オポッサムな1人 バブーンな1人

製作者:kunaiさん



目次
1.  2.  3.  4.  5.
6.  7.  8.  9.  10.
11.



1.

 2010年4月16日。金曜日。16時30分くらい。

 私、九里田 芽衣(くりた めい)は大手ショッピングモールのおもちゃ屋で、デュエルターミナルをやっている。制服姿だから、周りからは女子高生ってバレバレだろう。やっぱり着替えてから来れば良かった。思わず溜息をついて、淡々と画面をタッチする。別に制服のことで溜息が出たんじゃない。10分ほど前、高校の授業を終えて帰宅しているときの出来事だった。



「お姉ちゃん! 久しぶりですね」
「あ、芽衣ちゃん」

 私が呼び止めたのは昔から近所に住んでいる、5歳年上の先輩だ。子供の頃はいつも2人で一緒に遊び、その時から私はこの人のことを“お姉ちゃん”と呼んでいた。私が遊戯王カードを始めたのも、お姉ちゃんがきっかけだ。

 でも最近、お姉ちゃんは変わってしまった。大学生の時までは、あれほど化粧が嫌いと言っていたのに、今では明らかに濃い化粧を使っている。変わったのは化粧だけじゃない。香水の匂いはキツいし、髪も染めるようになったし、服装も派手になって、持っているカバンもブランド物っぽい。

「今週の5D’s(ファイブディーズ)は見ました?」
 お姉ちゃんは「とんでもない」と言いたそうに笑い、軽く手を振る。
「見てない見てない。最近はカードとか、それどころじゃなくて」
「そうですか……」
 私が言えたのは、それが精一杯だった。なんだかバツが悪くなったので、これから友達と約束があると嘘を言い、逃げるようにショッピングモールへと駆け込んだのだ。明日は最新パック、「DUELIST REVOLUTION(デュエリスト・レボリューション)」の発売日ってこと、お姉ちゃんは知らないんだろうな。


 店頭へ行くと予想通り、最新パックが並んでいた。本当はいけないらしいけど、発売日より1日前に売っている店は結構多い。ここもその1つだ。私は3パックほど購入してから稼動しているデュエルターミナルを見る。こっちも、やっぱりだ。

 画面の上にA4サイズの紙が貼られており、「第8弾の在庫がありませんので、以前までのカードを入れています」と書かれていた。第8弾は人気カードが多く、この時期はどこへ行っても枯渇している。だからどう考えても中身は在庫処分だと分かっていたのに、私はなんとなく、100円玉を入れてしまった。デュエルターミナルから出てきたカードは、森の番人グリーン・バブーン。


《森の番人グリーン・バブーン》
★7 地・獣族 ATK2600/DEF1800
自分フィールド上に存在する獣族モンスターが破壊され墓地へ送られた時、
1000ライフポイントを払って発動する事ができる。
このカードを手札または墓地から特殊召喚する。


 かつては制限カードにも指定され、大会で猛威を奮っていたカードだった。今では効果の裁定が変わり、すっかり一線を退いてしまった存在だ。別に私は学校を支配した経験なんてないけど、時が経ち、衰えてしまったトコは妙に親近感が沸いてくる。

 このカードをスキャンしたスピードデュエルの結果が散々だったのは言うまでもない。専用デッキが使えるわけでもないから、自身の効果が全く生かせなかった。負けがほぼ確定しているのに続けなければならないのは苦痛だ。そろそろリセット機能を付けて欲しい。また溜息をついてから淡々と画面をタッチし、初期の状態へ戻しておいた。一応、カードは曲がらないように2つのパックの間に挟んでおいて、ショッピングモールを後にした。





2.

 外に出ると、心地良い風が吹いた。駅前のショッピングモールというのもあって、ここでも多くの人や、自動車が行き来している。私は途方に暮れるように自宅へ向かい、歩きながら考えごとを始めた。


 どんなに周りが変わろうと、私とお姉ちゃんは、いつも自分達のままだった。小学校の頃はそこまで違和感を感じなかった。でも中学、高校になったら話の合わない同級生も増えてくる。それは周りが流行のファッションだの、男のアイドルグループだの、彼氏だの、そんな話が中心になるからだ。

 でも、それが自然なんだと思う。世間から幼児性が抜け切れていないと非難されるのは、私のほう。それでも私は、子供心を失い、現実的に汚くなるのが、たまらなく嫌だった。

 だから何も変わらなかったお姉ちゃんが大好きだったし、心から尊敬もしていた。でも、お姉ちゃんは変わってしまった。社会人になってからだ。そして社会人になることでの影響力を何度も見ているからこそ、私の絶望はリアルに映った。

 うちの家は両親が酒屋をやっている。お小遣い目当てで店の手伝いをした時は、店が店だし、普通の高校生よりも多くの汚い大人達を見てきた。男は女を使い捨てのように考えていたり、女は女で、男をお金や利用価値でしか見ていないような生々しさが、いつも目に付いた。そこには夢も希望もない。子供の頃に想像するものとは、かけ離れた現実。結婚。浮気。離婚。養育費。慰謝料。税金。増税。確定申告。高齢社会。少子化。


 いつかは自分も、お姉ちゃんを変えた社会人になってしまう。
 そう思うと何だか妙に疲れ果ててしまい、ヤケクソになりたい気分だった。





3.

