第三回バトル・シティ大会
〜決勝〜
製作者:表さん
決闘190 失くしたもの
――武藤遊戯がその眼を開いたとき、そこには白い天井があった。
(ボクは……生きて、いる? いや)
全身に抱く違和感。そして何より、自分の眼に映るモノ――その全てから、彼はぼんやりと理解した。
自分は死んだのだと。
(みんなはどうなったろう……戻ってこれたのかな。最後に、神里さんの声がした気がしたけど)
その眼を閉じて、思いに耽る。
自分がいなくなった世界でどうか、みんなには幸せになってほしい――そう祈りながら、意識を手放そうとする。
けれど、
「――ぎ……遊戯、遊戯っ!!」
その呼び声に、遊戯ははっと眼を見開く。
死んではいない、生きている――覚醒した意識で自覚する。
そこは病院の個室のベッドの上で、近くには二つの気配があった。
「良かった……! お前、三日も眠りっぱなしだったんだぜ!? 心配かけやがって!」
「全くだぜ! 待ってろ、すぐに先生呼んで来るからよ!」
ナースコールの存在も忘れ、その声の主は病室を飛び出す。
遊戯は首だけを動かして、もうひとつの声の主を、まじまじと見つめた。
「どうした遊戯……? オレのこと、ちゃんと分かるよな?」
「え……あ、うん。城之内くん、だよね?」
遊戯の返答を聞いて、彼はほっと胸を撫で下ろす。
「ビビらせんなよ遊戯〜。記憶喪失にでもなっちまったかと思ったぜ」
「アハハ。ごめんね、城之内くん」
状況を理解した上で、遊戯は平静を装い、微笑む。
――城之内克也の声を発する、“ソレ”に対して。
駆け付けた医師が簡単な診察を行い、「精密検査はまた後日」ということになった。
医師が去った後、遊戯は二人――城之内と本田から、多くのことを聞いた。自分が眠り続けていたらしい、空白の三日間のことを。
――遊戯が意識を失った後、逆に意識を取り戻した観衆は騒然としたという。
ところどころに破壊の形跡が残るドーム内に、倒れたまま動かない者達。特に1人は血まみれの状態で、多くの悲鳴が上がった。
この一件は前代未聞の大事件として、世界中のメディアに取り上げられた。
全ての観衆が同時に意識を失っていた件は、何らかの催眠ガスによるものと推察され、副作用の懸念などから、千人以上の人間が検査を受けた。
事件の首謀者の名は“ガオス・ランバート”――多くの観衆の証言から、それはすぐに報道された。
混乱の中、黒いローブを着た複数の人間達が逃亡したとの目撃証言もあり、犯行グループの一味として報じられている。
当初、海馬コーポレーションに恨みを持つ者による犯行ではないのか――と言われていたが、“ガオス・ランバート”がI2社初代名誉会長の名前であることがメディアの調べにより発覚し、I2社の関与が噂され、「M&W産業そのものが狙われたのではないか」との推測も流れた。
世間では目的不明、しかしこれだけの人間を巻き込みながらも一人の犯人も確保できず、犯行手段や経過にも不明点が多すぎることから、多くの人々の関心を集めている。国内では連日のトップニュースだ。
「――オレ達も警察から事情聴取されたんだぜ? つっても他の連中と同じで、すぐに意識を失くしちまったから何も分からねぇけどな。遊戯んトコにも後で来るんじゃねーかな」
なあ城之内、と本田が振ると、彼は冴えない様子で相槌を打った。
概ねの経過を聞き、飲み込んだうえで、遊戯は改めて二人に尋ねた。
「それで、他のみんなは無事なの? 血まみれの人もいたっていうのは?」
「ああ。みんなが起きた後も意識不明だったのが3人だけいたんだ。お前と、神里とデュエルするはずだった神無って嬢ちゃんと、それから……あのサラっていう姉ちゃんだよ。この姉ちゃんが血みどろの状態でさ。でも最優先で救急車に乗せられて、一命は取り留めたらしいぜ」
