あの、虹の橋の向こうに

製作者:隻眼白虎さん






*この物語にはTAG FORCEシリーズのキャラクターが登場しますが、この物語はあくまでも遊戯王5D’sとTAG FORCE双方を元にした物語です。



「昔っから言うが、人間って奴はどこにいようとクソにまみれるようにできてる」

「そして中でも一番クソまみれなのがお前だよ、お前。だけどさ、お前はどこまでも綺麗に見せてる。誰よりも綺麗に見える。だから人が寄り付く」
「俺がそうしてるんじゃないさ。そうしなければ、今まで生きても来られなかった」
「だろうな。そんなお前の事が嫌いじゃねぇ。何度も酷い目に合わされてもよ。じゃ、さよならなんて言わないわ。どうせ帰ってくるだろうからな」 「んー、まぁな。お前だったらむしろそんな死に方のほうが幸せかもな。治安維持局にドラム缶で生コンクリと一緒に詰められるよりかは遥かに」
「お前、実は俺が嫌いなんじゃないだろうなそれ…」
「それは、永遠の秘密。はい、餞別」
「いいのかよ、これ? ま、もらっておくが」
「おうともよ、それでこそお前さんだ。じゃ、Come catched to Lucky Star.」
「『幸運を掴んで来いよ』ってな…本当に物好きだな、お前も。俺みたいな奴の見送りどころか、餞別までしてくれるなんてね…じゃあ、俺からもだ。死ぬなよ、人類最大の危険物。じゃあな」
「おう、またな。ペテン師」





 3年振りに見上げる空は、あの日と同じ曇天だった。

 隣の都市から乗ったバスの中は、今のこの国を現すかのように人種の坩堝だった。
 純粋な日本人なんて、いまどき殆どいない。日本人がかつてイメージする白人の代表格である金髪碧眼のゲルマン系、黒髪黒目のラテン系に暗褐色が特徴的なスラヴ系。
 東南アジアから出稼ぎにでも来たであろうアジア系の人間もいればアラビア系の人もいる。

 そして、どいつもこいつも薄汚れていた。そりゃそうだ。なにせこのバスはマトモな交通機関が無い奴らの、人間の中でも最下層の人間ばかりが使う交通手段だ。
 その証拠に、もうそろそろ終点であるネオドミノシティが近いにも関わらず、ケルト系のおばちゃんがとっくの昔に温かくなってしまったビールを買わないかと周囲の客に薦めている。
 下手に酒を持ち込めば余計に税金が取られる、しかし飲んでしまうにはおばちゃんには多い。
 そして周囲の客も買ったら買ったで代金プラス酒の税金がかかる。だから買いもしない。
 まったく。
「なぁ、おばさん。600円出すから、そのビール2本と…おばさんが持ってるオレンジ4個、まとめてくれよ」
 俺は後ろのほうに首を曲げつつそういうと、ビールを持ったおばさんは目を丸くした。
「うーん、ビール2本だけなら500円でいいよ。オレンジは孫にあげるんでねぇ」
 しかしおばさんもしたたかな奴だ。
「ふざけんじゃねぇ、そんなぬるい偽ビール2本で500とかぼったくりもいいところだ。300が妥当だ」
 酒税が高いとはいえ、冷えてもいないビールに500も出せるか。
 おまけによく見ればビールよりもずっと安い発泡性リキュールだ。ただのビール風味飲料だ。
「うーん、そういわれると困っちゃうよ…450円!」
「300」
「400!」
「300」
「おおまけにまけて350! これ以上は無理!」
「350円で手を打つよ。ありがとな、おばさん」
 350円をとりあえず手渡し。前時代の硬貨が通用するのなんて、こういう底辺ぐらいだ。
「ありがとさん」
 とりあえず安い偽ビールをカバンに放り込むと、バスが少しずつ減速していく。
 数百メートル先にシティの明かりが見えるということは、検問だ。
「検問でーす。身分証明書の用意を」
 バスが停車すると同時にバスを包囲するようにやってきた10人ばかりの兵士達が口々に窓を叩きながらそう言い放つ。
 俺も含めて乗客たちがカバンやポケットを漁る。もちろん、漁るやつは持っている奴、もしくは偽造の身分証明を持ってはいるやつ。
 そして、そうじゃない奴は―――――。

「おい、お前。身分証明書は?」
 バスの中へとやってきた兵士二人に問い詰められていたのは、東南アジア系の少女だった。
 年は17、8歳ぐらい。着ているものは小奇麗にしてはいるが、所持品は小さな袋だけ。そして身分証明書を持っていない。
 ここまでくれば、彼女の正体はだいたい分かる。
 どこかの国から売られてきた後、脱走してきたのだろう。商品として買われた彼女達は酷使された後、使い物にならなくなれば、バラされて売られる。
 今は本物同様に動く人工臓器やクローン臓器なども存在するが、やはりそれらは一般人からすれば目玉が飛び出る値段、安価に代わりの臓器を調達する手段と言えば、生の人間をバラすのが一番いい。
 その運命から逃げるために、すがる思いでバスに乗ったのだろう。
「降りろ! 来い!」
 兵士達が彼女の腕を掴み、無理やり引き摺り下ろしていく。彼女の命運はここで決まった。
 ネオドミノシティで同じように売られて、最終的には解体される運命が待っている。気の毒だが、それが現実だ。
「ほら、次。お前は?」
 俺が身分証明書を差し出すと、兵士はちらりと顔写真と俺を見比べる。

 デュエル・アカデミア職員証
 Named:Van-dine Knox's(ヴァン・ダイン・ノックス)
 Sex:Male(男) Age:24 Blood type:B Nation:U.S.A
 Works:デュエル・アカデミア ネオドミノ校非常勤講師

「アカデミアの講師? こんな時期に赴任とは妙な話だな」
「産休の代理だ。ネオドミノ校に確認してもかまわないが?」
 兵士の問いに俺がそう答えると、彼は「まぁいい」と答えてから俺のカバンを開ける。
「ビール二本。酒税を出しな。6カナダドル」
「はいよ」
 財布から5ドル札とクォーターコイン(25セント)を4枚掴みだして渡すと、兵士はポケットに突っ込む。
 兵士のように安定した収入がある人間はやはり円よりもカナダドルのほうが信頼性があるという事か。
「次だ。お前、身分証明書は?」
 次に矛先を向けられたのは、俺より数席離れた席に座っていた少女だった。
「…持ってないの」
 そう答えた少女は、少しばかり訛りのある英語で答えた。
 ちらりと視線を向けると、年は15,6ぐらいだろう。色素の薄いブロンドに、サファイアではなく、アクアマリンのような淡いブルーの瞳。
 思わず口笛を吹きたくなった。それぐらいの美少女だ。身分証明書を持ってないとくるなら、彼女の正体を予測は出来ない、が。
「…降りろ!」
「おい、待てよ」
 俺の言葉に、バスの車内が一斉にこちらに注目する。
「なんだ?」
「そいつは俺が買った」
「…なんだと?」
「そいつは俺が買った。聞こえなかったか?」
 もう一度だけ言うと、兵士は少女から手を離した。
「それならちゃんと側に置いておけ。分かりづらいだろ。…腐れ聖職者め、ロリコンかよ
 兵士は悪態をつきつつ次の乗客へ向かい、少女は安堵したように席に戻る。
「そうだな。おい、こっちに来い」
 俺は兵士に受け答えるように、少女を手招きする。隣の席は俺の荷物置きになっていたから、荷物をどけて席を作ってやる。
「助けてくれて、ありがとう」
 彼女は隣に座るなり、訛りがかなり酷いイントネーションのドイツ語でささやいてきた。
 このイントネーションは北欧系の…フィンランドあたりだろうと予想してフィンランド語で返す。
「気にするな。行き先はあるのか?」
「ないの。…逃げ出してきたから」
 彼女は完璧なフィンランド語で返答してくる。やはり北欧の血があるようだ。
 やれやれ、やっぱりさっきの奴と一緒か。確かに見てみれば、着ているものはワンピースぐらい。
「まぁ、いいさ」
 俺はそう答える。
「あの連中のようにならなくて、良かったな」
 後ろの乗客、今度は白人の親子が、やはり一家丸ごと身分証明書を持っていなかった。
 父親の方がどうにか助けてくれとわめいているようだが、聞き入れられずに外へと引きずり出されていく。しかし―――。

 父親が兵士を突き飛ばした隙に、母親は子供を抱えて逃げ出した。
「馬鹿か」
 思わずバスの中から呟く。バスの外でそんな抵抗をしても。
 兵士達のアサルトライフルが火を噴き、まず父親が、次いで母親が穴まみれになって倒れた。
 最後に残った子供が、もう動かぬ母親の腕の中で泣き出した。
「検問は終わりだ。進め」
 兵士の一人がバスの運転手に合図をする頃、兵士の一人が子供の頭部を、アサルトライフルの銃床で殴りつける。
 赤い鮮血と、僅かに脳髄が飛び散る。子供が、泣くのをやめた。

 それを、バスの乗客たちは特に気にもせずに見ていた。
 なぜならここはそんな底辺の中の底辺。殺される事も、奪われることも、或いは買われる事も。

 当たり前の、世界。

「お前、名前は?」
「ティーア。Tearじゃなくて、Teija。発音は、伸ばすの」
「そうか。俺は、今からお前の主人だ。今後はマスターと呼べ」
「うん、マスター」
「返事は、はいかイエス」
「イエス」
「Good」
 俺は軽く褒めてティーアの頭を撫でた。

 人間、何事も新たな刺激というものは必要だ。
 ついでにネオドミノシティに着いたらまずティーアの身分証明書の偽造という新しい仕事が増えた。

 バスは、少しずつ傾く西日と共に、ネオドミノシティへと向かっていた。


 ネオドミノシティは場所によっていくつかの階層に分けられている。
 最上位層、トップス。セキュリティですら許可無しでは立ち入りも出来ず、またネオドミノシティに対して一定の権力を行使する権利を持つ。
 一番少数派であり、政治的な意味でのクソが一番多い場所。
 次いで、シティ。中流階層。シティ内部でもいくらか階層分けされているが、シティの最下層であるダイモンエリアと呼ばれる場所に住む住人もシティ市民として最低限の権利は保障される。
 サテライト。最下層。ネオドミノシティに限らず、どこの都市にもある最下層。
 人間的にも社会的にもクソ野郎ばかり集まる人類の掃き溜め。しかし、クソ野郎ゆえに好きなだけ足掻いて暴れる事も出来るエリアだ。

 俺とティーアが乗ったバスは底辺の交通手段ゆえに、サテライトまでしか行かないので、ここからシティに行くには複雑な手続きが必要だ、が。
 俺は前述の身分証明書でパス出来るし、ティーアにしても俺が買ったという証明書さえあればいい。
 そしてそんな領収書(人間を買ったという扱いでも、一応領収書扱いになるのがこの世界のイカれた点だが)も、サテライトで一時間もあれば出来てしまう。
 ご覧の通りである。
 領収書
 買い取り主:Van-dine Knox's(ヴァン・ダイン・ノックス)
 内容:No.000573 フィンランド・十代半ば・女
 販売価格:1500カナダドル
 販売者:Risk Blacker Network's L.A.支店
 支店がロスになっているのは、ここに来る直前までロスにいたからだ。それぐらいでもしないと不自然になる。
「次の検問でそれを見せろ。身分証明書は今度作ってやる」
 ティーアに買取証明を渡し、なくさないようにパスケースも付けてやる。
 自分の所有物にこんな風にパスケースをつけるやつは物好きか子供ぐらいだが、ティーアの場合世間知らずなようだからそうしないと厄介な事になる。
 サテライトとシティの境に向かい、セキュリティのチェックを超える。

 シティに借りておいた拠点へ辿り着くまでにそう長い時間はかからなかった。





「世界からゴミのような奴を無くすにはどうすればいいと思う?」
「簡単さ。片っ端から汚物を消毒しちまえばいいだけの話さ」
「…と思うだろ? ところが人によってゴミの概念が違うから最終的には人類丸ごと滅ぼすぞコノヤローという理論になる」
「なるほど、まったくとんでもない大バカ野郎だ」
「そうだな。せいぜい無駄な大人を減らして若い世代に未来の為の資産を引き継ぐのがいい方法だ」
「しかしそういうクソカスな老害に限ってなかなか死なない。死ねばいいのに」


 シティの中心部よりやや外れた高層マンションが、この度俺の家…というより拠点となった部屋である。
 元々とある富豪が税金対策として購入したもので、名義そのものはその富豪のものだがその富豪と少々交渉して借り受けたのだ。

 家財道具一式は揃っている。ただ、俺と大人の女性一人用なので、ティーアには少々サイズや趣味が不自然だ。今度買い揃えなくてはいけない。
 そんなティーアは、部屋に着くなり窓からハイウェイを見下ろし、流れていく車を見続けていた。
「…面白いか?」
「うん。あんまり、見ない光景だから」
「そうか。…お前は何処から来たんだ?」
「スオミの、小さな港町よ。あなたは多分、名前も知らない。私も、そこ以外の世界を知らなかったもの」
 今の世界、シティ以外にも小さな町や村は存在する。
 だがそれらは、昔ながらの暮らしを守る、最新とは切り離された生活が殆ど。10年代のパソコンが現役という世界。今時骨董品レベルだ。
「そこから出る切欠は?」
 そう問いかけると、ティーアは少しだけ笑った。

「あなたみたいな人の、天敵だからよ」

 その瞬間、俺の背筋が凍った。
 その無邪気な笑みに、畏怖を覚えた。だって、俺のような奴の天敵とは、即ち―――。

「町の中でね。星の動き、風の声、動物達の心、木々の叫び、色々、聞ける人がまれに生まれる。そういう言い伝えがあって、私は―――それが出来たの。少しだけなら、人の心も読める。あまりしたくないけど。今のあなたみたいな顔をされちゃうから」
 そう言われて、俺は少しだけ息を吐いて、とりあえず椅子に座る。
 冷静になって考えてみれば、そういった隔絶した環境では遺伝が比較的濃く残る。
 シティのように人種の坩堝と化さない、前からの民族の血が残れば、そういった不思議な遺伝も残る。アラスカに住むイヌイット達や、北の島で出会ったアイヌ人達にもそういう不思議な遺伝を持つ人間がいた。
 だが、ティーアは、彼らに比べると明らかに強い。
「…それで、町から、連れ去られた。正確には…」

 町ごと焼き討ちに遭った。

 唇の動きだけで、それが読み取れた。
 そこから追跡を振り切って逃げ出し、貨物船やバスを乗り継ぎ、今に至ったという。
「何故、日本に?」
「日本は、日が昇る国だから。…そして、日が昇るように、再生してきた国だから」
 日本は島国ゆえに、独特の文化と技術を築いてきた。
 しかし、数多の災害、数多の戦乱に見舞われてきた。

 台風、大地震、大火、火山の噴火、そして戦争。
 幾度となく水に飲み込まれ、幾度となく炎で焼かれた。

 その度に、再生してきた。

「だから、ここなら生きていけるかも知れないと思った。…そして、あなたがこうして助けてくれた」
「あのまま放置してたら、再生どころかお前もさっきの家族みたいなことになってただろうからな」
 とりあえずそう返しておき、俺は息を吐く。
「…とりあえず、数日でお前の事は何とかするさ。…別に売ったり捨てたりするつもりは毛頭無い、それだけは安心してくれ」
「ありがとう」
 ティーアの微笑みに、軽く頷くと彼女は「シャワーを浴びたい」と言ったのでバスルームの場所を教え、バスタオルを渡す。
 問題は替えの服(下着含む)が無い事だが…それは明日のうちに揃えよう。
「今夜だけは部屋のクローゼットの中から適当に選んでおけ。少々サイズが大きいが」
「わかった。部屋に入ってこなければ、大丈夫」
「それは残念」
 軽く肩をすくめる。この年頃の少女の美しさは他に類を見ない程なのだが。
 まぁ、もう少し成長してからの方が抱いても心理的な抵抗が少なくなるというのもあるか。

 ティーアの姿がバスルームに消えたのを確認し、俺はポケットから煙草を取り出し、火をつける。
 パッケージこそ伝統あるマルボロだが、中身は中国産の偽造品で味はかなり酷いことになっているが、何も無いよりかは遥かにマシだ。
「さて、と」
 まずは部屋の隅のパソコンを引き寄せ、ショッピングサイトを開き、女性ものの下着や衣類を適当に選んで注文する。
 普段着と寝巻き、運動用と正装に見えなくも無いドレス。…正装の美少女というものは場合によっては思わぬ武器になるのだ。
 そしてパソコンを閉じてから「先に寝ていろ」というメモをテーブルの上に置いてからベランダへ向かう。

 携帯電話を取り出す。
「よう」
『……君か。ネオドミノシティへの移住許可を与えた分、しっかり働いてくれるのでしょうね?』
「それを評価するのはアンタだ。だが、やり方は俺が決める」
『あまり私に逆らうと再びセキュリティに追われる身にもなりますよ? 3年前のように』
「むしろ3年前に俺を裏切った癖にもう一度俺に仕事を頼むとはアンタも大した度胸だ」
 煙を吐き出しつつ、電話口にそう怒鳴ると、向こうは笑っていた。
 笑っていた。
『今、こうして君が合法的にシティに出入りできるようになったという事で差し引きゼロになるでしょう。私は君がシティに入ったことは把握しています』
「むしろそれを把握してなければセキュリティの怠慢だ。責任者を更迭してやれ」
『考えておきましょう。それと…明日中に、例の場所に来るように』
「わかっている。それともう1つだ。動くための資金が欲しい。カナダドルで20万ドル」
『口座に振り込んでおくように指示して起きましょう』
「明日現金で10万ドル。残りの10万ドルは明後日、指定した口座に振り込め」
『……用心深いですね。明日一日で口座を用意する気ですか。まぁ、仕事も明日確認するとしましょう。では』
「ああ」
 携帯電話の電源を切り、殆ど灰になった煙草を闇夜へと投げ捨てる。
 こんな高層のベランダから吸殻を捨ててしまえば、誰が捨てたかなんて分かるはずも無い。
 何せ煙草は違法になってしまったのだから。

 ベランダから戻ると、椅子にバスタオルがかかっていた。ティーアはシャワーから出たようだ。
 俺はもう一本、煙草に火をつけると、ティーアの部屋を覗いてみることにした。
「入るぞ」
 小さくノックする。返事は無い。もう、寝ているようだ。

 扉を開く。
 淡いブロンドの髪は、濡れて艶やかさをだしていた。
 月の光が差し込む、部屋の白いベッドの中心で、ティーアはサイズが大きすぎるバスローブを着て寝ていた。
 いや、着ているというよりも、羽織っているが正しい。袖をまくってもまだ大きい。

 何の感情も持たずに、自然体で人の寝顔を見るという経験が、今まで無かった事に気づいた。
 そうして考えると、俺という人間は確かにクソ野郎なのかも知れない。
「おっと」
 灰を落とさないように、俺は部屋を出てリビングへと戻った。
 テーブルの上にある灰皿で火を消して、もう一度煙草に火をつけようとして――――赤と白のマルボロは空だった。
 アメリカで買った煙草は、これで最後なので、明日中にどこかで調達しなければならないが…ネオドミノシティで煙草が手に入りそうな場所は、サテライトなら思いつくがシティでは思いつかない。
 ついでに明日は色々とやる事がありすぎる。
 ティーアの身分証明書の作成(いつまでも俺の所有物扱いでは面倒な事になる場所がある為)に、俺を今回ここに呼びつけたクソカスの命令聞き、当面の金の取引用の口座作成、ついでに煙草と衣類と当面の食事の調達。
 前にここにいた頃は、合法的にシティ以上に出入りする手段が無かったから、地理などに明るい訳ではない。
 それに明るい奴はいたのだが…今もここでぴんぴんしているかどうかは定かではない。
 やれやれ。




「戻るのは夕方に近くなると思う」
「はい」
「俺が戻るまで外には出るな。面倒くさいことになる可能性が高い」
「はい」
「昼ぐらいに宅配が2つ来る。代金はどっちも済ませてあるから、きちんと受け取ってやれ。1つはお前の服だ。クローゼットにしまっておけ。もう1つは飯だ。一人で全部食っていい。俺は昼は外で済ませる」
「はい」
「わかったか? 確認してもいいか?」
「夕方ぐらいに戻る、マスターが戻るまで外には出ない、宅配が2つ来るから両方受け取る、1つは私の服でもう1つはご飯」
「Good」
「それまでにテレビを見てもいいの?」
「構わない。新聞を読んでもいい…が、英語は分かるか?」
「喋るだけ。読み書きは難しい」
「じゃあ、今日の土産は英語の練習ノートだ。行って来る」
 ティーアに諸注意をした後、高層マンションの外に出る。
 まずはティーアの身分証明書の作成だが…昨夜のうちに探しておいた情報だと、シティの地下鉄で2駅離れた場所にあるカードショップの裏だと聞いたが。
「2駅離れるとダイモンエリアか」
 シティで最もサテライトに近い場所だから非合法なものもあるって事か。
 まったく。

