裏切者

製作者:あっぷるぱいさん






<目次>
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 気分は不快だった。

 僕は、今すぐ逃げ出したいと思う気持ちを無理やり抑えこみ、不安で破裂しそうな心を必死になだめた。そうやって辛うじて落ち着きを保ちながら、手に握られた3枚のカードに目を通す。
 数秒ほど思案して、すぐに次の行動に移した。

「僕は《六武衆−ヤイチ》を召喚!」

「ぐっ!」

 手札のカードをデュエルディスクに置くと、僕の場に鎧武者が現れた。それを見て、僕の対戦相手である大柄な男が顔を歪める。
 大柄な男の場には、伏せカードが2枚のみ。《六武衆−ヤイチ》の召喚に対し、男がそれらの伏せカードを発動する様子はない。

「じゃあ、《六武衆−ヤイチ》の効果発動! 《六武衆−ヤイチ》の攻撃権を放棄し、河本(こうもと)さんの場の伏せカードを1枚破壊する! そうだね……。僕から見て、右側の伏せカードを破壊させてもらうよ!」

「なぁっ!? くっそ……なんでこっち狙ってくるんだよ……!」

 大柄な男・河本は、苦々しげな表情を浮かべ、《六武衆−ヤイチ》の効果対象となった伏せカード――《攻撃の無力化》を墓地へ送った。これで、河本の場の伏せカードは残り1枚。

 僕はバトルフェイズに入った。

「バトル! 《真六武衆−シエン》でダイレクトアタック!」

「だあああ! これでも喰らえ! トラップ発動! 《聖なるバリア−ミラーフォース−》!」

「《真六武衆−シエン》の効果発動! 1ターンに一度、相手の魔法・トラップの発動を無効にして破壊する!」

「……やっぱ、そうなるよな。ちくしょう! 俺の負けだぁ〜!」

 赤い鎧を身に着けた武者《真六武衆−シエン》の効果によって、河本の発動した《聖なるバリア−ミラーフォース−》が打ち消される。そして、《真六武衆−シエン》の攻撃が成立し、河本に2500ポイントのダメージが発生。河本のデュエルディスクのライフカウンターが0を示した。

 それを確認し、審判が高らかに宣言した。

「勝者! 久藤(くどう)誠司(せいじ)!」

 久藤誠司――勝者となった僕の名が、巨大なスタジアムの中に響く。同時に、観客の歓声がどっと湧き上がり、スタジアムを包み込んだ。

 僕が今いるこの場所は、童実野町の中心部にある巨大なデュエルスタジアム。デュエリストの聖地と呼ばれるこの場所では、名のあるプロデュエリストか、公式大会で上位にランクインするようなデュエリストでもなければ、デュエルをすることが許されないと言われている。
 まさに、選ばれしデュエリストだけが足を踏み入れることのできる聖域。言い換えれば、ここで戦うデュエリストは、多くの人々に認められ、期待されているデュエリスト、ということになる。

 そして、僕は今、聖地と呼ばれるこの場所で、プロデュエリストの1人として、大勢の観客が見ている前で、対戦相手のプロデュエリスト・河本とデュエルをして、勝利を収めたのだ。

 そう。僕は勝った。大勢の観客が見ている前で、勝ったのだ。

 観客の中には、僕のファンがたくさんいる。そのファンの期待に、僕は応えることができた。そのことに僕は安堵した。嬉しいとは思わない。ただただ安堵した。そして、安堵する一方で、鬱々としたものも感じていた。

 それでも僕は、その鬱々とした思いは顔に出さず、ひたすら嬉しげな笑顔を顔に貼り付け、観客席にいるファンに向かって手を振った。

「俺の負けだ、久藤さんよ。強いなあんたは。俺の想像以上だよ。ったく、あそこで《攻撃の無力化》が破壊されなきゃ、もう少し粘れたんだがな」

 デュエルコートの中央に行き、河本と握手をすると、彼が称賛の言葉を述べてきた。それに対し、僕も称賛の言葉を返す。

「河本さんも強かったよ。もしも、もう少し粘られていたら、危なかったかも」

「ははは。まあ、今回は負けたが、楽しいデュエルだった。けど、次は負けないぜ」

 楽しいデュエルだった――河本のその言葉が、心に突き刺さる。
 しかし、僕は笑顔を浮かべたまま、自然に返した。

「僕も楽しかったよ。またデュエルしよう」

 そう口にした瞬間、僕は激しい自己嫌悪に陥った。

「僕も楽しかった」だって? 嘘をつけ。

 本当は、ちっともデュエルを楽しんでなんかないくせに。



     



「見たぜ、昨日のデュエル。相変わらず強いよな、お前は。連戦連勝じゃねえか」

 翌日。会って開口一番、友人の平坂(ひらさか)俊介(しゅんすけ)は言った。

 平坂は、昨日の僕のデュエルをテレビか何かで見たらしい。
 僕を称賛する彼の言葉に、妬みや皮肉といった感情は見られない。純粋に僕の功績を称えているようだ。

 待ち合わせ時刻よりも大分早く来たのだろう、平坂は既にメロンソーダを注文して飲んでいた。僕も席に着くと、コーヒーを注文した。
 さり気なく、店内をざっと見回す。店内には、僕と平坂を含め、5人の客がいた。

 自宅から少し離れたところにあるこの喫茶店は、僕や平坂がプライベートでよく来る喫茶店だった。店内の席が上手く配置されていて、奥にある席に座れば、よほどのことがない限り、周囲からは目につかなくなる。プロデュエリストとして世間に知られている僕や平坂が、プライベートでゆったりと過ごすにはもってこいの場所だ。
 そして今日も、僕と平坂は、この喫茶店で待ち合わせをしていた。

「ここしばらく、お前は負けなしだよな。どうすりゃそんなに連勝できるんだよ。何かコツでもあんの?」

 メロンソーダをストローで口に入れつつ、平坂は訊いてきた。場をつなぐ会話のつもりではなく、本気で気になっているようだった。

 何故連勝できるのか――色々な人によく訊かれることだった。ただ、平坂に訊かれるのは初めてだ。

「コツなんてないよ。地道に練習を重ねているだけさ」

 平坂の質問に対して僕は、その質問をされた時、決まって口にする答えを返しておいた。

 僕と平坂は、プロのデュエリストとして活動している。平坂とは同い年ということもあって、気が合っていた。今日のように、僕も平坂も仕事がない日は、たまにこうして2人で会ったりしている。
 とは言え、僕も平坂も、幸か不幸か現在は仕事が多く、こうしてゆっくり話す機会もあまり作れない。そのため、今の時間は、僕らにとって貴重な時間だった。

 僕の答えに対し、平坂はふんと鼻を鳴らした。納得したような、していないような、表情だった。

「お前らしい答えだな」

「僕らしい?」

「そうさ。真面目なお前らしい答えだ。俺には真似できんな」

 真面目。
 そう聞いて、少し心が重くなった。しかし、それを悟られるのは嫌なので、笑いながら「真面目か。そうでもないと思うんだけどね」と返しておいた。

 僕は、平坂が思うほど真面目ではない。よく僕は真面目な人間だと言われるが、そんなことはない。本当は、そう思われるように、僕自身が振舞っているに過ぎない。
 そう。僕は真面目でもなければ、誠実でもない。ただの嘘つきだ。僕は嘘をついている。嘘の自分を演じている。それは、目の前にいる友人・平坂に対しても例外ではない。

「お待たせいたしました」

 店員が、注文したコーヒーを持ってきた。僕はそれに手を伸ばす。

「僕もここに来る前に、録画しておいた君のデュエルを見たよ」

 コーヒーを一口すすりながら、テレビに映された、デュエルしている平坂の姿を思い浮かべる。

「君は相変わらず、言動が過激だね。対戦相手のデュエリスト、カンカンだったじゃないか」

 僕のイメージが、真面目で誠実なプロデュエリストならば、平坂のイメージは、過激なパフォーマンスで有名な悪役プロデュエリスト、と言ったところだ。

 昨日、僕が出ていたものとは別のデュエル大会で平坂のデュエルがあったが、その際の平坂の悪役ぶりは凄まじかった。対戦相手への挑発や罵倒は当たり前。その上、デュエル中のプレイングや態度は明らかに相手を無視したようなものだった。
 また、昨日の平坂のデッキはソリティア(1人回しゲームのことだ)ができる仕掛けになっており、「テメーは黙って俺に負けろ!」の一声と共に、平坂の1人回しがスタート。それ以降、対戦相手は何もできずに敗北してしまった。デュエル開始からわずか4ターンのことだった。

 そんな態度で毎回人前に登場するものだから、当然のごとく、平坂を嫌うものは多い。一般人のみならず、プロの中にも平坂を嫌う者はたくさんいる。僕の知り合いのプロの中には、「平坂はデュエリストではない」と言い切った者もいる。「いつか、平坂をこの世界から追放してやる」と燃えている者もいる。

 だが、そんな悪役プロデュエリストである平坂に魅力を感じるファンが多くいるのも、また事実だった。だからこそ、彼はこうして、現在でもプロデュエリストを続けていられるのだろう。

「君のデュエルはいつも過激だから、見ているこっちがハラハラするよ。このままだと敵をどんどん増やしてしまう、とか考えたりしないのかい?」

 僕が問うと、平坂はこれまた鼻をふんと鳴らした。何を馬鹿なことを訊く、といった感じだった。

「そんなことは知らねえよ。敵が増えようが何だろうが、俺は俺の好き勝手にやらせてもらうさ。周りの連中が何言おうが知ったこっちゃねえ」

 平坂は、清々しくなるくらいに堂々と言い放った。
 そして、コップの中のメロンソーダを飲みきると、彼は鋭い笑みを浮かべてみせた。

「俺のマネージャーも、最初は態度を改めろとか口の利き方に気をつけろとか色々グチグチ言ってきたけど、今ではもう諦めたのか、何も言ってこないぜ。まあ、何だかんだで俺のファンって多いらしいから、それでとりあえず現状維持って形を取ってるんだろうが。……とりあえず、文句ある奴は、ウダウダ言ってないで俺にデュエルで勝てばいいんだ。まず無理だろうけどな!」

 がははは、と口を大きく開けて笑う平坂。そんな彼を見て、僕は複雑な気持ちになった。

 平坂の考え・行動は、世間的に見れば、身勝手極まりないものだろう。現に、彼のそういう考えや行動を嫌う人間はたくさんいる。
 しかし今の僕には、平坂は、身勝手な人間というよりも自由気ままな人間に思えた。そして、そんな自由気ままに振舞える彼を、羨ましいとさえ思った。

 今、あなたに足りない物は何でしょう?
 僕がもし、そのように訊かれたら、僕はこう答えるだろう。僕に足りないのは「図太さ」です。

 僕は、少しのことで不安になったり、憂鬱になったり、ビクビクしたり、恐れを抱いたりする人間だ。そして、常に周囲の顔色を窺っており、それで一喜一憂しているような人間だ。とにもかくにも肝が小さい。僕はそんな自分の性質がひどく嫌なのだが、こういうものは直そうと思っていてもなかなか上手くいかないものだ。僕には図太さが足りない。もっと図太く生きられたらなあ。

 そんな風に思うものだから、今目の前にいる自由気ままな友人を見ていると、その図太い神経が途轍もなく羨ましく感じてしまう。できることなら是非とも平坂にこう言いたい。教えてくれ。僕はどうすれば、君のように自由気ままに生きられるんだい?

 無論、平坂のように過激な言動で敵を増やしたい、とまでは思わないけど、「敵が増えたところで知ったことじゃない」などとあっさり言い放つ勇気や度胸は、やっぱり羨ましいものだった。

 平坂は明るい口調で言う。

「要するに、周りなんて関係ねえんだ。俺は自分の人生を楽しんでるからな。楽しめるだけ楽しんでやるさ」

 それを聞いて、僕は考えてしまう。
 僕は今、自分の人生を楽しめているだろうか? プロデュエリストとして、デュエルに明け暮れる今の日々を、楽しめているだろうか?

 答えはノーだ。

 僕は決して、今の日々を楽しめていない。むしろ、苦痛に感じている。今の生活は僕にとって、苦痛でしかない。プロになったばかりの頃はそんなことはなかったのに、プロデュエリストとして活動を始めて1年ほどが経つと、僕の気持ちはすっかり変わり、今のように日々を鬱々として過ごすことが多くなったのだ。



     



 僕がプロデュエリストとしてデビューをしたのは、今から3年前。僕がデュエルアカデミア中等部に進学して、2か月ほど経った頃だった。当時、僕は13歳になったばかりだった。

 その頃、特別授業ということで、プロデュエリストがデュエルアカデミアにやってきて、生徒たちにデュエルを教えるという、生徒たちにとっては夢のような企画があった。現役のプロデュエリストと直に接することのできる機会なんて、滅多にない。僕を含め、生徒たちは皆興奮していた。

 特別授業は、各クラスの教室にそれぞれ、プロデュエリストが1人やってきて、そのクラスの生徒たちに対し、プロが授業をする、といった形で行われることになっていた。
 授業開始時刻になると、僕の教室にも、1人のプロデュエリストがやってきた。プロデュエリストは、マネージャーである女性を1人従えていた。

 その特別授業では、授業の終盤、あらかじめクラス内で決められていた生徒3人と、プロデュエリストがデュエルを行うことになっていた。せっかくこうしてプロと会えたのだから、この機会に是非ともプロとデュエルがしたい、と大抵の生徒は思うわけだから、こういう企画はあって然るべきだろう。
 しかし、1クラスの生徒数はおよそ40人。さすがにそれらの生徒全員とデュエルすることは、時間的に叶わない。そこで、クラス内で最もデュエルの実力が高い3人が、クラスの代表という形で選ばれたのだ。

 そして、僕はその3人のクラス代表の1人だった。プロデュエリストとデュエルができるということで、その日の数日前から、緊張したり、興奮したりで、ろくに睡眠も取れなかったことを、僕は今でも覚えている。

 かくして、3人の生徒とプロデュエリストの特別デュエルが始まった。
 まず1人目の生徒がデュエルした。その生徒は、それなりに良い手札だったようだが、プロデュエリストに1ポイントのダメージも与えられずに敗北した。
 続いて2人目の生徒がデュエル。こちらの生徒はそれなりにダメージを与えるも、どんどんカードの差をつけられ、最終的に場のカードと手札を全て失って敗北した。

 二つのデュエルを見て、やはりプロの実力は桁が違う、と僕は強く思った。勝つなんて無理だ。勝とうなどとは考えず、せめて悔いのない楽しいデュエルになるように努めよう、と心に決めた。
 そして、いよいよ僕の番となった。

 結論から言えば、僕はプロデュエリストに勝利した。

 僕とプロデュエリストのデュエルは、傍から見れば、どちらが勝ってもおかしくないデュエルだった。どちらのライフも場も手札も、ギリギリまで消耗し、最初に一撃を喰らわせたほうが勝利する、という戦いになった。そして、最初に一撃を喰らわせたのが僕のほうで、僕がそのデュエルに勝ったのだった。
 当時の僕としては信じられない出来事だった。今思えば、あれはプロの人が上手く手を抜いていたんだと分かるが、当時の僕はそこまで考えが回らず、自分は夢でも見ているのではないか? 今のデュエルで一生分の運を使い切ったのではないか? などと思ってしまっていた。

「いやあ、負けたよ。君、強いね。これは強力なライバル登場だな」

 プロデュエリストは笑顔で言った。僕はその時かなりの興奮状態で、上手く頭も舌も回らず、何を言ったのか、どのような行動を取ったのか、あまり鮮明には覚えていない。覚えているのは、プロからお褒めの言葉をもらって飛び上がるほど嬉しかったのと、最後にがっちりと握手をして、互いの健闘を称え合ったことだけだ。

 プロの世界でやっていくつもりはないか?
 そんな風な問いかけをされたのは、その特別授業が行われた日の放課後だった。
 問いかけをしてきたのは、特別授業の際、僕の教室に来たプロデュエリストに付き添っていたマネージャーの女性だった。彼女は、特別授業で僕のデュエルを見て、素質があると睨んだと言う。
 それが、僕がプロの世界へ足を踏み入れたきっかけだった。

 正直、最初は嬉しかった。当然だ。三度の飯よりもデュエルモンスターズが好きだった自分が、普通の中学生と何ら変わりない平凡な自分が、プロの世界へ羽ばたくことになったのだ。嬉しくて嬉しくて、なかなか興奮が冷めなかった。

 プロになってしばらくは、勝ったり負けたりのデュエルを繰り返していた。プロとはいえ、新入りだ。さすがに当時の僕には連勝は難しかった。
 それでも、僕にとっては、大勢の人たちの前で、色々なプロデュエリストとデュエルできることが何よりも嬉しかったし、楽しかった。こんな時間がいつまでも続くようにと願ったものだ。

 さらに僕を嬉しくさせた要因として、ファンの獲得があった。当時はまだ新参者の僕ではあったが、着実にファンが増えていったのだ。大会に出る度にファンからの応援も増え、僕は感動のあまり涙が出そうになった。その応援に後押しされるように、僕のデュエルの腕も上がり、勝率も徐々に上がってきた。すると、より一層にファンが増え、道を歩いている時に声をかけられたり、サインを求められたりするようなことも出てきた。

 毎日が興奮と新しい経験の連続で、楽しかった。当時、僕は自分のことを幸せ者だと感じた。そして、自分を誇りに思った。もっともっと腕を上げて、もっともっと多くのデュエリストと戦いたい、と強く願った。

 だが、そんな幸せな日々は、長く続かなかった。

 プロになって大体1年が過ぎた頃。僕は腕を上げ、勝率を順調に上げていた。それに伴い、ファンの数も増えていった。プロの世界に入ったばかりの頃と比較して、明らかに僕に注目する人間の数は多くなっていた。周りにいる多くの人たちが、僕に期待している。僕はそれを毎日のように感じていた。

 そして僕は、徐々に、徐々に、その期待を裏切ってはならない、と考えるようになった。誰かに言われたわけではないのに、ごく自然に、「皆が求めるデュエリスト像」を考えるようになった。

 人々の期待に応えるためにも、僕はどのようなデュエリストであるべきか。どのように振舞えば、人々は喜ぶのか。

 毎日毎日、そんな風に考えていく内に、僕はいつの間にか、周囲の人々の前では、周囲の求める「久藤誠司」を演じるようになった。真面目で誠実なデュエリスト。僕が演じた「久藤誠司」は、そんなデュエリストだった。誰に言われたわけでもないのに、いつの間にか僕は、そんな「久藤誠司」になっていた。それは今でも続いている。

 これまでの生活では決して、意識してそんな人間を演じたことはなかった。だが、今の僕は、そんな人間を意識して演じている。

 そして、周囲の人間は、そんな「久藤誠司」を受け入れた。それが僕のあるべき姿と認識し、高く評価した。
 本当は、僕はそんな人間じゃないのに。真面目で誠実? 嘘っぱちに決まってるじゃないか。本当の僕は、周りの顔色ばっかり窺っている臆病者だ。その臆病ゆえに、周囲の求める「久藤誠司」を演じて、周囲から高評価を得て、周囲との衝突を何とか避けようとしているだけだ。

 僕はこの世界に入り、こうして嘘の自分を演じるようになるまで、まさか、自分がこんなに臆病な人間だとは思わなかった。こんなに周囲の顔色ばかり窺ってビクビクするような人間だとは思わなかった。
 プロの世界に足を踏み入れず、普通の一般的な中学生のままでいれば、こんな自分の一面に気付くこともなかったのだろうか。人気のプロデュエリストとなって、多くの人から注目されるようなことがなければ、こんな一面が浮き彫りになることもなかったのだろうか。

 僕は、そんな自分の一面を激しく嫌悪した。だが、それを変えることはできなかった。
 もし、僕が人々の期待に沿うようなデュエリストを演じることを放棄すれば、それは人々の期待を裏切る行為に繋がりかねない。そうなれば、どうなるか? 僕という人間は、果たして無事でいられるだろうか。
 そんな不安が脳裏を過り、僕に演じることをやめさせまいとするのだ。

 現状を維持しろ。理想のデュエリストを演じろ。期待を裏切るな。
 お前だって、無駄な衝突はしたくないだろう。ならば、演じろ。偽れ。

 その思いが日に日に強くなり、僕は、人前ではもちろん、たとえ誰も見ていなくても、どこかで誰かに見張られているような気がして、理想の「久藤誠司」を常に演じきった。それはひどく疲れるもので、僕はいつも息苦しい思いをするようになった。そんな自分を滑稽だと思った。

 それでも、しばらくの間は耐えられた。何故なら、どんなに生活が辛かろうと、僕にはデュエルがあったからだ。
 デュエルは楽しい。デュエルをしている間は、僕は全ての苦痛を忘れた。もちろん、デュエル中も理想の「久藤誠司」を演じることはやめなかったが、それでも、デュエルをしている間であれば、苦痛は大きく和らいだ。
 当時の僕にとっては、デュエルが救いだった。どんなに辛くても、デュエルをすれば、気分は良くなった。純粋にデュエルを楽しむ姿勢。それだけは、演じる必要のないものだった。
 僕はデュエルに感謝した。この先もずっと、デュエルを好きでいようと決めた。

 そう決めていた僕が、愕然とする出来事が起こった。
 理想の「久藤誠司」を演じるようになって半年ほど経ったある日、僕は恐ろしい感情を抱いてしまった。
 ああ、今でもあの時の気持ちは忘れない。あれは、生まれて以来、自分自身を最も強く呪った瞬間だったに違いない。

 デュエルが楽しくない、と僕は思ったのだ。
 そう思ってすぐに、馬鹿げていると思った。そんなはずはない。僕はデュエルを楽しんでいるはずだ。この気持ちに偽りはない。デュエルは楽しい。楽しい。楽しい。楽しい! 楽しい! 必死にそう考えて、つい今さっき自分の中に浮かんだ愚かな考えを粉々にしてやろうと躍起になった。

 だが、その行為が既に、僕が僕自身を偽っているということを如実に物語っていた。僕はいつの間にか、デュエルを楽しめなくなっていたのだ。
 何故だ? 僕はデュエルが大好きな人間だったはずだ。現にこれまで、僕はデュエルを楽しんできたじゃないか。嘘偽りなく、デュエルを楽しんできたじゃないか。一体いつから僕は、デュエルを楽しめなくなっていたんだ? 何故デュエルを楽しめなくなっていたんだ? 何故だ!?

 思えば、プロになって1年ほどが経ち、自分を偽るようになってから、僕はデュエルをする度に、心のどこかで得体の知れない不安を感じていた。そして、その得体の知れない不安は、僕がデュエルに勝利する度に膨らんでいった。ブクブクと肥太り、僕の心に重く、強く、のしかかった。その不安の存在に気付くと同時に、僕はその不安の正体をすぐに察した。

 不安の正体。
 それは、デュエルで負けることへの恐れだった。

 デュエルに勝てば勝つほど、周りの人々の期待は大きく膨らむ。そして、僕に勝利することを求めてくる。当然、僕は負けられなくなる。負けることが許されなくなる。どんなデュエルでも負けてはならない。必ず勝たなければならない。人々の期待に応えるためにも、絶対に負けてはならない。負けることは、人々の期待を裏切ることに繋がる。決して負けるなかれ。決して裏切るなかれ。必ず勝利せよ。勝て! 負けるな!
 まるで際限なく広がる宇宙のごとく、広大なプレッシャーが僕を苛んだ、そのプレッシャーから、僕はデュエルで負けることを恐れるようになった。その恐れこそが、僕が感じていた不安の正体だったのだ。そして僕は、そのプレッシャーやら恐れやらをバネにして戦うことができるほど強くもなかった。
 僕は不安を感じた。デュエルをする度に不安を感じた。勝たなくてはいけない、というプレッシャーに苛まれた。負けることをこの上なく恐れた。

 カードゲームとは恐ろしいゲームで、どれほど努力しようが、勝率を100パーセントにするということができない。たとえ誰もが認める強力なデッキを使い、誰もが認める優れたプレイングをもってしても、時の運に見放されれば負けてしまう。ともすれば、弱者が強者を打ち負かすことだってあるゲームだ。そんなゲームで戦う以上、連戦連勝を保つことの難しさは並大抵ではない。
 そんなことだから、当然、僕の抱える不安は消えない。今日は勝ったけど、明日は勝てるだろうか。明日勝ったとしても、明後日は勝てるだろうか。いつまで負けずにいられるだろうか。不安で不安で仕方がない。

 もしも負けてしまったら、どうなるだろうか。
 きっとファンは激減するだろう。仕事も減るだろう。信頼も失うだろう。これまで必死に積み重ねてきたものが、たった一度の敗北で消え去ってしまうに違いない。力をつけ、勝利を重ね、周囲の期待を膨らましたが故に、それを裏切った時の損害は計り知れない。想像しただけで恐ろしい。そんなことになったら、どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 そんな不安ばかりが込み上げてきて、とてもデュエルを楽しむ余裕などなかった。今の僕には、敗北への不安しかない。積み重ねてきたものが壊れるかもしれないという不安しかない。デュエルをしていても、ちっとも楽しくない。むしろ、逃げ出したくてたまらない。
 デュエルが怖い。デュエルが嫌いだ。こんなことなら、むやみやたらに勝利せず、「適度な勝利」と「適度な敗北」を繰り返していれば良かった。そうすれば、周りの人々もそれほど期待はしなかっただろうから、それを裏切った際の損害も小さく済んだに違いない。
 今の僕にかかる期待はあまりにも大きい。これを裏切ればどうなるか。それを考え出すと、僕は食事も上手く喉を通らなくなり、眠りにつくこともできなくなる。

 それでも。それでも。

 それでも僕は、この不安を、苦しみを、痛みを、決して周囲の人間に悟られるわけにはいかない。弱音を、周囲の人間に向かって吐いてはならない。
 僕はこれでもプロのデュエリストだ。プロとは、人々にとって大きな存在だ。そんな存在が、こんな小さなことで悩むなど、きっと馬鹿げた話だ。こんなことが周囲に知れたら、人々は僕をどう思うだろう。

 プロのくせに、こんなことで悩むなんて情けない。プロなのに、こんな小さなことで悩むなんて異常だ。そんな小さなことで悩んでウジウジしているのはお前くらいだ。
 他のプロの人たちを見てみろよ。皆、苦しんでいる様子なんて見せずに頑張っているじゃないか。人々の期待に応えているじゃないか。なのに、お前だけそんな弱音を吐くなんてずるい。お前だけ裏切るなんて卑怯だ。
 お前だけが苦しんでいるなんて思うな。苦しいのはお前だけじゃない。お前以外のプロだって苦しんでいるはずだ。それを外に出さずに頑張っている。なのに、お前だけ弱音を吐いて逃げるなんてずるい。卑怯だ。

 きっと、人々はそんな風に思うに違いない。考えるだけでもぞっと身震いする。
 だから僕は、絶対に、自身の弱い面を、周囲に悟らせるわけにはいかない。真面目で、誠実で、いつでもデュエルを楽しんでいて、連戦連勝。弱い面など露ほども見せず、常に堂々と戦う。そんなデュエリストを演じなければならない。これまで積み重ねてきたものを壊さないためにも、現状を維持しなければならない。

 プロのくせに、こんなことをいちいち考えている僕は、やっぱり異常なのだろう。それでいて弱虫で、臆病者。周りのプロの人たちは堂々としているのに、どうして僕はこんなに弱いのだろうか。どうして僕は、彼らのようになれないのだろうか。今からでも遅くないはずだ。彼らのようになれるように努力しなくては。

 そうだ。僕はプロだ。プロならプロらしく、堂々としていなければならない。小さなことで悩んではならない。弱音を吐いてはならない。他のプロが頑張っているのに、同じプロである僕だけが弱音を吐くなど言語道断! 楽しむんだ、今の人生を。今の状況を。デュエルを。プレッシャーを。全てを楽しみ、堂々と戦え!

