デュエル デュオ レジェンド
1 笑われる傷跡

製作者:和水遊希さん






目次

破の序破の破破の急





 赤い瞳を閉ざせば、黒の世界が一面に広がる。
「――キミはここにいない。でも、ボクはここにいる……」
 ムトウ・ユウギはアテムと決別し、悲しんでいた。涙をこらえ、瞳を閉ざしていた。
 アテムは親友、目標、恩人――なににも代え難き存在。だからこそ、亡くした時の悲しみも大きい。
「……それは悲しいけど……」
 悲しいけれども、悲しみをこらえる。
「でも……、やっと気がついた――」
 ユウギは強い彼に憧れ、彼の生き様を追ってばかりで生きてきた。でも――
「ボクはボクで、キミにはなれない」
 自分は自分でしかない。――理解はできる。でも理解しようとしていなかった。
「そんな当たり前な事を、キミの犠牲の果てに――」






 ――白い……。
 ユウマの視界は真っ白だった。
 無音、無味、無臭――無感覚。自分自身の存在すら不明。
 なにも聞こえない。なにも臭わない。視界は真っ白。自分の体はどこ?
 ――無感覚。
 なにも聞こえない。なにも臭わない。視界は真っ白。自分の体はどこ?
 ――無感覚。
 本当になにも感じない。そして意識は曖昧だ。
 なにも聞こえない。なにも臭わない。視界は真っ白。自分の体はどこ?
 ――無感覚。
 なにも聞こえない。なにも臭わない。視界は真っ白。自分の体はどこ?
 ――無感覚。
 なにも――いや、声が聞こえてくる。
〈ブラックマジック!〉
 その声は自分自身の叫びだった。
 『ブラックマジック』――それは攻撃の呪文。『闇』と呼ばれる黒いエネルギーを発射し、それで敵を討つ呪文だ。
 その闇の渦巻く音が聞こえる。それは、なにかが燃える音にも似ていた。
 再び声が響く。
〈ブラックマジック!〉
 この声は――ムトウ・ユウギ……!?
 ユウギの声にユウマが驚いている瞬間、次々と音が変わっていく――
 ぶつかり合う、闇と闇の二重奏。
 刹那的静寂。
 爆発音。
 真っ白な視界が真っ黒に染まった。
 意識、途絶える――。


破の序 デュエルの[終わりの始まり]


 ――自分は眠っていたようだ。
 ゆっくりまぶたを開くと、見慣れた白い天井が視界に映る。
「――夢か……」
 ユウマは疲れ果てたようにかすれた声を出した。午前五時、彼は眠りから目覚めた。
 ついさっき見た、夢の事を思い出す。
「【デュエリストキングダム】――やはり最難関はムトウ・ユウギ――二年連続優勝の彼。戦績、実力ともに国内最強だ」
 重々しく自問する。
「勝てるだろうか? あのムトウ・ユウギに……?」
 彼は強い。そして今なお、成長し続けている。
「『デュエルキング』、『伝説のデュエリスト』とさえ呼ばれる彼に?」
 自答する。
「だがオレにも勝機はある」
 不意に黒い球体が脳裏をよぎった。
「『似非の神』――アバターだ。アバターに『彼の実力』をもらった」
 『アバター』がその『黒い球体』の形をしていた。それはまるで、皆既日食した太陽のようだった。
「だからスタートラインは同じ。ポイントはオレと彼、どちらがより早く成長しているかだ――」
 一呼吸の小休止。
「とにかく勝たなければ、なにも始まらない。負ければオレは、いつまでもいつまでもハレンチな子供のまま……」
 と、自責。

 同日午前八時二十分。
 青空。空に浮かぶふんわりとした雲は、綿飴と見分けがつかない。
 空の下には住宅街が広がる。マンションが要塞のように延々と並んだ、オセロ町の住宅街だ。その一画を緑の長袖セーラー服の少女が走る。茶色いカバンのホックを止めながら。
 彼女の名は『ナゴミ・セイラ』、女子高校生だ。
 現在通学中。息を荒げて疾走中。
 セイラの小柄な体が前進するたび、彼女の藍色の髪がふわりと揺れる。前髪はひたいをちらつかせ、後ろ髪は喉元をくすぐる。
 胸のリボンやスカートも揺れていた。
 細長い眉を寄せ、白い肌を青ざめさせ、彼女は今、慌てている。
 「――学校……――ッ」
 言いかけて息切れが起きた。どうにか泣き言を続ける。
「は……始まっちゃう……!」
 言い終え、また息切れ。
 現在、遅刻するか否かの瀬戸際なのだ。
 寝坊さえしてなきゃ! 目覚まし時計のベルをとめてから、『もうちょっとだけ』って二度寝するんじゃなかった! これじゃあ目覚まし時計の意味がない!
 ――とにかく遅刻は駄目! 新学期、それも転入初日から遅刻したら、怠慢な生徒だと思われてしまう。
 なので全力疾走。前も見ず、手も横振りの、でたらめなフォームで走る。しかし――
 正面衝突。十字路にて男と。
 セイラは尻餅をついた。スカートと下着の上から、コンクリートの冷たく固い感触が、尻に伝わってくる。
「……いた……い……」
 彼女は男の顔も見ず、尻餅ついたまま、弱々しく嘆いた。
 男の方も声を出す。
「こいつはまだ、自覚していない……」
 男の声の内容が、セイラには理解できない。
「……じか……く?」
 と、セイラ。
 『自覚』?――なんの事? 見当もつかない。
 男はしばらく黙り――再び彼女に声を送る。
「……なんでもない。前ぐらい見て歩け。それすらできないボンクラなのか? お前は?」
 その男の声がセイラの耳に響く。
 その瞬間、彼女は突如、胸に激痛を感じ、喘ぐ。
(……くる……しいっ……!? どうしてっ……!?)
 彼女は痛みを和らげようと、右手で胸元をさする。だがそれは、いわゆる『焼け石に水』――つまり、効き目なんてなかった。――痛みは悪化する一方。
 喘ぎを押さえようと、彼女は必死に両手で胸元をさする。
 彼女の緑の瞳に涙が溜まる。
(いやっ……! 死ぬっ……!)
 涙、こぼれる。
(苦しい……っ!? 悲しい……?)
 突如、そして刹那――セイラの脳裏にぼんやりと――
 二つの黒い人影。
 両者とも小さく、幼い子に見えた。漠然としていて、その人影が誰のものかはよく分からない。でもすごく意味深に思えた。
 セイラは無意識に口を動かす。
「……そう……だった……。……わたしは……、わたしは……、あなたの事を……っ!」
 セイラはなにかに怯えていた。だが彼女自身、自分がなにに対して怯えているのかは、分からなかった。
 尻餅をついたまま、茫然自失に怯えるセイラに、男が「どうした?」と冷たく問いかけた。
 セイラはその問いかけに気づき、きょとんとする。
「……あれ……?」
 と、彼女は三秒停止。
 いつの間にか胸の激痛も治まっていて、現実に目覚める。
(あれ? おかしい……? さっきまで頭がぼーっとしていて――)
 いつからから、セイラの記憶は抜けている。だから少しずつ、今までの経緯を思い出す。
(今は通学中で、誰かとぶつかって、ぶつかって……――!?)
 ――そうだった!
 セイラは悟った。
 今は通学中で、男の人と衝突してしまったんだった、と。
 ――急がないと! 謝らないと!
「ご、ごめん、ごめんなさ――! わたし急いでるんで!」
 彼女は最後まで男の顔を見ぬまま、起き上がる。カバンを拾い上げ、十字路を右折し、疾走。
 ――大丈夫、走れば今からでも間に合う……。

 セイラは学校の廊下に立ち、今にも口からなにかを吐き出しそうな、険しい顔をしている。
 彼女はなんとか登校時間に間に合い、遅刻をまぬがれた。
 それは良かったのだが、通学時の激しい疾走は、彼女にとって地獄だった。走りをやめて五分経った今でも、足がふらついている。そして酸欠で頭が重い。
 ――まあ、とにかく、間に合った事を素直に喜ぼう。
 きょうから新しい仲間達との学園生活が始まる。暗い顔をしていたら、みんなに嫌われる。笑顔、笑顔。
 自分を元気づけて、彼女は笑顔を作る。
 ここはオセロ学園高等部――中高一貫教育を採用している公立高校だ。外国人生徒が多く、交換留学生なども大々的に受け入れており、国際化に積極的な事が大きな特色である。全校生徒は約三〇〇人。
 セイラの先には白い引き戸、頭上には『3-A』と記されし札。――つまり引き戸の向こうは三年A組の教室。
「――転入生を紹介します」
 引き戸の向こうから、男のはきはきとした声が聞こえた。声のぬしは三年A組担任――『ミサワ・テルキ』先生だ。
 教室がざわめきだす。
「ふぅん」
「美女来い!」
「けいおん部に入ってほしいな……。このままじゃ廃部だよ……」
 セイラは扉越しに聞こえてくる、生徒達の身勝手な噂に耳を傾ける。どんどんと期待を膨らませる生徒達に対して、彼女は緊張し始めた。
「はい。では中へどうぞ。ナゴミ・セイラさん」
 テルキの声で教室が静まった。セイラは引き戸を開け、教室に入る。

「お! かわいいっ」
 教室のどこからか、男子生徒の声が聞こえた。この軽々しい口調は――ウツノミヤ・ミゾレだ。彼の声を発端に、静まった教室に、騒々しさが戻っていた。
 過半数の生徒の視線が『ナゴミ・セイラ』に向く。確かにミゾレの言う通り、なかなかの美形だ――
 肩まで伸びた、藍色の髪は滑らか。
 無垢な白さの肌が、光をまとう。
 左右の細い眉は、なだらかな弧を描く。
 猫のように丸く開いた、緑色の瞳は透き通っていた。
 引き締まった、淡いピンク色の唇は潤っている。
 そんな、愛撫してあげたくなるような、清楚でやわらかな顔立ち。
 体つきの方は小柄で全体的に細く、やせ型の部類に入る。
 胸は小ぶりだがしっかりと突き出ている。
 『ナゴミ・セイラ』の容姿を一言で表すならば、『可憐な少女』。
 その可憐な少女が、教壇の上で担任教師――テルキの隣に並ぶ。彼は黒いスーツに赤いネクタイを装った、柔和な顔立ちの男性である。髪も瞳も黒く、黒く丸いフレームの眼鏡をかけている。
 彼――テルキは背後の黒板に、白のチョークで『和水星良』と、横書きに記す。
「『ナゴミ・セイラ』さんです。仲良くしてあげて下さい」
 生徒達に向け、テルキが転入生を紹介した。
「さて、セイラさんの座席はあそこになります――」
 彼は全六列ある中でも窓側の最端列、最後尾を指差した。すると――
「あいつの隣か……」
「かわいそうに……」
 生徒達の気まずそうな声が聞こえた。
 テルキが示す席の、前の席に座るユリも、セイラをかわいそうに思う。
 ――『あいつ』の隣だから……。
 席の事もさて置き、ユリはぼんやりと突っ立っているセイラを見ながら、一人で意気込む。
 きっと彼女――ナゴミ・セイラは緊張してる。周りは知らない人ばかりだから。
 だから先生の言うとおり、仲良くしてあげなきゃ。

 セイラが今から座る席の隣には、誰も座っていない。自分の席について、『あいつの隣か……』なんてコメントがあったのですごく気になる。
 彼女は疑問に思いながら、自分の座席に移動し、着席した。
「――あたしは『クロガネ・ユリ』よ。よろしくね」
 着席した途端、前の席の女子生徒が顔だけこちらに向け、小声で自己紹介してくれた。『クロガネ・ユリ』はカチューシャを頭につけた、茶髪の聡明そうな少女だった。
 セイラはさわやかな笑みでユリに答える。
「うん、こちらこそよろしく」
 二人が向き合っているとテルキが話を切り出す。
「で、きょうの日程は――」
 彼の話の邪魔をするかのように、引き戸の開く音がした。
「残念ながら遅刻のようだ」
 教室の入り口から、冷めた声が聞こえた。
(――ん……?)
 その冷めた声、セイラには聞き覚えがある。
『……なんでもない。前ぐらい見て歩け。それすらできないボンクラなのか? お前は?』
 今朝、正面衝突してしまった男の声の質と一致する。
 ――まさか、あの人!? この学校の――!?
 セイラはぎょっと、遅刻した男の方に見向く。まずは、彼のほっそりとした体を包む、オセロ学園の制服――緑のブレザーが目に映る。その制服を着ているという事はつまり、――彼はこの学校の生徒。
 顔を見てみる――
 ひたいを広く出した、ボサボサな灰色の髪。
 肌はどこまでも白く、瞳はどこまでも黒い。
 細長い眉と目尻をつり上げている。
 冷ややかで、どこか幼い顔立ちの少年だった。
「新学期早々遅刻ですか、ユウマくん……」
 テルキの注意に、『ユウマ』は「以後、気をつけます」と軽く受け流し、教室に入り込む。
「本当に冷たくなったな、あいつ……」
 ユウマに対する非難の声が聞こえた。あまり彼の評判は好ましくないらしい。
 セイラは座席に尻をつけながら、彼を食い入るように見つめる。彼は無表情のまま、前髪をかいている。
(あれ? なんか?)
 ユウマを見ていると、妙に懐かしい感覚がこみ上げてくる。
 彼女は首を傾げる。
(あの人、ずっと昔に――?)
 彼女はあごに人差し指をあて、記憶の中から『ユウマ』を探し出す。うつむいて、うなりながら。しかし――
(……気のせい?)
 今朝以外の記憶の中に、彼の姿は見当たらない。回想をやめ、『気のせい』という結論で納得した。
 セイラはあごから指を離し、うつむいていた顔を上げる。するとユリと目が合う。
「どうしたの?」
 ユリは心配そうにセイラに問いかけた。
「あ、ちょっと考え事をしていたの」
 セイラは愛想笑いで返事をした。
 ユリはひそひそと忠告を始める。
「それよりユウマには気をつけて」
 セイラは「どうして?」と不思議がった。
「すぐに分かるよ。すごい性格の悪いやつだから」
 ユリはうんざりしたような顔で語った。
「――『性格の悪いやつ』? そう言う方が性格悪いんじゃないのだろうか?」
 いきなり聞こえた冷ややかな声――ユウマの声に、セイラとユリはびくりと身をひいた。
 気づかぬ内に、彼はセイラの隣に着席していた。

「驚きすぎじゃないか?」
 ユウマは辛辣な眼差しでつぶやいた。
「いきなり出てきて……、びっくりするじゃない……」
 ユリも辛辣な眼差しで返してきた。
「ああ。気をつける」
 ユウマは冷たく言い捨てた。
 彼の愚痴。
「きょうは、変な女にぶつかってから学校に来る気が失せた」
 ユリが軽くため息をつき、反論。
「そんな事言って……。去年も進学ぎりぎりの出席日数だったじゃない……」
 彼女の言葉は事実だ。彼女は言葉を続ける。
「――いくら、試験の成績が良くても、そんなんじゃ――」
 ユウマはユリの反論に反論をする。
「卒業できなくてもかまわない。進路は確定している」
 言葉通り、彼は卒業をさほど重要視していない。
「いいご身分ね。うらやまし」
 ユリは呆れた。
 ユウマはユリを無視する。
「さて、あのいきなりぶつかってきた女――」
 言葉と当時に、ユウマは自分の隣に座る、ロングヘアーの少女に視線を移し、じっと見つめる。彼女は視線を向けられて、おどおどしている。――こいつが、オレにぶつかってきた張本人。迷惑千万な女である。
 ユウマはその、おどおどしている藍色の髪の少女を呼びかける。
「お前の事だ」

「あっ!?」
 ユウマのいきなりの呼びかけに、セイラは慌てふためいた声を発し、数ミリばかり体をのけぞらせた。
 彼女の口がぱっくりと開き、顔は青ざめる。
 ――わたしだった……。今朝、彼とぶつかったのはわたしだった……。
「知り合い……!?」
 ユリもセイラとユウマの一連の展開に驚いていた。
 ユウマはユリを無視して、混乱しているセイラを――
「今朝はずいぶんとお世話になった」
 遠回しに責め立てた。
「な、なんて言うか、その……」
 セイラは彼から視線をそらし、しどろもどろに。
『ご、ごめん、ごめんなさ――! わたし急いでるんで!』
 客観的に見ても、今朝の自分の謝り方はお粗末だった。彼が怒るのも当然。
「よもやこのような奇跡的な巡り会いでの、復讐のチャンス到来とは――」
 ユウマは無表情のまま、ねちねちと怒りの矛先をセイラに向けた。
「こんなシナリオを作ってしまう、鬼畜なこの世界の作者に大いなる感謝――」
 皮肉めいた言動で、セイラを威圧し続けるユウマ。彼の無表情さが余計に怖い。
 ――もうやめてぇっ!
「……ごめんなさい……」セイラは口ごもりながら謝罪を始めた。「本当に、冗談抜きで、今朝は急いでいたんです……。だから、あんなでたらめな謝り方に――」
 彼女の謝罪をユウマはさえぎる。
「謝るくらいなら、最初から気をつけるべきだ」
 彼はセイラに顔を背けた。
「――その態度、ひどすぎしょ? ちゃんと謝っているじゃない……。許してあげてよ……」
 ユリが弁護してくれたが、彼はこちらに振り向いてくれず、無視された。
 セイラは自分が嫌われたのだと悟り、ますます、おろおろとする。
「気にしない方がいいよ。ああいう性格なんだよ、あいつは」
 おろおろとするセイラをユリがなだめた。

 その頃、青緑のさらさらとした髪を背中まで伸ばした、物静かな風貌の青年が席につき、パソコンのキーボードを小刻み良く叩いていた。彼の瞳の色は、髪と同じく青緑。
 彼の名は『テンマ・ゲッコウ』、株式会社――【インダストリアルイリュージョン社】の現会長である。
 【インダストリアルイリュージョン社】は、チェスやトランプなどを代表とする――いわゆる『ボードゲーム』、『カードゲーム』のルールの考案、制作を行う会社だ。
 現在、ゲッコウは【インダストリアルイリュージョン社】、主力商品のカードゲーム――【マジックアンドウィザーズ】に関する予算の計算をパソコンでしている。
「【デュオシステム】、予算的にも心配はない。そして【カイバコーポレーション】の方もすでに、デバックプレイの段階まで進んでいる。【デュエリストキングダム】本戦前にも間に合うだろう――」
 つぶやきながら、キーボードを叩き続ける。
「問題はユーザーの反応だ。毎回新しいルールを発表するたび、賛否両論を呼ぶ」
 彼の表情が曇る。
「【デュエルアームズ】へのハード移行、『レジェンド』への公式ルール移行時は賛否両論だったからな」
 【デュエルアームズ】、レジェンドについて、『取り消さないと、二十四時間以内に殺す』と言った、脅迫状まがいな手紙まで送りつけられた。
「特にデッキシャッフル廃止は批判の嵐だった。ネット上で『シャッフル復活派同盟』なんてサイトさえできている」
 ゲッコウは机にひじをつけ、あごを手のひらで支えながら考え込む。
 自分を含め、どうして人々はいつも変わる事に反発を起こすのだろうか?
 それともこの【マジックアンドウィザーズ】に関しては、自分の感覚がユーザーとずれているのだろうか? だが――
「確かに【マジックアンドウィザーズ】は、我が社の誇る最高のゲームだ。――でも、だからこそ変わらないといけない」
 このカードゲームには、もっと高みへと昇る可能性を秘めている。だから――
「リスクを恐れ、進化を拒む。――それこそ冒涜だ」
 ゲッコウは、長時間のデスクワークで凝り固まった、眉間を手でつまみ、揉みほぐした。

 同日午前十一時三十分。
 オセロ学園高等部三年A組教室。
 きょうの日程は始業式と新任式のみ。午前で帰宅となる。
 三年A組は帰りのホームルーム中――生徒全員が起立中だ。
「――今年は受験やら就職やらがありますが、楽しい思い出を作ってから卒業してください。
 さようなら!」
 テルキの笑顔の挨拶に続き、生徒全員が「さようなら!」とお辞儀する。
 解散。
「――帰り道どっち? 同じ方向なら一緒に帰らない?」
 ユリは背後のセイラに顔を向けて質問した。
「ドミノ町の方だよ」
「そう? じゃあ、あたしと一緒ね」
 ユリは嬉しそうに反応した。
「うん、一緒に帰ろう」
 セイラも嬉しそうに反応した。この短期間でユリとはだいぶ打ち解けた。趣味や考え方が合い、相性が良い。
 その一方、隣からユウマの声が聞こえてくる。
「――どうするべきか?」
 彼は座りながら、考えて込んでいた。感情を表に出してはいないが、独り言の内容から察するに、なにかで悩んでいる。
 セイラとユリは一瞬、ユウマを見た。――だが、それはあくまでも『一瞬』。二人はすぐさまそれぞれ自分のカバンを肩にかけ、帰宅しようとした――瞬間――
「こうすればいい」
 ユウマはそうつぶやいて立ち上がり、セイラの全身を舐め回すように見た。真顔でつぶやく。
「スタイルいいな」
 唐突な彼の発言に、セイラは戸惑いつつも、一応賞賛されたので感謝はしておく。
「……え? うん? ありがとう……?」
「細く、背もさほど高くない。そのとがった胸が突っかかりそうで不安だが、大きくはない。問題なし」
 一人でうなずきながら納得する彼に、セイラはついていけない。『細く』とか、『背』とか、『胸』とか、なにを企んでいる?
「あした、オレに付き合え。今朝の件を帳消しにしてほしいのなら」
 ユウマは脅すように命令してきた。
 セイラもユリも彼の話についていけなず、口を半開きに、目をぱちくりと。
 ――『付き合え』? なにに?