 まさかネオドミノシティの改札が全て旧世代の自動改札に変わっているとは思わなかった。
 やはりID認証式改札だと偽造IDによるタダ乗りが頻発したせいか。まぁ、俺もやっていたクチだが…アナログに改札用ICカードで自動改札を使わねばならないとは時代を逆行している。
 交通機関用ICカード作成という思わぬロスがあったが、それでも午前中にはダイモンエリアに入る。
「カードショップはここか…この裏は…勝手口だと? 流石はダイモンエリア、庶民的だ」
 とりあえず苦笑しつつ、書かれている通りに扉を数回ノック。
「どちらさん?」
 勝手口の扉は上半分だけ動かすことも出来るように分かれており、上半分が動いて中国系の青年のいぶかしげな顔が出てきた。
「ミスター・マルハンに会いたい。上海からの指示だ」
 北京語でそう問いかけると、青年は目を細めつつ広東語で返してきた。
「ミスターはここにはいない。いるのは代行のホンロンだけだ」
「ミスター・マルハンにしか言えない用事だ」
 俺の返答に、青年はため息をつくと、一度顔を引っ込めた。
 そして1分後。再び上半分の扉が開き、先ほどとは違う端正な顔立ちの、30代ほどの男が顔を出した。
「私がホンロンです。話を中で伺いましょう」
 彼に誘導され、扉をくぐる。
 地下へと伸びる階段がある辺り、彼が取り扱うものが非合法なものである事である事を感じる。
 まさにWelcome to undergroundってか。
「ミスター・マルハンってのは誰なんだい?」
「そのような上の人物がいる、と仮定すれば、規模が大きなものだと誤認させることが出来るからですよ」
 ホンロンは淡々と答えると、中華風の丸テーブルに置かれた椅子に座り、俺にも手だけで座るように示した。
「ご用件は」
「スイス銀行に口座が1つ欲しい。それと、身分証明書の製作を頼みたい。この娘の」
 ティーアの写真を示すと、ホンロンは少しだけ目の色を変えた。この男がこんな顔をするということは。
 やはり、なにかある。
「…出身は北欧ですか」
「そうらしいな。フィン語が流暢だ。ドイツ語と英語は訛りが酷い」
「国籍はアメリカ、としたいですが英語の訛りが酷いと偽装が難しいですよ」
「姉の養子を、そのまま養子にしたということにしてくれ。ヴァン・ダイン・ノックスには2年前に事故死した姉がいる」
「なるほど」
 ヴァン・ダイン・ノックスの身分証と見比べつつ、ホンロンは軽く指を鳴らす。
「1時間以内に仕上げましょう。カナダドルで500といったところでしょうか」
「…前金か?」
「信頼が第一のビジネスです。それは、私だけではない、あなたも」
「持ち合わせが今は200しかない。だが、これを800に増やせるかも知れない」
「どういう意味です?」
「こいつについて知りたい。何がある?」
「…良いでしょう。1時間です」
 ホンロンが再び指を鳴らし、数人の中国人が現れる。
 ティーアの身分証を作るように指示し、一人に飲茶を持ってくるように指示する。
「800ドルだ。アンタは運がいい」
 雁首そろえて800カナダドルをテーブルに置くと、ホンロンは視線だけで確認。飲茶のセットを持ってきた青年にそれを回収させる。
 そして、中国茶の香りがその部屋に広がる。
「あなたは厄介なものを拾った」



 ダイモンエリアから再び地下鉄に乗り、シティの中心部、トップスへと向かう。
 トップスにこそ、ネオドミノシティで一番巨大な建物であり頂点でもある場所、海馬コーポレーション本社ビル並びに治安維持局が所在する。

「ヴァン・ダイン・ノックスさんですね。はい、アポイント確認取れました。28階に行って下さい」
「どうも」
 受付でアポイント確認後、エレベーターに向かう。
 が、そこで。

 予想しない奴と、鉢合わせた。

「……」
「……」
『1階です。上に参ります』
「……」
「……」
「久しぶりだな、ジャック・アトラス。背も随分伸びたんじゃないか?」
「……てっきり、死んだものかと思っていたぞ、ジョシュア・スチュワート」
「そういや3年前はそんな名前だったな」
 なんとなく当時の事を思い出すと、3年前よりも長身になり、俺を追い越してしまったジャック・アトラスは怪訝そうに俺を見る。
「今度は何をたくらんでいる? 前みたいに、セキュリティを襲撃し、崩壊させるようなことをたくらんではおるまい?」
「はっはっは。今思えば、あんなちっさい事に何で命をかけてたのか理解できねぇよ。お前達も、だがな」
 俺の笑みにジャック・アトラスは唇を噛んだ様子で何も返さない。
「けどよ。最高に楽しいことが待ってるってことだけは、理解してるつもりだ。今から、な。…お前は出世したんだな。サテライトの最底辺が、トップスに出入りするなんて。今度は客寄せパンダの物まねでも始めたか?」
「それ以上は侮辱と受け取る」
「冗談さ」
 この金髪野郎は昔から血の気が多いところは変わらない。
 チーム・サティスファンクションというサテライトのデュエルギャングと遊んだのは3年前だ。なかなか愉快な奴らだった。
 今でもその愉快さは変わらないに違いない。
『19階、オフィスです』
「とりあえず貴様が早めにネオドミノシティから姿を消すのを、毎晩祈るだけだ」
「じゃあ、俺も祈り返してやる。同じ内容でな」
 俺はひらひらと手を振ってジャックを見送ると、更にエレベーターは上へと進む。
 29階。最上階だ。
『29階。長官執務室です』
 エレベーターを降りると、そこには――――ネオドミノシティの頂点である、治安維持局長官にして、海馬コーポレーション役員(代表取締役ではないが、大きな力を持つ役員である)のレクス・ゴドウィンが立っていた。
 3年前、俺を散々たきつけた挙句裏切りやがったクソ野郎だが、この度ネオドミノシティに俺を呼び戻したのもこいつだ。
「待っていました。ネームレス」
 Nameless。名前が無い、という意味だ。事実、俺個人にとって、名前というものは大きな意味を成さない。
 その時によって名前を変えると同時に、人間も変わる。誰でもないが、そこにいる誰かである。それが俺。
 故に、俺の事をよく知る人物は、ネームレスと呼ぶ。畏怖か侮蔑の、どちらかをこめて。
「3年前からお変わり無いようで。ところで、約束の」
「そこのアタッシュケースの中に。…少し色をつけさせて頂きました。同じ金額を、指定した口座に振り込む予定です」
 テーブルの上に置かれたアタッシュケースを開けると、そこには確かにカナダドルで、25万。
 同じ金額を指定した口座に、ということは更に25万ドル。合計50万ドル。頼んだ金の2倍以上だ。
「随分羽振りがいいんだな。何かで儲けたか?」
「ロシアのほうで寒冷化が進んでいますからね。モーメント技術者を派遣した分のおつりです。大した金額でもありません」
 レクスは窓のほうを向いたまま、そう言い放つと「ところで」と勝手に言葉を続ける。
「あなたの仕事は、主に、3つあります。ネームレス」
「ああ」
「まず第一に。ニュー・コキュトスから逃げ出したという、ヴァルゴを確保すること」
 ニュー・コキュトスはギリシャにあるシティの1つで、現在ヨーロッパに於いてなかなか大きな影響力を持っている。
 本人達はニュー・アテナイと名乗るつもりだったらしいがアテネから反発(アテナイはアテネの古名)に遭い、戦争寸前にまでなったのは有名な話だ。
「ヴァルゴ(乙女座)? 宇宙にでも飛んで来いってか?」
 俺のジョークをレクスはあっさり無視して言葉を続ける。
「ニュー・コキュトスで予言を持つ少女がいたとか。…が、逃げられたという情報を聞き、更にはロシア経由で日本に逃げ込んだようです。彼女を確保すれば、我々にとって有意義な事になります」
「どういう奴だ?」
「フィンランド出身。本名までは解りませんでしたが、15、6歳ぐらいの少女だそうです。それぐらいの年頃の少女は、まるで妖精だ。素敵な乙女ですよ」
「だからヴァルゴか? 手の届かない位置にいるわけじゃなかろう」
 とりあえず俺は苦笑しつつそう返すと、レクスは「第二に」と言葉を続けた。
「アルカディア・ムーブメントの総帥、ディヴァインとの接触。…あの組織をほうっておくとそろそろ面倒な事になってきたのですよ。可能であれば始末してしください」
「俺は殺し屋じゃない」
「報酬100万ドル上乗せでどうでしょう」
「その100万はジンバブエドルとかじゃないだろうな」
「純正なカナダドルで支払いますとも」
 とりあえずこの男は俺を何度か裏切った前例があるが、これもまた貸しにしておくとしよう。
「100万ドルは始末したら、か?」
「接触し、その目的について手に入れれば、の時点で」
「そいつはありがたいな」
 それはつまり、始末したところで報酬の金額は変わらないということか。
「で、三つ目はなんだ?」
「ブルー・ノーブルについて。ニュー・コキュトスから逃げた少女とも関わりがあるとか」
「青い貴族? なんだそれは?」
「私も詳細は不明です。しかし、一人ではなく、また何か考えがあるようです」
 レクスが机からファイルを取り出し、俺の前に置く。
 多分、ブルー・ノーブルに関する資料だろうが、随分と大層な出来事になりそうだ。
「あなたの事ですから、多少は色々と付き纏うでしょうが、大目に見ましょう。それと、任務についてですが、私が最高責任者ではありますが、指揮に関しては部下を通じます」
 レクスは部屋の電話を取ると、すぐに口を開いた。
「保安部第一課のジェイソン・ウィーバー大尉を長官執務室へ」
 数分後、エレベーターが開くと同時にスキンヘッドにサングラスをかけた30代ほどの男が姿を現した。
「紹介しましょう、ノックス。彼は保安部第一課の課長、ジェイソン・ウィーバー大尉です」
「ウィーバーだ。よろしく、ノックス」
 ジェイソンは左手を差し出してきたので、握手で返す。その体格を見る限り、恐らくこいつ自身もやり手のエージェントに違いない。
「では、詳しい話については彼に聞いてください。私はこれから、会見の予定が入っています」
「了解しました。では、ウィーバー大尉」
 俺がジェイソンを促すと、ジェイソンは「Come on」と呟いてエレベーターへ。
 押した階層は『7』の文字だ。
「7階には職員用のラウンジがある。そこで話そう」
「そんな話を一般職員に聞かせてもいいのか?」
「問題ない。ここでは日常だ」
『7階。職員用ラウンジです』
 淡い緑と白を貴重とした壁に、居心地の良さそうなソファがいくらか並ぶ。
「ブレンドコーヒーを、ミドルサイズ、ふたつだ」
 エレベーターを降りるなり、壁のパネルにそう問いかけるジェイソン。
『確認。保安部第一課、キャプテン・ジェイソン・ウィーバー』
「声紋による注文システムか…だから職員専用なんだな」
「その通り。他じゃ見かけないだろ?」
 ジェイソンが笑いながら、数メートル歩くと、小さな受け取り口がある。
 そこからリサイクルの利く持ち手の上にセットされた紙カップ。使い捨てとリサイクルを徹底しているようだ。
「砂糖とミルクはそこのホルダーだ。いるか?」
「いや、いい」
 とりあえず断りつつ、ソファに腰掛ける。
「長官、この件に関しては相当重要視してるだろ。少なくとも、俺みたいな奴はともかく、保安部に動きを出しているあたり」
 一応、ジェイソンの奴はああは言ったがどこに耳があるか解らない。
 俺はわざとロシア語を使うことにした。
「あー…そらな、俺らがな、いつだって仕事だらけだし? アンダーグラウンドな仕事を治安維持局がやってても、なり手の数ないから人材不足もあるしな?」
「アンタ、訛り酷いな…何語が得意だ?」
「ロシア語なんてそうそう使わないからな。…そうだな。スラヴ系なら、チェコ語だ。多少、スロバキア訛りが酷いが」
「それはスロバキア語だ。どっちも方言レベルの違いしかないだろ」
 俺がスロバキア語で返すとジェイソンはチェコ語で「無茶言うな」と返答。
 面倒なのでそのまま進めることにした。
「で。どんな状況なんだ?」
「長官が今、専心しているのはデュエル・フォーチュンカップだ。その件を進める上で、アルカディア・ムーブメントの存在が邪魔なんだ。奴らは長官とは違う意思で動いてる」
「だろうな」
 アルカディア・ムーブメントについては、裏家業に関わるものならそこそこ有名だ。
 デュエル・モンスターズのカードを実体化する力を持つデュエリストを集め、最強の軍隊を作り上げること。
 どこかで聞いたような目的を推し進める奴だが、そこの総帥ときたらツメが甘くて小物なのでどこも本格的には潰そうとしないらしいが。
「本当にそれだけか? それなら、長官が言ってた女の子ってのは」
「その件については俺も知らん。だがな。長官が知らない情報をこっちは持ってる」
「なんだ」
「その娘の名前はティーアだ。北欧系の、淡いブロンドの娘らしい。妖精のようだな」
「……」
 なるほど、ビンゴという事か。
「アルカディア・ムーブメントはともかく、ブルー・ノーブルはそいつを追いかけてるらしいが」
「らしいな。そりゃあ、3者もいれば大したものだ」
「3者?」
「アルカディア・ムーブメントも娘を追っている」
 予想以上にデカい山だな、と思う。同時にホンロンが「厄介なものを拾った」というのもよくわかる。

 だが、これではっきりした。
 治安維持局、アルカディア・ムーブメント、ブルー・ノーブル。
 ネオドミノシティで、この3大勢力がティーアの争奪戦を始めたということ。そして、俺こそがその鍵になってしまったという事だ。

 面白いことに、なってきたじゃない。



 思ったよりも時間はかからなかったが、拠点に戻る頃には太陽は西に傾いていた。
「戻ったぞ」
 流石に管理が行き届いているせいか、誰かが侵入した形跡は無い。
 そして、奥から「お帰りなさい」という声が響く。ティーアは大人しくしていたようだ。
「…着替えたのか」
 届いた服に着替えたのか、ティーアはシャツとハーフパンツという格好になっていた。
 ヘアゴムを頼んだ覚えは無いのにポニーテールにしているのはどういう訳か、と思えば…。
「輪ゴムはやめとけ。髪が痛むぞ」
 前に、その手の女の子がボヤいていた事の受け売りだが、ティーアは大人しく輪ゴムを外し、昨日と同じロングヘアーに戻った。
 とりあえず俺はテーブルの前にある椅子に座り、そして煙草を調達することを忘れたことを思い出す。仕方なく冷蔵庫から昨日買った偽ビールを取り出し、一本を飲み干す。
「ふぅ。とりあえず、だ。ティーア。まずはその椅子に座ってくれ。俺の話をよく聞いて欲しい。それから、質問には必ず答えてくれ」
「私に関係することなの?」
「ああ。…いきなり質問だ。君を町から連れ出した奴らは、ニュー・コキュトスか?」
 ティーアは目を閉じて、数秒。
「うん。でも、それだけじゃない。わからない人もいた」
「…わからない人? どんな奴らだったんだ?」
「シティの人間、ではないけれども、彼らに協力してた。武装してる」
 武装しているが、シティの人間ではない。アルカディア・ムーブメントではないことは解る。彼らはシティの人間とは敵対している。
 ニュー・コキュトスはティーアのような特異な能力を持つ人間を管理している。アルカディア・ムーブメントのように非合法に管理する奴らとは違う。
 つまり、それはブルー・ノーブルと言えばよいのだろうか?
 なにせネオドミノシティとて、ニュー・コキュトスと敵対してはいないが、友好的な関係ではないことは俺も知っている。
「…ティーア。お前は今、すごい状況だ。お前の力を、3つの勢力が欲しがっている。ネオドミノシティの治安維持局、アルカディア・ムーブメント。そして、ブルー・ノーブルだ」
「………」
「ブルー・ノーブルに関しては俺もよく知らん。これから調べるしかないとして、治安維持局は、お前の確保を俺に依頼してきた。だけど、俺はそんなくだらん真似はしない。
「え」
「理由? そんなの簡単さ。世界ってのは、上に立つ一握りの人間が回してる。自分の思い通りになるように。それが気に入らなければ、それを振り回す。そうするのが、俺みたいなクソッタレの仕事だ」
 俺の笑みに、ティーアは戸惑ったようだった。
 確かにそうだ。それが普通だ。だって、まともな人間ならばそんな事は考えない。
 ありのままの運命を、ありのままに生きて、ありのままに受け入れることもある。

 自分の掌で、世界は回せるほど小さいものじゃない。

 だけど、世界を回せはしなくても、地球の顔面に蹴りをぶち込むことぐらいはしたくなる。

「あなたって、本当に…寂しい人。でも、不思議な人」
 寂しい、ねぇ。
 ティーアは今、俺の心の奥底を覗いたのだろうか。
「…本当に寂しがりやだったら、人をホイホイと切り捨てたりはしねぇさ」
 本当の寂しがりやだったらば。

 自分が奪ってきたものに、罪悪感を感じるぐらい優しくなってるさ。

「まぁ、とにかくはだ。これから、面白くなるぞ? ティーア。知ってるか? 人生には定期的な刺激が必要なのさ。なぁに、退屈はしないぞ?」
 2個目の偽ビールの缶を開けつつ、笑いかけてみたが、ティーアは笑わなかった。おいおい。
 俺が頭を掻いていると、部屋の隅に置かれた電話が鳴り響いた。
「…?」
 ここの番号を知っている人間がいるとは思えないので、セールスか何かだろう。
「はい」
『こんばんは。やはりもう戻っていらっしゃるようですね』
 電話の向こうは意外な人物だった。この流暢な教科書的英語には聞き覚えがある。
「ホンロン? あんた、よくこの番号解ったな」
 少なくとも個人情報その他は昼間の会見で話してはいないのに。
『そこは色々と。実は、とある人物よりあなたを夕食に招きたいという依頼がありましてね。ご安心を。彼女を連れてきても問題はありません』
 彼女、というのはティーアの事だろうが、俺を夕食に招きたいとは大した度胸の持ち主だ。
「そんな物好きがいるのか?」
『私としてもあなたを知っている人間が身近にいたというのが驚きですが。あなたも彼の事を知っている、と向こうは言っています。…各種勢力ではないのでご安心を』
「ふーむ。なら、行くか。どうすればいい?」
『迎えを出します。20分でそちらに着くかと』
「オーケィ。じゃあ、乗ろう」
『小籠包は絶品です、ではまた後ほど』
 電話は切れた。俺もよく知っている人間、という事は俺がネオドミノシティに前にいた頃に知り合いだった奴かつながりのある奴だろうが。
 それでいて、治安維持局ともアルカディア・ムーブメントとも関係ない(3年前、ブルー・ノーブルはネオドミノシティをうろついてはいなかった筈だ)奴なんて、誰だろうか。
 それでいてホンロンとつながりのある奴、ますます考えにくい、が。
 ホンロンが罠に嵌めようとしている事も考えられるが…そういう時の為のティーアだ。
「ティーア。夕飯の誘いだ。中華だからそこまでドレスコードを気にしなくてもいいが、着替える必要はある」
「はい」
「それと、問題があった時は力を借りる。それだけ頼む」 「Good」
 これだけ見事な問答が出来ているあたり、ティーアは俺の…いやいやいやいや。
「あー。それと、先ほど身分証を作った。ティーア。名目上は、俺の養子ということになってる」
 昨日渡したパスケースの中にある買取証明を破り捨てて、偽造の身分証明書をIN。
「あの…」
「なんだ?」
「人種…」
「ああ。お前は元々姉の養子という事だ。ヴァン・ダイン・ノックスには2年前に事故死した姉がいる。その養子を、更に養子にしたという事だ。昨日の買取証明にロス経由が書いてあるから、ロス経由で来た事にすればおかしくない」
「な、なるほど」
「アメリカは人種の坩堝だ。ついでに、養子も多い。人種の違いぐらい、どうってことはないさ」
 そう、少なくとも俺が外見だけならイタリア系の血を引いていようと、アメリカ国籍である事に変わりは無い。

 きっかり20分後、中華風のシャツを着た男二人が迎えに現れ、黒一色のフォルクスワーゲンという何処かピントのズレた車に乗って数十分。

 昼間のダイモンエリアではなく、ランクだけならトップスに次ぐシティ上層部のホテルにある、中華レストランまで案内された。
 到着するなり、最初からいた二人に加えて別の3人(彼らもまた中華風シャツである辺り、ホンロンはイメージを大切にするようだ)に囲まれてレストランの奥、夜景が楽しめる個室へと入った。  ホンロンが今朝より柔らかめの表情で俺とティーアに挨拶し、俺も礼を返す。
「お招き、感謝するよ」
「彼は中でお待ちです」
 ホンロンが観音開きの扉を開け放つと、真正面の席に、そいつはいた。

 そいつはどんな時でも同じ服装をしている。
 本人曰く、Lucky Colorの赤いベストと赤い野球帽を目深に被り、その目元には黒い厚縁の眼鏡。
 Unlucky Colorの青をベースとした大型ヘッドホンを首に架けている。

 そんなそいつは、ネオドミノシティで唯一俺が友人と呼べる人間であり、対等に渡り合える数少ない人間であり。
 超人的なデュエリストとしてデュエルギャング、チーム・サティスファンクションのサテライト統一に貢献し。
 ガキの頃から破壊と情報にかけては超一流の男。

