やさしい死神(前編)

製作者:表さん




※この小説は、拙い作者が恐れ多くも、原作終了後の遊戯たちを、身の程知らずにも勝手に想像して書いたものです。
 かなり深いところまで描写するので、あくまで二次創作物として解釈してください。…ぶっちゃけ、やりすぎました(ぇー
 闘いの儀の二ヵ月後を主な時間軸として描きます(第一章以降)。便宜上、闘いの儀は8月上旬ころのことと仮定しています。
 結構シリアスなので年長者向けと思いますが、ご容赦くださいm(_ _)m
 ちなみに、物語中の決闘は全て原作ルールです、あしからず。




序章・血塗られた神像

「…なぜ…こんなカードを創り出してしまったのでショウ……」

 今から、数年前のこと。
 大人気のカードゲーム――M&W(マジック・アンド・ウィザーズ)の創始者、ペガサス・J・クロフォードはのちに、このことを、自らの犯した最大の過ちであったと語っている。

 ペガサスは頭を抱えていた。
 会社のデスクに肘(ひじ)をつき、深刻に考え込む。
 彼の眼前には、先日つくったばかりの三枚のカードが置かれていた。彼の悩みの種は、まさしくそれだった。
 それらは、“神のカード”と呼ばれる、最強のレアカードである。

 ペガサスはM&Wのカードのアイデアをエジプトに保管された石版から得ている、というのは、意外と知られていない事実らしい。
 そして、カード創作のため石版を見回っていたある日、彼は知ってしまったのだ。
 石版に描かれた、他のモンスターとは明らかに一線を画す、三体の“神”の存在を。
 『オシリスの天空竜』、『オベリスクの巨神兵』、そして、『ラーの翼神竜』――

 彼の創ったM&Wは人気の絶頂にあり、彼は有頂天になっていた。
 だからこそ、創りたかったのだ。
 全ての決闘者が一律に見上げる、究極のレアカードを。
 そして、この三体の“神”こそ、それに最も相応しいモデルと判断されたのだ。

 ――だが、そのカード製作は、思わぬ暗礁(あんしょう)に乗り上げた。
 それらのカードを創ろうとする者は、みな、つぎつぎと不吉な事故に遭っていったのだ。
 すぐに、神のカードの製作には不気味な噂がつきまとうようになり、誰もがその作業に着手しようとはしなくなった。
 何人もの部下が、神のカードから手を引くよう進言し、辞めていく者さえ出た。
 だがペガサスは、どうしても手を引こうとはしなかった。

 彼は強行した。
 そして彼はついに、その三枚のカードを世に生み出すことに成功したのだ。

 ――しかしそれが、どれほど愚かしい行為であったかを、すぐに思い知ることになる――


 翌日、彼は部下を呼び、すぐにそれらのカードのテストプレイを行わせることにした。
 互いのデッキに一枚ずつ“神”を入れ、決闘を行わせる。
 あいにく、壁画に描かれた解読不能のテキストを転載しただけのラーのカード効果は、創った本人にすら分からなかったため、使用されたのは『オシリスの天空竜』と『オベリスクの巨神兵』である。
 無論、二体の神のテストプレイが上手くいけば、彼はそのテキストを何とか解読し、それをもとに英語で特殊能力をテキストスペースに書き込み直すつもりだった。

 神のカードは予想通り、恐るべき力を秘めたカードだった。
 あまりに絶大すぎる効果のため、先に召喚した決闘者が確実に勝利を収める。ゲームバランスを著しく崩すものと言わざるを得なかった。
 だがそれ以上の、全く予想外の問題が、このカードには秘められていたのだ。
 最初のテストプレイの際、先に召喚された“神”は、オシリスの方だった。
 オシリスは、相手プレイヤーの出す壁モンスターをことごとく粉砕し、相手プレイヤーにダイレクトアタックを決めた。
 だがその瞬間――異変が起きた。
 神の攻撃を受け、敗北した決闘者は、イスから崩れるように倒れこみ、病院に運ばれてしまったのだ。
 幸い、命に別状はなかった。医者の話によると、強い精神的ショックを受けたため、とのことだった。
 当時はまだ、立体映像(ソリッド・ビジョン)などによる高度な決闘システムは開発されておらず、決闘はすべて、普通の机の上にデッキを置き、それぞれ手元のカウンターに自分のライフポイントを入力して行うような簡素なものだった。
 そんな形式のゲームで、精神的ショックを受け、人が倒れるなど、全く信じがたいことだった。
 ――数日後、もう一度だけ、テストプレイは行われた。
 こんど先に召喚されたのは、オベリスクの方だった。
 場の二体のモンスターを生け贄に捧げ、相手のモンスターを全て破壊し、相手プレイヤーのライフポイントまでも一瞬で失わせる。
 そして次の瞬間――、またも相手の決闘者は倒れ、病院に運ばれてしまった。

 ――この信じがたい事態に、I2(インダストリアル・イリュージョン)社は、こう結論づけるしかなかった。
 “神のカード”には人智を超えた、まさに神がかり的な力が宿っている。
 驚くべきことに、“神”の攻撃でダメージを受けたプレイヤーは、現実にも、甚大な心的ダメージを被(こうむ)ることになるのだ、と。
 大の大人ですら倒れ、病院に運び込まれたのだ。
 もし子供がこの“神”の攻撃を受ければ、死人が出る恐れすら否定できない。
 このカードの販売・景品化はすぐに中止され、それらは、ペガサスが責任を持って保管することになった。

 ――だが、それから数日後、今度はペガサスの身に異変が起こった。

 彼は毎晩、自ら生み出した三枚の神に襲われ、殺される悪夢を見るようになったのだ。
 それだけなら、まだ良かった。
 そのうち、彼は現実世界においても神の幻を見、それに襲われる幻覚を見るようになったのだ。
 彼の精神は日に日にすり減っていき、病んでいった。
 社長の乱心により、I2社の経営は揺らぎ、存亡の危機に立たされるようにまでなった。

 ――このままでは…自分は、この三枚のカードに呪い殺されてしまう。
 彼は、そう確信していた。
 これらのカードを創り出してしまったことを、心の底から後悔していた。

(……私は…どうしたら良いのでショウ……!?)
 彼は、追い詰められていた。
 始めた事業は軌道に乗っていた。
 更なる事業の発展を求め、自ら創り出したカードによって呪い殺される。
 そんなバカな話が、あっていいハズがなかった。

 その三枚のカードを破って焼き、処分してしまおうと思ったことは何度もあった。
 だが、出来なかった。
 カードを焼き払ったとき――、自分もまた、その三体の神に引き裂かれ、焼き殺されてしまうのではなかろうか。
 そんな確信めいた恐怖が、どうしても頭を離れなかったのだ。


 彼は必死でさがした。自分が、これらのカードに殺されない方法を。
 自分が生き延びられる方法を。
 ――そして、思い付いたのだ。
「……ソウダ…、創レバイイ……」
 彼は呟いた。
 そのときの彼は、すでに正気を失っていた。

 ――創レバイイ
 私ハ、コノゲームノ創始者
 私コソガ、神ナノダカラ――

 彼はすぐさま、自分専用のキャンバスに向かうと、一枚のモンスターを描き上げた。
 それが完成した瞬間、彼はニマリと、不気味な笑みを浮かべた。

 ――ソウダ……創レバイイ
 真ノ神ハ、私ナノダ
 創レバイイ
 エジプトノ石版ナド、関係ナイ
 創ッテシマエバイイ
 新タナ“神”ヲ
 コノ三体ノ神ヲモ凌駕スル――究極ノ“神”ヲ!!

 それは、ペガサスの意志によるものではなかった。
 キャンバスに絵を描き込む間、彼の左眼に埋め込まれた千年眼(ミレニアム・アイ)は、常に怪しい光を発していた。
 ――そう、これはペガサスの意志によるものではない。
 千年眼に宿った、邪悪な意志によるものだったのだ。

 その日のうちに、ペガサスはそれらを創り出した。
 エジプトの壁画に描かれた三体の“最強の神”をも超える、三体の“最凶の神”、そして、それらを呼び出すために必要な、禍々(まがまが)しき魔法カードを――
 その三体の“最凶の神”は、当時のペガサスの考えうる限り、無敵のカードだった。
 あらゆる攻撃を無効とし、あらゆる防御も無効とする、
 どんな魔法にも、罠にも屈しない、
 あらゆるモンスターを、エジプトの三神をも容易(たやす)く抹殺する、
 究極の、死の神。


 ――それから数日後、ペガサスは最初に創った三枚の神のカードを、エジプト政府へ寄贈することを思い立つ。
 それと同時に、彼を襲った幻は、二度と姿を現すことがなくなった。
 その後しばらくして、彼は社長の座を退き、I2社の名誉会長となる。

 ――それ以降、ペガサスの生み出した“最凶の神”がどうなったのか、知る者は誰もいない――



序章U・彼女に関するいいわけめいたこと

 ――私は、神を信じない
 この世界に、神など存在するはずがない
 それでももし、存在するというならば、
 その者は無責任で、冷徹で、
 ひどく残酷な、悪魔であろう――


 神里美咲(かみさと・みさき)は車を降りると、重いため息をひとつ吐いた。
 降りた場所は、童実野病院の駐車場。もう、何年も通いなれた場所だ。
 別に、彼女は病気ではない。いたって健康体である。
 今年で40歳になる彼女は、それなりに知名度のある企業で責任あるポストについており、そこらのサラリーマンより、よほど高収入であった。
 夫は結婚して間もなく、生後間もない娘を遺して病死した。
 そのため働かなければならなかったが、もともと高学歴で研究好きな彼女にとって、現在の仕事は、むしろ楽しいものだった。
 望ましい仕事に、十分な収入。
 夫を亡くしたとはいえ、その点においてだけなら、彼女は幸せな人間と呼べるのかも知れない。
 だが彼女は、決して幸福などではなかった。

 白い、大きな建物に入る。
 知り合いになった看護師数名に挨拶しながら、目的の個室を目指す。
 入院中の、娘の所である。
 病院で寝たきりの一人娘のところへ出勤前と出勤後、一日二回訪れる。それが彼女の毎日の習慣になっていた。
 ある病室の前で立ち止まる。
 そして、個室の前に掛けられた名札を見た。

 “神里 絵空(かみさと えそら)”

 愛する娘の名前が、無機質な字体で印刷されている。
 そこで彼女はもうひとつ、深いため息を吐いた。

 ――娘が入院したのは、最近のことではない。
 娘は小学一年生の夏、6歳のときから、もう10年間も入院生活を続けているのだ。
 途中、一時的に帰宅許可が出ることは何度かあった。
 だがそれも、長くて一週間どまり。しかも、自由に外出することは許されなかった。
 娘は人生の大半を、消毒液の匂いの染み付いた、この白くて四角い建物の中で費やしたのだ。

 ――コン、コン

 部屋をノックする。
 だが、返事はこない。
 それはよくあることだったので、動じず彼女はドアノブに手を掛ける。
「…開けるわよ、絵空」
 念のため、確認のことばを口にしながらドアを開ける。
 中に入ると案の定、絵空はベッドの上で、ノートパソコンをいじっていた。
 絵空はマウスを右手に握り締め、ディスプレイと睨めっこをしながら小声でぶつぶつと何やら呟いていた。

「…ならずでヴァンロを一時的に除去し、遺言でキャノンを呼ぶ…。で、ダイレクト後に飛ばせば1900だから…ウン、足りるね……」
 独り言は、絵空の口グセだった。
 入院して何年後かに、それは始まった。
 病院の看護師の間でも、絵空の独り言は少し有名だった。
 ひとりなのに――、まるで、誰かと話をしているかのように呟くのだ。
 病院から出たことのない彼女に、同年代の友人はいなかった。
 娘の独り言はそこに起因するのだろうと考え、美咲はそれほど重く考えていなかった。

 絵空はまだ、母の来訪に気付かない。
 美咲はとりあえず、ベッドの前のイスに腰掛けた。
 絵空は、腰の辺りまである長い黒髪をお気に入りの黄色いリボンで束ね、パソコンを真剣に見つめている。
 絵空はノートパソコンの画面に魅せられ、夢中で、楽しそうにマウスを操作している。
 美咲は娘のそんな、幸せそうな表情が好きだった。

 そのパソコンは去年の春、彼女にプレゼントしたものだ。
 最初に買ってあげたのは、娘の10歳の誕生日。
 その後すぐに、担当の医者に頼んで、インターネットに繋がせてもらったのだ。
 病院を出られない絵空にとって、世界中と繋がっているインターネットは、宝の山であった。
 そして彼女はその中で、あるゲームとの出会いを果たした。

 I2社の生み出した、世界的に有名なカードゲーム――M&W。
 ある日、絵空は、そのカードゲームのファンサイトを見つけ、以来、それに興味を持つようになった。
 また、そのゲームによる対戦をインターネット上で楽しむことができるサイトもあり、絵空はすぐに、それに没頭した。
 今では、M&Wを扱ったサイトを自分で管理しており、その対戦を可能にするプログラムを自らつくり出している程である。
 今もその、自分のつくったゲームを用い、顔の見えない誰かと対戦している所なのだ。

「わ、グレイモヤだ。なら、お触れを発動っ」

 娘の意味不明なことばに耳を傾けつつ、美咲は横の棚に目をやった。
 棚の上には、通信教育の問題集が置かれている。
 通信教育は、学校に通えなくても学習できるよう、小学校2年生のときからやらせている。
 絵空は勉強熱心で、ゲームと勉強の折り合いをしっかりとつけ、いつも進んで学習に取り組んでいる。
 親バカかも知れないが――、もし健康だったなら、絵空はどんな学校にでも受かるだろうと美咲は自負している。
 そして問題集の隣には、M&Wのカードの束が置かれていた。
 母にせがんでカードを買ってきてもらい、自分の知識やインターネット上の情報を基に、デッキと呼ばれるひとつのカードの束をつくる。
 美咲はゲームに関して、全く疎かったが、そのデッキが基本的に40枚で構成されている程度のことは辛うじて知っていた。
 デッキはふたつ、棚の上に置かれている。
 右と左にそれぞれデッキを置き、一人二役でゲームをしている姿を、何度も見たことがあった。
 美咲は知っていた。
 絵空は、パソコンを介してのゲームでは満足できていないことを。
 実際につくったデッキを用い、顔の見える相手と、直接ゲームをしたいのだということを。
 病気の身体でなかったなら、自由に外に出られる身体だったなら――
 そう考えると、美咲は居たたまれなかった。

 ――私は、神を信じない
 本当に神がいるならば、
 どうして娘だけが、こんな辛い目に遭わなければならないのか
 それでももし、神が存在するというのなら、
 その者はきっと、神という名の悪魔でしかないのだろう――


「…あれ? おかあさん?」
 ゲームが終わったらしい絵空が、ようやく母の来訪に気付く。
 物思いに耽(ふけ)ってしまっていた美咲は、少し慌てた様子で体裁を取り繕った。
「もう、いまごろ気付いたの? いつも夢中なんだから…。そういえば昨日の決勝戦、どうだったの?」
「えへへ、もちろん勝ったよ♪」
 得意げに、年齢不相応にあどけない笑みを浮かべてみせる絵空。
 病気のためかは判らないが、絵空は体格が小柄で、小学校高学年だといっても通ってしまいそうであった。そのため、その笑みは外見には相応しいものと言えた。
「さすがにウチのサイトの古豪さんだから、けっこう大変だったけどね。でも、管理人としては、簡単に負けるワケにはいかないよ♪」
 決勝戦、というのは、昨日まで絵空のサイトで開かれていたM&Wの大会のことである。
 絵空は、一年に四回、春夏秋冬にゲームの大会を開き、毎回自分も出場していた。
 絵空は相当強いらしく、これまで何十回と開いた大会で、一度も優勝を逃したことはないらしい。
 実際のカードを用いた大会でも、出場できさえすれば、かなりいい所までいけるのかも知れない。そう、出場できさえすれば――

「…? おかあさん?」
 表情を曇らせた母に、絵空は心配そうな顔をする。
「あ…、ううん、何でもないわ。あ、それじゃお母さん、もう仕事に行くわね」
 誤魔化すように病室の時計を見上げると、実際、そろそろ出ないと間に合わない時間だった。
 イスを立ち上がり、部屋のドアへ向かう。
 ノブに手をかけたところで、絵空は母に言った。
「…わたし…、幸せだよ?」
 ノブを握った、手が止まる。
「わたし…、ほとんどこの部屋から出られなかったけど、すっごく、幸せだったと思う……」

 ――幸せ、“だった”――

 娘のやさしいことばが、美咲の胸を締め付ける。
 その痛みに耐えようとするかのように、美咲はドアノブを握り締めた。
「…産んでくれてありがとう…、おかあさん」
「……!!」
 本当に、つらかった。
 いま振り返れば、娘は優しい目で、微笑んでくれているのだろう。
 でもそれを見たら、自分は泣き出してしまう確信があった。
「……帰りに、また寄るわね……」
 努めて穏やかな声を出すと、美咲はそのまま部屋を出、振り返ることなくドアを閉めた。
 ノブを後ろ手に握ったまま立ち尽くす。
 “なぜ”という問いが、頭を離れない。

 今から、一ヶ月前のこと。
 担当の医師に、告知された。
 娘はもう――長くとも、来年まで生きてはいられないであろうと。
 いかなる手段を用いても、それを止めるすべは無いと。

 絵空にも、その話はしてあった。
 今はもう、八月の下旬。
 生きていられるのは、長くてあと四ヶ月――

「……っ……!」
 美咲は、込み上げてくる嗚咽(おえつ)を必死に我慢した。
 病室の前で、泣くわけにはいかない。
 本当につらいのは、私ではなく、娘なのだから。
 絵空が泣かないのに、私が泣くわけにはいかない。
 絵空が“幸せ”でありたいなら、私も、“幸せ”を装(よそお)わねばならない。

 ――私は神を信じない
 それでももし、存在するというのなら
 たとえその者が、神の名を騙(かた)る悪魔であろうとも
 地に頭を擦りつけ、娘の生存を乞い願いたい
 いかなる犠牲も厭わない
 娘を救えるというのなら、私は、悪魔に魂を売り渡してでも――


 美咲は、重いため息を吐いた。
 神も悪魔も、存在しない。
 彼女はもともと、現実主義者だった。
 けれど今、娘の死という現実を認められなくて、認めたくなくて――
 そういった、現実ばなれした妄想にしがみつこうとしているのは明白だった。

 酷い話だ。
 娘が、何をしたというのか。
 なぜここで、娘が死ななければならないのか――


 母が出て行ったのを確認すると、絵空はベッドの隣にある、一番上の棚を開けた。
 その中から、少し大きめの機械を取り出す。
 それは有名なアミューズメント企業、海馬コーポレーションが最近一般販売を開始した、“決闘盤(デュエル・ディスク)”という名の機械である。M&Wによるゲームを立体映像(ソリッド・ビジョン)により、臨場感をもってより楽しめるようにした、いま大人気の商品である。
 母にねだり、一般販売の発売日当日に買ってきてもらったのだ。
 けれど病院を出られない自分に、身体の弱い自分に、それを用いてゲームを行うことなど許されなかった。
 決闘盤の取扱説明書にも、その旨はしっかりと明記されている。母には、絶対使用しないことを条件に買ってもらったのだ。

 それを左腕につけ、棚の上に置かれたデッキの一つに手を伸ばす。
 右手でそれを軽くシャッフルし、決闘盤にセットする。
 自分にできるのは、そこまでのこと。
 後は目を閉じて、それを使って決闘する自分を思い描くのが、自分にできるせめてもの遊びだった。

 しばらくしてから目を開けると、絵空は窓に目をやった。
 つい最近まで、耳障りなくらいだった蝉時雨(せみしぐれ)も、もう聞こえない。
 窓からカーテン越しに降り注ぐ日差しは勢いを失い、夏から秋のものへ移り変わりつつあった。

「……夏ももう、終わりだね……」

 絵空は、そう呟いた。



第一章・君の名残を

「――『光の封札剣』! 絶対、『光の封札剣』だよ、もうひとりのボク!」
 真夜中、たった一人の部屋で、武藤遊戯は主張する。
 独り言かと思いきや、遊戯だけに聞こえる返答が、首に掛けたパズルの中から返ってくる。
『…いや、最後の一枚は『融合解除』! これは譲れないぜ、相棒!』
 パズルの名前は“千年パズル”。遊戯の言う“もうひとりのボク”の魂は、驚くことに千年パズルの中にあるのだ。

 ――そう、このときは、まだ――

 このやり取りは、数ヶ月前のこと。
 “バトル・シティ”と呼ばれる、海馬コーポレーション主催のM&Wによる決闘大会の前夜、ふたりの遊戯は相談して、一緒にデッキ構築を行っていた。
 39枚目を決め終え、いよいよ最後の一枚を決めるところになって、ふたりの意見はみごと真っ二つに割れてしまったのだ。

「ぜったい『光の封札剣』だよ! 相手のカードを一枚、封印できるんだよ? カードの差で損はしないし…、上手くすれば、相手のコンボを崩す事だってできるしね!」
『いや…、カードを封印できるのはわずか3ターンのみ。局面を見極めて使わなければ、『光の封札剣』はカード一枚分、逆にこちらが損をしかねないカードだぜ…』
「…うっ…」
 冷静かつ、もっともなツッコミを受け、遊戯は表情を歪ませた。
 だが、負けじと遊戯も、『融合解除』のデメリットを指摘にかかる。
「…けっ…、けど、『融合解除』なんて、相手が融合モンスターを出してこなければ全く紙も同然じゃない! それに、使えてもそのモンスターを破壊できるわけじゃないし…、『光の封札剣』よりも非効率的なカードだよっ!」
『…ぐっ…、た、確かに、汎用性はやや低いかも知れないが…。だが、融合モンスターには強力なモンスターが多い! 融合モンスターと対峙したときには重宝するハズだぜ! さらに…、自分の場の融合モンスターが破壊されそうなときに使えば、破壊を無効にし、複数のモンスターを場に残すことができるしな!』
 最初は冷静に議論していた二人だが、次第にヒートアップし、声も大きくなっていく。
「『光の封札剣』!! 最後の一枚は『光の封札剣』で決まりだよっ!!」
『いいや! 『融合解除』だ!! 相棒相手でも、これだけは絶対に譲れないぜ!!』
 お互い、にらみ合う二人。
 仲が悪いわけではない。
 ただ、気心の知れた仲だから、だからこそ、こんなふうに遠慮なく言い合えるのだ。
 しかし、一歩も退かない二人の激闘に、第三勢力が割って入る。

「――うるさいわよ、遊戯っ!! いったい何時だと思ってるのっ!!?」
 ……母にどやされました……;


 結局、頭にツノを生やした母が去った後、二人は小声で相談し直し、すでに選んだ39枚を含めた41枚のカードを、最初から再検討することにしたのだ。

 そのときは結局、朝までかかってしまい、徹夜作業になってしまった。
 それでも遊戯にとって、それは楽しい思い出だった。
 一番の親友との、なつかしい、
 二度と戻ることのできない、泣きたくなるほど大切な思い出――

