デミスとルインの混沌とした一日

製作者:プロたん




 このおはなしは、章ごとにデミスとルインの視点が切り替わります。



カオス01 06:58

 俺は混沌の中にいた。
 その俺を取り囲むように数多のイメージがあった。
 喧騒の街中、寂れた廃墟、常夏の小島、真冬の雪山――それらのイメージは、現れては消え、消えては現れる。脈絡があるようで脈絡がなく、意味があるようで意味がない。
 ふわりと漂うように、俺はそのイメージに包まれていた。イメージが通り過ぎていくのをただ傍観していた。それは心地良い感覚だった。
 この世界は、混沌だった。
 俺は手を伸ばし、イメージの一つに触れようとした。
 だが――
「――! デミス!」
 …………。
 ……ん?
「――もう朝になったわよ! デミス!」
 この混沌の世界に声が響き渡った。
 それは、嫌と言うほど聞いて聞いて聞かされて、とうの昔に聞き飽きた声だった。
「――いい加減起きなさいよ! デミス!」
 この声のせいで、俺を包んでいた数多のイメージは音もなく薄れ、崩れ、縮んでいった。
「ああもう! いつまで夢見てんのよ!」
 ヒステリックな女の声が、俺の心地良い混沌を容赦なく破壊した。
 ああ。俺の心地良い『夢』が台無しだ。
 まぶたを少しだけ開けると、腰まで届くほどの長い銀髪を従えた女が見えた。間違いない。そこにいるのは、嫌と言うほど見て見せて見せられて、とうの昔に見飽きたルインだ。
「薄目で様子うかがってないで、とっとと起きなさいよこのバカ男! 二回攻撃するわよ!」
 ルインは俺の顔面めがけて槍のような斧のような武器を振り上げた。
 銀色の長髪から覗くルインの表情が、不機嫌な時のものであることは一目瞭然だった。
 やれやれ……。
「分かっちゃいねえな、相変わらず」
「何ですって!?」
 俺はベッドの上を転がって床に降り、その脇に立てかけてあった斧を持ち上げた。
「俺の攻撃力は2400。ルイン――お前の攻撃力は2300。お前如きがいくら攻撃しても無駄無駄。え? 二回攻撃できるって? あっそう良かったね」
「…………」
 ルインのこめかみがピクピクしている。
「……このっ!」
 ビュッ!
 風を切る音が聞こえて、槍のような斧のような武器が俺のベッドを直撃した。
「デミス! あんたいつか必ず破滅させてやる! 絶対に破滅させてやる! 絶対に絶対に破滅させてやる!」
 攻撃力2300のルインが吠える。
 俺がさっきまで寝ていたベッドは、槍のような斧のような武器により砕かれていた。
「あーあ、またこいつはベッド壊しやがった。これで何台目だよ」
 俺は盛大にため息をついてやった。

 俺の名はデミス。
 フィールド上に存在するありとあらゆるものを消し去る能力を持っている。
 その能力のせいもあって、世間では『終焉の王デミス』と呼ばれることもある。だが、そんなに畏怖することはない。気軽に『デミスちゃん』と呼んでいただいて構わない。
 対して、俺を起こした女はルインという。
 斧のような槍のような武器を持ち、時々二回攻撃を行うことができる平凡な能力を持つ。偏差値に換算すれば53くらい。
 その程度の能力しか持たないのに、世間では『破滅の女神ルイン』などと呼ばれている。破滅の女神――破滅しているのはあいつの性格のほうであろうに。
 その証拠に、俺が着替えしてるのにもかかわらず、ルインは部屋に留まり、俺の着替えを舐め回すように見てくる。
 しかも、俺が分厚い鎧を着こんだタイミングを見計らってこう言い出した。
「フフフ。そんな分厚い鎧を着てようやく守備力2000? 私はこんな薄着でも守備力2000よ。不思議よね。ああ、才能の差かしら? 才能って恐ろしいわ」
 俺の顔を覗き込むようにして勝ち誇った表情を見せ付けてくる。人様の着替え中に失礼すぎる奴だ。
「お前は皮下脂肪が多いんだよ」
 一言呟いてやると、槍のような斧のような武器が飛んで来て、部屋のタンスが真っ二つになった。



カオス02 07:47

 ランド・セルと呼ばれるカバンを背負って私とデミスは家を出た。
 横目でデミスを見る。
 私はきちんとランド・セルを背負っているのに、デミスはランド・セルを斧に引っ掛けてぶらぶらさせている。だらしないったらありゃしない。
「デミス! ちゃんとランド・セルを背負いなさいよ! この私を見習いなさい」
「ったくルインはうるせえな。そんなモンまじめに背負うのは小学生だけだろ。ルインは小学生。はい小学生小学生」
 む……む……、むっかっっっっっつくぅぅ!
 私は半ば反射的に、右手に持っていた破滅の槍をデミスに投げつけた。
「ひょい……っと」
 私の破滅の槍はひょいっと避けられ、約26.89メートル先でナンパ行為を始めようとしていた戦士ダイ・グレファーの脳天に突き刺さった。
「いっつもいっつも飽きないなお前も。ガキのときから同じこと繰り返しすぎだぜ」
 体勢を立て直しながら、デミスがわざとらしく溜め息をついた。
「う、うるさいわね! 家が隣だったんだからしょうがないでしょ!」
「じゃあ、今、左隣の家に住んでいるダイ・グレファーとも遊んでやれよ。かわいそうだろ」
「絶っっ対、イヤ!!」
 デミスとは、0歳の時から大体こんな調子。
 家が隣同士で、しかも親同士の仲が良かったこともあって、半ば無理やり遊ばされた。昔からケンカばかりしてきたのに、なんやかんやで今でも一緒に学校に通っている。
 これを世間では『幼馴染』というのかもしれないけど、こんなのただの『腐れ縁』。青眼の究極竜にマンモスの墓場を融合して10年経過したのと同じ位腐ってるわ。
 デミスは、4.68メートルほど跳躍して、塀の上を歩き出した。
「なるほど……。ダイ・グレファーは駄目で、俺はOKということは、ルインは俺のことがお気に入りなのか。俺のことが好きなのか。やばいな俺、モテモテだ」
 唐突にドキリとすることを言う。
「な、な、なな何言ってんのよ! べ、別に私、デミスのことなんて……」
「でも、性格がな。ルインの性格は破滅してるからなぁ」
 そしてイライラさせることを言う。
 …………この。
 この男はぁぁぁあぁあ!!
 私は、地面に落ちている破滅の槍(&そこに突き刺さっているダイ・グレファー)を拾い上げて、塀の上のデミスに向かって投げつけた。
「ひょい……っと」
 塀の上を歩いているのにも関わらず、デミスはさらに3.94メートルほどジャンプして、何事もなかったかのように私の隣を歩き出した。
 破滅の槍(&そこに突き刺さっているダイ・グレファー)は、民家の壁を突き破り、そこで快便に勤しんでいるE・HERO バブルマンの便器を破壊した。朝から不快なもの見せてるんじゃないわよ!



カオス03 08:21

 西から昇った太陽がディアハ・アカデミアの門を照らしつけている。
 ディアハ・アカデミア――俺達の通う学園へ到着したのだ。
 ディアハ・アカデミアは、魔物・精霊達が通う学園。立派なモンスターとして召喚(または特殊召喚・反転召喚)されるために、この学園でみっちりと学び、鍛えてもらうのだ。
 そして、理由は分からないが、この学園に通っている学生は皆18歳以上という設定であるらしい。
 門を通ってアカデミアの敷地に入る。
 友人とのお喋りに興じている学生達の声が耳に入ってくる。少し耳を傾けてみる。
「おはドロー」
「おはドロー。あ、昨日のGX見た? すごかったよね!」
「うんうん! カオス・ソーサラーすごいよねー! 究極完全態グレート・モスを場に出しちゃうんだもんね!」
「……え? そこなの!?」
 今日もまた学園の一日が始まるんだな。生徒達の会話を聞きながら、俺はそんなことを感じていた。
 ……ちなみに、『おはドロー』とは、学園のOBである大盤振舞侍先輩が残した朝の挨拶である。『おはドロー』と『ドローさせてやるから殴らせろ』が、大盤振舞侍先輩がこのディアハ・アカデミアに残した名言なのだ。

 2年カオス組の戸を引いて、教室に足を踏み入れる。
「お、デミス、おはドロー」
 モーレツ悪魔のコザッキーが俺の姿を見つけて声をかけてきた。コザッキーは、いつものように、上半身が白衣とネクタイだけという奇怪な格好をしていた。その右手はガチャガチャとメカをいじっている。また何か発明品でも生み出したのだろうか。
「おう、おはドロー」
 俺が挨拶を返すと、案の定、コザッキーは、右手に持ったメカをここぞとばかりに見せつけてきた。
「聞いてくれよデミス! 今日もモーレツに発明してきたぜー! その名も『電池メン−単二型』! 徹夜しちまったけど、それ相応のモーレツパワーを秘めた電池だぜーー!」
「ワタシハ デンチメン タンニガタ デス! メザマシドケイ トカ チュウトハンパ ナ ヨウトハ オマカセ ダゼー! もーれつ!」
 電池が喋った。
「…………」
 デコピンしてみた。
「イジョウ ハッセイ! イジョウ ハッセイ! エキモレ シマシタ! デモ スイギン ゼロ ダカラ ダイジョウブ ダゼー! もーれつ!」
 大丈夫じゃねーよ。
「あーあーあー。壊れたぁーー……」
 右手に液漏れした電池メンを持ったままコザッキーは落ち込む。俺はコザッキーの肩をポンと叩いてやった。
「コザッキー、今度はもっと頑丈に作ってやれよ。ワイト以下の耐久力じゃ使い物にならないだろう」
「お、おうっ! ……よし! じゃあ、今度は単一型だ! 今度こそ成功させてやるぜー! やってやるぜー! モーレツだぜー!」
 コザッキーは液漏れした電池メンを放り投げ、一目散に自分の机へ向かった。謎のガラクタによって改造が施されているのがコザッキーの机だ。もはや、勉強机のレベルをはるかに超越している。生け贄召喚が必要なくらいのレベルだ。
 教室の床に視線を落とすと、地面に放り投げられた電池メンがコロコロと転がっていた。
 液漏れした電池メンは、教室の床にぽたりぽたりと液をこぼしながら転がり、そして、『誰か』の足元でピタリと止まった。
「……何? これ?」
 ルインだった。
「電池メン」
 俺がそう答えると、ルインは露骨に不快な表情になった。
 ルインは電池メンを拾い上げると、コザッキーの机めがけて投げつけた。
 コザッキーの机の上には、新しく作り始めた『電池メン−単一型』と、もっと前に作ってあったと思われる『電池メン−単三型』があった。
 そこに液漏れした『電池メン−単二型』が飛んでくることにより、電池メン達は漏電(ショート・サーキット)した。