 小波龍太郎。通称、コナミ君。もしくは、コナミ野郎。

 いつも浮かべている笑みは、今夜も楽しそうな笑みだった。
「ようペテン師! 久しぶりだな!」
「相変わらずだな小波野郎。ネオドミノシティで素敵な生活でもエンジョイしてたか? こいつを動かすぐらいには」
 ホンロンを親指で示すと、小波は「あっはっはぁ! そりゃー、色々とやってるからな!」と笑う。
 一応、こいつは俺よりも年下の筈だがそのクレイジーさは俺以上だ。
 俺の横でコナミのテンションについていけないのか、ティーアが困っていたので俺はそろそろ両手をあげてこのクソッタレ兄弟を黙らせる事にする。
「ところで兄弟。俺の妖精さんがお前についていけてないんでな。そろそろ黙ってメシにしようぜ?」
「おいおい、3年振りの再会だろぉー? と続けたいけど、確かにそうだな。俺はともかく、俺も嫁さんも腹ペコで腹がドゴーンと爆撃音を立てそうなんでな。まぁ、鳴らしたのはホンロンだけど」
「自分の失態を他人に押し付けるその癖はガキの頃から変わってないぜ、この酔っ払いが」
「うるせぇんだよ、3年間、いろんな女のケツでも追っかけてロリコンに目覚めたか? このイカ墨頭が」
「あいにくと地毛だ。お前のほうこそ、不健康な面が加速してるぞナス人間」
 二人してイタリア語で悪口の応酬をしばし続けた後、席に座る。
 すると、この場に俺、小波、ティーア、ホンロンの他に五人目の人物がいる事に気づいた。
 赤毛の美少女だ。ホンロンの趣味ではなさそうだから、小波の奴か。
「隣の女の子は誰だい?」
「She is My wife」
「…マジか?」
「マジだ。俺ももう21だぜ? 俺みたいなクレイジー且つミラクルでドラマチックな人生、いつだってサヨナラナイトフィーバーしたっておかしくない。そんな時に、この俺の遺伝子が地球上に残らないなんて人類最大の罪みたいなものさ。ただいま妊娠5ヶ月。俺のベイビーは最高に可愛いか最高にクレイジーのどちらかだぜ」
「クレイジー且つバイオレンスでサディスティックの間違いだろ? まぁ、俺だっていつかはサヨナラナイトフィーバーするだろうけど、その年で子持ちになろうとは思わんぜ?」
「何でだよ? アメリカはもうちょっとバイオレンスな世界だったと思ってたが?」
「3年間は世界各地を放浪だ。だいたいアメリカだったけどな。ロスで女には酷い目にあったしな」
 少なくとも1週間、毎夜違うバーで違う美女と飲んでいたら5人のヒットマンと2人のストーカーに俺だけ襲撃されるという憂き目に遭ったからな。
 とりあえず全員をとりあえず何とかしたのもいい例だ。
「おかげで俺の遺伝子は世界中にあるさ」
 そろそろおしゃべりはおしまいにして、食事に移ろう。
 ホンロンは小さく頷くと、俺と小波の前には杯を、ティーアと小波の嫁の前にはお茶を出した。
 めいめいがそれを持って掲げ、乾杯の代わり。
 中華料理は前菜に始まる。
 それからスープ、メイン料理(肉や魚介)、その他料理と続く。
「そう言えば小波、3年の間で色々訪れたんだが、モン・サン=ミシェルは行った事あるか? あの修道院は伝統もあるが、一気に満ちてきた潮に飲まれて死んだ巡礼者も死ぬほどいる、遺書を用意してから行けなんて伝説が伝わるのがよく解る。あの光景を見たら死んでいいなんて思う奴がいるのも解るさ」
「うんにゃ、俺はそこは行ってないな。フランスは俺も一度行ったけどよ」
 意外だった。エビチリを口に運ぶ小波に「どこだよ?」と問いかけると、奴は笑いながら言った。
「ノルマンディーさ。人間として、一度は見ておくべき場所だと思ってな」
「お前らしい答えだな」
 エビチリを飲み込み、スープを口にする小波に笑いながら返す。
 ノルマンディー。ドーバー海峡を望む、フランス北西部の地域。
 そして――――人類史上最大の作戦が行われ、短時間で数多の血が流された場所であり、それだけで映画やゲームも作られた、歴史と…こう言うと語弊があるが、文化も創られた場所だ。
 特に、映画のプライベート・ライアンで描写された、オマハ・ビーチの20分間は映画史に残る20分とまで言われている(しかもそれが映画の冒頭であるというのが凄まじい)。
「プライベート・ライアンで見た時よりも、もっとリアルなイメージが出てきたぜ。人の脆さって奴が、嫌というぐらいに感じられちまう。俺達人間ってあんなに弱いんだなってな」
「あれも相当だったけどよ…。5年前だっけか? シティのシアターに忍び込んで、二人で適当なフィルム集めて朝まで映画見てたよな?」
「ああ。1週間まとめてオールナイトのレイトショーだったぜ。プライベート・ライアンも確かに見たな。だけど、ラストの夜はスター・ウォーズをエピソード1から順に見るなんて、クールな事をしてたよなぁ」
「あの感動は今でも覚えてるよ」
 広いシアターの特等席で、勝手に機械を動かしてポップコーンとドリンクを片手に、二人だけで朝まで映画を見ていた。
 プライベート・ライアンに始まり、スピルバーグ作品なら、キャッチ・ミー・イフ・ユーキャン。スタンリー・キューブリック作品で2001年宇宙の旅。
 それ以外にも、フォレスト・ガンプ、チャーリー・ウィルソンズ・ウォー、タイタニックに羊達の沈黙、ハンニバルといったレクター・シリーズ。
 とにかく、色々見ていた。どれもこれも、自分の知らない、世界ばかり。
 映画の中の登場人物達は、ロマンチックで、ドラマチックで、スタイリッシュ。
 当時、まだまだ小さいガキだった俺達も、そんなロマンチックでドラマチックでスタイリッシュで、クレイジーな世界と人生を夢見てた。
「そんな俺らも、もう大人っていう年齢になっちまったよ。早いねぇ」
「ああ。そうだろうな、小波ミ野郎…そして、本当に、クレイジーな世界で生きることになったな」
「違いない」
 小波は杯を煽ると、ホンロンにお代わりを要求。
「ところで、この後付き合わないかい? お前にも入用のものがあるだろうしな」
「それは構わんが、俺の娘とお前の嫁さん、どうする気だ?」
「そういう時のホンロンさ。こいつはいい仕事をするよ」
 小波が親指で示すと、8杯目の紹興酒を煽ったホンロンがやや赤らんだ顔で頷く。
「同盟みたいなものか?」
「相談役さ。この町のダーティな部分で、俺より右に出る奴なんてそうそういねぇさ。お前が3年間うろうろしている間にも、時代は変わった」
 小波が「行こうぜ」とばかりに指し示したので、俺は頷くとティーアに近寄り、ささやく。
「ティーア。これから俺は旧友と出かける。ホンロンが面倒を見てくれるから、その辺は心配要らない。それに」
 誰にも見えないように、ティーアのポケットに発信機を押し込む。
「いざとなればそれを使え。助けに行く」
「すぐ戻る?」
 ティーアは不安げな目で見てきたが、その辺は抜かりない。
「んー、解らん。でも、今夜中には戻るさ」
 ティーアの前で、嘘なんて意味が無い。俺は少しずつ彼女について心得たようだ。




 小波に連れられて来たのは、シティのダイモン・エリアに近い裏路地だった。
「へい」
 地下へと続く階段に案内されると、きらびやかで、少しうるさいぐらいの音楽が聞こえてくる。
「普段はここで、レトロなゲームセンターの店長さ。ま、今時こんなレトロなゲーム、やる奴あんまいねーけどよ」
 小波に先導されて階段を下りると、そこは何フロアにも渡って、色々な大型筐体が置かれていた。
 修理を繰り返したであろう、補修の跡だらけの筐体が殆どだが、どれもパワフルに動いている。
「随分そろえたな。今時、こんなのぜんぜんねぇぞ」
 80年代末期のナムコの異色作といわれるスプラッターハウスと、3D格ゲーの先端を開いたとされるバーチャファイターを眺めつつ呟くと、小波は更に笑う。
「だろだろ? で、目玉がコイツよ」
 奥。
「! こ、これは…」

 そこには、日本のみならず、アメリカで一大ムーブメントを巻き起こした奴がいた。

「ダンレボさ! X時代の筐体は結構レアなんだぜ? いやー、こいつ手に入れるの苦労したわ」
 小波は誇らしげに語るが、確かにこれにはそれに見合った価値がある。
 4つの矢印パネルを踏んで遊ぶゲームだが、大型液晶ディスプレイに脇を囲む照明がまぶしい。
 そして、ただ踊るだけじゃない。
 人類が持つ下半身の動きの限界に挑戦する世界がそこに待っている。
 最大秒速24個というとんでもない矢印の嵐が襲ってくる曲もあるのだから。
「グレートだ」
 思わず呟く。ホンモノの筐体でプレイできるなんて初めてだ。
 ゲームのデータを投げ込んだコンピュータに矢印マットを接続した偽筐体でプレイしたことはあるが、ホンモノの筐体が実在するなんて!
 普段は信じていない神サマとやらに投げKISSを送りたくなるような想いでいると、小波は笑いながら指差す。
「やってみるかい? 旧世代の硬貨で100円いるけどよ」
「残念だが、俺は持ち歩いてるぜ」
「Bravo」
 小波の問いにそう答えると、小波は頷いて旧世代の硬貨を2枚受け取り、筐体にIN。
「じゃ、やりますかい。最高にクレイジーでハッピーに!」
「人類の限界に!」

「「行くぜェッ!」」


「…ハァッ…ハァッ……本当に、前時代…の…ハァッ…」
「…あんだ…? ハァッ……ハァッ…」
「こんな…世界を……見てたのか…? ハァッ…ハァッ…」
 3分後。
 俺と小波は全身がバラバラになる寸前まで酷使した下半身を床に投げ出していた。
 画面にはSTAGE FAILEDの文字。
 黒と紫の、戦女神達の次元に挑むには、俺達はまだ早すぎたようだ。
 前時代の先駆者達はよくもまぁこんな世界に飛び込んでいけたものである。
 しかし、これでもまだ前述の最大秒速24矢印じゃなくて、16矢印の世界だというのだから不思議だ。
「少し休憩しようぜ…」
「ああ…キツすぎる…」
 小波の言葉に俺も頷き、近くのベンチまで移動する。
 たった1曲のプレイ。時間にしては2分にも満たない時間。それなのに、人類の動きの限界に挑む事になる。
「クレイジーだぜ…」
「クレイジーだな…だけど、前時代の奴らは、こんな世界を駆け抜けてあまつさえ頂点にまで達してたんだ。そいつらに比べちゃ、俺達のなんと矮小な事よ」
「しかし、ハデさ加減とドラマの中身なら、俺達は負けてないだろ?」
「だな!」
 俺の返事に小波は大きく頷き、近くにある古びた自販機を指差す。
「コーラでもどうだい? ガンガンに冷えてるぜ」
「どっかの中国製の偽コーラじゃないだろうな。アメリカでも本物のコーラは希少だぞ。赤い奴も青い奴も」
「ちょいとコネがあってね。オーストラリア製だが、本物だ。高いけどよ」
「だから一本5ドルかよ。異常だぞ」
 5ドル紙幣を突っ込むと、ガゴンという音がして、赤いコカ・コーラの缶が姿を現した。
 確かに本物のロゴとデザイン。
 かつて、世界中で愛されていた伝統あるものも、時代と共に偽者が氾濫し、本物が姿を消していってしまう。安い偽者よりも、高くても本物の味は、いいものだ。
「中国産の偽コーラほどつまらん味はないよ。いまだにコカ・コーラの正式なレシピが公開されてないから、ってのもあるけどよ、そういうヒミツは永遠のヒミツの方が、ロマンだろ?」
「まぁな。俺もアメリカで何度も調べたよ。フライドチキンのスパイス。だけど、永遠のヒミツだ」
「Top of the secretは簡単には姿を現さないってか」
 冷えたコーラの缶を開けて一口。
 冷たくて甘い。
「それで、こっちがコネ2号。お前好きだっただろ?」
 コーラを飲む俺に、小波はサイドテーブルに載る包みを差し出す。
 青と白のデザインは見覚えがある、フィリップモリスだ。
「本物か?」
「ドイツ産の本物よ。1カートン、カナダドルで80ドル」
「80ドル!? なんつー値段だよ」
「おいおい、これでも友人の為に良心的な値段にしてんだぜ? 他のタバコ1カートンと交換なら…モノによっては30ドルまで値引きしてもいい」
「それでもぼったくりだ。損してるの俺じゃないか」
「ジタンならタダにするぜ?」
「どこで手に入るんだよ、あんな超が100個ついても足りねぇプレミア煙草!」
 あんなもの生産工場の場所を探すことすら難しいんだぞ。
 とりあえずカナダドルで80ドルそろえて押し付けると、小波は1カートンをきっかり渡した。
 まぁ、煙草のアテはこれで出来た。
 1つ封を切り、箱を開くと小波が手を差し出してきた。一本よこせと。ああ、そうかい。
「火はいるか?」
「持ってるよ」
 一本銜えて火をつける。今まで散々吸ってた偽者よりもずっといい。
 ついでに小波が銜えている奴にも火をつけてやり、二人で黙って紫煙をくゆらせる。

 半分ぐらい灰になった頃、俺はコナミに視線を向けて口を開いた。
「なぁ」
「なんだ?」
「色々と聞きたい。お前は、ティーアの事で、何か知ってるか?」
「…少しは、な。お前、何も知らないで拾ったのか?」
「ああ」
 少なくとも、ニュー・コキュトスがティーアを追っていた事とティーアが北欧出身であることから、ヨーロッパではそれなりに話題になったのだろう。
「ただ、未来予知が出来るとか、人の心が読めるとか、そんな異能を持つ奴なんざ、他にもいるだろ? それなのに、なんでティーアなんだ?」
「異能。そうねぇ、異能だな」
 小波はカラになったコーラの缶をゴミ箱にフリースロー。綺麗なシュート。
「そう、確かに異能だ。彼女と同じタイプの異能なんざ、世界を探せば出てくるだろ。あの子の故郷については?」
「フィンランドの小さな港町だ。焼き討ちに遭ったと本人が言ってたぜ」
「Yes。その町は、国の北のほう。寒くて、港すら氷に閉ざされる事がある地域だ。そしてもう1つ、伝統があったらしい。ブルー・ノーブルがティーアに興味を持った理由ってのも、それがひとつだ」
 どんな国や、地域にも伝統というものはある。
 その土地の、或いはそこにすむ人間の気質を受け継ぐ伝統。
「デュエルモンスターズの起源は古代エジプトとされてる。で、その後でその古代エジプトの伝統がなんで今まで受け継がれてきた?」
「は? そりゃあ、インダストリアル・イリュージョン社初代総帥のペガサス・J・クロフォードが自身の悲願だった誰でも遊べるゲームであり、自らの美術の限界へのスパイスとして古代エジプトを調べまくってたらどっぷり漬かりすぎたから、だろ?」
「なんでお前がそんな教科書どおりの答えしかできないんだい」
 小波は呆れたように呟く。
「世界で活躍するチーム・ラグナロク。アイツらの切り札、何が由来か知ってるか? スカンディナビア半島だぜ? 古代エジプト王朝崩壊後、古いデュエルは人類の大移動と共に世界中に広がった。地球の大きさはそれだけで死ぬほどだ。アニメや映画じゃ、悲しくなるぐらい地球1つがちっぽけに見えるが、ためしに自分の足で10キロの道のりを歩いてみろ。有り得ないほど遠く感じてしまう。それが永遠に連なってる。おまけに常に歩いていけるとは限らない。地球ってのはそんな広さよ」
 小波は両手を広げて大きな様子を見せ、それから言葉を続ける。
「話を戻すぜ。中世のスカンディナヴィア半島。何が住んでた?」
「バイキングか…」
 バイキング。
 中世イングランドやフランスを震え上がらせた、高い航海力を持つ海の民。
 彼らはアメリカ新大陸すらコロンブスより500年も前に発見した(しかし定住しなかった)。
「そ。バイキングの連中はどこかでデュエルの知識を手に入れた。三極神がカードとして形成されたのはこの時期らしいぜ? 詳しくは知らねぇけど。ま、ともかくだ。それがスカンディナヴィアにもやってきた。もちろん、スオミにも」
「わかった。そこで従来ある伝統と結びついて新しい性質の奴に生まれ変わったって事か!」
「Excellent! そういうこった。そうやって出来たのは…なんだか知らねぇ」
「知らねぇのかよ!」
「無茶言うな、情報なんてものはHARDで新鮮なモノなんだぜ? 必ずしも手に入るとは限らない」
 小波は両肩をすくめると、ふと気づいたように顔を上げた。
「ヘイ」
「どうした?」
「裏にも出口がある。裏から行こう。…の、前にレアな筐体保護だ!」
 コナミはカウンターに飛びつくなり、パネルを開けてスイッチオン。

 轟音と共に、入り口の階段がシャッターのように降りてきた障壁で封鎖。
「こっちだ!」
 小波に指差され、カウンターの奥にある小さな扉をくぐると、下へと続く螺旋階段が1つ。
「どうしたんだよ、このシステム。自作か?」
「前時代に使われてた奴をアップデートしただけだ。前の持ち主はワインセラーに使ってたけどな!」
 螺旋階段を駆け下りると、その先は倉庫のような小部屋が二つ。
 それらも抜けると、直結していたのは…俺も見覚えのある風景。下水道だ。
「用意周到にも程があるぜ!」
「この道をまっすぐ行けば中央エリアのマンホール。お前のトコはそこからが近いだろ?」
「ああ。お前はどうする?」
「アジトに撤収! 前とは変わってねぇから安心しろよ。また今度な! 次は酒でももってこいよ!」
「あ、おい! 煙草の箱置き去りじゃねーかバカヤロー! ちくしょー!」
 カナダドルで80ドルなんて結構大金なんだぞ、今朝800ドルも払ったせいで!
 俺はため息をつくと、とりあえず下水道の中を進む。
 流石に封鎖した上にネズミみたいに隠しルート大会をすれば、追っ手がやってくる筈は無いよな。
 そうそう、その通り。追っ手なんざ有り得ない。

 では、目の前にいるプロレスラーも真っ青なデカ物とどっかのK-1選手顔負けの電柱を両サイドに従えたお姉ちゃんはどこから沸いて出てきたのか?
「グッド・イブニング」
 とりあえず片手を挙げて挨拶。
 すると彼女は少しだけ微笑を浮かべた。二十歳に届くか届かないかぐらいの彼女の微笑みは100万ドルの価値があるかと聞かれたらイエスと答えよう。
「こんばんは。お時間よろしいですか?」
「生憎と腹を空かせたベイビーちゃんがミルクを求めて待っているんでな。また今度だ」
 俺がそう呟いた直後、風を切るような音が耳に届いた――――。

 恐らく後ろのデカ物二人に注目していたせいで気づかなかった。プラズマソードを握っていた彼女は文字通り一瞬で俺に剣を突きつけたのだ。
「お時間、ありますね?」
「No wayと言いたいが無理だろうなぁ…プラズマソードなんて使ってる辺り、アルカディア・ムーブメントじゃねぇな。さっきプレッシャーをかけてきたのもお前さんらか?」
「別働隊に…というより正確にはあちらの方が本隊で私達は保険のようなものでしたが…保険をかけて正解でした。あなたは一筋縄ではいかないようでしたし」
 彼女がプラズマソードを下ろしてプラズマを消した。
「逃げようとしても、ムダですから大人しくしておいてください。ここには10人います」
 彼女の言葉通り、周囲を見渡すと下水道の配管の隙間やら俺が通ってきたルートから出るわ出るわ、それぞれ銃や槍といった得物を所持した奴らが二桁。
 ジーザス、完全に見切られていたか。
「で、俺をどうするつもりだい?」
「拘束も脅迫もしません。大人しくついてきてくれれば解ります」
 彼女はそう言って笑った。
「やれやれ」
 視線を向けてみる。彼女が手練であるのは確認できたが、その護衛二人は…手練でなくても護衛ではあることから彼女のフォローが入る。
 さて。ここで単騎で敵勢力を相手にし、相手がこちらを包囲している時、どのように戦うべきか考えてみよう。
 答えは周囲の状況を可能な限り味方にする、だ。ここは下水道。
「ところで。君は剣を下げても大丈夫なのか?」
「何がですか?」
「こんなふうに、だ!」
 その場で力強く反転、そして強烈な回し蹴りを電柱にぶつけ、電柱が吹っ飛ぶと同時に一歩踏み込み、左手で彼女の腰にあるプラズマソードを掴む。
 そしてその左手の肘打ちでデカ物を打ち倒す。
 他の雑魚兵が動くより先に、俺は彼女のプラズマソードを片手に、彼女を拘束。これで、おしまい。
「抵抗しないとは言ってないからな」
「どうするつもりですか…」
「何もしない。このまま、お前さんが連れてく先に、案内してもらうだけだ」
「…へ?」
「交渉ってのはな、色々と物入りなんだ。よく覚えとけ、お嬢さん」
 こちとら、伊達にネオドミノシティを引っ掻き回してきたんじゃないっての。





 シティ中心部からさほど離れていないビル。
 アルカディア・ムーブメントや治安維持局ほど立派ではないものの、周囲を塀で囲み、屋上に見張りを置いている辺り、防御態勢は出来ている。
 そんなビルがブルー・ノーブルの日本に於ける拠点らしい。
「治安維持局からマークされてるってのに、よくシティに拠点を構えられたな」
 俺がそう問いかけると、彼女はゆっくりと答える。
「私達は、非合法組織ではないので。名目上は、他のシティから公認を受けて活動している団体でもあります」
「ニュー・コキュトスと手を結んでるのはそれが理由か。シティの実働部隊が表立って出来ないことも動く、か」
「…奥です。そろそろ、放して貰えますか?」
「それもそうか」
 とりあえずプラズマソードは持ったまま、彼女の身体だけは離す。
「こっちへ」
 ビルのドアは暗号式なのか、彼女がパスワードを打ち込んで解除。
 そしてその奥にあるエレベーターへ向かい、ためらうことなく乗り込む。
「上です」
「上は上でも何階だ?」
「五階」
 5階のボタンを押して、しばらく移動。
 そしてエレベーターの扉が開くと同時に、5人ほどの男達がそれぞれ拳銃を片手に姿を現した。
「死ぬぞ?」
 とりあえずブルー・ノーブル下っ端どもにそう睨みを利かせつつ、歩き出す。
 が、馬鹿が一人いたようでサブマシンガンを片手にこちらへ走ってくるのが見えた。
「人質が見えないか!?」
「! 卑怯な…」
「隙ありだ」
 脇で遠巻きに見ていた一人に蹴りを入れ、そいつが落とした拳銃を片手で空中キャッチ。そしてサブマシンガンを撃とうとしていたアホを先に撃ち抜く。
 ついでに拳銃を奪った奴の足も。
「心配するなよ。殺すつもりまではないさ」
 もっとも、肩を一つ撃たれればしばらくは動けないだろうが。
 サブマシンガンを持っていた奴が恨めしそうに俺と少女を見ているが、それを無視して横を通り過ぎる。サブマシンガンを蹴飛ばして遠くに送る事を忘れない。
「随分強いんですね」
「君もその年にしては十分強いよ」
「褒めてるんですか?」
「とても褒めてるさ」
 そして、彼女は一つの部屋の前に辿り着いた。
「武器を置いて下さい。そんな無粋なものは不要だと言われますから」
「……」
 随分と規則にうるさいリーダーを抱えているようだ。プラズマソードを少女の腰に戻し、拳銃を床に捨てる。
 そして、扉がゆっくりと開き―――――――。