 そう自分に言い聞かせて、これまでどうにかやってきた。そうしていれば、いつかは、自分の小さな悩みなんて吹き飛ぶだろうと信じて。
 だが、僕の中の弱くて醜い思いは、消えるどころか体積を増大させ、重く重く重く重く、僕の心にのしかかり続けた。

 僕は常に不安を感じていた。プレッシャーを感じていた。演じることに疲れ果てていた。そして何よりも、大好きだったデュエルを、今ではすっかり楽しめていないことが、苦しくて、悲しくて、虚しくて、辛かった。今の僕にとって、デュエルすることは苦痛だった。そんな風に思ってしまうこともまた苦痛だった。
 そんな状態だから、今の僕は、デュエルを楽しむ姿勢まで演じなければならなかった。いつでもデュエルを素直に楽しむプロデュエリストを演じなければならなかった。以前は、こんな馬鹿馬鹿しい演技などせずとも、自然にデュエルを楽しむことができたのに。

 どうして、こうなってしまったのか。
 僕はデュエルを心の底から愛していたはずなのに、今ではデュエルを心の底から嫌悪している。デュエルをする度に、すぐさまその場から逃げ去りたくなる。もうデュエルをしたくない。デュエルなんて嫌いだ。そんな風に考えてしまう自分がここにいる。そんな自分が嫌で嫌で仕方ない。どんなに辛い状況でも、デュエルだけは好きでいようと決めていたのに。

 そんな風に苦しんだところで、それを周りに悟られることは許されない。だから僕は、そんなことはおくびにも出さずに、ファンの求める「久藤誠司」を演じ、昨日も仕事でデュエル大会に出場した。デュエリストの聖地と呼ばれる場所でのデュエル。しかし、デュエルは相変わらずちっとも楽しくなかった。デュエル中、ずっと苦しくて、逃げ出したくて、仕方なかった。楽しんでいる余裕などなかった。

 結果的に、僕は昨日のデュエルで勝利し、ひとまず人々の期待に応えることができた。そのことに僕は安堵する一方で、またこの次も勝たなければならないと憂鬱になった。
 勝てば勝つほど、負けてはならないという思いも強くなる。周囲の期待も大きくなる。それを裏切った時の損害も大きくなる。負けてはならない。裏切ってはならない。これまで積み重ねてきたものを壊すな。現状を維持しろ。そんな思いが強くなり、僕を縛り付ける。

 僕はひどく憂鬱だった。



     



 人々にとっての理想であり続けなければならない。
 自分の中に無意識の内にできていた、そんなルールに縛りつけられた僕は、こうして今も憂鬱な気持ちになりながら、目の前にいる自由奔放な友人・平坂を見て、羨ましいと思うのだった。

 羨ましい。平坂のような生き方が羨ましい。悪役になりたいとか、そう意味じゃない。周りに縛られず、確固たる自分自身の意志で、迷いなく生きたい。そう思うのだ。
 僕には、とてもそんな生き方はできない。常に周りの目を気にしている、臆病な僕には、そんな生き方は不可能だ。だからこそ、僕は平坂の生き様に対し、憧憬の念を抱く。

 その平坂は今、2杯目のメロンソーダを飲みながら、次の仕事で対戦するデュエリストについて話していた。僕はそれに耳を傾けた。

「俺は以前、仕事でそいつとデュエルしたことがある。そいつは俺のことをメチャクチャ嫌ってて、何かにつけては、俺のことを批判してるような奴でよ。こりゃ面白えと思った俺は、大勢の人間の前で、そいつをメチャクチャに負かして、恥かかせてやろうと思ったわけなんだが、そいつはなかなかのやり手でさ。逆に俺が負かされるハメになったわけよ」

 平坂は強いデュエリストではあるが、連戦連勝しているというわけではない。ごく稀ではあるが、負けることもある。そうなった場合は大抵、彼は数日間、テレビや雑誌やネットなどで散々に扱き下ろされたりするらしいが、彼がそれで打ちのめされているような姿を、僕は見たことがない。
 以前、そのことについて平坂に尋ねたら、彼は「へぇ〜、そうなんだ。初めて知った。いや何、くだらん奴らが言ってることなんかにいちいち構ってるほど、俺は物好きな人間じゃねえんだよ。言いたい奴らには言わせときゃいいんだ」と言い、大笑いしていた。周りが何を言おうが痛くもかゆくもないという、実に平坂らしい、堂々とした態度だった。その態度に、僕は恐れ入ってしまった。

 そんな平坂が今話題に挙げているデュエリストは、過去に平坂をかなり痛烈に負かしたデュエリストらしい。そのデュエリストと再戦する機会が巡ってきたというわけだ。そのデュエリストに負かされた出来事は、平坂にとってかなり屈辱的なものだったのか、話す彼は苦々しげな表情を浮かべていた。

「やられたら10倍にして返す、ってのが俺のポリシーだからな。そいつには何が何でも、大勢の人間が見ている前で、俺が受けた屈辱を10倍にして返してやるって決めてた。で、念願のその機会がやってきたわけだ。待ちかねてたぜ」

 そこまで言うと、平坂は口の端を吊り上げ、2杯目のメロンソーダを一気に飲み干した。

「リベンジ・マッチってわけだね」と僕が言うと、平坂はふんと鼻を鳴らした。

「そうだな。もちろん、俺は勝利する。あの野郎のツラに思いっきり泥を塗り付けた上でな。今から楽しみだぜ。お前も見とけよ。野郎が無様に負けるサマをな。リアルタイムで見れねえなら、録画してでも確認しろ」

 平坂はそう言い切った。大した自信だった。余裕と言ってもいいかもしれない。デュエルが始まる前から勝つ気でいる。かつて自分を痛烈に負かした相手との再戦だというのに、彼には恐れる気持ちなどはないのだろうか。

 僕にも、自分を負かしたデュエリストと再戦した経験は何度かあるが、平坂のように余裕の表情で友人と話し、必ず勝利すると宣言することなど、とてもできる状態ではなかった。とにかく不安で、心が落ち着かなかった。プロになったばかりの頃はそうでもなかったが、「負けてはならない」と重圧を感じるようになってから、その傾向が顕著になった。
 普段もデュエル前は緊張するが、自分が負けたことのあるデュエリストが相手となると、普段以上に緊張してしまう。不安も大きくなる。恐怖も覚える。不安で怖くてたまらなくなり、他のことを考えられなくなる。もちろん、周囲にそのことを悟られてはならないから、僕はいつも通り、堂々としたデュエリストを演じるのだが、本心では不安で怖くてたまらない。

 そんなことだから僕は、平坂の堂々とした自信満々で余裕に満ちた態度を見て、純粋にすごいと感じる。すごいよ、君は。

「大した余裕だね。前に負けたことがある相手なのにさ。不安になったりとか、しないのかい?」

 愚問だろうな、と思いつつ、僕は平坂にそう訊ねてみた。案の定、愚問だったのか、彼は「何を言ってるんだ?」とでも言いたげな表情になった。

「なるわけねえだろ。勝つのは俺なんだから、不安を感じる要素なんて何もねえ。つーか、こんなことで不安感じてたら、プロなんてやってけねえよ」

 予想通り、平坂は不安など微塵も感じていなかった。彼の言葉に嘘はないだろう。本心で言っているに違いない。そして、平坂のその答えを聞き、僕は心がずきりと痛くなった。

 こんなことで不安を感じるようでは、プロなどやっていけない――平坂のその言葉は、僕の中にずっしりと重く響いた。やはり、プロとして活躍するような人間は、こんなことで不安を感じてはならないんだ、と思った。

 平坂は不安を感じていない。たとえ相手が、過去に自分を負かした相手だろうと関係なく、普段通りに堂々としている。
 いや、平坂だけじゃない。プロとして、大勢のデュエリストたちの理想として活躍する人たちは皆、相手が誰であろうと、平坂みたいに堂々としているのだろう。いちいち不安や恐れなど抱いているのは、僕ぐらいのものなんじゃないか?

 そう考えたら、猛烈な恥ずかしさがこみ上げてきた。こんな自分がプロとして生きていることが恥ずかしいと思った。申し訳なさすら覚えてきた。世の中には、僕なんかよりも、よっぽどプロに相応しい人がたくさんいるんじゃないだろうか。なんで僕は、プロになってしまったんだろう。

 なんでプロになってしまったのか――そんなことを考える時点で、僕はプロとして失格なんだろう。そんなことを考える自分を激しく嫌悪した。そして、今考えていることを、決して周囲に悟られてはならないと思った。
 僕は皆の理想であり続けなければならない。弱さを見せてはならない。今の僕の、卑屈極まりない考えが周囲に知られたら、どんなことになるか分からない。絶対に知られてはならない。

「ははっ。それもそうだ。つまらないことを訊いたね。忘れてくれ」

 僕は自分の考えを誤魔化すように、無理やり明るい声を出して、平坂に答えた。ひどく虚しい気持ちだった。



 しばらくすると、平坂は少し落ち着かない様子を見せ始めた。

「煙草吸いてぇ」

 平坂はそんなことを言い出した。
 彼は僕と同じ16歳だが、喫煙者だった。彼は未成年だというのに、立派に法律に違反し、人目を盗んで煙草を吸っている。僕は何度かその様子を見たことがある。

「この店は確か、禁煙だったね」

 周囲を見渡すと、すぐに「禁煙」と書かれたプレートが目に入った。
 世間の人が、今の僕の言葉を聞いたら、指摘すべきはそこではない、と言うかもしれない。確かにそうだ。普通、僕がここで言うべきことは、「未成年である君は、喫煙してはならない」だ。けれど、僕はそれを平坂に言う気はなかった。

「前はここでも吸えたんだがな。全く、あっちもこっちもどんどん禁煙エリアにしやがってよ。もうちっとこう、喫煙する奴のことを考えてくれてもいいじゃねえか」

 不満げに平坂は言った。かたかたと足を小刻みに上下に動かし、貧乏ゆすりをしている。大分イラついているのが、その様子から見てとれた。

「そろそろ、外に出ようか」

 僕は平坂に提案した。外なら煙草も吸える。

「賛成。そうすっか」

 僕の提案に対し、平坂はそう言って腰を上げた。



     



 喫茶店を出た僕らは、曇り空の下、人の少ない場所を選んで歩いた。

 一応、僕らは帽子を被り、サングラスをつける、といった形で、自分たちの正体がバレないようにはしているが、それでも、ファンの中には、この程度のカムフラージュなら見破ってしまう人もいる。そうなると大変だ。大勢の人が集まってきて、その場がパニック状態になる。
 以前、僕ら2人で人通りの多い街を歩いていた際、そんなことが実際にあった。あの時は、あとでマネージャーからこっぴどく怒られた(もっとも、どちらかと言えば、悪役として名高い平坂と一緒にいたことについて注意された部分が多い。イメージが悪くなるとか何とか)。それ以来、僕の提案で、僕らは外を歩く際、極力人目に付かないように行動することにした。
 だからこうして今も、人の少ない場所を選んで歩いている。パニック上等だ、などと言っていた平坂も、さすがにプライベートな時間を邪魔されるのは好かないのか、僕の提案に快く応じてくれた。

 その平坂は今、美味そうに、実に美味そうに、1本の煙草を吸っていた。煙草の銘柄は「ラッキー・ストライプ」。彼のお気に入りだ。

「頭が冴えてきた。やっぱ、俺はコレがないとダメだわ。定期的に吸わないと落ち着かねえ」

 煙を勢い良く吹き出し、平坂は満足そうに述べた。彼は完全にニコチン依存症だった。
 僕はさり気なく周囲を見渡した。周囲を軽く見た感じ、僕らの正体に気付かれている気配はない。あまりキョロキョロすると怪しまれるので、僕はすぐに正面を向いた。

「それにしても、人が少ないとは言え、よくこんなところで煙草なんて吸えるね。吸っているのが君だとバレれば、きっとただでは済まないよ」

 平坂はプロのデュエリストであり、未成年の少年でもある。そんな彼が喫煙していることが周囲に知れたら、ただでは済まないはずだ。いくら悪役で通している平坂とはいえ、世間からの非難は免れない。いや、普段から敵を多く作っている平坂だからこそ、余計に非難されるかもしれない。少なくとも、マスコミからは格好の餌食にされるだろう。
 そう考えると、平坂はかなり危ない橋を渡っていると思える。彼は怖くないのだろうか。もしも周囲にバレてしまったらどうしようとか考えないのだろうか。僕が平坂の立場だったら、いつどこで誰に見られているかも分からないと気が気でなくなり、喫煙どころではなくなると思う。

 しかし、平坂はけらけら笑ってこう言った。

「ま、バレたらただじゃ済まねえだろうな。だったら、バレなきゃいいんだ」

 あまりにも、あっけらかんとした口調だった。さらに平坂は続ける。

「それに、バレたらバレたで、そん時はそん時だ。いちいちビビッてたらコイツは吸えねえ」

 平坂はまた勢い良く煙を吹き出した。
 平坂に、今の自分の姿が知れることへの恐怖はまるでないらしい。僕は恐れ入ってしまった。彼の神経の図太さに恐れ入ってしまった。

 僕が平坂なら、決してそんな考え方はできない。自身の秘密が知れることへの不安と恐怖で、とても落ち着いてはいられない。せめて、どうにかバレないことを祈りながら、自身の秘密を隠し通すことに必死になるだろう。現に今、僕は自分がものすごく臆病で弱い人間であることを隠すのに必死だ。

 しかし、平坂はどうだろう。平坂には、進んで自身の秘密を隠そうとする様子が見られない。むしろ、堂々とさらけ出しているようにすら見える。
 事実、そうなのかもしれない。以前、平坂は人の多い場所で平然と喫煙していたことがある。あの時は、隣を歩いていた僕のほうが冷や冷やした。もしかしたら、平坂にとって、今の彼の姿は、わざわざ隠し通すような秘密ではないのかもしれない。だとしたら、恐れ知らずにも程がある。いや、常に前向きに物事を考えていると言うべきなのだろうか。

 もう何度目になるか分からない。平坂の図太さが羨ましいと思った。常に前向きな平坂の姿勢が羨ましいと思った。人目を憚らず、煙草が吸えるのが羨ましいというわけじゃなくて、平坂の生きる姿勢が羨ましい。彼は僕にないものを持っている。僕は決して、彼のようには生きられない。どうすれば、僕は彼のように生きられるのか。僕にはそれが分からない。

 平坂は人生を楽しんでいるのだろう、と僕は思う。少なくとも僕よりは楽しんでいるはずだ。周囲の目を気にして、ビクビクしながら過ごしている僕よりは、周囲の目など気にせずに、自由奔放に過ごす平坂のほうが、人生を享楽できているはずだ。僕もそんな生き方ができたらいいなと思うけど、臆病な僕にはそんな生き方はできない。そんなことをしたら、今まで積み上げてきたものが音を立てて崩れ去りそうな気がするから。

 そんなことだから、僕は人目を気にして生きることしかできない。それでせめて、周囲から高評価を受けて、他者との衝突を避けて、平穏に生きることができればいいと思っている。そんな生き方に息苦しくなりながらも、僕にはそれしかできない。そんな自分の人生が、ひどく矮小で、惨めなものに思えてならない。それに対し、平坂の人生は、すごく雄大で、光り輝いているように思えた。

 僕の人生って何なんだろう。

 また、これだ。最近、何か考えると、大抵この考えに辿り着く。僕の人生とは何なのか――どういうわけか、最終的に、それについて考えを巡らすことになる。

 もちろん、考えたところで明確な答えは出ない。分かるのは、自分の人生に嫌気が差している、ということだけだ。いっそのこと、自ら命を絶ってしまいたくなる。惨めな自分の人生に終止符を打ちたくなる。
 けれど、僕は臆病だから、自ら命を絶つなど、怖くてとてもできない。これまでに何度か命を絶とうとしたことがあるが、結局いつも怖くなって諦めてしまう。死ぬのは痛そうだし、苦しそうだし、何より怖い。考えてみれば当然のことだ。だから結局、僕はこうして今日まで息苦しい生活を続けている。

 たまに、ニュースで誰かが自殺したことが報じられることがあるが、あれを見る度に僕は、よく自ら命を絶てたものだと思ってしまう。自殺した彼らは僕みたいに、死を恐れなかったのだろうか。それとも、彼らに自殺を決意させたものは、死ぬことよりも恐ろしく、苦しいものだったのだろうか。彼らにとっては、その苦しさに比べれば、死ぬ苦しさなど生易しいものだったのだろうか。

「おい、久藤。おいってば」

 隣にいた平坂が呼びかけてきた。どうやら、何度か呼びかけられたらしい。あれこれ考えていたせいで、呼びかけられているのに気が付かなかった。

「あぁ、ごめん。ちょっと考え事をしていてね」

 僕は、さっきまで考えていたことを悟られないよう、平静を装った。ごく自然に、しかし無理やりに、穏やかな表情を作った。

「考え事って、明日のデュエルのことか?」

「うん。まあ、そんなとこさ」

 僕が言うと、平坂は煙草を地面に捨て、踏みつけて火を消しながら、納得したような表情を浮かべた。

「ふふん、やっぱりな。ホント、お前は真面目だよな」

 真面目だよな――その言葉に、ずきり、と心が痛んだ。僕は必死に穏やかな表情を保った。

「真面目、かな? ただデュエルのことを考えていただけなんだけど」

 僕が言うと、平坂は踏みつけた煙草を拾うことなく歩を進め、口を動かした。

「真面目だよ。俺からすればな。俺なんか、そんな深く考えずに、とにかく勝つ! って決めてるだけだが、お前は違う。きっちり考えて、こう……事前に対策できることは対策して、準備を怠らない。そういう奴だ」

 そう言えば、と僕は思い出した。
 僕は以前、平坂を自分の家に招いたことがある。その際、平坂を僕の部屋に入れたが、その時、彼は驚きの表情を浮かべていた。

 実はその日の翌日、仕事でデュエルをすることになっていて、僕はそのデュエルに向けて準備をしていた。
 対戦相手に関するデータをできる限り集め、どんな戦術を使ってくるかを予想し、事前に対策できることは対策しておく。僕は仕事でデュエルをする前に、それを決して欠かさない。
 その理由はやはり、負けるのが怖いからだ。準備不足が原因で負けてしまったりしたら話にならない。そのことが世間に知れたりしたら、怠惰なプロデュエリストとして非難を浴びるかもしれない。それは怖い。嫌だ。だから僕は、仕事でのデュエルの前に、可能な限り、やれることはやるようにしている。

 そのため、僕の部屋には大抵、次の対戦相手に関するデータが記された資料が山のように積まれており、その対策となるカードやら対策デッキやらが大量に散らばっている。そして、平坂はそんな状態の部屋を見て、驚きの声を上げたのだった。

「これはなんだ」と平坂が訊いた。

「次のデュエルの準備だよ」と僕は答えた。

 平坂は感嘆したようにため息を漏らし、「いつもこんなことをしてるのか」と訊ね、それに対して僕は頷いた。すると、彼は心底感服した口調でこう言ったのだ。

「お前、デュエルする前には、いつもこんな綿密な準備をしてるのか。俺はデュエル前に、いちいちこんな準備はしねえ。お前、すげえな。勉強熱心と言うか何と言うか」

 そんな風に言われたことを思い出す。
 あれ以来平坂は、僕という人間を、デュエル前には必ず戦略を練っている、真面目で勉強熱心なデュエリスト、と認識しているようなのだ。

 途端に恥ずかしくなった。誉められて恥ずかしいんじゃない。まるで、自分の過ちを公表されたような恥ずかしさだった。心がずきずきと痛んだ。

 本当は違うんだ。僕は決して真面目なんかじゃない。臆病なだけだ。負けるのが怖いだけだ。臆病な心が、僕をそのように動かしているに過ぎない。負けるのが怖くて、そうしているだけに過ぎない。
 怠惰によって負けるのが怖い。自分の怠惰が世間にバレて、叩かれるのが怖い。だからせめて、怠惰はしない。皆が理想とする姿勢を演じる。理想的なプロデュエリストを演じる。それだけの話だ。だから僕は、真面目なんかじゃない。ただ、怖いだけなんだ。僕は臆病な人間だ! 君の思っているような人間じゃない!

 僕は思わず、そう言いたくなった。目の前の友人に、そのことをぶちまけたくなった。危うく喉からそれが飛び出しかかり、すんでのところでそれを押しとどめた。

 危ないところだった。危うく、自身の醜い心の内、醜い弱音を、よりにもよって友人である平坂に晒してしまうところだった。僕は、まるで全速力で走った後みたいに、息が上がりそうになったが、どうにかそれを悟られないように振舞った。

 今までこんなことはなかった。自身の心の内を口にしかけるなんて馬鹿なこと、今まではなかった。理想のデュエリストとして振舞うようになってから、そんなことはなかった。今日この瞬間までなかった。なのに、なんで、今? 何故、今になって、本音を口にしそうになったんだろう。隠し通すんじゃなかったのか? こんな醜い心の内をさらけ出して何になる? 弱音を吐いたところで何になる?

 隠し通せ。弱音を吐くな。皆の理想の姿でいろ。理想の姿を保て。演じろ。本音を隠せ。本性を隠せ。醜い物を外に出すな。僕はプロだ。プロならプロらしく、高潔であれ!

 僕は平坂に気付かれないよう、深呼吸を一度した。
 少しだけ気持ちが落ち着き、どうにか平静な様を装う。

「僕は用心深い、って言うのかな。まあ、念には念を、って奴だよ。備えあれば憂いなしってね」

 穏やかな笑顔を作り、僕は平坂にそう答えた。そう答えるのが精一杯だった。

「それに、君だって、全くの事前準備なしで、デュエルに挑むようなことはしないだろ?」

 僕のほうから問いかけてみる。平坂は小さく笑んだ。

「そりゃ、俺だって多少は、相手デュエリストの情報に目を通すさ。あとはデッキを調節したりとかな。けど、それだけだ。お前みたいに、綿密に準備するような真似はしねえ。細かいことは、実際にデュエルが始まったら考える。俺の場合、事前にあれこれ考えても、良い対抗策とかを思いつくこともねえし。一度戦ったことのある相手だったら、また話は別だがな」

 細かいことは、実際にデュエルが始まったら考える、か。平坂らしい答えだ。僕には真似できないやり方だ。僕なんて、事前準備なしでデュエルに挑むようなことをすれば、頭の中が真っ白になって、とても冷静にデュエルすることなどできないだろう。
 そのくらい、僕の精神は脆い。嫌になるくらい、脆い。プロになったばかりの頃はそんなことなかったのに、負けを恐れるようになってからこのざまだ。我ながら情けない。

「すごいね、君は。最低限の準備だけで、あれだけたくさんの勝利を重ねているんだからさ。肝が据わっていると言うのかな。僕には真似できないよ」

 つい、僕はこぼしてしまう。平坂は悪い気分はしなかったようで、顔に喜色を浮かべた。

「肝が据わってる、ねぇ。まあ、そう言えなくもないか。俺自身、自分は本番に強いタイプだと思ってるしな」

 そう言った後、「けど」と続けた。

「お前だって、かなり肝の据わってる奴だと思うがな」

 心臓を、槍か何かで貫かれたような気分になった。
 思い切り動揺した。それを知られないよう、冷静さを保って、僕は「そうかな?」と何食わぬ顔で訊ねた。

 平坂は答えた。

「だってそうだろ。お前、デュエルしている時はいつでも楽しそうな顔をしてるじゃん。優勢な時はもちろんだが、劣勢な時だって、お前は楽しそうな姿勢を崩さない。よくまあ、そんな真似ができるものだぜ。普通、自分が不利になると、苦々しい顔をしたり、不安そうな顔になったり、慌てた様子になったり、不機嫌そうになったりするもんだろ。俺の場合、不機嫌になるタイプだな」

 僕は必死で冷静な様を維持しつつ、黙って平坂の話を聞いていた。

「けど、お前はいつでも楽しげにしているわけだ。いつでもデュエルを楽しんでる。負けそうになっても、慌てることなく、ふてくされることもなく。それって、プロのデュエリストでも、なかなかできることじゃないぜ。俺の知ってるプロの連中も言ってたよ。お前は肝の据わったデュエリストだってな」

 全く、大した奴だよお前は、と言って、平坂は笑った。

 いつでもデュエルを楽しんでいる、肝の据わっている奴――平坂の目には、僕という人間はそんな人間に見えているのだろう。いや、彼だけでなく、僕を見た人間の多くはそう認識している。それが、人々が僕に下した評価であり、人々が求める僕の姿でもある。

 けれど、本当の僕は、ちっともデュエルを楽しんでいない。デュエルに恐怖し、嫌悪感すら抱いている。デュエルをする度、不安と恐怖で心がいっぱいになり、デュエルを楽しむ余裕などどこにもない。本当はデュエルを楽しみたいのに、それができない。どうしてもできない。どうしても楽しむことができず、しまいには逃げ出したくなる。それでも、周囲の期待を裏切らないため、どんな状況であれデュエルを楽しむ、肝の据わったプロデュエリストを演じる。

 本当の僕は臆病で、肝の小さい人間だ。けれど、そんな僕の姿など、誰も求めてはいない。そんな姿をさらけ出すことは、僕に期待してくれている人々を侮辱する、悪意にまみれた行為だ。だから、僕は本当の自分を隠し通す。皆が期待してくれている姿であろうとする。それが今の、僕の本性だ。

 だから、今隣を歩いている平坂が認識している「久藤誠司」という存在は、結局のところ、本当の僕ではない。平坂が認識しているのは、真面目で誠実で、どんな時でもデュエルを楽しむ、肝の据わったプロデュエリストである「久藤誠司」。決して、周囲の顔色ばかり窺って一喜一憂している、臆病で肝の小さい、それでいて、本当はデュエルをちっとも楽しめておらず、負けることに対して心の底から不安と恐怖を感じているような僕ではない。僕は嘘をついている。平坂に対しても、世間に対しても。嘘の自分を認識させている。

 僕はいつまで嘘の自分でいればいいのだろう――ふと、そんなことを考えてしまった。

 もし、世の中の誰もが、僕の本当の姿など求めていないのだとしたら、僕は一生、嘘の自分で生きなくてはならなくなる。一生とまでは行かなくても、少なくとも、プロとして多くの人間の目に触れている間は、嘘の自分であらなくてはならない。皆の求める姿でいなくてはならない。皆の期待に応えなければならない。本当の僕を、隠さなくてはいけない。

 そう考えたら急に、僕1人だけが、この世界とは別の世界に隔離されたような感覚に陥った。今、僕の姿はプロデュエリストの1人として、多くの人間に認識されている。真面目で誠実で、どんな時でもデュエルを楽しむ、肝の据わったプロデュエリストとして認識されている。けど、それは本当の僕じゃない。本当の僕は、誰にも認識されていない。誰にも知られていない。まさに、僕1人だけが、別の世界に隔離されたような状態。そんな風に僕は思えた。

 そう思った途端、僕は途方もなく悲しい気持ちになった。あまりにも悲しくて、泣き出したくなった。

 僕はさり気なく、全身に力を入れた。こうでもしないと、涙を流してしまいそうだった。そんな無様な姿を、ここで晒すわけにはいかない。僕は必死で全身に力を入れ、無様な姿を晒すまいとした。そうしつつ、せめて、デュエルを楽しむ気持ちだけは失いたくなかった、と僕は思った。

 デュエルを楽しむ気持ち。その気持ちだけは、嘘偽りにしたくはなかった。その気持ちが真実であれば、デュエルを楽しむ姿を演じるなんて馬鹿げた真似をする必要もない。そして、今の辛い境遇にも、きっと耐えることができたはずだ。ああ、どうすれば、デュエルを楽しむことができるのだろう。デュエルを楽しいと思う気持ちよ、戻ってきてくれ!

