「あ、あの、鷹野さん。別にそこまでしなくてもいいよ、うん。君の気持ちは分かっ――」
僕が言い終えるよりも先に鷹野さんは、地面であぐらをかいている僕の左横に両膝をつき、僕の左肩にそっと手を置いた。
とても優しい感覚だった。体中が優しい感覚に支配され、僕は何も言うことができなくなった。
その姿勢のまま、鷹野さんは僕の耳元にゆっくりと顔を近づけた。
そして彼女は、僕の耳元で優しく、囁くように言った。
「私、あなたのこと好きよ。……―――――」
鷹野さんは言葉を続ける。
僕の耳元で、彼女の声が甘く響く。
「あなたのこと、愛してるわ。……――――――――」
それはとても甘美な声だった。
僕の脳内が、不可思議な感覚に支配される。
「私にはもう、あなたしかいないの。……――――――――」
踊るように、歌うように。
彼女は僕に向かって声を奏でる。
「パラコン。大好きよ。……―――――――――――――」
プロジェクトOD 〜1ヶ月遅れの決戦〜
製作者:あっぷるぱいさん
この作品は、プロジェクトシリーズ13作目です。
この作品を読む前に、以下の作品を読んでおくと、より楽しむことができます。
○プロジェクトシリーズ1作目(プロジェクトVD)〜5作目(ぷろじぇくとSV) ※必須
○プロジェクトシリーズ6作目(プロジェクトBF)〜12作目(プロジェクトSP) ※推奨
なお、本作にはデュエルシーンが存在しません。あらかじめご了承ください。
モニター前の皆さん、お久しぶりです。
僕のことを覚えているだろうか?
そう。僕は、プロジェクトシリーズの主人公を務める男。名前は……公式的にはない。
とりあえず、このシリーズでは、「パラコン」とか「パラコンボーイ」などと呼ばれているけどね。
…………。
今、一部の読者から、「え? お前、前作で主人公の座をはく奪されてなかったっけ?」と言いたげな視線を感じたが、スルーしておこう。
そんな細かいことをいちいち気にするプロジェクトシリーズではない。
何があろうと、このシリーズの主人公は僕だ! 僕以外にはありえない!
路線変更
(魔法カード)
話の設定を都合のいい形に変更する。
念のための言っておくと、僕はこの小説オリジナルのキャラクター、というわけではない。
僕の初登場は原作コミックス19巻。つまり、僕は原作出身のキャラクターなのだ。
忘れている人もいるかもしれないので、一応、ここで改めて言っておこう。
★
時の流れというのは早いものだ。ついこの間今年が始まったかと思えば、すでに2ヶ月以上が経過。カレンダーの日付は3月14日を指してしまっている。
梅の木が花を咲かせているのを見て、少しずつ春が近づいていることを感じつつ、僕は今日も学校に向かって歩いていた。
さて、前述したとおり、今日の日付は3月14日だ。
3月14日――この日が何の日であるかご存じだろうか?
……ホワイトデー?
うん。その答えは間違っていない。
3月14日はホワイトデー――国にもよるが、そのように認識している人は多いはずだ。
現に僕もそのように認識していた。以前までは……。
率直に言おう。
実は、今日はホワイトデーではない!
何を言っているのか分からないって? うん、そうだよね。僕だって、最初はまるで意味が分からなかったんだから。
この後の回想シーンを読んでほしい。全ては今年の1月に始まったのだ。
★
1月中旬。
僕は自分の部屋のテレビでアニメ「魔法少女トリシューラ」を見ていた。
アニメの中では、それはそれは可愛らしい魔法少女「トリシューラ」が今まさに、宿敵であり実の父親でもある悪の帝王「ジャアクーマン」との戦いに挑もうとしていた。
さあ、盛り上がってきた! 僕は握り拳を作り、テレビ画面を凝視して、心の中で「トリシューラ頑張れ!」と叫び続けた!
だがその時、悲劇は起こった!
「番組の途中ですが、ここで緊急報道特番をお送りします」
突然画面が切り替わり、トリシューラやジャアクーマンの姿が消滅した。
代わりに出現したのは、スーツをキッチリ着こなした、20代後半と思われる男性。
なんだこいつは――と思って落ち着いて見てみると、ニュースキャスターのようだった。
えぇっ!? このタイミングでニュース!? 盛り上がってきたこのタイミングで!?
「たった今、山本総理による緊急会見が始まりました。ご覧ください」
ニュースキャスターが言うと、画面が切り替わり、彫りの深い顔立ちをした長身の男が映し出された。僕らの国の総理大臣・山本山太だ。
チキショオ! 何もこのタイミングで会見開かなくてもよくない!? おかげでアニメが中断しちゃったじゃねえか! ふざけんじゃねえよ!
頭にきた僕は、近くに置いてあったゲーム機のコントローラーをテレビ画面に向かって投げつけ……ようと思ったが、こないだテレビを新品のやつ(地デジ対応)に変えたばっかりだったので思いとどまった。
お、落ち着け僕。きっとアニメのほうは後で改めて放映してくれるはずだ。今は山本総理の会見に耳を傾けよう。緊急で開くくらいだからきっと重要なことを言うに違いない。ちゃんと聞いておいたほうがいいだろう。
僕はテレビに目を向けた。山本総理の会見が始まる。
「え〜、いきなり会見開いちゃって悪いね。特に今、テレビでアニメとか見ていた諸君、ざまあ見……じゃなくてマジごめん」
山本総理、今ざまあ見ろって言いかけたよな? ……まあ、スルーしておこう。
「さて、本題に入るとしましょうかね。え〜と、結論から言うとね、今年のバレンタインデーのことなんだけど――」
バレンタインデー? 毎年2月14日に行われるという、あのどうでもいいイベントのことか。総理大臣がバレンタインデーについて会見って……どういうことだろう?
意外な会見内容に目をぱちくりさせる僕。山本総理の会見は続いた。
「――例年であれば2月14日であるバレンタインデーね、今年は3月14日に行うことにしたから。つまり、バレンタインデーを1ヶ月延期するわけよ。これ、決定事項ね」
…………。
…………。
…………は?
「これはさっき、国会で決めたことだから。今さら変えることは不可能だから。そのつもりでお願いね。ちなみに、バレンタインデーを1ヶ月先延ばしにしたことに伴い、ホワイトデーも1ヶ月先延ばしにして4月14日に行うことにしたから。――以上で俺の会見フェイズは終了ね。じゃ、質問フェイズに行こうか」
会見が終了した。
え……えーと……。
山本総理の言いたかったこと(というか国会で決まったこと)は、バレンタインデーを1ヶ月先延ばしにするということ。それに伴い、ホワイトデーも1ヶ月先延ばしにするということ。それだけだ。重要なような、そうでもないような会見内容だった。
しかし、なんでまたバレンタインデー&ホワイトデーを1ヶ月先延ばしにしようと考えたんだろうか? 何か目的があるのだろうか?
記者も気になったようで、さっそく山本総理に質問をしている。
「総理。何故、バレンタインデーとホワイトデーの先延ばしを行うのでしょうか?」
記者のその質問に対し、山本総理はニヒルな笑みを浮かべると、端的に答えを返した。
「なんとなく、さ」
なんじゃそりゃあああああああああああああああああああああああああああああ!