●     ●     ●     ●     ●     ●     ●

 ――ピピピピピピピピ

 やかましいことこの上ないアラーム音で、遊戯は夢から目が覚めた。
 寝覚めの気分は、最悪だった。
 寝ぼけ眼で、枕もとの目覚まし時計を恨めしげに睨(にら)みつける。
 その針の指す時間は、まだいつもよりだいぶ早かった。
 アラームを止めると、重力に身を任せ、遊戯は目をつむる。
 ……が、頭が枕に触れた刹那(せつな)、遊戯は思い出して飛び起きた。
「……日直だ……」
 半開きのまぶたで、不満げに独りごちた。


「……もう十月かぁ……」
 部屋で着替えを済ませつつ、遊戯は部屋にかけられたカレンダーを見やった。
 その下のゴミ箱には、先日まるめたばかりの九月のカレンダーが入れてあった。
「……あれから……もう二ヶ月……」
 何気なくカレンダーに手をのばし、今日の日付を指でなぞる。
 ――“彼”と別れて、もう二ヶ月――
 机のイスに座り、その上のパズルボックスを見る。
 千年パズルを失ったいま、そのパズルボックスは、残されたわずかな残り香の一つだった。
 そっと蓋(ふた)を開ける。その中には、パズルのピースの代わりに、デッキがひとつ納められていた。
 ――それは、“彼”のデッキ。
 “闘いの儀”において“彼”が用いたデッキであり、『ブラック・マジシャン』を始め、3枚の神のカード――『オシリスの天空竜』『オベリスクの巨神兵』『ラーの翼神竜』などの超強力カードが投入され、かつバランスよく構築された最強のデッキである。
 よく、こんなデッキに勝ててしまったものだと、遊戯は今でも思う。
 決闘には実力だけでなく、時の運も常につきまとう。
 もういちど決闘すれば、今度はきっと自分が負ける。
 そんな自信が、遊戯にはあった。
 ――だがそれが自信ではなく、願望であることを、遊戯は知っていた。
「――なぜ…、勝ってしまったんだろうね……」
 消え入りそうなくらい、か細い声で呟く。
 ちいさくため息をひとつ吐くと、遊戯はカバンを手に、部屋を出た。


「――うぎ…、遊戯…」
「…ん…」
 優しげな誰かの声で、目が覚める
 気が付くと、遊戯は、教室の自分の机に突っ伏して眠っていた。
 声の主を視認すべく、幾度か瞬きをして、ぼやける視界を正す。
 起こしてくれているのは、制服を身にまとった杏子であった。
「……おはよ。目、覚めた?」
 もうすぐHR(ホームルーム)よ、と前かがみになって覗き込んでくる杏子。
 寝起き特有の軽い頭痛を感じつつ、遊戯は額を押さえ、ちいさく頷く。
「……最近、ずっと眠そうね」
 杏子は苦笑気味に、軽くたしなめるような口調で呟いた。
「あ…、うん、ちょっと遅くまでゲームしてたから…」
 そう言って、遊戯は目を軽く擦った。

「――ギリギリセーフッ!!」
 と、教室の廊下側から、よく見知った友人、城之内の声が叫ぶ。
 その声を合図にしたかのように、次の瞬間、チャイムが鳴った。
 ヤレヤレ、と楽しげに笑んでみせると、杏子は自分の席に戻っていった。
 先日の席替えの結果、遊戯の席が一番窓際の一番後ろになったのに対し、杏子の席は一番廊下側の最前列と、二人の席は最も遠いものになっていた。
 それでもわざわざ、HR開始前に起こしに来てくれたというのは、二人の仲がそれほど親密だ、という証拠かも知れない。

 少しすると、クラス担任の教師が引き戸を開け、教室に入ってくる。
 クラスの学級委員が、引き締まった声で号令を掛けた。
 立ち上がり、全員で頭を下げると、指示を聞くまでもなく、みな腰を下ろし出す。
 そのとき遊戯は初めて、担任の横に、ひとりの見慣れない少女が立っていることに気が付いた。
 すぐに気付けなかったのは、その少女の体格が、女子であることを考慮に入れても比較的かなり小さかったためだ。
 少女は遊戯たちと同じ、童実野高校の制服を着ていた。
 そのことから素直に推測すれば、おそらくは転校生なのであろう。
 髪は腰の辺りまで伸びており、彼女はそれを、黄色いリボンでひとつに束ねていた。
 案の定、担任の口から、彼女が転入生であることを伝えられる。
 そして、軽い自己紹介を求められると、少女は一歩前へ出、そのちいさな口を開いた。
「神里絵空です。みなさん、よろしくお願いします」
 しっかりとした口調で挨拶すると、綺麗にお辞儀をしてみせる。
 体格同様、彼女の容貌はだいぶ幼げなものであった。
 だが、挨拶の際の表情からは、それとは不相応に、どこか凛とした、大人びたものが感じられる。そのアンバランスさに、遊戯はわずかな違和感を抱いた。
「……そうだな、席は……」
 担任はクラスをざっと見回し、遊戯のところで視線を止める。
「…ああ、武藤の隣が空いているな」
「…ムトウ…?」
 教師のことばに、少女はわずかに反応する。
 教師は少女に指示を出し、遊戯の右隣の空いた席へ向かわせた。
 一際ちいさい彼女の体格は、逆にクラスメートの視線を引いた。
 好奇の視線に頓着することなく、少女はまっすぐ向かってくる。
「あ…、よろしくね」
 鞄を机に置く少女に、遊戯は少しはにかみながら挨拶した。
 なるほど、間近で見ると、少女の身体は確かにちいさなものだった。
 だが、遊戯の身長も相当に低かったりする。
 以前、遊園地に行ったとき、屈辱的にも小学生と間違えられてしまったことがあるほどだ。
 実際、比べれば遊戯よりやや小さい程度のものであろう。
「…あ…」
 遊戯の挨拶に対し、少女は、何かを言いたげな表情を浮かべる。
 だが、考え直したのか、わずかに開いた口に手を当て、会釈だけして席についた。
「……?」
 何だろう、と気にしつつ、遊戯は黒板の方に向き直った。
 そのあと、担任は二つ三つ連絡事項を伝えると、教室を出て行った。
 黒板の上の丸時計に目を向けると、1時限目の授業まで5分足らずしかなくなっていた。
「……あの……」
 横から、少女の声が掛かる。
「あ、はい?」
 周りに知人は誰もいない、転校生なのだ。
 そのことを念頭に置きつつ、遊戯は意識的に優しく応対した。
「…もしかして…、武藤…遊戯さん、ですか…?」
「……え……?」
 思わぬ問いかけに、遊戯は目を瞬かせた。

 ――そして、五分後――

 1時限目の授業を担当する教師が、数冊のテキストを抱えて教室に入ってくる。
 学級委員の号令で、生徒たちは一斉に頭を下げる。
 そして、教師がテキストを広げ、授業を始めようとした、そのときだった。

「――『光の護封剣』!! ぜったい『光の護封剣』だよっ!!」
「いいえ!! 『スケープ・ゴート』です!! これは譲れませんよ、遊戯さん!!」
 教室のスミで唐突に始まった激論に、教師は目を丸くした。
 当然、クラスメート全員の視線もそちらに注がれる。

(!? 遊戯…!?)
 予想外すぎるその展開に、離れた席から、杏子も目を丸くした。

「ぜったい『光の護封剣』だよ! 相手の攻撃を3ターンも封じられて、なおかつ自分は一方的に攻撃できるんだよ!?」
 遊戯の熱い主張に、絵空はすかさず食ってかかる。
「いいえ、遊戯さん! 『光の護封剣』の効果は、破壊されてしまえばそこまでなのですよ?! 最近は魔法・罠の除去手段も豊富ですし…、その点、『スケープ・ゴート』は守備モンスター4体として場に残るため、そうそう容易には除去できません! 『強制転移』や『団結の力』、『キャノン・ソルジャー』などとの、強力なコンボも狙えますしね!!」
 それだけ言うと、絵空は満足げに頷いてみせた。
 だが、ここで引き下がる遊戯ではない。
「た…、確かに、『光の護封剣』の人気は、昔に比べると若干(じゃっかん)下がり気味な気もするけど…、『スケープ・ゴート』にも弱点はある! 貫通モンスターには極端に弱いし…、『逆ギレパンダ』なんて天敵じゃない! オマケに、モンスターゾーンが4つも埋まって、攻撃に転じづらくなるしね!!」
 …原作には、モンスターゾーンが5つという概念は存在してなさそうだケド…;
 というか、サイクロンの制限化に伴い、最近、護封剣の人気が戻ってきた気がする罠;
「うっ…、たしかに、相手のモンスターが貫通モンスターばかりだったらどうしようもないですけど…、でも! それを考慮に入れても余りあるほど、羊には実用価値があります!!」
 遊戯と絵空は睨み合い、お互い、一歩も譲らない。
「ぜったい『光の護封剣』!!」
「いいえ! 『スケープ・ゴート』ですっ!!」
 互いの信念をかけた、激しい討論。
 その激しさゆえに、妥協点はすぐには見つかりそうもない。だが――
「うるさいっ!! もう授業は始まっとるんだぞっ!!」
 ……先生にどやされました……;



第二章・カミサト エソラ

「――へえ…、神里さんも、M&Wやってるんだ」
 昼休み、杏子たちの事情聴取を受けることになった遊戯と絵空。
 論点はむろん、一時間目のコトについてである。
「スタンダードタイプに合う防御系魔法カードで強いのは何かっていう話題になって…、そうしたら、つい夢中になってしまいまして;」
 悪戯っぽく、舌を出して見せる絵空。
 先生が来たのにぜんぜん気付かなかったよ、と、遊戯は苦笑してみせた。
「……って…、5分足らずであんな激論に達したワケ……?」
 呆れてしまう杏子。
 常人には、いささか理解しがたい領域である。
「でも…、まさかこんな風に、決闘王(デュエル・キング)の遊戯さんに会えるとは思いませんでした」
 絵空は、さぞ嬉しげに笑んでみせる。
「この学校にいらっしゃるのは知っていましたけど…、まさか同じクラスの、しかも隣の席になれるとは。運命的なものを感じてしまいました」
「う、運命?」
 臆面も無く言う絵空に、遊戯は思わず顔が赤くなる。
「お、遊戯のヤツ、照れてやがんぞ」
「ヒューヒュー」
 愉快げに冷やかしにかかる本田と城之内。
 獏良も楽しげに笑うなか――、ムッとしてしまう者、約一名。
「そ、そういえば神里さん、どこから来たの?」
 話題を変えるべく、転校生には定番的な質問を投げかける杏子。
「え? あ、ええと――」
「しっかし、『スケープ・ゴート』に目を付けるたぁ、中々やるじゃねえか! えっと……」
 会話の流れを気にすることなく、更に話題を転換する城之内。
 だが、杏子にしてみても、話題を変えられれば良かっただけなので、ほとんど問題なかった。
「あ…、神里です。神里絵空。そちらは――」
「ああ、オレか。フッフッフ、何を隠そうオレは、あのバトル・シティで第三位の座に輝いた――」
「…え、まさか、あの――」
 憧憬(しょうけい)の眼差しを城之内に向ける。だが、
「海馬瀬人さんですか?!」

 ――ゴン!

 コントのようなノリで、城之内は絵空の机に頭突きをかました。
「ちーがーうー! ホラ! もう一人いるだろ!? バトル・シティ三位!!」
「え? ええと……」
 口元に手を当て、考え込む絵空。だが、一向に思い出す気配はない。
「どうやら、覚えられてねえみてえだな、城之内ィ」
 机に手をつき打ちひしがれる城之内の肩を、さぞ楽しげに叩く本田。
「あ…、スミマセン。お名前きいたら思い出すかも……」
 そんな城之内の様子を見て、やや慌てる絵空。
「じょ、城之内くんだよ、『城之内克也』」
 遊戯も見るに絶えず、フォローに入る。
「城之内…? ああ!」
 判った、と、両手を合わせて叩く絵空。
「バトル・シティ第四位の方ですね!」

 ――ゴン!!

 もう一度、城之内は机に頭を打ち付けた。
「あ…、え? でも、海馬コーポレーションのホームページには確かに…、一位が遊戯さん、二位がマリクさん、三位が海馬さんで、四位が城之内さんと――」
 城之内の様子を見て、更にうろたえる絵空。
 が、やがて城之内は顔を上げると、右手で握りこぶしをつくる。
「かっ、海馬のヤロォォォッ!!!」
 ひとり、怒りに燃える城之内。
 だが生憎、その矛先にすべき海馬は、仕事でいま日本にいなかった。
「あ、気にしないで、神里さん。このバカはいつもこうだから」
 動揺しつつ瞬きする絵空に、杏子が苦笑しながらフォローを入れる。
「…ま、アニメじゃ三位決定戦やったしな。非公式だけど」
 そう怒るなって、と軽いノリで、城之内の頭を冷やしにかかる本田。
 だが、憤慨した城之内の頭は、そう簡単には冷えそうもない。

「――あ…、では、これからデュエルしていただけませんか? 私と」
「……へ?」
 思わぬ絵空の提案に、城之内は目を瞬かせた。
「こんなこともあろうかと…、持って来ました」
 そう言うと、絵空は自分のカバンから決闘盤を取り出した。
「わ、持って来たんだ」
 軽く驚く遊戯。
 さすがの決闘王も、決闘盤はかさばるため、学校までは持って来ない……と作者は思っていたのだが、遊戯王Rでは持ってきてるし(汗
 盤には、彼女のデッキがしっかりとセットされていた。
「…昼休みもまだずいぶん残っていますし…、長期戦にならなければ、一戦くらい……」
 ちらりと時計を見上げる。
 昼休み終了まで、あと30分弱。
「――いよっしゃあ! 望むところだぜっ!!」
 単純バカ(ぇ)な城之内は、すぐさま乗り気になる。
 ちなみに彼のカバンの中身は、弁当とデッキと決闘盤だけらしい……


「――で、ホントにやるんだ……」
 屋上にて、半ば呆れてため息を吐く杏子。
「わざわざ決闘盤つかわなくても…。教室の机の上でやればいいのに……」
 カードバカがまた一人増えた、という印象が拭(ぬぐ)えない。
 杏子はてきとうに正座をし、持って来た弁当を膝の上で開く。そして、途中の自販機で買ったウーロン茶のパックに、ストローを挿した。
 遊戯、本田、獏良も、それに習っててきとうに座り込む。
 四人の前では、決闘盤を腕につけ、城之内と絵空がお互いのデッキをシャッフルしていた。
「――アレ? 左利きか?」
 デッキを交換し、デッキシャッフルに入ったところで、城之内はあることに気が付く。彼女は城之内のデッキを、左手で切っていたのだ。
「あ…はい、まあ」
「…フーン…。ってことは、利き手じゃない方でカード引くのか?」
 彼女は決闘盤を左腕に付けている。ということは当然、カードドローは右手――利き腕でない方で行うことになる。
「…まあ、こればかりは仕方ありませんから。テーブル上で行なう場合でも、公式には右手側に置くから、本来は右手で引くことになるでしょうし」
 ふと、城之内は手を止め、自分の決闘盤を見てみた。構造上、盤は左手につけるように作られている。左利き用の決闘盤、というのも見たことがなかった。
「大丈夫ですよ。世の中、右利き優先に作られているものは多いですし…。少し違和感があるだけですから」
 愛敬よくそう言うと、絵空はシャッフルし終わったデッキを城之内に返す。
 デッキを返し合うと、二人はそれぞれ後退し、立体映像を出すための距離を稼ぐ。
「よっしゃあ! いくぜぇ、決闘!!」
 城之内と絵空はそれぞれ、デッキからカードを五枚引いた。



第三章・絵空v.s.城之内


「いくぜ! オレの先攻! ドロー!!」

 ドローカード:ランドスターの剣士

「オレは『漆黒の豹戦士パンサーウォリアー』を攻撃表示で召喚!!」
 カードを決闘盤にセットする。
 すると、その装置のシステムにより、カードデータが読み込まれ、城之内の前に、召喚モンスターの立体映像を生み出される。
「………!」
 それを見て、思わず感嘆してしまう絵空。
「……スゴイ……」
 絵空はしばらく、その立体映像に見とれていた。
「……? どうしたんだ?」
 不審に思い、問いただす城之内。
「あ…、すみません。実は決闘盤を使うの、初めてなんです」
「…初めて?」
 小首を傾げる城之内に、絵空はこくりと頷く。
「今まで持ってはいたんですけど…、ええと、周りにM&Wをする人がいなかったので、使うことができなかったんです」
 まるで言い訳をするかのような調子で、絵空は説明した。
「…へー…。ま、だからって手加減しねえからな。お互い、いい決闘をしようぜ。ターンエンド!」
「…はい。私のターンです、ドロー!」
 右手をデッキに伸ばし、わずかにぎこちない手つきでカードを引く絵空。

 ドローカード:強制転移

「…あ…」
 ドローカードを見た瞬間、思わず声を漏らす。
「…? 何だ? 手札にモンスターがねえとかか?」
 何なら引き直してもいいぜ、と、先輩風を吹かせ、余裕気味な城之内。
 その両手は腰に回っており、いささか態度がデカイ。
「あ…、いえ、そういうわけではないのですけど…。私は、『ジャイアントウィルス』を召喚! 攻撃表示です」
 気まずげに、カードを盤に出す。
 絵空の場に、黒い球形のモンスターが現れた。その攻撃力はわずか1000。
「――さらに、手札から魔法カード『強制転移』を発動します!」
「?! 『強制転移』!?」
 そのカードが発動された途端、二人の場のモンスターはたちまち姿を消す。
 そして次の瞬間――、お互いのモンスターは入れ替わり、城之内の場にジャイアントウィルスが、絵空の場にパンサーウォリアーが出現した。
「なっ…、何だぁ!?」
「『強制転移』は、お互いの場に存在するモンスターを一体ずつ選択し、そのコントロールを交換するカード…。お互いの場にモンスターは一体ずつしか存在しなかったため、必然的にこうなります」
「なっ、なにぃぃぃぃっ!!?」
 ……派手に驚く城之内。

強制転移
(魔法カード)
お互いが自分フィールド上モンスターを
1体ずつ選択し、そのモンスターのコントロール
を入れ替える。選択されたモンスターは、
このターン表示形式の変更は出来ない。

「…ぐっ…、そんな凶悪な効果のカードが存在していたとはっ…!!」
 余裕顔が早々に消え失せる城之内。

「……って言うか、けっこう有名なカードだよね……」
 弁当箱をつつきつつ、涼しい顔でツッコム獏良。
「……アイツは自分の持ってるカードと、使われたことのあるカードぐらいしか分かんねえだろ……」
「……自分から勉強するタイプじゃないしねぇ……」
「……ハハ……;」
 三人の厳しいツッコミに、ひとり苦笑する遊戯。

「ぐっ…、うっせぇぞ、外野ぁ!!」
 図星をつかれ、体裁の悪い城之内。
「いきますね…! 私のバトルフェイズ! パンサーウォリアーで、ジャイアントウィルスを攻撃!」
 パンサーウォリアーは剣を構え、本来の持ち主である城之内へ向けて飛びかかる。

 ――ズバァッ!!

 豹戦士の剣は、ジャイアントウィルスの体を綺麗に両断した。その斬り口から、黒い気体が立ち上る。
(…チッ、二体のモンスター間の攻撃力差は1000…、これでオレのライフは3000か……)
 念のため、決闘盤のライフポイント表示を確認する。――が、
「なっ…、なにぃぃぃぃっ!!?」
 またもや素っ頓狂な声をあげる城之内。今度は何だよ;
 その理由は、自分のライフポイントが、思った以上に減少していたためである。

 城之内のLP:4000→3000→2500

「なっ…、何だ!? 機械の故障か!?」
 ひとり慌てふためく城之内に、絵空は苦笑しつつ教える。
「……ジャイアントウィルスが戦闘で破壊されたとき、相手プレイヤーは500ポイ
ントのダメージを受けるのですが……;」
「へ……? そ、そうなの?;;」
 ……赤っ恥、城之内くん…;

ジャイアントウィルス /闇
★★★★
【悪魔族】
このカードが戦闘によって墓地に送られた時、相手に
500ダメージを与える。さらにデッキから同名
カードをフィールド上に召喚(表向き攻撃表示)
してもよい。その後デッキをシャッフルする。
攻1000  守 100

「……これも有名だよね……」
「どっちが決闘盤初心者かわかんねえな……」
「……場当たりタイプの人間だからねえ……」
「……ハハ…ハ……;;」
 表情の引きつり具合が増す遊戯。

「さらに――、ジャイアントウィルスが戦闘で破壊されたとき、同名カードをデッキから、あるだけ攻撃表示で特殊召喚できます」
「…!? なっ…!?」
 驚きで口をあんぐりと開けた城之内をよそに、絵空は自分のデッキから、二体のジャイアントウィルスを特殊召喚する。
「そして、特殊召喚したジャイアントウィルス二体で、城之内さんにダイレクトアタックです!」
 黒い球体状モンスター二体が、場にカードの残っていない城之内に容赦なく襲い掛かる。

 ――バキバキィッ!!

