魔王のラストデュエル

製作者:水橋剣吾さん






 目次
 タイトル
 第1話
 第2話
 第3話
 第4話
 第5話
 エピローグ



 

魔王のラストデュエル


 その、 カードゲームは“デュエル”と呼ばれた。 古来数々の神話により伝わる、 王家の儀式“ディアハ”がモチーフだという。
 かつて“デュエル”の世界大会を、 弱冠12歳で制覇した湯田ユイガ少年は、 憂いを帯びてこう語る。
 ――ハクチョウはがんばれば、 優雅に湖を泳げる。 だけどカラスは泳げない。 それとぼくの“デュエル”はおなじです……。
 人間離れした才能を持つその少年は、 やがて『魔王』と謳われる。
 18年経った今もなお、 彼は『最強』の名を欲しいがままにする。
 ――そして、 これは“デュエル”であり、 信念か疑念かを問う戦いでもあるはずだった。
 夜空の星と灰のように舞う雪を背景に、 2色の輝きが衝突する。
 青い輝きの名は“リベリオン”。
 赤い輝きの名は“ヘイトレッド”。
 これが“デュエル”の一部だったのに――もう、 それどころではない。
 夜空の下。 銀髪の青年――山瀬アイレンは赤い瞳を見開いた。 対戦相手だった目の前の男“カノン”によって。
 アイレンは左手にある、 2枚のカードをごみのように捨て去った。 同時に右手で、 腰に隠した拳銃を握る。
 今宵、 彼を殺さなければならない。
“カノン”は人を見下している。 平気で人を殺す。 だから今宵、 この雪景色の中、 自分は彼の心臓に、 審判の矢を射抜く。
 ――その血をこの目に映す。
 アイレンは両手で銃を構え、 その銃口を“カノン”に向けた。 そしてあらゆる無念を込め、 引き金に指をかける。
 確かに銃声は響いた。 直後、 アイレンはひどく後悔する。
 ――どうしてこうなった?
 事の発端は全て過去――もう、 取り戻せない過去にある。
 ――教えてください。
 あなたはなにを求めるのですか?
 求めるものは『1つ』ですか?
 それとも『全て』ですか?
 その結論だけを教えてください。
 始まりのヒトよ。
 今は、 あなたの望んだ今なのでしょうか――?
 アイレンはひざまずき、 問い続けた。


 
第1話

 その日の早朝、 アイレンはベッドの上で寝転び、 息を乱していた。 中性的な顔立ちを虚ろにし。 銀髪も広めのひたいも汗だくだ。
 ――どうしてか?
 例の『悪夢』を見たからである。
 目覚めて早々、 消耗しきっている彼の耳に、 聞き慣れた若い女性の声が届く。
「……大丈夫……? すごいうなされてたけど?」
 声の正体は妻のヒノエだった。 絹糸のような赤い髪を肩まで伸ばし、 緑の瞳をぱっちりとさせた、 柔和な風貌の女性である。 年齢はアイレンと同じ24歳。
 アイレンは上半身を起こしてヒノエを見上げ、 心配をかけまいと返事する。
「……ああ……」
 彼が荒い息をどうにか整えていると、 さらに彼女が細い眉をひそめる。
「また、 あの夢?」
「そうだが、 大した事ない。 今のは、 5人しかやってない……」
『あの夢』――日頃見ている悪夢の事だ。
 ついさっきも悪夢にうなされていた。 具体的にいえば、 人を殺す夢――今回は銃撃戦だった。 マシンガンで撃ち殺した相手は、 血で赤黒く胸を染め、 断末魔のうめきをあげて倒れ込む。
 人の死に際は恐ろしいが、 それに見慣れた自分がもっと恐ろしい。
 悪夢の原因がなにかは知っている。
 アイレンは先の戦争で兵役に就き、 戦場に出向いていた。 しかし、 決して望んだ事ではない。 徴兵令を受けただけ。 本当は戦争が嫌いだ。
 ――だから後悔している。
 兵士として、 人を殺した過去を。
 終戦後の今も、 その後悔を引きずっていた。
 ヒノエにコップを渡され、 励まされる。
「でも……、 あんまり気にしちゃ負けだよ」
 アイレンはこくりと頭を縦に振る。 そして、 コップの中の水を自身の口に流し込んだ。
「とりあえず、 ご飯にしましょ」
 妻の愛らしい声に、 彼は少し和んだ。



 アイレンはヒノエと食卓を囲む。 食卓の中央にはサンドイッチを盛った皿が並ぶ。
 ヒノエが訊く。
「どう?」
「このベーコン挟んだのが好きだ」
「…………それ、 ハムよ」
「――え!? で、 でもなんか……珍しいハムじゃないか? うん……」
「昨日リリカにもらったの。 高いハムで、 プロ――ん? 名前は忘れたけど」
 談笑しながら、 2人はサンドイッチを手に取る。 休日のきょうは、 かなりゆったりとした朝食だった。
 おもむろにアイレンは新聞紙をつかんだ。 その一面には、 空爆を受けた某国都心の写真が載っていた。 高層ビルの上部が無惨にも崩れている。
 酷いと彼は不快感をいだきつつ、 こうして平和に朝食を送れる今に感謝しなければと感じ、 新聞紙を置いた。
 新たな話題をヒノエが切り出す。 緑の瞳を大きく輝かせ、 明るく甘い声で。
「ねえ? せっかくだし、 どこか、 いこうよ?」
「……ごめん。 午後まで待ってくれ」
 アイレンは後ろめたく謝った。
 当然、 彼女から質問が返ってくる。
「ん? なにか用でもあるの?」
「ちょっと、 ソラトと勝負を、 な……」
 きょうは親友――神風ソラトとの約束があった。
 ヒノエは困惑する。
「……まさか――“デュエル”……?」
「そう。 せめて、 けりをつけたいんだ。 “デュエル”に……」
 アイレンは鬱々とした。
 どうしてここで、 気まずくなるのかというと、 彼は“デュエル”が苦手だからだ。 理由は6年前のソラトとの“デュエル”。 その試合で敗北し、 悔しさに理性を失ったアイレンの平手は――友の顔を殴りつけた。
 そんな友を傷つけた“デュエル”が苦手なのである。
 感傷に浸りながら、 アイレンはふとヒノエを見た。 彼女は不安げだった。 彼は慌ててほほ笑む。
「あ……、 いや……。 ちょっとしたリハビリみたいなもんだし、 心配いらないよ。 ごめんな。 さっきから……」
 彼は愚痴の多い自分を反省し、 気分を変えようと話を切り返す。
「テレビつけていいか?」
「うん」 ヒノエはリモコンを取り出し、 テレビの電源を入れた。 プツンと機械音が鳴り、 モニターが光り出す。
 テレビのモニターに映ったのは、 若い女性政治家の演説だ。 白い礼服に細い身を包んだその女性は、 藍色の髪を肩まで伸ばし、 瞳はアイレンと同じく赤い。 清涼かつ繊細な雰囲気をただよわせている。 彼女は国会内の人間と比較すれば、 すこぶる幼い顔つきをしている。 現に18歳と、 現代における政治家としては異例の若さだ。 名は山瀬ララ――アイレンの妹である。
 ヒノエはモニターに映るララを見、 きらりとした眼差しで感心する。
「すごいな〜。 わたしより、 ずっとしっかりしてる」
「でもな。 ララはちょっと、 真面目すぎる……」
 アイレンは妹に向けて苦言をもらした。
「――って、 そのお兄ちゃんも、 似たようなものじゃない?」
 ヒノエに苦笑混じりに指摘された。
 彼はサンドイッチを片手に、 とぼけるように首を傾げる。
「そうか? そんなに似てるか? 俺とあいつ?」
「うん。 まがいなき、 あなたの妹だってば」
「……納得いかないなァ……」
 モニターの中で淡々と語るわが妹を、 アイレンはぼんやりと眺め続けた。 サンドイッチをほおばりながら。
 確かにこの、 藍色の髪の少女は、 われながら美しい妹だとは思う。 やや冷淡なきらいはあるが、 根はやさしい。 なのだが……。
「――なんか、 ララちゃんに辛口な感じがあるけど。 苦手だったりする?」
 ヒノエの問いに、 アイレンは答える。
「嫌いというより、 ジェラシーってやつかな?」
「『ジェラシー』……?」
「情けないが妬いてるかも――だ、 妹に。 俺は国に抗えず、 戦争に参加した。 ララは話し合いで平和にしようとしている。 なんか負けた気がしてな……」
 まあ、 家族なんてそんなものかもしれない。 いつもは当たり前のようにいるから、 好きな部分も嫌いな部分もはっきりと区別してしまうものなのだろう。
 彼が考え込む途端、 モニターの映像が切り替わる。 ララの演説はニュース番組の一部で、 新たな話題に移ったのだ。 男性のアナウンサーが概要を読み上げる。
<――先日開催された“大宮デュエルトーナメント”では、 湯田ユイガ選手が圧倒的な実力を見せつけ、 優勝を果たしました。 準々決勝の第1回戦では――>
 アイレンの目当てだったカードゲーム“デュエル”の報道だ。 “デュエル”のプロ制度導入から半世紀近くが経ち、 現代では毎日のようにテレビで報道されている。 この報道では大会優勝者湯田ユイガの試合を中心とした、 大会のダイジェスト映像が流れた。
 アイレンはユイガの試合について感想を述べる。
「“デュエル”は……あれだが、 今でも憧れるな、 先生には。 本当に“デュエル”が生んだ『魔王』みたいだ。 鳥肌が立つよ」
「ふ〜ん。 “デュエル”は知らないけど、 なんか彼、 すごいね」
 ヒノエもうなずいた。
 ユイガはアイレンの恩師である。 アイレン18歳、 ユイガ24歳の時の事だ。 わずか1年足らずの師弟関係だったが、 今もアイレンの中でその記憶は深く刻み込まれている。
 彼の教え方はありえないぐらい分かりやすく、 ためになる内容ばかりだった。
“デュエル”の事ばかりではない。 彼の人柄にも惹かれた。 いつもやさしく温かで、 弟子の自分に対しても敬意と感謝を示していた。 “デュエル”では『魔王』なんて異名もあるが、 人間としては『天使』とも呼べる存在だった。
 また近いうちに、 ユイガに会いたいなと思いつつ、 アイレンは例の約束を思い出す。 きょうはソラトと“デュエル”をする約束をしていた。



 2時間後――アイレンとソラトの“デュエル”のゆくえはこうなる。

 ――アイレン――
 ライフ100/手札1枚/デッキ20枚
 ――ソラト――
 ライフ2750/手札3枚/デッキ22枚

『こうなる』2時間前、 アイレンはコートとマフラーを身につけ、 自宅を出た。
 街角へ出向き、 バスを利用し、 待ち合わせ場所の港へとたどり着いた。 予定の時間よりも早く来てしまったため、 もうしばらく待つ事になるだろう。
 彼は海原を眺め、 船の汽笛に聞き入りながら、 過去に振り返る。
 6年前――この国は夢見る若者達にはやさしくなかった。 『戦争』という、 どの時代にもありふれた、 嘆かわしい理由で。
 ――あの時の夢だった、 “デュエル”のプロ――すなわち“デュエリスト”への道は外交、 財政目的の『国外デビュー』という狭き門をくぐる事でしか歩めなかった。
 その夢を逃し、 アイレンは無職となる。 そして法律上、 無職の者には徴兵令――戦場への切符が渡される。
 あらゆる職業が国家に規制され、 極端に就職難だった当時――多くの高卒者に徴兵令が下された。
 その“デュエリスト”か、 兵士かを賭けた、 瀬戸際の試合の相手が――。
 アイレンは急に6年前の回想を打ち切り、 6年前から現在――24歳の自分に戻る。 背後から足音が聞こえたからだ。 同時に声が聞こえる。
「――お待たせ」
 振り向くと茶色いジャケット姿の青年がいた。 巻き毛の多い黒髪に温厚な顔立ちを持つ、 友人の神風ソラトだった。 彼こそ6年前の試合――“デュエリスト”か兵士かを賭けた、 瀬戸際の戦いの相手だった。 彼は、 冬の冷たい潮風で乱れる黒髪を手で押さえながら、 こちらへと歩み寄る。
 出会って早々、 アイレンは友に依頼する。
「早速だが、 頼む」
 ――“デュエル”の相手を。
「うん。 わかった」
 ソラトは応じた。
 彼らは高層ビルの入り乱れた街を練り歩き、 “デュエル”専用の広場へと移動する。
 移動中、 アイレンはルールをおさらいした。 6年間のブランクで忘れているかもしれないと恐れていたが、 それは全くいらない心配だった。 逆に恐ろしいほど、 すらすらと思い出してしまう。 それだけ昔の自分は、 “デュエル”に熱中していたのだと再認識した。
“デュエル”は1対1でおこなう。
 準備として、 各自デッキを持参する。 『デッキ』とは数千種類ある“デュエル”専用のカードの中から、 40枚を選出し、 束ねたもの。 デッキの構成は、 勝敗が動きうる大きな要因の一つだ。
 ――なんて、 あれこれと思い出していると、 いつのまにか目的地へとたどり着いていた。
 すぐさま各自の左手首に、 “デュエルディスク”と呼ばれる盾を装備する。 この“デュエルディスク”は最新機種で、 形状は約20センチ四方の正方形。 折りたためば、 ズボンのポケットにも楽々収まる超薄型だ。 この盾がどんな機能を持つかは説明するより、 実際に使ってみたほうが解りやすい。
 彼らは10メートル近く距離を置く。
 各自腰に収めたデッキを手に取り、 手首の盾“デュエルディスク”側面に差し込む。 これで準備は整った。
 ソラトが確認する。
「いい、 かな?」
「ああ……。 始めよう」
 アイレンは6年前の過ちを思い出し、 胸の痛みを感じた。 が、 どうにかこらえた。
 ――怖くはない。 この“デュエル”は勝ち負けではない。 負けても八つ当たりせず、 相手に感謝するだけで充分だ。
 まさかないだろう。 また友を殴るなんて事は……。
 がんばる必要はない。 楽しめばいいだけ。
 ゲーム開始と同時に、 各“デュエルディスク”中央部のバネルに『4000』の文字が浮かぶ。 持ち点『ライフ』の数値を意味する。 自分のライフがゼロになったら敗北。 逆にいえば、 相手のライフをゼロにすれば勝利。
 続き、 各自デッキ上部から6枚のカードを引き、 手札にする。
 ライフ4000、 手札6枚の状態で開始された。 その結果が――

 ――アイレン――
 ライフ100/手札1枚/デッキ20枚
 ――ソラト――
 ライフ2750/手札3枚/デッキ22枚

 ――『こうなる』のである。
 アイレンは自らの敗北を確信し、 愛想の笑みをこぼす。
「やっぱり付け焼き刃じゃ、 限度がある」
「でも、 久しぶりのわりには、 すごいと思うよ」
 ソラトもしみじみと笑みを返しながら、 手札の1枚を装備している盾“デュエルディスク”に乗せる。 “デュエルディスク”に内蔵された“ソリッドビジョン”機能より――ソラトの出したカードのイラストが立体化し、 彼の眼下に出現する。 現れたのは黒い細身のオオカミ――“バウ”だった。
 そのオオカミがこちらを睨み、 荒々しくうなる。
「“バウ”で攻撃だ!」
 ソラトのかけ声で“バウ”が躍り出る。
 迫る“バウ”。 それからアイレンを守るモンスターは“ランサー・ドラゴニュート”――長槍を握る、 緑のドラゴンだ。
 ドラゴンが槍で、 黒いオオカミを迎え撃つ。
“ドラゴニュート”対“バウ”――各モンスターには攻撃力が存在する。 この攻撃力が高い側が戦闘で勝利し、 その数値差だけ、 敗北側のライフが減少する。
 今、 戦闘を繰り広げる2体は――