「……そうなんだ。じゃあ杏子と獏良くんと……それから、神里さんは?」
「ああ。今はいねぇけど、三人ともピンピンしてるぜ。オレらと同じでよ」
本田と城之内が交互に答える。
そのやり取りの中で、遊戯の瞳はわずかに収縮した。城之内の返答から間髪入れずに、遊戯は思わず問いを投げた。
「――杏子に何かあったの?」
「――へっ!?」
2人は驚き、目を瞬かせる。
真剣な表情で問う遊戯の様子に、本田は困ったように頭を掻いた。
「……余計な心配かけたくなかったから、黙ってるつもりだったんだけどな。実は――」
――それは事件後、少なからぬ観衆から語られた奇妙な事象であった。
気を失っている間、彼らは“長い夢”を見ていたという。それは異常なリアリティを伴い、「とても夢だったとは思えない」というのだ。
ある者はテレビ取材の中で「あれこそが現実だった」などと錯乱し、現実感の喪失から情緒が安定せず、今でも体調不調を訴え続ける者は少なからず存在した。
「――杏子も“それ”らしくてさ。何かずっと元気なかったんだよな。オレらなんか、夢見てたかどうかも全然覚えてねーのに……なあ城之内?」
「ん、ああ。まーな」
本田から話を振られ、城之内は何気ない様子で頷く。
その様子を見て、遊戯の瞳は再び収縮した。そして何かを言いかけて――しかし、口をつぐんだ。
「心配いらねーよ。アイツはそんなヤワなタマじゃねえ。さっき留守電入れといたから、すぐに見舞いに顔を見せるさ」
城之内の言葉に遊戯は頷く。
彼女の見た“夢”がどんなものか、遊戯はそれを知っている――けれどきっと大丈夫、そう思えたから。
「……ありがとよ、遊戯。今回の一件、全部お前のおかげなんだろ? そして、すまなかった。何の力にもなれなくて」
一転して表情を陰らせた城之内に、遊戯は少し驚き、そして首を横に振った。
「そんなことないよ。ボクだけじゃない……みんながいたから。ボク一人の力じゃ、絶対に勝てなかった」
それはお世辞などではない、心からの言葉。
――海馬くんと月村さんが、道を切り拓いてくれた
――そして何より、“オベリスク”の神化
――みんなとの繋がりが、絆が支えてくれたから、“神”覚醒の奇跡を起こせた
「……ありがとう。みんなとの絆があったから、ボクは今、こうしていられる」
三人で顔を合わせ、笑い合う。
みんなとの世界を護ることができた――その充足に酔い、遊戯は心から笑った。後悔など微塵も抱かずに。
「意識の戻らない2人や杏子のことはまだ心配だけどよ、とりあえずは一件落着……だろ? 後は医者とか警察に任せて、お前はひとまずゆっくり休めよ」
三日間も眠り続けていたのだ、まだ本調子ではあるまい――本田は慰労の言葉を掛け、「また来るからよ」と城之内を促す。
城之内も同意し、病室を去ろうとするが――ふと思い出し、「そういえば」と振り返った。
「――さっき何で、杏子に何かあったって分かったんだ? 獏良や神里じゃなくてよ」
「えっ? えっと、それは……」
遊戯は言い澱む。
話すべきか、それとも話さざるべきなのか――遊戯にはまだ判断できないから。
「――話すべきだと思うよ……遊戯くん」
それは、聞き覚えのある闖入者の声。
「ごめんね、ドアが開いてたから。遊戯くん目が覚めたんだね、良かった」
「! 神里さん! 良かった、無事だったん――」
現れた少女の姿を見て、遊戯は言葉を飲み込んだ。
城之内と本田には分からない。しかし遊戯には分かる、視えてしまう――彼女がすでにもう“彼女ではない”ということを。