 とんでもないことになった。



カオス04 08:32

 右手を閉じたり開いたりしてみる。ベトベトとしていて気持ちが悪い。
 これも液漏れした電池をつかんだせいだわ。……ああもう! イライラする!
 私は、両手にはめていたブラック・ロング・グローブを外し、廊下のダスト・シュートに放り込んだ。そして、右手をもう一度閉じたり開いたりしてみる。ベトベトとした感触はなくなっていた。
 ふぅ……これで少しはスッキリしたわね。
 スッキリした気分で教室に戻ると、教室はもっとスッキリしていた。
 コザッキーの電池がショートしたせいで、教室の23.87%くらいがきれいさっぱりなくなっていたからだ。
 でも、コザッキーの席が窓際だったおかげで、他の生徒には大して影響はなかったみたいだった。被害を受けたのは、机が5つ、窓が2枚、ダイ・グレファーが1匹程度。うん、これなら授業にも影響ないわね。
 私は悠々と自分の席に座った。
 そして、窓際に目を向けると、ガラスの砕けた窓の側でコザッキーが機械をいじっている姿が見えた。当のコザッキー本人は、亜空間物質転送装置で難を逃れていたようだった。なんだかムカつくわ。

「ええと、今日の欠席者は……」
「パーシアス先生。ダイ・グレファーが、脳天に槍が刺さって、便器に顔から突っ込んで、漏電で黒焦げです」
「あー、それじゃあ、保健委員のお注射天使リリーさん、ダイ・グレファー君を保健室に連れて行ってください」
「絶対に嫌です」
「それじゃあしょうがないですね。そのまま1時間目を始めます」
 天空騎士パーシアス先生が教壇に立っている。
 パーシアス先生は、私達の担任の先生であり、歴史の先生でもある。朝の連絡が終わってすぐに1時間目の歴史の授業が始まった。
「それでは、教科書256ページを開いてください。今日は『私達の起源』について学びます」
 私はランド・セルから歴史の教科書を取り出し、それを開く。
 ええと、256ページだったわね……。
 252ページ……253ページ……254ページ……255ページ……270ページ……。あれ? 256ページがない。
 教科書をよく見ると、256ページから269ページの間がごっそりと破られていた。
 って誰なのよ! こんなことしたのは!?
 その時、私の服からブルブルと振動が伝わった。どうやら、D・モバホン(携帯電話)にメールが届いたみたいだった。
 私は、パーシアス先生に見つからないように、こっそりとD・モバホンを開いた。

 送信者:デミス / 送信日時:4089年10月24日 08:49
 タイトル:教科書借りたよん

 タイトルの通り、歴史の教科書を部分的に借りた。
 いや、俺が教科書を忘れたって訳じゃないぞ。
 こういうわけだ。

 さっき、電池メンの液漏れがあった
   ↓
 教室の床が濡れてしまった
   ↓
 何とかしなくちゃいけない
   ↓
 ちょうどそこにルインのランド・セルが!
   ↓
 ランド・セルを空けると、ちょうどいい具合にたくさんの紙が!
   ↓
 紙はたくさんあるので少しくらい借りても問題なし!
   ↓
 だから、それらの紙(歴史の教科書の256ページ〜269ページ)で床を拭く
   ↓
 スッキリ!
   ↓
 ルイン、愛してるよ

 あ、あの男はぁぁああぁああぁぁぁ!!
 ガタン!
「どうしました? ルインさん?」
「あ……」
 気付けば、私は席を立ってしまっていた。
 どうしよう。優等生の私が授業中に席を立つなんて……。何とかごまかさないと……。
「先生……ちょっと、トイレに……」
「あー、それじゃあ、保健委員のお注射天使リリーさん、ルインさんをトイレに連れて行ってください」
「絶対に嫌です」
「絶対に嫌です」
 私とお注射天使リリーはきれいにハモった。



カオス05 08:54

 俺は歴史が嫌いだ。
 あらゆるものを消し去る能力を持つこの俺にかかれば、歴史など意味の無い物と化すからだ。『終焉の王デミス』の前では、長い年月をかけてこつこつ培ってきた歴史であっても、全てが消え去ってしまう。そんな歴史に価値など存在するのだろうか、いや、ない(反語)。
 ――と言うわけで、俺は歴史の授業を真面目に受ける気がない。
 そうは言っても、授業中ぼーっとして過ごすのも退屈。何か暇を潰さなければならない。
 そういう時に頼りになるのがルインである。
 ……おっと、早速そのルインからメールが届いたぞ。

 送信者:ルイン / 送信日時:4089年10月24日 08:58

 よくも私の教科書をぞうきん代わりに使ったわね!
 しかも今日の授業で使うページを!
 絶対に破滅させてやる! 絶対に!!

 あらあら、ルインさんはご立腹の様子。
 俺は鎧の上からD・モバホン(鎧越しでもボタンが押せる特注品)を操作し、ルインに新しいメールを送ることにした。

 送信者:デミス / 送信日時:4089年10月24日 09:00

 そういえば、席を立ってから10分経ったけど、トイレ長いよね。
 朝のうんこがなかなか出ないのかな? 何なら座薬持って行ってあげようか?

 送信者:ルイン / 送信日時:4089年10月24日 09:01

 うんこじゃないわよ!!

 メールの返事が来ると同時に、慌てた様子で教室にルインが戻ってきた。
 あまりに予想通り過ぎる行動に、噴き出しそうになってしまう。俺はいつも顔すら覆う鎧を着込んでいる。それをいいことに、思いっきりにやけてやった。

 送信者:ルイン / 送信日時:4089年10月24日 09:04

 今、私のことバカにしてるでしょう?
 絶対あとで破滅させてやる!!

 送信者:デミス / 送信日時:4089年10月24日 09:06

 まずは、お前の性格を何とかしろよな。
 破滅の(性格の)女神さん。

 送信者:ルイン / 送信日時:4089年10月24日 09:07

 あああああああああああああああああああああああ!!! むかつく!!!!!!!!!

 ここまでからかえば、いつものルインなら斧のような槍のような武器が飛んでくるものである。
 だが、今は授業中。ルインは手を出したくても手を出せない状態なのだ。
 ルインは、破滅した性格の持ち主だが、一応、優等生。
 授業は真面目に受け、間違えても授業中に武器を振り回したりなどしない。ついでに言えば、成績も上位で、先生達の評判も上々。
 だからこそ! だからこそ、授業中にからかうと面白い!

 送信者:デミス / 送信日時:4089年10月24日 09:13

 いや、調子に乗りすぎたな。ごめん。
 でも、これだけは分かって欲しい。
 俺には、ルイン――お前が必要ってことを。
 俺、いつもいつもバカなことばかりしてるけど、そんなことができるのもお前がいるからなんだよ。
 お前がいなかったら、今の俺は存在しなかっただろうな。きっと、みんなから恐れられている『終焉の王』そのものになっていた。
 だから、お前には感謝している。俺が俺でいられるのは、お前のおかげなんだ。

 好きだよ、ルイン。

 もちろん、これはルインをからかうための文面。
 俺は送信ボタンを押し、このメールをルインに送った。
 ……さぁて! どうなるかな!?



カオス06 09:15

「えー、私達の起源は、古代エジプトにあるという説が一般的ですが、プロたん氏はその起源はKONAMIにあると主張しており……」
 淡々と歴史の授業が続いている。
 ……続いているけど、今の私はそれどころじゃなかった。話なんか聞いている余裕はなかった。
 デミスから送られてきたメール。私はそのメールのことが気になって気になってしょうがなかったのだ。
 もう一度、D・モバホンの画面を見る。
『好きだよ、ルイン』
 な、何よ、何よ、何なのよこのメールは……。

 送信者:ルイン / 送信日時:4089年10月24日 09:17

 やめてよね! 変なメールなんかしたら許さないわよ!

 返信して、胸がドキドキしているのに気付いた。
 何? 何だっていうの? この胸のドキドキは……。
 私の視線は、D・モバホンの画面に釘付けだった。『好きだよ、ルイン』の文が私の目に焼きついて離れない。
 パーシアス先生が授業を進めている。でも、その内容なんて聞き取れない。
 早くD・モバホンをしまわなくちゃいけない。でも、私の手は思い通りに動いてくれない。
 なんということ。まさか、私……私……。
 その時、手に持ったままのD・モバホンが震えた。これは新しいメールが来た合図。
 ドキリとしながらも、私は即座にD・モバホンを操作し、新しいメールを開いた。

 送信者:戦士 ダイ・グレファー / 送信日時:4089年10月24日 09:20
 タイトル:ルインちゃんへ

 オレだよ。オレオレ、ダイ・グレファーだよ。
 ルインちゃん、今日のパンツの色は何色かな? ぐへへ。

 変なメールが紛れ込んできた。不快なことこの上ない。
「パーシアス先生! ダイ・グレファー君がセクハラメールを出してきます」
 私は右手を上げて、パーシアス先生にチクった。
「それはいけませんね、ダイ・グレファー君」
 パーシアス先生は教壇の上から、ダイ・グレファーの背後まで跳躍した。
「罰を受けてもらいますよ、ダイ・グレファー君。さあ、私の貫通攻撃を受けなさい」
 そして、ダイ・グレファーはとんでもないことになった。
 でも、そんなことはどうでも良かった。『好きだよ、ルイン』――メールの一文が私の心を捉えたままだった。
 またD・モバホンが震える。
 今度こそ、デミスからのメールだった。

 送信者:デミス / 送信日時:4089年10月24日 09:29

 いきなり変なこと言ったよな。
 でも、俺がお前を好きってことには間違いないから。それだけは、はっきりさせておきたいんだ。
 いいや、ただ好きってだけじゃない。
 俺はお前を愛している。世界で一番愛している。

 そして、良かったら聞かせて欲しい。
 ルイン――お前が俺のことをどう思っているのかを……。

 授業が終わったら返事を聞きにいくよ。
 その時、お前の正直な気持ちを教えてくれないか……?

 ドキドキが止まらない。
 左手を自分の胸に当ててみると、1分間に108.74回ほど心臓が鼓動しているのが分かる。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう……。
 デミスは私のことが好き。私のことを愛している。
 でも、私はどうなの? 私はデミスのこと、好きなの? そんなの……そんなの……。
 私の頭の中で、デミスと出会ってからの思い出が次々に再生される。
 赤ちゃんの頃からケンカばかりしていたこと。
 いつもいつも一緒に遊んだり競ったりしたこと。
 そして、10年前のあの出来事……。
 私はデミスのこと、好きなの? ――そんなの、決まっているじゃない!
 私だってデミスのことが……!
「それじゃあ、1時間目の授業はここまで」
 パーシアス先生の声とともに、チャイムの音が聞こえてくる。
 1時間目が終わったんだ。50分の授業時間が、わずか3ターン程度に感じられた。
 パーシアス先生は教科書をまとめ、教室を出ていった。その様子を目で追っていくと、デミスの席が視界に入る。
 ドクン――緊張感はいっそう高まる。
 デミスは立ち上がり、私の席に向かって歩いてきた。
 デミスは早足で歩いている。それなのに、私にはこの瞬間がものすごく長く感じられた。

 授業が終わったら返事を聞きにいくよ。
 その時、お前の正直な気持ちを教えてくれないか……?