【ランサー・ドラゴニュート】
 攻撃力1500

【バウ】
 攻撃力1800

 アイレンの“ドラゴニュート”は槍で、 ソラトの“バウ”を貫こうとする。 が、 “バウ”は高速でその槍をすり抜け、 “ドラゴニュート”の背後に回り込む。 そのまま前足の爪で刻み、 相手の胴体を上下に切断した。 無論、 “ドラゴニュート”は息絶え、 消滅する。
 攻撃力300の差で“ドラゴニュート”が敗北した。 その『300』が敗北側のアイレンのライフに負担される。 現在、 彼はライフ100。 つまりアイレンのライフはゼロ。 彼の敗北となる。
 ゲーム終了とともに、 最後まで残ったオオカミの映像も消滅した。 互いに盾――超小型“デュエルディスク”を折りたたんでズボンのポケットにしまい、 寄り合う。
「ありがとう」
 アイレンは親友ソラトに右手を向けた。 握手を求めた。
 親友は握手に応じる。
「うん。 ありがとう」
 ――これでいい……。
 アイレンの心は少し満たされた。
 きょうは6年前とは違う。
 6年前は負けて友を殴った。
 きょうは負けても健闘をたたえあった。
 自分も少しは大人らしくなった――と、 思う。



 その後、 アイレンはソラトと国立公園に入り、 パンジーの咲き乱れた花畑を眺めながら肩を並べて歩く。
「――で、 少しは“デュエル”に慣れたかな……?」
 ソラトの質問だ。
 アイレンは吹く風に肌寒さを感じながら答える。
「分からない……。 今でもやっぱり、 デッキを持つと胸が痛む……ような……そうでもないような……」
「そう……」
「……まあ、 少しずつ慣れてくしかない……と思う」
 アイレンは儚げにつぶやき、 心の整理をする。
「あ」
 ふとアイレンは巻いていた腕時計を確認した。
 ソラトが尋ねる。
「ん?」
「きょう、 遊ぶ約束してたんだ。 ……ヒノエと」
 アイレンは恥ずかしげに返した。
 ソラトが羨望の眼差しをこちらに向ける。
「ふーん。 デートってやつだね」
「まあな」
 アイレンは照れ笑いし、 人差し指でこめかみをなでた。 実際、 内心デート気分でルンルンだ。
「いいなぁ、 アイレン。 ヒノエとあんなに仲良くて」
 ソラトはうらやましがる。
 そんな友にアイレンが提案する。
「お前にもいい相手いるだろ?――リリカとか?」
「却下」
 即答された。 答えた一瞬だけ、 ソラトの緩い目つきがきつくなっていた。
 三島リリカは高校時代、 ソラトと交際をしていたはず。 だけど喧嘩でもした?
 きょとんとするアイレンをかたわらに、 ソラトが話を進める。
「――で、 そろそろ子どもとか作らないの?」
「欲しいけど、 まだできてないな」
 言い終わったあと、 アイレンは考え込む。
 ――子ども、 か……。
 子どもには戦争を見せたくない。
 だが、 国外ではいまだに紛争中の地域が存在し、 決してこの国の平和も恒久的だと保証はできない。
 自分の子どもが国の争いに巻き込まれ、 自分と同じように戦場へ向かわされるかもしれない。
 そう考えると、 嫌になる。
 無実の子が、 産まれながらに不幸を背負わされる。 あまりにも理不尽。
 なぜ、 現実はこうも理不尽なのか?
 それとも苦難に満ちた、 この世界が正常なのか?
 疑問は尽きない。
「――アイレン……?」
 ソラトに呼ばれ、 アイレンはぼけっとしていた自分に気づき、 返事する。
「……考えてたんだ。 また、 この国も危なくなるかもって――」


 
第2話

 その頃、 1つの計画が始動しようとしていた。 その実行者の1人が緑川セイナ18歳――黒い髪に黒い目、 白い肌のくっきりとした色彩が特徴の少女である。 彼女はソファーにつき、 チェスでたわむれていた。 相手は向かい側のソファーにつく男で、 その素顔を白い仮面に覆われている。
「楽しみね。 世界がどう動くか……」
 セイナは笑みをこぼし、 黒のクィーンの駒を手に取った。
「きっとこのため、 神様はわたしをつくったのよ。 絶対うまくいくよね……?」
 彼女の表情はやや深刻になる。
 仮面の男は無言でうなずいた。
「“スワンソング”は完璧よ。 安心して」
 彼女はクィーンの駒を動かし、 小さく笑い声を漏らした。
 仮面の男が白のクィーンを動かした。
「――うーん。 また引き分けか……」
 セイナはうなって左手首に巻いた腕時計を確かめた。 まだ予定の時間まで1時間ほどある。
「もう1回?」
 彼女は左右の手の平を合わせ、 催促した。 仮面の男はやはり無言でうなずいた。



 1時間後、 世界は変革を見せる。
 世界中の軍事施設及び紛争地域をいき交う軍事兵器が破壊し尽くされた。 空から放たれる正体不明のビームにより。
 そして白い仮面をかぶる男は、 覚悟を決め、 世界各国に声明を告げる。
<わたしは神“カノン”です>
“カノン”は密かに震え出す。
 ――ついに始まった。 もう後戻りはできない。
<わたしも間抜けなもので、 ようやく気がつきました。 あなた達、 人類は失敗作なのだと。 もはや野放しにしようなんて気は、 毛頭もございません。 今後、 武力行使をおこなう国家は容赦なく、 裁きの光により焼き払います>
 ――裁きの光――その正体は人工衛星“スワンソング”から放たれるビームだ。 それで破壊を破壊する。 それが“カノン”の目的。
<どうか、 この警告を切実に受けとめ、 聡明なるご判断をよろしくお願いいたします……>



“カノン”の声明に、 あらゆる者が非難を浴びせる。
 高慢だ。
 狂っている。
 だが、 “カノン”の正体も居場所も不明で、 裁こうにも裁きようがなかった。
 そして怪奇なビームは、 世界に脅迫を植え付ける。 こうして世界は“カノン”に支配された。 それでも、 経過はどうあれ、 世界から戦争が消えたのも確かだ――。
 その6週間後、 ユイガからの呼び出しを受けた。 アイレンは緊張しつつも彼の自宅の玄関へと入り込むが、 そこでうろたえる。
「――なっ……!?」
 出迎えの声が響く。
「山瀬ララは処刑させてもらった」
 アイレンを出迎えたのは“カノン”だった。
 アイレンは言葉を失う。
 ――どうして“カノン”がここに?
 しかもララが殺された?
 とにかく、 あの魔王“カノン”が――!
 身の危険を感じ、 アイレンは身をひく。
“カノン”が仮面を外した瞬間、 その下に現れた顔で、 アイレンはさらに動揺する。
 ――そんな……バカな……。
 確かに、 心当たりはあった。 時折“カノン”の体格やしぐさが、 どことなく似ていると思った事はある。 が、 それは気のせい、 気のせいなんだと否定し続けてきた。 だが、 それは気のせいではなかった。 仮面の下には――白の肌に紫紺の瞳。 首を包む褐色の髪。 あの知性を感じさせる端正な顔立ちは――
 知っている。 自分はこの男の事を知っている。 彼を。 彼は――
「……せん……せい――!?」
 アイレンの動きが凍りついた。
 ――湯田ユイガだった……。
“カノン”の正体は恩師――湯田ユイガだった。
 そのユイガに腹を殴られ、 アイレンは地に腹をつける。 直後、 ユイガにこめかみを踏みつけられる。
「愚か者め……」
 ユイガはこちらを踏みつけながら、 見下す。 まるで汚物を眺めるかのように。
 踏みつけられたアイレンはうめき出す。
「……どうして……あなたが……? なぜ……妹を……?」
 意味不明だ。
“カノン”の正体がユイガで、 彼は妹ララを殺した。 一体、 なにが起きたんだ?
「――『なぜ』か? 彼女は造反者なのだ」
 ユイガは無慈悲に振る舞い、 踏みつけをきつくする。
 踏みつけられ、 悶えながらも、 アイレンは問いただす。
「……『造反』……? ララがなにを……したって……?」
 ユイガの声が響く。
「彼女はこう語った。 『人は信じ合う事で平和を築ける』――まさに大嘘つき。 まさに神“カノン”に対する造反だよ」
 ――……それで……ララを……?
 ララの顔が脳裏に浮かぶ。 まるでガラスように清涼で繊細で無垢な少女の面影。 笑顔はあまりないが、 彼女の赤い瞳は慈愛に満ちていた。 ――あの眼差しにもう会えない……。
 彼女はたった18年の人生を、 この男の独善により奪われた。
 アイレンはますます、 自分を踏みつる男の思想が理解できなくなる。 彼がかつて見たユイガと今のユイガとのギャップは激しい。
 ――勝ちたいのならば、 信じなさい。 自分を支える者はもちろん、 戦う相手の事も。 その相手がいるからこそ、 あなたは戦える。
 6年前のユイガにこう教わった。
 だが、 今は違う。
「元々、 ヒトは欺き合い、 殺し合う――善いとか悪いとかではなく、 それは本能。 そんな人々が信じ合うなどと、 お笑いもいいところ――」
 楽しげに語り出したユイガ。
「きみの方が詳しかろう? ヒトの裏切りと殺意の極地――戦場へと出向いたのだから」
「……そ、 そんな事……ッ!」
 急にアイレンの中で悲痛がこみ上げた。 彼は耐えようと、 地に触れる手の平を堅く握りしめる。 それは頭を踏まれている痛みではなく、 過去の過ちによるもの。
 ――自分は戦場で人を撃ち殺してきた。 殺さなければ殺されると感じたから、 自分は人を殺してきた――それは自分が人を疑っている証拠だ。
 どうしてもユイガの言い分を否定できない。 が、 疑念が人の本質――それを認めたら絶望。 だから彼は否定しようと、 あがくしかなかった。
 突如、 ユイガが誘い出す。
「――ならば、 解りやすく教えよう。 きみにゲームを申し込む」
「……『ゲーム』……?」
 ユイガが詳しく説明する。
「わたしときみが“デュエル”する。 わたしが勝ったらきみの友人、 神風ソラトを処刑」
 アイレンは地面に頭を押しつけられながら、 絶句した。
 ――今度はソラトをかよ……。
 彼の説明は終わっていない。
「きみが勝ったら、 彼の代わりにきみが殺される」
 アイレンはたまらず確認する。
「……つ、 つまり……。 ソラトを助けたければ、 俺が死ね――と……」
「そう。 ヒトが信じ合えるものならば、 きみは『死の勝利』を――自己犠牲を選ぶはず、 だが?」
 地に這いずるアイレンに、 ユイガの脅迫が飛ぶ。
「断ってもかまわんよ。 しかし、 その場合――わたしは違う者をこのゲームに巻き込むつもりさ。 どうするかね? 赤の他人を犠牲にするのも1つの手じゃないかな?」



 ――受けて……立ちます……。
 乗ってしまった。 “カノン”ことユイガの提案する、 負けたら友が死に――勝ったら自分が死ぬ――全くメリットのないゲームに。
 なんとかしてこの“デュエル”をやめる手段はないのか?
 必死に考えるが、 アイレンの脳裏に、 あの異様な光景が浮かぶ。
 ――突如、 空から釣り糸のような細いビームが局地で雨のように降り注ぎ、 世界中の軍事兵器を次々と撃ち抜いた。
 あのビームの出どころは不明。 さらに恐ろしいのは、 人一人を狙い撃つ事さえできる。 ユイガはその能力を持つ。
 だから逆らえないという事だ。
 その日の夜、 アイレンは疲れきったように自室のソファーにもたれ、 酒に酔いつぶれていた。 ただ、 むしゃくしゃした気分を紛らわすために、 コップの中のビールを口に流し込む。
 先のユイガの声が蘇る。
 ――ヒトは欺き合い、 殺し合う――。
 彼の言葉は真実なのかもしれない……。
 とりあえず入浴する事にした。
 アイレンは脱衣場に移動し、 まとっていた衣服を脱ぎ捨て、 浴場で全身にたまった汗をシャワーで洗い流す。
 入浴が終わると、 すぐさま自室のベッドに寝そべる。 睡魔に負け、 そのまま眠りについた。



 アイレンは夢を見た。
 例の戦時中の悪夢ではない。 6年前――18歳の少年だった頃――ソラトとの試合に敗北したのちの夢である。
 ――ごめん……。
 ソラトは謝った。
 アイレンは言葉を返す。
 ――なぜお前が謝る……? 殴った俺が悪いだろ?
 ソラトは首を横に振って否定した。
 アイレンには解らなかった。 なにが違い、 彼は首を横に振るのか?
 彼の答えはこうである。
 ――ぼくはきみを犠牲にした……。
 アイレンはそうではないと必死に弁護する。
 ――お、 お前はただ……、 ルールに従っただけで……。
 ソラトは大声をあげる。
 ――そのルールで! きみは傷つくんだ!
 今度は小さく、 彼の声が響く。
 ――本当はルールだろうが、 なんだろうが、 探さなきゃいけなかった。 きみが助かる方法を……。
 アイレンはため息をついて諭す。
 ――悲しいが無理なんだよ。 所詮、 この世界は誰かが、 犠牲にならなければ成り立たない。 今回は俺が犠牲になる番だった、 それだけさ……。
 ソラトは激しく訴えかける。
 ――違う……。 犠牲を許しちゃいけない。 そんな世界なら、 ぼくはいらない……。
 ソラトのひざ元には、 握り拳ができていた。 きっとその時、 彼はさぞかし憤っていたのだろう。



 夢から覚めた。
 彼は思い立ち、 自宅を出る。 向かうべきは友の家。
 玄関先でソラトに出迎えられると、 すぐさまアイレンは土下座した。
 予想通り、 ソラトは事情を呑み込めない様子で驚く。
 驚く彼にアイレンは打ち明けた。 例のユイガとのゲームの事を。 自分が勝つと自分自身が死ぬこと以外は。
 アイレンはソラトにやさしくなだめられ、 食卓に招かれる。 そして、 アイレンは彼にデッキ――対湯田ユイガ用のデッキの作成を依頼する。 彼の茶色い瞳を見つめながら。
 はっきりいってユイガは世界最強――今の自分のデッキで勝つには、 いささか不自然と判断したからだ。
 ソラトは一口つけたティーカップを卓上に置きながら、 あっさりと応じる。
「――うん。 デッキを作るのは手伝うよ」
 彼のあまりに寛大な許容に、 なにか自分の体を張り詰めていたものが、 ぷつりと音を立てて切れる――アイレンはそんな気がした。 彼は後ろめたさを感じ、 無意識に目前の友の名を呼び、 深々と頭を下げる。
「……ソラト、 ごめん……」
 友の口調がほんわかになる。
「謝らないで」
 目の前の友は穏やかで、 どこまでもやさしい。 だが、 さすがに今回ばかりは許してくれないと思っていたのに。
「――俺を……憎まないのか? 俺が負けたら、 死ぬんだぞ……?」
 アイレンはうつむいた。
「憎んだって不毛だよ」
 ソラトは前髪をかきながら言葉を返した。
 アイレンはぼんやりとする。
「慈悲深いな、 きみは……」
 1小節ほどの沈黙が過ぎ、 ソラトの口が開く。
「友達のつもりだから。 友達は絶対に信じるものでしょ? それとも『友達』ってのは、 ぼくの一方的な勘違い?」
 アイレンはしどろもどろになる。
「いや、 ……そんな事は……ない……」
 ソラトはハッとする。
「――って、 1週間もない。 早速、 着手しないと」
 こうして2人のデッキ作成が始まった。



