ!!」
 ブレイカーは召喚されたばかりなので、このターン、表示形式を変更し攻撃に転じることができない。だがしかし、その役割は十分に果たしてくれた。
「ブラック・マジシャンで…『白魔導師ピケル』を攻撃!!」
 黒魔術師は立ち上がると、守備体勢を強いられていた鬱憤を晴らそうとでもいうのか、威勢良く飛び上がる。そして、杖をピケルに向けて構え、その先に魔力を集中した。
「――ブラック・マジック!!」
 だがその刹那、双六の手が動く。
「――ワシのピケルたんには指一本触れさせんぞい!! 永続トラップ発動!! 
『アストラルバリア』!!」
「!?」

 ――バシィィッ!!

 次の瞬間、双六の場を巨大なバリアが覆った。ブラック・マジシャンの攻撃は、それによって弾かれてしまう。
「……『アストラルバリア』は、ワシの場のモンスターを相手モンスターの攻撃から護ることができる…。もっともその代わり、相手の攻撃はワシのライフへの直接攻撃として処理されるがの……」

 双六のLP:8400→5900

 そう説明すると、双六は軽くよろけた。
 どうやら先ほどのバリアは、双六のライフポイントをもとにしてできていたらしい。

アストラルバリア
(永続罠カード)
相手モンスターが自分フィールド上
モンスターを攻撃する場合、その攻撃を
自分ライフへの直接攻撃にする事ができる。

 ピケルが心配げに、潤んだ瞳で、双六を振り返る。
「…大丈夫じゃよ。ピケルたんが無事なら、ワシのライフなぞどうということはないわい」
 心から嬉しげにそれに応える双六。
「………………」
 ……海馬コーポレーション、芸が細かすぎ……;
「……ボクはこれでターン終了だよ……」
 半ば呆れつつ、エンド宣言する遊戯。
「いくぞい…! ワシのターンじゃ、ドロー! この瞬間、ピケルたんの特殊能力発動! ワシのライフが2000回復するぞい!」
 先ほど減ったばかりの双六のライフが、また大幅に回復する。

 双六のLP:5900→7900

 これではキリがない。“ピケルが無事なら〜〜”という双六のことばも、あながち間違ってはいないようだ。
「……さらに! ワシのライフが回復したことで、ビッグバンガールの効果発動! 
遊戯のライフを500削る!」
「…く…!」

 遊戯のLP:3600→3100

(……このままじゃ追い込まれる一方だ…! 早くピケルを何とかしないと!)
 とはいえ、『アストラルバリア』がある限り、双六のモンスターへの攻撃は届かない。本来なら、プレイヤーへのダイレクトアタックというのは喜ぶべきことなのだが、すぐに回復されるのでは意味がない。
「……ワシが守ってばかりいると思ったら大きな間違いじゃぞ、遊戯! ワシは手札から魔法カード『アマゾネスの呪詛師』を発動! このカードの効果により、場の二体のモンスターの攻守を入れ替える……ワシの『羊トークン』1体とお前の『ブラック・マジシャン』をの!!」
「!! なっ…!」

アマゾネスの呪詛師
(魔法カード)
呪詛のまじないの言葉は敵モンスターの
攻撃力と自軍モンスターの攻撃力を入れ替える

「…く! そうはいかないよ! リバースオープン! 『魔封壁』!! このカードの効果により、ボクの場のモンスターは魔法効果を受け付けない! よって、『アマゾネスの呪詛師』は無効化されるよ!」
 無効化された『アマゾネスの呪詛師』は、そのままフィールドから消滅する。
「…フム…、やるのう。ならば、ピケルたんでブレイカーを攻撃じゃ!」
 『白魔導師ピケル』が、いまだ守備体勢のままのブレイカーに向け、可愛らしく杖を構える。その攻撃力はわずか1200。だが、ブレイカーの守備力はたったの1000なので、それで十分である。

 ――カァァァァッ!

 ピケルの杖の光に照らされ、守備体勢のブレイカーは消滅した。
「…ワシはカードを一枚伏せ、ターン終了じゃ」
 遊戯は、ほっと息を吐いた。ブレイカーは失ってしまったものの、『アマゾネスの呪詛師』は無効化できた。効果成功後に攻撃が決まっていたら、大ダメージだったのである。
「ボクのターン! ドロー!!」
(…『アストラルバリア』を除去できないのならせめて…、攻撃を続けて、じーちゃんのライフを削り切るしかない!!)
 ピケルが1ターンに回復できるのは最大2000ポイント。
 要は、毎ターン、それ以上のダメージを与えればいいのだ。
「ボクは『磁石の戦士β』を召喚し…、ブラック・マジシャンでピケルを攻撃!」
「…おっと! トラップ発動! 『和睦の使者』! このターンの戦闘ダメージは全て無効になるぞい!」
 ピケルに向けられた魔力波動は威力を失い、消え失せる。

和睦の使者
(罠カード)
相手モンスターからの戦闘ダメージを、
発動ターンだけ0にする。

「ヒョッヒョッ! そう何度も喰らっていたらワシの身がもたんからのう! ワシの“ピケルたんデッキ”は完璧じゃわい!」
「…く…! ボクはカードを一枚伏せて、ターン終了だよ……」
「…ワシのターン、ドロー」

 ドローカード:お注射天使リリー

 ドローカードを見た双六の口元が緩む。
「ワシのターンのスタンバイフェイズ……ピケルたんの効果により、ワシのライフが2000回復。さらに、ビッグバンガールの効果で遊戯のライフに500ダメージじゃ」

 双六のLP:7900→9900

 遊戯のLP:3100→2600

「そしてメインフェイズ…。永続魔法『マスドライバー』の効果発動! 羊トークン一体を生け贄に、遊戯のライフを400ポイント削るぞい」
「…く…!」

 遊戯のLP:2600→2200

「そして手札から、『お注射天使リリー』たんを召喚じゃ!」
「! そのカードは…!」
 双六の場に、巨大な注射器を抱えた白衣の少女が現れる。
「リリーたんにも特殊能力がある…。ライフを支払うことで、攻撃力を3000上げるという極めて強力な能力がの!!」

お注射天使リリー /地
★★★
【魔法使い族】
自分・相手の戦闘ダメージ計算時のみ効果発動可能。
2000ライフを払う事で、このカードの攻撃力は
ダメージ計算時のみ3000ポイントアップする。
攻 400  守1500

(……そのためのライフ回復でもあったのか…!)
 思わず身構える遊戯。リリーの効果は確かに強力だが、その大きなコストが難点のモンスターである。初期ライフが4000しかないスーパーエキスパートルールではかなり扱いの難しいモンスターのはずなのだが――今、双六のライフは1万弱。これならコストの心配はほとんどない。
「……ウム! やっぱりリリーたんも可愛いのぉ!!」
「…………」
 ……何が「ウム!」なんだ……;
(……確かにリリーは強力だけど……)
 遊戯は、自分の伏せカードを一瞥する。
 このカードがあれば、リリーを返り討ちにできるはずだ。
「いくぞい…! ワシのバトルフェイズ! リリーたんで『磁石の戦士β』を攻撃!!」
 背中の羽根で飛び上がると、リリーはその巨大な注射器を構えた。
 効果使用時のリリーの攻撃力は3400、対する磁石の戦士の攻撃力は1700。この攻撃が成功すれば1700のダメージを受け、遊戯の残りライフはわずか500。
 そうなれば、『マスドライバー』で羊トークン二体を生け贄にされて終わりである。
 だが、遊戯の場にはとっておきのトラップが仕掛けてあった。
「――リバースカードオープン! 『聖なるバリア−ミラーフォース−』!! このカードの効果で、じーちゃんの場の攻撃表示モンスターは全滅だよ!!」
「……甘い!! 手札から魔法カード『わが身を盾に』発動!!」

 ――シュウウウ……

「――!? ミラーフォースが…!?」
 双六の魔法カードの効果により、ミラーフォースはその効果を発揮することなく消えていく。
「ライフ1500を払うことで……ミラーフォースを無効化するぞい!!」

 双六のLP:9900→8400

わが身を盾に
(魔法カード)
相手が「フィールド上のモンスターを破壊する効果」
を持つカードを発動した時、1500ライフポイントを
払う事でその発動を無効にし破壊する。

 ミラーフォースを破壊されたことで、リリーの攻撃は無事続行される。
「……く! リバースマジック! 『マジカルシルクハット』!!」
 ブラック・マジシャンのコントロールのもと、遊戯の場に4つのシルハットが現れる。そして、そのうちの二つにブラック・マジシャンと磁石の戦士βは隠され、シャッフルされる。
「……むぅ…、そうきたか。ならば――右端のシルクハットを攻撃じゃ! リリーたん!!」
 双六の指示に従い、端のシルクハットに注射器をさすリリー。
 だが、その中にモンスターはいなかったらしく、空のシルクハットが虚しく消滅する。
「……惜しかったのう…。ターンエンドじゃ」
「……ふー……」
 再び遊戯は、安堵のため息を吐く。
 決闘のペースは、明らかに双六に傾いていた。
(……このターンで何か打開策をうてなければ、ボクの負けだ…!)
 守備を固めても、次のビッグバンガールの特殊効果で遊戯のライフは1800。その後、『マスドライバー』で全てのモンスターを生け贄にされれば遊戯の負けである……もっとも、双六がピケルやリリーを生け贄にするとは考えがたいが;
(……このドローカードに――賭ける!!)
「ドロー!!」
 ドローカードを視界に入れると、遊戯の瞳孔がわずかに開いた。
(このカードなら――いける!!)
 遊戯は、それをすぐさま場に出す。
「ボクは手札から――魔法カード発動!! 『死のマジック・ボックス』!!」
「なっ…なぬぅぅっ!?」
 双六が素っ頓狂な声を挙げる。双六の場に伏せカードはない。よって、その魔法効果を無効化する手立てはないのだ。
(――じーちゃんのデッキの中心におかれているのは『白魔導師ピケル』…。リリーもやっかいだけど、このままじゃビッグバンガールとピケルのコンボでやられてしまう。…それに、ピケルの回復能力がなくなれば、リリーの攻撃もしづらくなるはず…!!)
「『死のマジック・ボックス』の対象は――『白魔導師ピケル』だ!!」
 遊戯と双六の場にそれぞれ、奇術道具の箱らしきものが現れる。
 片方には、シルクハットから飛び出したブラック・マジシャンが、そしてもう一方にはピケルが強制的に入れられる。
「……ま……まさか……」
 冷や汗をかく双六。『死のマジック・ボックス』はマジシャンとのコンボにより使用可能であり、なかなか応用のきく強力カードである(OCGとはだいぶ違う)。
 やがて、ブラック・マジシャンの入れられていた箱の方に、何本もの剣が現れ、勢いよく突き刺さる。
 やがて、全てが刺さり終わると――それとは別の、ピケルの入れられていたボックスの方が開く。
 だがしかし、その中から出てきたのはブラック・マジシャン。ピケルではなかった。
「……と、いうことは……」
 ツバを飲み込み、遊戯の場に残された、串刺しのボックスを双六は凝視する。
 ……ゆっくりと、ボックスが開く。

 ――そして、その中に入っていたのは――

「――ぎゃああああああっ!!!!」

 ……双六は失神した。


●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


「……うーん…うーん……ワシのピケルたん……ピケルたんがぁぁ……」
 ――で、現在に至る…と。
「……何も寝込まなくてもいいのに……」
 看病しつつボヤく遊戯。結局、それでデュエルは中止となってしまったのである。
「――バッカモンッ! お前、ピケルたんを何だと思っとるんじゃっ! ピケルたんをよりによって串刺――うーんうーん」
 ……言いかけて再びうなされる双六。
「……いや、でもボックスの中は空だったじゃない」
 冷静にツッコミを入れる遊戯。
 ――そう、先ほどの決闘、開かれた箱にはすでにピケルの姿はなく、中身は空だったのである。
 恐らくは、昨夜海馬が言っていた『残酷描写の削除』に当たったのであろう。ピケルの破壊シーンは省略されていたのだ。
「……じーちゃん、箱の中身が見える前に気絶しちゃうんだもん……」
「――バカモンッ!! それでもワシの豊かなイマジネーションの中では血まみれの――うーんうーん」
 ……そして再びうなされる双六。
 …どうやら、ひとつのトラウマになってしまったようだ。
 ヤレヤレ、と遊戯はため息をひとつ吐く。
 そろそろ、自室に引き上げて明日の学校の準備をしたかった。

 ――トゥルルルル……

 ふと、廊下のほうで、電話のコール音が鳴る。
 だが、母が出たらしく、それはすぐに途切れた。
 しばらくすると、母の廊下を移動する音が近付いてくる。
「――遊戯、電話よ。神里さんって女の子から」
「……神里さん?」
 こんな夜中になんだろう、と遊戯は呟きながら立ち上がる。
「…杏子ちゃん以外の女の子から電話なんて、初めてじゃないかしらね」
 茶化すような母を無視しつつ、廊下を歩いて受話器を拾う。

「――はい、もしもし?」
「……遊戯さんですか?」
 受話器越しの絵空の声は、少し違った雰囲気に聞こえた。
「…ウン、そうだけど。どうしたの?」
 澄ました口調で訊くと、絵空の声のトーンがわずかに下がる。
「……杏子さんをお預かりしています」
「…え?」
 思わぬことばに、遊戯は目をしばたかせた。
「……決闘盤とデッキを持参の上で、私の指定する場所まで一人で来てください。……大切な幼馴染を失いたくなければ……ね」



第三章・再びの闇

「………………」
 電話を終えると、絵空は折りたたみ式の携帯電話を閉じ、深いため息を吐いた。
 そこは、童実野町の郊外にある、古ぼけた廃工場である。中には、暗闇が満ちている。
 天井には大きな穴が開いており、そこから差し込むわずかな月明りが、唯一の光だった。
(……後は……遊戯さんが来るのを待つだけ……)
 携帯電話を、ぎゅっと握り締める。

 ――迷ってはいけない――

 思いつめた瞳で、絵空はそれを無意味に見つめる。
 “あのカード”を使わず勝つつもりならば――本気で闘わねばならない。
 相手は決闘王、その実力は折り紙つきだ。実際、何度も決闘をして、彼の強さは実感できている。
(……でも……)
 上着のポケットから、絵空はデッキを取り出した。
 ――それは以前、“彼女”と協力してつくった最強のデッキ。
 昨日まで、遊戯相手に連敗し続けたデッキとは、比べ物にならない強さを秘めたデッキである。
(このデッキなら、きっと勝てる……!)
 自分が手を抜かない限り――必ず勝てるはずだ。
 ――もっとも、そのデッキには、元々の40枚に加え、新たに3枚のカードが投入されていた。
 使うつもりのない3枚のカード――しかしそれらは、このあと行うことのためにどうしても入れる必要があったのだ。
「……後は、私の心しだい……」

 ――私が心を強く持てば、非情になりさえすれば、負けることは決してない

 瞳に決意を込める。

 ――きっとやれる
 “彼女”のためなら、いかなる罪でも犯してみせる――

 デッキを一度しまうと、絵空はそっと振り返った。

 そこには――工場の壁を背に、地面に座り込んで眠る杏子がいた。
「……お返ししますね」
 片手に持った携帯電話を、杏子のポケットに戻す。遊戯の家に電話するため、連絡手段として使わせてもらったのだ。
 だが、杏子からの返事はない。
 杏子はただ眠っているのではない――闇の力により、強制的に眠らされているのだ。

「……ごめんなさい」
 杏子を見つめながら、絵空はもういちど謝る。無意識に、下唇を噛んだ。

 ――私にはもう、自分の罪を止められない
 なぜなら私は弱いから
 私は、“手段”を示されてしまったから
 どんな卑劣なことをしてでも、叶えたいと思ってしまう
 …そんな、醜い存在だから――

「………………」
 険しい表情のまま、絵空は立ち上がる。
 そして、髪を束ねる黄色いリボンに手を掛けた。

 ――“彼女”のお気に入りと、同じリボン
 けれどそれは、私に似合うものではない――

 端を軽く引いて、それをほどく。パサッ、と、長い黒髪が重力に任せ、腰の辺りまで下りた。
 黄色いリボン――しばらくそれを見つめると、哀しげに、静かに放り捨てる。
 力なく地に落ちた偽りのそれは、闇に溶け、たちまち消え失せた。

「……恨むのならば、せめて――」

 ――この残酷なシナリオを描いた、何より憎い、無情の神を――

 ――私に“手段”を与え、嘲(あざ)笑う残虐な悪魔を――

「……いえ」
 力なく、首を振る。そして絵空は、ことばを紡ぎなおした。
「……どうかせめて――私だけを憎んでください……」

 ――これ以上、憎しみの輪が広がらぬように
 全てが終わったのち、自害する私だけを、どうか――

 ……それが、自分に言えたことばでないことは知りながら――



「……ここか……」
 決闘盤を片手に、遊戯は一人で、先ほど絵空に指定された場所へ来た。その盤にはすでに、数時間前に構築したばかりのデッキがセットされている。
 一体どういうことなのか――遊戯には見当もつかなかった。
 ただわかることは、先ほどの絵空の口調から、ただならぬ事態なのだということだけ――
「…! こ、ここって……」
 指定された建物の前で立ちすくむ。
 そこには以前、来たことがあった。
 城之内が蛭谷たちに捕まり、遊戯がそれを助けに来た場所である。
 ――遊戯の背に悪寒が走る。
 その場所は、これから起こることの深刻さを象徴しているかのようだった。


「……神里…さん……?」
 中に入り、遊戯は絵空の名を呼んだ。蛭谷たち不良グループでもいるのではないかと、内心、萎縮しながら。
 中は真っ暗で、ほとんど何も見えなかった。
 だが、黒い視界を見回してみると、一箇所、月明かりに照らされた場所があった。
 そしてその側に、壁にもたれて座り込んだ人影があった。
「……神里さん?」
 転ばないよう注意しつつ、早足でそれに近寄る。
 だが、近寄るとすぐに、その人影が、小柄な絵空のものでないことに気付く。
「!? 杏子!?」
 しゃがんで、俯いてしまっている杏子の表情を覗き込む。
 杏子のまぶたは閉じられており、小さな寝息を立てていた。
「…杏子! いったい何があったの!?」
 手を肩に置き、揺り起こそうとする。
 だが杏子には、一向に起きる気配がない。

「――どんなに呼び掛けても……杏子さんには届きませんよ」
「――!?」
 聞き覚えのある声。
 遊戯はとっさに振り返る。
 その視線の先には――月明かりの下、遊戯を見下げる絵空が立っていた。
 見た瞬間、違和感を抱いたが、それが、下ろされた髪によるものだとすぐに気付く。
 リボンをほどき、髪を下ろした絵空の容姿は、それまでと比べて、どこか大人びて見えた。
 その深刻な表情も見たことのないものであり、まるで別人のように感じた。
「……杏子さんは、ただ眠っているのではありません。闇の力によって、強制的に眠らされています……」
「……!? …闇の…力……!?」
 杏子から手を離すと、遊戯は絵空に向き直り、立ち上がる。
 そんな遊戯に、絵空は、決闘盤を装着した左腕をかざしてみせた。
「……杏子さんを目覚めさせたければ、これから私とデュエルをして下さい。……命をかけた死のゲーム――“闇のゲーム”を」
「……なっ……!?」
 二度と聞くつもりのなかったそのことばに、遊戯の顔は、驚愕に染まった。



第四章・夜の闇の中へ

「……闇の…ゲーム……!?」
 絵空のことばが信じられず、確かめるように、遊戯は復唱した。
(……どうして…神里さんがそれを……!?)
 闇のゲーム――その名前は、普通の人間なら知るはずのないことばだ。
「……闇のゲームは死のゲーム……」
 絵空は、静かな口調で言う。
「…一度はじめれば、誰にも止められない――勝敗を決しない限り。そして敗者には、絶対の死が与えられる……」
「……!!」
 絵空の説明するそれは、確かに遊戯の知るそれのようであった。
「……いったい…どういうことなの……!?」
 動揺を隠しきれないまま、遊戯は問いかける。
 それに対し、絵空は、無感情に答える。
「……私には…叶えたい願いがあります……」
「……!?」
「……けれどそれは――人間には、とうてい叶えることのできないもの。…だから私は、“神を騙る悪魔”と契約を交わした……」
「……“神を騙る悪魔”……?!」
 ふと、遊戯の脳裏に、昨日、海馬と電話で話した内容がよぎる。
 “神という名の悪魔のカード”――そして、アメリカでいま起こっている、5人を意識不明に陥れた“闇のゲーム”とおぼしきもの――
(……まさか……!?)
 遊戯は首を横に振り、自分の思い付きを否定する。
 ――そんなはずはない。
 目の前にいるこの少女に――そんなことができるはずはない。
「……杏子は……どうなっているの……?」
 爆発しそうな感情を抑え、やっとのことで口を開く。
「……先ほども述べた通り……闇の力で眠っています。このカードに宿った――ね」
 絵空は左手を挙げ、いつからか持っていた一枚の魔法カードを示してみせる。
 するとそれは、紅く、不気味な光を発した。
「―――!?」
 一瞬だった。
 一瞬のうちに――遊戯と絵空を、どす黒い霧が覆う。
 その様は、遊戯が、今まで何度も経験したそれと酷似していた。
 闇が周りを覆ったことを確認すると、絵空はそのカードをポケットにしまい直した。
「……本来……闇のゲームには、ある程度の強制力があるそうです。しかし、このカードの発する“闇”に、そこまでの力はない…。今ならまだ、拒絶し、逃げることもできますよ……杏子さんが永遠に目覚めなくとも良いなら、ね」
「……な……!?」
 遊戯は思わず、壁にもたれて眠ったままの杏子を振り返る。
「……杏子さんは、このカードの力によって眠らされています…。ある条件を充たさない限り、その闇が晴れることはない――私とあなたで、闇のゲームを行うという条件を」
「……っ……!」
 遊戯は俯き、両の拳を握り締めた。
「……どうして……こんな……!?」
 遊戯の声は、震えていた。
「……言ったでしょう…? 私は、“悪魔”と契約を交わした…。私の願いを叶えるために――」
「…そうじゃない!」
 強い語気で、遊戯は問う。
「…神里さんは――闇のゲームなんて、そんなことを平気でやれる人間じゃない! ゲームで…いや、何であれ、他人を傷つけられるような人じゃないはずだ!! それに、ボクたちは――」
「……“友達”……ですか?」
「……!!」
 絵空の答えは、冷徹なものだった。
「……私とあなたは、“友達”なんかじゃない……。私にとって、“友達”と呼べるのは“彼女”だけでいい。――あなたは私を、何も知らない。あなたに私の、何が解るというのです?」
 ――強い、確かな口調。
 思わぬ返答に、遊戯はことばを失った。
 追い討ちをかけるように、絵空はことばを紡ぎ続ける。
「……“悪魔”は言った…。願いを叶えたくば、強き魂を捧げよと。……ゲームにおいて、最も強い魂の持ち主――それはすなわち、決闘王であるあなた…!」
 絵空の高圧的な雰囲気に、遊戯は、尻込みしそうになる。
「……あなたに会うために…私は、あなたがいるという学校に編入した。……学年が同じなので、同じクラスメートになる可能性は考慮に入れていましたが――それでも、隣の席にまでなるとは思いませんでした」
 淡々と語る絵空。そのことばには最早、彼女の、“友達”としての感情は見出せない。
「……本来は遠くから観察し、その力量やプレイスタイルを見極めるつもりでしたが、思わぬ接近に作戦を変えることにしました。観察するだけよりも実際に対峙してみた方が、その強さを直に感じ取れる…。…決闘盤を用いた決闘に経験のなかった私は、何度か使用し、それに慣れる必要がありましたしね」

 ――信じられなかった。
 信じたくなかった。
 耳を塞ぎたい、そんな衝動にかられた。
(……全ては……この時のために……!?)

 ――ボクに、闇のゲームで勝つためだけに?
 ――友達を、演じていただけだった?
 ――あの笑顔は、全てつくられたものだった?

 ――……本当に?

「……違う…!」
 遊戯は顔を上げ、絵空を真っ直ぐに見据えた。
「……君が何を言おうと――ボクは、君を信じる!」

 ――ことばは、信じない
 ――君は、敵なんかじゃない
 ――ボクの……ボクたちの、大切な――“友達”だ!