★
回想シーン終了。
そういうわけで、首相のとんだ気まぐれにより、今年のバレンタインデーとホワイトデーは1ヶ月先延ばしになった(ちなみに、このルールを破ると罰金14万円か懲役1年4ヶ月)。
全くもって何の意味があるのか分からない先延ばし政策だが、とりあえず、僕らの世界における日本では、今年に限って、今日3月14日がバレンタインデー、来月14日がホワイトデーなのだ。
超・展・開
(魔法カード)
読者は3cmくらい動揺する。
ご都合主義
(魔法カード)
都合のいい展開でストーリーを進行させる。
そんなこんなで、今日はバレンタインデーだ。今年も(1ヶ月遅れだが)バレンタインデーがやってきたのである。
けど、僕にとっては、正直バレンタインデーなんてどうでもよかった。何故なら、どうせ僕は誰からもチョコレートをもらえないからだ。
去年までの僕であれば、チョコをもらうために色々と奮闘していたことだろう。けど、今年の僕はわけあって、奮闘する気になどなれなかった。僕のこの変化について詳しく知りたい人は、後でプロジェクトGY(プロジェクトシリーズ9作目)を読んでみてほしい。
とにかく、バレンタインデーなんて僕にとってはどうでもよいのである。興味などないのである。別にいいもん。チョコなんてもらえなくたっていいもん。
「キャ〜! 代々木様ぁ〜! わたしのチョコ受け取って〜!」
「代々木君! 私のチョコ、受け取ってください! 一生懸命作りました!」
「くたばれメス豚どもぉ! 祐二様は私のものだぁ!」
前方にて、見覚えのある男がたくさんの女子にチョコを受け取っている姿が見えた。
あの男は同じクラスの男子生徒。頭脳明晰かつ運動神経抜群かつ人望もあって女子にモテモテという完全無欠の忌まわしき男・代々木祐二だ。凛々しさと精悍さを併せ持った端正なお顔によって作られたイケメンスマイルが今日も輝いている。女子はそのスマイルを見てキャーキャー騒いでいる。
「代々木君! 私と結婚して! 必ず幸せにしてあげるから!」
「抜け駆けなんてずるいっ! 代々木君! あたしと結婚して! 絶対に素敵な家庭にしてみせるから!」
「代々木様! わたくしと結婚しないのなら、あなたを殺してわたくしも死にます!」
は……ははは……。
チョコだけじゃなく、愛の告白まで受け取るとは。相変わらず人気者だな代々木祐二。さすがだよ。さすがだ代々木。あれ? なんだろ? 何か僕の中にどす黒い感情(殺意的なもの)がふつふつと湧き出てくる。何かなこれは? はっはっは。
……これ以上この場所に留まっていると、何か法律を犯す危険性がありそうなので、僕はこの場から離れることにした。
チキショオ! 僕はチョコなんていらないもん! こんなイベント滅びてしまえ!
★
しばらく僕は早歩きをして、忌まわしきモテ男・代々木から距離を取った。
ふぅ。この辺まで来ればいいだろ。全く、僕にここまで気を使わせるとは、しょうのない奴だな代々木は。
「パラコン君、おっはよう!」
後ろから元気な声が聞こえた。
見ると、ショートヘアの少女が笑みを浮かべていた。その笑みはどこか自信に満ちていて、彼女自身の勝気な性格を表しているかのようだった。
「おはよう、真田さん」
僕は超さわやかな笑顔を浮かべ、同じクラスの女子生徒・真田杏奈さんに挨拶をした。
さて、例年であれば、ここで真田さんからチョコをもらうことを期待するところだが、当然のごとく、今日はなんにも期待していない。真田さんは確か代々木に惚れていたはずだ。つまり、彼女がチョコをあげるとしたら、僕ではなくて代々木。忌々しいが、それが現実というものだ。
「何かレアカードゲットした?」
真田さんが尋ねてきた。心なしか、彼女の目が輝いているような気がした。まるで、何かを期待しているかのような目つきだ。
カードあげるぜ!
(魔法カード)
相手が欲するカードを自分があげる事により、相手の自分に対する好感度が20ポイントアップする。
例年であれば、ここで↑のカードを発動し、真田さんにレアカードを渡しているところだ。
けど、そんなことをしたところでチョコはもらえない。そのことは、これまでの経験から明らかだ。だから僕は正直にこう答えた。
「う〜ん、レアカードか。特に手に入れてないなぁ」
「あ、そうなんだ。じゃあ、また後でね!」
僕の答えを聞くと、真田さんはとっとと学校へ向かって駆け出した。
ええっ! 何この反応!? 僕がレアカード持ってないと分かるや否やいきなり駆け出したよ真田さん! なんて露骨な反応なんだ! いや、ある程度は覚悟していたけど、まさかここまであからさまな反応されるとは思わなかったよ!
う……うわぁ、なんかものすごいシビアな現実を見せられた気がする! 結局、真田さんが興味あるのは僕じゃなくてレアカードってことなのか……。
…………。
ちょっと泣きたくなったけど、くじけずに僕は学校に向かって歩を進めるのだった。
いいもん! いいもん! チョコなんていらないもん!
現実とはシビアなり
(カウンター罠カード)
ま、現実ってこんなものだよね!
★
くじけずに歩き続けるうち、学校が近づいてきた。すると、前方にて、見覚えのある男がたくさんの女子にチョコを受け取っている姿が見えた。……またかよ。
けど、今ここでチョコをもらっている男は代々木ではない。男は僕と同じ部活に所属している(と言っても、1ヶ月前に入部したばかりなんだけど)一つ年下の後輩。名前は轟栗太。うっかり女子と間違えそうになるほどの可愛らしい顔つきをした、小柄な男子生徒だ。そのような容姿や彼本人の素直な性格もあって、女子(学年問わず)からは「カワイイー!」と言われてかなりの人気者となっている。
さすがは轟君。可愛らしいルックスで女子の心をわしづかみだな。まあ、彼は素直な奴だから、モテモテでもなんとなく許せる気がする。
「あ、パラコン先輩! おはようございます!」
轟君が僕に気付き、頭をぺこりと下げて挨拶をしてきた。彼は先輩にちゃんと挨拶ができる優秀な子だ。うむ、上出来上出来。
「おはよう轟君。いや〜、モテモテじゃないか。たくさんチョコをもらって」
僕が茶化すと、轟君は照れたように顔を真っ赤にして俯いてしまった。素直な奴だ。そういうところが憎めないんだよな。人気になるのもうなずける気がする。
「あ、そうだ。パラコン先輩。ちょっとお話があるんですけど、今いいですか?」
何かを思い出したように、轟君が顔を上げた。
僕に話? なんだろう? まあ、断る理由はないし、聞いてやるか。
「ん、いいよ」
「ありがとうございます!」
笑顔を浮かべ、轟君はまたもぺこりと頭を下げた。
★
轟君の話と言うのは、どうやら、あまり人に聞かれたくない類のものらしい。
僕と彼は場所を変え、学校の体育館裏に来ていた。
今の時間帯、ここに人はない。秘密の話をするにはもってこいの場所だろう。
「さて、話って何かな?」
「え〜と、実は……」
轟君は言葉を止め、持っていたカバンを開いた。その中には、彼が女子から受け取った大量のチョコが詰まっている。
う……うらやまし……っ! い、いや! 僕は別にチョコなんていらないからね! 別にうらやましいなんて思ってないんだから! バッカじゃないの!?
それはともかく、轟君はカバンの中を漁ると、箱を一つ取り出し、僕に見せてきた。
その箱は、淡いピンク色の紙でラッピングされている。どう見ても、チョコの入っていそうな箱だった。これも、轟君が女子からもらったチョコなのだろう。これがどうしたというのか。
「なかなかいい感じのチョコをもらったじゃん。これがどうかしたの?」
ちょっと茶化すように僕が尋ねると、轟君は少し緊張した面持ちで
「いえ、これはボクのチョコじゃないです」
と答えた。
あれ? このチョコは轟君のじゃないの? じゃあ……何なんだ?
「あの、先輩」
僕が疑問に思っていると、轟君はチョコの箱を僕に差し出してきた。
「これ、受け取ってください」
…………。
僕は、バレンタインデーという日がどういったものなのかをよく思い出してみた。
僕の記憶が正しければ、日本のバレンタインデーというのは、一般的に女性が好きな男性に対してチョコを渡す日だったはずだ。とはいえ例外もあって、近頃は女性が女性に対してチョコを渡す「友チョコ」や、男性が女性に対してチョコを渡す「逆チョコ」なんていうのもあるらしい。このことを考慮すると、男がチョコを渡す側になる、というのは別に変なことではない。
となると、だ。男性が男性に対してチョコを渡すというのは、果たしてどういった意味を持つのだろうか? 轟君は今、僕に対してチョコを渡してきたが、これはどういった意味を持つのか? 自然に考えれば友チョコという奴だが……。いや、そうとしか考えられないはず! つーかそれしかないだろ!
「これって……友チョコ?」
恐る恐る僕は訊ねた。
果たして、轟君の答えとは!?
