ボク達は空を見ていた。
 空を見て、1人は青いと言った。1人は赤いと言った。1人は黒いと言った。

 1人は、苦しみながらも希望を求める青。
 1人は、苦しみとともに全てを奪われた赤。
 1人は、苦しみとともに絶望を求める黒。

 三者三様の色、三者三様の意図、三者三様の意思。
 確かにそこには3人がいた。いる筈だった。

 そこには1人しかいなかったことを、まだ誰も知らない。






闇の中の小さな光

製作者:ショウさん





 「永遠の城(エンドレス・キャッスル)」最上階――。
 そのフロアのど真ん中で、ファイガは禍々しい形状(具体的な形は読者のご想像に任せます)の椅子に座っていた。

 足音が聞こえてきた。階段を駆け上がる、自分のいる場所へと向かってくる、2人分の足音。

 足音を聞きながらも、ファイガは別段焦ることも無く、落ち着いたまま、椅子に座り続けていた。
「まだ、時間は掛かるな……」
 最上階への階段は果てしなく長い。そのためファイガは、2人分の足音がいつになったら自分の下に辿り着くのかを、大体ではあるが、予測していた。予測からの彼の余裕であり、落ち着きであった。そんな余裕の感情のまま、彼はゆっくりと目を閉じた。

 そして、過去を振り返り始めた。

●     ●     ●     ●     ●     ●


「ここはオレ達の縄張りだ、出てけっ!!」

 どこにでもあるような平凡な公園の一角で、少年がそう叫んだ。そこらに落ちていた石を拾い、放り投げ、目の前にいたまた別の少年の額にぶつけた。
 ぶつけられた少年は、石をぶつけられた箇所を両手で押さえながら、それでもなお、石を投げた少年を睨みつけた。背丈から見て、その年代の子供では出来ないようなその睨みには、「世界に対する憎しみ」が込められていた。
 そんな憎しみの込められた睨みを見ても、石を投げた少年は怯まなかった。――否、その少年の背後にいる複数の子供達もまた、怯もうとはせず、地面に落ちていた石を拾い出した。
「知ってるんだぞ、オレ達は!」
 まるでリーダーとして崇められているように、子供達の目の前で先陣を切っている、先程石を投げた少年はそう言うと、にやりと笑ってみせた。
「お前、悪者の子供なんだろ……?」
「悪者はさっさとここから出てけよ!」
「ここは、オレ達の場所で、お前の場所じゃあないんだよ!!」
 先陣を切っていた少年に合わせるように、後ろにいた子供達も声を揃えて、痛みに耐えている少年を何度も罵倒する。

 罵倒する――。

 何度も何度も――。

 子供達は拾った石を投げ始めた。投げに使われる力は(あくまでその子供内での強さではあるが)余りに強く、「悪者の子供」と呼ばれた少年を、何度も痛めつけ、苦しめる。

 痛みを与える――。

 何度も何度も――。

「や、止めてよ!」
 少年と子供達の間を割って入るように、1人の少女が姿を見せた。その少女は仁王立ちで、痛がり続ける少年を庇おうとし、子供達の前に立ち塞がった。体は震えている。心は怯えている。それでも、少年を守ろうとした。
「お前、悪者の味方するのか?」
「だったらお前も悪者だ!」
 ただ、そんな少女の覚悟も、勇気も、強さも、一方的なただの暴力にとっては、ただの無力で、ただの脆弱で、ただの塵となった。

 石を投げ続ける――。

 何度も何度も――。

 少年は少女を庇うために、子供達の石をその背中に受け続けた。
 いつの間にか、少年を守ろうとしていた少女は逆に、少年に守られる立場となっていた。

 痛い、痛い――。

 体が……?

 違う――。


 痛いのは、心――。


 体も確かに痛いけれど、それ以上にどうしようもない痛みが、治ることも癒えることも無い痛みが、少年と少女の2人を包み込んでいく。

 存在を否定するその言葉が、その行動が、彼等を「苦しみ」に導いた。

 飽きた、の一言で、子供達はその場から立ち去っていった。
 夕日のせいで辺りが紅に染まっている中、その場に残っていたのは、子供達の一方的な暴力を受けてボロボロになった少年と、その少年を心配そうに見つめながらも、どうすればいいか分からなかった少女の2人だけとなっていた。
「だっ、大丈夫? お兄ちゃん……」
「バカ。 オレのことは……、そう言うなって言ったろ?」
 心配そうにしている少女の頭に、少年はそっと手を置いた。
「で、でも!」
「お前は良いんだ。 何も背負わなくて、何も負わなくて、何も受けないで、何も耐えなくて……。 父さんの罪は、オレの罪でもあるんだって、決めたんだ……」
 痛みで力が込めづらい体ながらも、少女に心配をかけさせまいと、少年は無理して立ち上がった。
 当然、その無理をしている、という点に、少女は気付いていた。それでも、少年のその言葉の意味を、その言葉の重みを、その言葉の覚悟を知っていたから、少女は何も言わず、少年のその言葉を受け止めた。少年のその動作に手を出せなかった。
アンナ――、“お前”は“お前”だ。 大切なのは、お前がどう思って、どう考えて、どうするかだ……! だから、兄妹だけど、同じ血は流れているけれど、そんなこと関係無いんだ――」
「私は……、私……?」
「そう。 お前は、オレなんかと一緒にいないで、一杯友達を作って、一生を楽しんでくれ。 ――オレにはもう、出来ないことなんだから……」
 少年はわざと、最後の言葉を聞き取らせないように、小さな声で言った。
 聞き取れなかったアンナは首を傾けるも、その後の少年の笑みを見て、そんな些細な疑問、すぐに消し去ってしまった。
「さ、そろそろ帰ろうか」
「うん、ファイガお兄ちゃん!」
「……人の話はちゃんと聞こうな」
 2人は帰路に着く前に、手を繋いだ。離れないように固く、千切れないようにしっかりと――。