「―――……!」
 それは、刹那の変化。
 絵空がわずかな動揺を見せるのを、遊戯は見逃さなかった。
「…御託(ごたく)は…終わりですか…!?」
 絵空はすぐに、再び冷徹な表情をつくる。
 だが、遊戯の目に映るそれは、先ほどまでと違い、どこか苦しげに見えた。
「……あなたが何を言おうと……闇のゲームを行わない限り、杏子さんの目が覚めることはない。すでに私の意志で、彼女の闇を払うことは出来ない。杏子さんを救うか、見捨てるか……あなたには二択しかない…!」
「……。……わかった……」
 少し考えてから、遊戯は、一歩前へ出る。
(……ボクは――神里さんを信じる…!)
 ――さっきの反応で確信した。
 “友達”ではないということば――あれは嘘だと。
 ならば――デュエルを通して、彼女と分かり合えるかもしれない。

 ――友達になって、何度も何度も楽しんだ、このゲームの中で

 それは危険な賭け。けれど――
(……ボクはそれでも……神里さんを信じる…!)
 それは迷いのない、確かな決意だった。


 互いのデッキシャッフルを済ませると、二人は、ゲームを行うための距離を空けた。
 立ち止まり、振り返ったところで、遊戯は口を開く。
「……ゲームを行う前に……覚えておいて欲しいことがあるんだ」
「………?!」
 眉根を寄せる絵空に、遊戯は、確かな口調で言う。
「……これが闇のゲームで……敗者は命を失ってしまうというのなら――ボクが、君のライフを0にすることは決してない……」
「………!」
 不覚にも、心が揺れた。
 迷いを捨てたはずなのに――心に生じた、わずかな歪(ひず)み。
 それに動揺しつつ、絵空は、吐き捨てるように言う。
「……なら……私があなたのライフを0にする。それだけです」
 冷たく言い放ったはずのそのことばには、わずかでも、確かな迷いがあった。


「……いきますよ……! デュエル!! 私の先攻――ドロー!」
 ゲームが開始され、絵空がカードをドローする。
 それと同時に、辺りを覆う闇が、その密度を増した。
(…!? これは……!?)
 思わず絵空は、辺りを見回した。
 自然に生まれた闇ではない。闇よりつくり出された、闇よりさらに深い闇――
(……これが…闇のゲーム…!)
 初めてのそれに、絵空は、ごくりとツバを呑み込む。
 息苦しい、いるだけで苦痛な空間。
 一時間もこの中にいれば、普通の人間なら気が狂ってしまうのではないか――そんな考えさえ、頭をよぎる。
(……けれど……条件は同じはず!)
 意識を、ゲームに戻す。
 闇のゲームに戸惑っているのは、自分よりむしろ、心構えのできていなかった遊戯のはず――そう考えれば、心の動揺もわずかだが落ち着いた。
 改めて、自分が引いたカードに目を移す。

 ドローカード:増援

「……私はカードを一枚伏せ…、『首領(ドン)・ザルーグ』を守備表示で召喚!」

首領・ザルーグ /闇
★★★★
【戦士族】
このカードが相手プレイヤーに戦闘ダメージを与えた時、
次の効果から1つを選択して発動する事ができる。
●相手の手札をランダムに1枚選択して捨てる。
●相手のデッキの上から2枚を墓地へ送る。
攻1400  守1500

「…ターンエンド…!」
「……ボクのターン…ドロー!」

 ドローカード:六芒星の呪縛

 ドローカードを確認すると、遊戯は周りの様子に目をやった。
(……この、暗闇にずっと睨まれているような、イヤな雰囲気……)
 ――やはりこれは、闇のゲーム。
 何度か経験したそれと比較して考えてみるが、やはり間違いないのだろう。
(……でも……千年アイテムを使わなければ、闇のゲームは行えないはず……)
 遊戯は先ほどの、この“闇”が発生したときのことを思い出した。
 あのとき絵空は、一枚のカードをかざしてみせた。
 素直に解釈するならば――この闇のゲームは、千年アイテムの代わりに、そのカードによってなされたということだろう。
 ――つまり、そのカードには、千年アイテムに通じる力があるということになる。
 しかし、先ほど絵空はそれを、デッキに投入することなく、ポケットにしまいこんだ。憶測にすぎないが、カードの形を持ちつつも、デュエルに使用することのできないものなのかも知れない。
(……ただ考えても仕方ない、か……)
 今は、この闇のゲームの秘密よりも、絵空を止めることの方が重要だ。
「…ボクもリバースを一枚セットし……『磁石の戦士γ』を守備表示。ターン終了だよ…」
「…私のターン、ドロー!」

 ドローカード:天空騎士(エンジェルナイト) パーシアス

(……遊戯さんの場には、壁モンスターとリバース1枚のみ…!)
 決闘開始時というのは、大抵の決闘者が油断するものだ。奇襲を狙うならば、序盤の、警戒が薄いうちに限る。
 すでに絵空の手札には、プレイヤー瞬殺の手札が揃っていた。
「…私は手札から、魔法カードを発動! 『シールドクラッシュ』!!」

シールドクラッシュ
(魔法カード)
フィールド上に守備表示で存在する
モンスター1体を選択して破壊する。

「このカードの効果により――遊戯さんの『磁石の戦士γ』を破壊します!!」
 ソリッドビジョンとして表示されたカードから、一筋の光線が発せられる。

 ――ズガァァッ!!

「!! マグネット・ウォリアー!!」
 光線は瞬く間に、磁石の戦士の硬い身体を粉砕する。
「さらに…! リバースマジック! 『増援』!!」

増援
(魔法カード)
デッキからレベル4以下の戦士族モンスター
1体を手札に加え、デッキをシャッフルする。

「…このカードの効果により、戦士族モンスター一体を手札に加え、場に召喚します…! 出でよ! 『不意打ち又佐』!!」

不意打ち又佐 /闇
★★★
【戦士族】
1回バトルフェイズ中で2回攻撃できる。
このカードが表側表示でフィールド上に
存在する限り、このカードのコントロールは
移らない。
攻1300  守 800

「…『不意打ち又佐』には特殊能力があります。このカードはバトルフェイズ中、2回攻撃することができる…! さらに、『首領・ザルーグ』を攻撃表示に変更!」
「……!! なっ…!?」
 『不意打ち又佐』は二回攻撃可能なため、直接攻撃で与えられるダメージは2600。加えて、『首領・ザルーグ』の攻撃力は1400。その合計値は――スーパーエキスパートルールの初期ライフ値と同じ、4000ポイント。
(…何て素早い攻めなんだ…!)
 遊戯は思わず、唾を呑み込んだ。
(……遊戯さんの場にはリバースが一枚だけ…! それがブラフならば、私の勝ち!!)
「バトルフェイズ! 『不意打ち又佐』で、プレイヤーにダイレクトアタック!!」
 『不意打ち又佐』は腰の刀に手を伸ばし、遊戯に勢いよく飛びかかる。
 そして、刀を抜き放とうとした刹那――遊戯の手が動く。
「――そうはいかないよ!! トラップ・フィールド! 『ストロング・ホールド』!!」
 遊戯の場に、巨大な鉄の塊が出現した。

 ――ガキィィッ!!

「!!」
 鞘から抜き放たれた刀は、遊戯の場に現れた鋼鉄の砦モンスター ――『ストロング・ホールド』によって弾かれる。
「『ストロング・ホールド』は発動時、相手モンスター一体の攻撃を無効にする…! そしてその後は、守備力2000の砦モンスターとなるよ!」
 絵空の場のモンスターの攻撃力は1300と1400。『ストロング・ホールド』に対抗するには攻撃力不足である。
(……やはり、そう簡単には勝たせてもらえない…か……)
 冷静な目で、遊戯の場を見つめる絵空。

 ――それでも……負けない
 ここまで来て、負けるわけにはいかない――

(…私は…あなたに勝つ!)
「私はこれで、ターン終了です!!」

 遊戯のLP:4000
     場:機動砦 ストロング・ホールド
    手札:4枚
 絵空のLP:4000
     場:首領・ザルーグ,不意打ち又佐
    手札:4枚



第五章・やさしさでは救えない

「…ボクのターン! ドロー!!」

 ドローカード:マシュマロン

 ドローカードを手札に加え、場の状況に目を移す遊戯。
(……さっきのターンの、神里さんのプレイング……)
 先のターンの攻防を顧みる遊戯。
 それは、遊戯の知る彼女のプレイスタイルとはだいぶ異なっていた。
 『増援』を用い、速攻型の戦士族モンスターを用いた奇襲戦術――攻撃的で、今まで彼女が見せたコンボ重視の戦術とはギャップがあった。
 ――だが、状況によって決闘者のプレイングが変わるのは当然のことだ。上級レベルの決闘者なら誰しも、手札や場、残りライフなどの状況により、それに相応しい、異なる戦術を展開するものだ。
 問題は、今まで見せたことのない戦術を使ってきたという点である。
 遊戯はこの数日間、何度も絵空とデュエルしてきた。恐らく――あの時の絵空は、その力の全てを見せてはいなかったのだろう。デッキ構成も、だいぶ違うものと考えられる。
(……でも――それなら、ボクだって…!)
 デッキを見つめる遊戯。
 この新しいデッキは、絵空の知るデッキから大幅に修正が加えられている。
 やや調整不足な面は否めないが、それでも、前のデッキ以上の強さは秘めている自信があった。
(――“彼”とボクの、二人のデッキ…! このデッキなら、引けは取らないはずだ…!)
 強い瞳で、遊戯はゲームに意識を戻す。
 遊戯の場には守備表示のトラップモンスターが一体、対する絵空の場には、特殊能力があるものの能力値の低いモンスターが二体。そして、お互いの場に伏せカードは存在しない。
(…どうする…?)
 遊戯は、5枚の手札を眺めながら考え込んだ。
 遊戯の手札には、攻撃力2000を備えた上級モンスターカードが1枚ある。
 相手の場に伏せカードがない今、それを召喚して攻めるのがセオリーだろう。
 ――だが、セオリー通りが常に正しいとも限らない。
 伏せカードがないのは、遊戯の攻撃を誘うためとも考えられる。
(……それに、もうひとつ……)
 辺りの闇を一瞥してから、手札のカードに指を掛ける。
 ゲーム続行の前に――遊戯には、確かめておきたいことがあった。
「…ボクはリバースを二枚セットし、『マシュマロン』を守備表示で召喚! ターンエンド!」
 遊戯のフィールドに、可愛らしい姿をしたステータスの低いモンスターが召喚される。
 だが、このカードは通常の攻撃では破壊されない、強力な特殊能力を持つのだ。
「…私のターン! ドロー!」
 カードを手札に加えると、絵空は遊戯の場を見つめた。
(……遊戯さんは、私の場のモンスターを攻撃してこなかった…。二体とも、攻撃力はさして高くない。攻撃型のモンスターカードがなかったのか、それとも……)
 遊戯の場には、強力な壁モンスターが二枚、さらに、伏せカードが二枚。
(…気になるのは伏せカード。恐らく一枚は、攻撃誘発型のトラップカード……)
 絵空は、昨日までの遊戯のデッキのカードなら、百パーセント把握している。そこからトラップの正体を読むことも可能なのだが――先のターン、遊戯の出した壁モンスターが気になっていた。
 『磁石の戦士γ』――そのカードは、少なくとも昨日までの遊戯のデッキにはなかったはずだ。『ストロング・ホールド』や『マシュマロン』といった、昨日までのカードも入っていることを考えると、今のデッキは、昨日までのデッキをあるていど再構築したものと推測できる。昨日までのデッキの知識に頼りすぎるのは危険であろう。参考ていどにするのが妥当というものだ。
(……でも…大丈夫…!)
 決闘者のデッキというのは、日々、進化するものだ、
 こうなるパターンは、あるていど想定できていた。
(……このデッキなら……どんなデッキが相手でも、決して引けは取らないはず…!)

 ――なぜならこれは…私と“彼女”、二人でつくったデッキなのだから――

「……私は、『不意打ち又佐』を生け贄に捧げ――『天空騎士 パーシアス』を召喚!!」
「!!」
 絵空の場に、四つ足の、天使族の騎士が召喚される。
「……このカードの効果なら――モンスターを破壊できずとも、遊戯さんにダメージを与えられます!!」

天空騎士 パーシアス  /光
★★★★★
【天使族】
守備表示モンスター攻撃時、その守備力を
攻撃力が越えていればその数値だけ相手に
戦闘ダメージ。また、相手に戦闘ダメージ
を与えた時カードを1枚ドローする。
攻1900 守1400

(……しかも…ダメージを与えれば、私は手札を補充できる。遊戯さんは是が非でも、この戦闘を回避したいはず。あの伏せカードがこちらの攻撃を止める類のものなら、間違いなく発動してくる…)
 『パーシアス』は言わば囮(おとり)。遊戯の伏せカードを見極めるための布石である。
「『ザルーグ』を守備表示に変更し…、バトルフェイズ!! 『パーシアス』で『マシュマロン』を攻撃!!」
 パーシアスはその四本の足で、力強く地を蹴り、疾走する。
「………!」
 遊戯の身体がわずかに動く。
 伏せカードを使うのかと思いきや――遊戯が、決闘盤に手を伸ばすことはなかった。

 ――ズドォォッ!!

 パーシアスの剣が、マシュマロンの柔らかい身体に深くめり込む。
 マシュマロンの特殊能力により、貫かれることはないが――全速で飛び掛ったパーシアスの勢いを、その小さなモンスターに受け止めきることはできなかった。
「…はね飛ばしなさい! パーシアス!!」
 マシュマロンの身体は、パーシアスの剣により、遊戯めがけて押し飛ばされる。

 ――ドガァァッ!

「――うわぁっ!!」
 マシュマロンが、遊戯に衝突する。
 両手を身体の前に交差し、防御するが、その勢いにたまらず体勢を崩す。
 そして、遊戯の決闘盤のライフカウンターが大きく動いた。

 遊戯のLP:4000→2600

「…………」
 心配そうに振り返りながら、元の配置に戻るマシュマロン。それをよそに、遊戯は、先ほど衝撃を受けた腕を見た。
 確かに衝撃は受けたが――痛みはない。感じたのは普通の決闘でもある、左腕の決闘盤から与えられる、臨場感を演出するための衝撃だけだ。
(……よし……)
 息を一つ吐いて、遊戯は視線を絵空に戻す。

「……パーシアスの特殊能力により、デッキからカードを一枚引きます」

 ドローカード:大嵐

(! このカードは…!)
 ドローカードを見た絵空は、わずかに眉根を寄せた。

大嵐
(魔法カード)
フィールド上の魔法・罠カードを
全て破壊する。

 『大嵐』は、使用することで場の全ての魔法・罠を除去できる、かなり強力なカードである。今、遊戯の場に魔法・罠カードは3枚、対する絵空の場には0枚。今使えば、一方的に遊戯のカードを三枚破壊できる。
「…………」
 右手のカードを見つめ、長考に入る。
 『大嵐』は本来、ターン開始時、攻撃モンスターが罠にかからないよう発動するカードである。ここは使用せず、次ターンの開始時に使うのがセオリーであろう。――だが、絵空は、遊戯の場の伏せカード2枚が頭に引っかかっていた。
(…遊戯さんはパーシアスの攻撃に対し、リバースを発動しなかった…。つまり、あの二枚のカードは、私のモンスターの攻撃を止めるものではない……)
 温存したとは考えにくい。確かに絵空は、『パーシアス』を布石として使用したが、1400ダメージに1ドロー ――スーパーエキスパートルールの初期ライフポイントは4000、遊戯ほどの決闘者なら、これがどれほど大きなアドバンテージになるかは分かっているはずだ。
(……遊戯さんの以前のデッキには、『罅割れゆく斧』や『削りゆく命』といった、ターンを経過するごとに効力を増すトラップが投入されていたはず……)
 もしそれらならば、ターン経過を待たず、いま『大嵐』で破壊してしまうのが得策である。
 そうでなくとも、仮に『和睦の使者』のような1ターン効果が継続するカードなら、いま破壊するのが望ましいだろう。もしくは、次ターンになんらかのコンボを繰り出すための布石とも考えられる。
 それに、ここで『大嵐』を使用すれば、遊戯に残されるのは『マシュマロン』と二枚の手札のみ――かなり大きなアドバンテージを得られる。
「……よし…、私は手札から、『大嵐』を発動!!」
「!!」
「このカードの効果により――遊戯さんの場の三枚のカードは破壊されます!!」

 ――ゴォォォォォッ!!!

「…くっ…!!」
 フィールドに巨大な竜巻が発生し、お互いのプレイヤーの場を襲う。
 だが、この風の標的はモンスター以外のカード。
 『天空騎士 パーシアス』しか存在しない絵空の場には、何の被害も与えない。
 竜巻は、遊戯の場の三枚のカードをことごとく破壊する。
 表側表示のトラップモンスター『ストロング・ホールド』、そして裏側表示の二枚のカード――『洗脳―ブレイン・コントロール』と『六芒星の呪縛』を。
「……え……!?」
 風に巻き上げられ、垣間見えたリバースの正体に、絵空は目を丸くする。
 『六芒星の呪縛』は、相手モンスターの動きを封じ、かつ攻撃力を下げられるカード。先ほどのパーシアスの攻撃には、うってつけのトラップだったはずだ。
 そうでなくとも、『洗脳』を用い、パーシアスを一時的に奪って攻撃を回避することもできた。
(……どうして……!?)
「……なぜ……リバースカードで、パーシアスの攻撃を防がなかったのですか!?」
 思わず、興奮気味に問いかけてしまう。
 ここで伏せカードを使用しないメリットなどなかったはずだ。現に、遊戯は3分の1近くのライフを失い、結果的に、三枚もの強力カードを失ってしまった。
「……確かめておきたかったんだ……」
「……!?」
 絵空とは反対に、落ち着いた様子で応える遊戯。
「……ボクはこれまでに、何度か闇のゲームを経験したことがある」
「…!? “闇のゲーム”を…!?」
 思わぬ返答に、絵空の瞳孔が大きく開く。
 遊戯は首を縦に振ると、ことばを続けた。
「……闇のゲームにはいろいろ違いがあって…、中には、ダメージを受けることで、プレイヤーに大きな精神的ダメージや肉体的ダメージを与えるものもあった…。だから、確かめたかったんだ……」
「……確かめる……!?」
「…ウン。もしもそういった類のものなら、ボクは、君を傷つけるわけにはいかないから……だから、確かめておかなければならなかったんだ」
「――……!!」
 心が、激しく動揺する。
(……私の…ために……!?)

 ――わざと攻撃を受けた?
 大きな不利になることを、覚悟の上で?
 …私はあなたを、騙してきたのに
 あなたを、殺そうとしているのに――

「…ボクの質問にも、答えてほしい…。……君は“願い”を叶えるために、この闇のゲームを始めたと言った。その“願い”っていうのは、一体…?」
「…! それは――」

 ――“彼女”を救うこと
 この世界で最もいとおしい
 誰よりも大切な、“彼女”の命を護ること――

 思わず、口にしそうになる。
 ――だが、言わない。
 開きかけた口を結ぶ。
 “彼女”を言い訳にするのは、嫌だった。

 ――これは、私の独断
 “彼女”は誰よりやさしいから
 私のしていることを知れば、心から涙を流し、私を必ず止めるだろう
 自ら、命を断ってでも

 だから、“彼女”には伝えなかった
 私の“願い”を
 …いや…、わがままを

 だから言わない
 “彼女”を言い訳にはしない
 これは私の願望
 他人を蹂躙(じゅうりん)してでも叶えようとする、あさましい欲望――


「……話してくれないのなら、それでもいい」
 沈黙を続ける絵空に、遊戯が優しい口調で言う。
「……でも……、話す気になったら、その時は教えてほしいんだ……」

 ――君は言った
 ボクは君を、何も知らないと
 …そうだったのかも知れない
 でもそうだったのなら、ボクは知りたい
 君の真意を
 君が、何にそこまで苦しんでいるのかを――


「……やさしいのですね」
 冷静を装いながら、口にする。
「――でも…、やさしさでは救えないこともあります……」

 ――神は、“彼女”を救わなかった
 この世界はやさしく、甘いものではない――

 ――私は、知ってしまったのだ

 この世界の真実を
 この世界を創った、神の真意を

 だから――やさしくなどなれない
 やさしさなど、楔(くさび)にしかならない

 “彼女”に縛られる私のように

 やさしさなど、愚かで、苦しいものでしかない――

「…ターン…終了…!」
 両の拳を握り締める。
 激しい感情――恐らくは、怒りに近いものが湧き上がる。
 ――それが誰に向けられたものなのか、絵空自身わからなかった。

 ――自分を憎まない遊戯か。
 ――誰よりもいとおしい“彼女”か。
 ――この世界を創った、ひとりよがりな神か。

 ――それとも……愚かと謳(うた)いつつ揺れてしまう、自身の脆(もろ)い心か。

「…ボクのターン…、ドロー!」

 ドローカード:罅割れゆく斧

(……神里さんは…何かと闘っているんだ……)
 ――心の中の魔物と。
 ――誰しもの中にある、心の闇と。

 ――ならば、ボクも闘う
 彼女を、信じているから
 彼女はボクの友達で、ボクは、彼女の友達だから――

「…ボクは…リバースカードを二枚セット! さらに、マシュマロンを生け贄に捧げ
――『ブラック・マジシャン・ガール』召喚!!」
 遊戯のフィールドに颯爽(さっそう)と、魔術師の少女が姿を現した。

 遊戯のLP:2600
     場:ブラック・マジシャン・ガール,伏せカード2枚
    手札:0枚
 絵空のLP:4000
     場:天空騎士 パーシアス,首領・ザルーグ
    手札:4枚



第六章・やさしさの代償

(…さっきのターン…、パーシアスの攻撃を受けても、特別な痛みはなかった…)
 ――これなら、絵空のモンスターを攻撃し、破壊しても大丈夫なはずだ。
「ブラック・マジシャン・ガールで、『天空騎士 パーシアス』を攻撃!!」
 魔術師の少女は身軽に飛び上がると、手にした杖をパーシアスに向ける。
「黒・魔・導・爆・裂・破(ブラック・バーニング)!!」

 ――ズガァァッ!!

「…くっ…!」
 魔術師の攻撃により、パーシアスは粉々に砕け散る。

 絵空のLP:4000→3900

「…ターン、終了だよ!」
「……ブラック・マジシャン・ガール……!」
 遊戯のモンスターとしては初見のカードに、顔をしかめる絵空。
 『ブラック・マジシャン・ガール』は基本的に、『ブラック・マジシャン』がデッキ投入されることを前提としたカード。今回の遊戯のデッキには、当然投入されているのだろう。
(……確か……あのとき……)
 絵空は、前日のことを回顧した。
 遊戯の話によれば――パズルボックスに入れられていたデッキ、あれに『ブラック・マジシャン』は入っていたはずだ。そのことから推測するに、今回使われているデッキは、以前までのデッキとそのデッキを混合したものなのかもしれない。
「…! まさか…神のカードも…!?」
 ボックス内のデッキには、三枚の神も投入されていたはずだ。もし神を召喚されれば、“あのカード”を使う以外、絵空に勝機はない。
「……ううん。神は入れてないよ」
 絵空の疑問に、素直に答える遊戯。
「元々、ボクに神を使う気はないし……やっぱり、強すぎてゲームバランスを崩すカードだからね」
「……! 余裕ですね……、わざわざ教えて下さるなんて」
 正直、神がデッキにあるのなら、絵空はかなり慎重なプレイングを要される。召喚されれば、並みのカードでは対処不能なカードなのだ。それがないと判れば、プレイングの負担もかなり減るというものだ。
「……別に余裕とか……そういうことじゃないよ」

 ――ただ…君は友達だから
 だから、本当のことを言っただけ――

「……神のカードはその強大さゆえに、ゲームバランスを著しく崩してしまう…。友達との決闘で使うようなカードじゃないからね」
「……また“友達”……ですか」
 絵空は、顔をしかめて言う。
「…言ったでしょう? あなたは私の“友達”じゃない…! だから――」
「――ううん。たとえ、そうだとしても……」
 遊戯は、絵空のことばを制し、続けた。
「……たとえ万一、君がそう考えていても――神里さんはやっぱり、ボクの友達だから」
「………!」
 絵空に、それに反論することばは浮かばなかった。

(……どうして……!?)

