恋する乙女の決闘週間
製作者:豆戦士さん
プロローグ 〜土曜日の告白〜
きっかけは、ほんの些細なことだったと思う。
わたしが高校生になってから1ヵ月くらい経ったある日。新しい友だちもできて、そろそろこの学校にも慣れてきたかな、なんてことを考えながら、その日わたしは所属している委員会の今年はじめての集まりに顔を出した。
わたしが入っているのは、なんと体育祭実行委員会だ。もちろん、小学生のときからスポーツは大の苦手なわたしが、そんなものに自分から進んでなりたがるわけはない。昔から、ここぞというときに限って運が悪いわたしは、じゃんけんに負けて、空いていたこの委員会に所属させられてしまった。そして、さらにここでも、なりゆきで校門に飾るパネルをつくる係に任命されてしまったのだ。
クラスの友だちが言うには、パネル班は、6月の体育祭が近づくと、毎日のように放課後学校に残って作業をしなければいけないという。それを知ったわたしは、めんどくさいなぁ、とか、なんとかしてサボっちゃえないかなぁ、とか、そんなマイナスの感情全開で、いじわるな運命を恨んだりもしていた。
でも、今は違う。運命の神様には、どれだけ感謝しても足りないくらいだ。
だって、それがわたしと先輩の、はじめての出会いになったのだから。
滝沢 誠人。そう名乗った先輩の声は、透きとおったガラス細工みたいに綺麗だった。
端正な顔つきに、すっきりした目鼻立ち。体つきはがっしりとしているのに、背筋はまっすぐ伸びていて、それがなんだか大人っぽくてカッコいい。なのに、ときどき浮かべる笑顔は女の子みたいに優しげで、それを見るたびにわたしの胸はドキリとする。
一目ぼれ、ではなかったと思う。でも、体育祭が近づいてきて、毎日毎日先輩といっしょに作業しているうちに、ちょっとずつ滝沢先輩に惹かれていった。そして半月もすると、作業をズル休みしてやろうなんて気持ちは、もうすっかりなくなってしまっていた。
滝沢先輩は、あらゆる面で完璧な人だった。わたしが1時間かけてようやく終わらせられる作業を、ものの10分で片づけてしまう。字もすごく上手だし、絵のセンスだって抜群だ。わたしが色を塗ったパネルも、デザインはすべて滝沢先輩の手によるものだ。
そんなすごい人なのに、それを鼻にかけるようなことは全然なくて、わたしが困っていたりすると、すっと手を差しのべて助けてくれたりもする。そのなにげない気くばりがすごく自然で、わたしは無性に嬉しくなる。
滝沢先輩は、高校2年生だ。わたしとたった1つしか違わない。それなのに先輩からは、頼りになる人オーラがビシバシ出ている。いっつも失敗ばかりのわたしなんかとは大違いだ。
こういう場合は、嫉妬とか、そういう暗い感情がわいてくるのが普通だと思っていたけど、全然そんなことはなかった。むしろ逆に、わたしはますます先輩に惹かれていったのだった。
体育祭は、これといった事件もなく無事に終了した。
パネル塗りの作業がなくなって、わたしの放課後は暇になった。でも、そのかわり滝沢先輩に会える機会もぱったりとなくなってしまった。
体育祭が終わって寂しいなんて、こんな気持ちになったのははじめてだった。胸にぽっかりと穴が空いたみたいで、わたしの体から大切ななにかが欠けてしまった。
体の芯から、ひりひりするような痛みが湧きあがってくる。ああ、これが恋なんだなぁ、って自覚したときにはもう、わたしの中で滝沢先輩はなくてはならない存在になっていた。
どうしても滝沢先輩に会いたくて、昼休み、なんども2年生の教室をのぞきに行った。でも、なんと言って話しかけたらいいかわからなくて、教室に入ることすら一度もできなかった。わたしはいつも、ドア越しに先輩の横顔をちらりと眺めるだけだった。
あのときはあんなにあたりまえに会話していたはずなのに、今は廊下ですれ違っても声をかけることすらできない。話のきっかけなんてなんでもいいはずなのに、先輩の姿が目に入ると、頭の中が真っ白になって、なにも考えられなくなってしまう。
夏休みに入れば、滝沢先輩に会うことはできなくなる。もしかしたら、その間に先輩はわたしのことを忘れてしまうかもしれない。それだけは、絶対にイヤだった。わたしと滝沢先輩のつながりがなくなってしまう。そう考えただけで、全身がバラバラになってしまいそうだった。
だからわたしは、滝沢先輩に告白することに決めたのだ。
「大事な話があります。もしよかったら、今日の放課後、体育館の裏に来てください」
たったこれだけの文章を考えるのに、3日かかった。何度も何度も書き直したから、わたしの家のごみ箱は今、便箋であふれている。それでもわたしは、やっとの思いで、この小さな手紙を書きあげることができた。
こうしてできあがった手紙を滝沢先輩の靴箱に入れるまでに、今度は5日かかった。いざ手紙を持って靴箱の前に立つと、とつぜん怖くなってきて、ついその場から逃げだしてしまう。そんな情けない日が何日も続いたけど、今日ようやく、それを実行に移すことができた。
みんなが登校してくる前に学校にきて、滝沢先輩の靴箱に手紙を入れる。これで、わたしの言葉はちゃんと先輩にとどくはずだ。そう信じて、わたしはそっと、靴箱の扉を閉めたのだった。
そして、わたしは今、体育館の裏で滝沢先輩を待っている。
滝沢先輩は、ここに来てくれるだろうか。そもそも、わたしの手紙はきちんと読んでもらえたのだろうか。イタズラだと思われて、捨てられちゃったらどうしよう。そんな心配が、次々と浮かびあがってくる。わたしの心臓が、不安ではり裂けそうになる。
もう、1時間は待ったんじゃないだろうか。そう思って時計を見る。けど、まだたったの10分しか経っていない。早く来てほしいという思いと、まだ来ないでほしいという気持ちがごっちゃになる。ただ立っているだけなのに、頭の中がぐるぐるしてくる。
そして――
「この手紙、出したのって日坂?」
息が、止まりそうになった。
振りむくとそこには、滝沢先輩が、いつもと変わらない穏やかな微笑みを浮かべて立っていた。右手には、わたしの書いた手紙を掲げている。
わたしは、ロボットみたいにカクカクとした動きで、なんとかうなずく。
「良かった。人違いじゃなくて」
そう言ってはにかむ滝沢先輩のやわらかい声が、体中にしみこんでいく。
このときになってようやく、わたしは手紙に名前を書き忘れたことに気づいた。けど、もうそんなことはどうだっていい。今、わたしの目の前に、滝沢先輩がいる。それだけで、わたしの胸は高く跳ねあがる。自分の気持ちが、どんどん膨らんでいくのがわかる。
「それで、日坂。俺に大事な話ってなに?」
その言葉を聞いた瞬間、まわりの景色や音が急速に遠のいていった。世界が、わたしと滝沢先輩を残して静止したのかと錯覚してしまう。
そうだ。滝沢先輩に、わたしの気持ちを伝えないと――!
好きです。たったそれだけの言葉が、どうしても口から出てこない。滝沢先輩の瞳をまっすぐに見つめると、胸がどうしようもなく締めつけられる。こみあげてくる想いが、喉につまって声が出ない。気持ちだけが空回る。
それでも、なんとか勇気を振り絞る。目を閉じて、必死に言葉を絞り出して、わたしは思いっきり叫んだ。
「あ……あのっ! わたし……滝沢先輩のことが…………大好きですっ!!」
いったんしゃべり始めると、今度は言葉があふれ出してくる。
肺にたまった空気をすべて吐き出して、精一杯叫ぶ。
「もしよかったら、わたしとつきあってくださいっ!!」
ついに、言えた。
全力で走った後みたいに、顔が赤くほてって、息があがっているのがわかる。心臓の鼓動が、すごい速さになっている。
おそるおそる目を開けて、滝沢先輩の顔を見る。
滝沢先輩は、わたしの顔を見つめたまま、茫然と固まっていた。目を丸くして驚いている。
でも、すぐに首を振って気を取りなおすと、わたしに向かって、細くて哀しそうな声で、こう、告げた。
「…………ごめん、日坂。……俺、もう日本にはいられないんだ。アメリカに行って、カード・プロフェッサーになる。それが、俺の……夢だから」
日曜日(日坂 綾)
ふと気がつくと、わたしはベッドの上で横になっていた。
白い天井に、淡いピンクの壁紙。見慣れた机に、小さな本棚。
ああ、ここはわたしの部屋だ。ぼんやりとした頭で、ようやくそれを理解する。
目をこすりながら、ゆっくりと体をおこす。そうしたら自分が、なぜだか制服を着ていることに気づいた。
……あれ? わたし、制服のまま寝ちゃったのかな?
そんなことを思いながら、壁にかかっている鏡に目を向ける。そこには、寝ぼけまなこでこっちを見つめているわたしがいて、鏡の中のわたしの頬には、これでもか、ってくらいに目立つ涙の跡がくっきりと残っていて――
そこで、思い出した。
わたしは昨日、滝沢先輩に告白して――そして、振られたんだ。
あのときの記憶が、もう一度ゆっくりと再生される。
滝沢先輩の言葉が、はっきりと頭の中に蘇ってくる。
俺……小さいころから、カード・プロフェッサーって存在に、ずっと憧れててさ。自分もああなりたい、あんなふうにカッコよく闘いたい、って、いつも思ってたんだ。
そう語る先輩の、どこか遠くを見つめるような瞳。
それで、その夢にさ。ようやく……手がとどくところまできたんだ。俺は今――2週間くらい前からずっと、カード・プロフェッサーになるためのテストを受けている。そのテストに合格して、俺の実力が認められれば、俺は……あのカード・プロフェッサー・ギルドの、一員になれるんだ。
先輩の夢が、かなう。それは、本当ならわたしにとっても嬉しいことのはずだった。なのに。
そうなったら俺は、すぐに日本を発たなきゃならない。ギルドのメンバーとして、しばらくはアメリカで活動しなくちゃいけない。この高校にも……通えなくなる。だから……日坂。お前とつきあうことは、できない。…………ごめん。
心から願った夢だからこそ、本気で追いかけたい。
だから、わたしとはつきあえない。
苦しそうに、でもきっぱりと告げた先輩の声が、冷たい風のようにわたしの中を通り抜けていった。
失恋のショック。たぶんそれもあったのだろう。
けどわたしは、それ以上に、滝沢先輩がわたしの手のとどかないところへ行ってしまうことが、とにかく哀しくて哀しくてたまらなかった。
滝沢先輩には、もう会えない。
それがどうしても嫌で、わたしは、あのとき先輩にこんなことを言ってしまった。
だったら、もしそのテストに落ちたら、わたしとつきあってください!
そんな失礼な言葉が、とっさに口をついて出てきてしまった。そのときのわたしは、それだけ必死だったのだと思う。怖かったのだと思う。
でも、滝沢先輩は、それでも首を横に振るだけだった。
そんな中途半端なことはできない。もし失敗したら日坂とつきあうなんて約束は、日坂にとっても、俺の夢にとっても、失礼なことだと思うから。
そんなことないと、わたしは思った。
わたしは、それでもいい。滝沢先輩といっしょにいられるなら、わたしにとって失礼かどうかなんてどうだっていい。
そうは思ったけど、やっぱりそれは、先輩の夢を侮辱していることに他ならなくて。
そして、先輩ならその提案を決して受け入れてくれないだろうこともわかっていた。
だからわたしは、滝沢先輩のことを、諦めるしかなかったのだ。
どうやって家に帰ったのかは覚えていない。
家に帰った後の記憶も、薄いもやがかかっているようで、よく思い出せない。
けれど、自分の部屋に入るやいなや、ベッドに倒れこんで思いっきり泣いたことだけは、はっきりと思い出せる。
体が、焼けるように熱い。胸が、引き裂かれそうなくらい痛い。それはまるで、誰かにわたしの心臓を握られているような苦しさだった。
唇を噛みしめて、必死に嗚咽がもれないようにしたけれど、それでも涙は次から次へとあふれ出してくる。
とうとう我慢できなくなって、顔をびしょびしょに濡らしてわんわん泣いた。でも、心の中で暴れているぐちゃぐちゃな感情は少しもおさまってくれない。
痛くて、哀しくて。
苦しくて、切なくて。
それでも、わたしには、どうすることもできなくて。
どれくらいの間、泣き続けていただろうか。
わたしの中の涙が、最後の一滴まで絞り出されて、すっかり涸れてしまったころ。
疲れはてたわたしは、急に魂が抜けたように、そのまますとんと眠りに落ちてしまったのだった。
そして、目が覚めると、日曜日の朝だった。
もう涙は出てこない。昨日みたいに、苦しくて耐えられないなんてことはない。
でも、そのかわりに、わたしの中からなにか大事なものがごっそり抜け落ちてしまったように思えてしかたなかった。
カード・プロフェッサー。
その単語が、わたしの中に浮かんで、ふわふわと漂っている。
大規模なデュエルの大会に出て上位に入賞すれば、かなりの額の賞金がもらえる。そうやって得たお金で生計を立てている人たちのことを、カード・プロフェッサーというらしい。
実を言うとわたしは、滝沢先輩の話を聞くまで、カード・プロフェッサーという言葉の意味をまったく知らなかった。
デュエルモンスターズ。そのカードゲームの名前なら、わたしも知っている。学校で友だちがデュエルしているのを見かけることはあるし、暇なときにテレビのデュエル番組をなんとなく眺めることだってあるからだ。
でも、なんだか難しそうだなと思って見ているだけなので、ちゃんとしたルールなんかは全然知らない。もちろん、自分でデュエルしたことは一度もない。
そんな、わたしにとってはまったく未知の世界に、滝沢先輩は行ってしまう。
いくらいっしょにいたいと願っても、決して手のとどかない、遠い世界に。
夢を語るときの先輩は、子どもみたいに無邪気な顔をしていた。それは、思わず見入ってしまうほど、すごく魅力的な表情だった。
きっと先輩は、小さいころから夢に向かってずっと努力してきたんだろう。それは、とってもすごいことで、大切なことだ。それこそ、偶然先輩と出会って好きになっただけの、わたしの初恋なんかよりも、ずっと。
そう、頭ではわかっているはずなのに。
なぜだか、空っぽの胸がちくりと痛んだような気がした。
日曜日(滝沢 誠人)
「サイバー・ドラゴンで、相手モンスターを攻撃! エヴォリューション・バースト!」
鋼鉄のアギトが開かれ、高密度のエネルギー波が俺の守備モンスター目がけて放たれる。
サイバー・ドラゴンの攻撃力は2100、かたやこちらの守備力は2000。この攻撃は、甘んじて受けとめるしかない。
これで、俺の場には壁モンスターがいなくなった。
そうなれば当然、次の攻撃対象は、俺自身ということになる。
「続けて、怒れる類人猿でダイレクトアタックだ! 喰らいな!」
今度のモンスターには、2枚の魔法カードが装備されている。その効果で、怒れる類人猿の攻撃力は4600。今の俺のライフポイントの、ゆうに倍だ。
(攻4600)怒れる類人猿 −Direct→ 滝沢 誠人(LP2300)
無論、これをそのまま通すわけにはいかない。
俺は、伏せていた罠カードを発動させて、戦闘ダメージを軽減させる。
滝沢 LP:2300 → 100
「チッ……! これでオレのターンは終了だ……」
おそらく、このターンで俺のライフを0にできるとふんでいたのだろう。
目の前の相手は、露骨に舌打ちしながらも、しぶしぶ俺にターンを回してきた。
(10ターン目)
・相手 LP3400 手札0
場:団結の力(装魔)、魔導師の力(装魔)
場:サイバー・ドラゴン(攻2100)、怒れる類人猿(攻4600)
・滝沢 LP100 手札0
場:なし
場:なし
「俺のターン、ドロー」
とはいえ、俺も悠長なことは言っていられない。
前のターンに発動した罠カード、あれは強力な効果を持つかわりにリスクも大きい。急いで決着をつけなければ、俺の負けが確定してしまう。
「カードを1枚伏せて、ターンエンドだ」
かといって、むやみに焦ってもダメだ。
この10ターンの流れから推測するに、この状況なら、次のターン、相手はおそらく――。
(11ターン目)
・相手 LP3400 手札0
場:団結の力(装魔)、魔導師の力(装魔)
場:サイバー・ドラゴン(攻2100)、怒れる類人猿(攻4600)
・滝沢 LP100 手札0
場:なし
場:伏せ×1
「オレのターン、ドロー! 『デーモンの斧』を、怒れる類人猿に装備する!」
怒れる類人猿 攻:4600 → 5600 (デーモンの斧)
怒れる類人猿 攻:5600 → 6100 (魔導師の力)
「ククッ。そんな1枚の伏せカードだけで、オレの攻撃をどう防ぐ気だ? さすがのオマエも、ライフ100まで追いこまれちゃ、もうどうしようもねぇみたいだな」
……予想通り、だ。
この相手は、「残りライフ100」という事実の持つ意味を、正しく認識できていない。中級者にありがちな、よくある勘違いに陥っている。
「このターンで、たった100ポイントぽっちのライフを削るくらい、どうってことないぜ! 次の攻撃で、オマエの負けだ!」
デュエル開始時に与えられる、初期ライフは4000。そのうち3900ポイント、全体の97%も削ることができたのだから、今から残りの3%を削るくらい、朝飯前だ。生半可に経験を積んだデュエリストほど、そう考えてしまうことが多い。
でも、それは大きな間違いだ。
「行くぜ! 怒れる類人猿で、相手プレイヤーにダイレクトアタック!」
多くのアマチュアデュエリストは、自分のライフは多ければ多いほどいいと考えて闘う。相手のライフを100ポイント削れば、100ポイント分だけ自分が有利になれると思いこんでいる。
でも、プロのデュエリストは、そんな細かいライフの削りあいには決してこだわらない。自分のライフは、ほんのわずかでも残っていればそれでいいと考える。初期ライフ4000のうち、3999ポイントまでなら好きなだけ相手にくれてやるとさえ考えている。
ただし、そのかわりに彼らは、相手のライフを0にすることに、全精力を注ぐ。
肉を切らせて骨を断つ。相手に致死量のダメージを与えられるのなら、その過程で、自分がどれだけ傷を負ってもかまわない。攻撃のチャンスを作るためなら、致死量に満たないダメージを、自分から進んで受けにいくこともいとわない。3999ポイント分のライフは、自分にとって有利な状況を作るためのコストとして使う。極力使い切る。
上級者同士のデュエルが決着したとき、勝者のライフが100ポイントしか残っていないことが多いのは、それが理由だ。優れたデュエリスト同士の間にのみ成立する熾烈な駆け引きが、水面下では行われているのだ。
(攻6100)怒れる類人猿 −Direct→ 滝沢 誠人(LP100)
残りライフ100は勝利の証。そんな言葉が、なかば冗談のように口にされているのを、最近よく耳にする。
しかし、よくよく考えてみれば、それは当然のことなのだ。
ライフポイントが100残る。それはつまり、自分が3900ポイントのライフコストを支払って、その分だけ勝つための布石を練り上げたというなによりの証だ。
そして、ちょうど3900ポイント分のコストを支払うことができたということ。すなわち、このデュエルの主導権を握って、ライフの流れをコントロールしているプレイヤーが、自分であるということ。それは、自分が、相手より優位な立場に立っているということに他ならない。
そのことを、今、証明する。
「罠カード発動。『リミット・リバース』」
リミット・リバース 永続罠
自分の墓地から攻撃力1000以下のモンスター1体を選択し、攻撃表示で特殊召喚する。
そのモンスターが守備表示になった時、そのモンスターとこのカードを破壊する。
このカードがフィールド上から離れた時、そのモンスターを破壊する。
そのモンスターが破壊された時このカードを破壊する。
そして俺は、ゆっくりと、蘇生対象となるモンスターの名を、告げた。
◆
ソリッドビジョンが、ゆるやかに薄れていく。
俺は、自分のデッキをデュエルディスクから取り外して、腰のデッキケースにしまった。
今回のデュエルでも、自分の実力を十二分に出しきることができた。思わず安堵のため息が漏れる。
そんな俺の背後から、凛とした声がかけられた。
「おめでとう。今日もあなたの勝ちね。いいデュエルだったわ」
振り向くと、すらりとした体躯が目に飛びこんでくる。
「ありがとうございます、牧村教官」
俺は、教官に向かって軽く一礼する。
彼女は、俺の指導教官を担当してくれている、現役で活躍しているカード・プロフェッサーだ。
日本のカード・プロフェッサーは数が少なく、優秀なデュエリストもあまりいないと言われているが、それは牧村教官には当てはまらない。彼女のデュエルタクティクスは、明らかに他とは一線を画している。
他に類を見ない斬新なデッキ構築、流れるようなカード運び、一目で本質を見抜く直観力。彼女のデュエルは、一度見たら二度と忘れられない。「天才肌」という言葉がこれほど似合うデュエリストも、そうはいないだろう。
当然、カード・プロフェッサー・ギルドにおいても、彼女のランクは常に上位。「光属性使いのプロフェッサー・マキムラ」と言えば、裏の業界ではその名を知らぬ人はいないほどの有名人だ。
だが、それほどの有名人にも関わらず、彼女のプロフィールは、年齢を含めてすべて非公開。どこかミステリアスな雰囲気を漂わせる外見にふさわしく、過去の経歴も謎に包まれている。もちろん、俺が訊ねても教えてくれることはなかった。はっきりしているのは、その確たる実力だけだ。
そして、俺は今、そんな牧村教官の指示のもと、カード・プロフェッサー・ギルドの一員となるためのテストを受けている最中だった。
「あなたの実力を測るためのテストデュエルも、今日で12戦目。その間の成績は、12勝0敗で、負けはなし。今のところは順調ね。……どう? これからもこの調子でいけそうかしら?」
「ええ。どんな相手が来ようとも、俺は全力を尽くすだけです」
俺が、カード・プロフェッサーとなるのに足る実力を身につけていること。それが彼女に認められれば、牧村教官は俺がギルドに入るための推薦状を書いてくれるという約束になっている。
今行われているデュエルは、それをテストするためのものだ。
様々なシチュエーションで、様々なタイプのデュエリストとデュエルする。そして、俺がそれらのデュエルすべてに勝ったときに限り、合格になるという話だった。
「そう。ならその調子で、明日のデュエルも頑張ってね。期待してるわ」
「はい。……絶対に、勝ちを掴んでみせます」
いつ終わるかもわからないテストの中、たった一度の敗北も許されない。正直に言って、かなり厳しい条件だとは思う。
でもこれは、憧れていたカード・プロフェッサーになるための千載一遇のチャンスなのだ。絶対に、この機会を無駄にするわけにはいかない。
俺は、教官にデュエルディスクを返すと、自分の荷物をまとめ始める。
そんな俺に、唐突に牧村教官はこんな言葉をぶつけてきた。
「ところで、今日のデュエル、あなたにしてはちょっと闘い方が雑だったわね。どうしたの? なにか悩み事でもあるの?」
「…………」
とっさに言葉が返せず、つい黙りこんでしまう。
できる限り平静を装って、普段通りに闘ったつもりだった。そもそも俺自身、あのことは完全に頭から追い出してデュエルに臨めたと信じていた。
しかし、それでも牧村教官には見抜かれてしまったらしい。
「……いいえ。すみません。プレイングミスです」
まさか、本当のことを話すわけにもいかない。
俺は、彼女の洞察力に改めて驚嘆しつつも、ありきたりな答えでお茶を濁すしかなかった。
月曜日(日坂 綾)
………………。
………………。
…………はぁ。
机の上にぐでーっと突っ伏して、今日何回目になるかわからないため息をつく。
ちらりと時計を見ると、今は12時30分。昼休みの真っ最中だけど、あまり食欲がわいてこない。なんだか、何をするのも面倒に思えてしまう。
わたしは、昨日からずっとこんな調子だった。
「どしたの綾? まるでなんかの抜け殻みたいだよ?」
そんなわたしに、友だちの美星ちゃんが話しかけてくる。
わたしのことが心配、というより、興味津々、といった様子だ。実に美星ちゃんらしい。
「あぅ……。美星ちゃん……。…………で、それはいったい、なんのつもり?」
見れば美星ちゃんは、わたしの体の上で、大きな字で「だう〜ん」と書かれたノートを掲げていた。丁寧なことに、どんよりした感じの効果線まで引かれている。
「………………はぁ」
ため息をついて、もう一度机に突っ伏すわたし。だう〜ん。
「……ツッコむ気力もないとは。こりゃ、そうとう重症だね。うん」
なにやら納得した様子で、美星ちゃんが1人うなずいている。
それからわたしに顔を近づけると、こんなことを訊ねてきた。
「……で? 誰にフラれたの? その様子からすると……。ああ、そういえばあんた前、滝沢とかいう先輩がどうのこうのって言ってたよね。…………当たり?」
いきなり図星だった。
というか、なんで振られたこと前提なんですか。
「…………美星ちゃん、勘鋭すぎ」
「ふふ。色恋沙汰には目ざとくないと、女子高生は務まんないよ?」
ニヤニヤと笑いながら、空いていた前の机にどっかりと座りこむ。
「で? いったい何があったわけ? その滝沢ってヤツのことも含めて、私に詳しく話してみなさいな?」
「う、うん…………」
なんだかうまく丸めこまれたような気がしながらも、わたしは、先輩に出会ったときの話から、おととい告白したときのことまでを、1つ1つゆっくりと美星ちゃんに話していった。
滝沢先輩のことが、ずっと気になって仕方がなかったこと。
勇気を振り絞って、先輩に手紙を出したこと。
体育館の裏で、「好きです」と告白したこと。
でも、断られてしまったこと。
カード・プロフェッサーになるのが、先輩が子どものころからの夢だったこと。
今受けているテストに先輩が合格すれば、その夢がかなうということ。
そして、そうなれば、滝沢先輩はアメリカに行ってしまうということ。
美星ちゃんは、真剣な表情でわたしの話に耳を傾けている。
そして、わたしが話し終えると、おもむろに顔を上げて、こう言った。
「……うん。とりあえず綾。今どき靴箱に手紙はないわ。それ、何十年前のセンス?」
「わたしの話を聞いて最初の感想がそれ!?」
「ていうか、たった1行の手紙書くのに3日悩むって、もはや天然記念物級?」
「そんなところに食いつかなくてもいいよ! ほっといてよ!」
「毎日朝早くに靴箱の前でうろうろしてる変な1年生がいるって噂あったけど、あれって綾のことだったのね。納得だわ」
「ええ!? わたし噂になってたの!? それは普通にショックだよ!?」
「ま、今のは軽い冗談だけど」
「妙にリアルで怖いからそれ! 笑えない嘘はやめてぇえええ!」
大声で叫んでみてから、ハッと我に返る。
なんだろう。なぜだか、気持ちが妙にスカッとしている。
思いっきり声を出したからだろうか。さっきまでの憂鬱な気分が、どこかへ吹き飛んでしまったようだ。
くぅ、と、わたしのお腹が小さく鳴った。
「……どう? 少しは元気出た?」
「あ……」
「1人で抱えこんでても何も解決しないよ? 私みたいなのでよければ、話くらいいくらでも聞いてあげるから。うじうじ悩んでないで、早く元気になっちゃいなさい。落ちこんでる綾なんて、綾らしくないよ?」
「……うん。……ありがと、美星ちゃん」
いつの間にか、どんよりした気分はすっかり消えてしまっている。
なんだか、いつものわたしが戻ってきたみたいだ。
あぁ……。やっぱり、美星ちゃんにはかなわないなぁ。
わたしは、しみじみとそう思うのだった。
「ま、私が学校に来る目的の9割は、綾をイジって遊ぶことだからね。綾のツッコミが冴えないと、私がつまらんのですよ。にゃはは♪」
「さっきの感謝の言葉は取り消させてもらってもいいかな!?」
うぅ……。やっぱり、美星ちゃんなんかに真面目に話したわたしがバカだったかもしれないよ……。さっきのしんみりした気分を返してぇ……。
軽い自己嫌悪に陥るわたし。でも美星ちゃんは、そんなことはまったく気にしていない様子で、急に机から立ちあがる。
「……んじゃ、いつもの調子が戻ってきたところで、さっそく行きますか。ほら、綾もいっしょに来る!」
「行く……? ……って、どこに?」
「ん? そんなの決まってるじゃん」
そして、さも当然のことのように、さらりと行き先を口にした。
「その、滝沢ってヤツのとこ」
◆
「滝沢くん。あんたと綾で、1対1のデュエルをしてちょうだい」
目の前の相手にビシッと指をつきつけて、自信たっぷりな態度でそう宣言する美星ちゃん。
対する滝沢先輩は、信じられないものを見たような表情で、大口を開けてぽかんとしている。
こんな滝沢先輩の顔を見るのは、はじめてだ。まるで完璧超人みたいな先輩でも、こんなふうに呆然とすることもあるんだ。わたしは、先輩の新しい一面を垣間見たような気がして、どこかくすぐったいような気持ちに――って、今はそんなことを考えている場合じゃないよっ!