「いえ、本命のチョコですよ」
…………。
★
愛らしい顔を紅潮させ、後輩――轟栗太が、思いを吐露する。
「パラコン先輩……ボク、先輩のことが好きです! 僕と付き合ってください!」
愛する後輩の告白。もちろん、僕の答えは決まっている。
僕は両手を広げながら、彼の告白に答えた。
「OK。君の気持ちはよく分かっているよ。さあ、僕の胸に飛び込んでおいで!」
「うわぁん! せんぱぁぁぁいいいいい!」
僕の胸に飛び込んでくる、愛する後輩。彼の小さな躰を、僕は両手で優しく包み込んだ。
こうして、僕らは熱く抱きしめ合うのであった―――。
そして、愛を確かめ合ウかのヨウニたガいのくちビルを――――――
★
小説を投稿するには、以下の注意事項に賛同する必要があります。
まずは、以下を読んでOKの場合だけ、先に進んでください。
(中略)
・遊戯王の世界観を著しく逸脱しているものは掲載できません。
当HPではボーイズラブ系作品の掲載基準が厳しめとなっています。
(中略)
遊☆戯☆王カード 原作HP コンテンツ募集要項「遊戯王に関する小説」について より引用
アッーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
まずい! このネタはさすがにまずい! こ……これは、投稿規約的な意味でまずいよ! このまま行くと掲載拒否されるぞこれ! 作者め、とうとう血迷ったか!?
もろもろの事情で、このままではこの小説が掲載されなくなる可能性がある。ていうか、それ以前に僕には男と付き合う趣味などない。なんとしても防がなくては!
「ごめん、轟君」
「え?」
轟君には悪いが、僕が彼の気持ちに答えることはできない。こういう時は曖昧に返したりしないで、正直にきっぱり断るほうがいい。
「僕にはその……そういう趣味はないんだ。だから、君の気持ちに答えることはできない。ごめん」
「せ、先輩?」
僕は轟君に背を向け、遠くのほうに目を向けた。
あぁ、目に見なくても、轟君が悲しそうな表情を浮かべているのが分かる。あの可愛らしい表情は今、深い悲しみで押しつぶされていることだろう。そう思うと、途端に罪悪感を覚えた。
けど、だからと言って、彼の気持ちを受け入れることはできない。僕にそんな趣味はないし、そもそもそういう展開は原作HPの投稿規約的にアウトだ。
悪いが轟君。現実を受け止めてくれ。そして、この痛みを糧にもっと高みへと上って行ってくれ。それが今の、僕の願いだ。
「……す、すみません先輩」
轟君が謝る声が聞こえた。その声はひどく、寂しげに、悲しげに響いた。
むぅ……轟君がかわいそうになってきた。ここはフォローしてあげたほうがいいな。
「謝ることなんてないよ轟君。君は間違ってなんかいない」
ここで思い詰めさせるとよくない。彼の気持ちをふいにした以上、僕が責任を持って元気づけてあげないと――
「あの、ボクの説明不足でなんか誤解させちゃったみたいですみません。ボクはこのチョコを、パラコン先輩に渡すように頼まれただけなんです」
…………。
…………。
…………は?
僕は体を180度回転させ、轟君のほうを向いた。
「轟君……えーと、それはどういう?」
ちょっと待ってくれ。何か話が違ってきたぞ? どういうことだ?
「じ、実は……ボクにチョコをくれた先輩の女子の1人――名前は分からないんですけど――にこのチョコを一緒に渡されたんです。で、これをパラコン先輩に渡すように頼まれました」
なん……だと……?
つまり、轟君が渡してきたこのチョコは、轟君から僕への本命チョコではなく、とある女子から僕への本命チョコ……ってことか!?
「わざわざボクを介すくらいですから、きっと本命なんだと思います。だから、受け取ってください」
轟君は優しげな笑顔を浮かべて僕にチョコを差し出してきた。
名も知らぬ女子から、轟君を経由して、僕にチョコが渡ってくるとは! こんな……こんなことってあるのか!
目の前がぱあっと明るくなった気がした。今朝受けた精神的ダメージも完全に癒えてしまった。
「そ、そうだったんだ。は……はは! そういうことなら、ありがたく受け取らせてもらうよ」
僕はありがたくチョコを受け取った。嬉しさのあまりチョコを受け取る手がカタカタ震えてしまったけど気にしない。
「じゃ、ボクはこれで」
「うん。また午後練で会おう」
「はい!」
一礼し、轟君はこの場を去って行った。
残された僕は、轟君から受け取ったチョコに目を向けた。
名も知らぬ女子……轟君から見て先輩ということは、僕と同じ2年の生徒か、3年の先輩ということになる。
一体誰なんだろう? いや、今はとにかく、チョコをもらえたことが嬉しい! ついに僕の時代が来たのだ! さっきまでチョコいらないとか思ってたけど、もちろんあんなのは嘘! やっぱりチョコがもらえるのは嬉しい!
「イヤッッホォォォオオォオウ!」
バレンタインデー、万歳!
僕は嬉しさのあまり、チョコの箱を両手で持ち、空に掲げた。まるで、原作コミックス24巻180ページ右下のコマで赤ん坊マリクを空に掲げるマリクの父親のごとく、チョコの箱を空に掲げた。あぁ、生きていて良かった! 僕もとうとう、チョコをもらえる男に成長できたんだ!
ふ……フフフ……グフフフフフ! じゃあ、中身を確認しようではないか!
僕は箱をラッピングしている紙を、丁寧にはがしていった。淡いピンク色の包装紙をはがすと、赤い箱が姿を現した。いや、正確には、赤い紙でラッピングされた箱だ。箱には緑色のリボンが巻かれている。
ピンクの包装紙の次は赤い包装紙か。なかなか厳重にラッピングが施されているな。このチョコの渡し主は、よほど用心深い(?)女の子なのだろうか?
「あれ? これは……」
と、緑のリボンで固定される形で白い紙がはさんであるのが見えた。これは手紙の類だろうか?
紙は二つ折りされた状態ではさんである。気になるな。見てみよう。
紙を取り、広げて中を見てみる。やはりこれは手紙だった。細くきれいな文字で文章が書かれている。なになに……?
パラコン君へ
申し訳ありませんが、
このチョコレート、代々木君の下駄箱に入れておいてください!
お願いします!
川原静江
PS.ピンクの包装紙は適当に処分しておいてください。
…………。
このチョコレート、○○君に渡してください!
(極悪罠カード)
自分は心身ともに10000ポイントのダメージを受ける。
キ……キ……キィィィィィィィィィィィィィィ! 僕の時代を返せぇぇぇぇええええええええええええええええ!
つーか、またこのネタかよ!? このネタこれで4度目だぞ! 何回やれば気が済むんだよ!
使い回し
(魔法カード)
世の中リサイクルだぜ!
川原静江さんとは、僕と同じクラスの女子生徒。いつもどことなく控えめな感じで大人しい印象を受ける、ボブカットの女の子だ。
その川原さんと言えば、毎年バレンタインデーの際、僕に対して凶悪なトラップを発動させてくることで有名(?)だ。けど、まさか4年連続で同じトラップを仕掛けてくるとは……。しかも、今回はわざわざ後輩まで利用して仕掛けてきやがった! どう考えたって悪意のある行為だろこれは!
どうやら川原さんは、何がどうあっても、どれほど面倒な手段を踏もうとも、僕を経由した上で、代々木のヤローにチョコを渡したいらしい……と一瞬思ったけど、実は単に、僕に対して嫌がらせがしたいだけなのかもしれない。そんな気がしてきた。
あぁ、しかし……今回のは痛烈だった……。もう完全に油断してたよ。こ……心が傷ついた。マジで傷ついた。しばらく立ち直れそうにない。本当に冗談抜きで。
どうしよっかな、このチョコ。大人しく彼女の指示に従うのもなんだか嫌になってきたし、この辺に捨てちゃおうかな。いや、捨てるのはもったいないから食べちゃおうかな。う〜ん、どうするか。
……まあ、このチョコの処分方法は歩きながら考えることにしよう。とりあえず、さっさと教室へ移動だ。
「はぁ〜〜」
多大な精神的ダメージを受けた僕は、ため息を一つつくと、ふらふらとした足取りで下駄箱へ向かっていった。
★
下駄箱に辿り着いた僕は、靴を脱ぐと、上履きに履き替える前に、川原さんのチョコを代々木の下駄箱……の隣にある松本君の下駄箱に放り込んでおいた。川原さん、僕がいつまでも君の思惑通りに動くと思ったら大間違いだよ、フッフッフ!