 帰り道は体が覚えているのか、いつの間にか家に近づいていた。

 通り過ぎる車を眺め、横断歩道を待っていると、赤いランドセルを背負った女の子が足を止める。また、バカなことを思いついた。本当に子どもっぽいと自嘲しつつも、これはちょっとした気分晴らしになりそうだ。私は自分が高校生探偵にでもなったつもりで、女の子の実態を推理することにした。

 クリーム色の服と、紺色のスカート。小柄でかわいらしい感じの女の子だ。元気がなさそうで控えめだけど、育ちの良さそうなお嬢様にも見える。名前は見えないけど、低学年が付ける大きめの名札だから、小学校1年生か2年生だろう。今日は4月16日。新学期。ランドセルは新品で綺麗と言うより、丁寧に扱っているから綺麗といった感じ。きっと2年生だ。名前はお金持ちっぽい苗字、例えば――。

「っ……」

 女の子が口元を押さえると、何度も大きな(せき)を始めた。一般的には不快を催すであろう大きな咳の音と、両目を閉じて耐える姿は、見ているこっちまで苦しくなりそうだった。たぶん、間違いない。小児喘息だ。

 助けなきゃ。でもどうしよう。この時は焦りもあって最善の手段だと思ったけど、思えば私はバカだった。自分が誘拐犯じゃないことを信用して貰うために、胸ポケットから生徒手帳を取り出して、女の子に手渡した。漫画やアニメの刑事じゃないんだから。

「私は九里田 芽衣。大丈夫だから、一緒に来てっ!」

 信号が変わった。女の子の手を取り、九里田酒店に向かって走る。店と家は両隣で繋がっているけど、家側には鍵が掛かっているから、店側の自動ドアから直接入った。店内を囲む周りの棚にはビンに入ったお酒が並び、テーブル席が6つある。時間が時間だし、お客さんは1人もいなかった。


「母さん、水っ!」

 何事だ、と母が面倒くさそうに店の奥から出てくる。喘息が止まらない女の子と私を見て、その意味が分かったのか、慌てて店のキッチンへと駆け込んだ。とりあえず女の子をテーブル席のイスに座らせ、ランドセルを肩から外して机の上に置く。

「薬はこの中?」

 女の子は苦しそうなまま首を横に振り、ランドセルにぶら下がっている給食袋を指差した。開けてみると中には紙袋で入っていたので、すぐに分かった。私が女の子の背中をさすっていると、母が水の入ったガラスのコップを持って来る。女の子にコップを手渡してから、母は驚いた様子で私を見ていた。なんでそんなに慣れてるの、っと言いたそう。

「小学校の時、クラスに喘息だった子が2人いたから。それで慣れてんの」



 それから、2〜3分くらいで喘息は止まった。体調が良くなってきたようだ。
 女の子はこちら側に真っ直ぐ向き直り、ペコリと頭を下げる。
 やっと、名札が見えた。

「……わたしは、土野庫(つちのこ) 癒由由子(ゆゆゆこ)です」





4.

 店内の冷蔵庫から、缶のオレンジジュースを2つ取り出した。

 両手に持って癒由由子ちゃんの座るテーブル席に向かっている途中、レジで作業をしている母が顔を上げて、「小遣いから引いとくからね」と呟いた。私は思ったまま「ケチ!」と言い返してやった。

「遠慮しないで、飲んでいいよ」

 テーブルにジュースを置くと、癒由由子ちゃんは丁寧にお礼を言った。私の勝手な妄想だけど、喘息のことで病院に行ったりすることも多そうだから、大人への対応が身についているような感じがした。


「見た目の通り、ここは酒屋なの。でも、別に酒臭くないでしょ?」

 それは私が幼稚園児くらいの頃、店を何度も“酒臭い”と文句を言ったことが理由と聞かされている。最初は換気とかを良くして、店内の臭いには気を付けるようになったのだ。店の様子が居酒屋からファミリーレストランっぽい雰囲気になってからは酔っ払いが減り、女性客が増えて、おでんを目当てに親子連れが夕食に来るようにもなった。コンビニでは置いていないような種類のお酒もあるから、通な方々のお客さんも来る。私が見た感じでは、そこそこ人気のある店じゃないかな?


 自己紹介がまだだった。私は九里田 芽衣(くりた めい)。高校2年生。17歳。小学生の頃のあだ名は「クリッター」と「酒屋の娘」。成績は平均点くらい。見栄を張って理数系を選択してしまったから最近、数学が難しい。スタイルが良くないから水着は嫌いだけど、好きなスポーツは水泳。将来の夢は、と言おうとしたけど、社会人になったお姉ちゃんの顔が横切ったので、思わず振り切った。私のことはもういっか。自分のことを話すよりも、人から話を聞くほうが好きだ。有能なカウンセラーか。ただの変態か。私は癒由由子ちゃんから色々なことを、できるだけ自然に聞き出した。


 土野庫(つちのこ) 癒由由子(ゆゆゆこ)ちゃん。小学2年生。7歳。苗字が珍し過ぎるけど、名前も相当変わっている。「ゆゆこ」は小学校のクラスメイトにいたけど、「ゆゆゆこ」は初めて聞いた。一体、両親はどんな理由で癒由由子という名前にしたんだろう。