あまりの急展開についていけず、美星ちゃんの横でただうろたえているだけだったわたしは、その一言で、ようやく正気に返る。
わけがわからず戸惑うわたしを引き連れて、滝沢先輩のクラスの前までやってきた美星ちゃんは、「滝沢誠人はいるかっ!」と叫んで思いっきりドアを開放。そのままずかずかと教室にあがりこみ、滝沢先輩のもとへと直行した。
そして、なんの挨拶も前置きもなく、さっきのセリフを言い放ったのだ。
わたしと滝沢先輩で、デュエル? なんのために?
美星ちゃんは、それを言うためにここまで来たの?
ていうか、そもそもわたし、デュエルなんて一度もやったことないよ?
たくさんのハテナが頭の中でぐるぐる渦をまいている。美星ちゃんの目的が、まったく見えてこない。
……でも、あの美星ちゃんのことだ。
きっと、わたしなんかには想像もつかないような、深い考えがあっての行動なんだろう。
わたしはそう信じて、美星ちゃんの次の言葉にしっかり耳を傾けることにした。
「んで、そのデュエルで滝沢くんが負けたら、アメリカ行きは潔く中止。カード・プロフェッサーになるっていう夢は、当分のあいだ諦める。そういう条件で、ここにいる綾と正々堂々デュエルする。それでいいわよね?」
「って美星ちゃん!?」
うわぁあああ!? いったいなにを言いだすかと思えば!?
滝沢先輩に失礼……っていうレベルを軽く超越しちゃってるよそれ!?
「ああ、もちろんハンデはつけるからね。滝沢くんはカード・プロフェッサーを目指すほどの実力者だけど、綾はデュエルのルールもろくに知らない超初心者。このままじゃ、勝負にならないでしょ?」
そのうえハンデまで!? それもさも当然のように!?
「デュエル中、滝沢くんのライフが1ポイントでも減少したら、その瞬間に綾の勝ち。逆に、あんたが1ポイントのライフも失わなかった場合は、滝沢くんの勝ち。つまり、滝沢くんはちょっとでもダメージ受けたら即負け。この特殊ルールでデュエルよ。オーケー?」
「オーケー?」 じゃないよぉおおお!? なにその理不尽極まりないハンデ!?
デュエルのルールはよく知らないわたしでも、それがものすごく無茶な提案であることだけはよーくわかるよ!?
「その他、基本的なルールはマスタールールと同じね。デュエルは1回限りで、サイドデッキはなし。ハンデのかわりに、先攻後攻を決める権利は滝沢くんにあげるわ。公式大会のデュエルってわけじゃないから、自分ターン中のサレンダー行為は認める。ただし、今の禁止・制限・準制限カードはきちんと守ってね?」
美星ちゃんが、慣れた様子で細かいルール(このへんになるとわたしには理解できない)を次々に決めていく。
ていうか、今さらだけど、なんで1つ上の先輩相手に平気で上から目線で話せるのかな!? 美星ちゃんは!?
「勝負は5日後の土曜日。おとといの告白から、ちょうど1週間後よ。場所はこっちから追って連絡するわ。もちろん、わかってるとは思うけど、滝沢くんに拒否権はないからね。自分の夢のために乙女の告白を断ったんだから、そのくらいの覚悟は見せてね? 滝沢くんも一応デュエリストの端くれなら、自分の生き様はきっちりデュエルで示すべきでしょ?」
美星ちゃん何様ぁあああ!?
さも正論っぽく語ってるけど、この件に美星ちゃん1ミリたりとも関係ないからね!?
ここでようやくわたしは、暴走する美星ちゃんを止めるために叫んだ。
「み……美星ちゃん! さっきからなに言ってるの!? 悪い冗談にもほどがあるよ!」
「いいのいいの。こういう男には、一度ガツンと言ってやらなきゃダメなんだって」
「その言葉は明らかに使いどころを間違えてると思うよ!?」
わたしは、おそるおそる滝沢先輩の方に目を向ける。
先輩は、あっけにとられた様子で、美星ちゃんの顔を凝視していた。
そりゃあ、いきなり教室に乱入してきた1年生に突然あんなことを言われたら、誰だってビックリするだろう。現に、クラスの様子を見渡してみると、男子も女子も、誰も彼もがわたしたち2人に奇異な視線を向けている…………って、わたしも同類だと思われてるよねこれ!?
うぅ……。美星ちゃん……ほんとになに考えてるのぉ……。
デュエルに負けたらカード・プロフェッサーになるのを諦めろなんて、いくら滝沢先輩だって、そんなこと言われたら怒るに決まってるよぉ……。
そもそも、このデュエルには、先輩が勝ったときのメリットはなんにもない。「拒否権はない」なんて言葉、真に受ける方がどうかしている。滝沢先輩が、こんなメチャクチャな提案を受け入れてくれるはずが――
「……わかった。そのデュエル、受けよう」
…………へ?
「せっかくの想いを踏みにじってしまって、日坂には、本当に悪いことをしたと思ってる。……けど、それでも俺は、どうしても自分の夢を優先したいんだ。だから、日坂。もしお前と闘うとしても、俺は絶対に負けない。……それでもいいなら、俺とデュエルしてくれないか?」
…………って、あれぇえええっ!? なんでそうなるのぉおおおっ!?
◆
「というわけで綾、今日からデュエルの特訓開始だよっ!」
いまだに呆然とした気分が抜けきらないわたしの横で、美星ちゃんが拳をつきあげて叫んでいる。
昼休みにあんなことがあったせいで、午後の授業の内容はまったく頭に入ってこなかった。居眠りもしていないのに、いつ授業が終わったのか覚えていないなんてはじめての経験だ。
「この5日間で、綾を一流のデュエリストに育てあげるからね〜。私を信じてついてこいっ!」
ついさっきまで忘れていたけど、そういえば美星ちゃんは、デュエル研究部のマネージャーをやっていたりする。だから、少なくともわたしよりはずっと、デュエルモンスターズに詳しいのだ。
「……む。どしたの綾? イマイチ乗り気じゃないみたいね?」
「ねぇ、美星ちゃん……。このデュエル、今からでも中止にできないかな……」
「むぅ。肝心の綾がそんな調子でどうすんのよー」
「だって……。滝沢先輩は今、カード・プロフェッサーになるためのテストで忙しいんだよ……? そんな大事なときに、わたしなんかとのデュエルにつきあってもらうなんて、やっぱりよくないよ……」
負けたらアメリカ行きは中止というのは、美星ちゃん流のジョークなのだろう。あのときのわたしは気が動転していたけど、いくらなんでも、美星ちゃんが本気であんなことを言うわけがないし(そもそも、そんな権利ないし)、滝沢先輩も冗談だってわかっていて話に乗ってくれたのだろう。
とはいえ、滝沢先輩は、突然やってきた1年生にそんなムチャクチャを言われたのに、怒りもしないできちんと話を聞いてくれたのだ。あまつさえ、嫌な顔ひとつせずにデュエルを受けてくれた。先輩は、ほんとに聖人君子かなにかじゃないのかと思う。
滝沢先輩とデュエルができる。正直に言うと、そのこと自体はすごく嬉しかったりする。
わたしは、先輩が目指しているというカード・プロフェッサーについて、ほとんどなにも知らない。けど、夢を語るときの先輩の表情を見ていれば、それが滝沢先輩にとってすごく魅力的な世界であることははっきりとわかる。
カード・プロフェッサーって、そんなに素晴らしいものなのかな。滝沢先輩の目には、どんなに素敵な景色が見えているんだろう。
わたしも、そんな世界の一端にふれてみたい。滝沢先輩が見ているものを、いっしょに見たい。先輩の気持ちを、ほんのちょっとでもいいから共有してみたい。
わたしは、デュエルのルールなんてほとんど知らない。それでも、滝沢先輩とデュエルすれば、その願いがかなうような気がする。なんとなくだけど、目の前に新しい世界が開けてくるような気がするのだ。
けど、それはやっぱりいけないことだ。
先輩の夢を応援することができないのなら、せめて足を引っ張ってはいけない。
わたしのワガママなんかのために、滝沢先輩の夢をジャマしちゃいけない。
滝沢先輩の優しさに甘えて、先輩の大事な時間を奪ってはダメなのだ。
美星ちゃんは、わたしに滝沢先輩との最後の思い出をつくってくれようとしたのだろう。
その気づかいは、ほんとうにありがたいと思っている。
このデュエルを断れば、そんな美星ちゃんの優しさを棒にふることになる。
けど、それでもかまわない。ここでわたしが優先するべきなのは、滝沢先輩の事情なんだ。
だって、わたしは、やっぱり滝沢先輩のことが好きなのだから。
「………………美星ちゃん?」
と、そんなわたしの心の中を見透かそうとするかのように、美星ちゃんがじーっとこちらを見つめてきた。
「ん〜〜。綾ってば、根本的になんか勘違いしてる?」
「え……?」
「綾がデュエルに勝ったらアメリカ行きは中止っていうあの約束、別に冗談でもなんでもないよ?」
わたしの顔をまじまじと見つめながら、告げる。
「滝沢くんは、本気でカード・プロフェッサー目指してるようなデュエリストだよ? そんな人が、ことデュエルに関して一度かわした約束を破ると思う?」
「……え? いや、でも、まさかそんな……」
「おたがいの主張が食い違ったとき、デュエルをして勝った方の言い分が通るのは、デュエリストにとっては常識みたいなもん。綾は滝沢くんといっしょにいたいと思っていて、滝沢くんはアメリカに行きたいと思っている。両方を同時に立てることができないんなら、これはもうデュエルで決めるしかないでしょ」
「……でも、だって! 滝沢先輩は、ライフが1ポイントでも減ったら負けになるんでしょ? そんな大事なデュエルに、こんなものすごいハンデを受け入れてくれるはずないよ! 本当にわたしが勝っちゃうかもしれないんだよ!?」
たしか、デュエルはおたがいに4000ポイントのライフを持ってスタート、それが0になったら負け、そんな感じのルールだったはずだ。
それなのに、1ポイントでもライフが減ったら即負けということは、つまり、デュエルが始まったときに、わたしは4000ポイントのライフを持っているのに、滝沢先輩はたった1ポイントのライフしか持っていないのと変わらない。
4000倍ものライフポイントの差。それがどれほど大きなハンデなのかは、デュエル超初心者のわたしにだってわかる。
たった1ダメージでも受けたら負け。それなのに、負けたらアメリカ行きを諦めるだなんて、自分から夢を捨てているようなものじゃないか。
「……綾。あんた、滝沢くんの実力、全然わかってないね?」
「え……? そりゃあ、きっとすごく強いんだろうな、とは思ってるけど……」
「やっぱりわかってないみたいね。ま、実際にデュエルやったことないんじゃしょうがないか」
美星ちゃんは、なにかを思いついたらしく、手をぽんと叩いた。
「よし! 綾はここでちょっと待ってて。とっておきの映像を持ってくるから」
そう言うと、ぽかんとしているわたしを尻目に、教室の外へと走っていった。
◆
それから、20分後。
わたしは、教室で、美星ちゃんがデュエル研究部から借りてきたDVDを見ていた。
中身は、滝沢先輩がデュエルしているところを記録したものだ。
ただし、滝沢先輩1人に対して、相手の数は3人。
1人で3人を同時に相手にする、先輩が圧倒的に不利な変則デュエルだった。
美星ちゃんの説明によると、事の顛末はこうだ。
去年、当時は1年生だった滝沢先輩の実力を耳にしたデュエル研究部が、ぜひ入部してほしいと頼みに行った。けど、カード・プロフェッサーを目指している先輩は、忙しいからという理由でこれを断った。
そのため、滝沢先輩の入部を賭けてデュエルが行われることになった。
デュエル研究部は、部長・副部長・主将のうちだれか1人でも滝沢先輩に勝ったら入部してほしいと主張した(この時点でかなりずるいと思う)。
ところが、なんと滝沢先輩は、時間がないから3人まとめてデュエルしようと提案。
こうして、滝沢先輩は、1対3の変則デュエルに挑むことになった。
美星ちゃんが言うには、この3人は当時のデュエル研究部のトップ3で、全員が高校デュエルの県大会ベスト8に入ったことがあるほどの実力者だそうだ。
このとき美星ちゃんは、まだこの学校に入学する前だったけれど、デュエル部のマネージャーとして過去数年の資料にはきちんと目を通しているから、それくらいのことはわかるらしい。さすがは美星ちゃん。
そして、肝心の変則デュエルの中身はというと――
一言で言うと、滝沢先輩の圧勝だった。
「ここは……『熟練の白魔導師』を壁にして、なんとか耐える……っ!」
「くっ……! 『切り込み隊長』を召喚! さらに、その効果で2体目の『切り込み隊長』を特殊召喚する……っ!」
「まだだ……っ! 『二重召喚』発動! 『ハープの精』と『ホーリー・エルフ』を、守備表示で召喚……!」
滝沢先輩は、ほとんどカードを使っていないのに、軽々と攻撃を通していく。
かたや、デュエル研究部の3人がいくらモンスターを召喚しても、次に自分の番が回ってくるまでの間に、ことごとく破壊されてしまう。守りを固めることすらできない。
正直、わたしには何が起こっているのかさっぱりだったけど、それでも滝沢先輩の圧倒的な強さだけはひしひしと伝わってくる。
デュエルが始まった直後は余裕たっぷりの表情をしていたデュエル研究部の3人だけど、今はもうそんな余裕は見る影もない。
一方の滝沢先輩は、最初からずっと、自分のペースを崩さずに着実に攻撃を重ねている。
そして、ついに。
「ぐうっ……!」
部員A LP:800 → 0
1人目のライフポイントが0になって、
「があっ……!」
部員B LP:1300 → 0
続けて、すぐに2人目もやられてしまって、
「くそ……おっ!!」
部員C LP:2100 → 0
滝沢先輩は、勝った。
「すごい………………」
「ふふ……。さすがの綾も、これには驚いたみたいだね?」
「だって、美星ちゃん、これって…………」
わたしは、ふるえる手で画面を指差した。
そこに映っているのは、デュエルが終わったときの、滝沢先輩の残りライフポイントだ。
滝沢 誠人 LP:4000
途中でライフを回復したわけじゃない。
本当に、1ポイントのダメージも受けていないのだ。
「どう? これでもまだ、滝沢くんに勝っちゃうかもしれないなんて言える?」
美星ちゃんが、いたずらっぽく笑いながら訊いてくる。
当然、わたしの返す答えは決まっている。
「………………絶対、むり」
「それでよろしい。まずは相手との実力差をきちんと実感すること。そこはクリアーできたみたいね。何事もそれからよ」
そう言うと美星ちゃんは、黒板に向かってなにやら計算を始めた。
「滝沢くんと闘ってた3人は、一応あれでも県大会ベスト8。少なくとも、今の綾より100倍は強い」
黒板に、大きな白い字で「100」と書く。
「加えて、n人と同時に闘って勝つのは、普通のデュエルに勝つことよりnの3乗倍難しい、って言われてるの。だから、1対1で滝沢くんに勝つのは、3対1で勝つよりも27倍大変」
100の右に、「×27」と書き加える。
「あと、この映像は今から1年以上前のものだからね。当然、今の滝沢くんは、このときよりもっともっと強くなってるはずよ。まあ、とりあえず2倍としておきましょっか」
さらに、「×2」。
「ついでに、このときの滝沢くんは、まだかなり余裕を残して勝ってる。だから、その分の補正としてまた2倍、ってところね」
最後に、「×2」。
全部あわせて、「100×27×2×2=10800」。
「ようするに、綾が滝沢くんに勝とうと思ったら、今の1万倍は強くならなきゃダメってわけ。まあ、超テキトーな計算だけど、絶望的な感じだけはよーく伝わってくるでしょ?」
「うん…………」
万に一つも勝ち目がない。そんな言葉が、わたしの頭の中をよぎった。
「とはいえ、絶対に勝てないわけじゃない。このデュエルは、滝沢くんのライフを1ポイントでも減らせば綾の勝ち。つまり、1万倍は1万倍のまま。これ以上大きくなることはない」
ハンデのないデュエルで滝沢くんに勝とうと思ったら、1億倍どころじゃきかないよ? と、美星ちゃんが笑って言う。
「ま、怖がらせるようなことばっかり言ってはみたけど、それはあくまで、今の綾ならの話。この5日間で、私が綾を一流のデュエリストにしてあげるって言ったでしょ? あんまり怖がらずに、ど〜んと構えてなさいな!」
そう言って自分の胸を叩く美星ちゃん。
そこでわたしは、さっきから気になっていた疑問をぶつけてみることにした。
「ねぇ、美星ちゃん」
「ん? なに?」
「美星ちゃんって、滝沢先輩とデュエルしたことあるの?」
「お、いい質問だね〜。実は、1ヵ月くらい前に、偶然1回だけデュエルしたことがあってね。そのときはもちろん、そいつが綾の初恋の相手だなんて知らなかったし、滝沢って名前もデュエル後にはじめて知ったんだけどね?」
「それで……そのデュエルの結果は?」
肝心なのはここだ。
滝沢先輩のすごさは十分にわかっているはずの美星ちゃんが、どうしてここまで堂々としていられるのか。
さすがに、先輩に勝ったなんてことはありえないだろう。けど、もしかすると、滝沢先輩のライフポイントに傷をつけたことくらいはあるんじゃないだろうか。
そう期待して、おそるおそる訊ねる。
「ふふ〜ん。言っとくけど、私はライフ4000対0で負けたりなんかしてないよ? あの3人組とは実力が違うのだよ! 実力が!」
おおっ! これはまさか……!
