心の在り処

製作者:表さん




※この小説は『やさしい死神』の番外編に当たるものです。『やさしい死神』が既読であることを前提としています、あしからず。ついでに、『逆襲の城之内』も読んでおいた方が分かりやすいです(特に序章)。
 『やさしい死神(後編)』・終章Uの“第三回バトル・シティ大会”の前夜からこの物語は始まります。なお、今作ではオリジナルキャラ・“神里絵空”の過去に焦点を当てているので、遊戯を始めとする原作キャラはほとんど出てきません、ご了承下さいm(_ _)m




序章・前夜

「……紹介したい人?」
 夕食後、デザートのイチゴを摘まみながら、絵空は小首を傾げた。
 コンデンスミルクのたっぷりかけられたイチゴを、口の中へ放り込む。そのわずかな酸っぱさが甘みを引き立て、口いっぱいに広がった旨みは絵空を至福の時へと誘う――と、大儀そうな言い回しをしたが、詰まる話、イチゴは絵空の大好物なのである。
「それってもしかして……例の、よくカードをくれるっていうオジサンのこと?」
 上機嫌で、絵空はフォークにイチゴを刺す。
 あーん、と口を空けると、その中へイチゴを入れ、あむっと口を閉じる。
 “自称・イチゴ通”な絵空も大満足な、味の良いイチゴだった。今が春、イチゴの旬であることを考えても、なかなか上等なイチゴのようだった。もしかしたら母には、美味しいイチゴで絵空を“釣る”意図も少なからずあったのかも知れない。
「え、ええまあ」
 わずかに頬を高潮させる母――美咲に、絵空は小さく笑みを漏らす。
「あ……でも明日だと、わたし大会があるよ?」
 もぐもぐと咀嚼(そしゃく)しながら、絵空はすぐに次のイチゴへフォークを伸ばす。
「ええ、分かっているわ。月村さんもそれは承知しているし……来るのは夜だから」
「……再婚するの?」
 絵空はフォークを持つ手を止めた。
 少し真剣な表情で、美咲の顔を覗きこむ。
「……。ええ……そうしたいと、考えているわ。でも、あなたがもし反対なら――」
 絵空は迷わず、首を横に振った。
「……いいと思うよ。おかあさんがそうしたいって思ったのなら……わたしも賛成」
 わたしもお世話になってるしね、と言うと、再び絵空はフォークを動かす。
 絵空のことばに、美咲は思わず安堵のため息を漏らした。


 ――絵空が童実野病院を退院してから、数日が経過していた。
 一度は死期までも宣告された彼女。しかし昨年の秋頃から、彼女は驚くべき回復を見せた。
 快方に向かった理由――それは、医学的に見て全く不明だった。そもそも、彼女の不調の原因さえ、同様に不明だったのだ。
 美咲は、事の真相を知らない。
 知っているのは絵空と、数名の少年少女だけであった。

 絵空の中の、もうひとつの人格――“もうひとりの絵空”の魂が、その不調の原因であったこと。
 呪われたカード“死神”――それにまつわる一連の事件を通して知り合った、“武藤遊戯”という名の少年。そして彼から渡された、不思議なパズルボックスと3枚の“神のカード”。
 『オシリスの天空竜』、『オベリスクの巨神兵』、『ラーの翼神竜』――I2(インダストリアル・イリュージョン)社の生み出した、世界規模の人気を誇るカードゲーム“M&W(マジック・アンド・ウィザーズ)”における、世界に一枚ずつしか存在しない、伝説のレアカードである。
 ただのカードファンからすれば、それはあくまで、喉から手が出るほど欲しい“超レアカード”でしかない。しかしそれらには、その枠を超えた大きな“魔力”が秘められていた。
 三千年の昔、遥かエジプトの地に由来する、人智を超えし“魔力”。その力は“もうひとりの絵空”の魂をパズルボックスへと封印し、絵空の身体機能の悪化を阻止することに成功したのだ。


 ――もっとも、肝心の“死神”のことについては、絵空は知らされていなかった。
 “もうひとりの絵空”――裏絵空は、彼女に対し、それについての事実は伏せていた。
 それの力で、絵空を救うためにと“闇のゲーム”を行い、罪なき一人の少年を犠牲にしようとした――そんなこと、言えるはずがなかった。
 ただ、自分こそが絵空の不調の元凶であったこと、それだけは伝えてあった。
 それでも彼女は、裏絵空を糾弾することは少しもなかった。
 ただ謝るしかできない裏絵空を、絵空はあっさりと許した。
 彼女はただ、再び裏絵空と過ごせる日々を、心から喜んでくれた。



『(……あんまり食べ過ぎると……太るわよ?)』
 絵空にだけ聴こえる声。イチゴを食べる絵空の動きが、金縛りにあったようにピタリと止まる。
 声は膝の上――短いスカートを押さえるように置いた、パズルボックスの中からだった。
 もっともそれは、誰にでも聴こえる普通の声ではない。
 絵空にだけ聴こえる――内面的な声。それは“彼女”が、パズルボックスに封印されてもなお、未だ絵空と繋がっている証である。
「……そ……育ち盛りだから、平気だもんっ!」
 視線を落とし、“彼女”――裏絵空に向けて主張する。だが、フォークに串刺しにしたままのイチゴを、そのまま口へ運ぶべきかどうかは躊躇(ためら)われた。
 今年で17歳になる絵空は、12歳頃の時点から、身体の成長がほとんど停止していた。もともと身体も大きい方ではなかったため、初対面の人間はほぼ確実に小学生と間違える。良くて中学生だ。それは絵空の、ちょっとしたコンプレックスだった。
 今にして思えば、それは裏絵空が原因だったのかも知れない。だが、それならば今後は、ちゃんと成長する可能性があるとも考えられる。
 絵空はまだ、母のように背の高い“カッコいい女性像”を諦めてはいなかった。

「……? どうしたの? いきなり叫んで……」
 はっとして視線を上げると、美咲が呆然とした顔をしている。
 美咲は裏絵空の存在を知らない。話そうかと考えたこともあるのだが、基本的に現実主義な彼女には理解困難だろうし、余計な心配もかけたくないという、裏絵空と二人で相談した上での判断だった。
 もっとも今となっては、今まで話さずにきたから――という部分が大きいのだが。
「う、ううん。何でもない。独り言だよ?」
 笑顔を取り繕うと、絵空はとりあえず、フォークに刺したままのイチゴを口へ運んだ。
「そ、そんなことより……その月村さんって、どういう人なの?」
 裏絵空の忠告が気になったのだろうか。絵空はフォークを置くと、何気ない様子で母に問う。
「病院に直接お見舞いに来てくれたこと、ないよね? 外見とか話し方とか……どんな感じなの?」
 父親になるかも知れない人間だというなら、興味を持つのは当然のことだろう。だがしかし、美咲は表情を曇らせた。
「……。覚えて……ないのよね」
「……え?」
 美咲の表情は、どこか複雑そうだった。それに対し、絵空は首をかしげ、軽く考え込む。
「もしかしてわたし……会ったことあるの?」
 腕を組んで、絵空は思い出そうとする。
『(……。……月村……)』
(……? もしかして……もうひとりのわたしは知ってるの?)
 今度は口に出さずに問いかける。裏絵空に対しては、実際に口に出さなくても、伝えようと思ったことを心に思うだけで、ちゃんとコミュニケーションがとれる――もっとも、ついつい口に出してしまうことが多いのだが。おかげで病院では、彼女の独り言(ハタからはそう見える)は少し有名だった。
『(……ううん。ただ……少しだけ、聞き覚えのある気がして)』
「……ふーん」
 改めて、絵空は想起を試みる。
 だがやはり記憶にない――いや。
(……ツキ……ムラ……?)
 何故だろう――絵空は、胸の辺りに切ないような痛みを覚えた。
 まるで頭に、白いもやのかかった部分があるような――不思議な感覚。
「……。ねえ、絵空。あなたのその、黄色いリボン――誰にいつ貰ったか、覚えてる?」
「……え?」
 目を瞬かせ、絵空は、首の後ろ辺りに手を伸ばした。
 腰の辺りまで伸びた長い髪を、いつもそこで束ねている、お気に入りのリボン。
「……? もちろん覚えてるよ。小さい頃、おかあさんがくれたでしょ? 誕生日プレゼントに」
 小首を傾げて、不思議そうに問いかける。
「……そう。そうだったわね」
 ごめんなさい、と美咲は続ける。
「……月村さんのことだけど……思い出せないなら、無理に思い出さなくていいのよ」
 どこか哀しげな表情のまま、美咲は小さく笑ってみせた。
「思い出しても……きっと、辛いだけだから」
「…………?」
 絵空は眉をひそめる。一体なんだというのだろう――しかし、そこで美咲に追求するのは躊躇われた。
「……さ、そんなことより、イチゴまだ残ってるわよ? もういいんだったら、私が食べちゃおうかしら?」
 そう言うと、美咲はさっそくとばかりに、指でそのままイチゴを掴み、口に放り込む。
 なるほど、上等なイチゴだ――口を動かしながら、美咲もそう思う。
「……わ、わたしもまだ食べるよ〜!」
 美味しそうに食べるその様子に、絵空も負けじと、置いたフォークを拾い直した。




「……月村……ツキムラ……」
『(……まだ気にしてるの? もうひとりの私……)』
 お風呂上り、パジャマ姿で火照った絵空は、ベッドの上でくつろぎながら、天井を見つめてひたすら呟いていた。
「むぅ〜……何か引っかかるんだよねぇ……」
 そう言って、絵空は不満げに口を尖らせる。
『(気になるのは分かるけど……明日は待ちに待った“第三回バトル・シティ大会”でしょう? せっかく遊戯さんが頼んでくれたのだし……そっちの心配をした方がいいんじゃない? 会ったことがあるというなら、大会が終わった後、直接会えば思い出すかも知れないし)』
「……。それもそっか」
 絵空は諦めて起き上がると、机の椅子に座り込む。小学校に入学した際に買ってもらった物なのだが、椅子の高さをちょっと上げれば、まだまだ問題なく使用できる。
 買ったのはずっと前でも、小学校1年の夏に入院した絵空が使用したのは、たったの3ヶ月なのだ。かぶったホコリさえ払ってしまえば、新品に近い状態だった。
 明日、使用する予定のデッキを取り出すと、すでに入念に構築済みのそれを再チェックする。
「でも……バトル・シティ大会、かぁ……」
 頬杖をつき、カードを1枚1枚眺めながら、感慨深げに呟く。
「まさか出場できるなんて……思ってもみなかったな」
 絵空は思わず、満面の笑みをこぼした。

 バトル・シティ大会――今や世界的に有名となった、海馬コーポレーション主催の大規模なカード大会。一定基準以上の大会実績を持つ者しか出場を認められない、全決闘者の憧れともいえる大会である。わざわざ外国から出場しに来る決闘者も少なくないらしい。
 もっとも、最近までずっと入院生活を続けてきた絵空に、そんな大会に出場できるような実績はなく、それどころか今回が初めての大会参加である。
 それでも出場できるのは、決闘者(デュエル・キング)としての名声も強く、また主催者である海馬瀬人とも友好関係にあるらしい、武藤遊戯の提言によるものだった。
 彼の力がなければ、絵空がその大会に出場することなど到底かなわなかったであろう。

「あっ……そーだ。ねえ、最初はどっちがデュエルする?」
『(……え?)』
「もうひとりのわたしもデュエルしたいでしょ? 代わりばんこにやろうよ。ね?」
 笑みを崩さぬまま、絵空は言う。
『(私はいいわよ……ずっと楽しみにしていた大会でしょう? 全部もうひとりの私が……)』
「ダ〜メ」
 裏絵空の遠慮がちな返答に、絵空は口を尖らせる。
「せっかくの大会なんだもん……もうひとりのわたしも楽しまなくちゃ。それに、大会に出られるのはもうひとりのわたしのお陰でしょ? もうひとりのわたしが遊戯君を連れて来てくれたから……退院できたのだってそうじゃない。だから――」
『(――違うわ)』
 絵空のことばを遮るように、裏絵空は否定を口にした。
『(……私がいなければ、あなたはとっくに退院できていた……。私がいなければ、あなたは実力で出場できていたはずよ。だから――)』
「――ちがうよ」
 裏絵空のことばを遮るように、絵空は否定を口にする。
 机の上のパズルボックスに手を置くと、やさしく、穏やかに応える。
「あなたはわたしなんだもん……“あなたがいなければ”なんて、かなしいこと言わないで。あなたはわたしで、わたしはあなた……ずっとずっと一緒。だから……ね?」
『(……。そうね)』
 どこか切なげな様子で、裏絵空が応える。
「……。でもさー……ホントに不思議だよね」
 訝しげに、絵空はパズルボックスを手に取ると、その蓋を開けた。
 中に入れられた、三枚の“神のカード”――『オシリスの天空竜』、『オベリスクの巨神兵』、『ラーの翼神竜』。
「この3枚のカードが、もうひとりのわたしの魂を……このパズルボックスに留めているんでしょ? 一体どういう仕組みなんだろ?」
『(さあ……。少なくとも、科学的な証明は不可能でしょうね)』
 そもそも、“裏絵空”という存在自体が、現代科学では解明しようのない、不可解な存在なのだ。“魂”というものは、現在ではまだ“非科学的”なものであり、一般的には宗教や俗説、フィクションの中で語られるだけのものでしかない。
 絵空は三枚のカードを、そっとボックスから抜き取る。少し取り出すぐらいなら問題はないらしい。ボックスから、あるていど近い距離にあればいい――効力が曖昧で、やはり不可解である。
 三枚のカードを眺め見る。絵空は思わず、感嘆を漏らしてしまった。
 全決闘者の憧れ、全決闘者の宝と言ってもいい三枚が今、自分の目の前にある――何度見直しても、感激で胸がいっぱいになる状況である。
(……少しくらいならパズルボックスから出しても平気……か)
『(……まさか、良からぬこと考えてないわよね? もうひとりの私……)』
 パズルボックス側面のウジャト眼が、見透かすように光り、たしなめるような裏絵空の声がする。
「えへへ……ちょっとくらいなら使ってみても平気かなー、なーんて……」
『(――駄目よ!!)』
 頭に響くような怒声が、絵空の脳に直接伝わる。
『(勘違いしちゃ駄目! それは遊戯さんのカードなのよ!? 私たちが使うなんてもっての他! それに……あなたが“神”を持っているなんて知られたら、大変なことになるわ!)』
 本来持っているはずの武藤遊戯ではなく、大会実績も何もない少女が“神”を所持している――そんなことが知れたら、反感を持つ決闘者は少なくないだろう。
 また、力づくにでも奪おうとする、タチの悪い人間が現れないとも限らない。
 絵空が“神”を所持していることは、誰にも知られてはならない、最重要秘密事項なのである。
「い……言ってみただけだよぉ……」
 先ほどの怒声が響き、ガンガン痛む頭を押さえながら、絵空はカードをボックスに収めた。
「あなたとわたしを、ずっとずっと繋ぐ……大切なものだもん。ね?」
 笑いかけると、絵空はそっと蓋をする。
『(…………)』

 ――ずっとずっと……か


「――ねえねえ! そんなことよりさー」
 思い出した、といった様子で、絵空は両手を合わせる。
「もうひとりのわたしは遊戯君の、どこが好きなの?」
『(……は?)』
 裏絵空の思考が止まる。少しの間を置いて、裏絵空は慌てて返答する。
『(な、なに言ってるのよ! そんなこと……)』
「またまた〜。隠してもムダだよ〜♪」
 パズルボックスを突っつきながら、ちゃんと分かってるんだから、と絵空。
「やっぱりデュエルが強いから? それとも、大人しい感じのところ?」
 絵空の執拗な問い詰めに対し、裏絵空は観念したようにため息を漏らす。
 消え入りそうなか細い声で、さも恥ずかしげに答える。
『(……やさしくて……カッコいいところ……)』
 きっと表に出ていたら、顔をこの上なく真っ赤に染めあげていたことだろう。
 しかしそれに対し、絵空は首を傾げてみせる。
「“やさしい”は分かるけど……“カッコいい”?」
 絵空はふと、遊戯を思い浮かべる。確かに“やさしい”とは思うが、“カッコいい”だろうか? “カッコいい”と言うよりは、どちらかと言えば、男の割に“カワイイ”部類なのではないだろうか。
「確かに……第一回バトル・シティとかの遊戯くんは、写真とかで見るとすごくカッコいい感じだったけどさ。あれは遊戯くんじゃなくて……その、以前までいたっていう“もうひとりの遊戯くん”だったんでしょ?」
 初めて会ったときは、緊張してどぎまぎしてしまったものの、慣れてしまえば何でもない、普通の少年といった感じだった。
 カード雑誌の写真などを見て憧れていた絵空としては、やや拍子抜けであったことは否めない。写真うつりなどがいいのかとも思ったが、第二回大会でテレビに映っているところや雑誌に載った写真を見ても、やはり以前のような“カッコよさ”はなくなったように思う。外見は同じでも、人格が違うだけで大分違うのだな――と、絵空は少しだけ落胆した。
『(……馬鹿ね。“能ある鷹は爪を隠す”……いざというときだけ見せるのが、本当のカッコ良さなのよ。カッコ良いときの遊戯さんを見てないからそう思うの)』
「……ふーん……」
「……カッコ良いときの遊戯さんを見れば……きっと好きになると思うわ、あなたも」
 開き直ったような裏絵空に、よく分からない、といった様子の絵空。その“カッコ良いとき”を見たことがない以上、残念ながら絵空には伝わらない。
 加えて、絵空はこれまでの人生で“恋”と呼べそうな感覚を抱いた経験はほとんどなかった。だから、小説やドラマで知る範囲では理解できるものの、あまり深いところまでは理解できない。
「……ま、いーや。とにかく、わたしは応援してるからね?」
 にっこりと笑うと、絵空は再び、手元のカードへ視線を戻す。
 ありがとう、と呟くと、裏絵空は小さく、絵空に分からないようなため息を吐いた。




「……わ、もうこんな時間だ」
 カードから視線を上げ、目覚まし時計の針の位置を確認した絵空が、驚きの声を上げる。
『(……全く……だから早く寝なさいって言ったでしょう? 寝坊しても知らないわよ)』
「ヘーキヘーキ。それでもまだ十分時間はあるし……起きられるって」
 デッキをしまい、スタンドの電灯を消すと、絵空はベッドの布団に身を委ねる。
「明日かぁ……楽しみだなぁ」
 天井を見つめながら、まるで夢を見るように呟く。
『(……さ、電気を消して……もう寝ましょう)』
「うん」
 スイッチを押すと、部屋は一気に暗くなる。布団に潜り込むと、絵空は目を瞑り、入院中にも何度も口にしたことばを言う。
「おやすみ……もうひとりのわたし」
『(……お休みなさい、もうひとりの私)』

 しばらくすると、絵空の小さな寝息が聴こえてくる。
 その可愛らしい息遣いを聞きながら、裏絵空はなかなか寝付けずにいた。


 ――あなたとわたしを、ずっとずっと繋ぐ……大切なものだもん


『(ずっとずっと……か)』
 絵空のことばを思い出し、裏絵空は淋しげに呟いた。

 ずっとずっと一緒……本当にそうだろうか?
 ずっとずっと一緒にいて……本当にいいのだろうか?
 それは本当に、もうひとりの私の幸せだろうか?


 ――あなたはわたしで、わたしはあなた……ずっとずっと一緒


 ……本当に?
 私はあなた? あなたは私?
 ……本当に?