 過去――。

 これはまだ、ファイガがデストロイドを復活させるほんの少しだけ前の話である。
 当然場所は、異次元空間(アナザー・ワールド)――。


 この当時、ファイガとアンナは、父――ガイア・ドラゴニルクを既に失っていた。またそれと同時に、父がいなくなったこと、いなくなった原因のことで苦しんでいた母をも、病気で亡くしていた。それゆえか、ファイガとアンナの2人は住む所さえ失っていた。
 ただ、そんな彼等を見かねた王――ゼオウ・シャインローズが、彼等を自分の下で生活させると言い出した。周囲の反対を押し切って、である。彼等はそれにより、生活の全てが保障される訳ではなかったものの、日常生活に困らない分の服装や食事、住む所を得ることが出来た。

 それでも王は、そして世界は、彼等に「安らぎ」を与えることは出来なかった。

 いや、世界はどちらかと言えば、彼等に「苦しみ」を与え続けた。

 彼等の父であるガイアの邪神復活計画――罪は余りに重く、この世界で永遠に語り継がれ、永遠の絶対悪となった。そのため、ガイアの息子であるファイガは、先にもあったようないじめに、常に遭っていた。アンナもまた、邪神復活計画実行時にはまだ生まれて間もなかった、ということもあってか、ガイアの娘であり、ファイガの妹であるということまでは、ほとんどの者が知らない情報ではあったが、常にファイガを庇おうとしていることから、いじめの対象となっていた。



「“悪魔の子”を隠すな!」
「早く追い出してよ!!」
「“悪魔”に、住む所を与えようとするなっ!!」
 ファイガがデストロイドを復活させる前、つまり未だゼオウの城が世界の中心に聳えていたこの頃、彼の城の前には、大勢の者が集っていた。彼等は別に、ゼオウが王であることに反対しているため、集っている訳では無かった。彼等の野次を聞けば察しがつくように、彼等が集う理由とは、ファイガ(彼等は知らないが、意味合い的にはアンナも含む)をゼオウが匿っていたからである。正確には、「匿う」という表現は正しくないのだが、彼等の解釈としては「匿う」となっており、それを認めていなかった。
 この野次に、ゼオウはいつも頭を抱えていた。
「どうして誰も分かろうとしないのじゃ……。 あくまで悪いのはガイア、そして邪神。 ファイガもアンナも、何も悪いことをしておらず、何も悪くないというのに……」
 それでも彼のこの言葉は、大勢の者の野次によって、瞬く間にかき消されていった。

 大勢の野次を、城の近くの茂みに隠れて、ファイガとアンナは聞いていた。
 今にも城に攻め込みそうな彼等の威圧に、アンナは体を震わせていた。そんな彼女の震えた手を掴み、ファイガは何度も「大丈夫」と彼女に語りかけていた。
 そんな時である。
 野次を飛ばす者達とは真反対の位置にある城の隠し扉から、1人の少年がこっそりと姿を現し、茂みに隠れた2人を見つけ出した。
「おい、大丈夫か? こっちから入れば、誰にもバレないで入れるぞ」
 そう言って少年は、屈託の無い笑みを浮かべ、2人を安堵に導いた。

 何とか野次を飛ばす者達にはバレずに城に入ることが出来た2人は、真っ先に服にべっとりと着いていた砂や泥を払い始めた。そんな2人の姿に疑問を持った少年はやがて、彼等の体に広がる無数の生傷を見つけた。
「お前等、この傷……!」
「何でも無い。 ちょっと公園で遊び過ぎただけさ。 ほら、前にお前と2人でやったろ? 掴み合ってさ。 ――あの時は、城の中だったっけ? アンナが、しかも公園でやりたい、って言った時は焦ったけど、意外にアンナが強くてなぁ……」
 傷に触れて欲しくない、そう思っていたファイガは咄嗟に、そう言葉を続けた。そんな兄の言葉から察したのか、アンナも同様に、さも彼と2人で楽しく遊んだ帰りということを表すように、小さく笑みを浮かべた。――引きつった笑いではあったが……。
「ふざけるなっ!!!」
 少年は声を荒げた。
 少年の怒る姿に、ファイガもアンナも、言葉と笑みを失った。
「嘘なんだろ?」
「な、何がだよ……?」
「傷の理由と、公園での出来事。 それに多分、他にも何かを隠してる」
「な、何も隠してなんかいないさ……。 なぁ、アンナ」
「そうだよ、嘘なんかじゃあ――」
「嘘なんだろ? その傷、日に日に増えるだけで、少しも治らないじゃないか」
「だからそれは、いつも激しい遊びをやって――」
「遊びで出来る傷と、そうじゃない傷の違い位、オレにだって分かる! ――何も言ってくれないのか、オレには……!」
 少年と、ファイガとアンナのやり取りの中で、少年はついに涙を見せた。
「オレ達、友達だよな……?」
「友達だ、それは間違いない」
「じゃあ何で、何も言わず、教えてくれない?」
「今は言いたくない……。 今は……、今だけは……」
 少年の涙を見ていられなくて、その涙の訳が自分にあることを知っていて、ファイガは思わず、地面に目を逸らしてしまった。
「オレはそれを、何回聞けば良いんだ……?」
「……友達を、失いたくないんだ……」
 地面から少年に目を移しはしない。それでもファイガは、その言葉にある種の力を込めた。
「お前とだけは、ずっと友達でいたい。 だから……!」
「オレは! 失うような友達なんて作らない!!」
 少年は再び声を荒げた。
「友達を裏切ったりなんかしない! 友達をやめたりなんかしない! お前とは、友達で在り続ける!!」
「それこそ嘘だ……!」


