第三回バトル・シティ大会
〜幕間〜
製作者:表さん






決闘51 運命

 これは今より、4年ほど昔の話。

「……ホワット? コレはどういうことデスか? 月村……」
 I2(インダストリアル・イリュージョン)本社の社長室。
 当時、まだ社長であったペガサス・J・クロフォードは、デスク上に置かれた2つのものを前に、首を傾げてみせた。
 目の前には一人の男が立っている。男――月村浩一は、I2社日本支社の社員であり、ここ一年ほど、ペガサス直々の命に従い“ある任務”で海外を飛び回っていた。
 2つのものは、月村が提出したものだ。
 1つはカード――『カオス・ソルジャー −開闢の使者−』。この任務に就くに当たり、ペガサスが直接、月村へ手渡した超レアカード。
 そしてもう一つは……「辞表」と書かれた封書だった。
「ガオス・ランバートに勝てなかったこと……気に病んでいるのデスか? しかし、ここまでする必要は全くありまセーン。それに聞くところによれば、引き分けたとのこと……いまだかつてない大金星デース」
 そう言って、ペガサスは月村を労(ねぎら)った。

 ガオス・ランバートに挑んだデュエリストは、ペガサスの知る限り一人残らず敗北し、レアカードを奪われ、自尊心を打ち砕かれてしまっている。ガオス・ランバートに挑みながらも、『開闢の使者』を守りきった――それは間違いなく、賞賛に値することだった。

「…………」
 しかし月村は応えない。ただ黙って、申し訳なさそうに頭を下げる。
 ペガサスは月村を見つめた。長い髪に隠れた左の“眼”が、わずかな輝きを見せる。
「ナルホド……勝てるデュエルをみすみす見逃した、デスか」
 ため息混じりに呟く。
 月村は顔を上げ、驚きの表情を浮かべた。
「しかし仕方がありまセーン……。トドメの一撃を刺せるとき……アナタのマインドは悲しみに支配されてしまった。愛する娘を失った、止め処ない悲しみに……」
「……! 何故……そのことを……!?」
 月村の問いに対し、ペガサスは不敵な笑みで返してみせた。
「当然のことデース。部下の状態をキチンと把握するのも、上司の務めというものデース」
 ペガサスの“眼”が、再び輝き出す。髪に隠れていても、わずかに光っていることは視認できる――しかし、精神に精彩を欠いた今の月村では、そのことには気付けなかった。
「少し……アナタには無理をさせすぎたようデスネ。申し訳ありまセーン。アナタがそんな辛い状態にあるとは、そこまで把握していませんデシタ……」
 ペガサスの右目が悲しみを映す。
 何かを思い出した様子で、憂いを湛える。
「大切な人を失うのは、ホントウに辛いことデース……。そんな状態で、よくぞここまで闘ってくれました……」
 ペガサスは辞表を掴むと、両手で二つに引き裂く。
「辞める必要はありまセーン。身を粉にして働いた部下を切り捨てるほど、私は無情な人間ではありマセンから……少し、長い有給を与えマース。ゆっくり休み……心を癒すことデス」
「……! いえ、しかし……」
 反論しようとする月村に、ペガサスは肩を竦めてみせた。
「上司のことばは素直に聞くものデース。それともアナタはワタシを、優秀な部下をみすみす手放す、薄情で無能な社長にしたいのデスか……?」
 冗談混じりに、目で問いかける。
 しばらく考えると、月村は大きく頭を下げ、精一杯の謝意を示した。



 月村がこの一年間、ペガサスの命により行っていた仕事――それは、“ハンター狩り”と呼ばれるものだった。
 “ルーラー”が統括する、強引なアンティデュエルによるカード強奪を行うデュエリスト――“レアハンター”には、ある一つの“掟”がある。いちど敗北した者は、二度と“レアハンター”としてアンティデュエルを行ってはならない――ガオス・ランバートが提唱し、そしてペガサスにも伝えられた“鉄の掟”だ。

 これはガオス・ランバートが、いわゆる“クロフォード派”に突きつけた条件でもある。
 ガオスはこれを、ペガサス・J・クロフォードとの“ゲーム”と称した。
 闘いの構図は、「ルーラーVSクロフォード派」――そう、あくまで“クロフォード派”だ。「ルーラーVSI2社」にはならなかった。
 何故ならI2社の実権は、社長であるペガサスにはなく、現役を引退したはずのガオスが握っていたためだ。役員の過半数は、ガオスの息が念入りに掛かった人間だった。そればかりか、大量のI2社株を有する多くの富豪も、ガオスに心酔する人間で構成され、過半数に届いていた。それ以外にも、I2社員の中にはガオス側の人間が何人も潜伏している。
 抜かりの無い布陣。
 ガオスが黒と言えば黒となり、白と言えば白となる――それが当時の、I2社の実態だ。数年前、まだ二十歳にも満たぬペガサスが社長の座に付けたのも、彼の一存であったためである。そんな無茶が容易にまかり通る程に、ガオスの権力はI2社内に浸透しきっていたのだ――もっともそれを詳細に知るのは、ほとんどが本社上層部の人間だけであり、大半の社員は知る由もなかったわけであるが。

 ガオスの考え一つで、ペガサスの首など容易く飛ぶ、それが当時の状態だった。
 そんなペガサスがガオスの、“ルーラー”のやり口に反意を示すには、ガオスの決めた“ゲーム”に従うほか無かったのだ。
 そこでペガサスは、世界中の社員の中から、ガオスの息の掛かっていない、優秀なデュエリストを20人近く選抜した。月村はあくまで、その中の一人であった。

 “ゲーム”のルールは、割合シンプルなものだった。
 ペガサス側に敗北条件は無い。“決闘者”は幾ら補充しても構わない。ただし、“レアハンター”とのデュエルに負けた際は、レアカードとともに、“ゲーム”への参加資格を奪われる。
 ガオス側の敗北条件は、ガオス自身がデュエルに敗北することだ。“レアハンター”達も、ペガサス側の“決闘者”同様、敗北者はこの“ゲーム”から弾き出される。ただしその人数は未知数であり、世界中に点在する彼らは、ペガサス側“決闘者”の倍以上は存在しただろう。

 “ゲーム”はあくまで、秘密裏に行われた。
 ただしペガサス側にとって厄介だったのは、まず両陣がデュエルまで漕ぎ着けるのが難しい、という点にあった。
 “レアハンター”は何も、ペガサス側“決闘者”達の前に好んで現れてくれるわけではなかったのだ。“レアハンター”はあくまで今まで通り、通常の“レアカード狩り”を行う――ペガサス側“決闘者”はそれを見付けた上で、彼らに挑まねばならなかった。そういった意味では、ペガサス側にとって不利なルールだったと言わざるを得ないだろう。

 それでもペガサスは、信用できる部下に情報を集めさせ、その都度、適当な“決闘者”を派遣しては“レアハンター”を倒させた。彼らは大規模なカード大会時にはほぼ必ず姿を現したため、そのときは常に、複数の“決闘者”を配備させた。

 最初の数ヶ月で、ペガサス側“決闘者”は半分以下に減った。
 だが優秀な“決闘者”は危なげも無く勝ち続け、“レアハンター”を次々に狩っていった。そうした優秀な“決闘者”には、ガオス・ランバートへの挑戦権が与えられる。
 月村よりも以前に、それを与えられた“決闘者”は3人いた――だが彼らは悉く敗れ、このゲームから脱落していった。その圧倒的力量差に挫折し、デュエリストを辞めた者さえいた。
 月村は実に4人目の、ガオス・ランバートへの挑戦者だった。
 3人の優秀な“決闘者”が敗れ、ガオス・ランバートを倒すことは不可能なのか――そう落胆していた矢先のドローゲームだ。ペガサスにしてみれば、月村を称賛する理由はあれども、叱責する理由など何処にもありはしなかった。



(可能ならば再起し、再びガオス・ランバートにリベンジして頂きたいところデスが……)
 ペガサスは“眼”を通し、月村の心(マインド)を探った。
 月村の心を包む悲しみ――それはあまりに大きく、デュエリストとしての闘志を完全に折ってしまっていた。ガオスに再戦を挑めるほど立ち直るのは、難しいかも知れない――そう考える。
(私自身が出て行けば、話は早いのかも知れマセンが……)
 ペガサス自身は無条件に、ガオスへの挑戦権を与えられていた。
 だがペガサスは、ガオスの元へ乗り込むことができなかった――何故ならあの男には、ペガサスの持つ“眼”の力が通用しないからだ。
 ガオス・ランバートの有する、何らかの“闇の力”――それが、自分の持つ千年アイテムと同等以上の力を有していることを、ペガサスは知っていた。
 故に、ペガサス自身はガオスに挑めない。何故なら自分が敗北すれば、クロフォード派の士気は一気に、立ち直れぬほどに失墜するだろうからだ。

(……しかし、“切札”であった月村が再起できぬとあらば……一か八か、私自身が闘うことも考えるべきかも知れマセンネ)
 悩ましげに顔をしかめると、ペガサスは視線を落とした。
 策が無いわけではない。カードデザインの権限は今、自分に委ねられているのだ。

 ――ガオス・ランバートに勝てるよう、自分専用の超強力カードを生み出す……すでにアイディアもある。それを用いれば、“千年眼”を使えずとも、有利にデュエルを行えるはずだ。

 だがこの状況で、過度に強力なカードは生み出せない。下手にガオスの機嫌を損ねれば、自分の首が飛びかねない。それでは意味が無いからだ。

(『トゥーン・ワールド』のカード化は、やはり早計デスネ……。もう少し、じっくり様子をうかがうべきデース)
 長期戦を覚悟し、ペガサスは顔を俯かせる。
 するとデスク上にはまだ、月村の置いた『開闢の使者』のカードが置いたままであった。
「それから……このカードデスがネ、月村。これはアナタに差し上げたものデース。私に返す必要はありまセーン」
 そう言って、カードを月村に差し出す。
 月村は一度、驚きの表情を浮かべた。しかしすぐに首を横にし、それを断った。
「……いえ、それはお返し致します。私の後任か……同僚に渡し、役立てて下さい」
 それが当然のことだと、月村は考えた。
 しかしペガサスは、月村のその考えを否定するように、肩を竦めてみせる。
「そうしたいのは山々なのデスが……そうもいかないのデース。これを扱える“決闘者”は、あなたを置いて他にいない……持っていても、宝の持ち腐れなのデース」
「……? いえ、そんなことは……」
 月村はそのことばに、首を傾げてみせた。
 確かに月村のデッキは元々、光・闇属性モンスターを半分ずつ投入し、『カオス・ソーサラー』のような“カオスモンスター”を主力とする、当時にしてはやや珍しいタイプのものだった。
 それ故に、クロフォード派“決闘者”の中では確かに、『開闢の使者』に最も相応しいデュエリストと呼べたかも知れない。
 だが『開闢の使者』は、これ一枚でゲームの流れを決定付けられる、極めて強力なカードだ。これ一枚だけのために、デッキ構成を多少特殊なものにしたとしても、十分お釣りがくる――少なくとも“宝の持ち腐れ”などにはならないはずだ。
「……確かに、通常のデュエルなら問題なく使えるのデスが……」
 ペガサスの“眼”は、このカードに潜む“大きな問題点”を見抜いていた。
 『開闢の使者』のカードには何か、特殊な魔力が秘められている――故に“闇のゲーム”となったとき、普通の決闘者では召喚することすら敵わない。“千年”の力を持つペガサスですら不可能なのだ。
 それでは意味が無い。“闇のゲーム”こそが、ガオス・ランバートのフィールドなのだ。『開闢の使者』に依存したデッキ構成で“レアハンター”を撃退し、ガオス・ランバートに挑戦したところで結果は見えている。みすみすこれを奪われてしまうだけだ。
 “闇のゲーム”で『開闢の使者』を召喚できること――それこそがこの闘いにおいて、『開闢の使者』を預けるに足る不可欠な要件。
 それに――
「――月村……何故このカードが、日本語で作られているか分かりマスか……?」
 神妙な面持ちで、ペガサスは問いかけた。
 月村は眉をひそめ、首を横に振った。そう言われてみれば――と、そのことを疑問に思う。

 『カオス・ソルジャー −開闢の使者』――ペガサスより受け取った際、このカードは世界に5枚しか存在しないと聞かされている。
 しかし5枚しか存在しないなら、何故それが、わざわざ日本語なのかが分からない。
 現在、M&Wの主流はアメリカやヨーロッパであり、日本は普及が遅れているくらいだった。それなのに、わざわざ日本語で作られている――考えてみれば、少し不自然な話かも知れない。

「このカードは日本人に渡してほしい……私はそう頼まれたのデース。ある青年によってネ……」
 ペガサスはそのカードを見つめ、過去のことを想起する。
「……私がこのカードを作ったのは、今より2年ほど昔……ガオス氏の紹介により、ある青年と出会ったことによりマス……」


 ――歳のほどは、当時のペガサスと同程度……二十歳前後といったところだろう。
 しかし妙な落ち着きと、そして不思議な雰囲気を持つ、美しい青年だった。
 彼に出会った瞬間、ペガサスは、強烈なインスピレーションに襲われた。
 左の“眼”が疼き、その青年の魂に“光の戦士”を見た。そしてすぐさまキャンバスに向かい、デザインを仕上げた――それこそが、『カオス・ソルジャー −開闢の使者−』。


「今にしてみても、実に不思議な体験デシタ……。気が付くと、まるで何かに憑り付かれたかの如く、私はカードをデザインしていたのデス。ガオス氏と相談した末に、それは5枚のみ、限定製造されることとなりマシタ……その際、青年が言ったのデス。“1枚は日本語にして欲しい。持ち主が日本人になるから”とネ……」


 ――そして生み出した5枚のうち……3枚は青年に手渡した。
 残る2枚のうち、1枚はガオス・ランバートが、そして最後の1枚……この日本語版のカードは、ペガサスが預かることとなった。


「実に不思議な青年デシタ……ガオス氏とは違う、けれど、もしかしたらそれ以上の“異質”を感じマシタ。私は思うのデース、彼の言う、このカードを持つべき“日本人”……それは十中八九、アナタであろうと」


 ――“闇のゲーム”で『開闢の使者』を召喚できる、特殊な素質……それが月村にはある。
 ならば当然、“彼”が言う“日本人”は月村浩一のことであるはず……。


「……私はアナタ以外に、これを渡すに相応しいデュエリストを知りまセーン。私が持っていても、手に余るもの……故にこのカードは、アナタに譲りマース。カード自身もそれを望んでいる……生みの親として、私はそう感じるのデース」
「……! いえ、しかし……」
 月村は戸惑った。
 月村はもう、デュエリストを辞めるつもりだった――デッキもすでに、処分してしまった。『開闢の使者』を受け取ったところで、それこそ“宝の持ち腐れ”なのだ。
「月村……私が思うにこのカードの力は、デュエル以外の場面でも特別な力を発揮しマース。このカードからは不思議な……そう、邪なるものを弾く、ミスティックな光のエナジーを感じるのデース。もしかしたら今……傷ついたアナタの心を癒す、手助けとなるかも知れマセン……」


 ――何も、デュエリストとして復活することを期待しているわけではない……。
 このカードは月村浩一に渡すべきだ、そうペガサスの直感が、“左眼”が訴えていたのだ。


「では……こうしまショウ。これは私からの、これまでのアナタの働きに対する“特別手当”デース。このカードの所有権は、完全にアナタへ譲渡される……重荷に思うなら、売り捌いて換金しても構いまセーン。溝(ドブ)に放り捨ててくれても結構デース」
 そう言って、ペガサスはやや強引に、カードを月村に突きつけた。
 1年もの間、適当なデュエリストが見付からず、日の目を浴びることのなかったカード――今さら手元に戻ったところで、ペガサスにしてみれば、得になることなど何も無いのだ。
(あの青年の言っていた“日本人”とは、間違いなく月村浩一のハズ……。ならば私には、このカードを、月村に是が非でも託す義務がありマース)
 その後、十数分間の問答の末、『開闢の使者』は月村のもとへ返った。




 この後、月村浩一は日本へと帰国。
 数ヶ月の休職期間の末に、日本支社で職場復帰を果たした。

 なおこの間に、ガオス・ランバートは姿を消し、行方不明となる――それにより、彼らの間で行われていた“ゲーム”は有耶無耶(うやむや)なものとなってしまった。
 ガオス・ランバート死亡の噂も流れ、その派閥の者たちは大きな動揺を見せた。その隙を突いて、クロフォード派は猛反撃に移る。
 ランバート派閥の役員の一部を心変わりさせ、株の操作も行う。ガオス・ランバートという“カリスマ”を失った彼らは意外に脆く、短期間で形勢は逆転。I2社内での実権は、クロフォード派が握ることとなる。ペガサスが名誉会長の座に退いたのは、ちょうどその頃のことだ。


 その後『開闢の使者』のカードは、月村の手を離れ、神里絵空の元へ渡ることになる。
 それはちょうど、第一回バトル・シティ大会が終わり、グールズが崩壊した後のことだ。

 死期を宣告された絵空を、少しでも元気づけることができれば――そう思い、月村はそのカードを送った。グールズも解体され、レアハンターが『開闢の使者』を嗅ぎつけることもないだろう……そういった考えのもとに。
 そして……ペガサスが口にしていた“特別な力”により、絵空の病が好転する“奇跡”を期待する思いも、少なからずあった。




 ――ペガサス・J・クロフォードは一つ、大きな思い違いをしていた。
 青年が口にしていた、『開闢の使者』を手にすべき“日本人”――それは、月村浩一ではなかったのだ。
 青年が予見した“日本人”は、神里絵空の方だった。
 そしてその中に宿る、“終焉の少女”……月村天恵を指していたのだ。

 ――そして今……ペガサス、月村浩一の手を経たカードは、神里絵空の手の中にある。

 ――光を操る戦士『開闢の使者』から、闇に満ちた魔龍『終焉の使者』へと姿を変えて……――



決闘52 リ・インカーネーション

 “月村天恵”が目を覚ましたとき、枕元の時計は午前6時を指していた。神里絵空のベッドの中、温かな布団から身体を起こす。
 寝起きの気分は最悪だ。肉体のダルさは全く残っていない――それというのも、掛け布団の上に置かれた目の前の“本”のお陰だろう。“千年聖書(ミレニアム・バイブル)”――それがこの“本”の名前。
 これの所有権を得たとき、天恵は全てを思い出した。


 ――自分が、月村天恵であったこと
 ――十二歳のとき……大病を患い、入院したこと
 ――不治の病と知り、絶望に陥ったこと

 ――そしてその病院で……神里絵空と出会ったこと
 ――彼女と短い、けれど楽しい日々を過ごしたこと
 ――そして……未来ある彼女に嫉妬し、“呪い”をかけたこと

 ――“闇の創造神ゾーク・アクヴァデス”……彼女に言われるがままに、“器”を選んだこと
 ――よりによって絵空を……羨望の対象であった彼女を
 ――その結果、彼女を傷つけることになると知りながら……


 天恵は、左胸に手を当てた。
 鼓動が感じられる。
 絵空がアメリカで行った手術により、移植された心臓――しかしこれが、本当は“心臓”ではないことを知っている。

 ――“聖書”の魔力を元として、ガオス・ランバートが造り上げた偽りの異物――

 月村天恵の心臓を模して造られた、心臓ならざる“魔力の塊”。
 それこそが、絵空の胸に入れられた異物の正体。それが心臓の役割を果たし、この肉体は今も生命活動を続けている。
 そこに“3つの目的”があることを、天恵は分かっていた。

 ――1つ目は……絵空の心臓移植を100パーセントの確率で成功させ、無用な副作用なども一切起こらぬようにするため。
 ――2つ目は……天恵の魂を絵空の肉体に安定して留めるのに、天恵の肉体の一部に似せた“コピー”を媒介として埋め込む必要があったため。
 ――3つ目は……天恵が“千年聖書”を、決して破棄できぬようにするため。

 仮に“千年聖書”がこの世から失われれば――その魔力で活動する、絵空の“心臓”は停止する。天恵のみならず、絵空までも死ぬことになる。“聖書”の消滅は、絵空の死をも意味する。
 天恵は絵空に対し、絶対的な“負い目”を抱いている。故に、決して見殺しにすることはできない――天恵の心理を突いた、巧妙なトラップ。

 遊戯から渡されたパズルボックスは、ガオス・ランバートの手により破壊された。要であった“神のカード”も、彼の手により奪われてしまった。
 今現在――天恵の魂は、“千年聖書”の魔力により、絵空の肉体との繋がりを保っている。その魂を、“聖書”の中に囚われている。
 すでに述べた理由から、天恵は“聖書”を、決して手放すことができない。すなわち――今後、どのような局面になろうとも、決して“自害”は選べない。自らの死をもって、この世界の“終焉”を食い止めることすらできない。


 抜かり無き布陣だった。
 ガオス・ランバートは天恵に対し、決して逃れることのできない、多重の罠を仕掛けたのだ。神の預言に従い、絶対的な未来へと導くために。
「…………」
 明かりも点けずに、天恵は静かに“聖書”を開く。全1000ページにも渡るそれ――しかし天恵はそれを、容易に繰ることができる。本文は英語、そこに記されているのは主に2つのこと――“歴史”と“預言”。
 前半の500ページは、“歴史書”としての役割を果たしている。冒頭部分は、普段の天恵なら眉に唾をつけるような“神話”だ。人類誕生以前――この世界の黎明期(れいめいき)のことから記されている。



 ――――“光”と“闇”の創造神は、その無限の魔力を併せ、“混沌”を生み出した。“光”の神は“空間”を、“闇”の神は“時”を司る。“混沌”はやがて“時空”を成し、一つの“世界”を形どった――それこそがこの世界。
 2つの神はそれぞれに、“世界”に“種”を振り撒いた。“光”の神は、喜びと楽しみの種を。“闇”の神は、怒りと哀しみの種を。
 その結果、“ヒト”の原型が生まれた。光でもあり、闇でもある――整然としない、混沌たる存在として。2神はそれぞれに、それに知識を与えた。“光”の神は、絆と希望を。“闇”の神は、孤独と絶望を。――――



(……英語なのに、すんなり頭に入ってくる……)
 天恵は割合、英語は得意な方だった。
 しかし、そういうレベルの問題ではない――見た瞬間に、意味が分かる。母語である日本語以上に、容易にはっきりと理解できる。そもそも明かりも点けず、暗くて見辛い状態のはずなのに、視界に入れただけで内容を把握できる。恐らくそれは、天恵が“聖書”の所持者となった、確かな証なのだ。

 冒頭部は読み飛ばし、ページを進める。各々のページには詳細に、人類が歩んできた“歴史”が記されている。栄えては滅ぶ、栄枯盛衰の繰り返し――人類が歩んできた“苦難”が、そこには列記されている。
 ふと、400ページを過ぎた辺りで、天恵はページを繰る手を止めた。聞き覚えのある単語が、そこに載っていたからだ。


 ――――エジプト第十八王朝ファラオ“アテム”は、“王の遺産”の力により、“闇の大邪神ゾーク・ネクロファデス”を“千年錘”に封印する――――


(大邪神ゾーク・ネクロファデス……?)
 天恵は眉をひそめた。
 “闇の創造神”の名は、“ゾーク・アクヴァデス”――名前が似すぎている。何か関連性があるのだろうか、と。

 その後もパラパラと読み流すと、最近の事柄になってくる。世界大恐慌や第一次・第二次世界大戦――歴史の教科書に載っているようなことまで、そこには載っている。近年の事件についてまで、明記されていた。
 500ページ目は何故か、多くの部分が読めなくなっていた。
 同じ言語で書かれているはずなのに、何故か全く読めない――“聖書”が天恵に読ませぬよう、拒んでいるというのか。
 しかし、最後の二文だけは読める。そこには、こう記されていた。



 ――――エソラ・カミサトを“器”とし、“闇の創造神”は降臨する。“闇の破滅神”の力のもと、“世界”は終焉を迎える。全ての人間は“空間”より解き放たれ、“エデン”へと導かれる――――



(“エデン”……か)
 その文字面を指でなぞり、表情を暗くする。
 “エデン”――それは、死という“絶望”に直面した自分が、何より切に望んだ世界。“あるもの”を代償とし、その代わりに“全ての望み”が叶う世界。全ての人が、幸せを得られる理想郷。
 けれど今の自分には、そこが、最上の素晴らしき世界には思えない。何故なら知ってしまったから、気付かせてもらったから――“それ”の素晴らしさを、“彼”に。
 しかし時は戻らない。今さら、“闇”と交わした契約を破棄することはできない。最早、とりかえしのつかない場所まで来てしまったのだから。

 501ページからは“預言”の章。しかしそこから先は、天恵には全く解読できなくなっていた。その章は天恵が読むべき箇所ではない、恐らくは以前の持ち主“ガオス・ランバート”へ当てられた、神よりのメッセージ――天恵は直感的に、そう悟った。

「…………」
 “聖書”を手放し、再びベッドへ身体を横たえる。マットレスの弾力が、いやに心地よく感じられる。
(一体……どうしたらいいのよ……?)
 天井を見つめながら、天恵は途方に暮れた。


●     ●     ●     ●     ●     ●


 神里絵空が目を覚ましたのは、それからおよそ1時間後のことだった。
 絵空の精神が眠りについたのは、前日の午後5時過ぎ――すでに14時間近くも眠っていた計算になる。それだけぐっすり眠れば、流石に精神的疲労は残っていなかった。
(……あれ……どうしたんだっけ……?)
 布団の温もりに甘えながら、絵空は前日の出来事を思い出す。
 第三回バトル・シティ大会予選、戦績は7勝2敗、その状態で体力が尽き“もうひとりの自分”に頼って眠りについた――そこまでが、絵空の知る“昨日の出来事”だった。ガオス・ランバートや“千年聖書”のことなど、微塵も知る由もない。
『(……おはよう。具合はどう?)』
 聴き慣れた声がした。間違いなく、“彼女”の声――そう思い、絵空は上半身を起こした。
「おはよー、も……」
 しかしそこで、動きが停止した。
 視線の先にあるべきはずのものは、パズルボックス――しかしそこにあったのは、見慣れぬ一冊の本だった。
「……エート……」
 布団越しに、膝の上辺りに置かれたそれを見つめ、絵空は小首を傾げた。
「……お引越ししたの? もうひとりのわたし……」
 そんな天然ボケな台詞が、絵空の口から漏れた。