 裏絵空はその夜、なかなか眠れなかった。
 ただ――夕食のときに聞いた“ツキムラ”という名前が、時折浮かんでは、思考から消えていった。



第一章・first contact(ファースト・コンタクト)

 ――その少女は、“生きる”ということの価値を常に軽視していた。
 生きることと幸福は、決してイコールでは繋がらない。生きていても辛いなら、むしろ死んでしまった方が幸福ではないか。
 それは13歳の少女が至るには、あまりに残酷な幸福論。
 だが、仕方がなかった。そう思うことで、彼女は自身に課せられた運命の重みを軽減する。無意識に行われる、心の自己防衛。
 彼女はそれを、誰かに口外したことはない。辛いとか、悲しいとか、そうしたことばは極力口にしなかった。

 ――死ねば消える。ただそれだけのこと。

 彼女は現実主義だったし、魂とか死後の世界とか、そういったことは一切信じなかった。

 ――消えてしまえば辛くない
 ――消えてしまえば悲しくない
 ――嬉しいことや楽しいこと、それさえも“死”の前には無価値に等しい


 彼女は、自殺さえ考えたことがあった。
 自分が死ねば迷惑になる――けれど、自分は消えてしまうのだから関係がない。最愛の父はひどく傷つき、悲しむだろう。けれどそれさえ、消えてしまう自分には関係がない。関係を持てない。それが“死”。“消える”ということ。

 ――消える? 何が?

 そのとき、少女は疑問に思った。“消える”とは、どういうことだろう?

 ――たとえ死んでも、肉体は残る
 ――たとえ死んでも、存在は残る

 ――消えるのは“心”
 ――何も知覚できない、何も感じない、何も考えられない
 ――眠ることとは違う、絶対の“無”

 ――それが“死”
 ――それは誰にでも与えられるもの
 ――けれど私は、人より早くそれを迎えねばならない

 少女は、恐怖におののいた。“死”とは何と恐ろしいのだろう、そう思わずにいられなかった。

 ――“心”ガ消エル

 何度試みても想像すらできないそれを、少女は心から恐れた。

 ――生きることは辛い
 ――死ぬことも怖い

 八方塞がりだった。
 生まれてこなければ良かった――少女は、そう思わずにいられなかった。


 そして極力、そのことは考えないようにした。

 ――自分はいま生きている。だから自分は、ただ生きる。

 そして、日に日に近づく死の恐怖から、できる限り目を瞑るようになった。

 それがその少女――月村天恵(そらえ)にできる、唯一にして儚い抵抗だった。



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 ――今より5年ほど昔のこと。季節は初夏。差し込む日差しが、だんだんと強くなり始める季節。
 神里絵空はその日、自らの病室でノートパソコンと睨めっこを繰り返していた。
「あ〜っ!! また負けた〜っ!!」
 悔しげにそう言うと、パソコンを膝の上に置いたまま、長い髪を振り乱して、ベッドの布団に倒れこむ。
「……どうして勝てないんだろう……」
 病室の天井を見つめながら、不満げにそう呟く。

 絵空が童実野病院に入院するようになったのは、6歳の夏のことだった。
 小学校の授業中、唐突に胸の苦しさを覚えた彼女は救急車で運ばれ、以来、病院での入院生活を強いられることになった。
 一時的な帰宅許可が出ることは何度かあったが、しかしそれは短期の話。
 最初はよく見舞いに来てくれた同級生の友達も、“ある事件”をきっかけに、もう会いに来なくなってしまった。

 絵空は、笑顔の似合う少女だった。性格も人懐っこく、病院の看護師や医者にも好かれていたし、同じくらいの歳の患者とも、何回か友達になったことがある。
 けれど何ヶ月かすると、彼らは彼女を置いて退院してしまった。
 そんな彼女を心配した母は、10歳の誕生日にノートパソコンをプレゼントすることにした。インターネットを繋ぐことで、病室にいながらにして色々な人とコミュニケーションをとれ、また様々な情報を得られるのだ。
 その楽しさに、彼女は没頭した。そして後に、彼女はその中で、あるカードゲームとの出会いを果たした。そのゲームの名は、M&W。
 そのカードゲームのファンサイトに、インターネットを介して、そのゲームの対人対戦を可能とするコンテンツがあった。絵空はそれをやってみて、その面白さにすぐさま魅了されてしまった。
 母にそのカードを買ってきてもらい、実際のカードデッキも作ってみた。それを使って、誰かと実際に相対してゲームをする――それが、今の彼女の夢になっていた。しかし彼女は、その病の重さから個室を割り当てられていたし、そう容易に、そのゲームを嗜む人間と出会える機会はなかった。
 その代替行動として、絵空はパソコンを介しての、M&Wのオンラインゲームに没頭している。が、始めてから二ヶ月になるにも関わらず、全然勝てなかった。

「……うーん……」
 天井を見上げながら悩む。だが何がいけないのか、さっぱり理由が思いつかない。
 絵空は不満げな顔のまま起き上がると、小さく呟いた。
「……おトイレ行こ」
 と。

 スリッパを履いて、パタパタと音を立てながら、ゆっくりと共同トイレへ向かう。絵空の病は、決して軽いものではない。入院したばかりの頃は特に酷く、頻繁に“発作”を起こしていた。しかし、最近ではそれも減ってきている。長期間の治療の甲斐もあり、その症状は慢性化し、“発作”が起こらぬ限りでは、特に問題がなくなっていた。
 絵空は、心臓を患っていた。心臓に負担をかけないよう、ゆっくり歩く――それが、医者や母に昔から強く言い聞かされた注意事項だった。
「……何がいけないんだろう……」
 言いつけ通り、ゆっくり壁際を歩きながら、デッキのカードを確認する。
(……もっと強いカードを入れればいいのかな……?)
 40枚のカードの束から、1枚のカードを取り出す。絵空が持つ中で、“絵空が考える”一番強いカードだ。


「――絵空ちゃん!」


「――えっ?」
 いきなり名前を呼ばれ、思わず身体がびくっと反応する。
 顔を上げると、そこには車椅子に座った少女と、それを後ろから押す看護婦がいた。
「危ないじゃない、よそ見しながら歩いてちゃ」
 声色などから察するに、先ほど呼んだのは看護婦の方だった。もう入院して五年になる絵空は、院内では割と知られていたし、絵空自身、その人に看護された経験もあった。
「あ……ご、ごめんなさい」
 周囲に気を配ると、いつのまにか壁を離れ、通路のど真ん中に来てしまっていたらしい。

 ――ふと、絵空は、車椅子に腰掛けた少女の方を見た。
 歳は、絵空より2つか3つ上であろうか。腰の辺りまである長い髪を、黄色いリボンで1つにまとめていた。顔は少しやつれ、どこか儚さをたたえた印象もあったが、それでも端整で、綺麗な“おねえさん”だった。
 少し驚いた様子で目を見開いており、口は何かを言いたげに半開きになっている。
 何だろう――そう思い、絵空はその少女に何かを言おうとした。だが、不意に下半身を尿意が襲う。
 気がつくと、そこはトイレのすぐ手前だった。
「あ……それじゃあ、わたしはこれで……」
 そう言うと、絵空は早足でトイレへ向かう。
「あんまり急いじゃダメよ、絵空ちゃん!」
 無慈悲なことばを聞き流しながら、絵空はさっさとトイレへ駆け込む。もう、と看護婦はため息を吐いた。

「……あの子は?」
 車椅子の少女が、看護婦に問いかける。
「ああ……神里絵空ちゃんっていってね。見ての通り、ウチの入院患者よ。もう5年も入院しててね……最近はだいぶ良くなったんだけど、昔は酷かったわ。よく発作を起こして……」
「……そうですか」
 少女は、ふと視線を落とした。すると、床には一枚のカードが落ちている。
「あら……絵空ちゃんの落とし物かしら?」
 少女が指摘する前に、看護婦がそれを拾う。そして、そのカードに描かれた‘女の子らしからぬ’イラストに少し眉をひそめる。
「……トイレの中まで届けるのも何だし……後で私が届けておくわ。あなたと部屋は近いし」
 そう言うと、再び車椅子を押し始める。
「……。あの……先ほどのカード、見せてもらってもいいですか?」
「……? いいけど?」
 いちど足を止めると、ポケットからカードを手渡す。
 それを見て、少女もまた同様に眉をひそめた。ただし、その看護婦とは別の理由でだ。


合成魔獣 ガーゼット  /闇
★★★★★★★
【悪魔族】
このカードの攻撃力は、生け贄召喚時に
生け贄に捧げた2体のモンスターの
元々の攻撃力を合計した数値になる。
攻 ?  守 0


「…………」
 それを見つめながら、少女は少し悩んでいるふうだった。
 不意に、その車椅子が動きを止める。
「……さ、部屋に着いたわよ」
 少女は顔を上げる。
 その個室には「月村天恵」と、自分の名前の表札が付けられていた。


 月村天恵は、先ほど遭遇した少女のことを考えていた。あの少女が持っていたカードの束――あれは紛れもなくM&Wのもの。その束の分厚さから察するに、彼女が持っていたのは40枚の束、“デッキ”であろう。
 天恵は、父がI2社の社員であることもあり、M&Wにはかなり通じた少女だった。
 父に教えられたそのゲームの腕は、町内で負けなしの実力だった。町内大会の優勝経験も2桁を超えていた――もっとも、入院する以前の話であるが。
 天恵は少女の落としたカード『合成魔獣 ガーゼット』を疑問に思った。『合成魔獣 ガーゼット』をデッキに入れている――それは彼女にしてみれば、不可思議極まりないことだった。
 『合成魔獣 ガーゼット』には、明らかにそれよりも強く、かつ効果も類似した、いわゆる“上位互換カード”が存在する。それに、その上位互換カードはレア度も低く、手に入りやすいカード。よって彼女にしてみれば、『合成魔獣』を使用する合理的理由は皆無なのである。

「それじゃあ、私はこれで」
 天恵をベッドの上に戻すと、看護婦は部屋を出て行こうとする。
「……! あ、あの……」
 ほとんど衝動的に、天恵はそれを呼び止める。
「え、えーと……」
 整理タンスの上の、カード収納用のボックスに手を伸ばす。その中から1枚のカードを選び出した。
「これ、さっきの子に渡してもらえますか?」
「……? 絵空ちゃんに?」
 天恵の差し出すそれを、首を傾げつつ看護婦は受け取る。


偉大(グレート)魔獣 ガーゼット  /闇
★★★★★★
【悪魔族】
このカードの攻撃力は、生け贄召喚時に
生け贄に捧げたモンスター1体の元々の
攻撃力を倍にした数値になる。
攻 0  守 0


 カードには、先ほど拾ったものと同じようなイラストが描かれていた。その看護婦の目からすると、同じものとしか思えない。
「……。分かった、渡しておくわ」
 小首を傾げながらポケットにしまうと、病室を出る。

 看護婦はそれを、好ましい傾向と考えた。
 月村天恵――彼女は、自らの犯された病気を知って以来、ひどく塞ぎこんでいた。
 それが何であれ、自発的な行動をしてみせた――それはきっと良いことなのだ。

 ――たとえそれが、彼女の置かれた“不幸”を決して拭えぬ、儚いものでも――


 天恵は、自分が何をしたいのかよく分からなかった。
 何かを残したかったわけじゃない。残された時間を、有意義に使いたかったわけでもない。
 ただの気まぐれ。ただ気にかかったから、それだけのこと。
 しかしそれは、二人の少女の今後を大きく左右するきっかけとなった。



●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


 翌日、昼頃のこと。天恵は静かに、一人で本を読みふけっていた。

 ――コン……コン

「……? はい」
 不意にしたノックの音に、天恵は読んでいた本に栞を挟む。
 いつもの看護婦や医者の割にはノック音が弱々しい――そう疑問に思っていると、ゆっくりと開くドアから顔を覗かせたのは、背の小さな一人の少女。背中の辺りまでまっすぐに伸びた髪と、純粋そうで人懐っこい、明るい表情が印象的だった。
「えっと……こんにちは」
 少しはにかんだ様子で、少女が挨拶する。
 天恵は少し悩むが、きのう出くわした少女であることにすぐ気付く。
「ね……ねえねえ、おねえちゃん」
 天恵の返事も待つことなく、少女は話しかけながらベッドに寄る。おかげで、天恵は挨拶を返し損ねてしまった。
「おねえちゃんも……このゲーム、知ってるの?」
 期待のこもった瞳で、少女は天恵を見上げ、M&Wのカードの束――デッキを取り出してみせる。
 少女の勢いに戸惑いつつも、天恵はこくりと頷いた。
 やった、と少女は両手を合わせて喜ぶ。
「あのね! わたし最近このゲーム始めたんだけど……相手がいなくてつまんなかったんだ!」
 一緒にやろう、と少女は微笑む。目を瞬かせながら戸惑っていると、少女は頓着した様子もなく、ことばを続ける。
「わたし絵空。神里絵空。おねえちゃんは?」
「……。月村……天恵よ」

 その出会いがもたらす結末を、少女らはまだ知らない。



第二章・あやまち

「ねえねえ、それじゃあ早速やろうよ! デュエル!」
「……え、ええ……」
(……困ったわね……)
 目の前の少女に対し、天恵はたまらず苦笑する。
 自分はほとんど何も言っていないのに、勝手に話を進められている。
(でも……誰かとデュエルするのは久しぶりだわ)
 少しくらいなら構わないだろう――少し悩んでからそう考えると、天恵は近くの椅子に絵空を勧めた。
「かわいいリボンだね、それ」
 椅子に腰かけながら、天恵の長い髪をまじまじと見つめ、絵空は目を輝かせる。
「……ありがとう。小さい頃、お母さんがくれたのよ。誕生日プレゼントに」
 生前、母が自分にプレゼントしてくれた、黄色いリボン。
 母が亡くなる以前の、最後のプレゼント。これを着けることで、その悲しみを紛らわすことができた――小さい頃からずっと愛用している、大切なリボン。
 自分の大切な物を褒められれば、誰でも嬉しいものだ。天恵の口元が自然と綻ぶ。
「……どれくらいになるの? M&Wを始めてから」
 棚からデッキを取り出しながら、天恵は何気なく問いかけた。
「うーん……二ヶ月くらいかな」
「……そう」
 なるほど――と、天恵は思った。その程度なら、デッキに『合成魔獣 ガーゼット』を入れていても仕方ないかも知れない。
 昨日の看護婦の話では、彼女は5年もの間、ずっと入院生活を続けているらしい。加えて、周囲にM&Wをする人間がいなかったというなら、さらに仕方のないことだろう。
「ねえねえ! 早くやろう! やろう!」
 はしゃぎながら、絵空が急かす。
(……お父さん以外とデュエルするのは……いつ以来だろう)
 天恵は思う。入院以来、天恵がデッキに触れる回数も極端に減ってきていた。
 入院当初にはお見舞いに来ていたカード友達も、もう全く来なくなってしまった。別に薄情でもなんでもない。「もう来なくていい」――そう言ったのは、天恵自身なのだから。
「……!」
 ふと我に返ると、絵空がもどかしそうにこちらを見つめていた。
「あ、ごめんなさい。それじゃあ……」
 デッキを交換し、お互いにシャッフルする。早くゲームをしてみたいのか、絵空は簡単にシャッフルしただけで終わりにしてしまった。
「……先攻と後攻は……どっちがいい?」
「あ、わたしが決めていいの?」
 天恵が頷くと、絵空は少し悩んでから先攻をとった。



「それじゃあいくね……! わたしのターン、ドロー!」
 やけに大きな身振りでカードを引く。ほとんど迷わずに、絵空はカードを出す。
「よーし、わたしは『悪魔の調理師』を攻撃表示で召喚するよ!」
「……!?」


悪魔の調理師  /闇
★★★★
【悪魔族】
このカードが相手に戦闘ダメージを与えた時、
相手はデッキからカードを2枚ドローする。
攻1800  守1000


「ターン終了だよっ」
「……。私のターン、ドロー」
 慣れた手つきで、天恵は右手でカードを引く。
(……伏せはなし、か……)
 デュエルの開始とともに、天恵の顔色は変わる。
(……『悪魔の調理師』の能力は、特殊なコンボを駆使しない限り、相手プレイヤーの優位に働く特殊カード……。初心者だから、攻撃力だけに目をつけて使っている? それとも……)
 絵空の実力を見極めようとしながら、手を抜くことなく慎重にカードを選ぶ。
「……私は……手札の『サンダー・ドラゴン』の特殊能力を発動」


サンダー・ドラゴン  /光
★★★★★
【雷族】
手札からこのカードを捨てる事で、デッキから
別の「サンダー・ドラゴン」を2枚まで手札に
加える事ができる。その後デッキをシャッフルする。
この効果は自分のメインフェイズ中のみ使用する事ができる。
攻1600  守1500


「手札から『サンダー・ドラゴン』を捨て……同名カード2枚をデッキから手札に。さらに、『素早いモモンガ』を攻撃表示で召喚」
「……?!」
 先ほどの天恵と同じように、絵空も目を見張る。
(……攻撃力1000のモンスターを攻撃表示……?)
 小首を傾げる絵空に対し、天恵はそのままバトルフェイズに入る。
「『素早いモモンガ』で……『悪魔の調理師』を攻撃!」
「え……?」
 その攻撃力差は800。天恵のモンスターが破壊され、そのライフが削られる。

 天恵のLP:4000→3200

「この瞬間、『素早いモモンガ』の効果発動……。自分のライフを1000回復し、さらに同名カード2枚をデッキから特殊召喚」
「……わ」
 絵空は思わず、びっくりした顔をする。


素早いモモンガ  /地
★★
【獣族】
このカードが戦闘によって墓地へ送られた時、
自分は1000ライフポイント回復する。
さらにデッキから同名カードをフィールド上に
守備表示で特殊召喚する事ができる。
その後デッキをシャッフルする。
攻1000  守 100


 天恵のLP:3200→4200

「……そして、あなたのモンスター『悪魔の調理師』の効果発動。私がダメージを受けたことで、カードを2枚ドローするわね」
 カードを2枚引く。しかし絵空には、それを気にした様子はない。手札の重要性を、まだ把握できていないのかも知れない。
「カードを2枚伏せて……ターン終了よ」


 天恵のLP:4200
     場:素早いモモンガ(×2),伏せカード2枚
    手札:6枚
 絵空のLP:4000
     場:悪魔の調理師
    手札:5枚


「わたしのターンだね、ドロー! よーし、『悪魔の調理師』を生け贄にして……」
 少し悩んでから、一枚のカードを出す。その様子から察するに、手札には他にも上級モンスターがいるようだった。
「……『フレイム・ケルベロス』を……召喚っ!」


フレイム・ケルベロス  /炎
★★★★★★
【炎族】
攻2100  守1800


「それから、『灼熱の槍』を装備させて……攻撃力を400アップ!」


灼熱の槍
(装備カード)
炎属性モンスターのみ装備可能。
装備モンスター1体の攻撃力は400ポイントアップする。
守備力は200ポイントダウンする。


 フレイム・ケルベロス:攻2100→攻2500
            守1800→守1600

 絵空のプレイングを見て、なるほど――と天恵は思う。
(初心者にありがちなルールミスはないみたいだし……粗いけど、筋はそんなに悪くないかも)
 絵空は早速とばかりに攻撃宣言に入る。
「いっくよお……『フレイム・ケルベロス』で、『素早いモモンガ』に攻撃っ!」
 天恵は伏せカードに手をかける。
「トラップ発動……『ドレインシールド』!」


ドレインシールド
(罠カード)
相手モンスター1体の攻撃を無効にし、
そのモンスターの攻撃力分の数値だけ
自分のライフポイントを回復する。


「このカードの効果で、『フレイム・ケルベロス』の攻撃を無効にして…その攻撃力分だけライフを回復するわね」
「ええ〜っ!?」

 天恵:4200→6700

(に……2500も回復しちゃった……?!)
 途端にどぎまぎする絵空。ライフ差のみでデュエルの優劣を判断するのは、初心者によくあることだ――天恵は思わず笑みを漏らす。
「え、えーっと……カードを1枚伏せて、ターン終了だよ」
「私のターンね、ドロー」
 手札を見つめ、天恵は考える。
(この子の場には伏せカードもあるし……変に手を抜かない方がいいかな……?)
 少し迷ってから、天恵が最も得意とするコンボに入る。
「『ジャイアントウィルス』を攻撃表示で召喚して……魔法カード『強制転移』を発動するわ」
「……!?」