 デミスのメールの文面が頭をよぎった。
 これから、私は、言うんだ。
 今の気持ちを言う。私の今の気持ちを言うんだ……。
 デミスと私との距離は約1.13メートル。早足で歩いてきたデミスは、私の席までやってきて、そして――通り過ぎた。
 ――あれ? 通り過ぎた?
「よぉうし! 暇な歴史の授業は終わった! 次は体育だ体育! 行くぞコザッキー!」
 デミスはコザッキーを連れて意気揚々と教室を出て行った。
「…………」
 私は、発動タイミングを逃したギルファー・デーモンのように、ぽかんとその様子を見ていることしかできなかった。
 な、何なのよ……。私の気持ちを知りたいって言ったのに……! 好き好き愛してるって言ってたのに!
 その時、D・モバホンにメールが届いた。

 送信者:デミス / 送信日時:4089年10月24日 09:38

 ドッキリでした。フヒヒwwサーセンwwww



カオス07 09:48

 2時間目は体育。
「よぉーっし! 今日はサッカーをやるぞー!」
 カイザーコロシアム24個分のグラウンドで、超熱血球児先生が拡声器を使って叫んでいる。俺達2年カオス組の生徒は、グラウンドに4列に整列していた。
 超熱血球児先生は、球児と言えど立派な先生だ。
 本来は野球が専門で、いつも体育の授業は野球ばかりなのだが、最近の野球放送の視聴率低下に伴い、今日の授業はサッカーに決まった。世知辛い世の中になったものだ。
「クラスを2チームに分けて、今日はチャイムが鳴るまでサッカーだ! 名付けて、『いつもはクラスの仲間。でも今日は敵? クラス内対抗サッカー 〜チャイムが鳴るまでぶっ続け〜』! おもろ〜っ!」
 妙なテンションで超熱血球児先生が叫ぶ。
 何が『おもろ〜っ!』なのか良く分からないし、そもそも面白くも何ともないが、俺はあまりに気にしないことにした。要はサッカーだ。
 名簿番号順で適当にチームが分けられ、それぞれがポジションに付いていく。カイザーコロシアム24個分全てを使ってサッカーを行うと、さすがに試合として成立しないため、実際に使うのはグラウンド6個分くらいだ。
 俺のポジションはフォワード。俺の隣には、体育の授業だと言うのに長い銀髪をまとめもせず、斧のような槍のような武器を持ったままの女――つまり、破滅の女神ルインがいた。どうやら俺とルインは同じチームのようだった。
 まもなく、クラスメイト全員が自分のポジションに付き終える。
 それを確認した超熱血球児先生は、奇妙なポーズでホイッスルを鳴らした。
「クラス内対抗サッカー、開始ィィィ!」
 2時間目――クラス内対抗サッカーの始まりだ!

 キックオフ権を得たのは俺のチーム。
 ホイッスルが鳴ってすぐ、フォワードの俺は、隣にいるルインにボールをパスした。
 すると、何故かルインは、そのボールを持って逆走。俺のチームのゴールにシュートした。
「ゴーーーーーーール! 自殺点かァァァ!!」
 ……ふざけんな。
 0−1。開始わずか12秒でゴールを決められた。しかも、先攻チームが。まったくもって酷過ぎる。
 自殺点を決めたルインが、悠々と歩いてセンターラインまで戻ってきた。
「ルイン、なんで味方のゴールにシュートしてるんだよ」
「あら? 私が自殺点? 何言ってるの?」
 ルインはそう言うと、ふふふっ、と挑発的な笑みを浮かべた。
「私はね、『自分』のチームのために、シュートをしたに過ぎないわ」
「え? ルイン、俺と同じチームじゃないのか?」
「ふふふ……騙されたわねデミス。私はね、あんたの仲間のフリをしていたに過ぎないのよ! デミスの敵のチームなのよ!」
 何を言い出すんだこいつは?
 ルインの言っていることの内容は理解できたが、その目的が理解できなかった。意味が分からない。
「サッカー如きで『騙す』って、お前、バカだろ」
「デミス! あんたにだけは言われたくないわ! デミスだって騙したじゃないの! 私を騙したじゃないの!」
 ルインは、目の焦点がおかしな具合になって、口も歪んだ。
 平たく言えば、怒っていた。
 ああ、そういえば、さっきの歴史の時間、俺はルインをからかって遊んでたっけ?
「騙したんじゃない。からかっただけだ」
「どっちも同じようなものよ! デミス! 乙女の純情を弄んだ罪は重いわよ!」
「乙女ぇ? お前が!? どこをどう見たらお前が乙女なんだよ。乙女と名乗りたければ、じゅ――」
「うるさい! それ以上言うな! ……とにかくあんたは破滅させる! 絶対に破滅させてやる!」
 鼻息を荒くしたルインは、俺の側から離れて本来のポジションに戻っていった。
 やれやれ、とんだ優等生だな。
 俺は思いっきりため息をついてやった。



カオス08 9:56

 試合再開のホイッスルが響き渡る。
 私はデミスを睨みつけた。絶対に、絶対に絶対に負かしてやるんだから!
 現在、私の不意打ちのおかげで、1−0で私たちのチームが勝っている。だけど、相手はデミス。あいつが強いことは私がよく知っている。悔しいけど、このままじゃ逆転されてしまうかもしれない。絶対にそれだけは阻止しなくっちゃ!
「モーレツ! この俺の『インパチ』があれば、サッカーなんて余裕だぜー!」
 得意げな男子生徒の声が聞こえた。
 前を見てみれば、キャタピラーを装着した謎の巨大メカがボールをドリブルしていた。高さ約9.36メートル。サッカーの試合に巨大メカ。思いっきりふさわしくない光景だった。
 きっとコザッキーね。コザッキーの奴ね。
 きょろきょろと巨大メカの周囲を見渡してみる。案の定、巨大メカの上で、汚れた白衣を身につけたコザッキーがガチャガチャとレバーをいじっている姿が見えた。
「超熱血球児先生! あんなメカ有りですか!?」
 すかさず生徒の一人が抗議をする。マッハ5.00ぐらいで空を飛ぶことができるバードマンだった。
「有り有り」
 だけど、超熱血球児先生は両手でマル印を作る。抗議したバードマンはがっくりとうなだれた。
「さあ、俺の『インパチ』がこのままゴールまで突っ込んでやるぜー!」
 コザッキーは、謎のメカに乗ってこちらへ攻め込んできている。
 なんだか無性にむかつくので、あのメカをドッカーンと破壊してやりたいのだけれども、メカの守備力は推定2500。私の攻撃でも壊せないほどだった。
 とは言え、別に脅威となるほどの相手じゃない。
 あのメカは高い守備力の代わりに、機動性が失われている。時速推定4.32キロメートル。あれじゃあ歩いているのと同じだわ。
「ボールはいただいたわ!」
 私は、その俊足でコザッキーのメカの元へと駆け出した。
「こんなメカ、ただ大きくて硬いだけで、敵でもなんでもないわ!」
 私とコザッキーとの距離が縮まっていく。
 キャタピラーがポコポコとボールを運んでいる。……こんなボール、ワイトだって簡単に取れるわよ。
 その時、右手からデミスが走ってくるのが見えた。
「コザッキー! パスだパス! 俺にパスをしろ! このままじゃボールを取られてしまうぞ!」
「え? パス? このインパチにそんな機能はないんだぜー?」
「ええい! 俺が直接取りに行ってやる」
 コザッキーは、まるで活躍できていない。ああ、相変わらず、迷惑ばかりかける割には全然役に立たない発明品だわ。
 デミスは自分からボールを取りに走ってきた。
 もちろん、私もボールを取るために走り続けている。
 私とデミスは、一つのボールを目指してほぼ並んで走る形になった。
「デミス、ジャマよ!」
「そう簡単にボールを取らせてたまるかよ!」
 私のおよそ1.88メートル右をデミスが走っている。デミスのほうが私より0.43メートル程度ボールに近い位置を走っていた。しかも、あんな分厚い鎧を着ているのにもかかわらず、デミスは、私と同じスピードで走っていた。
 このままじゃ、きっとデミスにボールが渡ってしまう。
 こうなったら――
「くらえっ!」
 私は破滅の槍をボールの手前めがけて投げつけた。
「何!?」
 私の狙い通り、破滅の槍はボールの約34.25センチメートル手前に落ち、地面をえぐりとった。
 えぐりとられた地面が、サッカーボールを押し上げる。
 サッカーボールが宙を舞った。宙を舞ったボールは、デミスの頭上を通り過ぎて私の胸元へと落ちてくる。
 私は華麗にトラップをして、胸元のボールを自分のコントロール下に置いた。
「ふふふ。ざまあみなさい!」
 ボールを手に入れた私は、デミスから離れるようにドリブルをしていく。
 しばらくドリブルをしていくと、ディフェンダー陣が私の前に立ちはだかった。
 ディフェンダー陣を見回す。アステカの石像、機動砦のギア・ゴーレム、封印されし者の右足――なかなか守備力の高いディフェンダーね。でも、私の敵じゃないわ!
 私はディフェンダー陣に向かって微笑んだ。
「私の力を見せてあげる」
 そう言って、私は、ボールを高く蹴り上げた。ディフェンダー陣は私のとった行動が不可解だと思ったのだろう。そのまま動けないでいる。
 続いて、私は『影』の力を解放した。
 『影』の力――それが私の持つ特殊能力。
 私には、自分の『影』を操る能力がある。『本体』の私と、『影』の私。その二人が別々に攻撃を仕掛けることで、敵に二回攻撃を行うことができる。
 でも、『影』の使い方は、二回攻撃に限ったものじゃないわ。
「ふふっ……見ていなさいよ」
 私は、『本体』をその場に残したまま、『影』だけを移動させた。
 私の『本体』はディフェンダー陣の手前。だけど、私の『影』はディフェンダー陣を抜かし、ゴールの前。
 『影』となった私のところに、さっき蹴り上げたボールが落ちてくる。私の『影』はノーバウンドでそのボールをゴールに叩き込んだ。
「ゴーーーーーーーールッ! ルインが2度目のゴールだ!」
 超熱血球児先生のホイッスルの音が響き渡る。
 ふふふ。計画通りだわ!