 学校を出てから三十分経過。
 ユウマは帰宅中。ドミノ町の住宅街を一定のペースで歩く。
「ナゴミ・セイラ――彼女の『ドレッドルート』、使える……」
 ぶつぶつと独り言を述べる。
「うまく扱いさえすれば、彼女が『勝利の女神』だ。まずは、どう味方につけるか――」
 歩いていると、公園が視界に入る。遊具は片隅にある、シーソーと鉄砲三台のみ。広さはサッカーフィールド程度。その公園内を見て、彼の黒い瞳に憂いが漂う。
「【マジックアンドウィザーズ】……ッ――『デュエル』ッ、している……――っ!?」
 ユウマは急に頭痛を感じ、ひたいを左手で押さえた。
 彼が見て不快に感じたのは、公園の中央に立つ二人――両者とも、赤い髪の男子高校生だ。その二人は、十メートルほどの距離をとって対峙している。彼らの手にはそれぞれ二枚のカードがある。
 彼らは頭に『ヘッドマイク』、左手首に『リストバンド』、左腰に『カードケース』を装備している。その三点は【デュエルアームズ】と呼ばれる【マジックアンドウィザーズ】専用の装置だ。
 そして二人の間には、二体のモンスターがいる。そして二体のモンスターは睨み合っている。
 一方は、茶色い毛並みに赤い瞳の巨大なゴリラ。そのゴリラの高さは三メートル程度。
 もう一方は、手足と胴体に青紫の防具を装備した、巨大な熊が後ろ足だけで直立し、前足をヒトの腕のように広げてゴリラをいかくしている。大きさは相手側のゴリラと同等。
 名前で言うならゴリラの方が[バーサークゴリラ]、熊の方が[アンダル]。
 [バーサークゴリラ]が口から炎を吹き、[アンダル]を焼き払った。
 この二体は実物ではない。【デュエルアームズ】に内蔵された【ソリッドビジョン】による立体映像――つまり幻だ。
 約一年前――西暦一九九七年五月十三日、【カイバコーポレーション】は【ハイパー3Dエンジン】、【VUエミュレーター】を利用した映像技術――【ソリッドビジョン】の実用化に成功した。
 【ソリッドビジョン】を使用すれば、本物と見違える、立体的な動画を放出する事が可能だ。
 それまで立体映像など、空想の産物でしかなかった当時、【ソリッドビジョン】は『オーバーテクノロジー』と呼ばれ、崇拝された。
 そして、その【ソリッドビジョン】を現在、【マジックアンドウィザーズ】が独占している。
 【マジックアンドウィザーズ】――通称『デュエル』は、カードに描かれている『モンスター』や『マジック』を駆使して戦うカードゲームである。その『モンスター』や『マジック』の映像化に【ソリッドビジョン】が起用された。
 視覚的魅力――それも世界最先端の映像を使用する事による話題性。それがこれまでカードゲーム全般に先行していた、地味でマニアックな負のイメージを払拭した。元々絶大だったマニアの支持にも拍車をかけ、一般化も促進された。
 それにより【ソリッドビジョン】導入から半年足らず、【マジックアンドウィザーズ】はプレイそのものがプロモーションの役割を果たすようになり、現在ではショービジネスとして成立している。
 その【マジックアンドウィザーズ】を見て、ユウマは頭痛を引き起こした。彼は【マジックアンドウィザーズ】が大嫌いだ。
(これだからオレは……――)
 彼はズキズキする頭を手で押さえ、前かがみになる。そして逃げるように、早足で公園を離れた。

 その日の夜、紫のシャツにベージュのチョッキを羽織ったユリは、ソファーに座り、白いスーツ姿の男と肩を寄せ合っていた。男は『アヤメ・ヤイバ』、七三分けの銀髪を生やした二十九歳だ。
 ユリは心の底から安らいだような、ちからの抜けた顔で、彼に身を寄せている。そして、彼に左肩を抱いてもらった。
 彼女は水色の瞳で、彼の黄金の瞳に見とれる。彼はやさしそうなたれ目をしていて、黄金の瞳を見ていると心が豊かになる。
 この二人は恋人同士である。
 ユリはヤイバの家のソファーで談笑していた。淡いオレンジ色の電灯が二人を照らす。
「――これがプレゼントです」
 ヤイバはささやきながら、ユリの首にネックレスをかけた。そのネックレスの飾りは、中央にダイヤモンドが埋め込まれたピンク色の円いロケット――高級感が漂い、値を知れば仰天しそうな代物だった。
「ありがとう。これ……?」
 ユリはしっとりとした声で感謝し、胸の谷間に垂れたロケットを手に取り、見つめる。
 「開いてみて下さい」ヤイバの言葉通り、ユリはロケットを開く。その中には、ユリとヤイバのツーショット写真が挟まれていた。
「わたしとお揃いです」
 ヤイバはそう言い、空いていた右手でユリの茶髪の頭を撫でる。左手は相変わらず彼女の肩を抱いている。
「うん! 大切にするよ!」
 ユリは元気一杯にうなずいた。
 次の瞬間、二人は胸を重ね合い、体を抱きしめ合う。
 ユリはその気持ち良さに、瞳を閉じる。ものすごい安心感があって、ついついこのまま眠ってしまいそうだ。
 二人は一分程、無言で互いの温もりを確かめ合った――。
「ねえ、ヤイバ? 久しぶりに泊まっていい……?」
 ユリはヤイバの耳元でささやいた。
 彼女のささやきにヤイバが答える。
「ふふ。わたしもそんな気分です――」

 翌日午後十二時三十分。
 ユウマとセイラは公会堂の楽屋にいた。
「――そちらのお方が……ですか?」
 赤いスーツの男がユウマに尋ねる。その男は――
 目元に金属製の仮面。
 胸倉に蝶ネクタイ。
 頭にシルクハット。
 どれも大げさなサイズ。蝶ネクタイや仮面、シルクハットには黒と水色の縦縞模様に彩られていた。
「この体型ならいけますよね?」
 ユウマの声に仮面の男がうなずく。
「ええ、まあ……そうですね」
 言葉の後半、彼はポケットから名刺を取り出し、セイラに手渡す。
「わたくしはこのような者です」
 セイラは名刺を黙読。そして本人確認する。
「『パンドラ』……さん?」
「ええ。ちなみに本名は『スズキ・タロウ』です」
「えっ……と、『ナゴミ・セイラ』です」
 お辞儀付きの自己紹介を済ませ、単刀直入に問う。
「ところでわたしは一体……? 確かこの公会堂――今日はマジックショーでしたよね? わたし素人なんですけど……?」
 その問い対し、パンドラは驚愕の様子を見せる。彼は一歩引き下がり――
「……し、素人さん!?」
 面食らった。
 パンドラのオーバーリアクションにセイラもびっくり!――そんな様子で彼女は答える。
「え!? はい、そうです……!?」
 セイラとパンドラは驚くが、ユウマは知らん顔。
「ちょっとお待ちを」
 パンドラは言いながら、セイラに両手の手のひらを向けた。続けてユウマを呼ぶ。
「ユウマはこっちに来なさい」
 彼はユウマを連れ、セイラと数メートルの距離を置く。彼女に背を向け、ひそひそ話を始めた――つもりらしいが、思いっきりセイラの耳に届く。
「素人じゃないですか!?」
 パンドラの必死な問いかけにユウマは生返事をする。
「はい」
「『はい』――って……、彼女にやらせる気ですか!?」
「はい」
 ユウマはただただ返事をするだけだ。
「いやいや、いくら代役がいないからって素人さんは……」
 パンドラは首を横に振りながら、小声でユウマを否定した。
 セイラは不安になる。なんか自分は、これからとんでもない事をさせられそうな雰囲気だ。
「今から『他を探せ』、と? 時間ないですよね?」
 このユウマの説得が効いたらしい。
「ぬぅっ――、それを言われたら……」
 パンドラは仮面を押さえて降参した。
 二人はセイラの前に戻る。
「…………はい、お待たせしました。単刀直入に申しますが、あなたには、きょうの公演のサクラを依頼します」
 と、パンドラが白々しく。
 セイラはさっきのひそひそ話の方につっこみたかったが、とりあえず彼に話を合わせる。まずは質問。
「『サクラ』……?」
 ――それはどういう意味なのか? パンドラに訪ねた。
「まあ、要するに……、客になりすまして、『公演のお手伝いをしてほしい』と言う事です」
 パンドラの解答で、セイラはなんとなく要件を理解した。
 それから具体的な説明とリハーサルが続く。

 三時間後。
 セイラは藍色だった髪を金色に染めて、座っていた。
 彼女が座っている場所は、公演会場の最前列中央席。
(――でも、本当にわたしが出ていいの……?)
 セイラはサクラになる事を、快く引き受けた。金髪にしたのも、手伝うマジックにゆえんがある。
 消灯の合図であるブザーが鳴り響き――辺り一面が暗闇と化した。
 開演。
〈みなさま、お待たせいたしました〉
 パンドラの声がピンマイクを介して、会場全体に響いた。
〈本日は我がマジックショーにお出でいただき、まことに感謝を申し上げます。どうか最後まで、お付き合い下さいませ〉
 パンドラの挨拶が終わると、今度はホールが揺れんばかりの拍手。
 ステージ中央にスポットライト一つ、そこにパンドラの姿があった。
 観客の拍手喝采がやむと、パンドラのマジックが始まる。彼は握っていた黒い杖をひとふりし、その杖が赤いバラに。
 その赤いバラを握り潰し、赤いスカーフに。
 突如、スカーフが燃え、鳩に変わる。鳩が飛び去った。
 定番の芸だが、滑らかにこなしていて、本当になんのトリックもないと思えてくる。
 セイラはパンドラの一連のマジックに感心した。
 続いてユウマがステージに立つ。彼にスポットライトが当たった。彼もパンドラと同様のシルクハット、赤いスーツ、蝶ネクタイに着替えている。
 ユウマは真剣な面持ちでお辞儀。拍手喝采に出迎えられながら彼のマジックが始まる。
 彼はポケットから青リンゴを取り出す。その全面をこすり一瞬で青リンゴを赤リンゴに変えた。赤リンゴを宙に放り投げ、グレープフルーツに変える。
 最後はパンドラ同様、グレープフルーツが燃え、鳩になって飛び去った。
 拍手喝采が鳴る。
 公演続行。
 パンドラが二本のロープを固く結び合わせ、結び目を端まで引っ張り続けると結び目は消えた。二本のロープが一本の長いロープに。
 拍手喝采。
 ユウマのリングを使ったマジック。――どこも欠けてはいなく、繋がるはずもない金属のリング同士が繋がったり離れたり。
 拍手喝采。
 その後、ユウマやパンドラ以外のマジシャンと交代交代に公演は進む。口からトランプを出す、耳が大きくなると言ったコミカルなマジックから、空中浮遊やら、身体分裂やらと大掛かりなマジックまで、多彩に展開した――。
 そしてマジックが成功する度に拍手喝采が起きた。

 休憩時間。
 セイラは緑の瞳を輝かせて、公演再開を待ちわびていた。
 ――次はいよいよ自分の出番。
 期待と緊張が彼女の心を強く揺さぶる。
「あの灰色の髪の子、すごくない?」
 背後から女性の賞賛の声が聞こえた。『灰色の髪の子』、おそらくはユウマを指す。
「本当ね。それにあのかわいいルックスで見せる、クールな仕草がぐっとくるわ」
 別の女性が意見を述べた瞬間に休憩時間終了――公演再開。
 パンドラがステージ中央に立つ。
〈それでは、せっかくご来場していただいた事ですし、お客様にも奇跡を体感していただきましょう〉
 言いながら、パンドラは観客全体を見回す。
 セイラの目には、パンドラの様子が酷く白々しく映った。――彼が指名するのは自分だ、と言う事を知っているから。
 パンドラは最前列に目を移し、やっと選別が終わった。元から決まっているのだが……。
 パンドラが手を差し伸べ、選んだのはもちろん――
〈最前列の白いワンピースのお方、よろしいでしょうか?〉
 指名された『ワンピースのお方』――セイラはうなずいた。
 ちなみに白いワンピースは彼女の私服の中で一番のお気に入りである。
〈ステージ右端の階段をお登り下さい〉
 パンドラに言われるままに、セイラはステージ右端の階段を登り、ステージ中央のパンドラと並ぶ。
 セイラの視界には観客の群れが広がる。多くの羨望の眼差しに、セイラの表情が固まる。
(ちょっぴり緊張しちゃう……。でも、大丈夫、大丈夫――)
 ステージ左端からユウマが、ボックスの乗った台車を押しながら登場し、セイラの隣に立って説明する。
〈今から行うのは、『死のマジック・ボックス』――彼女には、このボックスの中に入ってもらいます〉
 ユウマが運んできたボックスは、赤い金属製だ。随所に幅五ミリ程度の――延べ棒状の物を刺すためにあるような穴がある。
 ユウマとパンドラがボックスを台車から降ろす。
 パンドラはボックスの扉を開きながら、これから行う事を説明する。
〈まずはわたくしらと同様、彼女にも『マジシャン』になってもらいます〉
 パンドラはボックスの中から、なにかを取り出した。
〈この――〉
 それは青を貴重とした衣装だった。
〈[ブラックマジシャンガール]の衣装に着替えてもらいます〉
 彼はそう言い、セイラに衣装を手渡した。
 [ブラックマジシャンガール]――【マジックアンドウィザーズ】に登場するヒト型のモンスターで、若い魔女の姿をしている。
〈あちらでどうぞ〉
 セイラは彼から衣装を受け取り、彼の手の向く方――ステージ裏へと移動する。

 一分後。
 青い三角推の帽子。
 首にピンクの輪。
 二の腕と胸元をさらけ出した、逆三角形型の青装束。
 ピンクのマントが、肩から腰まで伸びている。
 太ももを頼りなさげに隠す、ピンクのフリル。
 ふくらはぎをすっぽりと包む、青いロングブーツ。
 手にはゼンマイの形の先端をした、短めのベージュの杖。
 セイラは見事に[ブラックマジシャンガール]に化けて、ボックスの中に入っっていた。彼女が金髪になったのも[ブラックマジシャンガール]に姿を似せるためである。
 露出度が高い。そして、あまりにも派手な魔女姿。それを着ている彼女は頬を赤らめていて、やや恥ずかしげだ。
 この[ブラックマジシャンガール]の衣装は、スポンサーの【インダストリアルイリュージョン社】とのタイアップ。マジックの雰囲気作りと客へのサービスわ兼ねている。
 ボックスの中は、細身で小柄なセイラでも、頭を下げる事ぐらいしかできない程に狭い。[ブラックマジシャンガール]の厚い衣装のせいで、彼女は余計に動きづらいだろう。
 そしてユウマは、彼女が収納されているボックスの扉を閉鎖した。
 パンドラは扉のホルダーを固定する。もうこれで、なにかの拍子で扉が勝手に開く事はない。
 続いてパンドラとユウマは、観客の視点から見てのボックス裏面に手をやり、サーベルを一人三本――計六本取り出す。
 会場がざわめく。
 ――まさかあれでボックスを……!? なんて、感づいたのだろうか?――しかし、それは的中するのだ。
 パンドラはサーベルでボックスを二回ほど叩く。これはセイラに対する合図で、サーベルをボックス上部に刺す事を示す。
 パンドラがさり気なく、サーベルを刺す穴を覗く。中で彼女が杖に内蔵されているレーザーポインターを点灯していたら『準備OK』の合図だ。一歩間違えれば、大惨事を引き起こすマジックのため、パンドラは注意深く穴を覗く。
 穴の中で赤い閃光が見える――説明するまでもなく、レーザーポインターは点灯されている。
 パンドラは一度ボックスを叩き、ユウマに合図を送る。この合図で、ユウマは何食わぬ顔で――
〈破!〉
 かけ声と同時に、ユウマはボックス上部をサーベルで、『稲妻』のごとく突き刺した。
 会場中、観客の無数の悲鳴がコーラスを奏でる。
 ユウマのあまりにも速い突きに、仕掛け人側に立っているはずのパンドラもぎょっとする。いくらセイラには当たらなく、なまくら刀とは言え、人の入っているボックスをためらいなく刺せる、彼の冷徹さに軽い恐怖をいだいた。
 まずはサーベル一本目がボックスの上部を貫通。
 ユウマが刺し終わると、パンドラがボックスの扉を開く。中のセイラは頭をかがめ、紙一重でサーベルをよけていた。
 会場が安堵で静まった。
 パンドラは扉を再び閉め、ユウマが扉のホルダーを固定する。
 ユウマはたった今刺した、ボックス上部のサーベルを出し入れする。この動作もセイラへの合図だ。何回もボックスを叩くのも不自然なので、合図は複数の種類がある。
 この合図で彼女はボックスの底と、ステージの底の隠し戸を開けてステージ地下に脱出する。
 パンドラはしゃがみ、ボックス下部の差込口を覗き、底からレーザーポインターの光が伸びている事を確認し――ゆっくり、じわりじわりと、本当にセイラを刺しているかのように突き刺した。
 サーベル二本目はボックス下部を貫通。
 観客の悲鳴のコーラスが再来するが、そんなのお構いなしに、パンドラとユウマは交互にサーベルを刺していった――。
 そしてボックスは上中下段各二本ずつ、サーベルが貫通している。
 観客はボックスの中にセイラがいないなんて事は知るよしもなく、不安にいろどられていた。
 ユウマが観客をじらすように、ゆっくりとボックスを開く。
 ボックスの中を見て、観客の悲鳴のコーラスは絶頂へ。
 ボックスの中からは、串刺しの、[ブラックマジシャンガール]ふんするセイラの後ろ姿が見えた。
 ――失敗!? 事故!?――では、ない。マジックは成功した。パンドラは仮面からはみ出ている口元をにやりとさせる。
 観客も次第に気づき、静まる。串刺しのセイラから、出るはずの血が出ていない事。そして、肌の色が妙に黄ばんでいる事。
 パンドラとユウマはすべてのサーベルを引き戻す。そしてパンドラがボックスの中のセイラをひっくり返し、彼女の顔を観客に見せる。
 ――『マネキン』。ボックスの中にいたのはセイラに酷似したマネキンだった。
 ユウマがステージ端からもう一つのボックスの乗った台車を持ち出し、それを開く。その中に、[ブラックマジシャンガール]の姿をした、本物のセイラがいた。
 観客参加のマジックも成功で幕を閉じた。
 観客から拍手喝采。

 公演は続いている。
 セイラは元の白いワンピース姿に着替えて、マジックショーの公演を見物していた。
 ステージの上にはユウマとパンドラが対峙している。二人の距離は約十メートル。
 彼らはシルクハットに代わり、頭に黒いヘッドマイクをつけている。また、左手首には分厚い硬質なリストバンド、左腰にはカードケースを装着していた。
 セイラはそのヘッドマイク、リストバンド、カードケースの三点が【デュエルアームズ】だと思い出す。詳しい事は知らないが、カードゲーム――【マジックアンドウィザーズ】に使用する機械という事は有名な話で、彼女も知っていた。
〈お次は【マジックアンドウィザーズ】を用いたマジックをご覧に入れます〉
 パンドラが話を切り出すと、彼とユウマはポケットから四十枚程度のカードの束を取り出す。その束の、一番上のカードの絵柄には、黒いスペードが五つ、右上と左下に『5』――って、これはトランプじゃないか!?
〈――おっと!? 間違えました。これはわたくし愛用のトランプです〉
 パンドラは言いながら、カードの束を持つ手をくるりとひねる。すると、カードの絵柄が変わった――
 白い縁取り。
 赤い背景に黒いまだら模様。
 中央に黒い楕円の絵柄のカードに変わった。
〈必要なのはこのカードを四十枚集めた束――これを『デッキ』と呼びます。
 では、実際に試合をしてみましょう。【マジックアンドウィザーズ】では、試合の事を『デュエル』と呼び、その『デュエル』開始のかけ声もまた、『デュエル』です〉

(――気持ち悪い……)
 ユウマは自分が持つ、カードの束――デッキを見て、眉間にしわを寄せた。
(オレ――昔、こんな紙切れなんかに夢を預けていたのか……? 気持ち悪い……)
 震える右手を見る。デッキを握ると、赤い袖に包まれている右手首が疼く。
(……ヘドが出る……)
 息が乱れてきた。顔をしかめ、目尻と眉間にシワができる。
(こんな……!)
 歯を食いしばる。
 ――腹立たしい! 憎い! 許せない!
(こんな幼稚な遊びで……!)
 右手のデッキに憤怒と憎悪の視線をぶつけた。あの時の悪夢が脳裏をよぎり、息が荒くなる。

 約一年前の【デュエリストキングダム】第一回大会。
 【デュエリストキングダム】――今は亡き【インダストリアルイリュージョン社】名誉会長、ペガサス・J・クロフォード所有の孤島――ペガサス島で開催された【マジックアンドウィザーズ】の大会だ。
 ユウマもその大会に参加した。しかし――
「負けた……。ごめん、シズカ……、お前の目の手術費……」
 彼は惨敗し、敗退した悔しさを胸に抱き、とぼとぼと会場の森林の中を歩いていた。
「お待ちを!」
 背後から男の声が聞こえた。ユウマは振り向くとアヤメ・ヤイバがいた。彼こそユウマが勝てなかった対戦相手だ。
 ユウマは負けたショックを引きずった顔でヤイバを見る。一体、なにで呼び出したのだろうかと、ユウマは疑問に思った。
 ヤイバは白い歯を見せながらにやけ、、甲高い声で冷たく言い放つ。
「――あなたはわたしに負けました。だから『罰ゲーム』です!」
 この時のユウマにはまだ、彼の言葉の意味が分からない。
「え? ばつ……げーむ……?」
 ――なにを言い出す?
「そうですねぇ……。あなたはまだ若く、消すのもあんまりですねぇ。それに、たまには違う制裁も試してみたいですし――」
 あごを親指、人差し指の間に挟んで、一人つぶやくヤイバを、ユウマは不気味に感じた。
「さあ――罰ゲーム!」
 と、ヤイバはあごを乗せていた手で、ユウマを指差した。
(なんだよ……!? 『罰ゲーム』って……!?)
 異変は起きた。――ユウマは手足を動かせなくなった。そして彼の右腕が、ユウマの意志とは無関係に肩の高さまで上がる。
「う、動けない!? オレは!?――オレは……!?」
 ユウマの質問に、ヤイバは答えずにやける。
 突如、なんの前触れもなく、ユウマの右手首を包んでいた黒いシャツの袖が裂ける。そして、ユウマの手首に一筋の切り傷ができる。そこから血がにじみ出た。
(手首が……!? 斬れた……っ!?)
 勝手に手首が斬れた。
(これって……!?――『カマイタチ』じゃないかっ――!?)
 ヒリヒリする手首を、左手で押さえたいところだが、ユウマは体を自由に動かせない。――なにこれ……? 怖い……。
「さて、まだまだこんなもんじゃありません」
 ヤイバの声と同時に、ユウマの傷跡が、見えない刃物でえぐられる。
 ユウマは必死に悲鳴を飲み込んだ。
 激痛――激痛――どこまで行っても激痛。
 そして、怖い。
「……そんな……っ!? とめてよ……!」
 ユウマは必死に願った。
「すいません。残念ながらこの『ハモン』の『罰ゲーム』、一度適用したら止まらんのですよ〜」
 ヤイバはまったく悪気のなさそうな笑顔で謝った。
 『ハモン』? 『罰ゲーム』?
 この時はまだ、アヤメ・ヤイバの言う事が理解できなかった。
 いろいろと不可解な事があったが、そんな事を考えている余裕は、ユウマにはない。彼の手首の傷は、何度も何度も見えない刃物でえぐられる。どんどん傷口が広がり、そこから血がだらだらと、雨漏りのようにしたたっていく。
 ユウマは当時、『十七年近くの人生で最大』と言っても過言ではない苦痛に喘ぐ。
「う……うう……ああ……――っ!」
 ――本当にここから逃げ出したい。
 ――本当に左手で手首の出血を押さえたい。
 でも、手足は動かない。
 身動きとれず、悶えるユウマの黒い瞳から涙が溢れ出た。
 ――なにも分からぬまま、自分は刻まれていた。
 まだ、ユウマの手首は見えない刃物に斬られている。手のひらの付け根から、ひじの関節の部分まで、手首が真っ赤に染まっていた。
 ヤイバの蔑みの笑い声が聞こえる。
「いやぁ、負け犬の無様な姿はなかなか見応えがありますなぁ! ごちそうさまです、ハッハッハッ――!」
「どうして……、オレは……っ!?」
 ユウマが訊く。
「あなたがデュエルで負けたらですよ」
 ヤイバがにやけながら答え、去って行った。
 やっとユウマの手足が動くようになった。手首を斬っていた『なにか』もなくなった。
 ――どうして!? ちくしょう……っ!
 ユウマは理不尽な激痛と屈辱に悶えながら、ふらついた。背を地面に倒した。
 自分の手首は血に染まっている。
 自分は誰が踏んだのかも分からない地面に背と頭をつけている。
 自分は泣いている。
 そして――
(シズカ……、ごめん――)
 栗色のロングヘアーの少女――カワイ・シズカの涙ぐんだ笑顔を思い出した。
 ユウマはシズカの目の病気を治すため、この【デュエリストキングダム】の優勝賞金で、莫大な手術費をまかなおうとしていた。でも、賞金は手に入らなかった。
 シズカの目の病気を治せなかった。
 ――すべてはデュエルで負けたから……!