「僕が、肝の据わったデュエリスト、かぁ。僕自身はそうでもないと思うんだけどね」

 僕は必死に笑顔を作りつつ、どうにか声を絞り出し、平坂にそう返した。ほんの少しだけ声が震えてしまったが、彼は気付いていないようだった。

「ははは! 謙虚な野郎だな、お前は」

 平坂はそう言って笑った。

 平坂は、まさか僕が自分を必死に偽っているなどとは、思ってもいないだろう。それは、僕の醜い本性がバレていないことを意味する。そのことに僕は安堵する一方、大きな寂しさも感じてしまう。

 もし今、僕が平坂に、自身の醜い本性を明かしたら、彼はどんな顔をするだろうか。僕は、本当は、君が思っているほど真面目でなければ誠実でもなく、周囲の顔を窺ってビクビクしている臆病者で、デュエル中は不安と恐怖ばかり感じて、デュエルを楽しむことなど全くできない肝の小さい男だ――僕がそう言ったら、平坂は何を思うだろうか。

 そんなことをすれば、おそらく、平坂は僕を罵り、軽蔑の眼差しを向けてくることだろう。俺はこんな無様な奴を褒め称えていたのか、と怒り、二度と口を利いてくれなくなるかもしれない。それどころか、僕の本性を周囲にバラしてしまうかもしれない。そうなったら、僕の積み重ねてきたものは音を立てて崩れ去る。僕に期待してくれていた人たちは、大きく幻滅し、裏切れたと感じ、手の平を返したように態度を変え、僕を強く非難することだろう。世間の人々が僕を敵視し、蔑視し、裏切りという罪を犯した僕を裁く。僕は破滅するしかない。

 だんだんと怖くなり、僕はそれ以上考えるのをやめた。手の平がじっとりと嫌な汗で湿っているのに気付き、僕はさり気なく、上着でその汗を拭った。

 本性を明かそうなどと考えてはならない、と改めて思った。

 誰にも明かしてはならない。僕は皆の理想とする姿で振舞わなければならない。誰かに弱音を吐くなんて真似は許されない。そんなことをすれば、僕は破滅する。もしそんなことになったら、もう僕は立ち直れる気がしない。どうすれば良いのか、まるで見当がつかない。

 今の生活は苦しいが、破滅の人生を歩むのはもっと苦しいはずだ。だからこそ、人々の期待を裏切ってはいけない。現状を維持することに努めなければならない。今まで通り、真面目で誠実で、どんな時でもデュエルを楽しむ、肝の据わったデュエリストを演じなければならない。僕にできるのは、それしかない。僕の生きる道は、それしかない。



 それからしばらくの間、僕らは取り留めのない会話をした。大体、2時間くらい話しただろうか。ふと気づいた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。時刻は既に5時を過ぎている。

 そろそろお開きにしよう、ということになり、平坂は僕と反対方向へ歩き出した。そのまま行けば駅があり、その駅から電車に乗ったほうが、平坂の自宅には近い。僕は一度、彼の自宅に行ったことがあるので分かる。彼は、アパートで独り暮らしをしていた。

「んじゃ、またな。俺のリベンジデュエル、見逃すなよ」

「うん。リアルタイムでは見れそうもないから、しっかり録画して確認させてもらうよ。健闘を祈る」

「ははっ。お前も明日のデュエル、頑張れよな」

 明るい表情で平坂は去っていった。今日、平坂は最初から最後まで明るい調子を崩さなかった。今日に限らず、彼はいつもあんな調子だ。それは決して、演技などではない、と僕は思う。必死に明るい表情を作っている僕とは大違いだ。平坂が心底羨ましい。

 憂鬱な気持ちが晴れないまま、僕は、平坂とは反対方向へと足を進めた。



     



 自宅に戻ると、母親が夕食の支度をしていた。僕は「ただいま」と声をかけると、手洗いとうがいを済ませ、階段を上がって自分の部屋に入った。
 今日は仕事が休みだったが、明日はまたいつも通り、仕事でデュエルをする。そのため、明日のデュエルに向けて、最終調整をしなければならない。あまり気乗りしないが、やらなければならない。これを怠って負けるようなことになれば、話にならない。

 大量に積まれた、対戦相手に関する資料に目を通しつつ、デッキを調整する――以前の僕は、この作業がとても楽しく思えた。どんなデュエルができるのかわくわくしながら、どうすれば勝てるか、どうすればベストを尽くせるか、と考えを巡らせ、最高のデッキを作り上げる。それが楽しく思えてならなかった。

 しかし、負けることを恐れ、デュエルすることを苦痛に感じるようになってから、楽しいはずのこの作業が、拷問にすら感じられる、辛くて苦しい作業へと変わった。

 僕は負けることが許されない。負けることは、期待してくれている人々を裏切ることだ。裏切りとは重い罪だ。その罪を犯さないためにも、僕は負けてはならない――そんな重圧を感じるようになってから、今僕が行っている事前準備という作業ですら、一切のミスも妥協も許されないような気がして、途端に苦痛に思えるようになった。ちっとも楽しく感じられなくなった。全てを放り投げてしまいたくなった。

 我ながら、脆くて弱い精神だ。「負けてはならない」という重圧を感じた途端、このざまだ。僕はプロのくせに、こんなことにも耐えられないほど弱い人間なのか。プロならば、この程度の重圧は耐えられて当然だろうに、僕にはそれができない。重圧に耐えられず、デュエルを苦痛に感じ、デュエルから逃げ出したいと思っている。情けない話だ。

 いつもどうにかして、この重圧を振り切りたいと願っているが、弱すぎる僕にはそれができない。今でも、この重圧に負けてしまいそうだった。
 情けない、情けない、情けない。無様だ。無様すぎる。惨めすぎる。

 弱すぎる僕の本性。それは決して、周囲にバレてはならないものだ。バレないためにも、僕は勝ち続けなければならない。弱音を吐かず、勝ち続けなければならない。それが、皆の期待に応えるということ。皆が望む、僕の生き方。僕の生きる道だ。

 鬱屈とした気持ちで、僕はデッキの最終調整を進めていった。途中、あるカードが目に入った。それは、僕がプロになって3か月ほどが経った頃、ある大会の優勝賞品として、大会後に僕のもとへ送られてきたカードだった。

 《天魔王 紫炎》。
 それが、そのカードの名前だった。

 僕はここ最近、ずっとその《天魔王 紫炎》のカードをデッキに入れている。しかし、僕はそのカードを一度もデュエルで使用したことがない。そのため、ファンの人間はもちろん、他のプロデュエリストや僕のマネージャーですら、僕がこのカードをデッキに入れていることは知らない。

 僕は、この《天魔王 紫炎》のカードが嫌いだった。
 その理由は、このカードの持つ能力にある。

 人によって感じ方は様々だと思うが、僕の場合、このカードの能力は、あまりにも冷酷で、残忍極まりないものだと感じている。もし、このカードの力で勝利を収めたとしたら、負けたデュエリストは必要以上に不快な思いをするだろうし、勝った僕ですら、喜びや嬉しさといったものを感じないだろう。《天魔王 紫炎》とは、そういうカードなのだ。
 だから、以前までの僕――デュエルを純粋に楽しんでいた頃の僕は、このカードを心の底から嫌い、決して使うまいとして、デッキに入れることはなかった。こんなカードに頼らなくても勝ってみせる。そう思っていた。

 しかし、現在の僕は、決して使うまいと決めていた《天魔王 紫炎》のカードをデッキに入れている。負けることを恐れるようになってから、僕はこのカードをデッキに入れるようになったのだ。
 このカードがあれば、勝つ手段が増えることになる。勝利を掴みたいのなら、このカードを使わない手はない。そう考えた僕は、迷った末、絶対に使うまいと決めていた《天魔王 紫炎》のカードをデッキに入れた。それほどまでに、僕は負けることを恐れていた。

 自身に課した規則を放棄し、《天魔王 紫炎》をデッキに入れた時、我ながら、骨の髄まで臆病になったものだと思った。勝つためなら、易々とプライドだって捨てる。惨めなものじゃないか。こんな自分がプロデュエリストとして生きているなんて、恥晒しも良いとこだ。そんな風に思い、何度も何度も心の中で自分を罵倒した。

 しかし、いくら勝ちを掴みたいからとは言え、ひたすら忌み嫌ったカードを簡単に使いこなせるかというと、そんなことはなかった。何故なら、僕は「デュエルで勝たなければならない」と考える一方、「人々の抱く『久藤誠司』のイメージを守らなければならない」とも考えていたからだ。

 人々は僕のことを、真面目で誠実で、いつでもデュエルを楽しんでいるプロデュエリストと認識している。そんなプロデュエリストが、対戦相手を不快にさせるようなカードを使って勝利を収めるだろうか。
 そんなはずはない。皆が認識している「久藤誠司」というデュエリストは、そんなデュエルをしない。誰かを不快にさせるようなデュエルはしない。つまり、僕が《天魔王 紫炎》を使って勝利することは、それこそ、人々の期待を裏切る行為。人々の抱く「久藤誠司」のイメージをぶち壊しにする、罪深き行為でしかなくなる。

 こうなってくると、僕が《天魔王 紫炎》のカードを使うことは許されなくなる。となれば、やはり、《天魔王 紫炎》のカードはデッキから抜くべきかと僕は考えたが、そうもいかない。
 僕は、人々の抱くイメージを守ったその上で、必ず勝利を掴みとらなければならない。負けることは、人々を裏切る行為だ。負けてはならない。絶対に勝たなければならない。そうなると、勝つための手段の一つとして、《天魔王 紫炎》のカードをデッキに入れるべきだ、ということになってくる。
 結局、僕は《天魔王 紫炎》のカードをデッキから抜くことができなかった。

 人々の抱くイメージを壊してはならない。絶対に勝利しなければならない。
 自身に課せられた、決して破ることの許されない、その二つのルール。そのルールに苛まれ、僕は迷った。僕は、どうすれば良いのか。どのような行動を取ることが、最良の手段なのか。

 そして、自分なりに答えを出した。呆れるほどに中途半端で姑息なものではあるが、一つの答えを出した。

 僕は、《天魔王 紫炎》のカードを、言わば非常手段、最後の手段のようなものとして扱うことにしたのだ。
 このカードを使わなければ、どうしても勝てない。このカードに頼るしか、勝てる手段がない。そんな時だけ、このカードを使う。そして、このカードに頼らなくても勝てるのなら、極力このカードは使わない。
 それが、僕の出した答えだった。

 その答えに従い、僕は《天魔王 紫炎》のカードをデッキに入れておきつつ、極力そのカードを使わないように心掛けた。そのため、現在のところ、僕はまだ一度も《天魔王 紫炎》のカードを使ったことがない。幸いなことに、《天魔王 紫炎》のカードに頼らなくても、現在のところは勝ち続けることができている。

 けれど、それがいつまで続くかは分からない。いずれは、《天魔王 紫炎》のカードを使わなくては勝てないような状況に直面するかもしれない。そうなった時、僕は果たして、《天魔王 紫炎》のカードを使うことができるのだろうか。人々の抱くイメージを壊すことを恐れて、使うことを拒んだりしないだろうか。

 おそらく、僕はその時、ひどく葛藤することだろう。
 《天魔王 紫炎》を使わなければ勝てない。勝てなければ、人々の期待を裏切ってしまう。かと言って、《天魔王 紫炎》を使えば、人々の抱く「久藤誠司」のイメージを壊してしまう。それもまた、立派な裏切り行為だ。どちらにしても、僕は人々を裏切ることになってしまう。ならば、どちらの裏切りを選ぶか。どちらかを選ばなければならない。選ばないという選択肢はない。
 僕はその時、どちらかを選ぶことができるのだろうか。

 怖い。想像するだけで怖い。そんな状況に直面した時、僕はどうすればいいのだろう。考えても考えても分からない。

 だから僕は、デュエルをしながら、いつも心の中で祈っていた。
 どうか、そんな状況に直面しませんように。《天魔王 紫炎》の力に頼らず、無事に勝利ができますように。
 その祈りが通じたのかどうかは分からないが、幸福なことに、これまでのデュエルで、そんな過酷な状況に直面することはなかった。

 しかし、この先はどうなるか分からない。明日のデュエルで、そんな状況に直面するかもしれない。また、明日のデュエルは何事もなく勝てたとしても、その次のデュエルで直面するかもしれない。そして、次が大丈夫でも、またその次のデュエルでは……。

 この戦いは、いつまで続くんだろう。僕は、いつまで勝ち続ければいいんだろう。いつまで、人々の理想の姿でいればいいんだろう。いつまで、自分を偽り続ければいいんだろう。

 こんなことを考えたところで答えなんか出てこない。僕は頭を数回振り、余計なことを考えるのをやめた。それよりも、僕にはやらなければならないことがある。明日のデュエルで勝たなければならない。それが僕の役目だ。

 鬱々とした気持ちを外に追い出し、僕は最終調整に集中した。それ以外のことは考えないようにした。
 けれど、そうやって無理して調整に集中すればするほど、心の中は虚しくなり、何故自分がこんなことをしているのかという疑問すら湧いてきた。カードを見るのも嫌になり、何も手に付かなくなった。挙句の果てに、自分の人生に嫌気が差してきた。

 僕の人生って何なんだろう。

 またそんなことを思ってしまった。
 もう嫌だ。いちいちこんなことを感じる自分が嫌だ。デュエルを純粋に楽しめない自分が嫌だ。プロのくせにウジウジ悩んでいる自分が嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ!

 死んでしまおうか、と思った。

 そう思ってすぐに、自身の臆病さに、これまた嫌気を感じた。
 僕は、「死にたい」ではなく、「死んでしまおうか」と考えた。結局のところ、「死にたい」と願ったのではなく、「死んでしまおうか」と迷っているのだ。願望ではなく、迷い。しょせん、僕の考えなどその程度。どうせ怖くて死ねないくせに、そんなことをいちいち考えるのだ。

 全くもって惨めで無様だ。情けない。情けなさすぎて、悲しくなってきた。悲しすぎて、涙が出てきた。急いで涙を拭うが、涙は止まらない。
 僕は慌てた。こんなところを誰かに見られるわけにはいかないと思い、慌てて涙を拭った。しかし、涙はなかなか止まらず、僕は苛立ってきた。自分に対する苛立ちだった。本気で自分が嫌になった。

 何故、こんなに僕は脆いのか。プロとして活動する1人だというのに脆い。脆すぎる。
 僕は心の中で、自分に対し、お前なんてとっとと死んでしまえと吐き捨てた。それが無意味なことだと分かりながらも、そうし続けた。自分をとことん愚か者だと思った。



 それから30分ほど経った。
 涙はもう止まっていた。しかし、明日に向けた最終調整は、まるで捗らなかった。
 母親が部屋のドアを開け、夕食ができたと告げてきた。僕は全く捗らない最終調整を一旦切り上げ、部屋を出た。食事を終えたら、ちゃんと準備をしようと心に決めた。

 階段を下り、ダイニングキッチンに入ると、既にテーブルの上に夕食が揃えられていた。皿に盛りつけられたクリームコロッケが目に入った。

「今晩のおかずは、久々にクリームコロッケよ。誠司の大好物でしょ?」

 母が明るい口調で言った。
 クリームコロッケは僕の大好物だった。そして、母の言うように、食卓にクリームコロッケが出てくるのは久々だ。ここしばらくは食べていなかった。最後に食べたのは、2か月くらい前だったと思う。久々に大好物のクリームコロッケと対面したわけだ。

 なのに、僕の心はちっとも晴れなかった。大好物が目の前にあるのに、ちっとも食欲が湧かなかった。前にクリームコロッケが食卓に並んだ時は、憂鬱な気持ちが少しだけ晴れたのに、今回はまるで、晴れる様子がない。何も嬉しくない。何も……。

 しかし、そんな考えを悟られるわけにもいかないので、僕は嬉しそうな顔を作り、「うん。これは嬉しいね。テンションが上がるよ」と、心にもないことを口にした。

 僕は椅子に座り、テーブルの上の食事を口に運んだ。2か月ぶりのクリームコロッケは、あまり美味しく感じられなかった。
 しかし、このクリームコロッケが不味いはずはない。きっと母は、いつもの店――近所でも評判の、コロッケの美味しい店――でこのコロッケを買ったはずだ。母はあの店以外でコロッケを買わない。そして、あの店のコロッケが不味いはずはない。
 にもかかわらず、僕は口に入れたクリームコロッケを、美味しいと感じない。その理由は簡単なことで、大好物を口に入れているという喜びよりも、鬱々とした気持ちのほうが勝っていたからだ。そのせいで、食欲も湧かない。2か月前にクリームコロッケを食べた時は、食欲も出てきたし、美味しいと感じることができたのに、今はそれができない。泥水みたいに濁った気持ちが広がるばかりで、美味しいという気持ちも、食欲も、まるで湧き上がってこない。

 今の僕は、大好物ですら、満足に味わえなくなっているのか。

 そう思うと、何だか虚しくなってきて、僕はもう何も食べたくなくなった。そのことに対して苛立ちを覚え、今すぐ、手に持った茶碗と箸を、どこかへ投げ捨ててやりたくなった。皿に盛りつけられたクリームコロッケを床に叩きつけ、踏み潰してやりたくなった。今食べたものを全部吐き出してやりたくなった。

 無論、そんな馬鹿なことをするわけにはいかない。そんなことをして、母に迷惑をかけるわけにはいかない。僕はそうしたくなる衝動を抑え込み、いつも通りの自分を装って、食事を進めた。いくら食事を進めても美味しいとは思えなかったし、食欲も湧いてこなかったが、僕は無理やり満足げな表情を浮かべ、必死な思いで食事を進めた。

 僕は人々に期待されている。それは、家族とて例外じゃない。今、僕の目線の先で洗い物をしている母も、単身赴任中の父も、アメリカにホームステイに行っている妹も、皆僕に期待しているのだ。
 特に、母の期待は大きい。僕がプロになった時、母はまるで自分のことのように喜んでくれたし、いつも、デュエルの前には「頑張りなさい」と応援してくれる。そして、デュエルで勝った時は、「すごいわね」とか「よく頑張ったわね」とか、称賛や労いの言葉をかけてくれる。最近は、僕が勝利を重ね続けているため、調子に乗って、「誠司なら楽勝よね」などと言ったりもする。
 きっと母は、そんなことを言ってしまうほどに、僕に対して大きく期待しているのだろう。今の僕であれば、勝利を掴んで当たり前――母は、そう思っているに違いない。

 ならば、僕はその思いに応えなければならない。その思いに応えることができず、裏切るようなことをすれば、僕はたちまち親不孝な息子となる。もしそうなったら、母は僕のことをどう思うだろうか。それでも、これまで通り、僕に接してくれるだろうか。それとも、これまで通りには接してくれなくなるだろうか。

「クリームコロッケ、まだあるけど、食べる? 今日は安かったから、たくさん買ってきちゃったのよ」

 母が訊ねてきた。
 以前の僕なら喜んでいるところだが、今の僕は何の喜びも湧かなかった。吐き気すら覚えた。正直なところ、もう食べたいとは思わなかった。いらない、と断ろうかと思った。

 けれど、ここで下手に断って、母に余計な心配を掛けるような真似はしたくない。いつもの僕であれば、ここは確実に、クリームコロッケをもらうだろう。だから僕は、表面上は喜んで、しかし、内心では渋々、食べたくもないクリームコロッケを追加で食べることにした。ますます暗い気持ちになるばかりだった。ありがたいと思わなければならないところなのに、そう思うことができなかった。そんな自分が嫌になった。

「これ食べて、明日も頑張りなさい」

 母の応援の言葉に、僕はどうにか力強い笑みを浮かべ、「うん」と頷いた。

 かつては、僕の支えとなっていた母の応援の言葉。いつもデュエル前に送ってくれる「頑張りなさい」という言葉。その言葉に支えられ、僕はデュエルに挑むことができた。
 しかし、今の僕には、その言葉がずっしりと、重たく感じられた。母のその言葉を聞くと、「勝たなければならない」、「期待に背いてはいけない」と、改めて強く感じてしまう。まるで、重たい荷物を縛り付けられたような気分だった。
 そして、そんな風に感じてしまう自分を、つくづく弱い人間だと思った。プロのくせに、弱すぎる。どうすれば、僕はもっと強くなれるのだろう。どうすれば、こんな惨めな自分を変えられるのだろう。僕にはそれが分からない。

 自分の中の陰鬱さは消えることなく、広がり続ける。それを苦痛に感じながら、僕はひたすらクリームコロッケを頬張った。



     



 翌日。時刻は朝の9時を過ぎた。

 僕は、黒いスーツ姿の女性が運転する車に揺られながら、今日のデュエルを行う会場に向かっていた。
 デュエルが開始するのは10時から。僕の出番は、デュエルの進行速度にもよるが、おそらく、10時半以降になると思う。遅くても、11時までには出番が来るはずだ。そのデュエルが終われば、ひとまず今日のデュエルは終了となる。僕は大抵、1日に3デュエルから4デュエルほど行うのだが、今日は1デュエルのみとなっている。

 負けを恐れる僕にとっては、1日に行うデュエルの数が多くなればなるほど、精神的な負担も大きくなる。そのため、今日のようなデュエルの少ない日は、僕にとってありがたい日に感じられた。
 プロデュエリストのくせに、デュエルの少ない日がありがたいなんて、我ながら、ふざけた考え方をすると思う。以前の僕は、デュエルの少ない日は物足りなさを感じていたくらいなのに。

「久藤くんのことだから、わざわざ言うまでもないと思うけど、デッキの最終調整を忘れないように。油断は禁物よ」

 運転席でハンドルを握る女性が言ってきた。
 彼女は僕のマネージャーだ。そして、3年前、デュエルアカデミアの特別授業で運良くプロデュエリストに勝利した僕を、プロの世界に引き入れた張本人でもある。彼女とは、それ以来の付き合いとなる。
 そんな彼女は、僕のことを信頼しているためか、あまりあれこれと細かく指図してきたりはしない。プロになりたての頃はさすがにそうではなかったが、プロになって1年過ぎた頃からは、僕のことを信頼し、必要最低限の指示しかしなくなった。
 彼女もまた、僕に期待している人の1人なのだ。実際に、彼女から「あなたには期待している」と言われたこともある。

 僕は、彼女のおかげで、1人のプロデュエリストとして活動できるようになった。彼女がいなかったら、今の僕は存在しない。その意味では、僕にとって彼女は恩人とも言える。
 そんな彼女の期待を裏切ってはならない。彼女の期待に背くことは、恩を仇で返すようなものだ。そんなことは許されることではない。僕は負けてはならない。負けることは裏切ること。裏切りは罪だ。
 負けてはならないというプレッシャーが僕の心を締め付けた。

「分かってます。大丈夫ですよ」

 僕は明るい口調でマネージャーに答えた。しかし、心の中は真っ暗闇だった。

 暗い気持ちが晴れないまま、車は大会の会場に到着した。
 会場内の控え室に入った僕は、そこでデッキの最終チェックをし、それが終わると、自身の出番が来るのをじっと待った。

 僕以外の人間は誰もいない、静かな控え室。そこで待っている間、心臓の鼓動がどんどん速まっていく。
 これはいつものことだ。言うまでもなく、この鼓動の速まりは、早くデュエルがしたくてわくわくしているとか、そういった類のものではない。デュエルの時が近づくとともに、緊張・不安・恐怖が積もり積もっていくことによるものだ。

 こうなってくると、もうデュエル以外のことを考えられなくなる。今日のデュエル、勝てるだろうか。勝たなくちゃ。勝てなかったらどうしよう。そういった考えが頭の中をぐるぐると駆け回る。
 そのせいで、喉を締め付けられたかのように息苦しくなり、ついには胃がじんじんと痛み出してくる。それが、緊張感から来るただの思い込みなのか、実際にそういった症状が出ているのかは、僕には分からない。分かるのは、ただ苦しいということだけだ。僕はデュエルを行う直前、毎回この苦しさを感じていた。

 10時46分。控え室のドアが開いた。僕はどきりとした。心臓が跳ね上がった気がした。これもいつものことだった。
 ドアのほうを向くと、マネージャーの姿があった。

「久藤くん。出番よ」

 マネージャーが言った。彼女は、期待の籠った目つきをしている。
 僕は手元のデュエルディスクを左腕に装着した。



 広いデュエル場に足を踏み入れると、歓声が湧き起こった。
 観客席は満席状態で、隙間なく観客の姿で埋め尽くされている。大勢の観客が歓声を上げ、それが僕の耳に届いてくる。
 その中には、僕の名を叫ぶ声があった。僕を応援する声もあった。観客席をよく見ると、僕を応援する言葉が書かれた横断幕を掲げる人たちもいた。僕が注目されていることは明らかだった。

 プロである以上、こうして人々から注目され、応援されることは、喜ぶべきことだろう。現に、以前の僕は涙が出るほどに嬉しかった。
 しかし、今の僕にとっては、観客が応援・注目してくることは、重荷にしか感じられなかった。そんな風に考えるのはプロとして異常だし、応援してくれるファンの人たちに対して失礼だということは充分に分かっている。分かってはいるが、それでも今の僕は、ファンの存在を重荷としか思えなかった。

 けれど、それを表に出すことなど絶対に許されない。僕は自身の愚かな本性を隠すように、いつも通り、観客席のファンに対して明るい表情を浮かべ、大きく手を振った。歓声がより大きくなった。

 デュエル場の中心まで来ると、そこでは既に、対戦相手であるデュエリスト・篠田(しのだ)圭一(けいいち)が待っていた。
 調べたところによれば、篠田は半年前にプロ入りしたばかりの新人プロデュエリスト。使用するデッキは、魔力カウンターを駆使して戦う魔法使い族デッキ。新人ではあるが、なかなか腕は高く、期待の新人とされている。

 僕は篠田のデュエルを何度か見たことがあるが、その腕は確かだと言っていい。現に彼は、ベテランのプロデュエリストを何度か破ったことがある。新人だからといって侮るのは危険だ。気を引き締めなければならない。

 僕は負けてはならない。
 観客席には、僕の勝利を期待しているファンがたくさんいる。いや、観客席だけじゃない。このデュエル大会は日本全国にテレビ中継されているから、僕の勝利を期待しているファンは、テレビの前にだって大勢いるだろう。その大勢のファンの期待を僕は背負っている。その期待に背くわけにはいかない。
 特に、今回の相手は、高い実力を持っているとは言え、新人のプロだ。そんな相手に、プロになって3年の僕が負けるようなことがあってはならない。負けるようなことがあれば、ファンの期待をいつも以上に大きく裏切ることになる。絶対に負けられない。負けてはならない。

「よろしくお願いします!」

 対戦相手の篠田が握手を求めてきた。心なしか、僕が以前見た時よりも、少し緊張しているように見える。僕は笑顔を浮かべ、握手に応じた。

「よろしくお願いします」

 握手をしながら、僕はいつものことながら、虚しさや憤りを感じた。
 デュエル前だというのに、自分の心の中にはやはり、わくわくした気持ちだとか、高揚感といったものがまるでない。あるのは、不安や恐怖といったネガティブなものだけだ。早く人々の望む形で勝利を掴んで、無事にデュエルを終わらせたいと思うばかりで、デュエルを楽しもうという気持ちが全くない。そんな自分が許せなくなる。
 デュエルを心の底から楽しんでいた僕は、本当に、どうすればこの世に戻ってくるのだろう。デュエルを楽しむ僕よ、戻ってきてくれ。

 願ったところで戻ってくるわけでもない。僕はすぐに考えるのをやめ、今から始まるデュエルに向けて精神を集中しようとした。その時、目の前にいた篠田が少し興奮したような口調で言葉を発した。

「あのう、実は俺、以前から久藤さんの大ファンだったんです! この世界に入る前から、テレビとかで久藤さんがデュエルしているところを見て、ずっと憧れてました!」

 ずしり、と音がしたような気がした。
 たくさんの重荷が縛り付けられた心に、追加で重荷が縛り付けられたような感覚に陥った。

「そんな憧れの人と、まさかこういった形でデュエルできるなんて、夢のようです!」

 篠田は目を輝かせていた。憧れの人とデュエルができる喜びに満ち溢れていた。彼もまた、僕のファンの1人だったのだ。
 篠田は僕に期待している、と僕は思った。憧れの人である僕とのデュエル。勝つにせよ負けるにせよ、夢のような一時を、篠田は期待している。彼もまた、僕に期待する人の1人。