 ――どうせなら、恨んで欲しかった。
 そうであったなら、どれほど闘いやすかっただろう。

「……私のターン…、ドロー…!」
 デッキからカードを引く絵空。
 絵空の意志は、わずかだが、すでに崩れ始めていた。

 ドローカード:強欲な壺

「…私は手札から、『強欲な壺』を発動…。新たに、カードを二枚ドローします…」

 ドローカード:キラー・トマト,強制転移

 ドローカードを確認すると、それは二枚とも強力なカード。
 だが、絵空はそれを喜ぶ気になれなかった。


 ――こうなることは初めから、遊戯に出会ったときから、予見できていた。
 人は、“無名の死”には無関心であれる。けれど、相手を知れば、そうはいかない。
 近しい者の死であるほど、それは大きな意味を持つ。

 命の価値はみな等しい――それは客観であり、理想論でしかない。

 ――“武藤遊戯”という人物を知り、親しくすれば、その人物の死に躊躇してしまうことは、初めから判っていたのだ。
 それでも近しくなったのは、自分の罪をはっきりさせたかったからだ。
 “無名の死”ではなく、近しい者の死。
 そして、自ら犯した罪を自覚した上で――この世界から消えたかった。

 ――人を殺して幸福を得、それでも存在し続ける気などなかった。
(……私は、ただ……!)
 ――“彼女”が幸福になれれば、“彼女”が生きてくれたなら、後は何も要らなかった。

 手札のカードを確認すると、絵空は場の状況に目をやった。

 遊戯のLP:2600
     場:ブラック・マジシャン・ガール,伏せカード2枚
    手札:0枚
 絵空のLP:3900
     場:首領・ザルーグ
    手札:6枚

 遊戯の場には三枚のカード。そして、手札は存在しない。ここでマジシャン・ガールを破壊できれば、流れは一気に絵空へ傾くだろう。そして、絵空の手札は6枚。場にはまだモンスターも残っている。マジシャン・ガールを破壊可能なカードも、すでに手札の中にある。絵空は今、遊戯を相手に、大きなアドバンテージを得ていた。
 ――そもそもこうなったのは、遊戯が、絵空の攻撃をあえて受けたためだ。
 もし『六芒星の呪縛』で防いでいたなら、先のターンで『洗脳』を使い、そこからマジシャン・ガールを召喚して、流れは遊戯に傾いていたであろう。

(……駄目……!)
 湧き上がる迷いを、必死に振り払う。
 ――自業自得ではないか。
 命がかかっているというのに、相手のことなど気遣って――

 手札に指をかける。一枚のカードを掴んだ三本の指は、小さく、確かに震えていた。
「…っ…! 私は、『首領・ザルーグ』を生け贄に捧げ――『雷帝ザボルグ』召喚!!」
 絵空は強引に、掴んだそれを盤にセットした。
「――!!」
 絵空の場に、雷を操る上級モンスターが召喚される。その攻撃力は――2400。さらには、強力な特殊能力もある。
「…『雷帝ザボルグ』が生け贄召喚されたとき――その効果により、フィールドのモンスター一体を破壊します!!」

雷帝ザボルグ  /光
★★★★★
【雷族】
このカードの生け贄召喚に成功した時、
フィールド上のモンスター1体を破壊する。
攻2400 守1000

 ザボルグの上空に雷雲が発生する。
(……この効果でマジシャン・ガールを破壊すれば――その後の直接攻撃で、遊戯さんのライフはわずか200…!)
 もし直接攻撃を防がれても、遊戯の手札はゼロ。致命的状況には変わりない。
「――そうはいかないよ…!」
「……!?」
 ――だが次の瞬間、思ってもみないカードが発動された。
「リバースカードオープン!! 『モンスター回収』!!」
 遊戯の場に、一枚の魔法カードが映し出される
「この魔法カードの効果により、場の『ブラック・マジシャン・ガール』はデッキに回収される!!」
 魔法カードに吸い込まれ、遊戯の場からマジシャン・ガールの姿が消える。

モンスター回収
(魔法カード)
場に出ている全てのカード及び
手札を山札に戻しシャッフルの後
あらためて手札を5枚引く

「……さらに…、デッキシャッフル後、新たにカードを五枚ドロー!!」
「……なっ……!!」
 遊戯の手札が0枚から、一気に5枚まで増強される。
「……そして…、それだけじゃない……!」
「…!!」
 絵空は、慌てて上空を見上げた。
 ザボルグの‘真上’に集まった雲は、すでに、雷鳴を轟(とどろ)かせていた。
「…『雷帝ザボルグ』は生け贄召喚時、フィールド上モンスター1体を必ず破壊しなければならない…。いま、フィールド上に存在するモンスターは『ザボルグ』のみ。よって――」

 ――カッ!!

 空が閃く。
 絵空の破壊したいモンスターはすでに存在しない。だが、無情にも雷鳴は轟き続ける。
 絵空の『ザボルグ』めがけて――稲妻が落ちた。

 ――ズガァァァァンッ!!!

「……くっ……!!」
 眼前の凄まじい光と衝撃に、絵空は左腕をかざし、両目を庇(かば)おうとする。
だが、その刹那――

『(……良ク見テオケ……)』

(――!?)
 絵空の頭に直接、“悪魔”が語りかける。
 不意に展開される眼前の光景に、絵空は愕然とした。
 自身の雷に打たれ、苦しんでいるのは、絵空が召喚したそれではなかった。
 苦しんでいたのは――“彼女”。

 ――なぜ、こんなことになったのか?

 ――それは、“生け贄”がいなかったから。
 他の誰かに稲妻を落とせば、“彼女”が死ぬことはない。
 他の誰かが死ねば――“彼女”は、生きていてくれる。

 “彼女”は、絵空だけに聞こえる悲鳴を上げた。
 絹を裂くような、耳に残る悲鳴。
 “彼女”の小さな背中は、光の中で、黒く汚れ、チリになる。

 ――それは、“悪魔”の見せた幻覚。
 それが、真実であるはずはない。

「……嫌……!」

 ――だがそれでも、絵空に精神的ショックを与えるには十分だった。

「――イヤァァァァァッ!!!」
 耳を塞ぎ、しゃがみ込む。
 全てを否定するように――この世界を、拒絶するように。


「――!? 神里さん!?」
 絵空の思わぬ反応に、遊戯は驚きの声を挙げる。
 尋常ならぬ様子。
 頭を抱え、しゃがみ込んだ彼女の身体は、小刻みに、激しく震えていた。

(……イヤ……!)
 ――ソレダケハ、イヤ――

 ――私は、“彼女”に生きて欲しい
 “彼女”の苦しむ姿を、涙を、もう見たくない――


『(……ナラバ……殺セ)』

 ――アノ男ヲ殺セ
 強キ魂ヲ捧ゲヨ
 我ガ憎キ者ノ面影ヲ持ツ、アノ男ヲ――


「――神里さん!! 大丈――」

 ――ドクン!!

「――!?」
 一歩踏み出したところで、遊戯の足が止まる。
(――何だ!?)
 奇妙な感覚に、慌てて周囲を見回す。
 遊戯たちを覆う闇が、心なしか、一層深みを増していた。

「……私は……もう……」
「! 神里さ――」
「……私はもう……迷いません……!」
「………!!」
 立ち上がった絵空の口から、無情のことばが紡がれる。

 ――私は、どうなっても構わない
 “彼女”のためなら、どんなことをしてもいい
 他の何が、どうなっても構わない
 だから――

「……私は――あなたを倒します!!」
「――!!」
 決意のまなざしを、遊戯に向ける。
 心からのことば。
 そのことばにもう、迷いはなかった。

 遊戯のLP:2600
     場:伏せカード1枚
    手札:5枚
 絵空のLP:3900
     場:
    手札:5枚



第七章・罪と罰

「――私はこれで、ターン終了です!」
 覇気のある語気。その様子は、先ほどまでの絵空とは明らかに違っていた。
「……! 本気……なの……?」
 その確かな様子に、耐えられずに問いかける。
 絵空は静かに、首を縦に動かした。

「……本当のことを言えば……」

 ――自分はもう、揺るがない
 だからもう、偽らない――

「……私はあなたを、友達のように思っていました……。あなたたちと過ごした日々は、とても楽しくて、幸せで――そして、辛かった…」

 ――こうなることが、判っていたから
 こうしなければいけないことが、判っていたから――

 淡々と語る。だが、そのことばの端々には、絵空の本心が込められている。

「……あなたが私を“友達”と言うなら……これでも“友達”と思ってくださるなら――私は、とても嬉しく思います……」

 ――だから、真実を語る
 “友達”として、本当のことを
 それが、あなたへのせめてもの礼儀――

「――私には、“大切な人”がいます」
「……!」
「私は“彼女”を誰より大切に思い――そして“彼女”もまた、誰より私を想ってくれている――」

 ――そんな、大切な人が
 何にも代えがたい、何よりも大切な人が――

「……“彼女”は病に侵されて――十年前、六歳のときから、ずっと入院生活でした…。それでも“彼女”は、そして私は信じていました。いつかは快方へ向かい、一緒に外の世界へ出られる日が来ると……」

 ――でも――

「けれど…、二ヶ月前、“彼女”は医者に宣告されました。“もって年内までの命”と……」
「………!! それじゃあ……神里さんの“願い”っていうのは……」
「……“彼女”を救うこと。病気を治し、外界へ出られる身体にすること……です」

 ――それは“彼女”と、そして、私の夢――

「……人の手ではもう、“彼女”は救えない…。祈りを捧げても、神は聞き入れない…!」

 ――だから、悪魔に魂を捧げた
 他者の幸福を奪ってでも、“彼女”を救う道を選んだ――

「……。その女の子は……このことを……?」
 遊戯の問いかけに、絵空は首を横に振る。
「……“彼女”は……誰よりやさしいから……」
 いつの間にか、絵空の目には涙が浮かんでいた。

 ――“彼女”は、私に“ひかり”をくれた
 こんな私に……最低の私に、“ひかり”をくれた――

 涙を拭う。泣いていても――“彼女”は救えない。

「……さあ。遊戯さんのターンです……」
「………!」
(……どうすればいい……?!)
 遊戯は困惑した。
 絵空の願い――それは、大切な人を救うこと。
(……ボクが死ねば……その人は助かる……!?)
 動揺し、思わずデッキを見つめる。
(……ボクが……負ければ……)
 右手から、力が抜けそうになる。だがそれを、ぎゅっと握り締めた。
(…! けど、それじゃあ…!)

 ――それが正しいとは、思えなかった
 けれど自分が死ななければ、代わりにその人が死ぬだけ――

「……負けて下さい……とは、言いません」
 思い悩む遊戯に、絵空は穏やかにことばをかける。

 ――そんなことを言う権利は、私にはない
 …いや、誰にもないはずだ
 けれどそれは、“彼女”についても同じこと――

「……身勝手は解っている……。けれど、それでも私は退かない――退くことができない」

 ――だから――

「……だからあなたにはせめて、全力で闘ってほしい……」

 ――生を諦めてほしくない
 私は迷わない……けれど、あなたにも諦めてほしくない――

「……………」
 沈黙し、もういちど遊戯はデッキを見つめた。
 ――今は、どうすればいいのか判らない
 ――けれど――
(……闘おう……!)

 ――今は…決闘者として、全力で闘おう
 何をすればいいのか、どうすればいいのかは判らない
 けれど、ボクたちは決闘者
 闘いの中で、答えを見つけられるかもしれない――

(……ボクの闘う相手は、神里さんじゃない……!)

 ――そして…神里さんが闘っているのも、きっとボクじゃない――

(……全力で闘って……答えを見つけるしかないんだ…!)

「――ボクのターン! ドロー!!」

 ドローカード:サイレント・マジシャン

「…ボクは、『サイレント・マジシャン』LV0を攻撃表示で召喚!」
 遊戯の場に、小さな魔術師の少女が現れる。
「バトル! サイレント・マジシャンで、プレイヤーへダイレクトアタック!!」
 小さな杖を構え、魔力を放出する。
「サイレント・バーニング!!」

 ――ズドォォッ!

「…くっ…!」

 絵空のLP:3900→2900

「カードを一枚伏せて、ターンエンド!!」
「…私のターン! ドロー!!」

 ドローカード:和睦の使者

「――この瞬間、『サイレント・マジシャン』の特殊能力発動! 『サイレント・マジシャン』は相手がカードをドローすることでレベルを上げ、攻撃力が500アップするよ!!」
 遊戯の場の小さな魔術師は、わずかだが成長を果たす。

 沈黙の魔術師(サイレント・マジシャン):攻1000→攻1500

(…『サイレント・マジシャン』は、放っておくと無尽蔵に攻撃力を上げていく強力カード…! けれど……)
 絵空の手札には、その強力な能力を逆手に取れるカードがあった。
「私は『キラー・トマト』を攻撃表示で召喚し…、手札から、魔法カードを発動!! 『強制転移』!!」
「――! そのカードは…!」
 以前にも見た強力カードの登場に、遊戯は目を見張った。

強制転移
(魔法カード)
お互いが自分フィールド上モンスターを1体
ずつ選択し、そのモンスターのコントロール
を入れ替える。選択されたモンスターは、
このターン表示形式の変更は出来ない。

「…このカードは、私が最も得意とするコンボカード…! お互いの場のモンスターのコントロールを入れ替えます!!」
 だが、その魔法効果が発動する刹那、遊戯は場のカードに手をかけた。
「――リバースマジック! 『魔封壁』!!」
「!!」
 遊戯の場のモンスターを、不可視のバリアが覆う。
「このカードの効果により――ボクのサイレント・マジシャンはこのターン、魔法効果を受け付けない! よって、『強制転移』の効果は無効化されるよ!!」

 ――シュウウウ……

 絵空の場に映し出されたソリッドビジョンは、その効果を発揮することなく消滅する。
(……『キラー・トマト』の攻撃力は1400…。レベル1、攻撃力1500となった『サイレント・マジシャン』は戦闘で破壊できない……)
「……私はカードを一枚伏せ、ターン終了です!」
 絵空のエンド宣言と同時に、遊戯は息をひとつ吐いた。

(……やっぱり……強い…!)
 絵空の強さを、再認識する遊戯。前日までの絵空に対してもそう思っていたが、今日、本気になった絵空はそれ以上だ。
 1ターンごとに、致命傷となりうる強力な戦術を展開してくる。今のターンにしてもそうだ。遊戯は、絵空の場のモンスターに目をやった。

キラー・トマト  /闇
★★★★
【植物族】
このカードが戦闘によって墓地へ送られた時、
デッキから攻撃力1500以下の闇属性モンスター
1体を自分のフィールド上に表側攻撃表示で特殊召喚する
事ができる。その後デッキをシャッフルする。
攻1400 守1100

(……もし今のコンボが成立し、『サイレント・マジシャン』で『キラー・トマト』を破壊されたら……、神里さんはデッキから攻撃力1500以下のモンスターを特殊召喚し、ダイレクトアタックを決められたんだ…!)
 相手の強力モンスターを奪いつつ、自分はさらに特殊召喚の権利を得る――使用するカードは違えど、転校初日に城之内を一気に追い込んだ、必殺コンボである。
 唾を呑む。
 ―― 一瞬たりとも気を抜けない、そんな緊迫感を覚える。
 だが同時に、遊戯はある種の高揚感を感じずにはいられなかった。
 決闘者として、強い相手と戦えるということは、やはり嬉しいことなのだ。
(……もし…、こんな状況じゃなかったら……)
「……ボクのターン……」
 デッキに手を伸ばしながら思う。
(もし何のしがらみもなく、ただ楽しむことができたなら――)
 そう思うと、遊戯は残念で仕方がなかった。
「――ドロー!!」

 ドローカード:熟練の黒魔術師

(! よし!)
「ボクは、『熟練の黒魔術師』を攻撃表示で召喚!!」
 遊戯の場に、黒き衣に身をまとった魔術師が召喚される。

熟練の黒魔術師  /闇
★★★★
【魔法使い族】
自分または相手が魔法を発動する度に、
このカードに魔力カウンターを1個乗せる
(最大3個まで)。魔力カウンターが3個
乗っている状態のこのカードを生け贄に
捧げる事で、自分の手札・デッキ・墓地から
「ブラック・マジシャン」を1体特殊召喚する。
攻1900 守1700

「――さらに! 手札から魔法カード発動! 『死のマジック・ボックス』!!」
 遊戯と絵空の場に、奇術道具らしきボックスがそれぞれ現れる。
「!! これは…!!」
 それぞれのボックスに、『熟練の黒魔術師』と『キラー・トマト』が閉じ込められる。そして、現れた無数の剣が、遊戯の場のボックスを貫いた。

 ――ズバババッ!!

(……『キラー・トマト』は戦闘で破壊した場合、デッキからモンスターを呼ばれてしまう厄介なモンスター…! でも、魔法効果で破壊すれば…!)
 やがて、それぞれのボックスがほぼ同時に開く。絵空の場のボックスには黒魔術師が、そして遊戯の場には、串刺し状態の『キラー・トマト』が現れた。
「……く……!」
 その後すぐに、破壊の確定された『キラー・トマト』は、遊戯の場で消滅する。
「…そして! 『熟練の黒魔術師』の攻撃!!」
 至近距離から、黒魔術師は絵空に向けて杖を構える。
(……このターン、遊戯さんの場のモンスター二体の直接攻撃を許せば私の負け…!)
 たまらず、絵空は場の伏せカードに手をかけた。
「――トラップ発動! 『和睦の使者』!!」
「!」
「このカードの効果により、このターンの私への戦闘ダメージは0になります!!」
 杖にこめられていた黒魔術師の魔力は、静かにその勢いを失い、消えていった。
「…ターン、終了だよ!」

 遊戯の猛攻に耐え、絵空は息をひとつ吐いた。
(……やはり……強い…!)
 目の前の相手が強敵であることは、絵空も重々承知していた。だが、いま目の前で発揮される彼の強さは、彼女の想定していたものよりさらに上をいっていた。デッキに秘められた強さも、前日までのものをさらに上回っているように思えた。
(……それでも……私は……!)
 ――負けない。
 ――負けるわけにはいかない。

 自らの行いが“罪”であることは、絵空自身、よく分かっていた。

 ――他人の“幸福”を奪い、自分の近しい人に与える
 そんな所業を、神が許すはずはない――

 ――神が罰を与えるというなら、私はそれを喜んで受け入れよう
 けれど同時に、私は神を糾弾する
 なぜ、“彼女”を助けてくれないのかと
 何の罪もない“彼女”を、誰よりも生を望む“彼女”を、なぜ救わないのかと――

 ――だが絵空は、その問いの答えをすでに知っていた。

「――私のターン! ドロー!!」

 沈黙の魔術師:攻1500→攻2000

 ドローカードを手札に加えると、絵空はゲームの状況に目を移す。

 遊戯のLP:2600
     場:サイレント・マジシャン(LV2),熟練の黒魔術師,伏せカード1枚
    手札:3枚
 絵空のLP:2900
     場:
    手札:4枚

(…ライフポイントはほぼ互角…! けれど、場の形勢は、明らかに遊戯さんに傾いている…!)
 ――気になるのは、遊戯の場のモンスター二体。
 沈黙の魔術師はターン経過ごとに攻撃力を上げる能力、熟練の黒魔術師は魔力を蓄えることで『ブラック・マジシャン』へと成長可能な能力を持つ、どちらも厄介なモンスターである。
(……どちらのモンスターも、場に残し続けると危うい…! 早めに倒さなければ…!)
 手札を見る。手札には、モンスター・魔法・トラップがそれぞれ一枚ずつある。
 絵空は、手札で唯一のモンスターカードに指をかけた。
「私は、『ダーク・ヒーロー ゾンバイア』を攻撃表示で召喚!!」
 絵空の場に、一体の頑強な戦士族モンスターがよび出される。その攻撃力は2100。
(…このカードの攻撃力なら、遊戯さんの場のモンスターを倒せる…!)
 絵空は、遊戯の場のモンスター二体を睨みつけた。

ダーク・ヒーロー ゾンバイア  /闇
★★★★
【戦士族】
このカードはプレイヤーに直接攻撃をする事ができない。
このカードが戦闘でモンスターを1体破壊する度に、
このカードの攻撃力は200ポイントダウンする。
攻2100 守 500

(……『サイレント・マジシャン』は現在レベル2、攻撃力は2000。このまま倒さずにいれば、次の私のターンには攻撃力2500にまで成長してしまう…!)
 より早く倒すべきモンスターを見極め、絵空はゾンバイアに攻撃指示を出した。
「――『ダーク・ヒーロー ゾンバイア』! 『サイレント・マジシャン』LV2を攻撃!!」
 ゾンバイアは飛び掛ると、その拳を容赦なく振りかぶった。
 だが遊戯の場にはまだ、トラップカードが残されていた。
「――リバースカードオープン!! 『罅割れゆく斧』!!」
「――!?」
「このカードは、リバース状態で経過したターン数×500ポイント、対象のモンスターの攻撃力から引くことができるよ!!」
(……しまった……!!)
 思わぬカードに、絵空の表情は戦慄に染まる。
 遊戯の場の伏せカードは、2ターンの間、場に伏せられていた。よって対象のモンスター ――『ダーク・ヒーロー・ゾンバイア』は、攻撃力を1000失うことになる。

 ダーク・ヒーロー・ゾンバイア:攻2100→1100

 弱体化されたゾンバイアに対し、沈黙の魔術師は颯爽と跳躍し、杖を構える。
 ――その攻撃力は2000。
「……くっ……!!」
 ここでゾンバイアを失ってしまえば、絵空に勝機はなかった。
「反撃だ!! サイレント・マジシャン!!」
 杖の先に、魔力が集中される。
 ――ふと、絵空の脳裏を、数ターン前のことが過ぎった。

 ――稲妻に打たれ、苦しむ“彼女”。
 “彼女”の苦しむ様など、自分には耐えられない。

(……だから私は――退かない!!)
「マジックカード!! 『収縮』!!」

収縮
(魔法カード)
場のモンスター1体の攻撃力を半分にする

 途端に、沈黙の魔術師の身体が縮小されていく。

 沈黙の魔術師:攻2000→攻1000

「――今よ! ゾンバイア!!」
 沈黙の魔術師が動揺する隙に、ゾンバイアは一気に間合いを詰め、拳を振るう。

 ――ズガァァッ!

 弱ってしまったゾンバイアだが、それでも縮んだ魔術師の少女を倒すには十分な力が残されていた。
 拳を腹部に叩きつけられた沈黙の魔術師は砕け散り、遊戯のライフがわずかに削れる。

 遊戯のLP:2600→2500


 ダーク・ヒーロー・ゾンバイア:攻1100→攻900

 ――だがこれで、ゾンバイアの攻撃力は1100から、自身の特殊効果でさらに下がる。
 にもかかわらず絵空は、変わらぬ覇気でゲームを続行した。
「――カードを一枚伏せ、ターンエンド!!」


 遊戯のLP:2500
     場:熟練の黒魔術師
    手札:3枚
 絵空のLP:2900
     場:ダーク・ヒーロー・ゾンバイア(攻900),伏せカード1枚
    手札:1枚



第八章・正義論

「ボクのターン! ドロー!」

 ドローカード:聖なるバリア―ミラーフォース―

(! よし!)
「ボクはカードを一枚伏せ、『サイレント・ソードマンLV0』を攻撃表示で召喚!」
 遊戯の場に、小さな体格の少年剣士が召喚される。
「――バトル!! 熟練の黒魔術師で、ゾンバイアを攻撃!!」

 ――ズガァァッ!!

 攻撃力900のゾンバイアはなすすべなく破壊され、絵空のライフが削られる。

 絵空のLP:2900→1900

「さらに! サイレント・ソードマンの攻撃!!」

 ――ズバァッ!