 中には、少女よりも少しばかり年上の女性がいた。まだ若い。
 青を基調としたドレスを纏い、どこか人を惹き付ける魅力がある。そして何よりも、部屋に立て掛けられたアンティークな剣と槍が、彼女の実力も感じさせる。
「姉う…団長。彼です」
「下がっていいわ、メリーベル」
「はい」
 彼女は小さく頷くと、後退して部屋を出る。足音が去っていく音が聞こえないから、廊下で待機でもしているのだろう。
「…待っていましたよ、ネームレス」
「俺をその名前で呼ぶという事は、俺の事を知っているのか?」
「ある程度は調べさせていただきましたし、あなた自身、アメリカや欧州で色々となされていますから」
 団長、と呼ばれた女性は長いダークブロンドをかきあげつつ、こちらへ近づいてくる。
「単刀直入にいいます。ティーアを、私達に渡してください」
「生憎とただで渡すわけには行かない。あんた、今の状況、わかってるか?」
 なんとなく椅子に勝手に座りつつそう言い放つと、団長も対面の椅子に腰掛ける。
「もちろん。実はあなたを迎えに行った本隊の方は―――アルカディア・ムーブメントと交戦状態に入っています」
「アンタらはここじゃ新参だ。地の利が無い。ティーアの情報という点ではアンタらがトップだろうがな」
「治安維持局がどういう出方をしたいか知りたいですしね」
「俺にティーアを差し出すだけじゃなくて、情報もよこせってか? 高いぜ?」
「もちろん、それなりの報酬を用意致します。ただ…あなたに拒否権はありません」
「ノーと言ったら?」
「力ずくでやるまで」
 なるほど。ティーアの話は嘘ではなかったということか。
「ティーアは確かに異能ではあるが、ヨーロッパのような場所じゃ珍しくはないだろう? 探せば出るんじゃないか?」
 俺の問いかけに団長は首を左右に振る。
「ただそれだけではありません」
「なるほど。ニュー・コキュトスが欲しがるぐらいだからな」
 それだけの理由があるのだろう。
 俺が椅子に座りなおすと、団長は器用に部屋の隅に置かれたポットからお茶を注ぐ。
「毒は入っていませんのでご安心を」
 先に自分で飲んで毒見までしているので、毒はないだろう。わざとらしい演技の可能性もあるが。
 また、毒は、と言っているので他に何が入っているかわからない。
「毒は入ってないだろ? だが、それ以外は入っている可能性はある」
「用心深いですね。道理で歴史に本当の名前が残らない」
「俺に本当の名前なんてない」
 そう答えるも、団長は不適な笑みを浮かべていた。
「まぁ、いいでしょう。何事も話をしなければ、貴方の場合動かないでしょうし」
「……」
 嫌な部分まで見透かされている気がする。
「私達ブルー・ノーブルはその名の通り、貴族達の団体が出身です。フランス革命前後のフランスが始まりだったとされています」
「されている?」
「ダークネス事件の混乱で、空白が生じているのです。その間、存在していたのか、存在していたとしても何をしていたのか、未だに不明な部分が多いです」
 そういうことなら納得できる。
「しかし当時から、方針と目的は揺らいでいません。青い血の貴族達は、多くの人々の安寧の為に、血を流して誓い合いました。救世をです」
 団長がすっと差し出したのは、一冊の古い本だった。
 ラテン語で書かれているのだろうか、文体はどこか読みづらい。それに文字がかなり掠れているように見える。
「聖母の出現ログ、じゃねぇよなぁ? なんだこりゃ? 何処の予言だ?」
「今から300年前に、私の祖先の手によって。ブルー・ノーブルの初代達によって発見されました。…その名もドミノ文書と呼ばれています。発見地はスオミ」
「ドミノ文書!?」
 慌ててページを手に取り、数枚をめくる。目次なんてものはついていないし、何よりも文章の大半に挿絵などが書かれているが…その内容はバラバラだ。
 ヴォイニッチ手稿でも読んでいるかのような感覚を覚えるが、決してそんな事は無い。あれと違って文章が読めなくも無い。
 そしてそこに記される、一つの事実。
「ん? これは…ゼロリバース?」
 大いなる力の爆発、とある。書かれた場所はともかく、方角と距離…それにカレンダーの要素を頭の中で計算すると。
 ゼロリバースの存在そのものを予言していたのか?
「最後のページを見てください。この地に、救世主が現れると書いてあります。…彼女が私達の元に来ずとも、私達は彼女を求めてここに来る運命でした。彼女はここに来たのですから」
 ゼロリバース。
 いまや、誰もが知っている事件だ。

 永久エネルギー機関として開発されたモーメントの暴走により、ネオドミノシティの3分の1が廃墟となり、数万人もの死者が発生した。
 だがしかし、ゼロリバースの恐ろしさはそれだけではなかったのだ。
 モーメントは不動博士が開発した永久エネルギー機関とされている。
 実質的にはエネルギー生成機関であり、またモーメントの出力を上げるには、世界中に存在するモーメントの数が多ければ多いほど、モーメント同士でリンクして倍増していく。
 そのリンクが問題だった。ネオドミノシティで語られるゼロリバースはネオドミノシティの範囲で終わるが、世界から見れば、それは単なるきっかけレベルの出来事だった。
 ゼロリバースによってネオドミノシティのモーメントから他国へ、或いは他の都市でも暴走が発生してしまった。
 中でも赤道圏に建造中だった軌道エレベーターも内部が暴走、大崩落が起こり…200万人を越える死者が出たのだ。
 その赤道圏も含め、世界各国で11の都市が完全消滅、367の都市が被害を受け、総犠牲者数は5000万人にも及ぶ、未曾有の大惨事となった。
 それがゼロリバース。

 だが、それが予言されていたとは。
「…予言されているならばどうして防げなかった? 防ごうとしなかった?」
「足りなかったのです。ゼロリバース当時のブルー・ノーブルは決して力ある団体ではありませんでした」
 力が足りていれば、あの悲劇は防げたのだろうか。何万もの人々が炎に焼かれていくのを。
 全世界で、数千万もの人が命を落とした。
「だが、既に起きたことだ。止められなかった」
「ええ。しかし…救世が行われれば、世界は変わるかも知れません」
「たった一人が起こす奇跡ねぇ」
 俺にはどうにも信じるが事が出来ない。
 生まれてから、他人を見て生きてきた。利用し、或いは利用され、裏切られ、時に切り捨てる事も見守ることもある。
 だが、長く人間というものを見ていると、人間とはあまりにも小さすぎる存在なのだ。
 人間は人間が思うほど、賢く、素晴らしい生き物ではない。むしろ、唾棄するほどのくだらなさと言っていい。
 しかし人間はここまで進化してきた。…一人ではなかったからだ。
 たった一人に出来ることなど、文字通りタカが知れている。

 だから俺は一人の力なんて信じない。

 俺が一人に見えるか?
 存在だけは、一人だよ。だけど、俺が何かをする時は、常に誰かがいる。誰かが関わっている。
 俺一人では、何も出来ないからだ。

「信じられませんか? でも…いつか貴方も、救いを求める日が来ます。近いうちに」
「一つだけ聞かせてくれ」
「なんですか?」
「アンタの名前だ。いや、質問が二つに増えたな」
「イグレイン・アルクと申します。増えた、とは?」
 首を傾げるイグレインに、こう問いかける。
「あの妹さんに彼氏はいるのか?」
 返事は「私は知りません」だった。それもそうか。


 部屋を出ると、メリーベルと呼ばれた彼女が待っていた。
「その様子だと、あまり良い返事をしなかったようですね」
「言われてすぐはいそうですかと答えるようなタチじゃないからな。それに、随分とオカルトな話も聞いた」
 表には出さないが、今の話にはある程度の収穫があった。
 ドミノ文書の発見地は、ティーアの出身地でもあるフィンランドだ。そして小波の奴も、スカンディナヴィア半島に古代デュエルの情報が入った事や、チーム・ラグナロクの三極神がその頃に出てきたとも言っている。
 三極神については色々とオカルトな奇跡を起こした、という話があるし、俺自身、一度それを目撃した事があるから信じられない話ではない。
 では、ティーアがブルー・ノーブルのいう救世主なのか、というとまだ疑問が残る。
「メリーベルって言ったか? お前は奇跡を信じる方か?」
「ええ」
「そうかい。俺は信じちゃあいるが、過信はしない方なんだ。本当に救世主がいたんならゼロリバースなんざ起こらん」
「私が生まれた年の出来事でしたので、よく覚えてはいませんが…とても大きな出来事でした」
 世界中に派生した大惨事だから、彼女の国でも何か起こったのだろう。
「それからずっと一人で生きていると、本当に見えなくなる」
「?」
「だけど、それは逆でも一緒だ。愛が無いから見えないものがあるのと同じ様に、愛があるから見えないものもある」
「なかなか興味深い発言ですね」
 俺の呟きに、ふと別の方向から声がかかった。

 その時に、なんとも言えない嫌な感覚を覚えた。
 ティーアが俺に「あなたみたいな人の天敵だから」と言った時も相当だった。だけど、コイツはそれ以上に何かヤバイ。
 俺は視線を向けることすら出来なかった。信じられない事に。
「どういう意味だ?」
「ああ、失礼。挨拶もまだでした。そちらへ行きましょう」
 その声の主はすたすたと歩き、俺の前まで出てきて、一歩反転。

「初めまして、ネームレス」

 今まで見てきた人間の中で一番エキセントリックなスタイルをしていた。
 そして今まで見てきた人間の中で最も何を考えているのかわからない奴だった。
 極めつけはそもそも人間なのか疑うレベルだった。

 左右対称に近い、CG画像でしか見れないような、極めて整った顔立ちをしている。
 空を少し濃くしたような独特のヘアカラー。そして瞳の色は人間らしさのかけらも無いシルバー。この時点で既に遺伝子操作されてるとしか思えない。
 体格こそ、俺より少し年下の、大人になる手前の青年ぐらいだが、実年齢はわからない。

 そして何よりも、俺の事をネームレスと呼んでいる時点で、こいつは只者ではなかった。

「イデアです。イデア・ムンドゥス。ブルー・ノーブルの参謀を務めております。以後、お見知りおきを」

「俺をネームレスだなんて呼ぶ辺り、色々めぐってそうだな」
「そうですね。ここに来るまでは文字通り、世界で色々していました。…あなたの噂は聞いておりますよ。ある意味人間を越えている、名無しだと」
 それは明らかに褒めていない気がする。
「英語が上手だな。…綺麗なイギリス英語だ」
「大体の言語は話せます。貴方と同じように」
「どこで学んだんだ?」
「各所で。現地で話している人間から聞くのが一番早いですから」
 イデアはさも当たり前のようにそういうが、イデアの容姿を見るに世界を飛び回ってきたとは思えない。
 ここまで人工的な人間は、そうそう簡単に溶け込めない。
「ああ、メリーベル副団長。彼は私が送りますよ。時間が時間ですし」
「…そうですか。では」
「ああ、待ってくれ。連絡先を教えてくれるか?」
「……変な事に利用したりはしませんね?」
「俺にそんな事を求めてもムダだぞ」
 なにせこちとら場合によってはシティを一つ大混乱させることだって厭わないブレイカーだぞ。
「やれやれ、恐ろしい…」
 イデアはなぜか大笑いしながら俺とメリーベルのやり取りを眺めていた。
 個人的にはお前と一緒に帰るのなんざゴメンなので。
「下まで送ってくれればいいさ」
「でしょうね。私は外に用があるので、ついでですよ。ついで」





 ブルー・ノーブルの本拠地から出て、シティへと戻る夜道を歩く。
 レクス・ゴドウィンからティーアの確保と、アルカディア・ムーブメントとブルー・ノーブルの目的を探り可能な限り妨害することを命令された。
 ブルー・ノーブルの方はティーアが必要な事と、それに対して強硬手段も辞さないと通達。
 ジェイソン曰く、アルカディア・ムーブメントも彼女が必要だといい、ブルー・ノーブルは救世主と呼んだ。ティーアに、何があるのか?
 そしてもう一つ気がかりなのが。

 イデア・ムンドゥス。
 あの男は猿でもわかるクラスの嘘を堂々とついていた。しかも、それ以上に明らかな…あの違和感はなんだったのだろうか。
 奴がブルー・ノーブルの中核に近い位置にいるのはわかる。だが、それだけで満足するような奴ではないと思える。
 俺をネームレスと呼んだ。奴は、明らかに…危険だ。
 イグレインやメリーベルは、奴を見抜けるのだろうか? とても二人の下でただ動くような奴には見えない。
 いや、今はそれを考えるべきではない…早く戻って。

 戻って。
 ティーアを安心させてやらなきゃ。

 ぞっとした。
 イデアの事を思い出す度に背筋が凍る。数多の修羅場を潜り抜け、どうにか生き抜いてきた俺が、だ。
 あいつだけは、何があっても敵に回したくない。まるで全てを見透かしたかのようなあの視線が恐ろしい。
「早めに戻るか…」
 思わず口に出して呟き、軽く手を上げてタクシーを捕まえる。

 行き先を告げ、とりあえず乗り込む。
 すると、ちょうどタクシーの隣を一台の車が通り過ぎていった。

 その運転手は。
 イデア・ムンドゥスだった。
「行き先変更だ。今の車を追え。金は弾む!」
 タクシーの運転手にそう告げた時、そいつは「できません」と答えた。
「なに!?」
「失礼だけど、おじさんとのデートに付き合ってくれないかな?」
「……なんでアンタがそんな事してんだよ。ディヴァイン!」
 なぜかタクシーの運転席に座っていたのは、アルカディア・ムーブメント総帥のディヴァインだった。


 何が悲しくて、夜遅くゲーセンから逃走の後、綺麗な姉ちゃんと会見したと思えば謎のホムンクルスとファーストコンタクトした挙句、おっさんとコーヒーを飲まねばならないのか?
 俺にはまるで理解できない。
「アイリッシュ・コーヒーでいいかな? 私はこの飲み方が好きでね、ジョシュア・スチュアート君」
 俺を3年前の呼び名で呼んだということは、こいつの情報はその時代で止まっている。
 呆れると同時に少しだけ安堵する。やはりイデア・ショックが俺には大きかったようだ。
「ちゃんとしたアイリッシュ・ウィスキー使ってるんだろうな?」
「もちろんだよ。アルコールを嗜むのも紳士だ」
 ディヴァインが軽く瓶を振る。確かにウィスキーである。
「で。なんでお前なんぞと酒を飲まねばならない?」
「簡単な話だよ。報酬を出せば仕事はきちんとやってくれる君だ。依頼したいんだよ」
「おい」
 別に俺にそんなルールは無い。そもそも俺は暗殺者でもなければ便利屋でもないのだ。
 仕事を依頼されることはあるが、本当は自分から首を突っ込んで売り込むことも無いわけではないのだ。
「やるべき事はブルー・ノーブルの情報を探って欲しい。それと…彼らが追う救世主が欲しい」
 まさか本当にこいつらも狙っていたか。
「その話を、昼間治安維持局から受けた」
 ディヴァインの持つグラスの手が、少し震えた。
「続けてくれ」
「治安維持局だけじゃない。ブルー・ノーブルも、例の救世主を追っている。治安維持局については、レクス・ゴドウィンはまだ全容は知らないようだが、知っている奴自体はいた」
「誰だい?」
「ジェイソン・ウィーバー。治安維持局保安部の大尉だ」
 ディヴァインは少しだけ考え込む。
「あの長官が、あれだけ有名な救世主について情報を知らないなんて事は珍しいが…ジェイソンがその情報を意図的に伝えてない、ということになるのか?」
「だろうな」
「ジェイソンならやりかねない」
 ディヴァインはなぜか納得したように頷く。この男は誰に対してでもフレンドリーに話しかけるのか、それとも酒が入っているせいか、奴は少し口が軽いようだった。
「ジェイソン・ウィーバーはアメリカの治安維持局で働いていたときに同僚だったんだがね。その頃から、奴の思考は見えないよ。仲間や上司を、いつも平気で出し抜く。……時として仲間を犠牲にすることすら辞さない」
 ディヴァインがアメリカの治安維持局で働いていた、とは初耳だった。こいつ、元々は公務員なのか。
「続けてくれ、ディヴァイン。本当はレクス・ゴドウィンではなく、ジェイソン・ウィーバーが企んでいる事、だとでも?」
「彼ならやりかねないよ。今の彼は多大な権力を手にしている。部下も、武器も多い。僕らとブルー・ノーブルの双方を同時に相手にしたとしても、真正面からやりあうだけなら奴のいる治安維持局に勝てる手段は少ない」
 ブルー・ノーブルはともかく、アルカディア・ムーブメントはもっと大きな規模かと思っていたが、治安維持局に劣るほどなのだろうか?
 資金力と動員数でみれば確かに治安維持局は圧倒的だが、奴がそこまで危険であるだろうか?
 なにせこっちの方が規格外が多いのだし。
「そうかね? 俺はブルー・ノーブルが…いや、さっきお前がいたタクシー。俺は前の車を追えと言ったな?」
「ああ」
「ブルー・ノーブルの幹部らしい奴なんだが。イデア・ムンドゥス。奴について何か知らないか?」
「いいや? 誰だいそいつは?」
「俺もよく知らん。だが、奴はなんか違う」
 そう、この三大勢力による争奪戦の中で、俺はこの台風の目として大暴れしようとしていた。いいや、する気だ。
 だがしかし、こいつというジョーカーのせいで訳がわからなくなってきていた。
 アイツは絶対に誰かに与するような存在じゃない。誰かの元で動くような奴でもない。何か別枠を持っているような気がする。まるで俺のように。
「イデア・ムンドゥスには警戒しておけ。これは警告だ」
「ああ、そうしておく。それと…達成の暁には100万ドルでどうだい?」
「考えておこう」
 アイリッシュ・コーヒーを飲み干し、今度こそ俺は帰路につく。
 明日からの事を考えないといけない。




「やれやれ。彼も人聞きの悪い」
 彼は運転する車の中でそう呟き、後ろに何の車もついてこないことを確認してから速度を緩めた。
 トップスではなく、シティ上層部のホテルの地下駐車場は広大ながらも、人気は少ない場所として有名である。密談するにはちょうどいい。

「遅かったな、イデア」
「申し訳ありません。ウィーバー大尉。少し時間がかかりまして」
 ホテルの地下駐車場の、車の側で待っていたのはジェイソン・ウィーバーだった。
「で、ブルー・ノーブルの奴らは何か動いたのか?」
「まだ行動を起こすほどではないようです。アルカディアムーブメントと小競り合いをしていくるぐらいです」
「奴らが勝手に潰しあってくれればいいんだが…そうだ。いい考えがあるぞ」
 ジェイソンはニヤリと笑う。
「この度、ミスター・ノックスという人間がいる。…奴は双方に接触するように長官から命じられた。奴に双方を刺激させてやればいい。あの男は曲者だと長官は言っていたが…」
「実は彼は既に双方に接触しています。ブルー・ノーブルには、現に先ほど」
「なに?」
「彼は大変鋭い。3つ全てを手玉に取ろうとするでしょう。そこに隙があります」
「…どういう事だ?」
 ジェイソンの問いに、イデアは笑う。
「奴の思考を逆手に取ります。確実に彼女を手に入れる為に…2者とそれぞれ極秘に同盟を結びます。ただし、それぞれ単独として見られるように」
「スパイもそこら中にいるだろうに。そんな事が出来るのか?」
「情報規制はお手の物です。そして、それを防ぐための極秘なのです。上手く行けばスパイも炙り出せます」
 イデアは笑う。
 その笑みの中にあるものは、ジェイソンには見出せるのだろうか?
「彼女を確実に手に入れる為には、ね…」




「相当遅くなったな」
 ティーアはもう寝ていると思うが。
 部屋の入り口前に、ホンロンの部下であろう男が二人立っていた。
「悪い、助かった」
「いいえ。大丈夫です」
 二人はそれぞれ頭を下げてからそそくさと姿を消していく。一応、一般市民も住むマンションとはいえ、流石にあんなボディガードがいれば誰も寄ってはこない。

 部屋に入ると、リビングのテーブルでティーアが眠っていた。
「しまった、遅くなりすぎた」
 まさか帰りを待っているとは…。ホンロンがボディガードをつけてくれた事がありがたく見える。
 突っ伏して眠っているティーアの身体に、下から手を入れてそっと抱き上げる。起こさないように、慎重にだ。
「……」
 救世主、ねぇ。
 ブルー・ノーブルといい、アルカディアムーブメントといい、ティーアの事をそう呼ぶが、俺から見れば昨日の発言以外は、どこにでもいる女の子にしか見えない。
 不思議な魅力を持っている。だけど、それでもその子には、何か世界を救うとかそんな風には見えない。
 当たり前だ。ヒーローなんてのは人間が作り上げた幻想に過ぎない。

 だから、彼女がどんな奇跡を起こそうと、俺はティーアの事を救世主とは見ないだろう。

 本当は怖かった。
 俺みたいな奴の、相手の事を読んで利用することしか考えないで生きてきた俺のような奴にとって、ティーアは自身を天敵と呼んだ。まさにその通り。
 俺にとって、俺の事を見られるのは、俺の弱点を晒すのと同義だ。
 そうしないと生きていけなかった。そうすることが俺の全てだった。
 誰かを理解することはとても大切な事で、尊い事だ。教科書にそう書かれている。そうすれば理解しあえるとも書かれている。
 だが俺は誰かを理解しても誰かに理解されることは無い。されたくないと、意図的にそうしていた。
 自分の本当の姿なんてどこにもないと言って。理解されたくない、理解されないと思っていたから。
 でも。
 初めて誰かに理解されることが、本当に怖いものなのかと思うと。
 怖れはする。だが、それだけではないかも知れない。

「本当に、お前と出会ってから、人間というものが余計にわからなくなるよ」

 俺はそう呟きながら、ティーアの部屋の扉を開けて、彼女をベッドに寝かせた。

「おやすみ」

 ああ、そうか。
 今までこんな思いを覚えたことは無かった。だからこそ、だ。
 この子を、手放したくないと、本気で思ってる。

「酒でも飲もう…」
 何を考えているんだ俺は。ただのロリコ…じゃないな。一応、相手は15歳ぐらいだから断じてロリコンではない。





 午前6時。唐突にかかってきた電話に起こされた。
『おはようだな、ノックス。目覚めはどうだ?』
「最悪だよ、ジェイソン・ウィーバー」
 何が悲しくて朝からむさい男のモーニングコールなど聞かねばならんのだ。
『朝からで悪いが、仕事の確認だ。ブルー・ノーブルとアルカディアムーブメントの双方について、どうだった?』
「それについては、まだ」
『ブルー・ノーブルと接触したのは知っている。うちの配下がそれを確認している』
「ああ。わかったよ、クソ。ティーアを確保したがってるが、積極的にはまだ出てこないだろう。彼らはここの土地勘が無い。それに数も劣勢だ。上手く行けば早々に離脱させることはできる」
『できるのか?』
「やれる」
 とりあえずそう答えておく。何事も相手を出し抜くことは相手の信頼を得ることからだ。
『では、頼む。アルカディアムーブメントに関してはまた連絡する』
 電話はそこで切れた。
 とりあえず携帯電話は壁めがけて盛大に叩き付けてから、リビングへと出る。
 流石にティーアはまだ起きていなかった。