あれからいろいろ考えた結果、僕は川原さんのチョコを代々木とは別の男子の下駄箱に入れておくことに決めた。これは僕からのささやかな仕返しだ。このくらいならやってもバチは当たらないだろう。
…………。
あ、でもなあ。もしも川原さんがこのことを知ったらひどく悲しむだろうな。彼女は僕のことを信じて、このチョコを僕に託したのだろうし……って、そんなわけないだろ! どう考えても今回のは嫌がらせだ! 考えてもみろ。本気で代々木にチョコを渡してほしいのなら、あんな手の込んだ真似をせず、初めから僕に直接頼むはずだ。つまり、今回のことは明らかに僕に対する嫌がらせ! ならば、彼女の言いなりになる必要はない!
…………。
いやしかし、仮に川原さんが本気で僕を頼りにしていたとしたら、今の僕の行動はまずいことになるよなぁ。う〜ん……。
…………。
やっぱりまずい、と感じた僕は、松本君の下駄箱に放り込んだチョコを取り出し、代々木の下駄箱に入れた。川原さんよ、今回だけは特別に君の言うとおりにしてやる! だが、次からはこうは行かないぞ!
フッ……つくづく僕って女性に優しい少年だな。これだけの優しさがあるのなら女の子にモテてもよさそうなものだが、現実とは厳しいもので、なかなかそう上手くいくものではない。残念。
チョコ処理を終えた僕は上履きに履き替えようと、自分の下駄箱に手を入れた。早く教室に行かないと遅刻してしまう。
「……むっ?」
下駄箱に手を入れた時だった。何かいつもと違う感触を覚えた。何か……箱のようなものが入っている。何だ?
下駄箱に入っていた何かを取り出すと、それはやはり箱だった。小さなその箱はクリーム色の紙でラッピングされている。箱の上には小さな紙が添えてあり、そこにはきれいな字で「パラコンボーイ様へ」と書かれていた。
…………。
マジで?
僕は、箱に添えてあった紙をよく見てみた。紙には「パラコンボーイ様へ」とだけ書かれており、他は何も書かれていない。また、箱のほうにも特に気になることは書かれていない。
この箱は僕への贈りもの……らしい。
もしかして、チョコなのか? 僕へ対するチョコなのか? マジで?
いや、まだチョコと決めつけるのは早いな。これも川原さんトラップのような罠かもしれない。チョコがもらえたと喜ばせておいて、奈落の底へ突き落す罠が待っている可能性は大いにある。まだ油断しないほうがよさそうだ。
ひとまず、この箱を開けてみよう。僕は上履きを履くと、近くのトイレの個室に入り、中から鍵を閉めた(なんとなく、人に見られるのは恥ずかしい)。
一つ深呼吸を。スー……ハー……。
よし、準備(?)完了。箱を開けてみよう。
クリーム色の紙を丁寧にはがす。すると、白い箱が現れた。この箱を開ければ、中のものとご対面、というわけだな。
ゴクリとツバを飲み込む。手の平がじわりと汗をまとう。心臓がドキドキして、妙に落ち着かない。
箱の中身は何だろう? チョコか、それとも罠か?
箱の中身を確認した時、僕はどんな気持ちになっているのか? 喜び。悲しみ。あるいは怒り……。答えはこの箱の中にある。
ここでとどまっていても仕方がない。覚悟を決めよう。さあ、いざ行かん!
僕は勢いよく箱を開けた!
すると、そこにあったものは!?
――パズルだった。
白い箱の中には、ジグソーパズルのピースらしきものが20個ほど入っていた。箱と同じく白い色をしたそのピースは、ところどころに金色の部分が見られる。
箱の中をじっくりと見てみるが、パズルのピース以外のものは見当たらない。
チョコじゃなくて、パズル。
まさか、パズルが出てくるとは……。これは予想外の展開だ。一体、何の意図があってこんなものを?
たぶんだけど、このパズルを完成させると、それが分かるんだと思う。ひとまず、パズルを組み立ててみよう。20ピースしかないから、すぐに完成させられるだろうし。
とりあえず、僕はパズルを組み立ててみることにした。
★
――約3分後。パズルが完成した。
箱の中に入っていた20個のピースを組み合わせた結果、パズルに描かれていたものが見えてきた。
見えてきたのは、金色の眼だった。パズルには大きく、金色の眼が描かれていた。
この眼は……どこかで見たことがあるな。確か、ウジャト眼という奴だったはずだ。デュエルキングの武藤遊戯が着けていたペンダントにも、同じものが刻み込まれていたと思う。
しかし……。
ウジャト眼が出てきたのはいいんだけど、これが何を意味するのかは分からない。このパズルを完成させて、どうなるというのか? 全くもって分からな―――
―――パラコンよ、よくぞパズルを完成させた
「!?」
突如、周囲に低い声が響き渡った。まるで、機械で変声されたような、不気味な声だった。
な、何だ!?
――汝は試練を乗り越えた。褒美として、汝の願いを一つ叶えてやろう
低い声が、狭い個室の中で不気味に響き続ける。
し……試練を乗り越えたってどういうことだ? このパズルが試練だとでも言うのか?
というか、願いを叶えてやるって……?
――さあ、パラコンよ。汝の願いを述べてみよ。その願い、我が叶えてやろうぞ
これは、どういうことなんだ?
要は、このウジャト眼パズルは何かの試練で、パズルを完成させると試練を乗り越えたことになって……で、願いを叶えてもらえるということ……なのか?
そんな上手い話があるのか? いや、あるわけがない。どう考えてもこれはイタズラだ。誰かが仕組んだイタズラだろう。きっと……そうだ。
――ふっ……どうやら我を疑っているようだな。まあいい。信じるか信じないかは汝の勝手よ
僕が疑っていることは、この謎の声の主には丸分かりらしい。そして、別に無理に信じさせようとする気はないようだ。ずいぶんと余裕な態度だ。
というか、誰なんだこの声の主は。
「お前は何者だ?」
僕は天井に向かって声を発した。まあ、天井に声の主がいるとは限らないんだけど。
ひとまず、声の主の正体を知りたい。
――我の正体を知りたいか。よかろう。ならば、北校舎の屋上に行くがよい。そこで汝に全てを明かそう
北校舎の屋上だと? 僕が今いる校舎の屋上のことか。そこで全てを明かすって……どういうことだよ。
――この続きは、汝が屋上に行ったら話すことにしよう。では、また会おう
その言葉を最後に、謎の声は聞こえなくなった。なんだったんだ、あいつは。
結局、分からないことだらけのまま、はぐらかされたような気がする。心にモヤモヤとした感覚が残された。
真実は屋上にある、か。
とりあえず、行ってみるしかないのかな? それとも、今の出来事は忘れて、このまま教室に向かうか? けど、なんだかそれだと落ち着きそうにない。やっぱり真相が何なのかが気になるし。
仕方ない、屋上に向かおう。そこへ行けば真相が分かるんだ。分かればこのモヤモヤ感もなくなるだろう。仮に何もなかったとしても、それはそれでイタズラだってことが分かってスッキリする。
まさか、朝っぱらから屋上まで移動させられるとは。面倒なことこの上ないけど……しょうがない。
かくして、僕は屋上へと向かうのだった。
★
階段を駆け上がり、北校舎の屋上に足を踏み入れた僕。
ゆっくりと前進しながら、周囲をぐるりと見回した。
あの謎の声がイタズラでなければ、ここに来ることで真相が分かるはずなのだ。
ちょっとずつ立つ位置を変えつつ、周囲を見回す。
だが、見た感じ、特に気になるような点はない。
少し遠くのほうも見てみるが、やはり気になる点はない。
地面も見てみるが、別に何かが落ちているわけでもなかった。
…………。
念のため、屋上の隅から隅まで歩き、上下左右を見回してみた。
だが、どこでいくら目を凝らしても、特に変わった様子は見られなかった。
時々、周囲に向かって「おい、来てやったぞ! 正体を現せ!」とか言ってみたが、それでも反応なし。
…………。
これは……担がれたか?