 たかがカードゲームがトラウマになった。こんなの――
(まるで……、ギャグだ……!)
 一年前のヤイバとの一件に、ユウマはどうしようもない怒りを抱き、震えつつも、なんとか息を整える。顔を無表情に戻し、前を向き、パンドラにうなずいて準備完了の合図を送る。
(この世に【マジックアンドウィザーズ】――デュエルがある限り、あの悪夢から逃げられない)
 ユウマとパンドラは目を合わせる。そして、お互いにデッキを腰のケースに差す。
 (――だから泣き言、言ってる場合じゃない)ユウマは意気込んだ。(オレはデュエルを消す)
 憎き【マジックアンドウィザーズ】――デュエルを滅ぼす――
(そのためだ。そのためにもう一度、デュエルを始めたんだ!)
 だからこそ、今は始めよう。【マジックアンドウィザーズ】の『デュエル』とやらを。
 ユウマとパンドラは左手首に巻いたリストバンドを、胸の高さで構え合った。静まる会場に、彼らの力強く高らかな合唱が響く。
 ――「デュエル!」

 デュエル開始。
 二人の頭上に『2000』と赤い横文字が表示された。
 パンドラがその『2000』を説明する。
「わたくしらの頭上にある『2000』――これは各人の持ち点を示します。これが『0』になった瞬間、負けとなるのです」
 つまり、先に相手の持ち点を『0』にする事が勝利の条件だ。
 【マジックアンドウィザーズ】には、様々なルール形式が存在する。しかし、相手の持ち点を『0』にすれば勝利になるのは共通である。
「今回は比較的単純で、間口の広い『プロトタイプレジェンド』で行いましょう。持ち点『2000』スタートです」
 約七ヶ月前――西暦一九九七年九月二日、【マジックアンドウィザーズ】はプロ制度設立にあたって、様々な改革がもたらされた。
 その内の一つが『スーパーエキスパート』から『レジェンド』への公式ルール移行。
 そしてその、レジェンドの原型となったのが、『プロトタイプレジェンド』である。プロトタイプレジェンドは、極限まで単純化されたルールだ。戦略性にはとぼしいが、初心者の入門編として重宝されている。
 パンドラの装着している、リストバンドが赤く光っていた。これは先攻である証だ。【マジックアンドウィザーズ】は、野球のように攻撃側と守備側のローテーションで進行する。
「わたくしの先攻。まずはデッキからカードを一枚引き、手札にします」
 パンドラは言葉と同時に、腰のケースに納められている、デッキの一番前面のカードを引いた。デリケートなカードを曲げぬよう、傷つけぬようにそっと。なおかつ素早い。
「その手札のカードを使えば――」
 彼は引いたカードを、リストバンド側面の差し込み口に入れる。
 次の瞬間、モンスターが現れた――
 頭には、ふさ飾り付きの三角帽子。
 テングのように、高く鋭い鼻。
 棒のように、まっすぐで細長い手足。
 性別があるとしたら、恐らくは男。
 生きた人形――パンドラの前方に、そんな姿のモンスターが出現。
「なんと、モンスターを呼び出せるのです。この鼻の高いモンスターは[リジョン]であります」
 一部の観客は、パンドラの説明そっちのけで、出現した[リジョン]の鮮麗さに見とれている。この[リジョン]は【ソリッドビジョン】が生み出した立体映像。【ソリッドビジョン】は最大全長約二十メートルの、立体映像を放出可能だ。
「先攻にできる事はこれだけです。ですので『ターンエンド』」
 パンドラの『ターンエンド』の直後、彼のリストバンドが消灯した。それに変わってユウマのリストバンドが赤く光る。
「このようにデッキからカードを引き、『ターンエンド』と宣言するまでの流れを『ターン』と呼びます」
 と、パンドラ。

 ユウマは必死に、『平然』を演じていた。
 嫌いな嫌いなデュエルを今、自分はしている。
 だから悲しい。だけど、悲しい顔を見せちゃいけない。
 だから泣きたい。だけど、泣いちゃいけない。
 手首の古傷が疼く。
 息を保つのが苦しい。
 足が震えている。
 あの日浴びた、ヤイバの嘲笑が脳を蝕み、気が狂いそうだ――。
 ユウマはトラウマと格闘しながら、腰からカードを引いた。
 そして、苦しんでいるのを他人に悟られぬよう、いつもの自分の淡々とした口調で宣言。
「わたし――後攻のターン」
 彼は自分のリストバンドに引いたカードを、もたもたした手つきで差す。
 赤い翼が宙を舞う――
 その翼を背負う仮面の男――ヒト型モンスターが[リジョン]と対峙するように現れた。
「[バードマン]です」
 ユウマは強張った口を力一杯動かし、呼び出したモンスターの名前を紹介した。
 [バードマン]は背に翼を生やし、右腕に赤いかぎ爪をつけ、目元に赤い仮面を重ねている。後ろ髪は黒く逆立っている。
 翼を折りたたみ、腕組みした。――[バードマン]、外見も仕草もクールなモンスターだ。
「後攻の最初のターン――つまり今の時点から、攻撃をしかけられます」
 ユウマはパンドラの[リジョン]を、親の敵のように睨んだ。逆にパンドラは、ユウマの[バードマン]を見つめる。
 ユウマは[リジョン]の方向に、左腕を伸ばす。これで、彼の左手首のリストバンドのセンサーにとらえられた[リジョン]は、攻撃の的となる。
「攻撃目標指定――攻撃呪文を唱えれば、攻撃開始です」
 各モンスターの攻撃には名前がある。その攻撃の名前を『攻撃呪文』と呼ぶ。モンスターは自分の攻撃呪文を聞くと、攻撃の指示だと判断し、攻撃を始めると言う設定だ。
 パンドラが言葉をつむぐ。
〈また、攻撃されるモンスターの攻撃呪文を唱える事。――それは反撃を意味します〉
 ユウマは[バードマン]の攻撃呪文を唱える。
「ゼファークロー!」
 風が切れる音が鳴った。――[バードマン]の飛翔で、風が切れたのだ。
 [バードマン]は上空から[リジョン]へ急速接近。そして、かぎ爪を斜めに振りかぶる。
 パンドラは[リジョン]の攻撃呪文を唱える。
〈マジックジャブ!〉
 上空から突っ込んでくる[バードマン]に、[リジョン]は左腕を向けた。魔術でその腕を、普段の三倍近くに伸ばす。伸びた[リジョン]の腕の拳が、[バードマン]を狙い打つ。
 [バードマン]は拳を避ける。
 [リジョン]はあきらめず、左腕を高速で伸縮させ、何度も[バードマン]に拳を打つ。
 だが、[バードマン]の方が速い。
 [バードマン]はマシンガンのように、何発も襲いかかってくる拳をすべてよけきり、直進。[リジョン]に接近。
 かぎ爪は曲線の軌道を描き、[リジョン]の胴を切断。斬られた[リジョン]は――風に吹かれた砂のように、光の粒子となって散って、消滅。
 [バードマン]は[リジョン]を斬ってもなお、直進し、パンドラに突撃。すれ違う瞬間、かぎ爪でパンドラの胸を斬った。
 斬られたパンドラは少しだけ身をひいた。[バードマン]は幻で、実際に斬られたわけではない。それでもついつい反応してしまう程、【ソリッドビジョン】の映像には迫力がある。
 ユウマが声を挟む。
「戦闘で敗北したモンスターは消滅し、勝利したモンスターに余力が残っている場合、相手プレイヤーに追撃します」
 パンドラの頭上に表示されている持ち点が、『2000』から『1500』に減点されていた。
「ターンエンド」
 ユウマのターンが終わった。
(……そろそろ、やばいな……)
 幻聴であるヤイバの笑いが再び蘇り、古傷の疼きも深刻化してきた。
 ユウマはびっしょりと嫌な汗をかいている。

 パンドラは目の前の少年――ユウマに、なんとなく違和感を感じつつも、腰からカードを引く。――パンドラのターンだ。
「いでよ、[チェイサードラゴン]!」
 緑、こげ茶色の迷彩色の、細身の龍がパンドラの頭上を浮遊する。翼も手足もツノもなく、シンプルな姿をしている。半透明な瞳が不気味。森林に隠れられれば、見つける事が難しそうな龍だ。
 [チェイサードラゴン]は鋭い眼差しを、[バードマン]に送る。
 [バードマン]はかぎ爪を、[チェイサードラゴン]へ向ける。
「[チェイサードラゴン]と[バードマン]――両者の攻撃力は同等。戦っても、相討ちになるがオチ。
 こういう場合、攻撃しないのが正解であります。ターンエンド」

(苦しいが……、やってやる……!)
 ユウマは強い意志で、自分自身を動かす。腰のデッキから、カードをむしるように引いて、自分のターンを始める。
「[ブロンズタートル]!」
 引いたカードをリストバンドに押し込んだ。
 [ブロンズタートル]出現。
 [ブロンズタートル]の姿を一言で表すならば、『巨大海亀』。その甲羅は銅で形成されている。
 [ブロンズタートル]は攻撃力切り捨てで守備力を特化させたモンスター。なので[チェイサードラゴン]に攻撃力では及ばない。
「――ターンエンド……!」
 ユウマはどうにかこのターンも持ちこたえた。このデュエルも間もなく佳境にさしかかる。
(……辛抱だ……)
 ここで倒れたりでもしたら、それこそ惨めだ。
(デュエルに……、仕事……奪わせない……!)
 これ以上、デュエルになにも奪わせない!
(どんなに苦しくても……)
 ――オレは最後までこのマジック――デュエルを演じきる。
 ユウマは歯を食いしばった。

 ――やはりユウマの様子が変な気がするが? 気のせいなのだろうか?――『気のせい』にしておこう……。
 パンドラはユウマを見て、仮面の裏の目を細目にする。同時に腰からカードを引き、自分のターンを始める。
「ふふ……――」
 パンドラはほくそ笑み、左手を天にかかげ――
「メインイベント!」
 ヒステリックな声で宣言。
 ざわめく会場。
 パンドラは親指と人差し指をこすり、『パチン』と音を鳴らす。
 次の瞬間――ユウマとパンドラのすねに鋼鉄のホルダーが巻きつき、足元の段差にがっちりと固定される。これで彼らは身動きとれない。

 金髪のセイラは客席で、まばたきを速めながら見届ける。――ステージ上のユウマとパンドラを。
 ――なにが起きたの!?
 彼女が不思議がっていた矢先、今度はなにか滑らかな駆動音が聞こえた。その音の正体に、また彼女は目を見張る。
 会場のざわめきが一層高まる。
 これはマジックだと知っていても、驚かずにはいられない。
 ――カッター!?
 駆動音の正体は、段差から突き出た、円形の電動式のカッターだった。それはユウマとパンドラのすねと同じ高さで、それぞれのすねの右側に、三メートルの距離を置いて位置する。
 そして彼らのすねは、段差に張り付けられている。――『この意味が解るかな?』――なんて、誰かに問いかけたくなってくる光景だった。

 パンドラは両腕を横に広げ、にんまりとしながら言う。一文字一文字を強調して。
「人呼んで!――『奇跡の大脱出ショー』ッ!」
 パンドラの言葉に対し、ユウマは元々つり上がっている目尻を、さらにつり上げた。
「ルールは簡単――このデュエルに負けた者はカッターの餌食となり、すねを『ギッチョン!』と切断!」
 パンドラは右手ですねを横切るジェスチャーを加えながら続ける。
「しかしっ! 勝てば、すねの拘束は解除され、見事に助かります。まさに『奇跡の大脱出ショー』!」
 上機嫌なパンドラ。
〈――卑劣な……ッ!〉
 ユウマはパンドラを非難した。
〈やってやるッ!――受けて……立つッ!〉
 ユウマは拳の手の甲をこちらに向け、いかくしながら挑発に乗ってくれた。
 しかし、彼の想定外の迫力に、パンドラは仮面で隠した目を、きょとんとさせる。
(演技……?――演技……ですよね……これ?)
 デュエル開始からここまでのやりとりは、すべて『演技』だ。なのに今のユウマは瞳孔を開き、本当に激怒したような顔をしている。それだけ演技に熱を入れているのかもしれないが、どうしても演技には見えない。
 とにかくユウマは台本通り、挑発に乗ってくれた。パンドラは演技を続ける。
「勇敢なのは認めます」
 デュエル再開。
 パンドラの持ち点は残り『1500』。
 ユウマの持ち点は無傷の残り『2000』。
 場にはユウマの[バードマン]と[ブロンズタートル]。パンドラの[チェイサードラゴン]。
 現在、パンドラのターン。
「覚悟!」
 パンドラは手札を使い、自身の前方に[ディバイダー]を出現させた。
 [ディバイダー]はつば付きで赤い三角錐の帽子をかぶった、赤服の青年剣士。自身の背丈ほどの長さを持つ、白い大剣。その大剣を片手で軽々と持ち上げる。
 パンドラは目を大きく開き、口も大きく開き、叫ぶ。
「攻める! もちろん!
 ダークディバイド!」
 ユウマが対抗する。
〈ゼファークローッ!〉
 [ディバイダー]が高速移動――大剣を[バードマン]に振り下ろす。
 [バードマン]はかぎ爪で対抗。
 大剣とかぎ爪が――
 衝突し、火花散り、弾かれ合う。
 パンドラが「もう一度!」と。[ディバイダー]はパンドラに応えるかのように、連続で大剣を[バードマン]に振り下ろす。[バードマン]は大剣をかぎ爪で受け止める。
 二回目の衝突――火花。そして、弾かれ合った。
 三回目の衝突――火花。そして、大剣が押し切り、かぎ爪が折れた。
 大剣が[バードマン]の鎖骨に届く。[バードマン]は胸を斜めに斬られ、そして消滅。
 さらに、[バードマン]の背後に立っていたユウマにも大剣が届き、彼の胸を撫でるように切り払う。これにより、彼の持ち点は『2000』から50が削られ、残り『1950』。
「お次! ハンティングブレス!」
〈ブロンズスピンアタック!〉
 [ブロンズタートル]は頭、手足、尻尾を甲羅にしまい、時計回りに甲羅を回転させ、[チェイサードラゴン]に飛びかかる。
 [チェイサードラゴン]は口から緑の光線を吐く。
 その光線が、飛びかかってくる甲羅を跳ね返した。そして[ブロンズタートル]の甲羅が地面につき、腹部が上を向いた。
 [チェイサードラゴン]の二発目の光線が、[ブロンズタートル]の腹を貫いた。[ブロンズタートル]は反撃の余地もなく、消滅する。
 三発目の[チェイサードラゴン]の光線がユウマを貫き、彼の持ち点を残り『1950』から残り『250』にした。
「ふはは。どうです。
 あなたはわずか『250』、わたくしは『1500』」
〈――経過じゃない、すべては結果だ!〉
「強がりとはお見苦しい。
 わたくしにモンスター二体、あなたにはモンスターがいない。勝負の流れは明らかに、こちらにあるじゃありませんか?
 ターンエンド!」
〈……流れなぞ、すぐに変わる……〉
 ユウマはデッキからカードを引き抜き、そのカードでモンスターを呼び出す。
〈……現れろ……〉
 腕四本の、白き狼男――[ジェネティックワーウルフ]。ユウマの[ジェネティックワーウルフ]の登場に、パンドラは舌打ちし、嫌そうに振る舞った。
 ユウマがすかさず次の言動へ。
〈デュエルはなにが起こるか分からない。停滞しない……〉
 ユウマは暇なく[ディバイダー]に左手を伸ばし、重々しい声を出す。
〈粉砕する。
 ヘビーフィストカルテット!〉
 パンドラはうめき、ピンチをアピールする。
「ぬぬぅっ……、ダークディバイダー……」
 [ジェネティックワーウルフ]は腕四本で[ディバイダー]に殴りかかる。
 [ディバイダー]は大剣を振り、[ジェネティックワーウルフ]の腕四本を跳ね返そうとした。

 [ジェネティックワーウルフ]は大剣をジャンプで交わし、上空から[ディバイダー]に殴りかかった。
 [ディバイダー]は諦めず、大剣の平面で相手の打撃を受け止めようとする。――だが大剣は、[ジェネティックワーウルフ]の四つの拳を受けきれず、崩壊した。大剣を失った[ディバイダー]は、なにもできずにそのまま殴り倒され、消滅。
 さらに[ジェネティックワーウルフ]はパンドラにも殴りかかった。殴られた彼の持ち点は『1500』から『1350』へ。
〈ターンエンド……ッ〉
 ユウマの乱暴な声が響いた。
 パンドラ、持ち点残り『1350』。
 ユウマ、持ち点残り『250』。
 場にはパンドラの[チェイサードラゴン]とユウマの[ジェネティックワーウルフ]。
 [ジェネティックワーウルフ]を倒せるモンスターを呼び出さなければ、パンドラの敗北が近づく。
「勝つのはァ! 勝つのはァ! わたくしなんです! わたくしなんだ! わたくしなんだ!」
 パンドラは威勢良く、腰からカードを引っ張る。
 会場に緊迫感がただよう。
「……いつだって、わたくしは勝つんだ……」
 パンドラはしょんぼりと[ワイト]を呼び出す。[ワイト]は紫のローブを羽織った、人骨の妖怪だ。
 [ワイト]じゃ[ジェネティックワーウルフ]には勝てない。むしろ戦わせたら返り討ち――パンドラの持ち点が削られて彼が負ける。[ワイト]も[チェイサードラゴン]も[ジェネティックワーウルフ]を倒せない。なので――
「アーッ! ターンエンドッ!」
 両腕を大げさにばたつかせ、悲鳴混じりにターンの終わりを告げた。

(第一、なぜ、マジックショーでデュエルなのだろうか?)
 ユウマは心の中で密かに憤りながら、腰からカードを引く。怒りが肉体を凌駕し、もう苦痛もさほど感じない。
(『必要性ゼロ』、だと思うが?)
 この『奇跡の大脱出ショー』――デュエルする必要なんかない。このマジックで重要なのは、『カッターですねを斬られる』場面だ。その場面から始めたって、なんの支障もない。
 むしろマジックショーでマジックではない事――デュエルを行うのは、テンポを壊しているだけ。
 ユウマは虚ろな目で失望する。
(結局、流行に便乗しただけ。もしくは【インダストリアルイリュージョン社】あたりが押し付けた。――きっと、このどちらか)
 なんにしても――
(【マジックアンドウィザーズ】――さすがはカードゲームの金字塔。多少の無茶はまかり通る……)
 皮肉も程々に、ユウマは演技を続ける。
「終局だ」
 ユウマは手札をさっとリストバンドに差し、モンスターを呼び出す。
「マジシャンでマジシャンを討ち、閉幕としよう――」
 紺色を基調に、銀色でふち取られた装束を身につけた、青年マジシャンが現れた――
 円錐形の帽子が頭と耳を隠す。
 右手に持つ杖。筒状の先端が黄色い宝玉を包む。
 渦巻き模様の関節部が地味に目立つ。
 緑の瞳のつり目。
 血を透かしたような深紅の前髪が帽子からはみ出て。肩にかかる。
 そのマジシャンは腕組みしながら立つ。
 冷徹な印象で、使い手のユウマと面影が重なる。このモンスターの名は――
「[ブラックマジシャン]!」
〈ギャァァァァーッ!〉
 パンドラの悲鳴に、ユウマは構わない。
「闇に還れ――」
 ユウマは汗ばむ左手を、[ワイト]を突きつけた。
(そうだ、『闇』だ。いつの日か、オレを傷物にしたカードゲーム!――【マジックアンドウィザーズ】ッ!――デュエルを『闇』に還らせる、絶対に、絶対にッ……!)
 ――この世から消してやる。
 ユウマは力を振り絞り、このデュエル、最後の攻撃呪文を唱える。
「――……ブラックマジック!」
 [ブラックマジシャン]は杖の先端を[ワイト]に向けた。
〈強いんだ……。[ワイト]は強いんだっ……。デッドストレートォ……ッ〉
 と、パンドラが弱々しく。
 [ワイト]は[ブラックマジシャン]に殴りかかろうとする。
 ――しかし、[ブラックマジシャン]の杖から、業火のように湧き出た闇が、[ワイト]に直撃した。
「砕けろっ! 骨クズ!」
 ユウマの声と同時に、闇で[ワイト]の骨組みはバラバラに崩れた。崩れた骨が粉々に砕け、白い粉になった骨も闇にかき消された。
 [ブラックマジシャン]の闇は、[ワイト]の背後のパンドラにも及んだ。
〈ギャァァァァ〜ッ!〉
 パンドラの悲鳴は壮絶だ。しかし、それで敗北の現実がねじ曲がるなんて事、ありはしない。あれば笑止。闇が止んだ頃には、彼の持ち点は『0』になり、彼は敗北した。
 ユウマの胸元に『YOU WIN』の文字。
 パンドラの胸元に『YOU LOSE』の文字。
 次の瞬間――ユウマのすねのホルダーが外れ、パンドラ側の電動カッターが作動。
「敗北者は斬られ、勝利者のみが助かる。――それが『奇跡の大脱出ショー』だったはず……」
 ユウマは言い捨てた。
〈ヒィッ!――助け……っ!〉
 そのままカッターは段差をつたい、パンドラのすねに近づき、触れる。
〈来るなァァァァ――ッ!〉
 パンドラは派手な悲鳴を延々とあげた。
 観客からは甲高い悲鳴が延々と――。