 癒由由子ちゃんの家は思っていたよりも近かった。郵便局の向かいなら、ここから徒歩で5分も掛からない。通っている小学校が私と同じだから、ちょっと驚いた。出来の良さそうな雰囲気に惑わされていたけど、確かにお嬢様学校みたいな制服を着ていないし、ランドセルも普通だ。癒由由子ちゃんのお父さんは仕事が忙しくてあまり会えず、普段はお母さんと家にいるらしい。一緒に買い物に行ったりはするけど、1人で本を読むか勉強をすることが多いようだ。

 小学2年生と言えば、九九。聞いてみると、癒由由子ちゃんは完璧に九九をマスターしていた。私は当時から9の段を発音するのが苦手だったのに。そこから学校の話に持っていこうとすると、癒由由子ちゃんが僅かに顔を曇らせたので、何か触れられて欲しくないことがあるような気がした。学校で嫌なこと……か。


「お姉ちゃんはいつも、何をしているの?」


 自分の話が嫌になったのか、初めて癒由由子ちゃんから話を切り出した。

「漫画とアニメを見たり、カードゲームもやってるよ」
「カード?」

 私は何気ない感じを装い、「ちょっと待っててね」と言って席を立つ。自分の趣味に興味を持ってくれる人には心を許してしまう理由が今、なんとなく分かったような気がする。部屋に置いていた適当なカードを持ってきて、癒由由子ちゃんに見せた。サイレント・ソードマンLV5。サイレント・マジシャンLV4。星見獣ガリス。ヘルフレイムエンペラー。憑依装着−ヒータ。神竜エクセリオン。色んな種類のカードを手に取って見る癒由由子ちゃんの瞳は、珍しい物を見つけたように輝いていた。


「遊戯王のカードはゲームソフトも充実しているから、実物のカードを買わない人も多いんだって。だからそういう人の中には、カードを買う奴はバカだ、お金の無駄遣いだって言う人もいるけど、私は実物のカードの方が好きだな。人と向き合って対戦するのはゲームソフトだけじゃ味わえないことだし、カード関連のグッズを買ったり変えたり、持っているカードのイラストを眺めたりするのも結構楽しい。あとは」

 カバンの中から、今日買った物を3つ取り出した。

「パックを開けるのも楽しいよ。癒由由子ちゃんもどう?」

 机の上でパックを広げると、隙間から森の番人グリーン・バブーンのカードが出てくる。そういえばここに挟んでいたこと、すっかり忘れていた。癒由由子ちゃんは驚いた様子で「いいの?」と聞いたので、私は笑顔で頷いた。両手で1つのパックを手に取り、開封しようとする姿が可愛い。緊張しているのもよく分かる。私はパックの右上を指し、ここから開けると説明した。

「当たり……なの……?」
「うーん、普通くらいかな」

 とは言ったものの、3パックとも見事なハズレだった。スーパーレア以上が1枚もない。これが漫画やアニメだったら、間違いなくウルトラレア以上が出ていたはず。相変わらず空気の読めない現実だ。あっ。神の警告が1枚ある。

「このカード、かわいい……」

 癒由由子ちゃんの興味は神の警告ではなく、おとぼけオポッサムだった。そんなにアニメっぽいデザインでもないのに、確かに可愛いカードだ。


《おとぼけオポッサム》
★2 地・獣族 ATK800/DEF600
自分のメインフェイズ時、このカードの攻撃力よりも
高い攻撃力を持つモンスターが
相手フィールド上に表側表示で存在する場合、
フィールド上に存在するこのカードを破壊する事ができる。
また、自分のスタンバイフェイズ時、
このカードの効果で破壊されたこのカードを
墓地から特殊召喚する事ができる。


「それはこのカードと一緒に使うと、いい感じだよ」

 森の番人グリーン・バブーンを癒由由子ちゃんに手渡すと、2枚のカードを両手に持って見比べている。う〜ん。迷った。私から言うべきなのだろうか。それとも、この子が聞いてから言うべきなのだろうか。自分の考えを人に押し付けるのも、押し付けられるのも、あんまり好きじゃない。でも、自分から積極的に物事を言えそうな子じゃなさそうだし、この場合は私から言ってあげた方がいいのかも知れない。


「遊び方、覚えてみる?」





5.

 遊戯王カードのルールを覚えて貰うためには、何から始めればいいんだろう?


 私は教員免許なんて持っていないし、最善の方法なのかは分からないけど、まずはアニメ遊戯王の王国編や、バトルシティ編を一緒に見ることから始めた。いわゆる“俺ルール”もあった時代だけど、シンプルで一番カッコいい戦いをするのも、原作だと思ったからだ。

 カードは全て私が用意して、まずは通常モンスターと昔の装備魔法、地砕き、炸裂装甲といった、シンプルな効果のカードだけで始めた。ユユちゃんは意外にも積極的で、大まかなルールは数日で覚えた。カードゲームの奥深さと楽しさ、自分の求めるカードを引き当てた時の興奮を、ユユちゃんは知ってしまったらしい。



 その翌日。私とユユちゃんが店でカードを広げていると、髭を生やした40代くらいの男性と、短髪で20代くらいの若い男性が話しかけてきた。いつも2人で来る常連さんだ。若い人の方は子供の頃に遊戯王カードをやっていたそうで、懐かしくて見に来てしまったと言っていた。私はここで初めて、2人が車の整備工場で仕事をしていることを知った。

 昔の遊戯王カードを知っていて、最近のカードを知らない人には、このカードを見せるに限る。キメラテック・オーバー・ドラゴンだ。場合によっては、攻撃力4000の5回攻撃や、攻撃力8000の10回攻撃。アニメの登場人物もこの効果には驚いていたけど、20代の男性、大作さんはそれ以上の反応をしてくれた。私達に流されるような形で熊本さんもカードを始めたので、ユユちゃんと並び、私と大作さんがルールやカードの使い方を教えたりする日が続いた。熊本さんは私にだけ、大作さんを本当の息子のように思っていることを話してくれたり、今では私とユユちゃんが自分の娘のようで、人生の楽しみも増えたと言ってくれた。今度、私が熊本さんを“お父さん”と呼んだら、どんな反応をしてくれるだろう?