 アイレンのゲームの相手――ユイガは机上にカードを広げ、 黙々とデッキを構築していた。
『デッキ』は40枚のカードが束ねられた瞬間に完成するもので、 すでに彼の左手には、 39枚のカードが集まっていた。 ――すなわち、 残り1枚のカードで『デッキ』は完成する。
「最後は……」
 ユイガは机上のカードを吟味し、 消去法でデッキに採用するカードを決する。
 カードは大きく『モンスター』、 『魔法』、 『トラップ』の3種類に区分できる。
『モンスター』――モンスターを呼び出すカード。 モンスターには『攻撃力』、 『守備力』の概念が存在し、 モンスター同士の戦闘をおこなわせる事ができる。
『魔法』――モンスターの強化やライフの回復など、 特殊な効果を発動するカード。 通常の魔法は1度の発動で消滅する。
『トラップ』――場に伏せ、 各自の条件を満たした瞬間に発動できる地雷型のカード。 魔法と同じく1度の発動で消滅する。
 ――ユイガは最後のカードを決め、 手中のデッキに付け加える。 これで40枚の束が完成した。
「あとは時を待つばかり……」
 一段落つき、 アイレンとの過去を振り返る。
 6年前――ユイガの前に銀髪の少年――山瀬アイレンが現れた。 彼は頭を下げて願う。
 ――お願いします。 俺を弟子にして下さい。 どうしても……俺はどうしても強くなりたいんです……。
 その時、 ユイガは彼の願いを引き受けた。 今まで弟子を志願した者はたくさんいるが、 全て断ってきた。 なのに、 アイレンだけを引き受けたのは、 直感がこう告げていたからだ。
 ――この少年は、 やがてわたしを越える……。
 ユイガは欲していた。 自分と対等に“デュエル”で戦える相手――“デュエリスト”が。
 こうしてユイガはアイレンとの、 1年足らずの師弟関係を始めた。
 アイレンはじつに真面目で物覚えのよい弟子だった。
 そして、 ソラトに負け――“デュエリスト”への道を断念したアイレンに、 ユイガはこう励ました。
 ――きっとあるさ。 きみにもわたしとの『次』が……。
 6年後の今、 ユイガは自身の言葉を皮肉に噛み締めて笑う。
「その『次』がまさか、 このような形で来ようとは……」
 いのちを賭けた“デュエル”。
 自分が勝てば自分は彼の友を殺し、 自分が負ければ自分は彼を殺す――なんと歪んだ“デュエル”だ。
「――だが、 それでも変えてみせる。 わたしの“デュエル”で、 この血まみれな星を」
 ユイガが“カノン”の仮面をかぶる以前――この世界は、 いつもと変わらず、 どこかで争いが繰り広げられていた。 やがてはこの国の平和も崩れ、 戦火に巻き込まれるのは、 明らかだ。
 戦車、 戦闘機、 空母から飛ぶ弾丸やミサイルが、 多くのいのちを散らす。 ――だが、 それは救世主“カノン”が終わらせる。
「――このいのちに、 替えてでも……」
 ユイガは胸に手をあてて誓う。
 彼はデッキを机上に起き、 そこからカードをめくる。 めくったカードに描かれた黒い翼を持つ大鳥“ヘイトレッド”を眺める。
 続けて彼はアイレンの主戦力――“リベリオン”の姿を脳裏に浮かべる。 青い翼を負った、 銀色のドラゴンだ。



 時は流れ、 ソラトは“カノン”の側近の男に連行され、 その車内へ追い込まれた。 彼はこれからきっと、 十字架にでもかけられるのだろう。
 アイレンとソラトを隔てていた、 車体の窓ガラスが開く。
「遺言なら今のうちだ」 と、 黒服の男が無愛想に急かした。
「いよいよ……」
 ソラトがつぶやいた。
「いよいよだ……」
 アイレンは重苦しい声で答えた。
 ソラトが静かに激励する。
「ぼくにかまわないで。 きみはきみ自身の戦いをするんだ」
「わかった。 だが、 お前は死なない。 勝つのは俺だ」
 アイレンは厳かな声を友に送った。
 ソラトは口を閉じ、 こくりとうなずいた。
 ――確かな俺達は信じ合っている。
 ユイガの言葉が蘇る。
 ――元々、 ヒトは欺き合い、 殺し合う――。
 アイレンは確信をいだいて抗う。
 ――違う。 それが人の全てなんかじゃない。
 自分は本当に信頼している。 ソラトだけじゃない。 ヒノエも、 ララも――そして、 ユイガも。
 決意するアイレンに声が届く。
「もう、 いいだろ?」
“カノン”の側近のがさつな声で再び、 自動車の窓ガラスがアイレンとソラトを隔てた。 そして、 その車はアイレンを置き去りにする。
 置き去りになった彼は、 小さくなる車の姿――友を乗せた車体を眺め、 眉間にしわを寄せた。
 空の色は澄み切った青だが……、 自分の心はどうなのだろうか?



 やがて青空はあかね色に色づく。 夕空の下、 高層ビルの入り乱れた都心の一画に、 特設ステージが設けられた。 その上には2人の男が立つ。 アイレンと仮面の男“カノン”だ。
 2人の視界の片隅には、 十字架にかけられたソラトがいる。 しかし、 彼から不安な雰囲気は感じられない。
 そのステージを人だかりが囲む。 人々の大半からは哀れみや侮蔑、 憤怒の視線が目立つ。
 人質をとっておいて、 なにが『ゲーム』だ。
 人のいのちをなんだと思っている。
 卑怯者。
 ――なんて、 彼は――我々は非難されているのだろうか?
 だが、 気にするな。
 アイレンは自分に言い聞かせた。
“カノン”は礼儀正しく、 なおかつ冷淡な振る舞いで挨拶する。
「まずは、 つたない余興へのお付き合いに感謝しよう。 せめて、 存分に楽しんでいってくれたまえ」
「どうしてですか? こんな事……」
 アイレンは無表情に問いただした。
 どうして“カノン”は例のビームで人々の恐怖をあおり、 支配するのか?
 そして今も、 人命を賭けたゲームなんかを催すのか?
“カノン”が解答を示す。
「言わなかったかい? ヒトは欺き合い、 殺し合うもの――ゆえにヒトは疑い合い、 そして争う。 だから抑止力が必要なのだ。 ヒトがヒトである限り、 信頼による平和などありはしない。 恐怖による支配こそ平和を生み出すのだ。 これは救済なのだよ……」
 ――高慢だ……。
 アイレンは一応、 訊いてみる。
「……では……このゲームは……?」
“カノン”は語る。
「わたしの――神の救済を拒もうとする愚か者達――特にきみの妹みたいな者に証明せねばならない。 ヒトは信じあえぬと。 この“デュエル”はそのための見せしめさ」
 ――そんな事、 俺は認めない……。
 アイレンが意気込む中、 ユイガが揶揄し出す。
「このゲーム――友を救うのならば、 きみはデュエルに勝利し、 死ななければならない。 だが、 きみはきっと負ける。 生き延びるために友を見捨てる。 そのさまを見れば、 誰もが気づくはず。 愛やら友情やらを信じる事がいかに下らぬ妄想なのかを。 神の意思に抗う事が、 まことに愚かなのだと」
 アイレンは首を横に振る。
「わかりました。 とりあえず今、 俺はあなたを倒さなければいけません。 俺はあなたに勝ち、 ……死んでやる……」
 アイレンは冷酷な気持ちで言い聞かせた。 『死んでやる』と。
「きみは勇ましい。 それがまことだとすれば、 まさしくサムライだ」
“カノン”は白々しく絶賛した。 続く言葉でやはり冷やかしだと明らかになる。
「――が、 もし、 途中で死を恐れたのならば――ぜひとも敗北を選び、 生き残る道をおすすめする。 友を切り捨てて、 ね…… 」
 語尾と同時に、 “カノン”は自身の仮面を投げ捨て、 素顔をあらわにした。
 次の瞬間、 周囲の視線が非難から驚愕に変わる。
 そんな馬鹿な!?
 嘘だ!?
 湯田ユイガ――彼が“カノン”の正体だと!?
 ――とでも、 驚いているのだろうか? そして、 今度は驚愕の視線から絶望の視線に変わる。
 湯田ユイガには勝てない。
 山瀬アイレンは負け、 神風ソラトは死ぬ――と、 思われたのだろう。 ユイガはそれだけ、 “デュエル”では滅法強いのだ。 その果てについた異名が、 『魔王』。
 ざわめきの渦中、 アイレンは左腰に納めていたカードの束を手に取る。 それを両手で包み込み、 胸にあてがう。 まるで神仏に祈るかのように。
「このデッキ……」
 アイレンは十字架にかけられた友に顔を向ける。
「――俺は信じている」
 親友と作った、 この『デッキ』という名のカードの束――それが勝利へ導いてくれると。
 友は首を縦に振った。


 
第3話

“カノン”との決戦前夜、 アイレンはヒノエと肩を寄り添って過ごしていた。 すでに彼女には決戦の全容を伝えている。
 その時、 彼女は悲しく告白した。
「――できてたの、 赤ちゃん……」
 彼女は産婦人科で、 自身の妊娠を知らされたらしい。
「そ、 そうか……」
 アイレンの心境は複雑だった。
 確かに互いに子どもは欲しがってはいたが、 これから『死ぬ』という自分のせいで、 彼女は素直に喜べないだろう。
 ――このタイミングで……。
 だが生みの親が祝福せずして、 なんのための子だ?
 彼は苦し紛れにほほ笑む。
「あ、 じつは前から名前を考えてたんだ。 『ミヤミ』ってのはどうだ……?」
「…………うん。 きれいな名前ね」
 ヒノエの笑顔はひきつっていた。
「ちょっと、 お腹、 触っていい? さすがにまだわかるわけないけど……」
 アイレンが訊くと、 ヒノエがうなずいた。 彼は映画の見まねで、 彼女のくびれた腹部をそっと撫でる。
 本当に全然わからないが、 確かにここにいるのだ。 自分の子が。 思いつきで念力を送ってみる。
「幸せになるんだ……お前は絶対に……」
 唐突に寂しさを覚えるアイレン。
「――まるで馬鹿みたいだ。 届く幸せには、 なかなか気づかない」
「え?」 首を傾げるヒノエ。
「正直、 俺、 妹が苦手だった。 無表情すぎて、 お人形みたくて――なんか近寄りがたかった……」
 彼はなにかしゃべらなければ落ち着いていられなかった。
「でも、 あいつが殺されたと知った時、 やっぱり悲しかった……。 クールすぎるけど、 やさしい部分もたくさんあると思った。 なんだかんだで、 誕生日とか祝ってくれるし……」
 風邪をひいた時は看病してくれたりもした。
 彼の震える肩は、 そっとヒノエに抱きしめられる。
「……アイレン……」
 彼女のふところが、 いつもより温かく感じた。
「きみもこんなに近くにいるのに……。 こういうツラい時じゃないと、 素直に『好き』っていえない……」
 アイレンの言葉の途中、 ヒノエになにかを手渡された。 手元を見ると、 そこにはペンダントがあった。
「それ、 あげるわ」
 ヒノエの説明を受け、 アイレンはペンダントを確認する。 その飾りには、 1枚のこがね色の羽根が使われていた。
「それ、 “ラーの羽根”っていうの。 御守りにして」
“ラー”――エジプト神話に登場する太陽の神――不死身といわれる神の羽根――『死なないで』という彼女の暗示なのだろう。
 ――ヒノエ……。
 アイレンは苦し紛れに彼女を励ます。
「大丈夫。 俺は必ず帰ってくる。 もちろん、 ソラトも助けて」
 今度は彼が、 震える彼女の肩を抱き寄せる。
「そして“カノン”の手から世界を救ってみせる。 彼も――先生もただ、 悪い夢を見てるだけなんだ。 だから俺が目覚めさせるよ。 人は信じ合えるし、 平和になれる。 支配なんかいらないって」
 こんな2人の夜がしばらく続いた。



 過去に想いをはせていたアイレンと、 ユイガを乗せたステージが天高く隆起する。 第三者との共犯による、 不正行為防止のため。
「――始めようか。 ゲームを……」
 ユイガの言葉通り、 ついにゲームが始まろうとしていた。
 各自左の手首に盾“デュエルディスク”を装着し、 その側面にカードの束『デッキ』を差し込む。 準備完了。
 アイレンは断言する。
「俺は本気です。 本当にあなたを倒すつもりです」
「いいや。 わたしには勝てない。 生きる限り、 ヒトは仲間の犠牲をも惜しまぬ。 生きる限りは……」
 ユイガも呪うように断言した。
 この言葉で、 アイレンは勇気を湧かす。
 全てを疑い、 否定する者に希望はない。
 自分には絶望もあるが希望だってある。 唯一の希望――信じ合える仲間が。
 アイレンはズボンのポケットにしまった、 “ラーの羽根”のペンダントを取り出し、 首にかける。 これも仲間から授かった希望のひとかけらだ。
 仲間なんて確かに、 下らない妄想かもしれない。 だが、 重要なのはそれを信じようとする心なのだ。
 彼の理屈は自らそれを放棄している。
 人は孤独には勝てない。
 独りよがりはもろい。
 だから、 それを証明するために、 俺は彼に勝つのだ。
 アイレンはふと、 解りきっていた事にハッとする。
 そう、 ゲームが今、 始まった。 しかも相手は、 憧れだった師匠。 なのに今は世界の支配者“カノン”として敵対している。
 ふざけている。 こんな皮肉な構図は。
 こんな戦い――“デュエル”――。
 せめて早々にピリオドを打ちたい。
 夕空の下、 冷たい北風とともに“デュエル”は開始された。

 ――アイレン――
 ライフ4000/手札6枚/デッキ34枚
 ――ユイガ――
 ライフ4000/手札6枚/デッキ34枚

“デュエル”は『ターン』――つまり『ドローフェイズ』、 『メインフェイズ』、 『バトルフェイズ』の3つを先攻後攻で交互に繰り返すゲームである。
 アイレンのデッキが赤く光る。 その光が先攻の証。
「俺の――」
 アイレンは自らのデッキに右手を添えた。 そこからは、 友の鼓動を感じる。 友の声が聞こえてくる。
 ――プレイングはもちろん大事だけど、 “デュエル”って魂だと思うんだ。 魂を込めてこそ、 デッキも“デュエル”も本物らしく見えてくるんじゃないかな?
 さらに、 デッキに眠るドラゴン達の姿も脳裏にやきつく。 “リベリオン”、 “ブラッディー”、 “ドラゴニュート”達の姿が……。
 ソラトと築いた、 このカードの束が俺を守る。 だから決して怖れる事はない。 だから始めよう“デュエル”を。
 ――俺の先攻――俺の――
「ターン!」
 ドローフェイズ――アイレンは勢いよく、 デッキからカードを引き抜いた。 それを左手の手札に加える。
 メインフェイズ――この時、 カードを場に出す事が許される。 1回のターンにモンスター、 魔法、 トラップ――それぞれ1枚ずつまで。
 アイレンは手札のカードを1枚、 場である“デュエルディスク”に置いた。 そのカードに写る赤いドラゴンを召喚して従える。
「出番だ――“ブラッディー”!」

