心のゆくえ

製作者:表さん




※この小説は『やさしい死神』の“続編”の“プロローグ”に当たるものです。……が、その番外編である『心の在り処』が未読の方は、読んでもよく分からない部分がほとんどだと思います、あしからず。
 なお、“プロローグ”である本編には、遊戯を始めとする原作キャラが名前くらいしか出てきません。その辺りはご了承下さいm(_ _)m










 ――この世界は、何て美しいのだろう

 そう思ったことがある。
 空気のように当たり前で、そしてとても大切なもの。
 私はある日、足を止め、振り返りながらそれに感謝した。

 ――大切な人がいる
 ――大切にしてくれる人がいる

 ――やさしい人がいる
 ――憧れる人がいる

 ――そして……愛しい人がいる

 それはたぶん、幸せなこと。
 空気のように当たり前で、けれどとても幸せなこと。

 幸せで、かけがえのない日々が続くのだと
 私はずっと、幸せを噛み締めていられるのだと


 ――そう、信じていた……――



プロローグ0 神々のパラドックス



「――おねえちゃん! 朝だよ、おねえちゃん!!」
「……ん……っ」
 ぼんやりとした意識の中に、遠慮のない、少女の声がガンガンと響く。
 たまらない不快感を覚え、その少女――月村天恵(つきむら・そらえ)は、少しずつ意識を取り戻した。
(……もう……朝かしら……?)
 早朝特有のやわらかな陽光が、瞼(まぶた)ごしに感じられる。
 起きなければ――そう思うが、身体は言うことを聞いてくれない。
(……まだ起きたくない)
 そう思うと、天恵は身体をよじらせ、布団に顔を埋(うず)めた。
 今朝は何だか、嫌になるくらい気持ちよかった。
 ベッドはいつもより柔らかいし、布団もお日様の匂いがする。いつもの、病院のベッドとは思えない快適さだ。
 せめてあと五分――いや、五分とはいわず、いつまでも眠っていたい。そんな衝動にさえ駆られた。
「も〜、おきてよ、おねえちゃ〜ん!」
 ゆさゆさと、布団ごしに肩を揺すられる。
 それは、聞き覚えのある声。神里絵空(かみさと・えそら)――天恵と同じ、童実野病院に長期入院中の、二つ年下の女の子である。
「……分かった……分かったから……」
 その遠慮のない揺すり方に、天恵もさすがに観念し、上半身を起こす。
「おはよ、おねーちゃん♪」
 上機嫌な様子で、絵空が朝の挨拶をする。
 天恵の方はというと、気だるそうに瞳を開き、ぼんやりとした視界を正そうとする――しかしそこで、天恵は思わず目をしばたかせた。
「……ここは……?」
 見覚えのない、クリーム色の壁面。本棚や衣装ダンス、勉強机など、様々な家財もある。床には桃色のカーペットが敷き詰められ――少なくともそこは、自分がいるべきはずの、病院の一室ではなかった。
(自宅の私の部屋……でもないし)
 目を丸くして、視線を右往左往させる。
 戸惑いながら、ベッドの横にいる少女――絵空を見ると、不思議そうに、キョトンとした顔をしている。
「……まだ寝ぼけてるの? おねえちゃん」
 春休みボケ?と繰り返す絵空。パジャマ姿の彼女だけは、いつもの病院での景色と何ら変わりがない。だからこそ、それが浮いているようにも見えた。

 ――コンコンッ

 ふと、部屋のドアの方から、小気味の良いノック音が響く。
 おかあさんだ、と絵空が言うと、それを合図としたかのように、ドアノブが回る。
「おはよう、二人とも。あら、珍しいわね。絵空が先に起きたの?」
 開いたドアの先から、見覚えのある女性が顔を覗かせた。
(……美咲さん……?)
 天恵は再び驚き、瞳を見開かせる。
 童実野病院で知り合った女性、神里美咲(みさき)――その苗字を見れば分かる通り、絵空の母親である。
「わたしだって、やればできるんだよっ」
 フフン、と鼻をならしながら、絵空が誇らしげに、小さな胸を張る。
 天恵はもう、何が何だか分からなかった。
「……? どうしたの、天恵?」
 そんな天恵の様子を見て、美咲が首を傾げてくる。
 そこでまた、天恵は新たな違和感を抱いた。
 美咲は今、自分のことを「天恵」と呼んだ。病院ではいつも、「天恵ちゃん」と呼んでいたはずなのに。
「何だか今朝は寝ぼけてるみたいだよ、おねえちゃん」
 可笑しげに笑いながら、絵空は美咲に報告する。
 そうなの?と美咲は意外そうな顔をした。
「熱がある……わけじゃないわよね?」
 そう訊きながら、美咲は部屋へ、足を踏み入れる。
 そこで天恵は、美咲がいつもと違う格好をしていることに気がつく。
 少し厚めの白地のブラウスに、黒のロングスカート――そこまではいい。だがその上に、彼女は紺のエプロンを着けていた。
 病院では決して見たことのない格好――しかしそこで、天恵はようやく合点がいった。
「……あっ……」
 そうか――と、天恵は思わず苦笑した。
 どうやら自分は、相当に寝ぼけていたらしい。数年前の夢でも見ていたのだろうか?
 大丈夫、と首を横に振り、屈託の無い笑顔で、天恵は応えた。
「――おはよう。絵空、義母(かあ)さん」
 と。






 二人の来訪者と一緒になって、天恵は一度、部屋を出た。
 全くもって、どうかしている――出てきたばかりのそれを振り返り、確認する。薄茶色のドアを構えたその部屋は、紛れもなく、天恵自身の部屋だった。
 すでに見慣れたはずの廊下を歩き、洗面所で顔を洗い、トイレを済ます。
 再び部屋へと戻ると、身支度をしながら、今の状況を振り返った。

 月村天恵――彼女は今年で18歳になる、童実野高校の二年生である。
 彼女は一昨年まで、病による長期入院を強いられていた。患部は脳、そしてその病が治る可能性は、ほぼ0パーセント――そう言われていた。
 だが、奇跡が起きた。
 海外でその病に対する治療の可能性が見つかり、天恵は渡米――そして、手術が行われた。

 結果、天恵の病は完治した。
 結果的に一年の留年は余儀なくされたものの、今は高校生。病院からも無事退院し、普通の子どもと同じ、高校生活を送っている。

(……本当に、どうしちゃったのかしら……)
 衣装ダンスの前で身支度を進め、天恵は思わず苦笑する。まるで“胡蝶の夢”の様な、不思議な感覚だった。

 ――この幸せな現実を、夢と間違えるなんて――

「……よし、と……」
 うなじの後ろの辺りで、長い髪をリボンで結わえ、鏡を覗いて確認する。
 実の母から貰った、大切なリボン――もう何年も昔の物なのに、天恵は愛用していた。以前、友達から「子どもっぽい」と笑われたこともあるけれど、気にせず使い続けている。
 前の母――自分の生みの親である母を、天恵は決して忘れない。
 やさしくて、綺麗で、尊敬する大好きな人――天恵は一生、彼女を忘れない。忘れられるはずがない。

 ――それは、“新しい母”ができた今でも、決して変わることがない。

 覗きこんだ鏡の前で、天恵は小さく微笑んでみた。
 自分の微笑はどこか、亡き母に似ている気がしたから。






「――おはよう、お父さん。今朝はまだいいの?」
 天恵は階段を下りると、慣れた様子でドアを引き、ダイニングキッチンへ入る。そこでは彼女の父が、テーブルの椅子に腰掛け、新聞を広げていた。
「ああ、おはよう天恵。溜まっていた仕事が昨日で片付いたからね、今朝はゆっくりなんだよ」
 新聞の端から、ひょっと顔を覗かせる。
 天恵は迷うことなく、その正面の椅子に腰掛けた。
 目の前にいるのは実の父――月村浩一(こういち)。彼は世界規模のシェアを誇るアミューズメント企業、I2(インダストリアル・イリュージョン)社の東京支部の社員である。
 I2社といえば、世界的な人気を誇るカードゲーム、M&W(マジック・アンド・ウィザーズ)で有名だ。父の影響もあり、天恵もそのゲームを嗜むユーザーの一人である。いや、天恵のみならず、絵空もそうだ。
「おはよー、おとうさん!」
 部屋に入るや否や、元気の良い挨拶をする絵空。
 浩一が挨拶を返すうちに、絵空はパタパタとスリッパを鳴らし、天恵の隣の椅子にちょこんと座った。

 ――天恵と絵空が知り合ったのは、ともに入院していた、童実野病院でのことだった。
 キッカケはM&W。絵空が落とした一枚のカードを、天恵が見つけ、拾い上げた――そんな些細なキッカケ。
 長期入院者同士、気の合った二人は、その後何度も顔を合わせ、話をした。
 それは結果として、天恵の父と絵空の母を巡り合わせ、紆余曲折の末、現在に至っている。

 入院中、そして退院後も、二人はよく会って、色々な話をしていたようだ。天恵が再婚の話を聞いたのは、半年ほど前のことだった。
 話はトントン拍子に進み、結婚。それにより、退院後もよく会っていた天恵と絵空は姉妹となり、そして二つの家族は、一つの家族となった。
 全く抵抗がなかった――といえば、やはり嘘になるだろう。天恵は実の母を、今も強く愛しているのだから。
 少しの抵抗はある。けれど天恵はそれを、確かな“幸せ”と認識できた。

 ――幸せだ
 ――愛しい父
 ――新しい母
 ――親しい妹
 ――そして……紡がれてゆく、新しい日々

 幸せだ――本当に、怖いほどに。
 次の瞬間には壊れて消えてしまうのではないか、そんなふうにさえ思えるほどに。

「――さ、朝ご飯できたわよ。絵空、天恵、運ぶの手伝ってくれる?」
 キッチンの方から、新しい母――月村美咲が顔を覗かせる。
 それから、と、美咲は浩一に付け足した。
「食事のときは、新聞を読まないで下さいね? ア・ナ・タ?」
 幸福の笑みを浮かべながら、美咲がやんわりと釘をさす。
 ハイハイ、と頷くと、浩一は苦笑を浮かべ、それを畳みこんだ。






「……幸せ、か……」
 朝食を済ませた天恵は、一度自室へ戻り、呟いた。

 ――幸せだ……本当に
 ――病は治り
 ――親愛な父がいて
 ――大切な母がいて
 ――そして、大好きな妹がいて……
 幸せだ――“恐ろしいほどに”。

 天恵は薄々、感付いていた。
 けれど気付きたくない――心の深層ではそう思い、そして無意識に誤魔化した。
 幸せだ――ならばそれでいいじゃないか。
 何度も何度も、そう繰り返した。

「――おねえちゃん、まだ〜?」
 ドアの方から、絵空の急かす声がする。
 それで我に返ると、天恵はカバンを掴み、慌てて廊下へ出た。
「行こ、おねえちゃん♪」
 絵空のか細い手が、天恵のそれを掴む。
 その瞬間――天恵はハッとした。

 ――伝わってくる絵空の手の感触は、氷のように、ひどく冷たかった。






 通学路をゆっくりと歩きながら、天恵は哀しげに周囲を見回した。

 ――スニーカーごしに伝わる、固いコンクリートの感触。
 ――道の左右に延びる、活気付いた町並みの喧騒。
 ――わずかに吹き抜ける、心地よい風。
 ――そして見上げれば広がる、抜けるような青空。

「どうしたの、おねえちゃん。学校遅れちゃうよ?」
 俯きがちな天恵の顔を、絵空は不思議げに覗き込む。
 絵空は、天恵と同じ制服を身に着けている。数週間前、絵空は天恵と同じ、童実野高校に入学した――そういう“設定”なのだ。
「……もういいの」
 天恵はふと、立ち止まる。絵空はもう一度、無邪気に首を傾げてみせる。
 どれほどの沈黙だったろう。
 耳に届く、小鳥のさえずりや人々の喧騒。か細い声で、けれどそれをかき消すように、天恵は言う。
「――夢なんでしょう? これ」
 世界が一瞬、わずかに歪む。まるで壊れかけたテレビのように。
 再びの短い沈黙――その末に、絵空は淋しげな笑みを浮かべた。
『気がついちゃったんだ』
 残念、と絵空が呟く。
 気がつけば、周りは闇。
 幸せな現実など、どこにもありはしなかった。






 ――これは、私の望んだもの。
 ――私が願った、欺瞞(ぎまん)に満ちた世界。
 ――何度も夢見た、偽りの世界。

 “現実”の私には、こんな幸福は訪れない。
 私はもうじき死ぬのだから。
 “奇跡”など起こらない。起こりえない。

 手の平を、ぎゅっと握り締める。
 行き場のない、この感情をどこへ向ければ良いのか――天恵はそれを知らない。

 ――現実の世界は“この世界”ほど、やさしくない
 ――美しくもない

 本当の自分は、まだ入院している――治るはずのない病気で。
 本当の自分は、もう救われない。
 本当の自分は、もう死ぬしかない。
 不幸になるしかない。


『……かなしいね』
 目の前の少女が、そう言った。
 偽りの世界が消えた中でも、少女は未だ消えることなく、自分の側にいてくれる。
「……どうすれば……いいの?」
 涙混じりの声で、吐き出すように問いかける。

 ――私は……どうしたらいいの?
 ――どうすれば救われる?
 ――どうしたら、幸せになれる?