「デュエルが終わったときのライフは、なんと8200対0!」
「回復されてる!! しかも倍以上!!」
「もちろん、4000から8200に回復するまでの間、ライフは1ポイントも減ってないよ?」
「ダメじゃん!! 美星ちゃんの完敗じゃん!!」
「いや〜、実力差がありすぎて、さすがに勝負にならなかったね〜」
「でしょうねぇ!!」
はぁ……。そりゃあ、デュエル研究部のマネージャーが部員より強いわけないよね……。
「ま、そういうわけだから、5日間、私の指導を受ければ、綾が滝沢くんのライフを削れるまでに成長する可能性も、十分にあるってわけよ」
「どういうわけ!? なにをどうやったらその結論にたどりつけるの!?」
「…………。……それじゃあ、まずはルールの勉強からだね! はい、これルールブック」
「華麗にスルー!?」
「優れた弟子は、師匠をも超える! ガンバレ!!」
「それ、優れた師匠の言葉じゃないよね!?」
「んじゃ、今日は私バイトあるからこのへんで。また明日ね〜」
「それのどこが師匠の態度!? 美星ちゃぁあああああん!!」
こうして、わたしのデュエル修行の日々は、あわただしく幕を開けたのだった。
うぅ……。すっごく不安……。
月曜日(滝沢 誠人)
(12ターン目)
・相手 LP3500 手札0
場:アンデットワールド(フィールド)、生還の宝札(永魔)
場:真紅眼の不死竜(攻2400)、闇竜の黒騎士(攻1900)、ゾンビ・マスター(攻1800)
・滝沢 LP400 手札0
場:なし
場:伏せ×1
「私のターン、ドロー。手札から、速攻魔法『サイクロン』を発動する」
突如巻きおこった暴風が、俺の場の伏せカードを襲う。
たった1枚のリバースカード。それがなくなれば、俺の場はがら空きだ。
だが、幸いなことに、今はこの通常罠の発動条件が満たされている。みすみす破壊されることはない。
「俺は、『サイクロン』の発動にチェーンして、破壊の対象となった罠カードを発動させる!」
そして今、相手の場と手札に、この罠発動を妨害するカードはない。
相手 LP:3500 → 0
俺の、勝ちだ。
◆
肺にたまっていた空気を、一気に吐きだす。
張りつめていた糸が切れた音が、聞こえたような気がした。
今日のデュエルは、本気で危なかった。なんとか辛勝したものの、ここまでギリギリの闘いは本当に久しぶりだ。
デュエルタクティクスの面だけなら、俺が相手を上回っていた。それは確実だ。
だが、相手のデッキは『アンデットワールド』を主軸とした、典型的なアンデットデッキだった。
言うまでもなく、俺のデッキとの相性は最悪だ。
相手モンスターを破壊するためのシステムの維持が困難なだけじゃない。切り札となる俺のエースモンスターの能力までもが、ほぼ完全に封殺されるのだ。
それでも、唯一残された勝ち筋にすがって、なんとか相手のライフポイントをちょうど0にすることができた。
結果的には万々歳だが、どこかで一歩でも間違えていれば負けていたのは俺の方だ。今思い返しても冷や汗が出る。
デュエルディスクから自分のデッキを取り出す。墓地に送られていた十数枚のカードとあわせて、デッキケースに戻す。
今日この場に、牧村教官は来ていない。
詳しくは聞かされていないが、カード・プロフェッサー・ギルドからの要請で、高額賞金が懸けられたデュエルの大会に出場しているそうだ。
俺は、左腕に装着している白いデュエルディスクをまじまじと見つめる。
普通のモデルと形は同じだが、不自然なほどに真っ白なデュエルディスク。
テスト中、俺はずっとこの白いデュエルディスクでデュエルを行っている。
このデュエルディスクをつけて行ったすべてのデュエルの詳細なデータは、牧村教官のもとに転送される仕組みになっている。だから、教官がこの場にいなくても、俺のテストは実施可能というわけだ。
とはいえ、今日に限っては、牧村教官がこの場にいないのは幸いだったかもしれない。
2日前の土曜日、そして今日。
立て続けに、驚くような出来事が起こりすぎた。
正直、今は自分の感情を制御しきる自信がない。
こんな状態で牧村教官に会っても、動揺してしまうだけだ。そうなると、今日のデュエルに勝てたかどうかも怪しい。
日坂とのデュエルは、5日後。
俺はいったい、どうするべきなのか――。
火曜日(日坂 綾)
「う゛ぁ〜〜〜〜〜」
「…………どしたの綾? 地の底からゾンビでも呼び出せそうな声出して」
「あぅ……。美星ちゃん…………」
わたしは、昨日美星ちゃんから借りたルールブックを示して言う。
「こんなにいっぱい……覚えるのむりだよぉ…………」
表紙にでかでかと『デュエルモンスターズ ルール大全』と書かれた、やたらと重々しい外装のその本は、なんと全部で800ページもある。
とはいえ、きちんとルールを覚えなきゃ、滝沢先輩とデュエルなんてできっこない。
そう思ったわたしは、昨日家に帰ってから、この本の中身を頭に叩きこもうと頑張ってみたのだ。
『デュエリストは、互いに自分のデッキを1つずつ持って、デュエルを行う』
『デッキとは、40枚以上60枚以下のカードで構成されたカードの束である』
『デッキには、同じ名前のカードを最大3枚までしか入れることができない』
『デッキを作る際のコツは、できるだけカード枚数を40枚程度にしておくこと』
『デュエルは、お互いに4000のライフポイントを持ってスタートする』
『相手のライフポイントを0にしたら、自分の勝利である』
『お互いのライフポイントが同時に0になった場合、引き分けとなる』
『デッキからカードを引けなくなったプレイヤーは、デュエルに敗北する』
すこしはデュエル番組を見ていることもあって、最初の10ページくらいは、わたしでも簡単に理解することができた。
『手札のモンスターカードは、1ターンに一度、表側表示で、攻撃表示もしくは守備表示で通常召喚することができる』
『レベルが5〜6のモンスターを通常召喚するには、場のモンスターを1体リリースする必要がある。レベル7以上なら2体リリースする必要がある』
『魔法カードには、通常魔法、速攻魔法、永続魔法、装備魔法、儀式魔法、フィールド魔法の6種類がある』
『魔法カードは伏せたターンでも発動することができるが、速攻魔法だけは例外である』
『罠カードには、通常罠、永続罠、カウンター罠の3種類がある』
『罠カードは、伏せたターンに発動することができない』
30ページ目に近づいたあたりから、だんだんページをめくるスピードが遅くなっていった。
『モンスターの誘発即時効果は、例外的にスペルスピード2である』
『ダメージステップには、カウンター罠を除くと、モンスターの攻撃力・守備力を変化させる効果を持ったカードしか発動することができない』
『ターンプレイヤーには、非ターンプレイヤーよりも先にカードを発動できる優先権がある』
『カードの発動コストとしてライフポイントを払う場合、そのカードの発動を無効にされても払ったライフは戻ってこない』
70ページ目に差しかかるころには、読んでもその意味がほとんど理解できないようになってきた。
『相手と自分の、強制発動の誘発効果と任意発動の誘発効果が同時に発動した場合、チェーンを組む順番は〜〜』
『墓地に捨てると墓地に送ったことになるが、逆は成り立たない。また、墓地に戻すとは〜〜』
『ダメージステップのダメージ計算前には何回でもチェーンブロックを組むことができるが、ダメージ計算時には〜〜』
『任意効果は、タイミングを逃してしまうと発動できない。一方で、強制効果はそのチェーンブロックの処理が終わった後で〜〜』
120ページ目あたりに入ると、書いてある文字を目で追うだけで全然頭に入ってこなくなった。
『ライフポイントが小数になった場合、小数第一位を四捨五入してデュエルを続行する』
『山札の枚数は公開情報なので、いつでも相手に訊ねることができる』
『攻撃力0のモンスターで直接攻撃しても、戦闘ダメージを与えたことにはならない』
『エンドフェイズ以降の時系列は、「エンドフェイズ時」→「エンドフェイズ終了時」→「ターン終了時」である』
170ページ目以降の「その他の細かいルール」は、書かれていることはなんとか理解できるものの、本当に細かすぎてほとんど覚えられなかった。
『異次元の偵察機・異次元の生還者の効果は、1ターンに一度しか発動しない』
『大騒動の効果で特殊召喚できるのは、レベル4以下のモンスターだけである』
『継承の印・死の合唱は、条件を満たすモンスターが3体以上存在すれば発動できる。一方で、デルタ・クロウ−アンチ・リバースは、ちょうど3体存在するときにしか手札から発動できない』
『霊魂消滅を発動したターンは、場のトークンをコストとして除外することが可能になる』
その後は延々と、600ページにわたって「特殊裁定」という項目が続いていた。
当然、これを覚えるのだって、絶対にむりだと断言できる。
「ごめん……。美星ちゃん……わたし、デュエルの才能ないみたい……。一応……全部読んではみたけど……全然頭に入ってこないよ……」
結局、わたしが1日かけて覚えられたのは、実質40ページほどだ。滝沢先輩とのデュエルまであと4日。この調子じゃ、絶対に間にあわない。
そう言って、すがるように美星ちゃんを見る。
すると美星ちゃんは、平然とこう呟いた。
「ま、ぶっちゃけて言うと、最初の10ページくらい理解できりゃ十分なんだけどね、それ」
「うそぉ!! 昨日のわたしの努力は!?」
唖然とした。
「いや、だってそれ、プロのデュエリストが読むような格式高い本だし。それを、綾がいきなり全部覚えようなんて無理無理。普通、初心者はこういう本から入るもんだよ?」
そう言って、美星ちゃんは1冊の本を差し出した。
『SALでもわかるデュエルモンスターズ 〜今日からキミもデュエリスト!〜』というタイトルのその本を、ぱらぱらとめくる。
さっきのルール大全とは違って、絵や図がたくさん入ったカラー印刷で、なんだかすごく読みやすそうな本だ。たしかに、こういう本だったら、わたしでも簡単に理解できるような気がする…………って、
「だったら最初っからこっちを渡してくれればよかったんじゃないかな!?」
全力でツッコんだ。心の底からツッコんだ。
「いや〜。やっぱり、デュエルはなにが起こるかわからないから、一応、細かいルールにも一通りは目を通しておいた方がいいと思ってね〜」
ニヤニヤと笑う美星ちゃん。
……絶対嘘だ。もっともらしいこと言ってるけど、あの顔は、わたしの反応を見て楽しんでるときの顔だ。
じとーっとした目で美星ちゃんを見つめる。
でも、美星ちゃんは、そんなわたしの視線なんておかまいなしのようだった。
「まあ、その本はまた家で読んできてもらうとして。今日は、とりあえず自分のデッキを組んでみよう! さっそく今から出かけるよ!」
◆
美星ちゃんに連れられてやってきたのは、町のはずれにある小さなカードショップだった。
こんなところに店があったなんて、はじめて知った。美星ちゃんが言うには「ここ、小さいわりに面白いカードがいっぱい置いてあるんだよ? いわゆる穴場ってやつだね」とのことらしい。
店に入ったわたしに向かって、美星ちゃんがゆっくりと告げる。
「それじゃあ綾。ここにあるカードをよく見て、その中から気に入ったカードを選んでみて? そのカードを軸にして、デッキを組むことにするから」
「え……? でも、わたし、カードの効果とか強さとか、まだよくわからないよ……?」
「そういう細かいことは気にしない気にしない。綾は、名前とかイラストとかで、『これだっ!』って思ったカードを選んでくれればいいから。ぱっと見の第一印象って、実はけっこう大事なんだよ?」
自信たっぷりに言う美星ちゃん。
ほんとかなぁ……? とは思うけど、わたしにそれ以上のことができないのはたしかだ。ここは美星ちゃんの言う通りにしよう。
店のすみっこに、カードがバラ売りされている一画があった。大きめのダンボール箱の中に、たくさんのカードがところせましと詰めこまれている。
わたしは、そこに入っているカードを1枚1枚手にとって眺めてみた。
やっぱり、効果を読んでもいまいちピンとこない。
名前とイラストをじっと見つめて、イメージだけでよさそうなカードを探してみる。
ドル・ドラ 効果モンスター ★★★ 風・ドラゴン 攻1500・守1200
このカードがフィールド上で破壊され墓地に送られた場合、エンドフェイズにこのカードの攻撃力・守備力はそれぞれ1000ポイントになって特殊召喚される。この効果はデュエル中一度しか使用できない。
ファンタジー映画に出てきそうな、迫力のあるドラゴンだ。だいぶ強そうに見えるけど、実際にわたしが使うことを考えると、ちょっと凶暴すぎて怖いかな。
モイスチャー星人 効果モンスター ★★★★★★★★★ 光・天使 攻2800・守2900
3体の生け贄を捧げてこのカードを生け贄召喚した場合、相手フィールド上の魔法・罠カードを全て破壊する。
これは……宇宙人? この光線銃みたいなものは、この人の武器なんだろうか。なんだかよくわからない。
戦士ダイ・グレファー 通常モンスター ★★★★ 地・戦士 攻1700・守1600
ドラゴン族を操る才能を秘めた戦士。過去は謎に包まれている。
大きな剣を両手で持った、たくましい体つきの戦士だ。わたしを守ってくれそうな、頼りになる人に見える……けど、イラストをじっくり眺めていたら、なぜだか急に鳥肌がたった。嫌な予感がするので、このカードはやめておこう。
タン・ツイスター 効果モンスター ★★★★★★ 闇・悪魔 攻400・守300
アドバンス召喚したこのカードがフィールド上から墓地へ送られた時、自分のデッキからカードを2枚ドローする。この効果を発動した場合、このカードをゲームから除外する。
うっ……。これはちょっと、生理的に受けつけないかも……。
オシャレオン 効果モンスター ★★★ 水・爬虫類 攻1400・守800
このカードが自分フィールド上に表側攻撃表示で存在する限り、相手は「オシャレオン」以外のモンスターを攻撃対象に選択する事はできない。
このカードが戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、自分のデッキから攻撃力500以下の爬虫類族モンスター1体を手札に加えることができる。
あ……。この子は、意外とかわいい……。
――と、こんな調子で、わたしは次々に新しいカードを手にとってはしげしげと眺めていた。
それは、100枚目をすぎたあたりだっただろうか。
わたしの目は、ある1枚のカードに釘づけになった。
恋する乙女 効果モンスター ★★ 光・魔法使い 攻400・守300
このカードは表側攻撃表示でフィールド上に存在する限り、戦闘で破壊されない。このカードを攻撃した相手モンスターに乙女カウンターを1つ乗せる。
恋する……乙女。
イラストには、黄色いドレスに身を包んだ小さな女の子が描かれている。
まだあどけない顔つきなのに、そのつぶらな瞳は、なにかをしっかりと見すえているように感じられた。
その目をじっと見つめていると、彼女の気持ちが伝わってくるような気がする。
愛しい人が、遠く、手のとどかないところに行ってしまう。深い哀しみを抱えながらも、それでも彼女は、もうすぐ会えなくなる彼に、自分の想いをきちんとぶつけようと闘う――。
カードの気持ち、だなんて、変なことを言っていると自分でも思う。
けど、わたしにはそう思えて仕方ないのだ。
そして、それで正しいのだとも思う。根拠はないけど、なんとなく。
このカードも、わたしも、似たもの同士なんだな……。
そう、心の底から思えた瞬間、
気がついたらわたしは、『恋する乙女』のカードを買っていた。
「お。なになに綾。どのカード買ったの?」
わたしとは別の場所でカードを眺めていた美星ちゃんが、こっちに近づいてきた。
わたしは、はじめて買った1枚のカードを、おずおずと差し出す。
「おおっ! 『恋する乙女』ですかー。……ふふ。こりゃあまた、今の綾にぴったりなカードを選んだもんだね〜」
美星ちゃんが、感心したようにうむうむとうなずいている。
……まあ、たしかに、『恋する乙女』なんていう名前のカードに共感した、というのは、傍から見ればちょっと直接的すぎるかもしれない。後悔はしてないけど、少しだけ恥ずかしい。
「それじゃあ、次は『恋する乙女』のサポートカードだね」
「サポート、カード?」
「そ。『恋する乙女』1枚だけを使うより、相性のいい他のカードと組みあわせて使ってあげた方が効果的。そして、その組みあわせ方こそがデュエルモンスターズの醍醐味。綾だって、そのくらいはなんとなくわかるでしょ? 特に『恋する乙女』は、乙女カウンターの活かし方にすべてが懸かっていると言っても過言じゃないからね」
そう一息にまくしたてた美星ちゃんは、カウンターに向かうと、店主のおじさんとなにやら話を始めた。
どうやら、そのサポートカードとやらが、店に置いてあるかどうか訊ねているらしい。
しばらくすると、美星ちゃんが戻ってきて、わたしに何枚かのカードを見せてくれた。
キューピッド・キス 装備魔法
乙女カウンターが乗っているモンスターを装備モンスターが攻撃し、装備モンスターのコントローラーが戦闘ダメージを受けた場合、ダメージステップ終了時に戦闘ダメージを与えたモンスターのコントロールを得る。
ハッピー・マリッジ 装備魔法
自分の場に相手からコントロールを得たモンスターがいる場合に発動する事ができる。
そのモンスターの攻撃力の数値分だけ装備モンスターの攻撃力をアップする。
ディフェンス・メイデン 永続罠
相手モンスターが自分のモンスターに攻撃したとき、自分の場に「恋する乙女」が表側表示で存在していれば、攻撃対象を「恋する乙女」に移し替えることができる。
緑のカードが2枚に、紫のカードが1枚。
どれも、恋する乙女に関係のありそうなカードばかりだ。こういうカードのことを、サポートカードというのだろうか。
「まずはこの3枚ね。実はもう1種類とっておきのカードがあるんだけど、この店にはないみたい。だから、それはまた今度、ってことで。デッキの骨格としては、とりあえずこれで十分でしょ」
そう言うと美星ちゃんは、3枚のカードをわたしに渡してくれた。
「後は、適当なパックをいくつか買って、その中から良さそうなカードを選んで、デッキの枚数を40枚まで増やす。そうしたら、ようやくデッキの完成! 明日から、綾もデュエルするわよ!」
それからわたしは、美星ちゃんに促されるまま、いくつかのパック(1つのパックに5枚のカードが入っているらしい)を買って、この店を後にしたのだった。
◆
家に帰ると、さっそく今日買ったパックを開けてみた。
美星ちゃんは、パックの封を切るときの喜びが格別なんだと言っていたけど、今なら、わたしにもその気持ちがよくわかる。
いったい、この中にはどんなカードが入っているのだろう。そう考えるだけで、心が躍り出す。想像すればするほど、胸が高鳴っていくのがわかる。
そして、いざ封を切った瞬間、はちきれそうなくらいにふくらんだ気持ちが、一気にあふれ出すのだ。
たまに、キラキラ光るカードが入っていることもあって、そういう綺麗なカードは、ぼーっと眺めているだけで無性に幸せな気分になれる。
至福のとき。この瞬間だけは、誰にもジャマされたくないと心から思う。
デュエルについて話すときは、子どもみたいに無邪気な表情になる滝沢先輩。
その顔が、どうしてあんなに魅力的なのか。
その理由が、少しだけわかったような気がした。
――そして、3時間後。
わたしの、はじめてのデッキは、完成した。
火曜日(滝沢 誠人)
「……ターン、終了だ」
このターンのエンドフェイズに、相手の場の『クリオスフィンクス』『伝説の柔術家』は破壊され墓地へ送られる。
これで、正真正銘、相手の場にカードは1枚もなくなった。
「俺のターン、ドロー。相手プレイヤーにダイレクトアタックだ」
相手 LP:1600 → 0
◆
今日の相手は、岩石族デッキの使い手だった。
低攻撃力・高守備力のモンスターが多い岩石族にとって、俺のデッキは天敵と言ってもいい。
昨日のデュエルとはうってかわって、圧勝と言ってもいいほどの結果を出すことができた。
「今日は楽勝だったみたいね。どう? なにか感想はある?」
牧村教官が、これまでと変わらない静かな微笑みを浮かべて訊ねてきた。
そんな牧村教官の顔を、ついまじまじと見つめてしまう。
「……? どうかしたの?」
「……いえ。なんでもないです」
俺が、いまだに少なからず動揺していること。それはたしかだ。
とはいえ、今ここで昨日の出来事を牧村教官に訴えたところで、状況はなにも変わらないだろう。
なにも言わずに、今まで通りにふるまう。
それが、俺のせめてもの矜持だ。
「……そう。だったらいいんだけど」
俺は、彼女の言葉を聞きながら、牧村教官とはじめて出会ったあの日のことを思い出していた。
◆
『百目鬼グループ主催 デュエル大会』
整ったゴシック体で書かれた文字を横目で見ながら、参加登録を済ませる。
かの巨大企業、百目鬼グループが、自社の宣伝のために毎年行っているデュエル大会。
その日、俺は、一般人でも参加可能なその大会にエントリーすべく、会場へと足を運んでいた。
自分のデッキさえ持っていれば誰でも参加できるという敷居の低さにも関わらず、この大会の優勝者に与えられる賞金は、なんと1億円。当然、話題性は抜群で、参加者は毎年ゆうに5000人を超えるという。宣伝効果は、あえて議論するまでもないだろう。
とはいえ、この1億円。この大金が、優れた実力を持った一般のデュエリストに与えられるのかというと、おそらくそんなことはないはずだ。
こういった、異常なほどの高額賞金が懸けられるデュエル大会の裏には、必ずと言っていいほどカード・プロフェッサーの存在がある。
カード・プロフェッサー。
一般には、「デュエルの大会で上位に入賞し、稼いだ賞金で生計を立てている人」という程度の意味で使われている言葉だ。おそらく、大半の一般人はそう認識しているだろう。
たしかに、それで間違ってはいない。だが、実際問題として、多くのカード・プロフェッサーの活動は、そこまで綺麗なものではないのだ。
懸けられる賞金の額が大きくなればなるほど、その大会の宣伝効果は跳ね上がっていく。
しかし、そうすると当然ながら、大会を開催するのにかかる費用も、まったく同じだけ増加してしまう。
だが、もし、その賞金を払わなくてもいいという状況を作り出せれば?
コストを支払わずに、多大な効果を得られる。主催者にとって、これほど旨い話はないだろう。
そして、その旨い話を現実にするのが、カード・プロフェッサーという存在なのである。
仕組みは単純だ。
主催者に雇われたカード・プロフェッサーが、その大会で優勝する。これだけでいい。
優勝賞金が1億円だろうと10億円だろうとかまわない。主催者がそれだけの大金を用意している必要すらない。
主催者が、優勝したカード・プロフェッサーに、あらかじめ交わされた契約通りの料金を支払って、それで終わりだ。
もちろん、このことは口外されないから、一般の参加者は知るよしもない。
加えて、大会主催者、カード・プロフェッサーのどちらも、法にふれるような行為は一切行っていない。たとえ追及されても、優勝者が賞金を受けとるのを辞退したと言えばいいだけだ。
あらゆる面で、主催者にとって都合がいいこのシステム。
当然、各企業はこぞってこの錬金術に飛びついた。
その結果、多くの大会は、裏でカード・プロフェッサーが暗躍するようになった。
大半の人間は気づいていない。だが、これこそが、今のデュエル界の現状であり、カード・プロフェッサーの主な仕事、「雇われデュエリスト」の現実でもあるのだ。
だからこそ、この百目鬼グループ主催のデュエル大会にも、カード・プロフェッサーが裏で1枚噛んでいると、俺はふんでいる。
そしてそれこそが、俺がこの大会に参加している目的でもある。
俺は将来、カード・プロフェッサーとして生きていきたいと思っている。
だが、カード・プロフェッサーは、今説明した通り、決して綺麗なだけの仕事ではない。当然、表立って「カード・プロフェッサー募集!」なんていう告知がなされているわけがない。
だから俺は、直接カード・プロフェッサーに会って、カード・プロフェッサー・ギルドに加入させてほしいと頼むつもりなのだ。
カード・プロフェッサー・ギルドとは、そこに所属している人物が、すなわちカード・プロフェッサーであると言ってしまって差し支えないほどの大組織だ。
直接、フリーのカード・プロフェッサーに依頼をすると、裏切られる危険性がある。
だから、ほとんどの企業は、このギルドを通して、カード・プロフェッサーに依頼をする。
つまり、雇われデュエリストとして仕事をしようと思ったら、カード・プロフェッサー・ギルドに所属していることは、なかば必須条件となるのだ。
この大会を勝ち進んでいけば、必ずどこかで主催者に雇われたカード・プロフェッサーと闘うことになる。そこに、運の要素が入る余地はない。途中で負けたら、それは俺が弱かったというだけの話だ。
現役のカード・プロフェッサーと1対1で闘い、俺自身の実力を示す。ただの高校生である俺が、カード・プロフェッサーになろうと思ったら、それしか方法はない。
そして俺は、その言葉の通りに、このデュエル大会で順調に勝ちあがっていった。
俺の読み通り、この大会にはカード・プロフェッサーが参加していた。
俺は、8回戦で、百目鬼グループに雇われたカード・プロフェッサーと闘うことになった。
それが、俺と牧村教官のはじめての出会いだった。
「光属性使いのプロフェッサー・マキムラ」。その名前なら、俺も聞いたことがあった。
天才的なデュエルセンスを持った、謎の女性デュエリスト。顔は見たことがないものの、俺はいつか、彼女とデュエルできる日を待ち望んでいたと言ってもいい。
だがしかし、俺の対戦相手がそのプロフェッサー・マキムラだったと認識できたのは、彼女とのデュエルが終わった後になってからだった。
「保坂麻美惠よ。よろしくね?」
俺と同じくらいの背丈の彼女は、初対面の俺に向かって、にこやかに笑ってそう告げた。
カード・プロフェッサーが裏から大会に参加するとき、大抵の場合は偽名を使う。
極力目立たずに活動するためには、当たり前のことだ。
現に俺も、今後のことを考えて、名前が広まることのないように、この大会には偽名で参加している。
だから俺は、彼女とのデュエルが始まった瞬間はまだ、彼女がプロフェッサー・マキムラであることはおろか、主催者に雇われたカード・プロフェッサーであることすら認識できていなかったのだ。
「「デュエル!!」」
彼女のデッキは、防御と回復に重きを置いた光属性デッキのように見えた。
相手のデッキが攻める力に乏しいと判断した俺は、いつものように、勝利に至るまでの最適な流れを頭の中で組み立てていった。
序盤は、相手の好きなように回復させておいて、その間に水面下でじっくりとこちらの戦力を増やしておく。そして、準備が整ったところで、高攻撃力のエースモンスターを召喚して一気に仕留める。
それで、問題なく勝てると思っていた。
ところが、5ターン目にして、それまで大人しく見えていた彼女の戦術が一変。『手札抹殺』や『光の召集』が飛び交ったと思ったら、一瞬にして『裁きの龍』を3体並べられていた。
4ターン目までは、彼女の場や墓地にライトロードは1枚も存在しなかった。どこからどう見ても、ただの光属性デッキとしか思えなかった。
それが、わずか1ターンで、戦術の根幹が180度覆った。
有り得ない。いったいどんなデッキ構築をしたら、こんなことが可能になるというのか。
「3体の『裁きの龍』で、相手プレイヤーに直接攻撃します」
完敗、だった。
そして、俺はその瞬間、彼女こそが百目鬼グループに雇われたカード・プロフェッサー、プロフェッサー・マキムラその人であることを悟ったのだった。
実際に目の当たりにしてもなお、まったく理解不能なデッキ構成。変幻自在なカード運び。それらを支える、洗練されたデュエルタクティクス。
デュエルの流れは、完全に彼女に掌握されていた。
体の芯から、震えが湧きあがってきて止まらなかった。
芸術、と言っても差しつかえないほどの、圧倒的な強さと美しさ。
話に聞くのと、実際に見るのでは全然違う。
カード・プロフェッサーの世界には、まだまだこんな物凄いデュエリストがいるのだろうか。
この感動を、また味わいたい。
そう、心の底から思えた瞬間、
気がついたら俺は、彼女に向かって頭を下げていた。
俺は、彼女に手も足も出なかった。
そんな俺が、彼女に認めてもらえるはずがない。今は我慢して、もっと実力をつけてから出直すべきだ。
頭ではそう理解しつつも、自分の衝動を止めることができなかった。
本名を名乗り、年齢を告げ、通っている高校を明かした。
俺を、カード・プロフェッサー・ギルドに入れてください。
ただがむしゃらに、そう叫んでいた。
水曜日(日坂 綾)
「「デュエル!!」」
「私のターン、ドロー! ……行くわよ綾? 私は手札から『二重召喚』を発動! このカードの効果で、私はこのターン、2回まで通常召喚を行うことができる!」
美星ちゃんの場に、緑色をしたカードが現れる。
たしか、緑色のカードは「魔法カード」で、カードの右上になにもアイコンが書かれていない魔法カードは「通常魔法」だったはずだ。
……よし。ルールブックの内容は、きちんと頭に入っている。これならきっと大丈夫だ。
「私は、『ハッピー・ラヴァー』と、『フレンドシップ』を、攻撃表示で召喚! ターン終了だよ!」
今度は、丸っこくて羽が生えた小さい天使が現れた。それも2人も。
ハッピー・ラヴァー 通常モンスター ★★ 光・天使 攻800・守500
頭からハートビームを出し敵を幸せにする、小さな天使。
フレンドシップ 通常モンスター ★★★★ 光・天使 攻1300・守1100
デュエル中ケンカをしても、友情を伝え仲直りをさせる。
羽をぱたぱた動かしながらふわふわ浮かんでいる姿を見ていると、なんだかなごむ。
よく見ると、小さくて青い瞳がくりくりっと動いていて、けっこうかわいい。
「……ちょっと綾? 次は綾のターンだよ?」
美星ちゃんが、呆れたように呟く。
あっ、そうか。美星ちゃんのターンが終わったら、次はわたしの番になるんだった。
「……わ、わたしのターン! ドローっ!」
あわててカードを引く。
それから、6枚になった手札をじっくりと睨む。
「…………あっ!」
その中の、1枚のカードが目にとまった。
この魔法カードは、昨日買ったパックに入っていたカードだ。
テキストはたったの20字しかないけど、けっこうすごいことが書いてある。
このカードは、かなり使えると思う。
これは、わたしが自分の力で考えてデッキに入れた、強く印象に残っているカードなのだ。
たしか、デュエルディスクの、この穴にカードを差し込めばいいんだよね。
さっそく、美星ちゃんのマネをして、わたしも魔法カードを使ってみることにした。
「わたしは手札から、『強欲な壺』を発動!!」
強欲な壺 通常魔法
自分のデッキからカードを2枚ドローする。
「その効果で、わたしはデッキからカードを2枚ドロー!!」
このカードは強い。すごく強い。
1枚のカードを使って、2枚のカードが引けるんだから、なんと、まるまるカード1枚分の得をしている計算になるのだ。
ふと、美星ちゃんの方に目をやると、口をぽかんと開けて呆然としている。
おおっ……! あの美星ちゃんも驚いている……!
やっぱり、『強欲な壺』はすごいカードなんだ。
このことに気づけるなんて、わたしって意外と頭いいんじゃないだろうか。
そんなことを考えていたら、美星ちゃんが、やれやれと言った表情で首を横に振った。
「……あ〜。そういえば、綾にはまだ今の公式制限について教えてなかったっけ……」
あれ……? わたし、なにかマズいことした……?