 沈黙の剣士(サイレント・ソードマン)の小さな剣が、絵空に向けて振るわれる。
「…くっ…!」

 絵空のLP:1900→900

「…ターン終了だよ」

(……強い……!)
 絵空は、改めてそう思った。
 いま、自分の手札はたったの1枚。ライフポイントも残りわずか。対する遊戯の場には、モンスターが二体。客観的に見て、挽回の難しい状況である。
(……やはり――これを使うしかないの……!?)
 絵空は、自分の手札に残された最後の1枚に目をやった。

 絵空の手札:DEATH-MASTER OF LIFE AND DEATH-

 まがまがしい気配を放つそれを見つめ、絵空は唾を呑んだ。

 ――それは、使えばほぼ確実に勝てるカード。
 この“闇のゲーム”を行うための、力の片鱗。
 数ターン前から、それはすでに絵空の手札に存在していた。

 ――だが、使う気にはなれなかった。
 そのカードの召喚するための、残酷すぎるコスト。絵空はそれを、どうしても払うわけにはいかないのだ。


「……もう…やめよう……」
「……!?」
 劣勢から、絵空の集中力が切れつつあることを感じ取り、遊戯は言った。
「神里さんの――“大切な人”を助けたいと思う気持ち、ボクにも痛いくらい分かるよ……」
 遊戯の脳裏を、今はなき、“彼”の面影がかすめる。
「……でも…やっぱり、それは間違ってると思うんだ……」

 ――助けたいという気持ち、それは分かる
 けれどやはり、それにも限度がある
 闇のゲームに頼ってまで、どんなことをしても助けたいというその気持ち
 気持ちは分かるけど……それでも――

「…………」
 わずかなためらい。だが、それを振り払うのに、絵空は長くかからなかった。

「――私のターン!! ドロー!!」

 ドローカード:天よりの宝札

(! よし!!)
「私は手札から、『天よりの宝札』を発動!!」
「!!」
「このカードの効果により、お互いのプレイヤーは、手札が6枚になるようカードをドローします!!」
(まだ――あきらめるのは早い!!)
 気を持ち直した絵空は、デッキからカードを5枚、抜き放つ。
「……神里さん……」
 仕方なく、遊戯もデッキからカードを4枚引いた。

(――神を使わずとも、私はこのデュエル、制してみせる!!)
 手札をよく確認し、二枚のカードを選び出す。
「リバースを一枚セットし、『魂を削る死霊』を守備表示!! ターンエンド!!」
「…! ボクのターン! ドロー!!」

 ドローカード:マジシャンズ・サークル

 カードを引くと、沈黙の剣士のレベルが1となり、攻撃力が上がる。そして、遊戯は絵空の場を見据えた。

 沈黙の剣士:攻1000→攻1500

(……『魂を削る死霊』か…厄介だな……)
 その強力な特殊能力を思い出し、唾を呑む遊戯。

魂を削る死霊 /闇
★★★
【アンデット族】
このカードは戦闘によっては破壊されない。
魔法・罠・効果モンスターの効果の対象に
なった時、このカードを破壊する。この
カードが相手プレイヤーへの直接攻撃に
成功した場合、相手はランダムに手札を
1枚捨てる。
攻 300 守 200

(……それに……気になるのは、神里さんの場の伏せカード2枚。うかつに攻め込むのは危険だな……)
 状況判断をしつつ、遊戯はゲームを続行する。
「……神里さんの『天よりの宝札』により、ボクの『熟練の黒魔術師』に3つ目の魔力カウンターが乗ったよ! よって、『熟練の黒魔術師』を生贄にささげ――」
 遊戯はデッキから、一枚のカードを選び出し、場に召喚した。
「――いでよ!! 『ブラック・マジシャン』!!」
 『熟練の黒魔術師』が光の渦の中に消え、遊戯の場に、一体の上級マジシャンが特殊召喚される。
(…!! ブラック・マジシャン…!!)
 その出現に、警戒する絵空。だが、いかにブラック・マジシャンでも、絵空の場の壁モンスターは、単体では破壊できないはずである。
「…さらに、リバースカードを一枚セットし、『ブロックマン』を守備表示で召喚! ターン終了だよ!」

「――私のターン!!」
 デッキに指をかけ、絵空はフィールドを凝視した。

 遊戯のLP:2500
     場:ブラック・マジシャン,サイレント・ソードマンLV1,
       ブロックマン,伏せカード2枚
    手札:5枚
 絵空のLP:900
     場:魂を削る死霊,伏せカード2枚
    手札:4枚

(……一見、押されているのは私の方だけど――)
 ――絵空には、この状況から遊戯のライフを削りきる策があった。
 場の状況がどうであれ、相手のライフを削りきった者が勝者となる。それが、このゲームのルールである。
「――ドロー!!」

 ドローカード:コピーキャット

(!! このカードは…!!)
 自らの勝利を確証付けるような強力カードに、絵空の口元がわずかに緩む。
「――私は、場の永続トラップを発動します! 『アポピスの化身』!!」
 絵空の場の伏せカードが開かれ、そこから、蛇のような下半身を持つ、剣と盾で武装した罠モンスターが出現する。
「さらに…! 『アポピスの化身』を生け贄にささげ――『偉大(グレート)魔獣 ガーゼット』!! 召喚!!」
「!? なっ…!?」
 意外なモンスターの生贄召喚に、遊戯は思わず、驚きの声を上げた。
「このカードの攻撃力は、生贄にしたモンスターの攻撃力の2倍…! つまり、アポピスの攻撃力1600の二倍、3200となります!!」

偉大魔獣 ガーゼット /闇
★★★★★★
【悪魔族】
このカードの攻撃力は、生け贄召喚時に
生け贄に捧げたモンスター1体の元々の
攻撃力を倍にした数値になる。
攻 0  守 0

 偉大魔獣 ガーゼット:攻0→攻3200

「――いきますよ…! ガーゼットで、沈黙の剣士を攻撃!!」
 巨大な体躯を持つそのモンスターは、重々しく地を駆け、大きな拳を振り上げる。
(……沈黙の剣士の攻撃力はまだ1500…。ここで倒されれば、ボクは1700ポイントの大ダメージを受けてしまう!!)
 たまらず遊戯は、場の伏せカードに手をかけた。
「――トラップカード発動!! 『聖なるバリア―ミラーフォース―』!!」
 遊戯のフィールドが、聖なる力に包まれる。攻撃してきた相手モンスターを全滅させるという、最強レベルの威力を誇る防御系トラップカードである。
 だが次の瞬間、絵空の伏せカードも発動していた。
「――カウンタートラップ!! 『神の宣告』!!」
「!?」

神の宣告
(カウンター罠カード)
ライフポイントを半分払う。
魔法・罠の発動、モンスターの召喚・
反転召喚・特殊召喚のどれか1つを
無効にし、それを破壊する。

 絵空のLP:900→450

 ――シュウウウ……

「…!! しまった…!!」
 遊戯の場の罠カードが消滅し、バトルが続行される。
 ガーゼットは力任せに、自分よりずっと小さい沈黙の剣士めがけ、拳を叩きつけた。

 ――ズドォォォォォッ!!!

「――うわぁぁっ!!」
 巨大な衝撃音。遊戯は両手をクロスさせ、その衝撃波から顔をまもる。そして、次に視界が開けたとき――そこに沈黙の剣士の姿はなく、ガーゼットが仁王立ち、遊戯の姿を見下ろしていた。
 そして、遊戯の決闘盤のライフ表示が大幅に動く。

 遊戯のLP:2500→800

「……くっ……!!」
 絵空の場へと戻っていくガーゼットを見つめながら、表情を険しくする遊戯。
 一気にライフの大半を削られ、残りライフはわずかである。

「…さらに…、場に二枚、リバースカードをセットします!!」
(……私の勝ちです…! 遊戯さん!)
 自分の手札を確認し、勝利を確信する絵空。

 絵空の手札:キャノン・ソルジャー,DEATH-MASTER OF LIFE AND DEATH-


キャノン・ソルジャー /闇
★★★★
【機械族】
モンスター1体を生け贄に捧げ、
相手のライフポイントに
500ポイントのダメージを与える。
攻1400 守1300

(……『キャノン・ソルジャー』の特殊能力を使えば、私は攻撃することなく、遊戯さんのライフにダメージを与えられる…! 遊戯さんのライフは残りわずか。このカードの特殊能力で十分削りきれる…!)
 ――さらに、絵空の場には、強力な伏せカードが二枚。この状況から、遊戯が逆転できるとは到底おもえなかった。

「――間違っている……その通りかもしれませんね……」
「……!」
 勝利を確信した絵空が、先ほどの遊戯のことばに返答する。
「けれど私にとって――“彼女”こそが、私の全てだから……!」

 ――だから……間違ってはいない
 どれほど、倫理的に許されなくとも
 “彼女”を救うためなら、いかなる“悪”も“正義”となる――

「……!!」
「…私はこれで、ターン終了です!!」

(……神里さんは……ただ、“大切な人”を救いたいだけなんだ……)
 デッキを見つめ、遊戯は考え込んだ。

 ――自分だったらどうするだろう?

 ひとつの問いが、頭に浮かぶ。

「…………」
 目を閉じ、それを考える。
 よく考えた上で――遊戯は、目を見開いた。

「……やっぱり……間違ってる……!」
 遊戯は、まっすぐ断言した。
「誰かを幸福にするために、別の誰かを不幸にする――そんなことが!! そんなものが“正義”であるわけがないよ!!」
「――!!」
「――ボクのターン!! ドロー!!」
 デッキから、勢いよくカードを抜き放つ。

 ドローカード:罠はずし

「ボクは――『ブロックマン』の特殊能力を発動!! ブロック解除!!」
 ブロックマンの身体のブロックが分解され、二体に分離する。

(――そんな正義――!!)

「――ボクは…、場の二体のブロックモンスターを生贄に――」

(――このカードで…、うち砕く!!)
「――『破壊竜ガンドラ』!!」

 ――ズドドドドドドドド!!!

「!!」

 遊戯のフィールドに、まがまがしきドラゴンが姿を現す。
 現れたドラゴンは、フィールドの全てを制圧せんとするかのように、大きく咆哮した。

 遊戯のLP:800
     場:破壊竜ガンドラ,ブラック・マジシャン,伏せカード1枚
    手札:5枚
 絵空のLP:450
     場:偉大魔獣ガーゼット,魂を削る死霊,伏せカード2枚
    手札:2枚



第九章・それでも砕けぬもの

 遊戯のフィールドに、一体の巨大なドラゴンが召喚される。
 巨大な体躯を有し、まがまがしい様相を呈する竜。
 ガンドラは地に降り立つと、フィールド全体を鋭く睨みつけた。
 遊戯の場には、ブラック・マジシャンが一体。絵空の場には、攻撃力3200を備えたガーゼットと無敵能力を備えた死霊が存在している。
 ガンドラの攻撃はフィールド全域に及ぶ。自らの攻撃に巻き込まれるであろう全対象を確かめたのである。

(――お願いだ、ガンドラ…!)
 遊戯は、自分の場のガンドラを見上げた。

 ――ボクはもう、神里さんと闘いたくない
 だから力を…!
 この辛い闘いに、終止符を打てるだけの力を――

 遊戯の気持ちを知ってか知らずか、ガンドラはいちど遊戯を見下ろすと、再びフィールドへ視線を戻した。


「――“正義”……ですか」
 落ち着き払った様子で、絵空はちいさく、嘲るように笑ってみせた。
「……ならば――正義の定義とは何ですか?」
「……!?」
 思わぬ問いかけに、遊戯は表情を曇らせた。
「……他人の幸福を奪い、自らの幸福とすること…。確かに、それは“罪”かも知れません。けれど、そうすることでしか幸福を得られないとしたら? 誰かを不幸にすることでしか、幸福になれないとしたら? だとすれば――不幸な人間は、いかにして幸福を得るべきですか?」
「………! それは……」
 ことばに詰まりながらも、遊戯は懸命に返答した。
「……探すべきなんだと思う。誰もが幸せになれる方法を。誰もが傷つかずに済む方法を」
「――矛盾ですね。言ったでしょう? “そうすることでしか幸福になれないとしたら”と……」
 絵空は、鋭く口にした。
「…たしかに…それは理想です。誰もが幸福になれるなら、誰も傷つかないなら、それが一番良い…。けれど、その方法が見つからないから、人は苦しむ……」
 溜まっていたものを吐き出すように、絵空は続けた。
「遊戯さんの考えは、偽善でしかない…。誰もが幸福になど、ありえない。生まれながらの才能、境遇、運命…。全ての異なる所与のもと、人はみな須(すべか)らく不平等です。そのようなこの不公正な世界で――何を正義と定めるべきか?」
 毅然とした様子で、絵空は言った。
「……人は正義を、自分で判断するしかない…。自らの知ることしか知らない状況で、不完全な知識の中で、自身を信じるしかない。正義と悪の正確な境界線など、誰にも判りはしない……」
「………!」
「……あなたの命を奪うこと――それが正しいとは、私も考えていません。けれど、“彼女”を救うにはそれしかない……」

 ――だから、それしかすべがないのだから
 私は、“彼女”が死ぬ不条理など許せないから
 これは正義
 理想からは大きく隔絶した、不公正な正義――

「……人は所詮……真の幸福など、誰も得られはしないのかも知れませんね……」

 ――けれど、それでも構わない
 私は“彼女”に、幸福であってほしい
 それが偽りのものでも
 どれほど儚く、脆いものでも――


「……正義……」
 不確かなそれを呟き、遊戯は考えてしまう。

 ――正義とは何か
 ――悪とは何か

 目を閉じて、考える。

 ――明確な境界線、確かにそれはないのかも知れない。
 けれど、それを判断するための心は、誰にでもある。

「…やっぱりボクは、間違ってると思う…」
 遊戯は顔を上げた。
「……もしも…もしもボクが、君の言う“大切な人”の立場だったとして…、君がボクのために心を痛め、こんなことをしていると知ったら…。…ボクは、耐え難いほど悲しい…辛い……」
「……。……それでも、私は……」
 ――それでも、
「私は…止まらない。偽りでも構わない。私は“彼女”に、幸福を手にしてほしい……」
 絵空の心は、揺れなかった。

「…………」
 心に痛みを覚えながら、遊戯は場に意識を戻した。
(……神里さんの場には、強力なモンスターが二体と、リバースが二枚……)
 ――おそらく、伏せられた二枚のカードも、かなり強力なものなのだろう。
 遊戯はこのターン、賭けに出ていた。
(……ボクの考えが正しければ、あのリバースカードは……!)
 絵空の場を見つめながら、遊戯は唾を呑んだ。


(……『破壊竜ガンドラ』……ライフポイントを半分支払うことでフィールドの全モンスターをゲームから除外する、ある意味で最強のモンスター……)
 絵空は、遊戯の場を見つめながら考えた。
(……解せないのは――遊戯さんが、場にブラック・マジシャンを残していること……)
 ――このターン、遊戯はブロックマン二体を生け贄にガンドラを召喚した。もしガンドラで全てを破壊する気なら、ここでブラック・マジシャンを場に残しているのは妙である。ガンドラに倒されたモンスターはゲームから除外される。遊戯からすれば、ブラック・マジシャンが除外されてしまうのは得策ではないはずだ。
(――とすると、考えられるのは……)
 絵空は、遊戯の場の伏せカード1枚、及び5枚の手札を見た。
(……恐らくあの中に、ブラック・マジシャンを、ガンドラの破壊効果から護ることのできるカードがある……)
 ――恐らくそのカードを使い、こちらの場のモンスターを一方的に破壊する算段なのだ。
(……けれど――甘いですよ、遊戯さん)
 絵空は、内心で密かに笑った。
(私の場の伏せカード――それを使えば、遊戯さんの企みは水泡と帰す…!)
 ――さらに、ガンドラの特殊能力発動コストで、遊戯のライフは残り400となる。
 『キャノン・ソルジャー』の特殊効果で、次のターン、絵空は確実に勝利できるのだ。
(……このターンを防ぎきれば、私の勝ち…!)
 絵空の脳裏にはすでに、自分の勝利への図式が完成していた。


(……頼むよ……ガンドラ、ブラック・マジシャン…!)
 遊戯は、自分の場のモンスター二体を見上げた。
(…この賭けに失敗すればボクの負け…! でも、成功すれば…!)
 そして覚悟を決めると、遊戯は場のモンスターに指示を出した。
「ライフポイントの半分を支払い――『破壊竜ガンドラ』の特殊能力発動!!」

 遊戯のLP:800→400

(――来た!!)
 遊戯の盤のライフ表示が動き、ガンドラの全身が赤く輝き始める。
 ここぞとばかりに、絵空は場の伏せカードを開いた。
「――リバースマジック発動!! 『コピーキャット』!!」
「!! そのカードは…!」
 絵空の場に、ニンマリと、奇妙に笑った黒猫が出現する。
「このカードは、遊戯さんの墓地に眠るカード一枚に姿を移し変えることができます!!」

コピーキャット
(魔法カード)
相手が場に捨てたカードに
姿を移し変えることができる

 黒猫の姿は、みるみるうちに変わっていった。
 結果、姿を移し変えたカードは――『魔封壁』。
「…このカードは遊戯さんのカード…。その効力は、遊戯さん自身がよくご存知のはず」
 絵空の場のモンスター二体が、見えない結界に覆われる。『魔封壁』発動プレイヤーの場のモンスターは一ターン、一切の魔法攻撃を受け付けない。ガンドラの特殊能力は魔法攻撃、このカードの効果で回避可能なのである。
(……これで、私の場のモンスターが破壊されることはない…!)
 もはや歯止めの効かないガンドラは、全身から赤い光線を発し始めていた。
「私の勝ちです――!! 遊戯さん!!」
 だが、絵空がそう叫んだ刹那――
「……それはどうかな」
「……エ…?!」
 この状況下、遊戯は笑みを浮かべていた。
「…神里さんレベルの決闘者ならきっと、ガンドラの特殊能力を防げるカードを用意していると思った…。危険な賭けだったけど――だから、ボクの勝ちだ」
「……!? いったい何を――」
「――リバースカードオープン! 『魔法移し』!!」
「!! なっ!?」

魔法移し
(魔法カード)
魔法効果を移し変える

「このカードの効果により、『魔封壁』の効果はボクのフィールドに移されるよ」
 絵空の場から、『コピーキャット』のコピーした『魔封壁』のソリッドビジョンが消え、代わりに、遊戯の場に再表示される。
 遊戯の場を見えない結界が覆う。そして、絵空の場を護っていたそれは、いつの間にか消えていた。

(…『コピーキャット』を読まれていた…!?)
 思ってもみない展開に、絵空は激しく動揺した。
 ――『コピーキャット』は、遊戯相手には初使用のカード。しかも、かなりのレアカードなのだ。その存在を読まれることはまずありえない。

「――デストロイ・ギガ・レイズ!!!」

 ガンドラの赤い光が、フィールド全体に降り注ぐ。
「…っ…!!」
 絵空はとっさに左腕をかざし、光から自分の視界をまもる。

 ――ズガガガガガガガァァッ!!!!

 光は、絵空の場のモンスターを容赦なく襲った。
 強大な攻撃力を誇るガーゼットも、無敵能力を備えた死霊も、その絶対的な破壊力の前には無力であった。
 何本もの光線が二体のモンスターの身体を貫き、跡形もなく焼き尽くす。

 そして――光の末に生き残ったモンスターは二体。この惨状を生み出した張本人・ガンドラと、その隣に佇む黒魔術師――いずれも、遊戯の場のモンスターである。


 遊戯のLP:400
     場:破壊竜ガンドラ,ブラック・マジシャン
    手札:5枚
 絵空のLP:450
     場:伏せカード1枚
    手札:2枚


(……こんな…はずは……)
 場の圧倒的状況に、絵空は呆然と立ちすくんだ。
 ――勝利は、目前のはずだった。
 『コピーキャット』はガンドラの特殊能力を防ぎきり、驚愕するのは遊戯のはずだったのだ。

 ふと、遊戯の方を見る。
 遊戯はほっと、安堵のため息を吐いていた。
 それを見て、絵空は気がついた。
「……まさか――遊戯さんの手札に、ガンドラの破壊効果を防げるカードはなかった…!?」
 動揺しつつ、絵空は問わずにいられなかった。
「…うん。さっきも言ったけど、神里さんレベルの決闘者なら、ガンドラの能力を防ぐ対抗策を用意してると思ったんだ。…そしてボクの場には、相手の魔法効果を移し変える『魔法移し』があった…。危険だとは思ったけど――でも、やってみる価値はあると思ってね」
 トラップで防がれたらダメだったけど、と苦笑してみせる遊戯。
(……『コピーキャット』を読まれていた……!?)
 正確には、『コピーキャット』を読まれたわけではない。しかし、何らかのカードで破壊効果を回避することは読まれていた。――いや、読まれていたわけではない。
『コピーキャット』を使うよう、誘導されたのだ。
(……すごい……!)
 絵空は、一人の決闘者として感心してしまった。
 今とった遊戯の戦術は、根拠のない――“勘”に頼ったものだ。しかし、ガンドラ召喚直前の遊戯に、動揺や迷いは見られなかった。

(…! いけない!)
 遊戯に呑み込まれそうな自分に気づき、慌てて否定する。
「――まだです、遊戯さん! 私の場にはまだ、リバースが1枚残されている!」
 衝動的に、絵空は、自分の場の伏せカードの使用を宣言する。
 そして、2枚の手札のうちの1枚、『キャノン・ソルジャー』に指をかけた。
「手札を1枚捨て――トラップカードオープン! 『サンダー・ブレイク』!!」

サンダー・ブレイク
(罠カード)
手札からカードを1枚捨てる。
フィールド上のカード1枚を破壊する。

 捨てたのは、『キャノン・ソルジャー』のカード。
 遊戯の残りライフが400の今、本来ならこのカードを捨てたくはなかった。だが、もう一枚のカードは、‘手札から捨てることが許されない’カードなのだ。
「『サンダー・ブレイク』の効果により、『ブラック・マジシャン』を破壊します!!」
 カードから稲妻が発生し、それが魔術師に襲い掛かる。だが――
「――手札から、カウンターマジック発動! 『罠はずし』!!」

 ――シュゥゥゥ……

「……!!」
 頼みの綱の罠も、遊戯のカードで無効化される。
 これで、絵空の場の全てのカードは失われた。――そして遊戯の場にはまだ、攻撃可能な強力モンスターが一体。

(……負けた……)
 絵空の全身から、力が抜ける。『ブラック・マジシャン』で攻撃されれば、絵空のライフは0である。そして、闇のゲームの敗者に与えられるのは――死。
(……でも…これで良かったのかも知れない……)
 静かに目を閉じると、絵空は小さく笑んでいた。

 ――“彼女”は、もう救えない
 …けれどその代わり、遊戯さんは救われる――

 ――両者が救われることは、決してない。
 けれど裏返せば、片方が救われねば、もう片方は救われるのだ。

(……なんて残酷なのかしら……)
 絵空は、思わずにいられなかった。

 ――誰もが幸福であれる世界
 それは紛れもなく、正しい理想
 …けれどそれは、叶わぬ理想――

「……とどめを…さして下さい……」
「……!」
 絵空は、穏やかに呟いた。
「…私の負けです…。このデュエルが終われば、杏子さんへの“闇”の干渉は解かれる…。それで、終わりです…」
「……ボクは……」
 遊戯は、手札の中の1枚に指をかけた。
「…カードを1枚伏せて、ターン終了だよ」
「……!?」
 遊戯のエンド宣言とともに、遊戯の場に移っていた『魔封壁』が消滅する。そして、『魔封壁』のおかげで生き残っていたガンドラも、自身の効果で墓地に眠った。

「……言ったよね。“ボクが君のライフを0にすることは決してない”って……」
「……!」
 曇りのない表情で、遊戯は言う。
「……正気ですか?」
 絵空は、遊戯の決闘盤のライフ表示に目をやった。
 残りライフは、わずか400。
 フィールドに『ブラック・マジシャン』が存在し、状況は圧倒的に有利とはいえ、このわずかなライフでは、いつ0にされてもおかしくない。
「…私は決してやめない…! あなたのライフを0にするまで……あなたがどんなにやさしくても、そのやさしさを利用してでも…!」
「……わかった。でも…それでも、ボクは……」

 ――君が判ってくれるまで、ボクは続ける
 ボクは、神里さんを信じてるから
 …神里さんは、ボクの“友達”だから――

「…ライフを失えば命を失う…。それでも…!?」
 遊戯は静かに、迷うことなく頷いた。

(……! ……でも…それでも、私は……!)

 ――ドクン!