 とりあえず絵空はベッドを降り、部屋の電灯を点けることにした。
 その間、布団の上に置かれたままの“聖書”から、天恵は事の顛末を説明する――無論、触れたくない事実は黙秘した上で、だ。自分の正体が“月村天恵”であることは、到底言い出せぬことだった――もっとも絵空は“月村天恵”を、全く覚えていないわけだが。
 アルベルト・レオとのデュエルのことまでは、正直に話した。後は嘘を吐いた――そのあと意識を失い、気が付くとこの本の中に魂が移されていた、と。
「……じゃあ……あのパズルボックスは?」
『(……机の上よ)』
 天恵に言われ、絵空は机の前に移動した。
 しかしそこに、絵空の知るパズルボックスは無い。代わりにそこにあったのは――砕け散り、変わり果てた金属の破片だった。
『(……目を覚ましたときには、こうなっていたの……)』
 心底申し訳なさそうに、天恵が呟く。
 その無惨な姿に、絵空はことばを失う。しかし少しの間を置いて、あることに気が付いた。
「……! ねっ、ねえ! 神のカードは!? まさか……」
『(……分からないわ。近くには無かったって……)』
 絵空の顔が青ざめた。3枚の“神のカード”といえば、世界中デュエリストにとって国宝級の逸品――それを紛失したとあっては、一大事にも程がある。渡してくれた遊戯に対しても、申し訳が立たない。
「どっ……どどっ、どうしよう!? 探しに行こうか!?」
『(……多分、無駄だと思うわ)』
 パズルボックスの状態を見るに、誰かが故意に破壊したのは自明――恐らく犯人は、ガオス・ランバート。ならば当然、中に入れられた三枚の“神”を見過ごすはずはない。その場に落ちていなかった以上、探すだけ無駄というものだろう。
『(ごめんなさい……私のせいだわ。私がしっかりしていれば……)』
「そ、そんなことないよ! “もうひとりのわたし”は悪くないって!」
 “もうひとりのわたし”――その呼び方に、天恵は心を痛めた。
 絵空の中で、天恵の認識は変わらない……天恵が自身の正体を知った今でも、彼女の呼び名は“もうひとりの絵空”。天恵もまた、絵空のことを“もうひとりの私”と呼ばなければならない。
「でも……良かったよ。“もうひとりのわたし”は無事で」
 それが何よりとばかりに、絵空は安堵の溜め息を吐いた。そしてその手を、“千年聖書”へと伸ばす。
「あれ……意外と軽いね、コレ」
 片手で掴み、持ち上げてみる。割としっかりした紙で出来ているようだし、かなりのサイズだったのだが、あまりに容易に持ち上げられた。
「……?」
 しかし、いくら何でも軽すぎるのではないか――ふとそう思い、手を離してみた。

 ……落ちない。
 絵空が目を丸くする。“聖書”は引力に従うことなく、宙に浮かんでいる。ニュートンもビックリの光景だ。
 しかしそれを見て、絵空の目がキラキラと輝き出す。
「すっごーい! 何コレーっ!?」
『(……意外と順応力あるわね、あなた)』
 呆れと感心が半々の思いで、天恵は溜め息を漏らす。
 すでに“神のカード”を失くしたショックは何処へやらで、絵空は目の前の“珍しいオモチャ”に興味を示す。
「あっ、コレ着いて来るよ! おもしろ〜い!」
 絵空が歩くと、宙に浮いた“聖書”は従順にそれに着いて行く。
 天恵の意思ではなく、自動的に動いている。当然だ――絵空が決して手放せぬよう、このアイテムはプログラムされているのだから。
「カワイ〜! 何かペットができたみたい!」
 しかしそんなことは露知らず、絵空は“聖書”に頬ずりした。
 由緒ある“千年聖書”がペット扱いと知れば、さしものガオス・ランバートも泣くのではなかろうか――そう思い、天恵はたまらず失笑を漏らした。

 ――コン、コン

 不意に部屋のドアが叩かれた。
 絵空は慌てて、宙に浮かんだ“聖書”を掴む。このノックの感じは、母のものだ。“聖書”のことで騒いでいたので、目覚めたことに気付いたのだろう。
 絵空が応えると案の定、母の美咲がドアを開いた。
「……具合はどう? 絵空」
 美咲は心底心配そうな顔で、絵空を見つめてきた。
 まだ退院したばかり、そんな状態での外出中に倒れたのだ、心配しないはずがない。
 昨夜は月村に負ぶわれ、絵空は帰宅を果たした。そのときはすでに、絵空の精神は眠りについており、天恵が代理を果たしていた。天恵なりにフォローしたものの、やはり、娘が外で倒れたと聞けば、その身を案じるのが“母親”というものである。
「あ……ウン。全然ヘーキだよ」
 そういえば、といった様子で、絵空は身体を動かしてみせた。
 てっきり、全身筋肉痛にでもなるかと思っていたが……不思議な程に、身体は快調だった。それが“聖書”の魔力のおかげであることは、絵空の知らない事実である。
 心配に駆られる母を相手に、病院に行く・行かないの問答をしばらく続けた後、とりあえず朝食をとることになった。
「そうそう……月村さん、心配して来てくれてるのよ。改めて、ちゃんとお礼を言いなさい」
「え……月村さんが?」
 絵空が首を傾げる。
 昨日、月村に送られて帰宅したことを本人は知らないのだ。“聖書”の中の天恵は、慌ててその情報を伝える。
(そっか……もうひとりのわたしは、先にオジサンに会ったんだ)
 “聖書”を片手に、部屋を出た。
 どんな感じの人?と絵空が何気なく問うと、不自然な間があった。
『(…………。良い人よ……とても)』
 どこか儚げな様子で、天恵は小さく答えた。

 階下へ降りて、リビングを覗き込む。するとテーブルの椅子に、スーツ姿の中年男性が、座って新聞を読んでいた。がっしりとした体型に、実直そうな顔立ち。この歳の男性にしては、実に好印象を抱かせる風体だった。
 なるほど、再婚相手に選んだ母の目は、節穴ではないらしい――とりあえず見た目だけは、そう判断した。
「……あれっ?」
 しかしそこで、絵空は違和感を抱く。
 初めて見たはずなのに――しかしどこか、既視感を覚える。
(……? このオジサン……どこかで……)

 ――昔どこかで……会ったことがあるような……?

 眉をひそめ、絵空は固まってしまう。
 そうしているうちに、こちらに気付いたらしい月村が、新聞紙を畳み、向き直った。
「おはよう絵空ちゃん。身体の具合はどうだい?」
「……へっ? あっ……う、うん」
 軽く不意打ちを喰らったような形になり、絵空は慌てた様子で頷く。
「そうか……それなら良かった。朝早くからどうかと思ったんだけど……昨日は元気なかったから、心配でね……」
 昨日は残念だったね、と月村は言う。
 一瞬、何のことだか分からなかった。しかし月村のことばの続きから、それがバトル・シティ大会予選結果を指していることに気付く。
『(ごめんなさい……まだ説明してなかったわね)』
 “千年聖書”や、壊されたパズルボックスなどのことで、つい説明するのが遅れてしまった。本選枠はすでに埋まってしまい、絵空が予選落ちを喫してしまった旨を、天恵は簡潔に伝えた。
(……! そっか……本選には進めなかったんだ)
 絵空は残念げに俯いた。
 先ほどまで他のトラブルでゴタゴタしていたため、ショックは思ったより小さい……けれどやはり、残念なものは残念だ。
 絵空のバトル・シティは、昨日で終わってしまったのだ――それを思い、瞳に悲しみが映る。
「いやあ……でも大したものだよ。初出場で7ツ星まで行ったんだからね。M&Wの大会は今後も沢山あるし……十分誇っていい戦績だよ」
 どこか誇らしげに、月村はそう言った。

 絵空自身は覚えていないが、月村は以前、絵空にM&Wの基礎を教えたことがある。今回の戦績に、それがどれだけ活かされているのかは分からない。だが少なからず、教え子の成長を喜ぶ“教師”のような感慨深さを覚えた。

 確かに、過ぎ去ったことを哀しんでいても仕方がない――絵空はそう考えると、早々に思考を切り替えることにした。
(そうだよね……わたしにはまだ、時間があるもん)
 病院にいた頃とは違う――自分にはまだ、時間がある。あの頃に比べれば、永遠とも思える長い時間が。
(次の機会に、リベンジすればいいんだもん……ね、もうひとりのわたし!)
 手に持った“聖書”に同意を求める。しかし、天恵からの返事はなかなか返らない。
『(…………。ええ、そうね……)』
 絵空が小首を傾げる前に、天恵はやっとことで、ことばを返した。

 ――次の機会など無いかも知れない……そのことを知っているから。

 絵空は月村と相向かいの椅子に腰掛けた。
 すると丁度、美咲が台所の奥から、料理の皿を持って出てくる。
「月村さん、朝食まだだそうだから、ご一緒してもらおうと思ってるんだけど……いいわよね?」
 問答無用な様子で、美咲はテーブルに皿を置いた。
 そういえば予定では、昨夜の夕飯を一緒する約束だったのだ……絵空はそれを思い出す。つまりはこの朝食が、それの埋め合わせということなのだろうか。
 絵空はそれを悟り、迷わず頷いてみせた。
 テーブルに御飯と味噌汁、焼き鮭やサラダなどが並んだ。
 全ての料理を並べ終えると、美咲は月村の隣に腰を下ろす。

『(…………)』
 絵空が気付かぬ程度に、“千年聖書”が不穏に脈動した。

 3人の腰掛けるテーブルには、4つの椅子が備えられていた。3人が腰掛けている今、1つだけが余ってしまっている。
 特に不自然ということはなかった。もともと4人用のテーブルだっただけだ。1つ余った椅子に、さしたる意味などない。
 けれど――

『(……どうして……)』
 絵空に聞こえぬ程度に、小さく呟く。

 ――どうしてそこに、私は座っていないのだろう……

 と。

 孤独感が、天恵の心を苛む。それが、彼女の心に潜む“闇”にとって、絶好の“食餌”であるとも気付かずに。



●     ●     ●     ●     ●     ●



 それからおよそ、3時間後の出来事だ。
 武藤遊戯は一人、やたら大きな紙袋を提げて、童実野病院の廊下を歩いていた。
 ヤレヤレと溜め息を漏らしながら、その中身をちらりと覗く。
 大きさの割に、そこまでの重量は無い袋。その中に入れられているのは、何本ものビデオテープである。
「……っと……ここだここだ」
 病室のネームプレートを確認し、遊戯は足を止めた。
 『645号室 武藤双六』――ドアをノックしてから、そのノブを捻る。
「おお、遊戯か! 待っておったぞい!」
 ベッドの上では、少しも悪びれぬ笑顔をした老人が、遊戯の来訪を出迎えてくれた。しかしそれを見て、遊戯はもういちど溜め息を吐き出す。
 昨日の夕方、双六が病院に運び込まれたとの連絡を受けた際は、一緒にいた杏子とともに、青くなって駆けつけたものだ。
 しかし、いざ病室に着いてみれば、ベッドに横たわりながらも、美人看護婦さんのお尻に鼻を伸ばす、いつも通りの祖父の姿があったわけで。そう、“いつも通り”だったのだ。
 聞くところによると双六は昨日、遊戯が家を出た後、医者に診てもらったらしい。本人があまりに痛がっていたので、特に強力な痛み止めを処方されたとかなんとか――その効果でやがて動き回れるようになった双六は、調子に乗って大会の予選デュエルを行ったのだそうだ。しかし無理が祟って、デュエル終了後に腰痛で倒れた――とのことだ。
 医者の見立てでは、幸いにも、特別悪化したというわけではないらしい。ただ、これ以上無理をされてはかなわないので、監視の意味でも数日入院、とのことだ。全くもって、人騒がせにも程がある話だった。
「もう歳なんだからさー、いいかげん自重してよね、じーちゃん」
「何を言うか! この武藤双六、あと30年は生きてやる所存じゃわい!」
 ベッドにうつ伏せのままで、双六はそう強がってみせた。どうやら今日は、あまり効果の強い痛み止めはしてもらえなかったらしい。そもそも痛み止めというのは、あくまで苦痛をやわらげるだけであり、実際に治療しているわけではないのだ。それを踏まえると、痛み止めで無理して悪化させるなど、言語道断の極みであろう。
「あ……そうそう。コレ、頼まれてたものだけど」
 溜め息を漏らしながら、遊戯は紙袋を床に置いた。中に入れられているのは、十数本ものビデオテープ。ずばり、『魔法少女ピケルたん』と『魔法少女ピケルたんACE(エース)』を自宅でビデオ録画したものである。前日、帰宅前に双六から頼まれていたのだ。大方これを見て、病院でのヒマな時間を消化する腹づもりなのだろう――遊戯はそう推測した。
 双六はDVDも全巻購入していたが、如何せん病院のテレビにはDVDプレイヤーが完備されていなかった。
「ウム。ご苦労じゃったの、遊戯や。苦しゅうないぞい」
 どこのワガママ殿様だよ、と遊戯は心中で毒づいた。双六に懲りた気配が全く見られない。おかげでこちらは昨日、かなりゴタゴタした事態になっていたというのに。

 というのも、双六を心配して、杏子が応援に来てくれたからだ。結果として、まだ退院したばかりで不安のある絵空を、一人きりにしてしまった。
 杏子は、絵空からの連絡が来ないことを、しきりに心配していた。連絡が来たのは6時過ぎで、彼女の母からのものだった。
 予選中、絵空にずっとついていると約束していた杏子は、心底申し訳なさそうに何度も謝っていた。それというのも、双六が年甲斐もなく無理して、自分たちに要らぬ心配をかけたせいなのだ。



 早々にお見舞いを切り上げると、遊戯は再び廊下を歩き、階段を降り始めた。
 今はまだ午前だが、午後には遊戯宅で、みんなと会う約束をしていた。
(……神里さんは来ないかもな……)
 階段を一段一段蹴りながら、遊戯はぼんやりとそう思った。
 昨晩、KCのホームページで確認したのだが、予選通過者16名の中に、絵空の名前が無かったのだ。そのことに落ち込んでいるかも知れないし、遊戯・城之内・獏良の3人が、揃って予選通過を決めている中では、少々居心地悪く感じるだろう。
(ウーン……神里さんが来なかったら、お見舞いに行った方がいいかなあ。でも、それも空気読めてない気がするし……)
 歩きながら、ウンウン唸る。
 こういった細かい所に気を遣うのが、遊戯の良い所であり、悪い所でもあった。

 と、次の瞬間――不意に、遊戯の身体が平衡感覚を失った。
 足元も見ずに悩んでいたため、階段を踏み外してしまったのだ。
「っと……わわわっ!?」
 遊戯は慌てて足元を見た。
 まだ踊り場まで、十段以上の階段が残っている。このまま転がり落ちたら、少し痛い程度では済まないだろう。
 反射的に、両手が何かを掴もうとする。しかしそれも空を切り、諦めて落ちるしかないのか――そう思われた瞬間、代わりに左手首の辺りを、誰かの手がしっかりと掴んだ。
「だっ……大丈夫ですか!?」
 頭上から、やけに心配げな青年の声がした。遊戯はほっと一息吐くと、立ち上がり、段上の人物に向き直った。助けてくれたのはどうやら、外国人らしい。栗色の短髪にブラウンの瞳をした、眼鏡をかけた青年。もともと背が高い人物のようだが、段上に立たれていたので、より長身に感じられた。
「どっ……どうもすみません。助かりました」
 遊戯が苦笑しながら礼を言うと、青年も安心したようで、胸を撫で下ろしていた。片手には花束を持っている、誰かのお見舞いに行くところなのだろう。
 もういちど頭を下げると、今度は足元を見ながら、ゆっくりと段を下ることにした。ふと、途中で振り返ってみると、遊戯が下ったばかり階段を、青年が上り続けていた。
(ボクにもあれくらい身長があればなあ……)
 会ったばかりの青年の背中に、羨望の眼差しを向け、遊戯は溜め息を漏らす。

 遊戯がその青年――ティモー・ホーリーと面識を持つようになるのは、もう少し先の話である。



決闘53 闇の会合

「……“ルーラー”?」
 何それ、と遊戯は目を瞬かせる。
 時計の針はちょうど、午後2時を回ったところだった。遊戯の家の自室、その中には、遊戯・城之内・杏子・本田・獏良という、お馴染みのメンバーが集まっている。
「えーっと……何だっけか? あのあとデュエルしまくってたから、忘れちまったぜ」
 そう言って、城之内は隣の本田に助け舟を求めた。
「ったく……しょーがねえな。お前の記憶力はニワトリ並みかよ?」
 ヤレヤレと本田が肩を竦めてみせると、城之内が不愉快げに小突いてくる。
 それを上手い具合にいなしながら、本田は、昨日パンドラから聞いた話を繰り返した。

 ――“グールズ”の前身たる組織として、“ルーラー”という組織があったこと
 ――かつてマリクの乗っ取ったその組織が、再び息を吹き返しているらしいこと
 ――世界の転覆を狙うような、かなりヤバイ組織であったらしいこと
 ――そしてその“ルーラー”が、この大会で何かをしでかそうとしているらしいこと……

「……“何か”って……たとえば?」
 そこで話の腰を折り、獏良が当然の質問をした。
「さあ……そこまでは聞いてねえよ。何か言ってたっけか?」
 本田が振ると、城之内は腕を組んで、首を縦に動かした。
「確か……世界を破滅させるとか何とか」
 三人の目が点になる。
 話題のあまりの飛躍っぷりに、理解がすぐには追いつかない。
「担がれたんじゃないの、アンタ達? その話をしてくれた、元グールズの“鈴木”さんっていうのにも、遊戯は心当たりないっていうし……」
 ねえ?と杏子は振り返り、遊戯に同意を求める。
 遊戯は困ったように頭を掻き、首を傾けた。あいにく彼の記憶の中には、“鈴木”という名の決闘者は存在していなかった。
「“命の恩人”だって言ってたぜ。何かヘンテコな仮面つけたヤツでよ……名前は“鈴木”で良かったよな?」
 城之内が問いかけると、本田は悩みながらも頷いた。
(“鈴木”の前に、何か付いてた気がするんだが……何だったかな?)
 本田はそれを思い出そうと、懸命に頭を捻った。
 しかし昨日は、二人とも彼のことを“鈴木”としか呼ばなかったし、名刺を見たのも一瞬のことだった。

 ――“パンダ鈴木”だったか?
 ――いや待てよ、“ツンドラ鈴木”か?
 ――いやいや、“ツンデレ鈴木”だったような気も……

 名刺に書かれたカタカナを思い出そうと、ウンウン唸る。
 遊戯の方も、その男の正体が誰であるか、深く悩み込んだ。
(仮面を付けてて、元グールズっていうと……仮面コンビのことかなあ?)
 しかし“命の恩人”になったような記憶は無い。第一、“鈴木”なんて名前だった記憶は無いし……そもそも2人のうちどちらなのかが分からない。
 ふと、“彼”がブラック・マジシャン対決を繰り広げた相手・パンドラのことを思い出す。そういえば彼も仮面を付けていたし、“罰ゲーム”で両脚を切断されそうだったところを救った覚えがある。
(でもあの人は、“鈴木”なんて名乗ってなかったし……そもそも外国人だったよなあ?)
 そんなわけでやはり、“鈴木”なる人物は、遊戯の記憶の中には存在しないのであった。

「何か話が突飛な感じだし……ちょっと良く分からないわね」
「そう言われるとまあ……。そもそも“鈴木”ってヤツも、けっこう胡散臭そうなヤツだったしなあ」
 杏子の指摘に対し、本田が自信なさげに応える。
「んなこたぁねーよ! デュエルの腕は凄かったし、ピケルマニアだったし、ピザは美味かったし……信用できるヤツだって!」
「……それはどれも“信用できる”って判断材料にはならないと思うんだけど……」
 鈴木擁護派の城之内に対し、獏良は冷めた意見をした。
 4人がガヤガヤと意見交換する中でも、遊戯は辛抱強く“鈴木”さんの心当たりを探していた。
 そういえば小学生の頃、同級生に“鈴木”という姓の女の子がいたような……などなど。

「………………ねえ。その“鈴木”さんって人……他に何か言ってなかったの?」
 絞り出したような遊戯の問いかけに、4人の口がぴたりと止まった。
 そういやあ、と城之内がことばを紡ぐ。
「確か“ガオス・ランバート”がどうとか言ってたよな、本田?」
「おお、そうそう! ソイツが“ルーラー”の親玉の名前で……しかも確か、I2社の会長だったらしいぜ!」
「グールズの基になった組織のトップが……I2社の元トップ? それこそ胡散臭いわね」
「ボクはそんな名前、聞いたことないなあ……遊戯くんはある?」
 獏良に問いかけられて、遊戯はもういちど首を捻った。
 ペガサスが名誉会長だったことは知っているが、生憎“それ以前”の会長のことは全く聞いたことがない。そもそもペガサスが特に有名だっただけであり、たとえば現在のI2社社長の名など、全く聞いた覚えがなかった。
(……じーちゃん辺りなら、分かるかも知れないけど……)
 ふと、脳裏に双六の姿が浮かんだ。遊戯がM&Wを教わったのは双六にだし、そういったことには案外詳しいのである。
 しかし残念ながら、双六は現在病院だ。気軽に訊きに行くことはできない。
(他に詳しそうな人っていうと……)
 遊戯の脳裏に新たに、一人の少女の姿が浮かんだ。
 しかし今日はやはり、家には来ないのかも知れない。部屋の時計を確認しながら、そう思う。
 昨日の予選前に交わした約束では、午後2時に遊戯宅集合だった。しかし時計の針はすでに、2時半を回ろうとしている。
(やっぱ今日は来ないのかな……)
 そう思った矢先のことだった。
 階下で玄関がガラガラと開く音がすると、母の声が呼びかけてきた。
「遊戯ー! お友達が来てくれてるわよー!!」
 それを聞き、遊戯は単身、部屋を出た。
 階段を下りると玄関口で、母の隣で絵空が気まずそうにしていた。
「こ……こんにちは……」
 いつになく、ぎこちない笑顔で、絵空が挨拶する。
 やはり予選落ちがショックだったのかな――遊戯はそのとき、そう思った。
 ふと、彼女が片手に持った、見慣れぬ“本”に目がいった。
 飾り気のない、どこか不気味な見た目の、真っ黒な本。何故だかそれを見た瞬間、懐かしいような感覚も覚えた。
「え……えーっとぉ……驚かないで聞いて欲しいんだけどぉ……」
 実に言いづらそうな様子で、絵空が切り出そうとする。
 母が不審そうな目をしていたので、とりあえず部屋に案内することにした。後で聞いたことなのだが、絵空は三十分近く、玄関前でウロウロしていたらしい。それを母が見つけたのだ。



「「「「「――神のカードがなくなったぁ!!?」」」」」
 数分後、遊戯の部屋の中で、五重奏の絶叫が響き渡った。
「かっ……神って、アレだよな!? オシリスにオベリスクにラー!?」
 中でも最も狼狽しているのは、城之内だ。ある意味、当然の反応である。
 “神のカード”といえば、デュエリストにとっては至宝の存在だ。それが無くなったとあっては、新聞の一面を埋め尽くしても足りぬほどの、超大事件なのである。実際、コアなカードコレクターなら億単位の値を平気で付ける逸品なので、その存在価値は計り知れないのである。
「どっ……どどっ、どこで失くしたんだ!? 落としたのか!? それとも盗まれたのか!??」
「えーっと……それが、イマイチはっきりしてないんだケド……」
 申し訳なさそうに、絵空が昨日のことを説明しようとする。
 しかしその前に、遊戯が慌てて確認した。
「それより、もうひとりの神里さんは!? 神のカードが無くなったってことは――」
「……あ、ううん。もうひとりのわたしは平気だよ」
 絵空は表情を和らげると、脇に抱えた“聖書”を見せた。
「経緯はよく分からないんだけど……今はこの中にいるんだって。今のところ、特に問題はないみたいなんだけど……」
 しかしそれを見て、絵空以外の5人の表情が同時に曇った。その理由は、“聖書”の表紙に施された装飾物――黄金の“ウジャト眼”。
 そのあと絵空は、自分が知る限りの情報を全員と共有した。といっても、肝心なそのときに絵空自身は眠っていたため、あくまで“天恵から聞いた情報”をである。
 要するに、“もうひとりの絵空”がいつの間にか気を失っている間に“神のカード”は失われており、代わりに彼女の魂はこの本に移されていた――というものだ。無論、ガオス・ランバートの存在は微塵も明るみに出されない。
「それから……これなんだけど……」
 絵空は背負ってきたナップサックから、あるものを取り出す。ハンカチに包まれたそれをゆっくりと開くと、その中には、無残にも打ち壊されたパズルボックスの残骸があった。
「…………!!」
 “神のカード”の話を聞いたとき以上に、遊戯の表情が青ざめた。
 千年パズルのピースが納められていたパズルボックス――遊戯にとっては、ある意味で“神のカード”以上に大切な、思い出の品。
「その……目を覚ましたときにはこうなってて……中のカードは無くなってたの」
「ひどい……! これって……」
 杏子は絶句し、口元に手を当てる。
 ふと、獏良が手を伸ばし、砕かれたその一欠けらを手に取った。
「……普通に落としたりしたくらいじゃ、こうはならないよ……」
 その硬度を指で確かめる。
 事故でないとすれば、人為的に壊されたのか――だがそれにしても、こうも見事に砕くなど、常人には不可能な芸当だろう。
「誰かが“神のカード”を奪ったとき、ついでに壊していった……そう考えるのが妥当かもな」
 神妙な面持ちで、本田は顎に手を当てた。
 しかし犯人は誰なのか――なぜこのパズルボックスに“神のカード”が入っていると分かったのか理解できない。偶然それを知って奪ったのか、それとも計画的犯行なのか。
「…………なあ。もしかして例の“ルーラー”ってヤツが、何か関係してるんじゃねーのか?」
 名探偵・城之内克也の名推理だ。
 しかしみんなの反応は鈍く、絵空に至っては「何ソレ?」と返す始末だ。
 仕方なく城之内は、先ほどまでしていた話を、かいつまんで説明した。

「――そういやあ、神里は聞いたことあるか? I2社の元会長で、“ガオス・ランバート”ってヤツ。もしかしたら、そいつが犯人かも知れねえぜ?」
 城之内の超名推理に対し、絵空は首を捻った。
 生憎と、聞き覚えのない名前だった。しかしそもそも、I2社の会長なんて“ペガサス・J・クロフォード”以外には一人も知らないのだ。
「……もうひとりのわたしは聞いたことある? “ガオス・ランバート”さん」
 絵空は、膝の上の“聖書”に問いかけた。
 わずかな間を置いて、天恵ははっきりと答える。
『(さあ……聞き覚えが無いわね。分からないわ)』
 我ながら、反吐が出るような嘘だった。天恵はもちろん、ガオス・ランバートのことを知っている。“千年聖書”の前の持ち主、“ルーラー”の総帥、そして……天恵の魂を絵空の肉体に留まらせた、ある意味では“命の恩人”とも呼ぶべき男の名だ。
 正直に言えるはずなどない。そんな勇気は持てない。言わなければならなくなるから――自分が本当は、“月村天恵”であることを。
「ウーン……神里も知らないか。まいったな」
「あー……でもさ、分からないならググ……ネット検索してみればいいんじゃない?」
 絵空が見やると遊戯は、「それもそうだ」とばかりに手を打ってみせた。
「パソコンなら下の階にあるけど……。でもその前に、さ」
 “ガオス・ランバート”のことよりも先に、はっきりさせておきたいことがあった。
 遊戯の視線が注がれる先――それは、絵空が片手に持った、分厚く大きな本である。それに気付くと、絵空は小首を傾げながら、再び表紙を示してみせた。
 表紙に装飾された“ウジャト眼”。それを見て、絵空以外の全員の表情が再びこわばる。
「……そういえば……“神のカード”が無くなった代わりに、この本が置いてあったのよね?」
「……“神のカード”を誰かが奪ったとして……その誰かが、代わりにこれを置いていったってこと?」
 獏良の問いかけに、杏子が自信なさげに頷く。
 問題はこの本が、一体何であるのか――表紙に付けられた“ウジャト眼”が、嫌でも“あるもの”を連想させた。“千年アイテム”――かつてこの地上に存在した、7つの闇のアイテム。“千年パズル”、“千年秤”、“千年錠”、“千年リング”、“千年眼”、“千年ロッド”、“千年タウク”――“彼”の魂とともに地の底へと眠った、7つのアイテム。
(でも三千年前……アクナディンが世に生み出したアイテムは、7つだけのはず……)
 その忌まわしき生成過程を思い出し、遊戯は顔をしかめた。
 しかし、“もうひとりの絵空”の魂を封印できているということは、表紙のウジャトがただの飾りとは思えない。仮に千年アイテムではないとしても、それに近い魔力は秘められているはずなのだ。
「……なあ、ちっと見せてもらってもいいか?」
 本田が手を差し出すと、絵空は「いいよ」と本を手渡した。しかしその瞬間、床に座っていた本田の身体がぐらついた。
「って……重っ!? 何だコレ!?」
 取り落とし、床に落とす。何やってんだよ、とボヤきながら、城之内がそれを拾った。
「何だ……ちょっと重いだけじゃねえか。オーバー過ぎんだろ、本田」
 本を片手に、城之内が首を傾げた。
 分厚い本だけにかなり重いが、取り落とすほどのものではなかった。
 本田が眉をひそめる中、城之内はそれを開いてみた。だが中を見た瞬間、途端に顔が引きつる。
「何だこりゃ! ぜんぶ英語じゃねえか!?」
 童実野高校でも屈指の劣等生である自分に読めるはずがない、そう言わんばかりに城之内は一瞬で匙を投げた。
「英語なの? ちょっと見せてよ」
 ページを開いたままで、城之内は本を杏子に手渡す。
「きゃっ!? 何よこれ!?」
 今度は杏子が、それを取り落とす番だ。その行動に意味が分からず、城之内と絵空は顔を見合わせた。
「何言ってんだよ、そこまで重くねえだろ?」
「むしろ、相当軽いと思うんだケド……」
 対して、顔を見合わせるのは、本田と杏子の2人だ。
 どれどれ、と今度は獏良がそれを拾う。
「あ……ホントだ。ずいぶん重いね」
 そう言いながらも、獏良は両手でそれを持ち上げた。
 遊戯くんも持ってみる?と訊きながら、獏良はそれを手渡した。
 遊戯はどっち派だ?と言わんばかりに、全員の視線が遊戯に集まる。
「……? 何か……相当軽いみたいなんだケド……」
 遊戯はそれを、二本指で軽々とつまみ上げて見せた。
 絵空以外の全員が、呆気にとられたような顔をする。城之内にしてみても、そこまで軽いとは感じていなかった。
(……? 何だろう……何だか、すごく懐かしい感じがする……)
 その本を手にしていると、遊戯は、感傷的な気分になってくる。
 懐かしい気配――そうだ、まるで千年パズルと同じような、不思議な気配を感じる。
(……やっぱり本当に、この本は……)
 注意深く、その本のデザインを観察する。
 すると、その瞬間――唐突に、本のウジャトが輝いた。

 ――ドクンッ!!