城之内と本田には見えないように、少女は――絵空は、右手人差し指を唇に当てる。そして、儚げに微笑んでみせた。
「話すって……何のことだよ? 神里? 遊戯?」
二人を交互に見やり、城之内は眉根を寄せる。
絵空はわざとらしく目を閉じ、数秒を待って再び開いた。城之内と本田はそれを“人格交代”のためのものだと思った――遊戯だけは、そうでないことを看破していた。
「――アナタはもう人間(ひと)じゃない。この言葉の意味が分かりますね?」
絵空は、単刀直入に問う。
抑揚のない毅然としたそれに、遊戯は息を呑んだ。
うすうす理解はしていた。しかし突き付けられた言葉に、彼の身体は硬直する。
「……アナタは自分を犠牲にし過ぎた。倒れては立ち、限界を幾度となく超え、時間(とき)を尽くし、命を枯らせ、その果てに――辿り着いてしまった。“人間(ひと)にあらざる領域”に」
「な……に、言ってんだ? 何の冗談だよ、神里?」
城之内にも本田にも、話の意味が理解できない。
しかし彼女は遊戯を見据え、明朗たる語調で言った。
「――たとえばその眼……視え過ぎているのでしょう?」
「…………!!」
遊戯は思わず視線を落とす。
闇アテムとの死闘の中、一度は失った視力。それは再び光を取り戻し、彼に世界を示している――以前とは異なるカタチで。
拡張されてしまった五感は、人間に本来見えざるべきものをも捉える。彼の眼に映る全てのモノは、以前までのそれとはカタチを変えていた――親友たちの姿でさえも。
三日前の死闘の末――時間を加速し尽くした遊戯は、確かに死すべき状態だった。
しかし時間を統べる女神“ゾーク・アクヴァデス”の加護により、失われた時間は取り戻された。だがその一方で、取り返しがつかないものもあった――彼の魂の異常なる“昇華”までも、無効とすることはできなかったのだ。神の力をもってしても。
“王の遺産”――かつて賢者シャイが、“神殺し”のために生み出した秘術。それは四千年の時を隔て、ようやく完成を見た。武藤遊戯という人間を“器”として。
一滴の時間を加速し、遊戯は“太陽神”を覚醒させ――闇アテムという“神”を殺した。その時点で彼はすでに、“人間(ひと)”と呼ぶべき範疇にはなくなった。
人間ではなく、神でもない――呼ぶなれば“王”。神をも殺し得る存在。
かつて強欲なるファラオが求めた、万物の上に君臨せし“絶対者”。
「――何だか分からねぇけどよ……関係ねぇだろ、そんなの」
2人の間の剣呑な空気に、城之内が割って入った。
「どんなに目が良かろうが、耳が良かろうが……遊戯は遊戯、オレ達の仲間だ! そうだろ?」
「……! 城之内くん」
城之内のその言葉が本心からのものであると、遊戯はすぐに判った。信頼からだけではなく、確信としても――視えてしまうから。
絵空もまた、それを嬉しく感じた。少しだけ笑みをこぼし、しかしすぐに、表情を強張らせる。
「そうですね……そう思います。けれど、ならばこそ知るべきです。アナタがそれを望むなら――“この世界”に在りたいと願うなら」
彼女は遊戯に向けて、淡々と続けた。
「デュエルという“儀式”の中で、アナタの呪いは育ち過ぎた。その“儀式”を引き金として、“王の呪い”はアナタを蝕み、さらなる力を与えてゆく。だから限界なんです、これ以上は」
少女は遊戯の眼を見つめ、はっきりと告げた。
「――デュエリストをやめること。それが……アナタがこの世界に留まるための、最低条件です」
遊戯の両眼が大きく開く。
しかし悟ったかのように、諦めたかのように――静かに、彼は視界を閉じた。
決闘191 絶たれた未来(みち)
本田と城之内の二人は、揃って帰途についていた。
本田は城之内の後ろを歩きながら、病室でのやり取りを顧みていた。