 一時間後。
 公演はすでに終了していた。
 セイラは髪を金色から藍色に戻していた。そして現在、楽屋で彼女とパンドラ、ユウマの立ち話が繰り広げられている。
「すごかったです! まさかすねを斬られたまま浮き、それから、くっついて『元通り』なんて!」
 セイラはパンドラに向けて感激を示した。
「トリックが、すごい気になります!」
 セイラの絶賛に対し、パンドラが上機嫌で返答。
「そんな。こちらこそ、ご協力に感謝いたします」
 パンドラの唇はなだらかな谷を描いている。仮面に隠れて見えないが、彼の目はきっと微笑んでいる。
 そんな中、セイラはふと、ユウマの方を見て「……ん?」と不思議がり、声をかける。
「――なんか……? 大丈夫……?」
 ユウマの顔は青ざめていた。息も荒い。胸元で自身の右手首を、赤い袖の上から強く握りしめていた。まるでなにかの痛みを押さえつけ、耐えているようだ。彼は重たそうな口を開いて言う。
「……気に、するな……」
 セイラが見る限り、彼は明らかに様子が変だ。
「そんなに手首を押さえて……。ケガでもしたんですか?」
 パンドラも彼の様子がおかしい、と感じているらしい。
 突如、ユウマが――
「黙ってろ!!」
 怒鳴った。セイラとパンドラは彼の怒声でひるんだ。
 三秒沈黙。
 ユウマは静かに謝る。
「失礼……。実は季節の変わり目で……風邪気味なんで……悪いんで、先に……寮に、戻ります……」
 ユウマはよろめきながら、逃げるように楽屋を出ていった。

 一分後。
 ユウマは公会堂近辺の雑木林に潜んで、人目から身を隠していた。樹木を背もたれにしている。
 喘息で咳がとまらない。手で口を押さえてもとまらない。あまりの苦しみに、涙が出た。
 デュエルをしたせいだ。もう自分は生理的にデュエル――つまり、【マジックアンドウィザーズ】を受けつけない。
 ズボンのポケットに手を入れ、中から四角形のプラスチック容器を取り出す。その容器のキャップを外して、振って、中から錠剤を手のひらに出す。錠剤を咳き込む口に、無理矢理放り込んだ。
 喘息止めの薬を飲んで、咳は止まった。息も少しは和らいだ。
 息が和らぐと、今度は手首の古傷が疼きだした。ユウマは上着の右袖を引っかくようにまくり、手首に刻まれている傷の谷間を握りしめる。
 ――こうなったの、何回目?
 なぜ、オレがこんな目に……?
 古傷の疼きも耐えられる程度にまで落ち着き、ユウマは目尻に溜まった涙を手の甲で拭う。
 こうなったのもオレを傷つけた、アヤメ・ヤイバのせいだ。
 ヤイバの下品な笑い声が頭の中に響き渡り、さらに気分が悪化。
「あいつに……必ず……屈辱を……――」
 立ち上がり、言葉を続ける。
「それでもきっと……、オレはデュエルに臆病なまま……」
 デュエルがある限り、いつまでも怯え続けないといけない。
 憤っている中、冷やかすように『プルルル――』と、携帯電話の着信音が鳴った。ユウマはポケットから、銀色の携帯電話を取り出す。
 携帯電話のモノクロ液晶画面には――『保志 空』。――『ホシ・ソラ』からの着信だと確認し、ユウマは通話ボタンを押して、携帯電話を耳にあてる。
〈やっほー、課長ぅっ!〉
 このきんきんと響く少女の声に、ふざけた口調……、間違いなくホシ・ソラ――彼女だ。
 ユウマは冷淡な声で訊く。
「……そう言えば、そっちのデュエルはどうなった?」
 ホシは上機嫌で答える。
〈もっちろん、わたしの勝ちよ! ナゴミ・ユウキ、ぶっ倒したよ! ユウキの野郎、十連敗だし、今度こそ引退よ! あはは、やったね!〉
「報告はそれで終わりだな?」
〈もー、愛想ないな〜……。ちゃんとほめてよ〜!〉
「後にしてくれ」
〈うわっ!? なにその態度!? ひっど〜――〉
 ホシが言い切る前に、ユウマは通話を切った。彼は携帯電話をポケットにしまい、再び憤る。
「だから――デュエルも……、あいつも、……どっちも消すんだ……――ッ!!」
 怒りが爆発。
 ユウマは曇り空を睨み、吠えた。
 理不尽な苦痛と屈辱に耐える事が、彼にはできなかった。
 本能のままに吠え続ける――。
 声が枯れ、吠える事もできなくなり、彼は左手でひたいを抱えた。そして、地面に座り込み、樹木を背もたれにした。

 十代後半程度の少年が歩いていた。
 少年の黒い後ろ髪は、五方向にとがっていて、まるでヒトデのようだった。
 前髪は金色で、六つに分けられており、そのどれもが根のようにひょろりとしていて、先が鋭い。
 前は金髪なのに後ろは黒髪だったり、後ろ髪がヒトデのようにとがっていて、『風変わりな髪をしている』と、彼は周囲からよく言われる。
 体型は太くも細くもなく、高くも低くもなく中肉中背。一年前までは年相応に見てもらえないような小柄な体格だったが、十代後半とは思えぬ急激な身体の成長を果たし、今では年齢を間違われる事もなくなった。
 その少年の名は『ムトウ・ユウギ』。
 ユウギは青いジャッケットに、黒いジーンズの姿で歩いていた。――すると彼の耳に、絶叫が届く。
 ――気になる……。
 その絶叫が聞こえた雑木林の方向に、彼は歩いてみた。
 その雑木林の中には、樹木に背を寄せて座り込んでいる、灰色の髪の少年がいた。年頃はユウギと同じく、一七、一八。
 彼の名は『ユウマ』だ。彼は最近、【マジックアンドウィザーズ】の大会で勝ち星を上げ続けている。だから、その分野の中では知名度が高い。
(……なんか……おとなしいな……?)
 ユウマはぴくりとも動かず、樹木にもたれかかっていた。
 ユウギは不安げに、ユウマに歩み寄る。
 ――気絶? それとも、死んでいる……?
 嫌な予感を抱いて、ユウギはユウマに接近した。ユウマは――
(寝ている……)
 ユウギはぼんやりと、ユウマの寝顔を見つめた。彼の寝顔はどんよりとしていて、まぶたのふちには涙がにじんでいる。
 ――泣いていた……?
 ふと、ユウマの腕まくりされた右の手首を見てみる。そこには深い傷の線があった。その線の太さは幅二センチ近くあり、『斬られた』と言うよりは『削られた』と言う方が正しそうだ。
 ――どうやってこの傷がついたのか?
 そんな事、ユウギに知るよしもない。
 なんの事情も知らないユウギは、ただ突っ立ち、ユウマを見つめる事しかできなかった。
 それにしても――
「なぜだろう……?」
 ユウギは彼の寝顔を見て、疑問を声に出す。
「どこか、ボクに似ている……?」






 セイラは自宅の食卓の席につき、母と向かい合っている。沈黙が続いていて、セイラは悪い予感を抱かずにはいられなかった。時計の針が回る、『カチ、カチ』と言う音が、余計に緊張感を増幅させ、空気を重くさせる。
 ――なんだろう? なにか叱られるのだろうか? 今まで、母に叱られた事はないけど……。
 それとも、誰かが亡くなった? でも、それならこんなにもったいぶらない。分からない……。――セイラは結局、なんの予想もできずにいた。
「――新しい学校はどう? みんなと仲良くできそう?」
 母が沈黙を破った。彼女の口調は重たかった。
 セイラは気まずい雰囲気の打破を試み、明快に返事する。
「うん。みんないい人だよ!」
「本当に? イジメみたいな事を受けたら、遠慮せずに言いなさい……」
 ――やはりいい予感がしない。不安に負け、セイラはさっきと対照的に暗く返事する。
「……大丈夫だよ……」
 母の話は学校生活についてなのだろうか?――いや、それだけでここまで重苦しい雰囲気になりやしない。
「セイラ――」
 母は娘の名を呼び、少し間を空け、言葉をつむぐ。

「落ち着いて聞いて……」
 ――なんだろう……?
 セイラは必死に心を落ち着かせ、母の言葉に備えた。母は今までにない程、悲しそうだ。
 母はか細い声で告げる。
「あなたの目は……、じきに見えなくなるの……――」


破の破 [ヒーロー見参]、再び


 その頃、黒服姿のユウギは試合――【マジックアンドウィザーズ】でデュエルをしていた。
 相手はフランク・ベル。金髪のリーゼントの男だ。目つきが細く、赤紫の瞳の白色人種で、三十二歳。上に黄色のトレーナー、下は茶色いジーンズ、靴は黒い圧底ブーツだ。
 現在、持ち点はユウギが残り『7000』、フランクが残り『650』である。
 場には赤ふちの紫紺装束に、金髪青眼の[ブラックマジシャン]。握る杖の、先端の宝玉は深緑。――ユウマの使う[ブラックマジシャン]とは色違いだ。
 そして、翼と手足を生やした黄金色の大柄な龍――[ヴィクトリードラゴン]が宙を舞っている。
 簡単に言えば、場にはユウギの[ブラックマジシャン]とフランクの[ヴィクトリードラゴン]がいる。
〈フィニッシャーバースト!〉
 フランクが叫び、[ヴィクトリードラゴン]が黄金色の光を口から吐く。
(勝った……!)
 ユウギは勝利を確信し、手札のカード一枚を自分のリストバンドに差す。すると、[ブラックマジシャン]が杖で前方に黒い爆発を起こし、その爆発の中から、直径二メートル幅の赤い鋼の筒――[マジックシリンダー]を出現させた。

 その[マジックシリンダー]の穴に[ヴィクトリードラゴン]の光が吸い込まれる。フランクの頭上に現れた、もう一つの[マジックシリンダー]の穴からその光が降り注ぎ、フランクは自分のモンスターの光を頭から受けた。フランクの持ち点が光で削られ、『650』から『0』へ。
 ユウギの勝利。
〈優勝はムトウ・ユウギ選手です!〉
 アナウンスが聞こえた。このユウギ対フランクの試合は、【ミナシロ社】主催の大会――【ミナシロ・デュエルトーナメント】第二回大会の決勝戦である。
 デュエルを終えたユウギはフランクに歩み寄る。
「ありがとうこざいました」
 ユウギは笑顔で手を差し伸べ、フランクに握手を求める。
 フランクは――
「あ、ああ……。こちらこそ……ありがとう……」
 見るからにがっかりした様子で、ユウギの握手に応じた。
 ユウギはフランクに対して申し訳ないと思い、笑顔を曇らせる。
 ――確かに負ければ悔しいのは解るけど、もっと違う反応をして欲しい。例えば……例えば……うーん……――?
 ユウギはフランクになにを求めているのか、自分でもよく分からなかった。最近はデュエルで勝った後、こうなる事が多い。


 翌日午前五時。
 ユウマはベッドの上で仰向けになり、首から下を布団に隠していた。枕に後頭部を乗せている。彼はついさっきまで眠っていた。
 ゆったりとまぶた開き――徐々に黒い瞳が現れる。目尻をつり上げる。完全に開いた目は、白い天井を見つめる。
 ため息し、ぼやける目を手でこすり、呼吸を整理。
 起床時間――憂鬱だ。目覚めてからの第一声――
「さすがに一時間じゃ、寝た気がしない……」
 目覚めて間もないせいなのか、いつもに増して暗い声が出てしまう。疲労困憊だ。
 仰向けのまま、灰色の前髪をかく。
 ――今日もオレの意志とは無関係に、憂鬱な一日が始まる。――虚ろな目をして、上半身を起こす。


 同日十二時四十分。
 現在、昼休みだ。三年A組教室の自席でユウマは寮のまかない弁当を食す。
 メニューは赤飯、ジンギスカン、ウニ入りの卵焼き、ウドの味噌漬け。、アボカドの生ハム巻き。、杏仁豆腐。飲み物はペットボトルに入った黄色いジュース――果汁一〇〇パーセントの生搾りマンゴージュース。
 ユウマは箸で赤飯つかみ、口に運び、噛み締め、感想。
「しょっぱい……」
 ごま塩が効き過ぎている。ストレートに言えば『まずい』。
 赤飯を飲み込む。箸を置いた。マンゴージュースで糖分補給する。
「この甘ったるさが、胃に染み渡る……」
 無表情で悦に入る。
「本当に最近は、甘い物が美味しく思えるな……」
 ペットボトル片手に、ふと隣席を覗く。セイラは丸いおにぎりに懸命にかじりついていた。彼女の前の席のユリはハンバーグをフォークで刺している。
(さて、どうやってセイラに近づくか……? 最悪、脅迫じみた手段でしか――)


 十分後、ユウマは昼食を終えた。
 彼は大便所の中に立つ。薬を飲むためだ。白い玉の錠剤――精神安定剤を口に放り込む。
 大便所に隠れているのは、薬を飲んでいる瞬間を見られ、トラウマ持ちだという事を知られたくないからだ。さすがに錠剤を見ただけで『これは精神安定剤だ』なんて事が分かるのは、専門家か同じ薬の服用者ぐらいだとは思うが念のため。安心感を得るために隠れている。
 薬を飲み終え、ユウマは便所を出て、廊下を歩く。教室へ向かっていると、水飲み場で蛇口をひねって水を出しているセイラがいた。水道の口を上に回し、片方の手のひらには錠剤があった。
(……あの薬……!?)
 その錠剤が問題であった。
 あの赤いカプセルの錠剤――まさか……!?
 ユウマは冷淡な顔をゆがませた。
 セイラはその錠剤を見て、泣いている。彼女の症状はそんなに深刻なのだろうか? もしそうだとしたら――
(『まさか』とは思うが……)
 彼女は涙を流しながら錠剤を口に放り込み、水道の水で錠剤を喉に流し込んだ。

 セイラはユウマに見られている事に気がついたせいなのか、慌ててセーラー服の袖で涙を拭い、蛇口を回して水道の水を止めた。そして教室へ走り去った。
 ユウマは痛む胸を手で押さえ、独り言を漏らす。
「……朗報かも……しれない……」
 いつの日か聞いた、カワイ・シズカの声が頭によみがえる。
『わたしの目は……もう……――』
 ――もしかしたら、セイラもシズカと同じ道を歩もうとしているのかもしれない……。


 放課後。
 金網の軋む音がした。ユウマがセイラを、学園の屋上の金網に追い込んだからだ。彼は両手で彼女を囲み、逃げ場をふさぐ。
「お前――」
 ユウマは威圧的にセイラに詰め寄った。
「『モザイクアイ』って知っているか?」
 セイラはおどおどと――
「……なに……それ……?」
 知らんぷり。それとも本当に知らないのか。どちらだ? かくなる上は。
 ユウマは言葉で彼女を追い込む。
「知らないのか? 先天性の病気で、発作的に視界がぼやけるのが症状だ。わずらっている者の多くは十代、二十代で永久的な失明に至るが?」
 彼女は必死に首を横に振り――
「知らない……! 知らないっ……!」
 見るからに動揺している。これはもう、図星だろう。自白させてやる。ユウマはさらに尋問をする。
「嘘だな?」
「う、嘘じゃない……!」
 セイラは今にも泣きそうだ。
「オレが――」
 彼女はユウマの言葉に聞く耳を持たず泣き叫ぶ。
「やめてよ!!」
 平手――彼女のそれがユウマの頬をぶった。乾いた音が響いた。
 ユウマは真顔でぶたれた頬を撫でる。――痛いが自業自得もはなはだしい。

「そうよ……! わたしの目はモザイクアイよッ!」
 彼女は泣き崩れ、地面に座り込んだ。ユウマの予感は的中したのだ。
『わたしの目は……もう……、モザイクアイで失明しちゃうの……』
 かつて、シズカは切なげにモザイクアイで失明する事を自白した。そして、今度はセイラ。彼女はしゃくりあげた声で謝罪する。
「……ごめんなさい……。いきなりぶったりして……」
「謝るな。オレはぶたれて当然だ」
 ユウマはしゃがみ、セイラと目の高さを合わせた。
 彼女はなににもすがれず、泣く事しかできずにいる。
「治療……すれば……治る見込みもあるけど……、でも……沢山……お金……かかるの。お金ないの……」
 ユウマは彼女の泣き顔を哀れむように見守る事しかできない。もし、自分が彼女ともっと親しい仲だったら――彼女を静かに抱きしめ、慰めていたと、ユウマは思った。実際、シズカの時は本当に抱きしめて、『大丈夫。オレが治す』と慰めた。でもオレの目的はただ一つ。
「オレが――」


 翌日午前五時。
 ユウマはベッドの上で仰向けになり、首から下を布団に隠していた。枕に後頭部を乗せている。彼はついさっきまで眠っていた。
 ゆったりとまぶた開き――徐々に黒い瞳が現れる。目尻をつり上げる。完全に開いた目は、白い天井を見つめる。
 ため息をつき、ぼやける目を手でこすり、呼吸を整理。
 起床時間――憂鬱だ。目覚めてからの第一声――
「そして一年後、ユウマは懲りずに、ヒーローごっこを再開しましたとさ。――なんてな……」
 セイラの泣き顔を思い浮かべながらつぶやいた。
 目覚めて間もないせいなのか、いつもに増して暗い声が出てしまう。疲労困憊だ。
 一時間の睡眠じゃ、寝た気がしない。
 仰向けのまま、灰色の前髪をかく。
 ――今日もオレの意志とは無関係に、憂鬱な一日が始まる。――虚ろな目をして、上半身を起こす。
「今日でオレは十八、また一つ老いぼれた」
 感慨なく、ただつぶやいた。
「今度こそ、【デュエリストキングダム】で優勝。そのために、まずは【デュエリストレベル検定】だ」


 その日の夕方。
 ユウマは【デュエリストレベル検定】――【マジックアンドウィザーズ】の『知識』と『技能』を審査する検試験定を受験していた。
 【デュエリストレベル検定】は一次試験と二次試験の二部構成である。一次試験はペーパーテスト。知識――【マジックアンドウィザーズ】の基礎や戦略が問われる。
「――第一次試験を開始します」
 試験管の声が聞こえた。
「時間は三十五分間となります」
 一次試験開始。ユウマは試験会場の座席につき、ペーパーテストに取り組む。マークシート方式なので、解答用紙の答えを塗りつぶすのが主な作業だ。
(『場にモンスターを呼び出す事をなんという?』――『召喚』だ)
 ユウマは第一問目で拍子抜けする。
(ずいぶんと初歩的だな? まあ、だが、最初はこんなもの――)
 シャープペンシルを軽く握り、滑らかな運筆で解答用紙の答えを塗りつぶしていった。ケアレスミスがない限り、満点を取る自身がある。


 三十五分間の一次試験を終えた。
 ユウマは二次試験会場へと向かい、廊下を歩く。他の受験生から取り残されまいと早足で廊下を進む。ざわめきもなく、無数の足音だけがひたすら響いている。
(筆記はいい。問題は実技。カードを持つだけで、怖じ気づくこの体だ。安定剤の効力もたかがしれている……)
 ナーバスになり、生唾を飲んだ。手首の古傷の疼きが酷くなり、手首を押さえた。
(……やはり疼く……)
 どうしても古傷が疼くらしい。いい加減、自分も疼きに慣れてほしい。ユウマは冷淡な顔で、手首の古傷の痛みに耐える。
(――なにをしている? オレは?)
 ユウマは歩きながら自分に渇を入れ、古傷の疼きを止めた。
(約束したはずだろ?)
 ――きのう、泣きじゃくるセイラに、『オレがお前の目を治してやる、絶対に』と約束したんだ。
 軽く深呼吸すると、少し戦意高揚した。
(今度こそ【デュエリストキングダム】の優勝賞金でモザイクアイを――)
 ――彼女の目を治すんだ!