 2点目のゴールを決めた私は、悠々とセンターラインまで戻る。
 そこにはデミスがいた。
「見た? 私の『影』の力を。『影』の力を応用すれば、二回攻撃以外にも色々できるのよ。ディフェンダーなんか、驚いて動けもしなかったわ、ふふふ……」
「ああ。あれだけパンツを見せ付けられちゃ、動くに動けないだろうよ」
 え? パンツ?
「な、何言い出すのよ、デミス」
「よく思い出せよ、ルイン」
 思い出す。『影』の力を解放する直前、私はボールを思いっきり蹴り上げた。それだけのハイキックならば、長いスカートであってもパンツは丸見え、ってイヤーーーーッ!
「まあ、見せた相手が石とか機械とか足とかでよかったな。ダイ・グレファーに見られていなかっただけでもありがたいと思えよ」
 ああああああっ! むっかつくーーーーっ!!
 試合は私のチームが優勢。2−0。でも、このモヤモヤした気持ちは消え去ってくれなかった。



カオス09 10:06

 ディフェンダーにパンツを見せると言う暴挙に出たルインは、2回目のゴールを成功させてしまった。
 それからも攻防は繰り広げられたが、どちらも得点には結びつかず、0−2のまま試合はハーフタイムに入った。
 ……まずい。
 このままでは俺のチームが負けてしまう。ルインの思い通りになってしまう。攻撃力2300のルインに負けるなど俺のプライドが許さない。
 絶対に逆転してやらねば――と言いたいところなのだが、正直なところ、このままじゃ勝てっこない。
 理由は簡単。名簿番号だ。名簿番号で振り分けられたチームとそのポジションが悪すぎるのだ。
 俺はチームメンバーを一通り見ていった。
 ディフェンダーは、『アステカの石像』、『機動砦のギア・ゴーレム』、『封印されし者の右足』。こいつらはかなりマシな部類だ。右足以外は、ディフェンダーとしては優良な部類に入る。
 ミッドフィルダーは、役に立たないメカに乗った『コザッキー』。女のケツばかり追いかける『戦士ダイ・グレファー』と、その被害者である『荒野の女戦士』。突撃したは良いが既に守備表示気味の『ゴブリン突撃部隊』。こいつらはほとんど戦力になっていない。
 フォワードは、俺を除けば、『封印されし者の右腕』と『封印されし者の左腕』の二人。こいつらは、ボールに触るだけでハンドの反則をとられるため、ハッキリ言って何の役にも立たない。それを良いことに、右腕と左腕はじゃんけんをして遊んでいる。……もう帰れよ。
 最後に、ゴールキーパーは、骨のオバケの『ワイト』。しかも、ルインの1本目のシュートを全身で受けてバラバラになっている。早いところ保健室に連れて行かないと風化してしまうが、いつものことなので放置されている。もちろん戦力にはならない。
 以上より、俺のチームでまともにサッカーができるのは、3〜4人しかいないことになるわけだ。酷すぎる。
 それに対しルインのチームは、下手な攻撃は跳ね返すゴールキーパー『守護者スフィンクス』、マッハ5で飛ぶことができるフォワード『バードマン』、名前が得意分野っぽいミッドフィルダー『ブラッド・サッカー』などなど、強力なメンバーが揃っていた。
「……恨むぞ名簿番号」
 しかし、愚痴ばかり言っていても勝てるわけじゃない。この状況を逆転する手を打たなければならない。
 仕方がない。こうなったら、『相棒』を呼ぶ他ないだろう。
 俺はグラウンドを覆うように生えている木々の下へと走り出した。

「後半戦、開始ィィィ!」
 後半開始のホイッスルが鳴った。
 後半のキックオフ権はルインのチーム。ホイッスルが鳴ると同時に、ルインはバードマンにパスを出した。
 先手必勝!
 俺は、グラウンドの隅から拾ってきた『昆虫の死骸2匹分』を握り潰した。それら昆虫の死骸は、俺の手の中から跡形もなく完全に消えていった。
 その直後、地響きが起こり、ボールの軌道が変わった。
 ルインからバードマンにパスされたボール――その真下の地面が盛り上がったのだ。
「出でよ! 我が最大の相棒『デビルドーザー』!」
 盛り上がった地面を突き破り、現れたのはデビルドーザー。
 デビルドーザーは巨大なムカデのモンスター。その体長は10メートルは超えているだろう。その大きさゆえ攻撃力も2800と高く、俺の攻撃力2400すら上回る。高い攻撃力を持つ割には、お手軽に特殊召喚できるため優良なモンスターとして有名だ。相手に戦闘ダメージを与えた時にデッキの上のカード1枚を墓地に送る効果も持つが、この効果は最近ではデメリット効果ではないかと言われている。それでも、お手軽かつ攻撃力2800を得られる昆虫族モンスターとして、たくさんのデュエリストに使われているぞ。
 ……おっと! カード考察をしている場合ではない。
 俺は、自分の足元を見る。軌道が変わったサッカーボールが、俺の足元へ転がってきてくれていた。
 よし! ボール奪取!
 ボールの主導権を握った俺は、ボールを高く蹴り上げた。
 そして、俺自身も高く跳躍する。
「よっと」
 俺とサッカーボールは、デビルドーザーの頭の上に乗っていた。
「デミスのダンナ、久しぶりだな! 今日はどんな用事だい?」
 足下からデビルドーザーが話しかけてくる。
「おう! 今日はサッカーだ。俺の足元にあるサッカーボールをゴールまで運んでくれ!」
「お安い御用よ、ダンナ!」
 デミスとデビルドーザーのコンビネーション――『デミスドーザー』の力を見せてやる! さあ、逆転開始だ!



カオス10 10:13

「超熱血球児先生! あんな巨大ムカデ有りですか!?」
「有り有り」
「ムカデの上にボール乗っけるのも有りですか!?」
「有り有り」
 バードマンが必死に抗議しているが、ハンドさえしなければこのサッカーは何でもアリらしかった。
 私がバードマンにパスしたボールはデミスに奪われ、今は巨大ムカデ『デビルドーザー』の頭上にある。
 デミスは、サッカーボールと一緒にデビルドーザーの頭の上にいて、そこから私を見下していた。ああ! むかつくわ!
 デビルドーザーは、体長12.54メートル、高さ3.48メートル前後と巨大。その巨大なムカデは、私のチームのゴールへと着実に攻め込んできていた。
「このまま行かせるか! マッハ5のオレをなめるな!」
 バードマンが空を飛んでデミスのボールを奪いに行く。
 バードマンのマッハ5.00は最大速度なので、初速に近い今はそこまでの速度は出せない。それでも、時速145.31キロメートルくらいは出ている。十分な速さだわ。これなら……
「甘い! 甘いぞバードマン!」
 デビルドーザーがそう叫ぶと同時に、デビルドーザーの前から2本目の右足が伸びる。その足がバードマンをはたき落とした。
「な……」
 はたき落とされたバードマンは、体制を崩し地面に落ちていった。
「甘い! 甘いぞ! 最初の手札にいきなりエクゾディアが揃っているくらい甘いぞ!」
 デビルドーザーは、低い声を出し、地面に倒れこんだバードマンを威圧した。
 っていうか、どこから声を出してるのよ、あのムカデは……!
「くっ……」
 はたき落とされたバードマンは、ひざをつきながらも立ち上がった。
 しかし、そのバードマンの背中からはらはらと1割2分9厘ほどの羽が舞い散った。
「オレの……羽が、抜けた……?」
「これがこの俺、デビルドーザーの能力だ。俺に負けた者は、身につけている物を落としてしまう。デッキのカードが墓地に落ちるように!」
「そんな……これでは、オレはマッハ4.355程度しか出すことができない……。こんなオレは『バードマン』を名乗る資格はない……。オレは『コケ』だ。あの飛べるのか飛べないのか良く分からない『コケ』なんだ……」
 訳も分からずバードマンが落ち込んだ。
「デビルドーザー! このまま攻め込むぞ!」
「おうよ! ダンナ!」
 デミスとサッカーボールを乗せたデビルドーザーは、減速をすることなくゴールへと向かってくる。
 私たちのチームメンバーが次々にデビルドーザーに挑んでいくけれども、ことごとく敗れていく。
 そして、敗れたお注射天使リリーは注射器を落とし、カラテマンはカツラを落とし、ブラッドサッカーはプレミアムパック8の評価を落とした。
 このままじゃあゴールを決められるのは時間の問題。
 でも、考えなく突っ込んでも、バードマン達の二の舞になってしまう。何か、何か方法は……。
 ……そうだ! 私には『影』の力がある!
 私の『本体』をオトリに使って、その隙に私の『影』がボールを奪えば、まだ勝機はあるわ……!
 ちょうど今、私はデビルドーザーの死角にいる。この死角に『影』を残せば……。
 チャンスは今しかない! 私は、『影』を切り出した。
 続いて、『影』と、分離した私の『本体』は、その俊足でデビルドーザーの正面へ駆け寄っていく。
「おおっ、これはこれはルインお嬢! しかし、この勝負、このデビルドーザーが勝たせてもらいますぞ!」
 デビルドーザーは、後足だけを地面に残し、前足6本を地面から離してうねうねと動かした。
「やってみなきゃわからないわ!」
 オトリ役である『本体』の私は、デビルドーザーを挑発し、高く跳躍した。
 すると、私の真下にダイ・グレファーが駆け込んできて、私のスカートの中を覗き込もうとする。私は、破滅の槍を投げつけてやった。
「隙有りですぞ! ルインお嬢!」
 デビルドーザーの前足が私の背中をバチリと叩いた。全身に衝撃が走る。
「くっ……」
「下着を見られることに気をとられて隙を作るとは……。甘い! 甘いですぞ!」
 ふふふ……甘い? 甘いのはそちらの方よ、デビルドーザー! 私はただのオトリ!
 私の『本体』は、デビルドーザーに叩かれて地面へ落ちていく。
 でも、私の『影』は、デビルドーザーの背後に忍び寄り、音を立てずに跳躍していた。これで、デビルドーザーの頭上にあるボールは私のもの……!
 しかし、その時、地面へと落下していく私の『本体』から『何か』が滑り落ちた。
「え?」
 続いて、私は胸がやけにスッキリしていることに気付いた。
「まさか……!?」
 そう言うと同時に、私は背中から地面に激突した。
 私は痛がるより早く、自分の胸に手を当てた。
 ああっ! ない! やっぱりない! 私のミスト・ボディ・ブラジャー(胸が大きく見えるブラジャー)がない!
 見回すと、ダイ・グレファーが私のミスト・ボディ・ブラジャーを頭にかぶって大喜びしていた。
「…………」
 私は近くにいた超熱血球児先生に質問した。
「あの、超熱血球児先生。ブラジャーをかぶるのは有りですか?」
「有り有り」
「それじゃあ、乱闘騒ぎになるのは有りですか?」
「有り有り」
 私は、ダイ・グレファーとデミス達の方に向き直った。
「あんたらぁぁあぁああああああ! 破滅させてやるぅぅうううぅぅうう!! 絶対に! 絶対にぃいいい! 破滅! させてやるぅううぅぅうううぅううううう!!!」