強制転移
(魔法カード)
お互いが自分フィールド上モンスターを1体
ずつ選択し、そのモンスターのコントロール
を入れ替える。選択されたモンスターは、
このターン表示形式の変更は出来ない。


「このカードの効果で、私の『ジャイアントウィルス』と……『フレイム・ケルベロス』のコントロールを入れ替えるわね」
「……えっ? ええっ?」
 何が起こったのか分からない、といった様子の絵空。
「『素早いモモンガ』2体を攻撃表示に変更して……バトルフェイズ!」


 天恵のLP:6700
     場:フレイム・ケルベロス(攻2500),素早いモモンガ(×2),
       伏せカード1枚
    手札:5枚
 絵空のLP:4000
     場:灼熱の槍,ジャイアントウィルス,伏せカード1枚
    手札:3枚


「『フレイム・ケルベロス』で……『ジャイアントウィルス』を攻撃!」
(え、えーっと……)
 慌てながらも、絵空は計算する。
(えーっと、わたしの場の『ジャイアントウィルス』は攻撃力1000、『フレイム・ケルベロス』は2500だから……勝てないけど、使った方が良いよね)
 戸惑いながらも、絵空は伏せカードを表にする。
「ト、トラップカード……『ライジング・エナジー』っ!」


ライジング・エナジー
(罠カード)
手札を1枚捨てる。
発動ターンのエンドフェイズ時まで、フィールド上に
表側表示で存在するモンスターの1体の攻撃力は
1500ポイントアップする。


「え、えーっと……手札を1枚捨ててっと。これで『ジャイアントウィルス』の攻撃力は2500だから……互角だよね?」
「……!」
 天恵は、自分の場の伏せカードを一瞥した。その正体は『罠はずし』――それを使えば、『ライジング・エナジー』の効力は無力化できる。
 だが、天恵はそれを使わない。フッと、小さく笑みをこぼした。
「ええ……お互いのモンスターは相殺される。でもこの瞬間……あなたの場の、私の『ジャイアントウィルス』の効果発動」
「……え……?」
 絵空はポカンと口を開ける。


ジャイアントウィルス  /闇
★★★★
【悪魔族】
このカードが戦闘によって墓地に送られた時、相手に
500ダメージを与える。さらにデッキから同名
カードをフィールド上に召喚(表向き攻撃表示)
してもよい。その後デッキをシャッフルする。
攻1000  守 100


「このカードが戦闘で破壊されたとき……あなたに500ポイントのダメージを与え、さらに私は同名カード2体を、デッキから攻撃表示で特殊召喚できるわ」

 絵空のLP:4000→3500

 絵空は場の状況に、目が点になっていた。


 天恵のLP:6700
     場:素早いモモンガ(×2),ジャイアントウィルス(×2),伏せカード1枚
    手札:4枚
 絵空のLP:3500
     場:
    手札:2枚


 場ががら空きの絵空に対し、天恵の場には、攻撃力1000ながらもいまだ攻撃可能なモンスターが4体も存在している。
 誰がどう見ても、天恵の圧倒的勝利だった。
「…………」
(……少しやりすぎた、かな……)
 久しぶりのデュエルに、つい熱くなってしまったようだ。
 目の前の少女は、場に広げられたカードを見つめながら黙りこくってしまう。
「……す……」
「……?」
「――すっごーいっ!!」
 絵空は立ち上がり、叫んだ。
「すっごいすっごいすっごーーい!! ねえねえ今のどうやったの!? おねえちゃん!!」
 まるで手品を見た後のような反応。天恵はたまらず苦笑した。
「すっごいなあ……まるで手品みた――」
 だがそのとき、不意に絵空の唇が止まった。目が見開かれ、顔色が一気に悪くなる。
「……? 一体どうし……」
「――ッ……!!」
 絵空はその場にうずくまる。両手は、必死げに胸を抱え込んでいた。
 ハッとした天恵は、すぐにナースコールのボタンを押す。
 彼女も入院患者なのだ。その元気な様子に忘却しかけていたが、どこかしら身体が悪いのは間違いないだろう。
「いま看護師の人が来るわ……! それまで我慢できる!?」
 叫びながら問いかけると、絵空は顔を上げないまま小さく頷く。
 すぐに、慌てた様子の看護婦が駆けつけてくれた。
 そのまま彼女は連れて行かれ、その日はそのまま戻ってこなかった。


●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


 数日が経過した。
 看護婦に聞くと、絵空というあの少女は、あのあと大変だったらしい。
 それでも命に別状はないと聞き、天恵はほっと胸を撫で下ろした。

 そして後悔した。
 発作の原因は恐らく、初めてのデュエルに興奮しすぎたため。もしあそこで彼女とデュエルをしなければ、彼女は発作を起こさなかっただろう。
 そしてもう一つ――天恵には、これ以上あの少女に関わりたくない理由があった。

 ――コン……コン

「……!」
 昼間、いつものように読書に勤しんでいると、小さな、弱々しいノック音がする。
 病院関係者ではない。たぶん昨日の少女だろう――そう思うと、天恵は顔をしかめた。
 あの少女とはこれ以上、関係を持ちたくない。だが、来訪者を無下に追い返せるほど、天恵は薄情な人間にはなれなかった。
「……どうぞ」
 ゆっくりと、ドアがスライドする。しかし、そこには誰も立っていない。
 少しの間を置いてから、昨日の少女が顔を覗かせる。しかしその表情は、昨日までのものとは違い、暗く沈んでいる。
「えっと……こんにちは」
 少女は、初対面であったとき以上に、はにかんだ様子だった。そのまま中に入ると、後ろ手にドアを閉める。しかし、それ以上部屋の中に入ってくることはない。
 どうしたのだろう――天恵は疑問に思う。昨日までの、明るく活発な少女の印象はどこにもなかった。
「……きのうは……ごめんなさい。びっくりしちゃったよね」
 少女は俯いたまま、小さな声で言う。
 しばらくの沈黙。
 天恵はどう返したらいいか分からなかった。中に招き、椅子を勧めるべきかも知れない。だが、これ以上関係を持ちたくない――そういった意識もある。だからこそ、次の一手を打ちかねた。
 そのまま沈黙を続けると、少女は小さく、唇を開く。
「……入院したばっかりのときね……学校のお友達が、お見舞いに来てくれたの」
 俯いているから分からない。だがその声は、少しだけくぐもっていた。
「ひさしぶりに会えて嬉しくって……たくさんお話したの。でもね」
 少女は間を空けた。相槌を求めているわけではないだろう。ことばに、躊躇いがあるようだった。
「……きのうみたいに……発作おこしちゃったの」
「……そう」
 何が言いたいのかはまだ分からない。それでも――それはこの少女にとって、辛い想い出なのだろう。それだけはもう察することができた。
「別の日にね……また来てくれたの。“大丈夫?”って。わたしは“うん”って頷いた。でもね……そのお友達の前で、また発作起こしちゃった」
「…………」
 天恵は、きのう看護婦から聞いたことばを思い出した。今でこそ良くなっているものの、昔はよく発作を起こしていた――確か、そう言っていた。
「……そしたらね、もう――」
 再びの間。今度は、何かを堪えているようだった。
「――お友達、誰も来なくなっちゃった」
 少しだけ、どこか自嘲気味に、少女は涙声で笑っていた。
「たぶんね……怖くなっちゃったんだよ。目の前で二回もあんなの見ちゃったら、当たり前だよね」
「…………」
 天恵は、絵空の年齢を知らない。それでもこの少女の五年前というならば、せいぜい小学一年生といったところだろう。
 目の前の友達が苦しみ、医者たちが病室に駆け込み、慌しく処置をとる――そんな様を二度も見たというなら、見舞いに来なくなるのも当然かも知れない。


「……おねえちゃんも……こわい?」
「……?」
「……わたしのこと……こわい?」
 天恵は、絵空の言わんとしていることを理解する。
 絵空は俯いたまま震え、怯えている風だった。
「……おいで」
 できる限りやさしい声で、天恵は絵空を促す。
 少し躊躇った様子で、絵空はベッドの前まで来る。
 天恵は、絵空の頭に手を伸ばした。
 だが、その動きが一瞬かたまる。

 ――これで良いのだろうか?

 と。
 天恵は絵空を、もういちど見なおす。
 幼すぎる――天恵は思わずにいられない。
 穢(けが)れを知らない、純粋で、繊細すぎるこの少女に、果たしてここで手を伸ばすべきか――天恵は悩まずにいられない。

 ――差しのべれば、傷つけることになる
 ――ここで癒すよりも、ずっとずっと傷つくことになる

 踏みとどまるべきだろう。
 天恵はそう思う。
 それこそが、この少女にとって、そして自分にとって最もやさしい選択であろうと。

 差しのべた手を、下ろそうとした。
 でも、目の前の少女は泣いていた。手を求めていた。

 ――“あやまち”だと思った。
 何と場当たり的なのだろう。天恵は自嘲せずにいられない。
 それでも天恵には、哀しいかな、ここで彼女を突き放すことができなかったのだ。


 天恵の手の平が、絵空の頭を撫でる。
 何度も何度も、やさしく撫でる。
「……こわくないよ」
 天恵は、やさしくそう言った。
「……大丈夫。私はこわくない。大丈夫だから……ね」
 もう手遅れだと思った。
 だから天恵は、少女の華奢な身体を寄せ、やさしく抱いた。
 数年前、交通事故で他界した母も、泣いた自分をよく、こうしてあやしてくれた。
 抱きしめられると、孤独な心が温まり、癒され、心地よかった。
「……つらかったよね……こわかったよね……」
 天恵の胸で、少女は泣いていた。
 少女の心を温めて、相応の満足感はある――だが、それ以上の罪悪感もあった。


 天恵は、それを“あやまち”だと思った。
 その悲しみを、天恵は知っている。近しい人間を失う悲しみを、天恵は痛いほど知っている。
 だからこそ、天恵は可能な限り、近しい人間を遠ざけようとした。
 悲しんでほしくないから。悲しみを振り撒きたくないから。傷つけたくないから。
 だからこそ、距離をとるべきだった。誰も懐に入れるべきではない。受け入れるべきではない。
 突き放すべきだった。少女を抱きしめるべきではなかったのだと。

 ――じきに死ぬ自分には、誰かを抱きしめる資格など、ありはしなかったのだと。



第三章・こころの居場所

「心臓が……悪いの?」
「……うん」
 天恵の問いかけに、絵空は素直に頷く。
「……治る……の?」
 ためらいがちに問う。絵空はもういちど頷いてみせる。
「ただね、普通の手術とかじゃダメなんだって。わたしの心臓を、他の人の心臓と取り替える……そうすれば治るんだって」
 心臓移植――天恵の脳裏に、すぐにそのことばが浮かぶ。
「でもさ……ちょっと怖いよね」
 不安そうに、絵空は笑んでみせる。
「他の人の心臓と取り替えるなんてさ……よく分からないけど、そんなことして大丈夫なのかなあ?」
 胸に手を当てると、表情を曇らせる。
 自分の身体の一部が、しかも“心臓”という重要な部位が、他人のものと交換される――不安に思うのは当然だろう。
「……心配ないわ。心臓を取り替えても――あなたはあなただもの」
「……? どういうこと?」
 小首を傾げる絵空。少し悩んでから、天恵はことばを紡いだ。
「そうね……。“こころ”は、どこにあると思う?」
「……?? “こころ”?」
 天恵が頷くと、絵空は口元に人差し指を当て、考え始める。
「んーっと……“こころ”……は……」
 絵空の頭に思い浮かぶのは、赤いハート状のマーク。だがそれはどこにあるのか――絵空はウンウン唸(うな)りながら悩む。
「……心臓?」
「はずれよ」
 天恵はクスッと笑みをこぼす。
「“こころ”があるのは……ここ」
 こめかみの辺りを軽く、人差し指で叩く。
「人の“こころ”は脳にあるの……。考え、判断し、決定する場所……。他にも記憶したり、思い出したり。“こころ”は脳にある。そして、この“こころ”が生きている限り、人は決して死なないの」
 天恵のことばに、絵空は目をパチクリとさせる。何となく、天恵らしからぬ発言であるような気がした。
「でも……わたしが悪いのは心臓だよ?」
「そう。でもね、このままだとその影響で、“こころ”まで死んでしまう……。“こころ”が生きるために大切な器官だから。だから治さないといけないの」
 ふーん、と分かったような分からないような反応をする絵空。
「つまりね、あなたの“こころ”があるのはこの部分。だから、心臓を移植してもあなたはあなた……あなたの“こころ”はあなたのまま。変わらないのよ」
 そう言って、絵空の頭を撫でる。少しくすぐったそうに、けれど気持ち良さそうに笑う。
「……! そういえば……おねえちゃんはどこが悪いの?」
 何気ない問い。
 天恵の手が止まる。
 わずかな沈黙を置いてから、天恵は再び笑みを繕った。
「さあ……どこかしらね」
 そうやってぼかしたまま、天恵は結局、質問の答えをしなかった。



●     ●     ●     ●     ●     ●     ●



 天恵と絵空の二人が知り合ってから、数週間が経過した。
「いっくよぉ! 場の『島亀』を生け贄にして……『偉大魔獣ガーゼット』を召喚!」
 そう言って、勢いごんで、絵空は場にカードを出す。


島亀  /水
★★★★
【水族】
攻1100  守2000


 天恵の病室でのこと。絵空はあれ以来、頻繁に天恵のところを訪れるようになっていた――デッキを携えて。
「……えーっとぉ、1100の2倍だから……攻撃力は2200だよね」
「……そうね」
 天恵はクスッと、笑みを浮かべた。

 偉大魔獣ガーゼット:攻0→攻2200

「よーしっ、ガーゼットで、おねえちゃんの『ハイエナ』を攻撃っ!」
 絵空の攻撃宣言により、天恵のモンスターが墓地に送られる。しかし天恵は動じない。
「……この瞬間、『ハイエナ』の特殊能力発動……」


ハイエナ  /地
★★★
【獣族】
このカードが戦闘によって破壊され墓地へ
送られた時、デッキから「ハイエナ」を
特殊召喚する。その後デッキをシャッフルする。
攻1000  守 300


「デッキから、『ハイエナ』2体を攻撃表示で特殊召喚するわ」


 天恵のLP:4000
     場:ハイエナ(×2),伏せカード1枚
    手札:5枚
 絵空のLP:4000
     場:偉大魔獣ガーゼット(攻2200),伏せカード1枚
    手札:4枚


 またモンスターが増えた――と、絵空は少し面白くなさげに、眉をひそめる。
「えーっと、それじゃあ……カードを1枚伏せて、ターン終了だよ」
 エンド宣言すると、絵空は天恵に視線を移す。
(わたしのモンスターの方がずっと攻撃力高いし……大丈夫だよね)
 大丈夫、と自身に言い聞かせる絵空。その一方で、ターンの回った天恵は、デッキからカードを1枚引く。
「……。私は手札から、魔法カードを発動……」
 ほとんど迷わずに、手札の一枚に手をかける。
「……『心変わり』。あなたのモンスター1体のコントロールをもらうわ」
「……へっ?」
 ハトが豆鉄砲をくらったような顔になる絵空。


心変わり
(魔法カード)
相手フィールド上モンスターを1体選択する。
発動ターンのエンドフェイズまで、選択した
カードのコントロールを得る。


 『偉大魔獣ガーゼット』のコントロールが天恵に移る。もともとそれは、天恵が絵空にあげたカードである。それを踏まえれば、これで元の持ち主のもとへ戻ったということになる。
(だっ、大丈夫! 罠もしっかり仕掛けてあるし……)
 伏せカードに目をやると、大丈夫、ともういちど自身に言い聞かせる。
「……そして、ガーゼットを生け贄に捧げ……『氷帝メビウス』召喚。特殊能力発動……あなたの場の伏せカード2枚を破壊するわ」
「……は?」
 天恵の思ってもみない発言に、絵空はひたすら瞬きを繰り返す。


氷帝メビウス  /水
★★★★★★
【水族】
このカードの生け贄召喚に成功した時、
フィールド上の魔法・罠カードを2枚まで
破壊する事ができる。
攻2400  守1000


「…………」
 絵空の場の伏せカードは、なすすべなく全滅する。
「……はい、ゲーム終了」
 澄まし顔の天恵。場ががら空きとなった絵空に対し、天恵の場のモンスターの総攻撃力は4400――ものの4ターンという、短い決着であった。


 天恵のLP:4000
     場:氷帝メビウス,ハイエナ(×2),伏せカード1枚
    手札:4枚
 絵空のLP:0
     場:
    手札:3枚


「……ズルイ」
 天恵のカードを見つめながら、恨めしそうに呟く。
「せっかく召喚したモンスターをとっちゃうなんて……反則だよっ! “ドロボウはウソツキの始まり”だよっ!!」
「……逆よ、それ」
 天恵は、あくまで冷静にツッコミを入れる。
「……だから、前にも言ったけど……攻守が高い“だけ”のモンスターが多すぎるのよ。あと上級モンスターもね」
 身を乗り出して、絵空の手札をチェックする。3枚の手札は全て上級モンスター。今までのデュエルやこの手札から察するに、デッキに占める上級モンスターの割合はかなり高いのだろう。
「えーっ? これでも随分減らしたんだよ?」
 絵空は不満げに抗議する。もともと何枚入っていたのだろう――天恵はたまらず苦笑した。
「じゃあ、そう言うおねえちゃんは何枚入れてるの?」
「5枚よ。もっともそのうち3枚は、上級モンスターとしての役割じゃないけどね」
 天恵はデッキから、『氷帝メビウス』、『天空騎士(エンジェルナイト)パーシアス』、そして『サンダー・ドラゴン』3枚を取り出してみせる。


天空騎士パーシアス  /光
★★★★★
【天使族】
守備表示モンスター攻撃時、その守備力を
攻撃力が越えていればその数値だけ相手に
戦闘ダメージ。また、相手に戦闘ダメージを
与えた時カードを1枚ドローする。
攻1900  守1400


「……。じゃあわたしも、5枚くらいにしようかなあ……」
 デッキのカードを見返しながら、まだ迷った様子でしぶしぶ呟く。
「……そうね、まずはそれくらいまで減らした方がいいと思うわ。それから……コントロールを奪われるのが嫌なら、こんなカードもあるわよ」
 手元のカードボックスから1枚のカードを取り出すと、それを絵空に提示してみせる。


不意打ち又佐  /闇
★★★
【戦士族】
1回バトルフェイズ中で2回攻撃できる。
このカードが表側表示でフィールド上に
存在する限り、このカードのコントロールは
移らない。
攻1300  守 800