 俯き、悩む絵空に、残された最後の手札が語りかける。

『(…我ヲ喚ベ)』

「……っ…!」
 絵空は強く、下唇をかみ締めた。
「――私のターン! ドロー!!」

 ドローカード:団結の力

団結の力
(装備カード)
自分のコントロールする表側表示モンスター
1体につき、装備モンスターの攻撃力と
守備力を800ポイントアップする。

「……!」
 引いたカードを見て、顔をしかめる。確かに強力なカードだが、装備カードである以上、単体では意味をなさない。
 このカードだけでは、現状を打開することは不可能である。

 ――ドクン!!

『(…我ヲ喚べ。アノ カード ヲ使エ…)』

「――っ…!」
 脳に直接語りかける声に、絵空は、言い表せぬ不快感を覚える。

(…もう…いい…)
 絵空は深いため息を吐いた。

 ――どれほどことばを重ねても、退けないのだ。
 どれほど強大な敵が立ち塞がっても。
 …それが、どれほど優しい人であろうとも。

「……私はこのターン、ドローしたカードをゲームから除外します…」
「……!? え…!?」
 絵空は、『団結の力』を手札に加えることなく、そのまま決闘盤の除外ゾーンに置いた。
「…そしてターンエンド…。これにより――デッキの外から、永続魔法カードが発動されます」
「…!? デ…デッキの外から…?!」
 聞いたことのない発動手順に、遊戯は眉根を寄せる。
 絵空はスカートのポケットから、1枚のカードを取り出した。
「…永続魔法カード発動…。『BLOODY TABLET』!」
「!!?」

 ――ズゴゴゴゴゴ……

 絵空のフィールドの地面が震動する。
 やがて隆起したそれは、一つの石盤を形どった。
「………!!」
 形どられた人型のそれに、遊戯の両目が見開かれる。
 ――見覚えのあるそれに、遊戯は驚愕を隠せなかった。

「……冥界の…石盤……!?」
 紛れもなくそれは、数ヶ月前、“彼”の旅立ちとともに砕け散ったはずの石盤――“冥界の石盤”であった。

 遊戯のLP:400
     場:ブラック・マジシャン,伏せカード1枚
    手札:3枚
 絵空のLP:450
     場:BLOODY TABLET
    手札:1枚



第十章・悪夢の再現

「……どうして…冥界の石盤が…!?」
 眼前の事態に、遊戯は大いに困惑した。
「……? “冥界の石盤”…?」
 遊戯の動揺する様を見て、絵空は眉根を寄せる。
「……遊戯さんは、このカードをご存知なのですか…?」
「…あ、いや…」
 どう言えばいいものか判らず、口ごもる遊戯。
 それを見ながら、ためらいがちに絵空は説明する。
「…このカードの名前は“BLOODY TABLET”――つまり、“血塗られた石盤”…。…私も詳しくは知りませんが、エジプトのさる地にて“闇の錬金術”を用い、この石盤から“七つの秘宝”が造られたそうです……」
(…! 千年アイテム…!)
 目の前の石盤はやはり、遊戯の知るそれと一致するようだった。
「…“七つの秘宝”はそれぞれ、闇の力を秘めていた…。その材料は――百の人間の魂であったといいます」
「……!!」
 痛ましい事実を思い出し、遊戯は顔をしかめた。
 クル・エルナ村――“彼”も詳しく語ることはためらっていたが、千年アイテムは、そこの大勢の村人を生け贄として造られたものらしい。

 石盤に、もういちど視線を戻す。
 石盤には、七つの千年アイテムは収められていなかった。ところどころに七箇所、千年アイテムの形をした窪(くぼ)みが見られる。
(……こんなカードが存在したなんて……)
 見たことも聞いたこともないカードに、遊戯は驚くばかりである。


『(…早クシロ)』

 手にしたカードから再び、闇の声が絵空に語りかける。
「……!」
 ためらいながらも、絵空は覚悟を決めた。
「……そして…『血塗られた石盤』の効果発動…。私はデッキ・墓地・手札・場から、9体のモンスターを選び出します……」
「…きゅ…、9体!?」
 その驚くべき数に、遊戯は動揺する。
(…一体…どんな効果なんだ…!?)
 デッキと墓地からモンスターカードを抜き取る絵空を見つめつつ、遊戯は唾を呑み込む。
 『血塗られた石盤』――“冥界の石盤”の形を模倣している以上、生半可な効果ではないはずだ。

「…………」
 カードを選び出した絵空は、神妙な面持ちで黙り込む。

『(……ヤレ)』

 ――そして、そのうちの1枚を、決闘盤の『血塗られた石盤』のカードの上に重ねる。
「……『ダーク・ヒーロー・ゾンバイア』を…特殊召喚……」
「!」
 絵空の場に、墓地に送られたはずのモンスターが特殊召喚される。
 絵空のフィールド下には『石盤』があるため、その真上に喚び出される。
(…! まさか…モンスター9体を特殊召喚する能力…!?)
 それを見て、身構える遊戯。さすがに9体も召喚されれば、ブラック・マジシャンといえど危うい。
 だが次の瞬間、遊戯は自分の予想が大きく外れていたことを知る。

「……ごめんなさい……」
 絵空は、小さく呟いた。

 ――ズババァァァッ!!!

「――!? な!?」

 遊戯は一瞬、何が起こったのか判らなかった。
 石盤から無数の、真空波のようなものが発せられ、それがモンスターの身体を微塵に引き裂いたのだ。
 引き裂かれたと同時に、モンスターは悲痛な断末魔を上げる。

「……う……」
 それは、あまりに凄惨な光景だった。
 全身血まみれとなったモンスターは、石盤の上に倒れこみ、絶命する。

 ――ジュゥゥゥ……

「!!?」
 すると今度は、石盤が熱を帯び、赤い光を発する。
 モンスターの死骸はそれに焼かれ、次第に溶け、液化し、石盤にしみ込んでいく。

「……っ……!」
 見ていて気分のいいものではない。
 あまりに残虐な光景に、遊戯は吐き気をもよおし、たまらず目を逸らした。

(……おかしい……)
 遊戯は、昨日の海馬との電話を思い出した。
 ――海馬は、決闘盤の一般販売にあたり、問題となりそうな残虐描写は削除したと言っていた。
 だが、目の前で行われたそれは、残虐などということばで片付けられるレベルではない。

(…! まさか…これは……)
 顔をしかめつつ、遊戯は視線を絵空に戻す。
「…神里さん! そのカードは――」
 問いただそうとしたところで、遊戯は新たな衝撃を受けた。
「……エ……!?」
「……っ……!」
 絵空は下唇を噛み、必死に耐えていた。
 ――ディスクにセットされた『ダーク・ヒーロー・ゾンバイア』のカードに、異変が起きていた。先ほどまで色鮮やかであったそのイラストは、鈍い灰色に覆われている。先ほどまでカードであったそれは――冷たい“石”と化していた。

「……これが、『血塗られた石盤』の特殊効果――いえ、発動コストです……」
 絵空は二枚目のモンスターカード、『キャノン・ソルジャー』を『石盤』のカードに重ねた。

 ――ズバババァァッ!!!

 先ほどと同様に、石盤の上に喚び出されたモンスターは、不可視の無数の刃に引き裂かれる。
 機械族モンスターであるそれは、人型モンスターである『ゾンバイア』に比べれば、いささかマシだったかも知れない。
 だが、全身に斬り傷を負い、スクラップと化して倒れる様は、やはりむごたらしいものだった。
「………!!」
 そして、遊戯は驚愕する。
 フィールドの立体映像が斬り裂かれると、絵空のディスクにセットされたカードは、まるで液体が染みこんでゆくかのように――少しずつ、“石”になっていったのだ。
「……これが…『血塗られた石盤』の発動コスト…。発動後、9体のモンスターを選び、その魂を生け贄としなければならない……。そして――」
 “石”となったそれを、ディスクからはずす。そしてそれを名残惜しげに、墓地に置いた。
「……生け贄としたモンスターは魂を失う…。石と化し、二度と元のカードには戻りません……」
「……そんな……!」
 絵空は三体目のモンスター、『首領・ザルーグ』をセットする。
「――ダメだ! 神里さ――!!」

 ――ズババァァッ!!

「……あ…っ……」
 ソリッドビジョンが斬り裂かれる。そして、カードが石化される。
 遊戯はもう、見ていられなかった。
「…ボクはちゃんと知ってる…! 神里さんはM&Wが大好きで…、カードが大好きで…、だから、こんなこと――」

 ――ズババァッ!!!

 絵空は口を閉ざし、次のモンスターを生け贄に捧げていた。
「……っ……!」
 見ていられなくて、止めに入ろうとする遊戯。だが――
(!? 身体が…動かない…!?)
 得体の知れぬ、何かの力により、遊戯の身体は金縛りにあっていた。

 ――ズバババァァッ!!!

 そうしている間にも、カードは生け贄にされていく。
 耐え難くて、遊戯は目を閉じた。
 しかしそれでも、絵空は目を見開き、その一部始終を見つめた。



(……これで……最後……)
 半ば我を失いながら、絵空は、残された最後のカードを見つめた。
 そして墓地に落ちた、もはやカードではなくなった石の塊を見つめる。

 ――“彼女”と私の、大切なカード
 “彼女”と私をつなぐ、大切な“たからもの”――


 ――ズババァッッ!!!

 9体目のモンスターも同様に、引き裂かれ、溶解される。

『(…良クヤッタ)』


 ――カァァァッ!!

 刹那、石盤が強い光を発した。
 同時に、金縛りの解けた遊戯は左腕をかざし、光から目を庇う。

「……っ…!」
 光がやむと、遊戯は腕を下げる。
 そして目の当たりにしたそれに――瞳孔が大きく開いた。

 ――ドクン!

「……千年…アイテム……!!」
 石盤の複数の窪みには――先ほどまで空いていたその中には、不気味に輝く金色の秘宝がはめ込まれていた。
「……あ……」
 そのほぼ中心に収められたものを見て、遊戯は、胸を締め付けられる思いがした。
(……千年パズル……)

 ――数ヶ月前まで、遊戯が所有していた宝物
 “彼”の魂が封じられていた、
 “彼”と会うために必要だった、何より大切だったもの――

「………!」
 動揺する心を落ち着けながら、他の千年アイテムも視認する。

 ――千年秤、千年リング、千年ロッド、千年錠、千年タウク――

(……? ひとつ足りない…?)
 ――足りないのは、千年眼(ミレニアム・アイ)。かつてはペガサスが所有しており、その後、バクラの手を通して遊戯に渡り、他の千年アイテムとともに冥界の神殿で失われた義眼である。

「……“血塗られた石盤”の発動コストが支払われたことで、その特殊効果が発動します……」
 絵空は、左手に持った一枚の手札に目をやった。
 その表情は、すでに疲弊しきっている。大切なカードのむごたらしい最後を目の辺りにし続けた後なのだ、それも仕方がないといえるだろう。半ば放心状態ともいえる彼女に、これ以上の激しいデュエルが可能なのかも怪しかった。
「……“血塗られた石盤”がフィールド上に存在するとき……私の手札に存在する、あるカードが特殊召喚される…。私の手札に存在する――“神のカード”が」
「――!? 神のカード!?」
 絵空の発言に、遊戯は大きく反応する。
 この世界に存在する、三枚の神のカード――『オシリスの天空竜』『オベリスクの巨神兵』『ラーの翼神竜』は、全て遊戯の所有するカード。三枚はいずれも、自宅の部屋に保管されているはずなのだ。
「……“神のカード”は、あなたの持つ三体だけではない…。持っているのですよ、私も…。かつてペガサス・J・クロフォードが、あなたの持つ三神を倒すべく創り出した“最凶のカード”…。“神”として扱われながらも、“GOD(神)”の名を与えられなかった、悪魔のモンスター ――」
 絵空は最後の手札を、わずかにためらいながら決闘盤にセットした。

「――“死神”」

 ――ドクンッ!!!

 それに呼応するように、二人を覆う闇が大きく脈動した。
 直感的に、遊戯は得体の知れぬ恐怖に襲われる。

 石盤の上には、黒い装束にフードを深くかぶり、巨大な鎌を携えた――まさに、“死神”が降臨していた。


 遊戯のLP:400
     場:ブラック・マジシャン,伏せカード1枚
    手札:3枚
 絵空のLP:450
     場:DEATH‐MASTER OF LIFE AND DEATH‐,BLOODY TABLET
    手札:0枚



第十一章・生と死の支配者

血塗られた石盤
(永続魔法カード)
ドローカードをゲームから除外することで、ターン終了時、
デッキの外から発動される。発動後、デッキ・手札・墓地・場
からモンスターカードを9枚選び、“生け贄”に捧げなければ
ならない。このカードがフィールド上に存在するとき、手札の
『死神−生と死の支配者−』は特殊召喚される。発動後、
『死神−生と死の支配者−』の効果以外では場を離れず、
その発動と効果は無効化されない。

「……死…神……!?」
 突如現れたそれに、遊戯は表情を曇らせる。
(……これも…神のカード……!?)
 遊戯は、昨夜の海馬との会話を思い出した。
 神を超えた、悪魔のカード――果たして、これのことなのだろうか?

 遊戯は、唾を呑み込んだ。
 目の前に対峙したモンスターに、遊戯の所有する三神ほどの圧倒的な威圧感(プレッシャー)は感じられない。大きさも人間大という程度である。このモンスターに三神レベルの能力があるかというと、甚だ疑問であった。
「……終わりです」
「……!?」
 未知のモンスターの登場に身構える遊戯に、絵空は呟いた。
「……ゲームはこれで終わり……。これから始まるのは――」

 ――ただの、一方的な殺戮――


 ――ドクン!!

「――!?」
 遊戯は、反射的に後ずさり、身構えた。
 だが、対峙するモンスターが、何らかの動きを見せたわけでもない。
(…何…だ…!?)
 ふと、下に下げられたままの右手を見る。なぜか、手のひらが震えていた。
 全身を走る悪寒。得体の知れぬ何かに、遊戯は“恐怖”を覚えていた。

 ――三神ほどのプレッシャーはない。だが――

(……殺気……!?)

 目の前のモンスターから感じられるもの。それは“殺気”。
 ソリッドビジョンから発せられているとは到底思えない、圧倒的なそれに、遊戯の身体は恐怖に支配されていた。それはデュエリストとしての、直感的な恐怖ではない。生物としての、誰もが生まれつき持つ、本能的な恐怖である。
 嫌な汗が、頬を伝う。震える右手で、ぎこちなくそれを拭った。

「……『血塗られた石盤』は、私のターンの終了時に発動された…。よって、このまま遊戯さんのターンに移行します」
「…! ボクの…ターン……」
(……落ち着け……!)
 萎縮してしまう自分自身に、心の中で必死に訴える。右手のひらを握りしめる。しばらく力を入れていると、震えはとまった。
(……とにかく…やるしかないんだ…!)
 落ち着け、ともういちど自分に言い聞かせて、遊戯は場と手札を確認した。
(……ボクの手札には、“このカード”が温存してある…。……後はこのドローフェイズで、モンスターカードさえ引ければ…!)
「…ボクのターン…! ドロー!!」

 ――ドクンッ!!

「――!?」
 カードを引いた瞬間、遊戯は、ひどい圧迫感を覚えた。胸を強く圧されているような感覚。確かな息苦しさを覚える。
(……これも…あのモンスターのせいか……!?)
 けわしい表情で、絵空の場のモンスターへ視線を向ける。
 大鎌を構えたまま、微動だにしない“死神”。深くかぶられたフードの中身は、不自然な黒い闇で満たされており、その容姿・表情を窺(うかが)い知ることはできなかった。
「……く……!」
 小さく息を切らしながら、遊戯はドローカードを確認した。

 ドローカード:魔導戦士 ブレイカー

(…! よし!)
「ボクは、『魔導戦士 ブレイカー』を攻撃表示で召喚!!」
 ブラック・マジシャンの隣に、剣を構えた、勇ましい魔導戦士が召喚される。
「召喚された瞬間、ブレイカーには“魔力カウンター”がひとつ乗る! それにより、攻撃力が300ポイントアップするよ! そして――その特殊能力を発動!」
 ブレイカーの手にした剣が、魔力の光を帯び、輝く。
(……『ブレイカー』は魔力カウンターを取り除くことで、フィールド上の魔法・罠カードを破壊できる…! 神里さんの場には、モンスターを喚び出した“石盤”のカードが一枚。念のため、破壊しておこう…!)
 石盤を見つめる遊戯。今は“死神”が上にいるためよく見えないが、それには6つの千年アイテムが――千年パズルが収められているのだ。
「……! マジック・ブレイク!!」
 ためらいを感じながらも、場のモンスターに指示を出す。
 ブレイカーが石盤めがけて剣を振るうと、そこから、カマイタチ上の光の刃が発せられる。

 ――バシィィッ!!

「――!?」
 だが、発せられたそれは石盤に届くことなく、見えない結界のようなもので弾かれてしまう。

「……残念ながら、“石盤”を破壊することはできません。破壊のみならずこのカードは、いかなる効果によっても場を離れない……」
「……!! けど…、要は、その上のモンスターを破壊できればいいんだ!!」
 遊戯はブラック・マジシャンに視線を送ると、すぐさま指示を出す。その様は遊戯に似合わず、いやにテキパキとしていた。
 遊戯は、確かに焦っていた。本能的に、“死神”と対峙する現状が耐えられなかったのだ。
 ――早く倒さなければならない。
 遊戯の心中は、ただその想いに支配されていた。

「――バトルフェイズ!! ブラック・マジシャンで、“死神”に攻撃!!」
「!? 攻撃してくる!?」
 絵空が驚きの声をあげる。
 “死神”は遊戯にとって、能力不明な未知のモンスター。だが、その恐ろしさは、本能的に理解できたはずだ。それに対し、攻撃力2500のモンスターで正面から攻撃するというのは、どう見ても迂闊(うかつ)であろう。
 しかし遊戯自身、そのままバトルを成立させるつもりはなかった。
 ブラック・マジシャンが杖を構えると、“死神”もそれに応じ、身じろぎする。
(――今だ!!)
 遊戯はすかさず、場の伏せカードに手をかけた。
「――魔術師の攻撃宣言により…、ボクの場のトラップが発動するよ!! リバースカードオープン! 『マジシャンズ・サークル』!!」
「!!」

マジシャンズ・サークル
(罠カード)
魔術師による攻撃宣言の際
発動し、互いのプレイヤーは
デッキの中からマジシャンカードを
1枚、攻撃表示で場に特殊召喚できる

「このカードの効果により、お互いのプレイヤーはデッキから一体、マジシャンカードを特殊召喚できる! ボクは――」
 決闘盤からデッキを外すと、その中から一枚のカードを選び出す。
「――『マジシャンズ・ヴァルキリア』を、守備表示で特殊召喚!!」
 遊戯の場に新たに、魔術師の少女が姿を現す。

マジシャンズ・ヴァルキリア  /光
★★★★
【魔法使い族】
このカードがフィールド上に表側表示で
存在する限り、相手は他の表側表示の
魔法使い族モンスターを攻撃対象に選択できない。
攻1600  守1800

「……デッキにマジシャンカードがあるなら、神里さんもそれを特殊召喚できるけど……」
「…いえ」
 絵空は、小さく首を振った。
「……私はモンスターを特殊召喚できません…。“死神”がフィールドに存在するとき、『石盤』以外のカードをいっさい場に出すことが許されないのです…」
「……!?」
 絵空のことばに、眉根を寄せる遊戯。
(……他のカードを全く出せない……!?)
 ――それはつまり、他のモンスター・魔法・罠によるサポートが完全に不可能ということだ。常識的に考えて、それは大きすぎるデメリットである。
(……つまり言い換えれば、それだけのデメリットを持つに値するカードということか……!)
 遊戯の頬を再び、嫌な汗が伝う。
(とにかく…やるしかない! このカードなら――)
 遊戯は手札から一枚のカードを選ぶと、それを大きくかざした。
「――さらに! マジックカード発動!! 『ディメンション・マジック』!!」
「!!」
 遊戯の場の二体のモンスター ――『魔導戦士 ブレイカー』と『マジシャンズ・ヴァルキリア』が光の渦に包まれる。

ディメンション・マジック
(魔法カード)
フィールドに魔術師がいる時、モンスターを2体
生贄に捧げ、手札より魔術師を1ターンのみ
特殊召喚できる。このターン魔術師の連携攻撃に
よってモンスター1体を破壊する。

 渦に包まれた二体のモンスターが消える。そして、どこからともなく煙が立ちこめた。
「……モンスター2体を生け贄に――」
 遊戯のフィールドに立ち込めた煙が、次第に晴れてゆく。遊戯は手札から、1枚のカードを場に出した。
「――『ブラック・マジシャン・ガール』を…特殊召喚!!」
 煙の中から、2体の魔術師が姿を現す。最上級魔術師『ブラック・マジシャン』と、その愛弟子『ブラック・マジシャン・ガール』である。
「そして…、マジシャン2体が場にそろったことにより、ブラック・マジシャン単体による攻撃はキャンセルされ――2体による、連携魔法攻撃!!」
 二体の魔術師は頷き合うと、その杖を重ね、クロスさせた。その先は、“石盤”の上に浮かんだ“死神”に向けられている。
(……『ディメンション・マジック』による連携魔法は、三神最強の太陽神(ラー)をも撃破した、マジシャンの最終奥義…! あのモンスターがどんな能力を持ってるかは分からないけど、これなら……!)
「…この攻撃は、敵モンスター1体を確実に破壊する…! いくよ!! ブラック・マジシャンの連携攻撃!!」
 遊戯が指示を出すと、2人の杖の先に、膨大な魔力が集中されていく。
 そして、十二分に集約されたそれは、師匠であるブラック・マジシャンの合図とともに、2人の力で、勢いよく放出された。
「――ブラック・バーニング・マジック!!!」

 ――ズドォォォォォォォッ!!!!

「――っ!!」
「……!!!」
 凄まじい爆音が、辺りに響く。強い衝撃波が、遊戯と絵空を同時に襲った。2人は両腕をクロスし、両脚に力を入れて、小さな体躯ながら、それに吹き飛ばされぬよう懸命に堪えた。
 爆音はさておき、本来なら、ソリッドビジョンであるゲームで衝撃波が起こるなどあり得ない。恐らくは、これが“闇のゲーム”であるためだろう。

 ――爆音の後、訪れるのは静寂。そして残るのは、衝撃波のつくり出した砂煙である。
(……倒した……!)
 心からの確信。黒魔術師師弟による攻撃は命中した。ならばそれは、破壊と同義なのだ。
 ――この攻撃は、“神”をも撃破した最強魔法。これにまともに食らって、耐えうるモンスターなど存在するはずがない。



 ――ではもし、存在するとしたら?




 ――ドクン!!!

「……え……?」
 遊戯の口が、ポカンと開かれる。あり得るはずのないものを見て、瞳孔が自然と拡大していく。
(……そんな…はずは……)
 遊戯はただ、呆然と立ち尽くす。
 脳裏に、前日の、海馬との会話が蘇った。

 ――もし……‘神を超えたカード’が存在するとしたら?

 砂煙が、少しずつ晴れる。そしてその中には、絵空とは別の人影があった。

 ――数年前、ペガサスは3体の神を世に生み出した…だが、そのあまりの強さを懸念したペガサスは、新たに3枚、カードを生み出したというのだ……

「……そんな…バカなっ……!?」
 遊戯の身体が震える。
 傷ひとつついていなかった。平然と、無傷の“それ”は佇んでいた。

 ――三神を葬るための神…、神という名の悪魔のカードをな…!

 顔の見えぬ悪魔。だがそれが、ニマリと邪悪な笑みを浮かべた。遊戯を、この世界の全てを嘲るように笑った――そんな気がした。

 遊戯のLP:400
     場:ブラック・マジシャン,ブラック・マジシャン・ガール
    手札:1枚
 絵空のLP:450
     場:死神−生と死の支配者−,血塗られた石盤
    手札:0枚



第十二章・きみのこえ

「……『ディメンション・マジック』で…倒せない……!?」
 眼前の現実を受け止められず、遊戯は瞬きを繰り返した。
「…! かわされた…のか…!?」
 ハッとして、遊戯は考えを改めた。
 ――ブラック・バーニング・マジックは、全てを破壊する最強魔法。いわば、遊戯の持つ“最強の剣”だ。だが、その絶大な破壊力も、回避されてしまったのでは意味がない。
「――いいえ」
 絵空が、起伏のない口調で言った。
「……今の攻撃…確かに命中しましたよ。この“神”に、敵の攻撃をかわす能力などありません……」
 ただ、とことばを続ける。
「……この神は、他のカードによる破壊が完全に不可能なのです……」
「……!?」
 遊戯は、混乱しそうになりつつも、何とか頭を働かせる。
(破壊が…完全に不可能……!?)