 ユユちゃんがオポッサムとバブーンを十分に使いこなせるようになった頃、カードゲームをする私達の様子を見ていたお客さんがいた。ただの好奇心で見ている人とは少し違った気がしたので、私は思い切って声を掛けてみた。眼鏡を掛けた大柄の男性は突然のことで驚いていたけど、話してみると現役の遊戯王カードプレイヤーだと分かった。

 奥田さんは20歳のフリーターで、以前は幼稚園の先生を目指していたけど、保育所ボランティアを見た目で断られたことをキッカケに、大きな挫折をしてしまったと言っていた。でも奥田さんはいい人だ。熊本さんや大作さんとも上手く溶け込んでいるし、ユユちゃんからも慕われている。デッキも色んな種類を使っては丁寧に説明をしてくれた。カードの教え方は私よりも断然上手い。そんな彼が世間では認められていないなんて、ちょっと理不尽だ。



 学校の女友達にそれとなく話題を振ってみたけど、カードをやる様子はなさそうだ。あとはクラスといい、選択授業といい、やたら私と被っている男子生徒2人にも声を掛けてみた。彼らとは元々、授業までの休み時間中、漫画やアニメの話題をしていたから言いやすかったのもある。2人とも苗字が「田中」で、私は田中1号、田中2号と呼んでいた。それがクラスにも広まり、いつの間にか先生まで使うようになったのは、何だか嬉しい。

 この2人も大作さんと同じで、昔は遊戯王カードをやっていたそうだ。いざ店に呼んでみると、いきなり強欲な壺を発動したから驚いた。強力なカードに部類されている、強欲で謙虚な壺なんて目じゃない。だからこそ強欲な壺は2010年5月では禁止カードなんだ。それでも、無意味にニードル・ワームや、執念の剣が入っていたりで、ユユちゃんにもあっさり負けていた。2人とも、小学生の女の子と遊べるのが楽しいそうだ。このロリコンどもめ。



 また別の日。私達がカードを広げていると、たまに来てくれる家族連れの夫婦が喋っている間、中学生くらいの兄妹が何度もこっちを見ていた。興味の目が奥田さんの時と同じだから、すぐに分かった。2人の兄妹に聞いてみるとやっぱり、私の思った通り。こんなことならもっと前から声を掛ければ良かったと思ったけど、こればっかりは仕方がない。

 今年で中学2年生になった、E・HEROデッキを使う英雄(ひでお)君。中学1年生の玉輝(たまき)ちゃんは宝玉獣デッキを使っていた。英雄君と大作さんは馬が合ったのか、初日から意気投合し、今では歳の離れた兄弟のようにも見える。玉輝ちゃんは今まで、英雄君以外とはカードゲームをしたことがなかったと言っていた。近所でカードゲームをやっている女友達を探すのは結構難しいし、店に行っても男が多いから仕方がない。田中1号と2号は、中学生の女の子と遊べるのが楽しいそうだ。このロリコンどもめ!



 店の中は居酒屋やファミリーレストランと言うより、ちょっとしたカードショップ状態になっていた。もちろん、店に来る人が全員、カードをやっているわけじゃない。OLっぽい人達は少し様子を見るけど、すぐに自分達の会話に戻るし、全く興味を示さない人もいる。それでも、ルールは覚えられないからと、見て楽しむ常連さんは徐々に増えてきた。

 そのうち誰かが、小さな大会を開かないかと言い出した。最初は冗談だと思っていたのに、気が付いたら現実になっていた。参加メンバーは8人。大作さんと英雄君。田中1号と田中2号。熊本さんと玉輝ちゃん。奥田さんとユユちゃん。私はユユちゃんと2人で一緒に戦う事になった。英雄くんは大作さんに負けて、田中1号と2号は同じ苗字で潰し合い、熊本さんは玉輝ちゃんに負けて、奥田さんはユユちゃんに遠慮をしたのか、私達は準決勝に勝ち進んだ。

 大作さんは田中2号を軽く捻り潰し、玉輝ちゃんとユユちゃんが戦う。運よく慣れ親しんだカードが揃っていたのもあって、私が指示することなくユユちゃんが勝った。決勝戦はユユちゃんと大作さん。序盤から終盤までアニメさながらの攻防が続き、お互いのライフポイント、手札、場のカードがほとんどない状態。ユユちゃんがおとぼけオポッサムをドローして効果を発動、森の番人グリーン・バブーンが現れ、その直接攻撃で勝利した時は大歓声が巻き起こり、みんなで凄く盛り上がった!

 全員が、私の父に注意されるくらいに。





6.