「……“アイツ”がいた頃に、大抵のオカルトには慣れたつもりだったが……今回は気絶してたから、全然実感が湧かねぇな」
独り言のように呟き、前を行く城之内の反応を待つ。しかし彼は無言を貫き、本田は仕方なく言葉を続ける。
「オレにはピンとこなかったけどよ、たぶん本当のことなんだろうな。遊戯もそんな雰囲気だったし」
「………………」
城之内の頭の中でも繰り返されていた、先ほどの病室でのやり取りが。
許容することのできない、残酷な言葉が。
「――デュエリストを……やめる? なに言ってんだよ、神里?」
先ほどの病室で、引きつった声で城之内は訊いた。
当の遊戯はというと、すでに受け入れたかの様子で押し黙っている。それは城之内の焦燥を生み、彼は思わず声を荒げた。
「――なに言ってんだって訊いてんだろ!? 説明しろよ!!!」
「おっ、おい城之内! 落ち着けよ。病院だぞここ」
絵空と城之内の間に、本田が割って入り、なだめる。
彼女は神妙な面持ちのまま、城之内を一瞥し、言葉を紡ぐ。
「……単純な身体機能の問題ではないんです。強き魂は運命を掴み、世界を歪め、狂わせる……それだけの可能性が、今の遊戯さんにはある」
――かつてのアヌビスと同じように。
だからこそ光の創造神“ホルアクティ”は、遊戯に神位を譲ろうとした。
彼が死を目前としているから――それだけの理由ではなく、彼をヒトの世界から遠ざけるために。
「――過ぎた力は穢れを孕む。このままデュエルを続ければ、アナタの“呪い”は侵食し、その魂を際限なく昇華してゆく。その果てに、アナタは……次なる“邪神”の火種となる。かつての闇の大神官、アクナディンと同じように」
経緯は違えど、契機は同じだ。
王国を救う、その純然たる願いのため、彼は千年アイテムという“過ぎた力”を生み出した――それは邪悪の火種となり、“邪神(ネクロファデス)”を喚び起こした。
「遊戯が……闇の大神官と同じ? 馬鹿言ってんじゃねぇよ! ソイツは千年アイテムを造るために、百人近くも殺したっていうじゃねぇか! そんなクソ野郎と遊戯が同じワケが――」
「――城之内くん!」
遊戯は叫び、城之内を制した。
この闘いの影の立役者を、悪く言われたくなかったから――そしてそれだけではなく、遊戯には確かな心当たりがあったからだ。
『さあ来い遊戯ぃ――オレ様をぶっ殺してぇって、叫んでみせろォ!!!』
バクラ――いや、ゾーク・ネクロファデスに挑発され、憎悪に我を忘れたとき。
あの瞬間、世界の全てが赤に染まった。心が灼けるように熱かった。闇アテムに制止されていなければ、あの後どうなっていたのか――想像するだに恐ろしい。
『――貴様ハ勝利ノ代償ニ、多クノモノヲ失オウ。カツテノ儂ト同ジヨウニ』
“死神”の言葉が脳裏をよぎる。
これが彼の言う“代償”であるならば、それは仕方のないことだ。これでいい、自分はそれだけのことをしたのだから――そう思った。
「――いいわけねぇだろ……こんなの。納得できるわけがねぇ!」
それは遊戯の言葉ではない。
城之内は両の拳を握り締め、叫んだ。
「遊戯は闘ったんだろ……!? こんなになるまで! みんなのために! それなのに何で、遊戯が割を食わなきゃならねぇ!?」
まるで代弁するかのように。
自分のことのように、いやそれ以上に――城之内克也は訴える。強く、強く訴える。
「――今朝……海馬コーポレーションから発表がありました。延期となっていた残りの試合、行うそうです」
唐突に、重い空気に一石投じるかのように、彼女はそれを口にする。
城之内と本田はすでに、その情報を知っていた。しかしなぜ今、それを伝えるのかは分からない。