 まるで問い詰めるように。責めたてるように。
 少女が表情を暗くする。理不尽な問いのはずなのに、自分のせいだと言わんばかりに。
 目の前の――絵空の姿をした“誰か”は謝罪した。
『……ごめんね』
 と。そして、『でも』と続ける。

『わたしが叶えてあげる』

 ――あなたの夢を
 ――あなたの望みを

 そう言ってから気付き、ううん、と首を小さく横に振る。

 ――あなただけじゃない
 ――全てを
 ――全てのヒトの望みを……願いを、わたしが叶えてあげる

「…………!」
 天恵は、俯かせていた顔を上げた。
 そこには絵空の顔をした、どこか儚げな笑みを浮かべる“彼女”がいた。
『だから……力を貸してほしいの』

 全てを叶えるために。
 全てを救うために。
 全てのヒトの――“欲望”に応えるために。
 全てのヒトを、“絶対の幸福”に導くために。

『あなたには、特別な力がある』

 ――それは“火種”の力。
 わたしたちが干渉するために、無くてはならない力。
 わたしたちが力を示すための――不可欠な、“憑代(よりしろ)”の力。

 ――恨んでくれて構わない
 ――呪ってくれて構わない
 ――“世界”を
 ――わたしたちが創ってしまった……“出来損ないの世界”を

 “彼女”がそっと、手を差し出す。
 それに対し、天恵はほとんど反射的に身構えた。
「……。あなたは……誰?」
 天恵の問いかけに対し、絵空の姿を模した“彼女”は静かに答えた。
『わたしの名前は……ゾーク』

 ――闇を統べる者

 ――創世の女神が一人

『闇の創造神……ゾーク・アクヴァデス』
 “彼女”はそう言うと、小さく微笑んでみせた。
 憂いを含んだ、哀しげな笑み――笑っているようで笑っていない、そんな印象を受ける。
『……この姿は、仮の姿』

 ――あなたの記憶の中にある、あなたと、最も波長の合う者の姿
 ――あなたと円滑な意思伝達を行うために、あえてその姿に擬態しているだけ

『終わらせましょう……全てを』

 ――哀しみに
 ――憎しみに
 ――苦しみに
 ――痛みに

 ――そして全ての“闇”に……“終焉”をもたらすために

「…………!」
 天恵には、“彼女”の言っていることの意味が分からなかった。
 困惑気味に“彼女”を見つめ、そしてその手を観察した。
 絵空のものを模しながらも、そのほっそりとした手には赤みがなく、どこか死人の者のような印象すら受ける。
「どうすれば……いいの?」
 “彼女”は眉一つ動かさず答えた。
『……まずは、“器”を決めてほしいの』

 ――あなたの肉体は、もう長くない
 ――だから、器が必要になる
 ――あなたの魂を留めるべき、適当な“器”が

『そうすれば……後は“彼ら”がしてくれるから』

 ――優しいあなたにとって、これは辛い選択かも知れない
 ――けれど誰かが、成さねばならぬこと
 ――終わらせるために

 不意に“彼女”の手の平から、小さな、黒い霧のようなものが立ち昇る。
 それは薄い、長方形を形どり、天恵もよく知るものへと変化した。
「……! M&Wの……カード……?」
 思わぬことに、目をしばたかせる。
 差し出されるそのカードを、好奇心が後押しし、恐る恐る受け取る。
『それが……あなたの心の写し身、魂に宿る魔物(カー)』

 ――あなたに“闇の火種”がある、確かな証――

 カードを見る。そして、絶句する。
「……ナニ……コレ……?」
 見た瞬間、ぞっとした。
 そこには見たこともない、黒く醜悪な、闇の邪悪龍が描かれていた。


混沌帝龍 −終焉の使者− /闇
★★★★★★★★
【ドラゴン族】
このカードは通常召喚できない。自分の墓地の光属性と闇属性モンスターを
1体ずつゲームから除外して特殊召喚する。
1000ライフポイントを払う事で、お互いの手札とフィールド上に
存在する全てのカードを墓地に送る。この効果で墓地に送ったカード
1枚につき相手ライフに300ポイントダメージを与える。
攻3000  守2500



●     ●     ●     ●     ●     ●     ●




「――おねえちゃんっ!!!」
「――!?」
 ハッとした。
 その一瞬の驚きに、天恵は、心臓が止まるかと思ったほどだ。
「……え……っ……?」
 瞬きを繰り返しながらも、呆気にとられる。
 そこは見慣れた病室。数年前から入院し、あてがわれている自分の個室。
 そして目の前には、先ほどの“夢”にも出て来ていた、見慣れた一人の少女がいた。
「どうしたの? ボーっとしちゃって。おねえちゃんのターンだよ」
 小首を傾げる絵空。天恵は自分の置かれた状況を、すぐには把握できなかった。
(……私……は……?)
 目線を下ろすと、目の前の簡易テーブルには何枚ものカードが並べられ、自分の手には、数枚のM&Wのカードが握られている。
「……? どうしたの? 大丈夫、おねえちゃん?」
 ただならぬ天恵の様子に、絵空も表情を曇らせた。
 天恵は思わず、口元に手を当て、現状を整理しようと頭を働かせる。

 そうだ――自分はいつものように、自分の病室で、絵空とデュエルをしていた。
 ――その途中で……眠っていた?
 ――そんな状態で、あんな複雑な夢を見ていたとでもいうのか?

 天恵は、先ほどの“夢”を想起する。完全にではないが、大体なら、その内容を覚えていた。
 これが話に聞く、“白昼夢”というものなのだろうか――だが、こんな経験は今まで、ただの一度もない。
 天恵の脳裏を、嫌な予感がよぎる。
 あるいは――自分の病状は、すでにそこまで深刻化しているのかも知れない、と。
「私……どのくらい、意識を失っていたの?」
 眉をひそめ、天恵は問う。
 その質問に、「へ?」と不思議そうな顔をしてみせる絵空。
「どのくらいって……私のターンの間だから、長くて三十秒くらいだと思うけど」
 その答えに、天恵の表情がさらに歪む。
(……たったの三十秒……?)

 ――自分はさっきの“夢”を、たったの三十秒で見ていたというのか?

 信じられない、そう思いつつも、天恵は無意識に、納得のいく解釈を模索した。
 特に気になったのは――“闇の創造神”を名乗る少女の、あのことば。

 ――“器”を決めてほしいの――

 “器”――そのことばの意味を、天恵はまだ知らない。だがうっすらと、それは、恐ろしいことの気がした。

 そんな天恵の様子を、もどかしげな絵空のことばが制した。
「ねーっ、おねえちゃんのターンだよ? まだー?」
 不満げに、絵空は頬を膨らませてみせる。
 それに気付くと、ゴメンゴメンと謝りつつ、天恵は視線を下ろし、ゲームの状況を確認した。


 天恵の場:ジャイアントウィルス
 絵空の場:偉大(グレート)魔獣 ガーゼット


「ちなみに言っておくけど……ガーゼットの攻撃力は4600だよ?」
 フフン、と得意げに鼻を鳴らす絵空。攻撃力4600を倒せるカードなどそうはない、気分はすでに、半分勝ったつもりである。
 攻撃力4600ということは、『ゴブリン突撃部隊』でも生け贄に使ったのだろう――絵空の様子を眺め、そんなことを思いながら、天恵は遠慮なしに、手札から一枚のカードを選び出す。それは、天恵が最も得意とする、お気に入りの魔法カード。
「それじゃ……『ジャイアントウィルス』を攻撃表示にして、魔法カード『強制転移』を発動。ガーゼットのコントロールをもらうわね」
「ウン……って、うええええええっ!!??」
 先ほどの様子から一転、絵空が大きな悲鳴を上げた。






 このおよそ半年後――月村天恵は病により、この世を去る。
 少なくとも、“表面的”には。
 そして、それを合図にしたかのように、世界は少しずつ狂い始めていた――





プロローグ1 世界を覆う黒い霧(前編)

 月村天恵の死から、およそ一ヵ月後――アメリカのとある都市にて。

 日はすでに落ちていた。薄闇が辺りを支配する――だが、人びとは盛んに往来をしている。大昔の人間が見れば、それは少し、異様な光景なのかも知れない。
 街灯という不自然な、人工的な光の下、ぴっちりと舗装されたアスファルトの上を、数え切れぬ人々が闊歩(かっぽ)する。

 ――ある者は安堵を
 ――ある者は疲弊を
 ――ある者は憂いを

 それぞれ表情に出し、行き交う。
 そこは特別栄えても、特別貧しくもない。何の変哲もない、おおよそ平穏な都市――外面から見れば、紛れもなくそうだった。

 ――平然と、“それ”はそこにあった。
 何の変哲もない、事務所を装う建物。もっとも、普段は“普通”の仕事をしているし、何も知らない、無害な社員がほとんどだ。
 すでに本日の業務は終わったらしく、電灯は全て消え、静まり返っている。

 ――だが、中には人がいた。
 建物には地下室があった。社員のほとんどが知らない、秘密の地下室。石造りの壁に、石造りの階段。そして所々に取り付けられた燭台では、小さな炎が揺らめいている。
 階段を下りると、そこには一つの、狭い部屋がある。
 同様に石造りのそれ、そこに電灯などという現代利器はなく、やはり複数の蝋燭が炎を灯し、儚げな光を供給していた。
 部屋には、複数の男たちがいた。
 漆黒のマントを羽織り、フードを深く被った6人の男たちは、何かを囲い、円状に屹立(きつりつ)していた。彼らはじっと、その円の中心の動向に注目している。一見したところ、どこかの狂信的宗教が、黒魔術か何かの“儀式”を実行せんとした状況にも思える。
 実際、彼らにしてみれば、円の中心で行われるそれは、一種の“儀式”であった。

 中心には場違いな、長方形の、簡素な白いテーブルが置かれている。
 それを挟み、二人の男が椅子に座り、向かい合っていた。見たところ、片方の年齢は四十代後半、もう片方は三十代だろう。
 四十代後半に見えるその男は、年齢の割に筋肉質な巨体と銀の長髪をした、目つきの鋭い、三白眼のアメリカ人。黒のローブを身にまとい、あごに銀の口髭を生やしたその男は、見るからに怪しげな風体だ。対するもう一人はというと、グレーのスーツを着こなす、明らかに場違いな日本人。髪は短く切り揃え、普通の、真面目な会社員という印象であった。
「儂(わし)のターン……ドロー」
 巨漢の男の方が、テーブルの上に置かれた、数十枚のカードの束へ手を伸ばす。
 二人の男の前にはそれぞれ、“デッキ”と呼ばれるカードの束が置かれ、また、それぞれが数枚のカードを手に持っていた。
 M&W――I2社の生み出した、世界規模の人気を誇るカードゲーム、それに用いられるカードである。
 ――そう、これはカードゲーム。あくまで“ゲーム”――本来は、楽しむためのもの。
 だが、部屋に内在する男たちから、“楽しい”などという感情は到底見出せない。二人を囲う六人の男たち、そして巨体を有する男は、目の前の日本人男性に対し、凄まじいまでの“殺意”を向け、プレッシャーを与えている。並みの人間ならば、精神が5分ともたない、異常な状況だろう。
 だが、その日本人は屈しなかった。彼の強い精神はそれを弾き、むしろ闘志を瞳に宿し、目の前の男へ向ける。

「……少しはやるようだな……“ツキムラ”よ」
 巨漢の男は不敵な笑みを漏らし、目の前の日本人の名を呼んだ。その表情から読み取れるのは、二つの感情――賞賛と、余裕。固い表情を崩さぬまま、日本人――月村浩一も、目の前の男にことばを返す。
「あなたも大したものだ……“ガオス・ランバート”。あなたは間違いなく、私が今まで相手をした中で最強の“デュエリスト”でしょう」
 月村のそのことばに、巨漢――ガオスは、満足げに目を細めた。
「やはり違うな……“本物”は。居住まいだけでもまるで違うよ、そこらの有象無象とは。我ら“ルーラー”の中にも、貴様クラスの男はそうはおるまい」
 クク、と笑みを零す。わずかだが穏やかな笑みを。だが、やがてその口元はゆっくりと、醜く邪悪に歪んでゆく。
「面白い……なればこそ、“潰し甲斐”があるというものだ」
 ガオスは視線を落とすと、自らが持つ5枚のカードの中から1枚を選び、テーブルに置く。
「儂はさらに、カードを1枚伏せ……ターンエンド」
「……!」
 息苦しさに、たまらぬ不快感を覚えながらも、月村も目の前の、カードの束に手を伸ばした。
「私のターン……ドロー」
 そしてカードを1枚引くと、現在のゲームの状況を確認する。


 月村のLP:3000
     場:異次元の女戦士,伏せカード1枚
    手札:4枚
ガオスのLP:3800
     場:暗黒界の武神 ゴルド,伏せカード3枚
    手札:3枚

異次元の女戦士 /光
★★★★
【戦士族】
このカードが相手モンスターと戦闘を行った時、
相手モンスターとこのカードをゲームから除外する事ができる。
攻1500  守1600

暗黒界の武神 ゴルド /闇
★★★★★
【悪魔族】
このカードが他のカードの効果によって手札から墓地に捨てられた場合、
このカードを自分フィールド上に特殊召喚する。
相手のカードの効果によって捨てられた場合、さらに相手フィールド上に
存在するカードを2枚まで選択して破壊する事ができる。
攻2300  守1400


(……。形勢は若干、こちらが不利……か)
 慎重に吟味しながら、手札からカードを選び、提示する。
「……手札から、魔法カード発動……『強欲な壺』。この効果により、デッキから2枚をドローする」

 ドローカード:カオス・ソーサラー,遺言状

(……! よし!)
 良いカードを引けた――そのことで、月村の表情に強さが宿る。
「私はカードを1枚伏せる。さらに、墓地に眠る『サンダー・ドラゴン』と『可変機獣 ガンナードラゴン』をゲームから除外し……『カオス・ソーサラー』を特殊召喚!」