「……でもこれ……攻撃力低いよ?」
 その能力値を見つめながら、不満げに問いかける。
「確かに、単体での能力はさほど高くないわ。でもね……あるカードとの組み合わせで、凄いコンボも狙えるのよ」
 今度は、自分のデッキから2枚のカード――『スケープ・ゴート』と『団結の力』を渡してみせる天恵。
「……よく分かんない……」
 それらのカードと睨めっこしながら、絵空は小首を傾げた。
「まあ、“百聞は一見に如かず”って言うしね……。今度やってみせてあげるわ。私のデッキとの相性もいいし」
 渡したカードを取り上げると、デッキの中に入れ、軽くシャッフルする。
「……さ、今日はお終い。そろそろ部屋に戻りなさい」
「――え〜っ!!」
 壁時計を指しながら促す天恵に、絵空は頬をぷぅっと膨らませる。
「もうちょっと大丈夫だよ! ね、もう一回! 今度こそわたしが勝つもんっ!」
 困ったわね、と天恵は苦笑する。絵空には悪いが、今のデッキのままなら一万回やっても、天恵は負ける気がしなかった。
 と、そこで都合よく、ドアをノックする音がする。そのノック音の正体を、天恵はおおよそ予想できた。ここ最近、ずっと同じパターンだからだ。
 入ってきたのは案の定、絵空の母――美咲だった。
「絵空、そろそろ部屋に戻りなさい」
 開口一番、美咲は絵空にそう言った。
「……はぁ〜い」
 まだ遊び足りないと、見るからに不服そうな顔をしながらも、絵空は仕方なくイスを立つ。
「また明日ね、おねえちゃん」
 人懐っこく笑ってみせると、小走りに美咲へ駆け寄る。
「ほら……早く病室に戻りなさい。ただし、急いじゃ駄目よ」
 そう言って、絵空の頭を軽く撫でる。
 嬉しげな絵空。天恵は少しだけ、それが羨ましい気がした。
「ばいばい、おねえちゃん」
 手を振りながら、絵空は一足先に病室を出て行く。
 それを確認してから、美咲は天恵に向き直った。
「……ごめんなさいね、天恵ちゃん。いつも遅くまで……」
「……いえ、こちらの方こそ」
 天恵は静かに、そう応える。
 表には出さないものの、天恵は美咲に対し、ある種の憧れを覚えていた。整った顔立ち、凛とした口調。もしも成長できたなら――こんな女性になりたい。そんな、憧れの対象に見えていた。
「……お父さん……まだお仕事から戻らないの?」
 美咲は、声のトーンを少し落とす。
 天恵は肯定するが、すぐにフォローを入れた。
「仕方ありませんよ。仕事ですし……それに、父の“枷”になりたくはありませんから」
 天恵の父――月村浩一は、I2社の東京支部に勤めている。しかし一ヶ月ほど前から、彼は日本を離れ、アメリカ本社へ出張していた。
 要請は、社長であるペガサス・J・クロフォード直々のものだった。浩一はI2社社員であると同時に、以前開かれたM&W大会の日本チャンピオンでもある。それを買われ、何か特別な仕事のために呼ばれたらしい。
 当初、浩一は、天恵を日本に残し、アメリカへ行くことを渋っていた。だが、天恵は父の背を強く押した。父がM&Wを心から愛しており、その生みの親であるペガサス・J・クロフォードに直々に会える機会を、楽しみに思わないわけがない――それを知っていたからだ。
「……そう」
 淋しさを微塵も見せない天恵の代わりに、美咲はどこかやるせないような笑みを漏らす。
「大人なのね……天恵ちゃんは。ウチの絵空と2つしか違わないなんて、嘘みたい」
「……絵空さんが、少し子供すぎるだけだと思いますよ」
 天恵は苦笑してみせる。確かに、自分は13にしては大人びているかも知れないが、絵空は11にしては喋り方が幼い気がした。時に、4つか5つは歳が離れているような錯覚さえ覚える。
「それより……私の病室に入り浸るのは、彼女の身体に良くないのではないでしょうか?」
 天恵は眉をひそめ、心配そうに問いかける。知り合ったとき以来、例の“発作”は起きていない――少なくとも、天恵の知る限りでは。しかし、彼女も病人なのだ。頻繁に病室を抜け出すことが、身体に良い影響を及ぼさないのは自明だろう。
「そうね……。確かにそうなんだろうけど」
 美咲は、少しだけ困ったようにため息を吐く。
「……あの子、もっと幼い頃は“発作”が酷くてね。ろくに子どもらしい日々も過ごせなかったの。それが最近になって、身体も良くなってきて、やっとある程度の自由を得られた――そんな自由を束縛しちゃうのも、ちょっと……ね」
「……。でも……」
 天恵の浮かない反応に、美咲は申し訳なさそうな顔をする。
「お医者様にはちゃんと伝えてあるから……。無理しないように気を付ければ、とりあえずは大丈夫だろう、って。でも、もしものときは……本当に悪いんだけど、看護師さんたちを呼んであげてくれる?」
 天恵は無言で首を縦に振る。
 同時に、なるほど――と思う。
 絵空の言動が比較的幼いのは、病気で失った時間、そのせいなのかも知れない。病気で失った日々、それを実年齢から差し引いた歳が、彼女の今の正当な精神年齢なのだろうか――と。

 そこで、美咲は不意に、笑みを漏らした。
「何だか不思議ね……。天恵ちゃんと話していると本当に、大人の人と話しているみたいだわ」
「……そうですか?」
 少しだけ照れくさそうに、天恵は小首を傾げる。
「……でもね、無理に“大人”になる必要はないのよ……天恵ちゃん」
「……え?」
 天恵は目を瞬かせる。
 美咲は身を屈め、天恵の顔を覗きこんだ。
「……何となく、分かるのよ。私ね、あなたくらいの頃に、両親を事故で亡くしたの。その後しばらくは、親戚の叔父の家で育てられた……その頃は、あなたみたいに無理していたわ」
 見透かしたような瞳。天恵は思わず、その瞳に見入ってしまう。
「……心から頼れる大人が、側にいない――だから、大人にならないといけない。私はそう思ったわ。でもね、実際に大人になってみると分かるの。子どもが子どもでいられる時間には、限りがある……。いずれはみんな、必ず大人になる。だから――子どもが子どもでいられる時間を、大切にすべきだって」
「……!」
 天恵はわずかに、表情を曇らせる。
「だから……ね。辛いこととか、困ったこととかあったら、周りの大人に――」
「――大丈夫です」
 美咲のことばを制するように、天恵は毅然とした声で言う。
 不意打ちをくらったように、美咲は目を丸くする。天恵は落ち着いた、大人びた笑みを繕い、ことばを紡ぐ。
「……お気遣いいただき、ありがとうございます……。でも、本当に大丈夫ですから」
「…………!」
 美咲は少しだけ眉をひそめる。だがすぐに、そう、と応えると、屈めていた背を伸ばした。
「……ごめんなさいね、変なこと話しちゃって。それじゃあ、あの子も待っているだろうし、そろそろ……」
 軽く手を振ると、病室のドアへ向かう。
 それを開こうとしたところで――しかし美咲は振り返る。
「……でも、これだけは覚えておいて……。辛いことや悩んでいることがあるなら……他人に相談していいのよ。無理に溜め込まなくていいの、吐き出していいの。それは子どもだけじゃなく、大人でも同じよ……」
「…………」
 一瞬だけ、天恵は視線を落とした。
 しかし、すぐに顔を上げ、繕った顔で頷く。
「……はい、ありがとうございます」
 そして美咲は、病室を出て行った。



 一人になった天恵は、美咲のことばを回顧する。

 ――無理に“大人”になる必要はないのよ……天恵ちゃん

「……っ……!」
 天恵は、シーツを握り締める。

 ――いずれはみんな、必ず大人になる
 ――だから――

「……違う……!!」
 嗚咽にも似た声が、喉の奥から漏れる。

 ――私は大人にはなれない
 ――そんな時間は、私には与えられていない

 美咲は知らなかったのだろう。けれど美咲は、天恵の中の“心の闇”を見抜いた――それが何かを分からぬまま。そのことばが、天恵をより深く傷つけるとも気付かずに。
 天恵は、頭を抱え込む。心臓の鼓動が、動揺が収まらない。

 ――生きることは辛い
 ――死ぬことも怖い

 置かれた境遇を反芻する。
 自分はもう報われない。自分はもう、不幸になるしかない。

 ――怖い

 ――痛い

 ――苦しい


 “大人”だと、彼女は言った。いずれ必ず大人になる、子どもの時間には限りがあると。
 ならば――自分が“大人”であることは、むしろ正常ではないか。天恵はそう思う。

 ――自分にはもう、時間がない
 ――自分にはもう、終わりが近い

 ――残されたわずかな時間が、私から“子ども”の時間を奪い、一足飛びに“大人”としてしまったのだ



 荒い息を吐く。
 虚ろな瞳で、呼吸を落ち着かせながら、ベッドの上の、先ほどまで使っていたデッキを見つめる。
 何気なく手に取り、感触を確かめる。

 何かを遺せないだろうか――天恵はそう思う。

 自分が生きた証を、自分が存在した価値を、せめて遺せないだろうか。

 どんな形でも構わない。
 たとえそれが――“死”という絶対的絶望の前では、いかに脆く、虚しく、塵に等しき卑小のものだとしても。



第四章・父娘(おやこ)

 ――コンコン

 ドアをノックする。そして返事も待つことなく、絵空は勢いよくドアを開ける。
「こんにちはー! おねえちゃ……ん?」
 しかし開け放ったところで、絵空は目を瞬かせる。病室には天恵だけでなく、知らない大人の男性がいたからだ。
「……ん、この子が絵空ちゃんかい? 天恵」
 男性の質問に、天恵が笑みをこぼしながら無言で頷く。
 絵空は再び小首を傾げた。
「……こんにちは、絵空ちゃん。娘がいつも世話になっているそうだね」
「……あ、こ、こんにちは」
 ぎこちなく、絵空は再び挨拶する。視線を天恵へ向けると、今度は絵空に頷いてみせる。
「……前に話したでしょう? この人が、私のお父さん」
「……へー……」
 絵空はまじまじと、イスに座ったその男性を観察する。
 絵空から見た天恵の父――月村浩一は、病院で接する医師や看護士とはだいぶ違う、一線を画す男性に映った。グレーのスーツに身を包んだその身体は、体格もよく、どっしりとした身構え。雰囲気も落ち着いていて、頼りになりそうな、たくましい印象を受ける。
「……? 何だい?」
 穏やかに浩一が問いかける。我に返った絵空は少し顔を赤くして、何でもない、と慌てて首を振る。
「……少し待っていて。もうすぐ終わると思うから」
「……え?」
 天恵と浩一の間を覗き込んで、絵空は気付く。二人はどうやら、M&Wのデュエル中だったらしい。
 二人に促され、絵空はベッドの上に腰掛ける。
「……ねえ、どっちが勝ってるの?」
 場に出たカードを見ながら、何気なく問いかける。
「……私のライフが残り200、お父さんのライフは4000よ」
「……へ?」
 絵空は目を瞬かせる。

 ――この強いおねえちゃんが、圧倒的に負けている?

 思わず、目を見開いて刮目した。


 天恵のLP:200
     場:巨大ネズミ,キラー・トマト,伏せカード3枚
    手札:1枚
 浩一のLP:4000
     場:マシュマロン,伏せカード2枚
    手札:4枚


「さて……次はお父さんのターンだったな。ドロー」
 浩一はすっとカードを引く。ドローしたカードを見て――口元に、笑みが漏れる。
「いくよ、天恵。私は墓地に眠る『サイバー・ドラゴン』と『イグザリオン・ユニバース』をゲームから除外し――」


サイバー・ドラゴン  /光
★★★★★
【機械族】
相手フィールド上にモンスターが存在し、
自分フィールド上にモンスターが存在していない場合、
このカードは手札から特殊召喚する事ができる。
攻2100  守1600

イグザリオン・ユニバース  /闇
★★★★
【獣戦士族】
自分ターンのバトルステップ時に発動する事ができる。
このカードの攻撃力を400ポイントダウンして
守備表示モンスターを攻撃した時にその守備力を攻撃力が
超えていれば、その数値だけ相手に戦闘ダメージを与える。
この効果は発動ターンのエンドフェイズまで続く。
攻1800  守1900


「――『カオス・ソーサラー』を、守備表示で特殊召喚」


カオス・ソーサラー  /闇
★★★★★★
【魔法使い族】
このカードは通常召喚できない。
自分の墓地の光属性と闇属性モンスターを
1体ずつゲームから除外して特殊召喚する。
フィールド上の表側表示で存在するモンスター
1体をゲームから除外する事ができる。
この効果を発動する場合、このターンこのカードは
攻撃する事ができない。
この効果は1ターンに1度しか使用できない。
攻2300  守2000


 浩一のプレイに対し、天恵はすかさず場の伏せカードに手をかける。
「ライフを半分支払い――カウンタートラップ『神の宣告』! このカードの効果で、お父さんの『カオス・ソーサラー』の特殊召喚を無効にし、破壊するわ」


神の宣告
(カウンター罠カード)
ライフポイントを半分払う。
魔法・罠の発動、モンスターの召喚・
反転召喚・特殊召喚のどれか1つを
無効にし、それを破壊する。


 天恵のLP:200→100

「……甘い。カウンタートラップ『混沌の封術』!」
 それに対し、浩一の場の伏せカードもすかさず表にされる。


混沌の封術
(カウンター罠カード)
自分のフィールド上に光・闇属性モンスターが
ともに存在する場合に発動する事ができる。
魔法・罠の発動を無効にし、そのカードを破壊する。


「このカードの効果で『神の宣告』を無効化……よって『カオス・ソーサラー』の特殊召喚は有効となる」
「…………!」
 2人のデュエルを見ながら、絵空は目をパチクリさせる。
「そして、『カオス・ソーサラー』の特殊能力発動。この効果により……そうだな、『巨大ネズミ』をゲームから除外しよう」
 天恵のモンスター1体が、フィールド上から取り除かれる。
(……アレ?)
 そこで、絵空は小首を傾げた。確か『巨大ネズミ』には特殊能力があったはずだ――天恵とのデュエルを思い出し、その能力を回顧する。


巨大ネズミ  /地
★★★★
【獣族】
このカードが戦闘によって墓地へ送られた時、
デッキから攻撃力1500以下の地属性モンスター
1体を自分のフィールド上に表側攻撃表示で特殊召喚
する事ができる。その後デッキをシャッフルする。
攻1400  守1450


(……そっか、戦闘以外で倒せば、おねえちゃんのモンスターの効果は発動しないんだ……!)
 思わぬ攻略法に、絵空は口を半開きにして感心する。
「……さらに、『マシュマロン』を生け贄に捧げ――『雷帝ザボルグ』を召喚! そして、特殊能力発動。『キラー・トマト』を破壊する」
「……!」
 絵空は、浩一のプレイの一つ一つに目を見張った。


雷帝ザボルグ  /光
★★★★★
【雷族】
このカードの生け贄召喚に成功した時、
フィールド上のモンスター1体を破壊する。
攻2400  守1000


 天恵の『キラー・トマト』が、なすすべなく墓地へ送られる。『キラー・トマト』には『巨大ネズミ』と類似した効果があるが、“戦闘以外での破壊”なので、当然その効果は適用されない。


キラー・トマト  /闇
★★★★
【植物族】
このカードが戦闘によって墓地へ送られた時、
デッキから攻撃力1500以下の闇属性モンスター
1体を自分のフィールド上に表側攻撃表示で特殊召喚する
事ができる。その後デッキをシャッフルする。
攻1400  守1100


 天恵のLP:100
     場:伏せカード2枚
    手札:1枚
 浩一のLP:4000
     場:雷帝ザボルグ,カオス・ソーサラー,伏せカード1枚
    手札:3枚


(スゴイ……! おねえちゃんのモンスターが、あっという間にいなくなっちゃった……!)
 絵空は思わず、唾を飲み込んだ。
 絵空は天恵とデュエルするとき、常にモンスターを場に切らさない彼女のプレイに、いつも歯がゆさを感じていた。
 モンスターの“場もちの良さ”――それが天恵の強さの一つ。だが浩一には、彼女のその強みを苦にした様子が微塵もない。
「……そして、バトルフェイズ……! 『雷帝ザボルグ』で直接攻撃!」
 天恵はすぐに、場の伏せカードに手をかける。
「トラップ発動……『ドレインシールド』!」
「! あ……」
 絵空は息を呑んだ。自分とのデュエルでもたびたび使われる、天恵の代表的トラップの一つ。
 だが、それを読んでいた浩一は、手札から1枚のカードを選び出す。
「――カウンターマジック『罠はずし』! この効果で、『ドレインシールド』を無効とする」
「……! それなら――リバースマジック! 『コピーキャット』っ!」
 天恵が表にする、1枚の魔法カード。見たこともないそのカードに、絵空は目を丸くした。


コピーキャット
(魔法カード)
相手が場に捨てたカードに
姿を移し変えることができる


「このカードで、お父さんの墓地の『魔法解除』をコピー……『罠はずし』を無効化するわ。よって『ドレインシールド』は有効となり――ザボルグの攻撃は無効。さらに私のライフが回復」

 天恵のLP:100→2500

(……ナ……ナニコレ……?)
 絵空の目が点になる。
 さっきから“有効”だの“無効”だのと、デュエルの内容が高度すぎて、さっぱりついていけなかった。


 天恵のLP:2500
     場:
    手札:1枚
 浩一のLP:4000
     場:雷帝ザボルグ,カオス・ソーサラー,伏せカード1枚
    手札:2枚


「……やるな、天恵……。私はこれで、ターン終了だ」
 どこか満足げな笑みを浮かべ、浩一がエンド宣言をする。
「私のターン、ドロー。……よし、私は『サンダー・ドラゴン』の特殊能力を発動。手札から『サンダー・ドラゴン』を捨て、同名カード2枚をデッキから手札に。さらに魔法カード――『天使の施し』!」
 『天使の施し』の効果により、カードを3枚引き、『サンダー・ドラゴン』2枚を捨てる。よって、天恵の手札は3枚まで増える。
「…………」
 場を見つめ、考える。やがて天恵は、手札から2枚のカードを出す。
「カードを1枚伏せ――『カオス・ネクロマンサー』を攻撃表示で召喚!」
「……! 『カオス・ネクロマンサー』か……!」
 浩一は思わず、笑みをこぼす。『カオス・ネクロマンサー』――天恵のデッキで終盤ほど活躍する、切り札級の強力モンスターだ。


カオス・ネクロマンサー  /闇

【悪魔族】
このカードの攻撃力は、自分の墓地に存在する
モンスターカードの数×300ポイントの数値になる。
攻 0  守 0


「今、私の墓地にモンスターは8体……。よって、『カオス・ネクロマンサー』の攻撃力は2400ポイント」

 カオス・ネクロマンサー:攻0→攻2400

(ネクロマンサーの攻撃力は、ソーサラーの守備力を上回っている……攻撃してくるか?)
 だが――と、浩一は考える。
 自分の場には、罠が仕掛けてある。攻撃してくれば、返り討ちは目に見えている。
「……ターン終了」
 天恵もそれは見越している。だから、あえて攻撃はしない。
「……? 私のターン、ドロー――」
 浩一がカードを引くと、天恵はすかさず、伏せカードを表にする。
「……この瞬間、手札を1枚捨て――罠カード『サンダー・ブレイク』!」


サンダー・ブレイク
(罠カード)
手札からカードを1枚捨てる。
フィールド上のカード1枚を破壊する。


「……! なるほどな」
 浩一の場の『カオス・ソーサラー』が破壊される。『カオス・ソーサラー』の厄介な除外効果、それを防ぐため早急に破壊したのだ。
「……そして、今捨てたのはモンスターカード『お注射天使リリー』……。よって、『カオス・ネクロマンサー』の攻撃力はさらに300ポイントアップ!」

 カオス・ネクロマンサー:攻2400→攻2700


 天恵のLP:2500
     場:カオス・ネクロマンサー(攻2700)
    手札:0枚
 浩一のLP:4000
     場:雷帝ザボルグ,伏せカード1枚
    手札:3枚


「……いい手だ。だが、少しだけ詰めが甘いな」
 したり顔の浩一。手札から、2枚のカードを場に出す。
「『可変機獣 ガンナードラゴン』を召喚し……魔法カード『カオス・パワード』を発動!」
「! あっ……」
 天恵は思わず、目を見張った。


可変機獣 ガンナードラゴン  /闇
★★★★★★★
【機械族】
このカードは生け贄なしで通常召喚する事ができる。
その場合、このカードの元々の攻撃力・守備力は半分になる。
攻2800  守2000

カオス・パワード
(魔法カード)
メインフェイズにのみ発動可能。
自分の場の光・闇属性モンスターをそれぞれ1体ずつ選択し、
以下の効果から1つを選択して発動する。
●選択した一方のモンスターを墓地に送る。1ターンの間、
その元々の攻撃力・守備力をもう一方のモンスターに加える。
この効果対象となったモンスターはこのターン、破壊されない。
●選択した、2体の決められたモンスターを融合させ、“混沌”を生み出す。
この効果で召喚された融合モンスターはこのターン、破壊されない。