「…ぐあっ…!」
 二度の直接攻撃により、城之内のライフポイントは大幅に削られる。

 城之内のLP:2500→1500→500


「――って…、オイオイ! 城之内のライフ、いきなり残り500かよ!?」
「神里さん、すっご〜い!!」
 素直に驚く本田と杏子。
「うん。ジャイアントウィルスと強制転移…、けっこう古いコンボだけど、綺麗に決まるとすごく強いんだよね」
 獏良も素直に感心する。
「――ジャイアントウィルスはもともと、デッキに三枚積むことを前提にしたカードだからね…。『強制転移』もデッキに二枚までなら入れられるし、成功率もけっこう高いんだよ」
 解説を追加する遊戯。
 1ターンで3500ダメージ、というのは、正直、とんでもない展開である。
 オマケに、これだけのダメージを与えるのに、絵空は手札を二枚しか使用しておらず、さらに場には3体ものモンスターが残っているのだ。
 ……まあ、伏せカードも出さず、攻撃力2000のパンサーウォリアーを攻撃表示で安易に出した城之内にも、多少の非はあるのだが……;

「――フ! やるじゃねえか、神里! うれしいぜ…、オレを本気にさせた決闘者はお前で三十七人目だ!!」
 自信を取り繕う城之内。
 ……ってか、数えとんのかい…;
「こっからは本気(マジ)モード!! オレの決闘者レベルをMAXに上げて闘(や)ってやるぜ!!」

「……どっかで聞いたセリフだな……」
「……っていうか、あれからずいぶん増えたのね……」
 ……もはや呆れることしかできない本田と杏子。

「いくぜぇ…! オレのターンだ!!」
(頼む…! 起死回生のカードよ! 来てくれ!!)
 …開始三ターン目で神頼みというのも珍しい話である;
「ドロー!!」
 大きな動作でカードを引き、それを視界に入れる。

 ドローカード:人造人間サイコ・ショッカー

(…くっ…! ダメだ、このカードじゃ…!)
 『サイコ・ショッカー』は強力なモンスターだが、いかんせん上級モンスター。
 生け贄モンスターのいない現状では、役に立たない。
 城之内は、真剣な眼差しで手札を見つめた。
 手札に存在する低レベルモンスターは『ランドスターの剣士』のみ。その攻撃力は500、守備力も1200しかない。
(…ここは…、罠でサポートして、何とか生き延びるっきゃねーな……)
「…オレはリバースを一枚セットし、『ランドスターの剣士』を守備表示で召喚! ターンエンドだ!!」

「――オイオイ! 城之内の場には弱小モンスターが一体だけかよ!」
「パンサーウォリアーで壁モンスターを破壊されて、残りのモンスターで直接攻撃されたら終わりだわ!」
「――ううん、まだ終わらないよ!」
 遊戯は自信ありげに断言した。
「城之内くんのあの目…、あれは、勝負を諦めた目じゃない! きっと場に伏せたカードで、このターンの攻撃をしのげる作戦があるんだ!」
 熱く語る遊戯。

 一方の城之内も、真剣な眼差しで、ここからの逆転を決して諦めてはいない。
 それを見て、絵空は一種の悪寒を感じた。
 それは、プレッシャーによるもの。
 対面した闘いの場においてしか感じられない――心と心の闘いである。
(あの伏せカード……用心したほうが良さそうですね……)
「…私のターンです…、ドロー!」

 ドローカード:早すぎた埋葬

(…私の手札には、伏せカードを除去できるカードはない…。私の攻撃宣言に合わせ、十中八九、城之内さんはリバースを発動してくる……)
 ドローカードを手札に加え、場を見つめながら考え込む絵空。
(かと言って…、この機を黙って見過ごすわけにはいかない。ここは――攻める!)
「私のバトルフェイズです! 城之内さん!」
 覚悟を決め、絵空はフェイズ宣言をする。
 それにより、場に揃った三体のモンスターが攻撃態勢をとった。
「パンサーウォリアー! ランドスターの剣士に攻撃!」
 ランドスターの守備力1200を唯一上回るパンサーウォリアーに、攻撃命令を下す。
 パンサーウォリアーはそれに従い、ランドスターに飛び掛った。
「――そうはさせねえ! リバース・トラップ発動!!」
 予想通り、リバースカードを発動してくる。
 だが、その罠カードの正体に、一同は驚愕した。
 その正体は――『マジックアーム・シールド』。
 ランドスターの盾が変化し、そこからマジックアームが射出される。
 それは、絵空の場のジャイアントウィルス一体を掴み、ランドスターの前に引っ張り込む。

 ――ズバァッ!!

 そして、豹戦士の攻撃は、再びジャイアントウィルスを両断した。

 絵空のLP:4000→3000

「……あ……」
 眼前の展開に、唖然とする絵空。
「…へへっ! 残ったジャイアントウィルスの攻撃力じゃ守備表示のランドスターは倒せねえ! このターンは凌ぎきったぜ!!」

『………………』
 ――と、一同、静まり返る。
(…な、何だ? オレサマの華麗な罠カード使用に、みんな感心しちまったのかな?)
 ……どこまでも前向きな城之内。

「…じょ…、城之内くん……;」
 表情を引きつらせつつ、ボディーランゲージで決闘盤のライフ表示を見るよう伝える遊戯。
「??」
 あくまで何のことか判らないといった様子で、首を傾げつつライフ表示を見ると――

 城之内のLP:500→0

「……………………」
 城之内の思考が停止する。
「……ジャイアントウィルスが戦闘で破壊されると、城之内さんは500ポイントのダ
メージを受けるのですが……;」
 絵空も同様に、苦笑しつつ教え直してくれる。
「……! ああっ! しまったぁっ!!」
 いまさら気付き、頭を抱える城之内。

「……アホだ……」
「……アホね……」
「……アホ…だね……」
「…………」
「…………」
 ……ちなみに、本田・杏子・獏良・遊戯・絵空の順である。

 昼休みは、まだまだ時間が余っていた。



第四章・汚れなき戯れ


「おはよー、真崎さん」
 数日後の朝――、杏子が登校し、教室に入ると、後ろの席の女子が朝の挨拶をかけてくれる。
「うん、オハヨ」
 杏子も、愛想のある笑顔で挨拶を返す。
 机にカバンを置きつつ、教室の後ろの方に視線を移す。
「……あ」
 視線は、遊戯の座席の辺りで止まる。
 遊戯は、隣の座席の、先週転校してきた少女――神里絵空と、仲良さげに話をしていた。
(……何の話をしてるんだろう……)
 遠い席であるため、会話の内容は全くわからない。
 何気なく、彼らのほうへ歩を進める。
 ――だが、二歩踏み出したところで立ち止まってしまった。
 遊戯は、楽しげにお喋りをしていた。
 数日前に会ったばかりの少女と、親しげに、本当に楽しげに――

「――オーッス!」
 と、城之内の、周囲に頓着しない馬鹿でかい声で我に返る。
 今日は余裕をもって登校したらしい城之内は、自分の机にカバンを置くと、遊戯たちのところに寄る。その後すぐ、獏良と本田が登校し、同じく遊戯たちの席に群がる。
 そこで軽く、安堵に近いため息を吐くと、杏子もすぐそれに加わった。

「――けど、昨日は本当に驚いたよなー」
「? ねえ、何が?」
 輪に入ったばかりの杏子が、城之内のセリフにさっそく首を傾げる。
 どうやら、その話題を理解できていないのは、本田と杏子だけのようだった。
「おお! きのう遊戯んちに、みんなで遊びに行ったんだけどよ――」
 ああ、と頷いてみせる杏子。
 用事があって、本田と杏子だけ行けなかったのである。
「それで、デュエリストが四人揃ったことだし…ってことで、オレと遊戯、獏良と神里の四人で、ちょっとしたトーナメントやったんだよ」
「――で、城之内がビリだった、と」
「ウン、そう――ってオイ!」
 本田の横槍に、天然でノリツッコミを入れる城之内。
「なんだ、珍しくも何ともないじゃない」
 絵空が城之内に勝てる以上、城之内の四位は十分ありうる。大会などに出ていないときの城之内の弱さは折り紙つきである(酷
「…ぐっ…! とっ、とにかくだ! すごかったってのは、決勝戦! 遊戯対神里!
 もうスゲェの何の……」
「ウン。両者一歩もひかない、すごく高レベルなデュエルだったよね!」
 獏良も珍しく、興奮した様子で説明する。
「へ〜、遊戯相手にか? そりゃスゲェな。城之内相手ならさておき」
「…何か言ったか、本田?」
 …今回、城之内はつくづくギャグ担当らしい。
「い、いえ、そんな…。運が良かっただけですよ。偶然、都合のいいカードが揃ったりしただけで…。それに、最終的にはやっぱり負けてしまいましたし」
 素直に照れてみせる絵空。
「ううん、そんなことないと思うよ。都合のいいカードが揃うっていうのはデッキ構築が上手な証拠だし……それに、実際に闘ってみて、神里さんの強さがひしひし伝わってきた感じだったもん」
 遊戯も、惜しみなくほめる。
「あ、ちなみに三位はボクだよ」
 ちゃっかり報告する獏良。
「何だ、やっぱり城之内がビリか」
「ぐっ…、うるへ〜! 獏良は『死霊ゾーマ』が強すぎなんだよッ! 自粛(じしゅく)しろッ!!」
「え〜、でも、神里さんはちゃんと魔法カードで除去してたよ。攻撃しなければ平気なワケだし…」
「なら『地縛霊の誘い』とか『立ちはだかる強敵』を使うなぁぁっ!!(泣)」
 と、城之内の悲痛な叫びを合図に、HR開始のチャイムが鳴り、担任が教室に入ってくる。
 教室全体が軽くため息を吐きながら、のそのそと自分の座席へ戻っていく。
 戻る途中、杏子はふと、遊戯の方を振り返った。
 遊戯は隣の絵空と、まだ何やら楽しげに話をしていた。
 たった数日でここまで仲良くなれる――というのは、よほど馬が合うのだろう。
 何となく釈然としないものを感じつつ、杏子は再び前を向いた。


 そして、放課後――
「――城之内くん、今日も空いてる?」
「…ん? 何か用か? 遊戯」
 カバンをかついだところで、遊戯に声をかけられる城之内。
「うん。神里さん、今日もウチに寄りたいって言うからさ、一緒にどうかと思って」
 見ると、遊戯の後ろには、カバンを両手で前に持った絵空がいた。
「…あー…ワリィ。今日はよ、これから静香と会う約束してんだ」
 左手を前に出し、謝る。
「へえ…、静香ちゃんと?」
 『静香』というのは、城之内の妹である。
 城之内の家は、ずいぶん昔に両親が離婚しており、城之内と静香は別々の場所に住んでいるのだ。
 二人の居住地の距離は、そうそう気軽に会えるようなものではない。
 きっと、あるていど前から予定されていた約束なのであろう。
「そっか…、じゃあ仕方ないね」
 笑顔でそう言うと、悪いな、と城之内はもう一度謝り、教室の外へ向かった。
「あ、本田くんは?」
 近くにいた本田に訊く。
「あー…、ワリィ。オレも静香ちゃんに会う予定だからよ」
「…って、ちょっと待て」
 廊下付近まで行った城之内が、振り返って戻ってくる。
「…いつそんな予定がたった?」
「いま」
 ガンをたれる城之内に対し、あっさり即答してみせる本田。
「まあまあ、一緒に行こうではありませんか、お義兄(にい)さん」
「誰が“お義兄さん”だッッ!!」
 今にも噛み付きそうな勢いで威嚇(いかく)する城之内。
 そこで本田は、切り札を使用することにする。
「あっれ〜? バトル・シティのとき、静香ちゃんを連れて来てあげたのはどこの誰だったっけな〜?」
「…ぐっ…!」
 それを言われると弱かった。
 …ちなみに御伽は、DDM(ダンジョン・ダイス・モンスターズ)の関係でアメリカにいるという設定(御伽ファンな方、ゴメンナサイ;)。
「まあまあ。ひとめ顔見たら帰るからよ〜」
「…くっ…、絶対だぞ…!」
 またな、と軽く挨拶すると、城之内と本田は教室を出て行った。
(…あの様子だと、本田くんは最後まで一緒にいる気かもしれないな…;)
「…エート…バクラくんはどう?」
 城之内の身を案じつつ、帰り支度をしている獏良にも声をかける。
「あ、ゴメン。授業中、急に、面白いTRPGのシナリオが思いついてさ。帰ってすぐに書いてみたいんだ」
 そう言うと、獏良もせかせかと帰ってしまった。


「――杏子は今日、空いてる?」
「……え?」
 ひとり離れた座席の杏子には、何の話か判らなかった。
「うん、神里さんが今日もウチに来たいって言うからさ。城之内くんたちはムリみたいなんだけど…、杏子はどう?」
 ここで了承が出れば、両手に花展開突入な遊戯(笑)。
「…………」
 ――ふと杏子は、遊戯の後ろの絵空に目を向けた。
 絵空は、愛想の良い笑顔をこちらに向けている。
「…あ…えっと…、ゴメン、遊戯。今日も用事あるんだ」
 ――反射的に、ウソを吐いた。
 今日は何の予定もない。断る理由は……ないハズだった。
「そっか…、じゃあムリだね」
 ゴメンネ、と手を合わせると、杏子はそそくさと席を立った。
「…じゃあ、また明日ね。遊戯、神里さん」
 まるで逃げるように、教室を出て行く。
 ――急ぐ理由など、何もないハズなのに。
「…………?」
 そんな様子に違和感を抱きつつ、遊戯は教室から顔を出して、ちいさくなっていく杏子の後ろ姿を見つめた。
「…? 遊戯さん?」
 背後から絵空が呼び掛ける。
「…みなさん、用事があるようですけど…、構いませんか?」
「あ…、ウン、モチロン」
 遊戯は笑顔で頷くと、絵空と一緒に教室を出た。



第五章・たからもの


「いくよ、ボクのターン」
 床の上の座布団にあぐらをかき、数枚の手札を目の前に広げ持つ遊戯。
 遊戯の前には、同じく座布団の上にちょこんと座りこんだ絵空がいた。
 二人は、遊戯の部屋でM&Wによるゲームを楽しんでいた。
 その方が慣れているから、ということで、絵空のデッキは公式ルールとは異なる、左手側に置かれていた。
「よし、ボクは『イエロー・ガジェット』を生け贄に、『暗黒魔族ギルファー・デーモン』を召喚! 『仮面魔道士』に攻撃するよ!」
 手札から一枚のカードを場に出し、攻撃宣言する。
「…そうはさせませんよ。リバースマジック、『死者への供物』!」

死者への供物
(魔法カード)
フィールド上の表側表示モンスター1体を破壊する。
次の自分のドローフェイズをスキップする。

「――なら! リバースオープン、『魔封壁』! これで『死者への供物』の効果は受け付けないよ!」
「…うーん、参りました」
 絵空は正座を崩し、降参宣言する。今の攻撃で、絵空のライフはちょうどゼロになったのである。
「……ホホッ、大したモンじゃわい」
 不意に、頭上から声をかけられる。見上げると、そこには遊戯の祖父――双六がいた。
「あ、こんにちは」
 ペコリと頭を下げる絵空。それに習い、双六も軽く挨拶を返す。
「…あれ? じーちゃん、いつからいたの?」
「…ム。何じゃ、その言い草は。せっかく飲み物を持ってきてやったというに……」
 不満げにボヤきつつ、双六は持ってきたお盆から、オレンジジュースの注がれたコップを二人に手渡す。
「すみません、いただきます」
 落ち着いた様子でそう言うと、絵空はコップに口をつけた。
「おお、礼儀正しいのう。お嬢ちゃんは小学何年生じゃ?」
 絵空の頭を軽く撫でて訊く。
「じーちゃん、同級生だよ」
 祖父の無礼に、やや慌てて口を挟む遊戯。
「あ…、スマン。体格が遊戯くらいだったもんじゃから、てっきり……」
 手を引っ込めつつ謝る。
 いえ、と絵空は気にしない様子だが、気にする者約一名。
「……その判断基準は何?」
 軽くスネつつ、遊戯もコップに手をつける。
「そもそも、制服が杏子と一緒なんだから判るでしょ?」
「ん…、おお、ホントじゃ。スマンスマン。あいにくと制服マニアじゃないものでの」
 ……いや、制服マニアである必要は……;
 自分の問題発言に頓着することなく、ことばを続ける双六。
「…にしても、大した腕じゃわい。遊戯相手に一歩も退かんとはの」
「いえ、そんな…。もう五連戦もしているのですが、一度も勝てなくて…」
 謙虚な態度で返す絵空。
「フム。では、せっかくじゃし、ワシも混ぜてもらえんかいの」
 と、答えを待つことなく座り込む双六。
「もう。じーちゃん、店の方はいいの?」
 そんな祖父に、遊戯は軽くため息を吐いた。
「へーきへーき。今の時間帯はあまり客が来ないからの」
 ……学校の放課後の時間帯に来ないのはどうかと思うんですが……;
「先日くみ上げたデッキのお披露目じゃ!」
 そう言うと、双六はポケットから、秘○道具のノリでデッキを取り出す。
「その名も…『愛しのピケルちゃんデッキ』じゃああっ!!」
「……“愛しの”……」
「……ピケル……“ちゃん”……?」
 遊戯と絵空は揃って硬直する。
 ピケルというと――『白魔導師ピケル』のことだろうか。
 その効果とステータスを想起する二人。

白魔導師ピケル  /光
★★
【魔法使い族】
自分のスタンバイフェイズ時、
自分フィールド上に存在する
モンスターの数×400ライフ
ポイント回復する。
攻1200  守  0

 ……想起終了。
 とりあえず、残念ながらそれほど強いカードではない。ただ、その可愛らしく、いじらしい姿に魅入られたファンは少なくないらしい。…おっきいお友達とか(ぇー
「いやぁ〜、ピケルちゃんは相変わらずカワユイのぉ〜」
 二人の前で臆面なく、デッキのカードに頬擦りする双六。
「…………」
「…………」
 ……どうやら双六も、そんなおっきいお友達の一人らしい……。
「よし、ではデッキシャッフルしてもらおうかいの」
「…え? あ、ああ、はい」
 一瞬、我を失っていたが、正気に戻り、双六の差し出すデッキに手をのばす絵空。と、ちょうどそのとき、

「――ちょっと、お義父(とう)さん! お客さんみたいですよ!!」

 階下から、母の声が響く。
「…ぬ…。いいところじゃのに……」
 仕方ないのう、と、双六は差し出した手を引っ込め、デッキをポケットにしまう。
「残念じゃが、また今度の、お嬢ちゃん」
 そう言うと、双六はさっさと部屋を出て行ってしまった。
「…………」
「…………」
「……ピケルデッキ……ちょっと見てみたかったですね……」
「……ウン……」
 決して残念そうにではなく、呟きあう二人。
 双六にペースをかき乱されてしまったため、何となく会話が途切れてしまった。
 とりあえず揃って、双六の持ってきてくれたジュースを飲み下す。
「……そういえば、“ブラック・マジシャン”……」
「…ん?」
 先に沈黙を破ったのは絵空だった。
「……“ブラック・マジシャン”は、デッキに入れていないのですか?」
「……あ……」
 遊戯が“ブラック・マジシャン使い”というのは、けっこう有名な話らしい。……パンドラとか知ってたし。
 しかし、絵空は遊戯との決闘で、一度もそのカードを見なかったのだ。
「…ウン…。今は、ね……」
 一瞬、淋しげな目をする。
 “ブラック・マジシャン”――その名を聞くと、どうしても“彼”のことを思い出す。
 今にして思えば、“ブラック・マジシャン使い”という呼び名は自分ではなく、“彼”にこそ相応しいのだろう。
 遊戯は静かに立ち上がると、机の上のパズルボックスを手に取った。
 それを持って、再び絵空の前に腰を下ろす。
「…それは?」
「……ボクの、宝物……」
 いとおしげに、その箱を見つめる。
 いとおしげに、そして、どこか哀しげに――
「……この箱にはね……ボクにとって、大切な人のデッキが入ってるんだ……」
「……大切な…人……?」
 ――そう…大切な人
 誰よりも、大切“だった”人――
「…杏子さんですか?」
「――へッ?!」
 思わぬ問いかけに、遊戯の顔は一気に沸騰する。
「ちっ…、違うよっ! 何で杏子!?」
 大慌てで否定する。
「え? だって……」
 絵空は平然と、当たり前のように問いかける。
「お二人はお付き合いしているのではないのですか?」

 ――ゴン!!

 二章の城之内よろしく、遊戯は壁に頭を打ち付けた。
「ちっ…ちちちっ、違うよっっ!!」
 この上ないほど赤面し、この上ないほど慌てて否定する。
 ……いやまあ、そうなれたら嬉しいんだケド……;(遊戯の本音)
「あ…、違うのですか?」
 さも意外そうに、口元に手を当てる。
 そして、でも、とことばを続けた。
「――お二人はお互いを見るとき…、特別やさしい目になりますよ」
「――!」
 絵空のことばに、遊戯の表情が消える。

 優しい目――自分のそれは、確かに恋愛感情からくるものだろう。
 けれど…、杏子のそれはきっと、別の人物に向けられたものだ――

「……遊戯さん?」
 絵空の声で、我に返る。
「とっ…、とにかく、杏子じゃないんだってば!」
 そもそも同性だから、と説明する。
「この中に入ってるのは…そう、“親友”のデッキなんだ」
 “親友”――もっとも、そのことばだけでは、“彼”のことは形容しきれないだろう。
 デッキを取り出し、その中から“ブラック・マジシャン”のカードを提示してみせる。
「…? “ブラック・マジシャン”は…遊戯さんのカードではないのですか?」
 よく分からない、といった様子で小首を傾げる。
「うーん…というか、「二人で共有してた」っていうのが正しいかなあ……」
 “彼”が“もうひとりの自分”だった、という説明は伏せておく。
 本人がいない以上、説明してもきっと混乱するだけだろう。
「――あ、そうだ。神のカードもこの中に入ってるんだ」
「神のカード!?」
 その名を聞いた途端、絵空は驚きの声をあげた。
「巷(ちまた)では、“誰かに盗まれた”というウワサみたいですけど?!」
「ウ、ウン…。確かに、そんなこともあったケド…;」
 ……アニメに至っては二回……;
 そのウワサの存在は、遊戯自身も知っていた。誰が流したのかは知らないが、おかげで、泥棒に入られることはなくなったのである。
 体裁の悪いデマではあるが、遊戯からすれば、ウワサの主に感謝したいところであった。
「では――よろしければ、見せていただけませんか?」
「ウン、もちろん」
 遊戯の快い返事に、絵空はさぞ嬉しげに両手を合わせる。
 遊戯がデッキから、三枚の神を探し出そうとした、ちょうどそのとき――

 ――トゥルルルルル!