『いいの……! わたしは目が見えなくても……見えなくても……大丈夫、大丈夫だから……』
 シズカの時は治してやれずに、こう言われた。彼女は泣いていた。二度とこんな事はあってほしくない――
(だから、最初の関門、【デュエリストレベル検定】でレベル七を。絶対に……!)
 ユウマは二次試験会場に入った。


 翌日。
 オセロ学園高等部では、きょうも生徒達が勉学に勤しんでいる。
 六時限目――三年A組は経済の授業。
「――そう言うわけで、二十年前の我が国の奇跡的な景気回復は、『バブルイリュージョン経済』と呼ばれ――」
 小太りな中年の男性教師――イイヅカ・シュウスケが、教科書をめくりながら、白チョークで黒板の『バブルイリュージョン経済』を指す。
 一方、ユウマは――。
「[カタパルトタートル]を[エクトプラズマー]に変えれば、効率的に――いや、大して変わらないか……」
 机上に【マジックアンドウィザーズ】のカードを広げていた。周囲からの冷たい視線を無視して。
 ――授業中にカードをいじるのがいけない事ぐらい知っている。でも、そんなの関係ない。オレはオレのやりたい事をやる。――こんな信念を胸に掲げているのだろうと、セイラは隣の席のユウマを見て思う。
「…………勉強しなくていいの……?」

「――今習っている、教科書のページはすべて暗記した。余計なお世話だ」
 ユウマはこっちに目も向けずに答えた。「それなら」と、彼は続ける。
「今やっている教科書の内容、一字一句間違わずに言ってやってもいい。もちろん教科書を見ないで」
 ――……うん。彼は無愛想だ。
「それならいいけど……」
 セイラはこれ以上の反論は無駄だと悟り、気を取り直して授業に取り組む事にした。教師のイイヅカの声に耳を傾ける。
「――このバブルイリュージョン経済のきっかけを作ったのが、消費税の算出方法の改革であります」
 イイヅカは、棒読みでユウマに質問する。
「――えー、例えば、ユウマ。今、欲しい物、なにか言ってみろ」
 授業そっちのけでさぼってカードをいじっている彼へ、遠回しな叱責だったのだろう。
「『欲しい物』?」
 ユウマはカードを机に起き、考える。
 教室にいる生徒全員が彼の方を向き、注目する。彼の『欲しい物』なんて誰にも想像がつかない。気になる。
 ユウマは腕組みし、首を傾げて十秒――やっと口が開く。
「解毒剤」

 教室が白けるのと同時に『キーンコーンカーンコーン』――授業終了のチャイムが鳴る。ちなみにこのチャイムのメロディー、【ウェストミンスターの鐘】と呼ばれる。


 三十分後。
 曇り空の下、ユウマは帰宅の途中だ。カバンを手にぶら下げ、住宅街の一画を、黙々と歩いていく。聞こえるのは小鳥のさえずりと、アスファルトを踏みしめる足音のみ。
 自分、セイラ、ユリの足音が響く。
(――さて……、女をもてあそぶか……)
 ユウマは軽く自己嫌悪を抱きながら、前を歩く二人の少女に聞こえるように、独り言で挑発する。
「なんでいつも、あいつらと帰りが一緒なのだろうか……?」
 『あいつら』とは、もちろん前方のセイラとユリだ。挑発された二人の少女が立ち止まる。こちらを向いてきた。なにか言いたそうなのでユウマも立ち止まる。
「しょうがないでしょ! お互い、ここを通らないと家に帰れないんだから! なによ、あんた!」
 とユリ。
「もっとソフトな言い方しようよ……」
 と、セイラ。二人は反論してきた。
「いつも怒ってばかりだな……」
 ユウマの言葉に、ユリが怒る。
「あんたが怒らせているからじゃない! あたしはそんなに怒りっぽくない!」
「確かに。オレがなにか言えば、お前の気分を害するだけ」
 ユウマは二人に歩み寄った。

「大体、あれなによ……? 『解毒剤』って、意味分かんない……」
 ユリがささやくように侮蔑してきた。
「仰るとおり、オレも意味分からない」
 ユウマは答え、セイラの手首をつかんだ。セイラは彼につかまれた自分の手首を見て、困り果てている。
「――そして、意味分からないついでに、こいつを拉致する」
 ユウマは言いながら、帰り道と逆方向へと、セイラの手首を引っ張った。「は!?」とユリの声を無視して。
(オレは毒されて……、今じゃ、ひねくれたカードオタク……)
「あ……? なんで……!?」
 現状を理解しきれていないセイラ。彼女をユウマは連れ去った。


 今にも雨が降り出しそうな、曇り空の下――
「本当にその目を治したいか?」
 と、ユウマ。
「……うん……」
 と、セイラがうなずいた。
 セイラはユウマと空き地で向かい合っている。その空き地は本当になにもない。あるのは土管ぐらいで、ピラミッド状に三つ積まれている。一応、雑草は処理されているので、管理はされているのだろう。ユウマとセイラ以外に誰もいない。
「オレが治してやる。それでいいな?」
 ユウマが尋ねてきた。
 セイラは恐る恐る、上目づかいで答える。
「……うん……。でも、本当に……?」
 彼は静かにうなずき、答える。
「ああ」
 そのユウマの言葉に、セイラは震える。
「……ありがとう……。本当に……ありがとう……」
 きのう、彼は約束してくれた。『オレがお前の目を治してやる、絶対に』と。その時の彼の言葉は真剣そのもので、揺るぎない決意を感じた。
 そして、きょうも同じ。気休めやからかいとはとても思えない――と、言うより、本当にそうであってほしい……。いや、本当にそうだ! 理由はないけどそんなんだ! そんなんだ!――セイラは彼を信じようと必死だった。

 ユウマは自分の首筋をかきながら、視線をそらして言う。
「ああ。安心しろ」
「うん!――……でも、どうやって? 治療には、たくさん、お金が必要なのに……」
 セイラは必死に尋ねた。彼の言う事がどこまで本気で、実現性があるのかを知りたい。
「今度開かれる【マジックアンドウィザーズ】の大会だ。優勝すれば、その賞金で治療費をまかなえる」
 淡々と事実だけを述べていったユウマ。だが、セイラにはまだ疑問がある。
「そうか……。あと、どうしてわたしなんかのために……?」
 自分とユウマは出会ってから一週間も経っていない。その程度の仲なのに、どうしてなのだろうか?――そのような事を、セイラは知りたいのだ。
「それを知ってどうなる?」
 彼は素っ気なく言い返した。質問には答えたくないと見える。
「ごめんなさい……」
 セイラはよく分からないまま、謝ってしまった。
「謝らなくていい」
 ユウマはずっとセイラから目をそらして言っていた。


 セイラは必死に自分にすがっている。――ユウマは感じた。確かに彼女の気持ちは解る。今まで当たり前のように見えていた目が、突然見えなくなるなんて、果てしない恐怖だろう。今、彼女が妙におとなしいのも、まだ『自分が失明する』と言う現実を受け止め切れていないからだと思う。
 シズカもそうだった。彼女も、最初はいつもより明るく振る舞っていた。それが日を重ねる事に、少しずつよどんでいくのだ。そんな、か弱い心を利用する自分は卑怯だ……。自己嫌悪していたユウマが突然――
「……こんな時に……っ!」
 ユウマはいらだちながら前かがみになり、うつむいた。彼は胸の痛みを感じ、胸を押さえた。しつこいくらい、トラウマは心を蝕む。そして、自分のトラウマの厄介なところは、多角的に打撃が来るところだ。頭が痛み、喘息をもよおし、手首が疼き、胸が痛む――。
 それはおそらく、トラウマの原因が複数あるからだろう。――守れなかったシズカの泣き顔や、憎きヤイバの高笑い、手首に深き傷を負った惨めな自分等々。

 胸を押さえ、痛みに耐えながら、彼は頭を上げた。彼の瞳には、自分を心配そうに見ているセイラが映る。心配をかけまいと、ユウマは彼女に声をかける。
「……この前も言っただろ? 『風邪気味』だって。それを少し、引きずっている……だけ」
「…………うん」
 セイラは納得した――と、思う。そう言う事にしておこう……。
「まだ、言いたい事があるが……、あしたにする……」
 ユウマは言い終わり、きびすを返した。


 ――帰っていく……。
 セイラが、ユウマの背を見始めた瞬間――『ぴちゃっ』って音。彼女のこめかみに水滴が落ちて、頬を流れた。
「――雨?」
 空を見上げてセイラは言った。彼女の瞳に、曇った灰色の空が映る。その曇り空から、水滴がもう一粒、落ちてくる。それがセイラのまぶたをつたい、彼女の目に入る。
 目に水が入るのは痛い。反射運動が引き起こり、彼女は目をぎゅっと閉じ、瞳に当たる水滴を弾く。
 そのまま、次々と空から降ってくる水滴が、彼女が着ているセーラー服を濡らす。
 セイラの感覚はまず、水滴の温度に反応する。――冷たい!
 次に布が湿り、肌に張り付いて起きた痒みに反応し、顔を歪ませる。――痒い!
 次の瞬間、雨の降る音が聞こえた。その音は段階的に長く、大きくなる。
 今はまだ小雨程度。しかし曇った空を見れば、じきに本降りになるのは容易に想像できる。

 ユウマも雨に気がつき、自分のカバンから黒い折りたたみ傘を取り出す。それを開き、差した。
 セイラも雨に濡れまいとカバンの中をあさり、折りたたみ傘を出そうとするが――
「……ない!?」
 もう一度カバンをあさる。
「……ない……!?」
 どんなにあさっても傘が見つからない。
「そんな……。嘘でしょ……」
 彼女は、悩ましげな声を出した。
 

 ユウマは傘を差したまま、セイラを見つめる。彼女はまだ、必死にカバンの中をあさっている。
 雨の勢いは未だに衰えない。放っておいていたら、彼女はずぶ濡れになってしまう。すでに彼女の髪は水気を帯びいる。上着やスカート、赤い胸のリボン、白いソックス、茶色い革靴――彼女のそれらも濡れてきて、シミだらけだ。
 ――でも、そんなの関係ない。彼女がどうなろうが、関係ない。ユウマはセイラに背を向け、今度こそ帰ろうとする。
「傘!? 本当にない……っ!」
 背後から彼女の慌てふためいた声が聞こえ、少し気になったが、ユウマは振り向かない。
(薄情なオレを恨むがいい……)
 ――自分には傘がある。傘があれば彼女を雨から守る事ができる。でも、彼女に背を向けて微動だにしない。
(オレはヒトすら怖くなった……)
 ――だから、傘を差してやる、やさしさすら持てなくなった。

 ユウマは虚しく思いながら、歩き出す。セイラに背を向けて。
「そんなぁ……。このままじゃ、ずぶ濡れだよ……」
 背後からセイラが駆け出した。そのすれ違う瞬間――
(……これは……っ!?)
 ユウマはなにかを感じた。
(まさか……、ドレッドルート――!?)
 彼の感じた『なにか』は『ドレッドルート』だった。一瞬、彼の脳裏に龍の姿が浮かんだ気がした。直後、その龍と入れ替わるように、二つの黒い人影が脳裏に浮かぶ。そして、自分の口が勝手に動く。自分はなにか言っているらしいが、声が出ていない。自分の口なのに、なにを言おうとしているのかが分からない。
 パニック状態に陥り、よく分からないままに、セイラを呼び止めてしまう。
「ま、待て!」
 自分の手が勝手にセイラの背中を追い、彼女の肩をつかんだ。彼女の衣服は濡れていて、うっすらと肌が透けていた。髪型も濡れて乱れている。はしたない姿だと思いながら、彼女の姿を直視した。
 とりあえず、自分で呼び止めておきながら、雨にさらさせるのもあんまりなので、自分の傘で彼女を雨から守った。自分にも、とっさに出るやさしさぐらいはあったらしい。

(……記憶が……、飛んでた……?)
 やっとユウマの心は落ち着いた。しかし、いつからか記憶が抜けている。
「――あの……?」
 呆然としていたら、セイラの声が聞こえた。
「あ?」
 ユウマは完全に今の状況を見失っていた。自分は彼女を呼び止めてそのままだった。
「傘持っていないから、早く行かないと……」
 セイラは申し訳なさそうに尋ねてきた。
 ユウマは「ああ……」と、生返事で時間稼ぎをする。
 ――理由もなく、呼び止めてしまった。どうすればいい? どうすれば――?
 果てない思考の末、ユウマは「持っていけ」と、セイラに傘を差し出す。もう、こうなったら傘を貸すしかない。
「え?」
 セイラが傘を見上げた。
「『貸してやる』って事だ」

 ユウマは小さい声で、傘を貸そうとする。
「いいの……?」
 セイラの質問にユウマが答える。
「ああ。あらゆる成り行きがあった。結論的に苦肉の策として、止むを得ず傘を貸す事になってしまった。多分、これが最初で最後。本当にこれが最後。壊すんじゃないぞ……」
 回りくどい返答になってしった。回りくどい返答がおかしかったせいなのか、セイラはくすくす笑い、天真爛漫な笑顔で感謝する。
「ありがとう!」
 明るく、ほんわかな声だった。
(――笑顔の方が似合う……)
 ユウマは顔には出さないが、うかつにも彼女の笑顔に和んでしまった。だが、和んでばかりもいられないので、セイラに傘を手渡し、ユウマは傘から出ようとするが――

 気がつけばもう、雨はシャワーのような水流にまで強まっていた。傘なしで帰るには、かなり根性が必要そう。
 ユウマは傘の外を見て、ひるんだ。――傘なしで帰れるのか?
 もう傘を貸してしまった。だから、もう行くしかない。傘なしで帰るしかない。それなのに、この天気……。『ずぶ濡れになって風邪を引け』とでも言うのか? この空は?
 さっき雨にあたっていたセイラもそこそこ濡れてはいるが、多目に見ても全身の四割程度。だけど、セイラが浴びた時とは雨量が違う。おそらく全身の九割、十割が濡れるだろう。
 ――勢いで貸すんじゃなかった……。
 制服や体が濡れるのなら、まだ許容範囲内。しかし、カバンが濡れるのは勘弁。――中には教科書やノート、そして【マジックアンドウィザーズ】のカードがたくさん入っている。
 ユウマはセイラに貸した傘を視界に入れる。今からでも傘を返してもらうか? お人好しの彼女ならきっと返してもらえる。しかし、一度貸した物を取り上げるのもまた惨めだ。

 しかたない。教科書やノートは乾かせばどうにかなる……事を期待する。カードもよく考えれば、金属ケースの中だから濡れはしない。とりあえず、貴重品はどうにかなる。
 状況を何度も確認し、ユウマは傘の外に一歩踏み出した。雨にさらされて、ずぶ濡れになる決意をした。
 そんなユウマを気づかったのか、セイラは借りた折りたたみ傘の取っ手を差し出す。
「やっぱり返すよ……」
 それに対し、ユウマは冷めた顔で「構うな」――言葉と同時に、彼は走り出した。


 翌日の朝。
 天気は雲一つない快晴で、きのうの土砂降りが嘘のようだ。太陽の日差しが暖かくて心地良い。セイラの大好きな天気だ。
 セイラは通学中、十字路でユウマと遭遇する。
「傘返せ」
 出会っていきなり、ユウマに傘を催促された。彼は手のひらをセイラに差し出している。
「うん。ちょっと、待ってね」
 セイラはカバンを開き、その中から折り畳み傘を取り出した。すぐに取り出せる場所に入れていたから、五秒もかからなかった。

「きのうは本当にありがとう」
 セイラは笑顔で折り畳まれた傘の両端をつかみ、ユウマに手のひらに置く。彼は無言でその傘を取り上げ、カバンの中にしまった。
 借りた傘の返却も終わり、セイラはきのうから心配していた事を訊く。
「本当に大丈夫だった? きのうはすごい雨だったけど……」
「相合い傘より、濡れた方がましだ――」
 冷たい彼に、セイラは苦笑した。彼が話を続ける。
「それに、お前よりも――」
 彼は自虐的に言う。
「ゲスなオレの方だろ? 『ずぶ濡れ』が似合うのは?」
 彼の言葉に、セイラは不機嫌そうな表情で忠告する。
「げ、『ゲス』なんて……。自分を悪く言わないでよ……。誰も喜ばない……。言う自分が悲しくなるだけじゃない……」
「……人当たりの良いセリフだ……」
 ユウマはセイラの忠告に対する感想を述べた。
 セイラはつまらなそうに、言い返す。
「……別に媚びていないよ……」
 ユウマは言い切る。
「『媚び』じゃない。お前は純粋でやさしい」
 突然、ユウマに手放しでほめられ、セイラは照れを隠す。

「え? そうかな……?」
 次の瞬間にユウマは呆れ返る。
「まあ、お前は『やさしい』と言うより『お人好し』だ」
 セイラの胸に、彼の鋭い言葉が、精神的な意味でぐさりと突き刺さった。なので胸を軽く押さえる。
「『お人好し』はよく言われる……」
 彼女は落ち込みながら、首を縦に振った。
「そして騙されやすく、騙されても――ずっと後から気がつくタイプじゃないか?」
 彼の言葉責めはまだ続いていたらしい。
 ――容赦ない言葉の猛攻撃。言葉の刃物が、セイラの胸をえぐる、えぐる――。否めない事ばかり言ってくるのが余計に辛い。
「……仰る通りです……」
 今の彼女の肩身は狭い。
「――なんて、お喋りも程々にしておこう」ユウマは話を切り返した。「お前にやってもらう事がある」
 セイラは目を見開く。『やってもらう事』とはなにか?
 ユウマは人差し指を立てる。
「デュエルだ」
 と、ユウマ。
 セイラが聞き返す。
「『デュエル』?」
「そう、デュエルだ。オレがお前の目の治療費を稼ぐ。そのためのデュエルだ――」
 セイラはつばを飲み込み、うなずいた。目が治るならなんでもする。


 その日の午後四時。
 ユウマはセイラを連れ、行き着けの喫茶店の前に立つ。帰宅の途中で、両者とも制服姿のままだ。
 その喫茶店は町外れにある、約五〇メートル四方の真っ黒なログハウスだ。屋根には白い文字で【喫茶・不知火】と記されている。
 ユウマは入り口の階段を登ろうとするが、ふと振り向く。すると、セイラは立ち止まってあんぐりとしている。彼女は手で目をこすったりもしていた。彼女はなにに対してあんぐりとしているのか、ユウマは問いかけてみる。
「どうした?」
 セイラは我を忘れていたのか、少し間を空けてから答える。
「――ユニークだね……。こんなに真っ黒で……」

 ユウマは真顔で同感し、頭をかきながら答える。
「店内は普通だ。安心しろ」
 セイラは不安げに「……そうなんだ……」と納得した。
 店の中に入ると、そこには外側とは違い、ワニスのみで塗装された木材の空間が広がっていた。もちろん黒のペンキは塗らされていない
 セイラは店内に見とれている。
「本当にまともだ……」
 ユウマはセイラの言葉に無反応のまま、店内を進んだ。
 厨房から青いエプロンを着た店長――出て来てレジに立つ。彼の名は『シラヌイ・サラオ』――五十歳前後で口髭の濃い、白髪混じりな黒い短髪の男だ。陽気な風貌を漂わせている。
「いらっしゃいませ……」
 深みのある声でシラヌイが挨拶してきた。
「おや?」
 シラヌイはユウマの隣のセイラに気がつき、にやける。
「ユウマちゃんも一丁前に、ガールフレンドとデートするようになりましたか〜」
 からかわれた。しかし、慣れっこだ。このカフェに来ると、よく店長の彼にからかわれる。いつもの事だから慣れた。

 ユウマは即答で「寝言は寝て言え」とシラヌイあしらい、レジを通り過ぎる。セイラも背後を追ってきた。
 そのまま店内最深部の席にユウマとセイラが向かい合う形で座る。窓からの日差しが心地よい席だ。椅子も机も木材でできている。
「さて、なにか飲むとしよう」
 ユウマはセイラに品書きを差し出す。
「(お前の)おごりだ、好きなの頼め」
 彼女は品書きを受け取り、眺める。
「え? それじゃあ――」


 五分後。
 セイラが注文したホットコーヒーとユウマが注文したコーラはすでに届き、テーブルの上に置かれている。
 ホットコーヒーは純白のティーカップに注がれていて、スティックシュガーと小型のポットに入ったミルクが付いてきた。
 コーラの方はMサイズ相当の量が、ガラスコップに注がれていている。コーラの中には氷が三つほど沈んでいる。枝の端同士がつながったさくらんぼ二房がトッピングとして浮かび、ストローが挿されている。

 ユウマは語り始める。
「お前にある人物と【マジックアンドウィザーズ】で勝負――デュエルをしてもらう」
 ユウマが言い終わると同時にセイラは驚く。
「ええっ!?」
 ――そんなの無茶だ! 自分はデュエルの実力どころか、デュエルの経験すらない。だから今、デュエルをしたら、勝負にすらならない。
 そわそわしているセイラをユウマは「落ち着け」となだめ、補足する。
「今すぐしろってわけじゃない」
 セイラは取りあえず落ち着く。時間はくれるらしい。
「デュエルは一ヶ月後だ」
 ユウマの言葉にセイラは首を傾げる。
「『一ヶ月』……」
 一ヶ月――長いのか短いのかよく分からないが、今すぐよりはまし。
「あと、ルールを説明する。――っと言っても本当に極一部だが」
 ユウマは言葉通り、説明を始めた。

「現在、【マジックアンドウィザーズ】の公式のルールは『レジェンド』。持ち点『10000』、手にカードを五枚持った状態でスタートする」
 ここからユウマの表情は凛となった。
「うん」
 セイラは緊迫して首を縦に振る。彼女は頭の中で確認する。レジェンドは持ち点『10000』、最初の手札は五枚。
 続いてユウマは、ブレザーのポケットからカードを二枚取り出し、テーブルの上に置く。
「このカードを見ろ――」
 セイラ指示に従い二枚のカードを手に取って見る。
 一枚目は黄色にふち取られたカードで、炎のオーラをまとった、黒い雄鹿らしき獣が描かれている。
 二枚目は緑色にふち取られたカードで、、山に雷が落ちている様子が前者同様、描かれている。
「カードは二つに分類でき、黄色いふちの方がモンスターを呼び出す『モンスターカード』。緑色のふちの方がモンスターは出ず、使えば特殊な効果が発動する『マジックカード』だ」
 セイラはティーカップを握り、その中のホットコーヒーをすすりながら、カードの分類を連呼し、頭の中に押し込む。

「――黄色いふちが『モンスターカード』、緑色のふちが『マジックカード』、黄色いふちが『モンスターカード』、緑色のふちが、えーと……マジ……」
 詰まるとユウマが助けてくるた
「『マジックカード』」
「そうそう、『マジックカード』――」
 セイラはホットコーヒー片手に暗記をしながら、次のユウマの説明を待っていたのだが――
「オレが教えるのはここまでだ」
 彼は冷たく言い放った。これで説明終了らしい。
「え……?」
 セイラの表情が固まった。
 ――もう終わり!? まだデュエルのしかたとか全然分からないのに、もう終わり!?
「そのカードはくれてやる」
 彼はコーラのに手を伸ばし、ストローも使わず、直接コップに口つけて、一気飲みした。

 次にトッピングだったさくらんぼの枝をつかみ、二房の実を食べる。実を食べ終え、残った種をコップの中に吐き捨てる行為を一房目、二房目と順におこなった。さくらんぼの枝と枝を口の中で結び合わせ、その枝もコップの中に吐き捨て――
「これから仕事がある。だからもう行かないといけない。分からない部分は自分で調べろ。そっちの方がしっかりと身につく」
 ユウマは席から立ち上がった。
「デュエルは一ヶ月後。その時が来たら知らせる」
 早足で店を去って行った。
 取り残されたセイラはコーヒーを一口、ため息をつく。
 (頑張らないと)セイラは決心した。(頑張ればどうにかなる……)
 ――そして絶対に自分の目を治す。
 自分に言い聞かせ、コーヒーを飲み干し、立ち上がった。テーブルにある、ユウマが残したカード二枚を手に取り、自分も店を去ろうと出入り口に移動した瞬間――
「お、お客さん、お客さん……?」
 店長の男性に呼び止められた。
「はい?」

 セイラは振り向いた。店長は少しあせった顔をしている。なんで呼び止められたか、彼女には心当たりがない。
 店長は催促する。
「お勘定、まだですよ?」
 セイラは軽くうなずき納得する。確かにコーヒーとコーラの代金が未払いだった。彼女は代金を払うため、財布を取り出そうとポケットに手をかけるが――
「…………ん……?」
 思わず疑問詞を口出した。
 そう言えば、ユウマから『おごる』って言葉を聞いた気がする。この喫茶店に入ってからの、彼とのやりとりを思い出してみる。
『――おごりだ。好きなの頼め』
 そんな風に、彼に言われた記憶があった。
「ん〜っ……?」
 セイラは盲点がないか、ひたいに人差し指をあてて、よく考えてみる。
『――おごりだ。好きなの頼め』
 ――具体的に誰がおごるかは言っていない。そして、たった一つの真相を見抜く。
(『あなたのおごりだ』って意味かな? 間違いない!)
 納得。でも――
「……騙されちゃった……」
 彼女は斜め上を見上げ、目を閉じた。右手で頭を抱えて、ため息ついた。


 喫茶店を出たユウマは、仕事場に向かおうと、雑木林を歩く。そうしていると、声が聞こえてくる。
「ヒノッ! お前、本当にむかつくんだよッ!」
 ――クラスメートのトリガの声だ。威圧的な口調と言葉の内容から、同じくクラスメートのヒノをいじめていると言う事がよく分かる。
 一瞬、ヒノを救おうか迷い、ユウマは立ち止まった。だが、すぐに歩みを再開する。
(一年前の自分なら、ヒーローを気取って、救っていただろう……)
 ユウマは知らんぷりして、雑木林を歩き続ける。
(だが、今はオレもヒトが怖い)
 ヒトはヒトを傷つけ、泣かせ、辱め――笑う。ヒトはヒトを笑う事が大好きなんだ。
 自分もヒト――アヤメ・ヤイバに傷つけられ、泣かされ、辱められた。ヒトは自分が笑うためならば、たやすくヒトを害するのだ。だからヒトが怖い。ヒトが怖いから、ヒトを救おうとする気にはなれない。
「そんな、オレがセイラを救おうとしている。笑える……」