「んっとね。綾に貸したルールブック。あれに『禁止・制限・準制限カードについて』っていう項目があったはずなんだけど、覚えてる?」
「えっと……。たしか、普通のカードはデッキに3枚まで入れられるけど、一部のカードは強すぎるから、2枚までとか、1枚までとか、1枚も入れちゃダメだったりする……とかいう話だっけ?」
うん、思い出した。
説明は書いてあるのに、具体的にどのカードがそうなのかは全然書いてなくて、不思議に思ったんだった。
「制限リストは時代によって移り変わるからね。情報が古くなっちゃうって理由で、わざと載せないルールブックも多いんだよね〜。……ということで、はい。これが今の公式制限のリスト」
そう言って、美星ちゃんがカードの一覧を渡してくれた。
わたしはそれを、まじまじと見つめる。
へぇ……。禁止・制限・準制限カードって、こんなにいっぱいあるんだ……。
まずは、禁止カードから見てみよう。
『ヴィクトリー・ドラゴン』:禁止カード
『混沌帝龍 −終焉の使者−』:禁止カード
『カオス・ソルジャー −開闢の使者−』:禁止カード
『キラー・スネーク』:禁止カード
『黒き森のウィッチ』:禁止カード
聞いたこともないカードだらけで、もちろん効果なんかはまったくわからない。
それでも、禁止カードになるくらいだから、きっとものすごく反則的な強さのカードなんだろう。
そうやって、上から順にカードの名前を眺めていたわたしの目に、とんでもない文字が飛びこんできた。
『強欲な壺』:禁止カード
目が、点になった。
「…………ねぇ、美星ちゃん。これって…………」
「そ。『強欲な壺』は禁止カード。デッキには1枚も入れちゃいけないの。わかった?」
「うぅ……。やっぱり…………」
こんなに便利なカードなのに……。せっかくの大発見だったのにぃ……。
「ま、綾が『強欲な壺』をデッキに入れたこと自体は、すごいことだと思うよ? 禁止カードになってるってことは、それが強いカードだっていう証拠。そんなカードに目をつけた綾は、良いカードを見抜くたしかな目を持っている、ってことだからね」
「…………うん。ありがと」
『強欲な壺』が使えないのはガッカリだけど、いつまでも落ちこんでいてもしょうがない。
たしか、『強欲な壺』の他にも、2枚ドローができる魔法カードがあったはずだ。あのカードは禁止カードじゃないみたいだから、家に帰ったらかわりにそっちをデッキに入れることにしよう。
「でもね、綾。たしかに公式制限はやっかいな制度だけど、逆に考えてみれば、デッキを組むうえではけっこう役に立つ情報なんだよ?」
「逆? どういうこと?」
「たとえば制限カードは、デッキに1枚までしか入れられない。でもそれって、さっきも言ったけど、それが強いカードだっていうなによりの証拠じゃない?」
あっ……。そうか……。
わたしにも、美星ちゃんの言いたいことがわかった。
「というわけで、はいこれ。制限カードだけど、そのぶん強力で、どんな状況でも役に立つ便利な魔法カードだよ?」
そう言って、1枚のカードをわたしに差し出してくれる。
サイクロン 速攻魔法
フィールド上の魔法または罠カード1枚を破壊する。
「ま、これを使いこなすのは綾にはまだ難しいだろうけど、とりあえず入れてみて損はないと思うよ?」
微笑みながらアドバイスしてくれる美星ちゃん。
わたしはさっそく、美星ちゃんからもらった『サイクロン』を、デッキに入れてみることに決めた。
「さ〜て。それじゃ、改めて、特訓開始と行きますか!」
「……うん!」
わたしと美星ちゃん、2人のデュエルディスクが変形する音が、ぴったり重なって響く。
「「デュエル!!」」
水曜日(滝沢 誠人)
「俺のデッキからモンスター1体を墓地に送り、『サファイアドラゴン』を破壊! 2体のモンスターでダイレクトアタックだ!」
相手 LP:3350 → 1500 → 0
ソリッドビジョンが、薄れて消える。
なんとか、ギリギリ持ちこたえることができた。
これで……今日のデュエルは……すべて終了、だな……。
◆
今日の課題は、10人の相手と連続して闘うことだった。
しかも、ライフポイントは持ちこし。つまり、デュエルとデュエルの間で、ライフが4000に戻るようなことはない。一度受けたダメージは、すべてのデュエルが終わるまでそのままだ。
1人1人の強さは今までの相手ほどではなかったが、それを10人勝ち抜くとなると話は別だ。ちょっとしたミスが積み重なり、4000しかない初期ライフが徐々に削られていく。
今回ばかりは、肉を切らせて骨を断つなんていう戦法は通用しない。一度肉を切られれば、次の相手に確実にやられてしまうからだ。
これまでにも何回か、特殊なシチュエーション下でデュエルを行わされたことはあった。しかし、今日のサバイバルデュエルの難しさは、今までの比じゃない。
おそらく、そろそろテストも終わりに近づいているということなのだろう。
とはいえ、このテストは、一度でも負ければ失格だ。
これから、どんなに困難なデュエルをやらされるかがわからない以上、最後の1人に勝つまでは、少しの気の緩みも許されない。
「さすがのあなたも、今日のデュエルは苦労したみたいね?」
牧村教官が、優しく訊ねてくる。
テストデュエルのシチュエーションを設定したり、闘う相手を用意したりしてくれるのは、すべて彼女の一存によるものだ。
そういう意味では、俺がギルドの一員になれるかどうかは、牧村教官の匙加減にかかっているとも言える。
「……はい。でも、どんなデュエリストが相手だとしても、俺は負けません。……絶対に」
俺は、なかば自分に言い聞かせるようにして答えを返す。
そう。絶対に、負けるわけにはいかないのだ。
たとえ、目の前に立ちはだかる相手が、日坂だとしても。
木曜日(日坂 綾)
ベッドに寝転がりながら、大の字になって白い天井を見上げる。
「ふぅ……。今日の特訓も、なかなかハードだったなぁ……」
はじめてのデッキが完成してから、今日で2日目。
その間、わたしは、ひたすら美星ちゃんとデュエルをし続けていた。
はじめのうちは、慣れないデュエルディスクの扱いに戸惑ってばかりで(これが意外と、見た目よりもずっしりと重いのだ)、頭に入れたはずのルールを間違えてしまうこともしばしばだった。
でも、美星ちゃんと何十回も闘い続けるうちに、わたしも人並みにデュエルができるようになってきたと思う。
だんだんと、デュエルの楽しさがわかってきたような気がするのだ。
ダイレクトアタックを決めたときは、スカッとして気持ちがいい。
相手のモンスターに攻撃されるときは、思わず目をつむってしまう。
予想していなかった罠カードを発動されたときは、すごくびっくりする。
そんな1つ1つの気持ちが、とても新鮮で、みずみずしい。
自分でデュエルをやっていなければ、こんな気持ちには一生出会えなかっただろう。
滝沢先輩も、こんな気持ちでデュエルしてるのかな……。
ふと、そんな想いが頭をよぎった。
滝沢先輩とのデュエルは、もう2日後にせまっている。
まだ美星ちゃんにすら勝ったことのないわたしが、先輩にダメージを与えられるとは、とうてい思えない。
でも、物事には、万が一ということがあるのではないか。
たった1回だけでも、もしわたしの攻撃が通って、先輩にダメージを与えてしまったら。
滝沢先輩は、本当にアメリカ行きを諦めてしまうのだろうか。
はじめは、ただの美星ちゃんの冗談だと思っていた。
でも、どうやらそうじゃないみたいだ。滝沢先輩も、本気であの約束にOKしてくれたらしい。
美星ちゃんは、あれは滝沢先輩の本気の証だと説明してくれた。
滝沢先輩は、わたしと、手を抜かずに全力でデュエルしてくれるつもりで、あの約束はその保証のようなものなのだ、と。
先輩がわたしと本気でデュエルしてくれる。そのこと自体はとても嬉しい。
できることならば、滝沢先輩にアメリカへなんて行ってほしくない。それもわたしの本音だ。
でも、だからって、わたしがデュエルに勝ったせいで先輩の夢が断たれてしまうなんて、そんなのは絶対にイヤなのだ。
せっかくデュエルするからには、滝沢先輩に勝つつもりで挑みたい。
けど、わたしが本当に勝ってしまったらどうなるかなんて、考えたくもない。
こんな約束、なかったことにできないのかな……。
でも、滝沢先輩が一度受けてくれた約束を、今さらわたしの方から一方的に断るなんて、それは先輩に対してすごく失礼なことだ。美星ちゃんにも、そう言われた。
……………………。
いくら考えても、もやもやした気持ちは晴れない。
だったら今は、デュエルそのものに集中するしかないのかな……。
そう思って、自分のデッキに手を伸ばす。デッキのカードを、1枚1枚眺めてみる。
この2日間の特訓で、このデッキの扱い方はおおよそわかってきた。
そして、それがわかると、弱点も見えてくるようになる。
わたしは、デッキから2枚のカードを取り出した。
恋する乙女 効果モンスター ★★ 光・魔法使い 攻400・守300
このカードは表側攻撃表示でフィールド上に存在する限り、戦闘で破壊されない。このカードを攻撃した相手モンスターに乙女カウンターを1つ乗せる。
キューピッド・キス 装備魔法
乙女カウンターが乗っているモンスターを装備モンスターが攻撃し、装備モンスターのコントローラーが戦闘ダメージを受けた場合、ダメージステップ終了時に戦闘ダメージを与えたモンスターのコントロールを得る。
恋する乙女デッキは、この2枚のカードで、相手モンスターのコントロールを得て闘うデッキだ。だから、どうしても相手から受けるダメージが多くなってしまう。
滝沢先輩と違って、わたしはライフが0にならないと負けにはならない。
でも、普通に闘っていたら、4000ポイントしかないライフなんてすぐになくなってしまう。
それは、美星ちゃんとのデュエルで経験済みだ。
だからわたしは、自分のライフを回復するためのカードを、デッキに入れてみようと思う。
おととい買ったパックに入っていた、1枚のカードを選び出す。
天使の生き血 通常魔法
自分は800ライフポイント回復する。
……うん。4000ポイントのライフのうち、これ1枚で800ポイントも回復できるんだから、これはなかなか良いカードだと思う。デッキに投入決定だ。
他には、なにかないかな……。
束になっているカードを1枚1枚確認して、ライフを回復できるカードを探してみる。
しばらく探していると、2枚のカードが目にとまった。
そのうちの1枚には、自分のライフを2000ポイント回復すると書かれている。
そしてもう1枚には、なんと自分のライフを4000も回復すると書かれているのだ。
はじめてこのカードを見たときには気づかなかったけど、これって、冷静に考えてみると、すごい効果なんじゃないだろうか。
だって、4000ポイントのライフが、たった1枚のカードを発動するだけで、1.5倍になったり、2倍になったりするのだ。
この回復量は、普通じゃない。当然、2枚ともデッキに投入決定だ。
…………あ。
まさか、このカードも禁止カードじゃないよね…………。
『強欲な壺』のことを思い出す。
4000ポイントものライフを回復できるカードだ。禁止カードになっていてもおかしくない。
そう思いながら、美星ちゃんからもらったリストをおそるおそる調べてみたけど、そのカードの名前はどこにもなかった。
はぁ……。よかったぁ……。
安心して、ため息をつく。
と同時に、リストの中の、とあるカードの名前が目にとまった。
『死者蘇生』:制限カード
あれ……? このカード……わたし持ってなかったっけ……?
制限カードは強いって、美星ちゃんが教えてくれた。
もし本当に持ってたら、ぜひデッキに入れよう。
ごそごそと、さっきのカードの束をもう一度調べなおす。
ちょっと探してみたら、すぐに目的のカードが見つかった。
死者転生 通常魔法
手札を1枚捨てて発動する。
自分の墓地に存在するモンスター1体を手札に加える。
……ん? あれ、このカード、ちょっと名前が違うな……。
でも、残りのカードの束を調べてみても、『死者蘇生』は見つからなかった。
たぶん、名前が似ているから勘違いしちゃったんだろう。
でもまあ、制限カードに似た名前ってことは、このカードもまあまあ強いってことだよね。
『死者転生』も、デッキに投入決定だ。
……あ。この、『和睦の使者』ってカードも、良いかもしれない。
和睦の使者 通常罠
このカードを発動したターン、相手モンスターから受ける全ての戦闘ダメージは0になる。
このターン自分モンスターは戦闘では破壊されない。
これって、わたしが受けるダメージを防げる、って意味だよね。
回復とはちょっと違うけど、このカードも役に立ちそうだ。デッキに入れておこう。
…………ふぅ。
一息ついて、ベッドの上に横になる。
美星ちゃんには、デッキのカードは40枚ぴったりにした方がいいと言われている。わたしが読んだルールブックにも、2冊ともそう書いてあった。
だったら後は、デッキが40枚になるように、増えた枚数と同じだけカードを抜いて完成……かな。
明日は、この新しいデッキで美星ちゃんとデュエルできるんだ。
そう思うと、無性にわくわくしてくる。
滝沢先輩とのデュエルも、きっとすごく楽しいんだろうな……。
そう思うと、胸の奥が、きゅっと握られたように少し苦しくなった。
木曜日(滝沢 誠人)
今日は、珍しくテストデュエルが休みだった。
昨日の10連戦で疲れた俺への、牧村教官の配慮だろう。
この気づかいは、正直ありがたい。
ただの高校生である俺の身に、降って湧いた千載一遇のチャンス。
牧村教官に出会って、カード・プロフェッサー・ギルドの一員になるためのテストを受けさせてもらっていること。そのこと自体が、奇跡のようなものだ。
この奇跡を逃せば、次にギルドに入れる機会が訪れるのはいつになるかわからない。
だからこそ、このテストに落ちるわけにはいかないのだ。
どうして、そこまでしてカード・プロフェッサーを目指すのか。プロデュエリストではダメなのか。
そう、訊ねられたことがある。
答えはNOだ。
俺が目指すのは、プロデュエリストではなく、カード・プロフェッサーだ。そこに迷いはない。
プロデュエリストは、客商売だ。
スポンサーとの契約料で生計を立てているプロデュエリストは、常に客の目を楽しませることを考えてデュエルを行わなければならない。たとえ実力があっても、地味な闘い方をするデュエリストは、どうしてもプロの世界では敬遠されがちだ。
もちろん、そのことを否定する気はまったくない。魅せるデュエルには、魅せるデュエルなりの難しさがある。それを日々追求していく姿勢は、尊敬に値するすばらしいものだと思う。
ただ、その「魅せるデュエル」というものが、どうしても俺の性にあわないのだ。
強い相手と闘って、勝ちたい。俺の中にある想いは、たったそれだけだ。
そして、そのたった1つの想いが、心の奥底まで、深く深く根を張っている。
たとえどんなに泥臭い手段でも、勝つために最適な方法ならば、迷わずそれを選びたい。
あらゆる戦術を模索、探究し、強くなりたい。少しでも強いデュエリストと闘って、そして勝ちたい。
それが、俺のすべてなのだ。
そのためには、魅せるデュエルという考え方は、どうしても邪魔になる。
もちろん、プロデュエリストだって、強くなるために日々デュエルの修行を積んでいる者が大半だろう。
だがやはり、プロの世界で真に求められているのは、強く、そして華やかなデュエルのできるデュエリストだ。そこで生きていく以上、パフォーマンスの要素を無視することはできない。
俺はきっと、2つのことを同時にこなすことのできない、かなり不器用な人間なんだと思う。
でも、だからこそ、1つのことを追求し続けたい。勝つことに関してだけは、決して妥協したくない。
そして、カード・プロフェッサーの世界では、それが正しい生き方になるのだ。
勝てばすべてを得られるが、負ければなにも残らない。
そんな、デュエルの本来あるべき姿が、そのまま存在している世界。
なによりも勝利を優先し、闘いの中で生きる。
それが、カード・プロフェッサーの正しいあり方だ。
そしてそれは、俺の望んだ生き方とも、一致する。
なのにどうして、今の俺は、これほどまでに悩んでいるのだろう。
2日後にせまった、日坂とのデュエル。そのことが頭から離れない。
もし俺が、なにを差しおいても勝ちたいと本気で思い、そのように闘うなら、絶対に日坂に負けることはないと断言できる。
これは、油断でも奢りでもない。確たる事実だ。
そして、カード・プロフェッサーとして生きたいと望むならば、それこそが正しい選択なのだ。
だらだらとデュエルを引き延ばして、万が一、1ポイントのダメージでも受けてしまえば、その瞬間に今までの努力は水泡に帰す。
考えるまでもない。なにを悩むことがある。
いつも通り、最適な勝利手段を選択して、日坂を瞬殺すればいい。
簡単な、ことだ。
なにを犠牲にしてでも、勝利を掴む。
そんな簡単なことを、俺は、どうして決断できずにいるのだろうか。
金曜日(日坂 綾)
「綾! 探してたカードが見つかったよっ!」
美星ちゃんが、1枚のカードを掲げながら、こっちに向かって走ってくる。
秘めたる想い 永続魔法
フィールド上に表側表示で存在する「乙女」と名のついたモンスター1体を選択して発動する。相手プレイヤーがダメージを受けなかった自分のターンのエンドフェイズ毎に、選択したモンスターの攻撃力は1000ポイントアップする。
「火曜日にカードショップに行ったとき、もう1種類とっておきのサポートカードがあるって言ったでしょ? これがそのカード。……綾は、これ見てどう思う?」
わたしは、美星ちゃんから渡されたそのカードのテキストをじっくりと読みこむ。
しばらく考えてから、わたしもようやく美星ちゃんの言いたいことに気がついた。
「美星ちゃん。このカードって……」
「そ。この永続魔法は、今回の滝沢くんとのデュエルでは、綾にとって最高の1枚になる。だからこそ、とっておきのサポートカードってわけ」
相手プレイヤーがダメージを受けなかった自分ターンの終わりに、「乙女」と名のついたモンスターの攻撃力をあげる。『秘めたる想い』のテキストには、そう書かれている。
明日のデュエルにおいては、「相手プレイヤー」とは滝沢先輩のこと。そして、「乙女」と名のついたモンスターとは、もちろん『恋する乙女』のことだ。
つまり、滝沢先輩にダメージを与えられなかったターン、『恋する乙女』の攻撃力が1000ポイントアップすることになる。
でも、滝沢先輩は、わたしと違って、1ポイントのダメージでも受けたら負けだ。その瞬間、先輩とのデュエルは終了する決まりになっている。
だから、『秘めたる想い』があれば、デュエル中はずっと、『恋する乙女』の攻撃力をあげ続けることができるのだ。
わたしのターンが終わるたびに1000ポイント。この攻撃力アップは、たしかにとんでもない。
美星ちゃんが、とっておきのカードだというのも納得だ。
「さ〜て! 明日はいよいよ滝沢くんとの決戦の日! そのカードをデッキに入れたら、さっそく最後の特訓開始だよ!」
◆
この日の特訓のテーマは、「速攻魔法は力! 速攻魔法は正義!(命名:美星ちゃん)」だった。
実を言うと、わたしは、魔法カードのくせに罠カードのようにも使える「速攻魔法」というものが、イマイチよくわかっていなかったのだ。
でも、美星ちゃんが、わたしのデッキに入っていた速攻魔法について1枚1枚丁寧に解説してくれたおかげで、なんとか使いこなせるようになってきた。本当に、美星ちゃんさまさまだ。
家に帰ったわたしは、自分のデッキに入っている速攻魔法を取り出して、1枚ずつ眺めてみることにした。
サイクロン 速攻魔法
フィールド上の魔法または罠カード1枚を破壊する。
エネミーコントローラー 速攻魔法
次の効果から1つを選択して発動する。
●相手フィールド上に表側表示で存在するモンスター1体の表示形式を変更する。
●自分フィールド上に存在するモンスター1体をリリースして発動する。このターンのエンドフェイズ時まで、相手フィールド上に表側表示で存在するモンスター1体のコントロールを得る。
非常食 速攻魔法
このカード以外の自分フィールド上に存在する魔法・罠カードを任意の枚数墓地へ送って発動する。
墓地へ送ったカード1枚につき、自分は1000ライフポイント回復する。
禁じられた聖杯 速攻魔法
フィールド上に表側表示で存在するモンスター1体を選択して発動する。
エンドフェイズ時まで、選択したモンスターの攻撃力は400ポイントアップし、効果は無効化される。
禁じられた聖杯 速攻魔法
フィールド上に表側表示で存在するモンスター1体を選択して発動する。
エンドフェイズ時まで、選択したモンスターの攻撃力は400ポイントアップし、効果は無効化される。
この5枚で、全部だ。
『禁じられた聖杯』は、美星ちゃんが、滝沢先輩と闘うならこのカードは入れられるだけ入れておいた方がいいと言うので、買ったパックに入っていた2枚を両方ともデッキに投入してみたものだ。これが制限カードでないことは、きちんと確認してある。
たったの5日間だったけど、やれるだけのことはやった。
後は、明日になるのを待つだけだ。
…………。
いよいよ明日、か……。
金曜日(滝沢 誠人)
「おめでとう。今日のデュエルも、あなたの勝ちよ」
「……はい。ありがとうございます」
デュエルディスクを外して、牧村教官に向かって一礼する。
「ちょっと攻め方が単調だった気はするけど、罠の張り方は巧妙で、うまく自分の狙いを隠せていたわ。相手の伏せカードの正体も、正しく見抜けていたみたいだし。……ただ、7ターン目の『マジック・プランター』発動、あれは少し焦りすぎだったわね。あの局面ではまだ、永続罠をフィールドに残しておいた方が良かったと思うわ」
今日のデュエルを傍で見ていた教官から、適格なコメントが飛んでくる。
相変わらず、牧村教官の慧眼には舌を巻くしかない。
俺の闘いを一目見ただけなのに、俺に足りない技術、無意識下の悪いクセ、細かな判断ミスなどを、適切に指摘し、導いてくれる。
彼女に言われた言葉を後でじっくりと反芻してみて、はじめてあれはミスだったんだと気づく、なんてこともしばしばだ。
「それじゃあ、なにも訊きたいことがなければ、今日はこれで終わりにしましょう」
教官のその一言で、今日のテストは終了となった。
…………。
いよいよ明日、だな……。
土曜日 〜決闘交差〜
目覚まし時計の音が、部屋中に鳴り響く。
昨日は早めにベッドに入ったのだけれど、意外にぐっすりと眠れた。
そのおかげか、体調は万全。思いっきり体を伸ばすと、なんだか気持ちいい。
顔を洗って、歯をみがく。着替えてから、朝ごはんを食べる。
窓から外を眺めると、天気は快晴。申し分のない日本晴れだ。
最後にもう一度、自分のデッキを確認する。
デッキケースから、40枚のカードの束を取り出して、1枚1枚じっくりと眺める。
……うん。今まで何度もいっしょに闘ってきた、わたしのデッキに間違いない。
改めてそう確認すると、カードを丁寧に揃えて、またデッキケースにしまった。
◆
家を出ると、そこには美星ちゃんが立っていた。
別に、ここで会おうと約束していたわけじゃない。
だけど、なんとなく、美星ちゃんならここにいてくれるような、そんな気はしていた。
「いよいよ本番だね、綾」
「…………うん」
「心配なら、私もいっしょに行ってあげようか?」
「…………ううん、大丈夫」
美星ちゃんの提案に、わたしは首を横に振った。
「美星ちゃんには、感謝してるよ。もし美星ちゃんがいなかったら、わたしは、遠くに行ってしまう滝沢先輩を、ただ見ていることしかできなかった。それだけはたしか。……だから、先輩とデュエルする機会を与えてくれて、本当にありがとう」
ぺこりと、小さく頭を下げる。
「わたし、結局1回も美星ちゃんに勝てなかったよね。そんなわたしが、滝沢先輩に勝てるわけないのはわかってる。……でも、もし万が一、先輩に勝ってしまったら、いったいどうなっちゃうんだろう。……そう考えると、すごく怖い」
一言ずつ、ゆっくり自分の想いを口にしていく。
「わざと負けたらいいんじゃないかな、って、そう思ったこともあった。……けど、やっぱりそれはイヤ。本気で闘わないで、負けるつもりでデュエルするなんて、そんなの、たぶん全然楽しくない。わたしにだって、それくらいのことはわかる」
美星ちゃんは、黙ってわたしの言葉に耳を傾けている。
「結局、わたしはどうしたらいいのか、まだよくわからない。……けど、わからないからこそ、わたしはちゃんと滝沢先輩と向きあわなきゃダメなんだと思う。今だけは、美星ちゃんに頼らずに、自分の力で。うまく言えないけど……そうすれば、答えが見つかるような気がするんだ」
矛盾だらけで、まとまりのないわたしの言葉。
それでも、美星ちゃんにはきちんと伝わったと思う。
「…………うん、わかった。ちょっと寂しいけど、今日ばっかりは仕方ないね」
そう言うと、美星ちゃんは、わたしに1枚のカードを差し出してきた。
それは、今までにもらったカードとは全然違う。だって、このカードは……。
「美星ちゃん……。これって……」
「綾……あんたはもう、立派な1人のデュエリストだよ。だからこれは、私からの最後のプレゼント。……使い方は、知ってるはずよね?」
幻想的に輝く、天使のイラスト。
それは、美星ちゃんのデッキに1枚だけ入っていたはずの、モンスターカードだった。
「こんな大事なカードを、わたしに……? 本当にいいの……?」
一目見れば、わたしだって、これが貴重なカードであることくらいはすぐにわかる。
キラキラと光るその1枚は、きっと、美星ちゃんにとってもすごく大切なカードのはずだ。
それを、わたしなんかがもらってしまって、本当にいいのだろうか。
「私は平気。これは、私よりも綾にふさわしいカード。私がそう思ったから、そのカードは綾にあげるの。……それで十分でしょ?」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、そう告げる。
「それに、そのカードは、綾のデッキの『恋する乙女』とも、相性抜群なんだからね? きっと、滝沢くんとのデュエルでも役に立つはずだよ?」
「…………ありがと、美星ちゃん」
わたしは、これで何度目になるかわからないお礼をすると、大切なそのカードを、自分のデッキにしまう。
これで、わたしのデッキは、41枚になった。
最後の最後に、1枚だけオーバーしちゃったけど、このくらいならたぶん大丈夫だ。
デッキからあふれ出した美星ちゃんの想いは、きっとわたしに力をくれる。
そう信じて、わたしは、滝沢先輩との闘いの舞台へ向かって、一歩、足をふみ出した。
◆
「ごめん日坂。待った?」
やわらかい、ちょっと恥ずかしそうな表情で、滝沢先輩がこっちに走ってくる。
「ううん。わたしも今来たとこだから」
本当は、約束の時間の30分前からここにいたんだけど、そのことは内緒だ。
でも、ずっと待っていたおかげで、ようやくわたしの気持ちも固まった。
「それじゃ、さっそく始めようか」
「……はい」
余計な言葉はいらない。
わたしも先輩も、今ここで、なにをすべきかはわかっている。
滝沢先輩の白いデュエルディスクが、音を立てて変形する。
わたしも、先輩に続けてデュエルディスクを変形させる。
今日は、学校は休みだ。
先輩に予定を訊いて、テストと重ならない時間帯を選んだと、美星ちゃんも言っていた。
つまり、思う存分、滝沢先輩とデュエルができる。
滝沢先輩に、勝つべきなのか負けるべきなのか。その答えは、まだ出ていないけど。
今は、滝沢先輩に、精一杯ぶつかってみよう。
そうすれば、なにかが見えてくるような気がする。
根拠はないけど、なんとなくそう思えるのだ。
「行くぞ…………日坂!」
「はい…………先輩!」
「「デュエル!!」」
決闘・1(滝沢 誠人)
(1ターン目)
・滝沢 LP4000 手札5
場:なし
場:なし
・日坂 LP4000 手札5
場:なし
場:なし
まっさらなフィールドを見つめながら、改めて自分の想いを確認する。
俺は、このデュエルにどう向きあうのか。日坂と、どう闘えばいいのか。
その答えは、出してきたつもりだ。
「先攻は、俺が取らせてもらう。俺のターン、ドロー!(手札5→6)」
6枚の初期手札を一瞥して、即座に出すべきカードを選択する。
「カードを1枚伏せて、『ガガギゴ』を攻撃表示で召喚する!(手札6→5→4)」
ガガギゴ 通常モンスター ★★★★ 水・爬虫類 攻1850・守1000
かつて邪悪な心を持っていたが、ある人物に会う事で正義の心に目覚めた悪魔の若者。
「俺はこれで、ターンエンドだ」
自分で選んだ道とはいえ、いざ行動に移してみると、本当にこれで良かったのかという疑念が湧きあがってくる。
だが、覚悟はとっくに決めてある。
たとえ、誰に間違いだと責められようが、この選択を貫く。
カード・プロフェッサーになれる、千載一遇のチャンス。その機会は、絶対に守りぬく。
俺は、決して負けるわけにはいかないのだ。
1ダメージも受けずに、日坂のライフを0にして、このデュエルを終わらせる。
それが、俺の覚悟だ。
(2ターン目)
・滝沢 LP4000 手札4
場:伏せ×1
場:ガガギゴ(攻1850)
・日坂 LP4000 手札5
場:なし
場:なし
「わっ、わたしのターン、ドロー!(手札5→6)」
日坂が、慣れない手つきでカードを引く。
「………………」
初期手札をじっくりと睨んで、なにやら悩んでいるようだ。
最初のターンでとるべき行動。これを決めるのは、実は意外と厄介だ。
なまじ6枚も手札があると、選択肢が多すぎて、逆に決断を下せなくなる。
デュエルをはじめたばかりの日坂が、ここで考えこんでしまうのも無理はないだろう。
2分くらい経ったころだろうか。