 ――そんなはずはない
 そんなカード、存在するはずがない――

 遊戯の持つ3体の神――難攻不落に見えるそれらも、決して無敵ではない。他のカードに比べればはるかに困難とはいえ、倒す術はある。
「……確かに本来、どんなカードにも、必ず攻略法があります…。そうでなくば、ゲームとして成立しませんからね……」
 遊戯の考えを読んだかのように、絵空が応える。
「……けれどそれは――ゲームとして成立させる必要がある場合の話。言いましたよね? ペガサス・J・クロフォードが、三神を倒すべく創り出した“最凶のカード”――ペガサスはこのカードを、“決して倒せないカード”として生み出したのです」
「……決して…倒せない……!?」
 思わず唾を呑み込むと、遊戯はそのモンスター“死神”を見つめた。――すると、“死神”は手にした大鎌を、ゆっくりと振り上げる。振り上げられた鎌の刃が、鋭く、冷淡な蒼い光をまとっていく。
「……このターン――遊戯さんの魔術師2体の連携攻撃に対し、“死神”が反撃します…!」
(……! マズイ…!)
 遊戯は、場の2体の魔術師に視線を送る。ブラック・マジシャンは『マジシャンズ・サークル』の発動条件を満たすために攻撃宣言をした。攻撃表示で場に存在しているのだ。
 ――“死神”がどれほどの攻撃力を備えているかは判らない。だが、黒魔術師の攻撃力は2500、遊戯のライフはわずか400。計算上、“死神”の攻撃力が2900以上なら勝敗が決してしまう。
「……“死神”の…反撃…!」
 大鎌を振り上げた“死神”は、次の瞬間、遊戯のフィールドめがけ、凄まじいスピードで襲い掛かる。
「!!」
 一瞬にして黒魔術師の眼前に移動すると、その大鎌を勢いよく振り下ろした。
「――絶命の大鎌!!」
 だがその刹那、黒魔術師と“死神”の間に割って入る者がいた。

 ――ズシャァァァッッ!!!

 蒼い残光が、半円を描いていた。
 斬り裂かれたモンスターから、鮮血が飛び散る。だが、斬りつけられたのは『ブラック・マジシャン』ではない。その弟子『ブラック・マジシャン・ガール』が、すんでのところで庇ったのである。
 両腕を広げた状態で、左肩から斜に斬り裂かれる。
 やがて、ブラック・マジシャンの目の前で、破壊の確定されたマジシャン・ガールの身体が粉々に砕け散った。
(……ゴメン…、ブラック・マジシャン・ガール……!)
 遊戯は、こぶしを握り締める。
 遊戯が指示を出したわけではない、そんな暇はなかった。これは、ガール本人の意志によるものである。

「……今の“死神”の反撃は、魔術師2体の連携攻撃に対するもの…。ブラック・マジシャン・ガールには師を庇う権利があった、ということですね……」
 どこか哀しげに、絵空は遊戯の場に残された黒魔術師を見つめた。
 眼前で愛弟子を失った魔術師は、鋭い――憎悪の目を、“死神”と絵空に向けていた。
 それを見て、絵空はまた、胸に痛みを覚える。耐えがたくて、目を背けた。

「……ボクは『ブラック・マジシャン・ガール』を守備表示で特殊召喚していた……。よって、この戦闘によるダメージは発生しないよ……」
 遊戯は、わずかに安堵のため息を吐く。『マジシャン・ガール』を攻撃表示で出していれば、このターンで負けていたかも知れないからだ。――思えば、こうなる可能性を、あるていど直感的に予期していたのかもしれない。でなければわざわざ、マジシャン・ガールを守備表示で出す意味などないだろう。
 ソリッドビジョンの消えた『ブラック・マジシャン・ガール』のカードを、決闘盤からはずし、墓地に置こうとする遊戯。だが――
「……え……?!」
 視界に入ったそれに、遊戯はことばを失った。予想だにしなかったことに、遊戯の背筋が凍りつく。
 『ブラック・マジシャン・ガール』のカードは――先ほど生け贄とされた絵空のモンスター同様、石と化していたのだ。
「……“死神”の攻撃を受けたモンスターには、完全な“死”が与えられる…。このデュエル中……いえ、このデュエルが終わったあとも――二度と元に戻ることはありません」
「……!? …そん…な……?」
 呆然と、遊戯は手の中のカードを見つめる。先ほどまで色鮮やかに描かれていた『マジシャン・ガール』は、灰色の石と化し、見る影もなかった。

 ――大切なカードの“死”。
 二度と元に戻らないということばが、遊戯の心に突き刺さる。
(…! …ダメだ…!)
 遊戯は、首を横に振った。

 ――ここで、心を折るわけにはいかない。
 闇のゲームは、まだ続いている。

(…ゴメン…! あとで、きっと何とかするから…!)
 辛い表情で、墓地に置くべく、カードに触れる。“石”独特の冷たい感触に、遊戯は顔をしかめた。
 とにかく、ゲームはまだ終わっていない。窮地はまだ続いているのだ。
(……ブラック・マジシャンはすでに攻撃宣言してしまった…。このターン、守備表示には変更できない……)
 遊戯は、手札に残された最後のカードを見つめた。
 ――このカードなら、“死神”の攻撃を1ターン封じられる。だが、その先の見通しが、今の遊戯には全くつかなかった。
(……『ディメンション・マジック』で倒せない…! それはつまり、単純な“破壊力”で倒すのは不可能ということだ…!)
 そして遊戯の脳裏に、認めたくない疑問がちらつく。

 ――本当に倒す方法があるのか?

 と。
「……カードを一枚伏せ、ターン終了だよ……」
 何とか精神を奮い立たせ、エンド宣言する遊戯。
 その瞳は、追い詰められながらも、まだ諦めを映してはいない。

 遊戯のLP:400
     場:ブラック・マジシャン,伏せカード1枚
    手札:0枚
 絵空のLP:450
     場:死神‐生と死の支配者‐,血塗られた石盤
    手札:0枚

「……私のターンです……」
 絵空が、自分のターンの開始を宣言する。しかし、絵空は、自分のデッキに手を伸ばす様子がない。
「……“死神”が場に存在するとき、私のドローフェイズはスキップされます」
「……?!」
 絵空のことばに、遊戯はことばを失った。
(……カードのドローすらできない…だって……!?)
 つまり裏返せば、“死神”には、それだけのデメリットを負うに相応しい力が秘められているということなのだろう。
(…とにかく…、このターンの攻撃は、何としても防がないと…!)
 遊戯の場のモンスター、ブラック・マジシャンは攻撃表示のままなのだ。残りライフの少ない今、戦闘ダメージを受けるわけにはいかない。
 遊戯は、自分の唯一の伏せカードに視線を送った。
「……私のターンの…バトルフェイズ――」
 その瞬間、遊戯は場の伏せカードを表にした。
「――トラップカードオープン! 『威嚇(いかく)する咆哮(ほうこう)』!!」
「!」

威嚇する咆哮
(罠カード)
このターン中、相手は
攻撃宣言をする事ができない。

 巨大な、姿の見えない怪物の咆哮が辺りに響く。
「…『威嚇する咆哮』の発動ターン、神里さんは攻撃宣言をすることができない…!
 よって、このターンのバトルは行えないよ!」
「……! …なるほど…」
 いやに落ち着いた様子で、絵空は応えた。
「…遊戯さんもご存知の通り…、“神のカード”は魔法・及び特殊能力の効果を1ターンしか受け付けず、さらに罠の効果は一切受けない…。その特性は、当然この“死神”も備えています。しかし、『威嚇する咆哮』の効果対象はプレイヤー。よって、このトラップで攻撃を回避できる……」
「……!」
 絵空のことばに、遊戯は耳をそばだてる。能力不明のモンスター ――“死神”を攻略するには、何であれ、情報が不可欠だからだ。
(……三神と同じ特性…か……)
 遊戯は頭の中で必死に、“死神”を攻略するすべを考える。
「……そう…考えたのでしょう?」
「…え?」
「……確かに――遊戯さんの三神ならば、そのトラップで回避できたのでしょうね」
 “死神”が、絵空の指示もなく、大鎌を振り上げる。
(!? プレイヤーの指示もなく――!?)
 刹那、“死神”は飛び上がり、一気にブラック・マジシャンとの間合いを詰めてくる。
「――ブ…、ブラック・マジシャン!!」
 慌てて、遊戯は場の魔術師に指示を出す。
 だが、それを待つまでもなく、魔術師はすでに杖を構えていた。
「――黒・魔・導(ブラック・マジック)ッ!!」
 魔術師は、杖の先に渾身の魔力を込める――先ほど殺された、弟子の仇をとらんとするかのように。

 ――ズガガガァァァァンッ!!!

 これまでにないほど強力な魔力が、“死神”にたたきつけられる。
 放出され続ける魔力波動によって、“死神”の前進がとめられる。だがしかし、“死神”にひるむ様子は微塵もなく、傷ひとつ付く様子もない。

『――!?』

 ―― 一瞬の出来事だった。
 拮抗状態の中、黒魔術師の魔力に照らされ、“死神”のフードの中身が明らかになる。
 だが、それはあまりに短い出来事。それを確認できたのは、真正面に立つ黒魔術師だけであった。
 魔術師の表情が、驚愕に染まる。そして次の瞬間、“死神”は力ずくで魔術師の攻撃を押し切り、蒼く輝く刃を振り下ろした。

 ――ズシャァァァッ!!!

 黒魔術師の身体から飛び散る鮮血。遊戯の目の前の彼はその攻撃に倒れ、消滅した。
「……くっ……!!」
 確かめると――案の定、『ブラック・マジシャン』もその弟子同様、冷たい“石”となっていた。
(……ここまでか……!)
 大切な、宝物のカードを失い、絶望を映した瞳で、自分のライフポイントを確認する。

 遊戯のLP:400

「!? ライフが減ってない……!?」
「……当然です……」
「……!?」
「なぜなら――“死神”は攻撃力を持たない。“死神”の攻撃力は0なのですから……」
「……なっ……!?」

死神−生と死の支配者− /神
★★★★★★★★★★
【幻神獣族】
このカードは『血塗られた石盤』の効果によってのみ特殊召喚される。
他のカードの効果によっては決して場を離れない。フィールドに存在する
限り、そのコントローラーはドローフェイズをスキップされ、また、他の
カードを場に出せない。自分のターンに1度、必ず戦闘を行う。このカードの
攻撃は、いかなるカードの効果によっても阻止されない。戦闘時、対象の
モンスターまたはプレイヤーに“死”を与える。戦闘時、ダメージ計算は適用
されない。“死”を与えなかった場合、このカードは“制裁”を受ける。さらに、
手札と『血塗られた石盤』を生け贄に捧げることで、このカードは「時の支配」
の力を得る。
攻 0  守 0

「……“死神”は私のターン、‘必ず’戦闘を行い、あなたを攻撃する…。私の攻撃宣言がなくても…、バトルフェイズを強制終了しようとも…、戦闘を回避するすべはありません。そして“死神”は、対象モンスターの能力値に関係なく、確実に相手に“死”を与える…。そして――」
 絵空の口から、残酷な言葉が紡がれる。
「――あなたに壁モンスターがいなければ、“死神”はあなた自身に“死”を与えます」
「……!!」
 恐怖で、遊戯の身が凍りつく。
「……ダメージではなく、“死”を与える…。いかなるカードの効果でも、それは無効化できません……」
 “死”――そのことばが、ずしりと遊戯の身にのしかかる。
(…ボクにはもう手札がない…。倒す方法も…見つからない…!)

 能力値に関係なく、戦闘したモンスターは破壊される。それはつまり、いかなる攻撃力をもってしても――その攻撃力が無限だとしても、“死神”は倒せないということだ。
 『ディメンション・マジック』が効かなかった以上、カードの効果による破壊も望めない。

「……ターンエンド」
「……! ボクの…ターン……」
 絶望に染まりつつある心。遊戯はそれでも、何とかデッキに手を伸ばす。デッキにカードが残っている限り、チャンスはあるはずなのだ。

 ドローカード:強欲な壺

「…! ボクは…『強欲な壺』を発動! カードを2枚、ドローするよ…!」

 ドローカード:光の護封剣,磁石の戦士α

(! これなら…!!)
 『光の護封剣』――このカードは、幾度となく遊戯の危機を救ってきた切り札である。
 それに手をかけ、すぐに場に出そうとする。――だが、すんでのところで気づく。スーパーエキスパートルールでは、1ターンに出せる魔法カードは1枚のみ。このターンには使用できない。
「……ボクは…、『磁石の戦士α』を守備表示。…ターン、終了だよ…」
 仕方なく、壁モンスターを出し終了する。
「……私のターン……」
 腕を下ろしたまま、絵空がターン開始を宣言する。
「……“死神”の…攻撃……」

 ――ズシャァァァッ!!

 『磁石の戦士』の硬い身体も、“死神”の攻撃の前に、脆くも両断される。
 そしてそのカードも、『ブラック・マジシャン』たち同様、石化してしまった。
(……ゴメン……)
 辛い表情で、カードを墓地に置く。これで再び、遊戯のフィールドは空である。


(……残酷なカード……)
 絵空は、自分の場の唯一のモンスターを見つめた。
 攻撃対象のカードを石にする――大切なカードを失い、大抵の決闘者は大きな精神的ダメージを負うことになる。
 ――そして、戦闘ダメージを与えず、少しずつ、じわじわと相手の戦力を削っていく闘い方も、相手の精神を嬲(なぶ)っているようで、ひどく残虐に感じられた。

「……ターンエンド……」
 ――これはもはや、闘いなどではなかった。
 ただ一方的に――相手を傷つけるだけの、残虐な所業。

「…ボクのターン…、ドロー!」
 カードを引くと、遊戯は手札のカードを、すぐに場に出した。
「――マジックカード! 『光の護封剣』!!」

 ――シュバババァッ!!

 絵空のフィールドに、無数の光の剣が降り注ぐ。それは“死神”を囲うように配置し、行動の自由を奪おうとする。
「…このカードの効果により、“死神”の攻撃を3ターン封じ――」
「――いいえ」
 絵空は、無情に呟いた。
「……言ったでしょう? このカードの攻撃を止めるすべはない――と」
 “死神”は大鎌を構えると、大きくそれを横に薙ぐ。

 ――ズババァァァァッ!!!

「……あ……?!」
 遊戯は、信じられないものを見る。
 “死神”の大鎌は光の剣を全て薙ぎ払い、その呪縛を一瞬にして解いてしまったのだ。
 決闘盤を見ると、『光の護封剣』のカードまでが石と化していた。
(……勝てない……)
 膝から、力が抜け落ちる。気がつくと、遊戯は両膝を地につけていた。

 ――攻撃も無効。
 ――防御も無効。

(……こんなの…倒せるわけないよ……)
 瞳から、戦意が消え失せる。現実に打ちのめされ、遊戯の瞳が絶望に染まる。

(……終わった……)
 複雑な表情で、絵空は目を閉じた。

 ――これで、“彼女”は救える
 …でも…その代償として、遊戯さんは――

 ――ひとつだけ、方法があった。
 この状況から遊戯を救う方法が、たったひとつ。
 絵空は複雑な表情で、自分のデッキを見つめた。
 その考えがどれほど矛盾したものであるか、心中では分かっていながらも。



『(………う)』


(……?)


『(……ぼう)』


(……!)



 ――何かが、聴こえた気がした。
 ふと、遊戯は耳を澄ませる。
 だが、何も聴こえない。

 ――でも……ひどく、懐かしい感じがした。


 ――ザッ……

「…!? ……え……!?」
 顔を上げた絵空は驚愕する。先ほどまで膝をついていた遊戯は、顔を俯かせながらも、何とか立ち上がっていた。
「……カードを1枚伏せて……ターン…終了だよ……」
(……まだ…闘うというの……!?)
 ――『ディメンション・マジック』という最強の剣を失い。
 ――『ブラック・マジシャン』という最強のしもべを失い。
 ――『光の護封剣』という最強の盾を失い。それでも――

(……“死神”の攻撃は、魔法・罠カードでは防げない……)
 ――防ぐことができるのは、壁となるモンスターのみ。
 身代わりとするモンスターを出すしか、プレイヤーが生き延びるすべはないのだ。
「……私のターン……」
 絵空は、遊戯の様子を観察した。
 顔を俯かせており、表情は窺えない。だがその様子から、伏せカードで“死神”の攻撃を防げる自信がないのは明らかだろう。遊戯の場には罠カードが1枚――それが、壁モンスターを特殊召喚する類のものでない限り、遊戯の敗北は確定的なのだ。
(……攻撃を宣言すれば…私の勝ち……!)
 唾を呑み込む。とうとう、ここまできた。ひとこと“攻撃”を宣言するだけで、全てが終わる。

 ――遊戯が死に、“彼女”が助かる。

(…そうよ…! 私は――)
 “彼女”の顔を思い浮かべる。
 ――やさしい“彼女”。
 ――いとしい“彼女”。

 自分にとって、最も大切なのは“彼女”――そのことに、疑う余地は微塵もない。
(……でも…!!)
 絵空は、デッキを見つめた。
 遊戯を救う唯一の方法――それは、この場で自分が降参(サレンダー)すること。
 “死神”は自分のターン、必ず戦闘を行わねばならない。攻撃せずにターンを流すことはできない。
 ――自分が死ぬことは怖くない。
 むしろ怖いのは、自分にとって“大切な人”が死んでしまうこと。
 絵空は、本当は分かっていた。

 本当は――自分にとって、遊戯もまた“大切な人”になってしまっていることを。


『(……下ランナ)』

「……!?」
 “死神”は呟くと、大鎌を構えた。――このモンスターは、プレイヤーの宣言がなくとも、‘自分の意思’で攻撃できるのだ。
「……!! 待って!! まだ――」
 絵空の叫びとほぼ同時に、“死神”は遊戯に向けて、飛び掛った。

「――っ! リバースカード・オープン!!」
 俯かせた顔をあげ、決死の表情で、遊戯は最後のカードを表にした。

『(――無駄ダ!!)』
「!!」

 ――ズバァァァッ!!

 遊戯との間に立ち塞がったカードを、“死神”は大鎌で斜に両断した。
 そして返す刃で、遊戯の首に狙いを定める。

「――遊戯さんっ!!!」
 絵空の絶叫が、工場内に響く。
 もう、サレンダーする間もなかった。

(――やられる!!!)
 遊戯自身、そう確信した。
 恐怖から、反射的に目を閉じた。

 ――カァァァァッ!!

「!?」
 その瞬間、絵空の足元の石盤で、何かが黄金に輝く。絵空は、反射的にそれを見た。
 石盤のほぼ中心に位置する――四角錐のそれが、まばゆい光を発していた。

『(……相棒)』

(――!?)

 ――“彼”の声が、聴こえた気がした。

 遊戯のLP:400
     場:
    手札:0枚
 絵空のLP:450
     場:死神‐生と死の支配者‐,血塗られた石盤
    手札:0枚



第十三章・一人の中の二人

「――ただいま〜」
「いま帰ったぞい、札子さん」
 大きな荷物を肩に担ぎ、遊戯と双六は帰宅した。
 ヤレヤレと、重たそうな荷物を玄関先に置く。
「お帰りなさい、二人とも。……それから、私はそんな名前じゃありませんから」
 奥から、母が出迎えてくれた。

 ――これは、今から二ヶ月前のこと。
 “闘いの儀”を終え、エジプトから帰ってきた日のことである。
「――で、どうだったの、遊戯? スフィンクスの目線の先にケンタッキーはあったの?」
「……う、うん、まあ;」
 それが母の、最初の問いかけだった。


 夕飯のカレーを食べながら、家族団欒を楽しんだ。
「――楽しかった?」
「え?」
 母の何気ない質問に、遊戯のスプーンが止まる。
「旅行のことよ。エジプトなんて、普通、高校生が行きたがる所じゃないと思ったけど…、楽しかったの?」
 双六が複雑そうな顔をした。母は、本当のことを知らないのだ。
「――うん。楽しかったよ」
 遊戯は、満面の笑みで頷いた。

 ――最初は、虚勢で構わないと思った。
 “彼”を失って――けれどいつかは、それに慣れるだろうと。
 安易に考えていた。いや、考えようとしていた。

「……ごちそうさま」
 夕食を終えると、遊戯は荷物を持って、部屋に戻った。

 荷物をベッドの上に置くと、その隣に横になる。
 ――天井を見つめる。
 ――しばらくの沈黙。

 遊戯はふと、カバンを開けた。
 ――そしてその中から、四角い箱を取り出す。
 パズルボックス――かつては、千年パズルのピースが収められていた箱。
 遊戯はそれを持って、机のイスに座った。

 ――蓋を、ゆっくりと開ける。
 その中には、“彼”が“闘いの儀”で使っていたデッキが納められていた。
 そのデッキは“彼”の、現世にとどまり、遊戯たちみんなと一緒にいたいという気持ちのこもったデッキ。
 一枚一枚、そのデッキ構成を確認していく。一人の決闘者としても、“彼”のデッキ構成は興味があった。

「…そうか……このカードとこのカードで…、こういうコンボを……」

 その構成を見れば、どんなコンボを狙っていたのかが分かる。

「……なるほど……このカードで生け贄を確保して……」

 このデッキに、どれほどの強さが秘められているか分かる。どれほどの想いが詰まっているかが分かる。

「………! これは……」
 ふと、遊戯の目が、一枚のカードにとまる。

魂の停滞
(永続罠カード)

「………!!」
 それを見つめ、固まってしまう。

 “闘いの儀”のとき――遊戯は“彼”にメッセージを伝えた。
 『封印の黄金櫃』に『死者蘇生』を封印し――死者の魂が現世にとどまってはならないことを。

 それは一方的な、残酷なメッセージ。

 ――“彼”もまた、同様にメッセージを用意していたのではないか?

 遊戯の脳裏に、ひとつの疑問が浮かぶ。
 そして、それがこのカードなのだとしたら――

 『魂の停滞』。それこそが、“彼”の伝えたかったメッセージなのだとしたら――


「……あれ……?」
 視界が歪む。押し殺してきたものが、内から溢れ出てくる。

 ――『魂の停滞』
 もしも“彼”が、このカードをドローしていたら
 発動していたら――

(ダメだ……!)
 考えるのを、必死にやめようとする。だが、心が言うことを聞かない。

 ――自分に、“彼”を倒せただろうか?
 ――それだけの覚悟が、自分にはあっただろうか?

「…っ…!」
 膝を、痛いくらい強く握り締める。
 ――せめて泣かないように。
 これは、自分が選んだ結果なのだから。正しいと信じ、したことなのだから。

 ――泣かないと決めた。
 心が悔いても、誰にも言わないと決めた。
 これで正しかったと、何度も言い聞かせた。


 そして――“彼”を呪った。
 なぜ、こんなカードをデッキに入れたのかと。
 負けた後、ボクがどう思うかを考えなかったのかと。
 ……なぜメッセージを、直接伝えてくれなかったのかと――

 ――『魂の停滞』。
 これは“彼”の、呪いのカード。
 現世にとどまりたかった――そんな“彼”の、わがままな本心。

 ――ボクは、このカードが憎かった
 そして同時に、いとおしかった
 “彼”とボクとをつなぐ、‘絆’のように思えた――

 ――『魂の停滞』。
 これはボクの、呪いのカード。
 “彼”と一緒にいたかった――そんなボクの、わがままな本心。


 それが伝わることは、決してなかった。
 運命が――さだめが、このメッセージが伝わることを決して許さなかった――


●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


「………?」
 暗闇の中、遊戯は奇妙な感覚に襲われていた。

 ――温かい、やわらかい何かに包まれているような感覚。

 恐る恐る、目を開ける。そして次の瞬間、薄ら寒い思いをした。
「………!!」
 眼前に浮かぶ、顔の見えない、黒い装束の魔物。見た瞬間、ゾッとした。
 その大鎌の刃は、遊戯の首元にしっかりと当てられていた。あと少しでも動かせば、遊戯の首は真っ二つにされよう。

 ――ならばなぜ、それを動かさないのか?