 唐突に、家の電話が鳴った。
「あ…、ゴメン、ちょっと待ってて」
 双六は店に出ているし、母は夕食の準備中のはずだ。
 遊戯はデッキを置き、立ち上がって部屋を出た。
 結果、部屋には絵空がひとり、取り残されることになる。

「…………」
 少し悩む。
 だが、ためらいつつも、絵空はそのデッキに手を伸ばした――



「――はい、武藤です」
 階段を下りて、電話に出る遊戯。
『……オレだ』
「……は?」
 受話器ごしに聞こえてくる妙なセリフに、遊戯は首を傾げる。
「…えーっと…“オレダ”さんですか?」
 ……元ネタ古っ;
『…あいにく、貴様のくだらんジョークに付き合う気はない。オレだ』
「…………」
 考えること約数秒。
 このぶしつけで、愛想の微塵も感じられない口調は――
「――ああ! 海馬くん!?」
『…フン! ようやく判ったか!』
 あくまで偉そうな電話主、もとい、海馬。
 すぐ判らなかったのは、電話ごしだと声が少し違って聞こえるから――というのもあるが、何より、“海馬から電話”というシチュエーションが奇妙すぎたのである。
「……名前いおうよ、海馬くん……;」
『…フン。オレの勝手だ』
 …本日の社長は、腹の虫の居所があまりよろしくないらしい…。
「エ…エート…それで、何か用かな?」
 海馬が、用事もなしに電話してくるなど、到底考えられない。
 それに、海馬は現在、アメリカにいるのだ。これはいわゆる、国際電話である。――もっとも、海馬コーポレーション社長からすれば、そんな電話代など、微々たるものであろうが。…うらやましい。
『単刀直入に訊こう。貴様、神のカードは持っているか?』
「…え? ああ、うん」
 海馬のことばに、首を傾げつつ答える。
『…最近アメリカで、貴様が神を盗まれたというウワサが広まっているようだが……』
「…って…、アメリカでも?;」
 …せ、世界規模のウワサになっちゃってるワケ?(汗
『…まさか、本当に盗まれてはいないだろうな?』
「ウ、ウン。それはもちろん」
 …その確認のためだけに電話してきたんだろうか…;
 ――まあ、以前、三枚そろえようとしていた者としては、黙って聞き逃せるウワサではないだろうが。
『……念のため、いま確認しろ』
「…へ?」
『…神は偽物にすり替えられ、貴様自身はマヌケにもそのことに気付いていないというウワサもあるようだぞ』
「…………」
 …ホントに、いったい誰が考えたウワサなんだろう…;>答.作者
「――って、いくらなんでも、そんなの気付かないわけないよ、海馬くん」
 三神のひとつ――『オベリスクの巨神兵』を所持していた海馬になら判るはずだ。
 神のカードには、他のカードとは明らかに違う“何か”――神威とでもいうのだろうか――がある。以前、マリクたちにラーのコピーカードを見せてもらったことがあったが、それからは何も感じられなかった。
『いいから、確認して来い。…気になることもあるしな』
「…? 気になること?」
 海馬に急かされ、仕方なく電話を保留にする。

 ――気になることって何だろう…?
 軽く悩みながら、遊戯は自室への階段を上った。



第六章・ねがいごと

「――アレ?」
「あ…、スミマセン、遊戯さん」
 自室に戻ると、三枚の神は絵空の手の中にあった。
「…どんなカードなのか気になって、つい……」
 体裁わるそうに平謝りする絵空。
「あ…、ううん、別にいいよ」
 考えてみれば、“神のカード”は決闘者にとって、憧れの超逸品である。
 それを目の前に、ただ待っていろというのは酷な話だろう。
「…でも…やっぱりすごいカードですね……」
 遊戯から視線を外し、再び神のカードに目をやる。
「…『オシリスの天空竜』――手札の数だけ極限に攻撃力を上げ、かつ相手の召喚モンスターに致命的ダメージを与える能力…。そして、『オベリスクの巨神兵』は――高い能力値を有し、さらにモンスター二体を生け贄にすれば、一瞬でゲームを終わらせられる破壊能力…。たしかに、普通のカードではとうてい太刀打ちできませんね……」
「あ、読めるんだ;」
 思わず苦笑する遊戯。
 初めて目にしたとき、遊戯はその英語のテキストを、辞書ナシには解読できなかったのだ。……というか、作者が解読できなかっただけですが;
「…でも…、『ラーの翼神竜』のテキストスペースは空欄なんですね」
 絵空は不思議そうに、『ラー』のカードを見つめた。
「ああ…、それはね、特別な細工が施してあって…召喚しないと判らないようになってるんだよ」
「…へえ…?」
 不思議そうにテキストスペースを見つめる絵空に、遊戯は机の引き出しから、一枚のメモを取り出す。
「ホラ、召喚するとね、ラーのソリッドビジョンの光で、これが浮かび上がる仕掛けなんだ」
 受け取り、それに目をやる絵空。そこには、数行の象形文字が筆記されていた。
「それはエジプトの知り合いに書いてもらったものなんだけど…その文字は、古代神官文字(ヒエラティック・テキスト)っていうんだ」
 ちなみに、知り合いというのは当然マリクたちである。
「実は『ラーの翼神竜』を使うには、そのテキストを読めなくちゃいけなくて…だから、ラーのカードはボクには使えないんだよ」
 そう言って、苦笑してみせる遊戯。
 だが、そんな遊戯のことばなどお構いなしに、絵空は古代神官文字の写されたメモに見入っていた。
「……もしかして……神里さん、読めるの?」
 不審に思い、訊ねる。
 普通に考えれば、日本の高校生などに読める文字であるハズはない。
 だが、絵空が転校してから数日の授業を見た限り、絵空は他のクラスメートに比べ、かなり頭が良いようだった。
「…え? いいえ、まさか」
 顔を上げ、苦笑し返す。
「それで、このカードの効果はどのようなものなのですか?」
「ウン、それはね――」
 説明しようとしたところで、階下から母のお呼びがかかる。

「遊戯ー! ゴハンよー!!」

「…え…、あ、はーい!!」
 大声で返事をしつつ、時計に目をやる遊戯。
 気付くと、もうずい分いい時間になっていた。
「では、私はそろそろお暇(いとま)しますね」
 神のカードを遊戯に返し、自分のデッキとカバンを掴むと、静かに立ち上がる絵空。
「あ…、ウン、ゴメンね」
 窓の外を見ると、だいぶ暗くなってきていた。


「――バス停まで送ろうか?」
 玄関先で、男として訊いておく。
「いえ、ご心配なく」
 まだそこまで暗くはないですし、と絵空。
 空は薄闇に染まり始めており、星がたどたどしく見てとれた。
「――あ」
 ふと、空を見上げた絵空が声をあげる。
「……流れ星……」
「え? ホント?」
 言われて、すぐに視線を上げる遊戯。だが、そのときには当然、流れ星は消えてしまっている。
「――何か、願いごととかした?」
「…願いごと?」
 残念そうに問い掛ける遊戯に、絵空は首を傾げる。
「ホラ、よく言うじゃない。“流れ星が消える前に三回ねがいごとを心の中で言うと、願いが叶う”――とかさ」
 何気にロマンチストな遊戯。
「あ、聞いたことありますね」
 でも、と絵空はことばを続ける。
「願ったって……叶いはしませんよ」
「え……」
 何となく、意外な反応だった。
 叶いはしない――そう呟く絵空は、どこか哀しげだった。
「…すみません、つまらないことを言ってしまって」
 けっこう現実主義なんですよ、と、笑顔で説明する。
「それでは、また明日」
 さよならを言い合うと、絵空は背を向け、遊戯の家を後にした。
 何となく、その後ろ姿を見つめる遊戯。

 ――願ったって……叶いはしませんよ

 さきほどのことばを思い出し、空を見上げる。
 再び星の流れる様子はない。

「…“願いごと”…か……」
 遊戯はふと、千年パズルのことを思い出した。
 初めてそれを組み立てたとき、遊戯は“願いごと”をした。
 ――友達がほしいと。
 そして、その願いは叶った。
 けれど、“彼”は言ってくれた。
 ――それは、自分の力で叶えたものだと。

 “友達がほしい”――それは、他力本願に願うべきことではない。努力して、自分の力で叶えるべき願いだ。

 ――けれど中には、努力しても、自分の力では叶えられないこともある。

 遊戯は、夜空を仰ぎながら思った。

 ただ願っても叶わない――確かに、その通りかも知れない。
 でももし、万一、叶うとしたならば、今の自分は何を願うだろう。

「……ボクの…願いごと……」
 自然と、ことばが漏れる。

 もしも、願うとするならば――
 もしも叶うとするならば――


 刹那、視界が何かで歪む。
 遊戯はそれを、そっと袖口で拭った。

 しばらくして、流れ星を諦めると、遊戯は家の中に入った。

「……そういえば……なんか忘れてるような……?」
 首をひねりながら、台所への廊下を歩く。
 その日の夕飯は、遊戯の大好物だった。

 ……海馬からの電話を思い出したのは、それから三十分後のことだったという。



第七章・闇に蠢(うごめ)く


『……何か言っておきたいことはあるか?』
「え…えーと……;;」
 受話器を耳に当て、ダラダラと脂汗をかきまくる遊戯。電話の相手は、むろん海馬である。
「…あっ…あのね、先週、転校生が来たんだよ;」
『……ほー』
「それでね、女の子なんだけど…すごくデュエルが強いんだ」
『……で?』
「…えっと…その子に神のカードを見せてて…それで……;」
『……それで?』
「…………」
『…………』
 ……ち、沈黙がコワイ……;;
「……ボ、ボクの大好物って知ってる? 海馬くん」
『知らんな』
「…し、『真理の福音』っていうキャラクターズガイドブックによるとね、ボクの好物はハンバーガーなんだよ;」
 …自分の好物なのに、なぜガイドブックを参照するんだ…;
『……で?』
「きょ、今日の夕飯はハンバーグだったんだよ;」
『……だから?』
「…こ、好物がハンバーガーということは…、ハンバーグもきっと好物ということで……好物を目の前にすると人間は頭がそれでいっぱいに――」
『……他に言うことはないのか?』
「…………」
『…………』
「……ゴメンナサイ、ボクが悪かったです……」
 …良い子も悪い子も、自分が悪いと思ったら、スナオに謝りましょう……。
 まあ良かろう、と、寛大に許してくださる社長。
 まあ、怒ってたらストーリー進まないし(ぇー
「――でもさ、現実問題、国際電話って高いんだよね。ホントにゴメン;」
『…フン。そっちの心配は要らん。わが社の収益からすれば極めて微々たるものだ』
 …というかむしろすごいのは、30分間、電話を切らずに待ち続けた社長の方だと思うんだが……。
『…で、どうだった?』
 作者のツッコミを無視した(ぇ)海馬の問い掛けに、遊戯はポケットから、神のカード3枚を取り出す。
「ウン…。間違いなく、本物だよ」
 手元のそれらからは、偽物ではありえない、確かな存在感を感じた。
『…そうか…。ならばやはり、‘神の仕業’ではないということか……』
 思わせぶりに呟く海馬。
「…神の仕業? どういうこと?」
『…ああ。貴様になら話しても良かろう。だが、他言はくれぐれも無用だ』
 誰にも話さないことを条件に、海馬は話を続けた。
『……実は先日、FBIの人間がオレのところに来た』
「エ…、FBI!?」
 たまにドラマとかで出る、アレだろうか。
 唐突にデカくなった話題に、遊戯は目を丸くする。
「…も、もしかして…今まで犯してきた数々の不正がとうとうバレたの?! 社員に拳銃を持たせてることとか!;」
『…クク…、このオレを甘く見るなよ。オレの裏工作に穴はない』
 ……やっぱり不正してるのか……。
『そもそも、アメリカでは拳銃の携帯は合法、いたって日常茶飯のことだ』
 ……日本では違法です、社長……( ̄□ ̄;)/

「…じゃあ、いったい何のために?」
 改めて訊き直す遊戯。
『ああ。わが社のソリッドビジョンシステムについて、調べたいと言って来た』
「…ソリッドビジョンシステムを?」
 ソリッドビジョンシステム――というとつまり、決闘盤による、カードを立体化させるシステムのことだ。大規模なことに、人工衛星とかを使っているらしい。
『無論、初めは断った。確かに本物のFBI捜査官のようだったが……理由なく、我が社のメインシステムの詳細を教えるわけにはいかんとな。するとヤツラ、仕方ないといった様子で話しおったわ……最近、アメリカで起きている奇妙な事件について』
「……奇妙な事件……?」
 その事件というのが、決闘盤のシステムと関係あるのであろうか?
 なかなか話が見えてこず、遊戯は再び首を傾げる。
『ああ。およそ三ヶ月前――決闘盤の一般販売を開始した頃からだそうだが……』
「……三ヶ月前……」
 ――というと大体、エジプトに行った一ヶ月前、つまり、究極の闇(ダーク)RPGを行い、“彼”が記憶を取り戻した頃からということになる。
『その頃からだ……似たような形で、原因不明の意識不明者が5名ほど出ているらしい。…それも、あるていどの期間を置いて一人ずつ、全く離れた土地でな』
「……意識不明者? 全く離れた土地でって……それが一体?」
 いきなり始まった深刻な話に、遊戯は眉根を寄せる。
 ああ、と、海馬はことばを続けた。
『…その意識不明者たちには共通点があった…。その5人はいずれも、その土地で、名のあるデュエリストだったそうだ』
「……!?」
 FBIとの関連が、少し見えてきた遊戯。
 離れた土地とはいえ――名のある決闘者が、3ヶ月の間に5人、似た形で原因不明の意識不明に陥っている。
 アメリカの人口は日本と比べ物にならない数といっても、偶然として処理するのは安易だろう。
 何らかの共通項に起因した現象と考えたほうが賢明である。
『5人の意識はいまだ、誰も戻っていない。……5人の共通点はM&W――だが、常識的に考えれば、カードゲームが意識不明の原因となるハズがない。そこで考えられる仮説としては――』
「…! …ソリッドビジョンシステム…!」
 遊戯はハッとする。
 決闘盤は一般販売に伴い、ある程度のレベルの決闘者なら、必ず持っている機械。最近では、それの所持を最低限の参加条件としている大会も多いらしい。
 3ヶ月前から起こり始めた事件ならば、共通点はM&Wではなく、決闘盤と考えるべきだろう。
『……ヤツラはこう考えているらしい…。オレの作ったソリッドビジョンシステムが、過度の臨場感を追究した結果、ユーザーに多大な精神的負荷を与え、その結果として起こった不測の事故なのではないか、とな……』
 さぞ不快げに語る海馬。
 それを聞いて、考え込む遊戯。
 確かに、決闘盤の使用による臨場感は、ハンパでなくスゴイ。
 相手モンスターからの攻撃を受けたとき、本当に攻撃を受けたかのように錯覚を覚えたこともある。
 ――だが、それで人が意識不明に陥ってしまうとは、とうてい思えない。
「……あ、もしかして、意識不明の5人は――」
『いずれも、いたって健康な青年だったそうだ』
 遊戯の思い付きを、先を読んだ海馬が制する。
『……そもそも、一般販売にあたり、万全を期し、身体の弱い人間は使用せぬよう、厳重に注意をしているからな。さらに、残酷な戦闘描写も、あるていど修正した』
「……あ、『聖獣セルケト』の攻撃シーンとか?;」
 バトル・シティ決勝トーナメントでのことを思い出す遊戯。
『ああ、あれは少々やり過ぎだったからな。攻撃時は咀嚼(そしゃく)せず、一飲みにさせることにした』
 ……ヤな表現だなぁ……(苦笑
『――おっと、話題が逸れたな。とにかく、FBIの連中の申し出は却下してやったわ。代わりに、わが社の方で全力を挙げて調べる、とな。もっとも、第6の犠牲者が出たなら、どうなるかは判らんが……』
「……ホントに、決闘盤のせいなのかな……?」
 あごに右手を当て、考え込みつつ問う遊戯。
『……フン…。やはり貴様もオレと同じ考えか……』
 受話器の向こうで、海馬が満足げに言う。
『…デュエルによる、原因不明の意識不明……オレたちはすでに、その現象を目の当たりにしたことがある……』
 遊戯の背に、戦慄が走る。
 そして、海馬と同じであろう、その心当たりを口にした。
「……“闇のゲーム”……!!」
 遊戯は今まで、それを数回経験している。
 闇のゲームの敗者には、“罰ゲーム”が与えられる。
 バトル・シティでは、マリクの邪悪な人格により、それが行われ、孔雀舞が同じように、医学的には原因不明の意識不明に陥った。
『……貴様らのオカルト趣味に付き合うつもりはないがな…。しかし実際、意識不明者が出たということも事実……!』
「……でも……」
 そこで、ふとあることに気付く。
 “闇のゲーム”は基本的に、千年アイテムを使わなければ成立しないはずである。
 七つの千年アイテムは残らず、2ヶ月前の一件で、エジプトの地下神殿の地中深くに消えたハズなのだ。
 そもそも最初の意識不明者が出たのが3ヶ月前だというなら、計算が合わない。その頃、七つの千年アイテムのうち5個は遊戯が所持していたし、残る2個も、エジプトの墓守の一族たちによって守られていたハズである。
(……それとも……)
 遊戯の頭に、別の考えが浮かぶ。
 “闇のゲーム”は、千年アイテムに秘められた闇の力によって施行される。
 ならば、同様の闇の力を持つものならば、千年アイテムでなくとも“闇のゲーム”を行えるとも考えられる。
『……遊戯、なぜオレが貴様に、神の所持を確認するよう促したか判るか?』
「……え?」
 ひとり考えにふけっていた遊戯に、受話器からの声が問う。
『…オレが神の所持を確認したのは、もうひとつの可能性を懸念したためだ』
「……もしかして…神の攻撃の与える、精神的ダメージのこと?」
 手元の3枚を見つめながら、でも、と続ける。
「……確かに、神の与える精神的ダメージは大きいけど……そこまでの影響力はないんじゃないかな……」
 確かに、オシリスの攻撃でバクラが倒れたことがあった。
 けれど、今回の一件では、聞く限り、3ヶ月前に意識不明になった決闘者が、未だ意識が戻らないということになる。“闇のゲーム”で使用されたならともかく、単体で、そこまで危険な力を持っているとは考えがたかった。
『……意識不明となったのは、いずれも手練(てだれ)の決闘者…。たしかにそんな連中が、神の攻撃でそこまでの心的ダメージを被るとは考えがたい。……だが――』
「……?」
 海馬にしては珍しく、少しためらいがちに言う。
『――もし……“神を超えたカード”が存在するとしたら?』
「……え?」
 思いがけない問い掛けに、遊戯は目を瞬かせた。
「……神を…超えた……?」
『…およそ二ヶ月前の話だ…インターネット上で、あるウワサが持ち上がった……』
「…ま…またウワサ?;」
 自分にとって失礼なウワサが多いようなので、ややウンザリな遊戯。
『……数年前、ペガサスは3体の神を世に生み出した……だが、そのあまりの強さを懸念したペガサスは、新たに3枚、カードを生み出したというのだ』
「………!?」
 インターネットなどの情報源をさほど積極的に活用していない遊戯には、実に初耳の話だった。
『……三神を葬るための神……、神という名の悪魔のカードをな…!』
「…神という名の…悪魔……!?」
 そのことばを聞いた瞬間、なぜか、遊戯の背に悪寒が走った。



第八章・夜の闇のように


 絵空は、町を歩いていた。
 何かを呟きつつ、指を折りながら、あてなく夜の町をさまよう。
 辺りは、すっかり暗くなってしまっていた。深まる闇に従って、街灯の明かりもより強く光る。
 道ゆく人々が横をすれ違う。
 絵空はそんな人たちには目もくれず、ただ呟き、数えていた。
「……ギルファー・デーモン、魔封壁、同胞の絆、ストロング・ホールド……」
 何度も数え、確認し、暗記する。
 間違いなく、これで40枚。
(……これで、遊戯さんのデッキ構成は完全に把握できた……)
 流石は決闘王。実にバランスよくできたデッキだ。
 ――けれど……決して、勝てない相手ではない。
 それが絵空の、最終的な感想だった。
 デッキ構成が把握できれば、そこから繰り出される戦術も先読み可能である。
 手のひらを、強く握り締めた。
(――勝てない相手ではない……いえ、勝たなくてはならない……!)
 強い気持ちが、心に芽生える。
 そして、きょう発覚した誤算について、頭を切り替えた。
「……三体の神…。オシリス、オベリスク、ラー……」
 深刻な顔つきで、その三つの名を口にする。
 ウワサでは、すでに彼の手元にはないはずの代物だった。インターネット上では、だいぶ有名なウワサだったし、今日まで彼がそれに言及しなかったため、真実なのだとばかり思っていた。
 今にして思えば、自分がヌけていたとしか言いようがない。早期に確認すべき事項だったはずだ。
(……けれど……大した問題ではないはず……)
 スカートのポケットに手を入れ、その中にある数枚のカードに指を触れる。
 ――なぜなら“これら”は、元々は、神を倒すべく創られたカードなのだから――

 時の移ろいとともに、夜の闇は深まっていった――


●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


「……“神という名の悪魔”……って……?」
 神妙な面持ちで問い掛ける遊戯。
『…………』
 だが、海馬はなかなか応えなかった。
「…海馬くん?」
『…! …いや――元々、この話はするつもりではなかったのだがな…』
 大して重要な話ではない、と断った上で、そのことばの説明をする。
『…あるM&W関連サイトの掲示板に書き込まれ、一部の間で広まっただけのウワサだ…。インターネット上では、その手の都市伝説はいくらでもある。ただその呼称が気になって覚えていただけのこと…気にすべきことではない』
 とにかく、と海馬は話を戻す。
『オレはこの一連の事件――何者かによる犯行と踏んでいる。アメリカを大規模に移動し、訪れた先々で有名な決闘者を狩る、極めて高慢な犯行とな……』
 社長に高慢とか言われちゃ終わりである(失礼
「……そして、その人物は“闇のゲーム”を行えるか……もしかしたら、神以上の力を持ったカードを持っている、か……」
『…まあ、犯人がそんなオカルト染みた力を持っているかは知らんが…強きデュエリストをターゲットとしているのは間違いなかろう。ならばいずれは、必ずオレの前にも姿を現すハズ。もっとも、犯人がオレに臆さぬ勇気を有していればだがな……クク……』
 ……自信満々な社長。
 相変わらずの海馬らしさに、思わず苦笑してしまう遊戯。
『…何が可笑しい?』
「へ?! い、いや別に…。でも、気をつけてね、海馬くん;」
 大慌てで誤魔化す遊戯。
『ククク…、ちょうどいい。次の大会に向けた、新しいデッキ調整の糧としてくれるわ』
「…アハハ…。…ん、次の大会って?」
 アメリカで何か大会あるの、と問いただすと、海馬は意味ありげに笑ってみせた。
『…フ…、実はこの電話の目的は、むしろそのことにある…』
 もったいつけた様子で、ことばを続ける海馬。
『…初代決闘王の貴様には特別に教えておいてやる。まだオレとモクバしか知らん情報だ、ありがたく思え!』
 …つくづくもったいつける海馬。
『約二ヵ月後――十二月末に、第二回バトル・シティ大会を開催予定だ!!』
「!! 第二回バトル・シティ!?」
 寝耳に水な話に、驚きの声をあげる遊戯。
「――っていうか、‘第二回’って……続けるつもりだったんだ;」
『ワハハ! 当たり前だ!! 貴様の神を全てオレの手中に入れるまで――オレたちのバトル・シティは終わらん!! 永遠にな!! 何度でもエンドレスに行うぞ!!』
 ムチャクチャ言う社長。
 つか、そのセリフだと、いつまでも勝てないみたいなんだが……。
「……エ……エート……;」
『ルールは前回同様――スーパーエキスパートルールを採用する!! 初期ライフポイントは4000!! 無論、アンティ・ルールだ!!』
 ……テンション高いなぁ……;
「…あ…あのさぁ……;」
『禁止カードは前回同様、海馬コーポレーションが規定したプレイヤー及びモンスターへの直接攻撃系魔法カード!! そして、制限・準制限カードに関してはKONA――もとい、I2社が規定したものを――』
「も……もしもーし;」
『…ム、何だ、遊戯』
 ノリノリ(たぶん死語)の状態に水をさされ、無愛想に訊く海馬。
 …まあ、海馬が愛想よかったらヘンなんだけど(失礼
「…あのさ…非常に言い辛いんだケド……」
 きっとこれ言ったら怒るだろうなあ――そう思って、なかなか言い出せない遊戯。
『――何だ。言いたいことがあるなら早く言え』
「……怒らない?」
『…何だかよく分からんが…、怒らんから言ってみろ』
 黙っていても仕方ないので、覚悟を決めて言い出す遊戯。
「……ボクはもう、バトル・シティ大会には出ないよ……」
 少しの間(ま)を置いて、受話器から巨大な怒号(どごう)が乱れ飛んだのは言うまでもない。