カオス・ソーサラー /闇
★★★★★★
【魔法使い族】
このカードは通常召喚できない。
自分の墓地の光属性と闇属性モンスターを1体ずつ
ゲームから除外して特殊召喚する。フィールド上の
表側表示で存在するモンスター1体をゲームから
除外する事ができる。この効果を発動する場合、
このターンこのカードは攻撃する事ができない。
この効果は1ターンに1度しか使用できない。
攻2300  守2000


「このモンスターは1ターンに1度、場のモンスター1体をゲームから除外することができる。対象はそちらの場のモンスター――『暗黒界の武神 ゴルド』!」
「……ほお」
 ガオスはニヤリと笑みを零す。
「……ならば、『ゴルド』を生け贄に捧げ――トラップ発動」
 月村の顔色が、一瞬で変わる。
「――『魔のデッキ破壊ウイルス』」


魔のデッキ破壊ウイルス
(罠カード)
自分フィールド上の攻撃力2000以上の闇属性モンスター
1体を生贄に捧げる。相手フィールド上モンスターと手札、
発動後(相手ターンで数えて)3ターンの間に相手がドローした
カードを全て確認し、攻撃力1500以下のモンスターを破壊する。


「このカードは、攻撃力2000以上の闇属性モンスターを生け贄に発動可能なトラップ……。相手の場・手札の弱小モンスターを全てウイルス感染させ、死滅させる。これにより、貴様の場の『異次元の女戦士』は死滅……加えて、手札を見せてもらおうか」
「……! くっ……!」
 月村は苦い顔をした。ウイルスカード――状況によっては、形勢を一気に逆転させることも可能な、超強力カード。顔を大きくしかめながら、手札の3枚を提示した。

 月村の手札:サンダー・ドラゴン,マシュマロン,遺言状


サンダー・ドラゴン /光
★★★★★
【雷族】
手札からこのカードを捨てる事で、デッキから
別の「サンダー・ドラゴン」を2枚まで手札に
加える事ができる。その後デッキをシャッフルする。
この効果は自分のメインフェイズ中のみ使用する事ができる。
攻1600  守1500

マシュマロン /光
★★★
【天使族】
このカードは魔法・特殊能力以外の攻撃を受け付けない
攻 300  守 500

遺言状
(魔法カード)
このターンに自分フィールド上の
モンスターが自分の墓地へ送られた
時、デッキから攻撃力1500以下の
モンスター1体を特殊召喚する事ができる。


「……『マシュマロン』の攻撃力は300……墓地へ送る」
 月村は、場の『異次元の女戦士』とともに、手札の『マシュマロン』を墓地へと置く。
(マズイな……これで形勢は、ますますこちらに不利だ)
 大きく眉をひそめたまま、月村は場の状況を確認する。


 月村のLP:3000
     場:カオス・ソーサラー,伏せカード2枚
    手札:2枚(サンダー・ドラゴン,遺言状)
ガオスのLP:3800
     場:伏せカード2枚
    手札:3枚


 『魔のデッキ破壊ウイルス』のコストにより、ガオスの場のモンスターはゼロ。対する月村は、強力な上級モンスターを召喚している。この一点に注目すれば、月村の優勢と見ることもできる。だが如何せん、『魔のデッキ破壊ウイルス』の効果は数ターン続く。その間はドローカードを開示せねばならず、加えて攻撃力の低いモンスターは全て破壊されてしまう。
(……スーパーエキスパートルールでは、1ターンに2枚以上の魔法カードを場に出すことはできない……!)
 手札の『遺言状』を一瞥する。そして悔しげに、月村はことばを紡ぐ。
「『カオス・ソーサラー』は効果を発動したターン、攻撃できない……。ターンエンド」
 その様を見て、ガオスはわずかに鼻を蠢かす。
「儂のターン……ドロー」
 いかめしい様子でカードを引き、それに視線を向ける。

 ドローカード:手札抹殺

(……きたか)
 隠すつもりもなく、ほくそ笑む。そしてドローカードを含め、3枚のカードを選び、卓上へ置く。
「儂はカードを2枚伏せ、『暗黒界の斥候 スカー』を守備表示。ターンエンドだ」


暗黒界の斥候 スカー /闇
★★
【悪魔族】
このカードが戦闘によって破壊され墓地に送られた時、
自分のデッキから「暗黒界」と名のついたレベル4以下の
モンスター1体を手札に加える。
攻 500  守 500


 逡巡することなく、早々にゲームを進める。その様子は、慎重な月村のそれとは対極と言って良かった。
「私のターン、ドロー」

 ドローカード:バーン・アウト!


バーン・アウト!
(罠カード)
ダメージステップ時、フィールド上の戦士族または
炎属性モンスター1体を選択して発動。そのモンスターの
守備力分の数値を攻撃力に加える。選択したモンスターが
プレイヤーに与える戦闘ダメージは半分になる。
発動ターンのバトルフェイズ終了後、そのモンスターは
攻撃力・守備力が0となる。


「……! 私が引いたのは罠カード……よって、『魔のデッキ破壊ウイルス』の効果で破壊されることはない」
 裏返し、ドローカードをガオスに確認させた上で手札に加える。
(相手の場に伏せカードは4枚。迂闊に攻撃はできないが――)
 ――だが、『カオス・ソーサラー』の特殊能力を使えば、攻撃宣言をすることなく、相手モンスターを除去していける。
「私はこのターン、再び『カオス・ソーサラー』の特殊能力を発動する。除外対象はあなたの場のモンスター……『スカー』!」
「……フン」
 ガオスは小馬鹿にするような、挑発的な笑みを浮かべた。
「……目障りな雑魚だ。ならば儂は、再び場のモンスターを生け贄に捧げ……もういちど罠カードを使わせてもらおう」
「……!? 何?!」
 まさか再びウイルスカードを――そう思い、月村の顔がこわばる。ガオスは何でもない様子で、場の伏せカードを開いた。
「トラップカードオープン……『悪魔の施し』」


悪魔の施し
(罠カード)
自分フィールド上に存在する、レベル3以下の悪魔族モンスター
1体を生け贄に捧げる。デッキからカードを3枚ドローし、
その後手札からカードを2枚捨てる。


「この効果で、『カオス・ソーサラー』の特殊能力は空を切る……。さらに、デッキから3枚カードを引き……2枚を捨てる」
 手早くカードを引くと、迷うことなく2枚を捨てる。
「そしてこの瞬間……墓地に捨てた『暗黒界の軍神 シルバ』及び『暗黒界の刺客 カーキ』の効果発動」


暗黒界の軍神 シルバ /闇
★★★★★
【悪魔族】
このカードが他のカードの効果によって手札から墓地に捨てられた場合、
このカードを自分フィールド上に特殊召喚する。
相手のカードの効果によって捨てられた場合、さらに相手は手札2枚を
選択し、好きな順番でデッキの一番下に戻す。
攻2300  守1400

暗黒界の刺客 カーキ /闇
★★
【悪魔族】
このカードが他のカードの効果によって手札から墓地に捨てられた場合、
フィールド上のモンスターカード1枚を破壊する。
攻 300  守 500


「まずは『カーキ』の効果発動……貴様の『カオス・ソーサラー』を破壊、墓地へ送ってもらおう」
「……! く……!」
 月村は歯を噛みながら、自分の場のカードを墓地スペースへと置く。
「さらに『シルバ』の効果……それにより、このカードを攻撃表示で特殊召喚する」
 圧倒的なまでの展開力――それが、ガオスの使う“暗黒界カード”の力。
 状況は一転、月村のモンスターは失われ、ガオスの場に強力モンスターが現れる。
「……つまらんな」
「……!?」
 ガオスは表情に、露骨に失望を表し、ため息を漏らす。
「I2一の手練れと聞き、期待したのだが……この辺りが限界か?」
 もう少しがんばってみせろ、そう言いたげに、ガオスは月村を見下した。
「……! まだだ、手札から『遺言状』を発動! このカードの効果によりデッキから……攻撃力1500以下のモンスター、『魂を削る死霊』を守備表示で特殊召喚する!」
 月村は負けじと声を荒げ、デッキから一枚のカードを選び出す。


魂を削る死霊 /闇
★★★
【アンデット族】
このカードは戦闘によっては破壊されない。
魔法・罠・効果モンスターの効果の対象に
なった時、このカードを破壊する。この
カードが相手プレイヤーへの直接攻撃に
成功した場合、相手はランダムに手札を
1枚捨てる。
攻 300  守 200


(『魂を削る死霊』は戦闘では破壊されない無敵モンスター……これで少しは持ちこたえられるはず)
「……ターン、終了です」
 残された2枚の手札を見やってから、ゆっくりとエンド宣言を済ませる。
「全くがっかりだよ……ペガサス・J・クロフォードには」
 吐き捨てるように言いながら、ガオスはデッキに手を伸ばす。
「もう少し、肝の据わった男かと思っていたが……どれほど待とうが、奴自身が乗り込んでくる気配はない。M&Wの“創造者(クリエイター)”ともあろうものが、嘆かわしい」
 わずかに視線を動かし、ドローカードを確認する。

 ドローカード:暗黒界の尖兵 ベージ

「いつまでも、歯応えのない雑魚を送り込んでくるばかり……。本当に儂を潰すつもりがあるのか、疑わしいものだ」
 そしてニタリと、笑みを浮かべる。
「もう少し器の広いところを見せてもらわねば、不安で仕方がないよ……M&Wの“支配者(ルーラー)”としては、な」
「……!」
 ほんの一瞬だけ、月村は表情を歪め、強い不快感を顔に出した。だがすぐにそれを改め、真剣な、真摯な眼差しを正面の男へ向ける。
「……ペガサス社長は今でも、あなたを強く尊敬しています。可能ならば、あなたと再び足並みを揃え、歩んでいきたいと。考え直すことはできませんか?」
「……愚問だな」
 鋭い、獣のような瞳が月村を見つめる。だが月村が、それから目を逸らすことはない。
「クロフォードや貴様らにとって、M&Wは“娯楽”としてのゲームなのだろうが……我々は違う。我々“ルーラー”にとって、これは神聖なる“儀式”なのだ。我々からの譲歩は、絶対的にありえない」
「……!」
 月村は膝の上に置いた、右の拳を握り締める。そして粘り強く、交渉を続けた。
「ペガサス社長からの要求は二つ……。あなたが裏で統括する組織“ルーラー”――その構成員“レアハンター”による、一般ユーザーへの恐喝じみた“アンティルールデュエル”の強制。及び、あなたの独断によるレアカードの“偽造複製”。この二つを速やかにやめさせること。この要求が通れば――」
「――“調整”だよ、ツキムラ」
 月村のことばに被せるように、ガオスは口を開く。
「儂はM&Wの“支配者”として、案じているのだよ……。M&Wが、下らぬ大衆娯楽に落ちてしまわぬように、な」
 ガオスはそのまま饒舌(じょうぜつ)に、ことばを紡ぎ続ける。
「強力な“レアカード”には、相応の使い手が必要だ……。逆に相応の実力者には、それに見合う“レアカード”がなくてはならない」


 “レアハンター”による“アンティルールデュエル”の強制――それにより、その者の実力を測る。相応の実力者ならそれで良し。“レアハンター”に勝つほどの手練れならば、褒美として新たなレアカードも与えよう。逆に負けるならば――その者にレアカードを持つ資格はなし。不適格者として没収するまで。

 そして、レアカードの“偽造複製”――それにより強力なレアカードを頒布し、財力による“機会の不公正”を是正する。これにより、“カードの力”のみによる勝利を減らす。弱者は常に強者に跪(ひざまず)く――これが真理。よく考え、深い戦術を練り、より高い駆け引きに成功した者が勝つ――これこそが、我らが“儀式”のあるべき姿。


「……もっとも、財力を一種の“力”と見なすならば、それもまた正しかろう……。だが、金を持ち、地位を持ち、立場を持つ、能なきカスども――そんな輩が勝者となる、それは不条理と思わんかね?」
 月村の返答など待たず、ガオスは熱っぽく持論を展開する。
「……『死者蘇生』、『聖なるバリア−ミラーフォース−』、『強欲な壺』、『天使の施し』、『光の護封剣』……」
 唐突に、つらつらと、ガオスはカード名を並べたてた。その意味を、月村は知っている。だからこそ、彼の顔はみるみるうちに歪んでいった。
「……これらは全て、かつては世界に十数枚しか存在しない、超レアカードだった……。“真実”を知れば、誰もが驚き、呆れ、愕然とするだろう。現在、市場に出回る大量のそれら――そのおよそ九割は、我ら“ルーラー”による“偽造カード”なのだから」
「……!!」
 月村は思わず、下唇を噛み締めた。ガオスの語るそれは、紛れもなく真実。そして、その“真実”を、ほとんどの決闘者が知らぬこともまた真実。
 ガオスが並べたそれらは、“ルーラー”が偽造を行い、裏市場より世界中へと広めたもの。本物とは区別のしようがない、かつては極めて稀少であったレアカードの数々。
 月村の顔を見て、ガオスはつまらなそうな顔をしてみせる。
「分かってくれんかね、ツキムラよ。あれらは全て、かつては世界に少数しか存在せず、結果、それは裏で高額売買され、金持ちのみが有しうるものだった。儂はただ、M&Wの未来を案じ、それを是正したかったのだ。I2の“元最高責任者”として――な」
 月村は顔をしかめたまま、答えない。ガオスはわざとらしく、落胆のため息を吐いてみせた。
「承服できんか……。ならば雑念を払い、当面の目的を果たすことだな。貴様はこの場に、 “交渉者”ではなく、クロフォード派の“決闘者”として臨んでいるはずだ」
 月村は膝の上の右拳を、強く握り締め直した。
「誰でも良い、この儂にM&Wのデュエルにより勝利する。さすれば儂は、貴様らの条件を呑んでやる……これは、そういうゲームのはずだ」
 月村は眉根を寄せ、ガオスを凝視する。
「分かりました……デュエルを続けましょう」
 そして重々しい様子で、ことばを続けた。
「……インダストリアル・イリュージョン社、初代名誉会長――ガオス・ランバート」
 と。
 ガオスはニヤリと、ほくそ笑んだ。
「では……ゲームを続けよう」