 遊戯は気がついた。“死神”は大鎌を動かさないのではない――それ以上、動かせないのだ。
 遊戯の身体を、“光”が覆っていた。それこそが、遊戯の感じた温もりの正体である。
 決闘盤のライフ表示を確認する。遊戯のライフは、風前の灯火ながら変動することなく、まだ残されていた。

 遊戯のLP:400


「……あれは…一体…?」
 絵空は呆然と、その状況を見つめた。
 “死神”の武器――“絶命の大鎌”は、全てに対して一律に“死”を与える、呪いの刃。
 いかなる防御策であろうと、それは必ず突破され、“死”を与えるはずなのだ。
(……あの“光”は一体……)
 遊戯にはもう、一枚のカードも残されていないのだ。残された最後のカードも、
“死神”に両断されて――

「――あ…!」
 そこで、絵空は気がついた。
 発動の刹那、“死神”に斬り裂かれたトラップカード――それは消滅せず、遊戯の場に残されている。それどころか、斬られた部分がみるみる繋がっていき、修復していた。

魂の停滞
(永続罠カード)
手札を全て捨てて発動。このカードがフィールド上に
表側表示で存在する限り、このカードとお互いの場の
モンスターカードは全て墓地に送ることができず、
また、お互いのライフポイントは増減できない。
ターン終了時、このカードはゲームから除外される。

(……『魂の停滞』……?!)
 それは、絵空にとって初見のカードだった。
 カードに関する知識には自信があった。それでも初見ということは――よほどレア度の高いカードなのだろう。

『(……!!)』

 この現象の原因に気づいた“死神”は、遊戯から刃を引き、カードの方に向き直る。そして大鎌を振り上げると、勢いよくそれに叩きつけた。

 ――パジィィィィィッッ!!!

『(――!?)』

 火花が飛び散る。
 そのカードもまた、遊戯と同様の“光”に覆われていた。無敵のはずの大鎌が、その“光”に阻まれ、カードの表面から先に進まない。

(……まだ…こんなカードがあったなんて……)
 先ほどの遊戯の様子から察するに、通用する自信はなかったのだろう。
 絵空は、遊戯の方に目を向ける。
 遊戯自身、自分を覆う“光”を見ながら、驚いている様子だった。
「………!?」
 ふと、絵空は自分の目を疑った。
 瞬きをし、目をこする。

 ――見えた気がしたのだ。
 遊戯の隣に、“もうひとり”――遊戯と同じ容姿をした、けれど異なる表情をした少年が。
(……もうひとりの…遊戯さん……!?)
 もう一度よく見る。やはり目の錯覚だったのだろう。絵空の瞳に、その少年の姿は映らなかった。


(……そうか……)
 ひとり状況を理解した遊戯が、嬉しげに、ちいさく笑む。
(……そうだね…。君は――)

 ――君は…消えてなんていない
 ――君は、ボクの中にいる
 ――ボクの心の中に、ちゃんと存在している――

(……ありがとう、もうひとりの――)
 途中で思い直し、遊戯は心の中で言い直した。
(……ありがとう、アテム……)



 ―― 一方、遊戯とは対照的に、穏やかでない、焦りを浮かべる者が1人いた。
 絵空ではない。
 焦っているのは――“死神”だった。

 ――バシィッ! バシィィッ!!

 フードと“闇”に隠されているため、その表情は見られない。だが、“死神”は何度もカードに斬りつける――その様から、“死神”の動揺は手に取るように分かった。

(……どうしたんだ…?)
 その様子を不審がる遊戯。
 『魂の停滞』は所詮、1ターンのみの効果。破壊できないなら、諦めて次のターンに移行すればいいのだ。
 遊戯の手札は0枚。このターンは奇跡的に防げたものの、状況は全く好転していない。
(……どうする……!?)
 表情を険しくする。
 絶望的状況は変わらぬまま――だが、今の遊戯の瞳には、確かな“闘志”が蘇っていた。


「……もういいわ……」
 不意に、絵空が語りかける。
 だが、その相手は遊戯ではなかった。大鎌を振るっていた“死神”が、動きを止める。
「――あなたの負けよ……“死神”」
「……!?」
 絵空のことばに、遊戯が眉根を寄せる。ことばの意味が、遊戯には把握できなかった。
「……流石です、遊戯さん。決して防げないはずの“死神”の攻撃を、たった1枚のカードで防ぐとは……」
 絵空は、悔しげな様子をしていなかった。
「…本来、強いカードにはコストがつきものです…。召喚時の生け贄、ライフコスト、回数制限…。神――“死神”もまた、その例外ではありません。ペガサスはこのカードにコストを付けた――召喚時の九体の“生け贄”に加え、決して負荷になることのない、偽りのコストを……」
「……!? 一体何を……」
 ――と、次の瞬間、“死神”が振り返り、遊戯に再び刃を向ける。
 遊戯はとっさに、左手をかざした。

 ――バシィィィィィッ!!!

 ターンのエンド宣言はされていない。『魂の停滞』の効果は持続しているのだ。
 大鎌の刃は、遊戯のかざした決闘盤によって――正確には、それを覆う“光”によって難なく受け止められる。

「――ターンエンド」

『(――!!)』

 “死神”の動きが止まる。次の瞬間、“死神”は突然苦しみだした。
「……!?」
 武器を地に落とし、悶える“死神”。
 地獄の底から沸きあがるような、激しい苦悶の声。遊戯は動揺とともに顔をしかめた。
「……“死神”の負うコスト……。それは私のターン、モンスターかプレイヤーに必ず“死”を与えること…。万一、“死”を与えられなかった場合は――」

 ――シュゥゥゥゥ……

「……!」
 “死神”から、白い煙が立ちのぼる。その姿が、みるみる薄まっていった。
「――自分自身が“制裁”として……“死”を受けることになる」
「……!? なっ…!?」
 苦しみ悶える“死神”。やがて――悲痛な断末魔とともに、“それ”は消滅する。それとともに、絵空の盤にセットされた“死神”のカードは石と化した。
 そしてほぼ同時に、エンド宣言を受けた『魂の停滞』のソリッドビジョンが、遊戯の場から砕け散った。


 遊戯のLP:400
     場:
    手札:0枚
 絵空のLP:450
     場:血塗られた石盤
    手札:0枚



第十四章・世界のたそがれに

 ――誰もが幸せになど、ありえない――

 けれどそれは、確かな理想
 誰もが微笑(わら)っていられたら、それは、どんなに素晴らしいことだろう

 ――けれど――

 誰もが、その生きる過程で気づくこと

 ――誰もが幸せになど、ありえない
 それこそが、この世界の摂理――

 人間は、相対的な生き物だから

 自分より不幸な人間を見て、ときに哀れみ、ときに蔑む

 自分より幸福な人間を見て、ときに微笑み、ときに妬む

 限りある何かを求めるとき、他者を退け、それを奪い合わねばならない――

●     ●     ●     ●     ●     ●     ●

 消え去る“死神”を見つめながら、絵空は、哀しげに目を細めた。

 ――誰もが幸せになど、ありえない――

 絵空の脳裏で、誰かが囁(ささや)く。

 “死神”――その生存条件は、自分以外の‘誰か’を殺し続けること。
 自分が生きる代わりに、他の生命を糧とすること。

 それはある意味で、この世界の縮図だった。
 ヒトはときに、有限の資源を求め、奪い合いをせねばならない。

 ――誰もが幸せになど、ありえない
 ときには他者を蹂躙せねば、手にできない幸福もある――

 ――それは、絵空にしてもそうだった。
 自分にとって大切な存在のために――他者を犠牲にしようとしている。

 “死神”の消滅は、絵空にとって、極めて重い意味を持った。

 他者の生命――遊戯の生命を奪わねば、“死神”のように、“彼女”もまた死んでしまうのだから。


「…………」
 絵空は、首を横に振った。
(…まだ…終わってはいない……)

 ――まだ何も、終わってくれてはいない――

「……本来、『魂の停滞』の効果により“死神”は破壊されない…。けれど神は、トラップの効果を受け付けない。有利なはずの特性が、思わぬ枷になってしまったようですね…」
 絵空は他人事のように、冷静に呟いた。

「…………!」
 一方、“死神”の消滅を目の当たりにした遊戯は、驚きを隠せなかった。
(……どういうことだ……!?)
 ――絵空は言った。ペガサスはこのカードを、“決して倒せないカード”として生み出した、と。
 しかし実際には、“死神”は自身の持つ能力により、自滅してしまっている。

 ――攻撃が必ず成功するから?
 ――自滅の条件が本来、決して満たされるはずのないものだから?

(……でも……)
 遊戯は、納得できなかった。
 もし、本当に“無敵のカード”として生み出したかったなら――わざわざ破壊条件などつくらないはずだ。ルールの盲点に気づかなかったというなら分かる。だが実際には、わざわざ破壊条件を設定しているのだ。

 ――まるで…破壊の不可能を装う一方で、破壊されることを望んでいたかのような――

(……でも…そんなこと、あるわけが――)
「――…!?」
 不意に、遊戯の視界がかすむ。
 バランスを崩し、少しよろける。
(……マズイ……!)
 慌てて足に力を入れ、踏みとどまる。
 遊戯の身体は、いまだかつてないほどの疲労感を覚えていた。
 ――長時間に及ぶ闇のゲーム。
 ――“死神”と対峙したことによる、恐怖と絶望。
 それらによる精神的消耗が、“死神”が消滅し、ギリギリまで張り詰めた緊張感が途切れた今、一気に遊戯の身体に襲いかかっていた。

 ――もう、これ以上の長期戦には耐えられそうにない。

 顔をしかめながらそう悟り、遊戯は意識をゲームに戻した。
 このターンの末、フィールドに残されたもの――それは、絵空の『血塗られた石盤』のみである。だが、それは単体では機能しないカード。手札はお互い0、ライフも残りわずか。今、一見して、二人は対等な状況に置かれていた。
「……まだですよ……遊戯さん」
 顔を上げ、絵空は言った。
「……まだ…勝敗は決まっていません」
「………!」
 絵空のことばに、遊戯は眉根を寄せる。
「……“死神”は失いましたが、その役割は十分果たした…。状況は五分。ライフは残りわずか。もう戦略も何もない――先にモンスターカードを引き当てた方が勝ちです」
「――いや」
 そのことばに、口を挟む遊戯。
「……五分じゃないよ…。次はボクのターン。それに……その“石盤”の効果で、神里さんはデッキのモンスターも生け贄にしてしまった…。この状況、神里さんが明らかに不利だ…」
 遊戯は、デッキに手を伸ばした。
「…ボクのターン! ドロー!」

 ドローカード:THE トリッキー

「……ターンエンド…」
 遊戯が引き当てたのは上級モンスター。特殊能力はあるものの、これでは場に出せない。
 苦い顔で、遊戯はエンド宣言をする。
(……これで、モンスターを引ければ…!)
 今度は絵空が、自分のデッキに指を伸ばす。
(……お願い…! 来て!)
「――私のターン! ドロー!」

 ドローカード:早すぎた埋葬


早すぎた埋葬
(装備魔法カード)
800ポイントライフポイントを払う。
自分の墓地からモンスターカードを1体選んで
攻撃表示でフィールド上に出し、このカードを
装備する。このカードが破壊された時、
装備モンスターを破壊する。

 絵空は顔をしかめる。引いたのは、墓地のモンスターを蘇生するカードだが――それにはライフコストが要る。ライフの残り少ない絵空には、それを支払うことができないのだ。
(……モンスターを引けていれば、勝てたのに…!)
 ――いや…勝てただろうか?
 絵空の脳裏を、疑問がよぎる。
 モンスターを引けず、落胆とともに安堵も感じていることを、絵空は理解できていた。
 ――果たして今の自分に…本当に、遊戯のライフを0にすることができるのだろうか?
 と。
「……一枚伏せて、ターンエンド……」
 苦々しげにエンド宣言する絵空。
 まるでデッキが、絵空の行いを諫(いさ)めようとしているかのようだった。
「…ボクのターン…! ドロー!」

 ドローカード:天よりの宝札

「ボクは手札を一枚捨て――『THE トリッキー』を特殊召喚!」
 引いたカードをそのまま捨て、特殊能力により、上級モンスターを特殊召喚する。その攻撃力は2000ポイント。
「……く…!」
 絵空の場に壁モンスターはいない。伏せカードがブラフなのは、遊戯も承知済みである。
「……勝負あり――だよ」
 遊戯は、息をひとつ吐いた。
「……攻撃すれば終わる…。勝敗は決した。だから、もう――」
 脅しているようで、気が引けた。
 だが、今の遊戯にはもう余力が全くない。それもやむをえないことだった。
「……まだです」
「! 神里さん…!」
「…まだ……私のライフは0になっていない! まだ終わりません!!」
「…っ…!!」
 遊戯は、両のこぶしを握り締めた。
「…どうして……そんな…!!」
 遊戯は、ことばを紡いだ。
「…君が“大切な人”を救いたいというのは分かったよ…。でも! その人だって、君がこんなことをするなんて望んでいないはずだよ! それに――」

 ――“闇のゲーム”は呪いのゲーム
 その先に希望など、幸福などありはしない――

「――ボクは知ってる…。君が、本当にやさしい人だってことを。ボクを犠牲にしても…、君はそのことで、ずっと苦しむことになる……」
「……!」
 痛ましげな顔をする遊戯。
 自分が死ぬことは怖くない――けれど、自分のせいで人が傷つくのは嫌だった。
 ここで、何が正しいのかをはっきりすること――それが、今の自分にできる精一杯のことだった。
「……そんな心配は要りませんよ」
 絵空は平然と応えた。
「……全てが終わった後――私はこの世界から消える。自ら、この命を絶ちます。だから、私が苦しむことはありません」
「…!?」
 それを聞いて、遊戯は絶句した。
「……本当は、私自身が“生け贄”となりたかった。けれど“死神”は、それを許さなかった……。あなたを巻き込んでしまったことは、心から謝罪します。だから――」
 絵空は静かに、穏やかに目を閉じる。
「……とどめを……さして下さい。私は、自分でブレーキをかけられない…。だから、あなたが――」
「……そんな……」
 毅然とした態度の絵空に、遊戯は必死に反論する。
「でも――“死神”のカードはさっき、石になったじゃない! これじゃあ、君のいう“願い”は――」
「いいえ」
 絵空は、遊戯のことばを制した。
「……“死神”のカードは一枚だけではない……三枚存在します。そしてそれは全て、私のデッキに投入されている……」
「……!!」
 遊戯の背を、戦慄が走る。
 つまり、絵空のデッキにはあと二枚、アレと同じ“死神”が入っているというのだ。
「……それだけではありません。“死神”にはまだ、特殊能力があります。ある条件を満たすことで発動可能な、恐るべき特殊能力が……」
「……なっ……!?」
 思わぬ情報に、遊戯は耳を疑った。
 倒せたとはいえ、それは、奇跡に近いものだった。
 にもかかわらず――“死神”には、さらなる力が秘められているというのだ。
「……次に“死神”が召喚されたとき、遊戯さんに、それが倒せますか?」
「……う……」
 いま遊戯の手札は0枚。加えて、発見できたとはいえ、“死神”の攻略法は極めて特殊なものである。遊戯のデッキに『魂の停滞』は一枚のみ。しかも、まだ隠された特殊能力があるというのだ。さらに――あの緊張感に耐えられるだけの精神力が、今の自分に残されているとは思えなかった。
 次に“死神”を出されれば、間違いなくそれは、遊戯にとって絶望的状況となるだろう。
 だが、遊戯は首を横に振り、それでも、恐怖に屈しそうな心を必死に奮い立たせた。
「――でも…! それでもボクは…!」
「……言ったでしょう? 私はやめない……どちらか一方の“死”でしか、このゲームは終われないのです」

 ――あなたは知らない
 私にとって、“彼女”がどれほどの存在か
 私にとって、どんなに大切な存在か――

「――なぜなら……“彼女”は私だから」
「……え?」
 絵空が呟く。
 遊戯はそのとき、そのことばの意味が判らなかった。
「……“彼女”は私だから…。“彼女”は、“もうひとりの私”なのだから……」
「…!? “もうひとりの”…神里さん……!?」
 絵空は、静かに語りだした。
「……今から私の語ること――それはあなたに、夢物語に聞こえるのかも知れない…。けれど私は存在した。“彼女”の中に、“もうひとりの彼女”として存在したのです。二心同体の、最も近しい存在として……」
 絵空の瞳がわずかに、何かを懐かしむような、どことなく儚げなやさしさを映す。

 ――遊戯の瞳もまた、無意識に、同じものを映していた。


 遊戯のLP:400
     場:THE トリッキー
    手札:0枚
 絵空のLP:450
     場:血塗られた石盤,伏せカード1枚
    手札:0枚



第十五章・しあわせな孤独

 私がいつから存在したのか――私は、自身の起源を知らない。
 気が付くと、私は“そこ”に存在していた。

『……あなたは……だれ?』

 ある日、“彼女”は問いかけた。

『……判らないわ』
 私は、端的に返答した。

 思えば……私はそのとき、初めて自覚したのかも知れない――“私”という存在を。

 ――いつからか、私は存在していた
 “彼女”の中に――名も身体もない、心だけの存在として

 私は、“部屋”の中にいた
 たぶん誰もが持っている、けれど開かない“扉”の向こうに

 けれど“彼女”はノックした
 そして、その“扉”を開いた――

『……“友達”になろうよ』

 ――“彼女”は私に、そう微笑んだ。


●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


「……私は『キラー・スネーク』を生け贄に、『氷帝メビウス』を召喚。あなたの
『王宮のお触れ』と伏せカード1枚を破壊するわ」

氷帝メビウス /水
★★★★★★
【水族】
このカードの生け贄召喚に成功した時、
フィールド上の魔法・罠カードを2枚まで
破壊する事ができる。
攻2400  守1000

 そう言うと、私はそっと目を閉じる。
 ――場所は病院。
 病院のベッドの上で、その上にカードを広げていた。
 左右には1つずつデッキが、そしてその側には何枚かのカードがそれぞれ配置されている。
 目を開くと、私は“彼女”の場から、二枚のカードを墓地に送る。
「さらに、『メビウス』で『忍者マスターSASUKE』を攻撃。これであなたのライフは2200ね。カードを一枚伏せて、ターン終了よ」
 私は、ゆっくりと目を閉じる。
 そして目を開けると――目つきが、先ほどまでとは異なったものになる。やわらかく、どこかあどけない瞳。
 ――私ではなく、“彼女”のものになる。

 ――“彼女”の名前は『神里絵空』。
 “彼女”は幼いころから病気で、もう十年も病院に入院したきりだ。
 よほど重い病気らしく、病室からの軽はずみな外出も禁じられている。

 “彼女”は、引っ込み思案な性格ではなかった。
 性格は明るく、その小さな体格や幼い顔立ちもあり、人なつっこい印象があった。事実、病院の医者や看護師たちにも好かれる存在だった。

 ――けれど、孤独だった。
 まだ10代半ばの“彼女”にとって、十年以上年長の彼・彼女らは、とても“友達”と呼べる存在ではなかった。
 “彼女”には、“友達”と呼べる存在がいなかった――私と出会うまでは。

 ――私は、信じていた。
 私という存在がきっと――“彼女”の孤独を埋めることができていると。
 私が“彼女”に対して抱いているように、“彼女”もまた、私に対して無二の親愛の情をもってくれていると。

「わたしのターンだね、ドロー」
 左右それぞれのうち、“彼女”は右側に置かれたデッキに右手を伸ばす。
 1枚カードを引くと、デッキの近くに伏せておいた手札数枚に加え、それらを見つめながら少し考え込む。
「よし…、わたしは『ならず者傭兵部隊』を召喚して、その効果を発動するね」

ならず者傭兵部隊  /地
★★★★
【戦士族】
このカードを生け贄に捧げる。
フィールド上のモンスター1体を
破壊する。
攻1000  守1000

 “彼女”は目を閉じる。
 ゲームの相手である私に、伏せカードを使用するか否かなどの確認をとるためだ。
 私の確認をとると、“彼女”は私の『メビウス』と自分のカードを墓地に送る。
「さらに、『遺言状』を発動。その効果で……『首領・ザルーグ』を特殊召喚するよ」

遺言状
(魔法カード)
このターンに自分フィールド上の
モンスターが自分の墓地へ送られた
時、デッキから攻撃力1500以下の
モンスター1体を特殊召喚する事ができる。

「『ザルーグ』で、あなたにダイレクトアタック!」

 LP:3000→1600

 私にこまめに確認をとりながら、ゲームを進行する“彼女”。
「じゃあ…、『ザルーグ』の効果で、あなたの手札を一枚墓地に送るね。わたしはこれでターン終了だよ」
 “彼女”は笑顔で宣言する。
 傍から見れば、“彼女”はひとりで、カードを広げて遊んでいるだけなのだ。独り言を呟きながらのその様は、第三者の視点にはひどく滑稽に映るのだろう。
 一見したところ孤独――けれど、決して独りではない。
 “彼女”と交代し、私が目を開く。そして私は、左側に置いたデッキに左手を伸ばす。
「私のターン、ドロー。この瞬間、『キラー・スネーク』の効果発動。墓地から手札に加えるわ」

キラー・スネーク  /水

【爬虫類族】
自分のスタンバイフェイズ時にこのカードが
墓地に存在している場合、このカードを手札に
戻す事ができる。
攻 300  守 250

「キラー・スネークを攻撃表示で召喚し…、場に伏せておいた『強制転移』を発動。私の『キラー・スネーク』とあなたの『ザルーグ』のコントロールを入れ替えるわね」

『(――ええ〜っ! そんなぁ〜!)』

 “彼女”の声が、頭の中で響く。それを聞いて、私は得意げに笑んだ。
「『ザルーグ』で『キラー・スネーク』を攻撃。…手札を一枚、墓地に送るわね。ターンエンド」

 LP:2200→1100

「――よぉ〜しっ! 負けないんだからっ!」
 再び入れ替わり、“表”に出てきた“彼女”は、気合いっぱいにカードを引く。
「…! やった! 手札から『早すぎた埋葬』を発動! ライフコスト800を払って…、『忍者マスターSASUKE』を特殊召喚!」

 LP:1100→300


忍者マスターSASUKE  /光
★★★★
【戦士族】
このカードが表側守備表示のモンスターを
攻撃した場合、ダメージ計算を行わず
そのモンスターを破壊する。
攻1800  守1000

「さらに、『SASUKE』を生け贄に――『偉大魔獣 ガーゼット』を召喚! その攻撃力は1800の2倍…! 3600だよ! 『ガーゼット』で『ザルーグ』を攻撃っ!」

 LP:1600→0

「――やった〜! わたしの勝ち〜っ!!」
 諸手をあげ、大喜びし出す“彼女”。
 騒ぎを聞きつけ、看護師が慌てて病室に入ってくる。

「あ…。な、何でもないです。大丈夫ですよ;」
 看護師にてきとうな言い訳をする“彼女”。
 看護師が出て行くと、“彼女”はクスクスと、可笑しげに笑った。

「ねえ、これで何勝何敗だっけ?」
 上機嫌で訊いてくる“彼女”。
『(…さあ…、さすがにもう覚えていないわね)』
 少し考えてから、私が答える。
 “彼女”とのデュエルは、ゆうに千回は越しているだろう。覚えていなくても無理はなかった。
「ね、もう一回しよう? もう一回♪」
 微笑を浮かべながら、楽しげに、自分と私のデッキをシャッフルする“彼女”。
『(――駄目よ。朝からずっとやっているじゃない。そろそろ勉強もしなさい!)』
「……う〜っ。“もうひとりのわたし”のいぢわる……」
 “彼女”が、不服げに口を尖らせる。
『(……? ……“もうひとりのわたし”……?)』
 聴き慣れないことばに、私は首を傾げた。
「…ウン、そう」
 “彼女”は、そっと目を閉じる。
 目に見えない、自分の心の中の存在である私と話すには、それが一番やりやすいのだ。
「……前に訊いたよね…。“あなたは誰?”って。あなたは“判らない”って言ってたけど……わたしは、わかった気がするの」
 目を閉じながら、嬉しげに“彼女”は言う。
「あなたはね……“わたし”なの。わたしの中にいるんだもん、やっぱり“わたし”なんだよ」
 “彼女”が、口元を綻ばせる。
「……多分あなたは……“ありえたかも知れないわたし”なんだと思う。今こうして、実際に『神里絵空』として外にいるのはわたしだけど――もしかしたら、それは“あなた”だったのかも知れない。だから……」