【ブラッディー・ドラゴン】
 召喚時、 自分のデッキの“ドラゴニュート”を1体コピーして守備表示で特殊召喚する。 この効果で召喚したモンスターの効果は無効となる。

 アイレンは“ブラッディー”の効果で、 “アックス・ドラゴニュート”を特殊召喚する。 『特殊召喚』とはカードの効果によるモンスターの召喚だ。 通常の手札からの召喚とは異なり、 回数やタイミングの制限がない。
“ブラッディー”は故意に吐血した。 その血塊が、 グチャリと湿った音を鳴らして変形していき、 やがて黒いドラゴン――“アックス・ドラゴニュート”の姿を成し、 二足で地に立った。 両手で長柄のオノをかまえる。

【アックス・ドラゴニュート】
 守備力1200

【ブラッディー・ドラゴン】
 守備力1000

 ドラゴン2体が守備表示で、 アイレンの眼前に布陣する。 守備表示は攻撃こそ不可能なものの、 相手の攻撃によるダメージから所有者を守護する事に特化した形態だ。
「守備2体……鉄壁というか、 無難というか――」
 ユイガもモンスターを特殊召喚した。 彼の眼下に四つ足の青い鳥獣が舞い降りる。

【ブルー・ヒポグリフ】
 攻撃力1500
 相手が特殊召喚をおこなった時、 手札から特殊召喚できる。

 アイレン手札の魔法とトラップのカードを1枚ずつ、 リバースカードとして場に伏せた。 リバースカードが魔法の場合は伏せた次のフェイズ、 トラップの場合は伏せた次のターンならば、 自由なタイミングで発動できる。
 バトルフェイズは第1ターンに限りパスされる。
 第1ターンが終了した。
 ユイガがうなずく。
「魂は感じる……」
「当然です」
 ――『彼』と約束したんだ。
 アイレンは脳裏にソラトの笑顔を浮かべた。
 第2ターン。

 ――アイレン――
 ライフ4000/手札4枚/デッキ33枚
 モンスター2体/リバースカード2枚
 ――ユイガ――
 ライフ4000/手札5枚/デッキ34枚
 モンスター1体/リバースカードなし

「だが、 それは所詮、 偽りに込めた魂――なんてご託宣はさておき、 わたしのターンといこう。 まずはドローフェイズだ」
 ユイガは慣れた様子でゆっくりと、 眼下のデッキからカードを引き上げた。
 アイレンの視線を尻目に、 彼はリバースカードを2枚伏せ、 モンスター“スライムデルタ”を守備表示で召喚する。 その体躯は緑の粘液に包まれ、 ピラミッドの形状で宙に浮く。

【スライムデルタ】
 召喚時、 自分のデッキからカードを1枚引く。
 場に存在する限り、 自分の場の鳥獣は全て攻撃力200増加する。
 場のこのモンスターをコストにし、 場の攻撃力1500以上のモンスター1体を破壊する事ができる。

 ユイガのターンは『バトルフェイズ』に移行した。 モンスターで攻撃をおこなえるフェイズである。
 場に存在するモンスターはアイレンの――

【ブラッディー・ドラゴン】
 守備力1000

【アックス・ドラゴニュート】
 守備力1200

 ユイガの――

【ブルー・ヒポグリフ】
 攻撃力1700

【スライムデルタ】
 守備力1000

 ユイガの視線はアイレンの黒いドラゴンに向く。
「まずは、 オノを持ったそれ――」

【アックス・ドラゴニュート】
 攻撃力2000/守備力1200

「序盤で攻撃力2000は少々厄介。 守備で丸腰な内に退場願う」
 ユイガの声に反応するかのように、 “ヒポグリフ”が突撃する。 その先にあるアイレンの“ドラゴニュート”は、 オノの平面で自身をかばう。

【ブルー・ヒポグリフ】
 攻撃力1700

【アックス・ドラゴニュート】
 守備力1200

 ――来た、 攻撃が……。
 アイレンの赤い眼光が鋭さを増す。
「させるか! リバース!」
 彼の眼下に伏せられたリバースカードがひっくり返り、 効果が発動する。

【リトート】
(魔法)
 自分のデッキからカードを1枚引き、 守備表示モンスター1体を攻撃表示に変更する。

 防御体制だった“ドラゴニュート”が、 意表を突くかのように飛躍する。 そして“ヒポグリフ”の背後に飛びかかり、 大仰にオノを振りかぶる。

【アックス・ドラゴニュート】
 攻撃力2000

【ブルー・ヒポグリフ】
 攻撃力1700

 このまま2体が戦闘をおこなえば、 勝利するのは“ドラゴニュート”。
「どうだ……!」 安堵と緊迫の両方をいだくアイレン。
 ――が、 ユイガはリバースカードを発動し、 堂々と振る舞う。
「きみごとき……ひとひねりだ!」
 彼の威厳を恐れ、 アイレンは思わず一瞬、 息をとめる。 まるで脳に、 バチンッと電磁波が流れてきそうな威圧感だ。

【アブソーブ】
(トラップ)
 伏せたターンに発動できる。
 戦闘時、 相手モンスター1体の攻撃力を最大1000まで自分のライフに吸収する。

 ユイガはライフ1000回復し、 4000から5000に増した。 同時に“ドラゴニュート”の攻撃力は1000減少し――

【アックス・ドラゴニュート】
 攻撃力1000

【ブルー・ヒポグリフ】
 攻撃力1700

 力関係が逆転する。 “ドラゴニュート”の動作が急激に鈍り、 その隙を“ヒポグリフ”はのがさず旋回する。 くちばしで“ドラゴニュート”の胴体を貫いた。 貫かれたそれはゲーム上破壊された事となり、 風船のように弾けて消滅した。 破壊されたカードは『セメタリー』と呼ばれる異空間へと送られる。
 この戦闘でアイレンはライフに700のダメージを受け、 苦い顔をする。

 ――アイレン――
 ライフ3300/手札5枚/デッキ32枚
 モンスター1体/リバースカード1枚
 ――ユイガ――
 ライフ5000/手札3枚/デッキ32枚
 モンスター2体/リバースカード1枚

 第2ターン終了、 第3ターン突入とともに、 ユイガの得意げな声が立つ。
「きみのターンだ。 それとも白旗かな? それはさすがに失笑だろうから、 よしたまえ。 きみにはたくさんの、 ライフが残っている」
「見くびるな……」
 アイレンは険しい眼差しとともにデッキに右手を添えた。 カードを引くために。 断じて降参のつもりはない。
 彼は引いたばかりのカードをちらりと確認し、 すぐさま場に出す。
 ――“デスサイズ・ドラゴニュート”。
 白い長身のドラゴンが、 長柄の鎌を握って現れた。 その背中からは赤い骨組で形成された翼が左右に伸びる。
「バトルフェイズ! 攻撃だ!」
 アイレンは手札を2枚伏せ、 召喚したばかりのドラゴンで攻撃をおこなう。

【デスサイズ・ドラゴニュート】
 攻撃力1800

【ブルー・ヒポグリフ】
 攻撃力1700

「だが、 残念だ」 と否め、 ユイガは“スライムデルタ”の効果を発動させた。 自身をコストにしたモンスター破壊の効果を。
“スライムデルタ”が“ドラゴニュート”の首筋に染み込む。 2体は虹色に輝き、 爆破した。



 そのはるか下――地上では、 アイレンの友がいた。 友とは無論、 ソラトの事である。 彼は変わらず十字架に縛られたまま。
 彼の目前にはタワーがそびえ立つ。 その側面のモニターにアイレン対ユイガの“デュエル”が映る。 彼はそれを視聴していた。
 確かに今はユイガのやや優勢だが、 まだまだ序の口。 充分過ぎるほどアイレンにも逆転の可能性がある。 が、 問題はアイレンがどれほど精神的負担をかかえているかだ。
 なにせこの“デュエル”は、 存在自体が悲劇なのだから。
 案の定、 “デュエル”を続けるアイレンの表情が曇り始めた。




“デュエル”は第4ターンを回る。

 ――アイレン――
 ライフ3300/手札3枚/デッキ31枚
 モンスター1体/リバースカード3枚
 ――ユイガ――
 ライフ5000/手札4枚/31枚
 モンスター1体/リバースカード1枚

 ユイガは、 手札から茶色の大鳥を呼び出す。

【ヘイトレッド】
 攻撃力2100
 第4ターン以降のみ場に出せる。
 破壊された時、 自分のデッキからカードを2枚引く事ができる。

 黒い鋼の翼を『V』の字に広げ、 天空を優雅に舞う“ヘイトレッド”を従え、 ユイガは誇らしげにリバースカードを2枚伏せる。
「さすが嘘つきの魂は脆い。 もうふぬけな目をしている……」
“ブルー・ヒポグリフ”がアイレンの“ブラッディー・ドラゴン”に突撃する。
 アイレンは苦し紛れに目尻をつり上げ、 モンスターを特殊召喚した。

【サポーター・ドラゴニュート】
(モンスター)
 相手モンスターの攻撃時、 手札から特殊召喚してその攻撃を受ける事ができる。 この効果で特殊召喚した場合、 守備力は半減する。
 破壊された時、 自分のデッキからカードを1枚引く。

 茶色のドラゴン“サポーター・ドラゴニュート”が現れ、 自身の背丈ほどの面積を持つ盾で、 その“ヒポグリフ”の突撃を受けた。

【ブルー・ヒポグリフ】
 攻撃力1500

【サポーター・ドラゴニュート】
 守備力1000

 アイレンは次の“ヘイトレッド”の攻撃に身構えつつ、 苦言を漏らす。
「そういうあなたこそ……、 ずいぶんと高慢な目をしている。 そんなんじゃ、 いつか足をすくわれる……」
「『高慢』……?」
 ユイガの“ヘイトレッド”が羽ばたきで、 火炎の嵐を巻き起こす。
「――『謙虚』などありえない。 誰もがみな、 業火で他者を裁く……」
“ブラッディー”に迫る火炎。
 アイレンのリバースカードが発動する。

【ディバイン・ウォール】
(トラップ)
 このカードは破壊されない。
 モンスター1体の攻撃を無効にし、 その攻撃力の半分自分のライフを回復する。

 白い光が“ブラッディー”を包み、 “ヘイトレッド”の火炎を吸収した。
 守りで精一杯のアイレンは、 ひたいの冷や汗をぬぐう。




 その時、 彼女はとある一室にいた。 藍色の髪を肩まで伸ばし、 全体的にほっそりとした少女――アイレンの妹――ララである。 彼女は赤のセーターにベージュ色のズボンの姿でソファーに腰をかけていた。
 ララは生きている。 表向きは“カノン”に処刑された事になってはいるが、 そうではない。 軟禁されただけだった。
 この部屋にはシャワールームもあり、 エアコン、 ベッドもあり、 冷蔵庫の中にはあらゆる種類のドリンクが揃っている。 まるでホテルのスイートルームのようで、 少なくとも自宅よりはずっと広くて豪華。 食事も決して粗末なものではない。 つい、 自分がさらわれた身である事を、 忘れてしまいそうな扱われ方だ。
 ここまで丁寧に扱われていると、 本当に“カノン”が自分へ敵意をいだいているのか、 疑問に思ってしまう。 だが、 いくら考えようが、 わかるはずもない。 本人かなにかに訊きでもしない限り。 だから結局、 彼らの戦いを見届ける事しかできない。
 彼女は赤い瞳で、 モニターに映るアイレン対“カノン”のゲームを傍観していた。 彼らの戦いは全世界同時でテレビ放映されているらしい。 決して需要があっての放映ではないだろう。 現在“カノン”は世界中の政治、 企業、 メディアなどを支配している。 この放映もテレビ局が“カノン”の脅迫を受けて実施したものだと予想がつく。
 ララは兄のアイレンを応援しようと、 感情表現の苦手な顔を、 どうにか必死にさせる。
 そんな彼女の隣には、 水色のブラウスをまとった少女が座る。 年頃はララと同じ17、 18あたり。 外面は目と髪は黒で、 肌は白――全体的につややかな色彩を帯びている。 内面はとにかく無邪気……と、 いうよりも挙動不審に近い。
 ――わたし、 緑川セイナ。 あなたの監視役よ。 短いあいだだけど仲良くしましょ。
 それが彼女の第一声だった。
 ララはこの軟禁部屋に入室した直後から、 ずっとセイナと同居している。 彼女には睡眠中に揺さぶり起こされ、 夜な夜なトランプ遊びに付き合わされたり――入浴中に水鉄砲で撃たれたり――暇さえあれば耳の穴に息を吹きかけ、 振り向きざまにほおを人差し指でつつかれたり――色々と受難は受けてはいる。 しかしそれは悪気というより単なる茶目っ気みたいなものだ。 決定的な暴行はない。 むしろ好意的に接してくれているともいえる。
 この瞬間も、 相変わらず彼女がうるさい。
「ねえねえ? ねえねえ?」
「なによ?」
「これ、 どっち勝つと思う? どっちか知ってる? どっち?」
 セイナに騒々しく訊いてきたが、 ララは無視してテレビを凝視する。
「ねぇねぇってば!」
 今度はセイナに肩を揺さぶられた。
「知るわけないでしょ」
 ララは彼女の手を振り払った。 元々騒がしい人間が苦手な彼女は、 セイナに馴染めなかった。 第一、 自分を監視する者に好意を持てるのも奇妙な話である。
「むむっ。 つれないなぁ……。 もう少しでお別れなのに。 ちょっとは仲良くしたいじゃない!」
 ララはたまらず、 黒髪の少女を無表情に見つめて頼む。
「お願い。 静かにして」
 セイナはララと顔同士を近づけ――
「……あなた、 つまらなそうな顔ばかりだわ。 かわいいんだから、 もっと笑いなさいよっ」
 ――と、 セイナはララの首筋に両手を伸ばした。
「なっ!?」
 ララは鳥肌を立て、 ぴくりとひるんでソファーを軋ませる。 なにをされるのかと思えば、 セイナに左右のほおをつままれた。
 彼女はララのほおをグイグイと引き伸ばす。
「うんうん。 やっぱ、 笑顔が一番だね」
 凝り固まっている顔を容赦なくほぐされ、 ララは激しい衝撃を感じる。 ほおを引っ張られる瞬間、 彼女の角張っていた無表情が、 緩やかに丸みを帯びる。
「よくいうじゃない? 『笑い』は人間のみが持つ、 高度な感情とかって」
 やっとセイナは、 ほおから手を離した。
 ララは赤面し、 引きつった顔をむすりとさせる。
「……ああ……もう……」
 ララはどきまぎして息を乱した。 が、 気を取り直し、 モニターの中で戦うアイレンを見守る。 今の彼の瞳は、 赤い血を透かしたかのような痛々しく見える。
 彼女は両手で胸元の襟をぎゅっとつかみながら、 無言で兄を応援した。