 月村のLP:3000
     場:魂を削る死霊,伏せカード2枚
    手札:2枚(サンダー・ドラゴン,バーン・アウト!)
ガオスのLP:3800
     場:暗黒界の軍神 シルバ,伏せカード3枚
    手札:3枚


「儂はカードを1枚伏せ……罠カード発動、『暗黒界の採掘』。このカードの効果により、儂の場の『暗黒界の軍神 シルバ』を指定……同名カード2枚をデッキから手札に加えることができる」


暗黒界の採掘
(罠カード)
自分のターンでのみ発動可能。
自分の場の「暗黒界の武神 ゴルド」「暗黒界の軍神 シルバ」
「暗黒界の狂王 ブロン」のうち1体を指定する。
指定したモンスターと同名のカードを墓地またはデッキから
手札に加えることができる。
このカードを発動したターン、自分は通常召喚できず、
指定したモンスターと同名のモンスターは攻撃できない。


「……さて、手札も補充できた……そろそろいかせてもらおう。リバースマジック発動――『手札抹殺』!」
「!? 何!?」
 月村はハッとした。
 『手札抹殺』――それは、お互いの手札の全てを捨てさせ、その枚数分だけカードを引かせるコモンカード。単体で使えば、そこまで強力なカードではない。
 だが、ガオスの使うデッキ――“暗黒界デッキ”においては、恐ろしいまでの効果を発揮することになる。
 ガオスはさっさと、手札の4枚を全て捨て、デッキから4枚のカードを引き直す。
 ククク、と堪えきれぬ笑みが、彼の口から漏れ出した。
「そして、儂の墓地で効果発動するカードは3枚……『シルバ』2体、および『ベージ』、3体同時特殊召喚!」


暗黒界の尖兵 ベージ /闇
★★★★
【悪魔族】
このカードが他のカードの効果によって手札から墓地に捨てられた場合、
このカードを自分フィールド上に特殊召喚する。
攻1600  守1300


(……これで相手の場に、モンスターは4体……!?)
 苦虫を噛み潰したような顔で、月村も2枚の手札を捨て、デッキから2枚を引く。
「おっと……貴様にはまだ、『魔のデッキ破壊ウイルス』の効果が適用されていたな。引いたカードを見せてもらおうか」
「……! く……!」
 苦しい表情のまま、月村は引いたカードをガオスに提示した。

 ドローカード:ロケット戦士,天使の施し

「……『ロケット戦士』の攻撃力は1500……よってウイルスの効果により、死滅する」
「……!! 分かっています」
 引いたばかりのカードを、墓地へ置く。これで月村に残されたカードは、魔法カードたった1枚。
(……次の私のターンが終われば、ウイルスの効果は切れる……!)
 ここが辛抱どころだ――月村はそう、自身に言い聞かせる。
 月村の場にはまだ、無敵モンスターの『魂を削る死霊』がいる。このモンスターが除去されない限り、ガオスは容易に攻め込めないはずである。
「……。月村よ……M&Wの今後について、貴様はどう考える?」
「……え?」
 唐突な問いかけに、月村は唖然とした。ある意味、I2の元会長として、最も似つかわしい質問だろう。だが突然のことに、月村は呆気にとられる。
 ガオスは、そんな月村の様子を嘲るように、笑みを漏らした。
「……もちろん、より魅力的なカード、より白熱したルールを生み出すことも必要だが……それだけでは足りぬ。より抜本的な“進化”が、大きな魅力が必要となろう」
「……?」
 ガオスのことばの真意が、月村には掴めない。
 だがガオスはお構いなしに、ことばを続ける。
「およそ三年後――“杖”の適格者の開発したシステムにより、M&Wはさらなる隆盛を迎える。それとは少し違うが……似たようなものだ。面白いものを見せてやろう」
「……“杖”……? 面白いもの?」
 困惑する月村をよそに、ガオスは1枚のカードを選び出す。
「さあ、ここからが本番だ――カードを1枚伏せ、儀式魔法発動『闇の集約』」
「!? 儀式魔法!?」
 思わぬタイミングでの予期せぬカードに、月村ははっとした。


闇の集約
(儀式魔法カード)
「暗黒集合体−ダークネス−」の降臨に必要。
フィールドから、レベルが10以上になるように
闇属性・悪魔族モンスターを生け贄に捧げなければならない。


 ――シュゥゥゥゥゥゥ……

「!? な、何だ!?」
 次の瞬間、月村は自分の目を疑った。
 ガオスの場に置かれた、四枚の闇属性モンスターカード――それら全てから突如として、黒い霧のようなものが立ち昇る。
 それらは集まり、黒い一つの“影”となる。角を生やし、細長く鋭い腕を持ち、裂けた口、赤い眼をした“悪魔の影”。全長1メートル近いそれが、テーブル上に不気味に浮かび、月村を見下ろしていた。
「…………!!??」
 疑念、動揺、恐怖――様々な感情が、月村の心に渦巻く。
「……大したものだろう……? 我が心の映し身、我が魂に宿りし、自慢の精霊(カー)だ」
 ガオスは、さぞ満足げに微笑んだ。
「儂の場の暗黒界モンスター全てを生け贄に捧げ、降臨する闇属性最強モンスター――『暗黒集合体−ダークネス−』!!」


暗黒集合体−ダークネス− /闇
★★★★★★★★★★
【悪魔族・儀式】
「闇の集約」により降臨。
このモンスターの元々の攻撃力・守備力はそれぞれ、「闇の集約」の効果で
生け贄に捧げたモンスターの元々の攻撃力・守備力の合計となる。
また、このモンスターは自分フィールド上のモンスターを常に吸収し、
能力値を増減する(闇属性ならばプラス、それ以外ならばマイナス)。
儀式召喚成功時、自分は手札を全て捨てなければならない。
捨てた手札の枚数により、このモンスターは以下の効果を追加する。
●1枚以上:このモンスターとの戦闘で破壊されなかった相手モンスターは、
ダメージステップ終了時に破壊される。
●2枚以上:攻撃力・守備力を1000下げることで、このカードが受ける、
相手の魔法・罠の効果を無効化する。その後、自分の手札を1枚捨てる。
●3枚以上:このモンスターが、相手のカード効果で場を離れたターンの
エンドフェイズ時、相手の場のカードを全て破壊する。
攻????  守????


「このモンスターの攻守は、儀式召喚の際、生け贄としたモンスターの能力の合計値……。よって、その攻撃力は――8500ポイント!」

 暗黒集合体−ダークネス−:攻????→攻8500
              守????→守5500

「……な……ッ?」
 月村は絶句する。召喚されたモンスターの能力値にではない。自分の目の前の、あまりに思いがけない光景に。
「……貴様の場も見てみたらどうだ? ツキムラ」
「……!?」
 見上げていた視線を下ろし、自分の手元を見下げる。するとそこには――『魂を削る死霊』のカードの上には、そのイラストに描かれた通りの、全長20センチほどの怪物が存在していた。
「な……何だこれは!?」
 驚きのあまり、月村は席を立とうとした。だが何故か、足がピクリとも動かない。
 見えざる何かに押さえつけられているかのように、月村の下半身は、ピクリとも動かなかった。
 それだけではない。二人の周囲を、いつの間にか、不自然な黒い霧のようなものが覆い始めていた。二人を囲っていた数名の男たちも、すでにそれに隠れ、霞んで見える。
 霧の出所はガオス――その全身から少しずつだが、黒い霧が滲み出、周囲に霧散している。
「……“闇のゲーム”へようこそ……コウイチ・ツキムラ」

 ――ドクンッ!!

 周囲を覆うそれが、まるで生物のごとく脈動する。
 ガオスは余裕顔で、笑みを零した。
「儀式モンスター『暗黒集合体−ダークネス−』の効果発動……。儂はこの瞬間、手札を全て墓地に捨てねばならない……。儂の手札は3枚、全て墓地へと置く」
 ガオスはそのことばの通り、手に持っていたカード3枚を卓上に捨てた。
「これにより、まずは――『暗黒界の狩人 ブラウ』の効果発動」
 すると次の瞬間――ガオスの山札の上から1枚、カードが不自然に弾き飛ばされる。
 何でもない、落ち着いた様子で、そのカードを空中で掴み取るガオス。
「このカードが、儂のカード効果で手札から墓地へ送られたとき……カードを1枚ドローする」

暗黒界の狩人 ブラウ /闇
★★★
【悪魔族】
このカードが他のカードの効果によって手札から墓地に
捨てられた場合、デッキからカードを1枚ドローする。
相手のカードの効果によって捨てられた場合、さらにもう1枚ドローする。
攻1400  守 800


「さらにもう一枚――2枚目の『暗黒界の武神 ゴルド』の効果発動。場に特殊召喚される」
 すると不気味なことに、宣言したカードはまるで生き物のごとく、卓上を滑り、ガオスの場に屹立する“悪魔の影”の横に移動した。
 そして月村の『魂を削る死霊』同様、カードの上に、そのカードに描かれた通りの怪物が立体化して現れる。


 月村のLP:3000
     場:魂を削る死霊,伏せカード2枚
    手札:1枚(天使の施し)
ガオスのLP:3800
     場:暗黒集合体−ダークネス−(攻8500),暗黒界の武神 ゴルド,
       伏せカード2枚
    手札:1枚


「……喰らえ、ダークネス」
「……なッ……!?」
 現れた怪物――“ゴルド”から、先ほど見た“黒い霧”が再び立ち昇る。
 それが“ダークネス”の黒い影に入り込むと、“ゴルド”の肉体は、まるで空気の抜かれた風船のような音を立て、消滅する。
「“ダークネス”は儂の場の、他のモンスターを強制的に“吸収”する……。それが闇属性モンスターであれば、その分だけ力を増す」
 大きな“黒い影”が、わずかだがその体積を増した。

 暗黒集合体−ダークネス−:攻8500→攻10800
              守5500→守6900

「な……これは一体……!??」
 動揺しながらも、月村はその“黒い影”から目を逸らし、周囲をさっと一瞥する。
 目の前に揺らめく“黒い影”。それが、どうやって生み出されたものなのか――それを確かめるためだ。
「……そう気にとめる必要は無い……。ただの立体映像、ゲームを盛り上げるための演出だと思えば良い」
 ふっと、ガオスが笑みを漏らす。
(まだ今は――な)
 そして、自らの分身――“ダークネス”を見やった。
「儂のバトルフェイズ――殺(や)れ、ダークネス!!」
 大上段に構えたガオスが、高らかに命令を下す。
 “悪魔の影”――“ダークネス”は、裂けた口をさらに歪ませた。そして、その不自然に長い両腕を構えると、その間に、黒の球体を創り出す。
「我が“ダークネス”の攻撃――ダークネス・テラ・スフィアッ!!」

 ――ズドォォォォッ!!!

 “ダークネス”の手により、その球体は、月村の『魂を削る死霊』めがけて勢いよく放たれる。
「ぐうっ……!?」
 命中とともに、凄まじい衝撃が月村にも伝わる。思わず手をかざし、上半身をかばう。
(これが立体映像だと……!?)
 恐ろしいまでの臨場感。月村の背を、戦慄が貫く。
(だが……これが、実際のゲームを反映したものならば……!)
 目を細めて、自分の場を見やる。
 どれほどの攻撃力であろうが、『魂を削る死霊』はその特殊能力により、戦闘では破壊されない――はずだった。
「!!?」
 だが、月村の期待は大きく裏切られる。
 無敵のはずの死霊は、“ダークネス”の放つ闇に呑まれ、跡形もなく消滅していた。
「……儂の“ダークネス”には、三つの能力が備わっている……。そのうちの一つが、戦闘したモンスターを“確実に”破壊する効果……」
「……! なっ……」
 驚きとともに、月村は顔を上げ、ガオスに視線を向ける。だが次の瞬間、月村は別の事象により驚愕し、唖然とした。
「…………?」
 ガオスはその真意を、すぐには理解できない。
 やがて、その視線の先に気が付き、ああ、と笑ってみせる。
「……これが、そんなに珍しいのかね……?」
 対する月村は、まるで異星人にでもあったかのような様子で、口を開き、瞳を震わせる。
「な……何だ“それ”は!??」
 その視線の先は――目の前の男、ガオス・ランバートの額。
「何だ……知らないのか、ツキムラ?」
 ククッと笑みを漏らしながら、ガオスはあえて、的の外れた返答をする。
「ならば覚えておくが良い……これは“ウジャト眼”。“千年”に選ばれし者の証だよ」
 ガオスの額には、金色の“瞳”が輝いていた。
 燦然(さんぜん)と、ギラギラと太陽のごとくそれは輝き――目下の男を、月村を見下していた。


 月村のLP:3000
     場:伏せカード2枚
    手札:1枚(天使の施し)
ガオスのLP:3800
     場:暗黒集合体−ダークネス−(攻10800),伏せカード2枚
    手札:1枚



プロローグ2 世界を覆う黒い霧(後編)

「ウジャト……眼……?!」
 ぎこちない様子で、月村はガオスのことばを繰り返した。
(いったい何だ……あれは!??)
 ガオスの額を、そこで輝く“ウジャト眼”を凝視する。少なくともデュエル開始時には、そんなものはなかった。いつからそれは輝き出したのか――月村は視線を泳がせ、考える。
(この……実体化したモンスターとも関係しているのか……!?)
 ゴクリと唾を呑み込む。
 彼の目の前ではいまだ、攻撃力一万以上を備えた化け物が、不敵に笑い、見下げてきている。
「ターンエンド。さあ、貴様のターンだぞ、ツキムラ?」
 惜しげもない様子で、エンド宣言するガオス。その額のものも含め、三つの瞳が月村を見つめ、その精神を威圧する。
(とにかく……ここで退くことはできない。やるしかない!)
 覚悟を決め、月村はデッキに手を伸ばす。
 ガオスの言う通り、これがただの、ゲームを盛り上げる演出というならば――それに動揺し、集中を乱すわけにはいかない。それこそが、彼の真の狙いかも知れないのだから。
(私の手札は、たったの1枚……加えて、ウイルス効果も継続している。ここからの逆転は確かに厳しいが――)
 だが――諦めるわけにはいかない。
 どれだけ不利な状況でも、デッキにカードがある限り、可能性は残されているはずなのだから。
「私のターン――ドローッ!」

 ――バヂィッ!