「この効果により、ガンナードラゴンを墓地に送り……ザボルグはこのターン、混沌の力を得る。よってその攻撃力は、2800ポイントアップ!」

 雷帝ザボルグ:攻2400→攻5200
        守1000→守3000

 天恵のLP:2500
     場:カオス・ネクロマンサー(攻2700)
    手札:0枚
 浩一のLP:4000
     場:雷帝ザボルグ(攻5200),伏せカード1枚
    手札:1枚


「……やっぱり強いなあ……お父さんは」
 ふぅ、と天恵は一息つく。パワーアップしたザボルグの攻撃を受ければ、天恵のライフはちょうどゼロ――決着はついた。
「いや……お前も大したもんだよ。海外の大会にだって、お前レベルの実力者はそういないよ」
 浩一は苦笑する。いまだ13歳の少女が、大人も出場する大規模な大会で上位入賞、ましてや優勝でもしようものなら――きっと大騒ぎになるだろう。
「褒めすぎよ、お父さん」
 そう言いながらも、天恵は嬉しげな顔をする。

 ――天恵は誰より、父のことが好きだった。
 数年前、母を亡くして以来、父は自分を、男手ひとつで育ててくれた。
 誠実に、頼もしく、精一杯に。
 そんな父を、心から尊敬しているし、愛してもいる。
 父が幼いころから教えてくれたM&W。父へのその想いから、そのゲームの腕が自然と向上したのは、自明の成り行きだった。

 ――だからこそ、強い罪悪感を覚える。

 未来のない自分。その存在が、最愛の父を傷つける――そのことが許せなかった。


「――と……、ごめんなさい。待たせ――」
 思い出したように、天恵は絵空を振り返る。だが次の瞬間、呆気にとられた。
 絵空はキラキラと目を輝かせ、こちらを見つめてきているのだ。
「……す……」
「……す?」
 絵空は声を張り上げて、叫んだ。
「――すっごーーいっ!!!」
 と。



第五章・“もしも”

「――じゃあね〜♪ おねえちゃん、おじさん♪」
 絵空が部屋を出て行くと、浩一はヤレヤレと一息つく。
「元気な子だなあ……すっかり長居してしまった。だが楽しい、いい子じゃないか」
「……私はむしろ、ヒヤヒヤしたけどね……」
 口元を引きつらせ、天恵は苦笑する。以前のように、また発作を引き起こしてしまうのではないか――絵空の喚声で、そんな不安が頭をよぎったせいだ。
「……。それで――今回は、いつごろまで日本にいられそうなの?」
「……! 二週間……かな」
 そう、と天恵は小さく応える。
「……天恵、やっぱり――」
 天恵は、浩一の声を遮るように、首を横に振る。
「やりたい仕事なんでしょう? だったら、私はやってほしい……やるべきよ」
「……天恵……」
 思いつめた表情で、浩一は俯く。そして、すまない、と呟く。
 娘のやさしさに甘えてしまう、そんな自分のわがままに、心中で自嘲する。
「……私はこのゲームが……M&Wが好きだ。だからこそ、私の力の届く限り、精一杯に護りたい」
 一枚のカードを取り出す。
 他のカードとは明らかに一線を画す、至高のカード――生みの親、ペガサス・J・クロフォードより直々に受け取った“最強の切札”。
「……彼らを……“ルーラー”の全てを止めるまでは、な……」
 決意のこもった眼差しで、浩一は、その特別なカードを見つめた。


カオス・ソルジャー −開闢の使者−  /光
★★★★★★★★
【戦士族】
このカードは通常召喚できない。
自分の墓地の光属性と闇属性モンスターを1体ずつゲームから除外して
特殊召喚する。自分のターンに1度だけ、次の効果から1つを選択して
発動ができる。
●フィールド上に存在するモンスター1体をゲームから除外する。
この効果を発動する場合、このターンこのカードは攻撃する事ができない。
●このカードが戦闘によって相手モンスターを破壊した場合、もう1度だけ
続けて攻撃を行う事ができる。
攻3000  守2500


●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


「――えーっ!? おじさん、しばらく海外に行っちゃうの!?」
 二週間後――天恵の病室で、絵空が不満げに口を尖らせる。
「あ、ああ。どうしてもやりたい仕事があってね。またしばらく外国なんだよ」
 浩一は大きな荷物を抱えている。空港へ向かう前に、わざわざ立ち寄っただけらしい。
 むーっ、と絵空はつまらなそうな顔をしてみせた。
「ハハ、またすぐ帰って来るさ。そうだ……これをあげよう」
 ポケットからカードケースを取り出し、その中のデッキから、一枚のカードを取り出す。
 そして差し出したカードは――『雷帝ザボルグ』。
「……? いいの、おじさん?」
 絵空は目をしばたかせる。浩一と天恵のデュエルは何回も見た――このカードは、浩一のデッキでも中核を担う一枚のはずだ。
「構わないよ、他にも何枚か持っているから。天恵のデッキ対策には欠かせない、強力カードだぞ」
 そう言って、軽く目配せしてみせる。お父さん、と天恵が軽く拗ねた顔をする。
「……! ありがとう、おじさん!」
 浩一も嬉しげに笑うと、肩のバッグを担ぎ直した。
「それじゃあ天恵、お父さんはそろそろ」
 ええ、と天恵は頷く。
「……。何かあったら……すぐに連絡するんだぞ」
「……分かってる」
 二人の少女に見送られ、浩一は病室を後にした。


「よーしっ! 早速デュエルしてみよう!」
 大張り切りで、絵空はデッキを取り出し、その一番上にカードを置く。
「コラコラ。新しいカードを入れたんだから、少しはデッキ調整しなさい」
 天恵は苦笑する。だが、ここ最近の絵空のデュエルは、以前までのものと比べ、だいぶ様になってきていた。
 天恵や浩一が教えた、というよりは、二人のデュエルに触発された部分が大きいらしい。特に、浩一の戦術をある種の“理想形”と見たのか、その戦い方は浩一のそれに似てきていた。
「……でもさー、おねえちゃんはいいなー。あんな素敵なお父さんがいて」
「……そう?」
 天恵も、満更でもない様子で応える。誰にでも自慢できる最高の父だ――心からそう思っている。
「でも……それを言ったら、あなたのお母さんだって素敵な女性だわ。綺麗で、大らかで、女性らしくて……」
「そ、そうかなー?」
 照れてみせる絵空。絵空の方も、満更でない様子だ。
「――あ……、じゃあさ、じゃあさ! こういうのはどう?」
 いいこと思い付いた、と唐突に、絵空は両手の平を合わせる。
「おじさんがわたしたちのお父さんでー……おかあさんがわたしたちのお母さんになるの!」
「……は?」
 何を言っているのか、天恵はすぐには飲み込めなかった。
 少し悩んでから、ようやくその真意を理解する。
「……もしかして……再婚するってこと?」
「うん! それそれ!」
 大はしゃぎで、絵空はウンウン頷く。
 天恵はふと、以前聞いた、絵空の父のことを思い出す。絵空は生後まもなく父を亡くしており、その記憶はほとんどない――だからこそ、安易にそう言えるのかも知れない。
 天恵の母は数年前まで生きていたし、父同様、大好きな、尊敬する人だ。一生忘れるはずもない、記憶に深く刻まれた人。新しい母親ができるなど、安易に認める気にはなれない。
 ……でも、あの人なら――と、美咲を思い浮かべ、天恵もつい、少しだけその気になってしまう。
「――って……、それは本人たちの意思次第でしょう? 私たちに決められることないじゃないわ」
「だから、“もしも”の話だよ。も・し・も♪」
 そう付け加えながらも、絵空はすでに乗り気だ。それでね――と、ことばを続ける。
「おねえちゃんはわたしの、本当のお姉ちゃんになるの♪」
「……え?」
 思わぬことばに、天恵は瞬きを繰り返す。
「それでね、退院できたら……家族4人で暮らすの! おかあさんとー、おじさんとー、おねえちゃん、それからわたし! ね、楽しそうでしょ?」
 指を折りながら、楽しげに絵空は話す。脳裏にはすでに、幸福な一つの“家族”が出来上がっているのだろう。
 確かに楽しそうだ――天恵も思わず、笑みを漏らす。

 ――けれど――

(……そんな幸せな日は、決してやって来ない……)
 天恵は“現実”を知っている。自身に課せられた、抗いようのない“現実”を。

 ――もしも、叶いそうだとしても……そこに私の姿はない
 ――あるのはせめて、“3人”の幸せな家族

 ――私のいない、“3人”の幸福な家族――


「…………」
 口を結ぶ。
 何故だろう――心の底から沸き上がる、ちいさな“黒い”感情。

 ――羨ましい

 ――妬ましい

 ――呪わしい――


「……そうね」
 わずかな動揺を覚えながらも、それを誤魔化すように、天恵は口を開く。
「“もしも”――そうなったら、きっと楽しいわね」
 儚い笑みを浮かべながら、天恵は何も知らない、無垢な少女に応えた。



第六章・重ねたもの

「――ねえねえ、おねえちゃんは生まれ変わったら何になりたい?」
「……生まれ変わり?」
 絵空の唐突な問いに、天恵は眉をひそめる。
「昨日ね、テレビでやってたの。“あなたは○○の生まれ変わりです”――って」
「……ふうん」
 楽しげに話す絵空。
 多分どこかの胡散臭い占い師が、バラエティー番組にでも出たのだろう。しかし、それならば“前世は何だと思う?”と問うのが筋ではないか――そう思い、訊いてみると絵空は、
「だって、前世なんて分かってもしょうがないじゃない?」
 とのことだった。
 考え方がズレていて、何だか絵空らしい気がした。
「じゃあ……あなたは何になりたいの?」
「え……わたし? わたしはねー……」
 口元に指を当て、視線を上に向けて、絵空は考える。
「……キリンさん?」
 首を傾げて問う。そう問われても、こちらには応えようがない――天恵はたまらず失笑した。
「そ、それよりおねえちゃんは? 何になりたい?」
 自分のことはいい、といった様子の絵空。どうやら、深く考えずに出した話題であるらしい。そのことを誤魔化したいようだ。
「……そうね……生まれ変わりか……」
 天を仰いで考える。
 現実主義者の自分は、“生まれ変わり”などという非科学的な話は信じない。あくまで“もしも”の話だ。
 けれど――そのときの天恵は、安直な回答をする気になれなかった。
 生まれ変わり――自分の死後のこと。下らない戯言として処理する気にはなれなかったのだ。
(……生まれ変わり……か……)
 考えたこともなかった。
 死ねば消える――現実的に考えて、それが真理。
 けれどもしも、万一、死後に生まれ変われる機会があるのだとしたら――

 なかなか思いつかない。
 ふと視線を下ろすと、絵空は興味津々といった様子で、天恵を見つめてきている。
 それが何だか可笑しかった。だから、少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべて、思いつきで天恵は答える。
「――あなたになりたい……かな」
「……へ?」
 予想だにせぬ返答に、絵空は目を丸くする。
「もしも生まれ変われるなら……今度は、あなたみたいに純粋で……可愛くて……」

 ――そして未来がある――

「……そんな女の子に……“もうひとりのあなた”になってみたい、かな」
 天恵は微笑んでみせる。絵空は少し照れくさそうに、小首を傾げた。



●     ●     ●     ●     ●     ●     ●



 ――蝉時雨が、少しずつ遠くなった。

 ――院内の木々が少しずつ、色鮮やかに染められていく。

 ――そして枯れていく。冬の始まり。

 ――雪の降りそうな寒空。それは、暖かな春を迎える通過儀礼。

 ――冬の過ぎ去りし後には穏やかな春が待っている、はずなのだ――



「いっくよぉ! わたしのターン、ドロー!」
 窓の向こうには、寂れた、冷たい冬景色が広がっている。
 それでも、病室には暖房が完備してあったし、その中にいる限りでは、快適な気温で過ごすことが出来る。冬の冷気を嫌った、人間の英知の賜物である。
 ――月村天恵の病室。その中では、いつものように、天恵と絵空がカードゲームを楽しんでいた。
「わたしは場の伏せカード――『早すぎた埋葬』を発動! ライフポイント800を支払って……、墓地から『雷帝ザボルグ』を特殊召喚するよ!」


早すぎた埋葬
(装備魔法カード)
800ポイントライフポイントを払う。
自分の墓地からモンスターカードを1体選んで
攻撃表示でフィールド上に出し、このカードを
装備する。このカードが破壊された時、
装備モンスターを破壊する。

 絵空のLP:1200
     場:雷帝ザボルグ,早すぎた埋葬,伏せカード1枚
    手札:2枚
 天恵のLP:2700
     場:魂を削る死霊,伏せカード2枚
    手札:2枚


「そして、ザボルグを生け贄に捧げて――『偉大魔獣ガーゼット』召喚!」
「……!!」
 天恵が眉を動かす。対する絵空は、軽くガッツポーズを決めてみせた。
「ガーゼットの攻撃力は、生け贄にしたモンスターの2倍……! つまり、4800ポイントだよ!」

 偉大魔獣ガーゼット:攻0→4800

(……でも……私の場には無敵モンスター『魂を削る死霊』がいる。単純な攻撃力だけでは攻略できない……)


魂を削る死霊  /闇
★★★
【アンデット族】
このカードは戦闘によっては破壊されない。
魔法・罠・効果モンスターの効果の対象に
なった時、このカードを破壊する。この
カードが相手プレイヤーへの直接攻撃に
成功した場合、相手はランダムに手札を
1枚捨てる。
攻 300  守 200


 しかし、それは絵空も百も承知だ。だから、手札に残された最後の魔法カードを使用する。
「えっへへ〜♪ これで、このカードの発動条件が満たせたよ! 手札から『遺言状』を発動!」


遺言状
(魔法カード)
このターンに自分フィールド上の
モンスターが自分の墓地へ送られた
時、デッキから攻撃力1500以下の
モンスター1体を特殊召喚する事ができる。


「このカードの効果で……デッキから『ならず者傭兵部隊』を特殊召喚! その特殊能力で――おねえちゃんの壁モンスターを破壊するよ!」


ならず者傭兵部隊  /地
★★★★
【戦士族】
このカードを生け贄に捧げる。
フィールド上のモンスター1体を
破壊する。
攻1000  守1000


 絵空のカードとともに、天恵の場の唯一の壁モンスターが墓地に送られる。
 天恵のモンスターはゼロ――だが、まだ伏せカードは2枚ある。
「いくよ……! ガーゼットで、おねえちゃんに直接攻撃っ!」
 天恵は当然の如く、伏せカードに手を伸ばす。
「手札を1枚捨て――罠カードオープン! 『サンダー・ブレイク』! このカードで――」
 だが、絵空もすかさず、場の伏せカードに手を伸ばした。
「……残念♪ 永続トラップ発動! 『王宮のお触れ』っ!」


王宮のお触れ
(永続罠カード)
このカードがフィールド上に表側表示で
存在する限り、このカード以外の罠カードの
効果を無効にする。


「このカードで『サンダー・ブレイク』は無効! これで――」
 勝った――絵空は一瞬そう思う。だが、天恵はもう一枚の伏せカードに手をかけた。
「リバースマジック! 『スケープ・ゴート』っ!」
「!?」
 天恵の場に、4体の羊トークンが守備表示で特殊召喚される。ガーゼットの攻撃が、そのうち1体を破壊するが――ただの守備表示モンスターを破壊したところで、ダメージは望めない。


 絵空のLP:1200
     場:偉大魔獣ガーゼット(攻4800),王宮のお触れ
    手札:0枚
 天恵のLP:2700
     場:羊トークン(×3)
    手札:1枚


「――あーっ! 惜っしいっ!」
 絵空は悔しげに叫ぶ。対照的に、天恵はほっと胸を撫で下ろした。
(……危なかった……。『スケープ・ゴート』を伏せていなかったら、私が負けていたわ……)
 二人が知り合って半年余りが経つ。天恵やその父・浩一とのデュエルの中で、絵空の戦術レベルは驚くほどに急成長していた。
「……ターン終了。おねえちゃんのターンだよ」
 少し肩を落としながら、絵空はエンド宣言をする。手札はゼロ、自分にとれる選択肢はもうない。
 だが――『王宮のお触れ』で罠は封じているし、ガーゼットの攻撃力は4800。簡単には攻略できないはず、そう思い直す。
「……私のターン、ドロー」

 ドローカード:団結の力

「…………!」
 ドローカードを手札に加え、天恵は真剣な表情で考え込む。
 手札はたった2枚。とれる選択肢は多くない。
(……ガーゼットの攻撃力4800には、『団結の力』を用いても届かない、か……。でも――)
 不敵な笑みを漏らし、手札のモンスターカードへ指を伸ばす。
「私は、『キラー・トマト』を攻撃表示で召喚」
「……! 攻撃表示……?」
 何かしてくる――絵空はそれを、何となく感じ取る。
(まさか『強制転移』……!? わたしのガーゼットの攻撃力は4800だし、戦闘での破壊は不可能なハズ……)
 絵空はゴクリと唾を飲み込む。
 もしも『強制転移』なら、確実に絵空の負けだ。だが、天恵が次に出したカードは、絵空の予想とは全く違うものだった。
「さらに、装備カード発動――『団結の力』!」
「!?」
 天恵の出す予想外のカードに、絵空は眉根を寄せた。


団結の力
(装備カード)
自分のコントロールする表側表示モンスター1体につき、
装備モンスターの攻撃力と守備力を800ポイントアップする。


「もちろん、装備対象は『キラー・トマト』。そして、私の場のモンスターは計4体……攻撃力が3200ポイントアップ!」

 キラー・トマト:攻1400→4600

「……?? でも……ガーゼットの攻撃力は4800だから、届かないよ……?」
 何か勘違いをしているのではないか、そう思い、絵空は問いかける。
 確かに、『キラー・トマト』の攻撃力は急激に上昇し、ガーゼットに近づいた。だが、これで天恵の手札・伏せカードはすでにゼロ。たった200ポイントの差でも、これでは埋めようがない。
 だが、天恵の表情は極めて冷静。余裕すら見られる。
「……いいのよ、これで。バトルフェイズ――『キラー・トマト』でガーゼットを攻撃!」
「……!」
 手札も伏せカードもない、この状態でガーゼットをどう攻略するのか――絵空はそれに注目する。
 攻撃力差はたった200。あるいは、墓地からでも攻撃力を上げられる特殊カードでもあるのだろうか――そう考える。だが、天恵にそんな素振りはない。
「……『キラー・トマト』の攻撃力は、ガーゼットに及ばない。よって戦闘で破壊され、墓地へ送られるわ」
「……へっ?」

 天恵のLP:2700→2500

 すまし顔でカードを墓地に置く天恵。その様子に、絵空の目が点になる。だが、天恵も目的なく、こんなことをしたのではない。
「……そしてこれにより、『キラー・トマト』の特殊能力発動……。その効力により、デッキから――攻撃力1500以下の闇属性モンスター『キャノン・ソルジャー』を特殊召喚」


キャノン・ソルジャー  /闇
★★★★
【機械族】
モンスター1体を生け贄に捧げ、
相手のライフポイントに
500ポイントのダメージを与える。
攻1400  守1300


「…………。あああああっ!!!」
 その手があったか、と絵空は驚き、両目を見開く。


 絵空のLP:1200
     場:偉大魔獣ガーゼット(攻4800),王宮のお触れ
    手札:0枚
 天恵のLP:2500
     場:キャノン・ソルジャー,羊トークン(×3)
    手札:0枚


「……そして、『キャノン・ソルジャー』の特殊能力により、羊トークン3体を生け贄に捧げる――あなたに1500ポイントのダメージを与えるわ」

 絵空のLP:1200→0

「…………」
 自らの敗北決定に伴い、絵空はがっくりとうなだれた。
「……うーっ、また負けたぁ……」
 今回は勝てると思ったのになぁ、と悔しげにボヤく。
 デュエルを終え、天恵は大きく息を吐いた。
(……驚いた……こんなレベルのデュエル、同年代の子相手では初めて……)
 天恵はまじまじと、絵空を見つめた。
 しかも、デュエルしていて感じることだが、絵空はいまだ発展途上だ。自分がデュエルで負けるのも、もはや時間の問題かも知れない。