 こうして今日の体育の授業もめでたく乱闘騒ぎになりました。



カオス11 10:41

 2時間目の体育の授業は終わった。
 体育は、ルインの堪忍袋の緒が切れたことにより、乱闘騒ぎになってしまった。
 とは言っても、乱闘騒ぎが起こるのは日常茶飯事。体育の授業の2回に1回は乱闘騒ぎになって当然。珍しくもなんともない。
 ちなみに、サッカーの試合は3−2で俺のチームが逆転勝利した。乱闘騒ぎに紛れて、ディフェンダーの『封印されし者の右足』が見事ハットトリックを決めてくれたおかげだ。後でエア・マッスルの靴をプレゼントしてやろう。

「3時間目は理科だぜー。楽しみだぜー! モーレツに楽しみだぜー!」
 教室に戻ってきたモーレツ悪魔のコザッキーは、赤子でも分かる程うきうきした声で自分の席に戻り、すばやく理科の準備を始めた。
 理科の教科書、ご隠居の猛毒薬、死の演算盤(デス・カリキュレーター)――理科に関係のありそうなアイテムが次々にコザッキーの机上に並んでいく。
 言うまでもない。コザッキーの好きな教科は理科である。
 コザッキーは、元々『魔界言語』を研究していた悪魔の学者だった。理科や数学にはまったく興味のないコテコテの文系学者だった。
 そんなある日、コザッキーは、ひょんなことから魔導サイエンティストの講演に参加した。そこでコザッキーが見たのは、魔導サイエンティストの発明の数々。亜空間物質転送装置、八式対魔法多重結界、霊子エネルギー固定装置……。
 コザッキーは、これらの魔導サイエンティストの発明に感銘を受け、魔界言語の研究から一転、科学者としての道を歩みだしたのだった。
 チャイムが鳴った。3時間目の始まりを告げるチャイムだ。
 生徒達が各自の席に戻っていき、騒がしかった教室が少しずつ静まっていく。
「魔導サイエンティスト先生、まだかな? 早く来て欲しいぜー!」
 静かになっていく教室の中で、コザッキーは、落ち着きなく頭をきょろきょろさせて一人騒がしくしていた。
 まったく……。
 あいつは、理科の授業になるといつもいつもこんな調子だ。いくら憧れの先生に教えてもらえるとは言え、もう慣れたら良いものを。
 ――そう。このディアハ・アカデミアでは、理科の授業を魔導サイエンティスト先生が担当している。
 既に説明したように、魔導サイエンティスト先生はコザッキーにとって憧れの人物。コザッキーは、憧れの先生に理科を教えてもらうために、ディアハ・アカデミアに入学したのだ。
 教える立場である学者から、教えてもらう立場である生徒へ転身するとは、人生、何があるか分からないものだ。
 ガララっと、教室の引き戸が開く音がする。
「ついに先生がきたぜー! モーレツに楽しみな理科の時間がやってきたぜー! ……あれ? パーシアス先生?」
 引き戸を開けたのは、魔導サイエンティスト先生ではなかった。
 そこにいたのは、担任の天空騎士パーシアス先生。理科とは無縁の先生である。
「今日は皆さんに残念なお知らせがあります」
 パーシアス先生は、教壇に立って無機質な声でそう言った。
「ざ、残念なお知らせって何だぜー?」
 コザッキーは、パーシアス先生に問う。その声が少し震えているのが分かる。
 パーシアス先生は、そのまま話を続けた。
「魔導サイエンティスト先生が、逮捕されました」
 ……え?
「た、たた……たたた……逮捕ぉぉぉおぉおぉおぉおお!?」
 コザッキーの声が学園中をこだまし、そして、教室がざわめきに包まれた。
 まさか、魔導サイエンティスト先生が逮捕とは。
 まったく。人生、何があるか分からないものだ。



カオス12 10:51

 教室が騒がしい。
 いつも理科を教えてくれる魔導サイエンティスト先生が逮捕されたとなれば、当然の反応なのだろう。
 騒ぎに乗じて、ダイ・グレファーが荒野の女戦士に抱き着こうとしていた。私は、パーシアス先生にバレないように、ダイ・グレファーに破滅の槍を投げつけた。
 パーシアス先生が淡々と説明を続けている。
「魔導サイエンティスト先生、いや、魔導サイエンティスト容疑者(43)は、研究の内容が法律に触れたために逮捕されました」
「な、何が悪かったって言うんだぜー? 魔導サイエンティスト先生は、モーレツに社会に貢献した科学者だぜー?」
「カタパルト・タートルを使ったのが駄目だったのですね。魔導サイエンティスト容疑者(43)は、自分で作った融合生命体をカタパルト・タートルで打ち出したのです。あまりに残忍な行為のために、遊戯王OCG事務局によって禁止行為となり、逮捕されたということです。現在、カタパルト・タートルは警察に押収され、魔導サイエンティスト容疑者(43)の身柄もまた拘束されています」
 教室のざわめきは収まらない。
 でも、私にはあまり興味のあることではなかった。だって、理科とか、好きじゃないし。
 そもそも、理科とか数学とか、あれらの何が楽しいのか分からない。というか、理系教科って将来何の役に立つのよ。理系教科なんて、ライフポイントの計算だけできれば上等でしょう?

「さて、魔導サイエンティスト容疑者(43)が逮捕されたので、今日の理科の授業は中止します」
 魔導サイエンティスト先生逮捕の知らせから約12分18秒が経過し、今は、午前11時03分49秒。
「その代わり、道徳の授業を行ないます。今日は、魔導サイエンティスト容疑者(43)が逮捕された件を受けて、特別講師を呼びました。どうぞ」
 3時間目の授業は道徳に変更された。私は理科の教科書をランド・セルにしまった。
 教科書を片付け終えると、図体の大きな男が教室に入ってきた。この男が特別講師なのだろう。
「皆さん、彼が特別講師のジャッジ・マン先生です。今日の道徳のテーマは、『やって良い事、やっちゃ駄目な事』。ジャッジ・マン先生が教えてくれます」
 パーシアス先生は、高く跳躍して教壇から離れた。
 代わりに、身長356.25cmほどもある巨体のジャッジ・マン先生が、のしのしと歩いて教壇に立った。
「皆の者。このワシがジャッジ・マンだ。今日は、『やって良い事、やっちゃ駄目な事』の区別ができるようになってもらいたい。質問するが良い。このワシが有罪か無罪か裁いてくれようぞ」
 ジャッジ・マン先生は、右手に持っているこん棒をガッガッと教卓に叩きつけ、
「そこの女子、起立せよ」
 そう言って、私に向かって指を差してきた。
 いきなり指差しとは、失礼なおっさんね! 攻撃力2200のおっさんのくせに、攻撃力2300(2回攻撃付き!)の私に指差しなんて、1年4ヶ月21日8時間23分21秒くらい早いわよ! ――私はそう思いながらも、「はい」と返事をして起立した。
「銀髪の女子よ。有罪か無罪か疑問に思っている出来事を言うがいい。このワシが裁いてやろう」
 ジャッジ・マン先生は、こん棒をガッガッと教卓に叩きつけた。
 ああっ! 偉そうでむかつく素振りね! ――私はそう思ったけれども、素直に質問をすることにした。聞いてみたいことも思い浮かんだことだし……。
「あの。さっきの体育の時間、変なムカデにブラジャー取られたんですけど、これって犯罪じゃないですか?」
 2時間目の体育の授業が思い出される。
 ハイキックしたらパンツを見られて、ジャンプしたらデビルドーザーにブラをはたき落とされ、ついでにダイ・グレファーにそのブラが渡って――ああ! やっぱりむかつくわ!
「無罪」
 ジャッジ・マン先生は即答した。
 えぇ? 無罪なの!?
「な、なぜですか? なぜ無罪なんですか!?」
「ふむ。体育の時間であれば、激しく運動することは自明。ブラジャーの一つや二つ落ちることなど互いに了承の上。よって、このムカデの行為は犯罪にはならない。ワシも昔はよくかすめ取ったもんだよ」
 ジャッジ・マン先生は、自信満々にこん棒をガッガッと教卓に叩きつけた。教卓が少しへこみ始めていた。
「…………」
 私は言葉を失った。
 何? 何なの? 何なのよ! こんな男が裁判やってて良いわけ? そんなことだから、OCGのルールも調整中だらけになるのよ!
 私は得意げな顔をしているジャッジ・マン先生に2回攻撃したくなったが、グッと堪えておとなしく着席した。
「それでは、他に質問がある生徒はおらぬか? 有罪か無罪か裁いてやろうぞ」
「はい、あります!」
 2つ前の席に座るお注射天使リリーが挙手をして起立した。右手に抱えている巨大な注射器が相変わらず目立つ。
「おおっ、これは健康的な女子。さあ、質問してみせよ」
「体育の授業の話なんですが、ルインさんが落としたブラ、それ、『ミスト・ボディ・ブラジャー』っていうブラで、胸を大きく見せるブラなんですよ。これって、結局は男を騙すためにあるんですよね? ってことは! ルインさんは詐欺罪にあたるんじゃないですか? 教えてください!」
 お注射天使リリーは、そう言い終えると、チラリと私の方を見てニヤリと笑った。
 …………。
 この女ぁぁあああぁあぁあぁああぁぁああ!!!!

「有罪。ルインのミスト・ボディ・ブラジャーは、詐欺罪に該当する」
 …………。
 このいい加減ジャッジ男ぉおおぉおおおぉおぉおお!!!!



カオス13 11:15

「異議あり! 私は胸の大きさなどごまかすつもりはありません! これは冤罪です!」
「異議あり! ジャッジ・マン先生は、ミスト・ボディ・ブラジャーは有罪と言っています。もはやこの事実はひっくり返りませんよ!」
 ルインとリリーの因縁渦巻く裁判が始まってしまった。
 この二人は仲の良い友達。
 にこにこ笑いながら、互いに毒のある言葉を吐きあうとっても素晴らしい友達なのである。
 俺は肘をついて、その様子を傍観していた。
「異議あり! これは罠! 罠です! いくらリリーさんの胸が小さいからって、私を陥れるためにそんな卑怯な罠を使わないでください! 王宮からのお触れが出ますよ!」
「異議あり! あたしの胸が小さいですって? あたしはバランス重視なのです! お尻ばかり大きくなったルインさんとは違います!」
 飽きもせず、丁寧な言葉でののしりあう二人。
 パーシアス先生は、満足そうにうなずいている。パーシアス先生には、この毒舌の応酬が、活発でよい議論に映るようだった。
 ジャッジ・マン先生は、「静粛に静粛に」と言いながら、こん棒で教卓をガンガン叩いているだけである。教卓がそろそろ真っ二つに割れそうだった。
 そして、コザッキーは、紙切れを持って立ち上がっているところだった。
 ……何をしているんだ? コザッキーは?
 席を立ったコザッキーは、手に持った紙切れをパーシアス先生に渡し、そのまま教室を出て行った。
 その時に見えたコザッキーの横顔は、今までに見たことがない表情だった。単に落ち込んでいるだけではなく、生気が抜けてしまったような、そんな表情だった。
 俺はこっそり席を立って、パーシアス先生がいる窓際へと歩いた。
「パーシアス先生、コザッキーはどうしたんだ?」
 俺がそう聞くと、パーシアス先生は小声で返答した。
「コザッキーさんは、この学園を退学するそうです」
 パーシアス先生の右手には、汚い文字で『退学届』と書かれた紙切れがあった。
 退学。退学……だと?
 コザッキーは、魔導サイエンティスト先生の授業を聞くためにこのディアハ・アカデミアに入学した。だから、魔導サイエンティスト先生がいなくなった今のディアハ・アカデミアには用はない。よって、退学する。
 筋は通っている。
 だが……ふざけんな!
 俺は納得できないぞ! 今までの学園生活はなんだったと言うんだ!
 俺は裁判ごっこをしているルインとリリー達の喧騒の中、2年カオス組の教室を抜け出した。