「……会場を変え、規模を小さくして行うそうです。日程は四日後……残り、四試合」
だが、実際には三試合になるだろう――彼女はそれを予見していた。
神無雫が期日までに目覚めなければ、残りは三試合。準決勝戦と決勝戦。
武藤遊戯、城之内克也、海馬瀬人、そして神里絵空――4人によって競われる、正真正銘の大会最終日。
まだ意識の戻らない者もいる現状、世間からの非難は必至だ。KCが何故このような強行策を打ち出したのかは不明だが――しかし彼女にしてみれば、まさしく僥倖とも呼ぶべきものだった。
「――これが最後の機会です。今のアナタにはまだ、創造神の加護が残っている。四日後、残り2回のデュエル……これだけであれば、アナタの“呪い”が悪化することもないでしょう」
遊戯の瞳がわずかに収縮する。
絵空はそれに気付き、悟られまいと背中を向けた。
「四日後の大会……必ずご参加ください。悔いが残らぬように。アナタにとって、生涯最後のデュエルとなるでしょうから」
背を向けたままそう言い放ち、彼女は病室を出て行った。
それから交わせる言葉もなく、重い空気のまま、城之内と本田も病室を後にした。
「――もうひとりの神里もなんか様子がおかしかったよな……よそよそしいっていうかよ。らしくねぇっていうか、まるで別人みたいな……って、あれ」
本田は口と足を止めた。前を歩いていたはずの城之内が、いつの間にかいなくなってしまったのだ。
つい先ほどまではいたはずなのに――そう思って探すと、すぐに見つかった。城之内は裏路地に入り、壁と睨めっこをしている。
「おっ……おい! どうした城之内! そっちは行き止まり――」
――ガッ!!
本田は次の瞬間、唖然とした。城之内が素手で、コンクリートの壁を殴りつけたのだ。
そしてそれは、手加減無しに何度も続く。彼の両拳はただれ、鮮血を散らす。
本田は慌てて止めに入り、彼の両腕を抑え込んだ。
「馬鹿野郎!! 遊戯のことがショックなのは分かるけどよ! こんなことしたって何も――」
「……うるせぇよ」
「……!?」
――バキィィッ!!
本田の身体が吹き飛ぶ。城之内が彼の顔を、力いっぱい殴りつけたのだ。
「何が分かるってんだよ……!? テメェに! オレの何が分かるってんだ!!?」
「……ってぇ……何キレてんだよ。お前一人の責任じゃねぇだろ。オレだって――」
――ドガァァッ!!!
今度は力いっぱい、壁に頭突きを食らわした。
額から血が垂れ、けれどそれとは違う何かが、彼の足元に零れ落ちた。
「本当は覚えてんだよ……オレ。全部、しっかり覚えてるんだ」
「……?」
本田にはそれが、何のことなのか分からない。
城之内は血塗れの両拳を、痛みを忘れて握り締める。
「あのとき、オレは夢を見てた……分かってたんだ、アイツが闘ってるって! それなのにオレは、目覚めなかった……“あの世界”を手放すことが、できなかった」
――静香がいて、母さんがいて、親父がいた
――狂わなかった親父がいた
――壊れなかった、家族があった
「願っちまったんだ……“本当だったら”って。“あの世界”が現実で、“この世界”が嘘だったらって――そしたら、アイツを忘れちまった。アイツ一人に闘わせて、オレは笑ってたんだ! “あの世界”で!!」
「……!! 城之内……お前」
膝が崩れて座り込む。
それを知られることが怖くて、城之内は嘘を吐いた。覚えていないのだと、分からなかったのだと――遊戯との絆を裏切ったことなど、知られたくなかったから。
「最低だよ……最悪のクズ野郎だ。アイツ一人に重荷を負わせて、オレは……何が仲間だ、笑わせるぜ」
どれほど自傷しても足りない、そう思った。
――せめて今からでも、できることは何だ……?