 同時に、遊戯の頭の中に“ある情報”が流れ込んでくる。
 遊戯ははっとして、思わず顔を上げた。
「? どうかしたの、遊戯?」
 それを敏感に感じ取り、杏子が問いかける。
「あ……ううん。何でもない……」
 そう言って、遊戯は絵空に本を手渡した。
 絵空は重量を確かめるように、それを上下に動かしてみせる。
「軽いとか重いとか……それ以前にね、コレ……」
 そして、自宅で何度も試したことを行う。本を空に軽く放り上げる。するとそれは落ちることなく、宙に浮かび上がった。
 遊戯以外の全員が、先刻以上に驚愕の表情を見せた。
 すまし顔で、絵空は再びそれを手に取る。
「世の中は広いよねー。宙に浮かぶ本があるんだもん」
「いや、これはそういうレベルの問題じゃねえだろ……」
 本田が的確すぎるツッコミを入れた。
 ただの本でないことは薄々感じていたが……間違いなく、千年アイテム並みの特殊アイテムであることを確信する。
「ねえ、中は? 何て書いてあるの?」
 獏良がそう言うと、絵空はわずかに表情を曇らせた。
「うーん……それが、全然読めないんだよね」
 本を開く。その1ページ目で、一行目のセンテンスを指でなぞった。
「読めるのは、ここの2つの単語だけ……“Millennium Bible(ミレニアム・バイブル)”って書いてあるみたいなんだけど。他の部分はさっぱり」
 全員の顔色が変わった。
 やはり千年アイテムの一種――名前から、そう判断する。
「ね……その本、ここに置いてくれる? 私が読んでみるわ」
 杏子は日頃から英会話教室にも通っているし、高校での英語の成績はトップクラスだった。だから英語の能力には自信がある――だが。
「……あれ……っ?」
 杏子は眉をひそめた。
 読めない。ただの一語も、全く意味が頭に入ってこない。絵空が「“Millennium Bible”と書いてある」と指差した部分さえ、何故か意味を把握できない。
「……? ね、遊戯。英和辞典貸してくれる?」
 杏子は辞典を受け取ると、十分近く格闘した。
 だが駄目だ――不可解なことに、全く意味が解読できない。本当に英語なのだろうか、そう疑わざるを得ないほどに。
「あ……そうそう、それからね」
 絵空が思い出したように、胸ポケットから自分のデッキを取り出した。そしてその中から、一枚のカードを選び出す。
「私のデッキのカードも1枚、別のにすり替わってるみたいで……」
 そう言って、それをみんなに提示した。


混沌帝龍 −終焉の使者−  /闇
★★★★★★★★
【ドラゴン族】
このカードは通常召喚できない。自分の墓地の光属性と闇属性モンスターを
1体ずつゲームから除外して特殊召喚する。
1000ライフポイントを払う事で、お互いの手札とフィールド上に
存在する全てのカードを墓地に送る。この効果で墓地に送ったカード
1枚につき相手ライフに300ポイントダメージを与える。
攻3000  守2500


●     ●     ●     ●     ●     ●



 ガオス・ランバートはその頃、関東某所の高級ホテル、最上階のVIPルームにいた。
 海が一望できる、見晴らしが売りのホテルだった。しかしその部屋のカーテンは、堅く閉ざされてしまっている。それどころか電灯の明かりも絞られており、昼間だというのに部屋は薄闇に支配されている。その中でガオスは一人、顔をしかめ、ワインを呷(あお)っていた。
 見るからに高級そうなワインだった。しかしガオスはさぞ不味そうに、しかし義務であるかの如く、グラスに注いでは口に運ぶ。
「……何用だ? 貴様」
 しかし不意に、その動きが止まった。グラスをテーブルに置くと、ソファーからゆっくりと腰を上げる。

「――電気くらい点けたらどうですか……? ガオス・ランバート」

 張りのある、澄んだ声色だった。ガオスの背後には一人、どうやって入ってきたのか、青年が立っていた。
 聴き覚えのあるその声に、ガオスは不機嫌そうにことばを返す。
「……生憎いまは、貴様の相手をしてやる気分ではないのだがね……ヴァルドー」
 吐き捨てるように言いながら、ゆっくりと振り返る。
 白い装束に身を包んだその青年――ヴァルドーは、小さく失笑を漏らした。
「つれないことですね……4年ぶりの再会だというのに」
「……貴様にしてみれば、“たったの4年”であろう?」
 ヴァルドーは口元に、薄っすらと笑みを浮かべる。
 不意に、その姿がガオスの視界から消えた。
 次の瞬間、ヴァルドーはガオスと相向かいのソファーに腰掛けていた。戸棚から取り出したらしい、もう一つのグラスを手に、卓上のワインを注ぎ込む。
「相変わらず、難しい顔をしていらっしゃいますね……。不機嫌の原因は何ですか? あなたが“死んでいる間”に狂った、予定調和のことでしょうかね……?」
 味わうように、ワインを口に含む。上等な味だ。不機嫌の理由がワインでないことは、容易に想像がついた。
「……だとしたら、何だ……? 貴様はその答を知っているのか?」
 我ながら愚問だった。口に出してしまってから、ガオスはたまらず失笑する。
 知らぬはずなど無い――目の前のこの男は、“神に最も近い男”なのだから。
「よろしければお話いたしますよ……ガオス」
 グラスを揺らしながら、ヴァルドーはニッと笑みを零した。
「――“聖書”の予言とは異なる……ある神の描いた、極めて残酷なシナリオをね……」



決闘54 味方

「まず貴方は……どこまで“事実”を把握しているのですか?」
 足を組み、余裕ありげな様子で、ヴァルドーはガオスに問う。
「……童実野町には以前から、数名の“監視”を置いていた……。“千年パズル”の完成以降、その動向に注目させてな」
「……なるほど。ということは……7つの千年アイテムのうち4つが、本来あるべき者へ渡らなかったことはご存知なのですね?」
 ガオスは腰を下ろさぬまま、「当然だ」と返す。そして、“千年聖書”に記されていた“予言”を、如実に思い出した。


・千年眼:ペガサス・J・クロフォード
・千年タウク:イシズ・イシュタール
・千年秤:月村浩一
・千年パズル:武藤遊戯
・千年ロッド:海馬瀬人
・千年錠:武藤双六
・千年リング:城之内克也


「報告によれば、本来あるべき者の手に渡ったのは、たったの3つ……。残る4つのうち2つは、想定外の人物に使われた。さらに2つは、何者の手にも渡らなかった……」
 “千年ロッド”はマリク・イシュタールに。“千年リング”は獏良了に。そして“千年秤”と“千年錠”は、一介の精霊(カー)に過ぎぬはずのシャーディーが所持し続けた。
「神官“オグド”、神官“セト”、神官“シモン”、神官“ネフェルテム”……。かつてエジプト王家の神官であった彼らの生まれ変わりにこそ、4つの千年アイテムは最も相応しかった。7つのアイテムと7人の戦士、その全てを結集し、大邪神を滅するはずだった……。一体どこで、歴史は狂ったのだ?」
 ガオスの頭には、一つの“仮説”があった。
 “干渉者”がいる――“千年聖書”の予言より外れた、あり得てはならぬ“邪魔者”が。
「アクナムカノン王が精霊、シャーディー……奴こそが元凶。あの男は裏で、何らかの“神”と繋がりを持っていた。ゾーク様が預言を覆すために……違うかね?」
「……ご名答。流石ですね」
 ヴァルドーは手を叩き、ガオスの推理に賞賛を示す。
 からかうようなその素振りに、ガオスは不愉快げに顔を歪めた。
「だが意図までは読めぬ……。そのようなことをして、何の利益がある? 不必要な闘争を起こし、むしろ逆効果……下手をすれば、大邪神ごときの手により、この世界は破滅を迎えていた」
「……意図……ですか」
 ふっと笑みを漏らすと、ヴァルドーは声のトーンをわずかに落とす。
「……“王(ファラオ)”の剣を鍛えるため……とすれば、どうです?」
 ガオスの表情が曇る。
「馬鹿な……それに何の意味がある? “王”はすでに、冥界へと還った……もはや戦力とはなりえない」
「……ええ。確かに、冥界へと還った“王”は、戦力外ですが――」
 ヴァルドーは口を一度止め、次のことばを強調する。
「――“王の遺産”を別の者に継承したとなれば……話は別でしょう?」
「……!?」
 ガオスの脳裏に、一つの懸念が浮かび上がる。
 “王の遺産”――不世出の天才魔術師・“シャイ”が世に生み出した、“三大魔術遺産”が一つ。“王”に代々引き継がれし“呪い”の力。7つの千年アイテムの前身たる、忌むべき“負の遺産”。
「“王の遺産”は今なお、現世に息づいている……そう言いたいのか、ヴァルドー?」
「……イエス」
 含み笑いを浮かべながら、ヴァルドーは首を縦に動かした。

 そう、全ての元凶はシャーディー ――ヴァルドーはそれを知っている。

 ――ペガサスの、亡き恋人への未練を募らせ、ファラオと敵対するよう仕向け
 ――墓守の末裔、マリク・イシュタールを、“ファラオこそ父の仇”と欺いた……

 しかも、それだけではない。

「獏良了……“盗賊王バクラ”が“執念”の器となり得る存在に、よりによって千年リングを渡した……。“王”の魂を最高の状態へ高めるべく、最後の“試練”とするために」

 ――そして“闘いの儀”などという不要な儀式をでっち上げ、“遺産”を武藤遊戯に継承させた……それこそが真実。

「……その邪魔をさせぬよう、4年前、あなたを殺害した上で……ね」
「…………」
 ガオスの表情は、相変わらず優れない。むしろ不愉快げに、表情を歪めていく。
「……“光の神”は、ユウギ・ムトウを“人柱”とするつもりか……? いや、“ホルアクティ”の意思とは思えんな……別の神か」
 その様子を見て、ヴァルドーは鼻で笑い飛ばした。
「大いなる“正義”の前には、小さき犠牲など安きもの……。それはあなたも同じでしょう、“ランバート”?」
 嘲笑を浮かべる。目の前の、ガオス・ランバートを笑い飛ばす。
「……貴様は“敵”か……ヴァルドー?」
「……“味方”ですよ……一応は。だからこそ私は貴方に、貴重な情報を与えている。もう一つ、知りたいことがあるのでしょう……?」
 ガオスは顔をしかめた。
 ヴァルドーは自分に、頭を下げることを要求している――それを敏感に悟る。だが、頼み込むつもりなど毛頭ない。彼の中に築かれた高貴なプライドが、それを決して許さない。
 ヤレヤレと肩を竦めてみせながら、ヴァルドーはことばを続けた。
「貴方が知りたいもう一つの真実……それは、“終焉”の覚醒が不完全である理由、ですね?」
 ガオスは答えず、睨みつけることで、その先を促した。
「……まあいいでしょう。ガオス、貴方は“死神”のカードをご存知ですか?」
「……“死神”だと?」
 ガオスが僅かに、首を傾ける。
 M&Wには、“死神”をモチーフとしたカードは何枚か存在する――そのうちのどれかを指しているのか、はたまた別のものを指しているのかが判らない。
「……『死神−生と死の支配者−』……闇の大神官の“妄執”が遺した、三幻神にも勝るカードですよ」
「……? 何の話だ?」
 聞き覚えの無い名前に、ガオスの眉間に皺が寄る。知らない……そんなカードの存在は。“千年聖書”にも何の記述も無かった。
「無理はありませんね……本来なら、日の目を見るはずのなかったカードですから」
 ヴァルドーはゆっくりと、その説明を始める。

 ――“千年眼”に残りし闇の大神官の“怨念”、それがペガサスに創らせた“最凶の神”
 ――しかし、“千年眼”に宿りし“怨念”にはもはや、それを満足に機能させるだけの力が残されていなかった
 ――結果、正気を取り戻したペガサスにより、“死神”は封印され……二度と表舞台には立たぬはずだった

「しかしここで、予想だにせぬ奇跡が起きた。数年後のある日、カードに“魂”が注入されたのです。“千年眼”以外に遺されていた、大神官の“怨念”……彼のミイラに残されていた、執念とも呼ぶべき“怨念”がね」
「……!? 馬鹿な……そのような存在を、“聖書”は全く示唆していなかった」
 信じられないといった様子で、ガオスは狼狽の表情を浮かべる。
 ガオスにとって、“聖書”の預言は絶対の情報――本来ならば、寸分の狂いすら生じてはならない未来なのだ。
「原因は、闇RPGにおけるファラオ側の戦力不足……。本来ならば完全消滅されるはずの“闇の大神官”の魂を、結果的に取り逃してしまった。そして力を得た“死神”のカードは半年前、“神里絵空”と接触してしまった……」
「……!? エソラ・カミサトと接触……だと!?」
 ガオスの両眼が見開かれる。
 ヴァルドーは静かに首肯する。
「ご存知ですか、ガオス……? 貴方の死は、ある一つの弊害を生み出していた。“聖書”の継承遅延により、“神里絵空”の器は限界を迎えていたのです。闇のアイテム無しに、あれほどの量の“魂”2つを1つの肉体に収めるなど無理がある……結果、“月村天恵”に宿る“終焉”は、自己防衛のため、神里絵空の魂を喰らい尽くそうとしていた……」

 ――そこに現れたのが、“死神”のカード
 ――“死神”は月村天恵の魂に、ある“取引”を提案した

「――その取引とは、「強大な魂を持つ人間を“闇のゲーム”により殺せ」というもの……この国で最たる総量の魂(バー)を有する人間、武藤遊戯をね。しかし結果は返り討ち……彼の継承した“王の遺産”――“千年を喰らう呪法”の力によって」
「……!? ユウギ・ムトウが“王の遺産”を使っただと……!? バカな、魔力(ヘカ)を持たぬ小僧に、“遺産”の制御などできるはずがない!」
「……ええ。実際のところ彼は、“遺産”のコントロールがほとんど出来ていませんでした。“呪い”に競り負け、“侵食”が色濃く表面化していた……」

 ――しかし彼は勝った
 ――最後の最後の局面で……まがりなりにも“遺産”を制御し、“闇のゲーム”に勝利した

「……そして結果的に、彼女は“あるもの”を手に入れてしまった。それこそが、“終焉”の覚醒を妨げた元凶……」
「“あるもの”……?」
 ガオスの脳裏に、三枚の“神のカード”が浮かんだ。
 三幻神に秘められた、膨大な魔力――それにより“終焉”の力が抑えられていたとすれば頷ける。だが、その三枚の切札も最早、ガオス自身の手により灰と化した。
「……違いますよ」
 ガオスの思考を読んだヴァルドーが、クスクスと嘲笑を漏らす。
「そうですね……ここは敢えて、“彼ら”の言い方に倣(なら)って……“見えるけれど見えないもの”とでも表現しておきましょうか」
「……アア?」
 ガオスの額の皺が、より一層に深みを増す。
 ヴァルドーの言葉が指すものの正体が、皆目見当も付かない。
「……では……こう言えば分かるでしょうか」
 静かな口調。
 口元の笑みが、冷たさを増す。
「私が最も嫌悪する概念であり……“楽園(エデン)”へ旅立つにあたり、不要となるものです」
「……!!」
 ガオスの眉が、わずかに開いた。
 空気が、ピリピリと緊張した。ヴァルドーからわずかな殺気が発せられた――それだけのキッカケで、だ。
 やはり別格――目の前に立つ男の危険性を、ガオスは肌で感じ取る。
「……ところで……私からも一つ、お尋ねしたいのですがね」
「……何だ?」
 ガオスは気圧されていた。しかしそれを気取られぬよう、平静を装おうと努める。
 そんなことは無駄な努力だ――心の片隅では、そう気付きながらも。
「……貴方は“味方”ですか? ガオス」
「……ア?」
 明らかに言葉足らずな質問だった。
 ヴァルドーもそれは承知の上で、ゆっくりとことばを繰り返す。
「……貴方は本当に、ゾーク・アクヴァデスの“味方”なのですか……?」
「…………」
 愚問だな、とガオスは吐き捨てた。
「儂は“神に従う人”……“ランバート”の血を引き、生まれたときから、儂はゾーク様の忠実なる下僕だ。“聖書”を手放した今でも、その事実は決して変わらない……」
「……“忠実なる下僕”……ね」
 本当に?と、ヴァルドーはすかさず返した。
「貴方は本当に、心から……迷いなく、それに甘んじていますか?」
「……!? どういう意味だ……何が言いたい」
 苛立った様子で、ガオスは顔をしかめた。
 しかし、ヴァルドーはあくまで涼しい顔で、再び言葉を返す。
「……私は何代にも渡り、貴方がた“ランバート”の後継者を見てきた……。ガオス・ランバート、“最後の後継者”である貴方は、その中でも最たる存在だ。私が知るうちでは、貴方の屈強な魂(バー)・魔力(ヘカ)は群を抜いている……。それ故に、理解できないのですよ。なぜ貴方が、シャーディー“如き”に殺されたのか……」
「……。何も、シャーディー一人に殺(や)られたわけではない……」
 ガオスは4年前のことを思い出し、不愉快げに顔を歪めた。
「……慢心があったことは、否定せぬよ……。だが、儂の行動を先読みしたシャーディーは、2つの千年アイテムを持ち出したばかりか、墓守の優秀な魔術師どもと結託していたのだ……」
「……“慢心”……ねえ」
 意味ありげに、ヴァルドーは言葉を紡いだ。
「……では、なぜ貴方は“慢心”したのです?」
「……何だと?」
 ヴァルドーの澄んだ瞳が、ガオスの心理を見通す。
「……貴方は“詰め”の甘さが目立つ……。貴方の敗北の理由……それは“迷い”だ。貴方は本心では、納得できていない……この世界に幕を下ろすことを。“新世界”を構築することを」
「…………!」
 ガオスの瞳がわずかに揺れる。
 ヴァルドーは口を閉ざし、返答をガオスに促す。
 やがて観念したように、ガオスはふっと笑みを漏らした。
「……ヴァルドーよ……この世界は本当に、今すぐに滅ぼすべきほどに腐敗しておろうか?」
 ヴァルドーは応えない。ガオスは構わず、ことばを続ける。
「我が偉大なる祖先……“ノア”は、ゾーク様に選ばれ、“千年聖書”を授かった。以来、我が一族は人類の行末を見守り……時に、闇より修正してきた。歴史の表舞台に立たずとも、それは一族の“誇り”だ。儂はこの“ランバート”の血を、恥じたことは一度もない……」

 ――ガオス・ランバートは誰より、自身を“最高”の人間だと思っている
 ――偉大なる“ランバート”の血を引き、誇りある“聖書”を継承した
 ――それだけで、“最高”と呼ぶに疑い無き誉れだ

「……故に、納得などできようか……? この世界は、我が偉大なる祖先が代々護り続けたものなのだ」

 ――人間は醜い
 ――人間は脆い
 ――この世界はとかく不完全……そんなことは百も承知だ

 ――だが納得はできぬ……いかにゾーク様が御意思といえど、心よりの同意はできぬ

 ――この世界はそれほどに腐っておろうか?
 ――今すぐに滅ぼさねばならぬほど、罪深き世界であろうか?


「――何も分かっていませんね……貴方は」
 ヴァルドーがやおら立ち上がる。その瞳に、少なからぬ“落胆”を映して。
「“ランバート”の末裔ともあろう者が……恥を知るべきだ。貴方には何も見えていない……この世界の本質が、真実が」
「――アア……!?」
 ガオスの顔が、この上なく歪んだ。
 “愚弄されること”――それはガオスにとって、最も神経を逆撫でする行為だ。
 額の“ウジャト”が輝き出す。
 足元の、うっすらとした“影”が揺らめき、その存在を色濃くする。
 ガオスが精霊(カー)“ダークネス”――それが、主人の不快に反応し、脈動をみせる。
「思い留まった方が良い……貴方“如き”が、この私に傷一つでも付けられると思いますか?」
 それをあくまで冷静に、ヴァルドーは蔑むように見下した。
「断ち切って差し上げますよ……ガオス・ランバート。貴方の“迷い”を……私の“剣”の力で」
 ヴァルドーは言った――自分は“味方”であると。
 そう、ヴァルドーはあくまで“味方”だ――“闇の創造神ゾーク・アクヴァデス”の。

 彼女の見立ては正しい、この世界はすぐにでも滅ぼすべきだ――ヴァルドー自身の命が、“出自”が、それを証明しているのだから。

「……貴様……何を考えている?」
「……別に。ただ、背中を押してあげようと思いましてね……貴方と、そして“妹”の背を」
 クスリと冷笑を浮かべる。
 刹那、彼の足元に、光の魔法陣が輝いた。
「二日後をお楽しみに……ガオス・ランバート」
 その一言を残すと、ヴァルドーはふっと姿を消した。
 付近に気配は無い。魔術による長距離空間移動――ガオスはそれを悟る。
「フン……道化が……!」
 不愉快げに、彼が使っていたグラスを掴むと、壁めがけて勢い良く投げつけた。
「……“神の祝福”も受けずに生まれた、摂理に反する“化け物”風情が……随分な口の利きようではないか!!」
 グラスはあっさりと砕け散り、ワインが壁を汚した。




●     ●     ●     ●     ●     ●




 時刻は午後5時を回ったところだ。
 武藤双六の入院に伴い、“亀のゲーム屋”には「閉店」の札が下げられている。
 そしてその店先では、決闘盤を用いて、一つのデュエルが行われていた。


 遊戯のLP:1300
     場:ブラック・マジシャン,マジカル・シルクハット
    手札:0枚
 絵空のLP:1200
     場:雷帝ザボルグ
    手札:0枚


「ボクのターン! いくよ、ボクは『マジカル・シルクハット』の効果を解除して……攻撃! ブラック・マジック!」
「! わわ……っ!」

 ――ズガァァンッ!!!