日坂は、ようやく手札から1枚のカードを選び出すと、モンスターカードゾーンに置いた。
「……わたしは、『恋する乙女』を、攻撃表示で召喚します!(手札6→5)」
恋する乙女 効果モンスター ★★ 光・魔法使い 攻400・守300
このカードは表側攻撃表示でフィールド上に存在する限り、戦闘で破壊されない。このカードを攻撃した相手モンスターに乙女カウンターを1つ乗せる。
「そして、手札から、永続魔法『秘めたる想い』を発動します!(手札5→4)」
秘めたる想い 永続魔法
フィールド上に表側表示で存在する「乙女」と名のついたモンスター1体を選択して発動する。相手プレイヤーがダメージを受けなかった自分のターンのエンドフェイズ毎に、選択したモンスターの攻撃力は1000ポイントアップする。
……なるほど、ね。
俺は、1ポイントでもダメージを受ければ即敗北。つまり俺には、わざと小さなダメージを受けて、恋する乙女の攻撃力アップを止めるという方法が使えない。
このデュエルの特殊ルールをうまく利用した、いい戦術だ。
「わたしのターンは……これで終了です!」
さっそく、『秘めたる想い』の効果で、恋する乙女の攻撃力が上がる。
恋する乙女 攻:400 → 1400 (秘めたる想い)
(3ターン目)
・滝沢 LP4000 手札4
場:伏せ×1
場:ガガギゴ(攻1850)
・日坂 LP4000 手札4
場:恋する乙女(攻1400)
場:秘めたる想い(永魔)
「俺のターン、ドロー(手札4→5)」
今ならまだ、引き返せる。
そんな悪魔の囁きを、首を振って打ち消す。
「俺は、『ガガギゴ』で、恋する乙女を攻撃する!」
(攻1850)ガガギゴ → 恋する乙女(攻1400)
恋する乙女は、表側攻撃表示でフィールドに存在する限り、戦闘では破壊されない。
それでも、日坂への超過ダメージは、問題なく発生する。
日坂 LP:4000 → 3550
「……うぅっ! ……でも、『恋する乙女』を攻撃したガガギゴには、乙女カウンターが乗ります!」
まだ、ソリッドビジョンの演出に慣れていないのだろう。ダメージを受けた日坂は、軽くのけぞりながら叫んでいる。
ただし、言っている内容は、極めて真っ当な主張だ。
『恋する乙女』をサポートする、あの装備魔法カードの存在を考えると、ここでガガギゴに乙女カウンターを乗せてしまうのは、一見すると得策でないように思える。
だが、恋する乙女デッキが相手ならば、後々のことを考えて、ここは日坂のライフを少しでも削っておいた方がいい。
それに、『ガガギゴ』ならば、奪われたところで対処する方法もある。
そう判断した結果の、攻撃宣言だ。
「『ヴェノム・コブラ』を守備表示で召喚して、ターンエンドだ(手札5→4)」
ヴェノム・コブラ 通常モンスター ★★★★ 地・爬虫類 攻100・守2000
堅いウロコに覆われた巨大なコブラ。大量の毒液を射出して攻撃するが、その巨大さ故毒液は大味である。
(4ターン目)
・滝沢 LP4000 手札4
場:伏せ×1
場:ガガギゴ(攻1850)、ヴェノム・コブラ(守2000)
・日坂 LP3550 手札4
場:恋する乙女(攻1400)
場:秘めたる想い(永魔)
「わたしのターン、ドロー!(手札4→5)」
日坂の表情が変わった。なにかいいカードを引いたらしい。
「手札の『キューピッド・キス』を、恋する乙女に装備させます!(手札5→4)」
……さっそく来たか。
キューピッド・キス 装備魔法
乙女カウンターが乗っているモンスターを装備モンスターが攻撃し、装備モンスターのコントローラーが戦闘ダメージを受けた場合、ダメージステップ終了時に戦闘ダメージを与えたモンスターのコントロールを得る。
「恋する乙女で、滝沢先輩のガガギゴを攻撃します! 一途な想い!!」
(攻1400)恋する乙女 → ガガギゴ(攻1850)
茶色い髪をなびかせながら、恋する乙女がガガギゴに向かって走ってくる。
でも、攻撃力はこちらの方が上だ。ガガギゴはそれを軽くかわす。
日坂 LP:3550 → 3100
「この瞬間、キューピッド・キスの効果が発動! 先輩の『ガガギゴ』のコントロールは、わたしに移ります!」
今はまだ、日坂のバトルフェイズ中。できることならば、奪ったガガギゴで攻撃を仕掛けたい局面だろう。
だが、俺はそれを防ぐために、あらかじめ守備力2000の『ヴェノム・コブラ』を召喚しておいた。このターンで、日坂がこの壁を突破するのは不可能だ。
「わたしはこれで、ターン終了、です……」
恋する乙女 攻:1400 → 2400 (秘めたる想い)
(5ターン目)
・滝沢 LP4000 手札4
場:伏せ×1
場:ヴェノム・コブラ(守2000)
・日坂 LP3100 手札4
場:恋する乙女(攻2400)、ガガギゴ(攻1850)
場:秘めたる想い(永魔)、キューピッド・キス(装魔)
「俺のターン、ドロー(手札4→5)」
1ターンごとに攻撃力1000アップというのは、なかなかに厄介な効果だ。
現に、恋する乙女の攻撃力は、早くも2400。次のターンのエンドフェイズには、あの『青眼の白龍』の攻撃力をも上回る。
とはいえ、ここで焦って自分のペースを乱してはダメだ。
冷静に状況を見極め、ダメージを受けることだけは絶対に阻止しつつも、最小限のカード消費で最大限の効果を得る。
それができなければ、俺に、カード・プロフェッサーになる資格はない。
「カードを1枚伏せて、ターンエンドだ(手札5→4)」
(6ターン目)
・滝沢 LP4000 手札4
場:伏せ×2
場:ヴェノム・コブラ(守2000)
・日坂 LP3100 手札4
場:恋する乙女(攻2400)、ガガギゴ(攻1850)
場:秘めたる想い(永魔)、キューピッド・キス(装魔)
「わたしのターン、ドロー!(手札4→5)」
恋する乙女の攻撃力は2400。ヴェノム・コブラの守備力は2000。
当然、このターン、日坂は攻撃を仕掛けてくるだろう。
「恋する乙女で、ヴェノム・コブラを攻撃します!」
だが、その攻撃は通らない。
「罠カード発動、『反撃の毒牙』! その効果で、恋する乙女の攻撃を無効にする!」
「!!」
攻撃を防がれるとは思っていなかったのだろう。日坂は、驚いた顔で目を見開いている。
反撃の毒牙 通常罠
自分フィールド上に表側表示で存在する「ヴェノム」と名のついたモンスターが攻撃宣言を受けたときに発動する事ができる。
相手モンスター1体の攻撃を無効にし、バトルフェイズを終了する。
その後、攻撃モンスターにヴェノムカウンターを1つ置く。
このターンで、様子見は終了。次のターンからは、こちらから積極的に攻めていく。
「ターン、終了です……」
さあ、反撃開始だ。
決闘・2(日坂 綾)
恋する乙女 攻:2400 → 3400 (秘めたる想い)
(7ターン目)
・滝沢 LP4000 手札4
場:伏せ×1
場:ヴェノム・コブラ(守2000)
・日坂 LP3100 手札5
場:恋する乙女(攻3400)、ガガギゴ(攻1850)
場:秘めたる想い(永魔)、キューピッド・キス(装魔)
さっきのターン、わたしの攻撃は、滝沢先輩の罠に防がれてしまった。
でも、『恋する乙女』が破壊されたわけじゃない。『秘めたる想い』がある限り、恋する乙女の攻撃力は上がり続けていく。
まだ、わたしのライフは3000ポイント以上残っている。次のターン、もう一度ヴェノム・コブラに攻撃を仕掛けるんだ。今度はきっと成功する。
――なんて、楽観的に考えている場合ではなかったのだ。
滝沢先輩は、そんな甘い考えが通用する相手ではないことを、わたしはこのターン、心の底から思い知らされることになる。
「俺のターン、ドロー(手札4→5)」
先輩が、自分のデッキからカードを引き抜く。
そしてそのまま、迷わず手札から1枚のカードを発動させた。
「俺は、手札からフィールド魔法を発動する。『ヴェノム・スワンプ』(手札5→4)」
その瞬間、あたりの景色が、一変した。
ヴェノム・スワンプ フィールド魔法
お互いのターンのエンドフェイズ毎に、フィールド上に表側表示で存在する「ヴェノム」と名のついたモンスター以外の表側表示で存在する全てのモンスターにヴェノムカウンターを1つ置く。
ヴェノムカウンター1つにつき、攻撃力は500ポイントダウンする。
この効果で攻撃力が0になったモンスターは破壊される。
明るかったはずの空が、とつぜん灰色の雲に覆われる。
いつの間にか、わたしと先輩は毒の沼地のまっただ中に立たされていた。
濃い紫色をした沼が、わたしの足元に広がっている。ときどき、泡が噴きあがっては弾けて、ゴポッ……ゴポッ……と、すごくイヤな音をたてている。
まわりに生えているのは枯れた木ばかりで、動物の骨がそこらじゅうに転がっている。その映像は本当にリアルで、腐った臭いが鼻をつくような気さえしてきた。
これは本物の沼じゃない。ただのソリッドビジョンなんだ。
そうとわかっていても、体がすくむ。足元から毒の沼に飲みこまれていって、もう二度と帰ってこられないような、そんな恐怖にかられてしまう。
「『ヴェノム・スワンプ』がフィールド上に存在する限り、場のすべてのモンスターは、自身に乗っているヴェノムカウンター1つにつき、攻撃力が500ポイントダウンする」
恋する乙女 攻:3400 → 2900
滝沢先輩は、この禍々しいフィールドを見ても眉一つ動かさず、淡々とカードの効果を説明している。
「続けて、手札から魔法カード、『ヴェノム・ショット』を発動だ(手札4→3)」
ヴェノム・ショット 通常魔法
自分フィールド上に「毒蛇王ヴェノミノン」、「毒蛇神ヴェノミナーガ」または「ヴェノム」と名のついたモンスターが表側表示で存在する時に発動する事ができる。
自分のデッキから爬虫類族モンスター1体を墓地に送り、相手フィールド上に表側表示で存在するモンスター1体にヴェノムカウンターを2つ置く。
「デッキからモンスター1体を墓地に送り、『恋する乙女』の攻撃力を1000ポイント下げる」
恋する乙女 攻:2900 → 1900
「さらに俺は、『ヴェノム・コブラ』をリリースして、『ヴェノム・ボア』を攻撃表示でアドバンス召喚(手札3→2)。その効果で、もう一度『恋する乙女』の攻撃力を1000ポイント下げる」
ヴェノム・ボア 効果モンスター ★★★★★ 地・爬虫類 攻1600・守1200
1ターンに1度だけ、相手フィールド上モンスター1体にヴェノムカウンターを2つ置く事ができる。
この効果を使用したターンこのモンスターは攻撃宣言をする事ができない。
恋する乙女 攻:1900 → 900
「カードを2枚伏せて、ターンエンドだ(手札2→0)」
滝沢先輩がターン終了を宣言した瞬間、沼地から小さな蛇が飛び出してきて、わたしの場の『恋する乙女』と『ガガギゴ』に噛みついた。
「『ヴェノム・スワンプ』の効果発動。お互いのターンのエンドフェイズごとに、フィールド上に存在するモンスターすべてにヴェノムカウンターを1つ置く。ただし、『ヴェノム』と名のついたモンスターはこの効果の対象にならない」
恋する乙女 攻:900 → 400
ガガギゴ 攻:1850 → 1350
時間にすれば、ほんの数分のことだった。
たったそれだけの間に、3400ポイントもあった『恋する乙女』の攻撃力は、わずか400ポイントにまで下げられてしまった。
そして、先輩のフィールドには、攻撃力1600の『ヴェノム・ボア』。妖しく光る3つの目が、わたしをじっと睨みつけている。
先輩から奪った『ガガギゴ』も、ヴェノム・スワンプの効果で攻撃力を下げられてしまった。わたしの場に、ヴェノム・ボアより高い攻撃力を持ったモンスターはいない。
……完璧、だった。
滝沢先輩のすごさは、十分よくわかっていると思っていた。
けど、それはわたしの勝手な思いこみだったのだ。
先輩と直接向きあって、実際にデュエルしてみてはじめて、滝沢先輩の強さが本当に理解できる。これでもかっていうくらいに伝わってくる。
わたしなんかの強さとは、次元が違う。
そのことを、わたしは今、ようやく実感できたのだった。
(8ターン目)
・滝沢 LP4000 手札0
場:ヴェノム・スワンプ(フィールド)、伏せ×3
場:ヴェノム・ボア(攻1600)
・日坂 LP3100 手札5
場:恋する乙女(攻400)、ガガギゴ(攻1350)
場:秘めたる想い(永魔)、キューピッド・キス(装魔)
それでも、まだデュエルが終わったわけじゃない。
なにか、この状況をなんとかするためのカードを引かなきゃダメだ。
「わっ……わたしのターン、ドローっ!(手札5→6)」
ドローしたカードは、火曜日にカードショップで買った、恋する乙女のサポートカード。
その装備魔法を見て、思わず顔がゆるんでしまう。
……よし。このカードなら、ヴェノム・ボアを……倒せるっ!
「わたしは、手札の『ハッピー・マリッジ』を、恋する乙女に装備します!(手札6→5)」
ハッピー・マリッジ 装備魔法
自分の場に相手からコントロールを得たモンスターがいる場合に発動する事ができる。
そのモンスターの攻撃力の数値分だけ装備モンスターの攻撃力をアップする。
恋する乙女 攻:400 → 1750 (ガガギゴ 攻:1350)
「『恋する乙女』で、先輩の『ヴェノム・ボア』を攻撃します! 一途な想い!!」
(攻1750)恋する乙女 → ヴェノム・ボア(攻1600)
サポートカードのおかげで、恋する乙女の攻撃力は、ヴェノム・ボアより上になった。
だからわたしは、滝沢先輩のモンスターを攻撃したのだ。
けれど。
「リバースカード、オープン」
先輩が、なにかのカードを発動させたと思ったら、とつぜん『恋する乙女』の攻撃力は400に戻ってしまった。
え……? なんで……?
「反撃だ、『ヴェノム・ボア』」
(攻400)恋する乙女 → ヴェノム・ボア(攻1600)
日坂 LP:3100 → 1900
「うぅっ……!」
わたしから攻撃したはずなのに、わたしの方がダメージを受けてしまった。
それも、1200ポイントもの大ダメージだ。
滝沢先輩の場で、表になっている罠カードに目を向ける。
裸の王様 永続罠
全ての装備カードの効果は無効になる。
……そうか。あのカードの効果で、『ハッピー・マリッジ』の効果を無効にされちゃったんだ……。
ようやく、目の前で起こった出来事が理解できた。
そんなわたしに向かって、滝沢先輩が口を開く。
「相手にダメージを与える手段は、なにも自分から攻撃を仕掛けるだけじゃない。相手モンスターの攻撃に対して、うまく魔法・罠カードを発動させることで、攻撃モンスターを迎撃する。こっちの方が、攻め方としてははるかに効率的で、防がれにくい。……覚えておくといい」
「…………」
先輩の言葉が、身にしみる。
わたしの未熟さを、思い知らされる。
「……『ガガギゴ』を守備表示に変更。カードを1枚伏せて、ターン終了、です……(手札5→4)」
ガガギゴ:(攻1350) → (守1000)
恋する乙女 攻:400 → 1400 (秘めたる想い)
恋する乙女 攻:1400 → 900 (ヴェノム・スワンプ)
ガガギゴ 攻:1350 → 850 (ヴェノム・スワンプ)
(9ターン目)
・滝沢 LP4000 手札0
場:ヴェノム・スワンプ(フィールド)、裸の王様(永罠)、伏せ×2
場:ヴェノム・ボア(攻1600)
・日坂 LP1900 手札4
場:恋する乙女(攻900)、ガガギゴ(守1000)
場:秘めたる想い(永魔)、キューピッド・キス(装魔)、ハッピー・マリッジ(装魔)、伏せ×1
「俺のターン、ドロー(手札0→1)」
……あっ、そうだ! このままじゃ、このターン、『ヴェノム・ボア』の効果で『恋する乙女』が破壊されちゃう!
『ヴェノム・スワンプ』の効果で攻撃力が0になったモンスターは破壊される。そのことを思い出したわたしは、あわてて伏せておいたカードを表にする。
「そ、速攻魔法、『禁じられた聖杯』を発動……っ!」
禁じられた聖杯 速攻魔法
フィールド上に表側表示で存在するモンスター1体を選択して発動する。
エンドフェイズ時まで、選択したモンスターの攻撃力は400ポイントアップし、効果は無効化される。
禁じられた聖杯は、モンスターの効果を1ターンの間だけ封じることができる魔法カードだ。これなら、『ヴェノム・ボア』の、ヴェノムカウンターを乗せる効果は使えない。
金曜日に、美星ちゃんから速攻魔法の使い方を習っていてよかった……。
そう思ったのも、束の間だった。
「……だが、『禁じられた聖杯』の対象となったモンスターは、効果を無効にされるかわりに攻撃力が400ポイント上がる。『ヴェノム・ボア』で、『恋する乙女』を攻撃だ」
ヴェノム・ボア 攻:1600 → 2000
(攻2000)ヴェノム・ボア → 恋する乙女(攻900)
日坂 LP:1900 → 800
うっ……! そうだ……『禁じられた聖杯』には、もう1つの効果があったんだった……。
そのことをすっかり忘れていたわたしは、また1100ポイントもの大ダメージを受けてしまう。
「……これで、もう『裸の王様』を維持する必要はなくなった。俺は手札から『マジック・プランター』を発動。裸の王様を墓地に送って、デッキからカードを2枚ドローする(手札1→0→2)」
マジック・プランター 通常魔法
自分フィールド上に表側表示で存在する永続罠カード1枚を墓地へ送って発動する。
自分のデッキからカードを2枚ドローする。
恋する乙女 攻:900 → 1750 (ハッピー・マリッジ)
「カードを2枚伏せて、ターンエンドだ(手札2→0)」
ヴェノム・ボア 攻:2000 → 1600 (禁じられた聖杯)
恋する乙女 攻:1750 → 1250 (ヴェノム・スワンプ)
ガガギゴ 攻:850 → 350 (ヴェノム・スワンプ)
恋する乙女 攻:1250 → 750 (ハッピー・マリッジ)
(10ターン目)
・滝沢 LP4000 手札0
場:ヴェノム・スワンプ(フィールド)、伏せ×4
場:ヴェノム・ボア(攻1600)
・日坂 LP800 手札4
場:恋する乙女(攻750)、ガガギゴ(守1000)
場:秘めたる想い(永魔)、キューピッド・キス(装魔)、ハッピー・マリッジ(装魔)
『恋する乙女』デッキは、相手モンスターのコントロールを得て闘うデッキだ。
そのために踏まなければいけないステップは、2つ。
1つ目は、まず『恋する乙女』が相手モンスターからの攻撃を受けること。
こうすると、恋する乙女の効果が発動して、相手の攻撃モンスターに乙女カウンターを乗せることができる。
そして2つ目は、『キューピッド・キス』を装備したモンスターで、乙女カウンターが乗ったモンスターを攻撃して、わたしが戦闘ダメージを受けること。
これに成功すれば、キューピッド・キスの効果で、その相手モンスターのコントロールを得ることができるのだ。
前のターンで、『ヴェノム・ボア』は恋する乙女を攻撃したから、1つ目の条件はクリアしている。
だったら後は、わたしの方から『ヴェノム・ボア』を攻撃するだけだ。
そう思って、フィールドを見渡したわたしは、ようやくあることに気がついた。
恋する乙女 攻:750
ヴェノム・ボア 攻:1600
恋する乙女と、ヴェノム・ボアの攻撃力の差は、850ポイント。
そして、わたしの残りライフポイントは、800ポイント。
つまり、攻撃した瞬間、わたしの負けが決まってしまうのだ。
「うそ…………」
これで、もう『裸の王様』を維持する必要はなくなった。
前のターンに滝沢先輩が口にした言葉の意味が、今になってわかる。
先輩は、ここまで計算してデュエルしていたんだ。
それに気づいて、愕然とする。
滝沢先輩は……なんて……すごい人なんだろう。
圧倒的なデュエルの実力、それだけじゃない。
先輩は今、わたしみたいな初心者を相手に、本気でデュエルしてくれているのだ。
本当なら、こんなデュエルは、断られて当然だったはずだ。
それなのに、わたしとデュエルしている滝沢先輩の表情は、真剣そのものだ。
普段のやわらかな笑みが嘘のように、引きしまった顔で鋭い視線をフィールドに向け続けている。
このデュエルに懸ける想いが、どれほど強いのか。それが痛いほど伝わってくる。
…………それなのに、わたしは。
滝沢先輩に勝ちたいけど、本当に勝ってしまうのは怖い。
そんな矛盾した気持ちを抱えたまま、この場に立っている。
心のどこかで、先輩に本気でぶつかっていくことを、恐れている。
そんな、自分の中途半端さが、嫌になる。
わたしなんかが本気になったところで、滝沢先輩には遠くおよばないだろう。先輩にダメージを与えるだなんて、ただの夢物語なのかもしれない。
けど、だからって、勝とうと本気で思わずに、今の実力を出しきらずにデュエルしていいわけがない。そんなことでは、全力で闘ってくれている滝沢先輩に顔向けできない。
勝つべきなのか負けるべきなのか。そんなことを考えている時点で、わたしはズレていた。
精一杯ぶつかってみよう、では甘すぎる。
絶対に、滝沢先輩に勝つ。そう信じて、デュエルしなきゃダメなんだ。
そして、たぶんそれが、デュエリストにとって、なによりも大切なことなんだ。
「わたしのターン、ドロー!(手札4→5)」
デュエルが始まったときは4000もあったライフは、もう800ポイントしか残っていない。
だけど、まだ負けたわけじゃない。
すっきりとした気持ちで、5枚の手札に目を通す。
そうしたら、自然とやることが見えてきた。
「わたしは、手札から2枚目の『禁じられた聖杯』を発動します!(手札5→4)」
禁じられた聖杯 速攻魔法
フィールド上に表側表示で存在するモンスター1体を選択して発動する。
エンドフェイズ時まで、選択したモンスターの攻撃力は400ポイントアップし、効果は無効化される。
滝沢先輩と闘うなら、このカードは入れられるだけ入れておいた方がいいよ?
そう言ってくれた美星ちゃんに大感謝だ。
「わたしが対象にするのは……『恋する乙女』です!」
恋する乙女 攻:750 → 1150
2つの効果を持つ速攻魔法、『禁じられた聖杯』。
さっきはこのカードを、先輩のモンスター効果を封じるために使った。
でも今度は、『恋する乙女』の攻撃力を上げるために使う。
「『ガガギゴ』を攻撃表示に変更! そして、『恋する乙女』で、『ヴェノム・ボア』を攻撃します! 一途な想い!!」
相手モンスターに乙女カウンターを乗せるのは、『恋する乙女』の効果だ。
だけど、乙女カウンターが乗ったモンスターのコントロールを得るのは、『キューピッド・キス』の効果だ。
だから今は、『恋する乙女』の効果が無効になっても、問題ない!
(攻1150)恋する乙女 → ヴェノム・ボア(攻1600)
日坂 LP:800 → 350
『ヴェノム・ボア』のコントロールが、わたしに移る。
恋する乙女 攻:1150 → 2750 (ハッピー・マリッジ)
これで、わたしの場には、まだ攻撃していないモンスターが2体。
滝沢先輩の場に、モンスターはいない。
勝ってしまって本当にいいんだろうか、なんてことはもう考えない。
今攻撃すれば、滝沢先輩にダメージを与えられるかもしれない。
だったら、迷わずに攻撃する!
「『ヴェノム・ボア』で、滝沢先輩にダイレクトアタックです!」
(攻1600)ヴェノム・ボア −Direct→ 滝沢 誠人(LP4000)
「罠カード発動、『ガード・ブロック』!(手札0→1)」
ガード・ブロック 通常罠
相手ターンの戦闘ダメージ計算時に発動する事ができる。
その戦闘によって発生する自分への戦闘ダメージは0になり、自分のデッキからカードを1枚ドローする。
ヴェノム・ボアの攻撃が、見えない壁のようなものに阻まれる。
……でも、まだだ!
「『ガガギゴ』で、滝沢先輩にダイレクトアタックです!」
(攻350)ガガギゴ −Direct→ 滝沢 誠人(LP4000)
心なしか、ほんの少し、滝沢先輩がいつもの笑みを浮かべたような気がした。
「同じカードを2枚使うのは、なにも日坂だけの特権じゃない。……もう一度、罠カード発動。『ガード・ブロック』だ!(手札1→2)」
ガード・ブロック 通常罠
相手ターンの戦闘ダメージ計算時に発動する事ができる。
その戦闘によって発生する自分への戦闘ダメージは0になり、自分のデッキからカードを1枚ドローする。
ガガギゴの突進も、透明な壁にはじき返されてしまう。
2回もダイレクトアタックしたのに、滝沢先輩にダメージを与えることはできなかった。
悔しいな……。心の底からそう思う。
でも……きっとこれが、本気でデュエルするってことなんだ。
デュエルするって、こんなに楽しいことだったんだ。
滝沢先輩の目指している、カード・プロフェッサーの世界も、これ以上に魅力的な世界なんだろう。
根拠はないけど、たぶんそうだ。きっとそうだ。
ただ憧れているだけでは、決して知りえない感覚がある。
それを、わたしは今、全身で味わっている。
「ターン終了、です!」
恋する乙女 攻:2750 → 2350 (禁じられた聖杯)
ガガギゴ 攻:350 → 0 (ヴェノム・スワンプ):破壊
恋する乙女 攻:2350 → 2000 (ハッピー・マリッジ)
恋する乙女 攻:2000 → 3000 (秘めたる想い)
恋する乙女 攻:3000 → 2500 (ヴェノム・スワンプ)
(11ターン目)
・滝沢 LP4000 手札2
場:ヴェノム・スワンプ(フィールド)、伏せ×2
場:なし
・日坂 LP350 手札4
場:恋する乙女(攻2500)、ヴェノム・ボア(攻1600)
場:秘めたる想い(永魔)、キューピッド・キス(装魔)、ハッピー・マリッジ(装魔)
決闘・3(滝沢 誠人)
「俺のターン、ドロー。カードを2枚伏せて、ターンエンドだ(手札2→3→1)」
恋する乙女 攻:2500 → 2000 (ヴェノム・スワンプ)
(12ターン目)
・滝沢 LP4000 手札1
場:ヴェノム・スワンプ(フィールド)、伏せ×4
場:なし
・日坂 LP350 手札4
場:恋する乙女(攻2000)、ヴェノム・ボア(攻1600)
場:秘めたる想い(永魔)、キューピッド・キス(装魔)、ハッピー・マリッジ(装魔)
「わたしのターン、ドロー!(手札4→5)」
『ガガギゴ』、『ヴェノム・コブラ』、そして『ヴェノム・ボア』。
俺の召喚したモンスターは、今のところ、すべて日坂に攻略されている。
日坂は、デュエルを始めてからまだ1週間も経っていないはずだ。
普通なら、最初の『ガガギゴ』にやられてしまっても不思議じゃない。デュエル歴1週間とは、それほどまでに短い期間なのだ。
『ヴェノム・ボア』を召喚したときはまだ、日坂にこの上級モンスターに対処できるほどの力はなかったはずだった。単調な迎撃や攻撃で、ライフを大幅に削られていたのがその証拠だ。
にも関わらず、たしかに『ヴェノム・ボア』は奪われた。
前のターン、急に日坂の雰囲気が変わったと思ったら、流れるような攻めで2回のダイレクトアタックを決められた。
当然、想定していた以上の攻撃をされてもダメージだけは受けないように、防御は十分に固めてある。そのおかげで未だにデュエルを続けていられるのだが、あれが予想外の攻撃であったことに変わりはない。
日坂は、俺の場のモンスターが徐々に強くなっていくにつれ、それにあわせて急激に成長している。
もちろん、にわかには信じがたいことだ。だが、そう考えるのが最も自然なのだ。
「『恋する乙女』で、滝沢先輩にダイレクトアタックします!」
(攻2000)恋する乙女 −Direct→ 滝沢 誠人(LP4000)
だとすれば、このままデュエルを続けたら、日坂はどこまで成長していくのか――。
その進化を、見届けたい。
「罠カード発動。『リミット・リバース』」
リミット・リバース 永続罠
自分の墓地から攻撃力1000以下のモンスター1体を選択し、攻撃表示で特殊召喚する。
そのモンスターが守備表示になった時、そのモンスターとこのカードを破壊する。
このカードがフィールド上から離れた時、そのモンスターを破壊する。
そのモンスターが破壊された時このカードを破壊する。
「……蘇れ、『毒蛇王ヴェノミノン』!」
俺のフィールドに、紫色のマントに身を包んだヴェノムの王が姿を現す。
毒蛇王ヴェノミノン 効果モンスター ★★★★★★★★ 闇・爬虫類 攻0・守0
このカード以外の効果モンスターの効果によって、このカードは特殊召喚できない。
このカードは「ヴェノム・スワンプ」の効果を受けない。
このカードの攻撃力は、自分の墓地の爬虫類族モンスター1枚につき500ポイントアップする。
このカードが戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、自分の墓地のこのカード以外の爬虫類族モンスター1体をゲームから除外する事でこのカードを特殊召喚する。
毒蛇王ヴェノミノン 攻:0 → 1000 (『ガガギゴ』、『ヴェノム・コブラ』)
ついに、召喚してしまった。
ヴェノミノンは、俺のデッキの核となる最上級モンスターだ。
デュエルが始まったときは、まさか日坂相手にこいつを使うことになるとは思っていなかった。
相手が対処を誤れば、一瞬でデュエルを終わらせられる。『毒蛇王ヴェノミノン』は、それほどのポテンシャルを秘めたモンスターカードなのだ。
「………………」
俺の場に突然現れた巨大なモンスターを見て、日坂は驚いているようだ。
あの様子では、おそらく、ヴェノミノンのカードがいつ墓地に送られたのかさえ理解できていないだろう。
だから俺は、日坂に説明してやることにした。
「7ターン目に、俺が発動した『ヴェノム・ショット』。その効果でデッキから墓地に送られていた爬虫類族モンスターが、この『毒蛇王ヴェノミノン』だ」
「あっ、そっか……!」
それを聞いて、納得したらしい。日坂は、改めてヴェノミノンに真剣な眼差しを向けてくる。
……さて、日坂。この最上級モンスターに、どう対処する?