 ティーアが起きてきたのはそれから2時間後、8時になってからだった。
「おはよう」
「ああ、おはよう。すまないな、遅くなりすぎた」
「…気にしないで」
「待っててくれたんだな。悪かった」
 ティーアはそんな事を言う俺に恥ずかしそうに「大丈夫だった」と答える。
 まぁ、こんなやり取りばかり続けていては仕方が無いので朝食にでもするとしよう。

 世の中、美味い朝食とは何かと聞いてみれば、人によって違う。
 ただ、イタリア系でアメリカ系の生活をしていた俺は洋食が好みである。スオミ出身のティーアもそうらしく、トーストに野菜サラダ、ベーコンエッグにチキンスープという朝食を平らげ、お代わりまで要求してきた。
 発育は普通ぐらいだろうから、食欲が旺盛なほうなのだろう、多分。
「満腹」
「そりゃあれだけ食べればな」
 品数自体がそんなに多くないのにそこまで食べる気になれるのもすごい。俺は腹八分目といった所だが。
 そんな俺の思いを見透かしたのか、ティーアは少しだけ笑いながら口を開いた。
「誰かと一緒に食べるから、食も進む。一人だと、美味しくないものってあるから…」
「ふむ。確かに、世界各地に皆で一緒に食べるという習慣や文化はあるな。日本だけでも、皆で鍋を囲むとか、カレーは一人で食うものじゃないとか、そういう言葉がある」
「かれー?」
「インドで生まれ、イギリスを経由し、日本に渡来したという極めて難解な歴史を持つ食い物だ。インド、イギリス、日本。そのどれでもカレーという料理は全然違う、が日本のカレーは美味いぞ」
 子供の頃、小波やチーム・サティスファンクションの奴らとカレーパーティを開いたのはいい思い出だ。
「今度食べさせてやるよ」
 そう告げた時、再び電話が鳴り響いた。
『突然ですまない』
 今度はディヴァインからだった。今日は電話の多い日だ。
『治安維持局から休戦を申し出て来たんだ。君はどう見る?』
「休戦だって? 誰からだ?」
『ジェイソン・ウィーバー本人だよ。朝っぱらから人のマンションに訪ねてきて交渉だぞ? 今帰ったばかりなんだが…』
「なんか臭いな。あの、ジェイソンが! ネオドミノシティ治安維持局と、アルカディアムーブメントを休戦するって!?」
『ああ。彼女を手に入れたら、こちらによこしてくれるとも。ただ、条件として』

『ブルー・ノーブルを我々だけで崩せというのだ』

 確かに、それは妙すぎる。
「治安維持局はブルー・ノーブルについては無視を決め込む。そういいたいのか?」
『どうやらそのつもりらしい。こちらへの援軍も出せないと言っている。まぁ、出す気が無いのはわかっているが』
 その通りだ。アルカディア・ムーブメントはサイコデュエリストの保護・研究を謳っているが戦闘員を抱えている事も、サイコデュエリストそのものを戦闘員として扱えることぐらい、俺も知っている。
 これは明らかに。
 ブルー・ノーブルとアルカディア・ムーブメントを潰し合わせて漁夫の利を狙う、というのが正しいだろう。
「その通達、部下にしたのか?」
『いいや。場所は私のマンションだったしね。まだ誰も知らないだろう』
「……その話、誰にも言うな。反故にするんだ」
『本当か?』
「でないと、まとめて食われるぞ」
『あ、ああ』
 アイツに対しては少し甘いのかも知れない。まぁ、ディヴァインは載せられ易いし、一つの組織の長とは思えないほど、疑い深くない。
 まるで用心深くないというかガードがゆるいというか…付け入る隙が山ほどあるのはありがたいが。
 電話は切れた。
「なんだったの?」
「お前を狙ってる奴が、死ぬほどいるって事さ」
 携帯電話をソファまで放り投げつつ、ティーアの隣に座る。
「まぁ、心配するな。お前を売るような真似はしない」
 一昨日も告げたけど、もう一度言っておく。 「どうした?」
「……ううん。なんだか今、すごく変な気持ち」
「どうしてだ?」
「育った町から、急に連れ出されて…それで、自由が欲しくて逃げてきた。それで、貴方に出会った。貴方はとても不思議な人。でも…とても優しいわ」
「そ、そうか?」
 まぁ、確かに今まで出会ってきた奴と、今まで俺が利用してきた人間とは違う。
 俺は純粋にティーアの事を見ている。
「そういった面では、俺も変な気持ちなんだ」
 俺は思わずそう答える。
 今まで、誰かを利用したり、誰かを踏み台にしていかなければ、生きていけなかった。
「君自身が言ったように、君は俺みたいな奴の天敵かもな。けど…君だけは、違うんだ」
「え…?」
「何でだろうな。初めて見かけた時だって、いつもならば気にもかけなかっただろう。ああいう事は、この世界では当たり前だ。だけど、君を見た時に――――」

 どこか、俺の世界が変わるような音がしたんだ。
 まるで運命の扉をノックしてしまったかのような。これから始まる何かに動かされたかのような。

「不思議だよ。そしてそんな君が、この町に俺が戻ってきたことに関わってたなんてね」
 嬉しい誤算というべきかはわからない。
「それは確かに不思議な事かもね」
「ああ。違いないな。まるで会うべきして会ったかのようさ。そしてもう一つ」
 俺がいなければ、君はきっと彼らに再び捕らわれてしまっただろうから。
 それにしても…。
「彼らは、君を救世主と呼んだ」
「そうみたい。私には、そんな…」
「……かもな。現に、俺は君が救世主だなんて呼ばれてることは、信じられないさ」
「捕らえ方の違い、かもね」
 ティーアは力なく笑う。
 なるほど、そういう考えも出来るか。
「人の心だけじゃない。風の声とか、動物達の気持ちとか、そういったものが解るって事は…その分だけ、色々とわかるものがあるって事だもの。未来とかも、想像だけど推測できる。動物達は、大災害の直前に変な行動を取るっていうでしょ? 彼らはわかっているもの」
 なるほど、確かにそう考えれば便利かも知れない。
「…実はな。ブルー・ノーブルの連中は、お前の存在を予言されてたって言ってる。お前を手に入れることもまた運命だと」
「え?」
「300年前にスオミで発見された文書に、ゼロリバースと思わしき文面があった」
 正直な話、あれだけの文書を捏造するとは考えにくい。紙質も当時のものだと判断できそうだった。
「救世主が降臨する、このネオドミノシティに。…それがお前だとは判断できないがな」
「…ごめんなさい」
 ティーアは突如として、俺の手を握り、目を閉じる。
 その小さな暖かい手から、何かが伝わってくる、否、入り込んでくるイメージ。
「……ごめんなさい」
 ティーアはもう一度謝ってから俺の手を放した。恐らく、今ので俺の記憶を覗いていたのだろう。
「気にしないでくれ。今のは必要なことだ。で、どうだった?」
 確かに記憶を覗かれるとはいい感じはしない、がこれは必要な部分だし、恐らくティーアもそれ以上は覗いていない、と信じたい。
「確かに…あの文書だけでは、判断できないけど…でも、ゼロリバースの部分に関してだけじゃなくて、あなたが読んでた部分…それに関しても、思い当たる部分が無いわけじゃないの」
「なにがある?」
「その本の製作者の部分。……故郷はいずれ消滅するって…それは最後のページに近いほうに、記述があった。あなたは気付かなかったかも知れないけど」
 殆どのページを流し読み程度でしか見ていなかったが、ティーアにはその短い程度でも認識できた、ということは。
 ラテン語を理解できる少女なんてそうそういるか。
「だけど、それでも…彼らのやってた事を…私は理解できないし、ついていきたくもないの」
 そう。
 ブルー・ノーブルは、ティーアの故郷を焼いたのだ。幾ら救世主だと祭り上げても。
 それに、イデア・ムンドゥスの事もある。ブルー・ノーブルをうかつに刺激したくない。
「そうだな……だが、治安維持局とて、君の味方になるとは思えない」
 考えてみれば、治安維持局は相当な曲者だ。
 ジェイソン・ウィーバーはディヴァインによると権力欲と野望がある。それに、レクス・ゴドウィンが黙ってみているとは思えない。呼びつけたのは奴本人なのだから。
 やりがいはあるが、怖くも或る。だが。

 もう逃げることは出来ない。
 奴らなら、そこまで警戒しているだろうから。

「ここまで腹を括るというのも初めてだな」
 俺はなんとなく笑うと、少しだけ立ち上がって大きく伸びをした。

 同時に。
 ティーアの、小さな身体が背中に飛びついてきた。
 柔らかかった。幼くて、寂しそうなその身体が。
 俺を頼りに、飛び込んできた。

「でも、怖いの。本当は」

 その呟きは、俺の心の声だった。

 たとえどれだけの人とめぐり合っても、誰かを理解することはできても。
 誰も自分を理解することは出来ない。
 誰かの為に一生懸命になるなんてことはなかった。その気になることが出来なかった。
 自分は自分で割り切って生きていた。
 本当は違う。

 誰にも理解されないから、ずっと一人ぼっちだった。
 誰かに本当にココロの奥底から頼りにされることなんてないからこそ、逆に自分がそうなることも出来なかった。
 本当は。
 本当の自分は。

「ティーア」
 俺は彼女の身体をそっと抱きしめる。
「君と出会うべき運命だったのは、俺だったのかもな」
「運命じゃない」
 ティーアは首を振る。
「あなたがいてくれたから、今、私はここにいる。でも、私には…祈るしか出来ないの」
「祈るだけでいい。お前を守るのは、もう俺の役目だ」
 他の誰でもない。
 他の誰にも渡さない。
「お前の血肉も、お前の心も、眼差しも何一つ全て、もう、俺のものだ。だから俺は、お前を渡さないために、やりにいく」
 全ては、君の為だ。


 昼を回る頃、チャイムが鳴り響いた。
「宅配は頼んでない筈だが」
 念のため、ナイフと拳銃をそれぞれ手に持ち、ティーアに奥に行くように命じつつ、玄関へ向かう。
 玄関カメラに映る映像に目をやる――――。
「…何やってんだあのアマ」
 メリーベルだった。
 後ろに3人ばかり連れているのはやはり護衛か。昨日遭遇したときにも電柱とデカ物を連れていたのでこいつは護衛無しではろくに動けないのか?
「何の用だ、メリーベル?」
『交渉と、相談を』
「武装した護衛を3人も引き連れて交渉もクソもあるか」
 とりあえずインターホンにはそう返事をしておく。
「悪いが立ち話大会だ」
『それは困ります! せめて彼女に…』
「色々と面倒な事があるんでな。お前達が何も連れてきてないという保証はない」
 なにせジェイソンの奴、アルカディアムーブメントと休戦した挙句アルカディアムーブメントとブルー・ノーブルを潰し合わせるように仕向けてるのだから。
 ディヴァインに釘をさした以上、アルカディアムーブメントが動く心配は無いだろうが。
「だいたい、こんな事をしていていいのか? アルカディアムーブメントがそっちを狙っているぞ」
 まぁ、これは大嘘だ。
 扉を開けながら俺がそう告げると、メリーベルは困った顔で返してきた。
「それに関しての問題なのです。実は…」
「なんだ?」
「あのイデア・ムンドゥスがジェイソン・ウィーバーと交渉し、休戦協定を結んできたそうです」
 待て。
 今なんと言った!?
「休戦協定…どんな条件でだ?」
「ニュー・コキュトスを含むヨーロッパ各所のシティの情報と引き換えに、彼女の保有権を我々が手に出来ると」
「……イグレインはなんと言っている?」
「姉さまは、快諾しました」
 アホだ。
 真性のアホにも程がある。
「アホかお前ら。ヨーロッパから離れたといって好き放題やればいいってもんじゃないことぐらい、解るだろ?」
「な!」
 それに反応したのは、なぜかメリーベルではなくその後ろについていた護衛の一人だった。
 先ほどから、この護衛だけがやたらと目立っていた。
 3人中、2人は昨日の夜、下水道で囲みに来た奴らとほぼ似た服装だが、この娘だけ違う。
 両腰にそれぞれ、サーベルを装備しており、今時珍しい剣の使い手なのだろう。ついでに、年もティーアと変わらないぐらいだろう。なかなか悪くない。
「やめなさい、エリー!」
「しかし、お嬢様…」
「この人の言葉はとても大きいです。すいませんが、解説をお願いできますか?」
 メリーベルがそう答えた時、扉からティーアの顔が覗いた。
「!」
「ティーア。悪いがこっちに来てくれるか」
 視線を向け、大丈夫だと告げるとティーアは俺の横まで来た。
 メリーベルたちとは、テーブルを挟んでいる。
 実質4対1だろうと負ける心配は無い。
「さて。…ニュー・コキュトスを含め、多くのシティから支援されてるはずだ。ブルー・ノーブルはな。ネオドミノシティは、シティの中では特殊な立ち位置。国際的な地位としてはあまり好かれてない」
 ゼロリバースの発端となった出来事のせいで、だ。
 科学力に関してはトップクラスだろうが、やり方そのものは好かれてなどいない。
「そんなネオドミノシティに対して、今まで得てきた情報を流すという取引…ブルー・ノーブルが元々活動していた拠点のシティとしては面白くないぞ」
「しかし…もう決まったことですし」
「それに、ネオドミノシティ側がそれを守る保証なんざ何処にもない。あんた達は今まで、あんた達に友好的なシティと共に動いてきた。ティーアを欲するのはニュー・コキュトスだけじゃない。ネオドミノシティもそうだ」
「え…」
 メリーベルにとって、それは予想外だったのだろう。
 目を白黒させた彼女は呼吸を整えてから反論に移る。
「で、では! 彼らは、私達をだましていると…」
「そうなるな。おまけに戦力的にも不安がある。ヨーロッパから渡ってきたばかり、それに敵はアルカディアムーブメントもそうだ」
「……」
「自分達がいかにアホであるかわかるか? それに、俺自身もお前達にティーアを渡す訳には行かない理由がある」
 メリーベルは視線だけで続けて、と告げてきた。
「やり方が強引だ。少なくとも、ニュー・コキュトスと組んでいた頃のな」
「強引なやり方だなんて…私達は決して力ずくでは!」
「ならば何故焼き討ちした?」「なら、どうして焼き討ちまでしたの?」
 ここで初めて、俺とティーアの言葉が重なった。
「焼き討ちって…!」
「……お嬢様。私共も聞いた事がありません」
「私もよ!」
 メリーベルと、エリーと呼ばれた護衛がそんな事を話している。だが、追い討ちをかけることは出来る。
「だが、それが事実だ。ブルー・ノーブルはニュー・コキュトスと組んで彼女の村を焼き討ちしている」
「………姉上に…団長に、確認しなくては…」
「それはちょうどいい。俺もイグレインさんに言わなきゃいけないことがあるんだ」
 メリーベルは驚いた顔で俺を見る。だが、もう有無を言わせない。
「もう一度会わせろ」



 ブルー・ノーブルと名乗るだけあってか、真っ青に塗られたBMWだとは!
「いい車に乗っているな」
 褒めたものの、メリーベルは黙っていた。ティーアの事をちらりちらりと見ているが、何か話しかける様子も無い。
 やれやれ、と俺は思いつつ、流れる風景を見る。

 車は直に、ブルー・ノーブルのビルに辿り着き、駐車場へと入る。
 昨日の夜に見かけたイデアの車は無い。それを確認できれば十分だ。
「ティーア。離れるなよ」
 ティーアにそう声をかけ、ティーアに歩調を合わせながら車を降りる。
 その前をメリーベルが先導していく。後ろにはエリーが完全に目を光らせながらついてきていた。
「団長に、至急」
 メリーベルがそう告げると、あっという間に団員達が散っていき、エレベーターに乗ってすぐにイグレインの部屋まで素通りできた。
 さて。
 ここまでくれば、いい。
「……あまり良い話ではないようですね」
 イグレインの部屋に入ると、イグレインは俺達の顔を見るなりそう口を開いた。
 メリーベルの顔に出ているのだな、と直感する。
「アンタはへまをした」
 単刀直入に告げる。
「あのジェイソン・ウィーバーがそんな風に休戦を申し出るタマじゃない。ティーアを狙うのは奴も一緒だ」
「ええ、流石にそう思っております。故に、メリーベルを派遣しました。貴方ならこちらにつくだろうと」
「お前の味方にはならない」
 きっぱりそう告げる。
 俺とティーアの視線に、イグレインは理解したようだった。
「……ジェイソンは、私達を利用する気ですか」
「当たり前だ。その証拠にいいことを教えてあげよう」
 カバンを蹴飛ばして開け、モバイルPCを取り出す。
 接続に、アドレスを叩いて目的の奴を呼び出す。
『やぁ、君か? 何の用だい?』
「よう、ディヴァイン。アンタに紹介したい奴がいる」
 カメラがついた画面をくるりと1回転させて、イグレインに向ける。
「ブルー・ノーブル団長、イグレイン嬢だ、こちらはアルカディアムーブメント総帥、ディヴァイン」
『…どういうことか説明してくれないか、スチュアート』
「ディヴァイン。今朝、俺に愚痴ったことを話してやれよ。こいつは、ジェイソンから休戦を持ちかけられたんだ。あんたらブルー・ノーブルへの攻撃を条件にな!」
「なんですって!?」
「本当ですか!?」
 イグレインとメリーベルが同時に立ち上がり、俺は二人を手で押しとどめる。
「で、だ。ブルー・ノーブルは。ただいま治安維持局と休戦協定を結んだ。条件はそっちと一緒だぜ、ディヴァイン?」
『バカな…! ということは、奴は私とブルー・ノーブルを潰し合わせるためにか!?』
「おまけに昨日の奴もビンゴだったぞ。治安維持局とブルー・ノーブルの話をつけたのはイデアらしい。メリーベルがそう言っていた」
『やはりか』
 ディヴァインはため息をついた後、イグレインに向き直る。
『正直に話そう。我々は今朝、ジェイソン・ウィーバー本人からティーアの所有権を我々が持つ代わりにブルー・ノーブルの攻撃を単独でやるという条件で休戦している。正式な返事はまだだが、受けようとしていた』
「そんな……」
 イグレインは呆然と呟いた後、正直に自らのほうの条件を答える。
 とりあえずディヴァインは『また連絡する』といって通信を切った。
「つまりジェイソンとイデアに担がれたって事だ」
「え、ええ…確かに、この話を持ち込んだのはイデアですが」
「奴のことに関してはまた後でいい。まだ聞きたい事がある」
 イグレインは続く問いに対しても「どうぞ」としか返せない。

「……ニュー・コキュトスと組んでいたヨーロッパで。お前達は彼らの後ろ盾を言いことに、ティーアを奪ってきたんじゃないか?」

「姉上。私にはどうにも信じられませんでした。私達はそのように―――」
「―――だがこれは紛れも無い事実でも或る。自身を正当化するのに少しの犠牲は構わないってか―――「」
「――――私達はそのような団体ではない筈。それだけは昔から信じています。いえ、非道には手を染めないという貴族の誇りを私だけでなく多くのものが信じ―――」
「―――これは正義だと思い込めば思い込むほど、見えなくなる。その行為の本質がな―――」

「見苦しい」

 ぼそり、とティーアはメリーベルに向けて呟いた。
「あなたがいくらそう言おうと!」
 そしてティーアはメリーベルに視線を向けて、叫んだ。
「私は見てきた! 感じてきた…! あなた達の行為を! あなた達を!」

 人は時として、自分自身の立ち位置から見えないものを、信じることが出来ない。
 メリーベルもきっとそうだったのだろう。だが、これは彼女に、自身を理解させるのに十分だった。
 そして、もう一つ。

「―――それは事実です。否定しません」
「そうかい」
「姉上…」
 イグレインは、それを肯定した。
「私達が白というのではありません。しかし、アルカディアムーブメントも、治安維持局も、白い部分など無い筈です」
「ああ。そりゃあこっちの方がよく知ってるからな」
「………」
「故に渡せないし、味方にはならない」
 ティーアの手を握りながら、そう答える。そしてもう一つの手はいつでも動けるように、フリーにしている。
 少しでも手出しをしようものならば、こちとら全てを破壊してくれる。
「そうですか――――あなたは現実の分かる人間だと思っていたようですが、思い違いですね。メリーベル、彼を――」
「できません」

 あれ?
「メリーベル!」
「はい」
「今の命令が聞けないというの!? すぐ剣を抜いて拘束すればよいだけの話、エリーもそうよ!」
「できません」
「私も」
 メリーベルと、エリーの二人は、力なく首を左右に振る。
 まさかこいつら…いや、そのまさかかも知れない。
「如何なる理由があっても非道を正当化してまで、組織を通そうとなど思いません! それでは私達が救世をやる意味などなくなってしまいます!」
「メリーベル…!」
 イグレインは小さく歯噛みする。
 今がチャンスかも知れない。
「ティーア」
 今のうちに逃げよう、と小さく囁き、俺は部屋の扉に手をかける。

「待って!」

 ティーアがそう叫んだ直後だった。

 強烈な爆炎が、俺達を襲った。


 爆風が遅い、背中から部屋の壁へと叩きつけられる。
 扉は完全に吹っ飛んでて、廊下が丸見えだ。そしてその廊下に…見覚えのある姿がいた。
「治安維持局の戦闘員!?」
 頭部をバラクラバや暗視ゴーグルやらゴテゴテの装備で覆ってて顔がわかりにくいとはいえ、突撃銃や軽機関銃といった武装を公然と装備するのはそんな奴らだけだ。
「何事だー!」
 ブルー・ノーブルの団員達が集まってきたのか、廊下の向こうで声がする。
「い、いったいどうしてここに…!?」
 イグレインの悲痛な声が響いた時だった。