 翌日の16時頃。私は灰色のパーカーとジーンズ、ユユちゃんはマスコットキャラクターの描かれた水色の服を着て、ショッピングモールへと遊びに行った。日曜日だけあって人が多く、騒音も大きいので、ユユちゃんと逸れないように気を付けないと。私は何となくこの時、ユユちゃんの喘息の回数や時間が、大幅に減っていることに気が付いた。

「お姉ちゃん、カード買うの?」
「今日はパックじゃなくて、カードプロテクターと、ケースを探しにね」

 おもちゃ屋に着いた時、ユユちゃんは真っ先にカードコーナーへと向かった。なんだか自分に似てしまったようで苦笑してしまう。私はどれか迷っているので一緒に選んで欲しいと言った。もちろん、それは建前で、ユユちゃん本人に選ばせるのが目的だ。店のポイントカードを溜めつつ代金を支払い、ショッピングモールの外に出てから、ユユちゃんにビニール袋ごと手渡した。戸惑った表情で、私を見上げている。

「これはユユちゃんのだよ」
「でも……」
「店のお客さんが増えると、私のお小遣いも増えるの。気にしないで」
「いいの……?」
「もちろん。カードグッズを買ったり変えたりするのも楽しいって、言ったでしょ?」
「……ありがとう、お姉ちゃん。わたし、ずっと大事に使い続ける」
「そんな。大げさだよ」

 ユユちゃんはビニール袋の中身を、大事なぬいぐるみのように優しく抱きしめた。





7.

 雨が降りそうな曇り空だった。

 学校は今日まで中間テスト期間だったので、私は昼前に帰宅した。ユユちゃんがうちの店に来るまで時間がある。せっかくだから、新しいデッキでも作っておこうかな?

「失礼します。九里田様でしょうか」

 振り返ると、20代後半くらいの綺麗な女性が立っていた。背中まである長い髪と、白いブラウス、紺色のロングスカートがよく似合っている。高級志向のお酒でも探しに来たのだろうか。私が店の者を呼びます、と言うと女性は慌てて呼び止めた。どうやら私に用があるらしい。制服姿だから、私が高校生ってことは分かるはず。

 じゃあ、どうして?


「申し遅れました。私は癒由由子の母です」





8.

 応接室か。カードと漫画に溢れる私の部屋か。

 今はお客さんも少なかったし、母に事情を説明してから店内に招き入れた。一体何の用で来たんだろうと少し警戒していたのに、ユユちゃんのお母さんは不慣れな様子で店のメニューを眺めていた。私はお茶を用意するペースを早める。

「別に注文とかはいいですよ。私も話が聞きたいだけなので、できれば本題に」

 これくらいハッキリと言わないと気を使いそうだしね。ユユちゃんのお母さんは「分かりました」と言って膝に両手を置いて、丁寧に会釈する。その様子を見て何となく思った。ユユちゃんのお母さんは、敵意を持ってここに来たんじゃないような気がする。

「九里田様のことは探偵事務所に依頼し、調べて頂きました」
「探偵!?」
 ちなみに現実の探偵は殺人事件の犯人を暴くのが仕事ではなくて、素行調査や浮気調査が主な仕事内容と聞いたことがある。現実なら探偵と言うより、“興信所”と言った方がそれっぽく聞こえるか。しかしまさか、自分がその対象になっていたなんて思いもしなかった。
「申し訳ありませんでした」
「いえ、私のほうこそ。でも、どうしてそんなことを?」
「……娘が心配だったのです」

 ユユちゃんのお母さんは、まるで自分の非を打ち明けるかのように語った。

 娘は体も弱く、消極的な性格だから、自分から友達を作れるタイプではなかった。そんな娘に最近、友達ができたようだ。でも、友達のところへ行くと言うだけで、うちに来ないのかと聞いても、来ないとしか答えない。最初は家でも元気な姿を見せていたけど、今では以前のように無口になり、喘息のペースも戻ってきた。もしかしたら、学校で何かあったのかもしれない。でも、私立ではない学校の実状はよく分からなかった。そこで主人と相談し、秘密裏に調べるため、探偵事務所に依頼することにした。もっとも何かありそうな場所として、最終的に行き着いたのが――

「私でしたか」
「はい」

 ユユちゃんのお母さんも、お父さんも、一貫して私立の学校に通っていたそうだ。私が最初にユユちゃんを見た時、どこか育ちの良さを感じたのは、こういうことだったんだ。それは納得できる。でも。

「それなら、どうしてユユちゃんは普通の小学校へ?」
「……あの子を癒由と呼んでくれるのですね」

 その声は嬉しそうなのに、どこか物悲しさのある感情が込められているように思った。

「主人と一緒に考えたあの子の名前は、癒由子でした。しかし私達の両親が有名な占い師に鑑定させ、その名前では不十分だと言い、強引に今の名前に決定されたのです」

 なんだか冗談みたいな事実で、どう返答すればいいのか迷った。変わった名前を付ける両親だと思ったのに、こんな裏があったなんて。別に占いで子供の名前を決めることが悪いとは思わないけど、それが本人や周りの人に迷惑が掛かるのなら、ナンセンスだろう。

「それだけで済めば良かったのですが、今度は進学する小学校から大学まで勝手に決められました。決定的に私と主人が我慢できなかったのは、大手製薬会社の社長にできた息子を、結婚相手にすると言った時でした」