『恋する乙女』の攻撃力は、2000ポイント。
かたや、俺の『毒蛇王ヴェノミノン』の攻撃力は、その半分の1000ポイントしかない。
普通に考えれば、ここは、当然攻撃する局面だろう。
日坂は、俺に1ポイントでもダメージを与えれば勝ちなのだ。
このデュエルに勝てるかもしれないというチャンスが、目の前に転がっている。にも関わらず、その機会をみすみす棒に振るなんて、傍から見れば愚行以外の何物でもない。
だが。
「…………『恋する乙女』で、バトルはしません! メインフェイズ2に移行します!」
あろうことか日坂は、自分から戦闘の権利を放棄し、バトルフェイズを終了させたのだ。
……そう。それで正解だよ、日坂。
俺は、そんな日坂の選択に応えるように、1枚の伏せカードを発動させる。
「リバースカードオープン、『針虫の巣窟』」
針虫の巣窟 通常罠
自分のデッキの上からカードを5枚墓地に送る。
俺のデッキの上から、5枚のカードが墓地に吸いこまれていく。
墓地に送られたカードは、『ヴェノム・サーペント』『ワーム・バルサス』『エーリアン・ソルジャー』『ヴェノム・スネーク』『ワーム・ゼクス』の5枚。
これらはすべて、爬虫類族のモンスターカード。
俺にとっては、これ以上ないくらいに理想的な展開だ。
毒蛇王ヴェノミノン 攻:1000 → 3500
「……!!」
その様子を見ていた日坂の瞳が、驚愕に見開かれる。
思った通り、日坂は、俺の伏せカードを読み切ったうえで攻撃を控えたわけではなさそうだった。
『毒蛇王ヴェノミノン』から放たれる、得体の知れないオーラ。おそらく、そういったものから漠然と、迎撃されるかもしれないという不安を感じて、攻撃宣言をしなかったのだろう。
あのとき、もし日坂が攻撃力2000の『恋する乙女』で攻撃を仕掛けていたら、攻撃力が3500まで上昇した『毒蛇王ヴェノミノン』に迎撃されて、逆に日坂のライフが0になっていた。
いつ攻めて、いつ耐えるべきか。その見極めには、デュエルの流れを鋭敏に感じとる、研ぎ澄まされたセンスが要求される。相当経験を積んだデュエリストでも難しい行為だ。
それを日坂は、あの『裸の王様』をめぐるたった1回の攻防で会得したとでもいうのか。
もちろん、会得したとはいっても、まだ完全な習得からは程遠いだろう。
だが、このターンの日坂の判断。あれは決して偶然の賜物などではなかった。
迎撃の恐ろしさを一度味わっただけなのに、もう迎撃の気配を敏感に読みとってくる。
俺は今、そんな相手とデュエルしているというのだろうか。
日坂は、いったいどこまで成長し続けるのだろうか。
「…………わっ、わたしは、手札から魔法カード『至高の木の実』を発動します!(手札5→4)」
至高の木の実 通常魔法
このカードの発動時に、自分のライフポイントが相手より下の場合、自分は2000ライフポイント回復する。
自分のライフポイントが相手より上の場合、自分は1000ポイントダメージを受ける。
日坂 LP:350 → 2350
「『ヴェノム・ボア』を守備表示に変更! カードを1枚伏せて、ターン終了です!(手札4→3)」
ヴェノム・ボア:(攻1600) → (守1200)
恋する乙女 攻:2000 → 3000 (秘めたる想い)
恋する乙女 攻:3000 → 2500 (ヴェノム・スワンプ)
(13ターン目)
・滝沢 LP4000 手札1
場:ヴェノム・スワンプ(フィールド)、リミット・リバース(永罠)、伏せ×2
場:毒蛇王ヴェノミノン(攻3500)
・日坂 LP2350 手札3
場:恋する乙女(攻2500)、ヴェノム・ボア(守1200)
場:秘めたる想い(永魔)、キューピッド・キス(装魔)、ハッピー・マリッジ(装魔)、伏せ×1
「俺のターン、ドロー(手札1→2)」
日坂の場のモンスターは、『恋する乙女』と『ヴェノム・ボア』の2体。
『恋する乙女』には、戦闘破壊耐性があり、なおかつ攻撃してきたモンスターに乙女カウンターを乗せるという厄介な特殊能力がある。
一方で、『ヴェノム・ボア』は、戦闘に関してならば通常モンスターとなんら変わりない。しかも、ヴェノム・ボアを倒せば、恋する乙女の攻撃力も、ハッピー・マリッジの効果が切れて1600ポイント分だけダウンする。
ゆえに、俺がまず攻撃対象にするのは、『ヴェノム・ボア』だ。
「『毒蛇王ヴェノミノン』で、『ヴェノム・ボア』を攻撃だ。ヴェノム・ブロー!」
(攻3500)毒蛇王ヴェノミノン → ヴェノム・ボア(守1200)
とはいえ、この攻撃はおそらく意図通りにはいかないだろう。
前のターンに、日坂が伏せたリバースカード。俺の読みが正しければ、あの伏せカードはおそらく、相手モンスターの攻撃対象を変更するための罠だ。
そんな俺の思考をなぞるかのように、日坂がリバースカードを発動させる。
「罠カード、『ディフェンス・メイデン』を発動します!」
ディフェンス・メイデン 永続罠
相手モンスターが自分のモンスターに攻撃したとき、自分の場に「恋する乙女」が表側表示で存在していれば、攻撃対象を「恋する乙女」に移し替えることができる。
(攻3500)毒蛇王ヴェノミノン → 恋する乙女(攻2500)
日坂 LP:2350 → 1350
「俺は、カードを1枚伏せて、ターンエンドだ(手札2→1)」
恋する乙女 攻:2500 → 2000 (ヴェノム・スワンプ)
このターンは、まあ俺の想像通りに進行した。
さて、日坂は次のターン、どうやって仕掛けてくるか……。
(14ターン目)
・滝沢 LP4000 手札1
場:ヴェノム・スワンプ(フィールド)、リミット・リバース(永罠)、伏せ×3
場:毒蛇王ヴェノミノン(攻3500)
・日坂 LP1350 手札3
場:恋する乙女(攻2000)、ヴェノム・ボア(守1200)
場:秘めたる想い(永魔)、キューピッド・キス(装魔)、ハッピー・マリッジ(装魔)、ディフェンス・メイデン(永罠)
「わたしのターン、ドロー!(手札3→4)」
『恋する乙女』の攻撃力は、2000。
『毒蛇王ヴェノミノン』の攻撃力は、3500。
その差は、1500ポイント。
ヴェノミノンのコントロールを奪われないように、俺は、前のターン、日坂のライフが1500ポイント未満になるように計算して攻撃した。
さあ、日坂。この状況で、どう闘う?
「わたしは、手札から魔法カード、『天使の生き血』を発動します!(手札4→3)」
天使の生き血 通常魔法
自分は800ライフポイント回復する。
日坂 LP:1350 → 2150
……ライフ回復、か。
なるほど。日坂らしい発想だ。
攻撃力が足りないのなら、攻撃力を上げればいい。
ライフポイントが足りないのなら、回復すればいい。
一見すると、誰でも考えつきそうな、安直な発想に思える。
だが、勝敗が懸かったデュエルの大事な場面で、この自然な発想をためらうことなく実行に移せるデュエリストがどれだけいるだろうか。
たしかに、日坂はデュエリストとしては初心者だ。時には、良いとはとても言いがたいようなプレイングをすることもあるだろう。
でも、それを差し引いてもなお、俺の目には、日坂のデュエルは実に魅力的に映るのだ。
柔軟な発想。的確な攻撃。まっすぐなプレイング。
おそらく日坂は、ハンド・アドバンテージやボード・アドバンテージといった概念なんて、知るよしもないのだろう。
しかし、それが逆に良い方向に作用して、日坂の良さを存分に引き出している。
「『恋する乙女』で、『毒蛇王ヴェノミノン』を攻撃です! 一途な想い!!」
(攻2000)恋する乙女 → 毒蛇王ヴェノミノン(攻3500)
もちろん、だからと言ってこの攻撃を通すわけにはいかない。
俺だって、万が一にもダメージを受けるわけにはいかないのだ。
「罠カード、『拷問車輪』発動!」
拷問車輪 永続罠
このカードがフィールド上に存在する限り、指定した相手モンスター1体は攻撃できず、表示形式も変更できない。
自分のスタンバイフェイズ時、このカードは相手ライフに500ポイントのダメージを与える。
指定モンスターがフィールド上から離れた時、このカードを破壊する。
カードから飛び出した車輪が、恋する乙女を捕らえて攻撃を無効にする。
「うっ……。わたしのターンは、これで終了です!」
攻撃を防がれて、悔しそうな顔をする日坂。
その素直な反応に、つい俺も頬が緩みそうになる。
恋する乙女 攻:2000 → 3000 (秘めたる想い)
恋する乙女 攻:3000 → 2500 (ヴェノム・スワンプ)
(15ターン目)
・滝沢 LP4000 手札1
場:ヴェノム・スワンプ(フィールド)、リミット・リバース(永罠)、拷問車輪(永罠)、伏せ×2
場:毒蛇王ヴェノミノン(攻3500)
・日坂 LP2150 手札3
場:恋する乙女(攻2500)、ヴェノム・ボア(守1200)
場:秘めたる想い(永魔)、キューピッド・キス(装魔)、ハッピー・マリッジ(装魔)、ディフェンス・メイデン(永罠)
「俺のターン、ドロー(手札1→2)」
このスタンバイフェイズに、『拷問車輪』の効果が発動。相手プレイヤーに、500ポイントのダメージを与える。
日坂 LP:2150 → 1650
この布陣では、少し守りが弱いな……。
これから、日坂がどんな戦術を見せてくるかわからない。
そう判断した俺は、『恋する乙女』の行動を封じていた『拷問車輪』をコストに、新たなカードを手札に呼びこんでおくことにした。
「手札から、2枚目の『マジック・プランター』を発動。『拷問車輪』を墓地に送って、カードを2枚ドローする(手札2→1→3)」
マジック・プランター 通常魔法
自分フィールド上に表側表示で存在する永続罠カード1枚を墓地へ送って発動する。
自分のデッキからカードを2枚ドローする。
なかなかいいカードを引くことができた。
そのことを確認してから、改めて攻撃に移る。
「『毒蛇王ヴェノミノン』で、『恋する乙女』に攻撃だ! ヴェノム・ブロー!」
(攻3500)毒蛇王ヴェノミノン → 恋する乙女(攻2500)
日坂 LP:1650 → 650
「カードを2枚伏せて、ターンエンドだ(手札3→1)」
恋する乙女 攻:2500 → 2000 (ヴェノム・スワンプ)
(16ターン目)
・滝沢 LP4000 手札1
場:ヴェノム・スワンプ(フィールド)、リミット・リバース(永罠)、伏せ×4
場:毒蛇王ヴェノミノン(攻3500)
・日坂 LP650 手札3
場:恋する乙女(攻2000)、ヴェノム・ボア(守1200)
場:秘めたる想い(永魔)、キューピッド・キス(装魔)、ハッピー・マリッジ(装魔)、ディフェンス・メイデン(永罠)
「わたしのターン、ドロー!(手札3→4)」
『毒蛇王ヴェノミノン』が召喚されてから、日坂は、一度も攻撃を成功させていない。
それどころか、ヴェノミノンの攻撃を受け続けて、とうとうLPも再び1000を割ってしまった。
『至高の木の実』『天使の生き血』といった回復カードも、いい加減に品切れだろう。
さすがの日坂も、ヴェノミノンを攻略することはできなかったか……。
そう、思った矢先の出来事だった。
「わたしは手札から、速攻魔法『エネミーコントローラー』を発動します!(手札4→3)」
エネミーコントローラー 速攻魔法
次の効果から1つを選択して発動する。
●相手フィールド上に表側表示で存在するモンスター1体の表示形式を変更する。
●自分フィールド上に存在するモンスター1体をリリースして発動する。このターンのエンドフェイズ時まで、相手フィールド上に表側表示で存在するモンスター1体のコントロールを得る。
「『エネミーコントローラー』の効果で、先輩の『毒蛇王ヴェノミノン』の表示形式を、守備表示に変更します!!」
毒蛇王ヴェノミノン:(攻3500) → (守0)
思わず、声をあげそうになってしまった。
『リミット・リバース』を使ったことで必然的に生じる、ヴェノミノンの弱点。
それ自体は、もちろん俺も承知している。
だが、それをまさか日坂が見抜いてくるなどとは、想像もしていなかったのだ。
リミット・リバース 永続罠
自分の墓地から攻撃力1000以下のモンスター1体を選択し、攻撃表示で特殊召喚する。
そのモンスターが守備表示になった時、そのモンスターとこのカードを破壊する。
このカードがフィールド上から離れた時、そのモンスターを破壊する。
そのモンスターが破壊された時このカードを破壊する。
ヴェノミノンの自己再生効果が発動するのは、戦闘で破壊された場合のみだ。
リミット・リバースの効果で破壊された場合は、もちろん復活できない。
『恋する乙女』による、コントロール奪取。もしくは、戦闘破壊。
そのどちらとも違う、まったく新しい角度からの、毒蛇王ヴェノミノンの攻略法。
日坂はこれを、自力で思いついたのか……?
毒蛇王ヴェノミノン(守0):破壊
リミット・リバース:破壊
王たる風格でフィールドに君臨し続けていたヴェノミノンが、跡形もなく消滅する。
日坂は、それを見て、心底嬉しそうな表情を浮かべている。
『ヴェノム・ボア』のときとまったく同じだ。
数ターン前までの日坂は、『毒蛇王ヴェノミノン』の攻略には遠くおよばない程度の実力しか持っていなかったはずだ。
なのに、わずか数ターンで、その力関係は逆転した。
ヴェノミノンは破壊され、フィールド上から姿を消したが、日坂はまだデュエルフィールドに立ち続けている。
爆発的に成長する日坂の力は、ついにヴェノムの王をも上回った。
「『恋する乙女』で、滝沢先輩にダイレクトアタックです! 一途な想い!!」
(攻2000)恋する乙女 −Direct→ 滝沢 誠人(LP4000)
このままデュエルを続けたら、日坂はどこまで成長していくのか――。
その進化を、見届けたい。いや、いつまでも見続けていたい。
そんな、俺のささやかな望み。
だが、その願いを突き詰めていけば、いずれどこかで破綻する。
いくら相手が日坂だとはいえ、いや、日坂が相手だからこそ、このままいつまでもデュエルを続けていれば、やがて俺はダメージを受けてしまうだろう。
一時の感情に流されて、だらだらとデュエルを引き延ばし、大事な目的を果たせなくなる。
それでは、本末転倒だ。それだけは、絶対にしてはならない。
だから、日坂。
残念だけど、このデュエルは、ここで終わりにしよう……。
「俺は、その直接攻撃の前、『毒蛇王ヴェノミノン』が破壊されたタイミングで、1枚の罠カードを発動させる」
日坂の攻撃宣言を巻き戻す形で、俺の場のリバースカードを表にする。
「発動せよ――――『蛇神降臨』」
決闘・4(日坂 綾)
蛇神降臨。
滝沢先輩が、その短いカード名を口にした瞬間、場の空気が一変した。
そのことが、わたしにもはっきりと感じられた。
蛇神降臨 通常罠
自分フィールド上に表側表示で存在する「毒蛇王ヴェノミノン」が破壊された時に発動する事ができる。
自分の手札またはデッキから「毒蛇神ヴェノミナーガ」1体を特殊召喚する。
墓地の爬虫類族モンスターの数だけ攻撃力が上がる最上級モンスター、『毒蛇王ヴェノミノン』。
滝沢先輩は、『毒蛇王ヴェノミノン』の強さを信頼して闘っている。それが伝わってきたからこそ、わたしは、このモンスターこそが先輩のデッキのエースモンスターなんじゃないかと、そんなふうに考えていた。
だから、ヴェノミノンさえ倒すことができれば、滝沢先輩にダメージを与えるチャンスがやって来るかもしれない。
そんな希望を抱いて、回復カードを何枚も使いながら、毒蛇王ヴェノミノンを倒す方法を探し続けた。
そしてついに、このターンで引いた『エネミーコントローラー』を使って、ヴェノミノンを破壊することができた。
とっさの思いつきだったので、成功するかどうかすごく不安だったけど、どうやら大丈夫だったみたいだ。
これで、滝沢先輩のエースモンスターはいなくなった。
後は、思う存分わたしの方から攻撃することができる。
今の今まで、そう思っていた。
でも、それはどうやら違っていたみたいだ。
『毒蛇王ヴェノミノン』を倒しても、終わりじゃない。まだ、この先がある。
先輩のデッキのエースモンスターは、別にいる。
そんなわたしの予感は、すぐに現実になった。
「『毒蛇神ヴェノミナーガ』――――召喚!」
毒蛇神ヴェノミナーガ 効果モンスター ★★★★★★★★★★ 闇・爬虫類 攻0・守0
このカードは通常召喚できない。
このカードは「蛇神降臨」の効果及びこのカードの効果でのみ特殊召喚する事ができる。
このカードの攻撃力は、自分の墓地の爬虫類族モンスター1枚につき500ポイントアップする。
このカードはフィールド上で表側表示で存在する限り、このカード以外のモンスター・魔法・罠の効果の対象にする事はできず効果を受けない。
このカードが戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、自分の墓地のこのカード以外の爬虫類族モンスター1体をゲームから除外する事でこのカードを特殊召喚する。
このカードが相手プレイヤーに戦闘ダメージを与える度に、このカードにハイパーヴェノムカウンターを1つ置く。
このカードにハイパーヴェノムカウンターが3つ乗った時、このカードのコントローラーはデュエルに勝利する。
とつぜん、紫色の沼に、猛毒の飛沫が巻きあがった。
毒沼の中から、巨大なモンスターがゆっくりと浮上してくる。
上半身は人間の女性みたいだけど、下半身は大蛇の尻尾だ。
両手も蛇の形をしていて、蒼々と輝く鱗が全身をおおっている。
「『毒蛇神ヴェノミナーガ』の攻撃力は、自分の墓地の爬虫類族モンスター1体につき500ポイントアップする」
毒蛇神ヴェノミナーガ 攻:0 → 4000
ヴェノミナーガは、ただ静かにその場に存在しているだけだ。まだ、一歩たりとも動いてはいない。
なのに、その姿を見ているだけで、体がすくみあがってしまう。ヴェノミナーガの圧倒的な存在感が、わたしの体にねっとりとまとわりついてくるようだ。
本能的な恐怖を感じて、目の前のモンスターを直視できない。
わたしはとっさに、『ヴェノム・ボア』の効果を発動させた。
「……わっ、わたしは、『ヴェノム・ボア』の効果で、『毒蛇神ヴェノミナーガ』の攻撃力を1000ポイント下げます!」
ヴェノム・ボアは、その大きな口を開くと、相手に向かって毒液を吐き出した。
でも、ヴェノミナーガはそれを一瞥しただけで、あっさりと毒液を蒸発させてしまった。
「『毒蛇神ヴェノミナーガ』は、自身を除く、あらゆるモンスター・魔法・罠の効果を受けつけない。全モンスターの中でも最高の効果耐性を誇る、俺のデッキの切り札だ」
滝沢先輩の淡々とした言葉が、わたしに冷たく突き刺さる。まるで、体の芯が凍りついてしまったようだ。
あらゆるカード効果を受けつけない……? そんなのアリなの……?
最高の効果耐性。それはつまり、『恋する乙女』や『キューピッド・キス』の効果さえも無効化してしまうということだ。
乙女カウンターを乗せて、相手モンスターのコントロールを得る。
その、わたしのデッキのすべてと言ってもいい戦法が、ヴェノミナーガにはまったく通じない。
毒蛇神、ヴェノミナーガ。
毒蛇王ヴェノミノンとは、似て非なる存在。
王をも超えた、ヴェノムの神。
滝沢先輩のデッキの、本当のエースモンスター。
――このモンスターには、勝てない。
このときわたしは、はじめて心の底から「絶望」というものを味わった。
「カードを1枚伏せて、ターン終了……です…………(手札3→2)」
恋する乙女 攻:2000 → 3000 (秘めたる想い)
恋する乙女 攻:3000 → 2500 (ヴェノム・スワンプ)
(17ターン目)
・滝沢 LP4000 手札1
場:ヴェノム・スワンプ(フィールド)、伏せ×3
場:毒蛇神ヴェノミナーガ(攻4000)
・日坂 LP650 手札2
場:恋する乙女(攻2500)、ヴェノム・ボア(守1200)
場:秘めたる想い(永魔)、キューピッド・キス(装魔)、ハッピー・マリッジ(装魔)、ディフェンス・メイデン(永罠)、伏せ×1
「俺のターン、ドロー(手札1→2)」
ヴェノミナーガの攻撃力は4000ポイントで、恋する乙女の攻撃力は2500ポイント。
だから、わたしが受けるダメージは1500ポイント。
この伏せカードがあれば、なんとかしのげるダメージだ。
呆然としながらも、わたしはそんなことを考えていた。
でも、そんな甘い計算が通用するような状況は、もうとっくに終わっていたのだ。
「俺は、魔法カード『スネーク・レイン』を発動。手札の『スネーク・ホイッスル』をコストに、自分のデッキから4体の爬虫類族モンスターを墓地に送る(手札2→0)」
スネーク・レイン 通常魔法
手札を1枚捨てる。
自分のデッキから爬虫類族モンスター4体を選択し墓地に送る。
毒蛇神ヴェノミナーガ 攻:4000 → 6000
攻撃力、6000。
数字があまりに大きすぎて、イメージが追いつかない。
「『毒蛇神ヴェノミナーガ』で、『恋する乙女』を攻撃だ。アブソリュート・ヴェノム!!」
(攻6000)毒蛇神ヴェノミナーガ → 恋する乙女(攻2500)
一瞬にして、ヴェノミナーガの巨体が、恋する乙女の目前に迫る。
このままじゃ……負ける……っ!
「リ……リバースカードオープン! わたしは、速攻魔法『非常食』を発動します!」
非常食 速攻魔法
このカード以外の自分フィールド上に存在する魔法・罠カードを任意の枚数墓地へ送って発動する。
墓地へ送ったカード1枚につき、自分は1000ライフポイント回復する。
6000マイナス2500は、3500。
わたしのライフポイントは650だから、3枚のカードを墓地に送らなければならない。
なんとか必死にそれだけ計算する。でも……どのカードを残せばいいの?
わたしの場にある魔法・罠カードは、『秘めたる想い』『キューピッド・キス』『ハッピー・マリッジ』『ディフェンス・メイデン』の4枚だ。
『キューピッド・キス』はヴェノミナーガには効かない。『ディフェンス・メイデン』も、今さら残しておいてもしょうがない。
でも、『秘めたる想い』まで墓地に送ってしまったら、恋する乙女の攻撃力が上がらなくなって、すぐに『ヴェノム・スワンプ』の効果で破壊されてしまう。
だったら後は、『ハッピー・マリッジ』を墓地に送って、これで3枚――――
って、これじゃダメだ! 『ハッピー・マリッジ』がなくなったら、恋する乙女の攻撃力が1600ポイント下がって、結局受けるダメージが増えちゃう!
だとしたら、もう選択肢はこれしかない!