 黒魔術師の一撃を受け、ザボルグは粉々に打ち砕かれる。
 超過ダメージを受け、絵空の決闘盤に表示されたライフが、わずかに減少した。

 絵空のLP:1200→1100

「カードを1枚セットして……ターン終了だよ」
 デュエルは接戦ながら、遊戯がわずかに上をいく戦況だ。


 遊戯たちはあの後、インターネットを使い、“ガオス・ランバート”について調べてみた。
 確かにガオスは、I2社の初代会長であった――だが、それ以上の情報がほとんど見つからなかった。結局、三十分ほど粘った結果、“4年ほど前から行方不明らしい”という情報だけ、辛うじて得られた。
 しかしやはり、詳しいところは分からない。
 情報の宝庫と呼ばれるインターネット上でさえこうなのだから、世間的にも、ほとんど知られていない人物なのは確かだった。

 結局、ラチが明かないということになり、“ルーラー”については棚上げされることになった。また、失われた“神のカード”と、絵空の元に残された“千年聖書”についても、現状では追求しようがない――という結論に落ち着き、当面は、二日後のバトル・シティ本選に意識を向けることにした。
 本選へ進めるのは、遊戯・城之内・獏良の3名――予選で惜敗してしまった絵空は、その代わりにと、3人の“調整役”を買って出ていた。
 獏良・城之内と、連続でデュエルをこなしたところで、今は三人目の、遊戯とのデュエルの真っ最中である。



「あー……やっぱ強ぇなあ、遊戯は」
 2人のデュエルを見ながら、本田は感心してみせる。
「それに比べてオマエは……本選出場、神里と代わった方がいいんじゃねえか?」
 ジト目で、横の城之内を見やる。城之内は先ほど、5ターンで撃沈したばかりである。ちなみに獏良は、十数ターン粘った末に、絵空のライフを残り数百まで削った、僅差の惜敗だった。
「うっ……うっせーな! しょーがねえだろ、デッキ調整中だったんだから!!」
 城之内が負け惜しみめいた言い訳をした。だが、城之内の言い訳も、あながち的外れではない。
 昨日、予選終了後に城之内は、それまでの反省を活かし、デッキを大幅に改築したのだ――が、どうやら狙うコンボを欲張りすぎたらしく、見事なまでにデッキが回らなかった。結果として、速攻をウリとする絵空から、見事な5ターンキルを喰らったのである。
(テストデュエルしといて良かったぜ……。こりゃ、もう一度デッキを見直した方がいいな)
 腕を組みながら、一人、ウンウンと首を縦に振った。
「……でもさー……ホントもったいないよね、神里さん」
 獏良のことばに、杏子が「そうよね」と頷いた。
「遊戯相手に、これだけ闘えるんだもん……。本選に進んでも、きっといいデュエルが出来るわよね」
 杏子は、予選中に絵空から離れてしまった負い目から、余計にそう感じていた。



(ウーン……これで私に残されたカードはナシ、か。遊戯くんの場には、十八番のブラマジとリバースが1枚……)
 絵空は場の状況を見ながら、難しい顔をした。
 ここからの逆転は難しいだろう――だが、自分にターンが回ってくる以上、まだチャンスはある。
「いくよ……わたしのターン、ドロー!」
 カードを1枚抜き放つ。そしてそれを確認する――その瞬間、瞳孔がわずかに開かれた。

 ドローカード:混沌帝龍−終焉の使者−

 絵空がテストデュエルを申し込んだのには、本来の理由とは別に、もう一つの目的があった。
 『混沌帝龍−終焉の使者−』――このカードがデュエルで使えるのかどうか、それを確かめることだ。テーブル上のゲームなら、無論使えることになるが、決闘盤を用いる場合には勝手が変わってくる。
 予選中、召喚した『カオス・ソルジャー−開闢の使者』は、完全な形では召喚できなかった。類似カードである儀式モンスター『カオス・ソルジャー』となり、しかも1ターンしか存在できないという、極めて不安定な状態だった。だが絵空にしてみれば、それでも、十分戦力になるカードだったのである。
 今、絵空のデッキからは『カオス・ソルジャー』のカードが失われてしまい、代わりにこのカードがデッキに入れられていた。
 天恵は絵空に、それに関する事情を一切説明しなかった。
 故に絵空は、“神のカード”と一緒に、何者かに奪われてしまったのかも知れない――そう考えていた。だが、何故その代わりに、『終焉の使者』なるカードが入れられていたのか、それが分からない。
(効果を見る限り、互角以上の力があると思うんだけど……)
 カードを片手に、絵空は眉をひそめる。
 何故このカードが、デッキに入っていたのか――それが分からない。『開闢の使者』を奪った“泥棒”がお詫びに入れてくれたとでも言うのか、いや、それはあまりに不自然な話だろう。
 絵空の当面の関心としては、『開闢の使者』と類似する能力を持つこのカード――『終焉の使者』は、果たして使えるのかどうかだ。
 『開闢の使者』のように、1ターン限定の通常モンスター扱いになるのか、それともちゃんと機能してくれるのか。後者ならば、確実な戦力アップを得られたことになる。
(……でも……何だかこのカード……)
 カードを見つめ、表情を歪める。
 何だろう……不気味な雰囲気を感じる。普通のカードとは、明らかに一線を画している――少し怖い感じがして、けれどどこか、哀しげに映った。
(……ね、召喚しちゃっても大丈夫……だよね?)
 地面に置いた“聖書”に、絵空は念のため確認をとった。本当は空中に浮かべておきたかったが、通行人に驚かれると厄介なので――という考えだ。もっともデュエル中ならば、それも立体映像の一つとして捉えられるかも知れないが。
『(……大丈夫だと思うわ……やってみて)』
 天恵は静かに、絵空に先を促した。
 絵空が『終焉の使者』を召喚した場合、どうなるのか――天恵はそれを知っていた。だから止めずに、その先を促す。
「……! うん。よし、それじゃあいくね……私は墓地の『シャインエンジェル』と『キラー・トマト』を除外して……『混沌帝龍−終焉の使者−』を特殊召喚!」
 決闘盤に、カードをセットした。
 カード名を聞き、遊戯が目を細めた。
 未知のカードの召喚――それがどのようなことになるのか、その動向に注目する。
「…………」
「……あれっ?」
 だがすぐに、絵空は異変に気付いた。いや、異変と言うべきなのか――詰まる話、“何も起こらなかった”のだ。
 決闘盤にカードは出したのに、フィールドには何も現れない。
 絵空は驚き、唖然としていた。だが天恵から見れば、それは当然の結果だった。

 『混沌帝龍−終焉の使者−』――このカードは天恵の“魂(バー)”を受け、“精霊(カー)”を写し出したものなのだ。
 特別な力で生み出された、天恵の“移し身”たるこのカードには、特別な“鍵”が必要になる。
 それはすなわち、正式な主である天恵の“魂”――それを与えることでのみ、このモンスターは“完全な姿”で起動する。故に『終焉の使者』の召喚は、天恵自身の手でしか行えない。

 『カオス・ソルジャー−開闢の使者−』のカードでも、同じことが言えるのだろう。
 恐らくこの世界のどこかに、『開闢の使者』の“精霊”を宿した人間がいる――その人物のみが、『開闢の使者』を“完全な姿”で喚び出せるのだ。
 ……もっとも『開闢の使者』に関しては、類似した儀式モンスター『カオス・ソルジャー』が存在したため、決闘盤の誤作動か何かで、それを喚び出せたわけであるが……。

 『終焉の使者』には、『カオス・ソルジャー』のような類似モンスターが存在しない。それ故に、何も喚び出せないのが目に見えていた。


 『終焉の使者』が召喚できないことを悟った絵空は、がっくりと首を垂れ、デッキに手を置いた。他にカードが無いので、抵抗のしようがない――“降参”の意を示す、サレンダーである。


 遊戯のLP:1300
     場:ブラック・マジシャン,伏せカード1枚
    手札:0枚
 絵空のLP:0
     場:
    手札:1枚(混沌帝龍−終焉の使者−)


「……あれ……どうしちゃったの、神里さん?」
 遊戯が駆け寄り、問いかける。
 絵空は簡潔に、『終焉の使者』のソリッドビジョンが現れなかった旨を伝えた。
「うう〜……完全な戦力ダウンだよぉ……」
 がっくりと、うな垂れる。
 完全に召喚できないのでは流石に、デッキ投入しておくわけにはいかないだろう。一応、墓地に落ちれば『禁忌の合成』の融合素材にはなるが……如何せん、効率が悪すぎる。


 その後、遊戯の部屋に一旦戻り、しばらく話をした末に――今日は解散することにした。
「絵空ちゃん、バスで来たのよね? 私、その道通るから……一緒に帰りましょうよ」
 杏子の提案に、絵空は迷わず頷いた。
 しかしそこで、遊戯が口を挟む。
「あー……ゴメン、ちょっと待って。神里さんには、ちょっと残ってほしいんだ」
 全員の動きが止まる。絵空が目を瞬かせた。
「何だ、遊戯? まだ何かあんのか?」
「えっと……ゴメン。ちょっと3人だけで話したいんだ。城之内君たちは先に帰っててよ」
 “3人”――その表現はすなわち、絵空と“もう一人の絵空”のことを指している。
 城之内たちは少し顔を見合わせてから、遊戯のことばに同意を示した。
「んじゃ……またな。遊戯、神里」
「またね。遊戯、絵空ちゃん」
 各々が挨拶をして、部屋を出て行く。「またね」と遊戯は屈託なく返すが、絵空の方は落ち着かない。
(遊戯くん……話ってなんだろうね?)
 やっぱり“神のカード”を失くした件だろうか――と、絵空は内心ビクついていた。
『(…………)』
(……? もうひとりのわたし?)
『(……あ、ごめんなさい。何?)』
 問い直されて、天恵は初めて気が付く。
(……どうしたの? 調子悪いの?)
 今日、全然喋らないよね――と、絵空は心配そうに訊いた。
『(……何でもないわ。昨日の疲れが、少し残っているだけ)』
 大丈夫だから、と、天恵は強がって返した。“もうひとりのわたし”――そう呼ばれるたびに、天恵の心はひどく痛む。

 ――私は天恵
 ――月村天恵

 そう言えたら、どれほど楽だろう――と。

「……さて……と」
 全員が出て行ってから少しして、遊戯は、ゆっくりと口を開く。
「――“味方”だから」
 と。
 脈絡が掴めず、絵空は小首を傾げた。
「……これだけは覚えておいて。この先、どんなことがあっても……ボクは絶対、神里さんたちの“味方”だから」
「……? へ?」
『(……!)』
 絵空の頭上に、いくつものクエスチョンマークが浮かんだ。
 天恵だけが、その意味をおぼろげに悟る。
「……ボクが言いたいのはそれだけ。ごめんね、引き止めちゃって」
 「途中まで送るよ」と言って、遊戯は立ち上がった。
 首を傾けたままで、絵空もそれに倣(なら)う。
「ね……それってどういう意味?」
 部屋のドアノブに手をかけながら、遊戯は少し考える仕草をした。
「ことば通りの意味……かな」
 そう言って、屈託なく笑んでみせた。

(……ね……どういう意味かな? 今のって)
『(……さあ)』
 遊戯の後をついて、階段を下りる。
 玄関へ来たところでちょうど、遊戯が振り返った。
「……ちょっと寄りたいところがあるんだ。悪いけど……少しだけ付き合ってくれない?」
 絵空は少し考えてから頷いた。
 まだ辺りはそんなに暗くなっていないし、直帰する必要はないだろう。しかし、先ほどからの遊戯の様子が、どうにも腑に落ちなかった。
(……何か遊戯くん……いつもと様子が違うような……?)
 絵空から見た普段の遊戯は、いつも裏表ない、大人しくて穏やかな少年だった。
 しかし今の遊戯は、何かを隠している様子で、少し怖いような印象さえ受ける。
 遊戯は振り返らない。黙ってアスファルトを蹴り、歩いてゆく。仕方なく絵空も、黙ってその後をついて行く。

 しかしどうにも、様子がおかしかった。
(な……何か、人気が無い方に向かってない……?)
 遊戯の先導のままに、二人はどんどん、町の中心から離れていった。
 十分ほど歩き、普通なら入らないような裏路地に入ったところで、絵空は不安に駆られ、問いかける。
「ねっ……ねえ。どこまで行くの?」
 遊戯の足が止まる。振り返ってみせると、いつも通りの、穏やかな表情の遊戯がいた。
「ん……もう少し、かな」
 そう言って、再び歩を進めてしまう。仕方なく絵空も、再び足を動かす。

 暗く、寂れた道だった。
 日も落ちて、辺りの暗さが、絵空の不安を後押しする。
「……この辺りでいいかな」
 不意に、遊戯の足が止まった。
 怯えながら、絵空も足を止める。
「ゆ……遊戯……くん……?」
 ゆっくりと、遊戯が振り返る。
 そこにいつもの、穏やかな遊戯はいなかった。
 いつにない、“鋭さ”を含んだ表情が、絵空の方へと向き直る。その表情には、少なからぬ“敵意”も含まれていた。


「――いつまでも隠れてないで……出てきたらどう?」


 絵空はその瞬間、何のことか分からなかった。
 しかしすぐに、遊戯の視線が、自分より背後を捉えていることに気付く。


『――気配は完全に消したはずだったが……』


 聞き覚えのない、第三者の声。
 絵空ははっとして、振り返った。

『……あの頼りなげだった“坊や”が……随分と成長したものだな』

 そこに人影は無かった。
 だがアスファルトの地面の中から、物理法則を越え、何かが浮かび上がってくる。
「……!??」
 青年だった。
 全身真っ白な装束に身を包み、褐色の肌をした、冷たい瞳の青年。
 絵空は二、三歩後ずさり、再び遊戯に振り返る。

 遊戯は、その青年を知っていた。“千年パズル”を組み立てて、“彼”と出会って程ない頃、初めて遭遇した“千年アイテム”の所持者。
 遊戯はいつにない真剣な表情で、その男――“シャーディー”を見据えていた。



決闘55 敵

 絵空にはその状況が、さっぱり把握できなかった。
 ただ、自分の前後に相対した二人の男――遊戯とシャーディーを交互に見やる。

「……やっぱり……死んでなかったんだね」
 沈黙の末、遊戯が先に口を開いた。
 昨年、エジプト美術館で行われた、闇RPG――その中で、シャーディーは“ハサン”として“彼”を護り、ゾーク・ネクロファデスの攻撃により消滅したはずだった。
「……何故……私が生きていると?」
「……“彼”が言ってたから。「アイツはそう簡単に死ぬようなヤツじゃない」って……」
 遊戯の表情がわずかに、切なげに緩んだ。
 シャーディーもそこには思うところがあるらしく、不自然な間があった。
「…………。あの後……ゾーク・ネクロファデスの一撃に倒れた私は、自己の修復に専念せざるを得なかった。満足に動けるようになったのは、ほんの数日前のことだ……」
 それだけ言うと、シャーディーの瞳から温もりが消える。
 遊戯と、そして隣の絵空を視界に収める。
「……単刀直入に訊こう……。私の狙いが何か……分かっているか?」
「……多分ね。見当はついてるよ」
 遊戯は隣の、絵空の方を見た。その手に抱えられた、黒い本――“千年聖書(ミレニアム・バイブル)”。シャーディーの狙いは十中八九、それだろう。
「さっき……その本を手にしたとき、“情報”が頭に流れてきたんだ。君がこれを狙って、身を潜めているって……」
「……なるほど……それで知ったか。私の存在を」
 シャーディーが目を伏せ、溜め息を漏らす。

 無論、天恵が伝えたわけではなかった。
 伝えたのは、“千年聖書”自身の意思――自己防衛の策として、遊戯を“利用”するため、その情報を伝えたのだ。

「――まるでコウモリだな。どちらの陣営にも、さも“味方”であるような面をし、甘い汁を吸おうとする……」
 シャーディーの言葉が、天恵の胸に突き刺さる。
 自分は本当は、どちらの“味方”なのか――それが、今の天恵には分からない。




 ――ゾーク・アクヴァデスの“器”となり……“楽園”で命を得、幸せを掴みたいのか?
 ――それとも……理性を守り、この世界に存在し続けたいのか?

 ――今のままの状態で?
 ――もうひとりの、“神里絵空”として?
 ――肉体を持たぬ存在として……絵空の幸せだけを願い、いつまでも陰ながら見守る?

 そんなことができるだろうか……否、できるはずがない。
 思い出してしまったから。自分が、“月村天恵”であることを。

 だから喜べない。“神里絵空”の喜びを、幸せを。

 ――私は天恵
 ――月村天恵

 だから……喜べない。嫉妬してしまう、絵空に。

 ――私は絵空じゃない……天恵だから
 ――今はもう、肉体を持たない……死んだ人間だから

 ――嫉妬してしまう……アナタに
 ――アナタの幸せは、私の幸せとイコールでは結ばれない

 かつて、“死神”が言っていた――いずれ自分は必ず、絵空を憎むことになると。


●     ●     ●     ●     ●     ●     ●

『…貴様ハイズレ必ズ、アノ少女ヲ疎マシク思ウ……』

『“影”デアル自ラヲ差シ置キ、幸福トナル少女ヲ』

『ソシテ、イズレ貴様ハ――少女ヲ憎ミ、殺シタイトマデ思ウ』


『貴様ガ何ヲ思オウト――貴様ハ少女ノ、“哀レナ影”』

『“影”ハ幸福ニハナレヌ……“影”デアル限リ』

『少女ノ幸福ハ、イズレ貴様ノ不幸トナル』

『今ノ貴様ガドウアレ、避ケ難ク……必然ニナ』

●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


 自分が“もうひとりの絵空”であったならば、あるいはそれも、許容できたかも知れない。
 けれど自分は、“天恵”なのだ。自我を持った、別人の意思――“月村天恵”。

 時間の問題であることは、目に見えている。このままではいずれ、自分の“妬み”は“憎しみ”に変わり、際限なく育ち、絵空を喰い殺すだろう。“神里絵空”に成り代わりたい、“影”でありたくない――おぞましい願望を、必ず抱くはずだ。

 ――それなのに……死ぬことすらできない
 ――“聖書”の破棄は、絵空の死をも意味する
 ――“聖書”に囚われた自分はもはや、“自害”すら選べないのだ――




「――聞こえているか……“終焉”を宿す者よ」
 シャーディーが問いかける。
 それが自分に対するものだと、天恵はすぐに理解できた。
「……貴様にわずかでも良心が残っているなら……今すぐ“聖書”を渡すことだ」
 シャーディーの狙いを悟り、絵空は“聖書”を抱え直した。
 “終焉を宿す”だの“良心”だのと、言っていることはさっぱり分からない――けれど“聖書”は渡せない。何故ならその中には、大切な、“もうひとりの自分”の魂が宿っているのだから。
「おっ……おにーさんが何者かは知らないけど……これはあげられないよ! 大切なものなんだから!」
 “聖書”が自らの“生命線”になっていることを、絵空は知らない。ただ、“もうひとりの自分”と一緒にいたいという一心だけで、それを庇い込む。
「……心配は要らない」
 それを知ってか知らずか、シャーディーの口調が穏やかになる。
「……“聖書”を消すことはしない……遠き地にて、再び“封印”を施すのみだ。お前の命が断たれることは無い……」
「……?」
『(……!)』
 絵空と天恵は、それぞれに別の反応をした。
 少しの間を置いて、天恵が絵空に語りかける。
『(……代わって)』
 と。
「……? もうひとりのわたし……?」
『(……大丈夫。大丈夫だから……少し、代わって……)』
 絵空は渋々了承し、目を閉じる。
 “聖書”のウジャトが輝き、人格交代が果たされる。
 月村天恵が、絵空の肉体の主導権を得る。
「……今の話……本当ですか?」
 すがるように、天恵はシャーディーを見つめた。
 シャーディーはわずかに、首を縦に動かす。
「……正確には、“消すことができない”という表現が正しい……。“千年聖書”は、他の“千年アイテム”とは一線を画すアイテムだ。人の手によらず、“闇”より創られし“超古代遺物(オーパーツ)”……。それを処分するには、“創造神”クラスの魔力が必要だろう。現に4年前、私がそれを手に入れたときも、やむなく“封印”という手段をとった。可能な限り厳重な“封印”を施し、一片の光すら届かぬ“闇”へ沈めること……それこそが、選びうる唯一の策だ」
 抑揚のない、冷たい口調だった。それはすなわち天恵に、一片の希望すらない“孤独の闇”で、永遠を生きろということを意味する。
「…………」
 即断はできなかった。
 当然のことだ。他の全てのために、自身の全てを犠牲にできる人間など、そうはいない。

 ただ死ぬだけなら、あるいは楽かも知れない――だがシャーディーが口にしたのは、死よりも遥かに恐ろしい“闇の底”だった。

「…………!」
 思いつめ、表情を歪める。
 シャーディーは天恵を見つめ、返答を迫る。

 ――不意に、遮るものがあった。
 天恵とシャーディーの瞳が、驚きに見開かれる。
 武藤遊戯の片腕が、天恵の前に伸ばされた。
「……!? ゆ……遊戯……さん……!?」
 唖然として、天恵は遊戯に、その背中に問いかける。小さなはずのその背中が、やけに大きく感じられた。小さい頃に好きだった、父の広い背中を彷彿とさせる。

 ――カッ!!!

 同時に、“聖書”のウジャトが輝く。
 天恵の意思によるものではない。絵空の意思とも関係ない。
 それは“聖書”の意思。ただ自らの“主”を護らんとする、純粋なる防衛反応。
 表に出された絵空は、咄嗟に“聖書”を胸に抱いた。そして驚いたように顔を上げ、遊戯の背中を見つめる。
「――何か……勘違いをしているようだな」
 シャーディーの口調が、いやに穏やかになった。
 ゆっくりと、なだめるように、遊戯に対してことばを紡ぐ。
「見誤るな……王の器たる少年よ。私は君の“味方”だ。私は――」
「――“敵”だよ」
 それは決別のことば。
 その一言に迷いはない。迷うつもりなど、毛頭ない。
「君が神里さんを“敵”だというのなら……ボクは……」
 顔を上げる。
 遊戯の両の瞳が、目の前の、長身の男を捉える。

「――ボクは君の“敵”だ……シャーディー」

 絵空は呆気にとられた。目の前の頼もしい背中を見て、目を何度も瞬きさせた。
(……ゆ……遊戯くんて……こんなカッコ良かったっけ……??)
 そしてふと、以前、“もう一人の自分”と交わした会話を思い出す。


●     ●     ●     ●     ●     ●     ●

「もうひとりのわたしは遊戯君の、どこが好きなの?」

『(……やさしくて……カッコいいところ……)』

「“やさしい”は分かるけど……“カッコいい”?」

『(……馬鹿ね。“能ある鷹は爪を隠す”……いざというときだけ見せるのが、本当のカッコ良さなのよ。カッコ良いときの遊戯さんを見てないからそう思うの)』

『(……カッコ良いときの遊戯さんを見れば……きっと好きになると思うわ、あなたも)』

●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


 一方で、シャーディーはポーカーフェイスを崩さずに、しかし内心では焦燥を覚えていた。
(……面倒なことになったな)
 シャーディーにしてみれば、絵空と遊戯が知り合ってしまったのは、全くの誤算と言って良かった。

 ――武藤遊戯の中には今、“王の遺産”が眠っている
 ――故に、強硬手段はとれない……“遺産”を“暴発”させてしまえば、全ては水泡に帰してしまう

「……。冷静になれ……君は“大局”が見えていない。“ソレ”がどれほど危険なものか、全く認識できていない……」
「…………!」
「……君は彼女らに、自らの“過去”を重ね、必要以上の“情”を抱いている……違うか?」
「……否定はしないよ。でも、それだけじゃない……」
 遊戯の強い瞳が、シャーディーをはっきりと見据える。
「神里さんは……2人は、ボクの掛け替えのない“友達”だ……!」
「…………!!」
 シャーディーの眉間に皺が寄る。
 今度は、遊戯の方が問いただす番だ。
「……今の君の目的は何……? 君は一体、誰の意思で動いているの?」
「……愚問だな」
 さも当然であるかのように、シャーディーは語る。
「……私は、亡きアクナムカノン王の、最期の遺志が生み出した精霊(カー)……。彼の子息である“あの方”を守護することのみが、私に与えられし使命、存在理由。この存在が消えぬ限り、その行動原理はファラオとともにある……」

 ――守護すべきファラオが冥界へ旅立った今……三千年に渡る私の使命は、最後の局面を迎えようとしている
 ――冥界での旅を終え、ファラオが再びこの世界へ還るとき……それを見届けること
 ――そのためには……ファラオの還るべきこの世界を、いかな犠牲を払おうとも護る必要がある

「……同時に、私は“アヌビスの使徒”でもある……。冥界神・“アヌビス”に仕えることで“不滅”の力を得、今日まで存在し続けてきた。アヌビスの意思に従い、そしてアクナムカノン王より授かった使命を完遂する……それだけが私の正義。そのためならば、どれほどの血が流れようと、私は微塵も構わない……」
 無機質な、しかし強い瞳が、絵空を鋭く射抜いた。
 絵空はぞっとし、寒気を覚えた。
 シャーディーは絵空にとって、初めて対峙する“異質”の存在だった。
 彼に宿る強い意志は、絵空の心を怯えさせ、尻込みさせる。
(……この人……怖い……!)
 膝ががくがく震え出す。
 しかしそれをかき消すように、遊戯が、毅然としたことばを発した。
「――そんな正義……ボクは認めないよ」
「……!?」
「……“彼”だって、そう言うはずだ……! 誰かの犠牲のもとに成り立つ正義なんて、あるはずがない……そんなの、あり得ていい訳がない!」
 不意に、遊戯の足元で、小石が一つ跳ねた。
 誰も気には留めない。この切迫した状況下で、それに意識を向けられる者はいなかった。
「……子どもだな。あまりに幼い理想論だ」
「……子どもでいいよ。これがボクの考え方だ」
 足元で、小石がまた一つ跳ねた。
 遊戯の瞳がまた、一層に鋭さを増す。
「――立ち去れ、シャーディー……。それとも君はここで……“俺”と闘ってまで正義を貫くかい?」
「――……!?」
 声色が一瞬、確かに変わった。
 さしものシャーディーも逡巡する。武藤遊戯の中で起こりつつある“変化”を、敏感に感じ取る。
(……だが、退くわけにはいかない……!)
 シャーディーは、左腕を突き出してみせた。
「いいだろう……はっきりさせよう。キミと私、どちらが正しいか……」

 ――ボコッ……ボコココッ!!