 あー。くそ。こういうのも実際にあるんだ。

「それ以来、私達は両側から勘当のような状態になりました。私の姉や、主人の弟もいるので、予備として考えられていたのかも知れません。思えば私達は子供の頃から決められた人生を歩み、あらゆることを決定されて育ちました。成績のために心身を削り、自由のない苦しみがある道を辿るより、娘には普通の子供として成長し、生きて欲しかったのです」

 …………。

「ユユちゃんのお母さんの、何とかしたいって気持ち、すごく分かります。私には想像のできない苦しみがあったことも、よく分かります。でも普通の学校にだって、普通の学校にしかない苦しみがあります。自分が1人で選択することも本当に不安で、怖いんですよ」

 しまった。今のはちょっと批判めいた言い方だった。私が謝ろうとした時、ユユちゃんのお母さんは反論もせず、謝罪を加えて私の意見に同意した。本当に良いお母さんだ。負の要素が全くと言っていいほど感じない。こんな人が現実にいたなんて驚きだ。

 今日、ユユちゃんのお母さんがここに来たのも、何か心当たりがないかを直接聞きに来たそうだ。私から情報を仕入れた上で、原因と解決方法を考えたいらしい。私だって協力するために少しでも参考になることを言いたかった。でも、断言出来る。ない。少なくともユユちゃんはここでは楽しそうにしていた。喘息の回数も時間も減っていたんだ。だからこそ、私は気になって仕方がなかった。出たがりなだけかも知れないけど、自分が何か行動するべきなんだ。

「この件、私に任せてくれませんか?」

 ユユちゃんのお母さんは驚いた様子だった。
 そこまでご迷惑は、と言ったところで私は思わず遮る。

「迷惑なんかじゃありませんよ。私、子供の頃から漫画とかアニメが好きなんです。それで色々と毒されちゃって、現実でもかっこよく、困っている友達を助けてあげたいなって思うんです。ここで現実的に見過ごしてしまうと、私はきっと後悔します。ふざけているように思われるかも知れません。でも、ホントなんです。私に任せてくれませんか?」





9.

 夜の10時。自分の部屋。

 私はベッドの上で寝転がりながら、天井を眺めて溜息をついた。ユユちゃんのお母さんは私を信じてくれた。なのに今日、ユユちゃんのいつもと変わらない笑顔を見ると、私はどうしても聞くことが出来なかった。楽しい気分のときに嫌なことが起こると、どれだけ落ち込みたくなるかを私はよく知っている。知っているから聞けなかった。

 そういえば、ユユちゃんと出会う直前、私は大人になることに悩んでいたっけ。私が社会人になったら、お姉ちゃんと私のように、私とユユちゃんとの交流も終わってしまうのかな。無駄金だったとカードを捨てて、心を捨てて、妥協せざるを得ない社会に順応する。それを見たユユちゃんは自分の信じたものを信じられなくなって、変わってしまうんだ。

 自分のこともできない私に、何ができるんだろう。そもそもユユちゃんの悩みが何かも分かっていないんだ。これが漫画やアニメだったら、酒屋での交流をきっかけにユユちゃんの喘息は完治し、家でも学校でも元気になっていたはずだ。本当に、上手く行かない。

 もしかしたら、私と一緒にいることが悩みなのかな。あくまでも助けて貰った義理としてカードゲームを始めたから、本心では疲れているのかもしれない。あの時は迷ったけど結局、私から誘ったはずだ。ユユちゃんはそれを素直に断れる性格だろうか?

 ……話が変な方向になってきた。そんなことを考え出したらキリがない。
 それでも私はネガティブなことを考え続けながら、いつの間にか眠ってしまっていた。





 目覚まし時計が私を叩き起こす。
 結局、ユユちゃんにどうやって話を切り出そうか。
 その日も私にとって、何の変哲もない日常が始まった。
 普段通り学校に行って、授業を受けて、
 休み時間は田中1号、2号と適当に喋る。
 昼は女友達と弁当を食べて、眠い午後の授業を終えた。
 私はまだ何かを考えながら、帰宅している。
 あれ。九里田酒店の前で立っているのは、ユユちゃんのお母さん?






























 ユユちゃんが今日、学校の校舎から飛び降りた。

























10.

 気が付くと、父が運転する車の助手席に座っていた。後部座席にはユユちゃんのお母さんもいる。そうだ。私が家に帰るとユユちゃんのお母さんが私の家で待っていて、ユユちゃんのことを聞いて、父が県立の病院まで送ってくれるんだっけ。

 それ以上のことは全然覚えていなくて、私の頭の中はとにかくパニックになっていた。声を出したくても上手く出せないような変な感じ。自分でもよくわからないけど、何かに後悔したような感情が湧き上がってくる。失敗した。あのとき私が。こんなことになるなんて。どうしてこうなる前に。こんなことを考えても何の意味もないことは分かっている。でも、考えてしまう。どうしよう。どうしよう。どうすれば……。

「芽衣!」

 父の大声で我に返った。車がいつの間にか病院に着いている。私はカバンを持って降り、ユユちゃんのお母さんと一緒に病院に向かった。入り口付近まで行くと、スーツ姿の男性が私達を見て駆け寄ってくる。ってことは、ユユちゃんのお父さんに違いない。私が誰なのかを知っている様子だったので、お互いに簡単な挨拶を済ませて病院に入った。