カオス14 11:18

 デミスが慌てた様子で教室を出て行ったけど、今はそれどころじゃなかった。
「そもそも、ルインさん、あなたは勘違いをしています!」
 お注射天使リリーがそう言って私に指を突きつけてくる。
「ルインさんはあたしの胸が小さいと思っているでしょうが、それはルインさんも同じこと! むしろ、ルインさんのほうが小さいのではないでしょうか?」
 ああっ! 相変わらず、この女はむかつくわ!
 学園に入った時から何かある度に、私に対して突っかかってきて。
 そのくせ、他人に対しては「お注射よー」なんてかわいらしいことを言ってくれちゃって!
 攻撃力400のくせに! ワイトにようやく勝てる程度の攻撃力の癖に! と言いながら、時々攻撃力3400になるのがまたむかつくわ!
「ジャッジ・マン先生! 提案があります!」
 リリーは右手を上げた。
「ほう。言ってみせよ」
「はい。ルインさんとあたし、どちらの胸が大きいか比較して欲しいのです! そのため、あたしはルインさんにスリーサイズの開示を要求します!」
 リリーは私の顔に向かって、びしっと人差し指を突きつけてきた。
 ……自信あるって言うの?
 いいじゃないの! 勝負してやろうじゃないの! ミスト・ボディ・ブラジャーなしでも私の胸の方が勝っていることを証明してみせるわ!
 私はリリーに対して、笑い返してやった。
「それではルイン、スリーサイズを発言なさい」
 ジャッジ・マン先生が、私を指差してくる。
 だから指差すな、攻撃力2200のおっさん! と思いながらも、私は素直にスリーサイズを言うことにした。
「私の嘘偽りのないスリーサイズは、上からな……」
 そこまで言って、私は口をつぐんだ。
 ちょ、ちょっと待ってよ! 何を言い出そうとしているのよ私は!
 落ち着いて教室見渡してみれば、男どもが必死になって聞き耳を立てていた。ダイ・グレファーは必死になってメモを取ろうとしていた。
 まずいまずい。体育の時間に続いて、またしても失態を見せるところだった。私は深呼吸をする。
 お注射天使リリー! きっと私に恥をかかせるために、わざと挑発したのね!
「異議あり! 胸の大きさは議題から外れています! 胸の大きさはミスト・ボディ・ブラジャーの件とは関係はありません!」
 私は、右手を上げてそう発言した。
「あーあ、引っかからなかったか……」
 リリーが小さく舌打ちしたのが分かった。
 ふんっ。リリーの思い通りになんかならないんだから! 私はリリーに向かって笑ってやった。
 しかし、
「意義は認められない」
 ジャッジ・マン先生は、右手のこん棒をガンガン教卓に叩きつけて言った。教卓の真ん中からヒビが生えてきた。
「リリーとルインは、スリーサイズを直ちに開示すること」
 な……何を言ってるのよ! このいい加減ジャッジ男! この状況でスリーサイズを言う意味なんてないでしょう?
「いいえ! スリーサイズは開示できません!」
 私が反論すると、ジャッジ・マン先生は首を横に振った。
「仕方がない。開示できないのであれば、強制的に測ってくれようぞ」
 ジャッジ・マン先生は、こん棒をガンッと教卓に叩きつけた。ヒビの生えていた教卓は、アニメでモンスターが破壊されるエフェクトのようにバリーンと粉々になった。
 教卓のジャッジ・マン先生と目が合う。一見無表情のようだけど、その頬がわずかに緩んでいるのが分かった。ジャッジ・マン先生は、ポケットからメジャーを取り出して、それを床に落とした。
 メジャーはコロコロと床を転がっていき、3.86メートルほど転がったところで、机の足にぶつかって止まった。
 ダイ・グレファーの机だった。
 ダイ・グレファーは、当然のようにそのメジャーを拾い上げた。
「さあ、メジャーを手にした男戦士よ。ルインとリリーの胸の大きさを測るが良い。遠慮することはない。これは法律に基づいた行為。適法である」
 ジャッジ・マン先生は、ダイ・グレファーに私たちのバストの大きさを測るように指示をした。
 ダイ・グレファーの表情が「にまぁぁあああ」とほころんでいく。
 ジャッジ・マン先生の表情も「にまぁぁあああ」とほころんでいる。
「…………」
 正直、かなりイラっときた。
 横目でリリーの表情をうかがってみると、目がいつもの1.26倍ほど見開かれ、鼻の穴も1.42倍くらい開いていた。そして、右手に抱える巨大な注射器がおよそ8.26Hzの周期でぶるぶる震えていた。
 そんなリリーが私に視線を向けてきた。続いて左手の人差し指をパーシアス先生に向けた。
 なるほど。『パーシアス先生の気を引くから後はよろしく』ってことね。
 私はゆっくりとうなずいた。
「あ、パーシアス先生! 外に『勝利の導き手フレイヤ』がいるよ!」
 リリーは、窓の外を指差して言った。
「な……なんですって!」
 パーシアス先生は、窓の外に釘付けになった。いるはずのないフレイヤ(パーシアス先生片想い中のチアガール天使)を探し始めた。
 リリーの気の利いた一言で、パーシアス先生が私たちから目をそらした。
 パーシアス先生が窓の外を向いている今、何をやっても怒られることはない。私は、破滅の槍を持つ手にぐっと力を入れた。
「ふふっ……」
 ガンッ! ガンッ!
 私は影の力を使って、ダイ・グレファーとジャッジ・マン先生に一撃ずつ食らわせてやった。
 ジャッジ・マン先生といっても、所詮攻撃力2200の平凡なおっさんね! 攻撃力2300(2回攻撃付き!)の私の前ではただのザコよ! ジャッジ・マン先生とダイ・グレファーはばったりと倒れこんで気を失っている。
「私たちの逆転勝利よね!」
「そうそう、あたしたちの前に敵なし!」
 私とリリーは、学園に入った時からずっと一緒。ケンカすることもたくさんあるけど、ホンネでモノを言い合える親友なのよ!
 私は、お注射天使リリーとハイタッチした。ぱちんという心地よい音が教室に鳴り響いた。

 こうして、3時間目の道徳の時間は無事終了しようとしていた。
 でも、ひとつだけ気になることがあった。
 ……デミスはどうしたんだろう?



カオス15 11:25

 コザッキーを追って教室を出た俺は、中庭に来ていた。
 中庭には、ひとつの巨大なメカが鎮座していた。それはコザッキーの発明したメカに他ならなかった。
「コザッキー、どこに行く気なんだ?」
 俺はその巨大なメカに向かって話しかけた。
 中庭に置いてある巨大なメカ、それは強制脱出装置。その名の通り、装置に乗った者を戦場から脱出させる効力を持っている。
「デ、デミス……?」
 その強制脱出装置の影から、コザッキーが姿を現した。
 コザッキーは俺が来ることを予想できていなかったのだろう。戸惑いが含まれた声色だった。
「コザッキー、お前、学園を退学するそうだな?」
 俺がそう問うと、しばらくの間をおいて、コザッキーはゆっくりとうなずいた。
「そ、そうだぜー。俺はこのディアハ・アカデミアをモーレツに辞めてやるぜー」
「やっぱり、魔導サイエンティスト先生が逮捕されたのが理由か?」
「そうさ、俺は魔導サイエンティスト先生にモーレツに憧れて、このディアハ・アカデミアに入学したんだ。だから、魔導サイエンティスト先生が逮捕されてしまった今、この学園には何も残らない。よって、学園を辞める。それだけのことだぜー」
 さっきの戸惑いはどこへやら、コザッキーはいつもの調子で淡々と喋っていた。
 俺はそんなコザッキーが……、許せなかった。
「コザッキー、お前、『魔導サイエンティスト先生が逮捕されてしまった今、この学園には何も残らない』って本気じゃないだろうな?」
「そりゃもちろん本気だぜー。俺にとって、魔導サイエンティスト先生なしのディアハ・アカデミアは、価値を見出せないものだぜー」
 何言っているの当たり前じゃん――そんな調子で話すコザッキー。
 ……ふざけんな。
 俺は我慢の限界だった。
 ……ふざけんな!
 本当にこいつは分かっちゃいないのかよ!
「……ふざけんなっ!!」
「デ、デミス……!?」
 俺は大声で叫んでしまっていた。
 しかし、俺はそのことを後悔するつもりはさらさらなかった。
「コザッキー! お前がディアハ・アカデミアで得たものは、魔導サイエンティスト先生の授業だけだったのかよ!」
「な、何を言っているんだぜー? 意味が分からないんだぜー?」
 強制脱出装置の前、コザッキーは後ずさりをした。
「コザッキー、お前、魔導サイエンティスト先生の理科の授業以外でも、楽しくやってきただろ? 今日だって電池メンを漏電させたり、インパチのメカでサッカーしたりした! それらが楽しくなかったって言うのかよ! 価値がなかったって言うのかよ!」
「そ、それは……」
「コザッキー、俺はな、『魔導サイエンティスト先生抜きの学園生活が価値のないもの』だなんて言われてすごい悔しいんだ。俺はお前のことを親友だと思ってずっと楽しくやってきたのに。それが全て否定されるようなことを言わないでくれ!」
「俺は……今までずっと研究に魂を捧げたモーレツ悪魔……。そんな俺に親友なんて言われても……意味が分からない……んだぜ……」
 コザッキーはまた一歩下がる。
 ガチャンと機械の駆動音がして、鋼鉄の扉が現れた。
 しまった! 強制脱出装置が起動したんだ!
「おい! コザッキー! 聞いてるのか!?」
 俺は閉まりつつある扉に向かって叫ぶ。しかし、
「俺の親友は……研究だけだぜ……」
 その言葉を最後にコザッキーは鋼鉄の扉の奥へ消えてしまった。
 その直後、強制脱出装置の上部のハッチが開いて、そこからコザッキーが打ち上げられるように飛び出した。
 俺は思いっきり跳躍して、射出されたコザッキーに追いつこうとした。
 だが、俺のスピードをもってしても、コザッキーへ追いつくことはできなかった。コザッキーとの距離がみるみる開いていく。
 いつも発明品は失敗ばかりのコザッキー。
 しかし、この強制脱出装置だけは一級品だった。
 強制脱出装置は、魔導サイエンティスト先生の発明した亜空間物質転送装置をモチーフとし、コザッキーなりに工夫して作った発明品。ふいにそんなことを思い出した。
 跳躍していた俺は、重力に負けて中庭へと落下していく。
 一方、射出されたコザッキーは、重力に逆らってディアハ・アカデミアからどんどん離れていく。
 地面に着地した俺は、抜け殻となった強制脱出装置に蹴りを入れた。
 ガァンと鈍い音が周囲に響き渡る。鋼鉄でできた強制脱出装置のボディに穴が開いて、そこに収められていた基板が真っ二つになった。
 だが、それは、発動済みの罠をサイクロンで破壊するかのごとく、意味のない行為だった。
「……馬鹿野郎」
 コザッキーは、ディアハ・アカデミアを退学してしまったのだ。