『お前、悪者の子供なんだろ……?』


 ファイガの脳裏に、先の石を投げた子供の言葉が過ぎる。
 昔は友達だったのに、父の悪行を知ってから、友達ではなくなった。


『ここから出てけよ!』


 痛いのは、心――。
 繋がっていたものが千切れる時、そこには痛みが伴う。両方の場合も、他方の場合も、今回のように、一方的な場合もある。


「嘘に決まってる……!!」
 これ以上信じて、そして裏切られたら、ファイガの心は壊れてしまう。アンナの心もまた、同様に――。
 自分達の心の「罅」、その程度を彼等は知っていたのだ。
 だからこそ、もう誰も信じない(信じられない)。本当を言わない(言えない)。嘘で固める(しかない)。
 千切れなければ、そこに痛みは伴わないから……。

 突然、ファイガの頬に温もりが広がった。その要因は、少年の手だった。
 少年は、地面に目を逸らしていたファイガの頬を両手で挟むと、彼の目を強引に自分に向けさせたのだ。
「よく聞けよ、ファイガ」
 突然の彼のその動作に、ファイガは驚くばかりであった。
「オレはバカだ。 どうしようもないくらいに、救いようもないくらいにな」
 突然の彼のその言葉に、ファイガは驚くばかりであった。――むしろ、その驚きの加速を促した。
「だから、お前に嘘を言う意味が分からん」
「えっ……?」
「お前に嘘を言って、嘘の絆を作って、嘘の友達になって、オレに何の得がある?」
「それは……」
「なっ! 損得で考えるのも変だけどさ、嘘でオレに得は無い!」
「そうかも知れない、けど……」
「そうかも知れない、じゃなくて、そうなんだよ!」
 そう言って、少年はファイガの頬を挟む手を離した。もう、ファイガは少年から目を逸らそうとはしなかった。真剣に話している少年のその眼差しから、目を逸らそうとはしなかった。
「教えてくれよ、ファイガ。 そして、オレに証明させてくれ」
「証明……? 何を……?」
「本当の繋がりってのは、絶対に千切れないってことをな!」
 少年のその笑顔に、ファイガも自然と笑顔を返した。
 そんな2人を見ていたアンナも、涙を流しながら笑っていた。


 こいつが友達で、良かった――。


「ありがとう、啓太――」
「何がだ?」
「いや、言いたくなっただけだ……」


 ありがとう、啓太――。
 友達になってくれて、友達でいてくれて、友達を続けてくれて――。


 その後、ファイガは重たくなった1つの扉を開けた。自分の頭の中にある、心の中にある、自分からは誰にも言えなかった、過去の出来事の詰まった部屋に繋がる扉を――。
 そしてゆっくりと、彼は啓太に、自分の父がガイア・ドラゴニルクという、この世界の悪である邪神を復活させようとした男であることを、そのことが原因で日々いじめに遭っているということを伝えた。
 ゆっくりと話し、正確に伝えようとしていたが、いつの間にかファイガの口調は強く、早くなり、話し終えてみれば、あっという間の出来事となっていた。
「……という訳だ……」
 ファイガは、この言葉で過去の語りを締めた。
 全てを話し終わったからか、彼の顔は何処かすっきりとしていた。全ての鬱憤を晴らしたような、達成感に近い表情をしていた。
 だが、その表情の裏側にはもちろん、曇りもあった。隣で静かに座り続けていたアンナにも、同様の曇りが見られた。友達である啓太に、自分の全てを話したせいで(信じてはいるものの)裏切られるのでは、という不安があったから。
「フ〜ン。 よしアンナ、デュエルしようぜ」
「へ?」
 ファイガの目が点になった。
「何だよ、ファイガ。 お前もデュエルしたいのか? しょうがねぇなぁ」
「いやいや、デュエルしたいしたくないじゃなくて!」
「デュエルのことじゃねぇの? じゃあアンナ、前回は1勝1敗で終わっちまったからな。 まぁ、前回の1敗はオレのミスだったとして、今回はもう負けねぇぞ」
「啓太お兄ちゃん、私のデッキが前回と同じとでも……?」
「な、何……!? ――ていうか、口調変わってるぞ、オイ」
 啓太は笑いながら、同じように笑うアンナの手を掴んだ。
「ま、待てよ!!」
 そんな彼を、ファイガは止めた。
「どした?」
「“フ〜ン”の一言で終わりなのか? さっきの話を聞いて……。 そんな訳……!」
 ファイガの言葉が詰まった。
 何を言ってるんだオレは、と疑問を抱きながら、言葉を続けようとした。言葉の詰まりは、直りそうになかったけれど……。

 啓太が友達でいてくれる、何事も無いかのように接してくれる、それは嬉しい。それでも、何事も無さ過ぎるのでは、胸の何処かにしこりが残ったかのような、奇妙な感覚に苛まされてしまう。ファイガは、そう感覚的に捉えていた。

「安心しろよ。 もうお前等をいじめる奴なんて作らせねぇよ。 お前等をいじめる奴がいたら、オレがそいつ等をこらしめてやる。 オレがお前等を守ってやる。 ――絶対にだ」
「そ、そうじゃなくて! いや、それは嬉しいけど……。 本当に、何とも――」
「思わねぇよ! そもそもオレは、その事件の後にここに来た人間だ。 それ以前の記憶が無い、不確かな人間だ。 不確かでも、不確かだからこそ、お前に怯えたり恐れたりはしないよ」
 そう言うと、啓太は自分のデッキを取り出し、アンナと楽しくデュエルを始めた。
 アンナは、先程までいじめられていたとは思えないような、楽しそうな笑みを浮かべていた。



 こいつが友達で、本当に良かった――。



 彼はもう一度、そう思った。

 そんな彼等3人を見つめる影が2つあった。
 1つはゼオウ。彼の意思を知り尽くしたかのような啓太の言葉に、その彼の言葉を聞き入れ、友情を深めたファイガの姿に、それを安らぎとしたアンナの笑顔に、彼は嬉しくなり、涙を流していた。
 そしてもう1つは……。