第九章・未来へのまなざし


『――ふざけるなぁぁぁぁッッ!!!』
 予期した通りの怒声が発せられる。
 とっさの判断で受話器から耳を離した遊戯は、間一髪、左耳の鼓膜の破裂を回避することに成功した(ぇー
「…ま…まあ海馬くん、落ちつい――」
『貴様ぁ!! どういうつもりだ!!?』
 先ほど同様、やはり巨大な怒声に、遊戯は再び受話器を離す。
『――フン! そうか、臆したか!! オレ様に敗北し、三枚の神を奪われるのがそんなに怖いか!!! ワハハハ!!!』
 ……受話器、耳から離しても聴こえてるし……;;
「…あ…あのね、海馬くん……」
 耳は少し離し、口は近くにという奇妙な受話器の持ち方で応対する遊戯。
「そもそもね、ボク、ホントはアンティ・ルールの決闘はやらない主義だし……」
『――ほう! クク! よほどオレに勝つ自信がないと見えるな!!』
 吐き捨てるような語調で、遊戯を挑発にかかる海馬。
「……ウン。その通りだよ……」
『……あ?』
 予想外な冷めた反応に、海馬は思わず間の抜けた声を出してしまう。
 遊戯は、手元の三枚の神を見つめた。
「……前回のバトル・シティ――“彼”は懸命に闘い抜いて、この三枚のカードを勝ち取ったんだ……」
 しみじみと、遊戯は語る。
『――フン、その通りだ! 神は常に、最強の決闘者の手に舞い込む!! バトル・シティの覇者にこそ、三体の神は相応しい!! バトル・シティとはすなわち、神の争奪戦なのだ!!!』
 ……他人の所有するカードで、ムチャクチャ言う海馬;
「……でも……これは、ボクのカードじゃない。“彼”のカードなんだよ……」
『……!?』
 懐かしむように目を閉じ、遊戯は話した。
「バトル・シティ大会――ボクが闘ったのは、千年ロッドによって洗脳された城之内くんとの、非公式な一戦だけ。大会の公式戦は全て、“彼”が闘った……だから、神のカードは紛れもなく、“彼”の努力の結果――“彼”のカードなんだ。ボクのカードじゃない……だから、ボクのカードとして神をデッキに入れ、賭け札にすることはできないよ……」
 それは、“闘いの儀”において、遊戯が神を一枚もデッキに入れなかった理由の一つでもある。
『…! ならば――!! “奴”がいなくなった今、第二回大会で明らかにすれば良かろう!! 新たに神を持つに相応しい――最強の決闘者をな!!』
「……ゴメン。それは……イヤ、なんだ……」
『……イヤ、だと…!?』
「……ウン」
 声のボリュームが下がってきたようなので、受話器を耳につける遊戯。
『――『イヤ』で物事が通るかぁッ!!!』
 ――と思ったら、再び大きくなる海馬の声。
 油断していた遊戯の左耳は、それをモロに受けてしまった。
『理由を述べてもらおう!! このオレが納得できるような、まっとうな理由をな!! でなくば、貴様を出場させるために、手段を選ばんぞッ!!!』
 ジンジン痛む左耳を押さえつつ、受話器を右手に持ち返る。
「……神のカードである前に……これは、“彼”のカードだから。だからボクは、手放したくないんだ……」
『……!?』

 ――“彼”はもういない
 けれど……“彼”は確かに、ここにいた
 ボクの中に、確かに存在した――

「神のカードだけじゃない…。他のカードも全て…“彼”との、大切な思い出なんだよ……」
 だから、失いたくない。
 バトル・シティ大会には、全国から腕に覚えのある決闘者が集まる。
 その中で、‘確実に’勝ちあがる自信など、自分にはない。いや、‘確実に’勝てる保証など、誰にもないはずだ。
「だからボクは、アンティ・ルールの決闘はできないよ……」
 大切な思い出を賭けの対象にはできないし――相手の大切なカードを、奪うこともできない。
『…! だが――!!』
 遊戯のことばにかみつこうとする海馬に、遊戯の口から、思わずことばが漏れた。
「……ボクはもう…大切なものを失いたくないんだ……」
『………!』
 遊戯のか細い呟きに、海馬は思わず、ことばを失った。

 ――重い沈黙が流れる。
 だがそれに、海馬の一言が終止符を打つ。
『……話にならんな』
 それはひどく、無情な響きに聴こえた。
『‘もう失いたくない’だと? 戯(たわ)けたことを…。失うリスクを恐れ、どうして新しきものを得られる? 人間はリスクを犯すことによってのみ、新たな前進が可能となる。貴様――』
「……新しいものなんて、ボクは要らなかったんだ……」
『…何だと…!?』
 感情が、理性を介さず漏れた。
「……ボクはただ――知らなかっただけなんだよ……!」
 思わず、下唇を噛み締める。
 遊戯の肩が、わずかに震えた。


 ――千年パズルを組み上げて、そして後に、ボクは“彼”と出会った
 “彼”はボクの目標であり、いちばん近しい存在だった
 だから、信じて疑わなかった
 いや…信じていたかった
 “彼”は、ずっと近くにいると
 永遠に、ボクの心の中に居てくれるのだと――

 ――でも“彼”には、帰るべき場所があった
 ボクの役目は、“彼”とずっと一緒にいることではなかった
 帰るべき場所に、送り出してあげることだった――

 ――ショックだった
 信じたくなかった
 けれどボクは、“彼”にたくさんのものを貰ったから
 だから、返してあげたかった
 “彼”のためになることを、精一杯してあげたかった――

 ――でも……

 ――ボクはただ、知らなかったんだ
 “彼”の存在が、これほど大きかったことを
 “彼”がいないことが、こんなにも淋しいのだということを
 こんなにも、空虚なのだということを――


「…………」
『……クク……女々(めめ)しいヤツだ』
 受話器の向こうから、嘲るような声がする。
『…遊戯。オレは前大会において――奴に教わったことがある』
 バトル・シティ大会準決勝第二試合、それぞれの神とプライドを賭け、ぶつかり合ったときのこと。
『あのとき…オレは奴を否定した。“過去の鎖に捕われたあわれな囚人”とな…。だがその実、真に捕われていたのはオレのほうだった……』
 海馬は、淡々と語った。
『あのときのオレは、未来に固執した…。オレの前途に存在するだろう、輝かしきロードにな。だがそれは裏返せば、黒き過去の否定に固執していたということだ……』
 だから負けた。
 前を見て、前進しているつもりだった。
 だが実際には、後ろを恐れ、逃げていただけなのだ。
 それは前進ではなく、逃避に過ぎない。
 ただ前に、未来に逃げようとしていただけだ。
『遊戯…、貴様もまた、同様に逃げるつもりか? 奴が消えた、現在という現実を恐れ――過去の幸福に固執するつもりか?』
「……それは……」
 返答が思いつかず、遊戯は口ごもる。
『遊戯…、オレをあまり失望させるなよ』

 ――オレはもう、迷いはしない
 つらい過去、醜い過去、切り捨てたい過去
 すべて受け入れ、そして未来へと進む――

『…奴はオレに、再戦の機会を与えることなく消えた…。このオレを相手に勝ち逃げをしたのだ……!』

 ――すでに“復讐”の感情はない
 “過去”の象徴として、“憎しみ”の象徴として、打ち砕くつもりもない
 純粋に闘い、そして、超えたいのだ――

『……奴は最後の相手に、オレではなく貴様を選び、そして貴様は奴を超えた。すなわち――オレは貴様を超えることによってのみ、奴を間接的に超えることができるのだ!』
「…! 海馬くん……」
 海馬のはっきりとした口調からは、確かな“強さ”が感じられた。
『……先に述べたな。納得できる理由なくば、貴様を出場させるため手段を選ばんと…。貴様が主義を曲げぬというならば――第二回大会はアンティ・ルール不採用としてやらんこともない』
「……え……でも……」
『…アンティ・ルールは原則的に、敗者のデッキに投入された最もレア度の高いカードを賭け札とする。貴様が神を“奴のカード”と主張し、デッキ投入しないならば、オレに貴様から神を奪う権利はない…。神を除けば、オレが欲するカードなど他にはないからな。アンティ・ルールなど、あってないようなものだ』
 だが、と海馬はことばを続け、声をやや大きくした。
『それにより、貴様が全力を出せんというなら話は別だ! オレは全開の貴様と闘い、そして勝利する…! それこそが、今のオレの最大の目標なのだ!!』
 受話器越しに、身震いしてしまう遊戯。海馬の決意が、ひしひしと伝わってくる。
『……第二回バトル・シティ大会は十二月末に行う。正式発表は来週を予定しているがな。それに向け、デッキの強化を怠らんことだ。……繰り返すが――オレを失望させるなよ、遊戯。奴を倒した者として――新たな決闘王として、恥じぬ闘いをすることだ』

 ――ガチャ! ツー、ツー……

 そう言い残すと、海馬は一方的に電話を切ってしまった。


「…………」
 電話が切れた後もしばらく、遊戯は受話器を置けなかった。
(……海馬くんは、前に進んでいる……)
 海馬だけではない。誰もが、流れゆく時間の中で、未来へと進んでいるはずだ。
 立ち止まることは――許されない。
(……でも…ボクは……!)
 受話器を、ぎゅっと握り締める。

 ――ボクだけが、進めないでいる
 “彼”の喪失という現実を、受け止められないでいる
 あの頃に――“彼”がいた日々に、立ち止まってしまっている――

「……電話は空いたかいの?」
「…! あ、ゴメン…」
 背後から双六に声を掛けられ、慌てて遊戯は受話器を置いた。
 気が付けば、ずい分と長電話をしてしまっていた。
「どこかに掛けるの? じいちゃん」
 電話の前を譲りつつ、何気なく訊く。
「ウム。明日、町内会の会合があったんじゃが…、用事ができてしまったようじゃからな。断りの電話をの」
「…用事って?」
「ホッホッ、ナイショじゃよ」
 不相応にお茶目な感じで言う双六。
 首を傾げつつ、遊戯は自室に戻ることにした。
「あー、これこれ、遊戯や」
 振り返ると、双六はすでに、受話器を耳に当てていた。
「…明日は、早く帰ってくるんじゃぞ」
「…?」
 問いただそうとするが、双六は、電話が繋がったらしい相手と話し始めてしまった。
 もういちど首を傾げつつ、遊戯は自室への階段を上った。



第十章・帰らざる日のために

「……ふう……」
 自室に戻り、ベッドの上に倒れこんだ遊戯は、ため息をひとつ吐いた。
「……どうして…言ってしまったんだろう……」
 天井を見つめながら、先ほど、自分の発したことばを思い出す。

 ――新しいものなんて……ボクは要らなかったんだ……

 思い出し、ひどい罪悪感に襲われた。
 言ってはいけないことなのに。
 自分には――言う資格など、ありはしないはずなのに。


「……予習、しなくっちゃ……」
 気分を変え、起き上がる。
 明日は、英語の授業で指名される日なのだ。
 床に置かれたカバンを拾い、教科書とノートを取り出す。
 机の上にそれらを広げると、黙々と勉強を始めた。
「……うーん……」
 ――のだが、三分もしないうちに行き詰まってしまう。
 正直、学業面における遊戯の成績は、カードの方と違って、あまり好ましいものではなかった。
 遊戯は面倒くさそうに本立てから英和辞典を取り出すと、そのページをめくった。
「……ウーン……どっちの意味で訳せばいいんだろう…?」
 同じページに載せられた例文も読んでみるが、さっぱり判らない。
「……どうしてこう、一つの単語にいくつもの意味があるんだろうね……;」
 眉間にしわを寄せ、真剣に考え込みつつ、愚痴る。
 将来は英語を使わずに済む職に就こうと、かたく決意する。

「――ねえ、どっちで訳すのが正解だと思う? も――」
 視線を落とし、意見を求めようとする。
 だが、気付く。
 首に下げられているべき“それ”は、どこにも見当たらなかった。
「…………」
 ――これで、何度目だろう。
 思わず、自嘲気味に苦笑する。

 ――“彼”はもう、いないのに
 さっき、それを痛感したばかりなのに――

 ふと、机の上に置かれた“たからもの”――パズルボックスに目がいく。

 …すこし迷ってから、辞書を置く。
 そして――自分のしようとしていることの愚かしさを自覚しつつ、パズルボックスに手を伸ばす。
 かすかな、儚い期待を胸に、その蓋に指をかける。

 それが、叶うはずのない“ねがい”であることは知っている。
 それでも、確かめずにはいられなかった。

 そっと、蓋を開ける。
 中には案の定、“彼”が消えた証――“彼”のデッキが入っていた。

 ――わずかな期待とともに、パズルボックスを開けるようになってしまったのはいつからだろう――

 遊戯はその箱を開けるとき、心のどこかで期待していた。
 箱の中には、パズルのピースが入っているのではないかと。
 “彼”と出会う前のように――そして、それを組み上げれば、もういちど“彼”に会えるのではないかと。
「……バカだよね……ボク……」
 遊戯は、ちいさく自嘲した。


●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


「――気になるのは……『ラーの翼神竜』……」
 絵空は夜の町を、人目を避け、電灯の明かりの少ないほうへと歩いていた。
「……“時ひとつとして神は不死鳥となる…選ばれし魔物は大地に眠る…”……」
 『ラーの翼神竜』に記されているだろうカードテキストを、すらりと読み上げる。
 それはラーの第3の能力――ライフを1000ポイント捧げることで、場のあらゆるモンスターをも焼き払う能力である。
 絵空はスカートのポケットに手を入れると、カードを一枚取り出した。
 すると――、カードは、怪しげな紅い光を発する。
 そしてどこからともなく、不気味な声が響いた。

『(……問題ナイ)』

 その声は、簡潔に、一言だけ述べた。
「……そう……」
 どこか悲しげに――絵空は応える。
 するとそのカードの光は、意味ありげに瞬いてみせた。
「……大丈夫……。わかって、いるわ……」
 思いつめた様子で呟くと、絵空はカードをしまい直した。
 ふと、空を見上げる。
 雲に隠れてしまったのだろうか。遊戯の家を出たときの星空はそこにはなく、ただ、どこまでも闇に支配される夜天(やてん)があった。

 ――願ったところで……叶いはしない
 叶えたいならば、代償を払わねばならない――

 両手のひらを、きゅっと握り締める。

 ――そうするしかないのだ
 “彼女”を救うには、そうするしか――

「……私……は……」
 決意を固めるために、ぎこちなく口にする。
「……私は……遊戯さんを殺す……!」

 ――“彼女”は、私の全てだから
 “彼女”の生は、私の幸福
 “彼女”の死は、私の死
 だから私に、迷う余地などありはしない――

 ため息を、ひとつ吐く。
 迷う余地などない――そう呟く少女の瞳は、ただ哀しみを湛(たた)えていた。
「……帰らなくちゃ……。“彼女”が心配している……」
 そっと、目を閉じる。
 少しずつ、闇に支配される世界のように――彼女の姿は、闇に溶けて消えていった。



第十一章・予期せぬ再戦

「――第二回バトル・シティ大会ぃ!?」
 翌朝――、遊戯からその話を聞いた城之内は、教室中に響く、素っ頓狂な声を挙げた。
 遊戯の机の周りには、城之内、杏子、本田、獏良という、いつものメンバーが集まっていた。
「海馬のヤローめ! 第一回大会三位のオレに伝えねえとは…さては、このオレに恐れをなしたな!?」
「……なんでそうなるのよ……」
「……つか、オマエ四位だろ、四位」
 冷めたツッコミを入れる杏子と本田。
「うるへー! アニメの展開なんざ関係ねえ! 大切なのは原作だ、原作!」
 ムチャクチャ言う城之内。
「…でも、やったら城之内くんが負けるよね、きっと」
 獏良までもが、城之内を冷やかしにかかる。
「…そうよねえ…。海馬くんが城之内に負けるトコなんて想像できないし……」
「つか、天地がひっくり返ってもあり得ねえだろ」
「…おっ、オマエラぁ〜…!」
 恨めしそうに三人を睨みつける城之内。
 だが三人に、悪びれた様子は微塵もない。
「――でもさ、海馬くんが電話してくるなんて何か意外よね」
 うなだれる城之内を無視し、とっとと話題を変える杏子。
「ウン。ボクも昨日は驚いちゃったよ」
 電話に出たときのやり取りを思い出し、苦笑する遊戯。
 “例の事件”についての話題は伏せておいた。しても盛り下がるだけだろうし、海馬に口止めされている。そもそも、所詮はアメリカの事件。気になりはするが、日本にいる自分らにはとりあえず無縁であろう。

「…おはようございます」
「あ、おはよー、神里さん」
 遊戯たちは、机にカバンを置く絵空に、めいめいの挨拶をする。
「何か盛り上がっているようですが…、何かあったのですか?」
 椅子に腰を下ろすと、澄ました様子で訊いてくる絵空。
「ウン。今年の終わりにね、バトル・シティの第二回大会が行われるらしいんだ」
「…バトル・シティの…第二回大会?」
 絵空が、驚いて目を瞬かせる。
「…十二月か…おっしゃあ! じっくりデッキ構築して、海馬に目にもの見せてやるぜッ!!」
 ひとり、抜きん出てハイテンションな城之内。
「空回りして予選落ちだったりしてな」
 本田の失礼なツッコミに、お約束のノリで憤慨する城之内。
 みんな、それを見て笑う中―― 一人だけ、笑わぬ人間がいた。
「……今年の……終わり……」
 ちいさく、呟く。
 それに真っ先に気付いたのは遊戯だった。
「…どうかしたの? 神里さん」
「…え?」
「いや…、何か、元気なさそうに見えたから……」
「い、いえ、大丈夫です」
 そう応えると、絵空はいつものような笑みをつくる。
「…そうだ。神里さんも出たら? 今度のバトル・シティ」
 笑顔で提案する遊戯。
 先日、屋上で城之内との一戦が決闘盤初体験と言っていた。ということは必然的に、第一回のバトル・シティには出場していなかったのだろう。
「…そうよねえ。城之内なんて足元にも及ばない強さなんだし……」
「…ぐっ…。オ、オレは本番で実力を発揮するタイプなんだよっ!;」
 さりげなく、自分をフォローする城之内。
「それによ、遊戯といい勝負ができるレベルなんだろ? 出場すりゃいいトコまでいくんじゃねえか?」
「……いえ、でも……」
「…あ。でもバトル・シティって、たしか今までの大会戦績を考慮した上で参加できるか決められてるんじゃなかったっけ?」
 獏良が思い出したように言う。
「…そっか…。なら、こんど海馬くんに頼んでみようか?」
「あっ、あの…;」
 自分そっちのけで進む話に、少し困った様子の絵空。
「あ…、ゴメン。もしかして、大会とか出るの嫌いなタイプ?」
 それに気付いて、問う遊戯。
 もしそうならば、無理に誘うのは失礼というものだろう。
 遊戯の見たところ、決闘における絵空の戦略はコンボ性が高く、カード暦が短い者のなせるものとは考えがたかった。直接きいてはいないが、おそらく彼女がM&Wを始めたのは最近のことではない。これだけの実力があるにもかかわらず、決闘王国(デュエリスト・キングダム)にもバトル・シティにも出場していないようなのは、何か事情がありそうだった。
「いえ、そんなことはないですけど……。でも、悪いですよ、そんな……」
「遠慮なんてすることないよ」
 それを聞いて、遊戯は笑顔で応える。
「だってボクたち――友達じゃない」
「……!」
 肩が震え、ことばが詰まる。
 それは影のない、本当に、心からのことばだった。
「……? 神里さん?」
「…あ…はい。ありがとうございます…」
 そう言って、ペコリと頭を下げる。
 その様子は、やけによそよそしく見えた。



「――ふ〜っ、やっと終わったぁ……」
 帰りのHRが終わり、担任が姿を消すと、遊戯は上体を大きく伸ばした。
「……なあ遊戯、今日、これから空いてっか?」
「…ん…、何? 城之内くん」
 いつの間にか目の前に来ていた城之内に問う遊戯。
「…ああ。何か最近負けっぱなしだからよ…、いっそデッキを大幅に改造しようかと
思ってさ。また大会があるっつうし」
 過去の栄光にしがみつきたがるタイプの城之内も、さすがに懲りたらしい。
「ウン。ボクは構わないよ」
 とりあえず何の予定もなかったと思うので、快諾する遊戯。
「よっしゃ。サンキュー、遊戯」
 それじゃあ早速、とすでに右手にもったカバンを持ち直す城之内。その中身は空の弁当箱とカード関連品のみ(笑
「…では失礼しますね。遊戯さん、城之内さん」
「あ…、ウン」
 隣の席の絵空が、カバンを片手に立ち上がる。
「またな、神里」
 ちいさく笑んでみせると、絵空は教室のドアへ向かう。

「…………」
「…ん、どした? 遊戯」
 遊戯の視線は、絵空の背中を追っていた。
「あ…、ううん。ただ、今日の神里さん、ちょっと変かなって思ってさ」
「…そうか?」
 首を傾げつつ、教室のドアへ視線を送る。
 すでにそこに、絵空の姿はなかった。
「ゴメン、何でもないよ。行こう、城之内くん」
「おう。よろしく頼むぜ、遊戯」
 楽しげにことばを交わしながら、二人も教室を後にした。