屋上に来て数分経ったけど、何も起きない。当然、真相など分かるはずもない。
間違って南校舎の屋上に来たのでは? とも思ったが、ここは間違いなく北校舎の屋上だ。
やはり、イタズラだったとしか思えない。
…………。
どうやら、イタズラだと結論付けてよさそうだった。
う……うわぁ。
何だかものすごく腹が立ってきた。
いや、確かに、ここに来たことで、さっきまであったモヤモヤ感は消えたよ。けど、今は別な意味でモヤモヤしてきた。いや、ムカムカしてきたと言ったほうがいいか。
くそっ。非常に気分が悪い。不愉快だ。なんだかすごく気持ちがマイナス方向に―――
――来たようだなパラコン
「いや、遅ぇよ!」
今さらになって、さっきの謎の声が響いてきた。遅いよ! うっかり気分がブルーになりかけちゃったじゃないか! いや、もう既に若干ブルーになっちゃったよ!
――ハハハ、そう言うな。この学校の内部構造はエラく複雑でな、道に迷ってしまっても仕方あるまい?
道に迷って遅くなったのかよ!? なんなんだこいつは!? ちゃんと下調べしておけよ! つーか、自分が行けない場所を待ち合わせ場所にするなよ!
――ま、面倒だから、結局こうして瞬間移動してきたわけだ。やはり便利な能力よ
え!? 瞬間移動できんのこいつ!? だったら最初からその能力使えよ!
――では、本題に入るぞ、パラパラパラコンコンボーイ
パラとコンが無駄に多いぞおい。バグでも起こしてんのか?
ていうか、さっきから気になってたんだけど、僕の名前はパラコンボーイじゃないからね。僕にだって本名くらいある……はずだ。
――汝に本名などない。ま、それはそうと、我の正体だが……
おい。何ちゃっかり僕の本名の存在を否定してんだよ。きっちり聞こえてるぞこら。訂正しやがれ。
――パラコンボーイよ……今こそ汝に我の正体を見せてやろう。上を見るがいい
僕の気持ちは完全無視の方向で、謎の声の主がついに正体を見せてくれるようだ。
しかし、上を見ろって……奴は空から現れるつもりなのか? そんなまさか?
とりあえず、僕は言われたとおりに上を見た。空が広がっている。雲一つない快晴だ。特にこれと言って気になるものは見えない。
なんだよ、なんにもないじゃないか。正体を見せると言っておきながらこんなのってあり―――
ぞくり。
唐突に、背後から何か……殺気のようなものを感じた。
なんだろうか、この感覚。理由は分からないのに、強い殺気を感じる。
このままだと危険だ――。理屈云々ではなく、本能が告げている。本能が危機を感じている!
危機は背後から迫ってきている。僕は後ろを振り向こうとして、しかし、すぐに思いとどまった。
直感というものなのだろうか? このまま後ろを振り向いてはいけない気がした。いや、振り向く暇があるなら、この場から今すぐ離れるべきだ! 僕の本能がそう告げている!
「とうっ!」
僕は横に向かってジャンプしたのち、華麗に3回ほど側転して、今いた場所から距離を取った。
すると、まさにその直後だった!
「イヤッッホォォォオオォオウ!」
―――ドゴォォォォン!
先ほど僕が立っていた場所に、何者かが勢いよく轟音を立てて着地した! その勢いは本当に凄まじく、それを現すかのように、何者かが着地した場所は、わずかに地面が変形しており、煙のようなものが巻き上がっていた。
着地した“何者か”は、上空から下向きに着地したというわけではなく、どちらかといえば斜め向きに着地したという感じだった。いや、着地したと言うよりも、「蹴りを入れてきた」と言ったほうが正しいかもしれない。というのも、明らかに“何者か”は、蹴りの姿勢をしていたからだ。そして、飛んできた方向から察するに、“何者か”は僕の背後から飛び蹴りを喰らわせてきた、と考えてまず間違いなさそうだ。
さっきの殺気の正体はこいつか! もしもあのまま僕があの場所に立っていたら、もしも僕がとっさにこの場所に移動しなかったら、僕は思い切りあの“何者か”の飛び蹴りを喰らっていたことだろう。こ……怖ぇ!
「ちっ。まさか、かわされるとはね」
巻き上がる煙の中で、“何者か”がつまらなげに声を発した。女性の声だった。この声は……聞き覚えのある声だ。ま、まさか!
「パラコンの分際で、ずいぶんと味な真似をするじゃないの」
煙が晴れ、一人の少女の姿が見えてきた。やはり、見覚えのある少女だった。
端正な顔立ちは、若干の幼さは残るもののどこか気品さを感じさせ、大人っぽい印象を受ける。肩まで伸ばされた髪は、たった今飛び蹴りという激しい運動をしたはずなのに乱れは見られず、普段と変わらずきれいに整えられている。すらりと伸びている足は、本当に飛び蹴りを喰らわせてきたのかと疑いたくなるほどに、細く華奢なものに見られる。
「鷹野さん。君だったんだね」
僕に飛び蹴りを喰らわせてきたこの少女は、同じクラスの女子生徒であり、僕の永遠のライバルでもある鷹野麗子。一見したところかなりの美少女である彼女は、頭脳明晰で運動神経抜群。その上、カリスマ性もあるというパーフェクト中学生だ。そのため、男女問わず高い人気を誇っている。
しかし、実際のところ、彼女は傲慢で暴力的で身勝手極まりなく、僕はいつも彼女に振り回されてばかりいる。これこそが彼女の本性なのだが、周囲の人間の多くはこのことを知らない。この学校内でこのことを知っているのは僕ぐらいのものだろう。
で、今日の彼女は、遠くのほうから僕を目掛けて飛び蹴りを喰らわせてきたわけだ。相変わらず暴力的な女だ。ていうか、前にも似たようなことをされた気がするな。よく覚えてないけど。
「あなたがあのままここに突っ立っていれば、私の華麗なるキックがあなたにクリティカルヒットする計算だったのよ。なのに、よりにもよってあのタイミングで避けるなんて……ホント、空気読めないにもほどがあるわ。完全に興ざめよ」
はぁ、と深くため息を吐く鷹野さん。いや、何勝手なこと言ってんのこの女! つーか、なんでこの人、僕に向かって飛び蹴りしてきたんだよ!?
「鷹野さん。蹴りをヒットさせたいのなら、別に僕じゃなくてもいいじゃん。どっかの木とかドラム缶とか目掛けて蹴ればいいだろ?」
僕はもっともなツッコミを入れた。僕の主張に間違った部分はないはずだ。
「……ったく。せっかく1週間かけてきっちり準備してきたっていうのに……あそこで蹴りをはずすとはね。はぁ〜、この鷹野麗子、一生の不覚だわ」
もっともなツッコミを入れたというのに、鷹野さんはそれをあっさりとスルーしやがった。いや、僕のツッコミ聞けよ! 本気で殴るぞこの女!
ていうかこの人、1週間かけてこんなロクでもない計画の準備してきたのかよ!? あのパズルもあの謎の声も全部彼女が!? 今この瞬間、僕の顔を蹴るためだけに!? ば……馬鹿じゃないの!?
鷹野さんは、蹴りをはずしたのが一生の不覚とか言ってるけど、このロクでもない計画のためにわざわざ1週間かけて準備した時点で一生の不覚な気がする。どんだけ時間を無駄に消費してるんだよ?
「鷹野さん、もっと時間を有効に使おうよ」
思わず僕はそう口走ってしまった。いや、間違ったことは言ってないと思うんだ。
すると、鷹野さんは
「時間を有効に使えですって? じゃあ何? 人間は生きていく上で絶対に時間を無駄に消費しちゃいけないって言うの? 人間っていう生き物は、時間を無駄にした時点で失敗だって言うの? 私はそうは思わないわよ。人間誰しも、時間を無駄に消費することはあると思うわ。大体、常に時間を有効に使うことだけ考えて生きるのってつらいと思わない? 私はごめんよ、そんなストレスが過剰に溜まりそうな生き方。たまには時間の制約を忘れて息抜きするくらいの余裕はあってもいいと私は思う。そうした中で見つけることのできることだってあるかもしれないしね。そもそも、あなたは時間を有効に使えと言うけど、そういうあなた自身は常に時間を有効に使って生活できてるの? 一切の無駄なく時間を有効活用して生活できてると言い切れる? あなたは――」
何故か本気になって反論してきやがった! うるせえええよ! なんだよこの女! 何もガチで反論してこなくてもいいじゃないか! こっちはついうっかり口走っちゃっただけなのに、真面目に返されても困りますぅ! つーか、時間を無駄にしていることは自覚済みなのね!