「!? ぐっ!?」
 カードを引き抜いた刹那、鋭い痛みが彼の右手に走る。強烈な電流を、瞬間的に流されたような感覚。
 月村はたまらず顔を歪め、引いたばかりのカードを取り落とした。
「……! ほお……なかなか、コアなカードを使っているな」
 テーブルに落ちたカードを見て、ガオスが笑う。


闇の結晶体  /闇
★★
【岩石族】
このカードが破壊され墓地へ送られたとき、
同名カードを手札に加えることができる。
また、このカードが破壊された場合、
コントローラーは500ポイントのダメージを受ける。
攻 100  守 100


「『闇の結晶体』の攻撃力はたった100、儂のウイルス効果により破壊される。そして破壊されたとき、そのコントローラーは500ポイントのダメージを受ける……貴様がカードを取り落としたのは、その痛みのせいか」
「……!?」
 月村は顔をしかめたまま、ガオスを見やった。

 月村のLP:3000→2500

「スマンスマン……よもやそんなカードを引くとは思わなんだからな。忠告が遅れてしまった」
「忠告……!?」
 いまだ微痛の残る右手を押さえながら、月村は問う。当然ながら、ガオスの表情からは、謝罪の意思など微塵も感じられない。
「これは“闇のゲーム”……これにより発生したダメージは、プレイヤーに実際の痛みとして与えられる。ライフが0となれば、命を落とすこともあるデスゲームだ……。くれぐれも注意することだな」
「な……!?」
 信じられないことばに、月村は絶句した。
 だが、先ほど自分の右手に走った痛みは、間違いなく現実のもの。少なくとも、ダメージが実際の痛みに変わったのは確かだ。何か特別な装置を身体に着けているわけでもないのに――月村には当然、その原理が理解できなかった。
「……。『闇の結晶体』の効果……発動……。このカードが破壊されたとき、デッキから同名カードを手札に加える」
 躊躇いがちにデッキを取り、その中から『闇の結晶体』と銘打たれたカードを2枚選び出す。
(……何が起きているかは、分からない……。だが、どのみち私は負けるわけにはいかない……!)


 M&Wの未来のために――自分は、負けるわけにはいかない。
 ガオス・ランバートのやり方は間違っている。絶対に。
 確かに――価値の高いゲームを作ることは重要だ。より高い戦術、駆け引き、デュエリスト――それが育つよう方向付けることは、確かに必要なことだ。
 けれどそれ以上に、大切なことがある。M&Wは“ゲーム”なのだ。“ゲーム”とは根本的に、楽しむためのもの。プレイヤーに笑顔を与え、喜びを得られるべきもの。
 それを、“レアハンター”などと――デュエリストの大切なカードを奪うなど、あっていいはずがない。
 だから自分は、ここにいる。
 数々の“レアハンター”を倒し、ガオス・ランバートへの挑戦権を勝ち得た。
 ペガサス社長の考えに賛同し、その剣となるため、自分はデュエリストとして“このゲーム”に臨んでいるのだ。


「……おっと……そうそう、忘れるところであった。儂は貴様のスタンバイフェイズに、場の伏せカードを使わせてもらう」
「……!?」
 ガオスの唐突な宣言に、月村ははっとする。
 対照的に、落ち着いた様子で、ガオスは場の伏せカードを表にする。
「罠カードオープン『暗黒よりの軍勢』。このカードの効果により、墓地に眠る暗黒界モンスター2体を手札に加える」


暗黒よりの軍勢
(罠カード)
自分の墓地に存在する「暗黒界」と
名のつくモンスター2体を手札に戻す。


(……!? このタイミングで、暗黒界モンスターを補充……!?)
 相手スタンバイフェイズでの手札補充――月村はそのプレイを不審に思った。
 『暗黒よりの軍勢』は発動タイミングを選ばぬ罠カード。本来なら、わざわざ焦って、このタイミングで発動する必要はないはずだ。
(……我が“ダークネス”第二の能力の発動には、手札が不可欠……。もっとも今の貴様に、それを発動させる余裕があるかは知らんがな)
 ガオスはほくそ笑みながら、墓地から2枚のカードを手札に加える。それを見て、月村は顔をしかめた。
 これでお互いの手札は3枚。しかし月村の手札には、強力な手札交換カード以外には、貧弱なモンスターが2体のみ。しかも、その内容も知られている。
(……仮に『闇の結晶体』を守備表示で出しても、ジリ貧だ。ここは――賭けに出る!)
「手札から魔法カード発動、『天使の施し』! デッキから3枚引き、2枚を墓地へ送る!」
 本来ならば、ウイルスカードの効果発動中に使用すべきではないカード。この効果でドローしたカードも、そのウイルス感染対象となるからだ。
(頼む――来てくれ!)
 デッキに祈りをかけながら、月村はデッキに手を伸ばす。

 ドローカード:サイバー・ドラゴン,雷帝ザボルグ,死者蘇生

(……!! よし!)
 ドローしたカードを全て、ガオスに対し提示する。その後、ほとんど迷うことなく、月村は手札から2枚のカードを捨てた。彼の手には奇跡と言っても良いほど、望んだ通りのカードが揃っていた。
「いくぞ……! 手札から『サイバー・ドラゴン』を特殊召喚!」


サイバー・ドラゴン  /光
★★★★★
【機械族】
相手フィールド上にモンスターが存在し、
自分フィールド上にモンスターが存在していない場合、
このカードは手札から特殊召喚する事ができる。
攻2100  守1600


 月村がカードを場に出す――それと同時に、月村の場にも、一体のモンスターの姿が現れる。
 全身が美麗な光沢を放つ、機械仕掛けのドラゴン。
 圧倒的な能力差がありつつも、それは小さく吠え、ガオスの“ダークネス”を威嚇せんとする。
(……! やはりこのカードも、か……)
 月村は眉をひそめた。
 自分が出したカードより現れたそれは、まるで本物のような存在感を持っている。それを見て、少しばかり精神が高揚した。
「……クク……、その程度の雑魚でどうするつもりだ、ツキムラ?」
 水を差すように、ガオスは冷笑してみせる。
 月村はそれに、わずかな違和感を覚えた。だが、絶対的窮地からのディスティニードロー――それが彼の精神を鼓舞し、プレイを後押しする。
「あなたのモンスター“ダークネス”の攻撃力は10800……確かに脅威だ。それに勝る攻撃力を生み出すのはほぼ不可能。だが――」
 月村は2枚の手札から、1枚を抜き取る。
(戦闘“以外”での破壊なら――何の問題もない!)
 突如として、月村の『サイバー・ドラゴン』が光の渦に包まれる。
 月村は迷うことなく、そのカードを場に召喚した。
「『サイバー・ドラゴン』を生け贄に捧げ――『雷帝ザボルグ』召喚っ!!」


雷帝ザボルグ  /光
★★★★★
【雷族】
このカードの生け贄召喚に成功した時、
フィールド上のモンスター1体を破壊する。
攻2400  守1000


 渦とともに機械龍は消え、そして――その両腕に電撃を散らす、『雷帝』が召喚される。月村のデッキでも中枢を担う、自慢のモンスターである。
「生け贄召喚時、このモンスターは特殊能力を発動……! 場のモンスター一体を、効果により破壊する!」
「……フン」
 動じた様子もなく、ガオスはむしろ、それを望んでいたかのように笑う。
 揺るぎなきその自信に、月村は眉をひそめる。だが、もはや後には退けない――自分の場で、すでに攻撃態勢に入った『雷帝』へ指示を出す。
「破壊対象は『暗黒集合体−ダークネス−』――いけ、ザボルグっ!」

 ――バヂヂヂィィッ!!!

 解放された稲妻が地を走り、“ダークネス”へと撃ち出される。
 勝ち誇った笑みで、ガオスは場の伏せカードに手をかけた。
「フィールド魔法発動……『常(とこ)しえの闇』」
「!??」


常しえの闇
(フィールド魔法カード)
フィールド上の全ての闇属性モンスターは
攻撃表示である限り、相手の、対象を取る
カードの効果を受けない。


 ――ズォォォォォ……!!

 カードの発動と同時に、周囲の“闇”が呼応する。
 漂う“闇”は、“ダークネス”の前に集約され、壁を作り、稲妻を受け止める。

 ――バシィィィィッ!!!

「!? くっ……!?」
 稲妻の輝きが消えると、“闇”の壁は再び霧散する。
 “ダークネス”は所持者同様、嘲る笑みを月村へ向けていた。
「戦闘での破壊困難なモンスターは、カード効果により破壊……。実にセオリー通りだな。クロフォードの狗に相応しい、官僚的で妥当な一手。だが……そんな詰まらぬ手が、儂に通用すると思ったか?」
「……!!」
 月村は思わず、下唇を噛みしめる。
「『常しえの闇』の発動下においては、周囲の闇が、全闇属性モンスターを護る……。貴様のデッキも、およそ半分は闇属性モンスターのはず……悪くないカードだろう?」
 ガオスのことばに対し、月村は自分のデッキを一瞥する。
 確かに、月村のデッキは光属性・闇属性モンスターがほぼ半々ずつ投入された“混沌デッキ”。フィールド魔法である『常しえの闇』の恩恵は月村も得られるため、普段ならば、さほど相性の悪いカードではない。だが――
(これで、“ダークネス”の破壊はかなり難しくなった……!)
 周囲の“闇”の圧迫感も相まって、月村の額には汗が滲み出る。
「……『雷帝ザボルグ』は守備表示とする……。ターン、終了だ」
 場の『雷帝』は両肘・片膝を折り、守備体勢をとった。


 月村のLP:2500
     場:雷帝ザボルグ,伏せカード2枚
    手札:1枚
ガオスのLP:3800
     場:暗黒集合体−ダークネス−(攻10800),常しえの闇
    手札:3枚


「儂のターン……ドロー」

 ドローカード:闇の侵食

 ドローカードを見た瞬間、ほくそ笑む。引き当てたのは、このターン、月村をさらに追い詰めることが可能な永続魔法。
 気になるのは月村の場の、2枚の伏せカードだが――一向に発動する気配がないところを見るに、恐らくは発動条件付きのカード。
(……もう少しやるものと思っていたのだがな……とんだ期待外れだ)
 ここまでの展開で築き上げた、圧倒的優勢の状況――それはガオスの精神を傲慢にする。そして手札から、2枚のカードを選び出す。
「儂はカードを1枚伏せ、手札から永続魔法を発動……『闇の侵食』」


闇の侵食
(永続魔法カード)
自分の闇属性モンスターが相手守備モンスターを
戦闘で破壊したとき、破壊した相手モンスターの
元々の攻撃力分のダメージを相手に与える。
ただし破壊されたモンスターが闇属性であるとき、
この効果は適用されない。


 ――ドクンッ……!!

「……!!」
 ガオスのカード発動と同時に、周囲の“闇”が脈動する。
 あたかも、応えるかのように。
 “闇”はますます濃度を増し、月村の肢体へまとわりつく。
「……ツキムラ、貴様は“神のカード”を知っているか? 数ヶ月前、クロフォードが愚かにも生み出したカード……そしてそのテストプレイ中に起きたという、人智を超えし“異変”を」
「……!」
 無論、知っていた。
 ペガサス社長が周囲の反対を押し切り、作り上げた“三幻神”――『オシリスの天空竜』『オベリスクの巨神兵』『ラーの翼神竜』。それらはどれも素晴らしい出来で、見る者全てが見惚れ、称えたと聞く。だが――テストプレイの段階になり、“異変”は起きた。
 テストプレイを行い、“神”の攻撃を受けたデュエリスト――その者は強い精神ダメージを受け、病院送りになったと聞く。その場に居合わせなかった月村にしてみれば、いささか信じがたい話であった。
 月村が聞いた話では、先日、それらは全てエジプト政府へ寄贈されたらしい。
「クロフォードが創り出した、三体の“光の三幻神”……。だがそれには、強き“闇の呪い”が掛けられていた。奴の持つ“眼”――それに宿りし“大神官”の怨念が、な」
 月村は唾を呑み込んだ。
 深き“闇”が空間を支配し、それは月村の身体の自由を奪い、精神を圧迫する。
「クロフォードが創りし、三体の“幻神”に掛けられた“呪い”……。その深き“闇”は、相手プレイヤーに甚大なる精神的ダメージを与え、時には死に至らしめることもあろう。こんな風に――なぁ!!!」
 ガオスは叫び、場のモンスターへ指示を出す。
「殺れ――“ダークネス”!!!」
 間髪いれず、“ダークネス”は両手をかざし、闇のエネルギー球体を創り出す。
 そして、月村の場で守備体勢をとる『雷帝』めがけ、勢いよく撃ち放った。

 ――ズギャァァァァァンッ!!!!!!