――アイツのためにできることは
――アイツを裏切った、それを償うために……オレにできる、せめてものことは
「――……アイツがやめるってんならよ……オレだって」
弱々しく、自棄になりながら、
しかし軽はずみな気持ちではなく、城之内は口にした。
「オレもやめるよ……デュエリストを」
城之内の震える背中に、本田は、掛けるべき言葉が見つからなかった。
一方、その頃――絵空は童実野病院内の、別の病室の中にいた。
電灯も点いていない、清閑な病室のベッドに――もう一人の少女が横たわっていた。彼女の名前は神無雫。
彼女は未だに目覚めない。目覚めの時が訪れるのか、それさえも分からない。
ベッドの横の椅子に座り、絵空はふと、窓の外を見上げた。
空は明るく、天は高い。先ほどまでの空気とは対照的で、ひどく皮肉に思えた。
「……“闘いの儀”……あれなら」
遊戯の病室で、少女はひとつ嘘を吐いた。
諦めてはいない、まだ。彼女の眼には見えている――かすかに残る、一縷の希望が。
「――このまま終わりなんて、そんなの……かなしすぎるよね」
失うばかりでは終われない。
その眼に決意の光を秘め、彼女は静かに天空を仰いだ。
決闘192 それぞれの想い
海馬モクバは浮かない顔で、童実野病院内の廊下を歩いていた。
三日前の事件以来、海馬コーポレーションは各所への対応に追われ、大忙しだ。大会運営委員長である磯野など、ろくに仮眠すらとれていない。
そんな中、今朝公式発表した内容――バトル・シティ大会の続行は、状況をさらに悪化させている。警察のみならず政府からも中止依頼が出され、メディアもこぞって非難している。
海馬コーポレーションの権力を使えば、それらを抑制することは不可能ではあるまい。しかし今、会社の対応は完全に後手に回っていた。それを可能とする人物が、いつもと違い、動こうとしないからだ。
(――兄サマ……どうして。分かんないよ、どうしてこんな)
ひどく困惑しながら、モクバは早足で病室へ向かった。
彼の兄にして大会続行を発表させた張本人、そして現在の騒動を鎮静化させうる行動力の持ち主――海馬瀬人のもとへと。
目的の病室へと辿り着き、「面会謝絶」と表示された扉の前で顔を上げる。
海馬瀬人がいるであろう場所――といってもそれは、彼のための病室ではない。ネームプレートに書かれているのは「サラ・イマノ」、この一件において唯一、そして深い外傷を負った人物の名だ。
「――入るね……兄サマ」
内部を確かめるより前に言い、モクバは扉を開けた。
すると案の定、そこには2人の人物がいた。たくさんの医療器具を取り付けられベッドで眠り続けるサラ・イマノと、その前の椅子に腰掛ける海馬瀬人が。
事件以来、彼はしばしば会社のデスクを離れ、この場所を訪れていた。しかし何ができるわけでもなく、ただ彼女の前で、呆然と時を過ごすだけだ。
らしくない、モクバはそう思った。
そして彷彿とさせた。かつて“もうひとりの遊戯”に敗れ、廃人のようだった頃の姿を。
「――モクバか……どうした? 何かあったのか?」
振り返ることすらなく、瀬人は背を向けたまま、そう訊いてきた。その小さな背中に、モクバはやり場のない焦燥を覚える。
彼女の容態がそれほどにショックだったのか、それとも――別の理由があるのではないか、モクバにはそう思えた。
「……遊戯が、目を覚ましたって。四日後の決勝に出られるかは訊いてないけど、今のところ体調は問題ないみたい」
「そうか」と、さして驚いた様子もなく、瀬人は応える。
間を空け、反応を窺うが、それ以上の言葉は返らない。モクバは仕方なく、再びその口を開いた。