 ヒトを救う気はないくせに、ヒトであるはずのセイラの前ではヒーローを気取って救おうとする。利害関係が一致した時だけは、必死にヒトを救おうとするのだ。そんな自分は本当に卑怯で、いい笑われ者――。
 ユウマは下唇を噛んで、罪悪感をこらえる。そうしながら、嫌な気分で雑木林を出た。
 結局、自分はヒーローの自分に酔いしれたいだけ。救う相手は誰でもいい。だから、できるだけ効率的な救済を選び、それだけをおこなう。
 不意にシズカの笑顔が浮かび、それがセイラの笑顔に入れ替わる。ユウマの救済の対象が、シズカからセイラに入れ代わったのだ。






 午後三時三十分。
 オセロ学園高等部、三年生A組教室。
 現在、放課後である。
 ハリネズミのように刺々しい、褐色のオールバックの男子生徒――ウツノミヤ・ミゾレは教室に残り、友人と立ち話の最中だ。
「――ったく、今年度から学校の総合実習でデュエルとか、嫌な時代になったぜ……。なあ、フトシ?」
 太めな体格に丸刈りの男子生徒――ホソヤマ・フトシ――彼が立ち話の相手だ。
「まあまあ……。時代は変わるもんだよ」
 フトシは困ったように言葉を返した。
 ミゾレはふてくされたように相づちを打つ。
「確かに――、そりゃそうかもしれないけど。『デュエル』って『カードゲーム』の事だぜ……。さすがに学校でカードゲームとかはねーよ……」
 ふてくされる彼を、フトシがなだめる。
「しかたないよ。『カードゲームなんて所詮遊び』って言う考え方自体がもう、オールドタイプになっちゃったんだよ……」
 ミゾレは舌打ちする。
「ちぇっ……、悪かったな、『オールドタイプ』で……? ホソヤマ・フトシくんよ?」
 フトシは、頭をかきながら困り果てる。
「こっちに言われても……。――って、なんか機嫌悪くない?」
「はっ! カードゲームとか小難しいの、苦手なんだよ……」
 と、ミゾレ。カードゲームはいちいちルールがややこしい。勝つために相手の手を読んだり、カードを使うタイミングなどを見極める知的作業がめんどくさい。だからカードゲームは苦手。デュエル――【マジックアンドウィザーズ】も例外ではない。
 そんな、不機嫌なミゾレにフトシが提案する。
「だったらユウマに教えてもらえば?」
 ミゾレは「うーん……? あいつに……?」と、露骨に不満を示した。続けて不満の理由を述べる。
「あいつ、断るだろ……?」
「いや、でもあの人――【マジックアンドウィザーズ】、好きっぽいし、意外とその話題なら、心を開いてくれるかもしれないよ?」
 物腰柔らかにフトシが意見した。
「そうかぁ……? まあ、玉砕覚悟で行ってくる――」
 ミゾレは言いながら、ユウマの席に移動した。
 ユウマは席につき、帰宅の準備をしていた。カバンに荷物を積め終え、帰ろうとしている瞬間――ミゾレはユウマの目前に立つ。
「おい、オレにデュエルを教えてくれよ!」
「断る」
 ユウマはこちらに顔も向けずに即答した。――ミゾレは自分が見事に玉砕したらしいと悟った。
 これだから現実が嫌になる。無意味にほろ苦くてあほらしい現実が。


破の急 [悪魔払い]

 ミゾレは軽く転びかけた。『デュエルを教えてくれ』と言う誘いをユウマに断られ、出端をくじかれたから。第三者が見れば、コントみたいなやりとりなのだろうが、本人にとっては精神的な大打撃だ。
「……ちょい、待てよ! 酷いぞ! もっと考えろ!」
 人差し指を突きつけながら猛抗議するミゾレ。――それに対するユウマは首を傾げ、三秒間沈黙。彼は『もっと考えて』みているらしい。彼は傾げた首をまっすぐに戻し――
「断る」
 彼は再び断った。一回目の『断る』とまったく同じ口調で。
 「こいつ……」ミゾレは手のひらで、自分のひたいを叩いて呆れ、リクエスト――「おい、せめて事情を言えよ……」
 ユウマは彼のリクエストに応じず、立ち上がり、カバンを持つ。そして、ミゾレに背を向ける。ユウマは明らかに帰ろうとしていた。
 「待てよ坊主!」ミゾレは慌ててユウマの肩をつかみ、足止めした。「答えろ。なぜ断る!?」
 彼はミゾレの手を振り払い、振り向く。
「『坊主』とは呼ばれたくないぞ。ウツノミヤ・ミゾレ」
 ユウマは言い返した。
 「オレもフルネームで呼ばれたくねーよ……」ミゾレも言い返した。「まあ、オレもついさっき、フトシを――って、そんなのどうでもいい……」
 ミゾレががっかりしている中、ユウマはいきなり重々しい口調になる。
「【マジックアンドウィザーズ】が嫌いで、デュエルをしたくない。だから断る……」
 ユウマはいつの間にか、断った理由を述べていた。彼の理由を理解するのにミゾレは四秒間費やし、再確認。
「は? 『嫌い』なのかよ……?」
 ――ユウマは授業中もカードをいじっているぐらい【マジックアンドウィザーズ】に没頭している。それなのにどうして?――ミゾレは返答を待ち焦がれた。
 ユウマは堅苦しい声を出す。
「けじめだ」
 ――『けじめ』? それはどういう事か?――ミゾレは再び聞き返す。
「け、『けじめ』……?」
 ユウマは感情を込めずに受け答える。
「けじめをつける――それだけのためにデュエルをしている」
 ユウマの表情は次第に腹立たしそうなものになる。彼からは、殺気に似たものすら感じられる。
「けじめのため、不本意でデュエルしている。だから【マジックアンドウィザーズ】とか『デュエル』なんて言葉、本当は聞きたくもない……」
 彼は言い捨て、そっぽを向いた。下唇を噛み締め、口元を引きつらせていた。目つきも虚ろなままだ。顔色も青ざめている。そんな彼の様子にミゾレは気がつく。――あまり持ちかけて欲しくない話題なのだと。彼は憎いし、苦痛なのだろう。
 ミゾレはなにも知らず、無神経に振る舞っていた自分を反省し、謝る。
「そうか……。なんていうか……、ごめ――」
「謝るな」
 謝罪し終わる前に、ユウマがさえぎった。彼が言葉を続ける。威圧的な声で。
「お前は悪くない」
 ユウマはミゾレから離れて行く。ミゾレはただ、彼の背中を眺めるしかできなかった。きょうの彼の背中は、なぜかいつもより小さく見えた。
(あいつ、前はもっと明るかったのにな……)
 呆然としながら、ミゾレはもみ上げを人差し指でかいた。
 人は変わるもの。――ミゾレはユウマを見て、それを実感する。そして彼はもう、最後に見た、ユウマの笑顔が思い出せなかった。




 同日午後四時。
 セイラは下校の途中、ドミノ町に位置するゲーム屋に立ち寄った。現在、彼女はそのゲーム屋の入り口の前に立って、ぼそりと感想を述べる。
「ここが……、ムトウ・ユウギの実家で有名な【亀のゲーム屋】? すごい小規模……」
 セイラの緑の瞳には、二階建ての台形の建物が映る。お世辞にも『大型店』とは呼べない。向こう側の【ブラッククラウン】が十倍近く大きい分、余計に【亀のゲーム屋】の小ささが際立つ。――なんて、店の規模はどうでもいい。まず、店内に入らなければ、なにも始まらない。彼女は【亀のゲーム屋】の入り口の自動ドアを通過して、店内に入る。すると――
「あ? お客さん?――困ったなぁ……。じーちゃんいないし……――」
 つめえりの青い学生服姿の少年が、店の裏口から入ってきた。その少年の中でもっとも特徴的な、ヒトデのように五方向に逆立った髪型を見て、セイラは彼が『ムトウ・ユウギ』である事を確信した。
 「しょうがない。じーちゃん戻ってくるまでは、ボクがやるか……」ユウギはレジの席につき、セイラを出迎える。「いらっしゃいませ!」
 出迎えられたセイラは店内を見回す。右側にはボードゲームや競技用玩具のパッケージ、左側には家庭用コンピューターゲームのハードウェアやソフトウェアのパッケージが並ぶ。
 だが、お目当てはカードゲーム――【マジックアンドウィザーズ】だ。彼女はレジ台のショーウィンドーに直行する。そのショーウィンドーの中にあるのだ。――【マジックアンドウィザーズ】のカードが。カード四十枚入りパックと五枚入りパック、カード単品がいくつも並んでいる。それをセイラはじっと眺める。
 一分経過。
 セイラはずっとショーウィンドーの中のカードを眺めていた。彼女は困惑している。――どれを購入すればいいのか分からない……。
 困った彼女は、ユウギをちらっと見て、『助けて!』と言ったメッセージの眼差しを送った。それは俗に『ヘルプアイ』と呼ばれる眼差しだ。
 セイラの緑の瞳と、ユウギの赤い瞳が一瞬、向き合った。これで、気づいてくれただろうか?
「――えーっと……、なにかお探しみたいだね?」
 ユウギは気を利かせ、質問をしてくれた。ヘルプアイの効果も案外あなどれない。セイラはすかさず要件を言う。
「わたし、初めてで……、どれから手をつければいいのかな〜、なんて……?」
 ユウギがやわらかに微笑んだ顔で、教えてくれる。
「初心者にはこの【スターターデッキ・侵略する火炎】を、ボクはおすすめするよ」
 ユウギは背後の棚から、一つの商品を取り出し、それをショーウィンドーの上に提示する。提示されたのは銀色の長方形のパッケージだ。
「これにはゲームに必死なカード四十枚、ルールブック一冊が入っていて、これさえあれば基本はばっちり。『スターターデッキ』にも種類は沢山あるけど、『侵略する火炎』が今のところ、もっとも初心者向けだと思うよ」
 セイラはその【スターターデッキ・侵略する火炎】を見つめて、考える。――いや、考えるまでもない。なににすれば分からず、彼に訊いて、彼の出した答えが【スターターデッキ・侵略する火炎】なのだ。それにしないでなににする?――決断した。
「それにします」
 セイラは【スターターデッキ・侵略する火炎】を購入する事にした。
「お買い上げだね。ありがとう。二五〇〇円になります」
 と、ユウギ。
 ――意外と高価、なんて思いつつ、セイラはスカートのポケットから、黒い皮の財布を取り出す。
 その一方、ユウギは彼女が財布をあさっている間に、【スターターデッキ・侵略する火炎】と店のパンフレットを白いビニール袋に入れる。
 セイラが千円札二枚と五百円玉一枚をユウギに支払い、彼から【スターターデッキ・侵略する火炎】の入った袋を受け取った。これで売買は成立した。
 ユウギは受け取った料金をレジをにしまっている。そんな彼にセイラは質問する。
「あの……」
「ん? どうしたの?」
 ユウギはレジの操作を終えてから聞き返してきた。
 セイラは一生懸命、人当たりの良い顔と声を作り、用件を述べる。
「なんか……、デュエルで勝つ秘訣とか、知りません?」
 彼はムトウ・ユウギ――『国内最強』の呼び声も高い、【マジックアンドウィザーズ】の名手だ。そんな彼ならなにか、画期的な必勝法を知っているのかもしれない。だから尋ねてみた。セイラは一ヶ月後、デュエルをして勝たないといけない。【マジックアンドウィザーズ】に関して、まったくの初心者の自分が、デュエルをして勝たないといけない。強くなり、勝てるようになるチャンスがあるならば、それをつかまない手はない。
 それでユウギは――と、言うと――
「悪いけど……、あんまりそう言うアドバイスをしたくないんだ……」
 彼は後ろめたそうに回答を拒否した。そんなユウギを見て、セイラは彼の気分を害したんのかな?――なんて思い、頭を下げて謝る。
「すいません……」
 ユウギは慌てるように、頭を下げた彼女をフォローする。
「あ……。別にボク、怒ったりとか、悲しんだりとかしたわけじゃないよ。だから謝らないで」
 セイラは気まずさに震えつつ、下げていた頭を上げる。
「そうですか……」
 とりあえず、ユウギに微笑みが戻っているので安心した。彼は静かに語りかけてくる。
「うん。ただ、あまり勝ち負けとかにこだわるの、ボクは好みじゃないだけで――」
 言いかけて、彼は言葉を詰まらせた。彼は高い鼻筋を人差し指でかきながら、しばらくうなり、語りを再開する。
「……もっと楽しいからとか、仲間を作るとか……、そんな事のためにデュエルを――って、こんな個人的な意見、押しつけちゃ駄目だよね……」
 言い終わると、ユウギの目つきが悲しげになる。セイラは彼から、なにかの喪失感を感じた。




「――苦い……」
 ユウマは板チョコレートをかじりながら、家へと向かい、ドミノ町の商店街を歩いていた。
「やはりカカオの比率が高いとな――」
 真顔で、苦いチョコレートの感想をつぶやいていると、彼はいつの間にか商店街を出ていた。そして、今度は雑木林に足を踏み入れる。彼の周囲一面には樹木が並ぶ。
 『カー、カー』や『バサバサッ』とカラスの鳴き声や羽ばたきの音が聞こえる雑木林を、ユウマは黙々と歩き続ける。チョコレートをかじりながら――。
 誰かの声が聞こえる。
「うじうじしてんじゃねぇ! お前、むかつくんだよッ!」
 トリガの罵声だった。
『ヒノッ! お前、本当にむかつくんだよッ!』
 トリガはきのうと似たような事を言って、ヒノをいじめているらしい。またか……――と、ユウマはうんざりして、顔をしかめた。いじめ自体が大嫌いだが、ワンパターンな声を聞いていると、かなり低レベルないじめを想像してしまう。それで、余計に腹立たしくなってきた。
 だが、自分もヒトが怖くて――そんなこんなで、とにかく、ヒノを救う勇気は自分にはない。だから、ユウマは無視して、チョコレートをかじりながら歩き続ける。
 しかし、それでも――トリガの声は耳に入ってくる。
「さーて、賭けをしようぜ。ヒノくんよッ! デュエルでオレが――」
 その声が、ユウマを激しく動揺させた。
 ――『デュエルで』……!?
 ショックのあまり、ユウマの見ている世界――青空と樹木と大地の色が暗転した。さらにカラスの鳴き声や、木の揺らめく音が聞こえなくなった。
 彼は自分の感情をコントロールしきれず、持っていた板チョコレートを、包んでいた銀紙の上から握りつぶしてしまった。砕けたチョコレートの破片が地面に落ちる。
 やはり、デュエルはヒトを不幸にする。ユウマは再度、確信した。――自分は手首に傷を負って、シズカの目を治せず――って、言い出したらきりがない。
 ユウマは板チョコレートの残骸を包んだ銀紙をはがし、その中のばらばらに砕けたチョコレートを口に放り込み、噛み砕く。
(……苦いな……)
 彼は憤怒と憎悪に支配された。




『テンマ・ゲッコウって人、知ってる? 【インダストリアルイリュージョン社】の会長の。彼がきょう、【マジックアンドウィザーズ教室】って講習会を開くから、それに参加して見れば。きっとルールブックを見るより分かりやすいし、なにより無料だし――』
 ユウギに勧められ、セイラは【マジッ
クアンドウィザーズ教室】に参加する事にした。なので彼女は今、その会場内に立っている。そこには三人掛けの席が縦五列、横五列――計二十五台設置されているが、すでにほとんどの席には人が座っていた。幸い、右端の最後列の三席は空いていた。彼女はそこに着席する。
 【マジックアンドウィザーズ教室】が始まるまでには、まだ五分ほど時間がある。そんな中――
「ここだな? シズカ?」
 背後から男の声が聞こえた。
「うん」
 今度は女の声が聞こえた。その声が気になり、セイラは後ろに顔を向けてみた。その先には少年と少女が向き合っていた。どちらも十代半ばから後半辺りの少年少女。
 少年の方は前後にボリュームのある金髪が特徴で、少し目つきがきついが、純朴そうな顔立ちをしている。青いつりえりの学生服を、第一ボタンを外して羽織っている。
 少女の方は栗色のロングヘアー。細いまつげと二重まぶたの際立ち、笑顔がよく似合いそうな顔立ちをしている。学生服らしき黒いブレザーとスカート、赤いネクタイを着込んでいる。さっきの会話から読み取るに、彼女の名は『シズカ』。
「じゃ、オレ、これが終わる時間になったらホンダと来るからな。後で、オレがデュエルの相手をしてやるぜ!」
 金髪の少年の言葉にシズカが言葉で返す。
「でも、手加減してよね。カツヤお兄ちゃん、【バトルシティ】三大会連続ベスト四なんだから!」
 【バトルシティ】――【カイバコーポレーション】主催の【マジックアンドウィザーズ】の大会だ。優勝賞金はさほど高額ではないが、世界的に知名度が高く、第一線で活躍する選手が参加する事も多い大会だ。そこでのベスト四はすごい事だと、門外漢のセイラにも分かった。
 それにしても『カツヤお兄ちゃん』――つまり、この二人は兄妹なのだろう。
「おうよ。――じゃあ、しっかりとルールを覚えろよ」
 カツヤは言葉を残して去っていった。彼と別れたシズカは、セイラの隣に立ち寄り問いかける。
「隣、いいですか?」
「どうぞ」
 セイラはにこやかに承諾した。彼女の隣にシズカが着席する。
 そろそろ【マジックアンドウィザーズ教室】が始まる。




 その頃、ドミノ町の空き地。
 ――ヒノはデュエルをしている。うつむき、黒の前髪で目をかくし、白い顔を強ばらせながら。
 対戦相手はクラスメートのトリガだ。赤い短髪と茶色い瞳のいかつい男で、首までかかるもみ上げと、平たいあごが特徴だ。
 ヒノの背後にはトリガと同じくクラスメートの男子――キチタとシドウがいる。はっきり言ってトリガ、キチタ、シドウがヒノは大嫌いで、怖れている。それは日頃、この三人から『いじめ』を受けているからだ。




 ――高校入学当初、人見知りなヒノはクラス内での友好関係を築けずにいた。だからいつも一人。なにをするのも一人。みんなが遊んでいる時も、お喋りしている時も、なにもせず自分の席に座っているだけ。
 そんな置物みたいなヒノが、トリガの嗜虐心を刺激させる。こんな置物みたいなやつなら、なにをしても大丈夫。置物はなにをしても抵抗しないのだから。
 トリガは友人のキチタ、シドウと共にヒノをいじめる。――最初は筆箱を隠したり、足を引っかけて転ばせる、髪を引っ張る。次第にいじめはエスカレートし、果てには暴行、恐喝――そんな、犯罪じみたレベルにまで発展した。が、それを止める者はいなかった。ヒノは仕返しされるのが怖いせいか、学校の教師、家族、友人等に相談しないからだ。
 だから、トリガは増長していく自分を自重しようとはしなかった。――ヒノは誰にも報告せず、抵抗もしてこない。だからこのいじめにリスクなど存在しない。そして、なにより愉快だ。人をいじめれば自分が強くなった気分を味わえる――。
 トリガがヒノを哀れんだ事もあったが――結局、いじめられる方が悪いと言う結露を出した。弱くて、うじうじしているヒノはいじめられて当然。いじめられるのが嫌なら、誰かに言うなり、抵抗するなりするべきだ。だから弱いヒノが悪い。強い自分は正しい――それが『弱肉強食』と言うものだ。
 そして現在、トリガはヒノに『賭け事』を強要している。デュエルの勝利者は敗北者から現金を奪う事ができるという賭け事を。