 その夜、彼等3人は楽しくデュエルをし続け、いつの間にか眠ってしまっていた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 夜が明け、次の日となった。
「アンナァッ!!」
 ファイガの叫び声が、城全体に響き渡った。息を荒くし、苦しみながら何度も叫ぶ彼の姿からは、かなりの焦りが感じ取れた。
「ここかっ……!? 違う……。 それじゃあ!」
 城の中に数多ある扉、その全てを彼は開き、中を確かめていた。
「どうしたの、ファイガ」
 焦る彼の叫びを聞きつけ、1人の少女が彼に声を掛けた。
 その少女は、綺麗な黒髪を靡かせ、寝ぼけ眼ではあるが、それを差し引かずとも相当な美人であった。
「アンナを知らないか? 今朝から見てないんだ……! もう起きてて飯食ってるのかと思ったらそうじゃねぇみたいだし、トイレかと思ったけどそれでもねぇみたいだし……」
「トイレ? ファイガ、もしかしてだけど……、その……覗いたの……?」
「バカっ! 誰が覗くか! 通りかかった使用人に確認してもらったんだよ!」
「あぁ、そうなんだ。 面白くないな〜」
「いや、面白い面白くないじゃなくてさ」
「分かってる分かってる」
「ホントかよ……」
「ホントよホント。 ――私も捜すよ」
「頼むぞ、マイ
「啓太は?」
「もう手伝ってもらってる!」

 それから、ファイガ、啓太、マイの3人は、その他の使用人何人かにも手伝ってもらいながら、アンナを捜し回った。探索範囲は、城の中だけに留まらず、城周辺の土地にまで広げた。
 それでも、アンナを見つけることは出来なかった。

「アンナ……」
 見つからない彼女を心配して、自分の不甲斐無さに苦しんで、ファイガの表情は次第に暗く沈んでいった。
 そんな彼の姿を見るに見かねて、アンナ捜しは何人かの使用人とマイに任せ、ファイガを宥めるように、啓太は彼の側に居続けた。
「大丈夫だよ、ファイガ……。 きっと見つかるさ」
「アイツは、オレの……たった1人の家族なんだ……。 オレにはもう、アイツしか……!」
「分かってる。 分かってるから……」
 焦り、苦しむファイガを見て、側に居続ける啓太ではあったが、彼はファイガに何をすれば良いのか、何を言えば良いのか、分からないままであった。
「よぉ、ファイガ」
 その時、ファイガと啓太の前に、1人の少年が姿を見せた。どうやらその少年、昨日のいじめ――ファイガに石を投げる時、先陣を切っていた子供であった。
「お前、誰だ? ――というより、どうやって入ってきた?」
 落ち込むファイガの代わりに、啓太が怒りをその少年に向けた。
 だが、そんな啓太の怒りを余所に、少年は悪びれた表情であり続けた。
「どうやって、の質問には簡単だな。 お前がファイガを城に入れたそこの隠し扉からだな」
「隠し……扉……?」
 落ち込んでいたファイガが、つぶやくようにそう言った。
「そんなことよりお前達、気になるんじゃないのか……? アンナ――て言うんだっけ?の居所をよぉ」
「お前、知っているのか!?」
 少年の「アンナ」の言葉に、ファイガは即座に反応し、彼に掴みかかった。
「怖い怖い……。 やっぱりお前は悪者だな」
「黙れ……! アンナは何処に居る……!!」
「そんなに気になるか……。 そりゃそうだよなぁ、自分の妹なんだから」
「お前、それを何処で……!」
「何処でだって良いだろ? そんなことよりこの手、離してくれよ……。 居所が永遠に分からなくなるぞ?」
 少年のその言葉を聞き、ファイガは仕方なく、と言った表情で、彼を掴んでいた手を離した。
「昨日の話も、ここに入って聞いてたぞ。 まさか悪者が、もう1人いたとはなぁ……」
「アンナは関係無い。 あいつは……、あいつは……!」
「関係あるね。 お前のたった1人の家族なんだろ? 関係無い、なんて言ってやるなよ。 可哀想じゃねぇかよ」
「何処にやった……? アンナを、何処にやった!!」
 声を荒げるファイガ。
 その姿を驚きながらも、見ていることしか出来ない啓太。
 2人を見て嘲笑う少年。
 嘲笑う少年は、笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「何処、か。 知らねぇなぁ。 正確には、何処にやったかは知っているが、何処に行ったかは知らない、って感じかな」
「どういう意味だ……?」
「そこにいるもう1人の奴は知らねぇだろうけど、ファイガ――お前は知ってるよな? ――“精霊谷(ソウル・バレー)”」
「“ソウル・バレー”……精霊の谷……?」
 少年の言葉にピンと来ない啓太は、首を傾けるだけであった。
 だがその一方で、ファイガは目を見開き、驚きを表した。
「あそこの近くに、ポイっと置いてきたよ。 オレ1人なら無理だったけどさ、オレの親も悪者2人がここにいるのを反対しているからな。 脅しにでもなればいいかなって感じで、協力してくれたよ。 まぁ、あそこにはまだ、精霊はいないみたいだったけど、今はもうどうか――」
 少年の言葉が終わる間に、その言葉は一発のビンタによって遮られた。少年はビンタによって倒れ、気を失い、その少年を見下ろすマイがそこにはいた。
「最低ね……」
精霊谷(ソウル・バレー)……」
「あぁ、啓太は知らなくて当然だよね。 精霊谷(ソウル・バレー)――8大精霊の内、この空間に居座っている変わった精霊2体が住まう土地よ」
 啓太の疑問にマイが答える中、ファイガは既に少年に向けていた怒りの表情そのままに、城から出ようと一歩を踏み出していた。
 だがそれを、すぐにマイが止めた。
「ファイガ……。 何処に行くつもり?」
「この流れで、それを聞くのか?」
「……ダメよ、ダメ。 絶対に行かせないよ。 行かせる訳にはいかない……!」
「どいてくれ……」
 一歩を踏み出すファイガの前にマイは仁王立ちし、彼の歩みを止めようとする。それでも彼は、止まろうとせず、着実に一歩ずつ進み、マイの目と鼻の先にまで近づいた。その時の彼の表情には鬼気迫るものがあり、その怒りに呼応するように、彼の腰に着いたデッキケースの中に入っている3枚のカードから、巨大な「闇」が漏れ出していた。
 当然、その「闇」は誰の目にも入らない……。
 それでも、「闇」は確実にファイガの怒りを増幅させ、彼の表情を険しくさせていった。
「どうして行かせようとしないんだ、マイ」
 啓太は、怒りを増やしつつあるファイガと、それに怯えるマイの間に立ち、彼女にそう聞いた。
「あそこには2体の精霊がいるって言ったでしょ? “破壊”“再生”の精霊がね。 その内、“破壊”の精霊だけは、8大精霊の中で唯一、人間の言葉に耳を傾けようとしない精霊なの。 あくまで耳を傾けないってだけで、自分の領土――精霊谷(ソウル・バレー)にさえ入られない限りは、温厚な方なんだけど……。 領土に入られた途端――」
「どいてくれ……!」
 マイの危険を説明する言葉を無視して、ファイガは自分の目の前に立った啓太をどけ、彼女を睨みつけた。
 マイはその睨みに怯み、恐怖した……。
 それでも、彼女はその場から離れようとはしなかった。ファイガを止めるためにも――。
「落ち着けよ、ファイガ……! よくは分からんが、お前の今の行いが危険だ、ってことは理解出来たぞ。 せめて少し落ち着いてから――」
「どいてくれ!」
 ファイガの叫び。心の奥底から、奥底にある怒りから、怒りの根源である「闇」から、その叫びは放たれ、マイと啓太の動きを止めた。
 マイも啓太も、本来ならば動きを止めること無く、ファイガを止める努力を続けようとした。だが、体が勝手にその動きを止めてしまった。心が勝手に、ファイガに対して恐怖心を覚えてしまった。心を、「闇」が覆った。
 マイと啓太が動かないのを良いことに、ファイガは城の重たい扉をゆっくりと開けた。ギギギ……といった、扉が軋む音が激しく城中に響き渡るも、アンナを捜しに出ているせいで、城の中にファイガを止める者は、誰も残っていなかった。
「ファイ……ガ……!」
 止まった体を動かそうとしながら、残りかすのような振り絞り声で、啓太はファイガを呼び止めようとした。
「啓太……」
 啓太の言葉に、ファイガは少しだけ反応した。彼が足を止め、啓太の方を振り返ろうとしているように見えた。そのため、啓太は少しだけ笑顔を取り戻しかけていた。
「オレ達……、友達だよな……?」
「あ、あぁ。 当たり前じゃねぇかよ、ファイガ」
「じゃあ、正直に答えてくれないか……?」
「何だよ……?」
「アンナがオレの妹だってこと、バラしたのは……、お前なのか……?」
「そんな訳……!」
「じゃあ何で!? 何でオレが話した次の日にすぐ、アンナがオレの妹だってことがバレてるんだよ!! ――まだあるぞ。 城の隠し扉のことだ。 オレはあの扉の存在を、お前が開けたあの瞬間まで知らなかった。 なのに、城に一度も入ったことの無いような奴が、隠し扉の存在に気づけたのか……? なぁ、おかしいと思わないか!?」
「そ、それは……!」
 ファイガの言葉から来る威圧に、啓太の言葉が詰まってしまった。