「私が連れてきました」

 その返事をした主は―――いいや、俺には既に予測はついていた。だが。

「イデア・ムンドゥス…!」
「ああ、団長。本当に油断をしていましたね。まぁ、私には予想の範囲内でしたが」
「裏切ったのね、私達を!」
「裏切る? とんでもない。最初から信じていませんよ。その男と同じで、あなた達を利用する為でしたが。手っ取り早い方法が出来ましたのでね。その男がわざわざ彼女を連れてきてくれたおかげで」
 イデアの奴、まさかそこまで狙っていたのか。
「やっぱりお前が…」
「ええ。貴方がこちらのウラを掻こうとすることはわかっていた。だからこそ、余計に想像がし易い! 最初からそれを考慮していればね!」
 ガン、と頭を殴られるような盛大な音と共に。衝撃が襲った。
「イデア…!」
「では、100年後に生きてれば御機嫌よう。ネームレス」
 左の胸に、穴が開いていた。
 あふれ出る、血と共に、イデアの笑い声が、意識の奥底まで響いていた。

「そして、あなたも」
 ネームレスを撃ち倒したイデアは笑いながら拳銃を、イグレインに向けた。
「させるかぁ!」
 風を切る音と共に、イデアの持つ拳銃は真っ二つに両断されていた、しかし斬撃そのものは回避したのか、イデアはまだ無傷であった。
「団長、お嬢様! ここは食い止めます! 早く撤退を!」
「エリー!?」
 両腰のサーベルを抜き、二刀流になったエリーは視線を二人に向けないまま、更に言葉を続ける。
「生きていれば再建の余地はあります。ここで死なれては、大義を果たすことも出来なくなります!」
「で、でも…今の私達は…」
「早く! 彼女を連れて!」
「わかったわ。メリーベル、行くわよ」
 イグレインは必死にネームレスを起こそうとするティーアを脇から強引に抱え上げ、もう一つの扉を通って走り出す。メリーベルも、その後に続いた。
「生憎とここで、付き合ってもらうよ? イデア・ムンドゥス」
 2本のサーベルを振り回し、エリーは笑う。
「…そうだね。それなりの相手をしなければならないようだ」
 元々はイグレインのものであろう、壁にかかったブロードソードを手に取り、抜き放つ。
「行くぞ!」
 二刀流というスタイルは、ダイナミックな攻撃が出来る反面、一撃一撃の重さに欠ける一面もある。また、片手で剣を振り回すという関係上、速度が遅ければろくに役に立たない。
 だが、エリーとて、伊達にブルー・ノーブルの戦闘員として戦い続けていた訳ではない。
 目にも留まらぬ連続攻撃を繰り出し、幾度と無く打ち合う。
「なるほど、人間にしてはすごい」
「生憎と舐めないで貰いたいね。あたしは…こういう斬り合いが好きだからね!」
 縦に振り下ろした一撃はたやすく回避され、逆にイデアの突きが襲う。

 ずぶり、という音と共に、その突きはエリーのわき腹に突き刺さった。だが。

「んなっ!? 剣を、押さえた!?」
「これでもうアンタは…剣を使えない!」
 右手でブロードソードを掴み、動けないイデアめがけて残った左手による斬撃を放つ。
「チッ!」
 イデアが剣から手を離していなければ危なかったであろう。
 その斬撃は空を切り、イデアは武器無しになった。
「お前達、何をしている! さっさと片付けろ!」
 イデアが廊下に叫ぶと同時に、治安維持局の戦闘員が部屋へと乱入する。
「逃がすか、イデア…!」
 しかしエリーは、イデアを狙っていた。
 アサルトライフルが火を噴き、何発ものライフル弾がエリーの手足を、身体を貫く。
 しかしエリーは止まらない。ライフルを撃つ戦闘員を二人切り捨て、部屋から廊下へと出たイデアを追い続ける。
「馬鹿な…!」
「イデア…イデアぁぁぁぁぁあぁぁっ!!!!!!」
 後ろから銃を向ける戦闘員を、その場でサーベルを持ったまま回転することで切り捨てるという荒業をしつつ、イデアを追う。
 血みどろ、血まみれ。全身から血を流し、既に失血死してもおかしくない。
 だがエリーは執念でイデアを追う。
「逃がさない…逃がすかぁぁぁぁっ」
「いい加減に、成仏するがいい! このゾンビがぁぁあっぁぁぁぁぁっぁっ!!!!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!!!!!」
 エリーの最後の渾身の一撃。

 イデアが倒れたブルー・ノーブルの兵士から奪った剣の一撃に、阻まれ、そして―――斬られた。

「さようなら、蒼く誇り高い剣士よ」

「君の死が―――ムダになってしまうことは確定しているよ」

 胴体を深く切られてようやく事切れたエリーに、その言葉は届かない。



 ブルー・ノーブルの戦闘員達は、銃よりも剣や槍といった白兵戦武器を重視しているきらいがある。
 その理由としては、元々貴族達の団体であったブルー・ノーブルは、正々堂々とした戦闘を好む傾向にあるからだ。
 エリーのように剣に特化した戦闘要員を上級団員の護衛としても配置しているし、それは本部を防衛する部隊も変わらない。

 だが。
 近接戦闘武器で、近代兵器に太刀打ちするにはよほどの達人か、よほどの超人かもしくは変態だけである。
 ブルー・ノーブルに限らず、ヨーロッパのシティや武装勢力もどちらかというと近接戦闘を重視している(銃を初めとする火器の保有などの制限が厳しいという理由もあるが)為か、ネオドミノシティのようにそこら中に火器で武装した軍団との戦闘など、未経験なのである。
 結果的に残ったのは、一方的な殺戮だった。

 血の気の多いものは無計画に突っ込んでは餌食となった。
 少し頭を使って潜んだりバリケードを築こうものであればグレネードを撃ちこまれて爆散した。

 見渡す限りの、死体、死体、死体。
 幼少も、男女の区別も無く、ただ殺戮されていくだけ。そんな中を、イグレインはティーアとメリーベルを連れてひたすら走っていた。
「う…」
 廊下中に響き渡るうめき声と、嫌になるほどに鼻につく血の匂い。
 ティーアも、イグレインも、そしてメリーベルも、それを見続けていては発狂しそうになってしまう。
「姉上…」
「大丈夫、進んで」
 メリーベルは安全確認をするべく、非常階段まで走り出た。

 その時、彼女の身体は―――宙を舞った。

「え?」
 誰かに投げられた、という感覚を覚えた時、メリーベルの視界には背の高い背中が、非常階段に立っているのだけが見えた。

「ジェイソン・ウィーバー…」
「やぁ、イグレイン」
 ティーアを離さないように、後ろに回しつつイグレインはジェイソンと対峙する。
「イデアと結託したのは、いつからですか?」
「相当前からだ」
 ジェイソンは答える。
「彼女を渡してもらおう。これ以上、血を流されたくはあるまい」
「断ります」
 ティーアの手を取りつつ、イグレインは答える。
 ここで渡して保身を図ってもいずれ殺される。それに、そのような真似をすればここで死んだ団員達が浮かばれない。
「そうか。では」

 ずぶり。

「―――――え?」
 イグレインが気付いた時、自分の腹から、剣が突き出ていた。突き出ていた。
「あ、ああ…!」
「あなたでは器量不足だった。少なくとも、救世主になるには」
「イデア…ムンドゥス…」
 背後からやってきたイデアが、彼女の腹を貫いていた。
 ぐるり、と刃を一回転させる。内臓の潰れる音と共に、イグレインの喉元にまで血が競りあがってきた。
「お前には天下取りは似合わない」

「地獄の底で燻っていろ」





「…収まったか?」
 静かになったらしい。俺は血糊入り防弾ジャケットを脱ぎ捨てつつ身体を起こす。
 治安維持局の戦闘員であろう死体が3つ転がっている。他の奴らは部屋を出たのか。
「……うわ」
 本部は死屍累々、凄惨な事になっていた。
 一方的な殺戮としか思えないほど、ブルー・ノーブル構成員の死体ばかりだった。子供も、大人も、区別無く。
「お?」
 廊下の途中にエリーが倒れていた。
 両手でサーベルを握ったまま、腹にブロードソードが一本突き刺さり、そこら中銃弾による穴だらけになっていた。
「……せめて安らかに」
 一応、会話を交わした相手である以上、少しだけ弔ってから更に奥へ進む。
 この様子だと、ティーアは既に確保されてしまったようだ。
「まずはホンロンに連絡、いや…」
 待て。治安維持局にイデアがついてるとあれば、下手にやればシティで大粛清が起こる羽目になる。
 だとすると、頼りになるのは小波ぐらいしかいない。だが、奴一人引き連れてイデアに太刀打ち出来るのだろうか?
 ジェイソンまでならなんとかなる。レクス・ゴドウィンに煮え湯を飲ませてやるぐらい、俺にはお茶の子さいさいだ。
 だがしかしイデアがいることだけは…イデアがいることだけは…!

 遠くの方から、誰かのすすり泣きが聞こえる。

「ん?」
 非常階段だった。
 そこに、二つの人影があった。いいや、違う。一つは死体だ。

 イグレインだった。腹を貫かれたのが致命傷だろう。手すりに前のめりになり、階段中が血の海になっていた。
 そしてその目の前に。
 メリーベルがいた。泣いていたのは彼女だった。怪我は、あまり重傷ではないようにしか見えない。
「ティーアはどうなった?」
 まず俺はそれを問いかけたが、メリーベルは首を左右に振る。
「イデアの奴か…」
「……うん」
「ここにいたらセキュリティが来るぞ。面倒だ」
「……でも」
「無理やりにでも連れて行く。それに、お前に相談がある」
 力なく頭を垂れるメリーベルの脇を抱えて、強引に連れて行く。
「……色々とすまないことをしたな」
「別に、貴方だけのせいでは」
「だがイデアの奴は予定を早めたと言っていた。俺がティーアを連れて現れたことに、だ」
 エレベーターに乗る前に、エリーが倒れていた廊下を通る。
「エリー……ごめんね、エリー」
 エリーの姿を見たメリーベルは、そう呟いて涙を流した。
「生存者はいないみたいだな。俺が見た限りでは」
 エレベーターに乗りつつ、そう呟く。エレベーターの中はそこまで悲惨な事になっていない。
 だが、1階に下りるとそこも凄惨な有様だった。
 1階には戦闘員が少なかった分、抵抗もろくに出来なかったのか、血の海が更に酷いことになっている。
 その中を通り、ブルー・ノーブルが使っていたであろう車に乗り込み、発進させる。
 ちょうど数百メートル先にセキュリティのパトカーや白バイが見えたので、運がよかったというべきか。
「……今までずっと、ブルー・ノーブルの団員として、生まれた時から過ごしてきました」
 車が走り出し、シティからサテライト方面へ向かう道を進んでいるとメリーベルがゆっくりと口を開いた。
「姉上はブルー・ノーブルの団長を担うモノとして、昔から真面目で、気丈で、でも優しく温和だった。だから尊敬できたし、そんな姉の下で働くのは素晴らしい事だと思ってました。エリーは、幼馴染で、ずっと同じように姉を尊敬していました」
「……イグレインも、お前のそんな思いを知ってたんだろうな」
「……」
「妹に血みどろな世界を見せたくなかったんだろう。だから非道な事に関しては妹にはやらせなかった、妹の護衛でもあるエリーにも見せなかった」
 愛があるからこそ、そうしていた。でも。
「綺麗事だけじゃ済まないものなぞ、この世界にはたくさんある。ブルー・ノーブルも、正義を掲げていてもそうでないことはある筈だ」
「はい…」
「まぁもっともな。本当の正義なんざ、この世界にありっこねぇけどな」
 そう。いつも世界は、いい加減の法則。
 宇宙の法則は常に乱れている。
「私はこれから、どうすればいいんでしょうか?」
「わからん、と言いたいが……今は俺に手を貸してくれ」

「ティーアを取り戻すために、お前の力を借りたい」


 サテライトに入った後は検問を無視して、ついでに速度制限も無視して。
 或る場所に辿り着いた。
「よう、失礼」
 半分崩れかけたビルの1階に突入しつつ車を止めると、そこの住人はなぜか俺を睨んで待っていた。
「サテライトに外車で乗り付けるとかお前ケンカ売りに来たの? バカか死ね」
「そんなに怒るな、コンマイ。禿げるぞ」
「まだ20代だよコノヤロー。お前こそ禿げるぞ」
 とりあえずそんなやり取りの後、車を降りる。
「で、ちょいと相談だ。例の妖精さんの事なんだが」
「どうした? ところでいい姉ちゃん連れてるけどデート中か?」
「諸事情あってな。これから話す」
 メリーベルにも降りるように手で促し、小波の後ろに続いてビルの2階へ。
 居住スペースになっている2階に案内され、ソファに座る。相変わらず小波の趣味は変わっておらず、謎のガラクタが所狭しと並んでいる。
 3年前、ここに入り浸って二人で散々遊んだものだ。サテライトどころかシティを、そのうち世界すら手玉に取りたいと夢を語り合った。
 今は、3年前と違って奥のキッチンで小波の嫁がお茶の用意をしており、その嫁の私物も混じっている事だろう。
「実は例の妖精さん、ジェイソン・ウィーバーに奪われた」
「なんてこったい。間抜けだねぇ」
「この俺を出し抜くという真似をした奴がいるんだ。ジェイソンと手を組んでる」
 その瞬間、小波の目つきが変わる。
「ヘイ親友。冗談はバスケのプロ選手になってからしてくれ」
「嘘じゃないんだな、これが」
「マジか……お前を?」
「ああ。イデア・ムンドゥス。何か知らないか?」
「いや…誰だそいつ? どんな奴なんだ?」
 そこで小波にイデア・ムンドゥスについて一通り喋り、ついでに俺も知らない部分はメリーベルに喋らせた。
 曰く、ブルー・ノーブルに所属したのはここ1年ばかり。後援者の一人であるアレハンドロ・ピラーなる人物の推薦。
 どこかで聞いた事のある名前と思えば、昨年俺がアメリカに渡った際に、俺を利用しようと接触してきた奴だった。
 火山噴火のどさくさに紛れて溶岩に投げ込んで始末したと思っていたが、そんな名前を聞くとは。
「お前アメリカで何やってたんだよ…」
 これは小波の弁。
 出生地は不明。年齢も不明だが本人は二十歳ぐらいだと言っていた。
 言語能力が極めて高く、ブルー・ノーブルに所属するヨーロッパ系の言語は全て喋れた。
「とりあえずアレハンドロが何か知ってるかなと思ったけど、あいつ今溶岩の中だからなぁ…」
 怒りに任せてそんな事をするんじゃなかったと後悔。
「まぁ、お前を出し抜くような曲者である事は解った。で、手ぇ貸せってか?」
「ああ。だがお前だけじゃ足りない」
「うひょう」
 小波は眼鏡をくいっとあげる。こいつがこの動作をしたときは。

 最ッッッ高にノリノリになった時だ。

「誰を使う?」
「適任がいる。相手は治安維持局だ。奴らと対等に戦えるチームを、俺達は知っている」



 小波のアジトでもあるサテライトのビルの前に、2台のバイクが否、Dホイールが止まった。
「あれ?」
「久しぶりだな」
「ああ。しばらくぶりだよ…お前も呼ばれたのか?」
「そうだ。奴も仲間だ。断りきれん」
 そんな二人が扉を開けて、中へと入る。

「よう。待ってたぜ、遊星にクロウ! 3年振りに俺だ!」

「「……」」
 俺のテンションとは異なり、チーム・サティスファンクションのメカニック不動遊星と、特攻隊長クロウ・ほーガンはなぜか白い目で俺を見ていた。
 あれ?
「おいおい、もしかして3年前の事まだ根に持っていらっしゃる?」
「忘れろっていう方が無理だ」
「遊星に同じく! よくも俺達ごと海に沈めやがって!」
「やだなぁ、あれは小波も共犯だぜ?」
「さり気なくとんでもないことをさらっと暴露すんなよ!?」
 クロウはひとしきり叫んだ後、肩で荒い息を吐きつつ椅子に座る。
「で、なんなんだいったい?」
「手を貸して欲しい。お前達だけじゃない。チーム・サティスファンクションに」
「ジャックは今やデュエルキング、鬼柳は行方知れずだぞ? 集められんのか?」
「大丈夫だ、問題ない」
 俺が笑いながら答えると、遊星は頭を掻きつつ「それなりの対価は出すんだろうな?」と問いかけてくる。
「まず、お前達にはこれをやる」
 俺がそう呟くと、キッチンから小波の嫁とメリーベルがそれぞれ丼とお椀が載せられたお盆を持ってくる。
 二人が怪訝な顔をしつつ蓋を開けたとき、顔色が変わった。 「「!」」
「食っていいぞ」
「い、いいのかこれは!? これは伝説のUNADONじゃないのか!? いいのか!? 本当にいいのか?」
「遊星落ち着け! ほら、こっちにはKIMOSUIもあるぞ、KIMOSUI。伝説のUNADONにはもってこいだ!」
「ま、まずは落ち着いて味わおう。頂きます」
 遊星は手を合わせてから口に運ぶ。そして。
「うんまぁぁぁぁぁぁぁい!!!」
「遊星、落ち着いて食えってうめぇぇぇぇぇぇ! なにこれ!? これは確かに伝説だよ!? 伝説だよな遊星!? 俺は今、伝説を食している…!」
「なんとうことだ…ゼロリバースさえなければ…多くの人がこれを味わえたというのに…!」
「遊星、泣くな」
 大喜びする二人をキッチンから眺めつつ、なんとなく小波に聞いてみる。
「お前、本物のウナギなんてどこで手に入れたんだ?」
「うんにゃ? あれはウツボをそれっぽく味付けしただけだ。アイツら多分本物食ったことないだろうしな」
「…ってことは肝吸いも」
「ウツボの内臓」
「お前ひでぇな。まぁ、ウツボの蒲焼も無いわけじゃないしな…」
 クロウはともかく、遊星はトップス出身なんだから子供の頃食っててもおかしくないんだぞ?
 が、二人はそんな会話にも気付かず偽うな丼と偽肝吸いを文字通り完食していた。
「最高だ…」
「美味かった…喋ったら、味の余韻消える…」
 ぼーっとしている。これである。
「実はここにもっといいモノがある」
「なんだ?」
「ほれ」
 アタッシュケースを取り出し、二人に手渡す。
 二人はなんだろうと思いつつ箱を開ける。
「うえっ!?」
「全部で2000万ドルあるぞ。やる」
「……大盤振る舞いにも程があるぜ、スチュアート。不安になってきたけど、ここまで賄賂渡されちゃ参加しないわけには行かない」
「ああ。それに、お前は散々俺達を裏切ったとはいえ、それでも俺達の仲間だ」
「ありがとうな」
 遊星の言葉にそう頷く。クロウの方は札束を確かめていた。
「へへへへ、本当だ、すげぇ……」
 クロウは孤児達を養っているから、相当な計算式をしているに違いない。
 小波はそんなクロウを眺めつつ小声で俺に声をかけてきた。
「お前、2000万もあったかのよ?」
「あれ、全部ジンバブエドルだぞ」
「お前最低じゃねぇか!」
 とりあえず2000万ドルは嘘ではないぞ。たとえジンバブエドルでも2000万ドルである事に変わりは無い。
「さぁて、次は鬼柳だな…」
 とりあえずそう呟いていると、メリーベルが近寄って声をかけてきた。
「あの。彼らを、巻き込んでも…」
「大丈夫だ。奴らとはそういう関係なんだ。ガキの頃からそういう付き合いしてるからな、いつだって俺の無茶につき合わせてきてる。今回も問題ない」
 なにせこいつら、口では色々言っているが本当はそういうのが大好きな事ぐらい、兄ちゃん知ってるぜ。
「メリーベル。ちょいと付き合ってもらうぞ。遊星、一緒に来てくれ」
 クロウと一緒に札束を数えていた遊星が顔を上げて「どこにだ?」と問いかけてくる。
「収容所。ちょいと知り合いをたたき起こしに行くんだが、警備システムをダウンさせるのにお前の力が必要だ」
「それ、叩き起こすの範疇に入るのか?」



 基本的にセキュリティに逮捕され、マーカー付きが確定したものは収容所で再教育プログラムを受けたり、或いはやばすぎるとして奥に放り込まれたりする。
 3年前。セキュリティ本部を襲撃するという暴挙を働いたチーム・サティスファンクションのリーダー、鬼柳京介もやばすぎると判断されて収容所最深部に放り込まれた。

 それから3年間、こいつは燻り続けていた。暴れなきゃ、満足できないと。

「よう、鬼柳!」
 そこへ3年前に鬼柳を煽り、セキュリティに逮捕されるある意味直接の原因である本人がやってきた。
「…テメェ何をしにきた!?」
「暴れ足りないだろ? 満足できないだろ、そんな所じゃ。お前にその為の舞台を用意したい」
「……おい。また俺を海に沈める気じゃないだろうな?」
「そんな心配はするな。実はここに絶世の美少女が俺達に助けを求めにきている」
 鬼柳の目の色が変わった。
「メリーベル。こっちに」
「よし、引き受けたぜ!」
「おお、そうか! やってくれるか鬼柳!」
「ああ! この娘のハートを満足させるまで、満足できねぇぜ!」
「よし解った! じゃあ、その鉄格子壊すからちょっと待ってな!」
「へ? なんで至近距離で爆弾とかそんなアホな事…やる奴だったなお前ーぇぇ!」

「鬼柳確保してきたぞ〜」
「……仕事速いなおい。お帰り、鬼柳」
「遊星、クロウ! 元気だったか? また一緒に満足しようぜ!」
「あれ? 俺は?」
 小波は鬼柳に忘れ去られかかっていた。



 夜が更ける頃、トップスにあるマンションの自室に戻ってきたジャック・アトラスは部屋の前でたむろっている人影を見た。
「ん?」 「よう」
 つい先日顔を合わせてしまった相手、まぁ俺である。
「何の用だ」
「ちょいと手伝って欲しいことが出来たんだ。悪いようにはしない」
「だが断る!」
 やはりジャック・アトラス。
 海に沈められたことをまだ根に持っているのか、それともこいつのカップラーメンを盗み食い(合計87回ただしそのうちの66回は小波がやった)した事を根に持っているのか、もしくはジャック秘蔵の巨乳ヒロインが出てくるアニメのDVD-BOXを売ったことを根に持っているのか。
「貴様には散々煮え湯を飲まされた! もう信用しないぞ! 海に沈められ、カップラーメンを187個も盗み食いされ、おまけに秘蔵アニメのDVD-BOXは勝手に売られて、大事に養殖しようとしていたカニは先にお前が焼いて食ってしまうし、闇鍋パーティの時に自分がスリッパを引き当てたからこっそり俺のパイナップルと交換していたのを知っているんだぞ!」
「待て! なんで100回増えてんだよ!? そんなに食ってないぞ!? あと、そのうち66回は小波と共犯だぞ!?」
「87回盗み食いしてるではないか!」
 ツッコミどころ違くないか、ジャック?
 とりあえずジャックがひとしきり怒鳴る中、治まるのを待ってから口を開く。
「お前でなければ出来ないことがある。鬼柳、遊星、クロウ、小波。あの時の仲間が、みんないる。お前がいて、初めて成り立つ」