「――ただいま〜」
「こんちはー、じいさん」
 『亀のゲーム屋』の入り口から、堂々と入る二人。
「おお、お帰り、遊戯。城之内も一緒かい」
 カウンターに腰掛けた双六がことばを返す。
 軽く店内を見回すが、客は一人もいない。といっても、遊戯の家の生活費は、主に単身赴任中の父の収入なので、特に問題はない。……たぶん。所詮は、祖父の道楽で経営された店である。
「じーさん、こないだ出たM&Wのカードパック、まだ残ってるか? 二つくらい欲しいんだけどさ」
「あ、ボクも一つちょうだい」
「おお、毎度あり〜」
 お金と引き換えに、それぞれにパックを渡す双六。店の経営者として、孫からもしっかり代金は取る。
「サンキュー、じいちゃん」
 テープを貼ることもなく受け取ったそれをポケットにしまった遊戯は、城之内を連れて家へ入ろうとする。
「あー、ちょい待ち、遊戯や」
「?」
 途中で呼び止められ、疑問顔で振り返る遊戯。
「何? じいちゃん」
「……最近、学校の友達と遊んでばかりで、おじいちゃんは悲しいぞい。タマにはこのオイボレと遊んでやってもバチは当たらんと思わんかいの?」
「…はい?」
 芝居がかった様子で言う双六に、遊戯は顔を引きつらせる。
「――と、いうワケで……勝負じゃ遊戯っ!!」
 泣いているような仕草をしてみせたかと思うと、唐突に笑い、レジの台下から決闘盤を取り出す双六。その盤にはすでに、デッキが取り付けられていた。
 要するに、デュエルをしようということらしい。
「…ウーン…、でも……」
 少し困った顔で、城之内を一瞥する遊戯。
「あ、オレなら別にいいぜ。遊戯対じいさんなんて興味あるし…デッキ構築の参考になるかもしんないしな」
 遊戯の視線に、城之内は笑って応える。
「…そう? じゃあ、一回だけなら……」
「おお! やってくれるか! さすがは我が孫! 持つべき者はやさしい孫じゃわい!」
 そう叫ぶと、嬉しげに高笑いする双六。
 …何でこんなハイテンションなんだ、このじいさんは……;
「…でも、決闘盤つかってやるの? 腰は大丈夫? じーちゃん」
 先日、晴れて73歳を迎えた祖父の身体を案じる遊戯。アニメじゃギックリ腰になってたしな;
「なあに! まだまだ若いモンにゃ負けんわい!」
 そう言って、自分の胸板を威勢良く叩いてみせる双六。
(……大丈夫かなぁ……?)
 心配するも、今更やめにするのは難しそうなので、仕方なく遊戯は決闘盤をとりに部屋へ向かおうとする。
「おっと、お前の決闘盤ならここにあるぞい、遊戯」
 そういうと、台下からもう一つ決闘盤を出してみせる双六。
「え…。もう、勝手に部屋に入らないでよ、じーちゃん」
 それを受け取りつつ、むくれる遊戯。
 それを見て、からかうように双六は問い掛ける。
「…そうそう。机の上に置いてあった見慣れぬビデオ、なかなか面白そうじゃのう?」
「……サ、早クヤロッカ、ジーチャン……」
 …弱みを握られ、冷や汗を書きつつ店外へ逃げる遊戯。
 年頃じゃからのう、と愉快げに笑いつつ、双六は「本日閉店」の看板を店の扉にかけた。

「……そういや、じいさんのデッキってどんなんだ?」
「……あ、もしかして例のピケルデッキ?;」
 城之内の何気ない問い掛けに、昨日のことを思い出して苦笑する遊戯。
「ホッホッ、生憎と違うデッキじゃよ。ま、ゲーム開始後のお楽しみじゃわい」
 遊戯と双六はまず、互いのデッキを交換し、シャッフルする。
(……そういえば、じーちゃんとデュエルするの、久し振りだな……)
 カードを切りつつ、ふと思う。
 考えてみれば、最後にしたのはいつだろう。
 双六は海馬に負けた際、自分のデッキを遊戯に託してくれている。
 思えばそれ以来、双六と決闘をする機会はなかったのである。
(……じーちゃんには、一度も勝ったことなかったんだっけ……)
 ふと気付く。M&Wの基本を教えてくれたのも、目の前の祖父なのだ。
 気を引き締めてやらないとな、と思い直しつつ、デッキを切る手を止める。

「……あれ?」
 思わず、口からことばが漏れる。
 ――何だろう?
 遊戯は、手に持った双六のデッキから、ある種の違和感を覚えた。
「…ホレ。シャッフル終了じゃわい」
「あ…、ウ、ウン」
 違和感の正体に疑問を感じつつ、デッキを交換し直す。
 そして二人は、決闘盤による決闘を行うための距離を空けた。

「いくぞい…。デュエルじゃっ!!」
 双六の叫びを合図に、ゲームが開始される。二人はそれぞれ、デッキからカードを五枚引いた。
 スーパーエキスパートルール、初期ライフポイントは4000である。
「それじゃあいくよ! ボクの先攻! ドロー!!」
 先攻をとった遊戯が、先にカードを引く。

 ドローカード:暗黒魔族 ギルファー・デーモン

「ボクはリバースカードを一枚セットし、『マシュマロン』を守備表示で召喚! 
ターン終了だよ」
「ワシのターンじゃな…、ドロー! ワシもカードを一枚伏せ…、『磁石の戦士(マグネット・ウォリアー)α』を守備表示じゃ」
「……エ……」
 見慣れたモンスターの登場に、遊戯は目をしばたかせる。
「…ターン終了。お前のターンじゃぞ、遊戯」
「…ウ、ウン。ボクのターン」
(……ただの偶然か……)
 思い直して、カードを引く。同名カードを双六が持っている可能性は、決して低くない。
「よし、ボクはこのターン、マシュマロンを生け贄に捧げて――『暗黒魔族 ギルファー・デーモン』を召喚!」
 遊戯の場から可愛らしいモンスターが消えたかと思うと、一転、いかつい悪魔族モンスターが姿を現す。
「いくよ、じーちゃん! ギルファー・デーモンの攻撃!!」
 遊戯の攻撃宣言に従い、全身に力を込めるギルファー・デーモン。
「…おっと、そうはさせんぞい。この瞬間、伏せカード発動じゃ!!」

 ――ガシーン!!

「!? これは……!!」
 場に六芒星が現れ、ギルファー・デーモンの身体の自由が奪われる。
 それは、遊戯にとって非常に見慣れたカードであった。
「……『六芒星の呪縛』……!?」
「…ホッホッ、その通り。六芒星の呪いを受けたモンスターは攻撃を無効化され、さらに攻撃力が700ポイントダウンするぞい」

 ギルファー・デーモン:攻2200→攻1500

「……!」
 六芒星に捕らわれたモンスターを見上げつつ、動揺する遊戯。それは単に、相手の罠にかかってしまったことによるものではない。
 遊戯はふと、先ほどのデッキシャッフルの際、双六のデッキに抱いた違和感を思い出した。
(…じーちゃんのデッキ……ひょっとして……!?)
「――エンド宣言がまだじゃの、遊戯や…」
「…あ。タ、ターンエンド……」
 我に返り、ほとんど反射的にエンド宣言する遊戯。
 その様子を見やりつつ、デッキに手を伸ばす双六。
「…ワシのターンじゃの、ドロー!」
 ドローカードを見やると、それを手札に加え、別のカードに指をかける。
「…ワシは、手札を一枚捨て――『THE トリッキー』を特殊召喚じゃ!」
「!!」
 双六の場に、攻撃力2000を備えた奇術師が現れる。それを見た瞬間、遊戯は確信した。
「――じーちゃん!! やっぱり、そのデッキ――!!」
 ようやく気付いた様子の遊戯を見て、ニヤリと笑う双六。
「……そう…。これはワシのデッキではない。お前のパズルボックスに大切に保管されていたデッキ――“彼”のデッキじゃよ」

 遊戯のLP:4000
     場:暗黒魔族 ギルファー・デーモン,伏せカード1枚
    手札:4枚
 双六のLP:4000
     場:THE トリッキー,磁石の戦士α,六芒星の呪縛
    手札:3枚



第十二章・傷痕(きずあと)

「! あのモンスターは…!」
 双六の召喚したモンスター ――『THE トリッキー』を見て、城之内もそのことに気付く。
 いま双六が使用しているデッキは、双六自身が構築したデッキではない。紛れもなく、“闘いの儀”において“彼”が使用したデッキなのだ。

「…磁石の戦士αを攻撃表示に変更し――いくぞい! ワシのバトルフェイズ!!」
「…ちょっ! じいちゃ――!!」
 一歩踏み出し、止めようとする遊戯だが、構わずゲームを続ける双六。
「『THE トリッキー』! ギルファー・デーモンに攻撃じゃ!!」
「!!」
 奇術師は遊戯の場に颯爽(さっそう)と飛び掛ると、身体の自由を奪われたギルファー・デーモンに向け、勢いよく魔力を放出した。

 ――ズシャァァッ!!

 奇術師の両手から、魔力による無数のカマイタチが発せられ、それは巨大なデーモンの身体を斬り裂き、破壊する。
「…くっ…!」
 その風はプレイヤーへも及び、遊戯のライフをわずかに削る。

 遊戯のLP:4000→3500

「…さらに! 磁石の戦士αで、遊戯に直接攻撃じゃっ!!」
 全身、磁石で身体を構成された戦士が、剣を構え、遊戯へ向けて飛びかかる。
「…く、リバースオープン! 『機動砦 ストロング・ホールド』!!」
 やむなく、場の伏せカードを発動する遊戯。

 ――ガキィィッ!

 場に巨大な砦モンスターが出現し、その無骨な鋼鉄の左手により、磁石の戦士の剣が受け止められる。
「…『ストロング・ホールド』は磁石の戦士αの攻撃を無効とし、その後は守備力2000の砦となる…。やるのう、遊戯。ワシはカードを一枚伏せて、ターン終了じゃわい」
 とぼけた様子で着々とゲームを進行する双六。
 だが遊戯のほうに、このまま黙ってゲームを続行する気は更々ない。
「――ちょっと、じーちゃん! どういうこと!?」
 非難の視線を、双六に送る。
「…ホッホッ。どういうも何も、こういうことじゃわい。さて、このデッキにもういちど勝てるかのぉ?」
 あくまでとぼけた風の双六に、遊戯の頭に血が上った。
「ふざけないでよ、じーちゃん!! そのデッキは――」
「――“彼”の形見、かの?」
「…!?」
 動揺する遊戯相手に、悪びれず笑んでみせる双六。
「いいじゃろ、減るもんじゃナシ。そもそもカードというのは、ゲームに使うためにあるんじゃぞ? 大切に保管するより、使ってやったほうがカードも喜ぶわい」
「……それは……そうかもしれないけど……」
 双六のことばに、口ごもる遊戯。
「このデュエルが終わったらすぐ返すわい。ホレホレ、遊戯のターンじゃぞ?」
「〜〜。……ボクのターン……」
 不満げな様子でカードを引く遊戯。

 ドローカード:サイレント・ソードマンLV(レベル)0

(とにかく…早く終わらせよう……)
 眉間にしわを寄せて思う。
 “彼”のデッキを前に、意表をつかれたことを除いても、動揺している自分がいる。それは、自分でも理解できていた。
「…ボクは、『レッド・ガジェット』を攻撃表示で召喚!」
 遊戯の場に、赤い身体をしたモンスターが現れる。そのモンスターは背中に、歯車のようなものをつけている。攻撃力はわずか1300。
「…さらに! 手札から魔法カード発動! 『同胞の絆』!!」
「…! そのコンボは……」
 それは、“闘いの儀”においても利用した、遊戯のデッキの必殺コンボである。
「このカードの効果により、ライフを1000払うことで、場のモンスターと同種族のモンスターをデッキから二体召喚できる!」

 遊戯のLP:3500→2500

 遊戯はデッキから、二枚のカードを選び出し、守備表示で場に特殊召喚する。
「…出でよ!! ガジェット族!! 『イエロー・ガジェット』!! 『グリーン・ガジェット』!!」
 名前の通り、『レッド・ガジェット』と姿の似た、色違いのモンスター二体が場に現れる。
 『同胞の絆』により特殊召喚されたモンスターは、攻撃・生け贄を禁じられる。しかし、遊戯の狙うコンボはここからである。
「ガジェット族! 砦のギアとなれ!!」
 遊戯の宣言に合わせ、三体のガジェットモンスターは飛び上がる。そして、巨大な砦、ストロング・ホールドに空いた三つの穴に、それぞれ自らの身体を埋め込んだ。
「三体のガジェットモンスターがギアを回転させることで――『ストロング・ホールド』は攻撃力3000を備えたモンスターとして起動するよ!!」
 遊戯の場の巨大な砦モンスターが、轟音とともに、重々しく動き出す。
 そこで遊戯は、双六の場に目をやった。
(…じいちゃんの場には、THE トリッキーと磁石の戦士α…。さっきボクは、ギルファー・デーモンが破壊された際、その特殊能力――モンスター一体の攻撃力を500下げる能力を、磁石の戦士αに対して使用している。いま、磁石の戦士αの攻撃力はわずか900。攻撃すれば、一気に2100の大ダメージを与えられる!)
 少し迷ったが、そのままバトルフェイズに移行する遊戯。
「ストロング・ホールドの攻撃!! 対象は――マグネット・ウォリアーだ!!」
 自分より一回りも二回りも小さいモンスターへ向け、その右腕を振り上げるストロング・ホールド。
「スチーム・ギア・クラッシュ!!」
 だがその瞬間、対峙する双六はニヤリと笑った。
「――甘いぞい、遊戯っ! 伏せカードオープン!! 『二重魔法(ダブル・マジック)』じゃっ!!」
「!! あ…!」
 致命的なデュエル展開に、目の覚める思いがする遊戯。
「…このカードの効果でこのターン、相手の使った魔法カードをワシも使うことができるぞい! いま遊戯の使用したカード――『同胞の絆』をの!!」

二重魔法(ダブル・マジック)
(魔法カード)
このターン相手が使ったすべての
魔法カードを使うことができる

 双六の場に『同胞の絆』のカードが、立体映像として表示される。
「同胞の絆の対象は『磁石の戦士α』! よってワシはライフ1000を支払い、デッキから、二体の磁石の戦士を特殊召喚する!!」

 双六のLP:4000→3000

 双六はデッキから、二枚のカードを選び場に出した。
「『磁石の戦士β』! 『磁石の戦士γ』! …そして、三体のマグネット・モンスターが場に揃った瞬間――その特殊能力が発動!!」
 三体のモンスターの身体が分離し、一つに結合し、新たなモンスターに生まれ変る。
「融合合体! 『磁石の戦士 マグネット・バルキリオン』じゃ!!」
「!!」
 双六の場に、巨大な身体を持つマグネット・モンスターが出現する。その攻撃力はなんと――3500。
「磁石の戦士αはβ、γと合体し、マグネット・バルキリオンへと生まれ変った…。よって!」
「!! くっ…!」
 遊戯の場のストロング・ホールドは、すでに攻撃態勢に入っている。そして、振りかぶられたその拳の先には、磁石の戦士3体の合体したモンスター『マグネット・バルキリオン』がいる。
「…ストロング・ホールドの攻撃は、マグネット・バルキリオンが受けることになる! バルキリオン! 反撃じゃっ!!」
 拳を振り上げるストロング・ホールドに対し、自身の身体同様に磁石でできた剣を構えるバルキリオン。その剣は放電し、火花を散らしていた。
 勢いよく振り下ろされる拳に対し、バルキリオンは素早くかわし、懐に飛び込む。そして、激しい熱を帯びた剣を、目の前の鋼鉄の身体めがけて力いっぱい袈裟に振るう。
「電磁剣(マグネット・セイバー)!!」

 ――ズジャァァァァッ!!!

 叩きつけられた磁石の剣が、ストロング・ホールドの身体を豪快に斬り裂く。
 高攻撃力モンスター同士のぶつかり合いだけあり、凄まじい音がした。
 結果、ストロング・ホールドの鋼の身体に、巨大な傷が刻み込まれる。
 まもなく、破壊の確定されたストロング・ホールドは砕け散り、遊戯のライフは再び削られた。

 遊戯のLP:2500→2000

「…らしくないのう、遊戯や。“彼”のデッキの構成は把握できとったはずじゃろう? そもそも、このデッキはお前の所有するカードのみで構築されている……磁石の戦士と『二重魔法』による反撃の可能性、読めないことはなかったはずじゃ」
「……う……」
 遊戯の顔色が青ざめる。
 これで双六の場には、『マグネット・バルキリオン』と『THE トリッキー』という、高攻撃力モンスターが二体。対する遊戯の場には、一枚のカードも残されていない。
「……ボクは……リバースを一枚セットして、ターン終了だよ……」
 脂汗をかきながら、カードを伏せ、ターンを終わらせる遊戯。
 圧倒的に双六に有利な状況で、ターンが移行する。
「……遊戯や、このデッキが怖いか?」
「……え?」
 突然の問いに遊戯は目をしばたかせる。
 少し語弊(ごへい)があるかの、と呟くと、双六はもう一度問い直した。
「このデッキと闘うことが……“彼”のデッキと対峙し、あの日を思い出すのが辛いか?」
 反射的に、瞳孔が開く。
 その瞬間、遊戯は、心臓を鋭利な刃物でえぐリ出されたような気がした。

「…………!」
 両手のひらが震える。遊戯は、それを握り締めた。
「……ボク…は……!」
 胸に、ぎりぎりと痛みが走る。
 俯き、下唇を噛んで、それを必死にこらえる。
「……ワシのターンじゃの……ドロー」
 静かにカードを引くと、双六は場のモンスターに攻撃命令を出した。
 俯いたままの遊戯に向けて、『マグネット・バルキリオン』が勢いよく襲い掛かる。
「……っ! トラップオープン! 『ソウル・シールド』!」
 やや乱暴な手つきで、自分の場の唯一のカードを表にする遊戯。

 遊戯のLP:2000→1000

 ――バシィィィィッ!!!

 その瞬間、遊戯の周りを結界が覆う。
 バルキリオンの剣の刃先は、結界と衝突し、激しく火花を散らした。

ソウル・シールド
(罠カード)
ライフポイントの半分を払う。
モンスターの攻撃を無効にし、
バトルフェイズを終了させる。

「……場に伏せカードを一枚出し、ターン終了……お前のターンじゃ、遊戯」
 双六のエンド宣言により、遊戯を覆う結界が消え失せる。バルキリオンは剣を引くと、双六のフィールドへゆっくりと戻っていく。
 双六のターンが終わり、遊戯のターンに移る。
 だが遊戯に、このまま何事もなくゲームを続行することはできなかった。

「………!」
 身体の震えが、止まらない。
「……ボク…は……」
 ボクは、もう――
「……ボクは……本当は……!」
 我慢できなかった。
「……あの日……ボクは、勝ちたくなんてなかったんだ……!」
 涙があふれて――止まらなかった。

 遊戯のLP:1000
     場:
    手札:2枚
 双六のLP:3000
     場:磁石の戦士 マグネット・バルキリオン,THE トリッキー,
       伏せカード1枚
    手札:2枚



第十三章・幼年期の終わり

「……大丈夫? 遊戯……」
 ――今から、二ヶ月前のこと。
 “闘いの儀”を終え、帰国した遊戯に、最初にかけられたことばはそれだった。
 いつも首に下げていた千年パズルは既になく――いつも一緒にいた“彼”はもう、どこにもいなかった。
「……大丈夫だよ、ボクなら」
 微笑んで、杏子にことばを返した。

 ――これで、良かったのだから
 ボクは正しいことをした
 “彼”はもう、死んだ人間なのだ
 だから、引きとどめることなどできない
 “彼”の魂を冥界へ還すこと、それがボクの使命
 ワガママを言うことなど、許されない

 ――だけど――

 ボクは、ちゃんと知っていた
 “彼”が、ボクたちと別れたくないことを
 “彼”との別れを望む者など、だれ一人としていないことを――

●     ●     ●     ●     ●     ●     ●

『遊戯…あのさ…』
 “闘いの儀”の前夜――杏子は、ボクの部屋を訪れた。
『…お…お腹のお薬…! ほら…本田がグロッキー状態でさ! ないならいいん
だ!』
 あの後、杏子が本当に続けたかったことば――ちゃんと判っていた。

 ――私は…もうひとりの遊戯に、ずっとそばに居てほしいよ……

●     ●     ●     ●     ●     ●     ●

『遊戯…オレの一生の願い、聞いてくれるか…』
 あの夜の、城之内くんの願い。
『バックの中の千年アイテム…この川に捨てちまおうぜ…』
 冗談だって言ってたけど、ちゃんと分かっていた。

 そのことばに、どれほどの真意が含まれていたかは――

●     ●     ●     ●     ●     ●     ●

『その光の向こうにあなたにとって帰るべき場所がある…それはわかってる…でも…、その光は私達にとってあなたとの別れの境界線でしかない…。まだ…よく意味がわかってないの!!』

 ――そうだ

『ずっと一緒の仲間だったあなたが突然…私達の目の前から消えていくなんて…意味がわからないよ!』

 ――ボクだって…そうだ
 ボクだって――“彼”と、別れたくなんてなかった
 それが過ちであろうと、本当は

 ――キミといつまでも、いつまでも一緒に――

●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


「……っ……うっ……!」
 足の力が抜け、膝が折れる。
 遊戯は、両手を地につけ、俯いた。
 涙が、止まらなかった。
 あの日以来、決して流すまいとした涙が――
 とめどなく流れて、仕方なかった。


「……遊戯……!?」
 離れた位置から見ていた城之内が、呆然とする。


「……悔いて…おるのか……?」
「………!」
 祖父の穏やかなことばが、胸に突き刺さる。

 ――そうだ…ボクは、本当は後悔していた
 “彼”に勝ってしまったことを
 “闘いの儀”を受けてしまったことを
 “彼”と、別れる選択をしてしまったことを

 ボクには、ちゃんと選択肢があった
 “彼”と別れるか否か
 それを選ぶ権利を、ボクは、ちゃんと与えられていたのだ
 だから……何かを言う権利など、ありはしない
 ボクが選んだのだから
 …ボクのせいで、“彼”は消えてしまったのだから――


「……お前が…気に病むことはないんじゃぞ……?」
 双六が、気遣いながら話しかける。
「…お前は正しいことをした…。“彼”の魂は、冥界へ還らねばならぬ運命だったのじゃ…」
「……っ…!」
 下唇を、噛み締める。
「……じーちゃんには…分からないよ……!」
 穏やかに話す双六に、遊戯は恨めしげに呟いた。

 ――今の、ボクの気持ちは
 “彼”を失って、ボクのこころがどれだけ傷ついたか
 ボクのこころが、どれほどの痛みを感じたのかは――

「……わかるわい……」
 呪うような遊戯の呟きに、双六はそれでも、優しく応える。
「…お前の何倍、生きとると思っとるんじゃ…?」

 ――ちゃんと解っている
 いるハズの人をなくす悲しみ
 大切な人を、失う痛み――

 それは、誰もが知る痛み。
 生きていくうえで避けられない、決して慣れることのない痛み。

 ――それを知り、人は成長する
 この世に、生と死があることを知り
 生の喜びと、死の悲しみを知る――

「……!」
「……悲しければ…泣けばいいんじゃ。淋しければ、顧(かえり)みてもいい――」

 ――けれど、悔いてはならない
 その人と出会ったことを
 その人と過ごした、大切な日々を――

 ――そして、生きねばならない
 その人を失う以前のように、強く、前を向いて
 それこそが――消えたその人の、最大の願いであり、最高の喜びであろうから――

「…だから…、お別れを言うんじゃ、遊戯……」

 ――そして、示さなければならない
 “彼”を失って、それでも強く生きてゆくことを
 顔を上げて、前を向けることを
 “彼”という存在に出会え、幸福であったことを
 “彼”の魂が、永遠に安らげるように――