 ここで書いておくが、啓太は決して、先の少年に「アンナがファイガの妹である」ことや、「城の後ろには隠し扉が存在している」ことを話してはいない。「アンナがファイガの妹である」ことを知れたのは、少年が城の中で盗み聞きしていただけであるし、「城の後ろには隠し扉が存在している」ことを知れたのも、少年の親が城建設に携わっていた使用人の1人であり、そのことを親から聞いたからである。

 それでも、上記のような理由を啓太が知ってる筈も無く、即座に推測し、ファイガにそれを伝えられるような状況でも無かった。
「オレは行く。 誰の力も要らない。 誰の助けも、誰の言葉も……」
 ファイガの目から一滴の涙が零れた。
「――友達も」
 その言葉を最後に、その涙を最後に、ファイガは城を飛び出し、精霊谷(ソウル・バレー)へと走り出してしまった。
「……友達……も……要らない……?」
 ファイガの最後の言葉に、啓太はその場で膝から崩れ落ちてしまった。
 そんな彼を見つめながらも、マイは自分の体が動けるようになっていることに気付いた。そして、気付くと同時に、地面に崩れていた啓太の手を掴んだ。
「啓太! ファイガを追いかけるよ! 今ならまだ、すぐに追いつけるかも知れない!!」
 マイは彼の手を引っ張り、ファイガを止めるべく、城の外へ出ようとした。
 だが、啓太はその場でぴくりとも動こうとはしなかった。落ち込み続け、その場で動けるだけの精神力を、彼は残していなかった。
「オレは……、お前の……」
「友達なんでしょっ!!」
「マイ……」
「だったら、止めに行かないと! 止めれなくとも、力を貸してあげること位なら出来る!」
「でもアイツは……、要らないって――」
「その言葉を素直に受け止めるなよ! 要らないなんて勝手に言わせておけば良いの。 だったらこっちも、勝手に力を貸してあげれば良いだけなんだから。 勝手に“友達なんだ”って、言い続ければ良いだけなんだから! ――そうでしょっ、啓太!!」
 マイの言葉が、啓太の心に染み渡っていった。

 そして、思い起こした。


『本当の繋がりってのは、絶対に千切れないってことをな!』


 自分の言葉を、自分の思いを、自分の覚悟を。
 千切れることの無い、確固たる決意を――。

「ありがとう、マイ」
 啓太はゆっくりと立ち上がり、マイの手を掴み返した。
「そうだよな……。 アイツにはもう2度と、繋がりの千切れる痛みを受けて欲しくない!!」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 龍の咆哮が響き渡るその大地に、ファイガは足を踏み入れていた。
 辺り一面に広がる広大な荒野。ただ広いだけで、ほとんど何も無いこの荒野が、皆が声を揃えて言う「精霊谷(ソウル・バレー)」であった。
 そのど真ん中に、ゼオウの城を求めてか、ファイガの姿を求めてか、目的地も分からないままに彷徨い歩いていたアンナの姿を、彼は見つけることが出来た。
「アンナ……!」
 ファイガは彼女を呼んだ。
 彼女は兄の呼び声に気付き、彼を見つけ、笑顔を浮かべた。