 ならば、その期待を裏切るわけにはいかない。彼の期待に応え、彼の憧れる「久藤誠司」のデュエルを披露しなければならない。彼が抱いている「久藤誠司」のイメージを壊さないような、素晴らしいデュエルを披露しなければならない。
 篠田にとって、僕は憧れの対象。その気持ちを踏みにじるような真似をしてはいけない。踏みにじるような真似をすれば、僕は世間から裁かれ、破滅の道を辿ることになる。

 全身に掛かる重圧がますます重くなった気がして、僕はたまらなくなり、逃げ出したくなった。しかし、逃げることもまた罪。僕は笑顔を崩さず、醜い心の内を見透かされないように努めた。

「ありがとう。そう言ってもらえると光栄だよ。良いデュエルにしよう」

 今の気持ちとは正反対の言葉を発すると、篠田は「はい!」と元気な返事をしてみせた。彼は実に嬉しそうな表情を浮かべていた。彼の顔色は明るい。
 篠田は今、期待に胸を躍らせながら、デュエルに挑もうとしているのだろう。憧れの人とデュエルができるという喜びでいっぱいなのだろう。僕みたいに、醜くネガティブな感情などは抱かず、全力で良いデュエルをしようとしているのだろう。そんな彼が羨ましい。

 僕も、プロになりたての頃は、篠田のような少年だったのだろうか。



     



「「デュエル!」」

 一定の間隔を開け、デュエルポジションに着いた僕と篠田は、揃ってデュエル開始の宣言をした。直後、篠田のデュエルディスクのランプが点灯し、彼に先攻・後攻の選択権が与えられた。

「先攻は俺がもらいます! ドロー!」

 篠田は迷わずに先攻を取った。

 互いのデッキは既に、デュエルディスクの自動シャッフル機能によってシャッフルされている。篠田はカードをドローし、6枚の手札をざっと眺めた。そして、あまり考える様子を見せず、すぐに3枚のカードを手に取った。

「俺はモンスターを守備表示でセット! さらに、カードを2枚伏せ、ターンエンドです!」

 伏せモンスターに伏せカード。それなりに堅実な一手だ。様子見としても適している。先攻1ターン目の行動としては妥当なところだ。
 僕はいつも通り、楽しげな様子を装いつつ、デッキのカードに指を当てた。

「僕のターン、ドロー!」

 手札を見て、人々が求める僕の姿を演出するための、最適の手を導き出す。この手札なら……。

「僕は、永続魔法《六武衆の結束》を発動! このカードは、『六武衆』と名のついたモンスターが召喚・特殊召喚される度、武士道カウンターが一つ乗る!」

 永続魔法を場に出すと、次はモンスターカードを場に出した。

「そして、《真六武衆−カゲキ》を召喚! 《真六武衆−カゲキ》のモンスター効果! このカードが召喚に成功した時、手札からレベル4以下の『六武衆』と名のついたモンスター1体を特殊召喚できる! 僕はレベル2の、チューナーモンスター《六武衆の影武者》を特殊召喚!」

 僕の場に、刀を携えた鎧武者が現れると、その鎧武者の力により、新たな鎧武者が参上する。これで、僕の場のモンスターは一気に2体になった。
 しかし、それだけじゃない。

「《真六武衆−カゲキ》と《六武衆の影武者》の召喚に成功したことで、永続魔法《六武衆の結束》に、武士道カウンターが二つ乗る!」


《六武衆の結束》 武士道カウンター:0→1→2


「そして、《六武衆の結束》のカードを墓地へ送ることで、このカードに乗っている武士道カウンターの数だけ、デッキからカードをドローする! 僕は《六武衆の結束》を墓地へ送り、カードを2枚ドロー!」

 《六武衆の結束》に乗せることのできる武士道カウンターは最大二つ。これ以上武士道カウンターが乗ることはないため、僕は《六武衆の結束》のドロー効果を使い、新たに2枚のカードを手にした。

 そして、先ほど場に出した《真六武衆−カゲキ》のレベルは3。《六武衆の影武者》のレベルは2。これで、切り札を召喚する準備は整った。
 そう僕が思った直後、篠田の場の伏せカードが開いた。そのカードの力により、僕の場の《六武衆の影武者》が裏側守備表示になってしまう。ヒヤリとした。

「俺は、《六武衆の影武者》を対象に、速攻魔法《月の書》を発動しました! このカードは、場のモンスター1体を裏側守備表示にできます!」

 篠田が開いた伏せカードの正体は、速攻魔法《月の書》だった。
 速効魔法《月の書》をこのタイミングで発動し、チューナーである《六武衆の影武者》を裏守備にする――この行動が意味するものは、一つしかない。

「なるほど。シンクロ召喚はさせてもらえないってことだね」

「はい! シンクロ召喚を行う場合、素材となるモンスターは表側表示でなければいけませんからね。こうして、チューナーを裏守備にすれば、とりあえず、シンクロ召喚は妨害できます。本当は、久藤さんの切り札である《真六武衆−シエン》を間近で見たいところなんですけど、それを出されてしまうとかなり厳しくなってしまうので……。悪いですけど、《真六武衆−シエン》の召喚は封じさせてください」

 僕の切り札は、1ターンに一度、相手の魔法・トラップの発動を無効にして破壊する能力を持つ、強力なシンクロモンスター《真六武衆−シエン》。それは間違いない。そして、僕が今、それを召喚しようとしたことも間違いない。《真六武衆−シエン》のレベルは5だから、《月の書》さえ使われなければ、《真六武衆−カゲキ》と《六武衆の影武者》をシンクロ素材として、《真六武衆−シエン》をシンクロ召喚することができたのだ。

 切り札召喚を封じられてしまったことに、僕は少し動揺した。
 別に、こんなことは初めてというわけじゃない。今までやってきたデュエルでも、切り札の召喚を妨害されたことは何度もある。それでもやはり、切り札の召喚を妨害されてしまうと、少しだけ動揺してしまう。何故なら、僕は臆病だから。そして、このことが後々響いてきて、負けてしまったりしないだろうか、と不安を呼び込んでしまう。

 僕は余計な考えを追い払うように、すぐに別の一手を繰り出した。

「シンクロはお預け、か。でも、まだ僕のターンは続いてる。僕はこのカードを出させてもらうよ。手札から、《真六武衆−キザン》を特殊召喚! このカードは、自分の場に《真六武衆−キザン》以外の『六武衆』と名のついたモンスターがいる時、特殊召喚できる! そして、さっき僕が召喚した《真六武衆−カゲキ》は、自分の場に《真六武衆−カゲキ》以外の『六武衆』と名のついたモンスターが表側表示で存在する時、攻撃力が1500ポイントアップする!」


《真六武衆−カゲキ》 攻:200→1700


 また新たな鎧武者が、僕の場に出現する。攻撃力1800を誇る、頼れるモンスターだ。そして、《真六武衆−キザン》の出現により、《真六武衆−カゲキ》の攻撃力が1500ポイントアップし、1700まで上昇した。

「攻撃力1800と、攻撃力1700のアタッカー、ですか。攻撃してきますか?」

「もちろん。バトルフェイズに入り、《真六武衆−カゲキ》で裏守備モンスターを攻撃!」

 おそらく罠が仕掛けてあるだろう、と思いつつも、僕は迷わず攻撃した。どうせ罠が仕掛けてあるのなら、早い内に使い切らせてしまったほうが後々楽になる。そう考えての攻撃だ。

 篠田の伏せモンスターの正体は何だろうか。篠田のデッキは魔力カウンターを駆使する魔法使い族デッキだから、裏守備で出すとしたら、《見習い魔術師》あたりだろうか――そんなことを考えつつ、僕は《真六武衆−カゲキ》の攻撃の行く末を見守った。

 果たして、篠田はトラップカードを発動した。

「カウンタートラップ《攻撃の無力化》! 相手モンスターの攻撃を無効にし、バトルフェイズを終了させます!」

 篠田の場に時空の渦が出現する。それに飲み込まれまいと、《真六武衆−カゲキ》は攻撃を中断。このターンのバトルフェイズが終結した。攻撃を妨害されたことで、篠田の伏せモンスターの正体は分からないままだ。

 やはり通らなかった。けど、《攻撃の無力化》は一度きりのトラップ。さっさと使い切らせるのが正解だ。

「僕はカードを2枚伏せ、ターンエンド!」

 こちらも2枚の伏せカードを置き、ターンを回した。



【久藤】 LP:4000 手札:2枚
 モンスター:真六武衆−キザン(攻1800)、真六武衆−カゲキ(攻1700)、裏守備×1(六武衆の影武者)
  魔法・罠:伏せ×2

【篠田】 LP:4000 手札:3枚
 モンスター:裏守備×1
  魔法・罠:なし



「俺のターン、ドロー! 俺は、魔法カード《手札抹殺》を発動! 互いに手札を全て捨て、同じ枚数分のカードをドローします!」

 篠田のターン。彼はドローしてすぐさま、手札入れ替えの魔法カードを発動した。その効果に従い、互いに手札を全て墓地に置き、同じ枚数分のカードを引く。
 僕の手札にあった《紫炎の老中 エニシ》と《紫炎の荒武者》が墓地に送られ、新たに《激流葬》と《六武衆−ザンジ》が手札に加わった。

 手札入れ替えを終えると、篠田は2枚のカードを掴みとった。

「カードを2枚セット! そして俺は、裏守備表示のモンスターを反転召喚!」

 篠田の場の伏せモンスターが反転召喚され、正体を現す。現れたのは、壺の形をしたモンスターだった。
 あれは、《見習い魔術師》ではない。

「《メタモルポット》のリバース効果発動! 互いに手札を全て捨て、5枚のカードをドローします!」

 僕の予想に反し、篠田が伏せていたモンスターは《メタモルポット》だった。
 《メタモルポット》は魔法使い族モンスターではなく岩石族モンスターだ。けれど、《メタモルポット》は手札・デッキを回転させるその効果故に、コンボデッキでの採用率が高い。だから、篠田のデッキに採用されていても不思議ではない。

 ともあれ、《メタモルポット》の効果で、篠田は1枚、僕は2枚のカードを捨て、その後互いに5枚のカードを引いた。これで互いに手札が5枚になった。
 5枚に増えた手札で、篠田はどんな戦術を繰り出してくるか。

 篠田は迅速な判断を下すのが得意なのだろう、迷うことなくカードを選び取った。

「《メタモルポット》をリリース! 《地帝グランマーグ》をアドバンス召喚します!」

「っ!?」

 篠田の場に召喚された上級モンスターを見て、僕は背中に冷水でもかけられたかのように、強烈な寒気を感じた。
 《地帝グランマーグ》の召喚。それは僕にとって、予想外の出来事だった。危うく動揺を顔に出しそうになった。

「《地帝グランマーグ》のモンスター効果! このカードがアドバンス召喚に成功した時、場にセットされたカードを1枚破壊します! 俺は……久藤さんの場にセットされた魔法・トラップカードを破壊! 対象は、俺から見て右側のカードです! チェーンはありますか?」

「チェーンはしない。このカードは墓地に送るよ」

 僕は必死に動揺を隠しながら、《地帝グランマーグ》の効果の対象となったカードを墓地に送った。トラップカード《聖なるバリア−ミラーフォース−》が破壊されてしまった。

 篠田が召喚した《地帝グランマーグ》は、《メタモルポット》と同じく岩石族モンスター。魔法使い族モンスターではない。魔法使い族デッキを使うはずの篠田が、岩石族の上級モンスターを出してきたのだ。
 《地帝グランマーグ》は便利な効果を持っているが、それでも、魔力カウンターを扱う魔法使い族デッキに入る類のカードではない。にもかかわらず、篠田は《地帝グランマーグ》をデッキに採用していた。それは何故か。

 僕はすぐにその答えが分かった。
 何のことはない。答えは至極単純。僕が思い違いをしていただけのことだった。

「なるほど。今日は、魔法使い族デッキじゃないんだね」

 僕がそう言うと、篠田は隠す様子もなく答えた。

「はい。久藤さんのことだから、きっと普段使ってるデッキはもう対策されているだろうし、良い勝負ができないだろうな、と思って。だから、全く新しいデッキを作ってきたんです。作って間もないですけど、何度もテストプレイをして、内容を吟味したから、結構自信作なんですよ」

 全く新しいデッキを作ってきた、という篠田の言葉を聞き、僕は焦りを感じた。顔には出さず、心の中で焦った。
 篠田の言うとおり、僕は篠田が普段使っているデッキを調べ、どのような戦術を使われても対処できるようにしておいた。けれど、彼が新たなデッキを使ってきたとなると、僕の事前準備はまるで意味を成さない。僕は事前準備なしでデュエルに挑むのと同義となる。こうなると、己の脳に刻まれたカードの知識を頼りにデュエルをするしかなくなる。

 無論、篠田に限らず、使うデッキを変えるプロデュエリストはたくさんいる。別に、同じデッキを使い続けなければならないという決まりはないし、新しいカードの登場等で環境が変われば、デッキを組み替える必要も出てくるだろうから、当然と言えば当然だ。また、プロの中には、対戦相手が自分の戦術に対策してくることを見越して、まったく別のデッキを持ってデュエルに臨み、相手の施した対抗策を無意味なものにしてしまうデュエリストもいると聞く。

 そう言った意味では、篠田のようなデュエリストがいても、何ら不思議ではない。不思議ではないのだが……。

 実を言うと、僕は、篠田のようなデュエリスト、すなわち、こちらの想定とはまるで違うデッキを使ってくるデュエリストと戦うのは初めてだった。そういうデュエリストがいるということは知っていたが、僕がそんなデュエリストと戦うのは初めてだった。

 これまで3年間プロを続けてきたが、幸か不幸か、僕はそんなデュエリストと戦うことはなかった。これまでに僕が戦ったデュエリストは皆、こちらの想定とはそんなに大きくは異ならないデッキを使ってきた。もちろん、予想外のカードを使われることはあったが、それでも、事前に準備しておいた対抗策が通じなくなるほどのものではなかった。

 デッキそのものの切り替え。そんなことをされたのは、プロになって初めてだった。そういうことがある、とは知っていたが、こうして実際に目の当たりにすると、かなり精神的な揺さぶりをかけられたような気がした。

 正直、僕は動揺している。
 しかし、こうなることを想定することはできたはずだ。と言うよりも、想定していなければならない。プロの世界では、この程度のことは当然のごとく起こり得る。だから、この程度のことでプロは動揺してはならない。負けてはならない。この程度で動揺し、普段のプレイができなくなって負けたりすれば、プロとして失格。大勢の人の期待を裏切り、失望させ、怒りを買うことになる。

 落ち着くんだ。冷静になれ。冷静に、篠田のデッキの傾向を見極めるんだ。冷静さを欠いて負けるようなことになったら話にならない。落ち着け。慌てるな。大丈夫だ。たとえデッキを切り替えられたとしても、僕の戦術が無力化するわけじゃない。充分に戦える。大丈夫だ。

 まるで、大波に揺られる船のごとく、心臓が激しく動いているような感覚がした。それを落ち着かせるよう、僕は、大丈夫、大丈夫、と頭の中で唱えつつ、デュエルに集中した。

「俺はさらに、墓地の岩石族モンスター5体――《メタモルポット》、《モンク・ファイター》、《ビッグ・ピース・ゴーレム》、《モーム》、《プレート・クラッシャー》をゲームから除外し、《メガロック・ドラゴン》を特殊召喚!」

 篠田が新たなカードをデュエルディスクにセットすると、大地を砕き、全身が岩石で覆われたドラゴンが姿を現した。それを見て僕は、今日の篠田のデッキは「岩石族デッキ」であると結論付けた。

「《メガロック・ドラゴン》の攻撃力・守備力は、このカードの特殊召喚時にゲームから除外した岩石族モンスターの数×700ポイントになります! よって、《メガロック・ドラゴン》の攻撃力・守備力は3500!」


《メガロック・ドラゴン》 攻:0→3500


 5体の岩石族モンスターを糧とした《メガロック・ドラゴン》が、3500ポイントの攻撃力を得る。
 なるほど、篠田が手札入れ替えのカードを使ったのは、《メガロック・ドラゴン》の攻撃力を上げる意味もあったわけだ。

「バトルです! まずは、《メガロック・ドラゴン》で《真六武衆−キザン》を攻撃!」

 篠田の攻撃宣言を受け、《メガロック・ドラゴン》が土石流を吐きだす。
 攻撃力1800の《真六武衆−キザン》では、《メガロック・ドラゴン》には敵わない。しかし、《聖なるバリア−ミラーフォース−》を失った今、僕に攻撃を防ぐ手段はない。僕は《真六武衆−キザン》がやられるのを、黙って見ているしかなかった。


《メガロック・ドラゴン》(攻3500)
《真六武衆−キザン》(攻1800):破壊

久藤 LP:4000→2300


 《真六武衆−キザン》が破壊されてしまった。さらに、《真六武衆−キザン》が破壊されたことで、《真六武衆−カゲキ》の攻撃力が下がってしまう。


《真六武衆−カゲキ》 攻:1700→200


 けど、《真六武衆−キザン》が戦闘で破壊されたことで、僕の場に残されたトラップカードの発動条件が満たされた。僕は伏せカードを表にし、トラップカードを発動した。

「この瞬間、トラップカード発動! 《紫炎の計略》! このカードは、自分の場の『六武衆』と名のついたモンスターが戦闘で破壊された時、手札から『六武衆』と名のついたモンスターを2体まで特殊召喚する! 僕は手札から《六武衆−イロウ》と《六武衆−ヤリザ》を守備表示で特殊召喚!」

「くっ!?」

 トラップカード《紫炎の計略》により、僕の場に2体の鎧武者――《六武衆−イロウ》と《六武衆−ヤリザ》が現れた。そして、新たに表側表示の「六武衆」が場に出たことで、《真六武衆−カゲキ》の攻撃力が再び上昇する。


《真六武衆−カゲキ》 攻:200→1700


「《真六武衆−カゲキ》の攻撃力が、また1700になってしまいましたか。けど、攻撃は続けます! 《地帝グランマーグ》で《真六武衆−カゲキ》を攻撃!」

 《真六武衆−カゲキ》の攻撃力は1700だが、《地帝グランマーグ》の攻撃力は2400。敵う相手じゃない。またもや黙って見ているしかない。


《地帝グランマーグ》(攻2400)
《真六武衆−カゲキ》(攻1700):破壊

久藤 LP:2300→1600


 一気にライフを半分以上削られてしまった。少しずつ、少しずつ、心の中の不安と恐怖が増大していく。

「よし! 俺はメインフェイズ2に入り、手札から魔法カード《シールドクラッシュ》を発動! このカードは、場の守備表示モンスター1体を破壊できます! 俺は久藤さんの裏守備モンスターを破壊!」

「……!」

 篠田の発動した魔法カードにより、前のターンに裏守備表示にされたチューナーモンスター《六武衆の影武者》が破壊された。
 チューナーを失ってしまったことで、シンクロ召喚は狙えなくなった。シンクロ召喚をしたければ、またチューナーを呼び出さなくてはならない。そして、シンクロ召喚をしなければ、切り札である《真六武衆−シエン》を出すこともできない。

 まだ追い詰められたわけじゃない。ここまでのデュエル展開で、シンクロ召喚を妨害された上、カードを破壊され、ライフポイントも差をつけられてしまったが、それでも、窮地に陥ったわけじゃない。この程度であれば、いくらでもひっくり返すことができる。
 何も恐れることなどない。そのことは充分に分かっている。分かっているのに、僕は全身が小刻みに震え出し始めていた。僕はそれを周囲に知られないよう、全身に力を入れた。

 相変わらず脆い精神だ。
 今の僕は、この程度のことで「もしかしたら、負けてしまうのでは?」などとマイナス方向に考えてしまう。多少相手が有利になっただけで、心の中が暗くなり、不安になり、恐怖で満たされる。しまいには、頭の中がじんわりと熱くなり、冷静さを欠きそうになり、笑顔が崩れそうになる。楽しそうにデュエルするプロデュエリストを演じられなくなりそうになる。精神が不安定になる。

 ぐらぐら、ぐらぐら。
 心が揺れる。不安で揺れる。恐怖で揺れる。このまま負けたりしないだろうか。負けてしまったらどうしよう。そんなことになったら、僕はどうなるのだろう。怖い。どうしようもなく怖い。もう逃げ出したい。

 デュエルが始まってわずか3ターンだというのに、僕の精神は追い詰められていた。
 デュエルの状況だけ見れば、篠田が少し有利になっただけ。しかし、僕の精神は確実に追い詰められていた。断崖絶壁に立たされていた。このままデュエルを続ければ、断崖から真っ逆さまに落ちてゆき、全てを失う、と思った。
 全てを失う。何もかも。信頼も、名誉も、応援してくれる人々も、友人も、家族も。人々の期待に背いた罰として、僕は全てを失う。多くの人から否定される。非難される。罵倒される。蔑まれる。裁かれる。多くの人から裁かれる。処刑。死刑。僕は死ぬ。ゲームオーバー。おしまい。終了。完。ジ・エンド。

 駄目だった。僕の精神は弱すぎた。この程度のことで、僕のマイナス思考は止まらなくなり、悪いほう悪いほうへと沈んでいってしまう。深みへとはまってしまう。こんな思考を続けたところで無駄だと分かっていながら、ズブズブと音を立て、真っ暗闇の中に心を沈めてしまう。

 僕は余計な思考を強引に打ち切り、全神経をデュエルに集中させた。
 デュエル以外のことは考えるな。デュエルに勝つんだ。勝って、人々の期待に応えるんだ。それが僕の役目。それだけを考えろ。ネガティブな感情を消し去れ。笑え。笑え、笑え笑え笑え。

「ははっ。チューナーをやられたか。これはちょっときついかな。けど、負けないよ」

 僕は笑った。自身の弱さを隠すため、笑った。余計な考えを打ち砕くように、笑った。笑顔を浮かべ、余裕は崩さない――そんな姿を装った。
 その甲斐あって、余計な思考は少しずつ消え去り、あとには虚しさが残った。虚しさだけは消し去れなかった。

「俺も負けません! 俺はカードを1枚セット! そして、さっき伏せておいた永続魔法《強欲なカケラ》を発動! これでターンエンドです!」

 篠田の場に新たな伏せカードが置かれ、それとは別の伏せカードが表になる。そこで篠田のターンは終わった。
 次は僕のターン。このターンで、どうにか盛り返さなくては。



【久藤】 LP:1600 手札:3枚
 モンスター:六武衆−イロウ(守1200)、六武衆−ヤリザ(守500)
  魔法・罠:なし

【篠田】 LP:4000 手札:1枚
 モンスター:地帝グランマーグ(攻2400)、メガロック・ドラゴン(攻3500)
  魔法・罠:強欲なカケラ(永続魔法)、伏せ×2



     



「僕のターン、ドロー!」

 僕の場のカードは2枚。そして、手札は4枚。計6枚を確認し、どうすべきかを思案する。あまり時間をかけてはならない。長考は観客を退屈させてしまう。すぐに結論を出さなくては。

 考えをまとめた僕は、2枚のカードをデュエルディスクにセットした。

「《真六武衆−ミズホ》を召喚! さらに、僕の場に『六武衆』と名のついたモンスターが2体以上いる時、手札から《大将軍 紫炎》を特殊召喚できる! 出でよ! 《大将軍 紫炎》!」

「……っ!」

 新たな鎧武者《真六武衆−ミズホ》が現れ、その隣に、赤い鎧を身にまとった将軍《大将軍 紫炎》が現れた。一気に僕の場のモンスターが4体になり、篠田が目を見開く。
 その様子を見ながら、僕は《六武衆−ヤリザ》のカードを墓地に送った。

「僕は、《六武衆−ヤリザ》をリリースし、《真六武衆−ミズホ》の効果を発動! 《真六武衆−ミズホ》は、このカード以外の『六武衆』を1体リリースすることで、場のカードを1枚破壊する! この効果で、君の場の《メガロック・ドラゴン》を破壊させてもらう!」

「うわっ!?」

 《六武衆−ヤリザ》から力を授かった《真六武衆−ミズホ》が、篠田の場の《メガロック・ドラゴン》に素早く斬りかかる。どれだけ攻撃力が高くても、この効果の前には無力。《メガロック・ドラゴン》は破壊された。

 ――かと思いきや、そうはならなかった。

「待ってください! 俺は《真六武衆−ミズホ》の効果にチェーンして、速攻魔法《神秘の中華なべ》を発動! このカードは、自分の場のモンスター1体をリリースすることで、そのモンスターの攻撃力か守備力の数値分、自分のライフを回復できます! 俺は《メガロック・ドラゴン》をリリースし、その攻撃力分だけライフを回復します!」

 《真六武衆−ミズホ》の攻撃が当たる寸前、《メガロック・ドラゴン》が場から姿を消した。破壊対象を失ったことで、《真六武衆−ミズホ》の効果は不発に終わる。
 相手の破壊効果の対象となったモンスターをリリースすることで、その破壊効果を回避する――サクリファイス・エスケープだ。


篠田 LP:4000→7500


 魔法カード《神秘の中華なべ》の効果により、《メガロック・ドラゴン》の攻撃力3500が篠田のライフポイントに加算され、篠田のライフが初期ライフの倍近くにまで膨れ上がってしまった。

 けど、《メガロック・ドラゴン》が場から消えたことには変わりない。篠田のライフは増えてしまったが、それでも何とかなる。そう思った僕は、すぐにバトルフェイズに入った。

「じゃあ、バトルだ! まずは、《大将軍 紫炎》で《地帝グランマーグ》を攻撃!」

 《大将軍 紫炎》の攻撃力は2500。《地帝グランマーグ》のそれをわずかに上回っている。篠田の場には伏せカードが1枚あるが、篠田がそれを発動することはない。いや、発動することができない。
 僕の場に《大将軍 紫炎》がいる限り、対戦相手は魔法・トラップカードの発動を、1ターンにつき一度しか行えなくなる。よって、先ほど魔法カード《神秘の中華なべ》を発動した篠田は、もうこのターン中に魔法・トラップを発動できない。そのため、伏せてある魔法・トラップカードを発動することができないのだ。

 篠田の伏せカードは発動せず、バトルが成立。《地帝グランマーグ》は破壊された。


《大将軍 紫炎》(攻2500)
《地帝グランマーグ》(攻2400):破壊

篠田 LP:7500→7400


 篠田の場からモンスターが消えた。ダイレクトアタックのチャンスだ。

「壁モンスターはいなくなった! 《真六武衆−ミズホ》と《六武衆−イロウ》でダイレクトアタック!」

「くっ……!」

 《真六武衆−ミズホ》と《六武衆−イロウ》が刀を振り、壁モンスターを失った篠田に斬りかかった。篠田に抵抗手段はなく、《真六武衆−ミズホ》と《六武衆−イロウ》の攻撃が成功。篠田のライフが削られる。


《真六武衆−ミズホ》(攻1600)
《六武衆−イロウ》(攻1700)

篠田 LP:7400→5800→4100


「カードを1枚伏せ、ターンエンド。何とか盛り返せたかな?」

 ターンを終えつつ、僕は笑みを浮かべてみせた。所詮は作り物の笑みに過ぎないが、それでも、前のターンよりかは、心にいくらか余裕ができていた。



【久藤】 LP:1600 手札:1枚
 モンスター:大将軍 紫炎(攻2500)、六武衆−イロウ(攻1700)、真六武衆−ミズホ(攻1600)
  魔法・罠:伏せ×1

【篠田】 LP:4100 手札:1枚
 モンスター:なし
  魔法・罠:強欲なカケラ(永続魔法)、伏せ×1



「うぅ、あっさり切り返されちゃったな……。やっぱり、久藤さんはすごいです」

 篠田の称賛の言葉に、僕は「ありがとう」と返しておいた。
 本当は、褒められても嬉しくなかった。称賛されればされるほど、重たく感じるだけだった。だから僕は、今聞いた篠田の称賛の言葉を、頭の中から追い出そうとした。我ながら最低の行為だと思ったが、今の僕はそうでもしなければ心が持たない。