 たじろぐアイレンに声が届く。
「どうかした? そちらのターンだが?」
 ユイガが急かし出す。
「――もしやお手上げかい? まあ、 無理もない。 元々実力自体、 わたしに劣るのだから」
 その言葉を聞いた途端、 アイレンはめまいを感じ、 熱を帯びたひたいをかかえる。 精神的に参っているのが自分でも分かる。
「……違う……!」
 彼は自分自身を叱責した。 悩むぐらいなら戦え。 早く“デュエル”をしろ。 雑念は全て捨てろ。
 アイレンは左腕の“デュエルディスク”に差し込まれたデッキからカードを引く。 現状を再確認する。
 第5ターン。

 ――アイレン――
 ライフ4350/手札3枚/デッキ31枚
 モンスター1体/リバースカード2枚
 ――ユイガ――
 ライフ5000/手札1枚/デッキ31枚
 モンスター2体/リバースカード3枚

 アイレンはユイガの“ヘイトレッド”に対抗し、 夜空と夕空の狭間に銀色のドラゴンの姿を重ねた。 背には青い翼を負い、 その目は所有者と同様に赤い。

【リベリオン】
 攻撃力2100
 第4ターン以降にのみ召喚できる。
 召喚したターン終了時まで相手のトラップの効果は無効となる。

 まずは打倒“ヘイトレッド”――
「その黒い翼――撃ち落とす!」
 アイレンの“リベリオン”は“ヘイトレッド”に急接近し、 暇なく口から稲妻を吐き出す。 迎え撃つ“ヘイトレッド”は火炎を巻き起こす。 猛烈な閃光がきらめいた途端、 互いの砲撃が同時に的中し、 相討ちした。
“ヘイトレッド”の死に際、 所有者にデッキからカードを2枚引かせる効果が発動し、 ユイガがそれを実行する。
 直後、 双方のリバースが同時に発動。 正体は同一だった。

【リバイバル】
(魔法)
 自分のセメタリーのモンスター1体を特殊召喚する。 この効果の発動時からターン終了を迎えるまで、 そのモンスターは攻撃をおこなえない。

 先の戦闘で消えた“リベリオン”、 “ヘイトレッド”が再来し、 空を舞って睨み合う。 その空にはうっすら輝く月が見える。
 ――きょうは満月らしい。
 アイレンはドラゴンが舞う空をちらりと見上げ、 苦しくも歯を食いしばる。
 早くこのデュエルを済ませ、 ソラトを――世界を絶望から救う。 きっと自分は、 本物の神に与えられたのだろう。 過去に傷つけた者、 殺めた者の無念を鎮めるチャンスを。
 正面に視線を戻すと、 ユイガが若干の笑みを漏らす。
「楽しみだ。 きみの命ごいが……」


 
第4話

 ユイガはふと、 幼少の記憶を回想した。
 彼は6歳の頃から、 すでに“デュエル”の英才教育を受けていた。 叱責や体罰に満ちたスパルタ教育で、 大変つらかった。 が、 嫌な事ばかりではなかった。 結果を残した時は、 頭部を愛撫して誉めてもらえた。
 勝てば、 愛してもらえると知った幼少期のユイガにとって、 “デュエル”に勝つ事が、 自分の心そのものだった。
 そして、 “デュエリスト”として見れば順調な成長を遂げ、 弱冠12歳で世界大会優勝を果たした。 その年のある日、 ユイガは父親に告げられる。
 ――お前はここでつくられらた。 だから産まれながらに、 “デュエル”に必要なものが全て、 その体には刻み込まれている。
 この言葉を受けた時、 ユイガの視線の先には、 新生児の入ったカプセルがそびえ立つ。
 父親いわく――わたしの叶わなかった夢を継ぐため、 お前は産まれたのだ。 だからわたしは嬉しい。 お前は充分に存在意義を成している。 自慢の息子だよ。
 その時、 12歳のユイガは、 漠然とした寒気を感じる。
 ――なにか違う気がする……。
 以来ユイガは日々、 自身の存在に疑念をいだくようになった。
 確かに優秀な子孫を産み落としたいのならば、 出産前の遺伝子――つまりは設計図を書き換える。 状態の不安定な母胎よりも、 状態の安定した試験管での出産の方がより確実――理屈としては、 ずれていないと思う。
 ――だが、 そんな明らかに特殊な方法でつくられた自分は、 もはやヒトの子と呼べるのか? ヒトなのは姿形だけではないのか?
 そして、 ヒトと似て非なる自分が“デュエル”で強くて、 なんの意味がある?
 ハクチョウとカラスが競泳する。 ――ハクチョウはがんばれば、 優雅に湖を泳げる。 だけどカラスは泳げない。 ――だからこのハクチョウは、 うまく泳げるハクチョウという者はいない。 泳ぎの得意なハクチョウを見つけたければ、 ハクチョウ同士で競泳させるべきだ。
 それは自分の“デュエル”にもあてはまる。 人間ではない自分が人間に勝ったって意味がない。 人間が、 人間の上をいくからこそ、 本人は達成感や充実感を感じ、 周囲は憧れや敬意をいだくものではないのか?
 それとも遺伝子をいじられようが、 試験管から産まれようが、 自分はヒトであるといえるのか?
 しかし、 自分がヒトでない事を認めてなにになる? 自分の居場所を失うだけだ。 どうせ誰にも気づかれぬのなら、 このままでよいのだろう。
 戸惑いながらも自分をごまかし、 ユイガはヒトとして生きてゆく。 彼はヒトとして、 “デュエル”での天下を欲しいがままにした。
 そして現在に至る。



 ――アイレン――
 ライフ4350/手札2枚/デッキ30枚
 モンスター2体/リバースカード2枚
 ――ユイガ――
 ライフ5000/手札3枚/デッキ29枚
 モンスター2体/リバースカード2枚

 第6ターンのドローフェイズを回る。
「そろそろ本気を見せるとしよう」
 ユイガはデッキからカードを引いた。 続いて手札から魔法を発動する。
「“イラプション”!」
“ヘイトレッド”の口先から火炎の矢がほとばしる。

【イラプション】
 自分の場に“ヘイトレッド”が存在する場合のみ発動できる。
 相手の場のモンスター1体を破壊する。

「“リベリオン”を撃破」
「……しまった……!」
 アイレンは思わず口にした。 “リベリオン”が狙撃され、 破壊された。
 ――この戦い、 徐々に、 こちらの劣勢に傾きだしている……。
 ユイガはさらにモンスターを呼び出す。
「ひるむのはまだ早い。 “ヘイトレッド”2体目」
 アイレンは場の布陣を再確認する。
「――俺には守備の“ブラッディー”1体……。 むこうに“ヘイトレッド”攻撃力2100が2体、 “ヒポグリフ”攻撃力1500が1体……」
「さて、 どうする? この3体の布陣を?」
 まず、 ユイガの眼前の“ヒポグリフ”が、 アイレンの赤いドラゴン“ブラッディー”に突撃する。 “ブラッディー”は回避しようと空へと昇るが、 “ヒポグリフ”に追尾され、 前足で切り裂かれた。
「これできみの守護神は消えた――」
“ヘイトレッド”1体の燃え盛る翼がアイレンに迫る。
「いや、 俺にはまだ――」
 アイレンは手札から“サポーター・ドラゴュート”を特殊召喚した。

【サポーター・ドラゴニュート】
(モンスター)
 相手モンスターの攻撃時、 手札から特殊召喚してその攻撃を受ける事ができる。 この効果で特殊召喚した場合、 守備力は半減する。
 破壊された時、 自分のデッキからカードを1枚引く。

 ドラゴンが現れ、 盾でアイレンをかばった。 “ヘイトレッド”の火炎の翼から。 「悪あがきを。 ……それほど否定したいのかい? 神を?」
 ユイガが呆れた。 2体目の“ヘイトレッド”がアイレンに迫る。
「なにが『神』だ! 間違っている――!」
 訴えるアイレン。 彼は手札の“ランサー・ドラゴニュート”のカードを、 迫る“ヘイトレッド”に投げつける。
「砕けろ“ヘイトレッド”! お前は邪魔だ!」
 彼から飛んだカードは黒い重力に姿を変え、 “ヘイトレッド”を地に押しつける。

【グラビティ・ブレイク】
(トラップ)
 このカードは破壊されない。
 自分の手札を1枚コストに攻撃中のモンスター1体を破壊する。 この効果は無効にされない。

「6年前から嫌いだったよ。 律儀ゆえ、 高慢に無自覚なきみが――」 と、 ユイガはうなりながら表情を険悪にし、 同時にリバースカードを発動する。

【ヘイト・クロス】
(トラップ)
“ヘイトレッド”の攻撃時に発動できる。 その“ヘイトレッド”は自分の場の別の“ヘイトレッド”と融合して戦闘をおこなう。 この効果は無効にされない。

 ユイガは険悪な顔のまま、 不満をさらけ出す。
「きみは正しい――ゆえに罪深い……」
「……どういう……意味だ……?」
 アイレンは問い、 ユイガがずけずけと言い張る。
「きみも悟っている。 『人を信じる』――それが口先だけの正義――現実では通じぬと」
「そんな事はない!」
「そう言い切れる高慢さが世界を滅ぼすのさ。 世界平和の実現には、 恐怖による支配が必要なのだよ」
 せせら笑うユイガ。
 対話と同時進行で“デュエル”は展開していた。 2体の“ヘイトレッド”を包む火柱が消え、 2体は新たなる1体の大鳥として現れる。

【ヘイトレッドエックス】
(融合モンスター)
 攻撃力2500
 ターンに1度まで、 このモンスターが受ける破壊の効果を無効にし、 相手にライフ500のダメージを与える事ができる。
 このモンスターが破壊される場合、 融合を解除する。

「だからこそ焼き尽くす。 この“ヘイトレッドエックス”で――その偽善を!」
 ユイガの従える、 新たな“ヘイトレッド”は自身にのしかかる、 黒い重力を弾き返した。
“ヘイトレッドエックス”は“ヘイトレッド”の面影をそのままに、 黒い鋼の翼が2枚から4枚に増えている。 また、 通常あるべき頭部の口に加え、 腹部に第2の口がある。 その腹の口が開き、 周囲を漂う黒い重力を飲み込んだ。 同時にアイレンのライフが500減少する。
 さらに融合後の“ヘイトレッド”に追加されている、 胸部と各翼に埋め込まれた5つのエメラルド。 そこから5発の猛火が一斉放射する。 標的はいうまでもなくアイレン。
“ヘイトレッド”に狙われた彼は、 手札から“サポーター・ドラゴニュート”を特殊召喚し、 火炎の身代わりにした。
 ユイガは言い捨てる。
「“サポーター”――またそれか……。 だが、 同名カードはデッキ3枚まで。 もう同じ手では逃れられない。 ターン終了だ」
「俺のターン!」

 ――アイレン――
 ライフ3850/手札1枚/デッキ28枚
 モンスターなし/リバースカード1枚
 ――ユイガ――
 ライフ5000/手札1枚/デッキ28枚
 モンスター2体/リバースカード1枚

「――“フォーメーション・イージス”!」
 3体の茶色のドラゴンがアイレンの眼前に出現し、 それぞれが巨大な盾でアイレンを守る。

【フォーメーション・イージス】
(魔法)
 自分のセメタリーの“サポーター・ドラゴニュート”3体を守備表示で特殊召喚する。 この効果はゲーム中に1度まで発動できる。

【サポーター・ドラゴニュート】
 守備力2000
 破壊された時、 自分のデッキからカードを1枚引く。

 これでアイレンの場にモンスターが3体並んだ。
「さらに“ランチャー・ドラゴニュート”召喚!」
 アイレンが手札を1枚“デュエルディスク”に乗せれば、 黄土色のドラゴンが肩に大砲をかついで出現する。

【ランチャー・ドラゴニュート】
 攻撃力2000
 自分の場のモンスター1体を破壊しなければ攻撃できない。
 自分のメインフェイズ時に自分の場のモンスター1体を破壊し、 相手の場のモンスター1体を破壊する事ができる。

「やっと骨のあるのが来た……」
 ユイガがこちらを気さくに観察していた。
 アイレンは淡々と“デュエル”を進める。
「“ランチャー”の効果――もちろん使う」
“ランチャー・ドラゴニュート”の右肩の大砲が、 “サポーター・ドラゴニュート”1体を量子化させて吸収する。 そして砲身から白いビームを発射し、 “ヘイトレッド”を狙撃する。 しかし、 “ヘイトレッド”はそのビームを腹の口で飲み込む。
「――さて500ダメージ、 受けてもらうか?」 と、 ユイガ。
 アイレンのライフにダメージが及び、 残り3350に。
「だが、 “ヘイトレッド”の腹の口が開くのはターンに1度まで……」
 アイレンは再び場の“サポーター・ドラゴニュート”を破壊し、 “ランチャー・ドラゴニュート”の主砲を発砲させた。 “ヘイトレッド”にビームが迫る。
 ユイガはひるまない。
「残念ながら、 ゴキブリのようなしぶとさが“ヘイトレッド”の強み――」
“ヘイトレッドエックス”は分離によってビームを回避した。 そして、 ユイガの頭上には融合前の“ヘイトレッド”2体。
 アイレンはカードを1枚伏せ、 バトルフェイズに移行する。 彼は最後の1体の“サポーター・ドラゴニュート”を犠牲に“ランチャー・ドラゴニュート”で攻撃をおこなう。
「撃ち抜け!」
“ブルー・ヒポグリフ”にビームが迫る。
「無駄だ!」
 ユイガがリバースカードを発動した。 “ランチャー・ドラゴニュート”が放ったビームの軌道上に、 黒い竜巻がそびえ立つ。 このままでは竜巻にビームのゆくえを修正され、 アイレンに跳ね返ってしまう。

【ペイン・スパイラル】
(トラップ)
 モンスター1体の攻撃を無効にし、 その攻撃力半分のダメージを相手ライフに与える。

 アイレンは“デュエルディスク”のリバースカード発動のスイッチをとっさに押し、 得意気なユイガを否める。
「無駄だ……!」
 リバースカード発動――。

【スパーク・アドベント】
(トラップ)
 相手のリバースカード発動時に発動する。 自分のライフ500をコストに、 セメタリーの“リベリオン”を特殊召喚させる。

 まずトラップ発動の代償として、 アイレンのライフが3350から2850に減少した。
 続いて夜空に一筋の青い雷電がきらめき、 そこに破壊されたはずのそれが再生した。 『それ』とは青い翼を負った、 銀色のドラゴン。
 そのドラゴン“リベリオン”が手のひらから発した静電気を、 竜巻“ペイン・スパイラル”と相殺させた。 障害物だった竜巻が消え、 無事にビームはユイガの“ヒポグリフ”へ直撃した。

【リベリオン】
 召喚したターン終了時まで相手のトラップの効果は無効となる。

【ランチャー・ドラゴニュート】
 攻撃力2000

【ブルー・ヒポグリフ】
 攻撃力1500

“ヒポグリフ”は“ドラゴニュート”に破壊された。 その攻撃力差500がユイガのライフへのダメージと変わる。
「……おのれっ……!」
 ユイガは舌打ちをした。 ライフを削られた事への悔しさでだろう。
 アイレンは初対面移行、 初めて彼の舌打ちを見た気がした。 それに微妙な寒気を覚え、 まばたきを早める。
 ――過去に見た、 紳士的なユイガの姿がもう見えない。
 ――いや。 自分自身も、 さぞかし凶暴化しているのだろう。
 だが、 そりゃそうだ。
 今や自分にとってユイガは師匠ではなく、 妹の仇敵。
 ユイガにとって自分や自分の妹は夢想家にして偽善者。
 ――互いに憎しみ合うという構図になっているのだから――。
 アイレンは恩師への義理を棄て去ろうと、 必死に崩れそうな表情を冷徹にする。