 アンナは走った。
 ファイガも走った。

 2人は笑った。


 お互いの姿を確認することが出来たから――。



 2人は手を伸ばした。





 お互いの温もりを欲したから――。















 ただ、その手が交わることは無かった。















 ファイガの目の前を、巨大な炎と風が通り過ぎた。










「えっ……?」
 ファイガの中の時間が、世界が、完全に静止した――。
 動き出した時間、世界の中で、彼の目の前に広がった景色は、何も無い広大な荒野と、その中心で横たわる、変わり果てた姿となった妹だけだった。





「うっ……、ァアアアアアァァアアアアアアアアアアアァアアアアアアアアアアァァァアアアァアアァァアアアアアアアァァアアアアアァァアアアアアアァァアアアアアアアアアアアアアアァァァアアアアアアアアアアアアァアアアアアアアアアアアアァッッッ!!!!!




 悲鳴にも似た叫びを上げながら、ファイガは変わり果てた姿をした妹の側まで駆け寄った。
 アンナはもう、火傷を通り越して全身の皮膚全てが剥がれ落ち、肉と血の塊だけとなっていた。死んでいるかも知れないと思えた彼女ではあったが、どうやら生きているようで、それでも声を発せられないために、口をパクパクとだけ動かしていた。その姿は余りにも残酷で、しかしこんな状況に至らしめた存在からすれば、ある意味滑稽でもあった。――この場合、死ぬほどの、いや普通ならば死ぬはずの痛みを受けてなお生きていることに、彼女は絶望すべきなのかも知れない。
 そんな彼女を抱き寄せ、自分の体が汚れることなんて気にせず、彼は叫び続けた。返ってくる言葉なんて無い、そんなこと分かりながらも、分かっているからこそ、彼は嘆き続けた。

 叫び続けた――。
 嘆き続けた――。

 叫ぶことも嘆くことも出来なくなったアンナに代わって――。

「こっ、コレは……!?」
「こんなのって……、酷すぎるよ……!」
 ファイガの叫びが、嘆きが、辺りに響き渡る中、啓太とマイはその場に辿り着いた。
 ただ、彼等は一瞬で言葉を失い、歩みを止め、涙を浮かべた。

 声を出し続ける者、声を失い続ける者2人、そんな3人を余所に、その場に1体の龍が降り立った。全身を完全に鎧で武装したその龍は、地面に降り立つと同時に、激しく雄叫びを上げた。
「“アームド・ドラゴン”……!?」
「違う。 コレが……、この龍が……」
 その龍の姿に驚く啓太とマイを遠くに、アンナであったものをそっと横にして、ファイガは立ち上がった。
「コイツが、“破壊”の精霊か……!」
『それは警告だ……!!』
 龍の雄叫びが声へと変わり、辺りに響き渡った。
『この地に足を踏み入れる者は全員、私が消し去ってやる……! この神聖な地を汚す者は全員、私が……ッ!?』
 龍の声が、急に途切れた。
 原因は、ファイガの現在の状況にあるようだった。
「お前が……、アンナを……!」
 彼を覆う、デッキケースから出現している「闇」に龍は気付き、その危険性を把握した。――いや、その「闇」が邪神であることを把握した。そして、それが邪神である以上、何をすればならないのかも同時に、瞬時に把握した。
『貴様……、何故“邪神”を持っている!!?』
「えっ、“邪神”!?」
「何でファイガが……!!」
 啓太とマイもまた、龍の言葉を聞き、ファイガの状況をぼんやりとではあるが把握した。
 だがそれは、龍にとっても、ファイガにとっても、どうでもいいことであった。

 龍は目にも止まらぬ速さで口を開き、アンナを苦しめる原因となった炎と風を、ファイガに向けて解き放った。

「ファイガァアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
 啓太が叫んだ。
 だがその叫びは、ファイガには届かなかった。

 ――届く必要が無かった。

「オレは……、力が欲しい……!」
 ファイガに、炎が近づく。風が近づく。消し去ろうとする力が近づく。
 それでも、彼はそれを避けようとはしなかった。

 ――避ける必要が無かった。

『――父ちゃん……! 父ちゃんっ!!』


『お前、悪者の子供なんだろ……?』



『アンナ……!』





『それでも、お前に怯えたり恐れたりはしないよ』










『誰の力も要らない。 ――友達も』










「何者にも屈しない力! 何者をも平伏す力!! 何事をも覆す力!!! 何事をも成し遂げる力!!!! オレはっ!! ――それが欲しいッ!!!!
 全ての過去を振り払うように、ファイガは叫んだ。




