 悲鳴をあげる暇すらない。
 『雷帝』は闇に呑まれ、一瞬にして絶命し、塵となる。
「……そして――『闇の侵食』の効果発動!!」

 ――ドクンッ!!!

「!!? ぐあ……ッッッ!!?」
 ガオスの宣言と同時に、ひどく強烈な痛みが、月村の全身を襲った。

 月村のLP:2500→100

「ああ……ッッ……ぎぃっ……!!?」
 声にならぬ悲鳴が、喉の奥から絞り出る。
 まるで、体内から全身を切り刻まれたかのような、味わったことのない激痛。
 思わず左手から、残された最後の手札――『死者蘇生』がこぼれ落ちる。
「ぐ……うう……ッッッ……!!!」
 椅子に座ったまま悶え、その苦痛に耐える。顔を下げ、歯をぎりぎりと食い縛り、うずくまる。
「……終わりだな。退け、ツキムラ」
 冷徹に、ガオスが宣告する。
「勝敗は決した。先ほど忠告した通り……このゲームでライフを失えば、貴様は死ぬやも知れん。命はまだ惜しかろう?」
「…………」
 うずくまったまま、月村は動かない。ふと、ガオスは視線を落とした。
(……貴様にはまだ、果たしてもらわねばならぬ役目があるのでな……)
 その視線の先にあるのは、懐に忍ばせた一冊の“書”。この“闇のゲーム”の根源たる闇を生み出す、鍵(キー)たるアイテム。
 苦痛に歪ませたまま、月村は顔だけを上げる。
「分かるか、ツキムラ……? M&Wは“ただのゲーム”ではない。その正体は、数千年の昔、遥かエジプトの地に起きた“大戦”の再現。“ただのゲーム”を装った、真なる“闇”への最初の鍵。それを使い、扉を開けることで――人間は、“神”の裁きを受けるのだよ!!」
「……!?」
 “闇”がわずかに震える。
 あたかも、月村の心情を表すかのように。
「さあ……デッキに手を置け、ツキムラ。死にたくなければな」
「…………」
 月村は、両の拳を握り締めた。
「……断る」
 静かだが、芯の強い一言。
 苦痛に歪ませつつも、絶望を映さぬ瞳。それをガオスから逸らさぬまま、先ほど落としたカード――『死者蘇生』を拾う。
「……ガオス・ランバート。生憎、私にはあなたのことばの真偽が分からない。興味もない」

 ――だが――

「……私はデュエリストだ。デュエリストには、デッキにカードが残されている限り可能性がある。そして……可能性がある限り、デュエルの匙(さじ)は投げられない」
 ガオスは眉間に皺を寄せ、月村を凝視した。
(……この状況で諦めぬか……。なるほど、大した魂の持ち主だ)
 そして、口元を歪ませる。
「……ターンエンド。ならばもがくが良い……そして見せてみよ、貴様の魂を」
「……!」
 月村は大きく息を吐き出すと、場の状況を分析した。


 月村のLP:100
     場:伏せカード2枚
    手札:1枚(死者蘇生)
ガオスのLP:3800
     場:暗黒集合体−ダークネス−(攻10800),常しえの闇,闇の侵食,
       伏せカード1枚
    手札:2枚


(相手の場には、守備モンスター破壊時にもダメージを与える『闇の侵食』がある。つまり、守備表示でライフを護ることもすでに困難……)
 月村のライフはわずか100――針で突付かれた程度で消え去る、儚い数値。
 そして、再びダメージを喰らえば――恐らく先ほどと同じ、尋常ならざる苦痛を受けることとなる。ガオスに言わせれば、死ぬことになる。
(……デュエルに負ければ死ぬ……か)
 月村は思わず失笑した。一瞬浮かんだ、愚かな考えに。

 ――あるいはそれも、悪くないかも知れない……と。

「いくぞ……! 私のターン!」
(引くしかない……あのカードを)
 デッキを見つめ、手を伸ばす。心臓の鼓動は自然と速まり、それは月村自身も感じ取れた。
(……見せてみよ……貴様の魂(バー)を!)
 ガオスもまた瞳を見開き、それを注視する。
 デッキの一番上のカードに指をかけ、力強く引き抜いた。

 ――ドクンッ!!!

 一瞬――周囲の闇が、かすかにざわめいた気がした。
 だが、月村はそれに気を留めない。引き抜いた運命のドローカード――その正体を、すぐに視界に入れる。

 ドローカード:カオス・ソルジャー −開闢の使者−

(……!! きた!!)
 胸が大きく高鳴る。
 そして、引いたそれを、間髪いれずに提示した。
「私は、墓地に眠る『サンダー・ドラゴン』と『魂を削る死霊』をゲームより除外し――降臨せよ、『カオス・ソルジャー −開闢の使者−』ッ!!!」

 ――カァァァァァァッ!!!

「!? 何ッ……!?」
 突如としてフィールドに、異なる二本の“柱”が現れる。光と闇、対をなす二つの力。
 そしてその狭間に光臨する――毅然とした一人の戦士の姿。
(……『開闢の使者』だと……!?)
 それは、ガオスがこのデュエル中に見せる、初めての動揺だった。


カオス・ソルジャー −開闢の使者−  /光
★★★★★★★★
【戦士族】
このカードは通常召喚できない。
自分の墓地の光属性と闇属性モンスターを1体ずつゲームから除外して
特殊召喚する。自分のターンに1度だけ、次の効果から1つを選択して
発動ができる。
●フィールド上に存在するモンスター1体をゲームから除外する。
この効果を発動する場合、このターンこのカードは攻撃する事ができない。
●このカードが戦闘によって相手モンスターを破壊した場合、もう1度だけ
続けて攻撃を行う事ができる。
攻3000  守2500


(バカな……!? 何故……)
「何故……貴様がそのカードを……!?」
 口をついた疑問。月村は動じることなく、それに答える。
「……これは私が、ペガサス社長よりお借りした力……」

 ――世界に五枚しか存在しないカード……“混沌の使者”
 ――“ルーラー”に対抗するべく、ペガサス社長より預けられし特別なカード

 だが、月村のそれは、当を得た回答とは言えなかった。ガオスの質問の意図は、別のところにある。
(なぜ貴様が……そのモンスターを召喚できる……!?)
 ガオスの眉間に皺が寄る。
 “混沌の使者”――そのカードは、“神のカード”以上にデリケートな代物。魂の強さのみならず、特別な適性を要するカード。何故ならそれは、他のカードとは明らかに異なる――ある人間の“精霊(カー)”を記した、特別な代物なのだから。
 “闇のゲーム”で“混沌の使者”を具現化する――その行為を可能とする人間を、ガオスは2人しか知らなかった。“千年”の力を持つガオスですら、それは不可能なことなのだ。
(……いや)
 だがそこで、ガオスは認識を改める。
(……あり得ぬ話ではない……この男は“天秤”の適格者だ)
 “天秤”の力――それは、異なった種類の力を束ね、ひとつにする力。
 ならば――光と闇の合成体である“混沌”を扱えたとしても、不思議ではない。
 ガオスの口元に、再び余裕が戻る。
「なるほど、大した能力を備えたカードだ……。だが、この状況を覆すには到底足らんな」
 『開闢の使者』の攻撃力は3000――対する“ダークネス”の攻撃力は10800。3倍以上の差がある。
 加えて、フィールド魔法『常しえの闇』が場に存在する限り、『開闢の使者』の特殊能力も、“ダークネス”には届かない。
「……。確かに――“このままなら”、な」
 迷うことなく、月村は、手札に残された最後のカードを使う。
「手札から、魔法カード『死者蘇生』発動! このカードの効果により――蘇れ、『混沌の黒魔術師』!!」
 場に光の渦が現れ、その中から一体の魔術師が復活する。


混沌の黒魔術師  /闇
★★★★★★★★
【魔法使い族】
このカードが召喚・特殊召喚に成功した時、自分の墓地から
魔法カード1枚を選択して手札に加える事ができる。
このカードが戦闘によって破壊したモンスターは墓地へ送られず
ゲームから除外される。
このカードがフィールド上から離れる場合、ゲームから除外される。
攻2800  守2600


「……このカードの特殊召喚時、私は墓地から魔法カードを一枚、手札に加えることが許される。『天使の施し』を手札に加える」
「……? だから何だと言うのだ?」
 今更、そんな手札交換カードを手札に戻したところで、自分の優位は変わらない。場の状況を見つめてから、ガオスは冷ややかに月村を一瞥する。


 月村のLP:100
     場:カオス・ソルジャー −開闢の使者−,混沌の黒魔術師,伏せカード2枚
    手札:1枚(天使の施し)
ガオスのLP:3800
     場:暗黒集合体−ダークネス−(攻10800),常しえの闇,闇の侵食,
       伏せカード1枚
    手札:2枚


「こうするのさ……! これが私の、真の切札――リバースマジック! 『カオス・パワード』ッ!!」


カオス・パワード
(魔法カード)
メインフェイズにのみ発動可能。
自分の場の光・闇属性モンスターをそれぞれ1体ずつ選択し、
以下の効果から1つを選択して発動する。
●選択した一方のモンスターを墓地に送る。1ターンの間、
その元々の攻撃力・守備力をもう一方のモンスターに加える。
この効果対象となったモンスターはこのターン、破壊されない。
●選択した、2体の決められたモンスターを融合させ、“混沌”を生み出す。
この効果で召喚された融合モンスターはこのターン、破壊されない。


「……『カオス・パワード』……?」
 意外なカードの発動に、ガオスは眉をひそめる。
「……『カオス・パワード』は1ターン、モンスターの攻撃力を過激に上昇させる一撃必殺のカード……。貴様の場のモンスターを対象に使えば、攻撃力5800まで上昇可能だが……」
 だが――それでは到底、届かない。いまだ2倍近い数値差が、互いのモンスター間には残ることになる。
「…………」
 月村はふっと、笑みを漏らした。
「それはどうかな……」
 と。
 月村の場の二体のモンスター――その間の空間が、大きく歪み始める。戦士と魔術師は混じり合い、新たな一つの個体として生まれ変わる。
「……!? な、これは……!?」
 ガオスの瞳孔が、驚きに見開かれる。
「……『カオス・パワード』の効果により、二体のカオスモンスターを“混沌融合”……。現れろ、『混沌魔導戦士(カオス・パラディン)−混沌の覇者−』ッ!!!」
 歪んだ空間より生まれし、新たな魔導戦士――特殊な装飾の施された剣を構えると、彼はその切っ先を目の前の敵、“ダークネス”へと傾けた。


混沌魔導戦士−混沌の覇者−  /光闇
★★★★★★★★★★
【戦士族・融合】
「カオス・ソルジャー −開闢の使者−」+「混沌の黒魔術師」
このモンスターは「カオス・パワード」による正規の融合召喚でしか
特殊召喚できない。このモンスターが戦闘によって破壊した
モンスターは墓地へ送られずゲームから除外される。
このカードは、相手の罠の効果を受けない。
自分のターンのメインフェイズに、魔法カードを1枚手札から
捨てることで、次の効果から1つを選択して発動できる。
●相手フィールド上に存在するモンスターを全て、ゲームから除外する。
この効果を発動する場合、このターンこのカードは攻撃する事ができない。
●このターンのバトルフェイズ、このカードが戦闘によって
相手モンスターを破壊するたびに、もう1度続けて攻撃を行う事ができる。
攻3800  守3200


(バカな……!! “混沌の使者”を用いた、特殊融合モンスターだと……!?)
 ガオスの心中にあるもの――それは、動揺と怒り。
 その眉間に刻まれた皺が、より一層に深くなる。
(クロフォードめ……舐めた真似を……!!!)
 ギリギリと、まるで歯が砕けてしまうのではないかと思うほどに、強く歯軋りする。
「“混沌融合”は、“混沌”の力を持った光属性・闇属性モンスターを融合させることで、より純度の高い“混沌”を生み出すカード……! その能力は、融合前のそれを遥かに凌ぐ」
 月村は迷うことなく、手札の『天使の施し』を墓地へと送った。
「手札から魔法カードを捨てることで、このモンスターは特殊能力を発動できる……! 一つは、相手モンスターを戦闘破壊するたびに追加攻撃を可能とする効果。そしてもう一つは――相手の場のモンスターを、全てゲームから除外する効果!!」
「!! なっ……!!?」
 『混沌の覇者』は、手にした剣を正眼に構え直すと、瞳を閉じ、呪文を唱え始める。すると、その刀身が不思議な光を帯び始め、その力は次第に拡大し、強化されていく。
「……『常しえの闇』は、全ての対象をとるカード効果を無効とする……。だが、これは対象をとらない効果。あなたのカードの無効化対象外だ」
「……!!」
 ガオスははっと、“ダークネス”を見上げた。
 彼の精霊、“ダークネス”の持つ第二の能力――それは、自身の受ける魔法・罠の無効化。だが、これから月村が行使しようとしているのはモンスター効果。やはり無効化対象外である。
 すなわち――モンスター効果による全体除去は、ガオスの“ダークネス”を倒し得る、唯一の手段。あの劣勢から、月村は一気に体勢を立て直し、“ダークネス”攻略の鍵をこじ開けたのだ。
 ガオスの口元が震える。
 だがそれを漏らすまいと、ガオスは懸命に堪えた。信じられないはずのこの光景に、抑えきれぬ感情が、爆発しそうになる。
「行け! 『混沌の覇者』――“ダークネス”を消し去れっ!!」
 膨大な魔力の込められた剣を、『混沌の覇者』は力強く振りかざす。
 そして大きく横に薙ぐと、空間が裂け、それは拡大しながら、ガオスの“ダークネス”を呑み込まんと襲い掛かった。
 この瞬間――ガオスの感情が、まるで決壊したダムのごとく、溢れ出す。
 大きく歪む表情。両の瞳に宿る、狂気じみた光。
 それは今までで一番の、最も邪悪な笑みと言って良かった。
「カウンタートラップ発動……!! 『漆黒の反射鏡』ッッ!!!!」
 ガオスから噴き出した感情――それは“愉悦”。
 ガオスのカード発動と同時に、彼の“ダークネス”の目の前に、黒い大形の鏡が出現した。


漆黒の反射鏡
(カウンター罠カード)
自分フィールド上に闇属性モンスターが存在するとき発動。
相手から受けるカードの効果を掌握し、跳ね返す。
その後、手札からカードを一枚捨てる。



 ――ズォォォォォォッ……!!!