「でも、神無雫って子は意識不明のままだ! やっぱり大会は延期して、もう少し様子を見た方が――」
「――問題ない」
覇気の無い、しかし迷いも無い語調で、瀬人はモクバを制した。
「遊戯さえ出られれば支障ない。ヤツとオレさえ出られれば、残りは不要……消化試合にしかならない」
自信ではなく確信。彼の眼にはすでに見えている――第三回バトル・シティ大会決勝戦、その舞台で、自分と遊戯が闘う姿が。
不遜なるその発言は、まさしく瀬人らしいものと言えよう。しかしモクバは不安を覚える。
常に未来を見据える兄が、今はそれを見つめていない。何が彼を俯かせているのか、それが分からない。
「……会社全体が混乱してる。無理に続行する理由がないよ! やっぱりここは延期して、次の機会を――」
「――モクバ」
弟の心情を察したのか、それは分からない。しかしその疑問に答えるべく、海馬瀬人は口にした。
「この大会を最後に、オレは――デュエリストをやめる。だから延期はできない、それが理由だ」
「!? え……っ?」
その意味が理解できずに、モクバは呆然と立ち尽くす。
逆に、瀬人は立ち上がり、光の無い眼で弟を見やる。
「……元より今大会は、オレがヤツとの雌雄を決するためのものだった。だがそれもすでに見えた……オレにはオレの“限界”が、はっきりと解った」
遊戯と同じ姿をした“紛い物”、闇アテムとのデュエル。
手も足も出なかった――あれほどの大敗を喫したことは、ただの一度もなかった。完膚なきまでに負けた。
(何度繰り返そうとも、どれほど対策を練ろうとも……決して勝てない。それほどの実力差があった)
しかし遊戯は、それに勝った。
会場内で録画され続けていたムービーには、彼がその“紛い物”に勝利した、その一部始終までが記録されていた――もっとも、映像記録は闇アテムが姿を消した辺りまでで、撮影カメラは謎の故障をしていたのだが。
その映像を確認し、海馬瀬人は理解した――自分と遊戯の“格の差”を。彼がその身に隠していた特別な何か、その途方も無い力を。
「――オレは決勝の舞台で遊戯と闘い……そして敗れる。前大会で手にした“王”の座をヤツに譲り、オレは表舞台から去る。それで終わりだ」
「!? 兄サマ!?」
モクバは、その言葉が信じられなかった。
自らの敗北を確信した言葉。自信に満ちた普段の彼が、見る影もなかった。
「以前から考えていたことだ。KCの……そしてM&Wの発展には、これまで以上の革新が要る。いい機会だ。オレはプレイヤーを引退し、KCの責任者として、その世界を牽引してゆく。そのための儀式だ……多少の騒ぎには目を瞑ってもらう」
話し終わり、瀬人は再びサラ・イマノを見下ろす。自分を庇い、重傷を負った彼女を。
医者の話では、たとえ意識が戻ろうとも、身体に大きな傷痕が残る――そう言われていた。
(許せサラ……このオレのせいだ)
責任はとるつもりだ。彼女が望む形で、できる限りのことをしよう――せめてもの礼と、償いとして。
(貴様のブルーアイズ……今しばらく借りる。このオレのデュエリストとしての最後のロードを……ともに歩む相棒として)
瀬人は踵を返し、彼女の病室を後にする。
モクバは戸惑いを隠せないままに、その背を慌てて追いかけた。
一方――この事件において未だ意識の戻らないもう一人の犠牲者、神無雫の病室にて。
絵空は彼女の額に触れ、眉をひそめる。そして三日前に知った、彼女の事情を回顧していた。
昨年の初夏、雫は両親が他界して以降、父方の祖父母に引き取られたのだという。
病院に駆け付けた彼らは、雫の身を案ずる絵空に多くのことを語ってくれた――まるで、すがるように。