 アイレンの様子を、 モニター越しにソファーで眺めていたララが首を傾げる。
「なんかおかしい……?」
 隣に座るセイナが即時に反応する。
「え? 『おかしい』? なにが? 知りたいな。 教えてよ!」
 ララはモニターに映るアイレンを見定め、 なにげなく返事する。
「わからない。 でもおかしい。 兄さん、 どこか壊れてる」
「ふぅん……。 ま、 そりゃそうでしょ?」
 ――と、 セイナはさり気なく、 こちらの後ろ髪を両手にとった。 その髪でこちらの首をくすぐろうとしている。 その事に気づいたララは、 またかといった感じでため息をついた。 セイナを突き放そうとソファーの端に追いやる。 そうしながら考え込む。
 もちろんアイレンが追い込まれているのはいうまでもない。 彼はこの“デュエル”の勝敗で、 いずれか1つの人生を、 終わらせなければいけないのだから。 それならば、 精神的におかしくなってもおかしくはない。 しかし、 それとは異質の異様さを感じる。
 今のアイレンの目をララはかつて見た事がない。 過去に見たどの彼も今の彼と目つきが一致しない。
 今の彼の瞳は、 目頭から目尻までぎっちりと広げていて、 不気味だ。 そこからララは、 本能的な悪寒を感じる。
 ――もしかして……殺す……つもり……?
 彼女は無表情のまま、 胸騒ぎする胸を、 左手で強く押さえつけた。
 テレビの中のアイレンは、 じっとユイガに顔を向ける。 間近で睨まれているユイガは、 さぞかしやりにくいだろう。



 第8ターン。

 ――アイレン――
 ライフ2850/手札2枚/デッキ24枚
 モンスター2体/リバースカード1枚
 ――ユイガ――
 ライフ4500/手札1枚/デッキ28枚
 モンスター2体/リバースカードなし

 ユイガはドローフェイズを終えた。 彼の手札は2枚に。
 アイレンは状況を確認する。
 自分の場には“リベリオン”攻撃力2100と“ランチャー・ドラゴニュート”攻撃力2000。
 ユイガの場には2体の“ヘイトレッド”攻撃力2100。
「さて、 どうするつもりですか?」
 アイレンは高圧的に質問した。
「まるで鬼の首をとったかのような態度だ……。 まだまだわたしの優勢なのがわからないのかね?」
 ユイガが始動した。 まずはリバースカードを2枚伏せる。 直後にバトルフェイズ――
「焼き払え、 “ヘイトレッド”!」
“ヘイトレッド”は羽ばたきで火炎を吹き荒れさせ、 “ランチャー・ドラゴニュー”をユイガの言葉通りに焼き払った。
 アイレンは手首の装着した四角い“デュエルディスク”に表示されているライフを視覚する。 直前の“ヘイトレッド”対“ドラゴニュート”の戦闘でアイレンは100のダメージを受けて残り2750。
「所詮100ダメージ……」
 アイレンは感嘆を見せずにつぶやいた。
 ユイガが即答する。
「たかが『100』、 されど『100』――なににせよ、 損失は無条件に怖い。 そして誰もが恐怖には打ち勝てぬ……」
「……俺ターン。 ドロー……」

 ――アイレン――
 ライフ2750/手札2枚/デッキ24枚
 モンスター1体/リバースカード1枚
 ――ユイガ――
 ライフ4500/手札なし/デッキ27枚
 モンスター2体/リバースカード2枚

 アイレンはカードを引き、 「魔法発動!」 と、 手札のカードを手首の盾に乗せる。

【ヴァジュラ】
 自分の場に“リベリオン”が存在する場合のみ発動できる。
 自分のデッキからカードを1枚引く。
 相手の場のモンスター全ての攻撃力と守備力を1000減少させる。

“リベリオン”は左右の翼から稲妻を放ち、 2体の“ヘイトレッド”に撃ち込んむ。 撃たれた各“ヘイトレッド”の動作が鈍り、 攻撃力は2100から1100へとほぼ半減された状態に。
 アイレンはモンスターを召喚する。
「“アックス・ドラゴニュート”召喚!」

【アックス・ドラゴニュート】
 攻撃力2000
 戦闘をしかけた場合、 戦闘終了後に守備表示に変更される。

 黒いドラゴンが現れ、 長柄の斧を握りしめる。
「リバースカード、 セット! バトル!」
 アイレンの指示で2体のドラゴンが動く。
 攻撃力2000の“デスサイズ・ドラゴニュート”が飛翔し、 攻撃力1100“ヘイトレッド”に迫る。 “ヘイトレッド”の放つ火をよけつつ、 斧でその鳥の左翼を切り落とし、 追撃で胴体をなぎ払う。 戦闘の余波でユイガが900のダメージをライフに負う。
 今度は攻撃力2100の“リベリオン”がもう1体の“ヘイトレッド”に向けて稲妻を吐き出す。 “ヘイトレッド”も対抗して火炎を放つ。 が、 稲妻を相殺できず、 “ヘイトレッド”本体が撃ち抜かれた。 この戦闘でユイガに1000のダメージが及ぶはずだが――

【ディメンション・ウォール】
(トラップ)
 相手の攻撃で発生した自分のライフへのダメージを相手のライフに移す。

 ユイガのリバースカードによって、 彼自身が受けるはずのダメージが相手側に移り変わった。 アイレンのライフが1000削れる。
“ヘイトレッド”は破壊された時、 デッキからカードを2枚引く効果を持つ。 2体の“ヘイトレッド”が破壊された事により、 ユイガの手札は4枚増えた。
 アイレンは挑発する。
「ライフ1000と手札を増やしてしまった事は痛手だが、 これであなたのモンスター全滅。 だんだん俺にも勝機が芽生えてきました……」
「なかなかやる。 だが――」
「今度はなんですか?」
「わたしを“デュエル”で追い詰めるほど、 きみの心が追い詰められる……」
「また、 それですか? 俺は勝って死に、 ソラトを救う。 正直なまま死ねるのなら本望――」
「だんだん、 気の毒に思えてきたよ……」

 ――アイレン――
 ライフ1750/手札なし/デッキ23枚
 モンスター2体/リバースカード2枚
 ――ユイガ――
 ライフ3600/手札4枚/デッキ23枚
 モンスターなし/リバースカード1枚




 第10ターン以降、 彼らは互いにモンスターで攻撃をおこなう。 が、 互いのリバースカードで幾度もいなされる。
 ソラトも見守っている。 その一進一退の攻防を。 十字架に縛られながら、 モニター越しに。
 アイレンが“デュエル”を続けながらユイガに問い詰める。
<どの道この戦いもすぐに終わります。 だから、 その前に訊かせてください……>
 ユイガはわかりきっているように問い返す。
<なにかね?>
<なぜ妹を――ララを殺したのですか?>
 ソラトも心底疑問に思う。
 兄アイレンと妹ララ――なぜ、 2人は決別せねばならなかったのか?
 ユイガは悪びれもせず、 冷酷な口調で受け答える。
<また、 その話か……。 いったはず。 彼女は大ぼらを吹いた――『人は信じ合える』と。 だから“カノン”が神罰を下した。 ただ、 それだけの事>
 ――それだけで……? そんな理由で、 彼女が……?
 彼の回答にソラトはひどく嫌悪し、 思わず独り言をもらす。
「……理不尽だ……」
 ユイガの人間不信は異常すぎる。
 なぜ、 そこまでして人を疑い、 支配しようとする?
 確かに人は時に騙し合い、 傷つけ合い、 そして疑い合う。 人に裏切られ、 憎んだり妬んだりする事もある。
 ――だが、 それで終わりじゃない。
 どんなに騙されて傷つけられても、 人は大抵、 どうにか立ち直り、 また人を信じようと努力するものではないのだろうか?
 実際に自分も先日、 険悪な関係だったリリカと仲直りできた。 『ごめん』の一言で。 今思えば、 下らない理由の仲違いだったと思えてくる。
 人が最後に信じるものは人――そういうものだと、 少なくとも自分は思う。
 だが、 ユイガはそうではないらしい。 彼が詰問する
<――ならば逆に教えてくれたまえ。 どうして信じられる? こんな虐待やら、 差別やら、 戦争やらをおこなう人間の、 なにを信じろというのだ?>
 アイレンが答える。
<俺は昔のあなたに教わりました。 『全てを信じなさい』とあなた自身に。 それとも、 あの言葉も嘘だと?>
<『全てを信じなさい』?――あの言葉は嘘ではない。 誤りだったのだ。 昔のわたしは、 ヒトがいかに私利私欲なのかを知らずにいたのだよ……>
 ユイガが淡々と語った。 よく見れば、 彼の目は悲しげでもある。
 ――もしかして、 彼には深い事情があるのか?
 ソラトの中で新たな疑問が生まれる。
 今のユイガは“カノン”を名乗り、 魔のちからで人々を脅迫し、 世界を征服している。 冷酷非道な本当の意味での魔王だ。 だが、 以前の彼は似ても似つかない。 温厚で、 周囲を信頼しているように見えた。
 ――なにが彼を変えたのか……?


 
第5話

 少女達はテレビに映る“デュエル”の観戦を続けていた。
「……どうかしてる……」
 隣に座るララの言葉を、 セイナは聞き返す。
「なにが?」
「狂ってるわよ、 彼。 世界を滅茶苦茶にして、 わたしや兄さん達をいいようにもてあそんで……。 どうかしてる」
 ララによるユイガへの批判で、 セイナの笑顔が曇る。
「――あんたね……」
 彼女の中で徐々に憤怒がこみ上げてくる。
「彼の事……メディアでしか知らないくせに……!」
 ――ユイガは幼き日のわたしを――泣き崩れたわたしをやさしく抱きしめてくれた。 それなのに……!
 なんでこの女――なんでみんな――なんで勝手な事ばかりいうの!?
 大きく表立った一面で、 その者の人格を知ったかぶり、 しまいには存在自体を否定しようとする。
 ――やっぱ『ヒト』ってバカよ!
 彼女は激情を我慢しない。 ララを睨みつけて叱責する。
「あんたなんか! なにも知らないくせにッ!」
 荒れ狂う猛獣のように、 ソファーの上でララの上着の胸元をつかみ、 押し倒した。
「なによ? いきなり……」
 押し倒されたララは、 真顔のまま彼女に問いただした。
 一気に感情を爆発させた事により、 セイナの激情はすぐに沈静された。 そして愛想笑いをつくり、 ララの体を起こして耳元でささやく。
「……ごめんね。 ちょっぴり熱くなっちゃって。 お詫びに教えてあげる。 わたし達の秘密」
 きょとんとしたララに、 彼女は明かしだす。
「わたしとユイガはね、 人工的につくられたのよ。 人間風情に」
「つくら……れた?」
 ――そう、 わたしとユイガはつくられらた――
「母胎じゃなく、 試験管から産まれた」
 ララは悟ったように手で口をおおう。
「それって、 まさか――?」
「そう、 『試験管ベビー』――簡単にいえば心ある、 生身の『ロボット』よ。 わたしもユイガも……」
 セイナは忌々しい過去に我が身を抱えて震えだした。
 ――わたしはヒトなんかじゃない。



 6年前――ユイガは24歳の秋、 路上の片隅で12歳の少女と出会う――彼女がセイナだ。
 ユイガは自身の出産場所で、 かかりつけでもある病院付近の路地で座り込む、 緑色のパーカー姿をまとった黒髪の少女を発見した。
 彼女は地面のアスファルトに座り込んでいた。 彼女は絶望感に満ちた面持ちで、 正面の壁を見つめている。 彼女の髪と瞳の黒は果てない孤独、 白い肌は虚無感を思わせた。 率直にいえば、 彼女がなにか不幸をかかえているように見えたのだ。
 そんな少女が気になり、 ユイガは思い切って声をかけてみる。
「……きみ? 具合でも悪いのでは……?」
 少女は小声で 「違う」 と答えた。
 彼はいよいよ不可解になる。
「そう……。 ならば、 誰かを待っているのかな……?」
 彼女は頭を右上に傾け、 こちらに潤んだ黒い瞳を向ける。
「違う……。 家出しちゃった……」
 ユイガは思わず回答を追求する。
「『家出』……?」
 ――両親に叱られたりでもしたのか?
 少女は息を荒げ、 うなる。
「……お母さんを……殺したの……わたしが……」
 あまりに予想外で物騒な回答に、 ユイガは絶句した。
 ――殺した?
 この目の前に座り込む、 純朴な顔立ちの彼女が? 殺人とは無縁に思えるような少女が?
 ――殺した? しかも母親を?
 彼女の話は終わっていない。
「わたし……、 試験管から生まれた……。 クローンよ……」
『試験管』という単語で、 ユイガは一気に彼女への興味をいだく。
 ――自分と同じ試験管から産まれた子ども。 彼女もヒトと似て非なるヒト……。
 少女は言葉を紡ぐ。
「わたし、 つくられた……。 事故で死んだ『カノン』お姉ちゃんの代わりに。 でも……!」
 彼女は鋭い目つきでうなる。
「『あなたはカノンじゃない』って……。 『出来損ないの偽物よ!』って……。 お母さんが……!」
 きっとこの日の彼女は、 世界の全てを憎んでいた。
 少女はズボンのポケットから折りたたみ式のナイフを取り出して展開すると、 赤黒いなにかに染まった刀身が現れた。 きっと殺した母親の血に染まったナイフなのだろう。 それをユイガの足元に放り投げ捨ててわめく。
「殺して……! 早くわたしを殺して! 殺しなさいよっ!」
 彼女のしわくちゃな眉間が視界に入り、 ユイガは異様な不快さを感じた。
 彼女は立ち上がり、 ユイガの上着をつかむ。
「どうせ偽物よ! 要らない人間なの! わたしはもう死ぬべきなの!」
 黒髪の少女は激怒し、 泣きわめいた。
 その彼女の姿が、 ユイガの中の孤独と絶望を目覚めさせる。
 ――お前はここでつくられらた。 だから産まれながらに、 “デュエル”に必要なものが全て、 その体には刻み込まれている。
 自分はヒトとして生きるためというより、 “デュエル”で勝つためにつくられた。 だとすれば、 もし自分が“デュエル”で弱い人間に育っていれば……。
 自分もこの黒髪の少女と同様の運命をたどっていたのかもしれない。 いや、 きっとそうだ。
 そう考えると、 もう彼女がとても他人とは思えなくなってくる。
 ユイガは少女をやさしく抱きしめる。
「……わたしも試験管から産まれた。 きみとわたしは仲間なのだよ……」
 少女の存在を、 彼は肯定する。
「今から本物になればいい。 きょうからきみは、 『セイナ』に生まれ変わるのさ……」
 抱きしめられた少女――12歳のセイナは、 嗚咽を漏らしてユイガにすがりつく。
「――みんな……大嫌い……!」
 言葉とは裏腹に、 セイナは必死に彼の体躯に――彼の温もりにしがみついていた。
 ユイガは少女を抱きしめ、 曇った空を見上げる。
 ――ふざけるな……!
 彼は皮肉に笑みを浮かべ、 心の底で激怒した。
 ――こんなに愛らしい女の子が、 『偽物』だと!? ふざけるなッ!
 悟った。 ヒトは私利私欲で、 いのちさえもてあそぶ、 愚かしく滑稽な存在なのだと、 ユイガは悟る。
 そして自分も被害者だ。
 自分はヒトならざる子。 産まれながらに孤独をかかえる運命なのだ。 産まれてこなければよかった。 いや、 存在自体が間違いである。