「はいはいすみませんでしたぁ! 僕が間違っていましたごめんなさいぃぃぃぃ!」
「ふっ……分かればいいのよ」
面倒なので反論せず、素直に謝っておいた。あぁ……なんで僕、謝ってるんだろう? くそくそくそっ! どこまでもムカつく女だ!
「はぁ〜〜〜〜」
なんだかぐったりと疲れてしまい、僕はその場にどっかと腰を下ろしてしまった。ホントに疲れた。朝から色々ありすぎてクタクタだ。
「なんだかお疲れのようね、パラコン」
僕の疲れた様子に気づいたのか、鷹野さんが馬鹿にするような口調で訊いてきた。決して労わるような口調ではなく、あくまでも馬鹿にするような口調だ。この女……いや、もうツッコムまい。いつものことだ。
「朝から色々あって振り回されてきたからね。妙に疲れちゃったよ」
「あら、そうなの。それはそれは大変だったわね」
「あの……他人事みたいに言ってるけど、鷹野さんの飛び蹴り(未遂)も疲れの一因だからね?」
そう。この妙な疲れの原因には、当然のごとく鷹野さんの行動も含まれている。けど、この女のことだから自覚してない可能性が高い。なので一応きちんと言っておく。
「え? 私も疲れの一因なの? ふむ。それは悪いことをしたわね」
やはり彼女は自覚してなかったらしい。今さら悪いことをしたと気付いたようだ。……ま、悪いことをしたと気付くだけマシだろう。
「じゃあ、お詫びしないといけないわね」
え? お詫び?
基本、僕をさんざん振り回しておきながら何も気にしない鷹野さんにしては珍しい。僕にお詫びをしてくれるらしい。今回はさすがに反省したのだろうか。ホントに珍しい。
「お詫び……何がいいかしら?」
意外にも、鷹野さんは真剣な表情で悩んでいる。め、珍しいなマジで。ホントにお詫びしてくれんの? この傲慢極まりないことで有名な鷹野さんが?
なんか……なんか怖くなってきたぞ。大丈夫かな?
「うん。じゃあ、こうしましょう」
お詫びの内容が決定したらしい。た、鷹野さん。頼むから、普通にお詫びしてくれ。僕はホント、気持ちさえあれば充分だから―――。
「パラコン。せめてものお詫びのしるしとして、今からあなたに“優しい嘘”をついてあげるわ」
…………。
……え?
優しい嘘をつく? どういうことだ? 鷹野さんは何を考えてるんだ?
「これから私がつく嘘を聞けば、あなたは幸せな気分になること間違いなしよ。さ、聞いてちょうだい」
幸せな気分になるって……何を考えてるんだ鷹野さんは。
よく分からないけど……何か嫌な予感がする。このまま彼女の言うとおりにしたら、痛い目に遭う気がする。僕の直感がそう告げている!
「あ、あの、鷹野さん。別にそこまでしなくてもいいよ、うん。君の気持ちは分かっ――」
僕が言い終えるよりも先に鷹野さんは、地面であぐらをかいている僕の左横に両膝をつき、僕の左肩にそっと手を置いた。
とても優しい感覚だった。体中が優しい感覚に支配され、僕は何も言うことができなくなった。
その姿勢のまま、鷹野さんは僕の耳元にゆっくりと顔を近づけた。
そして彼女は、僕の耳元で優しく、囁くように言った。
「私、あなたのこと好きよ。……嘘だけどね」
鷹野さんは言葉を続ける。
僕の耳元で、彼女の声が甘く響く。
「あなたのこと、愛してるわ。……もちろん嘘だけど」
それはとても甘美な声だった。
僕の脳内が、不可思議な感覚に支配される。
「私にはもう、あなたしかいないの。……当然のごとく嘘よ」
踊るように、歌うように。
彼女は僕に向かって声を奏でる。
「パラコン。大好きよ。……この発言はフィクションです」
「やめええええええええええええええええええええい!」
僕は勢いよく立ち上がった。
はぁ……っ……はぁ……っ! 嫌な予感が見事に的中したよ! さっきから黙って聞いてりゃこの女、ひどい嘘ばっかしつきやがって!
いや、そりゃたしかに優しい嘘だったかもしれないよ? けどそれなら、別に「嘘だけどね」とか「フィクションです」とか補足する必要なくない!? いらねえだろその補足! それさえなければ多少はいい気分に浸れたかもしれないのにさ、いちいち補足されたせいで、もはや悪意しか感じられねえよ! なんだよこれ!
この女ぁ……っ! こいつ絶対に詫びるつもりないだろ! 単に僕に対して嫌がらせしたいだけだろ! ふざけやがってええええ!
「あら、まだ終わってないのに。あと18パターンくらいの嘘を用意してあるのよ」
鷹野さんが不満そうな表情を浮かべている。18パターンって……そんなにあるのかよ!?
「それとも、あなたには少し、刺激が強すぎたのかしら?」
何故か妖艶な目つきで見つめてくる鷹野さん。いや、強すぎたのは刺激じゃなくて悪意だから。
「もういいよ鷹野さん。君の気持ちはよく分かったから。うん」
ほん……っとうによく分かった。この女に謝罪の気持ちがないことがよく分かった。これ以上付き合ってられるか!
げんなりした僕は、この場を離れてさっさと教室に向かうことにした。ったく、ひどい時間の浪費だな。
「あ、待って。一つだけ、どうしてもつきたい嘘があるの。その嘘だけつかせて」
教室行こうとしたら、鷹野さんが呼び止めてきた。どうしてもつきたい嘘って……そんなに僕に嘘つきたいのかこの人は。悪意もここまで来ると清々しく思え……ないな。うん。全然清々しくない。
「しょうがないな。すぐに終わらせてよ」
無視して教室に直行しようかと思った。けどたぶん、この人のことだから、何が何でも僕を引き止めてくるだろう。それも面倒だから、彼女の気が済むようにやらせてやることにした。
さっさと終わらせてくれ。はぁ〜。
「そのノリの良さ。それでこそパラコンよ」
そう言うと鷹野さんは、僕の左横に立ち、肩に手を置いた。優しい感覚が僕を包み込む。……なんでこの人、手を置いた際の感覚がこう、無駄に優しいんだろう? 性格は尋常じゃなく最悪なのに。
ま、それは置いといて。今、僕の横に鷹野さんが立っている。鷹野さんの背は僕よりもほんの少し高いため、彼女の頭は僕よりもわずかに上にある。彼女との因縁が始まってそれなりの期間が経つけど、僕と彼女の背の高さの関係はそのころから今に至るまで全く変わっていない。
「じゃあ、心して聞きなさいパラコン。この嘘は私のとっておき。とっておきの、とっておきのとっておきのとっておきよ!」
鷹野さんが僕の耳元に顔を近づける。
そして、彼女のとっておきの嘘が放たれた。
「パラコン。私はあなたのも―――ぶぇっくしょんっ!」
「のわああああああ! 汚ねええええええ!」
何を血迷ったのか、鷹野さんが突然クシャミをしやがった! しかも、僕の耳元で! よりにもよって特大のクシャミを!
ビックリしたというよりも汚い! 耳元が鼻水とツバでぐしょぐしょだ! うわああああ! なんてことしてくれるんだよ! ひどいよこれは!
「いけないいけない……。私、花粉症で……」
言いながらズルズルと鼻を鳴らす鷹野さん。か……花粉症なのかこの人!
まあ、花粉症は大変だろう。けど、これだけは言っておく。
「鷹野さん。クシャミする時はせめて、人に向けないように努力しようよ」
ポケットに入っていたティッシュで耳元を拭きながら、鷹野さんに苦言を呈する僕。
「まあ、そう怒らないでパラコン。美少女の鼻水なんだから、むしろお得だと思いなさい」
いや、思わねえよ! 鼻水は鼻水だから! どう転んだって汚いから! いらないから!
「そんな顔しないで。にっこりしてくれないと私怒っちゃ……ぶぇっくしょんっ!」
また鷹野さんがクシャミ! 今度は僕の顔全体に鷹野さんの鼻水とツバがかかった! おえええええ! 汚ねええええええ!
「勘弁してくれ鷹野さん! さすがに汚いよ!」
「落ち着いてパラコン。美少女の鼻水なんだから、むしろ……ぶぇっくしょんっ!」
言ってる最中にまたクシャミ! さすがに今度は上手く避けた。あ……危ねぇ!