「わたしは、『秘めたる想い』『キューピッド・キス』『ディフェンス・メイデン』の3枚のカードを墓地に送って、3000ライフポイント回復します!!」
日坂 LP:650 → 3650
その直後、恋する乙女を貫いたヴェノミナーガの攻撃が、わたしの体に突き刺さった。
日坂 LP:3650 → 150
「う……うぅっ……!」
体をえぐられたような痛みを感じて、思わず呻き声をあげてしまう。
いくらリアルに見えても、これは、ただのソリッドビジョンなんだ。
頭では理解しているはずなのに、体の方はそう思ってくれない。
「俺はこれで、ターンエンドだ」
滝沢先輩は、本気でこのデュエルに決着をつける気だ。
その覚悟が、ひしひしと伝わってくる。
恋する乙女 攻:2500 → 2000 (ヴェノム・スワンプ)
(18ターン目)
・滝沢 LP4000 手札0
場:ヴェノム・スワンプ(フィールド)、伏せ×3
場:毒蛇神ヴェノミナーガ(攻6000)
・日坂 LP150 手札2
場:恋する乙女(攻2000)、ヴェノム・ボア(守1200)
場:ハッピー・マリッジ(装魔)
『秘めたる想い』は、さっきのターンに墓地へ送ってしまった。
もうこれ以上、恋する乙女の攻撃力を上げることはできない。
だとしたら、あとは『ヴェノム・スワンプ』の効果で、1ターンごとに攻撃力が500ポイントずつ下がっていくだけだ。
そうして攻撃力が0になった瞬間、恋する乙女は破壊されてしまう。
そうなればもう、エースモンスターを失ったわたしに勝機はなくなる。
月曜日に、美星ちゃんに見せてもらったDVDのことを思い出す。
滝沢先輩 VS デュエル研究部の、1対3の変則デュエル。あのデュエルでも、先輩は『ヴェノム・スワンプ』を発動していた。
デュエル研究部の3人が、どれだけたくさんモンスターを召喚しても、すぐに攻撃力が0になって破壊されてしまう。攻撃力2000以下のモンスターは、次の自分のターンが来るまで生き残ることすらできない。
そんな悪夢のような光景が、今になって蘇ってくる。
「わ……わたしのターン……」
震える手で、デッキの一番上のカードに手をかける。
その瞬間、なぜだか、ふっと体が軽くなったような気がした。
「…………?」
なんだろう。この感じは。
頭の中に、ある1枚のカードのイメージがぼんやりと浮かんでくる。
「……ドロー(手札2→3)」
ふんわりとした安心感に包まれたまま、ゆっくりと自然にカードを引き抜く。
不思議なことに、そのカードがなんなのか、目で見なくてもはっきりと感じとることができた。
だからわたしは、滝沢先輩にも聞こえないくらいの小さな声で、呟いた。
「…………ありがと、美星ちゃん」
それからわたしは、改めてヴェノミナーガをまっすぐに見すえると、きっぱりとこう宣言した。
「『恋する乙女』で、『毒蛇神ヴェノミナーガ』を攻撃します! 一途な想い!!」
決闘・5(滝沢 誠人)
(攻2000)恋する乙女 → 毒蛇神ヴェノミナーガ(攻6000)
「わたしは、手札から『オネスト』の効果を発動します!!(手札3→2)」
オネスト 効果モンスター ★★★★ 光・天使 攻1100・守1900
自分のメインフェイズ時に、フィールド上に表側表示で存在するこのカードを手札に戻す事ができる。
また、自分フィールド上に表側表示で存在する光属性モンスターが戦闘を行うダメージステップ時にこのカードを手札から墓地へ送る事で、エンドフェイズ時までそのモンスターの攻撃力は、戦闘を行う相手モンスターの攻撃力の数値分アップする。
恋する乙女 攻:2000 → 8000
一瞬にして、恋する乙女の攻撃力がヴェノミナーガを上回った。
オネストの力を得た『恋する乙女』の背中には、大きな翼が純白に輝いている。
その翼が輝きを増したかと思ったら、光の波動がヴェノミナーガを貫いていた。
(攻8000)恋する乙女 → 毒蛇神ヴェノミナーガ(攻6000):破壊
神々しく輝く翼を背に、天高く飛翔する『恋する乙女』。
俺には、そんな『恋する乙女』の姿が、このデュエル中に大いなる進化を遂げた日坂自身を象徴しているように思えてならなかった。
「『毒蛇神ヴェノミナーガ』は、戦闘で破壊されました! よって、滝沢先輩には、2000ポイントの超過ダメージが発生します!!」
ヴェノミナーガを破壊して、満面の笑みを浮かべる日坂。
恋する乙女の翼から放たれる光も、日坂の勝利を祝福しているように見えた。
日坂の、まっすぐで暖かい、実に魅力的な笑顔。
この笑顔を、ずっと見ていたい。それは、紛れもなく俺の本音だ。
「…………………………」
だが、それでも俺は、もう1つの本音を優先すると決めたのだ。
「…………『ガード・ブロック』発動(手札0→1)」
ガード・ブロック 通常罠
相手ターンの戦闘ダメージ計算時に発動する事ができる。
その戦闘によって発生する自分への戦闘ダメージは0になり、自分のデッキからカードを1枚ドローする。
実を言うと、このデュエルで日坂が『オネスト』を使ってくることは、前もって予測できていた。
だから俺は、日坂とのデュエルに臨むにあたって、数ある防御用カードの中から『ガード・ブロック』を選んで、3枚デッキに入れておいたのだ。
この罠カードは、戦闘ダメージ計算時に発動することができる。つまり、ダメージステップに『オネスト』の効果が発動した後でも対処することが可能なのだ。
絶対に決まると思っていた攻撃を防がれて、日坂の表情が目に見えて曇る。
当然だろう。日坂にしてみれば、最後の希望を潰されたも同然なのだ。
そのことを思うと、少しだけ胸が痛む。
だが、もう引き返せる段階はとっくに過ぎているのだ。
「『毒蛇神ヴェノミナーガ』の効果発動。このカードが戦闘で破壊されて墓地へ送られたとき、自分の墓地の爬虫類族モンスター1体をゲームから除外することで、このカードを特殊召喚することができる」
毒の沼が2つに割れ、その中から再びヴェノミナーガが召喚される。
毒蛇神ヴェノミナーガ 攻:6000 → 5500
『ガガギゴ』を除外したことにより、ヴェノミナーガの攻撃力は500ポイントダウンする。
しかし、今のヴェノミナーガはすでに、この程度の弱体化は問題にならないほどの高攻撃力を得ている。
「カードを……1枚伏せて……ターン終了、です…………(手札2→1)」
恋する乙女 攻:8000 → 2000 (オネスト)
恋する乙女 攻:2000 → 1500 (ヴェノム・スワンプ)
(19ターン目)
・滝沢 LP4000 手札1
場:ヴェノム・スワンプ(フィールド)、伏せ×2
場:毒蛇神ヴェノミナーガ(攻5500)
・日坂 LP150 手札1
場:恋する乙女(攻1500)、ヴェノム・ボア(守1200)
場:ハッピー・マリッジ(装魔)、伏せ×1
「俺のターン、ドロー(手札1→2)」
このモンスターを召喚すれば、日坂はどんな反応を返してくるだろう。
そんなことを考えていられた時間は、とっくに終わっている。
攻撃をためらう理由は、ない。
「『毒蛇神ヴェノミナーガ』で、『恋する乙女』を攻撃! アブソリュート・ヴェノム!」
(攻5500)毒蛇神ヴェノミナーガ → 恋する乙女(攻1500)
「わっ……わたしは、伏せていた『和睦の使者』を発動します!」
和睦の使者 通常罠
このカードを発動したターン、相手モンスターから受ける全ての戦闘ダメージは0になる。
このターン自分モンスターは戦闘では破壊されない。
見えないバリアのようなものが、ヴェノミナーガの攻撃をはじき返す。
毒蛇神ヴェノミナーガは一切のカード効果を受けない。しかし、『和睦の使者』は日坂自身に効果をおよぼすカードだ。これなら、ヴェノミナーガの攻撃を防ぐことができる。
ただし、それは、このターン内に限った話だ。
「カードを1枚伏せて、ターンエンドだ(手札2→1)」
恋する乙女の攻撃力が、少しずつゼロに近づいていく。
恋する乙女 攻:1500 → 1000 (ヴェノム・スワンプ)
(20ターン目)
・滝沢 LP4000 手札1
場:ヴェノム・スワンプ(フィールド)、伏せ×3
場:毒蛇神ヴェノミナーガ(攻5500)
・日坂 LP150 手札1
場:恋する乙女(攻1000)、ヴェノム・ボア(守1200)
場:ハッピー・マリッジ(装魔)
「わたしのターン、ドロー……(手札1→2)」
日坂は、残りたった2枚の手札を見つめて、なにやら考えこんでいる様子だ。
デュエリストにとって非常に重要な、精神面での実力。絶望的な状況においてもなお、諦めずにデュエルを続行し、打開策を考え続ける能力。それは、一朝一夕で簡単に身につくようなものではない。
だから、日坂が今、サレンダーせずにまだこの場に立っていられるのは、完全に日坂自身の素養によるものだ。
ヴェノミナーガの攻撃を2回も受けて、ライフポイントはもう風前の灯。なのに、それでもまだ闘志を燃やし続けるなんて、相当経験を積んだデュエリストにだってなかなかできることじゃない。その姿勢は、本当に素晴らしいものだと俺は思う。
「……………………」
とはいえ、それだけで勝ちを掴めるほど、デュエルモンスターズは甘いゲームではない。
いくら優れた才能を持っていたとしても、デュエルをはじめて1週間という経験の浅さだけは、どう頑張っても埋めようがない。
日坂は、このデュエル中に、俺を驚かせるほどの逆転劇を何度も展開してきた。
だが、そんな大技だけでは、決して俺にダメージを与えることはできない。
大技とは、それを支える基礎的な技術が盤石であってはじめて、その効果を最大限に発揮するものだ。
大振りな攻撃がいかに強力であろうとも、当たらなければ意味はない。
そして、そんな攻撃だけを何度も繰り返していれば、いずれ体力は尽きる。
考えを巡らせて、たとえ天才的な発想を得たとしても、それを実現するための手札が尽きていれば、どうすることもできない。
それが、デュエルモンスターズだ。
「カードを2枚伏せて、ターン終了、です……(手札2→0)」
これまで毎ターン、日坂は、必ずなんらかのアクションを起こしてきた。
だが、とうとう伏せカードをセットするだけで、何もしてこなくなった。
いや、何もしてこなくなったのではない。おそらく、何もできなかったのだろう。
つまりは、手札切れ。
日坂に、ヴェノミナーガに対処する術は、もう残されていない。
恋する乙女 攻:1000 → 500 (ヴェノム・スワンプ)
(21ターン目)
・滝沢 LP4000 手札1
場:ヴェノム・スワンプ(フィールド)、伏せ×3
場:毒蛇神ヴェノミナーガ(攻5500)
・日坂 LP150 手札0
場:恋する乙女(攻500)、ヴェノム・ボア(守1200)
場:ハッピー・マリッジ(装魔)、伏せ×2
「俺のターン、ドロー(手札1→2)」
日坂が持つ、デュエリストとしての天才的な才覚。
俺にすら備わっていないであろう、類いまれなるデュエルセンス。
そして、それを自然体で存分に発揮できる、まっすぐな性格。
そんな希代の才能を秘めた人間に、出会えたこと。
そして、そんな人間が、自身の能力に目覚めていく過程を目の前で見ることができたこと。
この幸運には、心から感謝を捧げたい。
でも、それがどれだけ幸せな瞬間だったとしても、いつか必ずデュエルは終わる。
「……手札から、魔法カード『地砕き』を発動する(手札2→1)」
このデュエルに、俺の手で終止符を打つ。
そのことに、まったく躊躇いがないと言えば、それは嘘になる。
地砕き 通常魔法
相手フィールド上に表側表示で存在する守備力が一番高いモンスター1体を破壊する。
ヴェノム・ボア(守1200):破壊
毒蛇神ヴェノミナーガ 攻:5500 → 6000
恋する乙女 攻:500 → 0 (ハッピー・マリッジ)
墓地に爬虫類族モンスターが増えたことで、ヴェノミナーガの攻撃力は6000に上がる。
かたや、ヴェノム・ボアが破壊されたことで、ハッピー・マリッジの攻撃力アップ効果はなくなり、恋する乙女の攻撃力は0になった。
『ヴェノム・スワンプ』の効果で直接攻撃力が0になったわけではないため、その場で『恋する乙女』が破壊されるようなことはない。
だが、もう恋する乙女に戦闘を行う力が残されていないこと。それだけは明白だった。
「……『毒蛇神ヴェノミナーガ』で、『恋する乙女』を攻撃だ」
(攻6000)毒蛇神ヴェノミナーガ → 恋する乙女(攻0)
日坂の残りライフ150に対して、この戦闘で発生するダメージは6000ポイント。
必要量の、実に40倍ものダメージだ。
その大ダメージで、このデュエルに幕を下ろすため、俺は、最後の技名を宣言する。
「…………アブソリュート・ヴェノム!!」
ヴェノミナーガの蛇手から新たな蛇が飛び出し、一直線に恋する乙女へと襲いかかる。
蛇神の力をその身に宿した蛇は、恋する乙女の体に突き刺さり、そして。
あっさりと、破壊された。
毒蛇神ヴェノミナーガが、あっさりと戦闘破壊された。
「な……!」
有り得ない。
絶対に有り得ない。
とっさに出てきたのは、目の前の現実を否定しようとする言葉だった。
慌てて、首を振って雑念を振り払う。
できる限り冷静に、何が起こったのか判断しようと周囲を見回す。
いつの間にか、すっかり様変わりしているフィールド。
日坂の場で表になっている、1枚のリバースカード。
その2つを見た瞬間、俺は、ようやくある可能性に思い至った。
気づいてみれば、しごく単純なこと。けれども、それは完全に盲点だった。
改めて、ヴェノミナーガを戦闘破壊した、『恋する乙女』の攻撃力を確認する。
そうして、ようやく俺は、日坂の狙いを悟ることになったのだった。
恋する乙女 攻:8400
決闘・6(日坂 綾)
『恋する乙女』が、『毒蛇神ヴェノミナーガ』を、戦闘で破壊した。
これは、わたしの思った通りの結果だ。
それなのに、つい自分の目を疑ってしまう。
ちっぽけな少女が、なんの武器も使わずに、自分の何十倍も大きい蛇の怪物をあっけなく倒してしまう。
そんなの、おとぎ話でだってありえない展開だ。
目をごしごしとこすり、自分の頬を軽くつねってみる。
夢じゃない。今、フィールドに立っているのは、わたしの『恋する乙女』だけだ。
『毒蛇神ヴェノミナーガ』の姿は、どこにも見あたらない。
もう一度、わたしの場で表になっている1枚のカードに、視線を向ける。
それは、滝沢先輩の攻撃宣言にあわせて、わたしが発動させた速攻魔法だ。
サイクロン 速攻魔法
フィールド上の魔法または罠カード1枚を破壊する。
水曜日に、美星ちゃんからもらった制限カード、『サイクロン』。
まさか、このカードがヴェノミナーガを倒すカギになるなんて、前のターンに『サイクロン』を引くまではまったく想像していなかった。
改めて、空を見あげる。
天気は快晴。申し分のない日本晴れだ。
さっきまで灰色だった空には、もう雲一つかかっていない。
『ヴェノム・スワンプ』が『サイクロン』で破壊されたから、あんなに広かった毒の沼地もすっかり消えてなくなってしまった。
滝沢先輩が発動したフィールド魔法、『ヴェノム・スワンプ』。
その効果を、思い返してみる。
ヴェノム・スワンプ フィールド魔法
お互いのターンのエンドフェイズ毎に、フィールド上に表側表示で存在する「ヴェノム」と名のついたモンスター以外の表側表示で存在する全てのモンスターにヴェノムカウンターを1つ置く。
ヴェノムカウンター1つにつき、攻撃力は500ポイントダウンする。
この効果で攻撃力が0になったモンスターは破壊される。
ヴェノムカウンターが置かれるたびに、モンスターの攻撃力が500ポイントずつ下がっていく。
一見すると、その攻撃力ダウン効果は、ヴェノムカウンターそのものが持っている効果のように見える。
現にわたしも、『恋する乙女』の攻撃力が500ポイント下がるのを何度も見続けるうちに、無意識のうちにそうだと思いこんでしまっていた。
けれど、それは大きな間違いだった。
「ヴェノムカウンター1つにつき、攻撃力が500ポイントダウンする」。それは、あくまでも、フィールド魔法『ヴェノム・スワンプ』の効果にすぎないのだ。ヴェノムカウンターそのものには、なんの効果もない。
だから、『恋する乙女』にいくつヴェノムカウンターが乗っていたとしても、『ヴェノム・スワンプ』さえ破壊してしまえば、下がっていた攻撃力はもとに戻る。
『秘めたる想い』の効果で、わたしのターンのエンドフェイズが来るたびに1000ポイントずつ上がり続けていた攻撃力を、一気にすべて取り戻すことができる。
2ターン目に発動してから、17ターン目に墓地に送られるまで、『秘めたる想い』はずっとわたしのフィールド上に存在し続けていた。
その間に、『秘めたる想い』の効果が発動した回数は、全部で8回。
上がった攻撃力は、合計8000ポイントだ。
もともとの攻撃力400とあわせて、『恋する乙女』の攻撃力は、なんと8400ポイントになる。
ヴェノミナーガの攻撃力、6000ポイントよりもさらに上だ。
それに、この戦闘は、わたしから仕掛けた攻撃じゃない。
滝沢先輩の攻撃モンスターを逆に破壊してしまうという、迎撃なのだ。
「攻撃よりも、迎撃の方が、攻め方としてははるかに効率的で、防がれにくい」。
わたしが『裸の王様』の効果で大ダメージを受けてしまったターン、滝沢先輩はこう言っていた。
実際、わたしには、何度か先輩にダメージを与えるチャンスがあったけれど、そのたびに『ガード・ブロック』を発動されて失敗している。
ただの攻撃は、防がれやすい。そのことを、わたしは身をもって実感した。
だから今度は、攻撃ではなく迎撃で、滝沢先輩に確実にダメージを与えようと決めたのだ。
相手ターンにしか発動できない『ガード・ブロック』みたいなカードじゃ、このダメージを防ぐことはできない。
今度こそは、滝沢先輩も、わたしの迎撃を止められなかったはずだ。
そう信じて、わたしは、滝沢先輩のライフカウンターに視線を向けた。
滝沢 誠人 LP:4000
そして、再び自分の目を疑った。
え……? なんで……? どういうこと……?
たくさんのハテナが、一気にわたしの頭の中を埋めつくす。
滝沢先輩は、ダメージを受けてない……? わたしの迎撃は、失敗したの……?
そんなわたしの動揺を知ってか知らずか、滝沢先輩は淡々とデュエルを進行させる。
「『毒蛇神ヴェノミナーガ』の効果発動。墓地の『ヴェノム・コブラ』をゲームから除外することで、このカードを特殊召喚する」
『オネスト』を使ったターンと同じだった。
もう毒の沼はないけれど、地面をすり抜けるようにして、ヴェノミナーガが先輩のフィールド上に召喚される。
「墓地の爬虫類族モンスターが1体減ったことにより、ヴェノミナーガの攻撃力は500ポイントダウンする」
……そうだ。いくらヴェノミナーガが無敵だと言っても、復活するたびに攻撃力は500ポイントずつ下がっていくんだ。
なぜだか、滝沢先輩はダメージを受けていないみたいだけど、もうヴェノミナーガの攻撃力が『恋する乙女』の攻撃力を上回ることは――――
「よって、『毒蛇神ヴェノミナーガ』の攻撃力は、12500ポイントとなる」
今度は、自分の耳を疑った。
なにが起こっているのか、まったく理解できない。
6000マイナス500は、5500ではないのか。
それがどうして、12500なのか。
いったいなんで、攻撃力が倍以上に増えているのか。
攻撃力5ケタなんて、そんなおかしな話があっていいのか。
「まだ俺のバトルフェイズは終了していない。『毒蛇神ヴェノミナーガ』で、『恋する乙女』を攻撃する。……アブソリュート・ヴェノム!!」
(攻12500)毒蛇神ヴェノミナーガ → 恋する乙女(攻8400)
頭が追いつかない。けれど、目の前の現実は容赦なくわたしに襲いかかってくる。
考えている時間はない。わたしはとっさに、もう1枚の伏せカードを発動させた。
「リ……リバースカード、オープン! 『体力増強剤スーパーZ』を発動します!!」
体力増強剤スーパーZ 通常罠
このターンのダメージステップ時に相手から2000ポイント以上の戦闘ダメージを受ける場合、その戦闘ダメージがライフポイントから引かれる前に、一度だけ4000ライフポイント回復する。
日坂 LP:150 → 4150
一瞬にして、わたしのライフが4000ポイントを上回った。
けれども、その回復量に喜ぶ暇もなく、すぐにその大部分が削り取られる。
日坂 LP:4150 → 50
後に残ったライフポイントは、たったの50ポイントだけ。
正真正銘、吹けば飛ぶような、雀の涙ほどのわずかな数値だった。
「…………まさか、こんな方法でヴェノミナーガが迎撃されるなんて、想像もしてなかったよ」
それが、わたしに向けられた言葉であると気づくまでに、しばらくかかった。
滝沢先輩は、今までの厳しい表情が嘘のように、穏やかな笑みを浮かべていた。
「『ヴェノム・スワンプ』がなくなれば、攻撃力ダウンの効果は発動しなくなる。そのことは、もちろん知識としては知っている。……けど、盲点だった。水面下でずっと上がり続けていた『恋する乙女』の攻撃力。俺は、無意識のうちに、そのことを完全に頭から追い出してしまっていたんだ」
恥ずかしそうに、こめかみを掻きながら話す、滝沢先輩。
その照れた表情を見ていると、今がデュエル中であることを忘れそうになる。
「油断していた、って程のことじゃない。……だけど、心のどこかに、このデュエルを甘く見ていた部分があったんだと思う。『ヴェノム・スワンプ』の除去による、ヴェノミナーガの迎撃。あれを予測できなかったのは、俺の弱さだ」
そんな突然のこと、予測できなくて当たり前じゃないか。わたしはそう思う。
だけど、先輩にとっては、それは許しちゃいけない失敗なんだ。
デュエルに関しては、決して自分に甘えず、真摯な態度を貫く。
だからこそ、滝沢先輩は、こんなにも強いんだと思う。
「念のため、1ターン目からずっと伏せておいたリバースカード。この罠カードは、最後まで使わずに済ませるつもりだったんだ。それでも、日坂に勝てると思っていた。……でも、いざ蓋を開けてみれば、俺は、これを発動せざるを得ないところまで追い詰められてしまっていた」
そう言うと、滝沢先輩は、墓地の一番上に置かれていたカードを取り出して、わたしに見せてくれた。
パワー・ウォール 通常罠
戦闘ダメージ計算時に発動する事ができる。
自分のデッキの上からカードを任意の枚数墓地に送る。
自分が受ける戦闘ダメージは、墓地に送ったカードの枚数×100ポイント少なくなる。
「『恋する乙女』に迎撃された。そう気づいた瞬間、俺はこの『パワー・ウォール』を発動させた。恋する乙女の攻撃力は8400で、ヴェノミナーガの攻撃力は6000。俺が受ける戦闘ダメージは2400ポイントだったから、デッキの上から24枚のカードを墓地に送って、そのダメージを0にした」
先輩の口から、このターンに起こった出来事の真相が明かされていく。
「そして、そのとき墓地に送ったカードの中に、爬虫類族モンスターは14枚含まれていた。だから、復活のために除外した1枚を差し引いても、『毒蛇神ヴェノミナーガ』の攻撃力は12500ポイントにまで上昇したんだ」
なぜ、滝沢先輩のライフが減っていなかったのか。
どうして、ヴェノミナーガの攻撃力があんなにも膨れ上がっていたのか。
先輩の説明を聞いたら、ようやくいくつかの謎が解けた。
だけど、それと同時に、新しい疑問が1つ湧いてきた。
「滝沢先輩……? 先輩のデッキにはもう、24枚もカードはなかったはずじゃ……?」
つい、口に出して訊ねてしまう。
40枚のデッキから、最初にカードを5枚引いて、残るのは35枚。
滝沢先輩は、『針虫の巣窟』で5枚、『スネーク・レイン』で4枚のカードをデッキから墓地に送っていたから、この時点で、残りは多くても26枚だ。
ここから、ドローフェイズに何回もカードを引いているのだから、先輩のデッキに24枚もカードが残っているはずがない。
そう思っての質問だった。
けど滝沢先輩は、いたずらっぽく微笑むと、さも当たり前のことのように、短くこう言った。
「デッキのカードは40枚ぴったりでなくちゃダメだなんて、いったい誰が決めたんだ?」
あ……! そうか……!
その言葉で、ようやくわかった。
「俺のデッキには、最初から上限ギリギリの60枚のカードが入っていた。だからこそ、『パワー・ウォール』と『毒蛇神ヴェノミナーガ』のコンボは、最大限に活きる」
デッキの枚数は、できるだけ40枚ぴったりにした方がいい。
美星ちゃんには、そう言われていた。ルールブックにも、そう書いてあった。
でも、それはあくまでも「推奨」であって「規則」ではないのだ。
『デッキとは、40枚以上60枚以下のカードで構成されたカードの束である』
現に、わたしが月曜日に読んだ難しいルールブックにも、はっきりとそう書かれていたじゃないか。
それと、もう1つ。
あの『デュエルモンスターズ ルール大全』には、たしかこんなことも書いてあったはずだ。
『山札の枚数は公開情報なので、いつでも相手に訊ねることができる』
そう。わたしはいつでも、滝沢先輩のデッキの枚数を訊ねることができたのだ。
その権利を使わなかったのは、わたしのミス以外の何物でもない。
細かいルールにも一通りは目を通しておいた方がいいという、あの美星ちゃんの言葉は正しかったのだ。
これでやっと、すべての謎が解決した。
そうしてわたしは、改めて滝沢先輩と向きあう。
「……さて、日坂。そろそろ、このデュエルに決着をつけようか」
「……はい、先輩」
このターンだけで、あれだけのことが起こったのだ。
わたしにだって、このデュエルが終わりに近いことくらいはわかる。
「もう、勝ちを確信して気を緩めたりはしない。最後の一瞬まで、今の俺が持てる力のすべてを、お前にぶつけ続ける」
そう言うと滝沢先輩は、前のターンに伏せた1枚のリバースカードを表にした。
「永続罠カード発動、『最終突撃命令』!」
最終突撃命令 永続罠
このカードがフィールド上に存在する限り、フィールド上に存在する表側表示モンスターは全て攻撃表示となり、表示形式は変更できない。
最終突撃命令。このカードがある限り、わたしは、モンスターを守備表示にしてヴェノミナーガの攻撃をしのぐことはできない。
「さらに俺は、手札から永続魔法カード、『波動キャノン』を発動する!(手札1→0)」
波動キャノン 永続魔法
フィールド上のこのカードを自分のメインフェイズに墓地へ送る。
このカードが発動後に経過した自分のスタンバイフェイズの数×1000ポイントダメージを相手ライフに与える。
波動キャノン。もしわたしが次のターンなにもしなければ、滝沢先輩はこのカードを墓地に送って、わたしのライフを0にできる。
「これが俺の全力だ。……さあ来い、日坂! ターンエンドだ!!」
(22ターン目)
・滝沢 LP4000 手札0
場:最終突撃命令(永罠)、波動キャノン(永魔)、伏せ×1
場:毒蛇神ヴェノミナーガ(攻12500)
・日坂 LP50 手札0
場:恋する乙女(攻8400)
場:ハッピー・マリッジ(装魔)
わたしの『恋する乙女』の攻撃力は、8400ポイントもある。
それでも、『毒蛇神ヴェノミナーガ』の攻撃力12500には遠くおよばない。
『秘めたる想い』で上がった攻撃力をすべてぶつけても、滝沢先輩のヴェノミナーガを超えることはできなかった。
わたしの力では、どうやらこれが限界みたいだ。
……だから、お願い。
もう一度だけ力を貸してね、美星ちゃん。
「わたしのターン、ドロー!(手札0→1)」
引いたカードを見て、思わず笑みがこぼれてしまう。
それは、わたしがドローしたいと望んでいたカードそのものだった。
わたしは、自分の考えを、もう一度最初から整理する。
恋する乙女とヴェノミナーガの、4100ポイントもの攻撃力差。
それを埋めるためには、もう一回、美星ちゃんの『オネスト』の力を借りるしかない。
でも、オネストはたった1枚しかない大事なカードだ。
新しいオネストをデッキからドローする、なんてことはできない。
だったら、墓地にあるオネストを、なんとかしてまた手札に加えるしかない。
そして、わたしのデッキには、たった1枚だけ、それを可能にするカードが入っている。
死者転生 通常魔法
手札を1枚捨てて発動する。
自分の墓地に存在するモンスター1体を手札に加える。
制限カードの『死者蘇生』と名前が似ているから、という理由で、木曜日にデッキに入れたカードだ。
その判断は、大正解だった。
このカードがなかったら、オネストを2回使うなんてことは絶対にできなかった。
けれど、ただドローフェイズに『死者転生』を引くだけではダメなのだ。
『死者転生』を発動するためには、1枚の手札コストがいる。
つまり、オネストを回収するためには、『死者転生』とあともう1枚、合計2枚のカードが必要なのだ。
もちろん、1回のドローフェイズでカードを2枚引くのは反則だ。
だけど、このカードがあれば、1枚の手札を2枚にできる!