 現れた鏡は漆黒の光を発し、それを浴びた次元の裂け目は、みるみるうちに閉じてゆく。
「!?? なっ、これは……」
 月村は唖然とした。
 眼前の漆黒の鏡は、その発する闇を徐々に増し、邪悪な気配を醸し出す。
「……このカウンター罠は、相手のあらゆるカード効果を掌握し、反射するカード……。クク、当てが外れたな、ツキムラぁ」
 可笑しくて仕方がない。そう言わんばかりに、ガオスの口から恍惚の笑みが零れる。
 “ダークネス”は過激な攻撃力を持つ、戦闘ではほぼ破壊不可能なモンスター。ならば当然、相手はカード効果による破壊を狙ってくる。狙わざるを得ない。だからこそ、ガオスはそれを無効化するカードを伏せたのだ。
 思い通りの展開。周到に仕掛けた罠に、獲物がまんまと掛かる瞬間――それはデュエルにおいて、彼が最も快楽を覚える局面だった。
「なかなかご大層なモンスターだったが……実に残念。自身の除外効果により、ご退場願おうか」
 ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべ、ガオスは月村を見据えた。
 だが――目の前のその男もまた、同様に、口元を綻ばせていた。

 ――ビシッ!!

「!? ア……?」
 口を開けたまま、ガオスの動きが止まる。ひどく間抜けな顔をしたまま、ガオスの表情が凍りつく。
 漆黒の鏡に亀裂が走る。それは次第に拡大し、同時に、放たれていた黒い光も消えてゆく。
 月村の場では、一枚のリバースカードが表にされていた。
「カウンタートラップ発動……『混沌の封術』!」


混沌の封術
(カウンター罠カード)
自分のフィールド上に光・闇属性モンスターが
ともに存在する場合に発動する事ができる。
魔法・罠の発動を無効にし、そのカードを破壊する。


「バカな……!? 『混沌の封術』だと!?」
 ありえない――ガオスは戦慄とともに、そう思う。『混沌の封術』は本来、自分の場に光・闇属性モンスターがともに存在しなければ発動できないカード。だが、月村の場に現在、モンスターは一体――このカードは発動できないはず。
 月村はふっと、不敵な笑みを漏らした。
「……『カオス・パワード』の力を得たモンスターは、通常のモンスターとは一線を画した存在となる……。すなわち、光と闇、双方の属性を備えた特殊モンスターとなる」
「……!!」
 『混沌の覇者』の全身が、怪しげな光を発する。それとともに、漆黒の鏡は無惨な悲鳴を上げ続けた。

 ――バリィィィィンッ!!!

 砕かれる鏡。それとともに、強い力場が発生した。
(……まさか……こんなことが……!?)
 信じられない――瞳を硬直させ、ガオスは動けなくなる。
 万全の体勢だった。どんなカードを使われようと、必ず対処しきる自信があった。
 だが――目の前のモンスター、“ダークネス”は、甲高い断末魔とともに、発生した次元の断層に呑みこまれ、消えてゆく。
 圧倒的優勢のこの状況からの、一発逆転――そのあまりに見事なやり口に、ガオスはことばを失った。


 月村のLP:100
     場:混沌魔導戦士−混沌の覇者−
    手札:0枚
ガオスのLP:3800
     場:常しえの闇,闇の侵食
    手札:2枚


(…………。さすがは、“天秤”の適格者……)
 長い逡巡の末に、ガオスはこの事態を受け止める。

 さすがは、“千年”に選ばれし者だけのことはある――と。

「……見事だ……コウイチ・ツキムラ」
「……!」
 月村は、ガオスの表情を窺った。こちらの最強モンスターにより、相手の最強モンスターを撃退した――それにより、ガオスはさぞ苦い表情をしているだろうと思った。
 だが、彼が依然として浮かべるのは、例のごとく挑発的な笑み。デュエル開始時から見せる余裕は、微塵として失われていない。
「……我が“ダークネス”を場から排除できたのは、貴様で二人目……“ヴァルドー”に次いで二人目だ。つまり、貴様は儂が知る中で、二指に入るデュエリストということになる」

 ――だが……所詮、そこまでの話。

「さて……貴様にはすでに、そのモンスター以外に残されたカードはない……。ターン終了か?」
「……!?」
 月村は不審に思い、表情を歪ませる。だが――確かに、今の彼に残された選択肢はない。
「……『混沌の覇者』は、除外効果を使用したターン、攻撃できない……。もっとも、融合モンスターは元々、召喚ターンの攻撃が許されませんが。ターンエンド」
 月村のエンド宣言とともに、ガオスの口が左右に歪む。
「ではこの瞬間……“ダークネス”の、最終能力が発動する!」

 ――ズォォォォォォ……!!!

「!!? な、これは……!!」
 月村の場に、深い闇が渦巻き始める。地の底より湧き出た、深い深い“怨念の闇”――それは『混沌の覇者』の両脚を掴み、闇の底へと引きずり込もうとする。
「“ダークネス”が、貴様のカード効果で排除されたターンのエンドフェイズ……貴様の場のカードを全て破壊するのだ!!」
 これで、月村の場のカードは全て失われ――次はガオスのターン。そして月村のライフは僅か100。
 手札のモンスターを召喚し、攻撃すれば自ずと勝敗は決する――そのはずだった。

 ――カァァァァッ……!!!

「!!? ムッ!?」
 『混沌の覇者』の全身が輝き出す。
 その輝きは、纏わりつく“闇”を払い、自身の身を護る。
「……『カオス・パワード』のもう一つの能力……お忘れですか?」
 月村はこの瞬間、このデュエル中初めての、勝ち誇る笑みを浮かべた。
「……『カオス・パワード』の効力を受けたモンスターはそのターン、決して破壊されない……」
「……!!!」
 ガオスの表情が、戦慄に大きく歪む。
 対する月村は、テーブルの下で、右手を強く握り締めた。
「ワ……儂のターン……ドロー」
 二人の形勢は明らかに、大きく逆転していた。その証拠に、ガオスの右手はわずかに震えている。

 ドローカード:強奪

 そして引き当てたのは、何とも皮肉なカード――ガオスの表情からはすでに、微塵の余裕すら感じられない。


強奪
(装備カード)
このカードを装備した相手モンスターの
コントロールを得る。相手のスタンバイフェイズ毎に、
相手は1000ライフポイント回復する。


 『強奪』――その効果は、装備させた相手モンスターのコントロールを奪うことのできる、超強力カード。そのあまりの強さゆえに、スーパーエキスパートルールでも制限カード、つまりデッキに1枚しか投入できないことになっている。
 このカードを使いさえすれば、月村の切札モンスターを奪い、一発逆転――一見したところ、そうも思える。だが――ガオスは視線を落とし、自身の手で発動したカード、『常しえの闇』を憎々しげに見やった。
 このフィールド魔法が発動している限り、全フィールド上の闇属性モンスターは、対象をとるカード効果を受けない。光と闇の二属性を持つ『混沌の覇者』も、当然この恩恵を受けられるはず。つまり、いま手に入れた『強奪』は、ガオス自身のカード効果により無力と化す。
「……儂……は……」
 長く、無意味に近い逡巡の末に、ガオスは2枚のカードを卓上に置く。
「……カードを1枚伏せ、『暗黒界の狩人 ブラウ』を守備表示……」
 場に現れる一体の、頑強そうな悪魔の狩人――だが所詮は、低レベルモンスター。その守備力はわずか800である。さしたる戦闘耐性を持つわけでもない。
 明らかにその場しのぎの、苦肉の策――そう、ガオスは既に、背水の陣に追いやられているのだ。
「……ターン……終了だ」
 苦々しげに、ガオスはエンド宣言をする。もはや、ハッタリをかます気もない。仮にかましたところで、目の前の男には通用しないだろう。
 月村は唾を呑み込んだ。
(……勝てる……!)
 思い上がりではない、確信に近い想い。
 ガオス・ランバートに、M&Wの“もう一人の生みの親”に、後一歩のところで勝てる――強い想いが、月村の中に芽生える。
 次のターン、魔法カードを引くことができれば、それを墓地へ捨てることで『混沌の覇者』は追加攻撃が可能――それにより、ガオスのライフは0にできる。また、攻撃力800を越えるモンスターを召喚できても、同様の結果が望める。
(……魔法カードを引き当て、墓地へ捨てれば私の勝ち……!)
 デッキに手を伸ばす。
 月村のデッキのカード構成は、およそ4割が魔法カード。つまり、このターンで引ける可能性はかなり高い。
「私のターン――ドロー!」
 気合とともに、カードを引き抜く。一瞬、そのカードの色彩が視界に入る――刹那、月村の表情に勝利の色が浮かんだ。
(――!! 勝った!!)
 嬉々とした表情で、改めてそれを視界に入れた。だが次の瞬間、月村の表情は大きく歪むことになる。
(……!? 何だ?)
 ガオスはそれを不審に思った。魔法カードを引けなかったのか――いや、それにしても、今の月村の表情は奇妙だった。
 落胆とも違う、苦い表情――何かを振り返っているかのような、遠い瞳。
 そこから読み取れる表情はむしろ、“悲しみ”に近かった。
「……私……は……」
 声の調子に、明らかな動揺が窺える。明らかに不審なその様子のまま、月村はアクションをとる。
「……このまま、バトルフェイズに突入……! 『混沌の覇者』で、『ブラウ』に攻撃!」
 『混沌の使者』は『ブラウ』に躍りかかると、手にした魔剣で『ブラウ』を両断した。

 ――ズバァァァッ!!!

「グゥッ……!!」
 ガオスが顔を歪める。守備表示モンスターを破壊されたところで、ダメージなどない――だが彼は着実に、目の前の男により追い詰められつつある。
「……。ターン、終了です」
「……!?」
 ガオスは顔をしかめた。月村が先ほど引いたカードの正体――それが、今のガオスには全く掴めない。
(……伏せることもしないということは……罠カードでもない。上級モンスターカードか?)
 ガオスは歯を食い縛りながらも、自分のデッキに手を伸ばす。
 先ほど月村が言ったとおり、デッキにカードがある限り可能性はある――しかもガオスにはまだ、逆転の手が残されている。布石はすでに打った。それを可能とするカードは、デッキに何枚も眠っている。
(応えろ――儂のデッキよ!!)
「儂のターン――ドローッ!!」
 声を荒げ、カードを引き抜く。そしてその正体を見た瞬間、ガオスの顔色は大きく変わった。

 ドローカード:暗黒界の稲妻

「いくぞ!! 儂は手札から魔法カード発動! 『暗黒界の稲妻』!!」
「!!」
 ガオスのかざしたカードに、月村は大きな驚きを見せた。


暗黒界の稲妻
(魔法カード)
互いのプレイヤーは手札を1枚ずつ選び、墓地に捨てる。


「互いの手札はともに1枚……よって、それを捨てることになる」
「…………!!」
 月村の瞳が、大きく震える。だが、ガオスはそれに気づかない。悠々と、手札を墓地へと放り捨てる。
「そしてこの瞬間……『暗黒界の策士 グリン』の効果発動!!」


暗黒界の策士 グリン  /闇
★★
【悪魔族】
このカードが他のカードの効果によって
手札から墓地に捨てられた場合、フィールド上の
魔法または罠カード1枚を破壊する。
攻 300  守 500


「このカードは墓地に捨てられたとき、場の魔法・罠カード1枚を破壊するカード……。貴様の場に該当するカードはないが……儂の狙いは別にある。破壊対象は儂自身の場のフィールド魔法カード、『常しえの闇』!」
 ガオスの場のカードが、深い闇に包まれ、消えてゆく。それにより、フィールド全体を覆っていた“闇”が僅かに薄くなる。
(これで終わりだ……!!)
 一転して、勝ち誇った笑みを浮かべる。ガオスの場に伏せられたカード『強奪』を使えば、形勢は逆転。それどころか、このターンでガオスの勝利が確定する。
「……?」
 そこでふと、ガオスは異変に気が付いた。
 月村が手札1枚を握り締めたまま、動かない。
「どうした……? 何をしている? 『暗黒界の稲妻』の効果により、貴様はそのカードを墓地へ送らねばならんぞ」
 ガオスは表情を曇らせた。よほど重要なカードだったのか――そのカードの正体に関心が沸いた。
「………………」
 しばらく考えた後、思いつめた表情で、そのカードを墓地へ置く。
 それを見た瞬間、ガオスの瞳孔が大きく開いた。


強制転移
(魔法カード)
お互いが自分フィールド上モンスターを1体
ずつ選択し、そのモンスターのコントロール
を入れ替える。選択されたモンスターは、
このターン表示形式の変更は出来ない。


「な……『強制転移』、だと……!?」
 ガオスの声が震える。月村は瞳を閉じたまま動かない。
「バカな……!? 『強制転移』は魔法カード! なぜ前のターン、『混沌の覇者』の効果発動コストにしなかった!?」
 理解不能な事態に、ガオスの額に皺が寄る。

 ――儂の伏せカードを警戒し、温存した?
 ――いや、それはない。
 ――目の前のこの男は、そんな簡単な判断ミスを犯す小者ではない。
 ――ならば何故?
 ――何故……『強制転移』を墓地へと送らなかった?