「でも、俺だって負けませんよ! 俺のターン、ドロー! この瞬間、俺の場の永続魔法《強欲なカケラ》に、強欲カウンターが一つ乗ります!」

 篠田がカードをドローすると同時に、彼の場の永続魔法《強欲なカケラ》にカウンターが乗せられた。


《強欲なカケラ》 強欲カウンター:0→1


 《強欲なカケラ》は、自分のドローフェイズ時に通常のドローをする度に、強欲カウンターが一つ乗せられる。そして、強欲カウンターが二つ以上乗っている《強欲なカケラ》を墓地に送ることで、デッキからカードを2枚ドローできる。要は、やや時間のかかる手札増強カードというわけだ。

 ドローした篠田は、特に迷う様子を見せず、すぐに次の行動に移った。

「俺は、永続トラップ《化石岩の解放》を発動! このカードは、ゲームから除外された岩石族モンスター1体を特殊召喚できます! 僕は、《モンク・ファイター》を特殊召喚!」

 トラップカード《化石岩の解放》の効果によって、《メガロック・ドラゴン》の特殊召喚時に除外された岩石族モンスター《モンク・ファイター》が、篠田の場に帰還した。
 格闘戦士といった風貌の《モンク・ファイター》は、見た目こそ人間ではあるが、立派な岩石族モンスターだ。

「そして、この《モンク・ファイター》をリリースし、手札から《マスターモンク》を特殊召喚! 進化せよ、《モンク・ファイター》!」

 篠田は、たった今帰還したばかりの《モンク・ファイター》をリリースし、新たなモンスター《マスターモンク》を特殊召喚した。
 どこか、《モンク・ファイター》の面影を持った老戦士《マスターモンク》。その姿は、《モンク・ファイター》が何年もの月日をかけてその力を昇華させ、成長した姿、と言ったところだろう。攻撃力は1900。《大将軍 紫炎》には勝てないものの、《六武衆−イロウ》や《真六武衆−ミズホ》は倒すことができる。しかも、《マスターモンク》は1ターンに2回攻撃を行うことが可能だ。

「バトル! 《マスターモンク》で、まずは《真六武衆−ミズホ》を攻撃!」

 篠田の攻撃宣言を受け、《マスターモンク》が《真六武衆−ミズホ》に殴りかかった。僕の場には伏せカードがあるが、これは攻撃を防げるカードじゃない。ここは通すしかない。


《マスターモンク》(攻1900)
《真六武衆−ミズホ》(攻1600):破壊

久藤 LP:1600→1300


「続いて、《マスターモンク》の2回目の攻撃! 対象は《六武衆−イロウ》! 行け!」

 次は、《六武衆−イロウ》が攻撃対象となる。無論、僕にできることはなく、《六武衆−イロウ》も倒されてしまった。


《マスターモンク》(攻1900)
《六武衆−イロウ》(攻1700):破壊

久藤 LP:1300→1100


 ライフポイントがさらに削られ、モンスターの数も減らされてしまった。まだ攻撃力2500の《大将軍 紫炎》がいるが、僕の中では、またもや不安が増大し始めてきた。

「カードを1枚伏せ、ターンエンドです!」

 いけない。不安に飲み込まれてはいけない。不安に負けて、プレイに影響するようなことがあってはいけない。冷静になれ。デュエルに集中するんだ。

 僕は伏せカードに手をかけた。

「じゃあ、エンドフェイズ終了前にトラップを発動させてもらうよ。永続トラップ《神速の具足》! このカードがある限り、僕はドローフェイズにドローしたカードが『六武衆』と名のついたモンスターだった場合、そのカードを特殊召喚できる!」

 通常召喚権を使わず、「六武衆」を展開できる可能性を秘めたトラップ《神速の具足》。次のターンに備え、僕はそれを発動しておいた。



【久藤】 LP:1100 手札:1枚
 モンスター:大将軍 紫炎(攻2500)
  魔法・罠:神速の具足(永続罠)

【篠田】 LP:4100 手札:0枚
 モンスター:マスターモンク(攻1900)
  魔法・罠:強欲なカケラ(永続魔法・強欲カウンター×1)、化石岩の解放(永続罠)、伏せ×1



「僕のターン、ドロー!」

 僕がドローしたカードは《六武衆の師範》。「六武衆」と名のついたモンスターだ。
 このタイミングで《神速の具足》の効果を使えば、《六武衆の師範》を特殊召喚することができる。しかし、《六武衆の師範》は、《神速の具足》の効果を使わずとも、自身の効果で特殊召喚することが可能だ。せっかく発動した《神速の具足》は、このターンに限って言えば、さほど意味のないカードと成り果てた。

 《神速の具足》の効果を使っても使わなくてもほぼ同じ。僕は《神速の具足》の効果は使わずに、次の行動に移った。

「僕は、《六武衆の御霊代》を召喚! そして、場に『六武衆』と名のついたモンスターが存在するため、《六武衆の師範》を手札から特殊召喚する!」

 僕の場に、鎧のみで動くモンスター《六武衆の御霊代》が現れ、それに続いて、隻眼の老将《六武衆の師範》も現れた。そして、《六武衆の御霊代》が《六武衆の師範》を守護する鎧と化す。

「《六武衆の御霊代》の効果発動! このカードを装備カード扱いとして《六武衆の師範》に装備! 《六武衆の師範》の攻撃力を500ポイントアップする!」


《六武衆の師範》 攻:2100→2600


 《六武衆の御霊代》は、「六武衆」と名のついたモンスターに装備カード扱いとして装備することで、装備モンスターの攻撃力を500アップさせる。さらに、装備モンスターが破壊される際、装備した《六武衆の御霊代》が身代わりとなって破壊される。まさに、「六武衆」を守護する鎧となるわけだ。

 僕は、篠田の場に目を向けた。
 篠田の場のモンスターは、攻撃力1900の《マスターモンク》が1体のみ。魔法・トラップカードは、永続魔法《強欲なカケラ》と、《モンク・ファイター》が場から離れたことで、意味なく残り続けている永続トラップ《化石岩の解放》。そして、正体不明の伏せカード。
 伏せカードが気になるところだが、今はダメージを与えるチャンス。このチャンスを逃すわけにはいかない。

「バトル! 《六武衆の師範》で《マスターモンク》を攻撃!」

 《六武衆の師範》が《マスターモンク》に斬りかかる。これで《マスターモンク》を撃破すれば、《大将軍 紫炎》でダイレクトアタックできる。何も起こらず、このまま通ってくれ、と僕は祈った。

 しかし、そう上手くは行かなかった。
 《六武衆の師範》は《マスターモンク》に袈裟斬りを喰らわせたが、攻撃力が《六武衆の師範》より低いはずの《マスターモンク》が破壊されず、場に留まっている。攻撃は確かに成功した。だが、《マスターモンク》は生き延びている。これは……。

「危ない危ない。久藤さん、俺はこのカードを発動させてもらいましたよ!」

 間一髪、と言った口調で篠田が言った。見ると、《マスターモンク》の後ろで、伏せカードが表になっている。
 伏せカードの正体は永続トラップ。そのカードを見て、僕はなるほど、と思った。

「永続トラップ《孤高の格闘家》! このカードは、自分の場のモンスターゾーンに《マスターモンク》が1体のみ存在する時、その《マスターモンク》1体を対象に発動できます! 《孤高の格闘家》のカードが場にある限り、対象となった《マスターモンク》は戦闘で破壊されず、モンスター効果も受けなくなります!」

 《六武衆の師範》の攻撃を受けても《マスターモンク》が場に生き残れたのは、永続トラップ《孤高の格闘家》の効果が適用されたためだった。
 これで僕は、《マスターモンク》を戦闘で破壊することも、《マスターモンク》にモンスター効果をぶつけることもできなくなった。《マスターモンク》を場から除去するには、魔法・トラップを使うしかない。それができないのなら、まずは《孤高の格闘家》のカードを除去する必要がある。

 いずれにせよ、今の僕には《マスターモンク》を除去することはできない。しかし、それでも――。

「《マスターモンク》は戦闘で破壊できなくなったけど、戦闘ダメージは受けてもらうよ」

 たとえモンスターが破壊されなくても、プレイヤーへのダメージは通る。《六武衆の師範》と《マスターモンク》の攻撃力の差分だけ、篠田のライフが削られた。


《六武衆の師範》(攻2600)
《マスターモンク》(攻1900)

篠田 LP:4100→3400


「さらに、《大将軍 紫炎》で《マスターモンク》を攻撃!」

 続いて、《大将軍 紫炎》が《マスターモンク》を攻撃。《マスターモンク》は破壊されないが、戦闘ダメージは通った。


《大将軍 紫炎》(攻2500)
《マスターモンク》(攻1900)

篠田 LP:3400→2800


「ターンエンド!」

 一応、ダメージは通した。しかし、《マスターモンク》は除去できなかった。今、僕の手札は0。次のターンで、何か《マスターモンク》を倒せるようなカードを引ければ良いのだが。



【久藤】 LP:1100 手札:0枚
 モンスター:大将軍 紫炎(攻2500)、六武衆の師範(攻2600)
  魔法・罠:六武衆の御霊代(ユニオン・対象:六武衆の師範)、神速の具足(永続罠)

【篠田】 LP:2800 手札:0枚
 モンスター:マスターモンク(攻1900)
  魔法・罠:強欲なカケラ(永続魔法・強欲カウンター×1)、化石岩の解放(永続罠)、孤高の格闘家(永続罠)



 ライフは篠田のほうが有利だが、場の状況は五分五分と言ったところだろう。どちらに戦況が傾いてもおかしくない。僕が有利になるかもしれないし、篠田が有利になるかもしれない。
 何にしても、僕は負けてはならない。鼓動を速める心臓を落ち着かせるよう、小さく深呼吸した。

 ふと、篠田がこちらをじっと見ていることに気付いた。彼は自分のターンが回ってきたのにもかかわらず、ドローせずにこちらを見ている。何か僕が変なことでもしたのだろうか、と不安になり、「僕の顔に何かついてるかな?」と訊ねてみた。

 篠田は、「あ、すみません」と言った後、感慨深げな口調で続けた。

「久藤さん、本当にデュエルを楽しんでるなぁ、と思って」

 瞬間、後頭部を殴られ、目の前が真っ白になった気がした。篠田の言葉は鋭い刃となって、僕の心を切り裂いた。心が、痛い。

「ははっ、表情に出てたかな?」

 痛む心を無理やり抑えつけ、僕はそう言って笑顔を浮かべた。
 篠田はなおも続ける。明るい表情、明るい口調で続ける。

「そりゃもう、出まくりですよ。デュエルが始まってから久藤さん、ずっと楽しそうな顔を浮かべてるじゃないですか。何だか、そんな久藤さんを見てると、こっちまで楽しい気持ちになってきますよ」

 傷を負った獲物に追い打ちをかけるかのごとく、篠田は僕の心を言葉の刃で切り続ける。彼の言葉は、僕の弱くて醜い心をズタズタにするには充分な威力を持っていた。

 久藤さんはデュエルを楽しんでいる――篠田は何も、悪意を持って、そんなことを言ったのではない、と思う。それは分かる。けど、彼の言葉は、今の僕にとってあまりにも痛ましい響きを持っていた。
 僕は、篠田が悪魔に見えた。僕を殺そうとする悪魔に見えた。僕を拷問にかけ、なぶり殺そうとする悪魔に見えた。

 今、僕はこのデュエルを、楽しいなどとは露ほども感じていない。苦痛にしか感じていない。早く終わらせたいと思っている。早く勝利を掴んで、人々の期待に応えて、終わりにしたいと考えている。ちっとも楽しんじゃいない。楽しむ余裕なんてない。今の僕は、勝つことしか頭にない。人々の期待に応える形で勝つことしか考えていない。デュエルを楽しんでなどいない。そのことを、狂おしいまでに悲しく思っている。

 篠田よ、違う。違うんだ。
 君は思い違いをしている。君が見ている僕は、本当の僕じゃない。
 本当の僕は、デュエルをこれっぽっちも楽しんじゃいない。デュエルを嫌っている。デュエルを恐れている。デュエルから逃げ出したいと思っている。デュエルを投げ出したいと思っている。
 君が今目にしているのは、デュエルを蛇蝎のごとく嫌い、恐れる愚かな男だ。僕は嘘をついている。人々の目を欺き、嘘の自分を演じている。君は騙されている。君には真実が見えていない。僕の醜い本性が見えていない。君は、作り物の僕を見て、それが本当の僕だと思い込んでいる。違う。それは本当の僕じゃない。
 楽しそうな顔を浮かべているだって? そんなものは作り物だ。僕は、このデュエルを楽しいとは感じていない。君が見ているのは、本当の僕じゃない。僕じゃない!

 篠田は、作り物の僕を見て、楽しい気持ちになっている。いや、篠田だけじゃない。ここにいる観客、テレビでこのデュエルを見ている人々。その中にも、篠田と同じように、作り物の僕を見て、楽しい気持ちになっている人たちが大勢いるのだろう。
 そんな人々にとって必要なのは、醜く卑屈で弱々しい本当の僕ではなく、どんな時でもデュエルを楽しむ、真面目で誠実なプロデュエリストである作り物の僕なのだ。彼らが本当の僕を見たら、何を思うだろうか。考えただけでも恐ろしい。僕は結局、嘘をつき続けなければならない。

 どうしようもなく悲しい気持ちが湧きあがってきて止まらない。立っているのも辛くなり、泣き出したくなった。思い切りわあわあ泣き叫びながら、この場から逃げ出して、どこか人の目に触れないところに行きたくなった。やりきれない気持ちが僕を襲う。辛い。苦しい。もう嫌だ。

 死にたい、と思った。
 死んでしまおうか、ではなく、死にたい、と思った。
 今すぐ全部放り出して、自ら命を絶ちたくなった。作り物の僕も、本当の僕も、全部ぶち壊して終わりにしたくなった。
 けれど、僕は臆病者。思うだけで、実行には移せない。その証拠に、僕は篠田にこう言っていた。

「やっぱり、デュエルが好きだからね。だから顔にも出ちゃうのかな。デュエルは楽しくやるのが一番だよ」

 また嘘をついた。
 愚かな男だ。思ってもないことを口にして、馬鹿じゃないのか、こいつ。嘘をついたところで自分が辛いだけなのにさ。どうせ苦しむんだから、さっさと全部終わらせればいいのに。さっさと死ねよ。ほら、早く死ね! 今すぐ死ね! 死んで全て終わらせてしまえ!
 自分にめっぽう嫌気が差し、心の中でひたすら自分を罵り続けた。

 僕の人生って何なんだろう、とまた思った。
 我ながら、無様なものだ。

「俺もそう思います。デュエルは楽しくやらないと、ですよね! 俺もこのデュエルを全力で楽しみますよ!」

 篠田はそう言うと、カードをドローした。僕にはもう、篠田が悪魔にしか見えなくなっていた。彼が恐ろしく見えた。このまま彼とこの場にいれば、僕の心を壊されそうで怖くなり、今すぐ彼から離れたくなった。

 けど、本当に離れるわけにはいかない。僕はデュエルを続けなければならない。デュエルを続けて、勝たなければならない。皆の期待に応えるために。

「ドローフェイズに通常のドローをしたことで、《強欲なカケラ》に強欲カウンターが一つ乗ります!」


《強欲なカケラ》 強欲カウンター:1→2


 篠田の場の《強欲なカケラ》に二つ目のカウンターが乗せられた。それを確認すると、篠田は《強欲なカケラ》のカードを墓地へと送った。

「強欲カウンターが二つ置かれた《強欲なカケラ》を墓地へ送り、その効果を使用! 俺はデッキからカードを2枚ドローします!」

 《強欲なカケラ》の効果により、1枚だった篠田の手札が3枚まで増えた。
 厄介だ、と思った。相手の手札を増やされれば、それだけ、こちらが窮地に陥る可能性も高くなってしまう。

「よし!」

 《強欲なカケラ》の効果でドローしたカードを見た篠田は、小さくガッツポーズを取った。良いカードを引き当てたらしい。その様子を見て、僕は怖くなった。

「俺はこのカードを発動します! 永続魔法《一族の結束》!」

 篠田は勢い良く、ドローした永続魔法をデュエルディスクに叩きつけた。
 《一族の結束》。その名を聞き、僕はこめかみに銃口でも当てられたかのように、体が強張った。

 永続魔法《一族の結束》は、コントローラーの墓地に存在するモンスターの元々の種族が1種類のみの時、コントローラーの場にいるその種族のモンスターの攻撃力を800ポイントアップさせる効果を持つ。今、篠田の墓地にいるモンスターは全て岩石族モンスター。よって、篠田の場の岩石族モンスター、すなわち《マスターモンク》の攻撃力が跳ね上がる。


《マスターモンク》 攻:1900→2700


 《マスターモンク》の攻撃力が、僕の場にいる《大将軍 紫炎》と《六武衆の師範》の攻撃力を上回った。僕は自分の顔が不安で歪みそうになるのをどうにか堪えた。

「さらに、《ロックストーン・ウォリアー》を攻撃表示で召喚! このカードも岩石族なので、攻撃力が800アップします!」


《ロックストーン・ウォリアー》 攻:1800→2600


 篠田が呼び出したのは、全身が岩で構築されたような、頑強そうな戦士《ロックストーン・ウォリアー》。その容姿に違わず、《ロックストーン・ウォリアー》は、自身が戦闘を行うことによって発生するコントローラーへの戦闘ダメージを全てその身に受け、コントローラーが受ける戦闘ダメージを0にしてしまう。

 篠田の場に、高い攻撃力を備えたモンスターが2体。それを見て、僕は戦慄した。表情こそ楽しげな様を装っているが、本心ではこの上ないほどに恐れを感じていた。

「バトル! ……そうですね。まずは、《マスターモンク》で《大将軍 紫炎》を攻撃します! 行けえ!」

 結束の力で攻撃力を上げた《マスターモンク》が、《大将軍 紫炎》に向けて飛び蹴りを喰らわす。このまま何もしなければ、《大将軍 紫炎》は破壊される。僕は反射的に、《大将軍 紫炎》の効果を使用した。

「《大将軍 紫炎》のモンスター効果! このカードが破壊される場合、代わりに自分の場の『六武衆』1体を破壊できる! 僕は《六武衆の師範》を《大将軍 紫炎》の身代わりとする!」

 《六武衆の師範》が、《マスターモンク》と《大将軍 紫炎》の間に移動し、《大将軍 紫炎》の代わりに《マスターモンク》の攻撃を受けた。
 攻撃力は、《六武衆の師範》よりも《マスターモンク》のほうが上。普通なら、《六武衆の師範》が破壊される。しかし、《六武衆の師範》が破壊される場合、《六武衆の師範》に装備された《六武衆の御霊代》が代わりに破壊される。そのため、《六武衆の師範》は一度だけ破壊を免れる。
 《六武衆の師範》が身代わりになったとは言え、《大将軍 紫炎》が戦闘を行ったことに変わりはない。よって、《大将軍 紫炎》が戦闘を行ったものとして、ダメージ計算が行われる。


《マスターモンク》(攻2700)
《大将軍 紫炎》(攻2500)

久藤 LP:1100→900

《六武衆の御霊代》:破壊

《六武衆の師範》 攻:2600→2100


 《六武衆の御霊代》が破壊されたことで、《六武衆の師範》の攻撃力が下がった。その《六武衆の師範》を狙って、篠田が次の攻撃を宣言する。

「《マスターモンク》の2回目の攻撃! 《六武衆の師範》を攻撃です!」

 今度は《六武衆の師範》が攻撃対象となり、《マスターモンク》の攻撃を受ける。《六武衆の師範》は成す術なく破壊された。


《マスターモンク》(攻2700)
《六武衆の師範》(攻2100):破壊

久藤 LP:900→300


「これで、《大将軍 紫炎》を守るモンスターはいなくなりました! 《ロックストーン・ウォリアー》で《大将軍 紫炎》を攻撃!」

 篠田の言うとおり、《大将軍 紫炎》の身代わりにできるモンスターはもういない。そして、《大将軍 紫炎》では、《一族の結束》で力を上げた《ロックストーン・ウォリアー》には勝てない。
 僕は冷静な表情を浮かべつつも、内心では恐怖を抱き、《大将軍 紫炎》が破壊されるのを見ていた。


《ロックストーン・ウォリアー》(攻2600)
《大将軍 紫炎》(攻2500):破壊

久藤 LP:300→200


 残りライフがたったの200となった。
 僕は全身に力を入れた。こうしなければ、体が上から下まで余すところなくガタガタと震えてしまう。そんな姿を大衆の面前で晒すわけにはいかない。

 この震えは恐怖から来るものだ。負けるかもしれないという恐怖。追い詰められたという恐怖。人々を裏切ってしまうかもしれないという恐怖。破滅が目前に迫っているという恐怖。恐怖。恐怖。恐怖……。恐怖に精神を蝕まれ、僕は徐々に、冷静さを保つのが困難になってきていた。

 この震えが、強いデュエリストに出会えたことによる武者震いだとしたら、どれほど気持ちの良いことか。
 かつての僕は、こうして自身が追い詰められると、武者震いを起こしたものだ。強いデュエリストに出会えた喜び。絶対に勝ってやるぞという気持ち。デュエルを心の底から楽しんでいた頃の僕は、追い詰められても決してくじけるようなことはなかった。追い詰められてもデュエルを楽しんでいた。
 けど、今の僕はこの有様だ。今の僕は、恐怖で頭がおかしくなりそうになっている。もう駄目だと諦めている自分がいる。勝てるはずない。全部投げ出して逃げ出したい。人々の罵声が届かないところまで逃げたい。1人になりたい。そんな風に思ってしまう自分がいる。情けない。

 広大な恐怖が、真正面からまるで雪崩のごとく襲い掛かってくる。しかし、僕の背後は断崖絶壁。これ以上後ろに下がれば、真っ逆さま。僕はひたすら落ちていく。裏切った罰として、人々に裁かれながら、ただひたすら堕ちていく。堕ちていく。堕ちて堕ちて堕ちて、堕ちていく。そして最後は破滅する。破滅。誰も、僕のことなど見向きもしなくなる。

 腹がきりきりと痛んだ。まるで雑巾でもしぼるかのように、腸を思い切りしぼられているかのようだった。
 緊張するとすぐこれだ。

 僕は自分の中の暗い考えを全部追い出し、デュエルにだけ意識を集中させた。
 余計なことは考えるな。勝つことだけを考えるんだ。自分の役目を思い出せ。皆の期待に応えること。それが僕の役目だ。勝つんだ、このデュエルに。

「俺はカードを1枚セット! これでターンエンドです!」

 カードを1枚伏せると、篠田はターンを終了した。



【久藤】 LP:200 手札:0枚
 モンスター:なし
  魔法・罠:神速の具足(永続罠)

【篠田】 LP:2800 手札:0枚
 モンスター:マスターモンク(攻2700)、ロックストーン・ウォリアー(攻2600)
  魔法・罠:化石岩の解放(永続罠)、孤高の格闘家(永続罠)、一族の結束(永続魔法)、伏せ×1



     10



 僕はカードをドローする前に、戦況を確認した。
 今、篠田のライフが2800あるのに対し、僕のライフはたったの200しか残っていない。まさに風前の灯。吹き消すのは容易い数値だろう。
 そして、篠田の場に攻撃力2000越えのモンスターが2体いるのに対し、僕の場のカードは永続トラップ《神速の具足》が1枚のみ。僕が不利なのは明白だ。
 手札は互いに0。先にカードを引けるのは僕だが、それでどこまで切り返せるだろう。たった1枚のカードで、どこまで足掻くことができる?

 考えている途中、僕は突然、服の中に丸めた雪でも放り込まれたように、全身が冷え切った。今の篠田のターン、自分がプレイングミスをしたことに気付いたのだ。
 これは一種の計算ミス。算数の問題を間違えたようなものだ。冷静に考えて行動すれば、こんなミスは犯さなかったはずだ。

 今の篠田のターン、僕は《大将軍 紫炎》が《マスターモンク》に攻撃された際、咄嗟に《六武衆の師範》を身代わりに使った。そのため、《大将軍 紫炎》の代わりに《六武衆の師範》が破壊されることになった。そして、《六武衆の師範》が破壊される代わりに、《六武衆の師範》に装備されていた《六武衆の御霊代》が破壊された。結果、《六武衆の師範》の攻撃力が500下がり、《大将軍 紫炎》は破壊を免れ、僕は200ポイントのダメージを受けた。
 その後、《六武衆の師範》が《マスターモンク》に破壊されて600ダメージを受け、《大将軍 紫炎》が《ロックストーン・ウォリアー》に破壊されて100ダメージを受けた。
 これで、計900ダメージを受けたことになる。

 しかし、僕がもし、《大将軍 紫炎》の身代わり効果を使わなかった場合、どうなっただろうか。
 まず、《大将軍 紫炎》が《マスターモンク》に破壊されて200ダメージを受ける。次に、《六武衆の師範》が《マスターモンク》の2回目の攻撃を受け、100ダメージを受ける。《六武衆の師範》には《六武衆の御霊代》が装備されているため、《六武衆の師範》の代わりに《六武衆の御霊代》が破壊され、《六武衆の師範》は生き残る。最後に、《ロックストーン・ウォリアー》が《六武衆の師範》を破壊し、500ダメージを受ける。
 こうなった場合、僕が受けるダメージは計800となっていた。

 つまり、《大将軍 紫炎》の身代わり効果を使わなければ、僕が受けるダメージを100ポイントだけ少なくすることができたのだ。
 たかが100ポイント、されど100ポイント。数値上はほんのわずかな100ポイントだが、それが後に勝敗を左右しないとも限らない。後になって、「ああ、あとライフが100ポイントでも多くあったら!」なんて思ったところでもう遅い。そんなことあるはずないなどとどうして言い切れる?
 僕はミスを犯した。これは消えない事実だ。しかも、ごくごく単純なミスだ。冷静な気持ちで計算すれば、こんなミスは犯さなかったはずだ。

 僕は冷静さを欠いている。動揺している。恐怖で心がかき乱されている。負けるかもしれないという恐怖に、心が負けている。負けてはならないという重圧に、心が負けている。
 なんと弱い精神。プロデュエリストのくせに、少し追い詰められただけで、たかが算数の問題すら解けなくなるほどに動揺するとは。僕の精神はなんと脆い。

 自身の弱さに胸糞悪くなり、吐き気すら覚えた。この場で喉に指を突っ込んで、胃の内容物を全部吐いてしまおうかと思った。そうすれば、自身の中の鬱屈した気持ちも吐き出せるような気がした。

 ああ、駄目だ。また余計なことを考えてしまった。考え出したら止まらない。僕の弱い心は、一旦泥沼にはまり込むと、延々と沈み続け、いつまで経っても抜け出せなくなる。いつまで経っても先へ進めなくなる。
 これ以上、余計なことを考えちゃ駄目だ。デュエルに……デュエルに集中するんだ。

「うーん、結構不利になっちゃったかな。けど、負けないよ」

 相も変わらず作り物の笑顔を浮かべ、どうにか体裁を取り繕い、僕はデッキのカードに指を当てた。
 このドローで何かを引き当てられなければ終わりだ。何もかも、終わりだ。
 心臓が張り裂けそうになる中、僕はカードをドローした。

「僕のターン、ドロー!」

 恐る恐る、引いたカードを見る。引いたカードは魔法カードだった。そのカードを見た瞬間、頬が少しだけ緩んだ。

「これはついてるね。魔法カード《マジック・プランター》を発動! 自分の場に表側表示で存在する永続トラップカード1枚を墓地へ送り、デッキからカードを2枚ドローする! 《神速の具足》をコストにして、2枚ドローさせてもらうよ」

 悪運が強いと言うべきか。《マジック・プランター》の効果で、僕はさらに2枚のカードを引いた。
 引いたカードは、どちらも墓地にいる「六武衆」を復活させるトラップカードだった。トラップカード故に、このターン中に発動することはできないが、それでも、これらのカードを使えば、この場を凌ぐことくらいはできるだろう。

 しかし、と僕は考えた。
 仮に、これらのトラップを使ったとして、果たして篠田に勝つことはできるだろうか。凌ぐだけでは駄目だ。勝たなくちゃいけない。勝って、期待に応えないといけない。勝つ方法はあるか。この状況から逆転する方法はあるか。
 必死に考えを巡らす。自分の持ち札全てを思い出し、勝利を掴むことのできる手段を模索する。何のカードがあれば勝てるか、ひたすら考える。

 だが、僕の思考は思わぬ方向から邪魔され、吹き飛ばされた。

「本当に、楽しそうですね。久藤さん」

 篠田だった。篠田のその言葉が、僕を揺さぶり、思考をストップさせた。
 僕は頭が真っ白になり、今の今まで自分が何を考えていたか、分からなくなった。全て吹き飛んだ。一瞬の出来事だった。

「久藤さんは自分が不利になっても、落ち着いてて、しかも、楽しそうにデュエルしてて、すごいですよ。俺なんか、自分が不利になると、ついつい焦っちゃって、あたふたしちゃうのに」

 落ち着いてて、楽しそう――篠田には、やはりそう見えるのか。本当はそうじゃないのに。
 僕にとって、今の状況は地獄だ。デュエルは地獄だ。やればやるほど苦しく感じる。全くもって楽しくない。何が楽しいのか分からない。

 どうして過去の僕は、デュエルなんかを楽しいなどと思っていたのだろう。分からない。過去の自分の気持ちが分からない。思い出せない。とにかく、楽しくない。苦痛だ。逃げ出したい。なんで僕はこんなことをしているんだ? どうして僕はデュエルしてるんだろう。苦痛なのを分かっていて、何故デュエルをする?
 プロだから? プロだからデュエルをする? じゃあ、なんでプロをやってるんだ? 苦痛なのを分かっていて、何故プロであり続ける? 何故人々の理想であろうとし続ける? 理想であり続けようともがき苦しんだところで、地獄のような苦しみが続くだけなのに。そんなことは分かっているはずなのに、何故プロであり続ける?
 失うのが怖いから? 全てを失ったら、どうすればいいのか分からないから? それが怖いから?