両親を失い、抜け殻のようになった彼女は、祖父母にも心を開かなかったそうだ。
与えられた自室に引きこもり、春に入学した童実野高校にも通わなくなった。
せめて食事は一緒に、と考えたのだが、無理強いして嘔吐させてしまってからは、それを求めることもできなくなった。
何か月経っても、彼女の様子には改善が見られなかった。しかし祖父母ともに仕事を持っていたこともあり、彼女の処遇は棚上げとなり、高校には休学届が出された。
だから彼女が今大会への参加意志を示したときは、とても喜んだそうだ。
(正確な時期は分からないけど……雫ちゃんはゾーク・ネクロファデスに魅入られて、バトル・シティに参加した。そして“私”の大部分とともに、闇(ゾーク)の使徒……“ゾーク・アテム”の器として、その魂を捧げられた)
ならば全てが終わった今、なぜ彼女は目を覚まさないのか――それを再確認すべく、絵空は右掌を開いた。するとその上に、黒い本――“千年聖書(ミレニアム・バイブル)”が姿を現す。
闇アテムとの激戦の中で “聖書”は一度、全ての魔力を使い果たしている。しかし今、残された“三魔神”のカードを再び取り込むことで、その魔力を取り戻しつつあった。
絵空は雫の額に左掌を合わせ、瞳を閉じる。同時に“聖書”のウジャト眼は輝き、雫の魂を走査し、“処置”を施し始めた。
(やっぱり……雫ちゃんの中にはもう、ゾーク・ネクロファデスの気配はない。けど)
今現在もなお、彼女の魂を穢し続けている根源が在る。むしろゾーク・ネクロファデスの“破滅の闇”は、これを中和し、抑制していたのかも知れない。
“破滅の闇”とは異なる、別種の穢れた気配――絵空はそれに覚えがあった。
始まりのホムンクルス“ヴァルドー”、彼が駆使していたカード“ライトロード”――それが発していたものにかなり近い。しかし決してイコールではない、そう思えた。
(“聖書”の中の“箱舟”の力を使えば、穢れは浄化できる。けど)
その穢れは色濃く、あまりにも根深い。
少しずつ慎重に、トゲを抜くように“処置”しなければ、彼女の心は歪み砕ける。相当の期間を要するだろう――それがどれほどの月日になるかは、今の絵空にも分からない。
「……今日はここまで、かな。明日もまた来るね、雫ちゃん」
絵空は目を開き、改めて雫を見つめる。
殺したい人間がいる――彼女はそう言った。それは自分に対するもので、けれどこうも言った、「どうしたらいいのかわからない」と。
生きることは辛い、死ぬことも辛い――今の絵空には分かる、その気持ちが。
――なぜならそれはかつて、“私”が抱いていた想いだから。
「大丈夫だよ……雫ちゃん。わたしがいるから」
――かつて“私”がわたしと出逢い、救われたように
――人と人の繋がりは、きっとアナタを救ってくれる
――だから
「だからがんばろう……一緒に。雫ちゃんのご両親も、きっとそれを望んでるから」
絵空は雫の右手を握り、やさしく微笑みかけてみせた。
そしてその頃――童実野病院の正門前に、“その少年”は立っていた。
童実野高校の制服を着た、小柄な体格の少年。
彼は病棟のある部分を眺め、そして――静かに微笑んだ。
「――ありがとう武藤遊戯。これで世界は救われる……この僕の手によって」
それは更なる“邪悪”の影。
彼はそれだけ呟くと、誰にも気づかれること無く、煙のごとくその姿を消失させる。
そしてその右手には――この世に存在すべからざる、一枚のカードが握られていた。
LIGHTRAY OSIRIS
/LIGHT
★★★★★★★★★★
【DRAGON】
???
ATK/X000 DEF/X000