 目の前のグロテスクな光景に、絵空ははっとした。
 シャーディーの腕の筋肉が、不自然に隆起し、何かを形どってゆく。
「……キミも良く知る……“闇のゲーム”でな」
 それが形どったもの――それは絵空も良く見知ったもの、“決闘盤”だった。
「……!? M&Wを……!?」
 それには遊戯も、驚きの声を上げる。
 かつて、“彼”がシャーディーと行った“闇のゲーム”は、非常に変則的なものだった。よもや“闇のゲーム”の種目としてM&Wを選ぶなど、遊戯は予想だにしていなかった。
「……甘く見ないことだ。M&Wは、三千年前のエジプトの“闘い”の再現……。その闘いの術は、この時代の誰よりも熟知している」
 今度は右手を上げた。シャーディーが見つめると、自然に、40枚のカードの束――“デッキ”が現れる。
「アンティルールだ……キミが勝ったならば、私から相応のレアカードを渡そう。しかし私が勝った時は、“千年聖書”を渡してもらう……いいな?」
 デッキをセットすると、シャーディーは遊戯に返答を迫る。
「……別に……デュエルの勝敗なんかで、物事の正否が決まるなんて思わない。けど――」
 遊戯は腰のホルダーから、自身のデッキを取り出してみせた。
「受けて立つよ、シャーディー……このゲーム。必ず勝って、キミの正義を否定してみせる!」
 遊戯はデッキを構え、自信ありげに見得を切ってみせた。


 遊戯が絵空に振り返る。
 その瞬間、絵空は胸がドキリとした。
「……神里さん。決闘盤、貸してくれる?」
「……へっ? あっ……」
 そこにあるのは、遊戯のいつもの、穏やかな顔だった。
 まるで別人ではないか――そのギャップに、絵空は戸惑いを隠せない。
「あっ……あの。でも……」
「……大丈夫」
 絵空をあやすように、遊戯は微笑んでみせた。
「護るから……絶対」
「……え?」
「ボクが絶対に……2人とも護るから。だから信じて、ね?」
「……!」
 不思議な安堵が、心に込み上げてきた。
 ひどく安心できた。けれど同時に、それとは別の感情も芽ばえてくる――“それ”が何なのかを、絵空はすぐに理解できない。幼い頃から病院生活を強いられてきた絵空にとって、“それ”は、知識としては知っていても、経験の無い感情だった。
(何だろ……まだ胸がドキドキする……)
 さっきまでとは違う感じなのに――心臓の鼓動が収まらない。
 未知の感情に動揺しながらも、絵空は背中のナップサックを下ろした。その中から、自分の決闘盤を取り出す――しかしそこで、脇に抱えた“聖書”から、それを止める声がした。
『(……待って。もう一人の私……)』
「……えっ?」
 決闘盤を掴んだまま、絵空の動きが止まる。
『(……お願いがあるの。私からの、最後のお願い……)』

 “最後の”――そのことばが、絵空の胸に引っかかる。

『(……この本を……あの人に渡して)』
「ええっ!?」
 天恵は努めて冷静な口調で、諭すようにことばを紡ぐ。
『(……アナタだって、分かるでしょう? この本は、普通の本じゃないの……あの人の言うことは正しいわ。これを持つ限り、アナタは危険な目に遭うの。だから……!)』
「…………」
 それは、突発的な行動だった。
 けれど悔いの無い、確かな意思に基づいた行動。
 決闘盤を左腕に装着すると、絵空は舌を出してみせる。
「……ヤダ」
 と。
 もう怯えは無かった。振り返り、遊戯に対して言う。
「デュエル、わたしがやるよ! お願い……わたしにやらせて!」
 遊戯は驚いたように、目を瞬かせた。しかしすぐに、首を横に振る。
「……駄目だよ。これはただのデュエルじゃない……“闇のゲーム”なんだ。危険すぎる!」
 “闇のゲーム”――そのことばが何を意味するのか、絵空は知らなかった。
 かつて遊戯と天恵は、“死神”の介入のもと、“闇のゲーム”で互いを傷つけ合ったことがある。だが、絵空はその事実を知らない。“闇のゲーム”がどれほど危険なものか――その本質を知らない。
「“闇のゲーム”では、互いのプレイヤーへのダメージが、実際の痛みとして与えられる……! 負ければ、死ぬことだってある! だから――」
「――でもっ!」
 遊戯のことばを、絵空はぴしゃりと切り捨てる。
「……普通じゃないのは分かってる……でも! それでも……」
 絵空は視線を落とし、手元の“聖書”を見つめた。
「それでもここは……わたしがやらなくちゃいけないと思うの!」

 ――証明するために……大切なことを
 ――伝えるために……“もう一人のわたし”に

『(――バカ! なに言ってるの!? やめなさい!!)』
 天恵が声を荒げた。しかし、唯一それが届くはずの絵空は、あくまで聞こえないフリをした。
 強引に、肉体の主導権を奪おうとする――しかし“聖書”が、それを許可しない。
 今ここで、天恵に主導権を譲れば、大人しく“聖書”を渡してしまうだろう――それを見越しているから。

「…………!」
 困ったように、遊戯は眉根を寄せた。
 しかしそこでふと、あることに気が付く。

 ――どこかで、見たことがあった。

 懸命な表情で、絵空は、決意のこもった瞳をしていた。

 ――彷彿とさせた……かつての自分を
 ――“彼”のために、自分も闘う……そう決めたときの瞳を

「………………。分かった」
 長い逡巡の末、遊戯は渋々、首を縦に振った。
「でも……くれぐれも気を付けて。それから……忘れないで、ボクもいるから」
「……ウン!」
 力強く頷くと、絵空はシャーディーに視線を移す。
「……選手交代か……? いいだろう。アンティさえ守るなら、誰が相手でも構わない。むしろ好都合だ……」
 シャーディーの口が初めて、冷たい笑みを作った。
 それを見て、気圧されぬよう努めながら、絵空はあかんべーをしてみせた。
「そんなこと言ってられるのも……今のうちだよっ!」
 と。



 絵空とシャーディーの2人は、互いのデッキをシャッフルし、距離をとる。途中でとられないように、“聖書”には気を遣っていた。
 その間、“聖書”の中から、天恵が何度も叫んでいた。
 けれど絵空は、それに応じない。
 半ば意固地になった様子で、デッキを盤にセットすると、対戦相手を見つめる。

「……では……いくぞ」
 二人は同時に叫んだ。

「「――デュエル!!!」


    絵空のLP:4000
シャーディーのLP:4000


 絵空は“聖書”を、空中に放り上げた。
 物理法則に反し、“聖書”は絵空の側で、ふわふわと浮かんでいる。
「いくよ……わたしの先攻、ドロー!」

 ドローカード:スケープ・ゴート

「わたしはカードを1枚伏せて……『魂を削る死霊』を守備表示で召喚! ターン終了だよ」


魂を削る死霊  /闇
★★★
【アンデット族】
このカードは戦闘によっては破壊されない。
魔法・罠・効果モンスターの効果の対象になった時、
このカードを破壊する。このカードが相手プレイヤーへの
直接攻撃に成功した場合、相手はランダムに手札を1枚捨てる。
攻 300  守 200


「……私のターン……ドロー」

 ドローカード:アメミット

「……。私は手札から『墓守の司令官』を捨て……特殊能力を発動」


墓守の司令官  /地
★★★★
【魔法使い族】
このカードを手札から墓地に捨てる。
デッキから「王家の眠る谷−ネクロバレー」1枚を手札に加える。
攻1600  守1500


「その効果により、デッキからこのカードを手札に加え……発動する。フィールド魔法『王家の眠る谷−ネクロバレー』」


王家の眠る谷−ネクロバレー
(フィールド魔法カード)
このカードがフィールド上に存在する限り、お互いのプレイヤーは
墓地のカードに効果が及ぶ魔法・罠・効果モンスターの効果を無効にし、
墓地のカードをゲームから除外する事もできない。
また、このカードがフィールド上に存在する限り、フィールド上の
「墓守の」というモンスターカードの攻撃力・守備力は500ポイントアップする。


 ――ズゴゴゴゴゴ……!!

「……!? これは……」
 目に見える景色が変わってゆく。寂れた夜の路地裏から、あっという間に、険しい渓谷へと。
「……王家の谷は、何者にも侵せぬ不可侵の領域……」

 ――ズォォォォォォォ……

 シャーディーの全身から、黒い霧のようなものが噴き出してゆく。
「……さあ……“闇のゲーム”の始まりだ」
 シャーディーはその口元に、うっすらと笑みを浮かべた。



  絵空のLP:4000
      場:魂を削る死霊,伏せカード1枚
     手札:4枚
シャーディーのLP:4000
        場:王家の眠る谷−ネクロバレー
       手札:5枚



決闘56 VSシャーディー!

 『王家の眠る谷−ネクロバレー』――このカードの効果は、絵空も把握していた。このフィールドカードが存在するとき、互いのプレイヤーは墓地に効果が及ぶカードを発動できないのだ。
(扱いが難しいから、使う人はあまりいないって聞いてたけど……)
 思わぬカードの発動に、絵空は表情を引き締めた。
「私はさらに、このモンスターを攻撃表示で召喚する……『墓守の暗殺者(アサシン)』!」


墓守の暗殺者  /闇
★★★★
【魔法使い族】
「王家の眠る谷−ネクロバレー」がフィールド上に
存在しなければ発動できない。このカードの攻撃宣言時、
相手モンスターの表示形式を変更する事ができる。
攻1500  守1500


「『王家の眠る谷』のフィールド効果により、その攻守は500ポイントアップ……」

 墓守の暗殺者:攻1500→攻2000
        守1500→守2000

「……バトル! 『魂を削る死霊』を攻撃する!」
 黒いマントに全身を包んだ男が、ブレードを構え、忍び寄る。
(……『魂を削る死霊』には、戦闘では破壊されない特殊能力がある。けど……!)
 絵空は顔をしかめた。『墓守の暗殺者』には、フィールドが『王家の谷』であるときのみ発動可能な、強力な特殊能力があるのだ。
「……この瞬間、特殊能力発動……」
 案の定、シャーディーがその能力を宣言する。
 男の携えた刃が、怪しい、赤い光を発する。
「……アサシンの攻撃宣言時、相手モンスター1体の表示形式を変更することができる……」

 ――シュゥゥゥゥ……

 死霊の身体に変化が起こる。
 本来ならば、守備表示から攻撃表示に変えられるだけなのだが――それだけでは済まされない。『魂を削る死霊』は効果対象となったとき、自ら消滅する能力を持っているのだ。
 アサシンの攻撃が決まるより早く、死霊は浄化され、消滅してしまった。これで、絵空を守るモンスターは存在しない。
「……っ!」
 だが、アサシンの刃を目前にした瞬間、場の伏せカードを開いた。
「――リバースマジック! 『スケープ・ゴート』ッ!!」

 ――ズバァァッ!!

 アサシンの刃が、絵空の鼻先で振るわれた。しかしそこで、現れた「羊トークン」1体が、すんでのところで身代わりになる。
 ――絵空はその瞬間、異常なリアル感を覚えた。
 もともと決闘盤のバーチャルシステムは、まるで本物であるかのような臨場感を伴っている。だが、これはそれだけではない――もっと確かな、実在感があった。
(……これが……“闇のゲーム”……!?)
 ぞくりと、悪寒が背筋を伝った。
「私はカードを1枚伏せ……ターン終了だ」
 シャーディーはいたって冷静な様子で、リバースを出してターンを終えた。


  絵空のLP:4000
      場:羊トークン×3
     手札:4枚
シャーディーのLP:4000
        場:墓守の暗殺者,王家の眠る谷−ネクロバレー,伏せカード1枚
       手札:3枚


「わ……わたしのターン、ドロー!」
 恐怖を振り払い、絵空は懸命にカードを引く。

 ドローカード:聖なるバリア−ミラーフォース−

「……! わたしはまず……リバースを1枚セットするよ!」
 引いたカードをすぐに、場に出した。これで、次の攻撃は防ぐことができる――彼女らしくない、保守的な考え方だった。
 ミラーフォースをセットし、軽く安堵できたところで、絵空は改めて手札を見る。
「よし……わたしは魔法カード『増援』を発動!」


増援
(魔法カード)
デッキからレベル4以下の戦士族モンスター
1体を手札に加え、デッキをシャッフルする。


「この効果により、『ダーク・ヒーロー ゾンバイア』を手札に加え……召喚っ!」


ダーク・ヒーロー ゾンバイア  /闇
★★★★
【戦士族】
このカードはプレイヤーに直接攻撃をする事ができない。
このカードが戦闘でモンスターを1体破壊する度に、
このカードの攻撃力は200ポイントダウンする。
攻2100  守 500


 『ゾンバイア』は、絵空がデッキ投入したレベル4モンスターの中でも、最も攻撃力の高いカードだ。
 これならば、確実にアサシンを破壊できる――そう信じ、攻撃を宣言する。
 ゾンバイアは駆け出すと、アサシンの腹部に強烈な拳打を叩き込んだ。

 ――ズガァァァッ!!!

 アサシンの身体は砕け散り、シャーディーのライフを削る。その冷静な表情が、わずかだが苦痛に歪んだ。

 シャーディーのLP:4000→3900

(よしっ……上手く先手をとれた! これなら……!)
 それを見て、絵空はガッツポーズを決める。ゾンバイアは戦闘でモンスターを破壊するたびに攻撃力が下がるが、それも微々たるデメリットに過ぎない。

 ダーク・ヒーロー ゾンバイア:攻2100→攻1900

「わたしはこれで、ターン終了だよっ」
 喜々とした様子で、絵空はターンを終了した。
 この後に味わう“恐怖”を、微塵も予期できずに。
「……私のターン……ドロー」
 カードを引くと同時に、シャーディーの口元に、うっすらと笑みがこぼれる。

 ――ドシュゥゥゥゥゥッ!!!!

「!? エ……!?」
 絵空は目を疑った。
 場のモンスター3体が、突如として黒い渦に包まれる――絵空の場のモンスター、羊トークン2体とゾンバイアが。
「……私はキミのモンスター3体を生け贄に……レベル9のモンスターを召喚する」
「……な……!!」
 耳を疑った。そんな特殊な召喚条件は、聞いたことも無かった。
「……心配は要らない……このモンスターは私ではなく、キミの場に召喚される」
 そして手札のそのカードを、決闘盤にセットした。
「キミのモンスター3体を生け贄に……『アメミット』を召喚!」
「……!!?」


アメミット  /闇
★★★★★★★★★
【獣族】
このカードは相手の場の生贄3体によって、相手の場に召喚される。
このモンスターは攻撃できない。
コントローラーは相手ターンのエンドフェイズ毎に、
自分の手札の枚数×300ポイントのダメージを受ける。
また、コントローラーは相手ターンにカードをプレイできない。
攻2500  守 0


「……? え……何も出ないよ?」
 絵空が小首を傾げる。絵空のモンスター3体が姿を消しただけで、シャーディーの言うモンスターが現れる気配が全く無い。
『(――バカッ! 下よ、下っ!!)』
「……へっ?」

 ――ボゴォォォッ!!!

 突如、絵空の左右の地面に穴が開いた。そこからそれぞれ、野太い“野獣”の腕が生え、絵空の両腕をがっしりと掴む。
「えっ……きゃあっ!?」
 腕を伸ばした状態で拘束され、絵空は身動きがとれなくなってしまう。
(なっ……ナニコレ!?)
 絵空はぞっとした。腕が全く動かせない――立体映像などではない、本当に実体化した“怪物”が腕を掴み、動きを封じているのだ。
 背後からも、同じような音がした。恐る恐る振り返ると、そこにはより恐ろしい光景があった。醜い顔をした“怪物”が、大口を開け、今にも絵空を食い殺そうとしている。
「さらに……罠カード『降霊の儀式』を発動。この効果により、墓地から……『墓守の暗殺者』を蘇生させる」


降霊の儀式
(罠カード)
指定した自分の墓地の「墓守の」という名のついた
モンスターカード1枚を特殊召喚する。
このカードの発動は「王家の眠る谷−ネクロバレー」によって制限されない。


 場に蘇ったアサシンは、先ほどの復讐をせんと、好戦的にブレードを構える。


  絵空のLP:4000
      場:アメミット,羊トークン×1,伏せカード1枚
     手札:3枚
シャーディーのLP:3900
        場:墓守の暗殺者,王家の眠る谷−ネクロバレー
       手札:3枚


「……どうだ……これが“闇のゲーム”だ」
 身じろぎできぬ絵空に、シャーディーが威圧するように語りかける。
 絵空は何とか、『アメミット』の両腕から逃れようとするが――ビクともしない。それどころか、彼女の両腕は恐ろしいほど強い力で捕らわれており、もし無理をすれば、腕をへし折られる恐怖さえ感じた。
「一応訊いておこう……降参し、“聖書”を渡すというならば、アメミットの腕から解放しよう。どうだ?」
 アサシンの刃の切っ先が、絵空の方へと向けられた。絵空の場にはまだ、羊トークン1体がいる――だが、アサシンの特殊能力により、攻撃表示にされてしまう。羊トークンの攻撃力はゼロのため、何の壁にもならない。
 アメミットの腕は、確かに実在するものとして感じられる。つまり――このあと自分は、アサシンのブレードにより、実際に刺されることになるのだ。
 手術で、身体を切られたことはある。だがそれはもちろん、麻酔を受けた上での話だ。実際に刃物で斬りつけられる痛みなど、絵空は知る由も無い。
 絵空はゴクリと唾を飲み込んだ。アサシンのブレードが、脅すように、怪しい光を発する。
『(彼の言うとおりだわ! 今なら――)』
「――ヤダッ!」
 天恵のことばをかき消すように、絵空が舌を出してみせる。
 内心では怯えながらも、精一杯に強がってみせる。
「……気丈だな。いいだろう、ならば……」
 シャーディーには、躊躇する気配が無い。あくまで冷静に、アサシンに攻撃宣言を出す。
「『墓守の暗殺者』……羊トークンへ攻撃。アサシンブレード!」
「――この瞬間! わたしはトラップカードを……」
 しかし、絵空の望みは叶わない。絵空がトラップの使用を宣言しても、“アメミット”は腕を解放してくれない。これでは盤の伏せカードを表にできない。
(……!? そんな……)

 ――ズバァァァッ!!

 アサシンの刃が、羊トークンを容赦なく切り裂いた。
 羊トークンはアサシンの効果により、攻撃表示にされていた――よって絵空は、2000ポイント分のダメージを受けることになる。
 それだけの痛みを与えるべく、アサシンは返す刃で、その切っ先を絵空の腹に突き立てる。
「――っ!!」
 恐怖から、絵空は目を閉じる。それとほぼ同時に、“千年聖書”のウジャトが不自然な光を発した。

 ――ガキィィィッ!!

 金属同士の、衝突音がした。
 絵空ははっとし、目を見開く。身体のどこにも痛みは無い。
「…………!」
 シャーディーの表情が、わずかに歪んだ。
 アサシンの切っ先は、突然躍り出てきた“聖書”の、表紙のウジャト眼により受け止められていた。

 ――カッ!!!

 ウジャトが強く輝く。
 アサシンはその威力に圧され、後ろに跳び退いた。
「もっ……もうひとりのわたしっ!?」
『(……大丈夫。何ともないわ)』
 天恵の意志ではなかった。“聖書”に封印された天恵は、自身の意思で“聖書”を移動させるなどできない。

 ――これはいわば“聖書”の意思
 ――“聖書”は相応しき“主”を自動的に護り、また、その元を離れぬよう機能する

「だっ……大丈夫!? 痛くなかった!?」
『(ええ、全く……)』
 シャーディーはその様子を窺い、眉をひそめた。
(……よもや、“闇のゲーム”にまで干渉してくるとはな。だが――)
 絵空の左腕に付けた決闘盤は、通常通りに機能する。

 絵空のLP:4000→2000

(いかに“千年聖書”といえど、ゲームの根本的ルールに干渉することはできないらしい。ならば、むしろ好都合……この“闇のゲーム”に勝利すれば、少女の命の代わりに“聖書”の魔力を削ることができる……)
 シャーディーが不敵な笑みを浮かべた。そして、手札から2枚のカードを選び取る。
「私はカードを2枚セットし、エンドフェイズ……。この瞬間、『アメミット』の特殊能力が発動。キミの手札×300ポイントのダメージを与える」
「……エ……」
 絵空が恐る恐る振り返る。
 “アメミット”は大口を開け、目の前の少女に喰らいつこうとした。
「!! きゃあ……っ!」
 しかしまたも、“聖書”のウジャトが輝く。

 ――カァァァァッ!

 絵空の周囲を、薄紫の膜が覆った。

 ――バジィィィッ!

 アメミットの歯は、それにより弾かれてしまう。しかし絵空の決闘盤は、通常通りの処理を行った。

 絵空のLP:2000→1100

「……ターン終了だ。この瞬間、キミは“アメミット”から解放される……私のターンがくれば、再び呪縛を受けるがな」
 アメミットの腕が開かれ、磔状態から解放される。
 絵空はほっと溜め息を吐き、薄く痣(あざ)の残った前腕部分をさする。
(……って……こんなの気にしてる場合じゃない……!)
 絵空は顔を上げた。
 たった1ターンのうちに、およそ3000ポイントものダメージを受けてしまった――しかも、元々いたモンスターは全て倒され、いま自分の場にいるのは、とても言うことを聞いてくれそうにない『アメミット』だけだ。
(ライフは残りわずか……このままじゃ、『アメミット』の効果でやられちゃう可能性もある……!)
 顔をこわばらせ、絵空はデッキに手を伸ばした。


  絵空のLP:1100
      場:アメミット,伏せカード1枚
     手札:3枚
シャーディーのLP:3900
        場:墓守の暗殺者,王家の眠る谷−ネクロバレー,伏せカード2枚
       手札:1枚


「いくよ……わたしのターン、ドローッ!!」

 ――ドクンッ!!

 カードを引き抜いた瞬間、魂が何かを感じ取る。
 不思議だ……まだ見てもいないのに、それが何のカードか分かる。引き当てたのは、絵空が最も信頼を寄せる“最高”のモンスター。
『(…………)』
 絵空は全く覚えていない――だがそれは5年前、天恵が渡したカードだ。
「…………」
 絵空は顔を上げた。絵空の場に存在するモンスターは、ろくにコントロールできない『アメミット』のみ――だがそれでも、絵空の場に存在している。すなわち、生け贄召喚に使えるのだ。
「……いくよ! わたしは『アメミット』を生け贄に捧げて――」

 ――ドシュゥゥゥッ!!!

 『アメミット』の姿が、光の渦の中に消えてゆく。
 そして絵空は、引いたばかりのそのカードを、勢い良く盤にセットした。
「――いでよ! 『偉大(グレート)魔獣 ガーゼット』ッ!!」


偉大魔獣 ガーゼット  /闇
★★★★★★
【悪魔族】
このカードの攻撃力は、生け贄召喚時に
生け贄に捧げたモンスター1体の元々の
攻撃力を倍にした数値になる。
攻 0  守 0


 渦の中より現れるのは、アメミットより遥かに巨大な体躯をした、魔獣モンスター。荒々しく吠えてみせると、目の前に立つアサシンとシャーディーを、ギロリと睨めつける。
 それは絵空のような少女が使うには、明らかに不似合いな怪物に見えた。だがガーゼットは、彼女の期待に応えんというのか、両腕を広げ、立ち塞がる。
「……ガーゼットの攻撃力は、生け贄モンスターの攻撃力の2倍になる! よって、『アメミット』の攻撃力の2倍――5000ポイント!!」

 偉大魔獣 ガーゼット:攻0→攻5000

「……!? 5000ポイント……だと……!?」
 さしものシャーディーも、これには驚いたらしく、身を怯ませていた。
(よしっ……これで一気に、形勢を逆転できる!)
 絵空は顔を上げ、頼もしげに魔獣を見つめる。
 天恵は“聖書”の中で、対照的に、憂いを秘めた表情をしていた。
 ――2人が出会う、キッカケを作ったカード。
 このカードさえなければ、こんな運命は辿らずに済んだかも知れないのに……と。
「いっくよぉ! わたしのバトルフェイズ……ガーゼットの攻撃! グレート・パンチっ!!」

 ――ドズゥゥゥゥンッ!!!!!
 ガーゼットがその野太い腕を、アサシン目がけて叩き込んだ。



決闘57 きもち

 ガーゼットの右腕が、アサシンの身体に撃ち込まれていた。
 攻撃力差は歴然。だから絵空は、そのバトルでの勝利を確信していた。
「……よしっ! 『墓守の暗殺者』を撃――」
 だが、すぐに異変に気付いた。アサシンの身体が消えない――攻撃力2000の力量で、3000ポイントも上の一撃を受け止めてしまっている。
「…………!?」
 いや、正確にはアサシンが受け止めたわけではない。シャーディーの場のトラップが発動されたのだ。


ホーリーライフバリアー
(罠カード)
手札を1枚捨てる。このカードを発動したターン、
相手から受ける全てのダメージを0にする。


「……このトラップが発動したターン、全てのダメージは0になる……残念だったな」
「……っ!」
 シャーディーの落ち着いた口調に、絵空は顔をしかめた。
 ガーゼットは不可能と判断したらしく、その右拳を退ける。
 絵空は仕方ないといった様子で、気持ちを入れ替えることにした。
「カードを2枚セットして……ターン終了だよ」


  絵空のLP:1100
      場:偉大魔獣 ガーゼット(攻5000),伏せカード3枚
     手札:1枚
シャーディーのLP:3900
        場:墓守の暗殺者,王家の眠る谷−ネクロバレー,伏せカード1枚
       手札:0枚


(……流石はシャーディー……そう簡単に隙は見せてくれない、か)
 優れない表情で、遊戯は2人のデュエルを観戦していた。
 ライフポイントだけを見れば、絵空が圧倒的に不利な状況だ。だが、場や手札の状況を見れば、むしろ絵空に有利な形勢とも言えるだろう。
 遊戯はふと、デュエル開始前の絵空の表情を思い出した。
 “もうひとりの自分”のために、闘いたい――かつて遊戯自身も、同じように抱いた感情。何よりも強い想い。
(……勝って、神里さん……! もう一人の神里さんと……そして、自分自身のために!)
 デュエルの行末を、固唾を呑んで見守る。



「……私のターン、ドロー」
 攻撃力5000のモンスターを前にしても、シャーディーは焦った様子もなく、冷静にカードを引く。
「……私はまず、場に伏せた魔法カードを使う。『天よりの宝札』!」
「! 手札増強カード……!」
 互いの手札は1枚。よって、2人はデッキから5枚ずつドローする。
「……。私はこのまま、バトルフェイズへ移る……! 『墓守の暗殺者』よ、ガーゼットを攻撃せよ!」
 アサシンのブレードが、怪しい光を発する。
 『墓守の暗殺者』の攻撃宣言時、ガーゼットは守備表示にされてしまう。ガーゼットの守備力は0――この攻撃を通せば、絵空は切札モンスターを失うことになる。
 だから躊躇せず、絵空は場のリバースカードに手を伸ばす。先のターン、『アメミット』のために発動できなかった、最強のトラップカードを。
「リバーストラップ発動! 『聖なるバリア−ミラーフォース−』っ!!」
 ガーゼットをバリアが包み込み、アサシンの一撃を受け止める。
 そして、バリアの放つ輝きが、アサシンを粉々に打ち砕く。

 ――ズガァァァッ!!

「……ならば、私はカードを2枚セットし、『墓守の偵察者』を守備表示で召喚する。ターン終了だ……」
 焦った様子は微塵も見せず、シャーディーは新たな『墓守』を喚び出して、ターンを終えた。


墓守の偵察者  /闇
★★★★
【魔法使い族】
このカードが表になったとき、自分のデッキから
攻撃力1500以下の「墓守の」という名のついた
モンスターカード1枚を特殊召喚する。
攻1200  守2000


 墓守の偵察者:守2000→守2500
        攻1200→攻1700

「いくよ……わたしのターン、ドロー!」
 6枚のカードを左手に持ちながら、空いた右手でカードを引く。
 そして、それを視界に入れた瞬間――絵空の表情に動揺が浮かんだ。
 引き当てたカードは、“混沌の闇”を操る最強レベルのドラゴン。

 ドローカード:混沌帝龍 −終焉の使者−

(…………。ああっ、デッキから抜き忘れてたぁっ!!)
 自分の迂闊さを呪う。『終焉の使者』のカードは、絵空には召喚できないのだ。
 これならさっさと、別の使えそうなカードと交換しておけば良かった――そう後悔する。
 しかし、そんな絵空の思考を遮るかのごとく、シャーディーがアクションを見せた。
「――この瞬間、場の魔法カードを発動する……『王家の生け贄』!」
「……へっ?」
 絵空の表情が、凍りついた。


王家の生け贄
(魔法カード)
「王家の眠る谷−ネクロバレー」が自分のフィールド上に
存在している時に発動する事ができる。
お互いの手札にあるモンスターカードを全て墓地に捨てる。


「……このカードの効果により、互いの手札のモンスターは、全て消滅する……」
 突如として、手札の中の3枚――『シャインエンジェル』と『キラー・トマト』、そして『混沌帝龍 −終焉の使者−』を、“闇”が覆っていった。
 完全に覆われてしまうと、それらは絵空の手から消え失せた。慌てて盤の墓地スペースを確認すると、3枚ともすでに、そこに置かれている。これも、“闇のゲーム”の力ということだろう。
 シャーディーの手札からも、2枚のモンスターカードが奪われる――『墓守の長』と『墓守の監視者』が。
「……! それなら……わたしは手札から、『シールドクラッシュ』を発動!」


シールドクラッシュ
(魔法カード)
フィールド上に守備表示で存在する
モンスター1体を選択して破壊する。


(これで『偵察者』を破壊できれば、ガーゼットのダイレクトアタックで勝てる……!)
 だがすかさず、シャーディーが伏せカードを表にする。
「カウンタートラップ発動、『八式対魔法多重結界』」


八式対魔法多重結界
(カウンター罠カード)
次の効果から1つを選択して発動する。
●フィールド上のモンスター1体を対象にした
魔法の発動と効果を無効にし、そのカードを破壊する。
●手札から魔法カード1枚を墓地に送る事で
魔法の発動と効果を無効にし、そのカードを破壊する。


「……そう簡単に、直接攻撃は通さない……」
「……! くっ……」
 『シールドクラッシュ』は、カウンター罠により無効となる。
 絵空は顔をしかめた。せっかく攻撃力5000のガーゼットを召喚できたにも関わらず、思ったように攻められない。シャーディーに、どうにも上手い具合にかわされてしまっている。
「それなら……ガーゼットで『偵察者』を攻撃するよ! グレート・パンチっ!」

 ――ズドォォォンッ!!!!!