 ――あなたはわたし
 『神里絵空』という名の……“もうひとりのわたし”――

「…わたしはね、あなたと出会えて、本当に幸せだよ。あなたはわたしに、光をくれた。独りぼっちで――淋しくて、震えてたわたしに温もりをくれた」

 ――だから――

「だから……これからも、ずっと一緒にいようね?」

 私は、胸にこみ上げるものを感じた。

 ――“彼女”は私に、名前をくれた
 『神里絵空』という、自分と同じ名前をくれた――

『…ありがとう』

 “彼女”のことばに、私は、心からの返答をした。

『これからもよろしくね――“もうひとりの私”』

 ――“彼女”は私に、光をくれた
 この世界に現れないはずだった私に“生”を与え
 そして、幸福をくれた――

 私は幸せだった。
 “彼女”といるだけで幸福だった。
 そしてこの幸福が、永遠であると思った。

 けれど――

 それは甘い幻想。

 私は思い知らされた。

 永遠などないことを。
 幸福など、脆く儚い、壊れるものだということを。

 あの日、私は思い知らされた。
 この世界の真実を。

 残忍で忌むべき、この世界の神の真意を――



第十六章・それは祈りのように

「――ねえ、神様って信じてる?」
 ある日、“彼女”は私に訊いてきた。
『(……神様?)』
 唐突な問いかけに、私は首を傾げた。
『(……考えたこともないわね…。宗教に興味はないし…)』
「あはは、やっぱり信じてないんだ」
 “彼女”はなぜか、可笑しげに笑ってみせる。
 現実主義っぽいもんね、と“彼女”は言う。
「わたしはね……信じてるの。この世界には神様がいて……わたしたち人間を見守ってくれてるんだって」
『(……神様…ね……)』
 私は、感慨深げに応える。
『(……私はやっぱり、存在しないと思うわ。非科学的だし)』

 ――“神頼み”というものがある。
 万一、それで物事が上手くいったとしても――その際、常識的に考えて神は無関係なのだ。
 重要なのは、当人の努力や運。

 上手くいけば感謝されるし、いかなければ恨まれる。
 意味のない、存在するはずのない架空の存在――それが神の正体。

『(……それに……)』
 私は、顔をしかめて呟いた。
『(万一、神様がいるなら……あなたの病気なんて、とっくに治っているはずだもの)』

 ――私は常に、“彼女”とともにいる
 だから知っている
 “彼女”がどれほど優しく、素敵な人間であるかを
 “彼女”が病室から出られないことが、どれほど理不尽なことであるかを――

「……ありがとう」
 でもね、と照れながら“彼女”は応える。
「わたしはね…、これでも幸せなの。病室から出られなくても……だって、独りじゃないもの」
 そう言うと、“彼女”は自分の胸に手を当てた。
「……病気でなかったら……外の世界に出ていたら、わたしはあなたの――“もうひとりのわたし”の存在に気づけなかったかも知れない。こうして、何気ない会話すらできなかったかも知れない。だから…ね」
 “彼女”は、穏やかにことばを続けた。
「……わたしは神様を信じてる…。あなたと出会えた、そんな奇跡を起こしてくれた神様に感謝してるの」

 ――“彼女”は、笑顔の似合う少女だった。
 “彼女”が信じるというのなら――私も、信じてみてもいいかと思った。祈ってみようかと思った。

 ――“彼女”が、幸福であれますように……と。

 ――この幸せが、永遠に続きますように……と。




 “彼女”の余命を宣告されたのは、それから数週間後のことだった。

●     ●     ●     ●     ●     ●     ●

 ――“彼女”の母は、泣いていた。
 その日は雨が降っていて、まるで天が泣いているようで――けれど“彼女”は、泣かなかった。泣きじゃくる母を、穏やかに慰めていた。

 ――強いと思った。
 なぜ泣かずにいられるのか、私には理解できなかった。

 けれど私も、泣いていなかった。
 心にぽっかりと、穴が開いてしまったようで――泣けなかった。もしかしたら、“彼女”も同じ心境だったのかも知れない。



 ――そして、夜が来た。
 私たちは二人で、一緒にたくさん泣いた。
「……ごめんね……!」
 涙を零し、“彼女”は何度も、そう言った。

 ――生きられなくて…ごめんなさい
 あなたと一緒にいられなくて…ごめんなさい
 あなたも巻き込んでしまって…ごめんなさい――

 雨音に紛れて、何度も何度も、謝っていた。


 そしていつしか、“彼女”は泣き疲れて眠ってしまった。

 眠れなかった私は、“彼女”の身体を借りて“表”に出る。
 “彼女”の流した涙を拭うと、起き上がり、布団から出た上半身を見下げた。

 身体に異常は見られない。いつもと同じ、華奢だけれどいとおしい、“彼女”の身体。

 ――あと半年の生命とは、とても思えなかった。いつまでもいつまでも、何年でも、何十年でも生きていける気がした。

 ――私は、“彼女”が憎いのかも知れなかった。
 この世界に私を呼び出した“彼女”を。
 私に温もりを与え……そして、こんなにも辛い思いをさせる“彼女”を。

 そして…そんなことを考えてしまう自分を、最低だと思った。

「……どうして……?」
 窓の外に視線を送る。
 月が、漆黒の夜空に浮かび上がっていた。
「……どうしてよ……!?」
 ベッドのシーツを握り締める。それは悲しみというよりも、憎しみに近い感情だった。

 ――どうして…神様はこんな仕打ちをするの?
 ――私たちの幸せを…どうして守ってくれないの?

 拭ったばかりの涙が、再び瞳から溢れ出る。

 ――もう、神でなくても良かった。
 悪魔でもなんでもいい……この幸せを守れるなら、何に祈ってもいいと思った。

『……イイダロウ』
「――!?」
 突如きこえた低い声に、とっさに、私は顔を上げた。

 病室のドアの前に、“それ”は立っていた。
 黒い装束に身を包み、フードを深く被った怪しい風体。

『貴様ノ願イ……叶エテヤロウ。コノ儂(ワシ)ガナ……』
 ――“死神”が、私の前に立っていた。



第十七章・神の目の小さな塵

「……!? 誰…!?」
 眼前に立つその者に、私は表情を険しくする。
 病院の関係者でないことは一目でわかった。
 病院関係者のまとう白い衣とは真逆な、黒い衣。“それ”は一応、人間の形をしていた。体躯としては、普通の人間より少し大きい程度であろうか。しかし、被られたフードの中は不自然な闇で満たされており、人間の顔の輪郭さえ確認できなかった。
『…クク…。儂ガ恐ロシイカ? 小娘……』
「……!」
 気が付くと、私の全身は震えていた。目の前に立つ者の危険性を、本能が察知していた。
『……警戒スル必要ハ無イ…。儂ハ唯、取引ニ来タ…』
「……取引……!?」
 ベッドの上で、私は思わず後ずさる。
『……救イタイノダロウ? ソノ娘…ソノ身体ノ、真ノ持チ主ノ生命ヲ』
「!? どうしてそれを!?」
 黒装束の男は、低い声で笑ってみせた。
『…ソレハ儂ガ神ダカラダ。神ハ神デモ――“死神”ダガナ』
「――!?」
 ぞっとした。
 “死神”――それはその名の通り、人の死を司る神。
 眼前の男は、“彼女”の生命を奪いに現れたのではないか――ひとつの懸念が生まれる。
『……言ッタダロウ? 儂ハ取引ニ来タダケ…。モットモ――ソノ娘ハ、儂ガ手ヲ下サズトモ死ヌ様ダガナ』
「……!」
 冷や汗をかきながらも、私は、必死の形相で男を――“死神”を睨みつけた。
「……取引と…言うのは…?」
 喉から絞り出した声は、確かに震えていた。
『…単刀直入ニ言ウ…。貴様ノ願イ、叶エテヤラヌ事モ無イ…』
「……!?」
『……救イタイノダロウ…? ソノ娘ノ生命…。救ッテヤロウ……我ガ取引ニ応ジルナラナ』
 そのことばはどこか、私を嘲っているようだった。
 ことばの様子から、“死神”のことばを信じる気には到底なれなかった。
「……! もし……その取引を拒んだら……!?」
 恐る恐る、私は訊いた。
『……別ニ……。拒ムナラ、何モシナイ。危害ヲ加エヌ事ダケハ、約束シヨウ』
「…………」
 私はまだ、信じるつもりにはなれなかった。だが、“死神”の言う取引に興味はあった。
『……取引ヲ説明シヨウ…。ソノ取引トハ――儂ノ指定スル、強キ魂(バー)ヲ持ツ人間ニ、勝利スル事ダ。貴様モ良ク知ル、M&Wノ ゲーム デナ』
「……!? ゲームに勝つ……だけ…!?」
『…ドウダ…? コノ取引、応ジルカ?』
「……ゲームに勝つだけで……本当に……?」
 “死神”のことばに、心が揺れた。
『……モットモ、唯ノ ゲーム デハナイ…。生ト死ヲ賭ケタ“闇ノゲーム”――ソノ敗者ニハ、絶対ノ“死”ガ与エラレル』
「……!!」
 一瞬、見えたかに思えた希望が、一瞬にして消え失せる。
 クク、と“死神”は笑ってみせた。
「…ふっ…、ふざけないでっ!」
 私は声を荒げた。
「…ゲームの敗者は死ぬ…!? そんな酷いこと、できるわけがないじゃない!!」
『……ホウ……』
 “死神”が、右手を上げ、私を指差す。
 腕には、包帯が巻かれていた。その指は意外と細いものであり、どこか年老いたものに見えた。
『ナラバ――ソノ娘ガ死ヌダケノ事』
「……っ……!!」
 “死神”のことばに、私はことばを詰まらせる。
『……取引ニ応ジルナラ、相応ノ助ケハシヨウ…。貴様ガ自由ニ動ケルヨウ、仮初ノ身体ヲ与エテヤル。僅(ワズ)カナラバ、我ガ“闇ノチカラ”モ使ワセテヤル。ゲーム ニ関シテモ、必勝ノ術(スベ)ヲ与エル…。損ハ無イト思ウガ?』
「………!」
 少し迷ってから、それでも私は、首を横に振った。
『……強情ナ娘ダ……。マア、ソレデモ構ワンガナ……』
 “死神”は身を翻(ひるがえ)すと、絵空に背を向けた。
『……儂モ多忙ノ身ダ…。貴様ト違イ、取引ニ応ジタ人間ヲ何人モ待タセテイル。コレデ失礼シヨウ』
「……!? ま…待って!!」
 私は、とっさに叫んだ。自分の耳を疑った。
「……取引に応じた人間が…何人もいる…!?」
『……! アア、ソノ通リダ……』
 交渉の余地ありと見たのだろうか。再度、“死神”は振り返った。
『…何人モイタヨ…世界中ニハ。“大切ナ者”ノ生命ヲ救ウ為、取引ニ応ジル人間ガ。貴様ト違イ、彼ラハ利口 ダッタ…。考エテミル事ダ。貴様ノ願イ――“人ヲ救ウ”トイウ願イハ、至ッテ健全ナモノ。人間一人ヲ代償トシ、ソノ代ワリ娘ハ助カル。一人ノ死ト引キ換エニ、一人助カルノダ…。差シ引キ零(ゼロ)。安キ代償ダロウ?』
 私は、唾を呑み込んだ。
 応じてはいけない――しかし、そのことばに頷いてしまいそうな自分が、確かに存在した。
「……なら…、私を…!」
 意を決して、私は言った。
「……私の生命をあげるわ…! だから、“彼女”を――」
『――ソレハ出来ンナ』
「……!?」
 “死神”は、冷淡に言った。
『…貴様ガ ゲーム ヲシ、相手ヲ倒ス事ガ重要ナノダヨ…。貴様ガソノ手デ、相手ヲ殺ス事ガ――ナ』
「………!!」
 背筋を、悪寒が走る。
『……一ヵ月後――再ビ此処ヲ訪ル。ソノ時マデ、ユックリ考エル事ダ……』
 ――そう言い残すと、“死神”はその場から消え失せた。
 ドアから出るわけでもなく、消え失せた――それは、男が人外の存在である何よりの証明だった。
「…………」
 緊張感から解き放たれ、こわばっていた全身から力が抜け落ちる。大きく息を吐くと、私は再び、表情を険しくした。

 ――いつのまにか、雨がやんでいることに気が付いたのは、そのときだった。


●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


 そして、一ヶ月が過ぎようとしていた。
 私はまだ、答えを見出せていなかった。

 ――生命の価値は、均等ではない。
 私にとって、“彼女”の生命は誰より重い。
 けれどそれは、主観の話。
 客観的に見て、生命の価値はみな同等である――いや、同等であるべきなのだ。

 断るつもりだった。断るべきだと思った。
 “彼女”には悪いが、人として、決して受けてはならない取引なのだ。




「――夏ももう、終わりだね……」
 その日、“彼女”はそう呟いた。
 それは、八月の末日。
 九月を秋の始まりとするなら、それは“彼女”にとって、最後の夏の日だった。
『(……やっぱり…辛い?)』
 ためらいがちに、私は訊いてしまった。
 問いかけに、“彼女”は静かに目を閉じ、応える。
「……ちょっと…ね」
 訊いたことを後悔した。
 “彼女”は、穏やかにことばを紡ぐ。
「でもね……楽しかった…よ。だから…平気……」
 “彼女”は、よろけながらベッドを立つ。そして、窓のカーテンを少しだけ開けた。
 病院の庭には、散歩をする患者や、ベンチで談笑する患者もいた。――“彼女”には、それさえ許されなかった。
「……誰でもね……いつかは死ぬんだよ」
 “彼女”らしくないことばだった。
「だから――仕方ないんだよ。これは運命……。私だけじゃない。誰も、それには逆らえない……」

 ――なぜだろう?

 私は、思わずにいられなかった。

 ――なぜ“彼女”は、ここで死なねばならないのか?
 ――なぜ“彼女”は、こんなにも辛い運命を背負わされるのか?

 ――“彼女”が、何をしたというのか?
 ――前世で、大罪を犯したとでもいうのか?
 ――“運が悪かった”で諦めろとでもいうのか?

 ――なぜ神様は、“彼女”を救ってくれないのか?

 ――神とは、架空の存在

 ――架空であるがゆえに、絶対の力を持つ

 ――それをもってすれば、“彼女”を救うことなど造作もない

 ――全ての人間を幸福にするなど、容易なことだ

 ――ならばなぜ、そうしないのか…?

『――……!!』

 ――私は気づいてしまった。
 神の真意に。
 “彼女”を――この世界に苦しむ、全ての人間を救わない理由を。

 ――‘どうでもいい’のだ

 ――神にとって、この世界に存在する個々の人間は

 ――その大きな目に映る…いや、映りすらしない、小さなチリに同じ

 ――不幸になろうと、幸福になろうと構いはしない

 それこそが――神のという存在の、真の正体。


 ……私は、笑ってしまった。
 壊れたように、狂ったように笑った。

 この世界には、神を信じ、祈りを捧げる人間がいくらでもいる。

 しかし――神は、全てを救いはしない。

 祈り、そして救われることがあるならば――それは神の“気まぐれ”に過ぎない。

 神は気まぐれに人を救い、気まぐれに人を見捨てる。


 ――何と残酷な存在か。
 それは、神などではない――神の名を騙る、残酷な悪魔でしかない。


 ――この世界に、神など存在しない
 もし存在するというのなら、どうして“彼女”を救わないのか
 そう…存在するのは神ではない
 存在するのはただ、神という名の忌むべき悪魔――

●     ●     ●     ●     ●     ●     ●

 そして、その夜――
『……答ハ出タカ? 小娘…』
 訪れた“死神”に、私は即答した。
「――やるわ」
 自分で思った以上に、はっきりとした口調だった。

 ――私は決意した。
 この世界に神がいないというなら――もはや正義など、何の意味もなさない。
 ならば私は、悪となる。
 たとえ、この身が滅びようとも。
 大切なものを護るためなら、いかなる罪でも犯してみせる――と。



終章・善人たちの夜

「……私にとって“彼女”は、“友達”であると同時に“母”でもある…。私にとって、何より大切な存在なんです。誰にも理解できない……私と“彼女”が、どれほど深い絆で結ばれているかは…!」
 絵空は話し終えると、大きく息をひとつ吐いた。
「…………」
 遊戯は俯いたまま、沈黙していた。
「……“死神”のやり方が間違っていること……それは分かっています。けれど私は、手段を選ぶことをやめた…。私は、悪でも構わないと決意した」

 ――だから、私は止まらない
 間違っていても構わない
 悪であろうとも、“彼女”のためなら、私は――

「……ちがう……」
 ポツリと、遊戯が呟く。
「……ちがう…んだ……」
 肩が、小さく震えていた。
「……。間違っていても、構いません…。私は――」
「――ちがうんだッ!!!」
 俯いたまま、遊戯が叫ぶ。
 呆気にとられる絵空に対し、遊戯は顔を上げた。
「………!!」

 ――泣いていた。
 目の前に立つ少年は、まるで自分のことのように、涙を流していた。

「……っ……!」
「……遊戯……さん……?!」
 遊戯は、涙を拭おうとする。
 けれど熱くなった目頭は、とめどなく、涙を流し続けてしまう。
「……そうじゃ…ない…。……そうじゃないんだ……!」
 弱々しい涙声が、懸命に訴える。

 ――ボクが――

「……もうひとりの神里さんが…君にしてほしいのは…そんなことじゃないんだ……!」
「……!!」
 その雰囲気に呑まれそうになる。
 しかしハッとして、絵空は反論しようとする。
「…あ…、あなたに何が――」
「――わかるよッ!!!」
 遊戯は、ありったけの声量で叫んだ。
 遊戯らしからぬその様子に、絵空は驚かずにいられない。だが、遊戯のその様子には、真に迫るものがあった。
「……わかるんだ…。ボクにだって――ううん。ボク‘だから’わかる…!」
「……!?」
「……もうひとりの神里さんが……君にしてほしいのは、そんなことじゃない……!」
 涙であふれた瞳が、絵空を視界に入れる。
 遊戯の両手は、これまでになく力強く握り締められていた。
「……もうひとりの神里さんが……神里さんにしてほしいのは……!」

 ――ボクが“彼”に、してほしかったのは――

「……終わりが来てしまうまで…、そのときまで、……最後の瞬間まで、ずっと一緒にいてくれること…!」

 ――もっと話がしたかった
 もっともっと…ずっと一緒にいたかった
 終わりがあるというなら、せめてそのときまで
 悔いの残らぬよう…いや、たとえ悔いが残ろうとも、終わりのない話をしたかった――

「……だから……言わないでよ……」
「……!?」
「“彼女”を救えたら…自分は死ぬなんて、そんなこと…!!」
 絵空は愕然とする。

 ――目の前の少年は知っている。
 “彼女”とずっと一緒にいた自分よりも――誰よりも、“彼女”の気持ちを分かっている。

 直感的に、そう悟った。

(……“彼女”の…本当の望み……?)
 脳裏に焼きついた、“彼女”の笑顔。




『――ねえ、もうひとりのわたし』
 “彼女”の笑顔が、ささやいた。

『――これからも、ずっと一緒にいようね?』
 “彼女”の笑顔が、微笑んだ。





「…………」
 しばらく俯いて、考え込む。
 そして絵空は、ゆっくりと顔を上げた。
「……“闇のゲーム”は……終わらせられません」
「………!!」
「……確かに……この“闇のゲーム”は、私の意志で始められた…。けれど、それを続行しているのは“死神”…。どちらか一方の死でしか、このゲームにピリオドはうてない……」
「……! そんな……」
 涙を拭った遊戯が、表情を険しくする。
 他に方法はないのか――必死に、それを考えようとする。

「――ありがとう」
 しかし不意に、絵空が口にする――感謝のことばを。
「……この数日間……とても楽しかったです」
 絵空は、笑顔だった。
 その笑顔は紛れもなく、彼女のもの。
 転校してきて、一緒に日々を過ごした、“友達”としての笑顔。
「……神里…さん……?」
 次のひとことを聞くまで、遊戯にはその意味がわからなかった。



「――さようなら」



 絵空は、自分の場の伏せカードに手を伸ばした。
「――!! 待って!! 神里さ――」
 絵空は遊戯に、満足げな、やさしい微笑を見せる。
「……“彼女”のこと――よろしくお願いします」
 そして絵空の場に、一枚の魔法カードが表示された。
「――リバースカードオープン…、『早すぎた埋葬』」
「!!」
「……このカードはライフポイント800をコストに、墓地のモンスターを復活させるカード……。けれど――」

 ――シュウウウウ………


 絵空のLP:450→0

 ――けれど死者は、蘇らない
 “彼女”はもう、救えない――

(……ごめんね…もうひとりの私。でも……)


 ――あなたなら、きっとわかってくれるよね?



「――神里さんっ!!!」
 遊戯は右腕を伸ばし、絵空に駆け寄った。
 絵空との距離が縮まったことで、場に映し出されていた二つのソリッドビジョン――『THE トリッキー』と『血塗られた石盤』が姿を消す。

 ――周囲の“闇”が消えていく。
 闇に包まれた彼女の身体は、みるみるうちに透き通っていった。



『――幸せな日々を……ありがとうございました』



●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


「――……え?」
 ――それとほぼ同時刻。
 病院のベッドで眠っていた絵空は、不意に目が覚めた。
 夜中に目が覚めるのは、彼女にとって珍しいことだった。
 時計を見ると、その針は深夜を指し示している。
 小首を傾げながら、何気なく、布団から起き上がる。
 ベッドから降りると、部屋のカーテンを少し開けた。

 ――わずかだが、光が射す。
 太陽ではない。やわらかな、やさしい月の光だ。

 ――空には、綺麗な満月が昇っていた。

(……キレイ……)
「……キレイだね…、もうひとりの――」
 言いかけて気づく。
 今夜は、“彼女”はいないのだ。
 独りきりの夜は、本当に久しぶりだった。
「……アレ?」
 絵空はふと、自分の頬を流れるものに気がついた。

 ――泣いていた。
 なぜだか分からないが、頬を涙が伝っていた。

「アレ…? 何でだろ…?」
 なぜ自分が泣いているのか――自分にも、よく分からなかった。

 ただ何か――自分の知らないところで、とても哀しいことがあったような気がした。

「…大丈夫…だよ…」
 小さく震える自分に、ぎこちなく言い聞かせる。

 ――明日になれば、“彼女”は帰ってくる
 ――明日になれば、きっとまた会える

「……そう…だよね……?」
 誰にともなく、絵空は問いかけた。


●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


 ――……カシャンッ…

「――……あ……」

 遊戯の伸ばした腕は――届かなかった。
 絵空の姿は消滅し、持ち主を失った決闘盤が、地に落ち、乾いた音をたてる。



 腕を伸ばしたまま、呆然と、遊戯は立ち尽くした。

 信じられないといった表情で、落ちた決闘盤を見つめる。
 両足から自然と力が抜け、その場に膝をつく。



「……ちがう……」
 暗闇をみつめながら、誰にともなく呟いた。
「……ちがうんだ……ボクは……」
 首を横に振りながら。
 まるで、言い訳をするように。

 両手を握り締め、うずくまり、地に当てる。
 コンクリートの、独特の、冷やりとした感触が伝わる。

 両のこぶしを振り上げると、思い切り、それに叩きつけた。

 ――こんな結末が見たかったんじゃない――

「……ちくしょう……!!」

 歯を食いしばる。

 そしてもう一度、アスファルトを殴りつけた。

「――ちくしょぉぉぉぉっ!!!」

 絶叫が、工場内に反響し、響き渡る。

 ――夜はまだ、明けそうになかった。



 後編に続く...






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