「わたしは、手札から魔法カード、『カップ・オブ・エース』を発動します!!」
カップ・オブ・エース 通常魔法
コイントスを1回行い、表が出た場合は自分のデッキからカードを2枚ドローし、裏が出た場合は相手はデッキからカードを2枚ドローする。
『カップ・オブ・エース』。
水曜日に、『強欲な壺』は禁止カードだと知ったわたしが、そのかわりにデッキに入れておいた魔法カードだ。
コイントスで表が出れば、なんと、あの『強欲な壺』と同じ効果を得ることができるのだ。
「デッキからカードを2枚ドローする」。この効果がどれだけ強力なのかは、言うまでもないだろう。
もう、先輩の『ガード・ブロック』は3枚とも出つくしている。
オネストを使った攻撃を止める手段がない可能性だって、十分にある。
確率は1/2。この賭けに成功すれば、滝沢先輩に勝てるかもしれない。
「行きます……! コイントス!!」
わたしの宣言と同時に、ソリッドビジョンのコインが空高く打ち上げられる。
その軌跡を、必死に目で追いかける。
放たれたコインは、地面にあたって何度かバウンドする。
その後、地面にくっついたまま横向きに回転するようになった。
時間にしてみれば、ほんの数秒ほどの出来事。
けれどわたしには、その一瞬が永遠にも思えた。
回っていたコインは、だんだんとその勢いを失っていく。
そして、ついに、ゆっくりと倒れた。
結果は――――――――
エピローグ 1(日坂 綾)
「ターン……終了、です…………」
手札が2枚になった滝沢先輩に向かって、抑揚のない声でそう宣言する。
(23ターン目)
・滝沢 LP4000 手札2
場:最終突撃命令(永罠)、波動キャノン(永魔)、伏せ×1
場:毒蛇神ヴェノミナーガ(攻12500)
・日坂 LP50 手札0
場:恋する乙女(攻8400)
場:ハッピー・マリッジ(装魔)
わたしの手札はゼロ。場には、1枚の伏せカードもない。
かたや、滝沢先輩は、ヴェノミナーガの攻撃、波動キャノンの発動、そのどちらでもわたしのライフを確実に0にできる。
ああ……。わたし、負けちゃったんだな…………。
ぼんやりとした頭で、そんなことを考える。
わたしは、昔から、ここぞというときに限って運が悪い。
滝沢先輩とはじめて会ったときには、その運の悪さに感謝したりもした。
だけどやっぱり、肝心なところで、コイントスの結果は裏だった。
わたしにしては、意外といいところまで行けた、とは思う。
けれど結局、先輩には1ポイントのダメージも与えることができなかった。
滝沢先輩のすごさ、そして、本気でデュエルすることの楽しさ。
このデュエルを通して、そういうことを、心から実感できた。
負けても満足。そんな思いは、たしかにわたしの中にある。
…………だけど、やっぱり、悔しい。
わたしと先輩の間には実力差がありすぎる。だから負けて当然。
そんな言い訳をしてみても、この悔しさは消えてくれない。
「…………日坂。大丈夫か?」
わたしが沈んだ顔をしていたからだろう。滝沢先輩が、心配して声をかけてくれた。
……うん、そうだ。悔しいからって、いつまでもヘコんでちゃダメなんだ。
たぶん、この悔しさは、全力を出し切ってデュエルしたという証なんだろう。
そして同時に、わたしが、1人のデュエリストになったという、証。
負けて悔しい。その気持ちをバネにして、次こそは勝とうと思う。
それこそが、正しいデュエリストの姿なんだ。
「……ごめんなさい。もう平気です」
うつむいていた顔をあげて、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「覚悟は、できました。だから……遠慮せずに、わたしにトドメを刺してください!」
唇をぎゅっと噛んで、滝沢先輩の目をまっすぐに見つめる。
「わかった。……なら、これが最後の俺のターンだな」
ヴェノミナーガの攻撃か。それとも波動キャノンの発動か。
そう思ってわたしが身構えていると、先輩は、突然ふっと微笑んで告げた。
「このデュエルが終わる前に、日坂に1つ、俺からのアドバイスだ」
滝沢先輩にしては珍しく、おどけたような、飄々とした口調だ。
なんだろう……? わたしは、黙って次の言葉に耳を傾ける。
すると先輩は、なにやらタイミングを計るようなそぶりを見せた後で、短く一言、こう言った。
「デュエルは、最後まで何が起こるかわからない」
その言葉が、わたしの耳に届いた瞬間。
『毒蛇神ヴェノミナーガ』と『恋する乙女』のソリッドビジョンが、薄れて消えた。
え……? なにが起こったの……?
意味がわからず、ただ呆然と立ちつくしていたわたしの耳に、デュエル終了を示す電子音が聞こえてきた。
あわてて、音源である自分のデュエルディスクに目を向ける。
そこに表示されていたのは、「YOU WIN!」の文字。
わたしが……勝った? このデュエルで? なんで? どうして?
まったく意味がわからない。つい、滝沢先輩をまじまじと見つめてしまう。
そんなわたしの視線に気づいたのか、先輩は、優しく笑って説明を始めた。
「まず、デュエルを始める前、俺のデッキには、カードが60枚あった」
先輩のデッキの話……? それは、さっきも聞いたけど……。
「最初のドローで5枚引いて、前のターンまでにドローフェイズが11回。『針虫の巣窟』で5枚、『スネーク・レイン』の効果でさらに4枚墓地に送った。『ガード・ブロック』を発動させたのが3回で、『マジック・プランター』での2枚ドローが2回。後は、『ヴェノム・ショット』と『蛇神降臨』を使ったときに、それぞれ1枚ずつデッキのカードが減った」
急に言われて、焦って計算する。
えっと……。60−5−11−5−4−3−4−1−1、は…………。
たぶん、26、かな?
「ここまでで、俺のデッキは残り26枚になっていた。そんな状態で、『パワー・ウォール』の効果で24枚ものカードを墓地送りにした。そうしたら、デッキに残っているカードは何枚になる?」
そう訊かれた瞬間、やっと先輩の言いたいことが理解できた。
えっ……? だとしたら、これって、本当に……!
「そこに、ダメ押しのように『カップ・オブ・エース』による2枚ドローだ。……やられたよ、日坂。デッキのカード枚数にはきっちり余裕を持たせておいたつもりだったのに、あそこであんなイレギュラーなドローを強いられるとは思ってもみなかった」
そう言うと滝沢先輩は、自分のデュエルディスクの、デッキを入れるためのスペースを指差した。
そこにカードは、1枚も残っていない。
(23ターン目)
・滝沢 LP4000 手札2 山札0
場:最終突撃命令(永罠)、波動キャノン(永魔)、伏せ×1
場:毒蛇神ヴェノミナーガ(攻12500)
・日坂 LP50 手札0 山札25
場:恋する乙女(攻8400)
場:ハッピー・マリッジ(装魔)
「デッキ0で迎えたラストターン。当然俺は、ドローフェイズにカードをドローできずに、そこでデュエルは終了。……結果は、この通りさ」
「YOU LOSE!」と表示されているデュエルディスクを示して、照れたように告げる。
わたしが……滝沢先輩に……勝った……?
信じられない。そう思って、何度も自分のデュエルディスクをたしかめる。
だけど、何回見ても、そこにははっきりと「YOU WIN!」と表示されている。
見間違いじゃ、ない。
本当の本当に、わたしの、勝ち。
滝沢先輩に……勝った……!!
一拍遅れて、心の底から喜びが湧きあがってくる。
嬉しすぎて、体の震えが止まらない。
わたしにとっては、ずっと雲の上の存在だった滝沢先輩。
その先輩と、デュエルをして、勝った。
デュエルに負ければ悔しい。
でも、勝ちたいと思った相手に勝てたときは、その何十倍も嬉しい。
ああ……これがデュエルの醍醐味なんだ……。
そのことを、心から実感する。
滝沢先輩が、カード・プロフェッサーに憧れる理由がわかりすぎるほどにわかる。
ふと、先週の土曜日のことを思い出す。
滝沢先輩に告白して、振られたあの日。
すべては、あの日から始まったのだ。
あの日のわたしは、1週間後のわたしがこんな感覚を味わっているなんて夢にも思っていなかった。
そう考えると、しみじみとした気持ちになる。
超初心者だったわたしに、デュエルをするよう勧めてくれた美星ちゃんには、いくら感謝してもしきれない。
月曜日に、美星ちゃんがあの強引な約束を取りつけてくれなかったら、こうして滝沢先輩とデュエルするなんてことは決してなかった。
もちろん、本当にわたしが滝沢先輩に勝ってしまうなんて、そんなの想像もできなかっただろう。
……ん? ってあれ? そういえば……あの約束って…………。
大事なことを、思い出した。
そうだ……! このデュエルでわたしが勝ったら、滝沢先輩は……!
そのことに気づいた瞬間、わたしはとっさに叫んでいた。
「滝沢先輩! 先輩が負けたら、アメリカ行きは中止っていうあの約束、あれは嘘ですよね!? わたしに負けたくらいで、自分の夢を諦めちゃうだなんて、そんなの絶対ダメですよ!」
わたしが勝った。それは嬉しい。
でも、そんなことで先輩が夢を捨ててしまうなんて絶対にイヤだ。
けれども、滝沢先輩は、首を横に振るだけだった。
「……いいや。あの約束は、冗談でも何でもない。もしも俺が日坂に負けたら、カード・プロフェッサーになるのは、当分のあいだ諦める。その約束を、破る気はないよ」
「そんな…………」
いくら、あの約束は本気の証だからって、そんなの…………。
なんて言っていいのかわからず、言葉に詰まってしまう。
そんなわたしに向かって、滝沢先輩はぽつりと呟いた。
「とはいえ、俺は日坂に勝ったんだからな。約束通り、アメリカには行かせてもらうよ」
「え……?」
一瞬、聞き間違いかと思った。
「先輩が……わたしに……? え……でも……デュエルディスクには、たしかに……」
もう一度、自分のデュエルディスクを見る。「YOU WIN!」。
さらに、滝沢先輩のデュエルディスクも見る。「YOU LOSE!」。
混乱しているわたしを見て、先輩は意地悪く笑って告げる。
「たしかに、これが普通のデュエルだったら、結果はデッキ切れで俺の負けだろうな。……でも、このデュエルのルールは、普通じゃない」
「あっ……!」
つい、小さく叫んでしまった。
そうだ。たしか、美星ちゃんの提案したルールは。
――デュエル中、滝沢くんのライフが1ポイントでも減少したら、その瞬間に綾の勝ち。逆に、あんたが1ポイントのライフも失わなかった場合は、滝沢くんの勝ち。つまり、滝沢くんはちょっとでもダメージ受けたら即負け。この特殊ルールでデュエルよ。
滝沢先輩のライフが1ポイントでも減少したら、わたしの勝ち。
逆に、滝沢先輩が1ポイントのライフも失わなかった場合は、先輩の勝ち。
このデュエルは、先輩のデッキ切れで決着した。
でも、滝沢先輩は、このデュエル中、1ポイントのライフも失っていない。
と、いうことは。
「このデュエルは……滝沢先輩の、勝ち……?」
わたしが呟くと、先輩は大きくうなずいた。
「そういうこと。……言っただろ? 『デュエルは、最後まで何が起こるかわからない』ってな」
その言葉を聞いたとたん、張りつめていた糸が、ぷつんと音を立てて切れたような気がした。
へなへなと、つい膝から崩れ落ちそうになってしまう。
「はは。……どうだ、日坂? 騙された?」
そう言って無邪気に笑う滝沢先輩。
そんな先輩の顔を見ていると、ふと、わたしの頭にある考えが浮かんできた。
「……ひょっとして、怒った?」
じっと下を向いて口をつぐんでいたからだろう。先輩は、わたしが怒っていると思ったみたいだ。
もちろん、本当に騙されて腹を立てているなんてことはない。
ただ、今の滝沢先輩を見ていたら、わたしも無性になにか仕返しがしたくなったのだ。
「……先輩。ちょっとこっちに来てください」
「?」
怪訝な顔をしながらも、滝沢先輩が近づいてきてくれる。
「どうした? 日坂」
顔を上げると、わたしのすぐ近くに滝沢先輩が立っている。
つま先で立って、顔の高さを先輩にあわせる。
そして。
そっと、唇を、重ねた。
「…………!!」
滝沢先輩が、目をまん丸に見開いて驚いている。
そんな先輩に向かって、わたしはもう一度、はっきりと宣言する。
「わたしは、滝沢先輩のことが、大好きです」
『恋する乙女』は、秘めたる想いを力に変えて、毒蛇神ヴェノミナーガを倒した。
だったら今度は、わたしが先輩に想いをぶつける番だ。
「好きです。だから、諦めません。先輩がアメリカに行くなら、わたしも追いかけます」
カード・プロフェッサーになる。その夢を追いたい。だから、わたしとはつきあえない。
滝沢先輩は、そう言った。
だけど、そのくらいで諦めちゃダメだったんだ。
まだ可能性があるうちから諦めるなんて、そんなのデュエリストとして失格だ。
「わたしも、カード・プロフェッサーを目指します」
結局、わたしは滝沢先輩に勝てなかった。まだまだ、わたしの実力は先輩には遠くおよばない。
こんなわたしがカード・プロフェッサーになるなんて、夢のまた夢なのかもしれない。
けれど、それでも、わたしは1人のデュエリストだ。
ほんのわずかでも道があるなら、自分の力で切り開いてみせる。
「すぐに、追いつきます」
わたしがなにもしなければ、滝沢先輩は、どんどん遠くに離れていってしまう。
だったら、走って追いかける。追いつくまで、ずっと走り続ける。
自分の力で、どこまでも。
エピローグ 2(滝沢 誠人)
日坂とのデュエルが終わって、しばらく経った後。
俺は、本日2つ目の約束を果たすために、とある場所へと足を運んだ。
約束の場所に着くと、教官が椅子に座ってデッキの調整をしていた。
どうやら、俺より先に来て待っていてくれたらしい。
俺がここに来たのは、これから今日のテストデュエルを行うためではない。
すでに行われた今日のテストデュエルについて、教官と話をするためだ。
「さあ、話を始めましょうか。牧村美星教官」
教官のプロフィールは、その一切が非公開。過去の経歴も謎に包まれている。
俺は、そんな謎めいた教官の正体に、とりたてて興味を持ってはいなかった。
天才的なデュエルセンスの持ち主、それだけで十分だ。たとえ教官が何者であろうと構わない。
そう、思っていたのだ。
5日前の月曜日に、牧村教官が日坂といっしょに俺のクラスに乱入してくるまでは。
あのときは、唖然として、しばらく声も出せなかった。
美星という名前も、そのときはじめて知った。
今までずっと俺の指導をしてくれていた牧村教官が、実は高校生で、しかも俺より1つ年下で、そのうえ同じ学校に通っていたのだ。これで驚くなという方が無理だろう。
教官一人だけが、すべて計算づくで話を進める中、俺と日坂はただただ困惑しっぱなしだった。
俺は、1ポイントのダメージでも受けたら即敗北。負けたらアメリカ行きは中止。
そんな無茶苦茶な条件のルールでも、教官に命じられたら断れるわけがない。
俺が、カード・プロフェッサー・ギルドに入れるかどうか。
それを決めるのは、まさしくその牧村教官なのだから。
テストデュエルの相手と、そのシチュエーション。
それは、牧村教官の一存で決定されるのだから。
「よく来たわね、滝沢くん。……当然だけど、ここでの話は綾にはナイショよ?」
牧村教官が、人差し指を口元にあてて微笑む。
……どうやら、今日は「美星ちゃん」としてふるまうつもりらしい。
どっちが教官の本当の…………なんて野暮な詮索はしないでおこう。
「教官は、日坂のあの才能を知っていたんですか?」
俺とのデュエル中に、信じられないほどのスピードで成長を遂げた日坂。
牧村教官は、日坂の凄まじいまでの才能を理解していて、俺とデュエルさせたのだろうか。
「ん〜。綾は、ものすごくデュエルに向いてるんじゃないか、っていう予感だけはあってね。それで、いい機会だからと思ってデュエル教えてみたら、結果は滝沢くんもご存じの通り。正直に言って、私も、まさかあそこまで伸びるとは思ってなかったわね」
俺は、例の真っ白なデュエルディスクを使って、日坂とデュエルしていた。
だから、あのデュエルの詳細なデータは、すべて牧村教官のもとに転送されている。
「滝沢くんだって、ヴェノミナーガで攻撃したときは、本気でデュエルを終わらせるつもりだったんでしょ?」
「ええ。……でも、どうしても残り50ポイントのライフを削りきることができませんでした」
俺は何度も、日坂にトドメを刺すつもりで攻撃を仕掛けた。
でも、そのたびに『非常食』や『体力増強剤スーパーZ』でライフを回復されて、ギリギリのところで踏みとどまられてしまった。
残りライフ100は、勝利の証。
それが50ポイントならば、なおさらだ。
限界スレスレのライフ調整。
それはとうてい、普通のデュエリストが、デュエルを始めて1週間程度で習得できる芸当ではない。
「この1週間、綾とのデュエルを繰り返してみて、その成長速度には本当に驚かされたわ。だからこそ、私も『オネスト』を綾に託してみようと思った。……ただ、これは滝沢くんに見抜かれちゃったみたいだけどね」
『オネスト』は、世界に数十枚しか存在しない、超がつくほどのレアカードだ。
牧村教官が『オネスト』を1枚だけ所持していることは知っていたから、一応、万が一の事態に備えて『ガード・ブロック』をデッキに入れて対策を施しておいたのだ。
とはいえ、まさか本当に日坂が『オネスト』を使ってくるとは、正直思っていなかった。
牧村教官が、あの『オネスト』を託そうと思うほどのデュエリスト。
日坂が、そこまでの才能の持ち主だなんて、想像できるはずがない。
まあ、そうだからこそ、教官も日坂を俺にぶつけてみようと思ったんだろうな……。
と、そんなことを考えていたら、いつの間にか牧村教官が俺の顔をまじまじと見つめていた。
そして、まるで俺の心を読んだかのように、こんなことを口にした。
「たしかに私は、綾と滝沢くんを闘わせたら、きっと素晴らしいデュエルになりそうだと思ってこの舞台を用意した。……でも、私がそう思うようになったきっかけは、綾の才能だとか、そんな些細な理由じゃないよ?」
そう言うと牧村教官は、一冊の分厚い本を取り出した。
「綾にね、これをルールブックだって言って渡したら、なんと1日で全部読んできたの。……信じられる?」
『デュエルモンスターズ ルール大全』。
教官が取り出したこの本は、プロのデュエリストが、非常に細かいルールに関して疑問があるときに使うような格式高い本だ。
一応、デュエルのあらゆるルールが網羅されているとはいえ、その性質は、限りなく辞書に近い。
「……英語を勉強したい人に、いきなり英和辞典だけ渡すようなもんじゃないですか」
「そ。800ページ近くも無味乾燥な説明が続いているだけのこんな本を、綾は、理解できないながらも1日かけて全部読み切ったの。……滝沢くんのことがよっぽど好きじゃないと、そんなこと絶対にできないよ?」
教官は、ニヤニヤと笑いながら俺の顔をまっすぐに見つめてくる。
その視線から、俺はつい目をそらしてしまう。
「ふふ。恋する乙女は強いのよ? それこそ、滝沢くんとのデュエル経験の差なんて、軽く吹き飛ばしてしまえるくらいにはね」
本気とも冗談ともつかないような口調で、さらりと呟く。
そして、そのままごく自然な流れで、最大級の爆弾を投下した。
「ま、滝沢くんだって綾のことが超大好きなわけだから、その点ではおあいこかもしれないけどね?」
「ちょ!? 教官!? いきなり何を……!!」
思わず、大声で叫んでしまった。
「誤魔化したってバレバレ。だって滝沢くんは、サレンダーしなかったじゃない」
「………………」
あまりにも正論、だった。
そもそも、あの特殊ルールを提案したのは牧村教官なのだ。
日坂とのデュエルを最後までやり通すことが、どういう意味を持つのか。
当然、教官はそれをわかっているに決まっていた。
あのとき、牧村教官が指定したルールは、こうだ。
――デュエルは1回限りで、サイドデッキはなし。ハンデのかわりに、先攻後攻を決める権利は滝沢くんにあげるわ。公式大会のデュエルってわけじゃないから、自分ターン中のサレンダー行為は認める。
サレンダー。それは、デュエルの途中で、自分の負けを認める行為である。
デュエル中に、どちらかのプレイヤーがサレンダーの意思を表明すれば、その瞬間にデュエルは終了。サレンダーした側の、敗北が決定する。
だが、ここで言う「敗北」とは、あくまでも、普通のルールにおいての敗北だ。
「俺のライフが1ポイントでも減少したら日坂の勝ち。逆に、デュエル中、俺のライフが1ポイントも減らなかった場合は、俺の勝ち」。
俺と日坂のデュエルの「勝敗」は、この特殊ルールに基づいて決定される。
そして、俺は、デュエルの先攻後攻を自分の意思で選ぶ権利を持っていた。
つまり。
俺が先攻を選択し、1ターン目が始まったらすぐにサレンダー。
これで、俺のライフが1ポイントも減少しないまま、デュエルは終了。
100%安全に、俺の勝利が確定する。
あのデュエルには、そんな特大の「抜け道」が用意されていたのだ。
それもたぶん、意図的に。
「……牧村教官。どうして、サレンダー可能だなんて、そんなルールにしたんですか」
俺の実力をみるためのテストデュエルに、なぜわざわざあんな抜け道を用意したのか。
ただ単に、ハンデつきのデュエルをやらせるだけではダメだったのか。
俺は、この1週間ずっと悩み続けていた疑問を、牧村教官にぶつけた。
すると教官は、突然真面目な表情になって、穏やかな口調で語り始めた。
「……あのデュエルは、滝沢くんの、カード・プロフェッサーとしての覚悟を試すためのものよ」
このときだけは、「美星ちゃん」ではなく「牧村教官」として。
「デュエルに勝つこと。それだけが絶対的な価値を持ち、負ければ何も残らない。そんな厳しいカード・プロフェッサーの世界で、あなたが何を考え、どんな決断を下すのか。私は、それを知っておきたかったの」
サレンダー行為は、自分のターン中にしか許可されていない。
つまり、相手のターン中は常に、ダメージを受けて敗北する危険に身をさらし続けることになる。
即サレンダーして、確実な勝利を得るか。
それとも、不必要な敗北のリスクを背負ってまで、日坂とデュエルをするのか。
教官は、その2択を俺に強いたということか。
「…………つまり、俺はカード・プロフェッサーとして失格、ってことですか」
デュエル中、1ポイントでもライフが減ったらその瞬間に負け。
後で減った分のライフを回復して埋め合わせるなんてことはできず、ライフコストが必要なカードは最初から発動すらできない。
一度のミスが即敗北につながり、そして負ければ、夢は潰える。
俺は、そんな大きすぎるリスクを承知のうえで、最後までデュエルをやり通すことを選択した。
サレンダーなんかでデュエルを終わらせて、日坂の想いを裏切ることだけはどうしてもできなかった。
100%確実に勝利できる道を、自分から捨てた。
それは、勝つことがすべてのカード・プロフェッサーとして、とうてい許されない判断なのだろう。
ところが教官は、そんな俺の言葉を聞いて、ゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。だって滝沢くんは、きちんと勝ったでしょう? その過程がどんなものであったとしても、最終的にデュエルに勝ったデュエリストを否定することなんて、誰にもできないわ」
凛としたよく通る声で、はっきりと告げる。
「たしかに、あなたが勝つために選んだのは、決して最良の方法じゃない。茨の道だと言ってもいいわ。……だけどね。私は、滝沢くんみたいなカード・プロフェッサーがいてもいいと思うの」
俺に、穏やかな笑みを向けながら。
「なにを犠牲にしてでも、勝利を目指すんじゃない。なにも犠牲にせずに、勝利も目指す。……滝沢くんのその覚悟は、十分に見せてもらったわ」
そして、教官は、おもむろに1枚の紙を取り出すと、こう告げた。
「今日の闘いで、テストデュエルはすべて終了。あなたはその間、1回も負けなかった。……おめでとう、滝沢くん。合格よ」
流れるような手つきで、その紙に自分のサインを書きこむ。
「はい。私の直筆の、カード・プロフェッサー・ギルドへの推薦状よ。これを見せれば、文句なしに一発でギルドに入れてもらえると思うわ」
「牧村教官…………」
「その白いデュエルディスクも、今日で卒業。あなたは、これからどんな色にも染まっていける。その無限の可能性を、大事にしてね?」
不自然なほどに真っ白な、テスト用のデュエルディスク。
この白色には、そんな意味が込められていたのか。
「…………はい。今まで、本当にありがとうございました」
深く、一礼。
「……ま、無事にカード・プロフェッサーになれたからって、精進を怠らないことね。油断してると、本当にすぐ綾に追い抜かれちゃうわよ?」
再び「美星ちゃん」の顔に戻った教官が、明るく告げる。
「……ええ。わかってますよ」
あの途方もない才能を秘めた日坂が、本気でカード・プロフェッサーを目指そうと決意した。
そして、それをサポートするのは、紛れもなくデュエルの天才である現役カード・プロフェッサーの、牧村教官――いや、美星ちゃんだ。
いったい日坂は、カード・プロフェッサーへの階段を、どれほどの速度で駆けあがってくるのだろうか。俺には想像もつかない。
「……それじゃ、俺はこれで失礼します」
「ええ。次は、カード・プロフェッサーの世界で会いましょう。もちろん、綾もいっしょにね」
そう言って、教官は、にっこりと微笑んだ。
◆
教官と別れた後、俺はふと、自分のデッキケースに手をかけた。
日坂との闘いで使ったデッキを取り出し、そこに入っているカードを眺めながら、今日のデュエルを思い返す。
そんなことをしていたら、その中の1枚のカードが、目にとまった。
それは、『ヴェノム・スワンプ』を発動した7ターン目に場に伏せられ、最後まで発動されることのなかった1枚の罠カード。
最後の最後まで、発動することのできなかった1枚の罠カードだ。
ヴェノム・スプラッシュ 通常罠
ヴェノムカウンターが乗ったモンスター1体を選択して発動する。
そのカードのヴェノムカウンターを取り除き、取り除いたヴェノムカウンターの数×700ポイントダメージを相手ライフに与える。
『恋する乙女』には、最終的に19個ものヴェノムカウンターが乗っていた。
もしも、『ヴェノム・スプラッシュ』の効果が発動していれば、それによって発生するダメージは実に13300ポイント。
一瞬で、確実に日坂のライフを0にできる値だった。
なのに俺は、結局このカードを発動させることができなかった。
日坂には、全力を出すと言っておきながら、『ヴェノム・スプラッシュ』だけは表にすることができなかった。
『カップ・オブ・エース』の効果で自分のデッキが0枚になったときも、このカードを発動せずに、そのままデッキ切れになることを受け入れてしまった。
日坂に、デュエルに勝ったときの喜びを教えてやりたかった。
……いや、そんな大層なことを考えていたわけじゃないな。
俺は、日坂の笑顔が見たかった。
理由は、ただ、それだけだ。
デッキケースに、自分のデッキを丁寧にしまう。それからまた、ゆっくりと歩き始める。
今はまだ、立ち止まるわけにはいかない。
でも、きっとまたすぐに会えるだろう。
だから、少しだけ。
「先に行って待ってるよ、日坂」
恋する乙女の決闘週間 END