 守備力2500といえど、今のガーゼットの前には、大した能力値ではない。一瞬にして叩き潰される。
 だが、これもシャーディーの狙いのうち――『墓守の偵察者』が攻撃されたことで、その特殊能力が発動できる。
「……この瞬間、偵察者の特殊能力発動……。デッキから『墓守』1体を特殊召喚できる」
 デッキを取り外すと、迷うことなく、1枚を選び取る。
「私が喚び出すのは、このモンスターだ……『墓守の呪術師』!」


墓守の呪術師  /闇
★★★
【魔法使い族】
このカードが召喚・特殊召喚された時、
相手プレイヤーに500ポイントダメージを与える。
攻 800  守 800


 墓守の呪術師:守800→守1300
        攻800→攻1300

「……そして、『呪術師』の特殊能力発動。衰微の呪文!」
 呪術師は両手を合わせ、何やら呪文を唱え出した。
 同時に、“千年聖書”のウジャトが輝き出す。絵空が“闇のゲーム”より受けるはずの苦痛を、全て吸収するためである。

 絵空のLP:1100→600

 特に痛みは無く、数値上のライフが減少しただけだ。しかし絵空は、盤のライフ表示を見て眉をひそめる。
(これでわたしのライフは残り三桁……相手のライフは、初期ライフからほとんど動いてないのに……!)
 ガーゼットのお陰でフィールドは制しているものの、ゲームの流れをイマイチ掴めない。シャーディーの技量の高さを、絵空は認めざるを得なかった。
「……わたしはカードを1枚伏せて、ターン終了だよ……」


  絵空のLP:600
      場:偉大魔獣 ガーゼット(攻5000),伏せカード2枚
     手札:2枚
シャーディーのLP:3900
        場:墓守の呪術師(守1300),王家の眠る谷−ネクロバレー
       手札:1枚


「私のターン、ドロー。『天使の施し』を発動……カードを3枚引き、2枚を捨てる」

 ドローカード:墓守の長槍兵,地雷蜘蛛,墓守の大筒持ち

 シャーディーは少し考えてから、2枚のカードを墓地に置く。
「……このターンで終わりだな……私は『墓守の大筒持ち』を召喚する」


墓守の大筒持ち  /闇
★★★★
【魔法使い族】
自分のフィールド上の「墓守の」という名のついた
モンスターカードを生け贄に捧げる度に、
相手に700ポイントのダメージを与える。
ただし「墓守の大筒持ちは」 生け贄に捧げる事はできない。
攻1400  守1200


「……このモンスターの効果により『呪術師』を生け贄に捧げ、700ポイントのダメージを――」
 しかし途中で、シャーディーのことばが止まった。
 盤にセットしたはずの『大筒持ち』がフィールドに現れない――絵空の場ではすでに、1枚のトラップが表にされていた。
「カウンタートラップ……『神の宣告』!」


神の宣告
(カウンター罠カード)
ライフポイントを半分払う。
魔法・罠の発動、モンスターの召喚・特殊召喚の
どれか1つを無効にし、それを破壊する。


 絵空のLP:600→300

「……『大筒持ち』の召喚を無効としたか……。カードをセットし、ターン終了とする」
 少しも焦った様子を見せず、絵空にターンを移す。


  絵空のLP:300
      場:偉大魔獣 ガーゼット(攻5000),伏せカード1枚
     手札:2枚
シャーディーのLP:3900
        場:墓守の呪術師,王家の眠る谷−ネクロバレー,伏せカード1枚
       手札:0枚


(これでわたしのライフは残り300……。このままじゃマズイ……!)
 対照的に、絵空は焦りを隠せない。
 ガーゼットがいる限り、戦闘面での不安はないが――この残りライフでは、再び『墓守の呪術師』を出されるだけで、負ける怖れさえある。2枚目の『呪術師』を引くか、“墓守”専用の蘇生カード『降霊の儀式』を引くか――いつやられてもおかしくない、極めて危なげな戦況。
 対するシャーディーの方も、顔には決して出さないものの、決して余裕のある局面ではなかった。絵空のガーゼットを倒せるカードが無い――ともすれば、攻撃力5000のワンパンチで、一気にゲームを決められてしまう。
 ライフ差は歴然ながらも、二人はまさに、一触即発の状況と言えた。
「いくよ……わたしのターン、ドロー!」

 ドローカード:アポピスの化身

「……! わたしはカードを2枚セットして……バトル! ガーゼットで『呪術師』を攻撃っ!」

 ――ドズゥゥンッ!!!!!

 圧倒的攻撃力で、呪術師を粉砕する。
 しかし、守備モンスターを破壊したところで、シャーディーを追い詰めることはできない――絵空の表情は優れないままだ。
「……わたしはこれで、ターン終了だよ……」
 絵空の場には、3枚の伏せカードが並んでいる。そのうち1枚は、だいぶ前から伏せられたまま――『王家の眠る谷』の効果で、発動を封じられているのだ。
(……フィールドカードを破壊できれば、流れを掴めると思うんだけど……)
 絵空は周囲の渓谷を、面白くなさげに見回した。
「……私のターン……」
 シャーディーが静かに、デッキのトップカードに指を当てる。

 ――ドクンッ!!

(……! きたか)
 シャーディーは引く寸前に、そのカードの放つ特別な鼓動に気が付いた。
 シャーディーのデッキで最強を誇る、切札モンスター――ゆっくりと引き抜くと、それを視界に入れる。

 ドローカード:墓守の遺志−グレイヴ・ガーディアン−

「……私はこのターン……レベル10のモンスターを召喚する」
「エ……?」
 絵空が目を瞬かせる。
 シャーディーの場には今、モンスターがいない――上級モンスター召喚の生け贄は揃わないはずだ。
「……それはどうかな」
 シャーディーの口元が、わずかに綻んだ。
 シャーディーの場に、小さな光が現れる。全部で9つ――それが集まり、強大な“何か”を生み出してゆく。
「……このモンスターは、敗れた『墓守』たちの“遺志”の集合体……。死してなお墓を護らんとする、強き魂を受け継ぐ」
 9つの光――それはすなわち、シャーディーの墓地に眠る、9体の『墓守』の魂。
 『墓守の司令官』『墓守の暗殺者』『墓守の長』『墓守の監視者』『墓守の偵察者』『墓守の長槍兵』『墓守の番兵』『墓守の大筒持ち』『墓守の呪術師』――墓地より9枚のカードを除外し、喚び出される最強モンスター。
「現れよ……『墓守の遺志−グレイヴ・ガーディアン−』!!」


墓守の遺志−グレイヴ・ガーディアン−  /闇
★★★★★★★★★★
【天使族】
このカードの効果は「王家の眠る谷−ネクロバレー」によっては制限されない。
墓地から「墓守の」という名の付いた5種類以上のモンスターカードを
1枚ずつゲームから除外し、特殊召喚する。
このカードの攻撃力・守備力はそれぞれ、除外したカードの枚数×1000ポイント
アップする。このカードが自分の場を離れたとき、このカードの効果で除外した
自分のモンスター2体を特殊召喚する。
攻 0  守 0


 9つの魂が重なると、それは黒い靄(もや)を発し、1体の“巨人”を形成した。
「な……っ!?」
 絵空は見上げながら唖然とし、ぽかんと口を開いた。
 “偉大魔獣”の巨体を遥かに超えた、全長5メートルはあろう漆黒の“巨人”――顔も何もなく、太陽により引き伸ばされた、人間の影のような外見。

 墓守の遺志−グレイヴ・ガーディアン−:攻0→攻9500
                    守0→守9500

「こっ……攻撃力……9500……!??」
 絵空は愕然とした。
 つい先ほどまで、フィールドを圧倒していた『ガーゼット』のさらに2倍――信じがたい程の攻撃力値。
「いくぞ……『グレイヴ・ガーディアン』の攻撃!」
 “巨人”が腕を振り上げる。絵空はたまらず、場の伏せカードを発動した。
「トッ……トラップカード『和睦の使者』!」
 発動とほぼ同時に、“巨人”の腕が降ってきた。

 ――ズギャァァァァンッ!!!!!!!!!!

 凄まじい轟音がした。
 『和睦の使者』で張られたバリアに、たちまち亀裂が走る。
 このまま突破されてしまうのではないか――そう考えると、絵空はぞっとした。
 “闇のゲーム”のモンスターは、全て実体を伴っている――こんな一撃を直接浴びれば、大怪我どころの話ではないだろう。
 やがて“巨人”は、諦めたように腕を持ち上げた。同時に、限界を超えたバリアが砕け散り、消滅する。
「……防いだか……だが、時間の問題だな」
 シャーディーの冷めた瞳が、フィールド全体を映した。


  絵空のLP:300
      場:偉大魔獣 ガーゼット(攻5000),伏せカード2枚
     手札:1枚
シャーディーのLP:3900
        場:墓守の遺志−グレイヴ・ガーディアン−(攻9500),
          王家の眠る谷−ネクロバレー,伏せカード1枚
       手札:0枚


「まっ……まだだよ! まだわたしの場には、モンスターがいる……手札もリバースカードもある! まだ諦めるには早すぎる!!」
 叫びながら、絵空は手札を見つめた。
 しかしそれは今、『王家の眠る谷』の効果で発動を封じられている――場のリバースカードについても、同じことが言えた。『グレイヴ・ガーディアン』を倒すにはやはりまず、『王家の眠る谷』を破壊する必要がある。
「……ならば一つ……良いことを教えてやろう」
 少女の希望を砕くべく、シャーディーは残酷な事実を伝える。
「この『グレイヴ・ガーディアン』には、隠れた特殊能力がある……。それは、私の場を離れる際、除外されている『墓守』を復活させる能力……このことばの意味が、分かるな?」
 絵空の顔が青ざめる。
 シャーディーが除外したモンスターの中には、召喚・特殊召喚時、相手に500ダメージを与える『墓守の呪術師』がいる。つまり、『グレイヴ・ガーディアン』を倒した次の瞬間に、絵空の敗北が決定してしまう。
「……『グレイヴ・ガーディアン』の攻略は、同時にキミの敗北を意味する……。しかし、ガーディアンを排除しない限り、モンスターの攻撃は私に届かない」
「…………!!」
 絵空ははっとして、何か抜け道がないかを考える。
 だが駄目だ――シャーディーのライフはまだ3900も残っている。もっと削れていれば、まだ手の打ちようもあったかも知れないが……これではどうしようもない。
(……わたしの……負け?)
 絵空は顔を上げ、途方も無く大きな“巨人”を見つめた。
 自慢のモンスター『ガーゼット』が可愛く見えるような、とてつもない“化け物”。絵空の脳裏に“諦め”がチラつく。
『(…………)』
 天恵は黙っていた。
 いつもなら、ここで発破を掛け、持ち直させるところだが――今日はしない。絵空の勝利を、望んではいないから。
『(……終わりね……もう)』
 穏やかに、諭すように伝える。
『(もういいわ……あなたは十分にがんばってくれた。その気持ちだけで十分よ)』
 天恵から見ても、絵空にはもう勝ち目が無い――大人しくサレンダーするべきだ。いかに“聖書”が護るとはいえ、これ以上の“闇のゲーム”続行は危険すぎる。万一、“巨人”の攻撃が直撃でもしようものなら、絵空の華奢な身体など、跡形も無く消し飛ぶだろう。
「……ヤだ」
 しかし絵空は反目する。
 天恵が諭そうとする程に、絵空は抵抗してみせる。

「……理解に苦しむな」
 シャーディーが、冷たく口を開いた。
「何故そこまで拘る……? 断言しよう。その本はいずれ必ず、キミにとって大きな弊害となる。必ず思うはずだ……“あのとき手放せば良かった”と。今回だけではない……その本を持ち続ける限り、キミは厄介事に巻き込まれるだろう」
「……!」
「……ましてや『グレイヴ・ガーディアン』が喚び出された今、これ以上は生死に関わる……。なぜ庇う? なぜそこまで、その少女に拘る?」
「……。そんなの、簡単だよ……」
 あっさりと、絵空は答える。
「だって……“もうひとりのわたし”はわたしだもん! だから――」
「――違うな」
 シャーディーの一言が、絵空の主張を断つ。
「その少女はキミではない……キミはキミだけだ。他の誰も、キミにはなれない……キミが誰にもなれぬように」
 シャーディーは絵空を見据え、ことばを続ける。
「キミは気付いているのではないか……? “彼女”はキミではない。主義も、嗜好も、性格も、まるで違う……“他人”だよ、キミたちは」
 シャーディーははっきりと、二人の間の“壁”を示唆する。
「……故に、不具合が生じる……。はっきり言おう。仮に今回の一件を無事乗り越えたとして……キミたちはいつまでも、そうして仲良くできようか? 笑い合い、手を繋いでいられようか?」
 無理だ――シャーディーは、はっきりと断言した。
「……予言しよう。キミはいずれ必ず、その少女を疎ましく思う。重荷に思うはずだ。“彼女”はあくまで、キミの“影”……“影”である限り、決して幸福にはなれない」

 ――何故ならキミたちは……別の人間なのだから
 ――2つの魂に、1つきりの肉体

 ――1度きりの人生
 ――1つきりの生命(いのち)

「……2つは無い……“1つきり”だ。故に、共に幸福にはなれない……いずれかが犠牲にならねばならない」
「…………!」
 目を見張る絵空に対し、シャーディーは畳み掛ける。
「……それともキミは、自身を犠牲とするか……? その少女のために、人生の全てを捧げるか?」
 ことばに詰まる。
 そんな絵空の様子を見て、シャーディーが勝ち誇ったように笑う――いや、笑いかけた、そのときだった。

「……半分こする」
「……!?」
 それはあまりに、稚拙な回答。少なくとも、シャーディーにはそう聞こえた。
「嬉しいことも、悲しいことも、全部二人で分ける……二人で分けて生きていく!」
「……詭弁だな。不可能だよ……そんなことは」

 ――生命は1つしかない……送れる人生も1度きり
 ――1つの生命に、2つの魂……それはひどく、アンバランスな状況

 ――選択肢のたびに、2つの思考を折衷するのか?
 ――本来なら1人占めできるはずのパイを……常に半減し、妥協するというのか?
 ――分けられぬものならどうする?

「……綺麗事だよ。不満は必ず抱く……互いが疎ましくなるはずだ」

 ――正反対の道を望んだら、どうする?
 ――仮に、別々の男を愛したならば……そのときはどうする?
 ――いずれかの気持ちを尊重するのか……それとも公平に、双方の感情を諦めるのか?

「……! それでも……」
 絵空は瞳を閉じる。
 そして、左胸に手を当てる――心音がした。4年前の移植手術により、新しく入れられた“それ”――静かに鼓動し、絵空の生を主張している。
「……それでも……この命の半分は、“もうひとりのわたし”のものだから」
「……何?」
 屈託の無い表情。切なげに、しかし迷うことなく、絵空はことばを紡ぎ続ける。
「今から4年前……アメリカの病院で、わたしは初めて“もうひとりのわたし”と出会ったの」


 それは違う――天恵は、そう言いたくても言えなかった。
 本当の出会いは5年前。童実野病院の廊下で、月村天恵としてすれ違ったのがキッカケだ――と。


「わたし……ずっと淋しかったの。10年も前から、ずっと病院生活だった……お母さんとか、病院の人とか……親切にしてくれる人は沢山いた。でも、ずっと一緒にいてくれる“友達”は、一人もできなかった……」

 ――独りぼっちは淋しくて
 辛くて……不安で……悲しくて――

「大きくなって……手術に成功すれば、退院できる。そうすれば、他のみんなみたいに生活できる……そう言われてた。そうすれば、友達を作って、お喋りしたりゲームしたり……独りじゃなくなるって。でもだからって、“希望”ばかり見てきたわけじゃない……」

 ――独りぼっちの暗闇で
 時々……どうしようもなく淋しくなって、泣いてしまうこともあった

「……わたしの側にはいつも、“絶望”がいた……。“希望”を見ようとしても……いつもその側に、“絶望”が覗いてた。生きててもしょうがないんじゃないかって、そう思うことだってあった。暗闇に耐えられなくて……いつか、淋しさで死んじゃうかと思ってた」

 ――でも……そんなとき、わたしは“もうひとりのわたし”に出会えた
 ――“彼女”はわたしに、光をくれた
 ――独りぼっちで……淋しくて、震えてたわたしに温もりをくれた


『(…………!)』
「……だから何だ? それだけの恩があるから……それに報いたいとでも?」
 抑揚の無いシャーディーの問いに、絵空は首を横に振る。
 確かに、感謝はしている――けれど、そういうことじゃない。そんな程度の気持ちじゃない。
「……わたしはもう、駄目なの。“もうひとりのわたし”のいない人生なんて、もう考えられない……」

 ――“彼女”を失ってまで、生きたいとは思わない

 ――だから――

「――だから……“彼女”を失うくらいなら、わたしはわたしを終わりにする。この命に、終止符を打つ」
「…………!?」
『(なっ……!?)』
 それは決意のことば。
 けれど、嘘などではない――本心を吐露した、偽りのない気持ち。

 絵空は顔を上げ、“聖書”を見上げる。淀みの無い、爽やかな表情で。
「だから……半分こするの。わたしの命の半分は、“もうひとりのわたし”のもの……。喜びも哀しみも、楽しいことも辛いことも、全部半分こ……。わたしは半分でいい、半分じゃなきゃヤだ。残りの半分を、“もうひとりのわたし”に受け取って欲しい……」
 だから――と、絵空は“聖書”に語りかける。
「……一緒にいよう? いつまでも。大人になっても……おばあちゃんになっても……ずっとずっと一緒。わたしとあなたは“神里絵空”……2人で“絵空”。1人じゃダメ……2人揃って、初めて“絵空”になるんだよ」
『(……!! 絵空……アナタ……)』
 天恵は、胸に込み上げてくるものを感じた。
 声を絞り出したかった――けれど言葉が見付からない。何を伝えるべきか、分からない。
 感謝、戸惑い、恐怖――様々な感情が入り混じる。
 けれどその中で、はっきりと分かったことがあった。



 自分は何て馬鹿なんだろう――天恵は、今までの自分を恥じた。
 悩んでいるのは、自分だけだと思っていた。
 絵空は何も分かっていない――今まで、そんな風に考えていた。

 分かっていなかったのは、自分の方だ。絵空を侮り過ぎていた。
 絵空はちゃんと、考えていてくれた――自分のことを。これからのことを。
 それなのに、独りよがりに悩み込んで……一人で勝手に、答えを出そうとして。

 こんなに側にいたのに……絵空のことを、何も分かっていなかったのだ――と。



 ふっきったような表情で、絵空はシャーディーを見据えていた。
 先ほどまでと、大して変わっていないはずなのに――シャーディーはわずかに怯んだ。圧倒的優勢に立つ、この状況でだ。
(……!! この少女は……)
 見くびっていた――シャーディーはそう思う。
 あるいは、“別の道”を模索すべきなのかも知れない――そう考え始める。
(お願い……! わたしの……わたし“たち”のデッキ……!!)
 ゆっくりと、絵空はデッキに指を伸ばす。そのデッキは、“もうひとりの自分”と協力して組んだデッキ――正真正銘“2人”のデッキ。
(応えて……わたしの想いに! “もうひとりのわたし”のために……わたし自身のために、絶対に負けられないの!)
「わたしのターン――ドローッ!!」
 絵空はその手で、運命のカードを引き抜いた。


 ドローカード:氷帝メビウス



  絵空のLP:300
      場:偉大魔獣 ガーゼット(攻5000),伏せカード2枚
     手札:2枚
シャーディーのLP:3900
        場:墓守の遺志−グレイヴ・ガーディアン−(攻9500),
          王家の眠る谷−ネクロバレー,伏せカード1枚
       手札:0枚



決闘58 結束の一撃!

(! 『氷帝メビウス』……!)
 ドローカードを見て、目を見張る。このカードは生け贄召喚時、場の魔法・罠カードを2枚まで破壊できる強力モンスター。
 このカードをデッキ投入したのは、絵空ではない。天恵の意見だ。
 絵空自身はこういった“外堀を埋める”タイプのカードよりも、もっと攻撃的なカードを好む。『氷帝メビウス』より『雷帝ザボルグ』を、『スケープ・ゴート』より『早すぎた埋葬』を、『ドレインシールド』より『アポピスの化身』を。
(……やっぱりわたしには、“もうひとりのわたし”が必要だよ……)
 スッと瞳を閉じる。そして、これから何をすべきか――それを考える。
(バカな……逆転するつもりなのか……!?)
 シャーディーにはそれが、信じられなかった。ライフ差は歴然、戦況は絶望的――どう足掻こうと、絵空の逆転などありえない。ありえるはずがない。
「……! いくよ……わたしはまず、場の永続トラップを発動『アポピスの化身』!」
 絵空の場に、新たな罠モンスターが喚び出される。しかしそれはすぐに、生け贄の渦に巻き込まれ、消えてゆく。
「さらに……『アポピスの化身』を生け贄に、わたしは上級モンスターを喚ぶよ! 『氷帝メビウス』召喚!」


氷帝メビウス  /水
★★★★★★
【水族】
このカードの生け贄召喚に成功した時、
フィールド上の魔法・罠カードを2枚まで破壊する事ができる。
攻2400  守1000


 絵空のフィールドに、氷を操る甲冑戦士が喚び出される。両腕に冷気を纏い、自らの主――絵空の指示を仰ぐ。
 絵空は頷くと、シャーディーの方を指差した。
「この瞬間、『氷帝メビウス』の特殊能力発動! 対象は、『王家の眠る谷』とリバースカード――絶対零度っ!!」
 両の拳を、地に叩きつける。するとそこから冷気が走り、シャーディーの場を襲った。

 ――ビキッ……ビキキッ!!

「……! これは……!!」
 シャーディーが目を見張った。
 場のフィールド魔法カードとリバースカードが、瞬く間に凍りつく。
「メビウスの特殊能力……! 場の魔法・罠カードを2枚まで破壊するよ!」

 ――バリィィィィンッ!!!

 2枚のカードが砕け散る。
 『王家の眠る谷』が破壊されたことで、景色も元に戻ってゆく。荒涼とした渓谷から、街の寂れた路地裏へと。
 フィールド効果が失われたことにより、『グレイヴ・ガーディアン』にも影響が現れた。

 墓守の遺志−グレイヴ・ガーディアン−:攻9500→攻9000

「……無駄な足掻きだな。今さら『王家の眠る谷』を破壊したところで、何になる?」
 絵空はニッと笑うと、手札の最後のカードを、右手に持ち替えてみせた。
「……これでやっと、発動条件を満たせる……! わたしのデッキで最強の……そして、最後の切札……!」
 それを勢いよく、盤の上に置いた。
「魔法カード発動! 『禁忌の合成』!!」


禁忌の合成
(魔法カード)
自分の場または墓地にそれぞれ存在する「ガーゼット」と名の付く
モンスターと他のモンスター1体をゲームから除外し、融合させる。
この効果で融合召喚したモンスターが場を離れたとき、
そのモンスターの元々の攻撃力分のダメージをプレイヤーは受ける。


(……! なるほど……墓地に干渉するカードか)
 絵空の場の『ガーゼット』が、光の渦に包まれる。墓地の“あるモンスター”の力を吸収し、更なる攻撃力を得るために。
 『王家の眠る谷』が存在するとき、互いのプレイヤーは墓地干渉型のカードを封じられてしまう――それ故に、手札で腐ったままだった切札。
「わたしの場の『偉大魔獣ガーゼット』と、墓地の『混沌帝龍−終焉の使者−』を除外し、融合……! 召喚されるのは、わたしのデッキで最強の攻撃力を誇るモンスター!」
 渦の中より現れたるは、パワーアップした『ガーゼット』の姿。
 融合素材とした『終焉の使者』の影響を受け、背には大きな翼を生やしている。『禁忌の合成』により誕生した、究極の“合成獣(キメラ)”たる魔獣。
「――いでよ! 『究極合成魔獣 ガーゼット』ッ!!!」
 魔獣が雄叫びを上げる。自分よりさらに大きな“巨人”を前に、しかし怖じけることなく、狂ったような咆哮を上げた。


究極合成魔獣 ガーゼット  /闇
★★★★★★★★
【悪魔族】
「ガーゼット」と名の付くモンスター+モンスター1体
このカードの融合召喚は上記のカードでしか行えない。
このモンスターの元々の攻撃力は、
融合素材としたモンスターの攻撃力の合計となる。
このモンスターの融合召喚に成功したとき、
自分の場の他のモンスターを全て生け贄に捧げ、
その攻撃力を吸収する。
攻 ?  守 0


「……『究極合成魔獣』の攻撃力は、融合素材としたモンスターの攻撃力の合計……! 『偉大魔獣 ガーゼット』攻撃力5000、『混沌帝龍−終焉の使者−』攻撃力3000、つまりその合計は――8000ポイントっ!!」

 究極合成魔獣 ガーゼット:攻?→攻8000

(……攻撃力8000だと……!?)
 思わぬ超大型モンスターの登場に、シャーディーは身構えた。『グレイヴ・ガーディアン』の攻撃力は9000――圧倒的だったはずの攻撃力差は、あと少しのところまで追いつかれてきている。


  絵空のLP:300
      場:究極合成魔獣 ガーゼット(攻8000),氷帝メビウス,伏せカード1枚
     手札:0枚
シャーディーのLP:3900
        場:墓守の遺志−グレイヴ・ガーディアン−(攻9000)
       手札:0枚


「まだだよ……! 『究極合成魔獣 ガーゼット』の特殊能力発動! わたしの場の他のモンスターを全て吸収して……その分だけ、攻撃力をアップさせる!」
「!! 何っ……!」

 ――ドシュゥゥゥゥッ!!!

 『氷帝メビウス』がその姿を消し、力の全てを、ガーゼットへと送り込む。『究極合成魔獣』の特殊能力――それは“結束”の力。場のモンスター全ての力を合わせ、パワーアップする。

 究極合成魔獣 ガーゼット:攻8000→攻10400

「……! 『グレイヴ・ガーディアン』の攻撃力を超えたか……だが!」
 攻撃力1万強の怪物を前に、シャーディーは不敵な笑みを浮かべた。
「……愚かだな。その強力モンスターこそが、キミの敗北の引鉄となる……。忘れたか? 『グレイヴ・ガーディアン』が場を離れれば、『墓守の呪術師』の特殊召喚により、キミの敗北が決まる」
「……!」
「……迂闊だな。これで勝負は決ま――」
 と、そこで、シャーディーの口が固まった。
 絵空の背後に“あるはずの無いもの”を見て、驚きを隠せない。
「……!? バカな……何故……」
 絵空がにっこりと、微笑んでみせた。
「……何故そこに……“アメミット”がいる……!?」
 絵空のフィールドでは、残された最後のリバースカードが発動していた。


コピーキャット
(魔法カード)
相手が場に捨てたカードに姿を移し変えることができる


「……『コピーキャット』の効果により、あなたの墓地のカードをコピー……。そのカードは、あなたの墓地で最も攻撃力が高いモンスター ――『アメミット』!」


アメミット  /闇
★★★★★★★★★
【悪魔族】
このカードは相手の場の生贄3体によって、相手の場に召喚される。
このモンスターは攻撃できない。
コントローラーは相手ターンのエンドフェイズ毎に、
自分の手札の枚数×300ポイントのダメージを受ける。
また、コントローラーは相手ターンにカードをプレイできない。
攻2500  守 0


「そしてこのモンスターも当然、『ガーゼット』により吸収される……! これで、攻撃力は――」

 究極合成魔獣 ガーゼット:攻10400→攻12900

「な、何だと……!?」
 シャーディーは呆気にとられた。圧倒的攻撃力を誇る『グレイヴ・ガーディアン』――しかしそれを、場のガーゼットは遥かに凌駕してしまった。
 2体のモンスター間の攻撃力差は歴然――その数値差は3900、シャーディーの残りライフと寸分の狂い無く一致する。そう……まるで予定調和のごとく。
「いくよ……ガーゼットッ!!」

 ――バサァァァッ!!!