「ちっ。さすがに避けたか。やるわねパラコン。でも、次はかわせるかしら」
……って、この人、狙ってクシャミしてたのかよ! チキショオ! 大人しくしてりゃいい気になりやがってぇ!
もう怒ったぞ! こうなったら完膚なきまでにこの女を叩きのめし、二度とこんな愚かな真似ができないようにしてやる!
我が永遠のライバル、鷹野麗子よ! 今日こそ貴様の息の根を止める!
ゲームをしようぜ!
(魔法カード)
あらゆるトラブルを、ゲーム1つで片付ける。
「鷹野さん! 僕と―――」
「ぶぇっくしょおおん!」
「ええい! クシャミやめい!」
クシャミがうっとうしいので、僕は鷹野さんの鼻をつまんだ。フッ! これでもうクシャミは出せまい。ざまあ見ろ! ……とか思ってたら、さすがに鼻をつままれたのは不愉快だったのか、鷹野さんに顔面を殴られた。痛い。
「鷹野さん! 突然だけど、僕とデュエルしてもらうよ!」
困った時はゲームで解決する。これこそ僕らの世界の常識だ。
さあ、鷹野さん! 今日こそ君に勝利してみせるぞ!
「え? 何? 今日のゲームの内容は、『こよりを使ってどっちが早くクシャミを出せるか対決』? やべぇ、私負ける気しないわ」
「違えよ馬鹿! マジック&ウィザーズのデュエルに決まってんだろ!」
「馬鹿とは何よパラコン。口を慎みなさい!」
足を踏んづけられた。痛い。
「と、とにかく! 僕とデュエルしてもらうぞ鷹野さん!」
踏まれた部分をさすりながら、僕は鷹野さんにデュエルを挑んだ。僕と彼女はこれまでに何度もデュエルをしたことがあるが、僕が彼女に勝利したことは一度もない。いつも僕は負けてしまっており、連敗記録を更新中だ。
だからこそ! 今日こそは鷹野さんに勝利し、連敗記録に歯止めをかけてやる!
「デュエル、ねえ。まあ、別にかまわないけど」
鷹野さんもデュエリスト。売られたデュエルから逃げるなどという真似はしない。彼女は鼻をかみつつ、あっさりと僕の挑戦を受けた。
フッ。物分かりが良くて助かるよ鷹野さん。それでこそデュエリストというものだ。
ご都合主義
(魔法カード)
都合のいい展開でストーリーを進行させる。
「さて、思ったより時間を消費したわね。もうホームルームも始まっちゃうし、デュエルは放課後ってことでいいわよね?」
「うん、いいよ。放課後にデュエルだ!」
おそらく、あと5分もすれば、ホームルーム開始を告げるチャイムが鳴るはず。今からデュエルをするのは時間的に無理だ。というわけで、デュエルは放課後にすることになった。
鷹野さんよ、今日こそは勝たせてもらうぞ! 決意を胸にしつつ、僕は屋上の入り口に向かって歩き出した。
「ぶぇっくしょおおん!」
歩き出した直後、背後で鷹野さんが大きなクシャミを発動! それにより、僕の後頭部が彼女の鼻水とツバでぐしょぐしょになった! チキショオ! 油断したぁっ!
★
放課後。
授業も終わり、生徒がほとんどいなくなった2年C組の教室で、僕はデッキの確認をしながら鷹野さんを待っていた。
鷹野さんは何か生徒会関連の仕事があるらしい(あの人、実は生徒会の役員なのだ)。その仕事が終わり次第、すぐにこちらに来るという。
鷹野さん曰く、生徒会の仕事は10分あれば片付けられる量らしい。彼女を待ち始めて既に20分が過ぎてるから、もうそろそろ来てもいい頃だ。デッキの最終確認をしておこう。
1枚1枚、自分のデッキのカードを確認する。途中、窓から差し込んだ夕日の光がカードを照らした。窓の外を見てみると、きれいな夕焼けの空が広がっている。
デッキ確認を終えた僕は、鷹野さんが来るまでの間、夕焼けの空をぼうっと眺めていることにした。
★
あれから10分が経過した。
教室内を見渡すと、もう僕以外の生徒は見られない。誰もいない教室に僕1人だけ。
肝心の鷹野さんはというと、実はまだ来ていない。
遅いな、あの人。何してるんだろう? 10分くらいで終わるって言ってたのに、もう30分以上経ってるぞ。
まあ、思ったよりも仕事が上手く片付かないとか、そんなところだろう。僕は再び夕焼けの空に目を向け、慌てずに焦らずに待つことにした。
さあ、いつでも来るがいいさ、鷹野さん!
★
あれからさらに10分が経過した。さすがに夕焼けの空を眺めるのにも飽きた。
さて、鷹野さんだが、まだ姿を現さない。遅いな! 何やってんだよ! もう40分経ってるぞ! 10分で終わらすとか言ってたのはどこのどいつだよ!?
なんだか不安になってきた。本当に鷹野さん、ここに来るんだよね? 間違いないよね? ……うん。間違いないはずだ。だってちゃんと約束したもん。放課後、ここでデュエルするって約束したもん。
鷹野さんもデュエリストだ。デュエリストである以上、デュエルの約束を破るはずがない。傲慢で身勝手極まりないアホ女の鷹野さんだが、デュエリストとしての筋は通すはずだ。うん、きっとそうだ。
僕は鷹野さんがここに来ると信じて、じっと待ち続けることにした。
早く……来てくれ。
★
あれからさらに10分。
史上最悪の馬鹿女・鷹野麗子は、未だに姿を見せない。
ちょ……マジかよ? マジで来ないの? え? おかしくない? 10分で片付けるとか言っときながら、もう50分だよ? そろそろ1時間経つよ? おかしくない?
まさか……あの人、僕との約束を忘れてるんじゃ? いや、そんなはずは。いくらあの人でも、デュエルの約束をすっぽかすような真似はしないはず。
「あれ? パラコン君、まだ帰ってなかったの?」
入口のほうから声が聞こえた。
見ると、1人の女子生徒がいた。どことなく控えめな印象の、ボブカットの少女――今朝、僕に極悪トラップを仕掛けてきた川原静江さんだ。驚いた様子でこちらを見ている。
「ああ、ちょっとね。川原さんはどうしたの? 忘れ物か何か?」
僕が尋ねると、川原さんは「うん」と返してきた。
「よりにもよって宿題で使うノートを置いてきちゃって。しかも、それに気付いたのが家に着く直前。面倒だったけど、こうして取りに戻ってきたの」
少し気だるそうな顔をしながら、川原さんは自分の机からノートを1冊取り出し、それをカバンの中に入れた。家に着く直前に忘れ物に気付くとは……運が良いのか悪いのか。
「それは大変だったね……」
同情するよ、川原さん。僕も似たような経験をしたことあるし。
ノートの回収を終えた川原さんは、僕のほうをじっと見てきた。ん? なんだ?
「もしかしてパラコン君、鷹野さんを待ってるの?」
突然、川原さんはそんなことを言ってきた。え? なんで分かった?
「ま、まあ、そうだけど」
「あ、やっぱりそうなんだ!」
僕の答えを聞くと、何故か川原さんは笑顔を浮かべた。
「でも、よく分かったね。僕が鷹野さんを待ってるって」
本当によく分かったものだ。僕は別に何も言ってないのに。
川原さんは、当然だよとでも言わんばかりの表情だ。
「だって、パラコン君と言えば鷹野さんだからね。『パラコン君あるところに鷹野さんあり』。2人が深い関係にあることくらい、私にだって分かるよ」
…………。
まあ、深い関係にあることは確かだ。鷹野さんは僕が認めた唯一のライバルだからね。なんだかんだで彼女とも長い因縁になったものだ。ホント、早いところ彼女を叩き潰して勢力図を塗り替えなければ。
「それにしても、放課後の教室で待ち合わせなんて、青春だね〜。うんうん」
川原さんが満足げにうなずいた。青春……と言えば青春か。要はライバルとの競い合いだからね。少年漫画のような青春っぽい感じがしなくもない。僕と鷹野さんは常に、ライバルと腕を競い合っているというわけだ! ……まあ、今は僕の負け続きだけど。
「……あれ?」
と、川原さんは、今度は疑問の表情を浮かべた。え? 何?