 6時間後、 セイナを自宅に招き、 ベッドに寝かせる。 ユイガは彼女の保護者になる事を決意した。
 彼は庭園に出向き、 夜空の三日月を睨む。
「なぜ、 わたしを産んだ? なぜ、 彼女を産んだ!? 人間風情が……」
 彼はこの日ほど機嫌を損ねた日がない。 生涯で初めて吠えた。
「人間風情がァァァァ――ッ!」
 憤怒をぶちまけ、 ユイガはすっきりとする。
 彼は寝室に戻り、 すやすや眠るセイナを静かに眺めた。
 そして6年後――現在、 “カノン”を名乗り、 アイレンと繰り広げる“デュエル”。 これはカノンの名を捨てた、 セイナの悲しみを鎮める戦いでもある。



 ――昔のわたしは、 ヒトがいかに私利私欲なのかを知らずにいたのだ……。
 先のユイガの嘆きを受け、 アイレンは急に緊迫感の抜けた表情を見せた。 彼はちからが抜けたようにやさしく論じる。
<――確かに俺も私利私欲なのかもしれません……>
 ユイガが対照的に、 冷酷な笑みを浮かべた。
<……ようやく気づいたみたいだね>
<もしかしたらこの“デュエル”で負け――友を裏切り――見殺しにしそうな俺がいて怖いです……>
 今、 アイレンの本音が聞こえた気がする。 ソラトは十字架にかけられながら、 彼を責めぬと念じていた。
 ――ぼくのために必死に戦った。 その事実だけで充分。 だから……。
<それでも――>
 友の声がした。 それはただただ必死な、 アイレンのわめき声。
<仲間を信じたい、 守りたい! 願いだけは本物なんだ!>
 ソラトもうなずく。
「――ぼくも……」
<それは彼だけじゃない、 あなたも信じたい>
<わたしは彼女を殺したのにかい?>
 儚げな顔のララが思い浮かぶ。 彼女は18歳――享年にしてはあまりに幼い年齢だ。 その兄アイレンが悲鳴にも似た、 うめきをあげる。
<――それは許せない……。 けど、 それで全てを否定はできない……>
<いいや。 きみにとって、 もうわたしは妹のかたき――信頼にあたいしない>
<それでも、 あなたは俺の先生だ。 だから目覚めてくれると信じている……!>
<『それでも』――魔法みたいな言葉だよ……。 その一言で簡単に、 そしてあたかも謙虚に全てを否定できる。 だが、 理屈の中でだけだ……>
 ユイガにアイレンが答える。
<だから、 戦う>
 ソラトは問う。
 ――なんのために?



 アイレンは力強く誓う。
「――真実にするために。 俺は……」
 ――正直、 この世界が嫌いだ。
 彼のいう通り、 世界は裏切りに満ちている。 時には人が人を傷つける。 そんな場所じゃ、 疑う心がなきゃやっていけない。 自分も過去に友を殴り、 戦争で人を殺した。 そんな自分は信用されなくても当然で、 自分もまた傷つく事を怖れ、 なにかを疑っている。
 ――だから、 この世界が嫌いだ。
 だけど自分は、 この世界という箱庭の中の住人でしかない。 ならば、 ここを変えるしかない――
 ――全てが分かち合える、 偽りのない場所に。
 ――だから、 この戦い――“デュエル”で絶対に勝つ。 彼を救済し、 確かな絆を見せつけ、 証明する。 彼の“カノン”の仮面に――そして世界に……。
“デュエル”に視点を戻す。 戦況の優劣は停滞したまま、 第36ターン――ユイガのターンを向かえる。

 ――アイレン――
 ライフ1750/手札なし/デッキ7枚
 モンスター2体/リバースカード2枚
 ――ユイガ――
 ライフ3600/手札4枚/デッキ3枚
 モンスターなし/リバースカード1枚

 アイレンのモンスターは――

【リベリオン】
 攻撃力2100

【アックス・ドラゴニュート】
 守備力1200

 ユイガはモンスター不在の場を埋める。
「召喚――“レッド・ヒポグリフ”」
 四つ足の赤い鳥獣が降り立つ。

【レッド・ヒポグリフ】
 召喚時、 セメタリーの“ブルー・ヒポグリフ”を特殊召喚できる。

「さらに“ブルー・ヒポグリフ”」
 2体の“ヒポグリフ”は音速とも見まがう突撃で、 それぞれの標的を突き破った。
 “ブルー・ヒポグリフ”対“リベリオン”――攻撃力2500マイナス2100で400。
“レッド・ヒポグリフ”対“アックス・ドラゴニュート”――攻撃力2500マイナス守備力1200で1300。
 合計1700のダメージをアイレンの1750のライフが負担した。 アイレンは自分の手首の四角形――“デュエルディスク”のパネルを確認する。

 ――アイレン――
 ライフ50/手札4枚/デッキ3枚
 モンスターなし/リバースカード1枚
 ――ユイガ――
 ライフ3600/手札2枚/デッキ2枚
 モンスター2体/リバースカード2枚

「……『50』……」
 アイレンのライフは残りわずか50だった。 もはや『押せば倒れる』と比喩できる数値である。
「……どうだね? ライフ50の今こそ、 わざと負ける、 絶好のチャンスだ。 もう、 きみがどのような負け方をしようが、 誰も不自然に思うまい」
 ユイガがここぞとばかりに揶揄した
 アイレンは無言でデッキのカードを1枚引き、 手札に加えた。
「無論、 彼も――」 と、 ユイガは執拗に動揺を誘う。
「黙れ魔王“カノン”!  俺のターンだ!」
 アイレンは一喝し、 そして、 手札の“デスサイズ・ドラゴニュート”を召喚して従える。
「目覚めてください!」
 ――それは黒いドラゴン。 長柄の鎌を手に握り、 背には赤い翼。

【デスサイズ・ドラゴニュート】
 攻撃力1800
 このモンスターを特殊召喚はできない。
 戦闘でモンスターを破壊した場合、 自分のセメタリーから“ドラゴニュート”1体を特殊召喚する事ができる。 この効果はゲーム中に1度まで発動できる。

 さらにアイレンはリバースカードを2枚伏せて叫ぶ。
「湯田ユイガに!」
 ――憧れだった、 あのやさしい先生に。
「なにをいう! “カノン”こそ、 わたしの真実だ!」
 ユイガは高らかに断言した。
 右腕を大きく横に振り、 モンスターで攻撃をおこなうアイレン。
「バトルフェイズ。 いけ! “デスサイズ”!」
“デスサイズ・ドラゴニュート”攻撃力1800がユイガの“レッド・ヒポグリフ”攻撃力1400を鎌で切り裂いた。 ユイガのライフに400のダメージが発生した。 これで彼のライフは残り3200。
「“デスサイズ”効果発動――出てこい“アックス”」
 アイレンのモンスター――“デスサイズ・ドラゴニュート”の持つ鎌は、 死と再生の魔力を秘めている。 その魔力を使って“レッド・ヒポグリフ”の死を糧に、 セメタリーに眠る“アックス・ドラゴニュート”を再生させた。
「今度は青いほう――」
“アックス・ドラゴニュート”が“ブルー・ヒポグリフ”に飛びかかり、 左翼と胴体を切断した。 2体の攻撃力は2000と1500――これでユイガに500のダメージが及ぶはずだったが――
「あまい!」
 と、 ユイガがリバースカードで妨害する。

【ディメンション・ウォール】
(トラップ)
 相手の攻撃で発生した自分のライフへのダメージを相手のライフに移す。

「そんなの読めてた――」
 アイレンがリバースカードが発動。

【フォビドゥン・ウォール】
(トラップ)
 自分のライフ半分をコストに発動。
 自分のライフに発生したダメージを無効にし、 相手にライフ1000のダメージ与える。

 ユイガのライフに1000のダメージが飛び、 ターン終了。

 ――アイレン――
 ライフ25/手札2枚/デッキ2枚
 モンスター2体/リバースカード2枚
 ――ユイガ――
 ライフ2200/手札2枚/デッキ2枚
 モンスターなし/リバースカード1枚

「少々、 押されはした。 しかし――」
 淡々とユイガは引いたカードを場に出す。

【リヘイト】
(魔法)
 自分の手札2枚をコストにし、 自分のセメタリーの“ヘイトレッド”2体を特殊召喚する。

 気づけば夜空から雪が降る――そこに黒い翼を生やした2体の大鳥が蘇る。

【ヘイトレッド】
 攻撃力2100

「忘れちゃいけない。 きみはわたし以上にジリ貧……」
 アイレンは冷や汗をかき、 下唇を噛んだ。 そのさまを2枚の手札を隠す。 まだまだ、 自分のピンチには変わりない。 自身の手首の盾に表示されているライフ――『25』の数字がそれを告げている。
「そろそろフィナーレとしたい。 “ヘイトレッド”で」
 2体の“ヘイトレッド”が攻撃をしかけようとアイレンの布陣に向かう。
「まだだ! “セーフティー・フィールド”!」

【セーフティー・フィールド】
(トラップ)
 ターン終了時まで自分のライフに発生するダメージは無効になり、 無効になるごとに相手にライフ400のダメージが発生する。

 2体の“ヘイトレッド”が火炎の羽ばたきで、 アイレンの2体のドラゴンを焼き払う。 かたや“アックス・ドラゴニュート”、 かたや“デスサイズ・ドラゴニュート”を。
 しかし、 アイレンのライフにはダメージが発生せず、 逆にユイガ側がライフ800削れた。

 ――アイレン――
 ライフ25/手札2枚/デッキ2枚
 モンスターなし/リバースカード1枚
 ――ユイガ――
 ライフ1400/手札なし/デッキ1枚
 モンスター2体/リバースカード1枚



 ――本当に勝てるかもしれない。 アイレンが。 でも……。
 ソラトは複雑な心境でモニターの戦いを見守っていた。
<ここまで来るとは……。 どうやら、 わたしが愚かだったらしい……>
 突如、 のユイガの口調が穏やかに変わった。 同じく表情もさっきまでの冷酷なものから穏やかなものに。
 ――認めたらしい。 自らの誤りを。
<……先生……!>
 見開くアイレン。
<確かにきみたちは信じ合っていた……>
 ユイガの言葉にアイレンは強張っていた表情に悦楽を浮かべる。
 ――やっと分かってもらえた……。
 ソラトもとりあえず安堵した。
 そんな中、 ユイガはやさしくいう。
<そこで1つ提案がある……>
 アイレンは――なんだろ? このゲームを中止とか?――なんていかにも思っているような顔で聞き返す
<『提案』?>
「『提案』?」 ソラトも同じ言葉を口走った。
 直後、 ユイガに背後から、 なにかが天に伸びた。
 その瞬間、 穏やかになりかけていた彼らの表情が、 一気に崩れだした。
 ユイガの紫紺の眼差しは侮蔑に変わり、 アイレンの赤の眼差しは憎悪に変わる。
<……嘘……だろ……!?>
 驚愕したアイレンの視線の先にはユイガの背後の十字架が存在する。 それに1人が縛られていた。
 それは自分――ソラトではない。 自分は彼らのはるか下の十字架に縛られている。 ユイガの背後の十字架に縛られているのは1人の女性だ。
 あの肩まで伸ばした赤く滑らかな髪、 あのぱっちりと開いていて少女めいた緑の瞳、 雪と同化するような無垢な白い肌――それはおそらく、 アイレンの最愛のものだ。
 ソラトも静かに怒りを覚える。
「本当に『魔王』だ……! 彼……!」
 ――最悪だ……。
 魔王ユイガは愉快そうに交渉する。
<わたしはね、 この件とは別に、 彼女も殺すつもりだったのだ。 まあ……、 きみが負けるのならば、 彼女を見逃す――それがわたしの『提案』……いや、 『命令』だよ>
 アイレンは目尻をつり上げながら、 苦しげに十字架に縛られた女性の名を呼ぶ。
<――……ヒノエ……!?>
 彼の視線の先――十字架には、 ヒノエがいた。 彼女は怯えるようにこちらに顔を向け―― <……ごめんなさい……> と詫びる。
 アイレンは我慢できずにユイガを怒鳴りつける。
<どこまで卑怯なんだッ!? あんたはッ!>
 ヒノエはわめくように訴える。
<アイレン……。 わたしは……いいから……>
<――ちくしょうっ……!>
 ヒノエを見、 アイレンは決断した。 彼は目尻のちからを抜いた。 彼はため息をつき、 冷酷な気持ちでうなずく。
<ああ。 悪く思うな。 ユイガはきみを殺すらしいが、 俺には関係ない>
<……アイ……レン……!?>
 ヒノエの動揺をソラトは繰り返す。
「……アイ……レン……!?」
 ――見捨てたのか!? 最愛の人を!?



 ヒノエは激しく動揺している。 それはそうだ。 強がっていつつも、 まさか自らの夫に見捨てられようとは、 彼女自身思うはずもない。 彼女は当然の反応をした。
 ――だが、 今の俺は迷わない。
 アイレンの決意を、 ユイガがせせら笑う。
「おやおや……。 こんなにかわいい、 お嬢さんを見捨てるとはね。 これだからヒトは……」
 アイレンは冷たくあしらう。
「こうなる事は読んでいた。 そして、 どうしようが俺の勝手だ……」
 彼の言葉でヒノエは悟り、 静かに緑色の瞳を閉ざした。
「そして今は“デュエル”だ!」
 アイレンは“デュエル”を再開した。

 ――アイレン――
 ライフ25/手札2枚/デッキ2枚
 モンスターなし/リバースカード1枚
 ――ユイガ――
 ライフ1400/手札なし/デッキ1枚
 モンスター2体/リバースカード1枚

 アイレンはデッキからカードを引く。
「ドロー!――ターン終了」

 ――アイレン――
 ライフ25/手札2枚/デッキ2枚
 モンスターなし/リバースカード2枚
 ――ユイガ――
 ライフ1400/手札なし/デッキ1枚
 モンスター2体/リバースカード1枚

「これが最後のターン」
 ユイガがデッキからカードを引いた。
「“デス・スワン”――」
 巨大なハクチョウが舞い降りた。 その翼は赤いまだら模様が彩る。

【デス・スワン】
 攻撃力1000

 ユイガの声。
「“ヘイトレッド”でピリオドだ!」
 2体の“ヘイトレッド”が攻撃を開始する。
「“ドラゴンズ・ミラー”!」
 アイレンはまだ、 勝負を捨ててはいない。

【ドラゴンズ・ミラー】
(魔法)
 自分のセメタリーのドラゴンを融合させて特殊召喚する。

 雪景色の中、 “リベリオン”と“アックス・ドラゴニュート”、 “ランサー・ドラゴニュート”の姿が1体に融合し、 現れた。 新たなる“リベリオン”が。 青い翼はそのままに、 本体にこがねの鋼鉄をまとう。 両手の甲を沿うように白い刀身が伸びる。
 ――“グリッターリベリオン”!
「負けん!」
 ユイガも“ヘイトレッド”を融合させる。

【ヘイト・クロス】
(トラップ)
“ヘイトレッド”の攻撃時に発動できる。 その“ヘイトレッド”は自分の場の別の“ヘイトレッド”と融合して戦闘をおこなう。 この効果は無効にされない。