 ガーゼットが両翼を広げた。『混沌帝龍』が持つものと同じ、黒く大きな“終焉の翼”を。
 ゆっくりと、ガーゼットの巨体が浮かび上がる。翼を羽ばたかせはしない――“終焉の翼”の持つ魔力により、自然と浮力を得る。
「――『グレイヴ・ガーディアン』を……攻撃っ!」
「!! 迎え撃て……グレイヴ・ガーディアン!!」
 ガーゼットは飛翔し、勢いをつけて“巨人”に特攻を仕掛ける。体躯だけをみれば、『グレイヴ・ガーディアン』に分があった。その差は悠に、2倍以上あるのだ。
 迫るガーゼットの拳に対し、『グレイヴ・ガーディアン』は右掌を広げ、受け止めようとする。

 ――ズドォォォォォォォォッ!!!!!!!!!

 凄まじい轟音がした。“闇のゲーム”で具現化した、攻撃力1万前後のモンスター同士の衝突は、尋常ならぬ破壊力を現実に発揮する。
「きゃあ……っっっ!!!」
 巻き起こる衝撃波により、絵空の華奢な体躯は、容易に後方へ吹き飛んだ。危うく、硬いコンクリートの壁に叩きつけられる刹那――何者かの身体が割って入り、彼女の身体を受け止める。
「だっ……大丈夫!? 神里さん!」
 それは遊戯だった。絵空は頷くと、顔を上げ、2体のモンスターの衝突を見やる。

 ――ビキッ……バギキッ!!!

 2体の衝突点を中心に、アスファルトが割れた。闇のゲームによる超大型モンスター同士の激突は、現実に、小規模な重力場を生み出している。
 多分に非現実的な光景。しかし怯まず、絵空は叫ぶ。
「いっ……けぇぇーっ!! ガーゼットッ!!!」
 絵空は右手で、握り拳を作った。
 それに呼応したかの如く、ガーゼットの両眼が紅く輝く。
「――アルティメット・パンチッ!!!」

 ――ズドォォォォォォンッ!!!!!!!!!!!!!

 ガーゼットの拳が――いや、全身が、“巨人”の掌を砕き、腹をブチ抜いた。
 次の瞬間、『グレイヴ・ガーディアン』の巨体は爆散する。塵一つ残さず、消滅する。
「ぐあ……っっっ!!!」
 その超過分のダメージが、シャーディーの全身を襲った。

 シャーディーのLP:3900→0

「勝っ……た?」
 ぽかんと口を開けたまま、絵空は、誰とは無しに問いかける。
『(……ええ)』
 天恵は静かに、それに応じた。
『(アナタの……勝ちよ)』
 と。


  絵空のLP:300
      場:究極合成魔獣 ガーゼット(攻12900)
     手札:0枚
シャーディーのLP:0
        場:
       手札:0枚


「……大丈夫だった? 神里さん」
「……へっ? あ……」
 そこで改めて気付く。
 絵空の後ろで遊戯が、彼女の背を抱き、支えていた。
 絵空は慌てて、遊戯から離れた。何故だろう、何だか顔が熱い。
「うっ……ウン。大丈夫、全然ヘーキだよ!」
 動揺しながらも、顔を紅潮させて応える。


「――なるほどな……」
 煙の中から声がした。はっとして、絵空は振り返る。
「それがキミの答えか……“神里絵空”」
 晴れた煙の先に、シャーディーが立っていた。“闇のゲーム”に敗れたにも関わらず、平然とした顔で、こちらを見据えてきている。
「……!」
 絵空は“聖書”を抱えた。絶対に渡さない――そう言わんばかりに、懸命に睨めつけた。
「……心配は要らない。闇に生きる者にとって、“闇のゲーム”は絶対の掟……“千年聖書”は諦めよう。さらに――」
 シャーディーは懐から、一枚のカードを取り出した。
「……約束のアンティカードだ。受け取れ……」
 シャーディーが投げつけると、絵空は慌てて手を出した。投げる側が上手かったのか、それとも絵空のファインプレーか、いやにあっさりと受け取れた。
 それを見ると同時に、絵空の瞳が驚きに見開かれる。


Chaos soldier - Envoy of the Beginning  /LIGHT
★★★★★★★★
【WARRIOR】
This card can only be Special Summoned by removing 1 LIGHT and 1 DARK
monster in your Graveyard from play. Once during each of your turns, you can
select and activate 1 of the following effects:
●Remove 1 monster on the field from play. If you activate this effect, this card
cannot attack during this turn.
●If card destroyed your opponent's monster as a result of battle, it can
attack once again in a row.
ATK/3000  DEF/2500


「……!! え、これって……『カオス・ソルジャー −開闢の使者−』……!?」
 絵空は驚きを隠せない。
 噂が正しいならば、『カオス・ソルジャー −開闢の使者−』は、世界に5枚しか存在しない超レアカード――しかも英語版ということは、絵空が失くしたそれとは別物ということだ。こんなところで新たな『開闢の使者』を得られるなど、思ってもみない展開だった。
 シャーディーがこのカードを手に入れたのは4年前、ガオス・ランバートを殺害したときのことだ。彼の持つ、何か不思議な力の宿ったそれを、シャーディーは奪い、所持していた。何らかの特別な力がなければ、使いこなせない――そのことに気付きながらも。

 ――シュウウウウウ……

 次の瞬間、絵空と遊戯が、驚きの表情を浮かべた。シャーディーが足元から、少しずつ姿を消してゆく――だが当人は慌てない。落ち着いた様子で、ことばを紡ぐ。
「……案ずることはない。私は消えはしない……全ての“使命”を果たすまで、決して滅することはない」
 “闇のゲーム”の敗北により、シャーディーは力の大半を奪われる――再び肉体は消滅し、復元に時を割かれる。だが、決して消えるわけではない――アクナムカノン王よりの使命を終えるまで、半永久的に存在する。
「……私の力は尽きた……これ以上の介入は不可能。後は、お前たち次第だ……」
 そしてまず、視線を絵空へ、次に“聖書”へと向ける。
「……聞け……“終焉の少女”よ」
『(……!)』
 “聖書”の中の天恵へ向けて、シャーディーはメッセージを残す。
「……封印したところで、しょせん時間稼ぎにしかなるまい……。結局は、お前自身が解決するしかない」
 諭すように、ことばを続ける。
「断ち切ってみせろ……“運命”を。数千年に及ぶ、お前の呪われし魂の“さだめ”を」
『(……!? 数千……年?)』
 シャーディーは、自分も知らない何かを知っている――天恵はそれを悟った。
「……そして……武藤遊戯」
「……!」
 今度は、遊戯に向き直る。
「もはや何も言うまい……お前の信じた道を進め。だが――“責任”はお前がとれ」
 “責任”――そのことばの意味を、遊戯は何とはなしに悟る。
「……キミが考えているほどに……“王の呪い”は軽くないぞ」
「……。分かってるよ……でも」
 遊戯はふっと、どこか儚げな笑みを浮かべた。
「……それでも……他の誰かを失うよりは、ずっといいから」
 いつもと違う、ひどく大人びた表情――遊戯に振り返った絵空は、そう感じた。
「…………」
 不意に、シャーディーが右手をかざす。
 敵意は全く無い。だから、遊戯も全く身構えなかった。

 ――カァァァァァァァッ……!!!

 遊戯の目の前に、3つの光が浮かんだ。
 唐突に現れた、しかし見慣れたそれらに、遊戯は驚き、瞳を見開く。
「……“神”は不滅……何度でも蘇る」
 当然ごとく、シャーディーはことばを紡ぐ。
「……闘う意志ある“王”のもとに……その力を示すべく、な」


SAINT DRAGON -THE GOD OF OSIRIS  /DIVINE
★★★★★★★★★★
【DIVINE-BEAST】
Everytime the opponent summons creature into the field,
the point of the player's card is cut by 2000 points.
X stand for the number of the player's cards in hand.
ATK/X000  DEF/X000

THE GOD OF OBELISK  /DIVINE
★★★★★★★★★★
【DIVINE-BEAST】
The Player shall sacrifice two bodies to God of Obelisk.
The opponent shall be damaged.
And the monsters on the field shall be destroyed.
ATK/4000  DEF/4000

THE SUN OF GOD DRAGON  /DIVINE
★★★★★★★★★★
【DIVINE-BEAST】
???
ATK/????  DEF/????


「……!! 神の……カード……!?」
 遊戯はそっと、右手を差し出した。
 するとその3枚は、引き寄せられるようにして、手の中に綺麗に滑り込む。
「……言ったはずだ……。私はキミの“味方”だと」
 シャーディーの表情が不意に、今までにない“やさしさ”を映す。
「……キミが死ねば、ファラオも悲しむ……。忘れるな、キミは……キミたちは独りではない」
 シャーディーの身体が、その存在が薄れてゆく。死ぬわけではない――しかし、永い眠りにつく。
「心に光を灯せ……闇に屈するな。孤独は闇を助長する……忘れるな、お前たちには仲間がいる」
 姿が消える。しかし声だけが、その場に木霊した。


「――結束こそが……勝利の……鍵だ……」


 と。そのことばは、天恵の心にも残すものがあった。
「……消え……ちゃった……」
 呆然と、絵空が呟く。場の状況が把握できず、理解が上手く追いつかない。

「…………」
 遊戯は視線を落とし、神のカードを見つめていた。そして頭の中で、先ほどのシャーディーのことばを反芻する。



 ――キミが考えているほどに……“王の呪い”は軽くないぞ



(……分かっているさ……でも)
 カードを持つ手に、力を入れる。瞳に自然と、決意が宿る。
(……決めたから。ボクはもう、絶対に――)

 ――絶対に……誰も失わない
 ――たとえそのために、自分がどれほど傷つくことになろうとも……

 遊戯の決意に呼応して、3体の“神”が小さく脈動した。



決闘59 ティモー・ホーリーの旅

 絵空が家に着いた頃、時刻はすでに午後7時を回っていた。
 母にはひどく怒られた。遅くなるなら連絡しなさい――と。きのう心配をかけたばかりなので、当然だろう。事情を話すこともできず、絵空はとにかく謝り、反省しておいた。
「……今度はもっと早く帰って来ること! 遅くなったら電話する! いいわね?」
「……はぁい……」
 しぶしぶ了承する。その返答を聞くと、美咲はため息と共に表情を緩め、「夕飯まだなんでしょ?」とダイニングへ促した。
「……! あっ……そうそう」
 しかしその途中で、思い出したように振り返る。
「一時間くらい前だったかしら……あなたに電話が来てたわよ。確か、海馬コーポレーションの……イソノさん、だったかしら?」
「エ……海馬コーポレーション?」
 美咲はエプロンのポケットを漁ると、一枚のメモを取り出した。
「本人が帰ったら、連絡させますって伝えておいたけど……。何だか急ぐみたいだから、夕飯前に電話してみなさい」
 受け取るとそこには、携帯電話の番号らしき数字が羅列されている。
(……? 一体なんだろうね……もうひとりのわたし?)
『(さあ……何かしら)』
 天恵と小首を傾げ合いながら、電話機のもとへ向かう。
 そこで受話器越しに聞いたのは、彼女にとって、驚くべき朗報であった――。



●     ●     ●     ●     ●     ●



 時刻はおよそ、9時間ほど遡(さかのぼ)る。
 場所は童実野病院、遊戯が見舞いを済ませた後、双六の病室には、意外な人物が見舞いにやって来ていた。
「おお、お前さんかい。来てくれると思うっとったわ……昨日はスマンかったのう」
 腰のせいで起き上がれないため、双六はうつ伏せのまま出迎えた。
「いえ……そんな、こちらの方こそ。昨日は大変失礼いたしました……」
 そう言って、その人物――ティモー・ホーリーは深々と頭を下げる。
 その様子は、昨日とはうってかわってしおらしげで、傍目からは別人であるかのような印象さえ与えるだろう。
「その……これ、お見舞い用の花なのですが……」
 不慣れな様子で、花束片手にティモーは戸惑った様子を見せる。双六に言われ、ベッド近くの小ダンスの上に置いた。
「ホホッ、昨日はビックリしたじゃろ? 孫にも言われてしもうたわい、“もう歳なんだから、自重してくれ”っての」
 悪びれた様子も無く、朗らかに笑う。
 それを見て、ティモーの緊張も緩んだ。わずかだが、口元から微笑が漏れる。
「……。もし良ければ……君のデュエリストカード、見せてもらえんかの? ワシに勝ったことで、勝ち星は貯まったんじゃろ?」
「……! え、ええはい」
 ティモーはどこかたどたどしい様子で、上着の胸ポケットからそのカードを取り出し、手渡した。


ティモー・ホーリー  D・Lv.9
★★★★★★★★
7勝0敗
予選通過!
通過順位:9位


「ホホッ、大したモンじゃわい。確か本選は、明後日じゃったかのぉ……観戦には行けそうにないが、此処で応援しとるぞい」
 途中からテレビ中継するらしいしのう、と呑気げに笑う。
 しかしそのことばを聞いて、ティモーの表情が曇った。わずかに逡巡したのち、ことばを紡ぐ。
「あの……そのことなんですが」
 心底申し訳なさそうに、重い口を開く。
「……実は……その。明後日の本選は、辞退しようかと考えているんです……」
「……ム?」
 今度は、双六の方が表情を曇らせる番だ。
 カードから視線を外すと、不自然な体勢ながらも、ティモーの姿を視界に入れる。
「……昨日のデュエルの終わり方……納得いかんかったか?」
 双六は昨日の、ティモーとのデュエル内容を回想した。
 序盤こそ苦戦したものの、中盤は完璧に双六が制していた。結果として、2万ポイントものライフ差がついていた。あのまま続けたとしても、ティモーの勝ち目は薄い――多くの観戦者が、そう考えていたことだろう。
「しかしアレは、どう見ても君の勝ちじゃよ……現に君はこうして、本選出場の切符を手にしておる。恥じることなど何も無い。ただワシには、どうしても破れない“ルール”があった……それを君は破った。紛れも無い、君の勝利じゃよ」
「…………。何故です?」
 意を決して、ティモーは問いかける。
「何故アナタはあそこまで……『白魔導士 ピケル』のカードにこだわったのですか?」
「ホホッ、言わんかったかの? ワシはアニメ『魔法少女ピケルたん』の大ファンでのぉ。それで――」
「――本当に……それだけですか?」
 ティモーの真剣な瞳が、双六を捉える。
 しばらく見つめられてから、双六は苦笑を漏らし、「かなわんな」と呟く。
「娘がおったんじゃよ……ワシには」
 遠い日のことを思い出し、切なげに目を細める。
「……もう、40年も昔の話じゃ……ワシは結婚しておってのう。まだ幼い娘が、一人おった……しかし当時のワシは、家にほとんどおらなんだ。世界中を渡り、“ゲーム”を極めること……それに躍起になっとったんじゃ」

 ――まるで何かに憑り付かれたかの如く……世界中のゲームに挑戦した
 ――ゲームに酔い、勝利に酔い、家族のことなど忘れ、世界中を旅した……

「“若気の至り”……というには、あまりに酷い体たらくじゃったわい。賭博やらカジノやらで稼いで、金だけは一方的に仕送っとった……ロクに連絡もとらずに。それでちゃんと、“父親”をできていると思いこんどった」

 ――ある頃から、普通のゲームでは満足できなくなった
 ――やがて命さえ賭けた、“呪われたゲーム”にも挑むようになる
 ――そしてその果てに辿り着いたのは……エジプト、王家の谷
 ――ファラオの墓暴きという、究極の“闇のゲーム”

「……ワシはそれに敗れた……しかし運良く生き延びたんじゃ。王墓の迷宮の奥に、さらなる未知の領域があると気付きながら、命からがら王墓を脱出した……その後、一年近く呆けた末に、家へ戻った。しかし……」

 ――娘が、いなくなっていた
 ――聞けば、交通事故で亡くなったという……一年以上も前に

「……信じられるか? 娘を失くしたというのに……ワシはそのことも知らず、家族を顧みず、ゲームにうつつを抜かしとったのじゃ。帰ったときはとっくに、火葬のあと……何も残っとらんかったんじゃ」
 双六の口から、自嘲の笑みが自然に漏れ出す。
「……妻にも、だいぶ恨まれたわい……。そこでやっと、ワシは気が付けたんじゃ……自分にとって、何が一番大切だったのか。何を大切にすべきだったのかをの……」
「…………!」
 神妙な面持ちで、ティモーは双六の話に聞き入っていた。
 今の双六からは、予想もつかないような過去――そして彷彿とさせた、昨日までの自分を。
「……おっと、話が少し外れたかの。失敬。ワシがピケルたんに固執する理由じゃったな。しかし、君は“嘘”じゃと疑ったが……そんなことはないぞい。ワシは純粋に『魔法少女ピケルたん』にハマり、そのデッキを作った……最初は、の。しかし次第に、情が移ってしまってのぉ……いつの間にか、錯覚するようになってしもうた。ピケルたんと、亡き娘を……重ねてしまったんじゃよ」
 双六は失笑する。「馬鹿みたいな話じゃろ?」と、自らを卑下する。
「40年も経ってなお……ワシは縛られたままなんじゃ。あの日の哀しみに……絶望に、捕らわれたままでおる。だからワシは昨日、サレンダーせざるを得んかった……娘を二度と失わぬために。滑稽じゃろう?」
 ティモーは笑わない。笑うはずがない。
「……つまりは、ワシの自業自得……君に非は微塵も無い。仮に続けたとしても、ピケルたんを失ったワシが、冷静なプレイを続けられたとは思えんしのう。じゃから、気にせんでくれ。心置きなく、本戦へ――」
「――いえ」
 ティモーははっきりと、首を横に振る。
「……むしろ今の話を聞いて、心が決まりました。やはり俺は、本選を辞退いたします。今は、M&Wよりも……勝つことよりも、大切なことがある」
「……? ホウ?」
 双六が小首を傾げる。意を決したように、ティモーはことばを紡いだ。
「謝らないといけない人が、いるんです……ドイツに。許してくれるかは分からないけど……でも、精一杯の謝罪をしたい」
「……! 大切な人……なのかの?」
 ティモーは頷く。迷うことなく、首を縦に振る。
「……親友です。もっとも、今でもそう思ってくれているかは分かりませんが……」
 ティモーは内心、怯えていた。
 もしかしたら、許してもらえないかも知れない――そう思うと、怖くて仕方がなかった。
「じゃが、本選まで2日あるぞい。辞退を早々に決めて良いのか? その人がすぐに会える人なら、急げば本選に間に合うかも知れんし……」
「……いえ。間に合わなければ、大会運営に迷惑が掛かりますし……それに、今は彼のことだけを優先して考えたいんです。……後悔したくはありませんから……」
「……! そうか……なるほどの」
 ティモーは、吹っ切れたような顔をしていた。
 ティモーは理解したのだ、いま自分が最も大切にすべきことを――ならばきっとそうするべきだ、双六もそう考える。自分のように……何十年も引きずる後悔を、抱え込んでしまわないように。
「ここに来たのは、もちろんお見舞いもありますが……本選辞退の旨を、あなたに伝えておきたかったんです。あなたほどのデュエリストを相手に予選通過したのに、許可もなく辞退しては失礼と思いまして」
「……律儀じゃのう。こんなオイボレなぞ、気にせんで構わんのに」
 ティモーはもう一度、首を横に振る。
「……とんでもない。昨日のあなたのデュエルは……本当に素晴らしかった。モンスターとの連携、魔法・罠によるコンビネーション……どれをとっても、俺が今まで闘ってきたデュエリストを遥かに上回っていた。だから……」
 一瞬、ティモーは恐れ多いような気もした。しかしやはり、言葉を続ける。自分自身に言い聞かせる意味を含めて。
「だから……俺は、あなたのようになりたい。双六さん、あなたを目標に今後、デュエリストとしての自分を磨いていきたいと考えています」
 世辞などではない、本心だ。
 ティモーは自身のデッキを取り出してみせると、どこか哀しげに目を細める。
「……俺のこのデッキは、勝つことだけを目的としたデッキだ……全てのカードを“駒”としか見なさない、冷たいデッキ。けれど、あなたは違った……カードを信頼し、その力を百パーセント以上に引き出すデッキ……凄かった。凄まじかった。本当に……本当に素晴らしいデュエルでした」
 それはティモーが抱いた、生涯で初めてかも知れない感情――純粋な“尊敬”と“憧れ”。
「国に帰ったら……一から、自分を見つめ直そうと思っています。あなたや、俺が侮辱してしまった“ゴキブリデッキ”使いの少年のように……心から信頼できるデッキを、勝つことよりも大切な何かを見出せるデッキを作りたい」

 ――それにより、自分は弱くなってしまうかも知れない……けれどそれでも構わない。

 ティモーはもう、見付けたのだから――“大切なこと”を。
 勝利よりも優先できるそれこそが、自分の心を真に満たしてくれるものであったことを。

「……そうかい。そこまで考えておるのなら……もはや止めまいよ」
 双六は笑みを漏らす。どこか、安心したような笑みを。
「ならばティモー君……そんなキミに、ワシからせめてもの“餞別”があるんじゃ。そこに、紙袋が置いてあるじゃろ?」
「……? エ……あ、はい」
 ベッドの近くに置かれたそれを、ティモーは持ち上げた。
 その紙袋は何かで満杯になっており、重量もそこそこのものがあった。一体何が入っているのか――中を軽く覗き込むと、何本も積まれたビデオテープが見えた。袋の大きさから察するに、十数本は入っているだろう。
「……? あの、これは?」
 ティモーの質問に対し、双六はどこか誇らしげに答える。
「ワシの宝物じゃ。それを見れば、キミの新しいデッキのヒントになるやも知れんぞ?」
「……!? 新しいデッキのヒントが!?」
 ティモーは驚かずにいられない。これではまるで、双六は自分の考えを事前に読めていたようではないか――と。
「しっ……しかし、よろしいのですか!? あなたの宝物を……しかも、こんなに……!」
「構わんよ。ワシも良いものを見せてもらったしの……その礼じゃ。『精霊界の女王−ドリアード−』……あの伝説のカードを持つ者ならば、このビデオは視聴不可欠なものじゃろうからのう」
 ティモーには、そのビデオの内容が全く見当もつかない。
 しかし、この偉大なる老人がここまで言い切っているのだ。よほど重要なビデオなのだろう――そう心から確信する。
「……本当に……お世話になりました。今回、日本に来て良かった……このご恩は一生忘れません」
「ホホッ、大げさじゃのう。達者でな、ティモー君。もし、また日本に来る機会があったら……“亀のゲーム屋”を気軽に訪ねてくれると嬉しいのう。待っとるぞい、キミの新しい“友人”の一人として」
 ティモーはもう一度、深々とお辞儀をすると、双六から託された紙袋を手に、病室を出て行った。


 ――その後、ドイツM&W界にて……世界を震撼させる、最強の“霊使いマスター”が誕生することになるのだが……それはまだ、少し先の話である。



●     ●     ●     ●     ●     ●



「――へっ……補欠通過?」
 電話越しの磯野のことばに、絵空は驚きの声を上げた。
「……!? でっ……でも、予選通過者16名は、もう決まってたんじゃあ……!?」
『はい。しかしそれが、通過者のうち1名が、どうしても出場できないと辞退を申し出まして……よって急遽、予選失格者の中から、本選出場者1名を新たに選出することとなったのです。戦績を考慮しますと、7ツ星だった神里様が最も相応しいということに……如何でしょうか? もしご都合が悪いようでしたら、他の――』
「――やるっ!! もちろんやりますっ!!」
 磯野の説明が終わるより早く、気短そうに絵空は叫ぶ。
 その後、磯野が必要な説明を済ませると、そこで通話は終了した。俄かには信じられない展開――“棚から牡丹餅”とはこのことだ。
「――やった〜っ! やったね、もうひとりのわたしぃっ!!」
『(えっ……ええ。やったわね、もう一人の私)』
 “聖書”を両手で持ち上げて、周囲など気にせず、絵空は歓喜の悲鳴を上げる。


 ――この運命が、どのような結末を引き寄せるのか……そんなことは、微塵も考えずに。



決闘60 太倉

 ――時はまたも前後する。
 その日、午後4時を回った頃――童実野駅付近にある、とある碁会所にて。
 平日にも関わらず、沢山の客がいた。最近は某漫画の影響で若者客も増え出したのだが、やはり年配者が多い。特に、平日なら尚のことだ。パチリパチリと、石の音がそこかしこから聞こえてくる。
 そんな中――今年で還暦を迎える白髪の老人、太倉源造(たくら げんぞう)は、打ち終えたばかりの碁の“検討”を行っていた。
「――ホレ……ここん所をさ、こっちに打っときゃ良かったわけですよ」
「あー……そうかそうか。なるほどのう」
 説明を受けた、髪の無い老人・浦野(うらの)は、さぞ関心した様子でノドを唸(うな)らせた。もうじき90歳になる彼は4年ほど前まで、この碁会所で“ナンバー2”を張っていた猛者なのだが――太倉がここを訪れるようになって以来、“ナンバー3”に甘んじざるを得なかった。
「まったく、太倉さんには敵わんわい。いくつ石を置いても、勝負にならんわ」
 そう言って、浦野はテーブルに置いた茶を一啜りする。対照的に、太倉は缶コーヒーを口に運んだ。買ったときには温かかったのだが、いつの間にかすっかり冷えてしまっていた。
「太倉さん相手に置石なしで打てる人というと……武藤さんくらいじゃからのう。プロにだって勝てるんじゃあないかい?」
「ハハ……流石にそこまでは。そういやあ双六さん、最近見えませんねえ」
「ああ……何でも、何かのゲーム大会に出るとか言うとったよ。ほれ、武藤さん家はゲームのお店をやっとるじゃろ? 確か、カードのゲーム大会とかで……マジ……はて、何じゃったかのう?」
 歳をとると忘れっぽくてイカンわい、と、浦野は額をペチッと叩いた。
 しかし太倉には、今のおぼろげな説明だけで見当がついた。恐らくはM&W――I2社が世に生み出した、今や大人気のカードゲームだ。
「……そういえば太倉さんは、以前はゲーム関連の会社に勤めてらっしゃったんじゃなかったかの? 結構お偉い役職じゃったと聞いたが……」
「ン……ああ」
 太倉の表情にふと、暗い影が落ちた。
「……昔の話ですよ。大した会社じゃありませんでしたしね」
 そう言って、残ったコーヒーを一気に呷(あお)った。まるで何かを振り払うかのように、威勢よく缶をテーブルに置く。
「……これは失敬。あまり聞いちゃイカンことだったかね?」
「いえ。大したことじゃありません」
 苦笑を浮かべながら、太倉は椅子を引いた。
 飲み干してしまった缶コーヒーを、新たに買い直すために――しかしその瞬間、横から腕が伸び、太倉の前に何かが置かれた。
 太倉がいつも飲んでいる、こだわりのブラックコーヒー。誰かが気を利かせて、買ってきてくれたのか――そう思い、顔を上げた。
「おお……これはスミマセンね」
 しかし言い終わるや否や、太倉の表情が凍りついた。いるはずのない人物が、そこに立っていたからだ。
「――お久し振りです……太倉さん」
 かつての会社の部下――月村浩一が、穏やかな表情を向けてきていた。