「……っ……!」
 遊戯は、込み上げる嗚咽を必死に我慢した。
 両の拳を、もういちど、強く握り締める。
 泣いてもいい――けれど、泣いてばかりいてはいけない。

 涙をこらえ、よろめきながら立ち上がる。
 右手の袖で涙を拭くと、遊戯はデッキに手を伸ばした。
「…ボクの、ターン…! ドロー…!」

 ――そうだ…示さなくちゃいけない
 ボクひとりで、ちゃんと生きてゆけることを
 “彼”の魂が、永遠に安らげるように
 そして――


(……がんばるんじゃ……遊戯……!)
 心中で、立ち上がろうとする遊戯に声援を送る双六。

 ――それは、誰もが乗り越えるべき痛み
 自分が幸福であれるように
 大切な人もまた、永久に幸福であれるように――


「………!」
 顔を上げて、前を見る。
 そして遊戯は、引いたカードに目をやった。

 ドローカード:罅割れゆく斧

「…ボクは…!」
 涙を振り払い、強い眼差しで、自分の手札に指をかける。
「――リバースカードを二枚セット!! さらに、『サイレント・ソードマンLV0』を攻撃表示! ターンエンド!!」
 遊戯の瞳に、消えかけていた闘志が蘇る。

「…いくぞい…! ワシのターンじゃ!!」
 デッキの一番上のカードに、指をかける双六。
(……サイレント・ソードマンに、伏せカードが二枚……)
 予想するに、遊戯の伏せカードの正体は『時の飛躍(ターン・ジャンプ)』と『罅割れゆく斧』。
 “闘いの儀”において、攻撃力4000を誇る神――オベリスクと相殺した、超強力コンボである。
 双六の場に存在するモンスターの最大攻撃力は3500。これでは、攻撃しても相撃ちにすら持ち込めない。しかも、攻撃力2500――さらに、次ターンには3000に成長する沈黙の剣士(サイレント・ソードマン)が、遊戯のフィールドに残されることになる。
 かといって、そのまま安易にターンを流せば、自然、沈黙の剣士は強化され、『罅割れゆく斧』の効果も上がってしまうのだ。相手プレイヤーにとって、これほど恐ろしいコンボはない。
(…ワシの手札に遊戯の狙いを回避できるカードはない…! このドローカードにかかっとるわい!)
「ドロー!!」
 双六は、勢いよくカードを引いた。

 ドローカード:マジシャンズ・クロス

(!! なんと…!!)
 ドローカードを見た双六は目を疑い、そして自分の場の伏せカードに視線を送った。
 紛れもなくそれは、このあと遊戯の狙うであろうコンボを潰すことのできる、数少ないカードだったのだ。
(……さすがに、よく構築されたデッキじゃな……)
 思わず、感心してしまう。
 ここまで、遊戯の狙いをことごとく潰せるよう、手札にカードが揃う。
(……それだけ、遊戯に勝って――現世にとどまりたかったということか……)
 “彼”のデッキには、“彼”の想いが込められている。
 それは、“闘いの儀”に勝利し……遊戯と、みんなと一緒にいたいという想い。

(……残酷な話じゃな……)
 “彼”との別れを望む者など、誰一人としていなかった。
 それでも、“彼”は負けた。
 それは“さだめ”が、“彼”の生を許さなかったということだ。
 “彼”だけではない。
 死にゆく者の、多くがそうだ。
 生きたいと望み――それでも、死なねばならない。
 残酷な“さだめ”。

(……それでも人は――生きてゆかねばならん!)
 気を持ち直し、ゲームに意識を戻す。
「ワシはカードを一枚伏せ――いくぞい! ワシのバトルフェイズ!!」
 双六は場のバルキリオンを見上げ、攻撃宣言を出す。
「バルキリオン! サイレント・ソードマンを攻撃じゃ!!」
 『マグネット・バルキリオン』は、遊戯の場の少年剣士に飛びかかり、剣を構えた。
 それに合わせ、遊戯は案の定、場の伏せカードに手を伸ばす。
「――リバースカードオープン! 『時の飛躍(ターン・ジャンプ)』!! この効果により3ターンが経過したことで、サイレント・ソードマンはレベル3にアップするよ!!」

 沈黙の剣士:攻1000→攻2500

 遊戯の場の少年は、一瞬にして青年へと成長を果たす。
 さらに遊戯は、もう一枚の伏せカードを表にした。
「さらに! リバース・トラップ! 『罅割れゆく斧』!! このカードは、リバース状態で経過したターン数×500ポイントを対象モンスターの攻撃力から引く! 
『ターン・ジャンプ』により三ターン経過したため――バルキリオンの攻撃力は、1500ポイント下がる!!」
 バルキリオンの磁石の剣に、たちまち大きな亀裂が走る。

 マグネット・バルキリオン:攻3500→攻2000

 これで、バルキリオンの攻撃力は2000。対する沈黙の剣士は2500。勝敗は明らかである。
 だが、バルキリオンは怯(ひる)むことなく、自らの大剣を振りかざす。
「マグネット・セイバー!!」
 電気と磁気をまとった大剣が、沈黙の剣士へ向け振り下ろされる。
「迎え撃て! サイレント・ソードマン!!」
 遊戯の叫びに合わせ、青年と化した沈黙の剣士は、自分とともに巨大化した大剣を逆手に持ち替え、大きく横に薙ぐ。

 ――バキィィィィン!!

 巨大な金属音とともに、元々ヒビの入っていた磁石の剣が砕かれる。
 砕かれた剣の刃先は、バルキリオンの足元に勢いよく突き刺さった。
「いまだ! サイレント・ソードマン!!」
 返す剣で、沈黙の剣士はバルキリオンの巨体に挑みかかる。
「沈黙の剣LV3!!」

 ――ガギィィィィンッ!!!

 耳を塞ぎたくなるような、金属と金属の衝突音。
 その大剣は見事、バルキリオンの硬い身体を破砕する。
(――よし!!)
 破壊の確定されたバルキリオンの身体は砕け散り、双六のライフが削られる。

 双六のLP:3000→2500

 だが双六は次の瞬間、自分の場の伏せカードを発動していた。
「――甘い!! トラップ発動!! 『魂の綱』!!」
「!?」
「このカードはワシの場のモンスターが破壊されたとき、ライフを1000ポイント支払うことで、デッキから四ツ星モンスター一体を場に呼び出すことができるぞい!!」
 双六はデッキを盤から外し、そのモンスターカードを選び出す。

 双六のLP:2500→1500

「――出でよ! 『熟練の黒魔術師』!!」
 双六の場に、攻撃力1900を備えた四ツ星の黒魔術師が一体特殊召喚された。
「そしてこの瞬間――ワシがこのターンに伏せた、永続魔法が発動するぞい!! 
『マジシャンズ・クロス』!! このカードは自軍の場に魔術師二体が揃ったとき、攻撃力3000の連携魔法攻撃を可能とする!!」
「…なっ…!?」

マジシャンズ・クロス
(永続魔法カード)
自軍の場にマジシャンが二体以上
召喚されたとき、攻撃力3000の
連携魔法攻撃が可能となる

「いくぞい! 魔法カードの効果による――『THE トリッキー』と『熟練の黒魔術師』の連携魔法攻撃!!」
 トリッキーの伸ばした腕の先に、黒魔術師が杖を合わせる。
 そして、その先に魔力を溜め、一気に放出した。

 ――ズドォォォッ!!!

「――うわぁぁっ!!」
 凄まじい魔力の衝撃が遊戯の場を襲う。
 その威力を前に、成長した沈黙の剣士も、なすすべなく破壊されてしまった。

 遊戯のLP:1000→500

 遊戯のLP:500
     場:
    手札:0枚
 双六のLP:1500
     場:THE トリッキー,熟練の黒魔術師,マジシャンズ・クロス
    手札:2枚



第十四章・永久の別れのために

 ――このままではいけないことは、自分でもわかっていた
 止まることのない時の流れの中で、ゆいいつ立ち止まっている自分
 それが、何も生み出さないことは
 ……そんなボクを見たら、“彼”はきっと、哀しむだろうことは――


「――遊戯っ!!」
 城之内が、遊戯の名を叫ぶ。
 双六の場の魔術師の攻撃は、容赦なく沈黙の剣士を破壊し、遊戯の場に砂埃を巻き上げる。
「……くっ…!」
 立ち上る砂煙が晴れた後――、遊戯のフィールドには一枚のカードも残されなかった。加えて、今の遊戯には手札が1枚もない。
 対する双六の場には、高攻撃力を備えたモンスターが二体。ライフポイントも残りわずか。
 遊戯のおかれた状況は、まさに絶望的といって良かった。
(…でも…まだだ…!)
「ターン、終了じゃ!」
 双六がエンド宣言をし、遊戯のターンに移る。
(…まだ…勝負は決まっていない!!)
「ボクのターン!!」
 覇気のこもった叫びとともに、遊戯はデッキに手を伸ばす。


 ――あの日……“彼”と別れたとき
 ボクは、正しい意味で“彼”と別れられていなかったのかも知れない――

 ――だからもういちど、お別れを言おう
 “彼”のデッキに、もういちど勝って
 もういちど、さよならを言おう

 ボクはもう、大丈夫だからと
 君がいなくても、大丈夫だからと
 だから、安心して欲しいと
 顔を上げて、胸を張って前へ進むからと――


(だからボクは――あきらめない!!)
「――ドロー!!」
 デッキからカードを引き、視界に入れる遊戯。

 ドローカード:翻弄するエルフの剣士

(! よし!)
「ボクは――『翻弄するエルフの剣士』を守備表示で召喚するよ!」
「! ほう…そうきおったか」
 遊戯の場に、剣を携えたエルフの青年が召喚される。青年はしゃがみ込み、剣の峰を前面に出して守備体勢をとる。
 それを見た双六は、意味ありげな笑みを浮かべた。

「…エルフの剣士の守備力は1200…! ここまでか!?」
 傍観していた城之内が、苦々しげに叫ぶ。
 ――が、次の瞬間、デュエル中の二人が同時にこちらを見やった。

「……そんなことも知らんのか? 城之内や……」
 双六が、半ば呆れた様子でため息を吐く。
「……へ?」
「……『翻弄するエルフの剣士』には特殊能力があるんだよ、城之内くん。このモンスターは、攻撃力1900以上のモンスターとの戦闘では破壊されないんだ」
 小首を傾げる城之内に、カードの効果を説明する遊戯。
「…ワシの場のモンスターの攻撃力は、1900と2000…。この二体のモンスターの攻撃力では『エルフの剣士』は破壊できない、というわけじゃ」
「……へー……」
 ……説明を受け、素直に感心する城之内。

翻弄するエルフの剣士  /地
★★★★
【戦士族】
このカードは攻撃力1900以上の
モンスターとの戦闘では破壊されない。
(ダメージ計算は適用する)
攻1400  守1200

「――というか、かなり常識レベルなカードじゃぞ? ホントに知らんかったのか?!」
 …ストラクチャーデッキに入ってるしね。
「…へ? いっ、いや、ド忘れしてただけだって! ド忘れ!」
 慌てて誤魔化す城之内に、懐疑(かいぎ)の視線を送る双六。
「……そ、それより……大丈夫なのか? 遊戯……」
 双六からの非難の視線をかわしつつ、城之内は遊戯に問う。
「……ウン! もう、大丈夫」
 遊戯の目はまっすぐで、その瞳には、確かな力がこもっていた。
「…そっか…! がんばれよ! 最後まであきらめんじゃねえぞ!」
「ウン!」
 はっきりとした口調で答えると、遊戯は対戦相手――双六に視線を戻す。
「――ターン終了だよ!」

「…よし…、ワシのターンじゃな」
 カードを引く前に、現在の状況を冷静に見つめ直す双六。

 遊戯のLP:500
     場:翻弄するエルフの剣士
    手札:0枚
 双六のLP:1500
     場:THE トリッキー,熟練の黒魔術師,マジシャンズ・クロス
    手札:2枚(トリッキーズ・マジック4,融合)

(…いまワシの手札に、遊戯の壁モンスターを破壊できるカードはない…。攻撃力重視で『熟練の黒魔術師』を呼んだのがアダとなってしもうたか……)

 ――だが、それでいい

 双六はこの決闘、自分が勝つつもりはなかった。
 手を抜くつもりはない。だがこの決闘を、遊戯の立ち直るキッカケにしてほしかったのだ。
 “彼”と別れて以来、遊戯の様子はどこかおかしかった。
 一見、いつも通りに見えて――どこか、無理をしている風だった。
 それは恐らく、“あの日”に忘れてきたものがあるからだ。

 だからもう一度、“あの日”に立ち戻って――
 忘れてきたものを、取りに行かねばならない。

 そのために、双六はこの決闘を申し込んだ。
 “あの日”のことを再現するため――いわば自分は、“彼”の代役である。
 だから、“彼”の代役を務(つと)めるため、手を抜くわけにはいかない。
 それでも双六は心の中で、遊戯のことを応援していた。

(……がんばれ…遊戯や!)
「ワシのターン! ドロー!」
 ドローカードを視界に入れる。
(!! …こっ…、このカードはっ!!)
 それを見た瞬間、冷静だった双六の目に輝きが宿る。
「…………」
 ……じゅるり
「……じーちゃん、ヨダレ……」
「…ハッ! いっ、いやぁ、今日は実にいい天気じゃのう!?」
 口元を拭いつつ、唐突に、何の脈絡もないことを言い出す双六。
「……神のカード引いたでしょ、じーちゃん……」
「…なッ!? なぜそれをっ!?」
「……見りゃ分かるって……;」
 半ば呆れた様子の遊戯。

 ドローカード:オシリスの天空竜

「…フ…、さすがは我が孫、よくぞ見破ったのう」
「……いや、だから見れば分かるって……;」
 双六の神カード好きは折り紙つきである。
 これまで、通算すればすでに三桁の回数、遊戯の部屋に神を見に来ているのである(多)。
 ――まあ、無理もないといえないこともない。
 全ての決闘者にとって、神のカードというのは、喉から手が出るほど欲しい超逸品(いっぴん)である。
 そして双六は、ただの決闘者ではない。
 かつてはゲーム不敗神話を打ち立てた男――そして今では、重度のカードオタクなのだ(超失礼

「…ワッ…、ワシのターンはこれで終了じゃぞいっ!;」
 慌ててターンを終わらせる双六。
 現在の手札では、どのみち遊戯のモンスターを倒せないし、神を召喚することもできない。
 そして双六の脳内は、ある一つの感情に支配されていた。
(……神を召喚してみたい…!)
 …それは、極めて切実な願望であった。
(…ワ…ワシは“彼”の代役なワケじゃし……手加減無用なワケじゃし、神の召喚くらいせんとイカンよのぉ…!)
 再び緩む口元を押さえつつ、にへら笑いを浮かべる。

「……盛り上がってるトコ悪いけどさ、じーちゃん。千年アイテムに関わったことのある人しか、神は使えないらしいよ」
「…フッ…何を言うとるか。千年パズルを見つけ出したのは、何を隠そうこのワシじゃぞ? そのワシに使いこなせんわけがないわい!」
 そう言うと、双六は高笑いをしてみせる。
 実際、千年錠のかつての所持者――シモン・ムーランの生まれ変りである双六なら、神のカードを使えるのだろう……たぶん。
(……大丈夫かなぁ……;)
 心配しつつ、デッキに手を伸ばす遊戯。
 とにかく、この状況で神を召喚されれば致命的である。
 何とか、神の召喚を妨げつつ逆転を狙うのが妥当であろう。
「ボクのターン、ドロー!」

 ドローカード:強欲な壺

「よし…! ボクは手札から『強欲な壺』を発動!」
「! …このタイミングで手札増強カードか…! だがこれにより、二つ目の“魔力カウンター”がワシの『熟練の黒魔術師』に乗るぞい!」
 『熟練の黒魔術師』の装束についた玉状のものに光が灯る。
「知っての通り…熟練の黒魔術師には特殊能力がある。魔法カードが使用されるたびに、熟練の黒魔術師はその魔力の一部を吸収し、蓄える。そして、三度吸収したならば――最上級魔術師『ブラック・マジシャン』への成長が可能となるぞい!」
 『熟練の黒魔術師』にはすでに、二つの魔力カウンターが乗っている。一つ目は、双六が『マジシャンズ・クロス』を発動した際に乗ったのである。

熟練の黒魔術師 /闇
★★★★
【魔法使い族】
自分または相手が魔法を発動する度に、
このカードに魔力カウンターを1個乗せる
(最大3個まで)。魔力カウンターが3個
乗っている状態のこのカードを生け贄に
捧げる事で、自分の手札・デッキ・墓地から
「ブラック・マジシャン」を1体特殊召喚する。
攻1900  守1700

「…わかってる…! ボクは、デッキからカードを二枚ドローするよ!」
 デッキから手札を補充する遊戯。
「…さらに! リバースカードを一枚セットして、ターンエンド!」
「…ワシのターンじゃな…、ドロー!」

 ドローカード:キングス・ナイト

(…『キングス・ナイト』の攻撃力は1600…! このカードなら、遊戯の場の壁モンスターを破壊できるわい!)
 迷うことなく、それを盤に出す双六。
「ワシはキングス・ナイトを攻撃表示で召喚じゃ!」
 だがその瞬間、遊戯の右手が伏せカードに伸びる。
「トラップカード発動! 『連鎖破壊(チェーン・ディストラクション)』!!」
「! ム…!」
「このカードの効果により、場に召喚された攻撃力2000以下のモンスターは破壊されるよ!」
 キングス・ナイトが破壊され、鎖が双六のデッキを貫く。
 もっとも、“彼”のデッキにキングス・ナイトは一枚しか入っていないので、デッキのカードが破壊されることはない。
「…やるのう、遊戯…。ターン終了じゃ」
 軽く、安堵のため息を吐くと、遊戯は再びデッキのカードを引く。
「…ボクのターン! ドロー! リバースカードを一枚セットし、ターン終了だよ!」
「ワシのターン…、ドロー!」

 ドローカード:罠はずし

「…ワシもカードを一枚伏せ、ターンエンドじゃ」
「ボクのターン! ……リバースをさらに一枚セット! ターンエンド!」
 これで、遊戯の場のリバースカードは二枚である。
「…ワシのターン! ドロー!」

 ドローカード:強欲な壺

「ワシは手札から、『強欲な壺』を発動! 手札を二枚、補充するぞい!」
 双六はデッキに手を伸ばすと、上から二枚、カードを引く。

 ドローカード:造反劇,マジシャンズ・ヴァルキリア

(! このカードは…!)
 双六の瞳孔がわずかに開く。
 『造反劇』は、相手のモンスターに、相手プレイヤーを攻撃させることのできる超強力カード。この状況で発動に成功すれば、わずかなライフしかない遊戯は敗北必至である。
 さらに、『マジシャンズ・ヴァルキリア』は攻撃力1600のモンスターカード。これを召還し、『エルフの剣士』を破壊することも可能だ。

マジシャンズ・ヴァルキリア  /光
★★★★
【魔法使い族】
このカードがフィールド上に表側表示で
存在する限り、相手は他の表側表示の
魔法使い族モンスターを攻撃対象に選択できない。
攻1600  守1800

「…『強欲な壺』の発動により、魔力カウンターが3つ揃った…! ワシはこの瞬間、熟練の黒魔術師の特殊能力を発動! 自身を生け贄に捧げることで、デッキから『ブラック・マジシャン』を特殊召喚するぞい!!」
 十分な魔力を蓄えた魔術師が消え、代わりに、最上級魔術師が姿を現す。
「……!」
 ブラック・マジシャンの攻撃力は2500。これで、双六の場のモンスターの総攻撃力は更に上がったことになる。
(……スーパーエキスパートルールでは、一度に手札から使用できる魔法カードは一枚のみ。よって、『造反劇』は次ターンまで発動できん。じゃが…!)
「…さらにワシは、『マジシャンズ・ヴァルキリア』を攻撃表示で召喚!」
「!」
 双六の場に、再び攻撃力1600の魔術師の少女が召喚される。
 その容姿は『ブラック・マジシャン・ガール』に酷似している。だが、ガールが闇属性なのに対し、ヴァルキリアは光属性である。その辺の所の裏設定はどうなっているのか、非常に気になるところである。
 今回は、『連鎖破壊』が発動されることもなく、すんなりと召喚が許される。
(……今のワシの場には『罠はずし』が伏せてある。罠カードを使ってきても、カウンターマジックで無効化できるはず…!)
「ワシのバトルフェイズ…! マジシャンズ・ヴァルキリアの攻撃!」
 ヴァルキリアは颯爽と杖を構えると、エルフの剣士めがけ、金色の魔力を放出する。
「――く…、リバースマジック、発動!!」
 すかさず、遊戯が伏せカードを表にする。
 しかし、遊戯のフィールドには、見たところ何の変化の様子もない。
 妨害されることなく、ヴァルキリアの攻撃が命中するかと思われた刹那――

 ――バシィィッ!!

「!? 何と!?」
 双六が驚きの声を挙げる。
 放たれた光は、エルフの剣士に命中する直前で弾かれ、あさっての方向へはね返されてしまったのだ。
 まるで、エルフの剣士の眼前に“見えない壁”が出来たかのように。
「…そうか…! 『魔封壁』か!!」
 遊戯の場には、双六の言葉通り、『魔封壁』のカードが表にされていた。
「……魔封壁は発動ターン、ボクの場のモンスターをあらゆる魔法攻撃から護る…! このターン、『マジシャンズ・ヴァルキリア』の魔法攻撃は通用しないよ!!」
 その効果を、声高に宣言する遊戯。
(……やりおるわい…! じゃが、ワシにはまだ『造反劇』が残されとる。加えて、圧倒的なこの状況……形勢は変わらんぞい!)
「…ワシはこれで、ターンエンドじゃ!」
 そして、双六のエンド宣言とともに、エルフの剣士を護っていた“見えない壁”は消え失せた。
「――ボクのターン!!」
 次第に悪化していく状況の中、勇ましい叫びとともに、遊戯はフィールドの状況を正視する。
 守備モンスター一体の遊戯の場に対し、双六の場には強力な魔術師が三体。
(…魔封壁は一時的な防御カードでしかない…! じーちゃんの場にマジシャンズ・ヴァルキリアは残ったままだ。ヴァルキリアを倒せなければ、次のターンで押し切られてしまう!)
 デッキの一番上に眠るカードに指を掛け、一呼吸置く。
(……このカードに――賭ける!!)
 そして遊戯は、勢いよくカードを抜き放った。
「ドロー!!」

 ドローカード:死者蘇生

 遊戯のLP:500
     場:翻弄するエルフの剣士,伏せカード1枚
    手札:2枚
 双六のLP:1500
     場:ブラック・マジシャン,THE トリッキー,
       マジシャンズ・ヴァルキリア ,マジシャンズ・クロス,
       伏せカード1枚
    手札:4枚



第十五章・別れの顔

(……『死者蘇生』……!)
 ドローカードを見た瞬間、遊戯はわずかに動揺した。
 死者蘇生は、敵・味方を問わず墓地に眠るモンスター一体を場に喚び出すことのできる、極めて強力な魔法カードである。このカードを使えば、この危機的状況を回避できる可能性は高い。
(……死者蘇生…か……)
 思わず、複雑な表情を浮かべてしまう。
 このカードは“闘いの儀”において、“彼”への最後のメッセージに使用したカード。
 『封印の黄金櫃(おうごんひつ)』に封印することで、“彼”に、現世にとどまってはならないことを伝えたカード――
 胸の辺りに、鈍い痛みを覚える。

 ――もしあのとき、このカードを封印していなかったなら――

 遊戯は、首を横に振った。
(……何を考えてるんだ、ボクは……!)