『―――ヤルヨ、幾ラデモ……!』




















 ――「闇」が目を開けたから。


 刹那、ファイガに向かっていた炎と風が、一瞬で爆ぜ飛んだ。
『何っ……!?』
 龍がその爆発に驚き、爆発の原因を作ったその「闇」に怯えた。

 それからは、全てが一瞬で終わった。
 ファイガを覆っていた「闇」が、恐怖の権化となる悪魔と、破壊を好む邪龍へと姿を変えた。悪魔は龍の顎をアッパーで殴り飛ばし、その一撃で龍の鎧のほぼ全てを消し去った。邪龍は鎧の無くなり、無防備となった龍に向かって炎を放ち、龍を完全に無力化させた。その後、また新たな「闇」が生まれると、無力と化した龍を飲み込み、その龍を漆黒に染め上げてしまった。
 ここまでの「闇」の動作は全て、ファイガの意志とはほぼ無縁で行われていた。それゆえか、それを離れて見ていた啓太とマイ同様、ファイガもまた、その「闇」の動作に驚いていた。
 その後、悪魔と邪龍、龍を漆黒に染めた「闇」の3体は再び交わり、融合したそれは、ファイガの横で小さな漆黒の太陽となった。
『コレデ、コノ精霊ハ完全ニ、オ前ノモノダ……!』
「お前が、“邪神”か……」
 目つきの鋭くなったファイガが、自分の横に存在する漆黒の太陽の方を向いて、そう言った。
『アァ……。 今ハコノ程度ダガ、完全復活スレバ、コレ以上ノ……オ前ノ望ム以上ノ力ヲ発揮出来ルゾ……!』
 漆黒の太陽へと姿を変えている邪神の言葉を聞いて、ファイガは今まで見たことが無い位の邪悪な笑みを浮かべ、ドス黒い感情を湧き上がらせていった。
 そんな彼の笑みに、その笑みから感じ取れる感情に、恐怖を抱きながらも、驚きの感情と共にそれを振り払い、啓太とマイは怯えることなく、彼の下に近づこうとしていた。一歩一歩、確実に。彼に辿り着き、彼に取り憑いている邪神――「闇」を振り払うために。
「ファイガ……。 そんなものに、屈するな……!」
 邪神の存在を、啓太は知らない。
 邪神の危険度を、啓太は知らない。
「“そんなもの”に頼っちゃダメだ……! 何も変わらない……、変わる訳が無い……! 誰の力も要らない? ――違うだろ。 誰かの力を借りて、裏切られるのが怖いだけなんだろ!? オレは裏切らない……! マイも、裏切らないから……!」
 邪神のもたらすものを、啓太は知らない。
 それでも、ファイガが縋ろうとしている「闇」が、人が決して触れてはいけないものであるということは、感覚で理解することが出来た。隣で自分と同じように、ファイガを心配し、彼の下へ向かっているマイの姿からも、推測することが出来た。
 だから、彼は手を伸ばした。

 ただ、その手も交わることは無かった。

「どうやったらお前を復活させられる……?」
 手を伸ばし続ける啓太のことを気にも止めず、ファイガは隣の邪神との会話を続けた。
『“闇ノ化身”ト、“神ノ真名”ガ欲シイナ……。 ソシテ、“再生ノ力”モダ……』
「やってやるよ……。 そん位、集めてやる……!」
「ファイガ! 目を、覚ましてくれ!!」
 ようやく啓太が、ファイガに手の届く距離にまで近づくことに成功した。
 すぐに彼はファイガに手を伸ばし、彼の手を無理矢理にでも掴もうとした。交わる必要なんて無い。強引でも良い。今はただ、彼をその場から動かしたくて、彼は手を伸ばし、ファイガの手を掴もうとした。
 だが、ファイガはそんな手を振り払った。
「目なんてもう覚めてやるよ。 そう、覚めてる筈だったんだ……。 父さんが殺されたあの時から……。 シンへの復讐を誓って、世界を呪って。 でも、復讐したって呪ったって何も変わらない、そう思う気持ちもあった……。 確かに、もう何も変わらない。 もう決めたんだ。 もう……、迷わない」
 その瞬間、邪神の力のせいか、啓太とマイの動きが静止した。そして、ゆっくりと空中へ浮上すると、足も手も何にも届かないところで、2人は磔にされてしまった。
「どうする気だ、“邪神”」
『痛ミサ……』
「痛み?」
『痛ミガ人ヲ支配出来ル……。 ツマリハコウスレバ、オ前ニ逆ラオウトシナクナル……!』
 邪神はそう言うと、自らの姿を漆黒の太陽から、黒い液体へと姿を変え、そのまま啓太の下へゆっくりと近づいていった。そして、怯える啓太を余所に、邪神は彼の耳や鼻の穴、口から彼の「中」へと入っていった。邪神が入ってくるため、啓太は涙を流しながら、体をじたばたさせて、邪神の動作を妨害しようとした。ただそれでも、磔にされている啓太の動きはたかが知れ、邪神もその動作を止めること無く、彼の「中」に入り続けていった。
「ッ……、ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
 邪神が「中」に入りきったその瞬間から、啓太は悲鳴を上げ始めた。始めは正常な声で、途中からは喉が潰されかすり声となって、やがてはもう声ですら無くなっていた。

 彼の「中」に、痛みが走る。

 全身を隙間無く、隅々まで痛くない場所が無いと言える位に、彼の「中」に痛みしか残らない位に、邪神は彼に痛みを与え続けた。もちろん、その痛みで彼が気絶することは無かった。気絶しようと思えば、そんなことをさせないと言わんばかりの更なる激痛が彼の「中」を走り、その激痛でも気絶しようと思えば、それ以上の更なる激痛を――。その繰り返しだった。
 苦しむ彼を横で見ていたマイの顔は、恐怖でぐしゃぐしゃになっていた。自分もこれを喰らうかもしれない、という恐怖が、彼女の「心」に痛みを走らせた。