 怖い。失うのは怖い。
 怖いから失いたくない。
 失いたくないから、今を維持する。
 今を維持し、理想であり続ける。プロであり続ける。デュエルを続ける。

 僕はデュエルを続ける。失うのが怖いから。
 今の人生も辛いが、全てを失った人生はもっと辛いはずだ。そうなったら、僕はどうすれば良いのか分からない。だから、失いたくない。

 今の自分をとにかく維持する。今の自分をとにかく保つ。それが最善の道。僕にとって、最善の道だ。

 そう。今の生き方が、僕にとって、最善の生き方なんだ。これが、一番の生き方。
 真面目で誠実で、いつでもデュエルを楽しんでいる、肝の据わったプロデュエリスト・久藤誠司。そんな人間を演じ、世間の人々の期待に応えること。世間の人々を裏切らないこと。常に、皆の求める自分であること。皆の求める「久藤誠司」であること。それが、僕にとって最善の生き方だ。

 だからこそ、僕の醜い本性は隠し続けなければならない。本当の僕とは、皆が求める「久藤誠司」ではない。それを晒せば、皆を裏切ることになる。皆の期待に背くことになる。何もかも、全てに背くことになる。背徳。悪徳。罪深き行為。そんな行為をしてはならない。
 僕は、本当の僕を隠し、皆の求める「久藤誠司」であり続けなければならない。それが、皆の求める僕の生き方。そして、僕自身にとって最善の生き方。隠し続けることが、僕にとっての最善。今、僕の取っている行動は、人々にとっても自分にとっても最善の行動。最善の生き方なんだ。これが最善。

 何も恐れることはない。僕は最善の行動を取っている。自分にとっても、周りにとっても、最善の行動を取っている。迷うことはない。恐れることはない。恥じることはない。この生き方が、正しい生き方なんだ。僕は正しいことをしている。

 それなのに。
 正しい生き方をしているはずなのに。他人にとっても自分にとっても、最善の生き方をしているはずなのに。
 そう自分に言い聞かせる度、僕は言いようのない孤独感に襲われ、ただひたすらに、やりきれないほどの悲しさを感じてしまう。
 僕は最善の生き方をしている。そう思う一方で、その生き方も、もはや僕にとっては地獄でしかない、と感じてしまう。このまま進んだところで、僕を待つのは、いつまで続くかも分からない苦しみ。この先もずっと、嘘の自分であり続けなければならない。偽り続ける苦しみ。それはもう地獄以外の何物でもない。今の生き方を続けることは、地獄を彷徨い続けるのに等しい。

 それなら、いっそのこと逃げてしまおうか。どこか遠くへ逃げてしまおうか。誰の目も届かない場所まで逃げてしまおうか。

 しかし、今ここで逃げ出せば、僕は多くの人を裏切ることになる。多くの人の期待に背くことになる。そんな罪を犯せば、どれほど多くの人が傷つくことか。家族、友人、ファン。皆が傷つき、僕を恨むだろう。それは、どれほど大きな罪となるか。想像もつかないし、想像したくない。想像しただけで恐ろしい。

 裏切りという罪を犯した先にある領域。
 臆病な僕には、とてもその領域に足を踏み入れる度胸はなかった。

 結局、臆病者の僕には、今の生き方を変えることなどできない。今の生き方を続けることしかできない。だから、偽り続けるしかない。嘘の自分を演じ続けるしかない。

「僕は、不利になると却って燃えるタイプでね。絶対に勝とうって気になるんだ。だから、今もこうして楽しんでるのさ」

 臆病者の僕は、また嘘をついた。
 それしかできない自分が、本当に惨めだと思った。こんな生き方しかできない自分を嫌悪した。こんな生き方を続けたところで、苦しみが続くだけなのに、僕にはそれをどうすることもできない。ああ、惨め。

「カードを2枚セットして、ターンエンドだよ」

 努めて明るい口調でエンド宣言。心の中は暗いのに、外面は明るさを保つ。
 そんなことをする自分が、途方もなく馬鹿らしいと思った。今すぐこの世から消えてしまいたくなった。



【久藤】 LP:200 手札:0枚
 モンスター:なし
  魔法・罠:伏せ×2

【篠田】 LP:2800 手札:0枚
 モンスター:マスターモンク(攻2700)、ロックストーン・ウォリアー(攻2600)
  魔法・罠:化石岩の解放(永続罠)、孤高の格闘家(永続罠)、一族の結束(永続魔法)、伏せ×1



「伏せカードが2枚……。それで迎え撃とうってわけですね。俺も負けませんよ! 俺のターン、ドロー!」

 篠田は楽しげにカードを引いた。楽しげに。
 そう。篠田は楽しそうにデュエルをしていた。僕が楽しそうにデュエルをしている、と彼は言ったが、彼自身もまた、このデュエルを楽しんでいた。

 篠田は、僕の外面だけを見て、僕がデュエルを楽しんでいると結論付けた。そして、僕と共に、このデュエルを楽しもうと考えた。だからこうして、彼はデュエルを楽しんでいる。おそらく彼は、僕が本当はどんな気持ちでデュエルをしているかなんて、全く考えもせず、ただひたすらデュエルを楽しんでいるのだろう。そうして、僕と共にこのデュエルを楽しんでいると思い込んでいる。

 けど実際、僕はちっともデュエルを楽しめていない。ただただ苦痛な時間が流れているとしか思っていない。その心の内が見透かされないよう、楽しげな様子で振舞っているだけ。だから、僕はデュエルを楽しんでいない。デュエルを楽しんでいるのは篠田だけで、僕は楽しめていない。篠田1人だけが楽しんでいる。

 そう思ったら、篠田がどこか憎らしく思えてきた。苦しむ僕を置き去りにして、1人で楽しんでいるように見えてきて、憎らしくてならなくなった。僕の気持ちなどまるで知らずに、平気で僕を傷つけるようなことばかり言って、自分1人だけで勝手に楽しんでいるように見えてきて、腹が立ってきた。ありとあらゆる手段を用いて、彼の心をズタズタに傷つけてやりたくなった。プロを続けられなくなるくらいに、二度とデュエルができなくなるくらいに、傷つけてやりたくなった。

 そこまで考えて、僕はハッとした。そして、猛烈に自分を責めた。
 何を馬鹿なことを考えているんだ。篠田を憎むのはお門違いじゃないか。彼は何も悪いことをしていない。悪いのは、彼を含む多くの人々を騙している僕じゃないか。彼はむしろ、僕に騙された被害者。なのに、何故僕が彼を憎む? そんな道理はない。憎むなら自分を憎むべきだ。篠田を憎むべきじゃない。馬鹿なことを考えるんじゃない!

 駄目だった。もう駄目だった。もう僕は駄目だった。進めば進むほど、落ちぶれていく。どんどん惨めになっていく。見苦しくなっていく。愚かになっていく。
 まさか、何の罪もない対戦相手に憎しみを抱くなんて、どうかしてる。今までこんなことはなかったのに、どうして今になってこんなことを。
 駄目だ。もう駄目だ。どんどん僕は駄目になっていく。堕ちていく。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ!

「よし! 俺もこのカードを発動させてもらいますよ! 魔法カード《マジック・プランター》! 《モンク・ファイター》がリリースされたことで、無意味に残り続けている永続トラップ《化石岩の解放》を墓地へ送り、カードを2枚ドローします!」

 途轍もない羞恥と自責の念に駆られ、僕はデュエルに集中できなくなった。
 今すぐ自分の体を引き裂きたくなった。引き裂いてバラバラにして、これ以上、誰かの目に自分の醜い姿が映らないようにしたかった。
 もはや僕は、存在する価値もない肉塊だ。ゴミ屑だ。この場に立っている資格なんてない。この場に立たせるなら、もっと相応しい人間がいる。ここは、屑同然の肉塊が居座っていていい場所じゃない!

 自分を責めて、責めて、責めまくる。だが、所詮僕にはそれしかできない。今すぐ自分をこの世から消し去りたい気持ちはあるが、結局は気持ちだけだ。臆病者の僕に、そんなことが実際にできるはずもない。そんなことをする度胸があれば、とっくに実行に移している。だから、僕は何もできず、屑の分際でこの場に留まり続けるしかできない。今を維持することしかできない。

 今、僕ができるのは、このデュエルに勝つこと。勝って、皆の期待に応えること。それだけだ。
 小さなバッグに大量の荷物を詰め込むがごとく、溢れ出るネガティブな感情を無理やり抑え込む。そして、僕はデュエルに集中することを再開した。

 篠田は、魔法カード《マジック・プランター》の効果で手札を増やした。今、篠田の手札は2枚。

「じゃあ、もう一度ドローを。俺は、トラップカード《ゴブリンのやりくり上手》を発動! それにチェーンして、手札から速攻魔法《非常食》を発動! 今発動した《ゴブリンのやりくり上手》のカードを、発動コストとして墓地へ送ります!」

 《マジック・プランター》の効果で手札を2枚にした篠田は、セットされていたトラップを発動。それにチェーンし、手札から速攻魔法を発動した。
 トラップカード《ゴブリンのやりくり上手》は、自分の墓地に存在する《ゴブリンのやりくり上手》の枚数+1枚のカードをドローし、その後手札1枚をデッキの一番下に戻すカード。そして、速攻魔法《非常食》は、自分の場の魔法・トラップカードを任意の枚数墓地へ送って発動し、墓地へ送った魔法・トラップカードの枚数×1000ポイントのライフを回復するカードだ。

「まず、《非常食》の効果が解決されます! 俺はカードを1枚墓地へ送ったので、1000ポイントのライフを回復します!」


篠田 LP:2800→3800


 篠田のライフが回復し、僕のライフとの差が大きくなった。

「そして、《ゴブリンのやりくり上手》の効果を解決! 俺の墓地には、《非常食》の発動コストとして墓地へ送られた《ゴブリンのやりくり上手》が1枚あります! よって、俺は2枚のカードをドローし、その後手札1枚をデッキの一番下に戻します!」

 ライフを回復しつつ、手札を入れ替える篠田。彼の手札枚数は、再び2枚に戻った。

「うん。良い感じの手札になりました! 久藤さん! このターンで勝ってみせます!」

 手札を入れ替えた篠田は、良いカードが手札に揃ったのか、このターンで勝利すると宣言してきた。
 僕は顔に余裕の笑みを貼り付ける一方、心は不安で満たされていた。不安で、心がはち切れそうだった。
 ちらと自分の場の伏せカードを一瞥する。これで凌げるだろうか。

「まず、俺は墓地から2体の岩石族モンスター――《メガロック・ドラゴン》と《マスターモンク》を除外し、手札より《地球巨人 ガイア・プレート》を特殊召喚!」

 篠田の墓地から2体の岩石族モンスターが取り除かれると、地面がひび割れ、いくつもの岩塊となって空中へと浮遊し始める。そして、それらが集合し、人の形を作っていき、やがて、岩の巨人《地球巨人 ガイア・プレート》へと姿を変えた。巨大なその容姿は、僕を圧倒するには充分だった。

 攻撃力2800を誇る最上級モンスター《地球巨人 ガイア・プレート》は、自身と戦闘を行う相手モンスターの攻撃力を半減させる強力な能力を持っている。その能力故に、《地球巨人 ガイア・プレート》はそう簡単に戦闘では破壊できない。一応、《地球巨人 ガイア・プレート》には、自分のスタンバイフェイズ毎に墓地から岩石族モンスター1体を除外しなければ破壊されるというデメリットがあるが、このターン中にとどめを刺せるのなら関係のないことだ。

「まだ俺の墓地には、岩石族モンスターである《地帝グランマーグ》がいます! よって、《一族の結束》の効果は継続され、岩石族の《地球巨人 ガイア・プレート》は攻撃力が800ポイントアップします!」


《地球巨人 ガイア・プレート》 攻:2800→3600


 ただでさえ戦闘に強い《地球巨人 ガイア・プレート》が攻撃力を上げてしまった。僕はこのモンスターを倒せるのだろうか。

「俺はさらに、《ゴゴゴゴーレム》を召喚! このカードも《一族の結束》の効果を受け、攻撃力がアップします!」


《ゴゴゴゴーレム》 攻:1800→2600


 新たに攻撃力1800の《ゴゴゴゴーレム》が出され、篠田の場のモンスターが4体となった。
 残りライフ200の僕を倒すのなら、《マスターモンク》と《ロックストーン・ウォリアー》がいるだけで充分なはずだ。にもかかわらず、篠田がわざわざ新たなモンスターを2体出してきたのは、確実に勝利を掴みとるためだろう。
 僕が今使っている「六武衆」デッキは、「六武衆」を特殊召喚するサポートカードが多い。だからこそ、それらのカードを使われ、壁を増やされた場合でも仕留められるように、攻撃要員を増やしておく――篠田はそう考えたに違いない。

 普通、こういった「モンスターを展開しなくても勝てる」状況では、全体除去を行うトラップを使われた時のことを考え、不用意にモンスターを展開しないものだ。不用意にモンスターを展開したことで、採用率の高い《激流葬》や《聖なるバリア−ミラーフォース−》を使われ、全滅してしまうなんてことになったら話にならない。
 しかし、篠田にとっては都合のいいことに、僕のデッキに入っていた《激流葬》と《聖なるバリア−ミラーフォース−》は、どちらも既に墓地へ送られている。《激流葬》と《聖なるバリア−ミラーフォース−》はどちらも制限カード。よって、僕の場にそれらのカードが伏せられていることはあり得ない。そのため、不用意にモンスターを展開しても、それらがトラップカードで全滅するリスクがかなり減っている。
 だからこそ、篠田はモンスターを展開したのだろう。確実に僕の息の根を止めるために。

「バトルです! 《地球巨人 ガイア・プレート》でダイレクトアタック!」

 バトルフェイズ。最も高い攻撃力を持つ《地球巨人 ガイア・プレート》の攻撃。これを通せば、当然僕は負ける。
 負けるわけにはいかない。何としても。僕は負けるわけにはいかない。負けてはいけない!

 僕は伏せカードを開いた。まさに、今の自分の状況にぴったりのトラップカードを。

「通さないよ! トラップカード《究極・背水の陣》を発動! 残りライフが100になるようにライフを支払い、自分の墓地から『六武衆』と名のついたモンスターを可能な限り特殊召喚する!」

「っ! やっぱり、『六武衆』を特殊召喚できるカードを伏せていましたか……!」


久藤 LP:200→100


 《究極・背水の陣》の発動コストとして、僕のライフが100となる。《究極・背水の陣》は強力な効果を持つ代わり、発動すると、残りライフが100になってしまう。けれど、僕は既に残りライフが200しかなかった。そうなってしまった今となっては、《究極・背水の陣》のコストも大して大きなものではない。
 僕のモンスターゾーンの空きは五つ。よって、5体の「六武衆」が特殊召喚される。

「《究極・背水の陣》の効果で、《六武衆−ザンジ》、《六武衆の影武者》、《真六武衆−カゲキ》、《真六武衆−ミズホ》、《六武衆−イロウ》を守備表示で特殊召喚!」

 5人の鎧武者が蘇り、守備体勢を取る。これで、このターンの攻撃は全て防ぐことができる。せっかく復活させた「六武衆」を壁としてしか使えないのは残念だが、今はとにかく、篠田の攻撃から身を守らなければならない。

「このターンで勝利するのは無理みたいですね。けど、攻撃は続けさせてもらいますよ! 《地球巨人 ガイア・プレート》で《真六武衆−カゲキ》を攻撃!」

 《地球巨人 ガイア・プレート》が《真六武衆−カゲキ》に向けて巨大な拳を振り下ろす。僕の場には伏せカードが1枚あるが、このカードでは攻撃を妨害することができない。このターンの篠田の攻撃は、全部大人しく通すしかない。


《地球巨人 ガイア・プレート》(攻3600)
《真六武衆−カゲキ》(守2000):破壊


「続いて、《マスターモンク》で《六武衆の影武者》と《六武衆−ザンジ》を攻撃!」

 《真六武衆−カゲキ》が撃破され、次は《マスターモンク》の攻撃。《マスターモンク》の2回の攻撃で、2体の「六武衆」が破壊された。


《マスターモンク》(攻2700)
《六武衆の影武者》(守1800):破壊
《六武衆−ザンジ》(守1300):破壊


「次は《ロックストーン・ウォリアー》で《六武衆−イロウ》を攻撃! そして、《ゴゴゴゴーレム》で《真六武衆−ミズホ》を攻撃!」

 まだ終わらない。《ロックストーン・ウォリアー》と《ゴゴゴゴーレム》が攻撃を仕掛け、《六武衆−イロウ》と《真六武衆−ミズホ》を葬り去った。それにより、僕の場のモンスターゾーンはがら空きの状態に戻った。


《ロックストーン・ウォリアー》(攻2600)
《六武衆−イロウ》(守1200):破壊

《ゴゴゴゴーレム》(攻2600)
《真六武衆−ミズホ》(守1000):破壊


 全滅だった。
 せっかく《究極・背水の陣》で呼び出した5人の「六武衆」も、パワーアップした篠田のモンスターには敵わず、ただ黙ってやられることしかできなかった。
 これで、僕の場に残されたのは、伏せカードがたった1枚。そして、残りライフは100。
 追い詰められてしまった。

「これでまた、久藤さんのモンスターはいなくなりました! 追い詰めましたよ! ターンエンドです!」



【久藤】 LP:100 手札:0枚
 モンスター:なし
  魔法・罠:伏せ×1

【篠田】 LP:3800 手札:0枚
 モンスター:マスターモンク(攻2700)、ロックストーン・ウォリアー(攻2600)、地球巨人 ガイア・プレート(攻3600)、ゴゴゴゴーレム(攻2600)
  魔法・罠:孤高の格闘家(永続罠)、一族の結束(永続魔法)



 勝ちを確信したような顔つきで、意気揚々とターンを終えた篠田。しかし、勝ちを確信しながらも、彼のその姿に、不利である僕を見下すような様子は見られなかった。むしろ、彼は勝ちを確信しておきながら、一切の油断も見せていない。そして、僕がこの状況でどう動くのか、どう反撃するのか、期待している。僕にはそう見えた。

 もしも、僕の考えている通り、篠田が何か期待しているのだとしたら、僕はそれに応えなければならない。そして、このデュエルを見ている人々の中に、彼と同じようなことを思っている人がいるならば、その人たちにも応えなければならない。プロとして、皆の理想のデュエリストとして、ここで何もできなければ、僕は皆を裏切ることになる。応えなくてはならない。裏切ってはならない。

 それは分かっているが、僕はもう倒れそうだった。まるで何かに強く掴まれているかのように全身が痛い。心臓の鼓動が速さを増している。手の平が汗だくになっている。そして、それらのことを悟られないよう、死に物狂いで冷静な姿を維持し続けている。そんな有様だ。怖くて苦しくて、これ以上デュエルを続けたくなかった。

 もう逃げたい。助けてくれ。

 そんな弱音を吐きたくなるのをひたすら抑え込む。弱音を吐いたところでどうにもならない。大勢の人の失望・怒りを買うだけだ。今、僕がすべきことは、皆が認める方法で、この戦況を逆転し、勝利を掴むこと。1人のプロとして、皆が納得する形で勝つことだ。

「ははっ、容赦ないなあ。しかし、これは冗談抜きできついね。さて、どうするか」

 表面上は変わらず余裕の様子を装い、僕はデッキのカードに指を当てた。何か、この場を潜り抜けられるカードを引けることを強く祈る。心を決め、カードを引いた。

「僕のターン、ドロー!」

 これが、ラスト・ドローとなるか、ならないか。
 暴れ回るように鼓動する心臓をなだめるよう、一度だけ深呼吸し、ドローしたカードを視界に入れた。

 引き当てたカードは、《戦士の生還》。
 墓地の戦士族モンスター1体を手札に戻すことのできる魔法カードだった。

 それを見た僕は、自分の場に残された伏せカードを一瞥した。
 場に伏せてあるのは、トラップカード《諸刃の活人剣術》。これは、自分の墓地から「六武衆」2体を特殊召喚できる強力なトラップだ。ただし、この効果で特殊召喚したモンスターはエンドフェイズ時に破壊され、破壊されたモンスターの攻撃力分、自分のライフが削られてしまう。

 手札の魔法カードと、場に伏せられたトラップカード。これらのカードの効果を考慮しつつ、僕は自分のデッキ・エクストラデッキ・墓地の内容を想起した。想起して、この場を切り抜ける一手を模索した。必死に平静さを保ち、取り乱さないようにしながら、落ち着いて、逆転法を探す。当然、簡単には見つからない。

「ちょっと、考えさせてもらうよ」

 焦りを悟られないよう、落ち着いた口調で僕は言った。それに伴い、ヒートアップしていた会場内が少しだけ静かになった。

 考える。どうやれば逆転できるか考える。デッキの内容を思い出す。エクストラデッキの内容を思い出す。墓地の内容を思い出す。手札の《戦士の生還》を見る。場の《諸刃の活人剣術》に目を向ける。そしてまた、考える。
 その間も時は過ぎていく。30秒、1分、1分30秒……。

 考えて、考えて、考えた。
 その結果、僕は結論を出した。

 このデュエル、僕の負けだ。

 今の僕に、この状況から逆転する手段はない。
 手札の《戦士の生還》を使っても無駄。
 場に伏せられた《諸刃の活人剣術》を使っても無駄。
 デッキのカードは、そもそも使うことができない。

 そして、エクストラデッキ。
 僕のエクストラデッキには、3枚のシンクロモンスターカード――《真六武衆−シエン》、《X−セイバー ウェイン》、《マジカル・アンドロイド》が入っている。《諸刃の活人剣術》を使って、チューナーの《六武衆の影武者》を含む2体の「六武衆」を復活させれば、それらのシンクロモンスターを召喚することも可能だ。
 しかし、召喚したところで篠田のモンスターを倒せるわけじゃない。せいぜい、壁にするくらいしかできない。呼び出したところでどうにもならない。

 つまり、もうどうすることもできないのだ。
 できることは、《戦士の生還》で適当な「六武衆」を回収し、裏守備表示でセットする。そして、《諸刃の活人剣術》でチューナーの《六武衆の影武者》と適当な「六武衆」1体を復活させ、シンクロモンスターを守備表示で召喚。こうして2体の壁モンスターを出したところでターンを終えること。それくらいだ。そうなれば、次のターンに総攻撃を喰らい、僕のライフが0になる。

 終わった。何もかも、終わった。
 負けた。僕は負けた。これで僕は、皆を裏切ってしまう。僕はもう終わり。破滅する――。

 いや、違う。

 今の僕に、この状況から逆転する手段はない――それは大きな間違いだ。
 僕は、あるカードの存在を忘れていた。いや、忘れていたと言うよりも、視界の外に追いやっていたと言ったほうが正しい。絶対に使うまいとして、そのカードの存在を視界の外へ追いやり、その上で、逆転法を模索していたのだ。
 だが、そのカードの存在を視野に入れた上で逆転法を模索すると、実に忌々しいことに、本当に、本当に忌々しいことに、つい今しがた得られた結論とは、180度異なる結論が得られてしまう。

 すなわち、このデュエルは僕が勝利する。

 しかし、そのためには、あのカードを使わなくてはならない。絶対に使わないと決めていたあのカードを。大嫌いなあのカードを。人々の抱く「久藤誠司」のイメージを守るため、これまで一度も使わなかったあのカードを。

 《天魔王 紫炎》を使うこと。
 それが、このデュエルで僕が勝利を収めるための、最後の手段だった。



     11



 《天魔王 紫炎》さえ使えば、このデュエルで勝利を掴むのは容易い。そして、それを使うしか、このデュエルで勝つことはできない。《天魔王 紫炎》を使えば勝つ。使わなければ負ける。これまで決して訪れることのなかった状況が、今実現したのだ。

 ついに、この時が来てしまった。
 今、僕は選択を迫られている。

 敗北を避けるために、勝利を掴むために、皆の期待に応えるために、《天魔王 紫炎》を使うか。負けることは裏切ることだ。それを避けるためには勝利しなければならない。《天魔王 紫炎》を使えば、勝利は確実に掴める。裏切らなくて済む。ならば、ここは《天魔王 紫炎》を使うべき。

 いやいや、《天魔王 紫炎》を使うことは、人々の抱く「久藤誠司」のイメージに反するし、僕自身、このカードを使って勝つことには抵抗がある。《天魔王 紫炎》を使うことこそ、期待する人々に対する裏切り行為。そして、自身のプライドをも投げ捨てる愚かな行為だ。真面目で誠実なプロデュエリストを演じるつもりならば、死んでもそんな行為をしてはならない。

 だがしかし、ここで《天魔王 紫炎》を使わずに負けてしまえば、それこそ、期待している人々を裏切ることになるじゃないか。負けることは裏切ること。プライドだとか、イメージだとか、どれだけ理由を並べ立てようと、負けは負け。僕は大勢の人を裏切ることになる。それを避けるためにも、ここは《天魔王 紫炎》を使わなければならないだろう。

 ちょっと待てよ。《天魔王 紫炎》を使ったら使ったで、結局は裏切ることになる。それでもいいのか?