「……。私の……負けです」
 弱々しい、諦めのことば。
 まるで人が変わってしまったかのような、惰弱な、弱々しい一言。
「…………」
 その豹変の意味を、ガオスは理解しかねた。

 ――分からない……『強制転移』はこの男にとって、それほど重要なカードだったのか?
 ――何か、特別な意味を持つカードだったのか?
 ――勝利への着実な可能性を捨ててでも、保持せねばならぬカードだったのか?
 ――この強い男を……ここまで酷く打ちのめす理由は何なのか?

「………………」
 場に伏せた『強奪』に指をかけたまま、ガオスは逡巡する。そして不愉快げに、口元を歪めた。


 月村のLP:100
     場:混沌魔導戦士−混沌の覇者−
    手札:0枚
ガオスのLP:3800
     場:闇の侵食,(強奪)
    手札:0枚


「……やめだ」
 舌打ちを一つする。
 思わぬ一言に、月村は垂れていた首を動かし、顔を上げた。
「興が冷めた……このデュエル、引き分けとしてやる」
 そう言うと、ガオスは、勝利寸前の自分のカードを、惜しげもなくまとめ出す。それとともに、彼の額で輝き続けていた“ウジャト眼”がその光を失い、場のモンスターも姿を消した。
 すると、二人を覆っていた“黒い霧”は晴れ、元通り、いくつもの蝋燭が灯る地下室が姿を現した。
「「…………」」
 二人を囲っていた、複数の男たちが動き出す。デュエルの敗者、惨めな負け犬を、この場から摘み出すために。
「……待て。この男は敗れていない……ドローゲームだ」
 それをすかさず、ガオスの低い声が制する。
 男たちの動きは止まり、そして動揺したように、周りの者と顔を見合わせた。
 頓着した様子もなく、ガオスはその冷たい瞳を、目の前の男へ向けた。
 彼はまるで敗者のように、打ちひしがれた様子で座している。それは酷く、ガオスの癪に障った。
「帰るが良い……ツキムラ。このデュエルはドローゲーム……貴様に意志あらば、儂は再びその挑戦を受けよう。いつ如何なるときであろうと……な」
「…………」
 軽く頭を下げるだけで、ことばも発することなく、月村は椅子を立った。
 おぼつかない足取りで、周りの男たちを掻い潜り、月村は部屋の出口へと向かう。
 そのあまりに脆弱な背中に、ガオスは顔をしかめる。
 一度も振り返らぬまま、月村は部屋を出て行った。
 ガオスはデッキを握り締め、神妙な面持ちのまま大きく息を吐き出した。




「――敵に情けをかけるとは……貴方らしくもない」
 背後からの聞き慣れた声に、ガオスは顔を上げた。
「来ていたのか……ヴァルドー」
 振り返り、苦笑する。
 “ヴァルドー”と呼ばれるその男は、周りの者たちのものと似たデザインの、しかし白色の装束を身にまとい、大き目のフードを深く被っている。そのため輪郭は掴めないが、その張りのある声色は、恐らく二十歳前後の青年のものだろう。
「相手に如何なる事情があろうと、関係ない……。むしろ、そのような私情を持ち込む相手にこそ非がある。違いますか?」
 容赦ないことばに、ガオスは苦笑する。そして、だが、と返した。
「……それを除いても、コウイチ・ツキムラ……思った以上の手練れだ。純粋なデュエルの腕だけならば、貴様に匹敵し得る力があろうな」
 ヴァルドーは口元にうっすらと笑みを浮かべ、応える。
「随分と買っていらっしゃるのですね……珍しい。いや、そうでなくては困りますか。彼もまた“千年”に選ばれし者……“聖書”には、そう記されていたのでしょう?」
「……ああ」
 頷くと、ガオスは懐から、一冊の“書物”を取り出した。
 全1000ページ、古びた感じのする、ハードカバーの分厚い書物。その表表紙には、先ほどまで彼の額で輝いていた紋章――黄金の“ウジャト眼”が装飾されている。
 不気味な、黒い光を発すると、そのページは勝手に繰られ、ガオスに“それ”を指し示す。
 幾度となく目にした、その数行の文書を、彼の鋭い瞳が視界に入れた。





 Millennium Eye: Pegasus J. Crawford
 Millennium Tauk: Ishizu Ishtar
 Millennium Scale: Kouichi Tsukimura
 Millennium Puzzle: Yuugi Mutou
 Millennium Rod: Seto Kaiba
 Millennium Key: Sugoroku Mutou
 Millennium Ring: Katsuya Jounouchi

 Millennium Bible: Esora Kamisato





「およそ三年後……一人の少年により、千年錘(パズル)が組み上げられ、封印されしファラオの魂は復活を遂げる……」

 ――そして、6人の戦士たちの協力のもと……ファラオは“大邪神”を滅し、冥界へと還る
 ――全ての……いや、我が“千年聖書(ミレニアム・バイブル)”を除く、7つの千年アイテムとともに

「まだだ……時を待て、ヴァルドー」

 ――全ては予定調和……“聖書”の示すままに、着実に事を進めねばならない
 ――不安要素があるとすれば、それは2つ

 ――人にあらざる者……“千年”の守護者・シャーディー
 ――そして、“王の遺産”……

(だが……ファラオの魂が冥界へと還れば、“遺産”を継ぎうる者はもはやいない……)
 すなわち、警戒すべきは前者のみ。だがその力も、“聖書”の力の前には無力同然……何の障害にもなりえない。
 予言を変える要因など、存在し得ない。

「……………………」
 わずかな逡巡。自らの手元を離れ、宙へ浮かび上がる“聖書”を見つめながら、彼らしからぬことばを紡ぐ。
「……ヴァルドーよ……一つ、教えてくれまいか?」
 ガオスらしからぬ、どこか憂いを含んだ問い。
「――我々は何をしている?」
 目の前の“聖書”が、わずかにざわめく。
 眉一つ動かさず、ヴァルドーは応えた。
「貴方がたは“神に従う人”……故に」
 そう応えるであろうことを、ガオスは知っていた。
 だからこそ、彼は小さく、自嘲気味な笑みを漏らし、「そうだったな」と応える。

 ――全ては“神”の意思のまま
 ――真実は偽りへと
 ――そして偽りは、真実となる……――

(……だが、全ての不安要素は排除すべき……か)
 目の前の“聖書”を掴み取ると、仰々しい様子で、ガオスは椅子を立つ。
「エジプトへ発つ……。“千年”の守護者・シャーディー……すでにその存在に意味はない。儂自らの手で消し去ってくれるわ」
 自信げに、ニマリと笑みを浮かべる。同時に、一瞬――ほんの一瞬だけ、蝋燭に照らされていた彼の“影”が、不自然に蠢いた。
「しかしその間……“ルーラー”は如何様に?」
 水を差すように、ヴァルドーが問いかける。何でもない様子で、ガオスは答える。
「すぐ戻る……“アレ”に任せれば良い。アレも一応はランバートの血筋……代役程度ならば務まろう」
 そう言うと、ガオスは不敵な笑みを浮かべた。その表情にはもはや、一片の迷いすら存在しない。

 ――そう……全ては予定調和
 ――狂うことなき、繊細なる旋律

 ――我らが“神”の示すままに
 ――世界は終わり
 ――そして“再生”を迎える
 ――愚かなる我らは、裁きを受ける
 ――偉大なる“神”の、寛大なる裁きにより
 ――全人類は新たなる世界へ、楽園(エデン)へと還る……

「そうだ……全ては動く。狂うことなく」
 手にした“聖書”が再び繰られ、新たなページを指し示す。
「我らが神……ゾーク様がお導きのままに――な」
 彼の視線の先には、二つの創造神とともに――完全無欠の、絶対なる“闇の破滅神”の姿が記されていた。



THE CREATOR OF DARK -ZORC AKHVADES  /DIVINE
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【GOD】
[FIEND -BLOOD DEVOURER]+[FIEND -CARCASS CURSE]+[FIEND -ENDING ARK]
ATK/∞  DEF/∞


THE CREATOR OF LIGHT -HORAKHTY  /DIVINE
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【GOD】
[SAINT DRAGON -THE GOD OF OSIRIS]+[THE GOD OF OBELISK]+[THE SUN OF GOD DRAGON]
ATK/∞  DEF/∞


THE DEVASTATOR OF DARK -ZORC DELUGEPHAGOUS  /DIVINE
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【GOD】
[FIEND -BLOOD DEVOURER]+[FIEND -CARCASS CURSE]+[FIEND -ENDING ARK]
ATK/∞  DEF/∞




●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


 あてもなく、月村は街をさ迷っていた。
 どれほどの時間、彼は歩き続けたのだろう。すでに日付は変わった。
 誰もが寝静まる深夜。車は時々通るものの、道行く者は誰もいない。
「………………」
 ふと、糸の切れた人形のように、月村は足を止め、道の端に腰を落とし、側の自販機にもたれかかった。
 そしてしばらく、虚ろな瞳で空を見つめた後――先ほど使ったデッキを、胸の内ポケットから取り出す。そしてその中から、1枚のカードを取り出す。
 『強制転移』――デュエルの明暗を分けたカード。最後の局面で、墓地へ捨てさえすれば勝てたカード。
 彼女の――娘の、最も得意としたお気に入りのカード。

 ――何故あのとき……このカードを、墓地へ送らなかった?

 つまらない感傷だ。それは月村も分かっている。それでも彼には、このカードを墓地へ捨てることができなかったのだ。

 あの瞬間――死に目に立ち会ってやることすらできなかった、娘の姿が、脳裏をよぎってしまったのだから。

 熱いものが、月村の頬を伝う。
 堪えきれぬ感情が、堰を切ったように、彼の奥から溢れ出る。
「……許してくれ……天恵……!!」

 ――一人淋しく死に逝くとき……お前は何を考えていた?
 ――お前は……幸せに生きられたか?
 ――私は……お前の父親であれたか?
 ――こんな私を……お前を独りにしてばかりいた私を、許してくれるだろうか? 恨んではいまいか?

 答える声などない。心の中の慟哭が、虚しく響き、木霊する。


 どれほどの時間、彼はそのまま座り込んでいただろう。
 涙も枯れ果てた頃、彼は隣の自販機から、煙草を一箱買った。
 懐から取り出したライターで、その中の一本に火を点ける。
 何年振りの煙草だろう――確か、妻が亡くなって以来、吸っていなかったはずだ。それでもライターを持ち歩いていたのは、それが彼女の形見だから。「ほどほどにしてくださいね」――そんな風に言われながら、結婚後しばらくして贈られたもの。
「……不味いな」
 こんなものを、昔の自分は「美味い」と思っていたのだろうか。煙草を咥えたまま、自嘲気味に、呆れたように苦笑する。
 地面に擦りつけ、その火を消す。そして不確かな手つきで、再びデッキを取り出し、一枚のカードを抜き取る。
 『カオス・ソルジャー −開闢の使者−』――この役目を負うに辺り、ペガサス社長から直々に渡されたカード。そのカードだけは、ポケットに戻す。
 そして残りの、39枚のカードの束――その先に、ライターで火を点けた。
 それを目の前に放ると、じっと、ただじっと、それが燃えゆく様を見つめ続けた。

 ――何だか疲れてしまった
 ――張り詰めていた糸が、ぷつりと切れてしまった

 ――自分は何がしたかった?
 ――あの子を独りにしてまで……幾度も海外へ赴き、レアハンターと闘って
 ――それなのに、最後の最後でこのザマだ

 ――自分は本当は……何が欲しかったんだ?

 視線の先のカードの束は、少しずつ、着実にその姿を黒い炭へと変えてゆく。

 ――これで終わりだ……何もかも
 ――カードのことなど、忘れよう
 ――デュエルなど、二度とすまい
 ――懐のカードを社長に返し、I2を去る……それで終わりだ

 ――終わりにしよう
 ――何もかも
 ――何もかも、すべて……


 頭(こうべ)を垂れて、うずくまる。
 もはや、何をする気力も起こらない。ただ本当に――疲れてしまった。

 煙を上げ、燃え続けたカードの束。
 だがその勢いも失われ、消えてゆく。
 真っ白な――一人の男の、燃え尽きた“残骸”を残して。




●     ●     ●     ●     ●     ●     ●




 だがこの後――“聖書”に記されし予定調和は、“何者か”の手により、大きく狂い始める。
 エジプトへ発ったガオス・ランバートは、そのまま帰国することなく、蒸発した。

 それにより、“ルーラー”は大きく動揺し、次第にその統率力を失ってゆく。その後――黄金の“杖”を持った一人の少年により、その組織の一部は乗っ取られ、カード強奪団“グールズ”として世界中に名を馳せることとなる。――もっともその事実を知るのは、I2の一部上層部の人間と、少数の関係者のみなのだが。




 そして四年の時が過ぎ――舞台は日本のとある都市、童実野町。
 狂ったはずの歯車は、再び正され、回り出す。

 あるべき結末へ向かって。終末の刻へ向けて。



 ――物語は、大きく動き始める――






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