 ――もっとも、それだけの時間が、自分に残されていればの話だが――

「――よーし! おねえちゃん、もう一回やろっ! もう一回♪」
 今度こそリベンジ、と絵空は息巻きながら、自分のカードを集める。
「……今日は何だかご機嫌ね。何かいいことでもあったの?」
 絵空の様子を窺い、思わず笑みを零しながら、天恵は問う。
「えへへ……看護婦さんから聞いたんだけど、今日の夜ご飯はイチゴがつくんだって♪」
「……イチゴ?」
 ウン!とはしゃぎ気味に絵空は頷く。
 そういえば、確か以前――絵空は何より、イチゴが大好物だと言っていた。そのことを思い出す。
「イチゴって美味しいよねー。甘くってー、でもちょぴり酸っぱくってー、でもって食べると、口いっぱいにその美味しさが広がって……。ね、おねえちゃんも好きでしょ?」
「……まあ……どちらかと言えば好きだけど」
 夢見がちな視線を向ける絵空に、美咲はあくまで冷静に、普通の反応をしてみせた。
 その様子に表情を一変させ、絵空は面白くなさげな顔をする。
「それじゃあ……おねえちゃんは何が一番好きなの?」
「……私?」
 そうねえ……と、少しだけ考え、
「強いて言えば……鮭かしら。焼いた鮭」
 と答える。
「ふーん……」
 答えに相槌を打ちながら、絵空はそれを脳裏に浮かべる。
 焼き鮭といえば、よく朝ご飯に出てくる、主役になりやすいオカズだ。絵空も嫌いではないが、特別好きなわけでもない。それに、“大好物”と呼ぶには、いささか地味な、面白くない食べ物に思えた。
「うん……でも、おねえちゃんらしいかも……」
「……それ、どういう意味かしら?」
 気がつくと、天恵は不服げに、絵空の方を半目で睨んでいた。
「ア……アハハ。そ、それより早くやろう、もう一回」
 ぎこちない笑みを浮かべながら、逃げるように、絵空は提案する。絵空の方はすでに、自分のカードをまとめ、準備できていた。
 まったく、と不服げにボヤきながら、天恵が自分のデッキに手を伸ばしたとき――

 ――異変は起きた。

「――……!?」
 ひどい眩暈(めまい)、そして頭痛を覚える。天恵は顔をしかめると、頭を抱えこんだ。
「……!? おねえちゃん?」
 表情を曇らせ、絵空は天恵を覗きこむ。
 顔色が悪い。不安を覚えながら、絵空は懸命に呼びかける。
「おねえちゃん! 大丈夫?! おねえちゃん!」
「……大丈夫。平気よ」
 すぐに顔を上げ、天恵は微笑む。しかし、その顔は蒼白としている。とても“平気”だとは思えない。
「ただ……少し、疲れちゃったみたい。だから……今日は、ここまでにしましょう」
「……う、うん……」
 戸惑いながら、絵空はデッキを片手に、イスを立ち上がる。
「……ホントに大丈夫? おねえちゃん」
 お医者さん呼ぼうか?と絵空。天恵は小さく首を横に振る。
「……平気よ。だから――ね」
「…………」
 ためらいがちに、絵空はドアへ向かう。
「またね――おねえちゃん」
 名残惜しげな声。
 ドアが閉じる音。
 絵空が出て行ったことを確認すると、ほっと息を吐く。天恵は額に掌を当て、前髪をかき上げながら俯く。
(……始まった、か……)

 ――夢の終わり
 ――終わりの始まり

 思いつめた瞳で、天恵は、窓の外へ目線を向ける。
 淋しげな景色。枯れ果てた木々。

 ――自分は、何かを遺せただろうか……?

 天恵は思う。そしてそれは、遺す意義のあるものだったろうか――と。
 自分の生に、意義はあったのか。意義を遺すことはできたのか。

「…………」

 全身が震える。
 足りない――もっと、確かなものを遺したい。

 ――はっきりと
 ――強く
 ――明確に

 頭の中で繰り返される、残酷すぎるほど強い願望。

 ――死ニタクナイ
 ――消エタクナイ
 ――生キタイ

 狂ったように繰り返す。

 それが無意味だと知りながら。

 もがくように。
 あがくように。

(……どうして……?)
 天恵は問わずにいられない。

 ――こうなることは分かっていた
 ――覚悟はできていたはずだ

 ――消えてしまえば辛くない
 ――消えてしまえば悲しくない

 ――そのはずなのに……どうしてこんなに震えている?

 ――どうしてこんなに辛い?
 ――苦しい?
 ――痛い?

 脳裏に浮かぶ、一人の少女。
 幸せそうに、無垢に笑う少女。

 “逆だったら良かったのに”――わずかに生まれる“黒い”願望。

 そうだ――私だけがこんな目に遭う、そんな正当性がどこにある?

 ――生キタイ
 ――消エタクナイ
 ――イツマデモ
 ――永遠ニ

 少女の笑顔を浮かべながら、恨めしく、呪うように呟く。

 ――傷ツケバイイ
 ――壊レレバイイ

 ――私ノヨウニ
 ――私ノタメニ


 ――アナタモ――


 何かが――“こころ”が、音をたてて崩れてゆく。壊れてゆく。
 ベッドのシーツを握り締め、瞳を震わせながら、天恵はそんな感覚を覚えた。


●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


 その日以来、絵空が天恵と会える機会は、極端に減っていった。
 医者に長居を止められるようになり、いつしか、天恵の病室には“面会謝絶”の札が下げられるようになる。
 その札は時に外され、再び取り付けられる。
 取り付けられる期間も、次第に長くなっていく。
 そして、“面会謝絶”を重ねるたびに、天恵の容態は、目に見えて悪くなっていった――


●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


 ――春が来た。病院の桜の木は、桃色の花びらをいっぱいに咲かせる。
 絵空は12歳の誕生日を迎える。その日も、天恵の病室は“面会謝絶”だった。

 ――数週間後、手術のため、絵空はアメリカへ行くことになった。
 以前から決まっていたことだ。12歳になったら、アメリカへ手術を受けに行く――その手術に成功すれば、自分は退院できる。身体は治り、外の世界へ自由に出られるようになる。

 ――待ちに待った手術。
 不安がないとは言わない。けれどそれ以上に、希望に満ちた手術。

 しかし絵空は、浮いた気持ちにはなれない。天恵のことを思うと、はしゃぐ気にはなれなかった。

 絵空は、担当の医師にお願いした。アメリカへ行く前に、もういちど天恵に会いたい――と。
 医師は、最初は渋っていた。しかし翌日、許可をくれた。それが天恵の意志でもあったらしい。


 ――病室前の廊下。
 二人きりで話したい――天恵はそう言ったらしく、付き添いの看護師もいなかった。
 ドアを開けるのに、少しためらいがある。

 ――コン……コン

「……こんにちは……」
 静かに、ドアを開く。明るく挨拶するつもりだったのに、ことばが重い。
 ――絵空には、一つの懸念があった。

 もしかして――まさか――その不安が、絵空の足と、口を重くする。

「……おねえ……ちゃん……?」
 奥のベッドを見つめ、絵空は愕然とした。
 ベッドの上にいるのは――ひどくやせ細った、青白い少女。

 ――別人かと思った。
 ――絵空の知る、憧れの“おねえちゃん”とは、違う人だと。

 そう思いたかった。本当は病室を間違えていて、生気を失いかけたその少女は、自分の知る“おねえちゃん”ではないのだと。
「……いらっしゃい、絵空」
「……!!」
 けれど、その少女の声色が、絵空の願望を打ち砕く。
 弱々しい、今にも消えてしまいそうな、儚い声。けれどそれは、自分の知る“おねえちゃん”のもの――現実が、絵空の心を打ちのめす。

「……どうしたの? 絵空」
 俯く絵空に、微笑んで問いかける。
 まるで――これが現実だと、教え込もうとするように。

 ――我慢できなかった。

 ドアの間近で。瞳を震わせながら。
 絵空は、訊いてしまった。

「――おねえちゃん……死んじゃうの……?」

 言うや否や、絵空はたまらず俯いた。
 しばらくの、重い沈黙。耐えられない――今すぐにでも病室を出て逃げたい、そんな衝動に駆られる。
 自分の中の不安を、汚濁を吐き出した――その後悔に襲われる。

 少女はゆっくりと、かすれた声で応えた。
「――死ぬわ」
 と。
 かすれた声で、しかし、いやにはっきりとした口調で。

 まるで絵空の心を握り潰さんとするかのように――天恵はそう応えた。



第七章・“傷”

「……え……?」
 絵空は呆然と立ち尽くした。
 瞳を揺らす。身体も震える。
 耳を疑う――いや、疑いたかった。

 ――死ぬわ――

 耳にまとわりつくことば。
 いつものように穏やかで、けれどわずかに、“棘”を含んで聴こえる声。
 それは聞き間違いではない、確かなことばであったと告げている。
 口の中が渇いて、舌が張り付いて気持ち悪い。
 おそるおそる、絵空は顔を上げた。
 やつれきった天恵の顔は、偽りのごとく穏やかだった。
 動揺する絵空を見つめながら、小さく笑みをこぼすと、天恵はことばを紡いだ。
「……冗談よ」
「……へ?」
 絵空はキョトンとしてしまう。
 天恵は肉の削げた顔で、けれどいつものように、やわらかな笑みを浮かべてみせた。
「……最近は、少し容態が良くなかっただけ……。でも大丈夫。峠は越したし、だいぶ良くなってきたから」

 ――本当だろうか?

 絵空の心に、懸念が生まれる。目の前の青白い少女を見れば、当然の感情である。
 絵空の気持ちを察した天恵は、小さく苦笑してみせる。
「……本当よ。ただ、本当はまだ完全に良くなってはいなくて……。でも、あなたと――絵空と、しばらく会えなくなるって聞いたから。少し無理を言ってお願いしたのよ」
「…………!」
 いつものように、優しげな声。
 絵空は不安げに、天恵の顔を観察した。
 ――嘘を言っているようには見えない。いやそもそも、絵空は今まで、天恵に嘘を吐かれた記憶は一度もなかった。
 そこでようやく、絵空はほっと、安堵のため息を吐く。
 心配したんだよ、と天恵の側に寄った、いつものように。近づいて見るとなおのこと、天恵の容態は悪そうに見えた。それでも絵空は、天恵のことばを信じた――信じたかったから。
「……アメリカには、どのくらい行くことになりそうなの?」
「……分かんない。移植させてもらう臓器の適合率の問題とかもあって……半年とか、一年とか……」
 美咲から聞いたことを反芻しながら、ぎこちなく、絵空は天恵に説明する。
「……そう。長い間……会えなくなりそうね」
「……ウン」
 絵空は残念そうにしょげる。せっかくおねえちゃんの具合が良くなったのに――と。
 そうしていると、天恵はやさしく、慰めるように、頭に手を置いてくれた。
「……大丈夫、また会えるもの……必ず。そうだ――これをあげるわ」
 微笑を崩さぬまま、髪に手をかける。
 背中の長い髪を束ねる、大切な黄色のリボン。
 それを解く。まとまりを失った髪が、静かに横へ広がった。
「……え? でも……」
 天恵の差し出すそれに、絵空は目を丸くする。
 以前に聞いた。母の形見の、何より大切なリボン――それをくれるという。不思議そうに、天恵を見上げる。
「……いいのよ。次に会えたとき、返してもらうから」
 穏やかに微笑みかける。
「……これは約束。また次に、必ず会うための……ね」
「……! ウン!」
 天恵のことばに、絵空は嬉しげに頷く。
 天恵は、絵空に後ろを向くよう言った。
 髪を結んであげるから――と。
 絵空は従順にそれに従い、身体を反転させる。

「……忘れないでね……私のこと」
 絵空の髪に触れながら、天恵は言う。
 モチロン、と、絵空は応える。
「……慣れない土地に、大切な手術……大変だと思うけど、がんばってね」
 髪をまとめ、リボンで結わえる。
 首の後ろ。ちょうど、天恵がいつもしているのと同じように――いや、“全く同じに”。

「……はい、できたわ。絵空」
 用意しておいた手鏡を渡す。
 それに映り込む自分を見て、絵空は目を輝かせた。
「カワイー! ありがとう、おねえちゃん!」
 絵空の無邪気な喜びように、天恵は満足げに微笑む。
「……とてもよく似合っているわ、絵空……。まるで――」

 ――まるで、私のようで――

「……いつでも、それを着けていてね……。大切にして。“忘れないように”」

 ――絶対に
 ――忘れられないように
 ――いつまでも
 ――永遠に

 絵空をやさしく抱き寄せる――会ったばかりの頃のように。
 この世で最も愛しいように、少女の頭を撫でる。
「……忘れないでね……私のこと」
 懐かしい感覚。絵空は気持ち良さそうに、それに埋没する。
 甘い、甘い意識の中。
 耳元で、まるで呪文のように、天恵は小さく囁いた。



『あなたが覚えていてくれれば――私は決して消えない』
 ――それは、魔法のように。
『“あなたの中の私”は――いつでもあなたの中にいる』
 ――それは呪文のように。
『“あなたの中の私”は――あなたの中で、永遠に生き続ける』
 ――それは呪詛のように。
『その代わり――“あなたの中の私”は、あなたを護る』
 ――それは契りのように。
『いつまでもいつまでも――あなたを護り続けるわ』
 甘いことばで縛る。縛り付ける。
 “護る”という名目で、別の意図をもって。
 絵空の心の奥底に、深く深く刻みこむ。


 ――“傷”のように――





「――それじゃあ……わたし、もう行くね」
 着けたばかりのリボンを揺らし、時計を確認しながら、残念そうに絵空が呟く。ええ、と天恵はやさしく応える。
「帰ったらまたデュエルしようね! 今度こそ、絶対にわたしが勝つんだから!」
「……それはどうかしらね?」
 天恵はクスリと、自信ありげに笑ってみせる。
「……待っているわ。また会いましょう――手術が終わったら」
「……ウン!」
 絵空は、ドアに手をかける。
 そこで思い出したように、振り返る。
「……今日、初めて“絵空”って呼んでくれたね」
 屈託のない笑み。
 心から嬉しげなその様子に、天恵の心がわずかに揺れる。それでも構わず、笑顔を繕った。
「……それじゃあ……またね――おねえちゃん!」
 いつもと同じ、別れのことば。次への約束を含んだ、やさしいことば。
「……! ええ。またね――絵空」
 絵空は手を振ると、静かに病室を出て行った。
 ドアが完全に閉まるまで、天恵も笑顔で、手を振った。
 名残惜しそうに、手を止めてからも、笑顔を繕い続けた。




(……最低だ――……!)
 病室に独り残されて、笑顔の仮面が崩れ落ちる。

 ――自分は何をした?
 ――自分は彼女に、何てことをしてしまった?

 こけた両手で、憎らしげに、シーツを握り締める。
 この上ない罪悪感に襲われる。


 ――……忘れないでね……私のこと


 それは呪い。
 彼女を傷つけることば。
 彼女の無垢な心を、ズタズタに引き裂き、破壊することば。

 ――最低だ
 ――最悪だ

 自分が遺そうとしたもの。遺そうとした証。
 それは“傷”。
 彼女に“傷”を残そうとした。自分の生きた証を、彼女に――“傷”として、刻みつけようとしたのだ。
 決して消えないように――深々と、はっきりと、凄惨に、明白に。
 自分のことばかり考えて、傷つけることさえ厭わずに。

 分かっていたはずだ。
 彼女の心は繊細すぎる――脆すぎる。

 “彼女の中の私”の存在は、すべからく彼女を傷つける。
 耐えられない――彼女の心には。負担が大きすぎる、幼すぎる彼女には。

 ――深く、確かな傷を残す。
 いや――もしかしたら、壊れてしまうかも知れない。


 ――ならば何故、彼女を選んだ?

 分かっていた。“だからこそ”だ。
 幼い彼女の心には、誰よりも深く“傷”を遺せるだろうことを。
 だからこそ、彼女を選んだ。
 だからこそ、より深く残るよう、強く強く残るよう念を押した。

 ――決して忘れないように
 ――決して、忘れられないように

 ――一秒でも長く、私に縛られるように
 ――いつまでも、私から逃れられないように


 ――泣いて欲しい
 ――傷ついて欲しい
 ――壊れて欲しい


 ――永遠に、私の“器”であり続けるために――




(何で……あんなことを……)
 天恵は後悔に沈み、頭を抱え込んだ。

 ――忘れるべきなのだ……彼女は、傷つかないために

 ――本当に彼女を想うなら、忘れさせてやるべきだった
 ――突き放すべきだった
 ――出会うべきではなかった
 ――やはり自分には、彼女を抱きとめる資格などなかったのだ

(……私は……)

 ――何て醜い
 ――何て汚い
 ――何て酷い


 ――忘れて欲しい
 ――私のことは
 ――こんな汚らわしい私のために、傷ついて欲しくない

 ――忘れて欲しい
 ――心から、無くしてしまって欲しい


 ――最初から、“月村天恵”などという人間は、この世に存在しなかったのだと――




 ……償いがしたかった。
 彼女のために、何でもいい。どんな小さなことでもいい。
 彼女の力になれることを。彼女の救いになれることを。
 贖罪のために。この罪から逃れるために。


 ――私という存在が、彼女に与えてしまう“傷”を少しでも埋められるように――




 ――そしてそれから、数ヵ月後。




 天恵は死んだ。



第八章・失くしたもの

 絵空がアメリカの病院へ移ってから、半年が過ぎた。

 絵空の手術は成功していた。
 難しい手術だったはずだが、執刀医は『奇跡的なほどに上手くいった』と説明している。
 今は術後の経過を見ている状況。そしてそれも良好ということで、近いうちに、日本へ帰国できることになった。

 ――しかし美咲は、憂鬱だった。
 日本へ帰れることはいい。だがその前に、どうしても絵空に伝えておくべきことがある。

 月村浩一から直接伝えられたこと。
 “彼女”の死。残酷な現実。

 美咲はその日、病室へ向かう足が重かった。今まで伏せてきた事実――それを今日、どうしても伝える決意をしていたからだ。
 できるなら隠しておきたい。だが日本へ帰る以上、そうもいくまい。
 病室の前に立つ。はぁ、と重いため息を吐いた。
 そこで身体は動かなくなり、無意味に立ち尽くしてしまう。
(……悩んでいても、しょうがないわよね……)
 いつまでも先送りにしていても、明日という日がより重くなり続けるだけだ。
 深呼吸をすると、美咲は覚悟を固め直した。
(……よし!)
 ドアへ手を伸ばす。しかし、ノブにそれが届く寸前で、再び下ろされてしまう。
 もういちど、美咲は大きくため息を吐いてしまった。
「……何やってるのかしら、私……」
 軽い自嘲が、口先から漏れる。やっぱり今日も駄目だろうか――そう諦めかける。しかしそのとき、耳に入ってくる声があった。


「――ウン、それでね……」


「…………?」
 美咲は小首を傾げた。
 病室の中から、絵空の話し声がする。ここは絵空用の病室なので、当然だが――しかしここは個室だ。
(……誰かと、話している……?)
 美咲はついつい、耳をそばだてる。
 相変わらず耳に入るのは、誰かに話しかけるような絵空の声。しかし、その相手と思しき声は少しも拾えない。
(……ずいぶん親しげに話しているけど……友達でもできたのかしら?)
 しかも、話しているのは日本語だ。同い年くらいの日本人患者でも見つけたのだろうか――そう思いながら、美咲はノックをした。
 ドアを開ける。
 しかし、中にいるのは絵空だけ――美咲はもういちど首を傾げた。
「……? いま……この部屋に、誰かいなかった?」
 ううん、と絵空は首を横に振る。
(……空耳……かしら?)
 そう思いながら絵空を窺うと、何だかご機嫌の様子だった。何かいいことでもあったのだろうか。
 絵空の背中で、黄色のリボンが揺れる。
 美咲の脳裏に、一人の少女が蘇る。

 ――“大人”だった彼女。
 ――絵空にとって、大きく、強い存在であろう彼女。

 絵空は日本の病院を発って以来、いつも、毎日そのリボンを着けていた。
 彼女からもらったという、そのリボン。
 彼女と同じ結わえ方。
 就寝時や入浴時など、特別なときを除けば、絵空はいつも、極力それを着けている。自分と彼女は、いつでも一緒にいる――そう主張するかのように。

 ――気が引けた。
 しかしいずれは言わねばならない――美咲は今度こそ覚悟を決める。

「……あのね……絵空」
「……? 何?」
 深刻な美咲とは対照的に、絵空は邪気のない、キョトンとした顔を向けてくる。
 ことばを濁しながら、しかし美咲はことばを続けた。
「……その……天恵ちゃんのことなんだけど……」
「……え?」
 美咲は眉をひそめる。
 同様に、絵空も眉をひそめた。
「……ソラエ……?」
 そして美咲より先に、ことばを紡ぐ。
「……だれ? それ」
 と。
 不思議そうに小首を傾げ、絵空はそう応えた。



第九章・いたずらに

「――検査の結果は……特に異常は見られません」
 手元のカルテに目を通しながら、医師は美咲に説明する。
「もっとも……あくまで“機械的な検査で分かる限りでは”の話ですが」
 そう言うと、医師はため息を一つ漏らす。
 場所は童実野病院の診察室。話は絵空のこと。
 絵空が――あれほどに親しかった“月村天恵”のことを、完全に忘れてしまった件について。
「……恐らく……絵空さんが天恵さんを忘れてしまったのは、心因的要因によるものと考えます」
 まだ若いその医師は、眉をひそめ、難しい顔をした。
「……まだ、憶測でしかありませんが……絵空さんの“心”が、天恵さんの死を受け止めることを拒絶した。そのために、その子との思い出を封印してしまった――のかも知れません」
「…………」

 そうだろうか――美咲は先日、絵空に天恵の話をしたときのことを思い出し、疑念を抱く。
 先日の自分は、まだ天恵の“死”については触れていなかったはずだ。
 天恵の名前を出しただけ。それなのに、絵空はその名に、何ひとつ覚えがないという。

 それではまるで――伝えるより以前に、天恵の“死”を知っていたようではないか?