 それがどれ位続いただろうか。
 しばらくすると、啓太の「中」から邪神が出てきて、ファイガの側にまた戻ってきた。
『コンナモノダロウ……。 隣ノ女モ、恐怖トイウ痛ミデ、モウ潰レテイル……』
 その言葉と共に、宙での磔が解除され、啓太とマイは地面へと崩れ落ちていった。その際、啓太はもう意識を失くしていたために、マイはもう意識を失くしかけていたために、受身を取れず、地面に崩れた。
『ツイデニ、男ノ方ハ記憶ヲ消シテオイタ……。 コレデ今日カラ、先ノ“精霊”同様、コイツモオ前ノ手足トナル……』
「あ、あぁ……、そうか……」
 一滴の冷や汗を額に浮かべながら、ファイガはゆっくりと邪神の言葉に返事をした。
『ソレカラ、オ前ニハ、コレモ必要ダロウナ……』
 邪神は言葉を続け、ファイガの目の前に無数の「闇」の塊を出現させた。
「何だこれは?」
『何ノ変哲モ無イ、タダノ“闇”サ。 他ニモ、コウイッタモノモ出セルゾ……』
 出現した無数の「闇」を押しのけるかのように、ファイガの目の前にまた新たに、「闇」を楔状にしたものが全部で108つ出現した。そしてまた、108つの楔を押しのけて、7つの人型の「闇」が出現した。
「答えになってないな。 だから、“何だこれは”?」
『タダノ無数ノ“闇”ト、108ツノ“力”、ソシテ7ツノ“罪”ダ……。 “闇”ヲ受ケタ者ハ目覚メ、ソコカラ“力”ヲ受ケルコトデ覚醒シ、ソシテ“罪”デ暴走スル……。 コレラハ、ソウイウモノダ』
「これでオレの手駒を増やせ、という訳か……」
 邪神の言葉を聞き、考え込みながら、ファイガはふと目を横に逸らした。するとそこには、まだ意識は失くしていないものの、恐怖で体を固くしたマイがいた。
「“闇”が目覚めさせ、“力”が覚醒させる、か……」
 笑みを浮かべ、ファイガは恐怖するマイに近づいた。
「な、何……?」
「いや……」
 倒れ、立ち上がることの出来なくなったマイに合わせるように、ファイガはその場でしゃがみこんだ。
「去年のことだったっかな。 この世界に、“あちらの世界”から1人の少年と、その親がやって来た。 いわゆる里帰り、って奴だな。 里帰りの理由は、少年の中で芽生えつつあった“闇”を封印するため。 当然そのことを、少年は知らない。 知っているのは、その親と、更にその親だけ……。 知らないってことは、実際に封印してもらう時以外は、自由にこの世界で過ごしてたってことだ。 自由にこの世界の人々と触れ合えたってことだ」
「それが……、どうしたの?」
「丁度、その時位からだったよな? 人見知りなお前が、明るく人と接することが出来るようになったのって……」
「だからそれが……」
「その少年は、“闇”を封印し終えると、再び“あちらの世界”へ帰ってしまった。 元々、“あちらの世界”で生まれた奴だったからなぁ。 “闇”を封印し終えた今、その少年が再びこの世界に来ることは無い。 つまり、もうその少年に会うことは出来なくなった、って訳だな。 ――可愛そうになぁ……」
「だから……、何が言いたいの……?」
「お前、その少年のことが好きなんだろ?」
「……ッ!!」
 ファイガの言葉で、マイの顔が赤くなった。ここら辺は、彼女の体を縛り付ける恐怖とは、全く無縁のものらしい。
「図星、だな……。 ん〜、大体5歳差か。 まぁ、無い話では無いな。 年齢が年齢なら、犯罪スレスレのような気もしないでも無いが……。 まぁ、しょうがないよな。 相手は、要するに王の孫――クリア・シャインローズ。 玉の輿だもんな、玉の輿。 女性って、大体そういうのに憧れるんだっけ?」
「違う! 私が……、彼を……好きになったのは……」
 マイの言葉が詰まった。
 それを待っていた、と言わんばかりに、ファイガの笑みがより一層のものとなった。
「“あちらの世界”で会わせてやるよ、って言ったらどうする?」
「えっ……」
 マイの表情が緩んだその瞬間、ファイガは彼女の額に、楔を打ちつけた。邪神が先程出現させた、「闇」の楔――「力」を表す楔を――。
 やがて、マイは意識を失い、ゆっくりとその場で倒れこんだ。

『気ヲ付ケロヨ……。 “力”ハ通常、“闇”ヲ与エテカラデ無ケレバ……』
「生半可な人間が“力”だけ受けても、体がそれに耐え切れない、だろ? 何となくだが、予想はつくよ」
『ジャア、何故?』
「知らないのか? “恋する乙女”は強い、らしいぜ……」
『分カラナイ世界ダナ……』

「……オレもさ……」

 一瞬だけ最後に見せたファイガのその表情は、とても優しいものだった。
 そして、その優しい表情で彼は、自分の後ろで横たわっていたアンナを見つめた。彼女はもう、先程まで動かしていた口も含め、体全身が動かなくなっていた。


 そんなアンナを気にしつつも、彼は黒き龍――元・破壊の精霊に、気を失っていた啓太とマイを乗せ、その場を後にした。
「ところで、オレは“闇”とか“力”とか、“罪”みたいなものは持たなくていいのか?」
 優しき表情の消えたファイガが、隣にいる邪神にそう聞いた。
『私自身ノ与エル“闇”ヤ“力”ガ、必要カ……?』
「そういやそう――」
『ソレニ、“邪神”ヲ従エヨウトスルソノ“邪心”コソ、7ツノ“罪”ヲモ上回ル最大ノ“罪”……!』
「……自分で言うなよ……」

 こうしてファイガは、邪神より受け継いだ「闇」「力」「罪」を用いて、自身を主とする組織――「デストロイド」を復活させた。
 彼は、「闇」のみを持った者達は第3部隊として、「力」をも持った者達は第2部隊として、「罪」も含めた全てを持った者達は第1部隊として、組織内でのランクを作った。そして、全ての記憶を失い、ある意味最も邪神に支配されてしまった者を、自分の側近――デリーターとした。


●     ●     ●     ●     ●     ●


 時は戻り、現在――。
 最上階へと登ってくる2人分の足音を聞きながら、ファイガは過去を振り返り終えた。

 彼は「邪神」を求めた。――いや、それによって手に入る絶対的な「力」を求めた。
 復讐するための力、呪うための力、痛まないための力、そして……、迷わないための力――。

 これで終わる……。
 完全な邪神を手にし、神崎 翔――いや、クリア・シャインローズを倒し、世界を終焉へと導く。





「ようこそ、“永遠の城(エンドレス・キャッスル)”最上階へ――」





 時は進み、未来へ――。


第9話 君の知らない物語――過去が語る物語




続く...




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