「チーム・サティスファンクションは、俺達だ。満足する為に」

「だが俺はもうキング・ジャック・アトラスだ!」
「仕方ない。最終手段を使う」
「なに?」
 ジャックが呆気に取られているうちに、俺は例のものを取り出す。
「これをやる」
「こ、これは…! LAOH! LAOHではないか!? あの伝説のカップラーメンが、こんなところに…!」
「醤油、みそ、塩、とんこつ」
 4つ並べてみる。ジャックはよだれを隠そうともせず、嬉々としてそれを眺めている。
「わ、賄賂で買収するつもりか? この俺は非常に高いぞ? キングを買収しようと…」
「各種、1ケースずつ」
 ジャックの部屋に既に運んでおいたダンボールを指差す。
 ジャックは目を爛々と輝かせていた。ここまでくれば、落とすのにあと一息だ。
「な? 手を貸してくれよ、ジャック」
「俺は友を見誤っていた。先ほどの無礼を許してくれ、友よ!」
「ああ、ありがとうジャック。共に来て欲しい!」

 深夜。そこに、チーム・サティスファンクションは再結成された。





 治安維持局の21階に、保安部第1課のオフィスが存在する。
 そしてオフィスだけではなく、普段は倉庫として使われているが、犯罪者などを尋問する為の部屋もここにある。
 ティーアはブルー・ノーブルの拠点から連れ出された後、ここに連れてこられていた。

 壁の一部がマジックミラーになっており、中の様子ははっきりと見える。監視カメラ無しでも見えるように、だ。
 その前に、ジェイソンとイデアの二人が立っていた。
「…落ち着いたか?」
「恐らく。まぁ、でも。尋問をする必要は無いでしょう。今下手に刺激してしまうと、自殺でもしかねませんよ」
 イデアの言葉にジェイソンは頷く。
「そうだな。それにしても、救世主計画、か…随分と大層な計画があるものだ」
「もう一度確認なさいますか? オリジナルを」
「ああ」
 ジェイソンはパソコンに近づき、しばし操作する。
 画面が切り替わり、数十年前に使われていたレベルの、フォルダが開かれる。なぜならこれが生まれたのは、その当時の時代。

 ハロルド・サーヴァント。
 元アメリカ特殊作戦軍の情報士官。デュエルモンスターズの発展に大きく関わった人物の一人。
 海馬コーポレーションが軍需産業にまで手を出していた頃、海馬剛三郎の指示でソリッドビジョンシステムの改変に関わる。
 その際、彼によって各種システムのブラックボックスが作り上げられてしまった。それはソリッドビジョンシステムを作り上げた本人である海馬瀬人も予想しないものであり、その全容は結局解明されることはなかった。
 それは現在に至っても。

 だが、全てではないが一部を解き明かすものがいた。

 イデア・ムンドゥス。
 どこから来たのか、どこの人間かもわからぬ、パーソナルデータが存在しない人物。
 だが、彼は…未知のものを運んできた。

 ハロルド・サーヴァントが残したブラックボックスは、300年前に発見された文書を元に作成されたという。
 その中に眠る計画の一つが、救世主計画である。

 イデア・ムンドゥスのリークによって、ネオドミノシティ三大勢力にも伝播してしまったが、その計画の全貌を知るモノは…。

「救世主計画は、人類が強大なるエネルギー機関の構築に成功した後、しかるべき後に発動される人類への新たなステップの為の計画である」

「その計画の為の重要なファクターとして、デュエルモンスターズの不思議な力に目をつけた。そして調査の果てに、古来よりデュエルモンスターズと関連が深く、また彼らによる能力を自由自在に使う事が出来るX117、Y551、Z23ポイントにある小さな町の住人の中で、最も力が強いものを計画の要としなければならない。このポイント自体が一種の特異点と化しているからだ」

「モーメントの暴走によるゼロリバースの発端。だが、このゼロリバースの始まりこそが、ネオドミノシティが特異点としてのリンクを得た事になる。特異点がずっとリンクしたまま。今でも」

「だからこそ、ここで世界の再生が行われなければならない。ここを始まりに、世界中のモーメントを同調させ、全世界を賄えるだけのエネルギーを生み出せることが出来ればいい。しかしモーメントには制御リミッターがある。故に、その為の計画の要なのだ」

「世界中のモーメントがリンクするということは、その分コントロール権も一つに集約する」
「その通りですよ、ウィーバー大尉」
「すると…エネルギーというシステムそのものがこちらの手に集約されるという事か」
「そんなつまらないものではありません。モーメントの加速により、人類自身が生まれ変わるのです」
 イデアはそう言って笑う。
「そう…人類全体が、ね」


「……人類全体が、ねぇ?」
 小波は盗聴器のスピーカーのスイッチを切りつつそう呟く。
 撃たれた直後にぎりぎりで小型盗聴器を投げつけたのがちゃんとくっついていたのはありがたかったが。
「なぁ、メリーベル。今の話なんだが」
「いいえ。救世主計画は、その通りなんです」
「…マジで? モーメントを全部同調させるのが計画?」
 俺の問いにメリーベルは頷く。モーメント開発者の子供としては遊星にとってものすごく耳の痛い話だろうなぁと思う。
 いや、既に頭を抱えていた。
「それ、理論上に…いや、モーメントが世界中に伝播した今、不可能ではないが…すまない。この計画、危険すぎる」
「…俺もそう思うんだ。遊星はどう考える?」
 俺が視線を向けながらそう問いかけると、遊星はメリーベルに身体を向け、モバイルPCを引き寄せた。
「あー。すまないが、君はモーメント同士がリンクしている事はわかるか?」
「え、ええ」
「モーメントは24時間ノンストップでエネルギーを生み出す。一度稼動したら…止まらないんじゃない。止められないんだ。だから制御システムが必要になる」
 なぜかペイントソフトに「もーめんと」と書かれた四角を貼ったりして説明しようとする遊星は案外おかしく見える。
「制御システム無しだと際限なくエネルギーを放出し続けるからな。結果的にどうなるかというと、際限なくエネルギーを出し続ければ、各所に過剰なエネルギーが流入する事になる。そして、全世界のリンクと奴は言っていた。ゼロリバースの時とは比較にならない、膨大なエネルギーの暴走が起きる可能性もある」
「……遊星。お前ならどれぐらいだと計算する?」
「テラ・フォーミングが7回起こっても有り余るだろうな。ただ、それだけのエネルギーの流入が起きれば…逆に何が起こるかわからない。行き過ぎたエネルギーは破壊すらも超越するらしい。理論上は、だが」
「そんな…では……では、何故ハロルドは計画を遺したのでしょうか!?」
「その通り! そこが問題なのだ!」
「ジャック、今真面目な話してるから麺飛ばすのはやめろ」
 空気を読まずにLAOH塩味を食っているジャックにそう釘をさすと、鬼柳がなぜか額に手を当てながら呟くbr> 「なぁ、もしかすると、これは可能性として、なんだけどさ」

「ハロルドの計画って、本当にそれはハロルドが立てたのか?」

 まさかの電撃発言。
「ハロルド自身が既に故人で且つ、今までブラックボックスだった…故にそれがハロルド本人が立てた計画であると確認できないってことか?」
「ああ。俺はそう思うぜ小波。あのイデア・ムンドゥスっての? ジェイソンに近づいてただろ? で、そっちのお嬢さんがいる、ブルー・ノーブルにも近づいていた。いや、内部から入ってたって事だろ? で、具体的なパーソナルデータ不明…怪しさ全開だろ」
「つまり、イデアがハロルドの計画を改ざんしたもしくはでっち上げたって事か?」
「そう考えるほうが自然だな」
 確かに、そう考えれば無理が無い。イデアを知るアレハンドロ・ピラーが仮にハロルドの計画を知っていたとしても、それが必ずしも同一であるとは限らない。
 そう、確認するすべが無いのだ。
「…………アレハンドロについて調べる必要があるな。小波、調べられるか?」
「適任が他にいるぜ。任せとけ。今夜中には片付くと思う」
 小波は頷くと立ち上がり、アジトの外へと向かう。
「ホンロンのところに行く。ついでに、治安維持局も見てくるよ。心配ない、無茶はしない」
「頼んだ」
 アジトから出て行く小波を見送り、俺は大きく伸びをする。
「さて、と。だが、これでろくでもない計画である事ははっきりした。潰させてもらおう」
「へへ、満足させてくれるかぁ?」
「もちろん」
 鬼柳は楽しそうに頷き、クロウ、遊星、ジャックも嬉しそうだ。
 ああ、変わらないなぁと思う。この愉快な連中。

 一緒にいると楽しいとか、そういう感情。長らく、忘れていた。
 側にいたいっていう衝動が、ティーアと共にあったのと同じように。
「…ああ、そうか。こいつらと一緒だ」
 なんとなく、そう呟いた。
「どうした?」
「いや。……あのさ」
 今、こうして言うのも恥ずかしいが。
「皆と過ごした過去の事さ。いやぁ、楽しかったなぁって思い出しててな?」
「ジャック。明日の天気を確認してくれ」
「恐らく台風と雹と槍が降るだろうな」
「な、何を言い出すんだいきなり!? 何を言おうと、俺はお前に尻は差し出したりしないぞ!?」
「…やべぇ。こいつ、とうとう狂ったか?」
「とりあえずお前ら4人が俺の事をどう思ってるかよく解った」
 とりあえず全員一発ずつ殴っておくことにした。
 1、2、3,4、5と! あれ、一発多いけどまぁいいや。
「良くないですよ! なんで私までぶつんですか…」
「悪い、悪い」
「お前には容赦というものが無いのか」
 クロウが涙目で抗議するがそれはスルーしておく。野郎の抗議など、俺は知らん。

 しばらくして、遊星、ジャック、クロウ、鬼柳の4人が暇をもてあまして人生ゲーム大会を始めたのを眺めていると、メリーベルがお茶のボトルを手に隣にやってきた。
「奥さんはもう休むそうです」
「まぁ、身重だがらな。あまり負担をかけないようにしないとな」
「…そうなんですか? 私と、同い年なのに…」
「同い年って、お前幾つだよ?」
「17です」
「…7歳も離れてるのな、俺と」
 その言葉にメリーベルは驚いたようだった。
「同じぐらいかと思ってました」
「俺が最年長だよ。小波も俺より年下だし、鬼柳も遊星も…クロウもジャックも皆年下だ。ティーアもな」
 そう、ティーアも。皆、俺より年下だ。不思議なものだ、俺が一番年を食ってるというのに。
 俺が一番落ち着きがないように見えるよ。
「俺はアメリカで生まれた。ゼロリバースの少し前に、ネオドミノシティに来た」
「え?」
「来た理由は仕事の転勤だ。元々は、どこにでもある幸せな家庭でな。料理の上手いママがいて、派手な車を乗り回してチェーンして、昼寝好きのパパがいて、信じられないだろうが姉もいた。とは言っても、写真すら残ってなくてな? もう、顔とかもうろ覚えなんだよ」
「……」
「ある日突然、アレが起こった。その時、俺は通っていた学校が社会科見学だったんだ。そこからも、ゼロリバースの瞬間は見えたよ。バカデカイ火柱と、轟音がな」
 あの日の、俺の世界は全て終わってしまった。
「頼る人もいない。家も家族も何も無い。それ以来、生きる為に生きてきた。生きる為に何でもやった。その中でこいつらと出会った。内心、こいつらを利用していた。実際に散々利用した」
 まさに自分の為に人を犠牲にすることなんざ当たり前のトンでも人間。
「そうやって生きてきて、3年前に、レクス・ゴドウィンに命令された時に…ゴドウィンに裏切られて逃げる羽目になったよ。だけど、まだ生きているんだ」
 そうやって生きていく内に、徐々にすれて行くようになった。
「自分以外の全てがどうでもよく、俺は日々、その日を生きるためにちょっかいを出して手を出す。そんな事を続けていながら、レクス・ゴドウィンに呼ばれて舞い戻ってきた。ティーアに出会ったのは、その日だ」
 だから最初は、単なる気まぐれだったのかも知れない。
「ティーアの奴は運命だなんて言ってたが、笑っちゃうだろ? そんなのはブルー・ノーブルで見たドミノ文書の中だけで十分だ」
 見ず知らずの少女を手元に置いたら、その子は自分が呼び戻された理由に関わる少女だった。
 おまけにネオドミノシティで三つ巴の争奪戦。
「あの子にとっちゃあ、悲惨だったらだろうな。無理やり、故郷から連れ出されて、挙句訳のわからぬまま争奪戦だ。俺だったとしても壊れそうだ」
 そう、だからこそティーアは俺に、近づいた。
 そして俺もまた、本当は台風の目として動くつもりが、いつの間にかティーアのことが最優先になっていた。
 今までそんな事は無かったのに。
「ティーアは、俺の事を理解してくれるかも知れない。いいや、本当はティーアだけが俺の事を理解しているんだろうな。理解されることが怖かったせいで、理解は出来ても理解されたくないって思ってた、嫌な俺がずっと俺だ」
 でもそんな日が、今になって終わりを迎えそうになった。
「今まで信じてきた世界が壊れるってのは嫌なものだ。だけど、ティーアの時は…何か違ったんだよ。お前の前で、こんなコトを言うのは変だろうが」

「ティーアと出会ったことが、俺の世界を変えた。俺の世界を、変えてくれた」

「本当に、心底愛する人が出来た。愛せる人が出来た」

 ずっと一人で。空っぽだった俺を。埋めてくれた。
 わかってくれる、人がいた。
「メリーベル。お前はもう、行き先が無い。でも、まだ人生は長い」
「はい」
「だから…お前は、お前が選ぶ人生を行け。お前の人生を変えてくれる人を探せばいい」
 その言葉を告げた時、メリーベルは小さく何かを呟いた。
「何か言ったか?」
「もう、見つけています。そう言ったんです」

「あなたを」

 メリーベルはそう言うと、俺の前で、片膝をついた。
 中世の貴族や騎士が主に忠誠を誓うのと同じように、或いは洗礼を受けるように。
「私は貴方を見つけました」

「……何もかも失った私にも、そうやって意味を教えてくれたのですから。導を」

 大したことは言っていない筈だが、と思いつつ、俺はメリーベルが、生まれてからブルー・ノーブルの中にいたことを思い出す。
 今までゆりかごの中にいて、初めて外に出て、気がついたら帰る場所が無い。
 俺と同じように、全てを失ってしまったからこそ。

 そして俺とは違い、なまじまっさらではないからこそ。

 こいつは、俺よりいい再スタートが切れる。
 それが少しだけ羨ましくて、少しだけ彼女にとって幸運だったと思う。


「連絡、連絡」
 明け方近くになって小波が戻ってきた。
「アレハンドロ・ピローの祖父であるピロー氏がハロルド・サーヴァントの同僚だったらしい。それも相当に仲良しなレベルの。ピロー氏がハロルドに計画を聞いていた可能性がある」
「で、その計画の原本は?」
「ハロルドの生家曰く、遺品の大半はピロー家が持っていったらしい。で…アレハンドロの代で、保管していた旧邸宅が火事で全焼。それが15年前の話だ」
「……」
 ということはハロルド本人の計画は不明だってことか?
「ところが、ぎっちょん」
 小波は続けて一枚の写真を取り出す。焼け跡に、去年より相当若いアレハンドロが立ち尽くし、その後ろの車に…。
「イデア・ムンドゥスだ!」
 そう、今と変わらぬ姿で奴はいた。
「やはりこいつが黒幕だろうな」
「ちがいねぇなぁ。人間かよ、こいつ」
 でも、人間じゃないなら余計にこんな大層なことをしでかすものである。
 理由は人間じゃないから。
「計画の全容を知っている可能性のあるアレハンドロは死んでる。他のピロー家は?」
「もちろん、調べた。誰も知らないらしい。それに、アレハンドロには子供がいない」

 少しだけ目を押さえる。

「最後の情報だ。ジェイソン陣営が慌しい。明日、何かやるだろうな。それも、治安維持局下の現モーメントで」
「モーメントでか」
「ああ」
「決まりだ」

「明日、ティーアを救いに行く」





 その日。ネオドミノシティは何事も無く、平穏無事に流れていた。
 いや、ただ妙な点と言えば、デュエルキングであるジャック・アトラスが体調不良を理由にその日のデュエルを休み、代わりに夜にすごいデュエルを見せるというメッセージをマスコミに発表したことや。
 なぜかモーメントを利用したハイウェイや地下鉄が不調でしょっちゅう停車したりと、せいぜいその程度だった。

 そして夕方。治安維持局も定時をすぎれば、公務員なので基本は帰宅、当直だけ残っている。
「では、そろそろ始めるか?」
 ジェイソンの問いに、イデアは「ええ」と頷く。
 二人は部下達に命令し、オフィスの奥へ入ると、ティーアの部屋へと入った。
「では、モーメントに行こうか」
「……」
「君の手で世界が新たに生まれ変わる姿を、目撃できる私達は幸運だよ」

 直後だった。

 盛大な爆音が鳴り響き、治安維持局のビル全体が丸ごと揺れた。
「何事だ!? すぐに調べろ!」
『ただいま、1階で火事が発生しております。爆発物が確認されましたので、至急避難を…』
「すぐに止めろ! 被害を拡大してしまえば、レクス長官から何を言われるか解らんぞ!」
「はい!」
 すぐにジェイソンの部下達が消火活動に入り、ついでに爆発物の捜索をする、が。

 そこへ乱入する奴らがいた。
「な、なんだぁ!?」
 治安維持局内部に突入してきた3台のDホイール。
 それぞれフルフェイスタイプのヘルメットを被っており、顔は確認できないが相当な腕前のようだ。
「セキュリティは何をやってんだ! デュエルチェイサーズ! 奴らを止めろ!」
 まさかDホイールで施設内を縦横無尽に走り回る奴らがいるとは思わなかったセキュリティ本部は文字通り大混乱だった。
 火事に銜えて、謎の乱入とあらば目も当てられない。
「ウィーバー大尉! 連中、暴れまくってます! 援軍をよこしてくれないと…」
『もういい』
 セキュリティ隊員が慌てて背後を振り向いた時、上へと通じる階段やエレベーター前のフロアにシャッターが下りていた。
 つまり、外に出なければ逃げられない。
「そらよ! これでも喰らって、満足しやがれ!」
 そしてDホイールの一台が何かを投げ込み、その3台は悠々と外へと逃げる。
「んー? ぎゃあ! セムテックスだぁ!」

 治安維持局1階セキュリティ本部に、盛大な爆音が響いたのは、午後六時過ぎだといわれている。

「何をやってんだ貴様らぁぁぁぁぁぁ! デュエルチェイサーズはさっさと追いかけろ! アイツらを!」
「し、しかし本部の…」
「いいから構うな! 後でやれ! 今は犯人確保に集中しろ!」
 ネオドミノシティのデュエルチェイサーズは全てこの爆弾魔Dホイーラーズ×3に投入され、シティとサテライトを逃げ回る3台相手に凄まじいライディング鬼ごっこを展開することになる。
 後の、ジェイソン・ウィーバー大尉の大失策その1といわれている。
「まったく……イデア。そろそろ行くか」
「ええ。では、モーメントに」

 直後だった。

 治安維持局にある、モニターというモニターの電源が突如として立ち上がり、大音量を響かせてある映像が映った。

 それは、ブルー・ノーブル本部の映像であった。
 凄惨な映像が写されていた。子供も、大人も、男女も関係なく殺害された光景。
 エリーの姿を映してアップになったところで、映像はスタジアムからの中継に切り替わる。

 マイクを握っていたのは、デュエルキング、ジャック・アトラスだった。

『ネオドミノシティの皆さん! 今の映像をご覧になっただろうか! 今の映像は、健全なるNGO団体ブルー・ノーブルに起きた惨劇の映像である。そしてこの惨劇の指揮をとったのがこの人物である! この監視カメラ映像に映っている!』

 そして、監視カメラに映った映像がズームになり、そこには。
『治安維持局、保安部の、ジェイソン・ウィーバー大尉は疑いというだけで、独断で罪無き子供を虐殺したのだ! このキング、ジャック・アトラス! この俺はこのような存在を許しておくわけには行かない!』

『ジェイソン・ウィーバー! 貴様に人としての気持ちが残っているのであれば、スタジアムで決闘をするのだ! このデュエルキングと、正々堂々戦う姿を見せてみろ!』

「……あ、あんのサテライト上がりの田舎モノがぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!!!!!」
 ジェイソンはモニターを盛大にぶっ叩いたが、モニターの向こうのスタジアムではジャックを褒め称えるコールが響き渡る。
 ジェイソン出て来いのコールも同様だ。
「落ち着いてくださいウィーバー大尉。地下駐車場に私のDホイールがあります。使って下さい」
「あ、ああ」
「計画は私が予定通り、進めておきます」
「うむ。頼んだ。なに、八百長キングなど、瞬殺できるはずだ」
 ジェイソンはきびすを返すと地下へ向かい、イデアはティーアから離れずにモーメントへ向かう。


 地下のモーメントに辿り着くと、それは膨大なエネルギーを放出しながら待っていた。
「…ようやく、これで始まる。私の計画の全てが…完結する」
「………」
「さあ、ティーア。モーメントに」
 ティーアは、首を左右に振る。
 モーメントに近づけば何が起こるかわからない。たとえ、彼らの言う計画が成立しても、ティーアの身体がどうなるかわからない。