〈だはは、もうオレの勝ちだな!?〉
 【デュエルアームズ】のヘッドマイクから聞こえるトリガの偉そうな言葉に脅えながら、ヒノは現状を確認する。
 持ち点は自分が残り『100』、トリガ残り『1000』。
 自分とトリガの間に、トリガの[ワイト]――人骨の姿をしたモンスターが一体、トリガ同様、偉そうに腕組みしながら仁王立ちしていた。場にはその[ワイト]一体のみ。
 手札はお互いに七枚ずつ。
 分かりやすくまとめると――
 自分は持ち点残り『100』、手札七枚、場のモンスターはなし。
 トリガは持ち点残り『10000』、手札七枚、場には[ワイト]。
 ヒノの出した結論は――言うまでもなく、自分の劣勢。
〈ヒノ、お前……デュエル開始からなにもしてないなぁ?〉
 トリガの嘲りがヒノの耳に届いた。確かに彼の言うとおり、ヒノはこのデュエル、デッキからカードを引く事以外、なにもしていない。
〈どうしたんだよ? オレの場にはザコ[ワイト]だけなんだぜ? 弱っちいお前でも余裕で倒せるろォ?〉
 トリガの口調はどこまでも思い上がっていた。
〈ま! オレに勝ったら、どうなるかは保証できないけどな!〉
 彼の脅しにヒノはひたすらうつむき、ひざ元の拳を強く握りしめた。トリガの脅迫のせいで、ヒノはなにもできずにいるのだ。これじゃあもう、『賭けデュエル』なんて呼び名だけのものだ。――ヒノは今すぐこのデュエルをやめてほしいと渇望した。
「天才だぜ、トリガ! [ワイト]一体でここまで追い込むなんて、すげーな。あのムトウ・ユウギもびっくりだ!
 ヒノの背後のキチタも本当にうっとうしい。そして、今度はヒノを馬鹿にする。
「比べてヒノは本当にクソだな。なにもしないじゃん! 『脳ミソ空っぽ』だろ?」
 シドウもキチタに続く――
「負けたら約束通り、一人千円ずつ払えよォ?」
 本当に好き勝手言ってくる。
〈さ、今は馬鹿のターンだ。早くやれよ。なにかしたらぶっ殺すけどな?〉
 トリガに乱暴に急かされ、ヒノは小さな声で弱々しくつぶやく。
「た、…………ターンエンド……」
 ヒノは心の中で泣いた。
 トリガが吹き出し笑う。キチタ、シュドもつられて笑う。明らかに笑いの対象はヒノだった。ヒノにはどうして自分が笑われているか分かる。怯えてなにもできない自分が、彼らの目には滑稽に映っているから――。
 トリガ達の下品な笑い声を浴びせられ、屈辱に悶えながらも、ヒノは彼らに言い返すどころか、睨みつける事さえできない。まったくもって自分は情けない。
〈――はははッ。お前、最高だよ!〉
 トリガは上機嫌に、左手の手札から、カード一枚を右手でつまむ。
〈――っと! カードを引く前に手札を一枚捨てねーとな!〉
 トリガはつまんだカードを左手首のリストバンド差し込んだ。なぜなら――
〈今、カードを引いちゃあ、手札が上限越しちゃうからな!〉
 手札には上限枚数がある。このデュエルで用いられているレジェンドのルールの場合、手札の上限枚数は七枚。上限を越える場合はデッキからカードを引く前に、引いても上限を越えない枚数になるまで手札を捨てなければならない。
〈レジェンドルールで手札が八枚は反則なんだぜ! お前、馬鹿だから、知らねーだろっ?〉
 また、トリガは馬鹿にしてきた。
〈はは!〉
 笑いながら、トリガは腰に下げたデッキからカードを力任せに引き抜き――
〈そろそろ死ねっ!〉
 ヒノを指差し、[ワイト]の攻撃呪文を叫ぶ。
〈デッドストレートッ!〉
 トリガの叫びに反応し、[ワイト]が走り出す。ヒノに向かって。
 ヒノは[ワイト]の攻撃を気にしつつも自分の手札の内の一枚――[ハイリカバリー]を確認する。それは『HIGH』と書かれた赤いハートが描かれたカードだ。
 マジックカードに関しては、旧公式ルールのスーパーエキスパート、現公式ルールのレジェンドでは概念が異なる。まずスーパーエキスパートでは『マジックカード』、『トラップカード』の二種類が存在するが、レジェンドでは『マジックカード』に統一された。
 次にスーパーエキスパートでは、一度場に出さなければマジックカードが発動できなかったが、レジェンドではそのカードの発動の条件さえ満たしていれば、手札から直接マジックカードを発動する事が可能。そしてヒノの手札の[ハイリカバリー]はマジックカード。――マジックカードは手札から発動が可能。つまり――
(今、これを使えば……勝てる。でも……!)
 ヒノは必死に涙をこらえ、[ハイリカバリー]の発動をためらう。自分が勝てば、今度は実力行使を受けてしまうから。
 容易に想像できてしまう。勝った後、自分がどうなるか。――きっと、トリガに『生意気なんだよ!』なんて言われながら、殴り倒され、背後のキチタ、シドウも寄ってたかって、三人に袋叩きにされるのだろう……――。どう考えても、彼らの方が生意気なのだが、強ければ生意気でも生意気じゃなくなる。逆に、弱者はなにをしても生意気呼ばわりされる。ここは、そう言う弱肉強食の世界なのである。
 そして、ヒノは一瞬の中で、いくつもの自問をする。
(どうして、ボクはなにもできない……?)
 ――どうして自分はいじめられる?
 やっぱりいじめられる方にも原因があるのだろうか? 確かに自分はうじうじしていて、彼らから見れば、自分はいらついてくる存在なのかもしれない。でも、どうしてうじうじしているだけで、いらつかれないといけないんだ? そして、いらついたからって、人をいじめるのは愚かじゃないのか?
 それに、いじめられる原因なら、彼らにもあるんじゃないだろうか? 彼らだって生意気で、みんなに嫌われて、いじめの対象になったっておかしくないじゃないか?
 どうして自分だけいじめられている?
 どうして彼らはいじめられない?
 自分は弱いと言うだけの理由でいじめられているとしか思えない。
 ――教えてよ! 神様……! なぜ、彼らに天罰を下さそうとしない!?
 ヒノの青い瞳に、泥沼のように深く冷たい憎悪が宿った。それは高慢なるトリガ達へ向けた憎悪、そして残酷なまでに弱者を救わない神や世界への憎悪。
 ヒノは憎悪に惑わされ、一瞬、トリガへ反抗しようと考えた――が、やっぱり怖い。彼の瞳は憎悪を失い、怖じ気づく。彼は手札の[ハイリカバリー]を見つめるだけで発動できず、震えてばかりだった。
 その間に[ワイト]とヒノの距離は二メートルを切る。[ワイト]からカシャカシャと骨の軋む音が、ヒノをさらに不快にさせる。
 一メートルにまで[ワイト]は近づき、ヒノはまたうつむく。
 駄目だ。結局自分は負ける。賭けに負けて現金を奪われる。――絶望するしかない。この世界に神なんていない。いるとしたらその神は魔王だ。
 [ワイト]は五十センチにまで近づき、ヒノに殴りかかる。殴られて自分は負ける――彼がそう確信した瞬間――
(……え?)
 突如、左から誰かの腕が伸び、ヒノの胸を横切る。それはヒノの手ではない、他人の手だ。その手はヒノの左手につかまれている手札の中からカード一枚――[ハイリカバリー]を抜き取り、それをヒノのリストバンドに差し込んだ。すると、[ワイト]の動きが止まる。次に天から白い光がヒノを照らして癒やし、彼の持ち点が『100』から『3000』に増加した。
〈……な!?〉
 ヒノのヘッドマイクから、トリガの感嘆の声が漏れた。
 隣からも声が聞こえる。
「[ハイリカバリー]でヒノの持ち点は3000増加」
 トリガ、キチタ、シドウ――彼らではない。自分とも違う人間の声。冷たく冷淡なこの声、どこかで聞いた事があった。その声がまた聞こえる。
「――そして[ハイリカバリー]の効果で、相手はデッキからカードを二枚引かなければならない」
 ヒノはうつむいていた顔を上げて、左に目を向けた。そこには自分と同じオセロ学園の制服――緑のブレザーを着た、クラスメートの少年がいた。
 つり目、バサバサした灰色の髪、広いひたい。この冷淡な顔立ちの少年はユウマだ。
「トリガのデッキは残り一枚。カードを二枚引く事はできない」
 ユウマの説明の最中、ヒノの胸元に『YOU WIN』――勝利、トリガの胸元に『YOU LOSE』――敗北との字幕。[ワイト]が消え、ヒノとトリガの頭上に浮かぶ数字と、胸元のアルファベットの字幕が消えた。
 この場の全員が、いきなり現れたユウマを意外そうに見つめる。
「どうした? 『デッキからカードを引けなかったら負け』ってルール、知らなかったのか?」
 ユウマが言い切ってから一拍置き、やっとトリガは不機嫌な顔に変わり反発する。
〈……はァッ!? 邪魔すんなよ!? 今、賭けデュエル中なんだよ! ふざけんな!〉
 ユウマは臆せずに冷たく言い返す。
「これが『賭けデュエル』?」
 ユウマは目尻にかかる前髪を指で払いながら、言葉を続ける。
「お前がやっているのは、【マジックアンドウィザーズ】というカードゲームを利用した、弱い者いじめだ」
〈なんだお前……? ヒーローでも気取ってんのか?〉
 トリガの威圧にユウマは顔色一つ変えずに、返答する。
「ヒーローは大好きだ。オレもなりたい――」
 前髪をかいていた左手を、胸の高さに下ろし、親指を地面に向けて立てる。
「だが、今回はただ見ていて不愉快だったからここに来たまで。デュエルなんかで、弱者がしいたげられているが許せなかったから」
 ユウマは淡々とトリガに言う。そして今度はヒノに言う。
「お前は――」
 ヒノはユウマに頬を平手打ちされた。『ばちん』と異様に音が響く。ぶたれた彼は頬に鋭い痛みを感じた。
 ――ぶたれた……。
 ヒノはもう、すべてを投げ出したくなった。散々、苦しめられ、その挙げ句の果てに、はたかれた。自分は生きている限り楽になれない。自暴自棄になった彼に――
「帰れ」
 ユウマは辛辣に言い放った。

 ヒノは弱々しく「……え……?」と聞き返すがユウマは容赦しない。
「早く帰れ。家で自分を慰めていろ」
 ヒノはユウマの威圧に屈し、とぼとぼとこの空き地を去って行く。これでヒノを逃がす事に成功した。
 ユウマは肩にぶら下げていたカバンから、【デュエルアームズ】の三点を取り出し、それぞれの装備すべき部分――頭にヘッドマイク、左の手首にリストバンド、腰にカードケースに装備した。装備が完了すると、カバンを投げ捨てて、トリガを挑発する。
「デュエルしろ」
 トリガは「は?」と補足を要求してきた。
「――オレが勝ったら、お前らはオセロ学園、退学しろ。お前が勝ったら、オレは死ぬ。――おもしろいだろ?」
 ユウマの提案に、トリガは太い眉毛をひくひくと動かし、笑い気味に言う。
「――ははは。……馬鹿にしやがって〜」
 笑っているのは声だけ。トリガの顔は明らかに『憤怒』の顔だ。次の瞬間、彼は怒鳴る。
「やってやんよ! 負けても、後悔すんなよ!?」




 その頃、セイラの参加する【マジックアンドウィザーズ教室】が開催されていた。
「――わたしが講師を勤めさせていただく、テンマ・ゲッコウです。よろしくお願いします」
 淡い青緑の髪の青年――ゲッコウがステージ隅の教卓に立ち、スタンドマイクを使って挨拶し、頭を下げた。ゲッコウが頭を上げると、ようやく彼の説明が始める。
〈まず、『【マジックアンドウィザーズ】とはなにか?』から説明させていただきます。――【マジックアンドウィザーズ】は我が【インダストリアルイリュージョン社】が製作したカードゲームです〉
 ゲッコウの背後にある巨大モニターに、カードの束が映る。
〈【マジックアンドウィザーズ】を行うには、後ろのモニターに映る、カード四十枚の束が必要です〉
 ここら辺は以前、ユウマとパンドラのマジックショーで聞いたので、セイラはおさらいのつもりでゲッコウの説明を聞く。
〈これを『デッキ』と呼びます。多くの種類がある【マジックアンドウィザーズ】のカードの中から自由に四十枚、各自で選出しなければなりません〉
 またスクリーンの画像が切り替わり、今度は三つの機械――黒いヘッドマイク、白いリストバンド型の機械、カードケース――
 〈この【デュエルアームズ】も必要です〉説明の途中にスクリーンの画像が切り替わる。【デュエルアームズ】を装備したマネキンの画像に。
〈スクリーンのようにヘッドマイクを頭に、リストバンドを手首に、カードケースを腰にぶら下げ、このカードケースの中にデッキを収めます――〉
 テンマ・ゲッコウの【マジックアンドウィザーズ教室】はまだまだ始まったばかり――。




 所代わって、空き地。
 ユウマとトリガは左手のリストバンドを胸の高さで構えた。〈デュエル・スタンバイ〉と【デュエルアームズ】のヘッドマイクから機械音声を聞き、二人は同時に叫ぶ。
 ――「デュエル!」
 デュエルが開始された。二人の頭上に『10000』と、それぞれの持ち点が字幕で表示される。
 ユウマとトリガは右手で、左腰のデッキから五枚のカードを引き抜き、相手に見えぬように扇状に広げた。
 ユウマのリストバンドが赤く発光した。それは彼が先攻の証である。先攻は、デュエル開始時に、デッキからカード五枚を早く引いた方になる。
 ユウマは手札――五枚のカードを右手の薬指、小指と親指の付け根で挟み、その右手の中指と人差し指と親指で、デッキから一枚のカードを器用引き抜く。これで彼の手札は六枚。先攻は先にカードが引ける分、相手より枚数の多い手札でデュエルに取り組めるのが有利な点の一つである。
 ユウマは手札を自分の顔に寄せて戦術を練ろうとする、が――
(……痛い。いっその事。この右腕、切断しようか……?)
 いつものように、右手首の古傷が疼いた。ユウマはムシャクシャし、ブレザーの袖の上から右手首の傷跡を左手で引っかいた。もう、本当にこんな軟弱な手首は切り取って、義手に代えてしまった方がいい気がしてきた。興奮しすぎた反動で、軽いめまいがユウマにのしかかる。不調の彼をトリガが冷やかす。
〈は! いきなり死にそうな顔じゃねーか!? 大口叩いたくせしてみっともねー!〉
 ユウマは駄目だと自分に言い聞かせる。
(こんなんじゃ駄目だ)
 でも、震えは止まらない。それに重なり、記憶の中のヤイバの笑い声が、ユウマの中で再生される。
『いやぁ、負け犬の無様な姿はなかなか見応えがありますなぁ! ごちそうさまです、ハッハッハッ――!』
 それも心にのしかかり、震えが増す。
〈なに、お前……。デュエルするのが怖いのか? まだなにもやってないのによ! アホくさっ!〉
 トリガの言葉で、ユウマの全身の震えが止まった。
「ああ。オレはデュエルが怖い――」
 ユウマは言う。憎しみにとらわれた、暗い声で。
「だが、デュエルが怖くて、デュエルできなくなるのはもっと怖い。デュエルで誰かが傷ついく現実も、もっと怖い」
 ユウマは冷たく意気込む。
「だからオレは、デュエルをして滅ぼす。デュエルも、それでヒトを嘲笑うお前みたいな悪魔も」
 デュエルをデュエルで滅ぼす。――それがユウマの選んだ道。デュエルを利用しつくし、最後の最後に壊して闇に葬る復讐の道。
(できれば、こんな道は歩みたくなかった。すべてあのカードオタクのせいだ――)




 【マジックアンドウィザーズ教室】――ゲッコウの講演は続いている。
〈――『モンスターカード』、『マジックカード』の二つに分類できます〉
 ゲッコウの説明は丁寧で解りやすい。受講生の多くが羨望の眼差しで、彼の次の言葉を待つ。
〈モンスターカードは文字通り、モンスターの魂が宿ったカードです。このカードを使えば、モンスターを場に呼び出し、味方にできます〉
 モニターには[ワイト]の姿が映る。
〈モンスターを呼び出すには、二つの条件があります。一つ目は通常、自分のターンに手札から一回のみ。二つ目はモンスターのレベルに応じて、自分の場のモンスターをリリースしなければなりません〉
 セイラは混乱する。
(『レベル』? 『リリース』?)
(ここで新たな用語が登場しましたが、『レベル』は要するにモンスターの強さを表します。絶対ではありませんが、レベルが高いほど、強いモンスターと言う事になります)
 ――それで『リリース』とは?
(『リリース』は、レベルの高いモンスターを呼び出す時や、マジックカードの発動のために、場のモンスターや手札のカードを投資する事です。方法は――)




 時、同じくして。
 場には短刀を持った人骨のモンスターがいた。[スカルダガー]だ。
 場には頭に羊を模した帽子、手に先端に宝玉が埋め込まれた魔法の杖。髪色はピンク、後ろ髪は二本の縦ロール。――白装束の幼い魔女のモンスターがいた。年頃は五歳前後。[ピケル]だ。いかにもロリータコンプレックのような人種や、アニメオタクに媚びを売ったモンスターである。
 ユウマの[ピケル]一体とトリガの[スカルダガー]一体が場に存在している。現在、[スカルダガー]は両手に持つ二本の短刀を、[ピケル]に向けて、飛びかかっている。
〈戦場に幼女が出てくんなっ!〉
 トリガが騒々しく罵った。
 [スカルダガー]対[ピケル]の戦闘が展開されている。
 [スカルダガー]は[ピケル]に飛びかかる瞬間、[ピケル]から白い、稲妻のようなエネルギーを吸い込み、自身の攻撃力に変換――攻撃対象のモンスターのレベルに応じて、[スカルダガー]は自身の攻撃を増す。そのまま[スカルダガー]は一気に飛びかかるスピードを上げ、[ピケル]の背後に回り込む。そして、背後から二本の短刀で[ピケル]の首を挟み、断ち切ろうとした瞬間――
「お前は、[ピケル]ごときの雑魚でさえ、殺せない」
 ユウマはその言葉と同時に、手札のカード一枚――マジックカードをリストバンドに差し込み、発動させる。
「なにせこいつはオレがやる」
 ――[ピケル]を殺すのは他ならぬオレなのだ。
 [ピケル]の首筋の両側に、[スカルダガー]の短刀が食い込んだ瞬間、トリガは〈ん?〉と。
 突然、[ピケル]の全身が白く輝き、それが爆発した。[スカルダガー]も[ピケル]の爆発に巻き込まれて消えた。
 トリガはこの状況を分析する。
〈――[ラストピフィケーション]で[ピケル]を自爆させたか……!〉
「自分の持ち点が増加するおまけ付きだ」
 ユウマがうなずき、手短に答えた。言葉通り、ユウマの持ち点が『10000』から『11000』に増えていた。
 [ラストピフィケーション]――[ピケル]が攻撃を受けた時、[ピケル]を自爆させ攻撃してきたモンスターを道連れにする効果を持つ。さらに発動した者の持ち点が1000増加する。
 これで場にモンスターは存在しなくなった。持ち点はユウマが残り『11000』、トリガが残り『10000』。手札はユウマが四枚、トリガが五枚。そんな状況に対して、トリガはつまらなそうに言う。
〈ちまちまとやりやがって! ターンエンド!〉
 ユウマは手札を持つ右手で腰のデッキからカードを一枚引き、自分のターンを始めた。彼は五枚になった手札の中からカード一枚を選び、リストバンドに差し込む。
「相手より持ち点が高い。つまり[デッキスキャナー]の発動の条件を満たした」
 ユウマが差し込んだカードは[デッキスキャナー]――相手のデッキの内容を偵察するマジックカードだ。突然、T字型のスキャナーが現れ、トリガの腰のカードケースにあてがった。スキャナーはカードケースの中の、デッキのデータを『ピピッ』と音を出して読み取る。すぐさま、ユウマの目前に五枚のカードの立体映像が現れた。トリガのデッキの上から五枚が表示されているのだ。
「デッキを拝見する」
 ユウマは五枚のカード全てを、一目で記憶した。五秒で[デッキスキャナー]の効果が切れる。ユウマの目前のカード五枚――トリガのデッキの上から五枚のカードが消えた。
〈これまた、ちまちまと……。今度は『覗き』かよ!〉
 トリガ――悪魔のささやきなんかに聞く耳は持たぬ。
「手札も」
 ユウマはトリガの言葉を無視しべくして無視した。無視した彼は続けて[ハンドスキャナー]を発動する。
 さっきの[デッキスキャナー]と同じ、T字型スキャナーがトリガの手札をあてがい、データを読み取る。そして、そのトリガの手札五枚がユウマの目前で横隊になる。ユウマはまたもや一目で手札の内容を覚えた。五秒経ちカードが消えた。
 〈はっ! 慎重だな!? まあ、負けたらお前、死ぬんだから慎重にもなるわな!〉トリガに急かされる。〈おい? 黙ってないでモンスターでも――〉
「[デッキスキャナー]、[ハンドスキャナー]、実験的にデッキへ投入したんだが――やはり、非効率的だ。ターンエンド」
 ユウマは悪魔の声に耳を傾けずに、淡々とした口調でターンを終わらせた。トリガのしたり顔が急激に険しくなる。
 〈はぁ?〉トリガは静かに唸り、眉間にしわを寄せた。〈なんも、出さんのかよ……!?〉

 トリガのターンが始まる。彼は腰からカードを引いた。左手の手札に引いたカードを加える。その後、手札の一枚を使い、[ワイト]――人骨のモンスターを呼び出した。
 トリガには[ワイト]がいて、ユウマを守るモンスターはいない。このままでは簡単に彼へ[ワイト]の攻撃が通ってしまう。これはどう考えても『罠』。ユウマはモンスターを出さずに、意図的にこの状況を仕向けた。彼はなにか隠しているはず……。ならば――
([ワイト]をおとりに……)
 [ワイト]の攻撃でどうユウマはどう反応するかうかがう。[ワイト]は攻撃力がかなり低い。だからユウマが[ディメンションウォール]を始めとする、攻撃を相手に跳ね返すタイプのマジックカードを発動してきても、そう痛手にはならない。トリガは彼を指差し、攻撃呪文を唱える。
「デッドストレート!」
 [ワイト]は骨の軋む音を鳴らしながら突進しユウマに接近する。彼にまっすぐのパンチを打った。
 ユウマは[ワイト]に殴られてもびくともしない。この攻撃で彼は持ち点『10700』に。
(なにもしない……? 300程度のダメージじゃ動くまでもないとか……、か?)
 トリガは不可解なまま。
「ターンエンド。――どうした? これじゃあ、まるでヒノの再現じゃねぇか!?」
 トリガの言葉を聞き受けずにユウマは右手で腰からカードを引く。ユウマのターン。
〈ターンエンド〉
 ユウマはなにもせずに、ターンを明け渡す。
 トリガは鼻を鳴らし、いらだちながら腰からカードを引く。引いたばかりのカードをリストバンドに差し込んだ。
「こいつだ!」
 トリガは自身の前方に、二体目の[ワイト]を呼び出す。これでトリガの場には[ワイト]が二体。
「[デュアルサモン]だァ!」
 [デュアルサモン]を発動。それの効果でトリガの全身を緑の光が包む。発動の代償として、彼の持ち点は『10000』から『9000』に減少。
 トリガはその光を消費して、このターン、二度目のモンスターの呼び出しを始める。一ターンで、二度手札からモンスターを呼び出せるようになるのが[デュアルサモン]の効果だ。
「[ワイト]T、U、リリース!」
 場のモンスターをリリースする方法は――リリースするモンスターを宣言し、続けて『リリース』と宣言する事である。二体の場のモンスターをリリースした場合、レベル七かレベル八のモンスターを呼び出す事が可能になる。
 ちなみに同名のカードは基本、デッキに入れられないが、カードの中には同名でも『T』、『U』等で区別されているものもある。今回の[ワイト]の場合は『T』、『U』、『V』と三種類が存在する。
 今の状況はと言うと、[ワイト]二体がリリースされ、浄化している瞬間だ。トリガはすかさず、リストバンドにモンスターカードを差し込む。そのモンスターカードで現れたのは、四つ足の獣の骸骨だ。前歯の鋭いサーベルタイガーの頭部、背中にはオオワシのような翼、尾は九本生えている。そして全身が深紅の血に染まっている。――[スカルキメラ]が現れた。[スカルキメラ]は現れるとすぐさま、天を睨み、怒り狂った雄叫びをあげる。
 大型モンスターの[スカルキメラ]の登場に対してもユウマは眉一つ動じない。無表情を貫いている。――それがトリガをさらにいらだたせる。
 「そのニヒルがいつまで通用するか見物だな!」トリガは右手をユウマに向けて叫ぶ。「おらぁ! ブラッディーファングッ!」
 [スカルキメラ]は、ユウマに飛びかかり、彼の胴体に噛みついた。
〈――あせったら負け〉
 ユウマは噛みつかれながら静かにつぶやいた。彼の持ち点が『10700』から『7700』に。
 トリガは「ターンエンド!」――場に残っているのはトリガの[スカルキメラ]一体のみで、ユウマの場のモンスターはいない。持ち点もトリガが無傷の残り『10000』、ユウマが『7700』――今のところはトリガの優勢だ。
 ユウマがカードを引く。ユウマのターン。彼は五枚になった手札を確認し――
〈ターンエンド〉
 やはり、なにもしない。
 (なんだなんだ? 気味悪いぞ……)トリガは不信感を抱きつつ、腰からカードを引いた。(くそっ。とりあえず……)
 トリガは[スカルキメラ]の隣に、[ワイトキング]を呼び出した。姿は[ワイト]と同じだが、[ワイトキング]は灰色の闇をまとっている。
 [ワイトキング]の足下に二体の[ワイト]の残骸が現れ、それから闇を吸収する。これが[ワイトキング]の特殊能力だ。
 トリガの場には[スカルキメラ]と[ワイトキング]の二体。この二体に対抗するユウマのモンスターは存在しない。このまま二体の攻撃がユウマに通れば、彼は持ち点の半分以上を失う。あくまでも攻撃が『通れば』の話だが……。
(攻撃……しよう……か? 誘われているとしか思えんが……)
 不安を抱きつつ、トリガは攻める方向でデュエルを進める事にした。ユウマに左手を突き付け、叫ぶ。
「ええい! 拷問の時間だ! ブラッディーファング! デッドチョッピング!」
 トリガの場のモンスター二体がユウマに飛びかかる。胴体に[スカルキメラ]の噛み付き、脳天に[ワイトキング]の手刀の順に、ユウマに直撃する。彼の持ち点は一気に5000削られ、『2700』に減少。彼はそれでも慌てず騒がず。
 ユウマの無反応ぶりにトリガは口をぽかんと開く。
(なんだよ!? なに考えているだよ!?)
 ――とりあえず今は『ターンエンド』だ……。
「は! 最初から負ける気なんかじゃねーよな!? ターンエンド!」
 トリガはユウマの顔を凝視する。だが、ユウマの表情からは、なんの感情も読み取れない。
(こ、こいつ、本当に……、いつも意味分からん……。すごい怖いな……。――って、なんでオレがこんなに、怖がるんだよ!)
 ユウマいつものように左手で腰からカードを引き、彼のターンが始まった。彼はなにもせず。
〈ターンエンド〉
 トリガは眉間にシワを作りながら、腰からカードを引き、自分のターンを迎えた。彼は引いたカードを手札に加える。現在の状況を確認する。
 自分の持ち点は残り『9000』に対しユウマは残り『2700』。
 場には自分の[スカルキメラ]と[ワイトキング]のみでユウマにはモンスターがいない。
(このターン、攻撃をすれば勝てる――だが、ありえないだろ!? 『負けたら死ぬ』とか挑発しておいて、なんもしないとか!?)
 トリガは得体の知れない疑念に怯え、どうにかしようと知恵を絞る。
(次のターン、[フリーズ]を引いて、それでやつの手札を暴く。危ないカードを排除する。――それだ! このターンは見送る! オ、オレは正しい!)
 トリガは[ワイト]を呼び出す。
「三度目の[ワイト]!――で、ターンエンド! ま、一ターンだけ見逃してやったぞ! 少しは楽しませろよ、え? おい?」