 廊下を歩きながら、ユユちゃんのお父さんが状況を説明してくれた。校舎から落ちはしたものの草木があるところなのが幸いして、怪我は重症とまではいかないものらしい。意識も戻っているようだ。それを聞いてまず、ユユちゃんが無事だったことに、とにかく安心した。学校の校舎で落ちたのは間違いなくて、休み時間中だったから発見も早かったらしい。生徒による憶測と噂が広がったせいで飛び降りたと言われているけど、滑り落ちた可能性もあるそうだ。

「誰かに落とされた、というのは?」

 私はあまり考えず聞き返して、しまったと思った。ユユちゃんのことを一番心配しているであろう両親に不安を煽る質問をするなんて、とんでもない失言だ。ユユちゃんのお母さんは少し青ざめた様子になり、お父さんはあくまでも冷静に「その可能性もあります」と答えた。

 エレベーターの乗り降りが済み、もうすぐユユちゃんのいる病室へ着く。緊張しすぎて胸が張り裂けそうだ。私がするべきことって、なんだろう。ユユちゃんにとっての正解って、なんだろう。何の準備もできなくて、正解への確証もなくて、不安で、怖かった。結局、止められなかった足が病室前へと着く。

「心配だと思いますが、私だけで行かせてくれませんか?」

 もしダメと言われたら、自分の親にだって言いにくいことだってあると説得するつもりだったけど、2人とも私の気持ちを察してくれたようだった。話が長くなるかもしれないので売店や自販機のある休憩所で待ってもらい、私は1人で扉の前に立つ。手が震えている。でも、行くしかない。当たって砕けろ、もうどうにでもなれ、と半分は開き直るように自分に言い聞かせて扉を開ける。室内は6人用の広い準個室だったけど、ユユちゃん以外は誰もいなかった。

「お姉ちゃん……」

 ユユちゃんの顔色はいつもと変わっていないように見えた。けど、明らかに元気がない。足の怪我が気になるけど、布団で隠れてよく見えなかった。私は無言のままベッドの横に置かれた丸椅子に座る。カバンを開けて、できるだけ穏やかな声で呼びかけた。

「ユユちゃん。はい、これ」

 うちの店から持ってきた缶のオレンジジュースを2つ取り出す。ユユちゃんは戸惑いながらも両手で缶を受け取った。2人でプルタブを開けて、缶のオレンジジュースを飲む。心がふぅ、と落ち着いたような感じだった。悪いことが起きたときはまず、栄養を取るのが一番だ。

「何があったか、話してくれる?」


 ユユちゃんは学校が嫌いだった。入学してから、今の今まで。生きていても楽しいことなんてないと思っていた。そんな時に私と出会い、うちの店を通して大勢の友達ができた。生きていればこんなに楽しいことがあるなんて思いもしなかった。だけど時間が過ぎれば終わってしまう。時間が過ぎれば家に帰ることになる。自分の家が嫌いなわけじゃない。お母さんもお父さんも好きだ。だけど家に帰れば、次は学校に行くことになる。そう思うと、家にいる時まで苦しくなってしまった。そして苦しさの範囲は徐々に広まり、楽しさの範囲は徐々に狭まってしまう。学校へ行く当日。学校へ行く前日の夜。家に帰る途中。うちの店を出る時。今はもう、うちの店を出る1時間前には苦しくなっていたらしい。

 そしてほんの数日前、クラスメイトの男子が学校の遊具で転び落ちて骨折する事故が起こった。その日、教室で空いた席を見てユユちゃんはこれだと思った。仮病を騙し通せる自信はないから、本当に怪我をして入院さえすれば、学校に行かずに済む。だけど次の日、クラスの男子は学校を休むことなくギプスを付けて登校していた。遊具から落ちたくらいじゃ重傷にはならない。重症じゃないと入院はできない。そう思ったユユちゃんは1人で悩み続け、校舎から飛び降りて怪我をする決意をした。でも実際に行ってみると遊具とは違い、あまりにも高さが違って怖くなってしまった。やっぱり自分には無理だと思い、引き返そうとしたところで、足を滑らせてしまったようだ。

 私には、ユユちゃんが嘘をついているとは思えなかった。きっと、本当の気持ちを話してくれたんだと思う。私がプレゼントしたものを、ずっと大事にするとユユちゃんは言ってくれたし、うちの店でやる次の大会の約束だってしているんだ。だからユユちゃんはうちの店にいるのが大好きで、学校にいるのが大嫌いなだけなんだ。

 だけど最後に残った疑問がある。ユユちゃんが学校に行きたくなかった理由。

 小学校1年生の時は過保護な担任の先生だったらしく、日直の仕事にユユちゃんの体調管理みたいな項目を用意していた。他のクラスにはない仕事だろうし、いつもクラスメイトから面倒臭いと思われていたようだ。2年生の担任は真逆で全ての生徒を平等に扱い、授業中にユユちゃんが喘息をしても教室から隔離しなかったことで、クラスメイトからはうんざりされていたようだ。元々、子供同士の付き合いに慣れないユユちゃんは上手くコミュニケーションが取れず、厄介者として嫌われ、友達を作る機会を失っていたんだ。


 乾いた笑いをするしかない。
 私はてっきり、子供同士によるいじめが原因なんだと思っていた。
 ユユちゃんの控えめな性格。寛容じゃないクラスメイト。これらも立派な原因だろう。
 だけど発端はやっぱり、大人じゃないか。
 そんなことをしたらクラスメイトから反感を買い、
 ユユちゃんが孤立することになるって、なんで分からないかな。


 分かっているよ。


 別にユユちゃんを孤立させるためじゃないってことくらい、分かっている。1年生の先生は以前、身体の弱い子を細かく管理しなかったことで大きな失敗経験をしたのかもしれない。2年生の先生は自分が子供の頃、特別扱いをされることでクラスメイトから蔑まされていたのかもしれない。それなら、ユユちゃんが別のクラスだったら上手くいっていた? ユユちゃんのお母さんが今の学校に通わせたのがいけなかった? ユユちゃん自身の努力が足りなかった?