 ――だが、だとしたらいつ? どこで? どうやって?


「……それで……娘は、絵空はどうなるのでしょう?」
 眉をひそめ、深刻な表情で美咲は問う。
 ふう、と医師はもう一度ため息を漏らす。
「……失われた記憶が、断片的すぎますからね……。ただでさえデリケートな問題ですので、こちらとしても対処の仕方が難しい。今は、無理に思い出させない方が賢明と思います」
 医師はカルテをデスクに置くと、改めて美咲の方へ向き直る。
「……私が学生時代、師事していた教授の受け売りですがね。人の“心”というものは、私たちが考えるより、ずっと精巧にできています。絵空さんが、天恵さんの“死”に耐えられず、忘れたというのなら……それはつまり、絵空さんの“心”にはまだ、彼女の突然の“死”を受け止められるだけの容量(キャパシティ)がないということかも知れません。傷つくことを恐れた、やむをえぬ自己防衛――ならば、それを無理にこじ開けるわけにはいきません。しばらくはそっとしておき、様子を見る……それがベストだと、私は考えますが……どうでしょう?」
「……! そう……ですか」
 美咲は目を伏せ、考える。

 確かに――思い出しても、絵空は辛い想いをするだけ。
 それならばむしろ、このまま忘れさせてあげた方が、絵空のためだろうか?

(……でも……)
 美咲は、それを正しいとは思えなかった。
 死んだ者は、生きる者の心の中でしか存在できない――ならば生きる者は、死んだ者のことを決して忘れるべきではない。
 いつまでもいつまでも。それは、死んだその人が生きていた、何より確かな証になるはずだから。


 美咲はイスを立ち、一礼すると、診察室から出ようとする。
 しかしそのドアの前で、ふと思い出したように立ち止まった。
「……。あの……娘がアメリカで行った、例の手術が関係しているということは?」
「……?」
 振り返り、美咲は医師に問いかける。
「……確か……心臓移植、でしたか」
 医師は口元に手を当てると、何かを思い出すように視線を逸らす。
 少し長い沈黙ののち、医師の口からことばが漏れる。
「……心の在り処」
「……え?」
 医師の発した聞き慣れぬことばに、美咲は怪訝げに反応した。
「あ……いえ。生憎、専門ではありませんので詳しくは……。ただ学生時代、ある講義で興味深い話を聞いたことがあります。“心の在り処はどこか?”――と」
「……? 心の在り処……ですか?」
 美咲が問い直すと、医師は苦笑してみせる。
「……模範解答は“脳”です。実際、学生の多くがそう答えました。ただ……果たして本当そうなのか、という論議があるんですよ」
 科学的な証明は一切ありませんがね、と医師は断りを入れる。
「移植手術を行った患者の中には、そのドナー……臓器提供者の記憶や特性、嗜好などの一部を継承する事例があると聞きます。科学的に見れば、人間の“心”――記憶や感情といったものは、“脳”によるものです。しかし、もしかしたらそうではなく、心臓――あるいはその他の器官にも“心”は残されているのではないか。“心の在り処”は“脳”とは限らないのではないか――という説です」
「…………!」
 でも――と医師は続ける。
「今回のケースは記憶の“喪失”……。移植との関係があるかは分かりませんね。一応、同様のケースの有無など、こちらの方で調べてみるつもりですが……」
「……よろしくお願いします」
 もう一度お辞儀をすると、美咲は診察室を出る。そしてそこで、考える――一瞬よぎった、ある予感を。

(……まさか……ね)

 ――まさか絵空の心臓は、あの子の――

 いや――と、美咲は首を横に振る。
 そんなことはありえない。彼女の父、浩一からも、そんな話は聞いていない。
 彼女は日本で亡くなったはずだ。ならばありえない。可能性はゼロのはずだ。
 それに、もし――万一そうだとしても、なぜ今回のようなことが起こるのか、説明のしようがない。

 ――心臓が、忘れられることを望んだ?
 ――だとしたら何故?
 ――何のために?

「……って、何を考えているのかしら、私……」
 思考がおかしな方向へずれている。“心臓が望む”など、馬鹿げているとしか思えない。
 美咲はたまらず失笑した。
 それに、医師も言っていたではないか。科学的な証明はされていないと。
 もっと現実を見なければ――美咲は自分に呆れながら、絵空の病室へ向かった。


●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


「……『巨大ネズミ』を攻撃表示で召喚して……『強制転移』を発動するわ」
 病室のベッドの上、いつもとは違う落ち着いた雰囲気で、カードを広げながら、絵空は、誰かに伝えるかのように宣言する。
 すっと目を閉じる。
 そして目を開けると、まるで別人のようにため息を吐き、がっくりと首を折った。
「……ううっ……負けたぁ……」
 ハタから見れば、何を言っているのか分からない。しかし、絵空だけに聴こえる声が、絵空の頭に響く。
『(……強力モンスターを安易に出しすぎなのよ……。それに『王宮のお触れ』を使えば、自分もトラップが使えなくなるし。モンスターを突破されたときのために、もっと防御用の魔法を入れてみたら?)』
 他の誰にも聴こえない、不思議な声。しかし絵空に驚いた様子はなく、従順に頷いてみせる。
「……ウン、そうする。えっと……」
『(……? 何?)』
 姿なき少女の声が、首を傾げて問いかける。
「うん……名前ないと、やっぱり呼び辛いなーって」
 カードを集めながら、絵空は考える。
「……よし! それじゃあ、わたしがあなたに名前を付けてあげる!」
『(……? 名前?)』
 姿なき“彼女”の返答も待つことなく、えーっとぉ、と口にしながら考え出す。
「……“名無し”さん?」
『(……名前じゃないわよ、それ)』
 声だけで、“彼女”は的確なツッコミを入れた。
「だってー、思いつかないんだもん。あなたは何か、リクエストないの?」
『(……そう言われても……ねえ)』
 困ったように、“彼女”は考える。幾つか仮名を考え、自分に当てはめてみるが――どれも、少しもしっくりこなかった。
『(……そもそも名前って、自分で考えるものじゃないと思うんだけど……)』
「……そう? ネット上のHN(ハンドルネーム)なんて、自分で考えるじゃない」
『(……それはそうかも知れないけど……)』
 “彼女”はいろいろ考えてみるが、やはりしっくり来るものはない。自分には、もっと相応しい名があるのではないか――そんなふうに思えてしまう。
「うーん……でもこのままだと不便だし。すぐじゃなくていいから、そのうちちゃんと決めようよ」
 ね、と同意を求めながら、絵空はベッドを飛び降りた。
『(……? どこへ行くの?)』
「おトイレ。もうすぐおかあさん来るはずだし」
 スリッパを履き、上機嫌で病室を出る。
「もうすぐ待ちに待った、退院の日……。ね、あなたはまず、どこへ行ってみたい?」
『(……公衆の面前では、あまり私に話しかけない方がいいわよ……)』
 廊下ですれ違う患者たちが、絵空を不思議そうに一瞥する。
 そっか、と絵空はたまらず苦笑した。
(でもさー……外の世界へ出られるかも思うと、嬉しくって。これで私も、他のみんなみたいに――)
 そこでふと、絵空の動きが、時が止まったかのように停止する。
(……!?)
 歪む視界。絵空は思わず、目を擦った。
『(……? どうかしたの?)』
 絵空がもういちど目を凝らすと、視界はいつも通り、整ったものへ戻っていた。
「……う、ううん。何でもない」
 そう言って、もう一歩踏み出したとき――再び眩暈を覚える。
 バランスを崩した絵空の身体は、次の瞬間、廊下の床に、うつ伏せに横たわっていた。
『(どっ……どうしたの!? 大丈夫!?)』
 “彼女”は慌てて、絵空の心へ呼びかける。
 しかしそのときの絵空は、すでに意識を失っていた。


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 ――退院が延びた。
 たぶん貧血だろう――最初、医師は安易にそう言っていた。
 しかし少しずつ、何かに蝕まれるように、絵空の容態は徐々に、確実に悪化の一途を辿った。

 いつからか、退院は夢物語となる。
 術後の投薬の副作用かとも思われたが、検査結果はあくまで正常。
 絵空の容体悪化は、以前までの病気とも、アメリカで行った手術とも無関係。
 原因は不明。説明のしようがない、現代医学には解明不能な、謎の症状。
 どう手を打てばいいのか、分からず医師は、頭を悩ませる。

 ある日、医師は呟いた。
 まるで、“呪い”のようだ――と。


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 ――その日の絵空は具合が悪く、朝から、ずっと寝たきりだった。
『(……大丈夫? “もうひとりの私”……)』
「……う、うん。だいぶ良くなったみたい。心配かけてゴメンネ、“もうひとりのわたし”……」
 絵空の発案で、二人の、お互いの呼称は定まっていた。
 “もうひとりの自分”――“彼女”に与えられた名前は、絵空と同じ『神里絵空』。
 同じ名前、同じ身体、けれど違う心を持つ、“もうひとり”の存在。
「……ねえ、もうひとりのわたし……」
『(……? 何?)』
 物は相談なんだけど――と絵空は続ける。
「何だか、喉が渇いてきちゃった……。ジュース、買ってこない?」
 絵空の問いに、ヤレヤレと、“彼女”はため息を漏らした。
『(その言い方だと、買ってくるのは私なのよね……)』
「エヘヘ、大せいか〜い♪」
 調子よくそう言うと、絵空は目を閉じる。
 そして目を開けると――すでに先ほどまでとは違う、“もうひとりの絵空”が表に出てきていた。
「……あなたは今、本当は安静にしてないといけないんだから……。本当はこういうの、良くないんだからね?」
 仕方ない、といった様子で、“彼女”はベッドを立ち、スリッパを履く。
『(……あ、イチゴミルクでお願いね♪)』
「……はいはい」
 なるべく身体に負担をかけないよう心がけながら、彼女は病室を出る。
 不思議なことに、“もうひとりの絵空”が表に出ても、絵空が訴える不調は一切感じられなかった。
 頬をつねれば痛みもある。感覚がないわけではない。
 しかし何故か、絵空の感じる不可思議な身体不調だけは、どうしても“彼女”には感じられなかったのだ。

 ――“彼女”は、知らなかったのだ。
 絵空の感じる不調――それが、自分のせいであることを。自分の“魂”が、自分の存在が、絵空の身体に無用な負担をかけているのだと。



 ――数ヵ月後、絵空は死期を宣告された。


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「……ごめんね……!」
 泣きながら――絵空は“彼女”に謝った。何度も何度も謝った。
『(……どうして謝るのよ……?)』
 “彼女”も泣いた。

 悲しくて――苦しくて――許せなくて――



「……どうしてよ……!?」
 絵空が眠ってから、“彼女”は呪わしげに呟く。

 ――なぜあなたが悲しまないといけない?
 ――なぜあなたが苦しまないといけない?
 ――なぜあなたが?
 ――なぜ?

 繰り返される自問。沸き上がる、怒りにも似た激しい感情。

 ――守りたい
 ――彼女を
 ――もうひとりの私を

(――私は……!!)

 脳裏をよぎる、微かなことば。
 それが何であるかを、“彼女”は認知できない。
 しかし確かに、“彼女”の心に届いた“誓い”。


『……忘れないでね……私のこと』

 誰のことばか――“彼女”はそれを知らない。




『あなたが覚えていてくれれば――私は決して消えない』

『“あなたの中の私”は――いつでもあなたの中にいる』

『“あなたの中の私”は――あなたの中で、永遠に生き続ける』

『その代わり……“あなたの中の私”は、あなたを護る』

『いつまでもいつまでも――あなたを護り続けるわ』




 心臓が高鳴った。
 護らなければならない――ある種の使命感が、“彼女”の中に芽生える。

 ――あなたを護るために
 ――あなたを救うために

 ――そのためなら、何だってする

 ――悪魔でもなんでもいい……この幸せを守れるなら、何に祈ってもいい

 ――他人を傷つけても構わない

 ――不幸にしても構わない

 ――殺しても、構わない

 ――そのために、私はここにいる

 ――そのため“だけ”に、私はここにいる。いることが許される――



『……イイダロウ』
「――!?」
 突如きこえる低い声。“彼女”は咄嗟に、顔を上げた。
『……貴様ノ覚悟……トクト聞カセテ貰ッタヨ』

 病室のドアの前で、“それ”はククと下卑た笑みをこぼしていた。
 黒い装束に身を包み、フードを深く被った怪しい風体。その身体からは、深く濃い“闇”が滲み出ている。

『貴様ノ願イ……叶エテヤロウ。コノ儂(ワシ)ガナ……』
 ――“死神”が、そこには立っていた。



第十章・“影”

「……ふぇ〜……」
 病室のベッドの上。目の前に立つ一人の少女に、絵空は目を丸くした。
 その少女の名前は――『神里絵空』。先ほどまで自分の中に、“心”だけのものとして存在していた、“もうひとりの絵空”なのだ。
「すっご〜い……。ホントに、どうなってるんだろう?」
 眼前の“彼女”の容姿は、自分と全く同じもの。
 瞬きを繰り返しながら、確認するように、ぺたぺたとその身体に触れる。
 ベッドの上でパジャマ姿の絵空に対し、“彼女”は学生服を着ていた。この近くにある高校、童実野高校の女子制服だ。
「……。ごめんね……もうひとりの私」
「……? 何が?」
 絵空は首を傾げる。けれど“彼女”が――“もうひとりの自分”が何を言わんとしているのかは、すぐに分かった。
「……わたしのことは、気にしなくていいから……ね。楽しんできてよ、わたしの分も」
 そう言って、陰りのない笑みを浮かべた。
 絵空は、事の真相を把握してはいなかった。
 ただ“彼女”から、絵空の身体と離別することが可能であり、そして外の世界へ出てみたい――そう聞かされ、絵空はすぐに快諾した。

 ――詳しくは聞かなかった。
 “彼女”が自分の要望をはっきりと口にするのは、ほとんど初めてに近かったから。
 深くは訊かずに、“彼女”の意思を尊重した。


 ――それが自分のために、“死神”の力を用いて行ったこととは知らずに――




 医者や看護師に見つからぬよう、こっそりと、“彼女”は病院を後にした。

 外の世界に、広がる青空。こみ上げる開放感。
 心地良いその感覚に、しかし“彼女”は罪悪感を覚える。

『(……分カッテイルナ? 契約ヲ……)』
「……!」
 ポケットにしまった、数枚のカードから聴こえる声。
 先日現れた“死神”の正体。“彼女”は静かに、首を縦に振る。
「……あなたの言う“闇のゲーム”を行い、決闘王(デュエル・キング)――武藤遊戯に勝利する。そうすれば、あなたは“もうひとりの私”の命を救ってくれる……そうでしょう?」
 舗装された歩道を歩きながら、小声で“彼女”は問いかける。
『(……イヤ……違ウナ)』
 “死神”がニタリと、残酷な笑みを浮かべた――そんな気がした。
『(“闇ノゲーム”ヲ行イ、“貴様ガ”ソノ男ヲ“殺ス”――ソレガ契約ダ)』
「……!」
 “彼女”は顔をしかめる。しかし、その足を止めることはない。
『(楽シミダヨ…。貴様ハ相手ヲ殺ス時、ドンナ顔ヲスルノカ…? 苦悩? 悲嘆? ソレトモ……)』
 “彼女”の心を抉(えぐ)るように、“死神”は愉快げにことばを続ける。“彼女”の頭に直接響く、拒めない、残酷なことばを。
「……。それでも――構わないわ」
 歩調は緩めない。顔は下を向いても。むしろ、加速させる。
「……もうひとりの私を救えるなら、私はどんなことでもする……! 他人を傷つけても、自分が傷ついても、私は全く構わない……!」
『(…………)』

 強い意志だ――“死神”はそう思う。
 今まで憑り付いた者の中でも特に。だが、それゆえに崩してみたい――“死神”はそうも考える。
 少し考えてから、再び問いかける。

『(……ダガ――ソレデ、本当ニ良イノカナ……?)』
「……!?」
 “彼女”はそこで、初めて歩みを止めた。
『(他人ヲ殺シ、自分ノ近シキ者ヲ救ウ…。“エゴ”モ甚ダシイ。不幸ノ押シ付ケダ。貴様ハソノ意味ヲ、本当ニ把握シテイルカ? ソノ“罪”ニ、貴様ハ耐エラレルカナ……?)』
「…………!」
 拳を握り締める。
 顔は俯かせ、上げないまま――しかし、足は再び動きだす。
「――関係ないわ……そんなこと」
『(……!?)』
 ――決意の瞳。
 迷いなき凛とした声で、“彼女”は断言する。
「……あの子を救えさえすれば、私はそれでいい……。罪は全て私が背負う。あの子の幸せ……それが、それ“だけ”が、私の唯一の願い。何事にも代えがたい、唯一の望み。私はあの子の、“影”なのだから……」
『(…………)』

 強い意志だ――“死神”はそう思う。
 同時に、ある種の既視感を抱く。

 “死神”は、この少女と似た人間を知っていた。
 大切な誰かのために、自らを犠牲にせんとした男。
 自分を“影”とし、自らを軽んじ、それを幸福と信じ、“罪”に潰れた男。
 男は正義に溢れていた。
 男はそれを、正義と信じた。
 だがその真実は――あまりに醜く、残酷だった。

 ――ただ一人の兄のため、“影”として生きんとし、心を賭した男
 ――“影”として生きると決め、“罪”を被り、苦悶した男
 ――そして……信じたその男を失い、崩壊した男

 “死神”は少女に哀れに思う。

 “影”として存続せんとする。
 他人の幸福を、自らの幸福と“思い違える”――それは不幸なことだ。
 思い違えたその男は、砕けたその心を“闇”へと捧げ、腐らせた。

 ――男は“ヒト”ではなくなった。
 ――何を求めるとも分からぬ、“化け物”へと成り下がった。

 自らの求めるものを、“死神”は知らない。

 ――自分はなぜここにいる?
 ――自分は未だ、何を求め、なぜ存在している?