「パラコン君。今思い出したんだけど……」
川原さんの言葉を聞いた瞬間、僕の背筋に寒気が走った。
なんだろう。何故か嫌な予感がする。
ゴクリとツバを飲み込む。1回だけ深呼吸して、呼吸を整える。
精神を安定させ、僕は川原さんに尋ねた。
「どうしたの?」
「うん。実は……」
川原さんは、ゆっくりと思い出すような口調で告げた。
「私が学校に戻ってくる途中、帰宅途中の鷹野さんを見たんだけど……」
…………。
…………。
…………は?
「か、川原さん……そ……そそそそそそれって……たっ……確かなの?」
「確か……だと思う。鷹野さん、私の進む方向と逆方向……つまり、学校とは逆方向に歩いてたから、帰宅途中だったと思うんだけど」
き……っ!
きっききききき帰宅途中ぅぅぅぅぅぅぅ!
「そ……そうなんだ。あ、ありがとう川原さん。いいこと教えてくれて」
「いいよいいよ。じゃあ私、行くね。また明日」
極めて重要なことを教えてくれた川原さんは、軽く手を振って、教室から去っていった。
誰もいない教室に、僕1人だけが残された。
「あの女ああああああああああああああああああああああああああああ!」
1人になった僕は、頭を抱えて絶叫した!
あっ……あの女ぁッ! 僕とのデュエルの約束すっかり忘れてやがるよ! ふざけんなよ!? お前それでもデュエリストかよぉぉぉぉぉお!?
なんてことだ! この世界において、デュエルの約束をすっぽかすなんて、立派な犯罪行為だぞ! おそらくは懲役14年か罰金140万円に相当する罪だぞ!? こんな重大な罪をぬけぬけと犯すとは! 鷹野麗子、やはりあいつは極悪女だ!
「チキショオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
怒りと憤りが心を支配し、僕は無意識のうちに机をガンガンと叩いていた。おのれ鷹野麗子め! 覚えておけ! この屈辱、僕の《破壊輪》が貴様を踏みつぶして晴らす!
こうして僕の、鷹野さんへ対する恨みリストに新たな項目が追加されたのだった。
★
僕は不機嫌な気持ちのまま、教室を後にした。お……おのれ! 1時間近く待った結果がこのザマだとは。やはり、鷹野さんはそう簡単に信用しちゃダメだな。
もうさっさと帰ろう。まったくもって馬鹿馬鹿しい! くそっ! 今日は朝から振り回されっぱなしだな、僕。
苛立ちながら歩いているうちに、下駄箱に辿り着いた。思えば、今日の僕と鷹野さんの戦いは、ここから始まったんだよな。あの時、下駄箱に入っていた箱の中身を真に受けたがためにこんなことに……。もしもあの時、箱の中身を確認せず、イタズラだと決めつけて捨てていれば、こんなことにはならなかっただろう。そうでなくても、箱の中身を真に受けたりしなければ、こんなことには……。
そう思うと、無性に腹が立ってきた。ええい! もう忘れよう! 今日はもう、とっとと帰って寝る! こういうのは早く忘れ去ってしまったほうがいい!
僕は下駄箱を開け、中から下履きを取り出した。
すると、見慣れないものが目に入った。
下履きに、小さな封筒が入れられていたのだ。
…………。
封筒はクリーム色をしていた。表面には「パラコンボーイへ」と書かれている。
そして、封筒を裏返すと、そこには……なんと「鷹野麗子」と書かれている。
…………。
なんだこれは?
封筒……ということは、やはり手紙とかが入ってるのだろうか? 鷹野さんからの手紙……なんだか嫌な予感がする。
この封筒を開けてしまったら、また彼女に振り回されてしまう気がした。僕の直感が「この封筒を開けてはならない!」と警鐘を鳴らしている。ここは開けないほうが……。
しかし、同時に僕の心の奥底では、この封筒を開けてみたい、という気持ちも膨らんでいた。なんだかんだで、やっぱりこういうのって、中身が気になるものだし……。
1分くらい悩んだ。悩んだ結果、僕が出した答えは―――
「ええい! もうどうにでもなれ!」
静かな昇降口に、びりびりという音が寂しく響く。
僕が出した答えは、封筒を開けてしまう、という答えだった。もう後戻りはできない。
封筒を開けると、中から2枚の紙が現れた。紙は2枚重ねで二つ折りにされている。
紙を広げると、そこにはきれいな文字で、横書きの文章が書かれていた。まさしくそれは手紙だった。
嫌な予感を感じつつも、僕はその手紙の文章に目を移した。
パラコンへ
急な都合により、帰宅を余儀なくされました。
約束を破ってしまい、本当にごめんなさい。
急な都合で帰宅……?
鷹野さんは、僕との約束を忘れたわけじゃなかったってことか?
手紙の文章にはまだ続きがある。
僕はゆっくりと文章を読んでいった。
デュエルができなくなってしまったので、デュエル中に話そうと思っていたことをここに書こうと思います。
こんなことを書いても信用されないかもしれないけど、いつもいつも、あなたのことを振り回してばかりで申し訳ないと思っています。
あなたを振り回してしまうたびに、これではいけないと思うのですが、結局いつも振り回す結果になってしまいます。本当にごめんなさい。
何故か、あなたの前では素直になれません。どうしても、あなたの前では変に強がってしまう。他の人の前ではそんなことはないのに、あなたの前では素直な自分を出せない。それが結果的に、あなたを振り回す結果になっているのだと思います。
…………。
手紙の1枚目はそこで終わっていた。
僕は2枚目の手紙に目を向けた。
けれど、あなたはどれほど私に振り回されようとも、私と親しくしてくれました。
本当なら私を嫌ってもおかしくないのに、あなたは私と親しくしてくれた。その度に私は申し訳ないと思いつつ、嬉しさも感じていました。
あなたの優しさに、懐の深さに、どれほど救われたことでしょう。にもかかわらず、いつも私はあなたを振り回してしまう。嫌な気持ちにもさせてしまったと思います。そんな自分が腹立たしくて仕方ありません。
いつか、このことをあなたに話さなければならないと思い、今日のデュエルの際に話すつもりでした。けれど、急用でそれができなくなり、しかし、すぐにでもこのことを話したいと考え、このような形であなたに伝えることになりました。
いつも、あなたに迷惑をかけてごめんなさい。いつも、私と親しくしてくれてありがとう。
親愛なる友へ。鷹野麗子より。
追伸
この手紙はフィクションです。実際の私の感情とは何の関係もありません。
「ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
僕は極悪女・鷹野麗子からの手紙を原作コミックス4巻の海馬社長風に破いた!
ぼ……ぼ……僕の感動を返せぇぇぇぇえええ!
さんざん真面目に読ませてきて結局フィクションかよ!? これはいくらなんでもないんじゃないの!? 何この無駄な仕込み!? 途中うっかり感極まって涙出ちゃったじゃないか! ものすっごい恥ずかしいよ!
「チキショオオオオオ!」
破きまくって細切れにした手紙を、《パワー・ウォール》を発動した際のヘルカイザー亮風に投げ捨てる僕。それによって、イラついた気持ちが少しだけ和らいだ。
やっぱり、嫌な予感が当たった。僕の直感が「この封筒を開けてはならない!」と警鐘を鳴らしていたが、あれを信用すべきだった。あぁ、あの時、警鐘に従い、封筒を開かずにとっとと捨てていれば、こんな気持ちにはならなかったのに! くそぉぉ過去の僕の馬鹿馬鹿馬鹿!
もうやだ! もうさっさと帰って寝る!
完全に嫌気がさした僕は、さっき投げ捨てた手紙を拾い集めると、足早にこの場から立ち去った。
★
自宅に戻った僕は、手洗いとうがいを済ませた後、すぐさま自分の部屋のベッドに突っ伏した。
もうやだ。何も考えたくない。とっとと眠りに入って良い夢を見て、今日の忌まわしき記憶を忘れたい。
あぁ、今日はなんだかどっと疲れたよ。何度も振り回されたからなぁ。もうクタクタだ。
目を閉じると、徐々に眠気が襲ってきた。
ああ、眠い。今日は疲れたから、ぐっすり眠れることだろう。
おやすみなさい。そしてさらばだ、忌まわしき日よ。
薄れゆく意識の中、僕は一つだけ思った。
そう言えば、今年もチョコ、もらえなかったな。
〜Fin〜