 結局、何の結論も出なかった。私がユユちゃんに何を言えるのだろう。ユユちゃんはこれから大人になってしまい、もっと苦しいことがあることを知ってしまう。漠然とした何かに立ち向かうことができなくて、できたとしても、それは必ずしも報われるものでもなくって。だから、私はユユちゃんを励ますことができなかった。悲しくって、悔しくって、不意に涙が溢れ出てきた。私を見て、ユユちゃんが心配そうに覗き込んでいる。

「お姉ちゃん、どうしたの? 泣かないで」

「うん……大丈夫。ごめん。ちょっと、間違えただけ……」

 私はいつもそうだ。何時間も、何日も悩むくせに、いつも結論が出ない。でも、なんかおかしい。私がユユちゃんを励ますつもりだったのに、私がユユちゃんに励まされてどうするんだろう。なんだか、今は深く考えなくてもいいような気がしてきた。また何時間も、何日も悩むくせに、次も結論が出ないんだろうな。私は鼻をすすり、手で涙を拭い、笑顔を作って明るい声で言う。

「ユユちゃんは悩むことに疲れてない? 私はもう、ギブ」

 まだ笑顔を見せないユユちゃんが静かにうんと頷く。

「じゃあ、くよくよするのは少し休もっか。また元気になってから、くよくよしようよ」

 何を言っているんだろう、私は。ユユちゃんも言葉の意図が掴めず、不思議そうな顔をしている。でも今の言葉、漫画かアニメだと名言になりそうな気がする。なんだかそれっぽい感じだし、日常で使っていたら何を言っているんだと一蹴されそうな感じもある。これだから現実って、漫画やアニメに比べると全然面白くない。生きていても嫌なことのほうが圧倒的に多いし、もう死んで終わらせてやろうかって何度も思ったりもする。でもギリギリ、本当にギリギリの、ギリギリだけど、まだ、捨てたもんじゃないような気がする。

 くよくよするのを、少し休もう。
 また元気になってから、くよくよすればいいんだから。





11.

 2010年7月16日。金曜日。16時30分くらい。
 私は制服姿のまま大手ショッピングモールのおもちゃ屋に行き、買い物を済ませてきた。今日は最新パック、「STARSTRIKE BLAST(スターストライク ブラスト)」の発売前日だ。相変わらずここでは1日前に販売していたので、私は懲りずに3パックだけ買った。



「お姉ちゃん!」
「あ、ユユちゃん!」

 ユユちゃんが笑顔で手を振り、私のところへやってきた。私達は横に並び、お喋りをしながらうちの店に向かって歩く。今日はユユちゃんの小学校で大掃除があったことと、クラスメイトの友美ちゃんと遊んだことや話した内容を教えてくれた。

「でも、まだわたしのこと嫌っている人もいる……」

 授業中に喘息をする時があるから? と聞くと、ユユちゃんは黙って頷いた。私達は無言で歩き続け、私とユユちゃんが初めて出会った横断歩道で立ち止まった。目の前で車が行き来するのを見ながら、赤信号を待つ。

「大丈夫。何も心配しなくていいよ。うちの店でもさ、カードを見るだけの人もいるし、見もしない人だっているでしょ。そういう人がいるからこそ、自分の友達が本当に大事だと思わない? だから気にするなら、ユユちゃんと友達になってくれた人のことを気にしたほうがいいと思うな。私、最近分かったんだ。良いことも悪いことも、自分の考え方次第なんだと思うよ」

 ユユちゃんは足を止めたまま、私の顔を見上げた。

「わたし、早く大人になりたい」

 続けるようにユユちゃんは理由を言っているようだったけど、私の頭には入ってこなかった。それくらい、最初の言葉は私にとって衝撃的だった。そういえば、いつからなんだろう。私が大人になりたいと思わなくなったのは。あの頃はあんなに早く大人になりたいと願っていたのに、今ではその理由すら明確に覚えていない。宿題がないからとか、自分で好きなようにお金が使えるからとか、そんなんだったっけ。でもいつの間にか心の中で大人のことを嫌うようになり、自分は子供心を絶対に忘れないぞと誓っていた。なのに、一番大事なことを忘れていたなんて。

 車は止まり、信号が赤から青に変わった。渡れる。私はわざとらしく横断歩道へ駆け出し、後ろを振り返った。ランドセルを背負い、一生懸命になって私を追いかけてくるユユちゃんを見て思った。



 私はもう、子供じゃない。
 現実を知ってしまった今は、子供の頃みたいに大人に憧れることはできそうにないや。
 だけど。自分が大人になって少しは良かったと思うことなら。
 たぶん、できそうな気がする。
 つまらない大人になんてならないぞ。
 捨てたくないものは、自分の中に残して。






 オポッサムな1人 バブーンな1人 完









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