カオス16 11:51

「本日は調理実習をいたしましょう」
 ここは調理室。64の調理台が等間隔でびしっと並び、それらの上にはまな板や包丁などがきちんと並べられている。
 毎週月曜日4時間目の授業は家庭科。
「作る献立は自由でございます。好きなものをお作りになってくださいませ」
 というハングリーバーガー先生の指示によって、今日の家庭科も、献立自由の調理実習になった。
 今は、おおよそ11時52分26秒。お昼休みが近いために、この授業で作った献立がそのままお昼ご飯になる。うーん、今日は何を作ろうかな……?
 ふと、デミスのことが頭をよぎって、私はちらりとデミスの様子をうかがった。表情は鎧に隠れて見えないけど、だいぶ落ち込んでいるように思えてならなかった。
 そりゃそうよ。あれだけ仲良くしていたコザッキーが学園を辞めて去って行っちゃったのだから。
 うん、そうね。よしっ! ここは私がウデをふるって、何かおいしいものを作ってあげよう! デミスもきっと喜んでくれるはずよ。
「ルイン? 何? 愛するデミスのために料理するって言うの?」
 お注射天使リリーが突然話しかけてきて、私はビクリとなる。
「な、な、ななななな何言ってるのよリリー。別に私、愛するとか、そ、そんなつもりじゃないわよ!」
「まあ、そういうことにしといてあ・げ・る。でもね、今日は軽いものがいいと思うよ。サンドウィッチとか、そういうの」
「え? え? 砂の魔女?」
「ルイン、いつまで動揺してるの。『砂の魔女』も『サンドウィッチ』って読むかもしれないけど、そんなもん作ってどうするの?」
「そ、そうよね。うん、サンドウィッチね。パンの間に玉子とか肉とか挟むやつ」
「そうそう」
 サンドウィッチか……。
 確かに言われてみれば、今のデミスにはそれくらい軽い料理がいいかな。うん。そんな気がする。
「皆様方、調理の材料は調理準備室にございます。お好みの品をお取りになってくださいませ」
 丁寧な言葉でハングリーバーガー先生が案内してくれる。
「サンドウィッチの具はあたしが取りに行ってあげる。ルインはパンを持ってきて」
 リリーはそう言うと、調理準備室に消えていった。
 家庭科の調理実習は、三人一組で行なわれる。私は、いつも、お注射天使リリーと、封印されし者の右足と一緒に調理をしている。
 もっとも、封印されし者の右足は、右足しかないので、使用済みの空き缶やペットボトルを潰すくらいのことしかできないんだけど。まぁ、実質、私とリリーのペアね、うん。
 さてと、私もパンを持ってこなくっちゃ。
「あ、ハングリーバーガー先生。パンってありますか?」
 私は調理室の黒板のところでぷかぷかと浮いているハングリーバーガー先生に聞いてみた。
「それでしたら、ここにございます」
 ハングリーバーガー先生は、その名の通り、巨大なハンバーガーでできたモンスター。
 そんなハングリーバーガー先生は、自分自身のパンを噛みちぎって私に手渡してくれた。
「はい。どうぞ持っていってくださいませ」
「ありがとうございます」
 私はハングリーバーガー先生を構成しているパンを12.36%程度もらった。うん、これだけあれば十分ね。
「リリー、持ってきたわよ」
「あたしもバッチリ」
 私はパンを、リリーはレタス、玉子などの材料一式をごっそり持ってきた。
 それじゃあ、調理を始めましょう。
「ねえ、ルイン。最初はどんなサンドウィッチを作ろっか?」
「うーん、そうね……」
 デミスは軽い食事がいいのよね。それじゃあ、これかな?
「『こんにゃく』なんてどう?」
 私は、リリーが持ってきた材料の中からこんにゃくを取り出した。
 リリーは満足そうに頷いた。
「あ、ルイン、頭いいー。これならローカロリーだから、軽く食べられるよー」
「でしょう? 我ながら感心しちゃうほどいいアイディアね!」
 私は破滅の槍を使ってパンを正五角形に切り、そこにこんにゃくを挟んだ。
「ルイン、レタスも忘れないでね」
「ああ、そうそう、忘れるところだったわ。これがないとサンドウィッチって感じ、しないものね」
 私は、調理台の上にあるレタスの葉っぱをちぎって、こんにゃくを包んだ。
 よーし! 一つ目のサンドウィッチ――こんにゃくサンドが完成したわ!
 この調子でどんどん作るわよ!



カオス17 12:01

 コザッキーが学園を去ってしまったが、いつまでも落ち込んではいられない。親父との誓いにあったように、どんな時でも平常心を忘れずにいなければ駄目なのだ。家庭科の授業は、いつも通りきちんと受けよう。
 そう思った俺は、まな板の上に載っている牛フィレ肉に塩・こしょうを振っていた。
 今日のメニューは、牛フィレ肉フォアグラソース。
 牛鬼の希少なフィレ肉に、希少なフォアグラをソースにしてかけるというぜいたくな料理だ。どこぞの社長が喜びそうである。
「封印されし者の右腕、フライパン温めといてくれ」
 俺は、封印されし者の右腕、封印されし者の左腕の二人と組んで調理実習をしている。こいつらは、サッカーの時はまるで役に立たなかったが、家庭科の調理実習ではなかなかのやり手だ。
「封印されし者の左腕、そこのフォアグラをすり潰しておいてくれ」
 任せろと言わんばかりに親指を立て、封印されし者の左腕は、ボウルにフォアグラを入れる。そして、小指でボウルを押さえながら、器用にフォアグラをすり潰し始めた。
 さぁて、準備をしている間に前菜を作ってしまおう。
 前菜は、キラー・トマトのサラダ。俺は調理準備室から持ってきたキラー・トマトを取り出した。キラー・トマトはアメリカ産が旨い。アメリカ産のキラー・トマトは、酸っぱさの中にとろりとした甘みを持っているのだ。
 このキラー・トマトを生かすサラダを作るのは簡単。皿いっぱいに盛ったレタスに、バオウ印の包丁で24等分したキラー・トマトを並べるだけ。ドレッシングはいらない。キラー・トマトの柔らかい果実がとろりとこぼれて、それがドレッシング代わりになるからだ。
 もちろん、レタスやトマトは包丁を入れる前にしっかりと水で洗っておく。これは基本中の基本。いまさら、そんなことも守れないヤツなんか……
「…………」
 いた。
 ルイン、リリー、封印されし者の右足の3人。
 リリーは、レタスをまったく洗わず、手でちぎってパンにはさんでいく。
 ルインは日本産のキラー・トマトを宙に放り投げ、槍のような斧のような武器でズバズバと切り刻んでいく。
 あいつらは料理を冒涜しているのか? ルインの持っている槍のような斧のような武器は、いつも乱暴に振り回され、家具を壊し、瓦礫を崩し、ダイ・グレファーを突き刺している武器だろう? そんなものを使ってトマトを切るな。包丁を使え。
 しかも、キラー・トマトっていうのは、不用意に切ってしまえば、中から他のモンスターが飛び出てくる。だから俺のように『バオウ印の包丁』を使って安全に切るのが常識だと言うのに、ルインは手持ちの武器でためらいなく切りやがった。
「リリー! な、何かでできたわよ!」
「な、何これぇーーー?」
 案の定、切り刻まれたキラー・トマトの中から、何か黒いものが出てくる。
 黒くて大きな球体。あれは、ジャイアントウィルス!
「ど、どど……どうしよう? リリー?」
「ま、負けちゃダメよ、ルイン!」
 きゃあきゃあ騒ぎながら、ルインとリリーは、現れたジャイアントウィルスをもパンに挟んでいく。そして、最後にレタスを挟んで満足そうな顔をした。
 ルインがちらりと俺のほうを向いた。
 俺とルインの目が合った。
 すると、ルインはほんのり頬を赤らめながらもにっこりと笑って、右手の人差し指を立て、いつもの数倍可愛らしくウインクをした。
 俺は悟った。
 あれは、俺のために料理を作っている顔だ。
 下手すれば命に関わるかもしれないサンドウィッチ。ルインは、それを俺に食わせようとしているのだ。
 俺は、ルインのウインクに戦慄を覚えたのだった。

 そうして数十分が経過し、12時35分。4時間目の終了を告げるチャイムが鳴った。
「さて、皆様方、お作りになった料理で昼食をお楽しみくださいませ」
 ハングリーバーガー先生が、気持ち悪いほど丁寧な言葉遣いで言った。
 俺達のテーブルには、牛フィレ肉フォアグラソースとアメリカ産キラー・トマトのサラダが並んでいる。授業用に用意された材料の割にはその質が高かったため、某社長ですらよだれを垂らすほど旨いと言う自信があった。
 それに対して、ルインとリリー達のテーブルにあるのは、世にも奇妙なサンドウィッチ。見た目の時点で怪談じみているサンドウィッチは、某凡骨ですら逃げ出すほどまずいと言う確信があった。
 星型だったり、青色だったり、黒いブツブツが浮き出ていたり、サンドウィッチの定義から外れてるんじゃないかという品々。ルインは、これらのサンドウィッチを俺に食べさせる気満々のようだった。
 っていうか、こんなもん食べてたまるか。
 ……よし! 逃げよう!
 俺は、自分の作った料理が盛られた二皿を片手で器用に持った。
 ルインの視線が俺に向けられていないことを確認し、素早く調理室を抜け出した。廊下に出て後ろを振り返る。ルインがついてくる様子はなかった。
 ……よし。
 あとはルインに見つからないところで昼食を食べるだけ。俺は屋上に向かうことにした。
 屋上は、ルインから身を隠すための理想の空間である。なぜなら、一応優等生のルインにとって、校則を破ることはかなり敷居の高いことだからだ。ルインには、『立ち入り禁止』と書かれた屋上に行くという発想すら思い浮かばないに違いない。
 俺は屋上へと続く階段を上っていく。四段飛ばしで、たったったっとテンポ良く上っていく。3階、4階、5階、6階、7階、8階……。
 ディアハ・アカデミアの校舎は11階建て。一応、校舎にはエレベーターが設置されているのだが、昼休み開始直後の10分間は多くの生徒が利用するので、待ち合わせに時間がかかってしまう。よほど体力のない奴以外は、階段を使った方が良いのだ。
 11階からさらに階段を上っていく。屋上へ出る扉の前に到着した。俺は扉に手をかける。
 すると、
「あ! デミスちゃん、みーっけ!」
 一人の少女に声をかけられた。
 幼い割に意地の悪そうな声で、俺のことを『デミスちゃん』と呼ぶ少女。思い当たる人物は一人しかいなかった。
「……なんだ、クランか。お前、またディアハ・アカデミアに遊びに来たのか」
「いいじゃーん! デミスちゃんの料理が食べたかったんだもーん!」
 そこに立っていたのは、黒魔導師クラン。黒うさぎの頭巾をかぶってムチを携えた、10歳にも満たない女の子だった。