 駄目だ駄目だ駄目だ! 考えても考えても、答えが出ない! 堂々巡りだ!
 もうどうすればいいのか、僕には分からない! 《天魔王 紫炎》を使って勝っても裏切り行為になり、使わずに負けても裏切り行為になる。しかし、《天魔王 紫炎》を使わずに勝つ手段はない。僕に残された道は、《天魔王 紫炎》を使って勝つか、使わずに負けるか。そのどちらかしかない。そして、そのどちらを選んでも、僕は人々を裏切ることになる。どちらを選ぼうと、地獄しか待っていない。

 悩めば悩むほど、頭の中が混乱してくる。考えても考えても答えが出ない。
 僕は焦った。焦って、どうにか答えを出そうとした。しかし、焦れば焦るほど、答えが遠ざかっていくような気がした。慌てふためく僕をあざ笑いながら、答えが僕から遠ざかっていく。そんな気がした。
 《天魔王 紫炎》を使うか、使わないか。そのどちらかを選ぶこと。その選択は、僕にはやはり、簡単にはできなかった。

「久藤誠司、思考時間残り2分!」

 審判が叫んだ。
 体がびくりとする。体が急激に冷えてきた。

 この大会では、プレイヤーに与えられた思考時間は5分と決められている。残り時間はあと2分。このまま何もせずに2分が経過した場合、強制的にターン終了となり、篠田のターンに移ってしまう。
 それを避けるためには、何でもいいからカードをプレイすること。カードをプレイしている間は、思考時間のカウントがストップする。また、カード効果の処理を行っている間も、思考時間のカウントがストップする。
 とにかく、何かカードをプレイするなり処理するなりすれば、思考時間のカウントはストップする。しなければ、思考時間のカウントが進み続け、やがて0になる。0になれば、僕のターンは強制終了となる。それがこの大会のルールだ。

 僕は泣き出したくなってきた。もちろん、そんなことはおくびにも出さず、あくまでも余裕の表情を浮かべ、戦略を練っている振りをしているのだが、それもそろそろ限界だった。辛くて、辛くて、どうしようもなくなってきた。呼吸するのも辛くなってきた。喉が苦しい。息が苦しい。いや、もう何もかも苦しい。辛い。

 死にたい。消えたい。消えてなくなりたい――と、強く思った。

 僕は目を閉じた。
 真っ暗になった世界で、今にも壊れてしまいそうな、自分の弱くて脆い心を必死になだめ、少しでも落ち着かせようとした。真っ暗になったこの世界なら、少しは落ち着けるような気がした。

 目を閉じると、目を開けていた時にはあまり意識しなかった、色々な音、色々な声が耳から入ってきた。

「頑張れ! 久藤!」

「負けるな! 久藤! 頑張れ!」

「久藤なら勝てる! 頑張れ!」

 遠くのほうから、そんな声が聞こえてきた。観客の声援だろう。僕のファンが、僕を応援しているのだ。
 プロとして、応援してくれるファンがいることは、喜ぶべきことだ。しかし、今の僕にとって彼らの声援は、僕をさらに苦しめる拷問器具にしか思えなかった。

「頑張れ! 久藤! ファイトだ!」

「負けんじゃねえ久藤! 頑張れぇ!」

「久藤! 頑張れ! 頑張れ!」

 僕は耳を塞ぎたくなる衝動に駆られた。これ以上、応援しないでくれ、と叫びたくなった。
 僕には今、彼らの声援が、僕を苦しめる呪文のように聞こえる。僕を苦しめて苦しめて苦しめて、しまいには殺してしまおうとする、悪しき呪文に変換された形で聞こえるのだ。

 久藤、お前はプロだ。俺たちが期待するプロだ。負けることは絶対に許さないぜ。
 俺たちがこれだけ期待してるんだから、その期待を絶対に裏切るなよ。絶対に絶対に裏切るなよ。
 裏切ったりしたら承知しねえ。俺たち全員でお前を裁いてやる。それが嫌なら絶対に勝て。俺たちの期待に応えろ。
 ほら、勝てよ。プロなんだろ? プロならこの程度の苦境、乗り越えて見せやがれ!
 お前は俺たちの期待を背負ってるんだ。負けることは許さねえ。負けるんじゃねえ。絶対に勝て!
 お前は勝たなきゃならねえ。俺たちの期待に応えなきゃならねえ。絶対に負けるな。俺たちの期待に応える形で、プロデュエリスト・久藤誠司として相応しいデュエルをして勝て。それがお前の役目だ。
 それができないなら、今すぐ死ね。ファンの期待に応えられないプロデュエリストに存在価値はねえ。とっとと死にやがれ。
 死にたくないなら、勝て。俺たちの期待に応えろ。負けるな。勝て。俺たちの期待に応える最高の形で勝て。絶対に俺たちを裏切るな。
 もしも裏切ったら分かってるな? お前はもう、この世に存在することすら許されなくなるぜ。嫌だろ? ならとっとと勝ちやがれ! できねえならとっとと死ね!

 僕には、ファンの声援が、そんな言葉に変換されて聞こえる。期待に応えろ。勝て。負けるな。勝て。負けるな。勝て。負けるな勝て負けるな勝て負けるな勝て……。

「頑張れ! 久藤! 頑張れ! 久藤!」

「負けるな! 久藤! 負けるな! 久藤!」

 僕の歪んだ気持ちなど、ファンが知るはずもなく、ファンは応援を続けている。
 僕は目を開けた。目を開けて、大声で応援するファンのほうを見た。

 僕は、応えなくちゃいけない。彼らに、応えなくちゃいけない。
 負けちゃいけない。頑張らないといけない。勝たなきゃいけない。
 彼らに応えること。彼らの期待に応えること。それが、プロとしての僕の役目。僕の生きる道。僕の使命。
 彼らの求めるものは、真面目で誠実で、どんな時でもデュエルを楽しむ、肝の据わった、それでいて、弱音を吐かず、最後には絶対に勝利を掴むプロデュエリスト・久藤誠司。それこそが、彼らの求める僕。多くの人々が求める僕。皆が求める僕。皆の理想である僕。皆の理想として、この世に存在することを許された僕。そんな僕を演じることが、僕の生きる道。生きる術。僕の人生。

 僕の人生って、何なんだろう。

 皆の理想を演じることが、僕の人生なのだろうか。本当の自分を隠し続けることが、僕の人生なのだろうか。だとしたら、本当の僕は、何のために存在している? 何のためでもない? 本当の僕なんて、必要とされてない? 本当の僕なんて、この世にいらない?

 そうだ。本当の僕は、この世にいらない。不必要だ。
 周りを見てみろ。皆、偽りの僕を見て、喜んでいるじゃないか。皆にとって必要なのは、偽りの僕。本当の僕じゃない。誰も、本当の僕など必要としていない。必要とされているのは、作り物の僕であって、本当の僕じゃない。ならば、偽りの僕を演じ続けなければならない。

 結局、僕は嘘をつき続けるしかない。自分を偽り続けるしかない。他人の求める自分を演じ、本来の自分を殺し続けるしかない。本当の僕は、作り物の僕に、殺され続けるしかない。

 殺され続けるなんて、妙な表現だ。殺されたらそこで終わりなのに、殺され「続ける」なんて。けど、今の僕にはぴったりの表現だ。殺され続ける――それが、今の僕の生き方。生きる道だ。
 殺され続けるのが生きる道。これまた変な表現だ。矛盾している。殺されて生きるなんて、矛盾している。おかしな話だ。

 そう。おかしな話。僕の生き方は、おかしいのかもしれない。矛盾しているのかもしれない。
 だとしたら、僕がこれまでやってきたことは、何だったのだろう。必死こいて理想のプロデュエリストを演じてきたのは、何だったのだろう。それこそ、矛盾した生き方だったのか。おかしな生き方だったのか。

 おかしい。うん。たしかにおかしい。滑稽な生き方だ。
 それは分かっていたはずだ。これまで何度も、自分を滑稽だと思ったことがある。そう。今の僕はひどく滑稽だ。そして、その滑稽な姿のまま生きている。滑稽な生き様を晒している。滑稽。無様。愚か。嘘つき。そんな生き方をして苦しい思いをしている。自ら選んだ生き方で苦しい思いをしている。馬鹿げた話だ。

 けれど僕には、そんな生き方しかできない。僕は臆病だから。常に、他人の顔色を窺ってビクビクしているような、臆病者だから。

 もっと、堂々と生きられたら。もっと、図太く生きられたら……。

 ふと、僕の脳裏に、友人・平坂の姿が浮かんだ。
 平坂は、自由奔放な人だ。少なくとも、僕はそう思っている。彼は、僕とは正反対だ。だから、僕は彼に憧れる。彼の生き様に憧れる。
 僕も、平坂のように生きられたらいいのに。平坂のように生きられたら、僕の人生は、もう少し明るいものになる気がする。ここまで悩み苦しむこともなくなる気がする。平坂のように生きられたら――。

「久藤誠司、思考時間残り1分!」

 審判が再び叫んだ。
 その声を聞き、僕は我に返った。いつの間にか、僕はデュエルのことを忘れ、濁りに濁った思いに沈んでいた。

 僕は今、何をしている?
 そうだ、《天魔王 紫炎》を使うかどうか悩んでいたんだ。

 思考時間は残り1分。1分を過ぎる前に結論を出し、行動に移さなければならない。
 ああ、けど、僕に答えなんて出せるわけがない。選べるわけがない。あと1分しかないのに、こんな難問を解くことなんてできるわけがない。無理だ。もう嫌だ。もう悩みたくない。苦しみたくない。

 息苦しい。喉を思い切り締め付けられている気分だ。頭がぐらぐらする。足が震えそうだ。もう何も考えられない。手の平から指先まで汗でびっしょりだ。このままだと、カードに汗が染み込んでしまう。
 しかし、今はそれどころじゃない。駄目だ。苦しい。何も、考え、られな、い。

「やっぱり、久藤さんはすごいです。こんな状況になっても、慌てることなく、デュエルを楽しんでいる。すごいですよ、本当に」

 拷問に等しい時間が過ぎていく中、対戦相手の篠田が、心底感心したような口調で言った。それを聞いて、僕の中で何かが、ぐらり、と揺れ動いた。

 デュエルを楽しんでいる。

 デュエルを楽しんでいる。

 デュエルヲタノシンデイル。

 篠田はそう言った。篠田は、僕を見て、そう言った。今の僕を見て、そう言った。
 篠田の言葉が本心からのものならば、僕はこの期に及んでも、デュエルを楽しむ姿をしっかりと装えていると言える。そして、そんな僕を見て篠田は、僕がデュエルを楽しんでいると感じたのだ。
 篠田にはやはり、僕の本性が見えていない。外面だけを見て、僕という人間を判断している。僕という人間を、デュエルを楽しむプロデュエリストと誤認している。

 デュエルを楽しんでいる、か。
 本当はそうじゃないのに。本当はちっとも楽しくないのに。本当は逃げ出したくてたまらないのに。

 篠田よ、本当の僕は、君の思っているような人間じゃない。君が見ているのは偽りの僕であって、本当の僕じゃない。
 君には偽りの僕しか見えていない。いや、君だけじゃない。皆、偽りの僕を見ている。偽りの僕ばかり見ている。それが僕の、本当の姿だと考えている。
 けど、違う! それは紛れもなく、僕が作り上げた、偽物の僕だ! 本物の僕じゃない!

 ああ、また考えが逸れてしまった。こんなことを考えている場合じゃないのに。僕が今考えるべきことは、こんなことじゃない。デュエルに集中するんだ。
 《天魔王 紫炎》を使って勝つか、《天魔王 紫炎》を使わずに負けるか。どちらかを選ばなければならない。思考時間は残り1分もない。早くしないと。早くしないと!

 慌てふためく心を落ち着かせるよう、僕はもう一度目を閉じ、深呼吸した。呼吸が震えているのが分かった。そのせいで、余計に心が慌てふためく。もう一度深呼吸を試みるも、今度はまともに呼吸することすらできず、却って呼吸を乱すだけに終わってしまった。

 駄目だ。どうやっても落ち着かない。どうにもならない。

 何もならず、閉じた目をまた開けた。目を開けると、篠田の姿が見えた。
 篠田は、笑顔を浮かべていた。楽しそうな顔だ。それは何も、負けそうになっている相手を見て、あざ笑っているとか、そういった類の顔じゃない。あくまでも純粋に、このデュエルを楽しんでいる。そして、僕がどんな反撃をしてくるのか、期待している。そんな顔だ。

「篠田くん。君はこのデュエル、楽しんでいるかい?」

 僕は篠田にそう問いかけた。
 どうしてそんな問いを口にしたのか、自分でもよく分からない。何が気になり、そんな問いを口にしたんだろう。分からない。追い詰められて、どうにかなってしまったのだろうか。とにかく、そんな問いを口にした。

 突然の問いかけに、篠田は一瞬虚を衝かれたような表情を浮かべたが、すぐに元通りの笑顔を浮かべて答えた。

「もちろん! 俺、このデュエルを楽しんでますよ!」

 はっきりとした答えだった。その答えに嘘はなさそうだ。
 篠田は心の底から、このデュエルを楽しんでいる。心の底から。僕とは違って、心の底から楽しんでいる。僕は、こんなに苦しんでいるのに。僕は全然、楽しめていないのに。

 そう思った途端、僕の心に再び、憎しみの感情が浮かび上がってきた。
 篠田が憎らしく思えてきた。彼1人だけがデュエルを楽しんでいるように思えて、腹立たしくなった。苦しむ僕をあざ笑うかのように、彼1人だけで勝手に楽しんでいるように思えてならなくなった。純粋にデュエルを楽しむ姿を見せつけられているかのような気がして、不愉快になった。そして、偽りの僕だけを見て、僕がこのデュエルを楽しんでいると勝手に判断している彼を、心の底から嫌悪した。憎悪した。潰してやりたいと思った。彼の身も心も、粉々にしてやりたくなった。

「俺、このデュエルを楽しんでますよ」だって? ふざけんなよ。1人で勝手に楽しみやがって。僕を置いてきぼりにして、1人で楽しむなんてずるい。僕が楽しそうにデュエルをしているって? 勝手なこと言うな。僕は全然デュエルを楽しんじゃいない。僕はずっと苦しい思いをしている。逃げ出したいとすら思っている。全然楽しんでいる余裕なんてない。なのに、僕がデュエルを楽しんでいる? 馬鹿なこと抜かすな。お前の目は節穴か? プロのくせに、相手の本性を見抜くことすらできないのか。このボンクラが!

 溢れ出した憎しみは、留まるところを知らない。僕は、おかしくなってきているらしい。対戦相手に憎しみの感情を抱くなんて、これまでにはなかった。こんなことは、今日が初めてだ。しかも、今日これで2度目だ。1度目は抑え込むことができたが、今度はそうもいかない。止められない。抑えられない。ただただ、篠田が憎くて憎くて仕方ない。

 いや、篠田だけじゃない。
 今や、僕の憎しみの感情は、彼以外の者に対しても向けられていた。
 それは、観客だった。

「頑張れ! 久藤! 頑張れ! 久藤!」

「負けるなぁ! 久藤ー!」

「久藤! 勝て! ファイトだ!」

 僕の応援を続ける観客。彼らに対しても、僕は憎しみを覚え始めていた。味方であるはずの彼らが、途方もなく憎らしく思えてきていた。

 頑張れ、だって? 何を頑張るんだ? もう僕は、充分頑張ってるじゃないか。なのに、まだ頑張れって言うのか? まだ頑張り足りないって言うのか? いつまで僕を頑張らせるんだ? 理不尽なことを言わないでくれ! 負けるな、だって? 勝て、だって? 勝つことがそんなに大事か? そんなに僕が負けるのが嫌か? 負けることは、そんなに駄目なことか? この先ずっと勝ち続けろって言うのか? 勝手なことを言わないでくれ! 黙ってくれ! もう黙ってくれ! 何も言わないでくれ! 僕に期待しないでくれ! もう、僕を……解放してくれ!

 今、自分が抱く憎しみが、ひどく理不尽で、身勝手なものであることは分かっている。僕が、篠田や観客を憎む道理はない。憎んでいいはずがない。分かっている。分かってはいるが、どうすることもできない。
 僕にはもう、止めることができなかった。自分自身の憎しみを止めることができなかった。制御できない。自分の中で暴れ狂う憎しみという名の魔物を、抑えつけることができない。何故、ここまで憎しみの感情に囚われるのか、自分自身、よく分からない。

 けど、もう、どうでも良くなってきた。全て、どうでも良くなってきた。
 こんな気分になるのは、プロになって……いや、生まれて初めてかもしれない。全て、何もかもが、どうでも良く感じられた。こんなつまんないデュエル、糞喰らえと思った。馬鹿馬鹿しいと思った。

「つまんない。どうでもいい」

 小さな声で、口に出してみた。今まで体に圧し掛かっていた何かが、ほんの少しだけ、軽くなった、気がした。

「……えーと、何ですか?」

 篠田の野郎が訊いてきた。奴は、自分に何か言われたと勘違いしたらしい。
 馬鹿な奴だ、と僕は思いながら、今度ははっきりと、篠田に聞こえるように言った。

「ひどくつまんないデュエルだ。馬鹿らしい。このデュエルの何が楽しいのか、僕にはさっぱり分からない。篠田、君はどうかしているよ。こんな糞みたいなデュエルのどこが面白いんだい?」

 僕の声は、胸に着けられたマイクを通し、会場に響き渡った。
 応援ムードで盛り上がっていた会場が、シンと静まり返った。

 不思議だ、と思った。
 今、僕は、すごく気分が良かった。先ほどまでの鬱々とした気分が嘘のように晴れている。自身の本音を吐きだした途端、圧し掛かっていた何かが完全に消え去り、体が軽くなった。
 会場が冷え切った空気になっているが、それが僕にとっては心地良く感じられた。普段とは全く異なる雰囲気。異なる世界。しかし、僕には何の不安もなかった。この世界には、僕を縛り付けるものは何もない。この世界では、僕は自由に飛び回れる。そんな気さえした。

 やがて、観客がざわざわとし始める。何が起きたのか分からない、といった様子だ。

「く……久藤誠司、思考時間……残り30秒」

 審判も困惑しているのが、その声色や口調から察せられた。

 篠田のほうへ顔を向けると、奴もまた困惑しているようで、驚いたような目つきのまま、アホみたいに口を開け、ぽかんとしている。何だ、その間抜けな面は。

「ど……どうしたんですか、久藤さん……」

 弱々しく、情けない口調で篠田が訊ねてきた。さっきまでの元気はどうしたんだよ。

「どうしたって? どうもしてないよ。僕は本心を述べただけさ」

 僕は何でもないかのように声を発した。そのつもりだったが、発した声が普段からは考えられないほど冷え切ったものになっているのが、自分でもよく分かった。
 また、知らず知らずの内に、僕は目に力を入れていた。おそらく、今の僕は、睨みつけるような目つきになっていることだろう。

 そんなことがあってか、篠田はどこか萎縮したようになった。その情けない姿を見ていると、苛々してきた。

「そんな……本心だなんて。そんなの……久藤さんらしくないですよ。どうしちゃったんですか……」

 恐る恐る、といった感じで、言葉を口にする篠田。その言葉は、僕の憎しみを倍加させるには充分だった。

「僕らしくない? なんで君がそんなこと決めるのさ。僕がどうあるかは、僕自身が決めることだ。君が決めることじゃない。君の理想を、僕に押し付けないでくれるかな」

 底冷えするような声で、僕は言い切った。自分にこんな声が出せるなんて、今まで考えもしなかった。

 篠田は、もうどうしていいか分からないといったようで、おろおろしながら、間抜け面を晒している。そんな姿を見ていると、ますます苛々としてきた。今すぐに潰してやりたくなった。二度と立ち上がれなくなるくらいに、二度とデュエルができなくなるくらいに、潰してやりたくなった。

「久藤誠司、思考時間……残り20秒」

 思考時間は残り20秒、か。

 僕は手札を見た。場を見た。墓地を見た。
 そして、決意した。

 このデュエル、勝ってやる。

 さんざん迷ったが、決意した。このデュエル、《天魔王 紫炎》を使って勝ってやる。決して使うまいと思っていたが、もういい。このカードを使って、勝ってやる。勝って、あの馬鹿を潰してやる。思いっ切り暴れてやる。

「さて、待たせたね。いい加減、この糞つまんないデュエルを終わらせようか。引き延ばしたところで、時間の無駄だしね」

 言いたい放題言いながら、僕はデュエルディスクのボタンを押した。場の伏せカードが開いた。

「伏せカードオープン。トラップカード《諸刃の活人剣術》。このカードは、自分の墓地から『六武衆』と名のついたモンスター2体を特殊召喚する。この効果で、そうだな……《六武衆の影武者》と《真六武衆−ミズホ》を特殊召喚しよう」

 僕の場に、2人の鎧武者が復活する。それを見て、篠田が弱々しく口を開いた。

「《真六武衆−ミズホ》の破壊効果を使うつもり――」

「魔法カード《戦士の生還》を発動。墓地にいる戦士族モンスター《六武衆の師範》を手札に回収。そして、場に『六武衆』がいるため、《六武衆の師範》を自身の効果で特殊召喚する」

 篠田の言葉を遮り、僕は自分の処理を進めた。ますます、篠田が萎縮し、おろおろとする。

 これで、僕の場のモンスターは、《六武衆の影武者》、《真六武衆−ミズホ》、《六武衆の師範》の3体。この内の1体《六武衆の影武者》はレベル2のチューナーだ。そして、《真六武衆−ミズホ》はレベル3の非チューナーモンスター。シンクロ召喚の準備はできた。

「レベル3《真六武衆−ミズホ》に、レベル2《六武衆の影武者》をチューニング。来い、《真六武衆−シエン》」

 《真六武衆−ミズホ》と《六武衆の影武者》のカードを墓地に送り、代わりにエクストラデッキから、僕の切り札の一つ《真六武衆−シエン》のカードを場に出す。赤い鎧を身に着けた武者《真六武衆−シエン》が場に降臨した。



【久藤】 LP:100 手札:0枚
 モンスター:真六武衆−シエン(攻2500)、六武衆の師範(攻2100)
  魔法・罠:なし

【篠田】 LP:3800 手札:0枚
 モンスター:マスターモンク(攻2700)、ロックストーン・ウォリアー(攻2600)、地球巨人 ガイア・プレート(攻3600)、ゴゴゴゴーレム(攻2600)
  魔法・罠:孤高の格闘家(永続罠)、一族の結束(永続魔法)



 僕の場に、攻撃力2000越えの「六武衆」が2体揃った。それを見て、篠田は多少圧倒された様子を見せたものの、すぐにどこか安堵したような表情を見せた。

「《真六武衆−シエン》の攻撃力は2500……《六武衆の師範》の攻撃力は2100……。そいつらでは、俺のモンスターは倒せません」

 縮こまりながらも、篠田がしっかりと指摘してくる。
 その指摘は正しい。《真六武衆−シエン》も《六武衆の師範》も、篠田の場のモンスターを倒すことはできない。このままでは、どうにもならない。

「その2体を壁にする、ってわけですか?」

 自身の勝ちが確定したとでも思ったのか、篠田の声は少しだけ明るさを取り戻していた。

 壁、ねぇ。
 どうやら、あいつは《天魔王 紫炎》の存在を知らないらしい。まあ、《天魔王 紫炎》は、さほど数の出回っていないカードらしいから、知らなくても無理ないか。

「篠田。僕の場にいるモンスターのレベルを、よく確認してみなよ」

 そう言った僕の顔には、酷薄な笑みが貼りついていたと思う。篠田は顔に不安の色を浮かべながら、僕のモンスターのレベルを確認した。

「《真六武衆−シエン》も《六武衆の師範》もレベル5。これが何なんです?」

 僕のモンスターたちのレベルを確認してもなお、篠田は僕が何を言っているのか分からないらしい。僕は鼻で笑った。

「こういうことさ」

 僕は自分の場に向けて手をかざした。

 見せてやる。
 何もかも、全部終わらせる、最恐最悪の切り札を。

「レベル5の《真六武衆−シエン》と《六武衆の師範》をオーバーレイ!」

 僕が叫ぶと、場の《真六武衆−シエン》と《六武衆の師範》が、その姿を光へと変えた。すると、地面に穴のようなものが開き、光になった《真六武衆−シエン》と《六武衆の師範》が、そこへ吸い込まれていく。その様子を、篠田は目を見開き、何が起きているのか分からない、と言いたげな表情で眺めていた。

 もう、後戻りはできない。
 もう、元の自分には戻れない。
 いや、元の自分じゃない。偽りの自分には戻れない。
 そう。偽りの自分を捨てるんだ。もう、戻れない。戻らない。

「2体のモンスターで、オーバーレイ・ネットワークを構築! エクシーズ召喚!」

 フィールドが強烈な光に包まれる。視界の全てが光で満たされる。その光の中から、このデュエルに幕を下ろすべく、魔王が降臨する。

 さあ、出番だ。全部、ぶっ壊してやれ。

「全てを切り裂け――《天魔王 紫炎》!」

 まばゆい光が消えた。視界を満たしていた光がなくなり、元の景色が戻ってくる。それと同時に、黒い鎧を身に着けた将軍が、戦いの場に降り立った。
 全身から、これでもかというくらいに殺気を放つ将軍《天魔王 紫炎》。ちょうど、《大将軍 紫炎》が身に着けている鎧を黒く染め上げれば、この将軍のような姿になるだろうか。その将軍の周りを、紫色の光の球体が二つ、不気味に輝きながら回っている。
 降り立った将軍、いや、魔王と言うべきか。魔王は、全身から殺気を放ち続けたまま、紫色に輝く双眸で篠田を射た。

「モンスター・エクシーズ……《天魔王 紫炎》……! 何だ、このカードは……!?」

 篠田はよほど予想外だったのか、目を白黒させている。あの反応を見るに、奴は本当に、《天魔王 紫炎》の存在を知らなかったようだ。
 奴はプロになって間もない。まだ世間にそれほど多く出回っていないモンスター・エクシーズを、こうしてデュエル中に見る機会もなかったのだろう。いい気味だ。

「君も、モンスター・エクシーズの存在くらいは知っているだろ? まさか、プロのくせに、知らないって言うんじゃないだろうね」

 若干、威圧するような口調で言った。
 プロのくせに――この言葉が、まさか自分の口から出るとは思わなかったな。

「それは……話くらいは聞いたことありますけど……。まさか、実物を持ってる人がいるなんて……」

 篠田は縮こまりながら、ぼそぼそと答えた。ちょっと威圧的に喋っただけでこれだ。あの篠田という男、思っていたよりも臆病な奴らしい。

「実物を持ってる人がいるとは思わなかった、か。ふうん。プロのくせに、ずいぶん楽観的な考え方をしてるんだね」

 嫌味な言い方で返しておいた。篠田はますます縮こまってしまった。何を言えばいいか分からないようだ。

「さて、《天魔王 紫炎》の力、存分に発揮させてもらおうか!」

 全てを終わらす《天魔王 紫炎》の力。この力で、勝利を掴む。


《天魔王 紫炎》 攻:2500


「《天魔王 紫炎》の攻撃力は……2500。俺のモンスターは……倒せません……!」

 《天魔王 紫炎》の攻撃力を知った篠田は、必死の強がりを見せてきた。
 奴の言うとおり、《天魔王 紫炎》の攻撃力は2500。このまま攻撃したところで、奴のモンスターはどれも倒せない。攻撃力で劣っているからだ。
 だが、奴も分かってるはずだ。僕がこの状況で、攻撃力2500の《天魔王 紫炎》を出した以上、それなりの理由がある、ということを。

「《天魔王 紫炎》のモンスター効果発動! 《天魔王 紫炎》の効果には、二つの選択肢がある。僕は、第1の効果を選択! このカードのオーバーレイ・ユニットを一つ使い、自分の墓地にあるカードの順番を、任意の順番に変更する!」

「ぼ……墓地のカードの順番を変える効果……?」

 何を狙っているのか分からない、といった表情の篠田。今はまだ分からないだろう。けど、すぐに分かるさ。

 僕は、《天魔王 紫炎》のオーバーレイ・ユニット(エクシーズ素材)の一つである《六武衆の師範》のカードを取り除き、墓地に置いた。それにより、《天魔王 紫炎》が動き出す。
 《天魔王 紫炎》は鞘から刀を引き抜き、その刀で、自分の周りを飛ぶ光の球体の一つを切り裂いた。すると、《天魔王 紫炎》の持つ刀が紫色のオーラを纏い始める。《天魔王 紫炎》はその刀を逆手に持ちかえ、刀を地面に勢い良く突き刺した。
 その動きに合わせたかのように、僕のデュエルディスクの墓地ゾーンからカードが吐き出された。僕は吐き出されたカードを手に取ると、カードの順番を変更した上で、それらのカードを墓地ゾーンに戻した。