 ここからユウマの反撃が始まる。
「作戦は成功した――」
 ユウマは無表情でつぶやき、[スカルキメラ]を指差し、リストバンドにカードを差した。
「[フリーズ]を見越し、攻撃を見送る瞬間を待っていた」
 言葉と同時に[スカルキメラ]の上空にパラボラアンテナが現れた。そのパラボラアンテナから輪状の電波が放出され、[スカルキメラ]がそれを浴びた。その電波の正体に、トリガが気がつく。
〈は!? [マッドパルス]かよっ!?〉
 [マッドパルス]の影響を受けた[スカルキメラ]は暴走し、トリガのモンスター――味方であるはずの[ワイトキング]、[ワイト]を噛み砕き、消滅させた。
〈[マッドパルス]――相手が攻撃できるくせにしない事が発動の条件だったか……?〉
 トリガは地面に落ちている石ころを蹴って、悔しそうにする。
〈――っざけんな! 攻撃しとくんだった!〉
(また傷が疼く……。さっさと終わらせないと)
 手首の疼きを気にしつつも、ユウマは腰からカードを引き、彼のターン。
〈だ、だが、オレの場にはスカルキ――〉
 トリガの見苦しい主張が聞こえた。それをユウマはさえぎる
「退場願う」
 ユウマは[スカルキメラ]に対して[カラミティフレイム]を発動した。その効果で、[スカルキメラ]は業火に包まれ、燃え尽きた。[カラミティフレイム]発動の代償で、ユウマは持ち点を1000消費し、残り『2700』から『1700』に。
〈この野郎! だが! お、オレの場はがら空きだが……。も、持ち点はまだ『10000』もあ――〉
「それは次のターンで――削る。今は切り札を出す事に徹する」
 ユウマは風が吹かんばかりの素早さで、リストバンドにカード二枚を差し込む。
 まずは[マジックカーテン]が発動。ユウマの持ち点が『1700』から『850』に半減した。そして、ユウマの前方に円形の黒い幕が出現、幕が引き上がり、中には紺装束の青年マジシャン――[ブラックマジシャン]がいた。ユウマがリストバンドに差し込んだのは[マジックカーテン]と[ブラックマジシャン]だ。
 見慣れた紺色の装束、赤い髪、そして緑の瞳のつり目。紛れもなく彼の[ブラックマジシャン]――彼の切り札。
 切り札の[ブラックマジシャン]だけではユウマは慢心しない。
「オレの持ち点は『1000』以下。だから、手札二枚リリースで[デリケート]を発動しておこう」
 手札をリリースする方法は、カードのイラストが描かれた面――表側が下を向くようにリストバンドに差し込む事だ。
 ユウマは手札二枚をリリースし、[デリート]を発動した。[デリート]の効果で、彼の目前にトリガの手札三枚が現れる。
「一応、説明しておく。[デリート]は相手の手札を三枚指定し、破壊できる。さて、どれにしようかな?――って、三枚しかない。全部破壊できる」
 ユウマは三枚の手札の映像を右から順に指差していき、三枚すべてを指定した。
「――[リアクティブアーマー]、[ミラーフォース]、[ドレインシールド]か。防御系のカードばかりだな?」
 ユウマの言葉と同時に、トリガの三枚の手札が白紙に変わる。破壊されたと言う事だ。
〈くっそ! もう、負けじゃねーかよ!?〉
 トリガは逆上しながら、破壊され、白紙になったカードをリストバンドに差し込んで、放棄した。
〈やられた……〉
 トリガはおとなしくなった。どうやらデュエルを諦めたらしい。
「そうか――」
 ユウマはこの瞬間、確信した。
(元々、やつは最初から勝つ気ない。この余興が終われば――)
 考えながら、喋る。
「『拷問の時間だ』――なんて言いたいところだが……、あいにく[マッドパルス]や[マジックカーテン]の効果でこのターン、攻撃は無理。――ターンエンド」
 トリガは腰から引き抜いた、[フリーズ]をリストバンドに差し込んで発動する。
〈……[アタックキャンセラー]を破壊だ。……バーカ……〉
 ユウマの手札の[アタックキャンセラー]は凍結した。[フリーズ]の効果に従い、ユウマは[アタックキャンセラー]をリストバンドに投棄した。
〈はいはい。オレはもう、場にモンスターがいないし、手札もありませんよ。ターンエンドッ。あーあ、むかつく!〉
 トリガはお手上げまでした。
 ユウマは問いつめる。
「諦めるのが早くないか? お前の持ち点はまだ『8000』も残っている。そして、[ブラックマジシャン]の攻撃力は『2500』。今、[ブラックマジシャン]で攻撃しても、お前の持ち点はまだ『5500』――挽回の余地はあると思うが?」
 ――それなのに、トリガは挽回しようなんて事、まるで考えていないようだ。彼はすでに負けたつもりで振る舞っている。
「やっぱり……――」
 ユウマは腰からカードを引く。引いた[ブラックデスサイズ]を発動させる。発動の代償で、ユウマの持ち点が残り『850』から『425』に半減する。[ブラックデスサイズ]が発動し、[ブラックマジシャン]の杖に闇が集まる。その闇で大鎌を形成し、[ブラックマジシャン]の攻撃力が上昇する。
 強化された[ブラックマジシャン]を見ながら、トリガは舌打ちした。
 ユウマは左の手で疼く右手首を押さえ、辛辣に言い切る。
「お前は臆病だ」
 トリガは「は?」と、こちらを睨んできた。
 それに対し、「お前は強がっているだけだ」と、ユウマは一人うなずいた。
「――なんて言いつつ、ブラックデスサイズ!」
 ユウマがトリガに拳を突きつけ、叫んだ。[ブラックマジシャン]はトリガの首筋を狙い、闇の大鎌を振るう。その一振りが立体映像出でもなければ、トリガの首は吹き飛んでいた。大鎌を受けたトリガは持ち点残り『7500』から『4500』に。
<くそっ>
 トリガの声だ。
「ターンエンド」
 ユウマがそう言い、それのほぼ直後にトリガが無言で腰からカードを引く。口を開き、小声を出す。
〈けっ……。ターンエンド……〉
 ヘッドマイクからトリガの声を聞き、ユウマは腰からカードを引いて自分のターン開始。早速、引いたカードをリストバンドに差し込んだ。
「今度は[ブラックデスウィング]」
 ユウマの持ち点は[ブラックデスウィング]発動のために持ち点を『425』から『212.5』に半減させる。[ブラックデスウィング]が発動し、[ブラックマジシャン]の背中から闇が伸び、それがオオワシような翼の形になる。
「もう……、トリガ、お前は駄目なんだ……」
 ユウマはけなしながら、手のひらをトリガに向けて伸ばし――
「ブラックデスサイズ!」
 [ブラックマジシャン]は飛翔。上空からトリガに突っ込む。
「討てッ!」
 ユウマは怒鳴った。――[ブラックマジシャン]、ヒノのかたきを討つんだ……。デュエルを悪用する、ヒトの皮を被った畜生――悪魔であるトリガは、惨めにならないといけないのだ。目障りだから。
「――悪魔は……、無様に! 堕ちていろッ!」
 ユウマが親指を地面に向けて立て、吠え叫ぶと同時に、[ブラックマジシャン]の大鎌が曲線の軌道を描いて、横殴りにトリガの胸へと突き刺さる。大鎌に刺された彼の持ち点は『4500』から『0』に。大鎌に刺された彼は、歯ぎしりを執拗におこない、険悪な眼差しをユウマに向けてきた。
 文句なしでユウマの勝利である。トリガを負かした事で、ユウマは少しだけ気分が晴れた。彼は息切れを起こしながらも、空を見上げ、表情を和らげた。
「お前の負けだ。いい気味だよ……」
 ユウマは、残った手札を腰のケースにしまい、両手を胸の上で重ねる。
 ――ハレルヤ……。――神に感謝した。
 ユウマは神をヒトがでっち上げた、虚像だと言い張り、存在を信じていない。だが、それでも、今は神に感謝したい気分だった。憎む敵を倒せば、憎しみが和らぐ。そして、その和らぎは心地よい。心地よくて気持ちが舞い上がり、ついつい神の存在を認めてしまった。




 ユウギは【亀のゲーム屋】店内を見回っていた。
「ふーん。【バーチャル・バーサス】――もう『X』まで出たんだ……」
 ユウギは家庭用ゲームソフトのパッケージを手に取る。【バーチャル・バーサス】シリーズは、アーケードゲームで大人気を博し、家庭用版でも売れ行き好調のゲームソフトだ。『格闘ゲーム』と呼ばれるジャンルで、モニターの中のキャラクターを操り、戦闘をさせるゲームである。
 この【バーチャル・バーサス】を見て、ユウギは苦い顔をする。
 ある日の事――
『ガキがぁぁ! たかがゲームに勝ったからって調子こいてんじゃねーぞ!』
 そう罵られ、ユウギは見ず知らずの男に殴られた。その男は、ユウギにアーケードゲーム版の【バーチャル・バーサス】で負けた腹いせで、殴りかかってたのだ。もう二年前の事を思い出してしまった。もう、気にしてはいないが、やはり良い思い出ではない。今も、少し気分が悪くなってきている。
「――やめてよね……」
 ユウギはとっくの昔に癒えているはずの、二年前に殴られた左頬を撫でて、不満を口に出す。
「負けるのが嫌だったら、最初からゲームしないでよ……」
 ――ゲームは勝ち負けがすべてじゃないんだ。
「ゲームは楽しむためにやるんだ。勝ち負けはただの結果なんだよ」
 ユウギは憤りながら、【バーチャル・バーサス】のパッケージを棚に戻した。
「負けて得るものもあるし――」
 ユウギは自分と瓜二つの少年――アテムの顔を思い出す。ユウギとそっくりではあるが、ユウギよりやや鋭さを増した顔で、自信に満ちている。
「勝って失うものだって、いっぱい……」
 アテムの言葉を思い出す。
『相棒、闘いの儀を受けてくれたお前の勇気が、オレの進むべき道を示してくれたんだ――』
 そんな言葉を残して、アテムは旅立った。
「あの闘いの議――ボクは勝ったから失ったんだ……。――アテムを……」
 『闘いの儀』と言う名のゲームで、ユウギはアテムを失ったのだ。勝ったから失ったんだ。




 デュエルが終了してからしばらく、トリガはユウマを睨み付け、片ひざをついていた。そんなトリガを、ユウマは見下ろす。――この状況をトリガが動かす。
「ありゃりゃ。なんてこったい」
 立ち上がり、笑みをこぼしながらユウマに歩み寄る。
「いやいやいや、キミの実力を見くびっていたよ!」
 軽口を飛ばしながら、ユウマに接近した。
 トリガはまず、彼の顔を見定める。――いつも、つんけんなイメージばかりがあったが、よくよく見ると繊細そうな顔立ちだ。白い肌はとにかく無垢で、つり目はだだの強がりのようにも見え、灰色の髪は曇り空のように儚げで、まるで『寂しい』と訴えかけているようだ――。
 とにかく、ユウマの顔は無防備。チャンスだ。その端正な顔をぶっ壊す!
 トリガは細目になり、口元をにやけさせ、「死ねよ」と右腕を振りかざした――。

 ユウマは倒れ、尻餅をついた。トリガに殴られたからだ。殴られた彼は右頬を左手でさする。
「バーカ、バーカ! やっぱりデュエルはクソだ! 暴力が一番だな!?」
 と、トリガの暴言。その暴言を尻目にユウマは語り出す。
「……悔しいくないだろうな?」
「はぁ!? つくづくマイペースだな。今の状況をわきまえろよ!」
 トリガに殴られて、自分は尻餅を着いている。――それが今の状況。今、攻められれば自分が圧倒的に不利。だが、そんなの承知だ。
 ユウマは再び、語り出す。
「『デュエルで負けたけど、悔しくないだろ?』って訊いているんだ」
「……別に。『デュエル』なんて、だだの遊びに決まってんだろ! 適当にやっていたっつーの!」
「『そして、負けたら暴力で有無を言わせない』――それがお前の本音だ」
「……ああ、そうだよ!? だから、お前をボコボコに――」
「……前々からお前は臆病だと思っていたのだが――」
 ユウマの言葉にトリガが苦い顔をして舌打ちし、黙り込んだ。
「――『負けたら退学』なんて賭けを本当に受け入れる気、お前にはなかった――」
 ユウマは尻餅の状態から立ち上がり、語りを続ける。
「『手前味噌』だが、オレは大会優勝経験者。素人同然のお前がオレに勝てると、考えるのは不自然だ」
 ユウマはトリガと対峙している。真顔で睨み合い、ユウマは言う。
「だから、最初から正々堂々とデュエルする気はなかった」
 トリガが罵声を割り込ませる。
「だから、オレが、『臆病』、だと、――そう、言いたいのか……、お前はァァッ!」
 彼は罵声を浴びせながら、ユウマは胸倉をつかんだ。
「――少なくとも、オレに言わせれば、お前は『臆病』だ……」
 トリガはあからさまに激怒し、ユウマの胸倉を引っ張る。空いている右拳でユウマの顔面を殴ろうとする――が、その拳はユウマの左手で押さえられた。
「お前は臆病だった。自分の弱さを隠すのに必死だった。――だから、ヒノをいじめて、自分の強さを周りに誇示して、なにより『自分は強い』と思い込みたかったんだ。迷惑極まりない」
「黙れ!!」
 今度は胸倉を掴んでいた左手で、殴りかかった。しかし、それもユウマは左手でつかむ。トリガの両手の拳は、ユウマの両手の手のひらに押さえられた。
「『臆病』とかッ! オレを愚弄してんのかッ!?」
「それは違う。オレも似たような――いや、オレの方がもっと臆病だ……――ッ」
 ユウマはトリガの両拳を押し返した。その反動で、今度はトリガが尻餅ついた。
 その後、ユウマは口を押さえてしゃがみ込む。
「デュエルを……しただけで……、この……ザマ……」
 ユウマはしゃがみ込みながら、自虐的につぶやいた。また、デュエルのトラウマに負けたのだ。
 一方、ユウマに倒され、尻餅をついるトリガは、狂いながら、キチタとシドウに命令する。
「こんなやつ、やっちまえッ!」
 すると、ユウマの背後にキチタとシュドが寄る。
「袋叩きにしてやるッ!」
 トリガも立ち上がり、ユウマに寄る。これで一対三。
「確かに……、……一人じゃ、お前ら……三人……に……勝てない……」
 ユウマはトリガを見上げながら、言い放つ。
「――だが! オレが……一人だと……、そん……な……思い込みが……盲点……」
 突如、キチタが背後から男に取り押さえられた。シドウも同様に取り押さえられた。キチタは「な!?」、シドウは「は!?」と感嘆の声をあげる。
「楽しそうだね。オレも混ぜてよ」
 キチタを取り押さえた男が言った。
「本当にすぐ暴力に頼る。『キレる十代』とは、よく言ったものだ……」
 シドウを取り押さえた男が言った。
 ユウマが呼んだのは仕事仲間だ。『マジシャン』と言う仕事の。
「な、仲間を呼んだのかよ!? ひ、卑怯だ!」
 とうとう、トリガの言う事が滅茶苦茶になった。彼だって三人がかりで襲おうとしていたのに。
 ユウマはさらに、トリガに失望する。
「オレも負けるのが怖いんだ。負けたら、お前みたいに惨めだからな。こんなオレも……お前と同じ――」
 ユウマは立ち上がり、トリガを諭すように言う。
「臆病だ……」
 ――臆病で、敗北を怖れている。
 キチタとシドウは背後の男に振り払われ、地に背をつけた。
 ユウマは、トリガの首を握る。
「……だから――」
 トリガの首を押す。
「……お前みたいな……悪魔や……デュエルを……やっつけようとする……!」
 ――お前やヤイバみたいな、デュエルでヒトを泣かして、嘲る、思い上がった悪魔がいるから……。そんなのは消すのに限る。
 地面にトリガの頭を叩きつけた。地面が芝生じゃなくてコンクリートだったら、間違いなく彼は頭から血を流して、高確率で死んでいた。
 デュエルがある限り、自分の楽園は永遠に見つからない。自分は悪夢を乗り越えられない。だから、デュエルやデュエルの悪魔をやっつける。自分が悪魔になって、悪魔を駆逐する。その姿がどんなに醜かろうと。
 ユウマはトリガの首から手を離し、彼を見下ろす。
「はなむけだ」
 ユウマはポケットから銀紙に包まれた板チョコレートを取り出し、地面に倒れているトリガの耳元に投げ捨てる。
「カカオ九〇パーセントで……、苦いぞ。せいぜい……、一〇パーセントの甘さ……でも……、感じ取るんだな……」
 ユウマは乱れた声と共に、トリガに手を差し伸べる。
「さようなら……、負け犬くん……」
 ――去ってほしい。だから手を貸す。この手を支えに立ち上がり、早くこの場を去ってくれ……。そして――
「二度と姿を見せるな……」
 ユウマの虚ろな眼差しが、トリガを責め立て続けた。




 

 ――結局、トリガはユウマの手を払いのけ、はなむけのチョコレートも受け取らずに、逃げ出して行った。つられてキチタ、シドウも。彼らは、きっと本当に退学する。しなかったら、またやっつけるまで。
 援軍の仕事仲間二人も役目を終えて帰った。今、この空き地にいるのはユウマだけ。
 ユウマの息の乱れもやっと治まる。回復した彼は、地面に落ちている、銀紙に包まれた板チョコレートを拾った。銀紙をはがし、中身の板チョコレート――カカオ九〇パーセントのチョコレートをかじり、噛み砕く。
「……苦い……」
 彼は一〇パーセントの甘さを感じ取れなかった。
 口に含んだチョコレートを飲み込み、ふと空を見上げると、日没の最中だった。心なしか、夕暮れがいつもより切なく見える。
「――こうやって、邪魔な者はすべてなくすしかないんだ……」
 きょう、トリガを視界からなくしたように、自分を蝕む者は、すべてなくす。
「いつの日か、この世からデュエルが消えた日――」
 腰からデッキを引き抜き、見つめる。
「笑顔で破り捨てよう……。こんな紙くずは……」
 ユウマは乱暴にデッキを腰のカードケースに戻した。
「きっとできる。この紙くずのアンチなんて……、腐るほどいる。みんな嫌いなんだよ。デュエルなんて……」
 ユウマは真実を述べたつもりだ。インターネット上の掲示板では酷評が目立つし、雑誌なんかでも辛口の評論家に『テクノロジーの無駄使い』、『カードゲームが人格形成に害をもたらす』なんて具合に批判されている。そして――いや、とにかく嫌われている。
「大人気なのも嘘じゃないけど……」
 デュエルが大人気なのもまた、真実だ。デュエル――【マジックアンドウィザーズ】は社会現象を巻き起こし、もはや、歴史に名を残すほどの知名度と支持率を有する。むしろアンチなんてのはほんの一部。それにアンチが存在する事はある意味、人気者である事の証明にすぎないのだ。
 それは分かっている。でも、自分はデュエルで不幸になった。デュエルに負けて手首をえぐられた。だから、デュエルが嫌い。そんなのただの逆恨みなのかもしれない。分かっている、分かっているけど――
 それでも……――デュエルなんて大嫌い。
 ユウマは腹いせに、持っていたかじりかけの板チョコレートを地面に投げつけた。




(完)



後書き及び解説

 ご愛読ご苦労様でした。

 あまりに見苦しい内容で全然意図が伝わっおりませんでしたので、反省を書いていきます。

 まず本作以前に別の作品を書いていましたが、あまりにも読者に不快感を与え、作風を破綻させるようなパロディやメタ視点のギャグ、内輪でしか受けないようなネタを乱用していた事を反省し、今回はギャグ要素を封印したつもりでした。しかし思い違いにより、ギャグだと曲解されるような内容が多々あった事が最大の失敗点です。これについては詭弁のしようがない程に馬鹿丸出しでした。

 他にも挙げるときりがないですが、あまりにも原作無視が著しかった事や構成が破綻していた事は非常に罪深いですので、お詫びを申し上げます。

 さて本作のコンセプトとしては、人間ドラマを重視する事でした。これについてもほとんど成されていないので、あまり語れません。

 話は変わり、次回作案ですが一応存在します。しかし【遊☆戯☆王】関連かどうかも未定ですのでご期待は禁物です。

 以上です。つたない文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 二〇一〇年六月





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