 2体の“ヘイトレッド”が融合した。 そして“ヘイトレッドエックス”が4枚の翼を広げる。

【グリッターリベリオン】
 攻撃力3000

【ヘイトレッドエックス】
 攻撃力2500

「さらに“デス・スワン”の出番だ!」

【デス・スワン】
“ヘイトレッドエックス”の攻撃時にこのモンスターをコストにする事で、 相手モンスターの攻撃力を半減する。

“ヘイトレッド”は腹部の口を開き、 “デス・スワン”を丸呑みした。 すると“ヘイトレッド”が赤く輝きだして――

【グリッターリベリオン】
 攻撃力1500

【ヘイトレッドエックス】
 攻撃力2500

「これで攻撃力はこちらが――」
 ユイガの言葉をアイレンがさえぎる。
 ――“ソウル・ミーティア”!
 アイレンの最後のリバースカードにより、 “リベリオン”が青く輝き出す。

【ソウル・ミーティア】
(トラップ)
 自分の“グリッターリベリオン”と戦闘をおこなうモンスターの攻撃力は、 自分のセメタリーの“ドラゴニュート”1種類につき500減少する。

“アックス”、 “ランサー”、 “デスサイズ”、 “ランチャー”、 “サポーター”――5体の“ドラゴニュート”の魂を受け継ぐ青い翼のドラゴン。 そして――

【ヘイトレッドエックス】
 攻撃力ゼロ

【グリッターリベリオン】
 攻撃力1500

「……こ、 攻撃力ゼロだと……!?」
 ユイガは絶望を隠せなかった。 彼にはもう、 手札もリバースカードも存在しない。
 ユイガのライフは1400――そして、 “リベリオン”と“ヘイトレッド”の戦闘で彼に発生するダメージは1500。 1400マイナス1500――もはや解答を示すまでもない。
 ユイガの敗北は決した。 彼自身、 不敵な笑みを浮かべ、 敗北を認める。
「――おめでとう。 この“デュエル”はきみの勝利だ。 彼は見逃す。 つまり、 きみと彼女は死ぬ……」
 かたや、 アイレンは深く息を呑む。
「……先生……――」
 上空で“ヘイトレッド”は“リベリオン”に向け、 火炎を噴射した。 “リベリオン”は火炎を切り払う。 両方の手の甲から伸びた、 サーベルで。 暇なく2体は高速で旋回し、 雪の降る夜空で、 幾度も衝突を繰り返す。
 空の下では――
「……ありがとうございました……」
 アイレンは手元に残った2枚のカードをごみのように捨て去る。 時に『“デュエル”の可能性』とさえ例えられるカードを。 そして腰に隠していた拳銃を両手で支え、 正面のユイガに銃口を向ける。
「俺はヒノエを死なせません。 もちろんソラトも」
 アイレンはユイガを抹殺し、 全てを終わらせるつもりだ。
「――できれば……デュエルで……決着をつけたかった……! なのに……!」
 彼は覚悟を決めた。 ユイガを罵る。
「あんたのせいですッ!」
「――空を見なさい、 馬鹿者よ……」
 ユイガの嘲笑と同時に、 空から一筋のビームが落ちた。 世界を支配した、 例の“カノン”の魔力が。


 
エピローグ

 その時もまだ、 セイナの告知は続いていた。
「――そして、 この“デュエル”はね、 茶番なのよ」
「『茶番』?」
 ララは聞き返した。 『茶番』とは、 一体どこからどこまでを指すのか?
 セイナは前置きから始める。
「そ。 わたし達は確かに人間風情を恨んでる。 でもね、 あなた達と違う。 むかつくから壊す――そこまで愚かじゃないの」
 ララはセイナの言葉に耳を傾ける。
「……で、 あのビーム――あれはわたしの衛星から撃ってるの」
 いきなりな話に、 ララは補足を求める。
「『衛星』?」
「そうよ。 あれはわたし手作り人口衛星が撃ってる。 名前は“スワンソング”――空の上に6機飛んでるわ」
 あたかも趣味を語っているかのようなセイナに、 ララは思わず指摘する。
「ペットボトルでオモチャ作るのとかとはわけが違うじゃない。 そう簡単にできるわけないわよ?」
 セイナはきっぱりと言い切る。
「いや、 できる。 わたし人間じゃないから、 頭がよすぎるの。 それを買われて、 某国で宇宙工学に携わってた。 その時、 ちょっといたずらしたのよ」
 ララはぼそりと心境を述べる。
「……信じられない……」
「でしょうね。 だから、 わたしもユイガもただの『ロボット』よ」
 セイナは憂いをただよわせながら言い聞かせた。
 ララは再確認する。
「それは驚きだけど、 結局『茶番』って?」
「ユイガはわざとビームをはずし、 あなたのお兄ちゃんに撃たれる。 これは争いばかりな人類を結束させる――そのためのペテンなの……」
「『ペテン』?」
「そう。 ユイガは魔王“カノン”として世界を支配し、 世界中の敵意を背負った。 その彼が死ぬ。 これで世界中の憎しみは1度ゼロになるわ。 あとはあなた達――人間次第。 絶対に仲良くしてほしいけど、 どうなるかわからない……」
 セイナひざを抱え、 震え出す。
「わたしは、 これから死ぬ……。 だからせめて、 あなた達に……希望を……」
 ララは感じた。 セイナは深い孤独を抱えている。
 ――ならば、 慰めよう。
「偉いわ」
 ララは優しく、 セイナの背中を撫でた。
「ありがとう……でも、 いかなくちゃ……」
 セイナの右手には赤黒いナイフがあった。 それを握った彼女はソファーから立ち上がり、 そこから距離を置く。
「――今いくよ、 お母さん……」



 その頃、 空からビームが落ちた。 そのビームがアイレンの脳天を外す。 彼に直撃しない。
「――ば、 馬鹿な!? なぜ……!?」
 ユイガは信じられないといった様子で見開いた。
 アイレン本人はチャンスと見切り、 追い込む。
「覚悟しろ!」
「なぜだ……!」
 ユイガは連続でアイレンにビームを落とすが、 ことごとく外す。
「……当たらない……だと……!?」
「トラブルとは『神』と聞いて呆れる!」
「……おのれ……!」
 ユイガは眉間にしわを寄せ、 あせるように言い放つ。
「だが……! きみみたいな甘ったれに、 自らの意志で撃てるものか!」
 その言葉がアイレンに突き刺さる。
 俺はまた人殺しになってしまう……。
 アイレンの銃口が地面に向きかける。
「それでいい……。 やさしいきみに、 銃は似合わない」
 次の瞬間、 ユイガが懐から拳銃を取り出し、 銃口をこちらに向ける。
 次の瞬間、 2つの銃口が向かい合う。
「あんたは――」
 アイレンは再び、 ユイガに銃口を向けていた。 彼は必死に自身の内に秘めた、 悪魔に魂を売る――そんなイメージで、 憎しみを吐き出す。
「あなたは馬鹿だ! 馬鹿な人間だ!」
 その言葉にユイガが急に驚き戸惑う。
 もう、 彼を撃つしかない。
 ――俺は撃つのか? 先生を?
「……ならば撃て。 山瀬アイレン」
 ユイガは両腕を広げ、 声高に決断を強いる。 彼は無表情で言葉をつけたす。
「――きみ達は最後まで信じ合っていた。 だからわたしに、 勝てたのだ……」
「……先生……」
 アイレンは歯を食いしばる。 震える銃口をなんとかさだめ、 確かに拳銃の引き金を引いた。
 瞬間、 彼は自分自身の行為に驚愕する。
 ――なぜ……、 俺は撃つ……!?
 夜空に銃声が鳴り響く。 そして、 銃弾はユイガの胸に――心臓に突き刺さる。
 その上空では青く輝く“リベリオン”の突撃が、 赤く輝く“ヘイトレッド”を打ち砕いた。 この2体の戦闘で、 ユイガのライフにダメージの計算が適用され、 彼はライフゼロ。
 この日――ヒトとして、 デュエリストとして、 湯田ユイガは絶命し、 地にひれ伏す。
 ふいに6年前の自分をかえりみる。
 ――所詮、 この世界は誰かが、 犠牲にならなければ成り立たない――。
 あの時、 友の言葉への否定を今も繰り返した。
 自分はいのちを守るため、 1つの――湯田ユイガのいのちを踏みにじった。 犠牲を出さぬための犠牲――なんという矛盾……。
 ――犠牲を許しちゃいけない。 そんな世界なら、 ぼくはいらない……。
 6年前の友の言葉が胸を締め付ける。
 今、アイレンはちからが抜けたようにひざを地につけてわびる。
「……ごめん……なさい……」
 誰への謝罪なのか、 彼自身もわからずにいた。
 雪でかすむ視界の先には、 ひれ伏し、 息絶えるユイガの姿があった。 穏やかな笑みを浮かべる彼から、 ささやきが聞こえた。
「……ありがとう……」
 ――きっとあるさ。 きみにもわたしとの『次』が……。
 その『次』が終わった。 この『次』はきっと……ない。 いや、 会ってほしい。 『死』で全てが終わりじゃ、 あんまりだ……。
 十字架のほうを見ると、 ヒノエの束縛が解除された。 きっと、 ソラトのほうも同じだろう。 “カノン”との“デュエル”が終わったのだから。
 アイレンは呆然とした。
 ――なんだったのだろう? この戦いは……?
 魔王“カノン”こと湯田ユイガは支配という痛みをともなったものの、 確かに世界中の争いを消したというのも事実。
 そうなると、 平和な世界とは、 代償なくして創れぬものに思えてくる。
 そしてどうにかしなければ、 今の平和もあっけなく崩れる。 彼はただ、 世界中の憎悪を1度リセットし、 人類に平和をやり直すチャンスを与えただけなのだから。
 もういっそ、 人を信じろといわない。 自己犠牲を払ってまで他人を守れともいわない。 ただ、 他人を傷つけずに生きる。 そこからでも始められないのか?
 ――いや、 それさえも人には困難だ。 自分もできない。 生きる事は食べる事――殺す事だ。
 生きるために、 なにかを踏み台にしなければならない。 それがこの世界のルールだと、 アイレンは思わずにはいられなかった。
 彼はユイガとの戦いによる極度の疲労で、 地にひざをつける。
 ――あとは……。
 アイレンは自分自身の胸元に銃口を突きつけた。
「さようなら……」
 ――みんな……。
「――だめっ!」
 ヒノエが叱責しながらこちらに歩み寄った。
 アイレンはひざを地につけたまま、 彼女を見上げて諭そうとする。
「……わかってくれ。 俺が死ななきゃ、 この“デュエル”の意味がない……」
「どうしてよ……っ!?」
 ヒノエは半泣き状態でしゃがみこみ、 ひざまずくアイレンに視線を合わせた。
 彼は彼女の視線から逃れようと、 頭を傾ける。
「ソラトを生かして、 みんなに示さなきゃならない。 人は裏切りだけじゃない。 いのちに替えてでも、 守ってくれるって……」
 そもそもこのゲームのルールはこうだった。 “デュエル”をおこない、 勝てば自分が殺され、 負ければ友が殺される。 アイレンの目的は自らの死と引き替えに、 ユイガに勝利し、 友を救う事。
「――で、 でも……もう、 “カノン”はいない! あなたが死ななくても、 彼は死なないじゃない!」
 必死に説得する彼女の遠く先には、 確かに“カノン”だったユイガの死体がひれ伏していた。 もうソラトを狙う者はいない。
 アイレンは言葉を返す。
「だけど……“カノン”のルールで助けなきゃ、 俺はちからで全てを解決した事になる……」
「いみわからないっ!?」
「わかるだろ? この“デュエル”で大切なのは、 絆を示す事なんだ。 人は信じられるって証明する事なんだ。 だから、 俺の自己犠牲が……――」
 アイレンはなんとか震える銃口を自らの胸に押しつけた。
「……でも……でも……、 あなた1人がそこまでして……」
 ヒノエはそっと、 拳銃を握るアイレンの手に手を添えた。
 それでも、 彼は銃口を下ろさない。
「俺、 軍人だった……。 俺1人が、 たくさん人、 撃ち殺したから……」
 今でも脳裏に蘇る。 自分の銃口を向けた者が、 血潮にまみれて倒れるさまを。
「――だからって……。 それで『償い』のつもりなの……?」
 ヒノエの問いに、 アイレンは平淡と答える。
「そうだ。 だからみんな信じ合える世界にする。 その理想のために、 俺が死ぬ」
 また、 自分の声を回想してしまう。
 ――所詮、 この世界は誰かが、 犠牲にならなければ成り立たない。 今回は俺が犠牲になる番だった、 それだけさ……。
 2頭のウサギを追えば、 1頭のウサギすら捕らえられない。 ――それを例えたことわざがあるが、 まさしくその通りだと思う。
 ――全てを求めれば全てを失う。
 現実が求めるのはいつも二者択一。
 そして自分は、 四捨五入で切り捨てられる。
 これで、 いい。 これが、 多くのいのちを否定し、 師匠のいのちさえをも否定した、 自分への罰。
 アイレンは、 拳銃の引き金に人差し指を伸ばす。
 ――これで、 いいんだ……。
「間違ってる!」
 ヒノエの怒号が夜空に舞い上がった。 そのさまにアイレンがひるむ。 彼が引き金から指を離した瞬間、 彼女は彼から拳銃を奪い取って地面に置く。
「あなたが消えたら、 彼が悲しむじゃない! そんなんで、 なにが『絆』よ……。 1人を悲しませて、 なにが『世界のため』よ……」
 彼女の言葉が胸にしみる。
 ――なにも言い返せない。
 喜ぶ世界の片隅で、 悲しむソラトを想像してみた。 彼も世界の中の1つ。 1つを踏みにじりながら、 『世界のため』など偽りに等しい。
 なにより、 悲しむ友の姿など見たくはない。
 両ひざを地につけたまま、 さ迷うアイレンの心身。 彼は拳銃を失った手を、 胸にあてがう。 そこには、 彼女から授かった、 こがね色の羽根――“ラーの羽根”――それは死を否定した意味を持つ羽根だ。
 ――俺は必ず帰ってくる――自分は彼女に約束していた。
 ヒノエはあわいピンク色の唇を緩ませ、 幼女のような笑みを浮かべて彼を抱きかかえる。
「絶対、 待ってるわよ。 彼……」
 彼女の慰めに、 アイレンは涙する。
 ――馬鹿だ。 俺……。
 誰も自分の痛みでは報われない。 自分が生きて、 なにかをして、 初めて誰かが報われる。
 きっとまた、 自分はなにかの犠牲を生む。 だからこそ生きて、 いつか全てを取り戻す。
 アイレンはあふれる涙をごまかそうと、 夜空を見上げる。 そこにはいつもと同じ星達が――満月がまばゆく輝いていた。 白く輝いて舞う雪もまた、 なぜか心を揺さぶる。
 とりあえず、 今は感謝だ。 自分をやさしく包む愛する者と、 この心を癒やす美しい満月に感謝しよう。
「ありがとう……」
 アイレンはヒノエを抱き寄せた。
 ――教えてください。
 あなたはなにを求めるのですか?
 求めるものは『1つ』ですか?
 それとも『全て』ですか?
 その結論だけを教えてください。
 始まりのヒトよ。
 今は、 あなたの望んだ今なのでしょうか?
 だけど、 それとは別にいわせてください。
 ――ありがとう。 そして、 あなたを信じています。

【完】







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