カオス18 12:47

 4時間目が終わった。
 私とリリーは、家庭科の授業で作ったサンドウィッチをバスケット入れ、中庭にやって来ていた。
 それにしてもおかしいわね。デミスがいないじゃないの。
 せっかくサンドウィッチを作ったのに、いつの間にか調理室から姿を消してるなんて。まるで、私の作ったサンドウィッチを食べたくないみたいじゃない。
 あ、べっ別にデミスのために作ったんじゃないからね! せっかく作ったからちょっとだけ分けてあげよう、って思っただけなんだからね!
「ルイン、何一人で悶えてるの」
 いつの間にかリリーが私の顔を覗き込んでいた。
 私はますます顔が熱くなった。
「べ、べべ別に、な、何でもないわよ……!」
「ふーん。それにしても、あなたの愛するデミスはどこに行っちゃったんだろうね。せっかくサンドウィッチ作ったのにね」
「し、仕方ないんじゃない? 私、別に約束とかしてなかったし……」
「もーっ、強がっちゃってぇ! ほんとは、すっごく残念そうな顔してるくせに」
 リリーは、巨大な注射器の柄の部分で、私の肩をドンドンと叩く。
「あ、あんまりゆっくりしてるとお昼休みが終わるわよ。早く食べないと! リリーも早く!」
 私は恥ずかしいのをごまかすため、ピクニックシートを敷き、靴を脱いで座った。
 ああっ。どうしてこうなんだろ、私……。
「ごまかしたなぁ……と問い詰めたいところだけど、まあ、いいかぁ。あたしもお腹すいたし、サンドウィッチ食べよっと」
 リリーは、左手をくいっと上に向けて、注射器を23.45cmほど浮かし、その上に座った。
 お注射天使リリーは、『天使』を名乗っておきながら実は『魔法使い』に分類されている。注射器を浮かすことくらいは朝飯前みたいだった。
「さて、どれから食べよっかなぁ」
 リリーが腰をかがめてバスケットの蓋を開け、その中身を一通り見ていく。
 その時、遠くから女の子の声が聞こえてきた。
「ママーー!」
 軽い駆け足の音と一緒に、ママ、ママという声が少しずつ近づいてくる。
 その声は私たちに向けられたものだった。真っ直ぐな声で、私たちをママ呼ばわりしてくる女の子。ヒツジの頭巾をかぶった10歳にも満たない女の子。
「あ、ピケル? いきなりこんなとこに来ちゃって何かあったの? 学校は?」
「あのね、今日はね、学校がね、早く終わったんだ!」
 その女の子はピケルちゃん。
 お注射天使リリーの娘で、白魔導士を目指している素直でかわいい女の子だ。
 ピケルちゃんは、母親であるリリーにバッと抱きつく。リリーは注射器から飛び降りて、ピケルちゃんを両手で受け止めた。
 しばらく抱擁した後、ピケルちゃんはリリーから離れる。そして、私に向き直った。
「あ、ルインおばさん、こんにちは! 今日もお尻が大きいね! ねっ!」
 ピケルちゃんは、かわいらしく挨拶をした。
 ……ん? ちょっと待って。ピケルちゃん、今、ものすごーーく失礼なこと言わなかった?
「ねぇ、ピケルちゃん。今、何て言ったのかな? もう一度、ルインお姉さんに言ってごらん」
「ルインおばさん、こんにちは! 今日もお尻が大きいね! ねっ!」
「…………」
 な、なななな何言ってるのよ、この子はぁぁぁああぁあぁ!!
 おばさん? 尻がでかい? 誰のことよ! どこの誰のことよぉぉ!!
「よくできましたぁ」
 リリーがピケルちゃんの頭をなでまわす。
 ピケルちゃんは、「えへへ」と照れながらリリーの胸に飛び込んだ。
「あ、あんたねリリー! リリーがこんなこと教えたのね!!」
 こんなに素直で可愛いピケルちゃんに、そんな残酷なことを教えるなんて! リリーはひどい母親だわ! うんうん。
「だって本当のことじゃないの? ねー、ピケル!」
「ねー、ママ!」
 リリーとピケルちゃんがにっこり笑いあう。
 こ、この親子はぁぁぁああぁあぁぁあ!!
 私は、中庭の中央に転がっている謎のメカに向かって破滅の槍を投げつけた。謎のメカは槍に貫かれて火花を散らし始めた。
「ねえねえママ。ピケルね、おなかがね、すいちゃった」
「それじゃ一緒にご飯食べよっか。ちょうどさっきサンドウィッチを作ったところだしね」
「これ、ママが作ったの?」
「そうそう。ルインおばさんと一緒に作ったんだよ」
「う…………う……」
 すると、ピケルちゃんの様子が急におかしくなった。
「うっ……うっ……」
 ピケルちゃんの瞳に涙が溜まっていく。
 そして、
「うわあああああああああああああああああああああん!!!」
 リミッターが解除されたかのように、大声で泣き出した。
「うぅっ、もう帰る! もう帰るっ!! もう帰るぅっ!!!」
 ピケルちゃんは、泣きながら走り去っていった。
「ねえリリー。ピケルちゃんって、サンドウィッチ嫌いだったっけ?」
「うーん……そんなことないはずなんだけどな。旦那が作ったサンドウィッチはおいしそうに食べてたし」
 ピクニックシートに置かれたバスケットから、色とりどりのサンドウィッチが顔を覗かせている。
「せっかく作ったのにな……」



カオス19 12:58

「おいしい! おいしいよぉ!」
「クラン、そんなにうまいか?」
「うん。サイコーだよデミスちゃん」
 屋上の古びたベンチに座り、お子様用のフォークでフィレ肉をつつくクラン。
 俺の作った牛フィレ肉フォアグラソースと、アメリカ産キラー・トマトのサラダ。それぞれ半分ずつクランにも分けてやったのだ。俺の昼飯が半分無くなってしまったが、満足そうに食べてくれたようで何よりだ。
 校舎の屋上から空を見上げる。
 北の空に力強く輝いている太陽が見える。その周囲に小さな雲がぽつぽつと浮かんでいた。
 今日もまだ半分。秋の空は、気まぐれで変わりやすいと言う。午後もまた混沌とした出来事が俺を待ち受けているのだろうか。
「そろそろ俺も飯を食うかな」
 俺は空を見上げるのをやめ、クランが座っている古びたベンチに向かって歩き出した。
「ん?」
 ベンチには、クランの他にもう一人の少女の姿が確認できた。
「ピケルも食べる。食べたいっ! 食べさせろぉっ!!」
「ダーメ! これはデミスちゃんがあたいのために作ってくれたの! だからダメ!」
 そこにいたのは、ヒツジの頭巾をかぶった少女、白魔導士ピケル。
 ピケルは屋上にやって来るなり、クランと言い争っていた。
「ピケルは、ママの作った料理を食べればいいでしょ? あたいはデミスちゃんの料理を食べるから」
「絶対やだ! ピケル、ママは好きだけど、ママの料理は嫌いだもん! まずいんだもん!」
 ルインやリリーの料理が、こんな小さな子供まで巻き込んで悲劇を生んでいる。
 やれやれ。ここは俺が一肌脱いでやるか。
「……分かった分かった! ピケルには俺の分をあげるからケンカはやめような。あ、フォークやナイフは大人用のしかないけど、我慢してくれよ」
 俺は、昼飯が盛られている皿をピケルに差し出した。
「うわぁ……。ありがとう! ありがとう、デミスのおじさん!」
 ピケルは俺を見上げてにっこりと微笑んだ。
「ちぇっ、ピケルになんてあげなくていいのに……」
 クランは唇を尖らせて、ぶつぶつと文句を言っている。俺はクランにデコピンを食らわせてやった。
「いたっ」
「クラン。そういうこと言っちゃ駄目だぞ。ルインやリリーみたいにひねくれた大人になってしまうぞ」
「……はーい、わっかりましたぁ〜」
 クランの奴、本当に分かっているのだろうか? いまいち信用ならなかったが、ひとまず「分かったならよろしい」と言って見逃してやった。
「おいしーいっ!」
 ピケルは、パリパリと音を立ててサラダをほおばっている。トマトの果汁が唇の端から垂れてきたので、俺はハンカチで口の周りを拭いてやった。
「うー、あと一枚……」
 一方、クランは、残り少なくなった牛フィレ肉を少しずつちぎって食べていた。物惜しげな様子で食べながら、時折ピケルの皿をちらちら見ている。何かしでかす気満々だ。俺は、「ピケルのご飯奪っちゃ駄目だぞ」と、釘を刺してやった。
 それにしても、だ。
 ――なんで俺は、ガキ達のお守りしてるんだろう?
 牛フィレ肉フォアグラソースと、アメリカ産キラー・トマトのサラダ。せっかく作った俺の昼飯も無くなってしまったし。
 終焉の王デミスを名乗っておいて、こんなことをしてる自分が滑稽に思えた。
 しかし、まぁ……
「たまには良いだろ。こんなのも」
 屋上には心地よい風が吹き込んでいる。全身を覆う鎧を着ていても、その風を感じ取ることができたのだった。



カオス20 13:16

「ごちそうさまでした」
「うん。なかなか刺激的な味だったね。上出来上出来」
 私とリリーはピクニックシートを片付けていた。バスケットの中に4つのサンドウィッチが残っていた。
「ねえ、リリー。この余ったサンドウィッチ、どうしよう?」
「持って帰ったら? おやつか夜食にはなるんじゃない?」
「うーん。うん。そうしようかな」
 私は、余ったサンドウィッチ4つをそれぞれアルミホイルで包んで、服の内ポケットにひとつずつ押し込んだ。
 校舎の時計は、13時16分47秒を指していた。あと3分13秒ほど経過すると5時間目のチャイムが鳴るところだった。
「そういえばさぁ、ルイン」
「どうしたの? リリー?」
「午後の授業って何だっけ?」
「修学旅行」







 波乱の修学旅行編へ続く...





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