 何らかの事情があることを察し、浦野は早々に席を外してくれた。
 月村は一礼すると、代わりに、その椅子に腰を下ろす。
「……まだ4時過ぎだぜ……真面目なテメェが、サボリかよ?」
 視線を逸らし、太倉はぶっきら棒に憎まれ口を叩く。
 相変わらずだな――そう思い、月村は失笑を漏らした。
「早退してきただけですよ……仕事を早めに片付けて」
「……俺に何か、用でもあんのか?」
 盤上の石を片付けながら、太倉が問う。
 月村もそれに倣(なら)い、盤上の白石を集めた。
「……お孫さん……昨日の大会に出場されていたんですね。かのバトル・シティ大会に、初出場で予選突破……流石です」
「……別に俺は、特別なことは何も教えちゃいねぇよ……アイツが勝手に始めただけさ。まあ……あの子も色々あったしな。しかし、あんなヒヨッコが本選に出られるようじゃ、日本のデュエリストもまだまだだぜ」
 じゃらじゃらと音をたてて、碁笥(ごけ)に石を注ぐ。
「……で? まさかそんな祝辞のために、わざわざ仕事サボったわけじゃねえんだろ?」
 見透かしたように言う。しかし太倉はやはり、視線を合わせようとはしない。
「大体4年ぶりか……俺がここにいるって、よく分かったじゃねえか」
「……熊沢さんに聞きました。会社を辞めてからは、よくここに出入りしているらしい……と」
「チッ、あのお喋りダヌキが」
 碁石を片付け終えると、月村に渡された缶コーヒーに手をかける。太倉のその動作を確認すると、月村も安心したように、もう一つの缶コーヒーのプルタブを上げた。
「……会社の方はどうだよ? 俺がいなくても、達者でやれてんだろうな?」
「……ええ、まあ。最近は決闘盤の開発のおかげで、M&W関連の売り上げが大幅に伸びましたし」
「俺がいた頃よりずっと儲かってる……ってわけか?」
 少し拗ねたような様子で、太倉はコーヒーを呷った。
「……。なかなか本題に移らねえってことは、話し辛ぇ内容か……? テメェは昔から回りくどくていけねえ。口を酸っぱくして教えたはずだぜ、物事はズバッと単刀直入に伝えろってな」
「……そうでしたね」
 月村は胸ポケットから何かを取り出し、碁盤の上に置いた。
 それを見て、太倉の表情が歪んだ。月村が出したのは、M&Wカードの束――40枚で構成されたデッキだ。
「……私がここに来た目的は一つ……。デュエルの相手をして頂きたいのです、昔のように」
「…………」
 太倉は缶を置くと、初めて月村を正面から見た。
「……それは……どういう意味だ?」
 その目は鋭く研ぎ澄まされ、月村の顔を睨めつけた。その威圧感を前に、月村は少々気後れする。若い頃、月村が太倉の直属の部下だったときにも、叱るときは決まってこの目をしたものだった。
「……。どうしても……デュエルで勝たなくてはいけない相手がいます。だから――」
「……断る」
 言い終わるより早く、太倉は申し出を切り捨てた。
 月村は驚いたように目を見張る。
「……勝たなきゃならねえゲームなんざ、ハナからやるべきじゃねえよ……。ゲームは時の運だ、どんなに熟練したって、負けるときゃあ負ける。勝たなきゃならなくなった時点で、それはもうゲームじゃねえよ……」
「…………」
 月村は、ばつが悪そうに目を伏せた。昔から、太倉が何度も言っていたことだ――“ゲームはあくまで楽しむものだ”と。
「……月村。俺は4、5年前……テメェが本社で何をやらされてたか、詳しいことは知らされてねえ。だが、噂ぐれぇは耳に入れたよ……本社上層部のいざこざのために、テメェは“賭けデュエル”紛いのことをやらされてたらしいじゃねえか」
「……! それは……」
 言いかけて、月村は口を噤(つぐ)んだ。
 4年前の“ルーラー”との一件は、ペガサスから強く口止めされている。また、太倉が言う噂も、あながち間違ってはいないのだ。
「……やはり図星か。俺はな、月村……4年前のテメェの顔が、いまだに忘れられねぇ。アメリカ本社から帰って来たテメェは、まるで死んだ魚みたいな眼をしてやがった……俺はもう、テメェのあんな顔はみたくねぇのよ」
 太倉の顔は歪み、皺が見るからに増えた。哀しみと、悔しさと、怒りと――様々な負の感情が入り混じる。
「……テメェのことは、入社してきた当時から知ってる……。仕事の仕方から、煙草の美味い吸い方まで……俺はテメェに何でも教えてきた。テメェは飲み込みが早く、優秀だった……コネで成り上がった俺なんぞより、よっぽどな。俺はテメェを、息子みてぇに可愛がってきた……いずれはテメェに、俺の地位をくれてやりてぇとまで思ったよ」
「……恐縮です。しかし、それは買い被りすぎですよ……」
 月村は苦笑する。しかし太倉の表情は、決して緩まなかった。
「……テメェに今、どんな事情があるのか……それは知らねえよ。だが、わざわざ俺の所に来るってことは……テメェの言う“どうしても勝たなければならないデュエル”ってのは、よほど重てぇものなんだろう。ならば尚更、俺は手を貸せねぇ……思い留まれ、月村」
「…………」
 わずかな逡巡があった。しかし、月村ははっきりと、首を横に振ってみせる。
「……いくら太倉さんの言葉でも……そればかりは聞けません」

 ――退くことはできない……今度ばかりは、絶対に

 月村の脳裏には、昨日の出来事が、今でも鮮明に思い出せた。
 情景だけではない。無力感、屈辱、怒り、憎悪――ガオス・ランバートに対して抱いた激情は、今も冷めることなく、月村の中で渦を巻いている。



●     ●     ●     ●     ●     ●


『――貴様の娘……ソラエ・ツキムラを殺したのが儂だと言えば、少しはやる気が出るかね?』

『言っただろう……? 儂は“唯一のチャンス”を与えたのだと。M&W……それこそが、貴様が唯一、儂と肩を並べられる土俵……』

『己の無力を呪うのだな……ツキムラ。4年前、娘を失ったときと同じように……』


●     ●     ●     ●     ●     ●



 太倉は顔をしかめた。月村の感情の変化を、敏感に感じ取ったからだ。
 見たことのない顔だった。太倉の知る月村は、常に周囲への敬意を忘れぬ男だ――だが、その瞬間の月村はまるで違った。はっきりとは表に出さないものの、彼の表情からは、激しい“復讐心”が滲み出ていた。
(……バカ野郎が)
 太倉は、舌打ちを一つした。だがそれとほぼ同時に、月村がやおら立ち上がる。
「すみません……余計な心配をお掛けしました。やはり、私一人で解決すべき問題です……失礼します」
 一礼すると、月村は太倉に背を向けた。だがその刹那、太倉が「待ちな」と呼び止める。
「1つ……いや、2つだけ訊きたいことがある」
「……!」
 月村は振り返らない。しかし構わず、太倉はその背に問いかける。
「……何故、わざわざ俺のところへ来た……? テストデュエルの相手だけなら、腕の立つプレイヤーの当ては他にもあるはずだろう?」
「…………」
 太倉の顔は見ないまま、月村はそれに答える。
「……私はこの4年間……一度も“決闘者”として臨んでいません。けれど数日中に、デュエルの“勘”を取り戻さなければならない……その相手には、太倉さんが適任だと思ったからです」
 ゆっくりと振り返る。そこには、先ほどまでの“復讐者”の顔は無い――太倉の知る、いつも通りの月村がいた。
「先ほど、太倉さんが仰った通り……私はあなたに、何でも教わってきました。ゲームの駆け引きや、布石の打ち方……勝つために必要なことは、全てあなたから吸収してきた。だから……」
「……テメェの錆落としには、俺が適任と考えた……ってわけか」
 太倉は視線を落とした。もう一つ、訊きたいことがある――だが、すぐには口に出せない。暫しの逡巡の末に、恐る恐る口にした。
「……月村。テメェは俺を、恨んでねぇのか……?」
「……え?」
 月村は驚いたように、目を瞬かせる。太倉は悩ましげに瞳を閉じると、躊躇いがちにことばを紡ぐ。
「5年前……本社が“腕の立つデュエリスト”を募ったとき、俺は真っ先にテメェを推薦した。テメェがそん時、娘さんのことで大変な状態にあると知りながら……だ」
 それは太倉の、月村の将来を考えた末の“過ち”だった。

 月村は一社員で終わるべき器ではない――太倉はかねがね、そう考えていた。だが、実力だけで成り上がることは難しい。
 故に、何らかの強いコネクションを作らせてやる必要がある。太倉は5年前のそれを、本社上層部に月村を売り込む、絶好の機会と考えたのだ。

「――だが、結果はアレだ。こうなると分かっていたなら、俺は……ペガサスなんぞに、テメェを預けやしなかった」
 それ以来、太倉の、仕事への情熱は急激に冷めていった。月村の休職期間中に、I2社日本支社長の座を辞任――以来、今のような隠居生活を送っている。
「……テメェは、俺の推薦だから断れなかったんだろう……? 本当は“賭けデュエル”なんぞやらずに……もっと娘さんの側にいてやりたかっただろうに」
 太倉は顔を上げない。返答が怖い――信頼する目の前の男から、どのような言葉を投げかけられるのか。
「……恨んだことなんて……一度たりともありませんよ」
 はっきりと、月村はそう答える。
「あなたと同じように……私は太倉さんのことを、実の父のように慕ってきました。そしてそれは、今でも決して変わらない……今の私がいるのは、太倉さんのお陰ですから」
「……! そう……か」
 ほっと、太倉の口から溜め息が漏れた。
 肩の荷が下りたようだった。この4年間――ずっと気にしていたこと。心を縛り続けた苦悩。それらが一息に、太倉の口から吐き出される。
「……ありがとよ、月村……。お陰で今夜からは、枕を高くして眠れそうだ」
 憑きものがとれたように顔を上げると、太倉は月村に「座れよ」と促す。
「いいだろう。テメェの願い、聞いてやる。だが一つ……一つだけ約束しな」
 再び腰を下ろした月村に、真剣な眼差しを向ける。
「……ゲームに私情は持ち込むな。ましてや、恨みなんざ言語道断だ……相手を蔑んだ時点で、それはもうゲームじゃねえ。ただの幼稚な喧嘩も同じよ……」
「……!」
 月村が眉をひそめる。少し考えた後に、「分かりました」と首を縦に振る。
(相変わらず、嘘の吐けねぇ野郎だ……。生返事だってバレバレじゃねえか)
 太倉も眉をひそめる。そして考える――いかにすれば、今の月村の“心の澱み”を取り除けるか。
(……にしても……温和な月村に、ここまでの恨みを買わせるとはな。相手はどんだけトチ狂った糞野郎なんだ……?)
 太倉はヤレヤレと、重い溜め息を吐き出した。そしてゆっくりと、思い出しながらことばを紡ぐ。
「……“ゲームはいい。ゲームをしているときは、何もかも忘れることができる。立場も、使命も、運命も……全てを忘れ、興じることができる”」
「……? え?」
 言葉の真意が分からず、月村は呆気にとられる。
 太倉は少し照れ臭そうに、頬を掻き、苦笑を漏らした。
「……俺の台詞じゃねえよ。もう四十年以上も昔……アメリカで出遭った、名も知らねえ野郎の臭ぇ言葉だ」
 何かを懐かしむように、太倉は話を続ける。
「十代後半ぐれぇの頃だな……俺は親父に連れられて、アメリカのとあるパーティーに出席させられてた。しかし、どうにもそういう雰囲気が苦手でね……会場を抜け出して、近くの遊技場へ遊びに出たのよ。そこで俺は、一人の男と知り合った……。同年代ぐれぇの……正装してたから、パーティーの参加者だったんだろうな」

 ――やけにガタイの良い男で、初めは年長者かと思った
 ――ひょんなことから意気投合し、名前も訊かず、様々なゲームに興じた

「……俺は昔から、ゲームに目がなくてなぁ……。腕にも相当の自信があった、アマ相手なら負けナシの自信がな。ビリヤード、チェス、ポーカー……色々やったよ。あん時のことは、今でも忘れられねぇ……俺とアイツの実力は、ぴったり“拮抗”してたからだ」

 ――前述のことばは、その最中にアイツが口にしたものだ
 ――時間を忘れて興じた……後にも先にもない、“最高のゲーム”を

「……以上でも、以下でもねぇ……全くの互角だ。何かを賭けてたわけじゃねぇ……だが俺達は白熱し、勝者の座を競い合った。そこには、自分が何者か、相手が何者かなんて関係ねぇ……俺はその時、ゲームの本質を初めて理解したよ。ゲームは一人じゃできねぇ、複数の人間でやるから楽しいんだ。ゲームの相手は、“敵”なんかじゃねぇ……最高の面白ぇゲームを生み出すための、大切な“パートナー”なんだってな。分かるか、月村?」
 月村は目を見張る。太倉は得意げに、ニッと笑みを漏らした。
「テメェの言う相手が、どれだけ小憎らしい性悪野郎かは知らねぇよ。だが、ゲームが始まったらそれは忘れな。立場も使命も運命も、全く関係ねぇ……ゲームが始まりゃ、ソイツはパートナーよ。最大限の敬意を払うべき……な」
「……!」
 月村は返答に躊躇した。

 敬うことなどできようか――あの男を。
 娘を殺したなどと謳(うた)い、大切な人をさらに奪おうとするあの悪魔を。

「……分からねぇなら、今はそれでもいいさ……。テメェならいずれ、必ず分かるはずだ。心にしっかり刻んどいてくれりゃあ……な」
 太倉はやおら立ち上がる。
 同意を示さなかったことで、またも太倉の機嫌を損ねてしまったのではないか――そう思い、月村はハッとした。
 そんな月村の様子を見て、太倉は悪戯っぽい笑みを漏らす。
「オイオイ、ここは碁を打つ場所だぜ? 場所を変えるのが当然の筋だろうが」
 右手に持ったコーヒーを、一口飲み込んだ。
 いい味だ。心につっかえがあった先ほどより、よほど苦味が心地よい。
「望み通り……テメェにこびり着いた錆を、綺麗さっぱり削ぎ落としてやるよ。テメェの言うツワモノと、十分なゲームが楽しめるように……な」




 ――決戦の時は、着実に近づきつつあった。
 第三回バトル・シティ大会、本戦開始は2日後――16名の本戦出場者と、そして、その水面下で蠢く者達。

 この戦いの果てに、如何なる結末が待っているのか――それを知る者はまだ、誰もいない。






●第三回バトル・シティ大会 本戦出場者リスト(修正)
1位.ヴァルドー D・Lv.5  7勝0敗
2位.シン・ランバート D・Lv.7  7勝0敗
3位.海馬瀬人 D・Lv.10  7勝0敗
4位.キース・ハワード D・Lv.9  7勝0敗
5位.サラ・イマノ D・Lv.7  7勝0敗
6位.エマルフ・アダン D・Lv.9  7勝0敗
7位.武藤遊戯 D・Lv.10  7勝0敗
8位.獏良了 D・Lv.7  8勝1敗
9位.ゴースト骨塚 D・Lv.6  8勝1敗
10位.神無雫 D・Lv.5  7勝0敗
11位.マリク・イシュタール D・Lv.8  7勝0敗
12位.梶木漁太 D・Lv.6  9勝2敗
13位.孔雀舞 D・Lv.8  8勝1敗
14位.城之内克也 D・Lv.5  7勝0敗
15位.太倉深冬 D・Lv.5  7勝0敗
16位.神里絵空 D・Lv.?  8勝2敗


●第三回バトル・シティ大会 本戦一回戦対戦組み合わせ表
第一試合:武藤遊戯VS太倉深冬
第二試合:キース・ハワードVSゴースト骨塚
第三試合:シン・ランバートVSマリク・イシュタール
第四試合:エマルフ・アダンVS城之内克也
第五試合:サラ・イマノVS孔雀舞
第六試合:海馬瀬人VS梶木漁太
第七試合:ヴァルドーVS神里絵空
第八試合:獏良了VS神無雫



付録 登場デュエリスト簡易データ(本戦進出者編)

○ヴァルドー
・年齢:????歳
・予選通過順位:1位
・戦績:7勝0敗
・デッキ:??????
・切札:?????
・国籍:イギリス
・職業:占い師
・デュエリストレベル:5
・主なデュエル経歴:イギリスチャンピオンシップ地区予選大会優勝(本戦出場辞退)
・魂に宿す“精霊”:?????


○シン・ランバート
・年齢:19歳
・予選通過順位:2位
・戦績:7勝0敗
・デッキ:闇属性悪魔族+魔神
・切札:魔神
・国籍:アメリカ
・デュエリストレベル:7
・主なデュエル経歴:全米チャンピオンシップベスト4


○海馬瀬人
・年齢:17歳
・予選通過順位:3位
・戦績:7勝0敗
・デッキ:ドラゴン族
・切札:青眼の白龍
・国籍:日本
・職業:海馬コーポレーション社長,高校生
・デュエリストレベル:10
・主なデュエル経歴:第一回バトル・シティ大会3位,第二回バトル・シティ大会優勝
・魂に宿す“精霊”:デュオス


○キース・ハワード
・年齢:27歳
・予選通過順位:4位
・戦績:7勝0敗
・デッキ:機械族
・切札:???
・国籍:アメリカ
・職業:賞金稼ぎ
・デュエリストレベル:9
・主なデュエル経歴:全米チャンピオンシップ優勝


○サラ・イマノ
・年齢:21歳
・予選通過順位:5位
・戦績:7勝0敗
・デッキ:光属性
・切札:?????
・国籍:アメリカ
・職業:????
・デュエリストレベル:7
・主なデュエル経歴:全米チャンピオンシップベスト4
・魂に宿す“精霊”:?????


○エマルフ・アダン
・年齢:12歳
・予選通過順位:6位
・戦績:7勝0敗
・デッキ:炎属性
・切札:???
・国籍:フランス
・職業:大学生
・デュエリストレベル:9
・主なデュエル経歴:フランスチャンピオンシップ優勝


○武藤遊戯
・年齢:17歳
・予選通過順位:7位
・戦績:7勝0敗
・デッキ:魔術師+絵札の三剣士+磁石の戦士+沈黙
・切札:ブラック・マジシャン
・国籍:日本
・職業:高校生
・デュエリストレベル:10
・主なデュエル経歴:第一回バトル・シティ大会優勝,第二回バトル・シティ大会準優勝
・魂に宿す“精霊”:サイレント・ソードマン


○獏良了
・年齢:17歳
・予選通過順位:8位
・戦績:8勝1敗
・デッキ:オカルト
・切札:ダーク・ネクロフィア
・国籍:日本
・職業:高校生
・デュエリストレベル:7
・主なデュエル経歴:第一回バトル・シティ大会ベスト8,第二回バトル・シティ大会ベスト8


○ゴースト骨塚
・年齢:16歳
・予選通過順位:9位
・戦績:8勝1敗
・デッキ:ゴースト
・切札:???
・国籍:日本
・職業:高校生
・デュエリストレベル:6
・主なデュエル経歴:第一回バトル・シティ大会参加,第二回バトル・シティ大会参加


○神無雫
・年齢:16歳
・予選通過順位:10位
・戦績:7勝0敗
・デッキ:光属性+闇属性(レベル8限定)
・切札:エンド・オブ・ザ・ワールド
・国籍:日本
・職業:高校生
・デュエリストレベル:5
・主なデュエル経歴:???


○マリク・イシュタール
・年齢:17歳
・予選通過順位:11位
・戦績:7勝0敗
・デッキ:悪魔族+スライム
・切札:????
・国籍:エジプト
・職業:エジプト考古局嘱託職員
・デュエリストレベル:8
・主なデュエル経歴:第一回バトル・シティ大会準優勝


○梶木漁太
・年齢:19歳
・予選通過順位:12位
・戦績:9勝2敗
・デッキ:水属性
・切札:海竜−ダイダロス
・国籍:日本
・職業:賞金稼ぎ,漁師見習い
・デュエリストレベル:6
・主なデュエル経歴:第一回バトル・シティ大会参加
・魂に宿す“精霊”:伝説のフィッシャーマン


○孔雀舞
・年齢:25歳
・予選通過順位:13位
・戦績:8勝1敗
・デッキ:鳥獣族
・切札:ネフティスの鳳凰神
・国籍:日本
・職業:賞金稼ぎ
・デュエリストレベル:8
・主なデュエル経歴:第一回バトル・シティ大会ベスト8,第二回バトル・シティ大会3位
・魂に宿す“精霊”:ハーピィ・レディ


○城之内克也
・年齢:17歳
・予選通過順位:14位
・戦績:7勝0敗
・デッキ:戦士族+レッドアイズ
・切札:真紅眼の黒竜
・国籍:日本
・職業:高校生
・デュエリストレベル:5(凡骨上がり)
・主なデュエル経歴:第一回バトル・シティ大会4位,第二回バトル・シティ大会4位
・魂に宿す“精霊”:ギルフォード・ザ・ライトニング


○太倉深冬
・年齢:15歳
・予選通過順位:15位
・戦績:7勝0敗
・デッキ:????
・切札:????
・国籍:日本
・職業:今春より高校生
・デュエリストレベル:5
・主なデュエル経歴:??


○神里絵空
・年齢:16歳
・予選通過順位:16位
・戦績:8勝2敗
・デッキ:光属性+闇属性
・切札:ガーゼット
・国籍:日本
・職業:今春より高校生
・デュエリストレベル:?
・主なデュエル経歴:なし
・魂に宿す“精霊”:ガーゼット


○月村天恵
・切札:混沌帝龍−終焉の使者−
・魂に宿す“魔物”:同上



付録2 登場デュエリスト簡易データ(その他の大会参加者)

○ティモー・ホーリー
・年齢:21歳
・戦績:7勝0敗(本戦出場辞退)
・デッキ:帝
・切札:精霊界の女王−ドリアード−
・国籍:ドイツ
・職業:賞金稼ぎ
・デュエリストレベル:9
・主なデュエル経歴:ドイツチャンピオンシップ2年連続優勝


○カール・ストリンガー
・年齢:18歳
・戦績:3勝1敗
・デッキ:獣族
・切札:神獣 ガディルバトス
・国籍:イギリス
・職業:高校生
・デュエリストレベル:9
・主なデュエル経歴:イギリスチャンピオンシップ3年連続優勝
・魂に宿す“精霊”:神獣 ガディルバトス


○アルベルト・レオ
・年齢:20歳
・戦績:8勝3敗
・デッキ:除外
・切札:紅蓮魔獣 ダ・イーザ
・国籍:イタリア
・職業:賞金稼ぎ
・デュエリストレベル:9
・主なデュエル経歴:イタリアチャンピオンシップ優勝
・魂に宿す“精霊”:伝説の賭博師


○リシド・イシュタール
・年齢:20歳
・戦績:6勝1敗
・デッキ:トラップ+セルケト
・切札:聖獣セルケト
・国籍:エジプト
・職業:エジプト考古局嘱託職員
・デュエリストレベル:7
・主なデュエル経歴:第一回バトル・シティ大会ベスト8
・魂に宿す“精霊”:セルケト


○パンドラ鈴木
・年齢:28歳
・戦績:0勝1敗
・デッキ:マジシャン
・切札:ブラック・マジシャン
・国籍:フランス
・職業:奇術師
・デュエリストレベル:6
・主なデュエル経歴:第一回バトル・シティ大会参加


○インセクター羽蛾
・年齢:15歳
・戦績:不明
・デッキ:昆虫族
・切札:インセクト女王
・国籍:日本
・職業:今春より高校生
・デュエリストレベル:6
・主なデュエル経歴:“元”全日本一位


○ダイナソー竜崎
・年齢:16歳
・戦績:3勝4敗
・デッキ:恐竜族
・切札:超伝導恐獣
・国籍:日本
・職業:高校生
・デュエリストレベル:6
・主なデュエル経歴:“元”全日本二位


○珍札狩郎
・年齢:興味ない
・戦績:3勝4敗
・デッキ:エクゾディア+千年アイテム
・切札:究極千年神 ミレニアム・ドラゴン(※妄想の産物)
・国籍:たぶん日本
・職業:なし
・デュエリストレベル:5
・主なデュエル経歴:第一回バトル・シティ大会参加
・魂に宿す“精霊”:特に決めてない


○絽場
・年齢:17歳
・戦績:不明
・デッキ:サイキック
・切札:サイバー・オーガ2
・国籍:日本
・職業:高校生
・デュエリストレベル:6
・主なデュエル経歴:第一回バトル・シティ大会参加,第二回バトル・シティ大会参加


○ゴキブリデッキ使いの少年
・年齢:13歳
・戦績:不明
・デッキ:ゴキブリ
・切札:スーパー・ゴキブリ・キング
・国籍:日本
・職業:中学生
・デュエリストレベル:5
・主なデュエル経歴:???
・魂に宿す“精霊”:ゴキポン


○武藤双六
・年齢:73歳
・戦績:0勝1敗
・デッキ:萌え萌えピケルたん
・切札:白魔導士ピケルたん
・国籍:日本
・職業:亀のゲーム屋店長
・デュエリストレベル:7
・主なデュエル経歴:???
・魂に宿す“精霊”:エクゾディア


○光の仮面&闇の仮面
・年齢:不明
・戦績:2勝3敗
・デッキ:仮面
・切札:仮面三魔獣
・国籍:不明
・職業:賞金稼ぎ
・デュエリストレベル:6
・主なデュエル経歴:各国のタッグデュエル大会にて上位入賞


○岩槻瞳子
・年齢:15歳
・戦績:0勝1敗
・デッキ:岩石族
・切札:メガロック・ドラゴン
・国籍:日本
・職業:今春より高校生
・デュエリストレベル:6
・主なデュエル経歴:童実野町町内大会優勝
・魂に宿す“精霊”:砂の魔女


○ワイトデッキ使いの青年
・年齢:21歳
・戦績:不明
・デッキ:ワイト
・切札:ワイトキング
・国籍:日本
・職業:大学生
・デュエリストレベル:6
・主なデュエル経歴:???
・魂に宿す“精霊”:ワイト



付録3 登場デュエリスト簡易データ(大会参加者以外)

○月村浩一
・年齢:43歳
・デッキ:混沌
・切札:カオス・パワード
・国籍:日本
・職業:I2社社員
・魂に宿す“精霊”:カオス・マスター


○ガオス・ランバート
・年齢:58歳
・デッキ:暗黒界
・切札:暗黒集合体−ダークネス−
・国籍:アメリカ
・魂に宿す“精霊”:暗黒集合体−ダークネス−


○ペガサス・J・クロフォード
・年齢:25歳
・デッキ:トゥーン+幻想
・切札:トゥーン・ワールド
・国籍:アメリカ
・職業:I2社名誉会長
・デュエリストレベル:9
・魂に宿す“精霊”:サクリファイス
・備考:生死不明


○イシズ・イシュタール
・年齢:20歳
・デッキ:天使族
・切札:不明
・国籍:エジプト
・職業:エジプト考古局局長
・デュエリストレベル:7
・魂に宿す“精霊”:スピリア


○シャーディー
・年齢:????歳
・デッキ:墓守
・切札:墓守の遺志−グレイブ・ガーディアン−


○太倉源造
・年齢:59歳
・デッキ:六武衆
・切札:大将軍 紫炎
・国籍:日本
・魂に宿す“精霊”:無敗将軍 フリード
・備考:元・I2社日本支社長



本戦・一日目(午前)に続く



本戦・一日目(午前)はこちらから

その前に『おまけU』を読んでみる




前へ 戻る ホーム 次へ