 それさえも分からない。“化け物”と化した自分には、何もかもが分からない。分かろうとさえ思えない。


『(……愚カダヨ……小娘)』
 虫唾が走った。吐き捨てるように、“死神”は言う。
『(ナラバ――“予言”シヨウ)』
 “呪い”のごとく、“死神”はことばを紡ぐ。
『(…貴様ハイズレ必ズ、アノ少女ヲ疎マシク思ウ……。“影”デアル自ラヲ差シ置キ、幸福トナル少女ヲ。ソシテ、イズレ貴様ハ――少女ヲ憎ミ、殺シタイトマデ思ウ。ソレガ“影”ダ)』
「――……!!」
 少女の足が再び止まる。効果ありと見た“死神”は、愉快げに追い討ちをかける。
『(分カッテイルノダロウ……? 貴様ハ。貴様ノ“立チ位置”ヲ)』
「…………!!」
『(貴様ガ何ヲ思オウト――貴様ハ少女ノ、“哀レナ影”。“影”ハ幸福ニハナレヌ……“影”デアル限リ。少女ノ幸福ハ、イズレ貴様ノ不幸トナル。今ノ貴様ガドウアレ、避ケ難ク……必然ニナ)』
「…………」
 しばらく俯く少女。しかしやがて、顔を上げる。
「……そんなことはない……! けれどもし、あなたの“予言”通り、そうなったならば――」
 鬼気迫るかのような、強い瞳。
 はっきりとした口調で、少女は断言する。
「…あなたの“予言”が当たったならば、そのときは――」
 自らの首を掴む。
 それを潰さんとするかのように、握るその手に、わずかに力を入れる。
「そのときは――私は私の手で、“私自身”を殺す」
『(――……!?)』

 ――私は迷わない
 ――“彼女”のためなら、何でもする
 ――“彼女”のためなら、他人も殺す
 ――“彼女”のためなら、私も殺す
 ――私は“彼女”の“影”
 ――“彼女”のためなら、“自分”を殺すなど、造作もないこと――



『(……。哀レダナ……小娘)』

 “彼女”のことばには、迷いの一欠けらすら感じられない。“死神”はそれを、“哀れ”と感じた。

 ――何と強く
 ――何と儚く
 ――何と狂わしい

 この意志の根源を、“死神”ははかりかねた。

 ――愛情?
 ――執着?

 ――それとも……贖罪?


 分からない。
 けれど、これだけは理解できた。

 ――恐らくは、“同類”だと。
 自分と同じ、“闇の火種”を持つ者だと。

 ――“闇”に魅せられる危険を秘めた、危うい存在。

 ――強き魂(バー)
 ――強すぎる意志
 ――その一方で、ひどく脆さをはらんだ心……

 ――十分だ
 ――十分すぎる素材

 信じるそれが揺らぐとき、この少女は須らく囚われてしまう。

 ――悲しみに
 ――妬みに
 ――恐怖に
 ――痛みに

 かつての自分と同じように。
 じきに復活する“あの御方”にしてみれば――この上ない、極上の“生け贄”だろう。


 一つの身体に、二つの心。
 何故そのような状態になったのか――それは分からない。だが、これだけは分かる。
 この少女の魂は――自分と同じ、冥界へ還れぬ、死人の魂だろうと。

 ――死してなお安息を得られぬ、哀れな魂。

 ならば――何をすれば、少女は還れるのだろう?
 何を得れば、自分は安息を得られるのだろう?

 答は恐らく、そこにある。


 ――死人に未来などありはしない
 ――あるのはせめて“最期”
 ――“終わり方”

 ――せめて、望んだ“終焉”を迎えること


 ――ならば……自分の望む、“幸福な終焉”とは?
 ――自分は何を求め、何に飢え、“化け物”として存在し続けてきた?

 答は必ずそこにある。
 少女もきっと同じだろう。

 興味深い――“死神”はそう思う。そして心のどこかで、期待をした。

 この少女ならば――自分の求める、“何か”を提示できるのではないか。
 自分の心の穴を埋める、“終焉”へと向かわせる“何か”を与えられるのではないか。
 と。



終章・しあわせの在り処

 春の陽光が、カーテンの隙間を縫って、やさしく差し込む。
『(……ん……)』
 それは、机の上に置かれたパズルボックスを照らす。黄金のそれは、応えるように美しく輝く。
 それにより、パズルボックスに宿りし魂――“裏絵空”の意識は覚醒する。
『(……朝……か……)』
 寝起き特有の、惚けたような感覚はない。覚醒と同時に、はっきりとした意識が戻る――肉体のない、魂のみの存在ゆえだろうか。

 何か、夢を見ていたような気がする――だが裏絵空は、それが何であったかを思い出せない。ただ、何となくならば、感覚が残っている。

 ――楽しくて
 ――悲しくて
 ――辛い夢

 気にはなった。だが、所詮は“夢”だ。想起も程々に、付近に置かれた時計から、その現在時刻を読み取る。


 ――明らかな寝坊だった。


『(――おっ……起きなさい! もうひとりの私っ!)』
 慌てて裏絵空は叫ぶ。しかしそれが聴こえるのは、いまだベッドでお休み中の絵空のみ。
 頭の下に敷いていたはずの枕を抱きかかえ、気持ちよさげに、うたた寝を貪っている。
「……うーん……あと五十分……」
『(――って、長すぎるわよっ!)』
 普通は五分でしょうが、とツッコむが、のっぺりとした笑みを浮かべ、夢の世界に旅立ったままの絵空には通じない。
 ため息を一つ漏らす。
 本来なら、身体を乗っ取って強制的に起こすのが手っ取り早いのだが、机に置かれたパズルボックスは、如何せん絵空の身体から離れており、それを実行できない。声を伝えるのが精一杯だった。

 仕方ない――裏絵空はそう思い、一呼吸置いた。
 そして、ありたっけの声量で叫ぶ。


『(――起・き・な・さ〜〜いっ!!!!)』


「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
 同時に、絵空は声にならない悲鳴を上げ、頭を抱えながら悶える。
 脳に直接届けられるその絶叫は、もはや苦痛以外の何物でもない。
 瞬間的な頭痛が収まってきたところで、やっと絵空は飛び起きた。
「なっ……何するの!! もうひとりのわたしぃッ!!!」
 目に涙を溜めながら、必死に抗議する絵空。
 せっかくの気持ちよい睡眠が台無しである。
『(そんなことより、時間、時間っ!)』
「……?」
 まだ微かに痛む頭を抑えながら、絵空は枕もとの目覚まし時計へ向き直る。
 ……起床予定の時刻は、とうに過ぎ去っていた。


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「……ウン、やっぱり朝ご飯は焼きジャケだよね!」
 母の用意してくれた朝食に舌鼓を打ちながら、絵空は満足げに頷く。
 予定の時間を超過し、焦っていたはずの絵空は、なぜかキッチンで優雅な食事を楽しんでいた。
 それというのも、美咲の用意した朝食が、絵空の大好物だったためである。絵空は病み上がりだし、健康のためを考えれば、朝食はしっかり摂った方がいい――そう判断し、裏絵空も止めなかった。
「何て言うの? こういうとき、“日本人に生まれた喜び”っていうのを感じるよね!」
『(……まあ別に鮭は、日本人の専売特許じゃないけど……)』
 少しそわそわしながら、裏絵空は絵空の食事を静観する。
 時間がないから急かしたいのは山々だが、極端な絵空のことだ。下手に急かすと喉に魚の小骨を刺し、さらに時間のかかることにもなりかねない。
 それをいいことに、絵空はすでに、ご飯のおかわりまでしていた。
『(……。ねえ……もうひとりの私?)』
「……? なに?」
 味噌汁をすすりながら、絵空は小首を傾げる。
 早く食事が終わるように、本当は黙っていようと思ったのだが――ふと、裏絵空は違和感を覚え、訊いてみた。
『(あなた……どうして鮭が好きなの?)』
「……へっ?」
 箸を止め、絵空は目をしばたかせる。
 視線を上へと逸らし、しばらく考えてから、
「……さあ。好きだから好きなんじゃない?」
 自分でも釈然としない、そんな様子で、絵空は意味不明な回答をした。
『(……そう)』
 何故だろう――裏絵空もどこか、釈然としなかった。
 どうでもいいことのはずなのに、本当はとても大切なことのような――そんな気さえする。
「……そんなことよりさー……今朝は目覚まし時計、何で鳴らなかったんだろうね?」
 再び箸を動かしながら、思い出したように絵空が愚痴る。
 それを聞いて、ヤレヤレと、裏絵空はため息を漏らす。
『(……どうせまた、寝ぼけたまま自分で止めたんでしょうに……)』
 今までもよくあったことだ。
 前科があり過ぎるため、絵空も否定できない。うっ、とことばを呑みこむ。
「……で、でもでもっ。いつもだったらそれで、もうひとりのわたしが先に起きて、すぐにわたしを起こしてくれるじゃない?」
 不服げに、裏絵空を糾弾する。自分でアラームを止めておいて、ずいぶん手前勝手な話である。
『(……そんな他力本願なことじゃ、いつまで経っても自力で起きられないわよ……)』
 呆れたような反応に、「別にいいもん」と絵空はあくまで澄まし顔をしてみせた。
「自分で起きられなくっても……ずっとずっと、もうひとりの私に起こしてもらうもん♪」
 悪びれた様子が、微塵もない絵空。
 ずっとずっと、か――と、裏絵空はもう一度ため息を漏らす。
『(……私はあなたの、目覚まし時計じゃないのよ?)』
 分かってるよ、と絵空は調子よく応えた。
「あなたはわたし。もうひとりのわたし――でしょ?」
 軽く目配せしながら、深く考えずに、絵空はそう言った。


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 母の車で、途中まで送ってもらう。
 しかし困ったことに、道路の途中で交通規制が敷かれていた。今日開かれる、バトル・シティ大会のためのものらしい。
 仕方なく、絵空は途中から歩いて行くことにした。体調が悪くなったら、すぐ休むように――そう何度も念を押され、母の車を降りる。
「……あ……それから、覚えているわよね?」
「……え?」
 少しの間を置いて、ああ、と絵空は頷く。
「今日の夜、月村さんってオジサンが来るんでしょ? 覚えてるって」
 大会終わったらすぐ帰るから、と約束し、助手席のドアをバタンと閉めた。
(……“月村”……か)
 閉じたドアに手をつけたまま、絵空は思う。

 その人に会えば、きのう抱いた気がかりな感覚の正体も分かるのだろうか――と。

 髪を縛る、黄色のリボンがかすかに揺れる。
 ならば、そう気にする必要もあるまい――そう考え直し、絵空は車に背を向け、歩き出した。
 歩きながら、手に持った決闘盤(デュエル・ディスク)を左腕に装着する。同時に、心が引き締まり、高揚を覚える。
 キョロキョロと周りを見回してみるが、他に決闘盤をつけている人間は見当たらなかった。大会開始からさほど経っていないし、まだ多くが広場周辺にいるのかも知れない。母から借りた腕時計を確認し、そう思う。

『(……ところで、九時からのルール説明……完全に聞き逃したわね。大丈夫かしら?)』
「ヘーキヘーキ。KCのホームページにだいたい載ってたしね」
 楽観的な絵空に対し、裏絵空はあくまで慎重論をとる。
『(……でも……“例のカード”の説明は、当日にすると書いてあったでしょう?)』
 裏絵空に言われ、絵空は制服の胸ポケットから、一枚のカードを取り出す。
 裏側はM&Wのカードと同じデザイン。だが、それは普通のカードではなく、厚さ数ミリ程度の電子カードである。
 その表側も、M&Wのものと類似したデザインであり、持ち主である絵空の氏名・写真等がしっかりと表示されている。


神里 絵空  D・Lv.?
★☆☆☆☆☆☆☆



「うーん……分かんないけど、要は以前までと同じで、相手を見つけてデュエルに勝てばいいんじゃない?」
『(……安直ね)』
 裏絵空はため息をひとつ吐く。
『(……まあ、杏子さんと一緒に回る約束をしているし……そのとき訊けば大丈夫かしら?)』
「ウン。だいじょーぶだいじょーぶ!」
 心配性なんだから、と気楽げに笑いながら、絵空はそれをしまい込む。
「ねえ、それよりも……もう一人のわたしは本当にしないの? デュエル」
 早足で広場に向かいながら、絵空は、ポシェットの中のパズルボックスへ問いかける。
『(……くどいわね。そもそも、二人で出場なんて、本当は反則でしょう?)』
 もっともらしい言い訳を、裏絵空は口にする。
 だが本心はそうではない。

 バトル・シティ大会――それは今となっては紛れもなく、全決闘者の憧れといえる大会になっている。
 自分も決闘者。出たくないはずはない。出場し、自分の腕がどの程度のものか試してみたい――それが本音だ。

 ――けれど――


 ――私がデュエルをする。
 ――それは結果的に、“もうひとりの私”の楽しみを奪う結果に繋がってしまう。

 分かっていない。
 “もうひとりの私”は、何も分かっていない――裏絵空はそう思った。

 ――私はあなたの“影”
 ――所詮、“もうひとりの”あなたでしかない

 ふと脳裏に、かつての“死神”のことばが蘇る。


●     ●     ●     ●     ●     ●     ●

『貴様ガ何ヲ思オウト――貴様ハ少女ノ、“哀レナ影”』

『“影”ハ幸福ニハナレヌ……“影”デアル限リ』

『少女ノ幸福ハ、イズレ貴様ノ不幸トナル』

『今ノ貴様ガドウアレ、避ケ難ク……必然ニナ』

●     ●     ●     ●     ●     ●     ●


 間違っていないのかも知れない――裏絵空は少しだけ、そう思ってしまった。

 ――“影”は所詮“影”
 ――“影”に自由など、ありはしない
 ――“影”である限り

 ――“影”デアル、限リ……?

 裏絵空は一瞬、ぞっとした。
 自分自身に。
 わずかにでも抱いてしまった、おぞましい、最低の願望に――




「――違うよ!」
『(――……!?)』

 絵空の声で、我に返る。
 気がつくと、絵空は足を止め、腰に巻いたポシェットの中――そこに納められている、パズルボックスを見つめていた。
「反則なんかじゃない……だって、“もうひとりのわたし”も、わたしだもん!」
『(――……!)』
 曇りのない瞳で。
 裏絵空を見つめ、主張する。
 やがて、にっこりと、満面の笑みを浮かべてみせた。
「だから……ね! 変に遠慮なんてしないで、“もうひとりのわたし”も楽しもうよ! ねっ!」
 軽く、目配せしてみせる。
 それを見て――本当に分かっていないのは自分かも知れない、裏絵空はそう思った。

「……!?」
 不意に、ポシェットの中の、パズルボックスのウジャト眼が光る。
 同時に、絵空の右腕が、本人の意思とは無関係に動かされる――その拳はグーをつくり、絵空の額をこつんと小突いた。
『(……遠慮してるのはどっちだか)』
 不服げな裏絵空の声と同時に、右腕の自由は解放される。
 別に痛くはなかったのだが、絵空は思わず、その右手で額を押さえた。
『(……あんなに楽しみにしていたのだもの。あなただって、できるだけ沢山デュエルしたいでしょう?)』
「……それは……そうかも知れないけど……」
 図星だったのだろう。絵空は途端にことばを濁す。
 その様子に、少しだけ笑みを零し、今度は迷いのない調子で言った。
『(……大丈夫。あなたが楽しければ、私も十分楽しい。だって、私はあなたなんだもの)』

 そうだ――自分は“絵空”なのだ。
 私は“絵空”。
 “神里絵空”。

 だから――あなたが笑えば、私も笑う。
 あなたが泣けば、私も泣く。

 思い違えてなどいない。

 ――あなたの幸せは紛れもなく、私の幸せだ――



 でも……と、まだごねようとする絵空を、裏絵空は素早く制する。
『(さ、もう行きましょう。時間は過ぎているし、それに……周囲の注目も集めてるみたいだし)』
「……へっ?」
 そこでふと、絵空は周囲に注意を向けた。
 同じようにアスファルトを歩く人たちの何人かが、怪訝げに絵空を眺めてきている。わざわざ立ち止まり、観察している人までいた。
 ……立ち止まり、裏絵空と会話をしていたせいで、独り言をひたすら続ける“少し危ない女の子”に見られているらしい。
「……あ……あはは……」
 顔を赤くし、口元を引きつらせると、小走りにその場を立ち去ることにした。
「でっ……でもでも! 代わりたかったらいつでも言ってね? ちゃんと代わるからさ!」
『(……分かったわ。そのときはちゃんと言うから)』
 絵空の過剰な気遣いに、裏絵空は思わず微笑んだ。



 ――幸せだ
 ――私の幸せは、確かにここに存在する

 ――大切な人がいる
 ――大切にしてくれる人がいる

 だから私には――これ以上求めるべきものなど何もない。

 ――私は“絵空”
 ――“神里絵空”

 ――それでいい
 ――“神里絵空”である限り、私はここに、彼女とともにいられるのだから

 ――知る必要などない
 ――今のままで
 ――追い求めなければ、今のままでいられる

 ――永遠とも思える長い時間を、彼女とともに

 ――この世で最も愛おしく
 ――そして、少しだけ恨めしい、あなたと……――





 ――ドクンッ……!!

『(――……!? えっ?)』
 唐突に、発生する違和感。
 裏絵空は思わず、驚きの声を上げる。
「……? 何? どうかしたの?」
 足は止めないままで、絵空が問う。
 しかし、その違和感の正体がすぐに把握できず、裏絵空は黙り込んだ。
『(……神のカード……?!)』
 違和感の出元は、パズルボックスの中。
 恐らくは――その中に納められた、3枚の“神のカード”。
 裏絵空の魂をボックスへ定着させている、その力の根源であるそれらが、一瞬だけ、不穏に脈動した。
「……? ねえ、どうしたの? 何かあった?」
 裏絵空のただならぬ様子に、絵空は再び立ち止まる。
「……ねえ、もうひとりの――」
 しかし次の瞬間、絵空の口も止まる。
 巨大な――怪物の咆哮(ほうこう)が、彼女の耳に届いたからだ。
「……!! もう、デュエル始まってるんだ……」
 思わず顔を上げ、少し羨ましげに呟く。
 聴いた限り、ドラゴンか何かの鳴き声のようだった。
 だが――絵空もまた、違和感を抱く。
(……何だろう……この感じ……?)
 その咆哮――怪物の鳴き声を、疑問に思う。

 決闘盤を用いたデュエルは、先日、遊戯たちを相手に何度も体験済みだ。
 それにテレビを通して、ソリッドビジョンによるデュエルは、何度か観戦してきた。
 しかし――

 ――異様に力強く、そして禍々しく聴こえたそれ。
 ――それはどこか、絵空が知る、あらゆるモンスターとは一線を画す、邪悪で強大な存在に思えた。




『(……。ごめんなさい、もうひとりの私。何でもないわ……行きましょう)』
「……えっ? う、うん……」
 裏絵空の声で我に返ると、絵空は再び歩を進めた。
(……気のせい……かな)
 そう割り切って、広場を目指す。

 その間、裏絵空は、ずっと黙り込んでいた。


 ――予感がした。
 ――何か、良くないことが起こる……そんな、不吉な予感が。

『(……まさか……ね)』
 だが、早々に思考を切り上げ、忘れることにする。
 今日はバトル・シティ大会――ずっと前からずっと待ち望んだ、憧れの日。
 つまらないことに気をとられては、もったいないにも程がある。

 広場に出る。
 そこではすでに、何人もの決闘者たちが、決闘盤をかざし、カードを広げ、それぞれのデュエルに熱中していた。
『(……さ……がんばりましょう、もうひとりの私!)』
「――うんっ!」
 元気良く頷くと、絵空は目の前に広がる憧れの日に、瞳を輝かせた。



〜『第三回バトル・シティ大会』につづく〜




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