 これで準備は整った。
 さようなら、篠田。

「《天魔王 紫炎》の第2の効果も使わせてもらう! このカードのオーバーレイ・ユニットを一つ使い、その効果を発動!」

「第2の効果!? 《天魔王 紫炎》の効果は、1ターンに複数回の発動が可能なのか!」

 その通り。
 《天魔王 紫炎》の効果は、1ターン内の発動回数に制限がない。よって、第1の効果と第2の効果を連続で使用することも可能だ。

 僕は、《天魔王 紫炎》のもう一つのオーバーレイ・ユニットである《真六武衆−シエン》のカードを墓地に置いた。これにより、《真六武衆−シエン》のカードが、墓地の一番上に置かれた。
 それに合わせ、《天魔王 紫炎》が自分の周りを飛ぶもう一つの光の球体を刀で切り裂く。そして、再び《天魔王 紫炎》の刀が紫色のオーラを纏った。

 さあ、フィナーレだ。

「《天魔王 紫炎》の第2の効果! 自分の墓地の一番上にあるカードが『六武衆』または『紫炎』と名のついた効果モンスターの場合、そのモンスターを特殊召喚する!」

「っ!? 墓地のモンスターを蘇生させる効果!?」

 篠田が顔を強張らせ、警戒の姿勢を見せる。蘇生効果は強力な効果だ。警戒するのは、まあ当然の反応だろう。
 しかし、篠田は間違っている。《天魔王 紫炎》の第2効果は、蘇生効果なんかじゃない。

「今、僕の墓地の一番上にあるカードは、《天魔王 紫炎》の第2効果を発動するために墓地へ送ったオーバーレイ・ユニット――《真六武衆−シエン》のカード。『六武衆』と名のつく効果モンスターだから特殊召喚させてもらうよ」

「くっ!」

 《天魔王 紫炎》が、紫色のオーラを纏う刀を天へと掲げると、墓地から《真六武衆−シエン》が復活した。

「け……けど! 《真六武衆−シエン》を呼び戻したところで、俺のモンスターに……は……? ……!?」

 何かをぬかした篠田だったが、その言葉は途中で途切れることとなった。何故なら、僕の場の異常な光景を目にしたからだ。

 僕の場では、《天魔王 紫炎》が、自ら復活させた《真六武衆−シエン》の首を、自身の刀で斬り落としていた。首を失った《真六武衆−シエン》の体が倒れていく。

「…………」

 わけが分からないのか、言葉を失う篠田。そんな彼に、僕は淡々と言った。

「《天魔王 紫炎》の第2の効果はね、ただの蘇生効果じゃないんだよ」

 言うと、《天魔王 紫炎》に変化が起こった。
 《天魔王 紫炎》の周囲に、紫色に輝く光の剣が、次々と現れていく。1本、2本、3本……。次々と増えていき、《天魔王 紫炎》の右側に4本、左側に4本、計8本の光の剣が現れると、光の剣はそれ以上増えなくなった。8本の光の剣の切っ先は、全て篠田のほうに向けられている。

「《天魔王 紫炎》の第2の効果。それは、自分の墓地の一番上にあるカードが『六武衆』または『紫炎』と名のついた効果モンスターの場合、そのモンスターを特殊召喚する。そしてその後、その特殊召喚したモンスターをゲームから除外し、相手に800ポイントのダメージを与える。そういう効果なんだよ」

「……! 復活させた味方モンスターを犠牲にして、プレイヤーに直接ダメージを与える効果!?」

 そういうことだ。
 《天魔王 紫炎》の第2の効果は、蘇らせた味方の命を犠牲にして、敵に傷を負わせるもの。
 墓場へと送られ、眠りについた味方を現世に引きずり戻し、その味方の魂を奪い、自らの力とする。堂々と命を、それも味方の命を踏みにじる、残酷な能力だ。

「復活させた《真六武衆−シエン》を除外! 君には、800ポイントのダメージを受けてもらう!」

 僕が言うと、《天魔王 紫炎》が自身の持つ刀の切っ先を篠田に向けた。それを合図としたかのように、《天魔王 紫炎》の周囲に現れた8本の光の剣が、目にも留まらぬ速さで篠田に向かって飛んでいく。
 2秒、いや、1秒。1秒後には、8本の光の剣全てが、篠田の体を串刺しにしていた。ソリッドビジョンとは言え、その光景はなかなかに惨たらしいものだった。

 800ポイントのダメージを与えたことで、篠田のライフが3000ポイントに減少した。


篠田 LP:3800→3000


「ぐぁ……っ……っ……!」

 篠田がよろめき、うめき声を上げた。篠田の体に突き刺さった光の剣は、まだ消滅することなく、突き刺さったままとなっている。

 篠田は足に力を入れ、倒れそうになった体を支えた。そして、その状態のまま、顔をこちらに向けてきた。その表情から見るに、まだ奴の戦意は消えていないようだ。それどころか、いくらか余裕が戻ってきているようにも見える。

「たかが800ダメージ……! そんなんじゃ、俺は倒せませんよ!」

 思っていたよりも弱い能力だ、とでも思ったのか、篠田は安堵した様子だった。
 確かに、800ダメージを与えたところで、篠田の残りライフは3000。今の奴にとっては、大した痛手ではない。奴は心の底から安心したことだろう。

 その様子を見て、僕は心の中で嗤った。いや、心の中だけでなく、顔も嗤っていたことだろう。それを証明するかのように、安堵の表情を浮かべていた篠田が、徐々に表情を曇らせ、不安を露わにしていく。

「な……何が、おかしいんですか?」

 何かに怯えているような様子の篠田。やっぱり、僕は嗤っていたらしい。
 僕は、怯える篠田を蔑視しながら、自分のディスクの墓地ゾーンに手を伸ばした。

「勘違いも甚だしい、と思っただけさ」

 そう言い放つと、僕は墓地の一番上にあるカードを手に取り、ディスクに置いた。

「蘇れ! 《六武衆の師範》!」

 カードをディスクに置くと、僕の場に隻眼の老将《六武衆の師範》が蘇った。それを見た篠田は愕然とする。

「ど……どうして、《六武衆の師範》が……久藤さんの場に!?」

 僕の場に蘇った《六武衆の師範》を指さし、篠田が喚く。そんな篠田に冷めた視線を送りながら、僕は淡白な口調で言った。

「《天魔王 紫炎》の第2の効果だよ。自分の墓地の一番上のカードが『六武衆』または『紫炎』と名のついた効果モンスターの場合、そのモンスターを特殊召喚する――もう忘れたのかい? 僕の墓地の一番上にあったカードは《六武衆の師範》だったから、特殊召喚させてもらった」

「!?」

 何を言っているのか、理解できないらしい篠田。それを横目に、僕は《天魔王 紫炎》の効果処理を続けた。

「《天魔王 紫炎》の第2効果の続きだ。自身の効果で蘇らせたモンスター《六武衆の師範》をゲームから除外! 相手に800ダメージを与える!」

 先ほど《真六武衆−シエン》にやったのと同じように、《天魔王 紫炎》は自ら復活させた《六武衆の師範》の首を斬り落とす。すると、再び《天魔王 紫炎》の周囲を、紫色に光る8本の剣が舞う。

「追加ダメージだ」

 僕が言うのと同時に、《天魔王 紫炎》が自身の持つ刀の切っ先を篠田に向ける。それを合図に、8本の光の剣が篠田目掛けて飛んでいく。光の剣は、1本も狙いを外すことなく、8本全てが篠田の体を串刺しにした。さっき篠田に刺さった光の剣が消滅しないまま残っているため、篠田の体は今、計16本の光の剣で串刺しにされている。

 これでまた、800ダメージ。篠田のライフが削られる。


篠田 LP:3000→2200


「ど……どういう……ことだ? もう《天魔王 紫炎》のオーバーレイ・ユニットは残っていないはず……。なのに、どうして? どうして、《天魔王 紫炎》の第2効果が2回発動したんだ……?」

 オーバーレイ・ユニットを使い切った《天魔王 紫炎》の第2の効果が2回発動したことを疑問に思う篠田。奴は《天魔王 紫炎》の存在を知らないから、そう思っても仕方ないことだろう。
 けど、何も疑問に思うことはないんだ。これが《天魔王 紫炎》の能力なんだから。

「そう言えば、まだ言ってなかったね。《天魔王 紫炎》の第2の効果は……」

 僕はそこで一旦区切り、篠田の混乱する様子を見て少しだけ楽しんだ。それから、続きを口にした。

「《天魔王 紫炎》の第2の効果は、自身の効果でモンスターを特殊召喚できなくなるまで、同じ処理を繰り返し続けるんだ。……この意味、分かるよね?」

 がくり。

 そんな音が聞こえたような気がした。
 僕の言葉を聞いた瞬間、篠田は崩れるように膝を折った。

「同じ処理を繰り返し続ける……つまり、墓地の一番上のカードが『六武衆』か『紫炎』と名のつく効果モンスターである限り、俺はダメージを受け続ける……!」

「そういうこと。だから、《天魔王 紫炎》の第2効果が2回発動したんだ。そして、3回目も……」

 びくり、と篠田が、16本の光の剣で串刺しにされた体を強張らせる。それを見やりながら、僕は自分の墓地の一番上にあるカードを取り出した。

「今、僕の墓地の一番上にあるのは、《真六武衆−ミズホ》。『六武衆』と名のつく効果モンスターだから、特殊召喚させてもらう」

 墓地の一番上のカードが『六武衆』だったため、《天魔王 紫炎》の第2効果がまた適用され、《真六武衆−ミズホ》が復活した。そして、復活した《真六武衆−ミズホ》の首を《天魔王 紫炎》が斬り落とす。葬られた《真六武衆−ミズホ》の魂を糧として、8本の光の剣が生成され、《天魔王 紫炎》の周囲を浮遊する。先ほどと同じ光景だ。

 篠田はその様子を見ながら、全身をガタガタと震わせていた。その惨めな様子から察するに、奴は僕が何を狙っていたのか、その全てを悟ったのだろう。

「まっ……まさか……! 久藤さんが、《天魔王 紫炎》の第1の効果で、墓地のカードの順番を入れ替えたのは……!」

 やはり、篠田は全てを悟ったようだ。顔面蒼白になっている。
 そうだよ。その通りだよ、篠田。

「気付いたようだね。僕が墓地のカードの順番を変えたのは、《天魔王 紫炎》の第2効果の威力を高めるため。《天魔王 紫炎》の第1の効果で、僕の墓地にあった『六武衆』及び『紫炎』と名のつく効果モンスターは全て、墓地の上のほうにまとめておいた。これで、《天魔王 紫炎》の効果を存分に生かせる」

「……っ……!」

 気付いた時にはもう遅い、という奴だ。もう《天魔王 紫炎》は止まらない。ひたすら墓地に眠った味方の魂を引きずり出しては喰いつくし、自らの力として、敵を串刺しにする。もう、止まらない。止まれない。戻れない。

 《真六武衆−ミズホ》の魂を糧とし、光の剣を生成した《天魔王 紫炎》は、その光の剣を篠田に向けて飛ばし、篠田の体を串刺しにした。篠田の体に突き刺さった剣の数が8本増え、ライフを800削り取る。


篠田 LP:2200→1400


 24本の光の剣に串刺しにされた篠田。まるで、光り輝く十字架が突き刺さっているようだ、と僕は感じた。その姿を見ながら、僕は《天魔王 紫炎》の効果処理を続けた。

 僕の墓地には、「六武衆」及び「紫炎」と名のつく効果モンスターがあと10体いる。そしてそれらは、墓地の上のほうにまとめてある。よって、《天魔王 紫炎》の800ダメージを与える効果は、あと10回繰り返される。

「僕の墓地の一番上のカードは《六武衆−イロウ》。特殊召喚させてもらう。そして、特殊召喚した《六武衆−イロウ》をゲームから除外」

「ひぃ……っ!」

 また僕の場に「六武衆」が蘇る。そして、その「六武衆」を《天魔王 紫炎》が斬首する。首を刎ねられた味方の魂を糧にして、自らの力とする。その凄惨な光景が繰り返された。

「こ……こんなの……ひどい……! こんなの、久藤さんらしくありませんよ!」

 篠田が叫んだ。その声は半泣きになっているように聞こえた。

 久藤さんらしくない。
 久藤さんらしくない。
 久藤さんらしくない。

 その言葉は、僕をさらに苛立たせた。僕はより一層に、篠田を憎悪した。

「何度も言わせるなよ。僕がどうあるかは、お前が決めることじゃない。勝手に決めつけないでくれ」

 僕の憎悪に呼応するように、《天魔王 紫炎》が光の剣を放つ。それらは正確に篠田の体を串刺しにし、篠田のライフを削り取った。


篠田 LP:1400→600


 僕はすぐに、墓地の一番上のカードを手に取った。あと1回。あと1回《天魔王 紫炎》の効果を処理すれば、僕の勝ちだ。

 何もかも、壊れてしまえ。全部壊れてしまえ。

 自分を縛り付ける何かを切り裂いていく気持ちで、僕は《天魔王 紫炎》の効果処理を続けた。それに伴い、次々と墓地のモンスターが復活しては、首を斬られて消えていく。ここまでのデュエルで積み重ねてきたものが、音を立てて崩壊していく。壊れていく。なくなっていく。全部全部、何もかも。積み重ねてきたものが、崩れていく。
 もう、戻れない。戻せない。取り戻せない。

 何もかもが終わりを告げる。このデュエルも。偽りの僕も。必死こいて積み重ねてきたものも。全てが終わる。たった1ターンで。たった1デュエルで。全部終わり。さようなら。

 不意に、右腕を誰かに掴まれた。何のつもりだと思い、僕は腕をつかんだ人物を睨みつけた。睨みつけた先には、スーツ姿の女性がいた。僕のマネージャーだ。彼女は怒りの形相でそこにいた。

「離してくれ。まだデュエル中だ」

 僕は冷ややかに言い放った。
 マネージャーは一瞬怯んだような様子を見せたが、すぐに怒りの形相に戻り、叫んだ。

「一体どういうつもりなの!? もうやめなさい!」

 その時のマネージャーの表情の中には、焦りのようなものも見られた。
 おそらく彼女は、控え室かどこかでこのデュエルを見ていたはずだ。そして、今の僕の様子を見て、慌てて駆けつけてきたのだろう。今の状態の僕を晒し続けることは、僕にとっても、彼女にとっても、致命的だ。これ以上傷を大きくしないためにも、僕を止めないといけない。そう思い、この場に駆け込んできた。そんなところだろう。

 けど、もう遅い。もう手遅れだ。もう僕は戻れない。今さら止めに来たところで無駄なことだ。それに、仮にもっと早く止めに来たところで、僕はデュエルを強行していただろう。

「まだデュエルは終わってない。消えてくれ」

 僕はそれだけ言って、マネージャーの腕を振りほどいた。
 しかし、マネージャーは引き下がろうとせず、先ほどよりも強く腕を掴んできた。邪魔だ。

「こんなデュエル、あなたらしくない! こんな醜態を晒して、どうなるか分かってるの!? ただじゃ済まないわよ!」

 あなたらしくない。
 あなたらしくない。
 あなたらしくない。

 また、それか。
 この女も、篠田の野郎と一緒だ。僕がどうあるべきか、どう存在するべきか、何をもって僕らしいと言えるのか、それを勝手に決めつけている。外面だけを見て、僕を判断している。そして、僕が本性を現した途端、それを醜態などと言い捨てる。
 この女が必要としているのは、嘘で塗り固められた僕。本当の僕など、この女にとっては醜くて使い物にならないただの恥晒しらしい。

 そう思った途端、僕はもう、恩人であったはずのこの女が敵にしか思えなくなった。
 よくよく考えてみれば、この女は僕をプロの世界という地獄に引きずり込んだ張本人だ。この女が僕をこんな世界に引きずり込まなければ、僕は苦しい思いをせずに済んだはずだ。自分を偽る必要もなかったはずだ。本当の自分で過ごせたはずだ。デュエルを嫌いになることもなかったはずだ。ずっとデュエルを好きでいられたはずだ。なのに、なのに……。
 この女は僕にとって恩人などではなく、悪魔でしかない。僕を地獄に引きずり込んだ悪魔でしかない。

「あんたなんかに、出会わなければ良かった」

 僕は精一杯の恨みを込め、女に言い放った。女は何を思ったのだろう、怒りの形相の中に、どこか悲しげな色を浮かべた。
 その瞬間、女の力が少し弱まる。その隙をつき、僕は女の腕を強く振りほどいた。

 自由になった僕は、墓地の一番上のカードを抜き取り、《天魔王 紫炎》の効果処理を再開した。
 既に、《天魔王 紫炎》の効果処理は7回行われ、篠田はとっくにライフを失っていた。奴は体を56本もの光の剣で串刺しにされた状態で倒れている。僕は勝ったのだ。

 しかし、まだだ。僕の墓地には、「六武衆」及び「紫炎」と名のついた効果モンスターが6体残っている。つまり、《天魔王 紫炎》の効果はあと6回処理される。まだ終わらない。

「もうやめなさい! 篠田のライフは尽きてるわ! これ以上ダメージを与えても意味ないでしょ!」

 デュエルを続行しようとしたら、悪魔の女がまたギャアギャアと喚いた。うるさい女を黙らせるため、僕はディスクから《天魔王 紫炎》のカードを掴み取り、それを女に突き付けた。《天魔王 紫炎》のテキストを見せるためだ。

「僕はこのカードのテキスト通りに動いているだけだ。つまり、ちゃんとルールに則ってるんだ。何も問題はない。黙っててくれ」

 《天魔王 紫炎》。そのカードのテキストは、次のように書かれている。



 天魔王 紫炎
 エクシーズ・効果モンスター
 ランク5/闇属性/戦士族/攻2500/守2400
 レベル5モンスター×2
 このカードのエクシーズ素材を1つ取り除く事で、以下の効果の内1つを選択して発動する。
 ●自分の墓地のカードの順番を任意の順番に入れ替える。
 ●自分の墓地の一番上にあるカードが「六武衆」または「紫炎」と名のついた効果モンスターだった場合、そのカードを特殊召喚する。その後、そのカードをゲームから除外し、相手ライフに800ポイントダメージを与える。この効果でモンスターを特殊召喚できなくなるまでこの効果を繰り返す。



 テキストを見れば分かるように、《天魔王 紫炎》の第2の効果は、自身の効果でモンスターを特殊召喚できなくなるまで繰り返される。
 ルール上、カード効果の処理を行っている途中では勝利が確定しない。そのため、たとえ効果処理の途中で相手ライフが0になろうと、効果処理は中断されず、デュエルは続行される。そして、処理が終わったところで勝利が確定するのだ。
 よって、僕が正式にこのデュエルに勝利するのは、《天魔王 紫炎》の効果処理が終わった時となる。

 つまり、僕が今行っている行為は、違反行為でもなければ血迷った行為でもない。ただルールに従い、カードテキストに書かれた処理を行っているに過ぎないのだ。それを知った悪魔の女は、何も言えずに黙り込んでしまった。

 その後、僕はカードのテキストに従い、ひたすら《天魔王 紫炎》の効果を処理し続けた。
 味方の首が斬られ続け、光の剣が篠田を貫き続ける。もう誰も止められない。僕も、僕自身を止められない。そんな中で、僕はひたすら、積み重ねてきたものを壊し続けた。人々の抱く「久藤誠司」のイメージを壊し、人々の期待を壊し、人々の信頼を壊した。偽りの僕は、もうどこにもいない。

 僕は、自由だった。



     12



 デュエルは終わった。僕の勝利で。

 《天魔王 紫炎》の効果処理を終えた僕は、審判のデュエル終了宣言を聞かずに、冷え切ったムードの漂う会場をとっとと後にした。その際、104本もの光の剣に串刺しにされた無残な姿の篠田をちらりと見たが、別に何とも思わなかった。感慨もなければ、罪悪感もない。ただ、ざまあ見ろ、とだけ思った。
 また、観客や、マネージャーであるあの悪魔の女には目もくれなかった。観客がざわざわと騒いでいたが、どうでも良かった。悪魔の女が何か叫んでいたが、どうでも良かった。何もかもどうでも良いと考えながら、その場を去った。

 会場を出た僕は、控え室に戻ると、椅子にもたれかかり、目を閉じた。それから4、5分ほど、何も考えずにその姿勢を維持した。

 熱くなっていた気持ちが、時間の経過とともに少しずつ冷えていき、落ち着きを取り戻していく。会場を出た時には半ば自棄になっていて、何も考えられなかったが、今は少しだけ冷静になって考えることができた。

 今日のデュエルで、僕は多くのものを失ったはずだ。多くのもの……いや、何もかも、と言ったほうが正しい。僕は何もかも失ったはずだ。

 僕は、暴れ狂う自分の気持ちを抑えられず、ただ気持ちの向くままに暴走し、人々の抱く「久藤誠司」のイメージを完全に破壊した。期待してくれている人々を裏切った。信頼してくれている人々を裏切った。裏切りは罪だ。僕は罪を犯した。これはもう、紛れもない事実だ。

 僕のファンは、今日の僕を見て、大きく失望したことだろう。怒りに燃えていることだろう。あんな奴に期待して、損をしたと思ったことだろう。裏切られたと思ったことだろう。僕をデュエリスト失格と思った人もいるかもしれない。そうでなくとも、プロ失格と思われていることは、まず間違いない。

 今日の対戦相手だった篠田も、とんだ災難だったと思っていることだろう。彼もまた、僕を見損なったに違いない。僕を恨んでいるに違いない。僕はいつか、彼に復讐されるかもしれない。おい、あの時お前が俺にしたこと、忘れたとは言わせねえぜ――そんなことを言いながら、彼が僕をズタズタに切り裂く日がやってくるかもしれない。

 それかあるいは――篠田が自信を失くし、プロの世界から姿を消す、という可能性もある。もしかしたら、彼はデュエルを嫌いになるかもしれない。今日のことがトラウマとなり、デュエルを嫌いになるかもしれない。二度とカードに触れられなくなるかもしれない。もしもそうなれば、僕の犯した罪は、より大きく重いものになる。大好きだったデュエルが嫌いになってしまう苦痛を、僕はよく知っている。そんな苦痛を与えることは、大きく重い罪だ。

 何にしても、僕の犯した罪は大きい。マネージャーが言っていたように、僕は今後ただでは済まされないだろう。
 僕が悪役プロデュエリストとして活躍していたのなら、まだどうにかなったかもしれない。それこそ、パフォーマンスの一種と言い切ることもできるだろう。しかし、僕は元々、真面目で誠実なプロデュエリストとして世間に認識されていた。そんな人間があんな姿を晒してしまえば、ただの大問題にしかならない。決してパフォーマンスなどとは認識されない。悪役などではなく、単なる出来の悪い情緒不安定な問題児としか思われない。

 もう、プロとしてやっていくことはできないかもしれない。いや、かもしれない、ではなく、もうできないだろう。
 あんな姿を晒すプロに期待する者はいない。あんな姿を晒すプロを信頼する者はいない。僕はもう誰からも期待されない。信頼されない。必要とされない。こうなった以上、マネージャーも僕を切り捨てるはずだ。
 マネージャーもまた、僕に期待していた人の1人だった。しかし、僕は彼女の期待を裏切った。それだけでなく、「会わなければ良かった」などと言い放ってしまった。そんなことを言ってくる相手に期待することなど何もないはずだ。彼女は僕を切り捨て、今後は別のプロデュエリストに期待することだろう。

 僕は今、危機的状況に立たされている。
 じゃあ、家族に相談するか、というわけにもいかない。僕は家族も裏切ったのだから。

 家族も僕に期待していた。母も、父も、妹も。皆が期待していた。皆、僕がプロとして、人々の理想のデュエリストとして、デュエルをする姿を、誇りに思っていた。僕が勝利を掴む度に喜んでくれた。僕がテレビに出る度に喜んでくれた。
 しかし僕は、そんな家族の期待までも裏切った。僕は、家族をも裏切ったのだ。そんな罪を犯しておいて、のこのこ相談するなんて真似はできない。それ以前に、向こうもその気がないはずだ。きっと、僕の顔も見たくないはずだ。今の僕に、家族に会わせる顔はない。罪人に、家族と触れ合う権利はない。

 僕は、全てを裏切った。皆に信頼されておきながら、それを裏切った。大きく重い罪を犯したのだ。
 もう、僕の味方はどこにもいない。僕は罪人。これから僕は、多くの人間に裁かれる。
 そのことを、僕は時間の経過とともに、強く自覚していった。

 しかし、不思議だった。

 罪を犯し、全てを失ったと自覚した今でも、僕にはこれっぽっちも恐怖心が湧いてこない。さらには、後悔などという感情も湧き上がってこない。それが、ひどく不思議に感じられた。
 会場にいた時の僕は、暴走し、冷静に考えられない状態にあったため、恐怖心など当然のごとく消えていた。だが、その暴走が止まり、落ち着きを取り戻した今でさえ、僕の中には恐怖心や後悔の感情というものが湧いてこない。

 僕は何も恐れていない。何も後悔していない。
 普段の僕だったら、恐怖心に支配され、自分の取った行動を後悔し、死ぬほどの苦しみに悶えることだろうが、今の僕は、何も恐れていない。何も後悔していない。むしろ、清々しさとか心地良さとか、そういったものさえ感じていた。非常に気分が良いのだ。

 きっと、まだ僕の心は暴走した状態にあるのだろう。会場にいた時よりは落ち着いているものの、それでも普段の僕に比べたら、暴走した状態にあるのだ。だから、自分の罪を自覚し始めた今になっても、恐怖心は湧き上がってこないし、後悔の感情も湧き上がってこない。それどころか、気分は高揚している。良い気分だ。

 たぶん、明日になれば――いや、あと数時間もすれば、僕の暴走も完全に収まるだろう。僕は元々臆病な人間だ。そう長くこの状態を維持できるとは思えない。時が経てば、いつもの臆病な自分に戻ってしまうはずだ。
 そうなれば、僕はこの上ない恐怖心に支配され、自分の過ちを猛烈に後悔し、死ぬほどの苦しみに悶えることとなるだろう。ああ、あんなことするんじゃなかった。あんなこと言うんじゃなかった。もうおしまいだ。もう破滅だ。僕はこれからどうすればいいんだろう。もう駄目だもう駄目だもう駄目だ――そんな風に考え始める時は、刻一刻と迫ってきているに違いない。地獄のような苦しみは、すぐそこまで来ている。

 しかし、そう考えてもなお、今の僕は恐怖を感じなかった。
 達観したとか、そんな大層なものじゃない。ただ、今の僕は……そう、何もかもがどうでも良いのだ。この先どうなろうが、もうどうでも良い。知ったことじゃない。そんな、投げやりな考え方をしている。だから、恐怖も何もなかった。後悔もなかった。ただただ、良い気分だった。

 どうせ地獄が待ってるんだ。なら、今はいちいち恐怖や後悔などせず、良い気分に浸っていよう。いずれ地獄と邂逅するその時まで、良い気分に浸っていよう。今の気分を少しでも長く満喫しよう――今の僕は、そういう考え方をしていた。そして、そんな考え方のできる自分を、ほんの少しだけ好きになれた。
 自分を好きになるなんて、普段の僕では考えられないことだ。

 ああ、気分が良い。最高の気分だ。

 僕は何もかも裏切り、何もかも失った。裏切りという大きな罪を犯した。これから僕は、その報いを受け、破滅の道を辿ることになるだろう。自ら犯した罪に食い殺され、堕ちていくことだろう。
 けど、それが何だ。上等じゃないか。
 こうなったら、堕ちるとこまで堕ちてやるよ。僕は裏切り者。ああ、そうさ。僕は裏切り者。罪深き者。報いを受けて、底の底まで堕ちてやる。堕落上等! かかってこい!

「はははっ」

 僕は面白くなり、思わず笑ってしまった。ははははは。面白い。これは面白い。笑うしかねえ。ははははは。ははははは。ははははは!
 控え室に、僕の笑い声が響く。僕の気分はさらに高揚していく。ああ面白い。こりゃ傑作だ。ははははは。ははははは。ははははは。ははははは!

 気分は爽快だった。





おわり






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