 直後だった。

 次はモーメント全体が揺れた。
「な、なんだ!?」
 モーメントに慌てて視線を向けると、出力が下がってきている。誰かが強制停止でもやろうとしているのだろうか。
 誰か制御室に進入したに違いない!
「制御室! パワーを立てなおせ! 制御室! 聞こえないのか!?」
『ハロー』
 イデアにとって、最高に嫌な奴の声が聞こえてきた。
「ね、ネームレス…どうしてここに!」
『よう。こっち来いよ、楽しもうぜ?』
「…君は前々から危険な奴だと思っていたが。どうやら本当に殺さなければならないようだ」
 イデアは、ティーアをその場に放り出して走り出す。
「受けて立つ!」


 モーメント制御室へ辿り着いたイデアだが、キーロックがかけられており、おまけにエレベーターはそのすぐ真上の空調室に向かっていた。
「くそ!」
 階段を駆け上がり、空調室へ。


 奴は来た。
「本当に来たな」
 俺の隣で、小波が呟く。
 息を切らしたイデアは、俺と小波を睨みながら身構えた。
「貴様ら…この僕を愚弄した罪は重いぞ」
「そんな風に吼えるなよ。弱く見えるぞ」
 俺がそう答えた時、イデアは額に青筋を浮かべた。
「ならば、試してみようか? この僕の…真の実力を!」
 ブン、という音と共にイデアの右手から何かが飛び出る。
 慌てて後ろへ飛ぶと、ほぼ手前の場所に、刃が、否―――蛇腹剣だ。伸縮自在の斬撃と打撃を併せ持つ蛇腹剣を使うとは。
「うひょー、今時珍しい武器使ってるぜ」
「ああ。やりがい、ありそうじゃね?」
 小波はそう呟くと、俺に片手でそれをパスする。

 何もこっちも得物無しで来たわけではない。

 小さくグリップを振り、プラズマを発振させる。
 プラズマを剣状に収束したプラズマソードだ。メリーベルが持っている奴より古い型だが、信頼性は抜群である。
「さぁ…はじめようじゃないか、イデア・ムンドゥス! 世界に蹴りをぶちかましたい奴らの、狂宴を!」
「最高のカーニバルを!」
「「行くぜぇっ!」」
「いいだろう…その一言すら消滅させてやるぅぅぅぅぅぅぅぅうっ!!!!!!!」




 ジェイソン・ウィーバーがスタジアムにDホイールで乗りつけたとき、待っていたのは大量の罵詈雑言。完全なるアウェー。
「…待たせたな。俺は逃げも隠れもしないぞ、ジャック・アトラス」
「待ちかねたぞ、大悪人よ。このキングが成敗してくれる!」
 ジャックが高らかに宣言すると、ジェイソンも負けじとばかりに「俺にも俺の正義がある。見せてやろう!」 と言い返す。
 純白の一輪の美しいDホイールを操るジャックに対して、ジェイソンのDホイールは。

 ゴールデンだった。極めてゴールデンだった。

 運転者を保護するかのようなガードだらけの車体は金ぴか一色。
 趣味の悪いことこのうえない。しかもイデアの趣味。
 だがジェイソンはそんな事は気にしない。
「イデアの奴、いつまで時間をかけるつもりだ…その間にデュエルをして時間を稼ごう」
 ジェイソンは胸を張りながら、スタートラインまでDホイールを進ませる。
「来い、キング」
「行くぞ」

「「デュエル!」」

「「スピード・ワールド! セット、オン!」」

 ジャック・アトラス:LP4000:SC4     ジェイソン・ウィーバー:LP4000:SC4

 スピード・ワールド フィールド魔法
 このカードはデュエル開始に発動され、以降、フィールドから離れない。
 このカードの発動中に他のフィールド魔法を発動した場合、効果は重複する。
 このカードが発動された時、お互いのプレイヤーはそれぞれこのカードに、自分用スピードカウンターを4つ載せる。
 デュエル中、「Sp(スピードスペル)」と名のついた魔法カード以外の魔法カードを発動する事は出来ない。
 お互いのプレイヤーはスタンバイフェイズ時、自分用スピードカウンターをこのカードの上に1つ置く。
 また、1度受けたダメージに対して、お互いのプレイヤーは自分用スピードカウンターを1000ポイントダメージにつき1つ減らす。

 ライディングデュエルが、始まった。
「俺の先攻だ! ドロー!」
 まずはジャックのターンである。

 ジャック・アトラス:SC4→5

「Sp−強欲の壺を発動!」

 Sp−強欲の壺 通常魔法
 自分用スピードカウンターを2個取り除いて発動する。
 自分のデッキからカードを2枚ドローする。

 ジャック・アトラス:SC5→3

「続けて、俺は手札にミッド・ピース・ゴーレムと、ビッグ・ピース・ゴーレムを手札融合する!」

 Sp−融合 通常魔法
 自分用スピードカウンターが1個以上存在する時に発動可能。
 手札・フィールド・デッキより定められたモンスター2枚以上を融合する。

 ミッド・ピース・ゴーレム 地属性/☆4/岩石族/攻撃力1600/守備力0
 自分フィールド上に「ビッグ・ピース・ゴーレム」が表側表示で存在する場合に
 このカードが召喚・反転召喚・特殊召喚に成功した時、
 自分のデッキから「スモール・ピース・ゴーレム」1体を特殊召喚する事ができる。
 この効果で特殊召喚したモンスターの効果は無効化される。

 ビッグ・ピース・ゴーレム 地属性/☆5/岩石族/攻撃力2100/守備力0
 相手フィールド上にモンスターが存在し、自分フィールド上にモンスターが存在しない場合、
 このカードはリリースなしで召喚する事ができる。

「融合召喚! マルチ・ピース・ゴーレム!」

 マルチ・ピース・ゴーレム 地属性/☆7/岩石族/攻撃力2600/守備力1300/融合モンスター
 「ビッグ・ピース・ゴーレム」+「ミッド・ピース・ゴーレム」
 このカードが戦闘を行ったバトルフェイズ終了時にこのカードをエクストラデッキに戻す事ができる。
 さらに、エクストラデッキに戻したこのカードの融合召喚に使用した融合素材モンスター一組が自分の墓地に揃っていれば、
 この一組を自分フィールド上に特殊召喚する事ができる。

 歓声は一層大きくなる。そう、ジャック・アトラスはキング。
 観客を魅了し、ヒールを撃退する、そんなデュエリスト。
「1ターン目から大型モンスターを出してくるとは、愚かな…」
「ターンエンドだ!」
「痛い目にあわせてやる…ドロー!」

 ジェイソン・ウィーバー:SC4→5

「よし…手札より、ゴールデン・ヘクスを召喚!」

 ゴールデン・ヘクス 光属性/☆4/機械族/攻撃力1600/守備力1600
 このカードが相手モンスターによって戦闘破壊された時、
 発生した戦闘ダメージと同じ数値のダメージを相手に与える。

「そのような弱小モンスターで俺に勝てるとでも?」
「どうかな? テクニカルなデュエルを俺は得意としている。行け、ヘクス!」
 ゴールデン・ヘクスがマルチ・ピース・ゴーレムに挑むが、攻撃力が足りないので、散るしかない。

 ジェイソン・ウィーバー:LP4000→3000

「しかしこの瞬間! ヘクスの効果を発動する!」
「なにっ!?」

 ジャック・アトラス:LP4000→3000

「ば、バカな」
「俺はこれでゴールデン・ヘクスを失った…だがしかし、まだ手段は遺されている! Sp−クイックローダーを発動!」

 Sp−クイックローダー 通常魔法
 自分用スピードカウンターを2つ取り除いて発動する。
 自分の墓地に存在するレベル4以下のモンスター1体を除外し、
 デッキより同じレベルのモンスターを特殊召喚する。

 ジェイソン・ウィーバー:SC5→3
「そして俺はこの効果でゴールデン・マインを守備表示で特殊召喚する!」

 ゴールデン・マイン 光属性/☆4/機械族/攻撃力0/守備力0
 このカードが戦闘で破壊された時、
 このカードを破壊した相手モンスターを破壊し、そのモンスターの攻撃力分のダメージを相手に与える。

「カードを1枚伏せて、ターンエンドだ」
「俺のターン! ドロー!」

 ジャック・アトラス:SC3→4

「マルチ・ピース・ゴーレム! ゴールデン・マインを粉砕するがいい!」
「かかったな、バカめ!」
 ジェイソンは高笑いする。
「ゴールデン・マインは戦闘で破壊されれば、相手も道連れだ!」
「…ほう。キング相手になかなかやるではないか」

 ジャック・アトラス:LP3000→300

「おまけに戦闘破壊したモンスターの攻撃力分のダメージを返す! これで貴様のライフは残り僅かだ」
「俺はカードを一枚伏せて、ターンエンドだ」
 一気に劣勢になったというのに、ジャックは済ました顔だった。
 ここまでくればもう一押しで倒せるというのに。
「俺のターン! ドロー!」

 ジェイソン・ウィーバー:SC3→4

「手札のゴールデン・ヘクスを攻撃表示で召喚! これで終わりだ!」
「罠カード、威嚇する咆哮を発動!」

 ゴールデン・ヘクス 光属性/☆4/機械族/攻撃力1600/守備力1600
 このカードが相手モンスターによって戦闘破壊された時、
 発生した戦闘ダメージと同じ数値のダメージを相手に与える。

 威嚇する咆哮 通常罠
 このターン、相手は攻撃宣言を行えない。

「くそっ!」
「俺のターンだ」
 ジャックのフィールドはがら空き。しかし、観客達はジャックコールを叫んでいる。
「観客の諸君! キングのデュエルはエンターテイメントでなければならない! 見るがいい! このドラマチックな逆転劇を!」

 ジャック・アトラス:SC4→5

「まずは、バイス・ドラゴンを自身の効果で特殊召喚!」

 バイス・ドラゴン 闇属性/☆5/ドラゴン族/攻撃力2000/守備力2400
 相手フィールド上にモンスターが存在し、自分フィールド上にモンスターが存在しない場合、
 このカードは手札から特殊召喚できる。
 この効果で特殊召喚したこのカードの元々の攻撃力・守備力は半分になる。

「続けて、ダーク・リゾネーターを召喚!」

 ダーク・リゾネーター 闇属性/☆3/悪魔族/攻撃力1300/守備力300/チューナー
 このカードは1ターンに1度だけ、戦闘では破壊されない。

「いっ!?」
 ジェイソンは驚愕する。まさか、手札にこれだけが揃っているとは…。
 だがしかし、レッド・デーモンズを召喚したとしても、それでゴールデン・ヘクスを破壊すればバーンで奴を倒せる。
 レッド・デーモンズは攻撃しなければ自らの効果で自壊する。

「王者の鼓動、今ここに列を成す。天地鳴動の力を見るがいい! シンクロ召喚! 我が魂、レッド・デーモンズ・ドラゴン!」

 レッド・デーモンズ・ドラゴン 闇属性/☆8/ドラゴン族/攻撃力3000/守備力2500/シンクロモンスター
 チューナー+チューナー以外のモンスター1体以上
 このカードが相手フィールド上に守備表示で存在するモンスターを攻撃した場合、
 そのダメージ計算後に相手フィールド上に守備表示で存在するモンスターを全て破壊する。
 自分のエンドフェイズ時にこのカードがフィールド上に表側表示で存在する場合、
 このカード以外のこのターン攻撃宣言をしていない自分フィールド上のモンスターを全て破壊する。

 ば、バカな…!
「自ら敗北を招くようなものだぞ、レッド・デーモンズ…!」
「何を言う、ジェイソン? 俺は勝つためにコイツを召喚したのだ。今、ここでな!」
「何!?」
「Sp−龍の憤怒を発動!」

 Sp−龍の憤怒 永続魔法
 自分用スピードカウンターを全て取り除いて発動する。
 このカードがフィールド上に存在する限り、
 自分フィールド上の全てのドラゴン族モンスターは、相手プレイヤーを直接攻撃できる。

「んなぁっ!?」
「言っただろう。キングは悪を許したりはしない。貴様を成敗するとな」

「覚悟は出来ているか? 行くぞ、レッド・デーモンズ・ドラゴンの攻撃! アブソリュュュュゥゥゥト・パワァァァァァァフォォォォォォォスッッッッ!!!

「や、やめろぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!!」
 レッド・デーモンズ・ドラゴンの一撃は、金色のDホイールに直撃し、その制御を奪うのに十分だった。
「くそっ、どうにか建て直し…!」
 車体を建て直し、逃げるしかない。ここまで失態をやらかせば後が大変だ。レクス長官になんと言われるか解らない!
『やはり敗北しましたね』
 突如、Dホイールのモニターにイデアの顔が映った。
「イデア! どうにかしろ! モーメントはどうした!」
『ああ、あなたがどうなろうと、私にはどうでもいいこと。なぜなら、計画は私のものですからね。では、ジェイソン・ウィーバー。1000年後に生きてたら御機嫌よう…死ね!
「イデア貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!!!!!!」
 ジェイソンがモニターをぶっ叩いた直後。

 Dホイールの中で、カチリ、と音がした。
「…えっ?」
 それが、野望を持った男の、最期の言葉だった。

 金色のDホイールはその場で盛大に轟音と共に爆発した。
「な、なんだ!?」
 流石のジャックも驚いたが、ジェイソンはもう無理だとも悟る。
「ふん…まぁ、うるさい奴だったからな。ちょうどいい厄介払いが出来たと考えるべきだな」
 そして、爆発する歓声に、両手を挙げて応えた。
 キング、ジャック・アトラスを褒め称える声に。





 射程の長い蛇腹剣相手に、二人がかりとはいえプラズマソードでは無理がある。
「どうした、どうした!? 君たちがこの程度で終わるはず無かろう?」
「おいおい、有り得ないぜアイツ…」
「ああ。隙が無い奴は崩せない」
 俺も小波も、それなりに鍛えてはいる。だが、イデアは規格外すぎる。
 2方向から切りかかっても素早くまとめて対応し、途中でけん制を仕掛けようものならけん制つぶしをしてくる。
 まさしく、マルチ対応。
「小波」
「ああ」
 時計を見る。そろそろ10分。ジャックは終わらせる頃だろうが、他の3人が危険だ。
「クロウたちを頼むぜ!」
「任せとけよ!」
 小波はくるりと背を向けて走り出す。さて。
「…イデア」
「なんだい、ネームレス?」
「お前も相当な曲者だけど、お前の正体、だいぶ見えてきたぜ?」
「ほう?」
「テメェは人間に作られておきながら人間が大嫌いな人形だ」
 簡潔ながらも的確な答えは、奴の怒りに火をつけるのに十分だった。
「その通り。私は人から生まれた。親というものは無い。いわゆる試験管ベイビーとはよくいったもの」

「そうであるが故に、ありとあらゆる知識を与えられた。技術も与えられた。情報も与えられた。そして全てを悟ってしまった」

「人間とはどうしようもなく愚かであると」
「だろうな」
「では、この地球の頂点たる人間が愚かであれば、誰が頂点に立てばいい? この私だ。私が認めた世界に、作り変えなければならない。ゆがんだ世界を正しくするために。僕は頂点に立つ」

「その為の、リセットだ。その為の計画だ。僕が救世主になる為に、僕は愚かなる人間の為に生まれたのではない、優れた人間を未来に残し、愚かな人間を消滅させるために生きているのだよ!」

 どうしようもない傲慢な奴だ。
「世界の人口は百億超」
 その中で優れているか否かと色分けしてみれば簡単にわかってしまう。
 たとえば貴方の知っている人間を100人思い浮かべ、まともな奴とバカな奴に分けてみろ。結構多かったりするんだぞ、案外。
「その中で、お前が未来に残すべきだと思う奴は何人いるんだろうな?」
「必要が無ければ…僕だけでいい」
「ああ、そうかい。どっかの人間みたいな事を言うな」
「なに?」
 人間というものは、ものさしで人を計る。だが、そのものさしは客観的にはなれない。どう足掻いても、その人間の主観というものさしで計るのだ。
 そしてそうであるが故に、人間は自分より劣っていると思う奴を見下してしまう。
 そしてそれを排除しようとする。だが、それを延々と続けても終わらない。自分が排除される側になることもある。世界なんてそういうもの。

 選民思想というものが如何にくだらないものであるか、それではっきりしてるぞ?

 今まで多くの先人が通り、失敗してきた道なのだから!

 俺は床を蹴り、プラズマソードを投げつけてから、イデアに体当たりを敢行した。
 突然の連続攻撃には対応できなかったのか、イデアはバランスを崩す。
「貴様…! 貴様に僕がわかるはずは無い! 孤独で! 理解もされず!」
「ああ、そうだろうな! 理解されないだろうな! おまえ自身が、理解しなければ! 誰も理解などできるか!」
 それは、一つ学んだこと。
 ティーアが教えてくれた。理解が出来るなら、理解されることは出来る。逆に理解できないければ、理解はされない。
 2回、3回と打撃を放つ。
 だがイデアも負けずに、膝蹴り、頭突き、打撃と返してくる。
「くそっ!」
 渾身の力を込めたストレートが空を切り、その直後返しとばかりに打撃が顎を襲った。
「僕が、導けば! 彼女はその為に必要なんだ!」
「悪いけど、俺は…愛の、ためだ!」
 再び打撃が顎を捉え、床に倒れこんだ俺にイデアが馬乗りになる。
 首を掴み、幾度と無く頭を床に打ち付けられた。

 だが、それでも!

 その頭を掴み、頭突きで返す!
 バランスを崩したイデアの腹に蹴りを放ち、どうにか立ち上がると今度はこっちが殴りつける番だった。
「俺もずっと一人だった! だから、驚いた…俺を理解しよう、理解してくれる人がいたことをな! 運命? そんなんじゃねぇ、それよりももっと! 深い絆がある! その気持ちこそ!」
 腹へと一撃を打ち込み、数歩後退するイデアにもう一度拳を打ち込む。
「まさしく! 愛だぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!」
 再び蹴り飛ばし、突き飛ばす。

 まだまだだ。
 壁際から、モーメントがよく見える窓まで追い詰める。
「お前には一生理解できねぇっ!」
 再び打撃。
「イデア・ムンドゥス…世界を恨み、世界を見下したくそったれめ」

「世界を手玉に取るには、お前じゃ役不足だ!」

 最期の一撃は、イデアごと窓ガラスを突き破り、奴をモーメントの部屋まで突き落とすのに十分だった。
 そして直後。
「おい、行くぞ!」
 後ろから声がかかり、俺は慌てて反転して小波の元へ行く。
 いいや、小波だけじゃない。
「ティーア!」
 俺と小波がイデアをひきつけてる間にメリーベルが助けてくれた、ティーアもいる。
 ティーアの身体を優しく抱きしめながら、とにかくモーメントのある部屋から離れる。

 上へと続く階段を上っていると、メリーベルが一つのボタンを差し出してきた。

 距離は十分。だから。

「さよなら、イデア」

 一つのボタンを押して―――全ての照明が落ちると同時に激震が走った。

「流石に、モーメント1個壊すのは勿体無いかな」
「けどそうでもしねぇと。イデアの奴はまだやらかすぞ」
 俺の言葉に小波がそう返し、そしてティーアも頷いた。
「うん。彼が生きている限り、彼はまたやると思う」
「…ああ。けど流石にモーメントの爆発に巻き込まれちゃ、死ぬだろうな」
 背を向けずに、とにかく外へ。





 治安維持局を離れ、サテライトの近くにあるネオドミノシティの出入り口まで辿り着く頃には、もう夜が明けようとしていた。
「鬼柳たちはまだ鬼ごっこしてるのか?」
「だろうな。まだシティの方でサイレンが鳴ってるよ」
 まぁ、あいつらは優れたDホイーラーだ。上手く逃げ切るだろう。
 俺はそう苦笑すると、ブルー・ノーブルの本部からずっと乗ってきた青いBMWに寄りかかる。
「長い夜だったよ、それにしても」
「だろうな」
 小波は笑いながら応える。
「で、もう行くたぁ、気が早いぜ」
「まだアルカディアムーブメントがいるしな。それに、レクス・ゴドウィンから既に50万ドルせしめてる。これだけあればしばらくは平気さ」
 下手にシティに残っていれば、ティーアを追いかけてアルカディアムーブメントの方が追いかけてくる可能性がある。
 ブルー・ノーブルが壊滅し、ジェイソン一派がいなくなっても、こいつら自身も相当な難敵だ。
「俺としては、ティーアだけじゃなくて、メリーベルまでついてくるとは思わなかったけどよ」
「おいおい、美少女二人と旅するとか最高じゃないか。バチが当たるぜ?」
「まぁ、それもそうか」
 小波にそう応えつつ、車に乗り込む。
「じゃあ、また、な。親友」
「おう。死ぬなよ、ペテン師」
 エンジンをかけ、夜明けの大地に向かって車が動き出す。


 しばらく走りながら、俺は後部座席の二人に声をかけた。
「今回の一件、皆にいろいろあったな。俺も、色々と学ぶことがありすぎだよ」
「ええ。出会ったときより、とても優しくなってる」
 ティーアに言われるとなんか照れる。
「…結局、イデアは自分が神になろうとしていたのですね」
「ああ、そうだな」
 メリーベルの問いに、そう答える。
「だけどアイツは役不足だ。世界を手玉に取り炊きゃ、自分がそれだけの器にならなきゃいけないって事さ。俺もまだまだだけどよ」
「確かに」
「おい、ティーア。…まぁいいさ。けど、世界に蹴りを入れることぐらいは出来るぜ?」
「もう、どこまでも暴れていく気?」
「冗談だよ」
 呆れた顔をする二人にそう答えながら、少しだけ速度を上げる。
「おお…見てみろよ」

 窓の向こうに、夜明けの海にかかる、虹色の橋が見えた。

「「綺麗…」」
 二人の女子が同時に呟く。
「次は、あの虹の橋の向こうに行ってみようか?」
「「え?」」
「行き先なんてない。世界を見て回りたいなら、十分だろ?」
 そう、世界は広い。それこそ、俺達が駆け回るには十分すぎるぐらいに広い。
 そして小さな愛をつむぐのにも、有り余るぐらいだ。

 だからこそ、ひな鳥は世界へと羽ばたいていくことを誓い。

 小さな愛を、彼女と共に歩んでいく事を、決めた。

 そう、俺達の旅路は続いていく―――。

 時に世界を相手にケンカを売り、時に世界を守るために動き回り。

 時に、友へのココロをつなぐ。あの、虹の橋の向こうまで―――僕らの世界は、続いていく。



 FIN







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