 ――こんなことじゃ、いけないんだ
 “彼”は、もういないのだから
 過ぎ去った日を想っても、何も得られはしない
 大切なのは現在を、未来を考えることのはず――

 気を持ち直すと、遊戯はゲームに意識を戻す。
(……いま、墓地に眠るモンスターで最も攻撃力が高いのは、ボクの墓地の『ギルファー・デーモン』……)
 その攻撃力は、2200。このモンスターを蘇生すれば、ヴァルキリアを倒し、エルフの剣士を護ることは可能だ。しかし、次のターンには、せっかく蘇生したギルファー・デーモンもブラック・マジシャンに倒されてしまい、状況は好転しないままだろう。さらに、次のターンで双六が攻撃力1900未満のモンスターを引かない保証もない。
(……まてよ……?!)
 遊戯は自分の場と手札、そして双六の場とライフポイントを注意深く見つめた。
(…! そうか!!)
 自分のとるべき最善の手に気付き、遊戯は自分の伏せカードに手を伸ばす。
「――リバースカードオープン! 『ソウル・テイカー』!」
「! 何…!」
「このカードの効果により…、じーちゃんのライフを1000回復させることで、ボクはじーちゃんのモンスターを生け贄にすることができる! ブラック・マジシャンを生け贄にさせてもらうよ!」
 ブラック・マジシャンは双六の場を離れ、遊戯の場に移る。
 それと同時に、双六の決闘盤のライフ表示のカウンターが動いた。

 双六のLP:1500→2500

(…なるほど…、生け贄としてブラック・マジシャンを墓地に送り、上級モンスターを召喚する…。ブラック・マジシャンが消えれば、ワシの場のモンスターの最大攻撃力は2000。形勢を逆転できるというわけか…!)
 遊戯の場に移ったブラック・マジシャンを見やりつつ、顔をしかめる双六。
「…いくよ…! ボクは、場のモンスター二体を生け贄に――『破壊竜ガンドラ』召喚!!」
「!! ガンドラじゃと!?」

 ――ズドドドドドドドド!!!

 遊戯の場のモンスターが消え、轟音とともに、遊戯の場に漆黒のドラゴンが姿を現す。
 他のモンスターを寄せ付けない、果てしなく巨大なモンスター。
 その威圧感に、たまらず、双六は一歩後退した。
 邪悪さを思わせる、おどろおどろしい風体。ガンドラはその鋭い眼光で、双六と、その場の二体のマジシャンを睥睨(へいげい)する。
 だが、このモンスターは攻撃力・守備力を持たない。闘うためではなく、破壊するために生まれたモンスターなのだ。
「…ガンドラには特殊能力がある…! ボクのライフポイントの半分を糧に、フィールド上のモンスター全てを破壊し尽くすことができる!!」
 ガンドラは全身に渾身の力を込めると、体中から、緊急時を思わせる、赤く不気味な光を発し始めた。
「――破壊竜ガンドラの、特殊魔法攻撃!!」
 遊戯の宣言とともに、ガンドラの全身の光が、一気に解放される。

 遊戯のLP:500→250

「デストロイ・ギガ・レイズ!!!」

 ――ズガガガガガガガァァッ!!!!

 ガンドラの破壊の光は、場に存在するモンスターの数、敵・味方のフィールドを問わず、全てに対して降り注ぐ。
「…くおっ…!!」
 双六の場に存在するマジシャン二体の身体は、その光により、塵一つ残さず砕け散る。

「――っ…!」
 そのあまりの眩しさに、遊戯の目もくらむ。
 遊戯はその光の中で――あるはずのない、幻覚を見た。


●     ●     ●     ●     ●     ●     ●

(……え?)
 遊戯は、目の前の光景に目を疑った。
 見覚えのある光景。
 ふと足もとを見ると――そこには、見覚えのある石盤。
 そしてそれには、6つの千年アイテムと、千年パズルが収められていた。
(……ここは…“冥界の神殿”……!?)
 ――“彼”と別れた場所。
 “彼”が冥界へ旅立つのとともに、崩壊したはずの場所。
(――まさか!?)
 ハッとして、顔を上げる。
 視線の先には、開かれ、光を発する“冥界の扉”と――、そして、それに向かって歩を進める“彼”がいた。

 ――これは…夢?

 目の前の状況に、遊戯は動揺を隠せない。
 忠実に再現されたその光景は、あたかもタイムスリップしてしまったかのようだった。

 ――言わなくちゃ

 これが夢か幻か、それとも現実なのかは判らない。
 それでも自分には、言わなければならないことばがある。

 ――今度こそ、ちゃんと別れられるように

 ――“彼”の魂が、永遠に安らげるように

「……っ……」
 懸命に、口を開く。
 だがしかし、言わねばならぬはずのことばは出てこない。

 ――“さよなら”を言わなければならない

 その使命感のもと、懸命に声を出そうとする。
 だがしかし、開かれた口からは、どうしてもことばが出てこない。
(……どうして……!?)
 涙で、視界がぼやける。
 “彼”の背は、遠ざかっていく。
 このままでは、何も言えずに終わってしまう――

 ――だがそのとき、“彼”が不意に歩みを止めた。
 しばらく立ち止まると――“彼”は、こちらに振り返って見せた。

「………!!」
 ぼやけたはずの視界が、不思議と整っていく。

 ――“彼”は、笑みを浮かべていた。
 どこか誇らしげに――そして、嬉しげな笑みを浮かべていた。

 それを見た瞬間、遊戯は、頭が真っ白になる。
 不思議な感覚だった。
 口から、自然とことばが漏れる。

「……ありがとう」

 だが、口をついて出たのは、想定したものとは別のことば――

 ――今まで、一緒にいてくれてありがとう
 幸せな記憶を…ありがとう――

 視界が、再びぼやけていく。
 定かでない視界の中、“彼”の背は、光の扉の向こうへと消えていった――

●     ●     ●     ●     ●     ●     ●

「………!!」
 気が付くと光は消え、目の前には苦々しげな表情の双六がいた。
「…くぅ…、これでモンスターは全滅…! 派手にやってくれるわい」
 ガンドラの攻撃により、ガンドラ自身を含め、フィールドからは全てのモンスターが姿を消していた。
(……まぼろし…か……)
 ――けれど、光の中の“彼”は――“もうひとりのボク”は、確かに笑みを浮かべていた。
 それを思い出すと、遊戯の表情も、自然と穏やかにほころんだ。

「…じゃが…、『ガンドラ』と『ソウル・テイカー』により、かなりのライフポイント差がついたのう。ワシのライフ2500に対し、遊戯はわずか250。お互いモンスターがいない今…、ワシの優勢は変わらんぞい!」
「……ううん」
 遊戯は、静かに首を振った。
「――ボクの……勝ちだよ」
「…!?」
 笑顔で宣言する遊戯。
 双六の場にはまだ、伏せカードが残されている。
 しかし、彼の幻を見た遊戯には、自らの勝利が確信できていた。
「…ボクは手札から、魔法カードを発動…! 『死者蘇生』!」
「!! なっ…!」
「…このカードの効果により、墓地に眠る最上級魔術師の魂をフィールドに呼び戻すよ!」
 双六はハッと、自らの墓地に目を移す。
 いま、双六のライフは2500ポイント。そして、ちょうどその数値と同じ攻撃力を持つモンスターが自分の墓地には存在している。
「蘇れ…! 『ブラック・マジシャン』!」
 遊戯のフィールドに、黒い衣に身を包んだ魔術師が姿を現す。
 双六は慌てて、自分の場のカードに目をやった。
(……ワシの場の伏せカードは『罠はずし』のみ…。相手モンスターの攻撃を止めるすべはない…)
 自らの敗北を確信し、双六はそれでも穏やかな表情を浮かべる。
(……見事じゃ…遊戯…!)
「…いくよ…! ブラック・マジシャンの攻撃!!」
 遊戯の宣言とともに、黒魔術師は杖を構える。
「――黒・魔・導(ブラック・マジック)!!」

 ――ズガガガァッ!!

 双六の決闘盤のカウンターは、静かに0を表示した。

 双六のLP:2500→0

 遊戯のLP:250
     場:ブラック・マジシャン
    手札:0枚
 双六のLP:0
     場:マジシャンズ・クロス,(罠はずし)
    手札:(オシリスの天空竜,造反劇,トリッキーズ・マジック4,融合)



第十六章・きみが痛みとよぶもの

「…大丈夫? じーちゃん…」
「アタタ…。全く、ちょっとは老人をいたわらんかい」
 駆け寄ってくる孫に、腰ではなく尻をさすりながら愚痴る双六。
 というのも、ブラック・マジシャンの直接攻撃を喰らったとき、双六は思わず尻餅をついてしまったのである。
「……しかし、あの劣勢から、一気に逆転勝利とはのう…さすがは我が孫じゃわい」
 何やら誇らしげな双六。
 遊戯が手を差し伸べると、それを掴み、双六は立ち上がった。
「……それで……ちゃんと、お別れはできたかいの?」
 尻を軽くはたきながら訊く。
「………!」
 双六のことばに、遊戯はふと、自身の心を省みた。
 少しの間を置いて、穏やかに応える。
「……ううん」
「…なぬ?」
 首を横に振る遊戯に、目をパチクリする双六。
「……でも…、いいんだ、これで」
「……!?」
 疑問顔を浮かべる双六に、迷いのない表情で応える遊戯。
 少し戸惑いを覚えるが、その表情から、双六は安堵のため息を吐く。
「…ま、お前がそう言うなら、それでいいんじゃろ」
 答えは、決して一通りである必要はない。
「……ホレ。約束じゃ、もうひとりのお前のデッキ…返すぞい」
 盤から外し、双六はデッキを差し出した。
「ウン、ありがと」
 受け取ると、遊戯は感慨深げにそれを見つめる。

「……使ってあげたらどうじゃ? 彼のデッキのカードも」
「……!」
 このデッキには、『ブラック・マジシャン』を始め、数多くの強力カードが投入されている。それらを使い、二つのデッキを合わせれば、さらに強力なデッキが作れるはずだ。
 今まで彼のデッキは、決して崩すことなく、使うことなく、そのまま保管していた。

 ――それは、もうひとりの自分のことを忘れたくないという気持ちの表れだったのか
 ――それとも、もうひとりの自分との別れを思い出したくないという気持ちの表れだったのか

 けれどもう、そんなことにこだわる必要は無い。
 思い出に、囚われるつもりはない。
「……ウン! ――ありがとう! じーちゃん!!」
 そう言うと、遊戯はさっそく駆け出し、自分の部屋に向かう。
 二つのデッキのカードを使い、新たなデッキを作るためだ。

「…ホッホッ。元気じゃのう」
 その後姿を見ながら、満足げに笑う双六。

「……つーか、忘れ去られてんのな、オレ……」
 ……そんな中で一人、がっくりとうなだれる城之内。
「……ム? まだおったのか、城之内?」
「…………」
 思わず惨めな気分になる城之内。
 …途中から展開(もとい作者)に忘れられてたからな…;

「……ま、いいけどさ。遊戯が元気になったってんならそれで」
 顔を上げると、城之内はため息をひとつ吐いた。
 もうひとりの遊戯と別れて以来、遊戯の様子が少しおかしいというのは、城之内も何となく感じていた。
 自分ひとり放っておかれるだけで遊戯が立ち直れるなら、安いものだ。

「……遊戯は、初めてじゃったからの……」
 ふと、双六は呟いた。
 ――大切な人を失うのは
 ――慣れることのできる痛みではない……けれど最初はやはり、特に辛いものだ

「……さてと…。大方、カードの特訓をしに来たんじゃろ、城之内? 何なら遊戯の代わりに、久々にワシが見てやるわい」
「…おっ…、ホントか、じーさん?」
 城之内は、嬉々とした声を上げる。
「……ホッホッ…、一通り見てやった後は、我が最強デッキ――“萌え萌えピケルちゃんデッキ”をお披露目してやるぞい」
「…も…“萌え”…?!」
 ……この後、城之内は地獄を見ることになる……(何



「……さて、と……」
 自室に戻った遊戯は早速、二つのデッキを机に置いた。
 そしてまず、“もうひとりの自分”のデッキに手をつける。
 デッキのカードを表にし、一枚一枚カードを吟味して新しいデッキに使いたい候補を抜いていく。

「………!」
 その途中、ふと手を止める。
 “彼”の使ったカードを見て、固まってしまう。
 “彼”のデッキを崩すのは、やはりまだ抵抗があった。

 ――胸に、手を当てる。
 心はまだ痛みを――“彼”を失った痛みを、依然として訴えていた。

(……大丈夫……!)
 目を閉じて、思う。

 ――この痛みは、“もうひとりのボク”が存在した証
 “もうひとりのボク”が、大切な存在であった証

 だから、否定する必要は無い
 彼の残した思い出を、捨て去る必要も無い
 今は…この痛みとともに、生きてゆけばいい――

「……だから……、ボクはもう、大丈夫だから……」
 意味もなく天井を見つめ――、遊戯は、心から穏やかに呟いた。

「だから――さようなら」

 ――さようなら、もうひとりのボク――



終章・暗闇の記憶

 ――海馬コーポレーション・ニューヨーク支部にて――

 社内の廊下を、意気揚々と闊歩(かっぽ)する男がいた。

 ――彼の姓は“磯野”。
 名前はまだない……ことはなかろうが、少なくとも公式設定にはない(ぇー

 ……まあ、中には姓すら存在しないキャラもいたので、その点では救われた人物である(ぁ

 彼は上機嫌で社長室へ向かっていた。
 ――というのも、今朝の会議で、重要な役目を任されたからである。

 その名も――“第二回バトル・シティ大会運営委員長”。

 今年度末に予定された、海馬コーポレーションの一大イベントの最高責任者である。
 どうやら、第一回大会における審判としての厳正な態度が、社長に高評価をいただけたらしい。
 ――“バトル・シティ大会”といえば、社長が最も力を注いでいる、M&Wによる、日本で最も大規模な大会。
 その最高責任者などという大役を任されるのは、信用されている証である。
 しかも、今日の会議で社長が定めた規定以外は、基本的に、全て社長抜きで取り決め、手配することになっているのだ。というのも、社長は一選手として大会に出るため、“不公平がないように”というご自身の配慮である。
 ――と、いうことは、大会運営において最も大きな力を握るのは、紛れもなく自分だということである。
 運営資金として、かなりの予算も配分されている。

(……今大会で大成功を収めれば、社長の中の私の株は更に上がる…!)
 磯野は、右拳を握り締めた。
 責任あるポストだが、同時にやりがいがある。
 そして何より、出世への近道となる。
 日本にいる家族の喜んでくれる顔が、目に浮かぶようだった。


 秘書室で社長がいることを確認してから、社長室のドアをノックする。

 ――コンコン

「……瀬人様、少々よろしいでしょうか?」
 ……だが、返事がない。

 ――コンコン

「…瀬人様?」
 首を傾げつつ、もういちどノックする

 ――コンコン!

「瀬人様? どうかなさいましたか!?」
 強く叩くが、返事がない。
 秘書室で確認を取っているので、間違いなくいるはずだ。
(――まさか――!?)
 嫌な予感のした磯野は、衝動的にドアノブに手を掛けた。

 ――ガチャッ!!

「――瀬人様っ!!」
「……ん?」
 手にした紙から顔を上げる海馬。
 社長である海馬は平然と、デスク前の社長椅子に身を沈めていた。
「……どうした、磯野? 何か緊急事態か?」
「あ…、い、いえ」
 至って落ち着いた様子の海馬に、胸を撫で下ろす磯野。だが、
「――ほう…。ならば貴様、緊急を要するわけでもなく、無断でこの社長室へ入ったのか?」
 低いトーンの声とともに、ギラリと、鋭い怒りの眼光を向ける海馬。
「――いっ! いえぇっっ!! ノ、ノックはいたしましたぁぁっ!!;」
 必要以上に恐怖しながら、大慌てで弁解する磯野。
 …海馬コーポレーションの社員教育の徹底性がうかがえる場面である…。

「……そうか。どうやら別のことを考えていて聞き逃したようだな」
 謝罪する気など微塵もない社長だが、とりあえず再び胸を撫で下ろす磯野。
「……そ…それで、“第二回バトル・シティ大会”、決勝トーナメント会場候補の件なのですが……」
「…………」
「……あ…あの、瀬人様?;」
 海馬は、心ここにあらずな様子で、再び手元の紙に目を戻していた。
「……ん? ああ、何だ?」
「あ、いえ。例の大会の件なのですが……;」
「…フン。貴様に全て任せると言ったはずだ。常識の範疇内で好きにしろ。予算が足りんなら多少のオーバーは容認してやる」
 興味ない、といった様子で、海馬は再び視線を落とす。
(…何かあったのか…?)
 らしくない社長の様子に、怪訝な顔をする磯野。
 M&Wは間違いなく、現在、会社が最も力を注いでいるゲーム分野である。確かに、全権は任せたとはいえ、バトル・シティは海馬にとっても、非常に関心の高いイベントのはずだ。万一、大会運営で大失態を犯そうものなら、会社の経営も傾きかねない。
「……あの…、どうかなさいましたか、社長?」
 思わず訊いてみてしまう磯野。
「……ン?」
 海馬が、不機嫌そうな目をしてみせる。
「――いっ! いえぇっっ!! 出すぎた発言、大変失礼いたしましたぁぁっ!!」
 死ぬほど慌てて、頭を可能な限り下げる磯野。
「……フン…。例の事件のことだ」
「……は?」
 海馬のため息混じりの返答に、頭を上げる磯野。
「例の……といいますと、FBIの人間が、我が社の決闘盤に根も葉もない嫌疑をかけた…?」
「……ああ」
 不快げに、吐き捨てるように海馬は応える。
「……まさか…、第六の犠牲者が!?」
「いや」
 釈然としない、といった様子で、簡潔に答える。
「……五番目の犠牲者の町で、二十一歳男性の自殺者が出たらしい。その遺書に書いてあったそうだ…“自分がその事件の犯人だ”とな。昼頃、FBIの連中が報告に来た」
「…! では…、我が社にかけられた嫌疑は……」
「…フン…。晴れたわけではない。被害者を意識不明に陥れた方法について、遺書には記されていなかったからな。犠牲者の意識は戻らぬまま…。加えて、自殺した青年は、趣味ていどにM&Wを嗜(たしな)んでおり、所持品に決闘盤があったそうだ。奴らは依然として、ソリッド・ビジョンによる事故の可能性を考慮に入れている」
「……そうですか……」
 磯野は、不満げに呟く。
 もし決闘盤に問題があると見なされた場合、決闘盤を用いて行なう大会であるバトル・シティ運営に支障をきたす恐れがある。
「…案ずるな。そちらはそちらで対処する。貴様はただ、バトル・シティ大会成功に向け尽力すれば良い」
「…あ…、はっ!」
 深く礼をすると、磯野は社長室を出るべくドアへ向かう。
「……磯野」
「…! は?」
 ノブを握ったところで、海馬に呼び止められる。
「……貴様には少なからず期待している…。オレの期待を裏切るなよ」
「……!! はっ、はい!! ありがとうございます!!」
 もう一度、メリハリのある礼をすると、磯野は社長室を後にした。


「……クク…。単純な男だ」
 嘲り気味に呟くと、再び机上の紙面に目を戻す。
 ――それは、FBIから半ば強引に頂戴した、自殺者の遺書のコピーである。
 典型的な犯罪者の遺書など存じないが、出だしは家族へのメッセージという、ありがちそうなものだった。全体的に、自分の犯した罪に対する深い罪悪感が読み取れる。
 だが途中、気になる文があった。
 その内容が、どうにも気になって仕方がないのだ。


 ――私は、許されざる罪を犯してしまった。他者の生命を救うため、別の他者を犠牲にする。そんな行為を、神が許すはずはない。あの男は、自身を“神”と称していた。確かに、彼は彼女を救った。だがしかし、生け贄を要する神など、果たして神と呼べるのだろうか? あの男は私の心の闇につけ込み、決して拭えぬ罪悪を塗りつけた。そうだ…あの男は神などではない。神の名を騙る、残虐な悪魔だ。――


「……“神の名を騙る悪魔”……」
 海馬は、眉間にしわを寄せる。
 意味不明なこの文章の中で、どうしても気がかりなこのフレーズ。
 昨日、遊戯に話した“神という名の悪魔のカード”――それが海馬の頭をよぎる。
 あれは所詮ウワサであり、関連する可能性は低い。
 さらに、遺書中ではそれを“あの男”や“彼”と称している。カードというよりはむしろ、意志を持った人間を示しているように思える。

 さらに、自殺した青年の遺書には、第五の犠牲者に対する罪についてしか書かれていなかった。
 ――第一から第四の犠牲者を意識不明にしたのも、果たして、この青年の仕業なのだろうか?
 もし仮に、他者をそそのかし、決闘者を意識不明に陥らせる方法を教える第三者――“神の名を騙る悪魔”なる人物が存在するならば、事件は継続する恐れもある。

 また、この青年は決闘者として、あまり知られた人物ではなかったらしい。
 実際に調べてみると、地元のカード大会などに出ても一、二回戦負けで、大したレベルの決闘者ではない。
 ――もし、“闇のゲーム”とやらを行ったのだとしたら、手練の決闘者が、この程度の人物に敗北するとは考えにくい。

 結局は、ほとんど謎に包まれたままなのだ。


「……チッ……!」
 そんな中、海馬はどうしても“神という名の悪魔”というフレーズが頭を離れなかった。
 おかげで今日は、仕事が全く手につかないのだ。

 気を静めるべく、デスクの引き出しからデッキを取り出す。
 青眼(ブルーアイズ)三枚を投入した、第二回バトル・シティに向けて調整中のデッキである。
 それを適当にシャッフルしながら、海馬はもういちど呟いた。
「……“神という名の悪魔”…か……」

 ――ドクン!

「――っ!?」
 不意に、頭に激痛が走る。それは前大会において、一回戦第四試合――イシズ戦の終盤で覚えたものとよく似ていた。
 たまらず海馬は姿勢を崩し、椅子ごと倒れかけ、床に膝をつく。
(……これは……一体……!?)
 頭を抑え、悶える。
 ――それは、閉ざされた記憶。
 ――この世界に生まれる前より有していた――先天の記憶。

 しばらくすると、頭痛はやんだ。
 動揺しつつ、ばら撒いてしまったカードに手を伸ばす。
 ふと、裏返しのそれを表にすると――それは、あの時の痛みのキッカケともいえるカード、“青眼の白龍(ブルーアイズ・ホワイトドラゴン)”であった。

「……お前は…知っているのか? ブルーアイズ……」

 ――この痛みの理由を
 胸を刺す、あのときとはまた別の悲しみの所以(ゆえん)を――

 だが、カードの中の白き龍が、その問いに応えることはなかった。



 中編に続く...






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